清王朝について語るスレッド

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1世界@名無史さん
清王朝298年間の歴史を、何か語ってください。
2世界@名無史さん:03/11/12 18:47
>>1
前スレくらい貼れよ

★☆ 清 朝 ☆★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1027552099/
3世界@名無史さん:03/11/12 18:56
18世紀に乾隆帝によって揚州・嘉定の虐殺というのが行われたけど、
漢民族はいまでもこのことを怨みに思っているというのは本当ですか?
4世界@名無史さん:03/11/12 19:14
>>4-1000スレが荒れないよう慎重に行こうよ
5世界@名無史さん:03/11/12 22:03
清朝298円の歴史と読んでしまったヨッパライの漏れは逝ってよしですか?
6世界@名無史さん:03/11/13 13:00
つまんね>>5
7世界@名無史さん:03/11/13 22:09
前スレには入りづらかったので質問スレで聞いたのですが
答えてもらえなかった質問です。

清の順治帝とハムレットの類似性についての話題は、
どこかのスレですでにガイシュツなのでしょうか?
8世界@名無史さん:03/11/13 22:34
院生Bさんカマーン!
9世界@名無史さん:03/11/13 22:35
シェイクスピアがフリンを知っていたわけねーだろ。
10世界@名無史さん:03/11/13 22:38
逆にドルゴンがシェイクスピアを知っていたとも思えん罠。
11世界@名無史さん:03/11/13 22:40
>7
類似性は無い。終わり。ハムレットは創作で歴史でない。
文学板に行こう。
12校長が強盗:03/11/13 23:06
この事件は報道されていません。教育委員会も校長を処分しません。
 皆様の力でこの事件を広めてください。
被害者先生のサイト
 http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8595/
 事件究明を求める署名サイト
 http://chiba_273.at.infoseek.co.jp/
   ∧_∧
  (  ^^ )< ひろめよう
13世界@名無史さん:03/11/14 00:02
院生Bの降臨まだか?
14世界@名無史さん:03/11/14 00:39
3代目のフリン以後は名前を漢族化したんですか?
15世界@名無史さん:03/11/14 01:00
>>11
文学板で清の順治帝の話を持ち出す方がもっと板違いと思われ。
>>7
言いたいことはわからんでもないが、他のスレのことは知らない。
16世界@名無史さん:03/11/24 03:29
>>14
じゅんち帝は漢民族の文化にあこがれていたから。
こうき帝は最初は満人風の名前を子供につけていたが、
やたら早死にするので漢民族風の名前をつけるようになった。
17世界@名無史さん:03/11/24 12:05
康熙帝最高 俺も死ぬまでがんばって人のために働きたい。
18世界@名無史さん:03/11/24 17:07
俺にとって殷から明までの中国が「中華」で、清から現代の中国は「支那」という感じがする。
清でそれまでの服装と髪型の伝統が断ち切られてしまったからな。
19世界@名無史さん:03/11/24 17:20
「康煕王朝」DVDセット(約¥35000)は買いですか?
(別スレにあったと思ったが、ここで聞いてみる・・・)
20世界@名無史さん:03/11/24 22:07
>>16
(=<丶`∀´> <感謝ハムニダ!
21世界@名無史さん:03/11/24 22:11
>>18
元代は髪型変えさせられたっけ?
22世界@名無史さん:03/11/24 22:13
されたよ
23世界@名無史さん:03/11/24 22:34
>>22
特に強制はなかったはずだ。漢人で仕官の為にモンゴル人を装った場合は、モンゴル風の辮髪をした者もいたが、
純粋な漢人でない漢人(タングート、女真、契丹)には旧来の俗を守るように布告されているくらいだしな。タングート
はもみ上げと前髪を残して後は剃るという独特の髪型だし、契丹は、頭頂部を剃るし、女真は広大の満州族に近い
髪型だったわけだし。
24世界@名無史さん:03/11/24 22:46
>>7
ハムレットのモデルは、デンマーク王 Christian I です。
これは「欧州王侯の家系」の初代スレで既出です。
なお、清の順治帝の生年は、シェークスピアの歿年よりあとなので、順治帝がハムレットのモデルというのは絶対にあり得ない。
25 :03/11/25 01:30
乾隆帝の時代の中国は本当に強かったのか?
ビルマに3回攻め込んで3回とも撃退されてるやんけ。
26世界@名無史さん:03/11/25 22:07
>>19
チェン・ダオミンがいい演技してるが、正直物語としては
平板なかんじ。
27世界@名無史さん:03/11/25 22:51
>>26 サンクス
ボーナスに余裕あったら買ってみまつ。
28世界@名無史さん:03/11/26 03:09
>>18
漏れにとっては魏晋南北朝時代に1回、大モンゴルの成立で1回というところだが。

>>24
モデルになったというのではなく、たまたま似ているという話だと思われ。
29世界@名無史さん:03/11/27 01:30
清王朝は現代中国人にとってもの凄く悩ましい存在らしいね。

歴代で最大の領土を誇った王朝、しかし漢民族の王朝ではない・・・
30世界@名無史さん:03/11/27 06:51
ある漢人官僚の述懐

「せめて満洲族がその習俗を漢民族に強制せず、
 逆に漢民族風の習俗を取り入れ、一字姓に変えてくれたら
 中華民族の仲間にしたのに・・・」

と言ってただろうなあ
31世界@名無史さん:03/11/27 06:54
>>30 いま、「中華諸民族のヒトツ」「中華人民共和国祖国大家庭の一員」っていってるよ。

知らないのか。
32世界@名無史さん:03/11/27 07:27
>>31
しかし鄭成功が英雄とされてることを考えれば
やはり敵と思われてることも確かだ。
33世界@名無史さん:03/11/28 00:16
中国人の知人に「鄭成功は日中ハーフだよね」と言ったら、
「それは日本人が信じてるウソ! 中国人はダレも知らないよそんなこと」
と一蹴された。
34世界@名無史さん:03/11/28 00:51
>>33
日本の教科書にはふつうに書いてるのに向こうじゃ違うのか
35世界@名無史さん:03/11/28 00:56
>>34
こないだの映画では島田陽子が母親役やってた。
36世界@名無史さん:03/11/28 01:11
台湾の人にとって鄭成功ってどうなんだろ。
やっぱり英雄なのかな。・・・子孫は満清に降伏して
禄を食んだが。
37ラーメンマン:03/11/28 01:26
>>1 屈辱の弁髪王朝。
>>18 そのとおり。
「馬掛」に「弁髪おさげ」の、いわゆる「チャンコロスタイル」が定着した時代。
(これによって漢民族は自尊心を大きく傷付けられ、
アイデンティティーの一部が崩壊、大きく変容した。)この時代に漢民族は堕落させられ
 現代中国人の一種投げやりな「没法子(メイファーズ)」精神は、おそらくこの300年間に
 形成〜完成されたのだろう。
>>21 23のとおり、有無をもいわさぬ強制ではなかったが、漢族の衣冠束帯の者は激しく
 差別待遇・冷遇された。
>>30 いや、だからね。。。
38世界@名無史さん:03/11/28 01:35
張騫の派遣されたのって西域のどこ?
3938:03/11/28 01:52
よくみたら漢じゃなくて清だった
スマソ
40世界@名無史さん:03/11/28 01:55
>>38
近代企業家にもいたな。
41世界@名無史さん:03/11/28 11:25
結局、清朝が終わってみれば
彼らの話す中国語が漢族のそれ以上に典雅なものという評価によって、
外国人に語学教師として雇われたりしたらしい。
彼らは料理の味を変えた代わりに独自性を失っていった、
いわば中華鍋にごった返す多様な食材へ向けて放り込まれた
調味料だったのかもしれない。
42世界@名無史さん:03/11/28 11:34
>>33
中国の捏造歴史教育の実態
南京大虐殺の露骨な捏造写真
 を広めよう
43世界@名無史さん:03/11/28 11:51
満州族に就いて

中国料理で満漢全席の功績は大きい。
それでいいじゃない。
44世界@名無史さん:03/11/28 14:59
中国の式典の下品なけばけばしい赤。
あれは中国本来の色でなく、満州人が持ち込んだと誰かが
言ってたな。中国家具もある種のものは品があるね。
45世界@名無史さん:03/11/28 22:00
清朝最大の功績は、女性の「チーパオ」でしょう。(デブには冗談キツイが。w)
46ty270410:03/11/29 00:19
大清帝国は一つの世界帝国でしたね!
47世界@名無史さん:03/11/29 05:32
支配した面積ではモンゴルより劣るが
しっかりと安定して広大な領域を支配できたことも考慮すれば
清こそ史上最大最強の大帝国だろう。

モンゴルの支配地域は世界の半分に及ぶが
その広大な領域を一元的に安定して支配できたわけではない。
48世界@名無史さん:03/11/29 21:26
テロ朝の溥傑ドラマ、時代考証台詞滅茶苦茶
当然反日!
49リバティ ◆dXgNZ2yJ32 :03/11/30 00:43
>>33
わたしが中国旅行したときの現地ガイドも知りませんでした。
>>35
タイトルきぼんぬ。
ところでこのスレに、わたし以外に李自成ファンいますか。
50世界@名無史さん:03/11/30 02:19
清王朝の役割は、本来日本がやるべきだった。
それをやれたのは信長だけ。
そして、そのまま軍事上の要衝・満州は日本人の植民地として発展し、
帝国主義時代の対露・ソ防衛の生命線となり、今日へ。
今頃、日本人は人口3億〜4億超ほどの堂々たる超大国。
アメリカ帝国主義の脅威については、最大の戦略物資石油の問題があるが、
満州土着化が進んだ日本人がターチン油田さえ発見できれば、あとは樺太、
尖閣諸島、東シベリア付近の油田を順次、採掘すればいい。
51世界@名無史さん:03/11/30 09:44
>>49

李自成に興味はあります。
彼はどうして同胞漢族を被支配民族に
陥れるようなことをしたんでしょうか?
結果論かも知れませんが。


52世界@名無史さん:03/11/30 09:46
>>51
その言葉は呉三桂に言え。
53世界@名無史さん:03/11/30 11:35
李自成に興味は無いが、李厳には興味がある。
・・・・・・と、ボケてみる。
54世界@名無史さん:03/11/30 20:43
そういや阪神のピッチャーにも似たよう名の奴が・・・
55世界@名無史さん:03/11/30 21:25
偽満アゲ
56世界@名無史さん:03/12/01 03:49
清王朝の末裔は、日本人?
57世界@名無史さん:03/12/01 10:15
>>56
要解説。
58世界@名無史さん:03/12/01 17:02
>>30
満州族に一文字姓ってないの?
59世界@名無史さん:03/12/01 17:41
60世界@名無史さん:03/12/01 18:38
清朝の宮廷では、いつごろから公用語が満州語から北京語に変わったのですか?
61世界@名無史さん:03/12/01 23:43
>>60
公用語は最後まで満洲語だよ
62世界@名無史さん:03/12/01 23:53
>>57
浩の娘が男子を産んでたら、その子が皇位継承者。
63世界@名無史さん:03/12/02 00:13
>>61
じゃあ、溥儀や溥傑は満州語を喋れたの?

>>62
清朝は女系を介した帝位継承を認めていますか?
64世界@名無史さん:03/12/02 12:41
>>57
ああ、そういう意味ね。
「末裔」じゃなくて「皇位候補者」という意味だったら、
そうかも。
65世界@名無史さん:03/12/02 20:43
西太后・・・。
認めてたのかな?
66世界@名無史さん:03/12/02 23:50
今の中国では、孫文と日本との関わりも触れないようにしている。
英雄は日本との関わりなどあってはならない、ということなんだろうな。
67世界@名無史さん:03/12/04 05:34
関東軍が強引に認めさせたんじゃない?
68世界@名無史さん:03/12/04 05:36
魯迅についても日本人医師の毒殺説が出て来るぐらいだもんな。
69世界@名無史さん:03/12/04 05:39
歴史っていうのは、その時点の施政者にとって都合良く
解釈され流布させられるものだからな。
韓国見てるとよくわかる。中国も。
日本もそうかな?
70世界@名無史さん:03/12/04 06:34
>>66
中国の歴史教育偏向は、大々的に報じられるべき。
71世界@名無史さん:03/12/05 01:39
古森義久『日中再考』より引用

とにかく中国の歴史教育では日本は比類のない悪とされるのだ。中国領土を
占領した相手だから当然だとはしても、似たような行動をとった他の諸国と
くらべても「日本たたき」はケタはずれである。
たとえば一九〇〇年(明治三十三年)の義和団事件についても「中国歴史第三
巻」では北京や天津で外国人を襲う排外的な農民の宗教組織の義和団を鎮圧
しようとした八カ国の連合軍でも日本がとくに侵略軍として非難される。
日本はイギリスなどの懇請で部隊を出し、北京で義和団に囲まれて全滅寸前の
各国外交団を救った。日本軍が規律の正しさでも高い国際的評価を受けたことは
各種の記録に残っている。だが中国側では「北京の税務署などでは日本軍に
みな金庫類を奪われた」(中国歴史第三巻)と、とくに日本を非難するのだ。
日清戦争後の中国はドイツに膠州湾を租借され、ロシアには旅順と大連を
租借され、万里の長城以北と新疆を支配下におさめられていた。フランス
には広州湾を租借され、広東、広西、雲南を勢力圏とされていた。イギリス
には香港、九龍半島、威海衛などを租借されていた。だが中国の歴史教育では
この時代の「侵略」の非難の矢はもっぱら日本に向けられるのである。

↑いったいどっちが歴史を歪めているのやら・・・・

72ウナギ:03/12/05 01:58
>>63
 なぜ「じゃあ」以下となるのか意味不明だが、
 清朝では、滅亡にいたるまで、満洲語による公文書の作成が続けられていた。
73世界@名無史さん:03/12/05 14:27
>>63 >>72
儒教朱子学を体制イデオロギーとして
明朝から受け継いだ清朝にとっては
満洲人も漢人も「中華」の民でした。
よってどちらの言語とも、
「中国王朝」を自負した清朝にとって
欠かせない公用語だった訳です。
双方の言語をマスターする努力が払われる事が、
満洲人エリートにも漢人エリートにも
少なくとも建前としては常に期待されていました。
ただし清朝がもたらした新しい「中国人」像は、
満洲人自身の漢化と漢人側の伝統的な「夷狄」蔑視とにより、
文化的挑戦を受け続けるものでありましたし、
さらに清末における漢人ナショナリズムの高揚によって、
ひとたび否定される事になりました。
74世界@名無史さん:03/12/06 22:21
満洲族こそ中国人の本流。
馬鹿ウヨも漢族ナショナリストも
同じ過ちを犯している。
75世界@名無史さん:03/12/07 02:24
清朝を建てたヌルハチとイングランドを征服しノルマン朝を建てた
ノルマンディー公ウィリアムではどちらが偉いだろうか
76世界@名無史さん:03/12/07 04:24
で、溥儀や溥傑は満州語を喋れたの?
77世界@名無史さん:03/12/07 05:36
>>76
ある番組で溥傑自身が、自分は満州語はしゃべれないが、兄の溥儀は多少しゃべれたとインタビューに答えていたのを
見たことがある。
78世界@名無史さん:03/12/07 18:09
そりゃ皇帝なら儀礼として満洲語を喋らねばならないこともあるだろうからね。
儀礼で使う程度の満洲語の教育は受けてるだろう。

満洲語で自由に会話ができるほどの能力は無いと思うが。
79世界@名無史さん:03/12/09 14:49
256 :246 :03/11/21 14:51
>>254
すいません、「けなしていた」は言いすぎでした。

以前レポート自由課題で本を選択させたら、何人かが
『蒼穹の昴』を選んできたそうで、
「いまどきの学生は小説なんかをレポートに使いやがって・・・」
「大学のレポートは読書感想文じゃない!」
「そもそもあの小説は研究者から言わせてもらえば・・・」
みたいな感じで怒りがよみがえってきたらしいです。
「小説は小説として、区別しろ! あれはデフォルメされすぎ」
と最後に言ってました。


この小説家って実際の院生・研究者からみてどうですか?
>60,72,76,77,78
八旗の档案や公文書は清末まで満洲語で書かれていましたが、清の中頃から漢語との
併用になったり、漢語のみで書かれたものなども出てきています。
手元にある嘉慶帝時代の档案では満洲語部分をモンゴル人の書記に書かせたと記録されて
います。
溥儀氏、溥傑氏については77,78のおっしゃる通りです。
溥儀氏は天を祀る祭事と地を祀る祭事の重要な祭文は徹底的に教え込まれ、ある程度の読み書き
ができるようにはなっていたそうですが、その頃にはすでに生活言語ではなかったはずです。

溥傑氏は"eme"「母」、"ama"「父」、"buda" 「御飯」の3つしか満洲語を知らないと言って
いました。
10年以上前に溥傑氏の講演で直接お会いしたことがありますが、非常に流暢な日本語を使われて
いました。また、書家としても有名で満洲族関係の書籍の題辞をよく書かれていました。
81世界@名無史さん:03/12/10 18:08
満州語を母語としていた最後の清朝皇帝は誰ですか?
82世界@名無史さん:03/12/10 18:20
>>80
親戚のおっさんが、溥傑氏作という絵画を75万円ぐらいで、中国から買ってきたのですが
これって本物なんですかねえ?
溥傑氏って芸術方面の趣味があったのですか?
83世界@名無史さん:03/12/10 19:08
岡田英弘著『康熙帝の手紙』で取り上げていた
康熙帝の書簡は満州語だったっけ?
84世界@名無史さん:03/12/10 20:06
そう。康熙帝がモンゴル親征中に皇太子に送った手紙はばりばり満洲語。
どうでもいいが誰か『康熙帝の手紙』をよこせ。
どうにも手に入らん。
85世界@名無史さん:03/12/10 22:44
>>80
そんなに満州族の風習に思い入れがあるなら、自分から実践してみれ。
頭のてっぺんまでツルツルに剃りあげて残した後頭部は辮髪お下げにして垂らすと。
勿論、会社通勤にも上着は「馬掛」姿で出社!! wwwww
実は糞カキ人夫であるのがシャレにならず、恥かしがっているチミでも、
弁髪・馬掛の爆笑もののラーメンマン的チャンコロスタイルなら逆に恥かしくないと思われ。

それはそうとこっちのスレにはいつ書き込んでくれるのかな? ん〜? w
ほれ↓ほれ。↓
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1061019644/l50

だからぁ。盛んに吹聴していた例のイスラムに改宗したとかいう(大ボラ)話の経緯とか
書き込んだら、それこそホームランものの大ヒット間違いなしだろ。www
最低カーストのくびきから逃れるためにとか、なんとか。。。なんてなぁ。wwwww
それくらいに「インドの不可触賎民」とほぼ相通じる境遇で、しかも風貌までが
インドの糞カキ人夫で、おまけに性格までもが朝鮮賎民のペクチョンで、なによりも
実は出身がB民で、どこでも寝れる・どこでも食える・何でも食えるという、香港蛋民も
顔負けの、からだの芯からゴキB並みに出来ているチミなら、賎民スレに書き込むネタなら
尽きること無しなんだから。。 ほらほら、2chのみんなが待ってるゾ。wwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
86世界@名無史さん:03/12/10 22:53
87世界@名無史さん:03/12/11 05:06
>>80>>84
嘉慶帝って康熙帝の曾孫だよね?
わずか3世代の間でそんなに簡単に言語って失われるものなのかな?
しかも、被支配民族ではなく支配民族の言語だよ、満州語は。
エジプトのプトレマイオス朝なんかは、建国から300年近くたったクレオパトラ時代でも、宮廷はギリシャ語オンリーだったっていうのに。
88世界@名無史さん:03/12/11 07:06
ギリシア語は支配者にとって全てを表現できる語彙を備えていたが、
満州語は中国を支配するにはあまりにも不足していたはず。

そういえばイングランドを支配したノルマン王家も百年戦争の頃までフランス語だったな。
89世界@名無史さん:03/12/12 00:00
>>79
正直、浅田次郎の『蒼穹の昴』で清史を知ろうというのは
素人か学部生。物語としてはすごくおもしろいけどね。
その先生が怒ったのも無理はない。
90世界@名無史さん:03/12/12 00:31
>>88
でも、遼、金、元などの過去の征服王朝は、その母語である契丹語、女真語、蒙古語を失っていないよね。
91世界@名無史さん:03/12/12 00:34
清朝が倒れた際、中国が立憲君主制になる可能性はあったのか?
皇帝が「国の象徴」になる可能性はあったのか?
しかし漢民族が大多数の国で満州族が象徴では...
92世界@名無史さん:03/12/12 01:19
満洲族が北京語を生んだ。
これで満語が黒板上の言語に成り下がった理屈通ると思うんだけど。
93世界@名無史さん:03/12/12 01:51
北京の旗人・松キンとその周辺の人物たちは
道光年代になってもバリバリ満洲語をつかいまくってますが、何か。
94世界@名無史さん:03/12/12 09:49
>>82
本物か偽物かはさておき、本人がそれを買って幸せだったら
それがものの価値というものです。
95世界@名無史さん:03/12/12 12:48
中国人の成り立ちは興味深い。
96世界@名無史さん:03/12/13 00:38
1、ヨーロッパ人の来航が明・清に与えた影響を経済と文化の両面から述べなさい。

2、清朝中期に始まった支配体制動揺の理由を人口・土地を中心に述べなさい。
97世界@名無史さん:03/12/13 01:43
>>92
入声の消滅傾向は五代十国時代くらいからすでに始まっている。
音節末鼻音の[n]と[m]の区別は元末くらいから曖昧になり始めている。
98世界@名無史さん:03/12/13 02:32
嘉慶、道光以降になって都市の駐防旗人が満文を使えなくなっていったそうな

皇帝は外国人と謁見する際は原則満語を使用するのだが、光緒帝が初めて
漢語を使用したらしい。

それとロシアとの条約文はほとんどが満文使用(リバディア条約とイリ条約は満文を使わなかった)
99世界@名無史さん:03/12/13 10:38
>>51
李自成は朱元璋同様新王朝を創設する気はあった。
それを反動の呉三桂が裏切った。
100世界@名無史さん:03/12/13 11:28
>>99
別に呉三桂は李自成を裏切ったわけではないだろう。
李自成につかずに崇禎帝の敵討ちのため清朝についただけ。
101世界@名無史さん:03/12/13 13:05
> 李自成につかずに崇禎帝の敵討ちのため清朝についただけ。

これは単なる大義名分だろうよ。
本当のところは李自成とドルゴンに挟まれたものだから、
どっちについた方が身のためかと計算した結果。
102世界@名無史さん:03/12/13 13:39
呉三桂は李自成の部将に奪われた自分の愛人を
取り戻すために清に投降したという話は後世の作り話か。
103100:03/12/13 17:28
>101
まあそんなところでしょうね。
きちんと政治機構を整えてある清朝と寄せ集めの流賊集団では勝ち目ははなから決まっているでしょう。

>102
『清史稿』とか各種伝記の呉三桂伝にも載ってる話だけど、呉偉業の「円円曲」から
影響を受けたんでしょうね。実際に呉三桂の愛人が奪われていたにせよ、それが
決定的な理由になったわけではないと思う。
104世界@名無史さん:03/12/13 20:57
>>74
私もなんかそんな気がします。
京劇やチャイナ服とか
今イメージする伝統的な中国って
みんな清朝のものだし
105世界@名無史さん:03/12/13 21:03
>>37
明朝末の政治腐敗はあまりにもひどかったので
満族の入城はむしろ庶民には歓迎されたとか・・
106100:03/12/13 23:53
>>105
入城時は歓迎されたけど、薙髪令が出てから反感を持つようになったらしいです。
107世界@名無史さん:03/12/14 02:09
>>104
文学作品のほとんどは明代ではなかろうか?

清朝はなぜ、満州の農業開発をしなかったんだろうか
現在の黒龍江省の発展を見る限り、どうも勿体無く感じる
満州族自身の農業技術はそんなに稚拙だったのか?
108世界@名無史さん:03/12/14 02:25
>>107
清朝発祥の地として、いざという時(中国本土で反乱等
があったとき)のために逃げ込んでおけるよう、漢族の立ち入りを禁止。
けど実際は漢人流入が激しかったとか・・・。
109世界@名無史さん:03/12/14 03:34
>>108
日本でも神社の裏山は伐採禁止だろ。
それと同じ理由。
祖先を祭る聖地という意味じゃ。
110世界@名無史さん:03/12/14 08:56
封禁の地に漢人の浮浪者達が
移入しはじめたのは
体制が崩壊しはじめた清末期から
111世界@名無史さん:03/12/14 09:43
真倭は西日本の小島を拠点とした武士団。
彼等がかかげた八幡旗、八幡神は武士の守護神であった。
112世界@名無史さん:03/12/14 15:21
>>93
>北京の旗人・松キンとその周辺の人物
彼らは北京官話と満洲語との双方を使いこなす
バイリンガルだったのだろうか?
113世界@名無史さん:03/12/14 15:36
>>112
当然バイリンガルでつ
114世界@名無史さん:03/12/14 15:37
>>107
なんどか貧窮化した旗人を送り込んでるよ。失敗したけど。
115世界@名無史さん:03/12/14 21:31
>>79
>正直、浅田次郎の『蒼穹の昴』で清史を知ろうというのは
>素人か学部生。物語としてはすごくおもしろいけどね。
>その先生が怒ったのも無理はない。

何をいまさら・・・
116世界@名無史さん:03/12/15 00:05
>>79さんへ
小説は歴史の事実とはかなりかけ離れているからね〜
耶律楚材も史実ではただのパシリダシ
117世界@名無史さん:03/12/15 03:32
>>110
嘉慶・道光年間くらいからでしょ?
118世界@名無史さん:03/12/15 11:24
>>116
杉山御大、こんなところで何を…?
119世界@名無史さん:03/12/15 19:05
満州にいる漢人は、基本的に山東省出身なんでしょ?
120世界@名無史さん:03/12/16 00:52
清朝の皇帝をランク付けすると、
名君:ヌルハチ、ホンタイジ、順治帝、康煕帝、雍正帝、乾隆帝
名君と普通の間:光緒帝
普通:嘉慶帝、道光帝
普通と暗君の間:同治帝
暗君:感豊帝、宣統帝(満州国皇帝)、

こんな漢字かな。
121世界@名無史さん:03/12/16 00:55
清朝の黄金時代は
 康熙帝60年
 雍正帝12年
 康熙帝60年の130年あまり

これはフランスの黄金時代
 ルイ14世 70年
 ルイ15世 50年
の120年とかぶるんだよね。
122世界@名無史さん:03/12/16 00:56
洪憲皇帝>>>>(越えられない壁)>>>康熙帝、雍正帝
>乾隆帝>>>>その他もろもろ
123世界@名無史さん:03/12/16 00:58
中華帝国>(越えられない壁)>>>清王朝>>>その他もろもろ
の王朝>>>現代
124世界@名無史さん:03/12/16 01:14
>>120

前も見かけた評価だけど、順治帝って名君なのかな・・?
前半はドルゴンにあしらわれ、後半は漢民族の文化に熱中した
っていうイメージが強い。
125世界@名無史さん:03/12/16 01:28
順治帝の本名は、フリン。
126世界@名無史さん:03/12/16 01:31
>>125
いやぁん、課長のえっち〜
127世界@名無史さん:03/12/16 03:49
フリンの母も不倫。
128世界@名無史さん:03/12/16 08:49
ドルゴンって結局ちゃんと葬式行ってもらえたの?
乾隆帝あたりが、名誉回復したとか聞いたことがあるんだが
お墓とかあるんかなあ
129世界@名無史さん:03/12/16 19:36
>>127

ふーりんかーさん。
130世界@名無史さん:03/12/16 20:22
今の中国では賛美されてる明の時代は
中国の暗黒時代だったという人もいる。

宦官がはびこり、政治が腐敗し、
秘密警察が横行して人民の尊厳がふみにじられ、
飢餓と流民蜂起が頻発し、飢餓のために
人食すらはびこったという。

そんな時、長城を越えてきたのが満蒙八旗軍であった。
131世界@名無史さん:03/12/16 20:32
当時、北京、南京でも、儀杖隊が城外まで迎えにいき
城内では文武百官が整列さ、市民は香をたき、
「大清順民」の黄紙をかかげ
満蒙八旗軍を大歓迎したという。
清朝の風俗改良の命令で、進んで弁髪を
たくわえ、旗服を
着用した。

それほど明末の混乱はひどく、八旗は救世主ととらえられたのだった。
132世界@名無史さん:03/12/16 20:37
清朝に改良されずに生き残った中国固有の
風俗といえば纏足や宦官など
ろくなものがない。
133世界@名無史さん:03/12/16 21:20
>>131
「大順」政権にケンカ売ってるのか?
ダブルミーニング??
134世界@名無史さん:03/12/16 22:58
>>131
北京住民が清軍を歓迎したのは李自成が散々好き放題やってたからだろ
135世界@名無史さん:03/12/16 23:55
>>130
明末は日本でも評価されてきてるよ。
暗黒時代だなんて一方的な見方はとんでもない。
>131
『揚州十日記』などを見ると全てが歓迎していたわけではないと思うが。

>135
明末と言えば、学問的に顧炎武や黄宗羲など大学者のかなり高いレベルの研究
も残っており、後の清代考証学につながっていますね。
137世界@名無史さん:03/12/17 00:28
>>128
ドルゴンが死んだ時は皇帝と同等扱いで葬られたけど、
無論、順治帝は生前も良くは思っていなっかたみたいですが、
噂になびいた行動をしてしまったのはその後じゃなかった?
138世界@名無史さん:03/12/17 01:57
>>130

岸本美緒を読め
139世界@名無史さん:03/12/17 01:59
>>131

漢人が進んで薙髪令を受け入れたっていうソースは?
かなり抵抗してるはずだけど
140世界@名無史さん:03/12/17 02:11
ドルゴンって、順治帝と仲悪かったの?
141世界@名無史さん:03/12/17 02:53
>140
ないがしろにしてただけさ
142世界@名無史さん:03/12/17 14:59
官は従い、民は従わず
男は従い、女は従わず
生者は従い、死者は従わず
  :
  :
あと何だっけ?
143(・∀・)ニヤニヤ:03/12/17 22:48

>>142 「生者は従い、死者は従わず」の意味するところは何か知ってまつか?

