1 :
世界@名無史さん:
このスレは、歴史上の著名な政治家・軍人・国家指導者達の能力を”光栄”の歴史
シミュレーション風に数値で勝手に表してしまおう、というスレです。
数値の指標、前スレ、関連スレなどは
>>2-5
能力値の基準
0代=逆にすごい
10代=ゴミ
20代=ろくでなし
30代=苦手
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
60代=まあまあ
70代=優秀
80代=一級
90代=超人
100=神
各能力値の説明
右にある指標については、いまだ議論中です。
【統率】組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力】戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力】利害抜きで人を引きつける力。人望。
項目別TOP候補
【統率】始皇帝、チンギスハーン、スターリン
【武力】アレクサンドロス、ナポレオン、トハチェフスキー
【知力】カエサル、サラディン、マンネルハイム
【政治】アウグストゥス、康煕帝
【魅力】劉邦、カエサル、ムハンマド、リチャード一世、サラディン
乙。
7 :
前スレの948改め永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 01:06
>>1 ありがとうございます。
おかげで、次回作の執筆に取り掛かれます。
次回の題名は「政治家の資格」です。
楽しみにお待ちください。
8 :
世界@名無史さん:03/05/01 01:09
徳川家康
【統率】80 一級
【武力】70 優秀
【知力】70 優秀
【政治】80 一級
【魅力】60 まあまあ
9 :
世界@名無史さん:03/05/01 01:15
織田信長
【統率】60 まあまあ
【武力】80 一級
【知力】70 優秀
【政治】70 優秀
【魅力】80 一級
10 :
世界@名無史さん:03/05/01 01:17
豊臣秀吉
【統率】80一級
【武力】80一級
【知力】80一級
【政治】80一級
【魅力】80一級
ブラボー!>1 THANKS
>>1 お疲れさまです。
自分も、そろそろティベリウス帝やセプティミウス・セヴェルス帝などの執筆にとりかかります。
皆さんも頑張っていきましょう!
どなたかゲバラとピノチェトお願いします
ジョシュア・A・ノートンをキボンヌ
16 :
世界@名無史さん:03/05/01 14:29
【統率】アレクサンドロス
【武力】チンギスハーン
【知力】孔子
【政治】徳川家康
【魅力】イエス
以上
確かにコーエー数値化向きに考慮となると、要は
イエスを精神的カリスマとし、アレクサンドロスを王に頂いた、宰相の家康(他にも人材?)の派遣した、孫子(孔子辞め)を軍師に伴ったチンギスの軍勢。というエライことになった。
より優る組み合せ、募集。
17 :
世界@名無史さん:03/05/01 15:20
18 :
世界@名無史さん:03/05/01 16:00
敢えてジャンヌダルク希望といってみる
19 :
世界@名無史さん:03/05/01 16:48
孔子って前スレで滅茶苦茶叩かれてたな
21 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 17:39
>>16 【統率】チンギスハーン
【武力】ヤン・ジシュカ
【知力】ビスマルク
【政治】康熙帝
【魅力】カエサル
ということでいかがでしょうか。
世界史上最大の帝国の始祖であるチンギス・ハーンが首相となり、
全キリスト教世界の軍勢を敵に回したにも関わらず、一度も負けなかったヤン・ジシュカが陸軍最高司令官となり、
思うがままに19世紀後半のヨーロッパ情勢を動かしたビスマルクが外相となって策を練り、
60年以上善政を敷き続け、ありとあらゆる政治課題を経験した康熙帝を副首相として内政を委ね、
誰からも愛されたカエサルを象徴君主とした立憲君主国は、いかがでしょうか?
こちらの方が強そうだと思いませんか?
22 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 18:25
>>15 【コラム】ジョシュア・エイブラハム・ノートン(1819〜1880)初代アメリカ帝国皇帝兼メキシコ護国卿
1.統率力
ノートン帝の権威が及んだのは帝都サンフランシスコのみであり、
当時の帝国領の大半は、ワシントンにあって、合衆国大統領を僭称する人物に占拠されていました。
また、ノートン帝はメキシコを保護領としていましたが、メキシコの実効支配にも成功していません。
また、治世の初期には、アメリカでは南北戦争が起きています。
ノートン帝は、両軍の調停を試みましたが、失敗に終わりました。
その治世において、米国=メキシコ二重帝国の分裂状態を、
解消することの出来なかったノートン帝の統率力の欠如は明らかです。
よって、統率は苦手レベルの「31」とします。
2.武力
ノートン帝は、長く不逞なワシントンやメキシコの反乱者どもに悩まされ続けましたが、
自ら軍を率いて討伐に赴くことはありませんでした。
また、即位以前の経歴においても、一軍を率いた経験は無く、
軍事に関する能力と知識の両方に、欠けていたと思われます。
よって、武力は無能レベルの「22」とします。
23 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 18:40
3.知力
ノートン帝は、常に米国=メキシコ二重帝国の分裂状態を憂慮し、
状況を改善すべく、数々の勅令を出しました。
それらは、帝の高邁な理想を示すに留まり、実際には施行されることはありませんでした。
帝は英明の君でしたが、帝国を蝕む不逞な反乱者を鎮圧し、
帝威を輝かせようという気概には、欠けていた様に思われます。
よって、知力は凡人レベルの「43」とします。
24 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 18:52
4.政治力
ノートン帝は、19世紀中盤の時点で、奴隷解放、ゴールデンゲートブリッジの建築、海底トンネルの開通など、
先進的な政策提言を行い、偉大な先見性を示していましたが、
これらの政策を自力で実現出来ず、後世の人々の手に委ねざるを得ませんでした。
しかし、帝は唯一帝威の及ぶ帝都サンフランシスコの統治には熱心で、
常に市内を視察して、臣民の声を拾い集めることを怠りませんでした。
そして、新聞を通じて議会に対して勅令を発し、帝都の臣民の生活向上に取り組みました。
米国=メキシコ二重帝国全体の統治者としての実績が無いのはマイナスですが、
帝都サンフランシスコの統治者としては、有能とは言えないまでも、及第点と言って良いでしょう。
よって、政治力は一つの大都市を大過なく統治できるレベルとみなし、「57」とします。
25 :
世界@名無史さん:03/05/01 19:12
ブッシュ大統領
【統率】40
【武力】95
【知力】40
【政治】50
【魅力】30
26 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 19:14
5.魅力
至尊の身にありながら、毎日街頭に出ては、臣民と気さくに交わっていました。
帝は、唯一帝威を慕う帝都サンフランシスコの市民を愛し、
市民もまた、よく帝の愛にこたえたのです。
普通、税金というものは、誰もが嫌がるものですが、
帝都の市民は、喜んで帝のために税金を払いました。
ある警官が帝を浮浪者と間違えて逮捕した際、帝威への挑戦と見た市民は激怒し、
警察署長がお詫びとともに帝を釈放するという事態になりました。
帝の礼服が古びてボロボロになると、帝都の市議会は新しい礼服を作る予算を計上しました。
1880年にノートン帝が崩御されると、帝都の市民は盛大な葬儀を行い、一万人もの人々が参列したそうです。
帝の墓標には、こう記されています。
「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰をも追放しなかった。彼と同じ称号をもつ者で、この点において彼以上の者はいなかった」と。
悲しむべきことに、帝の権威は帝都サンフランシスコに留まったため、
その魅力もサンフランシスコにしか及びませんでした。
しかし、帝都の市民が、帝に対して示した敬愛の念は、素晴らしいものでした。
帝の魅力は、この時代では優秀な部類に入るので、「79」とします。
27 :
世界@名無史さん:03/05/01 19:15
>>18 ジャンヌダルク
【統率】90
【武力】85
【知力】40
【政治】40
【魅力】100
28 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 19:33
ジョシュア・エイブラハム・ノートンの最終的な評価を発表します。
【統率】31
【武力】22
【知力】43
【政治】57
【魅力】79
統率力に欠けるため、指導者には向いていません。
米国=メキシコ二重帝国に君臨するには、荷が重すぎたというべきでしょう。
武力が低く、戦争を嫌い、平和を愛する性格から、軍人にも向きません。
凡人レベルの知力と、平均レベルの政治力を有しているので、
政治家としては、無能でも有能でもありません。
能力だけ見れば、インパクトに欠ける平凡な政治家です。
しかし、魅力はかなり高く、民衆の支持を得ることは出来ます。
それゆえ、さほど重要でない地方の総督か、対外宣伝を任せるべきでしょう。
>25
知力高すぎ。
痴力なら100でも依存無いが(何
>>28 ネタ系人物だから、ネタで返されると思ってました。
真面目に答えてくれる人がいるとは思わなかった。
心からありがとうを言います。
やっぱ魅力は高いですよね。こういう変な人物大好き(w
国家を数値化するスレで、彼の治世のアメリカを数値化してたりします(こっちは完全にネタ扱い(w)
あ、ネタにマジレスつー意味じゃないので、念のため。
ちゃんと皇帝として扱ってる点が特にうれすぃ。
シモン・ボリバルをリクエストするっす
33 :
世界@名無史さん:03/05/01 22:26
>>21,16
私だったら
【統率】始皇帝
【武力】アレクサンドロス
【知力】カエサル
【政治】オクタヴィアヌス
【魅力】サラディン
だな。個人的な理想も混じるが。
始皇帝の作った組織のカエサル的運用による統治、でもって細部は
オクタヴィアヌス担当というのが最良だと思う。
象徴君主orカリスマは、ある程度品行方正な人格者が求められるので、
むしろサラディン向きかと。安心出来る。
軍の総司令官は、明確な負けがないという理由でアレクサンドロスを推す。
『永遠の青』サソに負けていられない!
サラディン(サッラーフ・アッディーン) 本名ユースフ
1138(1137?)〜1193
アイユーブ朝の創始者。クルドの英雄。
バクダッド北方の街タクリートにて、セルジューク朝の代官、彼の誕生直後シリアの
ザンギー朝の軍団長となったアイユーブの四男として生まれた。
1152、成人した少年サラディンは叔父のシールクーフを頼り、シールクーフの主人、
父ザンギーよりスルタン位を受け継いだヌール・アッディーン(位1146〜1174)に仕官する。
このスルタンは、いつもサラディンを側に置き、彼の意見を聞かなければ何も決断しない
というほど入れ込んだ。
1163、エジプトのファーティマ朝の宰相シャーワルが政争に敗れ、ヌールに助けを
求めると、ヌールは翌年にシールクーフにサラディンを付け、エジプトに介入する。
シャーワルの背信により、イェルサレム”十字軍”王国のアモーリーと3度争いつつ、
1169、遂にシールクーフはエジプトを奪還し、ファーティマ朝の宰相に任命される。
が、その二ヶ月後にシールクーフは肥満が原因で没す。
後継者として任命されたサラディンは禁欲生活に入るとともに、イクター(封建)制
などの改革、旧勢力の一掃を推し進め、1171年ファーティマ朝カリフ アーディトの
死を確信すると、アッバース朝の名に(勝手に)おいてアイユーブ朝を創設する。
しかし、ヌールに、一介の武将でしかないサラディンの新王朝設立という非常識から
不信を買ってしまう。が、あわや武力衝突かというところで、ヌールは急死してしまう。
サラディンはヌールの死を確認すると、たちまちザンギー朝を無血の内に下してしまう。
エジプト=シリア連合を作り上げたサラディンは、1187ついに十字軍に対するジハード
を宣言し、ヒッティーンを皮切りに、”十字軍”王国を次々下し、とうとうイェルサレム
を奪還する。なお、イェルサレム陥落時サラディンは、将兵に一切の復讐を許さなかった。
この”悪魔”サラディンの活躍に対し、獅子心王リチャード一世をはじめとする西欧
諸侯は1192に第三回十字軍遠征を開始する。
両者共に味方に足を引っ張られつつも激戦を繰り返し、サラディンはアルスフでリチャード
に撃退されて以降、後方の海岸線を絶つことに専念する。
翌年リチャードと友情と共に休戦協定を結び、一部の領土を譲る。
二人は再び相まみえることを誓ったが、1193高熱を出し、そのまま「コーラン」を聞き
ながら没した。
清貧を旨とし、惜しみなく施しをした彼の財産は、末期の時はわずか金貨一枚 銀貨
四十七枚と、庶民レベルの葬式すら出来ないほどしか残っていなかった。もっとも
生前に、土地も含め莫大な財産がすでに十八人の子供達に分配してあったのはご愛敬。
数多くの逸話が、その人間的魅力と共に伝えられているが、それがエピソードによって
語られる類のものであることから、その魅力は彼自身が努力して作り上げてきたと解る。
また、事実を丹念に追っていくと、意外な腹黒さもほの見える。(ヌール死後のシリア併合
はその端的なものだ)
”十字軍”王国という異民族の驚異を正しく認識し、そのために全ムスリムの連合を
想起するが、十分な理解はされなかった。
もし彼の存在無くば、”十字軍”王国は少なくともモンゴル襲来時まで存続し、下手
すれはモンゴルやオスマントルコに支配者層として固定されてしまったかもしれない。
【統率】66(旧勢力を一掃し、将兵の暴走を防げたが、たびたび反乱を起こされている)
【武力】81(不敗と怖れられるほどであったが、第二次エジプト遠征とアルスフで敗北
し、また、攻城戦を嫌っていたという)
【知力】100(確かな政治ビジョン、戦略眼、持続する強い意志、そしてムスリム国家の
あるべき姿をしっかりとイメージできた。カエサルが天与の智才ならば、
彼はひたすらに正統の道を歩む賢人である)
【政治】62(様々な改革を実行したが、やり残しが多い。他王朝との連衡も失敗)
【魅力】93(今更語るまでもないが、身内に足を引っ張られることが多く、その理想に
他人を共鳴させきれなかったので減点)
ずらずらと長くなってしまった。申し訳ない。
後、前スレにラクシュミー・バーイーの評が貼ってあった。注目!
38 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/01 23:51
>>37 なるほど。サラディンが英雄だったのに、
彼の作ったアイユーブ朝が内紛続きのしょぼい国だったのには、
こういうわけがあったのですね。
確かに、知力が高くて、統率力と政治力がイマイチの「英雄」が国のトップになると、
どうしても個人商店みたいな国になって、
「英雄」が死んでからは、国威が振るわなくなってしまいますね。
長い間、サラディンとバイバルスのどちらが有能なのか悩んでいましたが、
これで答えがはっきり出ました。
バイバルスの方が上です。
39 :
世界@名無史さん:03/05/02 00:24
>>16,21,33
チョト地味だけど
【統率】鄭和
【武力】ジェラルウッディン
【知力】チャーチル
【政治】アショカ
【魅力】エリザベス1世
本国はアショカの善政で安泰の中、女王の名の下に組織された遠征軍。総督に約されたチャーチル卿は艦隊司令長官の鄭和と共に旗艦の前に広がる未知の大陸に思いを馳せる。眼下には既にジェラルウッディンの陸戦隊が。
>>38 『永遠の青』さん
>どうしても個人商店みたいな国になって
ンマイ言い回しですな。
あと、個人的な考えを並べてしまうことになるのでので割愛しておきましたが、結構
サラディンも戦続きでエジプトを疲弊させました。リチャード=暴君、サラディン=名君
と単純にくくって欲しくないものです。両者共に当時の理想とされた騎士、君主像を
忠実に体現しただけなのですから。
ただ、中世ヨーロッパ人の感性は現代人から遠く、むしろ当時のアラブ人のほうが
我々の考えに近かっただけなのです。
リチャードだって勝ちさえすれば、シリアから得られる富は侮れないものがあります
から、馬鹿げた戦費調達すらも十分元が取れるものだったと思います。
ヨーロッパ全体の利益を考えれば、僻外の繁栄している土地の確保というのは
とても価値があるものでしょう。(そこまで考えていたかどうかは藪の中ですが)
良き好敵手を得たが故に後世の批判を浴びることとなるとは、皮肉なものです。
今のブッシュはまだ大統領やっているので数値化できないので、どなたかパパブッシュの方を数値化して頂けませんか?
>41
カーターという先例があるので死ぬまでは数値化しても無意味かと。
43 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/02 21:14
>>41 私は、現在生存している人物の評伝は、書かない事にしています。
死亡するまでに、表舞台に返り咲く可能性、
黒幕として復活する可能性が残っているからです。
>皆さん
現在、世界史上で最も高潔であったと信じる政治家の評伝に着手しています。
しかし、その偉大な業績にも関わらず、日本ではほとんど紹介されていないため、
資料収集に苦労しています。
何しろ、フルネームと生没年すら、未だに分からないのです。
彼の出身国の大使館に、問い合わせることも考えています。
20世紀最大の万能の天才の影に隠れた感があり、
日本での知名度は、ゼロに等しい政治家ですが、
「これほど偉大な政治家が、世界史上に存在したことが、知られていないのは残念だ」との思いが、
私の執筆意欲をかきたてています。
評伝が書けるまで、一ヶ月ほどかかりそうです。
それまで楽しみにお待ちください。
>43 永遠の青 殿
うう、首を長くして楽しみにしてます(ワクワク
ついでに
ミトリダテスたん(;´Д`)ハァハァ
とか言ってみるテスト
>>43 期待して待っています。
しかし、誰だろう?少し考えたけれど、想像がつかない……。
>20世紀最大の万能の天才の影に隠れた感があり、日本での知名度は、ゼロに等しい政治家
このヒントだけでは、どうにも。
評伝が出てくるのを、楽しみにしています。
46 :
世界@名無史さん:03/05/03 02:26
ムハンマドはどれくらいですか?
項羽はどれくらいですか?
ジャンヌ・ダルクが異常に数値高いのはネタか?
と、マジレスしてみる。
49 :
世界@名無史さん:03/05/03 11:42
韓信とハンニバルは軍才に関してはどちらが上?
>49
ハンニバル・レクター
51 :
世界@名無史さん:03/05/03 16:38
多分、未評価と思われる大物。
オットー・フォン・ビスマルク(1815-98)
【統率】85(ドイツ帝国の初代宰相として国家建設に尽力した)
【武力】66(戦術能力は未知数だが、戦略は高い。若い頃の武勇伝を加算)
【知力】95(ほとんど完璧に近いが、後継者を育成し損ね、それが第一次大戦に繋がっているので減点)
【政治】96(内政・外交ともに超一流。ドイツ統一後、金融政策での失敗がロシアの離反を招いた一因になったので減点)
【魅力】91(調べてみると面白いエピソードが多い。愛妻家で知られ、警句を発し、社交界でも人気があった)
プロイセン王国のユンカーの家に生まれる。若い頃は決闘騒ぎばかり起こす問題学生だった。
幾度か仕官を試みるも長続きせず、議員として政治家から外交官への道を選ぶことになる。
1862年、駐フランス大使だった彼は、当時議会と対立していた国王ヴィルヘルム一世に
よって首相に任命され、懸案だった憲法問題を棚上げするとほぼ同時に「鉄血演説」を行う。
こうして彼はドイツ統一への道を歩き始め、デンマーク戦争を皮切りに普墺戦争、普仏戦争に
勝利を収め、1871年にドイツ帝国を建国、ヴィルヘルム一世を皇帝にする。
建国後はフランスの復讐を恐れて各国と同盟・協力関係を結び、
二度のベルリン会議を開くなど、一転してヨーロッパの平和を維持することにつとめる。
内政的には、共産主義者を弾圧しながらも社会保険政策などで労働者の不満に対応、
「アメとムチ」政策として知られる。
だが、ヴィルヘルム一世が死ぬと孫の二世と対立、1890年に宰相を辞めさせられた。
(続く)
52 :
世界@名無史さん:03/05/03 16:40
(続き)
時代の限界なども考慮すると、個人としては最高水準の能力の持ち主。
ただ、後継者の選択・育成に失敗して、引退後の政策転換を許したのは痛かった。
その後のドイツ史を見ると特に・・・。
それが最大の減点材料。
政策面での減点材料である金融政策の失敗については、ビスマルク外交スレ参照。
余談だが、個人的に、一番好きな彼のエピソードはこれ。
フランス産のシャンパンばかりを飲むビスマルクに、ある宴会の席で、皇帝が訊いた。
「ビスマルク、君は愛国者なのだろう。ならばなぜドイツ産のものを飲まないんだ?」
「恐れながら陛下、愛国心と舌は別物でございます」
キムチラーメン食べようが輸入肉のステーキ食べようがフランスワイン飲もうが、
愛国者は愛国者なのである。
東郷平八郎(日本)
ホレイショー・ネルソン(イギリス)
デ・ロイテル(オランダ)
李舜臣(韓国)
チェスター・ウイリアム・ニミッツ(アメリカ)
周喩公謹(中国)
水軍、海軍提督で強い順に並べて、できれば数値化して欲しいです。
無論、上記以外の海軍、水軍提督を列挙しても構いません。
徳川家康って政治そんなに高いか?
無論、徳川300年の礎を築いた実績がある以上、低いとは思ってない。
だけど、個人的にはど〜も織田信長と武田信玄の模倣というイメージがあるんだよな〜
55 :
世界@名無史さん:03/05/03 18:15
>>49 非常に興味深い。
生きてた時代がほとんど重なるんだよな、この二人って
韓信:94 ハンニバル:95
頼れる仲間がまったくいなかったにもかかわらず戦い続けた
ハンニバルに軍配をあげたい。だめ?
>>54 世界史的に見ても高いと思われ。
自分は、過去に政治の項目では李世民と同様の95(超人的能力)を与えています。
(カエサルとオクタヴィアヌスを99と仮定しての判定)
外交調略も優れていますが、ことに内政については超人的です。
徳川家康の政治は、織田信長や豊臣秀吉の模倣ではなく、鎌倉幕府のリファインです。
すぐ近くに大きな影響力を持っていた二人の政治家が居たにもかかわらず、そちらは採用しませんでした。
劣っている政治を反面教師にすることは、いっぱしの政治家なら誰にでも出来ますが。
優れた政治を見てなおその模倣をしないというのは、並の政治家に出来る業ではありません。
57 :
世界@名無史さん:03/05/03 19:09
個人的に軍才は瓦解前の項羽戦にも勝っている分、
僅かに韓信で、人間としてはハンニバルの方が上
という感じがする。
どっちも疎んじられる末路だったのはその才覚の故?
大スキピオは後発の旨みが感じられる分だけこの二人より
僅かに下というイメージがある。
アレクサンドロスは個人的にはあまり詳しくは分からない。
知っている範囲で語るとイッソスの戦いだけなら
ダレイオスよりも能力的に大きく上回ると思われる符堅
ですらダレイオスと同じような編成の大軍で、やはり撤退
を原因として謝玄・謝石の少数精鋭に敗れている。従って
イッソスだけを以って空前絶後の将とすることはできない
だろう。しかし、ハンニバルが自分の上位としているの
だからやはり何かハンニバルを凌駕するものがあるの
だろう。とすればそれは何なのだろう?その辺も教えて
くれると有難いです。
58 :
世界@名無史さん:03/05/03 19:09
>>56 別スレみて、あんたが特定の時代・地域について偏見を持ってることは解った。
もうこなくていい。
ハン板に帰れ。
59 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/03 20:52
>「ど」の字さん
>しかし、誰だろう?少し考えたけれど、想像がつかない……。
20世紀に、ただ一人だけいるではありませんか。
天才的な指導者であり、圧倒的な敵軍を相手に、
世界史の奇跡と言って良い奮戦を続け、自国の未来を見据えた戦略を練り、
傑出した政治能力で第二次世界大戦後の自国を、現在に至るまで良い方向に導いた人物が。
指導者と将帥の才を兼ねた、20世紀ただ一人の英雄が。
よく考えてみてください。
>例の170 ◆vBOFA0jTOgさん
今のところ、ミトリダテスの評伝を書く予定はありません。
どうも、彼のような「典型的な英雄」は、書いていても面白くないのです。
「英雄になれなかった人物」や、「英雄の影に隠れた人物」の方が、
執筆意欲をかきたてるのです。
>>58 「ど」の字氏は朝鮮系の人間もしかるべき人間は良い評価してきたと思うが。
62 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/03 21:05
>>46 ムハンマドの生涯については、それほど詳しくないので、
厳密な考察が出来そうにはありません。
しかし、統率力と知力と魅力は間違いなく、90を超えているでしょう。
インフレと言われるかも知れませんが、あれだけの大帝国の始祖であり、
世界宗教の教祖も兼ねる人物なら、それぐらいあってしかるべきです。
>>47 項羽は、武力と魅力が高く、統率力・知力・政治力が極端に低いと思われます。
武力の高さについては、言うまでもないでしょう。
一度はあの韓信の直率軍すら、潰走にさせているのですから、
漢楚抗争期において、彼の武力は最高レベルです。
魅力については、ライバル劉邦の腹心陳平が「気骨ある人物はみんな項羽の下に仕えてしまう」と評し、
韓信は「項羽は部下に対する愛情が厚い」と評しています。
結局は使い切れませんでしたが、配下に多くの人材を集めました。
彼が敗北したのは、統率力の低さゆえに優れた部下を生かし切れず、
知力の低さゆえに判断ミスを重ね、
政治力の低さゆえに外交・宣伝において劉邦に後れをとったからでしょう。
>>58 最初から自分の発言を読んでから言ってもらいたい。
自分の「金春秋」「李舜臣」「朴正煕」の評価、見ていればそんな言葉は言わないはず。
今、問題にしなくて、いつ問題にするんだ?
日本に対して酷いことをしている相手におべっかを使うことが、真の友好への道か?
確かに、自分の発言は怒りのままに酷いことを言った場面もあった。
だが、彼らはそこまで言われ、そこまで行動されねば変わるまい。残念ながら。
オブラートに包んだような言葉遣いが、何の役に立つ?
あなたは、彼ら朝鮮民族には 変 わ ら な く て 良 い と思ってるのか?
激しい言葉を否定するあなたに、この言葉を贈ろう。
「巧言令色、鮮し仁(耳当たりの良い言葉ばかり使う人間に、いたわりの心は期待できない)」
巧言令色、鮮いかな銀。
65 :
世界@名無史さん:03/05/03 22:08
66 :
世界@名無史さん:03/05/03 22:53
>199 名前:「ど」の字 投稿日:03/05/03 13:03
> 偉かったのは当時の支那にあった政権だよ。
> ただの通り道だった半島が偉かったわけじゃない。
> 半島で、支那の文化が熟成された例があったか?
>234 名前:「ど」の字 投稿日:03/05/03 18:47
>
>>231 >「奴ら」だったら、木の叉だろうがサルマタだろうが、生まれてきて不思議じゃない。
> 酷い事を言っているような気もせんでもないが、そう思う。
> 韓国の地下鉄火災の後の死者捏造を見ても、家庭の情があるかどうかも怪しい。
> 北朝鮮の脱北者も、家族を捨てることについては似たようなものだ。
> これらのことが冗談だったらよかったのに。想像するだに寒過ぎる。
春厨のネタスレに本気で腹を立てこんなことを書き込める心性が理解できん。
酷いことを言った場面もあった? 何間違えてんだよ、
「いっけなーい、思わず本音言っちゃった、てへっ」だろ、あんたの本音はよ。
これがあんたの言う真の友好への道って奴かね?
キムチュンにイスンにパクチョン評価してるからって偏見が無いってか?おめでてーな。
典型的な廊下論展開してる奴が何ほざいてやがる。
あんたはフタラノスケ大先生とおんなじ、自称韓国好きの嫌韓厨にすぎん。
おっとっと、俺も怒りに任せて酷いこといっちゃったあ、てへっ。
もちろんこのカキコはあんたに変わってほしいから書いてるんだってことは当然理解できるよな。
ほら、巧言令色鮮し仁ってやつよ。
>>66 口喧嘩をするなら他所でやった方がいいさね。
とりあえずここでは止めとこうよ。
せっかく、面白いスレに育ったんだし。
ただ、そちらはこっちに罵声しか浴びせていないな。
以下の疑義に対してだけは、ぜひここで答えてくれないか?
>今、問題にしなくて、いつ問題にするんだ?
日本に対して酷いことをしている相手におべっかを使うことが、真の友好への道か?
確かに、自分の発言は怒りのままに酷いことを言った場面もあった。
だが、彼らはそこまで言われ、そこまで行動されねば変わるまい。残念ながら。
オブラートに包んだような言葉遣いが、何の役に立つ?
68 :
世界@名無史さん:03/05/03 23:20
をら、荒らすなら荒らせ、をらをらをら。
これが例のコテハン叩きでつか・・・。
>>59 永遠の青サソ
うっくっくっくっく、やっぱり自分でやるしかないですか・・・。
ちなみに、私はリチャードやミトリダテスのような「異様な英雄」に引きつけられます。
それと、その人物が誰かは、もう一切考えません。億が一分かったら面白くありませんし(w
72 :
世界@名無史さん:03/05/03 23:33
>>65 そのスレとここでは「統率」の意味合いが違うのでは。
そこでは統率は戦術指揮能力の意味だが
このスレではそれは武力になるんだろう。
73 :
世界@名無史さん:03/05/03 23:34
>>58=66
うぜえ。「ど」の字氏が別板、スレでどんな発言をしようが
このスレでは冷静に評価しようと努めているし、このスレのかなりの部分において
貢献している。
てめえのような関係ない方面から難癖つけるような野郎のほうが迷惑だ。
とっとと失せろ。
>「ど」の字
コテハン叩きに加担するつもりは無いが、正直、
>>66見てちょっとガッカリした。
このスレの最大の功労者だと思ってたのに…。
76 :
世界@名無史さん:03/05/03 23:37
やれやれー、もっとやってまえー!!
>74が「ど」の字で>75が>58だったら笑うな。
…てゆーか、笑うに笑えねえよ…。
せっかくの良スレが…。
78 :
世界@名無史さん:03/05/03 23:46
周瑜の評価やってくり
79 :
世界@名無史さん:03/05/04 00:05
82 :
世界@名無史さん:03/05/04 02:03
おい、誰か成り上がり物の能力値出してくれ
バシレイオス1世とか
83 :
世界@名無史さん:03/05/04 02:09
さて、では予定していた指導者に対しての論評をしていきます。
今回は、業績に比べると非常に歴史家の評価が低い、『純粋』という言葉が相応しいローマ皇帝を扱わせていただきます。
【ティベリウス・クラウディウス・ネロ】 B.C.41〜A.D.37 在位A.D.14〜37
【統率】85(ゲルマニアの地を転戦して、軍のコントロールを損ないませんでした。民生統率も秀逸)
【武力】89(直接指揮も秀逸だが、戦略に素晴らしい冴えを見せます。カエサル同様、ゲルマンの地の特殊性を看破)
【知力】84(教養は非常に高く、事務処理能力にも文句は無いですが、演ずることが不得手かつ嫌いな人物でした)
【政治】50(当時のローマに必要とされることを良く認識し黙々と行いましたが、人間的な説得工作をする力量はなかったようです)
【魅力】24(兵士には好評でしたが、緊縮財政を採り国民向けの政策を執らなかったので人気が無く、史家にも激しく叩かれました)
オクタヴィアヌスが妻にしたリヴィアの連れ子。血筋的には名門クラウディウス一門に連なります。
オクタヴィアヌスによって、産まれたばかりの弟ドゥルーススと共に引き取られて育てらました。
若い頃は、養父アウグストゥスを蔑ろにする元老院に対してかなり怒っていたようです(手紙が残っています)。
長じて、弟ドゥルーススと共にアウグストゥスにとって欠くことの出来ない将軍となり、ゲルマニアで奮闘します。
しかしティベリウスとアウグストゥスの関係は、アウグストゥスの親友にして右腕のアグリッパの死をきっかけに悪化を始めます。
妻と離縁させられアグリッパの未亡人となったアウグストゥスの娘ユリアと再婚させられたことが、その具体的な顕れです。
その後、ティベリウスはアウグストゥスとゲルマニア戦線の進め方について意見を異にして、不興を買ってしまいます。
意見具申が容れられなくなったティベリウスは、B.C.6年ついに逃げ出すようにロードス島で隠棲します。
(この項続く)
(つづき)
A.D.4年、自分の血を引く後継者の全てに死なれたアウグストゥスとの話し合いで、養子縁組と共に後継者指名されました。
その後はゲルマニア制覇行を継続するが、度々起こった大規模な反乱によって幾度も中断されます。
(最も痛かったのが、ヴァルスの政策的失敗によって、その率いる3個軍団が反乱で壊滅したテウトブルグ森の敗戦でありました)
ティベリウス自身はB.C.13年にローマに呼び戻され、以降は軍事の一線から退いて政治を担当することになります。
アウグストゥスの死後は、慎重に慎重を重ねて元老院の承認を得て、ローマの第一人者に就任。
(遺書で消去法的後継選出であることを暴露され恥を掻きもしましたが、腐らず対元老院親和に努めました)
近年の研究では、対ゲルマニア戦線からの秘密裏な撤退の決定と実行もアウグストゥスの命ではなく彼の一存によるようです。
それ以降は、それまでの戦役継続で疲弊した国庫を潤すために緊縮財政を採用し、国民の不評を受けることとなりました。
また、質の低下著しい元老院に対する歯に衣着せぬ言動で、元老院階級の不評も買ってしまいます。
どうもティベリウスという人物は、自分を理解したくない人物に理解してもらうべく労をとる人では無かったようです。
やがて彼は、大アグリッピーナの野望の影響で険悪になりつつあった家庭や真剣味の欠けた元老院のあるローマを離れます。
(この項まだつづく)
(つづき)
カプリに政治執務の場所を移したA.D.27年以降、ローマでの政策は、近衛軍団長のセイアヌスに一任されることとなりました。
しかしこの人物は、アグリッピーナ一党を破滅させた後、政策遂行の手足であることを越え、ティベリウスに粛清されてしまいます。
A.D.31年のセイアヌス破滅以降は、彼はほとんど一人で国家政策策定を切り回すこととなりました。
(後にキリスト教の象徴とされるイエスが、ユダヤの地で殺されたのもこの頃です)
A.D.36年頃から老衰のため病を得、37年3月避寒の地であったミセーノの別荘で死去。暗殺とも老衰死とも説があります。
(タキトゥスは枕で窒息させられての暗殺説を、プリニウスは自然死説をそれぞれ採っています)
死の前に、ガイウス・ロリウス・カエサル(俗に言うカリグラ帝)を後継者として指名していました。
ローマという共同体のために粉骨砕身して働いたにもかかわらず、その評判は生前死後ともに散々な皇帝でありました。
首都ローマの市民はその死を歓呼で迎え、当代や後世の歴史家にも厳しく断罪されています。
その業績は、考古学発展と原典解読によって、ようやく現代になって光が当たりました。
例えば、ドナウ河とライン河を結ぶローマの北方防衛線を整備したのは、この皇帝の功績であります。
>永遠の青さん
その20世紀の英雄は、ようやく想起しましたが。
しかし、あなたが書こうとしている指導者のことは、とんと思いつきません。
自前の乏しい脳味噌を絞るより、あなたの筆を待ちたく思います。
>この板に集う歴史好きの皆さんへ
板を汚し、申し訳ありません。
元はサッカー板住人なのですが、W杯がきっかけでハン板にも出入りしているのです。
ハングル板では、売り言葉に買い言葉での遣り取りをしていたりもするのですが。
ここで同じように話すのは、正直醜い行動でした。反省します。
89 :
世界@名無史さん:03/05/04 03:18
ケマル・アタチュルク キヴォンヌ
>>88 気にするな。
ただ、一言言えば「流す」ということを覚えてもらいたい。
レスに対しても、スレに対しても。
58は確かに下種野郎だが、
「ネタスレに本気で腹を立てる神経が理解できない」
という部分だけは正鵠を得ているし個人的にも禿同だ。
理不尽に思うかもしれないが、
ハングル板の信じる正義に直情的に突っ走ることは、
世界史板では正しいこととはされないんだ。わかってくれ。
さあ、もうこの話は終わらそう。
これからもまたおもしろいレスをつけてくれ。
そうすれば俺は十分だし、皆も判ってくれるさ。
91 :
世界@名無史さん:03/05/04 04:03
>>43 「20世紀」で、ですか?
