1 :
世界@名無史さん:
釈迦が開いた仏教を歴史的 事 実 に基づいて検証していくスレッドです。
宗教的な主張がある方は宗教板にドウゾ。
できるだけソースをつけてくださいね。
・仏教以前のインド思想(概略)
・原始仏教の成り立ちと釈迦寂滅まで
・釈迦寂滅の後の教団
・仏教の伝播
・上座部教の歴史
・大衆部教の歴史
・佛語解釈の歴史(経・律・論)
などをテーマにどうぞ。
2げと
ローカーヤタについて教えて
ブッダはクリシュナの化身だからさ〜
仏教を信じてるやつはみんなヒンズー教徒なんだよ
駄胃搾先生はブッダの生まれ変わりなんだからさ〜
仏教を信じてる香具師はみんな愕悔員なんだよ
7 :
世界@名無史さん:04/11/06 18:14:09
インドの山奥で 修行して〜
ダイバダッタの 魂やどし〜
ダイバダッタってブッダに背いた、いわゆる仏敵だったのね。
9 :
世界@名無史さん:04/11/06 19:20:56
法華経がデーヴァダッタ系の教団で書かれたという説の信憑性はどのくらい
あるの?
面白そうなので、記念カキコ。
初期仏教史といえば、デイバダッタ(提婆達多)と釈尊の関係の仏典の「釈尊=善」という前提の歴史記述以外もしりたいな。
提婆達多は何を唱えたのかさえ明確でないし。史料はあるのですか?
初期仏教に限った議論になってしまいます(あるいは後期への影響有り?)が。
ダイバダッタ、デーヴァダッタ、デイバダッタ、提婆達多、と記述される
「仏敵」とも「法敵」ともされる教団の史料というのはあるのですか?
私が知る限りでは、仏典で記されている情報以上のものはないと思うのですが、
それはいわゆる「敵から見た見方」しかないということですか?
>>9 さんが書いている「 法華経がデーヴァダッタ系の教団で書かれたという説」はどこから来ているのですか?
素人質問ですみませんorz
13 :
世界@名無史さん:04/11/07 00:38:36
弘法大師もここで語っていいのか?
14 :
世界@名無史さん:04/11/07 02:50:23
>>13 いいだろう。
ところで東寺の五重塔は見に行ったかね?
>法華経がデーヴァダッタ系の教団で書かれたという説
故渡辺照宏氏の唱えた説ですが、ちょっとニュアンスが違います。
法華経提婆達多品は当初から法華経になく、後世付加されたものではないか、
と推定されて居ますが、彼は法華経製作グループが提婆達多を
信じる一派と交渉を持っていたのではないかと考えたのです。
根拠は以下の通り。
・法華経提婆達多品ではデーヴァダッタこそが前世で御釈迦さんに
法を説いてくれた恩人であるとする。
・歴史的事実として、御釈迦さんを仏陀として認めず
デーヴァダッタこそが仏陀であると信じる異端仏教徒の集団が
法顕や玄奘の記録に登場する。
まあ、渡辺さんは深川不動の住職のお子さんで、新義真言宗系の
人らしいのですが、法華経・浄土三部経及び日蓮宗・浄土系諸宗を
不当に低く評価する傾向がありまして、この説も
「法華経は特殊経典である」という思い込みの元に
推測に推測を重ねてなりたっている所があり、学問的信憑性は疑問です。
>>15 推論に推論を重ね学問的信憑性に欠くって・・・だめじゃん orz
インドに歴史という概念はない。インド亜大陸にいくつもの王朝が起こっては栄枯衰勢を繰り返し
悠久の時をすごして行く。それゆえインド亜大陸の記憶は断片的にしか残らない。
思想は2千年に一度で近似して勃興する。仏教はそんな中でうまれ、イスラームにより滅んだ。
18 :
世界@名無史さん:04/11/15 23:12:17
age
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、近所の禅寺行ったんです。禅寺。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、プチ座禅無料、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、プチ座禅無料如きで普段来てない禅寺に来てんじゃねーよ、ボケが。
プチ座禅だよ、プチ座禅。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で禅寺か。おめでてーな。
よーしパパ悟り開いちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、鉗鎚してやるからその席空けろと。
禅寺ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
禅堂の単蒲団に安単した高単といつ止静が始まってもおかしくない、
菩提するか警覚策励されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、「ホォーホォー」、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、托鉢なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「ホォーホォー」、だ。
お前は本当に托鉢をしたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、「ホォーホォー」って言いたいだけちゃうんかと。
禅寺通の俺から言わせてもらえば今、禅寺通の間での最新流行はやっぱり、
庭詰、これだね。
低頭伏顔して「タノミマショーッ」。これが通の頼み方。
庭詰ってのはひたすら入門を懇願する。そん代わり中に入れない。これ。
で、それに掛錫まで座り込み。これ最強。
しかしこれを頼むと次から禅寺にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、1は、プチ座禅でも組んでなさいってこった。
あんまり関係ないって言うか、ほんとに関係ないけどな、ちょっと笑ったよ。
「いまどき吉牛コピペかよっ」ておもったしね。…そういや吉牛って最近行ってね-な。
メニューもパッとしないし、新しいBSE見つかったって言うし、あぁでも、流しで雲水やってそーな
おまえは関係ない話だよな。修行中に肉食えねーし。
話が変わるけどお前が今度このスレで「タノミマショーッ」ってきたときはいつまでも却下してやるよ。
でもプチ座禅は勘弁な。
まあ、お前
>>19は、警策で感じてなさいってこった。
吉豚
22 :
世界@名無史さん:05/01/08 03:06:43
あげ
23 :
世界@名無史さん:05/01/14 17:53:53
日本のように坊主が世襲している国はあるのか?
そんな事より>19よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、近所の禅寺行ったんです。禅寺。
そしたらなんか人がめちゃくちゃ座りこんでて座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、一休宗純禅師提唱、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、一休如きで普段来てない禅寺に来てんじゃねーよ、ボケが。
一休だよ、一休。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で禅寺か。おめでてーな。
よーしパパ一休禅を窮めるぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、慈雲尊者連れて来てやるからその席空けろと。
仏教ってのはな、もっとマターリとしてるべきなんだよ。
禅堂でいつ禅僧が発狂してもおかしくない、
禅病で死ぬか野狐禅に走るか、そんな雰囲気じゃー悟れねーよ、
一休みたいな野狐禅者はすっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、蓮如が、「一休は素晴らしい」、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、一休なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「一休は素晴らしい」、だ。
お前は本当に禅をやったのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、「一休は素晴らしい」って言いたいだけちゃうんかと。
禅通の俺から言わせてもらえば今、禅通の間での最新流行はやっぱり、
盤珪、これだね。
坐禅もしないで講話を聴いてげらげら笑う。これが通の悟り方。
盤珪ってのはまったく修行しない。そん代わり仏教会に入れない。これ。
で、普通に生きる。これ最強。
しかしこれを頼むと次から白隠一派にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、19は、天台本覚論でも読んでなさいってこった。
25 :
世界@名無史さん:05/01/17 21:26:47 0
ええっと…。
釈迦って結局のところ「悟れた」の?
菩提樹の下で悟ったのなら、なんでその後も修行したんだろ。
悟ったのなら、追加で修行しなくてもOKじゃなかろうかな?
26 :
世界@名無史さん:05/01/17 21:31:10 0
っていうか悟りを開いて煩悩の一つである愛執を絶ったなら
わざわざ慈悲の心を持って衆生済度なんぞせんでもよかろうに。
とっとと解脱してサヨウナラが筋じゃない?
つまりシッダールタの悟りは不完全で、本当に悟りを開いた香具師らは
歴史上にまったく名を残すことなくひっそりと世を去っていると思われ。
27 :
世界@名無史さん:05/01/17 21:33:29 0
凄いレス早いんでビックリした。
28 :
世界@名無史さん:05/01/17 21:54:07 0
>>25 シッダールタさんの「悟り」は1回だけじゃなく、もう数え切れないほど何度も。
弟子や信者から、あるいは自分自身での悩み、疑問毎に菩提樹の下で悟りを啓くのだ。
今日映画雑誌見たら、ブラピ主演で「仏陀」を映画化する計画があるらしいぞ。
公開は2006年。
金髪の仏陀かよ…という突っ込みはここでは無しで。
「梵天勧請」という話がありますが、あれも史実ではなさそうな・・・。
修行については、28氏の仰る通り。
>わざわざ慈悲の心を持って衆生済度なんぞせんでもよかろうに。
あなたに向いてらっしゃるのは、寧ろ六師外道による因果応報・因縁の否
定の様ですが、それではただの道徳否定論になってしまい、広がりを見出
すものと成り得ません。悟りの後は追究する必要が無いというのも同じ。
(以下、口煩い人間の老婆心による説教)
しかし、悟れば慈悲が必要ないというエゴ寄りの発想もどうかと。余計な
お世話でしょうが、私があなたの親御さんであったら、教育方法が誤って
いたのではないかと悩みますよ。
ご機嫌を損ねてしまわれたでしょうが、何もあなたを侮辱したくて申し上
げた訳ではありません。ただ、人に慈悲をかけるのが当たり前ではないと
いう非凡(皮肉ではなく、本心です)な発想は、あなたの為にも・・・。
「当たり前」というのが納得出来ない、理屈を示してくれと仰られるのであ
れば、どうか仏教を学んで下さい。あなたが必要とされるのであれば、こ
れまで「日本仏教」ばかりやって来た私も、少しは学ぼうと思います。
どう読んだら
>>26に
>人に慈悲をかけるのが当たり前ではない
のような内容が書かれているように思えるんだろう…
こんな邪推できるなんて、私が親だったら、
教育方法が誤っていたのではないかと悩むよ。
早速返されましたか。己の発言は己に降りかかるもの。
私としては、凡夫ですら他人に慈悲をかけるのが当たり前である以上、人が
目指すべき悟りを開いた人が、慈悲をかけないという事があろうか。
その様に考えておりました。従って、己だけ救って「サヨウナラが筋」という
発想が、全く想定の埒外にあった訳です。
自分の信仰を否定する者は外道、反論する者は自作自演ですか。
そういう独善的な発想ができることが信じられないよ。
>>26=
>>32の根拠を教えて。
いえ、自演とは一言も。「返された」という表現は、何も同一人物でなくと
も成立しうるものだと思いますが。
山野っちも真面目だなあ。
>>26くらいの内容、そんなマジでつっこまんでも。
あんなんただの素朴な疑問でしょ。
親の教育まで持ち出さんでも…。
念のため、横レス。
僧の目から言わせてもらえば、あの程度は笑って返せるくらいじゃないと。
キツイ言い方をしても良い結果は生まれないですよ。
38 :
世界@名無史さん:05/01/18 07:39:06 0
>>37 神社・仏閣板でもそれぐらいの余裕を持って頼むわw
39 :
26:05/01/18 07:56:13 0
ええと・・・32さんは私じゃありませんよ、山野さん(w
別に私個人としては慈悲や人を思いやる事、哀れみ、道徳と言ったものを
否定する気はありませんし、重要だとも思っています。
しかし愛というものすらも煩悩と切って捨てるのが原始仏教の思考のように考えられたので
(工房レベルの理解かもしれませんが・・・)、悟っておいてから
さらに衆生済度するというのは矛盾ではないかと。
これは六師外道というより小乗の考え方寄りではないかと私は自分では思うのですが、違うでしょうか?
というか、歴史学的にはアジタやヴァルダマーナの思想を
仏教サイドの視線丸出しで「外道」呼ばわりする方が偏見が(ry
(まあ「外道」お本来の用法ぐらいは知ってますが)
40 :
26:05/01/18 08:05:29 0
考えて見ると菩薩信仰では、本来成仏できるにもかかわらずあえて
仏としては不完全な菩薩の段階にとどまって衆生済度を目指す
利他の菩薩という観念がありませんでしたっけ?
これが昔から不思議だったんですよ。
完全に成仏してしまってからでは衆生済度は出来ないのか?
そうだとすれば衆生済度なんてするのは仏を目指すものとしては間違っているのではないか?
だったら釈迦が衆生済度を目指したのはおかしいのではないか?
そもそも仏教の徳である「慈悲」は煩悩の一種である「執愛」、
衆生への「執愛」のかたちに他ならないのではないか・・・
思えば本来仏教とは個人が悟りを開く為の教えで、紀元前6世紀か5世紀頃の
北インドに実在したひとりの個人としてのゴータマ・シッダールタ以外にも
歴史上無数の高僧やその他の人びとが悟りを開いたと伝えられています。
私の理解するところではシッダールタ個人は最初に悟りの教説を説いただけで、
個人として何か超越的な意味を持っているわけではない・・・というのは
別に異端邪説的な考えとして排撃されるようなものでもなかったかと。
後世仏教が神秘化・・・というか形而上的な概念がどんどん入ってきたり
やたら仏が神秘化されたりしたにしても、もともとの原始仏教の段階では
本来仏教というのは宗教とすらいえないような、単に個人が輪廻の輪から
解脱する為の方法論を説いたものに過ぎないと言う風に思われるのですが。
これが間違っているというなら、説明してくださればありがたく聞きますが。
道徳を否定しているわけではなく、単に興味と疑問があるだけです。
シッダールタ時代の「仏教」と後世の大乗的な色彩の濃厚な「仏教」とは全く別のものなのではないでしょうか?
41 :
26:05/01/18 08:11:25 0
そういえばこの疑問はヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』に
触発されたものでもあるのですが。
まあヘッセの仏教理解が正確かどうかは知りませんが、
あれを読むと私と同じような考え方が感じられましたが・・・
やっぱりただの素朴な疑問だったということだな。
山野は大人気なさすぎるよ。
43 :
世界@名無史さん:05/01/18 12:29:03 0
コテハンだからといって甘やかしてはだめ。
煽りは無視しないと。
44 :
26:05/01/18 12:43:57 0
あ、ついでに一言。
25さんと私は別人です(w
いくつかのスレにレスした後にうろうろしてたらこのスレにレスがついていたから
ちょっとカキコしただけ。自演にあらず。25さん、タイミングがよすぎてすみませんね(w
45 :
世界@名無史さん:05/01/18 13:12:44 0
クマラジュウのこと語れや
この人いなけりゃ本当に
ゾラアスター教並みの
マイナー宗教になっただろうが
46 :
世界@名無史さん:05/01/18 13:14:46 0
あ…
>>25です。(ホントに)
今日のぞいてみたらスレが、どどっと。
釈迦は段階的に「サトリ」をひらいたという訳ですね。
相対性理論の次に特殊相対性〜という塩梅に。
判るんですけど…サトリと言うものは段階的に深化するものなんですか?
てっきり凡人には滅多に到達し得ない、稀有な体験なのだと思っていました。
それゆえに仏陀は偉大なのだと…。
僕は子供の頃に釈迦の子供向け伝記を読んだ程度だったんですけど
「サトリは深化するもの」だったなら、子供向けであるだけに明記して欲しかったんだなぁ。
大事なポイントですよね?
菩提樹の下で開いたのは仮の悟りで、
涅槃寂静に入った(死んだ)のが真の悟りだという教説がなかった?
>>28は半分ネタと思われ
ついでだが山野さん、一人相撲になってるよw
っていうか最近の山野氏は結構慇懃無礼な口調が多いのではないかとひそかに思う今日この頃
それは昔から
>>45 カタカナ使うならクマラージーヴァ、
クマラジュウというなら漢字で鳩摩羅什と書いたほうが良いますが
>26
遅くなりまして、申し訳御座いません。朝の内にレスは拝見していたのですが、
分かり易そうな本を探していて、遅くなりました。
>そもそも仏教の徳である「慈悲」は煩悩の一種である「執愛」、
漢訳仏典にある「愛」には、trsnaとpremanの二つがあります。
前者が貪り、執着する愛欲なら、後者は慈愛。中世日本の例を見る限りでは、
少なくとも「愛」という言葉はマイナスイメージで捉えられる「愛欲」である事
が大半で、初期のキリスト教徒も、イエスの「愛」と言わず「お大切」と訳して
います。
『大智度論』第七十二
「愛は貪欲煩悩の心にして行ずべからず、當に慈愛の心を行ずべし。世間の法は
妻子牛馬等を愛念し、怨賊等を憎悪す。菩薩は此の世間の法を轉読し、但だ慈愛
の心を一切の衆生に行ず」とあるのは、「愛」は好きな相手にしか傾けられず、
好悪の差別を生むものだが、慈悲は平等だというもの。
『中阿含経』などに、以下の様な話があります。
尊者モーリヤパッグナは女性の修行僧たちと過度に親しくしていた。尊者モ
ーリヤパッグナはつぎのように女性修行僧たちと親しくしていた。すなわち、
もし修行僧のだれかが尊者モーリヤパッグナの前でその女性の修行僧たちを
誹謗すると、尊者モーリヤパッグナは怒り、不快になり、いい争いさえした。
(その逆もまた、然りであった。それをお聞きになられた世尊の訓戒)
たとえだれかがあなたの前でその女性の修行僧たちを手で打ったり、土塊で
打ったり、棒で打ったり、刀で打ったりしても、それに対して、パッグナよ、
あなたは在家的な欲望や在家的な思いを捨てるべきである。それに対して、
パッグナよ、あなたは次のように学ぶべきである。すなわち、わたしのここ
ろをけっして変えないようにしよう。悪いことばを吐かないようにしよう、
また相手を思いやって、慈しみのこころをもち、怒りのこころをもたずにい
よう、と。パッグナよ、あなたはこのように学ぶべきである。
春秋社の『原始仏典』より。パーリ語からの翻訳。
ここでは個人的な立場による「在家的な思い」が否定され、その代わりに土
塊などを己や己のよく知る人々に投げかけてくる様な人々にも与えられる「
慈しみ」が重視されています。
とはいえ、善行にも執着すれば苦の種となるというのは事実。
六波羅蜜も堕地獄の因となるというのは、与える人が物惜しみする人を責
めたて、或いは戒を守る人が、口うるさい事ばかり言うといった情景を指
して言ったものです。私もしばしば陥るものですが。
そうした見方からすれば、慈悲に執着し過ぎるのも考え物でしょう。
しかし、執着しない事に執着しても本末転倒なので、やはりほどほど・自
然体が良い様です。
「ボサツ」についてですが、原始仏典では修行中の世尊の事を指す場合が多く、
後の大乗仏典に記された「菩薩」とはまた意味が異なる様です。
大乗仏教の菩薩は、あの(世俗寄りの)お姿が頼もしい人間向けの存在だという
解説がありますが・・・さて、納得されますかどうか。勿論、如来の救済も可。
>判るんですけど…サトリと言うものは段階的に深化するものなんですか?
それだと北方系の「漸悟」になりますね。これに対し、南方系の「頓悟」は、一気
に悟る事が可能だとしたもの。今の禅は頓悟の方で、漸悟は絶えています。
では、頓悟では悟れば修行の必要は無いのかと言えば、そうでもない。
>>54 もともとBodhisattva、すなわち√budh+√asで「仏・目覚めたもの(となる)生存」
だから、悟りを開く前の仏を指す言葉でしょう。
56 :
世界@名無史さん:05/01/20 12:41:02 0
そもそも「サトリ」とは 何ですか?
「サトリ」と「慈悲」って関係のある事柄なのですか?
悟りとは人の言うべきものにあらず、仏と仏だけがわかるものだ、
と言ったのは道元ですが、
曰く言いがたい境地のようです。一種の瞑想の後に来る開放感とでも
申しましょうか?どうも違うような気もしますが。
悟りと慈悲は非常に関係が有りまして、悟りを開くと全ての
存在に慈悲を注ぐことができるそうです。また悟りを開いたら
慈悲の心で衆生を救わなければならないのだそうです。
道元とか親鸞はそんなことをいっていますがこれが本当かどうか
わたしにもわかりません。
58 :
世界@名無史さん:05/01/24 18:46:10 0
>>57 こんなこと言うと叱られそうだけど
日本アレンジされた仏教思想と釈迦のサトリって
同列に並べちゃっていいの?
どっちかというと釈迦の仏教って「小乗仏教」に近かったんでしょ?
(小乗って言っちゃいけないんだっけ?)
そういや、喜捨って「慈悲」に関係あるのかしら?
僕には そう思えないけど…。
>日本アレンジされた仏教思想と釈迦のサトリって
>同列に並べちゃっていいの?
庶民向けかどうかはさておき、漢訳された原始仏典もかなりあります。
ただ「釈迦の言葉のみを忠実に」という事であれば、違うでしょうね。
もっとも、それを突き詰めると原理主義まで行ってしまう訳で、釈尊御
自身に否定されてしまうものと思われますが。
あらゆる人に、それぞれ適した救済を示された釈尊の事ですから、対機
説法の成れの果ての様な(?)現状にも、一定の理解を示される筈。
四諦八正道さえ分かっていればいいのです。
>どっちかというと釈迦の仏教って「小乗仏教」に近かったんでしょ?
(小乗って言っちゃいけないんだっけ?)
小乗と言う言い方は最近はしません。上座部と言いますね。
まあ、大乗仏教と原始仏教は別物といえば別物なのですが、
じゃあ上座部(小乗)仏教が釈尊に近いのかと言うとこれがまた
ややこしいものでして(何しろ上座部のパーリ語経典も仏滅後
100年以上経過してから成立している)、一概にそう決め付ける
わけにもいかないんですよねぇ・・・
ちなみに、釈尊は自らの悟りの内容についてお話になったことは
なかったのではないかしら(原始仏典に詳しく無いのでよくわからない
のですが)。道元の正法眼蔵は悟りの内容について珍しく丁寧に説明して
ありますので、とりあえず引用したまでです。維摩経なんか肝心なところへ
いくと黙っちゃうんだもんなあ。法華経は比喩だし。
小乗はもともと根本説一切有部を指していたとのこと。これを上座部や
大衆部をも含む部派仏教一般に拡大使用したのは中国仏教とチベット仏
教だとか。まあ、部派は今上座部しか残ってないんだけど。大乗経典で
初めて小乗の語を使ったのは『法華経』とのこと。
仏陀が拳法家であった説についてはどうか?
63 :
よろずこ:05/01/27 23:07:04 0
後世の拳法家(?)、少林寺関係の作り事と思われ。
夢枕獏は恵果や空海が金剛拳を伝えたといっているぞ。
64 :
仏陀:05/01/27 23:08:22 0
仏陀って両性具有者だったんですか?
仏教徒の異教徒弾圧として引き合いに出される西遼でのムスリム迫害、本当にこれは事実なのか?
確かに西遼は支配階層の契丹人が仏教徒、一般市民がムスリムの国家だったがムスリム弾圧したのは
西遼を乗っ取ったナイマン族のクチュルクでナイマン族はキリスト教徒のはず。
67 :
世界@名無史さん:05/02/02 16:20:15 0
仏教って、西方へは、どこまで信仰されたの?
イギリスに池田先生を称える支部が存在します。
69 :
世界@名無史さん:05/02/02 17:19:22 0
>>68 ま、そうなんだけどさ。
歴史的に 例えば実はマダガスカル辺りで仏教国があったみたいな…
夢のある(?)話でさ…ないかな?
70 :
世界@名無史さん:05/02/02 17:26:02 0
現在の「仏教国」だとカルムイキア共和国が西限かな?
サーサーン朝のペルシャにも仏教徒がかなりの数いたらしいけど。
ローマに布教使節を送っているはず。グプタ朝かもっと前かな?
72 :
世界@名無史さん:05/02/02 18:04:40 0
イギリスのニール・ダイヤモンド氏に仏教がたどり着いていますが。
さらにそこからずーっと西に行ってアメリカにも池田(ry
西へ帰るアレクサンドロス軍に随行した行者たちの中に仏教徒はいなかったのかな。
ヘレニズム世界の一部の虚無思想あたりと案外上手く結びついたかもしれない。
75 :
世界@名無史さん:05/02/02 20:04:55 0
>>74 帰国したアレキサンダーの軍勢に…か。
なんか凄くわくわくするイマジネーションだ。
ほんとに、どうなんだろうなぁ?
聖母マリアの処女懐妊のエピソードも
仏陀誕生のエピソードの影響があったりして…。
あんまりこんなこと言うと
トンデモになっちまうか。
くわばらくわばら。
76 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/02 22:21:39 0
アショーカ王がセレウコス朝やプトレマイオス朝に伝道師を派遣したものの、
定着せず・・・残念。
>ヘレニズム世界の一部の虚無思想あたりと案外上手く結びついたかもしれない。
原始仏典(漢訳あり)の中で、バラモン達に虚無思想と批判されたのに対し、
「私は虚無を説いているのではない。今までも、これからも、苦と苦の止滅のみ
を説いているのである。」
とお釈迦様ご自身の台詞として説かれていますからね・・・。
晩年の「世界は美しい」発言には泣けて来ます。
77 :
世界@名無史さん:05/02/03 14:03:21 0
あちら方面に伝道して変化していったのがマニ教なんじゃないの?
初期キリスト教の異端にも影響がみられるような・・・・
78 :
世界@名無史さん:05/02/03 15:52:50 0
79 :
世界@名無史さん:05/02/23 20:58:45 0
ローマに仏教伝道団を派遣したのはいつごろの時代でしたっけ?
80 :
世界@名無史さん:05/02/27 12:29:24 0
イエスの時代にはメソポタミアまで伝わっていたようだから、
帝政期にはすでにローマにも知られていたんでは?
「イエスは仏教徒だった」(こんな感じのタイトル)って本があるくらいだかね。
82 :
世界@名無史さん:05/03/13 23:10:20 0
・仏教(釈迦の教え)は考え方であって、他に信仰を持っていてもいい。(仏教は宗教と同様の概念ではない。)
・仏教の「悟り」は経典化に際して覚えやすいように詩韻にした。
大乗教ではそれがひどいので初期の大乗経典・法華経では誇大妄想のカルト経典になっている
・そのために「悟り」が難解なモノとされ誇大に喧伝されている。
・「悟り」とは物事に大人な態度で接して、こだわりすぎないこと。
・釈迦は生涯の中で何度も「悟る」って言うよりも、物事に対して気にしすぎないで、改め受け流してきた。
・考え方的には五箇条のご誓文・教育勅語をベースにして「何事も頑張ればに身に付く。あきらめるな。でも、それに捕らわれすぎるな。」みたいなもの。
・上座部教は仏教論、あるいはそれに基づく宗教であって、仏教ではない。
・いわゆる大乗仏教は仏教論(上座部教)を元にした仏教とも上座部教とも別の「宗教」
・密教(ここでは仏教密教)系は大脳生理学を用いたトリップ方法。
・禅は密教を否定する修業方法。
83 :
世界@名無史さん:05/03/17 23:55:04 0
だれか、仏教以前のインドの宗教について語ってはくれぬかのぅ
バラモン教の話など本やネットにいくらでもころがってる
>82
>大乗教ではそれがひどいので初期の大乗経典・法華経では誇大妄想のカルト経典になっている
法華経の成立年代は複数説がありますが、初期でよかったのかなあ。
誇大妄想と言うのは言いすぎだと思います。
>・「悟り」とは物事に大人な態度で接して、こだわりすぎないこと。
悟りは言葉では言えないものだと言うのが大乗仏教(特に禅家)の
説くところです。大人な態度で接するというのは儒教です。
こだわりすぎないというのは弱い。一切の執着を捨てるといいますから
そんなものでは禅では生悟りといって師家の叱咤を受けること必定。
>物事に対して気にしすぎないで、改め受け流してきた。
この表現もどうかと。
>・考え方的には五箇条のご誓文・教育勅語をベースにして「何事も頑張ればに身に付く。あきらめるな。でも、それに捕らわれすぎるな。」みたいなもの。
それは明らかに儒教以外の何者でも無いですね。教育勅語は忠孝を重んじる
ものですが忠は儒者馬融が忠経で説く所、孝は孝経で説くところです。
原始仏教では忠孝ともに否定といっていいのではないでしょうか。
中国仏教で漸く孝行の徳を説くようになりましたが忠義は否定しています。
僧侶は皇帝を礼拝すべきでないという「沙門王者不敬論」という
ものさえありました。五箇条のご誓文・教育勅語と仏教とは相反するとは
いえないまでもかなり相異するものでしょう。
>・上座部教は仏教論、あるいはそれに基づく宗教であって、仏教ではない。
…こりゃ幾らなんでもあんまりだ。原始仏教に詳しい人反論きぼん。
>・密教(ここでは仏教密教)系は大脳生理学を用いたトリップ方法。
これもどうかと。
>・禅は密教を否定する修業方法。
残念ながら、日本臨済宗の開祖栄西は超一流の密教僧侶でした。
中国で法力で雨を降らし宋の皇帝から何かもらっているはずです。
というより密教寺院で禅を修し、禅寺で密教のダラニを唱えることが
当たり前に行われて居ます。
おぎまるさんレスありがとう。基本的にカルト対策を基本とした初心者向けの羅列でしかないから
あんまつっこまないで下さい。箇条書きにしたので舌っ足らずな所ばかりだけどレス返しで以下補足しました。
>誇大妄想と言うのは言いすぎだと思います。
個人的な感想を言えば、法華経には何も教理や方法が具体的に示されていないから誇大妄想だとおもう。
あるのは詩と繰り返しと煽動する言葉だけ。だからカルト化しやすい。大化城なんてユートピア思想って感じでそれは原始仏教とは反対方向だろうと思う。
>悟りは言葉では言えないものだと言うのが大乗仏教(特に禅家)の
それは中華思惟を受けた禅家の思想で原始仏教とは違うように思える。もちろん私が話しているのも私の思惟をしたものですからずぼらばかり。八正道の一つになんかあったと思うけど、眠いから省略。
>一切の執着を捨てるといいますから
それは「一切の執着を捨てる」という執着があるのじゃないかと思う。
ただ単に私が禅家でないから一気の悟りは肯定できないと言うのもあるんだけどね。
>この表現もどうかと。
己を改めて受け流す事が出来た。大人の態度だと思う。その後ほっとしてまったりする。
・禅は大乗仏教の一つではあるけども禅が仏教ではない。
・大人な態度ってのは、うまく事を受け流すといったようなこと。
儒教ではない。
最後の三行「・」で箇条書きにしたところ以下書き損じです。すみません、無視してください。
以下続き
>それは明らかに儒教以外の何者でも無いですね。教育勅語は忠孝を重んじる
ものですが忠は儒者馬融が忠経で説く所、孝は孝経で説くところです
ここで言いたかったのは初心者向けの解説なのでわかりやすいのを使ったつもりなんですが、
あくまでベースです。経典宗教のように絶対の戒律があるわけではないという事を言いたかった。
自分ルールである戒を大切にして成長しろ、でも、それに捕らわれすぎたら元も子もないぞということ。
>こりゃ幾らなんでもあんまりだ。原始仏教に詳しい人反論きぼん。
(現代の)小乗教は仏教論(宗派)になってしまっている。そんな感じなするのですよ。
タイなんか仏門に入るのが通過儀礼になってるから。
>これもどうかと。
虚空蔵ぐもんじほう?とか大日経ってトリップ方法以外に浮かばないんだけど。
あと前者は面白いです。密教系の方法は脳を鍛える方法として脳力開発系の本で解説されています。
>残念ながら、日本臨済宗の開祖栄西は超一流の密教僧侶でした。
栄西は天台宗の僧侶じゃなかったっけ?顕密兼業の。後に臨済宗の開祖に据えられたってだけで。
あと、政治的配慮から寺内に真言院もあったように記憶している。お茶伝えたのも栄西だよね。
とべるドラッグ。お茶。あと、ここで言う禅は基本的に曹洞禅の事です。むしろ道元禅。
呪い事やる前にとりあえず出家して座れ、が基本スタンスの道元。
世間一般(密教・浄土教)とは相容れない硬派な僧侶。
自分で言っておきながら舌足らずで下手な文章。目もあたられないや。 orz
舌っ足らずばかりで申し訳ないんですが、素人考えなんで目くじら立てないで下さいまし。
どなたか詳しいか方がいたらご教授を垂れて下さいませ。
89 :
世界@名無史さん:2005/03/30(水) 13:42:26 0
どうして↑のような書き込みは
読む気すら起きないんだろう…?
90 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 22:48:19 0
age
91 :
世界@名無史さん:2005/04/18(月) 23:54:25 0
きわめて単純な疑問。
スルーしてもらってもええです。
お釈迦様は、
「あ〜いままで苦行をしたけど、あれはしなくてもいいことだった」、
と苦行を否定したんですよね。
すくなくとも、苦行に疑問を持ったはず。
なのになぜ、
その後の仏教各宗派は、難行苦行をし続けるのでせうか。
達成感を味わうためなのだろうか。
92 :
世界@名無史さん:2005/04/19(火) 01:44:25 0
>>91 古代インドでは仏教が国教化された後も依然としてバラモン教の勢力が強く、
実質的にはバラモン教というエセ仏教が主流となったため、苦行が行われた。
本場インドで歪められたまま各地へ伝播した仏教は、現在なお間違った教えが主流である。
仏教の創始者シッダールダは偶像崇拝を禁止し、自分の姿を描写することを認めなかった。
しかし、現状を見れば解る通り、この教えも正しく伝わる事は無かった。
93 :
世界@名無史さん:2005/04/19(火) 16:30:15 0
見えるものに畏怖し崇敬するのが人間だもんな。
キリスト教もそうだし、イスラムも口ではそういっているがどうやら?って感じだ。
DLしたけどこれをどうすればいいのかわからない
それをまた別のところにうpすればいいよ
96 :
ヨゼフ・ラッツィンガー:2005/04/25(月) 02:54:02 0
もし仏教に魅惑があるなら、
それは仏教が具体的な宗教的義務なしで無限と至福とに到達可能のように見えるからだ。
その意味で仏教はエロチックな霊性である。
現ローマ法王 ベネディクトゥス16世
>>91 釈尊が言ってるのは「体を傷つけるような苦行は無意味」ということ。
ヒンドゥー教のシャドゥーには、体に針を刺す、片手を一生上げている、
土に埋まる、とかの他人には意味不明な苦行がまだある。
仏教僧がやってる"苦行"は苦行の内にはとても入らないよ。
苦行が苦行の内に入らないというのもおかしい
仏教の苦行→自己を見つめる厳しさ。
ヒンドゥーの苦行→主に肉体的な苦行
ということかな。
100 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 13:54:42 0
100解脱
>>96 精神とか霊魂とかいうものが具体的なものではないし、目的たる無限やら至福やらも
これまた具体的なものではから、そりゃ、具体的な義務なしに到達するという、
究極の宗教だわな。
耶蘇の言う「具体的な義務を伴う」なんて、アンデスの人身供養やニューギニアの
首狩族の鎮魂と五十歩百歩だわな。免罪符でも売ってろ。
具体的な義務を伴うというのは「神に対する契約」というものなのかな?
仏教は「戒(自分内ルール)と律(集団内ルール)」があるけど、それをどう訳すかによって
意味が違ってくるから。
仏教って宗教だったのかなあ?
(キリスト教やイスラム教、ヒンズー教と同じような意味で)
信仰の部分はむしろ土着の宗教から来てる部分も大きいし
104 :
世界@名無史さん:2005/06/18(土) 17:55:41 0
核心部分は哲学に近いかもな。
釈尊への個人崇拝に始まり、様々な儀式を加えていくことで宗教になった
如来や菩薩の思想、仏像、それへの崇拝、が生まれた大乗仏教と
なると完全に宗教の形になる。
106 :
世界@名無史さん:2005/07/05(火) 06:04:27 0
廃仏毀釈以前と以後で仏教のイメージってどう変わったの?
別に変わってないと思います。
僧の堕落は公然の事実でしたから。
108 :
世界@名無史さん:2005/07/30(土) 21:46:36 0
仏教の開祖はナーガールジュナ
109 :
世界@名無史さん:2005/08/22(月) 22:21:34 0
age
110 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 01:13:01 0
沖縄・奄美には仏教はどの程度根付いたの?
ついうより影響残ったんだろうか。
111 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 12:45:54 0
日本の禅宗が最初だっけか。
112 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 17:27:08 0
「1265年、禅鑑が英祖の招きで沖縄本島に上陸、仏教のほか仮名を伝えた」
とあるね。
113 :
世界@名無史さん:2005/10/29(土) 17:43:23 0
日本側にこの僧の記録ってあるの?
宗派や出身などは分からず、ただヤマトゥから来た坊さんということだけ分かっているんだよな。
114 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 19:42:45 0
解脱哲学・実践倫理の大成者がシッダールタで、仏教の開祖が龍樹というのには賛成してもいいな。
115 :
世界@名無史さん:2005/11/27(日) 02:19:05 0
>>113 ヤマト側の記録は聞いたことないなあ。
琉球に招かれて来琉したのではなく、南宋へ修行にいく途中で遭難し、沖縄本島へ漂着したものだそうな。
学僧ならば、どこか有名な寺の出じゃないか、と思うが。
116 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 00:12:39 0
明治初めまでは日本が仏教圏の最東端だったんだな。
117 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 10:47:47 0
age
118 :
妙な方 ◆J7M7PQyXkE :2005/12/22(木) 11:34:06 0
最大にして最高にして最強の仏教国、それが日本。
称えよ、神国!称えよクールジャパニ!
119 :
妙な方 ◆J7M7PQyXkE :2005/12/22(木) 11:52:07 0
> ・禅は密教を否定する修業方法。
嘘つくな!
禅寺にもマントラ書いてあるぞ!
昔話にも禅僧が法力使う話が沢山あるぞ!
空海は今でも座禅してるぞ!
リトル・ブッダという映画に出てくる少年はゴータマの生まれ変わりだそうですが、
何故ゴータマが生まれ変わっているんですか?
映画で合理的な説明がされてるんでしょうか。
田舎に住んでいるものでなかなか観賞する機会がありません。どなたか教えてください。
映画は見ておらんが、仏教で考えずヒンズー教で考えれば?ヒンズー教的に考えれば
仏陀は「解脱」したのではなく(ヒンズー教に解脱はない)次の転生まで待っているだけなんだから。
仏陀(ゴータマ)はヴィシュヌの9回目の転生(7回目がラーマ、8回目がクリシュヌ)で、
10回目の転生はカリキと呼ばれまだ現れていないとされる。
リトル・ブッダ=カリキ=ブッダの転生=ヴィシュヌの転生 とすれば、ほら、矛盾はない。
かいとうありがとうございました。
納得できました。
ヒンズー教の映画だったんですね。
123 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 15:55:54 0
age
124 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 02:02:12 0
山口はっけーん。
125 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:07:06 0
釈迦ことゴータマ・シッタルダ以外の仏教話しはこちらのスレがあります
126 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:45:22 0
どちらのスレですか?
127 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:39:40 0
仏教なんて、オウムや創価学会を産んだ邪教だよ。
>>120 映画「リトルブッダ」は、チベット人高僧の生まれ変わりの話で
「ブッダの生まれ変わり」の話なんかじゃないよ。
キアヌのブッダの下りは「ブッダとはこういう人だった」
というお話を聞かせてるだけだよ。
宗教板に行けばいくらでも濃い話が。梵語の解釈を巡って
素人が学者相手に噛みついてるようなスレだらけだが。
130 :
世界@名無史さん:2006/02/19(日) 20:24:38 0
129 は素人? 学者?
131 :
世界@名無史さん:2006/02/20(月) 22:44:57 0
age
132 :
蟻太郎 ◆J7M7PQyXkE :2006/03/02(木) 19:25:51 0
ちょっとスレ違いなんだけど、鹿苑禅寺はなんで禅寺なのに舎利殿が金ぴかなの?
どういう理屈で金ぴか?教えて!
義満の趣味だろう
134 :
世界@名無史さん:2006/03/21(火) 18:02:05 0
飛び入り参加ですノシ
義満は派手好きだったんだろう。
出ないと、あんな金ぴかにはせん。
漏れのかんだがな…OTZ
昔のアニメだけど一休さんをモデルにしたアニメもあったらしいね。
仏教アニメだったらしくて修行する場面もあるそうだ。
金閣寺と義満も出てくるみたいでかなり見てみたい。
136 :
よろずこ:2006/03/26(日) 09:02:19 0
137 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 09:27:52 0
義満は天皇になりたかったから、威勢を示す必要があったんだろ。
猿の大将がボスになる前に大振りの木の枝で山を駆け回るように、
「でかくて」「光って」「たかい」という建物を作りたかった。
で、天辺には皇帝が現れる前に顕現するという鳳凰なんかを飾ったりして。
>義満は天皇になりたかったから
・今谷明
・井沢元彦
・世界ふしぎ発見、その時歴史が動いた
・・・ソースはどれです。
井沢元彦です。山野氏は井沢は嫌いですか?