・・・と訊いてみたり。www
144世界@名無史さん:03/12/17 23:18
>>130
明朝は確かに暗黒時代だな。洪武帝の大粛清の後も、
皇帝が変わるたびに、側近の大粛清が行われてたし。

政体は完全皇帝独裁体制にとってたにもかかわらず、暗君だらけ。
政治は側近にすべて丸投げ。
宦官の専横もあったけど、所詮その宦官だって
皇帝の信任の上での専横であって、絶対に皇帝に逆らえない。

暗君の代名詞の万暦帝だって、25年間、朝廷に出ず、
贅沢三昧の生活に明け暮れてたても48年も帝位にいたわけだし。

よくも300年ももったもんだと思うね。
145世界@名無史さん:03/12/17 23:25
>>144
もっとちゃんと本を読んで勉強してからおいで。
146世界@名無史さん:03/12/17 23:27
王朝の評価だけで暗黒「時代」となるのは納得できませんな
147世界@名無史さん:03/12/17 23:37
>>145
チミはどれほど勉強したかしらんがな。
144は結構、的を射とるとおもうな。

チミの勉学知識をこの場で披露してくれたまえよ。
148世界@名無史さん:03/12/17 23:43
>>144=>>147っぽいなw

149世界@名無史さん:03/12/17 23:45
>>明朝は確かに暗黒時代だな。

今時、こんな一方的な評価下してるの
なんて流石の大陸でもいないと思うよ。
150世界@名無史さん:03/12/17 23:58
モンゴル史学者に影響されてるんだよ
151世界@名無史さん:03/12/18 00:24
今時、こんな一方的な評価下してるのなんて
流石の大陸にもいないとおもうが、日本にはいる。
「清朝は確かにすばらしいな。
  台湾をくれたし、賠償金くれたし
  朝鮮もくれたし、
  日露戦争も中立守ってくれたし。
  満州の権益は黙認してくれたし、
  軍隊の駐屯もみとめてくれたし」



明朝は
 
152世界@名無史さん:03/12/18 01:56
元朝は?
153世界@名無史さん:03/12/18 07:34
ゴシックは
154世界@名無史さん:03/12/18 09:29
ヒエログリフは?
155世界@名無史さん:03/12/18 11:29
ゴシックロリータは?
156世界@名無史さん:03/12/18 15:33
前スレは岡田信者とアンチ岡田の壮烈な撃ち合いでしめたが、
今スレは杉山信者とアンチ杉山の密かな鞘当てからはじまった。
157世界@名無史さん:03/12/18 21:16
清に抵抗しつづけたのは主に明の御用学者達。
彼等はその学論からして抵抗しないわけにはいかなかった。

たしかに頻発する内乱や対外戦争と
それにともなう重税や徴兵で
庶民にとっては明は厳しい時代であったであろう。
158世界@名無史さん:03/12/18 21:21
政治的にも宦官の専横や
秘密警察東廠による人民弾圧で
たしかに一般庶民からすれば暗黒時代でもあった。
159世界@名無史さん:03/12/18 21:28
144の意見は決して一方的な評価でなく
明、清の歴代皇帝を並べてみれば
両王朝の評価はおのずとわかるはず。

暗君の多い明に対して
清では暗君と呼ぶほどの悪政を行った
皇帝はほとんどいないと言っていいだろう。
160世界@名無史さん:03/12/18 21:33
皇帝ではないが、清には西太后ってのがいるな。
161世界@名無史さん:03/12/18 22:31
改革に燃える光緒帝を幽閉しやがったしな。
光緒帝は名君の素質があったのなあ。
162世界@名無史さん:03/12/18 22:44
すべての権力が皇帝一人に集中してるのに、
その権力を使いこなせる皇帝がほとんどいなかった
のは明王朝の悲劇。

とはいえ、その皇帝独裁のおかげで
王朝を300年をもたせたのかもしれない。
所詮、宦官も外戚も政治権力を委任されただけで、
皇帝を思いのままにあやつれなかったわけだし。

清王朝は、宦官を政治関与を完全に禁止して
滅亡まえ宦官が表舞台に出ることはなかった。


163世界@名無史さん:03/12/18 23:00
乾隆帝は実は漢民族の血をひきで、
祖父にあたる康煕帝がその英明さにほれ込み父のあたる
雍正帝を後継者にしたと呼んだことがあるが・・・
164 ◆YqSyv9RcjY :03/12/18 23:38
>>157 ヨタちゃんハケーン。

 前スレのアンチヨタは、ヨタ(デタラメ・勘違い・デンパ)に対して
 アンチなだけで、べつに岡田信者でもなんでもないよ。
165世界@名無史さん:03/12/19 00:39
清朝についてはくれぐれも慎重に。
166 ◆YqSyv9RcjY :03/12/19 00:55
>>165 定番のダジャレですな。
167世界@名無史さん:03/12/19 01:38
志位委員長
168世界@名無史さん:03/12/19 09:48
>>163
乾隆帝の母方が漢民族?
169世界@名無史さん:03/12/19 15:17
>>163
雍正帝は、親父の遺言状を改ざんしたんじゃなかったけ?
かなーり信憑性のある説らしいよ。今日の講義で先生が言ってた。
歴史家の間でも定説らしい。
170世界@名無史さん:03/12/19 15:36
>>163
はて。
康煕帝は皇太子選びですったもんだを繰り返した末に、臨終の床で雍正帝を指名したんじゃ?
んで雍正帝からは生前には皇太子を指名せず、「正大光明」額に後継者名を隠しといて、
崩御後にそれを開封して初めて後継者が明らかになる、としたんだから、
康煕帝が孫の英明さに云々ということは無かったのでは?
171世界@名無史さん:03/12/19 15:54
>>170

康熙帝が狩猟に出かけたとき、同行した孫のひとりが熊かなんかを
あやういところで仕留めて「この子には幸運がついている」とかなんとか
以後目をかけてあげた。それが後の乾隆帝。この孫を皇帝にしたくて、
その父親(康熙帝にとっては息子)の雍正帝を中継ぎで皇帝に。
172世界@名無史さん:03/12/19 16:30
あやめさん、出番です。
173世界@名無史さん:03/12/19 16:39
前に宮崎市定著『雍正帝』読んだけど、すっかり忘れちまったな。
174世界@名無史さん:03/12/19 17:00
ゴールデンレター
このスレを見た人はコピペでもいいので
30分以内に7つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白され、17日後に
あなたに幸せが訪れるでしょう
175世界@名無史さん:03/12/19 18:00
>>174はいわゆる「幸福の手紙」という犯罪行為か。
176世界@名無史さん:03/12/19 19:48
光緒帝
康有為

による戊戌維新が成功していれば
清朝の崩壊はさらに遅れただろう。
177世界@名無史さん:03/12/19 20:45
>>176

鶴の一声じゃ官僚機構は変わらないよ。
178世界@名無史さん:03/12/20 05:15
>>169
雍正帝が遺書だが遺言だかを改ざんしたのは流布してる説だけど
定説というわけでもない。だが内外の研究者によれば極めて不自然な
状況で皇帝になったということは確かなようだ。即位を幇助した重臣が
多く殺されているらしい。
179世界@名無史さん:03/12/25 18:09
>>130-131
黄文雄厨房かな。
彼は漢族でありながら
漢族が嫌いなだけ。
180世界@名無史さん:03/12/25 18:38
満州族は、再び立ち上がる。期待して!
181世界@名無史さん:03/12/25 20:36
映像の世紀、清朝末期の映像があったが、辮髪していない男が映っていた。

「辮髪結っていないと死刑」は、清朝を通じて守られていたのか?
182世界@名無史さん:03/12/26 19:56
たしか末期の改革で弁髪を辞めようとしていたのがありますよ。
183世界@名無史さん:03/12/26 21:25
太平天国=長髪賊
184世界@名無史さん:03/12/26 22:27
このあいだ歴史の先生から清王朝の役人は金玉がないって聞きました。
これって本当ですか?本当だったらどうやって取ってたんですか?
昔だから麻酔とかもなさそうだし・・・。
>184
それは"宦官"のことです。別に清朝に限らず中国歴代の王朝には必ずと言っていいほど
いましたし、ヨーロッパやアフリカの王朝にも存在していたことがあります。
「宦官」や「去勢」で調べればいくらでも出てきます。
186世界@名無史さん:03/12/27 04:01
そもそも弁髪って、満州族にはいつ頃からある習慣なの?
187世界@名無史さん:03/12/27 08:17
188世界@名無史さん:03/12/27 08:19
>>187
結構生々しい文章だな。
つーか蒼天航路の一コマは意味が違うよな。
189世界@名無史さん:03/12/27 09:58
総理各国通商事務ガ門について熱く語ってください。
190世界@名無史さん:03/12/27 14:53
>>189
総理各国通商事務衙門ね。ちゃんとフォントあるよ。
191世界@名無史さん:03/12/27 22:43
192世界@名無史さん:03/12/27 23:42
>>186
「満州族には」とか言ってる時点でちとずれてる。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4271_6216.html
あたりを基本としたうえで、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/benpatu/bebebebenpatu.html
でも読め!
193世界@名無史さん:03/12/29 01:26
きも・・・。
194:03/12/29 01:27
後清帝國の誕生は近い!
195世界@名無史さん:03/12/29 05:14
てか、明朝成立以後の元朝の子孫の王朝は「北元」なんだよね?
だったら、満州国もこれにならって「北清」とかって国号にしておけば、良かったかも。
196世界@名無史さん:03/12/29 09:05
「北元」は歴史上区別するための呼称であって自称は「大元」のまま。
197世界@名無史さん:03/12/29 09:18
同じく「南明」もあるわな。こっちも国号は「大明」のままだが、区別するためにそう呼ばれている。
198世界@名無史さん:03/12/29 09:37
>>195
満洲は具体的にどういう国にするか未定のままなし崩しにできたから。
当時は清朝復活なんて時代錯誤でとんでもないという風潮の方が主流だった。
それで「満洲国」が「満洲帝国」になってからも
国内の非満族(具体的には漢族)や長城以南の中国に配慮して
清とはせず地名の満洲(マンチュリア)のままにしたものと思われ。
もし今まで継続して存在していれば今頃は「大清帝国」にかえよう、という声が出てたかもしれないね。

>>196-197
劉備の蜀も本当は漢。松本零士の漫画で劉備の軍勢の旗に「蜀」と書いてあったのは思いっきり萎えた。
199世界@名無史さん:03/12/29 17:21
>198
溥儀以外の人間を擁立していれば
(「帝国」の復活など願わず、「執政」の肩書き供与&身分保障したら喜んで傀儡演じてくれる人)、
今日に至る誤解の種を蒔かずに済んだかもね。
漢族で分離主義的な満洲土着の有力者とか。
200ふぃ:03/12/29 18:53
愛新覚羅氏は、朝鮮人ではない。名前に使われた漢字の中に「新」と「羅」が、
あるばかりに、「新羅」と結びつける電波があるようだ。それは捏造ではないのか。
そういう主張をする連中を知っている。彼等の不明を糾すことが、今、求められている。
201世界@名無史さん:03/12/29 22:26
>>198
満洲は地名じゃなくて民族名
文殊菩薩に由来する民族の自称
202198ではない:03/12/29 23:14
>>201
モンゴルみたいに地名に転化はしなかったのですか。
203世界@名無史さん:03/12/29 23:33
一応、中共のいうところの中国東北部を指す広域地名として、「満州」という言葉はかなり一般的だったと思うよ。
204世界@名無史さん:03/12/29 23:41
今日書店で明代史のО崎先生の講義録みたいな本を見つけた。
この先生って一体・・・・!?
205世界@名無史さん:03/12/30 00:23
総理衙門の話はまだですか?
206世界@名無史さん:03/12/30 06:40
還珠格格って実在したの?
207世界@名無史さん:03/12/30 08:55
>>198
むしろ満洲国が国号を「清」にしてたら
今の政府は後継者だから全領土を相続するって論理は使えなかったんじゃないか?

今から見ればどうとでも言えるんだがw
208世界@名無史さん:03/12/30 08:57
明も元の全領土相続なんてしてないしね。
209世界@名無史さん:03/12/30 18:05
>>198
>もし今まで継続して存在していれば今頃は「大清帝国」にかえよう、という声が出てたかもしれないね。
満洲国は結局、1937年に日本語を第一公用語にしたりして、
朝鮮、台湾と違いテンポは緩やかだけど、同化政策を採用したからな。
目標はあくまで友邦国民としてのアイデンティティ育成だけど、日本とは不可分の関係となる。
だから現地人や満洲皇室が満洲国の実権を手に入れない限り、
成立の起源が日本とは無縁な「大清帝国」への国号変更はちと無理がある。
210世界@名無史さん:03/12/31 05:06
>>209
公用語は日本語だけ?
満州語は公用語の一つに成らなかったの?
211209ではない:03/12/31 08:03
とりあえず紙幣には満洲語が使われていたな。金額表記だけだが。
212世界@名無史さん:03/12/31 09:55
満州語はほとんど廃れた言語だったんでしょ?
>209
満洲国の紙幣に使われているのは満洲語ではなくモンゴル語。
214世界@名無史さん:03/12/31 17:42
女真族の氏姓苗字(?)にはどういうものがあるんでしょうか?
愛新覚羅、完顔、耶律くらいしかわかりません。
冬厨ですみませんが教えてください。
215世界@名無史さん:03/12/31 17:58
耶律は契丹人だろ。
216院生B:03/12/31 18:30
>>213
 圏点がはいってるんだから、満洲語だろうが。この無知め。

 これだから、マイナー言語をうれしそうにふりかざすヤツはダメだな。

 学部生のうちは、ひたすら漢文の習熟に努力していればいいのだ!
 
217世界@名無史さん:03/12/31 18:51
>>216
まだいたのアンタ?
218世界@名無史さん:03/12/31 19:20
>>203
「州」じゃなくて「洲」ね。字の意味自体が違うので「州」を使うのは誤りだそうだ。
で、中国で広域地名として認知されて他のかね、じっさいのところ。
欧米からはManchuriaと呼ばれているから、欧米からは認知されていたのだろうけど。
中国人からすれば「満洲」は支配民族の名称に過ぎなかったのではないだろうか?
219世界@名無史さん:03/12/31 19:42
>>213
いい加減アカポスをゲットしたら?
万年院生さん。
220世界@名無史さん:03/12/31 23:49
>>214-215
それより元朝の帝室の姓はなに?
221院生B :03/12/31 23:57
>>220  ボルジギン。
 モンゴル史の基本中の基本中だろうが。

 これだから、マイナー言語をうれしそうにふりかざすヤツはダメだな。

 学部生のうちは、ひたすら漢文の習熟に努力していればいいのだ!
222219:04/01/01 00:03
ぐわっ間違えた。
219のレスは院生B宛てです。
自転車小僧さんごめんなさい。

>>221
あいかわらずむかつく。
>院生B
満洲国の紙幣にあるのはモンゴル語です。清朝の銀貨には確かに満洲語が刻まれてますが。
224世界@名無史さん:04/01/01 02:36
>>217
どうせニセモノでしょw
225世界@名無史さん:04/01/01 15:27
満洲じゃなくて滿洲では?
226世界@名無史さん:04/01/01 16:08
いっそのことマンジュにするか。
227世界@名無史さん:04/01/01 16:19
>>223
清朝に銀貨はなかったと思うが。
銅銭のことかな?
228自転車小僧に非ず:04/01/01 16:53
229世界@名無史さん:04/01/01 22:35
227>>228

ほんとだ。王朝最末期に鋳造したのかな?
情報感謝。
230世界@名無史さん:04/01/02 00:03
光緒・宣統が銭銘になっているから、王朝末期なんだろうね。
穴銭と違って打製だから表面がツルツルだね。
231世界@名無史さん:04/01/02 00:12
乾隆帝が、グルカ戦争のあと、チベットに流通していたネパール銀貨を駆逐するために
インド・ネパール系の銀貨を鋳造している。
232世界@名無史さん:04/01/03 02:43
初歩的な質問ですまんが、清朝の納税って現物と銅銭でするんだっけ?
233世界@名無史さん:04/01/03 04:02
宣統帝ってなんで謚号がないの?
哀帝でも献帝でもなんでもいいから、付ければいいのに。
234世界@名無史さん:04/01/03 11:21
>>233
付けるべき王朝が存在しないからです。民国も共和国も「王朝」ではありませんから
235世界@名無史さん:04/01/03 20:31
そもそも廃帝には謚号を付けないのでは?
それに宣統帝は庶人として亡くなったのでは?
236世界@名無史さん:04/01/04 09:07
流れを中断するようで悪いけど、清朝草創期にドルゴンとともに順治帝を支えた
鄭献親王ジルガランの評価ってどうなんでしょうか?
237世界@名無史さん:04/01/04 12:08
知るからん。
238あやめ:04/01/04 15:27
てゆうか謚号という封建遺制を維持しようというモチベーションが消失して
しまったからでしょう。
宣統帝は退位後に世間では「遜帝」などと呼んでいましたが、未崩の君なので
通称に過ぎません。それでも彼がおとなしく晩節を全っとうしていれば、或は
中華民國でも前代の天子に対する相応の礼を尽す意味で、然るべき謚号を撰び
上まつった可能性はあります。李氏朝鮮の高宗や純宗の廟号はたしか大韓民国
光復後に追上したもののように思います。
しかし溥儀が「偽満洲帝國」の皇帝になった時点で民国を裏切った漢奸とされ、
戦後も汚名は払拭されないまま庶民として死去したので、人民共和国では勿論
民國でも彼に対して贈謚しようなんて発議ははなから出なかったわけです。
「末代皇帝」という俗称は単に清朝の最後の君主という意味ばかりではなく、
始皇帝を初代とする「皇帝」の最終の人物というニュアンスが篭められています。
239世界@名無史さん:04/01/04 15:40
お、久しぶりにあやめさん見かけた。
240世界@名無史さん:04/01/04 17:13
謚号のない皇帝といえば他には南宋の趙えい(第九代皇帝)とかもいるな。
モンゴル族は南宋のことを「前王朝」とは認識していなかったのかな?
241世界@名無史さん:04/01/04 17:29
モンゴル人相手に道理を説くなよ。
242世界@名無史さん:04/01/04 17:59
アイゴー
243世界@名無史さん:04/01/04 20:24
>>241
ワラタ
244世界@名無史さん:04/01/04 21:09
>>241
朝青龍が先代高砂親方の葬式を無断欠席したのも、
人を葬らないモンゴル風の倫理だったのかね?
245世界@名無史さん:04/01/04 22:04
>>236
濟爾哈朗は入関後はぱっとしなかったから、別に評価はされてないんじゃない?
多爾袞死後の阿濟格粛清には一役買ったけど。
246世界@名無史さん:04/01/04 22:26
ジルガランにしても、あと康熙帝の取り巻きとかベイレとかその辺り
詳しい人いないのよ。ほんとにいないんだから。
247世界@名無史さん:04/01/05 20:14
満州人名は片仮名を併記してくれ。
わけわからん。
248世界@名無史さん:04/01/05 22:35
濟爾哈朗=ジルガラン
多爾袞=ドルゴン
阿濟格=アジゲ
亀だが、神田信夫先生が昨年12月30日に82歳で肺炎のために亡くなられた。
ご冥福を祈りたい。
250世界@名無史さん:04/01/06 00:22
>>249
それは知らなかった・・・
卒論で神田先生の論文にかなりの部分依拠したのにな・・・
ご冥福をお祈りします。
251もう帰らない…:04/01/06 21:36
ドルゴンとかジルガランとか、
まるで怪獣の名前みたいでカッコいいよな、
なんて思ってた厨房時代の夏休み。
252世界@名無史さん:04/01/06 22:04
アジゲとかアバタイとかマングルタイとかホーゲとかもね
253世界@名無史さん:04/01/07 00:22
清とビルマの戦争について語りましょう。
清はビルマに完敗したのに、教科書では侵略は成功し属国化した。なんて表現がされてるね。
254世界@名無史さん:04/01/08 01:48
19世紀以降の清王朝の衰退には『美』
のようなものを感じる。「幽遊白書」で
戸愚呂兄にしだいに体を乗っ取られていく
グルメのようだ。
255世界@名無史さん:04/01/09 02:23
>>254
清の衰退のどこに美があるんだ?
中国王朝でもっとも醜い衰退をだった。ラストエンペラーのせいかな。
むしろ衰退に美を感じるのは南宋や明のほうだな。
256世界@名無史さん:04/01/09 05:25
きれいはきたない
きたないはきれい

・・・・・・ってことで
> 中国王朝でもっとも醜い衰退をだった。

明とか、六朝の宋のほうがもっと醜いよ。
258世界@名無史さん:04/01/09 13:07
まあ、清は最盛期がすごかっただけに衰退ぶりはひどく見えるな。
明なんか最初から醜いだろ。w
259食人スレからコピペ:04/01/09 17:41

清の順治9(1652)年、南に逃げた明の残兵が新会の県城を包囲し、
場内が飢餓に見舞われた際、清の官軍は住民を殺して食糧に当てた。
ある将軍が老婆を食べるために殺そうとしたところが、莫という婦人が老婆の
命乞いをした。将軍は老婆を解放し、かわりに莫婦人を煮て食べた。
李婦人は夫を兵士に連れ去られた。婦人が泣いて懇願することには
「夫にはまだ子供がありません。このままでは血筋が絶えてしまいます。かわりに
私を食べて下さい。」
兵士は李婦人を煮て食べ、骨をその夫に与えて埋葬させた。
またある時、周辺数百人の農民が保護を求めて城内へ立ち入ろうとした。
県令は許さなかったが、例の将軍は「城内に入れろ!いざというときは我々の
十日分の食糧となる。」と、彼らを城内に避難させた。
城は八ヶ月に渡って包囲され、一万人もの住人が清の官軍に食べられた。
戦乱が収まった後、将軍が道を歩いていると一人の男が彼を跪いて拝んだ。
訝しがって訊ねる将軍に彼は答えた。
「私の両親も妻も皆あなた様の腹の中で眠っております。彼らには墓がありませぬ
もうじき寒水節だというのにあなた様の腹を拝まなければ他の何を拝めば
良いのでありましょうか」
さすがに将軍は恥じ、逃げるようにその場を去ったという。


満州族にも食人の習慣があったのか?
それとも清に帰順した漢民族が人を食ったのか?
260世界@名無史さん:04/01/09 20:11
我々中国人は、人間を食べたりなんかしない。
異論がある香具師は、食ってやる。
261世界@名無史さん:04/01/10 13:29
>>259
出典はなに?お前の妄想?
262世界@名無史さん:04/01/10 15:29
>>217
 > どうせニセモノでしょw

いいえ。「院生B」は、もともと「★☆ 清 朝 ☆★ 」スレの309により、

 ・知識を振りかざして後輩を罵倒
 ・カンブンの習得を絶対視し、非漢語のアジア言語の習得の意義を矮小化

などによって後輩をスポイルすることを好む人物として設定されたキャラク
ターです。

上記の設定にしたがって発言すれば、あなたもホンモノの「院生B」です!!!
263世界@名無史さん:04/01/10 18:05
関西の図書館で、「清史稿」(漢字間違えてたらスマソ)を閲覧できる所は
あるのでしょうか?よろしければご教授ください<(..)>
264高校生:04/01/10 18:39
今日映画のラストエンペラーを見たら途中で寝てしまったが
やっぱり中国を一語でかたるとしたら「宦官」だなと思った
265世界@名無史さん:04/01/10 18:46
>>263
京大の文学部の図書閲覧室には入口を入って左手奥に『史記』、『漢書』から
『明史』、『清史稿』まで揃えた本棚があったな。
閲覧室までなら書庫と違って出入り自由だから、部外者でも
京大生のフリして入って見てきても怪しまれないだろうなw
コピーをするとなると事前に身分照会やなんやらの手続きが必要だけど。
266263:04/01/10 18:57
>>265
ありがとうございました。
大阪市大レベルの図書館じゃ置いてないでしょうね・・・
267世界@名無史さん:04/01/10 19:07
259の話のソースは、徳間書店「酷刑」だそうだ
268世界@名無史さん:04/01/10 21:51
列強が中国進出したとき、清朝だから中国は半植民地ですんだ。
もし明朝末期の用な状態だったら完全に植民地にされてた
ような気がする。
269世界@名無史さん:04/01/10 23:11
清朝だからってのは関係あるのかな
列強各国の利害関係だけでそうなったって気がしますが・・・

十全老人萎えsage
270世界@名無史さん:04/01/11 00:54
>>263
滋賀県は、湖南省と姉妹自治体の提携をしており、滋賀県立図書館の「湖南省
文庫」のなかに清史稿が入っているよ。瀬田駅から直通バスで20分。

京大から、今出川通を東にむかって移動、白川通との交差点のひとつ手前。紺
屋のところで右折し、最初の角をさらに右折、今手川通の一つ南の筋を、こん
どは京大方向にむかって進むと、左手に「朋友書店」という中国書籍点がある。

 そこへいくと、清史稿の中華書局版が、9000程度で買えるよ。
271263:04/01/11 01:42
>>270
貴重な情報ありがとうございます!
誠に厚く御礼申しあげます<(__)>
272世界@名無史さん:04/01/11 16:57
>>270
 滋賀県立図書館の蔵書検索で調べたが、正史でひっかかったのは史記くらいだぞ。
 所蔵しているけど未登録、ということもあるから所蔵の有無は不明だが、263は
 電話して確認してから行くように。
273世界@名無史さん:04/01/11 21:56
>>262
>>設定されたキャラクターです。

ライバル役の院生Cが自作自演していたことも多かったがなw
274世界@名無史さん:04/01/11 22:23
>>273
 院生Cもキャラ。
275世界@名無史さん:04/01/11 22:27
>>274
漏れは院生Bと院生Cをそれぞれ一回やったぞ(w
ちなみに>>216とかの一行空けの香具師は漏れじゃない。
>263
『清史稿』ならネット上でも読めるよ。ただし、校正がしっかりしていないのと外字処理
に難点があるところが多いんであくまでも参考でしかないけど。

熾天使書城(GB)
ttp://www.angelibrary.com/oldies/qsg/index.htm
亦凡書庫(GB)
ttp://www.shuku.net:8080/novels/history/qsgskym/qsg.html
百万書庫(GB)
ttp://www.millionbook.com/lszl/k/keshaomin/qsg/index.html
逸海書城(GB)
ttp://www.easysea.com/lishi/kesm-qingsg/index.htm

下の2つは校正が割合しっかりしている。
中央研究院 漢籍電子文献 瀚典(BIG5)
ttp://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
国学網站(GB)
ttp://www.guoxue.com/shibu/24shi/qingshigao/qsgml.htm
277世界@名無史さん:04/01/12 01:52
【海南】跪いて謝罪する「東条英機像」を製作(写真)
ttp://www.people.ne.jp/2004/01/10/jp20040110_35732.html

海南省のあるホテルに8日午前、日本のA級戦犯である東条英機が中国の人々に
跪いて謝罪する彫刻が登場し、市民の注目を集めている。

彫刻は、ホテル側が「現代の若者が歴史を忘れず、中華民族の再興という使命を
担っていくように」との願いを込めて特注したものという。(編集UM) 

「人民網日本語版」2004年1月10日
278世界@名無史さん:04/01/12 16:21
【河北】跪いて謝罪する「毛沢東像」を製作(写真)
ttp://www.people.ne.jp/2014/01/10/jp20140110_35732.html

河北省のあるホテルに8日午前、「大躍進」「文化大革命」等の失政
により3000万人の中国人民を餓死・迫害死においこんだ最高責任者であ
る毛沢東が中国の人々に跪いて謝罪する彫刻が登場し、市民の注目を集
めている。

彫刻は、ホテル側が「現代の若者が歴史を忘れず、中華民族の再興という
使命を担っていくように」との願いを込めて特注したものという。(編集UM) 

「人民網日本語版」2014年1月10日
279世界@名無史さん:04/01/12 20:32
明の皇族がフリン様に土下座する像キボンヌ
280世界@名無史さん:04/01/12 22:20
       ○
     /ヾ|>
_| ̄|○ .<

      ↑
    順治帝 
281世界@名無史さん:04/01/13 00:16
そういや明日までに清朝時代のレポートださにゃ。

いちおータイトルは「朝鮮と女真と明朝」
282世界@名無史さん:04/01/13 01:10
>>281
随分と厨な課題だな・・・。
283世界@名無史さん:04/01/13 01:13
松浦某教授の専門分野か。
284世界@名無史さん:04/01/13 01:15
285世界@名無史さん:04/01/13 01:32
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
 ゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
  :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
  i!f !:::::      ゙、i
  i!ゝ!::::     ‐/リ
  i::/:、 :::、  /''ii'V
  ̄ハ:::::\ "''il|バ''
 ショカツリョウ
 諸葛亮 曰く
 「284の身元がばれました」
286世界@名無史さん :04/01/16 08:46
やはり中国が一番良かったのは、眠っている間に勝手に皇帝にされた
酒好きのおっちゃんが作った時代だな。
>286
あ、宋。
288世界@名無史さん:04/01/16 17:03
       ○
     /ヾ|>
_| ̄|○ .<

      ↑
↑    ドルゴン 
順ちてい
289世界@名無史さん:04/01/16 18:04
>>287
変な駄ジャレを書くな。
290世界@名無史さん:04/01/19 11:26
       ○
     /ヾ|>
_| ̄|○ .<

      ↑
↑    オーバイ 
康熙帝
291世界@名無史さん:04/01/20 00:38
       ○
     /ヾ|>
_| ̄|○ .<

      ↑
↑    雍正帝 
明菜
             .   ・ .ヽ○ノ
       ー○    . ,. _ノ
        ノヽ-=つ  ’'   (
         〈         ↑
         ↑      ヌルハチ
       遠嵩煥
293世界@名無史さん:04/01/22 03:17
294世界@名無史さん:04/01/22 12:50
       ○
     /ヾ|>
_| ̄|○ .<

      ↑
↑    和坤 
乾隆帝
295世界@名無史さん:04/01/22 13:26
雍正帝て、兄弟を投獄した挙句、犬とか豚て命名した人非人。

今も中国では、袁世凱の生家は公衆便所にされ、汪兆銘の像は唾を吐きかけるためにある。

罪人東条英機の像が、海南島のホテルにできたぞ。
大日本帝国軍旗を踏ますホテルだ。
296世界@名無史さん:04/01/22 13:27
犬や豚に人糞食わす国だぞ、中国は。
297世界@名無史さん:04/01/22 13:31
>>293

俺としては、東条英機より岸信介の像の方が面白いな。
298世界@名無史さん:04/01/22 13:32
裕仁に人糞ぶっ掛けようとしたオランダ人よりは考えているよな。
299世界@名無史さん:04/01/22 13:34
西太后の悪行てどこまで本当だったんだ?
300世界@名無史さん:04/01/22 13:40
しかし、一寸切りや皮剥ぎの刑は恐ろしいや。
禁書もね。
301世界@名無史さん:04/01/22 13:50
太平天国の最期に起きた事件が、元祖南京大虐殺です。

三光も、蒋介石に呼ばれたドイツのゼークト将軍指揮下の国民党軍が、
共産党側と目される地域で行いました。
302世界@名無史さん:04/01/22 13:51
墓を暴き、屍を鞭打つ。
303世界@名無史さん:04/01/22 20:09
>>291

雍正帝だけふんぞりかえってるのにワラタ
304世界@名無史さん:04/01/23 13:09
>>303
なぜ雍正帝が中森明菜をいじめているのかが分からないのですが・・・
305世界@名無史さん:04/01/23 13:32
             .   ・ .ヽ○ノ
       ー○    . ,. _ノ
        ノヽ-=つ  ’'   (
         〈         ↑
         ↑      例の170
    世界@名無史さん
306世界@名無史さん:04/01/24 16:19
中国ほど紀元前から食人をしていた国はない。
「喫人」という言葉さえあるからな。
飢えれば子供を交換して食べたほどだし、子路や韓信も処刑後その死体は
塩辛にされたと史記にちゃんと書いてある。
307世界@名無史さん:04/01/25 16:50
長崎のランタン祭ってなんですか?
この前ダイエーホークスの一選手が清朝皇帝の格好して皇帝パレードし
たみたいだけど。
308世界@名無史さん:04/01/26 14:19
>>306
日本でも首は塩漬けにするよ。
309世界@名無史さん:04/01/26 14:30
>>308
でも食ったわけでない。
子路や韓信の肉は細かく切られて配られた。
あと、地中海地方では首はオリーブ油付けにするね。
310世界@名無史さん:04/01/26 15:14
>>308
あくまでも首実検のため。終われば敵といえども返すか丁重に葬る。
311世界@名無史さん:04/01/27 19:47
>>310
飼い犬のエサにするのでは?
312世界@名無史さん:04/01/27 22:01
>>311
極めてありえない。
漏れが昔住んでいた宮城県仙台市に「蒙古の碑」というのがあった。
元寇で戦死した蒙古兵の首を弔ったもの。外国人でさえこうだから。
飼い犬のエサなんてのは大陸の発想だな。
313世界@名無史さん:04/01/27 22:56
>>312
仙台に「蒙古」?と思ってぐぐって見たけど
蒙古襲来とは関係なしって説もあるようですね・・・

清朝関係なしsage。
314世界@名無史さん:04/01/28 00:56
>>301
日本が最大規模で実行してしまったのは、
ちょっとやばかった。
皇軍が「人民解放軍」に成り損ねたのが残念。
315世界@名無史さん:04/01/28 02:00
>>304
雍正帝が自分の兄弟にアキナ、サスヘ(満州語で犬、豚)
という名前をつけて幽閉したから。
当て字でアキナ→明菜。
316世界@名無史さん:04/01/28 08:27
>>314 あんたの妄想の規模には及ばないけどな。
317世界@名無史さん:04/01/28 19:53
光=○○し尽くす
という使い方は、中国人は普通に使うらしいが、
日本人だと、カナーリ漢文に詳しい人以外は「(´д`)ハァ?」な用法。
318世界@名無史さん:04/01/28 22:10
つーか、漢文でも使う?「光=○○し尽くす」中国の俗語じゃないの?
319世界@名無史さん:04/01/30 00:29
304>>315
さんきう。中森明菜は中森ブタなのか。
320世界@名無史さん:04/01/30 02:18
>>317
いまよりずっとずっとそういう漢文に詳しい人が多かったことも事実。
小学校国語で『論語』読んでたくらいだし(ヘタしたら暗誦)。
今の小学生が少しでも論語の言葉そらで知ってたら賞賛するけど。
321世界@名無史さん:04/01/30 05:33
>>317
ようするに敵対陣営の戦術を批判して、
中国人が作った言葉。
日本人は原爆の残虐さと恐怖とを
「ピカドン」なる新語を作った。
322世界@名無史さん:04/01/30 05:35
誤記
>日本人は原爆の残虐さと恐怖とを
訂正
>日本人は原爆の残虐さと、それへの恐怖とを込めて
323世界@名無史さん:04/01/30 06:31
>ようするに敵対陣営の戦術を批判して、中国人が作った言葉。
ようするに自分らがやってるんだから「野蛮な」敵対陣営もやってるはず、と、
中国人が作った言葉。
324あぼーん:あぼーん
あぼーん
325世界@名無史さん:04/01/30 08:31
おれさまは帝国陸軍を愛するがゆえ、
自分の地位と名誉と生命を守るため、
忠臣の東条英機をはじめとした
忠勇なる陸軍の将官たちを切り捨てた裕仁を憎む。
愛国者ながら日本に妥協した汪兆銘と異なり
蒋介石は何はともあれ祖国を勝利に導いたが、
裕仁はたんに破滅へ導いたのだから、
蒋介石と比べてもさらにレベルが下だ。

