アケメネス朝ペルシャ

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1世界@名無史さん
語りなさい
2世界@名無史さん:04/03/15 22:51
明けぬメス朝
3世界@名無史さん:04/03/15 23:10
>>学問系痛手1が碌に語れぬスレは大半がレポートのネタを他者に提示させようとする法則
4世界@名無史さん:04/03/16 16:39
だーらやわうしゅ・ふしゃーやすぃや・
わずるか・ふしゃーやすぃや・ふしゃー
やすぃやーなーむ・ふしゃーやすぃや・
だふゆーなーむ・うぃしゅたーすぱふや
ー・ぷちゃ・はかーまにしや・は
や・いまむ・たちゃら・あくなうしゅ

と、ttp://www.nacos.com/moji/78-5.htm
の上の6行まで書かれてるっぽい。
5世界@名無史さん:04/03/17 23:36
カンビセス2世sage
6世界@名無史さん:04/03/18 00:04
専制中の専制
人類初の「世界は俺の物」
7世界@名無史さん:04/03/18 00:11
ペルシャ帝国>サラセン帝国>>オスマン帝国>>>>>>>ローマ帝国
8世界@名無史さん:04/03/18 00:19
そして最後に出てくる神の国が日本であり、西暦3000年までには銀河日本帝国が
人類を統一しているのはいうまでもない。
9世界@名無史さん:04/03/18 20:33
ダーラヤワウ大王が、先代のクラ王などの一族とハカーマニシュを祖とする同族の王家だと主張してるのだが、
これはダーラヤワウのジサクジエンによる大嘘らしい。

ダーラヤワウもお父っつぁんのウィシュタースパも、その名前自体が古代ペルシア語で分析可能だが、
クラ王もカンビタ王も古代ペルシア語では意味がわからない言葉になる。

もともとメディア人、エラム人、ペルシア人などの連合政権が、
クラ2世までの時代にメソポタミア、アナトリア、シリアにまたがる大帝国になったのだが、
後継問題がこじれて内戦になり、それまでのクラ王家とは全く無縁の辺境太守だった
ダーラヤワウが故地のパールサ諸族などの後援によって大王を僭称したらしい。

このあからさまな王位簒奪によってさらに帝国各地で叛乱が相次いだが、
ともかくも武力によって鎮定することができた。

このためダーラヤワウは自らの支配正当性を強く主張する必要が即位当初からあった。
そこで彼は有名なビーソトゥーン碑文にあるように、クラ王家と自らの一族に
「ハカーマニシュ」という共通の先祖がいたと歴史を捏造して、なんとか丸く収めようとしたらしい。

ダーラヤワウの後を継いだ息子の「クシャヤールシャ」という名前も、
古代ペルシア語で『王』が「クシャーヤスィヤ」であることを考えれば、なかなか意味深い。
10世界@名無史さん:04/03/18 23:45
クセルクセス
11世界@名無史さん:04/03/19 00:23
カンビュセス
12世界@名無史さん:04/03/19 07:54
カンブージャ
13世界@名無史さん:04/03/21 01:35
アケメネス朝ペルシャって、ギリシャと戦争したりして
西方世界とのかかわりは、深い印象が有るんだけれども
当方世界へのインパクトは、どれくらいあったんだろうか?
具体的に言えば、タリム盆地周辺の、ソロク、キジ、ウテン
等のオアシス都市の人々は、アケケメス朝ペルシャの事を
知っていたんだろうか?
14世界@名無史さん:04/03/21 01:47
クロイソス王萌え
15世界@名無史さん:04/03/21 09:33
ネタはそんなに無いよな。専門書も無いしな。
よその国の文書(ギリシャや旧約聖書など)に頼る部分も大きい。
考古学板の方がいいか?
16世界@名無史さん:04/03/21 09:47
英語ではアケメネス朝全史を目指した四巻本があるらしいけどな。

たぶん、このスレには読んでる専門家もいるんだろうが、俺には無理だ。
17世界@名無史さん:04/03/21 10:19
四冊も書けるほど、よく調べがついたな・・・そちらの方が驚きだ。
18世界@名無史さん:04/03/21 17:40
粘土板とかアラム語のパピルス文書みたいなアケメネス朝時代の文書研究が進んで色々分かってきたらしいね。
翻訳された概説書がまだ無くて門外漢にはアクセスしづらいのがネックか(汗
19世界@名無史さん:04/03/21 19:09

アマゾンで検索したら見つからないし
Achaemenid History Workshop Series Vol 9
Persepolis Seal Studies: An Introduction With Provisional Concordances of Seal Numbers & Associated Documents on Fortification Tablets I-2087
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9062584098/
九巻?
20世界@名無史さん:04/03/22 00:01
>>9
 クラ(クル?)やカンブジャの名前が古代ペルシャ語でないとすると
何語なのでしょうか?メディア語?
21世界@名無史さん:04/03/22 00:06
>>15
一般人なら高校教科書ていどの知識しかない。
あんまりイメージもわかない。話の広がりようがない。
22世界@名無史さん:04/03/22 00:17
一般人は存在すらしらないでしょ。
アケメネス?
なにそれ?って感じ。
23世界@名無史さん:04/03/22 00:24
ハハマニシュ朝のペルシア帝国のことだよ、といえばわかるよ、きっと。
24世界@名無史さん:04/03/22 00:24
やはりイラン・イスラム革命の影響もあるんだろうね。研究が滞るように
なったのは。。欧米の援助が無いと資金的に研究が進まないだろうし、
(イランが貧乏といっているのではなく、現時点は理系関連に投資を
振り向ける発展途上の国だから、こうした研究投資は欧米資本でないと
駄目だろう、という意味)文献の欧米語への翻訳もされないだろうし。
25世界@名無史さん:04/03/22 00:28
>>21
一般人だ。中公から出ている世界の歴史程度の概説程度の知識しかない
入門書をおしえてたもうたれ。
26世界@名無史さん:04/03/22 00:30
>>25
Achaemenid History Workshop Series
現在刊行中
27世界@名無史さん:04/03/22 00:38
一般人にいきなり洋書を薦めるのは・・・
28世界@名無史さん:04/03/22 00:40
>>25
 中公から出ている程度ということであれば、新潮の世界歴史シリーズや
ちょっと古いけど講談社の世界歴史シリーズの9巻「ペルシャ帝国」くらいか。
それ以上だと英語の本になっちゃうと思う。あと知の発見シリーズとかか。
1冊全部アケメネス朝という本自体日本ではないのでは。。。
Chambridge History Of Iran の1巻はエラム〜アケメネス朝の歴史に1冊
割いているが、これも古い(1983年)
29世界@名無史さん:04/03/22 00:44
http://oak.zero.ad.jp/~zae06141/iranlink.html

たしかに少ないでせう。
30世界@名無史さん:04/03/22 00:44
一般人なら講談社の「ペルシャ帝国」(足利惇氏著)で十分だろ。
英語文献なんて必要ないよ。
31世界@名無史さん:04/03/22 00:46
どうでもいいけどチョンはしね
32世界@名無史さん:04/03/22 00:47
歴史の知識がないことと語学力がないことは別。
>>26は冗談にしても、アケメネス朝について知りたい場合は洋書に行くしかないんじゃ?
参考文献を大量に載せた『歴史学の現在 古代オリエント』にもアケメネス朝関係の日本語書籍は
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634646005/
33世界@名無史さん:04/03/22 00:50
イランではナショナリズムを高揚するため「ペルシャ帝国の後裔」を
標榜し、それに対抗してイラクでは「メソポタミア文明の後裔」を
唱えるようになったという。

「イラン」とは「アーリア人の国」という意味だとか。

イラン人は、ドイツ人やインド北部人と同じ、北方から移動してきた
アーリア系。観念的な哲学や、神秘主義の思想を世界に供給してきた、
特異な人種の一系統だ。

イラン人もまた、ゾロアスター教以来の神秘思想の霊統を持ち、しかも
アリストテレス・プロティノスに端を発する形而上哲学も、最も
発達した。それが、シーア派とか、スーフィズムとか、ガッザーリー、
イブン=シーナーたちの哲学につながった。イランに文化伝統があり
すぎたのが、イスラム教からシーア派が分離した遠因と言っていいだろう。
34世界@名無史さん:04/03/22 00:52
シーア派の分離がいつだと思ってるんだ!
シーア派は昔はイラン以外でも勢力を持ってたし。
35世界@名無史さん:04/03/22 00:53
>>32のリンク先の本は読んだ事ないです。
まずはこれから手をつけてみます。
36世界@名無史さん:04/03/22 00:55
>>33
イラクというよりはフセインが自認していたに過ぎない。
イラク自身は>>34が言及しているように国民の大半は
シーア派だ。

ということでペルシャの話にもどりましょう。
脱線するのは2chの常ですけど(汗
37世界@名無史さん:04/03/22 01:02
イラクだってペルシア帝国の一部だったわけだが。
38世界@名無史さん:04/03/22 01:08
其れ言い出したらアナトリアもエジプトもシリアもアフガニスタンも・・・・・
39世界@名無史さん:04/03/22 01:14
ヘロドトスの『歴史』はどの程度信頼できるんだ?
考古学の研究の結果、意外に信頼できることが知られてるらしいが。
例の民主制・君主制の議論とかは捏造確定?
40世界@名無史さん:04/03/22 01:16
エチオピア遠征軍壊滅!!
41シャー・アズナブル:04/03/22 01:19
君は良い友人だったが、カンピュセスがいけないのだよ!
42世界@名無史さん:04/03/22 01:20
ペルシャ帝国とユダヤ人の関係ってどうだったんディスカー!
43世界@名無史さん:04/03/22 01:25
旧約聖書の「エステル記」はフィクションやろ。
44世界@名無史さん:04/03/22 01:28
フィクションだと?
ユダヤ脳が生み出した真実だよ!
45世界@名無史さん:04/03/22 03:19
>>28
80年代のものなら、かなり新しい方だよ。
46世界@名無史さん:04/03/22 03:25
アケメネス朝ペルシアといえば、岩明均の「ヒストリエ」が同時代の物語ですね。
47世界@名無史さん:04/03/22 09:40
ヘロドトス「歴史」 岩波文庫
48世界@名無史さん:04/03/22 15:10
>>20
エラム語説とメディア語説があるらしいけど、
前549年にクラ2世のメディア征服からみて、エラム語説が注目されてるそうですな。
エラム語もメディア語もまだまだ解読途上で、そこらへんの究明も今後の課題だとか。
4920:04/03/22 16:11
>>48
エラム語ってあまり解明されていないんでしたよね?
ひょっとしてクラ、カンブジャの時代は、彼らはパールスと名乗ってなかったり
して!? もしそーなら、「ペルシャ帝国」ですらなかったことになり、
ペルシャ帝国はダラヤラウから発足したということに。。。
アケメネス時代は粘土版への楔形文字だったことや、ユダヤが記録人だったので、
パルティアやササンよりも発掘文献などに期待できそうで、今後の発見は
まだまだありそうで楽しみ
50世界@名無史さん:04/03/23 00:39
ギリシャ人は唯一ペルシャに対して劣等感を持っていた様だ。
実際ペルシャはギリシャなんかよりずっとアバンギャルドだった。
51世界@名無史さん:04/03/23 08:12
東京外大のペルシア語科受かってるといいなあ(・∀・)ドキドキ
52世界@名無史さん:04/03/23 08:20
ペルシア語習って、どんな仕事に就くの?(。・_・。)ノ
教職?
53世界@名無史さん:04/03/23 11:02
商社マンや公務員になるにはいいんじゃなかろか。
54世界@名無史さん:04/03/23 12:08
危険な中東担当か・・・命がけだな
55世界@名無史さん:04/03/23 13:19
「中東=危険」なんていってるから韓国企業にいいようにやられるんだよ。
56世界@名無史さん:04/03/23 20:05
近世ペルシア語は簡単だけど、アヴェスター語や古代ペルシア語は難しいんだろうなぁ。
57世界@名無史さん:04/03/24 23:32
楔形文字って紀元前後ごろまで生き延びていたんでしたっけ?
58世界@名無史さん:04/03/24 23:51
>>57
一応、西暦75年のバビロニアの天文日誌が確認されている中で最後の楔形文字文書のようです。

もっともアラム文字やギリシア文字に押されて、楔形文字の価値はずっと下落傾向で、紀元前1世紀には
天文関係の文書が細々とウルク・バビロンで書き続けられた程度。紀元後にはウルク、ついでバビロンの
楔形文字の伝統も途絶え、歴史の中から忘れ去られて行くのですが・・・。
59世界@名無史さん:04/03/24 23:54
パピルスが出回っているのに、パピルスに使えない楔形文字なんてナンセンス!
6051:04/03/25 00:49
落ちた〜!(・∀・)
という訳で國學院文学部史学科入学ケテーイ!
61世界@名無史さん:04/03/25 02:14
歴史やりたくて外大入ってたら苦労してたかも。
ま、よかったんじゃないの。
62世界@名無史さん:04/03/25 17:29
>>49
>もしそーなら、「ペルシャ帝国」ですらなかったことになり、
クラ王朝時代のペルシア帝国についてはよく分かっていないことが多いらしいですね。
資料的にもダーラヤワウ1世時代以降の情報が多いため、
その「『ペルシア帝国』ですらなかった」のではいないかと見る学者もいるようですな。

ペルシア帝国の公用語が古代ペルシア語とエラム語、バビロニア語だったそうですが、
行政用語としては新アッシリア帝国以来普及したアラム語だったのは有名ですね。
聖書のエズラ記に残されてるクラ大王の勅令の写しもアラム語ですので、
新バビロニア征服後でダーラヤワウ登極以前の「ペルシア帝国」でもアラム語の重要性は高かったのかも知れません。

ダーラヤワウ以前のペルシア帝国がどういった政治的な意図を持って
何語がどう政権内で使われていたかは掴みづらいですね。
もっとも古代ペルシア文字を創設したのは当のダーラヤワウだったわけですから、
情報量に多寡が生じるのは当然なのでしょうけども(;^^

ちなみにエズラ記の勅令もエジプトのエレファンティネ・パピルスの勅令の写しも、
書式が殆ど同じだったんだそうですな。
63バビロン開放:04/03/25 22:12
四国統一マンセー!
偉大な王キュロス二世マンセー!
64世界@名無史さん:04/03/25 23:54
>>63
キュロス王はイラン革命で「悪人」とされてしまったそうだよ。
ユダヤ人を助けたのがいけないとかで。
何しろホメイニはイスラム以前を「暗黒時代」と呼んだ位だから。
65世界@名無史さん:04/03/25 23:56
モンテーニュ(16世紀フランス)のエセーでも、キュロス2世はアレクサン
ドロス、カエサルと並ぶ大英雄のひとりになってるぞ。
66世界@名無史さん:04/03/25 23:56
アケメネス朝の人物名がギリシャ式なのはやっぱギリシャの古典で読まれるからだよね。
67世界@名無史さん:04/03/26 00:07
キュロスって、すっかりイランでは忘れ去られた英雄だよね。
68世界@名無史さん:04/03/26 00:10
パサルガダエのキュロスの墓は本物かどうか怪しいのか?
まあ、タフテ・ジャムシードやナグシェ・ロスタム見て感動したからええかぁ。
69世界@名無史さん:04/03/26 00:21
>パサルガダエのキュロスの墓は本物かどうか怪しいのか?
あれ偽物なの?
本物だと思い込んでいたよ。
70アイドル(人名)::04/03/26 02:05
パールサ色を全面に押し出してるのはダレイオスが最初だから
それ以前のキュロスはあまり表に出ないってことはあるのかも。
71世界@名無史さん:04/05/08 04:24
救出age
72世界@名無史さん:04/05/08 04:34
英国人のサイラス=キュロス
73世界@名無史さん:04/05/27 05:06
うl、t
74世界@名無史さん:04/06/19 22:09

75世界@名無史さん:04/06/22 17:58
ダレイオス一世と三世は有名だけど、二世はあまり知らないなあ。
どんな人だったんだろう。
76世界@名無史さん:04/08/05 21:49
age
77世界@名無史さん:04/08/05 22:21
>>75
ダレイオス2世(ペルシア名ダラヤウァウシュ)

生年不詳。没年B.C.404年、バビロンにて没。(在位、B.C.423〜B.C.404)
アルタクセルクセス1世の子。ヒルカニアのサトラップだった。
アルタクセルクセス1世の王位後継者クセルクセス2世を殺害したソグディアヌス(2世の異母兄)を殺して即位。

即位後、異母妹パリュサティスと婚姻。彼女の残酷な性格と宦官たちの横暴のため、宮廷は策謀と腐敗に満ちた――とギリシア系史料は告げる(必ずしも根も葉もないことでもないらしい)。
在位中、シリア、リュディア、メディアに内乱が相次いだ。B.C.410年エジプトでも反乱が勃発。
西方では、サトラップだったチサフェルネス、ファルナバズスや息子の小キュロスらによるペロポネソス戦争への外交的介入が功を奏した。
ダレイオス2世は、シラクサでのアテネの敗北(B.C.413) 後、スパルタと結ぶことで、小アジアのギリシア系諸都市への宗主権を回復。各地の反乱、離反にも関らず治世が保たれたのは小アジアでの失地回復による、とする意見が強い。

ダレイオス2世の死後、その息子アルタクセルクセス2世が帝位を継いだ。
が、弟小キュロスの反乱(クセノフォンが『アナパシス』に記すことになる出来事)が勃発。
以降、アケメス朝はいよいよ末期状態に入る。
78世界@名無史さん:04/08/06 09:00
別冊『環』第8号「古代オリエント」出てます。面白いから買いましょう。
79世界@名無史さん:04/08/30 21:08
なんか古代ペルシア、中世ペルシアの歴史書ってないよなぁ。
ワクワクドキドキの地域だと思うが。
80世界@名無史さん:04/08/30 21:08
たまには日干しするか。
81世界@名無史さん:04/09/03 16:23
>>79
中公のハードカバーの新しい世界の歴史の『オリエント世界の発展』

ちょっとはしょり過ぎや眉唾の記述も散見されるが、
ヒッタイトからはじめて、エラム、メディア、アケメネス朝、
アレクサンドロス東征とヘレニズム期を挟んでパルティア、ササン朝と、
A5判354ページってのは、一般向け概説書としてはコンパクトでいいと思う。

ワクワクドキドキ感は薄めな気もするが。
このシリーズは全ページ4色なので、地図とかはワクワクする(w)。

小川 英雄、山本 由美子、共著,世界の歴史4『オリエント世界の発展』中央公論社、1997.

