1 :
世界@名無史さん:
2 :
世界@名無史さん:04/09/28 20:53:42
2get
3 :
世界@名無史さん:04/09/28 21:38:04
ttp://www.worldtimes.co.jp/ ナイジェリア反政府軍、政府との「戦争」開始を宣言
【ラゴス 27日 ロイター】
アフリカ最大の石油輸出国であるナイジェリアで、反政府組織ニジェール・デルタ
人民義勇軍が10月1日から「政府との全面戦争」を開始するとの声明文を発表、
石油各社に対し、1日までに生産を中止するよう要請した。同組織は、石油大手
シェル<RD.AS> <SHEL.L>やAGIP<ENI.MI>が政府を支援していると批判している。
また同組織は、すべての外国人に対し、南部デルタ地帯の産油地域からの立ち退きを
求めた。同地域の産油量は日量230万バレル。
#tag571
ttp
5 :
世界@名無史さん:04/09/30 15:03:45
エチオピアのメネリク2世、スーダンのカリファ・アフマド、そしてフランスの
三者同盟が成立していたら、アフリカの歴史も変わっていた?
今日はナイジェリア独立記念日か。
ちょうど1年前、レゴスのフランス文化センターで聞いた、
女性シンガーによるアカペラのナイジェリア国歌を思い出すな。
7 :
世界@名無史さん:04/10/03 04:47:42
8 :
世界@名無史さん:04/10/03 04:48:49
【ナイジェリア】
カノ州の幹部職員が、2日間のワークショップに参加するために同国東北部のマイドゥグリを訪れ、
あるレストランを探していたところ、複数の男たちと遭遇。
うち1人が突然「あ、あれペニスがなくなっちまった。政治家さんよう、おまえが盗んだな」と幹部職員を追及。
男たちは幹部職員と一緒にいた3人をまとめてリンチ。
幹部職員は大けがを負わされて、病院に担ぎ込まれたが手当てのかいなく死亡してしまった。
この事件で8人が逮捕されたが、消えたとされるペニスについての詳細はどうなった不明。
アフリカでは魔女が呪いでペニスをなくしてしまうことができるという言い伝えがあり、「ペニスが消えた」と
言い張る人々があとを絶たない。
しかし、被害にあった人たちはパンツを脱いで証拠を見せることをかたくなに拒否するとか。
http://ok.halhal.net/~senichi/j/news/data/2004/2004_10_03_00_01.html
9 :
世界@名無史さん:04/10/07 12:17:27
>>8 アフリカでは今でも呪術が盛んだからね。
以前、南アフリカ共和国で連続殺人事件が起こったとき、南アの警察はサンゴマ
(呪術師)にお伺いをたてさせることまでした。
あと、住居の移転などの際に動物の生贄をささげるという習慣が行われている。
(日本でいえば地鎮祭みたいなものか?)
暗黒大陸だな。
11 :
世界@名無史さん:04/10/07 13:49:41
アフリカでは呪術が、社会のために正当に用いられる白呪術と、邪悪な目的の
ために反社会的な仕方で用いられる黒呪術(邪術)に区分されている。
よい呪術師が行うことは、病気治療、盗難・事故などの予防、宣誓のための薬を
調合すること、戦勝、就職、逃げた妻を連れ戻すこと、なくなった物を取り戻したり、
盗人を金縛りにしたりすることなど。
12 :
世界@名無史さん:04/10/07 14:04:09
13 :
世界@名無史さん:04/10/07 15:30:01
ttp://www.diplo.jp/articles03/0303-5.html 「真正トーゴ人」の根底には、「大統領の部族」たるカビエ族が「天上から」
移住してきたという言い伝えが据えられている。この建国神話によると、
カビエ族は天からやって来て国の北部に広がり、他の部族は「地上づたいに」
順次移住してきたという。この言い伝えは1974年以降、ザイールのモブツ政権
にならって導入された真正性政策(2)のおかげ(というか所為)で政治の言説に
持ち込まれるようになった。具体的には、ある特定の部族が歴史的に見て国の
主であり、要するに国を治める当然の(正統な)資格をもつとされる。
この部族の名はもちろん歌い継がれている。愚かしい官製神話が何十年にも
わたり、エヤデマは政権に就くべくして生まれたのだと吹聴してきた。
↑部族の利益のために、歴史や神話が捏造されているようです。
14 :
世界@名無史さん:04/10/21 14:44:10
15 :
世界@名無史さん:04/11/11 21:02:18
フランスがセネガル四市にだけ参政権を認めたのはなぜ?
16 :
世界@名無史さん:04/11/11 21:06:47
>>13 まるで日本や朝鮮のようなDQN国家ですね。
ゾマホン氏は部族で言うとどこの系統なのだろう?
本人はベナンの話はするものの部族の話題はめったにないので。
18 :
世界@名無史さん:04/11/11 21:12:32
やはり韓国が特殊だというのは嫌韓厨の妄想だったんだね
19 :
世界@名無史さん:04/11/11 21:13:35
>>15 田舎は無知な土民がほとんどで知的レベルが低く、選挙をしても意味が無いからです。
しかし、投票の権利は与えないと民主主義の原則に反するということで
農村では人気投票が行われます。
投票結果は都市部出身の政治家の発言力に間接的に影響を与えます。
20 :
世界@名無史さん:04/11/12 02:51:45
>>15 >>19 仏領西アフリカでは、1937年の時点でさえ、セネガルコミューンの例外を
除けば、市民の法的承認を得たアフリカ人はわずか2000〜2500名に
すぎなかった。
21 :
世界@名無史さん:04/11/12 05:34:54
なんでセネガルだけ特別扱いされたのだろ。
22 :
世界@名無史さん:04/11/12 09:54:54
ベルギー領コンゴでは白人すら選挙権がなかったのだそうだ。
23 :
世界@名無史さん:04/11/12 10:49:08
>>22 あそこは「ベルギー領」でなく、ベルギー王の私有地として扱われていませんでした?
私有地なら、そこに住む人間に選挙権を与えないだろうな。
大家が店子に選挙権を与えないようなものだ。
24 :
世界@名無史さん:04/11/12 12:07:26
セネガルの四つの主要都市ダカール、サン=ルイ、ゴレ、ルフィスクの黒人
エリート層は、大きく二つに分けられた。
まずフランス革命以前から2世紀以上にわたってフランス文化になじみ、
カトリックでもあり、自らをフランス人だと考える者たち。彼らはアシミレ
(同化した者)と呼ばれた。ここには混血も含まれる。
次にフランス流の教育を受けたイスラム教徒。彼らはエヴォリュエ(進化した者)
と呼ばれた。
これらの四都市に対して1912年、現地の総督はイスラームを棄教した者のみが、
フランス市民権を得られるよう制度を改変した。実質的にはカトリックの
エリート層を優遇する措置で、セネガルという特権的な植民地からの要求が
昂じてきたことに対する、一種の分断政策である。
25 :
世界@名無史さん:04/11/12 14:49:39
>>17 ベナンは南部はフォン族、北部はプール族が多い。
26 :
世界@名無史さん:04/11/12 18:07:58
>>23 コンゴ自由国時代は知らんけど、
少なくともベルギー領コンゴの時代は白人でも選挙権はなかった。
27 :
世界@名無史さん:04/11/12 18:24:41
ってか植民地では本国人でも参政権がないのがフツウでは。
28 :
世界@名無史さん:04/11/14 08:15:13
ttp://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200410151200000000111344000 ナイジェリアは言わずと知れたサッカー強国だ。
名選手を多く輩出している。
ババンギダやオコチャ、カヌー、アモカチなどの名は、サッカーフリークならば、
すぐに思い浮かぶ。
代表チームは『スーパーイーグルス』と呼ばれている。
隣国カメルーンは、代表チームが『不屈のライオン』と呼ばれ、国民の皆から
愛されているので、僕もナイジェリアでも事情は同じだと思っていた。
しかし、国境を隔てると、スーパーイーグルスにはナイジェリアの複雑な事情が
横たわっていた。
「ババンギダは素晴らしい選手だね」
と外交辞令ではなく、素直な気持ちをイエミに述べると、彼は冷ややかな表情を
浮かべる。
アフリカではサッカーは国民的人気スポーツなのに、どうしてイエミは話に乗って
こない。サッカーはブルーカラーの娯楽と軽んじているのか。
「あいつは北部人だ。カドゥナの生まれだ」
イエミは顔をしかめる。
ナイジェリアは、3大民族の存在を抜きには語れない。
ラゴスなど南東部に地盤を持つヨルバ族、ポートハーコートなど南西部に地盤を持つ
イボ族と、カノなど北部に地盤を持つハウサ族が3大民族勢力である。
ラゴスに住むイエミは、恐らくヨルバ族なのだ。
そして、北部の街・カドゥナ出身のババンギダはハウサ族の出身なのだろう。
29 :
世界@名無史さん:04/11/20 00:12:20
リベリアでは、独立時点で初の集団入植から20年余りを経ていた入植社会では、
自国領内の住民について《ムラトー(Mullatos)》《黒肌(dark sukins)》《コンゴ
(Congoes)》《土人(Natives)》の四分類がなされていた。
このうち入植初期には、同じアメリカ解放奴隷でありながら白人との混血で肌の
色が比較的うすいムラトー派と、純アフリカ系の黒肌派との間で入植地のリーダー
シップをめぐり小規模ながら深刻な対立が生じていた。
新憲法の条文は、それゆえ市民を《黒人種》とのみ規定することでこの対立を
解消する結果をもたらした。
これに対し、奴隷密貿易期のギニア湾で解放された船上奪還奴隷《コンゴ》は、
同じ入植者とはいえ西洋文明に無知なアフリカ土着民として、独立時点では
市民の適用対象からはずされた。彼らがリベリア市民として投票権を付与され
アメリコ=ライベリアンの社会層に吸収されていくのは、ようやく1870年代の
ことである。
だが残る第四のカテゴリー、すなわち沿岸入植地の外部で村落生活を営む大多数の
現地住民《土人》には、実に第二次世界大戦後まで市民権が名目上も与えられなかった。
30 :
世界@名無史さん:04/11/20 00:12:43
こうして入植・独立期の終わりには、新生共和国の住民を《アメリコ=ライベリアン》
と《土人》に二分する社会システムが形成されていく。前者は自らを《入植者
(Settlers)》《文明人(the civilized)》そしてなにより《市民》と呼び、後者には
《アボリジン(Aborigines)》《部族民(Tribesmen)》などの侮蔑的な語彙を用意
するようになる。
リベリア独立宣言でうたわれた「われらリベリア市民はかつてアメリカ合衆国
住人なりしが」という排他的な表現が修正されるには、独立からすでに1世紀
以上を経たトルバート政権期をまたねばならなかった。
31 :
世界@名無史さん:04/12/15 11:32:30
32 :
世界@名無史さん:04/12/15 12:34:55
>>28 遅レスだが。
そうそう。ナイジェリアではスーパーイーグルスが思いのほか人気なくて驚いたね。
レプリカユニホーム買おうと思って街中探したけど、
欧州・南米・クラブのはあってもスーパーイーグルスは全然見当たらなかった。
あっても練習用みたいなしょぼいものだけ。
セネガルやカメルーンでは自国の代表ユニホーム着てる人はたくさんいたが、
ナイジェリアで自国のユニホーム着ている人は見なかった。
北部と南部では恐ろしく気候風土・文化習慣の異なる国だった。
33 :
世界@名無史さん:04/12/15 12:45:49
>>32 >北部と南部では恐ろしく気候風土・文化習慣の異なる国だった。
具体的にどんな違いがあるのか教えていただけますか?
34 :
世界@名無史さん:04/12/15 14:26:08
35 :
世界@名無史さん:04/12/15 20:36:13
独立後のコモロは経済的貧困と政治的混乱によってきわめて不安定な状態が
続いてきた。75年に独立した直後には、元大臣のアリ・ソワリヒがクーデター
を起こし、毛沢東主義などに影響を受けた極端な社会主義革命を78年まで行った。
フランスによる行政組織をすべてタブラ・ラサにしようとしただけでなく、
伝統的な村の組織も解体し、新たな農業共同体を基盤とした社会を築こうとした。
しかし、78年にフランスに逃れていたアーメド・アブダラ大統領が白人傭兵部隊を
雇って報復クーデターを起こし、アリ・ソワリヒは暗殺される。アブダラは
大統領に復帰したが、その後長期にわたり専制的な政治支配を行うようになる。
36 :
世界@名無史さん:04/12/15 20:40:59
アブダラ大統領の政権を陰で支えたのは、クーデターを指揮した傭兵隊長
ボブ・デナールである。78年以降デナールは大統領警護隊を組織し、影で
コモロの政治を操るとともに、アフリカにおける傭兵活動の根城とした。
この時期、アブダラはリビアや南アフリカとの親密な関係をもち、
国際的にも孤立するようになる。
アブダラは10年以上大統領を務めるが、89年に暗殺されてしまう。
暗殺の真実は明らかではないが、ボブ・デナールの一味によって暗殺
されたとされている。
38 :
世界@名無史さん:04/12/15 20:49:12
>>36の続き
90年代に入ってもコモロの政治的混乱は続いた。アブダラ暗殺の後の
選挙で大統領となったジョハールは92年の憲法改正により複数政党制を
認めたが、累積してきた経済問題が袋小路に陥り、さらに、大統領も
巻き込んだ汚職や、クーデター未遂などが相次いだ。公務員への給料
未払いが滞り、デモが頻発する中、95年9月には、ボブ・デナールが
再びコモロに現れ、ジョハールを幽閉してクーデターを起こそうとした。
フランス軍の特殊部隊が上陸してクーデターは未遂に終わるが、ジョハール
はそのままレユニオン島に逃亡し、その間に閣僚がジョハールを解任した。
39 :
世界@名無史さん:04/12/15 20:50:35
40 :
世界@名無史さん:04/12/15 21:22:45
ボブ・デナールはもともとフランス海軍出身で、ベトナム戦争へも参加した
らしいが、60〜70年代にアフリカのあちこちの国で傭兵活動を行った。
アフリカにおける新植民地主義を担った、旧宗主国の陰の支配の手先として
活動してきた人物だといわれている。
彼は自ら「インド洋の海賊」と自称していた。
41 :
世界@名無史さん:04/12/15 23:59:25
>>33 気候は、南部=熱帯湿潤気候、北部=半砂漠乾燥気候。
文化は、南部=キリスト教文化中心、北部=イスラム教文化大勢。
大雑把に言えばこんなところですが、これは別世界だなあというのが実感。
大袈裟に言えば、ジブラルタル海峡を越えたぐらいの世界観の違いかな?