「陸軍独裁」なんて裕仁や自分たちの首を守るため、
海軍やら宮中の重臣たちがでっち上げた
フィクションに過ぎない。
裕仁という薄汚い偽善者の爺いには、
死んでも靖国で英霊と相対する勇気などあるはずもなかろうから、
裕仁が靖国へ参拝しなくなったことを嘆く人に組する気にはなれない。



278 :世界@名無史さん :03/05/26 09:25
326世界@名無史さん:04/01/30 23:14
>>323
で、やっちゃったんだから仕方がないよ。
ゼークト将軍のようなドイツ軍人にこそ、
日本軍人の理想像があったのだし。
327世界@名無史さん:04/01/30 23:56
生き埋めなんて中国人以外は誰もやらんよ。
日本軍兵士が三十万人なで斬りしたって話なら納得するがなw
(信用はせんが。)

で、何のスレだ?
328世界@名無史さん:04/01/31 23:25
>生き埋めなんて中国人以外は誰もやらんよ。
三光作戦とは生き埋め作戦のことじゃないが。
もちろん誇張されている面もあるだろうけど。
中国語だから、どうのこうの、のお馬鹿な理屈をこねる人は
原爆を否定する人ですかね?
スレ違いだからサゲとくけど。
329世界@名無史さん:04/02/01 04:14
最近世界史板も少々荒れてるねえ。
まっ、スレ違いに反応してしまう漏れも厨房。

三光は確かに中国側呼称だよ。
日本側では燼滅作戦などと呼んでいた。
華北のほうで共産ゲリラ狩りを名目に苛烈な村落襲撃をやってたんだな。
実態としては殺しまくり、焼きまくりだから中国語だからなんつうのは言葉遊びにしかならんよ。
330世界@名無史さん:04/02/01 05:17
上の話題と関係ないけど、清史関係の一般書で
書店で入手できるのって、他の時代に比べて少なくないか?
331世界@名無史さん:04/02/01 17:49
>>330
辛亥革命とかを含めれば唐宋元明よりは多いと思うが
史記三国志にくらべりゃどの時代も似たり寄ったりだと思う
332世界@名無史さん:04/02/01 17:54
まず何よりも「清史」が(ry
333世界@名無史さん:04/02/01 20:15
共に同じく漢人の大官僚であっても
雍正帝&乾隆帝とに仕えた張廷玉(すぐにピンとくる人とサシで語り合いたいものだ)
西太后の下で淮軍首領として政治資本を蓄積した李鴻章とでは、
勢力に雲泥の差があると表現して過言ではないのだろうか?
334世界@名無史さん:04/02/02 02:16
>>333
何が言いたいの?政治資本?
張廷玉の名前くらいこのスレの住人なら知ってんだろ
335世界@名無史さん:04/02/02 03:17
>>329
ゲリラの戦力、兵器、拠点をゼロ化する基本的な戦術だよな。
日本軍だって馬鹿じゃないから当然やっていた。
「日本軍はそんな残虐なことをしなかった!」なんてことを主張する奴がたまにいるが、
それって「日本軍はゲリラを野放しするような馬鹿だった!」と言うようなもんだと気付け。
336世界@名無史さん:04/02/02 04:06
>>335
そ。対ゲリラ戦ではどの国でもやってるね。悲しいことに、それしか有効な手段が
ないから。

ヴェトナムではアメリカ軍が表立ってやるのはなんだったので主に韓国軍がやって
たし、チェチェンではロシア軍がプーチンの元で徹底的にやってた。
337世界@名無史さん:04/02/02 05:16
おいおい簡単に肯定すんなよ。

そもそも西欧式の戦法はゲリラ戦には通用しないってとこから
逆ギレ的なDQN軍事行動だろ。

ベトナムも勧告軍もチェチェンも褒められた前例じゃないが。
338世界@名無史さん:04/02/02 06:17
対ゲリラ向けの殲滅戦を肯定はしてないけど、現実は認めないと。
相手に殲滅戦をさせることもゲリラ戦の目的となっているんだし。

1. 現地の傀儡政権の警察力で摘発
2. それが手に負えなくなると、正規軍を投入してゲリラと対峙
3. 泥沼化してゲリラの拠点と思わしき村落を殲滅

んで、殲滅戦でもゲリラが生き残り、国内で相手国への敵意を増し、
さらに相手国の国内世論や国際世論にうったえかけることができれば大成功。
これが中国やヴェトナム。

そのまま殲滅されちゃうと、失敗。これがチェチェン。
339世界@名無史さん:04/02/02 07:12
>>336
少なくとも中共の場合は相手に殲滅戦やらせる目的じゃなくて、
40年百団大戦で共産軍により手痛い打撃を被った日本軍が、
華北農村地帯に根拠地を築いた共産ゲリラの根絶を狙い、
今度は共産側がひどい目に遭わされた類のもの。
南京戦と違い、中立国の人間の目が行き届かない「闇の戦い」だった。
しかし終戦前に中途半端なところで手を引いてしまったため、
結果的に後から毛沢東が感謝したように、
「悪役」「反面教師」としての立場から、
一息ついた共産党の政治統合力増大へと貢献した側面もある。
いわば占領したソ連領土におけるナチス軍のパルチザン掃討に相当するもの。

日本側が華北で実施した敵対地区無人化構想は、
ベトナムでの米軍による戦略村構想に引き継がれたが、
悲しいかな、ってか、
日本側はアフターケアができなかった(物資が足らなかったのと、チャンコロに施す熱意薄いのと)ので、
あるいはそれが暗黙の目的だった(共産ゲリラの潜る「人民の海」を徹底的に干し上げる)かで
大量の餓死者とか凍死者とか流浪者とかを出したのが、
「三光作戦」呼ばわりされる羽目となった(あるいは光栄か)。
ただ惜しいかな、せっかく上に記したとおり
「未治安地区」の人口を急減させたのに、
(概説書に統計数値が出てたと思う。見つけたらレスする)
44年の華中、華南で大陸打通作戦やるためだったかな、
貴重な農村駐屯の兵力を抽出し、
そのおかげで後から戦略的成果が無に帰してしまったのだ。


340339:04/02/02 07:23
まあ中共としては蒋介石政府軍こそを
日本軍が徹底的に叩いて欲しかったのだが、
もし日本が蒋介石政権と軍事対決しつつ
中共の天下とりの可能性を
日中戦争期間中、終始一貫して認識していたらね。
当時の日本の為政者の発想からして、
はじめから最後まで「三光作戦」を徹底して遂行し、
日支共通の敵たる「共匪」どもを殲滅か衰弱せしめたかもしれない。
そして後から蒋介石総統に心中ひそかに感謝された可能性も捨てきれない。

まあ大東亜戦争に敗北したから、ここまで責められているのだが。
341世界@名無史さん:04/02/02 19:19
>>333
勢力なら李鴻章の方が上じゃないの?
雍正帝の下でそんなことできそうにないもの・・・

っつーかオマイラ清朝について語る気なんか微塵もないんだなw
342世界@名無史さん:04/02/02 23:31
強引に清朝の話に戻すと・・・
光緒帝の変法運動が成功していたら・・・
袁世凱が寝返りをしなければ・・・

立憲君主国家となって、中共勢力が大きな力を持つ根を摘むことが
できただろうか・・・?
343世界@名無史さん:04/02/02 23:40
巧妙に「三光」や「中国共産党の栄光」を刷り込ませる遣り方か・・・
344世界@名無史さん:04/02/02 23:46
日本軍が占領してはじめて治安が安定した地域の方が圧倒的に多い。
そんな地域や都市が日本軍の撤退と同時に共産党一色になったのは、
日本軍占領以前の軍閥国民党コンプレックス支配を嫌ったからだよ。
つまり日本に協力していた人達が丸ごと共産党に寝返ったから、
国民党は日中戦争後に再開された国共内戦で簡単に放逐されてしまった。
345世界@名無史さん:04/02/02 23:49
本来なら国民党の牙城だった華中華南の沿岸地域も、
ことごとくが地域の人の繋がりごと共産党に寝返った。
何故なら彼等の首領である陳公博などが無情にも処刑されたりしたから。
まず日本軍占領以前の無法状態には戻したくなかった。
次に自分たちが裏切者として処断される事を怖れたからだ。
346世界@名無史さん:04/02/02 23:57
中国人は勝った方を賞賛し、負けた方を徹底的に貶めた。
南京が問題になるのも、ここが南京国民党政府の首都だったからだ。
中国には蒋介石の重慶国民党政府と、王兆銘の南京国民党政府と、
確かに二つの政府が存在していた。
前者は巧みに自分たちの存在をアピールし、
後者は自分たちの存在を貶めてしまった。
だから今でも中国では蒋介石の墓は整備されているが、
王兆銘の墓は爆破されて跡形もない。
347世界@名無史さん:04/02/03 00:00
イギリスはこうした歴史的経過を、
中国人にアジア政策を任せてしまったがために、
事実として直視できなかったが故に戦後のアジア地域で大失敗をする。
348世界@名無史さん:04/02/03 14:43
国共内戦スレに行けよ〜。
そんなのあるのか知らないけどさー。
ここは辮髪マニアの集う場所だろぅ・・
349世界@名無史さん:04/02/05 13:18
>>343-347
ソースは黄文雄系バカは
スレ違いでキチガイ。
350世界@名無史さん:04/02/05 19:11
清朝で対ゲリラ殲滅戦というと四川か…
351世界@名無史さん:04/02/06 05:48
いままでよく明とか宋とか漢のスレ覗いてきたけど、清関係のが
一番レベル低いぞ。やっぱり異民族系統の王朝に関心を持つやつらは
ダメヤンですか?
352世界@名無史さん:04/02/07 03:05
ヒサビサにイイ(・∀・)煽り!
353世界@名無史さん:04/02/07 04:16
院生B? 修論は提出し終ったの?
354世界@名無史さん:04/02/07 06:11
ダメヤンってなに。
ダメヤン・ハーン?
355世界@名無史さん:04/02/07 08:10
ダメヤン・ハーン!切り返しも(・∀・)イイヨー
356世界@名無史さん:04/02/07 08:56
近現代ネタも院生ネタもいらん。

辮髪を熱く語れ!
357世界@名無史さん:04/02/08 23:49
清が漢民族に辮髪押し付けたのは愚挙だな。
358世界@名無史さん:04/02/09 00:22
ラーメンマン
359世界@名無史さん:04/02/09 00:59
でも、清が漢民族にチャイナドレスを押しつけたのは賢明だよな。
360世界@名無史さん:04/02/09 10:27
それによって、ゆったりした着物文化が無くなったのだぞ!
361世界@名無史さん:04/02/09 10:54
>>359
「男は従い、女は従わず」の祖法で強制はできないんじゃないの?
362世界@名無史さん:04/02/09 12:55
旗袍(チャイナドレス)は清朝旗人の家の女性の衣服で、
清の時代には一般の漢族が着用する事は禁じられていたはずだが。
363世界@名無史さん:04/02/09 19:22
日本が開国して間もない頃の話。
東南アジアのとある国に貨物船が着き、総髪でゆったりとした服を着たアジア人が船から下りてくると、その土地の華僑たちが「華は漢人の国に戻ったのか?」と歓喜の色を見せながら近寄ってきたとか。
相手が日本人だと知ると、ショボーンとしながらトボトボと帰っていったというのもあったが。

男は胡服系だったの?
364世界@名無史さん:04/02/09 19:27
というか満洲人はズボンはいてたはず。
足を露出するのは漢人のアレンジだろ。
365世界@名無史さん:04/02/09 21:00
馬に乗るかどうかで服飾は全く変わるよな。
366世界@名無史さん:04/02/09 21:01
宦官になるためチンコちょんぎってきまーす!
367世界@名無史さん:04/02/09 21:34
今のチャイナドレスは20世紀に入ってからできた物で
伝統的な旗袍とはデザインがかなり違う
368世界@名無史さん:04/02/10 00:27
明治初期の日本に来た清国人が、日本人の着物を見て
「ここにはまだ明の習俗が残っている!」と感激した話はよく聞くね。
369世界@名無史さん:04/02/10 00:39
朝鮮通信使の装束を見た江戸時代の文人も感動してたなー
370世界@名無史さん:04/02/10 00:42
明から清になったときに人口が1/6になったそうで。
371世界@名無史さん:04/02/10 00:43
四川省では明末、大量虐殺があったそうだね。
372世界@名無史さん:04/02/10 00:44
つーか、6000万人あった人口が1000万人程度になってる
373世界@名無史さん:04/02/10 15:02
李連英!!!!!!ゆfdgvdさfgb
374世界@名無史さん:04/02/10 20:36
清史はいつできるんだろうな?
375世界@名無史さん:04/02/11 00:04
蜀碧真に受けていいのか?
376世界@名無史さん:04/02/11 14:03
>>330
そうでもない。他の時代に比べても大差なし。
近代以降の関連書も含めると清が一番おおいと思うよ。
一番少なそうなのは明かな。最近明関係では長城関係の
本が2冊出たのが目を引くぐらいだし。政治史関係はやっぱり
洪武帝・永楽帝ばかりだよね。他の皇帝がバカばかりだってこともあるが。
K先生が精力的に著作を出しているけど、やっぱり一般の中国史好きの
間では明という時代はよく知られていないと思う。
377世界@名無史さん:04/02/13 16:43
中国の中央電視台が放映した、
「康熙王朝」や「雍正王朝」は
ハルピンや大連、済南で
視聴率80lにも達したと聞いた。
これらは華北や東北といった地域だ。
一方、香港映画だと清朝皇族がよく悪役出演しているような印象が。

中国では現在も、どちらかと言えば、北方の人たちの方が清朝好きなのだろうか?
もちろん現実の政治問題にまで発展するような嗜好ではないだろうが。
378世界@名無史さん:04/02/15 17:46
映画のグリーン・ディスティニーって清代が舞台だと
思うけど、いつごろなのかな?
379世界@名無史さん:04/02/15 21:53
名帝として知られる乾隆帝はモンゴルのジュンガル部に侵攻して平定、
数十万人のモンゴル人を虐殺しているが、このことはあまり知られていない。
やっぱ昔女真族の金をモンゴル人に滅ぼされた恨みがあったんだろうな。
380 :04/02/15 23:18



    ヌ    ル    ヌ    ル    ハ    チ    ハ    チ














381世界@名無史さん:04/02/16 07:46
ドルゴンとかホーゲとかの勢力争いとかむちゃくちゃ興味あるんだけど
史料が実録ぐらいしかないので困ってる。噂では北京の古文書室にたくさん
資料があるらしいけど、順治期の史料ってあるのかな。
382世界@名無史さん:04/02/17 23:56
>>381
東華録とか八旗通志初集とか伝記の類をこまめに見るしかないのでは

順治時代の政治史については『史林』の谷井俊仁「順治時代政治史試論」に
先行研究が簡単にまとめられていた。
383世界@名無史さん:04/02/17 23:59
>>379
そんなに殺してないよ。でたらめぬかすな
384世界@名無史さん:04/02/18 02:07
>>382
やっぱりそうですか。
谷井先生の論文は読みました。
うちの大学には清の時代の専門家がいないので
どうしても情報が少ないんですよ。
385世界@名無史さん:04/02/18 16:51
>>383
いや、かなり殺してることは間違いないよ。
平定後ジュンガル部の本拠地のあったイリはほとんど無人状態になったらしい。
>385
そこへ錫伯営を移住させたんだね。
387世界@名無史さん:04/02/18 17:41
四川でもかなりの虐殺行為しているんで、ジュンガルだってしている可能性は高いわな。
人口の差があるから、四川のほうが虐殺数ははるかに多いだろうけど。
388世界@名無史さん:04/02/18 18:56
『最後の遊牧帝国―ジューンガル部の興亡』(講談社)なんか読んでみると、
ジュンーガル部の全滅の原因については天然痘の大流行説もあるらしいが。
389世界@名無史さん:04/02/19 17:42
どっかの国みたいに「天然痘患者が使った毛布」とかやったわけじゃないよね?

この手のは中国の方が上手だからなぁ。
390世界@名無史さん:04/02/19 23:20
大量虐殺ってやろうと思ってもなかなか難しいんだよね。
ナチスとかソ連みたいにかなりシステマティックにやらないと
効率よく殺せないから。前近代における虐殺事案はかなり
割り引いて考えるべきだと思う。インフルエンザや天然痘などの
伝染病のほうが軍隊よりもよっぽど殺しているしね
391世界@名無史さん:04/02/20 00:21
清の場合は17世紀中盤なんで、結構システマティックにやれる時代だったりする。
392世界@名無史さん:04/02/20 21:25
定住民ならともかく、遊牧民はムリやんけ。
393世界@名無史さん:04/02/20 23:47
>>391
当時の清朝の動員能力を考えればシステマティックにはできんだろう
394世界@名無史さん:04/02/21 01:37
そもそも女真族って狩猟民族っていうけど、モンゴルの影響を受けた
騎馬的なとこもあるんだよな。モンゴルのハンに持ち上げられてるってことは。
395世界@名無史さん:04/02/21 01:51
よく知らなくてすみませんが、
ジュンガル平定の時って、
やっぱり清はモンゴル騎馬軍団を投入したんですか?
だったら虐殺もありかも。
でも、どこでも昔は虐殺なんて当たり前だから、
それほど言うほどのものではないような・・・。
396世界@名無史さん:04/02/21 01:54
ネルチンスク条約では清朝がロシア相手に優位に立ったと聞いたが、それは本当ですか?
康熙帝がピョートル大帝を凌いだ、と?
397世界@名無史さん:04/02/21 03:13
>>395
わざわざ財産となる部衆を虐殺する理由があるのかと小一時間・・・
398世界@名無史さん:04/02/21 13:42
>>396
対等だったという方が近いのでは?
ロシア人の作った城を落としたのは確からしいけど。
中国王朝が朝貢させずに国境を決めるということ自体、対等でなければありえないでしょ。
399世界@名無史さん:04/02/21 18:35
早稲田の吉田先生の著作読もう。
ロシアーモンゴルー清の総合研究は、早稲田の吉田ゼミの俊英たちが
ぴかいち。
400世界@名無史さん:04/02/21 18:47
>>399
探すから、書名その他もう少し詳しく
401世界@名無史さん:04/02/21 19:03
>>391
ロシアーモンゴルー清で1セット区分って専門家じゃ一般的なのですか?

露−蒙、蒙−清はわかるんですが・・・素人でスマソ。
402世界@名無史さん:04/02/24 03:36
>>401
早稲田の柳澤明なんかはまさにこの3つすべてに通じた研究者だと思われる。
まだ中堅だがとにかくズバ抜けた存在。
403世界@名無史さん:04/02/24 15:09
>>402
内陸アジア氏関係だとやっぱり早稲田が一番でしょうね。
404世界@名無史さん:04/02/25 10:58
エホナラ氏族は、愛新覚羅氏族に殆ど部族全滅に追いこまれた、
当時エホナラ氏族の酋長は、「エホナラに女一人でも生き残ったら、必ずや
愛新覚羅を滅ぼす」と」言い残したそうだ。
慈禧太后はエホナラ氏族の生き残りの末裔だから、やはり、
復讐は達成された。
「西太后」の映画のオープニングから・・・
405世界@名無史さん:04/02/25 16:23
ところで満洲=女真族ってどういう生活してたの?
半農半牧とか狩猟民族とかいうけどモンゴル族みたいなはっきり
したイメージがないのでよくわかんないんだけど。
要はモンゴル的遊牧民と漢族的農耕民族を足して2で割ったようなものなのかな?
406世界@名無史さん:04/02/25 20:14
>>404
これフィクションだろ。
ヌルハチはイェへの頭を殺しただけで他は皆徙民した。
なんせ満洲人は恒常的な人手不足で困ってたからね。

というかホンタイジの母親もイェへナラ氏だ。
二代目でさっさと滅ぼせよ。
407世界@名無史さん:04/02/25 22:19
>>406
半可通。
408世界@名無史さん:04/02/25 23:11
清って本来満洲族が漢民族を「植民地支配」した国だろ。
ヌルハチが戦死していなければ、清っていうか金は中国完全統一はしなくても
満洲族の民族国家になってモンゴルみたいに今でも「満洲共和国?」があっただろうに。
これを考えると歴史って皮肉だな。
409世界@名無史さん:04/02/25 23:45
>>400
もの凄い勢いでロシアがやってきそうなヨカーン。
410世界@名無史さん:04/02/25 23:57
>>409>>408?
だとしたら
要するに清帝国が露助の南下を食い止めていたわけか。
後に傾いてきたころは民族の故地まで差し出してロシアと妥協してるしな。
漢民族があのまま政権を持ってたら宋時代みたいな勘違い中華思想で
ロシアの南下に歯止めがかけられないかもしれないしな。
結局のところ満洲族はわざわざ異民族の漢民族を明の圧政から解放してやって、
中国史上最高の統治で中国を世界史上最強とまでいわれる帝国にしてやって、人口も増やして、
自らは漢族に同化されて、故地まで漢族に流入されて、崩壊したら早速目の敵にされて、
そんでもってみんな漢族に同化したという、何とも自己犠牲的な民族だな。
清を挟んだ二つの漢族統一国家、明、中共は暗黒時代なわけだし。
明は朱元璋の大粛清、万暦帝の暴政、宦官の横暴が酷いし、
中共は毛沢東の無茶な政策や革命運動でものすごい犠牲者出して文化が荒廃したし。
中国はもう一回崩壊してチベット族あたりの異民族に統治されればいいんじゃ?
411名無的発言者:04/02/26 00:25
明が続いてたら、中近東状態になってたかもしれない。
李自成が天下を取っていたら、インド状態だったかもな。
412世界@名無史さん:04/02/26 00:30
>>407
院政B?
413世界@名無史さん:04/02/26 00:33
明末の文化の発展は清にも受け継がれてると思うけど。

チベット族の統治ねぇ。そりゃ中国が非武装平和主義になってくれたら
日本としては大助かりだけど・・・。
つーかありえん
414世界@名無史さん:04/02/26 00:44
清の当初の政治・文化の舵取りはほとんど明末の漢人知識人が
リードしてたんではないの? 康熙帝も南書坊とかつくって
政治させてるし。満人が行政能力的に漢人に追いつくのは18世紀以降だろう。
415世界@名無史さん:04/02/26 00:55
>>414
康熙帝は4代目だろ・・・
416世界@名無史さん:04/02/26 03:11
>>414
 中国人の科挙官僚が担当したのは中国の統治のみ。

 中国以外の、満州・モンゴル・東トルキスタン・チベットの行政をに
 なったのは、清末ギリギリまで旗人のみが担当。

 中国の統治に中国人の能力が高かったのはある意味当然だが、
 中国以外の清朝版図に中国人の手を借りねばならなくなったのは、
 清の滅亡直前。

 旗人たちの行政能力は、清初ほど高く、支配民族として貴族化する
 にともない、低下していったのである。
417世界@名無史さん:04/02/26 13:00
「幕友」のような私的スタッフなら、
清末以前から満洲・モンゴル・東トルキスタン・チベットへ
漢人も赴任していたよ。
あと旗人も「中国人」を自称していたのだから、
漢人と共に中国人扱いすべきだろう。
清初は「体育会系」の集団だった旗人が、
漢人の価値観を受容していく過程で、
「科挙官僚」は彼らにとっても立身出世の有力なルートとして浮上してきた。
ただし最後まで官界では漢人と比べ、遥かに優遇されていたと言って良いようだ。
418世界@名無史さん:04/02/26 14:19
>あと旗人も「中国人」を自称していたのだから、
> 漢人と共に中国人扱いすべきだろう。

その「自称としての『中国人』」とやらについてですが、

(1)旗人同士で、自身の属性を示す自称として用いた実例があったら挙げてください。

(2)旗人が、モンゴル人・チベット人・東トルキスタン諸民族に対して用いた事例があったら挙げてください。

(3)旗人が個々の漢人との会話・書簡等において自称として用いた例があったら挙げてください。

以上の例がないようなら、「旗人の自称」としては一般的ではない
のは明らかなので、「漢人と共に中国人扱い」することは、却下。
419世界@名無史さん:04/02/26 16:57
ところでモンゴル人・チベット人・東トルキスタン諸民族に対しては満洲人
の次に偉くて漢人より上、つまりモンゴル=元時代の北方民族ほど優遇するみたいな
措置は清にはあったのですか?
420世界@名無史さん:04/02/26 18:57
院生Bはマダ〜?
421世界@名無史さん:04/02/26 19:24
いらんものを召還するな
422世界@名無史さん:04/02/26 20:57
満人とかは漢文読めなかったやつが多かったのでは。
423世界@名無史さん:04/02/27 00:19
>>422
乾隆あたりになると満人が満文読めなくなってる。
424418:04/02/27 00:24
乾隆の後半から嘉慶にかけて活躍した祁韻士あたりは、満洲人よ、満洲
語を学べとアジる本を満語で書いてるよ。
425世界@名無史さん:04/02/27 01:20
>>420

ふたりとも来ているヨカーン。

今回演じているふたりはとても電波度が低いけど、
 満人の非中国的要素を矮小化しようとしている>>414= >>417が院生B、
 満人の非中国的要素を重大視しようとしている>>416= >>418が院生C、
の役割を、いちおうきちんと分担しているな。

中国史における非中国系諸民族の影響を否定・黙殺・矮小化につとめるよう
努力すれば、だれでも「院生B」になれるよ?

キミも、目指せ!院生B!!
426世界@名無史さん:04/02/27 01:42
>>424
でもほとんどの満人は読めなかったでしょ。翻訳科挙の有様を見れば・・・
427世界@名無史さん:04/02/27 10:22
417ではないけれど・・・
>>418
満洲旗人の文康の手になる
清代の北京在住旗人を描いた
長編小説『児女英雄伝』の表現を見れば、
明らかなんじゃないの?
邦訳は抄訳しか無いようだけど。
著者本人の価値観だけではなく、世相をも反映している作品だし。
白話小説らしく講釈師風の語り口だったけど、
文康その人自身が「わが中国」とか、そんな感じ。
主人公と父親との間で満洲語の会話もちょびっとあるけど、
その文脈で漢人への警戒心は語っていたが、
自分たちの事は、中華の人間と自負している人たちだった。
428世界@名無史さん:04/02/27 10:33
郭布羅氏婉容はかわいそうだ!歴代帝后寝宮に祭られることもなく、大栗子溝
で、ボロ雑巾みたいになって死んでしまった。
大婚前、景山で遊ぶ彼女は、とっても美人。
額爾得徳氏文綉は、特段美人でもなさそうだが、割り切りの良い人だったから、
多少生き延びれたとおもう。
一番許せないのは、宣統本人で、臣下に下った後、李淑賢と結婚している。
自分の妻が哀れな最期だというのに。
漏れ個人的には、「我が全半生」は皇后とともに、臣下に下ることキボンヌ

429世界@名無史さん:04/02/27 21:57
>>425
414だがおれは院生Bじゃないぞ。
ふつうに考えて初期の政治は漢人知識人が舵取りしてたと思うが。
まあ、漢軍を満人にカテゴライズするなら事情かわるかもしれん。
タテマエは満・漢人並列だとしても。
430世界@名無史さん:04/02/27 23:34
>>429
確かに投降漢人である洪承疇の功績は大だね。
431世界@名無史さん:04/02/28 01:07
>>429
漢軍八旗の日常会話はやっぱり漢語なんだよな・・・
三藩の呉三桂らは漢軍八旗に分類されるの?

>
432世界@名無史さん:04/02/28 01:14
老舎は貧しい満州旗人の家の生まれと聞いたことがあるけど、
実際どのくらいのランクだったのげすか?
433世界@名無史さん:04/02/28 01:33
久々にカキコ。
漏れは初代院生B、つか、
院生Bを初出して院生B本人扱いされた香具師だが、
今院生Bって何人居るの?
曲がりなりにも名物コテハン作ったことになって、なんか誇らしげな気分♪
434世界@名無史さん:04/02/28 01:48
>>431  順知期以前に降伏したから漢軍八旗。

>>433 院生Aは誰?
435425:04/02/28 01:50
>>429
 いやいや、君の演じている役割そのものが、「院生B」なのでつ。
 世界史板の議論である立場をとると、本人の自覚がなくとも、
 自動的に その人は「院生B」になってしまうのでつ。

 君の場合は、「院生B 的電波度」が著しく低いけど・・・。

 もっとエキセントリックに旗人とか清朝体制における中国的要素のタクエツを指摘し、
 なおかつ議論相手をアホ・デンパ・厨房などと罵ってくださると、「院生B」 のキャラ
 の理想型にいっそう近づくことになります。

 今dat落ち中ですが、サンプルは↓コチラ。「院生B」誕生の場でもあります。
 ★☆ 清 朝 ☆★
  http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1027552099/


>>433
 誰でも演じられるみんなの鼻ツマミ者の名物共有コテハンを生み出したアナタの功績は、
 世界史板においてその不朽の功績を末永く讃えられつづけるでしょう・・・。
436世界@名無史さん:04/02/28 02:01
みれないなー。
よく分からんのだが、中国的要素のタクエツって、儒教的思想の
浸透度とか漢字文化に対する清の受容の話なの?
437世界@名無史さん:04/02/28 02:09
>>436 多分、漢族王朝の明と、満族王朝の清はちがう!
   ということを積極的にとりあげていく方法論を否定
   してるんだろう。
438世界@名無史さん:04/02/28 02:11
↑ 院生B的視点のことね。
439世界@名無史さん:04/02/28 02:35
>>431
呉三桂は漢軍には編入されていない。呉三桂の平西藩は八旗とは別枠の
科挙を行っていたので独立旗扱いだったと思われ。
尚可喜の平南藩と耿精忠の靖南藩は三藩の乱後に漢軍佐領編入だったはず。
孔有徳も含めた三順王がホンタイジ時代に漢軍に編入されたという史料もあるが
それは誤りであるという研究がされている。
440世界@名無史さん:04/02/28 02:37
>>439 そうなん? 概説書で読んだ気がしたが。その論文教えてくれ。
441世界@名無史さん:04/02/28 02:42
>>440
細谷良夫「後金国・清朝に来帰した漢人の様相」『中国―社会と文化』2,1987
442世界@名無史さん:04/02/28 02:44
>>441 サンキュー、でもおれが読んだ概説書、たしかこの人が書いてた
   気がするぞ。山川(?)のやつ。
443世界@名無史さん:04/02/28 02:49
>>441 詳しそうな人と見込んで質問があるんだけど。
   漢軍八旗の人間はやっぱり満・漢人の区別で言うと満側ですか?
   内閣・六部の行政部門における満・漢勢力は、やっぱり漢側が
   実権を持っていましたか?
444441:04/02/28 03:06
>443
学部生なのであまり詳しくはないですけど・・・

漢軍に関しては藩部統治からははずされていたのでその点では漢人扱い。
翻訳科挙でも対象が滿洲と蒙古旗人に限定されていたので、その点でも漢人扱い。
普通の科挙では旗人対象の科挙を受験したので旗人扱い。
満人というよりは旗人というくくりで考えたほうがいいと思います。

行政部門のポストは藩部以外は満漢同数が原則だったので数の上では同列。
実際には満人も漢人もいろんな勢力が絡み合ってたので単純に満人か漢人かの
どちらかが優勢と言うことはなかったと思います。胥吏や地方官レベルになると
人口比から漢人の数が圧倒的なのは事実です。


学部生レベルの知識で書いたので間違っているかもしれませんが参考までに
445世界@名無史さん:04/02/28 03:25
>>444 学部生の方ですか!(おれ一応院生なんだけど・・・)
   いや、参考になります。どうもありがとうございます。
   本によっては「漢軍八旗」とあったり「漢人八旗」とあったり、
   よく分からないもので。漢軍八旗は、おもしろそうですね。
   満・漢人の接着剤的役割を果たしたところが。
446441:04/02/28 03:34
>>445
いえいえどういたしまして。
ちなみに「漢人八旗」という表記は見たことがないのですが、
どの本にありましたか?

