ナイロート系は基本的に牧畜民で、バンツー系は農民と見ていいのか? 東アフリカの基本構造は、内陸部はバンツー系の農民とナイロート系の 牧畜民が部族社会を形成しており、バンツー系は時に王国を形成する場合も あった。海岸部はアラブやシラージが交易都市を点で支配していた。 これでいいのか?
ちょっとスレ違いになってしまうが、タンガニーカといえば
ニエレレの社会主義政策と農業が思いつくけど。。。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/tanzania/ 1.主要産業 農業(GDPの約50%を占める)、メイズ、キャッサバ、米、豆類、コーヒー、綿花等
(また、規模は小さいが、鉱業では金やダイヤモンド生産、工業ではサイザル麻・タバコ等、農産物加工がある。
観光業も年々伸びており、有望視されている。)
(ザンジバル)コプラ、やし油
2.GNI 96億米ドル(2002年:世銀)
3.一人当たりGNP 280米ドル(2002年:世銀)
884 :
世界@名無史さん :05/02/25 13:42:35 0
885 :
世界@名無史さん :05/02/25 14:02:28 0
タンガニーカのニャムウェジ人商人は、アラブ人が内陸キャラバンを 送り出した1811年以前に、すでに独自のキャラバンを組織していた。
886 :
世界@名無史さん :05/02/25 21:18:48 0
ズィンバブエは東アフリカに入るのか? かのグレートジンバブエ。 なぜ、いつだれが建国したのか、なぜ滅んだのかなど謎だらけ。 ムーのネタにされてもおかしくない。
887 :
世界@名無史さん :05/02/25 21:32:25 0
888 :
世界@名無史さん :05/02/25 23:28:28 0
オランダが植民する以前に南部アフリカなんて社会区分あるのか? 地域で言えば、リンポポ川・ザンベジ川流域のバンツー系 諸部族の社会を指して南部アフリカと言っているのだろうが。 海岸部はスワヒリ文化圏に含まれるか、その影響を強く受けている 地域だし。内陸部は、他の東アフリカと同様に海岸部との交易や 牧畜をミックスしたバンツー系の部族国家だろ。東アフリカと区別する メリットがあると思えない。牧畜の比重が高いとか、アフリカの外れで 孤立的とかの特徴はあるが。
>>886 ジンバブエ遺跡なんてただの石ころの家だろ。
ニグロでもあのくらいは作れるだろ。ニグロを文化的に
劣等だと侮辱するから、グレート・ジンバブエ都市遺跡のような
ものは作れないとの先入観があるだけだろ。
大した道具もないイースター島の住民ですら、巨石を使った
遺跡を作れたのだし。ジンバブエ遺跡くらい、鉄器を使用していた
ニグロが作れても全然不思議ではない。ニグロを舐めすぎ。
891 :
世界@名無史さん :05/02/27 12:48:43 0
892 :
世界@名無史さん :05/02/27 13:05:19 0
893 :
世界@名無史さん :05/02/27 15:01:17 0
>>886 グレート・ジンバブエの衰退に関しては、商業ルートの移動や、人口集中に
よる環境破壊などの説がある。
グレート・ジンバブエが滅んだあと、ムタパ国とトルワ国が15世紀に興り、
ザンベジ川下流域とリンポポ川中流域の交渉圏を活動の舞台とした。
894 :
世界@名無史さん :05/02/27 15:12:33 0
最近よくニュースになるトーゴですが、 あそこはヨーロッパ人がやってくる前はどういう状態だったのですか?
895 :
世界@名無史さん :05/02/27 15:16:47 0
896 :
世界@名無史さん :05/03/01 21:02:23 0
グレートジンバブエの遺構からは、中国製陶器が見つかっている。
897 :
世界@名無史さん :05/03/01 23:05:21 0
>>892 どう解明されてきたというのか。
環境悪化説など、どんな地域の文明でも挙げられている、いわば枕詞のような仮説。
未だにジンバブエに秘められている謎は大きいと考える。
もしかしたら、15世紀に勃興したその2国がジンバブエを滅ぼしたのかな?
