世界史なんでも質問スレッド14

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952世界@名無史さん:04/08/15 00:09
ふぉ。944はにせものじゃよ。
隠居したのは確かじゃが、それは引越ししたからじゃ。
ネット自体はたまにやっておるわい。
859と871を書いたのが本物じゃよ。
953世界@名無史さん:04/08/15 00:11
自分で隠居したって言ってるから本物だ!
954世界@名無史さん:04/08/15 01:59
昨日オリンピックの行進見てたら『〜領―』みたいな国がけっこうあったり、
マイナーな国で国旗の左上にイギリスの旗が入ってる国がけっこうあったことに驚いたんてすが、
未だに鬼畜米英の野郎共は植民地を持ち続け過酷な労働をさせたりしてるんでしょうか?
955世界@名無史さん:04/08/15 02:09
沖縄みたいなもんだな
956世界@名無史さん:04/08/15 02:10
自治領とか海外県とかそんなところかな
大抵は周辺の国より圧倒的に恵まれた状況にあるのでそこを目指す難民は多いよ
957世界@名無史さん:04/08/15 02:15
国旗の左上にイギリスの旗はオーストラリアでさえ入ってるだろ
まだ入ってるよね?
958世界@名無史さん:04/08/15 02:46
はいってるよ
959世界@名無史さん:04/08/15 04:20
>>931
ソース出してくれるとありがたいが
ファーストネームに爵位名?
初耳だ
960世界@名無史さん:04/08/15 04:40
出た!ソース厨。
961世界@名無史さん:04/08/15 08:45
>>954
現在は住民自らの意志で海外領にとどまってるケースがほとんどです。
下手に独立してもやってけない、だったら本国政府からの援助があり、
国籍も先進国の方が、ってところでしょうか。

ちなみに、イスラエルがウエストバンクに建設して問題になってる防護壁ってありますよね。
あれも反対運動と平行して、壁の「内側」へ移住しようとするパレスチナ人が増えてるそうで。

要はナショナリズムより経済性を重視する人たちが少なからずいると。
962世界@名無史さん:04/08/15 12:50
>>957
オーストラリアはまだ一本の糸が残っている英連邦内の自治領。
国家体制は立憲君主制で、元首はイギリスから派遣される連邦総督。
963世界@名無史さん:04/08/15 12:59
>>962
> 英連邦内の自治領
それ違う。

> 元首はイギリスから派遣される連邦総督
これも違う。

オーストラリアは英女王を元首とする立憲君主国家。総督はその代行。
英国と元首は同じだが、立派な主権国家だ。
964世界@名無史さん:04/08/15 14:21
ナーディル=シャーについて教えてください
965世界@名無史さん:04/08/15 14:25
>>963
カナダも同じだっけ?
国家元首はエリザベスのオバハンだっけ?
966世界@名無史さん:04/08/15 14:29
>>965
カナダも英女王を元首とする立憲君主国家。総督はその代行。
英国と元首は同じだが、立派な主権国家だ。
967963:04/08/15 14:38
>>966
カナダも同じだね。(英女王を元首とする立憲君主制。代行としての総督。)
ただ、カナダの独立はバルフォア宣言(1926年)なので、1986年になって
やっと司法上の独立を果たしたオーストラリアよりずいぶんと古い。

あと、オーストラリアがまだ作っていない自主憲法も1982年に制定してる。
968世界@名無史さん:04/08/15 18:06
>>967
その憲法、ケベック州が批准していなかったのでは?
969世界@名無史さん:04/08/15 23:34
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世界史なんでも質問スレッド15
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1092580353/l50
970世界@名無史さん:04/08/16 21:03
>>963
主権国家の元首が同じでいいのか?
オーストラリアとイギリスの外交は、同じ人物の代理人同士がやってることにならないか?
971世界@名無史さん:04/08/16 21:52
>>970
主権国家って言うのは、他国のいかなる政治権力に服さずに独立して
統治を行える国家のことを指す。つまり、オーストラリアは1986年に司
法上の独立を果たしたことで全ての権力行為について独立して行える
様になったので、その時点で主権国家として独立したと言える。