ちなみに私は「八旗漢軍」と「漢軍八旗」という呼び方の違いの意味が良くわからないです。
いまさら教授に聞けないし・・・知ってる人がいたら教えてください。
447世界@名無史さん:04/02/28 03:37
>>446 多分中央公論の明清(?)だったかな。
    カラー写真多用の概説書です。専門の先生に習ってるんですか、
    うらやましい。うちの先生は微妙に専攻外れてるので細かい
    ことが??なんで。
448世界@名無史さん:04/02/28 04:13
           ワハハハ
ハハハ                             
   ∧_∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ハライテ-       ゲラゲラ
.  ( ´∀`) <  ヌルハチだってよ!!  ∧_∧       モウ カンベン
.  ( つ ⊂ )  \_______   (´∀` ,,)、        シテクダサイ
   .)  ) )   ○  ∧_∧      ,, へ,, へ⊂),     ∧_∧ ○,
  (__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ    (_(__)_丿    ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
          タッテ ラレネーヨ
           ワハハハ
449世界@名無史さん:04/02/28 04:18
アジゲ、ドド、ジルガラン、ホーゲ、ドゥドゥ、ネチン、アバタイ、マングルタイ・・・・
450世界@名無史さん:04/02/28 04:21
ダイシャンとかホンタイジとかも笑えるぞ。
451世界@名無史さん:04/02/28 04:23
_| ̄|○  ← シュルハチ
452世界@名無史さん:04/02/28 04:42
(´・ω・`)ショボーン ←本名シュルガチ
453世界@名無史さん:04/02/28 04:51
緑営の事じゃないかと>漢人八旗
454世界@名無史さん:04/02/28 05:24
なあ、一年かけて500もいかないスレなんだから、もっと知性ある書き込みしてくれよ。
久しぶりに世界史にきて結構レスついているなと思って楽しみにしてスレ開いたら
なんとしょーもないレスの山・・・・・・。
455世界@名無史さん:04/02/28 12:03
>>454
だったら443とか446の質問に答えてあげれば?
456世界@名無史さん:04/02/28 15:45
>>436-437
 院生Bが初めて登場したときは、
  学部の間は漢文だけやっていればよい。
  満洲語、モンゴル語・チベット語・・・をやる必用はなく、
  漢文もロクによめない香具師が、得意げに「マイナー言語」の史料
  を使ってレジメを切ってくるなど、ナマイキでムカツクから許さぬ。
  だから、ゼミ発表でおもいっきりイジメてやった・・・

という体験談を語っていました。
457世界@名無史さん:04/02/28 19:21
>>456
1年かけて話題をループさせるのはやめてくれ!
458世界@名無史さん:04/02/28 19:44
じゃあ、そろそろ「中国」の呼称問題について岡田信者とアンチヨタの登場をw
459世界@名無史さん:04/02/28 23:49
>>444
要するに清王朝は満人を頂点として北方民族を優遇した王朝には変わりないということでしょうか?
数の上で圧倒していた漢人の影響力が末期になるにつれて
伸長してくるのを抑え切れなかったのは確かでしょうが。
460世界@名無史さん:04/02/29 14:09
>>456
うへえ、それうちのセンパイかも。
461世界@名無史さん:04/02/29 15:14
その人が院生Bさんですね。
ぜひ2chをおしえてあげてください!
462世界@名無史さん:04/02/29 16:45
すでにそのセンパイはアカポスげっとして、いないけどね。
漢文もできずないくせに他の言語にうつつぬかすなっつーのが
持論でした。まあ、ここの院生Bじゃないと思うがね。
463世界@名無史さん:04/02/29 16:49
>>462
 いや、まさに「院生B」そのもののキャラですな。それは。

 てゆーか、チミがその人を前スレで「院生B」として描写した
 ことから、この共有コテハンが誕生したんぢゃあないか(ワラ

 
464世界@名無史さん:04/02/29 18:13
「院生B」的なキャラは大学院スレに
わんさかいるけどな。
465世界@名無史さん:04/02/29 19:01
清朝スレではなくて院生Bスレだなw
466世界@名無史さん:04/02/29 20:10
>>453
緑営は旗人じゃないじゃん。そもそも漢人八旗という言葉が史料に出てくるのかと
467世界@名無史さん:04/02/29 20:29
名無しさんはujen coohaをとなえた。
しかしなにもおきなかった。
468院生C:04/02/29 23:43
>>467
烏真超哈、漢軍、清天聡八年定随固山額真行営之旧漢兵為烏真超哈、順治十七年定烏真超哈漢名漢軍。
469世界@名無史さん:04/03/01 16:50
その出典なに? 
470世界@名無史さん:04/03/01 17:59
院生Bはすでに就職したのか・・・
471世界@名無史さん:04/03/02 03:17
_| ̄|○ おれは院生B以下かいっ!

もう学振の年齢既定もブッチギッチャタヨ
472世界@名無史さん:04/03/02 05:05
緑営って緑の旗使ってたんじゃないの?
473世界@名無史さん:04/03/05 16:40
使ってはいたが緑営は旗人じゃないと思うよ。
474世界@名無史さん:04/03/05 16:51
清の軍隊の装備ってどんなものだったの?
同時代の西欧と比較してみて。
475世界@名無史さん:04/03/05 19:21
>>472
初期には正確には使ってない。
明の信牌の色が緑色だったから、漢人部隊を緑営と呼んだ。
476世界@名無史さん:04/03/05 20:17
八旗満洲、八旗蒙古、八旗漢軍という普通のくくりと、
チャハル八旗とかソロン八旗との関係がわからん。
それと八旗蒙古ってどこにいたモンゴル人が編入されたの?
477世界@名無史さん:04/03/05 20:37
塞涯のことは分からん。
緑営の高級指揮官には満人もモンゴル人もいたが。
478世界@名無史さん:04/03/05 21:58
>>471
この世界をあきらめて国へお帰り。
県庁所在地の中小企業で芋姉ちゃんと
結婚してトヨタカローラをローンで買って
一姫2太郎でいいじゃねえか。
479世界@名無史さん:04/03/06 00:12
>>477
緑営は漢民族オンリーじゃなかった?
480世界@名無史さん:04/03/06 02:29
>>477
高級指揮官というのは提督・総兵官レベルってこと?
481世界@名無史さん:04/03/06 02:57
>>476
ソロンは黒龍江に住んでたツングース系諸民族とともに康熙帝が八旗満洲にリクルートしてきた連中で新満洲と呼ばれていたと思う。
八旗蒙古については同じ地域でも八旗に編入された連中とジャサク旗にされた連中がいるのでいまのところ良くわかってないらしい。
482世界@名無史さん:04/03/06 18:05
八旗ってそんなに種類があるのか。
483世界@名無史さん:04/03/07 18:21
旗本だからな。
484世界@名無史さん:04/03/07 18:32
ということは貧乏八旗はやはり長屋で傘貼りの類の内職をしているわけか。
八旗の中の人も大変だな。
485世界@名無史さん:04/03/07 18:42
八旗が旗本という比喩はよくみかけるが正確なのか?
486世界@名無史さん:04/03/07 18:46
ここで院生Bならぬ社会人Bさんどうぞ↓
487世界@名無史さん:04/03/07 18:55
どっちも英語じゃbannermen。
食ってけないから表向き禁じられてるけど内職やってたのも同じ。

そんな漏れは工学部。
488世界@名無史さん:04/03/07 19:16
八旗は内職何やっていたんだ?
長屋の傘貼り、草履編みは日本固有だろう。
大陸の内職って何よ。
489世界@名無史さん:04/03/07 20:07
八旗退屈男
490世界@名無史さん:04/03/07 20:10
紙銭とか紙製の馬車とか紙の家とかの副葬品。
(葬式の時に燃やすやつ)



・・・だったら嫌だなあ・・・。
491世界@名無史さん:04/03/07 20:19
天下御免の向こう傷
492諸賢!質問!:04/03/07 22:51
ドルベット部はいつ清朝の勢力下に入ったのでしょうか?
乾隆期でよいのですか?

おしえてチョンマゲ!
493世界@名無史さん:04/03/08 00:03
ドルベット?
もしかしてトシェートのこと?
494>493:04/03/08 00:17
トシェートってなんだっけか?
明朝時の呼び方でしたか?
俺のいうドルベットとはウリャンハイとトルグートの間にある
地域の事っす。

おしえてチョンマゲ!
495世界@名無史さん:04/03/08 01:17
つーかおめー史学のレポート提出で悩んでいるんだろ?
出汁につかおーつーんならおまえも俺らにネタだせよ。
話はそれからだ。
496世界@名無史さん:04/03/08 01:51
>>492
ジュンガル平定のときじゃないの?
497世界@名無史さん:04/03/08 02:00
モンゴルに遠征したのはホンタイジと康熙帝と乾隆帝のときだから
そのどれか
498世界@名無史さん:04/03/08 04:00
>>495
そんなマイナーなテーマでレポート課す大学はないよ〜
499世界@名無史さん:04/03/08 06:28
ドルベトは「地域」のなまえじゃないだろ、部族名のはず。
清朝への服属は1755。

  _, ._       >ドルベット?
( ゚ Д゚)ハァ?    >もしかしてトシェートのこと?


>>495は、投稿者にからむのが趣味なだけで、
「清王朝」についての知識などミジンも持っていないアフォ。
500世界@名無史さん:04/03/08 13:18
>>492
「清史稿」の列伝310藩部6をみようね
501世界@名無史さん:04/03/08 13:38
俺に命令するな
502世界@名無史さん:04/03/08 13:58
>>500
「清史稿」を翻訳して日本国内で売り出してください。
503世界@名無史さん:04/03/08 15:17
>>502
502さん。その言い草は何ですか?
親切に出典あげてくれてるのに。
漢文を勉強しなさい。
504世界@名無史さん:04/03/08 15:36
>>503
492,494,501,502は厨房っぽい。
もとより「清史稿」を出すのが間違い
505世界@名無史さん:04/03/08 16:49
さっさと翻訳してWEBでうぷきぼんぬ
506492:04/03/08 18:38
どうでもいいけど501は俺じゃあないですよ。
答えてくれた方々、特に499氏 baniha!!
めちゃくちゃ助かりました。
所持してる本どれも乾隆期の最大範図は描かれていても
それに至る経緯を判り易く描いてくれている本がないも
ので、困っていました。
どもです。
507世界@名無史さん:04/03/08 19:00
『清史稿』列伝310藩部6
杜爾伯特部、金山の東烏蘭固木の地に遊牧す。薩拉陀羅海、納林蘇穆河に東し唐努烏梁海に接す。




いちいち打ち込むのマンドクサ
508世界@名無史さん:04/03/08 19:33
500さん、「清史稿」は日本のどこの出版社から出てるんですか。
ぐぐっても中華書局しか見つからないんですが。
509世界@名無史さん:04/03/08 19:36
  _, ._
( ゚ Д゚)ハァ?
510世界@名無史さん:04/03/08 19:39
喧嘩腰のスレですね
511世界@名無史さん:04/03/08 19:50
『二十五史』全体はココ、
瀚典: 【二十五史】
ttp://china.ic.daito.ac.jp/cgi-bin/handy/ftmsw3?ukey=2051899402&tdb=%A4G%A4Q%A4%AD%A5v
『清史稿』はココで読める。
瀚典: /新校本清史稿
ttp://china.ic.daito.ac.jp/cgi-bin/handy/ftmsw3?ukey=-1460207604&path=/26
512世界@名無史さん:04/03/08 19:57
偉そうに・・・( ゚д゚) 、ペッ
513世界@名無史さん:04/03/08 19:59
(´,_ゝ`) 브
514世界@名無史さん:04/03/08 20:02
おれは院生Bだぞ・・・( ゚д゚) 、ペッ
515世界@名無史さん:04/03/08 20:07
(´,_ゝ`)부。。。。
516世界@名無史さん:04/03/08 20:14

この顔文字野郎なんかムカツクね 在日か?
517世界@名無史さん:04/03/09 05:00
明清研究者って、資料集め大変だろうな。
むちゃくちゃたくさんあるんでしょ、史料。
518世界@名無史さん:04/03/09 06:22
(゚Д゚)ハァ?
(゚Д゚)ハァ?
(゚Д゚)ハァ?
519世界@名無史さん:04/03/09 07:03
520世界@名無史さん:04/03/09 13:02






日月

シ青
521世界@名無史さん:04/03/09 17:52
万里の長城には清朝時代には軍が駐屯していたのでしゅか?
522世界@名無史さん:04/03/09 18:04
いたにはいただろうけど、国境警備隊ではないだろう。
大清の支配領域は長城より遙か北・今の露蒙国境までだから。
523世界@名無史さん:04/03/09 18:13
非歴史オタの一般人で明清時代に興味ある人間っているんだろうか?
524世界@名無史さん:04/03/09 18:20
興味のない人には明清の順序さえわからんだろう。
525世界@名無史さん:04/03/09 18:23
観光地としてコスプレ明軍の(鞭髪結った)格好した警備員が
いたとおもわれ。
526世界@名無史さん:04/03/10 01:21
一般人は清のことなんか知らないだろうね・・・
映画「ラストエンペラー」くらいじゃないの?あとは授業で習う程度でしょう
527世界@名無史さん:04/03/11 00:48
以前うちの大学の東洋史科目のオリで、「中国史で関心ある時代書け」と
アンケート書かせたら、1位が三国時代、2位が秦・漢、3位が宋だったよ。
明はゼロ、清は1名のみ(しかもアヘン戦争時期)。
528世界@名無史さん:04/03/11 01:31
宋ってのは、要するに岳飛と水滸伝ですな。
529世界@名無史さん:04/03/11 01:34
横光か田中芳樹に取り上げてもらえなければ
(中国史に関心を持ってもらうのは)難しい。
530世界@名無史さん:04/03/11 03:26
>>523

>>526氏がおっしゃる通りなのと、西太后でも知ってるでしょう。
あと、中華料理の満漢全席?
531世界@名無史さん:04/03/11 05:36
>>527
ヌルハチだけはやたらインパクトあって高校生にも大人気。
532世界@名無史さん:04/03/11 14:47
ヌルポだったらよかったのに・・・
533世界@名無史さん:04/03/11 18:08
ギョーチャンガとかヤルガチとか
534世界@名無史さん:04/03/11 18:44
>>528-529
楊家将、三侠五義をはじめとした包青天もの、平妖伝、
萬花楼演義(北宋名将、狄青もの)、飛龍伝(北宋初代皇帝、太祖もの、つかこうへい逝ってよし)
もその内、レパートリーに入って貰えれば良いのですが。

日本人は三国時代に興味偏りすぎ。
中国人にとって、かの物語はワンオブゼムに過ぎない。
中国人にもピンと来ない、日本人も登場しない、
あんな大昔より明末清初、清末民初の方がどれほど
現在の日本や中国との絡みでも、「物語」としても興味深いか。
と思いっきし、独断と偏見を晒す。
535世界@名無史さん:04/03/11 18:55
国姓爺合戦も戦後第一世代ころまでは人気だったんだけどね。
『紅楼夢』だとか『老残遊記』だとか『鏡花縁』だとかも清朝なんですが…。
537世界@名無史さん:04/03/11 19:13
ジャッキーチェンはよく清末を舞台にしてまふな。
538世界@名無史さん:04/03/11 20:36
残念ながらそれが現実。教養部の講義の手伝いしたことあるけど、
明代の講義だと、受講者は前期の漢代の講義の半分以下。
539世界@名無史さん:04/03/11 21:01
>>534
三国志の本場は、もう日本といってもおかしくないしな。
540世界@名無史さん:04/03/11 21:04
今はどうか知りませんが、昔の漢文の授業は内容的に漢から唐。
日本史も唐の影響は強調されるけど、それ以降はあまり触れられない。
となれば、良い悪いは別として興味をもたれないのは当然じゃないですか。
541世界@名無史さん:04/03/11 21:32
シナに学ぶ事は無い。
542世界@名無史さん:04/03/11 21:36
そういう狭い視野の連中が・・・
543世界@名無史さん:04/03/11 21:47
日本をシナ人から救う!
544世界@名無史さん:04/03/11 23:12
>>531
ワンヤン・アクダも人気あるよね。
完顔阿骨打という当て字がすごいし。
545世界@名無史さん:04/03/11 23:35
>>540
大漢和も使えるのは唐代までだしな。
一般教養としての中国文化は唐までなんだろうな。
546世界@名無史さん:04/03/11 23:40
>>544
ヌルハチの魅力にはかないませぬ。
547世界@名無史さん:04/03/12 00:05
http://lion.zero.ad.jp/aguda/

http://www.google.com/search?num=100&hl=ja&lr=lang_ja&q=%8A%AE%8A%E7%88%A2%8D%9C%91%C5
女真族
ここは中国史のサイトではありませんマンガ描き 完顔阿骨打
のサイトですコンテンツに18禁のものを含んでおります 2001
年8月1日 建国あなたは 番目のお客様です. お知らせ, ...


っていうかこのエロマンガ家は昔東洋史やっていたんだろうか。
ドジンシカッテイルケド 



548世界@名無史さん:04/03/12 00:05
ヌルハチって濃い名前だよな。どういう意味なの?
549世界@名無史さん:04/03/12 00:25
ヌルハチの語源は日本語。幼少期日本で育ったヌルハチは、
ぬるぬるの石の上を歩いていて転んだときにハチの巣を
揺すってしまい、ハチに刺された。
それを笑った教育係がふざけて「ヌルハチ」という名を考えた。
少年ヌルハチは気に入り、満州に帰った後も終生大事にその名を守ったらしい。
550世界@名無史さん:04/03/12 00:41
このスレ見てると、明清が人気ないのも納得。
551世界@名無史さん:04/03/12 00:50
西太后や満漢全席は有名だけど清と結びついてるかは微妙だw
辮髪=清代くらいは一般常識なのだろうか・・・
552世界@名無史さん:04/03/12 01:05
>>551
某小説家の匈奴の描写に、「辮髪を風になびかせ、チーパオと呼ばれる
乗馬用衣服をまとい云々」とあった。所詮一般人の認識はこの程度。
553世界@名無史さん:04/03/12 01:14
漢の匈奴族は辮髪だったの?
殷代の羌は辮髪だったそうだが。
554世界@名無史さん:04/03/12 01:19
>>553
それよりも、つっこむべきところは「チーパオ」だと思う。
555世界@名無史さん:04/03/12 01:29
まあ、匈奴の服は「胡服」といって乗馬しやすい仕立てだったそうだが。

チーパオは「旗袍」、満州族の旗本の服だったな。
556世界@名無史さん:04/03/12 02:34
>>552
誰?
557世界@名無史さん:04/03/12 03:13
チャイナドレスキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
558世界@名無史さん:04/03/12 11:40
ところで辮髪って馬に乗るとき髪が邪魔にならないようにするんだよね。
日本のちょんまげも一種の辮髪なのかな?
559世界@名無史さん:04/03/12 11:48
辮髪の編み下げは乗馬と関係あるかも知れないが
剃り上げるのは兜で蒸れないようにするためだろう。

「ちょんまげも一種の辮髪」は世界的にはその通り。
560世界@名無史さん:04/03/12 11:55
髷に結えば充分邪魔にはならないように見えるが・・・?
561世界@名無史さん:04/03/12 23:34
カツラみたいな、つけ辮髪があったってほんと?
562世界@名無史さん:04/03/12 23:54
雍正帝がつけてたやつ?
563世界@名無史さん:04/03/13 00:06
そりゃ違うカツラだろ
564世界@名無史さん:04/03/13 00:41
清の領土って、西はどこまでですか? 
565世界@名無史さん:04/03/13 03:11
新疆。
566世界@名無史さん:04/03/13 04:02
>>565
(゚д゚lll)ガーン!!!
567世界@名無史さん:04/03/14 04:27
皇帝以外に有名人がいないのが清王朝の悲劇。
568世界@名無史さん:04/03/14 04:57
>>567
呉三桂・鄭成功・林則徐・曽国藩・李鴻章ぐらいかな。有名なのは。
みんな漢民族だあね。
569世界@名無史さん:04/03/14 12:05
>>567
一番有名な西太后は皇帝じゃないし。
570世界@名無史さん:04/03/14 19:59
皇帝以外の有名人しかいないのが後漢皇朝の悲劇(スレチガイ)
571世界@名無史さん:04/03/14 21:27
>>568>>567 キミが無知なだけ。

 
572世界@名無史さん:04/03/14 21:29
>>568>>567

  ↑

 「ボクチャンが知っている」かどうかを「有名人」かどうかの指標にするDQN ハケーン(ワラ
573世界@名無史さん:04/03/14 21:56
>>567
太平天国の乱を起こした天王 洪秀全も有名だろう。
574世界@名無史さん:04/03/14 23:23
清王朝が人気無いのは、やはり辮髪と、そんなに豪華ではない衣装に問題がある。
それまでの中国の髷を結った頭にゆったり衣装には中国嫌いの俺でも「おお!」と感心する。
ベン冠被った皇帝の勇姿にはひれ伏しそう。

しかし辮髪頭は滑稽にしか見えない。
575世界@名無史さん:04/03/15 06:17
>>571 572
だったら有名人挙げてくれ。
576世界@名無史さん:04/03/15 07:04
有名人を知らない>>571が無知じゃん。
577世界@名無史さん:04/03/15 15:15
だれだっけ、蒼穹の昴に出てきた宣教師。
あれも有名人。
578世界@名無史さん:04/03/15 19:28
上で出てる有名人っつーのは、マニアしか知らんのじゃなくて、
一般の中国史ファンでも聞いたことのある人物のことだろ。
571や572は読解力あんの?
579世界@名無史さん:04/03/15 20:02
両把頭は豪華だと思うんだけれど。簪挿し放題だし
辮髪は人気ないけどそんなに駄目?
梁家輝の咸豊帝はかっこよかったよ
580世界@名無史さん:04/03/15 20:10
やっぱり衣装はゆったりしているほうが風格がある。
満州人の衣装は漢民族より身にぴったりだから、あまり風格無く見えるな。

まあ、見た目で判断するのは問題だが。
581721:04/03/15 22:27
>上で出てる有名人っつーのは、マニアしか知らんのじゃなくて、
>一般の中国史ファンでも聞いたことのある人物のことだろ。

フフン。
「一般の中国史ファン」の「一般」とはなにかね。

どうせ、キミは、自分のしらない人物が提示されたら、

「有名人」ではなく、「マニアしか知らんの」

に認定するであろう。

キミが無知であることは、あくまでも単に「キミが無知」であるにすぎんのだがや。
582世界@名無史さん:04/03/15 22:58
辮髪だから清が好きってのは少数派ですか。むぅ・・・
583世界@名無史さん:04/03/15 23:19
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/7553/keikoku.html

↑Voice誌3月号で堺屋太一氏が、かつて中東を支配した13世紀モンゴルと
現代アメリカの共通点を明らかにしています

また堺屋氏は2006年のチンギス・ハーン生誕800周年に合わせて
「何か」をやるという・・・
584世界@名無史さん:04/03/15 23:26

>>536」と、南方土民顔なドラヴィダ系インドの糞カキ人夫が申しております。
585世界@名無史さん:04/03/16 00:06
堺屋太一って信用できるのか? 
586世界@名無史さん:04/03/16 05:43
581よ、四の五の言わずにあんたが知ってる有名人挙げなよ。
それとも知らんのか?
587世界@名無史さん:04/03/16 07:20
だとしたらどうだってんだよ。
何が望みなんだよ。いい加減粘着やめようぜ。
588世界@名無史さん:04/03/16 13:56
( ゚д゚)、ペッ
589世界@名無史さん:04/03/16 17:47
721ってだれよw
590世界@名無史さん:04/03/16 18:40
>>586
アラビア数字3文字もロクに覚えられない香具師が漢字の人名を覚えられるとは思えん。
ただの春厨の荒らしだから気にスンナ。
591世界@名無史さん:04/03/16 20:13
皇帝以外の有名人なら、ドルゴンとかオーバイとか生態号か?
592世界@名無史さん:04/03/16 22:34
恭親王も入っていいんじゃないか
映画とか小説にメインで出てきて
教科書にゴシック体で表記されたら有名人
でもドルゴンよく知らない・・・
593721:04/03/17 00:19
スンユーン。
594世界@名無史さん:04/03/17 12:01
>>580
しょーがないだろう。満洲族は男女とも騎乗するのが日常だし、
漢族の士大夫が着るゆったりした服じゃ巧く馬を扱えん。
ゆったりした服は本当の体より大きく見せる効果もあるから、580の
言う通り風格貫禄を感じやすいな。

清王朝は元王朝の正式な後継を自認してる為か、漢族の政界中央進出を
非常に用心したそうだ。徹底した差別政策もあったし。
皇帝が漢族の衣装を着るのを避けたのも、その政策の一環だそうで。
595世界@名無史さん:04/03/18 00:24
>>582
少数派だけれど、孤独ではない
(・∀・)人(・∀・)ナカーマ
596関西タヌキ:04/03/18 09:30
年羮尭。
59734:04/03/18 15:25
>辮髪だから清が好きってのは少数派ですか。むぅ・・・

海外のマンガに出てくる日本人が江戸時代のサムライなのと一緒で、マンガに
出てくる中国人ってのは、たいてい辮髪に満服ですな。

とくに、鳥山明のマンガには頻出する。
598世界@名無史さん:04/03/18 19:56
でも漫画だと、禿頭に申し訳程度に三つ編みがくっついた辮髪がほとんどだよ
耳の前まで髪をそって後は残す、程よく太めで長い辮髪萌え
油塗って梳かしてつやつやしてたら尚よし。房とかも結んであったら最高
599世界@名無史さん:04/03/23 21:50
行政区画?で庁ってのがありますけど、
あれは府ないし州の支庁みたいなものですか?
長官というか責任者は同知、州同、通判、州判とかでしょうか?
行政区画としての格は県より上?下?どちらでしょう?
どなたかご存知だったら教えてください。
600世界@名無史さん:04/03/24 23:05
>594
後世、特に普段着で帯を省略するようになったのは漢人の影響で
「近年、浮華文弱の風に染まる輩多くして祖風を忘れ・・・」と嘆くくだりが
あったっけな、何の一説だったか・・・
601世界@名無史さん:04/03/27 02:17
>>599
府の下の行政区画だな
たしか臨時に設けられた単位だっけ?
602世界@名無史さん:04/03/27 02:38
清王朝の講義をする教授がいる大学に入学が決まったっす。
大学院進級も視野に入れて最近関連書を読み漁りました。
もうワンランク上の知識をゲットしたいので、お勧めの本ありませんか。
陳舜臣は大体読破しました。
603世界@名無史さん:04/03/27 06:48
ってことは中国史の概略はおさえてるわけか
大学図書館で内藤湖南と宮崎市定の全集があると思うから
それでてきとーに読むよろし。

そいでもってとりあえず興味のある王朝・年代・人物・物事が
見つかるのを祈る
604世界@名無史さん:04/03/27 12:37
私も”庁”に疑問持ってます。
州や県とどうちがうの?
長官の同知や通判は知県より地位が高いんで州レベルの大きさなの?って思いきや
一県から分離して設けられてる場合もあるし(県より小さい場合もあるんですね)
”庁”ってどういう目的で設けられたのでしょうか?
605世界@名無史さん:04/03/27 13:19
>>602
清代に興味あるのかな?
だったら中公や山川の概説書を読んでみよう。
清単独の概説書としては、宮崎市定・石橋隆雄
606世界@名無史さん:04/03/27 17:45
図書館に行ってアジア歴史辞典見てみましたけど庁の項目はありませんでした。
府や通判の項目にも庁に関する解説なし、同知の項目も存在せず。

大漢和辞典の庁のところには府の下級行政区画、
長官は撫民同知・通判、理民同知・通判とのみありました。
これだけでは良くわかりませんね。 
607世界@名無史さん:04/03/27 19:04
>>602
605さんの本に加えて、
 増井経夫『大清帝国』講談社学術文庫
 三田村泰助『明と清』河出文庫
 宮崎市定『雍正帝』中公文庫
なども簡単に入手できる。かなり古いものが多いけど、
まだまだ現役で頑張っている本です。でもまだ学部に入ったばかりなら、
清代にかぎらず幅広く概説書読んだ方がいいよ。

608世界@名無史さん:04/03/27 19:14
石橋崇雄『大清帝国』(講談社)
609世界@名無史さん:04/03/27 19:19
河内良弘・清瀬義三郎則府『満洲語文語入門』(京都大学学術出版会)
610世界@名無史さん:04/03/27 19:30

>清瀬義三郎則府

コイツ何者??
611世界@名無史さん:04/03/27 19:31
内藤湖南『清朝史通論』(東洋文庫)
612世界@名無史さん:04/03/27 19:46
なんだかんだ言って、みんな優しいよな。
613世界@名無史さん:04/03/27 20:05
まあ、上のほうのレスにもあったけど、清王朝って人気ないからさ。
この時代に興味を持つ数少ない若者にはやさしくしてやらにゃあ。
個人的には岸本美緒の『東アジアの近世』(山川リブレット)が
入門者に最適かと。
614世界@名無史さん:04/03/27 20:18
岸本美緒『清代中国の物価と経済変動』(研文出版)
岸本美緒『明清交替と江南社会―17世紀中国の秩序問題』(東京大学出版会)
615世界@名無史さん:04/03/27 20:35
若松寛『奴児哈赤』(新人物往来社)
松浦茂『清の太祖ヌルハチ』(白帝社)
616世界@名無史さん:04/03/27 20:40
岡田英弘『康熙帝の手紙』(中公新書)
岡田英弘『皇帝たちの中国』(原書房)
617602:04/03/28 02:35
おお〜!!
アドバイスありがとうございますっ
入学したら早速図書館で借りて読みます。
清のなかでは呉三桂の悲恋物語に興味があります。
618世界@名無史さん:04/03/28 03:51
ク    ク   || プ  / ク   ク  || プ  /
  ス  ク ス _  | | │ //. ス ク ス _ | | │ //
  / ス   ─  | | ッ // /  ス   ─ | | ッ //
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.  /   l⌒l l⌒l \  ))   ____
. / / ̄| ,=| |=、| ̄ヾ   / ____ヽ
/ ̄/ ̄.  ー'●ー'  ̄l ̄ |  | /, −、, -、l  ))
| ̄l ̄ ̄  __ |.    ̄l ̄.| _| -| ,=|=、 ||
|. ̄| ̄ ̄  `Y⌒l__ ̄ノ ̄ (6.   ー っ-´、}
ヽ  ヽ    人_(  ヾ    ヽ    `Y⌒l_ノ
  >〓〓〓〓〓〓-イ   /ヽ  人_(  ヽ
/   /  Θ  ヽ|  /    ̄ ̄ ̄ ヽ-イ
619世界@名無史さん:04/03/28 06:29
 >まあ、上のほうのレスにもあったけど、
おまえのジサクジエン。

 >清王朝って人気ないからさ。
おめえが嫌いなだけなことを、「人気がない」とはいわねえ。。
620世界@名無史さん:04/03/28 17:00
宮脇淳子「最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡」講談社選書メチエ
621世界@名無史さん:04/03/28 17:22
>>606
>長官は撫民同知・通判、理民同知・通判
漢字の意味からすると、今まで服従してなかった共同体を新たに加える感じですね。
満蒙以外の非漢族の新規獲得土地に割り振られた臨時行政区かな?
622世界@名無史さん:04/03/31 09:35
>>621
河南や湖北・湖南にも庁は存在していたから微妙なところやね
正直よーわからんわ。
直隸庁と散庁の二種類あったようだし
623世界@名無史さん:04/03/31 12:39
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1040990563

姉妹スレの西太后専門スレッド

112番あたりから、万へぇーな非公式情報がのってた。さしずめ「レイプ オブ 北京」って
とこか。けっこう面白かった。
624世界@名無史さん:04/03/31 13:03
本当にサッチー系のババアであろう西太后をレイプしたアメ兵がいるんだろうか?
625世界@名無史さん:04/03/31 18:40
>>622
河南は不明だが、両湖には今も少数民族があちこちに住んでるね。
その対策慰撫に設置された機関じゃないか?
直隷庁は呼んで字のごとく。直隷から派遣された官僚と軍兵駐屯地。
府より小規模なので庁と。散庁は官僚派遣で兵士のみ地元調達。
626世界@名無史さん:04/03/31 22:39
この場合の直隷庁は直隷省に属する庁ではなく、省に直隷する庁の意味ではないでしょうか?
確か府の管轄下になく、省に直属する州を直隷州と称したはずです。

本来直隷とは短に直属する意味で、中央政府に直属の省が直隷省(明は南北直隷有り)、
元代なら路に直属の州が直隷州といった使い方をしたようです。
627世界@名無史さん:04/04/02 21:54
すると散庁はその反対?
628世界@名無史さん:04/04/03 20:22
大漢和辞典当たってみました。

直隷州、府に属さず布政司に直隷する州。
直隷庁、府に属さず布政司に直隷する庁、
      長官は同知、又撫民同知、海防同知等有り。

散州、府に属する州、県を管轄しない。
散庁、項目なし。直隷庁以外の庁=府に属する庁と推定。

明清代には他にも○○同知、○○通判と言うのがいろいろいます。
○○中には水利、督糧、捕盗等任務名が入ります。
つまり本来は府の下で特定の任務を分担する同知、通判の役所を
庁と称したのではないでしょうか。
で中には異民族地域等統治が面倒な特別な区画を担当するものもいて、
その区画自体も庁と称するようになったとか勝手に推定しています。
 
629世界@名無史さん:04/04/05 20:07
同じ州でも散州は重要な県。
直隷州はさほど重要でない府といった感じを受けますね。
630世界@名無史さん:04/04/12 02:56
過去ログ
耶律阿保機だけど (49)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1002/10024/1002465424.html
631世界@名無史さん:04/04/12 04:39
このスレ、たまにマニアックになるな・・・
清朝行政マニアが在住してるのかな。>>直隷州
632世界@名無史さん:04/04/12 20:14
すみません庁の話題を持ち出したものです。
清朝行政マニアと言うより官職オタクなんです。
633世界@名無史さん:04/04/12 21:56
手元には「清代地方官制考」と「清代国家機関考略」があるのだが忙しくて読む暇がない。
庁についていろいろ書いてあったので参考にしては?
634あやめ:04/04/22 16:56
「廳」は概して言えば新開の土地に置かれる行政機関で、辺境少数民族地区にあることが
多いのですが、内地でも諸般の事情で土地が開拓され人民が蕃殖してきた場合に建置され、
直隷廳と散廳に類別されます。
清代の直省統治地区(戦前の日本では支那本部と呼んでいました)の行政機構は省>府>縣の
3級が基本として統合されていたのですが、これと別に州と廳が設けられることがあって、
州・廳ともに省の布政使に管理される直隷州・直隷廳と府に管理される散州・散廳があります。
州と廳の区別は大体は地域としての重要度によるわけですが、直隷州が属縣を領しているのに
対し直隷廳には原則として属縣がありません。例外として四川の叙永廳は永寧縣を管属し、
廣西の百色廳は恩隆縣を管属しています。また辺境の直隷廳は土司・土縣を所管していることが
多いようです。
機関の格としては府>直隷州>直隷廳>州>縣>廳といったところでしょう。
635あやめ:04/04/22 17:23
官員としては直隷州は長官が正五品の知州と佐貳官の州同・州判が、また
直隷廳は長官として同知または通判が置かれています。散州には從五品の
知州が、縣には正七品の知縣または縣令が、散廳には同知または通判が
置かれています。
636世界@名無史さん:04/04/25 10:31
あやめ様ご丁寧な解説ありがとうございます。
長年の疑問が解けてすっきりしました。
しかし清代の州は特例的存在だったんですね意外でした。
637世界@名無史さん:04/05/07 20:06
だれか映画「グリーンディスティニー」の時代がいつかわかる人居る?
638あやめ:04/05/07 20:48
清朝、ただしどの皇帝の時代かまでは不明です。
639世界@名無史さん:04/05/07 21:15
清代の県というのは日本の県と同じくらいの面積なんでしょうか?
それとも規模・ランク的には日本の郡くらいの感じなんでしょうか?