この板にまだ書かれていないというならばともかく、知られていないとまで断じられる人物が
20世紀の指導者中にいるのでしょうか・・・ちょっと信じられません。
92 :
サマーソニック:03/05/04 04:58
どの国か位、ヒントをくれよ。
無茶苦茶気になります。
>>83の仰るとおりマンネルハイムっぽいが…どうなんだろう
>>78 私的には、
周瑜
【統率】79(怪我を押して軍営を謁見するなど、統率を表す逸話は数々。)
【武力】84(赤壁戦や、曹仁戦で大活躍。 三国志でも屈指だろう。)
【知力】66(戦略眼は持っていたが、戦術面では奇策を縦横するんじゃなく、正統派の軍人であった。)
【政治】71(20代で数郡を一人で統治して破綻を見せていない。)
【魅力】80(美男子であり、度量も広かった。)
こんな感じです。 私は甘めの評価ですが。
>>2式では、
統率=優秀 武力=一級 知力=まあまあ 政治=優秀 魅力=一級 と全体的に優秀です。
>>93 フィンランドにはマンネルハイムの陰に隠れてたが
パーシキヴィーという凄いやり手もいるでよ。
この人じゃないの?
96 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/04 22:55
ムハンマド(マホメット)
預言者。イスラーム創始者。アッラーの使徒。
570商人の街メッカのクライシュ族、ハーシム家に生まれる。
彼が生まれた時にすでに父は亡く、母もムハンマドが6歳の時に死んだため、ハーシム家の家長
アブー・ターリブに引き取られる。
25歳になって富裕な未亡人ハディーシャに見込まれ、二人は結婚する。
こうして幸せを得たムハンマドだが、彼は皆の精神の堕落や貧者など、世の矛盾に思い悩み、
毎年ラマダーン月には、メッカにほど近いヒラー山にて瞑想と貧者への施しを続け、40歳の時、
いよいよ瞑想中にかの有名な大天使ガブリールの啓示を受ける。始めはジン(精霊)の惑わしか
と怖れに震えていたが、妻の励ましによりそれを真実と信じ、そして以後生涯に渡って啓示を
受け続ける。
4年後にメッカの内外で伝道を始め、人々の退廃を撃ち、唯一神アッラーへの服従を説く。
始めはただ嘲笑していただけのメッカの人々も、後の初代カリフ アブー・バクルなど、次第に
ムハンマドへ従う人が増えるのに従い、彼らを迫害するようになる。そして619愛妻ハディーシャ
と後ろ盾のアブー・ターリブが相次いで亡くなり、迫害が耐えがたくなると、622メディナ(旧名
ヤスリブ)の人々に誘われ、そこに信徒と共に移る(ヒジュラ)。イスラーム(ヒジュラ)暦は西暦で
いうこの年の七月十六日を、紀元年一月一日とする。
メディナに移ったムハンマドは、ユダヤ教徒との思想的対決などにより、イスラームとウンマ
(イスラーム共同体)を具体化させてゆき、メディナにおける地位を確固たるものとする。また、
アブー・バクルの娘、アーイシャと結婚したのもこの時期である。
そして遂に、624バドル水場の戦いを皮切りにメッカに反攻を開始し、遊牧民の協力も得て628に
メッカを下した。彼は復讐のための屠殺や略奪の代わりに、カーバ神殿の神々の像をことごとく
打ち壊した。
ムハンマドとイスラーム、アッラーの名声はアラビア半島に響き渡り、諸部族は次々と彼に服し、
イスラームに改宗し始める。
が、彼の体力の衰えはすでに限界に達し、632にアーイシャの腕の中で静かに息を引き取った。
97 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/04 22:56
彼の創始したイスラームについては、今更語ることは多くありませんが、イスラームは宗教であり
ながら、社会体制であり、国家概念でもあります。そのため、彼には宗教と社会制度の両方の
創始者という、二つの偉大な業績があります。もっとも、建国帝の名誉は、アブー・バクルにこそ
帰せられるべきでしょうが。
また、ユダヤ教とキリスト教、二つの宗教の問題点も理解していました。
さらに宗教者でありながら、武人としても活躍したという希有な人でもあります。
彼は、社会問題に対し、決して心の問題に逃げたりせず、物心両面から人々を救おうとした偉大
な人物です。その点で、彼の偉大さは何重にも讃えられるものです。
【統率】90(イスラームによって人々を纏めたが、妻たちの諍いに悩まされていたとか何とか)
【武力】85(数で劣る戦いに次々勝利)
【知力】95(ガブリールの啓示を疑ることのできる自省心の持ち主。幾多の妥協への誘惑を退
けた。そしてイスラームという偉大な宗教かつ社会制度の確立者である)
【政治】88(イスラームとウンマにより、自分の理想を見事具現化させた。ハディーシャに見込ま
れたのも、人柄のみであったとも思えない。周辺勢力へのアピールも忘れない。ただ、
死後のことをアブー・バクルに丸投げすることになったのは減点材料)
【魅力】98 (619にターイブの街で石もて追い払われた。敵も多し。それと、その名声には武勲に
因るところも少なからずあるだろう。もっとも、世界史上屈指の魅力的な人物である
ことは疑いようもないが)
>>46および皆さん、いかがですか?
>>94 ご苦労様です。
三国志演義では諸葛孔明の脇役的役どころですが、実質対魏の総司令官でしたものね。
能力的には納得です。
>>97 お疲れ様でした。
現代のいささか西洋中心的な歴史では、なかなか詳細に語られることの無い人ですよね。
勉強になりました。
さて、そろそろセプティミウス・セヴェルス帝の考察に入りますか……。
シャルルバーニュの能力おながいしまつ。。
100 :
世界@名無史さん:03/05/05 21:12
100
では私も。
日本史において個人的に最も尊敬している人の評価をさせて頂きます。
----------------
勝安芳(1823-1899)(義邦、鱗太郎、号海舟)
江戸幕府の陸軍総裁、安房守。明治政府の海軍卿、枢密顧問官、正二位勲一等伯爵)
最下級の御家人勝惟寅(小吉)の嫡子として生まれる。
幼少より利発で、縁あって一橋家嫡子初之丞(将軍家慶15男)の学友になるが初之丞の早死によりこの方面での出世は挫折。
剣術は直心影流の島田虎之助と男谷精一郎に学び皆伝を受け、二人の名代として藩邸へ代稽古へ出向くこともあった。ただ、生涯人を斬った事はない(刀を無意識に抜きかけたことはあったが、その後鞘と鍔をこよりで結んで抜けないようにした)。
蘭学は筑前藩士永井青崖、後佐久間象山に学ぶ。オランダ語の貴重な辞書を全部書写するなどの逸話を残す(二部書写し、一部は30両で売ったそうな)。
幕臣大久保一翁(後親友となる)に見出されて抜擢され、長崎海軍伝習所設立に尽力。この頃薩摩島津家との縁ができる。
咸臨丸艦長として太平洋を横断。固陋な幕府に見切りをつけたのとこの時らしい。
その後軍艦奉行、陸軍奉行(各中将と同官扱い)を歴任。周囲の門閥に足を引っ張られつつ、対外国・対薩長交渉の火消し役として奔走する。
鳥羽伏見戦の後陸軍総裁(陸軍元帥と同官扱い)。フランス系軍事顧問の解雇、イギリス公使パークスとの交渉等を経て新政府に圧力をかけ、江戸武力攻撃を断念させる。
明治政府となってからは海軍卿、枢密顧問官を歴任。西南戦争時には旧幕臣を抑え、中立勢力として一兵の参戦もさせなかった。
大久保利通、伊藤博文らからは非常な尊崇を受け、政策外交面で助言することが多々あった。
1898年、旧主徳川慶喜の参内拝謁を実現させ、翌年一月77歳で死去。
能力値
【統率】85(家格が低いので苦労したが、混乱の極みにあった幕府中枢や江戸のコントロールを失わなかった手腕は見事)
【武力】75(実戦指揮の経験はないが、江戸防御戦の構想は後に大村益次郎を驚愕させている。また、新政府軍の行動をほとんど読み切っていた)
【知力】100(幕末、いや日本史上において最も切れる頭脳と先見の明を持っていた人ではあるまいか)
【政治】90(外交能力は超一流。政治についても一家言持っており、何より戦争と出血、混乱が最小限で回避され明治政府がまともに船出したのは彼の功績だろう)
【魅力】75(弟子や友人には優秀な人間が多く、人を惹き付ける魅力はあった。反面辛辣で批判するにあたり容赦がないので、守旧派や反対者には毛嫌いされた)
高過ぎと思う方もいるかもしれません。
しかし幕末から明治への流れを、あの無血革命に近い推移で貫徹させたのは海舟の功績だと考えます。
彼は一部の同志のみの理解のもと、幕臣からは裏切り者扱いされ、主君慶喜からは嫌われ、それでも無血倒幕こそ日本が生き延びる唯一の道だと信じて行動しました。
彼を本当に理解していたのは同時代では大久保利通ただ一人だったことでしょう。(大久保一翁、山岡鉄舟、坂本龍馬あたりは部分的に理解していたものかと)。
維新後も西南戦争の混乱を最小限に食い止め、日清戦争の勝利でアジア軽視に傾く日本人に警鐘を鳴らし続けました。
しかも彼の場合、歴史の中の自らの痕跡を消すことに情熱を傾けていたらしく、その手記や口述は潤色に満ちていると言います(特に西郷、坂本のくだり)。
西郷などは勝をいずれ政府中枢に迎えるべきだと考えていたらしいのですが、それが実現していれば歴史は一体どう動いたのでしょうか。
いずれにせよ維新期においては抜きんでた傑物であり、日本史上においても稀な偉大な政治家でしょう。
103 :
世界@名無史さん:03/05/06 17:13
104 :
世界@名無史さん:03/05/06 17:29
だからさ、最大値が100なわけだから最も秀でた者を基準にしなきゃ意味ないっしょ。
××に比べて□□は劣っているから○という数値にする、と決めなきゃ話にならないと思うんだよね。
勝が偉大なる政治家だというのは否定しないが、評価が高すぎる。
ここが日本史の人物を数値化するスレならそれで構わないが、
此処の対象は世界史レベルなんだな、これが。
滓潰臭
その時代その時代で世界の広さも違うからな。
カエサルが海舟より格段に優れていたという証明も、その逆もできはしないよ。
まあ、海舟が日本史上では稀に見る政治家であるのは間違いないだろ。
せいぜいできるのは、各国No.1を決めることくらいでしょ。
109 :
世界@名無史さん:03/05/07 17:05
幕末の一大政治家といったら、勝より小栗だと思う。
110 :
「ど」の字:03/05/07 21:31
>>102 お疲れ様でした。
古代ローマで比較するなら、勝海舟は混乱による崩壊を未然に防いだヴェスパシアヌス帝に相当するのでしょうね。
ただ、交渉能力とバランスの取れた教養は、十分時代を越えて世界史的な力量です。
知力は100ほどあったとは思われません(自分の判定では徳川家康並みの85)。
ですが、政治は95あっておかしくありません(徳川家康・李世民と競る数字)。
成し遂げた功績で語られるのではなく、破壊と混乱と外冦を防いだ功績で語られる人物として、知名度は低いですが。
この人なかりせば、日本はまた違った不幸な道を歩いていたかもしれませんね。
111 :
世界@名無史さん:03/05/07 21:36
トルコの香具師も評価が見たいな。
>109
小栗忠順は確かに傑物でしたが、悲しいかな視野が狭すぎたと思います。
名門に生まれてしまった不幸なのでしょうが・・・。
>110
敬愛するが故に少々褒めすぎたきらいがあるとは思いますが、もっと評価されて良い人物かと思います。
彼と大久保利通は後世の評価が余りに低すぎる・・・。
次は「世界の薔薇」「西の北極星」「黄金の鷲」と呼ばれて敬われ、愛され、蔑まれ、恐れられたとある女性について書こうと思っています。
>>胸甲騎兵さん
小栗はたしかに徳川幕府のために尽力したけど、
ただ盲目的に仕えていたわけではないよ。
横須賀製鉄所を造営するときに、
「旗号に熨斗を染め出すも尚土蔵付き売家の栄誉を残すべし」
との言葉を残しているように、日本全体の事も視野にいれていた。
小栗は代々徳川家に仕えた旗本としての忠義を立てただけであって、
それを視野が狭いというのは少し違うと思う。
みなさんお久しぶりです。
>>109 官僚、軍人としての実務能力は、勝は小栗には敵わないでしょうね。
でも小栗の考えはあくまで幕権強化、勝は幕府主導を廃しての政治体制構築
や海軍論など、その後日本が歩んだ世界に類例の無い改革の成功を見ると、
先見性に於いては勝が断然勝っていたのではないでしょうか。
ただそれにしても時流がすでに倒幕に動いていたことや、
勝自身は指導的立場になく、政治に対しては外交や献策等の間接的な
コミットが殆どで、勝の先見性を生かせたのは慶喜の賢明さや薩長の
強い意志があってこそ、という意味で、功績の全てを勝に帰すことは
できないのではないでしょうか。
また無血開城が受け入れられない場合は江戸焦土作戦を考えたり、
優れた先見性はあっても日本の舵取りを任せる指導者としては
少々思考に問題がないとも言い切れません。
実質的に指導する立場に無かったことと、
日本の将来を考えても徳川家に忠誠を尽くすためには泥沼の戦乱に
しても構わないという思想の不徹底さ、
また一部の師弟以外にはあまり人気者じゃなかった
(葬式は元師弟ばかりの寂しいもの)点を勘案して、
僕的には勝評価、
>>102の方より少し低めになりそうです。
以前都合により一時この人物の名前をHNに持ったことがあるので、思わず一言だけ。
115 :
世界@名無史さん:03/05/08 00:39
>114
あ、それで「蘭太郎」でしたか(もじって)。
>>113 たしかに生き方の問題です。新撰組の場合と同じように。
ただ時流を考えると、その後幕府主導ではやっていけないのは
歴史的な視野でいえば常識で、
箱根の関を閉じて官軍皆殺しなど、大村益次郎のお墨付きなほど
小栗の作戦が優れていただけに、彼に任せていたら日本の未来には
マイナスの要素が強すぎます。
先見性という意味では、彼の生き方は時流が読めない近視眼、といわれても
仕方が無いのではないでしょうか。
優秀ではあってもそれはあくまで実務者として、という意味で
彼は河井継之助と同タイプの人物ではないですか。
>>116 山野さん久しぶりですね。
ええ、それに加えて梅、菊など植物の名前を冠したHNを、
場所に応じて使いまわしてます。
>>114 まあ、勝と小栗の先見性はわりと方向性が違うからね。
勝の先見性は政治体制的なものであって、実務的な先見性は
小栗にかなわなかった。(小栗の横須賀製鉄所起立に反対したり、
船は外国から買えばいいと言ったりと、実務的な事はいまいちだった)
小栗は、横須賀製鉄所起立や日本初の株式会社である「兵庫商社」設立に
尽力したり、廃藩置県を考えていたりその先見性はすばらしかったが、
慶喜を説得できなかったり、自身の最後をみるにそっち方面での
先見性?はいまいちだったな。
>>たしかに生き方の問題です。新撰組の場合と同じように。
>>ただ時流を考えると、その後幕府主導ではやっていけないのは
>>歴史的な視野でいえば常識で、
>>箱根の関を閉じて官軍皆殺しなど、大村益次郎のお墨付きなほど
>>小栗の作戦が優れていただけに、彼に任せていたら日本の未来には
>>マイナスの要素が強すぎます。
>>先見性という意味では、彼の生き方は時流が読めない近視眼、といわれても
>>仕方が無いのではないでしょうか。
これは、「父母が大病で回復の望みがなくてももしや治るかと、
最期まで医薬の手当をやめないのが子の心情だ」
と本人が言っているので、そういうのが分かってはいたんだろう。
勝と小栗について私見を述べさせていただきます。
勝は鳥羽伏見戦の後、陸軍総裁として事実上幕府の実権を掌握するまでは、どう見ても火消しとして都合よく起用されていただけと考えます。
このあたり、高級官僚としてある程度安定した地位で働けた名門出身の小栗とは差があります。
勝は小栗がフランスに頼りすぎた事を辛く評価していたようです。「小栗は蝦夷地をカタにフランスから借金するつもりだったらしいが、それでは清国の二の舞になるところだった」と述懐しています。
小栗は幕府の忠良かつ有能な高級官僚で、まさに忠順の名に相応しい人物でしたが、勝とは最初から向いている方向性が完全に違いますから・・・。
このあたりを意識してかどうか、後に勝はこう韜晦しています。「大忠義の者があって国を滅ぼすのだ。俺は卑怯な大不忠者だから、今もこうして生きている」と。
それから、私が知る限りにおいて、勝は二段構えの防衛戦策を立てていたようです。
・箱根に防御線を敷き、艦隊を東海沖から摂海に配置して官軍の補給線を切断し疲弊を待つ。その後、戦線投入していなかった仏式歩兵隊を大坂に上陸させて反攻に出る。
・江戸から兵を引き、焦土戦術を取って官軍が疲弊したところを逆襲する。
ただ、巷間言われる江戸焦土戦術というのは、万策尽き果て新政府がいかなる妥協にも応じなかった時の最終手段として考えていたもののようです。
「新政府が妥協もできないような馬鹿者揃いだとしたら、どの道日本はおしまいだから幕府と一緒に滅んだほうがましだ」とでも考えていたのでしょうし、彼も幕府の最高幹部として一方的屈服までするつもりは無かったのでしょう。
和戦両用の備えをしなければ妥協は引き出せない、という基本に従ったまででしょうし。
121 :
世界@名無史さん:03/05/08 16:56
h
122 :
「ど」の字:03/05/08 19:16
やる気の空回りでローマの軍政化を引き起こした、安定時代最後の皇帝。
皇帝になる能力は一流でしたが、皇帝を務める能力は二流だった軍人皇帝です。
【ルキウス・セプティミウス・セヴェルス】 A.D.146〜211 在位A.D.193〜211
【統率】50(戦時の統率は満点に近いが、平時の統率は落第点。抑制能力にも難がある)
【武力】72(政略外交は拙劣だが戦略には秀でていた。戦術力量は並の将軍より上な程度)
【知力】75(ギリシャのアテネにあるアカデミアへ留学した、皇帝としては史上初の『修士』。ただバランスを欠く)
【政治】49(業績を分解査定すると政策に長期的視点の無さが目に付く。ローマのバランスを崩壊させた皇帝)
【魅力】45(兵士の人気は高かったが、自分を演出する必要を認めなかった非寛容な皇帝。元老院曰く「非ローマ的皇帝」)
ローマ最後の公共建築と街道整備を行った、安定期ローマ最後の皇帝。
生まれは現リビア領の地中海沿岸都市レプティス・マーニャ。騎士階級(経済界)の生まれ。
その元々の家系を辿ると、ポエニ戦役後に北アフリカに移民したイタリア人らしい。
中等教育を終わった後、勉学を修める為ローマへ行き、そこで勉学に励むうちにマルクス・アウレリウス帝と邂逅する。
マルクス帝がこの人物がエリートコースを歩めるよう取り計らったことで、その人生は一変した。
軍官混然としたキャリアを積む(実戦経験は無いらしい)が、コンモドゥス帝によって何故か出世コースから外される。
一私人に戻っていた時期に、当時世界の最高学府と言われていたアテネのアカデミアに留学し学問を修めた。
しばらくすると呼び戻され、属州総督を歴任するようになる。
近パンノニア総督としてドナウ河防衛線に勤務中、コンモドゥス帝が暗殺される(192年12月31日)。
ペルティナクス帝に対しては忠誠宣言をしたが、ペルティナクス暗殺後は自ら帝位に立つことを画策。
123 :
「ど」の字:03/05/08 19:16
(続き)
帝位を求める総督によって群雄割拠状態になったローマ帝国を統一すべく行動を開始する。
まず、ブリタニア総督だったクロディウス・アルビヌスと共同統治を提案し共闘同盟を結び、ローマへ進軍する。
(ディディウス・ユリアヌス帝支持の近衛軍団はそれだけで士気を喪失し、ユリアヌス帝を殺害する)
ローマへ無血入城したセヴェルスは、その場でイタリア本国近衛軍団を解散させ、ドナウ軍団兵を近衛に昇格させる。
次いで東方を良く治めていたペシェンニウス・ニゲル総督のユーフラテス河防衛線担当軍集団を数回の会戦で撃破。
イッソス平原で敗れ去ったニゲル総督を追撃、ユーフラテス河畔で戦死させる。
返す刀で同盟を結んでいたアルビヌス総督をリヨン平原での会戦で破り、自死に追い込む。
それ以降は、元老院無視と言って過言ではない強権政治でローマの立て直しを図ろうとする。
しかし、そのやり方は非寛容かつ抑制とバランスに欠けたものであり、状況を逆に悪化させている。
まず共同帝位に就く予定だったアルビヌスと仲の良い派閥に冤罪的粛清を行い、情報の風通しを著しく悪くしている。
年端もいかずその才覚もわからない息子カラカラ(とゲタ)に帝位継承資格を付与し、帝位世襲化を明言してもいる。
帝国の安全保証を拡充させることを意図した兵士優遇策は、逆にローマの軍政化につながってしまっている。
弱ったパルティアに対する無用の予防侵攻は、新進の強国ササン朝ペルシャ勃興の原因になってしまう。
また、故郷に錦を飾るべくレプティス・マーニャを華麗に改装し、元老院の眉をひそめさせたりしている。
それら金の掛かる政策に必要な資金を貨幣改鋳によって行うことで、インフレを惹起させることにもなった。
また、腹心の増長を許したり、カラカラとゲタという二人の息子の養育失敗など、人間関係的な失敗も目に付く。
ことにカラカラは若くして刃傷沙汰を起こす人格に育ち、父親の統治に波風を立てた。
(この項続く)
124 :
「ど」の字:03/05/08 19:18
(続き)
晩年、蛮族の侵入を根絶するため、カレドニア(現スコットランド)の全域を制覇するべく209年に遠征に向かう。
しかし、その頃にはもう病を得ており、戦場に立つことは出来なかったようである。
彼に代わって指揮を執ったカラカラには軍才が無く、カレドニア制覇行は停止してしまうことになる。
211年2月4日、エブラクム(現ヨーク)で病のために死去。享年65歳。
自分の息子カラカラとゲタに向かっての遺言は、同時代の歴史家カシウス・ディオにこう書かれている。
「互いのことを考えて仲良く統治に励め。兵士たちを優遇する事を何より優先せよ。他は気にかけるな」
彼が犯した失敗は数多いが、帝位継承問題の失敗は何より重い。
コンモドゥス帝に帝位継承したマルクス帝と違い、彼にはカラカラ帝とゲタ帝の非才が分かっていたのだから。
この彼の帝位継承政策の失敗が、ローマを歴史家の言う「三世紀の危機」に引きずり込むことになる……。
『ど』の字さんお疲れ様。いつも興味深く拝見させて頂いています。
>>120 胸甲騎兵さんはじめまして。
僕は勝が陸軍総裁に任命された事自体、まさに火消し的役割だと考えてます。
実際いい加減な人事で、勝自身
「自分は海軍については専門でも、陸軍に関してはまるで存じません」
と辞退を申し出ているくらいです。任命されても本人はまるでやる気なく、
そのころ頻発した幕軍からの部隊単位の大規模脱走の対処にしろ、
押しとどめる立場にある彼は一応追いかけて説得しても
「これだけ言っても解らないなら、勝手に逃亡しろ」なんて投げやりになり、
みんなそのまま脱走するなど、いくら質の悪い寄せ集め部隊ばかりという
同情の余地があるとはいえ、しっかり統率しているとは言えません。
後年彼は「脱走などは所謂騎虎の勢いで、容易に止めることはできないものだ」
などと言い訳しています。
この頃には小栗等の主戦派はこぞって罷免され、鳥羽伏見の敗北を受けて
慶喜も恭順に傾いていたため、勝の他に適当な人材が見当たらなかったという
のが現実ではないでしょうか。
幕臣として、彼が和戦両用の備えをしたのは基本であるというのは、もちろんそうでしょう。
>>120で述べられている
『箱根に防御線を敷き、艦隊を東海沖から摂海に配置して官軍の補給線を切断し疲弊を待つ。
その後、戦線投入していなかった仏式歩兵隊を大坂に上陸させて反攻に出る』
という作戦を慶喜に訴えた時、同時に
「しかし今の情勢では、勝ったとしても外国に乗じられ何れは亡国になります」と恭順を薦め、
備前藩と諸外国が争って一時兵庫が占領された事件に接しては
「内乱になれば諸外国が乗じて軍事介入するのが一番怖い、清やインドも内乱につけこまれた」
と朝廷に訴えようとした彼が、江戸焦土作戦などを実行したら日本がどうなるか、
考えが及ばなかったはずはありません。
『武士が守るべき無辜の民草を焼き殺すのか』というような道義的な問題はさておいて、
徳川一家を守るためには亡国もやむなしというのは、構築されつつあった
近代国民国家の概念にそぐわぬ愚考ではないでしょうか。
幕臣として優秀というのならそれでも構いませんが、
国あっての体制という大前提がある以上、どのような状況でも常に国を支える努力をするのが、
時代をリードする指導者の責務ではありませんか。
「日本史上において最も切れる頭脳と先見の明を持っていた」偉大な政治家というのなら、
守るべきものは立場でも意地でも徳川でもなく、難局にある日本そのものだという
認識に邁進してほしかったように思います。
もっとも当時としては、小栗ほどの人物でもあの調子なのですから、勝も仕方が無い気は
しますが、彼ほどの先見性があれば第一に国の事を考えられる、またそれをリードする能力
が備わっていると信じているだけに、少し気になる点です。
>「ど」の字様
ローマ史に通暁した方とお見受けします。
そこでリクエストなのですが、私は高校生の頃辻邦生の「背教者ユリアヌス」を読んで感銘を受けたクチです。
是非ユリアヌス帝の評価をお願いします。私としては、個人としての資質は相当高かったと思うのですが・・・。
政治力はあるいは欠如していたかもしれません。理想に走りすぎたきらいはありますから。
>蘭太郎様
勝が陸軍総裁に任命されたのは他に誰もいなかったからだ、という意見には賛同します。
ただ、この時点では対外戦力たる海軍よりも新政府軍に対する決戦戦力である陸軍の方が緊要性が高かったことは確かです。
当時幕府が有した最良の危機管理者である勝(小栗は有能ですが強硬論者ですし、対外折衝の経験があまり無い)の起用は必然だったでしょう。
ただ、勝が幕軍の掌握を投げていた、という説には反対します。奥詰銃隊等の精鋭と海軍を抑えいればそれでよし、信頼性に不安のある部隊を抱え込んでいても有害なだけだと考えていたのでしょう。
こういう場合、戦力に何より要求されるのは信頼性であり、それで勝は問題のある部隊や彼の統率に従わなさそうな部隊は脱走するに任せるか遊兵としてばらまき、反対に火消しや町人の組織化には熱心だったようです。
<続き>
焦土戦術の件ですが、勝は西郷との会談の前にイギリス公使パークスを動かすことに成功しており、諸外国は江戸の攻撃に反対しているとの意向を新政府側に伝えさせることに成功しています。
その上で新政府軍が攻撃を強行すればその責任は妥協を拒否した新政府側にある、という図式の構築には成功している訳です。
この時点で、彼は勝っていたと言えるでしょう。西郷としては、妥協するしか道は無いのですから。
焦土戦術は、新政府側に与える最大級の圧力であり、抜かずの宝刀だったと言えるでしょう。
少し長いですが、彼の回顧録から抜粋しておきます。
「彼、我が趣意を聞かず、みだりに兵力をほしいままにし、猛威を以て強いて戦をせば、我あにこれに応じ首を伸ばして降るの理あらんや。かくのごとくならば、彼求めて邦民を殺すなり。われ殺すにあらざるなり」
もしも江戸攻撃が実行に移された場合、彼が本当に江戸を焦土にするつもりだったのか、それは分かりません。
案外やらなかったかもしれないと思います。あくまでブラフ。、徳川家を救う為の脅しだったのかもしれない、と。ただそうなった場合、慶喜も勝も生きてはいなかったでしょう。
129 :
世界@名無史さん:03/05/08 22:05
脱走の件に関しては、勝がともかく本気で止めようとしなかったのは
確かだと思う。
本気で止めようとしていれば、ある程度は止め得たはずだから。
勤王派の多かった京都で、新撰組が脱走を止めようとして
厳罰主義を採用し、それがそれなりの効果を挙げていたのを
勝が知らぬはずがない。
厳罰主義で止め得たものを敢えて止めなかったのは、
やはりやる気がなかったからだろう。
それと関連して、「問題のありそうな部隊」というのも勝の個人的な
偏見があったように思う。
少なくとも、戦争をやる覚悟が本当にあったとは思えないような布陣だ。
その好例が、新撰組の甲斐行き。
新撰組は新政府にとっても名前だけは有名だったし、いざ戦闘になれば
幕府側の士気を上げる意味でも彼らがいた方がいい。
かと言って当時は数十人程度で、実際の兵力としては大したことはないから、
新政府との取引材料としても適当で、敢えて甲斐に追い出すまでもなかった。
やはり勝は基本は和平志向で、そのために邪魔なのを切り捨てたかった
だけのような気がしてならない。それも新撰組の例を見ても分かる通り、
切り捨て方としても中途半端なんだが。
結果として上手くいったからいいようなものの、蝦夷の榎本政権が
長続きしていたら、彼のやり方はかなり危険だったろう。
この辺、司馬遼太郎が「慶喜と勝は似ている」と言った評価は
案外当たっているように思う。
慶喜が鳥羽伏見でやった幕臣切り捨てを、勝は江戸でやっただけだ。
130 :
「ど」の字:03/05/08 22:21
>>127 すいません。やるとしても、ユリアヌス帝の略史は、当分先になると思われます。
まず、自分がユリアヌス帝のことを全くと言って良いほど知らないものですから……。
実は、次回から、略史をつけていく人のストックが無いんです。
多分「盲目の」アッピウス・クラウディウスになるとは思うのですが……。
幕臣切り捨てについて。司馬遼はどうかと思いますが・・・。
勝が「本気で止めなかった」のは事実でしょう。不安定要因を手元に抱えておくより、適当に勝手にやって貰った方が良いと考えたのでしょうね。
切所で自分の構想に従わない事が予想される連中を無理して繋ぎ止めておくより、独自行動をさせておけば相手は勝手に振り回されてくれますし、うまく講和が成立すれば切り捨てる事も簡単ですし。
新撰組などはいい例です。はっきり言って勝にとっては邪魔なだけだったでしょうから、体よく追っ払った、と。
徳川家の主権者である慶喜は理由はどうあれ恭順を方針にしていましたし、勝にしても抗戦姿勢は内戦を避けつつ徳川家の地位を確保するための交渉術の一環である訳で、そうなると骨の髄まで抗戦しか考えていない連中は身内の爆弾みたいなものなのです。
そういう意味で、129氏の意見は正しいと思います。
勝にとっての大方針は、とにかく内戦や国内の混乱を最小限度に食い止め、近代国家への移行を円滑に行うことでした。
徳川家の存続すら、その手段の一つであり目的ではなかったと思います。西郷らが主張したように慶喜の処刑と徳川家の取りつぶしなどをやってしまえば、それこそ収拾がつかなくなってしまう。
それに、あまり徳川家を縮小してしまうと、御家人達は明日から喰うこともできなくなってしまう。つまり彼らの生計を何とかするためにも、徳川家には一定以上の規模で存続して貰わないと困る。
もしも彼らが暴発すれば、それはもう西南戦争どころの騒ぎではなかったでしょう。
私は徳川慶喜という人はあまり評価はしていませんが、切所で勝を起用し全てを任せた(意地悪く言えば責任を押しつけた)のは一つの見識だったと考えています。
もしも慶喜が英雄肌の人物で、薩長何者ぞと自ら陣頭に立つような人物であれば、それこそ小栗あたりを起用して新政府軍を倒し得たかもしれません。
そうなれば勝の出番は無かったか、あるいは「海軍の父」くらいで終わったかもしれません。
ただそうなった場合、日本が今頃どうなっているかは想像しようもありませんが。
僕も
>>129さんの意見に大部分賛同します。
陸軍総裁という立場でありながら、7000の幕軍から数百単位の脱走が相次いでいる崩壊の
危機というのに、本人が日記で述べているような「手のつけようが無くて困った」などと
いう投げやりな理由で、職務上の押しとどめる義務を怠ったという現実が、
果たして軍の信頼を重視したというに値するでしょうか。
五稜郭の戦いで土方歳三が、逃げる若い兵卒を切り捨てて、「退く者は皆こうだ!」と
浮き足立つ味方押しとどめたのが、統率者としてのあるべき姿です。
遊兵化すればいいというのも、恭順して和平を結ぶのが主な考えである以上、
統率の届かない部隊が勝手な行動を取るのは都合が悪いはずです。
単に、和平を結ぶのが本来の目的だから、無理に戦わなくてもいい。逃げるなら勝手
に逃げろという、ある意味横着な態度だっただけな気がします。
この頃鳥羽伏見の敗戦を受けて、陸軍仕官たちが軍の再編成にやっきになっているのを尻目に、
勝は「そんなことをするのは時勢も察せぬ干矛を動かす行為だ」などといかにも他人事のように
語っていますが、考えはともかく陸軍総裁なら、彼らを統制するのも仕事のうちです。
それができない、或いはするつもりもないというのは、統率者としては、成功したと言えないば
かりか、そもそもやる気があったとは言いにくいのではないでしょうか。
また、江戸焦土作戦はあくまで交渉の為のブラフであって本気かどうかは疑わしいというご意見、
僕も当初この話を聞いたときには無論そうであって欲しいと思いはしましたが、
現実に江戸のヤクザの親分三十数人に「官軍が進入した場合には、町に火を放って焼き殺せ」
と頼んで歩き、金子や食料に火道具まで与え、
勝自身、海舟日記三月十日の項に「官軍の出方次第では、市街を焼いて徹底抗戦しようと
心を決めた」と書いている以上、ある程度本気だったと思わざるを得ません。
確かにそうなった場合の責任は愚かな官軍にもあるのでしょうが、それにしても
そのように事態が進まなかったことを、後世の日本人としてただ歴史に感謝するのみです。
日本を善導して維新に多大な貢献をした勝海舟の功績を考えるのに、
この一点だけはどうも関心しないので、長々と語ってしまいましたことをお許しください。
133 :
どどんがどん:03/05/09 00:22
>現実に江戸のヤクザの親分三十数人に「官軍が進入した場合には、町に火を放って焼き殺せ」
>と頼んで歩き、金子や食料に火道具まで与え、
>勝自身、海舟日記三月十日の項に「官軍の出方次第では、市街を焼いて徹底抗戦しようと
>心を決めた」と書いている以上、ある程度本気だったと思わざるを得ません。
江戸市中に薩長の手の者が配置されていることが想定される以上、
実行できる状態にしておかねば、ブラフがブラフにならないではないですか。
130発の核を持っていて、お前の国の都市に照準をあわせているぞ、
という「瀬戸際外交」が、憫笑・冷笑の対象にしかなっていない事例と対比してください。
>>133 仰るとおりです。でもその場合は交渉がうまくいかなかった場合、
ブラフはブラフでなくなり江戸は焦土となって、内戦は泥沼。
この国は列強の草刈場になったことでしょう。
そのような危険を、交渉を成功させる為とはいえ勝があえてしたという点で、
僕は感心しないのですね。彼が徳川と日本を天秤にかけた結論としては。
>134
私の考えは逆で、江戸焦土作戦というある意味イレギュラー、そしてそうでありながら効果が極めて大きい方法を用意した事に意味があると思うのです。
勝がもし、箱根迎撃でも何でもいいですけれど、正規軍を使った正面決戦というカードを切ったとしますよね。
そうなると、西郷以下征東総督府としては受けて立って戦う以外のカードは切れなくなる訳です。敵が決戦の姿勢を示している以上、こちらも剣で報いなければならない。
軍を並べて睨み合った時点で妥協は成立しなくなるんです。特に鳥羽伏見の勝利が求心力となっている新政府軍の場合、「戦わずして和睦した」となるとそれは幕軍への屈服と同義になってしまう。
しかし勝は正規戦闘の比重を落とし、焦土作戦というカードをちらつかせた訳です。
これは補給に難があり後詰めも無いという新政府軍のアキレス腱を正確に射抜いている上に、総督府としても妥協がしやすい。
「幕軍は人民を巻き込む事を厭わず江戸を火の海にしようとしている。これは皇国の為によろしくない。寛恕を以て妥協し、無辜を救うべきだ」云々、と。
また、これは横浜のパークス以下列強の外交官団に対しても有効な手です。江戸政権は恭順姿勢を見せているのに、京都政府軍が攻撃を加えれば結果として江戸は火の海になる。よろしくない、と。
勝が正々堂々の決戦ではなく乾坤一擲死なば諸共の不正規戦の構えを見せたからこそ、総督府としては「寛大な征服者」役を演じる余地があったのではないでしょうか。
そして勝はそこまで読んでいたのたと考えます。だから暴発して全てを台無しにする可能性がある新撰組などを放置したのでしょう。押さえつけるよりは好き勝手やらせて知らない顔をしておけ、と。
随分汚いやり方ですが、これも高度な政治的判断という奴だと思います。
スレッド違いになってしまいますが・・・以前、ふっと思ったことがあります。
江戸が無血開城したことは、確かにその後の日本において損失にならなかった分
良かったと思いますが、もし・・・振袖火事レベルの損害が江戸に起きたとしたら、
その後の日本に悪影響はどれほどあったのでしょうか。江戸文化が大きく損なわ
れるか・・・その程度でしか無かったのではないかと思ったことがあります。
どう思われますでしょうか。
>>135 江戸に火を放つというのが、ただの交渉のカードとしてだけだったのか、
というのには疑問符がつきますが、
それが勝が全面衝突を回避する為に用意した、それ以上は引けないギリギリの
落としどころだったというのは全面的に賛成します。
また和平を望んでいた以上、それで衝突を回避できるある程度の胸算用ができて
いたというのもその通りでしょう。
少なくとも、慶喜に個人的に義理を尽くしていた勝が、慶喜を救うために
いざという時は国が滅ぶかもしれないリスクにも目を瞑って賭けに出たというのは、
彼にとっては仕方が無いことなのかもしれません。
西郷との交渉で慶喜の助命を約束したとはいえ、官軍が江戸に迫り総攻撃の気配、
「徳川は存続してもいいが慶喜は斬る」と言いふらしていると聞こえてくる状況では、
勝としてもただ黙って見ているというわけにもいかなかったでしょう。
その様な場合になったら勝の責任だ、という幕臣も多かったらしいですし。
僕としては、彼ほどの人物がそれほど慶喜に義理立てするのは画竜点睛を欠くの
ではないかと思ってはいますが、それでも彼が優れた先見性と知略を持っていて、
無血開城が成り結果的に彼のおかげで日本は救われたという、
その功績を認めるのにやぶさかではありません。ですので、収集のつかない議論に
落ち込む前に、僕の個人的な見解を述べるのはこの位でやめておくことにしますね。
僕も彼の名前をHNにもったことがあるように、騎兵さん同様日本を代表する優れた
人物だと尊敬しています。それに明治維新が世界に例の無い、成功した改革だと言わ
れている以上、当時日本を動かした人物について話し合うは大きな価値があると
思います。ありがとう。勉強になりました。
138 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/09 08:19
>>136 どうせ関東大震災とその後の再建計画で江戸弁はほぼ消滅しています。
「べらんめえ」調も大正二桁世代(震災後物心のついた世代)以前の
老人しか聞いたものではないくらいなので文化面でも著名な文人が死ぬ
ということでも無い限り大きな変化は無かったかと。
文化面では安政の大地震と同程度の影響だったのでは。
139 :
bloom:03/05/09 08:20
>>138 するってぇと、寅さんシリーズを見ていて、聞こえてくるのは「べらん
めぇ」調ではないのかい? え?
