殷周伝説について教えてください

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1世界@名無史さん
 実際は登場人物はどういう人だったのか、ご存知の方教えてください。なお、史記と封神演義ぐらいしか関連書物は読んでません。横山版は今集めてます。
2世界@名無史さん:03/09/13 20:48
【世界史】 世界史なんでも質問スレッド9
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1062598314/l50
3世界@名無史さん:03/09/13 20:50
【世界史】 中・高生用質問スレ Part 5
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1054745865/l50
4世界@名無史さん:03/09/13 23:00
封神の登場人物って架空の人とかいるのですか?
5世界@名無史さん:03/09/13 23:17
太公望は架空でしょう。
6世界@名無史さん:03/09/13 23:46
姫昌と姫発は架空だよ。
7世界@名無史さん:03/09/13 23:54
比干の心臓えぐりとったというのは「史記」にもあったけど「ホウラクの刑」や「タイボンの刑」は本当なんですか?
8世界@名無史さん:03/09/13 23:56
>>3
中高で殷周伝説はやらんだろ
9世界@名無史さん:03/09/13 23:56
本当です。
10世界@名無史さん:03/09/13 23:58
さらにその刑はだれが考えたんでしょうか?「封神」みたいにダッキは妖怪がとりついてたわけではないから・・・とすると?
11世界@名無史さん:03/09/13 23:59
封神演義を読む中高生なんて普通にいるし、中高生スレッドも
別に授業の内容だけが質問対象ではない、かと。
12世界@名無史さん:03/09/14 00:02
妲己が狐なのも史実です。
13世界@名無史さん:03/09/14 00:02
とりあえず思ったことは随時質問していこうぜ!
14ふふふ:03/09/14 00:07
 そしてさらに黄飛虎の奥さん、本当にそんなに身持ちが固い人だったのかな?今の時代からすると手をふれられただけで貞操を守るために自殺・・・というのは?
15世界@名無史さん:03/09/14 00:14
マジレスしとくと、>5と>6はネタ。
>>14
黄飛虎こそ架空の人物。むろん奥さんもね。
16世界@名無史さん:03/09/14 00:19
殷の紂王は架空です。
しかし厨王なら2chにたくさんいます。
17世界@名無史さん:03/09/14 00:22
紂よりはむしろ桀がネタ。
18世界@名無史さん:03/09/14 00:49
>>15
>5はネタじゃないよ。
太公望はおそらく春秋戦国期になって斉国の始祖伝説が必要になって創作されたもの。
晋の唐叔虞とかも同じこと。他の国も同じ。

まして、呉越の太伯伝説をや。
19世界@名無史さん:03/09/14 01:02
横山「殷周伝説」はともかく、他スレで殷周スレがないって嘆きがあったことだし、ここを殷周スレとして使おう。と、仕切ってみるテスト。
20世界@名無史さん:03/09/14 01:10
15です。
18さんサンクス。
>ネタじゃないよ。
と断言しつつ、
>おそらく
と続けられると少し引っかかるけど。

燕の召公とかも『史記』世家の記述と出土物の記載がかなり違うらしいし、
そういう点では、納得。
シロウトが軽々しいことを言いました。
21世界@名無史さん:03/09/14 01:13
19さん、どうも。1です。殷周のこと、知りたいことはあるのでいろいろ教えてください。
22世界@名無史さん:03/09/14 01:36
夏・商・周の年代って考古学的に
ある程度確定したのですか?
23世界@名無史さん:03/09/14 01:54
>>18
太公望はいたよ。
昨日渋谷の109で買い物してた。
24世界@名無史さん:03/09/14 07:37
チュウ王は虎を一撃で殴り殺せるほど強かったのは?そして「封神」「史記」でもそんなに悪い人じゃなかったのでは?みたいにいわれてるけど本当はどんな人?
25世界@名無史さん:03/09/14 09:17
>>24
架空人物です。
26世界@名無史さん:03/09/14 18:17
では殷の最後の真実は?
27世界@名無史さん:03/09/14 18:25
>>26
殷の厨房が最後です。
28世界@名無史さん:03/09/14 18:50
>横山「殷周伝説」はともかく、他スレで殷周スレがないって嘆きがあったことだし、
あー、それ私ですわ。どうもどうも。
殷で検索した筈だったのになあ。コピーしたのが微妙に違った字だったかも。
(自分のワープロじゃでてこないんだもん)
29世界@名無史さん:03/09/15 12:19
これで終わりはさびしい。もう少し情報ください。
30世界@名無史さん:03/09/16 02:22
「殷」よりも「商」って言ったほうがいいような気がする。
31世界@名無史さん:03/09/16 17:46
宮城谷「王家の風日」にすごーーく感銘うけたんだけど、
この板で宮城谷って言うとぼろくそいわれるんだもんなー
しろうとが、何だってかんだって読むわけにいかないんだからちとカンベン
して欲しいわ。
(白川「中国古代の民俗」を来月まで手元に持ってる。)
元紀暁嵐です。ハンドル変えました。

宮城谷は好きだが、あれを史実と信じ込まれると非常に問題だ。それだけのことだ。
特に王家の風日は作者の空想が大目。

>チュウ王は虎を一撃で殴り殺せるほど強かったのは?
そして「封神」「史記」でもそんなに悪い人じゃなかったのでは?みたいにいわれてるけど本当はどんな人?

本当のことはわかりません・・何しろ史料が少なすぎる。
史記って横山の漫画版でしょうか?司馬遷の史記では、商の帝辛(チュウ王)は極悪人です。
ただし、研究の結果「史記のチュウ王の悪事の記述は誇張されているのではないか?」ということが分かってきた。
殷墟の発掘でわかった彼の事跡は、
1、狩猟が好きだったらしい
2、珍しい動物を集めていた(象などのけものの骨が出土)
3、東方に大遠征を行った

という感じですかねぇ。
>>22

中国ではこの間夏・商・周の年代確定が行われましたが、それが正しいかどうか僕にはわからない。

>「殷」よりも「商」

殷って白川静にいわせるとろくな意味じゃないからなぁ。字通には「商は正号」とあるし、
厳密には商というべきかもね。
まぁ、どっちでもいいや、漏れはw

34世界@名無史さん:03/09/24 19:34
英語ではShangですね。
35世界@名無史さん:03/09/28 14:17
商人は商の子孫という意味。
国を失って、方々で売り買いして生計を立てていた。
36世界@名無史さん:03/09/28 15:10
>>35
ある意味ユダヤ人に通じるな。
ないのは宗教だけか。
37:03/09/28 22:06
38世界@名無史さん:03/09/28 23:45
殷の宗教と周の宗教って違うのか。
39世界@名無史さん:03/09/28 23:54
>>38
少くとも租霊は違うな。
40無尤軒宣周 ◆LkLX/VRnCw :03/09/29 08:07
>商人は商の子孫という意味。

小島祐馬が唱えた説で、蔑称して商人といったのだというが、根拠は薄弱。
白川静は「商は殷の大号。もし蔑称とするならば殷を用いるはずである。
商は賞の初文。有償の行為が商賈となったとみるべきである」(『字通』)と否定している。
41太公望 ◆bba6.0YO2g :03/09/30 14:08
殷のちゅう王の側近が、秦の先祖のえいれん、えい来親子だったって本当?
秦と趙が同じ先祖、同じ氏って本当?
42世界@名無史さん:03/09/30 16:39
出土資料でも出ないことには…
43世界@名無史さん:03/10/04 20:27
「宋」は確か殷の遺民を保護する目的で周代に設けられた国、でしたっけか?
44世界@名無史さん:03/10/05 00:01
その程度は、、、知ってるでしょ
                     
45よろずこ:03/10/05 02:25
>>43
祭祀を絶やさないようにするため。
46世界@名無史さん:03/10/05 05:15
>>41
殷の紂王に側近として仕えたのは蜚廉(處父)。こいつは「えいれん」でなく「ひれん」と読む。姓は贏姓だった。
こいつの息子が二人いて、兄は悪来(革)、弟が季勝。悪来は「えいらい」でなく「おらい」と読む。
季勝の曾孫の造父がはじめて趙氏を名乗った。悪来の子孫から、はじめて秦に封ぜられた者がでたがはじめの頃は
趙氏の権勢に便乗してこっちも趙氏を名乗っていた。
つまり秦は兄の子孫だが分家筋、趙は弟の子孫だが本家みたいな感じ。
以上が史記に記載の伝説。史実としてはどうだったのかは不明。

趙氏も秦氏も、同じ贏姓の同族ということだが、「贏」「趙」「秦」の3字は
先秦上古音ではかなり近い発音。「贏」の北方訛りが「趙」で西方訛りが「秦」とも考えられるし、
たまたま発音が似ていたので、秦が趙氏の起源説話に自らの出自をこじつけたものとも考えられる。
47世界@名無史さん:03/10/13 03:36
このスレは、「【井田制】十二国記【春官夏官】」スレになる予定です。
48世界@名無史さん:03/10/14 00:31
ワラタヨ
ところで十二国記、世界史板的に分析するとどんなよ?
49世界@名無史さん:03/10/14 11:09
50世界@名無史さん:03/10/14 12:52
ジャンプコミックスの「封神演技」読んだ方がはやい

> http://www.crystal-online.tv/CRL_Showpage.asp?I=NIF&F=TOP
> 画面が入れ替わってるけど、春菜まいチャソって可愛いじゃんか!
> 若林めぐチャソも綺麗だけど‥‥
51世界@名無史さん:03/10/19 11:18
×贏
○嬴


52世界@名無史さん:03/10/19 15:52
>>51
文字化けしてて読めません。機種依存文字?
53世界@名無史さん:03/10/19 18:03
>52
何、使ってんの?
よーわからんが、マイナーな環境だと苦労するね(w
54世界@名無史さん:03/10/19 21:16
なんか、やたら厨なレスがおおいスレやね。世界史板にしては珍しい。

ところで、1は封神演義を史書として考えてるの?あと、横山版の
史記って漫画のあれ?もしそうなら、もちっと色んな本を読むことを
まずするべきだよ。まずは「演義」の意味を辞書で引いてご覧。
55世界@名無史さん:03/10/19 21:50
夏王朝は中国の中では既に実在として認識されてるらしいね。
中国の国家博物館では旧・新の石器時代の後は夏王朝から
歴史区分がされてる。存在期間は、ほぼ前21世紀〜前16世紀と
考えてるね。

http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/beijing/chinese/chinese.htm

>>22
一応、中国の方では
 夏 BC2070年
 商 BC1600年
 周 BC1046年
となってるらしい。ただし、政治的意図もたぶんにある可能性もあり、
まだまだ調査や学問的考察が必要とのこと。

http://village.infoweb.ne.jp/~yamamott/nanchuka13-kakyo.htm
56世界@名無史さん:03/10/19 21:58
個人的には夏や商より三星堆遺跡の住人達がどこに行ったのか
が知りたいな。中国史の中ではあまりにも独自の文化で、その後の
中国史との連関性が薄いし。
57世界@名無史さん:03/10/20 00:48
>>51
秦の始皇帝の名前じゃん。
えいせい
58世界@名無史さん:03/10/20 01:02
贏だろ
59世界@名無史さん:03/10/20 01:20
贏は誤字。
>>51は正しい文字をコードで指定しているが、それをちゃんと解釈するかしないかはブラウザ次第。
60世界@名無史さん:03/10/26 19:21
>>56
長江の大洪水で壊滅後に北へ逃れた人々が黄河文明に合流した、との説もあり万年
61世界@名無史さん:03/10/26 20:49
殷の美術品はいいな。
かっこいい。
62世界@名無史さん:03/10/26 23:13
黄河文明の青銅器の展示とかあると、たいてい祭祀で使った酒器と肉を捧げた道具ばっかり。
まさに酒池肉林。
63世界@名無史さん:03/11/06 01:35
黄河文明の青銅器は、最初からいきなり高度に洗練された水準のものが現れる・・・
試行錯誤の時期がふつうあるものだが一体・・・
さらに先行文明があったとか?
え?長江文明?
>>63
戦車と同じだな。やっぱ西方から技術が伝来したのかね。
65世界@名無史さん:03/11/06 01:56
いや、甲骨文字も同じ。殷中期にいきなり完成されたものが出てくる。
ただそれを長江流域からの流入と考えるなら、同程度の遺物が流域から出てこないとおかしい。
西方の中央アジア渡来ならまだわかるんだが、
遊牧民がそれだけの文化を持っていたのか、と考えると、
遊牧民の文化伝播の速さから言ってありえないと思う。
(遊牧民全体にそういう技術が広まってないと変だ)
ただ殷は南方に遠征をしているようだから、
中央アジア渡来と考えるのが自然な気はするんだが、うーん。

だからさ、宇宙人なんだよ。外惑星文明
66世界@名無史さん:03/11/06 20:28
ん?