メジャーどころの学者(それも信頼性に問題があるのと大家を玉石混交)の
説と在野の説を適当に借用しているとよく言われている人です。
日本史板の井沢スレ参照。読めば読むほど日本史の知識が怪しくなること
請け合いです。正史を批判するのに一次史料を読んでいるか怪しい。
要するに、余裕を持った上で読むべきもので、参考にすべきものではありま
せん。これは>138で挙げたテレビ番組も同様。
今谷先生も、何かと批判を受けることの多い方です。
丁寧なレスありがとうございます。では足利義満はその歴史記述にある素行からして
天皇になりたがっていた、というのは妄想の類になりますか?しかし私はこの作家の
「日本史に大きな影響を与えているのは怨霊信仰」という説は妥当性があると思うのですが。
まあそれを言い出したのは井沢が最初ではないですが。
143 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 12:15:31 0
山野は井沢が嫌い。なぜなら売れているから
「怨霊信仰」関係のネタも、古代史は20年ほど前に坂本太郎先生に批判さ
れた梅原猛先生のネタの借用というか焼きなおしですしね。
後もおおよそ二次史料や種本の力を借りている。
話自体の問題点ですが、過去の信仰を知るのに過去の価値観に立って考察
するというのは、確かに必要な事です。
しかし、井沢氏の批判にある様に学会にそれが無いという事は無い。
確かに、一時期は宗教面の思想を論じる事自体をタブー視する風潮もあり
ましたが、今は私の恩師も含めてかなり行われています。
(その癖、井沢氏の発言内容と手法はまるで進歩していないらしい)
それと、これが肝心な事なのですが、過去といっても時代や地域ごとに信
仰の形態は異なったものですから、各史料ごとに見えてくる信仰の姿が辿
られるべきなのに、井沢氏の論では怨霊が実在するとこそ言わないものの、
「怨霊信仰」が日本史の中における前提として論じられている。
同じくお得意のケガレ論もそうですが、超時代的です。
直接史料にあたっておられないせい&借用の限界でしょう。
同じ死者の霊を祀るにしても、菅家と家康では背景が異なる。
その辺りを考えずに「怨霊信仰」で一絡げにしていれば、アラも出ます。
中には、井沢説を鵜呑みにしたサイトもありますが、見ていられません。
(某宗教史コンテンツとか)
義満関係については、何かと今谷説を批判している(批判に終始して対論を
出さない事があるという批判もある)堀新先生の著書に出て来る筈。
論文や研究ノートで何度か見ましたが、書籍化はまだだったかもしれません。
145 :
139:2006/03/28(火) 11:36:20 0
これまた丁寧なレスをありがとうございます。
山野のぶすまと読むのですね。今ヤフーで調べて初めて分かりましたw
貴方によりますと井沢とは「歴史家が一生懸命研究して醸成した論を井沢が
自著を売るために利用している」という風に映っているのですね。
私は井沢の細かい所の正誤はともかく、「歴史は結局は推理」という見方を
支持しているタイプなので、面白く読んでいるのですが。
作家として成功された方ですし、今更商業や売名でも無いでしょうが。
素でやっておいでなのでしょう。
>歴史は推理
その証拠集めや組み立てがおかしければ、意味はありません。
ハンコックもそうですが、トンデモ本というか歴史逆説本としても別に面白
くはないのですよ。どこかで聞いた様な話が多くて。
>>145 売国固定、山野野衾 ◆CXSSL1llHI の発言
「産経は右よりの電波が入っている」
148 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 10:05:39 0
>>144 坂本論の所在を教えてください。
> それと、これが肝心な事なのですが、過去といっても時代や地域ごとに信
> 仰の形態は異なったものですから、各史料ごとに見えてくる信仰の姿が辿
> られるべきなのに、井沢氏の論では怨霊が実在するとこそ言わないものの、
> 「怨霊信仰」が日本史の中における前提として論じられている。
上の意味が分からないので、少し説明していただけますか?
>>148 >坂本論
『日本歴史』の300号あたりであったかと思いますが、hを抜いた先でも
いくらか触れられた話が出ています。
>上の意味が分からない。
皆「怨霊信仰」と呼んで一つのパターンに嵌めて考えているでしょう。
井沢氏の論で、怨霊に対処した当時の人間の思想や祭祀の方法について記さ
れた史料の内容が引用・検討された事がありましたか。
同じ様に人を祀るにしても、例えば真言宗と天台宗、吉田神道と山王一実神
道といった各宗派ごとに祀り方も異なれば神観念も異なります。
井沢論の場合、「怨霊は祀られた」というばかりで、それがどういう思想的背
景のもとに行われたのかについては、完全に無頓着です。
まず「怨霊信仰」という言葉で日本史を通観しようとしたのが無理でした。
怨霊という概念自体もたまに批判される様に梅原説やそれを借用した井沢説
では有史以前からあったかの様に言われていますが、史料上からはせいぜい
平安初期からしか見えて来ません。
「怨霊」というもの自体の概念・対処が人により異なったのです。
それをただ「怨霊信仰」と括っては分かった事にはなりません。
それと、六歌仙などよく分からない人物をなんでも怨霊にしたがるのも悪癖
と言うべきでしょう。
以下疑問がおありであれば下のスレで。
ttp://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/sitoyon.shtml http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1137594424/l50
150 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 22:18:58 0
山野さん、レスありがとうございます。
私は井沢さんには全く興味ないので、ご紹介していただいたスレはスレ違いのようなので、遠慮させてください。
私は「怨霊」と呼ばれる対象一般について関心があるのですが、
その対象一般に対する信仰が平安以前にはなかったのでしょうか?
単にその対象一般に対する記号として「怨霊」という言葉が、
平安以前にはなかったのでしょうか?
言葉という記号に対する概念が異なるのは当然のことです。
脳天気にその記号を定義して使っても、当然読む人によってずれますから。
> 同じ様に人を祀るにしても、例えば真言宗と天台宗、吉田神道と山王一実神
> 道といった各宗派ごとに祀り方も異なれば神観念も異なります。
これは当然の手順でしょう。ただしそういった個別的な分析から、
一般的な統合を行わないと全く説得力を持たないと思いませんか?
例えば、樹と呼ばれるものも、一つ一つ別個のものですが、
それを一般的に指示する時、「樹」というう記号によって示される
なんとなく共通に了解された意味内容・概念が思い浮かぶように。
いやなんか巧く言えなくて失礼しました
>一般的な統合
確かに、個別の事例を知った上でそれをやるのが正しいやり方です。
しかし、やる前に「怨霊信仰」を定義して事例を当て嵌めているのは問題。
152 :
世界@名無史さん:2006/04/08(土) 12:52:28 0
7歩進んで、唯我独尊
153 :
世界@名無史さん:2006/04/08(土) 14:21:30 0
丸谷才一みたいに御霊信仰を振り回す香具師もいる。
彼は新しい学問分野をペダンティックに小説に持ち込む男で、
贈与論だとか文化人類学のタームで気取って自己陶酔してる。
154 :
世界@名無史さん:2006/04/12(水) 00:38:25 0
インド後期密教とやらに興味があります。
秘密集会タントラ、とかカーラチャクラタントラとか、経典名だけでおどろおどろしい
のですが、実体はどうだったのでしょうか?
孔雀王のような世界なのかな、と妄想してます。
ゲスな興味で済みませんが、詳しい人いますか?
インド後期密教
これは今のチベット密教の母体ではなかろうか。
156 :
世界@名無史さん:2006/04/12(水) 20:37:03 0
偶像崇拝が禁止されていた仏教で、最初に仏像を彫ったのはアレキサンダー
に率いられたギリシア人。
157 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 19:31:43 0
仏教はセクスしないから消滅
158 :
よろずこ:2006/04/15(土) 00:37:20 0
秘密集会
秘密は密教らしくていいのだが、
集会ってもっといい訳なかったのかな?
159 :
よろずこ:2006/04/16(日) 23:48:41 0
釈迦滅多
サファリの英雄、日産のアフリカでの希望。
ご冥福を祈ります。
すれ違いだけど。
160 :
世界@名無史さん:2006/04/18(火) 00:11:18 0
何か又読みの又読みでいい加減なのは自覚してるけど、
後期密教って経典で異教徒を殺せ!とか、人の財物を奪え、欺け!とか
書いてあったり(秘密集会)、死人を墓場に並べて屍林と称し、そこで
セクースして肉体でマンダラを形作り、解脱を目指す、とかいう話を読んだことが
ある。もちろん断片的な情報だし、真偽のほどは知らないけど。
孔雀王の世界なんてまだまだ牧歌的だよ。
しかし、マジで仏教がそんなことになるかねぇ。
161 :
世界@名無史さん:2006/04/18(火) 00:51:22 0
又聞きで史料を、それも宗教関係を論じられる事は問題が多いですよ。
密教の場合、『理趣経』に代表される様にそのまま読むと問題となる様な箇
所が多く、不空三蔵や弘法大師ですら注釈に悩んでいます。
真言宗でも素人や半可通には読ませません。
『大品般若経』もそうですが、空を安易に解釈すると道徳否定になる。
そもそも、「異教徒を殺せ」以下が実在するのかが分かりませんが。
東アジアでよく知られた経典では、『涅槃経』に似た話があります。
その1.
末法の世において、正法を守る為に刀杖をとれ、而して殺すべからずといっ
た主旨の発言が見られる。
その2.
釈迦が弟子から人を殺した前生譚について問われ、あれは「一闡提」であっ
て、人を食らう羅刹や田畑を荒す蝗など同様殺しても罪報を蒙らない存在で
あったのだと説明する。
一闡提とは、改心させようにも法を聞こうとしない連中の事。
同経では、四重禁・五逆罪を犯した者よりも罪深いとされる。
しかし、これはあくまでも仏の前生譚の合理的な説明をなす為のものであっ
て、何を一闡提とするかは凡夫に判断出来るところではありません。
『涅槃経』や『法華経』では久遠仏といい、釈迦は三十五歳の時に突如とし
て悟られたのではなく、遥か昔の生に於いて悟られた事になっているので。
当然、通力によって相手がどんな存在でどうすれば良いのかを判断された上
で行動された訳です(教義の理屈から言えばそうなります)。
勝手にその辺の人が「一闡提だから殺した」と言っても通らない訳ですし、
釈迦の前生譚も少なくとも「法の上での殺人」でした。
また、四重禁・五逆罪を犯した者、一闡提をも救済の対象としている事を繰
り返し述べているのが『涅槃経』の特徴でもあります。
この他、生身の人間に行動する様促したものではありませんが、『法華経』
が誹謗者が癩になる、不具に生まれ変わると書いてある事は有名です。
それでも他の二大宗教よりは大人しいというのは、身贔屓でしょうか。
とりあえず、天台宗の五時教判で最も重視された二つの経典ではこんな所。
163 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 00:53:16 0
妙適清浄句是菩薩位。欲箭清浄句是菩薩位。
触清浄句是菩薩位。愛縛清浄句是菩薩位。
一切自在主清浄句是菩薩位。見清浄句是菩薩位。
適悦清浄句是菩薩位。愛清浄句是菩薩位。
ここでの妙適とはサンスクリットSURATAの訳で、交合を意味するらしい。
訳すると、
男女交合の恍惚は、清浄なる菩薩の境地である。欲望の矢も、清浄なる菩薩の境地である。
男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である。
男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主のような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である。
異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。男女交合し、悦なる快感も、清浄なる菩薩の境地である。
男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である。・・・
ということになるらしい。
ほかにこんな文句もあるらしい。
金剛手若有聞此理趣受持読誦設害三界一切有情不堕悪趣為調伏故疾証無上正等菩提
(金剛手よ、この理趣を聞いて、受持して読誦すれば、三界の一切有情を害すとも悪趣に堕せず、
調伏をもっての故に疾く無上正等菩提を証す)
三界の一切有情を害すとは、素直に読めば、この世の全ての生きとし生けるものを害する(殺す)
ということだと思う。
以上、中期密教の経典、「理趣経」より。
いってみれば従来仏教への過激なアンチテーゼかな。
経典の主旨は、この世の一切のものは本来良いもの。快楽は避けるべきものではない
ということ。
>三界の一切有情を害すとも悪趣に堕せず
これが、不空や空海がそのまま受け取るなと注を加えた箇所です。
悪心を殺せという意味であると云々。私は、悟った存在ならそもそも殺す動
機すら存在しなくなると考えていますが。
手前味噌で解釈した人の犯罪にでも結びついてはと、出しませんでした。
>この世の一切のものは本来良いもの
大乗仏教では、釈迦が涅槃に入らずに霊鷲山に常住する存在となったとされ
ています。すると、この娑婆世界自体が凡夫の目にはそれと見えないだけで
実は浄土という事になる。娑婆即浄土。煩悩即菩提。現世肯定の始まり。
「空」というのは、本来は「我」に対してあてられたもの(我空)。
それが大乗仏教の般若経典になると法も空とする様になります(法空)。
そうなると、一切が空であり、一切が色となる。世界は不垢不浄。
つまり、特定のものを持ち上げる必要がなくなり、現世も含めて真理の世界
とされる様になるので、娑婆とそこに居住する人々が広く救済される。
戒律を守らない「名僧」が許容・歓迎されるのも、そうした精神風土あればこそ。
東南アジアなどには、一休宗純の様な「名僧」の話は無いでしょうね。
我が国では、生臭坊主だの何だのと言いながら、逆に戒律に拘り過ぎること
を排除して仏教が発展して来た。いい加減なくらいが理想です。
五時教判で最後に来る『涅槃経』などではまた仏のみは空でないとされるので
ややこしいですが、色即是空、空即是色が分からないで引用すると危険なも
のですから、『理趣経』というのはなかなか出されません。
163は読まなかったことにしよう…。
166 :
世界@名無史さん:2006/05/03(水) 18:53:56 0
インドが菜食主義になったのは人口が増え開拓しつくされ、肉食する生贄祭儀ができなくなったからでしょう。
中国の小説なんかだと、あらゆる欲望を捨て去ったが「殺劫」だけが残ったので
人を殺しまくる仙人とか出てくるよな。
>死人を墓場に並べて屍林と称し、
屍林を日本人的感覚でとらえるのはNG
インドの場合、金持ちは火葬、そうじゃない家は川に流すか死体置き場に捨てていた。
ちなみに、僧侶の袈裟は本来、死体を包んでいた布を用いた。寝泊りも屍林を選ぶのが普通だった。
169 :
蟻太郎 ◆J7M7PQyXkE :2006/05/04(木) 05:34:41 0
山口の瑠璃光寺に行ってきた。
曹洞宗の禅寺で雲水の人もいた。
禅寺って意外と密教っぽい所もあるね、真言を唱えてくださいって看板も沢山立ってたし。
一般には禅宗って神秘主義とは無縁っぽくてあくまで自力なストイック宗派なイメージだけど
瑠璃光寺はいい意味で俗っぽくてとても身近な感じだった。
浄財箱が沢山あったのでついつい入れて合計したら500円くらい入れてしまった。
でも参拝料も駐車場代も無料ですごい良心的。最高の寺です。
本堂も自由にお上がり下さいってあって、上がってお参りした。
山口-萩間のマラソン大会みたいなのも開催してました。
ここのお寺の五重塔は日本で一番美しいと思います。
なんか中国人が多くて、美人の人もいたので話しかけて一緒にまわりました。
カタコトの日本語で聞いた話だけど、中国では基本的に仏教って廃れてんだね。
近所に寺は無いし、死んでもお坊さんは来ないそうです。
文化財の釣鐘も見てきた。釣鐘には文字が彫ってあって、山田村がどうのこうのと書いてあった。
微妙に神仏習合してるっぽい雰囲気もあって、良い寺です。すごいおすすめ。
170 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 06:16:41 O
私の弟はいま高校生なのですが、サッカーの部活を毎日おそくまで頑張っています。
でも昨日なんとなく学校で使っている政経のノートを見てみたんです、そこには浄土真宗とばっかり書いていて少し心配になりました。
南無妙法蓮華経と10回唱えるといいよ、と教えてやれ
172 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 15:58:48 0
また半可通が何か言ってるようだね
弘法大師が学んだのは唐に伝わった7世紀段階の密教でしょ
後期密教ってのはその後
ヒンドゥーに圧倒されイスラムに蹂躙された断末魔のインド仏教が
辿り着いた仏教の衣をかぶったヒンドゥー教みたいなものだよ
173 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:00:23 0
174 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 00:15:57 0
密教っちゅうのは仏教が呪術を取り込んだものと考えているがオーケーか?
初期密教がバラモン等の宗教儀礼やまじない、呪術をとにかくどんどこ取り込んでいった段階。
中期密教がそれらの取り込んだ呪術やインド古来の神々を仏教理論から理論づけた段階。
日本密教ではこの中期密教が密教の最良の部分(真密)とされてるんだっけ?それ以前の初期密教
は雑密と日本密教では呼んでいたはず。
思想的には密教は大楽思想が特徴。現世を肯定し、現世の利益を神仏に願うのも良しとする。
で、後期密教は日本には伝わっていないから詳細は知られてないが、日本密教では左道と見られて
いて、聞いた話では性的な要素も敢えて修行に加えるという段階まで進んできたものらしい。
インドでは古来から性器崇拝など性的な要素が宗教の中に堂々と取り入れられてるけど、それが仏教
の中にまで入ってきたものでしょう?
チベット密教などでは、密教の修行には厳しい規律が加えられていて、顕教を充分マスターした
ものしか密教の修行を行えないそうだけど、それはスレの前の方にも出てきたとおり、密教の修行・教えには
実はかなりスレスレの部分を含んでいるからなんでしょうね。
うーん、所詮又聞きの集積だなぁ。みなさん真に受けないで下さい
175 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 00:25:28 0
176 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 13:43:34 0
本物は読点省いたりしないよ。
177 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 23:42:10 0
ウーン、オームのルーツはどうやら密教にありそうだな。
中途半端にヨガや密教をやると危険なんだろ
178 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 22:03:50 0
ブッダは北インドの王侯の出。ようするにインド・ヨーロッパ系。
当時はまだ浅黒いドラヴィダ土人との混血もまだなかっただろうから、
おそらくブッダの肌は白く、ヨーロッパ人と同様な顔立ちだったであろう。
つまりキリストやマホメットのような濃く暑苦しいセム系とは違って
ヨーロッパ風の美丈夫というわけだ。
それでしかも、ブッダは王族、私生児や商売人の子とは御里が違う。
よって
仏教>>>>>>│肌の色の壁│>>>>>>キリスト教≧イスラム
179 :
がんばれニッポン:2006/06/16(金) 14:56:44 0
日本には、二千年に近い仏教の歴史があるけど
仏教の原理は結局日本には根ずかなかった。
その最大の証拠は明治維新の時『僧侶も妻帯してもよい』
という『政令』が出たら、ほとんどの僧侶が妻帯してしまったからだ
仏教においては僧侶は妻帯禁止であり、教義として妻帯が許されるのは
浄土真宗のみ、しかしそのことは、ほとんど話題にもならず
今でも問題にされていない。結局日本においては『仏教の教え』より
『みんなの納得』のほうが重いのである。
180 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 15:58:31 0
日本の坊主は仏僧というより、神主が頭を丸めてるだけだと思ったほうが確かだよ。
181 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 17:49:08 O
口伝で偶像無しの仏教が仏像寺院を持ち勢力を拡大したきっかけはクシャン帝国カニシカ王に取り入ったから
現在のウズベキスタンにあったクシャン帝国はギリシャと中国の中間に位置したシルクロードの支配者
ガンダーラではアレクサンドロス王が釈迦に並ぶ像がある
>>179 落語その他で、梵妻・大黒というのをお聞きになられませんでしたか。
史書や説話集から、平安中期には僧侶の妻帯が容認されていたのが分かります。
(古くは『日本霊異記』などにも登場するが、定着はやや遅れるらしい)
ただ、そうした慣習が「日本的」なものかについては考える必要があります。
容認の思想的・社会的背景も、一様に言い切る事は簡単ではない。
煩悩即菩提や一乗成仏の思想が影響しているとは言えると思いますが。
>180
前近代の民衆が宗教者に求めているのは災害の除去であったという点では、
両者に違いは無かったと言えるでしょうが、神仏分離令以前、就中17世
紀中葉以前においては、神主といえど行っていた祈祷は仏教や陰陽道のそ
れが主体でしょう。そもそも、17世紀中葉以降地域によっては暫時増加
傾向にあったとはいえ、基本的に村の社は山伏・社僧や年交代で世話をし
ていた村人が管理していた(祭祀では後者が前者の補佐)。
歴史的に言うなら、明治以降の神主が山伏・社僧が変じたものという方が
妥当な表現でしょう。
183 :
180:2006/06/17(土) 20:48:02 0
歴史的な分析をすれば山野さんが正しい。
密教がヒンズー教の影響を受けているように阿弥陀如来や弥勒菩薩は
西方のゾロアスター教やミトラ教の影響を受けているって本当ですか?
>>184 ヒンズー教こそ密教に影響を受けたもの、ゾロアスター教やミトラ教も仏教から影響を受けた。
と、あえて言ってみる。
186 :
世界@名無史さん:2006/06/21(水) 14:30:15 0
187 :
世界@名無史さん:2006/06/24(土) 19:53:28 0
6月18日深夜(19日)のNHK・Weekend Japanologyは
前半は仏像入門だったな。
その説明に登場した坊さんはコリン・パウエル元国務長官そっくり。
188 :
世界@名無史さん:2006/06/24(土) 21:57:53 0
>>179 別のスレに
ネパールには妻帯する仏教僧のカーストがあるというレスがあったな。
確かヴァジラチャリヤとかいったような。
「家がお寺」という人は、ネパールでは「おれはヴァジラチャリヤ」と言ったら理解してもらえるとか。
189 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 03:00:25 0
月例供養に上がりました。
190 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 16:47:06 0
宗門大学一覧
浄土宗・浄土真宗の浄土系大学
埼玉工業大・大正大・淑徳大・東海学園大・☆佛教大・京都文教大
武蔵野大・同朋大・龍谷大・京都女子大・大谷大・大阪大谷大・兵庫大
以前の宗門では東洋大も含んでいたが、今は手を切っている。
曹洞宗
東北福祉大・駒澤大・駒澤女子大・愛知学院大
真言宗
大正大・高野山大・種智院大
天台宗
大正大・京都精華大
宗門大学 僧侶養成校「同宗派に複数ある場合ランク順」
浄土真宗本願寺派・・龍谷・同朋・九州龍谷短大
浄土真宗大谷派・・大谷・大谷短大
浄土宗・・佛教・大正・西山短大
曹洞宗・・駒澤・東北福祉・愛知学院・鶴見
臨済宗・・花園
日蓮宗・・立正・身延山
真言宗・・大正・種智院・高野山
天台宗・・大正
宗門大学 非僧侶養成大学
浄土真宗本願寺派・・京都女子・京都女子短大・武蔵野・兵庫
浄土真宗大谷派・・京都光華女子・大阪大谷・各地の大谷短大
浄土宗・・京都文教・淑徳・東海学園・埼玉工業・華頂女子短大・淑徳短大
曹洞宗・・駒澤女子
日蓮宗・・文教
和宗・・四天王寺国際仏教
191 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 20:53:24 0
192 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 20:58:18 0
>山野さん
大黒天と大国主命が混同したのはいつころからですか?
17世紀に西川如見が神祇寄りの立場から「実は大黒は大黒天ではなく大国
主命」説を唱えていますから、その頃からでしょう。
夷三郎が独立した神格ないしは蛭子から事代主命扱いされるのもそれより後
の事であろうと思われます。
近世に入ると、庶民はともかく思想家の間では本地垂迹説に対抗意識を持っ
た神祇寄りの説が出て来ますから。
イタリアにも仏教があるそうですが、そちらの開祖は誰ですか?
セリエAにステファン達磨という選手がいたからきっと子孫だろう>イタリア仏教の開祖
Dalmatか…
197 :
世界@名無史さん:2006/08/01(火) 10:10:51 0
ドラクエ3のダーマってやっぱダルマから来てたんだ。
>>177 あれはデタラメの一言につきる。
密教であろうが顕教であろうが仏教にはキリスト教的終末論なんてないからね。
でも日蓮にはあるんじゃなかったっか
200 :
世界@名無史さん:2006/08/10(木) 00:17:11 0
>>198 カリ・ユガやカルキはどうなる?
密教は無関係とも言えないんじゃないか。
日本仏教には多く見られると思うが。
とりあえず上座部とは分けて考える方がいいな。随分と違いがある。
>>199 そりゃ、国難じゃ国難じゃ叫ぶカルトだもん。
一言で仏教といってもたくさん流派があるけど
他の宗教と絶対に違う点は何なの?
ツッコミ覚悟で言うと独特のニヒリズムじゃないですかね。
色即是空空即是色
前だけ見れば完全にニヒリズムですが
後ろも入れて考えるとそうでもなかったりするという。
佛教は虚無主義ではないという事は、佛陀から後代の大乗佛教徒に至るまで
主張されてきた事ですが、逆に言えば2400年に渉る誤解の歴史がある。
空思想というものは、独立した存在を認めないというもので、裏を返せばこ
れほど現世のあり方を肯定した思想もないと思うのですが。
そもそも、一切空であると観ずることによって、涅槃と娑婆の区別をなくし
娑婆をも肯定するが故に、大乗佛教徒の間で空思想が発展を見た訳で。
佛教の「終末論」についてですが、弥勒の後にも世界や佛は存在する訳であ
って、限定的な「終末」でしかなく、キリスト教ほかに見える終末とはスケ
ールの異なったものであろうと思われます。
苦行や秘教批判、節制を嚆矢に産まれたのに、密教の様な派が出来てしまったのは皮肉な事だね。
207 :
世界@名無史さん:2006/08/12(土) 15:45:00 0
密教はインド仏教が自己崩壊してヒンドゥー教に取り込まれていった最終過程だろ。
208 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 23:24:06 O
>>199 日蓮は終末論じゃないよ
あれは過剰に反応した末法思想
209 :
世界@名無史さん:2006/08/27(日) 08:56:30 0
末法思想って、もしかして
過去のどこかで一神教と接触して影響されたとか?
仏教の「諸行無常」の論理を仏法自体にも適用した結果生まれた思想だと思うが、
もしかしたら中央アジア〜アフガニスタンあたりで
ゾロアスター教の終末思想と接触して生まれたものかも知れない。>末法思想
211 :
世界@名無史さん:2006/08/27(日) 10:10:18 0
>>210 “地獄”という概念もゾロアスター教起源?
212 :
カスコテ ◆J7M7PQyXkE :2006/08/27(日) 20:39:43 0
盆、久々に寺に行った。
お釈迦様の像を見せられた。文化庁からおすみつきを貰った千年物の像らしい。
そんなに大きくなくて五十センチくらいの小さな像だった。
でも真言宗っておしゃか様とは基本的にあんまり関係ないって聞いてたのに、本堂の菊の御紋の
となりのいい所にお釈迦様を置いてた。やっぱり釈尊もありがたいものとして昔から崇拝してたの?
俺の考え
近年まで宗派なんてユルユルだったから真言宗ってはっきり言い出す前のなごり
真言宗だってお釈迦様を本堂に飾る
誰か教えてください。
213 :
世界@名無史さん:2006/08/30(水) 11:30:41 0
仏教は、個人の経験を重視するもので、
他者と相互に関わり、助け合うものではないと考えたのですが、
この考えはおかしいですか?
214 :
世界@名無史さん:2006/08/30(水) 11:46:47 O
>>213 そういった考えを否定しようとしたのが大乗仏教なんじゃない?
215 :
世界@名無史さん:2006/08/31(木) 00:04:53 0
密教と聞いたら「公害企業主呪殺祈祷僧団」を思い出す。
本当にそういった系の技術も伝承されてるのね?裏高野だなっ、てマンガの読み過ぎか
216 :
世界@名無史さん:2006/08/31(木) 14:30:22 0
>>214 それでも仏教は基本的に個人主義だと思うんですが・・
思いこみでしょうか
217 :
世界@名無史さん:2006/08/31(木) 15:12:00 O
>>216 業についての思想をみると自業自得が基本ですから、親の因果が子に報いるとは考えませんね
これは、大乗でも同じです
これをもって個人主義と解釈することも可能かもしれませんね
「諸法無我」を独立して存在し得ないと解釈すれば、「個」で完結しないのでは。
大乗佛教徒が宣説していた「無」や「空」はそうした意味があった訳で。
(上座部では無や空を単なる否定の意味に用いて虚無主義に落込んでいた)
サーリプッタが懐疑主義者時代の同法に「佛教」を説明したがなかなか理解して
もらえず、最後に説いたのが、「葦を一本抜いたら隣の葦も倒れてしまう」とい
う、相互依存の関係(葦の譬え)だった事も考えてみたい。
>>210-211 そもそも阿弥陀如来のアミターユス(無量寿如来)は無限時間の神ズルワーンに
そしてアミターバ(無量光如来)は光明の最高神アフラ・マズダというゾロアスター教
の神に由来するといわれているし、また弥勒菩薩は同じく古代ペルシアで起こった
ミトラ教のミトラ神に由来するといわれている。
220 :
216:2006/09/01(金) 11:55:42 0
>>217 難しいことは解らないのですが、
世間とか現実の世界を見てると、
仏教圏の人々って拡散してるっていうかまとまりがないと思うのですが。
ヘンに周りに影響されず一人で生きてるって人が多い気がします。
仏教は仏になることであって神様を拝むことではない。
それは、結局信じるものは自分で探せということでしょうか。
ワケのわからない質問ですいません。
唯一絶対神がないから まとまらないのは当然と思います。
絶対なるものが無いのだから個々の状況に応じて良いと思うことを
怠けず貪らず行いなさいというのがお釈迦様の教え:と私は思います。
222 :
世界@名無史さん:2006/09/02(土) 11:29:28 0
愚痴ってた時、ともだちから「期待しなきゃいいんじゃない?」といわれます。
でもどうして欲を持って生きてはいけないのか解りません。
>>221 とてもわかりやすい説明ですね。この様な解釈は山野さん的に不満が有るのでしょうけど。
山野が宗教語っているときは絶対にスルーすべき存在だから、どうでもいいでしょ。
225 :
世界@名無史さん:2006/09/22(金) 11:08:06 0
人間が奉仕することは悪いことなのでしょうか。
226 :
世界@名無史さん:2006/09/22(金) 13:10:28 O
板違いな気がするが、仏教には慈悲や布施という考え方があるし、菩薩の自利利他(自分が修行で得た功徳を他者=世の人々=にも及ぼす)という考え方もあります。
ただ、決して無原則な奉仕ではありませんので、興味があるならば仏教の入門書から読まれることをお勧めします。
227 :
世界@名無史さん :2006/09/22(金) 13:47:32 0
幽霊っているの?
228 :
世界@名無史さん:2006/09/22(金) 17:16:06 O
これまた板違いな気がするが、仏教では霊魂のようなものの存在を認めていません。
日本の霊の概念は時代とともに個性や人格が強くなってきました。
個人的には幽霊は文化的概念だと思っていますから、物理学的アプローチは無意味と思います。
まぁ、科学的に証明したいという人を否定する気はありませんけどね。
229 :
227:2006/09/22(金) 19:45:01 0
>>228 かつてブッダに弟子が同じような質問をしたことが
あるらしいので板違いではないと思います。
ブッダは何も答えなかったようですが・・・。
>>226 どちらかと言えば大乗佛教で強調された説ですが、原始佛典にも他者の重要
性は説かれていますね。
>228
>日本の霊の概念は時代とともに個性や人格が強くなってきました。
仰る通りで、時代が変われば幽霊の概念も変わりますね。
古代から同じ「幽霊像」が続いてきた訳ではない。
>229
簡単に言うと、来世があると説くのが常見、ないと説くのが断見です。
中道を歩む以上、それらのいずれかに偏ることは出来ない。
原始佛典にも善行の結果としての生天が登場しますが、方便説もある。
原始佛教で輪廻が認められていたかについては諸説ある様です。
「幽霊」の質問ではありませんね。あの世の質問です。
231 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 08:07:00 0
>>230 「来世があると説くのが常見」これは近代文献学者の諸説の一つに他ならない。
ウパニシャッドから大乗末期まで来世を前提にしない見解はない。
来世へ輪廻する主体になんらかの実体・本質を認めるのが常見、
無常・無我・空で輪廻するとするのが仏教、
特に無常・無我・空だから輪廻できるとしたのが中観。
輪廻するなら実体がなければならないという見解は、無常・無我・空が分かってないことを
自ら告白しているに過ぎない。
ちなみに仏教では無常な霊魂を認めている。原始仏典ではゴーティカ、ヴァッカリの話が正にそれである。
ゴーティカ:中村元『悪魔との対話』52「ゴーティカの識別力」
ヴァッカリ:『世界の名著1』456「ヴァッカリの魂」
共に vin~n~a^na 普通「識」と訳される。つまり解脱していない人の意識を意味していると思われる。
後代、「識」だと実体視され易いからだろうか、「自相続」「心相続」などと呼ばれるものを同じである。
また、原始仏典を読めば様々なところに神霊が出てくるのは明らか。
後代、餓鬼、プレータと呼ばれるものが、現代で「幽霊」と呼ばれるものに入るだろうか?
近代文献学者の似非科学に擦り寄った諸説には注意を要する。
233 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 14:45:08 0
>>232 ソースは出したけど? 訳じゃだめってこと?
それとも他の部分ということか?
234 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 17:00:14 O
228
霊魂は無いと言うのはあるお経の一部で、それしか知らない日本の仏教では通説となっていますが。違うお経では霊魂について説明しているお経もあります。
そもそも霊魂は存在しないとは言っておらず。答えなかった。三度聞かれ、そんなこと気にしてたら修行のさまたげになるから知る必要もないし教える必要もない。とその聞いた人に対して説法した話です。
235 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 17:22:40 O
40
仏と成ったら浄土に止まり生まれ変わり、即ち輪廻出来なくなるから菩薩として止まったほうが幅広く救済できるからでしょ。
お盆に帰ってくる主体は何ですか?
仏教は霊魂の存在を否定していたと思うのですが。
すいません、上で似たような議論がありましたね。
日本の仏教でお盆をどう解釈しているか教えてください。
238 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 20:05:27 0
仏教で否定してるのは不変常恒の主体であり、我々が普段生活している主体、
つまり「私」とかは仮設、世俗の習慣として認めています。
「お盆に帰ってくる主体は何ですか?」と問われるなら、霊魂と答えるでしょう。
ただ「お盆」は祖霊信仰に基づく東アジア的習慣、習俗であって仏教本来のものではありません。
そして仏教は世俗の習慣を尊重するのです。
「仏教は霊魂の存在を否定していた」というのは似非科学に阿った近代仏教学の説です。
ちなみに最も権威有る堅実な仏教学者である水野弘元先生も同意見です。
『仏教要語の基礎知識』旧版149
輪廻して別の人間に生まれ変わった祖先もお盆には戻ってくるの?
変じゃねえか。
240 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 20:33:05 0
仏教国のタイもあの有様だ。
世界に成功している仏教国なんて存在しない。
日本最大の仏教団体である創価学会も日本の癌細胞だ。
241 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 21:00:41 0
>>239 輪廻して人間に生まれるとは限らない。別の生物の方が可能性が高いと言われます。
そしてお盆は、だから習俗であって、仏教として捉えないでもらいたいです。
日本でそのような習俗があるから否定してないだけのこと。
>>240 世俗的な成功が仏教的な成功にはならないのです。
242 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 21:05:01 O
どんな宗教にも正道と邪道が混同しています。仏教正道者から見て創価は紛れもない邪道。
別に信者じゃないけど、池田先生は仏教史に残る思想家だと思う。
>238
>祖霊信仰に基づく東アジア的習慣、習俗
「祖霊信仰」とか「東アジア的習慣」というのも便利な言葉で、じゃあ具体
的にどんなものでどう証明出来るのかというと不透明な場合が多い。
私は、
>>228氏が言われた通り時代と共に日本の「霊」が個性的になってきた
と考えている者で、死者を向かえる儀礼というものも舶来の文化ではないか
という疑念を抱いています。
東アジアという範囲内に共通した文化土壌があるのか、日本にも古代から祖
霊信仰なるものがあったのかという点にも疑問が浮かびますね。
そもそも、「祖霊信仰」とはいかなる様式を指すのか。
元々は死者がとりつくというのがせいぜいだった様に思います。>日本
幽霊とか口寄せとかいうのは、ある程度文化が発展した状態の産物でしょう。
>239
それはよく言われます。事実、死者の霊が帰ると言われ始めた平安後期には
佛僧によって俗説として退けられている。
しかし、人の救済というものは、必ずしも原典通りに行っていれば手に入る
ものではなく、それでもいいのではないかという気もしますね。
佛教ではないというより、これもまた佛教という大樹の果実の一つかと。
どうも中村元先生はこうした俗化がお嫌いだった様で、専ら否定的な評価を
述べておいでだった様ですが。
>最も権威有る堅実な仏教学者である水野弘元先生も同意見です。
権威あるとか、○○先生が言っているからというのはどうかと。
勿論、こうした場で深いところまで突っ込める筈も無いのですが、とりあえ
ずこうした意見がここにあると言われるにとどめておかれた方が。
245 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 22:33:12 0
>>243 「ガンジー、キング、イケダ」と言われるほどの世界の聖人です。
246 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 23:02:50 0
>>244 マテリアルな典拠も既に示した。ロジックも示した。
水野先生を出したのは、傍証ですよ。
その中村元さんが『悪魔との対話』52「ゴーティカの識別力」と訳し、
324頁の註19で識別力と訳したvin~n~a^na について「一種の魂、霊魂のようなものを考えていたのであろう」
と述べている。
そして貴方には分からないだろうが、中村元さんより遙かに水野先生の方が仏教には造詣深く、正確であることは
インド学をやったものは誰でも認めることなのである。
そしてインド仏教、ビルマ・タイ仏教、チベット・モンゴルには「お盆」は確認できない、
だから東アジア的習慣である可能性が非常に高い。
私は基準を仏教に置いています。貴方のように歴史に置いていません。
これは何度か、言ってきました。歴史の立場で語るなら、思想や教義には口をださないことです。
盂蘭盆経は中国産の偽経であるとされる
でも、日本のお盆は盂蘭盆経以外の思想が混じっているらしい
しかし、その思想も日本古来というわけでもない、と
>>246 >これは何度か、言ってきました。歴史の立場で語るなら、思想や教義には口をださないことです。
ここ世界史板
個人の信仰については口出ししても仕方がないだろうけど、
思想や教義の成立と発展や、教理史とかは歴史そのものでは?
248 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 00:07:57 0
歴史的な相対主義では、二千数百年の歴史と全世界的広がりを持つ仏教という意味射程の中で
現代日本の特殊な近代日本文献学仏教の見解を持って、語ることも可能になってしまいます。
二千数百年の歴史と全世界的広がりを持つ仏教に本質的な共通性が見いだされるのに、ですよ。
以前、以下のように述べたし、
>>150 とも述べました。歴史的な相対主義では、なんでもありになるだけ。
574 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM メール:sage 投稿日:04/05/16 19:11
私は当時に限らず、歴史上の思想を「異端」と称すること自体に反対で、つ
けるとしてもせいぜい「 」付きで使用することにしています。
結局その時代に必要であったからこそ法然の教えも日蓮の教えも派生・発展
した訳で、それを「異常なケース」などの言葉に閉じ込めてしまっては、理
解も判断も出来ません。
(以下略)
575 名前:世界@名無史さん メール:sage 投稿日:04/05/16 23:28
>>573-574 だから
>>559で言ったように歴史的な相対主義じゃないんですけど。
最初にこの問題を巻き起こしたのはあなたですよ。
>>543で日蓮を「真っ当なものと言ってよいかと」
なんていうからじゃないですか。それは「中世的価値観からいえば」という限定がついていても、
ある価値観(大いに擁護的)を含む時点ですでに「思想を取捨選択した上で批判」してますよね。
それに対してインド、シナ、チベット、日本等の一般仏教的視点から異常であると言っているわけです。
江戸時代に禅僧によって書かれた『本朝高僧伝』に書かれていないように、
日本史的にも長い間一般的に異端であると認識されていたのではないかと。
顕密というメルクマールは日本の歴史家の視点でしょ。
一般仏教的視点(私の場合は特に大乗仏教ですが)からみれば顕密に分類される方が正統なのは自明です。
そんな自明のことを知らないで、あるいは知っていても隠しているか、
日本史の相対主義の中で述べられても困っちゃうんですけど。
249 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 00:12:12 0
仏教の天敵はイスラム。
イスラムに圧倒されっぱなしの仏教。
250 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 00:48:20 0
>>242 >どんな宗教にも正道と邪道が混同しています。仏教正道者から見て創価は紛れもない邪道。
具体的な活動を行っているのは創価学会だけだ。それ以外は存在意義がない。
日本の仏教は俗に『葬式仏教』と呼ばれ、葬式産業の圧倒的シェアを握っている。
また旅行案内に名前の出てくる有名寺院は多くの観光客を集めている。
今日の仏教の存在感といえば、せいぜいそんなものである。
どうでもいいけどおまいらテンプレ嫁。
>宗教的な主張がある方は宗教板にドウゾ。
252 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 01:36:30 0
悪の枢軸(日本の癌)
=統一、草加(池田ことソンテチャク)まる暴が潜り込んでる
オーム、総連、民潭、北朝鮮 闇の軍団-------気をつけろよ!!
葬式仏教なんて日本人自身が望んだことじゃん。
法事でもないのにお寺さんが家に来たり寺に来いとか言われるのいやじゃん。
254 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 07:30:37 O
寺院には本来なら己から望んでイケや。
255 :
世界@名無史さん:2006/09/24(日) 07:40:38 O
蟻太郎さんが堕落してるだけ、あなたのお爺ちゃんやお婆ちゃんを否定してるのと一緒だよ。
自分で探求しなければ、人生の散り際に振り返った時に、自分はなんだったのだろうとおもうはず。あと250!
おまえら草加のやり方はイキスギてるんだよ!日連の流れを組む暴徒の集団、邪道にほかならない。
256 :
世界@名無史さん:2006/09/26(火) 10:41:27 0
仏教てどこか胡散くさい・・
キリストも信じられない
>>250 本尊から絶縁されているような集団は正統とか異端とかいう次元じゃないと思うぜ。
政権に口出ししてる時点で邪教だろ>層化
中央ヨーロッパやアフガンあたりの仏教ってどうだったんだろうね。
>中央ヨーロッパやアフガンあたりの仏教
アフガンの仏教は先ほどタリバン政権によって破壊されたバーミヤンの仏教遺跡
があるのでよく知られておりますが、中央ヨーロッパの仏教って一体何ですか?
民族大移動のきっかけとなったフン族(=北匈奴)がヨーロッパに仏教を持ち込んだ
ということでしょうか?
中央ヨーロッパの仏教については大変興味があります。
261 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 14:11:50 0
中央アジアの打ち間違いかな?
対仏十字軍とかw
キリスト教会の年代記とかで記録が発見されたら面白いね。
キリスト教はイスラムより徹底的に根絶してそうだ。
263 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 23:19:37 0
>王子シッダールタはなんでまた世をはかなんだんでしょうか?