もちろん南部にもモスクはあるし北部にだって教会はある。土着宗教も残っている。
ガーナなども似たような状況だが、ガーナではブラックアフリカ文化圏の枠組みの中で
両者が程よく共存しているのに対し(対立もあるが)、
ナイジェリアでは互いが主張しあい譲らぬ観がある。
(う〜んうまい言葉が見つからないのだが…。あくまで主観です)
首都アブジャで面白かったのが、
エルサレムを思わせる豪壮な金ドームのモスクの対面に、
これまた壮麗な大聖堂(ケルン大聖堂みたいなの)がそびえていること。
何もこんな近くに建てる必要ないだろうと思うのだが、
結局意地の張り合いなのだろう。これが南部と北部を象徴しているようだった。
42 :
世界@名無史さん:04/12/16 18:55:09
ビアフラ戦争で、ビアフラ共和国側が敗北した原因は何だったんですか?
43 :
世界@名無史さん:04/12/23 22:01:19
771 :世界@名無史さん :04/12/23 15:18:41
>>767 おれも最初題名の背表紙を見た時は仏教映画かと思ったw
原題は「SHAKA ZULU」とシンプルなのに、なして”闘神伝説”なんて
分けのワカラン文句をさらにくっつけたのか。おかげで何の映画か分かりにくく
なったw
何か、シャカ王はある軍事的革命によりズールー王国を築いたそうだが、
その軍事的革命とは”人を殺すこと”だったw
って何かの解説(この映画の解説)で言っていた気がする。
いや、多分ガセだろな
44 :
世界@名無史さん:04/12/23 22:02:21
775 :シャカズールー :04/12/23 20:18:09
>>771 ガセっす。
シャカ王の軍事的革命は3点。
1つは槍の使い方。従来のズールー族の戦闘法は古代ローマ軍に似ていて、投げ槍主体。
しかし、シャカは槍は投げるよりも刺突する方が強いと考え、槍ぶすまを作って突撃する
戦術を採用する。
槍の長さも接近戦を考え、長槍から短槍に改良させています。
45 :
世界@名無史さん:04/12/23 22:02:56
776 :シャカズールー :04/12/23 20:30:38
次は陣形。「牛の角」という戦術を考案。
これは”胸”という名の精鋭部隊を中心に”角”という名の部隊を正に
牛の角のように並べ、角が相手を挟み込みながら牽制し、胸が突撃する
というもの。いわゆる鶴翼の陣と言ったら分かりやすい。
3番目は戦士階級の創設。
それまで戦士と一般人との区別はなかった。それを新たに戦士階級を
創設し、彼らに一定年齢になるまで結婚を禁止し、さらに戦士達に日
常的に軍事教練を施した(そのための戦士階級の創設)。
まわりが旧態依然の部族的戦闘法の中、ここまでやったら無敵だったで
しょうね。いわゆる軍事的天才であったことは間違いない。
46 :
世界@名無史さん:04/12/23 22:03:24
778 :世界@名無史さん :04/12/23 21:57:21
>>775 いわゆる「ムフェカネ」(衝突)の時代ですな。
この被害を受けたバスト族の王モシュシュ1世は山岳時代タバ・ボシウ(現マセル
近郊)に逃げ、要塞によって国を守りました。
1835年以降、南アフリカのボーア人のグレート・トレック(大移動)により再び
国境をおびやかされたため、王はイギリスに保護を求め、1843年にイギリスの
保護下に入り、1868年には正式にイギリス保護領となりました。
その後1871年に一時ケープ植民地に併合されましたが、1884年には再度イギリス
保護領になりました。
47 :
世界@名無史さん:04/12/23 22:03:24
778 :世界@名無史さん :04/12/23 21:57:21
>>775 いわゆる「ムフェカネ」(衝突)の時代ですな。
この被害を受けたバスト族の王モシュシュ1世は山岳時代タバ・ボシウ(現マセル
近郊)に逃げ、要塞によって国を守りました。
1835年以降、南アフリカのボーア人のグレート・トレック(大移動)により再び
国境をおびやかされたため、王はイギリスに保護を求め、1843年にイギリスの
保護下に入り、1868年には正式にイギリス保護領となりました。
その後1871年に一時ケープ植民地に併合されましたが、1884年には再度イギリス
保護領になりました。
48 :
世界@名無史さん:04/12/24 00:24:44
ん、釈迦はどっちのレスに入れたら良いんだ。
49 :
世界@名無史さん:04/12/24 16:47:56
南アフリカ共和国の白人の入植は鉱山開発型だったのに対し、
(キンバリーでのダイヤモンド鉱の発見、ヴィットヴァーテルスランドでの金鉱
の発見)
南ローデシアの場合、鉱産資源の量がそれほど多くなかったため、豊富にある
土地とアフリカ人労働力を使ったプランテーション開発型だった。
ちなみに、南ローデシアでは、第二次世界大戦後のイギリス軍復員軍人の多量
入植と政府の入植奨励策のせいで、白人人口がそれ以前に比べて約4倍に増えた。
北ローデシアでは1920年半ばに銅の大富鉱が発見され、コッパーベルトへの
白人入植が進んだ。
50 :
世界@名無史さん:04/12/24 21:52:09
釈迦はこっちで語るべきだらふ。
母ナンディの死後、服喪に来ない数千人を虐殺した釈迦マンセー
51 :
世界@名無史さん:04/12/27 19:08:43
シャカ大王は結局ディンガネによって暗殺されてしまう。
その後ディンガネ王はポンド人やンデベレ人との戦いを強いられた。
トレッカーたちもしばしばズールー人に苦しめられている。
52 :
世界@名無史さん:04/12/28 16:58:13
シャカズールーの生涯を周辺事情にも絡めてドラマ化したら案外受けないか。
ボーア人のグレートトレックとか、大英帝国の野望とか、シャカに追われてジンバブウェ
に逃げ込んだンデベレ人とか、あっちのスレで妙に人気のあるモシュシュとかと絡めてさ。
1.禁断の恋
2.疎まれた出生
3.父への思い
4.ディンギスワヨ
5.初陣
6.父の死
7.王位簒奪
8.裏切り
9.ディンギスワヨの敗死
10.ズワイドとの決戦
11.ゲリラ戦
12.ズールー帝国
13.ヤコブとの出会い
14.2人のイギリス人
15.祖母の死
16.母の死
17.虐殺
18.南進
19.交渉の帰結
20.野望終焉
こんな感じで
53 :
世界@名無史さん:04/12/28 20:19:05
ttp://www.nishi-shinjuku.net/~africa/southern_africa/zimbabwe/nation.html ンデベレは本来、南アのズールー族の一派であった。絶大な権力を誇った
ズールーの有名なシャカ王の母であるナンディが死んだ時、シャカは動揺し、
おかしくなった。
当時、ンデベレはムジリカニという酋長のもとに結束しており戦いの旅に出て
いたが、3年にわたる戦いを終えてムジリカニ軍が帰ってきたとき、シャカ王
は彼らに戦いで得た物を全て差し出すこと、王の母の死を聞いて涙を流さな
かった者は全員死刑に処すことを命令した。ムジリカニはその命令を聞き、
シャカを縄で縛り上げてズールーの土地を離れ北へ向かった。その後行く先々
での他部族との抗争を経て軍隊を強化し、また南アの白人達に追い出された
こともあり、より好戦的になっていった。」一時はザンビアとジンバブエの
大部分に影響を及ぼす力を身につけた、このムジリカニ王の子供がロベングラ
である。彼は兄を殺して王の座についた後、1893年に没したとされる。
54 :
世界@名無史さん:05/01/02 01:46:36
カフィール(キャッファー)とは異教徒であるバントゥー人への蔑称。
55 :
世界@名無史さん:05/01/02 18:47:27
56 :
世界@名無史さん:05/01/02 20:10:22
57 :
世界@名無史さん:05/01/02 20:21:57
アフリカ情勢が余り伝わってこない訳だが
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1060724009/ 403 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:04/11/13(土) 20:16:51 ID:9ceQz2uj
「アフリカ未開認識の逆U字仮説」
@最初、アフリカなんか未開だーと思ってる。
Aで、日教組とか戦後派知識人(笑)とか怪しげな社会学者や人類学者の
影響を受けて、「未開なんかじゃない!色眼鏡をかけずに見て、彼我の
文化の違いを相対化して理解すべきなのだ」とか言い出す。
B色々勉強したり、現地に行ったりしてみる。「やっぱり未開じゃん」
以上、アフリカ社会の理解を横軸に、未開意識を縦軸に取ると、逆U字型の
曲線が描ける。どうだ、クズネッツよ、俺と勝負だ!
58 :
世界@名無史さん:05/01/02 20:29:15
59 :
世界@名無史さん:05/01/02 20:51:51
>>52 シャカって20代の6年間、ムセスワ族の首長ディンギスワヨにつかえて
たんだよね?
60 :
世界@名無史さん:05/01/04 21:07:56
ttp://www.oitaplaza.jp/cgi_bin/overseas/bbs-e.cgi?no=264&reno=261&oya=261&mode=view&class=exc&page=0 また、ザンビア人のすべてがそう思っていない今でも、白人→黒人→東洋人
(アジア系黄色人種)といった根強い階級意識を持っているため、街に出ると
「チョチョリー!チョチョラー!」といった差別的と言うか、侮辱的な言葉を
かけてくる人達も少なくありません。(アフリカ各国にはこのような東洋人を
バカにする言葉が必ずあるようです。)そして、そういった態度の人達も、
ひとたび私が日本人だと分かると、手のひらを返したように、今度は
「Give me!」と物乞いを始めたり、「Assist me!」と、援助を求めてきたり
します。また、多くのザンビア人がキリスト教信者で、政治や様々な場面で
宗教色が濃く、かなり排他的な面を持っているため、キリスト教意外の人々は、
みんな野蛮で劣った人達だと考える人もいるくらい見下してます。
そんなことから、日本人=成金東洋人といったイメージが先行し、「日本の
文化?習慣?そんなことよりもテクノロジーを教えてくれ!いや、どうにか
して自分を日本の会社に入れてくれ!何でもするから!それじゃなければ、
手っ取り早い金のもうけ方を教えてくれ!」といった感じで言い寄ってきます。
61 :
世界@名無史さん:05/01/04 23:50:16
>>59 両親が離婚したあと、最初はデンギスワヨ配下の兵隊から始めました。
ここで、大胆な行動を取る男として有名になり、デンギスワヨ
に気に入られます。ズールーの王位を継いだのもデンギスワヨ
の後ろ盾を得てでした。
62 :
世界@名無史さん:05/01/08 21:17:47
シャカ大王の時代の「ムフェカネ」(衝突)は、結果的に白人の勢力拡大の
好機をつくりだしてしまった。
ムフェング人は宣教師の影響を受け、イギリス人と同盟を結び、コサ人の
社会を内部から弱体化させることになる。
戦争による荒廃のために、内陸の高原地帯の人口密度は一時的に希薄になり、
その土地に白人農民が入ってきた。
63 :
世界@名無史さん:05/01/10 20:14:24
クワニャマは、現在のナミビア北部とアンゴラ南部にまたがる地域に暮らす
人々で、オヴァンボと総称される集団のひとつである。
クワニャマを含めて、オヴァンボの人々が王国という政体をもつようになった
のは、17世紀頃のこととして推定されている。
王は、宗教的祭祀をつかさどる者として、土地に雨と豊穣をもたらし、生者と
死者を媒介して、民を守るべき存在だった。王の力は、具体的には、その手中に
ある「土地」によって表された。祖先からあずかった土地は処分可能な財産では
ないが、王が継承するものは「土地」であり、そのなかには、そこに暮らす
人間と代表的な財産である家畜(牛)が含まれていた。王は忠誠を誓う人々に
土地や家畜を分配し、彼らを庇護した。同じようにして生まれた周辺の王国と
密接な交渉を持ちながら、クワニャマも王国としての体制を整えていった。
64 :
世界@名無史さん:05/01/10 20:17:23
19世紀までには、王国とヨーロッパ商人や宣教師との接触が広がっていく。
ヨーロッパ人との接触は、商品との交換のために人々が奴隷として差し出され、
家畜が手放され、王国の経済が破壊されるという意味で、また、王の下位の
首長たちが商人や宣教師と結ぶことによって王への忠誠を失うという意味で、
王国の基盤を掘り崩すものだった。
65 :
世界@名無史さん:05/01/10 20:20:33
1880年代半ばにナミビアを植民地とし、その中南部で地歩を築いたドイツは、
まもなく北部の支配に乗り出し、1908年にはオヴァンボの王たちと一連の
「保護条約」を結んだ。それにより、クワニャマ王国も、形のうえだけは
ドイツの統治下におかれることになった。しかし当時の王の居所オンディヴァ
はポルトガル領内にあったから、その王国を「保護」下においたドイツの行動は、
ポルトガルの植民地政策と衝突せざるをえなかった。
66 :
世界@名無史さん:05/01/10 20:28:05
コンゴ内戦が再燃しそうな件
67 :
世界@名無史さん:05/01/10 20:30:22
このようにしてヨーロッパ勢力、とくにドイツとポルトガルの「争奪戦」に
巻き込まれはじめたクワニャマで、1911年に王位についたのが、当時まだ10代
の青年だったマンドゥメである。新しく王となった彼の直面した最大の問題は、
1891年にポルトガルとドイツとの間で結ばれた「国境」協定であった。
「ドイツ領南西アフリカ」とアンゴラとの境界を、1886年の南緯16度から17度に
移したこの協定の結果、クワニャマの領域は、ポルトガルの支配する地域と
ドイツの支配する地域の双方にまたがるようになっていた。
「国境」の彼我に分散して暮らす人々を糾合し、統一的な王国を再建すること
を自らの使命とみたマンドゥメは、伝統法を大胆に変えて王国の内からの
改革に取り組み、王の求心力の回復を図るとともに、外からの敵との戦いに
備えた。すでにポルトガルは、アンゴラん南部でクワニャマを除くすべての
王国を壊滅させていた。
68 :
世界@名無史さん:05/01/11 16:40:18
第一次世界大戦が勃発し、ナミビアを舞台に南ア軍とドイツ軍とが戦いはじめると、
マンドゥメはそれを勢力回復の絶好の機会とみた。ポルトガルを主要な敵と考えた
彼は、ドイツ軍の後ろ盾を得ながらアンゴラ南部のポルトガル軍の前哨の攻撃に
乗り出す。しかし、ドイツはまたたくまに敗北し、勢いを得たポルトガル側が
マンドゥメに対する攻勢に出た。ポルトガルもまた、大戦の混乱を自らの植民地
拡大の好機とみたのである。1915年8月には、ポルトガル軍はマンドゥメをナミビア
