いずれにしても全く根拠がない
学問板といっても別に普通の人間と変わらないぽ
武士が負け戦状態なら騎士は勝ち戦状態だから
わけわかめってことじゃないの?
>>947 確かに鎌倉時代になると五輪塔が墓標に使用される様になりますが・・・
御先祖のお話ですか?それならお断りしますよ。
山野さんが詳しそうだから聞きたいんだけど、
日本の家系図ってどのくらいまで信用できるの?こないだ家の
やつ見っけたんだけど。ひい爺さんまでのっていた。無論
先祖は武士ということになってました。 超有名な武将の
名前も見っけました(信長クラスの知名度)。
個人的には捏造されたもので、そういうのがあるってことは
先祖が武士でないことの間接的な証明なんじゃないかと
考えています。家族は信用しているみたいですが。
別に先祖なんかどうだっていいんですが、気になるといえば
気になります。
家系図というものがどのくらい信憑性があるか、伺いたいのです。
あと、スレ違いすまん。
957 :
世界@名無史さん:05/01/10 00:45:33
いや、家系や血筋をどう見ているか、
騎士と武士で比較するのも面白いかも知れない。
家系図なんて家系図屋が
ひょいひょい作るんじゃなかったかな
紙質が戦国期までさかのぼれるのなら
信用できそうだが
>>955 細かい背後の状況も分からないのに、いくらなんでも判定出来ません(笑)。
しかし・・・
>日本の家系図ってどのくらいまで信用できるの?
これだけなら、なんの意味もないでしょうね。そもそも、家系図の成立自体
どこまで遡れるのやら。文書の一通でもありませんか。
>>959 年末大掃除のときに家の蔵で見つけたものなのだが、実は見っけた
親父がハイになって外ででいいふらしそうで困ってる……
偽造されたものが多いから信用するなといってるんだけどなー
文書などは特についてなかった。ほこりをかぶった箱の中に
納まってました。うぷするわけにもいかないし、どっかで
鑑定してくれる人を探してみます。
早く親父の夢を砕かないと電波を外で撒き散らしそうで怖い(w
偽文書だと証明出来れば話が早かったのですが・・・いけませんね。
自治体史でお家の過去でも分かれば、話は早いのですが。家系図が出て来た
とかいうだけでは。五輪塔の時代も分かりませんし。
そもそも、絵画史料上に墓は出て来ても、どんな人物が葬られていたのかま
では分かりませんからね。南北朝時代に鳥辺野を描いたものを見たところ、
大して管理されていた訳でもなさそうな墓でも五輪塔形式のものがありまし
たが。現存するものとしては、豊後の大友か・・・主に板碑でしたが。
だれしも先祖は2人、4人、8人、16人、32人・・・となるから必ず有名人にヒットすると思う。
前鑑定団で加藤キヨマ作の名前の入った家系図持ってきてる人がいた
姓は加藤さんなんだけど、案の定江戸時代に作られたニセモンだった
964 :
世界@名無史さん:05/01/14 13:40:11
武士と騎士が初めて互いの姿を見ました
そのときにそれぞれがどんな感想をいだいたか述べてください
武士「ぬるぽ」
騎士「ガッ!」
武士『見ろよ、蒙古兵に手も足も出なかったヘタレがいるぞ』
騎士『なんだあ? 黄金の国の住人のくせに貧乏くさい連中だな』
968 :
世界@名無史さん:05/01/15 01:19:42
騎士「ウホッ!いい戦士・・・」
武士「やらないか」
969 :
世界@名無史さん:05/01/16 01:02:39
おホモだちになれるかは別として、
戦わずに和平交渉でも始めたら、
それそれで面白いなw
14世紀なら、武士が大太刀・長巻・鉞・六尺棒・鑓・熊手まで持ち出して、
ガチで殴り合いになります(w)。それはそれで迫力が。
>戦わずに和平交渉でも始めたら、
これも意外とありそうですが。
武士『イカス!』
騎士『イカス!』
そのままユニフォーム交換
マジレスをさせて頂くと、武士の太刀や甲冑は先祖相伝の品である場合もあ
り、安易に譲渡出来ませんでした。時代遅れになっても使っているものだか
ら、伝足利尊氏画像の様に、腰に佩いたままの太刀や鎧の様式は古いのに、
他の装備は新式という、アンバランスな光景が展開された訳です。
ヨーロッパの騎士には、そうした感覚は無かったのでしょうか。
伝足利尊氏画像(個人像の騎馬武者像参照)
ttp://www2.kyohaku.go.jp/gakuso/gakuso04/gsil4j.htm 抜き払った野太刀は、普段は従者に持たせていたもの。南北朝時代になると、
馬上で長刀・熊手以外にも多彩なリーチの長い武器が使用される様になった。
腰の太刀は佩かれたままだが、この時代には実用の一線からは退いていた上、
伝世品とあって使い惜しんだものか。
矢は本来あるべき数の約五分の一。一本は折れており、不自然に曲った左足、
大童になった髪形とともに、激戦後の姿である事を推測させる。
(「大童」は、結んだ髪が解けて、童形のざんばら髪になったもの。現在でも
慌しい様子を「おおわらわになる」というのは、これに由来する。)
974 :
世界@名無史さん:05/01/16 14:34:14
「先祖伝来の名剣エクスカリバーじゃ。持ってゆけい!」
「(´-`).。oO(こんな古臭い剣じゃ折れたりしないのかな…)」
まあそういう奴は身分も高いから、
実戦で使う機会は多くないんだろうけど
975 :