>普通王子様なんて老、病、死なんて気にせんでしょうに。
はかなむって、あなたにとって自分自身の憂いしか対象にならないのね
佛教って旧約聖書のパクリみたいな気がするな。
新約聖書が仏典のパクリという説は聞いたことがある。
古代ローマ時代にはインドから仏教僧が布教にきてたというし、
マニ教は実際仏教からも影響受けてるし。
>>263御見逸れ入りました。 修行が足りない所ではなかった様です。
わざわざ御丁寧に、有り難うございました。
>普通王子様なんて老、病、死なんて気にせんでしょうに。
四門出遊の下りで述べられているのでは。定型化は時代が下る様ですが。
阿含経の遊行経の国防に関する所の内容が知りたいです。
横浜のホテルに泊まったら、聖書じゃなくて仏教の本があってそれに載っていた
記憶が…。
旧約の外典にお釈迦様の物語がでてくるというのは聞いたことがあるけどな。
271 :
世界@名無史さん:2006/11/26(日) 19:06:55 0
キルギスがイスラム化したのは17〜18C辺りで
それまではシャーマニズムであったらしいのですが
仏教を信じていたりはしなかったのでしょうか?
隣のオイラートが仏教徒であった訳ですし
>>269 コーサラ王がヴァッジ族を攻めようとした際に出てきていますね。
増支部などに、いくつか似たものが出ています。
おおむね同じ内容で、
1、民がしばしば会合して政治に関心を持ち、国防をおこたることなく、
2、上下の心を一つにして共に国事に携わり、
3、国風を尊んで妄りに改めず、よく義や礼を守り、
4、男女や長幼の序を重んじ、社会や家庭に平安を保たしめ、
5、父母に孝し、師長に仕え、
6、祖先の祭壇をよく祀り、
7、道を尊び、師を選んで仕え、これを供養している国は脅かされない、
というもの。
現代にありがちな、抽象的な平和論ではないのがよいところです。
内憂が無いからこそ、たとえ責められても滅ぼされることはないのだと
言われて、コーサラ国王が帰国するように仕向けられました。
その時は五箇条だったと思いますが、より詳しい増支部を挙げました。
ホテルに置かれているのは、仏教聖典協会から刊行されているもの。
>270
外典ではなかったと思いますが、例のヨサパトの話ですか。
>>261 中央ヨーロッパは旧ユーゴスラビアあたり
274 :
世界@名無史さん:2006/12/15(金) 09:08:57 0
浄土宗のお寺が経営する幼稚園・保育所、
クリスマスツリーが立てられている前を通って出勤するんだけど、
これいいのかねぇ・・・
日本人のクリスマスなんてただの行事だし
大正時代には、仏教寺院主催の子ども会が教会のクリスマス会を訪問していますよ。
元々「執着するな」とか、「一切皆空」と説いている教えで、布教すら目立たない。
自己主張という点で目立っているのは『法華経』信者ですが、これは常・楽・我・浄と
いう、本来であれば四顛倒として否定される四点を、如来に限っては実在するもの
として認めたもので、『涅槃経』と並んで五時教判の最後に置かれているものです
からね。執筆者自身が弾圧されていたともいう説もあり、頑固な点が目立つ。
日本人にとってのクリスマスは
かがいの夜の延長線程度のものに過ぎないだろー
278 :
世界@名無史さん:2007/01/10(水) 00:39:30 0
>>272 教育勅語そっくりの内容なんですね。驚き。
むしろ教育勅語がそっくりと言うべきか
言われてみれば、似たところもありますね。
研究していた筈の『孫子』といい、本当にその通りに行動していれば、あの
負けっぷりは無かったと思いますが。
特に
>>272の1と2は重要。教育勅語には該当箇所が無いように思いますが、
当時も十七条憲法はよく知られていた筈(仏教系は軽んぜられたか?)。
なお、十七条憲法の内容は儒教と仏教から借用して租借した結果の様です。
孫子にハウツーは書いてないからな
282 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 21:37:47 0
>>271 イスラムの前にマニ教の時代があったかも知れん。
283 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 00:30:54 0
仏教的願望も
なにかであること
には大きな快感があるcってことでしょ。
だって、すでに傲慢プライドや達成感じみた暴力のはじまりがあるよ。
英雄のようになりたい
ブッタのようになりたい
悟りに至ってる、っていうとき ナニかであろうと願望がいうとき。
284 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 07:25:46 0
世界でもっとも有名な仏教家はだれ?
池田大作?
285 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 07:38:42 0
>>284 国際的にニュースになっているから、ダライ・ラマ。
信徒数自身はそう多くは無いのだけどね
イマイチ仏教わからん方へ。
まあオレもわかってないこと多すぎで大変恐縮だが2chだし言わせて貰う。
シッダールタが菩提樹で座禅組んでたとき、魔が放った矢が花に変わったそうだ。
矢は煩悩だと思う。つまりな、煩悩いうもんなければ悟りひらけねーって訳だ。
しかし仏教つうのは妙な宗教戦争は殆ど無い。
それどころかあのモンゴルまで教化しちまった。異常に「暴力」にツエエ。
だが、金にキタネーつうかな。
パトロンの保護がねーとスグダメになっちまう。で、保護あったとしても
象牙の塔にこもって世間とは乖離しちまう。それに慌てて、
世間にアプローチしようとセックス教団に陥った時代もあったよな。
まあその名残が密教だとおもうけどね。
しかしシッダールタってのは
まったく世間の慣習とか文化とかどーでもイイ人だったんだなと思う。
当時苦行失敗しちゃうなんて、異常な恥行為でさ。素っ裸で外歩く以上の恥行為。
でもフツーに考えて、あんな苦行やっちまったら死んじまうよなあ。
したら元もこもない。それに気が付いただけでもエライもんだとは思う。
今だっておかしな慣習だと思っても誰も口出せないようなことって沢山あるしな。
>>30 もしかしたら金髪だったかもな。外見はアーリア系だと思う。
金髪に描かれるイエスは黒髪のヘブライ人で
黒髪に描かれる釈迦は金髪のアーリア人か
悟りを開く=幻覚状態での前世体験
291 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 04:04:21 0
>>30 「リトル・ブッダ」でキアヌ・リーブズが黒髪のゴータマ王子を
演じているわけだが。
監督は「ラスト・エンペラー」をも撮ったベルトルッチ。
二年も前の書き込みに亀レスして何がしたいんだ
>>286 >矢は煩悩だと思う。つまりな、煩悩いうもんなければ悟りひらけねーって訳だ。
天台本覚論なら正解でしょうが、原始仏典の注釈でそこまで解釈したものが
あったかというと、記憶にありませんね。
天台では煩悩は氷、菩提心は水のような関係にあり、煩悩という氷を溶かし
て菩提心を生み出すのだとしていますが。
本覚は本来持っている悟りの性質のこと(⇔始覚)。
この手の「すでに救われているのだ」という発想は、つきつめると贖罪を意
識する教えとは対極のひたすら楽天的な思想を定着させます。
中世が顕密の時代と言われて久しいですが、所謂鎌倉新仏教の内、時宗以外
は祖師が比叡山と関係していますし、一遍の思想も無関係ではありません。
中世後期以降に広まった吉田神道もこうした「本来救われている」式の思想
を採用しており、近世以降の思想もこの範囲から逸脱していない。
無思想と言われる日本人ですが、基本的な発想は遡れば性善説に傾きがちな
性向も含めて天台本覚思想に行き着くだろうと思います。
「分かっていない」という>286氏が自然と発言された内容が、煩悩を肯
定していること自体、影響を受けているのではないかと。
なお、本覚や如来蔵の説には非仏説という批判もあります。
>天台では煩悩は氷、菩提心は水のような関係にあり
こちらは源信の『往生要集』の一節ですが、我が国で本覚論が隆盛するのは
院政期以降(関連書は源信に仮託されたものが多い)ですから、並列するの
は不適当でした。本覚思想では現状がそのまま肯定されている。
寝ぼけた頭で書き込んでしまい、申し訳ありません。
ただ、煩悩を単に否定しないという点は共通しています。
必ず返してくるとおもったよ。てか肯定というよりは「縁起」だ。
逆にいおうか?
「悟っとる人は煩悩もよく理解しとる。」
たしかに鎌倉んころ法然とかガンガンやっとったが、「縁起」無視しとるとはおもえんけど。またひたすら楽天的にいきついたか?といったら、結果どうなんだべ?
っとまあオレので垣間見た「日本」を「縁起」込みでも一度よろしく。
「縁起」だけでなく「四諦」「八正道」はヤッパはずせんよ。
そういや釈迦は人みて指示だしとったらしいな。
ある人には掃除ばかりさせとったな。
>>295 >縁起
相関しあっているから、絶対的に否定されるべきものは存在しないという意
味でしょうか。それも成り立つでしょうが、天台本覚論では、単に菩提心と
煩悩を不二の関係に捉えたものが多く、縁起の論理を持ち出しての説明は印
象に残る範囲内ではありませんでした。
法然の救済説にも天台本覚論は影響を与えています(省略しますが)。
勿論、四諦や八正道は知られていましたし、中道も知られていましたが、大
乗仏教では六波羅蜜の方が重視される傾向にあり、四諦以下を詳説した原始
仏典(阿含経)も、我が国では天台宗の五時教判の立場から軽視されました。
五時教判というのは、釈迦が初めに深遠なる教えを『華厳経』という形で説
いたが、理解できるものが少なかったので阿含経を説き、更に勝鬘経、般若
経と進んで、最後に『法華経』が説かれたとする説。
要するに、各経典の中では低く見られていたということです。
『法苑珠林』に引用されていたのを引用して解説した例もありますが、それ
らは論理よりも僧侶を供養して功徳を得るといった箇所でした。
『法句経』は何度か引用例を見ましたが、大乗仏典に遠く及びません。
江戸時代の大坂に、富永仲基という元僧侶のどえらい学者が出て、釈迦の直
説は阿含経のみ、その中でも韻文に限られるという説を発表しました。
この説は現代の説とほぼ重なるものです。
>「縁起」だけでなく「四諦」「八正道」はヤッパはずせんよ。
仏教に対するこうした認識は、やはり近代以降の産物かと。
>296
対機説法というもので、後世矛盾も含めた数多くの経典が存在する理由を皆
同じ教えから発しているが、人ごとの資質に合わせて説かれたせいだという
説明が行われるようになりました。
事実、釈迦が存生時にそれぞれに相応しい教えを説き、硬直化した論理に陥
らなかったことが、聖典とは異なる経典の大量発生を生んでいます。
その結果、日本仏教で盛んになった本覚論や如来蔵の思想は仏教ではないと
いう(真面目くさった)批判も出されるようになりました。
>ある人には掃除ばかりさせとったな。
周利般特の話ですね。後世の大乗仏典で数万人の菩薩が教育係になって偈を
一つしか憶えられなかったと説かれた人物ですが、実際物覚えが悪く、飲み
込みの悪さに愛想をつかした兄の僧から教団を出て行くように言われた。
そこで還俗して家に帰ろうとしたところ、釈迦から布を渡されて「塵を払え
、垢をとれ」と言い続けながら人々の衣や履物をぬぐうように言われた。
そこで、一生懸命その仕事に従事していたところ、塵(煩悩)をぬぐうこと
を理解して、悟りに至ったという話です。
付け加えておくと、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜が大乗
の修行法とされたのに対して、四諦や八正道は小乗の修行法だとして軽く見
られていました。
智慧は「空」の智慧のこと。大乗仏教を語る上では欠かせません。
京都の地名の六波羅は『平家物語』や後に六波羅探題が置かれたことで有名
ですが、これは六波羅蜜寺に由来したもの(髑髏原説もある)。
空也が西光寺を開いた後、貞元2年(977)に中信が入って天台別院とし
名称も六波羅蜜寺と改称した訳ですが、同寺は改称前も改称後も貴賤の信仰
を集めた寺で、俗人が救済を求めて法会に参加していました。
迷える衆生を救済する大乗仏教の理念が六波羅蜜に表されたということです。
アンタの頭のよさっつーか、知識の深さにゃかなわんな。
よー勉強しとるな。
まあ、ボチボチ返事書くわ。
四諦と中道については、鎌倉時代に成立した天台本覚論の書に、小乗や大乗
の余宗の解釈を挙げた上で(小乗の説が原始仏教のそれ)、天台宗独自の解
釈を挙げています。やはり、現代の仏教解説書のものとは異なる。
縁については、小乗・阿含経などは空とは無であると考えているが、天台・
法華経では空とは無主であり、縁に従って生ずるが故にそう言えるとしてい
ます。ただ、苦について考えるための縁起説とは異なりますね。
本覚論非仏説が説かれるのもむべなるかな。
なお、草木国土悉皆成仏という説を掲げ、自然信仰の肯定を理論づけたのも
この思想です。中国起源で、最初は植物に心がないとしていたものが、日本
では植物にも心があるという解釈にまで発展している。
この点は、現代のスリランカやチベットの仏家から批判されるところです。
彼らは犬や植物に心があると見做しておりませんので。
更に付け加えておくと、上記のような無差別の肯定である天台本覚思想に対
しては、17世紀末から18世紀初めにかけて霊空らによって批判が行われ
ており、今日までそのまま伝わってはおりません。
ただ、倉田百三の『出家とその弟子』に見られるような娑婆の人間の生活を
そのまま救われた状態とする見方は今も続いていると思われます。
さて返事を書こうか。まず
>>286の趣旨は簡単に説明しようとの話でな。
なのに返しがそんなにややこしい話になてることが解せん。
ざっくりとおおまかに伝えるってのは無価値ではないとおもうが。
>対極のひたすら楽天的な思想を定着
たしか法然のころ、
大悪党が「オレは念仏を唱えたからもう救われる」と言ったかなんだかで問題となったよな。この「問題」となったのが気がかりでな。
仏教ってのはいくつか革命の時期があったよな
2世紀ごろの大乗もそうだし9世紀〜11世紀ころの中国や鎌倉時代の日本も
それに該当するのではなかろうか。まあ無数の無名の釈迦がいたんだろう。
>草木国土悉皆成仏
たとえば差別については、「獣たちは姿の別があるから差別がある、同じ姿人同士が差別があるのはおかしい」みたいなこというとったな。
同じ姿だからが理由だからねえ。魂が宿るみたいな考えとはチト違う罠。
ただ、なるべく命を殺さない思想はインドには確かにある。
原始仏教はつまりはバラモン教に対する革命みたいなもんで
あんま六師外道とかわらん気もする。
>阿含経のみ
>天台本覚論
まあそうだろがそうゆうのは学者さんがやりゃいい。
>四諦や八正道は小乗の修行法だとして軽く見られていました。
だろな。よくねーよ。
六波羅蜜も悪くはありませんが、論理的に苦を考察し、説明する所からは遠
ざかっていきましたね。
ただ、現在スリランカやビルマの僧侶が理知的な説明をしているのを聞くと
「理屈っぽい(日本では褒め言葉ではありません)」のでいささかうんざりす
ることがあり、原始仏教がそのまま我が国に受容されるのかという気もします。
「死んだら仏」とは言わず、「生前の行為を問わずに皆救われているのはおかし
い」とか、「日本人は動物や植物を人間扱いしているが、それなら彼らにも意志
があることを証明してみせろ。日本人が石や木を拝んでいるようなアニミズムは
間違いとは断言できないが、間違いの可能性が高い」とか言われますからね。
野暮(非論理的表現)の変痴気論とも言いたくなります。
元々、インドには山川草木悉皆成仏という説はなく(上座部と西蔵にもない)、
中国でも植物には意志を認めず、単に真理の性質があると言っていたのが、中
世日本ではそのまま植物それ自体の成仏を認めて、現在に至っている。
これが仏教かと言われるのはこちらの方でしょうが、ああした理屈中心の説で
は救われない人も出て来るでしょう。現に原始仏典では在家である限りは完全
な救済は得られないとされており、そうした流れを否定した大乗の流れの中に
生きているので・・・やはり違和感が。
>あんま六師外道とかわらん気もする。
違いがあるのは、ジャイナ教以外の外道の思想と違ってニヒリズムや実証不可
能な内容に陥らなかった点、ジャイナ教が主観を認めて、何かを言う場合には
「この立場からは」こう言い得ると言うのに対して、中道を説いた点でしょうか。
>大悪党が「オレは念仏を唱えたからもう救われる」
明恵以下、複数人から批判が加えられています。
法然自身は持戒して怠ることがなく、道徳否定も否定していましたが。
なお、上座部と大乗の違いとして他に挙げられるのが、肉食の有無です。
全ての衆生を救済することを目的とした大乗では、鈴木大拙が「大乗仏教を
知りたければ『大乗起信論』を読み、禅を知りたければ『楞伽経』を読め」と
いった『楞伽経』以降、大乗仏典では肉食が忌避されています。
『涅槃経』などにもこれは受け継がれました。
ただ、『弥勒菩薩所問本願経』などでは病人に肉を与えることは許されており、
これは僧尼令にも反映されています(五辛は駄目)。
もっとも、我が国では肉食というか魚食・飲酒ともにだらしがありませんでし
たが。真面目な僧侶もいましたが、多くの僧侶は酒を飲んでおり、俗人の側も
生真面目過ぎる僧侶よりはだらしない僧侶を歓迎した節がある。
一休のような僧侶が名僧扱いされるのは、東南アジアではありえない筈。
破戒僧の姿が、殺生などの罪を重ねて生きていかざるを得ない人間の行為に救
済を示すことが多かったこともその理由でしょう。持戒するような僧侶の大半
は、漁師に罪深いから生業を止めろと言うような手合いです。
まあ、それはそれで救済手段を生んでいましたが(省略)。
追記。『楞伽経』は諸説を統合したものですが、その後成立した『大乗起信論』
は、『不増不減経』以下の経典に説かれ、我が国の仏教に大きな影響を与えた
如来蔵思想を中心に書かれたものです。
今更ですが、出典が違えば思想も微妙に異なります。しかし、そうした諸々の
経・律・論の上に今の仏教が成立しています。
>現在スリランカやビルマの僧侶が理知的な説明をしているのを聞くと
こちとら他国の坊主の話をあまり聞く機会が無いので新鮮ですね。
やっぱりそんな感じになってましたか。きっちりやりゃーそら当然ですな。
でも、きっちりやるとややこしいことになって頭良いやつしか話についてこれん。
ということで山川草木悉皆成仏はある種「方便」としてやっとんのかなあ?
とも思ってた時期もありましたがねえ。
ところで「方便」として捉えてる坊主とか日本におったんかいな?。
山川草木悉皆成仏は日本独自のもんでしょうね。
つか、植物どころか針供養とか人形供養もあるからねえw
まあ、どの国も独特の文化があって、それに入れ込みたがる。
仏教はそいゆー土着信仰と結合しやすい面がある罠。
キリスト教あたりだと徹底的に殺しちゃうけど。
なんかで読んだが、どっかのヨーロッパ人の庭師が
「自然」とは闘争するもんと思ってたが
日本はどうも真逆のようだとかなんとか言うとった。
とまあ、こうやって比較すると日本独特の考えが出てきて面白い罠。
日本のアニミズムはえれー強固で、現代にも生き残ってる。
あと、定期的にいけにえが必要な文化とか空気嫁の文化とかかねえ。
なお、「空気嫁」は江戸時代あたりはまだ反対する意見があったらしい。
「理屈っぽい(日本では褒め言葉ではありません)」←これにうんざりするようになったんはいつからかねえ?
オレは子供のときからだがw
>もっとも、我が国では肉食というか
>魚食・飲酒ともにだらしがありませんでし
いあ、どの国だってそりゃあるべさ。洞窟壁画にはエロ画ばっかかいとるしw
ただまー破戒僧の存在がそれなりに認められるのは独特だよな。
オレは人間は動物質たんぱく質もとらんとあかんと思ってるのでOKだけど。
肉食うなって無茶言うなよってなとこだな。
そこで山くじらとか兎を一羽二羽とかつー逃げにもってったとこはのはオモロイよな。
>明恵以下、複数人から批判が加えられています。
だよな。根が楽天的だったらそうならんと思うんだがどうだろうか?
いくとこまでいっちゃう恐れがある時、日本はこうゆう静止力が働くよな。
他国ではいくとこまでいっちゃった一団体が大きな勢力を持ったりもするが、
日本はそこまでいかんねえ。
ある意味「中道」なのか?wwww
キリスト教でも昔はかなり土着の習俗を受け入れていたぞ。
マリア信仰だの冬至のときに聖誕祭をもってきたことだの。
>俗人の側も生真面目過ぎる僧侶よりはだらしない僧侶を歓迎した節がある。
日本の場合坊主への反感を和らげるためのものと理解してるがの。他国はフツーに否定かあ。
まあ、当然だな。
そいやー落語であったが、
「人間しんじまったらおしめーよ」っていった坊主が良い坊主だそうだ。
>>312 あーやっとったね。でも結局殺されたじゃん。
てか人いたんかこのスレ。おはようございます。
土着の文化と新参者の宗教が結合するのはどこにもあるよねえ。
>>314 へ? なに血迷った事いっているの? マリア信仰もクリスマスも立派に
根付いちゃっているし、十字架、イコン、聖遺物信仰などへの偶像崇拝
なんていうのもあるし。
>>316 話ずれちゃうじゃん。めんどくさいなあ。
314=317=日本語が理解できないヤシ
放置推奨
>>310 >ということで山川草木悉皆成仏はある種「方便」としてやっとんのかなあ?
元々、草木に関しては仏法にかなっている(ありのままの姿で完成されてい
る)という解釈であったのを、日本では字義通りに受け止めていますね。
スリランカから来られたような方々は「比喩でないと理屈に合わない。事実
だというなら、論理的に反論してみろ」といった反応を示されますが。
日本では「在来の自然信仰」からこうした思想が生まれたというよりは、こ
うした思想があって自然信仰が肯定されたのでしょう。
『大集経』や中国で成立した『悲華経』も自然信仰には肯定的。
↑は、呼ばれなくても文句を言い出す真宗坊主には批判されていますが。
(どこにでも神=仏が宿っているとされると、ひたすら阿弥陀仏の方向を向
いて救われようという彼らの立場がゆらぎますからね)
民間にも自然信仰はありましたが、記録に残すのは教養がある僧侶。
神職側では、所属する神社に関するものはさておき、神祇信仰全体に対する
世界観の展開というものはあまり見られない(吉田云々はさておき)。
>生贄
平安中期の仏家は、「神は仏の垂迹であるから、生贄を止めよ」と主張して
いましたが、後期以降は「仏は神として生贄を受け取り、殺生を生業とする
人々を救済してくださる方便」と転換し、生贄は認められましたね。
諏訪や宇都宮における生贄は、近代まで続いています。
方便とか融通とかいった言葉は便利なもので、大抵の行動は容認される。
空とか執着しないといったことも主張されますが、様式を変えることに無頓
着な教えで、インドから消えたのも分かるような気が。
ぶつかれば、意固地で融通性に欠ける教えの方がよく残るでしょう。
禅僧に多いですが、キリスト教圏でイエス像を燃やして暖をとったり、イス
ラーム圏で「クルアーンの教えは全て悪魔の説」と言った例はないはず。
仏教圏ではそれが行われ、やった者が殺されることもない。
結局は、山ほどあって適当に選べる経とクルアーンや聖書の違いですね。
>日本はこうゆう静止力が働くよな。
日本に限った話かどうかは私の知識では判断出来ませんが、密教における性
愛を肯定した立川流にしても、肯定・否定が入り混じっていますね。
一部強行手段もとられたとはいえ、異端撲滅とならないのが欧州と異なる。
日蓮の法難なども伝えられていますが、火あぶりにされた訳ではない。
100人いれば100の解釈を立てられますから。
なお、本覚論に基づく破戒行為に対する反発も定期的に行われています。
江戸時代の仏教といえば、幕府の下で御用向きを承るものというイメージが
強いですが、改革者も学識のある僧侶も出ていますよ。
出版関係を見ても、注釈書などはかなり見えている。
中世と比べて、宗教の力自体は低下していますが、御用化したとかいって批
判的な人は、中世の在り方にも文句を言いますからね。どうしろと。
>>313 >坊主への反感を和らげるためのもの
昔はアカの人がそうした「宗教家が作り出した宗教」という歴史観を好んで
いましたが、一般人が受け入れようとしなければ、そうした説明は定着しな
いでしょう。やはり、相互に求めるところがあったのだと思いますよ。
大涅槃と申すにその名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。
「涅槃」をば滅度といふ、無為といふ、安楽といふ、常楽といふ、実相といふ、法身といふ、
法性といふ、真如といふ、一如といふ、仏性といふ。仏性すなはち如来なり。
この如来、微塵世界にみちみちたまへり、すなはち一切群生海の心なり。
この心に誓願を信楽するがゆゑに、この信心すなはち仏性なり、仏性すなはち法性なり、
法性すなはち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。
この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、
法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、
世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。
この如来を報身と申す、誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。
報と申すはたねにむくひたるなり。
親鸞著「唯信鈔文意」
322 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 12:23:21 0
カルト仏教団の支持政党が政権に参画してるのに「日本は無宗教国家だ」とか
能天気なことほざいてるバカどもはどうにかなりませんか。
>>321 親鸞に限らず、「鎌倉仏教の祖師」たちには、自分が新宗派の祖師であると
いう自覚はなく、後年一部の弟子たちが祖師を崇敬する教団を形成してい
きましたからね。大きな声では言えませんが、宗祖の著作が現在の、とい
うか各時代の宗派の動向と一致するとは限りません。
かく言う私も、特定の宗派の思想を中心に学んだものの、それと見解や知
識が一致しているかすら、怪しいところです。
某小説で批判されていた某教団などは、言うまでもありませんが。
324 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 14:12:14 0
>>322 あんなものは宗教じゃない、という趣旨かと。伝統的に宗教団体は
保守政党の有力な支持組織
鎌倉新仏教の始祖たちは飽くまでも天台宗の枠内で活躍していたんだよな。
例えば親鸞の浄土真宗は青蓮院とは密接な関係があったし、栄西が開いた
建仁寺も禅道場という性格はあったものの当初は天台宗の寺であったし、
日蓮に至っては天台法華宗を継承するという性格をもっていた。
326 :
世界@名無史さん:2007/05/20(日) 13:30:29 0
先日、取引先の調度品問屋に行ったら、木彫の小さな吉祥天女像があった。
全裸の椅子掛けで、こんな姿は珍しいね、と言うとそこの社員はにやにやしている。
よく見ると陰毛がちゃんとある。
もしやと思い、持ち上げて秘所をみると・・・お見込みの通り丁寧に・・・
327 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 16:05:23 0
仏教国がみんな共産国家になるのはなぜですか?
328 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 16:09:03 0
>>327 それは仏教が多神教なのでポル・ポト、金日成、池田大作のような
独裁者が生まれやすいのだろう。
329 :
世界@名無史さん:2007/06/09(土) 19:50:05 O
>>327 仏教がどうこうと考える前に、アジアにおける歴史的な政治思想や政治体制から考えるべきじゃない?
一言で仏教といっても多種多様かつ、国や地域によって影響力の質や度合いも異なる。
仏教が論ずるに足るだけの影響力があったのか?
何故?と問う前に、そもそも、そこから疑問に思うよ。
330 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 00:36:22 0
仏教は個人と死をテーマにしている
それだけに人間をばらばらにする
ゆえに君主からすれば大衆を抑える道具として有益だった
権力者からすればおとなしいアジア人を押さえ込むのに
好都合だっただろう
近代においてそれは多様な意見を聞く地盤を損ない
アジアにおいて安易に独裁を生んでしまうことになってしまった
331 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 10:29:22 O
>>330 なんかすごく大雑把な主張だね。
そんなんで、共産化や専制と仏教との因果関係なんて特定出来るの?
東南アジアは上座部の仏教だし、東アジアは大乗仏教だ。
両者は教義も違えば社会的な位置付けも違う。
東南アジアの仏教は、宗教としての社会に対する影響力が強いが、東アジアの中国・朝鮮などは儒教の影響力が仏教より強いし、こと政治面に対しては儒教の影響力の方が格段に強い。
モンゴル(チベット仏教)のようにソ連から軍事介入され共産化した例もあれば、タイのように植民地化される事なく共産化もしていない上座仏教の国もある。
もう少し、丁寧に論じないと説得力に欠けると思うよ。
332 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 18:25:07 0
話を複雑にするのが
仏教の特徴です
すなわち民衆のカク乱です
キリスト教は個人と復活をテーマにしている
それだけに人間をばらばらにする
ゆえに君主からすれば大衆を抑える道具として有益だった
以下略
スリランカやミャンマーも仏教国だが、共産化しなかったな。
335 :
よろずこ:2007/06/10(日) 23:15:59 0
悉有仏性
がんばろみゃ
336 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 00:33:12 0
>>334 >スリランカやミャンマーも仏教国だが、共産化しなかったな。
スリランカは仏教とは70%ぐらいでヒンデュー教、キリスト教、イスラム教が同居している。
仏教徒とヒンドゥー教徒が血みどろの争いを展開しているので共産化どころじゃなかった。
ミャンマーは軍事独裁政権が誕生して愚民化政策で国民は白痴状態だ。
スーチーさんも解放されてない。
337 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 01:12:30 0
タイも仏教国だが共産化しなかったなw
338 :
世界@名無史さん:2007/06/11(月) 01:25:15 0
今ミャンマーで、仏教優遇政策、キリスト教弾圧政策が行われています。
339 :
世界@名無史さん:2007/06/13(水) 03:05:26 0
ミャンマーって、国内にロシアかどっかの核設備つくったんでしょ?
340 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 01:18:34 0
仏教→大衆の愚民化
結果
坊主以外は不幸
341 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 01:37:55 0
釈迦の死は金持ちのボンボンが放蕩の末反省し問題意識を持ち精神を鍛えた
という美談である
キリストは自らの死で社会の人間の無住を告発した美談である
どちらもすばらしいが
金持ちのボンボンというところが説得力がない
一国の王子だったんだから金と権力の両方捨てたんだが。
そこまで捨てた動機には説得力があるが。
バカは何聞いても理解できないという証明。やっぱりバカじゃ悟れない。
343 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 06:35:53 O
釈迦が快楽主義と苦行主義の両極端から、中道主義に至った要因として、王子時代の生活経験も重要な要因となってる。
快楽も苦行も両方知ってるからこそ、釈迦の唱える中道に説得力が生まれてくる。
344 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 16:24:32 0
仏教には魅力がない。日本など葬式のために存在するようなもんだ。
だから権力者の庇護がないと他の宗教に信者を取られる。
それは歴史が証明している。
345 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 16:32:25 0
>>344 ニッポンの新興宗教の多くは、仏教系ですが何か?
今日の朝日の夕刊にも米国にも仏教徒が350万人だかいるそうだね
仏教を貶す奴は、実は層化であることが多い。
ウチだけは違う、犬作センセーは釈迦を超えた、と本気で思っている。
僧は出家して托鉢して暮らす本来の仏教のあり方を貫くなら、
権力者の庇護がないと成立しない。
348 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 20:18:41 0
釈迦が快楽主義と苦行主義の両極端から・・・・
人の快楽話ほど説得力がないものはない
快楽や苦労は人によって違う
仏教は独りよがりな自己満足な退廃文化である
>>344 ウイグルなんかはマニ教やネストリウス派が入ってきてたけど
モンゴル帝国時代は仏教徒の代名詞になってたよね
>>344の釣りにマジレスもなんですが。
>歴史が証明している。
戦国期のキリスト教と、明治以降の歴史ぐらいしかサンプルがない気が。
キリスト教も権力者の庇護は受けていましたし、そもそも前近代に宗教が庇
護なしで成立するということが考えにくい。
江戸期の儒教や「神道」派も、前者は権力者の嗜好に沿った場合が多く、後
者も国粋主義のための異国文化排除の結果であって、選択の結果というのと
は違うような。
そもそも、中国ならともかく、我が国で自由な宗教の選択なんて近代以降で
ないと無理な話ではありませんでしたか。
「神道」は仏教の一分野扱いで、儒教は例外的、キリスト教は一時的。
351 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 01:34:43 0
>>345 >今日の朝日の夕刊にも米国にも仏教徒が350万人だかいるそうだね
アメリカって寛容な社会だね。多くの宗教が共存している。
それに比べて。
352 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 21:18:36 0
日本は世間知らずなお嬢さんを神とあがめる
一宗教に支配されていて
それを批判すると殺される危険がある
そしてそれの犬として仏教界があり
民衆に無常を押し付けている
353 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 21:25:28 0
それなんて冥土喫茶
354 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 18:26:21 0
アメリカの仏教徒はほとんどが創価学会だと聞いたことがある。
>>354 チベット仏教徒もけっこういる。リチャードギアだけじゃない。
>>336 何が言いたいのか分らん。
共産化しなかった仏教国がある、という事実に屈して、
仏教国の国民はすべて愚民化する、と主張を横滑りさせたというところか。
現在韓国は共産化が進んでいるが、これは国民の仏教離れとキリスト教徒増大に呼応しているように見えて面白い。
357 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 23:19:02 0
要するに仏教で愚民化された国は
あわてて先進国に追いつこうと現在不安定を強いられているということだろう
長いこと目隠しされて痛んだから国民はかわいそうだな
359 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 23:32:54 0
要するに仏教は退廃文化ということだろ
360 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 12:18:56 0
アメリカは寛容な社会だからあらゆる宗教が同居する。
日本は不寛容な社会だから舶来の宗教は嫌がらせして根絶する。
361 :
土人さんへ:2007/06/18(月) 01:12:16 0
>>360 は?
そうか、仏教は日本起源だったのかw
360は統一教会信者のチ○ンでしょう
363 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 05:59:52 0
>>361 >そうか、仏教は日本起源だったのかw
仏教が日本に渡来したときは、仏教推進派(曽我氏)と神道推進派(物部氏)との間で血みどろの
争いがあった。日本人が最初から寛容に仏教を受け入れたわけではない。
抗争の結果、曽我氏を中心とする仏教推進派が勝利し仏教は国教となった。
要するに仏教が根ざしたのは時の支配者の武力による結果で、民衆が寛容に受け入れたわけではない。
なぜ渡来の仏教が勝てたのかというと、当時は遣隋使・遣唐使の時代だから中国崇拝者が多かったのだ。
古代日本における仏教は支配の道具であった。
縄文人の末裔たる東北の先住民文化を根絶やしにするために大和朝廷が使った残酷な常套手段は、
王民であるか仏教徒になるかしなければ清らかな人間にはなれないと説くことである。
そして蝦夷やアイヌとその文化を駆逐していったのだ。
364 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 07:52:17 0
>民衆が寛容に受け入れたわけではない。
何せ、檀家制度により総てに渡って個々人の世帯単位まで
仏教寺院が把握するに到るのが江戸期。冠婚葬祭は多くは
寺院はでなく地域共同体の仕事だった
>なぜ渡来の仏教が勝てたのかというと、当時は遣隋使・
>遣唐使の時代だから中国崇拝者が多かったのだ。
物部氏の滅亡は587年、第一回遣隋使は600年。蘇我氏勝利の
理由は、渡来人が当時としても経済力や文化面でも優位を得て、
勢力を有していたという方が正確かと
>古代日本における仏教は支配の道具であった。
そしてそんな歴史はこの後の日本史でもずっと続く
>仏教が日本に渡来したときは、仏教推進派(曽我氏)と神道推進派(物部氏)との間で血みどろの
>争いがあった。日本人が最初から寛容に仏教を受け入れたわけではない。
近年では、中国の廃仏記事に基づいて道慈が創作した話と言われています。
実は物部氏も仏教を信仰しており、氏寺も建立していたらしい。
蘇我氏が物部氏と戦って敗れた後、敗れた原因を仏教弾圧とすることで、仏
教を信仰すべきだと主張するために、記事を制作したらしい。
欽明朝の仏教公伝の記事も、おそらく書紀編纂時点の創作です。
まあ、『日本書紀』の文章は、遡るほど中国側の史書や高僧伝の改変が目立
ち、ほとんどガイドライン板のようになっていますが。
後半はもう相手にする気も起きませんが・・・釣りだと仰って下さいな。
それと、364氏にも誤解があるようですが、古代における民衆と仏教信仰
なんて、ここ十年か二十年の間に急速に進んでいる分野ですよ。
古代の仏教=貴族の仏教なんて、今時言う研究者はいません。
そもそも、宗教の名の下に正当性を宣言することは中世以前なら避けがたい
と言うよりは必須のことで、その恩恵を蒙っていたのは中央の支配者ばかり
ではなく、地方の有力者や僧侶、時には庶民にまで及んでいます。
366 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 20:32:31 0
佛教は気持悪い
もう陰気くさい文化は終わりにしよう
367 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 20:50:41 0
>>365 怪しいもんだね。日本は平和的に融合したの歴史修正論がブームだもんね。
368 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 20:52:56 0
まあ、聖徳太子が架空の人物だったなんて説がある時代だから
歴史修正なんて恣意的なもんだ。
負の歴史は日本に残したくないもんね。
昔は進歩主義がブームだったけど、
今はもうブームは終わって修正主義がブーム。
江戸時代は明るかった! 戦前は素晴らしかった!
海外なら、暗黒の中世はなかった! 植民政策は――
ただ、それだけの話だよね。
都合の悪い学説を主観で「怪しい」呼ばわりされていては、学問板が成り立ちませんね。
どちらが恣意的なのやら。
統一教会相手に人生の大切な時間を浪費しないように。
372 :
世界@名無史さん:2007/06/18(月) 23:12:06 0
だから日本は世間知らずなお嬢さんを神とあがめる
一宗教に支配されて
それを批判すると殺される危険があり
そしてそれの犬として仏教界があり
民衆に無常を押し付ける
修正主義に戻ればいいんだね
宗教ってのは「歴史」になって
初めて宗教として成立するんですかねぇ?
374 :
世界@名無史さん:2007/06/19(火) 00:07:31 0
宗教とは
人間は究極的に自分に嘘は付けないことが基本にある
人々をくっつけるとき
恐怖 業 嫉妬 愛 などの激情によってひとつにする
その時嫉妬などの特に強い激情は安易に用いられる
佛教が煩悩として掲げてる民衆に対するある種の誘いは
宗教としては強いが レベルは高いとはいえない
375 :
世界@名無史さん:2007/06/19(火) 00:11:04 0
X学問板
○山野板
376 :
世界@名無史さん:2007/06/20(水) 22:08:02 0
一般的に、日本の仏教とは現生に生きる民ではなく、
死人を商売目的に利用した葬式宗教ではなかろうか。
葬式産業のビジネスマンが寺の住職なのである。
それは近代以後葬式と法事以外お寺との接点がなくなったからじゃなのかな
かつては役所兼公民館兼集会所兼学校だったし
378 :
世界@名無史さん:2007/06/24(日) 09:41:26 0
スリランカでは、キリスト教会に仏教関連の過激派組織から脅迫状が届いたり、
仏教僧らによる嫌がらせが後を絶たないそうです。
約100人の仏教原理主義者らが同教会周辺にキリスト教を批判する内容のビラを貼り、
日曜日には道を封鎖して教会にいけないようにするそうです。
379 :
世界@名無史さん:2007/06/24(日) 13:39:24 0
>>345 >今日の朝日の夕刊にも米国にも仏教徒が350万人だかいるそうだね
米国の5%はアジア系だろ。アジア系移民が激増したことと、白人もそれに呼応しただけだよ。
一時的なブームだよ。仏教なんて魅力がないから廃れる。
アメリカのアジア系で一番多いのがハワイ人で、二番目がフィリピン人だよ。
381 :
世界@名無史さん:2007/06/25(月) 14:18:46 0
>>380 ベトナム人だけでも120万人はいるぞ。
382 :
世界@名無史さん:2007/06/25(月) 16:05:16 0
>>379 尤もキリスト教自体が魅力的という訳もなし。
ただ、カルトなら何処と限らず、根深く強い
383 :
世界@名無史さん:2007/06/25(月) 16:16:46 0
>>377 地域社会と結び付けられた檀家制度の名残だな。
尤も仏教系(多くは日蓮系)の新興宗教をどう評価するかだが
384 :
世界@名無史さん:2007/06/25(月) 16:29:28 0
明治以後の日本で仏僧が妻帯・女犯を平気でやるようになったのは
いつ頃から、また何故になのでしょうか?
幕末まで一部の宗派を除けば犯罪行為であったというのに、
どうしてかかる堕落した所行が横行するようになったのですか?
385 :
世界@名無史さん:2007/06/25(月) 16:55:01 0
檀家となっているお寺で聞きなさい、そのままの文章で。
『日本霊異記』の時代から、魚食や飲酒や妻帯をする僧侶はいたようで(全
部ではない)、おそらくこのような「破戒僧」はどの時代にもいて、全体の
半数以上を占めていたものと思われます。
『沙石集』などでは、特に取り上げられている。
僧侶の子供というものも普通に存在しており、別に差別されてもいません。
それどころか、どこの家に入っても怪しまれなかったことから、僧侶が浮気
相手ということも、よくありました。
しかし、こうした僧侶が一概に嫌われていたかというとそうでもなく、むし
ろ現実は逆で、こうした卑近な僧侶が宗教活動を行い、多くの人々の協力を
得ていました。協力を得ていたということは、支持があったということ。
俗人の側から遠慮がちに見ている僧侶に魚や酒を進めたりもしています。
我が国では、一休や親鸞が好まれてきた歴史があります。
上座部ではありえない傾向だと思いますが、それが求められていた。
生涯戒律を犯さなかったといわれる高弁や法然などの聖僧も崇敬されていま
したが、人々の中で仏教との結縁や説経などを行って喜ばせていた宗教者の
方が、全体としては多かったようです。
両方できないというのは、さすがにそうはいなかったと思いますが。
今でも高僧が皆無というわけではありませんが、民間宗教者というか、寺を
出ての勧進も、寺での説経もまずなくなりましたからね。
葬式ぐらいしか、接点がなくなった。
しかし、現代の仏教界の「堕落」を口にする人が、檀家になっている寺があ
り、そこへの協力を惜しんでいないという話は、あまり聞きません。
葬式ぐらいしか関わっていないのは自分の方なのに文句を言うことをするよ
りは、自分から寺へのかかわりを持てばよいでしょう。
そうすれば、葬式以外で役に立つ機会もあります。
それで寺側に不備があったというのならともかく、全く何もしていないのに
文句を言っている人は、単に文句の対象が欲しいように見えます。
そもそも、葬式ぐらいしか接点がないのに文句を言う理由が分からない。
文句を言えるほど、よくは知らないでしょうに。
非難めいた台詞は、自分が非難するだけの行動をしている人間こそが口にで
きるものであり、そうでなければ無責任な気がしますね。
檀家寺があり、そこで何かしていて不満があるなら、檀家として言えばよい。
そもそも、葬式や法事にすら出ていないで、聖職者が完全に無税だと思って
いる程度の人が多いのですが。
接触を持ち、それで駄目なら檀那寺を変えるくらいでいいでしょう。
(檀家制度自体は既存の檀那寺との関係を制度化したもので、別に徳川幕府
が一から成立させたものではありません)
388 :
世界@名無史さん:2007/06/26(火) 19:22:58 0
アメリカの仏教徒って畳に正座するんですか?