側に追いこむことに成功した。
69 :
世界@名無史さん:05/01/11 19:54:32
しかし、ポルトガル領から追放されたマンドゥメが、境界の反対側に残った
クワニャマの人々への影響力を失ったわけではなかった。それどころか彼は、
そうした人々を動かしながら、今度はナミビアを占領した南ア軍を新たな後援者
としてポルトガルへの逆襲に出ようとした。9月には、南アの「南西アフリカ
原住民問題担当官」プリチャード将軍が、アンゴラ側に戻らないことを条件に、
マンドゥメに「保護」を約束した。
しかし、マンドゥメと南ア軍との奇妙な依存関係も長続きはしなかった。
プリチャードがマンドゥメに課した「ポルトガル領側に戻らない」との条件は、
アンゴラ側に住むクワニャマの人々にとっては、王の喪失を意味した。
70 :
世界@名無史さん:05/01/11 20:29:02
彼らは、ポルトガルの攻撃を逃れるために「国境」を越えてマンドゥメのもとに
走ったり、あるいは、王の命令のないままにポルトガル人に対する襲撃行動に
出たりするようになった。一方、王への忠誠を捨て、王からの自立を図る
首長もあらわれた。マンドゥメは、南ア軍の規制を無視してポルトガル領へ
たびたび足を踏み入れ、クワニャマの人々と接触した。それはポルトガル、
南ア双方の怒りを買う行動だった。
71 :
世界@名無史さん:05/01/12 20:47:32
ttp://www.worldtimes.co.jp/ ダルフール、休戦協定後も戦闘激化=国連
【国連 11日 ロイター】
国連のプロンク事務総長特使(スーダン担当)は11日、スーダンのダルフール
では休戦協定にもかかわらず戦闘が激化しており、警官や人権監視団、アフリカ
連合(AU)の平和維持部隊の拡充が必要との見方を示した。
特使は国連安全保障理事会で、ダルフール地方には武器が大量に流入している
ほか、山賊が横行、反政勢力が石油施設付近を攻撃するなどの事態が発生して
いる、と報告した。
特使は「迅速な行動がとられなければ、ある期間激しい暴力が続くかもしれない。
(南部に関する)休戦協定が近く、ダルフールと周辺での激しい暴力事件という
結果に終わる可能性を否定しない」と述べた。
72 :
世界@名無史さん:05/01/12 21:13:43
ポルトガルも南アも、いまやマンドゥメの力を利用すべきときは去り、彼の
存在を除去しなくてはならないと考えるようになった。1916年10月に、王に叛旗を
翻しポルトガル軍と連合したクワニャマの一党をマンドゥメが敗退させたとき、
ポルトガル兵たちが逃げ込んだのは、「国境」地帯にある南ア軍の軍事拠点だった。
そのことは、ポルトガル軍と南ア軍とが結託しているとマンドゥメに判断させるに
十分だった。
73 :
世界@名無史さん:05/01/12 21:18:16
1916年12月初め、マンドゥメは南ア軍から最後通牒を受け取るが、降伏を
拒否した。そのため、翌年2月初め、デヤーガー将軍に率いられた部隊が
マンドゥメの領域に入った。マンドゥメがその居所の近くで32人の従者
たちとともにマキシム銃で撃たれて最期を遂げたのは2月6日のことである。
マンドゥメを倒すことに成功したデヤーガーは、早くもその翌日にクワニャマの
ヘッドマンたちを集め、降伏を申しださせた。そして、「マンドゥメの
後継者は誰か」と彼らに問いかけ、「もはや王はいません。あなたを王と
あおぐだけです」と答えさせているのである。
74 :
世界@名無史さん:05/01/14 02:13:15
75 :
世界@名無史さん:05/01/14 03:54:25
ポール・フォン・レトー・ボルベック についてくわしい人誰かおせーて。
76 :
世界@名無史さん:05/01/24 03:10:30 0
ttp://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/12853425.html 二重の陰謀とギニアの没落
Le président guinéen lance la chasse aux conjurés
ギニア大統領、陰謀加担者の掃蕩へ
ギニアのコナクリで陰謀加担者の掃蕩が始まった。この旧フランス植民地の
「終身」大統領ランサナ・コンテは、連続3期目の大統領に就任してからこの
1年、日々襲撃をやり過ごしてきたが、水曜日またしても暗殺を危機一髪で
逃れた模様だ。首都周辺を車で移動中だった大統領一行が銃撃されたのだ。
大統領の親衛隊が反撃したが、襲撃者は逃走に成功した。ただちに治安警察
部隊は数10通の逮捕状を発行した。
77 :
世界@名無史さん:05/01/25 21:23:33 0
めずらしくTVに出演したランサナ・コンテは、この襲撃事件が国外勢力の陰謀
であるという仮説を仄めかした。1984年、クーデターによって政権の座に着いた
コンテはコートジボワール大統領ロラン・バグボと親しく、共通の敵をともに
戴いている。その敵とはブルキナファソの大統領ブレーズ・コンパオレだ。
この地域内で発生した不審な発砲事件の背後にはコンパオレがいると疑われて
いるのだ。しかもほとんどあからさまといってもよいこのような非難は、国民
の不満がうなぎのぼりに高まる嘆かわしい状態のギニア政府内部では歓迎され
ている。いっぽう野党側は、これがギニア国民の注意を日々の生存という重大
問題からそらせるための政府による大掛かりな陰謀だと主張している。
最近数ヶ月、鉱物資源が豊かなこの国において(中でもボーキサイトの埋蔵量
は世界の3分の1を占める)社会主義的な運動が盛んになっている。昨夏、
ギニアの主食の一つである米の価格が高騰したことから、コナクリで大規模な
暴動が発生した。コナクリでは停電も頻繁に発生している。同じ時、ガソリン
価格はなんと66%も暴騰した。政府は学生によるデモ隊を厳しく弾圧した。
学生たちは150人収容の大学の講堂に、なんと500名も詰めかけたのだった。
ギニア中央部では人々は「慢性的」な飢餓に苦しめられており、最近はコレラ
の伝染によって数10名の死者が出たという証言もある。このような状況下で、
国内で大きな混乱が発生していないことこそがむしろ驚異的だ。
一般にアフリカ3大犯罪都市は、南アフリカ・ジョハネスバーグ(ヨハネスブルグ,以下ジョバグ)、
ケニア・ナイロビ、ナイジェリア・レゴス(ラゴス)といわれています。
かつて世界3大犯罪都市に入っていたニューヨークが、
ジュリアーニ元市長の就任以来治安が改善された為、
現在アフリカ3大がそのまま世界3大とされているようです。
コロンビアなども時々耳にしますが、南米全域を回ってアフリカに来た旅行者たちのほとんどは、
コロンビアの治安などアフリカに比べたら雲泥の差、ひよっこほどだといいます。
南アは私が語るまでもなく、その凶悪ぶりは周知のことと思います。。
かといってジョバグが足を踏み入れられないほど酷いかというとそうではありません。
私は空路ジョバグINしましたが、深夜着で外に出るのも怖いので、
空港内で夜明かししましたが問題はありませんでした。
その後郊外に宿泊しましたが、南アの良点は欧米並に発展しているので
中心部に行かなくても郊外で用が足りることです。
その辺りは高級住宅街で、休日には家族連れが公園で戯れる微笑ましい光景もよく見られます。
夜は人通りが少なくなりますが、それほど危ない雰囲気もなく一応一人歩きも問題なし。
ただ高級住宅街ゆえ、各家には最新で強固なセキュリティーが施され、
住宅街の入り口にはゲートがあったりします。
それでも時々武装強盗に襲撃されることもあるようです。
中心部はジンバブエスレで前記した様に、瀟洒なオフィースビル街は「TO LET(売り出し中)」が張り巡らされ、
週半ばの昼下がりでも人通りが少なく(いるのは裕福そうには見えない黒人ばかり)、
ゴーストタウン化しています。馬鹿な日本人旅行者は「やられツアー」と称して挑んでいますが、
9割は被害にあっているようです。残り一割は逃げ切れたか運良く遭わなかったか。
しかし、殺されたという話は聞いていません。
ケープタウンは比較的良い方だとはいわれていますが、土日の雰囲気の悪さにはゾッとします。
メインストリートはほとんど店が閉まり、鉄格子だらけとなりその景観がまた怖さを助長します。
あとは前記した如くです。その他ダーバンなど地方都市の犯罪率の高さも有名です。
ナイジェリアは、紛争中でもないのに、国全体が危険地帯とされています。
また国内の犯罪に留まらず、国際的な企業犯罪も最近よく耳にするところです。
嘘か真か、ナイジェリア以外の全アフリカ犯罪者も8割がナイジェリア人だという冗談もあるぐらいです。
ナイジェリア人は国外進出の気質に富み、エネルギッシュで野心旺盛さが感じられました。
この国に入る前は周辺国の人々に散々反対されましたね。
それを押し切って行ったのだから、反対されながらもヨルダンからイラクに入った
人達と軽薄さは変わらないのかもしれません。(かなり戦々恐々でしたが)
ベナン国境からの入国は凄まじい賄賂攻撃で面喰いました。官憲が腐っているのは確かです。
大都市レゴスは、かつての繁栄を偲ばせるくすんだ高層ビルが建ち並び上空はスモークで覆われ、
その大都市の下には広大な水上スラムなどもあり、不気味な魔都の様相を漂わせていました。
私が宿泊していたイコイという地区は、レゴスでも比較的安全で
若人に人気のお洒落なエリアだそうです。(表現がおやじくさいな…)
日中の一人歩きは全然平気で、夜もそこそこ歩きましたがそれほど危ない雰囲気もなく、
夜中12時頃でも大丈夫でした。かといって決して安全ではありません。
日本国駐在官事務所(旧日本大使館、現日本大使館は首都アブジャ)は
高い壁に鉄条網が張り巡らされ、要塞の如き様相でした。
中は職員の住宅やテニスコートなどもあり、そこで生活できるようになっています。
日本人職員はほとんど外に出ることはないようです。
それだけ外は危険ということで、日本人に限らず街中を歩いている非黒人など
皆無といって良いほどでした。私が事務所に行ったその週、
地元民職員が出勤途中に乗った乗合ワゴンで強盗に襲われたそうです。
実は運転手はじめ車掌、客みな武装強盗の偽装で、金目のもの全て奪われたとのこと。
レゴス以外も安全ではありません。
地元民にも夜間の都市間移動はするなとよくいわれました。武装強盗が出るそうです。
行ってませんが宗教対立でたびたび暴動や虐殺が起きているカドゥナが特に危険。
私が滞在したジョスでも頻繁に夜間外出禁止令が出ています。
それからちょうど私がいた頃、突如政府がガソリン値上げに踏み切り、
反発した運輸団体が全国一斉ストライキを宣言、道路封鎖や暴動に発展するのではないか
という事態になりました。しかし、ちょうどその時アブジャで開催されていた
アフリカンゲーム(アフリカ最大のスポーツ競技会)もあり、
政府は混乱を避け国際的な面子を保つために譲歩し最悪の事態は回避されました。
ナイジェリア人は最悪だ、とは周辺国民はじめ旅行者でもよく語られることです。
しかし、「百聞は一見に如かず」。観光客はおろか非黒人がほとんどいないので、
地元民は全くすれていません。みな最初はこちらを見て驚きますが、
すぐに笑顔になりフレンドリーで無償の親切も多く受けました。
賛否ありますが、私はこの国と国民に良い印象持っています。
アフリカ3大犯罪都市で最も危機感を感じたのが、実はナイロビでした。
ナイロビで日本人が集まる宿は、地元でも有名な犯罪多発地帯(リバーロード)の真っ只中にあります。
私も一泊だけしましたが、他に日本人旅行者がおらず、
前の通りは日が暮れるとがらりと雰囲気が変わり、人が途絶え、
本当に危ない目をした者が辻斬りの如く立っているという状態でした。
とても一人では出歩ける雰囲気ではなかったですね。翌日早々に退散しました。
それ以降にそこに泊まった人達の話によれば、夜毎銃声を聞き、
日中でも強盗に遭った人達もいました。その他地域では夜歩きも出来ないことはありません。
しかし、夜間は全体的に危険な雰囲気はあります。
ケニアはナイロビ以外も油断なりません。モンバサなど地方都市もよく強盗被害を聞きます。
ナイロビから陸路エチオピアに向かう場合2つルートがあります。、
かつてメインルートといわれたイシオロ〜マルサビットは武装ゲリラの出没地帯として有名で、
以前は軍の護衛付きで全車両移動していたそうです。
最近は改善され護衛もなくなりましたが、時々ゲリラが輸送車輛を襲撃しているとのこと。
で、私は比較的安全といわれるもう一方のガリッサ〜ワジアルートを選択しましたが、
こちらでもバスにはライフル機関銃を持った軍人数人が同乗していました。
ケニア東部砂漠のクソ熱くイスラム色の濃いワジアという小さな街は、
実はソマリアから流入する銃火器取引の前線基地で、ケニア国内犯罪の温床だからだそうです。
国境を越えエチオピア側に入ると、目を引くのは銃器禁止の標識や
武器追放を呼びかける看板です。この付近は武器密輸が多いのでしょう。
かといってエチ人がみな銃器を所持しているとは考えられません。
前記の犯罪の稚拙さを見てもらえれば察しがつくと思います。
その他の治安状況ですが、タンザニアのダルエスサラームはかなり悪化しているようです。
夜間は雰囲気悪いですね。また、日本から輸送されてきた車を受け取りに行って、
自宅近くで射殺された日本人女性の事件も有名です。
地方も油断ならず、私もスリに遭いましたし、強盗もよくあるそうです。
ジンバブエについてはジンバブエスレ364〜373を参照。
あと付け加えるなら、首都ハラレで日本人がよく宿泊する宿周辺で、
日本人ばかりを狙った背後から殴打する強盗事件がよく起きています。
ハラレに限らず、地方都市ブラワヨも夜間は危険な雰囲気。
モロッコからモーリタニアへは西サハラを縦断するわけですがここは無問題。
国境地帯は以前、軍の護衛なしでは往来できなかったようですが、
いまは護衛もなく自由に行き来できるようになりました。
モーリタニアには一昨年(2003年)6月のクーデター直後に入りましたが、
首都ヌアクショットでも一般人にはどこ吹く風といった様子。
セネガル南部カザマンス地方は独立運動と住民虐殺で有名ですが、
現在は表面上平穏が保たれています。しかし、各地の路上では検問が多く、
外国人はほとんどノーチェックでしたが地元民は厳しくチェックされてました。
コートジボアール・アビジャンは1999年のクリスマスクーデター前に行きましたが、
その当時も治安が悪いといわれていたとはいえ、かなり改善されつつあったようです。
しかし、クーデター以後、現在では国が2分する内戦状態となり、
観光客が軽々しく入れる状態ではない様です。
その他、カメルーン・ドゥアラ、マラウィ・リロングウェあたりも多少危険を感じました。
さて、では犯罪都市以外について。
昨年ダルフール紛争で日本でも報道されることがあったスダーン(スーダン)。
長期にわたる南部紛争やイスラム原理主義、テロ支援国として
日本では悪の権化の如く取り扱われている国ですが、実際はどうか?