141 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/09 08:31
>>140 正確にいえば「べらんめえ」、「べらぼうめ」自体ですね。あの馬鹿長い
「寅さん」シリーズには「ばか」や「このやろう」は出て来ても「べらぼ
うめ」という言葉は一度も登場していません。
最近(但し10年ほど前)に埼玉県で90歳の老人から採集されたのが最
後の「べらぼうめ」であったようで、これのない「べらんめえ」調なんて
詐欺みたいなものです。
>>141 一見どうでもいいような事でもちゃんと調べている人っているもんだな・・・。
感心した。
143 :
「ど」の字:03/05/09 12:10
みなさん勉強していますね。凄い。
さて、今回は予定を変更し、少し専門を離れて、朝鮮半島の重要人物を考察して行きます。
セヴェルス帝同様、王位につく能力はあったが、職務を務める能力は二流だった国王です。
【李成桂】A.D.1335〜1408 在位A.D.1392〜1398
【統率】22(彼が責任者になって以後の統率は概して低く、王位を争う子供たちの血みどろの抗争も抑制できていない)
【武力】82(元と明の間でさせられていた代理戦争に決着をつける。内乱収拾の腕も高い)
【知力】74(教養があったかどうかは不明だが、時代の流れを読む力量は十二分にあった)
【政治】19(熱意に欠けた統治に終始、やがて統治から逃げた。彼は軍人だから仕方無いと言いたいがあまりにも……)
【魅力】55(新しく権益を得たものには人気があったが、地域抗争の弊害を受けたものに嫌われた)
李氏朝鮮を興した人。廟号は太祖。元々の家系は元王朝配下の女真族役人といわれる。
李成桂の父親の代に家が高麗に服属し、以降は高麗朝の武将の一族として対元戦線で働いている。
1362年、元側の女真族良将ナハジュを撃破することで、高麗での名声を確立。
その他にも、元の高麗への王位干渉戦争や当時盛んだった倭寇との戦いでも決定的な役割を果たした。
やがて、明が建国され(1368年建国)元が支那中原から追い払われることで、彼の運命は流転していく。
高麗国内で親元派が勢力を握ったことで、李成桂は援元対明の軍を率いて支那に派遣されることになる。
だが、彼は与えられた軍隊を率いて朝鮮半島に攻め入り(1388年5月)、国内の親元派を追放して政権を掌握した。
(この項つづく)
144 :
「ど」の字:03/05/09 12:14
(続き)
ほどなく李成桂は軍の支持を受けて自ら王位に就き、ソウルを都と定める(1392年)。最初は高麗王の名で統治。
やがて高麗の名でなく自分を開祖とした国の国号を明に付けてもらうため使者を出し、朝鮮という名を下賜される。
(朝鮮とは「瑞々しい朝の国」を想起する国号とのことだが、「朝貢の少ない国」と明に揶揄されたとの意見もある)
朱子学者の推戴を受けて権力の座についた背景があるため、仏教を排斥し儒教道徳を基礎に据えた国家運営を志す。
(これは前王朝の痕跡たる文化を破壊して統治を円滑化するという、「半島の斥前王朝」の特質も出ているのですが)
国家の形を整えることには成功するが、やがて統治の熱意を失い、家庭内抗争にも嫌気が差して1398年退位し隠棲。
以後は子供たちや争いに倦んだ官僚の帰還要請にも頑として首を縦に振らず、ついに復位すること無く死去。
指導者の持続する意志の欠如が国家にどんな影響を与えるかを、まざまざと見せてくれる国王である。
この国王が倦むことなく政治に励み続け、後継者問題も解決していたら、朝鮮にはまた違った道があっただろうか?
これ以降の李氏朝鮮は、細分化された派閥による党争が継続的に起こることになる……。
145 :
”管理”人:03/05/09 12:16
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前回は時間も押していて手短にまとめすぎた為か、つい長くなってしまった……良いのかこれで。
一番好きな女傑はラクシュミ・バーイだが、一番凄い女傑だと思うのはこの人。
ロシア二大大帝の一方であり、初めて日本人を茶会に招き紅茶を飲ませたという大女帝。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エカテリーナ2世(ゾフィー・アウグステ・フリーデリケ) 1729〜1796(在位1762〜1796)
プロイセン貴族アンハルト・ツェルプスト家の出身。
15歳の時、ロシアやスウェーデン皇室に連なる名門一族の出である母親の縁で、
ロシア皇太子ピョートル(こちらもプロイセン出身)の花嫁候補となる。
一見玉の輿に思えるが、いざ会ってみるとこれが醜悪・無教養・幼稚・無能で、
趣味は人形の兵隊を用いた戦争ごっこと、絵に描いたような正真正銘の駄目人間であった。
(おまけに性的未熟で、翌年結婚してから8年間性交渉も無かったという……)
一度は絶望するも、ここでゾフィーは一念発起。
ロシア語も話せずプロイセンマンセーなボンクラとの結婚生活にさっさと見切りを付け、
嫁いだ以上は郷に従わねばと、手始めにロシア正教に改宗しエカテリーナと改名。
次にロシア語をマスターし、ロシアや歴史や地理を学びながら啓蒙主義者の著書を読み漁り、
更にフランスやギリシア等外国の言語・文学・哲学・歴史にまで手を出す貪欲振りを発揮する。
そして時には男装姿で召使いを引き連れ、乗馬に鴨撃ちにと興じる日々を送ったともいう。
ついでに男性関係の方も年齢を追う毎に盛んになっていった。
1762年、マリア・テレジアと共にプロイセンを追い込んでいた女帝エリザベータ女帝が没し、
予定通りとはいえ、よりにもよってバカ殿ことピョートル3世がロシア皇帝に即位してしまう。
以前よりロシア正教を軽侮し敵であるフリードリヒ2世に心酔していた彼は国民に嫌われていたが、
即位するなり独断で軍装をプロイセンの物に変えてしまい、独断でオーストリアとの同盟を破棄、
独断で先帝が切り取ったプロイセンの領土を返還した上でプロイセンと講和するという愚行を犯し、
瀕死であったプロイセンの息を吹き返させてしまった事で、ついに民衆の怒りが爆発する。
当時エカテリーナの愛人であった青年将校オルロフ達が彼女を担ぎ上げクーデターが勃発。
対照的に多大な支持を集めていた皇妃は2万の反乱軍の先頭に立ち、在位半年の夫を退位させた。
(ピョートル3世はこの3週間後に幽閉先で死亡したが、エカテリーナは関与を否定している)
その後はピョートル大帝以来進められていた国内の近代化をより推進する傍ら、
貴族階級の支持を維持する為に特権を拡大した農奴制の強化により農民の不満が増大し、
ピョートル3世を自称するプガチョフを中心に大反乱が起きたが、これを治めて国内を安定させた。
対外的にはオーストリアとの関係を修復しつつ、蘇ってしまったプロイセンと改めて講和。
この3国で後にポーランド分割を三度に分けて行う事となった。
(本来は元愛人を国王に仕立てて保護領とする予定だっが、両国の横槍と露土戦争の影響で妥協)
一方で南方にも進出し、クリミア汗国を併合してピョートル大帝以来の悲願である黒海進出を果たす。
これに撤退を要求したオスマン・トルコとの露土戦争が勃発するも、
彼女が最も愛し、かつ最も有能であった寵臣ポチョムキンが守り抜き、後に黒海艦隊を創設するに至る。
こうしてエカテリーナは一辺境国に過ぎなかったロシアを、
一代にして広大な領土と60万の大兵力を擁する当時の三大国の一角にまで発展させた。
晩年はフランス革命に激怒し反動的な保守政策に切り替えたが、それでも対外的な失政は無い。
国内では圧政により農民層が苦しんだが、プガチョフの乱鎮圧時の厳罰により後発を予防している。
文化的には劇場や美術館を建造し、約200の言語を比較する「国語比較辞典」等を編纂させている。
ヴォルテールと文通を交わしディドロを招く程、フランス百科文書派の啓蒙主義に傾倒していた彼女は、
ロシアの文化水準を引き上げた功績者であると共に、ロシア貴族階級のフランスかぶれの元凶ともなる。
一個人としては、相談役にして科学アカデミー総裁であるダーシュコワ夫人が発行していた新聞に
匿名でコラムや戯作、果ては戯曲や詩まで投稿しており、特に喜劇を好んだという。
その生涯において21人の愛人が居たとされるが、
重用したのはその中でも有能な者であり、決して愛欲に流される事はなかった。
暗愚な息子パーヴェルでなく孫アレクサンドル(後のアレクサンドル1世)に帝位を譲ろうと考えるが、
実行に移す前に脳卒中により倒れそのままこの世を去ってしまい、
その結果、パーヴェル帝の恐怖政治を許してしまう……
【統率】83 あのロシアにおいて貴族・軍人階級からの高い支持を最後まで維持し続けた
晩年その他の層からの支持が落ちた点、後継者選定に問題があった点でマイナス
【武力】61 無血に終わったとはいえ、先頭に立ち2万の兵を率いた実績を鑑みて
【知力】89 聡明かつ勉強家で、外国の文化に深い造詣があり、愛人関係に溺れて誤る事もなく、
実に偉大なる啓蒙専制君主……であったのだが、晩年の政策転換が痛い
【政治】87 クリミア併合とポーランド分割でロシアの版図と国際的地位を飛躍的に高め、
国内では近代化事業を推進して経済力を伸ばし、
学芸奨励と美術館や劇場等の建設で文化水準を引き上げた
プガチョフの乱及びフランス革命以後の保守化と圧政でやや減点
【魅力】77 外国人でありながらロシア人たろうと精進する姿、
そして精力的かつ贅沢とは無縁な施政者振りで人気は高かったが、
貴族に配慮した農奴政策と晩年の圧政により、主に農民層の不満を招いた
蛇足になるが、彼のフリードリヒ2世にとって生涯最高最大の恩人が、
よりにもよってこのピョートル3世というところに歴史の面白さが象徴されていると思うのだが、
日本では全くと言って良いくらい知られていないのは非常に残念である。
おまけでエカテリーナ時代のロシアの権勢を象徴するアネクドートを一つ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
エカテリーナ大女帝はイギリスの議会がロシアに対していくつもの敵対的な宣言を打ち出した事で、
英国政府に不満を抱いていた。ちょうどその頃、イギリス大使が接見を願い出たので宮廷に呼ぶ。
大使が書斎に入った時、女帝の小犬が激しく吠えながら彼に飛び掛かったので、
大使はすこし困った顔をした。だが女帝は仰った。
「大使、ご心配なさいますな。犬は吠えてはいますが噛みつきはしないので、危険はありません」
150 :
世界@名無史さん:03/05/09 23:39
>137
>彼ほどの人物がそれほど慶喜に義理立てするのは画竜点睛を欠くのではないか
海舟首謀のクーデタでも起こせとでも?
江藤淳の「海舟余波」は今でも愛読書です。<ここは笑われるところなー
>>136 損害を数学的に算出して影響を計測するような専門的能力は持ち合わせて
いないのであまり正確なことは言えませんが、
戊辰戦争とはそもそも諸外国の圧力を受けている中で、
国内の体制をどうするかという内輪の争いですよね。
ただの覇権争いと違い、片面には出来るだけ早く強力な国内体制を築き上げ
なければいけないっていう重要なテーゼがあるんです。
そういう観点から、百万からの人口を擁し日本が誇る当時としても世界有数の
大都市が焼けるというのは、国力減退という意味でたいへん都合が悪いという
のがまずあります。復興のための資金も考えると、これから近代化するために
必要なインフラ整備もかなり足踏みしてしまいますが、
それよりも深刻な悪影響は、内戦が長期化するということでしょうか。
官軍、新政府軍にはただでさえ補給物資、軍資金がギリギリでした。
だから占領地や恭順した藩から現地徴収したり、全国年貢米の請負を担保にして
まで豪商からお金を借りまくってやっと資金を捻出してたんですね。
そこに江戸が焼け落ちちゃうと、江戸での補給がままならないばかりか、
大量に発生するだろう難民の食料を買い付ける必要が発生します。
でも資金が足りない上に、町で買い付けることもできないので
軍資金や兵糧をそれに回すことになるでしょうが、そうなると当分東征を
見合わせないといけなくなります。
そもそも鳥羽伏見の敗戦を受けても、幕府としてはフランスの援助を受けて
幾らでも戦い続けることはできたと思います。
幕府を支援し続けていたフランスは、日本に於けるイニシアチブを薩長を支援
したイギリスに取られないように、この頃しきりに武器や軍艦、資金の援助を幕府
に申し出ています。
フランス士官が入れ知恵して小栗が主張した作戦など、幕府はまだ薩長を撃退する
余地はあったのですが、勝海舟はこの状況下ではたとえ一時的に幕府が勝てたと
しても内戦の長期化は避けられず、列強の軍事介入を招き、何れ植民地のように
なってしまうことを危惧したんです。
懸命な慶喜はその考えを容れて、国を滅ぼすよりは幕府に幕を引いたほうがいい
と恭順論に傾いて支援要請を拒絶し、その後スカッと江戸城無血開城が成ったから、
フランスも幕府側を見限って内戦が早期に終息できたんですね。
「戦争は軍事力の占める割合が大きいほど短期化し、政治が占める割合が大きい
ほど長期化する」と言うように、江戸焦土策はその本質が明らかに内戦を長期化
させる作戦で、その意味ではまだ直接軍同士が衝突した方が、
幾分マシではないでしょうか。
>>151 僕は何も義理立てするのが悪いと思ってるわけじゃないんですね。
勝には大いに骨を折って、慶喜の助命嘆願でもなんでもやって義理を果たしてく
れればいいんだと思います。
彼の江戸焦土作戦も、作戦をことさら公開している点を考えると、勿論そういう交渉
を成功させる為のカードにしたかったんだろうと推察できます。
ただ、それもブラフだけなら問題はないんですが、交渉が上手くいかず官軍が進攻して
きた場合、勝は慶喜を守る為に本当に江戸を焼いたんじゃないでしょうか。
勝がそうしただろうってことは、海舟日記にその覚悟がうかがえますが、
さすがにそこまでは行き過ぎで、ちょっと問題だと思うんですね。
それが、「それほど慶喜に義理立てするのは」で、僕が「それほど」と書いた真意です。
スレの趣旨と離れ気味ごめんなさい。せめて上げないでおきます。
154 :
マキアヴェッリより:03/05/10 08:49
チェーザレは?イタリア統一を夢見た男。
155 :
世界@名無史さん:03/05/10 09:05
156 :
世界@名無史さん:03/05/10 09:58
>>153 結局そこが、幕臣としての勝海舟の限界だったと思う。
いや、武士としての彼の限界というか。
政治は維新政府に任せても構わない、だが慶喜を殺すのは
許せないというのは、政治家としての識見と
封建的な武士の主君への忠誠心が共に彼の中に存在していた
からだろうと思う。
この忠誠心という意味では、強硬派の小栗や榎本らとも
実は大差なかったと思う。ただ勝の場合、薩長側への人脈があり、
国、或いは国際社会全体の中で考えることが出来たから、
ああいう行動の差になって現れただけであって。
武士としての主君への忠誠という観点から見れば、
「それほど」と言うほどおかしいとは思わない。
勝の話などを出したせいでスレ違いな議論が続発して申し訳無いです。
でもこういう話も面白いと思うんですよね。私としては。
>151
あれは良い本だと思いますよ。私も何度と無く読みました。
>152、153
多少話が前後すると思います。
勝は陸軍総裁になって早々、フランス軍事顧問団を解雇しています。
これによりイギリス(薩摩に強い影響力を有していた)が外交チャンネルとして使えるようになり、後々の交渉に効いてきたらしいです。
これで行き場を失ったフランスの軍事顧問は、結局榎本らと共に函館へ行くことになるんですが。
東アジア情勢を鑑みて、勝としてはチャンネルとして利用するならともかく軍事・財政援助という形で列強をコミットさせるのは避けたかったのでしょう(勝が小栗を批判している点はここ)。
勝はイギリスと話をつけて、西郷との交渉が失敗した場合慶喜をイギリス(フランスではない)に亡命させる算段まで用意していました。
このことから考えて、実は交渉が決裂した場合も江戸を焼く気は無かったのだろうと考えています。
本当に焼く気があるのなら、それは戦争と勝利の可能性が残る事を意味しますから、慶喜は会津にでも移すのが普通だと思います。
予告したのにエレアノールの評伝が書けません。
むしろ別の人に興味が移ってしまった・・・。
>>156 僕も武士勝海舟という視点でみると、そういう忠誠心も解ってはいるんですね。
葉隠でも「武士道とはただ主君を思えばそれでいい」というように教えていますし、
新渡戸は自書『武士道』の忠義の項で「忠誠心が最も重みを帯びるのは、武士の名誉
の規範としてのみである」と述べ、武士が主君の為にいかに犠牲になったかという
逸話を紹介していますから。あくまで武士として、幕臣としては勝の心情にも一定の
理解を寄せることはできるんですね。僕は新撰組も好きなんです。
>>157 妙にからむような形になってごめんなさい。でも少しだけ事実関係を。
鳥羽伏見の戦いが1868年1月3日〜6日。慶喜が江戸城に帰還したのが12日。
『徳川慶喜公伝』によると、敗戦を受けてこの頃にしきりにフランス公使ロッシュ
が江戸城に登城して、慶喜に武器、軍艦、資金を提供するから断固交戦を続けろと
要請してます。慶喜はこれを拒絶しましたが、ロッシュが登城したのが1月17日、
26日、27日。海軍提督を同伴までしてますから、よほど必死だったのでしょう。
ちなみに勝が陸軍総裁に任命されたのが同月23日ですね。だから僕が「鳥羽伏見の
敗戦を受けても、幕府としてはフランスの援助を受けて幾らでも戦い続けることは
できた」といったのは、そういう事実関係が裏にあったからですね。
「江戸城無血開城が成ったから、フランスも幕府側を見限った」というのは、
幕府にあまりにやる気がないので、以後どんどんフランスの対日政策が消極的になり、
同年4月に江戸城無血開城が行われた一月後、ロッシュは本国に召還されて、
後任ウトレーの対日外交政策の基本が新政府への接近、
イギリスとの協調にシフトしていることを示したものです。
慶喜をロンドンに亡命させる手はずだったから焦土作戦を実行するつもりはなかった
だろうと推察されてますが、うーん、どうでしょう。
勝はその計画を江戸焦土作戦と同様の文脈の中で、切り札として官軍との交渉に臨んだ
わけですから、それをもって江戸を焼く気が無かったとは言い難いのではないでしょうか。
前に書きましたが、勝自身「江戸に火を放ってでも断固決戦する」と、
日記に覚悟のほどを書いてますし。
僕も以前からアショーカ王の評伝を書くといいつつ、
未だにできてないというジレンマを抱えています。
興味は移るし、何より彼ほど成功と失敗、功績と罪、光と影がこれほど端的に同居
してる人物も珍しくて、一つの数値でどう評価するかとても難しんです。
ともあれ、そのぶん面白そうす。騎兵さんの評伝も楽しみにしておりますので、
お互いがんばりましょう。
日記は後世への弁解が含まれてそうだけどな。
勝は不忠であると常に陰口を叩かれてるような人だったし。
>160
勝という人は韜晦癖がある上に法螺吹きで(坂本竜馬のことや西郷との談判の話など嘘と潤色の塊です)、しかもものすごく読みにくい字を書くので書き残した書簡や日誌類の解読がなかなか進まないらしいです。
基本的に勝の法螺というのは、親しかった知人友人を賞賛するもの、自分のやったことをぼかすものが多いようです。
直接的な弁解はあまりしなかったらしいですね。福沢の批判も「毀誉褒貶は他人の致す事、俺は知らないよ」と相手にしなかったそうですし。
ただ、慶喜に対しては相当屈折した感情を持っていたようです。多分人間としては嫌いだったのでしょうし。
ではここらで一つバランスをとるためにも幕末の二人目、
大久保or西郷or小栗あたりの評伝をきぼーん
今回はうってかわって、あるローマ皇帝です。
崩壊に瀕した祖国を寝技で救おうとした所は似ているかもしれませんが。
--------------
アレクシオス1世(1048-1118)
ローマ帝国コムネノス朝の初代皇帝(在位1081-1118)
小アジアのパフラゴニアに所領を持つ軍事貴族コムネノス家に生まれる。
若い頃から将軍として活躍。ドゥカス家の息女イレネを妻とし、皇帝ミハイルと姻戚となっている。
この頃のローマ帝国(通称ビザンツ帝国)は南イタリアを失い、小アジアにはセルジューク・トルコの侵入を許し、国内は反乱や貴族の横暴で収拾がつかず、まさに危機的状況にあった。
この状況下でアレクシオスは皇帝ニケフォロス3世を倒し、自ら帝位につく。
この段階で、帝国は西にスラヴ諸族やイタリア貴族、北にドナウ川周辺のトルコ系諸族、西にはセルジューク・トルコに囲まれ、更にバルカン半島にはノルマン人が侵入しつつあった。
まさに四面楚歌の状況を、アレクシオスは老獪かつ巧妙な外交で切り抜けていく。
まずノルマン人はヴェネツィアとの同盟(貿易特権を与える代わりに海軍を派遣させた)によって排除。スラブ諸族はノルマン撃退により帝国の威令下に服した。
セルジューク・トルコとはまず休戦協定を結び、ついで彼らが内乱状態に陥ると各勢力同志を争わせてその勢力を殺いでいく策をとり、かなりの成功を見る。
北のトルコ系諸族も同じ手で疲弊させ、撃破。
更に第一回十字軍が到来すると、統制のとれない彼らを巧みに操りつつ小アジアを攻撃させ、その西部の支配を回復した。
総じて彼の戦略は他者の力を利用して自らの利とするやり口であり、衰退が目立っていたこの頃の帝国にはよくマッチしたやり方だった。
内政面においては、従来の大土地所有者抑圧策を転換して土地貴族との協調を図り、これにより艇庫区内の封建化が進行することとなった。ただし彼の治世中は大きな混乱は起こしていない。
ヴェネツィアへの特権付与も、経済的な打撃はあったものの、この同盟が帝国滅亡まで有効に機能した事を考えればあながち損な取引ではなかった。
なお、彼の事績は、愛娘アンナによって伝記「アレクシアス」として残されている。
父をこよなく敬愛していた彼女は際だって高い知性と教養を備えており、古代風のギリシア語で書かれたこの伝記は当時を代表する文学作品として名を残している。
能力値
【統率】80(混乱しつつあった帝国をまとめきり、大過なく治世を全うできた)
【武力】70(青年時代は優れた将軍として名を馳せ、帝位につく足がかりとしている。即位してからはあまり戦争はしていない)
【知力】85(やりかたは姑息と言えるかもしれないが、帝国の問題点を把握し的確に対処していった)
【政治】90(周囲の外敵や西欧諸国、ローマ法王まで利用して掌で踊らせた手腕は見事。十字軍の狂信と固陋さまでは予測していなかったらしいが、それでも巧みに処理していった)
【魅力】85(前帝を倒して即位した時も大きな混乱は起こしていない。軍人たちからの信頼もあつく、市民にも人気があった)
後々帝国の禍根となる手も打ってはいますが、そうしないと帝国そのものが崩壊していた危険があったため仕方がないでしょう。
高得点は父思いの愛娘の活躍にもよるかと思いますが(^^;)
次は、リクエストもありましたので「日本のリシュリュー」こと大久保利通をやります。
165 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/05/11 21:56
>>143 うおおおおおおおおお、李成桂キタ―!
統率と政治の低数値が、その後の李朝の暗黒時代ぶりを示唆して
イイ!(・∀・)
さすが「ど」の字さん
こちらのスレでいつか登場させようと思ってたけど
その時は丸々コピーさせてくらはい(´・∀・`)
実際、李成桂という人は
「島を一つ差し上げる」とか言って高麗の王族を集めて船に乗せて溺死させたり
引退後も、太宗の和解の使者が訪れると必ず射殺してしまったりと(諺にもなった)
ヒジョーに好感のもてない人ですね・・・
166 :
世界@名無史さん:03/05/11 23:14
バシレイオス1世とコンスタンティヌス11世も頼む
167 :
「ど」の字:03/05/12 00:24
>>165 李成桂という人は、頭の切れる人だとは思うのですが、精神的スタミナが大変に乏しかったのでしょう。
自分が冷静に考えても、配下の武将にすると危なく、君主に頂くとまた危ない、使いようの無い人物です。
なにより、統治を投げ出したことと党争を止めなかったことで、極端な低い数字をつけています。
普通なら、人生を全うしようの無い我が侭な人物だったのですが。
この時代には、朝鮮民族特有の抑制力が低い性癖を育てる教育が完成されていた事を伺わせます。
よくもまあ、1800年代に至るまで侵略されずに存在したものです、李氏朝鮮。
あと、出典を明らかにして下されれば、丸ごとコピーはOKです。活用してください。
>「ど」の字たん
世宗大王とかの評価は?