昔は 肉食ってもさ一般人と違って僧侶は読み書きが出来るなど学が有ったから尊敬されたんじゃねぇのかな。
それに今も昔も、本気で悟りたいと思って修行している僧侶なんて、ちょっとしか居ないのだろうよ。
口減らしという側面もあるからね
>読み書きが出来るなど
土田麦遷の場合、無理矢理寺に入れられて学問をさせられていたのが、京都
に出て本山出入りの商人と六波羅蜜寺の住職の手引きで還俗した際に、師匠
宛てに「昔僧侶は学芸の役に立っていたが、今の時代はそうでもない」とい
う破門状を出していますね。
仏教を中心に、古いもの(奈良時代のものだろうが平安時代のものだろうが)
が弊履の如く捨てられていた明治初期のことで、16歳という年齢からして
も、必要以上に気負ったものがあったでしょうから、鵜呑みにはできません
が、この頃にはそうした感覚も芽生えていたのでしょうね。
>口減らし
「私が涅槃に入った後、生活のために僧侶になる者、外形だけの僧侶が増え
るだろう」ということは、『涅槃経』でも説かれていることです。
当時のインドですら、すでにこうした批判が生じていたらしい。
親鸞の家も、兄弟数人がそれぞれ別々の寺に出されています。
明恵や法然の場合は、庇護者を失ってのことでしたが、家の者の追善をなす
ためや、俗人でいると立場上財産を消費して困窮せざるを得ないので、兄妹
が一度に出家し、善業を積みながら俗人を続けることにした弟に養ってもら
う道を選択したという例もありました。
結果的に、相応の学習や修行も行われていますが。
室町時代に朝鮮からの使節が来日した際には、「良人男女半為僧」と記して
います。朝鮮や中国(明の太祖とか)にもそうした時代があったのでは。
両国で行われた仏教弾圧にも、財政的な動機が見られましたからね。
392 :
世界@名無史さん:2007/06/29(金) 20:36:04 0
>>378 仏教徒の原理主義っているのか・・・
お釈迦様が泣くぞ
法執、になるのでしょうかね。大乗仏教、とりわけ禅宗では問題視されたことですが。
しかし、原始仏教の立場から見ても仏教徒の行動には相応しくなさそうです。
「苦からの解放」とは関係のなさそうなこと。
欧米では仏教といえば「チベット仏教」が主流だよ
禅なんかもあるけど。
他に神サマ仏サマが、居よーが居まいがカンケー無いのが原始仏教だと思うんだがな。
上座部のくせに他教徒にイヤガラセする様じゃ、来世は修羅道に決定だな。
それがイヤなら、浄土真宗にでも改宗するしかないな。
396 :
世界@名無史さん:2007/07/11(水) 03:56:04 0
「死ねば仏になる。」ってのは日本では御馴染みなんだけども、
これって死後の世界があるよって事じゃなくて、死んで全ての執着から抜けたという意味で仏って言うんだよね?
オカルト的な商売やってる人は、ここの理解を悪用してるような・・・・
397 :
世界@名無史さん:2007/07/11(水) 04:36:40 0
フランスじゃ今でも層化はカルト指定のままだろ
創価学会は日蓮宗とはいえないっていう説があるよね
そんな言い方しなくたっていいじゃん
>396
>死んだら仏になる
近世初期までの願文では、死後、浄土に往生して、仏の説法を聞き、授記を
経て仏となることが求められていましたが、求められたのはまず往生であっ
て、成仏とした例は、まずありませんね。
過程を省略化して成仏と称するようになったのは、近世以降でしょう。
>これって死後の世界があるよって事じゃなくて
死後の世界の話ですね。六道輪廻とは別の、浄土へ往くという話。
>オカルト的な商売やってる人は、ここの理解を悪用してるような
悪用と誤用を重ねているのは、事実でしょうね。ただ、理解せずに騙されて
いる人も問題だというか、オカルト以外でもどうせ騙されるか、騙されなく
ても無知を振りかざしそうで怖いというか。
(日本に来た仏教思想の研究家のフランス人に、仏教は外来の宗教だから、
日本文化を知るなら神道を勉強すべきだと言った、アホなオジサンもいま
したからね。現在の「神道」は実質新興宗教なのですが)
「オカルト的な商売」は、稗史とか、巷説という言葉が似合いますが、私は
別にあってもいいと思いますね。
キリスト教徒や上座部、原始仏教思想の人は嫌いますが、喧嘩しながらのヒ
ステリックな排斥ぶりを見ていると、あの方が問題だと思えてきます。
「あるべきでない」と執着し、怒りを浮かべ、浮かべさせるのも、問題とい
うか苦の解決からはほど遠いでしょう。
子供のころから教会に通わされていたんですが、物心ついて改めて教義を勉強したら
「いいことをすれば天国にいける」っていうお説教が大うそでキリスト教に幻滅。
今度は仏教を学んだら、お盆にご先祖様の霊が帰ってくるのが理解できない。
周りにその疑問をぶつけても、何言ってんだ扱い。
日本って本当にまじめな信仰ってないんだねえとつくづく思った。
>「いいことをすれば天国にいける」
「いいこと」の内容次第では、嘘ではないような。
なお、>403は、キリスト教自体を否定したものではありません。
>お盆にご先祖様の霊が帰ってくるのが理解できない。
盆についてそう言われるようになったのは900年ほど前のことで、当時は
僧侶は否定していました。矛盾は矛盾ですが、まあ原理主義というか原典主
義よりはいいという気もしています。
唯一神・創造神や「永遠」や執着心を否定していれば仏教徒ぐらいの感覚で。
>404
浄土真宗では、お盆に先祖の霊は帰ってこないことになってるよ。
けどせっかくの仏教関連イベントなので法会だけはする。
いままで色々な葬儀に参列したが、故人が次は何に転生しているかといった話をしている人を未だ見たことがない。
輪廻を信じる人が多いとアンケートではよく言うが、実際はどうだろうな。
まあ輪廻を信じたら祖先祭祀の大半が辻褄が合わなくなっちゃうしねw
408 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 03:19:34 0
転生しても前世で縁のあった人たちとは見えない糸で繋がっていて、故人を供養することで
転生先でも幸せに暮らせるんですよ・・・くらいの辻褄合わせがあってもいいと思うが、
どっかにそういう教え説かれてないのか?
葬式仏教の建前としては、みんな解脱して極楽浄土へ行きましたってことにしないといけないのか。
そりゃあ、日本では坊さんが枕経を唱えるとあら不思議
どんな悪人でも不信心者でも極楽浄土へ行けてしまう、
という設定なんだから、日頃信仰心など湧きようがない。
>>407 確か、花山勝友先生が書いておいででしたね。
輪廻説ではなく、浄土説になっていると。
来世の行く末は地獄と極楽に集約されています。浄土というのも極楽ばかり
ではありませんが、戦国期には浄土=極楽だったらしい。
>>408 「前世」は説かれますが、「来世」は現世と同じ姿と記憶で説かれますね。
>転生しても前世で縁のあった人たちとは
追善による極楽往生を願うことが、まさしくそれだと思います。
古代〜中世の説話には、蛇などの動物に転生していた知人のために経供養を
行ったところ、夢の中で「○○天ないしは○○浄土に転生しました」と言わ
れ、朝になったら動物が死んでいたという話があります。
>>409 それは単純すぎるでしょう。鎌倉時代まで続いた往生伝は、室町時代になる
と一旦生まれなくなりますが、江戸時代から明治時代にかけれ、また書かれ
るようになっています。
室町〜江戸初期の信仰が、それ以前・以後とは異なる気がしますが、しかし
それが何なのか、つかみとるのはなかなか難しい。
中世の往生伝と近世の往生伝の違いについても研究が行われ続けている状況
で、それはあっさり言い過ぎです。
近世の来世観は、極楽往生と怨霊鎮撫に集約される気はしますが、絵解きを
中心に堕地獄譚も説かれています。まあ、コミカルな印象もありますし、最
後は救済されることが前提ですが、それが信仰を啓発していたのも事実。
「日本では」というのには、抵抗を覚えますね。
現代では、という意味ですか。そもそも「極楽浄土へ行けてしまう」という
発想が減ってしまったかもしれませんね。
しかし、409氏の発言からは、「信仰心=極楽往生できるか否かが問題」
だという認識がつかみとれますね。これはこれで、現代日本人の一部の基準
を示しているようで、面白い。研究対象になります。
そもそも極楽浄土って輪廻の途中なのに、日本の葬式仏教だと終着点みたいな
言い方だよな。
極楽浄土にいることは、現世にいるより相対的にはいいのかもしれないが、
絶対的には不幸なはずなのに。
確かに、解脱して極楽浄土に行くワケじゃなく、
極楽浄土に連れてってもらって、そこで解脱するワケだから(極楽では誰でも超簡単に解脱できるらしい)、
極楽が終着点では無いだろうが(最終的には自前の浄土に行くのかね)、
輪廻の途中ってワケでもないし、解脱したら幸・不幸なんて超越するんじゃん。
もしかして、六道のいっちゃん上の天上道と思い違いしてない?
浄土へ行けば三悪道を脱して(一般人にはこれが重要)の成仏は疑いないが、
成仏するまでの時間は遠すぎるということなのかもしれませんね。
授記から成道まで、劫が山ほど重なりますから。
それに、自分や身内が死後本当に「仏さま」になるというのはだいそれた発
想で、生前と同じ姿で「仏さまにお任せ」する方が気が楽そうです。
なんだかんだで、仏さまが頼れるというイメージはいまだにある。
ただ、浄土にも種類があり、極楽は転生すると男性化する浄土なのですが、
どうも平安時代から「女性のまま往生する」という俗説が定着していたよ
うです。経典の内容を聞いた庶民が惑うこともあったようですが。
『法華経』や『涅槃経』に言わせると、この娑婆も霊山浄土なのですが、な
かなか実感しにくいでしょうね。事実、この「浄土」への転生を望む声はほ
とんど聞かれなかったという。
415 :
世界@名無史さん:2007/07/16(月) 11:23:22 O
日本仏教にも様々な宗派がありますが、
宗派によって死後や仏に対する解釈が違うのでしょうか?
416 :
世界@名無史さん:2007/07/22(日) 11:15:12 O
>>379 諸行無常なんかは他の宗教の人でも否定できないでしょう。
宗教の中では、仏教がいちばんまともだと思います。
417 :
世界@名無史さん:2007/07/22(日) 11:32:06 O
ひろさちやさんの本知ってますか?
>>416 無知なお馬鹿さんほど「○○がいちばんまとも」とかって言うよ。
君みたいなのは額に「私はバカです」ってマジックで書いてあるようなものだよ。
419 :
世界@名無史さん:2007/07/22(日) 12:33:22 0
>>417 ひろさちやって、たしか数年ぐらい前に空き巣に入られて
1000万ぐらい盗まれたんだっけ?
儲かってんだな
いや、トチ狂って(当人達は超マトモと思ってんだろうが)異教徒を惨殺したりしない分、
世界三大宗教の中では、まともと言ってもおかしくはないと思うぞ。
「この素晴らしい福音は、総ての人と分かち合いたい。いや、分かち合うべきだ!」
いらねーお世話。
マトモの定義が相対的である以上、無意味な主張だな。
うむ。バカの考え休むに似たり、の典型だなw
仏教で生活している人もいれば、
佛教を生活としている人もいる。
「マトモ」。この場合は現代のフツーの倫理・道徳の基準から言ってる。
何故なら、自分は、つーか他人も現代に生きてるから。
風習の違いは多いが、殺人はワルイ事だろー。
じゃ、バカでない考え聞かせてもらおうか。
↑ありゃ、お子ちゃまがムキになっちゃったよw
具体的な意見を書けないヤツが、よく言う捨て台詞・・・
現代に普遍的な「フツーの倫理・道徳の基準」があるとか思っているバカ。
殺人がワルイ事だというなら一生戦争反対運動でもしてろ。
428 :
420:2007/07/23(月) 12:41:43 0
どうも俺が生半可な知識で偉そうなこと書いたせいで荒れたみたいで・・・
「マトモ」の意味もぜんぜん深く考えたわけでもなかったです。
どうもすいませんでした。俺のレスは無視してスレ続けてくさい。
「普遍的」なんていつ言った?「一般的(フツー)」と言ってるだけ。君の辞書では同じ意味か?
じゃあ例えば、無差別テロの現場に肉親がいて、犠牲になったとしても、
「彼らには彼らの正義がある。同じ星の上にいる以上、こうなる事は避けられ無い。」
と、寂静として居られるわけだな。
君は「覚者」か?それじゃ凡夫の及ぶところでは無い。自分の負けだ。
430 :
420:2007/07/23(月) 12:56:22 0
喧嘩はやめて。俺のために争わないで。
仏教の歴史のスレだとリンク張られてたんだが、普遍論争スレだったのかw
行を積むことによって悟りを拓くことを目的にする宗教と絶対的唯一神に
ただ従属するだけの宗教の差だろうな。
行く道の暮れて鳴くかよ仏法僧
今北で悪いけど、世界史板的には、シャカ族は何人なわけ?
王族と隷民が同じ系統とは限らないけど。
435 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 19:10:54 0
>>434 不明。
中国人と違って、インド人は歴史を残さなかったから。
てか、中国の歴史でも、そこまで詳細なデータはないと思う。
436 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 19:32:53 0
437 :
世界@名無史さん:2007/08/07(火) 20:26:56 0
タッタが象に踏み潰された場面は泣いた…
>434
太陽の末裔(日種)と称しており、インダスないしはガンジス上流にいたオッ
カーカ王の末裔であったそうですが(マガダ国王に対する自己紹介など)、そ
れ以前にどこにいたのかが分かりません。
浄飯王ほか、一族に米や飯に関わる人名が多く、生誕地の原ネパール領を中心
に米や稲に関する逸話も仏典に多く出ており、アーリア系ではなく、チベット
・ビルマ方面に起源を持っていたのではないかともいう。
中央アジアからやってきたシャカ族という遊牧系の民もいましたが、これはど
うも別系統らしい。
結局、「文化的には米食重視だったらしいが、よく分からない」と。
ラーフラは出家したので子孫はいないんでしょうが、
破門されたウパマナとか善星の子孫はいたりするのかしら。
…まあ、お釈迦様の子供が3人だけだったとは限らないわけですし、
子孫だからといって2550年は経っているのどうということもないのですが。
441 :
世界@名無史さん:2007/08/14(火) 07:04:13 0
442 :
世界@名無史さん:2007/08/14(火) 10:18:38 0
>山野さん
釈尊在世の実年代についての現在の歴史学(仏教学じゃなく)界における定説
もしくは有力説は、どのように説明されているんですか?
そしてその根拠となる史料は何ですか?
「出定後語」は衆聖点記による推定を述べていますが、現在ではどのように
評価されているんでしょうか?
443 :
世界@名無史さん:2007/08/17(金) 23:30:45 0
普通お坊さんの名は2字だと思ってたんだが、宇多天皇が「金剛覚」朱雀天皇が仏陀寿とか、
3字の法名もあることを最近知った。これは宗派とか関係あるんですか>山野さん
444 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 20:39:35 0
山野さ〜〜ん!!!
445 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 21:54:50 O
山野さんて人気者だなぁ〜
確かに博識だけど、網野善彦みたいな主義主張が多いから、網野の学統なのかな?と、ちょっと気になる今日この頃
>442
『大正新修大蔵経』の高楠順次郎や、その弟子の宇井伯寿などの錚々たる面
々によって諸説が提示されていますが、今は一番新しい中村元先生の御説が
一番有力視されているのではありませんか(因みに宇井伯寿の弟子)。
紀元前5〜4世紀ということになりますが。
釈尊の入滅が、アショーカ王即位の丁度100年前とされているので、アシ
ョーカ王の即位年代をまず何時とするかが問題とされてきたようです。
確か、スリランカの記録を基に算出されていた筈。
なお、日本史上の「末法元年」は1052年で、仏滅後2000年を経過し
て始まったものとされていましたが、これは東洋で信じられていた釈迦の在
世年代が、周代の紀元前10世紀前後(諸説あり)とされていたためです。
>443
金剛覚は、真言宗系の法名だったと思います。確か、『道賢上人冥途記』に
も引用されていた筈です。「日本国金剛覚大王」云々。
三文字の典拠は分かりません。出典も調べないといけませんが。
>445
柴田實の学統ですよ。一応。
ご質問には気付いていたのですが、今に至るまで明確な答えが出なかったの
で、出ずにおきました。失礼。
447 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:49:33 0
シャカは白人という説が最近は有力らしいけど。
アーリア人侵入から間もないインドでクシャトリア階級だったことから考えても
ほとんど白人だよな。
448 :
445:2007/08/20(月) 23:15:38 O
>>446 言われてみれば納得かな
なんか、喉に刺さった魚の骨がとれた感じ
しょうもない質問に答えて頂き有り難うございました
449 :
世界@名無史さん:2007/08/21(火) 19:44:15 0
>>447 もともとカースト制度はコーカソイドのアーリア人がモンゴロイドを支配するために
つくったものだから、クシャトリア(王族)にモンゴロイドがいるのは不自然だね。
>>449 それって、俗説がさらに電波化された説だな。
451 :
世界@名無史さん:2007/08/21(火) 21:37:06 0
アーリア人がドラヴィダ人支配のために作った。
ただ、シャカは白人だった蓋然性は高いと思う。ちょうどガンダーラ美術のような面相
だったのでは?
452 :
世界@名無史さん:2007/08/21(火) 21:46:15 0
俗説も何も事実だよ
ただの人種差別ではなく一応論理があって、カルマ(業)は基本的に親から受け継がれるから、
先祖代々ヒンドゥー(バラモン)教徒のアーリア人はカルマ・徳が高く、改宗した(させられた)ばかりのアーリア人以外は、
カルマ・徳が低いから、低身分だという論理がある。
その時代にクシャトリアとして生まれたなら間違いなく純粋なアーリア人だろう
釈尊の頃のカーストヴァルナ制度は人種の混交がかなり進んだ頃。
アーリア系のシュードラもいればドラヴィダ系のクシャトリアやバラモンもいた。
また、現在言われる『カースト制度』が当時あったわけではない。もっとアバウト。
むしろ、ヴァルナによる区分が主。「カースト」の語は、中世・近代にヨーロッパの側からの呼称。
「カースト」に比すべき(当時の)インドの語は「ジャーティ(生まれ)」。
だから、ジャーティ・ヴァルナ制度と言った方が適切かも?
ヴァルナ=バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ・・・理念的(理想的)区分。
→現実の反映ではない。
ジャーティ=生まれによる区分。個別名称はない。これは現在のカーストも同じ。
イメージ的には、血縁や部族の共同体ごとの区分と言える。
明確な階層が際立つのはずっと後の話。
カースト=近代の階層区分。血縁や部族の繋がりよりも職種による区分と言える?
バラモン出身で東インド会社の軍人になった人の自伝を読んだことがあるけど
ラージプートの女性と結婚して彼女の実家に行ったら
なんかお城がそびえていたのでものすごく気後れしたとか書いてたようなw
ヴァルナの理念で言えばバラモンの方が上位なんだろうけど
現実はそんなものなんですかね。
>>454 近・現代に於いてあるのは、「カースト制度」のみでしょう。
ジャーティやヴァルナは形骸でしょう。(経済的成功や資産・生活等の現実でいえば名ばかりかも知れません)
理念としてはあるでしょう。
それは、たいして尊敬してなくても、教師や坊さんを丁重に扱い敬意を払うようなものかもしれませんw
(勿論、心から尊敬し敬意を払う人もいるでしょう)
ただ、もしかしたらそうした形骸化は、釈尊在世当時から既に見られた現実かもしれないということです。
昔からそう言われているし、理念として上位の方々だから形の上では敬うが、
本音は「ただの人」でしかなかったかもしれない・・と。
>>446 中村元が最有力って強すぎワロタww
っていうか、その後の研究者って言われても確かに知らないしなあ。
博覧強記杉だよ、あの人。
>>455 確か仏典でも釈迦がクシャトリアと呼ばれたり、バラモンと呼ばれたりで結構アバウトだしね。
生臭バラモンはその当時でもいたから、建前的なものだったんだろうな、
とは思う。
>>456 しかし、確定しているわけではなく議論は続いている
>アショーカ王即位の丁度100年前とされている
まず、これが史実かどうか
>アショーカ王の即位年代
これも確か宇井説で、しかも突っ込んだ考察の末の結論というわけでもないとか聞いたな
アショカ王の年代は、ほぼ統一見解は取れてるだろ?
モンダイは、仏滅がその100年前か200年前か。
単純に言って200年前(国外・南伝資料)vs100年前(日本・北伝資料)
日本も前は200年前説だったのが、宇井伯寿氏が100年前説を発表。
それを元に中村元氏が、アショカ王の即位年を3年ほど修正したBC383が今の主流って事だ。
別に日本人だからじゃないが、100年前説の方が正しいと思う。
200年前だと孔子と、100年前だとソクラテスと同じ頃だな。
対談したら面白いだろーなー。
言葉の壁を無視しても実のある対談になるとは思われないが。
諸橋
462 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 23:35:16 0
孔子暗黒伝を思い出してしまった
200年前説だね
463 :
世界@名無史さん:2007/09/12(水) 21:16:02 0
釈迦は白人って一体何なんだよ。
アーリア人もしくはインドヨーロッパ語族といえ。
確かに清涼寺式の釈迦立像をみればペルシア系の彫りの深い顔を
していらっしゃるからな。
465 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 21:06:35 0
釈迦=白人の教えにひれ伏す東アジアの土人ども
466 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 21:20:43 0
白人ってのは形質から来るもので、人種の事なんで
インドヨーロッパ語族と言ったら違うような気がする
いや、気がするだけではないだろう
467 :
世界@名無史さん:2007/09/19(水) 21:43:35 0
人種的には今のギリシャ人に近い正真正銘の白人です
仏像というのは釈迦が死んで何百年も経ってから作られ始めたものだ
というのは常識なわけだが。
まあ仏典に書かれているお釈迦さんの容貌を参考に作られたから
天然パーマなんていうのは実物通りなんだろうけど。
奈良の大仏に目を入れに来たインドの坊さんは、どんな肌の色や顔つきだったんでしょうなあ。
今とだいたい変わらなかったんだろうか。
仏の像を創るという行為自体アレキサンダーによって
ギリシア世界からもたらされた文化だから
初期の仏像がヘレニズム彫刻の影響を受けているのは常識だよ。
だからその作風を以て釈迦本人の風貌を類推するのはばかげているよ。
471 :
470:2007/09/20(木) 12:30:01 0
あ、468にもかいてあったね。
472 :
世界@名無史さん:2007/09/20(木) 12:41:29 0
仏像がどうとかは別にして、お釈迦様は白人に近い人種だったのは事実でしょ。
日本人のお釈迦様へのイメージがガラっと変わることは間違いない。
>>468 >まあ仏典に書かれているお釈迦さんの容貌を参考に作られたから
そうだったのですか。仏像造立にあたって基準が出来るのは、大乗仏教、と
りわけ密教で儀軌が重視された後からだと思っていたのですが。
阿含経の時点で、儀軌に相当するものがあったのでしょうか。
よろしければ、詳しくお聞かせ下さい。
横レス
>>473 昔から細かい歴史や年号憶えるのが嫌いで、今もやっぱり好きじゃないのでざっくりといきますが、
釈尊在世当時及び没後数十年は、偶像やそれに類する礼拝対象は不要でした。
(当然当時の価値観として、(人型の具象化は)避けられるべきことではありましたが・・。)
しかし、時を重ねるにつれ実際の釈尊(ブッダ)或いは高弟達の直接イメージは薄れてゆきます。
また、伝記的伝承、説話等を刻印として残してゆく際に、どうしても描写は必要になります。
初期は、法輪や教えを象徴するような代替物が描かれますが、具象化という禁忌が薄れるにつれ、
徐々に(人型としての)具象化がなされるようになります。
その時、参考にされたのが仏典の各所に描かれる仏陀の相好となります。
勿論、仏典以外の当時の偉大な崇拝人物や神々の要素も混入したかもしれません。
(仏典の記述と具象化との間の後先には、相互作用も考えられますが、
大筋で仏典の記述が先ではないかと思われます。)
いずれにしろ、伝記や説話、種々のエピソードを彫刻する必要が生じたとき、
参考になるのは仏典しかなかったと言えるでしょう。
その意味での、
>>468だと思われます。「儀軌」がどういうものかは知りませんが、
描写の為の約束事は幾つかあったにせよ、テンプレとしての何がしかがあったということではないと思います。
ちなみに、彫刻し表現する必要性は、出家して行じるのでなく、
塔を建てたり拠り所として礼拝対象を欲した時に出てくるもので、ここから、
仏塔信仰から始まる(民衆の)大乗仏教という考え方がされたのでしょう。
(一面としての正しさを含みながらも、今ではそれほど支持されてはいませんが・・・。)
以上、諸賢の添削をきぼんw
すみませんが、仰られたようなことは大体分かっております。
ただ、「その時、参考にされたのが仏典の各所に描かれる仏陀の相好となり
ます」の「仏典」に相当するのは何なのかを知りたいのです。
大正新修大蔵経のどこそこにあるとかお知らせ頂ければ、自分で調べておき
ますので。
具体的にどの描写をもとに描かれたのか、解説した研究書があれば、そちら
も知りたいと思います。
>儀軌
密教の経典に説かれている仏菩薩の供養などの際の儀式次第と用意されるべ
きもの、あるいはそれらを説いた経典のことです。
秘密儀軌とも言われましたが、玄奘なども翻訳していますね。
仏像の様式も、その中に細かく書かれています。ただ、三十二相などは確立
された後に成立しているので、そういった常識的なことは書かれていません
が。我が国でも、平安時代以降の仏像は、おおよそこれに沿っています。
原始仏教でも、統一して造立するための基準があったのかと思いまして。
初期は釈迦像だけでしたが、基本的にギリシャ彫刻をそのまま写した後、ガ
ンダーラやマトゥラーなどの地域レベルで変化を出しただけだと思っており
ました。螺髪などの釈迦(如来)特有の特徴は時代が下るようですし。
『仏本行集経』には、いわゆる三十二相八十種好が登場しますが、漢訳され
たのは6世紀で、成立年代もそう古くはないようです。
>仏典以外の当時の偉大な崇拝人物や神々の要素も
三十二相八十種好に関して言えば、インドの観相術に由来するようです。
>釈尊在世当時及び没後数十年は、偶像やそれに類する礼拝対象は不要でした。
ところで、釈迦入滅直後には遺灰も含めた仏舎利が競って求められたといい、
それから一世紀後というアショーカ王の時代には、すでに過去七仏の一つで
ある迦葉仏の卒塔婆(ストゥーパ)が礼拝されていたようですから、舎利と
いうか卒塔婆崇拝は、仏足石や仏像に先立って、かなり早くから存在してい
たのではありませんか。
原始仏典にも釈迦が自身を崇拝し、頼るなといった発言がなされたとあった
筈ですが、逆に言えば、生前から崇拝する者が絶えなかったのでしょう。
>>475 そこまで御存知で、なぜそれ以上を・・・?w
釈迦像特有の様式は、仰る通り、かなり後期に確立したのだろうと思います。
(三十二相を始め、苦行像や西域の仏像等)。その意味で
地域レベル・文化の混淆レベルでの変化と言えるでしょう。
ぶっちゃけ聞きかじり程度の知識ですし、仏典全てを網羅しているわけでもないので、
貴方の方が詳しいかと思いますが、敢えてレスするならば、
上の儀軌の解説にあるような(しかも一ヶ所にまとまった)定型は無いでしょう。
これは、釈尊の行履全般に言えることですが、後代のまとまった伝記(上記本行集経や仏所行讃など)以外では、
各所に散らばって述べられています。或いは、小さなエピソードが時系列無視で並べられていたりします。
或いは、各エピソードが単一の短経として述べられています(特に中部)。
(だから、大般涅槃経や律蔵が重宝されるのですが・・・)
同じように、相好に関しても各所に散見されるだけで、
それが「基準として公式見解とされていた」わけではないと思われます。
>統一して造立するための基準 は無いと考えてよいと思います。
前のレスで幾つかの約束事という書き方をしました。
それは、螺髪であるとか、三白眼であるとか、若干ほんの少しだけ俯き加減だとか、
寝象なら右脇を下にしているとか、坐像なら大地に手を触れているとか平手を前にかざしているとか
右足が下か左足が下かとか種々あると思いますが、それらは全部、何がしかの逸話が元になっていて
その時の描写を敷衍させて(その時の意味を表現したくて)彫像されているのです。
ですから、具体的に仏典のどこそこというのは膨大な個所になるということです。
(私自身調べなきゃわかりませんし、そっち方面の勉強はちっともやっていませんし・・・w)
また、それらは、彫像・建立の為の記述では毛頭ありません。あくまでも、仏典で、
「このような時にこのように釈尊の姿が描写されていたから」伝記ならばその通りに、
そうでなければ、像にどのような意味を持たせたかったかによって、それにふさわしい描写が選びとられた
という形になるかと思います。
よーするに、貴方の知っている以上のことは殆ど無いと考えて宜しいかと・・・・(^^;
>>476 はい。
ですから、遺骨分配の時から
釈尊(ゴータマ・ブッダ)の神格化、偶像化は始まっていたと言えると思います。
それでも、しばらくの間は「塔」や「足跡(石)」「法輪」で十分だった所に
古代インドらしさがあるような気もしますw
また、釈尊自身や高弟達の言葉が重みを持ってもいたでしょうし、
サンガの威厳・説得力等が有効に機能していたのかもしれません。
>>477 お答えいただき、ありがとうございます。
地域ごとの変化と、その由来について知りたくはありますが、後者(典拠云々)
は推測するしかないでしょうね。「インドの歴史」ですし。
伝記ということであれば、挙げられたもの以外では『因果経』もそうですね。
インド仏教史からは離れますが、こうしたまとまった伝記の受容というのも面白
そうだと思います。
>>478 どうもありがとうございます。Ciniiや『印度学佛教学論集』も参照してお
きたいと考えております。
>>479 >それでも、しばらくの間は「塔」や「足跡(石)」「法輪」で十分だった所に
>古代インドらしさがあるような気もしますw
インダス文明(釈迦の行動範囲とは離れていますが)の遺跡から発掘されている
像は色々あり、その中には地母神と推定されているものもありますが、装飾が稚
拙でもろそうな土偶で、鎮座させるようなものではありませんね。
リンガは玄奘の時代にはあったようですが、崇拝するにあたって神像が必要だと
いう認識が、間違っているのかもしれません。
本朝における神像の制作も、平安時代前期からのようですし。
>>480 相変わらず幅広いですな・・・w
スレ汚し失礼しました。 ノシ
>>478 よく見たら、論文執筆者の中に恩師の名前が・・・(笑)。
>>481 どうもありがとうございました。
483 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 05:57:23 0
タイやミャンマーなど仏教国に比べると、日本の仏教界って影響力などないに等しいな(カルト創価除く)
484 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 09:30:06 0
単なる伝統芸能ですから。
?
真宗などの影響力が無いとは思えないが…
古い仏教各宗派で構成される全日本仏教会は、立正佼成会やその他神道系団
体と並ぶ自民党の支持母体ですね。
創価学会との関係が深まってからは疎遠になりましたが、それでも未だに自
民党の有力議員(山崎氏など)が会合に出向いて各宗派の代表に挨拶して、
協力を呼びかけています。
これとは別に、各宗派も別個に支持していますね。
右寄りが天台宗や臨済宗、左寄りが真宗ですが、どちらも支持母体です。
ただ、創価学会の集票力がずば抜けているので、発言権もそれに応じたもの
にならざるを得ないというのが現状ですが。
それに、影響力がある=よい国という訳でもないでしょう。
軍事政権のミャンマーやクーデターが恒例行事のタイなど、大抵、混乱して
いる国ほど宗教者の発言力が強い。これは仏教以外も同じ。
目に見える発言力など、小さいほうが平和です。
ついでに言えば、宗教に限らず先進国で発言力の強い団体ほど(ry
488 :
世界@名無史さん:2007/09/30(日) 22:14:29 0
ミャンマー、坊さん殺されてるんじゃない?
そんで影響力が強いのか?
殺されるようなデモして国内外でもこれだけニュースになってるんだから、
まあ仏教ロビーとしての存在感があるぐらいには影響力がある(ついでに過信した)んじゃね?
>>488 影響力が強いから殺されたんだろうな。
でもアレはまずい。東南アジアの仏教国+スリランカを敵に回すぞ、
ミャンマー軍事政権、ついでに中国。
491 :
世界@名無史さん:2007/10/21(日) 11:43:19 0
そういやむかしむかし、日本の僧侶が中国で修行したように
ミャンマーの僧侶はスリランカで修行してたようですね
チャパタとか
随分遠いけどよく往復できたな
元々、ミャンマー、タイ、カンボジアあたりも大乗仏教圏でしたが、ビルマ南部
にスリランカから伝来していた上座部仏教がビルマ北部に伝わり、征服行為の影
響でタイ方面にも伝わったそうですね。
かつて、ビルマ北部に建国されたパガン朝の王が僧侶や仏典を南部に求めて拒否
されたので、兵を出して無理矢理国に連れ帰ったのが、現在に続く上座部の始ま
りだといいます。
高僧を争って戦争になる話は、『大唐西域記』や『大慈恩寺三蔵法師伝』などに
も見られる話。鳩摩羅什も似たようなものです。
>随分遠いけどよく往復できたな
『エリュトラ海航海記』に見られるようなインド洋方面の交易は古代から盛んで
したし、途中に寄港地もある訳ですから、そう困難でもなかったでしょう。
南インドの仏教は、16〜17世紀まで続いたようですし。
東方のシュリーヴィジャヤ朝も、インド洋方面との行き来があった筈。
あっ、山野氏。
お忙しいトコ済みませんが、何でインドで仏教が滅んだかよく分かんないのですよ。
(上座部)仏教みたいな出家中心の沙門系宗教は、自ら生産しないので裕福な都市住民の布施が必要で、
グプタ朝崩壊後のインドで都市の衰退につれ運命を共にしたってのはいいのですが、
昔の東南アジアで都市が発達してたとは思えないんですが。
なんでそこでは上座部仏教が栄えてるんですかね?すびばせん。
>>493 山野氏じゃないけど、仏教は東にいっちゃったからじゃないかな。
西には伝播しなかったみたいだし。
詳しく言うと、海廻りで東南アジアルートは結構固い。
いろいろ土器とか出てきてるし。
だから、伝播したのでは。
インドは…どうしたんだろうねえ。正直分からん。
>>493 海伝いの交易に関しては同時代の日本なんかより発達してそうだし
むしろ都市居住人口の割合はそんなに低くない気もする。
南詔とかの仏教事情はどうだったんだろうな。
大乗系が一応支配的だったっぽいけど
唐、吐蕃、南方ルートと色んなとこから坊さんがあつまって
けっこうおもしろい論争とかしてたかもな。
>>495 中村元先生は、インド仏教の呪術化(真言系の発展)によるというご意見を
書いておいででしたが、宗教の呪術化はよくあることですしね。
どうも、中村先生は原始仏教から離れた仏教というものを嫌っておいでだっ
たので、呪術という点を槍玉に挙げられたように思うのですが。
さて、実際に滅んだ理由ですが、イスラーム勢力による攻撃はとどめにはな
ったでしょうが、衰退はこれ以前からのことでしたし、ジャイナ教は存続し
(偶然か?)しているので、原因とは言えないでしょうね。
融通無碍というのは本来仏語ですが、適応しすぎて滅んだのか。
逆に、未だに神戸のジャイナ教寺院に僧侶がいない(戒で乗物に乗れないの
で、日本までくることができない)ように、ジャイナ教は融通がきかず独自
色を残そうとしたから、インドで生き残ったが、仏教のように世界宗教にな
ることはできなかったという考え方もできると思います。
仏教が滅んだ=完全に消滅したという訳ではなく、ヒンドゥーの中に一派と
して吸収され、存続した面もあるようです。
インドというなんでもかんでも吸収してしまう土地では、イスラームにせよ、
ジャイナ教にせよ、よほど頑固でないと続かないのかもしれません。
いつのまにか、「それもヒンドゥー」にされてしまう。
今のインドにおける仏教に対する認識も、そんなものが多いそうですが。
呪術化というのがヒンドゥー化(独立した体系である必要がない)というこ
とであれば、呪術志向で滅んだということも言えるでしょうか。
外に拡がった仏教も、大乗と上座部に大きく分けられるばかりではなく、日
本のように本地垂迹説や本来は比喩であった山川草木皆悉成仏という本覚思
想までとりいれたものとなると、起源は同じでも同一視は難しいですね。
そもそも、絶対視すべき限られた聖典がなく、八万四千と言われる法門とそ
れに対応した山ほどある経典があり、国ごとに偽経が成立しているようでは
同じものであることが無理なのですが。
いわゆる「鎌倉新仏教」が教団として独立して出揃うのは江戸時代になって
からで、「江戸新仏教」と呼ぶべきだという意見や、思想面では新しい点が
鎌倉時代には見られたので教団≠思想と見て認めるべきだという意見が現在
戦わされていますが、それらの祖師たちは、法然以下一切経の中をひっかき
回して(何度も申し上げたように)自分が選んだ経典を根拠として教えを説
いた訳ですからね。
気に入らなければ別のものを探せばいい訳で、いくらでも新思想は出て来る。
八宗兼学という言葉もあるように、そこにだけ所属していなければいけない
のではなく、寺院でも二宗以上を兼ねた所はいくらでもありました。
宗=学部のようなものでしたから。無住道暁のように、各宗派を学んで、遂
には教理で争うこと自体を否定した人物もいる。
今に至る日本人の性格にも、相当影響を与えている筈です。
少なくとも、信仰を「特定のものを堅持するもの」とは考えていなかった。
他の仏教圏でも、そんなものではありませんか。
インドでの仏教の衰退はプシャヤミトラの話とかを読むとマウリヤ朝の仏教優遇に
反発したバラモン教の一部が宗教的な権力回復の為になにかしたのかなって気もする。
諸法無我みたいな教えが仏教の背骨にある以上、
カースト制とはどうしたってぶつかるし。
イスラームもある意味帰依者の間の平等と相互扶助を前に押し出してるから
かつて仏教の支持層の一つだったらしいアウトカースト層が
カースト秩序からの脱出先として
抗カースト、バラモン教に対するカウンター宗教みたいなポジションを
仏教ではなくイスラームのコミュニティの方に求めて流れたってことも
目に見えやすいイスラームの仏教攻撃以外の側面として
あったのかも、とか妄想してみたり。
>かつて仏教の支持層の一つだったらしいアウトカースト層が
どちらも救済して(容認して)くれるのであれば、より強い方が支持されたでしょうね。
ただ、アウトカーストならアウトカーストで、それを当然として受け止める傾向が今の
インドにもあるようなので、アウトカーストから「救ってもらいたい」という願望がか
つてどこまで存在したのかという気もするのですが。
初期の仏教は出家者に限って出身階層を無視した年功序列(今でも10代で修行歴10
年の人の方が50代修行歴5年の人より偉い)をとっていましたが、やはり大乗仏教に
至って、現世のカースト(そもそも現代ほど概念として整備されていたのか?)を越え
て俗人でも認めるようになっていたのでしょうか。
ここで私がぐだを巻いていても分かる筈のないことですが、どうも分かりません。
六師外道の内、五師の教えはすぐに廃れ(虚無主義的傾向によるものでしょう)て、そ
の後は同時代の教えとして仏教とジャイナ教が残った訳ですが、これ以外にも仏教同様
生まれては消えて(吸収されて)いった思想体系は、いくつも存在したことでしょう。
ジャイナ教が残ったのが意外なくらいで、いずれにせよ仏教はインドにおいては(他の
幾千の思想同様)消える定めにあったもので、その消えた理由というのも、他の教えと
似たりよったりであったのかもしれません。
仏教を特別視せず、インドで思想体系が生まれて消えた理由を考えた方が、分かるやも。
インド思想史に詳しい人でないと、無理な相談ですが。
>>498 それだ!
アル・ガザーリーとか読むと、イスラームに仏教っぽいものが入ってる形跡がある!
『Deliverance from error』とか、明らかに仏教系だし!
スーフィーの一部と仏教は今でも確かに似てるとこはあるよな。
ボロを着て托鉢して放浪したり
教団といっていいような師弟関係の強い共同体作ったり
体験智としての「全体」との合一を目指すような瞑想とか修行したり。
ところでダルビッシュ有の家族は名前のとおりスーフィーなのかね?
