ハンガリーについて III

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1ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI
マイナーですが興味深いハンガリー史について語りましょう。
2_:03/07/01 01:51
3ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/01 01:53
前スレはこちら
ハンガリーについて(・v・)!II
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1011292528/-100

関連スレッド
ハンガリー語ってどうよ?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/993899399/l50

▼▲☆ハンガリー総合−2☆▼▲
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1053600561/l50
4ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/01 01:57
最初のスレッドがどこに行ったか不明です。
過去ログ倉庫のどこにあるかご存知の方、恐れ入りますがご教示ください。
5世界@名無史さん:03/07/01 02:27
ハンガリーについてのスレです。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/998207834/
http://mentai.2ch.net/whis/kako/998/998207834.html

これですかね?
6_:03/07/01 03:39
7永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/01 05:13
>>1
新スレ立てお疲れ様です。
8カレス ◆AUvFvohlXU :03/07/01 21:38
ヤーノシュさま
1000ゲットオメ&新スレオツでし!
また、いろんな方の書き込みが楽しみです。
(私はほとんど貢献できない分野で…スマソ)
>7
そういえば今日「ブラド・ツェペシュ」に関するTVをやってましたが
イスクラは登場してましたか?

10世界@名無史さん:03/07/01 23:00
ヴラドを逮捕した人でしたっけ?
そうです、マーチャーシュの命でブラドの援軍として出撃しています。
で、王の密命でブラドを逮捕しています。
>7
よろしければ何処のスレにプロコプのことについてお書きになったか
ご教示願えませんか?
13世界@名無史さん:03/07/03 02:22
歴史上の人物をコーエー風数値化するスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1054824463/943-
14世界@名無史さん:03/07/03 02:23
歴史上の人物をコーエー風数値化するスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1054824463/923-
でした。スマソ。
>14
感謝です・・・って見られないのが悲しいです・・・。
16ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/12 01:09
>7
前スレでもちょっと書きましたが、ターボルの残党と思しき人物としては
コショフのペトル・アクサミットという人物がいます。
彼は、ターボル近郊の村の小貴族出身と言われます。
イスクラが北部ハンガリーで勢力を増していく課程で合流したようです。
彼は、だんだんイスクラに従わなくなり、独自に略奪行為を行うような
存在になっていきます。イスクラが一時的にスロバキア地域での支配権
を失った時に喰い詰めた兵を糾合し大勢力となりました。
結局、イスクラが戻ってきても、この状態は解消しなかったようで、ヤ
ノシュ・フニャディと4度戦って一度も負けずという強さはイスクラ軍
に戻らなかったようです。
アクサミットの勢力圏は恐らくスロバキアのポーランドに近い地域だっ
たと思われますが、イスクラ軍の大拠点であるスピシュ城からそう遠く
もない場所にアクサミットに属したと言われる城のあとがあったりし
て両者の関係がどんなものだったのか興味があるところです。
17永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/12 02:13
>>16
プロコプについて書いた文章の下書きを保存してありますが、
こちらのスレに転載しましょうか?
「プロコプの視点から見たフス戦争」といった感じの文章で、
しかも歴史的人物をコーエー数値化しようという企画の一環ですので、
激しくスレ違いにはなりますが。

プロコプはドイツの人ですが、活躍したのはベーメンで、
ハンガリー史との関連といえば、
ルクセンブルク家最後のハンガリー国王ジギスムントをさんざん苦しめたのと、
ハンガリー北部の都市を灰塵に帰したぐらいしかないので、
ここにアップするのは、おかしいような気もするのです。
18ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/12 02:35
>16
まぁ、マイナースレですし、ハンガリーの歴史と関係ない訳ではないと
は思いますが・・・。

フス派の傭兵というとヤノシュ・フニャディの軍団にもいたようですし、
スロバキアにいた連中の一部はマーチャーシュ王即位の時のシラージ・
ミハーイの軍事行動に加わった者もいたそうです。

ジギスムントと言えばなぜか、死後埋葬されたのはナジ・ヴァラード
(今のオラデア)の聖堂でした。奥方でハンガリー女王だったマリア
がここに先に葬られていたためだとは思いますが、故国とも、帝都と
もずいぶん隔たったところに埋葬されたものです。何か事情があった
のか知りたいところですが・・。

19世界@名無史さん:03/07/12 02:46
日本史にペリーとかマッカーサーとか出てくるのと同じようなものでは?
20山崎 渉:03/07/12 12:36

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
21ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/13 13:47
>19
直接の被害は北ハンガリー(今のスロバキア)だけなんでしょうが、
フス戦争でジギスムント王が忙殺されたことが、バルカン方面での
対オスマン帝国戦を制限したとは言えると思います。
ジギスムント王がそれに集中できたとして、オスマンの侵攻を食い止
められたのか、あるいは多国籍軍ゆえに行動が統一できず、ヴァルナ
戦の失態を繰り返す破目になったのか、それは神のみぞ知るところで
しょう。
22世界@名無史さん:03/07/13 14:08
ヤーノシュさんってひょっとしてハンガリー大使館関係者?
23O塚:03/07/13 14:25
24ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/13 20:15
>22
まさか!ただの歴史好きの素人ですよ。
25 ◆z3kTlzXTZk :03/07/14 03:09
>>22
 ギシュクラ氏の正体は,太古の旧(pam!


 ところで,オーストリアのハンガリー支配への抵抗運動は
コッシュート・ラヨシュの臨時革命政府が最後なんですかね?
 セルビアがオーストリア皇太子暗殺を起こすなど、20世紀に入っても抵抗運動を
続けているのに比べ,諦めが早いような…….
>25
軍事スレからの来訪ですな。
で、ハンガリーの抵抗運動ですが、エルジェーベト王妃の活躍
なんかもあってハンガリーサイドの言い分が認めれて、この後
に二重帝国化していきます。ですので、コッシュート達の独立
戦争のような形のものはありません。
二重帝国内でのハンガリー政府は帝国内で我を通し、ハンガリ
ー領内の他の民族にマジャール化を強要しようとし、スラブ人
の願う三重帝国化を妨害するというような状態を引き起こして
いくことになります。
その後のハンガリーの災厄はこの時播いた種が大きく育った結
果と私なぞは思ったりします。

コッシュート自身は諦めが悪くて、いろいろと策動しましたが
実りませんでしたね。
明治時代の東海散士の「佳人の奇遇」という小説にこのころの
コッシュートが登場します。友人が所蔵しているので、見せて
いただいたことがありますが、旧カナは苦にならないにしても
地名人名が当て字で読むのを断念してしまいました。

27世界@名無史さん:03/07/14 23:57
リスト得意のソリストがリストラされて客演リストから外れた
28山崎 渉:03/07/15 12:28

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
29ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/15 22:07
>27
座布団一枚!!ですね。
30世界@名無史さん:03/07/15 22:11
マジックマジャール伝説も今は昔だな・・・
>30
ハンガリー動乱で主力選手が亡命してしまったのでしたっけ。
(プスカシュ選手等)
今のハンガリーのサッカーはお世辞にも強いとは言えませんね。
32世界@名無史さん:03/07/15 22:57
皇妃エリザベートの直系の玄孫の、マクシミリアンロートリンゲン君
ネットで画像は無いけど、テレビで見たら超美形だった 去年では16歳だった
影のある目の潤んだ薄幸の美男子で、エリザベートの自殺した長男に
そっくりでした。長男の写真と自画像見たけどそっくりだね。
100年経ってもあんなに似てるのはすごい
叶姉妹の妹がおっぱい丸出しの衣装で挑発してたけど、マクシミリアン君は
眼中に無くて、必死にエリザベートの後を継ぐという大事な任務を
誇り高く喋っておられました
あーーー、もう一回顔見たい
きっと、いいなづけがいるんだろうなー
でも背は低かったよ そこはエリザベートに似なかったんだね
33ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/15 23:33
>32
見そびれました。オットー大公のお孫さんでしょうか?
社交界などに行かれると超絶的な美女がおられますの
で、叶姉妹程度では相手にされないのでしょうか。
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
35世界@名無史さん:03/07/19 00:53
??
ハンガリーと何の関連があるんだ?
36世界@名無史さん:03/07/19 01:05
ただのコピペです。モナ板にも投下されてて呆れた。
37ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/19 23:23
あちこちで見ますね。
トプカプ宮殿を紹介する番組をやっていたので見てましたが、
破竹の快進撃のオスマン帝国軍をフニャディ・ヤーノシュは
よくベオグラードで敗ったもんです。この時負けていたら、
ウイーンくんだりまでトルコ領になったかも・・・。

ところで、大砲を作ったウルバンの名前はよく聞きますが、
その後の彼がどうなったかというのは伝わっているのでしょうか?
38世界@名無史さん:03/07/20 05:02
フニャディ・ヤーノシュはあだなが格好良い。
「白の騎士」
39世界@名無史さん:03/07/20 06:11
>34
殺すぞお前。
>38
それって当時あった綽名なんでしょうか。
アルバ・ユリアの彼の墓所の像はイタリア式の甲冑を
身にまとった姿です。銀色に輝く甲冑だったのでしょ
うか・・・。

>39
相手になさいますな。
41世界@名無史さん:03/07/21 14:06
アジア系というけど顔がどう見てもコーカソイドなのはなんで?
アジア系というのはつまりはトルコ系という意味で使われているの?
ハンガリー万歳!くたばれオスマン帝国!
43世界@名無史さん:03/07/21 14:16
アジア系マジャール人
44世界@名無史さん:03/07/21 15:42
>>42
しかしあんた、まともに話出来るのに最初の一言はいつも極端だな。
45世界@名無史さん:03/07/21 16:37
>>41
おいおい「アジア系」と「モンゴロイドもしくは黄色人種」をごっちゃにされては困るなあ。
そもそもアジアにも西アジアを始めコーカソイドは一杯いるだろ。

ハンガリーやフィンランドの「アジア系」というのはあくまで、アジアから来たコーカソイドという意味。
46世界@名無史さん:03/07/21 16:39
>>45
どうも
すごくよくわかったよ
47 ◆z3kTlzXTZk :03/07/22 00:12
>26
 ご教示いただきありがとうございます.
 しかし少数民族へのマジャール化政策は,もっと前からでは?
 例えば,
1848年9月には,ハンガリー政府に対抗するクロアティア人・スロヴェニア人の
武装勢力がハンガリー本土に侵入したり,
1848年10月の,ウィーン政府がハンガリーに対して宣戦布告した際には,
マジャール化政策に反発していた少数民族はウィーン政府についた
と聞きましたが.


 余談.貴腐ワインとラーコーツィ二世が関係しているとは知らなかった.
ttp://e-wine.suntory.co.jp/selection/yamada/05yamada.html
48ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/28 01:05
>47
おっしゃる通りかと思います。マジャール語を強制する言語法
の成立は1843年5月の成立です。
一番、これに反発したのが、古くからの王国の伝統を持つクロ
アチアでした。
ハンガリーに革命政府が成立したとき、クロアチア総督のイエ
ラチッチ将軍はウイーン宮廷と結びつき、クロアチア王国をハ
ンガリー王国から切り離そうとしましたが結局、ウイーン側に
利用されただけという結果になりました。
お書きになっておられるのはイエラチッチのクロアチア軍がハ
ンガリーへ侵攻した際の話ですね。
スロバキアやトランシルバニアでもハンガリーの革命政府が成
立しとき、少数民族は自言語の使用を求めましたが、政府はこ
れを退けています。

後年ドナウ連邦構想を言い出すコッシュートですが、この当時
はマジャールしか見ていなかったようで・・・。
フランスにいた、ポーランドの亡命政府のチャルトリスキ伯爵
はコッシュート達とイエラチッチを結びつけようとしたそうで
すが、双方の考えがまとまることは無かったのでした。

ラコーツィ・フィレンツ2世の本拠はトカイ地方で今も彼ゆか
りのワイン醸造所があります。
彼はハプスブルグ家の背後を突くためにルイ14世に利用され
たようなもので、後にフランスに亡命し、さらにトルコへ逃れ
再起を図りましたが、同地で客死しました。

因みに、彼にくっついてフランスへ逃れたマジャール騎兵がフ
ランス軽騎兵の元祖になります。
49某クロアチア人:03/07/28 01:36
>42
ハンガリーに支配されるくらいなら、オスマンのほうがまだましだ!
50ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/29 23:49
>49
どこかで聞いたような台詞なんですが、誰でしたっけ・・・。
51消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/08/03 03:23
>>48
 毎度レスどうもです.

 イエラチッチはクロアチアでは広場の名前になってますね,確か.

 これを見ると,フランス革命の余波でハプスブルク家勢力圏では,ほうぼうで
ガタガタしていたようですから,そういうハンガリー国内の民族対立がなければ,
完全独立を勝ち取っていたかもしれませんね.

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/8541/kenkyuu2-11.html

 あるいはもう暫く力を蓄えておいて,ナポレオンと結びつくことができたなら.
52ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/08/04 01:24
>51
ザグレブですね。週末にはクロアチアへ行きますが、ザグレブは少し
立ち寄るだけでしょう。
ズリーニ家の本拠地オザリ城とか、ズリーニが戦死したシゲトヴァー
ルへは行くつもりですが・・・。
53世界@名無史さん:03/08/04 19:57
ドイツから車でハンガリー行った。
思ったほどたいしたことなかった。
金の無駄だった。

おわり。
54ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/08/05 00:09
>53
城とかを見られるならドイツのほうがいいでしょうね。
ハンガリーの場合はラコーツィ戦争の後で主だった城
が破壊されたりしてますから。
ハンガリー王国時代の城を見ようと思うとスロバキア
やトランシルバニアの方が残っているでしょう。

まぁ、金の無駄ということに関してはご愁傷様としか
言いようがないです。

55カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/05 03:57
>>53
世界史板ですから、旅行の愚痴をいうなら、
もう少し考えた内容がよかったですね。

>>54
数年前にハンガリーの城っていう写真集を買ったんですよ。
(宮殿や単なる館も含みますが)
掲載数としても、また保存状態の良い見ごたえのあるものも、
半数以上がスロヴァキアやルーマニアやクロアチアにある城や館なので、
実際は、ハンガリー史上のハンガリーの城なんですけどね。
今のハンガリー国内には残っているのは、
この手の写真集にのらないようなのが多くて、ちょっと物足りないです。
歴史にもっと興味があれば、それはそれで見る価値もあるんでしょうね。

ドイツといえば、ロマンチック街道沿いの城とか、古城街道とか
いつか車で移動しながら観てみたいです。
あとフランスのロワール古城巡りとか、行ってみたいなあ。
56ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/08/05 13:18
>55
3冊構成のマジャール語の太い本ですか。
私は英文の「ハンガリーの城」「ハンガリーの宮殿」
という写真集を持っています。
城に関して言えば旧王国の城でまともに建物が残って
いるのはスロバキアが多いのでは。
コシュツェからブダペストへ帰る道すがらいくつも保
存状態の良い城を見ました。時間がなくて見学できな
かったのが残念です。

廃墟になった城も、変に復元されているより、趣があ
って私は好きです。イスクラの居城の一つだったゾー
ヨム(現ズボレン)城なんかは建物はちゃんと残って
いるのですが、内部が完全に博物館に改装されてしま
って興ざめも甚だしかったです。


57カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/06 00:27
最近は似たような写真集が出てるので、ちゃんと出版データをチェックしないと
わかりませんねえ。私のは、
文章は短い解説がハンガリー語と英語とドイツ語の三ヶ国語です。
58ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/08/06 01:01
>57
3冊揃いはマジャール語だけで、しかも写真集というより学術本
といった趣の本でした。マジャール語が読めないので買いません
でしたが後から思えば買っとけばよかったかも・・・。

今度、ブダペストに行った時にヴァーツィの本屋で仰っておられる
本を探して見ます。
59カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/06 03:58
>>58
そういえば、19世紀か20世紀初頭かわすれましたが、
その頃出版された、やけに装丁もきれいな本を買ったんですよね。
ハンガリーに関する歴史と地理の本かなあ…
マジャルオールサーグ上下巻+エルデーイの巻、三冊一組みです。
知人のハンガリー人日本語ガイドで、古本マニアがいて
状態のいいのがまとまってアンティーク屋さんにでてるからと、
勧められて買いました。全然読んでないけど…
もちろん写真集じゃないですが、絵はアンティーク趣味で気に入りました。
60ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/08/06 23:40
カレスさま
うらやましいです。よく宿泊するピルバックス・パンジョーというホテル
の隣が古書店でウインドゥによくそういった挿絵の載った本が並べられて
います。欲しいなぁと思いますが、なかなかそこまで手が回りません。
61カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/07 18:23
ヤーノシュ様
ピルバックスが定宿ですか。私は中をみたことないのですが、
中の様子やサービスレベルなどはどうですか?(板違いですね…)
古書店なら、ムーゼウム環状道路の五区側(アストリアからカルヴィン広場)に
たくさんあって、ショーウィンドーに古い地図や古書が並んでますね。
62ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/08/07 23:59
中は小奇麗ですが、エレベーターが無いのが難点ですね。
スタッフは親切で気持ちがいいです。
以前はネムゼッティに泊まることが多かったのですが、
周囲の環境がいまいちなもんで・・・。

さて、クロアチアへ行ってきます。
シゲトの英雄、ズリーニ一族の居城や、ラヨシュ1世
の死後の混乱の中でエルジェーベト王妃と娘のマリア
(女王、ルクセンブルグ家のジギスムントと結婚)が
幽閉されていた城とかを見る予定です。
63カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/09 02:05
ヤーノシュさま
いってらっしゃませ。ご報告を楽しみにしています。
64世界@名無史さん:03/08/16 18:26
ハンガリー・スロバキアの関係はどうなったのですか?
65世界@名無史さん:03/08/16 18:28
最悪。
66カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/16 19:13
>>65
ハハハ…
同時にEU加盟するので、経済協力とかの話ありませんでした?
中央政府だけじゃなくて地方でもなにか始まるようなニュースがあったと
思います。ルーマニアとの関係よりはましかと…

そういえばスロヴァキアがEU加盟に大きく前進したのは
国内少数派のハンガリー系政党からも閣僚を出したりとか、
民主化の努力が認められたからじゃなかったでしょうか?
67世界@名無史さん:03/08/17 02:13
どちらもヴィシェグラード条約(小さいECみたいなもの)の加盟国だが、
その中で最も関係が希薄なのがハンガリー−スロバキア関係。
次にチェコ−スロバキア関係。
たの構成国であるハンガリー・ポーランド・チェコの三国の関係は良好だが、
そのなかでハンガリーは政治的に一歩遅れているか?
投資の誘致ではまあまあのパフォーマンスだが、たしか現在インフレ率が
ヴィシェグラード諸国の中でハンガリーだけとびぬけて高くて(約7%)
EU加盟をまたいで大胆な金融引き締め政策が待っているのが当面の大問題といえる。
68世界@名無史さん:03/08/17 12:49
ハンガリーは曲がりなりにも列強になった時期もあったね。
69世界@名無史さん:03/08/17 15:26
オーストリアもハンガリーも対等に扱ったアリア・テレジアをハンガリー国民は敬愛してるとか
70世界@名無史さん:03/08/17 15:59
>>68
オーストリア・ハンガリー二重帝国の場合、
イングランド・スコットランドの関係と同じく同君連合でありながら
ハンガリーはオーストリアに従属する関係にあったから、
実質的にはハンガリーが列強だったのでなく、オーストリアが列強だった。
マリア・テレジアのそれは、ハンガリー人も同じカトリック教徒であるという宗教的観点と、
帝国維持のためハンガリー人を懐柔する策としての政治的な目的があった。
後者の策が現在にも生きているという面がある。
同様の二重目的は娘を嫁がせるという方法でフランス王国に対しても向けられた。
>68
アンジュー王朝時代のカーロイ・ローベルト王、ラヨシュ1世の時代
あるいは少し時代が下がったマーチャーシュ・コルヴィヌス王の時代
は中欧の強国と言えたでしょう。
二重帝国時代のことを言っておられるのなら69氏の書き込みのとおり
かと思います。
72カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/18 05:27
>>71ヤーノシュさま
お久しぶりです。ご帰国なされたのですか?
>72
休みがあまりないもので・・・。
クロアチアを車で駆け抜け、城めぐりをして、ハンガリー入りし
シゲトヴァールを見てからブダ入りして帰国しました。
シゲトヴァール城はズリーニ時代の遺構は残ってないようで残念
でしたが、かつては城の正門の前に広がる水堀の中の一本道だった
と思われる通りを歩いてきました。
74世界@名無史さん:03/08/19 23:04
今回の小泉のヨーロッパ訪問、何でハンガリーがスルーされたのか知ってる人いる?
ドイツは元々重要な国だし、ポーランドも急激に国際政治の舞台で重みを増している。だからこの2国が選ばれたのは納得がいく。
しかしチェコが今後の経済関係の上で重要だというのならハンガリーも同じなんじゃないか?ちがうのか?
何で今回無視されたのかさっぱりワカラン。
75カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/20 02:26
メッジェシ首相がだめだめだから…とか?


適当に書きました、支持者のかたが“万が一”ここにいたら、
謝罪はしますが賠償は(ry
76世界@名無史さん:03/08/20 02:51
ハンガリーってスズキとか工場建ててるよな。
それに理系の修士号/博士号保有率が非常に高いので、
今ではアメリカだけでなく日本企業もヘッドハンティングするケースが増えてきている。
重要な国にも関わらずなぜスルー?
77世界@名無史さん:03/08/20 13:34
ハンガリーの音楽に興味がなかったとか<小泉
78カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/20 23:08
「ミツコ」に対する報復だったりして…
79世界@名無史さん:03/08/21 00:29
NHKで面白い番組やってますね。
>74
なんででしょうねぇ・・・。

>78
カレスさま!荒らしちゃ駄目です!!

>79
何でしょう??
見そびれてしまった。
81世界@名無史さん:03/08/21 22:19
>>80ヨーロッパピクニックですよ。

冷戦末期に
ハンガリー政府が東ドイツ難民をショプロンからオーストリアに脱出させたやつです。

個人的にはゴルバチョフに見捨てられたときのホーネッカーがウケますた。
>81
以前見ました。ビデオに録画すればよかったなぁ・・・。
ハンガリーのネーメト首相の豪胆ぶりが印象的だったの
を覚えています。
83カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/22 01:19
>>80
すいません。つい…
84世界@名無史さん:03/08/22 07:13
あの番組は今になって観ると演出過剰という感想
85世界@名無史さん:03/08/22 07:28
>>76
鱸が工場持ってると重要なのか?
んなわけないだろ(w
86世界@名無史さん:03/08/23 18:07
それならトヨタや松下はドイツ・ポーランド・チェコに拠点持ってるもんな。
そういえばネーメト氏はまだ銀行に勤めておいでなのでしょうか?
TVやら報道やらで見る限り、相当の御仁とお見受けしましたが・・・。
88世界@名無史さん:03/08/25 21:41
600人以上の少女を殺した殺人レコードホルダー、
ハンガリーのエリザベート・バートリ
89世界@名無史さん:03/08/25 21:52
>>87
小さいながら財団の方にいます。
90世界@名無史さん:03/08/25 22:21
>>88
そんなに殺したのか?
ハンガリー人て野蛮だな
91カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/25 23:28
>>90
この人は「女ドラキュラ」ってあだ名がついてるくらい有名です。
バートリ家に嫁いでから、スロヴァキアの山中にある城で
処女の生血を浴びると美容に良いとか老化しないとかの理由で、
近辺の娘達(=スロヴァキア人?)を殺しまくって、血の風呂に入ってたそうです。
確かウィーンのバートリ家の館でもやってしまって、バレたんだと思う。
最後は上述の城の一室に死ぬまで幽閉されてたとか。
92世界@名無史さん:03/08/26 01:22
age
>91
嫁ぎ先はハンガリーの大貴族ナーダシュディ家で舞台となったと言われるのは
スロバキアのチェイテ城です。ナーダシュディ家は他にも城を持っていまして
シャールヴァール城は現存しています。
エルジェーベト・バートリーについては以前、「しい坊」さまが具体的に書籍
名も挙げて書いておられたましたが冤罪説もあります。

以下前スレより

474 名前: しい坊 投稿日: 02/01/15 09:55
ちなみに、『ハンガリー大百科事典』(アカデミー出版、1994)に
はバートリ・エルジェベトは以下のように紹介されています:

 エチェディ=バートリ・エルジェーベト (ecsedi Báthori Erzsébet)。
1560年、サボルチ県 (Szabolcs vármegye) ニールバートル郡 (nyírbátori
járás) ニールバートル村 (Nyírbátor ) 生れ、
1614年8月21日、ニトラ県 (Nyitra vármegye) ヴァーグーイヘイ郡 (vágújhelyi
járás) チェイテ村 (Csejte) [現在スロヴァキア共和国東スロ
ヴァキア道 (Západoslovenský kraj) トレンチーン郡 (Trenčín
okres) チャフティツェ村 (Čachtice)]没。

 エチェディ=バートリ・ジェルジュ (ecsedi Báthori György)
(1571年以降生) とショムヨーイ=バートリ・アンナ (somlyói Báthori
Anna) の娘。バートリ・イシュトヴァーン (Báthori István) (1555〜1605)
の妹、ナーダジュディ・フェレンツ (Nádasdy Ferenc) (1555〜1604) の
妻 (1575年より)。
結婚により5人の子供(2男3女)を生む。娘のアンナ (Nádasdy
Anna) は高名な詩人のズリーニ・ミクローシュ (Zrínyi Miklós)
の叔父のザラ県知事ズリーニ・ミクローシュ (Zrínyi Miklós)
の妻となる。娘のカタリン (Nádasdy Katalin) はホモンナイ=ドルゲ
ト・ジェルジュ (Homonnai Drugeth György) の妻となる。
バートリ・エルジェーベトは早く夫を亡くし、その後未亡人として城と
数百ホルドの領地を含む荘園を管理し (1 hold=1,600ネージセゲル=
約0.57 ha)、外国を渡り歩く学生らの援助をした。
一部の資料によれば1609年にベンデ・ラースロー (Bende László)
という名前の貴族との再婚を望んだが、彼女の遺産の自分らの取り分を
心配する親戚らによって妨害されたという。
この時から彼女に対する中傷誹謗攻撃が始まる。
従兄弟のバートリ・ガーボル (Báthori Gábor) が彼を失脚させようと
謀るウィーン宮廷の一部の勢力との対立を深め、対ハンガリー戦の準備
を進めていた1610年12月30日にバートリ・エルジェーベトは、彼女がチ
ェイテの城で農奴の若い娘らを拷問に掛け、一部の者を殺害せしめたと
いう容疑で逮捕された。裁判の記録によれば彼女は精神に異常をきたし、
それらの殺人を行なったということになっている。
これらの告訴を最初に考え出したのは副王トゥルゾー・ジェルジュ (Thu
rzó György) であった。
1611年1月にトゥルゾー副王が裁判長を務める裁判所は彼女の無実を証明し
ようとした従僕を断頭の刑に処し、2人の女中を焚刑に処し、バートリ・エ
ルジェーベト本人はチェイテの居城に幽閉した。
彼女は貴族世論や国王の支持を取り付けて再審を求めたが、副王はこれに抵
抗した。
バートリ・エルジェーベトはほどなく不可解な状況の下で死亡した。
その後伝説は彼女を血で湯浴みをする怪物として描くようになった。しかし
最近の推測では遺産相続人のいないまま未亡人となった彼女は政治的な理由
による思想的な領地裁判の常套手段の犠牲者であり、彼女の密かな反ハプス
ブルク、親トランシルヴァニア政策のために幽閉されたものとされる。
彼女が犯したとされている犯罪のうち、確実に彼女の犯行だと証明されたも
のは1件もない。
彼女を描いた有名な文学作品にはファーイ・アンドラーシュ著『2人のバー
トリ・エルジェーベト』(Fáy András: A két Báthori Erzsébet) (1827)、
シュプカ・G著『呪われた女 (Supka G.: Az átkozott asszony) (1941)
などがある。

 参考文献:
レクサ・D『バートリ・エルジェーベト』(Rexa D.: Báthori Erzsébet)(1908)、ナジ・L『悪名高きバートリ一族』(Nagy L.: A rossz hírű Báthoryak)
(1984)、
ペーテル・K『チェイテの女城主、バートリ・エルジェーベト』(Péter K.: A csejtei várúrnő) (1985)、サーデツキ=カルドシュ・I『バートリ・エルジェーベトの真実
(Szádeczky-Kardoss I.: Báthori Erzsébet igazsága) (1994)。

[Magyar Nagylexikon, III. köt., Bah-Bij, Akadémiai Kiadó, Budapest, 1994]

とのことです。
以上は前々ハンガリースレの書き込みの引用です。
ご参考までに。
96カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/27 18:09
ヤーノシュさま
詳しい情報どうもです。
私はこのバートリ家(ナーダシュディ家だったかも)の子孫にあたる
作曲家のWEBサイトで読んだ話(=伝説かな…)しかしりませんでした。
もうURLを忘れちゃったのですが、この作曲家はバートリ・エルジェーベトの
オペラを作曲したので、その上演のスポンサーを募集するためにWEBサイトを
作ったそうです。
カレスさま
そのページは私も見たことがあります。しい坊さまにご教示いただいた
こと以上には私もわかりません。非常に興味があるところなので、これ
からも調べていきたいと思っていますが・・・。

それにしてもどんな内容のオペラなんでしょうね・・・。
98カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/29 17:08
ヤーノシュさまもご覧になったことがあるとは驚きました。
オペラは、伝説をもとにしたストーリーだったと思います。
サイト閲覧者からのメールを紹介してるページに、
スロヴァキア人からの、スロヴァキア人の娘を殺しまくった人物を
主役のオペラなんてふざけるな、という内容のメールもありました。
>98
大量に人を殺した人間を主人公にしたオペラがけしからんなら判ります
が・・・。

それにしてもネット上も含めて一般的に得られる情報は大量殺人説ばか
りのようです。しい坊さまがご紹介くださった本はマジャール語の上に
既に絶版になってるみたいですし・・・。
100カレス ◆AUvFvohlXU :03/08/31 05:00
>>91で私が書いてるように、そっちで有名ですからねえ…
それをネタにスロヴァキアが公式に謝罪要求をしてるわけじゃないから
大してハンガリー人も気にしてないんじゃないでしょうか。
直系じゃないにしろ、子孫が伝説の方を土台にオペラ化しちゃうくらいだし…
彼女の血を引いているとなるとナーダシュディ家が現存してますね。
ズリーニ家・フランコパン家といった大貴族と一緒にハプスブルク家に対する謀反
を企てたとして当主が処刑され、財産没収となったのですが、後に子孫が武功を
挙げて貴族として復活してます。戦後、ご当主はカナダに亡命されておられたと
思いますが、現在はハンガリー国内にナーダシュディ財団とかいう組織を作って
おられます。
バートリーの直系は絶えているようです。
分家筋だと残っているのかもしれませんね。
以前、ハンガリーの合唱団が来日したとき、メンバーの名前に
ガライ他中世のハンガリー史に登場する大貴族の名を見つけて
その血を引く人なのかと思ったことがあります。
会食する機会があったので聞けばよかったと今になって思って
います。
103胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/05 00:14
自分の知り合いのマジャール人夫婦が子供出来たんで観にいったんですが
ケツが青いんですよ。

これってトルコ系かなんかの血が混じってるんでしょうか?
両親の顔はスラブ系なんですけど。
胴締め剛術家さま
マジャール人は元々はアジア起源の遊牧民族です。
周辺の民族との混血が進んで、今や外見ではそれとわからぬように
なりましたが、赤ちゃんには蒙古斑が見られることがあるそうです。
105胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/05 21:17
>>104
ありがとうございます。
そういえばたまにマジャールの古い物には
モンゴロイドみたいな顔の肖像画がありますね。

あれはモンゴル来襲後にキリスト像がモンゴロイドっぽく描かれている
のと同じ理由だと思っていましたが、どうやらそれだけではないようですね。
106世界@名無史さん:03/09/05 21:55
マジャール人ってフン人のことだよな?
胴締め剛術家さま
「彩色年代記」(ケーペシュクロニカ)とかラースロー1世
の伝説を描いた画なんかでしょうか。
モンゴロイドぽいというのか独特の絵柄ですね。
肖像画には非常に興味がありまして、もし良かったらどこで
ご覧になられたのか教えてください。

>106
フン人=フン族ということだとすれば違います。
ただ、マジャール人の建国神話ではアールパード家の祖先を
遡るとフン族のアッチラ大王にいたるという伝説はあります。
遊牧民族であった彼らにとってアッチラ大王は英雄だったの
でしょう。

108106:03/09/05 22:27
>>104
なにが違うんすか?
109ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/09/06 01:58
失礼しました。
フン人はマジャール人の先祖ではないですと書こうとしたら
意味不明の文章になってしまいました。
御寛恕願います。

余談ですが、アッチラ大王の墓がハンガリー国内
にあるという伝説があるらしく、徳川の埋蔵金で
はないですが、宝探しを続けている人がいるそう
です。
110世界@名無史さん:03/09/06 04:39
>>70
イングランドとスコットランドは、同君連合になる前も度々戦争して、
スコットランド王はイングランド王の臣下になる契約だの、外交に際して
イングランドの承認を要するだの、軍事的に監督下に置くだの、条約の
正本はイングランドの言葉で書くだの、イングランドにスコットランドが
従属するかたちが既にあり、婚姻関係という形をとりながらも、イングランドに
併呑される形での同君連合の成立。
111世界@名無史さん:03/09/06 05:05
ハンガリーという言葉からすればフンの国っぽいんですが
マジャールはフンとは無関係でウラルのあたりにいたのが
現在地を占拠したのは9世紀末というのが定説です
ウエブスター地理事典によれば894〜901年頃とか
フンとは500年くらいタイムラグがあります
112胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/06 23:52
>>107
例のマジャール人夫婦の旦那の方は
彼が日本に留学してた頃に柔道を一緒に練習した仲なんですが、
私がトルコに遊びに行った時に
「こっちに来るんなら、ついでにうちにも遊びにきて。」
と言われたのでハンガリーの彼の実家まで遊びに行ったんですよ。

その時に12〜13世紀頃?の貴族の肖像画ってのを見せられたんですが、
眼が細くて、彫りの浅いアジア人風の男の肖像画でした。
タレントの堺正章を端整な顔立ちにしたような男の肖像画でした。
どうも彼の家の祖先の物らしいのですが、ダニエルとは全く似てませんでした。
これは時代からしてモンゴルの影響があった頃の物だろうなと思ったのです。

でも、貴族の子孫の割には普通の家に住んでたんで、
没落貴族の子孫なのか?とも思いましたが。

ちなみに彼の息子の「ベンデグーズ」とは彼らマジャール人の英雄から
とった名前だそうですが、キリスト教改宗以前の英雄なんでしょうか?
聞いた事ありません。

ベンデグーズって知ってますか?
113世界@名無史さん:03/09/07 00:22
>>111
「ハンガリー」は「ホノグール」という民族名が語源だという説を何処かで見た気がするのですが…
詳細を御存知の方がおられましたらご教示ください。
114ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/09/07 01:16
>112
ハンガリーの貴族は戦後所領を没収されてますから暮らし向きは
良くはないのではないでしょうか。
殺されたり、亡命を余儀なくされた方も多かったと聞きます。
また、西欧諸国と違って中小貴族の数がやたらと多かったのも特
徴で「わらじ貴族」と言われるような貧しい方もいたとのこと。
日本で言えば士族が全部貴族扱いという感じになるのでしょうか。

肖像画、非常に興味深いですね。ハンガリーにはマジャールの他に
モンゴルに追われて逃げ込んできたクマン人という遊牧民族もおり
ます。当時の国王ベーラ4世の妃もクマン人でした。

因みにベンテグーズというのはフン族の大王アッチラの父親の名前
です。キリスト教導入以前の英雄たちの名前をつけるのが流行った
ことがありまして、それ以来、一般的な名前になりました。

>113
ハンガリーの語源はパノニア平原に定住する以前にトルコ系のオノ
グル人の傘下にいて、彼らと同一視され「オノグル」と呼ばれてい
たことによります。
詳しくはハンガリースレの1で「しい坊」さまが書いておられるの
でご参照ください。
115胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/07 03:51
『シベリアに仲の良い兄弟がいた。兄は魚が好きで魚をとりに東の果てまで行った。
 弟は肉が好きで良い放牧地を探して西の果てまで行った。』
『その時のお兄さんの子孫が日本人で、弟の子孫が我々マジャールなのさ。』
とか言うような事をダニエルのお母さんに聞いたことがあるような気が・・・・。

これってわざわざ日本からハンガリーまで遊びにきた私をねぎらう言葉だったのか、
本当に有るマジャールの民族の言い伝えなのか、どっちなんでしょう?

当時は『息子を留学させるだけあって、お母さんも親日家なんだな。』位にしか思いませんでしたが。
116世界@名無史さん:03/09/07 05:56



          点線より上に書いてあることは、全てウソです



_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _


117カレス ◆AUvFvohlXU :03/09/07 08:42
>>116
「クレタ人の嘘つき」?
>115
言い伝えとしては無いのではないかと思います。
しかし、それに類する話を私も言われたことがあります。
魚が好きというのではなく、「俺は西へ行く、お前は東へ
行け。」と言って別れたという話でした。

歓迎の意味で言ってくださったのだと思いましたが、考え
てみるとなんとも壮大なスケールの話ですね。
119113:03/09/08 00:25
>>114
ありがとうございます。オノグル人=マジャール人では無かったのですね。
以前に出ていた話題だったとは…失礼しました。
>119
以前といっても前前スレでのお話ですから・・・。
少しでもお役にたてたのでしたら幸いです。
121胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/09 00:27
マジャール人は遊牧民出身の民族だそうですが、その出自を利用して
モンゴルの皇族と血縁関係を結んだりはしなかったのでしょうか?
122世界@名無史さん:03/09/09 04:46
今でも、シルクロード紀行なんかみると、中国からバルカン半島にいたるまで
連続的にモンゴル顔が白人顔に変化していますよね。
当時のマジャール人のモンゴル率はどうだったのだろうか?
>121
モンゴルと通婚というのは王族では例がないと思います。
モンゴル侵入時の王ベーラ4世の息子イシュトヴァーン5世
の正妻がクマン人出身とかその息子ラースロ4世に至って
は正妻を離縁してクマン人の王族と結婚しようとしたという
例はありますが・・・。

>122
前前スレで出てきた話では支配階級がアジア系で一般人は白人(スラブ
系?)とありました。定住時の人口が40〜50万人ぐらいらしいです
が、比率としてどんなものだったのでしょう。
124胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/13 16:18
>>123
ギシュクラ・ヤーノシュさんありがとうございます。
クマン族とかクマン人とか言われる人々ってのは
チェルケス族やキプチャク族と
同じチュルク系の人のことなんですか?

彼らとの通婚をマジャールの王族が
求めた理由はやはり彼ら遊牧民のもつ強大な軍事力が
目当てだったのですか?



>124
クマン人はポロヴェーツ人とも言われチュルク系の遊牧民族
の一派だそうです。

ハンガリーのアールパード王家と血縁関係が出来たのはおっ
しゃる通り、彼らの軍事力を期待してのことです。
金印勅書で有名なアンドラーシュ2世の時代に大貴族の力が
王がどうこうできないほど強大化してしまい(王妃が大貴族
に暗殺されても王が手出しできないほど・・)、彼の息子の
ベーラ4世は王権の回復を計って悪戦苦闘する破目になりま
した。そこへモンゴルに追われたクマン人がハンガリー王国
へ逃げ込んできました。ベーラ4世は彼らの軍事力を対大貴
族、そして予想される対モンゴル戦に役立つと期待して国内
に受け入れました。
しかし、受け入れてみると遊牧生活をするクマン人と畑を荒
らされる農民の軋轢が高まり、大貴族達が農民を煽動した結
果、クマンの族長が殺されて内戦状態となってしまい、クマン
人は国を去ります。そこへバトゥ率いるモンゴル軍が来襲、ベ
ーラ4世はシャイヨー河畔のムヒでモンゴルを迎撃するも大敗
し国内はモンゴル軍に蹂躙されて滅茶苦茶になってしまいます。
彼らが去ったあと、国を建て直すためにベーラ王は再度、ク
マン人を国内に呼び戻し王子イシュトヴァーンを族長ケテニュ
の娘と結婚させます。この王子が後のイシュトヴァーン5世で
その息子がクン・ラースロと呼ばれるラースロー4世です。
彼は母方のクマン人の軍事力をバックにして大貴族たちに対抗
しようとし、悲劇的な結末を迎えることになりました。

彼については日本語のサイトで詳しく書かれたものがあります。
検索するとすぐお分かりになると思いますので、一度ご覧下さい。
126胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/14 01:29
ラースロー4世は母から受け継いだ遊牧・チュルク系文化を
大事にしたのでしょうが、当時の民衆から見ればとんでもない異教徒の王
にしか見えなかったのでしょうね。

ポロヴェーツ人ってアレですね。
ボロディンのオペラ『イーゴリ公』に出てくる
「韃靼人の踊り」の韃靼人のことですね。
イーゴリ遠征物語等もオペラに影響されて読んだのですが
かれらルーシの貴族たちも遊牧民の軍事力目当てに
通婚したり同盟を結んだりしていたみたいですね。

マジャール人も彼らの強大な軍事力を目当てにしていたようですが
マジャール人自身はかっての遊牧時代にもっていたはずの
騎射技術や騎馬戦術はキリスト教を受け入れ
定住農耕生活を送るうちに失っていたのでしょうか?

127胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/14 01:51
そういえば、学生時代に柔道留学に来ていたダニエルと話して思ったことなんですが、
ハンガリーって他のヨーロッパ諸国の選手に比べると体格で劣ってる選手が多いんですが
やたら柔道が強いんですよ、100kg以下級で有名なコヴァチを筆頭にして。

それでダニエルに
「お前らの国にもモンゴル相撲やグレッシュみたいな柔道・レスリング系の民族格闘技があるんか?」
って聞いたんですがダニエルは
「いや、無いよ。伝統的な格闘技はフェンシングぐらいかな?」
って言ってました。

この間電話した時も「お前ら元遊牧民なんだからなんかあるだろ?」
って聞いたんですが「う〜ん、多分無い。有ったとしても俺は知らない。」
とのことでした。
モンゴル・チュルク系民族なら必ず相撲・レスリング系の格闘技が
伝統的スポーツとして有るもんなんですが
彼らマジャール人はチュルク系民族の影響を大きく受けているはずなのに
こんなことは影響されなかったんですかね?


128世界@名無史さん:03/09/15 00:56
ハンガリーの音楽隊が日本に来日してコンサートを開いているが
先日見に逝ったら司会者が
ハンガリー人の赤ちゃんには蒙古斑がある、
という発言してましたが、マジャール人ってモンゴリアン人種なんでつか
129128:03/09/15 01:08
蒙古斑ネタは既出でしたな
失礼
胴締め剛術家さま
当時、どの程度キリスト教が一般に受け入られていたのでしょうね。
当時のハンガリーの大貴族で破門なんぞ屁とも思っていないような
人物もいますし・・。ラースローのように在来宗教に戻ると言い切
ってしまのは行き過ぎとしても、異教的な残滓はずいぶん残ってい
たのではないかと思います。

韃靼人の件は全く知りませんでした。ロシア史もお詳しいのですね。
ルーシーの貴族というとモンゴル貴族と通婚した例がけっこうある
というか、後のロシア貴族化したモンゴル貴族がかなりいると聞き
ました。ラスプーチンを暗殺したユスポフ公もそうでしたっけ?