>いや、甲骨文字も同じ。殷中期にいきなり完成されたものが出てくる。

龍山文化とか二里頭文化とか新石器時代に色んなのがあるじゃん?
まだ符合としか言えないようなものだったとしても、商にいきなり
文字として完成したわけじゃないでしょ。
あと、長江文明って三星堆遺跡のこと?三星堆なら商の後期でしょ?
67世界@名無史さん:03/11/09 19:52
どうも。1です。ちなみに史記は図書館にあったのを借りて読みました。それから「封神」は史書とは思ってないです。ただ真実もいくらかはあるのかな?などと思いましたが・・・どうなんでしょ?
68世界@名無史さん:03/11/09 23:34
>>67
封神演義の演義とは・・・

【演義】
1.事実を敷衍して面白く説くこと
2.中国で、歴史的事実を修飾し小説的興味を添え、俗語で
 叙述した書。

まぁ、殷末周初期に存在したと思われる人物の存在なんかは、
歴史的事実なのかもしれんが。
フランス革命の時、男装の麗人と召使の下男が恋に落ちたという
話も、ひょっとしたら歴史的に存在した話かも知れんがナ。
69世界@名無史さん:03/11/10 01:11
演義は日本書紀みたいなモノでしょ?
70世界@名無史さん:03/11/10 07:47
>>69
全然違う。
71世界@名無史さん:03/11/18 20:35
さっき酒見賢一「周公旦」読んだんだけど
コレに出てくる太公望の狸親父っぷりはハマりすぎ
まんま秘密工作員の武吉もいい味出してるし
悪役太公望マンセー
72世界@名無史さん:03/11/19 18:18
結局、太公望呂尚の子孫は、斉を全うすることをできずに簒奪されたのは哀れ。
73無尤軒宣周 ◆LkLX/VRnCw :03/11/19 22:48
>1さん
封神演義は、史記を元にした『武王伐紂平話』という小説を元に、
大幅な改変が加えられ、道教や仏教を交えて書かれた創作です。
史記が元になっている部分に多少の歴史的事実が反映されて居ますが、
インドの仏典を元にしている「普賢道人」など、架空の人物が多く見られます。
史実と言うより、後世の道教の神々のお話として捉えたほうがいいと思いますよ。
殷の黄家一族は後に盛んになった泰山府君という神様がモデルになって居るでしょうし、
李天王一族はバラモン教から仏教に取り入れられた毘沙門天とその一族がモデルです。
ナタ三太子ですら、仏典に登場する毘沙門天王の子供です。
史実を知りたいのであれば白川靜先生の甲骨文の世界(平凡社)などを読まれたほうが・・
74怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/11/19 22:54
ナタは西遊記に出るよね。
托塔(李)天王は水滸伝。

75世界@名無史さん:03/11/19 22:57
当て字っぽい名前とは思っていたが
やっぱりそうだったのね・・・ナタ
76世界@名無史さん:03/11/20 02:05
托塔天王=李靖は実在。
ただし唐初の人物で、時代が封神とは全然ちがう。
『西遊記』の時代の人だね。
むろんナタの親父なんてのもウソ。
77世界@名無史さん:03/11/20 02:41
毘沙門天が片手に塔を持ってるのは托塔天王が原因だな
78世界@名無史さん:03/12/18 13:04
太公望age
79世界@名無史さん:03/12/19 20:39
横山光輝の殷周伝説は何を漫画化したんだ?
殷周伝説を漫画化したとか言うなよ。
80世界@名無史さん:03/12/19 21:21
殷と周の伝説を漫画化したんだよ
81世界@名無史さん:03/12/19 23:46
『封神演義』から妖怪変化を取り除いた翻案ものだよ。
歴史系漫画などと勘違いしないように。
82世界@名無史さん:03/12/19 23:49
>>81
なるほどね。殷や周の時代を歴史として知りたいのだが何を読めばいいの
やら・・・。
83世界@名無史さん:03/12/20 00:13
素直に史記よんどけ
84世界@名無史さん:03/12/20 00:25
そういや横山光輝の史記では、殷の時代について触れていないのはどうしてだ?
85世界@名無史さん:03/12/20 22:25
>>84
列伝だからじゃないの?
あ、でもそれでもおかしいか。
86世界@名無史さん:03/12/22 13:30
殷の時代は殷周革命時期以外は、漫画化するほどおもしー挿話ないし。

漫画の話になってるけど、鄭問『東周英雄伝』とかどうよ?
87世界@名無史さん:03/12/24 20:12
亀甲獣骨文字の生まれた殷代が一番面白いけどなぁ。
88世界@名無史さん:04/01/26 01:58
長江文明との関係が気になるところ。
殷の途中までは黄河文明と並存するんだよね。
89世界@名無史さん:04/02/16 09:29
長江で大洪水があって滅んだ長江文明の難民が
黄河文明へ逃れて殷が一大飛躍を遂げたとかなんとか
90世界@名無史さん:04/02/16 10:20
宮崎一定の『史記を読む』を読め。
91世界@名無史さん:04/03/20 17:51
age
92よろずこ:04/03/20 20:21
宮崎市定
93世界@名無史さん:04/03/20 23:55
宮崎イティサダ
94あやめ:04/04/04 16:51
>>73
「武王伐紂書」や「封神榜」などが普通の演義体ではなく、所謂「神魔小説」として
ストーリー展開しているのは由来があります。
「尚書」の逸篇とされる「逸周書」の中に周の武王の革命征服戦争における捕虜の
処分について記述した「世俘解」には、「魔億十萬七千七百七十有九を馘る」という
句が見られます。ここから紂王は魔軍をも動員したかのような理解が生まれ、遂には
平話講釈師や小説家の頭脳を刺激した挙句に、殷周双方が共に神魔を味方につけて
戦争したという荒唐無稽な話へと向かったもののようです。
「逸周書」の史料としての信憑性については大いに議論のあるところで、その中でも
「世俘解」などは評価されているようですが魔物が出てきては打ち壊しです。清の
盧文弨はここの「魔」は誤写であり「レキ(フォントがありません、厤の下に石)」が
本来のテキストの正文であったとしています。「レキ」について顧頡剛は奴隷を指すと
考証しておりますが、白川静さんは例によって「秝」は軍門を意味するものであり
どうたらこうたらと主張しています。
それにしても「歴」も「暦」も秝に从がう正しいフォントがないのは困りものです。
95あやめ:04/04/04 16:55
なお盧文弨は下文の「億十萬七千七百七十有九」の「十萬」は衍字であって元来の
本文には存在しなかったと主張しています。というのは当時は数値の桁上がりは専ら
単純な十進法であって十百千萬億と数え、億=十萬という計数進級システムだから
「億十萬」ではダブった唱え方になるというのです。
ここで「魔」という漢字について言っておかなければならないのは、昔から存在して
用いられていたわけではないことです。一応「説文解字」には登載されてはいますが、
許愼の原本には無く「新附」という後世に追増された部分の文字です。
「魔」はサンスクリット語の「マーラ」"mara"に対応した音写の「魔羅」に由来する
佛教が東伝してから出来た漢字です。それも最初は「磨」という異義近音の文字で
間に合わせて「磨羅」と書いていたようです。そもそもマーラは正覚に向かおうとする
者に対し、常にこれを乱し妨げ壊そうと付込んでくる全ての存在で、多くの場合は
常人の知覚を絶した形で出現します。支那にも古来から鬼神や怪物は存在していますが、
佛典に出てくる上述のような深刻なデーモンが語られることはなく、従ってマーラに
適切に翻訳できる文字もありませんでした。このような事情から外来語の片仮名表記に
類する「磨羅」が用いられ、頻繁に経文に出てくるため後には省略形で「磨」と書く
習慣になっていたのでした。
96あやめ:04/04/04 16:59
マーラを意味する「磨」が「魔」と表記されるようになったのは略ぼ唐代からです。
明の張自烈の「正字通」には「譯經論」という書物を引用して、「魔は古くは石に
从がひ磨に作る、・・・梁の武帝は改めて魔と爲す」と説いています。梁の武帝云々は
どこまで本当の話かわかりませんけど。
そうした経緯から考えると「世俘解」の「魔」は、当初は「レキ」と表記されていたのが
文字の構成が「厤」と「麻」の違いだけで見誤りやすく、その上「レキ」は稀にしか
用いられないため「磨」と誤写されることとなり、「磨」を「魔」に置換える習慣が
一般的になってから、「魔億十萬七千七百七十有九」に作られることとなったものと
推定できるのではないかと考えます。
そして暴虐無道の紂王を援ける截教の魔軍が暴れまくることになったもののようです。
97よろずこ:04/04/04 18:35
すいません。
>>94
?に从がう

>>96
从がひ磨に作る

の「从がう」はなんと読むのですか?
98世界@名無史さん:04/04/04 19:15
>>97
人の後ろに人が付いてんだから「したがう」。
それに足と行人偏が付いても(從)やっぱ「したがう」。
あやめさんがなんで態々異体字使ってるのかは不明。
99よろずこ:04/04/04 21:22
ありがと。

從のことね。
100あやめ:04/04/04 21:37
わざわざ異体字を使ってるのではなく、字書では文字の構成要素を採用したときは、
「これこれの字はしかじかの偏(もしくは旁・冠・垂・構その他)に从がう」と
書く習わしになってます。
101世界@名無史さん:04/04/04 21:43
─┬-┴──
  └──-
  ┌─-┐
  └─-┘
┌┐│  . ┬┐
├┤┼-┼ ││
├┤ \/  ┼│
/ 」 /\ /  L」

しかし人というより獣の名前っぽい字だな…
102世界@名無史さん:04/04/05 17:51
98がなんで「わざわざ」をわざわざ「態々」と書いてるのかは不明。
103世界@名無史さん:04/04/11 00:51
イラクで炮烙が
104あやめ:04/04/12 08:51
「レキ」という字のフォント探したら見つかりました
「磿」です
105世界@名無史さん:04/04/14 21:34
よくよく見たらこう見えたが:

─┬-┴──
  └──-
  ┌─-┐
  └─-┘
┌┐――― ┬┐
├┤┼-┼ 十│
├┤ \/  ┼│
/ 」 /\ /  L」
106あやめ:04/04/15 01:03
秦や趙の姓の「エイ」という字のフォントも見つかりました
「嬴」です、文字のサイズを最大に設定して「女」に从がっていることを
確認してください
107世界@名無史さん:04/04/16 00:33
もまえら!そんなくだらんことを話し合っている場合じゃない!!!