主権国家の定義には元首が同意他国と同一人であってはいけないとの
定義はないので、別に問題ない。

ちなみに、同一人を王として同君連合を形成したとしても、それぞれの国の
政府が独立してその権限を行使しうるのであれば、それは別々の主権国家
と呼ぶことが出来る。英国とオーストラリアとカナダの関係はまさにこれ。
972世界@名無史さん:04/08/16 21:56
あsdがsdがsdがdg
973世界@名無史さん:04/08/17 17:56
西洋史、特にスペイン史の歴史読み物ってありますか?
塩野七海生のローマ人の物語のようなのがあればいいのですが
974世界@名無史さん:04/08/17 18:36
対米同時多発テロ事件が及ぼした影響、将来に及ぼすであろう
影響をかっこよく簡潔に教えてください。
お願いします。
975世界@名無史さん:04/08/17 18:37
啓蒙思想って簡単に言えばどんなんですか?
教科書見ても分かんないんですが・・・・。
976世界@名無史さん:04/08/17 19:58
>>975
自分達(西洋人)の考え方がナンバーワンであって、
他の夕食人種はおろかな考えをしてる。
だから我々が正さなければ!みたいな。
思想を押しつけること。
977世界@名無史さん:04/08/17 20:48
>>973
スペイン専門じゃないが
佐藤賢一の「ジャンヌ・ダルク、またはロメ」のなかにスペイン建国を題材にした小説がある。
978世界@名無史さん:04/08/17 20:59
なぜ第1次世界大戦でトルコは連合側についたんですか?
ドイツの3B政策の関係からですか?
979世界@名無史さん:04/08/17 23:00
君主は国家第一の僕ってどうゆうこと??
980世界@名無史さん:04/08/17 23:13
>>975
理性によって迷信を打ち破れってこと。キリスト教とかも合理的に解釈していこうとする動き。
>>979
朕は国家じゃなくてその下僕ってこと。
981世界@名無史さん :04/08/18 00:40
>978
青年トルコ党を率いていたエンヴェル・パシャが、完全な親独派でなおかつ、ドイツはエンヴェル・パシャの要求に応じて
軍事顧問団を派遣して、軍関係の士官以上を完全に親独派として取り込むのに成功していたのが一つめ。
しかも、軍事顧問団の団長には、トルコ陸軍総監というエンヴェル・パシャに次ぐ地位を与えている。

また、ロシアはトルコの不倶戴天の敵であり、連合国側に立って参戦することは、取りも直さず、ロシアと肩を並べて戦う
と言うことになるが、国民感情的にこれは受け入れがたかったと言うのが二つめ。
更に英国が、トルコが発注していた戦艦を接収し、トルコの国民世論はそれに対して激高したのが三つめ。

加えて、青年トルコ党の主張は「汎トゥラニズム」、すなわち、トルコ帝国領内のトルコ人だけではなく、ロシア、ペルシャ、
アフガン、清朝に住んでいる諸トルコ民族とともに、統一国家「大トルキスタン」を建設する夢があった。
当時、ドイツはトルコに対して明確な領土的野心を出していなかったこともある。
982世界@名無史さん:04/08/18 04:26
>>980
「君主は国民第一の僕」とある本には書いてありましたがこれは間違いですか?
それとも訳し方はいろいろあるのでしょうか?
983978:04/08/18 10:57
>>981
おぉ、とても詳しくありがとうございます!
とてもよくわかりました!!
984世界@名無史さん:04/08/18 18:49
>964
ザーヘルのおやじだよ
>>982
「君主は国民第一の僕(しもべ)」=「君主は国民第一の下僕(げぼく)」
同じ意味では?
君主はふんぞり返っていないで、国民のために政治や政策を考え、自分勝手の
行動を慎み道徳や行動などにおいても模範を示さなければならない。国民のために
仕える立場にあるのだという。
986カラジチ ◆mWYugocC.c :04/08/18 20:25
「国家第一の僕」と「国民第一の下僕」って同じかなあ。
「国家」と「国民」でなんか違うイメージを覚えるけど。
987世界@名無史さん:04/08/18 21:11
>>982
この言葉は通常フリードリヒ2世に帰せられているが、
大王本人が、このフレーズにおける、「国家」(Etat)と「人民(国民)」(peuple)
を著作によってかなり適当に使い分けていたみたい。
(「紀律と啓蒙」屋敷二郎)
だからだいたい同じ意味ということでいいんだと思うけど。