>マジャールの騎射術
ヨーロッパに侵攻してきた頃は有名で逃走すると見せかけて、
振り向きざまに撃つという射撃術は大いに恐れられたといいます。
モンゴル騎兵と比べられると、既に定住化した後ですから部が悪い
かもしれませんね。
ムヒの合戦自体はハンガリーサイドが狭いところに車陣を作って
夜営しているのを襲撃されて大敗したというありさまですので、
射撃術以前の話なのですが・・・。

ハンガリー騎兵自体は後々まで勇猛を持って知られています。
フランス軽騎兵(フサール)は元々ラコーツィ・フィレンツ
2世がフランスに亡命した時についていった連中だったりし
ます。軽騎兵のど派手な服装自体、元々ハンガリー騎兵の
ユニフォームからきているそうです。

格闘技に関しては聞きませんね。仰る通り相撲の類なんかがあっ
ても不思議ではないように思いますが・・・。

ハンガリーのフェンシングは強いです。
強豪が揃っています。日本の選手でハンガリーへ留学してる方が
おられてそこのホームページを見ていると国内選手権でオリンピ
ックのメダリストが負けたりするほど選手層は厚いそうです。
因みに確か、サーベルはハンガリー起源だと聞きました。
サーベルのルールでは峰の側の切っ先で払っても有効な攻撃にな
るのですが、これってマジャールの刀は切っ先部分だけが両刃に
なっていることによるのでしょうか。

>128
どんな団体が来てるんですか?聞きに行きたいので教えてください。
132128:03/09/16 01:49
>131
出演者は、ハンガリー国立ミシュコルツ歌劇場管弦楽団&
サンタ・ジプシーバイオリン・アンサンブル、
その他ハンガリーの歌手・ダンサー数名
イベント名は、21世紀さが国際音楽祭
(全10間の日程でスケジュールは終了しました)
毎年開催しているようだが来年もハンガリー勢が来るかどうかは不明
問い合わせ先は、21世紀さが国際音楽祭実行委員会まで
133128:03/09/16 02:15
>ヨーロッパに侵攻してきた頃は有名で逃走すると見せかけて、
>振り向きざまに撃つという射撃術は大いに恐れられたといいます

これはパルティアン・ショットのことだね
...スキタイ系の民族で、メディア人の衣服をまとい、アーリヤ人の言葉を使用した。
すぐれた騎馬民族で、弓の名手でもあった。
戦いにおいては、しばしば馬で逃げるふりをして、ふりむきざま敵に矢を放った。
これが英語の「パルティアン・ショット(すてぜりふ)」の語源となった。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~QI3M-OONK/tosyokan/fantasy/w-parthia.htm
134カレス ◆AUvFvohlXU :03/09/16 02:21
>>132
以前もハンガリーの団体がその国際音楽祭に出演してました。
それが縁かは知りませんが、佐賀ハンガリー友好協会が
昨年末に発足しましたね。
135128:03/09/16 15:13
佐賀とハンガリーの共通点
土地の海抜が全体的に低い
農業が盛んだとかその程度じゃないかな?
どっちもマイナーなイメージがあるが
136世界@名無史さん:03/09/16 18:42
ところで他スレでこんな書きこみを見たけど
白人の願望なんですかね

>マジャール人に ごく稀に出る蒙古斑は
むしろアヴァールや他のプロト・テュルク人(フン族)
との混血の結果であり、原マジャールは「朱髪、高身、長頭型)
の中央アジア型北欧人種に帰属すべきと考えられている。
さて、漢代から唐代における古代中国の資料には
中央〜北方アジアにその時代コーカソイド的特徴をもった遊牧系民族の
ことが記されている(匈奴、古代キルギス、突厥、烏孫など)。

次のレスにつづく…
137世界@名無史さん:03/09/16 19:04
136のつづきを書きこもうとしたけどうまくUPできません
マジャール人がコーカソイド系アジア人というのは定説なんですか?
138137:03/09/16 19:26
来日したハンガリー人はほとんどヨーロッパ人と区別がつかず
強いていえばアイルランドに残っているケルト人の特徴を思わせる
黒い髪と黒い目の人が含まれる程度で
日本人と同じモンゴロイドが直接の先祖とは決して思えない。

アジア起源の民族がハンガリーにいるからといってモンゴロイドとは
限らない。コーカソイド系の民族の中に新モンゴロイド遺伝子を
受け継ぐ人達がわずかながら存在しているといった方がよいのかも
つまりモンゴロイドとの混血の名残りがあるということかも

139カレス ◆AUvFvohlXU :03/09/16 21:54
>>135
ヘレンド磁器と有田焼・伊万里焼。磁器がキーワードになってるのかな…
そういえばヘレンド本社の専門店Viktoriaで有田焼を売ってます(w
140世界@名無史さん:03/09/16 22:59
>139
県知事を訪問した駐日ハンガリー大使が
「ハンガリーは焼き物や温泉が有名。
これらを通じて交流を深めることができれば」
と語っていたので、温泉もキーワード。
141胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/16 23:11
ロシアから柔道留学に来ていた友達もうちの学校にいましたので
ロシア史なんかはそいつに影響されて勉強しました。
そいつの家も元はバトゥ家の血を引くロシア貴族の家柄だったそうです。
マジャール人は自分たちがアジア出自の物だという事を誇りにしているそうですが
ロシア人は違うようで、バトゥ家の血を引いていても
誇りに思うどころか馬鹿にされるそうです。

何故か私の周りにいる外人は高貴な血筋の奴が多いですw
>132
情報感謝です。いやー見たかった。

>133
これまた情報感謝です。遊牧民族に伝えられる一般的な騎射術
だったのでしょうか。捨て台詞の語源とは知りませんでしたよ。

>136
そういう説もあるのですか、詳しいお話がわかったらご教示く
ださい。
>138
私もどの程度元の元マジャール人の形質というものが残っているのか
といつも興味深く思っています。

カレスさまは現地に住まわれて、マジャール人の外見的な典型的特長
について何か気付かれたことってございますか?

>141
胴締め剛術家さま
ジュチ=ウルスの末裔ですね。クリミアタタールの系統の方でしょうか。
クリミアハン国はかなり後まで残っていますね。
トランシルバニア方面には結構後まで攻め込んで来ていたという話を戦前
にかの地を旅した英国人旅行者の紀行文で読んだことがあります。

バトゥの血を引いていても馬鹿にされるというのもなんか悲しいですね。
ハンガリー人の心中には白人・キリスト教世界の防衛者だという自負と
勇猛な騎馬民族の末裔としての誇りが混在しているように思います。

しかし、興味深い友人の方が多いですね。正直に申し上げてうらやましい
ですよ。
144世界@名無史さん:03/09/17 15:54
以前、NHKでフランスのバスク地方のバスク人の特集を見たことがある。
番組内ではバスク人の先祖は周辺のヨーロッパ種族とは明らかに違う
人種系統に属するらしい。一説によるとクロマニヨンの生き残りとも言われている。

ケルトの伝承について図書館で調べていた時にわかったことだが
バスクとケルトも共通点が多い。どちらもイベリア人というのから
枝分かれしたらしい。ということはイベリア人がクロマニヨンと
何か関係があるのかもしれない。
145144:03/09/17 15:56
↑訂正、バスク地方はフランスじゃなくてスペインだった…

このスレでもハンガリー人に蒙古斑が、という記述が何度か出たが
ひょっとしてと思ってネットで調べてみたら
あるじゃん、バスク人にも蒙古斑が出るらしい。
ハンガリーの先住民のケルトの血はマジャール人にも受け継がれていた
ということかもしれない。
146胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/17 20:51
蒙古斑はモンゴロイドだけじゃなくて
黒人にも有るんですよね。

バスク人の蒙古斑は黒人の血が関係してるんでしょうか?
147世界@名無史さん:03/09/17 21:57
 >>146
黒人の風貌も多様ですしね
イベリア半島はアフリカと海峡一つ隔てた所だから
それとも、
  黒人→白人→黄色人種
に進化した名残で残ってるとか
148蒙古斑のヒミツ:03/09/18 19:10
■蒙古斑とは?
ttp://allabout.co.jp/relationship/kokusaikekkon/closeup/CU20030318/
蒙古斑とはどのようなものなのでしょうか?
オンライン辞典の『大辞林』(三省堂)には次のように出ています。
「特に、黄色人種の乳幼児の尻などに見られる青いあざ。
皮膚の深部にメラニン色素が沈着するために起こり、
幼年期の終わりまでには消失する。小児斑。児斑。」
149蒙古斑のヒミツ:03/09/18 19:12
さらに『広辞苑』(岩波書店)をひくと、もっと詳しく出ていました。
「小児の臀部(でんぶ)・腰部・背部・肩胛(けんこう)部などの皮膚にある
青色の斑紋。皮膚真皮層中にメラニン色素細胞が存在するためで、
年齢が進むと消失する。モンゴロイドに出現率が高く、
日本人の生後一年以内乳児での斑紋は九九・五パーセントに達するが、
白色および黒色人種では稀。小児斑。児斑。」
私たち日本人のほぼ全員が、赤ちゃんのときには蒙古斑を
背中やお尻にくっつけていたわけですね。
モンゴロイドとは黄色人種のことですから、アジアの人たちも当然、
蒙古斑のことはよく知っているはずです。
150蒙古斑のヒミツ:03/09/18 19:14
ここで小耳にはさんだ話。
蒙古斑はモンゴロイドだけでなく、人種間の混血でもよく現れる
のだそうです。つまり、両親のどちらもモンゴロイドでない場合でも、
人種が違う人同士の結婚であれば、生まれた子供には蒙古斑が
出るのだとか……。
専門家の話らしいですが、本当でしょうか。
だとしたら、どのようなメカニズムになっているのか、
ちょっと興味がわいてきますよね。
151144:03/09/18 19:26
148−149−150で蒙古斑について新説を紹介している文章をコピペ
してみたが、
>蒙古斑はモンゴロイドだけでなく、人種間の混血でもよく現れる
>のだそうです。つまり、両親のどちらもモンゴロイドでない場合でも、
>人種が違う人同士の結婚であれば、生まれた子供には蒙古斑が
>出るのだとか……。
この説については自分も初めて知ったのでとても興味深い。
152胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/18 23:09
面白い話ですね。
そういえば、私は弟と妹がいるのですが、
三兄弟全員に蒙古斑が無かったのですけど
こういったものも血筋とかが関係するんですかね?
153消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/09/19 00:10
 当方に蒙古斑があったのは,混血(長州藩と黒田藩のハーフ)だったからだったのですね.
154144:03/09/20 00:03
この板の「古代トルコ人とは何者か?」を読んでみたのですが
モンゴロイド+混血説指示派とコーカソイド+混血説指示派
の両方の意見が交互に現れ議論はループとなり
結局どっちなんだよー!!
という訳で日本人が一見単民族のようでルーツが複雑で
実はアジア系雑種民族だとか言われているのと大差ないような印象を
受けました。

>胴締め剛術家さん
基本的にアイヌには蒙古斑は無い、とのことです。
155胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/20 00:20
アイヌの人達と沖縄や鹿児島の島人の人って結構顔つきが似てるらしいですね。
柔道部の先輩に北海道出身のアイヌの血筋の先輩がいましたが
プロ野球の伊良部選手の顔を見て
『あれこそアイヌの顔だよ!』
『俺、初めてあいつ見たときにアイヌだろ?って思ったぜ』
と言ってましたから。

その先輩が子供の頃、蒙古斑が有ったのかどうかも今度聞いておきます。

おお、蒙古斑の話題が盛り上がっていますね。
バスクの話は興味深いです。
余談ですが、確かギリシャ語・ハンガリー語・バスク語
の3つがヨーロッパ人にとって難儀な言葉だそうですね。
バスク語も周辺の言葉とのつながりが全然ないそうで・・。

胴締め剛術家さま
スラブ人がマジャールによって北と南に追い出されたよう
な感じでしょうか。
因みにセルボ・クロアチア語を話す友人がいて、この人が
スロバキアでセルボ・クロアチア語を話したら、ほとんど
の人は訛ったスロバキア語ぐらいに思っていたと言ってま
した。私には区別もわからないですが、面白い話だなぁと
思いました。
パルティアンショットに関して面白い話を読みました。
なんでも、本当のパルティア人の騎射術には馬に逆に
跨って、後ろを向いたまま馬を走らせて、後方に向か
って射撃するのだとか・・・。そういう画があるのだ
そうですが、曲乗りというかなんというか、聞くだに
難しいことのように思えます。
158消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/09/26 20:58
>>156
 中途半端に日本語に似ていたりすると,かえって難儀するものです.
少なくとも,個人的には……(泣

 まあ,とりあえず,軍事板で名前が挙がっていたあの本を,辞書なしで読める
くらいには頑張りたいが……
159世界@名無史さん:03/09/26 21:10
ハンガリーを舞台にした映画を見た
ええとタイトル何だっけ
暗い話しだったな。女同士の恋の話しで、すごく辛いラスト。
オチも救いもなかった。
キャストはハンガリー人中心じゃなかった。
ハンガリーというともとはあんな暗いイメージじゃないと思うが
共産圏時代は民衆は抑圧されて暗かったのだろうか。
160世界@名無史さん:03/09/27 10:54
>>159
"Egyma'sra ne'zve" (邦題:アナザウェイ)
シネマスクエアとうきゅうで公開される映画はおかしな邦題をつけることが
多くて・・・
原作者はレズビアンの女性だったかも。
主演の2人はポーランドの女優さんで台詞は吹き替え。
日本で公開されたのはまだレイキャビクでゴルバチョフとレーガンが
会談する前の時代だったので、週刊誌の映画評などでは共産主義に対する
憤りの映画として紹介されたりしたそうですね。
161世界@名無史さん:03/09/27 16:43
原作者はサーントー・エリカだったか、ともかくユダヤ人です。外国で何か賞を貰いましたが、
おそらく一般のハンガリー人には全く受けなかった映画でしょう。社会主義体制下では映画制作に国から助成金が出ていてそんな作品も制作出来たのです。
162世界@名無史さん:03/09/27 20:00
日本やゆ番組打ち切り ハンガリーの民放
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030927-00000073-kyodo-ent
>161
最近はハンガリーで映画を作るのも難しくなってると聞きました。
国の補助で作った「サクラ・コロナ(聖なる王冠)」「橋をかけた人」
(セイチェニ伯の伝記)も当たらなかったそうですね。
「暗い日曜日」の主演女優のエリカ・マロージャンさんは他の国の映
画にもご出演のようで・・・。
164159:03/09/28 14:37
そういえば「悪童日記」の著者、アゴタ・クリストフは
亡命ハンガリー人でフランス語で出版したのですな。

165消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/09/28 22:00
>>160
 直訳すると「別の見方で」ですから,そう遠い邦題ではないのではないかと.
 その邦題は,英語版からの重訳でそうなった可能性がありますね.

>>163
 映画でハンガリー語を学ぼうという人間にとっては,困った話やのう…….
166胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/09/29 23:51
ハンガリーは何故、正教ではなく、カソリックを選んだのでしょうか?
地理的には正教を選んでも良かったんでしょうが・・・。
何故なんでしょう?詳しく知らないので誰かお教えください。
胴締め剛術家さま
隣国であるドイツからの攻撃を回避するためです。
かつては侵略をほしいままにしていたマジャール
の騎馬軍団も955年にオットー1世にアウグス
ブルク近郊のレヒフェルトで大敗してからは守勢
に回るようになりました。
このまま在来の宗教を奉じていては滅ぼされると
判断したアールパード家のゲーザ大公がキリスト
教に帰依、息子のヴァイクとバイエルン王女のギ
ーゼラを結婚させました。このヴァイクが洗礼名
イシュトヴァーンでゲーザの死後初代国王となる
のです。
さて、もちろん在来の宗教を奉ずる連中もだまっ
てはおりません。
ゲーザの死後、昔からの慣習に従い一族の最年長
者にしてイシュトヴァーンの叔父、バラトン湖地
方に勢力を有するコッパーニュは族長の地位とゲ
ーザの未亡人シャルロタとの結婚を要求、イシュ
トヴァーンは自らに族長の地位はあるとしてこれ
を拒否しました。
外国からの騎士を主体としたイシュトヴァーンの軍は
コッパーニュを破り、殺害されたコッパーニュの死体
は4つ裂きにされてハンガリーの3つの城の門に釘付
けにして晒され、1つはトランシルバニアに勢力を有
する族長ジュラに送りつけられました。

さて、このジュラの一族ですが、トランシルバニアを
勢力圏とする彼らはビザンツに接近しジュラ自身がコ
ンスタンチノープルへ赴き洗礼を受けています。
この後、イシュトヴァーン1世の侵攻でジュラは敗北
してしまいますが、在来宗教は弾圧されたものの、東
方正教会が禁止とかいうことはなかったようです。
アールパード家の当主でビザンツ皇帝の娘と結婚した
例はままありますし、ベーラ3世のようにビザンツ皇
帝の養子になっていた(結局、実子ができたので皇帝
位にはつけず)人もいたりします。王が正教会を立て
たという例もあるそうです。
何時頃からカトリック王国化したのか私にはわかりま
せんが、アールパード家が断絶してイタリアのアンジ
ュー家のカーロイ・ローベルト王が即位してからだろ
うかと思ったりします。
モンゴル来襲時のベーラ4世以降はビザンツ皇女との
結婚(ベーラの場合はニカイア皇帝ですが)がないの
でそう考えた次第です。
どなたか、詳しい方にご教示賜れば幸いです。
169世界@名無史さん:03/10/01 14:07
ルーマニアにいる同胞を救え
170世界@名無史さん:03/10/01 20:17
  日本人には区別つかなくともルーマニア人にはわかるのか?
171_:03/10/02 08:19
>>170
?????
172世界@名無史さん:03/10/02 08:52
 >>171
ルーマニア人に自分たちとハンガリー人で外見から区別がつくかということ
外見でマジャール人かルーマニア人か区別がつくかは私にはわかりません。

しかし、言葉が違うし、信じている宗教が違うし、民族衣装だと全く違うし
で判るものなのでしょうね。都市部はともかく田舎だと住居の建て方も違い
ますし・・。
174胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/10/04 04:04
在日韓国人や在日中国人と一緒で普段の生活では全く違いがわからないものでは
無いんでしょうか?
175カレス ◆AUvFvohlXU :03/10/04 08:22
>>174
周辺国のハンガリー系住民は、日常会話ではハンガリー語ですから。
あと習慣の違いとかでも、識別できるのではないかと思います。
胴締め剛術家さま
トランシルバニアの場合、マジャール人はカトリックかプロテスタント。
(トランシルバニアは公国時代にプロテスタントに寛容だったので、信者
が多いのです。)ルーマニア人はルーマニア正教会に通ってますから、日
曜日にどこの教会へ行ってるかでわかっちゃうのかも。
177世界@名無史さん:03/10/07 21:26
雰囲気でお互いに区別がつくこともあるのでは?
もっとも深谷先生も前々スレで「トランシルヴァニアのハンガリー人は
(形質人類学的に)ルーマニア人に似ている人がいる」というようなことを
言っていましたけれどもね。
たしかにハンガリー人と結婚して自分もハンガリー化する人もいるしその逆
の場合もあるし。RMDSZの幹部でフルンダ・ジェルジでしたか鼻が大きくて
ちょっとルーマニア人みたいな顔をしていたような・・・
あとこれは想像ですが何代も前からトランシルヴァニアに住んでいるルーマ
ニア人とチャウシェスク体制下でワラキアから移住してきたルーマニア人
とでは(肌の黒さなど)形質人類学的にも雰囲気的にも結構違うかも
知れないですよね。
反ハンガリーのデモに動員されたりするのは後者かも知れないし。
>177
失礼しました・・・。
やはり数的にルーマニア人の方が多いですから通婚する例も多いのでしょうね。
王族やら貴族の結婚を見てると、どこの人なのかわからないような状態です。
ビザンツにキエフ公国、ドイツ、イタリア、フランスと各国勢ぞろいで・・・。
180世界@名無史さん:03/10/17 01:31
吸血女として有名なエリザベート・バートリは実在したの?
181山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/17 01:37
実在したもなにも。おけはざま山の合戦のあった1560年生まれで
大坂の陣の前年の1614年に亡くなっています。
なお彼女は吸血行為は行わなかったようですし、ハンガリー自体吸血
鬼伝説が伝わっていません。しかし世界史板も変わった。
182世界@名無史さん:03/10/17 03:04
エリザベート・バートリが農民の娘を大勢あぼーんしたかどで
ハプスブルク政府に何らの処罰をされたというのは史実ですか?
183世界@名無史さん:03/10/17 03:30
●●●2004年も被害者がでるのだろうか?●●●
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/kouhaku/1057943092/-100
行政機関、テレビ局、新聞社、出版社が、
住居不法侵入、盗聴、盗撮、ストーカーで収集した個人情報を、
テレビ、新聞、出版物などで悪用している事実について、
>>1>>394までにまとめました
184世界@名無史さん:03/10/17 10:11
 オスマン帝国支配下におけるハンガリーのカトリック教徒
の境遇はどのようなものだったのでしょうか。オスマン帝国
とカトリックは敵対関係にありましたし、オスマン支配期におい
てハンガリーのカトリック教会は軒並みイスラム教のモスクに
改造されてしまったと聞きましたから、過酷な抑圧が行われ
てたんじゃなかろうかと思うのですが実際のところどうなんで
しょう。
>182
処罰されたのは史実です。ただし、その容疑が事実かというと疑
問なしとはしません。
このスレの過去ログを見ていただくと、冤罪説もあるという話が
載ってます。

>184

戦争が続き双方の軍隊の略奪行為で国土は相当に荒廃することは
さけられませんでした。
旧来の支配層である貴族層・都市市民層は逃げ出してしまってト
ルコの領主の支配下にあったわけですがキリスト教徒であるため
に人頭税の負担は避けられなかったのですが農民に対する租税そ
のものは王国の時と大差なかったらしいです。
(元々、ハンガリーの領主連中は租税が高く、しかも過大な賦役も
課すという状態でした。)
このあたりの話ですと、オスマンスレで質問されるほうが的確な答
えが得られるのではないかとも思います。

雑談ですが、確かに教会はモスクに改造されたところが多いですね。
ブダの王宮のマーチャーシュ教会もそうですしエルジェベート橋の
袂の教会にはモスク時代の装飾が残存しています。
186胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/10/22 15:30
>>156
亀レスで申し訳ないですが、アイヌの先輩に聞いたところ
「無いよ、そんな変なもの。」と言われてしまいました。
「和人の血が濃い人はでると思うぞ。」ということでした。
俳優の宇梶さんも蒙古斑が無かったようですね。
宇梶さんはアイヌと和人のハーフだそうです。
187世界@名無史さん:03/10/22 18:37
> 因みにセルボ・クロアチア語を話す友人がいて、この人が
> スロバキアでセルボ・クロアチア語を話したら、ほとんど
> の人は訛ったスロバキア語ぐらいに思っていたと言ってま
> した。
ウチの大学の露文科教授は
「スラブ語圏の学者が集まってシンポジウムをやるときは
別に通訳は要らない、自国語をしゃべっているだけで十分通じる」
と言ってました。ホントかどうかはともかく。
胴締め剛術家さま
人種によって差があるのですね。
西欧で暮らしている方の話で、子供の蒙古斑を見たご主人の
親(奥さんが日本の方なんですね)が、妻が子供を虐待して
いるのではないかと勘違いしてという笑えないような話を新
聞のコラムでみたことがあります。ハンガリー人で他国の方
と結婚されるとこういう事態が起こるのでしょうか・・・。

>187
本人に確認したところ、基本的に通じていたとのことでした。
そういえばチェコ映画の「コーリャ 愛のプラハ」でもチェコ
人の主人公と預かる破目になったロシア人の子供の間で言葉が
通じるような通じないような微妙な遣り取りをしていました。
言葉が同じで意味が違うとか、けっこう相違もあるような感じ
を映画では受けましたが・・・。
次回の世界文化遺産はハンガリーのホルトバージです。
是非ご覧あれ。
190胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/10/26 20:53
放送日時は何時ですか?
向こうの友人にもビデオを送ってやりたいもので。
191ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/10/26 22:28
10月26日・・今日の・・23時30分からです。
今日ですよ!!
192世界@名無史さん:03/10/27 00:35
>>191
2500年前のアジア系人種の遺骨って、何人がハンガリア平原に西進してたって事?
世界文化遺産 第372回 2003/10/26 23:30-24:00 ホルトバージ国立公園(ハンガリー)
http://www.tbs.co.jp/heritage/20031026/outline_p.html
>192
私も見ました。驚きです・・。フン族なんか
よりもはるかに前ですよね。
どなたか詳しい方は居られないですか??
194世界@名無史さん:03/11/03 19:03
>193
某東欧史サイトのBBSでは初期のスキタイかイラン系のキンメリア人
じゃないのかという話が出てるな。
どんな連中かは私もわからんが・・・。
キンメリア人ってどんな連中でしたっけ・・。
196胴締め剛術家 ◆/7yqagaCtg :03/11/05 02:37
キンメリア人やキンメリオイと呼ばれる人たちはスキタイ出現以前から
黒海北岸にいたようですが,スキタイに駆逐されてしまった存在のようです。
とはいえ、ともにイラン系で文化的にもお互いに非常に近い関係にあったようです。


彼らはスキタイに追われた後、黒海の西側もしくは東側をまわってアナトリアにはいっており
その北部と西部を一時占拠していたようです。彼らキンメリオイを追って次々にスキタイが南下したようですが
彼らは道を誤ってイラン西部に侵入し、その後28年にもわたって西アジア全域を荒らしまわっていたようです。
アッシリアやウラルトゥの楔形文字粘土板には『ギミリ』または『ガミラ』とか『アシュクザイ』と呼ばれる
北方遊牧民の侵入者がたびたび登場します。前者がキンメリオイ,後者がスキタイのことだそうです。
粘土板によればキンメリオイは紀元前760年ごろにイラン西部のウルミア湖南方に現れたようで、
当時のウラルトゥやアッシリア帝国と争ったり、金で雇われて一方の傭兵になったりと暴れ回っていたようです。
最終的にはウラルトゥに組したようで、それに対抗する為にアッシリアが新たに手を結んだのが新興のスキタイだったようです。
何だかんだで紀元前6世紀頃まで西アジアで暴れまくり、各勢力から随分な富を吸い上げていたようです。



197祝 大東亜会議六十周年:03/11/05 06:57
[●]【卍】(州)
目覚めよ「正義の枢軸」
 __∧_∧_
 |(  ○m○| <起きた(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|       ~ ̄ ̄ ̄ ̄
敵国条項を撤廃せよ!!
198世界@名無史さん:03/11/05 08:08
ハンガリーは自殺者数が
日本を抜いて世界トップ
だよ。なんでなの?
199世界@名無史さん:03/11/06 19:57
アンドラーシとシシィは肉体関係あったのだろうか・・・
200 :03/11/06 19:59
>>198
日本と同じで不景気が原因?
胴締め剛術家さま
情報感謝です。ただ、TVで言っていた東洋系の範疇にイラン系が入るのかなぁ
と思ったりします。

閑話休題
二輪のレースを転戦する某選手のコラムを読んでおりましたらマヤ人の末裔たち
にも蒙古斑があるというような内容を書いておられました。

>198
今でもそうでしたっけ。以前は自殺大国で有名?でした。
何故なのかは私はわかりません。気質的なモノとは良く言われる回答ではあります。
>199
噂話の範疇かと思います。王妃ご自身が誤解を生むような詩を残したりしたのがそ
もそも話をややこしくしているのですが・・・。
202胴締め剛術家 ◆G5h1IWa78w :03/11/21 16:17
マヤやインカの人やアメリカ原住民の人たちは
シベリア経由でアメリカに渡ったモンゴロイドですから
蒙古斑が有るんでしょうね。

混血の進んだブラジルでは蒙古斑を持つ人が案外いるらしいです。
ヒクソン・グレイシーも子供のころは尻が青かったらしく、
父、エリオ・グレイシーに「日本人のようじゃ。」
といわれて可愛がられたようです。
203マール:03/11/22 15:29
旅の者です。

ハンガリーは大変遠い国のイメージですが、ヨーロッパではどうなんでしょうか。
といいますのも、
映画「マイフェアレディ」で、イライザが社交界デビューしたとき、
彼女が何処の女性か、周りに分からず、
ハンガリーの姫ということになってしまったくだりがあります。

ヨーロッパのどこでもなく、
ハンガリーというのは、ハンガリーのイメージにどことなくエキゾチックなものがあんだろうか、
と不思議な印象をもちました。
204ハンガリースレにデビュー希望者です。:03/11/22 15:37
古い話ですが
ナーダシュディ家。ズリーニ家。フランコパン家といった大貴族について、
さらりと触れたかたがおられました。

こういうような一族について、一通り知ることができる良書とかありますでしょうか。
歴史書もそうですが、歴史物の小説や、伝説、民話なども、リアルなImage・親近感の獲得に
一読したいんですが。

皆さんの会話についていくため、最低の知識を入れたいんですが。

 日本歴史のスレで信長も頼朝も知らなければ、噴飯者だと思いますし、
思い切って、基本書の紹介をお願いしました。



205ヨーロッパピクニック計画:03/11/22 16:20
ヨーロッパピクニック計画:

遅いすれですが、堪忍してください。

この番組、私も見たんです。
特に、コール首相が、涙声になったなど、びっくりしかつ感動しました。

私は、プロデューサーの構成に少し影響されすぎかもしれませんが、
とにかく、こういう事実、ヨーロッパの人、特に、庶民はどの程度知っているのかと思います。
ハンガリーの諸外国での民衆からのイメージへ、すごくプラスの話ですし。

尊敬される民族とはこういう歴史の積み重ねだと思います。

(もちろん、ハンガリーにだって、悪い人や、恥ずべき人も居ると思います。
尊敬できるかどうかは、個々人を対象に議論すべきで
尊敬される「民族」という話のロジックに嫌悪を持つ人もいるかもしれませんけど。


日本では死語になりましたが、「義を見てせざるは勇なきなり」、を思い出します。
ハンガリーのフアンになりそうになります。お馬鹿ですね。
>マールさま
こちらでは初めまして。
あの映画では「トランシルバニアの王子」とかいう人物も登場している
と聞いたことがあります。恥ずかしながらまだ未見なもので・・。
アジア系の遊牧民族の末裔で、言葉も全く違う不思議な連中と思われて
いたようですね。ドラキュラがトランシルバニアを舞台にするのもその
あたりがあるのでしょう。

>204
お読みになられたのは私の駄文かと思います。
実のところハンガリーの歴史については内容が古いと言われる恒文社の
「ハンガリー史」以外でまとまったものはあまりありません。
私もいろんな本から断片的に知識を仕入れている程度です。

ズリーニ家とフランコパン家はクロアチアの大貴族ですので、そちらでも
取り上げられていることがあります。確かクセジュのユーゴスラビア史に
多少まとまった記述があります。

英文のハンガリー歴史事典(アマゾンで扱ってます)だとこの3家以外に
ついても書いたものを見たことがあります。
お役に立てずにすみません。
>205
ネーメト首相がコール首相と会談する場面ですね。
私も感銘を受けました。

ただ、私が自戒しているのはハンガリーが好きだから
と言って全て肯定的に見てはいけないということです。
この国の歴史にもいろいろな局面がありましたので。

とは言え、時には無謀と言える彼らの勇気に対しては
私も敬意を抱いておりますし、ひょんなことからこの
国の歴史に興味をもち、恐らくは一生つきあうだろうと
思います。私も馬鹿なのですよ。

208205:03/11/30 19:18
>207

お返事ありがとうございます。ネーメト首相は、
いま銀行にお勤めなんですってね。どこの銀行で、どういうお仕事でしょう。
また、当時の外務大臣とか、国防相とか、どうされているのでしょう。
と、気になりました。
209マール:03/11/30 20:24
前に別のところで、ハンガリー王とボヘミア王が古来から同一の君主によって兼任される「慣例」
とやらについて、質問してしまいました。
お返事ありがとうございました。
この「慣例」云々は、講談社現代新書の江村氏の本で、ラヨシュ王の死去により、ハンガリー王位が、ハプスブルクに引き継がれ、同時に
ボヘミア王位も「・・・・古来からの慣例」によりと記載があったのです。

おそろく、ハプスブルク側は、実際そういう例が過去に何度かあったことを捉え、「古来からの慣例」として、話を有利に持って行ったのかもしれません。
「古来からの慣例」が、どの程度のものか、皇帝の権威の前に、また、トルコの脅威の前に
反論するものもいなかったのかもしれませんね。
210世界@名無史さん:03/11/30 21:37
ハンガリー王位は、イシュトバーン王からずっと続いたんでしょうか。
オスマントルコの支配の下では、どうだったのかな。何人かが名乗ったりしたのでしょうか。

また、WW1後の、ホルティの摂政とは、一応ハンガリー王国と記憶しますが、
この状態はいつまで続いたんでしょう。
ホルティは自分の死後でも、誰か王様の当てでも会ったんでしょうか(スペインのフランコみたいに)。

しして、ハンガリー王位(ハンガリー王国)の廃止は、WW2の共産化直前まで。そういうことでしょうか。
211世界@名無史さん:03/11/30 21:40
ホルティは海軍軍人でしたね。
でもハンガリーに海軍はあったかな。
旧オーストリア帝国にはあったはずだが、旧ハンガリーも独自に持っていたか、
また、ハプスブルク帝国解体後のハンガリー王国が海軍があったか、わかんないね。

212p1026-ipad41marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp:03/11/30 21:53
マンボー新橋1号店
マールさま

少なくともアールパード家時代にボヘミア王位を兼ねたことはありません。
ボヘミア王を兼ねた人を列挙すると
アールパード家断絶後の混乱期に
ヴェンツェル王(プシェミシュル家 ボヘミア王・ポーランド王)が登場
したのが最初です。この人は3年ほどの統治で追出されてます。

その次は
フス戦争で有名なルクセンブルグ家のジギスムント王でこの人はボヘミア
王の他、神聖ローマ皇帝位も保持していました。
その後が娘婿のハプスブルグ家のアルベルト王、神聖ローマ皇帝でボヘミ
ア王です。
この人は赤痢で若死にして子供のラディスラウス・ポストゥムス(遺し腹
のラディスラウス、父の死後生まれたので・・)ハンガリーではラースロ
ー5世が王位を継ぐか、ポーランド・ヤゲヴォ家から来たウラースロー1
世(ポーランド王ヴワディスワフ3世)が継ぐかで内戦状態になりました。
フニャディ・ヤノシュ以下のの後押しで王位についたウラースロー1世は
対トルコ戦に出撃しヴァルナで戦死、ラースロー5世が王位につきます。
彼はベオグラード戦の後のごたごたでフニャディ・ラースローを処刑した
結果、フニャディ一族の武装決起で国に居られなくなってボヘミアへ逃れ
そこで急死しました。ボディエプラディ家のイジーによる毒殺とも言われ
ます。
この後にボヘミアではイジー王、ハンガリーではフニャディ家の次男マー
チャーシュが王位につくわけです。

たぶんフリードリッヒ3世の系統の末裔たるハプスブルグ家側としては断
絶したアルベルト王の流れのハプスブルク家がルクセンブルグ家のジギス
ムント王以来ハンガリー・ボヘミア王を兼ねていたことを捉えて「伝統」
と言ったのではないかと推察します。
ただ、クロアチア王位のようにハンガリー王はボヘミア王を兼ねるという何
らかの取り決めというものは存在しないと思います。
215わたしはダリ?名無しさん?:03/11/30 22:09
ハンガリーが自殺が多いのは有名。
先進国、中進国の中では何十年もトップを維持している。

自殺が多い理由は文化的、気質的なものが原因ではないかと思われる。
>210
ハプスブルグ家に王位が行きました。
王国がなくなったのは共和国化した時点ですね。

>211
オーストリア・ハンガリー海軍はトリアノン条約
で海を失った時点でなくなってます。
また二重帝国当時独自のハンガリー海軍という組織は
なかったと思います。

ホルティ提督は公式行事の際は海軍提督の装束をして
いたようですね。
217カレス ◆AUvFvohlXU :03/12/02 19:29
欧州の公共的、社交的な習慣で、
最終的な公的身分がその後の尊称になるんじゃないでしょうか?
ホルティ提督の場合も、それ故に公的には提督として呼ばれ、
公式な場へでるときは、海軍提督の装束が彼の正装になるのだと思います。
カレスさま
ご教示感謝です。
そういうことなのですか。
しかし、存在しない海軍の礼装で演説している写真を見ると
違和感がありますね。
海無き国の海軍提督、王無き王国の摂政というのは・・・。
219211:03/12/06 20:57
>>カレスさん、

僕もご教示感謝です。

ただ、少し疑問なんですが、摂政の方が、海軍の将官より格上だと思うんですが。


>>ギシュクラ・ヤーノシュ さん

ホルティ提督は、摂政殿下と呼ばれるより、提督閣下と呼ばれるのが好きだったでしょうか。
しかし、海軍の制服を大切にしまっておかないといけないですね。
オーストリア海軍に服を納めていた仕立て屋さんも、どうなったかわからないですし。
まぁ、摂政ですから、個人的仕立屋さんくらいいるのかも。
220平民マール:03/12/06 21:44
カレスさん

サウンドオブミュージックという映画ですが、あくまで史実とは別に映画の話として考えてですが、
トラップ大佐が、家庭教師のマリアに大佐と呼ぶように命じますね。
あれって、彼が軍国主義者か、あるいは秩序大好きの軍隊調の人物ということを示すことかと思っていました。
その後、彼がハプスブルグの海軍への帰属を、つまり、古い体制への郷愁に生きているということかと考えました。

しかし、これは、貴族秩序、社交界のマナーというものを重視する滅びつつある(滅んではいないか?)側であることを
単に示すだけなのかもしれないと思いました。
軍国主義は誤りですね(もちろん、ナチス的な軍国主義は大嫌いは映画で明確ですが)。

ギシュクラ・ヤーノシュ さん、ちょっと、別スレのイシューかもしれませんね。失礼しました。





>217
前々スレで「しい坊」さまが本人もハンガリー政府も周囲の国も
海軍提督と公式に呼んでいたということと、おっしゃる通り、
最終の階級で呼ばれるのが慣習である旨を書いておられました。
全く失念してました。
あと彼は貴族ではなかったので爵位はなく、”「勇爵府」(Vitézi
Rend) というのを勝手に作って、自分は「勇爵」(vitéz) を名乗
りました。”ともありました。

>211
将官級というか士官級になればオーダーメイドで服をあつらえて
いたでしょうから、心配はなかったでしょう。

マールさま
いえいえ、かまいません。
別スレだと答えるのが大鴉王の傭兵隊長なもんで・・・。
あの文体は考えるのが大変でして・・・。

トラップ大佐については軍事板の東欧兵器スレで詳細な解説が
あったのでご参照ください。
彼は有名なUボートエースでしたし、二重帝国海軍の軍人であ
ったことに誇りを持っていたのでしょうね。
222平民マール:03/12/07 19:47
お返事ありがとうございます。

ちょっと、続けてよいでしょうか。カレスさまもときどきお見えになるようですし。
「欧州の公共的、社交的な習慣で、
最終的な公的身分がその後の尊称になるんじゃないでしょうか」とのことですが、
こういうものを示した本とかありますでしょうか。
欧州の社交界デビューのマナー集とか、欧州の外交の儀典官のバイブルとかそんな感じのもの。
英語でもよいのですが。
多分、この種の本、すきな人、割と居そうなんですが。

どうも、失礼しました。
223平民マール:03/12/07 19:55

私は、220の書き込みをした者です。
誤解を招いてもいけないので、直します。
「軍国主義は誤りですね(もちろん、ナチス的な軍国主義は大嫌いは映画で明確ですが)。」
ですが、これは次の意味です。

この映画でのトラップ大佐の描写として、”大佐は軍国主義者としてとして描かれていた”、と解しては間違いですね。
なお、映画では、「ナチスを嫌う人物としても描かれて 」おり、これはきわめて明確でした。

と直します。
大変お騒がせしました。

**
いずれにしても、背景への知識、特に、この場合、ハプスブルク帝国に属した人の作法なり考え方へのあいまいでもいいんですが、漠然とした感覚、これが薄いと、映画の見方が変にずれると思いました。

224マール:03/12/07 21:03
さて、スレッドマスター様。
いつも質問ばかりでご迷惑をおかけしております。

今年の読売8月24日の書評欄で
H・バラーシュ・エーヴァ「ハプスブルクとハンガリー」(出版社:成文?)がでていました。
もうお読みになったかもしれませんが。

多分、バラーシュがいわゆるラストネーム、エーヴァがファーストネームで、筆者は女性かと思います。
Hが、ミドルネームなんでしょうけど、ぜんぜんミドルではないですね。
マジャール人は、普通どんな風(順)に、名前の並べるんでしょうね。

それでは失礼します。

225カレス ◆AUvFvohlXU :03/12/08 09:38
>>222 マールさま
本として出てるんでしょうかねえ。
私のレス>>217は、自分の見聞したを元にした考えですから…

>>220
映画では多分トラップ大佐は、
秩序を大事にしてるキャラクターとして描かれたのだと思います。
大佐という地位まで登った人ですから、別に不自然なことではないでしょう。
またマリアに大佐と呼ぶように注意したのは、普通に礼儀作法を
教えてるとも言えるのではないでしょうか?
例えば、ドクターを持ってる人を「ドクター○○」ではなく
「ミスター○○」と呼びかけるのは、
欧州の社交儀礼としてはなっていないといえるでしょう。
こういう礼儀作法って、今も生きてると思いますよ。
226::03/12/08 10:17
> 星川ひかるって可愛いなあ‥‥おっぱいの大きいコとした事ないし(汗)
> 拾ったページだけど結構イイかも
> http://www.crystal-online.tv/crl_showpage.asp?I=NIF
> http://www.crystal-online.tv/contents/search/CRL_Facture_Detail.asp?I=NIF&FACTURE_CD=GR-83
> http://www.crystal-online.tv/contents/search/CRL_Facture_Detail.asp?I=NIF&FACTURE_CD=VA-89
227マール:03/12/12 22:18
カレスさま、

お返事ありがとうございます。
ホルティ提督の場合、軍人なので「最終的な公的身分」が分かりやすいですね。
階級がありますので。
これが文官だと、役職となりますから、大臣とか、局長とか、どうもうまくないですね。
軍人でも役職がありますが、局長とか、参謀長とか、階級で済ませるのは、
大変、社交界でも、都合がよいですね(礼服もありますし)。


228マール:03/12/12 22:25
補足しますが、役職だと、後任が同じタイトルで呼ばれるでしょうし、
前任も前々任もいるので少しヤヤコシイと思いましたので。

「外務大臣閣下」と呼ばれる人が、現任、前任、前々任、、、と
同席しているとヤヤコシイので。
どうなんでしょうか。
229カレス ◆AUvFvohlXU :03/12/16 08:54
マールさま
文官と武官での違いがありますかね?
でも先日イラクで亡くなった奥さんは、
最終的な地位は殉職扱いで階級が上がり大使になりましたから、
公人として「奥大使」となってますね。
例えば大臣経験者はそれより上の地位につかなければ、その後も公人としては、
「大臣閣下」と呼びかけてもいいのではないでしょうか?