横山先生が亡くなられた。これほど悲しいことは他にあるか!!!
まあ、自分は殷周伝説は恥ずかしながらまだ読んではいないけど
三国志や項羽と劉邦などで非常にお世話になりました。
謹んでご冥福申し上げます。
ウワァァ━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━ン!!!!!

【死せる御大】横山光輝死去【生ける2ちゃんねら】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1082036823/l50
108世界@名無史さん:04/04/16 02:24
ご冥福をお祈りします
109世界@名無史さん:04/04/25 03:26
>>1
淫臭伝説なら近所のツタヤにあったぞ。
110世界@名無史さん:04/04/25 04:33
鳥取の民話かいな?
111世界@名無史さん:04/04/26 22:54
それは因州なw
112あやめ:04/04/27 11:43
「因習」なら「伝説」と意味の上で無理なく結合できますね。
そして「淫臭」とも「因州」とも関係のある俗謡を紹介しときます。
因州因幡の鳥取の鹿野街道の真ん中で娘が三人出会いして、先なる娘が十六で
中なる娘が十七で後なる娘が十八で、先なる娘がいうことにゃはじめて殿御と
寝たよさは三つ目の錐で揉むようにきりきりと痛とござる、中なる娘のいうことにゃ
はじめて殿御と寝たよさは浅倉山椒を入れたよにひりりひりりとようござる、
後なる娘がいうことにゃはじめて殿御と寝たよさは麦飯とろろを食べたよにぬるり
ぬるりとようござる・・・・・・
113世界@名無史さん:04/04/28 16:32
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
114世界@名無史さん:04/05/23 22:30
age
115世界@名無史さん:04/05/26 16:19
中国語の変遷に興味があります。
殷や周の時代の中国語ってどんなだったんでしょうか?
たとえば文法など、今と同じなのでしょうか?
116世界@名無史さん:04/05/26 16:50
甲骨金文かいな。周代の金文は漢文と左程変わらん。日本式に
読み下せる。『詩』も『書』も『易』も古い部分は西周代に成
立してる。甲骨文は占い用の特殊な文章だけど、基本は漢文と
そう違わない。だからあんなに早く解読された。これも日本で
は読み下すことが多い。問題はむしろ文字と発音だ罠。
117世界@名無史さん:04/05/30 11:25
スウェーデンの言語学者カールグレンが殷代の発音まで再構していますよ。
つくづくすごいお方だ・・・
118世界@名無史さん:04/05/31 00:00
あんた「日本語はいつ朝鮮語から分岐したか」とかいうスレでも同じような
こと書き込んでるね。カールグレンなんて今はあまり顧みられていないよ。
119世界@名無史さん:04/06/01 22:31
>>94
顧頡剛って魯迅がけちょんけちょんに書いてた赤鼻の人だよね。
ちゃんと仕事してたのか……
120世界@名無史さん:04/06/02 01:37
岐山周公廟遺跡の情報たのむ。
専門家降臨きぼん。
121世界@名無史さん:04/06/25 01:42
明日は発売日〜
122世界@名無史さん:04/06/25 12:37
日本語が朝鮮語から分岐?

基本語彙と発音が違いすぎるだろ。似てるのは語順と、漢語・外来語だけ。
123世界@名無史さん:04/06/25 12:52
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/eco/1087623924/

ハゲタカどもは、黄色い椰子の言葉なんて類縁にしたいんだろ
124世界@名無史さん:04/07/03 13:18
nhkらじおどらまもいいよ
125世界@名無史さん:04/07/24 21:19
age
126名無しさん@社会人:04/07/24 23:00
127世界@名無史さん:04/07/27 13:27
中国最古の王朝と確認されている殷代(紀元前16世紀〜同11世紀)
最初の都があった「偃師商城」(河南省)遺跡から、石で造られた大規模な
池の跡が発見された。司馬遷の「史記」には、ぜいたくな酒宴を意味する
「酒池肉林」の由来となる、美酒が注ぎ満たされた殷代の池の話が出てくるが
発見された池が殷代の王の「酒池」だったのではとの見方が浮かび上がって
いる。国営新華社通信がこのほど伝えた。 

引用
http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=040724153017X745&genre=int
128世界@名無史さん:04/07/27 15:02
中国マスコミの「史記ファンダメンタリスト」ぶりも
ここまでキテルか。これも愛国教育の成果なんだろうな。
129世界@名無史さん:04/07/27 15:46
帝舜などの上代、夏、殷結局資料なさ杉
130世界@名無史さん:04/07/27 16:31
>>129
殷はかなりあるって。

あと酒池肉林云々はマスコミ対策のようなもの。
商の最初の都なら、そもそも厨王関係ないし。
131世界@名無史さん:04/07/27 18:03
>殷はかなりあるって
甲骨文や金文だがな
132世界@名無史さん:04/07/27 20:06
> あと酒池肉林云々はマスコミ対策のようなもの。

考古学者はこういうデマの尻馬に乗って予算
獲得するだけで、自分からデマ流してるわけじゃない。
何も悪いことしてない、ってか。

そんな言い訳する前に素人が誤解しないように
きちんと批判しなさい。
133世界@名無史さん:04/07/28 09:09
>>131
直接史料の意義が理解できないのか。王国維による殷の王統の復元、
これを承けての董作賓による干支と字体に基づく相対的な暦年の作成。
これだけでも、例えば王制ローマなどという伝説なのか事実なのか
わからないようなものとは一線を劃する。
134世界@名無史さん:04/07/28 20:12
酒池肉林って、殷の祭りを周の人々が悪意で歪曲して伝えたと思う。
135世界@名無史さん:04/07/28 20:15
はあ?
暴君のおあそびだろ。
136世界@名無史さん:04/07/28 20:18
『論語』で子貢がすでに「紂の不善も是の如くは甚だしからざるなり」
って言ってんのにね。「酒池肉林」の話がまでできていなかった時代でも
これなのに、今の『史記』ビリーバーは頭おかしいね。
137世界@名無史さん:04/07/28 20:22
>>135
殷の紂王(辛)が暴君という証拠はないよ。
むしろ、甲骨文によれば、熱心に祭祀(政事)を行ったことが分かる。
方を攻めている時に、周に不意打ちを食らって、滅びたのではないかと言われている。
これを正当化するために、殷の紂王を暴虐に仕立て上げたのではないか。
結局、勝者の歴史だな。
138世界@名無史さん:04/07/28 20:23
>>136
>>紂の不善も是の如くは甚だしからざるなり

子貢さんに「紂よりひどい」といわれた人ってだれ?
ちなみに、孔先生はきっすいの魯人ではなく元は宋人だから殷系だし
子貢に至っては「子」姓つまり殷の国姓なわけで
殷の悪口は言いたくなかったのでは?
夏も殷も周も創始者は聖王扱いだし(儒教では)
139世界@名無史さん:04/07/28 20:28
・紂王「酒池肉林」の話は戦国末期に作られた話
・池が発見された偃師商城は殷代初期の遺跡で、紂王とは無関係
・紂王の前の王が「酒池を作った」という記録はない
・池が発見されただけで「酒池」の存在証明にはならない

のに、こういう新聞記事を書く連中=中国共産党のイヌ
の捏造好きがよく表われている。
140世界@名無史さん:04/07/28 20:59
>>138
>> 子貢に至っては「子」姓つまり殷の国姓なわけで

あんたアホかいな。
子貢は、姓は端木、名は賜、出身は衛だよ。子貢は字。
あんたの説だと、子路も子夏も子産もみんな殷人(宋人)かいなw。
141世界@名無史さん:04/07/29 11:45
酒池肉林報道も笑ったけど、
138もけっこう笑えた。
まじめにネタをふりまいてくれるヤシに感謝。
142諸葛亮:04/08/02 01:24
孔明は孔が名字だから孔子の親戚かな? w
143世界@名無史さん:04/08/02 01:57
>>127
思わずワロタw
144世界@名無史さん:04/08/20 19:11
>>133
>王制ローマなどという伝説なのか事実なのかわからない
え、そうなの?
145世界@名無史さん:04/08/20 21:34
>>144
リウィウスの歴史書に出てくる七人の王は伝説なのか事実なのか
良くわからんでしょ。ロムルスは勿論伝説としても、エトルリア
の王統も都市ローマがエトルリアの支配下にあったことを示して
るという説がある。
146世界@名無史さん:04/09/01 00:14
言ってしまえば聖徳太子とか大化の改新なんかも伝説だか歴史だかはっきりしないしな
147名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 21:30
>崇は、夏王朝の開祖、禹王の父、鯀の一族。
 という他のスレのレスがあったけど、本当なの?
148名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 21:36
他の掲示板から来ました。よろしく。
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1082796693
149世界@名無史さん:04/09/03 21:47
鯀は、有嵩(崇)伯鯀と呼ばれる。
150世界@名無史さん:04/09/03 22:11
子って殷の姓なの?姓って概念を殷代の人がほんとにもってたっていう証拠はあるのかな?
むしろ子は氏子ってくらいの意味じゃないかな。つまり王に対する子、長に対する平。
無意識に周代以降の概念で殷の社会を理解してるところがあるんじゃないかな?
むしろ姓なし、帝に仕えるシャーマンの一族なんだから姓を名乗って他の族集団と同等に区別する必要がなかったとも考えられるよね。
151某スレの979:04/09/03 22:23
元々商は夏の諸侯。
べつに最初から王族(支配者)って訳ではない。
そして、その夏にも[女+以]の姓がある。
もちろん、五帝にも、三皇にも。
これは、神=帝が支配者だから。
王は天子といい、この時代は帝から神託を受ける存在。
なので、姓があっても違和感は無い。

姓が無いってのは日本の天皇のみ。

子姓らしいとかいえない。
古代中国の姓には女の部首が入るので(夏の[女+以、周の姫、召の[女+吉])
商の子姓も女の部首があったと思われる。
152名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 22:32
>>150
 子というのは、爵位のこととされている。
 公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵と分かれている。
 殷は夏の子爵の可能性もあり得る。

 前掲示板のスレでもレスしたけど、殷の姓は“媛”姓の可能性も
 ありかな…と個人的には思っているが…。
153世界@名無史さん:04/09/03 22:46
婦好
154某スレの979:04/09/03 22:55
>152
詳しくは知りませんが、その階級は周から始まったんじゃないでしょうか?