個人的には、かの王の時代に李朝が全盛期を迎えたのは、一応
それまでに王国の基礎が整う程度には王政が安定したからであり、
李朝が「設立当初から党争に明け暮れていた」とすると、どうも
世宗が有能でもまともに運用の出来ない国になってたようにも
思われますが。
169 :
「ど」の字:03/05/12 12:32
>>168 世宗大王の時代に厚遇された儒学者、「理」を重んじる李滉、「気」を重視した李珥の二人が儒学者党争の原動力です。
それを考えると、世宗大王の時代も良く治まっていたとは言い難いようです。
確かにハングル考案・農業振興・法整備・北方の国境確定・倭寇撃滅のための応永外征などを成し遂げていますが。
既に世宗大王の時点で、王の権威はかなり官僚に掣肘されていました(ハングルの公布中止などはその一つ)。
これに儒学者の党争が加わって、この王以降の李氏朝鮮は崩壊に向かうわけです……。
いつか、世宗大王の略史もやってみましょう。
蜀を滅ぼした武将と言われる姜維を数値化してみます。
漢武帝・劉徹(前159〜前87)
前漢第七代皇帝(在位前141〜前87)
【統率】95
武帝統治時代は前漢の最盛期となり、外征を繰り返した結果版図は秦時代の倍にも拡大。
シルクロードを中心とした交通路を開いて交易を盛んにし、漢帝国の威光は北は万里の長城
以北、南は仏印、東は朝鮮、西は中東まで及んだ。
内的には諸侯の力を削ぎ中央集権を確立。優れた人材を適材適所に使いこなし、司馬遷や李稜
も酷い扱いだった結果として『史記』が生まれた事を考えれば、人の才能を生かすことにかけ
ては人知を超えた能力を発揮している。
ただし国威が長続きせず、漢帝国は武帝以降日が沈むように衰えていった事、晩年は国内情勢
が混乱している点を考えれば、満点はあげられない。
【武力】49
武帝の贈名に相応しい比類ない武威を誇るが、
戦いは基本的に配下の将に任せているので実戦での能力は未知数。
それでも『呉子』などの兵法書に精通しており、衛青や霍去病の能力を見抜ける程度には
軍事についてそれなりの潜在的才能が、あるようだ。
【知力】73
強い意志と実行力を発揮。16歳という若さで皇帝となり、傀儡になることもなく天下に君臨し、
対外的な無敵っぷりは言うに及ばず、国内的にもそれまで慣習に囚われることなく様々な改革を実行。
硬直した人事を一新して有能な人材発掘に勤め、民衆の規範として儒教を国教化。五経博士を設け
学問の研究を盛んにし多くの経学者を出すなど、文芸面でも優れた実績を残している。
ただし、相次ぐ外征で戦費がかさみ、おまけに大規模な土木工事や栄奢を極めた生活ぶりも
手伝って国家財政の危機をまねいた。酷吏を登用したり帝国滅亡の淵源となった外戚政治の前例
を作るなど晩年は振るわず、江充の術中にはまり愛する皇太子を殺してしまった件も減点材料。
比類ない功績の反面、実に問題の多い人物だ。
【政治】51
それまでの匈奴に対する屈辱外交を払拭。戦争だけでなく拡大した領土を守るために郡県制を
敷き要地に漢人を移住させて屯田を置くなど、その維持にも気を配った。
内政では財政を立て直すため貨幣の乱造に増税、塩の専売や農業奨励を行うが焼け石に水。
増税の結果多くの流民を生んで、内政的にはむしろ国内を混乱させている。
国内の制度を一新させる統治能力はなかなかだが、とても優秀とは言いがたい。
【魅力】55
武帝のもとには、中華史上稀に見るほど歴史に名を残す多くの逸材が集まっている。
でも独裁的な君主にありがちの直情怪行タイプで自制心に乏しく、変な意地から名将
李稜を失うなど、人格者とは言いがたい。
その為か功績の割りにそこまで人に好かれてはおらず、儒教にとっての恩人なのに、
後世儒者に「徳のない武帝には、廟号なんて必要ない」と上申されたりした。
(以下経歴に続く)
【武帝の経歴】
劉徹(以後武帝)は先帝の14人中9番目の皇子であり、普通なら皇位になど
とてもつけるものではなかったが、泥沼の大奥争いの末に、どういった加減
か若くして皇帝となることができた。なんといっても武帝の功績は、現在の
広大な中国の領域を、初めて確立したことに際立っている。
漢帝国は匈奴相手には、高祖劉邦が平城でボコにされ命からがら逃げ帰った
時以降、伝統的に皇族の娘を差し出すなどの屈辱外交を行って、あまり波風
立たないように気を使っていた。それが気に食わない武帝は、匈奴が内部の
争いで若干弱まっている時を逃さず、先代以前から蓄えられてきた国力をフル
に駆使して大々的な遠征を行い、衛青や霍去病の無敵コンビの鬼のような活躍
もあって大いに匈奴を打ち負かした。匈奴が敵でなくなると、今度は雲南、
貴州、広東、広西などの南方異民族に矛先をかえ、これも打ち破って広大な
領域を支配するに至る。また汗血馬が欲しいという個人的ワガママから、
張騫に西域を探検させた挙句兵まで派遣して、結果的にシルク・ロードを開き
西方交易を発展させるというウルトラCを行う。
漢民族は性質としてあまり外敵との戦いを得意とはしていないが、彼の統治は
長い歴史の中でも、かの国が最も外的に国威を高揚させた黄金時代を演出した。
しかし同時に、度重なる遠征は膨大な戦費を必要とし、国力を浪費させ財政を圧迫。
武帝統治も後半は外征をやめ、内政に集中し国家財政の建て直しを図ったが、
あまり身を結ばず、漢帝国はそれ以降は優秀な皇帝が現れなかったことも加
えて凋落の一途をたどることとなる。前漢最も輝ける拡大期は、同時にそれま
で蓄積した国力を一気に喪失させた衰退期ともいえる。
(経歴続く)
(続き)
またこの時代の特色として、学問や文学が興隆し武帝自身も優れた詩文を残す
など多才ぶりを発揮している。他にも中国や日本で年号を漢字で表すように
なった始まりは、武帝の定めた『建元元年』に端を発したもの。
武帝の特徴は、皇位を巡って兄たちと一悶着あったことや、派手好きで度重
なる外征に大規模土木工事を行い、人材を重視。私生活では豪奢を極めつつ
詩文に優れた才能を発揮している点など、中華最凶の暗君『隋の楊帝』と、
なんだかやってることは同じ。でも両者の統治の結果がまるで違うのは、
前者は鋭敏で後者はそうでなかったということだろう。
あまり人の数値を論評ばっかりしてるのも悪いので、
僕も難しいアショーカ王は置いておいて、少し似たところのある皇帝を
数値化してみました。
>>161 そうそう。確かに勝はハッタリや誇張が多い人ですよね。
江戸っ子気質というのかな。彼の言う事を一々間に受けていたら、
勝海舟は上泉信綱や柳生宗厳並みの剣豪ってことになる。
ぬけぬけと「俺は刺客に襲われても、いつも“手取り”で追い払っている」
なんてことを、平気で言ってのける人物ですから。
始終こんな調子で、付いたあだ名が法螺吹き。
当の本人は友人佐久間象山の事を
「象山は物知りでも、どうも法螺吹きで困るよ。とても大局は任せられない」
などとシビアに論評してますが、
受けを狙って言ってるんだとしたら、レベル高過ぎです。
それでもまさか日記にまで嘘を書いていたとは、いささか信じられませんが。
騎兵さんが大久保をやるのなら、僕は西郷やりましょうか。
176 :
「ど」の字:03/05/12 18:34
>>蘭太郎さん
おつかれさま。
この人も、支那の歴史を語るには欠かせない人でしたね。
あと、欠かせない人といったら、支那では誰でしょう?李世民はやってしまったし……。
>170
すみません・・ 姜維の数値化、また今度させてもらいます。
>>176 ありがとう。「ど」の字さんの評伝も、いつも面白く拝見させてもらってます。
支那の歴史を語るには欠かせない人物ですか。うーん、中華史上屈指の名君でいえば、
清康熙帝なんて結構際立ってると思いますが、既出でしょうか?
>>178 「前スレの948」さんが少しだけ言及していましたが、本格的に書かれたのはあったかな?
>>176 三国志時代は結構かかれていましたが、それ以外ではポツポツですね・・・
名君ですか。永楽帝は山野野衾さんがされていますね。
光武帝など如何ですか?あと唐宋時代の皇帝もないようです。
>181
唐の太宗と清の康熙帝は中華史上屈指の名君とされていますからね。
私的な評価では康熙帝の方が上なのですが。
大久保の次は、世界史上屈指の英雄たるボナパルトでもやりましょうかね・・・。
183 :
「ど」の字:03/05/13 00:48
>>182 多くの人が既にやっておられますが。
あなたの解釈もぜひ見てみたく思います。頑張って……。
>>180 そうでしたか。ならほんのり既出加減ですね。
名君でいうと、各王朝の始祖なんかは皆それなりに優秀ですが、
他に面白そうなところでいくと、唐代の変り種則天武后や『開元の治』と言われる
ほどの優れた統治をしながら、王朝を崩壊寸前に追い込むほど現を抜かしたメロドラマ
が微笑ましい玄宗皇帝。
付録に康熙帝と並んで康熙乾隆時代を築き上げた清乾隆帝なんかも興味深いです。
185 :
世界@名無史さん:03/05/13 01:12
康煕乾隆に隠れて目立たない雍正帝の方が興味深い。
歴史家の間では清朝きっての名君とも言われるが二人の長い治世に挟まれて地味すぎる。
故宮崎市定が言っているように武功を立てない皇帝の治績が忘れ去られていくのは嘆かわしいことだ。
武則天激しくきぼんぬ。
中国史は守備範囲外なもので、漏れには無理……
どーでもいい事だが、実はエカテリーナに挑戦した動機が
某AAネタスレで野衾氏のアレを見たからなのは、ここだけの話。
フランコ将軍とかムッソリーニって既出ですか?
>183
では、ガイシュツ気味でもあるので私的ボナパルトの評価を。
ハンドルネームからして、私はナポレオニックな人なので(ただしボナパルティストではない)。
【統率】95
人間離れした統率力を持っているのは確かだが、軍の組織改革についてはカルノー、統治機構についてはフーシェの手腕によるものが大きいかと。
彼の偉大さは彼らを抜擢して腕を振るわせた事にある。
【武力】95
軍事史における彼の評価は改革者というものと剽窃者あるいは応用者というものに二分される。
傑出した能力を持っていたのは間違い無いが、いくつかポカもやっているので満点ではない。
ただし、切所での判断能力はまさに天才的で、戦術的才能だけであれば史上屈指かも知れない。
【知力】90
頭そのものはとてつもなく切れる。伝説的な記憶力を持ち、事務処理能力にも長け、本質を見極める目にも優れていた。
教養という面でやや減点しているが、決して無教養という訳ではない。むしろ、当時の軍人としては非常に高い教養を持っていたとも言える。
天才ゆえの独善性でも多少減点。それでも90点は固い。
【政治】75
彼の置かれた状況から政治的(特に外交的な)選択肢が最初から少なかったのは同情要素にはなる。
政治家としても一流と言っていいが、戦い続け勝ち続けることこそが自らの存在基盤となることをよく知っていたが故にその政治方針は軍事に傾斜しすぎていた。
状況が状況なら、より賢明な統治者になれたかもしれない。
【魅力】100
古今東西、彼ほど時代を超えて人を惹きつけた人物は珍しい。
彼自身の魅力もさることながら、彼が作り出した新時代そのものの光芒が同時代においても後世においても彼を神格化している。
ヘーゲルの言葉を引けば彼の魅力の一端なりとも表現できるかもしれない。
「皇帝、この世界精神が町を通って騎馬で視察に出かけるのを見た。ここにいて自分の心を一点に集中し、馬にまたがりながら、世界に君臨してこれを支配しているこのような個人を見ることは、実にすばらしい気持だ」
おまけ。ナポレオン配下で最も有名な男にして当時のフランス軍高級指揮官の典型、ミシェル・ネイ元帥。
【統率】75
弾丸の嵐の中常に陣頭に立ち部下を叱咤し続けた、まさに指揮官先頭精神の権化。
しかしそれ以上ではない。
【武力】80
上級指揮官より適切な指揮を受ければより力を発揮するが、独自の判断で戦うと結果が出ない。
独自判断で戦えた指揮官はダヴーとランヌ、スーシェくらいのものだった。
ただネイの場合、困難な防御戦闘においても優れた能力を発揮したことが他の元帥より優れている。
【知力】50
馬鹿ではない。ただし際立って聡明でもない。
ただ、参謀長にジョミニがいた頃は20くらい数値が上昇するかも知れない。
彼を参謀長に抜擢しようと考え皇帝に食い下がった(皇帝はジョミニが嫌いだったらしい)だけ、人を見る目はあったらしい。
【政治】30
政治的役割を期待されたことはまず無い。
ただしミュラのように全てが裏目に出るような政治的馬鹿ではないかも知れない(ミュラの政治力は多分10程度だろう)。
【魅力】80
ナポレオン自身に次いで人気のあった指揮官で、フランスきっとの勇者として広く知られる国民的英雄でもあった。
その為第一次王制復古の時は処罰することができず、ワーテルロー後は見せしめに処刑されてしまった。
>188
高評価を付けるのは自由だが、100乱発は価値を下げるだけだぞ。
そろそろ「インフレしすぎ」とかいう厨が暴れだしそうなヤカン。
40を超えた値を2/3くらいに脳内で補正をかけておけばいいのかな。
勝:【統率】70【武力】63【知力】83【政治】73【魅力】63
ボナパルト:【統率】77【武力】77【知力】73【政治】63【魅力】80
ネイ:【統率】63【武力】67【知力】47【政治】30【魅力】67
「高すぎる」と思う人は、各自脳内で補完をよろしく、という話でした。
(なんか一部計算が間違ってるな……まあいいや)
おまけで中国について、「秦の趙高」「新の王莽」「梁の朱い」「唐の禄山」
をリクエストしてみます。
別に100点を安売りしてる訳ではないんですよ。
あくまで私的なものですが、100点をつけられそうな人物から書いているだけのことです。
大久保は現在構成中。
別の所に昔書いた奴が出てきたので、ちょっと手直ししてみました。続けてアップします。
カール12世(1682−1718)
スウェーデン王国国王(在位1697-1718)
通称「北の流星王」「戦争王」「北欧のアレクサンドロス」
スウェーデン王カール11世の嫡子として生まれる。美貌と才知、そして卓越した身体能力で周囲の驚嘆の的だった。
熊と格闘して絞め殺したといった武勇伝から、首都ストックホルムを愛馬で暴走したとか議会に兎を放して混乱させてみたなどといった奇行も記録されている。
父の死により15歳で即位。それを好機と見たロシア・デンマーク・ポーランドが大陸のスウェーデン領分割を策して対瑞同盟を結成。
これに対し1700年にデンマークに侵攻(北方戦争)、これを電光石火の早業で屈服させ、返す刀でポーランドを攻撃し首都ワルシャワを攻略。
デンマークに対しては有利な講和を、ポーランドには傀儡政権を強要し、北の大国スウェーデンの威信は高まった。
1707年からはロシア遠征を開始、数で勝るロシア軍をその天才的な指揮で次々と撃破し、露帝ピョートル1世を絶望の淵にまで追いこむ。
しかし1709年、ポルタヴァにてロシア軍との決戦に敗れ、トルコへ逃亡。数年間留まった後スウェーデンに帰国し、逆襲に転じるが1718年、フレディリックスハルトにてデンマーク・ノルウェー連合軍と戦闘中狙撃されて戦死した。
能力値
【統率】80(軍隊の統率は見事で、長い遠征でも脱落者は出していない。部下を信頼してうまく使うこともできた)
【武力】90(戦術能力は非常に高い。生涯一度しか負けていないが、その負けが致命的だった)
【知力】70(聡明で教養もあったらしいが相当の変人で、周囲を混乱させることしばしばだった。直感の人で熟考型ではない)
【政治】40(政治家としては特に何もしておらず、関心も示していない。ただ自らの政治嫌いは自覚しており、側近で優れた政治家だったピーペル伯爵に全て任せていた)
【魅力】85(カリスマ的な魅力はあった。兵士からも熱狂的に慕われていたらしい)
剣に生き、剣に倒れた北欧の流星王。
フランス的なるものへの憎悪、祖国と自らの血筋への誇り、騎士として戦士としてのプライド、これらが彼の全てだったような気がします。
その為王様としては疑問符が付きますし、結果として祖国没落の種を蒔いてしまいましたが、それでもスウェーデンでは今も彼は英雄です。
北のアレクサンドロスと呼ばれますが、歴史上彼と一番似ている有名人はイギリスのリチャード1世でしょう。
同じくスウェーデンの英雄王、グスタフ・アドルフと同じく優れた補佐者に恵まれ(軍事面では「カールのパルメニオン」と称されたレーンスケルド元帥、政治面では宰相ピーペル伯)、後方の母国はあまり気にせず思う存分戦争ができた幸せな王様だったのかもしれません。
196 :
世界@名無史さん:03/05/13 22:42
;
80を越えた辺りからは微妙になるから、5ごとで区切ったりしない方が良いかも。
さぁて。
アブー・バクル
572ごろ〜624 イスラーム帝国初代カリフ 在位622〜624 クライシュ族出身
ムハンマドが啓示を受けた当時、ムハンマドの古い友人であり、メッカの一商人であった彼は、
大衆伝道が始まる前の極初期にアッラーに服した。
以後、彼はムハンマドと苦楽を共にする。
また、ヒジュラ後に娘アーイシャとムハンマドが結婚したことにより、ムハンマドの義父にもなった。
632にムハンマドが没すると、信者はその衝撃に震えた。その時の彼の言葉はあまりに有名である。
「皆の衆、たとえ誰がムハンマドを崇めようと、彼は確かに死んだのだ。しかし、アッラーを信じる人々
にとって、アッラーは生きており、不滅である。ムハンマドは、アッラーの使徒以外の何ものでもなく、
彼に先立って何人もの使徒が死んだのだ」
この言葉により、信徒は平静を取り戻した。が、彼らの行く先、指導者は全くの不透明であり、信徒
達の今後の指導者を巡って、アンサール(メディナの有力者)とムハージルーン(メッカからの移住者)
に亀裂が奔りかけた。が、彼は後の二代目カリフ ウマル、アブー・ウバイダと共にアンサール達への
説得に尽力し、そして温厚な人柄で知られた彼自身が、預言者の後継者として認められた。
「神の使徒の代理」(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)の就任の演説で、彼は己の権限を政治的な
ものに限定し、預言者の規範に従って統治を行うことを宣言した。カリフ制度の始まりである。
ムハンマドの死の衝撃は半島全土に広がり、各地で離反者、偽預言者が現れた。
彼はそれらに対し、ハーリド・ブン・アルワリードを司令官に任命し、討伐軍を繰り出す。
討伐軍は各地の離反者、偽預言者を討伐し、分裂しかけたウンマを回復した。
さらに討伐軍はその余勢を駆ってイラク、シリア、ササン朝ペルシアに侵攻し、破竹の進撃を続ける。
624年に彼が没した後、生前に指名されていたウマルがカリフ位とともに征服行を引き継いだ。
彼の在位はわずか3年でしかない。でありながらその偉大な業績にはただ驚嘆するしかない。
預言者の死に直面した信者達の動揺を収め、ムハンマドという偉大なカリスマの後継を自ら勤め上げ、
そしてリッダ(離反)を調伏し、イスラーム大帝国の征服行の先鞭をつける。
【統率】94(イスラム帝国の事実上の創始者。預言者の死で、あわや分解しかけたイスラーム共同体を、
わずか3年の在位で纏め直した)
【武力】50(直接軍を率いる人間ではなかったようだ)
【知力】90(諸部族の背反を認めなかったのは賢明。親友の死にも極めて冷静に対応した。人事にも
そつがない)
【政治】81(問題に対して極めて迅速に対応した。また、その権勢から、ムハンマドの存命中も、実務
面においても彼の助けになったことは想像に難くない)
【魅力】89(ムハンマドの死に動揺した人々を鎮めたのは他ならぬ彼。それに、ムハンマドと比較して、
人間的魅力で明確に劣っていれば彼の後継は務まらなかっただろう)
200 :
世界@名無史さん:03/05/14 00:17
>>197 同意。
ナポレオンくらいになると、一桁台の微妙な差を使い分けて欲しいと思う。
94と96の差が、実は勝敗にとって決定的だったりするからね。
>200
難しいんですよ。
例えばカール12世を94、ナポレオンを95とかした場合、その1点差の根拠について考え出すと訳が分からなくなりますし。
2点差と1点差の違いは何だ、と聞かれると答えにくいですし。
それで、だいたい5点ごとに付けているんです。本当は甲乙丙丁とかABCDEとかでもいいんですけど、スレタイがコーエーですから・・・。
>198
イスラム帝国の創始者ですね。
キリスト教にとって実はイエスよりペテロやパウロの方が存在が重いとさえ言えるのと同じかも知れません。
まず傑出した組織者、指導者だったのでしょう。
過去ログに項目別TOP候補なんて面白そうなのがあったんですね。
僕もやってみます。
項目別TOP・・・もとい、最強抱き合わせ候補
【統率】ジョン・ラックランド
【武力】乃木希典
【知力】趙高
【政治】徳川綱吉
【魅力】煬帝
『獅子王』と呼ばれたリチャード1世を父に持ち、
マグナカルタの施行など世界史上非常に重要な役割を果たしたジョン王が
内閣総理大臣として政治を統括。
日本史上最も輝ける戦役で、
その勝敗をも左右する天王山『旅順攻略戦』を第三軍司令官として戦い抜いた、
世界に誇る我らが乃木将軍に防衛長官として軍事一切を取り仕切ってもらい、
中華史上最初の統一王朝秦の末期にあって、皇帝を支えて政治を取り仕切った
敏腕趙高を官房長官に迎えて、裏から内閣を全面的にバックアップてもらう。
彼の存在があれば、この内閣は(合法的手段では)なかなか倒れないだろう。
おまけに独創性溢れた慈悲深い政策でわが国の歴史を彩った5代将軍綱吉をブレーン、
シンクタンクの長として内閣の政策全般をサポートしてもらった、
『開皇の治』と詠われる優れた統治で、それまでで最も強大で豊かな王朝を
築いた父文帝の後を継ぎ、永く歴史に語り継がれる高名な隋の煬帝を精神的規範
として象徴君主に頂く最凶国家。
>>202 隠し味としてエリザベート・バートリまたはマリー・ド・ブランヴィリエ、
ないしは妲己か呂后あたりをジョンの愛人にすると、より一層エレガントです。
カール十二世ってすげーーーーー!
リチャードと同じにしちゃかわいそうな気が・・・
>204
リチャードがバカに見えてしまうのは、「尊厳王」フィリップ2世の影響もあるように思われ。
……フィリップ2世も興味深い人物ですね。
バチカン敵に回しながらも上手く立ち回っているし。
評価に挑戦してみましょうかねぇ……?
>206
全部ネタだっつーの
了解しましたw
父はヘンリー二世だな
>>202 凄い・・・最凶セットというべきか、逝ってる体制というべきか、
はたまた国民総ファビョーン体制というべきか。
>>209 仰る通りです。書き込んでから気づいて、訂正するか迷っていたんですが。
改めて「『獅子王』と呼ばれたリチャード1世を兄に持ち」と訂正させて頂きます。
ご指摘ありがとうございました。
政治は徳川家斉、源頼家、白河上皇、後醍醐天皇でもよさそうな。
日本史で書いてみたい気もするのですが・・・。
趙佶(徽宗)vs.足利義政というのも見てみたかったりする。
傑物というよりアレな人物の評価のほうが好きだったりするのは私だけか?
217 :
「ど」の字:03/05/15 12:32
足利義政は詳細に出来るかも。
しかし凄い数字になるだろうな……。
概算でこのあたりか。
【統率】4(何かに対して統率力を機能させたためしがない。政治家というより人間失格)
【武力】25(戦略戦術を全く欠片ほども理解していない。個人武勇も論外)
【知力】38(趣味と教養に著しく偏った知の持ち主。事務処理能力はゼロに近い)
【政治】10(技術無く、熱意無く、見る目無しの三重苦。日本史上二番目の愚劣政治家)
【魅力】23(カリスマ性が有ったようには見えない)
218 :
世界@名無史さん:03/05/15 14:37
>>217 個人的には、義政は
【統率】10【武力】15【知力】33【政治】8【魅力】55←これくらいはあったんじゃないかと妄想。
魅力はそこまで低くしないでいいんでないでつか?
フィリップ2世をやってみようと思いましたがそれは>202氏にお任せするとして、
既出でないようなのでフィリップ4世を。
フィリップ4世(1268〜1314)
在位1285〜1314 通称「端麗王」または「美麗王」
父フィリップ3世の死により1285年に即位。
1294年イングランド王エドワード1世のフランス内の所領の没収を宣告してギエンヌ戦争を始める等、積極的に対外戦争を行う。
が、決定的な勝利を得れず、財政難を招く事になる。
戦費調達の為フィリップ4世は教会法に反して聖職者に課税を行うと、聖職者は教皇ボニファティウス8世に訴え、教皇も破門をちらつかせて激しく非難した。
これに対抗したフィリップ4世はフランスの聖職者が教皇に差し出す租税、献上を禁止し、教皇との対立が深まる。
以後フィリップ4世と教皇とはしばしば激突し、ボニファティウス8世は国王は教皇に従わなければならないとする教書を発した。
対してフィリップ4世はノートルダムに聖職者、貴族、市民の代表を招集し、初めて三部会を開く。
この場で彼は先に発せられた教書を歪曲して発表し、国民の支持を取り付け、又三部会は課税の承認と教皇への非難を決議する。
教皇は憤り、俗界の権威は聖界の権威に服従せしめられる事は当然であるという主張の教書を発した。
フィリップ4世はこれを無視し聖職者をルーヴルに集めボニファティウス8世を異端者として告発、廃位を要求した。
尚抗しようとする教皇に業を煮やしたフィリップ4世が取った行動がかの「アナーニ事件」である。
(続く)
1303年フィリップ4世は腹心のノガレらに命じて教皇ボニファティウス8世が滞在していたアナーニを襲撃、
教皇を捕らえ幽閉する。ボニファティウス8世はその後解放されたが、屈辱の為かまもなく没した。
アナーニ事件で教皇の権勢は落ち、王権がますます増していく事になる。
1305年の教皇選出でフィリップ4世は教皇選出に介入し、選出されたクレメンス8世を1309年、強制的にフランス領内のアヴィニョンに移す。
この出来事はアヴィニョン捕囚、又は教皇のバビロン補囚と呼ばれ有名である。
フィリップ4世は外は前述したように積極的な政策、内は王権強化に勤めた。
中央集権化を図る為法家を起用し、財政や法制の改革を行った。
だが悩まされ続けたのが財政難であった。
フィリップ4世は財政難解消のためフランスで金貸し業を営んでいたユダヤ人を逮捕し、多くの財産を手に入れる。
そして1307年に彼は莫大な私財を持つテンプル騎士団に多くの罪状を作り団員を逮捕し、1314年に解散に追い込む。
が、彼が望んだテンプル騎士団の財産は手に入れる事が出来ず、その団員、財産はヨハネ騎士団に受け継がれた。
テンプル騎士団を解散させた後、フィリップ4世は急死する。
彼の死語その急死にはテンプル騎士団長モレーの呪いという風評が立った。
テンプル騎士団員は皆拷問され自白を強要され、モレーも拷問に屈し自白していた。
しかしモレーはその自白を撤回する。自白の撤回、それは火刑を意味した。
1314年3月18日、モレーは火刑に処される。処刑の際モレーは無実を訴え続け、そして教皇とフィリップ4世を呪いながら死んだ。
今回のフィリップ4世の死はその呪いのせいと言うわけであった。
更にその信憑性を増させたのはフィリップ4世の死後、王位を継いだ王子達と孫は次々に死に、カペー朝が断絶してしまった事である。
ともあれカペー朝は断絶し、後を継いだのはフィリップ4世の弟ヴァロア伯の子、フィリップ6世であった。
ここにヴァロア朝が誕生する。だがカペー朝断絶の際、
フィリップ4世の娘イザベルと前イングランド王エドワード2世の子である現イングランド国王エドワード3世が、
フィリップ4世の血が流れる自分に王位継承権があると主張する。
こうして血で血を洗う百年戦争が勃発し、フランスは苦境に立たされる事になる。
能力
【統率】75(謀略を駆使してはいたが国民と国を纏め上げた)
【武力】59(自ら軍を率いた事は無いが、長脛王とやりあってボロ負けしなかったことを評価)
【知力】86(そうとう悪どいです。フィリップ2世の遺伝なのか)
【政治】78(能動的に数々の政策を行うも、内政面では財政難と戦費調達に悩まされた)
【魅力】61 (冷酷な印象が拭えませんが、その異名を加味して)
細かい数字はフィーリングです。
こうして見るとかなりの悪人ですね、フィリップ4世。
まぁボニファティウス8世も酷い男だったようで、彼に関しては自業自得と言えますが…。
222 :
世界@名無史さん:03/05/16 20:08
yt
223 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/16 22:31
>>217 好きなことやった分には知力も政治力もあったかと。平清盛が宋から贈られた
という花器を明に贈って「ヒビが入っているから取り替えてくれ」と伝えたと
ころ「もうこんなものはつくれない」と修繕されて帰って来たという話があり
ますが、名木奇石を好きなように集めて時の帝からまで諌められていたからに
はある意味ただものではない。早い話、政治より遊びが好きだっただけ(?)。
それよりやる気まんまんで政治家をやっていた手合いの方がたちが悪い。
>>217 息子が死んだときに、人並みに落ち込んで念仏供養したって話は好きだなー
義尚ももうちょっと長生きしてれば、室町幕府もそこそこ生き長らえただろうに
義正とネロって似ていますな。なんか。
がはぁ! 義正× 義政○
227 :
世界@名無史さん:03/05/16 23:46
義尚、やる気はありましたからね〜
能力もそんなに悪くないんじゃない?
>225
ネロが爆発的芸術家、義政が根暗系(オタク的)といったところかと。
>227
義材もね。義尚は家庭教師があの一条兼良(当時日本一の大学者)だっ
たので若いころから頭も鍛えていたとみていいでしょう。
スパルタクス(?〜前71年)
古代ローマ剣闘士。BC73年に、仲間とともに剣闘士養成所を脱走、
ウェスウィウス山に立て籠る。ローマの鎮圧軍を壊滅させ、奴隷たち
に希望を抱かせる。その後は次々に奴隷たちが参加、数万人の軍隊に
なる。南イタリアで越冬後、アルプスを越えて故郷に帰るために北上
を開始。ローマ軍を次々に破りながらアルプスの麓に到達。が故郷を
目前にしていたにもかかわらず、再び南を目指して戻っていった。
再南下した理由はいまだに大きな謎である。
スパルタクス軍は、クラッススをも撃破、そのまま南下してシチリアへ
の渡航を目指す。しかし、輸送を承諾したはずのキリキア海賊は、ローマ
に買収されていて、シチリアにわたることはできなかった。その後、十数
万人の奴隷軍を率いて南イタリアを彷徨い、クラッスス軍を何度か破った。
しかし、ポンペイウスやマルクス・ルクルスがイタリアに帰還したことを
知り、絶望。スパルタクスは、クラッススに最後の決戦を挑み、壊滅。
スパルタクスもこの地で壮絶の戦死を遂げた。
能力
【統率】81(寄せ集めのローマ軍であったが何度も破り、ハンニバル
並の恐怖をローマに与える。数十万の奴隷集団を訓練
統率した能力。
【武力】97(剣闘士奴隷であるので個人の武勇も並ではない)
【政治】53(重要な決定は会議を開き決定。軍律を厳格にしローマ
市民からも賞賛される。)
【知力】75(ローマ軍の弱点を見抜き何度も勝利を得る。)
【魅力】86(品行方正。第一次、第二次大戦でも彼の名を
冠するレジスタンスも結成。古代ローマの英雄)
フィリップ2世『尊厳王』(1165〜1223)
フランス・カぺー朝第七代国王(在位1180〜1223)
【統率】92
業績面では文句の付けようが無い、史上稀にみる優れた指導者。
当時弱小なフランスにありながら、若い頃から政略結婚など積極的に
領土拡大に情熱を注ぎ、嘗て無いほど強大だった絶頂のイングランド(以後
イギリス)国王四代と渡り合って、フランス内のイギリス王領を根こそ
ぎ奪い取り、果てはロンドンまで攻め込んだ鬼君主。
他にもオーベルニュ、シャンパーニュ、北・南フランスにも勢力を拡大。
増大する領地を統治するために王領の政治行政機構を改革し、
フランスカペー朝の勢力を飛躍的に増大させた。
諸侯に対抗できたのも国内で大きな支持を取り付けることができたからこそ。
【武力】75
リチャードには敵わないものの、ブーヴィーヌ戦では兵力劣勢にも関わらず、
オットー皇帝率いるドイツ軍を翻弄し、完勝した采配は見事なもの。
戦術面でかなりの才能があるが、同戦では一時危うく討ち取られそうな局面が
あるなど実戦部隊の指揮能力には、ちょっぴり穴があるのかもしれない。
【知力】94
僅か15で国王となってから、様々な謀略や政略を駆使して王権を強化し続ける。
極めつけはイギリス王家内部の軋轢を利用して、あっちこっちと散々かき回し
た挙句にボロボロにする所など、そのやり口はまるでフランス版の毛利元就。
複雑な利害関係が絡み合っていた西欧を小ずるく立ち回って飛躍的に領地を
増やし、国内的にも様々な改革を行って王権を強化するなど、
その統治にはまるでそつがない。
ただ戦いにおける初動で、しばしば敵に対して戦略的な遅れを取っていること。
ローマ教皇との反目が聖務禁止令やイギリス遠征の妨害など障害となって常々
立ちふさがり、それを解決できなかったこと。
またリチャード1世との戦いでは、イギリスから掠め取った旧領の殆どを奪還
され、リチャードの不慮の死が無ければどうなっていたか解らないことなど、
少し気になる点もある。しかしその不利を克服するだけの政略と戦略眼は
流石に一流で、歴史的にも不世出の名君というに相応しい人物であることは
間違いない。
【政治】87
ローマ教皇との折衝は上手くいかなかったが、フィリップ謀略の骨子である
敵国内の対立を利用するため、利害に応じて相手を変えコロコロ結んでは離れる
外交手腕は鮮やかそのもの。
内政的にも王権を強化するため国内統治機構を改革。世襲制により硬直した官僚
機関の対策には有給官僚を設置して裁判を審級制にし、定期金知行を施行。
一方カペー朝の世襲制はちゃっかり確保するため息子ルイに早めに王位を譲り、
他領の諸都市を認可して支持を取り付け、自領のインフラ整備も怠らない。
統治面でもなかなか適切で、優秀な政治手腕を発揮している。
【魅力】72
『オーギュスト(尊厳王)』の贈名に相応しく、今なおフランスで
偉業を称えられる英雄。オーギュストには傲慢という意味も内包されているら
しく、それもまた彼の一面を示したものではあるのだろう。肖像画は、
まさに悪代官フランスバージョンだった。
謀略家の常ではあるが、そのこすっからい性格はあまりお近づきになりたくない。
おまけに女絡みの問題は、お隣のジョン王とも五十歩百歩(やっぱり50歩ほどは
負けるが)。同時代的にも後世でも賞賛される偉大な国王だが、
その実績が無かったら、たぶん友達も無かっただろう。
(以下経歴につづく)
【フィリップ2世の経歴】
若くしてルイ7世の後を継ぎ国王に即位。栴檀は二葉より芳しというが、
フィリップはそうだった。傀儡になることもなく政務を取り仕切り、
カロリング家のイザベル・ド・エノーと政略結婚して王家の連続性をアピール。
ついでに北部フランスを併合する。
当時イギリスはプランタジネット家のヘンリー2世が王位につき、土産にフランス
の西半分、政略結婚でスコットランド近辺まで領有するなど強大で、フランスに
対してかなり優位にあった。おまけにフィリップはまだ若く経験も浅いのに対し
てヘンリー2世は百戦錬磨の猛者。ここは縮こまって大人しくしてるのが普通だが、
でもそんな状況から、少しずつイギリスを食いつぶす毒虫ぶりがいい。
以前からイギリスは親子兄弟の間で泥沼の修羅場を演じていたが、
ごたごたは長子ヘンリーの病死で一応の終息をみていた。そこに目をつけた
フィリップはヘンリー2世の息子リチャードを支援して反乱を起こす。
この傷口にせっかく出来たカサブタを剥いで、毒を塗るような行為は見事にヒット。
ほどなくヘンリー2世は捕縛されまもなく死亡、リチャードが国王となる。
1190年、親友リチャードと共に十字軍遠征に参加するが、そのうち仲違いして
フィリップは翌年に早々帰国し、以後はフランス統治に集中することになる。
以前は二人はとても仲がよく、リチャードは豪勢な贈り物までプレゼントしていた
ようだが、これ以降フィリップはリチャードに執拗なまでに敵対行動を取り続ける。
いったいこの時二人の間に何があったのだろうか?