また、府というのはいくつかの県を包括する行政区画と考えていいのですか?
それとも、府も県も日本の府県のように同じくらいの規模の行政区画にすぎず、
その長が他のいくつかの県を統括している場合を府というのでしょうか?
640あやめ:04/05/07 21:27
王度盧の原作「臥虎蔵龍」を読めば判るかもしれませんが、金庸や古龍みたいな
有名作家じゃないらしく日本の中文書店にも見当たらないみたい。
電影版と電視版は微妙に登場人物が違うとか、グリーンディスティニーという名剣の
原名が電影版では碧銘剣なのに電視版では青冥剣となっているそうです。
日本版ヴィデオでティエ長官となってるのは原名が鐵貝勒となってるそうなので、
清朝であることは服装などからもまちがいないでしょう。
641あやめ:04/05/07 21:54
>>639
面積と訊かれると返答に窮するんですが、乾隆の初年ころは直省統治地区の縣の
総数は1219、散州の総数は162でしたが、光緒年間には新彊が建省されたことも
あって縣が1366で、散州が150で散廳が78となっています。これで大体の見当を
つけてください。「日本の郡くらいの感じ」というのは粗ぼ当たってるかと思います。
府と縣などの関係は>>934を読んでください。
642あやめ:04/05/07 21:56
ごめん、>>634でした。
643世界@名無史さん:04/05/07 22:08
ご説明ありがとうございます。ただ、疑問が残ったので再度お尋ねします。
省→府→県ということは、「府」の領域の中に下級行政区画としての「県」が
あるということでよろしいのでしょうか?
それとも、知府は近隣のいくつかの県に対する監督・命令権を持っているだけで、
「府」自体の領域には「県」は含まれないのでしょうか?
644あやめ:04/05/07 22:09
634じゃ判らないわね、再度ごめんなさい。
省の下に府・直隷州・直隷廳があります。府の下には散州・縣・散廳があります。
直隷州の下にも若干の縣がありますが直隷廳は原則として下級行政機関が
ありません。
645あやめ:04/05/07 22:25
まだ説明不足かな。
府は直接は人民に臨まず隷下の散州・縣・散廳を統轄し、上意下達と監督巡察が
仕事です。直隷州の場合は自身の受持ち地域を治め、且つ属下の縣を統轄します。
646世界@名無史さん:04/05/07 22:40
>府は直接は人民に臨まず隷下の散州・縣・散廳を統轄し、上意下達と監督巡察

それで現代の中国には「府」に相当する行政機関はないわけですね。
647世界@名無史さん:04/05/08 10:40
>ティエ長官となってるのは原名が鐵貝勒

あやめさん、サンクスです。
衣装から清代は間違いないんでしょうけど、鉄貝勒だけじゃわかりませんね。
新疆が出てきたけど、もうすでに征服されてたのかな・・・
648あやめ:04/05/08 11:10
回部が清朝の領土として粗ぼ安定してくるのが乾隆の中期くらいですから
それ以後の時代設定ということになりますね。「新疆」という言い方をして
いるとすれば光緒八年の建省以降ということになります。
649世界@名無史さん:04/05/08 15:34
質問なんですけど
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nikkan1.html
↑ここに書かれている「朝鮮駐箚官」という役職または駐箚官的な役職は清代を通じてあったのでしょうか?
思いつく駐箚官といえば袁世凱しか思いつかないのですが。
650あやめ:04/05/08 17:59
清朝が朝鮮に常駐の大員を置いていたことは無いと思います。朝鮮は属国で
藩部ではありませんので内政は自主自律していたはずです。光緒三年に偶々
朝鮮の外交文書に清朝を「上國」と表現した文句があったことを捉えて日本が
詰責したので、總理衙門から「朝鮮は久しく中國に隸す、而れども政令は則ち
其の自理に歸す、其の中國の所屬たるは天下皆な知る、即ち其の自主の國たるも
亦た天下皆な知る」と回答しています。光緒八年に朝鮮がアメリカと通商条約を
締結した際には朝鮮から立会いを要請されたので清からは馬建忠を派遣しており、
東学等の乱では袁世凱が駐紮したくらいしか思い浮かびません。
朝鮮に駐箚官を置くなら越南や琉球にも置いてなければおかしな話でしょう。
「清史稿」の「職官志」にもそれらしい役職は見当たりません。仮に國王よりも
実権を持った人物であるなら朝鮮史上に絶大な存在感を示していなければならない
はずですが、そんな事例は聞いたことがありません。藩部のチベットに常駐した
駐蔵大臣だって普段はモニター機構以上のものではなかったようです。
651世界@名無史さん:04/05/08 19:23
駐紮朝鮮総理交渉通商事宜は袁世凱が初代。
それ以前はただの商務公署で総弁は陳樹トウ。

と小説で読んだ・・・
652649:04/05/08 22:30
あやめさん、お答えくださりありがとうございます。
おかしいとは思っていたのですが、これでスッキリしました。
653世界@名無史さん:04/05/09 00:16
>>649
そのサイトの内容はトンデモ系です。というよりむしろ電波です
654世界@名無史さん:04/05/09 04:45
>>640
鐵貝勒って日本語訳したら長官なの?
655世界@名無史さん:04/05/09 09:38
鐵貝勒の鐵は鉄として、
貝勒は満洲語のbeile。
満洲人の皇族やモンゴル人諸侯の称号。
656世界@名無史さん:04/05/09 12:06
>>655
鉄っていうのは固有名詞なのでしょうか?
それとも「鉄のように強い〜」という意味?
657世界@名無史さん:04/05/09 12:34
モンゴルの鉄木児(ティムール)とも関係あるのかな?>鐵貝勒
658世界@名無史さん:04/05/09 15:54
あやめさんもう来ないそうだよ
659世界@名無史さん:04/05/09 17:03
>>658
えーなんで?
660世界@名無史さん:04/05/09 17:27
にせものが出てるとかゆうことらしい。
このスレじゃないけど。
どっかで粘着されてたのもあるんじゃない?
661世界@名無史さん:04/05/10 13:53
ニセモノって・・・
あやめさんの書き込みなんてそうそう真似られないと思うが。
かむばっく。
662世界@名無史さん:04/05/11 00:18
ところで清朝内部におけるモンゴル貴族の影響力はどれくらいあったのでしょうか?
663世界@名無史さん:04/05/11 20:50
直接的な解答ではないですが、楢木野宣著「清代重要官職の研究」風間書房によると、
重要官職在職月数の蒙古比率2.8%(満州36.6%、漢軍14%、漢人46.6%)
内大学士4.1%、軍機大臣6.6%、部院大臣(尚書)3.5%、総督1.6%、巡撫1.7%
なお後半の方が多少比率が高くなるようです。
664世界@名無史さん:04/05/12 00:55
>>662
歴代皇后はほとんどモンゴル人
665世界@名無史さん:04/05/12 07:12
内蒙古自治区や新疆ウイグル以外の中国「関内」に、蒙古族はどのくらいいるの?
蒙古八旗として中国「関内」に移住した蒙古族は多かったの?
そうした人たちの子孫は清朝崩壊後、蒙古に帰ったの?それとも「満族」を名乗っているの?
666世界@名無史さん:04/05/12 16:37
>>663
横レスですいませんが、その場合のモンゴル人は
蒙古八旗に編入された人々が全員か、あるいは全員に近いものがあるはずですよね。
いや、昔、それ読んだりして部分コピーもありますけど。
少なくとも、それでは断定できないんで、推測なんですけど。

>>664
康熙帝の代までじゃ、ありませんか?
それって。
667世界@名無史さん:04/05/12 20:25
>>666
そもそも八旗以外のモンゴル人が高官になるのはほとんど不可能に近いでしょう。
科挙に合格するとは考えにくいです。元と違ってモンゴル語で受験できるわけでもないですし。
すると軍人か売官で知県になるくらいが関の山では。
668世界@名無史さん:04/05/13 21:46
藩部の人に科挙応試資格あるの?
669世界@名無史さん:04/05/14 05:48
朝鮮人で科挙受けたものも居たのでは?

国籍という観念は無かったはず。

日本人も受けることが出来た可能性があったのでは?
西洋人がマカオに限定居住だったのは海賊予備軍と見なされたからか?
670世界@名無史さん:04/05/14 13:02
>朝鮮人で科挙受けたものも居たのでは?
え!!マジ??実例あげて
671世界@名無史さん:04/05/14 14:34
>>668
大清会典を見たのですが、郷試合格者(挙人)の定員が載っている欄に
藩部の地名は見受けられませんでした。
あと『清代職官年表』も見たのですが、郷試考官年表に藩部はございません。
672世界@名無史さん:04/05/14 16:10
>>671 あやめ様?
673671:04/05/14 18:56
>>672
ではないですが・・・文体似てます?
674世界@名無史さん:04/05/14 19:46
文体もだし
知識の出し方がなんとなく
675世界@名無史さん:04/05/14 20:27
科挙はあくまで内地向けのものでは?
676世界@名無史さん:04/05/14 21:11
sage
677世界@名無史さん:04/05/15 01:18
崔致遠

幼くして唐に留学し、874年に科挙に及第。まもなく黄巣の乱が起こると、その討伐軍に参加しすぐれた檄文や上奏文を書いて文名をあげた。885年、新羅に帰国すると翰林学士に任ぜられたが、理想を果たすことができずに官を辞す。晩年は海印寺に隠棲したと言われる。

多くの優れた漢文、漢詩を残し、李氏朝鮮時代に朝鮮漢文学の祖として孔子を祀る文廟に合祀された。

678世界@名無史さん:04/05/15 01:29
唐代にいるんですね。

清代にはいないのかな?
679世界@名無史さん:04/05/15 02:47
新羅は640年ころから唐に盛んに留学生を送ったらしく、
科挙合格者も820年代に金雲卿がはじめて賓貢科に合格してから、
唐末期に至る80年余りの間に58名が合格したそうです。
その中でいちばん著名な人が>>677さんがあげた崔致遠です。
680世界@名無史さん:04/05/15 13:10
>>671
藩部は一種の自治国みたいな所だっけ?
藩部政府は清の皇帝に朝貢するけど、内政の干渉を受けない立場だったような。

藩内で科挙が行われても不思議はないですよね。
それならわざわざ遠い国へ行かなくても藩内で受ければ充分なような気がする。
一種の外国だから清代職官年表に藩部の郷試考官年表が載ってなくても違和感ないかと。
本当の所はどうなんでしょうか?
681世界@名無史さん:04/05/15 15:37
科挙の受験資格というのは
本籍地の知事が保証人であること?
682世界@名無史さん:04/05/15 15:43
だから、制度的に「外国人もしくは異民族差別」はしなかったはずだが、
儒教文化民族というべき中央からの流官たる(土司は駄目)の知事が居ない地域を本籍にする人間は
(単に住んでいるというだけでは駄目で、賄賂かなんか使って中央直轄地の州県の籍に入らない限り)
「夷」だけでなく流民も、
科挙資格アウトということですか?
683世界@名無史さん:04/05/15 17:17
>>680
>藩内で科挙が行われても不思議はないですよね。
>それならわざわざ遠い国へ行かなくても藩内で受ければ充分なような気がする。
>一種の外国だから清代職官年表に藩部の郷試考官年表が載ってなくても違和感ないかと。
科挙を実施するには学政(各省に派遣されている教育行政長官)、考官(試験官)が必要です。
学政や考官は中央から派遣されるので、仮に藩部の学政や考官が任命されていたとしても、
載っていないもしくはそれに関する言及がないというのは考えにくいと思います。

藩部で行われなかったからといって、藩部の人に応試資格がないとは私の知る情報だけでは
断言できないです。最寄りの試験地に何等かの形で赴いて受ける可能性もありますから。
暇があれば調べてみます。

>>682
>だから、制度的に「外国人もしくは異民族差別」はしなかったはずだが、
確かに異民族枠(苗族・猺族・回族等)はありました。但し内地でのことです。
684世界@名無史さん:04/05/15 23:00
流れに逆らい、且つ又枝葉末節のことなのですが疑問点があります。
清史稿の兵志を見ていたら経制外委という官名らしい物がのっていました。
額外外委に対する経制(制度上のあるいは正式)の外委、
つまり後の外委千総・外委把総のどちらかあるいは両者の総称のことかなと思ったのですが、
大修館書店の大漢和辞典で経制をひいてみると外委の上把総の下の武官のようです。
そうすると経制外委とは経制と外委の意味であり、
各々後の外委千総、外委把総に相当するのでしょうか?
685世界@名無史さん:04/05/15 23:03
世界帝国が建前(世界全体が皇帝の治める所)の清帝国と、
西洋人限定居住(家族と住めるのはマカオだけ、唯一寄航許可の広州は西洋人女性来航禁止)とは、
理念的に矛盾しないのか?

西洋人など海外渡来者は「倭寇」扱いであったわけか?
満州族だから「国境」意識に近いものがあったわけか?

686世界@名無史さん:04/05/16 07:08
>>684
大漢和辞典が間違えているような気がします。
例えば清史を熟知していない編者が、
「・・・把総経制外委額外外委・・・」のような文を見て
”経制外委”よりは”外委”という語の方が一般的ですから
4つに分けて解釈して”経制”を一つの武官と勘違いしたとは考えられないでしょうか?
第一『欽定大清会典』の武官職品級一覧には”経制”という官職はございません。
またこのサイト↓には
ttp://bbs4.xilu.com/cgi-bin/bbs/view?forum=wave99&message=7477
経制外委千総、経制外委把総という語が明記されてますので
経制外委はその総称とみたほうが自然かと思います。
687世界@名無史さん:04/05/16 11:25
>>686様丁寧な回答ありがとうございます。
ただ一応引用文があってそれに基づいた説明のようですので、
辞典編者の誤りということはないと思います。
図書館で読んできたうろ覚えの記憶なのですが、
たしか装備を整えてきた者はまず外委に昇格させ続いて経制、更に把総に昇進させると
言うような文面でした。
従って間違えたとしたらその原文の方であり、辞典編者ではないと思います。
あるいはその資料では、経制外委を経制、額外外委を外委と約しているのかもしれません。
そもそも清史稿でも参・遊・守・千・把等の省略が見られますし。
688世界@名無史さん:04/05/18 18:00
大漢和辞典をチェック
 経制@国家を治める制度、A治め制する、B制度を治める
    C清代、卒伍の一種、把総の次の級
      「清代行政法汎論」武官 行伍
      凡そ緑営の兵士はまず坐糧になり服役後幾年で歩糧に進み、
     更に馬糧→外委→経制→把総と進むのが昇進の順序。
     (概ねそう言う意味のことが書いてありました)
    D以下は無関係なので省略

それで坐糧、歩糧、馬糧も調べてみると。
 坐糧 糧食の輸送を任務とする兵、輸卒(根拠は同上)
 歩糧 緑営の二等卒(根拠は同上)
 馬糧 馬のえさとかそんな意味、職名としてはあがっていない。

結局は「清代行政法汎論」なる本の信頼度如何でしょうか?
689686:04/05/19 01:49
>>688
>結局は「清代行政法汎論」なる本の信頼度如何でしょうか?
そういうことになると思います。

一応『清国行政法汎論』を見てみました。
第四編第三章武官の第一節に大漢和辞典に書かれてる部分を見つけましたが、
第二節第一款武官品級を見ますとやはり”経制”なる官職は見当たりませんでした。
ということはここでいう”経制”はおっしゃられるように経制外委のことであり、
”外委”は額外外委のことを指している可能性はあると思います。
『大清会典』兵部にも「馬兵内酌派給予頂戴者。為額外外委。」とありますので
そのように解釈してもおかしくはないのですが、一つ腑に落ちないのは
『大清会典』で”外委”と書けば外委千総・外委把総のことを指しますので、
研究者が額外外委を”外委”と省略して書くとは考えにくいということです
(額外外委を額外と省略することはあります)。
緑営兵の兵種を坐糧・歩糧・馬糧と馴染みのない語を使っていますし(普通は守兵・戦兵・馬兵)、
どのような文献を読んでこのように書かれたのか気になりますね。
690世界@名無史さん:04/05/19 20:09
>>689様、重ねての丁寧なご回答ありがとうございます。
 当方は県立図書館の本利用がせいぜいの素人ですのでわからないことが多く、
こうして教えていただけるとありがたい限りです。
 本当にありがとうございました。
691世界@名無史さん:04/05/19 23:47
>>666
公主はモンゴル人に嫁いでる
692世界@名無史さん:04/05/21 23:13
東北にある公主嶺という町は由緒あるの?
693世界@名無史さん:04/05/22 02:22
「異民族、外国人」って満洲人にとっては漢族ももともと異民族の外国人だったわけだが。
成立の過程からしてモンゴル系貴族は優遇されていたはずだが、むしろ
それがなくなるほど漢化してしまったのか?
694世界@名無史さん:04/05/22 06:17
自分の領民である牧民の牧地に、
漢族の小作人を入れて働かずに楽しようとしたのだから、
満州人、独立できた今のモンゴル国以外のモンゴル人が
漢族に土地を取られたという面もある
695世界@名無史さん:04/05/22 08:41
>>694
わかりにくい文章だな。
696世界@名無史さん:04/05/22 16:26
モンゴル貴族が自ら自分の領地に漢族農民を小作人として入れたということらしい。
697たしかに判りにくいので:04/05/29 02:19
>>695 文だけ変えてみた;

自分たちの支配領域である、本来は遊牧民の放牧地区に、
漢民族を農耕小作人として入れ、自分たちは地主として
働かずに楽をしようとした結果、満州人や内蒙古のモンゴル人が
漢族に土地を取られたという側面もある
698世界@名無史さん:04/05/29 13:27
いずれにせよ、
所有権を理解しない漢人にモノを貸すのはやめたほうがいいな。
699世界@名無史さん:04/05/29 14:05
というか、ソースあげろや。
700世界@名無史さん:04/05/29 14:59
自分たちの支配領域である、本来はアボリジニやインディアンの生活地区に、
漢民族を移民として入れ、自分たちと同様の機会を与え
教育も就業も保障しようとした結果、オーストラリアやカナダの白人が
漢族に国家を乗っ取られたという側面もある
701世界@名無史さん:04/05/30 01:28
そんなに居るのか?何人?>漢族系
702世界@名無史さん:04/05/30 05:54
>>700
関係ないけど、今日の朝日の朝刊に、
オーストラリアで中国人の老人に罵倒されて発起して中国語を
勉強しだした女の子の話が載ってた。
日本の侵略戦争を謝罪するために中国語を学ぶって・・・
まあ、いいけど。
703世界@名無史さん:04/05/30 09:21
よかない。
その老人を罵倒し返すためであるべき。
704世界@名無史さん:04/05/30 16:56
ホンタイジの本名はみなさんどう思う?
石橋崇雄『大清帝国』によれば、不明。
このサイトでは一説としてアバハイ。→http://www.free-definition.com/Qing-dynasty-emperors.html
このサイトではヘカン。→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%B8
705世界@名無史さん:04/05/30 17:04
アバハイは毛唐の勘違いってことで結論が出ていたはずだが。
706世界@名無史さん:04/05/30 17:19
>>702
将来はオーストラリアの白人の女の子も、
自国の白豪主義と侵略戦争と差別を謝罪する為に、
慙愧の念で涙を流しながら中国語を学ぶようになるよ。
707世界@名無史さん:04/05/30 23:50
>>704
皇太極の本名がヘカンというのはソースは何なんですか?
満文の実録あたり?
708世界@名無史さん:04/05/31 00:04
>>706
 すると当然将来は漢民族の女の子も謝罪の為に慙愧の念で涙を流しながら
チベットやウイグル、モンゴル等の言葉を学ぶようになるんですね。
 世界に広げよう謝罪の輪が合言葉?
709世界@名無史さん:04/05/31 00:29
>>707
知らん。書いた本人に聞いてみたら?
710世界@名無史さん:04/05/31 00:44
将来はオーストラリアの白人の女の子も、
自国の白豪主義と侵略戦争と差別を謝罪する為に、
慙愧の念で涙を流しながらアボリジニの500ヶ言語を学ぶようになるよ。
711世界@名無史さん:04/05/31 04:43
ヘカン=何汗 ?
712世界@名無史さん:04/05/31 07:35
>>711
それだと本名が‘ヘ’になってしまいませんか?
‘アイシンギョロ・ヘ’
713世界@名無史さん:04/05/31 19:15
>>710
イングランドの少女は大変ですね。
インドだけでも修得に一生かかりますよ。
714世界@名無史さん:04/05/31 19:19
ミ汗、ポン汗、ナツミ汗、サ汗、ド汗、アラ汗、ボウ汗、チ汗
トンチン汗、サンユウ汗、ペリ汗etc.
715世界@名無史さん:04/05/31 20:44
ゴウ汗
716世界@名無史さん:04/05/31 20:56
ヤ汗、リン汗、イン汗、ヨウ汗、キン汗、ドン汗、カイ汗、オ汗、ブ汗、
シュウ汗、ゲッ汗、ニッ汗、トッ汗、アッ汗、ボウ汗、トショ汗、チャ汗、
ミン汗、チョウ汗、ユウ汗、キュウ汗、キョウ汗、リョウ汗、ドウ汗etc.
717世界@名無史さん:04/06/14 12:21
>>703
元満蒙開拓団民の爺が、
か弱いロシア女性を罵倒するなんて
許さない!ってか。
718世界@名無史さん:04/06/15 04:28
満洲周辺には「〜興安嶺」という名前の山脈が多いけど、これってどういう意味ですか?
大興安嶺
小興安嶺
内興安嶺(ロシア名:シホテアリニ山脈)
外興安嶺(ロシア名:スタノヴォイ山脈)
など。
719世界@名無史さん:04/06/15 04:56
>>710
アボリジニの人達は、
どう転んでも、そこまで浅ましく卑らしいことはできないと思う。
その時になったら便乗してアボリジニを名乗りだす人達ならどうか知らないけど。
720世界@名無史さん:04/06/15 15:18
>718
「興」という字は始まるという意味。
ここからは安心、安全が始まるという意味。
いろいろあるのは、考え出すのが面倒だったから。
山脈というほどたいしたものでなく、いつのまにか越していた
というようなものらしい。地図でみれば山岳地帯の茶色が
ずいぶん薄いですね。中ソ国境交渉で大事ですね
721世界@名無史さん:04/06/17 03:47
>>720
これを名付けたのって、やっぱり清朝政府(満洲族)ですよね?
一応、大興安嶺は満洲と内蒙古の境界ですし、外興安嶺はネルチンスク条約での清露国境なので。

それにしても、最近の地図で、スタノヴォイ山脈を括弧書きで「外興安嶺」と表記してあるものはあっても、沿海州のシホテアリニ山脈を「内興安嶺」と注記しているものがほぼ皆無なのは何故なんでしょう?
樺太を「サハリン」とだけ書き、「樺太」と注記しないのと同レベルで、いただけない書き方だと思うのですが。
722世界@名無史さん:04/06/18 02:39
名付けたのは、清朝成立前?成立後?
723世界@名無史さん:04/06/18 14:34
>718
 「興安」はモンゴル語「ヒンガン」の音写。
 >720の記述は無知のこじつけ。
724世界@名無史さん:04/06/18 17:51
>>720
>山脈というほどたいしたものでなく、いつのまにか越していた
>というようなものらしい。

気候条件としては大雪山級なんだが、いつのまにか越せるのか??
外興安嶺に至っては日本アルプスに挑むより厳しいんだが...
725世界@名無史さん:04/06/18 18:58
そんなにしったかを叩くと、荒らしに走るぞ。
726世界@名無史さん:04/06/19 00:04
クロポトキン「ある革命家の手記」上、p263、岩波文庫
私たちは大興安嶺の傾斜地塊性や、それを超えるのが容易な
ことや・・・を発見した。
727世界@名無史さん:04/06/19 00:14
>気候条件としては

気象条件は、あの地方ですから季節によっては厳しいでしょうね。
夏の大雪山はそんなに大変か知りません。
私はケーブルカーで上がって美しい景色でした。
728世界@名無史さん:04/06/19 00:24
中国語というのは当て字を作る時も常に文字の意味を併せて作って
いますね。
729世界@名無史さん:04/06/19 08:30
>>720 >>724
昔、興安東省に住んだことのある人の話ではそんな感じらしいよ。

麓からは山並みが延々と続いているのを毎日見ていて、夏のある時山へ登って
みようと思い立って5人ほどで馬で出かけたが、果てしない草原時々ガレ場を
一週間ほど歩き続け、やっと人家があったので場所を聞くとすでに大興安嶺を
過ぎているとのこと。
振り返ってみて山並みが続いているのを見てそれを納得した、という今は亡き人の話。
730世界@名無史さん:04/06/19 09:22
今西錦司編「大興安嶺探検:1942年探検報告」講談社
これは昔読んだのでだいぶ忘れ。
あの人達はどこへ行っても平気なので大変さの
参考になりません。いつも苦労話は資金集めだけ。
吉田和子著「大興安嶺死の800キロ」新潮社、1979
これは読んでません。タイトルだけで大変そう。
731世界@名無史さん:04/06/21 16:39
大小興安嶺は高原というほうが相応しいのでしょう。
大小興安嶺はともかく、外興安嶺は北極地方と北アジアの気候と分けるほど
厳しいみたいですね。
あそこを越えると生物相的にも北極気候に入るとか。
それを考えると沿海州はロシア領満州といった感じ。
ネルチンスク条約の国境はカナーリ妥当だったのかも。
732世界@名無史さん:04/06/22 13:16
>>685がすごくイイ事言った!

原文献読み込んだ専門の香具師らはこの疑問には答えられないのか?
733世界@名無史さん:04/06/22 15:04
↑と、自画自賛
734世界@名無史さん:04/06/22 15:09
>>733
きっと、スルーされてる自分が許せなかったんだろうな?
答えられないのか? だってさ w
735世界@名無史さん:04/06/23 10:00
>>733=734
732だが685は漏れじゃないよ。
スルーしないで答えてやれよ。
果たしてほんとに華夷秩序意識の話だけで片付くのか?
736世界@名無史さん:04/06/23 11:18
されば汝が答へる可し
737ヨヨンガ:04/06/23 13:21
>>685= >>733

 世界帝国が建前(世界全体が皇帝の治める所)の清帝国
は、琉球の使節と商人の受け入れ窓口を福州に限定。

 朝鮮の朝貢使が朝見の儀に参加するためのルートも厳密に指定。

 チベット・モンゴルの大ラマが北京または承徳に赴いて皇帝と
 会見するに至るまでの通行ルートも厳密に指定。


 西洋人の受け入れ窓口を広洲に限定していたことも、
 「理念的に矛盾」どころか、朝貢国・藩属国とまったく
 同列にあつかっていることの、このうえない証拠だな。
738世界@名無史さん:04/06/23 15:10
ネルチンスク条約はそのへんどう位置づければいいのかいまいちわからん。
739世界@名無史さん:04/06/23 15:24
朝鮮との国境もいちおう決めたんでしょ?
中華帝国の「国境」の概念は、女真−明が国境のようなものを設定していたことに始まった?
740世界@名無史さん:04/06/23 15:28
清においては漢族が東北・蒙古に行くことを厳禁していた?遼東半島は古代から漢族では?

その逆もしかり?
741世界@名無史さん:04/06/23 22:56
>ネルチンスク条約の国境はカナーリ妥当だったのかも。

中国側からみるとそうなるでしょう。
ロシアからみると大不満。
条約当時、ロシアは摂政から新皇帝に権力が移行期で不安定でした。
ロシアでは、特使が武力で無理やり調印させられたなどと言っています。


742世界@名無史さん:04/06/24 00:30
>中華帝国の「国境」の概念は、女真−明が国境のようなものを設定していたことに始まった?

それより先に、遼と宋が、国境も、両国間の交際方式も、ニカ国間条約とい
う形で、詳細に規定しているではないか。
743世界@名無史さん:04/06/24 12:35
>>740
山海関より南の漢族などは関を越えることを禁止してた。
山海関より北に定住してる漢族は行き来自由だったと聞いてる。
この規制の為に、東北地方は長らく人口疎らな過疎地状態。
744世界@名無史さん:04/06/24 18:45
>大小興安嶺はともかく、外興安嶺は北極地方と北アジアの気候と分けるほど
>厳しいみたいですね。

どこを北アジアというのか私は知らないんですが、北の方に
年間の気温差が100度あるようなとこがあるらしい。
更に北に行って北極海にでるとかえって気候がおだやかに
なるらしい。北アジアと北極地方の気候区分も難しいですね。
745世界@名無史さん:04/06/24 20:50
>>744
それは外興安嶺の北側でつ。サハとかあのへんですね。
内陸で標高も結構高いので極端な気候になる。
おっしゃる通り北極海沿岸まで出るとおだやかになります。
冷帯は「夏は暑く冬はめちゃめちゃ寒い」
寒帯は「夏が無い」
この違いですかね。
746世界@名無史さん:04/06/29 11:35
太祖の「ヌルハチ」は実に濃い名前だな。いかなる意味があるのか?
747世界@名無史さん:04/06/30 01:51
ヌルハチ=体液にまみれたハワイ出身の力士が羽毛布団を宣伝してるイメージ。
748世界@名無史さん:04/06/30 08:30
>>747
>warata
749世界@名無史さん:04/06/30 11:50
鄭親王ジルガラン、エイ(叡−又)親王ドルゴン、豫親王ドド、英親王アジゲ、
粛親王ホーゲ、マングルタイ
なにかウルトラマンに退治されそうな名前ばっかり。
750世界@名無史さん:04/06/30 13:06
円谷の想像力は満州体験が関係ありそうだな。
751世界@名無史さん:04/06/30 23:03
豫親王ドドはダダ星人のモデル?

