塩婆のスレでそんなこと言われてもなぁ… w
後の時代の人間にこんなのはローマじゃないとか言われても困るだろうな。
なんか荒れとるなあ…
949 :
世界@名無史さん:05/01/25 22:30:18 O
そういえば何が「ローマ的」なのか回答がないな。
ロシア帝国を「ローマ」と認める猛者はおらんかね。
アメリカ合衆国ならばローマと認めてもよいぞよ
古代百済は東洋のローマ帝国nida!
くだらない! w
954 :
世界@名無史さん:05/01/25 23:07:27 0
かくして
>>918の懸念は現実のものとなったのである。
>>950 別に疑問も無く認められるよ。ローマというのは究極的には一つの概念の系譜に過ぎないからな。
双頭の鷲を戴いたあの北方の帝国は紛れも無くローマの後継国家のひとつだ。
958 :
世界@名無史さん:05/01/26 00:30:10 0
930
神聖ローマ帝国の「神聖」が付いたのは、確か12世紀頃だったはず。
「ドイツ(人)の」が付いたのは、もっと後の、17世紀〜18世紀
くらいじゃないのかな。確かなことは知らないけど。帝国の領土が形
式としても実質ドイツに限定されたことの反映だと思うが。
ドイツ人が言い出したのかどうか、隣の「帝国」に一種のコンプレッ
クスを抱いていたフランスあたりが言い出したのかも、よく知らない。
>>958 「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」になったのはマクミリアン1世の
頃だったはず。
後期以降のローマ帝国をローマじゃないっていうのは、外国人が
「江戸時代の日本こそが日本だ。今の日本は日本と呼びたくない」
って言ってるようなもんだな。ちょっと悪い例えだけど。
>>959 公文書にはじめて現れるのはマクシミリアンの父のフリードリヒ3世の時代だったと思う。
961 :
世界@名無史さん:05/01/26 09:13:47 0
>>958 革命を継承したはずのナポレオンが皇帝になったのも、
帝国コンプレックスの賜物ですか?
>>950 北ローマ帝国ってところかな。
>>959 >「江戸時代の日本こそが日本だ。今の日本は日本と呼びたくない」
そう言う主張をする自由はあるよな。受け入れられるかどうかまた別問題。
ところで中世の皇帝で、自分をローマ人だと自覚していた人っているのかな?
国家のほうをローマ帝国の継承国家だと自負していた人はいそうだけど。
963 :
世界@名無史さん:05/01/26 10:19:57 0
>>962 カール大帝は自分を「ある意味では」ローマ人と見なしていたんじゃないかな。
そもそもローマ人というのは人種でも民族でもなく、
「レス・プブリカを構成する自由市民」なのでは・・・とすると・・・
あとはフェデリーコ(フリードリヒ)2世かな。
彼はかなり明確に自分をローマ人と見なしていたように見える。
だから古代の復興を企て、ドイツ政策を放棄し、地中海帝国を復活させようとした。
964 :
世界@名無史さん:05/01/26 10:26:17 O
965 :
世界@名無史さん:05/01/26 10:27:02 0
そういえば中世イタリア諸侯、特にローマ市の支配権を牛耳っていた門閥なんかは
古代ローマの貴族や元老院議員の子孫がかなり多いらしいね。
教皇庁も「コンスタンティヌス寄進状」を持ち出すまでも無く
自分たちをローマ帝国の支配権を受け継いだものとして自己規定していたような希ガス。
もちろん古代ローマについてキリスト教の立場からは完全に肯定できかねるだろうし
古代の栄光に比べて自分たちの時代は一段劣っている(世俗的には)と考えていたかもしれないが・・・
でもアンリ・ピレンヌによればメロヴィング朝頃までの西地中海・西欧地域は
案外社会的にも経済的にも古代末期の状況からそう隔たってはなかったというしね。
イスラムの成立以前はガリア地方とシリア地方との交易もまだ盛んだったし
ローマ街道網もそれなりに機能していたようだ。
真に西欧の「中世化」が始まるのは一般に考えられるよりも遅く
外的にはイスラム台頭による地中海の喪失、そして内的にはカロリング朝成立による
封建制社会の開始とその後のカロリング朝大分裂・ノルマンとマジャールの侵入による
国家権力の有名無実化をまって始まるんじゃなかろうか。
極端すぎるかな。
966 :
世界@名無史さん:05/01/26 10:27:55 0
>>964 それはもちろん大前提として、西欧では、ということで。
967 :
世界@名無史さん:05/01/26 11:44:35 O
>>966 ああ、そういうことね。
知らないで言ってるのかと思ったよ。
それならフリードリヒ1世かな。東ローマのマヌエル
1世と「漏れがホントのローマ皇帝じゃ、ゴルァ」って争ったし。
今でもローマには元老院議員の子孫がいるんだっけ?