個人的意見を書き添えとくと、山本由美子さんはいいと思うんだけど、小川英雄さんは、要注意と思う。
細部については、眉に唾つけながら読むことお勧め。
82世界@名無史さん:04/09/03 16:28
ちなみに過去スレで何度か書名の挙がってる講談社版『ペルシア帝国』の書誌情報。
漏れも未読だけど。

足利 惇氏,世界の歴史9『ペルシア帝国』,講談社,1977.

新書版で379ページ、だそうだ。(オンライン書店のサーチで調べ)
83世界@名無史さん:04/09/03 16:45
ついでに、他スレで少し前、話題になってた本も。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1000375105/483-497

>アッリアノスではあまりでてこないペルシア側の事情がかなり詳しく書かれていたり

だそうだ。(こっちも未読)

クルティウス、著(谷 栄一郎、上村 健二、共訳),西洋古典叢書『アレクサンドロス大王伝』,京都大学学術出版会,2003.
84世界@名無史さん:04/09/17 17:10:14
アレクサンドロスは中国まで征服したと言うのは本当か?
鹿島昇が言っているだけか?でも彼はギリシャ人の誰かの著作にそう書いてあるといっていたようだが?
85世界@名無史さん:04/09/17 18:04:13
>ギリシャ人の誰か

――だけでは、よくわかりませんが。
多分、鹿島昇って人がなんか勘違いしてるのでしょう。
86世界@名無史さん:04/09/17 19:48:03
アレクサンドリア起源の伝承とされ、中世にキリスト教世界、イスラーム世界を問わず広く流行した、
荒唐無稽ないわゆる、アレクサンダー・ロマンス(アレクサンドロス伝承)を生み出す源となった
伝カリステネス著のアレクサンドロスの物語なら、国文社の「叢書アレクサンドリア図書館」の第7巻、
『アレクサンドロス大王物語』として邦訳も出てます。
87世界@名無史さん:04/09/17 20:46:16
いや、「叢書アレクサンドリア図書館」版の伝カリステネスにも、
さすがに「中国まで征服した」話は載ってないし。

アレクサンドロス・ロマンスは、多年に渡り各地で自己増殖した物語群で、
「叢書アレクサンドリア図書館」版の伝カリステネス本は、いわば
物語群の中間的総集編の再編にすぎないんだけど。

それだけに、かえって「ギリシア人の誰か」、だけではなんとも言えない。<中国まで征服した
88世界@名無史さん:04/09/17 20:49:32
>>84-87
てか、よく考えたらスレ違いなので、
続けるなら移動した方がいいと思う。

アレクサンドロス大王について
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1000375105/
89世界@名無史さん:04/09/18 22:23:38
英語の本でも現状ではペルシアの王名はヘロドトス準拠の
ギリシア語表記なわけで、ダーラヤワウ大王といっても
普通は通じない...

そういえばエラム人っていつ頃ペルシャに組み込まれたんだろ。
90世界@名無史さん:04/09/19 00:29:16
>>89
キュロス2世は碑文にエラム語も使っているよね、
当時のエラム人の勢力圏を考えると、アケメネス朝創建時には確実にペルシア系の部族連合に従属的だったと思うがなぁ(←私見)

勘ぐれば、メディアに服属していたアケメネスなどの氏族集団が、ザクロス山系を南下して来てペルシス地方で支配的になった後には、すでに従属化がはじまっていた可能性もあるわけだし。
91世界@名無史さん:04/09/19 20:04:54
シュメール語を書くことはいつ廃れたの?最後のシュメール語文書・碑文は?世紀?
92世界@名無史さん:04/09/20 14:57:23
>>91
シュメール語の最後の文書は分からないけど、楔形文書と紙の文書資料の問題について↓のページで取り上げられている。
ttp://www.google.co.jp/search?q=cache:V7YKG91kp7sJ:www.classics.jp/Contents/Assets/publication/NLpdf/NL07/NL07Kasu.pdf+%E6%98%A5%E7%94%B0%E6%99%B4%E9%83%8E&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
93世界@名無史さん:04/10/17 16:17:24
シュメール語は、広い意味でのメソポタミア地域で、古典語の地位を得たから、いつまで使われていたかは、ちょっと調べただけじゃよくわかんないよね。

中公世界史1『人類の起源と古代オリエント』,中央公論社,1998.(大貫良夫、他)に次のような記述がある。
>カッシート王朝時代の円筒印章も独特であった、印象銘文は比較的長い祈祷文であり、しばしばシュメール語が用いられていた。それはある種の復古主義と言える。(P.285)

シュメール系王朝が滅びたとされるのは、B.C.2004年とされるウル第3王朝の滅亡。
カッシート王朝は、B.C.1550年頃からバビロニア支配をはじめたとされ、B.C.1155年に滅びた。
この時代までは、復古調ではあっても、シュメール語は確実に公用に用いられてた。

地域によっては、もっと後まで使われてたこともあったんじゃないかな?
うろ覚えだけど、新アッシリアの「アッシュル・バニパルの図書館」からは、バビロニア地方から取り寄せたらしいシュメール語粘土板も出たんじゃなかったっけ?
確か天文(占星術)文書かなんかだったような??

まー、アッシュルバニパルが、当時の「古文書」を収拾したのかもしれないけど。
ちなみにアッシュル・バニパルは、在位、B.C.668〜627年。
94世界@名無史さん:04/10/17 16:28:25
>>93
シュメール語は、古典語としてのみ機能していたといったほうがいい。
シュメール語文献のほとんどは、古典語になってしまった後のもので、
ウルとかウルクの時代のシュメール語の資料ってば非常に少ない。

たしか、最後のシュメール語のくさび形文字文献は紀元後60年ごろ
のものだったと思う。ローマ時代のものだね。場所はバビロニアだと
思ったけれど。なんか、呪文みたいな常套語句がかかれたものだった
と思う。

洪水伝説のもととなったギルガメシュ叙事詩についても、これには、
アッカド語のものとシュメール語のものがあるが、どちらも、アッカド
時代のもので、かなり新しい。もちろん、ギルガメシュ叙事詩は、
ギリシア世界でも知られていて、ギルガモスという名前になっている。
95世界@名無史さん:04/11/18 16:46:12
>>93-94

>>57-58に次のようにありますが――
>西暦75年のバビロニアの天文日誌が確認されている中で最後の楔形文字文書のようです。
>もっともアラム文字やギリシア文字に押されて、楔形文字の価値はずっと下落傾向で、紀元前1世紀には
>天文関係の文書が細々とウルク・バビロンで書き続けられた程度。(>>58

この「楔型文字でウルク・バビロンにて書き続けられた天文学関係の文書」にシュメール語が使われていた、と理解していいでしょうか?
えー、バビロニア語とかではなく? というのがお訪ねしたいポイントです。
96世界@名無史さん:04/11/19 04:52:46
なんかそのへん詳しい本がいくつもあったような気がするが。
97世界@名無史さん:04/12/02 01:26:00
アケメネス朝の王も大半が殺されてるわけですか?
キュロス大王もヘロドトスによれば戦死してる(これは架空の話なんだっけ?)し
クセルクセス1世・クセルクセス2世・アルタクセルクセス2世・ナルセス・ダレイオス3世が殺されてるんですっけ?
98世界@名無史さん:04/12/04 20:56:25
>>95
クリストファー・ウォーカー『楔形文字』p.28によれば
「楔形文字で書かれたいちばん最後のテキストは、天文学についての紀元後1世紀の
文書で、ほとんどシュメール語の表語文字で書かれている」とのことです。
99世界@名無史さん:04/12/05 11:12:35
>>97
>キュロス大王もヘロドトスによれば戦死してる
特に戦死の反証となる証拠も知られてないように思います。いまのところは史実扱いでいいはずです。

>アケメネス朝の王も大半が殺されてるわけですか?
・キュロス2世:カスピ海東岸方面に出征中戦死。
・カンビュセス2世:エジプト遠征よりの帰路上死亡。傷病死説、暗殺説、戦死説、と死因に異説あり
・ダレイオス1世:エジプトでの反乱平定戦にて戦死。
・クセルクセス1世:暗殺説が有力。
・アルタクセルクセス1世:自然死。
・ダレイオス2世:自然死。
・アルタクセルクセス2世:自然死。
・アルタクセルクセス3世:暗殺。
・アルセス:暗殺。
・ダレイオス3世:暗殺。帝王10代の内、明白に自然死と思える者、3名。

明白に戦死と伝えられる者、2名、明白に暗殺と伝えられる者3世。計5名。
ここまでで、丁度「半分が殺されてる」ことが明白になってます。

これに、死因が自然死ではない疑いが唱えられている者2名、を加えると、過半が殺されていることになります。
100世界@名無史さん:04/12/05 20:50:36
age
101世界@名無史さん:04/12/28 22:45:23
映画アレクサンダー公開間じか。
岩明均 ヒストリエ 話題。

なのに、このスレにカキコする人いないのね。アレキサンダースレが盛り上がっているからかな。
ま、一応あげ。
102世界@名無史さん:04/12/28 23:00:24
イラン史って、イラン近現代、イル汗国〜サファヴィー朝成立期、その他関連として
ウマイヤ朝とアッバース朝のスレはあるのに、それ以外の時代のスレってないよね。
みなの関心が低いからだとはわかるけど、他の時代のスレ、誰かたててくれないかな。
(漏れは既にスレ立て権が当面ないので駄目)
103世界@名無史さん:05/01/01 10:00:51
新年明けメネス朝ペルシャ
104世界@名無史さん:05/01/10 19:10:56
おめ
>>102
ご要望に応じて、建ててみました。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105356309/
【Parthia】中世ペルシア諸王朝史【Sasan】
106世界@名無史さん:05/01/10 23:07:59
ペルセポリスの遺跡をみてもすばらしい精神的な高さが伺われるよね。
ゾロアスターというのは野蛮な侵略者アレクサンドロスのギリシアの言葉。
拝火教というのも的外れもいいところ。
アフラマズダーの崇高な教えが国家規模で敬虔に実践されていた
それは後にもペルシアばかりでなくギリシアやノートルダム寺院などにもみられはするが
ペルセポリスのそれは遥かに優れている。
107世界@名無史さん:05/01/31 01:29:25 0
メディアってギリシア神話にも出てきたよね。
もっと詳しい事知りたいな。
108世界@名無史さん:05/02/01 00:36:26 0
メネメネテケルウパルシン
109世界@名無史さん:05/02/01 01:32:30 0
残念。それは新バビロニアのベルシャツァル王だ。
110世界@名無史さん:05/02/01 16:10:16 0
>>107
メディアは文字史料がほとんど0
おまけに首都エクバタナ(現ハマダン)が今でも30万の人口を抱える都市で
大規模な発掘が無理・・・。詳しい事がわかる日ってくるのかなぁ。
111世界@名無史さん:05/02/02 14:00:49 0
へぇ〜、ダレイオス1世って戦死だったんだ。
世界最初の世界帝国を築き上げた、世界史上屈指の重要人物なのにあっけないなあ。
112世界@名無史さん:05/02/03 13:45:45 0
っていうかそこから話始めないといけないのがこのスレの認知度を
示しているな
113世界@名無史さん:05/02/03 14:42:04 0
キュロスは大王と呼ばれてるけど、当時の言葉で何て
言われてたの?
114世界@名無史さん:05/02/03 19:53:34 0
クラ
115世界@名無史さん:05/02/23 13:35:25 0
現在のトルコってアケメネス朝の領土だっけ?
116世界@名無史さん:05/02/23 13:49:46 0
>>115
そうです、下のHPの地図参照。
http://www.uraken.net/rekishi/reki-westasia09a.html
117世界@名無史さん:05/02/23 17:24:00 0
>>114
クル王じゃないの?

クーリシュ王か?
118世界@名無史さん:05/02/23 18:46:25 0
キュロスの読み方じゃなくて 大王の呼称の事なんだが・・・
119世界@名無史さん:05/02/24 01:47:39 0
>>118
「クルシュ・フシャーヤティヤ・ワズルカ」(大王クル)
だったと思う。ダーラヤワウみたいな
「ダーラヤワウシュ・フシャーヤティヤ・ワズルカ・フシャーヤティヤ・フシャーヤティヤーナーム」(大王、諸王の王ダーラヤワウ)
のような言い方はまだしてなかったような・・・
ちなみにこれは古代ペルシア語。

聖書アラム語だと「コーレシュ・マルカー」(キュロス王)だったか。
エラム語はちとわからぬ。
120世界@名無史さん:05/02/26 09:42:38 0
ペルシャほど、国王が暗殺されまくった王朝はないんじゃないのか?
121 :05/02/26 19:47:39 0
この王朝の影響受けたサカ族ってもしかして、釈迦が出た所?
122世界@名無史さん:05/02/26 21:08:09 0
ペルシアってそんな殺されてるか?
ローマの皇帝のがろくな死に方してねえ気がするが・・・
123世界@名無史さん:05/02/26 21:40:16 0
>>121
「尖頭帽のサカ」など「サカ」、つまり遊牧騎馬勢力のスキタイのことです。
釈尊を出した釈迦族とは多分全く関係ありません。
漢書などで中央アジアの「塞」がインドにも居たような言い方をしていますが、
恐らくこの遊牧騎馬民の「サカ」と釈迦族を混同しただろうという説が有力です。
124世界@名無史さん:05/02/26 22:25:43 0
ズールーにもシャカがいるな。
125世界@名無史さん:05/02/27 08:55:19 0
K1ファイターか?
126世界@名無史さん:05/03/09 17:32:52 0
で、アケメネスって何した人よ?
127世界@名無史さん:05/03/09 17:46:25 0
アケメネスをした人
128世界@名無史さん:05/03/10 11:41:21 0
>>123
アリガトウ
129世界@名無史さん:2005/03/26(土) 02:54:27 0
古代の大征服者というとアレクサンダーばかりが注目されるけど、
彼は、基本的にペルシャ帝国の領域を征服しただけですよね。
その点キュロスは、アム河を越えて東方遠征を行い、インダス川流域まで
達して、インダス河西部地域も征服している。 当時このあたりに
名のある王国があったとは思えず、何故東征したのか、理由が不明です。
このあたりに、アレクサンダーと比べて、キュロスの独創性を感じます。
130世界@名無史さん:2005/03/26(土) 02:57:43 0
アレクサンダーの東征は世界地図を作りたかったということ。
131世界@名無史さん:2005/04/10(日) 21:04:37 0
多分、世界の果てに断崖絶壁があるかどうか
気になって夜も眠れなかったんだろ。
132世界@名無史さん:2005/05/02(月) 06:52:30 0
東へだから見たかったのは太陽が地面から出てくる場所だな
133世界@名無史さん:2005/05/03(火) 09:57:35 0
ペルシャの頃と今のイランじゃ文明の創造力が天地の差だな。
かつては人類文明の最先端を走っていた優秀な民族だったのに。
今のイランは活力乏しい貧乏国。人口ばかり激増している。
134世界@名無史さん:2005/05/03(火) 12:59:21 0
ダレイオス三世がアレクサンドロスと戦う時、
兵隊よりもお供の女の方が多かったという話はどうですか?
135世界@名無史さん:2005/05/12(木) 23:00:51 0
そもそもペルシアと戦う以前から、ペルシアより東方まで攻めることを決めていたのだろうか。
ペルシアを倒すために東へ東へ進軍した成り行きで、という線は?
実は引っ込みがつかなかったとかw
136世界@名無史さん:2005/05/13(金) 20:59:21 0
ハハーマニシュ
137世界@名無史さん:2005/06/07(火) 12:39:06 0
他スレで、古代ローマをたたえる既述に対し、
インフラ整備ならアケメネス朝ペルシャも劣るものではない、
という内容のレスがありました。

古代ローマのインフラは街道、上下水道、高層アパートなど
同時代に隔絶したものだという認識だったのですが、
アケメネス朝ペルシャのインフラについて、是非教えてもらえんでしょうか。
138世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:13:10 0
カナートはたいてい政府でなく村落単位で掘ってたんでしたっけ。
139世界@名無史さん:2005/06/15(水) 01:16:24 0
カナートは紀元前2000年紀にはすでにアフガニスタン方面に
あったらしいけど、実際にイラン全域に広がりを見せるのは
イスラム時代以降と見られてるそうな。

ペルシア皇帝はバビロンやスーサなど都市を拠点に皇帝の宮廷が一定周期で巡幸する
体制をとっていた。つまりセレモニー会場としての宮殿施設以外にはそれほど都市に
依存する王権ではなかった。そのため各地のインフラは既存の文化の延長線上にあり、
ローマ帝国が自らの建築様式を使って各地に巨大建造物を大量に造営するような文化
的な席巻ではなかったらしい。

中東の都市住宅は様式的にシュメールの頃から殆ど変わらず、中庭を中心に回廊と
部屋を配し、高さも二階からせいぜい三階までの形式。(イェメンのような地上八階以上の高層住宅は例外)

ローマの水道橋や高層アパートは現代都市建築の先駆け的な存在として高く評価される
傾向にある。しかしそれは一面ローマの都市が貧困層に過密で劣悪な生活環境を強い、
水利に乏しく生活するには不適合な土地に無理矢理都市を建設してきたことでもある。
中東では大体先史時代から続く集落がそのまま現代まで存続している場合が多いので、
既存の水路を増強することで人口増加を解決してきた。欧州でその後ローマ都市が現代
都市の基盤になったのは、欧州が中東よりも水利に恵まれてるためでもあるだろう。
北アフリカなどではその後放棄された都市もままある。
(中東のローマ遺跡も大体それまでの主要な都市やその近くに作られている。)
140世界@名無史さん:2005/06/21(火) 19:16:48 0
この国の人口はどれくらいなんだ? 中国やローマ人口は調べるとすぐ出てくるのに、この国に関しては全く出てこないです。
141世界@名無史さん:2005/06/21(火) 20:25:02 0
>>137
劣るものではない、というか、アケメネス朝こそがインフラ整備という点でパイオニアだったかと。
ローマもアケメネス朝を参考にした面は少なからずあると思います。