関係ないが、十年ほど前の江口洋介はダダ星人そっくりだ。
752世界@名無史さん:04/06/30 23:49
我々には想像が及ばないのが残念だが
当時の満州体験者って特殊なメンタリティで育ったみたいだね。

満州で育つって一体どんな心境なんだろう。
753世界@名無史さん :04/07/01 09:59
指揮者の小沢政治
ジャズピアノの秋吉年子
みんな日本を離れて海外で暮らす。
何か根無し草になるというか、アイデンティティーをさがすというか
国際人になる。
おそらく、親がそうなのだろう。
754世界@名無史さん:04/07/01 10:01
二人だけを以て「みんな」というその神経・・・
755世界@名無史さん:04/07/01 12:05
そんなに言うなら満州出身か体験者の有名人をできるだけあげれ。
756世界@名無史さん:04/07/01 12:41
>>749
「退治」と言えばやっぱホンタイジでしょう。
757世界@名無史さん:04/07/01 15:32
>>756
「山田君、きくちゃんに座布団一枚」
758世界@名無史さん:04/07/01 19:49
順治帝って漢文の読み書きができなかったと聞いたのですが
話すことはできたのですか?(北京入城の年齢を考えれば話せたと思うのですが・・・)

中国語のできない皇帝と宦官と接し方がどんなものか気になったので
759世界@名無史さん:04/07/01 20:58
>>758
漢文とシナ語は別物じゃないかな。
760世界@名無史さん:04/07/01 21:00
>>759
へ?
どう違うの?
761世界@名無史さん:04/07/01 21:04
かの地では、演説や大学の授業では、講義内容はすでにレジュメが作られていて、
演説・講義を聴きながらレジュメを見て理解するとのこと。
漢文とシナ語が同じならそんな必要ないでしょ?
762世界@名無史さん:04/07/01 21:06
>>761
日本の大学でもそれをやってくれたら、ノート取らなくていいから
便利なのに。
763世界@名無史さん:04/07/01 21:23
>>761
日本でも会社とかなら、会議やレビューのときにあらかじめレジュメを
作るのは当たり前だけど?
764750:04/07/01 21:35
>>751
四六駢儷体など小難しい奏文は読めないが、
通常の文字を読む程度ならできるってことですか?

書物を読めない癖に漢文化に憧れたってあたりかわいい。少年皇帝萌え。
765761:04/07/01 21:44
おかやんの本からの引用

 一九七二年の夏、蒋介石が中華民国の第五期総統の就任式を挙げたとき、台北の陽明山中の
中山堂の会場には、参列者の入場に先立って、座席の一つ一つの上に印刷した蒋介石の就任演
説のテキストが置かれていた。式が始まって、正面のステージの右手奥から八十六歳の蒋介石が、
宋美齢に左腕を支えられつつ、おぼつかない足どりで登場、ステージの突き当たりの壁一ぱいに飾
られた、巨大な孫文の肖像に向かって立つと、右腕をさし伸べて、かん高い震え声で宣誓の辞を述
べた。それから蒋介石が会衆に向き直って演壇に立つと、会衆は一斉に印刷したテキストを取り
上げ、蒋介石の就任演説を聞きながら、眼で漢字を追うのだった。そしてテキストで行が変わるた
びに、会衆の間から万雷の拍手が起こった。

766世界@名無史さん:04/07/01 21:54
>そしてテキストで行が変わるたびに、会衆の間から万雷の拍手が起こった。
チャイ語は文章読む方が楽ってことですか・・・
蒋爺様の演説が聞き取りづらいってオチじゃないですよねえ
767世界@名無史さん:04/07/01 22:26
清朝も末期になると、皇族も満州語を話せなくなっていたという。

しかし清朝末期の皇帝は不義密通、弟は不潔・・・
768世界@名無史さん:04/07/01 22:38
>>758-759の流れは
「話すことはできても漢字を読み書きすることはできなかったんじゃ?」
というほどの意味かと。
769761:04/07/01 23:01
どうも説得力に欠けるので補強します。

TVドラマ『三國演義』では、台詞が古典の引用になると、必ずテロップがつくんです。
漢文と言葉の差が激しすぎてそのままでは理解できないのでは。
漢文=北京語なら、胡適たちが白話運動を始めた理由がわからない。
770世界@名無史さん:04/07/01 23:07
教養があれば大抵分かるの!白話運動は書き言葉の解放運動。日本でも言文一致ってあったでしょ。書きと話しと一致してなきゃ読めないってバカに読みやすいようにしたわけ。分かった?
771世界@名無史さん:04/07/01 23:10
中国は地方によって文字の読み方が違います。
だから文字で追えばどこの人も理解できるので
テロップをいれます。
ニュースでも方言の強い人のコメントになると
テロップがはいります。
772世界@名無史さん:04/07/02 00:01
突然すみませんが、今友達ともめてます。内容はというと、
西太后がやってきた非道の数々の中で、女の人の両手両足を切断した
という話がありますが、
その後その人をどうしたかということです。
自分は便所の蓋だと小学生の頃から思っていましたが、
友達は映画の影響で瓶の中に入れられていたと言い張ります。
中国に詳しい方ご意見をお願いします。真実はどちらなのでしょう。
773世界@名無史さん:04/07/02 00:09
>772

「四肢切断して瓶に入れる」が正しい。友達が正解。あなたは漢の呂后がライバルの側室にやった
「四肢切断のうえ視覚聴覚と声を奪い、便所につける」と混同したのでは?
もっとも映画の話で、実際の西太后はそんなことしていない。(東太后を毒入り餅で殺したことはあるが)

「四肢切断の上酒瓶につける」は、唐の則天武后がやったことだよ。
774世界@名無史さん:04/07/02 00:19
>773さん
ありがとうございました。なるほど、勉強になりました。
775世界@名無史さん:04/07/02 13:21
>>772の「便所の蓋」って、何だろうと思ったが773の書き込みを読んで
理解した。ようするに漢の呂太后のジンテイを言いたかったんだな。
確かに、意味はヒトの形をしたブタだ。
テイって漢字を表示できないのが残念。
776世界@名無史さん:04/07/21 05:34
>>770
日本の言文一致と中国の白話運動を同列にあつかうのはどうかと。
口語と文語との乖離の大きさが違い過ぎる。

そもそも漢字漢文の発端は記録の延長であって、日本語の文章のように
話し言葉から生まれたワケでは無い。
777世界@名無史さん:04/07/23 09:41
今度上田信が講談社で概説を書くそうな。
778世界@名無史さん:04/07/23 10:26
>>775 人彘
779世界@名無史さん:04/07/23 12:39
異民族の征服王朝だった清では、「夷」の字は使用禁止だったそうだね。
780世界@名無史さん:04/07/23 23:56
女真人は今はなにしてるの?
自治区で暮してるの?
女真人の国ってあるの?
            PN 東太后大好きっ子
781世界@名無史さん:04/07/24 00:56
>>776
白話運動のモデルは日本の言文一致運動なのだが。
782世界@名無史さん:04/07/24 23:32
>>780
遼寧省や河北省で暮らしているらしい。例えば河北の新賓満族自治県。
人口は980万ぐらいだったか。少数民族優遇措置のせいか文革の時450万ぐらいだったが・・・
愛心覚羅なら金、エホナラ(漢字失念)なら葉とかいう苗字で名乗ってるらしい。

純粋な旗人はもういない。(旗人の時点で漢、蒙古と混ざったがナ)
783世界@名無史さん:04/07/24 23:38
旗人の子孫なら満州八旗でなくとも「満族」と認定されるらしい。
漢族や蒙古族のも含む。

旗人にはアルバジンで捕虜になったロシア人の子孫もいるはず。
784世界@名無史さん:04/07/24 23:40
「千山無量観」というのは、どんあものだったの?いつできたの?今も有るのですか?
785世界@名無史さん:04/07/24 23:41
いや、中央アジアに、清朝時代強制移住させられた満州族の一部族、シボ族が
数万人単位で住んでいるというよ。
いまだに純粋な満州語をしゃべられるという。
786世界@名無史さん:04/07/24 23:42
>>782

満族と漢族の結婚は禁止されていた。
清朝はアパルトヘイト体制。
787世界@名無史さん:04/07/24 23:44
モンゴル人や朝鮮人はOKだったようだ。
788世界@名無史さん:04/07/24 23:45
清朝が漢民族に女真の習俗を押し付けたことは実に残念。

辮髪は滑稽にしか見えない。服装も、本来の漢民族の物が威厳があっていいのに。
789世界@名無史さん:04/07/25 00:08
満州にも錫伯族が今も10万人ほどいるらしいよ
790世界@名無史さん:04/07/25 06:35
オーストリア帝国が清帝国へ進出したきっかけはなんだ?
791世界@名無史さん:04/07/26 10:09
>>788
確かにその通りなんだけど、そのことが無かったらチャイナドレスって今ほど浸透しなかったよね?たぶん。

押し付けはイクナイけど。
792世界@名無史さん:04/07/27 01:36
辮髪は滑稽だか旗パオはあれはあれでイイ。
793あぼーん:あぼーん
あぼーん
794あぼーん:あぼーん
あぼーん
795世界@名無史さん:04/07/28 20:03
>>791

あんたはそれでいいかも知れんが、俺はあの竜宮城の乙姫様のような
ヒラヒラした衣装のほうが好きなんだよ!

男の衣装のほうも、漢民族本来のほうがイイ!
796世界@名無史さん:04/07/28 20:44
正式な呼び方も知らず「竜宮城の乙姫様のようなヒラヒラ」
という呼び方しか知らない香具師が何をいうか。

調べといて。
797世界@名無史さん:04/07/28 20:46
>>796

つまりあんたも知らないということ。
798世界@名無史さん:04/07/29 00:21
>>787
錫伯族についてだが、若者はウイグル語もしくは漢語しか喋れない香具師が
増えていると、何処かのスレで聞いた。

元々のシボ族は海西女真の北、ハルビンの西辺りの地域にいましたナ。
一応、新満洲として規定されたらしいが人種的にはツングースorモンゴルどちらなのでしょうか?
799世界@名無史さん:04/07/29 00:41
人間の手足切って同体だけ坪に入れるのが中国で普通らしい
800世界@名無史さん:04/07/29 05:26
後後金国建国に伴う七大恨を考えようぜ
802世界@名無史さん:04/07/29 06:53
練馬大根。
803世界@名無史さん:04/07/29 06:55
>>795
晴れ着ならともかく作業には不便だ
804世界@名無史さん:04/07/29 13:49
チーパオ最強だろ?



                          乙姫も又良しだが…。
805世界@名無史さん:04/07/31 00:06
チャイナドレス改めタルタルドレスと呼ぼう
806世界@名無史さん:04/07/31 00:32
マンチュリアドレスと呼べ!
807世界@名無史さん:04/07/31 10:58
manju i hehe i etuku

チーパオも中国語だからなぁ。
もともと満洲語でなんて言うのだろ。
808世界@名無史さん:04/07/31 20:02
>>806
ドレスといっている時点でなんか違うだろ?
809世界@名無史さん:04/07/31 21:19
清朝でも満州族の服装の強制は、男子だけで、しかも、仏僧、道師は例外(道教の道師は、漢族の道服を着用し
漢族の歴代王朝の朝服の冠に似た道冠を被っていた)だったそうだよ。だから、清朝になってもしばらくは女子の
服装は、明朝とそれ程変わらなかったそうだけどね。旗包が女子にも普及して行ったのは、やはり動きやすい
という実用の面からではないかと思うが。
810世界@名無史さん:04/07/31 22:51
じゃあジュルチンドレス。


・・・語感が官能的だハァハァ
811世界@名無史さん:04/08/01 01:17
>やはり動きやすい という実用の面から

んなことないでしょう。纏足がずっと廃れなかったんだから。
単に支配者層に対する憧れでしょ。
というか、漢族女性が着てたのは旗包チックな服装であっ
て、旗人女性の旗包とはデザイン違ったハズよ。
812ホンタイジ:04/08/01 08:45
>>810
今後われらをジュルチン・ジュシェン・女眞・女直と呼ぶことはまかりならぬ!
マンジュと呼ぶべし!!
813世界@名無史さん:04/08/01 09:05
ホンタイジがマンジュと改めて以降、ジュシェン(女真)は奴僕の
意味になってしまうんだよね。
814世界@名無史さん:04/08/01 23:15
>>811
でも現代の中国人は、日本人が旗包を典型的な中国の民族衣装と連想することには、
反感を持っているらしい。
815世界@名無史さん:04/08/02 09:31
旗包が現在イメージするような、体にぴったりして、足はスリットで
みせるようになったのは、上海開国後の洋装の影響。タイトスカートと
同じだ。
816世界@名無史さん:04/08/05 21:36
アイシン(゚∀゚)ギョロ
817世界@名無史さん:04/08/05 21:38
ダイチン(゚∀゚)グルン
818世界@名無史さん:04/08/05 21:43
ニシャン(゚∀゚)サマン
819世界@名無史さん:04/08/05 21:44
でも、チャイナドレスも、満洲族に由来します。
820世界@名無史さん:04/08/05 21:46
ギオチャンガ(゚∀゚)タクシ
821世界@名無史さん:04/08/05 21:48
クンドゥレン(゚∀゚)ゲンギェン
822世界@名無史さん:04/08/05 21:51
アープカイチューソー(゚∀゚)フーシーチーフーソー
823世界@名無史さん:04/08/06 10:13
クオ(゚∀゚)ブロウ

824世界@名無史さん:04/08/07 14:48
旗包(チーパオ)
825世界@名無史さん:04/08/07 16:49
八仙飯店之人肉饅頭
826世界@名無史さん:04/08/12 05:19

827明末の乱が続く世代:04/08/18 20:42
1624−61年の小琉球(台湾)にオランダのゼーランジャ城(安平)鄭成功の時代。

1636年に、元の玉璽を持って大清の王朝が、満州−蒙古−新疆−西蔵に成立。
       万暦の逆(朝鮮の役)で、平壌の日本の小西勢を驚かした
       降伏した漢人の大砲隊を漢人八旗兵として扱う。

       当時の日本人は寒冷地用の渡河や泥地を行くブーツや靴を知らず
       草鞋(わらじ)による凍傷で歩けず凍死する者が続出した。
       大砲の攻撃を受けて数百があっという間に死ぬのも知らなかった。
      (夏服でロシアに攻め込んだ東部戦線のドイツ軍なみの駄策。冬に凍死)

       一方、中国人は
       日本人の密集した鉄砲撃ちや馬が驚いて騎兵が落馬するような
       鋭い日本刀を切り立てて斬って来る戦いを知らず
       白兵戦を避けた。
       もっぱら遠距離から大砲や騎馬の早駆けで蹴散らす。

       出兵時に2万もいた小西勢は、平壌で1万5千ほどになり
       漢城まで逃げ延びた者は5千にも満たなかったという。
       戦死率75%以上。

       漢城の民衆は栄養失調と食糧難で集まって来たが
       粥にして配る朝鮮の両班の慈善救済も虚しく
       時の雨に打たれて一夜で殆どが死んだ。
       辺りは地獄の様相で、民衆が餓鬼の様に腹が膨れ
       物悲しいうめき声で満ちていた。

1637−38年に、島原の乱(幕府軍が派遣した兵は10万とも12万ともいう)
828明末の乱が続く世代:04/08/18 20:47
1644年に、大明の王朝は駅吏等の暴動により滅亡。
       清兵は入関して明の玉璽を持って新王朝(満州王朝)を建てる。

1673−81年に、三藩(呉三桂)の乱。
       漢人八旗と別に、漢人緑営の活躍。
       清初の叛乱平定で四川で勢力を張った呉三桂は
       雲南に左遷される時点で叛乱する。
       78年に湖南の衡陽で帝位につくも、まもなく呉三桂は死んだ。
       その孫が戦いを続けるが形勢が逆転し、自決して乱は終結する。
829明末の乱が続く世代:04/08/18 20:48
1644年に、大明の王朝は駅吏等の暴動により滅亡。
       清兵は入関して明の玉璽を持って新王朝(満州王朝)を建てる。

1673−81年に、三藩(呉三桂)の乱。
       漢人八旗と別に、漢人緑営の活躍。
       清初の叛乱平定で四川で勢力を張った呉三桂は
       雲南に左遷される時点で叛乱する。
       78年に湖南の衡陽で帝位につくも、まもなく呉三桂は死んだ。
       その孫が戦いを続けるが形勢が逆転し、自決して乱は終結する。
830世界@名無史さん:04/08/22 01:05
>>829
でたらめ書くな
呉三桂が平西王として駐留したのは雲南と貴州
左遷なんぞされてはいない
831世界@名無史さん:04/08/23 17:21
平凡社の百科事典にあった斜め読み。

呉三桂は四川を平定していた記述になっている。
雲南に異動は、雲南も平定しろ。というお指図だったのでしょうね。
つじつま合わせになるけど。

実際はアナタのいう通りかも知れんけど。ネタ本がそれなもんで。

湖南の衡陽は、湖南の長沙より南で上流域。
832世界@名無史さん:04/08/28 20:15
[豆知識]

高句麗の平野の領域に鮮卑族で、現在の山西省に移動し代国(北魏)・隋・唐

高句麗の山岳の領域に女真族で、後に金国・後金国(清)

高句麗の海岸の領域に朝鮮族で、漢江の南に分国し南扶余国(百済国)

韓のサロ国が、辰国になり後の新羅国・漢江の北に分国し高麗国・禅譲で李氏朝鮮国

漢の四郡で最南端の真番郡が、任那になり後に倭国(日本国)
833世界@名無史さん:04/08/29 05:13
追加補正:

>832
>漢の四郡で最南端の真番郡が、任那になり後に倭国(日本国)

漢の四郡で最南端の真番郡が、
呉(漢音)の時に任那になり、後に[対馬を渡り]倭国([
唐・カラ(呉音)の時に]日本国)
834世界@名無史さん:04/08/29 05:20
追加補正:

>833

秦の除福が楚から船出した先
漢の四郡で最南端の真番郡(珍島・晋州城・・・)が、
呉(漢音)の[南朝・六朝の]時に任那になり、後に[対馬を渡り]倭国([
唐・カラ(呉音)の時に]日本国)
835世界@名無史さん:04/08/29 05:37
>834

春秋戦国の楚の地より
呉や伽羅から鍛冶屋や織物師の
拓楚・済楚(・・・当て字は創作)

百済の学者の
ワニシキ(王仁斯其、・・・斯其の当て字は創作)
たちが
高句麗の好太王が、馬韓(百済)を攻めた400年ごろ(405?)

倭であった弁韓(真番郡[漢]・弁辰[魏]・任那[六朝])に到った。。。
836世界@名無史さん:04/08/29 06:10
>835

>221
>拓楚・済楚(・・・当て字は創作)

田孔楚・斉楚(・・・当て字は創作)


韓(「桓」国・「韓」国)・
斉(田・孔)・
楚・秦(「辰」国・「晋」州城・忠「清」道)・
漢・韓(「辰」国・「辰」韓・「新羅」)・
魏・弁辰・
呉・任那(伽耶)・加羅(韓・唐)・唐・・・

遼東郡−高句麗県
___(高句麗−国内城・熟女真[金国] 建州女直族[後金国・清王朝の満州族])・
___後高句麗国(新羅の王族が漢江の北の松岳(開城)に分国が始まり)・高麗国
楽浪郡−朝鮮県(高麗王を簒奪後に明王朝から国名をもらった李氏−朝鮮国[李朝])
837世界@名無史さん:04/08/29 06:34
中国から高句麗の海岸の領域(時代を問わない・・・)

山海関(明時代の万里の長城の海側の端)
 熱河地方 遊牧民(蒙古族など・・・)と雑住で漢民族も住む

  遼河 朝鮮族と雑住で漢民族が多く住む、上流域に女真族が住む
遼東半島、一時期は、女真族と朝鮮族と雑住で漢民族が多く住む。現在も漢民族地。
  鴨緑江
   平安道(高麗時代の北界)に、朝鮮族と雑住で漢民族が多く住む
 大同江
  黄海道(高麗時代の西海道)、朝鮮族の少数居住
漢江
838世界@名無史さん:04/08/30 14:13
>836

遼東郡襄平県・・・
× 遼東郡−高句麗県
○ 玄菟郡−高句麗県(遼寧省桓仁の付近、上流が吉林省通化)
遼東郡西安平県・・・・・好太王碑の国内城(吉林省通溝)

馬紫水(鴨緑江)・・・・・・蓋馬高原
義州・・・太白山脈?・・蓋馬高原・・・玄菟郡政跡(沃沮城)(咸鏡南道・興南の付近)
・・・太白山脈?・・蓋馬高原・・・東海岸
平壌・・・・・・・・・・臨屯郡治跡(江原道の北辺の海岸で元山の南・安辺の付近)

列水(沮水→大同江)・・・・・・・・・金剛山
楽浪郡治跡(楽浪郡−朝鮮県−王険城)・・・太白山脈・東海岸

戴寧江・・・・・・・・・・・・・・・・・・太白山脈・東海岸?
帯方郡治跡(黄海道・沙里院の付近)

礼成江
松岳(開城)・・・鉄原(議政府から元山に続く内陸の道)
江華島・板門店
金浦・議政府(碧蹄館の付近)
仁川・北漢山(漢陽→漢城→京城→ソウル)

帯水(阿利水→漢江)
839世界@名無史さん:04/09/01 19:59
               __
             /;;;;;;;;;;;;;\
            /;;:::::::::::::::::::::::\
       ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
            L::;;,__     ..:::ゝ
          //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
          / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
         /j/三三三三三三三三三三ヾ、
         l::||::::              |l  
        / ̄\  (●)     (●)  ||  
      r┤    ト::::: \___/     ||     
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
      |   _)_ノヽ\  ハ // /    ヽ   
     ヽ____)ノ      ̄ ̄ ̄   /     ヽ、
北京オリンピックで待ってるよ、東夷のみなさん!!


460 :\______________________________/ :04/08/31 21:32
                 O
                o
        ムクッ    ∧ ∧
             (゚д゚ ):. _  きょ・・・今日は悪夢を
            r'⌒と、j   ヽ   よく見るわけで
           ノ ,.ィ'  `ヽ. /
          /       i!./
           (_,.         //
          く.,_`^''ー-、_,,..ノ/
840世界@名無史さん:04/09/01 21:34
>>831
せめて『アジ歴』を使ってよ。
呉三桂挙兵時は既に雲南貴州両省で呉三桂の支配が確立されてたんだから
841世界@名無史さん:04/09/02 09:14
あの髪飾りとかすごいよね。西太后とか
842世界@名無史さん:04/09/02 21:47
st
【 工兵隊 】
戦国の甲州武田の場合は金堀組?と言った。
幕末の江戸幕府の場合は黒鍬組?と言った。

【 ラーメンの変遷 】
長崎ちゃんぽん(出島貿易)
横浜の南京ソバ(幕末開国)
新宿の支那ソバ(関東大震災の紅卍会・中国赤十字からの
 救援食料としての拉麺[延ばして作った麺])
仙台の冷やし中華(昭和12年・北京料理・龍亭)

【 終戦に関する記念日 】
1945年8月15日正午 玉音放送・停戦・空襲の停止(ポツダム宣言受諾)
1945年9月2日 降伏文書の調印式(ミズーリー号にて?)

【 終戦直後の暴動 】
・・・・繁華街での集団レイプ・集団売春・工作船−拉致事件・強制収容所に至る・・・・

【 李氏朝鮮のパンソリ 】
日本語では「全羅道の唱劇」と一般に訳している。
 口承伝承なので文字で書かれた物は基本的に両班の手による漢字で残る。
 口承伝承の当時のハングルは使用禁止で処刑されていた。使用は朝鮮総督府時代。
 昔:春香伝 → 今:春香歌
パンは、この場・朝鮮風レスリングの一番、の意味
ソリは、歌唱の歌や音楽の音を意味する。
    湖南左道(全羅道[あるいは南道]の東側・南原の地域)の歌のみを指す。
    ソリ以外の歌を意味する語彙・単語もある。
end
843世界@名無史さん:04/09/03 06:37
>842

>>441 つづき

全国一般の楽器のメロディーの歌でない
アカペラの「歌」を「ノレ」という。
ソリを歌の意味で使うのはパンソリを歌う全羅道の南原方面だけで
全国一般に「ソリ」は「音」を意味する。
楽器の音律の歌は、別の単語・名前がある。

[例]
エアコンの音:エオコンそり。
車(自動車)の音:チャドンチャそり。
日本語:イルボンまる。(マルは津軽「弁」の弁ほどの意味)
語学堂:おハッだん(語学の学校)
音楽鑑賞:うマッかむサン
話す:ハル
読書:とくソ
歌:ノレ(何の、歌ですか? むスン、ノレいむニカ?)
(では、一緒に歌いましょう。クロム、かち ノレはぷシダ。)

ソリの歌は漢字表記に音律やアクセントに間合いなどを表す
特殊な記号が付けられており伝承は同じ物語なのに異本が多くある。
記号にも統一性が無く、まったく記号を用いない文献もある。

ハングルと漢字に西洋の楽譜を混ぜた文献は朝鮮総督府時代のものである。

ハングルだけの文献は独立後の物である。
844世界@名無史さん:04/09/03 10:13
満州皇帝の他民族使節や元首への接見と交易(朝貢)窓口

________________________日本の長崎に来るオランダ船
_______________________日本の長崎に来るカンボジア船
広東省−広洲 西洋人の受け入れ窓口      日本の長崎に来る広東船
福建省−福州 琉球の使節と商人の受け入れ窓口 日本の長崎に来る福建船
熱河省−承徳 モンゴルの大ラマ 
直隷省−北京 チベットの大ラマ 通行ルートを厳密に指定
直隷省−北京 朝鮮王 通行ルートを厳密に指定
___________________(大同法−平壌[中国]釜山[日本])
845世界@名無史さん:04/09/03 12:04
>>844
>>(大同法−平壌[中国]釜山[日本])
コレ何?
846世界@名無史さん:04/09/03 20:50
>845

清朝に関係なくて申し訳ないけど。。。

李氏朝鮮で1650〜1700年代以降に実施された
税金を課す対象地域(平壌というより開城以南−釜山以北)と
収める物(布・材木・穀類・銭・荷役)についての法令だよ。

済州島&咸鏡道(流刑地)・黄海道&平安道(中国人雑住地)は
この大同法の収税対象の例外地域だった。

行商人集団の根拠地があって
中国とは義州・平壌・開城・漢城が貿易のある町で
日本とは釜山だけが貿易の町として限定されていた。

女真族が人参を中国に商うように
朝鮮国が人参を日本に商っていた。
847世界@名無史さん:04/09/04 03:36
蒼穹の昴で叩かれてる栄禄について語ってください。

満洲正白旗人 瓜爾佳栄禄
848世界@名無史さん:04/09/05 16:36
西太后の恋人だそうだ。栄禄閣下は。

多くの部下を率いる騎乗姿の栄禄将軍を、遠目で見て喜ぶ西太后。
単なる「彼氏」という過去の関係を利用し
彼女の地位で引き上げられたヒモのような気もするが。。。

悪い男ですよ。

宦官の李蓮英よりはズッーとマシだろうけど。
唐の楊貴妃によって引き上げられた
貴妃の兄弟の宰相?楊国柱?みたいだが。。。

妹の醇親王?(チュンしんのう)夫人が可哀相。
西太后の姉妹に生まれたばっかりに、皇帝家の一員になったとはいえ
子供を取り上げられ、実の子が皇帝(光緒帝)に据えられて会えなくなるし。
849世界@名無史さん:04/09/05 16:40
エホナラ族の呪い。。。カモね。
850世界@名無史さん:04/09/05 16:44
エホッ いい女!
851世界@名無史さん:04/09/06 04:51
よく聞くけどそのエホナラの呪いって出典何?
万分郎党とかにあるの?
852世界@名無史さん:04/09/06 10:12
老当なんて官方文書にあるわけない、清朝野史大観あたりを探すべし
853世界@名無史さん:04/09/07 01:50
甘粛軍 武毅軍 武衛軍 新建陸軍
854世界@名無史さん:04/09/07 14:20
最近の探し読み・・・立ち読み・・・

図説 北朝鮮強制収容所 双葉社
「北」の公安警察 講談社
拉致と強制収容所 北朝鮮の人権侵害 朝日新聞社
 ○韓国の核兵器級90度の核燃料抽出成功と
  北朝鮮のミサイルと人工衛星打ち上げ成功

 ○ボスニア内戦での
   セルビア人による拷問虐殺と集団レイプについて

ナチ強制・絶滅収容所 筑摩書房
ナチスからの「回心」ある大学学長の欺瞞の人生 現代書館
 ○ナチスの核兵器開発の失敗と
  ナチスのミサイル開発の成功

生きながら火に焼かれて スアド
 松本百合子−訳 ソニー・マガジンズ
  中東シスヨルダンでの・・・
  ・・・少女は火刑にされ・・・奇跡の生存・・・証言・・・
  年間6000人以上の少女が今も家族の手で殺されている。

最後の宦官秘聞
 ラストエンペラー溥儀に仕えて 著−賈英華 訳−林芳 NHK出版
855世界@名無史さん:04/09/09 06:20
>>848
栄禄が西太后の恋人って浅田次郎の小説の中での
話じゃなかったか・・?
それに恋人というより西太后の甥だったような・・・。

実際は義和団の際にも義和団鎮圧を上奏したり、軍隊の近代化にも
努めた人物らしいけど。
856世界@名無史さん:04/09/09 13:12
>855
>それに恋人というより西太后の甥だったような・・・。

そうだったんだ。あまり知らなかった。
857世界@名無史さん:04/09/09 13:14
>実際は義和団の際にも義和団鎮圧を上奏したり、軍隊の近代化にも

補足になるけど。。。

李鴻章の淮勇(淮軍)は太平天国の乱を鎮圧した際の
洋式装備の軍隊だが私兵であった。

李鴻章(日清戦争の時の軍機大臣?で下関条約の全権大使)の部下であった
袁世凱の新建陸軍が訓練まで洋式化した軍隊であった。

袁世凱の山東省の新建陸軍(新軍)が
義和拳で銃弾に勝てるか団員の神に誓わせ
試し撃ちをするように拳術対発砲の戦いをし山東省の義和団を鎮圧した。

しかし自分の根拠地の山東省が安定しても
弾圧に難儀していると言葉を濁して上奏し
軍を山東省から出さず西太后を救援せず
八カ国連合軍が動いた為に、連合軍と戦わないで
自軍の温存で北京には向かわなかった。

その後に漢人の有力私兵を満州貴族が接収する事となった。

それは袁世凱が光緒帝の改革の戊戌の政変で
西太后側(帝を幽閉した側)に加勢し
反西太后派(帝の兄弟と漢族科挙官僚の側)の満州貴族から嫌われ
さらに義和団の乱(北清事変)の時に
西太后まで裏切って西欧人や日本人に味方した為に
軍の職を奪われた事だった。
858世界@名無史さん:04/09/09 13:16
その後
軍だけでなくて
鉄道まで国有化して満州貴族の所用に接収しようとした為

滅満興漢とスローガンして辛亥革命の
武漢蜂起(10月10日)をした革命派の新軍に対し
満州貴族の将軍が新軍に鎮圧の命令を出すが
私兵な者だから命令を聞かず動かず
満州朝廷は、たまらず
袁世凱に臨時の大臣の職を与えて新軍の職に戻し、鎮圧に向かわせた経緯がある。

袁世凱を起用した満州皇帝は
逆に退位を迫られて結局、革命派の名を使われて
袁世凱に首長の職(中国代表の皇帝→中国代表の大総統)を
禅譲させられるハメに陥った事だった。
859世界@名無史さん:04/09/09 13:22
袁世凱のスキャンダルは
日清戦争の10年前の李氏朝鮮での政変の前後に接待の朝鮮女を囲って
気に入った一人と良くない噂の関係になった事で
軍の職を外された事らしかった。

また袁世凱の息子の家庭教師に
日本人の宮城・古川出身の吉野作造を起用した事だった。
吉野作造の時事ネタを使って
当時の日本の新聞は辛亥革命をインチキ革命と表題した。
860世界@名無史さん:04/09/09 13:25
清末民国初に、権謀術数の限りを駆使して登りつめたが・・・
とうとう・・・皇帝になり損ねた男・・・袁世凱・・・。
861世界@名無史さん:04/09/11 01:21:51
<<860

洪憲皇帝ですが何か?