豚カツ食ったりコーランでケツ拭いたりしたって噂もあるけど
彼の家族がスーフィーに近い信仰を持ってるなら
こういう形式的な部分の戒めに大して拘ってない部分も
少なくとも家族にとってはある意味大きな逸脱のある異端じゃないのかも、
とかどうでもいいことをふと思った
>>501 ダルビッシュ父子の宗教的スタンスは分からんし、ほとんど棄教してるかもしれんが、
メジャーなんか逝くつもりねーって言ってるのは、アメリカで間違いなく差別されると
予測してるからだろうな。結局、民族・宗教からは逃れられない。
503 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 23:16:23 0
504 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 23:40:25 0
>>502 アメリカ最大の英雄モハメド・アリはイスラムだよ。
>>504 イラン系って意味だろうが。その程度も分からんのかクズ。
>>468 >仏の像を創るという行為自体アレキサンダーによって
ギリシア世界からもたらされた文化だから
よくそう思われているが、最初の仏像が創られたのはギリシャ文化の影響を受けた
パキスタンのガンダーラなのか、ジャイナ教の影響を受けたグプタ朝マトゥーラにおいて
インド独自に生み出されたものか、今も専門家の意見が分かれている。
ちなみにマトゥーラ仏は顔の掘りが浅く唇もふっくらしてインド人(非アーリアのドラヴィダ系)ぽい。
奈良・飛鳥仏もガンダーラ仏よりマトゥーラ仏からの影響が強いと言われている。
>>476 >ところで、釈迦入滅直後には遺灰も含めた仏舎利が競って求められたといい、
それから一世紀後というアショーカ王の時代には、すでに過去七仏の一つで
ある迦葉仏の卒塔婆(ストゥーパ)が礼拝されていたようですから
実際、そのころの仏舎利が1898年にペッペが発見して日本にもあるから
キリストのクローンよりお釈迦様のクローン作る方が簡単なようなw
508 :
501:2007/10/24(水) 17:58:27 0
>>505 イラン系っていうか、「ダルビッシュ」ってスーフィーの求道者のことだから、
スーフィー的な進行を持ってるのかな、と思ったんだよ。
スーフィーは現状だとイスラム原理主義者からも多数派からも
控えめにいって異端視されてる。
トルコやヨルダンなんかだとごく最近まで密告、通報の対象になってたらしい。
509 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 18:56:48 0
>山野さん
インド・東南アジア・チベットなど仏教(ラマ教を含め)圏の王権思想の中核には、 転輪聖王の
観念が存在しますが、日本の政治思想史にも何らかの影を落としているのでしょうか?
>>507 >ある迦葉仏の卒塔婆(ストゥーパ)が礼拝されていたようですから
失礼、拘那含仏でした。ヴァイシャーリーからも、遺灰が発掘されていますね。
クローンは無理でしょうが。
>>509 転輪聖王という単語が見えているのは、『長阿含経』、『中阿含経』、『金光
明王最勝王経』、『涅槃経』、『大毘婆沙論』などですね。
日本で知られていたのは、阿含経典の中でも『雑阿含経』や『増壱阿含経』の
方でしょうが、護国経典であった『金光明最勝王経』と天台宗の五時教判の中
で最後に来る『涅槃経』は広く読誦され、理解されてきました。
『金光明最勝王経』に登場する国王=天皇として、国分寺建立以下の行動がと
られた訳です。当然、日本の王と仏典の王の関係も意識されてくる。
転輪聖王は、金・銀・銅・鉄に分けられますが、称徳天皇を「金輪聖王」とし
た神護景雲元年(767)の経典奥書を初見として、以後歴代天皇を「金輪聖
王」=釈迦の前世と同じであり、未来の仏とする概念が広まります。
つまり、天皇がいずれ仏になるというのが、仏法の立場からの最大級の賛美で
あり、天皇の神性を認めることでした。それはまた、天皇の望みでもあった。
天皇がいずれ仏になるという文章は、僧侶に限らず、文人貴族も書いています。
寧ろ、4〜5位クラスの文人(俗人)貴族が書いた例が圧倒的に多い。
僧侶側の一方的な主張ではなかったということです。
なお、インドの阿育王は鉄輪聖王とされていましたが、これにも何かしら根拠
があった筈です。忘却してしまいましたが。日本では、仏塔を建立した天皇こ
と「金輪聖王」⇔阿育王こと「鉄輪聖王」という意味で文章化されています。
「転輪聖王」そのものではありませんが、『金光明最勝王経』の思想を反映し
ているのが、『吾妻鏡』に見える以仁王の令旨ですね。
王法と仏法は「車の両輪」だという思想が広まっていた時代に自らを「最勝王」
と名乗って、王法・仏法の敵である清盛法師(法名は浄海だが無視)を討伐す
るよう、仏法の立場から呼びかけたものです。
実際に『吾妻鏡』に収録されている通りの内容だったのか、分かりませんが。
王権と仏教ということでは、天照大神を大日如来の化身とする説が11世紀に
は成立し、鎌倉時代から幕末まで、密教を受け継いでこそ即位できるという思
想の下に「即位灌頂」が行われています。
勿論、廃れたのは神仏分離が原因です。平安時代以来の宮中仏事もパア。
平城・嵯峨天皇以来の天皇の受戒・出家や泉涌寺・般舟三昧院との関係も基本
的には切れてしまいました。追善用の法施は行われていますが。
512 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 21:42:30 0
令旨ということは天皇の意思つまり勅旨とは称してないわけで、しかも自らを
「最勝王」 と位置づけていたことになりますが、以仁王は清盛に擁立された
天皇の正統性を否定した上で、自身が本来の天子として「最勝王」と号していた
ことになるんでしょうか?
513 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 21:50:28 0
中世において天皇を「王」と呼んでいる例をよく見かけますが、やはり仏教的な
観念の反映した用語なんでしょうかね。
514 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 21:55:05 0
森三樹三郎『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』(平楽寺書店)
ようやく図書館で借りられました。
515 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:55:20 0
ほいでその本にはどがいなことが書いてあったんかいね
516 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:59:25 0
>>515 まだ途中までしか読んでない。
今までの箇所では漢代から魏晋南北朝に至るまでの中国精神史の概要と
南朝での王朝政治史について書いてある。
梁の武帝については今まで読んだ本が侯景の乱に関するものが殆どで
「皇帝菩薩」としての具体的な逸話などを知らないから
残りを読むのが楽しみ。
>>512 >清盛に擁立された天皇の正統性を否定した上で
安徳天皇を正統な天皇と認めない意見は、『源平盛衰記』などに見えていま
すが、『吾妻鏡』では、そこまでは言っていませんね。
「追討 王位推取之輩」とありますが、これは未来の行為を主張したもので
あって、本来の行為は口にされていません。
追討の対象はあくまでも君側の奸、「清盛法師并従類」となっています。
以仁王自身の皇位を想定した内容であったことは、「御即位之後」勧賞に預
かるとある点からして、明らかですが。
それと、そもそも令旨というのは皇太子および三后の出すもので、この頃に
は親王・内親王・女院も出していたとはいえ、「王」が出したのであれば、
(八条院や上西門院の協力があったとはいえ)越権行為となりますね。
「最勝王」の「王」は、「国王」の「王」でしたが、以仁王の「王」は、親
王宣旨を賜っていない「王」なので、すでに越権行為でしたが。
>>513 仰る通りだと思いますよ。六国史では「皇帝」が多かったのに、中世に入る
と「国王」が増えている。「皇帝」も共に使用されていますが。
大体、鎌倉〜戦国期には、国王、王、王様と呼ばれています。
天皇が「王」か「皇帝」かという論争には、(2ちゃんねるでよく見られる
範囲内のものであれば)あまり意味はありませんね。天皇は天皇です。
>>514 >平楽寺書店
良書が多いですね。ここは。
518 :
世界@名無史さん:2007/10/25(木) 14:18:14 0
梁の武帝と言えば同泰寺に捨身して、群臣に買い戻してもらうというパフォーマンスが
有名なエピソードだな
あと史実性は怪しいが、達磨に向かって「如何か是聖諦の第一義」と質問して、うまく
はぐらかされちゃった話とか
中国に伝わったのは大乗仏教だし、それもまた中国社会に合わせて
変容してしまったからな。
520 :
世界@名無史さん:2007/11/02(金) 07:58:11 0
[315] 今朝、会員の宇根君から来た学問研究メールは、すばらしいので、早速ここに載せます。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2006/08/24(Thu) 18:28:37
http://snsi-j.jp/boards/sample1/89.html 自分勝手な思い込みではなく、なるべく、世界水準(world values ワールド・ヴァリューズ、世界普遍価値)に
合致するように、日本語の各基本語(words ワード)の中の、真理、信仰、哲学(フロソフィー、知恵への愛=
愛知という訳語を私、副島隆彦は以後は使おうと思います)などを使いながら、徹底的に、これを分かり易く
してもようと思います。
仏陀(ゴータマ)の本当の言葉であり、 「真理の言葉 」である、法句経(ほっくきょう)の言葉の中村元
(なかむらはじめ)の日本語を使いながら、日本まで伝来した大乗仏教が、本物の仏教(上座部仏教=簡単に
言えば、小乗)からどれぐらい逸脱したものであるかも、も正面から考えます。
法相宗(ほっそうしゅう)こそが 大乗の中にあっても、本物の仏教であり、輪廻転生(サンサーラ、業、
ごう、カルマ、ヒンズー=インド教の思想)を否定して、竜樹(ナーガールジュナ)が再構築した「空」の
真理を、伝える宗派であることも書かねばなりません。日本では、三島由紀夫と、小室直樹が、この
ことを論究しました。
スピノザとヴィトゲンシュタインというユダヤ人が、どのように、キリスト教(人間への愛の思想、
グレイス、アガペー)を、理性(リーズン)と、合理(ラチオ)というユダヤ思想のすごさで、
切り裂いたか、を、今こそ、日本人としてはっきりさせなければいけません。
おそらく、この上野修(うえのおさむ)というスピノザ研究の学者は、相当な水準まで来ている
はずです。しかし、私が解明した、リーズン(理性) とラチオ(合理)の到達点まで来ている
かは、吟味しなければいけません。
宮元啓一(みやもとけいいち)と石飛道子(いしとびみちこ)という仏教研究学者も、君が正確に
読み破ったのだから、きっと優れた到達度を示していると思います。私も時間を見つけて、読んでみます。
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501 スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
>>519 その柔軟性が仏教の魅力でしぶといとこなんだろうねえ。
523 :
世界@名無史さん:2007/11/22(木) 02:47:50 0
欧米では宗教としてではなく、癒しとして普及しているしな
バチカンが恐れるほどの広がりらしい
524 :
世界@名無史さん:2007/11/22(木) 04:35:08 0
>>522 浄土教なんて釈迦の思想とは正反対だし
一遍は「既に救われることが決まっている」って
それじゃ仏道修行なんか何の意味もない
>>522 釈迦からしていい感じに柔軟で、心の広い人だからな。
多分釈迦が今の状況を見たらこう言うよ
「あー、まあそれで生きていけんやったらそれでもええんちゃうのん?」
>>523 一神教とも共存できるからな、仏教って。
「宇宙の果てとかどうでもいい。 そんな無駄なことよりも今夜食べるものを得ることを、人に迷惑をかけない程度に考えよう」とか、徹頭徹尾そういう感じなんだもん。
>>524 >それじゃ仏道修行なんか何の意味もない
仏道修行が「意味がない」末法の世に合わせた思想だからですよ。
一遍が「既に救われることが決まっている」と述べた理由は、三つありました。
第一。現代人には想像しにくいでしょうが、当時は修行して救われるのはいい
として、救われなければ地獄か、職業絡みの餓鬼道か畜生道に堕ちるしかあり
ませんでした。
修行できる人はいい。しかし、できない人は救済する法が求められた。
第二。これは理論的根拠ですが、中世に「浄土宗」と総称された法然、親鸞、
一遍らの思想は、『観無量寿経』にある法蔵比丘の四十八の誓願と、それを
解釈した善導の「疏」に依拠していました。
経では五逆罪の者と一闡堤以外を救済できるようにならなければ、成仏しな
いとなっていたのですが、善導はやはり全衆生が救済されると解釈しました。
これを受けて、法然や親鸞は悪人往生(自体は以前から存在した)を主張し、
一遍はこの誓願がある以上、すでにあらゆる衆生の救済は約束されているも
のと解釈したものです。別に自分から勝手に言い出してはいません。
これは中世以前のあらゆる僧侶に言える点ですが、理論は三蔵かその疏とい
った先行の文献に由来しているのであり、勝手な発言はしていません。
中世の人間からすれば、充分合理的な行動ですし、そもそも現代に真実とさ
れている「釈迦の思想」が分からない以上、批判はできません。
八万四千と言われる全経典が対機説法の成果と考えられていた時代です。
第三。当時はすでに末法の世に突入していましたが、経の内容を信るとこれ
以降は従来の仏道修行をしても救済されないことになっていました。
上で悪人往生がすでにあったと記しましたが、実は簡単な往生というものも
法然以前から真言・天台宗を中心に模索されていました。
仏教が「民衆化」することも、十世紀には実現されています。
法然らが新しく、なおかつ批判されたのは、彼らが末法の世で救われる手段
というものは、『観無量寿経』に示されている阿弥陀仏の救済にすがること
「しか」ないとして、専修念仏の道を選んだことです。
阿弥陀仏の他に道がなく、その阿弥陀仏による救済がすでに認められていた
という判断は、当時の仏教学からすれば、ありうる結論(の一つ)でした。
他の結論も出てくるせいで、ややこしくなるのですが。
とにかく、答えとは一つではなく、立場とは対立する二つだけではない。
いずれにせよ、本来の「釈迦の思想」が分からなかった以上、それに忠実では
なかったからといって批判することはナンセンスですし、原理主義的に釈迦
の思想に忠実であればよいとするのも、逆に各自の修身を尊んだ釈迦の思想
から遠ざかっているように思います。
「自分の言う通りにせよ」とは仰いませんでしたし。
釈迦だけが思想したのではありません。釈迦から現代に至る「仏教」に所属
した人がそれぞれ考え、記した果てに今の仏教があるのであり、単に原典が
そのまま伝えられる教え(ありえませんが)にはない発展があります。
思想は現実に合わせて変化してきたものですし、現実を思想に合わせようと
しても、悲劇ないしは喜劇しか生み出さないでしょう。
もし仏教がいわゆる「原始仏教」としての形態「のみ」であったなら、すで
に消えてしまっていた筈です。大きく分けて上座部・チベット・チベット以
外の大乗仏教で生命観が異なりますが(同じ大乗でも、チベットでは人間以
外の生命の仏性を認めず、上座部ではこの傾向が更に強い)、それぞれが現
存し、原始仏教も知ることのできる現代は、ある意味理想時代でしょう。
それに、(ご存知であったのであれば申し訳ありませんが)発言一つだけを
抜き出し、その背景を知らないで批判する断章取義的な行動は、正当な批判
たりえないだろうと思われます。
よく知らないことを語ることも、釈迦の思想寄りではないと思いますが。
(まーた、反感をかいそうなことを)
>>525 >一神教とも共存できるからな
ダライ・ラマが言及した通り、特定の存在が絶対的である神格や、結果とし
て生じたのではない創造主を認めないので、仏教徒であることと一神教徒で
あることは、両立できないでしょうね。ただ、共存は可能。
もっとも、アメリカにはユダヤ教徒兼仏教徒も増えているようですし、信仰
する主体が教団側の意図から離れて信仰し、それが長期に渉って持続する例
は歴史上珍しくありませんが。
>>526 >『観無量寿経』にある法蔵比丘の四十八の誓願
>>527 >法然らが新しく、なおかつ批判されたのは、彼らが末法の世で救われる手段
>というものは、『観無量寿経』に示されている阿弥陀仏の救済にすがること
>「しか」ないとして、専修念仏の道を選んだことです。
大無量寿経でしょ?
ケレスミス?
仰る通り、大経です。馬鹿な間違いをしてしまいました。面目次第も御座いません。
五逆と正法誹謗の者を除くという一節を、善導はそれまでの解釈とは別に方便と見
做し、真実は一切の衆生の救済が目的と判じました。
また、本文に十念云々とあるのを、我が国では伝統的に称名のことだと解してきま
したが、法然・親鸞は文字通り十声が必要なのではなく、一念でも往生可能として
おり、一遍は更に一念以前に誓願に基づく救済が存在したと解釈したものです。
ああ、それと『無量寿経』を解釈した>530とは別に、善導は『観無量寿経』
の疏を制作しており、それが法然らに思想的根拠を与えたのは事実です。
スレ主です。
最近このスレッドの趣旨がゆがんでいってるようなきがしてきた・・・。
このスレは仏教の思惟を経年的に並べることによって、その考えを整理することが目的です。
できるだけ、西暦何年のどの時期にこの様な説が云々〜と書いていただきたいのですが・・・
(インドに時間の概念がないことが悔やまれますが・・・)
皆様ご協力よろしくお願いいたします。m(_ _)m
まず2ちゃんにはスレ主などという概念が存在しないということを心得よ。
ほったらかしよりはいいと思うが。真面目で。
ただ、明らかなスレ違いなら話は別だが、
>>1の条件違反だというなら、住人自らそんな指摘をしただろう。
たぶん条件を律儀に守ってたら、このスレはとっくに落ちてたと思う。
それこそ釈迦の思想とは違う。ってのはダメ?
>>1どの
>このスレは仏教の思惟を経年的に並べることによって、その考えを整理することが目的です。
そういう趣旨なら南都北嶺のいみじき知識が書かれている仏教史の専門書をずばり読まれたほうがいいんじゃあないですかね。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
543 :
世界@名無史さん:2007/12/18(火) 12:30:18 0
age
544 :
世界@名無史さん:2007/12/31(月) 00:07:03 0
545 :
梵阿弥:2008/01/19(土) 22:04:32 0
>>74 >アレクサンドロス軍に随行した行者たち
東征記に拠れば随行したのはカラノス1人です。「裸の行者」と有るので佛僧では無い
でしょう。髪を剃っているとも書いてありません。バラモンかジャイナ僧では
ないでしょうか。彼以外の共に修業して居た者全てが随行を断っていますが
ジャイナ教は虫を踏むといけないので移動を避けます。
彼は後に焼身自殺しますが熊野の応照上人の火中入定を想わせます
546 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 11:28:34 0
547 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 15:05:30 0
成均館大学歴史学系が報じたところによると、紀元前700年頃、朝鮮半島の最南端、今でいう済州島付近で暮らしていた朝鮮人の一部は、この時代すでに遠洋への航海術に長けており、
ここから日本に渡った者が日本文化の一角を形成、東南アジアに渡った者が仏教文化の礎をつくったとのことだそうです。
くわえて東南アジアの考古発掘調査から、この地に渡った朝鮮人がその後、紀元前650年にはマラッカ海峡まで達したことを示す資料も見つかったそうです。
マラッカ海峡にたどり着いた朝鮮人は、ここで世界で初めて「季節風」の存在を発見、それを利用してインド洋を横切り、現在のバングラディシュに到着しました。
韓国の考古学者の発掘調査より、バングラディシュで発見された器物には、いずれも朝鮮文化の影響が色濃く残されていることもわかったといいます。
いっぽうネパールでの調査から釈迦族の生活様式にはインドの文化よりも東アジアの影響が顕著で、梵字の原型は朝鮮文字が異体化したものと考えられるものも多いところから、
釈迦牟尼の起源は韓国の血統をもつと充分に推測できるとしています。
朝鮮日報紙では、この重大な発見をシリーズ化で報道の予定。また今年の年末までには釈迦ならびに仏教の起源の真相と題して出版、ドキュメンタリーも製作予定とのことです。
http://bbs3.news.163.com/bbs/photo/46076315.html http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-2988.html
548 :
世界@名無史さん:2008/03/30(日) 12:43:37 0
age
ゾロアスター教→ミトラ教→弥勒菩薩
↓
ユダヤ教→キリスト教→イスラム教
550 :
梵阿弥:2008/04/27(日) 19:35:17 0
厳密に言うと聖人は信仰の対象ではない、
とローマカトリックやオーソドックスの人たちは言うだろうけどね。
ヨサパトの場合は近年になってから破門(笑)されてるし
>>547 中国のよくわからないウェブサイトと2ちゃんねる以外にソースがないのがなんですし、
どうもネタ臭いですね。出所がエロ画像だらけのブログというのもなんとも。
>梵字の原型は朝鮮文字が異体化
コレは全くありえないですね。それにしても朝鮮文字って何のことなんだろう。
訓民正音でもないでしょうし。
>聖ヨサパト
御釈迦さんを聖人と勘違いしてたという話ですね。近年っても、
19世紀すね。
聖バルラーム(バラモン)と共に『黄金伝説』にも出ていましたね。
お釈迦様を破門したって!何て罰当たりな。
その法王は今頃修羅道で帝釈天にフルボッコにされてるだろうな。いい気味・・・
556 :
梵阿弥:2008/05/14(水) 14:34:36 0
>>551,
>>553 破門はされていないでしょう。1969年の第2ヴァチカン公会議で「教会暦」の改訂がありました。
その際に「聖人の祭日」か整理されました。聖バルラームと聖ヨサパトは「存在しなかった聖人」に
位置付けられました。11月27日という祭日も教会暦から外されました。ベルギーのワロン地域を中心に
聖人伝説を「客観的」に評価する取組みがあり、それを受けたものです。
同時に聖バルバラや聖ゲオルギウス達まで外されてます。何れも逸話や実在自体の信憑性が低いと
「評価」された為です。しかし「地域祭礼」は認められています。従って聖人で無くなった訳では
ありません。増してや「破門」されて居ないと思います。『聖人辞典』著:アットウォーター/ジョン
にも載っています。
557 :
梵阿弥:2008/05/14(水) 14:43:58 0
>>554 バルラームというのはバラモン説も在りますがブラフマン(梵天)説も在りますね。
王子ヨサパトが病、老、死を知り現世の栄華の虚しさを感じ、隠者バルラームに導かれて
城を出て野で修行して大果を得る、というのは佛教の根本と言えます。
「祟り」がどうとか言っている日本の佛教関係者や一般人と比べると両聖人伝を読んで
励みにした中世の修道士のほうが余程佛陀の本願に適うかも知れません
梵阿弥さん、お詳しいですね。
>しかし「地域祭礼」は認められています。従って聖人で無くなった訳では
ありません。増してや「破門」されて居ないと思います。『聖人辞典』著:アットウォーター/ジョン
にも載っています。
そうでしたか。それは知りませんでした。
199 名前:おぎまる ◆JJi5gOTcvk [] 投稿日:2008/03/29(土) 08:59:47 0
>>180 さすがゆとり。1箇所を除きことごとく指摘が間違っていますね。か、漢だ…
綺麗ごとだけで歴史を考えてるキミの頭はおめでたいねえ。春厨だねえ。
きみ、もしかして拓○大学じゃないよね?
560 :
梵阿弥:2008/05/29(木) 19:51:32 0
お詫びです。第二ヴァチカン公会議は1962-65年で、「教会暦」の改定が1969年です。
>>556では不味い書き方をしました
561 :
世界@名無史さん:2008/05/31(土) 20:36:41 0
あげ
>>557 色々とありがとうございます。
ただ、「本義」から離れたものも実態として存在していた以上はその価値を
認めたいというか、現代における価値の有無とは別にその実態を明らかにす
るのが歴史ですから、ただ否定はしたくないと思われます。
「祟」という概念自体は日本に定着した時期がかなり古いですし(漢籍由来
とばかりは言えないでしょうが)、報恩や孝など、漢訳仏典を通じて認識
されるようになった日本の仏教は中国の価値観がかなり入っていますね。
インドの原始仏典を読んでも東アジアで実践されていた「仏教」そのもの
に近づけないことは認識しておきたいと思います。
羅山以前は僧侶が儒教を教えていましたし。
>羅山以前
惺窩以前でいいですね。ここならこっちでも通じる。
564 :
世界@名無史さん:2008/06/01(日) 19:56:41 0
仏教の発生源から離れている日本は
その影響力が弱く 近代化に早く成功した
現在 その発生源に近い国々は
近代化の流れの中で苦悩している
仏教の退廃性のせいだろう
>東アジア
東アジアというよりは、南アジアですね。
もっとも、南アジアの仏教が釈迦の教えそのものとも言えないでしょうが。
スリランカには仏教には珍しい原理主義者がいてテロも起こしていますが、
あの辺りの僧侶だと、自分の所の教えではない仏教を「釈迦の教えから離
れている」と否定的に見る排他的傾向が強い。
必要とされるのは「本義(とされているもの)」により近い教えよりも実
際に必要とされてきた教えだと思うのですが。
566 :
世界@名無史さん:2008/06/01(日) 21:44:49 0
534 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/05/31(土) 20:31:28
真宗のお坊さんには漢訳だけではなくサンスクリット・パーリ・チベット等も読んで欲しいね。
535 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/05/31(土) 22:09:42
漢文だって読めませんがな
免物の経典にもぜんぶ読み仮名自分でふってますもん
540 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/06/01(日) 21:16:37
>>535 何も読める必要はございません。
仏教の難しい解説が必要なら比叡山の偉い僧侶のところに行ってください。
真宗は信じようと思うだけで救われますから、何も読める必要はありません。
要するに坊主はいらない、教団はいらない、そういう宗教団体が
真宗です。
567 :
世界@名無史さん:2008/06/02(月) 00:04:16 0
でも梵語やチベット語の仏典収集や
インド・西域の仏蹟調査に一番熱心だったのも真宗なんだよな。
ダライラマ13世の知遇を得てチベット留学した多田等観とか、
大谷探検隊を派遣した大谷光瑞とか。
梵語一番得意なのは密教だろ。
ナウマク・サマンダ・ボダナン・ナンタラウンタラ・ソワカ!とかやってんじゃん。
でも密教の場合は「呪文」としての梵語という側面が大きくて、
学問的に研究する人の割合が果たして他宗派より多いのかどうか。
いっぽう禅宗は不立文字を唱えた
>>568 一字金輪陀羅尼だね。ああいうのは読み癖もあって原語とは大分異なる。
ただ真言宗にサンスクリットに詳しい人が多いのは事実。
明治になって最初にインドにいって上座部仏教を勉強したのも真言宗の僧侶だった釈雲照。
>>569 いやいや、真言宗は相当学者が多いよ。
思想やってる人だけで金岡秀友、宮坂宥勝、宮坂宥洪、三井英光、福田亮成、
松長有慶…随分いるんだよね。在家で上山春平、梅原猛もいるし。
美術まで含めたらすごいことになるよ。基本的に護摩とかで金を儲けてるからかも
知れないけど、一番学問に金を使っている宗派なんじゃないかな。
一番勉強していないのが浄土真宗だと思う。曹洞宗も相当ひどいけど。
鎌倉新仏教系は宗派内部の学問以上のことはやらないのが多い。
日蓮宗は逆に猛烈に勉強している人がいるが、あそこは例外。(創価はダメだけど)
明治に関していえば、真宗が目立ったのは事実でしょう。
廃仏毀釈に対してはっきりした意見を表明したのは本願寺派を示した真宗で
したが、明治以降は海外留学を進めて、排仏論者に新理論で対抗している。
現在に至るまでに真宗の論理にキリスト教神学が影響したんじゃないかとい
う意見もあります。
浄土宗などでも、阿弥陀如来の解釈がキリスト教的で仏典の内容から離れて
いる、など近代の解釈に対する異論反論が渦を巻いていましたが。
阿弥陀を光と見做す(語源的には正しいのですが)とか、実在と見做すとか。
(ここでいう実在は架空に対するものではなく、万物の創造主のような先天的
絶対者としてのもの)
龍谷大学の図書館は仏教書の所蔵数が日本一とか聞いたけど?
574 :
世界@名無史さん:2008/06/08(日) 01:05:15 0
宗教に執着するやつは
どこか精神的に欠陥がある
日本人の宗教心というのは仏教臭い多神教観念であって、
「私は無宗教です」と言ってる奴も、自覚できないほど宗教心が薄いだけである。
だから一神教と格闘した上で無神論に至った外国人とは話が噛み合わない。
577 :
世界@名無史さん:2008/06/08(日) 07:06:47 0
362 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/27(木) 12:00:10
若嫁が居る宿坊がいい、匂い立つような芳香をふりまいているような
364 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/10/20(土) 12:41:37
>>362 最近どこかの(敢えて伏せる)宿坊寺院で、副住職が若嫁迎えたそうだね!
365 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/10/21(日) 19:26:25
>>364 毎晩、うめき声とも悲鳴とも付かない、妙な声の聞こえ来るあのお寺のこと?
578 :
世界@名無史さん:2008/06/08(日) 13:04:14 0
封建政治で仏教がアイテムとして使われた背景には
この島国でどうやって大衆を愚民化し
制御していくかだった
579 :
梵阿弥:2008/06/21(土) 18:26:22 0
>>551 どうもへまをした気配があります。書き直させて下さい。
聖人は信仰の対象なのか、と言う点ですが、プロテスタントは聖人を立てない傾向が在りますね。
聖人拝みが多神教に通ずると見た為です。勿論聖バルラームと聖ヨサパト伝(以降両聖伝)は
佛僧が佛法そのものを伝えた訳では在りませんが。
調べ直しましたが、両聖が「破門」されたと言う記述は見当たりませんでした。しかし1969年頃まで
聖人として安泰だったとは限りませんね。と言うわけで、
>近年になってから破門
の根拠を教えて頂けませんでしょうか。
猶、平凡社の『世界大百科事典』では、
ギリシア人はヨアサフ、ロシア人は加えてバルラームとアベンネルを聖人暦に収める、
と在ります。アウェンネル(アベンネル)はヨサパト王子の(ヨアサフ)父王です。
どうやらオルトドクスでは今も聖人の様ですね
580 :
世界@名無史さん:2008/06/21(土) 20:11:34 0
精神的に弱いニートは
元祖ニート退廃文化 仏教を信じて
日本をほうかいさしてくれ
581 :
世界@名無史さん:2008/06/25(水) 17:37:32 0
仏教なんて宗教の中じゃ負け組だろ。
三大宗教なんて言ってるがキリスト教やイスラム教と比べたら明らかに格下。
仏教なんかを主要な宗教にしてる国なんか極わずか。
隆盛を誇った仏教国なんて軒並み滅亡してる。
数少ない仏教国の日本だって単なる葬式仏教と観光地としての寺院くらいしか存在意義ないし。
信長によって骨抜きにされたからな日本の仏教勢力は。
582 :
世界@名無史さん:2008/06/25(水) 17:40:01 0
そこかしこで見かけるが、どこが発祥のコピペなんだ?
>>581
583 :
世界@名無史さん:2008/06/25(水) 19:33:53 0
仏教は単一の宗教ではないから全部合計して3億って過大評価もいいとこ。
密教だけでヒンドゥー教の多様性を丸ごと継承しちゃってるし、
日本仏教のgdgdっぷりはプロテスタントやシーア派をはるかに凌ぐ。
585 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 01:01:57 0
葬儀屋と宗教を比較したらダメ。
586 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 10:21:12 0
>>584 同感だ、中国に入った時点でハルマゲドン思想まで取り入れているからなぁ
587 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 12:29:48 0
負け組って言葉懐かしいな
588 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 13:33:58 0
中国語仏典の影響を極力排除した、原語からの口語訳をまとまった
形で行えばよいのに。口語訳は幾つもあるけど、翻訳の仕方はそれぞれ
かなり違うから。翻訳委員会みたいなのを作ってさ。
中国語の経典をありがたがってるのはどうかと思う。
そりゃ日本の仏教は中国仏教が元なんだから中国の経典重視にもなるさ。
寧ろ、孝などの儒家思想の影響や場合によっては道家思想の影響も受けた漢訳
仏典でないと日本思想史は分かりませんね。
インド仏教を知りたければ原語からの訳(口語かどうかはさておき)をすれば
よい。
しかし、日本仏教というか日本人の思想史を知りたければ漢訳仏典になる。
口語か文語かという問題ですが、経典を読み下して文語で読んでいたことを思
えば、「聞く」ものではなく「読む」ものの歴史も無視出来ませんね。
読んだ人間が話してそれを「聞く」という歴史も確かにありましたが、「読む」
人がいてこそ成り立ったことです。
現代では簡単であることが正義という風潮があり、難解はやたら嫌われますが
歴史的には難解な面もあった訳で。
歴史をやるならその価値というか存在も理解しなくてはいけない。
仏教の全盛期なんて1000年以上前じゃん。
592 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 17:06:51 0
漢訳仏典も口語訳してくれ。
読み下し文にすると変なイメージが付いて回る。いまや読み下し文で翻訳するのは
たとえ中国の古典であっても有害無益。
しかし、古典の文章というのも読み下し調ですからね。
「変なイメージ」というのも貴方の主観ですし、口語訳してもらうのに注文
をつけるより、文語などに慣れて口語訳出来るようになった方が発展的。
嫌だから分かり易くしろって、発想が俗に言うゆとりのそれですよ。
分かりにくいものを誰かに分かり易くしてもらうより、分かりにくいものを
自分で(学ぶことで)分かり易くする方がずっといい。
594 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 17:47:51 0
ただ、聖書や西洋の古典なんかも現代日本語に翻訳して読んでるわけだから、
お経や中国の古典が口語訳であって悪い理屈はない。
単なる形式的な呪文ではなく、一般人に内容を普及させたいのなら口語訳は必要。
>>593 どうだろ。学問としてはその姿勢でいいかもしれないけど
宗教としてみたら大衆に背を向けて、救済を放棄してるんじゃないかな?
596 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 18:07:22 0
>>593 そりゃ知識の閉鎖だよ。
ラテン語が出来なくては学問はしちゃいかんみたいな偏屈な考えだ。
ルターの例をあげるまでもなく、多くの人々に知ってもらう方が
社会全体にとっていいことだ。
俺も原文を読めみたいな教わり方したもんだが
才あるひとが要約してくれてざっくりと真意を簡単に得るなんてのも
やはり十分価値あることだと今は考えてる。
ギリシアなんか未だに古代の呪縛に囚われてる。結果あのザマだ。
597 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 18:16:09 0
わかりにくいお経を苦心して理解とかやってたら、
漢訳仏典じゃダメだからといってチベット語やサンスクリットorパーリ語経典にまで手を出して、
挙句の果てに一経を理解する前に一生終わってしまいそうな悪寒が……
幸いにも、今の日本では主要な仏典はおおかた口語訳(現代語訳)されているから、
おれらみたいなゆとり凡夫はそれで仏教思想・哲学の端緒をつかんだほうが得策だろうな。
598 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 18:18:21 0
>>595 学問としても象牙の塔でマスターベーションだな。
まあ、分かりやすくしたとこで
日本軍を批判するとネトウヨが騒ぎ出すみたいなのは勘弁して欲しいけどなw
599 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 18:21:50 0
>>597 哲学なんかはドイツ語やらんときついねえ。
ただ、今の哲学はそれを捨ててあまねく多くの人に伝えようと努力してる。
これは尊敬すべきだ。
もしかしたらサンスクリット語にゃ魔力みたいなのがあるとか思ってるのかもしれんな。
陀羅尼とかな。それこそ荒唐無稽だ。
エジプトの呪文集では空を飛ぶ呪文は「天にはしごをかけろ」だったな。
600 :
世界@名無史さん:2008/06/29(日) 18:28:28 0
まあ勉強熱心な人が
>>593みたいな考えに陥るのは良く見てる。
哀しくなるね。
故、白川静氏が「今の人は漢文とかよめませんからねえ」と苦笑しながら
よりわかいやすいよう文章を練ってた様子は今も心に焼きつく。
かんじだとむずかしいから、ぜんぶひらがなにしてほしいよね!
少し弁護するなら、
漢訳仏典は、全てとは言わないが
「国訳一切経」とか「講座大乗仏教」?とか、或いは岩波文庫等の対訳とか、
主要仏典、メジャーな仏典は手に入り易い形で訳出されている。
専門に掘り下げるのでなければ十分な気もする。
確かに「国訳一切経」は読み下しではあるが、南伝大蔵経よりは解り易いと思う。
また、現代口語訳すると文章の量が桁違いに増える。
漢訳仏典に関しては、読み下しで手を打ってもいいのではなかろうか。
2chは「愛国さん」が多いと思ってたのに、古典文にここまで抵抗があったのか
バカは勉強しようにもとっかかりすら掴めないからな。
>>600 白川先生は御立派でしたよ。
しかし、それは出来る人が出来ない人のために行動なさっておいでであった訳です。
「今の人は漢文とかよめませんからねえ」と苦笑されていたのであれば、それを甘んじて
受けることなく、苦笑されぬよう、読めるようにするのが研鑽というものでしょう。
出来る人間は与えられますが、出来ない人間は与えられるだけです。
勿論全分野で出来る人間になる必要はありませんが、高校生レベルの古文・漢文であれば
そう難しいものではありません。
出来ないことは仕方がありませんが、最初からしようともしないのは単なる自助努力の欠
如であり、怠惰なだけです。
白川先生を振り仰ぐより、しのげないまでも足元に近づこうとした方がいい。
後続がそうしないと、泉下の先生に対して恥ずかしいではありませんか。
私だって出来ないことは山ほどありますが、減らすことはしたいという話です。
>603
「愛国」系の人が集まって出来た「文語の会」もあるのですが。
この会の公式サイトは私もお気に入りに入れていますが、新刊でも出ている『国訳一切経』
レベルの文章であれば分かるようになっています。最近本も出ました。
違った、文語の苑でした。失礼致しました。
山野氏がそーゆー考えの人だったとはオドロキだ!
仏教に限らず「勉強」の目的は千差万別。だから学習のレベルも千差万別。
山野氏の言ってる事って自然科学で言えば、偏微分・重積分・テーラー展開・複素空間ていどはやらないと
「勉強」にはならんっていってる様なもんだ(これは大学1年レベルだけど)。
一般社会人ならブルーバックスとか読むだけで十分「勉強」なると思うがな。
608 :
世界@名無史さん:2008/07/03(木) 04:16:28 0
>>605 静ちゃんの「苦笑」をそう簡単に断定できるほどオレは賢くないんでね。
なんで君は1発で断定できんだ?別にあのじいさんだっておかしなとこあったさ。
ああも呪術呪術いわれると閉口する。
まともなもん発掘されるまで言及は少し待てとと感じる部分は多々ある。
君の言う姿勢はそのスジのプロの姿勢であって、
それこそ象牙の塔でやりゃいい話だ。
ついでにいえば自助努力不足や怠惰が罪ならば、
車輪の再発明だって罪として数えられちまうがな。
こんなんも別に誰かにとやかく言われる筋合いも無いことだ。
漢文やらをほっぽりだした理由がオヤの死に目でもオマエさんはそうやって罵倒すんかね?
のっぴきならん理由で学問を中断せざる得なくなった奴がゴマンといる。
脳がかたくなっちまって1からの勉強がとても無理になった時に興味もってきても
そうやって基礎からやれと一喝すんのかね?
オマエさんの考えは一部のプロがやるべきことであって、非常に近視的な考えだと思う。
多くの人に知ってもらうと言う利点をあんまりにも軽視しすぎとるわ。
そんなことはオマエさんがオマエさん一人で黙って根性据えて取り組むべきことだろう。
オマエサン自身が、そのことに苦しくてスレで思わず愚痴吐いちまったんじゃねーかね?
609 :
世界@名無史さん:2008/07/03(木) 04:19:30 0
山野氏の勉強の目的がみえねえな。
山野は仏教関連となると基地外発言繰り返すのが痛すぎ。
マニアの会話がわからん、わかるように説明しろ! と
マニアになれとは言わんが、ちょっとはこっちに近づいてくれよ…
とケンカしてるんだな。原典主義か、大衆化か、といったとこかい?
そういえば気仙沼方言で聖書を訳した人は、俺たちは標準語じゃ聖書を理解できねえと思ったのが動機だったそうだが、
作業にあたってはギリシャ語などの原典資料を用いて、原義に「忠実に」あろうとしたそうな。
原典主義も大衆化も、どっちもヒトとして自然な気持ちなんじゃないの?
俺はどっちの気持ちもわかるなあ。バカどもが、ちょっとは勉強しろ! っていうのと、なんであいつらあんなにえらそうなんだ! っていうのと。
>>611 山野の場合は原典主義ではなく懐古主義。
サンスクリット原典ではなく漢訳仏典を重視しているわけだし。
613 :
611:2008/07/03(木) 15:26:58 0
途中から話がズレて、漢文うぜえ、勉強しろ、知識の囲い込みする気か?! ってなったけど、
山野センセイが
>>590 で書いてることから思うに、
「聞く」サンスクリットと「読む」漢文というテクストへの態度の違いがある?
で、日本の仏教においては、「読む」ことで知識の伝達がなされたわけで、
したがって
「寧ろ、孝などの儒家思想の影響や場合によっては道家思想の影響も受けた漢訳仏典でないと日本思想史は分かりませんね」
となるわけで。サンスクリット原典と漢訳仏典は別物と言ってよいのではないかと。
違う?
>>613 日本思想史を語る上ではそう。
でも、そもそもは仏教を語りたいのなら漢訳仏典でモノを言うのは
大間違いでそって話に、山野が強引に割り込んできた。
つーかサンスクリット読める奴がそもそもこの板にいるのかとw
616 :
山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/07/03(木) 18:48:09 0
>そもそもは仏教を語りたいのなら漢訳仏典でモノを言うのは大間違い
インド仏教ということであれば正解ですが、中国以東の日本も含めた「仏教圏」
における「仏教」が基本的に漢訳仏典を通して受容されてきたことを考えれば、
儒・道の影響も受けた漢訳仏典を無視して「仏教」は語れないという意味です。
「仏教」というのが、原理主義ではなく、現在の「仏教圏」の信仰を総括して
言うものであるのなら。
時代や地域によって「仏教」の実態は異なったのであり、それらを無視して原
典のみに走ることは適切ではありません。
また、読みにくいから読みやすいようにというのであれば、読みにくいものを
勉強すれば読みやすくなりますし、読みにくい=理解していないものを放置し
て他者に理解をゆだねるという行為は怠惰だと申上げたまでです。
漢訳仏典が儒道の影響受けてるの?
中国の坊さんは適当だなあ
>>617 自身のバックボーン(育った文化、価値観)の影響無しに
何かを解釈することは困難。てか、不可能に近い。
確かに
西遊記で大乗仏教持ち帰って般若教が仏教の基礎ですよね?
読みやすい本ありますか
仏教に興味ありまして
密教と大乗仏教の関係も知りたいなあ
>>616 漢訳仏典で釈迦の言葉云々言っている坊主を揶揄したことから始まっているって事を
いまだに理解できないのかよ、お前は。いい加減消えろ、馬鹿。
「消えろ」と言われて消えたコテなんか見たことない
622 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 07:12:05 0
>また、読みにくいから読みやすいようにというのであれば、読みにくいものを
>勉強すれば読みやすくなりますし、読みにくい=理解していないものを放置し
>て他者に理解をゆだねるという行為は怠惰だと申上げたまでです。
トーンダウンしつつもナゼここまで意固地になるのか。
君のいう理解とは「ラテン語を先ず覚えてから聖書を読め」みたいなこった。
歴史にもしは禁句だが、もしラテン語のままだったら今はどうなってるよ?