アケメネス朝のインフラ面で有名どころで言えば「王の道」とか。
142世界@名無史さん:2005/06/21(火) 21:40:20 0
>>140
なんかの本で4000万人って書いてたような
143http:// ZH172003.ppp.dion.ne.jp.2ch.net/ :2005/06/21(火) 21:45:36 0
motenai
144世界@名無史さん:2005/07/07(木) 02:52:43 0
>>129
交易路の掌握が目標、という可能性は?
145世界@名無史さん:2005/07/24(日) 18:14:32 0
>>129
インド美女の噂を耳にしたから
146世界@名無史さん:2005/07/24(日) 21:19:01 0
>>129
ヘロドトスによればインダス流域だけで帝国全収入の三分の一相当ぐらいの税収があったらしいが。
砂金を産出したらしい。
147世界@名無史さん:2005/08/07(日) 22:13:47 0
Immortal
148世界@名無史さん:2005/09/02(金) 17:49:17 0
>>99
ダレイオス1世って戦死でしたか?
確かヘロドトスでは遠征準備中に死んでしまったはずですが。
149世界@名無史さん:2005/09/24(土) 20:34:51 0

    ┌――――――――┐
    |.B1@ABCDE. |
    |FGHIJKLM|
    └――――――――┘
     ┌―――┬―――┐
     |      |      |
     |      |      |
     |      |      |
  age   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ▲C ( ´∀`)< あげとくか。
  ▽ \    )  \______
 sage |O  |_|_____|
     (__(_)  

150世界@名無史さん:2005/09/25(日) 17:11:57 0
中国の何時代に対応するの>アケメネス朝
151世界@名無史さん:2005/09/25(日) 21:42:43 0
春秋戦国
152世界@名無史さん:2005/09/27(火) 21:16:07 0
春秋末期から戦国後期だな
153世界@名無史さん:2005/10/01(土) 09:04:57 0
ダレイオスは戦死じゃないよ
154世界@名無史さん:2005/10/01(土) 10:04:53 0 BE:168836292-
>>153
うん、確か。
155世界@名無史さん:2005/10/01(土) 22:17:22 0
だけど、ペルシャの王ってよく殺されましたね
156世界@名無史さん:2005/10/01(土) 23:28:25 0
>>129
けどアム川あたりは当時イラン系の世界だから
イラン系の盟主になろうとしたのかも
それにインドとも言語的にはとても近い仲だ
ペルシャというとメソポタミアばっかり向いてたよう感じがするけど
言語や民族的には東や北の勢力のほうが近縁関係なんだよな
ペルシャ人やメディア人はコーカサス・ルートか中央アジア・ルート
どっちからイラン高原に移動してきたんだろう
157世界@名無史さん:2005/10/03(月) 19:18:46 0
普通は中央アジアから、じゃないの?
158世界@名無史さん:2005/10/24(月) 01:00:38 0
>>153
映画「アレクサンダー」では、逃避行の最中にソグディアナあたりで
部下に殺害された姿をアレクサンドロスに発見されていたね。
「これ以上ついていっても逃げ切れない」と観念したのだろうか。

映画では、殺した部下の一行を追って討ち取る物語になっているが、実際はどうなんだろう。
ダレイオスの亡骸を手厚く弔う場面があたが。
159世界@名無史さん:2005/10/25(火) 01:47:12 0
あげますよ
160世界@名無史さん:2005/10/25(火) 08:49:28 0
アカイメネース朝ペルシア帝国に於いても、
ギリシア人に倣って少年愛、男色がたいそう盛行したというが、
現在伝存するゾロアスター教の文献では、男色禁忌が見出されるようだ。
この辺の実状は如何様になって居たのでありましょうか?
161世界@名無史さん:2005/10/25(火) 21:26:17 0
しかし、あれだな。イランもといペルシャは昔はアケネメス朝やササン朝みたいに
シルクロードの交易や文化や宗教の分野で結構活躍して繁栄していたのに、最後はあっけないよな。
アケネメスの時代には少数のギリシャの軍隊に敗れて滅ぼされ、ササンの時代にはイスラム軍に敗れ、
中世や近代ではトルコ系の民族に支配されていたし、今ではかつての繁栄の面影が全然見られないしな。
まあ、それはエジプトやメソポタミアやギリシャや中国にも同じ事が言えるんだけどな。
162世界@名無史さん:2005/10/25(火) 21:49:38 0
ちっこいギリシアに征服されたのは合点がいかないな。
アレクがいなくてもそうなってたのかな
163世界@名無史さん:2005/10/25(火) 22:17:55 0
>>161
一応エジプト・メソポタミア・イランは現在でも中東の政治経済学問の中心地かつ
地政学上の要衝ではある。これは中国も同じ。

端的に言って外側に新しい文明圏が広がった結果相対的に重要度が落ちた=没落したんじゃないかと思うんだがどうだろう。

オリエント(エジプト+メソポタミア)はイランとギリシャの勃興以来中心性を失い、中東はヨーロッパの勃興以来中心性を失った。
164世界@名無史さん:2005/10/26(水) 12:01:40 0
アカイメネース朝ペルシア帝国に於いても、
ギリシア人に倣って少年愛、男色がたいそう盛行したというが、
現在伝存するゾロアスター教の文献では、男色禁忌が見出されるようだ。
この辺の実状は如何様になって居たのでありましょうか?



165世界@名無史さん:2005/10/26(水) 22:37:45 0
>>163
まあ、現在でも政治経済学問の中心地であると言っても、それはあくまでも「中東の地域」に限った場合での話であるし、
古代の時代に周辺地域で多大な影響を及ぼしていたのは事実であるにしろ、今では世界に影響を与えるものは全然残っていないよな。
エジプトにしろイラクにしろイランにしろ、近代では欧米列強に押されて、半植民地化していたし、
現在の中東の世界は欧米の策略にはまって、操り人形みたいな状況になってんだろ?
ただ、‘‘石油とテロリスト,,の分野では大きな影響を持っているとは思うがな(´,_ゝ`)
やっぱり中東地域の歴史は数々の異民族の侵入の歴史であるし、様々な人種・民族に支配されて、歴史を断絶されていたからな。
西欧諸国や日本が逸早く近代化を進めて、現在の世界の主役に立てることが出来たのは、安定された、一貫性のある歴史を
築いてきたからと俺は思っているけどな。やっぱり歴史の繋がりこそが国の繁栄をもたらす原動力だと思うね。
166世界@名無史さん:2005/10/26(水) 22:45:11 0
うさんくせーなー、その理論。
歴史を断絶って何を持って歴史の断絶とするんだろう。
167日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:56:42 0
>>166
多分、異民族による王朝支配の事では?日本は天皇が千数百年以上続いているし、
ヨーロッパもイギリスの王室もかなり続いているしね。
「歴史の断絶」とは中国の王朝を例にしてみれば解るが、ずっと『漢民族』と言う民族が日本のように
同じ民族同士で政権を交代させていた訳では無く、元王朝は『モンゴル人』の王朝であるし、清王朝は『満州人』
と言う民族の王朝であったのは有名な話だが、インドやイランもトルコ系の民族に支配された時代があったし、
中東の歴史も中国やインドと似たようなものであったという事じゃないの?中国もインドも中東地域も様々な人種や民族の
王朝の移り変わりで、「歴史」という概念を持ち合わせていないだろうと思う。
ただ、ヨーロッパと日本は例外だったみたいで、特に日本は、天皇家が千数百年以上も続いていて、しかも現在進行形だしね。
(オスマン帝国は500年程の歴史、ビザンツ帝国も1000年程で、両方とも既に存在していない国家である)
168世界@名無史さん:2005/10/27(木) 01:09:42 0
>>167
日本は明治で一旦滅びてますが何か?
無条件降伏もしてるし。
天皇家なんてもんはアメリカのお情けで残してもらっただけ。
大体南朝で一旦断絶してるだろ。
逆に日本の場合、断絶があったからこそ身軽に動けたんでねーの?

アラブから見た十字軍てな本だと、
首長が死ぬ度に毎度毎度お家騒動のおこるのは遊牧民(=トルコ民族)がトップに立ったからだと書いてあった。
それだけじゃないとは思うけど、五胡十六国時代やモンゴルを思うとちょいと納得。
169世界@名無史さん:2005/10/27(木) 02:50:57 0
>>167
英国の現王朝がいつ始まったんだか調べてからモノをいうこと。
170163:2005/10/27(木) 07:48:54 0
>>166
いやそういう事が言いたかったわけじゃないです。

要するに古代オリエントの時代、「文明世界」とはメソポタミア流域とナイル川流域あたりでしかなかった。
従ってメソポタミア、或いはナイル川の中心都市は同時に世界の中心だった。

ところが「文明世界」が広がってくる、或いは幾つかの「文明世界」が接触するようになると
一つの「文明世界」の中心都市は地方都市へと転落し中心性を失う。ってな感じの理解はどうだろうか、
っていう妄想です。

バビロン(セレウキア・クテシフォン・バグダッド)やコンスタンティノープルが西ヨーロッパの発展と共に
世界の中心としての役割を喪失(一地方の中心に過ぎない状態)したように見え、ウィーンやパリが
ニューヨークや東京の発展と共に中心性を失っていった・・・という感じ。

長安や北京にしても、中華文明圏の外側にあった違う「文明世界」と中華世界が融合すると共に単なる地方都市に過ぎなく
なったように見える・・・ような気がする(^^;

まあ私なりのかなり大雑把な歴史観という事でこんな風に見えますってだけです。
171世界@名無史さん:2005/10/27(木) 08:52:29 0
>「歴史の断絶」とは中国の王朝を例にしてみれば解るが、ずっと『漢民族』と言う民族が日本のように
>同じ民族同士で政権を交代させていた訳では無く、元王朝は『モンゴル人』の王朝であるし、清王朝は『満州人』
>と言う民族の王朝であったのは有名な話だが、

これってよく言われるが、「漢民族」って近代の概念を無批判に過去に適用してる時点でNGだよな。
172世界@名無史さん:2005/10/27(木) 08:58:53 0
>>171
まあ、正しくはあるとおもうよ。
でも、それはあまりに当たり前すぎて歴史観とかじゃない気がする。

文明の中心地は移動しうる。
文明はより大きな文明に飲み込まれたときより大きな文明の辺境になるといってるだけだから。

たとえば、われわれと共同社会が作れる程度に人類に近い異星の超文明と地球が接触した場合
アメリカやヨーロッパはその大きな文明の辺境になるだろう。

でも、それは当たり前すぎてどうってこともないんじゃないかと。
173低能ドモに問う:2005/10/27(木) 10:36:32 0
アカイメネース朝ペルシア帝国に於いても、
ギリシア人に倣って少年愛、男色がたいそう盛行したというが、
現在伝存するゾロアスター教の文献では、男色禁忌が見出されるようだ。
この辺の実状は如何様になって居たのでありましょうか?




174世界@名無史さん:2005/10/27(木) 12:32:27 0
>>173

あちこちに似たような質問しているけど、韓国系のスレにはしないのは何ゆえでありましょうか?
175世界@名無史さん:2005/10/27(木) 15:27:28 0
>>162
無理じゃないかな。
前386年の「大王の和約」でコリントス戦争が終結してからあとは
ギリシアの主要諸ポリスはペルシアとの間で取り決めた枠組みの中
でしか動こうとしなくなってますし。
176世界@名無史さん:2005/10/27(木) 18:01:42 0
カンビュセス王が馬に飛び乗ったときに鞘から抜けて太股に刺さった剣は
いったいどういう構造をしてたんですか?
177世界@名無史さん:2005/10/27(木) 18:29:59 0
アカイメネース朝ペルシア帝国に於いても、
ギリシア人に倣って少年愛、男色がたいそう盛行したというが、
現在伝存するゾロアスター教の文献では、男色禁忌が見出されるようだ。
この辺の実状は如何様になって居たのでありましょうか?





178世界@名無史さん:2005/10/27(木) 23:14:34 0
↑戦士階級に男色が流行するのは普遍的現象であって
ギリシアがどうのペルシアがどうのって話ではない。
179世界@名無史さん:2005/10/28(金) 15:33:11 0
戦士のみにてはあらず。
宮廷内でも、貴顕の歴々でも、
ギリシアでは一般市民も皆な人こぞりて男色を愛好したのは何故
でありましょうかの?


180世界@名無史さん:2005/10/30(日) 14:59:13 0
>>176
鞘が外側だけのカバーだとか?
181世界@名無史さん:2005/10/30(日) 23:07:43 0
キュロスとキャクサレスの関係について教えて。
182世界@名無史さん:2005/11/01(火) 00:37:22 0
>>179
ギリシアの一般市民=自由民=戦士でそ
183世界@名無史さん:2005/11/01(火) 03:18:44 0
>>176
種類としては両刃のアキナケスか湾曲したコピスだろうが
たしか当時は肩に紐をかけて腰にぶら下げて携帯してたので
はずみで飛び上がって鞘から抜けたりしたのかも?
184世界@名無史さん:2005/11/01(火) 13:23:45 0
>>182
違う、違う!
兵士となる一般市民のみならず、アリストテレースの如き
メトイコイや、隷属身分の者達も皆な男色好きだったぞよ!

これは如何に説明出来るかゑの?


185世界@名無史さん:2005/11/01(火) 14:46:54 0
アリストテレースはそうだっけ?
186世界@名無史さん:2005/11/01(火) 19:22:46 0
185は無知無教養よのう!



187世界@名無史さん:2005/11/01(火) 21:33:45 0
>>186
まぁまぁ興奮するなよ。
Αριστοτελησの話自体、スレタイとはずれてんだからさ。
188世界@名無史さん:2005/11/01(火) 22:18:49 0
アクセントが抜けて居るぞよ!!

189世界@名無史さん:2005/11/01(火) 23:10:27 0
古典期の碑文と同様大文字で書けば問題ない
190世界@名無史さん:2005/11/04(金) 03:23:05 0
>>184
一般人がみな男色好きなら一般でない連中に伝染
するのは無理もないでそ。なんの不思議もないよ。
191世界@名無史さん:2005/11/20(日) 17:36:01 0
語りなさい
192世界@名無史さん:2005/11/28(月) 13:14:07 0
193世界@名無史さん:2005/12/17(土) 20:03:59 0
メネメネテケルウパルシン
194世界@名無史さん:2005/12/17(土) 21:33:10 0
ペルシャスペシャルペルシャスペシャルペルシャスペシャル
195世界@名無史さん:2005/12/23(金) 11:47:56 0
age
196世界@名無史さん:2005/12/23(金) 13:34:44 0
歴史好きの腐女子っているんだな。なるほど
197世界@名無史さん :2005/12/23(金) 21:48:58 0
ペルセポリスに行きたい。
198世界@名無史さん:2005/12/23(金) 23:44:34 0
儀礼用の都って…
ラスベガスを名目上のアメリカ首都にしたみたいなもんか?w
199世界@名無史さん:2005/12/24(土) 01:41:31 0
残っている建物自体はだいたい儀礼用で、実際の行政や生活は宮殿脇の王用の
テント群でやっていたとかなんとか。でもぺルセポリスの城塞には古代ペルシア語
の碑文やらアラム語などの書簡やらが残っていたそうだけど。

ペルシア王に仕える官僚たちもテント暮しだったらしく、王とともに主要都市を
巡行していたとか。エクバタナやぺルセポリス、スーサ、バビロンにはそれぞれ
大臣クラスの王の代理が常駐していて、移動中の王と連絡を取り合っていた。
200世界@名無史さん:2005/12/24(土) 02:03:05 0
ポリスって明らかにギリシア人側の呼称だろ?
201世界@名無史さん:2005/12/24(土) 02:24:35 0
>>199
>残っている建物自体はだいたい儀礼用で、実際の行政や生活は宮殿脇の王用の
>テント群でやっていたとかなんとか。

>ペルシア王に仕える官僚たちもテント暮しだったらしく、

なんかフビライが普段は大都の宮城の庭にゲル建てて寝起きして、
文武百官や使節に謁見する時だけ宮殿を利用したという話を連想するな。
いかにも遊牧民族の帝王って感じ。
202世界@名無史さん:2005/12/24(土) 02:33:31 0
ペルセポリスからは行政関係のエラム語粘土板が沢山発見されたんじゃなかったっけ?
面白そうな分野だと思うけど、確かプロパーの研究者が国内にほとんどいないんだよね。
203世界@名無史さん:2005/12/25(日) 22:44:35 0
確か「馬の世界史」だったと思うが、ペルシャって元々遊牧民族
だったからテントにこだわったのではないか?そのくせ、統治機
構は精巧を極め、ローマも影響を受けたし、間近くはモンゴルが
色目人を登用したというのはペルシャを指していると、聞いたこ
とがある。
204世界@名無史さん:2006/01/09(月) 02:55:24 0
メネメネテケルウパルシンage
205世界@名無史さん:2006/01/10(火) 01:28:43 0
アケメネス朝の置いた州が全部分かるHPある?
知っていたらHPじゃなくても教えて欲しい。
206ナポレオン ◆oxskxXY/hA :2006/01/10(火) 02:53:41 0
>>205
ヘロドトス『歴史』第3巻89節以下(岩波文庫版上巻345ページ以下)に、
サトラペイアの一覧と各々の徴税額が載っています。これだと20ということになっていますが、
サトラペイアの数は時代によって変動があったようですね。
学研のまんが『世界の歴史』のペルシアの巻には、
ダレイオス時代のものとして以下の28州が描かれていますが、何せ学習漫画、
どこまで信じていいものかはよくわかりません。詳しい人の降臨までのつなぎと思ってご覧ください。