私の意見は考察にすぎないので信用しないほうが良いと思います(w
念のため。
230マール:03/12/21 16:13
カレスさま

私の話にお付き合いいただき大変ありがとうございました。いろいろ関心は尽きないのですが、
スレ違いになっては、
館の主のギシュクラ・ヤーノシュ さんに悪いので、この辺でもう、と思っています。
231世界@名無史さん:03/12/21 19:01
蒙古斑って猿にもあるんだよ。
232世界@名無史さん:03/12/21 19:09
>>147
今の白人から黄色人種が進化したのではない。Gm遺伝子が別物だ。
古モンゴロイドから新モンゴロイドや白人が分離したのだろう。
233世界@名無史さん:03/12/21 20:12
>>232
分岐したころの古コーカソイドや古モンゴロイドなんて絶滅してるだろ。
最も遺伝子が新しい民族はアボリジニらしいけど、ちょっと不自然だね。
混血も凄まじいだろうから、進化の過程なんて簡単にわかるわけがないさ。
234世界@名無史さん:03/12/22 20:29
>>232
以下のサイトでも、白人は黄色人種の一派から分離したと書いてます。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/7219/columns/9aa_Kagaku/Nihonjin_Kigen.html
確かにGm遺伝子から見てもそのほうが自然だろう。アボリジニやインディオに白人そっくりな顔がいるしね。
カレスさま
勉強になります。知人にドクターがいますが、ホテルのフロントなんかでは
考えて見ると「ドクター○○」と呼ばれてました。このあたりの感覚は現地
で生活されておられる方でないとわかりにくいのでしょう。私もさっぱりで
す・・。

うるるん滞在記でシク村のお二人日本に来てたのですね。
蛇腹みたいな袖の民族衣装を持ってきたんだなぁ・・。
237世界@名無史さん:04/01/01 01:47
ヴィクトールのつづりはViktor?
>224
マールさま
ちょっと私ではわからないのでハンガリー在住の友人に助けを求めてみます。

>237
ハンガリーのオルバン・ビクトル前首相のお名前のスペルを見るとViktor
となっております。
239世界@名無史さん:04/01/05 15:52
>>238
そうか
さんくす
240世界@名無史さん:04/01/05 20:45
「ハンガリー人の真っ赤なホント」とかいう本の冒頭に、「われわれは
西洋人なのか、それとも東洋人なのか? ハンガリー人はずーっとこの
問題で悩んできた」と、ハンガリー人著者は書いている。
で、いまではいちおう「ウラル・アルタイ系の先祖を誇りにはしているが、
西洋人の一員ということで、とりあえず落ち着いている」とあった。

ただ、それでもハンガリー人が好む国として挙げられるのはかつて同君連合
をなしたポーランドやオーストリアのほかに、あまり歴史的には接点のなかった
フィンランドが上げられるのは興味深い。「先祖が同じウラル・アルタイの
仲間」という意識が、やはり働くものらしい


前フリが長かったが、同著によればハリウッド俳優はハンガリー人が占めていた
時期があり、「ハンガリー人であるだけでは、映画スターとして十分とはいえない」
などとハリウッドの撮影所に掲げられていた時期もあったとか

なお、日本にとって重要な事実としては、やはりブダペストが現代科学の発生地
として重要だったことをあげねばなるまい。アメリカの核兵器開発・原子物理学
の推進は、ハンガリー系のユダヤ人が主力だったといってよい。
そのあたりは、栗慎の本に詳しい。
戦時中、アメリカの核開発の研究所では、あるとき一人の科学者がこう提案したという。
「ここにいる皆さんは、みなハンガリー語がしゃべれるはずです。なのになぜ、苦労して
英語をしゃべらなければならないのでしょうか?」
241世界@名無史さん:04/01/06 13:13
ユダヤ系じゃないハンガリー出身の偉人っているの?
242世界@名無史さん:04/01/06 14:18
うーん、ルー・テーズとか・・・?
>240
物理学者連中の話は「異星人伝説」という本で詳しく書かれてますよ。
もしお読みでなければ一読をお勧めします。

>241
リスト・バルトーク・コダーイといった音楽関連の偉人はマジャール人
では?
数学関係だとヤノシュ・ボヤイはトランシルバニアのマジャール人です。
他にもいると思いますが、眠い頭で思い浮かんだのはその程度です。
ユダヤ系のハンガリー人となると数学系に何人もおられますし、写真家
のロバート・キャパもそうですね。

余談ですが、ロケットの父の一人ヘルマン・オーベルトはトランシルバ
ニアのシギショアラのドイツ人です。

244世界@名無史さん:04/01/09 20:33
>>224

マールさん

バラージュが姓で、エーヴァがクリスチャンネームな訳ですが、
その前のHは夫の姓の頭文字だと思います。たとえばハラース(Halasz)とか。
245マール:04/01/09 22:47
そうだったんですか。
ありがとうございました。
ちなみに、ハンガリーでは、
結婚後も女性の姓が正式な姓になるのかな、中国みたいに(いや、彼女は作家なので、自分のもともとの家名を用いているだけ?)、
でも、それはクリスチャンネームを除くと一番後ろになるのかな(クリスチャンネーム=GivenNameのみ、一番後ろになる)、と思いました。
大変お手数をおかけいたしました。
246世界@名無史さん:04/01/10 21:29
ぶしつけな質問です。
ハンガリー王国とは、トランシルバニア候(Principality)も封土だったんでしょうか。
また、ボイボジナにも今でもハンガリー人がたくさんいると聞いたですが。
 
こんな理解でよいのでしょうか。
  ハンガリー王
       直轄王領
       トランシルバニア候領
       スロバキア候?領
       ・・・・
       ・・・・
だったんでしょうか。(幼稚な質問でスマン)。
 
247カレス ◆AUvFvohlXU :04/01/11 04:21
>>245 マールさま
結婚した女性の姓名について、ハンガリー人の同僚に聞いてみました。
可能性は5つくらいあるようです。
KOVACS Istvan氏と結婚したNAGY Evaさんの場合で書いてみます。
1.Kovacs Istvanneコヴァーチ・イシュトヴァン夫人(年配者に見受けられます)
2.Kovacsne Nagy Evaコヴァーチ夫人ナジ・エーヴァ
3.Kovacs Eva(夫の苗字になる場合)
4a.Nagy Eva(完全な夫婦別姓の場合)
4b.Nagy Eva(Nagy Istvan=夫が妻の苗字になる場合)
5.Kovacs-Nagy Eva(夫の苗字とハイフンで結ぶ場合)
#「ne」(eは長母音のe'です)が、夫人を意味します。
他のパターンもあるのかもしれませんが、とりあえずこんな感じです。
248世界@名無史さん:04/01/14 12:23
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/jp/news/79/essay79-4.html
>>457
ハンガリーでは1993年に少数民族法が成立し、
13の少数民族に地方自治体レベルで民族自治組織が公式に認められた。
ルシン人も13の公認少数民族の中に入っているが、
ルシン語を話せるルシン系ハンガリー人の数は限られている。
ちなみに13の公認少数民族とはロマ(ジプシー)、ドイツ系、
スロヴァキア系、ルーマニア系、クロアチア系、セルビア系、
スロヴェニア系、ポーランド系、ブルガリア系、ギリシャ系、
アルメニア系、ウクライナ系、そしてルシン系である。
=========================

どうしてユダヤ系は少数民族として公認されていないのであろうか?
7年位前に在日ユダヤ系ハンガリー人から、ハンガリーにはユダヤ系児童の為の幼稚園もあると聞いたのだが。
多くがハンガリーを出国してしまって、共同体は完全になくなったのか?
249世界@名無史さん:04/01/14 12:29
ピーター・フランクルの母親は現在もハンガリーに住んでた。
250カレス ◆AUvFvohlXU :04/01/14 16:05
>>248
普通ユダヤっていうのは、ユダヤ教徒であって、ユダヤ民族じゃないし、
彼らの代表各(宗教的にはあまり厳格でないユダヤ系)は、
しっかり政治・経済に食い込んでるから関係無いのでは?
いや確認したわけではないけど。
251世界@名無史さん:04/01/16 20:52
ハンガリーのユダヤ教徒の組織でMAZSIHISZというのが
ありますが、彼らも民族的帰属について聞かれたら
自分たちはハンガリー人だと答えるでしょう。
前々スレで深谷先生がハンガリーのユダヤ人の民族的な
アイデンティティについてフランクル・ペーテルとその母親の例を出して
ちょっと書いているので見てみるといいかも。
252世界@名無史さん:04/01/16 21:19
今はどうか知らないが戦前までハンガリー・ユダヤの使用していた言語は
イディッシュ語でもハンガリー語でもなく、正統?ドイツ語話者が多数派であったとか。
チェコ・ユダヤもドイツ語であったらしい。

スロバキア・ユダヤの使用言語はハンガリー語が多数派であったらしいとか。
(だからスロバキア人から憎まれたとか)
253世界@名無史さん:04/01/17 16:24
質問です。ハンガリー狂詩曲15番のラコツイマーチのラコツイて誰ですか?
ウクライナのマゼッパみたいな人?
254世界@名無史さん:04/01/17 16:36
違います
255世界@名無史さん:04/01/17 17:06
Rákóczi Ferencz U !
Juraj Jánošík !
Grigore Pintea !
256世界@名無史さん:04/01/17 18:58
イディッシュはポーランド(ウクライナ)にいたユダヤ人の言葉では?
>246
モハーチ戦でハンガリー王国が実質的に滅ぶまではそういう形だと思います。
トランシルバニア侯以外にはどこそこ太守(クロアチアとか)という存在が
おりましたが、スロバキアには侯とか太守はいなかったと思います。
ただ、アールパード家の断絶前後、北ハンガリー(スロバキア)のトレンチー
ン城を根拠とした大豪族チャーク・マーテの力は強大でしたし、ジギスムント
王の死後の混乱時にラディスラウス・ポストゥムス王に雇われたボヘミアの傭
兵隊長ヤン・イスクラは北ハンガリーを長期に渡って占拠、総督かなにかの称
号を一時持ってように思います。

セルビアの北部にハンガリー系住民が多いのは元々ハンガリー王国に属してい
たためです。

>247
カレスさま
詳細な解説ありがとうございます。我が友人の説明では2つほど欠落
しておりました。
>253
ラコーツィ・フィレンツ2世というハプスブルグ家と戦ったハンガリーの
大貴族に使えた楽士が作ったメロディですね。
ヴェルディの「ファウストの業罰」にも同じメロディが出てきます。
というより原作にないラコーツィ軍が劇中に登場しています。
彼はマジャール貴族に対して締め付けを強めるハプスブルク家に対して不満
を持ち、ハプスブルグ家に対し軍を起こし善戦するものの結局敗れ、最初は
フランスへそしてトルコへ亡命し客死しました。
フランコパン・ズリーニの未遂に終った反乱計画・テケイのクルツ軍と続く
従来のマジャール貴族の大規模な反抗の最後のものが彼の戦いでした。




259世界@名無史さん:04/01/18 03:06
世界情勢カテゴリ各板の再編に関する議論@2ch運用情報
http://qb3.2ch.net/test/read.cgi/operate/1074164980/l50
260世界@名無史さん:04/01/18 08:46
Koloszvár出身で、後にイスラームに改宗して、イスタンブルで史上初めてアラビア文字による活版印刷を始めた
İbrahim Müteferrikaも、ラーコーツィ・フェレンツU世の反乱が失敗して、オスマン朝に亡命した人だったな。
261カレス ◆AUvFvohlXU :04/01/18 10:22
>>253>>258
>ラコーツィ・フィレンツ2世というハプスブルグ家と戦ったハンガリーの
>大貴族に使えた楽士が作ったメロディ
いわゆるラーコーツィのメロディの原型は、広く分布するようです。
旧ハンガリー王国内だけではなく、ルーマニアやトルコの軍楽隊の中にも、
見つかっています。

リスト、ヴェルディとは別に、ベルリオーズが独立した行進曲を作ってますね。
オーケストラのアンコールで有名な曲で、ラデツキー行進曲がありますが、
ハンガリーのオーケストラだと、ベルリオーズのラーコーツィ行進曲になります。
各位
ベルディじゃありませんカレスさまのお書きになっているベルリオーズ
が「ファウストの業罰」の作曲者です、失礼いたしました・・・。
何を書いてるんだ私は・・・。

>260
ラコーツィに従ってフランスに亡命しそこに留まった連中はフランスの
軽騎兵の元祖になってます。
余談ですが、ラコーツィの遺体はその後帰国して今はスロバキアのコシ
ュツェの大聖堂に眠っています。市内には彼の遺品を展示した記念館も
あります。

>261
カレスさま
失礼しました「ファウストの業罰」はベルリオーズです。
完全に当方のミスです。
おっしゃる独立した行進曲は劇中でラコーツィ軍が登場
するシーンで使われているそうです。
余談ですが、オペレッタの「ジプシー男爵」も旧ハンガ
リー王国のテメシュヴァール(今のルーマニアのティミ
ショアラ)を舞台にしたお話ですが、何故かマリア・テ
レジアの為にハンガリー軍がスペインへ出撃するという
筋書きなんですが、出撃場面で「ラコーツィ行進曲」の
メロディが使われてました。
それにしても元になったメロディがそんなに広く分布し
ているとは知りませんでした。

小林研一郎先生もアンコールでよく演じられるとお聞き
しましたが、一度生演奏を聞いてみたいものです。
263世界@名無史さん:04/01/19 20:53
253です。
ギシュクラ・ヤーノシュさま、カレスさま、レス有難うございます。
>263
手元のリストのハンガリー狂詩曲のCDのライナーノーツを見てみると
当該曲のオリジナル曲はMichaei Barna(ミヒャエル バルナと読む
のでしょうか)なる人物の作曲だそうです。カレスさまのご教示下さっ
た事項と合わせるとルーマニアやトルコに広く知られているメロディを
元に原型になる曲を作ったということなのでしょう。

カレスさま
ルーマニアやトルコの類似の曲が収められているCDとかをご存知でし
たらご教示いただけませんか?
是非聞いてみたいと思います。
265カレス ◆AUvFvohlXU :04/01/20 08:48
>>264
ヤーノシュさま
実は>>261のレス、アップする直前にそのCDの情報を消してしまったのです。
レスが長すぎると思ったのと、そのCDについて聞かれるとは思わなかったので…
以下、そのCDの情報です。
グループ名:Janosi ensemble(Janosi egyuttes)
WEBサイト:http://www.janosiegyuttes.hu/
CDのタイトル:Rhapsody Liszt & Bartok Sources
番号:HCD18191(Hungaroton,1991)
以上です。このCDはこのグループの最初のLP(1985年)と
2枚目のLP(1991年)のA面が収録されてます。
このグループも70年代のTanchaz運動の中で生まれました。
リーダーのヤーノシ・アンドラーシュさんのヴァイオリンは、
本当に素晴らしいです。
266カレス ◆AUvFvohlXU :04/01/20 09:00
ヤーノシュさま
>>265で書いたCDのライターノートによると、
ラーコーツィ行進曲の旋律は、ハンガリーのいたるところで、
その様々なヴァリエーションが見つかるようです。
CDに収録されているルーマニアのものは、AVASでのヴァリエーションです。
またリストは、12歳(1823年)の時点でこの旋律を知っていたそうです。
カレスさま
情報感謝です。フンガロトンのCDなら日本でも買えるかも。
駄目なら現地の友人にお願いしてみます。
ラコーツィ行進曲は勇壮でいて物悲しくもあり、ハンガリー
らしい美しい曲だと思います。
いつかブダペストで生演奏で聞いたみたいものです。
268マール:04/01/30 19:22
>>247(カレス様)

ありがとうございました。大変お手数おかけしました。恐縮です。
伝統的というか、古式的には、
「1.Kovacs Istvanneコヴァーチ・イシュトヴァン夫人(年配者に見受けられます)」
自分の名前を一切出さないんですね。
社会主義を経たのに、こんな名乗りがあるなんて、と思います。

ちなみに、「結婚した女性の姓名」とは、
公的文書に載せる名前でしょうか(Passportとか社会保険、とか)、
儀礼上の呼びかけ(パーティの案内状とかも含む)でしょうか。



269カレス ◆AUvFvohlXU :04/01/31 08:44
>>268マールさま
>社会主義を経たのに、こんな名乗りがあるなんて
まあ、だから年配者に多いのでしょう。
世代交代するごとに女性の地位向上とかもあって、
結婚後の名前に変化し始めたのではないかと思います。

>「結婚した女性の姓名」
そうです、通称とかではなく、公式なものになります。
270マール:04/02/07 19:08
カレスさま

ありがとうございました。
結婚によって、女性の個人名も実家名もすっかり消えてしまうなんて、
多分、ハンガリーの伝統というより、西欧社会の伝統ではないかと思いますが、どうでしょう。
よほど、実家が名門家出ない限り、実家名を名乗る必要もなく、こうなるのかなと。

でもたとえば、Evaさんの場合、実家の両親も、友達もみんなEvaと呼んでいるでしょうし。
旦那だって、Evaと、宮中に仕えれば、女官同士や、王妃からもEvaと呼ばれないかなと思います。
お世話になった神父さんだって、洗礼名で呼び続けると思うんですが。
などと、ひとりで思っています。
271カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/07 22:13
>>270
マールさま
呼びかけの名前はずっと消えませんよ、そりゃ。
あくまで書類上(公的記録として)の姓名のことですよ。

あと、代々親の名を引き継ぐ家系だと、
…祖父、父親、息子、孫…等延々と同じ名前ってこともあります。
(女性ならもちろん、…祖母、母親、娘、孫娘…と同じ名前が続く)
272ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/08 01:33
>271
代々同じ名前というのは日本の商家なんかでもありますね。
あと、かのフニャディ・ヤーノシュは兄弟にもう一人ヤーノ
シュがいる、つまり兄弟で同姓同名という訳なんですが、こ
ういう例は普通にあるのでしょうか。
また兄弟だと2せとは言わないでしょうから呼ぶときはどう
いう呼び方になるのでしょう・・。
273カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/08 09:28
>>272
フニャディ・ヤーノシュに同名の兄弟がいるとは、知りませんでした。
可能性として、片方をクリスチャン・ネームで呼ぶとかどうでしょう?
同じ名前の人が二人ても、愛称が違えば呼びかけるときに困りませんよね。
私の友人のラースローは、父親も同名ですが、
家庭内では父親の愛称がラツィLACIで、友人はラツァLACAです。
ラツィの方が一般的なので、私や彼のハンガリー人の友人は、
彼をラツィと呼びますけどね。
274ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/14 18:13
フニャディ・ヤーノシュの兄弟は
名前不明の長女・長男ヤーノシュ(ハンガリー王国の摂政、マーチャーシュ王の父
)・次男ヤーノシュ・次女マリアの4人だそうです。
次男はしい坊さまのご教示によればセレニューシェーグ太守の位にあったそうです。
この人は兄と一緒に対トルコ戦で活躍しましたが、戦死を遂げてしまいます。
今はアルバユリア(ジュラフェーヘルヴァール)の聖堂に兄と兄の長子ラースロと
並んで葬られております。
それにしても片方が夭折したならともかく、長男・次男で同じ名前というのは珍しい
ように思いますが、今でもこういう例はお聞きになられたことはありますでしょうか。
275世界@名無史さん:04/02/14 18:41
コテハンスレよりコピー
>390 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/02/13 22:33
>いや、俺様以外のコテはいらんとか、ハンガリースレのように異界の言語で
>会話したいとかは、ほんのちょっとしか思ってないけどね、どーして軍事関係
>のコテって痛いのばっか沸くんでしょ。

276ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/14 19:48
>275
何のことかわからんですな。
書いておられる方とは接点もないような気がします。
277消印所沢:04/02/14 20:59
>275
E'n is nem e'rtem.


 異界の言葉(?)でレスしてみました.
278ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/14 21:40
>277
さすがというか・・。
全部、異界の言葉でやりたいところですが
私はマジャール語の学習が全然進みませぬ。
279世界@名無史さん:04/02/14 23:49
マジャール騎兵の弓術
http://www.atarn.org/magyar/video/Hungarian.WMV
280ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 00:48
これは面白い再現映像ですね。
弓は展示してあるのを見たことがありますが、こんな使い方ですか。
馬を走らせながら短時間に連続で射撃が出来るものだと感心しました。
281世界@名無史さん:04/02/15 02:33
2004フィギュアスケートヨーロッパ選手権から、ホフマン&エレク組(ハンガリー)。
ttp://www.efsc2004.hu/hun/pict/0205/hoffi3.jpg
ま、彼女の巨乳はさておき、男性のファーストネームが「アッチラ」です。
親はハンガリー民族主義者だったのでしょう。
282カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/15 09:01
>>281
アッティラって付けたら民族主義とは短絡的な…
民族主義者が嫌うユダヤ系の人でもアッティラって名前付けるよ。

>>277
is + nem = seです。
>>276のヤーノシュ様への相槌なら、E'n se.でOK。
283 ◆z3kTlzXTZk :04/02/15 14:22
>>282
Most e'rtem.
Ko:szo:no:m sze'pen.
284ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 16:53
>281
今では割にポピュラーな名前ですよ。
カレスさまが仰るとおり普通に使われる名前です。
以前に外務大臣でこのお名前の方がおいでだったと思いますし、
他でも見かけることが多い名だと思います。
ただ、歴史的に昔からある名前かというとそうではなくて
ナショナリズムの盛り上がった時期にキリスト教にマジャ
ール人が改宗する以前の名前を命名することが流行って以
来一般化したそうです。

ご存知の通りアッチラはフン族の族長の名前ですが、ハン
ガリーの建国神話ではアッチラはパンノニア平原へマジャ
ール人を導いた族長アールパードの祖先ということになっ
ています。

カレスさま・消印所沢さま
また異界の言葉で・・・。
285世界@名無史さん:04/02/15 17:18
>>279
モンゴリアンな衣装がラブリー♪
286カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/15 21:09
>>283
>>282にちょっと追加します。
se / semと両方あります。
>>282の例は、E'n sem.が正しいかも…確認しときます。
私のハンガリー語は、基本的に独学なので、
こういう耳で覚えた言葉は、あやふやだったりしますので。

ちゃねらーの友人が、こういうときに名無しで良いから、
正しいハンガリー語をさっと書きこんでくれると助かるんですけど…
見てないかなあ…

>>284ヤーノシュさま
「異星人伝説」っていう本がありますね。
287ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/15 23:22
カレスさま
「異星人伝説」は面白いですよ。
数学者列伝といった趣の本で、マーチャーシュだのラコーツィだの
といった時代が好きな私向きではないですが、ヒットでした。
数学者というとコッシュートの革命当時の方でボヤイ・ヤーノシュ
という方について昔「栄光亡き天才たち」というコミックで読んだ
ことがありました。トランシルバニアのトゥルグ・ムレシュの町を
歩いていて彼の顕彰碑を見つけたことがあります。
288カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/16 02:29
>>287
>「異星人伝説」
ヤーノシュさま
ドナウ通信に下書き的に連載されていたので、
内容はだいたい知ってます。
「異界の言葉」というレスから、本の名前を出したのです。
(ドナウ通信は、在ハンガリー日本人会の会報です)
「栄光なき天才たち」とは、懐かしいですね。
最初の2巻は持ってました。
289世界@名無史さん:04/02/16 21:48
>>286

この場合のseはsemのくだけた形でしょう? もちろん意味は同じですよね。
290ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/17 00:23
カレスさま
異界に引っ掛けておられたわけですね・・・。
いや、本の名前の方で条件反射してしまいましたよ。

ボヤイ・ヤノシュは確か「新・栄光なき天才たち」
の方に収録されていたかと思います。
あとハンガリー関係だとトランシルバニアのシギシ
ョアラ出身のザクセン人ですがロケット工学のヘル
マン・オーベルトの話もありました。
291ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/18 01:10
その話、前にも書いてますね呆けたか・・・・。

マーチャーシュ王が主人公の絵本(漫画?)を入手。
絵柄がやたらかわいいのがおかしいです。
292あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>290
フォンブラウンの少し前、「月の女」という映画の製作に協力したという人物ですね。
ttp://apollomaniacs.web.infoseek.co.jp/apollo/chrono_r.htm
ttp://www.oberth-museum.org/museum_e.htm
幼稚園の頃、「人間は何を作ってきたか」というBBC製作、NHK放映の番組を何度も
見ていたものですが、このサイトを見てびっくり、当時はまだご健在だったようです。
(映画がフリッツ・ラングということも今知りました(笑))


ところで、みなさま、

Wessely

という地名はご存知ありませんか?ハンガリー領のように思えるのですが、検索しても
ヒットしません。ドイツ語名である可能性が高いのですが。
青山ミツ、クーデンホーフ・ミツの旦那さん、ハインリッヒが連隊長だった槍騎兵第8連隊
が、彼が連隊長だった時代にWesselyという町に駐屯していたようなのです。

教えてちゃんでごめんなさい。
294カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/18 22:27
>>293
ググってみたら、ハンガリーについてのサイトにある、
Wesselyというチェコの騎士についての文が引っかかりました。
関係ありませんね…

一応、横にいるハンガリー人の同僚に聞いてみましたが、
Wesselyという地名は知らないと行ってます。
(↑勤務中にまた2chかよ!)
>>294
レス、感謝致します。
おそらくWesselyというのはネーメト用語のようでして、ハンガリー領内だとすれば
当然別の名前になっているはずですよね...

槍騎兵連隊(連隊本部)が置かれるほどの町なので、当時でも人口は数千から万は
あったと思われます。

なんと言う町なのか
お騒がせをいたしました。検索をしまくって、漸く判明しました。
スレ違いですが、一応ご報告を致します。

ttp://www.veseli-nad-moravou.cz/
ハンガリー王国ではなく、メーレン辺境伯領にありました...
(確かにハインリッヒの服装はハンガリー槍騎兵とは異なるものでした)

ハンガリーの方が同僚とは、うらやましい限りです。


297 ◆z3kTlzXTZk :04/02/18 23:00
Iraqban némely magyar katonákat húzta, (TT)
298ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/02/18 23:29
Reichsprotektorさま
いらっしゃいませ。
こちらには「傭兵隊長」はいませんので普通に会話してます。
ヘルマン・オーベルトは89年の東欧の東欧革命の後、故郷の
シギショアラを訪れておられます。シギショアラのシンボルで
ある時計塔の中に彼の事績を称える小さなコーナーがあります。
一度訪れてください。
数学者ボヤイ・ヤノシュもシギショアラで勤務していたそうで
す。先日旅行番組でシギショアラを取り上げてましたが、ブラド
ツェペシュの話題ばかりで閉口しました。
>>298
ギシュクラ・ヤーノシュ さま、
オーベルトは最後にふるさとをご覧になってから亡くなったんですね。
なんか、良い話です。

ハンガリー人(ドイツ系トランシルヴァニア人)とアメリカのつながりは
ロケット、ターザン、いろいろありますね。

地図でしか知らないのですが、ナジチェンク(?)という町があるらしく、
そこに行ってみたい今日この頃です。
300 ◆z3kTlzXTZk :04/02/20 01:42
>ユダヤ系じゃないハンガリー出身の偉人っているの?

Irinyi Ja'nos van?
>300
消印所沢さまですか??
302 ◆z3kTlzXTZk :04/02/21 17:30
>301
Igen, Postabélyegző Tokorozawa vagyok.

Kossuth, Lajos (1802-1894)
http://hungaria.org/projects.php?projectid=7
まったく・・異界の言葉で書く人が増えて・・・。
このページのリンク先は面白いですね。
先日のNagycenkについて。
ハンガリー語は判らないのですが、
こういう並木道が2.5km続いている、ということでしょうか?

ttp://www.nagycenk.hu/nevezetes/harsfa.htm

是非いってみたいところですが、どなたかいらっしゃった方はおられますか?
>304
私は行ったことがないです。
ハンガリー語はカレス様か消印所沢様にお願いしないとわからないです。
(ご両所、よしなにお願いいたします。)
ここは確か「最も偉大なハンガリー人」と呼ばれたセイチェニ・イシュト
ヴァーン伯爵のお屋敷ではありませんか?
行かれるのでしたら旅行板のハンガリースレでお聞きになってはいかがで
しょうか。ウイーンからの方が近いですよね。
洪系米人の方々のハンガリー騎兵ゴッコ。
本式に衣装を仕立ててるのが羨ましいです。
ttp://www.svcn.com/archives/saratoganews/11.29.00/cover-0048.html
307カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/22 22:47
>>304
250年前に植林された2,5Kmに渡る菩提樹の並木は、
セーチェニ・アンタルの妻、バルコーツィ・ジュジャンナの名に
関係がある。(ほぼ直訳です)

下の写真は、
菩提樹並木の終りにある、セーチェーニ・ベーラ伯爵と
妻の伯爵?エルドェ−ディ・ハンナの墓碑で、
19世紀末のクンドマン・カーロイの作品。
と書いてあります。
308Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/02/22 23:15
>>307
>>305
ジェクユヴァーム。ありがとうございました!
キラリーヒダのように暴れませんので、こちらではこの名前で。

セイチェニ・イシュトヴァーンについては、ロンプラのハンガリーで
チラッと読みました(ハンガリーは全然判りませんので、こちらの
スレで勉強させていただきたく思います!)。

実は、
>>307
の並木道の奥にHermitageがある、とだけ書かれていまして、そこに
向かってこんなに立派な並木道があるとは不可解と思っていました。
そこでサイトを調べたのですが、写っているものが何なのかが分からず、
お聞きした次第です。東屋なんかじゃなくて、お墓だったんですね
(セーチェニ・イシュトヴァーンの"Mausoleum(こちらは判ります)"
は地図の別の場所に描かれています)

「セーチェニ氏の妻」がセーチェーニ姓ではないのに気づきました。
女性が嫁いだ先の姓にはならないんですね...どこか、中国、あるいは韓国
に似た感じがします。

カレスさま
時差があるのに素早いフォロー感謝です。
行かれたことはございますか?

Josef Svejk さま
改名されましたか?
この時代に関してだと上で上げられているコッシュートの
関係のサイトは面白かったです。お時間のあるときにでも
是非どうぞ。
310カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/23 01:47
>>308
このスレの上のほうに、結婚後の女性の名前について
レスがありますので、現在のことはそれを参考にしてください。
>>247のレスです。
昔はそのレスの1.しか可能性はなかったそうです。
また戦後の社会主義時代半ばくらいに、
1.以外でも公的に名乗れるように法律改正があったそうです。
(何年だったかは、聞いたのですが忘れました…)
実際に親しい人がどう呼ぶのかという疑問については、
>>268-271のやりとりを参考にどうぞ。

ただし貴族階級については、別のプロトコルがあったのかもしれません。
あるいは歴史上の人物として書く場合は、どこの誰かわかるように、
結婚前の名前で書くのかもしれませんし…
誰かに聞いてみないといけないかな。

上に書いたマールさんとのやりとりも、私は一般人の話題として
レスしてましたが、マールさんはこのような貴婦人の名前で
疑問を持っていたのかもしれませんね。

ヤーノシュさま
残念ながらナジツェンクはまだ行ってません。
311世界@名無史さん:04/02/23 03:00
チャルトリスキ家について御存知の方いますか?
(財団はレンブラントの絵も持っているようでしたが)

18世紀に庭園の設計で有名になった夫人がいて、現在war memorialに
なっているポワルスキ庭園を造ったらしいです。
312311:04/02/23 03:00
すみません。スレッド違いでした
カレスさま
貴族の女性の場合はどうなんでしょうね。
かのベートリー・エルジェベートも本来はナーダシュディ姓なんでしょうし・・。
全く信用できない邦語の彼女の評伝になんか書いてあった気もしますが・・。
他にテケイ・イムレの奥方ズリーニ・イロナとか有名な女性は何人もいますが、
当時どんな風な名乗りになってたのか興味があります。

>311
ポーランドの大貴族ですね。
ttp://www.love-italy.net/topics/davinci/no01.html
あながちスレ違いでもないです。コッシュートたちのハンガリー革命
政府とクロアチアやルーマニアの共同戦線を作ってハプスブルク家に
対抗し、ひいてはポーランドの復活を目指そうとフランスに亡命した
チャルトリスキ家の配下がイスタンブールを拠点に活動していたそう
です。
詳しくは「イスタンブル東方機関」という本をご覧になるとよろしい
かと思います。
314カレス ◆AUvFvohlXU :04/02/24 08:23
>>310のレスを訂正します。
別のハンガリー人に聞いたら、昔も結婚後の名乗り方は、
自由だったそうです。すいません。お詫びして訂正いたしますが、賠(ry
それでも、やっぱり「〜〜NE'」が多かったらしいです。
例えば元々の名前のままの場合、
出産時に病院で未婚の母と勘違いされるのは、
とても恥ずかしいことだったから。
(今では未婚の母って珍しくないかもしれないけど…)

同じ人に、貴婦人の場合を聞いたら、
専門家に聞かないとわからないって言ってました…
315世界@名無史さん:04/02/26 18:56
>>313

ありがとうございます。
ポーランドスレッドへ行こうかと思ったのですが、ご教示の書物を
見て見ます。
(フランスではコンデ親王家の系統とつながりがあるはずです)
>315
同家についてのちょっとした情報は平凡社の「東欧を知る事典」を
ご覧になればよろしいかと。
転記しようかと思ったのですが、2ページにも及ぶ内容なので断念い
たしました。図書館等には置いてあると思いますし、東欧に興味が
あればお持ちになっても損はないと思います。

余談ですが、アンジェ・ワイダの映画「パン・タデウシュ」物語に
パリに亡命した彼らが登場します。
317315:04/02/26 23:43
>>316

サンクス!! ビデオも捜してみます。
318Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/02/27 00:35
>>314
レス、感謝致します(このところ、数時間寝にかえってまた学校という生活です..)

そういえば、ずーーーーと以前に数回メールをやり取りしたハンガリーの女性が
いましたが、彼女も混合型2でしたね...

...ne ***...苗字というような名前でした。
そういえば、一番最初の伏せ字部分が旦那の名前だと言われたような気がして
きました(笑)

ありがとうございました。
319Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/02/27 00:37
チャルトルスキさまといえば、Pulawyの町にお屋敷があったような...
Pulawyということは、露西亜帝国内の波蘭土王国領。

露西亜を利用しながらオーストリアに対抗していたのでしょうね。
320世界@名無史さん:04/02/28 04:16
>>319

皆よく御存知ですね・・・
日本で言えば仙台の伊達家や福岡の黒田家みたいなクラスかな。
>320
元々はリトアニアの貴族だそうですね。
日本の大名家に例えるのは難しいですね。
国王の擁立に口を挟めるような大貴族というのは
江戸時代にはないですから・・。
室町幕府の山名や細川といった感じでしょうか・・。
322Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/02/28 21:17
リヒテンシュタイン、ですかね、喩えるならば。
ドイツ、オーストリアどちらにも影響力がある程度ある、という。
そして、あちこちに城館を構えている。。縁戚関係もすごい。。

ヤーノシュさんが仰るように、ヴィルナ(ヴィルニュス)の城代(?)
だった時期があるようですね。


323世界@名無史さん:04/03/01 03:34
312で質問した者です。

321、322様へ
本当に僭越な質問ですが、ハンガリーの方ですか?

幕末期と呼ばれる少し前、日本の大名家の次男坊とヨーロッパの貴族の娘が結婚した
話を御存知でしょうか。
>323
実はボヘミア出身の傭兵隊長で・・・ってのは他のスレでの話で
残念ながら日本人ですよ。
ハンドルネームは中世に北ハンガリーを占拠した傭兵軍団の隊長
の名前をハンガリー読みにしたものです。
余談はさておき、その話ははじめて耳にしました。
ヒントになるような話があればご教示ください。
325カウニッツ:04/03/02 18:19
お邪魔しますです。。。
910-930頃ってマジャール軍は、アルザス・ロレーヌ・スイス・イタリア・南フランス等に
度々侵入し、略奪をほしいままにして引揚げ、西欧の人々を恐怖のどん底に
おとしいれていたそうです。
イシュトバーン1世に始まるアールパード朝はなぜゲーザ朝ではないのでしょうか?
イシュトバーン1世の父は、あの神聖ローマ皇帝オットー1世に西欧侵略の終結を
約束したゲーザ公ですよね。
326世界@名無史さん:04/03/02 20:23
カウニッツさま
ゲーザ公の祖先がマジャール人をパノニア平原へ導いた族長アールパードなのです。
イシュトヴァーン1世(洗礼前はヴァイク)の父はゲーザ公ですね。
イシュトヴァーン1世の血統は彼の在世中に嫡男イムレが狩猟中に手負いの猪に
襲われて落命するという悲劇に見舞われたことで途絶えているのです・
2代目の国王ペーテル・オルセオロはイシュトヴァーン1世の娘とヴェネツィア
大公の間の子供でした。
3代目のアバ・シャムーエルは一族の人間ですが在来宗教を奉じて反乱を起こした
人間ですし、4代目以降はイシュトバーン1世の従兄弟で反乱を企てたとして目を
潰された上、溶けた鉛を耳から流し込んで処刑されたヴァーソイの息子の血統で
す。キエフに亡命していた彼ら3人兄弟がドイツ皇帝の力に頼ろうとするペーテル
王、反逆者アバ・シャムーエルの両方を打倒したのです。
鉛をた

328カウニッツ:04/03/03 00:29
つまり、ゲーザ公とは、アールパード家なのですね。なるほど、ドイツで例えてみれば、
チロル伯がハプスブルク家、ブランデンブルク辺境伯=ホーエンツォレルン家のような感じでしょうか。

>ゲーザ公の祖先がマジャール人をパノニア平原へ導いた族長アールパードなのです。
初めて知りました。勉強になります。
329カウニッツ:04/03/03 00:49
以下、コピペです。真偽の程を御教授下さい。

868 名前:カウニッツ :04/03/03 00:46
ハンガリー関連ですが、1335年のヴィシェグラードでの会談は、対ハプスブルクでした。
前にそう書いて批判されたのですが…。
詳細:時・1335年、場所・ヴィシェグラード
参加者・(ハンガリー王カーロリイ・ローベルト)(ポーランド王カジーミェシュ3世)
(ベーメン王ヨハン)
会談の内容・ハプスブルク家の経済封鎖に対抗する措置を講ずるなど。
元々、マジャール人の最高位は「ケンデ」と呼ばれる位でパノニア侵入
当時はクルサーンという人物でした。アールパードの位は「ジュラ」
というそれに次ぐものだったのです。
クルサーンが904年にバイエルン王に宴に招かれて謀殺されたあと、
アールパードが「ケンデ」の位につきました。

先に「アールパード率いる」と書きましたが正しくはクルサーンの名
が記すべきなのでしょうね。
331カウニッツ:04/03/03 01:08
ヤーノシュ・フニャディは傑物ですね。
トルコのハンガリー侵略を70年遅らせたんですね。
更にボヘミア・ハンガリー王であった息子さんには五年間も
ウィーンを占領されましたし…。
332 ◆z3kTlzXTZk :04/03/04 20:34
E'n kapok egy ke'rde's.
 質問です.
 コッシュート・ラヨシュとハプスブルクとの間の1848年からの戦争は,
どういう呼称で呼ばれているのでしょうか?



 以上,「テキトーなハンガリー語をテキトーに使おう友の会」からの質問でした.
333Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/04 22:12
ウィーンでは3月革命ですよね。
ブダペストでも3月に騒ぎが起きたので、恐らくひっくるめて
『3月革命』なのではないでしょうか。

ずっと長く続いたとはいえ...
334カレス ◆AUvFvohlXU :04/03/05 08:08
>>332-333
公式名称はわかりませんが、いろいろ呼び方がありそうですね。
見たことがあるものを挙げてみると、
1848-49年ハンガリー独立戦争
1848年ハンガリー革命
1848-49年革命と独立戦争
などが主なところでしょうか。
また当時の革命歌等には、"コシュート独立戦争(革命)"という風に、
コシュートの名前を付けて、歌詞に含まれているものがあります。
335カレス ◆AUvFvohlXU :04/03/05 08:17
>>334で書いた「独立戦争」は、
ハンガリー語を直訳すると「自由の戦い」です。

コシュートは、独立戦争が失敗に終ったあとも、
亡命生活を続けながら、亡くなるまでハプスブルク闘争を続けたので、
米国には像が立ってるようですし、英国王立図書館の名誉会員?名簿の
職業名は「革命家」になってます。
336Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/05 11:38
>>334
独立戦争という表現、わたしもみた事がありました。
ハンガリー国内限定の用語なんですかね、それとも、世界中でつかわれるのでしょうか。

ハンガリーの歴史教科書を見たいですね。
国定教科書ではないと思いますが、、
337世界@名無史さん:04/03/05 17:36
>>332
ベータ・VHS戦争
338 ◆z3kTlzXTZk :04/03/05 22:12
>337
 敗北したコッシュートはトルコに逃れ,なおもベータ・ビデオ復活を
画策するのだった.
 だが,そこにDVDという新たな敵が現れる.
 危うし,コッシュート!(民明書房「ベータ・VHS戦争の民族史」)

>333-336
 ko:so:no:m sze'pen.

 独立戦争という表現は,ハンガリー国内限定ではないかと思います.
 日本語サイト・英語サイトでは見ませんでしたから.
339Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/05 22:31
>>338
あれれ、ミンメイ書房じゃないですか(笑)
ここで見かけるとは。

オーストリアでハンガリーの独立運動がどのように描かれているのかも
興味深いところですね。

反乱扱いなのか、それとも、自国の3月革命騒ぎと同じように近代化の
なかの一つの象徴的な事件というような位置づけなのか。
>329
ヴィシェグラードの国王会談ですか。
ハプスブルク家対策という側面もありますが、アールパード王家や
ボヘミアのプシェミシュル家の断絶後の混乱の後始末、すなわちル
クセンブルグ家がボヘミア王位についたことへんと対策という側面
が色濃いように思います。
あります。ボヘミアのプシェミシュル王家の断絶後に王位についた
ルクセンブルグ家のヨハン王(後にクレンシーの戦いで壮絶な戦死
をする御仁。戦争大好きの困った方で「ボヘミア王がいなければ戦
ははじまらない。」とまで言われたそうで・・・。)はプシェミシ
ュル家が断絶前に保持していたポーランド王位を自らのモノと主張
して狙っており、シレジアの領有権を巡っても交戦していました。

カーロイ・ローベルト王はかねてからプシェミシュル家からの王位
奪還を目指すヴワディスワフを援助してきましたが、王位についた
彼との同盟を強化すべく彼の娘エルジェーベトと結婚します。
次にヴィシェグラード会談でボヘミア王ヨハンとポーランド王(この
時点ではカジェミシ3世・カーロイ王の奥方の兄)の争いを仲介、ヨ
ハン王はポーランド王位を要求しない代わりにシレジアは引き渡すこと
でケリをつけています。またカジェミシ王と抗争関係にあったドイツ騎
士団の間でも協定が結ばれたそうです。
この結果としてハンガリー・ボヘミア・ポーランド(加えてバイエルン)
の連合が形成され、その力を背景にカーロイ王は即位当時のスロバキア
の大貴族チャーク・マーテ(マティス・チャーク)との10年にも渡る
抗争の間にハプスブルグ家に奪われたオーストリアとの国境地域を取り戻し
ています。
ハプスブルク家の経済封鎖というのは不勉強でよくわからないのですが、
ウイーンの影響力を排除すべくイタリア・ドイツからモラビアを経て、
ハンガリー・ポーランドへ至る流通ルートが開かれています。

カーロイ・ローベルト王には非常に興味があるので、ご存知の情報が
ありましたらご教示賜れば幸いです。


>331
卓越した軍人ですね。
ジギスムント王の慧眼に敬服します。
ただ、負け方も派手で教皇特使が暴走した結果とはいえ大敗北を喫したヴァルナ戦
やら、コソボ平原の戦なんかは壊滅的です。
あと、私がハンドルネームにしているボヘミアのフス派の残党を率いた傭兵隊長
ギシュクラ・ヤーノシュ(ヤン・イスクラ)とは4回大戦して一度も勝てず、
ルチネツの戦いではイスクラが追撃をしていれば命を落としただろうと言われて
います。どんな戦闘だったのか知りたいところです。

マーチャーシュ王はウイーンで亡くなってますね。本当かどうか知りませんが
シュテファン教会の屋根のハンガリー風の模様は彼の作らせたものだとか。
343Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 01:33
報告:
ヴィーナーノイシュタットの話は完全に勘違いでした。

マチャーシュにやられたオーストリア大公が、あの町で亡くなった

というのが、わたしの脳内で変換されてああいうことになりました。
お詫び致します。


フニャディの砦は、ゼムリンでみました。
目の前のベオグラードにはトルコ軍、こちらの要塞にはハンガリー軍。
>338
恒文社のハンガリー史は「革命と自由戦争」になってますね。

邦文の本を見ていると「1948年革命」「3月15日のペシ
ュト革命」と49年3月の独立宣言以降を「対ハプスブルグ自
由戦争」「革命戦争」「対オーストリア独立戦争」と使い分け
ている場合があります。
Josef Svejk さま
>339
反乱扱いじゃないのでしょうか?
ホーフブルクの宮殿の謁見の間はハンガリー軍が敗北している絵が
幾つも飾られていますね。

謁見するハンガリー政府の連中は心穏やかでなかったでしょう。
346Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 01:50
いま思い出しました、
昔クセジュを買って読んだ事がありました。。

クセジュ、つまりフランスでは、ヤーノシュさんが仰るように、
3月革命を「革命」、その後1年を「独立戦争」と書いています。

ここで、先日のナジチェンクで出てきたセーチェニ氏が登場。
なるほど、ロンプラで見た文章と全然印象が違う人物でした。
この本を読んで出直して参ります。。


>343
フリードリヒ3世ですね。
リカルダーフーフ女史に「池に浮かんだ丸太」呼ばわりされている
そうですが、ところがどっこいボヘミアのイジー王やハンガリーの
マーチャーシュ王よりも長生きで結果的には勝利者に・・・。
マーチャーシュ「王の墓はセーケシュフェーヘルヴァールにあった
のですが、死後すぐにオーストリア軍に荒らされた上、モハーチの
敗戦後の兵火で教会もろとも廃墟と化しました。

ゼムリンに行ったとは羨ましい・・・。
ベオグラード戦の時点ではベオグラードの要塞はヤノシュの妻の兄
シラージ・ミハーイ(ミハイル・シラージ)率いるハンガリー軍が
篭城していました。
あの城は取ったり取られたりを繰り返していますね。
是非見てみたいものです。

ヤノシュの本拠地はルーマニアのフネドワラ城で復元
されて今も見ることができます。またティミショアラ
にも彼の城が残っています。
348Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 01:54
>>345
普段、オーストリア側?からばかりみているので、ハンガリー(の独立派!)
が敗北するシーンは気づいていませんでした。

一応独立派の急進派は追放された後ですから、ある程度は表面を取り繕える
人物達だったんじゃないですかね。

オーストリア側もそれを見越してやったのでしょうから、陰険というか...
(ハンガリー王国の町であったアグラム=ザグレブにはイェラチッチの像が
立ってしまうし。。)


349Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 02:01
>>347
是非、いらしてください。ベオグラード中心部から路面電車だったか、
バスだったかで15分くらいです。

ただ...レンガ片が散乱する感じで、全く整備されていないばかりか、
崩壊しだしている状況です。誰かが、面白がって壊している
感じでした。スプレーによる落書きもひどく、1896年の建国祭に
立てられたミレニアムタワーも当然ボロボロ。

ティミショアラにあるんですね。オラデアともども行ってみたい場所です。
Josef Svejkさま
勿論意図的でしょうね。
表面はともかく心中は穏やかではないでしょう。
いわんやアンドラーシ伯爵なんて元は天下のお尋ね者ですから・・。

クロアチア軍は評判悪いですよ。相当な蛮行に及んだとハンガリー
側では言います。
ただ、クロアチアやルーマニア・スロバキアあたりをそんな風にし
たしまったのはマジャールサイドの偏狭さだと思います。

ハンガリーがトルコから解放されてしばらく後の時代あたりだと
クロアチアの大貴族ズリーニ家・フランコパン家とハンガリーの
大貴族ナーダシュディ家が共謀した対ハプスブルグ家反乱計画が
露見して首謀者がヴィーナーノイシュタットで処刑されたことも
あったりしたんですが・・。


オラデア(ナジ・ヴァラード)には星型の要塞が残ってます。
ラースロー1世やジギスムント王・マリア女王夫妻が葬られた
教会がある(あった)はずなんですが、どこがそうなのかわか
りませんでした。
ここから王様峠(キーライハーゴ)を超えるとトランシルバニア
です。クルージュ、トゥルグ・ムレシュ等美しい町が多いです。
また、行ってみたいものですがなかなか時間がとれません。
352Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 02:19
>>350
ハンガリーには、外部から接する事が多いのですが、
スロヴァキアの弟の家に行きます(やつは日本語がベラベラ)と、
「シュヴェイクさん、いまニュースでハンガリー系の人が今度
 選挙に出るという話をしています。コマルノの方ではハンガリー
 人が多くて、この人は当選したらハンガリーに併合してもらう
 と言っています。」
なんて話が出てきます。仲悪いんだな、と。

セルビアに行きますと、ヴォイヴォデイナでは「おれたちが戦争で
勝ち取ったんだ!」とハンガリー人のことが悪く言われています。

ハプスブルクの支配構造だったのか、それとも、貴族制なんてもの
はそんなものなのか。お互いがお互いを憎しみ、従属させる恰好に
見えてきてしまいます(当人達は、当時、いちいちそんなことを
考えたりもしなかったと思いますが)。或るときそれに気づいた人
が恨みつらみを子孫に伝えていく。。

『青きドナウの乱痴気』という本ではクロアチア兵の赤マントが
恐怖のイメージとして残ったという書かれ方をしていました。
ウスタシャやハントシャールにも受け継がれたのか。
353Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 02:23
>>351
グロースヴァルダインの教会は、今度調べますね。
ベデカーが手元にありませんで...