報道とは裏腹に旅行者の間では世界一親切な国という評判です。
官軍警は腐ってます。仕事しないし横柄で高圧的。しかし、一般人は頗る親切です。
私はエチオピアからエジプトへ抜けるのに、一週間ほどで駈け抜けたに過ぎませんが、
あらゆるところでスダーン人の無償の親切を受けました。
求めてもいないのに飲食物をくれたり、道を案内してくれたり、車に乗せてくれたり。
こうして列記するだけだと、他国でもよくあること思われるでしょうが、
その度合いが全く違います。イスラム原理主義が浸透しているからこそ、
例え異教徒でも旅行者に対しては非常に親切で面倒見が良いのです。
紛争地帯以外では治安の不安もありません。世界一親切の看板に恥じない国でした。
大都市ではアディスアベバをはじめ、スダーン・カルツーム、
セネガル・ダカール、ブルキナファソ・ワガドゥグ、ガーナ・アクラ、
ウガンダ・カンパラetc。少なくともこれら都市で危機感を感じたことはありません。
警戒なく夜間の一人歩きもしてましたね。
旅行者の評判もよく、アジア・欧米の大都市よりリスクは低いと思います。
また、田舎の方が治安が良いのはアフリカに限ったことではありませんが、
アフリカの大半は親切で人情味あふれるのんびりした田舎ばかりです。
西アフリカでは、路上に荷物放置しても、宿に財布置きっぱなしにしても無事だったほどです。
特にガーナは強くお勧めしたい国です。永住したいぐらいですよ。
結局私が一年近くアフリカ大陸にいてあった被害といえば、
ぼられたことは数知れずですが、強盗0、スリ1(電卓・トイレットペーパー)、
盗難1(タオル一枚)だけでした。ただし、これが全ての人に当てはまるわけではなく、
私が運が良かっただけかも知れません。安全といわれるところでも強盗に遭う人もいるし、
治安に限らず感染症等も侮れません。(私もブルキナで入院した)
以上は全て私個人の主観であり、全く違った見方をする人もいます。
それにアフリカ全50ヶ国以上ある中の、まだ半分も訪問していません。
あとは御自分の目と身体で確かめるしかないと思います。
でも多少なりともアフリカの治安に対し、誤解を解いていただけたら幸いです。
86 :
世界@名無史さん:05/01/26 03:32:15 0
>>84 >また、田舎の方が治安が良いのはアフリカに限ったことではありませんが、
>アフリカの大半は親切で人情味あふれるのんびりした田舎ばかりです。
>西アフリカでは、路上に荷物放置しても、宿に財布置きっぱなしにしても
>無事だったほどです。
やっぱり中途半端に近代文明に染まってしまった人間がダメなのかな。
南アの都市部の黒人なんてその典型に思える。
伝統社会に存在していた社会規範がなくなり、かといってそれに替わる新しい
モラルが確立されていなければ、やりたい放題にもなるだろうね。
87 :
世界@名無史さん:05/01/26 21:25:07 0
アフリカ3大犯罪都市、ナイロビ、ラゴス、ヨハネスには疑問
ナイロビはそんな治安悪くないんでは
代わりにキンシャサ入れれ
「カラシニコフ」読んだんだが、ここでは話が無いな。
タイトルは軍オタ向けだが中身は半分以上アフリカの話。
(内容の信憑性は置いといて)
ヨハネスの治安はNGOの活躍で相当良くなっているとか。
ソマリアのモガディシオのほうがやばそう。
外国人が外出するときは護衛が最低7人必要だって。
89 :
世界@名無史さん:05/01/26 22:28:02 0
今だったらコートジボワールのアビジャンなんかもヤヴァそうだが。
90 :
アフリカ遠足人:05/01/26 22:33:27 0
>>87さん
>>88さん
言葉足らずでしたね。アフリカ3大犯罪都市とは内戦国以外との意味で、
近年まで内戦中だった国は含みません。
どこまでが近年でどの程度から内戦とするかの線引きが難しいところですが。
ではお二方のかの地を訪れての印象や御感想をお聞かせください。
91 :
世界@名無史さん:05/01/27 14:51:35 0
92 :
世界@名無史さん:05/01/27 20:15:23 0
アフリカ遠足人さんへ質問です。
アフリカでは、今でも悪霊やら森の精やらの存在が信じられていますが、
アフリカ遠足人さんは、アフリカを旅していてそのようなものの存在を
感じたことはありますか?
感じたことがあるとすれば、それはどのような感覚なのでしょうか?
93 :
アフリカ遠足人:05/01/27 23:11:12 0
>>92さん
全く感じたことないです…。日本にいても全く霊感がない人間なので。
ガーナやベナン・ナイジェリアのシュライン、各地の墳墓など
神聖とされるところはいくつか訪れましたけど何もなかったです。
参考にならず、すみません。
94 :
世界@名無史さん:05/01/28 20:34:22 0
>>93 ありがとうございます。
私も霊感はまったくありません。八卦・星占い・血液型占いの類もまったく
信じません。
ですからアフリカ人が呪術にこだわる気持ちというのがイマイチ理解できないのです。
(アフリカはキリスト教徒やイスラム教徒も多いのに、呪術が幅を利かせていますね)
95 :
88:05/01/28 21:02:06 0
アフリカ遠足人さんへ
自分は「戦場の犬たち」と「カラシニコフ」を読んでアフリカに興味を持った
ただのヘタレでして、現地へ行くなどとても(金と暇と心の余裕が)・・・
この2冊を読んでアフリカってもの凄く殺伐としたイメージ抱いちゃって。
平穏な地域も多いのですね。
96 :
世界@名無史さん:05/01/29 23:29:33 0
ウフエ=ボワニの時代のアビジャンは「アフリカのパリ」といわれていたのにな。
高速道路が走り、高層ビルが建ち並び、町にはスーパーや洒落たレストランが
あり、イボワール・ホテルにはアイス・スケートリンクまであった。
南アなんかでW杯開いて大丈夫なんだろうか
日本の観光客が被害受けなきゃいいが
今度は国際情勢板の南アフリカスレにコピペされてる…。
99 :
世界@名無史さん:05/02/04 21:58:56 0
ttp://www.worldtimes.co.jp/ 「西アフリカへの理解欠如」−シラク仏大統領
ムベキ南ア大統領を批判
【ヨハネスブルク4日長野康彦】
西アフリカ・セネガルを訪問中のシラク仏大統領は二日、地元メディアとの
インタビューなどで、西アフリカ・コートジボワール紛争の調停に当たって
いるムベキ南アフリカ大統領に対し「西アフリカ人の考え方や心理に対する
理解が欠けている」とする内容の批判を行った。親アフリカで知られる
同大統領がアフリカ首脳を批判するのは異例。
コートジボワールは旧フランス領で、現在、五千人規模の仏軍が駐留中。
〇三年、フランスの仲介で政府と反政府勢力が内戦終結に合意したが、昨年、
武力衝突が再燃し、アフリカ連合(AU)代表としてムベキ大統領が調停に
当たっている。
シラク大統領はまた、駐留仏軍について、アフリカ首脳陣からの要請があれば、
いつでも撤退させる用意があることを明らかにした。
↑西アフリカ人の考え方や心理って、具体的にどういうことを
指しているんだろう?
100 :
世界@名無史さん:05/02/05 02:30:10 0
100!!
101 :
世界@名無史さん:05/02/05 14:41:54 0
ただいま、「バンキシャ!」特別編放送中。
関東4CH。
102 :
世界@名無史さん:05/02/06 19:34:39 0
★アフリカ在任最長 大統領死去
西アフリカのトーゴで、38年間にわたって政権を維持してきたエヤデマ大統領が、
5日、病気で亡くなり、トーゴ軍は、「権力の空白を防ぐため、エヤデマ大統領の
息子に大統領権限が引き継がれた」と発表しました。
亡くなったのはトーゴのニャシンベ・エヤデマ大統領(69)で、トーゴ政府によりますと
エヤデマ大統領は、5日早朝、心臓発作を起こし、治療のためヨーロッパに向かう途中に
死亡したということです。これを受けてトーゴ軍は、大統領権限がエヤデマ大統領の
息子のフォール・エヤデマ氏に引き継がれたと発表するとともに、大統領の死去に
乗じた治安の悪化を防ぐため、隣国との国境を封鎖しています。トーゴの憲法では、
現職の大統領が死亡した場合、議長が大統領職を代行し、60日以内に選挙を行う
ことになっており、今回の発表について、AU・アフリカ連合は、「憲法に反する大統領
権限の移譲は受け入れられない」と反発を強めています。死亡したエヤデマ大統領は、
軍人だった1967年にクーデターで政権を握って以来、アフリカで最長の38年間に
わたって政権を維持し、90年代に入って活発化した民主化の動きを弾圧してきたことから、
国際社会から批判を受けてきました。
ttp://www3.nhk.or.jp/news/2005/02/06/d20050206000057.html
103 :
世界@名無史さん:05/02/08 09:01:29 0
なんちゃって
104 :
世界@名無史さん:05/02/08 10:58:22 0
00
105 :
世界@名無史さん:05/02/21 20:50:51 0
ウガンダで、反政府組織「神の抵抗軍」が組織幹部の愛人にするために、女子中学生を
100人以上誘拐したそうですね。(;´Д`)ハァハァ
黒人にはハァハァできん。
ロシアとかならな・・
折れは黒人にハァハァしまくりだけど、その
ウガンダの話はハァハァっつーか鬱になるだけだ。
そいつら折り紙つきの虐殺魔だろ。。。
108 :
世界@名無史さん:05/02/23 12:49:50 0
ウガンダの首都カンパラのカスビ丘には、最近4代の王の墓廟がある。
ムテサ1世は1881年にカスビ丘に宮廷を開き、1884年に没して、
茸の傘をかぶせた外観を持つ壮大な草葺の王宮の内奥に埋葬された。
ついでムワンガ2世、チワ2世、ムテサ2世の後続3王も彼の傍らに
葬られた。
>>99 巧みに分割統治、自立を妨げて、小競り合いを続けて疲弊させ、大きな戦闘を避ける
植民地手法。
どの部族が仲良くて、どの部族が敵対しやすいかを、把握することで、つついては
対立を際立たせ、フランスが悪者にならないように、仲介という形で介入する手法。
110 :
世界@名無史さん:05/02/23 15:42:47 0
ガンダ王国がもっとも栄えたのがムテサ1世の治世である。
彼は太平天国の乱鎮圧で有名なゴードンがエジプトの赤道州知事として1874年に
南下してくると、巧妙な外交政策で篭絡して追い払った。
また、イスラームに改宗しながら、王霊も神格となる伝統信仰を加味して臣民
の反抗にあうと大粛清し、1877年にはエジプトの帝国主義的侵攻に備えて、
スタンレーを介して英国からチャーチ・ミッション・ソサエティ(CMS)を
招いた。
だが、1879年に王の招待なしでやってきたフランス・カトリックのホワイト・
ファーザーズ(WF)も容認し、CMSやイスラームと競わせて各派の勢力を
削いだ。
ガンダ王国のムテサ1世も
>>109 みたいな手法に通じてたわけだな。すげー
★スワジランド国王が車の写真撮影禁止令
[ムババーネ 20日 ロイター] スワジランド王国のムスワティ3世国王は、カメラマンが
彼の高級車コレクションを撮影するのを禁止した。スワジランド王国はアフリカで最も貧しい
国のひとつで、国王の高級車の購入は国家予算を圧迫しているとの批判を浴びている。
ムスワティ国王は昨年12月、世界で最も高価な車のひとつ、ダイムラー・クライスラー
マイバッハ62を50万ドル(およそ5300万円)で購入して騒ぎを巻き起こした。最近になって
10人いる妻全員に一台ずつBMWの新車を買い与え、ふたたび新聞の見出しを飾った。
写真撮影禁止の勅令は、ムスワティ国王が金曜日の議会の開会に、さらに新しく高価な
メルセデスS600リムジンに乗ってあらわれたあとに出された。
カメラマンたちが新車の写真を撮るべく群らがったが、護衛たちに阻まれたと
スワジランド・タイムズ紙が月曜日に報じた。
サハラ以南のアフリカ最後の絶対君主制国家を統治する36歳の国王は、派手な浪費に
よって激しい批判の的になっている。彼の小さな貧しい王国はしばしば食糧危機に苦しみ、
HIV感染率は世界でも最高の数字なのだ。
ムスワティ国王は3年前、王室用ジェット機を新しく4500万ドル(47億円)で購入する計画を
中止させられた。しかしその後も決して王室の支出を抑えようとはせず、増えていく妻たち
それぞれのために新しく宮殿を建てる1500万ドル(16億円)の計画などが進行中だ。
地元情報によれば、ムスワティ国王の新しいメルセデスはドイツでカスタムメイドされた
もので、アフリカにはたった一台しかない類の車だという。
「豪勢なマイバッハ62を買って批判を浴びてからというもの、国王の最新の購入物は王室
関係者のあいだでトップ・シークレットとして秘密にされている」スワジランド・タイムズ紙は
伝える。
REUTERS
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081109026158.html
113 :
世界@名無史さん:05/02/23 23:52:19 0
ガンダ王国では、チワ2世の治世に英国と「ウガンダ協定」(1900)が結ばれ、
ガンダ王国はウガンダ保護領内で最も有利な地位を得たが、実質的な権力は
ガンダ王から首長層に移った。
114 :
世界@名無史さん:05/02/24 18:21:51 0
J・M・クッツェーの自伝的小説『少年時代』(みすず書房)を読むと、南アの
各民族同士の確執(?)みたいなものが書いてある。
「アフリカーナーに共通して見られる物腰―無愛想で依怙地、肉体的脅威と
でもいえるほどの物腰(かさばる巨体を強固に鍛えて、歩きながらドタドタと
体をぶつけあう彼らはサイだ、とその子は思う)―もあり、これは真似できない
どころか、実をいうと身がすくむ。敵に向かう秘密結社のように、彼らは自分
たちの言語を操るのだ。通りで彼らが集団を作っていたら避けるにかぎる。
一人でいるとしても、攻撃的で威嚇するような雰囲気をただよわせている」
「イギリス人のことで落胆すること、自分は真似まいと思うことは、
アフリカーンス語に対する軽蔑である。彼らが眉を吊り上げ、横柄な態度で
アフリカーンス語の言葉を発音を違えて、たとえば「フェルト(vert)」を
「ヴェルト」というのが紳士たる者の証であるかのようにいうとき、その子は
彼らと距離をおく」
115 :
世界@名無史さん:05/02/26 22:11:27 0
>>112 スワジランドは「アフリカのスイス」といわれるほど風光明媚な国。
スワジ人は、19世紀前半まではのどかな遊牧生活を送っていたが、1840年代
に入ると、ズールー人の脅威に晒され始め、自己防衛のためにボーア人と
同盟関係を結ぶに至った。
ボーア人は、わずかな牛と引き換えにスワジ王国の2代目の国王ムスワティから
現在のスワジランドの西と北にあったソト人やンゴニ人など非スワジ系住民の
土地を手に入れた。
116 :
世界@名無史さん:05/02/26 22:18:15 0
おシャカさまのズールー王国がスワジランドやレソトのように王国として
生き残れなかったのはなぜですか?