リチャードはかなりの男色家だったらしい・・・いや、この憶測はどうも趣味が
いいとはいえないが、ただ、歴史はあまり多くを語らない。
(つづく)
(つづき)
なんだかどんどん長くなりそうなので、経歴はこの位にして、後は割愛します。
ごめんなさい。もう限界です。
でもついでに少し。
当時の西欧では戦いは一種のスポーツのようなもので、
(十字軍戦争は例外として)騎士部隊が衝突しても殆ど死傷者がでない穏やかなもの。
本格的な戦闘が行われるのは1世紀ほど後の歩兵密集戦術の確立まで待たなければならず、
同時代的に戦闘技術の面では見るべきものはない。
また軍の規模もとても小規模で、有名なブーヴィーヌの戦いにしても、
動員兵力は日本の戦史『川中島の合戦』の半分程度でしかない。
この頃アジアではチンギス・ハーン率いる蒙古軍が活躍しているが、
もしフィリップ率いるフランス軍が彼らと戦ったとしても、
きっと手も足も出ずに完敗したんじゃないだろうか。
>>219 ナポレオン、カール12世とくれば、僕としてはクラウゼヴィッツか
フリードリヒ2世(プロイセン大王の方)がやってみたいと思っていたのですが。
でも、なんだか任されちゃったようですので、
人一倍義務感が強いせいか、予定を変更して要請にお応えすることにしました。
236 :
世界@名無史さん:03/05/17 12:10
フリードリヒ大王は前スレか前々スレにあったな。
やるとすれば再評価ということになると思うが、まあいいや。
では、予告していた人を。
----------------
大久保利通(1830-1878)(利済、正助、一蔵、号甲東)
明治政府の参議・内務卿
薩摩藩の下級武士(小姓組)大久保利世の嫡子として生まれる。
一度出仕したが藩内の権力抗争に連座して失職。後島津斉彬に見出され、西郷隆盛らと共に若手下級武士団の中心的存在となる。
斉彬没後は素早く島津久光に接近。暴発しがちな同志を抑えて久光の信頼を得て小納戸役に抜擢され、藩政に参与。寺田屋事件では攘夷派を見殺しにするなど、冷徹な政治姿勢を貫いた。
薩英戦争後は積極的開国派に転じ、更に岩倉具視と連携して公武合体論を武力倒幕論に転換させ、明治維新を成就させた。
明治政府成立後は東京遷都,版籍奉還,廃藩置県等の改革を成功させ、大蔵卿となり内政確立をめざした。
欧米各国巡遊から帰国後は内治優先を唱え、征韓反対を強く主張して西郷、江藤新平らと決裂。彼らを追放して自ら内務卿に就任。
殖産興業を推進、士族叛乱に対しては諸外国から最新鋭の武器の大量買い付けを命じ、佐賀の乱では鎮台兵の士気高揚も兼ねて前線視察に赴くなど辣腕振りを発揮。
西南戦争においてもかつての盟友西郷に対し容赦の無い姿勢を貫いて鎮圧。日本帝国の中央集権的体制を確立した。
明治11年5月14日、宮中で催される陸海軍将校の勲章授与式に向かう途中、紀尾井坂で暗殺された。享年49歳。
能力値
【統率】75(その冷徹かつ強引な手法故憎まれたが文句無く組織者として有能だった)
【武力】40(智の人で武勇に関する逸話は無い。ただ、勇気と度胸は十分に備えていた)
【知力】85(徹底して実務の人。先見性はともかく時流を見る目には非常に優れていた。経験から学ぶ能力も高い)
【政治】95(異様なほど冷徹かつ合理的な政治手腕の持ち主。政治能力では明治政府内でも別格の存在)
【魅力】40(能力は畏怖されても人としては憎まれた。敢えて憎まれ役を通していた節はある)
日本のリシュリューと言うべき人物。リシュリューは遺言に「私の敵はフランスの敵以外に無かった」と言い残したが、大久保もそう言いたかったに違いない。
西郷がいかにも日本人好みの悲劇性を持った英雄だったのに対し、あくまで冷徹さを貫いた大久保は郷里鹿児島においてさえ今でも嫌われている(つい最近まで銅像も立ててもらえなかった)。
しかし彼がいなければ、明治政府はその発足直後に瓦解していたろう。いや、維新すら成就していたかどうか怪しい。
伊藤博文らがまともに仕事が出来たのも、大久保が命がけで地ならしをした後だったからだと言える。
大久保への同時代の人物評を二つほど。
勝海舟「大久保という人には信念というほどのものは無かったが、自分がその時その時聞いた話から最も良い方針を選び出すとその実現に邁進する人だった。そしてその手腕にはまず比類が無かった」
松平春嶽「古今未曾有の英雄と言うべき。力量に至っては世界第一とさえ言えるだろう」
239 :
世界@名無史さん:03/05/17 23:00
フリードリヒ2世(神聖ローマの方)
フリードリヒ1世(赤髭)
も頼む
240 :
世界@名無史さん:03/05/18 01:09
ローマのアエティウスと
ビザンツのペリサリウスお願いします。
漏れはナルセスの評価をキボン。
242 :
世界@名無史さん:03/05/18 09:48
ペリサリウスは過去ログ(1スレ41)にあった。
つーかコテハン評者を指名するのでなければ、
HTML化した1スレくらい読んでから頼め。
243 :
世界@名無史さん:03/05/18 10:34
>>243 いや、普通だろ。過去ログと言っても2つしかない。
何十もあるログを読め、とか言ってるんじゃないんだから。
本当に興味があるなら、過去ログくらい読むだろ。
あと、頼んだら引き受けてもらえるのが当然だとか思ってる人多そうだな。
DQNのスクツですから
始皇帝、李世民、朱元璋、永楽帝、康熙帝 などお願いします。
私の見る限りなかったので・・・
247 :
「ど」の字:03/05/18 21:23
248 :
世界@名無史さん:03/05/18 21:49
諸葛亮孔明=石原莞爾=知力100
始皇帝はお利口さんかもしれないが親の財産をすり潰した道楽息子のイメージもある。
ダブーとかネイとかミュラとかナポレオン麾下の元帥って既出?
252 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/19 19:17
「政治家の資格」
リスト・リチ(1889〜1956)フィンランド大統領
第二次世界大戦について語られる時、大国同士の覇権争いばかりが語られることが多く、
二大陣営に翻弄された小国については、ほとんど語られることがありません。
しかし、小国には小国の戦いがあり、ドラマがあったのです。
北欧の小国フィンランドは、国家の独立を賭けて、第二次世界大戦を戦いました。
リチは「冬戦争」では首相として、「継続戦争」では大統領として戦争を指導し、
ヒトラーとスターリンという二人の天才的指導者を向こうに回して、見事に祖国の独立を守り抜きました。
天才マンネルハイムの影に隠れて、リチの名が日本で語られることはほとんどありませんでしたが、
彼もまた、後世に語り継ぐべき偉大な指導者です。
よって、リスト・リチの評伝を書くこととします。
253 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/19 19:34
1.統率力
彼自身は、ソビエトと戦うべきでないという意見の持ち主でしたが、
スターリンがフィンランドを併合しようと攻めて来ると、
徹底抗戦を唱えるフィンランド軍最高司令官マンネルヘイムの意見に同意し、
果敢に戦争指導にあたります。
マンネルヘイムを始めとする軍部が戦争に専念できたのは、
大国相手の戦争で動揺している国民をよくまとめあげたリチの指導力があったからです。
第二次世界大戦では、多くの民間人が犠牲になりましたが、
フィンランドの民間人の犠牲者は、2000人に留まりました。
これは、国土が戦場となった第二次世界大戦の交戦国の中では、奇跡的に低い数字です。
リチの統率力はこの時代では一級レベルと思われるので、「83」とします。
254 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/19 19:36
2.
リチは文民政治家であり、もともとは非戦派でした。
軍事に関する能力・知識ともにあるとは思われないので、
無能レベルの「29」とします。
255 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/19 20:00
3.知力
1942年の夏のドイツ軍の大攻勢を見て、
「ドイツがソビエトに勝利するのでは」と信じかけたり、
フィンランド第二の都市ヴィープリの陥落を知って驚愕し、
ソ連に無条件降伏しようとして、マンネルハイムに止められるなど、
その判断力には疑問符が付きます。
しかし、マンネルハイムの進言に素直に従い、
致命的な失策を犯す事はありませんでした。
このように、軍部と政府のトップが信頼しあっていたから、
フィンランドは苦しい戦争を戦い抜いたのです。
リチ自身の知力は凡庸でしたが、正しい進言を聞き入れることは出来ました。
よって、リチの知力は中の上レベルの「65」とします。
256 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/19 20:22
4.政治力
ソビエト軍の大攻勢に遭い、戦線が崩壊しかけていた時、
リチはドイツから軍事援助を得るべく、条約を締結します。
しかし、この条約には裏があり、「リチとドイツ外相リッペンドロープの個人的な協定」という形で、
結ばれたものでした。
当時、敗色が濃厚だったドイツと結ぶことは、とても危険なことでした。
そこで、リチはソビエトとの講和の余地を残すため、
「リチが国民を無視して条約を勝手に結んだ」ということにしようとしたのです。
初歩的なペテンでしたが、おかげで、ソビエトと有利な条件で講和を結ぶことに成功します。
リチは、ドイツ・ソビエトの二大強国の狭間で苦しい外交を繰り返し、
ついに祖国の独立を守り抜きました。
彼は軍の奮闘を、最大限の外交的成果にする術を知っていました。
よって、政治力は「77」とします。
257 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/19 20:43
5.魅力
リチは、激動の時代に居合わせた、平凡な人でした。
そのため、同時代の指導者達のようなカリスマを発揮することはありませんでしたが、
その誠実さでマンネルハイムほどの人物とも信頼関係を築くことが出来ました。
戦後、リチはドイツと手を結んだ責任を問われて、戦犯として裁かれ、政治生命を絶たれました。
その後3年で釈放されましたが、獄中で病に侵され、数年を病床で送った後に、亡くなります。
しかし、フィンランド国民は彼のことを忘れてはいませんでした。
自分の政治生命と引き換えに、国を救ったリチは、まぎれもない英雄だったからです。
戦犯であるにも関わらず、リチは国葬をもって葬られました。
そして、現在に至るまで救国の英雄として尊崇されています。
リチの魅力は優秀レベルということで、「71」としたいと思います。
258 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/19 20:57
リスト・リチの能力を発表します。
【統率】83
【武力】29
【知力】65
【政治】77
【魅力】71
平和な時代の指導者としては、申し分の無い能力です。
知力の高いブレーンを付ければ、なお良いでしょう。
リチはその性格や業績から、本来は平時向きの人だったと思われます。
しかし、強いられた戦いを投げ出そうとせず、
自らの政治生命を犠牲にしてまで、戦い抜きました。
彼は政治家の最も高潔な面を体現した人物と言っていいでしょう。
キタ━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━!!!!!
まさか戦犯サソだったとは・・・。祖国のために己が泥をかぶる、こんな政治家、本当にいたんでつね。
そういえば、20世紀の人間だってのに「生没年すら、未だに分からない」というのは何故でしょう?
260 :
「ど」の字:03/05/20 00:43
>>258 ついに来ましたか。待っていました。
他国に知られていない救国の英雄、なわけですね。
本当は、こういう人物の事跡を知ることが、芯の世界史理解に繋がるのに……。
日本の世界史教育というものを、1度洗い直して欲しいものです。
歴史を、子供を人間嫌いにする意味の無い暗記教科にした教育家たちの罪は、極めて重いと考えています。
(集英社インターナショナル発行『痛快!ローマ学』P8より抜粋、塩野七生女史の言葉)
世間一般で「立派な大人」と思われているような人が、「わたしは歴史が苦手で」と言すのを、何度聞いたことでしょう。
まあ、これは無味乾燥で、歴史の面白さをちっとも教えてくれない日本の歴史教育に責任の一端があるわけですが、
あえて私はこう答えることにしています。
「失礼ですが、そういうことはおっしゃらない方が良いのではないでしょうか」
すると、大抵の人は口をポカンと開けます。そこで私はさらに言葉を続ける。
「何故なら、歴史って人間です。だから『歴史が嫌い』なんて言うと『人間が苦手なんだ』と告白することになりますよ」
ただ、マンネルハイムの足を相当引っ張ったのもまた事実なんですよね、この人。
「前線がいくら粘ってもヘルシンキが戦意を失っては何にもならない」と老元帥を絶望させかけた事もありましたし。
政府と軍のバランスが取れていたと言うよりは、軍に大局的な視野を持つマンネルハイムという希有な人物がいて、彼が政府にも影響力を行使しえた事がフィンランドが生き残れた理由だと思いますが。
あの戦争でのフィンランド軍の敢闘振りはもはや伝説と化していますし。
262 :
「ど」の字:03/05/20 01:28
>>261 フィンランドの奮闘振りは、少なくともアメリカでは常識のはずです。
色々なアメリカ発の軍事ゲームでも、フィンランドは特別ルールがあります。
(自分は『Up Front!(秀作カードゲーム)』でフィンランド軍特別ルール邦訳をして驚いたことがあります。
そのエクスパンションの名も『Coldwar』。フィンランド軍は嘘みたいに強かった)
やはりソ連との戦いをやりぬいたから評価が高いのでしょうか?
263 :
世界@名無史さん:03/05/20 01:45
>>258 マンネルへイムとパーシキヴィーの評価もできたらやって欲しいです。
永遠の青さんお久しぶりです。
なかなか詩的なHNですね。いい感じです。
ソ・フィン戦争は、すでに欧州各戦線で激しく火花を散らしていた
連合国とナチスドイツが、フィンランドではガッチリとスクラムを組み、
手を携えてフィンランドと共にソ連に対抗したという歴史的にも異例の
いと麗しい経緯があるので、関心もあり興味深く拝見させていただきました。
またこの時のソ連軍の絵に描いたような駄目っぷりが、後のヒトラーの
ソビエト進攻という決断に大きな影響を及ぼしたという意味で、
歴史のターニングポイントともいうべき重要な事柄でもあると思います。
それにしても、素直にマンネルハイムに行かず、
リスト・リチというからめ手から攻めるあたりさすがです。
イッソスの戦いで勝利したアレクサンドロスは、
そのままダリウスを追ってペルシアに攻め込まず、
地中海沿岸を南下してペルシアの海上拠点を抑えたといいますし。
>>248 諸葛亮は・・・ともかく、
石原莞爾に関しては前スレで【知力】97を付けさせて頂きました。
確かに状況判断や先見性、実行力の面で石原ほどの人物は歴史を
眺めてもなかなか見受けられませんが、
それでも彼の行動は結果として政治と軍事を分離してしまう
危険を孕んでいて、事実そうなった事が日本敗戦の淵源になって
しまったという重大さを考慮すると、100はやっぱり躊躇われます。
クラウゼヴィッツは『戦争論』で、
「軍事は政治の従属物」として、「政治にコミットできる立場に
ない軍人が政治に口出しするのは危険である」といっています。
あくまで従属物として政治に従うという大前提を蔑ろにした結果、
取り返しのつかない失敗に結びついたという点が、
石原を考える上で避けて通れない失点ではないでしょうか。
日頃から日本には軍事学が浸透してないと嘆いていた石原が、
戦争論も理解していなかったというのは、少し残念です。
もっとも、『孫子』では逆に「君命に、受けざる所あり」と、
前線に於いて最も適切な状況判断ができる軍人は、
時には君令に反することも必要だと言ってますし、
石原も帝国軍人としてではなく、満州の一革命家として
日本からの国籍離脱も覚悟して望んだ行為ではあるの
でしょうけれども。
266 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/20 08:16
>>259 普通の政治家は、自分の政治生命を守るためなら国を売るのに、
リチは国を守るために自分の政治生命を、自ら断ちました。
このような政治家がいたことが、ほとんど知られていないのが残念で、
筆をとった次第です。
>>260 歴史は人が織り成すものであり、一つの事件の裏には、無数の人の努力や画策があるのです。
それらを教えず、ただ暗記させるだけでは、歴史は無味乾燥なものなってしまいます。
かくいう私も、学校では歴史をぜんぜん勉強しなかったので、ぜんぜんいい点が取れませんでした。
267 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/20 08:33
>>261 天才マンネルヘイムと違い、リチは凡人でした。
それゆえ、判断を誤りかけたことも少なくありませんでした。
しかし、マンネルハイムを心から信頼し、彼の進言を聞きながら戦争指導を行いました。
リチが軍のために環境を整えたから、軍もあれほどの敢闘を見せることが出来たのだと思います。
リチが普通の指導者なら、マンネルハイムやタルヴェラのような有能な将帥を生かせずに、
東欧諸国のように、あっさりドイツやソビエトに占領されていたでしょう。
>>263 20世紀には数少ない万能の天才であるマンネルハイムと、
第二次世界大戦直後の混沌とした世界において、
屈指の優れた指導者であった「政治の芸術家」パーシキヴィー。
この両名は、偉大な業績のわりに、その知名度は低いものがあります。
いつか、この二人の評価もやってみようと思います。
>248
諸葛亮
統率72(大軍の指揮がよくできていた。)
武力77(高いレベルの戦術眼を誇り、北伐でも魏相手にほぼ互角に戦った。)
知力65(戦略家としての能力に欠けていた。 また天下三分の計にも矛盾面が多い。)
政治86(新兵器の開発や兵数確保等に力を注いでいた。 また、陳寿に「管仲・蕭何といった名相の仲間といっていい」とまで言われた。)
魅力84(責任感があり、刑罰・政治は厳格であったのに怨む者がいなかった。 そして人々は彼を尊敬し愛した。)
私的には諸葛亮はこんな感じです。 知力が1番低くなりました・・ 世界史レベルでは高いかな?
僕も彼は好きですが何分知識不足なので、何方か博識な方に彼の数値化やってほしいです。
>268
私的にはこんな感じです。
【統率】70(組織者としての力量はかなり高いが、運営者としては杓子定規に過ぎる点が多い)
【武力】75(戦争目的を確立しそれに向けた戦域レベルでの戦争デザインはできたが、柔軟性と判断力には疑問がある)
【知力】90(法家思想を以て国家デザインを行い、同時代には曹操しか比較できる人間がいない)
【政治】90(極めて優れた経済官僚であり、兵站運営の手腕は当代随一。失敗もあったが、その失敗を踏まえてひー国家の延命を考えることもできた)
【魅力】70(本人にカリスマ性があったのではなく、劉備のカリスマ性を巧みに援用していたと思われる。彼は君主でもなければ独裁者でもなかった)
諸葛亮は、軍人や戦略家というよりは実務に長けた経済官僚だったと考えています。
古来中国においても、複数の史家がいわゆる「水魚の交わり」を疑問視しており、劉備は諸葛亮を軍師としてではなく経済官僚として扱っていたらしいと考えられる節も多々あります。
彼が蜀の国政の中心的存在となるのは劉備の没後であり、同じく後事を託された李厳が失脚同然の立場に落ちた後でした。
270 :
世界@名無史さん:03/05/21 23:38
:@
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
日本文学史には名を残したが、天才的詭弁や政策ミスで周囲にはた迷惑な人物だった
森鴎外って、コーエーの人物ユニットとしてはどうですか?
273 :
「ど」の字:03/05/22 16:04
>>272 文豪にして国賊という人格だが、歴史的に何かした人物ではないので、評価不能。
知識(タレント)はあっても知力(インテリジェンス)に欠けているので、全ての数字が低いとは思う。
274 :
世界@名無史さん:03/05/22 19:29
汪兆銘ってどうですか?
授業で少し気になったもので・・。
275 :
汪兆銘って凄いです。:03/05/22 19:53
思うに戦争というものはいずれの側も苦痛なものである。しかし如何に苦痛があろうとも前途に希望があればそれに耐えて
いくことができる。中国の和平地区の民衆も苦痛である点においていささかも変わるところはない。しかし同盟条約が成立
して、民衆はここに明るい希望を持つことができた。一方この同盟条約が重慶側に与えた影響は、想像以上のものがあった
と思う。(大東亜会議に参加しての談話より)
>>273 でも鴎外は軍医だよ。
当時としては知力が高いほうじゃない?
277 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/22 21:09
>>276 知力(判断力・先見性・実行力)と知識は違います。
いかに医学に通暁しようとも、軍医総監として、白米食に固執し、
数万人の兵士を脚気で苦しめるという致命的な判断ミスを犯した彼の知力は、低く設定せざるを得ません。
278 :
世界@名無史さん:03/05/23 00:04
k
279 :
政治家にはだまされるなー!!有事法制反対!!:03/05/23 00:09
有事法制(戦争法)は必要ありません!!!
有事法制ができて、得する人たち(その理由)
1、日本政府 ―軍事的にアメリカ政府に良く思われる。市民の行動を監視し、命令どおりに従わせることができる。
2、アメリカ政府―アメリカが気に入らない国を攻撃するときに、日本に軍事的、経済的支援してもらえる。
3、政治家 ―アジアに対する軍事的支配を実現させる。愛国心をあおって、政治家としての地位を確実なものにする。
4、自衛隊 ―有りあまる武器を実戦で使うことができる。戦争ができる。
有事法制ができて、損する人たち(その理由)
1、日本国民 ―市民は日常生活における自由を制限され、財産は国家の所有物と化す。
戦争に協力しなかったり、反対すると犯罪になり、懲役や罰金が科せられることもある。
自分の家が軍事戦略的に邪魔なときは、没収、解体される。
医療現場では兵士が優先的に治療され、市民は後回しにされる。
2、アジア ―軍事大国である日本が、軍事的にアジアを威嚇することになり、アジア全体に軍事武装強化の動きが強まる。
3、世界 ―9.11以降、世界的に軍事的な緊張が高まるなか、さらに戦争やテロに依存する傾向が強まる。
4、平和にとって―話し合いによって進めてきた過去の平和外交を大きく否定することになる。
どちらでもない
1、北朝鮮 ―日本を攻撃する理由はない。戦争するための軍備も金も、資源も食糧もない。
有事法制は北朝鮮に対して、軍事的に大きく刺激してしまうことになる。
有事法制ができてしまうと、市民の人権や、生活の自由は大きく制限される。
有事法制は、国を守って市民を守らないものだという事を政治家が言っている。
北朝鮮は全然、戦争する気はないのだが、
北朝鮮問題を利用して、知らないに国会では、政治家や日本政府、アメリカ政府や
自衛隊などの権力者のための法律を作ろうとしています。
(武力に頼らない)本当の平和のために、市民の自由のために
有事法制は反対だ!と声を上げていきましょう!!!!!!!
もう、政治家にダマサレていてはダメ!!!!!!!!!!!!
>276 陸軍の軍医だったが白米にこだわったため
脚気患者続出。当時ビタミンを発見した(オリザニン?と命名)
学者は鴎外に阻害され(レポートを却下)、ノーベル賞もんだった
研究を闇に葬られたのだ。
ちなみに玄米食の海軍は元気元気!だったようだ。
陸海の熾烈な戦いはこんなところにも…
281 :
世界@名無史さん :03/05/23 07:53
植田 朝日
【統率】60
【武力】24
【知力】12
【政治】47
【魅力】37
ウルトラスニッポンのリーダー。
282 :
?¢?E???1/4世界@名無史さん:03/05/23 07:57
ひろゆき
【統率】72
【武力】35
【知力】68
【政治】54
【魅力】50
2ちゃんねる管理人。
板違いでゲーム的なIFの考え方で・・・鴎外がどこかの国にとっくに調略されてて外国所属の
間謀キャラだったら、すごく知能(智謀)が高いユニットになるんでしょうねぇ。
284 :
世界@名無史さん:03/05/23 14:48
pp
285 :
世界@名無史さん:03/05/23 17:10
何というか・・・小説を書くために必要な知力を低く見すぎでないか?
普通の流行作家ならともかく、今の日本にさえ
100年後も読み継がれる作家がどの程度いると思ってる?
はっきり言って、軍医総監としての不手際より、文豪としての功績の方が
森鴎外という人物の後世の評価においては重要だろう。
低いというのがどの程度か知らんが、60〜70台前半はつけてもいいんでは。
286 :
世界@名無史さん:03/05/23 18:12
>>285 ただこのスレでの知力の定義は
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
になってるからねぇ、森鴎外の小説だとこの知力の定義とはちょっと外れる
文化的能力はその人の人間的魅力と考えて魅力にボーナス付けるのがよろしかろう
いつ定義したんだ?
…という煽りが来るぞ。
能力値の定義については、評者それぞれが自分の定義を書くんじゃないの?
>285
小説を書くのが上手ければ戦争に勝てるのか?
100年後も読み継がれる作家なら優れた政治家になれるのか?
このスレ的に言えばアイテムボーナス程度の加算
(最大でも+10前後)で済ませるくらいで丁度良いかと。
290 :
世界@名無史さん:03/05/23 22:01
>>288 議論中となってるけど一応
>>3である程度決まっていて、批評した人が特に記述を付けてなかった場合は
>>3の通りに従うのが普通かと
実際、光栄の信長シリーズには
教養と言う数字があるのもあるしな
292 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/24 11:07
>283
ドイツ語やロシア語がペラペラで感心されただけに「外交」は出来そう。
>>292 語学力があればできるというものではないでしょ
294 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/24 15:53
>293
そう来ると思いました。話していて感心されたというからにはただ話せたの
ではなく知性の高さが感じられたということでしょう。第一そうでないと勤め
られませんよ。
それにあの時代なら彼の居た場所は現在よりもよほど重要なものでは。現在の
ドイツ留学生と当時のそれとでは重みが違います。
>294
ですが、鴎外の留学中の行状と帰国してからの態度を考えれば、外交官など務まりそうにも無いと思いますよ。
よほど漱石のほうが向いているかと。
知力それなり、政治と魅力は低く、武力は論外。統率はそこそこ。そんなとこじゃないでしょうか。
296 :
世界@名無史さん:03/05/24 21:57
テムジン
【統率】100 神
【武力】100 神
【知力】100 神
【政治】100 神
【魅力】100 神
最強
今のモンゴルを見てもモンゴル人に一目置いてしまう
297 :
エレファソトマソ:03/05/24 22:21
マジで、なんか一個でもいいから
100前後あげてよさそうなヤツって
どいつ??
エリスたんが惚れたんだから男性的魅力は
高いのでは?
>>295 漱石は欧州コンプレックスがあったようだから駄目でしょう。南方翁みたい
なのもどうかと思いますが(笑)。評価はまあそんなところですか。
>>298 美人だったそうで・・・日本まで追いかけて来たのに勿体無い。
女が追いかけてくるほど魅力があった、と考えるか
日本まで追いかられるほど、女あしらいが未熟だったと考えるかだな<その一件
ドイツの医療知識を学んだエリートにして
日本文学の一人であり
脚気に対しては致命的な誤りである医療方針を定める<結果論だが
KOEIユニット向きじゃないです。
華陀のように著名人を医療したエピソードってありましたっけ?
301 :
世界@名無史さん:03/05/25 08:30
恐らく知識を吸収し、創作活動を行う頭脳という点において三国時代の
如何なる謀臣も四書五経を若年にして諳んじ、詩聖とまで評され続けた
曹植には適わないだろう。
が、コーエーユニットとして考えるのなら曹植は当代随一の知力の持ち主とは
ならない。
つまり、ここでの知力というのは処世・治世のためのものという感じであり、
科学・文学のようなものに対する概念ではないということ
鴎外は医師としても馬謖(高いのか低いのか知りませんが)程度の
能力はあげてもいいんじゃないですかね。
結果は芳しくなかったかもしれませんが、同時代的には医者としての能力や
力は大きかったでしょうから。
>>301 ふと気になったんですが、
禰衡はコーエーの三国志ゲームではどんな能力なんでしょうか。
あの人には処世・治世のための知力なんてものはまるで無いんでしょうが、
僕としてはただの変人というより、偉大なる変わり者としての高い評価が望ましい
と思うんですけど。あくまで、個人的な感覚ですが。
>302
馬謖を余り馬鹿にしなくてもいいと思いますが。
彼はなかなか優れた野戦指揮官だったようですし。
演義の犠牲者ではなかろうか、と。
鴎外は戦争をやらせたら馬謖より下手でしょうし勇気も無いでしょう。
学問を馬謖にやらせたらどうだったかは分かりませんが。
ここはコーエー的スレなんで仕方がないですが、決断力とか判断力とか胆力とか、そういう武人や為政者として必要な能力と知力、政治力というのもまた違うんでしょう。
鴎外は何が低いって勇気とモラルが低いかと思いますよ。
>>303 僕は何も馬謖を馬鹿にしてるわけじゃないんですね。
馬謖は諸葛亮の注意や王平の意見具申も聞き入れず、その結果街亭を失う
という致命的な失敗を犯してますが、反面南方征伐では当初から優れた戦略眼を
見せ、孟優を捕らえる際には適切な策を立てて成功させ、また流言を用いて
司馬懿を失脚させるというある程度の実績もあります。
また学問に関しても、諸葛亮と日々議論を楽しむほど兵法に精通していて、
自分でも「どんな相手だろうと、幼時から兵法書を熟読した私に一街亭が守れない
わけがありません」と言ってるくらいですので、
かなり勤勉だったんじゃないでしょうか。だから演義を基準にしている
コーエーゲームでも、そこそこの高い能力はあると思います。
同様に鴎外も意固地に新しい学説を拒絶した結果、いたずらに脚気による
犠牲者を増やすという失敗を犯した反面、発表した医学論文が認められたから
こそ軍医総監にまでなることができたように、そこそこの実績はありますので
「馬謖と同程度の能力はあげていい」と言ったんですね。
確かに鴎外は馬謖より戦争下手でしょうけど、鴎外は軍人ではないので、
能力の基準は文豪として、或いは医者としての評価が適切だと思います。
死ぬまで自説に固執し続けた鴎外は、そういう意味では確かに
モラルも勇気も低いでしょうけど、
それを言えば同じ失敗を犯した馬謖も、五十歩百歩ではないですか。
305 :
「ど」の字:03/05/25 14:00
>>304 しかし、森鴎外は「失敗を犯した」ことを知りながら、反省をしていません。
しかも、正しいと認めざるを得なかった意見を述べた者を権力で消し、その手柄を横取りもしています。
それで、いまだに国益を害し続けています(旧厚生省の無反省権力依存体質は、この時代からのもの)。
文豪として以外の能力基準としては、全てにおいて極端に低いと断ぜざるを得ないと思っています。
(森鴎外は、漢文研究者として多くの研究をものしており、それは歴史学的にも大きな意味があります。
自分は、森鴎外はあくまで白亜の塔の住人であり、政治や軍事の場に出るべき人ではなかったと思います)
正直、大嫌いな人物なので、あまりやりたくないけれど、次のスレで数値化をしてみます。
307 :
「ど」の字:03/05/25 14:40
国賊的軍医にして文豪でもある、研究者の略史です。
【森鴎外】 A.D.1862〜1922
【統率】24(家庭内も治め切れていない。人を手足のように使う研究統率者ではなかった)
【武力】27(軍人としては論外。体が弱く、常に病気がち。第一線に出られる人ではない)
【知力】17(先進的批判精神に溢れていたが、自分をその批判から外したことで全てが狂った。技能は卓越)
【政治】45(他人を押しのけ潰し自己保身する政治テクニックには優れていたが、大局観も先見性も無かった)
【魅力】18(なまじ優秀であったことと卑しい人格から、周囲から強烈に憎まれ恨まれ妬まれたらしい※)
※その明るい方の業績しか伝えられていない現代では、何故か80あたりある。
本名、森林太郎。文久2年l月19日、現在の島根県津和野町町田に生まれました。
明治5年上京、14年には東京大学医学部を優秀な成績で卒業。
明治17年から21年まで軍医としてドイツヘ留学し、教養と見識を深めました(エリスとの邂逅もこの頃)
啓蒙思想を持つようになった彼は、海外文学の翻訳を通じての啓蒙を志していきます。
日清・日露戦争にも従軍しましたが、戦争の合間にはたびたび体を壊して静養生活を送ってもいます。
明治40年軍医総監陸軍省医務局長に就任し、軍医としで最高の地位(中将相当)につきます。
42年雑誌「スパル」の創刊を契機に再ぴ創作活動が活発になり、いわゆる豊熟の時代を迎えます。
「半日」「ヰタ・セクスアリス」「雁」「青年」等を発表し、小説家として漱石とともに明治文壇に確固たる地位を築きます。
(この項続く)
(続き)
いわゆる麦飯男爵こと高木兼寛との確執は、後世まで禍根を残すことになりました。
当時日本軍を悩ませていた脚気の原因を頑なに細菌説に拠った森鴎外らは、ビタミン説を採った海軍の高木兼寛と対立。
当時東大出のドイツ帰り先進医療習得者として権力を振るった森鴎外は、結局自説を頑迷に通して兵士を苦しめました。
しかも史記記述の権限を持っていた森鴎外らドイツ派医学者は、高木兼寛の功績を捏造して自分のものにしてしまいました。
なお文学者としての森鴎外は、明治天皇崩御、乃木殉死を契機に歴史小説の世界を拓きます。
晩年にはさらに史伝文学という新しい分野を開いていきます。
また、漢文検索に優れた能力を発揮して、日本の歴史界に巣食った謎を暴くなどの功績も立てています。
(天武天皇・天智天皇の命名はなぜ成されたのかという論文は特に秀逸)
死に及んで「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残して、大正11年7月9日に永眠しました。
享年60歳。
>304
敢えて混ぜ返させて頂きます。
304の馬謖の敗戦に関する記述、これは多分に通説に即していると思われますが、実際は呼応して攻勢を掛ける筈だった趙雲が曹真に敗れて敗走、孤立してしまった事によるもののようです。
よって馬謖は前線の一部将であり、しかも趙雲の壊走の巻き添えを食った被害者と言えなくもありません。
しかも諸葛亮は多くの反対を押し切って馬謖を起用しています。ほとんど指揮経験が無いのにも関わらず。
これはもう諸葛亮が愚かだったとしか言いようがありません。
鴎外という、文章が無ければ石井四郎と替わらないような人間と一緒にされては馬謖が哀れかと。
310 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/25 17:01
>>308 森林太郎の評価は、妥当な評価だと思います。
文学史的には偉大な文豪でしょうが、
歴史的には単なる因循固陋な小役人に過ぎませんでした。
軍医総監という重職に就けたのは、保身に長けたエリートだったからでしょうね。
>>309 それでは、趙雲が降格で済み、趙雲の副将トウ芝が全く処罰を受けなかったのに、
馬謖が処刑されたのはなぜなのでしょうか?