969 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/01/26 15:43:35 0
>>915 あまりの凄さに驚きました。
8年ほど前だったでしょうか、フェリス女学院大学で公開講座がありました。
本屋さんにあったパンフレットを見ると中に小塩節さんのゲーテに関するお話と
弓削達さんのローマ帝国に関するお話があったので、どちらか聴講しようかなと
思ったんですが、弓削さんの「ローマ帝国の国家と社会」(岩波書店刊)を読んだ
ことがあり、興味のあるテーマでもあったので申し込んでみました。講座初回は
よんどころない用事ができて出席できず、第二回からは緑園キャンパスに出かけ
受講しました。あやめとしてはオクタヴィアヌスの独裁権獲得過程での國制上の
問題点について、前掲書で不明な点を質問してみるつもりだったのです。
ところが弓削さんは開口一番「前回に皆さんとお約束したことですので、謂ゆる
自由主義史観の問題点について私の考えをお話します」と言ったのです。隣席の
聴講生の方にお尋ねしたところ「前回の冒頭で先生から『歴史について皆さんは
どういうことを期待しておられるか伺いたい』というお尋ねがあって、ある方が
『このごろ話題になってる自由主義史観って何なんですか』という質問が出て、
先生は『それは大変よい問題意識です、ローマ史よりそっちについてお話したい、
講座のテーマを切り替えます、皆さんいかがでしょう』と提案されて、そのように
決まったんです」とのこと。茫然としてしまいました。
970 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/01/26 15:46:48 0
弓削さんは「前回もちょっと触れましたが私の最近の著述で、この問題に関連する
本があります、キャンパスの中に売店があるそうなので今回それを置かせてもらい
ました。できましたら買い上げいただいて参照してください」と言って、一冊の本を
取出して示されました。題名は失念しましたが東大出版会から出てる「歴史学入門」
かもしれません。
この回の講義終了後に弓削さんに「前回に講義のテーマが変更になったそうですが、
今後もローマ史についてのお話はないんですか?」とお尋ねしたところ、「ローマに
ついての面白おかしい話題を蓄えることよりも、今の生活の中で皆さんが歴史とどう
向き合ってゆくか、日本や世界を変えてゆくために歴史から何を学ぶのかを考えて
ほしいんです。そういう意味でローマの歴史が問いかけてくるものがあれば、随時
そういうお話もするかもしれません」との御返事でした。この日の講義の中でも専ら
「新しい歴史教科書を作る会」のメンバーの攻撃に終始し、「あの中で歴史学者は
伊藤隆という人だけですよ、彼は前からああいう傾向の人間だったからやっぱり」と
言ってましたので、あやめが「岡田英弘さんは業績のある歴史学者だと思いますが」と
言うと「それはどういう分野の人ですか?」と反問されました。
弓削さんに幻滅したあやめは安くない受講料を放棄し、次回からは欠席しました。
972 :
世界@名無史さん:05/01/26 17:45:33 0
>>965 オルシーニ、コロンナ、サヴェッリなんかも
古代ローマ元老院貴族の子孫なんでしょうか?
中世ローマ貴族の先祖について、前から知りたいと思ってたものですから。
>>969-970 あやめさん見たの久々な気がする
しかしローマ史の話を聞きにいってイデオロギー論されたら金かえせって感じだ…
弓削氏に関しては、別に左翼でも何でもいいんですが、
そういう政治運動を著作に持ち込むのはどうかと・・・・
『ローマはなぜ滅んだか』でも、被征服者の立場に立ってものを考えられる知識人は
タキトゥスのように少数派だったとか外国人差別を続ければ日本もローマと同じ没落の道を
辿るだろうとかなんとか書いてて、正直うんざりしました
>>969 てゆうかフェリスなんか学問する場じゃないだろ
子供の頃、軍国少年に道鏡の名前だって虐められてああなったのかな>弓削氏
978 :
:05/01/26 20:59:25 0
弓削達は電波ということで。
979 :
世界@名無史さん:05/01/26 21:06:57 O
塩婆もある意味電波だけどな。
塩婆にカエサルのリアルドール作って送ろうぜ
それでもうこの世に思い残すことは無いだろう。
>980
ばか、灰になるまでだぞ!