分かりやすく噛み砕いて教えることは十分価値があることだ。
たしかにそこで妙な思想吹き込む奴もおるが、これはこれでプロ意識をもってやってる奴が殆どだ。
オマエサンのいってることはそうゆう仕事しとる人さえも下げずんでいるように思える。
こっちとしてみれば許しがたいわ。
ただまあ、編集者に「今の若い人は2行以上読まない」とか言われて面食らったけどな。
オマエサンが相手に求めるのはカナリのハイレベルだよ。
仏教が好きなようだが、オマエサンは無学のバアサンには仏様について語らないのかね?
623 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 07:13:12 0
せんずりがすきなら勝手にすりゃいいが周りに見せんな。
624 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 07:19:48 0
勉強家がこういった考えに陥るのはほんと悲しいことだ。
古い言葉を専門に扱うプロをバカにしてるわけではないが、今は現代だ。
なんで今の言葉に置き換えることすらダメなんだよ。コラ。
まあ、古代文字には魔力があるみたいだけどな。それに毒されてんじゃねーの?
今の言葉に直したら、細かいニュアンスがわからなくなるからだろ
そしてそのニュアンスのおもしろさは、古文を読める者にしかわからない
626 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 08:38:30 0
世間一般の大多数の人間には。それぞれ日常の実生活があるのに、
山野が言ってるみたいに、読みたければ古典を勉強しろなんて無茶もいいとこだろ。
研究者になる極少数の変人と、仏教の教えにふれたい一般人を一緒くたにするな。
627 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 08:53:17 0
仏教を語るのにサンスクリット・パーリ語・チベット語・古典中国語は基本of baseだろ
上祐史裕はサンスクリットすら読めないらしいが
628 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 09:38:00 0
はばかりながら私も読めません><
629 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 09:47:38 0
でもサンスクリット語は古典語の中でも語感がカッコイイな
何となく厨房ごころをくすぐられるものがある
法隆寺には最古のサンスクリット本があるみたいね
>>627 山野はサンスクリットいらね、漢訳仏典だけでいい派だけどな。
いいえ違います、山野先生は「『日本の』仏教を語りたいなら『最低限』漢訳仏典くらい
読めるように努力しやがれカス愚民ども」とおっしゃっているのです。
633 :
世界@名無史さん:2008/07/05(土) 15:34:07 O
日本の仏教を語るのに何故「漢訳」仏典がいるの?
翻訳により元のニュアンスが失われるなら
漢訳の時点でアウトだし
そもそも日本の仏教は日本語に翻訳されて
(ニュアンスが変わった状態で)広まったと思うんだが。
日本の仏教は中国仏教が元
故に漢訳の経典が中心だった
また日本のインテリ層は漢文の読み書きができるという点も重要
山野は仏教関係ではキチガイ発言を繰り返すというか、キチガイ発言しかしないのが面白い。
>>629 あるある。
タリツ・タボリツ・パラボリツ・シャキンメイ・シャキンメイ・タララサンタン・・・いでよ、大元帥明王!
とか、カッコエエ。
638 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 04:35:01 0
>時代や地域によって「仏教」の実態は異なったのであり、
「ウサギはか弱いのに岩場みたいなとこを住処にする」みたいなのあるが
あれほんとうは岩ダヌキなんだけどな。ルターも翻訳するとき
サスガに「えー?ウサギ岩場に巣つくったっけ?」と思っただろうがね。
まあオレにっとっちゃウサギだろうが岩ダヌキだろうがどっちでもいいけど、文化背景やらはそんな大事なことかね?
ここいらで矛を収めるか。
639 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 04:42:42 0
>>625 細かいニュアンスに翻弄されて真意読み取れないのなら
そもそも才能ないんじゃね?
640 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 12:26:27 0
佛教の影響があった
国や地域は
いまだに近代化に遅れ
庶民は苦しんでいる
また佛教の影響の強い
関西地区は
猛烈な身分差別の伝統がある
さすが退廃文化佛教
日本語でおk
>>639 そういう問題ではありません。
「真意」と「細かいニュアンス」の二つの素材で言葉が出来ており、前者の
み抽出出来ればいいというのではなく、全体の文脈の中でどのようなニュア
ンスでどのような意識が語られているかが問題です。
翻訳という行為は全部とは言わないまでも少なからず元あった要素を失わせ
てしまう。
遺物に喩えていえば、重要でない遺物が存在しないように、言葉に関しても
重要でない要素は存在しません。出来るだけ全体を意識する必要があります。
>>638 まさにそれでしょう。葦や駱駝もそうですが、誤訳が受容され、理解されて
いたということがその時代や地域の文化を理解する一助となる。
「原典に忠実」な研究成果だけ受けていても、そうした情報が入らないでし
ょう。その結果、どうしてここでこうなっているのか、ということが分から
なくなってしまう。
原始仏典にせよ、記紀にせよ学ぶことはおおいに結構ですが、その内容が現
代まで変わらず受け継がれてきた訳ではない以上、中間の時代の理解を知ら
なければ、結局古代の内容が現代まで続いてきたという錯覚を生じてしまう。
変化してきた過程を学ぶこと、少なくとも変化してきたという知識と認識を
持つことは必要なことです。
644 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 18:54:08 0
>>642-643 オマエそれマジでちゃんとやったら発掘でちゃんとしたもん出ん限りなにも語れんぞ?
んじゃ結集自体怪しいがな。
こんなんおるから、邪馬台国の話がいつまでも終わらん。
史学なんてそんなもんじゃないの
どんなに信頼できる資料でも誰かに写本の時に書き換えられた可能性だって否定できないわけだし
だから、異本の比較が重要なんでそw
で、それは現代語訳を比べても、大意しか比べられない。
用語の使い方に表れる思想の違いは、其々の原本を見なきゃならない。
で、そのためには、元の文字とまでは言わずとも、
ローマナイズ及び読み下しによる比較くらいは必要になる。
もっとも、漢文なら、読み下し方にすら諸説出てくるわけだが・・・w
けど、
これは一般レベルの話でないことも事実。
興味があって触れてみたい、くらいなら不要なスキル。
ツッコんでやりたいなら、あった方がいいスキル。
て程度の話じゃないのか?なんでこんなにこじれてんだ?www
>なんでこんなにこじれてんだ?www
ちょっと逝っちゃってる人が粘着してるから。
648 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 03:42:32 0
>>642-643 その理屈ならサンスクリット・パーリ語も学ばないと日本仏教は語れませんね
さらには伝統的なインド哲学、インド歴史までやらなければ「真意」も「ニュアンス」も厳密には理解できません
恥ずかしいと自覚してるからコテ外したんでしょw
>>649-650 648は山野野衾に対して「自分でそこまでやってから言って」というニュアンスじゃないのか
652 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 08:32:15 0
ま、もお矛を収めるいっちまったから別にいいけどさ。
とりあえずヘブライ語しらんけどウサギと岩ダヌキの話をしっとったけどなオレ。
山野先生が「今に生かすため歴史を学びつづけている」と信じたいもんだ。
ところで岩ダヌキってのは相当かわりものらしいぞ。
むしろ象に似てるそうだ。こっちの方の歴史も貧歯類が無くなったりイロイロ変化しとるな。
653 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 08:33:41 0
>「真意」と「細かいニュアンス」の二つの素材で言葉が出来ており
スパルタからの手紙はifのみだったな。
当時からあった、現代から見ても非常に高度な理論が多い
伝統的なインド哲学ってもんはもっと研究しないと
パーリ仏典読んでも言わんとするニュアンス正しく読み取れない気がする。
やはり仏陀の思想は伝統的インド哲学の上にあって、その新たな解釈である部分が多々ある。
単純に反バラモン教だからインド哲学vs仏教というように全否定する言説は間違いでな。
しかしそういう言説多く、パーリ仏典やインド哲学への触れやすい時代になったことで
今後そのあたりの理解が深まることに期待している。
一般人がそんなもの研究せんでいい
ひたすらお念仏やお題目唱えて救済を願ってればいいんだよ
一般人から葬式仏教しか知らない坊主が論破されるわけにはいかんもんな。
しかし現代、ほんとにそれがあってもおかしくないからなあ。
パーリ仏典やら各種経が容易に学べる上に、各宗派、上座部仏教に至るまで知識が得られる。
こういう時代だし、鎌倉新仏教のように
変な新興宗教でない、仏教の革新が起こりうる時代のような気もする
上座部仏教の教団がそのまま支部作って上陸してきたりしてて、
安穏としていられる時代は終わりつつあり
恐らく伝統仏教の中からも革新の機運は出てくるのではないかと思うが
若い熱意ある僧を巨大化した組織が潰すのかもしれない。
んでそういう熱意が新派閥、さらには新宗派を作るのかもしれない。
そうかそうか
仏教は知識の多寡じゃなくて解脱できたかどうかだけが重要なのに・・・
知識の多寡が重要なんて誰も言ってないと思うが。
全ての教えは解脱のための指針にすぎないがそれを軽視するなら
仏陀は要らないということなので仏教辞めてすぐ自力で解脱しなさいなって話でしょう。
常に満足せず精進せよというのは仏陀の最後の言葉です。
その努力を放棄することは悪です。
660 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 15:58:04 0
釈迦(北インド)
↓
竜樹(南インド)
↓
麻原(熊本県)
世界三大仏教者
661 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 16:04:06 0
世界史やってる奴の歴史認識ってのはこの程度なのか?w
>>660 この程度のレベルで独自の板を持てるとは流石2chw
662 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 16:05:07 0
理解できないステージの低い奴は黙っとけよ
達磨さんも入れてやって
>>660-662 あからさまな自作自演、お疲れ様です。
ところで、気が狂うというのはどんな気分なのでしょうか?
なんか宗教板でやれっていうような話ばかりだな。
もっと歴史を語ろうぜ。
ものの見事にどの地域でも滅亡しまくった歴史をな。
666 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 22:03:32 0
朝原尊師は歴史に残る宗教家です。
吉本隆明も断言しています。
667 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 22:18:42 0
>>665 インドでしか滅亡してないでしょ。
後は、どんな地域でも布教されたらほぼ確実に根付いている。
668 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 03:16:38 0
どうだろうね。仏教は難解で、苦に対し救いを与えるというより
苦を諦めの境地で耐えれる心を持てという
神の奇跡による現世利益でなく、智彗こそが救いの道と説いているわけだ
人の側が高まることで苦難を克服しようという思想。
それより神様の奇跡による救済のほうが楽だし飛びつく例は多いと思う。
仏教国がイスラムに改宗していった歴史が中東や東南アジアでは無数にあって
かつての仏教国がどれもこれもイスラム国になっている。
中国も結局道教になったし、韓国も仏教は衰退した。
難解なフリをするのは連中の常套手段だな。仏教だけにかぎらん。
670 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 10:26:37 0
最近パーリ語の原始仏典からの翻訳書が出たり
大法輪で連載あったりしたが
それ見ると、難解ではないし、漢語に翻訳されていったものより
普通の表現で分かりやすく釈迦が語っていて、むしろとっつきやすい。
もちろん仏教だから己で考えて高める努力を求めるので
そういう意味での難解さははあるだろうけど、
もっと普通に凡人に分かりやすく仏陀は説いてた印象。
僧が権威になっていく過程でどんどん難解な表現になっていった部分があるのだろう。
671 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 11:00:29 0
パーリ語の古い時代の仏陀入滅から間もないような頃の仏典で既に
権威や立場を求めて出家するものが後を絶たないと嘆いている高僧の文章があるからな
偉大な開祖と馬鹿な弟子達はどの宗教にもある
673 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 13:15:59 0
釈迦は仏教についてなんら責任がない
イエスはキリスト教についてなんら責任がない
ムハンマドはイスラム教について責任がある
初代が偉大だと後が大変なんだよな・・w
ホンダ然り、松下然り、SONY然り、
ガンダム然り、マクロス然り、ウルトラマン然り、ゴジラ然り、
初代じゃないけど長嶋巨人然り、
675 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 19:43:46 0
676 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 03:31:53 0
つまらん煽りばっかりしてる子供がいるようだね
>こういう時代だし、鎌倉新仏教のように
>変な新興宗教でない、仏教の革新が起こりうる時代のような気もする
ガキの空論っぽいねー
678 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 05:55:32 0
>>677 まともに学んでこなかった/これからもするつもりがない
生臭坊主の願望にしか聞こえないわけだが。
大法輪とか坊主業界紙でも最近
上座部仏教の連載やら、パーリ仏典の翻訳の連載やら
初期の、神話化部分を殺ぎ落としたような仏典が話題にずっとなってるっちゅーに。
679 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 09:05:49 0
現代の坊主に言うべきことはただ一つだ
ちゃんと税金はらえや。
>>678 中学生の聞きかじり世情判断?
もっと現実もふまえて
>>679 免除されてるのは法人です。
不適切と思うなら、法改正すれば宜しい。
683 :
世界@名無史さん:2008/07/11(金) 14:00:12 0
>>680 本当に生臭坊主だな。
パーリ語仏典研究が盛んで
漢語の大蔵経そそれぞれに対応するパーリ語仏典がどんどん訳されて
漢語版との比べれたりするので、そのニュアンスの違いは結構多く
漢語仏典の従来の解釈にも変化が起こって当然だと思うよ。
葬式仏教ばっかで読経やってないで、たまにはちゃんと経典を教えとして読みましょうよ。
684 :
世界@名無史さん:2008/07/11(金) 14:57:05 0
意識高い僧は業界紙も読んでるだろうし
原始仏典の連載も興味深く読んでるだろうけど
今や僧の大半は仏教に興味なんかない、ただの後継ぎ。
宗教法人という資産を手放したくないという欲のために
仏教大学行かせて僧侶にさせられ、
弟子って建前にして継がせた後継ぎ息子。
期待できないよね。
一方在家出身の僧は意識高い人多いだろうけど
新規の寺が全くもう建ってない現状で分かるように
在家が出家してもやること無い。
日本仏教は明治政府の政策で終わらされたままなのだ。
>新規の寺が全くもう建ってない現状で分かるように
そうか?
686 :
世界@名無史さん:2008/07/11(金) 17:39:25 0
なんかの資料で前見たけど、その統計見る限り、建ってない。
古い寺を改修なんてのはあるし、コンクリ寺はたくさんあるが
老朽化や空襲で焼けたのを改修したものくらいで
純粋に新規の寺ってのはあまりないでしょう。
687 :
世界@名無史さん:2008/07/12(土) 10:10:18 0
899 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:23:27.26 ID:yt1TiAO1
平日白昼から2ちゃんのニートのおまえらも見習って、福井の永平寺辺りで修行しろ
903 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:24:27.44 ID:oJ/UoK8r
日本の坊主は欲にまみれてるのに
912 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:25:56.88 ID:JqNECbO1
>>903 俗人と変わらない生活してるもんなw
930 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:30:06.85 ID:2oaWKj5X
永平寺の修行に比べたら
953 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:32:30.68 ID:yt1TiAO1
>>930 永平寺の雲水は今はネットもできるしけっこう自由だぞw
957 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:33:29.66 ID:9fr1+nj2
期間限定出家したい。
961 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:33:51.10 ID:MQWPjFa1
>>953 ショック。修行中の身だから写真撮影禁止とか勿体つけやがってw
969 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:34:23.25 ID:eIOo9MZd
>>957 そういうコースのお寺、結構あるぞ
永平寺も宿坊「ホテル永平寺」があるし
688 :
世界@名無史さん:2008/07/12(土) 10:11:41 0
972 :公共放送名無しさん:2008/07/11(金) 16:34:46.54 ID:2oaWKj5X
>>953 修行僧の間でもいじめが日常茶飯なんだな
かわいがりなんかも普通にやってるらしいよ
689 :
世界@名無史さん:2008/07/12(土) 21:43:48 0
690 :
梵阿弥:2008/07/14(月) 19:32:35 0
>>551 お忙しいでしょうか。それとも「書き直す」といったことはお嫌いでしょうか。でも私が恥かくだけですよ。
『現代カトリック辞典』編:ジョン・A・ハードン 訳:浜 寛五郎 刊:エンデルレ書店/ヘルデル代理店 より
猶、『カトリック小事典』は縮小版で、共に巻末に収録(正教会暦は『現代カトリック辞典』のみ)
"ローマ典礼暦
カトリック教会内のローマ式典礼における暦は第2バチカン公会議後に全面的に改定された。(略)
ここに記す教会暦の中には、全世界の教会に当てはまる改訂の全てがとり入れてある。また、特定の
日に、ある地方において、あるいは世界中で伝統的に記念されるが全世界用のの典礼暦に含まれて
いない聖人も含まれる。全世界の教会において記念される祝日は太字(略)。特定の地域だけで記念
される聖人も書き入れてある。伝統的に特定の日に尊崇されているが典礼儀式をもって祝われない
聖人は普通の活字(略)。" 747頁
これの11月27日に「バルラアムとヨザファト」が普通活字で載っています。他書と異なりヴァチカンの
公式見解に基づいているのは重要です。どうやら両人とも今も「聖人」ですね。さほど位は高くない
ようですが。
691 :
世界@名無史さん:2008/07/16(水) 17:55:46 0
>>690 これは面白い。
バルラアム(バラモンorブラフマン?)もヨザファト(釈迦?)も聖人の中に入れといた方が
カトリックにとって何かと都合がいい、という政治的判断があるのかも。
そうすることでカトリック側から仏教やヒンズー教を「異教」「偶像崇拝」と排撃して
無用の摩擦を引き起こすことを避けられるし、
カトリック教徒が何かの都合で仏教やヒンズー教の儀式に参加する羽目になっても、
「あれは聖人だから異教の神を礼拝したことにはならない」と言い訳できるし、
布教する上でも「ヒンズー教徒も仏教徒も実は各聖人を介してキリストを拝んでいる
潜在的キリスト教徒なんですよ。ですから本家本元の主イエス・キリストを拝みましょう」と主張できるし。
692 :
世界@名無史さん:2008/07/16(水) 18:39:09 0
693 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 14:03:48 0
仏教の側では、仏陀が仏陀以前にも正しく悟りを開いた人はいるでしょうし
のちにも居るでしょうと、
自身だけしか真の悟りを開いたものは居ない!と仏陀を神格化する弟子を諌めた逸話が
経典にあったりするので
比較的他の宗教に寛容ですね。
また、土着の先祖崇拝や、昔から彼らが行っている儀式のようなものを
安易にやめるべきではないという伝統への理解みたいのも語った経典がある。
(ただそういうので救われるという意味ではないのでしょうが。
仏教はあくまで知でのみ苦を乗り越えれるという思想だから)
南伝とかチベット仏教の伝播とか
イスラム以前のイランとのかかわりとか
そういう話のが世界史的に面白いと思うなぁ
日本思想史がやりたいなら日本史板でやったほうが
いいんじゃね
>>493 ああ、何か一般的過ぎる気がしますが一応答えを
他の人も言ってますがイスラム勢力による略奪が原因とされいますが、その略奪の際
ヒンズー教は衆生とバラモン僧の距離が心理的にも物理的にも近かったので、信者が防衛する事が出来たが
その頃の印度仏教は出家至上主義的な面が強かったので、
信者との繋がりが弱く宗教施設が信者に守られる事無く富が全て収奪されたとか、そんな説明が一般的ですかね・・・
あと、こんな事言っても仕方が無いですが、学問関係の板は2001年頃の昔の方が若干まともな人が多かった用におもいますね
その頃はここ以外知名度がある所がなかったからここに集まってただけで
その後然るべき場所に流れただけというような気もしますが
某所で偶に仏教スレが立つ事があるが、他の宗教の信者らしき人が薄っぺらい知識で
仏教批判繰り広げてまともにスレが進行しない
キリスト教スレだとそうはならないのにね(笑
>>695 仏教というカテゴリーになると、
創価系日蓮系とそのアンチ、
真宗系とそのアンチ、
テーラヴァーダ協会系とそのアンチ、
日本仏教・葬式仏教批判系、
僧侶批判系、
などなどが跳梁跋扈してるからね・・・。
で、新新宗教系やスピリチュアル系も顔出したりするし、
経典(特に原始仏典)至上主義の学者肌もいるし、混沌が必定なんだよw
で、それを神社仏閣板でもやるから、
まったりと寺社や文化・伝統、信仰や参拝の様子について語り合いたい人が巻き添えを食う、と・・・w
697 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 16:47:27 0
>>695 この話題突き詰めた研究は少ないのですが
俺の側から補足
要は仏教はインドでは階級制度に苦しめられていたスードラ階級などに
支持された宗教なわけなのです。
従来の思想を否定し、そんなものはないと一切の平等を説くわけですから。
で、イスラム国家が入ってきて、国がイスラムを支持するなら
イスラム教に改宗するでしょという説明がわりと有力。
イスラム教もまた、かの地において、おかしな階級制度からの救いで支持されて
仏教とパイの食い合いになったという説。
ここからは俺の説ですが、
イスラムを国が支持するならヒンドゥーの階級思想を否定したいだけだから
仏教である必然性は無かったというのはいいにしても、
では国家の側はなぜ仏教国が滅び、イスラム国家が普及したかという部分。
インドネシアやなんやの東南アジア仏教国があった地域はあとから入ったイスラム教国家に代わっていった歴史もあるし。
これは単にやはり、仏教という思想は国家を支配するには利用しにくい宗教だからじゃないでしょうか。
イスラム教のほうが現世利益的側面ありますし使いやすい。
一夫多妻だの、100人の処女を得られるだの、被支配者としては禁欲的なものを求める仏教より
おいしいものと思うのではないでしょうか、と。
698 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 22:48:46 0
仏教は本来、救いを与えるのが宗教なのに仏教は救いを奪うからね
女性や在家、障害者などから。
仏教圏の宗教紛争を見ればよく分かるよ
スリランカで何百万人しんでるんだよ
進歩のない宗教 歴史的に仏教圏でイスラム教への改宗者が多いのも理解できる
今も、インドでカーストを嫌った層が改宗しているのはイスラム教
699 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 23:03:56 0
>今も、インドでカーストを嫌った層が改宗しているのはイスラム教
ネオ・ブッディズムのことを忘れないであげてください。
ちなみに現在ネオ・ブッディズムの指導者となってるのは佐々井秀嶺という日本人僧侶。
700 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 23:10:05 0
701 :
世界@名無史さん:2008/07/17(木) 23:25:18 0
仏教徒の脳内ではインドに仏教徒は1億人いるらしいな
実際は1000万人もいないのに
佐々井秀嶺ってインドで何やってるんだよwまったく増えてねーじゃねーか
>>698 それと全く同じようなレスを貰った事があるんだが
出典はどこ?
仏教の全盛期って一瞬だよな。
東アジアから東南アジアほぼ全域に広がったけど、ほとんどすぐに滅亡。
シルクロードがいい例。しかも全盛期は1000年以上前…。
インドではジャイナ教と同じく北インドの王朝で他の宗教と一緒に保護されたってだけで主流になったことはないんでしょ
ナーランダー寺院がムスリムに破壊されただけでインドの仏教が終焉したらしいから
庶民には広まってなく既に一部の出家者だけの宗教だったんだろうね
スリランカの仏教がタミル人ヒンズー教徒に徹底して破壊されても復活したのは庶民に根付いてたからだろうし
インドで仏教徒が増えてるなんて妄想だし日本は無宗教・韓国はキリスト教徒の方が多いでしょ
中国もキリスト教徒が増えてる?ってきいたけど信頼できるソースはないから恐らく無宗教だろうし
残ったのはインドシナだけ インドシナももともとヒンズー教が主流で
上座部仏教が普及したのは中世になってからでしょ 確かスコタイの王族が上座部仏教に改宗して
次代のアユタヤの侵略と布教活動によるものだったと思うが
ビルマはタイの影響ではなくタイやカンボジア・ラオスより早く上座部化したんだっけな
>>704 お前がチベットやモンゴルを知らないキチガイ粘着なのは理解してあげた。
お前のようなキチガイでも他人から多少なりとも理解されるのだということで、
この世に未練はなくなっただろ。さっさと消えろ。
仏教が嫌いなのは解ったから日本の仏像に傷付けないでね
事実を示しただけなのに嫌いとかすきとか情緒的問題に帰結させないでほしいなぁ
709 :
世界@名無史さん:2008/07/18(金) 07:53:26 0
>>704 東南アジアの仏教史については大変間違っている。
まず最初に大乗仏教が広まって
そこいらじゅうで仏教国ができまくった。
今それが残るのはベトナムとかくらいだが。
その後ヒンドゥーを取り入れ、ヒンドゥーと仏教が合体した
インドであったような形の王国になり
次にイスラム国家が広がっていく。その後上座部が広がってタイなどに。
事実、首切られたりしてんだよ
せっかくの遺産なのに
>>710 そもそも仏教は偶像崇拝禁止だし遺産保護なんて普遍的価値観ではない
首きったのは熱心な仏教徒じゃないのwルターが偶像を破壊してまわったようにw
しったかキチガイ粘着はまだこの世に未練があるようです。
反論できないなら黙っとけよ
薄っぺらい奴だな
715 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 17:23:14 0
オウム真理教は真面目な仏教徒の集団でした。
仏教の原点に帰ろうとして、パンドラの箱を開けてしまいました。
悪人正機説の極端だが必然的な解釈=悪事を行ってこそ極楽へ行ける=を実践したわけです。
>>715 これがゆとり脳か
悪人正機説くらいぐぐればすぐ分かるだろうに
輪廻の概念の存在する仏教は贋物である。
あまり西の方には伝わらなかったよな。
ゾロアスターかイスラムに弾かれた?
西の方にも居たが衰滅した。
720 :
世界@名無史さん:2008/07/19(土) 19:32:50 0
>>716 ぐぐって分かる程度の解釈で悪人正機を分かったつもりでいるお前がゆとり脳
716がポアされますように(-人-)ナムナム
タントラ・バジラヤーナじゃ
>>715 親鸞の弟子にも進んで悪事を働くしょうもない連中がいたんだが、
親鸞もさすがにそういう連中をたしなめることはするものの、
理論的にピシャリと抑える言葉を持たなかったようだ。
宗教において多数の信者を掴む優れた理論は、狂気を生む危険と
背中合わせなんだろう。
副作用を恐れて人が救えるかよ
タミフルだって数人ダイブして死んだことばかり騒いで
何人死から救ったか誰も言わない
究極の涅槃は死以外ありえないし、悩める衆生を進んで涅槃に導き
自らは処刑台の露と消えることも厭わない。
これを至高の善行と言わずして何なのか。
725 :
世界@名無史さん:2008/07/20(日) 00:07:59 0
まあ実際、捨身供養とか焚身とか即身仏とか
自分が犠牲になって衆生を救わんとするという行はいろいろあるよね。
726 :
世界@名無史さん:2008/07/20(日) 00:20:07 0
涅槃と自己犠牲ってどこか噛み合わないような
スリランカの上座部仏教徒がタミル人ヒンズー教徒と戦っているように、
チベットの仏教徒が共産党とゲリラ戦を戦っていたように、
オウム真理教は真理のために戦ったんだ
リビングストン「日本への原爆投下のケースはどうなんですか。
あの行為をした人たちは、それで一〇〇万人の命が救えるからっていわれてやったんですよ。」
ゴールマン 「あれは菩薩の行為と言えるのですか。」
ダライ・ラマ 「むずかしい判断だが、理論的にはありうる。
もしそれが大勢の人の命を救うための行為だったとすればだがね。」
麻原はともかく少なくともオウム真理教の実行犯は、
人類を救済するために殺人を犯した
これは密教的には完全に正当化されること。ダライ・ラマが言うとおりに。
インドの後期密教を実践してるのは世界でオウム真理教だけでしょ
ゲルグ派は余情ヨガタントラを否定して性ヨーガとかやらないし
20世紀後半の先進国でインドの後期密教を実践した麻原は仏教史に残る偉人だ
日本でも葬式仏教ではなくインドの本物の仏教の実践が流行してほしいね
いろいろ書いて乙だが
せめて理論武装くらいしろよ
釈迦の教えを実践したら逮捕される今の日本・・・
>>711>>718 ももと二元論的な高山、山岳の厳格な信仰と多元的な密林低地の
打算的で享楽的な信仰が合わさってできたのがバラモン教。
西方乾燥地帯には厳格が、東方湿潤地帯には享楽が伝達された。
厳しい乾季とスコールの違いだろうな。
インドの西方程高地が多く内陸乾燥地帯に近く、東方ほど低地が増え、太平洋の影響が強くなるからだな。
二元論は統一と忍耐(断食や戦闘等)の為に、多元論は寛容と多産のためにだろ。
ステレオタイプにわかり易く言うとこんな感じ。
>>697>>695 理論に拘泥し過ぎだろ。
カーストに対する否定はそうだが、多産や性を正面から肯定してないからだよ。
これはもともと仏教が山岳信仰のように修行や厳格な規律を要求する
ものだったからだな。これが低地の農耕社会に受け入れられる過程は
多産とその原因たる性を肯定する過程とパラレル。
バラモン教が普及した過程と仏教が普及しなかった過程は同じ理由だな。
東南アジア等で小乗(上座部)から大乗に移行する必然性もこんな過程だろ。
信仰を分析するのなら理論ではなく生活面から分析することだな。
実証性を軽視するのは仏教徒やその研究者の悪い癖だなw
観念的に考えるとそれこそインドのスパイラル的な輪廻のような思想に陥るよ。
>>730 まあ、質問が仏教が衰退した理由では無く、滅びた理由だったので。ご愛嬌ですよ
なんかインドって、マニアックな同人サークルが、ジャンルが下火になっても未だに同じ作品を書き続けるみたいに
過去の物を完全に棄てない所があるのに、それにも拘らず仏教が消滅したという事態は結構異様な事だと思いましたんで。
細々と続いてもいいのもなのに何故滅んだか、という観点でレスを見て貰えれば幸いです。
なんか後出しジャンケンっぽいなw
732 :
世界@名無史さん:2008/07/21(月) 23:36:14 0
逆にジャイナ教はインドの外には広まらなかったのに
仏教・ヒンドゥー・イスラームの圧力にも負けず
仏教誕生とほぼ同時代から現在まで連綿と続いてるな。それもかなり不思議だ。
スレ違いスマン。
ミトラ教(弥勒信仰)なんか日本からブリタニアまで
広がったんだからスゴイぞ
734 :
世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:27:53 0
>>711 違う。それは語弊がある。
もちろん地域によるだろうが、
今でいうインドネシア、ジャワ島やスマトラ島では
大乗仏教王国ののち、ヒンズー要素が加わって
混ざったものになって、その後イスラムだし。
735 :
世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:33:49 0
>>730 >カーストに対する否定はそうだが、多産や性を正面から肯定してないからだよ。
それはおかしい。そういう欲を絶ち苦行によって涅槃というベクトルは
バラモン教自体がそうだからだ。
それをもって仏教が滅びバラモン教が残るという理由はおかしいでしょう。
>>697 天国はええとこだっせ、とプロモーションはしてるけど、「救済」はない。
現世利益うんぬんじゃなくて、ただ法体系の精度の問題じゃないのかな。イスラム法のね。
でも、ムスリム支配下でも仏教は生き残る余地は十分あるはずなんだけどな。
インドのイスラームに詳しそうなひとが、ここにいたみたいだけど、また来てくれないかなあ。
737 :
世界@名無史さん:2008/07/23(水) 06:07:10 0
イスラムは支配者の宗教ってとこはあるんじゃない?
一夫多妻にしても支配階級がより贅沢に暮らす仕組みだし
738 :
世界@名無史さん:2008/07/23(水) 06:12:35 0
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、みんな
「産めよ増やせよ」系の思想で
仏教・バラモン教(というかインド哲学)は
「求めるな、捨てよ」系の思想で
この2つの集団は大きく思想が根本的に違うと思うんだな
両者は基本的に相容れない、どちらか片方になりがちに思う。
仏教が各国で馴染んだ別の宗教は、この手の一神教の神に奉仕する我々系でなく
自然崇拝系の多神教ばかりな印象あるんだよね。
それ考えると、インドにイスラムが入りえたということがむしろ不思議に思う。
つーか、単にイスラム教徒が攻め込んで支配しただけで、
ほんとにインドにイスラムって根付いたの?
>>738 理由―イスラム信仰してないと税金が増えるんだもん(・ω・)
>>737 おまいは何を言ってるんだ?
現代じゃあ女性抑圧の象徴っぽくなってるが
女性の保護が元々の目的だから
>>735 なんか根本的な勘違いだな。リグベーダは自然礼讃、自然への賛歌だよ。
生活は自然観に反映され、その自然観が民間信仰の根本で、
農耕社会ではどこでも多産と性の肯定は見られる傾向。
牧畜でも狩猟採集でも似た傾向はあるが、特に農耕社会に顕著。
バラモン教には御神体としての性器信仰まである。これはヒンドゥー教にも受け継がれセックスそのものが
信仰の対象になるんだよ。ヒンドゥー教寺院の御神体はリンガとヨニが合体したもの。
>>737 基本的には部族間の調整の為だ。初代サウジ国王は禁欲的なワッハーブ派を肯定したが、
現実には14もの部族の娘と婚姻して半島を統一した。
>>738 日本の神道も産めや増やせやだよ。東南アジアの民間信仰もそう。
東南アジアの上座部は民間信仰と妥協した形跡がある。
中国等東方(北方)へ伝播した大乗は支配の論理としてバラモン階層の竜樹が
確立したんだろ。それをカニシカ王が上手く利用したわけだろ。
国の論理になってからは普及はしていくわけだな。
中国は中華思想、華夷秩序と言うものがあるが、決して平等な社会でもない。
平等の理念が普及の妨げと言うのは無理があるな。
実際大乗確立時代にカーストが消えていたわけでもないだろ。
パキスタンやバングラディッシユはイスラム教徒が多い。
イスラムは国の論理としてインド支配した時代はカーストには妥協するわけだよ。
だからパキスタンにもカーストの残存はある。
>>739 そして、子供は増えないwなにしろ人頭税だからなwその効果は一人っ子政策みたいなものかな。
明治維新でも最も一揆の対象にされたのが徴兵制。農家の成人男子労働力を労役の対象としたから。
ジズヤも成年男子だろ。
国家の理念とはなにか?秩序の確立だろ。現実的には土着の信仰に
妥協して受け入れられることだな。これがそのまま秩序体系だな。
古事記なんかもそんな編纂されているな。インドの場合、やはり特に性の肯定。
これは人口増加、労働力の増加、税収の増加、国力の増加に直結する。
農村の肉体労働力が絶対の時代には人口増大=国力の増大。
簡単に言えば国力とは農業生産力で、これは国土の大きさと土地の肥沃さ以外では人口でしかない。
米国は世界最大の農業国家ではあるが、やはりプロテスタントカトリックを問わず堕胎や離婚を非常に
嫌うストイックで保守的な面が強い。これは独立国家成立以前の移民社会が自衛と自営に頼って家族中心
だった面が強いからだろうな。
「西部開拓を容易にしたものは、良き牛と良き銃と良き女房である」
米国ウーマンリブ運動は突然現れたわけではなく、意外とマリア信仰的な側面と類似性がある。
カトリックが母性崇拝起源のマリア信仰に執着する結果、東方教会と対立するが、これはイスラムの
影響からだな。しかしイスラム社会は非常に偶像崇拝の傾向が強い。唯一神の偶像だけ否定するわけだ。
建前とは違い性的扇情に近い舞踏や多妻主義も長く続く。そもそも中東の名物ナツメヤシは精力剤だ。
パレスチナ人が増え、移民に頼るイスラエルが追いつかないのもこんな理由かどうか知らないが、
放牧で生活している人間が性を軽視するわけがないんだな、これが。
秩序とは精力である。これを体現したのが初代サウジ国王。
14人の娘にシェエラザードのように夜話を話させたかどうか知らないが、皇子はたくさん産ませた。
絶倫は部族間の対立を調和させ後継争いを防ぎ、村の労働力を絶やさない。
仏教は菩薩信仰辺りから性の重要性に気づいたようだが、既にヒンドゥー教が
御神体を確立した後だ。仏教は所詮は北部山岳部の釈迦族の信仰の域は出なかった。
簡単に絶倫と言うけどね、まともな子供を多く産み成人まで育てると言うのは実は結構
難しいんだよ。それが特に特定の性別となると現代でも上手くいかない。
だから、ガンガンやれ、ドンドン産め、と荒業を強調するわけだな。
この点インドの信仰は非常にストレートに人類の生の本質をよくついている思う。
742 :
世界@名無史さん:2008/07/26(土) 06:01:36 0
>>740 >なんか根本的な勘違いだな。リグベーダは自然礼讃、自然への賛歌だよ。
そういうこと言ってるのではない。インド哲学は仏教にも形を変えて受け継がれた
アートマンとブラフマンという世界観で、自然というか宇宙そのものの神性を見るものというのは
その通りだが、そのブラフマン至ることこそが苦=輪廻からの解脱で
その手段としてバラモン教は禁欲、苦行をもって超感覚を得るというベクトルであった。
それを否定したのがブッダ。
苦行してもなにも得られず、やめたとき悟りを開いたとはそういうことだ。
インドの民衆に根付く思想(日本でいうと神道的アニミズム)の話であるなら
性に寛容というのはその通りだろうが
仏教に対するバラモン教という話であれば、同じく禁欲的ものですよ。
>>739 マホメットの意図は問うていない。
結果として、支配者階級にとって都合のいい禁欲的でない教義であるということだ。
>>742 それはウパニシャド哲学の後期の部分でバラモン教の本質的な部分ではないよ。
バラモンとはそもそも祭祀やその言葉を指す言葉で、自然信仰と祭祀主義がその本質で
あり実態。カーストが前提だからウパニシャドの後期の部分はインテリや支配階層向きの説明だろ。
信者一般の理解ではない。
また、後期ウパニシャドのプラウマンとアートマンの融合とはカーストに個人が組み込まれる
過程の説明でしかない。ブラウマンは祭祀や社会や延いては宇宙全体で当時の「全世界」を意味する。
またアートマンとは個人や個の本質等の意味で、確かにバラモンに対する反発からの個人主義自由主義
の重視の萌芽ではある。
しかし当時のバラモン教に仏教と同じ梵我一如を認めるのは無理がある。
また解脱と言うのも司祭の昏睡状態のようなものを指し、祈祷師のようなものだよ。
仏教の言う修行の結果としての解脱ではない。
カースト前提と言う意味では輪廻にも甘んじろと言う意味。
むしろ正反対だよ。仏陀はブラウマンよりアートマンを重視したわけだよ。
744 :
梵阿弥:2008/07/28(月) 19:04:52 0
>>558 御待たせです。
>>556を偉そうに書いてしまいましたが穴が在りました。じっくりご説明したいんですが
俄に速まって、千まで行きそうで心配なので端折ります。先ず、両聖の立場の揺らいだ時期。
平凡社の『世界大百科事典』の「聖人伝」では
"(略)長く信仰の対象であった聖人の実在が否定されることも多い。11月に祝日のあったバルラームと
ヨサファトの伝記は(略)釈迦伝であることが19世紀に判明し教会暦から省かれたのがその一例である"
と在ります。佛伝だと判明したのが19世紀でも、教会暦から省かれたのは1969年、と読む余地も在ると
思ってましたが今では省かれたのも19世紀だと思い直しました。理由は
『中世の説話――東と西の出会い』 著:松原 秀一 刊:東京書籍 の85、117、121-122頁に、
エドワール・ド ラブレーが1859年に論文で、両聖伝が佛伝と酷似すると指摘、リーブレヒト、E・クーン
達の研究で「佛伝の変形だと判明」し、カトリックの暦から削られた、と在りました。
1869年から翌年まで第1ヴァチカン公会議があり、1870年に『ローマ殉教録』が改訂されてます。
この時でないかと思います
745 :
梵阿弥:2008/07/28(月) 19:36:25 0
「破門」されたかどうか。
『黄金伝説と仏陀伝――聖伝に隠された東西交流』 著:原田 実 刊:人文書院 では
"カトリック教会も黙殺することは出来ず、聖バルラームと聖ヨサパトの祝日は教会暦から削られ、彼らは
実在を否定された聖人の列に名を連ねることになったのです。" 20頁
と在ります。では「実在を否定された聖人」とは何者でしょうか。
「実在を否定された」ものの飽く迄「聖人」
「実在を否定された」からには「聖人」では無い
私としては前者を採ります。聖エクスペディトゥス/聖フィロメナは「聖人一覧から外された」等の記述が
諸書に在りますが両聖には在りません。
教会(典礼)暦/殉教録から除かれると「非聖人」でしょうか。それぞれ幾種類もあり内容も違いました。
載っていない聖人も居た訳です。
破門されたかですが、聖人の枠に留まって居たなら当然破門されてないでしょう。そもそも破門とは
共同体からの排除であり、「八分」の様なものです。「実在しなかった」人は排除する必要も無いでしょう。
仮に破門や「非聖人」化されたのなら、1969年頃までに撤回されて聖人に復帰したという事ですね
746 :
梵阿弥:2008/07/28(月) 19:53:21 0
聖人伝説を「客観的」に評価する取組み、ですが「ボランディスト協会」の事です。
ロスワイデの仕事をジャン・ボラン(ラテン語でボランド)が引継ぎました。2人ともイエズス会士です。
その後継がボランディスト。イエズス会の解散で停滞しますが会の再建と共にこちらも蘇り、今も続いてます。
『聖人辞典』
>>556 では本部はブリュッセルですが、
『聖人崇拝』 著:L・S・カニンガム 訳:高柳俊一 刊:教文館 ではアントウェルペンが中心と在ります。
>556で「ワロン地域を中心に」と書いたのは、ボランがワロン人なので憶え違えたようです。
アントウェルペンは完全にフラマン地域ですね。御詫びします
>>640 > バラモン教には御神体としての性器信仰まである。
性器崇拝は非アーリア的要素の代表格なんだが。
それと、農耕社会というが、古いバラモン教にはインド・イラン共通時代、
すなわち非農耕社会の名残を留めている。
>>742 ヨーロッパ的政教分離に馴らされてると理解しにくいが、そもそもイスラームは政教一致。
こちら側から見て政治的に都合がいいとかどうとかは、こちら側の視点にすぎない。
だいたい時代場所問わず、為政者は倫理的な規制をごまかすもんなんだろうけど。
マホメット(この呼び方最近言わないけど)の意図は大事よ。
彼はムスリムにとってお手本なんだから。
よく言われてるけど、イスラームの教義つーか法律だな、
これにはムハンマドの商人としての感覚が反映されている。
禁欲的じゃないと言うなら確かにそう。でも社会的不正に対しては厳しい。
749 :
世界@名無史さん:2008/07/31(木) 05:18:13 0
イスラム化以前のインドで、仏教が国家儀礼に食い込めたことってあるの?