(東から)トラキア州 イオニア州 リディア州 カッパドキア州 キリキア州 アルメニア州 ポントス州
アラビア州(シリア、パレスチナあたり) エジプト州 アッシリア州 アトロパテネ州 
カルデア州(バビロン周辺) スシアナ州(スサ周辺) メディア州(エクバタナ周辺) カスピ州 
パルサ州(ペルセポリス周辺) ヒュルカニア州 パルティア州 ザランギア州 マカ州
ソグド州 アリア州 タタグス州 アラコシア州 バクトリア州 ガンダーラ州 サカ州 インド州
207ナポレオン ◆oxskxXY/hA :2006/01/10(火) 02:54:58 0
失礼。(東から)は(西から)の間違いでした。アホじゃ私。
208世界@名無史さん:2006/01/10(火) 04:07:26 0
おお、学研まんがすごい。
サンクスです。
209世界@名無史さん:2006/01/12(木) 00:44:05 0
サトラップと歩いた〜♪
210世界@名無史さん:2006/01/12(木) 00:46:46 0
日本版だとアケネメス朝ペルシャの行政区域や
こまかい話になると、wikiや学習漫画程度しか
ないのか・・・・・
やっぱり、洋書に手をださんとだめなんか
211世界@名無史さん:2006/01/12(木) 01:28:31 0
そりゃそうだ
西洋史や西アジア史やってて研究の進んでる欧米の書籍に触れず終わるのはもったいない
212世界@名無史さん:2006/01/12(木) 01:38:55 0
まぁ一般人だからな。大学時代に史学専攻していたわけでもないし、
興味あるかなって感じだけど、日本語での資料まったくないんだよね。
213世界@名無史さん:2006/01/12(木) 02:46:40 0
欧米で西アジア史の研究が進んでるのは、旧約聖書などに出てくるせいで
もともと欧米人の間で関心が高い地域だからでしょうかね?
日本の研究者も欧米の研究書をどんどん訳して欲しいですね。自分だけ読んでないで。
214世界@名無史さん:2006/01/12(木) 14:25:03 0
ペルシャ人は遊牧民族?
215世界@名無史さん:2006/01/12(木) 19:56:45 0
>>207
ナポレオンさん、アケメネスておめでとうございます。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1136992296/l50
216世界@名無史さん:2006/01/12(木) 21:56:42 0
新しいほうの岩波講座世界史の2巻に
ペルシア帝国についての概説があったと思う。
217世界@名無史さん:2006/01/13(金) 07:27:51 0
>>216
イラン系王朝の時代/春田晴郎
 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・61
 一 前史・ハカーマニシュ朝・・・・・・・・・67
 ニ セレウコス朝・アルシャク朝時代・・73
 三 サーサーン朝・・・・・・・・・・・・・・・・・81
 四 その他の地域・・・・・・・・・・・・・・・・・87

ハカーマニシュ朝ペルシアの交通・通信システム/川瀬豊子
 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・301
 一 幹線道路の整備・・・・・・・・・・・・・・303
 ニ 通信網の整備・・・・・・・・・・・・・・・・307
 三 帝国共通言語・鋳貨の制定・・・・・310
 おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・313
218世界@名無史さん:2006/01/13(金) 21:48:29 0
はやっ!
219世界@名無史さん:2006/01/16(月) 21:03:08 0
普通に読めるアケメネス朝関係の本って、ペルシア戦争から後はかなり端折っちゃうのが不満。
ペロポネソス戦争に金と軍事力で介入し、両陣営の疲弊を誘い、最後には講和の主宰者に収まっちゃう
あたりがなかなか好きなんだけど。

ところで、タイム・ライフブックスの「大帝国ペルシア」は、なかなか良書だったと思うけど、
古本でも見当たらないorz
220世界@名無史さん:2006/01/17(火) 00:02:36 0
「ペルシャ帝国」と言ったらアケメネス朝の事を連想する(ササン朝はあくまで「ササン朝」)
「ペルシャ皇帝」だとササン朝最高君主のことを思い浮かべるが。
221ナポレオン ◆oxskxXY/hA :2006/01/17(火) 00:17:58 0
>>219
そんな貴方にこそ学研まんが。なんたって巻のタイトルが『(小さい文字で)ギリシア文明と(大きい文字で)ペルシア帝国の興亡』。
ギリシア史はほぼ完全にペルシアの視点から描かれています。
アルタクセルクセス1世やアルタクセルクセス2世が
「アテネは海軍国、スパルタはギリシア一の陸軍国じゃ。
戦え戦え! ペルシアは軍事援助を餌に、両者を人形のように操ってくれるわ」とか
「ペロポネソス戦争でスパルタがギリシアのリーダーとなったか!
しかしスパルタにリーダーとしての力量はあるまいよ。
何しろわがペルシアに借金してやっと手に入れたチャンピオンベルトだからな」とか
「さあさあ踊れよ踊れ、ギリシア人! 疲れてへばるまで踊れ!」とかいう素敵台詞を吐きまくる歴史漫画は、
そうそうありますまいて。
222世界@名無史さん:2006/01/17(火) 07:22:58 0
しかし20超えて学習漫画はちょっと恥ずかしい
223世界@名無史さん:2006/01/17(火) 07:26:24 0
ペルシャと古代ギリシャ都市国家の抗争って、塩婆のローマ人の物語の大判1巻でちょっとだけ触れられているよな。
ほんとにちょこっとだけなんだけど、ローマ人シリーズも全13巻完結したことだし、ペルシャ帝國をイスラムの興隆までつながる
形で書かないかな?
イタリア好きの人だから無理なんかななあ。
224世界@名無史さん:2006/01/17(火) 14:25:07 0
何でそんなものを彼女が書けると思うんだ?
225世界@名無史さん:2006/01/17(火) 18:59:02 0
山内 昌之氏なら書けるンジャマイカ
新潮社が口説いて、ヒット作ローマ人の物語に続く鉱脈を掘り起こすといってみるテスト
226世界@名無史さん:2006/01/18(水) 23:43:54 0
>>221
thx
す、素敵w
227世界@名無史さん:2006/01/20(金) 20:45:25 0
アケメネス朝にソグディアヌスとかいう王がいなかったか?
ソグディアナと関係あるのかな・・・
228世界@名無史さん:2006/01/20(金) 20:49:47 0
>>225
山内昌之ならむしろ「タタール人の物語」とかやって欲しいけど。
229世界@名無史さん:2006/01/23(月) 13:06:36 0
破瓜マニア朝
230世界@名無史さん:2006/01/24(火) 19:58:55 0
去年だったか一昨年だったか。
NエチKでローマ帝国を何度か特集していて、それは悪くなかったんだけど、
「最初の世界帝国」ってフレーズが出てきてむっとした。
アケメネス朝ペルシャを忘れるな!

…お願いです忘れないで下さいorz
231世界@名無史さん:2006/01/24(火) 20:03:45 0
ああん?
アッシリアやアッカドは無視か?
232世界@名無史さん:2006/01/24(火) 22:22:53 0
アッシリアは世界帝国のプロトタイプ(短命)っていうイメージが。
メソポタミアの強国としての歴史は相当長いけど。
233世界@名無史さん:2006/01/24(火) 23:58:35 0
世界帝国になったとたんに崩壊したからねぇ。そういえば、
後世のアレクサンダー以後のマケドニアもかなりアレだな。
234世界@名無史さん:2006/01/28(土) 15:09:47 0
世界帝国のはかなさ。まさに諸行無常。
235世界@名無史さん:2006/01/28(土) 20:21:09 0
>230
「王」を超えた君主
…の統治した超大国、という意味では確かにそうだよな。
236世界@名無史さん:2006/01/28(土) 20:38:43 0
ペルシャの王は大王だろ。
皇帝じゃない。

皇帝=天皇=法皇>大王≧王
皇帝が現れる帝国は秦・ローマが最初
ペルシャは世界帝国とか王を越えた君主の国じゃないだろ。
237世界@名無史さん:2006/01/28(土) 21:13:39 0
>皇帝=天皇=法皇>大王≧王

それは漢字の意味だけの問題。
ローマは皇帝(君主)がいなくても帝国。
シャーハンシャーを日本語で表すとき、便宜的に大王といってるだけ。
アケメネス朝をいくつもの民族を従えた帝国とみなせば皇帝と訳したっていい。
238世界@名無史さん:2006/01/28(土) 21:19:07 0
アケメネス朝はアッシリアを理想としたのかな?
239世界@名無史さん:2006/01/28(土) 21:55:53 0
>>236>>237
>>237の趣旨に完全に同意。ただのそれぞれの言語の単語の問題に過ぎない。
実質的に考えるなら、
秦始皇帝の「皇帝」はただ単一文化圏の支那世界を統合した時に
「既存の称号を重ねた更にありがたい名前」を創作しただけなので
実際には「諸王の王」という名実共に複数の文明世界を総攬する
世界帝国としてのペルシア皇帝の称号より劣ると考えていい。
杉山正明などは秦漢帝国などアケメネス朝ペルシア帝国の
数百年遅れの劣化コピー扱いだからなあw
秦始皇帝の「皇帝」が世界帝国の称号なら、
奈良時代日本の「天皇」も世界帝国の称号になるかもしれないなw
称号創出の意図と作り方はほとんど同じだからね。
なお、ローマ「帝国」はまた話は別で、
ラテン語のImperiumに君主の意味はどこにもない。
240世界@名無史さん:2006/01/28(土) 22:16:59 0
明朝期の永楽帝について書かれた『華夷譯語』などの他言語並記資料だと
「大明皇帝」のペルシア語の訳語として「ダーイミーン・パードシャーフ」や
「シャーハンシャーフ」の単語を使っている。

13-15世紀前後のペルシア語話者などにとって多少の異同はあるにせよ、明朝の
「皇帝」クラスの君主のことはペルシア語では「パードシャーフ」「シャーハン・シャーフ」
と呼ぶべきもの、あるいは訳語として「皇帝」=「シャーハン・シャーフ」云々と認識して
いたと見てまず間違い無い。

古代ペルシア語のたとえばビーソトゥーン碑文などでは、
「フシャーヤティヤー・フシャーヤティヤーナーム(諸王の王:近世ペルシア語形が「シャーハン=シャーフ」)」と
「フシャーヤティヤー・ワズルカ(偉大なる王)」という言い回しが並記されているので
「諸王の王(シャーハン=シャーフ)」と「大王(シャーヘ・ボゾルグ)」とを弁別するため、
上記のような訳語を分けねばならないが、その辺を区別せず王号を単純に「大王」にしてしまっている。
もちろんギリシア語文献なりの言い回しから「大王」としているのかもしれないが。

241世界@名無史さん:2006/01/28(土) 22:17:41 0
「諸王の王」の称号はパルティアでもサーサーン朝でも受け継がれていくが、タバリーなどが
記録しているサーサーン朝の君主たちの事蹟には、彼らは自らを中国の「天子(バグプフル:
「神の子」の意味)」と同等かそれ以上の権威をもって任じ、ローマの皇帝たちに対しては
大体侮蔑的で、場合によっては自らよりも明らかに権威が低い存在としている。

早い話、ペルシア帝国にしろサーサーン朝にしろ古代以来の「シャーハ(ー)ン・シャーフ」なりを
「皇帝」と訳すのは、「インペラトール」などローマの首長たちの訳語として「皇帝」を使うよりも
むしろ歴史的に根拠があるのだが、西洋史ではあまりそこら辺の事情を意識されていないのか日本語の
訳語としては「ペルシア皇帝」という表記はそんなに見ないようだ。
(ちなみに「パードシャーフ」にはおおむね「帝王」という訳語が使われている)
242世界@名無史さん:2006/01/28(土) 22:33:17 0
>>240>>241
日本で「シャーハーン・シャー」の訳語に「皇帝」が充てられないのは
オリエントを見下したい西欧史の影響と、
それから「シャーハーン・シャー」には「シャー」しかないジャマイカw
という日本人の妙な翻訳における律儀さの影響からだろうね。
「ペルシア」と「イラン」だとか妙なところで日本人は
原典に拘泥する律儀な使い分けを行う癖がある。
エンペラーの翻訳語としての「皇帝」は明治日本の翻訳西欧語だと言っていいので
(初見は中国の例だと思うが、西欧の政治史を体系立てて勉強して
エンペラー=皇帝概念の内包を埋めたのは間違いなく明治の日本人)
その観点からの考察も必要だよ。
243世界@名無史さん:2006/01/28(土) 22:40:12 0
皇帝という語は最初の皇帝である始皇帝が作った言葉
だから始皇帝以前に皇帝がいるってのはおかしいんだよな。
で、ローマ皇帝はインペラトールの訳語だろ?
アケメネス朝の王はまあ大王としておくのが無難だろ。
244世界@名無史さん:2006/01/28(土) 22:48:02 0
「帝王」号で宜しいかと。
245世界@名無史さん:2006/01/28(土) 23:04:04 0
スルタンやパーディシャーやインカや皇帝と訳されてるんだから
シャーハーン・シャーだって皇帝と訳せる。
日本語にこだわりすぎると分からなくなる。

皇帝か王かなんて儒教的にしか意味が無い。
有名すぎてそのまま使われてるが、ハーンやカリフだって日本語にするなら皇帝でしょ。
(カリフは宗教もからむから難しいかな)
246世界@名無史さん:2006/01/28(土) 23:16:06 0
>>243
>>242の後半部分を読んでくれ。
近代日本語の「皇帝」はもはや古典中国語の意味では無く、
西欧諸語の「エンペラー(英語の例)」の翻訳単語なんだよ。
だから「エンペラー」が秦始皇帝以前にいるのなら
秦始皇帝以前に「皇帝」がいてもおかしく無いし
さらに、秦王政は中国語"huang2di4"かもしれないが
近代日本語「こうてい」では無いという考え方(!)さえあり得る。
247世界@名無史さん:2006/01/29(日) 02:10:23 0
>>241
padiって字義通りに訳すとどういう単語になるの?
248世界@名無史さん:2006/01/29(日) 02:14:17 0
カリフを酋長と訳してる文章を高校生の頃見たことがある。
249世界@名無史さん:2006/02/08(水) 03:38:55 0
Achaemenes
Teispes
Cyrus I
Ariaramnes
Cambyses I
Arsames
Cyrus II
Cambyses II
Smerdis (Bardiya)
Darius I
Xerxes I
Artaxerxes I Longimanus
Xerxes II
Sogdianus
Darius II Nothus
Artaxerxes II Mnemon
Artaxerxes III Ochus
Artaxerxes IV Arses
Darius III Codomannus
250世界@名無史さん:2006/02/09(木) 00:58:41 0
ギリシア語でなくペルシア語での名前は明らかになっているの?
ハハーマニシュくらいしか思い浮かばないけど。
251世界@名無史さん:2006/02/09(木) 01:05:22 0
クル
ダーラワウシュ
フシャルフシャ
252世界@名無史さん:2006/02/09(木) 05:41:09 0
ku-u-r-u-š "Kûrauš"  「クラ」「クーラシュ」: Cyrus
k-b-u-ji-i-y "Kabûjiya" 「カンブージャ(orカブージャ)」: Cambyses
b-r-di-i-y "Bardiya"  「バルディア」: Smerdis

g-u-m-a-t "Gaumâta"  「ガウマータ」

h-x-a-m-n-i-š- "Haxâmaniš-" 「ハカーマニシュ」「ハハーマニシュ」: Achaemenes
vi-i-št-a-s-p "Vištâspa)" 「ウィスタースパ」: Hystaspes
d-a-r-y-v-u-š "Dârayavauš" 「ダーラヤワウ」「ダーラヤワウシュ」: Darius
x-š-y-a-r-š-a "Xšayâršâ"  「クシャヤールシャ」「フシャヤールシャ」: Xerxes
a-r-t-x-š-ç-a "Artaxšaça" 「(ア)ルタクシャチャ」「アルタフシャチャ」: Artaxerxes

Achaemenid Royal inscriptions の綴りだとこんな感じ。
比較言語学とかの研究で、"Kabûjiya"は鼻音が入って実際は"kambûjiya"と発音してたかもとか
"Artaxšaça"も"-r-"は母音の"-ṛ-"で実際の発音は"ṛtaxšaça"に近いんじゃないかとかいう話は置く事にする。
253世界@名無史さん:2006/02/15(水) 14:37:54 0
ペルセポリスのペルシア名はペルシス?
254世界@名無史さん:2006/02/15(水) 18:05:03 O
>>239
中国史のその認識は変だ。秦や楚は漢民族とは別の異民族だったんだし、
始皇帝の時点で諸民族に君臨するエンペラーとみなすのが
もっとも打倒だぞ。
255世界@名無史さん:2006/02/15(水) 19:00:40 0
> ぺルセポリス
聞いた話だと州名と同じ「パールサ」と呼んでたとかなんとか。
256世界@名無史さん:2006/02/26(日) 16:30:02 0
ふうん
257世界@名無史さん:2006/02/26(日) 17:19:40 0
ペルセポリスは、いまは タフテ・イ・ジャムシード
と呼ばれている。ジャムシードは神話上の初期の王。
タフテは王座。で、「ジャムシードの座」という意味。
イランでは、イスラム以前は、民衆に書籍が出回ってなかった。だから
イスラム征服後、アラブ文字から、アラブ書籍から知識・歴史を学んだ。
なので、ササン朝以前の歴史は結構わからなくなっている。
それでもササン朝は、王家の歴史書がイスラム時代まで残っていたので、その翻訳が
残っているが、パルティア以前だと、殆ど神話と混交している。
ペルセポリスは、神話上の歴史の産物と認識されているので、ジャムシードの王座、という
言い方になってしまっている。もちろん現在は、比較的ちゃんとした歴史教育のもと、
普通の人は、アケメネス朝のことを知っている。
258世界@名無史さん:2006/03/15(水) 10:43:44 0
好きな順
アレキサンダー帝国>アケメネス朝>パルティア>ササン朝>
現代イラン>イスラム系諸国家
259世界@名無史さん:2006/03/23(木) 23:37:05 0
祝二周年おめ!
260世界@名無史さん:2006/03/28(火) 01:11:43 0
セレウコス朝の政治について分かる人はいませんか?
261世界@名無史さん:2006/03/28(火) 03:40:03 0
カイ・ホスローは?
262世界@名無史さん:2006/04/16(日) 02:43:52 0
>>257
ササン朝の文献を翻訳した人などはいなかったのだろうか?
パフラヴィー文字も即座に衰滅したわけじゃないよね。
263世界@名無史さん:2006/04/16(日) 12:12:03 0
>>262
勿論かなり多くいたようだ。大体が占星術関係のものとか説話文学みたいなものが多くて、
たとえば8世紀中ごろに伝ゾロアスター著とされる『出生占星術の書(キターブ・アル=マワーリード)』
をアラビア語に翻訳したマーハーンカルドという人物で、彼はアヴェスター文字から近世ペルシア文字
(原文では「ダリー」文字)に翻訳したりもしていたそうな。

ほかにアッバース朝カリフ・マンスールの宮廷占星術のアブー・サフル・ブン・ナウバフトという
人物が『ナフムターンの書』というサーサーン朝末期に作られた占星術的歴史解釈の書物をアラビア語に
逐語訳している。似た物に『主の書(フワダーイ・ナーマグ)』という七世紀前半、サーサーン朝末期に
当時の歴史伝承について書かれたパフラヴィー語の文献があるけど、これをハムザ・アル=イスファハーニー
などが部分訳などを自らの作品に載せている。アブー・サフルなどはアラビア語に翻訳された他の文献を
パフラヴィー語に訳し戻したり、ムーサー・ブン・イーサー・キスラヴィーのように『主の書』などを
アッバース朝時代にパフラヴィー語で校訂したりもしていたようだ。
264世界@名無史さん:2006/04/16(日) 21:30:51 0
>>262>>263
どうもササン朝とアラブ帝国との間の断絶よりも、
それ以前の長期に渡る「文字と言語の混沌状態」の間に
メソポタミア文明以来の文字文献の継承はあらかた失われてしまったんだろうね。
古代オリエント世界は、少なくとも新バビロニア王国時代には
確実に世界最大の文字文献を持っていたはずなのだ。
これを断絶させた最初の契機は他でもないアケメネス朝なのかもしれん。
アケメネス朝が印欧語のペルシア語を楔形文字を表音化させて書き、
セム語に関してはアラム語を楔形文字ではなく表音のアラム文字で記すという
現状追認型の帝国文字政策を採った結果、集権的翻訳がなされることもなく
古いアッカド語やシュメール語文献の致命的継承断絶がここに始まったんだろうな。
これがおそらく秦始皇帝の文字政策との決定的な違いだろう。
本来なら古代文献は圧倒的にオリエント>>>>>中国だったはずなのに
後世まで継承された文献では完全に逆転してしまった。
265世界@名無史さん:2006/04/16(日) 21:49:43 0
>>264
文字「政策」なんてもん持ってたんでしょうか?