>>893
898 :
世界@名無史さん :05/03/03 00:21:05 0
南部アフリカにおける最初の国家形成は、リンポポ川渓谷のトウツェ遺跡。 トウツェ人は河川のまわりに村を作り、牧畜を行っていた。 川をやや下ったところにあるシュロダでは、9世紀の集落がみつかっている。 ここでは複合農業+象狩りが行われていた。 シュロダの近くには10〜11世紀の村「K2」がある。1075年ごろ、K2社会は すぐ近くのマプングブエの丘に移る。
南部アフリカをリンポポ・ザンベジ川流域以南の地域と定義するなら、 そこで文明をになった部族はバンツー系。バンツー系諸部族到来前は、 コイサンの人々が、狩猟採取の生活をしていた。 カメルーンあたりで芋とか作ってた農耕民のバンツー系の祖先が、 故地か大湖水地方あたりで、牧畜と鉄器技術を覚え増殖しつつ南下してきた。 東アフリカの他の地方と違って南部アフリカは、トリパノゾーマ等の 風土病の害が少なかったから、牧畜を伴う大規模な社会を形成することができた。
900 :
世界@名無史さん :05/03/03 14:40:48 0
900
901 :
世界@名無史さん :05/03/03 17:13:34 0
902 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:40:59 0
バントゥー諸語の拡大について、「ムハンマド後のアラブ」という比喩に暗示 されているような、単一集団による急速な拡張過程としてバントゥー拡大を 捉える説は最近退けられている。 バントゥー諸語の拡大過程に関しては少なくとも北部・西部・東部のバントゥー 諸語に分けて考える必要があるという。 紀元前第二千年紀に拡大を開始したバントゥー系言語は、祖地から熱帯雨林北辺 を東方に進んでヴィクトリア湖付近に至る。この範囲の諸語が北部バントゥー 諸語である。北部バントゥー諸語が広まった地域の中で、ガボン東部からコンゴ 北部にかけてとウガンダ西部がそれぞれ西部バントゥー諸語、東部バントゥー 諸語の祖地になり、そこから南方へとそれぞれの言語が・文化が拡散していった。
903 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:43:53 0
農耕を生業とするバントゥー系言語話者の居住地は、周辺の狩猟採集民 も含めた地域住民が交流する、いわば当該地域の社会経済的結節点に なりやすかった。これによって、彼らの言葉であるバントゥー系諸語は その地域のリンガ・フランカとしての地位を獲得し、結果的に急速な 伝播につながったというものである。
904 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:48:24 0
製鉄とウシ牧畜と雑穀栽培の技術を携えていたことも 大拡散を推し進めた要因でしょうね。 車輪や文字はなぜブラックアフリカに広まらなかったんだろう。 紀元前にはすでにどちらも接していたはずなのにね。
905 :
世界@名無史さん :05/03/05 23:50:54 0
バナナは東南アジアで栽培化された作物であるが、紀元前にアフリカに到達し、 大航海時代には、中南米にも伝播し、現在では全世界の熱帯地域において 重要な作物となっている。 ザンジバルはアジアからのバナナの伝播の入り口に当たる。 ザンジバルのバナナに関しては、遅くとも12世紀にはすでに重要な食料で あったことがアラブの地理学者・イドリースィーの記録に残されている。 今日でもザンジバルはモロゴロ州と並んでタンザニア東部で有数のバナナ 生産地とみなされている。
906 :
世界@名無史さん :05/03/06 00:08:38 0
907 :
世界@名無史さん :05/03/06 00:19:39 0
東南アジア・インドとブラックアフリカの農作物交換は先史時代からみられる バナナやヤムイモ栽培はアジアからアフリカに伝播しているようだし 逆にモロコシなどの雑穀栽培や胡麻、スイカはアフリカからアジアに伝播してるようだ 交易目的か植民かわからんが、アジアからアフリカへ、アフリカからアジアへと 紀元前から活発な交流があったことは事実のようだ
>>902-903 バンツー祖語の話者が、鉄器製作の技術を取得し、高い農業生産力を持って
いたなら、急速に増殖し広まったとしても疑問ではない。狩猟採集民や
生産性の高いバナナやタロ・ヤム栽培・牛の牧畜を知らなかった農耕民は、
森林や疎林地帯にまばらにしか住んでいなかったはず。
未開のまばらにしかすんでいない少数部族は、日本で言えばアイヌのようなもの。
部族単位で生活していたアイヌは日本人に同化されたわけだが、日本語は
日本人やアイヌにとってリンガ・フランカとしての地位にある、と言うのは馬鹿げた議論。
農耕技術に劣りまばらにしか生活できない劣等部族をバンツー系諸部族が、
絶滅・駆逐していったと解釈するのが自然。人間なんて食料生産さえ順調に行えれば
いくらでも増える。アイヌのように多少の同化はあったろうが、基本的には
ハイテク集団のバンツー祖語の話者が、赤道以南の人口希薄地帯を占拠して
いったと考えるべきだろう。
東アフリカの牧畜民は馬を使わなかったんだろう。 サハラには馬は伝播していたのだから、東アフリカの 牧畜民が馬を使っていたとしてもおかしくない。 馬を使った方が扱える家畜の数も増えるのだし。 牛中心なのも疑問。アジアではヒツジやヤギが中心だし。 牧畜が牛中心であることや馬を使わないのはどうしてなんだろ?