750 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 11:31:34 0
アショーカ王を挙げるまでもなく
地方豪族(実質的に地方政権)の王が仏教に帰依してゆく様が
経典に数多く描かれているし
仏教を国教とする国家がインドにあったというのは正しい
751 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 11:38:22 0
>>743 >むしろ正反対だよ。仏陀はブラウマンよりアートマンを重視したわけだよ。
そういうこっちゃないだろう。
ブラフマンとアートマンと、両者の関係性において
従来のウパニシャッドとは違った新解釈を提示しただけで
どちらにしろブラフマンとアートマンは繋がっていて同一であるわけだから
どちらを重視という言い方はおかしい。
従来のアートマンとブラフマンの関係性理論では、今見えている現実は
アートマンであるとしたわけだが、これ自体がブラフマンであると
現世にブラフマン性を見出したと言える。これこそが縁起説。
要するに死後観に関わる話として梵我一如を考える思想がまずあり
それをさらに推し進め、生の世界をも含めた梵我一如を提示したのだ。
752 :
世界@名無史さん:2008/08/03(日) 02:19:15 0
喫茶去(まあ、茶でも飲んでいけ)>(´・ω・`)つ旦
>>751 理論だけでなくそれが反映されている社会提示してみ。
ブラウマン(バラモン)ってーのは本来は祭儀やその呪文のような言葉から
社会全体世界全体を意味するわけで、当時の祭祀主義の世界観や社会そのもの。
つまり祭祀儀礼やその手続き、形式主義=社会、世界観と言うこと。
仏陀が否定或いは克服したかったのがカーストそのものであり、バラモン教の本体だから、
両者を等価に扱うと言うことは有得ない。
パラモン教の社会理論やイデオロギーとしての性格が説明できてない。
理論と社会の相互関係が説明できてないよ。
>>747 農耕社会を山岳地域が、西方や北方から南方や東方に移動しつつ、征服してできた
ものがバラモン教だから両者が混交している。
この北方のものがアーリア的なものと言われているが区別の詳細は不明。
そして南方の豊かな社会に北方の質素な民族が支配しつつも文化的に侵蝕されていくと言うのは
極論すると北半球にはよくある文化的文明的現象。
>>683 宗教がどういう場合に大きな影響力を持つのか
そのあたりについてちっとも思いをはせていないで
紙面上の知識に素直に影響される無垢さがある意味うらやましいね
地に足のついた見聞深めるためにチベットなりタイなり言ってみるのもいいんじゃない
玄奘が命がけで天竺へ向かったのは一にも二にもありがたい経典のため
見聞を深めるなんてのは三の次以下
758 :
梵阿弥:2008/08/14(木) 19:46:46 0
>>562 祟りというのは実は輪廻転生と関係在るという説も在りますね
>>691 梵天は「ブラフマー」と書くのが普通ですね。御免なさい。
また、「ローマ典礼暦」を見直すと「バアルラアムとヨザファト」と成ってました。
ヨサファト、ヨアサフ等いろいろな表記が在りますがバアルラアムは異例です。
11月27日というのは諸書と同じなので我等が?両聖の事なのは間違い在りません。誤植でしょうか。
今も聖人に含めている理由ですが、『黄金伝説』に拠れば両聖伝の舞台はインドです。ヴァチカンの
インド・キリスト教徒への配慮が感じられる判断だと思います。独立後はブリテンの後ろ盾を失いました。
また、インドのキリスト教は多彩です。カトリック信徒数をを小差でプロテスタントが追いますが、
西シリアに総本山のあるヤコブ派(キリスト単性説=非三位一体)も200万位居ます
759 :
世界@名無史さん:2008/08/19(火) 08:29:19 0
29 :世界@名無史さん:2008/08/17(日) 22:48:08 0
スレ違いになるんでしょうが、質問です。以前このスレで『論理的であることが仏教の存在理由』みたいな書き込みがあったはずですが
仏教ってそんなに論理的なんでしょうか?どなたか詳しい解説をお願いします。
わたしとしては、無矛盾律や自然法論などについての、いわゆる“キリスト教哲学者”の論議を見ていると、
キリスト教(またユダヤ教やイスラム教も)こそ「ものごとの性質上正しい」んじゃないかなあ?と思うんですが。
たとえば(この場合はイスラム哲学になりますが)イブン・スィーナーの
「無矛盾律を否定する者は、打たれることが打たれないことと同じでないと認めるまで打たれ
焼かれることが焼かれないことと同じではないと認めるまで焼かれるべきだ」
という言葉は、まさにそのとおりで「ものごとの性質上」正しいと感じます。
よく、一神教は排他的だと言われますが、ものごとの性質上、真理は偽りに対して排他的です。
神は存在するのであれば「神は存在しない」というのは偽だということになりますし
人生に目的があるのであれば「人生には目的がない」というのは偽ということになります。
ものごとの性質上真理は一つしかないからです。
たとえば、ワシントンDCが米国の首都であるということは、米国の他のどの都市も首都ではないということを意味します。
他の都市を「米国の首都である」と言うならば、それは排除すべき誤りです。
米国の首都は一つであって、それがワシントンDCだというだけです。
つまり(キリスト教が正しいのであれば)真理は一つであり、それがキリスト教だということになります。
米国の首都に関する排他的事実を認めるからといって、その人が寛容になるわけでも不寛容になる訳でもありません。
ただその人が正しいだけです。
そういう意味では、キリスト教こそが真理であり、他は間違っていると主張したとしても、別に不寛容でも何でもありません。
つまり・・・真理の宗教が存在するならば、その宗教は(ある意味では)排他的なはずです。
こんな感じで「ものごとの性質上」キリスト教は正しいと感じますが、どうでしょうか?
また、仏教は本当に論理的なんでしょうか?長文失礼しました。
>>759 >「キサマ等 西洋哲学のいる場所は、我々が既に2000年前に通過した場所だッッ!!」
元ネタの漫画『グラップラー 刃牙』の台詞なのですよ。
>>760 特定の思想を説けば、それに入らないものを排除せざるを得ないという点は
確かにそうなのですが、そのことは「キリスト教こそが真理」という結論を意
味しませんね。
この方は納得出来ておいでなのでしょうが、他者を説得出来るだけの論拠が
提示されていません。
それでは仏教はどうかと言えば、まず第一に「八万四千の法門」があります。
これは釈迦が対機説法、即ち異なる相手ごとの状態に応じ、医師が異なった
治療を授けるように異なった教えを授けられたことに由来するもの。
治療法は異なっても釈迦は一人。
つまり全ての教えは表面上異なっていても同一の真理から発しているという
ものです。
実際には仏教徒同士でも「これがより釈迦の説に近く、他の教えは方便であ
る」という法論はありましたが、こうした思想から対立を止めるべきだとい
う説もありました。
また、仏教徒が他宗派を否定する場合、釈迦の教えの「方便」であると言わ
れはしましたが、全くの妄説とはまず言われませんでした。
キリスト教が日本に伝来した時、仏僧の多くは宣教師に対して「枝は異なる
が同一の教え」だと呼びかけ、宣教師側が拒否することがありましたが、こ
れもキリスト教を「法門」の一つと見たことによります。
第二に、他宗教への対応ですが、インドではバラモン教やジャイナ教と論争
をしたことが『大唐西域記』に見られ、仏典で「外道」と呼ばれるこうした
面々との対立・論争は確かに存在しました。
有名なのは「六師外道」ですが、おそらく釈迦の時代から玄奘の時代、更に
それ以降に至るまで、インドには無数の思想が生まれ、消えていた筈です。
仏教の立場から見れば否定される「外道」は確かに排除の対象でした。
しかし、玄奘がインドで行ったのはあくまでも自論による論破です。
裁判にかけたとか、信仰対象を破却・殺害したとか、根絶した訳ではない。
論争はこれ以前にもあり、これ以後もあったと考えれば、共存していたとい
うことから思想的には排除することはあっても政治的な排除は望まれなかっ
たと言っていいと思われます。
また、論争は公の場で行われた訳ですが、自分から他寺に乗り込むという反
発をかうような行動はとられていなかったのではないでしょうか。
>ものごとの性質上、真理は偽りに対して排他的です。
これに関しては、鈴木大拙が禅に限らず仏教は二項対立、二元論的な発想で
はなかったということを述べています。
禅以外の仏教(の範囲自体がそもそも広すぎるのですが)についてどういう
見方からそう述べたのかは分かりませんが、禅では「不立文字」です。
白と言えば黒ではなくなり、黒と考えれば白ではなくなる。
結局、言葉にすれば真理ではなくなるのであり、悟るしかないというもの。
中国の百家の内、後代まで影響を与えたのは儒・道しかなかったと言ってい
いと思いますが、これらも仏教と門は異なれども同じ求法の者という解釈が
多かったと思います。
確かに道教かぶれの皇帝や廃仏もありましたが、殺害や根絶がキリスト教ほ
ど求められた(違いを言いたいだけですが)ことはないような。
月並みなところに落ち着いてしまいますが、やはり思想的土壌が異なるとい
うか。西洋哲学の「白ないしは黒」という二元論的思考はプラトンに遡ると
言いますが、南〜東アジアでは白か黒のいずれかであり、いずれかのみを残
すということに、執着してこなかったように思います。
自論と異なって存在していれば、方便その他の理由をつけてしまう。
(これも厳密には南・東南アジアと東アジアで違いはありますが)
>米国の首都は一つであって、それがワシントンDCだというだけです。
そういった経緯からすれば、こうした考え方は珍しいですね。
「こうでなければならない」とされている訳で。
そもそも、揚げ足をとらせて頂ければ、首都だから一つとは限らない訳で。
以下は私的余談。
>米国の首都に関する排他的事実を認めるからといって、
「事実」という言葉ほど怖ろしいものはありません。
差別じゃない区別だ。事実だからこうしていい。
この手の(実は本人だけの)区別や事実ほど排除される側に悲劇をもたらし
て来たものはない。
身も蓋もなく言い切ってしまえば、所詮は人の脳内の観念です。
どんな考え方も浮かぶ訳で、その場に相応しい治療法になればいい。
私は仏教は必要ない人には弊履の如く必要ない教えでいいと考えていますが。
脳内の観念を包括的「事実」と認定して、それにそぐわない脳の外の現実と
争い、破壊を生むようなことでもあれば、喜劇を兼ねた悲劇でしょう。
>29の方は最初「正しいと感じます」と書かれている。
これならまだいいのですよ。それが「排除すべき誤り」に対する「正しいだ
け」になった時、それを信じていない人には碌でもないことになりそうで。
本人は気持ちいいのでしょうが、脳内にいない側には厄介の種です。
大体虐殺をした側の言い分は「単なる事実に基づいた行動」でしたからね。
十字軍だろうが、ホロコーストだろうが。
捨て台詞を。
仏教だろうがキリスト教だろうが思想は人が使うもので、人が使われるもの
ではありません。
766 :
759:2008/08/20(水) 03:24:25 0
>>761 ご回答ありがとうございます。
>>760は自分がキリスト教史スレに書き込んだものです。
マルチポストみたいになってしまうのを避けるため、あえて同一の文章を
コピペをするのを避けていたのですが、なぜかこのスレにコピペされてしまいました。
最初は無矛盾律や真理の唯一性についてのくだりは書き魔ないつもりでした。
しかし、自分がどういう考えを持っているか、どうしてキリスト教は正しいと考えているのかについて、
それを知っていただいたほうが回答者の方も答えやすいかと思い、付け足しました。
神学論争や布教活動をしたかった訳ではなく、
純粋に質問したかっただけなのですが、議論を呼ぶ内容だったかもしれません。
以前NHKで五木寛之さんの出ている仏教の番組を見たのですが、
欧米では仏教はキリスト教に比べてわかりにくい教えだととらえられていたとのことです。
確かに、仏教は漠然としていてつかみにくく感じます。
実際、山野野衾さんは、仏教は論理的なものだと思っておられますか?だとすれば、それはどうしてですか?
わたしには、高度に洗練された哲学だというイメージはあるものの、実際にはよくわかりません。
以前見た『論理的であることが仏教の存在理由』という書き込みがどうしても気になったので、
質問させていただきました。どうかご回答よろしくお願いします。
門外漢ですけど、考えてみますね。
>>760 はつまり、(そもそもキリスト教以外正しくはないが)仏教は論理的とは思えない、
で、ここでいう論理的っていうのは、神を論理的に考える思考作業ということでおk?
仏教が、だいたい
>>82 みたいなもの(反論も参照せよ)とすると、「神を論理的に考える思考作業」がないことがわかる。
そうすると、気になってる「論理的であることが仏教の存在理由」の「論理」は、信仰ではなく哲学性を示しているとも受け取れるね。
正しいか正しくないか、あんまりグダグダいうのは仏教的には好ましくないことのようなので、そういう点では
>>759 のお好みには合わないだろうね。
ローマ教会みたいにお上の方針をさ、上意下達させるところだと神学論争でもなんでもやって、名義の部分にこだわらざるを得ないんだろうけどね。
最後に。
山野さん捨て台詞かっこいいじゃねぇかぁぁぁ。
768 :
世界@名無史さん:2008/08/21(木) 00:06:41 0
インド人は
嘘も方便とか、色即是空、空即是色とか、言っているところへ
なまじ経済が発達して借金とか債権と言う概念があったから
ゼロを発見したんだな。
>>759 「ミリンダ王の問い」と言う仏教の対話録は2000年以上前のものだが、
ギリシャ人の影響によりつくられたものだよ。
プラトンの対話編との類似性が指摘されている。
ここに出てくるナ−ガセーナはナーガルージュに先んじること300-400年前だよ。
またユングはオカルトにはまるような人物だから少し割り引いて理解した方がいい。
>>766 キリスト教と言うよりアリストテレス哲学だろうから、キリスト教哲学はその単なる一解釈でしかないよ。
キリスト教は間違った信仰だと言う可能性を信心により排除しているだろ。
信仰は信心が優先するのであって論理は後付けでしかない。
ここが学問とは大きく違う点だな。学問は常に懐疑だよ。
仏教は論理的と言うよりは観念的なんだよ。
だからドイツで特に研究が盛んになった。論理で経典解釈する結果観念的抽象的になる
からわかりにくいんだろ。マルクス主義やドイツ観念論に似ているな。
>>764 世界に首都は無数にあり、無数に盛衰してきた、でいいんじゃねww
>>763 仏教の二元論こそウパニシャド哲学に起因するものだよ。
梵我一如のという梵と我はブラウマンとアートマンの対峙だろ。
>白と言えば黒ではなくなり、黒と考えれば白ではなくなる。
結局、言葉にすれば真理ではなくなるのであり、悟るしかないというもの。
この辺は実にウパニシャド的だよね。ドイツ観念論の止揚にも似た理解だな。
770 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 05:54:51 0
771 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 06:41:25 0
いよいよ時代錯誤の仏教弾圧が始まる予感
772 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 12:46:11 0
仏教って平たく言えば
「喜怒哀楽の元になる外からのシゲキにたいして
心を動かすな」ってことでしょう?
たとえば喉がからからに渇く。その状態で
水を飲むと「なんておいしいんだろう!また
真夏の炎天下で散歩をしよう!」って思う。
だがこれを繰り返してるうちに「乾いた状態は
水がおいしいが、結局また水がおいしくなくなり、
水をおいしく飲むためには乾くことが必要となり、
結局、乾く=水がおいしくない、というのと
おなじじゃねーか。
773 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 12:49:11 0
人間の感性は振り子運動と同じで、
あるモノを強く感じるとその反動で
その逆のことがその分強く感じる。
そしてまたその逆のことを感じ、
さらに元のところに戻る。
同じことの繰り返し。
とするならば、最初から振り子の
運動を起こさねばいいのだ。
そうすれば喜んでは次の悲しみに
震えることがなくなり、悲しんでは
次の喜びを期待しなくてもよくなり、
その喜びは結局は悲しみの元であると
気持ちが沈み、
無駄に体を精神を損なわずにすむ」
ってことでしょ?
774 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 14:19:23 0
>>772>>773
インドは豊かだったから、何千年も前から禅問答みたいなことを
繰り返すだけで飯が食べれた階級がいたのだなぁ
寒い中国や、日本だと、禅問答だけで飯が食えたかどうか
定かではないもんなぁ
奈良仏教は国家公務員だったし、
空海や行基は結構事業をやっいた形跡があるし、
アルバイトで祈祷をやっていたようだし、
中国仏教は金貸しをやっていたし、
775 :
梵阿弥:2008/08/30(土) 18:37:40 0
>>692 馬場 健太という人のブログですか。大学生らしいですね。しかし、
『黄金伝説』 著:ヤコブス・デ・ウォラギネ 訳:前田 敬作/山中 知子 平凡社ライブラリー
の174章 聖バルラームと聖ヨサパト、では、
"ヨサパトは、(略)教会を建立し、十字架を立て、(略)父王をも説得した。父王は、入信して受洗した。
(略)贖罪の余生を送り、安らかに生涯の幕を閉じた。" 423-424頁
と在ります。これで
>アヴェニール王の希望どおりに、この二聖人を破門した。
というのは可笑しいでしょう。
馬場氏は『黄金伝説』を読んで無いんでしょうか。読んでも忘れたんでしょうか。或いは、
「入信受洗前の」希望通り、の積りで語句を入れ忘れたでしょうか。
両聖伝自体は『黄金伝説』以外にも在ります。中には父王が「異教徒」のままだったという
物も在るかもしれません。しかし典拠を示して居ませんよね。
その後のブログも題名位は見ましたが特に何も無いようです。当面は、「破門」というのは
馬場氏の勇み足と見るのが妥当だと思います
776 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 12:05:41 0
777 :
世界@名無史さん:2008/09/08(月) 12:16:54 O
仏教の歴史上偉大な人物は
池田大作博士
創価学会こそ釈迦が待ち望んだ仏の集団
世界中の宗教学者、哲学者、歴史学者が認めてる
779 :
梵阿弥:2008/09/29(月) 19:30:04 0
>>692 雑談の所に書きましたが削除されましたね。元は、カイエ:So-netというサイトの記事ですね。
そちらで読むことは出来ます。
そうなるとカイエ(Lapis)という人の認識が問題になりますね。『黄金伝説』を読んで無いんでしょうか。
猶、黄金伝説の平凡社ライブラリー版は4巻に分かれていて、両聖伝を含むのは『黄金伝説4』です。
『中世の説話』は後に『中世ヨーロッパの説話』と改題して中公文庫から出ています。今はどちらも
絶版ですが。カイエ氏は主に同書に拠ったようですね。記事の始めに上げてますし、父王アヴェニール、
王子ジョザファというのは同書ならではの表記です。しかし同書も「破門」とは書いてません
781 :
世界@名無史さん:2008/10/18(土) 21:57:19 0
ttp://www.47news.jp/CN/200810/CN2008101801000503.html バーミヤン大仏内に供養品 麻袋に刻印、獅子と馬か
【バーミヤン(アフガニスタン中部)18日共同】アフガニスタン中部の世界遺産、バーミヤン遺跡で18日までに、
旧タリバン政権が破壊した東西2体の大仏のうち、東大仏(高さ38メートル)の右腕部分から
6世紀ごろの大仏建立時に供養品として埋葬された麻袋が見つかった。
袋は泥で封印してあり、獅子と馬とみられる模様の刻印が残されていた。
7世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵は著書「大唐西域記」で
東大仏を「釈迦仏」と記述したが、破壊前から損傷が激しく仏像の種類がはっきりしなかった。
専門家や仏陀の伝記など仏伝によると獅子は釈迦を表し、馬は釈迦の誕生を象徴するとされ、釈迦仏と裏付けられた。
供養品の解析が進めば、謎が多い大仏建立の経緯解明につながる第1級の成果になりそうだ。
東大仏の修復作業に当たる国連教育科学文化機関(ユネスコ)の協力機関、
国際記念物遺跡会議(イコモス)ドイツ調査隊の修復専門家プラクセンタラー氏が見つけた。
麻袋は長さ、幅ともに約5センチ。東大仏で、前に突き出していたとみられる
右ひじの骨組みとなる木材を差し込んだ穴の奥で見つかった。
2008/10/18 20:18 【共同通信】
ttp://www.47news.jp/PN/200810/PN2008101801000546.-.-.CI0003.jpg アフガニスタン中部バーミヤン遺跡の東大仏の右腕部分から見つかった麻袋。獅子とみられる刻印(右)がある=8日(共同)
782 :
梵阿弥:2008/10/20(月) 18:25:24 0
>>692 カイエ氏のブログによると10月上旬に馬場氏から侘びが入り、盗用連発ブログも自ら閉鎖したそうです。
私としては、自身のブログ上で盗用の全貌を明らかにした上で、読者全般に謝って欲しかった。
被害を受けたのは盗まれた人だけじゃありませんから。例えばあんな俗名の人は大勢居ます。
とはいえ、発覚後は放置状態で、自殺も心配してたので取敢えず良かった。
貴方が盗作を貼ってしまったのは、止むを得ませんね。全て検索するなどとても無理です。特に今回は
カイエ氏のブログは重くて、「不正操作」で切れたりするので尚更です。
盗用疑惑に気付き次第、教え合えば良いでしょう。内容についての御返事をお待ちしてます
783 :
世界@名無史さん:2008/10/26(日) 16:26:59 0
葬式仏教乙wwww
まじで最低な奴多いよな、宗教家って、、、
檀家から巻き上げた金で、キャバクラ行き放題。
檀家の御布施が少ないとその檀家の悪口を流布させる。
ってか、僧侶って何であんなに酒飲み多いの???
自分で酒豪とか自慢しておいて、病気になって、
病院に対して「酒が飲めねーだと!あ?ふざけんな!!!」とか言ってきたりする
飲みたいなら飲めよ、そして勝手に死ね。
葷酒山門に入るを許さず、三省堂の辞書で調べた。
「禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。清浄な寺門の中に修行を妨げ心を乱す不浄な葷酒を持ち込んだり、それらを口にしたものがはいることを許されないの意。」
おまえら僧侶は医師全員に陰口言われてんよw
ざまぁwwww
あと、僧侶のくせに人の葬式に純白のスポーツカーで来るのはやめとけwwwwwwwwww
ほんとばかだな、おまえ
785 :
世界@名無史さん:2008/10/28(火) 17:55:59 0
そもそも日本で仏教が庶民に定着したのは檀那寺制度の影響でしょ
武士の暴力と僧侶の利権によって押し付けられたのが日本仏教だよ
日本仏教がキチガイカルト葬式仏教なのは当たり前
786 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 02:57:15 0
キャバクラ遊びや風俗通いをしている『お坊さん』がいるって本当ですか?-Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217918212 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
saxwendy930さん
いますよ、いっぱい。。。。。。( ̄  ̄;)
知り合いの49日に行った後、お坊さんと一緒の食事の席で
『君、私の隣に座って酌をしなさい』
と言われ、はぁ!?と思ったのですが、親戚いっぱいのとこだし檀家のお坊さんだし
嫌とも言えず、横でお酌してたのですが、
毎晩の豪遊の話を自慢げにずっと話してましたよ。
『私は坊主だから、私が触った女の子はご利益があるんだよ』
とか、
『私は遊んでいるわけではない、皆様から頂いたお布施を夜の街へ行くことで社会に換金しているんだ。』
などなど。。。
坊主がますます嫌いになりました…(;ノ- -)ノ
実家のまわりは寺の多い土地なので、夜はあちこちで坊主が赤い顔して女の子つれてるし、
知り合いの行っていた某宗教高校のそばでは、学校のお坊さんが近くのコンビニでエロ本立ち読みしてるのをしっかり生徒に目撃されてます。。
私の親戚(先祖)はもともと寺だったんですが、数代前のなまくさ坊主が酒と博打と女遊びが大好きで寺つぶしましたよ。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
787 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 02:57:46 0
江戸時代の性風俗と宗教-BIGLOBEなんでも相談室
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1190947.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
回答者:junt
江戸時代の僧侶には、女を抱いたりする、なまぐさ坊主が多かった。ところが、
それらのなまぐさ坊主達は、『好色な女』を『お布施』と呼んでいた。
『お布施』とは、お寺に寄付するお金。開けて、中身を調べるのが楽しみだ、
という意味である。
この時代の僧侶は、不勉強で、戒律を犯す坊主が多かった。16、7世紀までは、
文字を自由に読み書きできるのは、公家と僧侶だけであり、僧侶は、最高の
知的エリートだった。ところがその後は、僧侶、武士、商人の知的水準が、
ほとんど同じになってしまった。それだけ、僧侶が堕落したわけである。
特に女性関係で堕落が激しく、寛政八(1796)年には、67人の女犯僧が
さらし者にされている。
これは、一面では、強大な治外法権を持つ宗教界への幕府の弾圧、民衆への
デモンストレーションでもあったが、僧侶の腐敗ぶりをよく示している。
僧侶達は、酒を『般若湯(はんにゃとう)』と言い換えたように、禁制のものを
別名で呼んでいた。
ドジョウはよく跳ねるから『踊り子』、男性のシンボルは鐘を突く『撞木(しゅもく)』であり、
その撞木を使って、女性を『成仏』させることに励む僧侶が多かった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
788 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 02:58:17 0
江戸時代の性風俗と宗教 BIGLOBEなんでも相談室
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1190947.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
回答者:98Kin
まず僧侶ですが、出家というのは俗世と縁を断つ行為ですから、
家族を作ることに繋がる女性との関係は「女犯」として禁じられておりました。
そこで男遊びというか、男性同士で肉体関係を持つことがあり、
これは武士でも戦国時代では一般的なことでした。
武田信玄も男関係に悩み自分の愛人(男性)に浮気はしないと起請文を
出したのが後世に残っていたり、織田信長も前田利家や森蘭丸などと
肉体関係を持っていたといわれており、江戸期に儒教が入るまでは
目くじらを立てる事も無かったようです。
(現在で言う「友情」という形を考えていただければ)
話を戻すと江戸時代には「陰間茶屋」という男娼のいるところがあり、
僧侶もここで遊んだようです。
因みに男娼は役者の玉子がアルバイトで勤める事もあり、概ね10代の美少年ですから、
20歳を過ぎた物は女性相手に転じました。
そうは言っても女性が好きな僧侶もおり、こうした僧侶は医者に変装して
(正規の医者も髪を剃っているので)遊んだようですが、
勿論これは罪になり寛政8年には70人あまりの僧侶が処罰されました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウホッw
789 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 02:58:56 0
livedoorニュース-ソープやピンサロをねだる警官は少なくない?(覆面座談会その2)
http://news.livedoor.com/article/detail/3302340/ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
市村住職:正直言って読経中にムラムラしたことも一度や二度じゃないです。
女はやっぱり熟女ですよ、熟女。わしにはロリコンなんて考えられませんね。
市村住職:本当の遊び人はカネなんかかけない。自分のアレで勝負だよ。
キャバクラとかソープで働くお姉さんにとって客の顔は福沢諭吉にした見えないんだから(笑い)。
カネ出して遊んだってちっとも面白くないでしょ。
ノリユキ:住職はそんなにご自分のアレに自信があるんですか?
そうやって口説いたっていうか、エッチな関係になった人は今まで何人くらいいます?
市村住職:ざっと100人ぐらいはいるかも。わしは女房もいないし子供もいないから、
どんな相手と何をしようと勝手なんだけど、どんな人にも差を付けないで付き合うことにしてる。
20代の若い女の子でも50代のおばちゃんでも、みんな同じように接してる。
それなりにカネもかかるし手間ひまかかるけど、人間セックスの楽しみがなくなったらお終いだよ。(笑い)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なんだこのコピペ
791 :
世界@名無史さん:2008/10/31(金) 23:35:25 0
密教の実践ですね。わかります
妙適C淨句是菩薩位(男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である)
慾箭C淨句是菩薩位(欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である)
觸C淨句是菩薩位(男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である)
愛縛C淨句是菩薩位(異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である)
一切自在主C淨句是菩薩位(男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である)
見C淨句是菩薩位(欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である)
適スC淨句是菩薩位(男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である)
愛C淨句是菩薩位(男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である)
――『理趣経』より
真言宗や天台宗の坊さんとは限るまい。
安原和雄の仏教経済塾 葬式仏教と拝金僧侶たち
================転載開始===================
末木文美士著『仏教vs.倫理』(ちくま新書)でも次のように書いている。
「葬式仏教は評判がよくない。戒名料をはじめ、ちょっとお経を読んでもらうだけで、
お布施を包まなければならない。(中略)『お志でけっこうです』といいながら、
額が少ないと、露骨にいやな顔をして、『信心が足りない』などと嫌みをいう。
それも尊大ぶって偉そうにふんぞり返って、まったく感じが悪い、等々、
どこに行ってもおかしいほど同じようなお寺の悪口が聞かれる」(p79)と。
================転載終了===================
どこに行ってもおかしいほど同じようなお寺の悪口が聞かれる
どこに行ってもおかしいほど同じようなお寺の悪口が聞かれる
どこに行ってもおかしいほど同じようなお寺の悪口が聞かれる
どこに行ってもおかしいほど同じようなお寺の悪口が聞かれる
327 :通りすがり:2008/10/31(金) 09:19:44
お坊さんって凄いですね!
やっぱ別格ですねw
違う意味で、誰の力でもどうにもならないでしょ!
でも、有難いお坊さんも居ますよね。
すれ違っただけで頭が自然に下がってしまうような・・・
おもわず合掌をしたくなるような・・・
我々に求められるものは、そういった本物の宗教家を見抜く眼力ですね。
そして、321〜326のような書き込みは、
崇高な宗教家の心には、面白おかしくしか映らないのですよ。
微笑みながら読んでいることでしょうね。
(逆に書き込んでいる人の心が哀れに思えるくらいです)
328 :創価も仏教もカスだよねw:2008/10/31(金) 14:40:12
>>327 冷笑されているのはむしろ貴方達のほうなんですが(笑)
>誰の力でもどうにもならないでしょ!
そういう思考停止型のレス自体が、民主主義をなめてかかってる気がするんですよね〜
宗教以外のお勉強してますか?
それに、国際法改正と国際的カルト指定により、どうにでもなるよ。
↓ちなみに、カルト指定された団体のリスト
International Cultic Studies Association:(formerly AFF)
http://www.csj.org/infoserv_idx/idx_grp_byname.htm >我々に求められるものは、そういった本物の宗教家を見抜く眼力ですね。
本物も何も、江戸時代から継続する檀家制度の名残に関してはどうお考えなのでしょうかね?
また、地方の人間や未開人程、旧来の檀家を離脱することが、その地域での社会性の維持において不可能に近い。
信者側の研鑽を求めるならば、宗教家側が先鞭をつけるべきは啓蒙と情報公開インフラの常設、、、
情報公開の希求に関しては、日本の事実上の宗主国米国によって年次改革要望書からの要請で
何とでもなる。
ちなみに、日本の仏教なんて所詮葬式仏教でしかなく、日本以外の仏教からは軽蔑の的になっていることを忘れてはいけない、、、
日本以外の国の仏教徒は、葬式仏教なんてしない。質実剛健な真の仏教徒は日本にはいない。
>日本以外の国の仏教徒は、葬式仏教なんてしない
ゲラゲラw
少しは調べろ。どこの国も堕落してる連中は同じなんだよ。
これは仏教だけでなくキリスト教もね。
信者の女200人以上愛人にしてたローマ法王とか、
ホモ相手の枢機卿に任命したりとか、修道院改築しようとしたら壁に塗りこめられた
嬰児の遺体がワラワラ出て来たりとか、この手の話は腐るほどある。
>>793 額が少ないと、露骨にいやな顔をして
これくらいならまだマシ。
ひどいのになると中身をもう一度確認してくれと言ってきます。
798 :
梵阿弥:2008/11/12(水) 19:39:08 0
>>692 『中世(ヨーロッパ)の説話』には、「聖ヨサパトの遺骨」が紆余曲折を経てアントウェルペンの
聖サルヴァドル修道院に献納された、と在り、カイエ氏のブログにも載せています。
その後どう成りましたかね。捨ててしまったかも知れません。
猶、『黄金伝説4』の両聖伝には、
「陰謀と知らぬが仏の騎士は」 頁403
と在り、翻訳者は、上手い訳を思いついた、とにやりとしたかも知れません。
また、同巻の聖エウスタキウス伝の注には、これも佛伝が元に成ったと在ります。
私にはその当否は判りません。説話のインド起源説が流行った時期があり、今では行き過ぎも
指摘されますから。
私からはこの件はこれ位です。反響無ければ終りです
799 :
世界@名無史さん:2008/11/22(土) 20:29:14 0
>>799 釈迦は韓国人だったので普通にあり得るニダ
801 :
世界@名無史さん:2008/12/12(金) 16:17:16 0
意味不明ニダ
802 :
梵阿弥:2008/12/19(金) 19:24:24 0
>>692 書き忘れました。貴方が馬場氏自身の可能性も在りますね。自分のブログに誘導したという事で。
もし別人であれば、さぞかし悔しい思いをなさった事でしょう。
別に可能性高しと見ている訳でありませんが。なにぶん匿名の場のこととて、
可能性を完全に排除出来ない事をお許し下さい。
彼もある意味貴重な経験をした訳で、今後の人生に生かして行って欲しいですね
803 :
世界@名無史さん:2009/01/26(月) 21:01:07 0
age
空気読まずに般若心経口語訳。
これを叩き台にみんなで修正、校訂して
クマラジーヴァ、玄奘三蔵に次ぐ後世の栄誉を手に入れようぜw
仏が説いたありがたくて不思議な空の智慧に関するお経
全てをあまねく見る存在、観音菩薩は、
空の智慧(般若波羅蜜多)を行じている時 物質・肉体や感受作用・想念・意思・認識の本質は
皆実体のないものであると悟れば、一切の苦厄から救われると見出した。
シャーリプトラよ、
物質や肉体は固定した性質がなく実体のないもの(空)に異ならず、
空は物質的存在(色)に異ならず、色は即、空であり、空は即、色である。
感受作用、想念、意思、認識もまたこのようなものなのだ。
シャーリプトラよ、
このように全ての存在の位相には固定した性質はなく実体もない。
生ずることもなく、滅することもなく、汚れていたり浄らかであるとかの二見はなく、
増えるとか減るとかの二見もなく、この故に、空の境地に至れば、
物質的存在もなく、感受作用、想念、意思、認識もなく
感覚器官からの情報(眼耳鼻舌身意)もなく、
迷える状態(無明)もなく、また無明が尽きることもない。
そして老死もなく、また、老死の尽きることもなく、
苦しみ、執着、これらを滅した悟りの状態、悟りに到達するための方法をも超越しているのだ。。
智慧ということも智慧を得るということもない。
何故なら、自分のものにするということもないからである。
菩薩はこの空の智慧を体得している故に、
心にわだかまりはなく、わだかまりがないがないゆえに、
恐怖もなく 一切の転倒した妄想から遠ざかり離れ、
煩悩の火を吹き消した悟りの境地(涅槃)を究めているのだ。
全ての時間軸に存在する仏たちは、この空の智慧の故に、悟りを得ている。
故に、この空の智慧こそが、不思議で、光明があり、
無上で等しいもののない秘密の教えである。
一切の苦を除くことができるものであることを知る。
これは真実である。嘘ではない。
だから空の智慧の秘密の教えをおまえに説く。
「往き、往きついてついに悲願に到達せし者よ。
ついに彼岸に到達せし者よ。悟りあれ、君に幸あれ!」
…以上が般若心経である。
なんちゃって口語訳改めて見てふと思ったんだけど、
倶舎論てサンスクリット伝、チベット伝、漢訳でかなり内容違うもんなの?
自相続転変差別ってのがいまいちピンとこないんだけど、
乱暴に言っちゃうと
「心? 残像だw もっとも刹那ぐらい前の心がその残像の種を植えたんだけどね」
みたいな感じでいいんスかね?
だとすると諸法無我に抵触スレスレだから工事してごまかしたっていうより
かなり唯識論っぽい要素が既に混ざってるというか、
下敷きにしたうえで話してるような気がするんだけど
説一切有部→経量部あたりのオリジナルに近い文献とかだと
その辺の解釈とか注ってけっこう違ったんじゃないかな、とふと思ったんだけど
この辺になるとさすがにググってもわからん。教えてエロイ人。
サーンキャとかもちゃんと読み込んまないとダメなのかな?
807 :
梵阿弥:2009/02/19(木) 20:19:53 0
『大法輪』誌最新刊の3月号では、両聖伝を取上げてます。
宣教師が持込んで、1591年に肥前島原加津佐で印刷された
『サントスの御作業(の内抜書)』です。
『中世(ヨーロッパ)の説話』『黄金伝説と仏陀伝』の両書は入手難なんで、
興味のある人は読んでみて下さい。
猶、論者は、聖人伝はむごい物が多いがこれを選んで訳したの、東洋の穏やかさに打たれた
からだろうか、等と書いてますが、私としては、
天竺でもキリスト教が流行っている、と思わせて仏教徒の誇りを弱らそうとしたと思います
808 :
梵阿弥:2009/03/19(木) 18:41:35 0
上の記事を読み直したら、終わりの3行の部分で誤りが在りました。
記事では、両聖伝が西に伝わっても「静けさ」の要素は失われず、
中世欧州人にとっても大切だったのだろう、と書いてあるだけで、
当時の日本に対する布教戦略云々は全く書いてませんでした。
執筆の千 草子氏と読者の皆様にお詫びします。
人に向かって読解力無いと笑って居ながら自分でこういう勝手読みしてては
いけませんね。御恥ずかしい。
809 :
世界@名無史さん:2009/03/25(水) 22:58:39 0
>>806 鋭い! 頭良いは。
だいたい同じですよ。玄奘さんが一番、誤読が多いと思う。
真諦・梵・蔵は、ほぼ一致する。
世親菩薩、唯識韜晦説が有力ですから。
クリッツァー、原田和宗さんの論文や本を見るといいよん。
810 :
梵阿弥:2009/04/16(木) 18:43:18 0
>>67 "(略)インドでは裸行者やその他の哲学者たちであった。〔その他、というのは、〕彼らのうちにサルマーネース
とブラクマーネースと呼ばれる者たちがおり、彼らは都市に暮らさず、また家も持たない。この人々は木の皮を
まとい、野生の果実を食し、手の平で水を飲み、また結婚もしないし子を作る事もしない。彼らは今日のいわゆる
「エンクラテーテス」と同様なのである。さらにこのインド人のうちには、ブータ(Βουττα)の教えに従うものも
ある。彼らはこのブータの著しい聖徳を持って、彼を神のごとくに崇めているのである。"
『幻想の東洋 ―オリエンタリズムの系譜』 2章 遍歴する賢者たち より 著:彌長 信美 ちくま学芸文庫
この部分はアレクサンドリアのクレメンスの『ストロマティス』からの引用です。
811 :
梵阿弥:2009/04/16(木) 19:00:29 0
同書の注記に、
サルマーネース:沙門、修行者、出家者
ブラクマーネース:婆羅門
森に生きる者:阿蘭若迦
エンクラテーテス:「自らを制する者」、初期キリスト教の苦行派
及び、「裸行者」に「ギュムノソピステース」の読みを当ててます。
『ストロマティス』の後ろのほうは偽作説も在りますが、引用部分は前の方です。
アレクサンドリアのクレメンス、は初期の教父で、オリゲネスの師の様な立場
だった様です。
オリゲネスは自宮したとか、輪廻説を唱えたとか言われていて、
佛教との縁が在ったなら面白いですね。
何れにせよ、クレメンスの活動した3世紀始め頃にはエジプトに佛教が知られてました
どういうこと?「仏像ボーイ」「仏像ガール」急増中 (ゲンダイネット)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_popularity__20090503_3/story/03gendainet05019540/ 20〜30代の間で仏像がブームだ。東京国立博物館で開催中の「国宝 阿修羅展」は入場者30万人を突破。
中高年のほか“仏像ボーイ”や“仏像ガール”も人気を支えている。同展広報担当者が言う。
「20〜30代の入場者が目立ちます。夕方はOL、休日はカップルが多いですね。昨年10月に設立した『阿修羅ファンクラブ』会員1万2000人はこの年代が中心です。
ある男性誌はカップルで見ると厳かな気分になるのか“親密度”が高まると書いていました」
昨年11月には「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に「阿修羅賞」が設定された。富山高専3年の男性が受賞。どことなく阿修羅に似ている。
また、“仏像ガール”という名の29歳の仏像ナビゲーター(上智大日本文化学科卒業)もメディアで引っ張りダコ。カルチャースクールでも「仏像の楽しみ方」をレクチャーしている。
若い男女に仏像が受けている理由について、「阿修羅展」主催者の朝日新聞社文化事業部の鈴木麻之氏が言う。
「阿修羅をじっと見ていると、悩みをもつ等身大の青年(少年)がそこにいるような錯覚に陥る。若い人は自分の内面を重ねやすいのではないでしょうか。
また、仏像は信仰の対象だけに絵画や宝飾品を見るときにはない、精神的な体験という側面があるように思います」
癒やしという単純な理由ではなさそうだ。(日刊ゲンダイ2009年4月30日掲載)
813 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 21:50:14 0
もはや仏教徒が大半を占める国なんてインドシナの数カ国とブータンくらいしかないだろ
絶滅寸前乙
仏像を見ることから入るのも仏教との機縁なんだろうが、
俺にはカルト信者予備軍を醸成してるようにしか見えない。
815 :
世界@名無史さん:2009/05/03(日) 23:37:19 0
よく仏教信者が「キリストやイスラムのような一神教より平和的なんだよー」とかほざいてたけど、大間違いだよね(^^)
オウムは仏教徒のテロリスト集団だったからな。
817 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 12:10:55 0
芸術と宗教心を切り離したために、芸術は程度の低いものになった。
仏像を見てるとそういうことも分かるんじゃまいか。
818 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 13:01:51 0
宗教から芸術を切り離したことでルネッサンスが
>>818 別にルネサンスは宗教と芸術を切り離してないんだけど。
切り離さないままギリシャ・ローマの昔に目を向けただけなんだけど。
820 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 14:50:34 0
しかし正直仏像を見ても仏教のことはさっぱり分からないと思う。
821 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 15:06:13 0
>>818 そうだな。
ルネサンスを代表する画家といわれる
レオナルドもミケランジェロもラファエロも
宗教画など一切描いてないからなw
822 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 16:08:12 0
>>819
本当に浅い意見だね。。
中世ヨーロッパの絵画、彫刻がいわゆるギリシア、ローマ期のそれらと違うのは何も技術の巧拙に由来する問題ではない。
中世ヨーロッパでは教会関係にしか他人に評価されるような作品を展示発表する舞台がなかったし、実際に注文もそういったところからなされることがほとんどだったろう。
キリストの姿はほかのだれよりも大きくないといけないとか、前ルネッサンス期の宗教画にはいろんな制約があった。
つまりは写実的絵画を要求されるのではなく、シンボル的表現が第一とされたのだ。
いまでいうならまんが的表現みたいなもんさね。
823 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 16:16:01 0
ルネッサンスにいたって画家がどうこうというよりも発達してきた商人たち(法王だって彼らからでてくるわな)が写実的表現をもとめてそれまでの制約をはずした作品をもとめたからだね。
中世ではリアルな女性的な肉体美をかんじさせるマリアさまも男らしいむきむきのキリストもありえなかったわけでね。
あくまでもシンボリックな死人みたいな顔の聖母、キリスト。
それが宗教の制約ですよ。
824 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 16:21:28 0
仏像だってそうなんだね。
雲形以前の仏像には顔の形からなんやらと仏像がかなえるべき条件があってね。
それをみたしてゆくと定朝式の仏像になってしまう。
写実的であることよりも、シンボルであることを優先しているからだ。
825 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 16:22:36 0
それは様式の制約であって、宗教の制約ではないな。
写実的な宗教画は「宗教画」じゃないのか?w
826 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 16:32:13 0
宗教的題材をとりあつかえばなんだって宗教画だよ?