ブダペストの「ラースロー1世ギムナジウム」を訪れた事ならありますよ!(笑)
レヒネルの遺作(とされるが、実質は弟子の作品らしい)です。
354カレス ◆AUvFvohlXU :04/03/06 05:29
すいません。>>335で書いたように、直訳すると「自由の戦い」です。
日本語で一般的かなと思って>>334では「独立戦争」と意訳しました。
日本語の文献を見たことないもので、申し訳ない。
ハーボルー「戦争」とハルツ「戦い」の違いもあり、
日本語的に「自由戦争」という訳が思い浮かばなかったのです。
355Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 18:19
ここをみましたら、
ttp://homepage.mac.com/crowns/h/avtxt.html

NAGYVARAD (now Oradea)/ROMANIA:
the burial church of Varad Fortress and the royal tombs inside it were demolished by the
Turks in the 17th century and they no longer exist
Saint Ladislaus (�1095)
Maria (�1395)
Sigismund of Luxembourg (�1437)

となっています。

上記の証言、聖ラースロー広場(おそらく、Piata unirii?)に銅像があったこと、1911年当時
には広場周辺に3つ(今は1つ??)あったことを考えると、右岸の要塞近くに教会があったの
は間違いなさそうです。
356Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 18:25
補遺。

ttp://www.net.hu/corvinus/lib/biro/biro29.htm

On July 4, the statue of Saint Laszlo was removed from its site at Oradea
and transferred to the courtyard of the bishopric.

オラデアの聖ラースローの像のその後、です。
>355
このサイトの情報は凄いですね。
ラヨシュ2世までのハンガリー王がどこに埋葬されたかの情報は
手元の本でわかるのですが、今どうなってるとかはわからなかった
ので感謝です・・。
ヴァラド要塞内にラースロー1世が作らせた教会があった。
トルコ軍が破壊して今はない
ということですね。

ハンガリー王のお墓で無事なのはパンノンハルマの修道院
内のものだけかもしれません。
ルーマニアではハンガリー時代の遺跡を相当に破壊したと聞いたことが
あります。
私はアルバ・ユリア(ジュラフェーヘルヴァール)の教会へ行ったこと
がありますが、戦前の英国人の旅行者の手記では旧市街であったはずの
周辺は新興の団地みたいになって、教会は荒れ果てた状態にになってい
ました。本来、歴代のトランシルバニア公の墓は地下にあると書かれて
いたのですが、何故かフニャディ・ヤーノシュ、フニャディ・ラースロ
フニャディ・ヤーノシュ(ヤノシュの同名の弟)の石棺が堂内の片隅に
置かれていました。他の人たちの石棺はまだ地下の納骨堂にあるのか気
になるところです・・・。
359Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/06 22:53
>>358
ヤーノシュさんも古い文献を手に旅行されるんですね!

旧市街の周辺は、ひょっとして空襲などの被害があったということはありませんか?
(もちろん、チャウシェスクがハンガリー風のものをことごとく破壊させたという
話は耳にしますが)

死者にむち打つという文化は日本では余りなじまない感じです。
(晒しクビなんてものもありましたが)

Josef Svejk さま
私は旧のハンガリー王国をこの目で見たいということを念願に旅を
しています。
今のところトランシルバニア・北ハンガリー・クロアチアあたりの
一部を見ることができました。
人からはよくハンガリーにばかり行くなぁと呆れられますし、ハン
ガリーの友人からは「現代の風景を見ても過去を幻視する男」と
言われています。

アルバユリアの旧市街は大通りを中心にぶち抜いて両端にルーマニア
正教の教会を建てちゃってます。あんまり他所様のことは言わないこ
とにしてますのでこのへんで・・・。


361世界@名無史さん:04/03/07 09:47
六本木の国際クラブでスロバキア人のホステスと飲んだ
義理の父がハンガリー人だそうでハンガリーの悪口をいっていた(ハンガリー国境の町出身だそうだ)

やっぱり歴史的反目があるのかな・・「ハンガリー人はスラブ人よりむしろわれわれに近い民族らしい」といったらといったらイヤーな顔してたなぁ
362Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/07 13:37
義理のお父さんなのに、悪口とは...不思議ですね。日本だったらそのひとも『家族』
にして(なって)しまうはずなのに。

たぶん、コマルノ(コマロム)出身のひとと思います。国境の町で双方が行き来する
のは、あの辺じゃないかな、と。

>361
反目はあるでしょう。
ハンガリー側からすれば建国以来の領地をボヘミアに奪われたと感じてる
でしょうから。スロバキアサイドからすれば1000年にも渡って支配さ
れたという歴史がありますし、特に二重帝国の末期のマジャール化の強要
の恨みは深いのではないでしょうか・・。
私も友人とコシュツェに出かけた折に友人同士がマジャール語で話して
いて怒鳴られたという経験があります。
対スロバキアの関係はトランシルバニア問題を抱えるルーマニアほど悪く
はないでしょうけれど根深いものがあると言えるでしょう。
トリアノン条約の際の国境の線引きがもう少し慎重なものであればその後
の歴史も少しは違ったものになったのではないかと、旅をしていていつも
思います。願わくはお互いを尊重した形でこれからの歩みが進められてい
ってほしいものだと思います。

Josef Svejk さま
他の国境も行き来は多いですよ。コマルノと違って陸続きですから。
おばちゃんが自転車押して通っていたりするのはザラかと。
私が見たとある田舎の国境の検問所ではハンガリーとスロバキアの警備
隊員が一緒にアイスクリームを仲良く食べてました。
そこは地元の人しか通れないので日本人の私は通過できませんでしたが、
狭い道でUターンをしようとする私を両国そろって誘導してくれて、去
り際に皆さん揃って手を振ってくれました。

364Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/07 19:32
>>363
その国境、どのあたりですか?!
うーむ、確かに東の方へいくと、国境線に大河はなかったですね。。
(久々に地図を確認しました)

勝手にシュヴェイクの光景を想像しています。
超ブロークンで話し合う感じです。

もうすぐ、あの警備もなくなるんですかね。EUとNATOに入りますから。
茶色が明るいイメージです<ハンガリー軍
>364
スロバキアのトルナから南へ出てハンガリーへ入る国境です。
ハンガリー国籍の人しか通れないからもっと西のルチネツから
シャルゴータローヤンへ抜ける国境へ回ってくれと言われました。

なんか小さな建物に両国の警備隊員が一緒にいて、誰かが買った
アイスクリームを食べているという緊張感のかけらもない光景
でした。
大きな国境だと建物も別だし、けっこう厳しい雰囲気なんですが、
田舎だとこういう光景もあるのです。

ハンガリーとルーマニアの国境は非常に厳重な感じで、車のトラ
ンクを明けられたりしましましたよ。
EUに入るとどんな感じになるんでしょうね。
366カウニッツ:04/03/08 00:58
愚問お許し下さい。モハーチと言うのは今のどの辺りなのでしょうか?
ブダペストに近いのですか?
ただ、モハーチの敗戦が1526年で、ブダの占領が1541年と、
15年も空いているので不思議なのです。
367Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/08 01:19
>>365
うう、今てもとにある地図ではルチネツ(ルチェネツ?)だけしか見当たりません。。
「あり得ない」ひとが訪れた時には、警備員もびっくりするでしょうね。。
一度だけ、「日本人が何故ここにいる?」と尋問された事があります。
でも、恐い思いはしませんでした。

カウニッツさま、

モハーチです。
http://www.mapquest.com/maps/map.adp?city=mohacs&state=&country=hungary&size=big

結構遠いと言えば遠いですが、この間、平坦ですから、それほど困難はなかったようにも
思えます。不思議ですね。トルコ内の事情があったということはありませんか?<王様が交代した、
あるいは内紛(内乱)が起きたなど

いや、ブダはモハーチ戦の直後に一旦攻め落とされています。
ブダの王宮にいた連中は逃げ去ってまともな防戦はしていなかった
と思います。余談ですが、マーチャーシュ王の貴重な文庫はこのと
きに持ち去られています。

この占領は短期間で、モハーチで洞ヶ峠を決め込んで参戦しなかった
サポヤイ・ヤーノシュ率いるトランシルバニア方面からきたハンガリ
ー軍、や戦場への参加が間に合わなかったクロアチア太守のフランコ
パンが率いるハンガリー軍が健在なのですぐに軍を引いています。

その後、サポヤイ・ヤーノシュとフェルディナンド1世がハンガリー王位
を主張、内戦状態になり、兵力に劣るサポヤイ一派は駆逐されてポー
ランドに逃げ延び、オスマン帝国の後押しでハンガリーに復帰します。

41年の占領は、トルコの後ろ盾で即位したサポヤイ・ヤーノシュが
死んで彼の息子でまだ幼児のヤーノシュ・ジグモンドが後を継いだも
ののハプスブルグ軍がブダを包囲、オスマン軍はこれを蹴散らし、幼
児では統治できないとブダを含むハンガリー中央部を占拠してしまった
のです。ヤーノシュ・ジグモンドの領地が後のトランシルバニア公国化
していく訳です。

眠いんで相当にいい加減ですが、概要はこんな感じだったかと・・。
しかし、ここ数日、このスレやたらに活発ですね。
369カウニッツ:04/03/08 02:22
失礼な言いぐさですが、我々のようなマイナー・スレの住人には、驚くべき活発さですね。
これも、ギシュクラ様の人徳が人々をここに呼び寄せるのでしょう。
370 ◆z3kTlzXTZk :04/03/08 22:01
 これも一所懸命に当方が自作自演した成果でつね(嘘)


(上文,ハンガリー語表記は不明につき,省略)
Josef Svejk さま
コシュツェ(カッシャ)から西へ向かう国道沿いにTornaという
地名はありませんか?そこの国境です。
このへんはハンガリー人の多い地域でヤン・イスクラの配下が書いた
落書きで有名なヤーソフの洞窟はこの近所ですが、そこの案内のお嬢
さんも美人のマジャール系でした。

カウニッツさま
カレスさまを始め皆さんがおればこそでしょう。

消印所沢さま?
自作自演??
エルケルの「バーンク・バーン」と「ラースロー・フニャディ」
のCDを入手。マジャール語なんで何を歌ってるのかわかりませ
ん・・。
372カウニッツ:04/03/09 23:54
ギシュクラ様は、次の内、何処が一番好きですか?
@英雄広場Aマチアス教会B漁師の砦Cセーチェニイチェーン吊橋
D国会議事堂Eエリザベート橋
ハンガリーに行ったら、思う存分「トカイワイン」を飲みたいです。
カウニッツさま
個人的には「漁夫の砦」から見た景色が好きですね。
あとビューポイントとしてはゲッレールトの丘の上の
ツィタデラからの眺めだと王宮も鎖橋も国会も一望で
きますよ。あと、夕暮れ時にペスト側のドナウ河畔を
歩くのはいいですね。

トカイワインはラコーツィ・フィレンツ2世が軍資金
稼ぎにせっせと輸出したのだと思います(カレスさま
正しいですか?)
ルイ14世が絶賛したとか聞きました。
ラコーツィはスペイン承継戦争でハプスブルク家の後
方を霍乱するために利用されたような結果になってし
まいましたね。

昔のトカイ地方は今はハンガリーとスロバキアに跨って
広がってます。で、スロバキアにもトカイワインが存在
します。ハンガリーサイドは「偽者だ〜!!」とお冠と
聞きました。
余談ですが、ゲレルトの丘のツィタデラが修復工事に入るそうです。
二次大戦なのかハンガリー動乱時なのか機銃弾の弾痕だらけなんです
が、綺麗に修復するのでしょうか。
あまり、綺麗にしないほうが、「そこで何が起きたのか」を物語って
くれるような気がするのですが、ハンガリーの方たちにとっては思い
出したくもない過去かもしれません。要塞の存在そのものが、ハプス
ブルグ家のハンガリー支配の象徴ですしね・・・。
今日3月15日は上記の「自由戦争」の勃発の日ですね。
私がブダペストで定宿にしている「ピルバックス・パンジョー」の立ってい
る場所にあったカフェ・ピルバkkスがその発火点でした
今、ペテーフィ・シャンドールが読み上げた「ネムゼッティ・ダル」(立て
マジャール人よ)という詩にイレーシュというバンドが曲をつけたものを
聞いています。
376カウニッツ:04/03/16 00:53
トランシルバニア公バーソリー・イシュトヴァーン(1571−86)は、
何故、ポーランド王(在位1576−86)を兼ねているのですか?

377世界@名無史さん:04/03/16 04:22
ハンガリアン・ダンスしか思い浮かびません。
何故かコサック・ダンスと煮ているような?
カウニッツさま
バートリー・イシュトヴァーン(ポーランド王としてはシュテファン・バートリ)
はジグムント・アウグスト王の死後、選挙王制が導入され、最初に選出されたヘン
リク・ド・ヴァロアが4ヶ月にして夜逃げ(!)した後に行われた選挙でポーランド
王に選出されたのです。彼はジグムント王の妹であるアンアの婿でした。このときの
選挙の対抗馬は皇帝マクシミリアン2世だったそうですが大貴族の推すマクシミリア
ンに対してシュラフタはバートリを選びました。
バートリーの最終的な野望はトランシルバニアとポーランドの勢力を糾合してハンガ
リーを奪還しようということであったと思われますが、ポーランド王としての彼はモ
スクワのイヴァン雷帝とのリヴォニアを巡る抗争に巻き込まれ、時間を費やしている
うちに亡くなってしまいました。
ちなみに、ポーランド王就任後のトランシルバニア公の位には実兄のクリシュトフが
ついています。実際の統治はクラクフにいるイシュトヴァーンからの指示で行われた
いました。

>377
ハンガリーのダンスといっても色々な種類があります。
ダンスに関しては全くの門外漢なので云々いたしかねますが、コサック
ダンスに似たような雰囲気のものがあるのでしょうか??
379カウニッツ:04/03/17 00:33
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様。
こんな所でマクシミリアン2世陛下の名前が出るとは…(ちょっと嬉しい)…。
確か、プラハをマニエリスムの都に仕立て上げたルドルフ2世陛下と弟君のマティアス皇帝との
対立も、ポーランド王位の獲得のチャンスに無能であったルドルフ陛下に原因があったと
聞いています。国王選挙に他国の君主諸侯の名前が飛び交うとは、神聖ローマ帝国の
大空位時代を髣髴とさせますね。


380カウニッツ:04/03/17 01:14
カーロリイ・ローベルト王の鋳造したフロリン貨幣は、ヨーロッパで最も安定した通貨
として好評だったみたいですね。14世紀初期のハンガリーの経済力は強大ですね。
381361:04/03/18 00:08
まあ彼女の義父はかなりデブで、母より8歳年下で、彼女にもセクハラしてるらしいのでその祖国もきらいになったんだろうけどね。
どっちもソ連の衛星国だったのに、東欧の民族対立って結構根がふかいのね
ピーター・フランクルの本は本人から買ってよんだけど、そのへんのことあまりかいてなかったなあ
まぁアノ人は、欧州中できらわれてる民族の人だけど
カウニッツさま
シュテファン・バートリという人は元々はウイーン宮廷やらイタリアで
教育を受けた人だそうですね。
ウイーンのホーフブルクの展示に彼の甲冑がありますが、オスマン帝国
から下賜された兜に西洋式の甲冑の組み合わせという変わった代物です。
複雑な立場のトランシルバニア公を象徴するようないでたちではあります。

>381
領土問題が絡んでますから。特にトランシルバニア問題を抱えるルーマニ
アとの関係が一番悪いでしょう。
ポーランドに関しては私の乏しい知識では悪く言ってるのを聞いたことが
ないですが・・・。

カレスさま
現地にお住まいになっていてどうお感じですか??
383世界@名無史さん:04/03/18 17:05
384Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/19 18:48
>>381
ハンガリーでは戦間期には子供を高台へ連れて行き、「あんたが大きくなったら、
この見渡す限りの土地をハンガリーに取り戻すのよ!」というような教育をして
いたらしいですからねぇ...そういう子供の、おそらく孫くらいですよね?<件の女性

ハンガリーは領土が小さくなったあともフランスなんかの後押しをされた国々に
虐められていたので親ドイツでした。戦争中、羽振りの良かった時期も、当然
ありました。そういうことも影響しているんでしょうね。

>>382
チェコスロヴァキアと戦間期に小さな紛争をしたこともありましたから、敵の敵
で、味方とまではいかなくても悪い気持ちはなさそう。戦後、ムンカーチとか
ウングヴァールとかをウクライナに取られたので、同様に西ガリシアをウクライナ
にもって行かれたポーランドに共感するところもありそう...何より、お隣じゃない
ですから、それが一番大きそうです。
385るーまにあ:04/03/19 23:45
うちもうくらいなさんに北ぶこう゛ぃなをとられました。同情してください。
Josef Svejkさま
元々はお隣だったのですが、歴史的にもあまりポーランド相手に
事を構えたことがないようです。
ラヨシュ1世がハリチ方面に侵攻したとか、マーチャーシュ王が
ボヘミア王位を巡ってプレスブルクで戦ったとかいうのはありま
すが、逆に同じ王を戴いていたことも何度もありますし、ハンガ
リーの「自由戦争」の際、亡命先のフランスから駆けつけて活躍
したポーランドのヨーゼフ・ベム将軍のような方もおいでなので
親しみがあるのでしょう。
ベム将軍は大きな像がブダペストにあります。
387Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/22 00:31
>>386
ヤーノシュさま。
恨みつらみも、あとからの教育が大きかったように思います。
仰る、「元々」の時代には「何人だから憎め!」という教育は
なかったでしょうし(僧侶を憎め、軍人を憎め!というのは
あったでしょうけど)。

ハリチ、良いですねぇ、そうですか、ハンガリーがガリツィアへ
侵攻ですか。。

俄に海外に行きたくなったこの2日間であります。

ベム将軍というのは初めて聞きました。宿題にしたいと思います。
388世界@名無史さん:04/03/22 15:49
ベラ将軍とベロ将軍もいる
Josef Svejk さま
近世になるまで、そういう教育はなかったと思いますね。

ヨゼフ・ベム将軍については「イスタンブル東方機関」
とか「ハンガリー史」とかにある程度の記述はあります。

戦上手で「ベムの親父」と兵士に親しまれたといいます。
ブダペスト市内にある像は負傷して片手を吊った状態で兵
士を指揮している姿です。
彼は最後まで戦い抜いてハプスブルグ家に下らずトルコへ
亡命してかの地で生涯を終えております。
ラコーツィ・フィレンツ2世といいハンガリーで事を起こ
して敗れるとトルコへ亡命が定番コース??なんでしょうか。

>388
ベーラ1世〜4世までアールパード家の国王でそういう名前の
方がいますが、ベロという名前に心当たりは・・・。
390Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/23 02:28
ヤーノシュさま。
ベーメンにはお気をつけていらしてくださいませ。
確か、隣の中隊のホンザの親戚がピーセクで飲み屋をやっているそうなので、
寒かったらそこでいっぱいどうぞ(笑)

ベム将軍。
ttp://historicaltextarchive.com/sections.php?op=viewarticle&artid=522#bem
ググってみましたが、ポーランドとは随分仲が良さそう...です。

>> remains were brought back from Aleppo to his home town Tarnow, Poland, in 1927
彼はタルヌフ出身なのですね。チェコ出身で権力側についたラデツキー、クロアチア
出身で権力側についたイェラチッチ、ポーランド出身ならばオーストリア側について
も良さそうですが...特殊な事例なんでしょうかね。

>>388
スラヴ系ならベラ(白)将軍というのはあり得そうですね。
脱線ですが、ペク(白)将軍という人が朝鮮戦争の英雄にいるようです。
Josef Svejk さま
当時ポーランドは国が亡くなってまして、フランスに亡命していた
連中が沢山いました。
ベム将軍もその一人です。亡命ポーランド人の首領格であったチャ
ルトリスキ伯はハンガリーの独立戦争を支援していました。
ただ、ベム将軍はその関係ではなくどうも「義を見てせざるは勇なき
なり。」という感じで自分の意志で助太刀にやってきたようです。
392消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :04/03/24 23:36
>390
 さらに脱線(←ハンガリー語表現不明.教えてプリーズ).
 ペク将軍は韓国軍初の大将.
 著書の邦訳も出てま.
ttp://www.soshisha.com/books/0974.htm

 ベラ・クーンてな政治家もハンガリーに存在していたり.

 ベロ Muhammadu Bello 将軍は20世紀初頭のソコト帝国に実在.

>ツィタデラが修復工事

 観光資源開発のためではないかと想像.
 観光客目あてなクレイジーな修復(「そうだ,動物園作っちゃえ!」 by
小田原城)にならねばいいのですが……

 一方,ニューヨーク・カフェのほうは来年1月には補修が終わるとか.
393世界@名無史さん:04/03/24 23:37
>390
 さらに脱線(←ハンガリー語表現不明.教えてプリーズ).
 ペク将軍は韓国軍初の大将.
 著書の邦訳も出てま.
ttp://www.soshisha.com/books/0974.htm

 ベラ・クーンてな政治家もハンガリーに存在していたり.

 ベロ Muhammadu Bello 将軍は20世紀初頭のソコト帝国に実在.

>ツィタデラが修復工事

 観光資源開発のためではないかと想像.
 観光客目あてなクレイジーな修復(「そうだ,動物園作っちゃえ!」 by
小田原城)にならねばいいのですが……

 一方,ニューヨーク・カフェのほうは来年1月には補修が終わるとか.
394:04/03/24 23:37
 2重投稿陳謝.
消印所沢さま
動物園作るほどの広さはないからご安心を・・。
あの上に立ってる女神像は元々はホルティ提督の息子
(ハンガリー空軍のパイロット)の追悼の為に計画さ
れたそうです。完成するまでに戦争が終ってプロペラ
をかたどったモニュメントを持つはずが棕櫚の葉にな
ったそうで・・。
元々は足元に赤軍兵士の像が付属していたのですが、
89年以後に撤去されています。
で、最初に行った時の日本語の観光パンフの訳・・。
「赤の兵士の像は撤去されました。」
なんちゅう訳かと・・。

ニューヨークカフェが復活するのは嬉しいですね。
あそこの雰囲気は大好きでした。
396Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/03/25 17:37
>>391
少し穿った見方をしてしまいますが...
その「亡命者」というのは、権力を持っていた人々ですよね。
本領安堵されなかった貴族とか、あわよくば所領を増やそうと敵対勢力を結託
した貴族とか。。

ベム将軍は、どういう背景で参加したのでしょう。
チャルトリスキ伯も、ロシア領ポーランドにたくさんの所領を持っていましたが、
ポーランドが再び版図を増やした暁には、ポーランド王(ロシア帝国内の)に
収まるつもりだったようにも思えます。

当時、国家というものは"国民"とは余り関係のない存在でしたけど、19c後半
以前の独立運動には少し色眼鏡でものを見てしまいます。

(チェコびいきなので、マサリクとかシュテファニクなんかはOKなのはお許しを!)

Josef Svejk さま
ベム将軍はタルヌフ出身のシュラフタ(下級貴族?)で1830年の11月蜂起
に参加後、フランスへ亡命したそうです。
で、ハンガリーの独立戦争に参加した経緯ですが、「東欧を知る事典」によれ
ばチャリトリスキ侯の組織するフリーメーソン組織の「民族統一同盟」に参加
し、チャルトリスキ派の対外工作活動に従事、ウイーン革命の防衛戦に従事し
た後、コッシュートの求めに応じてハンガリーでパルチザン戦を展開とありま
す。この項は早坂真理先生の手になるものですが、同じ早坂先生の「イスタン
ブル東方機関」だと
「このベムという男はチャルトリィスキ派とは直接の関係を持っていなかった。
また明確な政治思想をもっていたわけでなく、ただ生粋の軍人としていわば義
侠心にかられてハンガリー革命に身をとうじていたにすぎなかった。」
とあります。
後者の出版は1987と古いので、チャルトリスキ派と関係があったとみてよい
のでしょうね。

398世界@名無史さん:04/03/29 06:34
>>147
>  黒人→白人→黄色人種
>に進化した名残で残ってるとか

これは明らかに間違いですね。黒人は縮れ毛で唇が厚く体毛が薄い。
非黒人の先祖がアフリカを出て行った後に、黒人が誕生したのでしょう。
白人から黄色人種が進化というのも矛盾が多すぎる。黄色人種は白人の遺伝子を受け継いでいない。
http://homepage2.nifty.com/gradation/3dcg/bryce4/jpeg/evolution3.htm

分離時点ではどの人種とも言えない存在だろう。黒人が一番新しい人種かもしれん。
399世界@名無史さん:04/03/29 06:45
松本秀雄著「日本人は何処から来たか」によると、ヨーロッパで北方系モンゴロイドのGm血液型遺伝子が
一番多いのはラップ人の6%だそうで、ハンガリー人、ルーマニア人は極わずかだそうです。
蒙古斑が出るのはアジア起源のコーカソイドなので色素が強いからでしょう。
>399
面白そうな本の紹介をありがとうございます。
本屋で探してみます。
今月のパンツァーという戦車雑誌に第二次大戦末期のブダペスト攻防戦
の記事が出ています。
ご参考までに
402Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/01 23:55
>>401
雑誌、見に行ってみます。

タルヌフ出身の下級貴族の出というのは、興味深いお話です。
403世界@名無史さん:04/04/02 11:03
ベラ・クンの共産政府ってあっさり崩壊したけど、よほど軍隊が弱かったのかね
>403
羽場先生の「ハンガリー革命史研究」によると旧ハンガリー王国国防軍
(ホンヴェード)の軍隊6万人を引き継いだとあります。これが軍の母
体ですが、この人たちは決して皆が皆、共産政府に賛意を表していたわ
けではなく隣国の軍隊にハンガリーが分割されるという危機感から参加
したと書かれてますね。
あとは工場労働者・農民を赤軍として組織化あいてますが、この人々も
旧軍の軍人たち同様にチェコ軍・ルーマニア軍の侵攻に危機感を抱いた
人たちだったようです。

元々、共産主義に賛意を表していない人たちと共産主義者の混合体です
から、うまく機能しなかったのではないでしょうか・・。
しかも、クンはクレマンソーの通告を受けて、赤軍を国境線から後退さ
せる決定をしてしまいましたから、彼らの心は共産政権から離反して
いったのだと思います。

しかし、後にホルティ提督の下で首相を務めるストーヤイみたいな人物
が赤軍に参加していたとは驚きました・・。
405世界@名無史さん:04/04/06 23:24
>403
>404
↓を見る限り国民に愛想をつかされたのだと思われ。
http://www.vanguardnewsnetwork.com/temp/TerrorTimeline/1919_BelaKunThe133Days.htm
しかも肝心の国土防衛は放棄してトンズラかよ。
ナジもこのとき政権に参加していたらしいが。
>405
情報感謝です。なんか訳のわからない政権ですな。
407世界@名無史さん:04/04/07 14:35
クマン人の詳細キボンヌ
408世界@名無史さん:04/04/10 21:24
東欧史研に来なさい!
>407
クマン人とはチュルク語系の遊牧民族でロシアではポロベツ人
といわれているそうです。
東欧を知る事典によれば
10世紀までは北西カザフスタンで遊牧生活を送っていたが、
11世紀に黒海北岸のステップ地帯に、さらにカフカス方面
へと進出したそうです。
彼らがハンガリーへやって来たのはモンゴル軍に敗北して
西へ逃れてきた結果で、国王ベーラ4世の時代でした。
族長ケテニュに率いられた彼らはベーラ4世にハンガリー
への定住を求めます。
父アンドラーシュ2世が大貴族に対して大幅な譲歩をした
結果、王権の強化を目指し大貴族と苦闘していたベーラ4
世はクマン人の軍事力に期待して彼らをハンガリーへ受け
入れることにしたのですが、これがモンゴル軍にハンガリ
ー侵攻の口実を与えることになります。また、ドナウ川と
ティサ川の間に住む場所を与えられたクマン人ですが、周
辺の農民とのトラブルは頻発し、大貴族達は国王に荷担す
るクマン人を追放すべく農民を煽動します。
クマン人を追放しろという要求にベーラ4世は耳を貸しま
せんでしたが、事態は最悪の方向へ進展していきます。
大貴族の煽動に乗って暴徒と化した農民たちはクマンの族長
ケテニュを殺害、怒り狂ったクマン人たちはハンガリー国内
で殺戮と略奪をほしいままにして去っていきました。
そして混乱するハンガリーへモンゴル軍が攻め寄せてきたの
です。ベーラ4世はシヤイヨー河畔のムヒの地でモンゴル軍
を迎撃しますが、作戦の稚拙さも災いして大敗北を喫し、ダ
ルマチアまでモンゴル軍に追われて逃げまくる破目になりま
した。
戦後、ベーラ4世は大貴族たちに対抗するため、バルカンか
らクマン人を呼び返し、再びドナウとティサ川の間に定住地
を与え、王子イシュトヴァーン(後の国王イシュトヴァーン
5世)をクマン族長の娘と結婚させました。二人の間に生ま
れた息子が後に「クン」ラースローと呼ばれるラースロー4
世です。

ました。
失礼「ました。」は余分でした・・・。

ベーラ4世の死後、混乱を続けるハンガリー王国
で突然、謎の死を遂げたイシュトヴァーン5世の
後を受けてラースロー4世は即位しました。
彼は成人すると自らの母の家系であるクマン人を
便り、大貴族達と対決するようになっていきます。
クマン人達は強力な軍事力を持ち、いまだキリスト
教に帰依せず、自らの伝統を守って生活していまし
た。教会と大貴族は結託して青年国王とクマン人に
敵対していきます。彼らはローマ教皇の力を借りて
クマン人の改宗を強要するようにラースロー4世に
迫ります。ラースロー4世は断固としてこれを拒否、
教皇特使を彼を破門、ラースローは特使を逮捕しク
マン人の中で生活させます。さらに彼はクマン族長
の娘エドウァとクマンの宗教儀礼に則り結婚、王妃
を修道院に送り込んでエドウァを王妃とするに至り
ます。ここにいたって、ついに国王に対する十字軍
が布告されるにいたりますが、大貴族に買収された
クマン人によって、あくまで大貴族にもローマ教皇
の権威にも屈しなかった青年国王は暗殺されてしま
うのです。
東欧を知る事典では鈴木広和先生がクマン人
に関する解説を書いておられますが、
ハンガリーに定住したクマン人について

国王アンドラーシュ3世(ラースロー4世の
次の王でアールパード王家最後の王・・ギシ
ュクラの追記)に招かれてハンガリー王国内
(おもに大平原)に特別の居住地を与えられ
て住みついた。
国王に直属する民族集団として自治権を与え
られ、その見返りに国王に軍役義務を負い、
国王直属軍の重要な一翼をなした。
近代までその特別な居住区域と自治権を維持
し、独自な生活様式を保っていた。
キシュクンシャーグ、ナジクンシャーグなど
の地名は、その地域が彼らの居住地域であっ
たことを示す。

と書いておられます。
アンドラーシュ3世の時代に定住だとラース
ロー4世時代の大騒ぎについてどう考えたら
よいのか私のはわかりません。
最終的に定住許可が出たのはこの時期という
ことなのでしょうか??
>408
興味はありますが、私のような素人が行くべき場所では
ないと思います。
414世界@名無史さん:04/04/21 18:39
落ちてるのでアゲ
415世界@名無史さん:04/04/23 00:48
こんばんは。フン族についてお伺いしたいことがあり参りました。

私はいま中国語(普通話)の勉強をしているんですが
ハンガリーは中国語で「匈牙利」と書きます。ここで質問なんですが・・・

@この漢字名はフン族と匈奴が同一民族であることを前提に付けんで
しょうか?
Aだとしたら、いつ頃からフン族と匈奴が同一民族だという認識が
あったんでしょうか?
416Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/23 00:55
>>415
横レスで想像をお話するのは申し訳ありませんが、

わたしが思うに、この翻訳(意訳)は近代日本が起源ではありませんか?
(中国での各種用語が6-7割程度が日本起源であるという指摘は
しばしばなされます。)

ttp://www2.big.or.jp/~yabuki/doc8/polonyi.htm
こういうサイトもありましたけど。。
近代に宣教師が吹き込んだのが元だと書いてありますが、
実はもっと後なんじゃないかと勝手に想像しました。
>415
漢字表記の由来はわかりませんが、友人所有の明治時代の小説
「佳人の奇遇」では「匈牙利」と書かれていますね。

過去に何度か書いたことがあるのですが、マジャール人の建国
神話ではパノニア平原に彼らを導いた族長アールアードはアッ
チラ大王の末裔と称しています。
恐らくはアールパード家の権威付けの為に作られた話だとは思
いますが、確かベーラ3世の頃の年代記には登場している話な
ので、そういう意識はあったのでしょう。

特に近代になって民族意識が高揚してくると、アッチラだとか
チャバだとかいう建国神話に登場する名をつけることが流行し
たり、歴史絵画が流行ったりしています。

あまり、参考にならないような答えで申し訳ありません。


Josef Svejkさま
興味深いページの紹介ありがとうございます。元の時代の
マジャールの表記は初めて見ました。
拙宅にも「カルピニ・ルプルクの旅行記」があるのですが、
積読状態で・・・。

418Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/23 02:43
>>417
勝手な想像なんですが、
そのハンガリー表記が中国に行ったんではないかと思いました。
東海散士の文章にでたということは、あれは明治の20数年頃でしたっけ??
宣教師が増え始めた時期が1900年頃と、これまた勝手に推測して
いますが(笑)

宣教師云々というのは自尊心の為のウソなのか、それともホントに
そう思われているのかは判りませんが...

419世界@名無史さん:04/04/24 23:54
あすハンガリー戦。
ミツコ番組で日本人をさんざバカにしたハンガリー人を叩き潰せ!!!
今のハンガリーサッカーは残念ながら弱いですよ。
かつてプスカシュ以下の名選手を擁してブラジルと
名勝負を演じたマジックマジャールの面影はないです。
もし日本チームが負けるようだと、相当に問題あり
でしょうね。

421Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/25 07:42
>>420
ですねぇ。
昨日FIFAランキングをみてびっくり。50位くらいじゃなかったですか?
(スロヴァキアよりも、ずっと下でした)

ハンガリーと戦った、その後にチェコ(16位くらいでしたっけ?)と
組ませるという監督とサッカー協会には???です。どうせなら数年前
にも対戦したけど、同じくらいのランキングにいるポーランドとやって
欲しかったです(もっとも、FIFAのランキングなど、余り参考にならない
という意見が大勢ですが)。
Josef Svejkさま
東欧では一番弱いのがハンガリーでしょう。
かつて最強の名をほしいままにしただけに寂しい限り
です。
ハンガリー動乱の時に選手が大量亡命したりしたのが
ずっと尾を引いてる感じですね。
確かプスカシュはスペイン選手としてワールドカップ
に参戦したこともあったはずです。
あの界隈ならポーランドもありますし、ルーマニア、
スロベニア、クロアチアと相手にことかかないはず
なんですが、なんでハンガリーなんでしょうね。
423世界@名無史さん:04/04/25 14:10
裏でお金が動いてるんじゃないでしょうか。
また、たとえばポーランドはロイ・キーンが復帰して強くなったアイルランドと練習試合があり、日程的に無理です。
424あやめ:04/04/25 15:10
「清史稿」の「邦交志」には「奧斯馬加は即はち奧地利亞(オーストリア)なり」と
述べていますが、「馬加」はマジャールの音訳です。当時は余り「匈牙利」という
表記は見かけないようです。「匈牙利」も清末から出現しますがたぶん日本からの
輸入でしょう。なお「洪牙利」という表記も出てきますが「匈」には「凶」に通じる
いやな字だから避けたものでしょう。
あやめさま
ようこそおいでくださいました。
今、気がついたのですが「佳人の奇遇」の表記は
洪牙利だったかも知れません。
手元に実物が無くうろ覚えの記憶なもので・・。
「馬加」という表記は初めて知りました。
426消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :04/04/25 21:59
 負けてしまいました……

 ナカータや人チワワのいない国内組中心のメンバーなので,実力的には
50位辺りの国とで互角と思ったのでは?>なんでハンガリー
消印所沢さま
なんか後味の悪い試合でしたな・・。
マテウス率いるハンガリー軍もベストメンバーではないと聞きましたが・・・。
428Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/25 22:18
>>423
なるほど、2年くらい振りでしたっけ?<ロイキーン
今度も主将なんでしょうか。。

ポーランドはウッジでやった時に見ていましたが、WCとあわせて、
鼻に絆創膏を付けた(?)キーパーが情けないイメージだけのこって
います(笑)

それにしても、負けてしまった。。
429世界@名無史さん:04/04/26 00:05
>>428
Dudekですね>ポーランドのキーパー
彼はLiverpoolではあんなに凄いのに、なんで代表ではあんなに情けないのでしょうか?
不思議です。
430Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/26 10:03
>>429
ええ?普段はイギリスなんでしたか...

全然すごそうに見えませんでした。
ワールドカップでも情けない映像ばかりで、
「なんだ、こんなのに勝って喜んでいたのか」
という気分でした。

ttp://www.icons.com/dudek/
実は結構スゴイらしい。。

きっと祖国に恨みがあるんですよ。
で、代表が負けるよう(tbs

ハンガリーの代表は早いが粗い感じです(ニュースでちらっとみた
だけでしたが)。ポーランドも早いが粗い。
431世界@名無史さん:04/04/26 13:31
デュデクはポーランド代表ではヤル気がちっともなさそうなのが笑える
日韓W杯前の日本との親善試合で天敵ウッジ市のフーリガンに花火ぶつけられて頭に来てそうなったとか。。。
なら代表外せばいいと思うのだが、彼の実績を超えるキーパーはいないからなぁ
ソースは、この辺↓
http://www.polishsoccer.com/
432Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/26 18:16
>>431
サッカーのチームのホームタウン同士で仲が悪いというのは
良く聞きますね。

ウッジが天敵とのお話。
knurowという町は調べてもごく小さなところのようですし、Sokol Tychy
というのがあるところはよくわからんのですが、生まれがRybnikということは
高地シレジア、これがポイントなんでしょうか。

場合によっては、政治的な問題(地域主義)をサッカーで代理戦争している
こともありえそうです。シレジアは独立運動が起きている場所ですし。

ハンガリーはどうなんでしょう、地域主義で対立があるなんてこと、あります
か?


Josef Svejk さま
かつてのハンガリー王国がそのままなら、相当な摩擦があったでしょうけど、
今のハンガリーは車で走って半日で横断できる程度の国ですから・・。
西部に比べて東部の発展が遅れているので経済摩擦みたいなものは多少ある
のでしょうけど・・。

このへんは現地在住のカレスさまに解説していただきたいところです。
434Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/27 16:19
>>433
スレ違いでごめんなさいです。

東の方はウクライナとのつながりが切れて、重工業系がスカスカという
ようなハナシをちらっと読んだ事があります。

EUになって、スロヴァキアとのつながりが強まるんでしょうかね。
地域の産業や経済の構造が大きく変わりそうで、興味深いです。
予想されることと、実際に起きる結果がどんな風にズレるのか。。
さて、明日の夜からボヘミア方面へ出かけて不在になります。
皆様留守の間もよろしくお願いいたします。
436Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/28 04:03
>>435
お気をつけて!
437世界@名無史さん:04/04/28 05:09
こんな時間にお邪魔します。
ハンガリーの詩人、ヨーゼフ・アッティラのことを調べたいのですが
何か文献をご存知の方いらっしゃいますか。
438Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/04/28 18:31






--------しばらくお待ちください--------





お待ちくださいませ。。(汗
439カウニッツ:04/04/29 11:30
ギシュクラ様。「I hope you'll have a nice trip.」
440消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :04/05/04 16:13
>>437
 モンティ・パイソンの2ndシーズンだったかに,アッティラ大王に関する
スケッチがあります.
帰国しました・・。
Josef Svejkさま・カウニッツさま
お心遣い感謝いたします。

Jozsef Attilaについてですが、私も東欧を知る事典程度の
ことしかわかりません。
今岡十一郎先生の「ハンガリー文化史概説」には項目がない
ようですし、ペテーフィやエンドレのように邦訳の詩集もな
いようです。
1905年にブダペストの労働者街に生まれ、父の蒸発で貧しい
中に育つ。
高等学校時代に既に処女詩集を刊行。
1925年ウイーンに遊学、同地でデーリらハンガリー作家たち
の知遇を得、のちにパリにも滞在し、第一次大戦後の新思潮
に触れる。
帰国後、若手詩人として注目された。
「場末町の夜」(1923年)などの詩集がある。
思想的な悩み、恋愛の挫折などで神経を侵され1937年鉄道自
殺を遂げた。

とのことです。
ハンガリー文学に関しては専門のサイトがありますので、そ
こでお聞きになるほうが早いと思います。

消印所沢さま
それはアッチラ違い・・しかし、アッチラ・ザ・フン・ショー
って・・・。


442437:04/05/09 23:56
ギシュクラ・ヤーノシュさま
ご丁寧にありがとうございました。
やはり邦訳はないようですね。
でも全くハンガリー(というより東欧方面全般)についてのことを
知らなかったのでとても助かりました。 感謝いたします。
443世界@名無史さん:04/05/10 01:34
ハンガリーの東の方は重工業が衰退しているということだが、
逆に農業やそれに付随するワイン製造などで雇用が吸収できないか?
444世界@名無史さん:04/05/10 01:55
トカイって、ハンガリーの北東部だよね。
445世界@名無史さん:04/05/10 02:28
トカイって、ワインの名前なの?地方の名前なの?
アトレ日本橋にトカイの専門店があるね。
金曜日にオーナーの女性がWBSに出てた。現地でのワイン買い付けは興味深かった。
446通りすがりの半可通:04/05/10 03:11
>>445
ワイン産地の名前です。フランスのブルゴーニュやボルドーと同じかと。
447Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/05/10 05:30
>>443
ハンガリーの農業は大規模にやっているんじゃないですかね?
だから喰っていられるというか。
(セルビア領ヴォイヴォディナではかなり大規模にやって
います、同じ地形の国土ですから、多分大規模なんじゃない
ですかね?<ハンガリー)

そういうところに、それまで機械相手にやってきた人たちを
大量投入するのには、いろいろな難しい事があるんじゃない
ですかね?人力を投入し過ぎでコストアップとか、技術面での
習熟とか。

日本も、例えば土建屋さんが余っていると言いますが、とはいえ、
いきなり他の仕事に移れというのも難しいものがありましょう。

長い年月をかけて転換を図って行くのなら、まだ可能性は
ありそうですが、直近の失業者を解消するには移住...くらい
しかないような。

と、わたしは思いました。。。
448世界@名無史さん:04/05/10 13:10
>>447
大規模農業となると、ハンガリー人の地主がハンガリー人を雇うのは無理じゃない?
ウクライナとかルーマニアとかブルガリアとかからの出稼ぎ労働者に頼るようになり、
農業ではハンガリー人の失業者を吸収できないのでは?
449Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/05/10 17:39
>>448
大規模『機械化』農業です。
ハンガリーのデータはないのですが、同じ平原に位置するヴォイヴォディナでは
東欧一(?だったかな?)のトラクターその他耕作機械の充実度ですた。

(土地の集約についてはどっかの本に書いてあって、そちらでは分割の方向で進んで
いると書いてあった気はするのですが...)