ただ思想史的にはいろいろ説明がなされているみたい。
屋敷氏によれば、フリードリヒの視点には、君主−人民の支配服従関係への重視と、
同胞相互の結合関係への重視、という2契機が同時に併存・拮抗していた云々とのこと。
でもまあ思想史的な後付けの議論だからね。
988982:04/08/18 22:47
985さん 986さん 987さん
答えてくださってありがとうございました。
989世界@名無史さん:04/08/19 23:04
ポルポトのカンボジアにベトナムが侵攻し、そのベトナムに中国が侵攻したのは何故なんでしょうか?
どれも同じ社会主義国だし、しかも中国がベトナムに敗退とまではいかないにしても目的を果たせず
さっさと撤退してしまった理由もわかりません。
どなたか詳しい方、ここらへんどの事情を教えてください。
990世界@名無史さん:04/08/19 23:13
>989
地政学的に見て、親中であるポルポト派と、中国とに挟まれるのは宜しくない。
幸い(?)なことに、カンボジアでは重大な人権侵害が発生している。
したがってカンボジア侵攻の大義名分も成り立つ。
チャーンス(ニヤリ

がカンボジア侵攻。

中越紛争は国境紛争。

社会主義者の国際的連帯なんて、スペイン内乱の頃に既にその虚偽が判明している。
991世界@名無史さん:04/08/19 23:42
第1次マクドナルド内閣が倒れた原因になったという
ジノビエフ書簡とはどういう内容だったのでしょうか?
992世界@名無史さん:04/08/20 00:11
>>990
レスありがとうございました。
しかしそれだとベトナムは親ソだったということなんでしょうか?
ベトナム戦争ではベトナムは中ソ両国から支援を受けていたので両国と親密だと思っていました。
そして中越戦争がさっさと終わってしまった理由はあるのでしょうか?
993世界@名無史さん:04/08/20 01:00
>>992
ベトナムは親ソだったり親中だったり、時期によって揺れ動いてますね。
ホー・チー・ミンは中ソ間で均衡政策をとっていましたが、彼の死と
ニクソン訪中といった米中接近の反動で、ベトナムは親ソ寄りになりました。

実際、1975年に中国はベトナムへの米援助を停止してますが、
同じ年にベトナムはソ連と経済援助協定を結びました。
1978年にはベトナム=ソ連友好協力条約が調印されて、
7500万ドルの軍事援助と軍事顧問団の派遣で、ベトナムの親ソ化と
中国との対立は決定的になりました。

中越戦争がさっさと終わったのは、簡単に言えば中国が徹底的に
ボコられたからです。
アメリカとの長きにわたる実戦で鍛えられ、軍事援助で近代化された
ベトナム軍にとっては、馬で資材を運ぶことすらあった旧式の中国軍など
敵ではなかったのです。
20年は時代遅れだと言われた中国軍は、この戦争を機に軍の近代化を
本格化させました。
とはいえ、ベトナムにとっても、アメリカ軍による北爆の被害をあまり
受けていなかった地域が、旧式とはいえ人海戦術をとる中国軍との
激しい戦闘で荒廃してしまったのは非常に痛かったようです。
994世界@名無史さん:04/08/20 12:22
>>993
結局は共産圏での仲たがいだったというわけですね。
詳しいレスありがとうございました。
995世界@名無史さん:04/08/20 18:56
陽貴妃ってほんとにそんなに美人だったの?
996世界@名無史さん:04/08/20 19:14
美人だったのは事実だ(おれ付き合ったことあるもんね)
しかしもうかなりの婆ぁで脂肪ぶとりだったのも事実
997世界@名無史さん:04/08/20 19:16
揚楊
998世界@名無史さん:04/08/20 19:17
998
999世界@名無史さん:04/08/20 19:18
999
1000世界@名無史さん:04/08/20 19:19
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