とりあえずアルファベットを用いてアラム語を記すのはアッシリア時代には既に行われていた事なので
アケメネス朝の政策とは関係が無いです。アッシリア時代に描かれた絵にアッカド語を粘土板に記す書記と
アラム語をパピルスに記す書記が並んで筆記している様子が記録されています。

また楔形文字文献といっても必ずしも昔の物が継承されていたわけではなく、3000年以上の時間の経過の中で途中で失われたものも多いそうで
イシン・ラルサ時代のシュメール語文献の中にはアッシリア時代には忘れ去られていた物が多数あるという話です。

セレウコス朝時代でも楔形文字による筆記は存続していたようですが、如何せん粘土板とパピルスや羊皮紙、陶片じゃ
利便性に差がありすぎたという事でしょう。粘土板文書は実用文書には使われなくなっていくことになるわけです。

なのでどこか一箇所に「断絶」の時期を定めるのはちょっとムリじゃないかと思います。
266世界@名無史さん:2006/04/16(日) 22:08:22 0
>>265
ご指摘のことをまさに「現状追認的な文字政策」と言っているんだよ。
帝国の運営には文字表記が不可欠なので、すべての有文字文化の帝国には
必ず文字政策と言うものは存在するからね。現状追認も政策のうち。
これは繰り返すが秦始皇帝の強力な統一文字政策とは正反対だ。
秦始皇帝の場合、本来かなりバラバラだった文字(とおそらく言語そのもの)を
秦で用いられていた全く単一の標準体系に強制的に統一して
支那文明圏に伝わる全ての文字文献をすべていわゆる「漢字」に変換して保存した。
この文字は現代まで使われているので、焚書坑儒はあったにしても
古代の多くの文献が「読める形」で延々継承された。
アケメネス朝の場合は、楔形文字とてアッカド語とペルシア語で用法分裂、
ペルシア語を広めて全文献をペルシア語に翻訳集約するわけでもなく
同じセム系であるにも関わらずアッカド語→帝国アラム語という
文献の帝国権力による体系的翻訳も為された跡が見られないわけで
これでは古代文献は衰亡の一途を辿ってしまう。
267世界@名無史さん:2006/04/17(月) 09:37:00 0
>>236
>ペルシャは世界帝国とか王を越えた君主の国じゃないだろ。

諸王の王っていうすごく有名な称号聞いたことないすか
ペルシアこそが「王を越えた君主」概念の創始者なわけだが・・・
268世界@名無史さん:2006/04/17(月) 21:07:32 0
>>266
アケメネス朝の時代には既にアラム文字は実用文字としての地位を確立しているし
それを排除するなんて実態社会を無視する真似はできないでしょう。

漢字史に詳しいわけではないので確信は持てませんが、基本的に構成原理が
同じ系統の文字しか存在しなかった中華圏と古代オリエントでは状況が異なるわけですし、
アラム語(アラム文字)にあたる地位を持った文字が秦以前に存在していない点も無視できません。

それにアケメネス朝が成立した時既に「共通語としてのアラム語とアラム文字の存在が確立していた」
のであってアケメネス朝が積極的にオリエントの文字文化に介入したわけではないのは既に述べましたが
これをもって「現状追認的な文字政策」とし「文字文化の断絶の最初の契機」とするのは意味不明です。

秦の始皇帝のような強力な文字統一策を講じなかったのはアケメネス朝も新バビロニアもアッシリアも、他のどの
オリエントの王国も同じことなのですが、何を持ってアケメネス朝に断絶の原因を求めているのでしょうか?

文字統一をしていれば古代文献が継承されただろうという仮定を立てるならば、
それをするのは別にアケメネス朝でなければならない理由はないのでは?
また、アラム語が実際に商業語としての地位を確立しはじめたアッシリア時代を契機としないのは何故なのでしょうか?
あなたの言を借りるならばアラム語も使用するというアッシリアの「現状追認的な文字政策」は
オリエントの文字文化の断絶を招いたとも言えそうです。

なお、中央政府による翻訳政策には文字の統一はおよそ関係が無いと思われます。
後のローマによるギリシア文学の翻訳、ササン朝によるギリシア文学の翻訳、
イスラム帝国によるギリシア文学、サーサーン朝文学の翻訳、
西欧ルネサンス時代のギリシア語・ラテン語・アラビア語文献の翻訳などは文字の統一事業を
伴っていません。

後これは質問になるのですが、秦代にそれ以前の文献がまとまって継承されるような契機となる
翻訳事業が存在したのでしょうか?そもそも後世に残された中国古代文献の大半は漢代以降の物のような
気がしていましたし、秦以前の文字の解釈、読み方を巡って古文学が盛んになるのも前漢末から新代の話です。
269世界@名無史さん:2006/04/23(日) 00:00:48 0
ハカーマニシュ
270世界@名無史さん:2006/04/23(日) 00:12:30 0
ペルシアって何でペルシアっていうの?語源は?
271世界@名無史さん:2006/04/26(水) 11:02:04 0
>>266,>>268
なかなか興味深い議論をしてますね。

中国は多言語社会だけど古代の漢文は口語から分離して
目で意味を追う仕組みなので、言語を統一しなくても
文字だけで帝国を管理するツールだったといいます。

それに比べると古代オリエント諸語とその文字表記法は
話し言葉と文字の関係が漢文よりはかなり密着してた
ので観念的にばさばさ整理しちゃうって発想に
ならなかったんでしょうね。

中国でも周辺の異民族の言語による文献は
(漢籍に比べれば)あまり残ってません。

それと古代文献はイスラム教徒の保存努力のおかげでしょうが
イスラム教徒の関心を引かなかったものは残らなかった
んじゃないですかね。文字政策というよりは。
272世界@名無史さん:2006/05/02(火) 09:03:57 0
ファルスからきたらしいよ。
273世界@名無史さん:2006/05/02(火) 11:46:53 0
wikiにも説明が出てるけど、古典時代のギリシア人たちが、彼らをPersai「ペルシア人」とか、
本拠地である「パールサ」地方をPersis「ペルシス」とか呼んだ。この呼称を受け継いだローマ人
たちは彼らの住む地域をラテン語風にPersia「ペルシア」と呼んだのがはじまり。
たまたま紀元後のサーサーン朝もこの古代の「パールサ」地方から出現したため、引き続きローマ
帝国では「ペルシア」の名称が生き続けた。

一方、ペルシア帝国の支配を受けたアラム人たちやユダヤ人、フェニキア人といった北西セム語を
話し、フェニキア文字の系統(とくにアラム文字)を使用するようになった人々も、おおよそ彼らの
住んでいた地域をやはり「パールス」prs-と呼んでいたようだ。(ペルシア人の意味だったら「パールスィー」)

(彼ら自身は「パールサ」といった場合本拠地の「パールサ」地方か、首都のひとつ「ペルセポリス」
 の意味が強かったが、外来や支配地域の人々は彼らの本拠地にちなんだ名称で総称した。
 丁度、イギリス人が自分達の国をUK=「連合王国」と呼ぶのに対して、外国で彼らを呼ぶ場合は
 中核である「イングランド」にちなむ名称が使用されていることとおおよそ似ている。)
274世界@名無史さん:2006/05/02(火) 11:50:11 0
ただ、セム語系のアルファベットの[p]の文字は、北西セム語の音韻法則に従って/p/音以外に、
/f/音やギリシア語などのような外来語の/ph/も、この文字で読まれた。そのため、もともと
イスラム勃興時代前後のアラビア語は/f/音をこの文字で綴ったが、逆に/p/音がなかったために
外来語の/p/音を持つ子音は、[b]の文字か同じ/f/音の文字、「ファー」で代用した。
(単にパフラヴィー文字での「パールス」の綴りをアラビア語に綴りなおすか読みなおすかしたら
 「ファールス」になるというだけかもしれないが)

このため中期ペルシア語で「パールス」と呼ばれたこの地域を、アラビア語では「ファールス」と
称した。これはアラビア語の影響を強く受けた近世ペルシア語が勃興した後にもペルシア語では
古代やサーサーン朝時代の「パールサ」「パールス」地方を「ファールス」と綴っていたが、
13世紀頃にペルシア語圏では[b]の文字を改良した[p]の文字を作り出したため、ペルシア語では
「ファールス」と「パールス」という同じ意味の二つの綴り方が併用されるようになった。

ただ近現代では「パールス」の表記も多くなっているが、13世紀以降もペルシア語では
「ファールス」と呼ぶ方が一般的。
275世界@名無史さん:2006/05/03(水) 01:45:46 0
ペルシア語ってインド・ヨーロッパ語系なの?
西欧の言葉で言うとどこの国に近い?
276世界@名無史さん:2006/05/03(水) 11:51:21 0
インド
277世界@名無史さん:2006/05/04(木) 01:30:07 0
西欧じゃないがスラヴ諸語が語彙をたくさん借用してる。
278世界@名無史さん:2006/05/04(木) 02:22:47 0
サンスクリット語をローマ字で表記して、文法を解説しているのを、
以前どっかのHPでみたが、ロマンス語系やスラブ語系にある、
語尾の時制・主語の性による複数パターンの格変化があった。この段階で既に
英語とは違った。ペルシャ語は、インドーイランから分かれたので、
ということはサンスクリットに近いんじゃないの?
279世界@名無史さん:2006/05/30(火) 20:14:32 0
あげますよ
280世界@名無史さん:2006/05/31(水) 16:32:19 0
キュロス
カンビュセス
ダレイオス
クセルクセス
しか知らね
281世界@名無史さん:2006/05/31(水) 18:10:49 O
カンビュセスはエジプト人に嫌われてたことくらいしかしらね
282世界@名無史さん:2006/06/11(日) 10:14:19 0
すげぇよこれブチキレまくり
http://jump.sagasu.in/goto/butikire-movie/

283世界@名無史さん:2006/06/19(月) 00:20:26 0
>>275
やはり西欧ではないけどバルト語派もインド・イラン語派にだいぶ近い。
バルト系の言語が古形をよく保持しているせいでもあるけど。
284世界@名無史さん:2006/06/19(月) 10:09:12 O
ラトビア語は歴史的経緯から外国語の影響されたからそうでもないらしいが
同じバルト語系のリトアニア語はサンスクリット語に近いと云われていますね
285世界@名無史さん:2006/07/04(火) 07:26:24 0
サーサーン朝ペルシアのスレは存在しないのですか?
286世界@名無史さん:2006/07/04(火) 20:44:43 0
パルティアとの抱き合わせなら。

つ【Parthia】中世ペルシア諸王朝史【Sasan】
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105356309/l50

でもパルティアは殆ど分らないことだらけだから、実質サーサーン朝の専用スレになってる。
287世界@名無史さん:2006/08/06(日) 10:59:43 0
アルメニア語派はペルシア語の影響を長年にわたって受け続けてきたので、
インド=イラン語派とは別系統の独立した語派と気付くのにだいぶ年月を要したそうな。
288世界@名無史さん:2006/08/06(日) 16:15:28 0
アッシリアはすぐ崩壊したのにアケメネス朝ペルシアはなぜ長く続いたの?
ダレイオス1世とダレイオス3世は知ってるのですがダレイオス2世はダメだったんですか?
289世界@名無史さん:2006/08/06(日) 16:51:47 0
>アッシリアはすぐ崩壊した
新アッシリア時代だけでも300年弱続いてますが?
290世界@名無史さん:2006/08/06(日) 17:39:00 0
紀元前の歴史は時間の感覚がつかみにくい・・・
291世界@名無史さん:2006/08/06(日) 17:56:45 0
>>288
まあ確かに二世は影薄杉

たしか前の王が暗殺された後混乱を収拾したから、
と言う理由があるらしいがぶっちゃけ暗殺に加担してたんじゃね。


こいつが入ってると言われてる有名な墓があった気がするんだけど忘れた。
292世界@名無史さん:2006/08/08(火) 18:11:50 0
旧約聖書に出てくる、メディア人ダリウス(62歳)ってなに者なんですか?
293世界@名無史さん:2006/08/08(火) 18:35:55 0
スレ違いかも知れませんが、お伺いします。
現代ペルシア語では、アケメネース朝(アカイメネース家)つまり
ギリシア語のアカイメニダイACHAIMENIDAIを、どのように発音・表記
しているのでしょうか?
ラティナイズ(=ローマナイズ)綴りも教えて下さい。
ちなみに「アカイメネース」なる個人名は如何様に表記出来るのでしょうか?
これもローマナイズ形で御教示頂ければ幸甚です。
よろしく御願い申し上げます。
294世界@名無史さん :2006/08/14(月) 01:45:46 0
ドイツのペルガモン博物館にあるバビロンのイシュタール門って

まさか本物ですか?複製ですよね、本物だったら絶対見に行きます。

ttp://www008.upp.so-net.ne.jp/namnam/009/009.html
295世界@名無史さん:2006/08/14(月) 02:59:55 0
本物です
296世界@名無史さん:2006/08/14(月) 11:15:04 O
上野でペルシャ文明展やってるね!
297世界@名無史さん:2006/08/14(月) 11:18:31 0
遅っ
298世界@名無史さん:2006/08/14(月) 11:23:50 0
>>296
展示はかなり充実してた。すぐそばでやってるルーブル展とあわせて見ると
ギリシア対ペルシアの気分に浸れて○
299294:2006/08/14(月) 20:06:09 0
>本物です

色んな意味で信じられない。

2千年もあの美しさが維持されてたの?スゴイ!

あと、そんなスゴイものをドイツは剥がして自国に持ち込んだの?

大ドロボウだろ、そんなの!