わたしが言いたかったことは、機械化されていて効率が良いから農業がやや元気
なだけで、従事者が増えたら弱って行くということです。

ルーマニアとかブルガリアの出稼ぎも吸収などしないだろう、と。

事実かどうか判りません、似たようなケースからの類推ですから、事実をご存知
の方(カレスさんか所沢さんかヤーノシュさん、お願い致します。)のご解説
をお待ちしたいところ。。

450世界@名無史さん:04/05/11 01:18
ワイン産業などは機械では無理。人手がいるから、どうしても安い労働力が必要になる。
451Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/05/11 01:46
>>450
機械化は麦などが頭にありました。

ぶどう園は、雲の上で散歩みたいな感じですか?
452世界@名無史さん:04/05/11 02:02
ぶどうの収穫期には、今でもウクライナとかルーマニアとかから出稼ぎが来てるんじゃないの?
あと、特産のパプリカやさくらんぼの収穫期も。
ああいった農産物は大規模にやればやるほど、比例して人件費が増える。
453M3:04/05/14 04:55
>>ヤーノシュ様
ここはヤーノシュさんの凄さを感じます。
農業良くわかんないっすよ。
454世界@名無史さん:04/05/14 06:38
ぶどう酒醸造ロボットの開発は進んでいないのですか?
455世界@名無史さん:04/05/14 08:10
ルーマニアて離れているのに、フランスやスペインにまで出稼ぎしているね。
言葉がラテン語系なので、学習しやすいのだな。
456世界@名無史さん:04/05/14 12:14
>>454
そんなものより、ぶどう摘みロボットの開発の方が難しいだろ
M3さま
いらっしゃいませ。
ワイン関連等お詳しいではないですか。
いろいろご教示ください。
458世界@名無史さん:04/05/15 14:45
>>457
アトレ日本橋のトカイワイン専門店に逝ってください。
何でもわかります。
>457
情報感謝です、上京した折に訪れてみます。

すみません、お店の名前がわかると助かるのですが・・・。
461消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :04/05/24 23:12
>460
「SPAMの多い料理店」(ウソ)

 ……これと同じ回だったんだなあ,大嘘が書いてあるポケット会話ブックを
持って,英国に来たハンガリー人が,猥褻な言葉を撒き散らすというスケッチがあるのは.
消印所沢さま
モンティパイソンですか??
そういえば今やってる「マイフェアレディ」の舞台でトランシルバニア女王
という役柄があるようなんですが、それって・・・。
大体からして舞台になった時代ってトランシルバニア公国は無かったろうと
思うのですが、あれ何時の時代の話でしたっけ・・・。
463Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/05/26 15:38
アトレというのが検索でヒットしませんでした...

コレド日本橋の3Fのソニプラ系の店にトカイがおいてある
という情報も(ウェブ上で)あったのですが、そこですかね?

Josef Svejk さま
そうなんですよアトレという施設がまったくヒットしないのです。
ちょうど出張で上京するので行って見ようと思ったのですが・・・。
465Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/05/27 13:38
>>464
ヤーノシュさま、
アトレはJR東(?)系の駅ビル系デパート、多分コレドではないかと...
思って投稿致しました。
もしそうだとすれば、昔の東急日本橋店、大昔の白木屋呉服店の場所になります。

http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=139%2F46%2F39.410&pnf=1&size=500%2C500&nl=35%2F40%2F45.991

URLが長いので、ブラウザにコピペしてくださいませ。

日本橋1丁目ビルというのがそれです<コレド
一帯で一番高いビルなので、すぐお判りになるかと思います。

下がり過ぎなので、全く世界史とは関係ないですが、あげさせて頂きます。。
466458:04/05/27 16:15
恥ずかしながら458です。

何で「アトレ」などと書いてしまったのか…(汗

「コレド」が正しいです。コレド日本橋へどうぞ。
467458:04/05/27 16:25
ちなみにあの店はハンガリー通の日本人女性が個人で経営しています。
現地での買い付けまで全部やるそうです。
トカイでも最上級のワインまで扱っているそうですよ。
この間テレビ東京のWBSにも出ていました。
468Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/05/27 20:18
>>466
アイヤー、晒し上げるつもりではなかったですよ、ホントに。

コレド、実は行った事が無いので、今度はトカイを目的に行ってみます。
469世界@名無史さん:04/05/27 20:50
もしかしたらガイシュツかもしれんが
http://x51.org/x/03/06/2443.php

2003年06月24日
CABAL : 高校生アンケートでヒトラーが大人気 ハンガリー

【Yahoo】今年4,5月にかけてハンガリーの高校生対象に行われた「歴史上の僕の好きな有名人」アンケート結果によれば、ナチス総統アドルフ・ヒトラーが堂々の6位にランクイン。
カエサルなどの名だたる有名人を抑えのランクインには、アンケートを行ったAdmissions Information Service(FISZ/ブダペストの非営利教育機関)もいささか驚きが隠せないという。
また同アンケートの結果詳細によれば、1位は15世紀のハンガリー国王Matyasで、歴史に語り継がれる彼の正義と誠実さ、またオスマントルコ帝国に打ち勝ったその政治手腕が彼の人気の理由であるという。
また2位はナポレオン・ボナパルト。その他上位入賞者はいずれもハンガリーの過去の著名な政治家や国王で、6位にヒトラー、7位が古代ローマのカエサル(シーザー)であったという。
1位のMatyasは総アンケート数26,678人の内38%が投票、ナポレオンは24%、そしてヒトラーは9%の得票を得たという。7位以下の有名人は全体に対してそれぞれおよそ1%程度の得票であったとのこと。
470世界@名無史さん:04/05/27 21:13
      r ‐、
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  良い子の諸君!
    (⌒`    ⌒・    ¨,、,,ト.-イ/,、 l  早起きは三文の得というが、
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)  今のお金にすると60円くらいだ。
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|  寝てたほうがマシだな。
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' |
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |
   |  irー-、 ー ,} |    /     i
   | /   `X´ ヽ    /   入  |
471世界@名無史さん:04/05/27 21:15
>>469
ナジ・イムレはどうだったの?
472世界@名無史さん:04/05/27 21:18
>>469
ナジ・イムレはどうだったの?
473世界@名無史さん:04/05/28 23:53
>>472
わからない。外国語わからないから調べようがない。
だれかハンガリー語がわかる人がいたら調べてくれれば幸いです。
>466
情報感謝です。

>469
文字化けが凄まじくて読めません。コードは何でみるのでしょう・・。
一度、知人にこのニュースを知ってるか聞いてみますが、ヒットラー
人気というのは解せんですな。
マーチャーシュ王は子供の絵本とかにも登場しますが、水戸黄門のよ
うにお忍びで世直しをして歩いたというのは伝説に過ぎないでしょう。
トルコに勝ったというよりもトルコと和してボヘミア・オーストリア
方面へ侵攻したというのが事実です。
ハンガリー史上では屈指の強力な王であることは間違いないですが・・。

475世界@名無史さん:04/05/30 21:44
>>474
ハンガリーはドイツの敗戦まで同盟していた唯一のヨーロッパ国ですからね。
そのことがヒトラー人気に関係しているのかもしれません。

あと、できればほかの人物の順位も知ることができればいいんですがね。
476カレス ◆AUvFvohlXU :04/05/31 08:31
ご無沙汰です。

>ヤーノシュさま
ログみたら何度か私に問いかけ?なさってましたね、すいません。
無視したわけではなく、このスレに来てませんでした。

覚えてるので、サッカーだけレスします。
ハンガリー人の友人が、あれは審判に勝たせてもらったようなものだ、
と言ってました。ハンガリー人から見ても、微妙な判定のPKだったそうです。
私は休日返上で仕事していたので、会場にも行けなかったし、
テレビでも観れませんでした。
477世界@名無史さん:04/06/01 12:07
武装親衛隊ハンガリアage
478世界@名無史さん:04/06/02 01:41
何でハンガリーは自殺がおおいのですか?
479世界@名無史さん:04/06/02 05:26
>>478
http://www2.dokkyo.ac.jp/~msemi005/yuhi99/area013/jinbunchiri.htm
>D 自殺の多い中欧
の項目をご覧あれ
480世界@名無史さん:04/06/06 17:35
ヨーロッパピクニック計画
NHKで本日23:25より再放送です。
481\(^■^ ラ 【卍】欧州大陸侵略者に報復だ!:04/06/06 17:47
《アドルフの画集》もハンガリー映画だったな。
>479
情報感謝。知人曰くは結構神経質な人が多いように思うとのこと。
どうしてそんなことを気にするのかと思うようなことを気に病む
とか言ってました。特定の個人の主観ですが、ご参考までに。

>480
おお、情報感謝です。しかし2輪のレースとバッティングしてま
すなぁ・・。

>481
ハンガリー・カナダ・イギリスの合作映画です。
ヒトラーに関連する映画だとイシュトヴァーン・サボー
監督の「ハヌッセン」という作品もありますが・・。

483世界@名無史さん:04/06/06 22:22
ハンガリー人はヒトラーからすれば絶滅すべき有色人種の血を引く劣等民族だろ。
そいつが人気あるなんてハンガリーもゆがんでるな。
484世界@名無史さん:04/06/06 22:58
白人の血がマジャってるからいいんじゃない?
485世界@名無史さん:04/06/06 23:02
ヒトラーはオーストリア人だったから
彼の脳内で祖国の二重帝国時代を否定するのはゲシュタルト精神崩壊を
おこしかねなかったんじゃないんだろうか。
一方でロマは弾圧したしーって
そういやハンガリーだっけ?欧州連合加盟で人権問題の見地から
ロマのいる街に塀をつくった事が物議かもし出した国って。
ルーマニアかチェコだったかな?忘れた。
>480
今、見終わりました。
3回連続物で放送されたものは見たことがありましたが、
これは初見でした。

ショプロンのヨーロッパピクニック計画の舞台となった
場所を訪れたことを思い出しました・・。

>483
ヒトラーが国民全般に人気があるとは聞いたことがない
ですね。この件がどんな風に報道されてるのかもう少し
知りたいところです。

>485
そのニュースはチェコじゃなかったですか?ハンガリー
も国外に脱出したロマの方から抗議を受けてたような記
憶はありますが・・。

>476
カレスさま

いや、ご多忙の最中のこと故、お気になさいますな。

ご質問させていただいていたのは、ハンガリー東部の農業の状況
(大規模農場が多いのか?とかウクライナ・ルーマニア方面からの
出稼ぎが多いのか等々)に関するご質問があって、私ではわかりか
ねるもので、旅行スレまでお邪魔した次第です。
詳細は443〜449あたりをご覧いただければ・・。
よろしくお願い申し上げます。
488世界@名無史さん:04/06/07 19:23
海外(英語)の軍事サイト。第二次大戦中のハンガリーについて書かれている。
特にギャラリーにある写真はカラー写真もあり貴重な資料だ。
http://www.axishistory.com/index.php?id=36
489世界@名無史さん:04/06/07 19:54
昨日のNHK見ました。
それまで全然知らなかったんですがネーメト首相って凄く決断力あったんですね。
あのコール首相が号泣したというのも泣かせてくれました
490カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/07 21:00
>>485-486
田舎のロマ一家がベルギーに民族差別を理由に難民申請した件かな?
春先に民放でその一家の真実にせまる番組やってました。
その町の親戚や近所のロマの方々や町長さんの話を聞いてると、
特にその一家が差別されてたわけではなさそう…っていう気がしました。
親戚(兄弟含む)は貧しいけれども、その町で暮らしてるし…
ロマのハンガリー語は聞き取り難しすぎ!で、イマイチ内容把握に
自信がないですけど。

>>487
農業のことはよくわからないです。すいません。
社会主義時代の集団化で、農村の伝統行事とか文化がほとんど消滅した村、
とかの話は友人から聞いてます…
491Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/06/07 21:12
懐かしいNスペでした<ピクニック

三回連続ものというのは初めて知りました。。
1999年頃、再放送を見たおりにビデオを撮ったのですが、あれはどこに
行ってしまったか。

それにしても、あのNスペ、再放送が頻繁ですね。
たしか昨年末くらいにもやったような...<ピクニック
492カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/07 21:20
ヒトラー人気の実態についてはわかりませんが、
「田代」みたいなネタ投票、っていうことはないだろうなあ…

人の暗黒面の現れか…
493\(^■^ ラ 【卍】ハンガリーで大人気:04/06/07 22:17
ハンガリーの国民に余は感激!!

第四帝国成立の暁にはドイツ・イタリア・日本の三国枢軸はやめて前次世界大戦で最後まで同盟の絆を保ってくれたハンガリーを入れて。

ドイツ・ハンガリー・日本の新三国同盟を成立させるぞ!!
494世界@名無史さん:04/06/07 22:25
カーダールが偉かったんだろうね。
ソ連に付け込む隙を与えずに、ニエルシュ・レジェーを始めとする改革派をうまく温存した。
党内の改革派の裾野が狭かったら、党が自分から政権を放棄するような改革はできなかった。
Josef Svejkさま
3回ものは一回目がハンガリー、2回目がチェコスロバキア、3回目が
東ドイツでした。
1回目の内容は今回の内容とほぼ同じですが、ネーメト首相が確かゴル
バチョフのやりとりがあったような気が・・・。

あのような国の運命を賭けた局面でであのような見事な決断が出来た人
々がいたということに敬意を表したいと思います。

>492
ヒトラーの件はハンガリーではあまり話題になっていないのですか・・。
ネオナチが跳梁跋扈したりすると困りますね。
以前連中に「アジア人は出て行け・・。」と言われて、非常に奇異な
感じがしたことがあります。
496世界@名無史さん:04/06/07 22:28
ヤルゼルスキもワレサを殺さなかったし、
東欧の指導者は本当はソ連がキライだったのかもな
497\(^■^ ラ 【卍】ハンガリーで大人気:04/06/07 23:04
>>495
>>以前連中に「アジア人は出て行け・・。」と言われて、非常に奇異な感じがしたことがあります。

余は一度も日本人、中国人を劣等人種と思った事はない。
その連中はゲシュタポに連行されて強制収容所で暮らしている事だろう。
498世界@名無史さん:04/06/07 23:07
>>495
私はドイツの同盟国民だぞ!!と叫べば万事解決。
同盟の絆は今も生きている。
499カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/07 23:49
>>493
いや、ハンガリーはドイツに内緒で、連合国側と和平交渉をしようとしたんだよ。
1944年にね。

>>494
時代の流れでしょ。彼が偉かったかとかいう話じゃないと思うよ。
ソ連にはもう衛星国をコントロールする気力もなかったんじゃない?

>>497
つーか、お前さんドイツ人じゃないだろw
500カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/07 23:57
スレ違いかと思うが、ちょっと独り言

日曜日のHIR-TVで、ホルン元首相には、報道の自由を尊重する気が
全く無いことが、暴露された。
こんな人が体制変換後も政治的に生き残って、良かったのか?
ハンガリー社会党は党首から執行部から似たようなもので、
中の人の思考は、西欧の社民政党とは、似て非なるもの。
自由と民主主義を本当には理解してない。してるふりだけ。
で、やっぱりプロパガンダがハンガリー政党の中で1番上手。

13日のEU議会選挙は、投票率が大幅に伸びてほしいけど…それほど行かず、
結局MSZPとFIDESZが、おおよそ五分五分、差がでても1〜2議席差、
SZDSZが数議席、MDFは…党首だけでも当選しないとやばい状態かな?
この予想が外れて欲しいなあ…
カレスさま
>499
停戦交渉がばれてホルティ提督逮捕で結局ドロ舟に乗る破目になって
ホンヴェードの一部はドイツ降伏まで戦う破目になってます。
上の人のいうハンガリーは矢十字の連中とかが政権とったに後のこと
なのでしょう・・・。

カーダルについては敵の敵は味方という政策は評価してよいのでは?
単に日和見だっただけかも知れませんが結果的にはOKだったように
思うのですが?

歴史の流れの中で一瞬輝きを見せて、その役目を終る人物は多いですな。
ネーメート首相について詳しいことは存じ上げませんが、その辺の機微
をわきまえた人物のような気がします・・。ホルン氏は駄目だと聞いて
ましたが・・やっぱりですか。

>496
心底ソ連が好きな指導者は東欧にはいないでしょう。
ヤルゼルスキ将軍は抑留経験があったはずで、例の戒厳令騒ぎの
際、ソ連軍が侵攻してきたらどうするんだと言われて、「私は軍人
だ。するべきことは決まっている。」(かなわぬまでも一戦する)
と言ったとか。うろ覚えの記憶なんで間違っている可能性大ですが。
>495
実験してみて下さい。身の安全の保障はしませんが・・・。
503世界@名無史さん:04/06/08 01:55
>>501
ヤルゼルスキがラコフスキ?に言った言葉だっけ。こんなふうだった記憶がある。
「ミエテク、彼らが来たらどうするか分かっているだろうね?私は軍人だ。君は予備役少尉?だ」
>503
感謝です。当時、悪役視されていた将軍の心に秘めた覚悟のすさまじさ
が伝わってきます。
最悪の事態にならずに本当によかった・・・。
505M3:04/06/09 14:47
お邪魔します。
ヒトラー人気か・・・
ロマやユ〇ヤに対して快く思わない事に反映してるんだろうね。
ドイツに敗北し首都占領されながらも戦勝国になれたフランス
ドイツに併合され国家消滅しながらも国土分割を回避したオーストリア
ドイツに併合され国家消滅しながらもレジスタンスがハインリヒ将軍を暗殺したため圧政され
ソ連軍に進駐されたチェコ
ドイツと同盟し連合国に圧倒されながらも戦勝国に転じたイタリア
ソ連と対抗上枢軸国側に傾き敗戦国扱いされたフィンランド
など2次大戦後の戦後秩序の勝ち組み負け組みは格差がついているわけだが。


507もっと悲惨なのは半島:04/06/09 17:21
本人たちは戦勝国を自称するも南北分断、○○戦争。
今や国際社会のお荷物。
508世界@名無史さん:04/06/09 17:22
半島を持ち出すとスレあれるからやめれ
509\(^■^ ラ【卍】全ての:04/06/09 17:32
善きドイツ人は、あの聖戦によって死に絶えてしまった…。
いま生きている連中は、ユダヤ・デモクラシーとボルシェヴィズムに洗脳された「ドイツ人モドキ」である。
510世界@名無史さん :04/06/09 20:52
ヤノーシュ=ジョン、イシュトヴァン=スティーヴン、フェレンツ=フランク、マーチャーシュ=マシュー
なんだね。作曲家でワーグナーの岳父リストをリシュティ・マリーア・フェレンツて表記していた
番組が3年ほど前にあって印象的だった。ヨーロッパで日本風の名前表記をする国があるんだって。
ちなみに今、俺が通っている大学に1人ハンガリーからの留学生がいるよ。ヨーゼフって名前で、23歳。
一昔前の日本女性みたいに些細なことをけっこう気にする性格で、日本の魚介類が大好き。
一週間に1回は回転寿司に行くほどの寿司マニア。今のハンガリーは海に面していないけど、
ハンガリーの人は魚介類は好きなのかな?同じヨーロッパ人のドイツ人の魚嫌いは有名だけど。
511Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/06/09 21:01
>>510
ドイツでも『ノルトゼー』なんか、結構はやっているように見えますが。。
ナチがマスをスロヴェニア?に持ち込んだなんてハナシも聞いた事がありますし。

ドイツ人にもいろいろ(ハンブルクの魚市場は大きく、しかも有名)なのと
同様、ハンガリー人にもいろいろいるのかも。
512世界@名無史さん:04/06/09 22:03
>>510
そうえいば\(^■^ ラ【卍】ヒトラーさんはドイツの魚介類消費量が少ないのを嘆いて日本の具体的な魚介類消費量を例に出して。
日本の魚介類消費量を超えねばならないってい言ってたね。
>506
そこまでご存知であればブダペストの市街戦の顛末等をご存知なのでは?

>510
英語の本を買うとフニャディー・ヤーノシュがジョン・フニャディと
表記されていて面食らいます。
王様の名前でもラヨシュ2世→ルイ2世とか書かれると誰のことだか
わからなくなります。
ハンガリー料理はナマズ・コイ・マスといった川魚料理はありますよ。
ハラスレーなんか美味しいです。
基本的に海の魚の料理ってのは無いのでは??寿司好きなのはその方の
好みのように思いますよ。

ベーラ4世スレなんてモノが出来ていて驚きました。

強いと思うかというのはどういうことなんでしょうね。
当時のハンガリー王国の状況からして軍事的に強いと
は言い難いのは間違いないですが・・・。
515カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/15 18:02
自己レスですが>>500に選挙予想を書いたので、結果も書きます。

2004年EU議会総選挙:ハンガリー(定数24)
FIDESZ:12
MSZP:9
SZDSZ:2
MDF:1
以上です。
カレスさま
はずれたと言うべきなのでしょうか・・。
517Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/06/16 01:03
>>516
ほぼ当たっているように見えますが。。<予想
518カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/16 05:07
>>516-517
議席数の差、3は予想してませんでした。1、2議席の差かなあと…
投票率が低いとMSZP有利と言われてました。
で、ある意味予想通りに投票率は低かったのですが、FIDESZの完勝です。
これがハンガリー国会の選挙だったら、3分の2の議席を占めたのに、と。
Josef Svejk さま
私もそう思ったのですが、はずれたというニュアンスでお書きに
なってるような雰囲気を感じたもので・・。

カレスさま
おはずかしい、国会と勘違いしてました。

ところで、ハンガリーとスロバキア間のトカイワインの
名称使用問題が解決したそうです。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040616-00000020-kyodo-soci

元のトカイ地方に国境が出来てしまったのだから、仕方ないような気がし
ます。
以前スロバキアへ行った時にスロバキアのトカイワインを飲んだことがあ
りますが、ワインに疎い下戸の私には差がわかりませんでした。
トカイワイン同士でもけっこう味が違うような気がしますし・・・。
520Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/06/16 23:26
カレスさま、
ヤーノシュ隊長、

1-2議席と3議席、外から見ると同じ程度にしか見えませんが、
この1議席差が何か重大な議決に影響して来たりするんですかね...
将来。

521カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/17 03:17
>>520
FIDESZもMSZPも共にEU議会ではハンガリーの代表として協力しましょう、
と言ってますので、あまり関係ないと思います。

しかし国内での支持率という点では、影響大です。
>>518でも触れましたが、これがハンガリー国会の選挙だったら、
FIDESZが議席の3分の2を取れる数だと、オルバン前首相が言ったとか。
定数が全く違いますが、小選挙区の定数があるハンガリー国会選挙なら、
FIDESZとMSZPの差がもっと広がるはずですから。
こんなニュースがありました
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040619-00001013-mai-soci
523カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/26 06:12
>>522
鈴木仁さんの踊りを先日のチッラグ・セムの公演会で観ましたよ。
はっきり言って、素晴らしいの一言です。
私はちょっとかじったくらいしか踊れませんが、長年ハンガリーに住んでいて、
いろんなハンガリー舞踊を観てきた経験から言っても
彼の踊りは活き活きとしていて、技術だけではなく、表現としても感動しました。
>523
ご覧になりましたか。
こういう方がおられるということはもっと知られてほしいですね。
日本でも公演があるそうなので、興味を持たれた方は是非足をは
こんでいただきたいと思います。

カレスさまも多少とはいえ踊りを習われたのですか。
525カレス ◆AUvFvohlXU :04/06/26 16:17
>>524
ターンツハーズには、初心者向けに教えてくれる時間帯があるんですよ。
何度も行ったから、その度にちょっとずつ体が覚えます。
いきなり踊りの輪に加わるように言われれば、
また周りを見ながら踊ります。
カレスさま
いいですね。機会があったら私も習ってみたいですが、
見るからに難しそうですね・・・。
というわけで某市のイベントでちょっとだけ習ってきました。
とても、私には無理でした・・ああ、腰が痛い・・・。
528カウニッツ:04/06/28 21:30
親友に聞かされたのですが、英雄広場の南側に「ヨーロッパ最古の地下鉄の入口」が
あるそうですね。写真で見たのですが、ブダペストのエンゲルス広場も良いですね。
529世界@名無史さん:04/06/29 02:20
エンゲルス広場は、今はエルジェーベト広場。
530世界@名無史さん:04/06/29 03:39
最近のハンガリーの経済状態はどうなの?
知っている人いたら教えてb
531世界@名無史さん:04/06/29 09:58
ハンガリーは戦前にノイマン、エルデシュと言った歴史的数学者を多く輩出したが、
これらはすべてユダヤ人である。ユダヤ人が逃げ出した後の戦後は、ハンガリーから
世界的数学者は皆無のようだ。
http://www-groups.dcs.st-and.ac.uk/~history/Indexes/1940_1960.html

「20世紀を創ったハンガリー人」なんて本があったが、ユダヤ人が逃げ出した後は
普通の国になってしまった。
532ツバキ:04/06/29 10:22
 ハンガリーのブダペストからきたお姉さんに「ブダペストのペスト地区から来たの?」 
と聞いた。お姉さん「ムッ」とした顔をしてた。
533世界@名無史さん:04/06/29 20:46
>>531
皆無ではないな。ピーター=フランクルとかいるし。

まっ、彼もその後逃げたが。
>528
エンゲルス広場ってどこなのかと思いましたよ。

>531
ノーベル賞級かどうかはともかく今でも数学に関するレベルは
非常に高いと聞いてますよ。
ユダヤ系の方々で優秀な数学者が多かったのは事実ですね。


>532
ブダ側の方が高級住宅地だからですかねぇ。

>533
フランクル先生もユダヤ系のハンガリー人ですね。
「わが心の旅」だったと思いますが、故国を訪ねて
みたものの心無い言葉をかけられて傷ついておられ
た姿が忘れられません。
535M3:04/06/30 00:15
>>531
ルービックキューブのルービック・エルノー

>>534
あの番組を観たハンガリー人(3名)は彼の意見に対して怒っていた。

M3さま
ルービック先生を忘れてました。
ハンガリーの数学教育というのは独特らしいですね。

怒ってるというのはフランクル先生に対してですね。
ニュアンス的にわからなくもないですが・・。
537M3:04/06/30 03:21
Janos ur
確か彼がいかにもハンガリーではユダヤ人差別が横行しているような
言い方をしたからだったと思います。一方的で誤解を招くような内容
でしたね。ビデオに撮っていますが観直す気は無いですね。
538世界@名無史さん:04/06/30 03:34
>心無い言葉をかけられて

どんな事言われてたの?モロ差別語だったら
そう思っても仕方ないと思うけど・・…
539M3:04/06/30 07:18
4月4日の解放記念日(旧祝日)自由広場でのインタビュー。
そしてどこの党か分からないが、右よりの集会にて。演説は全文をTVで流していないので
前後が分からないが字幕スーパーの「愛国心をもって頑張ろう」とは言っていない。
大衆からの喚声を「共産主義者を追い出せ」「農民を立ち上がれ」「社会党、絶対反対」
だか、聞こえるのは「祖国は我々のもの!」しか聞こえない。まぁ、現場では前文の喚声も聞こえた
のだろ。

そして、>心無い言葉を・・・だが。多分このシーンではと思うが。
男性「日本に真実を伝えてくれ。このソ連の記念碑はハンガリーの恥だ。
占領者であるソ連の事を解放者と欠いてある。この国はまだ占領されているんだ。
P「誰に占領されているのですか」
男性「ユダヤ人とつるんだ共産主義者だよ」
P「現政権は共産党ではない」
男性「では何だい?」
P「今は会社は民間だし、民間の金融機関もある」
男性「君、共産党員?それともユダヤ人?悪かったね、変なこと言って」

しかし男性は最後字幕のような事は言っていない。笑いながら、
「あなたも隣からやってきたの?怒らないでよ、そんな事言っているから」
「Maga is onnan jott szomszedbol?Ne haragudjon. Azt mondja」
指をさして「隣から」はどこ(ロシア?)かは分からないが、共産党員、
ユダヤ人って事は最後言っていない。
そしてPは字幕に書かれなかったが「日本に住んでいる」と男性に答えた。

540世界@名無史さん:04/06/30 20:17
>>539
アップ乙。
そういえばハンガリーでヒトラー人気って記事もあったな。
オーストリアとの格差が激しく貧しくコンプレックスがあるというのを聞いたことがある。
共産主義から解放された旧共産圏では民族主義が爆発しているがハンガリーはユーゴスラビアと違ってほぼ単一民族国家だからあんまり混乱しなかったんだろうね。

あと、俺は通りすがりの名無しでナジ=イムレ程度しか知りません。無知なレスだったら無視して結構です。
541<(TmT)> ハンガリーの戦友よ:04/06/30 20:55
[●]わが大日本帝国固有の領土である千島・樺太は、ロシアに今なお不法に占拠されたままで、
正式な「友好条約」がないとかいう理由で左翼どもに、回収策さえも封じられたままである。
ヤツラの姑息な時間稼ぎが国境線の固定化にどれだけ利したことやら…。
542世界@名無史さん:04/06/30 22:04
よくハンガリーは親日国とか言ってるやついるけど

ハンガリーと日本の間に国際友好条約みたいのあるの?
543世界@名無史さん:04/06/30 22:46
>>542
>>よくハンガリーは親日国とか言ってるやついるけど
誰が言ってんの?親日国スレでも見かけないよ。

ミツコと言ってみるテスト。
M3さま
お手間をとらせました。
ハンガリー語と字幕の内容が合ってないわけですね。
ハンガリー語がわからない人は気がつかないわけで
困ったものです・・。


私の記憶ではタクシーの乗り場でトラブって・・何か
言われるというシチュエーションがあったような記憶
があったのですが・・記憶違いかもしれません。

>540
単一民族ではないですよ。
ドイツ人・セルビア人・クロアチア人・セーケイ人
・クマン人・ルーマニア人等が住んでますが、彼ら
に対してマジャール人の民族主義が爆発するような
状況にはなっていないはずです。
(カレスさま・M3さまよろしいでしょうか?)
トリアノン条約で元の国土の3分の2が外国になっ
てまして、むしろ周辺諸国でのハンガリー系の人た
ちの扱いの方が問題になってます。

>542
ハンガリー大使館のページとかをご覧になってはいかが
でしょうか
ttp://www2.gol.com/users/huembtio/relation.htm
545M3:04/07/01 03:50
ピーターが体験した事、感じた事は当人にしか解りませんが、かなりユダヤ人を
悲劇的に演出しようと言うのが見え見えで、知人のハンガリー人達は不快さを
感じたようです。

Janos ur
540さんは「ほぼ単一民族国家」と ほぼ をつけているので良いのでは
ないでしょうか
詳しくは知りませんが、96%がマジャールと(共産党時代)の事でしたっけ?
中にはジプシーも含まれているのでしょう。ってことは、いくら?10%は
ジプシー?詳しい人いないですかね。
クロアチア系でもハンガリー風に改名した人、ユダヤ人にも改名多いですね。
FEKETEとかFEHERって名にもユダヤ人多い様だし。
周りにニコリッチとか、バルバリッチなんて名の奴いるが、ハンガリーの少数
民族は民族別けで何%ぐらいなんだろう?
546カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/01 07:14
実際はマジャール系、ドイツ系、スラブ系などの混在など、いろいろありますけどね。
祖先が別民族でも仲良くやっている地域においては、
通りすがりの外国人からは、よくわからないでしょう?

ピーター・フランクルの番組は見てませんが、
確かお母さんが「お前は、なんでそんなことを言うんだ」と言う感じで、
ユダヤ差別を強調しているのを戒めている場面があったと聞いたのですが、
違うんでしょうか?
ショルティもユダヤ系ですが、最後のCDの彼自身の文章を読むと、泣けます。

話が飛びますが、ハンガリーにおいては、ジプシー(ツィガーニ)というのは、
差別用語ではなく、「音楽家」を意味していたそうです。
例は民謡の歌詞にでてくる「ツィガーニ」ですね。
実際、音楽家あるいは会社勤めの「ロマ」から、「私はジプシーです」
と自己紹介された人、私以外にもいませんか?

個人的経験で参考にならないかもしれませんが、
私が自己紹介で「私は日本のジプシーです」というのが、
10年以上ハンガリーに住んでいて、最高にうけるジョークです。
ジプシー自身が大爆笑で、仲良くなってしまうんですよ。

日本の在日・部落問題でもそうですが、固有名詞なのに、
「差別だ」というのは、「言葉狩り」でしかないと思います。
「ロマ」だって、「言葉狩り」がなくならないかぎり、
将来は、差別用語になってしまうと思います。
547世界@名無史さん:04/07/01 10:41
フランクル・ペーテルの『僕が日本を選んだ理由-世界青春放浪記2』に
ハンガリーでのユダヤ人「差別」に関する記述もありますが、
それもあくまで彼の見方だということですね。
548世界@名無史さん:04/07/02 00:25
ハンガリーは親日だよ

トーゴービールが有名
549カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/02 03:52
>>548
そんな餌で釣られ、クマ━━━━━━━━━━━━ !!!(AA略
M3さま・カレスさま
基本的にはちょっと見ただけではわからないですね。
ブダペスト近郊にもドイツ人の集落がありますが行
って知り合い同士が話しをしているのを聞かないと
わかりませんでした。
私の場合は知人にドイツ系のハンガリー人がおりま
して、戦後はドイツ語を話すことを禁じられたとか
いう話を聞いているもので、ちょっと過剰反応気味
になってしまい申し訳ありません。

ロマと言えばヨーロッパに出現したのはフニャディ・
ヤーノシュの時代だそうですが、マーチャーシュ王
は鍛冶の技術等を認めて彼らを雇ったとか聞いたこ
とがあります。

ロマにもいろんな人がいるのでまとめて云々するの
は反対ですが、集団スリの類だけはご勘弁願いたい
ものです。

>548
餌の質が悪すぎますよ・・・。
トーゴービール(アミラィ)も今はフィンランドか
らオランダ会社の製造に変わったのではありません
でしたっけ・・・。
551M3:04/07/02 23:06
Janos ur
Solymarとかドイツ系ですね。以前道を尋ねたらかなり訛ってた。
ドイツ語訛りだったのでしょうか。Obuda,Budafokなども元々は
ドイツ系の村だったと。知人のドイツ系の人は第二次大戦後
迫害され、知人や教会などにかくまわれ生活していたそうです。

AJKA近くのURKUTって村は95%以上ドイツ系で街角では
高齢の人々はドイツ語で話をしていました。
M3さま
私の知人と同じような話ですね。
ショイマールはドイツ語の学校があると聞いたことがあります。
以前どなたかが書いておられたところでは、ブダペストそのもの
がドイツ語人口の方が多かったとか・・。

モハーチの街の中の記念碑はマジャール人とドイツ人とセルビア
人(だったと思います)の調和の象徴とか言う意味だそうで。
友人と歩いてると、曰く「結構セルボ・クロアチア語で話してる
人がいる。」とのことでした。

ところで愚問だと思いますが・・・。
クマン人とかぺチュネグ人とか言われる方々はマジャール語
を常用しておられるのでしょうか?
553M3:04/07/03 02:52
Janos ur
ブダ地区にはドイツ系が多く、ドイツ系の人々はPEST-BUDA合併に
反対していたと聞いたことがあります。

>クマン人とかベチェネグ人とか・・・・
常用しています。独自の言葉というのは聞いた事無いですね。
またベチェネグの名のついた地方、村からやって来た女性を知って
いますがその様な事は言っておりませんでした。私には分かりませ
んでしたが、訛りも感じませんでした。
554世界@名無史さん:04/07/03 05:30
ドナウ地方に侵入してきた時のマジャール自身が、クマンやベチェネグを
同伴したトルコ系の混成民族だったんじゃないの?
555カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/03 06:22
友人のピアニストはドイツ系ですが、アイデンティティはハンガリー人です。
バルトークやコダーイを尊敬しているし、
バルトークのハンガリー民謡を元にしたピアノ作品を留学生に教えるときも、
本当に楽しそうに元歌を披露してくれます。

HIR‐TVのEgy Napという番組を毎週欠かさず観てますが、
ドイツ系入植者がもとになった村とか、
ハンガリー系、ドイツ系、スラヴ系などが混在している町とか、
いろんな所にありますね。

>>551
ワインで有名なヴィッラーニ地方に、数百メートルの一本道に並ぶ家々だけ、
という村がありますが、ここは確か全員ドイツ系です。
次にヴィッラーニへ行くときは、是非立ち寄ってみたい場所です。
556世界@名無史さん:04/07/03 07:43
>555
フランツ・リスト氏でつか?(笑)
しかしそれにしても、アメリカに渡ったバルトークの晩年は悲劇でしたね。
ハンガリーの「民族主義」音楽家では、ホルティ一派と見なされても仕方ない(?)ところがあったようですし…。
ジョルジ・リゲッティなんかも、かなり有名な方なんでしょうね。
M3さま・カレスさま
いつも貴重な情報をありがとうございます。
エルデイでもそうなんですが、ドイツ系の方々は
非常に結束が固いのか独自の文化を保持している
場合が多いですね。

>554
ぺチュネグ人はそうかもしれません。
イシュトバーン1世がキリスト教に改宗しない
ぺチュネグの族長を生き埋めにして処刑したと
いう話が伝わっています。
クマンについては国内に受け入れたのはベーラ
4世の時代が最初ではないでしょうか?
一度モンゴル軍侵攻以前に受け入れて国内の
反発で失敗し、モンゴルの撤退後に再度受け入
れています。王子イシュトバーン(後のイシュ
トバーン5世)をクマン族長の娘と結婚させて
融和を図っております。イシュトヴァーン5世
の息子が昔の伝統に回帰しようとした異色の青
年王ラースロー4世(クン・ラースロー)です。
558ツバキ:04/07/03 21:19
差別、差別と騒ぐ女、たいがい不細工、ユンソナちゃんかわいい。
>558
で?ハンガリーと何の関係があるのでしょうか??
560\(^■^ ラ 【卍】:04/07/04 17:56
集団として見ると、ハンガリー人はロシア人に劣らず怠け者である。
ハンガリー人は草原の人種なのだ。
>560
というのはヒトラーの発言ですか?
ヒトラーがハンガリーに対してどんな発言をしてるのかご教示
いただけると幸いです。
小生はラコーツィ・フィレンツ2世以後はあまり興味がないも
んで・・・。
しかし、草原の人種=怠け者というのは笑えますな。
562世界@名無史さん:04/07/04 19:02
クマン人とかぺチュネグ人いう自己意識の人が本当に居るのですか?セーケイのことなのでは?

ハザールという意識の人は居ないでしょう
563\(^■^ ラ 【卍】560の続き:04/07/04 19:06
この点から見て、ホルティの判断は正しい。彼は大私有地をなくしては生産は急速に低下すると考えたのだ。

564\(^■^ ラ 【卍】:04/07/04 19:08
この幼稚な世界を怠惰な状態から引っ張り上げるには、人々を叱咤して労働させるしかない。
スラヴ人は生まれながらの奴隷で。主人なしではいられないのだ。
>562
クマンもぺチュネグも先祖がそうだという程度の認識なのかも
しれませんが、クマンについては末裔を自称する方々がおられ
るのを読んだことがあります。

ハザールについては私は言及していないつもりですが・・・。
これは聞いたことがありません。
東方ユダヤ人はハザールの末裔とかいう説は読んだことが
ありますが・・・。
余談ですがパノニア定住以前にマジャール人は彼らの支配
下にいたそうですね。

>偽ヒトラー殿
情報感謝ですが、マジャルもスラブも一緒くたですか・・。
出典は「我が闘争」ですか?
コッシュートの反乱あたり以後の歴史はあんまり興味が湧か
ないというか生々しすぎて読んでてつらいものがあるので、
なかなか手が伸びませんわ。



文化遺産のホロッケ村の方々はぺチュネグの末裔と聞いたことが
あるのですが、何方か詳しいことをご存知ないですか?
566カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/05 01:08
ヤーノシュさま
今日HIR-TVで「ハンガリー人はどこから来たか」というのをやってました。
朝食の準備してたので、ほとんど聞き流してしまいましたが、
最近のレスで言及されていない、ヤース人というのもいることを知りました。
前半のまとめをちろっと聞いたのですが、
独自の言語を失いハンガリー語を使うようになった各民族も含めて、
ハンガリー文化圏を成立させているのであって、
いわゆるハンガリー人を構成しているのは、純粋な一つの民族ではなく、
いろいろ混ざっている、というような話を学者さん?が言ってたような…
ちゃんと観てたわけではないので、うろ覚えですいません。

ホッロークー村はパローツですよね?
もちろんこの村だけにパローツが住んでいるのではなく、
あの地方はパローツが多いと聞いたことがあります。
パローツとぺチュネグって同じなんですか?
567M3:04/07/05 02:38
>>566
Jasz-Nagykun-Szolnok megye.
Bacs-Kiskun megye.