モナリザもそうだろうし。
しかし宗教的な制約から芸術が解き放たれた。そういうことをいってるのさ。
画家が職人から芸術家になれたのはルネッサンスのおかげなのだ〜
827 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 16:36:04 0
>>815 仏教の方が遥かに酷い
スリランカでの紛争は死者の数もケタ違い
パレスチナより一桁多い、北アイルランドより3か4桁多い
ブータンではヒンズー教徒を国外追放・民族浄化、
ミャンマーでもムスリム系ロヒンギャ族を国外追放、
ミャンマー・チベットでは僧侶が暴動
末端の信者ならまだしも僧侶が暴動おこすんだからどうしようもないよ
828 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 17:10:15 0
>>822 うんうん、不勉強だね、君。
ガッコの授業で「ルネサーンスがヨーロッパ人を宗教の束縛から自由にし、
その結果宗教改革につながった」とか教わって信じ込んじゃってるんだね。
かわいそうに。ゆとり教育の被害者なんだから、君だけが悪いんじゃないよ。
830 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 17:36:14 0
831 :
世界@名無史さん:2009/05/04(月) 17:41:37 0
さすがにゆとり教育でもルネサーンスなんてゆわんわ。
ルネサーンスはサンサーンスの娘。
イタイね
835 :
818:2009/05/04(月) 23:11:42 0
>>821 「最後の審判」とか「最後の晩餐」とかありましたね・・・はずかしいorz
>>828 世界史一から勉強しなおします・・・orz
あははのはwww
>>816 本来、出家者の集団が人里の近くで修行してちゃダメなんだよ。
必ず軋轢起きるから。人里遠く離れた山ん中や砂漠に籠もらないと。
残念ながら今の日本にそんな場所ないけど。
838 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 18:12:26 0
お釈迦様の集団も人里離れた場所で修行して
決して俗人と交わらなかったもんねw
托鉢とかしなかったもんなw
だから仏教は甘いんだな。
托鉢なんかアテにしてるから。
僧院で畑作って自給自足しろや。
841 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:12:13 0
托鉢を当てにすることが本当に甘いかどうか。
ためしにやってみなw
自給自足した方が楽だと思うよ。
托鉢坊主に施しを断ったら、後で何されるかわからんもんな。
ゆすり・たかりと変わらん。
844 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:21:19 0
インドで仏教の布教活動してる日本人は現地人から普通に現金もらってるらしいな
みかじめ料と変わらん
845 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 19:40:40 0
こうして、民衆における明治の廃仏毀釈の機運は高まったのでした。
夜道怪っていうてね。
847 :
世界@名無史さん:2009/05/05(火) 20:17:10 0
へー。勉強になった。
ネタレスになんですが。
明治の廃仏は、国学者や水戸学者、その影響を受けた旧藩主や庄屋層が主体
になって行ったもので、「民衆」が主役だったようには見えませんが。
高野聖についても、日本文化史上における立場は、マイナスイメージになる
ものに留まりません。
全否定か全肯定しか選択肢がない訳ではありませんから。
>僧院で畑作って自給自足しろや。
禅宗では唐代からやっていたようです。
托鉢批判は阿含経にも出て来ますが、この時代は仏教に限らず、労働しない
で布施に頼っている修行者はジャイナ教など他にも存在したでしょう。
今でも苦行だけして過ごしている人々は、全インドに10万人存在するそう
ですが、面白いのは、釈迦の時代に無神論や輪廻の否定も含めた種々雑多な
思想が存在し、更に布施を受けて生活するという、よく見られたであろう光
景をも否定するような思想も存在したことです。
釈迦の時代の新しい思想が、後に仏教と呼ばれるものと「六師外道」だけと
いうことは無かったでしょうし。
これだけ異なった考え方が並存出来ていたのは、興味深いですね。
勿論、「民衆」が破壊活動に従事しなかったとは言えませんが、隠岐の島前・島後
のように、指揮をとる階層の志向に左右された面が強いように見えます。
暑苦しいコテが来たせいでスレが白け、廃れる
ネタレスになんですが。
>明治の廃仏は、国学者や水戸学者、その影響を受けた旧藩主や庄屋層が主体になって行ったもので、「民衆」が主役だったようには見えませんが。
藩から出された命令や布達などの公式文書は保存されているだろうが、指導者層をここまで除外してしまうと村人がどのように「主体的」に動いたかを伝えるものなんぞ残りうるのだろうか・・・
853 :
梵阿弥:2009/06/05(金) 15:42:37 0
>>810は彌"永"信美氏でした。御免なさい。
『幻想の東洋』は2009年目録に載ってませんね。前年まで在ったんですが。
絶版でしょうか。「興亡の世界史」の『近代ヨーロッパの覇権』の冒頭にも
取上げられてました。興味持った人も居るだろうに残念ですね。
青土社版はとうに絶版です
854 :
世界@名無史さん:2009/06/23(火) 15:09:25 O
ある地域の植物を、他の地域に移植すると二、三年もたった頃には、
新しい地域に順応して見た目も変化します。
オランダのチューリップを日本に移植すれば二、三年の後には日本的チューリップが出来上がるということです。
同じく仏教が日本に伝来して以降、日本の風土で仏教は育つわけですから、
インドと同じ発展をするわけにはいきません。
ただ根底には仏陀の悟りから始まった流れを同じく保持しているのではないでしょうか。
鈴木大拙の代表作「日本的霊性」を参考にしました。
855 :
世界@名無史さん:2009/06/24(水) 13:39:52 0
二、三年じゃかわらねーよ!チューリップ。
856 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 11:14:11 0
>>840 同感だな
お釈迦様は王子様だし、インドの米が取れる地方で古代としては豊かな土地だったから
托鉢だけで飯を食えとか言えたのだろうな。
これが寒い土地だと働かざるもの喰うべからずといって
カトリックみたいに修道院を作って必死になって働いていただろうな。
キリストは大工のせがれだし、マホメットは商売人だから、
どこか人間的なことを言っているのに、お釈迦様は王子様だから、
一つ一つのアドバイスは的確なのだが、どうも全体としてみると
浮世離れしていて空とか言っているような気がするからなぁ
857 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 12:42:44 O
王子様も商人も救われなければなりません。
王子様だから〜、商人だから〜、貧乏人だから〜では階級闘争的思想になり、
残酷な結末になるのではないでしょうか?
858 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 20:43:09 0
イエスは仏教徒だった?―大いなる仮説とその検証 (単行本)
エルマー・R. グルーバー (著), ホルガー ケルステン (著), Elmar R. Gruber (原著), Holger Kersten (原著), 岩坂 彰 (翻訳), 市川 裕, 小堀 馨子
単行本: 416ページ
出版社: 同朋舎 (1999/05)
859 :
世界@名無史さん:2009/06/25(木) 21:53:32 0
仏教徒なら神などの妄想はなかったじゃず。
じゃずはいいな。
出家だけが仏教徒と思っているヤツ大杉。
在家では無理なストイックな戒律を守る出家がいるから、
在家は彼らに施すことによって功徳になる。
出家が生産労働に励めばそれだけ在家との距離は縮まってしまい、
当然有り難みも減り、在家の功徳も減る。
労働する坊さんの方がエライと思う人はそうゆう宗派を作ればいいだけ。
で実際に出来たわけだが。
862 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 17:22:24 0
禅を学んで、布施が功徳になるとは考えないようになった。
原始仏教でカルマの考えを学んで、功徳もありだと思うようになった。
863 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 17:53:05 0
坊さんが労働しないといっても勉強しているわけで
今で言う「学者」みたいなものと考えれば納得できる。
864 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 17:56:56 0
民衆が仏法僧に信心があったら、破壊されても、また復活するよ。
隠岐ではいまでも寺院がほとんど無い。
865 :
261:2009/06/29(月) 00:40:39 0
>>827 >ミャンマー・チベットでは僧侶が暴動
>末端の信者ならまだしも僧侶が暴動おこすんだからどうしようもないよ
チベットのは、公安や武警が僧衣に着替えて煽ってたんだよ。
にやけたおまわりが、おまわりの制服から僧衣に着替えてる映像もある。
866 :
世界@名無史さん:2009/07/03(金) 22:06:03 0
庶民には必須だった冠婚葬祭には「そんなの関係ねー」の坊さんにお布施だすのがうざいのでインド人は競ってイスラム教に改宗。
だったらヒンズー教やってればいいだけじゃん。
868 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 18:59:33 0
そうだよ。
インドの仏教徒は、在家信者の冠婚葬祭をバラモンに丸投げしていたんだよ。
869 :
世界@名無史さん:2009/07/05(日) 19:03:12 0
釈尊は佛弟子たちに「バラモンのように、祭文唱えて俗人から報酬をもらうことをしてはいけない」といってた。
インド仏教は一般大衆を組織すること自体、しなかった。
だから、インドでは辺境部分以外では跡形も無く消えた。
庶民受けする儀式に手を染めた部分は、ヒンズー教に吸収された。
密教って結局仏教の皮を被った東方伝ヒンズーじゃね?
異論は多いに認める。
というより詳しい人よろしくお願いします
871 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 09:33:59 0
密教って本来仏教で否定されているはずの加持祈祷=ヒンズー教でよいかとおもうが。?
872 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 15:53:13 0
頭ではどう考えても密教は仏教ではないのだが、
それもアリかなという気がしている今日この頃。
仏像崇拝や読経だって、本来の仏教ではないからね。
873 :
世界@名無史さん:2009/07/15(水) 15:29:31 0
頭ではどう考えてもカトリックはキリスト教ではないのだが、
それもアリかなという気がしている今日この頃。
マリア崇拝やクリスマスだって、本来のキリスト教ではないからね。
874 :
世界@名無史さん:2009/07/15(水) 21:51:18 0
うん、そうだねぇ。w
875 :
世界@名無史さん:2009/07/16(木) 20:33:49 0
>>870 密教は仏教ですよ。
仏教は縁起です。しかも諸行無常で、諸法無我、一切皆空です。
だから、仏教は時代や地域に合わせて縁起するのです。
ですが、その核心、法性は変わりません。
だから、密教は仏教なんです。
ただ、ミクロコスモス・マクロコスモスとか法身仏を常住のアートマンのように解釈するなら、仏教の本道から逸れていると言えるでしょう。
部派仏教が自性が常住だと解釈することが本道から外れているのと同じです。
876 :
世界@名無史さん:2009/07/16(木) 22:43:51 0
密教の秘儀は性的なものって話は本当かい?
やたらエロエロな経典があるそうだが、後、人を殺しても良いとか?
密教って実はやばい教えか
877 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/17(金) 00:08:48 0
エロエロというのは、『理趣経』でしょう。
性を始めとした一切の悪とされる行為は、実は一切の法は清浄であるという
観点からは肯定されうるのであり、これを悟った時、たとえ三界の人を殺す
とも、罪を受けることはないというものです。
もっとも、『理趣経』の内容は極めて難解なもので、全体を読んでみても、
なかなか理解することは出来ません。
ただ、文中では善悪を区分する常識が破壊されており、その象徴として殺人
という、もっとも衝撃的な表現がとられたものでしょう。
しかし、あくまで経中の喩であって、実際の殺人を奨励したものではなく、
そもそも「悟りえた」という人間でなければ罪になるのであり、悟りえたの
であればわざわざ殺害する動機もないでしょうから、実行は不可能です。
なお、空海以下日本の密教家の間では、三界の悪を滅する意であるととって
おり、字義通りの解釈というものは、近代まで無かったものと思われます。
『理趣経』という経典は、知名度は高かったようですが、短い経典である割
には、浄土三部経のような直接の救済と拘らないせいか、人目に触れる機会
が少なかったようで、本経典にありとする偽句も近世に流布しています。
878 :
山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2009/07/17(金) 00:14:27 0
また、こうした刺激的な文章だけ切り取って自説を披露する、いわゆる断章取義
というものは、現代でもしばしば行われているように、過去でも実行する者とそ
れを危惧する者がおり、一定以上の修行の階梯を経た者以外には見せられなかっ
た時代がありました。
空海も、最澄への注釈書の貸し出しを渋っています。
有名な立川流でも本経典が重視されており、南北朝時代の僧宥快は、仏教で
は珍しい焚書を立川流の著作に対して行う一方で、立川流の僧侶を山外に追
放しています。
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>>868-872 自問自答形式で仏教叩きが続くと思ったら、無神論者のアカのせいか。
>>874で図星をつかれて真っ赤になっているあたり、キリスト教徒かもしらんが。
釈迦と同時代にはそういうの流行ったみたいね
言うなら法は綺麗で完璧なコードであって
その中で起こる事は全てすばらしいって事か
もし親玉の釈迦がいたら宅間や加藤をどう解釈してんのか聞いてみたいよ
>>880 理趣経とか密教系の思想は釈迦の時代じゃないでしょ。
釈迦の考えでは因と縁があってそれにふさわしい結果があるんであって、悪因と悪縁があれば
悪い結果になる。「全てすばらしい」じゃないだろう。そんな楽観的な人なら出家してないぞ。
882 :
872=874:2009/07/18(土) 00:01:44 0
>>879 なんだその妄想の山は。w
おれはただ通りすがりに書き込んだだけだよ。
ちょっとやばいかも、君の頭。
>>881 外道の教祖が似たような事を言ってた気がする
>>883 wikipediaで見た限りではアジタ・ケーサカンバリンの快楽至上主義の事かなぁ。でも「全てすばらし
い」じゃなくて「来世とかあの世とか存在しないから、この世で快楽を尽くせ」って事のようだよ。「楽しみ
にはもれなく悲しみも付いてくるけど享受しろ」とも言ってる。
391年に日本が南朝鮮を植民地化し、
その後の混乱を経て663年、白村江で唐・新羅に大敗し交流が途絶えてしまいますが、
仏教か日本に伝わった538年の百済は日本の植民地でおそらく多くの日本人がいたと思います。
391年以前に既に相当数の日本人が現地に根付いていたはずです。
そうなると百済はほぼ日本人の国と考えても良いのではないでしょうか?
887 :
世界@名無史さん:2009/08/03(月) 08:05:39 0
立川流に入りたいです。
どこに往けばよいでしょうか?
888 :
梵阿弥:2009/08/03(月) 15:56:32 0
>>81 図書館で手に取った事あります。目次くらいしか見ませんでしたが。訳者あと書きによると、
エジプトに禁欲行の集団があって、名がインドの集団と似てるらしいですね。
只、名が似てるだけで断定してしまうのは飛躍だ、というのが訳者の感想でしたね。
>>?のアレクサンドロスのクレメンスの、佛教徒を含むインドの行者に対する描写は具体的であり、
単なる噂だけで無くエジプト辺りで自身で接触したかもしれない、と思う一方で、
もしそうならもっと自身の経験を、例えば、彼等にこの件を尋ねたらこう答えた、
といった話を書いても良さそうに思えます。
そういえば、
>>858でも紹介されてますね。同じ人かもしれませんが。
逆に、インドに於ける蓮の意匠はエジプト起源と言われている。ナイルの増水期の
舟遊びの絵に出てくる。死後西方で暮らす、というのもミイラに象徴される
エジプトの来世観の影響という説が在りますね
889 :
梵阿弥:2009/08/03(月) 15:59:09 0
>>700 >ネオ・ブッディズム
あのインド新佛教というのは、アンベドカル師の提唱により、
1956年に最下層民の集団改宗で出来ました。
被差別民自身がヒンドゥーでは、差別は何時までも解消されない、と考えての事です。
別に日本人が始めた訳じゃありませんよ。それまでのインドの佛教徒はとても少なかった。
インド共和国の1961年の国勢調査によると、それまでの10年間で佛教徒は
18万から325万人に増えている。
そしてアンベドカル死後は勢いが衰えましてね。
あまり増えず、特に人口爆発の状況では人口比でどんどん減っていた。
活気ある指導者が望まれてたみたいですね
>>820 絵解き、在りますね。地獄図等を見せて、佛法を説いて聞かせる。
今でも例えば紀伊日高の道成寺でやってるそうです。あそこは有名な鐘巻の話ですね
>今でも例えば紀伊日高の道成寺でやってるそうです。
元絵は足利義昭が見たことで有名ですが、文中に中世に多用された「女人地
獄使 能食一切人 外面如菩薩 内面如夜叉」の文句があるので、こちらは
人は心によってどちらでもなりうるという説明で流すそうです。
実際、仏典の解釈がかなり強引なものも含むのは、過去もありましたからね。
姑が嫁を脅かそうと鬼面をつけて……などの話も語られることがあります。
貝祭文など、そうした説教文芸の集いは今でもよくありますね。
絶対数が減って来ていますが。
涅槃図の解説なら、今でも珍しくない。猫や摩耶夫人の下りが盛り上がる。
891 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 16:31:11 0
山野某さん
厳密に言うと、仏教ってシッダールタさんの教えじゃないんでしょ?
仏がゴータマ・シッダールタになったり親鸞になったり山野さんになったりするんじゃないか?
三身説かwwwww
>>892 単に「仏の教え」という意味での仏教ならばともかく(前近代に仏教といえ
ばこちらの意味でしたが)、近代に移入された宗教という概念による仏教、
釈迦の初転法輪から現代まで続く仏教であれば、もうシッダールタ個人の説
いたこととは、ほぼ関係なく存続していたと言えるでしょう。
そもそも、原始仏典ですらどこまで忠実であったか分かりません。
富永仲基が江戸中期に推測したように、韻文のみが伝わってそれに散文が肉
付けされたのかもしれませんが、釈迦の入滅からアショーカ王の時代までの
約1世紀の期間に、どこまで変っていたのか不明です。
その上、これは記録自体に言えることですが、現存する仏典の内容が、何時
漢訳されたかなどである程度成立時期が分かるとは言っても、現存する写本
の内容と、当初の内容がどこまで合致するのかも保証の限りではない。
これらを明らかにするのが歴史的な研究ですが、歴史上の仏僧も信者もそこ
まで考えて経典を読んでいた訳ではないでしょう。
地理的な広がりも歴史的な広がりも考えれば、仏教全体について言うことは
容易ではないでしょうが、ただ言えると思われるのは、現状と最初期との間
には、ずいぶん深い地層が存在しているのだろうということです。
しかし、それは果たして批判や否定に結びつけるべきものでしょうか。
思想や文化は、文章と共に変化し、改変されていくものです。
これは不可避でしょう。怪しさを言うなら、キリスト教ほかも怪しい。
だからといって、現在の経典そのものや経典の変化した文章、習俗などを回
帰させることに、どれほどの意味があるものか。
往年の神仏分離などは、古を理想化し、古代の状態にすればうまく行くとい
う根拠のない考えに取り付かれて実行されたものでしたが、その結果は単に
破壊(と近代日本のイデオロギー)を生み出しただけでした。
イデオロギーの方は、復古思想の担い手たる平田国学や水戸学など、屁とも
思わなかった新政府の面々が、上手に使って行くことになりますが。
教えが元の状態じゃないから駄目だという発想自体、根拠がないでしょう。
寧ろ、現状を否定した原理主義は危険なだけです。
原点に戻れという考えは、その原点とされる釈迦やイエスが自分たちよりも
凄いと考えていれば成り立つものでしょうが、それも根拠がありません。
釈迦の教えになく、現代人の信仰している仏教にあるものもあるでしょう。
過去2000年以上に渉って変化した教えの方が、釈迦の説いた分の教えよ
りは、多様性という点において、現代には相応しいではありませんか。
勿論、その中における釈迦の教え(と考えられるもの)の価値までもが否定
されることには、ならないと思いますが。
「仏教」を釈迦個人の教えに限定するから、逸脱したという考え方になる訳で。
過去から現代までの「仏(を志した人々)の教え」でしょう。実際の所。
要するに、釈迦を特別視・神格化するから遠慮が出るのであって、仮に仏教
を1から2000までの数の連なりと見た場合、釈迦は最初の1ではあって
も、全体を構成する1部の数としては残り2〜2000と同等であり、自分
も仏教と向き合う人間=2000として釈迦と同等である、と。
私の恩師は日本や中国史上の仏家を取り上げる際、宗門学者のみならずマル
クス系の史学者までもが歴史上の高僧を天才扱いして、気付かないことが多
いと常々言っていましたが、それぐらいに構えてもいいでしょう。
仏教徒として生活するにせよ、仏教史をやるにせよ。
どんな史上の人物とでも、茶飲み友達ぐらいの気分で扱うことです。
899 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 07:45:39 0
お釈迦様は「真実」を発見されたわけでしょう。
常に「お釈迦様が何を言ったか」ではなく、「真実」に依拠するのが正しい態度。
900 :
世界@名無史さん:2009/08/06(木) 07:48:10 0
しかしその発見自体はとてもすごくてありがたいことなので、
尊崇してやまないのは人間として自然な態度。
ある本でインドの仏教徒の王様(アショカ王だったかな?)が
エジプトとリビアの戦争をやめさせる為に使者を送ったという話が載っていましたが
詳しく知っている人はいませんか
902 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 05:47:43 0
>>899 と言って妄想に耽るだけ、釈尊は妄想から抜け出す道を
妄想を通して説かれた、説かれた通り実践し結果を出してきた聖者に
従わず自分で解釈、体験できると思うのは間違い。
なぜなら、インド学は200年の伝統があるが誰も悟っていない。
釈尊以来、2500年ほどたっているが、伝承以外で仏教的に悟った人が
出ていない。こちらは解釈か知られていないだけの問題かもしれないが、
903 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 08:21:02 0
>>896 同感だな
原理主義者というものはたいていとんでもないカルトを生み出すからな
今のイスラムの原理主義者といい、(恐ろしいことにwwコーランすら読まない原理主義者)
キリスト教でも結局資本主義と福音派とネオコンを生み出しただけだったし、
神道のほうは、明治維新を成立させたのはいいが、国家神道を
生み出してしまったし、
マルクス教の原理主義者は連合赤軍やトロッキストを生み出しただけだし、
○○の昔に帰れとアジるやつはたいていろくなのがいないなぁ
904 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 09:36:25 0
つまり無宗教で利己主義の中国人が、最も理想の民族という事だね
世界が全て中国人になれば戦争も虐殺も無くなるよね
905 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 09:50:53 0
>>895〜
>>898 ほぼ、同感ですが。。
>>1から2000までの数の連なりと見た場合〜
大菩薩集団の無限運動の中の一人となるべく励んでおります。
さて、釈尊の位置づけですが、no2〜no2000までと決定的に異なる点が、あると思うのです。
それは、「独覚者」ということですね。平たく言えば、開拓者=フロンティアですね。
その後に連なる者とは、一線を画すというのが私の見立てですので、さすがに
茶飲み友達気分とはいきませんが。。。
確かに、専門家(学僧)に見えないところを、他の方が見出すことはありますね。しかし、
とんちんかんな説を言い出す門外漢もいるわけで。。。宗学(神学)と他領域からの研究が
両輪となって互いに深めあえればいいかと思いますね。では。
907 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 10:05:46 0
>>906 無宗教は昔のイメージで語ってるんだろ・・・
実際には、人々が無宗教になった時代などないけどね。。
「中国の宗教事情」でググレ。ほれ↓
1980年代以降の中国では、改革開放に伴い、民衆の宗教信仰心が抑圧された過去に反発する形でよみがえった。
それに政府の宗教保護政策もこれらを支えているため、現在、中国の宗教信仰政策は種々の問題を抱えている。
中国と言えば儒教だけど、陽明学はかなり仏教的だよね。
>>899 厳密に言えば、真実を発見されたことになっている、でしょうね。
釈迦が本当に真実を発見されたかどうかは分かりません。
ただ、今目に見えている教えは信じるに値すると考え、私は信じておりますが。
>>905 釈迦が最初としても、釈迦が後代の人物より偉いとは言い切れないと思っております。
おそらくは、偉いのでしょうが。
人物を対等に見るというのが無理であれば、残された記録の中の人物像を特に崇拝せ
ずに見るといったところでしょうか。
>>908 「仏教なくして宋学なし」とも言いますね。
910 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:36:48 0
>>902 まぁ仏教を理解しない人はそう言うよね。
未だ仏の教えに出会わぬ
かわいそうな人だとしか言えないけど。w
911 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:40:14 0
仏の教えを理解することはさほど難しくはない。
されどそれによって自分を救える人はほとんどいない。つかもはや才能である。それは。
912 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:40:48 0
この人生で仏の教えに出会えるかどうか、
こればっかりは本人の業だからね。
同情はするけど、それ以上何もしてあげられない。
913 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:41:48 0
914 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:44:03 0
仏の教えで救われることを、仏の教えに出会うと言ってるんだけどね。
915 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 22:47:34 0
仏=釈迦なのか?
釈迦が人間の生というものについて悩み、考えたとき。
まず手はじめに、この世界はどういうものなのか?を自分なりに認識したことだろう。
釈迦は偉大な科学者としての精神を持っていた。
その上で人はどう救われるのか、を真剣に考えたのである。
918 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:10:20 0
919 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:11:45 0
釈迦は仏ではなぁい!!
920 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:16:22 0
>>911 基本的な事項は何も難しいことは言っていない。
これをただ文言として理解するか、自分を救うレベルで理解するかの違いがあるね。
しかし究極的な事項になると人間では理解できないと聞いたことがある。
ただ文言としても理解できない。
921 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:17:32 0
922 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:22:03 0
お釈迦さんの言ったことはただ一つ。
「こだわっちゃいけないよ。気楽にいきなよ。」 ってことだよ。
923 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:25:25 0
知らないなら、黙ってろよ。w
924 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:25:31 0
それで救われるんだからすごいだろ〜
925 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:26:48 0
>>922はすげぇふかいことばだね。
つまらない仏教用語をふりかざすより遥かに真実に近いのだね
926 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:27:18 0
自演乙
927 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:33:09 0
>>924,926は仏の教えからかけ離れたところでもがいていまーす! かわいそう。。
>>922 その結果、戒律などどうでもよいと堕落していき、誰も見向きもしなくなると。
戒律??
930 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 23:57:33 0
真実1.自分の舌ですべての自分の歯に触れることはできない
真実2.きっと大半の愚か者は、真実1が本当か試している
真実3.真実1は真っ赤な嘘である
真実4.きっとあなたは自分の間抜けさにニヤニヤしている
真実5.もうすぐあなたは別の愚か者にこれを教えようとする
真実6.あなたはまだニヤついている
932 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 00:02:07 0
933 :
932:2009/08/08(土) 00:10:51 0
よし。これからおれが本当の仏の教えを説明してやる!
クラウザーさんの一秒間に11回念仏(゚∀゚)ktkr
935 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 04:46:08 0
>>910 あの理解できたらブッダだよ。すくなくともアルハットだ。
幸い教えには預かることができたが、まだ、半分も理解してない。
世の仏教学者で理解できてる人は、恐らく一人もいないだろう。
>>911 完全に理解できたら、行動も自然と教え通りになるはずだ。
それができないのは理解できてない証拠。
それに縁起だって世の解説書は、ほとんど取るにたりないことしか書いてない。
君はそれが分かってるのか?
どうでもいいけど、こういう話題は宗教板でしたほうがよくないか
937 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 08:24:56 0
>>935 「教え」にも「理解」にも様々なレベルがあるので、言葉としては間違っていない。
基本的なことは理解可能だと思う。
四聖諦の第一を聞いて「それだ!」と思えたら、理解の一歩は始まっている。
(というより最初のレベルの「悟り」だと聞いたことがある。)
聞いてもピンと来ない人もいるらしい。
938 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 08:27:37 0
>>935 「半分も理解してない」ということは、あなたもいくらかは「理解している」わけでしょう。
939 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 08:28:38 0
確かに板違い。
しかし宗教版とかは妙なマニア・揚げ足取りがいて
普通の議論が成り立ちにくいけどね。w
940 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 09:59:54 0
可哀想というのが優越感を貪るための言葉だな。
縁なき衆生は度し難し、でいいだろう。
釈迦自身の考えたことなら少なくともそんなにややこしくはない。
とはいえ伺い知ることが出来るのは弟子の残した記録だけどね。
彼は人の一生で避けては通れない苦しみ悲しみをどのようにとらえるべきなのかをかんがえたのさ。
病、別れ、老いなど。
それを考えてゆく上で、色即是空に到達してゆくんだ。
今の科学だって突き詰めてゆけば同じことをいってるのだね。
その上でなーんだそういうことなんだ、人間なんて所詮そんなものなんだな。と思って悟って苦しみを超越できますか?ってことなのだ。
それが出来るのはごくごくわずかだろう。
942 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 10:29:53 0
そういやぁ
ノリピーが真如苑の施設にいるようだが、
ああいったお尋ね者を吸い寄せるのは仏教(宗教)の伝統なのかねぇ
真如苑の前だと、高野山あたりが追放先になっていたのだが、
仏教は一番最初の時から、アングラマーラーを世話をしているから
権力者も宗教には遠慮するのか、
一般人の家だと今頃は間違いなく強制突入をしているだろう。
943 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 17:33:53 0
んーピントはずれだねぇ。w
宗教を特別視しすぎ。
仏教の知識など持ち出さずとも、常識で考えればよい。
944 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 17:35:04 0
>>940 「慈悲」って言葉知ってる?
割と有名なんだけど。
945 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 17:40:53 0
清純派芸能人のノリピーは、ヤクザの弟がいて、新宗教の信者で、夫と供にヤク中だったって。
まぁよくある話やのう。
946 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 17:42:35 0
おそらく家庭環境からかなりつらい思春期を過ごしたと思われる。
947 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 17:54:02 0
終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーw。
それでは、気をとりなおして仏教史中心でいきましょう。
948 :
世界@名無史さん:2009/08/08(土) 21:38:18 0
仏教誕生から2500年の永い歴史を経て誕生した真如苑という宗教団体に所属する
仏教の法(のり)の子を意味する法子という名前を持つのりピーの話題はここですか。
>>942 仏教だけじゃないよ。
古今東西問わず、宗教寺院の門の中と、都市(城壁都市や環濠都市)の門の中は、
世界中何処でもアジールとなるのが普通のこと。
代わりに、「宗教的戒律」または「都市の自治法」に基づく、
自治裁判権による処断が行われることになっていた。
950 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 12:58:33 0
南伝仏教だけが本来の釈迦の仏教に近いだろう。豪壮な伽藍など釈迦の教えに合わんよ。
951 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 13:15:34 0
決め付けかよ。w
>>950 東南アジアの伽藍も、その土地その時代としては豪壮だぞw
で、仏像はでかくて金ぴかだぞw
庶民には、仏教的簡易呪文が流布しているぞw
男子の一時出家は通過儀礼として形骸化してるぞw
どちもどっちだろw
953 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 13:59:02 0
チベット仏教だけが本来の釈迦の仏教に近いだろう。出所不明な儀式など釈迦の教えに合わんよ。
954 :
世界@名無史さん:2009/08/09(日) 17:03:48 0
決め付けかよ。w
>>953 チベット仏教も、法王がいたり、
パンチェンとダライとが互いの生まれ変わりを探し、認め合うというヘンテコなことをやってるぞw
で、色鮮やかな曼陀羅とか描いちゃったりしてるぞw
スライディングのような五体投地をしちゃったりしてるぞw
どちもどっちだろw
956 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 04:59:40 0
仏教は縁起だから、教えも縁起する。
時代・地域・人に合わせて。
本質さえ有っていれば全て正しい仏教です。
悟り、涅槃、一切智という結果をだしていれば、生きた仏教でしょう。
このことからビルマとチベット系仏教が生きた仏教と言えるでしょう。
日本仏教だけが本来の釈迦の教えに近いだろう。ガチガチの戒律など釈迦の教えに合わんよ。
958 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 09:50:47 0
決め付けかよ。w
>>956 日本仏教も、各宗派ごとの決まりごとは多いぞw
読んではいけないお経やある人物以外を排してはダメというのもあるぞw
また、禅宗の道場は締め付けや規則、決まったやり方のオンパレードでスパルタ教育だぞw
葬儀や読経が収入源で、しかも家族が居て凡夫の生活をする僧侶だったりするぞw
まるで四住期のバラモン教だぞw
どちもどっちだろw
960 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 10:22:45 0
現状の仏教教団の有様は釈迦の教えとはことごとく反する。
山野のような香具師は現状への「屈服」を吐露しているにすぎない。
釈迦は嘆きも悲しみも怒りもしないだろうが、決して肯定しないだろう。
まさに、末法の世だな。
961 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 11:11:57 0
禅寺の軍隊式のスパルタ教育なんて、お釈迦さまは弟子にしてなかっただろ。
あんなの意味ねえ。
962 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 11:14:09 0
>>960 所詮、山野は部外者で評論家の立ち位置だからな。自分が坊主でもしごかれる雲水でもないしw
気楽で無責任な立場から仏教マンセーしてればいいわけだ。
ネウヨが軍隊マンセーしてるのとたいしてかわらん。
シゴキや軍隊を仏教と関連つけて、
勝手に怒ってるけど、誰もそんな話してないよ。
なんか無意味に攻撃的だし。
自分の主張したいことを無理矢理、仏教に関連つけてるみたいな
964 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 15:00:00 0
>>959 日本仏教は、もう結果ほとんど出してないから、ほとんど死んでます。
僧侶が一子相伝というのはバラモン的ですね。
しかし、どっちもどっちってどういうこと?
私はビルマとチベット系が生きてると言ったんですが?
965 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 15:01:16 0
そうだねそうだね
一子相伝を認めるならインド教でいいじゃん
なんでそれらから脱する
仏教を名乗る必要があるんだよ、っていう
966 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 15:02:01 0
>>957 そりゃ、無理すぎる。ただの願望だよ。
釈尊が律を説かれたので、それが合わないというのは、無理がある。
967 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 16:24:17 0
創価学会だけが本来の釈迦の仏教に近いだろう。在家信者のことに無関心な僧侶など釈迦の教えに合わんよ。
決め付けかよ。w
969 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 16:43:07 0
>>964 >>悟り、涅槃、一切智という結果をだしていれば、生きた仏教でしょう。
とありますが、その「結果をだしている」と判断される根拠を教えてください。
>>私はビルマとチベット系が生きてると言ったんですが?
ダライラマ自身が文芸春秋で「チベット人の一般大衆には仏教が何かなど
わからない人がたくさんいます。だから、大変なんですよお。
仏教に対する偏見や無知は日本とあんまり変わらないですよお。あっはっは。」
みたいに言ってたよ。西本願寺の門主との対談だったはず。まあ、正確な内容では
ないけど、だいたい上記のような趣旨だった。
2chの様式美を解さぬ輩がおるなw
>>964 >>968 草加の実態には詳しくないんで、脱落するw ノシ
仏教の何が真実かなんてだれにもきめらんないよ。
釈迦そのものになりきるんならインドまでいって家族を捨てて乞食になって。
それですごく運が良ければ同じような宗教体験をすることができるかのしれないな。
頭の理解から入るんなら原始仏教の経典をサンスクリット語で読む努力をすれば?
でも。
救われる。救う。ことを釈迦の真の目的だったとおもうなら。
大乗だって小乗だって層化だってキリスト教だって、すべて間違いではないんだもの
972 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 19:23:00 0
方便といってね
973 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 19:46:21 0
禅宗だけが本来の釈迦の仏教に近いだろう。悟りのことに無関心な僧侶など釈迦の教えに合わんよ。
決め付け(ry
なにこのながれこわい
976 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 20:17:57 0
>>973 日本の仏教の歴史の中では、道元禅師がいちばん本来の仏教に
近づけたと思う。坐禅こそ仏教とはよく見抜いたと思う。
978 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:05:17 0
おまえこそ空気嫁w
とっくに終わってんだよ。「決め付け」ループは。
ちなみに最初の3回はおれが「決め付け」レスを入れた。
>>978 そうかw 秋田か。
ちなみに、どちもどっちのレスは全て俺だw
980 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:13:31 0
>>971 もし少しでもまともに仏教を学んでいたらそういうことは言わない。
キリスト教ははっきり「間違い」と言えるはず。
981 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:16:52 0
>>979 良い連携だったな。
4回目あたりでさすがに、「まだやんのか?w」
にしようと思ってたら勝手にレスがついてたよ。w
>>981 けど、確かに止め時だなw
真面目にレスしてる人もいるし、もしかしたら有意義な流れになるかもしれん・・・。
では、またどこかで。 ノシ
983 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:28:38 0
浄土真宗は実質キリスト教である。他力本願など釈迦の教えに無い。
984 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:56:02 0
>>969 そういった信者の話ではなく、聖者、悟った人がたくさんでてるか、
ほとんどでてないかの話。
985 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 23:03:25 0
>>971 悟った人は決められる。
悟る気なら、先ず悟った師を探さなければ始まらない。
乞食になっても、あまり意味がない。
パーリ、サンスクリット、プラークリット、チベット語、シナ語を
どれほど正確に読んでも最も重要な部分は解釈の余地がある。
まあ、なんもないよりはマシかもしれない。
すくなくとも殺すな、盗むな、嘘吐くな、邪淫するなとか共通だから、
しかしながら、悟った師に就かないと悟る可能性は極めて低い。
986 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 03:49:03 0
>>983 キリスト教と真宗を同一視するのは、的はずれでしょう。似て非なるものと思いますが。
親鸞の著作を読んだとは到底思えないんだが。耳学問かな?
親鸞は浄土や阿弥陀仏を非実在的に捉えてるし、その著述において、阿弥陀仏の「非神話化」に
努めてますがな。最晩年には「アミダは自然(じねん)を教える手立てなんですわ」とも
言ってるし。
他にも「有無を離れろ」とか「善悪など知らんがな」と言ってますね。
「善悪など知らんがな」は言い換えると「善悪とは結局、相対的なものだわね」と言ってるんでしょう。
私なりに突き詰めると「他力」は「無我、縁起、空」の別表現に違いないと思っている。
(伝統的な真宗の解釈とは違うかも分らないけど。)
あと、名前は忘れたけど、ある禅僧が自力と他力についてトンネルに喩えていた。
「トンネルの入り口と出口のような関係で、どっちが入り口じゃ、出口じゃ言うてみても
同じことだわな」みたいに表現してた。まあ、禅僧からみたら自力、他力の境界は無化されるんだろう。
スレチぽいのでここまで。ほな。
987 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 05:33:34 0
>>986 真宗教学と親鸞は違うから。
清沢満之系の教学なら、さほどキリスト教と違いがない。
なぜなら、キリスト教神学から教学を作ったから。
だから、若いときキリスト教とかにかぶれた人は晩年、真宗に転向することが多い。
988 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 07:37:59 P
仏教ってのは思想だから
釈迦は最初に思想を唱えただけで、それを叩き台にして生まれたのが各宗派
哲学者が全てソクラテスに忠実である必要が無いのと同じで、釈迦に忠実である必要も無い
どんだけ恥知らずだよw
990 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 10:17:03 0
>>988 ネタだよね。
勘違いする人がいると困るから。
仏教は、仏、悟った人の教えです。
悟った人の教えであって、凡人の勝手な思いつきではありません。
仏教は縁起なので、時代や地域、人によって様々に縁起して説かれますが、
本質は縁起・空で貫かれています。
991 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 10:49:12 0
>>990 単に「悟った人の教え」だと抽象的で意味不明。
「真実を」悟った人の教え、ね。
E=mc^2は相対性を悟った人の教えと言っているのに近い。
992 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 10:51:02 0
993 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 11:14:08 0
994 :
世界@名無史さん:2009/08/11(火) 11:21:36 0
>>991 「真実を」なんて限定しても抽象性は変わらない。
言葉は指示するだけの譬喩的なもので、厳密な定義なんてのはソクラテス以来の西洋の妄想に過ぎない。
相対性理論なんか発見しても悟れない。
三昧中に縁起などで無我・空を悟るのである。
一度得た悟りは失われることは無いのですか?
いいえ。
大抵は失われてゆきます。
それが釈迦の教えですから。すべてのものは移ろい行く。悟りの境地もしかり。
そしてこのスレも消え去ってゆくのです。
999なら
>>994は仏教を騙ったカルト。
無効には出来ない。
1000なら山野は永遠に輪廻の輪の中に彷徨い続ける。
無効には出来ない。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。