300世界@名無史さん:2006/08/14(月) 22:22:13 0
よーろっぱ人は、遺跡泥棒ですよ。
大英博物館しかり、ルーブル美術館しかり
301世界@名無史さん:2006/08/15(火) 00:41:20 0
>>299
しかしまぁ、自国の人が価値を認めず、発掘の技術もなく、
発掘しようとも思わなかったものを、適当な値段(発掘料)で
巻き上げただけなのだから、仕方ないんじゃないか?
しかも自国に置いとくと、バーヤミンみたいに爆破されたり、
今のウルクや、イランのチョンガザンビルみたいに、
修復というより、創作というぐらいに、作ってしまうのだから、
ルーブルもってってよかった、といえる面がなきにしもあらず。
302294:2006/08/15(火) 09:33:21 0
>大英博物館しかり、ルーブル美術館しかり

>自国の人が価値を認めず、発掘の技術もなく、

もちろん分かっちゃいるけど、規模がなぁ。

バビロンはすげーよ。
303世界@名無史さん:2006/09/09(土) 05:56:48 0
>>301
ムスリム以外の国からの盗みは正当化できん
304世界@名無史さん:2006/09/25(月) 18:00:29 0
>>303
内戦で荒廃している国の文化遺産は?
305世界@名無史さん:2006/10/29(日) 01:13:32 0
   / ̄ ̄ ̄\
   |  Sh   |
   |/ ̄ ̄~\|
   ┃ \  / ┃    <王の目っ!
  [| (・)  (・) |]    <王の耳っ!  
   | ┐・・┌ |
   \  ◎ /
./´⌒` r‐-‐-‐/⌒ヽ ビシッ!
|; ⌒ :; |_,|_,|_,h( ̄丿ヽ
.|: ; : : : .| `~`".`´ ´"⌒⌒)
.|; ; ; ; 人  入_ノ´~ ̄
l ; ;/   // /''
306世界@名無史さん:2006/10/30(月) 00:11:48 0
すこうしワロタ
307世界@名無史さん:2006/11/08(水) 19:33:21 0
モロタ
308世界@名無史さん:2006/11/11(土) 01:30:12 0
サトラップと歩いた〜♪
309世界@名無史さん:2006/11/11(土) 21:28:05 0
今頃になって「アレキサンダー」@オリバー・ストーンのDVD見たよ。
ダーラヤーワウ様がカッコイイ!!!!
顔も全体の佇まいも雰囲気があった。

アレクサンドロス、とんでもない奴だよ。王の本陣に乱入したうえに乱暴狼藉。
返り血だらけの姿で白目を剥いて「ダァーレィーオーースーー」と絶叫。
あろうことか王に向かって槍を投げつけてた。

こんなヤバイ奴の相手はしてられない。まずはさっさと奥地に引き上げるのが上策。
とういうわけであげ。
310世界@名無史さん:2006/11/11(土) 21:36:36 0
あの映画を史実として見ると痛い目に遭うぞ。
311世界@名無史さん:2006/11/11(土) 22:12:25 0
スイマセン浮かれて調子に乗りすぎですた。
いやなんと言うか悪評ばかり全く期待してなかった割りに面白かったので。
主役の台詞とは裏腹にどことなく白人優位の深層心理が感じられた気はしたけど。
つうかこりゃ出演者が古代風のコスプレで登場するロードムービーだな
312世界@名無史さん:2006/12/11(月) 01:38:07 0
メネメネテケルウパルシンage
313世界@名無史さん:2006/12/11(月) 20:27:59 0
てか、歴史映画ってべつにNHKスペシャルとかじゃないんで史実と違う
なんてのはごろごろあるし・・・。

あれで目くじら立てていたら、多分これを見たら死ぬんじゃないかと。
http://www.apple.com/trailers/wb/300/trailer1/
314世界@名無史さん:2006/12/12(火) 07:49:41 O
ペルシャはなぜ落ちぶれたの?
315世界@名無史さん:2006/12/27(水) 00:39:23 0
1行で問える問いか
316世界@名無史さん:2007/01/06(土) 08:18:09 0
問うのは一行
答えるのは、沢山
317世界@名無史さん:2007/01/06(土) 14:26:20 0
サトラップ制が秦の郡県制に影響を与えている気がするなあ。
318世界@名無史さん:2007/01/06(土) 15:29:52 O
建国時期から見れば、あるとすれば逆だろ
319世界@名無史さん:2007/01/14(日) 22:05:05 0
アレクサンドロススレでペルシア厨が暴れている件について・・・
320世界@名無史さん:2007/01/17(水) 23:14:47 0
>>319
トルコ厨の嫌ギリシャ厨がペルシャを使ってるだけだろ。
321世界@名無史さん:2007/01/19(金) 00:38:01 0
郡県制って始皇帝の時代に定められたんじゃないっけ?
322世界@名無史さん:2007/01/19(金) 00:38:50 0
古代ギリシャ起源だよ
323世界@名無史さん:2007/01/19(金) 01:49:57 0
971 :世界@名無史さん :2007/01/19(金) 00:59:24 0
アレクサンドロスの軍事侵攻→遠征
ダレイオスの軍事侵攻→侵略

ニダ。

ダレイオスがアレクサンドロス以上に魅力があれば
書き方は逆になるよw

そんだけの魅力がダレイオスにないってことだ。

あきらめろ。
324世界@名無史さん:2007/01/19(金) 02:16:33 0
いや、チョソ民族のギリシャに何を言われても
325世界@名無史さん:2007/01/19(金) 02:18:05 0
レッテル貼りしかできないヤツのがチョソっぽくね?
ひがみ根性満開だしw
326世界@名無史さん:2007/01/19(金) 08:12:24 0
ギリシャ人にすべて当てはまるな
327世界@名無史さん:2007/01/19(金) 09:38:56 0
そういった話はこっちのスレでどうぞ
ttp://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1169166992/
328世界@名無史さん:2007/03/10(土) 23:11:19 0
これは保守しておくべきだろ
329世界@名無史さん:2007/03/29(木) 11:10:35 0
中東でペルシャはイランくらい?
330世界@名無史さん:2007/03/29(木) 18:20:24 0
なにこのキチガイ?
331世界@名無史さん:2007/04/01(日) 10:00:36 0
ペルシャ帝国扱った本少なくね? 何か良いの知ってる?
332世界@名無史さん:2007/04/09(月) 01:42:52 O
アニオタキモス(紀元前510〜440)

古代ギリシアの詩人・軍人・政治家。
アテナイの鍛冶屋に生まれ、幼くして下級兵士の家に養子に出される。
軍人としての教育を受け、成人後は重装歩兵としてペルシア戦争に
従軍し各地で戦功を立てた。やがて一兵卒としては異例の早さで
指揮官となり、同時にテーバイの東の小都市アキハベラの執政官に
任命される。その後彼は海軍に移りここでも目覚ましい活躍を続け、
紀元前480年のサラミスの海戦では50艘のアキハベラ船団を率いて
参戦し、目や胸や尻を強調した女性の絵を結びつけた矢を多数放ち
ペルシア軍の士気を下げるという独創的な戦法でギリシアを勝利に
導いた。それ以後は政治家として活躍を続けながら多数の著作を発表、
爆発的な人気を得るが、煽情的な挿絵と官能的な文体の一大叙事詩
「ドジンシン」を発表したことから風紀を紊乱したとの批判を受け、
紀元前460年に陶片追放でギリシアを逐われシチリアの植民地で
寂しく余生を過ごした。生涯独身であった。代表作として先に挙げた
「ドジンシン」の他、「ギルガメシュの騎士」「アキハベラ天王組」
「月に代わりし者の仕置」「銀色のオリンポス」等がある。
333世界@名無史さん:2007/04/09(月) 10:35:10 O
アニメヲタキモス

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html


335世界@名無史さん:2007/05/06(日) 17:28:55 0
>>287
アルメニア語は長いことペルシア語の方言だと欧米では思われていた。
336世界@名無史さん:2007/05/06(日) 17:37:41 0
>>332
ペルシア戦争の頃のアテネに専業兵士なんていたの?
337世界@名無史さん:2007/05/08(火) 11:02:05 0
>>332
ワロスw
338世界@名無史さん:2007/05/14(月) 18:00:51 0
平成19年5月5日未明、大阪・ミナミのアメリカ村で、商店に塗料スプレーなどで落書きした


派遣社員・竜田雅生容疑者(23)   派遣社員・西山浩仁容疑者(22)   を逮捕した。


調べに対し、「落書きは3人でやった。芸術性が認められれば仕事になると思った」と供述しているという。


http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1179126307/l50


竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23)
竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23)
竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23)
竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23) 竜田雅生容疑者(23)

西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22)
西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22)
西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22)
西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22) 西山浩仁容疑者(22)
339世界@名無史さん:2007/05/16(水) 15:00:18 0
>>322-326
嫌希厨乙
340世界@名無史さん:2007/05/16(水) 15:28:48 0
971 :世界@名無史さん :2007/01/19(金) 00:59:24 0
アレクサンドロスの軍事侵攻→遠征
ダレイオスの軍事侵攻→侵略

ギリシャ側から見たらそうなると思うが いかんの?
341世界@名無史さん:2007/05/16(水) 16:47:10 0
アケメネス朝の頃から自称は「イラン」だったの?
342世界@名無史さん:2007/05/16(水) 18:39:34 0
パールサじゃないの
343世界@名無史さん:2007/05/16(水) 19:32:38 0
イランはササン朝じゃないの
344世界@名無史さん:2007/05/17(木) 14:38:28 0
アケメネス朝時代の自称はアーリヤじゃないの?
345世界@名無史さん:2007/05/19(土) 07:03:55 0
サトラップと歩いた〜♪
346世界@名無史さん:2007/05/19(土) 17:28:53 0
ペルシャ語のイラン=アーリアです。
ペルシャ人に近い意味の語はファルーシィー(ペルシャ語を喋る人)。

イラン人:自称 + マイノリティーがペルシャ系を指すときの他称
トルコ人:ペルシャ系などがアゼル人に対して用いる蔑称
アゼル人:アゼル人の自称
ペルシャ人:外国からの他称+イラン内で公的にペルシャ系を区別して指すときの形式
347世界@名無史さん:2007/06/07(木) 00:13:01 0
アケメネス朝の後宮には、ペルシア人だけではなくていろんな民族の女性がいたの?
348世界@名無史さん:2007/06/08(金) 02:34:31 0
ペルシャの属州中から美女が集められたんじゃね?
まあ、ヤツら基本近親婚だし。
349世界@名無史さん:2007/07/07(土) 01:01:19 0
350世界@名無史さん:2007/07/07(土) 07:03:00 0
「古代イーラーン語」という表現は成立し得るものだろうか?
もしも可能だとしたら、「古代ペルシア語」との違いは何だろう?
351世界@名無史さん:2007/07/07(土) 14:09:24 0
古代イラン語は、古代のイラン諸語の総称。
古代ペルシア語は古代イラン語の一種で、アケメネス朝の碑文に使われた。
352世界@名無史さん:2007/07/07(土) 14:10:01 0
同様の関係として中期イラン語と中期ペルシア語がある。
353世界@名無史さん:2007/07/07(土) 20:05:00 0
有り難う御座る。
されど、「古代のイラン諸語の総称」と一口に申しても
具体的には何語と何語が含まれるのでありませうや?
メーディアー語などの残存史料は一体どれほど残って居りませうか?
教えて頂き度う御座ります。
354世界@名無史さん:2007/07/07(土) 20:58:40 0
355世界@名無史さん:2007/07/08(日) 08:48:09 0
356世界@名無史さん:2007/07/16(月) 02:20:50 0
さて、スリーハンドレッド関係のレスがないようだが・・・

あのクセルクセス様は一体なんなのだw
レイザーラモンが喜びそうなw
357世界@名無史さん:2007/07/17(火) 21:59:02 0
今日、スリーハンドレットを見てきました。
いやーバカ映画でしたwww
私はもう少し歴史映画として期待していたのですが
ひたすら戦闘戦闘、敵殺せー!の連続で・・w

無双シリーズのCMのような感じでしたね。
ペルシャ戦争の側面なんて欠片もなしwww

騎兵に鐙が無かったのは良かった・・・あの時代はまだ裸馬ですものね

歴史オタとしては、ちと物足りない映画でした。
戦闘シーンの映像美と音楽は素敵でしたね。
密集陣形で戦うシーンは格好よかったです。
戦象があっさり退場するのは納得いきませんでしたがね。

ペルシャ軍の黒山羊の革被った男とか、クセルクセス様の姿とか
ちょっとペルシャを悪く描き過ぎなのが悲しい。

脳味噌真っ白にして楽しむには「自由のために戦う!」ってのが邪魔
プロパガンダ映画としてみるには、スパルタ側に悲壮感が無し
歴史映画としてみるには何もかも足りなさ過ぎ

なんとも言えない「バカ映画」という感じでしたw
358世界@名無史さん:2007/07/17(火) 22:22:22 0
少なくとも歴史映画として楽しむのは間違ってるな。
359世界@名無史さん:2007/07/22(日) 12:54:34 0
  ┌――――――――┐
    |.B1@ABCDE. |
    |FGHIJKLM|
    └――――――――┘
     ┌―――┬―――┐
     |      |      |
     |      |      |
     |      |      |
  age   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ▲C ( ´∀`)< あげとくか。
  ▽ \    )  \______
 sage |O  |_|_____|
     (__(_)  
360世界@名無史さん:2007/08/23(木) 19:15:46 0
>>357
歴史を知らないほうがかえって楽しめそうだね
361世界@名無史さん:2007/08/23(木) 22:00:31 0
知らないほうが楽しめることは結構ある。
でも知らないと楽しめないことも負けずにあるので
なにかと知ってたほうがトータルで得だとは思う。
誰が頼んだわけでもないのに歴史映画なるものを勝手に設定して
自分スタンダードで評論家気取りで知った風な口を利く人は
楽しめないことに楽しみを見出してるタイプなので
あれは実は楽しみましたということなんですよ。
362世界@名無史さん:2007/08/30(木) 00:18:14 0
大河ドラマにケチ付けながら毎回見ているようなものか…
363世界@名無史さん:2007/09/01(土) 00:28:50 0
300はもうすぐDVD発売だとか
最近の映画は早いのぅ・・・
364世界@名無史さん:2007/09/13(木) 18:32:13 0
今度はキュロスを主役に作ってみろってんだ。
ヨーロッパ人にも尊敬されてたんだからさ。
あれこそ大河ドラマ。
365世界@名無史さん:2007/09/13(木) 19:39:03 0
.┌、       r┐ r┐ヾ> (_  /             ミ
 !. | ヾ>  || lニ コ   〈/`ヽ _               ミ
 |. !  ノ|   | レ! _| |.   ,イ,.- 、 |  ̄_ ̄丁 '' ー┬‐- -ミ
 ヽ二/   .ヽ/(___メ>   /,|.l  l ! (  ) ! (´ ) !  r‐
   ry'〉     ,、   /イ,! `ー' _L =- --┴-ニ二ト、_'ー'
  lニ', r三)   ((   |'J」-''_二 =-- ‐一 ー‐t‐-ト、 二__
    |_|       ))  レ'/´ィ 、_________  ヾミ| l
 _r┐ __      ((    V ,、 F≡三r一tァー,    | l:.:. .::
└l. レ',.-、ヽ    ))   |ノ^>、     '^ミ二´    | l:.:.:.::
 ノ r' __,! |     ((    V/イソ            .::ヽ、二_
└'!_| (_t_メ.>     ))    | / ,'    _        .:.:.:.::i|,)ノ
   r-、       ((     |.〈、 、 _〉 `丶、     ;:ィil| ノ
  ,、二.._       ))    |  笊yfミミミミヾ、     '!l|il|li!fj'
  ーァ /.    ((     ヽ |i''r ''_二二ニミ;ヽ、  ,|l||il|l|,「゚|
  ん、二フ     ))    |,l| V´ :::::::::;;/     トi|l|i|i|l|!Ll
  ,.-─-.、   ((     |i! ゞ=-‐''"     ,i||i|l|l|l|!|i{
 / /l .i^ヽヽ    `     |il!  ーォii|「、 ,,.,.ィi||l|i|l|l|i|l|シ'
. | .レ' /  l.| ヽ二ニ,ヽ  ,/i|l||livil|||l|i|l|l|lil|l|i|l|i|i|i|l|l|l|{'
. ヽ/   ノノ     <ノ   {l|!|l|i|l|i|l|i|||i|i|l|i|i|i|i|l|l|!|l|l!r'
 r┐,.─-、   / 7     ヾ!||i|i||i|i|l||l||i|i|l|l|l|l||l|l!イ
 ||し'^) ,! ┌‐' 'ー┐ト、   ``,ヘi|l|i|l|i|l|l|i|r''`''"´ i      ,
 |_|   l´r'  7 /_7 / 」__〉  (_~`^~"゙'ヾ     ノ   / ,
 [_]  [_]  〈_/ヽ_/      .ト─'     ノ      / /i
366世界@名無史さん:2007/10/02(火) 19:56:01 0
王の道について調べたいんだけどいい資料ってある?
367世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:07:25 0
アケメネス朝の中枢スーサで活躍したはずのエラム人たちなんだが、
なぜか影が薄いんじゃね?
368世界@名無史さん:2007/11/30(金) 22:59:26 0
age
369泉 こなた:2007/12/10(月) 15:59:43 0
ラクス!×100
370泉 こなた:2007/12/10(月) 16:01:40 0
ユウナ!×100
371泉 こなた:2007/12/10(月) 16:08:43 0
アーシェ!×100
372泉 こなた:2007/12/10(月) 16:10:12 0
ガーネット!×100
373泉 こなた:2007/12/10(月) 16:28:37 0
黒崎恵
374泉 こなた:2007/12/10(月) 23:07:36 0
リノア!
375泉 こなた:2007/12/10(月) 23:12:19 0
ティファ!
376世界@名無史さん:2007/12/17(月) 19:21:10 0
>>331
そうだな、初学者向けとしては
ペルシア帝国 (「知の再発見」双書)ピエール ブリアン著/ 創元社

がお勧めだね。写真や図版が豊富で面白い。
377世界@名無史さん:2008/02/08(金) 18:00:11 0
前々から思ってたんだが、ペルシアの諸王の碑文には、
なぜかゾロアスターの名前が一つも出てこないんだよね。
「アフラマズダの恵みによりて・・・」とかばっかし。
とは言っても、ギリシャ人の文献には「ゾロアストレース」として出てくるんだから、
マイナーな存在じゃなかったんだよなぁ。

ペルシアにおける王室碑文の性格を知る手がかりになりそうな気がするんだが。
378世界@名無史さん:2008/02/10(日) 17:04:53 0
>>377
ゾロアスターは宗教改革した人間の名前ってだけだから出てこなくて当然。
ゾロアスター教とはキリスト教で言えばルター派、カルヴァン派、みたいなものだ。
379世界@名無史さん:2008/02/12(火) 22:36:23 0
ん?イエスもユダヤ教の宗教改革者か?
ゾロアスターが唱導宗教者のはしりであるのは間違いないような気がするよ
380世界@名無史さん:2008/02/13(水) 06:04:25 0
>>379
イエスは改革者に過ぎないだろ。弟子がイエス死後その名前をを担ぎ上げてユダヤ教から離脱したから
今はそう言う認識が少ないだけの話で。
ゾロアスターもその後継者達も、基本アフラマズタ信仰の中から離脱も独立もしないないわけで、
その点全く異なるように思うが。
381世界@名無史さん:2008/03/02(日) 08:03:49 0
ヘロドトスの描くペルシャの宗教は、間違いなく後のゾロアスター教とは違う。
火の信仰もなければ、光と闇の対立も記されていない。
ただ、山頂で犠牲を捧げるだけだ。
アレクサンドロスも同様の祭祀をしているから、
アケメネス朝におけるゾロアスターの信仰自体どこまで浸透していたのか
疑わざる得ない。
インドにおけるバラモンにあたるマゴスがいたことはわかっている。
バラモン教と初期のペルシャ教は良く似たものだったに違いない。

ところで日本の仏教史には、ペルシャに対する視点が全く欠如している
と思うのだが。
入滅の北伝のBC.383説でも南伝のBC.483説でも、ペルシャのインド侵攻と
関連すると思うが。