北洋軍閥ってどのような武器を持ってたんですか?
862世界@名無史さん:04/09/11 06:53:19
そう皇帝に成ったが、みんなに認めてもらえ無かった。
それで第三革命(ツアイオ[サイガク]将軍の雲南蜂起)が起こって、
子飼いの北洋軍閥の部下がそろって皇帝を取り消を求めて応じ、その最中に死んだ。

北洋軍閥は
日清の役の時と違って、服装を様式化し
明治維新からの真似をしたもの、日本の一時代遅れの洋装であった。
昭和初期に大正時代頃の洋装に武器と言った感じだ。

装備は英米からのものを購入し、統一性をもたせ
執銃の訓練のように、一歩兵に関しては構え方や撃ち方の練習をさせ
集団でも軍事演習や閲兵の歩調の訓練も取り入れた。

しかし、一兵士の除隊後の生活のために隊内に居る時にも
技能や勉学を、日本や西洋の国民軍隊は教育した。

それに対し北洋軍閥は、
殺人強盗や強姦を「自由行動三日」という「恩賞」で与えるほか
技術習得もこれと言ってなく、勉学らしいものはさせず、
そのために中国の近代化を阻み、道徳的に退廃した
結果、抗日運動での勉学と倫理を説いた普及方法のために
共産主義による「国民教育」の道をあゆんだ。
863世界@名無史さん:04/09/12 12:05:13
清朝を越えてしまったんで
溥儀の満州国まで清朝っていうのも何で。。。元に戻して。。。

ある夫婦による観光感想本の話題によれば
料理店の人の言う
には
西太后は魚料理が大嫌いであった。という。

というのも
オトウさま(西太后)は、必ず魚に箸もつけずに残されるので
食事も最後となり始めた頃合に
木魚にスープを掛けて出した。と言う。すると何時も、
もうよい。との答えであった。

召された料理人たちは
こぞって煮込みから始める時間の掛かる魚料理を作る手間を省いて
スープだけ作る事にしたと言う。
864世界@名無史さん:04/09/12 12:33:18
烏龍茶は清朝中期の18世紀末に
紅茶のように醗酵させて作る、お茶として開発されたものである。

辛亥革命の頃に、孫中山(孫文)は
清朝についた広東方面の地方有力者を半分殺すように言ったそうだ。
すると現場の革命党の連中は、従わなかった有力者を逮捕監禁すると
板で挟んでノコギリ引きに頭から半分まで途中に切って
死刑にしたそうだ。
半分殺してない。全部殺していると思う。。。

民国初めの北洋軍閥とか
日清戦争の北洋艦隊といった「北洋」とは
山東省より北側の海域、黄河の両岸より北側の領地を示していっている。

淮南子などの淮河の江蘇の海岸の海を「東海」と言い
今の東シナ海を指している。

対する「南洋」とは
ベトナムを巡る清仏戦争の南洋艦隊の壊滅のように
広東・福建の海域を言った。
865世界@名無史さん:04/09/12 12:41:17
話題はずれ。。。

韓国の
南原[ナも]は[ナムうぉん]ではない。
金海[キめ]は[キムへ]ではない。
三韓[サマん]は[サムはん]ではない。
漢陽[はにヤン]は[はんヤン]ではない。
漢江[はんガン]は[はんクワン]ではない。
ならば
東海[トンへ]ではなく[とネ]ではなかろうかと。
日本語の韓国語発音のカナ表記には問題があると思う。

林慶業(いむギョンおぷ)は、姓と区切って名を発音する先頭音なのに「ギョン」発音
慶尚道(キョンさんド)は、地名発音の先頭音なのに「キョン」発音
「音」の韓国語の「訓読み」ソリで、ぱんソリ[唱劇]エアコンの音[エオコンそり]のソリ。
「音」の韓国語の「音読み」ウで、音楽鑑賞[うマッかむサン]のウ。
対応の読みには、慣用読み・当て字読み・音読み・訓読みが
韓国語にもあるという事。

日本語でも慣用や俗に
女王(じょうオウ)と読み「じょオウ」と、漢字を区切っては読まない。
聖教(しょうギョウ)と読み「せいキョウ」と、仏教語を呉音・漢音を区別して読む。
866世界@名無史さん:04/09/12 12:42:26
話題はずれ。。。 つづき

小野寺と小野塚と小野が違うように
長谷川や長谷と
大井川と大井の川を除く様に
百済から漢字を伝えたと言うワニキシとアニキシの
キシ(長:おさ)を省くのは可笑しいと思われる。
島永、川永の永を削除して、島とか川という名が正解も無いと思う。

ヘンダーソン・ジェファーソン・アンダーソン・トマーソンの
ソンは・・・の子、・・・の息子ほどの意味だが
ソンを除いて言うのはアダ名と言うもの。
マーガレットをマギ、メアリー?をメグ、エマニュエルをエマほどに言う感じだ。
そういえば最近はエマとか言う名前を、よく耳にするが・・・。
867世界@名無史さん:04/09/12 12:44:47
訂正・補正

百済から漢字を伝えたと言うワニキシとアジキシ?の
キシ(長:おさ・酋長・村長ほどの意味)を省くのは
可笑しいと思われる。
86838desuga:04/09/12 14:15:34
<<865〜867

うざい。うまらない。消えて欲しい。二度とくるなよヴぉケが。

張勲萌えです。何で彼はあんなに清朝に忠誠を感じていたんですか?
869世界@名無史さん:04/09/12 14:51:32
学問のない叩き上げだったから?>張勲
870世界@名無史さん:04/09/12 19:33:22
>869

辛亥革命の後も辮髪(べんぱつ)を切らず、装備だけ洋式の軍隊を持った。

南京で数十年後に日本軍がする前に、
辮髪の自前の軍隊に南京市民を強姦虐殺した馬鹿者。
張勲による南京事件。

そして
溥儀に2度目の皇帝即位を3日天下(正確には3日でないが)させた男。
さらに2度目の退位もさせてしまった人。
また、3度目の即位は日本軍による満州国の皇帝即位。
そして、ソ連軍侵攻で3度目の退位をする。

3度皇帝になった男。ラスト・エンペラー溥儀。
871世界@名無史さん:04/09/12 19:55:26
>>870
今年で150年周年を迎える、
東南アジアの華僑華人からも熱狂的に支持されていた太平天国こそが、
ザンバラ髪で何十万人単位で入城し、
南京市民を強姦虐殺した大馬鹿集団なわけだが。
何時の間にか南京大虐殺を事実にしている刷り込みも凄い。
南京を占領した諸軍のうちでは、
日本軍は比べ物にならないくらい行儀が良かった。
むしろ占領軍が都市を略奪自由地にするという靖市は中国の慣習。
それと清朝スレなら南京でなく江寧と呼ぶべきだろう。
872世界@名無史さん:04/09/12 20:00:43
× 辮髪の自前の軍隊に南京市民を強姦虐殺した馬鹿者。
○ 辮髪の自前の軍隊で南京市民を強姦虐殺した馬鹿者。

>溥儀に2度目の皇帝即位を3日天下(正確には3日でないが)させた男。

王朝を復活させる、復ヘキ(ふくへき)事件。

北洋軍閥の段キズイ(安徽派[日本借款で親日派]の領袖)の
呼び寄せた軍隊によってフクヘキ事件を粉砕。
張勲たちは外国大使館に逃げる。

袁世凱の2大領袖の一人、安徽省の段キズイが日本に頼って
安福倶楽部という議員団を北京に作って国会を牛耳ると
もう一方の馮国祥は英米から借款を得て親米派となって
北洋軍隊の将軍達への多数派工作をその金で行い
部下の第3師団長の呉ハイフや
曹コンを後継者に直隷派(今の省名で河北省派)を形成して対抗した。

革命将軍を気取る呉ハイフと、賄賂総統の異名を取る曹コン。

直隷派と安徽派どちらかの均衡を保つ為の一時的な処置で
総統に当選した無派閥の傀儡総統・お人よし総統の黎元洪。

黎元洪将軍は、辛亥革命の武漢蜂起の総司令官にさせられた男。
自身は革命党でなく蜂起に反対だったが
軍隊内で人気のあった将軍でもあり
革命派の若手将校に「銃口を向けられて」囲まれて
「総司令官」になるように頼まれた男。
873世界@名無史さん:04/09/12 20:03:43
例によって例の如く漢民族の溺れる犬を叩く執念は物凄く、
清王朝の為に戦った将軍達は民国時代以降にコキ降ろされ、
清王朝に反旗を翻しただけで太平天国軍は義軍にされている。
実際には南京大虐殺と称して紹介されている事柄こそは、
江寧を天京と称した太平天国軍をはじめとする中国人の、
過去の事績と今現在の願望に他ならない。
逆に言えばチャイナタウンが存在する世界中の諸都市は、
何時でも靖市され得ると言う事でもある。
実際に戦後占領期のドサクサには、かかる事は日本でも行われていた。
靖市を行うのは都市を占領した代償を求める中国軍だけではなく、
靖市されることを見こして略奪を図る都市の住民そのものでもあった。
874世界@名無史さん:04/09/12 20:04:25
黎元洪将軍の逸話(脚色編)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
若手: 将軍。お話があります。
将軍: なにかね。入りたまえ。
( 若手の兵隊達が、どっと部屋に入り込む。銃口が将軍を狙っている。
将軍: うわっ。何の真似だ。
若手: 革命の、ご理解を進めに参りました。
将軍: ご理解だ? その筒をこっちに向けないように。
若手: 将軍は非常に隊内で人気があり、我々も日ごろ慕っています。
   だからこそ今。立ち上がって欲しいのです。
   革命の星になって下さい。お願いなのです。われ等の希望です。
将軍: その筒から星が出てきそうで困っている。
   その筒の向きは慕っているとか、そうでないとか。理解不能だ。
   理解が前向きでないと。どうなるのかね。
若手: 革命に殉じて貰います。そうです。
   勇敢にも将軍は名誉の戦死をなされた事になります。
将軍: あい、わかった。名誉はいらないが理解はした。
   司令官になってあげよう。
若手: さすが将軍。われ等の希望の星です。
(そんなわきゃ無いだろう・・・)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
後日談。

あの時は革命に反対していたら、わしは蜂の巣になっていたところじゃった。
大総統になった今は、わがままを聞いてもらいたい。と議員達にいうなり
元の革命派のメンバーを逮捕し死刑にした。
875世界@名無史さん:04/09/12 20:06:49
南京大虐殺のはじめは極東軍事裁判であり、
その後のプロパガンダの担い手は日本における華僑華人達。
つまり、戦後占領期に他ならぬ日本で略奪や占拠を図った人達だ。
今でも日本では南京町というのは中華街の代名詞になっている。
876世界@名無史さん:04/09/12 20:08:14
>871・873

確かにソウイウ処の有る民族だと思うが、朝鮮も同じ。
でも、ベトナム人とかチベット人は、そういうことするかなぁ???
ミャオ族とかイー族はしないよね。
877世界@名無史さん:04/09/12 20:12:59
日本において、戦後に火事場泥棒を逞しくした人達は、
中国におけるのとは異なり、火事場泥棒が罪悪視される日本では、
自分たちが行った事柄に対して、縋るべき言訳が必要だった。
敗者にすべてを背負わせて、略奪を正当化するというのは本国でも同じだが、
如何せん、日本では日本と言う物が存続し、
華僑華人はアメリカの威を借りたとは言え、
自分たちが行ったことの帳尻を合わせる必要があった。
そこで持出されたのが南京大虐殺。
日本人も南京で酷いことをやったのだから、
自分たちの裏切りと略奪と占拠、それらの隠蔽も許されるのだ、
というロジックだ。
878世界@名無史さん:04/09/12 20:15:25
>>876
ベトナム人については聞いたこともない。
華僑系ベトナム人は知らないが。
879世界@名無史さん:04/09/12 20:16:47
人種差別というのではなく、
欧米やオセアニアで華僑華人が警戒されるのも故の無い事ではないだろう。
880世界@名無史さん:04/09/12 20:31:23
地域によると思う。

日本でも
関西は神戸(兵庫県の知事室が襲撃された?)と
関東は東京でも渋谷・新橋・浅草(上野も?)が
終戦直後の暴動が酷かったそうで
でも
横浜と東京の九段下とか神保町の華僑は暴動に参加しなかっただろう。
アメリカ軍の到着前でも。

仙台でも朝鮮人達が集団でアメリカ軍について回って刀狩の時に
宮城県内を荒らしまわっただろうけど
仙台の華僑は絶対数も少ないし
東北大に留学できていた人やその関係者が多かったから暴動はしなかったはず。
東北大の方は華僑の中華料理店に食べに言ってますよ。

秋田は強制労働関係の中国人が多かったから反動があったかもしれないけど
中国人っていったって、生活レベルとか職種とか性格とか人によるんだよ。

犠牲者の方には申し訳ないが。
うちの母方の義理の祖父さんの兄弟は
河北の天津から無事に仙台まで大陸から帰れたので
反中国熱は私に関してはそんなに無い。
横浜の中華街の人達にも親切にしてもらえたし。。。
881世界@名無史さん:04/09/12 20:33:43
彼らが世界中で警戒されるべき存在でないのなら、
日本において彼らが実際に行った事柄についても、
南京大虐殺の捏造プロパガンダなどで誤魔化すのではなく、
彼ら自身によって研究され彼ら自身の口から告白されているはずだ、
ところが、実際に見聞きしている世代でも、その孫子の世代でも、
民国籍であれ中国籍であれ日本籍であれ、国籍を変えた後でも、
また日本から飛び出した人達であれ、
そういったことが今に至るまで皆無だと言う事は、
ようするに今後も、また他の地域でも、
可能であれば全く同様の事を繰返すということだろう。
南京、もとい江寧の話から大分外れてしまったので、
取り敢えず筆を置く。
882世界@名無史さん:04/09/12 20:37:20
留学できていた人やその関係者が多かったから、勝手も知っていた。
現実は冷酷だ。
しかも声一つ出ずに隠蔽しているのだから確信犯だろう。
カナダでもオーストラリアでも、その他の国でも、
可能な状況になれば同様の事を繰返すだろう。
なぜなら、少なくとも日本の例を鑑みる限りは、
彼らは老若男女を問わず、全く悪いとは思っていないから。
883世界@名無史さん:04/09/12 20:38:01
>880 つづき

満州開拓団でもソ連軍に軍隊とみなされて捕虜され
早々とシベリアに連れて行かれたり後に帰国した連中と
中国人と変わらないほど仲良かった
一部の熊本出身の開拓団の連中はあまり略奪もなく無事帰国できたわけで。

熊本って天台宗系の妙見尊という中国天台山の星祭神を祭るが
中国から来たとの事で唐物には偏見の無い地域だと思っていたが
でも熊本と言えども阿蘇などで神道色の強い地域の人達には
中国人は拒絶反応だろうけれども。

熊本でもオウム真理教の村を作るような
日本国内では、帰化しない朝鮮人の方が危ないんですよ。
特に身内を帰国事業で強制収容所に入れられていて
日本人を拉致・誘拐して身代わりに帰国した身内を釈放してもらおう
などという危険な考えと行動の人たちが。。。
自分達の国も住んでいる外国も危なくさせる嫌な連中ですよ。
884世界@名無史さん:04/09/12 20:42:13
>>881
回線切って首吊って死んでね
885世界@名無史さん:04/09/12 20:42:26
>>882>>880への返答。
いずれにせよ、自分たちの加害行為を被害者に転嫁するという行動が、
物の見事に一致してみられる人達だと言う事だろう。
話が飛び飛びに飛んでしまうようだが、
従って、オセアニアなどで、
黄色人種に対する職業差別があっても致し方ないと思う。
例えば華僑華人がスーパーの店主で、
白人が従業員などという事態があるとすれば、大いに違和感がある。
886世界@名無史さん:04/09/12 20:47:26
>>884
事実を指摘されるのが、そんなに痛いのか。
そうやって受入れてもらってる日本への攻撃に転嫁するというのが、
華僑華人の本質だろう。
>>880
実態は苦力だ。
オーストラリアやアメリカなどでも見られた。
あなたの言うことが事実なら、オーストラリアの華僑華人も、
苦力であった祖先を恨んで日本と同様の事を繰返すということになる。
実際に、可能な状況になればそうするのかもしれないが。
887世界@名無史さん:04/09/12 20:52:51
日本人は被害も水に流す。
従って事実は加害者が告白でもしない限りは表に出にくい。
そして何よりも華僑華人達の日本バッシングのほうが凄まじい。
オセアニアも、よほど心してかかっていないと、
一朝事が起これば、子供達も守れなくなるだろう。
888世界@名無史さん:04/09/12 21:08:03
黒社会に近い人、黒社会でも人に情けを掛けてくれる人もいるだろうが
その見分けは・・・状況にもよるが。自分は不慣れで未経験が多いから。。。

君子危うきに近寄らずかもね。

たとえば、里見甫だかいうアヘンを密売していた民間人の中国通が
戦前にいたが
戦後、ジープに乗ったアメリカ軍のMP50人ぐらいに包囲逮捕され
東京裁判に掛けられたが無罪になった。

この人物が戦前の大陸での戦争の
上海戦での日本軍と支那軍との膠着状況を打開したのは
支那側の国民党の将軍達との金銭面の接点を持っていたからだ。

上海の支那側の将軍と直談判しに行き、賄賂で退却させ、
日本軍との戦闘を終結させた。

ところが、談判の話を持ち帰った後にシミッタレな意見があって
日本軍の職業軍人たちは、里見を馬鹿にして支那服着て調子あわせて
どうせゴマカシの取引で戦争なんだからニセ金・ニセ札を掴ませればいい。とか
試験勉強軍人達は抜かしたそうだ

里見は怒って、相手にだって名誉とか部下とか居るだろう。
命張って誠意を持てって敵方に話を付けて来たのに
ニセ金などと、武士の面目、武士の一存がなるか!と怒鳴ったそうだ。
それで本物の札束や金を約束通りに払って、合図の発砲と共に
申し合わせたように支那軍が退却を開始し
日本軍も適当に追撃してとどめは指さないようにさせたと言う。
889世界@名無史さん:04/09/12 21:11:53
その里見ですら、上海は怖い町だからといって黒社会のビルには近づかないし
その手の店で女と遊ぶのはしないように注意していたと言う。
支那の将軍と黒社会の者とチャンと区別した付き合い方をしていたわけだ。
中国要人でも下手すれば
黒社会の地下室で大きなガラス瓶にホルマリン付けの生首になって
並べられてしまった時代だったから。

ところが東京の軍人の馬鹿どもが、この現地のやり取りを無視して
大勝利だのマスコミ使って煽り立てて
南京虐殺にいたる急進撃・強行軍の追撃を命じて
日本兵の精神状態を虐殺しないと収まらなくなるまで
発狂させてしまったんだ。

河北の通州事件も虐殺の仕方は酷いのは確かだけど
原因を作ったのは日本軍側だ。

罪も無い日本の民間人が腹いせの対象になった理由は
親日派の支那軍がせっかく日本人のために戦っていたのに
日本軍の東京から来た香月(かづき)将軍という教育担当の司令官が
敵対の支那軍と戦っていた最中に、
協力していた支那軍の兵舎を日本の軍機で爆撃しやがったからなのだ。
ドコの民族だって、こんな仕打ちなら当然に激怒するだろう。上空の日本軍に
高射砲なんかないから報復できんから、日本の民間人がやられたんだ。

河北では、通州という町は
義和団の乱から親日派の町で中国人と仲良かった模範的な町だったんで
日本人を絶対に裏切らない。って有名だったのにな。

当時の日本が国際的に孤立したのは当然なんだよ。
890世界@名無史さん:04/09/12 21:23:02
蒙古襲来の時だって、高麗兵は残虐で生き残れなかったのに
江南からの旧・南宋兵達は生かして返してくれたりもして情けはあった。

ドッチを選ぶ言って言ったら朝鮮人より中国人を選びますよ。
満州の悲劇は広まっているけど
北朝鮮や韓国の終戦直後や孤児の帰国話なんてないだろう。
隠蔽体質は朝鮮の方。

朝鮮人と仲の良いのは黒社会に近いって思うほどにね。

______: 負け側

日清戦争__: 中国人・朝鮮人________ 対 日本人・イギリス人
北清事変__: 中国人____________ 対 日本人・インド人・ロシア人など8カ国
日露戦争__: ロシア人・朝鮮人_______ 対 日本人・中国人・イギリス人
シベリア出兵: ロシア人___________ 対 日本人・イギリス人・フランス人
大東亜戦争_: 日本人・朝鮮人________ 対 中国人・イギリス人・インド人
ベトナム戦争: イギリス人・朝鮮人・フランス人 対 ベトナム人・ロシア人

(ここでの表記上でイギリス人は、あえてアメリカ人を含んで表記)

朝鮮人のカタを持って、わざわざ日本をもう一度、負け組みにしたいわけ???
891中国民:04/09/12 21:23:25
清を傀儡にしたのは、日本だ
日本が、余計なことをしたからいけない
頼むから、小さい島から出ないでくれ、中国にこないでくれ
892世界@名無史さん:04/09/12 21:26:57
>890

○ ドッチを選ぶって言ったら朝鮮人より中国人を選びますよ。

訂正
______: 負け側

日清戦争__: 中国人・朝鮮人________ 対 日本人・イギリス人
北清事変__: 中国人____________ 対 日本人・インド人・ロシア人など8カ国
日露戦争__: ロシア人・朝鮮人_______ 対 日本人・イギリス人・中国人
シベリア出兵: 日本人・イギリス人・フランス人 対 ロシア人
大東亜戦争_: 日本人・朝鮮人________ 対 中国人・イギリス人・インド人
ベトナム戦争: イギリス人・朝鮮人・フランス人 対 ベトナム人・ロシア人

(ここでの表記上でイギリス人は、あえてアメリカ人を含んで表記)

朝鮮人のカタを持って、わざわざ日本をもう一度、負け組みにしたいわけ???
893例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/09/12 21:28:33
削除依頼を出すタイミングに迷うのでそこら辺にしてくれんか。
894世界@名無史さん:04/09/12 21:38:15
モンゴル人・中国人・満州人・昔の日本人の男たちは
絶対に朝鮮女と結婚しないので有名だったのにな。遊びはあっても子はなさない。

朝鮮女と結婚する奴はスケベで魂を売った淫蕩者だってな。

最近の日本はどうよ。
韓国女に良い様に調子をあわさせられて、
中国女をいじめて、中国に負けっぱなしジャン。負けが込んでいるって思わんか。
こういうのが亡国だってーの。
895世界@名無史さん:04/09/12 21:39:39
今日は打ち止め。
896世界@名無史さん:04/09/13 07:10:14
>>889
そうやって「南京大虐殺」だとやっても、日本国内で犠牲になった方々は何も浮かばれない。
蒋介石の母親も爆撃で亡くなったというが、そんな都合の良い話があるだろうか?
フライングタイガーの例を出すまでもなく、中国の上空を飛んでいたのは日本の飛行機だけではない。
それで信頼が破綻するというのなら、最初からその程度の物だったんだろう。
これは今現在の日中関係についても言える。
中国側は日中離間策を仕掛けられれば安易かつ壮大に反応する。
間に自分たちのやったことを告白もせず、ただ自分たちの加害行為を「南京大虐殺」で誤魔化している、
そんな在日華僑華人が間に挟まっていれば尚更だ。
戦前も実は間に入っていた中国人達が日本と中国を全面戦争に至るように細工していた面があったとしても驚けない。
897世界@名無史さん:04/09/13 07:15:12
在日華僑華人の性質を、全世界の華僑華人に一般化したくもないが、海外でも華僑大虐殺だとやっている。
インドネシアなどでは、あと少しで明らかな捏造遺跡が新造される所だったなどという、笑えない話もある。
日本人は一般にサッパリしてるから、知らない間に捏造されても分からない。
いわゆる華僑大虐殺でも、ヒロシマの原爆で全滅し、生存者の居ない部隊を犯人に仕立てている。
証言者が居ないからな。
万事この調子だ。
日本と浅からぬ関わりがあった華僑華人や中国人でさえも、このとおり。
垂れ込まれなかった日本の将校に恨みが御ありのようだが、
今現在、華僑華人中国人に垂れ込まれないアメリカ人やオセアニア人と同じで、
一定の距離を置いて信じきらない方が正しかったろう。
陸軍の中でも自分勝手な思い入れで、のめりこんだ支那派は、最終的に酷い目に遭っている。
南京大虐殺の下手人にされている松井石根も、その一人だ。
898世界@名無史さん:04/09/13 07:18:07
清朝が存続していた時期には、ここまで酷いことはなかった。
現に清時代あるいは清の関係で日本に渡ってきた人達は、
民国期に中国人を搾取し、成り上った華僑華人達とは一線を画す。
やはり辛亥革命というのはトンでもない間違いだった。
人心は荒廃し、自己正当化が罷り通り、裏切りが賢いということになる。
日本側でも辛亥革命に荷担したのが少なからず居たのは慙愧に堪えない。
899世界@名無史さん:04/09/13 17:10:16
南京虐殺に関しては1980年代に教科書問題で
100万人虐殺と言っていたが
2000年に入った今の南京の虐殺についての博物館では
30万人と改まっている。

未だに終戦直後の日本人の殺人数や孤児の生存や被害に対する謝罪のない
朝鮮とは比べ物にならないほど冷静になって来ていると思う。

それに日本は中国にもう謝罪しなくて良いと言い出したのも
「人民日報?のデスクだった馬氏」の中国で
またサッカーでの反日は無職の者による不満の表れだったという。
サッカーの観戦参加の湖南から来た中国女性は日本贔屓だったのに
日本の旗のペイントを消されたり、日本物を取り上げられたり
と言うほどに日本物を違和感無く持ち込めていたのである。

また民主党の一部議員は
中国の人権問題の公安病院での拷問を無くす運動もして
中国人の協力者がいるのも事実で
それに比べると北朝鮮の強制収容所の人権問題に取り組む巷のチラシ撒きがないほどに
民主党も自民党も腰をあげていない。

中国人妻の公安病院での拷問を助ける動きはあっても
朝鮮人妻の強制収容所での拷問から救う話が無いのは、
在日朝鮮人の冷たさとしか言いようがない。

北朝鮮や韓国の地方で、そのような「救出」事をするのは自殺行為に等しい。
900世界@名無史さん:04/09/13 17:11:05
朝鮮や韓国側からそういう話が出たのは
親日派の弁明でキム・ワンソプ氏が私的な談話でしか出していない。
一般の人たちは全て反日といってよい。
キムデジュン元・大統領ですら、最後の謝罪を求める事をして
職の立場上で「もう謝罪しなくて良い」とは言わなかったのである。

南京での埋葬数は東京裁判で南京市当局の発表の1万4千〜4万7千程度だろうけど、
揚子江に沈められた者や、南京途上までの農村部の虐殺被害を
適当に水増しした数で、妥当な数ではないかと思っている。

広島原爆は約6万人?が即死・あるいは数日内の死亡だったそうで、
その後の放射線病死を含めて数十万になるというので
南京虐殺級の大量殺人なのは否めない。
901世界@名無史さん:04/09/13 17:17:50
清朝の虐殺については
ラスト・エンペラーをクリスマスに紫禁城から追い出した
クリスチャンになった直隷派から奉天派に内戦中に鞍替えして北京入城した
馮玉祥将軍が
若い時に××屠城記という清朝初めの満州人による漢人虐殺の話を読んで
革命熱に取り付かれた事が思い起こされる。
902世界@名無史さん:04/09/13 17:24:32
>朝鮮人妻の強制収容所での拷問から救う話が無いのは

笑えるのは
アメリカ人の人権問題を取り扱う方(アフリカの虐殺の取り組み者)の本を
英語から日本語に翻訳した本ぐらいしか出回ってなく
もう一つは強制収容所の看視をしていたが亡命して日本で活躍する北朝鮮人だけである。
日本には通訳者はいても専門家がいない。
日本人の北朝鮮人権問題の人の著作でない事が問題である。

こと朝鮮・韓国に関しては
中国と違って「アメリカ」の了承を得ないと「救出すら」動けないのである。
903世界@名無史さん:04/09/13 17:38:47
ちなみに溺れた犬を叩くのは朝鮮のコトワザで、中国ではない。
犬を棒で叩く動物愛護に反する事を日本はしていた。というが、それは朝鮮の風習。

高麗兵が対馬・壱岐・博多で虐殺し、宋国兵は見逃す事があったのを
逆に宋国兵は情け容赦なく虐殺し、高麗兵は日本人を助けた。と歴史改ざんした。

このように日本人と中国人の良好な関係を、
聞こえや都合の良い所を朝鮮人に摩り替え
中国人には日本人のせい、日本人には中国人のせいにする。
それが朝鮮人の習性である。

台湾の英雄に鄭成功がいるが、日本人が母親であるのは有名で
現在の占い師の鮑黎明も日本人が母親であって、文化や政治に貢献している。

朝鮮や韓国人の女性が日本人にあわせて
日本人女性になりきろうとした人がいただろうか。
そして文化や政治に善良に貢献した例を聞いた事があろうか。

私の日ごろ使っている線香は
清朝時代の製法を中国人から伝授された日本の老舗のものである。
また
昔は用いていた占いは、台湾の中国人の張先生のもので
明末清初に由来のあるもので漢方も手がけているもので重宝している。

これほどまでに文化を尊重できる物が、朝鮮や韓国物にない。
残念ながらエロ本やエロビデオの女性ぐらいである。
904世界@名無史さん:04/09/13 17:42:40
>現在の占い師の鮑黎明も日本人が母親であって、文化や政治に貢献している。

○現在の占い師の鮑黎明[氏]も日本人が母親であって、文化や政治に貢献している。
905世界@名無史さん:04/09/13 18:15:46
たいていの中華料理や茶などお菓子は生成方法が明清時代の発達

龍井茶や尖毛茶を飲むことや
サンザシに金柑や種を食べるのを教えたのは中華街の台湾の御婆さん

その龍井茶や尖毛茶を満州貴族の茶具の蓋茶碗で飲むのを教え
つまみにサンザシに金柑や種を食べるように出したのは
仙台の東北大に留学したくて勉強しに来て茶館に勤めている北京女性である。

干し梅を教えたのも中華街の台湾の御婆さんで
干し梅が「話梅」という名称なのを知ったのは
仙台の中国人の老舗の中華料理店である。
その中華料理店や仙台の華僑を目の敵に
創価学会や朝鮮人が潰そうとしている。

赤い紙にめでたい句を金字や墨字で書いた物を「紅楼夢」という
清朝初めの中国文学では「対聯」あるいは「春聯」と呼んで書いてある。
それを中華街で無理やり「赤紙」などと中国人に対して
失礼な捏造語を書かせて宣伝させている朝鮮人勢力(創価学会)がある。
中国人に喧嘩を売るように朝鮮人勢力がキムチ屋を中華街で開き始めた。

少し韓国物を弁護して言えば
唐辛子のない粥やスープが
朝鮮宮廷料理・貴族の両班料理にもあるのを教えたのは
メニュー変更前の安楽亭ではあったが。。。
906世界@名無史さん:04/09/13 18:18:44
尖毛 → 毛尖
907世界@名無史さん:04/09/13 18:24:30
>日本人女性になりきろうとした人がいただろうか。

当然だが、帰化人となってキムチも食べない韓国語も勉強しない
元・朝鮮女性や元・韓国女性は別である。
908世界@名無史さん:04/09/13 18:26:57
山形の真室川の農村に嫁入りした韓国女性は
国籍が日本になったらしいが
キムチを村の人に食わせるトンデモ外国女である。
こういうのに帰化申請を出すバカ役人は困り者だ。

キムチも食わず
日本人になりきろうとしている帰化女性の苦労を無にしている。
909世界@名無史さん:04/09/14 09:20:21
女真族を統一したのアル。

 o0o
    8 _8_
   / ̄ ̄ ̄ ̄\
  /         |  
  |            |  
  |   =-   -ー  |
  |     l´ `l   |
  |   'ー┼-┼'  |       <明の昏君の御蔭で助かったぜ!
  |    |  |  |    ( )
  |    ノ   ヽ /    | |
  /\____/   γ し'⌒)
                 ⊂ )

    建州女真族の酋長ヌルハチ
910世界@名無史さん:04/09/14 09:24:09
                  __
                 ∫ι________/丁了
                丿;;;;;;;::::::::::::::::::::::::::.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.ヾ.ヽ.
               ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::,.,.,.,,.,.,.,.,.;;.ヾヽ
           .ヘ. ..ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:;;::;::::::::::::::::::::::::::::::::,.,.,.,.,.,..,.,.ヾ.ゝ.., ヘ
           ゝ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::,.,___., λ
        ヘ ,,__ノヾ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~  ゞ,ノヘ
         ゞ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,,,,,,,ノゞゞ
          U/⌒ヽU/⌒ヽU/⌒ヽU/⌒ヽU/⌒ヽU/⌒..Uミミ::l
          U三三,U,,三三U三三,U,三三U,三三U三三Uミミミl
        ┌┼┐___┌┼┼┼┼┼┐___┌┼┼┼┼┤_ヽ
        │  /,,;;;;;;;; /]ミ;;,,      /,,;;;;;;;;;/]ミ;;,,    ..│ミミ‖
┌士士士士________士士士士士士士士士士________士士
 .  . 彳/三三三三三三彳/.|ミ     .      彳/三三三三三三彳/ |ミ
 .  彳/三三三三三三彳/.. |ミミミ   .      彳/三三三三三三彳/ . |ミミミ
. 彳/三三三三三三彳/ ..  |ミミミミミ     .. 彳/三三三三三三彳/    .|ミミミミミ
911世界@名無史さん:04/09/14 09:27:07
満州(ヌルハチ)モナー    
 _o_
  γ~三ヽ
  l二二二l
  8( ´ハ`)
 §(___)))__)
  /∧_〃_|
  (__)_)
912世界@名無史さん:04/09/14 09:30:38
△ 昏君
○ 昏主・暗君(たそがれた主君・暗愚な主君)
913世界@名無史さん:04/09/14 15:44:57
キチガイの連続書き込みがあまりにもうざすぎ
914世界@名無史さん:04/09/15 03:41:54
此処は清について語るところですが、どうも日本語の読めないDQNな香具師が
多くて面白い。おそらくネタのつもりでやっているのでしょう。それ以外考えられ
ません。(じゃなかったとしたら・・・池沼?)