117 :
世界@名無史さん:05/02/27 01:21:21 0
>>116 1878年に、ナタール新総督フレーアがズールー王セチュワヨに、イギリス人の
監視のもとで軍事組織・徴兵制度を全廃するよう要求してきた。セチュワヨは
これを承知せず、ズールー戦争が勃発。
ズールー王国はイギリスに敗北して、王国は13に分割され、イギリスの
思い通りに治められ、王権は弱体化した。1886年には、セチュワヨの息子が
共和国宣言を出したが、1897年にはついにトランスヴァールとナタールに
併合されてしまった。
118 :
世界@名無史さん:05/02/27 13:21:10 0
>>112 レソト王国の場合、立憲君主制で議会があるから、それほど勝手なことは
出来ないのだろうな。
119 :
世界@名無史さん:05/02/27 13:32:18 0
立憲君主制といっても、途上国は名目だけの場合も多いからな。
やっぱり王様と有力者との力関係とか王個人の資質に起因するんでは?
120 :
世界@名無史さん:05/02/27 13:36:24 0
ネパール観てるとね
121 :
世界@名無史さん:05/02/27 13:54:29 0
アフリカの王様というと、部族の酋長や村長レベルの者が多いんだが、
ウガンダ、ブルンジ、ルワンダには、わりと強力な王制が残ってた。
122 :
世界@名無史さん:05/02/27 16:16:19 0
レソトに対しては、冷戦時代に南アが“不安定化工作”を行っていた。
123 :
世界@名無史さん:05/03/07 19:46:38 0
シャカ大王の時代の南アフリカでは、ズールー帝国の恐怖政治を逃れようと、
多数の民族が逃散し、分裂と衝突を繰り返した。これをムフェカネ(衝突)の時代
と呼ぶ。
ソシャンガネは現モザンビーク南部にガザ王国を、ムジリカジは現ジンバブエ
西部にンデベレ王国を建設した。またムフェング(フィンゴ)人はナタールや
東ケープへ難民となって逃れた。
ソト人はモシェシェがレソトのターバ・ボシウに拠点を築き、コロロ人は
セベトワネに率いられ、ザンベジ川上流まで北上してコロロ王国を築いた。
124 :
世界@名無史さん:05/03/07 19:59:06 0
125 :
世界@名無史さん:05/03/08 15:49:28 0
1 :世界@名無史さん :05/03/08 14:50:38 0
ボカサ
国民年間平均所得が155ドルの時に戴冠式で2500万ドル使った
気に入った女を別の家に住まわせ、子供100人以上を作った
旧宗主国のフランスが起こしたクーデーターなのに、それを知らないで
ガタフィーに金を貰い、フランスに亡命しようとした
アミンの噂
昭和天皇に「「日本の勇気ある神風特攻隊員をわが国に招待したい」
イギリス女王に「本物の男が見たいなら、俺の国に来てみるがいい」
人食をして「塩気が多すぎる」
内戦、エイズ、民族対立、飢餓・・・・・・混乱し続けるアフリカよ
もっとアフリカに目を向けたいが、なかなか情報がない
そんなアフリカ史を暴君達の夢の後から学んで行きたい
みんなアフリカの暴君達について語ろう
126 :
世界@名無史さん:05/03/08 15:52:10 0
127 :
世界@名無史さん:05/03/08 16:45:04 0
イディ・アミンはウガンダ北西部のコンゴ国境に近い地域のカクアと
いう少数民族出身で、イギリス軍東アフリカ・ライフル連隊に所属し、
軍歴を積んだ。
128 :
世界@名無史さん:05/03/08 16:48:28 0
129 :
世界@名無史さん:05/03/08 16:51:53 0
ttp://www.kaho.biz/bokassa.html ジャン・ベデル・ボカサは1921年2月22日、当時フランス領で
あった中央アフリカ……当時はウバンギ・シャリといった……のムバカ
族の首長の子供として生まれた。この部族はフランスによる植民地支配
(註1)に積極的に協力することで相応の待遇を得ており、ボカサも
幼時に父母を失いながらも遠隔地の学校に遊学することが可能であった。
18歳でフランス軍に入り、ちょうどその頃はじまった第二次世界大戦
に際してはド・ゴール准将の自由フランス軍(註2)に参加して各地に
転戦、大戦終結後はインドシナ戦争にも従軍した。このことで、後に
フランス大統領となるド・ゴールから「古参兵」と呼ばれることになる。
22年間フランス軍に勤務して最終階級は大尉、貰った勲章は15個
前後といわれている。
130 :
世界@名無史さん:05/03/08 16:53:02 0
正式の戴冠式は77年12月4日に行った。国民の年間の平均所得が
155ドルしかない国で、その年の国家予算の2倍にもあたる2500
万ドルという大金(正確な金額は不明なようである)を注ぎ込み、
フランスのナポレオン1世の戴冠式を真似たスタイルであった。贅沢に
着飾った200人の騎兵隊と数百台の高級自動車・バイク隊に護衛された
8頭立ての豪勢な馬車、ダイヤモンドを嵌め込んだ2mの大錫杖と剣を
手にし、78万5000個の真珠と130万個の水晶で飾った礼服
(ちょっと重くならないですか?)の上に白い貂の毛皮の外套をまとい、
冠には82カラットのダイヤモンドをはじめとする2000個
(6000とも)の宝石、黄金の翼をもつ「ナポレオン鷲」をもした
重さ3トンの大玉座、フランスから取り寄せた豪華な酒と料理……。
本当はバチカンの大聖堂でローマ教皇に戴冠してもらいたかったのだが、
断られたので自国の首都に建設した「ボカサ・スタジアム」で行った。
(○○個の宝石云々というのは『万国奇人博物館』によった。ちょっと
大袈裟すぎる気がする)
131 :
世界@名無史さん:05/03/18 11:10:48 0
ローデシアって白人人口が一パーセントしかいなかったんでしょ?
南アフリカみたいに一割いるならともかくどうやって
99パーセントを支配できたんだろう。
132 :
世界@名無史さん:05/03/18 12:35:14 0
>>131 近代兵器+南アフリカの援助 じゃないかなあ。
133 :
世界@名無史さん:05/03/18 13:03:20 0
134 :
世界@名無史さん:05/03/18 19:08:04 0
ジンバブエスレって消えちゃったんですか?
見当たらないんですけど。
136 :
世界@名無史さん:05/03/18 21:37:04 0
>>135 dat落ちしました。
続きはこのスレでやりましょう。
137 :
世界@名無史さん:05/03/18 22:21:11 0
ニサヤランド→マラウィ共和国
北ローデシア→ザンビア共和国
南ローデシア→ジンバブエ共和国
ちなみにショナ人は1897年の反乱を「第一次チムレンガ戦争」、
1966年から始まった解放闘争を「第二次チムレンガ戦争」と
呼んでいます。
アルジェリアも独立戦争時は1割ぐらいコロンだったんだよねぇ
139 :
世界@名無史さん:05/03/19 11:15:18 0
ジンバブエって今は人口1300万人だよな。
40年間で黒人が4倍近くに増えた。
すごい増加率だな。
やっぱチムポが大きいから繁殖力強いのか?
140 :
世界@名無史さん:05/03/19 12:06:47 0
>>138の言ってるアルジェリアも3倍ぐらいに増えたんだよ〜。
アラブ人もチムポが大きいのか。
141 :
アフリカ遠足人:05/03/19 14:18:18 0
142 :
世界@名無史さん:05/03/19 14:30:14 0
南アフリカに日本人が帰化したらやっぱ「白人」じゃなくて「アジア人」って枠で遇されたのかな?
143 :
世界@名無史さん:05/03/19 14:53:17 0
>>142 中国人と同じく「カラード」の枠に入れられたと思われ。
144 :
世界@名無史さん:05/03/19 14:55:32 0
アパルトヘイトの民族分類は
「白人」「インド人」「カラード」「黒人」だっけ。
145 :
世界@名無史さん:05/03/19 15:30:32 0
南アフリカで日本人は名誉白人扱いだったけど
末期には中国人も名誉白人だったんだよねぇ。
アパルトヘイトで国際的に孤立した南アを、
同じく孤立した同士の台湾が仲良くし続けてくれたからだが、
当時の台湾政府は「中華民国は中国唯一の正統政権」という立場だったから
南アもそれに合わせて、中国人すべてを名誉白人にした。
146 :
世界@名無史さん:05/03/19 15:33:44 0
中華人民共和国人はそもそも入国も出来なかったのかな?
147 :
世界@名無史さん:05/03/19 15:35:07 0
>>142 「名誉白人」だったんだよね。厳格な法律的規則があるときは、
白人ではない有色人種枠であったが、普通の状況ではできるだけ
「白人と同じ」に扱われていた。
148 :
世界@名無史さん:05/03/19 15:40:12 0
そもそも白人人口の維持につとめてたから非白人は移民や帰化できなかったんじゃないかね
149 :
世界@名無史さん:05/03/19 15:50:01 0
白人の移民は奨励されてたね。
国防軍の人員不足を補うため、1978年に、南アフリカ共和国に2年間の
居住の後、24歳以下の白人男性は入隊すれば市民権を得られるという
法律を作っている。
150 :
世界@名無史さん:05/03/19 16:16:19 0
749 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:05/03/15 20:27:47 ID:kgtT2taN
アパルトヘイト時代から、南ア国防軍では白人女性兵士が事務・通信・レーダー
操作・航空管制の任務に就き、女性将校もいたが、なにぶん主力部隊として
不足を補うわけにはいかなかった。
できる限り白人の兵員を確保したい政府は、1978年に、南アに2年間の居住の
後、24歳以下の白人男性は入隊すれば市民権を得られるとの法律までつくっている。
パクるなチョン公
151 :
アフリカ遠足人:05/03/19 16:27:25 0
日本人は表面上「名誉白人」として遇されたが、
南ア国籍の白人との結婚禁止など、
法的には厳格に白人との区別がなされていた。
帰化等はどうだったんだろうか?
152 :
世界@名無史さん:05/03/19 17:02:25 0
中国系南アフリカ人はカラード扱いだったのね、しらんかった。
インド人やマレー人と一緒に「アジア人」って枠に入れたらよさそうなもんだが
153 :
世界@名無史さん:05/03/19 18:36:18 0
>>152 イギリス英語で「アジア人」というと、インド・パキスタン・バングラデシュ
あたりの人々を指す。
中国人・日本人・韓国人などのモンゴロイドは「オリエンタル」と呼ばれる。
154 :
世界@名無史さん:05/03/19 18:42:33 0
アメリカではオリエンタルは人権君によって差別用語認定されてまつな。
155 :
世界@名無史さん:05/03/19 20:11:59 0
ってかどうして東アジアがオリエントなのやら。
156 :
世界@名無史さん:05/03/19 20:12:38 0
それ言い出すと日中韓をアジアと言うのもほんとはオカシイ
157 :
世界@名無史さん:05/03/19 20:13:36 0
ジンバブエ独立後、ローデシアの特殊部隊セロウス・スカウトの司令官
ロン・レイド=ダドリー中佐は、副官のティム・バックスら35人の元隊員を
連れて、南アフリカのホームランド「トランスカイ」の「トランスカイ国防軍」
の再建のためローデシアを去った。
同じ特殊部隊の一つSASは、ランカスター・ハウス協定調印のわずか
10日後に解隊され、その「C中隊」は国境のリンポポ川を越えて南アフリカに
入り、南ア陸軍でSASと同様の任務を行っていた「偵察連隊Reconnaissance
Regiment」(第一偵察連隊(ダーバン)、第二(アレトリフ)、第四(ランゲバアアン)、
第五(ファラボーワ)の四個連隊がある)に配属されたといわれる。
158 :
世界@名無史さん:05/03/19 20:26:08 0
セネガル人はフランス人よりフランス語がうまいって本当?
159 :
世界@名無史さん:05/03/19 20:28:59 0
>>158 エリートは綺麗なフランス語を話すよ。
庶民レベルではどうかわからんが。
160 :
アフリカ遠足人:05/03/19 21:27:43 0
>>158さん
一般的にはそうらしいけど、ゾマホン並のどもりが多くわかりにくい。w
マジレスすると(↑も嘘じゃないけど)、庶民は普段ウォロフ語で会話してますが、
ほとんどの人はフランス語も遜色なく話せます。
標準フランス語なので、フランス国内の地方方言よりきれいな発音らしいです。
といっても自分は全然フランス語できないんで、細かいことまではわかりませんが。
161 :
世界@名無史さん:05/03/19 22:08:00 0
フィリピーナの英語みたいなもんじゃねえの
162 :
世界@名無史さん:05/03/19 22:21:37 0
>>160 知り合いのセネガル人は、たしかに上手なフランス語だったが、
Vous がなくて、全部 tu だったとかいう不思議な癖があった
ようだ。
163 :
世界@名無史さん:05/03/19 22:34:26 0
コンゴ人の話すフランス語は、ベルギー訛りがあるらしいよ。
164 :
世界@名無史さん:05/03/19 23:42:54 0
セネガルはギニアビサウとの間にカザマンス問題を抱えている。
カザマンス地方の分離独立を進めるカザマンス民主勢力運動(MFDC)が、
ギニアビサウを根拠地に反政府武装闘争を行ってきた。
165 :
世界@名無史さん:05/03/21 02:17:58 0
「幽霊だぁ、助けて〜!」。
アフリカ南部にあるマラウイ共和国の大統領が、300室もある
“超豪華”公邸を引き払ったと14日までに政府当局者が発表した。
公邸は民衆が貧困にあえぐ中、初代大統領の号令で建築され、
国民の間では“汚らわしい建物”と呼ばれている。
民衆の怨念が公邸に乗り移ったのかも?!