商の時代は、三公などの地方の大勢力の「伯」、異民族勢力の「方」、
そして支配者で、宗主的存在の「王」、神の「帝」だったと思うのですが。
155名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 23:12
>>154
正直いってよくわかりませんが、姫昌が西岐の伯公というのは
 殷の伯爵の説なのか、または季歴の長男なので伯昌と呼ばれた
 説のどちらかと推測します。あまり自信はありませんが。
156某スレの979:04/09/03 23:32
>>155
西伯というのは、西の覇者という意味です。
商は、実力者には伯(覇者)の位を与えて、その地方での権限を与えて治めさせます。
なので、西伯の伯は伯爵という階級での伯ではなく、覇者の覇=伯です。

そういえば、伯邑孝は姫邑が正式なようです。
>155のおっしゃるとおりに伯は長男を表し、孝は親孝行者の意味だったと思います。
だから、姫発は姫仲発と呼ばれてもいいはずなんだけどナァ
157世界@名無史さん:04/09/03 23:46
質問なんですけど姫昌とか姫発っていうふうに当時も呼んでいたんですか?
というのも、後の時代には女性は姓を名乗り男性が氏を名乗るみたいですが。
158名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 23:47
>>156サンクス。
 実は他の掲示板のレスで武王が“仲発”という質問を
 しました。その答えは不明だそうでした。要するにどの
 史書にも記されていないとの事でした。

 >そういえば、伯邑孝は姫邑が正式なようです。
 ではこれから、伯邑考のことを伯邑か孟邑と呼んでもいいですね。
 (“孟”も長男の意味、伯の別称とも…)
 
159名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 23:54
>>157
 身内は名か字で呼んだと思います。親友も同じでしょう。
 姓名で呼んだのは、君主か上司クラスと推測できますが…。
 女性の場合は嫁ぐこともあって姓で呼んだほう合理的であった
 と思いますが…。
 
  また質問。
  文王の伯父の太伯(呉の太祖??)は何故か名が不詳ですね。
  泰は名前と違いますか?弟の仲雍は名がありますが…。
160某スレの979:04/09/04 00:30
>157
女性の名前ですが、女性は字+姓で呼ばれます。

蘇忿生の娘は妲己ですが、妲が字、己が姓です。
蘇邑の己忿生の娘の妲となります。

周の時代になっても、姓が後になるので○姫と名乗るわけになり、
後に王族の女性を姫と言うようになります。
ちなみに、男子は氏+字です。
名前だけでも、氏、姓、名、字、と複雑ですね。

>158
>"孟”も長男の意味、伯の別称とも
それは知りませんでした。
個人的には伯邑のがいいなぁ
161名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 00:39
>>160サンクス。
>蘇忿生の娘は妲己ですが、妲が字、己が姓です。
 >蘇邑の己忿生の娘の妲となります。

 蘇忿生とはあの冀州侯の蘇護のことですか?
 因みに“史記”では有蘇氏になっていますが。
 己という姓は初めて聞きました。
162世界@名無史さん:04/09/04 00:46
蘇忿生は、周に仕えて司寇の官位を貰った人

蘇護かどうかは分からないけど、蘇の一族の流れではある。
163名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 00:59
>>162サンクス。
 前漢の蘇武がその蘇忿生の後裔というのは
 あり得ないのかな…?
164世界@名無史さん:04/09/04 01:24
>>159
>>160
ありがとうございます。
だけど、姫昌とか姫発とかいうのは正しいのでしょうか?
姫は姓であり氏ではないはず。
僕はむしろ、周の女子は某姫だけど、男子は周某あるいは王子某とでも呼ばれたものかと想像しています。
諸侯であればたとえば鄭某とか公子某、公孫某とかね。

ところで婦好は殷の女子でしたっけ?殷の姓は子ってのは史記にでも出てくるんでしょうか。
妲己の己が女偏をつけると妃になるのと同じ理屈で、傳世の過程で落ちたんでしょうかねー。 
165名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 01:35
>>164
 実は太公望呂尚の系統の斉にも、同じようなケースがあります。
 太公望の姓が姜姓なのは周知の通り。斉の王女の場合は斉姜とか
 大姜とか小姜と呼ばれることが多かったようです。

 >男子は周某あるいは王子某とでも呼ばれたものかと想像しています。
 > 諸侯であればたとえば鄭某とか公子某、公孫某とかね。
 王子某は違和感は無いけど、周某というのは聞き慣れない言葉ですね。
 まるで、衛の王族の商鞅みたいですね。
166某スレの979:04/09/04 01:41
妲己つながりで蘇護=蘇忿生ですね。
蘇護も周に降っていますし。
>164
氏だと周になり、周昌、周発になりますが、彼らは王族なので
文王、武王とも呼ばれていますし

氏は領地、役職、祖先の名などの名称ですね。
例、鄭、蘇、司馬、孔、王など。
姓は部族の名称ですね。

領地を持っていれば、氏+字で、領地を得ていない者は姓でよいのではないでしょうか?

167世界@名無史さん:04/09/04 01:44
>>165
周某みたいなのは戦国にならないと出てこないのかな。
姓にするなら王孫某かな。あるいはただの孫某とか。
168名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 01:50
>>166
意味がわかりました。日本でいうと姓が皇族系の源氏と
 摂政関白系の藤原氏が該当し、氏は足利(皇族と摂関系両方有)
 と北条(皇族系)と近衛と冷泉と斉藤(摂関系)がまさにこれですね。
 正直いって、日本はわかりますが、中国はちょっと理解してませんでした。
169世界@名無史さん:04/09/04 01:52
>>166
役職名で呼ぶというのは分りますが、氏の代用に姓ってのはちょっと引っかかります。
世界中に姓氏を称さず名だけで呼び合う民族はたくさんいますよね。中国も昔はそうだったんじゃないかと想像してます。
170世界@名無史さん:04/09/04 02:03
卜辞では、商代に「姓」の概念があったという証拠はない。
はっきりと姓組織が現れるのは西周代から。

もともと「子」とは姓ではなく、商の男子王族で
あることを示す呼称。「子」+「地名(おそらく領地)」と
いう組み合わせで表記されるケースが多い。
複数形の場合は「多子」とか「多子族」と呼ばれた。
171世界@名無史さん:04/09/04 02:04
商王家(後の宋公家)が「子」姓とされたのは、
周王家が始めた姓組織に諸侯を取り込む過程での話。

旧商王族がみな「子ナントカ」という呼称で呼ばれるもんだから
いつの間にか「商・宋=子姓」とされたらしい。

この伝統は、春秋戦国時代、東方諸国に残り、男子は
「子」+「字(あざな)」で呼ばれた。子路や子貢などで
お馴染みですな。
172世界@名無史さん:04/09/04 02:04
夏王家が「女以」姓という話も、周武王が夏王家の
末裔を捜し出して杞に封じてからでっちあげられた
ものだろう。

姓組織の発端はよく解明されていないが、古い大姓は
みな「おんなへん」を持つことから、嫁の実家を識別する
目的で発達したものという説がある。「つくり」にくるのは、
出身部族名の音とか地名でしょう。「羌」民族出身の
ヨメは「姜」姓になるあたりが典型的な例。
173名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 02:23
>>172
確かに古代中国はオンナ偏がつく姓が多かった。
 それに、当時の中国はまだ“漢民族”という固定民族称
 はまだ無く、各地域にそれぞれの民族が形成されていた。
 つまり、夏はサカナ偏に縁があることでベトナム系と見られ
 春秋の越と関連性があるとか…。殷(商)は燕をトーテムとする
 ことから渤海付近を発祥とする古代ツングース系の可能性有と
 いわれている。また、周は古代チベット系といわれ、熊をトーテム
 とした部族といわれている。太公望は当然、羊をトーテムとする
 チベット系羌族の後裔で、東海郡許州出身といわれるが。
174世界@名無史さん:04/09/04 02:26
封神演義のおかげで
マニアックな知識がずいぶんひろまったなあ
175世界@名無史さん:04/09/04 02:32
>>170
>>171
 >卜辞では、商代に「姓」の概念があったという証拠はない。
>>150の時点ではそう思ってたんだけど、否定されちゃってさー(藁

>>172
 >古い大姓はみな「おんなへん」を持つことから、嫁の実家を識別する目的で発達したものという説がある。
姓が出身部族を表すものだとしたら、同姓不婚てのも氏より大きい姓の出身別で決められたものなんだろうね。
姜と羌の関係はそうだろうね。姫姓はどうかなー?


176世界@名無史さん:04/09/04 02:49
>>174
ほとんど封神演義読んでてもわからない知識ばっかりなのにどこが?
177世界@名無史さん:04/09/04 02:53
>>173
姓という文字自体、女偏に出生の生だもんね。
ただ、羌族に関しては異論があります。
文字が羊に従うとはいえ、羌が羊を「トーテム」としていた証拠は無いはずです。
また、チベット系という言い方も概説書などで平然と使われますが、
チベット人という概念は速くともトバン成立以降のもので、
それ以前にかの高原地帯からセンセイ省に至るまでの地域に、ひとつの「系」でまとめられるほどの類似性が存在していたかについても疑問だと思われます。
つまり、当地の羌は周の人々にかなり近い存在であり、なおかつ彼らを分けるものが存在していたと考えざるを得ません。
私はそれこそが国家であり法制礼樂であると考えています。
つまり、伯の御軍とまつろわぬ人々といったところでしょうか。
現在でも西北の農村地帯に行けば漢族の牧童が羊を放牧する光景はいたるところで目に付きます。
周がチベット系であったというよりは羌こそが限りなく漢に近い存在であったと言うべきではないでしょうか。
178名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 03:26
>>177サンクス。
 トバンとは“吐蕃”のことですね。党項(タングート)と同系統ですね。
 つまりあなたの答えは当時は“漢民族”の民族呼称が未成立と同時に
 “チベット族”の民族呼称もまだ成立してなかったことですね。
 要するに古代中国では“漢民族”も“チベット族”も、まだ同系統の
 シナチベット語族として、文化民族(漢族)と未開民族(チベット系)の
 差があっただけなのかも知れませんね。
179世界@名無史さん:04/09/04 03:27
韓国105代天皇尊影集

訳注: 「皇帝」ではなく「天皇」を使っているところが興味深い点です。
大朝鮮帝国という名前が大日本帝国に似ていることと何か関係がありそうです。
まず、 http://www.damool.net/pdimage/200208244519479_z.gif は表紙の拡大画像ですが、
一番上 http://www.damool.net/html/emperor/066.gif は大朝鮮(チュシン)帝国の始祖、
檀君(B.C.2333即位)。 中央 http://www.damool.net/html/emperor/bae14-chiwooAaaa.gif
倍達桓国(B.C.3898建国)第14世 蚩尤天皇(B.C.2707即位)。 一番下 http://www.damool.net/html/emperor/232.gif
大韓帝国(A.D.1897建国)末代皇帝 純宗(A.D.1907即位)です。本文にもあるように、韓国105代天皇は
朝鮮半島内だけでなく、「遼」の耶律阿保機 http://www.damool.net/html/emperor/212.gif もその一人で、
「金」の完顔阿骨打 http://www.damool.net/html/emperor/224.gif も金阿骨打(キム・アグタ)という名で
同胞認定されています。 「清」の愛新覚羅 弩爾哈斉 http://www.damool.net/html/emperor/228.gif は、
満州は元々韓民族の領土であり、「愛新覚羅」は「新羅を愛し、新羅を思え」という意味だから、新羅からの
亡命者の子孫に違いないという斬新な解釈で、同胞認定されています。また、日本の応神天皇 http://www.damool.net/html/emperor/198.gif
「倭(奈良百済)国 始祖 応神王仁」と紹介されています。 高句麗による侵攻のために百済から日本列島に逃げた応神天皇は、
そこで奈良百済=倭国を建国し、そこから大百済帝国 http://www.damool.net/html/jushin/daejusin04.jpg を支配していたのだそうです。
「応神王仁」とは、日本に「千字文」を伝えた王仁博士の「王仁」と応神天皇の「応神」は、どちらも日本語で「オージン」と
読めるから同一人物に違いないという大胆な仮説に基づく命名です。
最後に、天地創造をし、韓民族の太初祖でもある「麻姑主神」を紹介しましょう。 http://www.damool.net/html/emperor/006%7E007aaa.gif
韓国105代天皇全ての尊影をご覧になりたい方は、http://www.damool.net/html/emperor/105dae_000.htm でどうぞ。