漢字の読める人はせいぜい清末でも語ってください。

馬鹿はハン版にでも帰還してネ。

915世界@名無史さん:04/09/15 06:47:51
ヌルハチやホンタイジは使節として紫禁城へ行った事
あるの?
916世界@名無史さん:04/09/17 05:54:45
清朝末期の五千金てどのくらいの価値なんでしょうか?
張作霖が持っていた麻雀牌が五千金の価値があったらしいのですが
917世界@名無史さん:04/09/17 16:08:22
シナ人は、清朝が人頭税を廃止してから激増したらしい。
サツマイモが伝来したのが大きかったという話もあるが。
918世界@名無史さん:04/09/18 19:58:34

  \ 馬 /    \ 鹿 /
               ∩     ∩
               | つ   「,"|
        ヾ∧     !,'っ_ ⊂_,!
      / ・ |ミ    /  ・ ヽつ
     (_'...  |ミ   ▼,__  |
      (゚Д゚; )..|ミ     (゚Д゚ ,)・|
      (|  .、)|      (|   、)|
       |    |       |   ・・|
       ヽ.._人     ヽ._・ν
       U"U        U"U
919世界@名無史さん:04/09/18 20:56:51
>>918
別に馬鹿でもないさ。
食料なければ、人口増加は無理。
920世界@名無史さん:04/09/21 10:03:53
徴税逃れの為にわざと官庁へ届けないのは昔からの民衆の伝統ですよ。
例えば私僕として雇われたり役人が来る度に越境して逃げたりね。
農業技術の進歩も一因であるけど。
921世界@名無史さん:04/09/21 23:27:39
>>915
白帝社から出ている『Cの太祖 ヌルハチ』
には紫禁城に行ったことは書いてなかった気がする。

ところで、新疆ってマンジュ語で何ていうんですかね?
御存知の方いらっしゃいませんか?
922世界@名無史さん:04/09/21 23:56:21
ice jecen
923921:04/09/22 23:13:03
>>922
ありがとう。
924国津神:04/09/23 01:02:07
>>921

錫伯語(シボ)ですか?

あの人達はダフール族と呼ばれているらしい
925世界@名無史さん:04/09/23 08:15:53
募金お願いします。



731部隊遺跡世界遺産登録を目指す国民連絡会
http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/sekaiisan.htm
皆様の熱い平和への心に訴え、広く募金を呼びかけます。
 遺跡は日中両国人民の平和教育基地として永久保存を!

●急ピッチで進む731遺跡の発掘
●03年731部隊と細菌戦・現地スタディツアー

私たちが「世界遺産の登録を目指す国民連絡会」を立ち上げた1999年12月以来の
約1年間に賛同400人、募金210万円を寄せて頂き、うち100万円を去年9月、
平房基金会に贈呈。引き続いて、広く募金を呼びかけています。

●郵便振込でぜひカンパをお願いします。
■加入者名…「731部隊遺跡世界遺産登録を目指す国民連絡会」
■振込口座番号…00190−5−176134

〒187−0045 小平市学園西町1−26−43 ABC企画内
      TEL/FAX O42−348−1127
926国津神:04/09/23 17:51:38
>>925

貴様らのような売国奴は消えろ!!

中共の犬はこの板にくるなよヴぉ家が。
927世界@名無史さん:04/09/23 21:57:48
北洋−軍閥人物辞典
http://www11.ocn.ne.jp/~baronh/rekisi/gunbatu/newpage1.htm

清末の袁世凱から満州国瓦解・国共内戦までの軍閥の人物写真。
928世界@名無史さん:04/09/23 22:40:51
【 北洋軍閥 】天津の北洋武備学堂、将領46人の連名で清帝の退位を要求
http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q375R100.HTM

【 安徽派軍閥 】安福倶楽部,西原借款,安直戦争
段祺瑞 だんきずい AD1865 清〜1936 安徽省合肥県の人
 北洋の三傑
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L224C100.HTM

安徽派
http://www.tabiken.com/history/doc/A/A267L200.HTM

西原借款 にしはらしゃっかん
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N342C200.HTM
929世界@名無史さん:04/09/23 22:42:03
【 直隷派軍閥 】第一次・第二次奉直戦争
馮国章 北洋の三傑

呉佩孚 ごはいふ AD1872 清〜1939 山東省蓬莱県の人
http://www.tabiken.com/history/doc/G/G273R100.HTM

馮玉祥 ひょうぎょくしょう AD1880 清〜1949 安徽省の出身
 クリスチャン=ジェネラル 紅十字会の李徳全は彼の未亡人
http://www.tabiken.com/history/doc/P/P174L100.HTM

直隷派
http://www.tabiken.com/history/doc/M/M085C100.HTM

奉直戦争 ほうちょくせんそう
http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q349C200.HTM
930世界@名無史さん:04/09/23 22:42:47
【 北洋その他派閥 】
王士珍 北洋の三傑

孫伝芳 浙江の軍閥・東南軍閥
 安国軍 あんこくぐん
http://www.tabiken.com/history/doc/A/A269C200.HTM

張作霖 ちょうさくりん AD1873 清 〜1928 遼寧(りょうねい)省の人
http://www.tabiken.com/history/doc/M/M057C100.HTM

奉天派
http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q350C100.HTM

東三省 とうさんしょう
http://www.tabiken.com/history/doc/M/M344R100.HTM
931世界@名無史さん:04/09/23 23:11:29
中国史人物事典〜中華民国その1
 袁世凱・馮国祥(副総統)・黎元洪(総統)・蔡鍔(発音:ツァイおー)・
 張勲(辮髪部隊)・孫伝芳(安国軍)・曹混(賄選総統)・徐世昌(総統)
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chuushi31.html
932世界@名無史さん:04/09/23 23:55:27
激しくスレ違いと自覚なのだが。。。

「中華民国期の軍閥を語ろう!」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1004108800/
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1004/10041/1004108800.html

「民国期親日政府スレッド」
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1010761288/
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1010/10107/1010761288.html

が、過去ログ行きになってしまい亡命レスです。。。

[北京政府大総統]
袁世凱−黎元洪−(張勲復辟)−馮国祥−徐世昌−黎元洪−曹昆−
(段祺瑞臨時執政)−(張作霖大元帥)

事件と人物(年代・内容)が以下の通り
辛亥革命: 袁世凱(北洋のドン)・王士珍(北洋三傑)・
      黎元洪(1911武漢蜂起のとき湖北新軍の旅団長、後に1916・1921総統)
護国戦争: 蔡鍔(1916袁世凱の即位反対運動で
         雲南から四川に入り袁軍と戦った)
復辟事件: 張勲(辨子軍[辮髪隊]・1917溥儀を皇帝に2回目の即位をさせる)
安直戦争: 安徽派−段祺瑞・徐世昌(1918総統)
      1920の戦争
奉直戦争: 直隷派−馮国祥・呉佩孚(師長)・曹昆(1923総統)・
          馮玉祥(淮勇出身・奉天派に寝返り溥儀を紫禁城から追放・
              抗日戦区(第三・第六)司令長官)
      1922・1924の戦争
北伐対戦: 安国軍−孫伝芳・張作霖(1926国民党と共産党合同の北伐に対抗)
山西モンロー宣言: 兵農合一−閻錫山(敗残軍の吸収[安国軍・日本軍など])
933世界@名無史さん:04/09/24 00:22:54
× ・・・溥儀を皇帝に2回目の即位をさせる)
○ ・・・溥儀に2回目の皇帝即位をさせる)

3度目は関東軍による偽−満州国の皇帝即位。。。

大陸から来た方の為に共産党・公安各方面からの身の安全上
偽−満州国(うぇい−マンしゅうグオ)の読みとさせて頂いています。

「うぇい」が聞こえなかった。いや言った。言わない。公安病院で聞こう。
勘弁してください。メイファーズで済むか!そんな、両親は抗日してました。
うそつけ、その頃は両親は子供だったろう。文革も熱心ではなかった。
日本兵から軍票貰ってたくせにカンカンだろう。あれは倭人の押し付けです。昔だし。
それにピーカンカンの聞き間違いですってば。それが黄色い証拠だ。四声が違うじゃん。
日本へはスパイしに行ってただけなのです。スパイは台湾でも香港でも同じだ。
お前まさか民主派に言い含められてたんじゃないだろうな。
いえ日本とかアメリカの民主党の聞き間違いですよ。そんなはずはない。
ええ!これは何かの間違いです。濡れ衣だってば。。。
とか
ならないように気をつけましょう。。。(あるはずない。。。
934世界@名無史さん:04/09/24 07:11:48
朝鮮の近代化: 開化党のスローガンが、一般に知られていない。
        東学党のスローガン「斥倭洋昌義」反米・反日・侮日・抗日
        戦後韓国の教科書?「衛正斥邪」

結果 → 1980年代以来の軍事独裁開発のキーセン外貨稼ぎ&チゲ兵隊政権

中国の近代化: 中体西用(科挙試験の官僚制度を残し、
             武器だけ西洋化し、その為に工場を造る)
        太平天国(満州王朝を倒し、キリスト教の布教冊子に基づいて
             中国人の天帝の国を創る)
        常勝軍・淮勇(淮軍・李鴻章の陸軍と北洋海軍)・湘勇(湘軍)
        扶清滅洋(満州王朝を助け、教案事件を起こす西欧を滅ぼす)
        新建陸軍(新軍・李鴻章の部下・袁世凱の北洋軍閥)
        滅満興漢(満州王朝を倒し、漢民族の利権を取り戻す)

結果 → 鉄砲から政権が生まれるレーニン思考の馬賊&チンバン政権

日本の近代化: 和魂洋才(和魂漢才のもじり)
        文明開化・殖産興業・富国強兵・
        四民平等による徴兵による国民皆兵(国民総動員)・
        自由民権運動に対する集会令(治安維持法)と憲法発布

        小泉首相の祖父さんも議員で袁世凱の兵士が
        辛亥革命で在中国日本人を殺害した事に対する懲罰をすすめる
        街頭集会を大正時代に東京の日比谷公園だかドコかでしたのを
        週刊誌のレトロ写真入り記事で読んだ事がある。それに比べると
        孫の首相は尖閣諸島や靖国神社の悪戯中国人への処罰は?だな。

結果 → 万歳突撃・自決・玉砕を農民兵に教えてしまった舶来好きの足軽政権
935世界@名無史さん:04/09/24 07:16:07
日韓併合は1910年8月22日
辛亥革命は1911年10月10日

朝鮮の近代: 李氏朝鮮での 教案事件(きょうあんジケン)・
       仇教運動(きゅうきょうウンドウ)が知られていない。

フランスのカトリック神父による密入国布教への大弾圧が知られていない。
辛酉の大獄?辛酉の大弾圧?見せしめ拷問処刑が相次いだとも言われている。

→ 「韓国の歴史」年表より

この時にフランス人カトリック神父(1860年ごろ)は
漢文真読の李朝で、燕山君(1505年ごろ)から
ハングルが禁止されていると知らずか
大きい文字(ハングル)でマリアの祈り(天使祝詞・めでたし)などを
潜伏先の文盲の奴婢・常民に教えていた。

→ 「朝鮮事情」平凡社・東洋文庫より

開化党はアメリカ・プロテスタントに改宗した朝鮮人日本留学生がメイン。
 日本で学んだ聞こえの悪さから中国の上海で学びなおして
 中国帰りの肩書きを作って李朝科挙官僚の両班達に呼びかける事になる。

→ ユン・チホの日本留学(慶応大?)・上海留学とキリスト教の受容から
  大韓帝国がなくなる噂があった時に
  大韓共和国樹立・ユン副大統領就任とのデマビラで問題になった。
936世界@名無史さん:04/09/24 07:45:15
>932
>馮玉祥(淮勇出身・1924奉天派に寝返り溥儀を紫禁城から追放・
              抗日戦区(第三・第六)司令長官)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
馮玉祥将軍の父は安徽の拳法家だったという。
それに触発されて彼も武人を目指した。
漢人拳法家に特有な漢族の誇りや満人への反感が
××屠城記を読ませる結果となったのだろう。

クリスチャンになるきっかけは孫中山(孫文)の使い2人から渡された
兵隊の部下に配ってくれという三民主義の教えの小冊子とともに
先生がクリスチャンなのでキリスト教の話が出て聞いた事から始まった。
ここは憶測ではあるが、イエスの百卒長への話が気に入ったのだろう。

その後、親英米の直隷派の第三軍司令官から奉天派に寝返ったのは
部下への給金を支払うのに軍費が北京中央の手当てや
部隊の駐屯管轄の河南省の税金で間に合わなく、お金に困っていたからという。
この困っている所へ日本からお金を借りて横流しで仲間を増やしていた
奉天派の張作霖の誘いに乗った事からだった。
給料未払いは兵変といって家来の反乱で主人は殺されかねなかった時代である。
資金調達の解決は身の安全上、緊急を要した。

1924年に第二次奉直戦争(内戦)が始まると
万里の長城を越えて奉天軍部隊に向かって進軍中に
部下の給料と引き換えに裏切り計画の準備が始まった。
クリスチャン将軍である彼は、途上で第三軍は国民党所属の国民軍と改称し
部下にナチスのような赤地に白丸抜きの逆卍はない腕章をつけさせ
部隊の進行方向を反転させると北京に強行軍で進軍し
紫禁城になだれ込んで若い皇帝の溥儀を宦官もろとも追い出した。
時にクリスマスの時だったとの記憶である。
937世界@名無史さん:04/09/24 08:03:50
>936

馮将軍の経歴の特筆は、清朝時代からの兵隊上がりのたたき上げである事だ。

というのは素手の拳法から武器を持って戦う近代戦の執銃の訓練に
時代の要請と共に職種替えをした事だった。執銃の訓練は
袁世凱が李鴻章に交代して淮勇から新建陸軍に衣替えし部下を訓練した時の事だ。

訓練を積み隊長になると
日露戦争後の日本軍の補充のように治安維持で満州に配属された。

その後、北洋軍閥の地方長官や中央役職を歴任後に
部下の給料問題は一難去って親日の奉天派に頼る事もなく
張作霖爆死後は漢人の誇りから国民党・共産党・ソ連の抗日運動に参加し
戦区の司令長官となった。

一説に通州事件の日本人虐殺や魯溝橋?事件の張本人扱いされた事もあった。
実際には一連の事件は八路軍(共産党)の朱徳将軍の工作と思われている。

馮将軍は部下の面倒見は良かったと評判だった為に
いつもあんたが大将の毛沢東は快く思わず
日本軍降伏後の民衆受けで国共内戦停止の呼びかけを疎ましく思って
スターリンと組んで中華人民共和国樹立の1949年に
ソ連から帰って来る馮将軍を船の火災に見せかけて暗殺した可能性はある。
938世界@名無史さん:04/09/24 08:50:53
清末民国初から別話題。清朝中期の皇帝の逸話。

清朝の乾隆帝の後継であった「嘉慶帝」は水戸黄門のようにお忍び好きであった。
むしろ水戸黄門の話が、西遊記が輸入された江戸中期からの
唐物本からの影響で作られた話かもしれないとも言う人もいる。

嘉慶帝の後継であった「道光帝」は
父帝の眼前で紫禁城に侵入した暴徒の白蓮教徒(弥勒仏の革命党)を射殺したので
功があった。この為に皇太子となれたのかもしれない。
939世界@名無史さん:04/09/24 09:10:45
 満州の長春?にあったアヘン窟の大観園?は
清朝初めの三賢帝の「康熙帝」と付き合いのあった
曹雪芹?の紅楼夢(石頭記)の大観園?が由来の名称。

 日本で有名な詩人の唐宋八大家のうち6人は
清朝の三賢帝の「乾隆帝」の愛読の撰述だという。

 日本の大阪堺の香老舗の玉初堂の線香は
清朝の線香師「董玉初」の精製法秘伝を伝授されて創られたものである。

 関帝の廟や祠が中国の国内中に流布されたのは
清朝の頃から明末混乱を治めた満州王朝の統一事業は関帝の霊験と称された。
 関帝は山西省生まれの為に
全国に行き交う山西省の塩専売人の行商団の守り神でもあった。
 湖北省の玉泉山で普静大師により関帝は大悟して怨霊を止めた為に
中国全国の禅や観音系の仏教寺の守り本尊になった。
 元末から由来される京劇も清朝には一般に流布し地方劇が出来てきた。
そこで流行したのが三国志演義で、そこからも中国各地で関帝は持ち上げられた。
 江戸時代の初期(1650年ごろ)に三国志演義は
長崎出島より市井の庶民に物語が持ち込まれ
浮世絵挿絵も手伝って日本でも流行った。
940世界@名無史さん:04/09/24 09:28:07
清朝初めの三国志演義より遅れて「西遊記」も江戸の中期から物語本が入り
江戸の後期に歌舞伎や地方巡業劇?によって
庶民に「さる主役」が受けて瞬く間に流布した。

清朝の18世紀?ごろに
精製法の発達で醗酵の工夫によって緑茶から茶色い「烏龍茶」が創作された。
941世界@名無史さん:04/09/24 09:33:56
昔の江戸の庶民は
地方の農家は過去帖や関所手形を発行する檀家寺で和尚や巡業劇や地侍から
城下町や宿場の町人は寺子屋の商人や侍から
坊主の説法や書道の手習いや論語の他に、中国物の物語を聞くのを楽しみにしていた。
942世界@名無史さん:04/09/24 11:23:55
>>941
句読点の打ち方を教わったほうがいいよ。
943打通さん:04/10/03 19:18:19
【落日】満洲旗人すれ【清朝末期】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1096778327/l50

カキコよろしくお願いします。清朝の旗人について語ってください。
944世界@名無史さん:04/11/06 23:59:26
 
945世界@名無史さん:04/11/10 22:06:05
七千万両が当時の清朝の歳出入であって、嘉慶帝が和王申から奪った
十億両以上とまで言われる家財の使い道はなんなんですか?
兄弟で分配しあったとまではよく書かれてますが。だ。
経済判らんのですが、うまい事マネーロンダリングしたにせよ、どう
精算したか誰か教えて下さい。
946世界@名無史さん:04/11/25 00:30:58
どなたか答えてください。
947世界@名無史さん:04/11/25 00:49:25
ソー連とズブズブ繋がる西村博之 :04/10/30 00:25:54 ID:???
http://ez.st37.arena.ne.jp/cgi-bin/danwa/kiji_display.cgi?thread_id=200310-001&kiji_id=00129

ちなみに、今、世間で話題となっているネット掲示板の『2ちゃんねる』だが、あのサイトは、
朝鮮総連が運営しているサイトである。代表の「ひろゆき」こと西村博之は、もちろん在日
朝鮮人である。彼は朝鮮総連の工作員なのだ。『2ちゃんねる』にアクセスして書き込み活動を
している日本人は、『2ちゃんねる』とネットカフェ(ほとんどが朝鮮系)店員から、監視されているのだ。
『2ちゃんねる』とネットカフェ、そして朝鮮総連は、互いに連絡を取り合いながら、
ネットカフェの日本人客を監視しているのである。
それだけではなく、その日本人の身元・住所・職場なども調査し、日本人に対する集団
ストーカー行為をしている。私自身が、現在、朝鮮総連による組織的な監視活動の対象になって
おり、集団ストーカー行為の被害を受けているのだ。
正論は、『2ちゃんねる』代表の西村博之へのインタビュー記事を掲載したが、西村博之が、
在日朝鮮人で、朝鮮総連の工作員であることを公表する責任がある。
それは正論誌の義務である。
948世界@名無史さん:04/12/20 20:58:54
清帝国とチベット問題―多民族統合の成立と瓦解
平野 聡 (著) 単行本 (2004/07) 名古屋大学出版会

この本はどうでしょうか?
949世界@名無史さん:04/12/25 01:31:10
新田次郎の「蒼穹の昴」を読みました。
他に中国モノで面白い小説など教えて下さい。
清朝でなくても結構なので、よろしくお願いします。

学問的な難しい話も面白いですね。
まずは興味から入ってみたいと思います。
950世界@名無史さん:04/12/25 12:34:47
浅田次郎だろ
951世界@名無史さん:04/12/25 14:08:14
きよし王朝
952世界@名無史さん:04/12/31 08:37:13
知りたいね
953世界@名無史さん:05/01/01 19:29:05
>>948
サントリー賞もらった。
954世界@名無史さん:05/01/10 22:46:08
中国最大の帝国
955世界@名無史さん:05/01/12 04:11:47
         __,,,,,,
      ,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
   ,.-,/        /::::::::::::::::::::::!,,  \
  (  ,'          i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7
   `''|          |:::::::::::::::::::::}     ``ー''"
     !       '、:::::::::::::::::::i
     '、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ
      \_/     ヽ--く   _,,,..--┴-、 ヽ
                  ``"      \>
            ↑
           清王朝
956じゅん:05/01/12 05:24:25
初めて突然書き込み、失礼します。
No.510で、昭和天皇が原爆開発に反対されたということが書いて
ありますが、それによって開発が中止されたとなればかなり大きな
決済ですね。ということは、他の重要な作戦も天皇が?と思われれば
実行されなかったということでしょうか。

じゅん
957世界@名無史さん:05/01/12 06:20:15
         __,,,,,,
      ,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
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  (●〜〜〜〜〜〜〜〜 i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7
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      \_/     ヽ--く   _,,,..--┴-、 ヽ
                  ``"      \>

   アヘン窟
958世界@名無史さん:05/01/12 10:50:53
それでそのあと春雲は辛亥革命で殺されるんですか?
959世界@名無史さん:05/01/14 22:49:17
中国史上最大の領土だったけ?
960世界@名無史さん:05/01/18 08:05:01 0
保守八旗
961世界@名無史さん:05/01/21 17:45:51 0
西太后 「おお、なんという事じゃ、もはや清スレもこれまでか・・」
李蓮英 「案ずる事はございませぬ、陛下」
西太后 「おうおう、奇策でもあるのか 謂うてみい」
李蓮英 「袁世凱を明スレに遣わし混乱させれば人心は再び戻って來ようかと…」
西太后 「妙案じゃ!」
962世界@名無史さん:05/01/23 14:56:35 0
あふぇ八旗
963世界@名無史さん:05/01/24 22:16:24 0
さらしあげ
964世界@名無史さん:05/01/27 20:49:48 0
18世紀の清はまじで前近代で史上最大最強の帝国かもな・・・
965世界@名無史さん:05/01/27 21:15:53 0
>>956
綸言は稀に発されるからこそ重みがあるわけで(ry
っていうかスレ違い。

>>964
同感。
歴史地図を見て驚いた事がある。
直轄領は歴代王朝の持っていなかった東北三省と台湾を加え、
藩部は唐の最盛期に匹敵する西域全土と、
元を別格として中華王朝のついに支配し得なかったモンゴリアをあわせ
(これによって歴史に鑑みた場合の王朝滅亡の最大の可能性が取り除かれた)、
属国は朝鮮・チベット及び、カンボジアとインドネシアを除いた東南アジア全体を含み、
さらに朝貢国はなんとパミールを越えてアフガニスタンとコーカンド・ハン国まで。

まさにパックス・ダイチーナ(←?)

中国、そして東洋史上最大の帝国であるのみならず、
世界史上最も有能な一族とも言うべき愛新覚羅家の偉大な名君たちを戴き
その黄金時代にはとにかくにも、歴史上最も理想に近いかたちで「諸民族共存」が実現されていた。

中華文明三千年の最後にして最大の輝き、東洋世界最後の偉大な帝国だった。
康熙帝、雍正帝、乾隆帝と奇跡のような名君たちを輩出したこの国は
こと近代以前の君主制国家としては最も完成した形態に達していたと思う。っていうか確信する!
966世界@名無史さん:05/01/27 21:20:21 0
西洋諸国が「眠れる獅子」と恐れたぐらいだからな・・・・
967世界@名無史さん:05/01/27 21:20:49 0
康熙帝は人類史上もっとも偉大な支配者、
雍正帝は世界の君主制の歴史上もっとも勤勉かつ、もっとも完成した独裁システムの構築者、
乾隆帝はアジアの生んだ最後の大王にして、黄昏の前の東洋世界最後の輝きを象徴する人物だと思う。
968世界@名無史さん:05/01/27 21:28:06 0
もし西洋文明の勃興がなければ
清朝はどのように滅亡し、その後の中国史はどう推移していったのかと思うとわくわくする。

既に東北とモンゴリアを内部化し、18世紀後半には中央アジア方面からの攻撃も阻止しきった。
乾隆帝が没した時点で、内部腐敗は静かに始まっていたとは言え、
またあまりの安定と繁栄の副作用としての人口爆発によるマルサス危機が発動し始めていたとは言え、
帝国そのものに、目だった外敵はまだ全く存在しなかった。

実際、中国の歴史上これほど危険の感じられない時代も珍しい。

アヘン戦争がなければなぁ・・・
これまで中国は歴史が始まって以来、一度も南や東から攻撃を受けた事は無かったんだから。
もし西欧文明の大発展がなければ、数百・数千年の後には
中国文明かイスラーム文明が人類世界を制していたかもしれないな・・・
969世界@名無史さん:05/01/28 00:37:56 0
西洋蛮族の侵入があってもなくても世界史とは中国史そのものだ
970世界@名無史さん:05/01/29 02:16:39 0
中国文明から西方に渡った火薬、羅針盤技術によって西欧文明の発展が成されたとするならば
極端に言えば清朝を葬ったのは中国文明そのものである。
971世界@名無史さん:05/01/30 11:51:42 0
>>958
> もし西欧文明の大発展がなければ、数百・数千年の後には
> 中国文明かイスラーム文明が人類世界を制していたかもしれないな・・・

数千年経とうとも中国王朝はインド、西アジアまで外征しない希ガス
972世界@名無史さん:05/01/31 02:08:58 0
中国文明は求心力と文化放射の文明。

対外侵略は苦手だし、
やっても稚拙で失敗する。

良くも悪しくも文弱な文明。
973世界@名無史さん:05/01/31 02:14:44 0
そもそも中国はわざわざ外を侵略しなくてもあふれるほどの富があるわけで
名誉欲と征服欲にかられた君主が無理やり外征でもしないかぎり
974世界@名無史さん:05/01/31 02:28:19 0
日本にも武装漢族が大挙して襲来した歴史はない。
倭寇としてさんざん中国沿岸の漢族を殺戮はしたけど。
975世界@名無史さん:05/01/31 04:17:51 0
そりゃわざわざ海越えて商売しに行った先で
代金踏み倒されそうになったら暴れたくもなるさ
976世界@名無史さん:05/01/31 04:27:29 0
日本に来て交易の代金を踏み倒されそうになった漢族は
結局は諦めることが多かったんだよね。

褌姿で大声上げて日本刀振り回した先祖の元気さに感服する。
977世界@名無史さん:05/02/01 13:53:39 0
>>975-976
勉強になるなあ
大和民族は最強ですね
978世界@名無史さん:05/02/01 20:51:48 0
なんでそんなに強くて大きい清が日本に負けたの?
979世界@名無史さん:05/02/01 21:03:00 0
龍玉を乾隆帝が隠しちゃったから
980世界@名無史さん:05/02/01 21:08:44 0
巨大すぎて改革できなかったから。
時代の趨勢を読めなかったから。
981世界@名無史さん:05/02/01 21:16:08 0
内側から密かに腐っていったんだな。
最大の要因は康熙帝の晩年以来あまりに長く確固として続いた未曾有の繁栄と安定・・・
皮肉な事だが、これが真理だ。

経済的にはさしたる災害もなく内戦も皆無。
稀に見る善政のもとで人口が止め処も無く増大して食糧生産と
分配機構が追いつかず、社会不安を醸成。

また安定は社会の淀みにもつながる。
既得権益大事の支配層、腐敗して機能不全を起こした巨大な官僚機構・・・
その兆候はすでに乾隆晩年に現れ始めていた。

逆によくぞあれほど長く清が持ったものよと、そっちを感心すべきかもしれない。
それこそ、清のたぐい稀な優れた支配機構と、史上稀有の善政の遺産だろう。

アヘン戦争及びそれにともなうアヘンの害と、西欧による経済侵略(経済システムの基盤掘り崩し)、
太平天国の乱前後から顕著となった満州人支配層の無力化と漢人の再台頭・・・
そして新興の日本はやはり強すぎた。
ましてあの時清朝は内部の意思統一もできておらず、実質李鴻章の北洋軍が単独で日本と戦ったようなものだった。
982世界@名無史さん:05/02/01 21:18:36 0
それに確かに巨大すぎた。
三億の民と五つの民族を一つの帝国の元に統合し続けるのは
康熙・雍正・乾隆帝のような偉大な支配者たちだからこそ成しえた離れ業だった。
暗愚とは言わないまでも、所詮凡庸な後継者たちにはいささか荷が重すぎた。
983世界@名無史さん:05/02/02 00:49:01 0
>>981
>あまりに長く確固として続いた未曾有の繁栄と安定・・・
>皮肉な事だが、これが真理だ。
>
>経済的にはさしたる災害もなく内戦も皆無。
>稀に見る善政のもとで人口が止め処も無く増大して食糧生産と
>分配機構が追いつかず、社会不安を醸成。
>
>また安定は社会の淀みにもつながる。
>既得権益大事の支配層、腐敗して機能不全を起こした巨大な官僚機構・・・
>その兆候はすでに乾隆晩年に現れ始めていた。
>
>逆によくぞあれほど長く清が持ったものよと、そっちを感心すべきかもしれない。
>それこそ、清のたぐい稀な優れた支配機構と、史上稀有の善政の遺産だろう。

江戸幕府も五十歩百歩。
984世界@名無史さん:05/02/02 11:11:09 0
乾隆帝はあんなに遠征しまくって国庫は大丈夫だったのか?
銀山だって永遠じゃないだろうに
985世界@名無史さん:05/02/02 12:06:18 0
康熙帝と雍正帝の遺産を食い潰しながらやったんじゃない?
986世界@名無史さん:05/02/02 18:46:34 0
支那は異民族に支配されているほうが幸せ
987世界@名無史さん:05/02/02 18:51:52 0
漢民族なんて集団自体の存在からして怪しいが。
中華世界は多様な諸民族の共存する土地だ。異民族も何もあるか。全員が異民族だ。
988世界@名無史さん:05/02/02 19:00:04 0
次スレ建てるの?(ちなみに自分は今のところスレ建て権がない)
989世界@名無史さん:05/02/03 00:35:51 0
>>987
ようするに「ヨーロッパ人」を一つの民族として括ってるような感じ。
990世界@名無史さん:05/02/03 09:33:22 0
漢字に騙されちゃいけませんな。
北京語と広東語は意思疎通不可能なほど離れているし、人の顔や体格も違う。
991世界@名無史さん:05/02/03 11:31:53 0
華中〜華南はすでに東南アジア系でしょ。
992世界@名無史さん:05/02/03 13:02:56 0
次スレだか、995頼むぞ
993スレッド立てれねぇ:05/02/03 21:40:08 0
以下、使えそうなら使ってやって下さい。

タイトル:大清帝国について語る

マンジュグルン・アイシングルン・ダイチングルン
壮大な満洲王朝298年間の歴史を語りあいましょう。

*喧嘩、煽りオーライ。でも基本的にはマターリと。
994世界@名無史さん:05/02/03 21:59:04 0
Wikipediaで歴代の天子様見てると、どんどん威厳がなくなっていくのがおもろい
995世界@名無史さん:05/02/04 22:38:57 0
清の領土ってどれくらいだ
996世界@名無史さん:05/02/05 00:17:55 0
>>995
中華人民共和国と台湾を足してさらにモンゴル国とロシア連邦のトゥバ共和国
と沿海州とスタノヴォイ山脈の南とバルハシ湖の東南部をくっつけたぐらい。
997世界@名無史さん:05/02/05 03:16:54 0
998世界@名無史さん:05/02/05 03:30:11 0
弁髪は漢族のものに非ず
999世界@名無史さん:05/02/05 03:31:04 0
チャイナカラーにくるみボタンの服は漢族のものに非ず
1000世界@名無史さん:05/02/05 03:31:46 0
グリーンディスティニーの章子怡は清朝貴族の娘役で漢族役に非ず
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