パローツとベチェネグは違いますよ。
共に、フン24部族(日本で何と言ってるかは分かりません)の一つですが。
568世界@名無史さん:04/07/05 13:40
ヤース族はマジャル族と行動を共にした遊牧の民で、18世紀頃まで(?)自治権を有していました。
独自の文化や衣装をもち、ブダペスト東方のヤーズベレーニ(Jaszbereny)にはそれをしのばせる博物館があります。
ちなみに、ルーマニア東部国境付近の町ヤシ(Iasi)はハンガリー語で "Jaszvasar" といいますが、これもヤース族のゆかりの知名だそうです。
569世界@名無史さん:04/07/05 13:43
知名→地名(藁
570Notakedvelo:04/07/06 22:02
1990年代前半(?)にあったという"Mediahaboru"とは
どういうものだったのか、御存知の方が
いらしたらお教え下さい。
571世界@名無史さん:04/07/06 22:45
そういえば、ドイツのズデーテン地方割譲の時、ハンガリーとポーランドもこそーりとチェコスロヴァキアの領土ぱくってるよね。
そのせいで、スロヴァキアがものすごく細くなってるし・・・・
カレスさま・M3さま
すみません!!最近ミスが多くって・・。
日本の観光ガイドではホッロークー村について書いてもパローツ人に
ついては触れてませんね。

>568
情報感謝です。
ヤシまでそうだとは知りませんでした。

>571
ハンガリーの味方ばかりするつもりはないですが、マジャール
人の定住以来スロバキア地域というのは北部ハンガリーと呼ば
れたハンガリー王国の領域でしたからねぇ・・。
ハンガリーからすれば「こっそりぱくった」ではなく失地回復
を図ったわけです。


573世界@名無史さん:04/07/07 13:39
ヤス族ってたしか中世のオセット人?
574世界@名無史さん:04/07/07 14:07
>M3さん

567の「フン24部族」とは誰の著書にあったのか
お教えいただけないでしょうか? (Kristo GyulaとかGyorffy Gyorgyとか
でしょうか?)
575\(^■^ ラ:04/07/07 16:41
余は断じて偽ヒトラーではないぞ。
このスレの人はハンガリーが好きなようだからもう少し話を続けよう。

ハンガリー国王ホルティの「ちょっとした依頼」を携えて、総理大臣カライがやって来た。
その依頼とは、ハンガリーがルーマニアに戦争を仕掛けても、私に(そして主なる神にも)眼をつぶっていてほしいというものだった。
カライに言わせれば、このハンガリーの対ルーマニア戦は、ハンガリー人の見地から対アジアの戦いなのだという。
彼らにとってのヨーロッパとアジアの境界は、ギリシア正教の勢力の境界線なのだ。
その境界線のこちら側の国々だけが宗教改革・ルネッサンスといったヨーロッパ歴史上の大きな文化的業績に貢献しており、「ヨーロッパ」と認められるのだという。
そのため、ハンガリーは常にロシアとは敵対関係にあった。
ドイツが非ヨーロッパであるロシアとの不可侵条約を結んだ時、彼らは大いに理解に苦しんだのだという。
576\(^■^ ラ:04/07/07 16:45
また、ハンガリーにとってのティサ川は、ドイツにとってのライン川と同じくらい重要な川なのだという。
ドイツ人の目にはライン川はドイツの川であるのと同様に、ハンガリー人にとってはティサ川は断じて国際国境線などではない、自国の水路なのだ。
577\(^■^ ラ:04/07/07 16:54
最後に質問!!
このスレの人はどうやってハンガリー語を学んだんですか(余は外国語を学ぶ才能はなかったが・・・)
日本でさえイタリア語を学べる私立大学は一校に限られているのに・・・
それに我々のインド=ヨーロッパ語族と違ってハンガリーはウラル語族で我々と根本的に異なる。
だから英語をこなせたからといって簡単に解決できる問題ではないと思う。
また、日本人もウラル語族とは関連性はない。
578世界@名無史さん:04/07/07 21:26
>>573
そうそう、オセット人はヤース人と同系です。
東イラン諸語。
579M3:04/07/07 21:27
>>574
Paal Zoltan(Paroc)のArvisura。
Puskin出版から1997年発行されたそうです。
彼本人は1982年亡くなっております。
580574:04/07/07 21:34
>M3さん

ありがとうございます。
体制が変わった後、色々な本が出ましたね。
今度旅行出来た時に探してみたいと思います。
>578
不勉強で申し訳ございません。
オセット人なる方々についてご教示いただけると幸いです。

ヤース人も名称程度しか知りませんでしたし・・・・。
582カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/08 05:16
>>577
突然口調が変わったからコケたよ。
私の場合、10年以上住んでるし、自然と(勉強もしたけど)覚えたかな。
努力しなかったから、まだまだ足りないけどね。
ちゃんと勉強した人にはかないません。

>オセット人
また知らない名称がでてきた…
583578:04/07/08 09:26
傭兵隊長様

オセット&ヤースについて

この暑い中、汗だくになって押し入れにしまいこんだ本を
探すのも大変ですのでとりあえず前スレで紹介されていた以下の
ページをご覧下さいませ。m(__)M

http://www.littera.waseda.ac.jp/faculty/akasaka/zousho/bkkki16.html
584世界@名無史さん:04/07/08 09:27
オセット人
グルジア北部対露国境で分断されてるオセチア地方の主要民族の祖先?
585驢馬大公 ◆4RROBA3mq2 :04/07/08 22:58
おもしろそうなのでちょっとお邪魔します。

>>565-567
 パローツも言語的にスラヴ化していた時期があったとかいう話を聞いた事があるんですが、これって
事実なんですか?それともこれはパローツといえども階級によりにけりで、バラシュサデャルマット等に
住んでいた都市住民に限定とかいうことなのでしょうか?

 全然関係ないんですが、ホッローキョーに行った事あります。土砂降りの中ブダペストから早朝発のバ
スを乗り継いでなんとかたどり着いたんですが、月曜だったので博物館等が閉まっているということを知
らずに・・・。とんだ無駄足でした・・・。


>>568、578
 現在のヤースの帰属意識(民族意識)はどのようなものかご存知ですか。

>>584
 「オセチア地方」にオセット人が住んでいるのではなく、オセット人の住んでいるところが「オセチア」と命名
されたという方が正確です。南北オセチアの間には大カフカース(コーカサス)山脈が天然の障壁として存在
し、トンネル開通までは南北オセチアは相互に全く隔絶していた状態でした。言うなれば南オセチアはオセット
人の飛び地のような感じで、本来一つの政治的単位を成していた南北オセチアがグルジア・ロシア両国によっ
て分断されたという訳ではありません。
>583
傭兵隊長って・・あれですかハプスブルクスレの・・・。
いいかげんああいう芸風は止めないといけないですね。

情報感謝です。これは面白いですね。クマンと一緒に
パノニアへやって来たということですか。

驢馬大公さま
いらっしゃいませ・・。
またまた全く知らなかった話題が!!
興味津々です。
587カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/09 08:17
>驢馬大公さま
世界史板の住人さまでしょうか。
私はハンガリースレしか知らないのですが…
いろいろな方が登場して、いろいろ知らない話題が飛び交って、
面白いことになってきた!と無責任に各レスを読ませていただきます。
588世界@名無史さん:04/07/09 18:58
カレスさん、レスありがとう。
ご忠告どおり、こちらにコピー。
共産主義時代の権力側(そのなかのいわゆる改革派だな)の人間が「オレが民主革命をしたんだ」と自慢するのをどう思う?
ハンガリーでは、いまだに自慢するやつが多いが、そういう連中に限って、旧体制でも、革命後も一番甘い蜜を吸っていたりする。
時流に乗るのがうまかっただけか、それとも、勇気ある英雄たちなのか。
意見求む。


589世界@名無史さん:04/07/09 21:53
>時流に乗るのがうまかっただけか、それとも、勇気ある英雄たちなのか。

両方いたでしょう?

前々スレの457あたりからしい坊さんが語り尽くしていると思うけれど
なあ。
590M3:04/07/10 00:14
知人の奥さんがヤースで、誇りに思っている。
カレスさま
皆がいろんな知識を持ち寄る瞬間にめぐり合えるのがインターネット
の素晴らしさだと思いますね。

>588
「その一瞬」は輝いてその後は腐ってしまう人は歴史上多いですよ。
多くの人間は「その一瞬」にすら巡り合えない訳ですが・・。

カレス氏のおっしゃるホルン氏などは腐ってしまった類なのでしょうか・・。
首相だったネーメト氏の進退を見るとあの御仁ははその辺の機微をわきまえ
ておられるような気がするのですがいかがでしょうか?
592世界@名無史さん:04/07/10 10:13
にしてもユダヤの大半 はヘブライではなさそうだ
593驢馬大公 ◆4RROBA3mq2 :04/07/10 11:50

>>586
スレ汚し失礼致しました。門外漢ですが、何かこのスレと関係のある事に気がついたら
またご報告するかもしれないのでその時はよろしくお願い致します。

>>587
 >世界史板の住人さまでしょうか。

 はい。ただどちらかと言うとROMってる方が主なので多分世界史板住民のほと
んどが私の存在に気がついてないと思います。
594世界@名無史さん:04/07/10 15:29

判ってるとは思うが、
仏:ヴィシー・フランス
羅:ルーマニア
伊:イタリア‖田‖⇒‖士‖
独:ドイツ【卍】
匈:ハンガリー

のことである。
595世界@名無史さん:04/07/10 16:37
オーストリア・ハンガリー二重帝国について質問です。
こちらのチェコ総合スレに、こういうレスがありました。
 ↓
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1084601346/143
>オーストリアの帝国議会とハンガリーの王国議会が別々にあって、
>それぞれ別に内閣を持つ。(但し外相と蔵相と陸相は同じ人。)

「陸相は同じ」ということは、陸軍は共同だったということですね?
では海軍はどうだったのでしょう?
ハンガリーは海に面していませんから、海軍は「オーストリア帝国海軍」という位置づけですか?
ハンガリー人は、海軍に入隊できたのでしょうか?
596世界@名無史さん:04/07/10 17:01
>ハンガリー人は、海軍に入隊できたのでしょうか?

  ホルティ提督って・・・
597世界@名無史さん:04/07/10 19:29
>>595
ハンガリーは、海に面していたんですよ。二重帝国時代も、オスマン朝に征服
される以前も。クロアチアの大部分がハンガリー領で、現リエカ港(フィウメ)は
ハンガリーのものでしたから。

ttp://mltr.e-city.tv/faq15.html

海軍は、共通海軍がありました。ただ、ホンヴェード(ハンガリー王国国防軍)
に海軍部門があったのかはわし知らんのよね・・・誰か回答キボンヌ
598世界@名無史さん:04/07/10 22:26
>>匈:ハンガリー

少しわらた。
599眠い人 ◆gQikaJHtf2 :04/07/11 21:50
呼出しにより、お目汚し。

>597
1867年の二重帝国成立後、何もかもが帝国と王国の二重支配を受けます。
海軍も同様で、予算に関しては、帝国側と共に王国側の予算承認権がありました。
これが故、海軍の予算が屡々王国側の反対で執行出来なくなったことがあった様です。

このため、国防に関しては、帝国、王国の両方から独立させることとなり、1889年に
二重帝国海軍が成立しました。

純粋に王国の支配が及ぶとすれば、ドナウ川河川艦隊くらいではないか、と思います。
600600:04/07/11 22:44
600げt
>599
召還の呪文にお答えいただき、深謝いたします。
今後ともこちらでもよろしくお願いいたします。
>598
一般的には今は洪牙利では?
中国では匈牙利と今でも書いてますね。
ttp://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/ziliao/2002-06/18/content_445983.htm

これ見ると、聖イシュトヴァーン→聖·伊斯特萬 マーチャーシュ王→馬加什
ブダペスト→布達佩斯と書くみたいですね。
マーチャーシュ王なんてなんか新種の汁ソバみたいで・・・。
603カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/12 07:09
>>602
私も日本語では「洪」しか見たことないなあ…
「匈」のはイミグレの中国人向け文章内か中華料理店でよく目にします。
カレスさま
以前「あやめ」さまがどこかで書いておられた内容に近いですが
匈牙利の表記の言われ
ttp://www2.big.or.jp/~yabuki/doc8/polonyi.htm

元々、『元史』では「馬札兒」(マジャール)と表記された由

日本でも明治時代は
ttp://www.interq.or.jp/sheep/clarex/krjp/krjp15.html
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/001059/files/42157_14195.html
そういう表記だったそうです。
605カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/14 07:59
元史での表記までご存知とは…凄いですねえ。
「ハンガリー」は英語発音だから不思議でもなんでもないですが、
大昔は「マジャール」の音で表記されてたんですね。
カレスさま

凄いのはご教示下さった「あやめ」さまですよ。
感謝です。
607Josef Svejk ◆z4Op9cXCnM :04/07/19 01:09
カレス様、
ごたごたしていてそのままお返事をいたしておりませんでした。
失礼を致しました。

小生、就職活動のため暫時(あちらの言葉でチャムシ、か。。)
帰国中であります。

ヤーノシュさま、
「芸風」を止める必要性が、あちらのスレを見ても判らない
のですが...わたしは面白かったですよ、何か。。
608世界@名無史さん:04/07/19 02:23
ところでマジャール人ってコーカソイドかモンゴロイドか人によって意見が分かれる
ところだけど、中世・近世・近代のハンガリーの人たちは、自分たちのことを
コーカソイドだと思っていたの?それともモンゴロイドだと思っていたのですか?
詳しい人教えてください。
609貝塚マニアinマジャール:04/07/19 02:40
>>608
コーカソイドの概念も近代科学の産物でしょ?
中世のとき既に「キリスト教に帰依」してたわけだから、
そういう人種的概念なところは不明じゃないの?

現に、アフガニスタンにはタジク人やパタン人といったコーカソイド系も
居ることには居るのだが、彼等に白人かと訊いても、違うと答えるんじゃないか?

トルコは名のとおり中央アジアの遊牧民の末裔だけど、
彼らは、ヨーロッパと答える人たちがかなり居るんじゃないかな?
Josef Svejkさま
おひさしぶりです。
お元気そうでなによりです。
あれはカウニッツ卿の架空サロンという暗黙の了解で遊んでいるわけで
で、あればこそ前世紀の観光案内を引っ張り出すとかいう遊びも許され
る訳なんですが・・・。

611消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :04/07/23 00:12
>609
 イラン,アフ【ガ】ーニスタン(のパシュトゥン人),パキスタンでは,
「自分達は白人だ」意識はかなり高いと聞いております.
 ソースが何だったかは,ちょっと失念(なんせ次から次へとアフ【ガ】ーン
関連の本を読んでいるもので)しましたが.

 なお,アフ【ガ】ーンのヌーリスタニは,モロに
白人(アレクサンドロス大王の兵士の子孫であるとかないとか)であるとのこと.
612カレス ◆AUvFvohlXU :04/07/28 05:37
そういえばつい最近、地震があってニュースになってました。
613世界@名無史さん:04/07/30 23:21
既出ならすみません。
ノルマンコンクエストでハロルド王は、戦死し、アングロサクソン王家は、イングランド王位を失ったんですよね。
ハロルドの後に王につく予定であった王子、彼は妹と、スコットランドで暮らし、
その後、彼はイングランドへ戻り厚遇された。妹は、スコットランド王の后となったと聞きました。
マクベスを討ったマルコムカンモーです。

この兄妹の母親が、ハンガリー国王だとのことです。
こんな時代、ハンガリーからイングランドへ嫁ぐなんて実に大変なことだと思いますし、
また、一体なんのため、こんな遠くへ嫁いだんだと思います。
政治的に意味があるんでしょうか。遠すぎますよね。

このときのハンガリーが、アールパート朝か、どうかよく調べていませんが。
614世界@名無史さん:04/07/30 23:32
パンノニアという地域ってのは、ハンガリーと同じすか、
ハンガリー平原ってパンノニア平原と同じですか。

トランシルバニアは含まれないですよねぇ。
スロバキアは含まれるの?。

お邪魔しました。
>カレスさま
地震ですか?教会の廃墟で地震で破壊されたためというのを聞いたこと
がありますが。時々あるんですね。
>613
クヌートがイングランドを占領した時にエドモンド剛勇王の息子二人が
ハンガリーへ亡命してるのです。
片方は早世するのですがエドワード(ザ・エグザイル「追放者」)は
後にエドワード懺悔王の死に際して帰国しますが、到着直後に病死し
てしまいました。
おっしゃっておられるのはこのエドワードの妻アガサ(アーゴタ)で
すね。
一般にはハンガリー初代国王イシュトヴァーン1世の娘と言われてい
ますが、最近の研究ではどうも怪しいようです。
ただ、アールパード王家の誰かの娘ではあるらしいですが・・・。
この二人の子供がエドワード・アシリングと聖人の列せられるマーガ
レットです。
彼らがアガサともどもスコットランドにたどり着いたのはノルマン
コンクエストの際にロンドン市民がエドワードを王に担いだことな
どもあってイングランドから再びハンガリーへ亡命しようとして船出
したところ暴風雨でスコットランドに流されたというものです。

余談ですがエジンバラ城にある宝物の黒い十字架はマーガレットか
母親のアガサか忘れましたが、イシュトヴァーン1世から与えられた
ものだという伝説があると聞きました。
>614
トランシルバニアもスロバキア(北ハンガリー)も山がちの地形で平地とは
言いがたいです。
パノニアというのはローマ人達がかつてハンガリー地域を呼んだ呼称です。
不勉強でよくわからないですが、略同一と考えて間違いないのではないで
しょうか??
617世界@名無史さん:04/08/01 08:38
パンノニアというのは、本来古代ローマ帝国の属州の名称です。
ある種のまとまった行政単位で、行政上の概念です。
それでいうと、いまのハンガリーでいえば、ドナウ川で区切られた西方・南方だけがパンノニアに当たります。
ドナウの東方は、トランスダヌビアといいました。
一方の「ハンガリー平原」というのは自然地理的・地形学的概念と思われます。
と、いうわけで、正確にいうと、ハンガリー平原とパンノニアは異なります。
スロバキアやトランシルバニアは、パンノニアに含まれません。
618あいむハンガリー:04/08/01 09:31
【+】一緒に墓穴ホルティ、
傀儡みたいなカーライ将軍。
出番だ!矢十字党と思いきや!
サーロシ★アに降服だ(T_T)
これじゃへこむよ、フニャディだ。
マリや、テレジや逝ってよし。
逆らうやつらは★厳ベシュだ。
>617
情報感謝です。
確かにトランスダヌービアと言いますね。全く失念してました。
トランシルバニアは確かダキアでしたね。

>618
よく思いつきましたねぇ・・。中世編とかシリーズ化希望です。
620世界@名無史さん:04/08/01 18:33
そろそろオリンピックですね。

ハンガリーハンマー投げで金メダルが期待されわが国の室伏選手のライバルのアヌス選手ですが

アヌス アヌシュ アンヌシュ

どれが正しい呼び方ですか?私はアヌス推奨ですが(爆
>620
何をもって正しいとするのでしょうか?

F1のゾイト・バウムガルトナー選手はハンガリー人の言うのを聞くと
ジョルト・バウムガルトネルと私には聞こえますし、
2輪GPのガボール・タルマクシ選手もガボール・タルマーチと聞こえ
ます。
ただし、マスコミの表記は前記のとおりで、日本国内ではそれで通って
いるわけですね。

ハンマー投げの選手の場合はアドリアン・アヌシュと通常は表記するよ
うです。
622世界@名無史さん:04/08/05 16:05
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 調子乗るな氏ね
桐生操女史の「血の伯爵夫人」(バートリー・エルジェーベトの伝記)が
文庫版で再版されましたね。

以前、しい坊さんがハンガリーで出版された文献を引いて冤罪説を紹介し
ておられましたが、せめて英文で読めるような内容の本をどなたかご存知
いただけませんでしょうか。

ナーダシュディ家は今も継続(ズリーニ・フランコパンと一緒に謀反の容
疑で領地没収。ただし、家としては続いて、後に戦功で貴族として復活)
してるのですが、彼女のことがどういう風に伝わっているのか聞いてみた
いですね。
624世界@名無史さん:04/08/05 23:11
ベルバラ外伝を読みなされ
昔、読んだことがありますよ。
それ以外でも子供向きの本なんかで、ブラド・ツェペシュなんか
とならんで登場してましたなぁ・・。
ああいうホラー系は苦手でして・・・。
626世界@名無史さん:04/08/06 21:56
どうせ桐生某ってハンガリー語なんて読めないんだろうから
英語の本が手に入るんじゃないの?
あ、でも奴らはフランス語は読めるのか・・・
元ネタはフランス語の本だとご自分で書いておられますね。

冤罪説の本はハンガリー語のみで、しかも絶版のようです。
628613:04/08/09 13:54
返信ありがとうございます。
実家で調べましたが、「スコットランド王国史話(森護)」での記憶でした。
ステファン国王となっていましたが、このステファンが、マジャール語でイシュトバーンと
わかっていたら忘れませんでしたのに。

この本によると、ウイリアム征服王も、当初は武断的統治で、サクソン王の後継者を敵視していたようですが、
その後、方針を転じ、アングロサクソン貴族を懐柔する方向へ移ったようです。
その一環で、エドガー・アシリングも帰国し厚遇を受けたとのこと。

彼は後に十字軍にも遠征しているようで、欧州の王侯たちが互いに面識を得る機会として
十字軍は機能していたという一面もあるかと。
629世界@名無史さん:04/08/09 19:34
>>616
北ハンガリーはスロバキアのこと:その表現は今でも使いますか。
ハンガリーでは今でも使うかもしれませんね。
歴史的な使い方でなく、今日のスロバキアを指す場合も、国家ではなく地域として呼ぶ場合とかに。
ちなみに英語では、「のーざんすろばきあ」でしょうか。また、ドイツ語では?
(マジャール語は結構ですが)

★南ハンガリーは、クロアチアであるとか、そういうことはあるでしょうか。
 グチャグチャうるさい質問でごめんなさい。
630世界@名無史さん:04/08/09 19:59
ルーマニアというと、まずは、ワラキアとモルドバです。トランシルバニアは、ハンガリーとルーマニアのグレーな地帯。

ワラキア、モルドバでは、ルーマニア系住民の上層部が、ボイエリと呼ばれ、ある種の貴族層を形成したそうな。
トランシルバニアでは、ルーマニア系住民は農民(従属民)であって、
その上にマジャール人が居た。ほかにセーケイ人とザクセン人。
ただマジャール人といっても、民族的にマジャール系には限らないような。

被支配民のルーマニア系の中での上層が、マジャールと認められるケースもあると思います。

フネドアラ家の祖も、多分、ワラキアやモルドバなら、ボイエリになる家だったのだと
思う。
首長(クネズという?、これはルーマニア語がもと?)のヴォイクが、
フネドアラ城と25の村(荘園)を国王からもらって、あるいは、
もともと持っていたのを国王に認められて、これによりハンガリー国王の封臣になった
と本で読みました。これが、「1409年にジギスムント王から貴族に叙せられて」
の意味でしょうか。
 西欧ヒエラルキ(ハンガリーは西欧世界の一員)では、ボイエリとか、また仮に城を有したり、いくつかの村の支配者でも
 貴族ではなく、ジギスムント王から、何かをしてもらわないと、
 西欧世界での貴族とはならないということでしょうか。
 
631世界@名無史さん:04/08/09 20:15
このフネアドラ家は、ワラキアなどから来たのか、
あるいは、トランシルバニア土着のルーマニア系か、
ただ、なんとなく後者のように思いますけど。

このヴォイクの息子が、トランシルバニア公になったんですね。
トランシルバニア公っていうこの「公位」が、「ヴォエヴォド」であって、
公国が、ヴォエヴォダト?とのことで。
西欧の体系なら、デューク(ヘルツォーク)で
デユークドム(ヘルツォークツム)だとか、言うのが筋と思うけど。
あるいは、プリンスパリティだとか言うのに。
632世界@名無史さん:04/08/09 20:53
>首長(クネズという?、これはルーマニア語がもと?)のヴォイク

ジギスムント王に認められる以前に、すでに首長という地位にあるんですね。
これは、ハンガリーでは正式に認めていない、
ただし、ルーマニア系の人(ワラキア、モルドバ)の中では認められる
現地の実力者と地位といっても、オーケーでしょうね。
633世界@名無史さん:04/08/09 21:52
別のスレでも話題になってます。

ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045631245/
634630:04/08/09 22:16
401 :世界@名無史さん :04/08/02 10:55
トランシルバニアには、いまでもルーマニア正教の木造教会がたくさん残っている。
いま見るとこれは非常に美しいものなのだが・・・
ルーマニア人に言わせると、ハンガリー支配時代の弾圧のため、ルーマニア人には恒久的な石造教会の建造が許されなかったことの象徴だ、という。
しかしハンガリー人の側は、それこそルーマニア人があとからやってきた証拠だという。
ハンガリー人以前からそこにいたのなら、なぜ教会を持っていなかったのか?と。
あとからやってきたルーマニア人に居住を許し、教会建造まで認めた、というのが真実だという。
だからハンガリー人にとっては、庇を貸して母屋を取られた、となるわけ。

  これですね。コピーしてうざいかな。
  僕のネタは、文庫クセジュのルーマニア史ですから、ルーマニア寄りかもしれません。
  もともと、ルーマニア人が居たところを、ハンガリーの勢力下に入り、
  マジャール人が支配者になったと。
  この当時は、民族で区別はしないでしょう、むしろ、身分でしょうが、
  マジャール人が連れてきたであろう隷属民も居たと思うし(たとえば武具を作る職人とか)、
  当然出自はマジャールですが、彼らはマジャール扱いしてもらえたのか疑問もあります。
  
635世界@名無史さん:04/08/10 00:03
「クセジュ」ってフランスのものでしょ。
フランス人、ラテン系だからかもしれないが、ルーマニア側に偏った見解が多いので気をつける必要があると思います。
逆にハンガリー人には、フランスが嫌いな人が多い。
何といっても、「トリアノン」の国だからです。
636世界@名無史さん:04/08/10 17:35
>>635
>>トリアノンの国ってどういう意味でしょうか。ご教示願えれば。

(トリアノン条約とは関係ないですよね)

>>逆にハンガリー人には、フランスが嫌いな人が多い
なんででしょうか。アンジュー家の国王はやなやつ多かったとか。
 (昔、確か、渋谷文化村で、ハンガリーの絵の展覧会を見た。
   アンジュー家の王が、ハンガリーの有力貴族の娘を陵辱し、
     侮辱を怒ったその一族は王に反乱。
       ただ、ほかのハンガリー貴族は王に味方し、その有力貴族は滅亡。
  というのを主題としてものがあった。

   多分なんらかの事実を元にした話だと思うんであるが)
637世界@名無史さん:04/08/10 20:34
ハンガリー人にとって「トリアノン」とは、「トリアノン条約」のことにほかなりません。
一連の「ヴェルサイユ体制」が、敗戦国に対して過酷なのものであったことは良く知られているところです。
ドイツに対する賠償要求は天文学的な(不可能な)ものでしたし、
トルコでアタチュルクが正したのは、その点でした。
ハンガリーは、歴史的にハンガリーとみなされてきた領土の5分の3を失いました。
条約の内容には猛烈な反対がありましたが共産革命が起こったこともあってトリアノンの結果が対外的にはそのままになってしまったのです。
ルーマニア軍による首都侵攻もありました。
この体制を主導したのがフランスで、彼らは必要以上にルーマニアを支持したわけです。

現在の対仏感情はアンジュー家なんていう古い時代の話ではありません。
638世界@名無史さん:04/08/10 21:29
ちなみに、「別スレ」
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045631245/
で議論されているのは、きわめて客観的なもので、次のようなものです。

393 :世界@名無史さん :04/07/21 10:59
ギリシアのピンドス山中に住んでいるアルーマニア人の言語はルーマニア語に非常に近く、
ルーマニア語をそのまましゃべっても通じる。つまり彼らはごく最近分かれた同じ民族だ。
ところで、ハンガリー人は、ルーマニア人をダキア=ローマ人の子孫と考えていない。
アルーマニア人の住んでいる所の方が、600年前のルーマニア人の故地だとさえいう人がいる。
なぜルーマニア人の一派がピンドスに住んでいるのか説明できないところが、ダキア=ローマ史観の痛手といえるだろう。

395 :カラジチ ◆mWYugocC.c :04/07/21 23:49
>>393
アルーマニアならユーゴにもいますよ。バルカン全域に分布しているようです。
あと、イストリア半島のイストラ・ルーマニア語、それから既に死語になったダルマチア語もルーマニア語と近いらしい。

396 :世界@名無史さん :04/07/22 07:02
つまり、ルーマニア人はローマの昔から今のルーマニアに住んでいて、諸民族の侵入に耐えて生き延びた、という説は怪しい、ってことですな。

397 :世界@名無史さん :04/07/23 10:30
ルーマニア人は13〜14世紀にドナウ南岸から移動してきたという説の方が有力という話ではなかったっけ?

398 :世界@名無史さん :04/07/26 23:35
有力です。

399 :世界@名無史さん :04/07/27 07:23
>>397
それだと、トランシルバニアへの侵入が、もっと遅い時期になってしまうような希ガス

400 :世界@名無史さん :04/07/27 11:07
モンゴル人の襲来・撤退のあと、空白に乗じてやってきた。
>629
いまでも使うかはわかりません。
北ハンガリーの他に上部ハンガリーという言い方もあり、使い分けが
されているようです。ちょっと資料を探さないとわからないのですが。
英語だとノーザンハンガリーとかアッパーハンガリーとか書いてます。
対して南部ハンガリーというのは訳語では見た記憶があまりありません。
確かマーチャーシュ王の庶子コルヴィン・ヤーノシュの持っていた称号
が南部ハンガリー太守とボスニア王の称号を持っていたはずです。
しい坊にご教示いただいた別資料ではクロアチア=スラヴォニア=ダルマ
チア太守、オッペルン公爵だそうですのでこの地域を総称して南部ハン
ガリーと当時言ったのかもしれませんが、確証はありません。
>630
フニャディ家がフネドワラを領するようになったのは以前のスレッドで
しい坊さまがご教示くださったのは以下のとおり
フニャディ家についてわかっている(=文書の残っている)一番古い先祖
はシェルブないしショルブと、ラドゥルという兄弟です。(ラドゥルの方は
いかにもルーマニア人的な響きの名前ですね。)シェルブないしショルブは
トランシルヴァニアのヴァイダ(太守かなぁ...?)として国王から城を賜
ります(だからここから記録が残っているのでしょうが。フニャディ家はこ
のとき突然ハンガリー史に登場します。フニャディ家のそれ以前の歴史は全
くの謎です)。

このショルブの次男がヴァイクでその息子がフニャディ・ヤーノシュになる
訳です。
手元の別資料だと
1409年にジギスムント王がフニャドの地をヴァイクという地方貴族
に与えた。そのことからヴァイクは「フニャドの」を意味する『フニャ
ディ』を姓として名乗るようになった。
ともあります。
因みに、フネドワラ城で購入した英文パンフも1409年にヴァイクが
城を与えられたと書いております。

ところで、フニャディ家がフネドワラに領地を貰う前に首長だったとい
うのは出典はどちらなんでしょうか・・非常に興味があるもので、ご教示
いただけると幸いです。

ヤノシュ・フニャディの時代のトランシルバニアは邦語表記では
候ですね。
いわゆるトランシルバニア公国となるのは1570年にスペイエ
ル条約でヤーノシュ・ジグモンドがハンガリー王の称号を辞して
「トランシルバニア公(フェイェデレム)兼ハンガリー分離地区
宗主」という称号を得て以降です。これ以降、ハンガリー王はハ
プスブルク家が称号を保持するようになるわけです。
642世界@名無史さん:04/08/10 22:40
上部ハンガリーというのはよくない言い方です。
felvidekという言葉の解釈のことですよね。
これは「上部地方」という意味であって、スロバキア中部くらいまでを含みます。
>アンジュー家の国王はやなやつ多かったとか。
対仏感情については上でお書きになっておられる方がおいでで
すので・・。
カーロイ・ローベルト王もラヨシュ1世も別に嫌われてはおり
ません。二人とも英雄広場に像を建ててもらってます。
個人的にはナジ(大王)・ラヨシュと呼ばれるラヨシュ1世は
あんまり評価できないと思うのですが・・・。

書いておられる伝説はケレシュフェーイ・クリーシュ・アラダ
ールが「クララ・ザーチュの物語」という連作の絵にしていま
すね。文化村で展示されたのは10年ぐらい前でしたっけ。

>642
ご指摘感謝です。
不勉強で知りませんでした。

恐縮ですが、北ハンガリー>上部地方でよいのですね。
邦文資料でハンガリーが3分されていた当時のハプス
ブルク家のハンガリー領の行政管区で上部ハンガリー
管区と記されたものがありましてエゲルの北西あたり
からムンカーチの少し西のあたりまでが含まれていま
すがこの地域と考えてよろしいでしょうか。

恐縮ですが、ご教示賜れば幸いです。

645世界@名無史さん:04/08/11 02:10
>637
クンベラがヘタレでなければハンガリーは大国のままだったのだが。
646世界@名無史さん:04/08/12 16:30
>>645
 ★トリアノン条約に調印したのは、ベラクン政権だったの? 
  調印はしなかったけど(そもそも、諸国から政権として承認されてなくて)、ホルティが出てきた時は後の祭りだったの。

>>637
    ★「トリアノンの国」という言い方は、実際、使われるのでしょうか。

>>641 いわゆるトランシルバニア公国となるのは1570年にスペイエ
      ル条約でヤーノシュ・ジグモンドがハンガリー王の称号を辞して
      「トランシルバニア公(フェイェデレム)兼ハンガリー分離地区
       宗主」という称号を得て以降です
     ★1570年ですか。そうすると、1442から1456のヤンク・フネドアラ(ハンガリー風には、フニャディ・ヤーノシュ)
      の地位は、ハンガリー国王からは正式に認められていなかったのかなぁ。

 
647世界@名無史さん:04/08/12 16:34
>>640
なお、主張(クネズ)ですが、これは、文庫クセジュの「ルーマニア史」によります。
クネズをルーマニア語辞典で引けば、なんか書いてあるかもしれません。
この程度の情報しかなくてすみません。
文面からみて、フネドアラ城をもらう以前に首長であったと読めました。翻訳の問題であり、
原文では、フネドアラ城をもらうことで首長になったという意味かもしれません。
648世界@名無史さん:04/08/12 16:40
646の補足です。「1442から1456のヤンク・フネドアラ」のトランシルバニア公としての地位です。
これも、同じ本からのものです。

以下は独り言ですが、
 ハンガリーが敗戦国扱いになったのは、なんとなく不幸な感じです。もしも、ボヘミアや、クロアチアも、願いがかなって
 オーストリアハンガリーボヘミア三重帝国なり、オーストリアハンガリークロアチア三重帝国になっていたら、
 かれらも、敗戦国扱いであったろうにと。

  
649世界@名無史さん:04/08/12 17:08
トランシルバニアは、ルーマニア系の農民層の上に、マジャールやセーケイやザクセンがいたとの記載ありますが、
 スロバキアやクロアチアはどうだったでしょう、知りたいと思います。
 この地方を旅をして民情に通じている方もおられるようですね、どう感じていますか。

 また、トランシルバニアでは、WW1後までは、マジャールが優位にたっていたんでしょうか。
 そしてルーマニアに帰属後も追放はされなかったけど、土地は奪われたときか。なかったんでしょうか。

 長くなったので、いったんきります。
650世界@名無史さん:04/08/12 17:15
上のほうで、トリアノン条約で国土の5分の3を失ったとありましたが、人口的にはどうでしょう。
単純な人口での数字も大事ですが、自分たちはマジャールだと思っていた人の何割が外国人となってしまったのか。
こちらは民族自決の建前から気になります。

なお、その「国土の5分の3」の方ですが、素人としては次のようかと思います。
ご批判ください。
@トランシルバニア:一般民衆はルーマニア系が多い。マジャールは上層を占める地主層が多い。人口でみると、ルーマニアに分がある。
Aスロバキア:スロバキア人が圧倒的で、「マジャール人は貴族だけ」に近い。
Bクロアチア:クロアチア人が圧倒的。
Cスロベニア:スロベニア人が圧倒的。
Dダルマチア:クロアチア人が圧倒的。
Eボイボジナ:地主層をマジャールが占めていた。一般人は、セルビア人が多い。

 
651M3:04/08/12 21:18
こちらで言われているのは、自らハンガリー人と認めている人の
三分の一がハンガリー国以外で生活していると。
ルーマニアに200万(ハンガリーサイド)、旧ユーゴに50万、
スロバキアに50万(以前は80万と聞いたような)。

以外にも北米大陸100万、統計を出していない国(イギリスなど)も
あるが他のヨーロッパ諸国に60万ぐらいだったような。
オーストリアは5万。
652カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/12 21:45
>>650
>自分たちはマジャールだと思っていた人の何割が外国人
民族と国籍をごっちゃにしないほうがいいですよ。
マジャールはマジャールのままですから。
ご批判も何も、当時の統計を入手すればいいのでは?
あなたの想像を書かれてもねえ。
たしかハンガリー国内人口より、トリアノン条約による国境線の外に
取り残されたハンガリー系人口の合計のほうが多かったと記憶してます。
あと だれか たのむ

ルーマニアはティサ川を国境にしたかったみたいですね。
むちゃくちゃやで、しかし。

ついでに書くと、
ハンガリーの観光関連資料をみると、
セルヴィア人だとかクロアチア人とかの各少数民族の村とか、
ちゃんと書いてあるんだけど、
ルーマニア人によるトランシルヴァニアの観光資料には、
「ハンガリー系住民が伝統文化を守っている村です」とか
書いてあるのだろうかが疑問…
653カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/12 21:47
>>651-652
自己レスですが、
>取り残されたハンガリー系人口の合計のほうが多かったと記憶してます
これはどうやら完全な記憶違いだったようですね。スマソ。
>645
トランシルバニア侯(ヴァイダ)はハンガリー王国の役職で国王が任命します。
フニャディ・ヤーノシュはジギスムント王から当然任命されてます。

後のトランシルバニア公(フェイエデレム)とは別物です。

あと、フニャディ家にジギスムント王以前にフニャドを領有してい
た訳ではないはずです。
どこかの首長(クネズ)であったのかもしれませんが、それは歴史
の霧の彼方です。
655世界@名無史さん:04/08/14 16:44
>>648
敗戦国となったのは、オーストリアとハンガリーです。
ハンガリーには、独自の陸軍大臣も独自の外務大臣も、独自の大蔵大臣もいませんでしたが、
独自の首相はいましたし、君主に直接責任を負う政府も議会もありました。
陸軍大臣(この場合、海軍も含むか)と外務大臣、大蔵大臣は、
オーストリアとハンガリーの共通大臣でした。
外相、陸相が、共通では独自の外交も取れるはずもなく、
少し気の毒と思うかもしれませんが。

 この点では、1848年革命で、クロアチア、スラボニア、ダルマチアが
 三位一体王国を宣言し、皇帝が認めた際、ハンガリーのコッシュート政権も
 これを承認しておれば、ドイツ系とハンガリー系、クロアチア系の三重帝国ができたかもしれず、
 第一次大戦後に、クロアチアとも共同歩調がとれ、
 ハンガリーだけが割りを食う自体は回避できたかも知れません。
 
 なお、ナポレオン戦争の後始末の際、
 クロアチアは、オーストリアのイリリア地方となりましたが、
 (同時にハプスブルク帝国内の王国として、ダルマチア王国も成立しました)
 クロアチアはこれに抗議、当然ハンガリーも抗議し、
 結局、ハンガリー王国の下に クロアチア「王国」を置くことになってます。
 このとき、クロアチア王国がハンガリーと並列に関係に立っておれば、
 という考えもあると思います。
 ただこうなると、ハンガリーが対オーストリアでバランスが悪くなり、
 アウグスブルクの際、ボヘミアをドイツ系から分離する考えも出かねませんね。
 Ifの話ばかりでどうしようもありませんけども。

いずれにしても、トリアノン条約は、ハンガリーには納得しにくいかもしれません。
歴史的にハンガリーと考えられていた面積は大変広いですから。
ただ、外国人であるわれわれとしては、ハンガリーの覇権が及んでいた地域と
割り引いて考えるべきかもしれません。
656コピペ推奨:04/08/14 18:57
ヤラセ局TBSの醜態

1 :金剛くん :02/09/25 23:06 ID:uihJTttR
実際TBSはいくつのヤラセ番組を持ってんだ?
そしてマジ番組はあるのか?

http://tv6.2ch.net/test/read.cgi/tv/1032962764/l50
657世界@名無史さん:04/08/14 21:16
私の記憶違いでなければ
料理研究家バーバラ寺岡女史はハンガリーの方ですよね?
由緒ある名門貴族の血筋と伺ったのですが
間違った情報でしょうか?