http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/emperor.htm
180名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 03:29
>>179レス違いでは…。
181世界@名無史さん:04/09/04 03:39
>>178
話せる人でほっとしました。この時間はいろんな人がいるから・・・
血縁とかを超えた恒常的な政治組織に連なることこそが、当時の華夷をわけるものだったのではとかんがえています
182世界@名無史さん:04/09/04 03:39
>>178
話せる人でほっとしました。この時間はいろんな人がいるから・・・
血縁とかを超えた恒常的な政治組織に連なることこそが、
当時、華夷をわかつ基準だったのではないかと考えています。
183世界@名無史さん:04/09/04 09:08
>179
韓国という時点で、コピペと気づかないと・・・
184名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 12:24
>>181
   ヴェリーサンクス!こちらこそ、この話題の相手がいることに感謝です。
  夏王朝から秦王朝の時代かけての中国では、まだ未成立の“漢民族”
  と“チベット族”シナチベット語族と、同じく“古代トルコ族”や
 “古代モンゴル族”や“靺鞨族(古代ツングース)”などのアルタイ語族
  に分かれていたようですね。
  あなたのいう通り、中国というのは中華の基準して文明性を身につけば
 “漢民族”としての呼称を暗黙の承認があったみたいですよ。多分…。
185名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 13:00
チョット題から外れます。
 一説によると“漢民族”の民族呼称の固定は孔子が
「管仲がいなかったら我々は弁髪をしていたかも知れん」といっていたそうです。
 要するに管仲こそ“漢民族”の元祖ということになりますね。
186世界@名無史さん:04/09/04 14:33
殷周の時代は“漢民族”の呼称はまだ生まれてなかったともいえる。
187名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 19:08
質問。
太公望呂尚はまた姜子牙といわれますが、“封神演義”に
出ていた、殷の外戚の東伯(東魯侯?)の姜文煥とは他人ですか?
また前レスで質問しましたが、東海鎮守の平霊王は殷王室ゆかり
の人物とは違いますか?(前レスでは不明との事でした)
188世界@名無史さん:04/09/04 19:23
>>186
漢ができてから漢民族と言われだしたんでしょ?
189名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 19:45
>>188
では劉邦が事実上の“漢民族”の先祖ってとこですか。
190世界@名無史さん:04/09/04 19:53
>>189
先祖?血縁関係ないから・・・
文明化したやつ、よく言われるのは城郭の中にいる人が漢民族なんじゃないかな。

民族なんて日本語しかないし。定義あいまいですから・・・
英訳するとなんだろうね。
191某スレの979:04/09/04 21:48
>>187
>殷の外戚の東伯(東魯侯?)の姜文煥とは他人ですか?
まったくの他人です。
> また前レスで質問しましたが、東海鎮守の平霊王は殷王室ゆかり
> の人物とは違いますか?

武成王(本来は後に太公望が送られた位です)とか
演技では王を名乗る人物が大勢でてきます。
しかし、商王朝とは関係ないと思います。
王族の箕子余、干子比、微子啓すら王を名乗っていないのですから。

鎮守なので殷の太守か何かだと思われます。
192名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 23:13
>>191サンクス。
ただ安能務の“封神演義”で平霊王(皇族)とありましたから。
これは、安能氏の誤りですか?
193世界@名無史さん:04/09/05 00:45
姜文煥は役割からいって九侯を元にしたと思われる創作の人物。
太公望とは関係ないと思われる。
安能務のは安能務独自の解釈であって少なくとも
安能務の封神演義の中では間違ってない。
というか三戦板のスレではっておいた電子テキストのリンクを何だと思ってるんだ?
194名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 01:19
>>193サンクス。
 気に障ったらスンマソ。どうしても“封神演義”のネタを
 使わざるを得なかったから…。
 今度から史実についてを語る。
195名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 08:27
>>193さらに訂正。
あなたは三戦板の“殷周伝説”に質問に答えてくれて、
また、わざわざ電子テキストのリンクを貼った人ですね。
同じ質問を繰り返してスンマソン。今度から違う質問をしたい。
196名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 08:57
では、(さらに違う)質問。
前から疑問に思っていけど、“殷周伝説”では太公望は崑崙山に
32歳に入山し、72歳で下山した。つまり40年もそこにいたことになる。
それはまあいいとして、問題なのは太公望は明らかに子孫はいたはず。
仮に崑崙山に修行した32歳以前に、既に妻子がいたことは考えられると
思うが。また、太公望が周の征東大将軍して殷討伐に動いた時には、
その息子(名は伋)も参加したことは推測できるが。さらに孫(名は得)も
既にいたと思われるが。
197某スレの979:04/09/05 15:15
>196
> それはまあいいとして、問題なのは太公望は明らかに子孫はいたはず。

>太公望が周の征東大将軍して殷討伐に動いた時には、
> その息子(名は伋)も参加したことは推測できるが。さらに孫(名は得)も
> 既にいたと思われるが。
自分で答えをいっているじゃないですか。
それに、質問で
> 既にいたと思われるが。
と〆られても何を聞きたいのか不明です。
本当に居たのかどうかを聞いているのか、その推測に同意してもらいたいのか
他の意見を聞きたいのか?
もうすこし、何を聞きたいのかはっきりしてください。
それに、今回の質問も、演技なのか史実の話なのか分かりません。
198名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 15:34
>>197意見サンクス。
自分は“演義”のある事項の中で“史実”を求めています。
それから、その“推測”のことですが、同意を求めるている
こともありますが、基本的には、自分とは考えが違う人の意見
を聞きたいことですね。そうすることで自分の未熟さがわかる
わけですから。このことは最初にいうべきでしたね。スンマソン。
今度から、明確にそうします。
なお、>>196の質問は“史実”に関して聞いています。
基本的には自分は“史実”中心です。
 もう一度質問をし直します。)
“封神演義”での太公望の殷討伐では、彼の家族が一切触れていないので、
あなたに質問したいことは、“史実”では太公望の息子がその中にいたか
どうかをお訊きしたいのです。是非あなたの意見をお願いします。
199某スレの979:04/09/05 17:11
自分の推測では、息子以外にも、他の姜族(羌族とは別)も参加していたんじゃないかと思います。
演技では、崑崙の道士達や武吉は呂尚が自由に扱っています。
いくら王に信頼されていても、自由に扱える駒は必要なので
演技での特異な精鋭部隊(仙人達)を姜族の人間に置き換えてもいいんじゃないかなと思います。
史実にも、勇者100人の切り込みってのがありますが、この100人が案外姜族の戦士だったかもしれません。

偉そうな事言いましたが、自分は推測でしか言えないし、
ソースも出せない(大抵記憶にあるものを引っ張り出して話してる。)のであんまり気にしないで下さい
200名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 18:39
>>199サンクス。
こちらこそ、日本語が勉強不足でした。人のことはいえません。

>自分の推測では、息子以外にも、他の姜族(羌族とは別)も参加していたんじゃないかと思います。
演技では、崑崙の道士達や武吉は呂尚が自由に扱っています。
いくら王に信頼されていても、自由に扱える駒は必要なので

この事項は、あの陳舜臣氏の“中国の歴史”の1巻の部分にあります。それは
“或いは太公望は姜族の代表だったのかも知れません”とあります。
あなたの推測は、まさに的確を得ています。
201世界@名無史さん:04/09/05 19:49
太公望の子孫には、邑姜(周武王の妻) 丁公仮(級) 紀侯於がいる。
202名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 20:02
>>201
史記による『斉太公世家』から抜擢。
斉・太公尚−丁公伋−乙公得−揆公慈父−哀公不辰…とある。

太公望の孫娘?が武王(太宗?)の正室とは知りませんでした。
203世界@名無史さん:04/09/05 20:20
子孫というか、子供

   太公望
      .|
 | ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄|
邑姜 仮(級)  於
204世界@名無史さん:04/09/05 20:22
C級売国奴
江沢民

http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/minerva/QCao/QCao/cao53.htm
江沢民が最高指導者になって以後、中国はロシアとふたつの条約を結んでいる。
ひとつは1999年末に当時のエリツィン大統領との間で結んだ中ロ国境に関する
議定書である。 これはロシアが中国にたいして強要した不平等条約に一切触れ
ることなく、新条約の形をとって、ロシアが過去に奪い取った144万平方キロ
メートルの中国領土をロシア領土として法的に承認し確定するものに等しかった。  

ふたつ目は2001年7月にプーチン大統領と結んだ中ロ友好条約である。
この条約で1999年の議定書の内容が確認された。
海外の華人はこの江沢民の挙を“売国行為”と呼んだ。このふたつによって、
過去ロシアが中国に押しつけた不平等条約がすべて法律的に正当なものとして
認められてしまったからで、ロシアに奪い取られた144万平方キロメートルの
領土を今後中国政府が権利を主張する法的根拠が無くなってしまったからである。  

205名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 21:41
>>204レス違いでは。
206世界@名無史さん:04/09/05 23:26
江沢民という時点ですでにコピ(以下略
207名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/06 00:31
>>201
その紀侯於は、太公望の子で、丁公伋の弟みたいですが、
どんな人物でしたか?
斉王になったのですか?
208世界@名無史さん:04/09/06 10:59
そのまんま、紀という国(爵位は侯)の長になった。
209名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/06 22:33
>>208サンクス。

新質問です。

太公望の若い頃の事項です。
太公望は東海郡許州(山東省青島の付近?)に生まれて、成長して結婚したよう
ですが、その後なにかの事情で妻から家を追い出されたようです。また、ある
地方では、人殺しなのか?人の怨みを買うような行為をしたらしく、そこを出奔
したようでした。さらに殷の官僚になったのも本当らしいです。

この質問で訊きたいのは、何故若き太公望がこんな波乱に満ちた人生を送ったのか、
このスレにいるあなた方の個人的な推測による意見をお願いしたいのですが。
210某スレの979:04/09/06 23:24
>>209
その説を用いると
結婚する→肉屋の仕事→取り立てられて殷に仕官→人殺しか何かで殷を追われ出奔
→周へ

が妥当でしょうか?
肉屋は殷でやっていたようなので追加しました。
人殺しの部分は、ちょっと分からないです。
多分、干子比の殺害に意見して、追われたんじゃないでしょうか?

羌族(姜族含む)は殷を憎んでいたようなので、
肉屋、殷への仕官などが全て諜報活動だったかもしれません。
211名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/06 23:45
>>210ありがとうございます。

確かに太公望は肉屋を営んだ逸話は聞いています。
当時の中国は、夏王朝も含めて料理人は尊敬の対象の
ようでした。なにしろ中国人の挨拶は「飯は食ったか」
というほどですから、食べ物は命と同じく大切なもの
ということはわかります。
また太公望が文王(太祖?)に仕えたのも、優れた料理人と
聞いて、文王直々が太公望を迎えたといわれるほどです。
このパターンは殷(商)の湯王が、料理人の伊尹を迎えたの
と類似しているみたいです。
最後にあなたの推測通り、肉屋と殷に出仕したのは全て、
周のための隠密行動というのは、うまい所を衝いてるな
と思います。
212世界@名無史さん:04/09/07 09:39

太公望年七十、屠牛朝歌、賣食盟津。過七十餘而主不聽、人人謂之狂夫也。
及遇文王、則提三萬之衆、一戰而天下定。
非武議、安能得此合也。故曰、良馬有策、遠道可致、賢士有合、大道可明。 (『尉繚子』武議第八)

太公望,斉之逐夫,朝歌之廢屠,子良之逐臣,棘津之讎不庸,文王用之而王。(『戦国策』秦策)
213名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/07 21:06
新質問です。

@干子比(比干)は、亡き横山氏の“殷周伝説”では最期の時に甥の
 紂王に諫言した後に、自ら薹盆(蠍を入れた井戸)に身を投身して、
 自殺しましたが、史記や“封神演義”では、紂王の怒りを買って、
 “叔父上には七つの心臓があると聞く”といって、体を刻まれて殺害
 されたとあります。どちらが本当でしょうか?
A紂王には、微子という末の叔父がいたと聞きます。この叔父の名は
 なんでしょうか?またどういう逸話がありますか?
Bやはり紂王の叔父の箕子余はまた“胥”という名があるようです。
 これはなにかの根拠がありますか?
214世界@名無史さん:04/09/07 22:07
>>213
こういうくだりだった記憶が。

紂王曰く「聖人の心臓には七つの穴があると言い伝えがある。
余にもっともらしい諫言ばかりする汝の心臓、余が調べてつかわす」ズビョッギヤァァァ

215世界@名無史さん:04/09/07 22:16
比干の話は、戦国末期の『呂氏春秋』で始めて現れる
嘘臭い話だよ。

こないだから、演義など「史実をベースに脚色したフィクション」
に史実を求めようという幼稚な質問が相次いでいるが、同一人物か?
ちゃんとした史料もあたってから来てほしいね。
216世界@名無史さん:04/09/07 22:25
>>213
微子の名をわざわざ尋ねるのは『史記」に「微子啓」と「微子開」と
二通りの記述があり、更に近年河南で発掘された微子の墓とされる長子
口墓の青銅器に「口」というものがあることを知ってのこと?