>>910 北米大陸へ伝播した馬が原住民に狩猟され尽くして絶滅したのと同じ現象が起こった可能性がある。
ウマを含む奇蹄目が全世界的に衰退傾向にある生物であり、ウシ・ヤギ・ヒツジを含む偶蹄目が
現在も繁栄してるのが関係してるのかもしれない。馬は意外と貴重な生物。
羊やヤギは高温多湿に弱いので、サヘル以北でないと飼育は難しい。 インドや東南アジアの主要な家畜が牛と水牛なのと同じ。
東アフリカのサバンナは多湿ではない。温度も西アジアに比べて高くない。 現在ではヤギやヒツジも飼ってるし。 東アフリカ、南部アフリカの草原は、遊牧民が暮らすには格好の環境だと思うが? なぜ東アフリカや南部アフリカには、ユーラシアのように馬を使って畜群を高度に管理する 遊牧民が育たなかったのか?
シマウマって乗れるの? キリンは無理かな。
915 :
世界@名無史さん :05/03/07 09:23:50 0
>>913 スーダンのアラブ系はラクダに乗ってなかったっけ?
916 :
世界@名無史さん :05/03/07 17:27:45 0
日本人は「新しい物好き」「外部のものを取り入れるのが大好き」だけど、 アフリカ人は日本人とは対照的だな。
917 :
世界@名無史さん :05/03/07 17:45:26 0
日本人が外部のものを取り入れてきたのは内部のものにろくなものが無かったから。 別に好きなわけじゃない。
「日本」と「アフリカ」を比較するのは、「ヨルバ」と「アジア」を比較するよーな
もんです。無理あり杉。
ニジェール川流域やスワヒリ海岸の人々は、それなりに北方のイスラーム文化を
受け入れて自分達の技術水準を上げていっている。ヨルバの冶金技術も、おそ
らくメロエなどから伝来したものだろう。外来技術や文化を一切排除している
ような部族・民族はないよ。
>>913 実際に馬の飼育が盛んだったのは、むしろ広義のスーダン地帯なんだよねえ。
ボルヌ王国やソンガイ王国には騎兵隊があった。
ただ馬の遊牧という生活スタイルは、成立しなかったが。
919 :
世界@名無史さん :05/03/07 19:28:47 0
920 :
世界@名無史さん :05/03/08 21:30:05 0
ボルヌ帝国の王アブー・アムル・ウスマーンは、マムルーク朝のスルタン、 ザーヒル・バルクークに、 アラブ人(ジュザーム族)による奴隷狩りをやめさせ、奴隷がムスリムだと わかった場合は自由にするよう要請する手紙を書いている。
921 :
世界@名無史さん :05/03/09 19:56:32 0
>>914 シマウマは家畜化の条件を満たせないらしい。
キリンは乗れても血圧が高すぎて馬の様な使い方は無理。
922 :
世界@名無史さん :05/03/12 00:14:07 0
923 :
世界@名無史さん :05/03/18 00:56:11 0
バナナの他に新大陸からもたらされたキャッサバも、アフリカ社会に大きな 影響を与えているね。 キャッサバは水がなくても他の根菜作物や穀物より良く成長することができる。
924 :
世界@名無史さん :05/03/18 02:47:18 0
シマウマは背骨がやわいので乗れません 背骨の頑丈さは ロバ>ウマ>シマウマ
925 :
世界@名無史さん :05/03/21 00:17:51 0
かつてはシュメールにもロバ騎兵隊があったっけね。 ロバは東アフリカ原産だが、ご当地では荷役だけの用途だったのかな?
926 :
アフリカ遠足人 :05/03/21 01:06:46 0
>>925 さん
いや、東アフリカでのロバは荷役用だけじゃないですよ。
エチオピアでは現在でも性欲処理に…(ry
927 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 19:12:54 0
ウォロフ人がたてたジョロフ王国についておせーて。 セネガルあたりにあったらしいけど。
928 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 22:01:28 0
「チェド」という映画名で検索するよろし。 この映画の舞台がジョロフ王国。 国民をイスラム教に改宗させようとする王さんと それに対して反乱を起こす群衆(これがチェド)との闘争がテーマ。
929 :
世界@名無史さん :2005/03/27(日) 22:36:23 0
植民地化される前のアフリカにも市民社会(に似たもの)が あったってホント?