大統領公邸で“幽霊騒動”が起きているのはアフリカ最貧国の1つ、
マラウイ共和国。
政府当局は今月12日、ムタリカ大統領が首都リロングウェにある
公邸を引き払い、公邸から約100キロ離れた宮殿で公務を行うと発表した。
理由は明らかにされなかったが、大統領補佐官は「先日、大統領は
キリスト教の聖職者に公邸を祈祷(きとう)するよう命じた」と新聞記者にコメント。
さらに他の側近によると、最近の大統領は「ベッドに入ると多くの人の足音が
聞こえる」「キバのある小動物が体の上を駆けずり回っている」などと
おびえていたという。このため「大統領は幽霊の恐怖から逃げ出した」と
もっぱらの評判になった。
コワイ(ο・д・)(・д・`ο)ネー
ttp://www.sanspo.com/shakai/top/sha200503/sha2005031602.html
>>163 どっちのコンゴよ。
他人事ながらザイールの方が紛らわしくなくてよかった。
167 :
世界@名無史さん:2005/03/21(月) 11:42:24 0
168 :
世界@名無史さん:2005/03/21(月) 19:00:18 0
セネガルの前大統領サンゴールは、フランスの大学教授資格を持ち、
後にアカデミー・フランセーズに迎えられた。
植民地時代、こうしたフランス式の教育を完璧に身につけ、市民権を
与えられたアフリカ人のことを「開化民」と呼んだ。
169 :
世界@名無史さん:2005/03/21(月) 20:52:35 0
>>168 細かくて失礼。
『新書アフリカ史』からの抜粋だろうけど、現在ではサンゴールは前大統領ではない。
現セネガル大統領はアブドライ・ワッドで3代目。
サンゴール→ディウフ→ワッド
だからサンゴールは元大統領である。
確かに『新書アフリカ史』が出版された1997年当時、
まだディウフ政権だったから間違いじゃないんだけどね。
一応、現在2005年に合わせ、誤解のないように訂正しておきます。
170 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 20:32:09 0
サンゴールといえばアフリカ社会主義。
SAUS軍作戦指令情報部大佐
独立機動攻撃中隊司令官
172 :
世界@名無史さん:2005/03/25(金) 21:30:23 0
>>139 発展途上国の人間にとって子供は「未来への投資」
先進国の人間にとって子供は「単なるコスト」
174 :
世界@名無史さん:2005/03/26(土) 00:06:44 0
>>173 コンドームはあるけどアフリカ人男性が使おうとしないから。
175 :
世界@名無史さん:2005/03/26(土) 00:14:27 0
東南アジアあたりではコンドームは何度も洗って使うから、日本製は薄くて頼りないとか。
真偽のほどは知りませんが。
176 :
世界@名無史さん:2005/03/26(土) 23:03:55 0
つ「<南アフリカ>すし詰め刑務所、同性愛レイプ止まらず・・・同性愛行為容認勧告に波紋」
【ヨハネスブルク白戸圭一】世界で最も犯罪発生率が高いことで知られる南ア
フリカで、刑務所の監察を行う「刑務所司法審査会」が、刑務所内での受刑者同
士の合意の上での同性愛行為を認めるよう政府に勧告し、論争となっている。
合意の上で同性愛行為をした男性受刑者2人が、処罰されたことを不服として
審査会に訴えたことが発端。審査会は今週、刑務所を管轄する政府の矯正局に対
し、「合意の上でのセックスを認めることは受刑者間に安全なセックスを広める」
と勧告した。
背景には、約18万人が服役する南アの刑務所の秩序が収容能力の限界で混乱
し、弱い立場の男性受刑者が同性愛行為を強要される「刑務所内レイプ」が多発
していることがある。南アはエイズウイルス(HIV)感染者が530万人と世
界最多だが、こうした男性同性愛者のレイプによる感染拡大も問題になってきた。
矯正局の報道官はロイター通信に「服役中には一定の権利を失う」と述べ、勧
告を受け入れるつもりのないことを強調。一方、受刑者の待遇改善に取り組む
「南ア受刑者のための人権機構」のブドゥ委員長は南ア紙「プレトリアニュース」
に「所内の性に絡む事件を減らせる」と語り、勧告を支持。エイズ患者団体「治
療活動キャンペーン」も「勧告は安全なセックスを広める」と歓迎の声明を出し
ている。(毎日新聞)
177 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 22:35:24 0
バオバブの木っていいねえ
179 :
世界@名無史さん:2005/05/03(火) 22:03:31 0
もし日本が独領南西アフリカを受任していれば・・・・・・と妄想
ドイツ人入植者は追放?南洋群島みたいに皇民化推進?
180 :
世界@名無史さん:2005/05/03(火) 22:29:20 0
黒人を皇民化って、想像出来ないな。
181 :
世界@名無史さん:2005/05/03(火) 22:30:35 0
せいぜいニューギニアで妄想してなさい。それだったらありえた。
182 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 00:03:25 0
アフリカ諸国は、独立したが、
産業は、いまだ宗主国が抑えてるというのは、本当ですか?
輸出するには、宗主国の企業を通さないとだめ、みたいな。
183 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 04:16:03 0
>>182 というか、まともな現地企業が存在しないか、
あってもヨーロッパ人かレバノン人かインド人か中国人が経営してる。
インフラ整備とかも旧宗主国の企業がやるみたいだね。やっぱり現地に技術者が居ないんだけど。
留学組は行ったきり帰ってこないか、帰ってきても「黒い白人」化するし、
技術教育しても学ぶ側があんまり積極的じゃないらしいねぇ(援助依存というか、元々やる気が無いというか)
国にもよるんだろうけど。
そー考えると「あくまでも自費で」小学校を建てて
根本的な教育からやり直そうとしているゾマホンは大した人物だな。
100年単位のスパンで祖国を見ているんだなァ。
黒い日本人化してなきゃいいけど。
ttp://www.u-link.co.jp/company/book/book_30.html ★☆★日本青年海外協力隊の苦悩★☆★
翌日彼らと一緒に空港予定地に出かけ、測量に行く途中で、彼らはパンとミルクを
買いこんだ。彼らは弁当を持っているのだが、黒人用 の昼食をポケットマネーで
買ったのだ。初めのうち、昼食時になると彼らは持ってきた弁当を食べていたが、
黒人達は持ってこないので、 ジーッと彼らの食べるのを見守っている。そこで、
゙らは大いに友好精神を発揮して昼食を分けてやった。が、それが続くと黒人に
とって 当り前の習慣となり、昼食を分けてくれない日は、空腹だからといって
働こうともしない。もちろん、日本人の技術を学ぼうという意欲は 全くない。
その辺から彼らの苦痛は始まったのだ。 彼らが吸っている煙草も欲しがる。
口を開けば、「何かくれ!」という言葉しかない。せめて感謝とか学ぼうと
する謙遜とかの気持があ れば別なのだが、精神的な反対給付もないのだ。
だから、彼らは、友好という定義と現実との間で荷立ちばかりが増す。白人の
ように徹底的に黒人を見下し、関係を隔絶するような不人情も彼らにはできないのだ。
今日も、いざ測量を始める段になっても、黒人は棒を持って立ちながら
キョロキョロ地面を見渡しては、南京豆を拾って食べている。仕 事は
停滞する一方だ。黒人たちは昼食を買う金にも困っているかというと、
夜は夜で酒をあび、女を追いかけ回している。食事のほうには 小銭しか
残らぬから、栄養価の低いもので満足しなければならない。そして昼間の
労働だ。自ら学んで築こうという意欲もない。両者の間 にはこれほどの
断絶、あるいは価値観の相違があるのだ。
よく考えると黒人にとって、私有財産だとか、勤労で得る貨幣で何かを
買うというような習慣を持った歴史は浅い。近くに熟れた実があれば
採って食べ、同部落内の人間が持ってる物は皆で分ける。そういう
原始共同体のころの容易さと、奴隷的生活下の快楽主義が同居しているのだ。
つり銭をごまかそうとしたり、値段をふっかけたりしてまで、快楽の金
を得ようという姿勢は露骨だ。
275 :世界@名無史さん :04/02/20 00:20
民族国家を成立させるのに最重要の社会的条件というのは、
「階層を超えて共有される文語」だろう。
サハラ以南アフリカみたいに、別々の土語を話す大衆の上に、
英語・仏語を話すエリートの層が被さるという社会構成では、
民族意識・国民の一体感なんてものは生まれようもないから、
民族国家を成立させるのは無理である。
「土語を話す大衆と、別の文化的共通語を話すエリート」
という点では、中世欧州もそうだったわけだが、
農業主体の経済段階ではそれでも何とかやっていけた。
しかし、商工業(と高度な軍事組織)が発展していくためには
大衆レベルでの読み書きの普及が必要になってきた。
そのためには、口語と別の言語が文語になっている状況は好ましくなく、
土語を文語として洗練し、共通の教育媒体にするようになった。
新たな言語状況によって、それぞれの民族のエリートは、
地元の大衆との連帯意識を強く持つようになったが、
「異民族だが同じ文化圏のエリート」との連帯意識は薄れた。
政治的問題も、そういう文脈のうえで論じられるようになり、
結果、民族国家が最も自然な社会組織と考えられるようになった。
188 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 11:27:08 0
大衆レベルに至るまで英語やフランス語を母語にするようにすればいいんじゃね?
シンガポールミタイニ。
189 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 11:44:34 0
>>188 アフリカ諸国(少なくとも教育機関が機能している国)では事実上そうなっているのでは?
漏れが見たケニアでは国語の時間にはスワヒリ語を教えていたけど、それ以外の授業は全部英語だった。
ただし、日常生活は部族の言語を使っている。部族語はもちろんスワヒリ語のような地域共通語でさえ
科学や技術などの説明に使えるほど語彙や表現が洗練されていないようだった。
190 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 11:54:02 0
日常的にも公用語を喋るレベルじゃないと駄目なんじゃない?
母語でない言語であれこれするってのは負担大きそうだ
191 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 11:54:36 0
確か、フィリピンではそのせいでドロップアウト率が高い。
192 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 17:42:36 0
ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴはそれまでの英語を捨てて、ギクユ語作家
に転身した。
そのうちアフリカの民族語と英語やフランス語が混ざり合って、新しい言語が
できるかもな。
それならもうハイチでクレオール語という新言語が出来てるよ
194 :
世界@名無史さん:2005/05/05(木) 00:50:08 0
クレオールって英語やフランス語を母語として話さない英語圏や仏語圏には必ずあるよな
シングリッシュとか
195 :
世界@名無史さん:2005/05/05(木) 05:39:21 0
日本人が英語を身に付けにくいのは、必要性が薄いからだというが、
その理由として近代的な概念の語彙が日本語に存在するからだと言われるな
もちろん明治時代に造語されたんだが。
アジアでも他の国の言語はその辺の語彙が貧弱
196 :
世界@名無史さん:2005/05/05(木) 11:29:38 0
>>187 そういう意味で、西欧史におけるダンテの意義はやはり大きかったんだな。
197 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 00:34:36 0
国家併合と植民地支配の違いを教えてください
国家併合:2つの国が1つになること。例えばハワイがアメリカ合衆国になること。
植民地支配:強い国が弱い国を支配し、虐殺、略奪を繰り返すこと。例えば白人が黒人+黄色人種にやってきたこと。
政治的支配:強い国が弱い国を政治レベルで支配すること。虐殺、略奪は基本的に発生しない。例えば戦後、アメリカが日本にやったこと。
私は、このように考えていました。しかし、そうすると矛盾が生じます。
日本が韓国にやってきたことは、植民地支配じゃなく国家併合になってしまうからです。
しかも日本がアジア諸国にやってきたことは、植民地支配じゃなく政治的支配になってしまうからです。
正しい言葉の意味を教えてください。
>>197 思考や定義にイデオロギー色が強すぎる
まずそこを解呪しないと悩みっぱなしになるんじゃないの?
それか、自分の思想に都合のいい解釈しか受け入れないようになるか
200 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 17:23:25 0
国家併合と植民地支配の違いを教えてください
国家併合:2つの国が1つになること。例えばハワイがアメリカ合衆国になること。
植民地支配:強い国が弱い国を支配し、虐殺、略奪を繰り返すこと。例えば白人が黒人+黄色人種にやってきたこと。
政治的支配:強い国が弱い国を政治レベルで支配すること。虐殺、略奪は基本的に発生しない。例えば戦後、アメリカが日本にやったこと。
私は、このように考えていました。しかし、そうすると矛盾が生じます。
日本が韓国にやってきたことは、植民地支配じゃなく国家併合になってしまうからです。
しかも日本がアジア諸国にやってきたことは、植民地支配じゃなく政治的支配になってしまうからです。
正しい言葉の意味を教えてください。
201 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 17:40:42 0
>>200 言葉の定義にこだわり過ぎるな、としか言い様がない。
>>200 議論がどうなろうと最終的に
日本は韓国を植民地支配(=虐殺・略奪)した
…という結論が欲しいんでしょ?
で、その理論武装を求めていると。
そんな発展性のない硬直した釣りに付き合うバカはいない。
203 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 18:42:42 0
マジマジの反乱についての情報きぼん
204 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 20:20:29 0
セネガルの都市住民のほうがフランス本国の田舎者よりずっとフランス人らしい。って本当かね。
だから田舎者からは選挙権をとりあげて替わりにセネガル人に与えるべきだ!
と主張したフランスの代議士がいたそうだが。
205 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 20:22:45 0
ttp://www1.plala.or.jp/stein/GSK_honbun/Kolonien/OSTA1.html 1902年にゲッツェン総督は、綿花の共同栽培を導入し、村の成年男子を年28日
強制労働に従事させたが、実際の労働日は予定より延びることがしばしばで、
郡長や村長を使って強行させた。1905年7月収穫期を迎えてついに住民の暴動
が起こった。彼らは敵の弾丸に当たらない魔法の水(スワヒリ語で水はマジ)
を飲む儀式を受けていたことから、マジマジ闘争と呼ばれている。もともとは
キンジキティレという呪術師が白人の力を弱める魔法の水を「発見」し巡礼者
に施していたもので、これを持ち帰った住民が闘争に利用したのである。
ルフィジ川の南のマトゥンビ族の暴動から端を発し、6週間後にはダル・
エス・サラームとキロサを結ぶ線より南の全地域(東アフリカの1/3)に
広がった。マヘンゲでは4000人の暴徒に攻撃されたが、ドイツ本国からの援軍
に助けられた。その後ドイツ軍が全地域の家屋や畑に火をつける焦土作戦に
出て、飢饉が発生するなどして抵抗は2年で終結した。犠牲者は10万人以上と
言われている。
206 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 11:54:36 0
ttp://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/21495989.html ダルフールのアラブ人
Au Darfour, le vent tourne pour les Jenjawids
ダルフールでジェンジャウィードに逆風
スーダンのダルフール紛争に関するリベラシオンのかなり長い記事をご紹介
します。外部の記者が現地(ダルフール地方のエル・ゲネイナ)に入った
珍しいもので、当地のアラブ人族長の家に招かれて取材をしています。
「私の保護下に20名以上の族長がいます。その内の10数名が、私を守るために
ここに控えています」。彼は権力者だが、特別に裕福なわけではない。そして
突然、ウムダは鋭い眼差しで声を荒げた。彼の名が、国連が作成した「人道に
対する罪」を犯した51名を告発する犯罪者リストの中に含まれているのだ。
「私はジェンジャウィードではありません。メディアで語られていることは
嘘で塗り固められています」とウムダは主張する。国連安保理が、人道に
対する罪の責任を負う者たちを国際刑事裁判所に提訴するという決議を採択
して以来、脅威はさらに一歩近づいてきた。「この犯罪者リストは反乱軍と
アメリカ人によってでっち上げられたものです。私がやったのは正当防衛
なのに、どうして戦争犯罪人として告訴することができるでしょうか?」。
207 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 11:55:28 0
「私たちはただの市民です。私たちは武装していません」。ウムダは
話を逸らす。「私たちは政府の招集に応じただけです」。そしてウムダ
は、練り土の壁のそばに坐っていた15歳ほどの少年を呼び寄せると、
その手に握られていた赤いカードを示した。「ご覧なさい!これは軍隊
のカードです。これ以上合法的なものはありませんよ」
ウムダにとって、ジェンジャウィードは彼自身が所属していた民兵とは
違う。「世界の始まりくらいの大昔から、ダルフールでは、大人になる
ための通過儀礼期にある少年たちが、あらゆる部族から集められて
ジェンジャウィードになり、略奪を行っていました。現在ではジェンジャ
ウィードはアラブ人を非難するための言葉に成り下がってしまいました」
とウムダはゆっくりと結論した。
208 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 11:56:11 0
1時間近くの間、創世神話を物語るような語り口で、ウムダはダルフール
紛争の「本当の始まり」がどのようなものであったかを話し続けた。
いまから20年以上前に、この場所に隣接する地域で、アフリカ系の
フール族、ついでザガワ族が家畜を盗んだのがはじまりだった。この
盗みにアラブ系が報復した。様々な和解の試みは失敗に終わった。
そしてある日、フール族、ザガワ族に率いられた反乱グループが登場
した。彼らは「外国の軍隊から武器を与えられていました。その唯一の
目的は、すべてのアラブ人とアラブ人商店を排除することでした」。
内戦との嵐と、アラブ系イスラム過激派のハルトゥーム政府のプロバガンダ
がダルフールに吹き荒れ、遊牧民と定住民、アラブ系部族とアフリカ系
部族の微妙なバランスを破壊してしまった。
植民地とは
併合が失敗であったか、未完であるか、不可能であるか
いずれかの状態であることをいう
210 :
世界@名無史さん:2005/06/25(土) 16:42:50 0
>>193 「クレオール」ってのは特定の言語の呼称ではないよ。
ハイチのあれはハイチ・クレオール、と呼ぶようにね。
「クレオール的状況」とか、文化の混合的状態をさすみたいですね。
212 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 22:55:14 0
そこで今福龍太ですよ。
213 :
アフリカ遠足人→中米ひきこもり人:2005/07/09(土) 14:00:02 0
215 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 11:50:13 0
◆◆最初に読もう!軍事速報&雑談スレ341◆◆
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1123323915/ 666 名前:屈折右派 ◆h2hn3iX9Iw 投稿日:2005/08/07(日) 11:31:11 ID:???