217世界@名無史さん:04/09/07 22:27
1)紂作炮格之刑、王子比干曰:“主暴不諫,非忠也。畏死不無言,非勇也。見過即諫,不用即死,忠之至也。
”遂諫,三日不去朝。紂囚而殺之。(『韓詩外伝』巻八)

 紂愈淫亂不止。微子數諫不聽,乃與大師、少師謀,遂去。比干曰:「為人臣者,不得不以死爭。」迺強諫紂。
紂怒曰:「吾聞聖人心有七竅。」剖比干,觀其心 (『史記』殷本紀)

2)
封神演義オリジナルのキャラなので、特に無し。

3)
「若狐不偕、務光、伯夷、叔斎、箕子、胥余、紀他、申徒狭、是役人之役、適人之適、而不自適其適者也」(『荘子』内篇第六 大宗師篇)

「箕子胥余は体に漆を塗り、ばかげたことをやり、髪の毛も結わずに狂ったように見せかけて、難を免れた」(『尸子』巻下)
218世界@名無史さん:04/09/07 22:31
そもそも、紂王が暴虐だったと言う証拠はまったくない。
周のプロパガンダによって、暴虐だということに仕立て上げられたと思う。
酒池肉林も、殷の祭祀に対する悪意ある曲解だと思う。
219世界@名無史さん:04/09/07 22:32
□?
220某スレの979:04/09/07 22:40
>>213
> 新質問です。
> @干子比(比干)は、亡き横山氏の“殷周伝説”では最期の時に甥の
>  紂王に諫言した後に、自ら薹盆(蠍を入れた井戸)に身を投身して、
>  自殺しましたが、史記や“封神演義”では、紂王の怒りを買って、
>  “叔父上には七つの心臓があると聞く”といって、体を刻まれて殺害
>  されたとあります。どちらが本当でしょうか?

当時は先祖を大変敬っていたので、実際は殺してはいないと思います。
先天的に心臓が悪かったのか、
諫言のしすぎで胃に穴でも開いて死んだんじゃないかな?

> A紂王には、微子という末の叔父がいたと聞きます。この叔父の名は
>  なんでしょうか?またどういう逸話がありますか?

三仁の微子は子啓の事を言います。
ちなみに、その弟の子衍(次男なので子仲衍のように仲の字が入る場合もある)も
微の国に封じられた王族(子)です。

> Bやはり紂王の叔父の箕子余はまた“胥”という名があるようです。
>  これはなにかの根拠がありますか?

私は、子余と書いてきましたが、胥余でもあります。
この理由は、子余(しよ)は胥余(しょよ)に似ているし、
演技での殷の宰相商容(しょうよう)にも似ています。
子余も商容も万民に愛された政治家なので、同一人物かもしれません。
つまり、子余は胥余(商容)と呼ばれていたかもしれませんね。
221世界@名無史さん:04/09/07 22:41
「大朝鮮帝国史」 1994年 東亜出版社
韓国陸軍授業、「民族史教育」にて同内容が採択。
http://members.tripod.co.jp/koreawatcher/docs/jushin.htm

第1巻
* 我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。

* 我が民族はパミール高原に源を発して、バイカル湖を経て不咸山に移動、定着した。
  不咸山に到着した我々の先祖はそこを中心に集団定着、文化を発達させ、
  紀元前6000年頃には紅山文明を、続いて黄河文明を起こした。

* 我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、
  大帝国を建設していた。
以下略
222世界@名無史さん:04/09/07 22:46
>220
アンタは宮城谷か。
223名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 00:10
>>220ありがとうございます。

なんか新鮮な気持ちになりました。
あの干子比が、甥に殺害されたのではなく、病死説とは自分には
思いつきません。
因みに微は“魏”とは同音と聞きます。
また、“殷周”の商容が実は皇族の箕子余(胥)そのものだったとは、
或いは、商容そのものが箕子余の字かも知れませんね。
224世界@名無史さん:04/09/08 01:20
同音ねぇ…

 北京語 広東語
微 wei1 mei4
魏 wei4 ngai6

微 無非切
魏 魚貴切
225某スレの979:04/09/08 17:57
>222
>アンタは宮城谷か。

あの人の作品にはかなり影響うけました。
自分は所詮その程度なのでw
226名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 21:58
新質問です。

@殷周伝説の開国武成王の黄飛虎は実在の人物でしょうか?
A題スレから多少ずれますが、呉の孫武(斉出身)と漢(蜀漢・
 季漢・晩漢)の諸葛孔明らは太公望を崇拝していましたか?

 独自の推測に任せますので、お願いします。
227世界@名無史さん:04/09/09 01:32
>>226
@アレは封神演義のキャラじゃん。

A孔明が尊敬していた人物で有名なのは楽毅。
228世界@名無史さん:04/09/09 09:02
>226
1)
封神演義の元になった武王伐紂王平話に、南燕王黄飛虎なる人物がいる。
だけど、実在の人物ではない。

ちなみに黄という姓は、周の武王が天下を得た時、陸終氏の子孫を黄に封じ、
さらにその子孫が国名から姓を得たものらしい。

2)
諸葛亮は、自分を管仲、楽毅となぞらえてたり、梁父吟にて晏嬰を褒め添えたりしてはいるが
太公望を尊敬してたという話は見えない。
まぁ、演義では劉備が諸葛亮と自分を太公望と文王に例えたりはしているけれど。

孫子には、太公望の記述はあるが、尊敬してるように書かれてる文は特にないと思う。
229世界@名無史さん:04/09/09 09:49
230世界@名無史さん:04/09/09 12:20
というか誰が実在の(というより史料に名がみえる)人物で
誰が封神演義などの後世の小説の創作の人物なのかぐらいは
自分で調べられるだろ。史料に名がみえる人物はそんなに数いないし。
231世界@名無史さん:04/09/09 12:26
雷開とか、杜元銑とか、意外な書物で名前が出てくる人物とかいるからねぇ。
まぁ、一応スレにはそってるんだから、抑えて抑えて。
232世界@名無史さん:04/09/09 12:58
>追 封 太 公 望 為 武 成 王

>武 成 王 , 殷 臣 也
233世界@名無史さん:04/09/10 09:37
唐の粛宗の時代(760年)、太公望を武成王に封じたって話だね。
孔子を文宣王として、文武廟を造り、いっしょに祭ったとか。
234世界@名無史さん:04/09/10 23:02:54
あげ
235世界@名無史さん:04/09/12 21:59:29
庚丁八年 己酉
夏暦八月初三日、姜尚、呂郷東呂里にて出生(今の山東省日〔草冠に呂〕県の間)
236世界@名無史さん:04/09/13 14:47:52
じゃぁ、なんですか

僕の読んだ宮城谷の「太公望」は信じちゃダメだっていうんですか!!

237世界@名無史さん:04/09/13 17:31:24
気にするな、どうせ歴史はでたらめや。
真実は誰にもわからん。
238世界@名無史さん:04/09/13 18:10:37
>236
あれは非道いだろ、オリキャラずくしやん
239世界@名無史さん:04/09/13 19:53:09
>宮城谷の作品
信じるというより、考え方を参考にする程度かな?
夏〜周までの小説ってこの人の作品しか知らないので
240世界@名無史さん:04/09/14 05:14:54
>>236
史実5%、想像95%だからな
241236:04/09/14 13:04:20

いや、文王と太公望がであったときの設定で太公望は老人だったって
聞いてたけど、宮城谷作品では、すごい若い設定で出てきたので
「なるほどぉ、本当は若かったんだ!」なんて納得してたのに。
242世界@名無史さん:04/09/14 14:08:52
宮本武蔵も吉川作品が出る前は憎たらしい面の爺さんてイメージだったし
243世界@名無史さん:04/09/14 14:10:18
宮本が爺さんじゃなく、佐々木岩流の話な
244世界@名無史さん:04/09/14 14:54:15
>>243
江戸時代の画じゃあヒゲもじゃのおっさんにかかれてたな
燕がえしの人
245世界@名無史さん:04/09/14 15:05:14
江戸時代の本には武蔵を無三四と表記したのがよく見かける
岩流も岩柳とか
246世界@名無史さん:04/09/14 21:03:40
町人でも読みやすいようにしてるから、そういう風になる。
全相三国志平話なんかも、音だけの名前書きしてるからとんでもない名前のキャラがいたりする。
皇甫嵩→皇甫松 李粛→李宿とか。
247世界@名無史さん:04/09/15 02:43:18
明治以前は、音が同じなら違う漢字を使っても良かった。
漢字に対してあまり厳格じゃなかった。
今NHKで放送されてる新撰組だって、名前をいろんな漢字で書いてる。
例えば山南(さんなん、ヤマナミと読むのは誤り)は、三男などとも書かれてる。

中国では今でもそのルールが通用していて、例えば飛行機は、飛行机と書いたりする。
機と机が同じ発音で、書くのが簡単だから代用している。
248世界@名無史さん:04/09/15 11:53:52
殷周伝説について教えてください
249世界@名無史さん:04/09/17 21:11:25
横山光輝の漫画
250世界@名無史さん:04/09/17 22:09:42
音の借用は甲骨文字のころからの伝統だからねえ。
たとえば「夏」に「なつ」という意味はもともとない、
音を借りただけ。

だから、高島先生とかが「日本略字や簡体字で、音だけ
合わせて略字を作ると漢字として意味をなさない」
なんていう批判は、なんか今さら・・・っていう気もするな。
251名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/19 17:26:12
文王(周の太祖?)の伯父の太伯(名は不詳)は弟の仲雍と共に、荊蛮に移住して呉の始祖と
なったのは司馬遷の“史記”の記述の通り。
因みに呉と虞は同音だそうです。

今度は質問です。
@黄飛虎の子の天化と天禄は“殷周伝説”と“封神演義”は兄弟順が逆に
なってます。亡き横山氏に考えがあっての事ですか?
A妲己は紂王の末子などを生んだ、記述の書物とかはありますか?
252世界@名無史さん:04/09/19 18:35:08
@
黄天化は本来、泰山三郎っていう神様らしい。
でも、天禄は次男坊なんだよね、ただの横山先生の勘違いか?