930 :
世界@名無史さん :2005/03/28(月) 00:24:52 0
931 :
世界@名無史さん :2005/04/18(月) 00:52:33 0
age
駱駝って使い勝手いいのか?砂漠以外では普及しないけど。
933 :
世界@名無史さん :2005/05/03(火) 13:18:45 0
ボビー・オロゴン(ナイジェリア出身)、なんとヨルバ族なんだね。
首都アブジャの市街地中心部の設計は丹下健三。
935 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 20:04:36 0
旧首都・ラゴス
936 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 10:09:27 0
あと少しで1000だ! 逝く所までいこう
ある歴史ゲームに、バントゥー族のナンディ女王とオムガペ王 というキャラが登場したんですが、実在の人物ですか?
938 :
狭霧 ◆RURUUhzYPk :2005/06/13(月) 00:39:42 0
>>937 ナンディ女王はズールーのシャカ王の母親です。
939 :
世界@名無史さん :2005/06/13(月) 00:52:17 0
確かにズールーはバントゥーの1部だが。ナンディは子供のシャカともども 離縁されましたんで、女王であったことはないです。 あっ、シャカが大王だったときも存命だったか。でも、女王とはよべないな。
マンサ・ムサってペルシャのシャーハンシャーを意識した称号だったのかな?
.
942 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 12:03:45 0
age
943 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 14:53:07 0
《新刊情報》 アフリカ「発見」 日本におけるアフリカ像の変遷 藤田みどり著 岩波書店 ISBN4-00-026853-8 C0322 信長の黒人従者彌介から明治の地理教科書,戦前のエチオピア・ブームや ターザン映画まで,日本人のアフリカ・イメージはどのように作られて きたのか.翻訳やメディア,社会現象が照らし出す日本人のアフリカ認識は, 近代日本がその第一歩から抱えた自己認識のありかを鮮やかに炙り出す. 豊富な史料が語る「空白」から「暗黒」への道のり.
944 :
世界@名無史さん :2005/09/01(木) 20:09:53 0
age
さげ
946 :
世界@名無史さん :2005/09/14(水) 23:59:55 0
無知極まりないな。例えば南アフリカでは白人の方が先に進出していた。 ニグロ(イド)をイギリス人とユダヤ人が大量に連れて来たんだよ。 南アフリカにいたのはブッシュマンとかニグロとは違う人種で、極めて 数は少ない。
947 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 00:01:20 0
あとな、高度な文明があったといっても文字がなかったのは 大きい。 文字がなかったから文明がなかったと言っても言いすぎではない。
948 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 00:12:21 0
949 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 00:13:17 0
ズールーって、ブロードウェイ版ライオンキングのセリフ&歌の言葉だね。 シャカ族とかそっち系なん?びっくり。 べっしも。
951 :
世界@名無史さん :2005/09/15(木) 10:29:34 0
952 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 23:46:56 0
>>946 はどこへのレス?
コサやズールーの祖先は遅くとも16世紀頃には
現在の南ア地域に到達していたと読んだが。
もちろんそれでも西半分はカポイドの世界。
953 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 22:13:14 0
AGE
954 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 23:23:51 0
アレキサンダーやナポレオンのような 強烈なカリスマと軍事的天才・各分野の有能は部下 を率いてアフリカを統一するような英雄が現れる 可能性は・・・・ アメリカを含めた欧米の干渉軍を撃破して(妄想・・妄想・・) 10年で統一
アメリカがソマリアで失敗したときがチャンスだったかもね 軍事的才能と外交力に優れた天才が・・・って無理ですから
フランスあたりに全土を征服してもらう形で統一するほうが よほど現実的&マシな統治が望めそうというのが悲しいところだ罠。
<非地中海世界のヨーロッパ(一部)の場合> 古代 征服と統治(される側) 中世 混乱と殺戮 近代 征服と統治(する側) <アフリカの場合> 古代 征服と統治(される側) 中世 混乱と殺戮 ←今ここ 近代 ???
958 :
世界@名無史さん :2005/11/08(火) 18:00:34 0
エジプトなどのホワイトアフリカに関していえば、誰も未開の土人の住処とは考えていないと思うが
オナニーしてたら教科書にぶっかかった
960 :
世界@名無史さん :2005/12/20(火) 20:27:35 0
アフリカあふりかアフリカあふりか
961 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 13:55:59 0
話題がないっすね。 ここまであまり出てなかったと思いますが、日本アフリカ学会ってどうなんでしょ? 各民族の歴史研究なども上がっているようですが。 白人以前のような歴史は考古学以外には少ないですかね。
962 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 02:07:58 0
963 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 13:52:55 0
ブラックアフリカでコブウシが飼われるようになったのは比較的最近? コブウシは南アジア起源と聞いたが、するとインド洋交易でもたらされたものか。 しかしサハラの壁画に「牛の時代」としてさらに古い有史前からいたようだし、はてさて?