982 :
世界@名無史さん:05/01/26 21:22:54 O
>>980 チェーザレ・ボルジアもセットで付けてやれば完璧。
983 :
世界@名無史さん:05/01/27 01:13:10 0
>982
アミバ様の人形を改造すればすぐにでも作れるぞw
984 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/01/27 15:38:50 0
>>975 >フェリスなんか学問する場じゃないだろ
たしかに学問する場というよりも若い女性が知性を磨き教養を身につける場というか、
生きてく上での糧となる情報を受容しようとして、お勉強するために4年間も通うんだと
思います。昔だったら花嫁学校と言うんでしょうけど、高学歴社会の今日では世間一般の
ヨンダイだって「学問の場」というよりもリーマン養成所というのが実態でしょう。
諸学のコンテンツを開発するため大学に行き学院に行ってがんばってる方もいますけど、
一部篤学の人に限られますし、社会が大学に期待してるのも「一通りの学問の場」であり、
その程度にはフェリスの水準も十分に対応してると思います。
あやめは大学へ上がらなかったもんですから、大学教授からの直接の講義ってものには、
凄く期待というか憧れを以て受講しました。ましてフェリスってステキじゃないですか。
985 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/01/27 15:45:12 0
>>974 弓削さんの専門分野における学問は今でも尊敬してますよ。「ローマ帝国の国家と社会」が
面白かったからこそ公開講座に申し込んだのです。「歴史とどう向き合ってゆくか、日本や
世界を変えてゆくために歴史から何を学ぶのかを考える」ということ自体は、まじめな市民
生活での学問との正しい関係だと思います。それが過剰になって「ローマについての面白
おかしい話題を蓄えることよりも」なんて言われると、「じゃ先生はローマについて面白
おかしくしか語れないんですか?」と質したくもなります。「被征服者の立場に立ってものを
考えられる知識人はタキトゥスのように少数派だった」という認識もローマ史の研究成果から
出てきた確かなことなのでしょう。しかし「外国人差別を続ければ日本もローマと同じ没落の
道を辿るだろう」まで言っちゃうと、「古代ローマと現代の日本との歴史的条件を一緒くたに
論じるのも、学者としてどうかしら」と思ってしまいます。
「良心的知識人」という方達はとかく今日的問題について「自分の専門分野での知見を生かして
発言しなければ」という強迫観念に襲われちゃうみたいです。弓削さんの場合も右翼の銃弾に
狙われたことから、一種の使命感みたいなとこまで行ってしまったのかもしれません。だけど
「朝鮮料理のよさも知ってもらいたいので、当店のイタメシには特別に唐辛子を多量に入れました」
てゆうのも困り者です。
986 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/01/27 18:41:55 0
それとやはり言っておきたいのは講義のテーマを変更してしまった点です。
公開講座のパンフには各講座の題目と講師が明記してありましたから、申込者は
当然の前提としてローマ史についての弓削さんの講義を聴くべく、それなりの
期待を懐いて出席したはずです。それを「ローマ史より自由史観批判の方が喫緊の
テーマだ」と変更してしまったのは甚だおうかと思います。講座の募集−申し込み
−講義の実施は契約という権利義務関係の設定です。そしてパンフに記載された
事項は申込の誘引として、契約締結上の大事な要素であって一方的な破棄変更は
許されません。歌舞伎俳優が「忠臣蔵よりも現代物の反戦ドラマの方が、目下の
重要な問題を扱ってる」と考えて演目を変えてしまったら、木戸銭返せは当り前
その後は観に来る客は絶えてしまうでしょう。そういう常識を欠いた人が市民に
歴史が問いかける今日の課題を説くことができるんでしょうか。弓削さんは「いや
だから僕は最初に皆さんにお諮りして変更したんです」と言うかも知れませんが、
当初の題目設定が極めていい加減であったということになります。衆議によって
決定する「民主的手続き」は慎重に進めないとファッショに堕します。弓削さんは
反自由主義史観の心情が募る余り、偶々一部の人の発言が呼び水となり、得たりと
一方的題目変更に走ってしまったのでしょう。
確かにあやめさんが怒るのも無理はないね。
事前に公表されていた講義内容に興味を持って受講したのに、実際に行ったら
「聴講生の希望によって変更した」なんて言われたら誰でもふざけるなと思うよ。
まさに
>当初の題目設定が極めていい加減であった
という感じだ。
質問タイムで「…しーん」は普通でしょ。
暖簾に腕押しって感じで真面目に聴講してる人間って定か
じゃないからなぁ。
そういう単純なエチケットのズレはその場で御本人に申し
立てるのが一番効果的な気もする。
要するに塩婆スレでああだのこうだの後腐れみたく書かれ
ても知った事ではない。
989 :
:05/01/27 19:35:26 0
>>あやめさま
弓削氏はやっぱりキリスト教マンセーなんでしょうか? 私なら質問タイムに
「塩野七生の作品をどう思われますか?」と質問してみたいですな。
990 :
世界@名無史さん:05/01/27 20:04:53 O
塩婆はやっぱりルネサンスものに限るね。
>「朝鮮料理のよさも知ってもらいたいので、当店のイタメシには特別に唐辛子を多量に入れました」
>てゆうのも困り者です。
ワロタw
992 :
アンチ・ナナミストへ:05/01/27 20:21:20 0
↑塩婆信者必死だな
>>972 476年以降、早くてもローマ皇帝が都市ローマを離れてしまった以降のことだと思ったが。
ソースは朝日選書のローマだけど記憶が曖昧。