A
無い。
253名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/19 19:36:42
>>252サンクス。

疑問的な質問。

@哪葬Bの父親の李靖は前半以降は全然登場してません。
 横山氏は李靖が嫌いなんでしょうか?
A南宮适や散宜生は“史記”でもその名は載ってますが、
 子孫はいるでしょうか?
B多少スレから逸れますが、楚漢期の河南王の申陽は太公望
 の姜氏の斉の遠縁筋に当たりますか?
254世界@名無史さん:04/09/20 02:17:04
>251
1 封神演義でも黄天化は長男ですが。横山先生は何も勘違いしてませんし間違ってません。
  殷周伝説は封神演義が原作ですが安能版は参考程度で原作じゃないんですが。
  本当に封神演義について知りたいのなら翻案の安能版以外も読んでください。
  というか以前紹介した電子テキストを本当に何だと思ってるんですか?
  今度こそ答えてください。
  だいたいタイトルからして封神演義じゃなく殷周伝説としてるのだから
  封神演義そのままじゃなくても別におかしくないじゃないですか。

>252
黄天化が死後、炳霊公に封じられるという設定は黄飛虎が東岳大帝、
聞仲が普化天尊に封じられるのと同じく封神演義の創作ですが。
255世界@名無史さん:04/09/20 03:04:49
たぶん質問してる人と答えてる人は同一人物なのでは?w
256名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/20 03:12:49
>>254
また気を悪くしたらスミマソン。
そのことは>>198に詳しくレスしてますが…。
どうしても、自分の趣向からずれてしまいます。ご容赦ください。
回答です)
亡き横山氏が“封神演義”を史実風に“殷周伝説”として
“太公望伝奇”として描いてると聞いているので、どうしても
“封神演義”と比較して根堀り的に質問したくなります。
要するに陳舜臣氏の“中国の歴史@”の影響が強く、“封神演義”
と“殷周伝説”と併せて包容的に参考したいと思ったからです。
横山氏の“殷周伝説”も多分陳舜臣氏の影響を受けて、漫画版の
“殷周の歴史”を著しているのではないかと…。
以前は本当の意味で回答しなかったのかも知れません。
こういうことなので、どうか理解ください。
257世界@名無史さん:04/09/20 05:11:37
>255
別に気を悪くしてるわけじゃないですが、質問の答えになってません。
以前に詳しく答えてもらってもいません。
安能版が翻案だといってる意味わかってますか?
だいたい翻案という言葉の意味わかってますか?
封神演義と比較したいなら封神演義と比較すればいいのであって、
翻案と比較する必要はないのに、いつまでたっても
安能版以外の訳書なり解説書などを読んで勉強してる様子がないので
何のために封神演義の原文の電子テキストを紹介したと思ってるのか
ということを質問してるのですが。

まさか安能版は忠実な翻訳だから原文なんぞ読む必要ないとでも思ってるんじゃないだろうな。
封神演義はたった文庫三巻でおさまる分量じゃないし、安能版の前書きにも
ちゃんと忠実な翻訳ではないとはっきり書いてあるぞ。
258世界@名無史さん:04/09/20 05:19:27
>256だった。
255さん、ごめん
259無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 09:15:43
>>257申し訳ない。詳しいレスサンクス。

>別に気を悪くしてるわけじゃないですが、質問の答えになってません。
>以前に詳しく答えてもらってもいません。
>安能版が翻案だといってる意味わかってますか?
>だいたい翻案という言葉の意味わかってますか?
 その“翻案”の意味は正直いってわかりませんデスタ。

>まさか安能版は忠実な翻訳だから原文なんぞ読む必要ないとでも思ってるんじゃないだろうな。
>封神演義はたった文庫三巻でおさまる分量じゃないし、安能版の前書きにも
>ちゃんと忠実な翻訳ではないとはっきり書いてあるぞ。
 初めて聞きました。原本は量がたくさんあるみたいですね。
 そのレスで初めてわかった事になるけど、三国志でいえば
 吉川英治版の“三国志演義”が羅貫中の原文である“三国志
 演義”の忠実な翻案ではないということですね。ワカリマスタ。

 辛口の忠告アリガトさん。でも明の時代に発表した原本は、専門の
 書籍か大きい図書館に行って探さないと、むつかしいかも…。
 またその、量も分厚そうなので、時間がかかると思うが。


260無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 11:43:25
>>257さんに宣言します。

現在のところ、“封神演義”の原本を読破してレスを議論
する能力は無いので、それは他の人に任せます。
自分は“封神演義”よりも、陳舜臣氏や漫画界の“司馬遼太郎”
ともいうべき、故・横山光輝氏のように淡々と歴史の“史実”を
記述している歴史物を自分で分析しながらレスを論じるほうが好き
であるし、またそれしか能力が無いから、これからそうします。
手間をかけてスミマソン。
261世界@名無史さん:04/09/20 12:27:53
横レススマソ。

> その“翻案”の意味は正直いってわかりませんデスタ。

辞書に出ている。調べれ。調べたら、

>三国志でいえば
>吉川英治版の“三国志演義”が羅貫中の原文である“三国志
>演義”の忠実な翻案ではないということですね。ワカリマスタ。

この発言が噴飯ものだということがわかる。

#飯食いながら見ていたのでほんとに噴いてしまったじゃないか。
262無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 12:29:48
気分を一新してレスの質問です)一切“封神”ネタは使用しません。

太公望は山東省出身ですが、この辺りには、孫武とその曾孫?の孫濱や
楽毅(山東の人?)や、諸葛孔明・太史慈・孫乾(孫濱の子孫?)と東晋の
王導などの様々なジャンルの優れた人物を輩出してますね。

これらの人物は、ある意味太公望の恩顧を受けていますか?
263世界@名無史さん:04/09/20 13:23:55
糞スレか。
264世界@名無史さん:04/09/20 14:07:48
>>262
ちゃんとググった?それぞれの名前で○○の人というのを調べたほうがいいんじゃない?
265無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 14:33:52
>>264
そうですね。調べます。
そして、質問レスをしまふ。
266世界@名無史さん:04/09/20 15:40:42
>>263
元ネタが講談物だからな
267世界@名無史さん:04/09/20 15:48:20
> 故・横山光輝氏のように淡々と歴史の“史実”を記述している歴史物を

わはは。NHK大河ドラマ見て歴史を学んでるつもりの人と同じだな。
268世界@名無史さん:04/09/20 17:33:30
小生は、ある会社に勤めているものなんだが、
横山氏の“殷周伝説”や“史記列伝”はビジネスで
参考になる部分が多い。横山氏の博学ぶりや人間の
複雑な描写には乙!
269世界@名無史さん:04/09/20 17:50:58
>歴史物を自分で分析しながらレスを論じるほうが好き

文学板逝け。
270世界@名無史さん:04/09/20 17:52:32
あ、間違った。漫画板逝け、だった。
271世界@名無史さん:04/09/20 18:52:32
> 横山氏の“殷周伝説”や“史記列伝”はビジネスで参考になる部分が多い。

雑誌プレジデントや堺屋太一でも読んでて下さい。
272よろずこ:04/09/20 22:35:49
宮城谷の太公望は若すぎる
と思う。

たまにはいいかも。
273世界@名無史さん:04/09/21 17:16:09
とりあえず、大修館書店から出てる二階堂善弘氏の「封神演義の世界【中国の戦う神々】」を読むといいよ。
あと、集英社文庫の封神演義
274世界@名無史さん:04/09/24 00:39:51
このスレにやけに詳しい人がいますが

戦国獅子伝
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1095937353/l50

こちらのスレの住人ですか?
275東呉華亭の民兵さん:04/09/26 18:11:03
今日、単行本18巻を購入しました。
特に太公望が水関の司令官である
韓栄の二子である韓昇・韓変兄弟を
捕虜にして、南宮活に容赦なく二人の
青年武将を酷刑したのは少し胸が詰まり
ました。そして父・韓栄の投身自決も…。
やはり、太公望は冷徹な政治家ですね。
以上です。
276東呉華亭の民兵さん:04/09/26 18:32:30
>>275.ですが。
新単行本を見て感じましたが、
晩年の横山氏はあの陳舜臣氏の
影響を受けているなと感じるの
は自分だけでしょうか?
277世界@名無史さん:04/09/26 20:44:47
マンガの話はマンガ板でやってください
278世界@名無史さん:04/09/27 01:33:19
アンチのつけようがなくなったからって、そんな事いうなよ。
279世界@名無史さん:04/09/27 07:46:00
でも実際マンガネタを世界史板で語られても困るしね
280世界@名無史さん:04/09/27 08:03:49
漫画板にいって歴史の話をするとひどい目にあうそうだから、許容したら?
小説ネタならずっと前からあるんだし
281世界@名無史さん:04/09/27 14:59:45
太公望が釣り人の別名となった出典は「春秋」なのですか。
282世界@名無史さん:04/09/27 15:56:49
>>275-276 は歴史の話ではなくて単に感想を述べているだけでは。
283世界@名蕪史さん :04/09/30 00:06:03
(´・ω・`)ショボーン
  
   誰もいない・・・

へ ん じ が な い

   た だ の ほ う ち す れ の よ う だ・・・

284世界@名無史さん:04/09/30 00:18:42
すぐに反応を期待してはいけない。
285世界@名無史さん:04/10/01 21:50:19
たいこうぼう ―ばう 【太公望】
(1)〔周の文王が、渭水で釣りをしていた呂尚(りよしよう)を見て、「吾が太公(祖父、古公亶父(ここうたんぽ))、子(し)を望むこと久し」と言ったという「史記(斉世家)」の故事から〕呂尚の尊称。


(2)3 〔(1)の故事から〕釣りをする人。また、釣り好きの人。

286世界@名無史さん:04/10/10 01:43:39
おはよう
287世界@名無史さん:04/11/12 07:14:29
どうも歴史の素養のないやつが多いな。

横山伝説をもとに
>やはり、太公望は冷徹な政治家ですね。
とか言われると腰くだけそうになる。

封神演義や横山伝説のキャラで、実在の可能性の高い人物と後世の作りである人物を
ちゃんと整理してやれよ。
288世界@名無史さん:04/11/28 14:55:31
>>287
太公望は実在の人物だぞ。
史実では封神演義に描かれている以上に冷酷で残虐だった。
289世界@名無史さん:04/11/28 16:57:01
>>288
よく読め
 
別に>>287は太公望が実在してないなんて書いてないぞ
290世界@名無史さん:04/11/29 16:55:48
NHKラジオドラマ 青春アドベンチャー 封神演義
聞いた?
第一部〜第三部まである
すさまじい超大作だよ。
291世界@名無史さん:04/11/29 16:58:43
>>290 声優
姜子牙‥‥石橋蓮司
申公豹‥‥壤晴彦
黒点虎‥‥吉野悠我
元始天尊‥‥仲谷昇
白鶴童子‥‥大山のぶ代
雲中子‥‥田の中勇
女カ御前‥‥北浜晴子
妲己(千年の女狐)‥‥増山江威子
石琵琶‥‥柳沢三千代
ナタク‥‥野沢雅子
紂王‥‥藤岡弘
妲己‥‥増山江威子
黄飛虎‥‥大和田伸也
聞仲‥‥大友龍三郎
費仲‥‥八奈見乗児
尤渾‥‥永井一郎
比干‥‥前田昌明
姜貴妃‥‥高橋かすみ
殷洪‥‥松野太紀
張桂芳‥‥糸博
風林‥‥亀山助清
姫昌‥‥矢田耕司
伯邑考‥‥田中健三
姫発‥‥李ちょんほ
散宜生‥‥並樹史朗
武吉‥‥山崎銀之丞
宋異人‥‥熊倉一雄
語り‥‥川久保潔
292世界@名無史さん:04/12/01 21:37:42
昔聞いたなぁ
293世界@名無史さん:04/12/14 20:48:25
商の名宰相伊インって実際したの?
294世界@名無史さん:04/12/14 20:55:09
>>293
卜辞に出てくるから、少なくとも殷代後期には実在の人物と
されていた。本当に実在したかどうかまではわからんが、
殷代以降の創作でないことは確か。
295世界@名無史さん:04/12/17 01:47:37
神様という説と、巫の説がある
296世界@名無史さん:04/12/19 02:32:02
伊尹