382世界@名無史さん:2008/03/02(日) 08:27:43 0
ゾロアスター教といえば
ユダヤ教(ひいてはそれに連なるキリスト教・イスラーム)におおきな影響を与えた宗教として
有名だよね
善悪二元論もゾロアスター教が起源だよね
383世界@名無史さん:2008/03/02(日) 22:47:51 0
>>382
キリスト教の「神」のイメージは、間違い無くミトラ教からのトレース。
384世界@名無史さん:2008/03/03(月) 00:23:44 0
いや、あんま関係ないと思う。
パウロがそこまで知悉してたとは思えないしな
385世界@名無史さん:2008/03/03(月) 12:10:38 0
キリスト教、いやローマ教が広まる以前にローマ世界には
剣闘士や傭兵を通じてマニ教が広まっていた
マニとその仲間の唱導したマニ教はもともとあらゆる宗教の習合で
原始キリスト教もユダヤもゾロアスターも仏教も全部含まれてる
らしい。
もとの姿なんてどっちがどっちだかわからない。
さらにローマ教会もマニ教の影響を受けているからね。
もちろんキリスト教の信者にそんなこと言うと怒り狂う。

ただ、ミトラは中世ペルシャ語ではメシュアというらしいけど
ヘロドトスなんて異国の最高神は全部ゼウスと言っているくらいで
名前が同じでも簡単には関係づけられない。


386381:2008/03/04(火) 08:26:36 0
表現を間違えたので訂正する
火の信仰がないというのは、
のちの“不滅の火”などというものはないという意味だ
ヘロドトスは「日、月、地、火、水を祭る」としている
387世界@名無史さん:2008/03/04(火) 08:43:10 0
さて、南伝の入滅年 前483年頃は間違いだそうだが
仮にそうだとすると、釈迦降誕(南伝 前563年)は
ダレイオス1世 ダーラヤワウ1 紀元前558年頃 - 紀元前486年
によるインド侵攻直前となる。

正しいとされる北伝の入滅年の前383年では、降誕年は前463年となり
アルタクセルクセス1世 クシャヤールシャン1(紀元前464年-紀元前424年)
の治世下で、ペルシア戦争 紀元前492年から紀元前449年 の最中であり、
サラミスの海戦 前480年9月やプラタイアの戦い、ミュカレの戦い ともに
紀元前479年8月 で敗北した後で、
最も強勢を誇ったペルシアが、しだいに退潮を迫られる頃となる。

ペルシャのインド支配は、その貢納額が全ペルシャの半分にもなる
酷いもので、当然インドはその桎梏から解放闘争を続けざる得ない立場
バラモンの権威は低下し、クシャトリアが社会の中心となり、ヴァイシャや
スードラの地位も向上したに違いない。
そんな中でゴータマがクシャトリアなのにわざわざ出家するなんて敵前逃亡
そのものではないか
388世界@名無史さん:2008/03/04(火) 09:09:23 0
>>387
でもシャカ国はネパールあたりでしょ? 支配されてたん?
389世界@名無史さん:2008/03/04(火) 20:20:24 0
まあナータ族の王子ヴァルダマーナも同時期に出家してるし。
390世界@名無史さん:2008/03/04(火) 22:55:41 0
ローマ帝国の旧領は今は欧州〜トルコに掛けての先進地域で人口も多い。
中国・インドも世界に冠立る大国となっている。
なのにペルシャだけ酷い没落ぶりだよね。

人口でも旧ローマ領や中国・インドはのきなみ古代の5-7倍にはなっているのに、
旧ペルシャ領はイラン・イラク戦争後のイランの人口爆発までは殆ど古代から人口増えてないし。
391世界@名無史さん:2008/03/04(火) 23:21:48 0
アケメネス朝ペルシアによるインド支配って言ったって、
インダス河流域に住む諸部族が支配下にあったぐらいだろう。

もっとも、インド社会に何らかの刺激を与えた事自体は否定出来ないだろうけどね。
392世界@名無史さん:2008/03/04(火) 23:31:33 0
>>391
>インダス河流域に住む諸部族が支配下にあったぐらい

この程度で帝国の歳入の三分の一を占めることなんて出来ないと思う
393世界@名無史さん:2008/03/04(火) 23:55:53 0
>>391
チャンドラグプタ・マウリヤの出身地は、アケメネス朝領だったみたいですな。
394涼宮 ハルヒ:2008/03/09(日) 18:43:43 0
まみちゃんカザフスタンで元気にしてるのかなぁ・・・・・・?
395世界@名無史さん:2008/03/09(日) 18:54:02 0
>>390
やっぱりアフガンが癌だったのでは
396世界@名無史さん:2008/03/09(日) 20:18:01 0
>>385
アウグスティヌスがマニ教徒だったのに影響を認めないなんて、キリスト教徒以前の単なる馬鹿だろ。

>ただ、ミトラは中世ペルシャ語ではメシュアというらしいけど
中世ペルシシャ語ではミフル
397世界@名無史さん:2008/03/09(日) 22:08:05 0
ミトラは梵語かな。「慈」を意味する「マイトリー(maitrI)」、
従って「弥勒(Maitreya)」と語源上の関係があるというけど。
398世界@名無史さん:2008/03/24(月) 22:59:42 0
アケメネス朝の王達は自分の名前や業績を岩山の碑文にたくさん刻みつけたのに、
あっという間に忘れ去られてしまうなんて・・・・。

時の流れとは、無情なものだね・・・。

って言うか、イラン人って忘れっぽいの?
399世界@名無史さん:2008/03/25(火) 03:53:58 0
なあなあ
プラタイアイの戦いって何でペルシャは負けたの?
WIKI見るとギリシャ11万vsペルシャ25万でギリシャ側の死者160人でペルシャ側の死者20万とか
ありえねえだろという数字が載ってるけど……
数字のソースはヘロドトス?
テルモピュライでペルシャは200万とかありえねー数字かいてたお人なんでギリシャマンセーのための
捏造か何かなんでしょーか
400世界@名無史さん:2008/03/25(火) 03:59:55 0
>>398
前時代をまるごと否定したイスラームが出現したからな
401世界@名無史さん:2008/03/25(火) 08:49:17 0
>>399
両方ともヘロドトスだね。
英語版で見たら双方の兵力の「現代のコンセンサス」ってのが書いてあったけど
それによるとギリシャ側4万、ペルシャ側5〜12万だと。
死傷者については "historical records of the period are notoriously biased or inaccurate
and the real number of casualties will never truly be known."だそうだ。
捏造っていうより当時広まってたうわさ話の類をそのまま書いたんじゃないの。

ちなみにペルシャには自軍の損耗をかなり正確に知ることができるシステムがあって
兵士が一人一人矢をもって王の前で壷に入れる。それを封印しておき、戦闘が終わると
また一人一人それを回収する。そうすると残った矢で戻らなかった兵士の数が
分かるのだという。
KIAなのかMIAなのか分からないのが難点だが。
402世界@名無史さん:2008/03/26(水) 05:49:52 0
>>398
古代ペルシア文字って代物がそもそも「王碑文専用の文字」として開発された特殊な文字だった
のが一番の原因。

文書行政としては粘土版文書にアッカド語やエラム語が、パピルス文書にはアラム語が使われて、
古代ペルシア文字は王碑文や銘文以外には使われず、文書行政などには使われなかった。
そのため、ペルシア帝国が滅亡すると古代ペルシア文字を使用する必要性が無くなり、アッカド語
(バビロニア語)やシュメール語の文書はその後も存続するけど古代ペルシア文字使用そのものが
急速に廃れて行ったようだ。

これはサーサーン朝がそうだったらしいが、もともとゾロアスター教というかイランの宗教観では
文字は悪魔の業であり、『アヴェスター』などの聖典は口伝によって継承され、朗唱される聖典こそが
真実で神聖なものとされていたんだそうな。(『ヴェーダ』ももともとそんな感じ)
勿論、パルティア語や中期ペルシア語(パフラヴィー語)の文書や碑文は残っているけど、上記の
宗教観のせいか、碑文のようにその場その場での記録はするけど、自分達の歴代の業績をまとめて
文章化して「著述」しようということは殆どしなかったらしい。

なので、ダレイオスとかアルタクセルクセスのような著明な王名はパルティアやサーサーン朝時代にまで
伝世されて行くけど、王自身も含め王朝自体も伝世された情報、イラン世界におけるアケメネス朝に
ついての後代の記録はひどく神話的伝説的な脚色が溢れたものになっている。

そのため、発掘された同時代のアラム語やバビロニア語による行政文書などを除くと、ペルシア帝国に
ついて知るにはギリシア語文献の内容を見た方がより詳しかったりする。
403世界@名無史さん:2008/03/26(水) 06:37:28 0
>>398
> 前時代をまるごと否定したイスラームが出現したからな
それは全然関係ないというか事実誤認w

むしろサーサーン朝時代の段階で、アケメネス朝時代の「神話化・伝説化」が進行し過ぎていて、
ギリシア語文献などよりも余程情報が伝承された王朝史の内容もかなり錯綜した状態に陥っていた
らしい。

イスラームの宗教観ではムハンマド時代以前のアラブ諸部族の時代は「ジャーヒリーヤ」、
「(アッラーの真実の光明がいまだ到来していなかった)無明の時代」とされてはいたが、
だからといって、ムハンマドの啓示以前の世界が無価値だから過去について知る必要が無い、
と考えていたわけじゃあない。

むしろ、時代が進むに連れて天地創造からムハンマドの時代に至る世界の有り様の情報を可能な限り
収集することに努め、9世紀のアッバース朝時代に活躍したアブー・ジャアファル・ムハンマド・
タバリーの『諸使徒と諸王の歴史』ようにギリシア語文献や聖書などから古代ギリシアや、ユダヤの
歴史、新バビロニア時代、さらに神話時代から半歴史的なアケメネス朝(カヤーニー王朝)、
アルサケス朝(アシュカーニー王朝)、サーサーン朝までの歴史を叙述する歴史書が数多く書かれた。

ただ、イスラーム時代以降の伝統的な「古代のイランの歴史」についてのビジョンは、サーサーン朝時代に
醸成された『シャー・ナーメ』のような世界観が受継がれた点が、欧州での「古代ペルシア」のビジョンと
大きく違う。これは「アケメネス朝」像にも言えて、例えば、伝統的なイラン・イスラーム的なダレイオス1世
からダレイオス3世までの数代がすっ飛ばされ、カヤーニー王朝第四代君主グシュタースプ(ヴィシュタースパ)
の"曾孫"ダーラー(ブ)がダレイオス1世に比定され、アレクサンドロス三世にあたるイスカンダル・ズルカルナイン
に敗れたダレイオス3世にあたる「ダーラー」はダーラーブ王の「息子」であり、このイスカンダルも
ダーラーブ王がマケドニアの王女に産ませた、ダーラーの腹違いの兄弟、ということになっている。
404世界@名無史さん:2008/03/26(水) 07:01:50 0
>>403の続き。

勿論、この「ダーラーブの息子ダーラー」と「ユーナーン(ギリシア世界)を統べるマケドニア王
フィルフース(フィリッポス)の『孫』にしてイラン世界の王ダーラーブの王子イスカンダル」という
伝承はギリシア語文献の歴史像と全く懸け離れている訳で、ギリシア語文献とアラビア語ペルシア語文献に
表れる「ペルシア帝国とアレクサンドロス3世」の埋め難い差異について、両方の記録を目にした
イラン系などのムスリムの学者たちは当然ながらひどく困惑することになった。

11世紀を代表する大学者で、ガズナ朝のスルタン・マフムードに扈従してインド遠征に随行し、
『インド誌』を著すなど科学関係の多方面にわたって活躍したアブー・ライハーン・ビールーニーなんかも
この問題にぶち当たったひとり。結局、彼はかなり悩んだ挙げ句、イラン現地での記録の方がより内容は正確で、
ギリシア側の記録は後代に誤って伝わったものだろうと結論し、以後も従来のサーサーン朝やアッバース朝で
確立された「古代イラン史」のビジョンが正しいとされ、ビールーニー以降もこの歴史像が継承され続けた。

もっとも、今は考古学調査でギリシア語文献で語れれていた情報がかなり正確だったことが立証されている
ので、イランでもアケメネス朝やパルティアについての情報は伝統的歴史像と考古学上の成果はちゃんと
区別がされているそうだけど。
405世界@名無史さん:2008/03/26(水) 09:38:55 0
>発掘された同時代のアラム語やバビロニア語による行政文書

アーカイブみたいな所から出てくるんでしょうか?
406世界@名無史さん:2008/03/28(金) 06:41:31 0
>>405
バビロニア語やらエラム語のものだったらペルセポリスの城塞文書群とか、
アラム語のものだったらエジプトのエレファンティネ・パピルス群などを
思い浮かべてくれたら良いかと。

エレファンティネ・パピルスはちょっと違ったかも知れないが、
城塞文書は王宮の書庫の跡地から発見ものだったろうな記憶が〜
>アーカイヴ
407世界@名無史さん:2008/03/30(日) 16:02:39 0
ちょいと質問
カリアスの和約におけるギリシャ側とペルシャ側の国境線ってどの辺りでしょう?

イオニア地方のみがギリシャ勢力なのか、もっと広い範囲―例えばカリアとか―も
ギリシャに組み込まれたんでしょうか?
408世界@名無史さん:2008/03/30(日) 16:47:03 0
>>405
「フェニキア人を語るスッドレ」では
陶片にこれみよがしにヤハヴェと掘りつけたものを
サマリア公文書と呼んでいる人がいた。
409エルティー ◆ElTiXXMIXI :2008/04/18(金) 05:30:49 O BE:508086645-DIA(100123) 株優プチ(whis)
アケメネス朝がキュロス2世からとダレイオス1世からでは違う血統で、
ダレイオス1世はアケメネス朝ではなくキュロスの系統から王位を簒奪し、それを正当化する為に後年自らをキュロスの直系だという事にしたという説がありますが、
この説は実際どれくらいの信憑性があるのでしょうか?ちなみにダレイオス1世以降の王の名前がキュロス血統と違うのもこの為といわれています
もし事実であればアケメネス朝はアケメネス朝とダレイオス朝に分かれている事になり、大変興味深いです。
410世界@名無史さん:2008/04/18(金) 09:11:17 0
>>409
キュロス2世死後、混乱が続き、アケメネス朝が一度崩壊したも同じ。
多くの地域で反乱、独立してしまうし、キュロス直系は暗殺等で絶えてしまう。

これに対し、ダレイオス1世を中心とするグループが立ち上がって、ガウマータ政権を打倒した。
ダレイオス1世は帝国を一から再建することになる。
ダレイオス自身はキュロス直系ではないが、
キュロス2世の基本政策を復活して、政策面での事実上の後継者となる。
この辺の事情はダレイオス側が作った巨大な碑文に記されているそうだ。
ダレイオス自身、血統ではキュロス直系ではないことを認めながらも、
キュロス政治の復活という位置づけで自らの政権の正当性を訴えているわけだ。

こうしたダレイオス側の主張に対して、疑い深い学者たちの一部がダレイオス簒奪説を唱えている。

私自身はダレイオスの主張が基本的な点で史実どおりだと思う。
もしダレイオスが簒奪したのなら、これに反発する動きがあるはずだし、
貴族たちも積極的に支持しないだろう。
ダレイオスは貴族や有力者の意向を尊重し、決して独裁者ではなかったし、
その政策に支配下の諸民族はこぞって歓迎し、
帝国の基盤を固めることが出来た。
411世界@名無史さん:2008/04/18(金) 13:04:15 0
>>410
前漢と後漢みたいなもんだな
412世界@名無史さん:2008/04/21(月) 20:29:43 0
>>392
今のイランとイラクと合わせた地域の人口が8500万くらい。
パキスタンで1億6千万と、インドのグジャラート、ラジャスタン、ハリヤナ、パンジャブ、
カシミールで1億3千万、インダス流域でざっと3億。
大体食料供給量に比例しているし、降水量に依存するものだから、インドからの貢納が
ペルシャの税収の三分の一というのもそんなに無理な数字ではないだろうな。
413世界@名無史さん:2008/04/22(火) 01:50:49 0
ギリシャ人達はキュロスのことはえらく美化する一方、
キュロス以降のペルシャは悪の帝国のごとく書いている。

まあギリシャの記録は当のイラン側の記録より遥かに正確なんだが、
この点だけがひっかかる。
414世界@名無史さん:2008/04/22(火) 08:32:23 0
>>413
キュロスの特異な個性が敵をも惹きつけた面があるんじゃないかな?

敵に勝利しても相手を支配することに興味を持たないというか、
戦いそのものが好きなだけで、支配欲がないんじゃないかと思ったりする。

メディアのアステュアゲス王を打倒したのは、、
アステュアゲス王に対するメディア軍の反乱に参加したわけだが、
戦いに勝利するとメディア王国の統治機構を温存するだけでなく、
依然としてメディアをペルシアの宗主国としての名分を保たせるものだから、
メディア側の支配層の方がキュロスに好意をもってしまう感じ。

バビロンを攻め落とした際は、
抵抗らしい抵抗もなく入城したみたいで、
破壊らしい破壊もせず、
神官たちの特権を温存し、
バビロン市民を安心させ、
キュロス自身はバビロンを支配するより、
他の戦いに赴くことしか興味がないんじゃないか。
バビロンが事実上抵抗しなかったのは、
バビロン市民自身が自分たちの王朝に愛想をつかしていたためで、
バビロン軍内でキュロス側に内応した勢力があるんじゃないかと思う。

さらにバビロン捕囚中のユダヤ人に対し、解放令を出すものだから、
聖書中ではキュロスは解放者=メシアの扱いになるぐらい、
ユダヤ人の好意も獲得した。

諸民族の好意を得るのがうまく、
それでいて戦争が好きで、次々勝利するから、
ギリシャ人だって美化したくなると考えるのは単純すぎ?
415世界@名無史さん:2008/04/22(火) 12:52:51 0
>>407
その当時には国境などいう概念は無い。
古代は、人が少なく資源(土地)が余ってる時代。統治は人に対して行い、面としての
土地には行われない。
特にギリシャの方は、都市国家で、街とその周辺の農地(街の人が耕しに行って晩に帰って
こられる範囲)までが領域で、そこから外れた街と街の間は、手付かずの野ッ原。
416世界@名無史さん:2008/04/22(火) 13:09:21 0
>>415
クセノフォンのアナバシスを読んでみると、
ペルシャ帝国中央部のどこかをクセノフォン一行が逃げ回ってるらしいのだが、
そのあたりでもペルシャ王に従わない部族が住んでいたりするので、
領土の概念が今と違うのかぁっと感じる。
417世界@名無史さん:2008/04/22(火) 13:13:59 0
その時ちょうど王位継承争いをやっていたのと関係あるんでしょうか?
418世界@名無史さん:2008/04/25(金) 09:57:18 0
>>292
> 旧約聖書に出てくる、メディア人ダリウス(62歳)ってなに者なんですか?
聖書以外の記録が見つかってないので、確実なことはわかっていない。
キュロスによるバビロン征服以後、メディア人ダリウスがバビロンの支配者になっているが、
キュロスとの関係が不明。

実権は実力者たるキュロスにあるはずだが、
名目上はキュロスより上位の王の可能性がある。
もともとメディアというのは巨大な国家で、
例えればメディアが江戸幕府で、ペルシャは薩摩藩みたいなもの。
キュロスはメディア幕府の実権を握ったが、倒幕しなかった。
それでメディア王に名目上は服属していたのではないか?