あなたの記述では、趙雲の敗戦責任の方が重大に見えますが、
実際には街亭で戦った馬謖と、その配下の将軍二人が敗戦責任を問われて処刑されてますよね。
スレ違いなのでsageます。
>>309 仰るとおり通説に則った記述です。
もちろん演義と正史の違いは解ってますが、おそらくコーエーゲーム
では通説に基いて能力を決めてるでしょうから、ここで問題にした
『鴎外はコーエーゲームでの馬謖と同程度の能力はあるはず』
を説明するために、あえて通説を用いたんですね。
それで「だから演義を基準にしているコーエーゲームでも、そこそこ
の高い能力はあると思います」と続くわけです。
演義では劉備に「馬謖は口だけの実のない男だから、重く用いてはならぬ」
と酷評された馬謖ですが、そういう点で鴎外と似たようなタイプの人物
じゃないかと、この話をしたんですね。
鴎外の評価は、医学者としての失敗を作家森鴎外の減点要素とするのか、
または文学者としての功績を医師森鴎外に加点するのか、いずれの視点か
でずいぶん変わってくると思いますね。
僕もこの人は医者として後の世に残るような業績を残したわけでも
ないのでそこまで優秀だと思ってるわけではないですが、
少なくとも医師としての特殊技術、学術論争ができるほど学識、
そして高いポストに付ける世間的評価があったのは間違いないわけです。
僕としては、純粋に作家としての評価を、医師だった経歴を加味すること
で下回らせるのはおかしいと思うんですね。
結果的には重大な失敗だったとしても、そういう特別な才能があったが故
に能力を低くしてしまうのは、試合で勝てないヘボ格闘家より素人の方が
強い。というのと本質に於いて同じな気がします。
>>312 やや横からのレスかもしれませんが、少し話させていただきます。
もし文学者であることに評価の力点を置くのでしたら、特殊技能などの形で評価した方が良いかと思います。
コーエー数値化は、「その人物の存在によって、国家・共同体にどれだけ役に立つか」の評価ですから。
で、森鴎外の歴史的評価は、端的に言って「国家共同体にとっては『居ない方がまだマシ』な人材」です。
そのため、自分は
>>307のような低評価にしました。
もし、森鴎外に文学者であることを加味した評価をするのでしたら、
>>307の後で特殊評価をつけてみましょう。
【特殊技能】文学(国家の教育文化レベルを上昇させ、芸術面での国際的評価を高める)
↑こんなふうに。
もし鴎外がいなくても代わりの誰かが、玄米食うことに反対してそうだね。
してみると、鴎外一人の責任ではなく陸軍の構造的問題なのかも
しれないよね。
>>314 当時の陸軍はドイツの研究中心主義医学でしたからね。
森鴎外は、その中でも代表者級の一人でした。
まあ、森鴎外の文豪としての名声が、その意見を補強したという見方は当然あるけれども。
ちなみに海軍は、その任務上イギリス流の検疫医学を重視していました。
麦飯男爵は、その観点から世界の食事風俗をつぶさに調べ、脚気ビタミン説の根拠にしたのでしょうか?
こっからコピペ
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~keep-run/shiroi.html 吉村昭の麦飯男爵こと高木兼寛の人生を追った”白い航跡”という作品の
紹介からの抜粋です。
>兼寛が、海軍病院に勤務してから、病院内に脚気(かっけ)患者が極めて多いのに気付いていました。
>イギリスでは患者は皆無なのに、日本海軍では極めて多く、明治十年の統計では、海軍総人数15500人中、
>年間に脚気に冒された者は6344人という数字でした。
>彼は、脚気患者が水兵に多く、身分の高い士官に少ない事、練習航海に出た軍艦が、外国に停泊中に
>極めて脚気患者が少なくなること、などから食事に原因があるのではないかと推測します。
>当時の海軍は、米飯偏重で副食軽視の兵食制があり、特に地方出身の水兵達は、幼い頃から、
>雑穀に食べるのになれており、海軍に入って米飯を食べることに大きな喜びを持っていました。
>イギリスで学んだ実用栄養学をもとに、食品の分析を進め、脚気の多発するところでは、タンパク質が
>極めて少なく、炭水化物の摂取が極めて多く、米食偏重の食物が原因でないかと推測します。
こういう経緯らしい。後から見ると非常に理に適ってる。鴎外も正直気づいてたんだろうなあ。
気づいてたにもかかわらずってのがモラルを低いと評価されるゆえんか。
317 :
世界@名無史さん:03/05/25 21:23
:p;
>311
街亭戦と馬謖のことは本筋では無いので、私見を纏めて披瀝しておしまいにしときます。
馬謖の処刑は、諸葛亮が自らの権威を維持しつつ軍の動揺を抑える唯一の手だったと考えます。
・馬謖を起用、しかも周囲の強い反対を押し切って起用したのは諸葛亮である。
・諸葛亮は皇帝の臣下に過ぎないので、馬謖の罪を強調しなければ諸葛亮自身が任命責任を取らされる事になる。
(これが皇帝などの最高権力者の行為なら、罪一等を減ずることくらいはできたろう)
・趙雲は最終的に潰走したものの善戦はしている。大敗に終わった遠征で士気が失墜するのを防ぐには英雄が必要であり、趙雲はうってつけの存在だった。しかも趙雲は先帝の親衛隊長格で、おいそれと手出しできない。
・以上より、馬謖をスケープゴートにするしか手がない。
ほとんどの責任は、起用を誤った諸葛亮にあると思います。
319 :
世界@名無史さん:03/05/26 00:31
馬謖の話だけれども。
単に負けたからではなく、孔明の命令に背いて負けたから
責任を問われたんではないか?
法家思想に基いて国を治めていた孔明にとって、
自分の命令に背いて、しかも負けたことで損害を与えた彼は
生け贄に近い面はあるにせよ、斬るべき存在だった。
まあ「自分の責任を回避する為に斬らせた」という可能性は否定できないが、
趙雲は恐らく孔明の命令には逆らわなかったんだろう。
ここまでひどくないにせよ、官僚的組織では「上司に従わなかった部下に
(実際の責任はどうあれ)失敗の責任を押し付ける」というのは
古今東西良くある話だ。
本筋で無いと知りつつも言及し続けた>318胸甲騎兵氏に
後始末の意味で馬謖の数値化を要望します。
>>319 演義と正史の記述は違うんで
そこんとこ夜露死苦
>>319 演義でも、諸葛亮は己の保身の為ならトカゲの尻尾切りでも平気で
やりそうな生命力溢れるマキャべリストとして画かれてますね。
少なくとも、嘘泣きの技能レベルは職人並です。
将星が落ちたのを見て周瑜の死を知り
「周瑜、死せり!」と笑っておきながら、
その後呉に弔問に出向いた際に、ぬけぬけと大泣きしてみせてますから。
それを見た呉の将軍達は、
「二人は仲が悪かったそうだが、孔明の度量の広い様子をみれば、どうも
周瑜が勝手に“自分の心の狭さから自滅した”というのが本当の所らしい」
と、大いに関心してます。
>320
へい。責任とります。
-------
馬謖(字幼常、蜀漢の官吏・将軍)
【統率】40(指揮官として従軍したのは一度しかなく、最初で最後の戦いで負けた。どう見ても経験不足)
【武力】60(指揮官としての才能はあったらしい。個人的武勇についての逸話は無い)
【知力】75(頭そのものは相当に良かったと思われる。教養も高いが、いかんせん実地経験に欠けたか)
【政治】70(若い頃から各地の行政官を歴任し、功績を挙げている。事務能力は高いと思われる)
【魅力】50(抜擢人事ゆえ人望はあまり無かったらしい)
・・・・やはり、若い内から武人としての経験も積ませてないのにいきなり切所に抜擢した諸葛亮の失策が目立ってしまいます。
>322
保身と言っても、この場合は諸葛亮自身の権威失墜は蜀国家そのものの破滅にリンクする訳で、それが自分でも分かっている諸葛亮はこうするしか無かったんでしょう。
そこまで言ってしまうと彼にも哀れですし。
演義は取りあえず、おいとこうや。
325 :
世界@名無史さん:03/05/26 22:39
諸葛亮は自ら4階級降等して責任をとったのだが。と言ってみるテスト。
最初の覇者
斉桓公 呂小白(羌姓だったとの説もある) 15代目斉公 生年不明 前643年没
当時既に大国だった斉の僖公 禄甫(13代目斉公)の三男
父僖公の没後、即位した長兄襄公の暴政に身の危険を感じて、教育係だった鮑叔牙らと供に秦に亡命。
その後、公孫無知による襄公暗殺を切っ掛けに次兄の公子糾と斉公の座を争う。
高?、鮑叔牙達の力を借り勝利、その地位を得る。
この時、鮑叔牙の進言に従い糾の部下だった管夷吾を宰相に取り立てた(管鮑の交わり)。
以後、中原に覇を唱えんと欲し富国強兵に励む。
前679年の会盟で覇者となり病没するまでに計三度の会盟を行う。
初め謙虚で周王室を尊重していたが晩年は高慢になり封禅の儀式を執り行おうとした(管夷吾の再三の諫言でこれは中止した)。
管夷吾没後は精彩を欠き、宦官の豎?、料理人の易牙、衛公子の開方などの言葉に惑わされ、
国政に混乱を招いたり、太子を無理に変えようとし御家騒動の火種を作る。
管夷吾の2年後に後を追うように病没。
しかし、後継ぎが決まらぬ為に喪主が決まらずその遺体は67日間埋葬されず蛆がわいた。
桓公死後、斉は内紛で国力を落とし二度と覇者となる事はなかった。
統率力:78
存命中にはこれといった反乱を起こされておらず長期の覇者としての実績も充分
しかし、後継者問題を残し晩節を汚したので一級とは言えない
武力 :86
度々負ける事も有ったが北は戎狄を討ち、南は楚を従わせ、西の大国晋、秦を破り天下に名を轟かせた
とは言え富国強兵での物量の勝利である事も否定出来ないため超人ランクではなく一級であると判断する
また曹沫にドスで脅されてつい魯の土地を返す約束をしてしまう胆力の無さもややマイナスポイント
政治力:25
一時の劣情で一国を滅ぼしたり、諸侯の反感を買う封禅の儀式を執り行おうとしたりと政治的センスの無さは絶望的
などなど政治を全く考えてなかった節がある
魅力 :89
覇者となって後、燕に請われて山戎を討った際、燕の荘王がうっかり国境を超えて斉まで見送ってしまった
当時国境を超えて見送られるのは天子である周王だけあった
これを見た桓公は燕の為に荘王が超えてしまったところまでを燕に与え国境を変更した
これを知った諸侯は桓公に心服した
ある時富国強兵策が成功し国庫に沢山の税金があった
桓公はこれを手柄の先払いと言い兵士達に手柄を立てる事を口約束させて1日で全て使い切ってしまった
この心意気に打たれた兵士達は意気を奮わせ死物狂いで手柄を立て斉は強国となった
桓公の口癖は「欲すれば先ず与えよ」であったと言う
これらの事など、桓公のカリスマ性を伝えるエピソードが多々残されている
しかし物が絡んでないエピソードが見つからないのはマイナスポイント
超人的であるとは言い難いが同時代に並ぶ者のないカリスマである事には相違ない
創業の人
有能なブレーンがいないと暴走してしまう可能性大
部下としては魅力が高すぎて危なくて使えない
329 :
世界@名無史さん:03/05/28 01:00
lk
330 :
世界@名無史さん:03/05/28 04:52
このスレでいう武力は腕っ節ではないのか?
>>330 腕っ節+戦術的強さ と考えられておるよ
つまり戦場での統率力も武力だし戦場での頭脳プレーも武力
武力の解釈の幅はとても広いね
自由党党首 小沢一郎
統率40 自民党幹事長時代から現自由党党首にいたるまで
数を集めるのは上手いが、その数を維持することができない
武力91 あだ名豪腕が示す通り、その政治手法は直球一本槍で、
その強引さが幹事長時代の総選挙の成功や、自民党を野党へひきづり
おろした原動力となった。
政治力80 日本という国のあるべき姿を総論として持っている
数少ない政治家だが、最近の世界情勢を見るとその
国連への信仰ぶりが少し時代遅れか?
魅力 50 側近が次々と彼の側を離れるのは、魅力のなさか?
ところでなぜ
>>4のテンプレに
モンゴル帝国の人材が一人ものっていないのか質問してよろしいか?
334 :
世界@名無史さん:03/05/28 06:15
>333
えとですね。
私の感触では、チンギスの将星たちはナポレオンの元帥たちに似ているのではないか、と。
チンギスの直接指揮の下で本領を発揮する連中で、独力では価値が半減するのでは。
ナポレオンの元帥で独自の作戦能力をもっていたのがダヴーやスーシェしかいなかったのと同じじゃ無いでしょうか。
モンゴルの場合、民族そのものに根ざす戦闘能力というものも無視できませんし。
あ、それでもバトゥは世界的な名将かと思いますよ。
そのバトゥとて武力は90台半ばかそれ以上が付くであろうが、
やはり100候補とするには何か足りないだろうし。
>>333 一応、チンギス本人は統率100候補だな。
他の項目は・・・もう少しモンゴル帝国が長続きしていれば
つけられたと思うが、いかんせん短命だっただけに「知力」や「政治力」
が落ちるのは仕方ない。(そういう意味、サラディンが知力100ってのも
どうかと個人的には思うが)
武力に関しては胸甲騎兵氏の言う通りだと思う。
能力値の定義付けって難しいですよね。
こと、近代以降の人物であればあるほど。
--------------------
チェスター・ウィリアム・ニミッツ(1885-1966)
アメリカの海軍元帥
ドイツ系移民の子孫。テキサス生まれ。
船長だった祖父の影響で海に憧れ、アナポリス海軍兵学校に入学。卒業席次は7番。
卒業学年の遠洋航海で横須賀に寄港、丁度開催されていた日露戦争戦勝記念園遊会に参加して東郷平八郎と出会っている。
主に潜水艦乗りとして経歴を重ね、後戦艦艦長として東郷元帥の国葬にも参列。
海軍大学校も優秀な席次で卒業、太平洋戦争開戦後に少将から中将を飛び越えて大将に昇進、太平洋艦隊司令長官となる。
このとき、新聞に載っていたダグラス・マッカーサーの写真を切り抜き、額縁に入れてデスクに置いていたが、親しい友人には「とんでもない尊大な発言をしないよう自らを戒めるためだ」と語っている。
その類稀な統率能力と合理的思考で癖の強い部下達を巧みに操って戦争を勝利に導いた。
原爆投下には海軍として反対。1945年8月の終戦直後、9月に横須賀の記念艦「三笠」を見学。その後も同艦の保存と復元に尽力した。
戦後は海軍作戦本部長として海軍のトップに君臨。死後サンフランシスコの海軍墓地に葬られたが、現在その隣には戦争を通じてその良き片腕だったレイモンド・スプルアンス提督が眠っている。
能力値
【統率】90(海軍を完璧に統率。困難な時期も冷静さを失わなかった。部下の扱いのうまさは出色)
【武力】50〜85(近代的軍隊における戦闘能力をどう見るかによって点数は変動するか。戦術能力も高く航空主兵論への大胆な切り替えは彼あってこそ)
【知力】90(明晰にして冷静沈着。戦局眼の確かさは同時代に類を見ない)
【政治】80(政治家にはならなかったが、政治が大好きであくの強いマッカーサーやマーシャルと互角に渡り合った)
【魅力】90(悪く言う人を見つけるのが難しいほど周囲を惹きつけた人物。その人柄と度量は日本の提督たちにも尊敬された)
アメリカ海軍が誇る名将にして恐らく歴史上最高の提督。抜群の統率力と人物的魅力で太平洋戦争を戦い抜きました。
戦争中、迷走した陸軍を横目に海軍が団結と統率を失わなかったのは彼の手腕のたまものです。
戦後、日本人にすら見捨てられかけた記念艦「三笠」の保存と復元に尽くし、また海上自衛隊という形で日本海軍の再建にも協力を惜しみませんでした。
これは敵手への敬意と若き日に接した東郷提督への敬慕ゆえのことだったそうです。
間違い無く近代的軍隊における高級指揮官の理想像の一つであり、歴史上大書されるべき名将でしょう。
340 :
世界@名無史さん:03/05/28 13:47
ニミッツ少尉候補生が尊敬したといわれた東郷平八郎は
もう数字化された?前スレ見れないもので。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
342 :
世界@名無史さん:03/05/28 17:04
あげ
項羽や劉邦の漢楚時代の人物も評価希望
項羽は武力以外は低そう。
魅力は劉邦 統率は韓心 知力は 張良 政治は 商家 武力は 項羽
ってところか同時代ナンバーワンを集めると。武力にだけ注目すれば
中国歴史上最強といってもいいかもしんない。
346 :
世界@名無史さん:03/05/28 19:54
胸甲騎兵氏、お疲れ様でつ。
個人的には、
>>326氏の次にも期待
コーエーだったら史実に忠実というよりも
現在の評判いわゆる虚名も参考にしているよな。
三国志とかもろもろ見ていると
>347
花の慶次がヒットした途端、
信長シリーズで関係者の能力値が凄い事になったりとかな(w
>345
項羽には人を集める人望があったから魅力はそれなりにある筈。
同時に、悪評高き吝嗇ぶりで人離れも激しかったから統率はかなり低いとも思うが。
あ・・・
見直したら知力抜けてた
今更ながら追加
知力 :46
管夷吾や鮑叔牙など、周囲の優れた意見を採り入れる事が可能な程度には賢かった
しかし人を見る眼は無く結局それが元で後継者争いを起こしてしまったのがマイナス
周囲に流されてしまうのは凡庸である
351 :
世界@名無史さん:03/05/28 23:41
;
項籍 前232〜前202
【統率】28
(たくさんの優秀な配下に次々と逃げられている。
彼は人を使うのは全く上手くなく、ほとんど自分の力に頼ったので、統率力は低い。)
【武力】98
(3万で56万を打ち破る。28騎で数1000を殺すなど化け物的。
個人的武勇も超越しており、用兵能力も天才的。 敗北があるので100は与えられないけど、超人的であったのには間違いない。)
【知力】31
(鴻門で劉邦を殺さなかったり、陳平の「反間の計」によって范増を追い込んだりするなど、頭のいい人間には見えない。
彼が領土拡大できたのはすべて武力によるもの。)
【政治】15
(戦争ばかりで、政治面では全く何もしてない。 それ以前に政治タイプの人間ではない。)
【魅力】81
(優しい人格で部下から慕われていた。
彼が裏切られたのは、魅力の欠如ではなく、統率の欠如。
残酷だった点を差し引いてもこれくらいはあるだろう。)
「項羽が中国統一していたら」って思うとゾッとするよ・・
初めての数値化投稿なので滅茶苦茶でスマソ
>352
いや、漏れが考えていた数値とそんなに変わらないから妥当だと思うぞ。
ある意味で暗君以上に権力を握らせたくないタイプだ……
チンギスカンよりましじゃないのかといってみる。
355 :
「ど」の字:03/05/29 02:15
>>352 彼が秦の後の王朝を創っても、長続きしなかったでしょうね。
もしかしたら、中原には多数の国家が乱立する欧州みたいになっていたかも。
>352
個人的には武力99を付けたいが、他は異論無し。
政治は一桁でもいいかもしれない。
結構重要な要素が運だと思う。
358 :
「ど」の字:03/05/29 17:57
>>357 禿げ上がるほどに同意。しかし、運は評価が難しい。
その人物の人生全体を俯瞰しないといけないし、立場によっても運の捉え方が違う。
例えばスッラ(共和制ローマ爛熟期の軍人・政治家)などは、相当運の評価が分かれると思う。
お、運いいですね。
それなら、我が日本に能力100候補が出せる。
東郷平八郎の【運】!日本の軍神は伊達じゃないです。
でも数値化するとおもろいんでない?
つか、このスレ的にはプレイヤーの運が物を言うような気もするが。
何てったってコーエーゲーム風だし。
363 :
世界@名無史さん:03/05/29 22:10
>>352 項羽に関する評価は間違ってないと思うのだが
彼を批判する前に彼の思考と当時の時代背景について少し考えてみた
当時秦によって韓の滅亡から10年程度(秦王政即位から30年弱)で一気に統一されてしまった
しかし当時の常識は割拠が当然(400年もの間分裂状態であった)し、各地域毎に言葉だけでなく文字も違った(人種さえも異っていた)
項羽は滅んだとはいえども一応一国の支配階級の出身者であり、書物も学べた
この事から彼の思考パターンはどちらかと言えば保守的な物になっていたと考えられる
これらの事を考えると
>>355「ど」の字の人が言うヨーロッパの割拠状態こそ項羽が目指していたのではないだろうか
そして春秋時代のようなものを再現し、覇者として中華世界を牛耳ろうと考えていた事は彼が自身で名乗った「覇王」と言う称号にも表れている
それを裏付ける物として盛大に(でもないが)領土分配をしているし、各国の裁量も認めている(これは劉邦にも言える事だが)
謀略戦と情報戦で劉邦に付け込まれ全てを失ったのも士族階級出身の育ちの良さのせいなのかもしれない
>>360 コーエーゲームの大航海時代にも運があるですよ。
>364
その領土分配で思いっきり発揮した吝嗇ぶりは、
当時でも極めて悪評だったわけで……
>326 の桓公の気前の良さとは見事に正反対。
367 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/29 23:07
>>352 私が項羽を評価しても、ほぼ同じ評価が出たと思います。
統率力と知力が高い戦時型の指導者である劉邦に対し、
武力と魅力が突出して高かったカリスマ型軍人の項羽が遅れを取るのは、仕方が無いことだったでしょう。
項羽は、統率力・知力・政治力・魅力の高い叔父項梁の副将として、
戦争だけやっていれば、自他ともに幸福でいられたような気がします。
>>357 運は不要だと思います。
>>364 項羽が十八王の分封を行ったのは、
1.郡県制の秦をぶっ潰したからには、封建制に戻すしか無いというのが、当時の一般的な思考でした。
それは、項羽が歴史の主役になる以前から、各地に自称の王が乱立していたことからも伺えます。
項羽は単に常識的に振る舞っただけと考えられます。
2.戦国には七つの大国があったが、項羽は自らが統治する楚以外の六国を細分化して小王国を乱立させたり、
領地を削って楚の領域に加えたりして、相対的に楚を天下の覇者としたかったのでしょう。
という訳で、あなたの解釈に賛成します。
>謀略戦と情報戦で劉邦に付け込まれ全てを失ったのも士族階級出身の育ちの良さのせいなのかもしれない
という一文には賛同しかねますが。
楚の滅亡後、六国の貴族・名士は平民になったり、秦の追及を逃れて暮らしたりしていました。
項羽はその人生の多くを、秦の統治下で暮らしています。
秦において、彼は士族ではなく、平民でした。
そんな彼に剣術・学問・兵法などを項梁が叩き込もうとしたのは、
他日を期するところがあったからでしょう。
つまり、付け込まれたのは生まれ育ち以前の問題。
大航海の運は結構重要だったような
370 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/29 23:31
>>366 項羽は吝嗇というより、えこひいきが過ぎたのです。
彼が王に封じたのは、ほとんど自分に従って関中に入ったか、
自分の派閥の人間ばかりでした。
これでは、反乱が起きるのも無理がありません。
>>327 管仲の意見をよく聞き、国を栄えさせたのに
25は低すぎるんでは?
372 :
世界@名無史さん:03/05/29 23:45
そんなにおかしいかなぁ
それじゃ春秋戦国時代で政治力すごいのって誰よ?
20代ってろくでなしでしょ?君主はかならずしも武力に優れてなくても
いいとは思うけど、政治力は国の国力に与える影響は大きいと思う。
斉は当時の大国だしさ
>>372
374 :
世界@名無史さん:03/05/29 23:58
( ゚Д゚)<呉起、管仲、公孫オウ
>367
劉邦が統率、知力が高いタイプなんですか?
私は統率、政治、魅力が高いタイプだと思うんですが・・・
知力を表すエピソードとかあったかなー? よかったら教えてください。
>>357 運はマスクデータでw
>>371 側室に悪ふざけをされ怒り国に返したそれを再婚させたからと言って
その国を滅ぼすような男は政治に優れてるとは思えない
一年分の税金を1日で使い切る男に政治力があったとは思えない
どうですかね?
俺は運を明記してもいいとは思う。
ただやりたい人間だけやればいい。
理由は、歴史上で優れている人間が不運のため、
能力以下の活躍しかできなかった例もあるため。その逆もしかり。
難しいとは思うが他の数値も全て難しいので(笑
堅苦しくやらなくてもいいんではとね。
強運や悪運の持ち主は特殊能力で表現するのが一番適当だと思うがね。
379 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 01:14
>>375 >知力を表すエピソードとかあったかなー? よかったら教えてください。
彼自身は策を立てる能力を持っていませんでしたが、
他人の立てた策の真贋を見極める能力に優れていました。
そして、決断すべき時に決断できる人物でした。
理解力と決断の早さ、そして勝利への意思力は、知力を高く設定する材料だと思います。
>私は統率、政治、魅力が高いタイプだと思うんですが・・・
劉邦は内政を蕭何に丸投げしていました。
そして、政略は張良・レキ食其らに丸投げしていました。
漢の統一後も、彼は戦争や粛清に明け暮れ、
大帝国の統治者としての政策を敷く事はありませんでした。
彼の政治を高く評価することは困難でしょう。
人間的魅力については、腹心の陳平に
「骨のある人間はみんな項羽に付いてしまい、王の下に来るのは褒美目当ての欲張りばかり」
と揶揄されています。
また、礼儀知らずで傲慢だという評判が鳴り響いていました。
劉邦は利で人を釣るタイプの指導者であり、人格的吸収力には欠けていたようです。
彼が死んだ時、残っていた重臣のほとんどは、沛から付き従ってきたメンツでした。
劉邦が魅力が高い人物なら、もっと多様性に富んだ家臣構成になっていたはずです。
古くからの腹心の部下だけで周りを固めようとするのは、
魅力の低い指導者に多く見られる傾向です。
380 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 01:16
蛇足ですが、
劉邦の主な勝因は
1.劉邦の主力軍が項羽の主力軍を拘置している間に、韓信の別働軍が北方を切り取り、
楚の本土を脅かすほどの存在になったこと。
2.張良が常に的確な進言を行い、漢軍の戦略的・情報的優位を作り出したこと。
3.蕭何が後方を取り仕切り、安定した補給を行ったこと。
4.項羽があまりにアホだったこと。
があげられます。
他にも劉邦は宣伝が上手かった事も勝因だと思う
382 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:21
劉邦は統率、知力、魅力に長け劉秀は武力、政治、魅力に長けている。秀はコウウと劉邦の中間のような存在だろう
項羽からは補給線に関する概念が感じ取れないのも痛いね
儒学の祖 孔子
孔丘 字:仲尼 前551年〜前479年(史記では前552年生とあるが公羊伝、穀梁伝にある前551年と見るのが一般的)
魯の昌平郷陬邑に叔梁紇の次男として生まれる
頭の形が尼丘に似てる事から丘と名付けられる
身長は2メートルを越え、力は他に比肩しうる者がいなかったと言われる程だったという
15歳で学問を志し20歳で名声を上げ名士と交流し魯に仕官するも軽んじられる
一念発起し名士の助けを得て周に留学し30歳まで学問を学ぶ
帰国した彼の元に多数の弟子が集まったが仕官の口はなかった
そこで遊説に出るも斉景公以外とは謁見もできなかった
36歳の時に起こった魯の下克上に嘆き斉に仕官し名声を上げるも実権は握れなかった
42歳の頃帰国
52歳の時魯定公に登用され実績を上げ出世
54歳の時宰相となり三桓氏の息の根を断つべくさまざまな政策を取り成功を修める
56歳の時魯国随一の実力者となり行政の実権を握る政敵の卯を謀殺し死体を晒す
ここから彼の独裁が始まり魯国は内政改革を始めるもあまりに潔癖なため主君の定公にまで愛想を尽かされ失脚
58歳の頃諸国遊説を再開し各国で教えを説き名声を高める
69歳の頃長い遊説生活を終え魯に帰国する
息子孔鯉が死亡
この頃になると全国に弟子がおりその数は数千人程であったという
また魯国の歴史書「春秋」もこの頃執筆を始めたというが述べて作らずと言う孔子らしくない
72歳の頃(実際に執筆をしていたのならば)春秋の執筆を終える「獲麟に筆を断つ」
病気がちになる
74歳の時病没
魯国の国葬であった
彼の教えは儒教となり言葉は論語となった
子孫は各時代の王朝に保護された
385 :
100人に1人の障害:03/05/30 01:25
統率力:45
何者にも有無を言わせず強引に引っ張っていく豪腕なのだが周囲はそれについて行けない
実権を握ってる間は反乱を起こされてはいないがそれは政権が短命なため
長期に渡っては政権を維持出来ないのは凡庸である
武力 :76
三桓氏から実権を奪うまでの間は彼の独壇場
定公暗殺を寸前で防止したりと武勇の逸話も多い
身長が2メートルを越え怪力無双であったとの事から個人的数値も加味してこの数値
知力 :90
我が道を行く意志の強さはまさに超人
諸侯にも教えを説く程でもあり知力は当代随一と言える
しかし最初に述べたマイペースさが自らの首を絞めているのはマイナスポイント
政治力:94
内政をすれば常に大成功
事務能力も比肩し得る者無し
国内では権勢を誇っていた三桓氏の実権を尽く奪い魯の実権を握る
外交では西の大国晋からは独立を強め東の大国斉からは領土を返還させる
まさに超人と言える
魅力 :91
詩吟と音楽に通じていた(論語の「学びて時にこれを習う」は儀式用の音楽を「学びて」であるようだ)
弟子たちは皆彼を慕い裏切る事もなかった
20世紀半ばまでのおよそ2400年程の間中華世界を支配した思想である事は特筆すべき事だろう
387 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 01:30
>>382 劉邦は統率・知力の高い戦時型指導者、
劉秀は武力・政治・魅力の高いカリスマ的指導者だと思います。
劉秀はすさまじく戦争に強かったのですが、
男らしすぎる戦略方針(敵は基本的に叩き潰す。連衡合従はやらない)のせいで、
統一を遅らせまくったり、やたらと反乱を起こされたりしています。
「常識のある項羽」というのが、私の劉秀に対する評価です。
388 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:34
中国人好きだな。
389 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:36
世界史では一番身近に感じられるっしょ。
390 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:38
( ゚Д゚)<黙れ小僧!
>379
とは言うものの、陳平は毒舌ですから。
韓信が言ったように、劉邦が将の将として優れた統率力と魅力をもっていたのは間違いないかと。
古参の部下達で周囲を固めたのも、楚漢戦争の規模と経過を考えれば仕方がない所でしょう。
統一後の粛清劇には、私は逆に劉邦の高度な政治眼を見ます。
彼は自分が生きている間に対抗勢力となりうる者を刈り取ってしまおうとしたのでしょう。
後の初代皇帝達と違って彼は多分に寄り合い所帯の第一人者的性格が強かったので、その危機感は余計強かったかと思われます。
点数はまだ考えていませんけど、統率A武力C知力A政治B魅力Aくらいの感じか、と。
392 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 01:40
>>388 いやあ、もとの専門が中国史なもので。
中国の話になると、つい熱くなってしまうのですよ。
>388
日本人に最も歴史的な親しみを持たれている外国だから仕方あるまい。
394 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:42
今はともかくなw歴史的な親しみはダントツですね
特にモンゴル帝国以前は
>393
歴史的には「最も」を「断トツで」に変えても問題ないくらいだな。
396 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:45
>>391 呂氏を粛清してたらもっと評価高かったな
397 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:46
日本人の世界史って三国志が半分だろ?しかも演技
劉邦の魅力はテンプレで100候補に決まってるんでは?