スーダンの採掘施設・パイプラインってそこに住む部族の集落を殲滅するなど
して追い出して造ったんだよな〜
怖いよスーダン政府。
681 名前:屈折右派 ◆h2hn3iX9Iw 投稿日:2005/08/07(日) 11:39:14 ID:???
調べたらまず村や畑を破壊、食糧危機を引き起こす、さらにその地域にだけ人道支援が行かないように
周囲を封鎖、住民がそこから逃げ始めたらそれで任務成功とする「焦土」作戦だって〜
216 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 11:56:42 0
217 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 03:38:23 0
外敵と戦う訳でも無いのに、国内で焦土作戦とはすごいなw
219 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 13:26:11 0
アメリカはあまり非難していないんじゃないか?
以前テロの報復でハルツームにミサイルおみまいしたことがあったのにな。
(巛ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡ミ彡)ミ彡)
,,从.ノ巛ミ 彡ミ彡)ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡)''"
/⌒ヽ 人ノ゙ ⌒ヽ 彡ミ彡)ミ彡)ミ彡)''"
┌ / =゚ω゚) ,,..、;;:〜''"゙゙ ) 从 ミ彡ミ彡)ミ彡,,)
├ ( ┏ ○┓_ _ _ _,,..、;;:〜-:''"゙⌒゙ 彡 ,, ⌒ヽ 彡"
├ Lつ┏┓三((〓((━(。゚。) ::゙:゙ '"゙ ミ彡)彡'
└ ≡≡≡ノ  ̄  ̄  ̄  ̄ ``゙⌒`゙"''〜-、:;;,_ ) 彡,,ノ彡〜''" ,,ミ
(__(__) ゙⌒`゙"''〜-、,, ,,彡⌒''〜''",,ミ
"⌒''〜""'' __
221 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 18:08:45 0
ほしゅ
224 :
世界@名無史さん:2005/11/07(月) 16:51:42 0
hosi
225 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 00:17:05 0
>>219 WTC爆破テロの報復でだったな。
アブデルラーマンが糸を引いてたらしいが結局うやむやの観が。
あれもジャンボ特攻の伏線だったのか(((ガクブル)))
226 :
世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:02:18 0
age
227 :
世界@名無史さん:2005/12/27(火) 09:16:01 0
228 :
世界@名無史さん:2005/12/27(火) 13:17:19 0
朝鮮人って今でも黒人差別しまくりじゃん
人間扱いしてないよあいつら
229 :
世界@名無史さん:2006/01/21(土) 23:48:29 0
連中曰く「世界史上最も苛烈な植民地支配に打ち勝ったミンジョクなので
他の元植民地諸国の感情を最も理解できるのは大韓民国ニダ」
よって
「国連常任理事国と事務総長には韓国がなるのがふさわしいニダ」と
香ばしくのたまっております。
230 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 09:03:10 0
143 :名無しさん :2006/01/06(金) 21:44:42 ID:zr7CgN5A
金もコネもなかったアフリカ少年が、ヨーロッパの奨学金プログラムをゲットして、
高等教育を受けたが、故郷には帰らない。
名誉を求め、それが叶えられるなら、帰るんだろうがな。
人殺しでのし上った無教養な軍人の下っ端しかポストがないとなると、
そりゃ帰らんわな。
232 :
世界@名無史さん:2006/02/22(水) 13:36:53 0
234 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 03:15:53 0
世界史板だから簡単には終わらないってことだろ。
過疎だし
>>24 セネガルは地図見ると結構いいポイントにあるのですが、
やっぱ、そういうとこって関係してきます?ガンビアも楔のような感じで存在しているし、
地政学上の戦略として。
セネガルを主に構成するウォロフ人は勇猛果敢で集団で行動できる民族らしいけれど。
>>234 速攻で終わったよ
その時すでに980逝って宝
237 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 20:01:21 0
age
238 :
世界@名無史さん:2006/04/12(水) 01:06:18 0
ブラックアフリカが商工業で全然発展しないところや
アメリカンブラックの経済的地位が全然向上しないところを見ると、
黒人って根本的に将来に向かって投資して回収するという
ことに興味がないんじゃないかと思う
>>238 なんかで、アフリカの経済発展が遅れてる理由に
・国民国家ではなく部族の寄せ集め国家である事
・故に統一した『国語』が無い事
・『国語』が無い故に産業に必要な技術や知識のマニュアルが英語や仏語などの『旧宗主国語』である事
・そのため旧宗主国の文字の読めない人間には技術を伝えられず、一部のエリートのところで知識の流れが止まってしまう
・よって一定のレベルの労働者を大量に必要とする産業社会を構成し得ない。
って言うのがあったな。ちょっと納得した。
240 :
世界@名無史さん:2006/04/12(水) 12:49:24 0
統一した国語がない国でも発展してる国あるじゃん
ユーゴとかベルギーとか
241 :
世界@名無史さん:2006/04/12(水) 12:59:13 0
黒人って商行為に興味ないんじゃない?
アフリカに資本主義経済を定着させることは不可能
>239
逆に、国民の殆どがツワナ族でできているボツワナは
わりとうまくいっている気がする
マダガスカルなんかはどうよ
マレー系だからあんまりアフリカって感じがしないけど
245 :
世界@名無史さん:2006/04/12(水) 19:51:29 0
アフリカには「交換する」という概念がないんじゃない?
自分の物は全て自分で作って、自分の物と他人の物を交換することは無い。
交換を欲しないから貨幣経済も発達せず、自給自足の生活。
今の我慢と将来の収穫の交換である投資もしないから経済が成長することも無い。
交換するという概念がないから、交渉の場で相互に有利な条件を交換し合う
という考えも無く内戦が絶えない
限りあるリソースの管理、という概念が定着してないのではと
ベナン共和国は多民族国家で
ヴードゥーとキリスト教とイスラムが混在するモザイク国家だが
クーデターで政権をとったケレク大統領が傑出した人物で
いまや民主化を成し遂げ、諸外国からアフリカの優等生と言われている。
やっぱり、仕切る者の力量ってことかなぁ。
248 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 15:05:16 0
アフリカって閣僚がレイプで逮捕されたりしてるんだろ?
もう駄目だろ
249 :
世界@名無史さん:2006/04/13(木) 15:48:19 0
アフリカはアジアと比べて教育水準が著しく低いので
先進国の企業が投資に及び腰になってるのもあるかも
>>243 でもボツワナもアフリカ南部にありがちなHIV国家じゃん。
先は見えてるよ。
251 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 01:02:54 0
コンゴ(旧ザイール)なんて首都キンシャサと第二の都市キサンガニを
結ぶ舗装された道路がないんだよ?
間を結ぶのはジャングルを縫うように走る細い1本の泥道のみ。
途中に車がスッポリ隠れるくらいの大きな穴がボコボコ開いていて
重いダンプカーとかが走るのは無理。もちろんジャングルだから
夜間の外灯も一切無し。
これじゃ経済発展なんてできませんって。
252 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 01:14:10 0
しかも、道路が舗装されてないのは内戦が始まる前から。
ザイール川に船があるから道路を作らなくていいと考える
アフリカンの発想には恐れ入る。
宗主国も植民地時代に何やってたのって感じ
253 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 01:27:15 0
悪名高いコンゴ自由国。
ベルギー国王レオポルド2世の個人的な植民地保有の願望から始まったが
植民地の候補地としてコンゴと一緒に上げられていたのがヤポン。
254 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 15:37:52 0
レオポルド2世の私有地である日本自由国。
生糸が規定量とれなかったら手を切断される。
255 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 18:21:55 0
生糸じゃなくてゴム
256 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 18:45:34 0
日本では天然ゴムは産出しない。
ベルギーやポルトガルやドイツの植民地になったところは哀れ。
258 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 01:14:07 0
ttp://www.belgium-travel.jp/event/175/event.htm これ見ると、今のヨーロッパはアフリカ植民地化を全くと言っていいほど
反省はしていないみたいだね
↑の展示会が日本で行なわれていたとすると
「植民地時代の朝鮮」展
日本人の多くが現在や家族の歴史において植民地時代の朝鮮と何らかの係りを
持っています。会場となる朝鮮博物館は日本統治時代を象徴する建物。同展では
芸術作品、公文書、映画、写真、地図などの展示を通じて日本側と朝鮮側の
両面から植民地時代の朝鮮に焦点をあて、植民地時代以前の朝鮮の長い歴史や
現代の朝鮮についても分析します。
ありえないだろ
259 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 15:25:00 0
>「植民地時代の朝鮮」展
>日本人の多くが現在や家族の歴史において植民地時代の朝鮮と何らかの係りを
>持っています
いやまぁ確かに、たとえばうちの爺様は京城で警官をやってたんだが。
260 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 17:29:07 0
シエラレオネにもクリオと呼ばれるクレオールがある
261 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 18:19:59 0
ウチの爺さんはテレビ見ながら「平壌(へいじょう)はワシが住んでいた頃とは
全然違うわ」とか言っている
262 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 22:47:36 0
ヨーロッパはアフリカに対して全く贖罪意識が無い
首脳が公式に謝罪すらしていない
263 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 00:29:45 0
ヨーロッパとアフリカだと完全に上下関係という意識があるみたいだね
「支配してあげました」という
264 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 00:31:15 0
文明を与えてやったのに何が不満なのかと。
せっかくの文明の利器で殺しあいをするのはクロンボの勝手。
265 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 11:05:15 0
アフリカの大都市はみんなヨーロッパの香りがする。
266 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 19:03:06 0
>>245 ザンビアの海外青年協力隊が技術指導をした時の体験談で語っていたが、
現地語で「もとを取る」という言葉も概念も存在しないため、
省エネで家計を楽にできることを伝えるのに苦労したという逸話が。
267 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 23:57:20 0
アフリカ人=日々ひたすら快楽を求める人、っていうイメージなんだが
268 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 00:07:10 0
>>266 「何かを我慢する代わりに別の何かを得る」という観念が希薄なんだろうなあ
269 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 00:30:10 0
同じアフリカでも白アフリカはそれなりにまともにやってるの見ると
やっぱ全部を植民地支配の責任に帰することはできないんじゃないかと思う。
270 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 01:27:47 0
>>269 人口希薄な時代なら、自然の恵みで生きていけたんだろうな。
生めよ増やせよのカトリックって、実はアフリカ人には適さない宗教?
271 :
世界@名無史さん:2006/05/06(土) 15:13:10 0
ザイールなんて真面目に銅と森林資源を伐採、採掘して輸出すれば
カメルーンくらいのGDPになるのに、その気がない
「カメルーンくらいのGDP」と言われてもさっぱり分からんw
>272
アフリカでは優秀ってことだよ。
274 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 20:28:40 0
西アフリカは白人の比率が驚くほど低い。
ナイジェリアは人口が1億人以上もいるが、
白人はほとんどいない。
先住民と白人が取って代わった南米と大違いだな。
275 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 22:25:51 0
奴隷貿易でごっそり人口を盗られたのも主に西アフリカだったよな。
すごい回復力だ。
276 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 22:33:25 0
>>274 植民地化の時期が数百年もずれたからだろ。
277 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 00:43:34 0
何で奴隷貿易なんかされて黒人は切れなかったの?
普通に考えて港で暴れるだろ
ハンサングンさまをオブって歩いていたのだから暴れる元気なんかなかった
279 :
コイサイマン:2006/05/08(月) 03:10:20 O
277
アフリカは黒人が他部族の黒人を奴隷にしたんだ それはごく普通の制度だったんで白人に売り飛ばされても格別、何もしなかった
>>279 あと部族国家ばかりで、地域的にすら統一政権が出来なかった事も原因だろうな。
日本も戦国時代は、南蛮人に日本人が奴隷として買われても、大きな反発は出なかったが
豊臣政権が出来るとコレを強力に禁止した。
統一政権的には奴隷を売って手に入れた武器で力つけられると困るしね
>>280 秀吉は九州征伐で九州に行ってからガラっとキリスト教政策変えたよね
布教が植民地化の第1段階と考えれば正しかったんだろうな
ニジェールとか今でも奴隷制が残存しているようだが
n,nt
いまは大量のODAがヨーロッパから投入されているが
287 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 17:40:48 0
リベリアはアメリカの解放奴隷の国
シエラレオネのフリータウンはイギリスの解放奴隷の移住地
ガボンのリーブルビルもフランスの解放奴隷の移住地
赤道ギニアのビオコ島も解放奴隷の移住地
288 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 22:05:50 0
>>277 白人に奴隷を売っていたのは黒人。
それをアメリカに送り込んだのが白人。
両方の連携プレーによって成立する。
289 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 22:12:00 0
>>280 もともと日本は奴隷を使役する文化が比較的少ない国柄だったようだしな。
鎌倉時代にも、北条氏が何度か奴卑の禁止令を出している。
室町期は知らんけど。
290 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 23:27:13 0
旧植民地の言語が、部族間を通じて共通語になっているケースが多い
独立してからも部族対立とかで内戦が絶えないよな。
なんでだろう。
1000年間対立してきたのになんで仲良くしなきゃならんのだとか、長老っぽい人がまくしたててるインタビューを見たことが。
あとどっかのスレで旅に出て他部族の成人男性を1人殺すことが成人の儀式になってる部族の話が出てたな
古典的なのは、家畜の奪い合いか?