>657
お父さまは日本の外交官で母上がハンガリーの方と聞いております。
母上の家系については私ではわかりかねます・・・。
カレスさま
首相が辞任しましたね・・。
後任はどんな方なのですか?
660カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/21 06:38
>>659
ニュースによると、後任はこれから選ばれるみたいです。
661世界@名無史さん:04/08/25 18:15
アヌス金メダル

>661
なんか剥奪されそうな雲行きですね・・・。
663世界@名無史さん:04/08/26 22:53
>>662
アヌシュドーピング疑惑ですな。

ハンガリーVSルーマニア

因縁の対決だ。
ルーマニアって室伏選手のご母堂のことですか?
私がハンガリーの友人に聞いた話ではマジャール人
の方とお聞きしたことがあります。
本当かどうか知りませんので悪しからず・・。

しかし、後味の悪い話ですな。

カレスさま
首相候補は今のスポーツ大臣だそうですね。
どんな方か全くわかりません・・・。
665世界@名無史さん:04/08/27 10:23
ジュルチャーニ・フェレンツはユダヤ人ですか?
666世界@名無史さん:04/08/27 13:20
MSZPとSZDSZの「建設的不信任案」って
何ですか? (゜。゜;)
667世界@名無史さん:04/08/27 15:00
室伏兄妹のご母堂はトランシルバニアのハンガリー系ですよん。
マジャルかセーケイかは分かりませんが。
ところで、いま、どこでどうされているのでしょうか。
668カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/27 16:04
ジュルチャーニ・フェレンツのことは、よく知らないのですよ。
知人いわく、「う〜ん、彼は政治家というより、ビジネスマンですね」
ということくらいしか参考情報はありません。
SZDSZは、キシュ・ピーテルではなくジュルチャーニを支持、
MSZP党首はキシュ・ピーテルを押してたんですよね。
でMSZPのコンフェレンス投票ではジュルチャーニの圧勝。

あとニュース解説をみると、彼は自分のビジネス等による、
収入などをいつも普通に公表しているというのがありました。

政治家として、共産主義のシンボル「赤い星」について、何か問題があったような…
*現在「赤い星」はナチスのカギ十字みたいな扱いなので
669カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/27 16:12
マードル・フェレンツ大統領は、メッジェシ首相の正式な退任は、
退任届け提出日から数えて30日後になると公示しました。
憲法に則った大統領の決定に、MSZPは反論しないで従うということです。
本当のところ、連立与党は速効で首相を替えたかったんでしょうね。

ジュルチャーニがユダヤかどうかは知りません。
670世界@名無史さん:04/08/27 16:56
ジュルチャーニは日本の新聞によると
体制が変わる前からの党員だということで(KISZだった
のでしょうね)、コネなどもうまく利用して富を築いた
わけですね。
写真で見るとKis Peterは普通のハンガリーの
おっさんですね。
671世界@名無史さん:04/08/27 19:36
>>667
そういえばコマネチもルーマニア内のハンガリー系だな。

室伏母については今週の週刊文春か週刊新潮で書かれていると思うので注意されたし。
ただ俺もまだ読んでないがな。
672カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/27 22:01
>>670
MSZPは上の方にいる人たちはほとんどそうでしょう。
民青みたいな青年部組織から党員活動をはじめたんでしょうね。
「赤い星」の何が問題か、っていうような人ですし。

党大会で首相候補が決まって、記者を会場にいれての、
最初の演説で、現在70何歳かの紡ぎ女だった母親への
感謝の言葉とかいってましたね。
裕福な出身ではないことをアピールしてるとも言えます。
それからこの党大会は投票が済むまでは、完全に非公開でした。

まあキシュ・ピーテルはコヴァーチ(党首)+メッジェシ路線から
大きく変える必要なないとか言ってたようですから、
結局ただの良い人か、言いなりの人の可能性も無きにしもあらず。

ちなみに私は、政策はともかく(私によくわからないし)、
ジュルチャーニも国営企業の民営化をすすめて、
いろいろ金儲けはするのは確実ではないか?と予想してます。
テレビインタビューによると、この位置は狙ったのではなく、
運が良かったとか言ってましたけど、どうなんでしょう。
673世界@名無史さん:04/08/27 23:47
>671 そういえばコマネチもルーマニア内のハンガリー系だな。

え、本当に?初めて聞いたんですけど、ソースとかあります?
>671
コマネチはマジャールではないと、私の友人(トランシルバニアの
マジャール人)から聞いたことがあります。
私もコマネチはマジャール系と聞いたことがあったので、そのこと
を会った折に質問したら言下に否定されました。
友人はその辺に非常に拘る人なんで、たぶん言うところが正しいの
かなぁと思ってます。
675世界@名無史さん:04/08/28 03:32
>>671
コマネチはチャーンゴーですよ。
出身はチャーンゴーの多いバカウ地方のオネシュティ。
コマネチという姓はもともとケメネシュというハンガリー的な姓を変えたものだそうです。
676M3:04/08/28 03:50
コマネチは違うだろう。彼女のコーチだったカーロイ・べーラはハンガリー系だが。
連れが体操やってた時、そのような質問をしたが否定した。

>675
チャンゴー人ならマジャール系ですなぁ・・。
非常に気になりますね。

M3さま
私の友人も同じようなことを言ってました。
マジャール系という話はどこから出てきたのでしょう・・。
678カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/29 19:39
>>671のレスでスレの流れが変りましたね(w
>コマネチ
この名前だけでGoogle検索したら、タケシの「コマネチ」ネタがたくさんあってワロタ。
ネットで見つけたネタをどこまで信用していいのかわかりませんが、
「コマネチ」と「ハンガリー系」で検索したら、
彼女がハンガリー系であるという記述がいくつか見つかりました。
それと、遠い昔の記憶なので、はっきりと断言できませんが、
彼女が米国に亡命したあと日本にも来てテレビ出演して、
その番組内でハンガリー系と言ってたような…
>>675さんのケメネシュ→コマネチというのをネット上でも見つけました。
679ニュース速報:04/08/29 23:20
アヌシュ金メダル剥奪
680世界@名無史さん:04/08/30 04:30
>>666
建設的不信任とは、首相が議会によって不信任される場合、
日本ではその後に総選挙or総辞職を経て初めて次期首相を決めますが、
そうではなく予め次期首相候補を立ててから不信任決議をするというもの。
政局が無用に不安定化しないことを目的としているため、
「建設的」と称されているそうです。
ちなみにハンガリーの議会制度には、5%条項なども存在しますし、
ドイツ連邦共和国基本法が参考になっているのかもしれません。
681世界@名無史さん:04/08/30 10:04
(゜。゜;)解散を出来る限りしないということですよね?
日本の有権者なら、4年も総選挙しなければ、忘れてしまうことが多そう
ですが。
682世界@名無史さん:04/08/30 18:41
アヌシュ事件について現地の情報を教えてください。
683世界@名無史さん:04/08/30 18:48
ドナーニ―はマジャール系貴族。
カレスさま
ググられましたか・・。
なんか、ハンガリー系という情報ソースがあるのでしょうね・・。
しかし、最初、彼女の演技をTVで見た時はなんと美しい人
だろうと思いましたよ。

>682
ハンガリー在住の方のサイトで見ると、日本の方が詳しく報道
されていると書かれてます。

>683
ドナーニーって誰ですか??
685カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/31 03:10
ヤーノシュさま
>ドナーニー
ひょっとしたら、ドホナーニのことではないでしょうか。

>>682
ハンガリーのニュースでは、
金メダルが一つ減って残念というキャスターの言葉以外は、
IOC、ハンガリー五輪委(シュミット・パール)、本人のスポークスマン、
それぞれのコメントを流したものしか私は見てませんので、
私も日本の新聞各社のWEBで、より多くの情報を得ました。
ファゼカシュの「おれは無実だ!」っていう写真入の記事がトップを飾る、
タブロイド新聞を店頭で見たことは憶えてるので、
新聞なら多少は詳しく書いてるかもしれません。
686M3:04/08/31 07:08
シュミット・パールはハンガリー選手からドーピングが出たら
辞任する、と以前言っていたそうだがどうなるか楽しみだ。
本人が忘れてるな。

>>JANOS UR
「彼女の演技をTVで見たときは・・・」
歳がばれます。
今は見るも無残な・・・
687世界@名無史さん:04/08/31 08:12
http://www.kkc.or.jp/global/euro/040227_ryakureki.html
クラウス・フォン・ドナーニ(Klaus von Dohnanyi)
元経済省政務次官、元教育科学省大臣、元外務省国務大臣


音楽家やヒトラー暗殺計画に関与した人間にもドナーニが居たような?
688カレス ◆AUvFvohlXU :04/08/31 09:13
>>687
だから、その名前はドホナーニと読むのですよ。
エルンスト・フォン・ドホナーニ(ドホナーニ・エルヌー)が有名ですね。
実際はドフナーニという風に聞こえますが。
ハンガリー語も人名、地名、外来語などで、
規則から外れた読み方をすることもありまうから、注意が必要です。
ドナーニは英語読みかな?
バルトークをバートクと呼ぶようなものだと思いますよ。
まあそのクラウスさんが自分はドナーニです、というならそれもありなんでしょう。

M3さま
シュミット・パールそんなこと言っちゃってたんですか?
>本人が忘れてるな。
ワロタ
>「彼女の演技をTVで見たときは・・・」
その頃は小さな子供でしたが、私も観た記憶がありますよ、モントリオール五輪。
彼女が米国亡命後に訪日したとき、すでに別人かと思いました。
689世界@名無史さん:04/08/31 11:13
ハンガリーは侵略されつづけた歴史をもつ国なのか?
690世界@名無史さん:04/08/31 11:24
いやわりと侵略もしてるし。
M3さま
そりゃ14世紀から生きてますから・・ってのは冗談ですが、
歳はばれますね。しかし、最初見た時はこの世の人間とは
思えない、妖精かなんかを見たような感じでしたね。
まぁ、歳をとればねぇ・・・。

カレスさま
いや、逆にハンガリーの人名を英語表記にされるほう
が困惑します。ジョン・フニャディとかルイ2世とか
シュテファン1世とか・・・。
逆に私のHNみたいにヤン・イスクラがギシュクラ・
ヤーノシュというような例も困ります。

>689
モンゴルとオスマン帝国とソビエトに蹂躙されてます。
一方で東欧の強国としてその名を轟かせた時代もあり
ました。

>690
マジャール人が定住した当時はスペインくんだりまで
暴れこんだことがあったはずです。
教会で「神よマジャール人の矢から救いたまえ!!」
などという祈りが捧げられたそうです。
692カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/01 03:07
ヤーノシュさま
英語発音しかしらない(=英語が全てと思ってる)日本人に
あったことありません?
まあ私も数人ですが。
バートクと言われて全くわからず、アルファベットで書いてもらって、
やっと「ああバルトークですね」と言ったら、なんだその発音は、
と逆に言われて、飽きれたことがあります。
米国人は平気でバッハをバックとか言いますしね。
ドホナーニについては、私も昔間違ったことがあるのであれですが、
私の場合は、ハンガリー語初心者的な間違いでした。

ある程度はしかたないのでしょうけど、
「ドナーニ」にツッコミをいれたのは、ここがハンガリースレだからです。
じゃなきゃ、レスつけませんでしたよ。
693世界@名無史さん:04/09/01 20:55
そういえばみつこネタだが、欧州統合運動の父カレルギーの母、青山光子からとったのかな。
それと、黒髪のかつらと出っ歯とメガネだけで日本人になれるとハンガリー人は気づかなかったのだろうか。

オーストリアへの二重コンプレックス?

ハンガリーはオーストリアへのコンプレックスがかなりあると聞いたのですが正直どんな感じなのでしょうか。
カレスさま
気分を害されたのでしたら申し訳ない。
実際ハンガリーの人名・地名の読み方は私にとって悩みの種です。
しかも、地名だと同じ土地がドイツ語なりスロバキア語なりセルボ
・クロアチア語なりでは別の読み方になりますし、人名でもギシュ
クラ=イスクラというような考えもしない変化をすることがありま
す。調べごとをしていて悩まされることが多いです・・。
というような訳で書いた次第です。
私も間違えてることが多いと思いますのでご指摘いただければ幸い
です。

>693
さて、名前の由来はわからないですし、調べようという気にもなら
ないですな。
オーストリアへの二重コンプレックスというのは何を指しているの
かわかりません。
二重帝国の当時であれば、自分たちの音楽とか建築様式というもの
をウイーンに対抗して模索する動きがあったことは知られています
が・・。
書店でコマネチ選手の自伝があったので手にとって見てみましたが、
本人はマジャール系とかいうような話は書いておられませんでした。
チャスラフスカの伝記と一緒に東欧関連ということで購入しましたが、
なかなか、辛くて読み進みません・・。
696世界@名無史さん:04/09/02 17:05
ハンガリーは侮日国家だから、室伏が金メダルを取ったのは、我慢ならないのでしょうね。
697カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/02 19:31
>>696
お、でたでた(w

>ハンガリーは侮日国家だから、室伏が金メダルを取ったのは、我慢ならないのでしょうね。
ソースは?
698アヌシュがアヌスにアヌシュがアヌスに:04/09/02 19:51
戦中、ハンガリーでは日本の愛国行進曲の替え歌が歌われていたと当時ハンガリーを訪れた人が記録している。
またこれはよく覚えていないことだが、戦前、ハンガリー人が「行進曲日本」というものを作曲したらしい、これは本でちらっと読んだだけなのでうろおぼえ。


週刊新潮記事
「アヌシュがアヌスに尿を隠した」
699世界@名無史さん:04/09/02 20:01
たぶんアヌシュは日本で一番有名なハンガリー人。
700世界@名無史さん:04/09/02 20:53
700ゲット
701世界@名無史さん:04/09/02 21:17
>696
侮日国家とは?ハンガリーが政策的にそういうことをしている
という話は寡聞にして聞いたことがないのですが??

>698
ツラニズム運動とかの関連でしょうか?
そういえば昭和天皇のご料馬はハンガリー産だった
と聞いたことがあります。

>699
個人的にはルービック博士のような気もします。

>701
一放送局の一番組をもって国の全ては評価できません。
だいたい放送自体、打ち切りになってますし。

703世界@名無史さん:04/09/03 00:42
> 一放送局の一番組をもって国の全ては評価できません。
確かにその通りです。しかし、少し調べてみると、この番組が高視聴率であり
差別的だと考えるハンガリー人は少数派のようです。
侮日国家は言い過ぎかもしれませんが、日本人を軽んじる人々という印象をうけました。
打ち切りにしても時期的に、ネタ切れまたは「どっきり」効果が無くなったため、つまり
番組として旬を過ぎたためではないでしょうか?差別的で問題があるという理由とは思えません。
704カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/03 08:18
>>701>>703
普通のハンガリー人は、日本女性がどんな振舞いをするかわからないから、
ミツコ役にはあまり注目してなくて、ミツコの変な突拍子もない質問に、
てんてこ舞いになるゲストの有名人の様子を観て楽しむ番組なんですよ。
あまりにその笑いのレベルが低くて、下衆な番組だとは思いますが。
これをもってハンガリーが侮日国家なんて、分析能力低すぎです。
中国や韓国の反日教育や侮日国家としか思えない振舞いには、
1度も言及しない茂木さんの意見なんてなあ〜
705カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/03 08:19
>>704の続き

大使館の一等書記官がテレビで意見してるのは、よくやったと思ったけど、
その後は、ひっぱり過ぎでしたね。
私はハンガリー人の同僚から、まじな顔で、
「あの番組はそんなに日本人をバカにしてるのか?」と聞かれましたよ。
ハンガリー人の中からもTV局への抗議がありましたけど、
一般人は「あれは侮辱になるのか…」とよくわからないのが実情でしょう。
差別は差別感情がなければ存在しません。
差別的だと考えるハンガリー人が少数派な理由は、
侮辱してるからではないのですよ。

私に言わせれば、あの番組の1番の問題は、
ミツコ役のシュタール・ユディットのレベルが低すぎたということと、
演出家が、本当の日本人らしさを全く知らずに演出した、
超低レベルな仕事であったことです。

というかいまだにミツコを引きずってる人たちって、なぜ?
706世界@名無史さん:04/09/03 08:29
>>702
何言ってるんだか。。。
ダントツでアヌシュに決まってるじゃん。
707世界@名無史さん:04/09/03 09:16
逆に、室伏がハンガリーで有名な日本人になるかもしれないね。
ハンガリー国民の日本人の顔に対するイメージが変わるだろう。
708世界@名無史さん:04/09/03 10:02
アヌシュって苗字なの?
ハンガリについての紹介文て大抵「日本と同じで苗字−名前の順」て書いてあるけど
709世界@名無史さん:04/09/03 13:27
アヌシュ・アドリアン。苗字でしょう。
それにしても、Annus って、Anna という女性名の愛称形ではありませんか。
710世界@名無史さん:04/09/03 13:59
邦訳で読めるハンガリーの現代文学(民主化後のもの)
でハンガリーのことが大体わかるって感じのものないですか?
娯楽小説的なものでもいいです
711世界@名無史さん:04/09/03 15:32
> 差別は差別感情がなければ存在しません。
つまり、白人が「黒人は人間ではないから、家畜として扱うのは当然で差別ではない。」
と考えていれば、家畜扱いしても差別ではないわけですね。
712世界@名無史さん:04/09/03 15:57
一般的な差別議論は国際政治板かどこかでやればいいのに。
713世界@名無史さん:04/09/03 16:15
確かに、この話題を引っ張りすぎるのはよくないですね。
ただ、以前「親日的」とか言う書き込みがありましたが、特に親日ではなく
欧米によくある、ステロタイプな日本人像に違和感を感じていない国民と思います。
714M3:04/09/03 17:48
またミツコ?スキやね。

>>カレス
>中国や韓国の・・・
ジャーナル読まないけど、そうなんだ。
715カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/03 18:37
>>711
なかなかいいところに気がついたね。
その場合はね「人間を人間扱いしていないという点」で差別なのです。
感情に関わらずね。
> 差別は差別感情がなければ存在しません
これは>>703にレスするために、シンプルにまとめただけで、
感情以外で差別になる状況はありますよ、そりゃ。

>>712
スマソ
716カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/03 18:49
>>713
親日派の人は確かにいますが、国全体としてはそういう感じですね。
>「親日的」とか言う書き込み
日本人を初めて見たという人とか(特に田舎で)、
初対面でも歓待してくれますが、
これは客人を迎えるときの自然な行動様式でしょうし、
こういう経験をした旅行者等が、ハンガリーは親日の国と思いこむのも、
仕方ないと思います。

>>714
あの部分は、レスの流れと関係ないことを絡めて書いてしまった…
最後の2行は無視してくだされ。
717世界@名無史さん:04/09/03 20:29
レスのびましたね。

>>702
>>ルービック
ルービックキューブは有名かもしれませんが、ルービック博士について知っている人は少ないかと。
またルービックキューブとハンガリーのつながりについて知っている人は少ないと思われます。
よって日本で一番有名なハンガリー人はアヌシュだと思われます。とマジレスしてみるテスト。
718世界@名無史さん:04/09/03 20:50
>http://www.sponichi.co.jp/olympic/kiji/2004/08/30/02.html
ケツの穴については、ハンガリーの人に聞くのが一番か?
>710
最近出た小説というとアゴタ・クリシュトフさんかエステルハージ・ペーテル
さんの作品ぐらいでは・・。前者は56年にスイスへ亡命された方です、その
体験を元にした作品ですし、後者は幻想小説というか曰く言いがたい作品なの
で・・・。それ以外にも何か出版されているかもしれませんが、不勉強でよく
わかりません。

カレスさま
田舎の方は親切ですね。
ハンガリーをことさら親日と思ったことはないですが、何故か気に入ってます。

720カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/04 02:34
>>717
>アヌシュ
今は明らかに時の人ですからね。
「室伏が金メダル」というネタがなかったら、日本の取材陣も
ソンバトヘイまで行かなかったでしょうけど。
ベン・ジョンソンみたいに、「ドーピング」で日本人の記憶に残るかな。

>>718
ウホ?
721世界@名無史さん:04/09/05 00:09
ハンガリーは黒髪ばかりでブロンドは少ないようね
>721
どうなんでしょう・・確かに黒髪の方は目に付きますが、
金髪の方も多いですよ。
カレスさま・M3さま 現地からレポートをお願いいたします。

ヴァン・ヘルシングなる映画ですが、ブダペストがちょっと登場
するようですね。ロケはプラハ主体と聞きましたが・・・。


723カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/05 05:58
>>722
染めてる人も多い気がします。
724世界@名無史さん:04/09/05 11:26
貧しいせいかルーマニアがいちばん不美人
725世界@名無史さん:04/09/05 11:32
ハンガリー生まれの有名人といえばこの人も:

ピーター・フランクル/数学者・大道芸人

1953年ハンガリー生まれ。1971年国際数学オリンピック金メダル。
1988年より日本在住。11ヶ国語を話し60ヶ国以上を訪れている。ハンガリー学士院会員。
著書「頭のよくなる本」、「僕が日本を選んだ理由」、他多数。
NHK教育テレビ「マテマティカ」等、出演番組多数。

http://www.wendy-net.com/nw/essey/179.html
726世界@名無史さん:04/09/05 11:33
ブルガリアは美人
ハンガリーは都会ずれのせいか不美人、ルーマニアは浅黒い不美人
727世界@名無史さん:04/09/05 11:34
ウクライナはとっても美しいのに
なぜかその中間のハンガリー・ルーマニアは駄目
728名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 11:43
ルーマニア人は確か古代ローマ人の後裔と聞いたが、
モンゴル系のアヴァール人(柔然系?)の血は混じってないかな?

なんかその昔、独裁者のチャウチェスク大統領が銃殺されたTVで
ルーマニア人の顔がアジア系の血が入っているなあと思ったから。
美人談義はそれ専用のスレがあったような・・・。

私が実際旅行した感覚ではルーマニアは美人が多かったように思いますよ。
で、ルーマニア人の先祖ですが、国の公式の見解としてはローマの駐屯軍団
の子孫ということになってまして、どこの町に行っても狼に育てられるロム
ルスとレムスの像があったりします。
実際のところはいろんな人々が入り混じっているのではないでしょうか?
アヴァールはわかりませんが、クマン人・マジャール人は住んでますし、あ
とクリミア・タタールも何度となく侵入してきています。

ウクライナ・ブルガリア・ポーランドは未踏の地です・・。
ウクライナに女傑ズリーニ・イロナが立て篭もったムンカーチの城が残って
いるらしいので、一度行ってみたいと思ってますが・・・。

730名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 13:50
>>729
>アヴァールはわかりませんが、クマン人・マジャール人は住んでますし、あ
とクリミア・タタールも何度となく侵入してきています。

クマン人とは、チンギス・ハーンの孫である元の憲宗モンケ(フビライの長兄)が
従兄弟のキプチャック汗国のバツがロシア公国の諸侯を討伐した時に、ボルガ河
付近にいたコマン族という遊牧民のことでしょうか?モンケはコマン族の酋長を
斬ったと“元朝秘史”にあるそうです。
コマン(クマン)族とは、ブルガール・トルコと同じくトルコ系の民族でしょうか?

>ウクライナ・ブルガリア・ポーランドは未踏の地です・・。
それは無いと思います。キプチャック汗国の蒙古軍隊はドイツ・ポーランドの連合軍
を撃破した事項がありますから。ただ、西欧のフランス以西は侵入してはいませんが。
731世界@名無史さん:04/09/05 15:46
>>730
>それは無いと思います。キプチャック汗国の蒙古軍隊はドイツ・ポーランドの連合軍
>を撃破した事項がありますから。ただ、西欧のフランス以西は侵入してはいませんが。

ハンガリーにとどまっていたバトゥにとって、ポーランド南部はハンガリーと異なり定住をめざすような性格の土地ではなく、
彼らにとっての戦略的な見地から一時的に侵入したものだったんじゃないですか?
ですからポーランド・ドイツへはモンゴルの血は全くと言っていいほど混じっていないと思います。
732世界@名無史さん:04/09/05 15:54
>>730

>>ウクライナ・ブルガリア・ポーランドは未踏の地です・・。
>それは無いと思います。

おいおい!「未踏」ってのはギシュクラさんが「未踏」ってことだろ?
おまいはもっと日本語を勉強しる!
失礼、「未踏の地というのは私が行ったことがない」の意味です。
意味不明の文章ですみません。


クマン人は仰ってる元朝秘史(未読ですが・・)に出て来る人たち
のことです。ハンガリー王ベーラ4世は来るべきモンゴル軍との戦い
と大貴族たちに対抗するための軍事力として彼らをハンガリーに迎え
いれますが、モンゴル侵攻以前に、クマン人に農地を荒らされた農民
達を大貴族が煽動、クマン人は族長ケテニュを殺害され怒り心頭に発
してハンガリー国内を荒らしまわったあとバルカンへ脱出。混乱する
ハンガリーへモンゴル軍が侵攻してきたわけです。
モンゴル軍の撤退後、改めてクマン人は国へ迎え入れられ、ベーラ4
世の息子イシュトヴァーン5世はクマン族長の娘と結婚しています。
彼らの息子がラースロー4世、在来宗教の伝統に帰ろうとして国王に
対する十字軍が宣言される事態を招く悲運の青年王です。

クマン人自体はチュルク系とされてます。
>732
いえいえ、私の文章は読みにくいので定評があります。
読みやすく書くことを心がけないといけません・・・。
719に追加
ケルテース・イムレの「運命ではなく」が国書刊行会から
出版されてますが、これも中身は第二次大戦中の話だそう
です。
現代を舞台にした小説というのは翻訳されてないみたいで
すね。そもそも、ハプスブルク家関連を除けば東欧関係の
書籍なんて売れないので、出していただけるだけでも感謝
すべきなのでしょう。
736名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 18:31
>>733サンクス。
ヤパーリ、クマン(コマン)族はトルコ系でしたか。

>失礼、「未踏の地というのは私が行ったことがない」の意味です。
意味不明の文章ですみません。

こちらこそ、スミマセン。もっと日本語を学びます。 
737世界@名無史さん:04/09/05 18:54
>>730
『元朝秘史』にはオゴデイの命で派遣された、バトゥ、モンケ、グユク、ブリらの西方遠征については、第274-277節あたりに簡単な記述があるだけなので、
モンケがコマン(もしくはクマン、キプチャク、ポロヴェツ)人の族長を斬った云々という話は、ラシードゥッディーンの『集史』「オゴデイ・カアン紀」の
633(1236・37)年の項にモンケがイティル(ヴォルガ)川の中洲でキプチャク(コマン)人のオレルリク部族の族長のバチュマンを捕らえて処刑した、
という記事があるので、それが出典じゃないかと思いますが。
738名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 19:30
>>737サンクス。
そうですか。そのラシード・ウッディーンは確か、イル汗国のガザン・
ハーンの宰相ですね。そのガザン・ハーンは元の世祖フビライの弟の
フラグ・ハーンの孫ですね。彼は聡明な王と聞きますが。
739世界@名無史さん:04/09/05 19:36
>>738
フレグーーアバガーーアルグンーーガザンだから、
ガザンはフレグの孫じゃなくて曾孫です。
740世界@名無史さん:04/09/05 19:50
>>738
若死にさえしなければ、イルハン国の崩壊もなかったのだが。
741名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 19:50
>>739サンクス。
推測でレスしたので、ミスしました。
そのガザン・ハーンは元の内親王のコカチン姫を正室にしましたね。
それを警護したのが、あのマルコ・ポーロ一家でしたね。
742名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 19:53
>>740
ガザン・ハーンは早死したのですか。
知らなかった…。
743世界@名無史さん:04/09/05 20:51
>>740
ガザンが1304年に亡くなった後も、弟のオルジェイトゥ、その子のアブー・サイードと安定した治世が続いたから、
内紛が始まったのはアブー・サイードが、1335年に後継ぎを遺さないまま殺害されてからだし。
ガザンが亡くなったのは32,3歳だったと思うけど、厳しい自然環境の中を絶えず移動する遊牧民は老化が大変早く、
40代で充分「老人」と言われるぐらいだから、そんなに早死の部類ではないのでは。
1285年にノガイ・ハーンの軍勢がハンガリー王ラースロ4世の
援軍要請をきっかけにハンガリーへ侵攻したそうですが、詳細を
知るのに適当な資料があればご教示ください。
745名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 21:37
>>743
チンギス・ハーン(73・66・62歳諸説有)やその孫のフビライ(81歳)
の寿命は当時としては遙か高齢なほうですね。
746世界@名無史さん:04/09/05 22:11
>>744
【世界史上】モンゴル帝国最強伝説【最大版図】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1025384452/

詳しい人が多いからここで聞くといいよ。
747カレス ◆AUvFvohlXU :04/09/06 04:48
首相候補のジュルチャーニについて、
>テレビインタビューによると、この位置は狙ったのではなく、
>運が良かったとか言ってましたけど、どうなんでしょう
>>672で書きましたが、Hir-TVで1997年(1996年だったかな)の
新聞記事を掘り起こしてました…
ジュルチャーニは首相を目指していた野心家です。
>746
ご紹介ありがとうございます。
早速、お邪魔させていただきました。
749名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/08 21:51
フィンランドのスオミ族はアジア系のウラル語系を
言語とするコーカソイドというのは、正しいかな?
人種としては、バルトとゲルマンとスラブの混血の
ように見えるが…?
フィンランドは全くわかりません・・。
スレ違いのような気もしないではないですが、詳しい方の
解説をお願いいたしたく存じます。
751世界@名無史さん:04/09/09 00:24
>>749-750
参考までに。

フィンランド語スレ 2
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1074340585/l50
752世界@名無史さん:04/09/09 06:07
>>750−751サンクス。
フィンランドの議論はこれからの次第によると思う。
753世界@名無史さん:04/09/09 07:51
>>749
>人種としては、バルトとゲルマンとスラブの混血の
>ように見えるが…?
バルトもゲルマンもスラブも人種ではありません、単なる語群です。
754世界@名無史さん:04/09/09 13:44
もともとコーカソイド
755世界@名無史さん:04/09/09 14:03
むしろ北朝鮮と朝日新聞の専門家、荻野晃 先生のblog日記

新・ニッポンからの通信:ええかげんにせい!
http://aki1968.cocolog-nifty.com/news_from_japan/

バックナンバー
http://aki1968.cocolog-nifty.com/news_from_japan/archives.html

ニッポンからの通信:いいかげんにしろ 過去ログ
http://nyt.trycomp.com/nippon/

一部不穏当・民族差別的表現が御座いますが文責は萩野氏にあります。

処女作
冷戦期のハンガリー外交―ソ連・ユーゴスラヴィア間での自律性の模索
荻野晃[著]
出版社:彩流社
発行:2004-07-05
体裁:191,24p 21cm(A5)
ISBN:4882028999
価格:2,625円(税込)
http://book.asahi.com/category/s_book.html?code=4882028999&flg=0

[BOOK著者紹介情報]荻野晃[オギノアキラ]
1966年、兵庫県生まれ、
関西学院大学大学院法学研究科博士課程後期課程単位取得退学。
ハンガリー外交史、ハンガリー現代政治など専攻。
現在、大阪外国語大学非常勤講師

756世界@名無史さん:04/09/09 14:04
大阪外大シラバス検索結果

担当教官 授業科目名 曜日 時限
荻野 晃 ハンガリー文化講義III 月曜日 4限
http://wwwsyl.osaka-gaidai.ac.jp:8080/syllabus/GS01/GS03?CJugyou=4F1206

週一コマの非常勤講師では飯が食えんだろう


荻野晃先生=AKI
12/15/2002 12:00:00 AM の日記

いまだ日本国内にはこんな国を相手に「過去の清算」「補償を優先」
「国際社会に復帰させる」などとぬかすキチガイがいっぱい。
その筆頭が大阪経済法科大学教授吉田康彦(別名便所虫)だ。
http://nyt.trycomp.com/nippon/0212.html
学会で見かけたことがあるが、本当に便所で遭遇した。

http://nyt.trycomp.com/nippon/0212.html

荻野晃先生の過去日記を読めば荻野先生が2chの常連であることは明白です。
先生が活動されてるのは
ハングル板、ニュース極東板、議員版の北朝鮮・韓国・社民党関係スレ
マスコミ板の朝日新聞スレ、佐藤立志スレ、浅野健一スレ等です。


とこのスレ↓にあるけど、ハンガリースレの住民のこのセンセイの評価はどうよ?
東欧近現代史の新星!荻野晃【打倒!朝日新聞】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1094526626/
757世界@名無史さん:04/09/09 16:09
読んでみたが随分といたい人のようですね。
つーか
>>その筆頭が大阪経済法科大学教授吉田康彦(別名便所虫)だ。
>>学会で見かけたことがあるが、本当に便所で遭遇した。
これってこの人も便所虫じゃん。
>755・756
先日、荻野先生の本を購入したところです。
私の興味の対象はラコーツィ・フィレンツ2世あたりまでですし、
私自身は市井の一介の歴史好きですので、コメントする立場には
ありません。
また、研究の内容ならいざしらず、先生個人の人格について云々す
る意味も認めておりません。

ブログは読ませていただきましたが、先生の考え方にご意見がある
ならば直接おっしゃられればいいのではないかと愚考いたします。
759世界@名無史さん:04/09/10 18:28:16
まモンゴル帝国のときにポーランドからドイツ辺りまでは
モンゴル人は侵入したわけだろ。
それ以前にも遊牧民系でフン族が侵入してるわけで
さらにそれより何百年も前に遊牧民が進入していても
何の不思議も無い。
760世界@名無史さん:04/09/10 19:01:00
>>756
>ハンガリースレの住民のこのセンセイの評価はどうよ?

住民の評価も何も、この人は前々スレの最後の方と前スレの冒頭で
しい坊先生に議論を挑んでいたABCという人と同一人物ではないですか?
少なくとも彼らの内の1人である可能性は高いと思いますね。

今でも時々ここを覗いて質問にこたえているかも。
>760
そうなんですか・・?
どなたであっても、ハンガリーについて詳しい方の書込みは歓迎です。
>759
以前に世界文化遺産の「ホルトバージ」の回で、古墳からフン族よりまだ
前の遊牧民族の遺骨と遺物が発見されたと紹介していました。
このスレッドでもどんな連中なのかという話題が出たことがあって、胴締
剛術家さまがキンメリア人じゃないのかと書いておられました。

763名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/13 21:48:09
突然ですが、前レスで記述された南ロシアのボルガ流域で割拠した
トルコ系のコマン族の酋長であるバチュマンとはどんな人物でしたか?
誰か知っている人は教えてくらさい。大変興味があるので(個人的に)
764世界@名無史さん:04/09/13 21:58:30
バチュマンはブルボン家の祖先でし。
765名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/13 22:08:10
>>764
>バチュマンはブルボン家の祖先でし。
そのブルボン家とはかつての西突厥の一派ですか?
>763
う〜ん・・ハンガリー史では聞かない名前ですね。上であげられているモンゴル
スレの方が専門家の方がおられるので良いのではないでしょうか。

>764
本当??ですか??
767名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/13 22:21:01
>>765です。
質問が逆でした。
バチュマンがブルボン家の祖先で、バチュマン自身の
先祖が西突厥の弓月氏族でしたか?の誤りでした。
768カウニッツ:04/09/14 01:43:06
久々の登場で失礼します。
ハッキリ言いますが、ブルボン家は一切関係ありません。常識で考えれば判ることです。
764さんのネタでしょう。でないと、ハプスブルク家にもトルコ系の血が入っている事になりますから。

769世界@名無史さん:04/09/14 02:15:56
は〜びっくりした・・・
770世界@名無史さん:04/09/14 11:51:13
コマン族の家系を名乗るハンガリー貴族は居るのですか?
771世界@名無史さん:04/09/14 21:37:19
モンゴル軍の来襲に追われてハンガリーに逃げ込んだ、クマン(またはキプチャク、ポロヴェツ)の族長、
ケテニュの娘(クン・エルジェーベト)とハンガリー王、ベーラ4世の息子のイシュトヴァーン5世が政略結婚し、
その間に生まれたのが後のハンガリーの国王のラースロー4世らだが、彼の妹にマーリアという王女がいた。
このマーリアがシャルル・ダンジューの息子のシャルル2世(ナポリ王)の所に嫁いで産んだ子のうち、
娘の一人のブランカ(ブランシュ)はアラゴン王のハイメ(ジャウマ)2世に嫁ぐ。
その後、この夫婦の子孫の血統からカスティーリャのイサベルとアラゴンのフェルナンドのトラスタラマ家のカトリック両王が出てきて、
この夫婦の娘のフアナがハプスブルク家のフィリップの所に嫁いで、カール5世(カルロス1世)とフェルディナント1世を産んでいる。
よって、ハプスブルクの血にほんの僅かながら、クマン(キプチャク、ポロヴェツ)に由来するテュルク系の血が入っていることは疑いない。

さらに、前述のクマンの族長のケテニュとハンガリー王・ベーラ4世の孫にあたるマーリアと、ナポリ王・シャルル2世の間に生まれた、
ブランカ(ブランシュ)以外の娘のうち、マルグリート(マルゲリータ)がヴァロワ伯のシャルルの所に嫁いで生まれた子が、
後にフランスのヴァロワ朝の初代国王となり、その即位が百年戦争の原因の一つともなるフィリップ6世。
このように、フランスのヴァロワ家にも僅かながらではあっても、テュルク系の血が入ってた事は確実。
772世界@名無史さん:04/09/15 14:04:12
バチュマンはバトゥの遠征の時に殺されたんでなかったっけ。

このページにクマンの歴代首長が載ってますが
ttp://www.hostkingdom.net/siberia.html
個人的に気になったのは

Bortz Khan (in Wallachia)........................fl. 1220's

ワラキアにクマン人の君主がいたの?
バサラブ公がクマン人だってのはどっかで読んだが。
773カウニッツ:04/09/16 00:01:24
>>771
参りました。でも、ビックリしたな〜!
教えて下さってありがとうございます。
774世界@名無史さん:04/09/16 01:56:27
>>763
コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン(著)、佐口透(訳)『モンゴル帝国史1〜6』
(平凡社 東洋文庫)1968〜1979の中の、バトゥの西方遠征が扱われている巻
(手元にないので第何巻だったか分かりません)に、ドーソンがラシードゥッディーンの
『集史』の記事をほとんどそのまま自分の歴史著述に取り入れたような格好で、
モンケがバチュマンらの行方を捜索し、捕まえて処刑するまでの一部始終が書いてあったと記憶してます。
>770
どの程度のクラスの貴族かにもよりますが、居ても不思議はないでしょう。

>771
これは面白いですね。マーリアの系統からはハンガリー王カーロイ・ロー
ベルトも居ますし、その先にはポーランドのヤゲヴォ家もつながっていま
す。

>772
ワラキアあたりをハンガリーではクマニア(クマン人の国)と呼んでいた
そうですよ。

>774
手元にあるので見ました2巻の150ページあたりですね。
776世界@名無史さん:04/09/23 05:43:29
クマ━━━━━━(AA略)━━━━━━ !!!!
777世界@名無史さん:04/09/23 23:58:31
ちょっと関係ないかもしれないけど、コンスタンティノープル陥落の際に、
三重の城壁を破るために使用されたウルバンの大砲を製作したハンガリー人
技師ウルバンは、祖国ハンガリーではどのように評価されているのでしょうか。
ハンガリーはオスマン帝国の支配されたことがあるから、やっぱり裏切り者
ですかね。

778世界@名無史さん:04/09/24 12:31:01
アヌシュは金メダル返したのでしょうか?
779世界@名無史さん:04/09/24 19:00:01
マーチャーシュ君もラーコーツィ・フェレンツ君もスルタン陛下のお友達の国だよ。
780ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/09/24 22:23:56
>777
ウルバンのそういった意味での評価というのは読んだ記憶がないです。
発明家の名前の羅列の中にこんな人もいるという感じで登場している
のを見たことはありますが。

>778
ニュースで検索してみてください。まだ、返してないのでは?

>779
トランシルバニア公の話は首肯できますが、マーチャーシュ王がという
情報の出所は江村先生の本ですか?元情報が知りたくてしかたがないの
でご教示いただけると誠に幸いです。
781世界@名無史さん:04/09/27 15:43:30
アドリアン=アヌシュってハドリアヌスと間違いそうになっちまったぜ
782世界@名無史さん:04/09/27 16:51:07
>>781
そりゃ間違えても仕方ない。

アドリアンの語源がハドリアヌスなんだから。
783世界@名無史さん:04/09/27 17:16:41
>>779
それってヤーノシュ・フニャディが改宗ヴラフ人の家系だとかそういう話?
違ってたら失礼。
784ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/09/27 23:49:43
>783
たぶん、江村先生がマーチャーシュ王のことを「トルコの前衛部隊」
「トルコ太守の後ろ盾あってのハンガリー王」と講談社現代新書の
ハプスブルク家でお書きになっておられるのでそのことではないかと。

これの情報の元が何なのか私は非常に興味があるのです。
785世界@名無史さん:04/10/04 22:51:02
ドイツ人と韓国人は同族ニダ。

ハンブルクとハングックは根が同じスミダ。
786ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/10/05 00:52:35
>779
マーチャーシュ王の治世の時代にオーストリア南部(ケルンテンあたり)に
オスマン軍が侵攻したことがあったらしいですが、詳細をご存知ではないで
しょうか?
787世界@名無史さん:04/10/05 01:08:25
カレスさんは、そこそこ教養があるかと思っていたけど、意外とおバカなのね。
788世界@名無史さん:04/10/05 02:11:59
ブタペストは、温泉があるから、あの場所に都市を造ったのでしょうか?
ローマ人は風呂が好き。
789カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/05 07:23:58
>>787
意外とじゃなくて、結構βακα..._〆(゚▽゚*)、ですから。
790世界@名無史さん:04/10/05 15:42:52
787です。カレスさん、マジレス(?)ありがとさん。
2ちゃんのような匿名掲示板での議論にあまり興味はない。
全面的に否定するわけではないけどね。
だいたいの傾向を列挙してみると、
1、無責任。
2、日常生活で発揮できない自己顕示欲、優越感の発露の場となっている。
3、本当の論客や、現実の場で闘っている人間は参加しないので、議論のレベルが低すぎ。
4、参加者のレベルが低すぎることへの自覚がないので、多少とも「教養」があったり、口が達者だと、自分が一番正しいかのような錯覚に陥りやすい。
まあ、2ちゃんなんて、以上のような傾向は当然だと思うし、なにもこの場を使ってこんなことを書く必要もないんだが。
1〜3までは当たり前のこととして気にならないんだが、比較的良スレだと思っていたここが、なんとなく4の傾向まで出てきたような気がしてね。
では、失礼。

791世界@名無史さん:04/10/05 15:48:33
と、長々と自己満足文を書いて悦に入る方も時々いらっしゃるのが匿名掲示板です。
792世界@名無史さん:04/10/05 15:51:16
立つ鳥跡を濁さずって言葉を贈ってあげたくなりますね。
793ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/10/05 23:28:12
>788
ローマ時代の都市はアクインクムといいまして今のように川沿いでは
ありませんでした。
確かオーブダにも遺跡があったような気がしますが、見に行ってない
のであまりいいかげんなことは書けません。

現在のブダペストの市内だとペストの川岸、エルジェベート橋の袂の
ところにコントラアクインクムという渡河地点を守る要塞が存在して
いました。
温泉があるから都市が出来たわけではないと思いますが、この要塞、
対岸にある温泉に行くルートを守る?ためとかいう話しを現地の友人
から聞いたことがあります。
たぶん、冗談だと思うんですが・・・。

>790
スレを立てた私にしてからが素人同然ですので・・・。
是非、ハンガリーに関してご教示賜りたく存じます。
794世界@名無史さん:04/10/06 00:19:12
>>793
オーブダにある遺跡がアクインクムそのものですよ。
川沿いといえば川沿いです。
この遺跡には風呂がいっぱいあって呆れます。
アクインクムの少々北方には「ローマイ・フュルデー」(ローマの風呂)という地名の区域もあります。
ローマ人の風呂好きがよく分かります。
>794
そうでしたか、失礼しました。
訂正および情報感謝です。
オーブダの市街地と遺跡公園みたいになってるところって
けっこう離れていたような気がしたもので・・。
駅の横に小ぶりな円形競技場の跡なんかが残っていたのと
ミトラ神の彫像と遺跡の床のモザイクの印象だけが鮮明で
す。
796788:04/10/06 22:52:59
なるほど、ありがとうございました。
やはり温泉が重要な要素のひとつであるようですね。
逆に、温泉が出なかったら、あの位置に都市(要塞)を造る価値はあったのでしょうか
交通の要所とか、戦略上の有利な地点など、有利な点はあるのですか?
川沿いにあることは、物資の輸送上、重要な点だと思いますが、あの位置でなくとも、
川沿いならば、防衛などに有利なはずですが・・・。
797kk:04/10/08 19:58:03
kk
798世界@名無史さん:04/10/09 00:33:53
知識の交換は、それなりに意味のあること。
ヤーノシュさん他の博識振りには敬意を表している。
しかし、議論となると、相当レベルが低すぎるな。
「差別は差別感情がなければ存在しない」とか。
差別感情の有無を誰が見極めるのか。自己申請してもらうのか、カレスさんが決めるのか。
差別・被差別さえ、自覚されない場合が多いから、差別問題は難しいのだ。
「差別的だと考えるハンガリー人が少数派」って・・・。
ある現象の背景に差別があるかどうかは、多数決で決まるのか。
いやいや失礼。
蒸し返すつもりも、荒らすつもりもない。
だいたい「侮日国家」という妄言に反論すること自体、過剰反応だな。
長々と自己満足文、失礼。
差別問題は他のスレでやってくれ!といいたいことだけ言って、去っていくぞ。
学究の徒として、たまにはハンガリー史のことも書くので、「立つ鳥」と決め付けないでくれ。
799カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/09 17:54:19
>>798
荒しとは思ってないから。
常駐するなり、忘れた頃にレスするなり、
ご自由にやっていいんじゃないですか?
(しきってるわけじゃないですよ)
「学究の徒」ということは、貴方のほうがこのスレに相応しいでしょ。
私はこのスレで相槌いれたり、たまに余計なことをレスしたりしてるだけです。
ハンガリー史の書込み楽しみにしてますよ。
>798
ご専門の方ですか。
では、お任せいたします。
よろしくお願いいたします。
801世界@名無史さん:04/10/12 17:43:22
一言だけな。
ミツコ問題をめぐる2ちゃんの議論は当然のことながら低レベルだった。
比較的論客がいると思われるこのスレの議論も、残念ながら、無意味だった。
本質に触れる発言は皆無だったと言っていいな。
この場合の「本質」とはなにか。
あれは、自然発生的な社会現象ではなく、人為的な出来事だった、ということだ。
あとは考えてくれ。
よく考えれば、番組を見ての感想やら「平均的」なハンガリー人の意見など、関係ないということがわかる。
歴史を学ぶ人なら、答えはわかるはずだが。
歴史を学んでも、現代を見る目が節穴じゃ、しょうがないぞ。

ちなみに専門は、中東欧現代史全般とだけ、言っておこう。
802世界@名無史さん:04/10/12 20:24:33
ほんと、跡濁しまくり。
しかも潔さのかけらもない。
803世界@名無史さん:04/10/12 21:56:26
802さん。
まあまあ、そんなにムキにならんでも。
ムキになる理由がありそうだね。
だいたい想像つくけど。
でも、常駐者なら荒れる発言は控えたほうが・・・
804世界@名無史さん:04/10/12 22:14:31
自作自演や一人二役は、2ちゃんの常なり。
805世界@名無史さん:04/10/12 23:15:40
そんなことより、荻野氏が面白いことになっています。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1094526626/
806カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/13 08:20:24
>あとは考えてくれ。
禿藁
807世界@名無史さん:04/10/13 15:07:07
ハンガリー王国僚であったことが一度も無い地域にはハンガリー民族が居ない(近年の出稼ぎ移住者は除く)
808世界@名無史さん:04/10/13 15:14:46
>あとは考えてくれ。
偉そうなことを書くわりには無責任、または、その後の理論がないか。
口調からして、学生を見下すバカ講師、あたりか。
809世界@名無史さん:04/10/13 18:33:46
ハンガリー王国僚?
なにがいいたい?
810世界@名無史さん:04/10/13 21:13:37
ミツコの関連なんかここの住人はうんざりしています。だから誰もまともに語らないのです。
811世界@名無史さん:04/10/13 23:50:30
19世紀末のハンガリーは一応 大国だよね?
812世界@名無史さん:04/10/14 02:34:05
オーストリア・ハンガリーには海外植民地無かったの?
清国から分捕った租借地くらいは持っていなかったの?
813世界@名無史さん:04/10/14 23:29:42
ハンガリーって、半刈りの髪型がはやってるって、ホント?
814世界@名無史さん:04/10/15 15:36:30
>>810
ハンガリー厨にとっては心中複雑な話題だからね。
>801
人為的で何が仰りたいか想像がつきますがそれは歴史板で語る話題
ではないと思います。

>807
マジャール人がですか?
モンゴルに滅ぼされるまでは同族がボルガ河畔かどっかにいたそうです。
今でも少数民族でハンガリー語に近い言葉を話す人たちがいたのではな
かったかと思います。