世界@名無史さん:05/01/16 14:49:29
>>933 騎士道も武士道も、騎士(武士)全盛の時代から少し後の落ち目の時代に
流行するわけで「今の時代」を嘆いて美化した理想。現実に即していた
のであれば、全盛の時代に流行するのではないだろうか。
976 :
世界@名無史さん:05/01/16 15:11:05
>>918 村を焼いて田畑も焼き払い、領民を城に逃げ込ませて兵糧攻めをより効率よく
行なったりしていた。
977 :
世界@名無史さん:05/01/16 15:14:53
体の大きさやらがハンデだな
西洋人も昔は小さかったみたいだが
978 :
世界@名無史さん:05/01/16 16:23:23
個人戦なら
技倆や経験でカバーできるのでしょうから
>27 :世界@名無史さん :04/10/20 02:17:38
>体がでかければ体力がある、というのは如何なものだろうか。
>刃物や弓矢までつかう戦場で体格差を勝敗に結びつけるには、それこそ
>大人と子供以上の格差がないと無理。
かもしれないが、
ただ、全体的には体の大きさと体力は相関関係が多少はあるはずで、
有利な要因の一つには数えてもいいはず
>>29 小柄なのに体力があるので驚いたのでは
>>978 私が知っている話では(意外に有名ですが)、握り飯だけ食っている車夫が馬より早く日光まで駆けたのをみて
お雇い外国人のドイツ人ベルツが驚いて、実験で肉食を与えたら今度はへばってしまったとか、食生活とも
絡んでいるようで面白いですよ。
その後ベルツは、自国に戻って持久的作業には菜食が良い、と言ったとかなんとか。
他にもあったけれど忘れた。
980 :
世界@名無史さん:05/01/16 17:14:58
肉食を食べたらすぐに体力がつくわけでもなく、食べ慣れないものに適応できるわけが
ない。
肉食を与えた−>へばった−>菜食の方が持久作業に適している
と考えちゃう当たりが、この時代の科学的発想
982 :
世界@名無史さん:05/01/16 18:10:22
>>981 そっちは騎士は担当してないじゃん。
ただでさえ騎士の歴史に詳しい人が少ないのに、
そっち逝ったら全然話題にできなくなるね。
そりゃあんたは武士に造詣が深いからやり易いスレなんだろうけどさ、
板違いだから日本史板へ池、ってなりかねないよ。
983 :
世界@名無史さん:05/01/16 18:17:07
「武士・侍って弱くないか?」
スレタイに「騎士」とはないけど、弱い・強いの比較対象は「騎士」でしょう
からいいのでは(重複気味だし)。
クソスレでもないし、ケチらず次スレ立てれば良いだけの話じゃん。
>>980か、山野ヨロ。
985 :
世界@名無史さん:05/01/16 18:55:41
山野の善意を無にしやがって・・・
山野は日本史フィールドへスレの流れをもっていこうとしてるのがバレバレ。
988 :
世界@名無史さん:05/01/16 21:08:13
山野氏の見識はスレにとってはありがたいけよ
同じくらい西洋史に詳しい人も来てくれれば、
スレ的にはベストなんだけど
989 :
世界@名無史さん:05/01/16 21:11:03
ごめん…orz
ありがたいけよ→ありがたいよ
>>980 というか、普通に炭水化物をたくさん取れば持久力は増す。
俺が学生のころは、カーボローディングとかいって水泳など持久系のスポーツ選手は試合の
前1週間くらいは炭水化物中心にしていた(今現在の理論ではどういう食事法になっているかは不明)。
そういうことに無頓着だった俺が知っているくらいだから、結構一般的だった。
だからあながち的外れとも言えないな。
>>988 例のにゃあにゃあ氏は歴史好き歴が浅い筈なのに精力的で中身がおありです
し、たまに名無しの方にも凄い方がいらっしゃいますね。
>>991 何にしても学術系板だけに、
博識な方の存在は有益ですねえ。
色んな説が聞けるのも勉強になります。
993 :
世界@名無史さん:05/01/17 02:19:30 †
騎士なんて刀で叩き斬ればいいんだろ
楽勝じゃん
ハレルヤ!
>>990 名無しばっかの板で、もまぃが学生だったのがいつの時代か知ってるのは
もまぃ一人だけだぞ。
996 :
世界@名無史さん:05/01/17 12:22:54
以前、鎌倉で名刀正宗は蒙古(元寇)の甲冑が切れなかったので、
切れる刀を作れという鎌倉幕府の命で作られたということを聞いた
のですが、実際、どのくらいの甲冑なら切ることができたか、
ご存じの方いませんか?
>>996 鎌倉で名刀正宗は蒙古(元寇)の甲冑が切れなかったので、
切れる刀を作れという鎌倉幕府の命で作られたということを聞いた
まず、このソースをキボン
『ゼロ』とかいう漫画に、それに近い意味の話がありましたが、それを聞き
かじった人間が言ったのでは。あの漫画はそもそもアテになりませんし、
正宗の評価も高くなったのは戦国期からで、信用がおけません。
そもそも、甲冑(含人体)なんていちいち切っていられるものでもありません。
1000 :
世界@名無史さん:05/01/17 18:00:31
>>997 鎌倉で現在も存在し、刀剣を作っている正宗の子孫
(たしか、24代目正宗だったか)が言っていた。
1001 :
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