一方、メディア人ダリウスはキュロスからバビロン地域を任された太守にすぎないという説もあるらしい。

どちらにせよキュロスは次の征服戦争が忙しくて、後のことは全部メディア人ダリウスに任せたのだろう。
419世界@名無史さん:2008/05/08(木) 08:56:45 0
教科書等にはメディアについての記述がほとんどないが、
キュロス大王以後のアケメネス朝はメディアとペルシアの連合王国みたいな性格を持つ。
しかも当初のキュロス軍はペルシアよりメディアの方が主力だった。
ヘロドトスやクセノフォンはキュロス2世の母親をメディア王の娘であるとしているから、
メディア人としてもキュロスを君主とすることに抵抗がなかったのだろう。
420黒崎恵:2008/05/16(金) 19:56:54 0

421世界@名無史さん:2008/05/21(水) 23:29:38 0
ペルシャの最大の脅威は西欧史家は民主的なギリシャ諸都市だと言い張るが、
実際には北方のイラン系遊牧諸勢力だった。
422世界@名無史さん:2008/05/22(木) 00:57:22 0
>>421
でも、マケドニア王国のもとで統合されtたギリシャ人に滅ぼされたけどな。
423世界@名無史さん:2008/05/22(木) 01:31:18 0
>ペルシャの最大の脅威は西欧史家は民主的なギリシャ諸都市だと言い張るが

いったい誰だ?そんな事言ってるのは
424世界@名無史さん:2008/05/22(木) 10:10:25 0
>>422
マケドニアはギリシアの影響を受けた蛮族国家じゃん。
425世界@名無史さん:2008/05/22(木) 12:43:15 0
>>424
マケドニア自体はバルバロイではないにせよ、野蛮人扱いされていたのは確か。
でも、マケドニアによって統合されたギリシャ人にペルシャ軍が蹂躙されたのも確か。

アレクサンダーの軍隊はマケドニア・ギリシャ連合軍とはいうけど、
指揮官はともかく、主兵力はやっぱりギリシャ人。そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
なしには成り立たないんだし。
426世界@名無史さん:2008/05/22(木) 23:29:57 0
>そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
>なしには成り立たないんだし

ホプリテス無しでも
アリアノスによるとペルシャ人の重装歩兵だったという「カルダケス」
じゃ駄目かね?
427世界@名無史さん:2008/07/07(月) 08:12:57 0

素朴な疑問なんですが・・・
カナートって何で斜面の水脈の場所がわかるんですか?
428世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:36:50 0
さあてねえ。
地形で見当つくのか、試掘するのか、近所にカナートがあれば確実性高いか?
429世界@名無史さん:2008/07/18(金) 15:46:33 0
>>424
>指揮官はともかく、主兵力はやっぱりギリシャ人。そもそもペルシャ軍だってギリシャ人傭兵
>なしには成り立たないんだし。

ギリシア軍も、マケドニア貴族みたいな半遊牧民的出自の熟練した騎兵の集団がいないと、
ペルシア軍を打ち負かすのは難しいんですよね。

ファランクスと騎兵隊の関係っていうのは「ハンマーと金床」ってよく喩えられるんだけど、
機動力のある騎兵隊が敵軍の外に回りこんでファランクスに向かって追い込み、
包囲殲滅戦をやるわけですね。

ファランクス単独だとファランクス相手だったら互角に戦えるけど騎兵相手だと機動力が弱すぎるし、
陣形を乱されたら格闘力は弱いからまともに戦えない。

騎兵だけじゃなくて機動力のある軽装の散兵でもやばいことがある。

ファランクスを採用していた時代のローマ軍が、ガリア人とかサムニウム人に、それで散々煮え湯を
飲まされてる。それでファランクスからレギオンに転換したわけ。

ペルシア戦争のときも、マラトンのときは艦隊から上陸直後のペルシア軍を、
進軍前にファランクスを走って急接近させて海とファランクスで挟み撃ちにして破っているし、
テルモピュライでは山間の隘路だからあれだけの防衛戦をやれたわけです。

つまり、ペルシア軍にギリシア傭兵隊が不可欠になったというのは、
もともとの主力のハンマーであるペルシア人、メディア人騎兵の女房役の金床として、
ギリシアのファランクスが絶好の性質を持っていることを発見したということ。

ちなみにこの時代のアケメネス朝軍の中核のペルシア人、メディア人貴族の騎兵は、
封土の分割相続で貧窮化して、ずいぶん弱体化していたみたいです。
430世界@名無史さん:2008/07/18(金) 23:17:18 0
>ちなみにこの時代のアケメネス朝軍の中核のペルシア人、メディア人貴族の騎兵は、
>封土の分割相続で貧窮化して、ずいぶん弱体化していたみたいです。

kwsk
431世界@名無史さん:2008/07/20(日) 11:49:34 0
ダーラヤワウ(ダレイオス)2世の頃(紀元前5世紀前半)のバビロニアから出土した
アラム語文書に、税が重税化していることと、封土を与えられているペルシア人とメディア人
が均等相続のせいで貧困化して軍装備を整えられなくなっちゃって、
傭兵に頼らざるを得なくなってきていることが記されているそうです。

前近代の王朝の軍隊はみんな傭兵なんだって極論しちゃう向きとか、
古代オリエントの軍隊なんてみんな傭兵の寄せ集めだなんて極論しちゃう向きがあるけど
ちょっと違いますね。

だいたい政権の中枢を構成する集団は戦士集団であることが多いですよ。
ただ、近現代の国民国家みたいな「国民」という巨大集団を政権中枢にしていないから、
中核戦士集団だけだとあんまり巨大な軍勢にはならない。

だから、それに同盟者の戦士集団をまず加える。これが自前の戦士集団に次いで信頼が置ける。
アケメネス朝だとペルシア人戦士に対するメディア人戦士がそれ。

それから、従属的な被支配者の戦士集団を加える。
これは状況が悪くなるといつ裏切ったり逃亡したりするかわからない存在。

さらに、見返りで雇う傭兵が加わってくる。
これは特殊技能を見込んでわざわざスカウトしてくるわけですね。
アケメネス朝に雇われたギリシア人傭兵は、密集陣形をなかなか崩さないファランクスを、
騎兵集団の女房役として見込まれたわけです。
古代地中海世界のバレアレス諸島の投石部隊とか、中世ヨーロッパのジェノバのクロスボウ部隊なんかもそう。
こういう傭兵は特殊技能の価値を次のチャンスに売り込めなくなるから、意外に裏切らない。
かなり状況がやばくなるまでがんばるわけです。
432世界@名無史さん:2008/07/20(日) 22:43:02 0
イラン・アーリア人の征服者がセム系民族などを農奴化した?
433世界@名無史さん:2008/07/20(日) 23:34:46 0
農奴かどうかはどうだろう?

以下は具体的な資料を持たないので憶測となりますが、
メソポタミアとかイラン高原は水利システムの関係で農業生産が期待できる土地が比較的限られますよね。
すると、人別支配をして農奴化しなくても、農地単位ごとに徴税権を与えておけば、戦士階級の封建は可能です。

ずっと後世になりますが、オスマン帝国の騎馬戦士身分のスィパーヒーなんかが地域支配をするわけじゃないけど、
徴税権を分与されるという形で封土を得ていましたよね。
434世界@名無史さん:2008/07/22(火) 20:22:54 0
既に生産性の高い地域に対して、農奴化なんて生産手段の再編成をするのは、無駄な事この上ない。
435世界@名無史さん:2008/07/23(水) 01:43:20 0
そそ。

ヨーロッパなんて土壌は悪いし、緯度は高いし、おまけにおまけに曇りばかりで日照条件も悪いから、
ジャガイモの導入以前の生産性の低さといったら・・・

土地の生産性が低くて人口密度も低く、土地が余っている風土では、土地を押さえてもしょうがないから、
労働力を囲い込んで農奴化をするわけですね。

日本でも律令制では人別支配をやったけど、
平安中期以降は農地を押さえて徴税という方法に切り替わってますね。
436世界@名無史さん:2008/07/23(水) 22:09:01 0
>ヨーロッパなんて土壌は悪いし、緯度は高いし、おまけにおまけに曇りばかりで日照条件も悪いから、
>ジャガイモの導入以前の生産性の低さといったら・・・
黒海北岸は肥沃な土地として古代から諸民族の間で争奪しあっていたが。
437世界@名無史さん:2008/07/23(水) 23:58:28 0
>>黒海北岸は肥沃な土地として古代から諸民族の間で争奪しあっていたが。

いやぁ、黒海北岸はヨーロッパ国家の版図になったのはモスクワ大公国の覇権以降でしょ。

あそこはずっと、スキタイとかポロベツ(キプチャク)、ジョチ・ウルスといった遊牧国家の縄張り。
今でいうヨーロッパ・ロシアって結局のところ北方のルーシの版図+ジョチ・ウルスの版図。

西ヨーロッパの農奴制の本場はフランク王国の版図だったところだから、あのあたりは黒海北岸の豊かさとは無縁でしょ。
438世界@名無史さん:2008/07/26(土) 02:41:24 0
ボスポロス王国はギリシャ・ローマの穀倉だけど
東地中海中心だわな。
439世界@名無史さん:2008/07/26(土) 04:15:45 0
ボスポロス王国はスキタイに従属に近い形の同盟関係にあり、
ダレイオス率いるペルシャ軍が黒海北岸に進撃してきた際にはスキタイ側に協力し
ペルシャ軍に街や港などの設備を使わせないよう撤収した。
440世界@名無史さん:2008/09/18(木) 22:50:39 0
>>431
そこでクセノフォンのような人が出てくる訳ですね
なるほど
441世界@名無史さん:2008/10/21(火) 23:30:28 0
サーサーンもそうだけど
ハカマーニシュみたいに王朝の始祖というよりその先祖の名前が王朝名になるのはなんでなの?
442世界@名無史さん:2008/12/24(水) 23:59:03 0
age
443世界@名無史さん:2009/02/20(金) 02:45:35 0
サトラップってクシャトリアと語源同じ?
444世界@名無史さん:2009/02/24(火) 01:35:33 0
最近の古代イラン史研究の第一人者は誰なの?
445世界@名無史さん:2009/05/05(火) 23:52:56 0
ペルセポリスはジャムシードの座とか呼ばれたりするとか
中国やギリシアのもそうだけど、何処まで伝説で何処まで史実なんでしょ?
446世界@名無史さん:2009/05/06(水) 01:08:45 0
3ヶ月に一度しかレスがないとは・・・
ペルシア史なんて廃れてるのね。
447世界@名無史さん:2009/05/20(水) 22:47:31 0
ズルワーン神学の後期の形態から西方ミトラ教が生まれ、それが更に発展して
東方ミトラ教(明教)になった。イスラムが広がり始める7世紀以降は、徐々に
イスラムにとって替わられていくが、全てが一夜にしてイスラム化した訳ではない。
12世紀まで東方ミトラ教の本部はバグダッドにあったし、イラン本土では16世紀
までイスラム教徒は60%で、残りはマズダー教徒や東方ミトラ教徒であった。

こういう並存状態の中で、ミトラ神学はイスラム神学の中に移されていった。
それには様々な形態があった。イスラム神学者や神秘主義の師たちがこれらを
学んで、それをイスラムの中に取り入れる場合もあれば、マズダー教徒やミトラ
教徒の集団が「スーフィー教団」と呼ばれるイスラム神秘主義の団体に変わって
いくという場合もあった。

やがて、ミトラ神学を理論的支柱としながら、外面的には「マフディー信仰」という
形態をとっている宗派が形成されていく。それがシーア派とイスマーイール派で
ある。この両派の柱となる理論は「宇宙の中軸」理論と呼ばれているが、これは
ミトラ神学を継承発展させたものである。このイスラムの神学は「東方神智学」
と呼ばれている。
448世界@名無史さん:2009/05/21(木) 10:19:53 0
>>427 オアシスへの出口からひたすらさかのぼってゆくんじゃないの?
449世界@名無史さん:2009/05/21(木) 14:09:05 O
>>444
東條真人先生だろwww
450世界@名無史さん:2009/08/11(火) 22:23:37 0
age
451世界@名無史さん:2009/08/12(水) 07:24:30 O
ササン朝とグプタ朝って似てますね
452世界@名無史さん:2009/08/13(木) 20:59:08 0
ペルセウス座流星群がピークですが(ここ数日OK)、
ペルセウス(座)って、ペルシャと関係あるんですか。
453世界@名無史さん:2009/08/15(土) 07:25:00 0
あるという説もあるけど
基本的には無関係のはず
454世界@名無史さん:2009/10/05(月) 12:35:40 0
メディア時代のスレが無いので、ここで質問させてください。
前々から疑問に思っていたのですが、メディアの支配領域は、かなりイラン
東部に食い込んでいますが、あれは何故なのでしょうか?アフガニスタンと
トゥルクメニスタン、イラン南部のホルムズあたりまで含まれていますよね。
メディア族の中心地は現ハマダーンの周辺だったので、上記東方・南部が
支配領域に入った時期や根拠を探しているのですが、なかなか見つかりません。
ご存知の方おられましたら、お教えいただけますと助かります。
455世界@名無史さん:2009/10/08(木) 22:17:20 0
バクトリアも支配していたらしい、、、

って何に記載されているのかって話だよね、、
456世界@名無史さん:2010/02/14(日) 01:19:00 0
カヤーニー朝の初期の王たちってさ、実際は小さな辺境地方の酋長だったんだろうな・・・。
末代の酋長グシュタースプがゾロアスターを保護したおかげで、今じゃイランの神話時代の輝かしき諸王になってるけどさw
457世界@名無史さん:2010/06/09(水) 11:09:02 0
age
458世界@名無史さん:2010/06/09(水) 20:39:59 0
まもなく京都大学学術出版会から出版される『西洋古典学事典』には
アカイメネース朝ペルシアの記事がたくさん掲載されているとか。
歴代大王の詳しい系図も、帝室の女たちや宦官、武将、神々に関しても
多くの項目がもうけられているらしい
459世界@名無史さん:2010/06/10(木) 21:05:07 0
>>410
2年越しの遅レスでスマンが・・・。

ダレイオス1世の即位に対する反発する動きがなかったって?
諸民族がこぞって歓迎したって?どこにそんな事実があるんだ?

ダレイオス1世の即位に対して、帝国各地で反乱が起こったって、
当のビーソトゥーン碑文自体に書いてあるじゃないか。
帝国各地で起こった反乱を全て鎮圧したって本人が誇らしげに述べてあるんだが・・。

反乱者リスト
ペルシア人:ガウマータ
ペルシア人:ヴァフヤズダータ
ペルシア人:マルティア
メディア人:フラオルテス

エラム人:アシナ
エラム人:アタマイア

バビロニア人:ニディントゥ・ベール

アサガルティア人:トリタンタエクメス
マルギアナ人フラーダ
アルメニア人:アラカ
スキタイ人:スクンカ
460世界@名無史さん:2010/06/11(金) 15:26:26 0
>>459
410本人です。
間違って書いてすみません。<m(__)m>

確かにダレイオス1世は即位後、帝国各地で反乱に遭っていますね。
2年ぐらいかけて、鎮圧していったんですね。

ただ、少なくとも6人の有力貴族はダレイオスの味方だし、
各地の反乱もダレイオスの王位簒奪への反発というより、
帝国中央政府の混乱に乗じた反乱だったんじゃないでしょうか?
461世界@名無史さん:2010/08/13(金) 00:25:33 0
>>454
メディア王国の支配体制も、いまだにハッキリしない点が多いしね。
アヴェスタには、アーリア人の土地として東部イランが挙げられているから
イラン系の諸民族自体はイラン東部にまで広がっていたらしい。
でも、彼ら全てにメディア人の支配が及んでいたかは定かではない。
462世界@名無史さん:2010/08/13(金) 03:41:09 0

京都大学学術出版会から刊行された『西洋古典学事典』!
あれこそ紛れも無い大傑作です。
一度だまされたと思って買って御覧なさい。
決して後悔しないことウケアイだから。
凡百の小説なんか足許にも及びませんよ。
「二倍、三倍の価格でも決して損じゃ無い」という意見が大半!
アカイメネース朝ペルシアからパルティアー、サーサーン朝ペルシアの滅亡まで
詳しく書いてあるしネ。



463世界@名無史さん:2010/08/13(金) 14:28:09 0
小説なんて作り話だから
そもそも比較できないでしょ
464世界@名無史さん:2010/08/13(金) 14:37:18 0
465世界@名無史さん:2010/08/13(金) 19:18:21 0
>>464
チムール帝国みたいな領土だな
昔ならともかく、おそロシアが台頭してからはこんな領土は無理だぜな
466世界@名無史さん:2010/08/13(金) 20:38:49 0
>>459
ダレイオス1世のスキタイ遠征は、何故トラキア方面から北上したのだろうかな?
素直にカフカス方面から北上せずに、ハンニバルも仰天な奇策を強行をしたのは
何故だろうか?
当時カフカス北方のサウロマタイが強大だったので、正面対決を避けたのだろうか?

カフカスとトラキアの東西から同時侵攻すれば、スキタイを捕捉出来たと思われる。
ヴォルガ河とドン河にいたる地は、おそらくペルシャ帝国の領土となったであろう。
467世界@名無史さん
アケメネス支配時代のメソポタミアの日常語ってアラム語?
それともまだアッカド語使ってたの?