>811
ハンガリーがではなくて二重帝国がでしょう。

>812
海外ってのは無かったのではないですか。
近現代のご専門の方に解説していただけると助かるのですが・・・。

スペイン・ハプスブルク家は新大陸に植民地を持ってまし
たけど。
メキシコにちょっかい出してマクシミリアンが処刑された
件もフランスが主体の話でした。

大体、海軍は非常に弱体ですし、あまり外へ出てという印
象がありません。

因みに青島で日本と戦う破目になった巡洋艦カイザリン・
エリザベートは日本への親善航海に来ていて開戦になって
しまっただけです。

>813
モヒカンが流行ったのは昔のポーランド貴族です。

>810
いや、至極単純です。語るのが馬鹿馬鹿しいだけ。
ハンガリー厨と仰るが、ある程度、ハンガリーに
住んだり、旅したりして無条件に好きでいられる
人というのは少ないと思いますよ。
これはハンガリーに限らないと思いますが。
817カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/16 03:02:43
>>814のいうハンガリー厨ってのは、たまにいるかもね。
でも、どっちかというと海外旅行板のほうじゃないかな。
このスレだとヤーノシュさんにしろ、学問的な態度を
淡々と貫いている人が、常駐してるような気がする。

それより聞いてくださいよ、
「ミツコ問題」なんて、私に言わせれば、(´く_` )フーン
といったところですが、
ハンガリーが国際捕鯨委員会に加盟したんですよ(今年5月1日付)。
調査捕鯨継続と将来的な商業捕鯨再開を支持する私としては、
反対票になる可能性の高いハンガリーの加盟は、大問題です。
818世界@名無史さん:04/10/16 18:03:35
>>807
モルドヴァのチャーンゴーは、ハンガリー領に入ったことが一度もないハンガリー系だ。
>818
おおチャンゴー人ですか。全く失念したました。
「モルドヴァのチャンゴー人」という本が恒文社から出版されてますね。
カレスさま
いや、学問的というよりも嫌な面も散々見聞きしてますから、愛
憎半ばするというところです。
>クジラ
5月ごろ現地の友人がそんなことを言ってたのを思い出しました。
海のないハンガリーがなんでそんなところに顔をだすのか??
理解に苦しみますなぁ・・・。
821ハウス:04/10/16 22:14:15
>>812
オーストリア海軍スレより失礼いたします。
オーストリア・ハンガリー帝国は海外植民地は保有しておりませんでした。
ただ19世紀の終わりに海軍と産業界が南太平洋諸島に関心を抱き、1896年には
調査隊が派遣されたようです。

あと清国から分捕った租借地に当たるものとしては、同盟国ドイツが1898年に
租借した青島だと思いますが、オーストリア・ハンガリーもこれに便乗した利
権を持っていたものと思われます。また1900年の義和団事件(北清事変)の時
には中国内の自国民が被害を受けたので、他の欧米列強とともに軍艦(巡洋艦
隊)を派遣しております。

ところで18世紀のオーストリア・ハプスブルク家皇帝カール6世の治世下には
一時海外進出熱が起こり、インド沿岸部にいくつかの植民基地を建設したよう
ですが、これは一時的なものに終わりました。まあこちらはオーストリア・ハ
ハンガリー帝国以前の話になりますが・・。
ハウス提督閣下
情報感謝です。
そういえば義和団事件のお話は二重帝国海軍スレッドで話題が上がってましたね。
823世界@名無史さん:04/10/16 23:24:58
昔のハンガリー貴族はマヂャ―ル語でなくラテン語を話していた?
824カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/17 07:05:19
>>823
私の聞いた話だと、ラテン語とドイツ語を話していたとか。
正確な時期は知りませんが…

セーチェニー・イシュトヴァンが初めて議会でハンガリー語を使った、
という話も聞いた覚えがあります。
825世界@名無史さん:04/10/18 20:23:02
ゴルゴ13、60巻のザ・メッセンジャーでハンガリーが出てきました。
そこで出てきた情報機関の長官の名前がフォック大佐という名前の人でしたが、ハンガリーは周辺のヨーロッパ諸国の影響を受けてしゃべる文法や単語もヨーロッパ化したのでしょうか。
826世界@名無史さん:04/10/19 14:37:35
ハンガリー語は基本的に都会ではあんまり使われない田舎語だったらしいが、
その田舎でもカトリックのミサは戦前までラテン語だったそうだよ。
お年寄りが、昔のミサは荘厳で美しかった、と懐かしんでいた。
>823
マリア・テレジアの時代には
議会はラテン語でやってたみたいですね。
有名なマリア・テレジアの演説もラテン語だったそうで。

あと、カウニッツと親交のあったテレキ伯爵はカウニッツ
とフランス語で会話していたそうです。

あと恒文社のハンガリー史ですがトランシルバニアでは
ハンガリー語が公用語だったという記述がありました。

もっと以前はどうだったのでしょうね。
以前、ラテン語で話していたに決まっているということを
書いておられた方がおられましたが・・。


>825
ドイツ系の方もいますからねぇ・・。
F1のバウムガルトナー(バウムガルトネル)選手なんて完全に
名前はドイツ系ですし、私の知人に先祖が昔、フランスとドイツ
の国境(アルザス?)から移住してきたとかで名前だけ見たらフ
ランス系のような名前の人もいます。

それはさておき、もし、私がキャラクターの名前を考えるならも
っとマジャール人らしい名前を考えますが・・・。

しかし、ヨーロッパ化ってハンガリーはヨーロッパですよ・・・。
829カウニッツ:04/10/19 23:08:01
ギシュクラ様。
モーツァルトの交響曲第40番ト短調の第4楽章の第2主題を
「追いまくられる雲の切れ目にもれる悲しくも淡い月光」と表現した
パウムガルトナーもいましたね。

「パウム」じゃなくて「バウム」なのでしょうか?……うーん。教えて下さい。
830825:04/10/19 23:51:40
>>828
解答ありがとうございます。

>>しかし、ヨーロッパ化ってハンガリーはヨーロッパですよ・・・。
今はそうでも民族移動して来たときはかなり違っていたのではないでしょうか。
教科書レベルの話ですが。
831世界@名無史さん:04/10/23 01:48:12
荻野センセイがNHKBSの取材を受けたそうです
1年後くらいにBSで冷戦のドキュメンタリーでもやるんでしょうか
カウニッツさま
うーん、音楽関連は疎いのです・・。

>830
ゴルゴの話がアールパードの国土征服まで関連するとは思ってませんでした。
元々、遊牧民ですから全く異なってました。

>831
ハンガリー関連の番組ですか。ハンガリー動乱あたりを取り上げるのでしょう
か。子供のころにドキュメンタリーでハンガリー動乱の記録を見てトラウマに
なってます。助けを呼ぶラジオの放送の音声が耳について離れません。

833世界@名無史さん:04/10/23 19:16:46
久しぶりにこのスレを見たが、相変わらずだな。
蒸し返すつもりも、議論するつもりもないから、「考えてくれ」と書いたのだが。
レベルの低さを自覚できないレベルというのがあることがよくわかった。

立法者意思の究明なしの条文解釈論議が不毛なのは当然だ。意味わかるかな。
一言だけ、未来志向的に助言しておこうな。
メディア含めて権力や資本と関連がありそうな出来事についての分析する際には、まず、権力内の重層的力関係を分析することだ。
ハンガリーを含む「東欧」諸国の場合は、EUロビー、外国資本ロビーの暗躍などだな。
分析も研究もなしに、そうした動きと「関係ない」と断言しきる方が傲慢だとは思わないのかね。

講師ではないか、という推測があったが、ある機関に属する研究者とだけ言っておこう。
ハンガリーへの好悪の念が、とかいう感情論、ハンガリー厨とかいう下品な決め付けは、書く者の品性のなさを示すだけだな。

自分らを批判する異物を排除する方が、知的刺激より大事かね。


834世界@名無史さん:04/10/23 19:56:49
>>833
いいから消えろ。理由は考えてくれ。
835ハウス:04/10/24 00:03:09
お邪魔いたします。

ギシュクラ・ヤーノシュ様
今オーストリア海軍スレで「フニャディ・ヤーノシュ」なる人物について話題が
上がっておりますが、よろしければご教授いただけるとありがたいです。
836カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/24 11:06:09
>>833
ここは2chだ。
君を排除なんてできっこないだろ?
書きたいことを書けば良いよ。

でもさ、あの「みつこ」を観て、
>メディア含めて権力や資本と関連がありそうな出来事
と判断して、
>分析する
必要があると考えてるなんてねえ…プ

タケシが「コマネチ」で有名になったときは、
在日ルーマニア大使館でそうやって分析して研究してた、とか?

>知的刺激より大事かね
もったいぶらずに、知的刺激をドーンと与えるレスを期待。
837消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :04/10/24 13:39:14
 ベム将軍のレスを拾いに来てみれば,こんなマイナー・スレが
荒れているとは……(とほほ).

>分析も研究もなしに、そうした動きと「関係ない」と断言しきる方が傲慢だとは
>思わないのかね。

 「ある」と主張する側が,その主張の論拠を提出するのが筋と愚考いたします.
 単なるほのめかしでは,いたずらに混乱を招くだけであり,何ら有益性を
そこには見出せませんな.
 しかも,それでいて反論があると,反証せずに「レベルの低さを自覚できない」
「品性の低さ」とは.

>タケシが「コマネチ」で有名になったときは、
>在日ルーマニア大使館でそうやって分析して研究してた、とか?

 ルーマニア・モンテビデオというアーティストの出現も,ルーマニア大使館の
陰謀(嘘).

>ゴルゴ13

 あの回に関しては,当時,どこかの週刊誌で「諜報機関の名前からして
間違っている」などというツッコミを見た覚えが.
 まあ考証はあまり深くやっていないようですが,考証云々をあまりやかましく
言い過ぎると,あらゆる漫画において娯楽性そのものが半減しますので,そこは
よしなに.
>833
重ねて申し上げますが、その件には全く興味がありません。

カレスさま・消印所沢さま
議論の必要のある話題とも思わないですし、このスレッドで
扱うべき話題とも思いません。
ニュース速報板かどこかですべきかと思量いたします。

ハウス提督
了解いたしました。
839世界@名無史さん:04/10/25 08:07:42
その通り。
過剰反応かと思われ。
840世界@名無史さん:04/10/25 11:06:41
>>833
最後の一文をご自分に向けて発してみてくださいな。
841世界@名無史さん:04/10/25 13:19:48
>>832
ナジ=イムレの首相官邸からの放送ですか?

「マジャールを助けてくれ!」

青木世界史講義の実況中継で知りました。
842世界@名無史さん:04/10/25 13:52:41
>>833
いいから早く消えろよw
誰にも必要とされてないんだからさw
843世界@名無史さん:04/10/26 03:33:13
挑発的な言葉で住民の反応を楽しむ確信犯的な愉快犯と思われ。
無視するのが一番。
844世界@名無史さん:04/10/26 03:39:12
それなりに面白いと思うのは漏れだけ?
証拠か衝撃の新事実でも書いてくれたらね。
でなきゃ、単なるハッタリ。もう来なくていいが。
カレスさんも、毎回毎回真面目に反論しなくていいと思われるが。
これも合わせて計9もの反応だあ。
確かに、愉快犯かも。ミ○○なんて、どうでもいいのかもよ。
845カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/26 08:37:58
>>844
荒しなのか、愉快犯なのか、ともかく、どんな「自分の考え」をレスしてくれるのか、
興味があったんですよ。もう期待しないでおきます。すいません。

>ヤーノシュさま
私のレスは、2chでいうところの「荒しに反応するのも荒し」でしたね。
今後は気をつけます。
846世界@名無史さん:04/10/26 16:24:04
確かに、レスすること自体、思うツボかも。
内容なんかどうでもよくて、ただ、人の怒るところを楽しんでいるのかもね。
愉快犯にしろなんにしろ、間違いないことは、ただひとつ。
実生活が退屈で、しかも、自己顕示をする場がない人間でしょうね。
金持ちけんかせずといいます。
充実している人は、こんな下らんことはしないと思いますよ。
もう無視しましょう。
847世界@名無史さん:04/10/26 16:38:28
>>841 アジェンデも同じことやってた
848世界@名無史さん:04/10/27 21:36:44
ハングリー?
849世界@名無史さん:04/10/28 17:54:56
左翼の代表的論客 大内兵衛【法政大学総長】
ハンガリー動乱を評して
「ハンガリアの国の場合は、われわれよりももっと…(笑)。
われわれもどうだか分からないが、われわれよりももっと
(引用者注:政治的成熟度の)程度が低かったということがあると思う。」
「ハンガリアはあまり着実に進歩をしている国ではない。
あるいはデモクラシーが発達している国ではない。元来は百姓国ですからね。」
出典元:1957年4月号『世界』より
850カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/28 18:34:52
>>849
稲垣武さんの『「悪魔祓い」の戦後史』の中で、批判されてるやつですね。
>841
そのあたり幼かったので記憶がはっきりしません。
当時の放送の傍受記録の本を持ってるのですが、
同様の内容の放送が各地でなされています。

>849
この話題も既出・頻出ですな。
当時の日本の進歩的な方々の考え方ってこんなもんだ
ったのですね。
852世界@名無史さん:04/10/29 08:35:35
>>849
ハンガリーは第二次大戦前から欧州でも電気工業が発達した国だった。
共産圏に組みこまれてからも、オートメ機器など電気・電子機械生産の役を担わされていたのである。
戦前の一九三八年の統計でも、生産国民所得に占める工業の比率は三八・四%、
農業が四四・七%であり、まがうかたなき中進工業国であった。
これを「元来は百姓国」というなら、武力介入したソ連はもっと「元来は百姓国」ではないか。

「悪魔祓い」の戦後史(稲垣武 / 文春文庫)より引用
853世界@名無史さん:04/10/29 15:29:31
どの国だって元来は百姓国だと思うんですが。。。

それはそれとして、ハンガリー系アメリカ人(ユダヤ系除く)の活躍はほとんど耳にしませんね。
>852
曲がりなりにも二次大戦で国産の戦車やら戦闘機を製造してますね。
あと、光学メーカーのガンマ社はけっこう有名で戦前に高射砲の管制
装置を日本がサンプル輸入したこともあったとか。
戦後の混乱期にも廃墟の中から元祖一眼レフカメラであるデュフレッ
クスなんかを生み出したりもしています。
ただ、大量生産する能力はいずれの分野でもなかったと思います。

>853
映画の分野なんかけっこう多いと聞いてますよ。
アメリカ風の名前に変えてしまってる方が多いとも聞きますが。
855世界@名無史さん:04/10/29 23:13:31
>>853
マジャール(ハンガリー)は遊牧民だっというテスト。
というよりまだ百姓国にさえなれていない国は結構あるな。
人類は元来狩猟民でしたからね。

なんかwレスにしようとしたが意味不明なった、すまそ。
856カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/30 05:37:52
ヤーノシュさま、855さま
私としては、
左翼の代表的論客なんていって、法政大学総長だった人が、
こんなレベルだったというのが、笑うところだと思います。
857ハウス:04/10/30 23:36:18
ギシュクラ様「フニャディ」の件、ありがとうございます。
これからも是非よろしくお願いします。
858世界@名無史さん:04/10/30 23:50:41
>>854
映画はハンガリー出身でもほとんど100%ユダヤ系でしょ。
ユダヤ系でない在外ハンガリー人の映画人はチッチョリーナしか知りません。
859カレス ◆AUvFvohlXU :04/10/31 05:08:00
>>858
今はミシェル・ワイルドの時代ですぞw
860世界@名無史さん:04/11/01 15:40:03
ハンガリーの本名は?
861世界@名無史さん:04/11/01 17:21:04
タカハシ ミツコ発祥の地?
862ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. :04/11/02 22:52:12
>258
映画会社の創立者から監督・俳優・シナリオライター・カメラマンまで
いろんな方がいらっしゃる(たのほうが正しいか?)ようです。
あんまり何系というのは興味がないので詳しくないです。
最近聞いたのはポール・ニューマンがハンガリー人の家系の2世だという
話ですが本当でしょうか。個人的にファンだったりするもんで。

>860
ハンガリーの本名って国名のことですか?
正式名称はマジャール・オルサーグ(マジャール人の国)だった
はずです。
863世界@名無史さん:04/11/02 23:52:31
駐日ハンガリー大使もどう見てもアジア顔
864世界@名無史さん:04/11/03 00:14:24
>>862
ユダヤ系です。マジャール民族ではありません。
865世界@名無史さん:04/11/03 22:45:49
ミシェル・ワイルドのマジャール語の本名のことでつ
866世界@名無史さん:04/11/03 23:10:32
ポール・ニューマンは父親がユダヤ人で母親がカトリック。実家はスポーツショップを経営していた。
867世界@名無史さん:04/11/03 23:45:33
ジョージ・ルーカス(墺洪系ユダヤ人2世) ⇒ ルカーチ・ジェルジー?
868世界@名無史さん:04/11/04 14:11:23
共同体壊滅する前の戦前のハンガリーのユダヤ人って標準ドイツ語話者だったのでは?
スロバキアの場合はハンガリー語話者。

869レリン ◆0UjkSmThNE :04/11/05 01:29:13
>>862
 正式な国名ならオルサーグでなくケズタールシャシャーグのような。
 空気読まず余計なところで突っ込んですみません・・・。
870世界@名無史さん:04/11/05 02:02:58
「ケズタールシャシャーグ」は「共和国」の意。
正式には「ハンガリー共和国」だから869の言ってることは正しい。
しかし、圧倒的に親しまれているのはやはり「マジャルオルサーグ」だ。
「オルサーグ」は英語でいえば「ランド」。
つまり「マジャル・ランド」ということであって、これはこののち政体がいかに変わろうとも不変だろう。
ちなみに、社会主義時代には、「ネープ・ケズタールシャシャーグ」(人民共和国)というのが正式だった。
しかし、このときでも、「マジャルオルサーグ」はハンガリーの一般名称として使われていた。
871ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :04/11/05 23:13:56
レリンさま・870さま
ご指摘および追加補足感謝です。
正式ということだとそうですね。
早合点してました。
872世界@名無史さん:04/11/10 18:36:18
荻野さんもハンガリーに住んでたよ、昔。
研究者の方が現地で研究されるのは不思議でもなんでもないのでは
ないかと思いますよ。
874世界@名無史さん:04/11/16 12:45:42
<ハンガリー>年内にイラク撤退 派遣延長法案を議会が否決
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041116-00000018-mai-int
875Sandor Sandor:04/11/16 13:51:12
En mellet nagyon buta ember van.
Csendet kerek es halj !
876世界@名無史さん:04/11/16 21:22:32
>>875
今度はシャンドールかい?
ソルノク在住?ティサ川の釣師さん
877世界@名無史さん:04/11/17 18:58:54
>>876

塚、君は大阪外大の学生だろ。
ろくな奴がおらん。
878世界@名無史さん:04/11/18 05:37:47
>>877
大阪外大じゃあ、faszkalapなんて単語は習えないだろ?
879結論:04/11/18 13:03:03
878=荻野さん
880世界@名無史さん:04/11/18 17:05:47
>>879
その人、誰?
881世界@名無史さん:04/11/18 18:51:46
882世界@名無史さん:04/11/19 06:14:03
>>881
荒んだ雰囲気のスレですね。
883世界@名無史さん:04/11/19 12:07:38
イラク撤兵か上手くやったな
東西冷戦の狭間で鍛え上げた小国ならではの熟練した外交戦術
884カレス ◆AUvFvohlXU :04/11/19 17:03:00
>>883
首相は少なくとも3月まで延長したかったみたいですが、
国会で3分の2の賛成が得られなかっただけですから、
外交戦術で上手くやったなんていうものじゃないと思います。
ハンガリー軍がやっている物資運送の仕事は、どこが引継ぐんでしょうね?
885世界@名無史さん:04/11/20 00:12:54
>>884

日本軍!! 小泉政権も終わりだな。
886カレス ◆AUvFvohlXU :04/11/20 02:30:06
>>885
いやいや日本は無理でしょう(w
ハンガリー軍部隊は300人くらいでしたね。
運送の仕事はポーランド軍の護衛付きじゃなかったかな。
記憶違いかな…
887世界@名無史さん:04/11/20 10:34:38
ポーランド派遣軍は来年一月半減するし
888世界@名無史さん:04/11/20 11:51:51
>>886

イラク派遣=シベリア出兵
889カレス ◆AUvFvohlXU :04/11/20 23:48:03
>>888
え〜と、
シベリア出兵が反共、イラクが反テロでイコール、という解釈であってますか?
890世界@名無史さん:04/11/26 12:23:13
ハイビジョン生中継
世界遺産・青きドナウの旅
プロローグ 華麗なる川の流れ〜ブダペスト〜
11月 28 日
後7:30〜10:00
ハンガリー、チェコ、オーストリア各国の世界遺産、人々の暮らしを生中継と
VTRで紹介し、古くて新しいヨーロッパの姿をたっぷりとお伝えする。
2800Km、8カ国を流れるドナウ。古来から欧州流通の拠点であり、様々な
人種、文化、宗教が行き交った。複雑に絡み合った民族、文化のモザイクは、
多彩で独特な世界遺産を数多く残している。
 初回のこの日は流域最大の文化都市ブダペスト市内からの中継を軸に、
河口のルーマニアからブルガリア、ハンガリーに点在する、知られざる数々の
世界遺産をVTRで丁寧に紹介しながら、華麗なるドナウ・世界遺産の旅に
いざなうプロローグとする。

891世界@名無史さん:04/11/26 14:45:17
けどハイビジョンなんだよなあ。
シルクロードもハイビジョンでやるらしいし。
むかつく。
892世界@名無史さん:04/11/26 15:01:09
総合でもやるんじゃなかったかな?
放送時間が違う気がしたけど。。
893世界@名無史さん:04/11/26 17:57:02
NHK高校講座地理観た人いる?
ハンガリー西部のドイツ人コミュニティやハンガリー人農家の豊かさと、東部ロマコミュニティやハンガリー人農家の貧しさの対比をやってた。
894世界@名無史さん:04/11/26 19:14:41
>890
一ヶ月ほど前にNHKが荻野センセイの所に取材に来たというのはこれのことかもな
895世界@名無史さん:04/11/26 19:15:47
あの地理の番組、進行の仕方が一方的な講義形式からアシスタントの対話形式になっても、
内容が大幅に変わった世界史に比べて、ここ数年間、内容が変わってない気がする。
今年の放送を見てて気が付いたんだが、歴代のハンガリーの領土の変遷を紹介した場面で
ハンガリー語の参考文献が右上隅に出たのは前からあったっけ?
896世界@名無史さん:04/11/28 23:29:32
今、誰もNHK観てないみたいだし。
897世界@名無史さん:04/11/29 01:05:03
>>891
プラズマくらい買えよ
898世界@名無史さん:04/11/29 23:35:50
フランスの政治家にハンガリー系
899世界@名無史さん:04/12/01 00:20:22
昨日のブダペストからホッローケー村に移動。
900世界@名無史さん:04/12/01 01:09:40
ホッロッケー、行ったけれどちっともおもしろくなかった。
観光地化されてて。
オバちゃんたちが村の衣装を着て愛想を振りまいていてくれたけど。

やっぱり、すばらしいのはトランシルバニアのハンガリー人村だよ。
これにまさるものはない。

政治的問題のせいで、世界遺産だかなんだかになってないだけ。

でも、ルーマニアの弾圧のせいで、存続自体が風前の灯火になってるのは、こっちの方なんだよね。
期待して見たのですが、あんまり面白い内容ではなかったですね・・。
シシィしかネタはないのかと・・。
902世界@名無史さん:04/12/16 09:20:44
>ギシュクラ様

つまらなかったですねー!!! ハイビジョンの宣伝番組。
飛行船に乗ったり、先生達を現地に送ったりとお金をかけている割には
別にどうということのない内容でした。オタクみたいな眼鏡のアナウンサー
とかタレントの久保恵子の性格を悪くしたようなピアニストとかも不愉快
だったし、教育テレビの語学講座がタレントなどを起用して
日本語のくだらないおしゃべりばかり聞かせる番組になってしまったのと
どこかで共通していると思いました。
903世界@名無史さん:04/12/16 14:35:32
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
904902:04/12/16 19:49:23
アナウンサーやピアニストのことはちょっと言い過ぎでしたね。

あれでも民放よりはまだましなのですからね。
905世界@名無史さん:04/12/19 11:38:00
ちゃんと取材して編集して番組にすりゃいいのに、
実況中継なんかするから「ひるどき日本列島」みたいになっちまうのだ。
ありゃ、「ひるどきドナウ」だったよ。
906世界@名無史さん:04/12/19 16:00:22

ヤーノシュ
907世界@名無史さん:04/12/20 00:46:02

マールトン
>905
ハプスブルグ家のハンガリー以外の切り口は無いのかなと思いましたね。
ドナウでブダとくれば「ニーベルングの歌」とか・・。
せっかく文学者のかたと音楽家をゲストに呼んで・・もったいないと思
いましたよ。
それにしても、こんな寒い時期に企画すること自体どうかと思いますね。
909カレス ◆AUvFvohlXU :04/12/30 19:42:07
>>908
ヤーノシュ殿
>こんな寒い時期に企画すること自体どうかと思いますね
全く同意です。せめて10月前半とかだったら…
と番組を観ていないのにカキコw
河の上から中継ですよ。
苦行としか言いようがない。
やるなら、5月ぐらいにやれば田舎は一面の花なのに・・。
911世界@名無史さん:05/01/04 22:20:15
昔、ホルティ閣下の話で、「勇爵(ドイツ語?、マジャール語?)」というの
がありましたが、以下と関係あるんでは?と思って,
引用します。

マリアテレジア軍事勲章:
1757年7月18日のコリーンの戦い(@)の大勝利を記念してマリアテレジア女帝(A)により、設けられた帝国内(B)の士官への最高軍事勲章である。
中央にオーストリアの紋章を配し(B)、周りのラテン語で「勇気」と記す。
世襲の貴族称号も併せ持つ勲章である。1918年11月(B)まで授与された。

@どこ? 
A女帝でなくて、皇后では? また、皇帝でもない、皇后が勲章作れるの?
B神聖ローマ帝国の勲章なら、一領邦であるオーストリアの紋章は不味いのでは?
     それに、神聖ローマ帝国消滅後も、使っていたの?(心の中では、ローマ帝国は滅亡せず、オーストリア帝国がそれだったのかな)
912世界@名無史さん:05/01/04 22:26:58
>>911

勇爵 Vitez という称号は戦間期にホルティ反革命政権が
サンダル貴族のために作った称号で、オーストリアのEdler von
みたいなもの。そんなのは掃いて捨てるほどいた。
サンダル貴族ですか・・以前、邦訳で「わらじ貴族」と書かれていて
語感がいいので笑ったことがありました。
ハンガリーとポーランドは貴族層が淘汰されなかったのでやったらに
多いという話を聞いたことがありますが、彼ら対策でしたか。
情報感謝です。
914ちょっと質問なんです。:05/01/06 19:57:40
>ハンガリーとポーランドは貴族層が淘汰されなかったのでやったらに ・・・

 他の国は淘汰される機会ってあったんでしょうか。
 ボヘミアはフス戦争かな。
 イングランドは、ノルマン征服とバラ戦争。
 (フランスは、大革命でも大方は亡命して助かったでは。)
 そこで、ハンガリーですが、WW2後、貴族は大丈夫でした?
 変な爵位もらった(勇爵 Vitez という称号)ばっかりに、
 殺されたりしなかったかなぁ。
 

915サンダル貴族ではないが:05/01/06 20:12:48
サンダル貴族

貴族だと言い張っていたけれど、この戦間期にも、結局、爵位は貰えなかった
 貴族もいたんでしょうね。
 UK(連合王国)では、爵位があるものが貴族という仕切りがあるようですが、
 ハンガリーは、爵位のない貴族も、伝統的に居たんでしょう。
916世界@名無史さん:05/01/06 20:37:57
>>915

苗字が-yないし-yiで終わっている人は、称号の有無にかかわらず
貴族であることが多い。
ただし、Kossuth LajosやTisza Kalmanなど例外は多い。
コシュートもサンダル貴族で爵位はないが、ドイツ語表記は
Ludwig von Kossuthとなる。
917世界@名無史さん:05/01/09 10:47:09
>>916
姓の末尾が「-y」で終わっている場合は確かに貴族が多い。
しかし「-yi」は、単に「-y」で終わる地名をベースにした姓であることが圧倒的に多く、
この場合、貴族であるかどうかの判断基準にはならない。
たとえば「Polanyi」は、「Polany」という町の出身だったことを示しているだけ。
貴族は「-i」でなく「-y」で書く習慣だったようだから、最初の行に書いたようなことになるわけだが、
「-y」で終わる地名の場合、さすがに「-yy」と書くことができず、この場合は「-yi」としたようだ。
結局、「-yi」の語尾は、貴族か平民かの区別には使えない。
918世界@名無史さん:05/01/09 16:13:43

ポラーニをポランニー、ポラニーと表記する糞経済学者がいる。
919世界@名無史さん:05/01/09 18:51:46
>>918
小生は「ポラニー」と書くのがいちばんいいと思っている。

「ポランニー」は論外。まったくだめ。ハンガリー語のことがまったくわかっていない。

「ポラーニ」は、ハンガリー語の長音を尊重したもので、それなりに筋は通っている。
しかし、日本語の発音では、「ラー」のところにアクセントがいってしまうのが難点となる。

その点、「ポラニー」とすると、ハンガリー語同様、語頭にアクセントを置くことができ、その分実際の音に近づく。
問題は、「ラー」の発音だが、ポイントはハンガリー語の短音「a」は日本語の「オ」に近く、長音「a'」は「ア」に近いことだ。
また、語尾にも「-i」があるので「-ny」の「ニ」と区別するために「-nyi」を「ニー」とするのは理由がある。
よって、「ポラニー」となる。

なお、ゆきずりのハンガリー人少女に日本語の単語いくつかを教えたとき、
彼女は日本語の「ア」の音をすべて「a'」(長音)で書き取っていた。
つまり、ハンガリー人にとっても、日本語の「ア」が「a'」と聞こえているのだ。
このことは、単に音が長いか短いか、ということよりも意味が重い、と思う。
920論外:05/01/09 22:00:38
市場社会の虚構性 / K. ポランニー著 ; 玉野井芳郎, 栗本慎一郎訳. -- 特装版. -- 岩波書店, 1998.9. -- (岩波現代選書 . { 人間の経済 / K. ポランニー著 ; 玉野井芳郎, 栗本慎一郎訳 } ; 1).

交易・貨幣および市場の出現 / K. ポランニー著 ; 玉野井芳郎, 中野忠訳. -- 特装版. -- 岩波書店, 1998.9. -- (岩波現代選書 . { 人間の経済 / K. ポランニー著 ; 玉野井芳郎, 中野忠訳 } ; 2).

市場社会の虚構性. -- 岩波書店, 1980.6. -- (岩波現代選書 ; 47 . { 人間の経済 / K.ポランニー著 ; 玉野井芳郎, 栗本慎一郎訳 } ; 1).

交易・貨幣および市場の出現. -- 岩波書店, 1980.7. -- (岩波現代選書 ; 48 . { 人間の経済 / K.ポランニー著 ; 玉野井芳郎, 中野忠訳 } ; 2).

大転換 : 市場社会の形成と崩壊 / カール・ポラニー著 ; 吉沢英成 [ほか] 訳. -- 東洋経済新報社, 1975.4.

経済と文明 : ダホメの経済人類学的分析 / カール・ポランニー著 ; 栗本慎一郎, 端信行訳. -- 新版. -- サイマル出版会, 1981.9.

経済の文明史 : ポランニー経済学のエッセンス / カール・ポランニー著 ; 玉野井芳郎, 平野健一郎編訳. -- 日本経済新聞社, 1975.3.

経済と文明 : ダホメの経済人類学的分析 / カール・ポランニー著 ; 栗本慎一郎, 端信行訳. -- サイマル出版会, 1975.
921919:05/01/09 23:29:00
マイケル(ミハーイ)の方もお忘れなく。
922論外2:05/01/10 00:27:25
マイケル・ポラニーの世界 / リチャード・ゲルウィック著 ; 長尾史郎訳. -- 多賀出版, 1982.8.
創発の暗黙知 : マイケル・ポランニーその哲学と科学 / 大塚明郎〔ほか〕著. -- 青玄社, 1987.10.
923世界@名無史さん:05/01/10 02:08:50
>>914
>ボヘミアはフス戦争かな

違う。白山の戦い(1620年)。
チェコ貴族のうち5分の1が殺され、残りの5分の4が難民としてプロテスタント諸国へ移住した。
あとに残された全ての財産は没収された。
同時に、このときチェコ貴族側についたプロテスタント系ドイツ人も殺されるか追放されるかした。
924世界@名無史さん:05/01/10 03:40:30
世界史系ジョーク集・第十六集よりコピペ

437 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 05/01/10 00:26:03

     1941年アメリカ合衆国議会がハンガリーに宣戦布告を決議し、
     ただちに上院に回された。
     ケンタッキー選出の長老上院議員がハル国務長官を呼んで、
     説明を求めた。
     「ハンガリーとは、いったい、どういう国なんです?」
     「ヨーロッパの小さな王国です。人口およそ800万」
     「ははあ。で、王様はなんて人ですか?」
     「王様はいません」
     「いない? じゃあ誰が統治してるんですか?」
     「提督です」
     「なるほど、解ったぞ、ハンガリーの艦隊は
     我が国にとって危険だと」
     「ハンガリーは艦隊をまったく持っていません。
     中部ヨーロッパの国で、ぜんぜん海がないのです」
     「じゃあ、なんて゛我々は、ハンガリーに宣戦するんです?」
925世界@名無史さん:05/01/10 03:41:10
438 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 05/01/10 00:26:55

     「ハンガリーはドイツと共同してロシアと戦っています。
     そして、ロシアと我が国とは同盟国ですからな」
     「そうかー!やっと解ったぞ。
     ハンガリーはロシアの領土が欲しいんだ。そうすりゃ、
     海まで領土を広げて、提督も軍艦に乗れるて、わけだな」
     「違います。ハンガリーが欲しがっているのは、
     ロシア領ではなく、ルーマニア領なのです」
     「…すると。こういうことか?つまりハンガリーは、
     ロシアとルーマニアを同時に敵にしているわけだね?」
     「いいえ、ルーマニアとハンガリーは同盟しているのです」
     「…コラ、国務長官。てめぇ、オラに喧嘩売ってんのか!
     大学も出てない田舎もんだと、バカにしてんべ!」
     「…うっさい、このハゲ。俺はただ事実を言ってるだけだ!
     文句があるなら、ハンガリーに言え、ハンガリーに!」
     「よーし、ヤッてやろうじゃねえか、ハンガリーめ!!」

     こうして、対ハンガリー宣戦布告は
     無事、上院を通過しましたとさ。めでたし。めでたし。


ベルサイユ体制から第二次世界大戦終結にかけての
ハンガリーの政治体制と外交関係は複雑怪奇なのな
アメリカの偉い人にはそれが解らんのですよ。
926世界@名無史さん:05/01/16 12:00:21

フン族の国・ハンガリーから(違)、アッティラの名前を持つ男が国技館に立つ!(゚∀゚)

「初のハンガリー人力士が誕生へ」(デイリースポーツ)
http://www.daily.co.jp/newsflash/2004/11/24/151529.shtml

ハンガリー東部の出身で、レスリング選手からアマチュア相撲に転進、世界ジュニア選手権無差別級で
3位ということですから、期待が持てますねぇ。記事では「トートゥ・アティーラ」って名前になってますけど、
場所柄からしてアッティラのことかと。勇ましい名前にわくわくするとともに死に様は真似しないで欲しいと
今から願う次第であります(笑)

なにはともあれ、フィン・ウゴル系諸民族で初の力士が誕生するわけです。
927世界@名無史さん:05/01/16 14:05:28
>>926
>しこ名は「舛東欧(ますとうおう)」に決まり
>ハンガリー東部のソルノク出身

せっかくだから、舛節太(ますふした)とか地沙川(ちさがわ)とか名乗って
欲しいよな。いっそのこと大王にあやかって舛神鞭とかw
928世界@名無史さん:05/01/16 17:13:31
舛茶主とか(藁
929世界@名無史さん:05/01/16 17:45:58
>コシュートもサンダル貴族で爵位はないが、ドイツ語表記は
>Ludwig von Kossuthとなる。

916さま、
 だれが、貴族で、誰が貴族未満か、はっきりしたルールはあったのでしょうか。
 爵位があれば明確に貴族とわかりますが。
 コッシュートを、ドイツ語に直すとき、彼が貴族と知っているなら、Ludwig von Kossuth と
 するでしょうが、
 知らないと、Ludwig Kossuth としてしまいそうです。
 どうなのでしょうか。
>926
おお、これは応援せねば!!
マーチャシュ王にあやかって大鴉王なんてのはいかがでしょうかね。
931世界@名無史さん:05/01/16 23:09:06
マーチャシュ王やその父親フニャディ・ヤーノシュについて詳しく書かれた本ってないですかね?
932世界@名無史さん:05/01/18 13:10:33 0
>>932

ハンガリーの本屋、図書館にはいっぱいあるぞ!!
933世界@名無史さん:05/01/22 02:13:49 0
ハンガリー

ハングック

どちらも優秀なゲルマン民族と大和民族
のお隣の弱小民族
934世界@名無史さん:05/01/22 19:59:18 0
916,929さん

 ☆この国では、名前と姓を逆にしようという運動、考えは、
  かつて無かったのでしょうか。
935世界@名無史さん:05/02/02 21:58:09 0
ハンガリー精神の勝利『ゼンメルワイス物語』
http://www.geocities.jp/handwashmethod/semmelweis.html
936世界@名無史さん:05/02/03 13:23:13 0
そりゃ民族の精神にかかわるからなんじゃないの
逆にしてもメリットないんとちゃうか
937ボヘミアン:05/02/04 00:49:59 0
コッシュートなど偉大なるコシューシコ将軍のパクリ。
>934
言われてみれば・・聞いたことがないですね。
一度ハンガリーの友人に聞いてみます。

>935
ゼンメルワイスを記念する博物館はブダの王宮からゲッレルト丘方面へ
下る坂道の途中にあります。
ブダペストに行かれた時は是非一見してください。

>937
ハンガリーの歴史とポーランドの歴史を一緒くたに
しても無益かと。
そういえばコッシュートの自由戦争にはパリにあっ
たポーランドのチャルトリスキ伯の亡命政権が関与
してましたね。ポーランドの将軍も2人ほど加勢に
きています。特に砲兵将校のヨーゼフ・ベム将軍の
活躍は目覚しく、最後まで戦って、そしてオスマン
帝国に再起を期して亡命し亡くなりました。
ブダペストには負傷した片腕を吊った状態で軍を指
揮するベム将軍の銅像が立っていますよ。
939M3:05/02/08 04:35:27 0
>>Janos ur
ハンガリー語の文法的に名前を逆にするのは
無いのでは。山口さんちのツトム君てな具合で。
M3さま
でしょうか・・。少なくとも名前の順番を逆さにしようという話は聞かないですね。
ただ、宮廷とかではラテン語だのドイツ語だのを話していたのでしょうから、その
場合はヤーノシュ・ギシュクラというような名乗りをしていたのでしょうか?
941世界@名無史さん:05/02/09 11:23:30 0
フランツ・リストが良い例かと思います。

ハンガリーに帰国時はリスト・フィレンツとハンガリー風に名乗ってました。
942世界@名無史さん:05/02/09 12:04:55 0
>>941
リスト・フェレンツだろ!!
943世界@名無史さん:05/02/09 17:10:44 0
まちがいた
944世界@名無史さん:05/02/13 20:14:19 0
日本ハンガリー友好協会
ttp://www.jpnhun.org/


ハンガリー総合情報サイト"Hungary Today"
ttp://www.japhun.com/
945世界@名無史さん:05/02/13 20:49:28 0
食糧不足"Hungry Today"
946ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :05/02/20 19:38:10 0
本日の世界文化遺産はハンガリーのトカイ地方だそうです。
お見逃し無く。
947世界@名無史さん:05/02/20 20:14:02 0
リストの曲はうすっぺらでチャラチャラしてハズかしくなるし、
バルトークの曲は高圧ムリムリ芸術しすぎでうっとーしいです。
コダーイはあんまし知らないけど王道とはとても思えん。
おまけにブラームスのハンガリアン舞曲もバカっぽい。

なんなんだこの国は。
948世界@名無史さん:05/02/23 17:48:08 0
そこであえてムジカーシュwithマールタ・シェベスチェーンですよ
949世界@名無史さん:05/02/24 11:50:43 0
ちゃんと Sebestyen Marta シェベスチェーン・マールタと表記汁!!
950世界@名無史さん:05/02/27 04:49:01 0
>947
音楽の趣味は人それぞれ。
何なんだと言われても困るような・・・。
951世界@名無史さん:05/02/27 07:29:34 0
無理矢理に自らの民族色を後付で強調すると企画モノの域を
脱せないものでして。
ラプソディーなんて、他はボヘミアン・ラプソディーくらい
しか知らんぞ。(ぜんぜんボヘミアじゃねーし)
952世界@名無史さん:05/02/27 18:49:17 0
昨日の「道」の特番でマーチャーシュ王が紹介されてましたね。
馬車「コーチ」の語源の紹介で
953世界@名無史さん:05/02/28 12:29:03 0
俺も見たけど、なんでコチュ村に馬車製造技術が蓄積されたの?
マジャールって騎馬のイメージがあるんだが。
954世界@名無史さん:05/03/15 14:39:26 0
>>926
舛東欧、きのう序ノ口の番付に載って最初の相撲だったけど、
黒星デビューでした。
955世界@名無史さん:05/03/17 22:04:36 0
大阪外大のハンガリー語に合格シマシタ!
956世界@名無史さん:05/03/17 22:10:54 0
>955
おっ、マジで。おめでとう
日本とハンガリーの橋渡しになってください
>953
もともと馬車は多用されていたそうです。
騎馬民族といっても家財道具や家族を運ぶのは馬車なり牛車なり
だったそうで。
何故にコチュ村で、というのは不勉強で判りません。

>954
大阪市内で力士さんを良く見ます。舛東欧にも会えるかな??

>955
おめでとうございます!!がんばってください。
958955:05/03/18 17:07:42 0
ハンガリーって民族衣装みたいなのってあるんですか?
959世界@名無史さん:05/03/18 17:35:35 0
ハンガリーは百姓の国だから、豚に歴史などないのと同様に、歴史などない。
955さま
地域によって多様な民族衣装がありますよ。
ハンガリーのダンスのサークルのHPなんかをご覧になると良いのでは?

961世界@名無史さん:2005/03/27(日) 13:20:35 0
ドラキュラを紹介した番組でマーチャーシュ王が紹介されていたらしいですが見た人はいますか?
962世界@名無史さん:2005/03/27(日) 15:25:09 0
妹の旦那だっけ?
963世界@名無史さん:2005/03/29(火) 17:30:48 0
ハンガリー出身の舛東欧のデビュー場所は6勝1敗の勝ち越し。
来場所は序二段にあがります。
964世界@名無史さん:2005/03/29(火) 21:03:28 0
セントウオウって読むの? >舛東欧

怒儺憂河、扮蛾里山(平原なのに)、もしくは、家煮血柄里、彼方等山、偽匈奴、
とかを思い付いたんですけど。
965世界@名無史さん:2005/03/31(木) 23:46:13 0
>964
「ますとうおう」

師匠が舛田山(ますだやま)で東欧出身だから。
966世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 00:36:44 0
マスターキートンも舌鼓を打ったそば粉(カーシャ)入りパンを販売!

http://food6.2ch.net/test/read.cgi/bread/1096640477/l50
967世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 22:54:31 0
質問です。
中世から近代にかけてのハンガリーは支配下にあるスロバキア人などの
少数民族に対しどのような統治を行ったのでしょうか。
1848年の独立戦争の際には、ハンガリーの差別的・抑圧的な統治により
少数民族の多くがハプスブルク家の側に立って戦っている、と聞いたこと
があるのですが時代によっても違うのでしょうか。
あとハンガリーにはヴィシェグラードと言う町がありますが
グラードという言葉がついているのでスラブ人と何か関係があるのですか
お手数ですが教えてください。
968世界@名無史さん
いちにい ハンガリア にいにい ハンガリア