ところで劉邦の粛清は漢王朝の維持または繁栄に必要なこと
だったんでしょうか?
>398
いや、100は付けられないのでわ。
魅力100付けられそうなのはイエスかガウタマかムハンマドか、そのへんの神格化超絶カリスマしかないかと。
宗教家を除くと・・・私としてはやはりボナパルトかなあ。
(´-`).。oO(テンプレにマルクス帝を入れ忘れていた・・・)
402 :
世界@名無史さん:03/05/30 01:57
>>399 韓信を初めとした異性の王は排除したかったんだろう。
403 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:00
やっぱりこの板じゃ征服した領土の大きさとかでしか評価できないんだなぁー。
結果論にしかならない
404 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 02:01
>>391 劉邦の「将の将」たる器量は、統率力でしょう。
彼の魅力が高かったら、恩賞を弾まなくても、固陵で韓信・彭越は来ていたはずです。
利で人を釣る指導者のことを、魅力的な指導者とは言いません。
あと、統一後の粛清は、劉邦の能力によるものはほとんどありません。
韓信が王位を剥奪されたのは陳平の、殺害されたのは蕭何と呂后の策略です。
彭越が殺害されたのは、呂后の策略。
趙王張敖が王位を剥奪されたのは、
あまりの劉邦の傲慢ぶりに激怒した趙の重臣達の暴走がきっかけでした。
韓王信が匈奴に降ったのは、匈奴に包囲されて進退窮まったからです。
臨江王共尉、燕王臧荼、淮南王英布は、いずれも武力で打倒されています。
405 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:02
一事多事の奇跡的な成果を以って実力の多寡を論ずることは容易だが、
それを力量として見るか運として見るかが大いに問題である。その人に論説
あれば力量として抽出することは可能であろうが、論説のないあるいは不明
確な古の人と新しい人を同時に評するのは如何なものかと思う。
406 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:04
>>405 4行かけていますが、つまり簡略化すると
このスレは無意味だ!!ということですか?
違ってたらすまそ
407 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:06
項羽の武力ってそんなに高いのか?
バトゥが95だったら88ぐらいあげれば十分のような気がするが。
韓信に負けてるし。
408 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:09
>>404 項羽と和平した後決断鈍ってるんでは?
彼の知力は張良の評価になると思いますが。
410 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:11
>>406 「運」をパラメータとするべきか否かに対し、私は否定的な見解を述べているのでつ。
そもそも、世界史に残る人物は常人ではとても持ち合わせない運の持ち主といえる
でしょうし、彼らの業績から「運」を抽出して比較するなどできるものでしょうかと。
敗戦やクーデターでの脱出成功確率などの、極めて具体的な「特殊能力」として扱
ったほうがいいんではないかと思う。
411 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:13
すべての評価は司馬遷がにぎっている
412 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 02:16
>>407 垓下で韓信に項羽が負けたのは、30万対10万という兵力差があったからです。
当初、韓信が直接率いる軍10万は、項羽軍10万と正面衝突しますが、あっさり敗走してしまいます。
しかし、残りの20万が項羽軍を攻撃したため、連戦で疲弊していた項羽軍は攻勢から守勢に転じ、
最終的に敗北したのです。
垓下の戦いの推移から見て、同条件で戦えば、おそらく項羽の方が勝っていたと思われます。
項羽の武力98が少し高過ぎな気は、私もします。
武力94でも良いと思います。
あと、バトゥはモンゴル帝国の騎馬戦術を代表する名将として、
もう少し高い数値を付けても良いと思われます。
>407
武力・知力共に高い韓信相手に
低い知力でありながら対抗できるだけの武力を持っていたと見るべきかと。
414 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:17
>>410 そうでしたか。すいません。
私はいいと思います→運。コーエーのゲームでは結構採用されてますから。
運というのは拡大解釈すればいろいろなことが説明できると思うので
補足できる部分もあるとは思います
415 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:19
ところでバトゥの遠征ってスプタイがほとんど総司令みたいな
もんだったんじゃないの?
にゃるほどね。結構納得したかも
417 :
動画直リン:03/05/30 02:20
418 :
世界@名無史さん:03/05/30 02:21
このごろ優れた人物ばっかり評価しているな
駄目人間もキボンヌ。
劉邦は魅力っていうよりカリスマって気がするな〜
だって統一後すぐ裏切られかけたんだしね。
礼儀知らずだし、徳=零だし、子供捨てるし、粛清しまくるし・・・
でも、カリスマは限りなく高いと思う。
劉邦が酒屋にいくと、人が集まってくるので酒代は無料だったとか、『楚漢春秋』だったっけな?
421 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 02:25
>>408 張良の「和平で安心している隙に、後ろから奇襲しろ」という進言は、
あまりに卑劣だったので、劉邦もとまどったのでしょう。
しかし、そこで「いや、俺はそんな卑怯な真似はせん」などと退けず、
結局は、後ろから攻撃を仕掛けたあたりは、さすがだと思います。
劉邦の戦略を立案したのは、張良なので、
「知力は張良の評価になるのでは」というご意見ももっともですが、
正しい進言と、あやまった進言を見分けられずに、
身を滅ぼした指導者が、歴史上には数え切れないぐらい存在します。
常に正しい進言を聞き分けた劉邦は只者ではなかったと思います。
皆さん博識ですね〜
>>407 項羽が武力90きったら取り得がなくなるというか、少し低すぎるというか・・
>>412 まあ、「94」くらいが妥当かもしれませんね。
よければ、他の能力もすり直して頂きたいです。
>404
そこまで言うと、統率力と魅力を分ける事はできなくなると思いますよ。
利を喰らわせるにもやり方があるわけで、それを心得ていることも魅力の一部になります。自己演出と言いますか。
韓信や彭越といった手合いも海千山千の強者で子供では無いんですから、実利を志向するのは当然の事です。
魅力があれば恩賞が無くても、との意見には承伏しかねます。
粛清劇ですが、皇帝劉邦の示唆や共謀はあったと見るべきではないでしょうか。
少なくとも劉邦に彼らを庇う気があれば粛清など起きなかったはずです。
まさに韓信が言ったように、彼は自ら手を下す能力には欠けていても必要に応じて部下を任に当てて働かせる力は超人的だったと思います。
そしてそれが、高度な意味での政治力と言えるでしょう。
>>403 そんなこたーない俺は劉あにーーより中国の3分の2を制しただけの
曹操のほうがいい数値つくと思うぞ。たぶんだけどさ。
統率 90 度重なる宮廷の陰謀をすべて見抜き効果的な粛清を行った
組織掌握は非常にうまい。
武力 90 数倍の国力を持つ袁紹陣営を破った官途の戦いを初め
彼の戦場での戦いぶりは天才的。赤壁の大敗は不慣れな
水戦を当時の水戦のプロ集団相手に戦ったため
マイナスはそこまでしなくてもいいような。
知力 89 数々の計略を使った。当時屈指の詩人でもあった。
後継者選びも、情におぼれず、最良の選択をした。
政治 86屯田制などを採用。治世下において漢の皇帝の権威をうまく使い
また自らは簒奪はしないなど政治力においても特筆すべき点がある
魅力 70彼の場合、理屈抜きでというより、理屈ありで惹かれるタイプだとは思う
チビで風采があがらないらしいので中の高程度か?
総合的に見れば劉兄とは比べ物にならんと思われ。優れた配下が数多くいたが
彼はどの能力においても配下を頭一つ上回ってたと思う。
劉兄は韓信と張良とショウカ(漢字忘れた
にそれぞれ、統率、知力、政治力では水をあけられてるからね。
趙高
【統率】29(あっさりと暗殺された。)
【武力】23(戦術、用兵などの能力はないだろう)
【知力】78(人に罪を着せることにかけては天才的。 蒙恬や李斯をも陥れた狡猾さも光る。)
【政治】45(1国の王(無能とはいえ)を完璧に操った。また、政治センスは結構あったらしいが、自らの保身の面で大きくマイナス。)
【魅力】4(彼より低い魅力の持ち主を探すのも難しいw)
>>425 武力は一桁台でいいんじゃない?
奴はなんもしとらんぜ?
ではリクエストにお答えして、駄目人間を。
駄目と言うか、能力は凄いんだけど人間として間違ってる奴です。
--------------
アーネスト・ジョセフ・キング(1878-1956)
アメリカの海軍元帥
オハイオ州出身。兵学校の席次は4番。
若い頃から操艦の名手として鳴らし、頭脳明晰で海軍士官としての能力は完璧と称された。
自ら飛行機の操縦をするなど(しかも48歳のとき)、行動力と勇気にも欠けたところは無かった。
艦隊の指揮からデスクワーク、政治家との折衝まですべてにおいて一流の実績を残し、当然のようにエリート街道を歩む。
戦前既に海軍大将・合衆国艦隊司令長官の任にあり、開戦後には史上初めて作戦部長も兼任。文字通りアメリカ海軍のドンとして君臨した。
戦争指導も辣腕そのもので、勝利への貢献度は極めて高かった。
しかし個人としては性格破綻者すれすれで、ついた渾名は「ニトログリセリン」「ドライアイスの剣」。
女性、ギャンブル、酒に目がない上にだらしがなく歯止めが効かず、パーティーでは淑女たちに露骨に嫌がられ同席を拒否されることしばしば。
共産主義者・有色人種を蔑視していることを隠しもせず、舌禍も多数。
そのため巨大な功績にも関わらず戦争後半から冷遇されるようになり、戦後すぐ健康上の理由で辞職願いを出したときも慰留すらされなかったという。
1947年に脳出血で倒れ、以後死ぬまで寝たきりで過ごした。
>>427 そこまでいくと逆に男らしいw
子供を捨てた劉邦と劉備や、兄嫁とできてた陳平も
よく考えたら腐った奴らだよな。当時の価値観とはちょっと違うかもしれないけど
>>422 バトゥと比べた場合、どうしても落ちると思ったから。
同時代でヨーロッパまでいっておよそ敵なしだったバトゥと
同時代の武将にも(条件付きでも)負けている項羽とは差があるんではと。
430 :
世界@名無史さん:03/05/30 03:05
コーエー的には諸葛亮が知力100じゃないと
シリーズ全部100だぜ
431 :
世界@名無史さん:03/05/30 03:08
( ゚Д゚)<黙れ!!小僧!!
>>430 孔明自身で最も高い能力は政治だ
能力値
【統率】70(実務としての統率能力は満点に近いだろうが人物的魅力から出たものでは全くなく、官僚組織の中での優秀さでしかない)
【武力】40〜75(戦争そのものはうまかったが、戦術能力は未知数。艦長としてはとても優秀だったらしい)
【知力】95(とにかく切れる。切れる頭だけでやっていった人。頭の良さだけならWW2中の連合軍首脳中でも随一だろう)
【政治】60(官僚組織内での政治能力は満点に近いが、それ以外では人に全く好かれず、用が済むとそれで終わりな人でもある)
【魅力】10(ニミッツと逆で、人間としては全く好かれず評価もされなかった。死んだ後まで無茶苦茶言われている)
こういう人間が危機の時には組織の頭に立つのが逆にアメリカの凄いところでしょう。
人間としてはどうしようもない人です。マッカーサーも問題がある人でしたが、キングと比べればハイスクールの生徒みたいなものなのだとか。
人格だけで無能な人もいれば、とてつもなく有能でも人間として間違っている人もいるのです。
キング提督がどれだけ人望が無かったかは、戦後のアメリカ海軍の軍艦の名前を並べれば分かります。
フォレスタル海軍長官、ニミッツ提督は空母に名を残しています。
スプルアンス提督、フレッチャー提督、戦争中は大佐だったバーク提督でさえ駆逐艦に名を冠されています。
では、アーネスト・ジョセフ・キングの名を冠した軍艦があるでしょうか。
・・・そんなものは無いのです。
そろそろヒトラーの能力を数値化してほしいかもなんて思っちゃたり
しているかなーという。
434 :
世界@名無史さん:03/05/30 03:20
435 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 03:23
>>432 キング提督の評価、お疲れ様です。
たまには、こういう困った人物の評価も面白いですね。
私がキング提督を評価するなら、
第二次世界大戦の合衆国海軍が、強力な軍隊として機能したのは、
キング提督が優れた組織力で海軍をまとめ上げたことによるものですから、統率に10を足し、
合衆国海軍が優位を確保したのは、キング提督やニミッツ提督の個人的な能力のみによるものではなく、
物量や組織力によるところが大きいので、知力から10を引きます。
キングやスプルーアンスのような規格外の人間が、
出世できる合衆国海軍の懐の大きさに、改めて感服します。
(両名とも、某帝国海軍なら、とっとと予備役に編入されていたことでしょう)
436 :
世界@名無史さん:03/05/30 03:34
金正日 金日成 の親子キボンヌ
437 :
世界@名無史さん:03/05/30 03:36
総合能力トップはサラディンでよろし?
438 :
世界@名無史さん:03/05/30 04:00
439 :
世界@名無史さん:03/05/30 04:09
>>435 某、というのが我が大日本帝国のことなら、
聊か偏見というものではないでしょうか。
特攻の生みの親、大西瀧治郎提督も無類の酒好きで、
欧州留学中にイギリス人を殴り飛ばしたという赫々たる武勇伝があるほか、
試験当日に芸者をぶん殴り、新聞沙汰を起して海軍大学校を丸々棒に振る
など涼やかな美談には事欠かない生粋のイレギュラーですが、
華麗に累進を重ね中将にまでなり、日本の航空戦術を任されるという
重責を担っています。
後の連合艦隊司令長官、小沢治三郎中将も酒や女に関してはキング提督
にけして引けを取るものではありません。なにしろ結婚相手を箸が倒れた
方に決めたと言う猛将中の猛将ですから。
そして軍神山本五十六ですが、彼も博打は好きだし愛人は二人もいるし、
私生活ではろくでもない親父ですね。こいつも。
もっとも、大西も小沢も山本も人に好かれたという意味ではキングとは天地の
差があるかもしれませんが、他にも黒島亀人を筆頭に、奇人変人は数知れず、
さながら人間アミューズメント・パークの佇まい。
我らが連合艦隊は、こと私生活に関してはかなり寛容です。
学歴に関しても柔軟な組織で、アメリカ陸軍のマッカーサーみたいに
海軍大学校を出ずに栄進した提督も大西中将だけでなく、加藤寛治、安保清種、
野村吉三郎各大将に、有名な指揮官では木村昌福、栗田健男などその他
提督になれた劣等生は山ほどいます。
米海軍のスプルーアンスも通信畑出身で、航空戦術は規格外でも異例の
抜擢をされたというのは確かに流動的で素晴らしい組織ですけど、
宿敵南雲提督も根っからの水雷屋で航空戦術は畑違い、その他の経歴は
駆逐艦、巡洋艦の実戦部隊の指揮や海軍大学勤務などスプルーアンスと
とても似通ってます。規格外といえば規格外の人事ですね。
しかもこっちは抜擢の理由が才能を見込まれて、ではなく、年功序列という、
未曾有の国難に直面しているというのに、天晴れ見事な余裕ぶりです。
>胸甲騎兵さん
えらい強いニミッツにキングですね。
前スレで山本五十六の評価をさせていただいた事がありますが、
ニミッツなんて各能力平均で10〜20は上回ってます。
これでは、勝てるはずがありません。
442 :
世界@名無史さん:03/05/30 10:30
>>433 いままで無かったの?
人間、合計点では決まらんか。
【統率】90
【武力】70
【知力】3
【政治】70
【魅力】95
>>442 確か前スレにあったと思いますよ。
っていうか、僕がやりました。
僕の評価ではだいたい
【統率】90
【武力】35
【知力】65
【政治】95
【魅力】85
こんな感じでしたね。
ヒトラーという人間そのものが、一種の麻薬のようなもんだと思う。
一時的な幸福感は味わえても、服用しつづけると体の方がダメになる。
麻薬に人をひきつける魅力があったとしても、それは他の方面に
いい影響をもたらさない。
個人的には、ユダヤ人差別による動員可能兵力の実質的減少、
(俗に言う600万人が誇張だったとしても、とにかく
収容所に入っていた人間の半分が男で、うち何割かは
確実に兵役に就くことが出来たわけだから)
戦後の東ドイツ地域における領土の減少、
東西ドイツの分裂の原因になったことなどを考えると、
その時点で武力と政治の評価は低くなる。
445 :
世界@名無史さん:03/05/30 11:19
ダース・ベイダー
【統率】92
【武力】97
【知力】78
【政治】53
【魅力】80
【理力(フォース)】95
446 :
世界@名無史さん:03/05/30 11:21
ドゥークー伯爵
【統率】93
【武力】95
【知力】86
【政治】90
【魅力】94
【理力(フォース)】94
>>444 何かに対する盲目的な信仰というのは、すべからく
麻薬的な要素をはらんでますね。ファッショしかり宗教然り、また
その宗教を麻薬と呼んだ共産主義ですら、コアな理念への盲信という意味で、
一種の原理宗教だったのでしょう。
ユダヤ人隔離政策というのは紛うことのないヒトラーの政治理念です。
そのような類例の無い大政策を淀みなく計画、実行したというのは、
寧ろ彼の高い政治力、統率力を証明する事例ではないでしょうか。
それにより戦争指導に支障がでたというのは、知力の減点要素と
するべきだと考えます。
次に、終戦後のドイツの国家的損失をヒトラーの能力の低さ、と
判断するのは如何なものでしょうか。
著書『我が闘争』で彼自身が述べているように、
「敵のお情けに期待して惨めに生き長らえるより、我々自ら民族の命運に
終止符を打つ潔さの方が、どれだけ誇り高いだろう」
と考えるのがヒトラーという人物です。
彼は第三帝国の敗北が決定的になるに及んで、占領する敵が利用可能な
国内のあらゆる設備を破壊せよ、と命令を下しています。
「それはドイツへの死刑宣告だ」と反対したシュペーアに対し、
「ドイツ民族の生存に必要なことなど一切考慮しなくてよい。何故なら彼らは
敗北したではないか。自らの民族の生存の為に、最後の一滴まで血を流す事を
惜しんだではないか。」そう、語ったそうです。
戦後のドイツの苦難は、むしろヒトラーの描いたロマンチックな理念が現出
させたものであり、それだけ信念に忠実に、断じて国家を導いたのでしょう。
失敗の結果、国が不利益を蒙るのは能力の低さといえるでしょうが、
望んでそうしたというのは、無能ゆえとはいえないと結論します。
困難に遭った責任は、そのような指導者を支持し、自らの上に戴いた
国民自身の愚かさゆえ、といえるのではないでしょうか。
448 :
世界@名無史さん:03/05/30 12:47
うーむ。結果としてドイツに損失を与えた指導者だったが
無能ではないか
>447
そもそもの戦争を起こした目的から見ての結果、という視点から考えると
明らかに失敗だろう。
目的が「ドイツ民族の生存圏を拡大すること」で、
結果は「ドイツという国家の領土の減少及び分裂」だから。
それに、一方的に攻め込まれたんならともかく、現実は逆だ。
また、彼が途中で軍の作戦に介入したことが敗退を招いたと言われるし、
この点でも評価を下げざるを得ない。
それらの逸話は、(概念的に)目的が達成できなかったと判明した後の話だ。
彼の目的が達成できなかったこと自体を、擁護する理由にはならないと思う。
>440
我が帝国海軍というのは妙な組織で、中堅以下では硬直した人事をしていましたが上級層では割と抜擢もやってます。
ただ、山本や小澤、井上、大西といった異端者が表に出てこられたのは、彼らの航空主兵論が時代の趨勢となったこと、そして彼らのボスである米内が海軍の頂点に立っていた事が理由でもあるでしょう。
米内光政こそ昭和海軍の奇跡のような存在です。少将で退役のはずの人が、様々な偶然や食い違いで大将になり、首相にまでなってしまったのですから。
学歴に関してですが、江田島でのハンモックナンバーと海大甲種の経歴は終生ついて回りました。
木村は勇将ですが海軍部内での影響力は無いに等しかったですし、栗田などはほとんど戦犯あつかいです。
いずれも海上経験の豊富さと優れた仕事ぶりで提督にまでなりましたが、恩賜組が主流の海軍上層部では傍流にしかなれず、戦後まで陰湿な非難を受けています。
スプルアンス提督は、実戦指揮官としては太平洋戦争中最良の人物でしょう。
奇行も多かったようですが。彼を抜擢し、ハルゼイと並べて腕をふるわせたのは全くニミッツの偉大さです。
>>449 賛成します。彼の戦争指導は明らかに失敗でした。
ヒトラーは謀略を重ねて目的を達成する、
『老子』にある「知をもって国を治める」タイプの政治家、
つまり「賊」です。僕としては『知力』を70は上げないと
彼の本質を表せないのではないかと悩んだんですが、
それでも60代で我慢したのは、WW2後半の戦争指導が、際立って“酷すぎる”からです。
確か、前スレでの【知力】の項の説明には、
「それにしてもWW2も後半からが余りにもお粗末過ぎる。酷い、問題外。
よって数値は平凡」という締めの言葉を用いたように記憶しています。
また、軍の作戦に介入した件に関しては、知力+武力の減点要素として。
マンシュタイン作戦計画を採用してフランス戦で奇跡的な成功を収めたのは、
たまたま偶然で、東部戦線では固守命令連発など、他にもオリジナリティー
溢れる珍作戦を立てまくった結果、国防軍崩壊に大きな貢献をした、と。
【武力】の説明にそんなような事を書いていたはずです。
確かに、民族の生活圏拡大など理想国家の建設に失敗した指導者ですが、
もともとその理念が、史上例がないほど壮大すぎた。彼を彼たらしめてる
ナショナリズムこそが失敗の原因です。
ただの愚かな狂人が、欧州全土を席巻し、戦火に包み、累々たる死体と瓦礫の山を
築くことなどできようはずがありません。
もちろんヒトラーを擁護する必要はありませんが、彼の成した行為、また
それがもたらした結果の大きさを考えると、ある程度それを実行できる能力を
与えない限り、ヒトラーとナチスドイツという歴史のひとこまを説明することは
できないのではないでしょうか。
452 :
世界@名無史さん:03/05/30 16:19
イエスキリストは死後キリスト教が世界に広まってカリスマ的な存在になったけど
生きているうちは100候補になるほどのものでしょうか?また秦の宦官
趙高の魅力が一桁台ですが、これは後世の評価、我々の感覚からいえばそうですが
当時でもそうでしょうか?
魅力の概念がいまいちわからない。現代の評判も多分に入っているような気がしますが。
>>450 まるでその通りです。ちゃんと抜粋もやってます。
そして航空主兵論が時代の趨勢、というのこそ海軍の先進的な一面を表して
いるのではないでしょうか。
あくまでまだ当時の海戦の主役は戦艦であり、各国海軍では軍事理論上、
航空機は戦艦や陸戦部隊の護衛、偵察、弾着確認等の補助的な役割としか
捉えられていませんでした。
その状況下で洋上航空戦術に理解のある人材を、経歴を度外視して
取り立てる事こそ、まさに『経歴、人格に囚われず、能力に応じて抜擢する
柔軟な人事』と、いうことでしょう。
でも中堅まで硬直していた、というのなら、そもそも大西瀧治郎始め学歴も
ない問題児が順調に累進を重ねることなど、あり得ないのではないでしょうか。
少なくとも、この頃は実績も専門も無い、ただの新米士官です。
次に、海軍大学校出の成績優秀者が出世の早道、常道エリートコースだったと
いうのはまったくその通りです。そもそも軍大学とはそういう目的の場所です。
マッカーサーも陸軍大学を経ずに元帥までに上り詰めましたが、彼の場合は
実務優秀すぎて、大学に入るよりも現場で功績を積んだほうが得だという例外
的な判断があったことは疑いありません。かの国でも軍大学出のエリートが
普通の出世コースだったのは、とくに当たり前のことだと言えるでしょう。
また、木村は生粋の前線司令官、という感じですので軍内部での影響力がない
のは仕方ないでしょう。次に栗田が戦犯というのは、あくまでその指揮の
不適切さを非難されたもので、それをもって「学が無かったからで差別だ」
とは言えないと思います。当然作戦指揮ぶりを非難されて更迭された
海軍大学出も、提督の中にたくさんいますから。
そして艦隊司令長官というのはかなりの栄職です。通常は学歴優秀なエリート
がその任に当たるのが常識ですが、それを『捷一号作戦』という連合艦隊の
総力を結集した、国の帰趨をも左右する重大な作戦で、海軍大学の試験に落
ちた落ちこぼれ栗田に艦隊司令長官を任せたのが異例の抜粋と言うに
値しなくて、いったい何が抜粋なのでしょうか。
>いずれも海上経験の豊富さと優れた仕事ぶりで提督にまでなりましたが
いやまさにそれこそ『学歴より本人の能力に応じた人事』だと考えています。
なんだか、見てみると熱狂的信奉者みたいに海軍を持ち上げてますね。
いや、僕もそんなにたいした組織だと思ってるわけではありませんが、
思わず、勢いで・・・
>スプルアンス提督は、実戦指揮官としては太平洋戦争中最良の人物でしょう。
>奇行も多かったようですが。彼を抜擢し、ハルゼイと並べて腕をふるわせたの
>は全くニミッツの偉大さです。
ええ、まさに“人事の二ミッツ”本領発揮、適任です。
ニミッツは人物評定と人を使う能力に長けているだけでなく、潜水艦艦長時代
海に落ちた部下を救う話など、とことん部下に慕われたエピソードには事欠か
ない人物で、さらに悪い事に、組織を纏める事に関しても卓越してる。
前任者(代理)パイ中将の優柔不断な指揮で混乱しまくっていた米太平洋艦隊を、
司令長官に着任してからは、見事に統率し、一糸乱れぬ組織に立ち直らせる手腕。
ああ、日本かわいそうです。従って【統率】90には賛成します。
ミッドウェーで空母が最低五隻は動員されると考えられた日本機動部隊と海軍上
層部の不安を振り切って決戦を決意する戦略眼も、かなりのものです。おまけに、
拠点の確保に拘らず、迅速に戦力を集中することを重視する基本計画も有効かつ
適切。ただ立案した作戦をすぐ上層部の意見で修正するとこなどは、意思の弱さ
と取るのか、素直で聞く耳があると取るのか意見が分かれるとこですが、
結果は出てますので知力も、かなり高いです。日本哀れ。
スプルアンスを登用したことが二ミッツの偉大さなら、先任順位を無視して
この田舎者を異例の抜擢で太平洋司令長官に任命したルーズベルトこそ、
米海軍にとって一番の功労者と言えると思います。
あまり人の評伝に私見を述べて、また空の杯での献酬に発展すると悪いなと
控えてましたが、やっぱり、思わず述べてしまいました。
456 :
世界@名無史さん:03/05/30 18:05
キムタク>>カエサルだな
日本の知名度は
あいかわらず世界史板はテンプレ作るの下手だなw
>453
昭和海軍について、少し。
航空主兵論への転換が遅れに遅れたのは、日本海軍の保守性と硬直性を如実に示しています。
山本が連合艦隊司令長官になったのは、海軍省に置いておくと暗殺されそうだったからだと米内が言ったように、別に海上派として何かを期待した訳では無かったと思います。
その山本がかわいがった連中に異端児が多かったのもまた、山本自身が異端者だったからと言うこともあるでしょう。
山本は航空畑を歴任していますが、戦前の海軍ではむしろ傍流とされるコースでした。艦隊経験はそこそこで軍政に転じ、米内と組む訳です。
大西はその異端振りから航空畑しか歩けなかった人でしょう。ハンモックナンバーは20番ですから、病気や事故をしなければ少将で退役といったところです。
(この項つづく)
459 :
世界@名無史さん:03/05/30 18:25
スレ住人で議論して数値を決めていくというよりは
自分はこういう根拠だからこう思う→へーそうか
ってなスレか。
460 :
世界@名無史さん:03/05/30 18:29
コーエーの数値ってマルコポーロが知力95だからねぇー(汗
学がない者への差別は厳然として存在しました。
例に挙げられた木村、栗田両提督などは学がない車牽き、つまり駆逐艦乗りでした(ただし栗田は乙種ではあるが海大卒ではある)。
そのため軍令部勤務などさせて貰える訳もなく、ひたすら海で働いていました。
その栗田がレイテで主力部隊を指揮したのは、中将で彼と同格もしくは先任者、そして艦隊指揮経験のある者がいなかったからという、まことに年功序列的な理由でした。
そして彼は、海大甲種ではなく軍令部にいた経験も無い為、恩賜組の生き残り達から後に必要以上に非難されています。
奥宮正武あたりは、栗田がエリートではないからスケープゴートにされているとしか思えなかったと語っています。
木村にしても、彼の指揮は軍令部では評判が悪く、戦後アメリカ海軍が高く評価していたという話が入ってきて急に株が上がった人です。
南雲提督の真珠湾攻撃指揮も、ただ使えそうな中将では彼が最先任だったというだけの理由です。
抜擢人事ができたなら他に適任者は多かったはずですが。
(さらにつづく)
戦後の日本の人材は決して世界史レベルでみてもなんら遜色はないはず。
焼け野原からこれだけの経済大国になったのだ。
100年たてばこのことは、後世の人間に非常に高く評価されるのでは?
経済一流、政治三流という評価の通り、政治家では傑出した存在は
いないがね。
海軍というのは貴族社会だったという人もいるくらいに、階級差別は厳しかったそうです。
有名な撃墜王だった坂井三郎は兵からの叩き上げでしたが、戦後彼が有名になってからも海兵出の士官達は彼を軽蔑していたそうです。
戦功ある下級者に抜擢昇進の機会を与えるという仕組みもありませんでした。この点では陸軍の方がまだ進んでいたそうです。
昭和海軍というのは随分硬直した組織だった、というのが私の考えです。
(*´Д`*)-
日米の陸軍将帥も誰か評価して
466 :
世界@名無史さん:03/05/30 20:39
張良、韓信、瀟何についても評価きぼーん!!
漢の三傑ハァハァ
>466
確か前スレ辺りで評価されていたと記憶しているが……まだログ上がってないのか。
468 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 21:15
>>466 漢の三傑については、私が評価を前スレで付けました。
ただ、韓信の評価は変更しようとと思っています。
>>465 正直、第二次世界大戦の帝国陸軍の将帥には、
評伝を書きたいと思う人物は少ないのですが、
今村均陸軍大将なら、今後書くことがあるかもしれません。
469 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 21:21
>>424 曹操の評価は前スレでやっています。
読めるようになったら、参照してください。
あなたの評価、あまりに高すぎです。
それぐらい能力が高かったら、曹操はとっくに天下を取れてました。
>>425 政治と知力を入れ替えて見ては、いかがでしょうか。
「官僚としても宮廷政治家としても、この上なく有能だったが、
視野の狭さゆえに国そのものを食いつぶしてしまった」
そんな趙高の愚劣さが際立つと思います。
470 :
世界@名無史さん:03/05/30 21:24
韓信
統率68(世界史上なら優秀とまあまあのはざまか。)
武力82(あの時代だけなら項羽に次ぐか、それ以上か?)
知力60(戦略眼はそれなりだと思うが、己の置かれた状況に対する判断・認識力は人並み)
政治40(そういう点では、凡人)
魅力74(実力だけで成り上がり、風采が上がらかったので人によって好き嫌いが激しい)
471 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 21:38
>>440 大日本帝国は、高官の私生活の乱脈ぶりには、比較的寛容でした。
だから、大西・小沢・山本の諸提督のやりたい放題にも目をつぶったのでしょう。
その代わり、組織内での異端は、容赦なく痛い目を見せられましたが。
キングは、まともなコミュニケーションがほとんど不可能であるといっていいぐらいの
キチガイじみた人物でしたが、合衆国艦隊司令長官と海軍作戦部長を兼ね、第二次世界大戦を戦い抜きました。
スプルーアンスは、デスクワークが大嫌いで、全部部下に押し付けて、寝てばかりいたという、
まともな組織では勤まらないような人物でしたが、海軍大将にまで上り詰めています。
当時の合衆国海軍の人事に関する柔軟さは、異常なレベルに達していたと思います。
>471
非常時に非常識を容認出来るのが強国の条件の一つだと聞いた事があるが、
当時の合衆国はまさにそれだったと。なるほど。
>471
スプルアンスの為に弁護しておくと、彼は元々”シンキング・レイ”と渾名される位頭の切れる人物として知られ、デスクワークもできない訳ではありませんでした(下手ですが)。
ただ、勤務時間とそうでない時間を分けておきたかった人のようで、第5艦隊司令長官時代は午後8時に寝室に入ると一切仕事をしなかったとの逸話があります。
「スプルアンスほどの怠け者を見たことがない」とは、第5艦隊の参謀長だったムーア少将の証言だとか。
スプルアンスの凄い所は、オフはそれだけ怠けているにも関わらず執務中は緻密かつ冷静な指揮を通し、優れた事務能力で知られたムーアの助けもあって彼の命令は簡潔かつ分かりやすいと評判だったとか。
戦後フィリピン大使をしたこともありましたが、夫婦揃って社交会嫌いで、パーティーの類にはほとんど出席しなかったそうです。
474 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 22:02
>>473 私は、スプルーアンスを貶しているわけでなく、
彼がこれほどの組織人としての欠点を持ちながら、名将と讃えられるだけの活躍をしたこと。
そして、合衆国の軍部がそれを容認するだけの力量を備えていたことを、評価したいのです。
まず、海軍の航空主兵論への転換が遅れたのは日本海軍の保守性ゆえだと
結論されてますが、遅れたもなにも、米海軍も英海軍も、その他諸々の各国の
海軍は開戦に至るまで、まだ航空主兵論に移行できておらず、未だ戦艦主体の戦術、
編成、軍備。いち早くそれから脱却し、世界最大の空母機動部隊を編成し、
空母航空戦術を確立したのは他ならぬ日本がトップランナーです。従って、
転換が遅れた〜という論理の組み立て方は、この場合不適切ではないでしょうか。
次に山本や大西等の異才が栄達できたのは、米内という人物の人物評定の
優秀さあってこそだ、とのことですが、
僕は元々キングやスプルーアンスの登用が米海軍人事の素晴らしさを象徴して
いて、それに比べて日本海軍は・・・という話に反証として、
山本や大西、小沢などの栄進をあげたんですね。キングは平常の先任順位通りです
からまあいいとして、スプルーアンス抜擢は胸甲騎兵さん自身公言している通り、
二ミッツの人物評定があってこそです。スプルーアンスを米海軍人事の柔軟性
を証明する例とするならば、米内あっての山本も同様ではありませんか。
孫文、袁世凱、毛沢東、蒋介石とかって評価されたことある?