293 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 00:15:48 0
>>287 リベリアとシエラレオネに関しては内戦が絶えなかった国だけど、
その解放奴隷の子孫の黒人と、元からその地に居る部族との対立もあったりしてるからな。
特にリベリアではその対立が内戦の原因にもなっていたし。
戻ってきた解放奴隷が新たな特権階級になるなんて歴史の皮肉だな。
そもそも解放奴隷の祖先の出身地はあそこら辺じゃないがな。
296 :
世界@名無史さん:2006/07/06(木) 07:26:02 0
926 :名無シネマ@上映中 :2006/06/12(月) 16:52:37 ID:oFmbj7VC
僕の仕事は、武器は売らないけど、国際的な搾取を利用している点では共通していて、この映画の主人公に感情移入できた。
おもに日本のODAがらみの仕事なんだけど、本当に援助を必要としている人々には1ドルもいかず、
大統領、将軍、大佐、資源担当大臣という人物のスイスの口座に3分の1が入金され、のこりはいろんな企業が山分けしている。
ODAは国民の税金で、僕らの世界では国民の税金=紙幣印刷機という感じだ。
若くて独身で、英語とフランス語ができれば、この映画の主人公のような仕事をできる会社は日本にたくさんある。
なんといっても日本政府はアフリカに莫大なODA(援助という名の投資)をしているから、そのトンネル会社やダミー会社がたくさんある。
伊藤忠や三菱商事といったメジャーどころではなく、表向き小さな会社でフランス語ができる人材を募集していて、
南アフリカのケープタウンに支社がある会社は、そのものずばりだよ。
僕は現在32歳で独身。年収は4500万くらいだけど、出張中に死亡したら、会社が2億円くらいの保険金を受け取ることになると思う。
個人的に保険に入ろうとすると、断られるか、とんでもなく高い保険料を請求される。
その時に自分の仕事が、他人から見れば、かなり危険なものなんだと思った。
だから特に家庭をもっている人はやりたがらないから、人材は不足している。
僕の会社もいろいろリクルートしているけど、仕事の内容を聞いて辞退する人が多い。
自分もそろそろ潮時かなと思っていて、この映画を見てその想いが強くなった。
それで思わずこんな長文を書いてしまいました。
もし興味がある人がいたら、日本のアフリカにおけるODAビジネスの実態について、教えるよ。たぶんあきれかえると思うよ。
928 :名無シネマ@上映中 :2006/06/12(月) 20:44:52 ID:oFmbj7VC
>>927 最近やった仕事の一例を紹介します。去年からの石油価格上昇の本当の理由は知っているでしょうか?
一般的にはイラン対アメリカの緊張度アップによる、中東情勢の悪化が理由と言われていますが、本当の理由はナイジェリアです。
いま原油の産出国は中東からアフリカ大陸へ急激に移動していて、そのなかでもナイジェリアが最大の埋蔵量を誇っています。
それで米仏伊が滅茶苦茶な植民地化をナイジェリアで進めていて、石油が出るデルタ地帯の独占使用権(なんと期間は99年間)を、ナイジェリア政府と結んでいます。
いまのナイジェリアは表向き独立国だが、実際は完全に白人の植民地になっています。
それで去年、反政府ゲリラが採掘施設を占拠する事件があり、それがWTI原油の高騰のきっかけになりました。
それで僕がやった仕事は、日本政府による石油精製技術指導の下準備です。
日本政府も遅ればせながら、なんとかナイジェリアに食い込もうとしていて、ものすごい額の賄賂がばら撒かれています。
それをもっと大規模にやるために、今後ナイジェリアに対するODA予算が大幅にアップされる予定です。
ODA予算は国会でまともに審議されず、その成果もチェックされないので、やりたい放題です。
ただ僕も現地に実際に行ってみて驚いたのですが、日本の首相官邸や財務省に当たる機関が入っている建物が、プレハブ小屋みたいな粗末なものなのです。
そこで石油省の次官に、スーツケースに入れて持って行った50万ドルを渡しました(政府関係者ということで、荷物は出国入国ともにノーチェックです)。
この仕事では、僕は単なる金の運び屋だったのですが、一週間の滞在中、毎晩違う女が提供されました。
あと今後ニュースになると思いますが、ナイジェリアの検察官で、汚職を捜査する責任者(女性)は、かなり優秀で立派な人なのですが、近いうちに事故死すると思います。
CNNなどでインタビューされている結構有名な女性なので、日本でも報道されるかもしれません。
ナイジェリアにおける日本の立場は、米仏伊に対する善意の第三者というものですが、実態はアメリカと裏で手を組んでいます。
アメリカの石油にメジャーに対して、いろんな名目で日本の金が流れています。技術指導と言っても、実際はなにもしていません。
金を還流するために、書類の上だけ
と・途中で文が切れてる・・・
300 :
世界@名無史さん:2006/07/07(金) 00:53:19 0
日本のODAの中心はアジアなんだが・・・・・
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
まあネタだろうけど、漫画にしたら面白そうだな
303 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 08:35:03 0
そこでムネオ先生のソンドミリウ川ダムですよ。
304 :
世界@名無史さん:2006/07/25(火) 01:03:42 0
ビアフラ戦争についてフォーサイスの「ビアフラ物語」を読んだんだけど、この戦争の真実はどうでしょうか?
この人は終始ビアフラ側の視点で書いてるし、戦争なのでどちらかが絶対的な悪や善だとは思いませんが、
北部人によるイボ族への迫害、英政府の非人道的な介入等、現地から詳細に伝えていると思うんですが、
逆にビアフラ側を卑劣な分離主義者として、結局統一は維持されたみたいに書いてある本もみました。
この戦争に限らず、偏った見方が一般的な見解として後世に伝わっていくのは非常に恐ろしいことだと思います。
>>299 途中で切れてるのに書き込みボタンは押してるのか
306 :
世界@名無史さん:2006/08/08(火) 18:28:32 0
アフリカの内戦
政府軍と反政府軍とを永続的な戦闘状態において
欧米が漁夫の利を得るという図式。
たとえばアフリカの一国家において
政府側が油田を確保し、反政府勢力がダイヤモンドの鉱山をおさえている場合。
欧米の企業はこれら両者に武器を売り、それぞれの勢力から
石油とダイヤをせしめる。採掘を指揮する人間以外の労働者は現地住民でまかなう。
あまった労働者は内戦で消費されて死んでいく。
せっかく豊かな資源をもつのに、貧困から脱出できず、同胞を殺しあっている。
欧米諸国は植民地時代にふやしすぎた黒人をこうやってへらしているのである。
296の話の方がおもすろいけどな
307 :
世界@名無史さん:2006/08/13(日) 11:13:39 0
ビアフラ人は商才に長けた民族で
事業や利殖で富を得ていた。
キリスト教の開明的民族だが彼らが
その原資をえたのははるか遠い時代、奴隷貿易の時代だった。
海岸部に住んでいたビアフラ人は内陸部に出征してイスラム教の他民族を
虐殺、拘束して白人に売り渡して富を築いた。
よって内戦勃発すると積年の復讐の機会を得た内陸部ムスリムによる
攻撃は凄惨を極めた。ビアフラ戦争激化の理由が分離独立に限らない怨念が重要要素だった。
308 :
ホッシュジエンの国内ニュース解説:2006/09/06(水) 16:40:26 0
フランスの民間2団体がこのほど、同国の代表的国語辞典「プチ・ロベール」の
植民地に関する記述が問題であるとして、辞典の回収を要求した。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡ミ ___ __ こんな所でも対米政策、つまり国民の右傾化や
|ヽ /| ,,,,,,,,l / / 侵略主義の肯定を演出しようとする出版社の意図が見える。
|ヽ | | ミ#・д・ミ/_/旦~~
⊥ |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| マスコミ、TV、ラジオ、出版社は不特定多数の国民に影響を
凵 `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l 与えられるため、昔から国の情報機関のような事をしますね。(・A・#)
06.9.6 朝日「仏団体、国語辞典の回収要求 植民地を『肯定的』表現」
http://www.asahi.com/international/update/0906/003.html
309 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 01:14:06 0
310 :
世界@名無史さん:2006/09/18(月) 15:43:46 0
冬のーリベリアーお前ってやつはー
311 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 18:54:28 0
こんばんわ、森進一です。
312 :
世界@名無史さん:2006/09/25(月) 10:01:45 0
終了。
313 :
世界@名無史さん:2006/09/29(金) 22:18:34 O
象牙海岸辺りが、各国の植民地としてさらに細分されてたら、
今頃、地図を見るのがおもしろいだろうに。
ギニア湾北側は今も充分細分されてる気がするんだが
>>314 スマソ。言葉足らずだった。
もっと色んな国の植民地として分割されてたらってこと。スウェーデンとかデンマークとか。
確かに、充分細分化されてるけどさ。
316 :
世界@名無史さん:2006/10/21(土) 16:15:50 0
>>297 中国がえらい買収攻勢で、アフリカ諸国の原油やレアメタルや宝石を買いまくっている
そうだが、それも一因だろうか。
魚モナー
318 :
世界@名無史さん:2006/11/12(日) 01:06:15 0
今日もあげ
>>316 ジンバブウェのムガベ閣下が中国様に歓迎の意を表しておりますw
320 :
世界@名無史さん:2006/12/02(土) 12:47:21 0
ゆうべ買ったふりかけ、産地表示をよく見たら
ゴマ(中国、スーダン)
とあった。スーダン産の食い物なんて始めてかも。
322 :
世界@名無史さん:2007/01/16(火) 16:12:52 0
現在は中国人が白人に代わってアフリカに進出し植民地化をしてるな
そういう失笑ものの書き込みはやめよう
一応、アカデミズム系の板なんだから
324 :
fuんwaか ◆X4bJkcf622 :2007/01/16(火) 23:41:36 0
しかし、どこの国に、このように先人の歴史を踏みにじり、一国の首相が謝り
続けている国はありましょうか。インドネシアにおいてオランダが、戦後我が
国に対して報復裁判をやったでけでなく、現地の人にたいして数百年間ひどい
植民地統治をしても、独立にさいしインドネシアに残した資産を買い取らせています。
イギリスもフランスもアメリカもスペイン、ポルトガルも植民地に投資などせ
ずに、植民地から搾取して太ってきました。
そのような国々でもかっての植民地統治が悪かったと謝っている国はありません。
それが歴史とわかっているからです。恨むのであれば、自分達の国を自分達で守
ろうとせずに放棄した自分達の祖先を恨むべきでしょう。ましてや我々の先人は
搾取どころか、世界最貧国だった朝鮮半島に莫大な投資をしてインフラを整え、
学校をつくりハングルを普及させました。当時国内にその分を投資しておけばも
っとインフラが整える事ができたでしょう。朝鮮半島が日本に集りまくって、感
謝も何もないのは今も昔も変わりません。
それを、戦後はすべて奪われ、そして戦後の悪い事はすべて日本のせいにされ、
謝れと言い続けられています。こんなバカな話はありません。自国の先人の屍に
より我々が生きている事ができるのです。首相たるもの「朝鮮の人よ、支那の人よ
いいかげんにしろ。」と言ってほしいものです。
酒たまねぎ やHP 平成15年5月23日の日記より引用。
植民地からの独立国と、旧宗主国の植民地政策との関係について書け
といわれたら、なんて書けば良いの??
考えたのは、アルジェリアとフランスの関係とか、だがよくわかんね。
アルジェリア系フランス人についてとか、書いていけば良いのだろうか
326 :
◆iP9cG5.1Bg :2007/01/26(金) 15:09:40 O
質問板にも書いたのですがこちらの方が詳しそうなので…
質問です。
早稲田・法学部・の過去問をお持ちの方なら見ていただきたいのですが、2002年第問4の設問4についてです。
誤りを選ぶ問題で、1つは、はっきりと誤りとわかるのですが、もう1つ怪しいと思ったので聞きたいです。
私が誤りと考える文章↓
「フランスはジプチ・マダカスカルと結ぶため、アフリカ横断政策を敢行したが、イギリスの縦断政策と衝突した。」
この文章なのですが、例えば、「アフリカ西岸とジプチ・マダカスカルを結ぶ横断政策」と書いてあれば理解出来るのですが、問題の表記の仕方なら、「ジプチ・マダカスカル間を結ぶ横断政策」となりファショダでぶつかるはずがないと考えたのですが…
分かりにくい文章ですみません
「ジプチ・マダカスカルと」ならOKなんじゃない?
「ジプチ・マダカスカルを」だったら指摘のとおりだけど。
328 :
◆iP9cG5.1Bg :2007/01/26(金) 16:23:02 O
この問題表記では、「ジプチ・マダカスカル間」と読む私の深読みでしょうか?
329 :
世界@名無史さん:2007/01/26(金) 18:42:10 0
>>323 ここが「アカデミズム系」かどうかはともかくとして
>>322は何毛に深かったりする。
米中国交回復以前、現実に中国公安部がアフリカで
モサドと共闘関係にあったのは事実だから。
中ソ分裂以後、アフリカの社会主義国では
中国の方を宗主国に選択したところが多く
留学生を中国の方に大挙送っていた。
>>322がいってるのは、今の中国のアフリカ進出についてだろ?
ルアンダやハルツームの郊外に中国人労働者数百人から数千人が生活する町が出来たり、
それを現地の政府軍や人民解放軍系の警備会社が警護したり、
賄賂や兵器供与などを駆使して手当たり次第に資源利権を確保したり、
大量の安価な製品を輸出して(場合によっては現地に工場を建てる、但し働くのは中国人)現地製品を駆逐したり、
欧州系やレバノン系、インド系の企業に代わってインフラ整備や建設労働などを独占したり。
中国アフリカフォーラムとかいう奴で、
アフリカの殆どの国の大統領が北京に詣でたのが象徴的だな。
まぁ世界史板の話題かどうかは怪しいが
331 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 14:24:06 0
>>321 スーダン原産の作物は他にもありそうだね。
たしかコウリャンはトウジンビエもそうだったかな。
332 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 14:24:51 0
× コウリャンは
○ コウリャンや
333 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 22:40:51 0
333ゲット
コーリャンって中国では
国境線が直角だったり、全く住民の都合考えてない引き方
フランスと英国が元凶
337 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 18:58:49 0
>>335 砂漠だし。
まぁ一部の遊牧民が線で分断されているが
アラビア半島なんかでもベドウィンが国境越えて生活しているが、
近代国家というもの自体と、こうした生活形態が、
相容れない面がある。