964 :
行殺 ◆KINOKO.5cU :2006/01/15(日) 22:51:50 0
>>1 お答えしよう。
ガーナ帝国やマリ帝国のような人権も平和もクソもない前近代的封建国家しかなくて、イスラムのような好戦的な連中としか付き合ってなかったから、
植民地にされたんだよ。
奴隷制っていうのはアフリカとイスラムでさかんに行われていて、アメリカ大陸はアフリカから奴隷を「買った」だけ、。
それなのに「白人が黒人を捕まえて奴隷にした」なんてデタラメがまかりとおっている
日本軍の「従軍慰安婦」と全く同じ構図だね
965 :
世界@名無史さん :2006/01/15(日) 23:05:49 0
黒人とセックスしたら誰もその味を忘れられず 征服したくなるからだよ。
>>964 最初はアラブ人から買っていたんじゃなかったっけ?
最初から自分で狩ってたの?
967 :
行殺 ◆KINOKO.5cU :2006/01/16(月) 23:22:36 0
>>966 最初から最期までアラブ人やイスラムに改宗した黒人酋長から買ってました
白人は奴隷狩りなんて野蛮なことはいっさいしていない
>>967 どちらの史料を参考にされましたか?
よろしければ手元の史料をご紹介下さい。
>>964 秀吉が激怒した日本人奴隷は誰から買ったんだ?
970 :
世界@名無史さん :2006/01/17(火) 16:40:03 0
あの世界で大ヒットしたドラマ「ルーツ」で、 主人公のクンタ・キンテが白人に奴隷狩りされる場面があるけど、 実際は白人はアフリカ内部では直接奴隷狩りしてなかったわけだよね。 あのドラマもアメリカ白人の自虐史観から生まれたものだろう。
971 :
世界@名無史さん :2006/01/18(水) 23:45:20 0
自国民を奴隷として叩き売るのはヨーロッパ白人だって盛んにやってたんだが。 販売相手は主にイスラム諸国。ヴェネツィア商人儲かってしょうがなかったですよ。 往事はヨーロッパの輸出品目の1位が木材、2位が奴隷という時代もあったんだが。 自らの過去を忘れてアフリカ叩きですか? あ、日本人も奴隷を売っていたな。そういえば
972 :
世界@名無史さん :2006/01/19(木) 13:51:56 0
973 :
世界@名無史さん :2006/01/21(土) 02:50:10 0
35 名前:行殺 ◆KINOKO.5cU [] 投稿日:2006/01/20(金) 22:08:18 じゃっぷるしねぷる しねぷるめっぷる ほっぷるそっぷる ぷりぷれぷるぬる じゃっぷれしねぱれ しにぽろもぱれ うにりくぬねりく じゃっぴりしにぴり じゃっぷるしねぷる じょっぷるしのぽろ にゃっくゆうでぷつ なっぷるもろくる じゃっぷりしねぴゃり にゃっぴゅりゅちにゅぴゅる にっぽろくのかろ まっぷるもむれぬ まっむむみめむむ っぱっぽれもれもれ なっくつうぢつる かっくくこりきろ
974 :
世界@名無史さん :2006/01/21(土) 13:45:58 0
>>917 いつの時代のことを言ってるのかわからんが
戦国以降の事なら、日本人の本来持ってる好奇心だよ。
976 :
世界@名無史さん :2006/01/22(日) 11:44:02 0
どうして黒人ってあんなにセックス強いの?
あげ
978 :
世界@名無史さん :2006/02/05(日) 00:47:35 0
ちんちんが大きくてなおかつセックスに強かったために、 そのことだけで女たちに認められて子孫を残せた男たちの子孫がアフリカに残ってそのまま黒人になった。 ちんちんが大きくなかったりちんちんのパワーが無くて セックス以外に何か強みが無ければ種付けさせてもらえなかった男たちの子孫が ちんちん至上主義の女たちに嫌気がさしてアフリカから出て行って白人や黄人になった。
980ですが次スレどうしましょう? >974 戦国時代に日本人奴隷が輸出されていた。 それを知った秀吉が激怒したり、 (主に切支丹が売っていたのでキリスト教規制の一因とも言われる) 遣欧少年使節団が世界各地で目撃してショックを受けたり、 ブラジルで俺は奴隷じゃねぇぞゴルァ!と裁判した日本人の記録が残ってたりする。
981 :
世界@名無史さん :
2006/03/07(火) 14:07:31 0 ああげげ