リオン?
297世界@名無史さん:04/12/20 10:13:59
藤原伊尹
298世界@名無史さん:04/12/30 19:36:14
十二仙の中に階級があり、道徳真君が一番下っ端で動向天尊が一番上ってネットで見たが本当?
そういうこと書いてる書籍とかある?
299おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/12/30 20:12:23
>298
ここは史実の殷周革命について語るところのように思いますんで、
封神演義の話はスレ違いのようにも思いますがお答えします。

基本的に道教の神々というのは中国の官僚制の模倣ですから
序列は当然あります。
一応、教団道教成立以前から楚国に於いては太乙を第一神として
祀って居ますから、普通に考えれば太乙が一番上だと思うのですが、
何故か封神演義第61回に於いて「(文殊は)十仙の首、蟠桃に會赴す」などと
書かれており、文殊広法天尊(釈迦の弟子で夭折した
マンジュシリー【文殊菩薩】がモデル)が筆頭だということになっています。
なんでインド人が中国の仙人の頭目になってしまうのか、
さっぱり分かりませんが、
そもそも封神演義の作者たちは宗教に対して理解が窮めて浅く、
道教と仏教をゴチャゴチャにしているありさまですので仕方ないでしょう。
300世界@名無史さん:04/12/30 21:05:59
殷末期、当時の中国大陸には殷・周・楚(長江流域)、そして蜀(四川)の四大勢力がありました。
その中で抜きん出た力を持っていた殷を他の三国が(周を盟主として)滅ぼしたのが真相。
だから蜀はその後も周王朝から黙殺され続け、楚はいち早く王号を名乗って独自性を強めました。
301世界@名無史さん:04/12/30 23:46:20
>>298
そもそも封神演義の作者たちは宗教に対して理解が浅い以上に
歴史に対しても理解が浅いから教団道教成立以前の楚国においてのことなんて
知らないと思う。そりゃたしかに太乙(太一)は北極星の神格化で
本来なら最高神だったはずだけどね。
>>297
というかマルチポストやめろ。自分で調べろ。
302世界@名無史さん:04/12/30 23:52:29
すまん。レスのリンクを間違えた。
297氏とおぎまる氏すまん。
303世界@名無史さん:04/12/31 17:21:41
文王の長男の伯邑孝ってどれが字でどれが名なんでしょうか。
304怨霊 ◆SHUZENU4Yk :04/12/31 17:27:19
>>296
箭疾歩?
305世界@名無史さん:04/12/31 20:13:42
>>303
>>156>>158で既に回答済になってるよ。
このスレ最初から呼んだほうがいいかも。
字はわからないけど。
306世界@名無史さん:04/12/31 20:20:06
あるスレをみると、伯は正妻の長男に名付けられ、
孟は妾の長男に名付けられるケースが多いらしい。

ただ、必ずしも孟伯が長男以外でもつけられるケースもあるから、
要注意したほうがいいかも。
307世界@名無史さん:04/12/31 20:41:59
>>306
曹操は孟徳だけど、庶子だったの?
308世界@名無史さん:04/12/31 21:25:46
>>307
曹操は、正妻(丁氏?)の息子っぽいけど、長子かどうかは、
判断はできないというか、特定は不可。
甥の曹安民が兄か弟の息子か極めて曖昧な感じもするし。
309世界@名無史さん:04/12/31 21:41:52
>>308
レスどうもです。
「安民」っていうのは字なんだろうか・・・
310おぎまる ◆JJi5gOTcvk :05/01/03 23:32:10
孟が庶長子の字というのは白虎通義の説らしいですが、
あんまりまもられていない法則みたいですね。
311世界@名無史さん:05/01/04 01:12:18
「まもられていない」ということは
嫡長子でありながら「孟」を字にもつ人物が資料上で複数確認できると言うこと?
312世界@名無史さん:05/01/12 22:51:00
横山光輝の殷周伝説って、全部で何巻あるんですか?
313世界@名無史さん:05/01/12 23:20:21
>>312
多分、全22巻だろう。
314世界@名無史さん:05/01/15 00:02:17
殷王朝時代から、すでに最高君主=天子だったわけね。
もしくはペルシャで言う所の「諸王の王」的な存在か。
315世界@名無史さん:05/01/15 01:35:42
>>310
趙盾や趙武は、「孟」じゃなかった?
316世界@名無史さん:05/01/25 03:10:54 0
最終巻の発売日キター
317世界@名無史さん:05/01/25 15:07:25 0
えっ、今日22巻発売されるの?
318世界@名無史さん:05/01/25 17:16:38 0
最終巻読んだ。
韓信・・・
319世界@名無史さん:05/01/25 20:02:47 0
未だに横山光輝死去がショック。
22巻読んで改めて思ったよ。
もう新作は読めないんだよね。
320世界@名無史さん:05/01/25 20:15:30 0
あーやっぱ記憶違いだったか
他の金タと木タが活躍したのを勘違いしたかな
321世界@名無史さん:05/02/09 17:59:57 0
まさか最後で鉄人28号が出てくるとは思わなかった
これをパクった藤崎竜封神演技で 巨大ロボット系のキャラ出てたけどね

>>318
あれは 京劇やコントとかで出てくるほうの話だよね
実際の史実のほうを史記で読んだ後だと なんか悲しい
322世界@名無史さん:05/02/09 18:04:09 0
>>319
古代中国の歴史

股 周 戦国 秦 楚 漢 三国 普
(股周伝説 史記 項羽と劉邦 三国志)

あれ? 春秋は? 孔子の春秋は?
何か言ってくれよ 横山先生〜!?
(ToT)ノシ
323世界@名無史さん:05/02/20 18:16:47 0
殷周伝説が知りたいとな 



殷周伝説はアレだ
プライベートライアンの拡大版だ
1人の姫姓の人間を助けるんだ解ったか?諸君。
324世界@名無史さん:05/02/20 23:41:37 0
殷周伝説は、封神演義の魔法や超能力的要素を可能な限り抑えて描いた作品。

でも皮膚の色を自在に変化させるロデム男にするなら、
穴掘り名人のままにしといた方が良かったと思うがな。
325世界@名無史さん:05/02/21 22:13:12 0
西周の大陵墓 「殉葬の風習なし」研究責任者が講演
 昨年5月に、中国陝西(せんせい)省岐山県の周公廟遺跡で発見された約3000年前の中国古代王朝、西周の王墓クラスの大陵墓遺跡の発掘調査をしている北京大考古系調査隊の責任者、徐天進教授が19日、金沢大で開かれた「中国考古学フォーラム」で講演した。
 殷代にみられた殉葬の風習が同遺跡では見いだせないなど文化史的に注目される報告をした。
 同遺跡では、極めて身分の高い人物のものとされる大墓が22座確認されている。同大は陝西省考古研究所などともに、このうちの2座を昨年10月から発掘した。
 徐教授によると、大型の石磬(せっけい)(石製打楽器)、玉器類に加え、770片もの甕(かめ)器の破片が発見された。
 儒教では、周は「理想の国」とされており、支配者が亡くなった時に配下が後を追う殉葬の風習があるかどうか、調査結果が注目されていたが、徐教授は「殉葬者とみられる人骨は全く発見されず、殉葬の風習のなかった可能性が高い」と述べた。
【荒井魏】
(毎日新聞) - 2月20日10時17分更新
326世界@名無史さん:2005/03/27(日) 00:55:40 0
327世界@名無史さん:2005/04/11(月) 00:26:35 0
328世界@名無史さん:2005/04/27(水) 01:09:51 O
ほしゅ
329世界@名無史さん:2005/05/15(日) 12:31:12 0
 ┏━┓┃┏━┓  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       ┃      │  我が名は饕餮!彝器に我が尊顔を見出した
  ●   ┃   ●  <  る者、おそれおののきひれ伏すがよい!
       ┃       \___________________
330世界@名無史さん:2005/05/24(火) 17:51:10 0
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=FLASH

西周王墓発見か 中国の古代王朝
【17:46】 【宝鶏(中国陝西省)24日共同】中国陝西省文物考古研究所は24日、同省宝鶏市の「周公廟遺跡」で
昨年5月に見つかった古代王朝、西周時代(紀元前1046年−同771年)の大型墓群について
「周王家か重臣の周公一族の墓群とみられる」と発表した。

331世界@名無史さん:2005/05/24(火) 19:08:46 0
>>330
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=main&NWID=2005052401002701
未発見の西周王墓か 中国陝西省、周公廟遺跡

【宝鶏(中国陝西省)24日共同】中国陝西省宝鶏市の「周公廟(びょう)遺跡」で昨年5月に見つかった古代王朝、
西周時代(紀元前1046年−同771年)の大型墓群について、同省文物考古研究所と北京大学は24日、
発掘調査結果を外国報道機関に初公開し、「周王家か重臣の周公一族の墓群とみられる」と発表した。
西周時代の王墓と確認されれば、初めての発見。西周は封建制度や儒教を重視する礼楽体制を定め、
中国の政治的、文化的基礎をつくった王朝で、中華文明の起源を解明するうえで一級の遺跡として注目を集めそうだ。
周公廟遺跡は、西周王朝の遺跡とみられる。
発表によると、遺跡の山の斜面約15万平方メートルを探査し、大型墓22基を確認。
うち10基は西周時代の墓では初めての4つの墓道を持つ王墓級のものだった。
4つの墓道は前代の殷の王墓や後代、秦の始皇帝の祖先の墓に例があり、王墓の証しとされる。
332世界@名無史さん:2005/05/24(火) 20:29:33 0
>>322
俺はよく知らないんだけど、最近では股って呼んだりするの?
333世界@名無史さん:2005/05/26(木) 06:46:39 0
周王墓より周公墓だったほうが面白いなあ・・と期待。
西周諸王より周公旦以下の周公のほうが謎につつまれてるじゃん。
334世界@名無史さん:2005/05/26(木) 09:17:53 0
召公とかな
335世界@名無史さん:2005/06/17(金) 18:16:48 0
ほう
336世界@名無史さん:2005/06/18(土) 05:01:50 0
ようやく光輝さんの読み終わったんだけど
平定後どうなったの?
黄家だいぶ死んだんだから領土もらえたんでしょ?黄飛虎の弟とか生き残った2人の息子とかどうなったの?
辛甲、辛免、洪錦とかどうなったの?
ギホンとか雷しんしとか最後らへんで関の援軍で来たけど裏切って仲間になったトウコン、ゼイキチとか
敵方のインハバイとか
マジ気になる。
誰か教えて。
337世界@名無史さん:2005/06/18(土) 18:54:43 0
全員封土をもらえた。
338世界@名無史さん:2005/06/19(日) 02:21:59 0
>336
そのなかで史実の人物、辛甲しかいねーじゃねえか。
(墓とか金文で存在が確定してるかどうかは知らんが。)

釣りじゃなければまずだれが武王伐紂平話や封神演義みたいな
後世の小説の創作かそうじゃないか調べろ。
339世界@名無史さん:2005/06/23(木) 20:52:24 0
黄飛虎むくわれねぇなぁ・・・。
340世界@名無史さん
中国か台湾で映画かテレビドラマにされたことあるのかな?
このあたりの時代って。
封神演技はおいても他にあるだろうか?