ごめんなさい。↑475冒頭に
>>458を付け忘れました・・・
さて続き
それから次に、ハンモックナンバー等の学歴主義が人事の硬直性の根拠だ、
と説明しておられますが、まず組織の人事というものは、一定の基準がないと
平等性に欠けるということを言っておかないといけません。
能力主義というのは人事者の主観に拠るものが強いですので、それに偏ると
自分の言う事を聞く人物だけ出世させる、というようなことも十分起こり得る
わけです。中国の官僚組織が科挙の試験制度を導入したのも、儒教の影響で
人事が私物化されることの対処として、官僚機構の権力者からの独立性を
確保する為のものなのと同じで、ある程度試験で席次を決めて人事の基準に
するというのは、なにも日本海軍だけでなく、米海軍でもどこでも、
普通にやっていることです。ただ米軍が凄いのは、平時では学歴偏重主義でも
戦時には柔軟に人材を生かすため、戦時と平時で階級制度を分けてるところです。
そのため戦時にはバンバン功績に応じて出世させても、いざ戦争が終わって
平時に移行すれば階級が何等も下がる、という無茶苦茶が平気で行われてます。
第一次大戦終了時に大佐だったアイゼンハワーも、終われば大尉です。
僕もよく日本海軍は人事が学歴に偏っている。という話を聞きますので、
海軍でもそればかりじゃない(考課表による選定)という事を説明するため、
あえて例外を提示したわけですね。
478 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 22:13
>>462 池田勇人は、文句無く世界史レベルの政治家です。
世界史にも稀に見る高度経済成長を計画し、成し遂げるという、偉大な業績を成し遂げた人物です。
また、演説の格調の高さでも有名で、暗殺された政敵の浅沼稲次郎を追悼する演説は歴史に残る名演説とされています。
資料が少ないので、今は評伝を書けませんが、いつか書いて見たい政治家ではあります。
栗田は海軍大学乙種には入学しても、その後試験に落ちてますので
海軍大学出、つまり甲種学生ではないと表現しました。
そもそも栗田が中将に昇進したこと、そしてその後司令長官に任命されたことを
合わせて栗田自身「自分でも驚いた」と言っているように、それ自体
栗田の実績と専門性が認められたということではないでしょうか。
戦略に関する専門の授業を大学で受けてない栗田が司令長官に任命されるのは、
彼自身驚いているように異例のことです。
艦隊指揮経験が無い提督が艦隊指揮官を任されるのも別に普通の事ですし、
艦隊指揮や実戦経験のある提督は他にもいても、実務を見て指揮官不適任者と
判断された者がいる、ということです。
彼が学歴がないから心持非難が強かったのかは解りませんが、
少なくとも彼のレイテ湾突入直前の謎の反転は、東郷ターンに知名度に於いて
匹敵する栗田ターンとして、開戦史上に残る不条理ターンだと、当時に
のみならず後世での批判もかなり手厳しいものです。
また、木村に関しては軍令部の評判どうこう以前に、海軍大出でもないのに
中将にまで昇進した有名な提督として例示したのみです。ハンモックナンバー
偏重の硬直人事なら、彼が中将になった説明ができません。
そして南雲の機動部隊司令官任命は僕自身
>>440で「規格外の“年功序列”人事」
だと、指摘しております。
兵学校卒でない者への階級差別が厳しかったのはかなり有名ですね。
一般の兵隊からだと戦時特別昇進以外士官へ上がる道も無く、
坂井三郎氏始め西沢、大田といった比類ない撃墜王ですら
下士官止まりなのは僕も同じく納得ができません。
スレ外れ議論ですね。ごめんなさい。
お詫びに
>>465さんの要望にお応えして、東條でもマッカーサーでも
なんでも数値化してみます。勘弁してください。
ピョートル3世 1728〜62(在位1761〜62)
【統率】 12 閲兵大好き(はあと
【武力】 17 兵隊ごっこにおいて右に出る者なし
【知力】 13 最期まで純真な子供心を忘れなかった
【政治】 09 フリードリヒ2世絶体絶命の危機に颯爽と現れ、プロシアの躍進に多大なる貢献を果たした
【魅力】 04 妻エカテリーナを皇帝へと押し上げる原動力となった
彼の存在なくしてフリードリヒ大王及びエカテリーナ大帝の偉業は有り得なかったであろうという意味で、
当時の欧州史を語るに欠かせない重要人物……であるが、何故か日本では知名度が低い。
誰よりもプロシアを愛し、誰よりもプロシアに尽くし、そしてプロシア存亡の危機を救った真の愛国者。
……と、彼がロシアの皇帝でなければ後世に語り継がれた事であろう。
481 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:17
閑羽
武力100
統率95
知力97
政治60
魅力95
最強の武神
482 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:20
>>421 はっきしいえば、部下の進言を的確に聞いた君主は数ほどいるし
天下をとる前の劉邦は人を聞く度量があった。魅力がある。
それに決断をにぶらせて、効果が半減したのは事実。
劉邦に知力が認められるエビソードがない以上劉邦は魅力だけの人物。
君主にとって有利すぎる。
>445-446 >481
フィクション世界の住人はこのスレの範疇外。
484 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:23
イザベル1世
カスティリアの女王。コロンの公開を支援
夫が隣国アラゴンの王になったことで、スペイン王国が成立
権力と資金ともに優れたスポンサーだった
485 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:24
>>483 ハァ?フィクションの世界?正史みろ馬鹿w
486 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:26
関羽
統率59(少し配慮が足りない面が)
武力70(世界史ではこの位)
知力45(戦略が見えない分、韓信以下だろう。)
政治25(目の前しか見てない。)
魅力85(真面目で不器用で、部下から見れば尽くしがいがあったのだろう。
一面、地方豪族とかからは嫌われがち。後世まで見ると、中国史レベルか。)
>485
三国志演義は正史じゃないが何か?
488 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:28
>>485 お前がね。正史だ史実だ一々強調してる奴って自分の頭を過度に誇張したがってるだろ。)
489 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:28
>>485 お前がね。正史だ史実だ一々強調してる奴って自分の頭を過度に誇張したがってるだろ。
490 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:31
陳君
羊
字は長文。キョショウの人。武の司馬慰、文の陳群と並び評される。
曹操が肉刑を採用すると、殺人による死刑以外で死にいたる刑は
なくすべきと主張。彼の作った九品官人法は魏の礎となる。
曹ヤクの在任時司空となる。
統率 40
武力 13
政治 86
知力 70
魅力 82
政治力は同時代のトップクラス。武人ではないので、戦闘関連
のパロメーターは下がる。魏臣全てが敬意を払うほどの人格者でもあった
491 :
世界@名無史さん:03/05/30 23:32
>>487 当たり前だろ馬鹿w小学生にいうようなことをわざわざこのスレでいうな
なにか?じゃないよ恥ずかしい奴だな
お、なんだか盛り上がってきたようですね。
>>478 僕は戦後の経済成長に貢献した一番の功労者として、吉田茂を推します。
彼は外交、政策、戦略。全てに於いて戦後日本を決定付ける卓越した政治手腕
を見せてます。まあ、そんなに好きな政治家ではないですけど。
揚州呉群の人。陸氏は呉群の4性と呼ばれる、代表的な名族のうちの
一つで。三国、呉の軍事力を支える土着豪族である。
主君の孫氏などこれに比べれば3流の豪族であった。
西暦200年に孫権が政権を敬称すると同時に出仕。
孫策の激しい気性より孫権とおりあったと思われる
海昌屯田都慰となり、民に農耕を勧めるとともに、日照りの年には
貧民に穀物を流し、善性に務めた.その後呉、会稽、丹揚群に隠れて
徴税逃れをしている民や異民族の山越を征伐
会韻の山賊の狩猟藩臨を討ち、兵2千を獲得!!。その功で定威校慰
に任じられる。孫権の信任はあつく、兄、孫策の娘と縁組をしている。
陸孫は山越の平定を目指し、精鋭数万人を得た。ここまでは演技では
見られない。表舞台にはたたないが、呉の地盤固めをした裏の名将の
顔がみられる。
219年、荊州にいた、呂蒙が病気を理由に首都に戻る
閑羽が全軍を、曹操陣営屈指の名将の曹仁に向け不意をつけば
荊州攻略は可能と提言。偏将軍右部督に任じられる。
江良を陥落させ、閑羽の扱いは呂蒙に任せる(閑羽の亡霊にとりつかれなかったw
蜀との国境、宜都群を占領。この功により、孫権は陸遜を宜都太守、
鎮西将軍に任じた。
222年劉備が閑羽の復讐戦やってくる。孫権は陸遜を大都督に任じる。
兵5万人を指揮させて、全権をゆだねた。周朗が任せられた兵より多い数である
見事に持久戦と、火攻めで蜀の劉備を破る。
晩年は孫権老いたりの一言に尽きる。後継者選びに正論をいったため
孫権に疎まれる。
統率 80
武力 83
知力 73
政治 55
魅力 62
三国の英雄の一人劉備を破ったのは見事。表舞台に出る前も、堅実な仕事
で呉の屋台骨を支え、これといった失敗はしていない。呉の歴史上
最大の名将の一人。
495 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/05/30 23:57
>>492 吉田茂は功罪が大きすぎる上に、栄光の中で生涯を終えました。
このような人物には、どうも食指が動かないのです。
池田勇人は吉田茂が残した宿題を片付け、
さらに日本を世界に冠たる経済大国にしたにも関わらず、
急病に倒れ、死後もその業績を正当に評価されることの少なかった人物です。
私はそんな悲運の人物に肩入れしたくなるのです。
496 :
世界@名無史さん:03/05/31 00:06
田中角栄
元外務大臣田中真紀子の父親。
あだなは人間つきブルドーザー。高学歴ではない
金集めに天才的な才能を発揮して、首相に登りつめる。
ロッキード事件で退陣。後継首相の三木に、追い詰められ
有罪判決を受ける。闇将軍といわれ、歴代首相の上に君臨し、
権力の2重構造を招く。自らもう一度首相になるために執念を燃やす。
が元首相竹下に反逆。飲酒量の度が過ぎた他、ストレスで倒れる。
歴代政治家の中でも彼の人気は非常に高い。
ロッキード事件時
国際興行主、故小左野健児が、田中と刎頚の友といったのは有名。
日本列島改造論の呪縛は現在の政治にも影響を与えている
陳羣は三国の時代で唯一政治90を超える人物と思っております。(諸葛亮は87)
私的に
陳羣
【統率】63(地味ではあるが、魏の組織を強固にしたので、低いことはないだろう。)
【武力】22(低いだろう。)
【知力】66(劉備配下の頃徐州によることの困難さを解いたりしている。 中々高かっただろう。)
【政治】91(魏の礎、九品官人法だけでなく、その他数々の政治的進言、人材の推薦、上奏をしている。 世界史レベルでも十分通用するだろう。)
【魅力】76(礼儀を正して道義を重んじる人物で、人を見分ける才があると称されている。 人格面でもしっかりとしている。)
498 :
世界@名無史さん:03/05/31 00:14
統率 90
武力 評価なし
知力 88
政治 88
魅力 88
経済大国日本の単独第一党自民党を数十年にわたり支配してきた。
そういう意味では世界への影響力は、江戸以前の人物とは比べ物には
ならないかもしれない。
彼の法律への詳しさは尋常ではない。彼の権力の源はいわずとしれた
金権政治であるが、その人間性も見逃せない。非常に雄弁で面倒見がよく、
一度あった人間は彼に魅了されるという。
497は、490へのレスです。
人間つきブルドーザーってなんだw
コンピューターだ。逝ってくる
501 :
世界@名無史さん:03/05/31 00:21
まぁ自分の妄想を人に聞いてもらうスレっしょ?
>>497 どちらかといえばマイナーで魏自体があんまり続かなかったから
90は与えれなかったのです。個人的に
504 :
世界@名無史さん:03/05/31 00:26
チトーキボンヌ
505 :
世界@名無史さん:03/05/31 00:28
領土の広さと、実力でいえば、現在のアメリカにかなう国は
ないんではないか?ということでブッシュ最強説を唱える。
この時代に戦争やった、奴の胆力はすごいと思われ
506 :
世界@名無史さん:03/05/31 00:31
サダムフセイン。金正日。チャウセスク、毛沢東、周恩来、ブッシュ(父
チャーチル。
ここらへんは情報もふんだんにあるし、まさに、ポイントつける奴の
腕のみせどころじゃないか?古代の政治家はしょせん、自分でつけた
ポイントじゃないだろ
507 :
世界@名無史さん:03/05/31 00:31
>>494 陸遜はもうちょっと政治高いと思いますよ。
「古の周公旦、召公奭の治績は現在において陸遜と呂岱がそれに匹敵する」とまで言われたんですから。
ニ宮の変での死は政略紛争に敗れたというより、忠義心によるものだからそこまで減点材料にはならないと思います。
>506
金正日、パパブッシュはまだ生きている。
フセインは死亡の確認が取れていない。
まだ何かする可能性があるのに、数値化はおかしいだろ?
歴史上の人物になりきっていないのに。
ただ、チャーチルと周恩来は面白いと思う。
毛沢東とチャウセスクはこれから資料が出てきて変わりそうだから、
何とも言えないけど。
もう、ハルゼーは数値化されたんか?
511 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:04
>>508 はい歴史の楽しみ方とやらをご教授願いましょうか?
よろしくね ハートw
512 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:04
小泉純一郎
統率51
武力??
知力48
政治55
魅力70
513 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:08
>>512 統率は結構低いかと。子分いないし。知力はなかなかだと個人的に
思ってる。マスコミ様相手に隙を見せない。
514 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:18
周恩来ってなんかケ小平以後の中国に協力にプッシュされてるためか、
過大評価されてないか?優れた人物であることは異論はないところだけど。
田中訪日の時のエピソードとか聞くと、かってー人間だなおいとか思ってしまう。
515 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:20
(*´Д`*)-
コーエーさん大変なんだな。どんな数値作ろうが文句はくるだろうし
毛沢東関連の本では毛沢東の私生活が楽しかった。
史科として価値あるかどうかはまったく知らないけど(笑
518 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:26
, -――-、――- 、
/ ヽ、
/ , ・ ニ二二二二ニヽ ヽ、
| レ´ ` ヽ
| | // / l | | || | | ヽヽ 、 |
.| | lルT_工|/VW .工_T i | N/
| | | ||´| .jl` | .jl゙|/|/レ' / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | (.| || 。二 , 二。 | | | | < …うぐぅ
(\| | ,| |ト " ^^^/ ̄ ヽ、| | /) \_____
(\.| | /| | | `, ┬―| ||/ |/ /)
\/,XXヽ lヾ|ΤTT「王王王| .| / /
ヽ L土土土| /
少女を囲んで風呂に入る毛帝…
羨ましい限りだ
520 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:29
(;´Д`)ハァハァ
521 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:54
>>387 しかし、まあ懐柔ばっかりしてると秀吉政権みたいな末路になっていた危険性が
あったのでしょうがないかと。公孫述とかを懐柔して配下に組み込むのは危険が
伴うし、逆に銅馬軍は上手く降伏させているし。早く統一すれば良いというものでは
ないケースもあることは歴史にある数多くの先例が示している。
522 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:56
( ´_ゝ`)
523 :
世界@名無史さん:03/05/31 03:03
公孫弘
統率55(話を合わせつつ、重大ミスを犯さない姿勢)
武力25(書生の出だから)
知力50(自身は並の政治家レベル?)
政治68(おおよその事に導いている)
魅力54(一人の人間としてはそこそこ人望はあったのでは)
ハンニバル
統率96(傭兵からなる遠征軍を永年に渡って心服させ戦史に残る戦いをやってのけたので)
武力78(有力領主の三代目という事で個人戦闘能力はマイナス、騎馬戦術の妙を心得ているのでプラスして)
知力87(当時にして情報・諜報の重要性をよく理解していたので。騎兵を効果的に利用し敵軍を完璧に包囲殲滅してのけた点を考慮して)
政治67(カルタゴ本国を同時に動かすに至らなかった政治力をマイナス、ガリア、マケドニアらを味方に利用するセンスをプラス)
魅力92(彼よりも魅力ある人物は居ると思いますが、これ以上はマイナスできないです、ただ敵国ローマにまで愛されるとはいかなかったかも)
いま新潮文庫読んでるので甘いかも
ああ、すみません
>>3を見落としてました。大幅に変える必要ありですね。どなたかおながいします。
>525
ポエニ戦争関係者は最初のスレで数値化されているので参考されたし。
527 :
世界@名無史さん:03/05/31 08:43
別に過去ログでやった奴が正しいというわけやない。
そもそも正しい数字などないのだから。勘違いしている奴がいるかもな
>514
周恩来、いいですね。近いうちにやってみます。
近代中国屈指の名将である朱徳もやってみたいですね。
次回はちょっと変わった人を。
厨が集まるようなスレタイだがなかなか良スレになっていますね
>527
「参考されたし」って意味解る?
531 :
世界@名無史さん:03/06/01 00:41
衛青
統率78
武力85
知力88
政治70
魅力75
この位は評価できるかな?
>>530 必ずしも辞書で引いた通りの意味で人は受け取らない場合もある。
参考されたしということはどこかで見下しているような印象を受けた。
まぁ今見たら煽りだな。すみません。
>>524氏とは別人です
>>524 僕的なハンニバル評価は、
ハンニバルは幾つか敗戦もあったとしても、ローマ海軍相手には制海権の不利を
克服できないと判断し、陸路アルプスを越えてガリアに攻め込み、意表を付いて
ローマ軍に連戦連勝。特にカンネー戦でみせた優れた用兵は、世界戦史上でも
高い評価を受けているなど前線指揮官として稀有の優秀さを示しています。
このスレでは戦術能力は武力に分類するというのが慣例ですので、
武力は80代は上げた方が適切だと考えます。
同時に敗北の原因は、ローマを攻略できない城攻め下手の部隊で敵地深くに進攻
してしまったため、ファビウスの敵が出れば引き、引けば追撃するといった
遅延戦術に見事に引っかかり、敵中深くに孤立。
お陰で頼みの弟が率いる援軍部隊も各個撃破によって粉砕され、
また期待したイタリア諸族の反抗が思ったほどではなかったこと、
そしてファビウスにかまけてスキピオのスペイン攻略、北アフリカ進攻を
許してしまうなど大部分はその戦略上のまずさに拠るものです。その後ローマや
国内親ローマ派の謀略で失脚した事も政治+知力の減点要素とするべきで、
いかにローマの本質を見抜き徹底抗戦を主張した深慮遠望があったとしても、
ハンニバルの【知力】80代は高すぎると結論します。私見では、ですが。
阿南惟幾をきぼんぬ
>533
戦略についてはハンニバルには同情の余地はありますよ。
彼はあくまでスペイン植民地軍の指揮権を持っていただけで、カルタゴ本国にその権限は及んでいません。
しかもカルタゴという国は自国の軍と将軍を異常に恐れていて、戦後どんな将軍も裁判に掛けられてちょっとでも失策が認められれば処刑されてしまうお国柄でした。
戦後のカルタゴ復興に見せた手腕は得点になりますし、失脚ももうどうしようもない横槍ですし。
もしハンニバルがローマの独裁官並みの権限を持っていたら、あるいはカルタゴの運命も変わっていたかも知れません。
彼の負けは多分に国家体制の問題で、日本人としては他人事とも思えないような(^^;
536 :
世界@名無史さん:03/06/01 12:20
マハトマ・ガンディーを数値化したらどうなりまつか?
>>531 ちょっと高い気がしますね。
では、匈奴戦で活躍した面々を。
衛青
【統率】76(匈奴戦で活躍したから。)
【武力】85(有効かつ敏速な騎兵戦術を用いた司令官だが、霍去病に比べると落ちる。)
【知力】52(人並み?)
【政治】41(期待できない。)
【魅力】53(温厚で謙虚な性格だったらしいが、武帝に媚びたため評判はよくなかった。)
霍去病
【統率】70(基本的に猪突猛進タイプだが、低くは無いと思う。)
【武力】89(有効かつ敏速な騎兵戦術を用いた司令官で、匈奴戦で大活躍。 斬首捕虜にしたもの十一万余らしい。 しかし、【武力】90は僅かに無理。)
【知力】64(武帝に兵法書を読むように薦められても、『戦争は理屈ではない』と断った。)
【政治】41(期待できない。)
【魅力】76(魅力というよりカリスマ。 贅沢で部下をいたわることが無かったものの、部下に信頼されてたもんな〜。)
李陵
【統率】78(寡兵で匈奴の大軍と戦ったのに投降ほとんど者を出さなかった。)
【武力】81(数千の兵で数万の匈奴を相手に十何日間も戦った。)
【知力】51(人並み?)
【政治】53(匈奴に捕らえられても保身できたので、少し高め。)
【魅力】72(士卒をかわいがり謙虚な人柄であったのできわめて評判がよかった。 匈奴への投降で少しマイナスかな?)
>>533 同感です。
しかしハンニバルの武力は90あってもよくないかな?
>>538 上の2人は妥当(政治はもうちょっと高いと思う)だと思うけど、李陵は幾らなんでも高くない?
統率78→66 武力81→72 これくらいがいいと思う。
540 :
世界@名無史さん:03/06/01 15:15
ムツゴロウ
【統率】87
【武力】18
【知力】94
【政治】70
【魅力 92
宅間 守
【統率】20
【武力】74
【知力】36
【政治】22
【魅力 76
541 :
世界@名無史さん:03/06/01 17:07
一般人は全員一桁台ぐらいだと
542 :
世界@名無史さん:03/06/01 17:23
私的ハンニバル評価
【統率】97(敵国のまっただ中で軍を維持し続けた驚異的な統率力)
【武力】95(カンネーの戦いを除いても、敵国の中に10年以上居座った事が脅威的)
【知力】88(戦略的失敗はあれど、教養があり、局地的な判断力は秀逸)
【政治】64(政務はそこそこ成果を挙げていたらしいし、外交能力に長けていた。失脚されたのを計算に入れても、低すぎるくらい?)
【魅力】93(部下に慕われていたらしいし、かれの戦歴の大半が敵地であった事を考えてこの数字)
543 :
世界@名無史さん:03/06/01 19:25
ハンニバルの映画はハンニバル将軍をモデルにしたそうだ
>>437 漏れが上でやったよ。
以外と、ムハンマドの方が総合力高くなってたりしてたり。
>>536 前スレにありましたよ。
【統率】86
【武力】0
【知力】93
【政治】81
【魅力】99
こんなんでした。
「武力や金力が無くても世の中を動かすのは可能だ」という事を証明したってのは、確かにものすごい業績ですな。
545 :
「ど」の字:03/06/02 00:05
自分は、かつてこういう評価をしています。
【ハンニバル・バルカ】 B.C.247〜183
【統率】99(古代の戦史において従軍拒否をされなかった名将はこの人とスッラくらいのもの)
【武力】97(世界戦史上の金字塔であるカンネーの戦いを演出、ザマの戦いにおいても激烈な抵抗を展開した)
【知力】72(優秀ではあった。が、ターニングポイントでいくつかの失策をしているのでこのレベルとした)
【政治】52(政策策定能力は秀逸だが、実行力には疑問。ザマの敗戦後は政治改革に着手したが、政敵に讒言され逃亡を余儀なくされる)
【魅力】75(厳しい統率姿勢に関わらず、傭兵たちには良く慕われていたらしい。反面人間的態度に問題あり)
ハンニバルの統率力は世界史上三本の指に入ると推測します。(カエサルや徳川家康なみ)
武力については、いまだに世界中で研究され賞賛され続けていることからも、世界最高峰の一角としました。
知力は、ローマ連合解体が失敗した時点でローマ攻城に入らなかった点などのミステイクで差し引いています。
政治については、ハンニバルは参謀向きだったと思われます。実行手腕に疑問点ありなのでこの数字です。
魅力も高評価していますが、本人も「戦場での礼儀しか知らない」指導層に好かれない人物なので減点しています。
ハンニバルの最大の失敗は、やはり自説である「軍事的成功によるローマ連合解体」への固執と思います。
解体が不可能と悟った時点で、ローマを孤立化して攻城を試みていたなら、歴史は変わったでしょうか……?
皆さん、色々有り難うございました。
>>545さん
はい、過去スレ教えていただいて、すぐみました(^^)。
皆さんの意見とても参考になります。
547 :
世界@名無史さん:03/06/02 05:44
>>545 個人的にはハンニバルの行動は、(あの時代では)最善であったと思います。
豪族集合体(に近い)国家が、数度の敗北で崩壊するのは常でしたし(ローマは例外)、
ハンニバルはいわゆる豪族の一人でしかありませんので、カルタゴ全軍を指揮出来ません。
軍事的成功を除いて、ローマを解体する(もしくは孤立化させる)ことは、不可能だったように思われます。
ま攻城器の無い状態での城攻めは、長期化の危険性を考慮せねばなりませんので、奇襲策もとれません。
(ローマを目の前にして攻城しなかった事が、それを示していると思います)
ガリア、マケドニアを味方につけたり、シラクサ、カプア、タレントゥムなどを落としたことは、彼のローマ攻略のための、最善の努力の結果でしょう。
彼の敗因はギリシャの都市国家を味方につけられなかった事、これに尽きると思います。
ハンドルにレス番入れるの忘れた(汗
自分のハンニバル評価は542です。
>>535 まずカルタゴの敗戦の原因は、大部分本国の政治家が愚かだった事によるもの、
という見解には賛成します。
商業国家カルタゴは戦争は傭兵任せで国防を疎かにしていた結果、そもそも
ハンニバルの親父ハミルカムも本国では軍備の強化が望めないと判断し、
スペインを軍事的な拠点にしようと思い立ったのですし。
第二次ポエニ戦争ではハンニバルも本国は当てにしてなかったでしょうし、
敗戦後の国内親ローマ派貴族の横槍も、救国の英雄に対して酷いものです。
カルタゴの滅亡は、『孫子』にある「兵は国の大事、死生の道、存亡の道」
この言葉の正しさを証明する一つの歴史といえるでしょう。
しかし、ハンニバルの置かれていた状況が悪かったというのは、情状の余地に
はなっても、完全な弁解にはなりえません。
いったいカエサルやナポレオンがそんなに恵まれた軍人でしたでしょうか。
不利な環境を克服した、或いは最大限改善したというのならともかく、
それがストレートに失敗に結びついたというのは、やはりそれはハンニバル
自身の対応能力の限界を示しているのだと考えます。
また彼のカルタゴ復興に示した手腕は非凡なものです。しかしその事が
結果的にローマにカルタゴの潜在的能力への恐れを抱かせる事になり、
後に耕地に塩が撒かれ、二度と復興できないほど徹底的に国土が破壊されて
しまう遠因となってしまったというのは、皮肉なことです。
>>542>>547 イタリア内部で長期に渡って軍を維持したというのを高評価の大きなポイント
にしておられるようですが、当時は補給経路、統治体系の特殊さから、敵地に
長く居座ることのできた事例もままあることです。ハンニバルは南イタリアを
制圧し、イタリア諸族のある程度の協力を取り付けることができたからこそですが、
ハンニバルのような政治的、地勢的基盤を持たないスパルタクスですら
二年にも渡ってイタリア内に十数万の大軍を維持しています。また、自国内
よりかえって敵国内の方が兵を統率しやすいと、『孫子』の兵法にもあります。
それにしても、ハンニバルがこれほど長期に渡って敵国内に留まれたのはやはり
凄いことですが、でもそれができたのはファビウス等ローマ軍が持久戦法を
とったためで、それによりローマに軍備増強の時間を与え、カルタゴ軍の
弱体化を招き、先のレスで述べたように敵の思惑通りに事態が進展しています。
居座ろうとして居座ったのならハンニバルが優秀といえるでしょうが、敵の作戦
通りにイタリア内に長期留め置かれ、結果敗北したというのはハンニバルの戦略
的未熟さを証明するものだといえるのではないでしょうか。
また15年にも及ぶ戦争期間中、ローマ攻略の為の準備を整える期間は幾らでもあっ
たにも関わらず、それができなかったというのは、カルタゴ軍やハンニバルの
大規模攻城戦への自身の無さを示すもので、それもまた【武力】の判断材料と
するべきだと考えます。
クラウゼヴィッツが「決戦回避は必敗の条件」としているように、ハンニバルは
敵地に攻め込む前提上、明らかに戦略的失敗をおかしています。
そしてこれは個人の主観に関わる問題ですが、統率と魅力の合計が95にまで達する
圧倒的指導力を誇る政治家が、反対勢力の陰謀などで失脚するでしょうか。
そのような人物が「ローマは危険だ」と忠告し続けたにも関わらず、カルタゴ市民
の心に響かなかったのはどうしてでしょうか。
この高評価は、僕がアレクサンドロスに与える評価に近いものです。
>>545 【武力】に関して多少私見を述べさせて頂きます。
ザマ戦でも激烈な抵抗をした、とありますが、この戦いでハンニバルはスキピオに
戦力面ではとくに劣っておらず、にも拘わらず結果は一方的な敗北。少し負けた
事がある程度ならともかく、第二次ポエニ戦争の命運を分ける大決戦でこの失態は、
ハンニバルの戦術能力には大きな減点材料といえるのではないでしょうか。
スキピオが武力100はあったというのならともかく、雑多な訓練不足の兵を含めた
混成部隊だったとはいえ、壊滅に至るほど統率できなかったというのは、
【武力】90代後半の将軍には相応しくないと考えます。
次に攻城戦などに明らかに不得意がある所も難点ですし、シリアの海戦で往年の
勢いが見られなかったのも、一つの評価材料とするべきではないでしょうか。
>>544 それは僕のガンジー評ですね。
この時はインフレしすぎだとか、すかさず物言いが入ったりしてましたが。
>549-551
少なくとも、新兵の補給という面では、ハンニバルは
カエサル、ナポレオンに比べてかなり不利だったと思う。
ナポレオンのフランスなどは毎年十万人以上の新兵が導入可能だったとされるし、
カエサルにしてもガリア戦〜ポンペイウスを追ってギリシアに渡るまでの時期は
属州などから十分な新兵を補給可能だった。カエサル自身「ガリア戦記」で
これを敵の戦意をくじく為に重要だと認めている。
敵中で孤立していたハンニバルには、新兵補給はかなり難しかったろう。
そしてハンニバル同様、兵士も老いるし疲れもある。
兵士の質という意味ではかなり劣化していたと思うが。
>>549 レスサンクス。
敵国内での統率ですが、(ほとんど)無補給で敵地に10年以上留まったという例は、世界史上殆どない(自分の知る限り、毎年のように交戦しながら留まった例はこれだけ)事は考慮したいです。
90台は確実というのが私見です。
武力についても、ザマの戦いでは互角どころか手持ちの騎兵(ヌミディア騎兵)の大半が寝返っており、軍団構成は新兵と傭兵が大半で残りが敗残兵です。
ハンニバルが自分の戦術を自在に駆使できたかと言えば、否でしょう。
また、ハンニバル自身の本拠はあくまでスペインであり、北アフリカではありません。スペイン内部でならともかく、本国で疎まれたのもしかたないと思います。
>>552 僕も
>>550で「カルタゴ軍の弱体化を招き」と言っているように、
ハンニバル敗北の一因が戦力の劣化にあるということは理解してます。
そしてナポレオンが歴史上初の国民軍をもったことで他国を圧倒する
兵力の動員ができたことが快進撃の大きな要因であったこと、
カエサルの強さが精強なローマ軍あってこそというのも存じてます。
でもあくまで僕がナポレオン、カエサルを引き合いに出したのは、
ハンニバルが「カルタゴ本国にその権限は及んでおらず、負けは多分に
国家体制の問題で、もし彼がローマの独裁官並みの権限を持っていたら、
カルタゴの運命も変わっていたかも知れない。」
という見解に対して、
決してナポレオン、カエサルといった英雄も恵まれていたわけでなく、
二人とも当初は不遇の軍人生活を送っており、
ナポレオンはアフリカで苦労している間にも二回目の対仏大同盟の結成で
フランス本国は連敗、危機的な状況にあるにも拘らず、国民の支持を失い
具体的な対処もできずにいる頼りにならない総裁政府に見切りを付け、
クーデターによって自らの意思で権力を獲得していること。
カエサルなどは民衆の人気を妬んだ元老院に眼をつけられて、
さんざん理不尽な扱いを受けた挙句、例の「召還命令」で自身の命まで
危ぶまれる状況に陥り、元老院に反旗を翻す決心をして権力獲得。
どちらも自らの意思と能力で上位権力という足かせを外し、不利な環境を
克服したという事実を示しているものです。
>>554 ナポレオンとカエサルの例は、微妙に不適格であると思います。553でも言いましたが、ハンニバルの本拠はカルタゴ本国ではなく、スペインにあるカルタゴ・ノヴァです。
いわば豪族の一人でしかなかったハンニバルに対し、最高神戯官と言う地位にあり、本国で凱旋式を行ったカエサルや、フランス革命の流れで英雄視されたナポレオンと比べるのは、不適切です。
しかも二人とも、克服の背景には軍事力があります。ザマで手持ちの兵をすべて失い、本拠であるスペインを奪われたハンニバルにそれを望むことはできないでしょう。
>>553 僕もハンニバルに【統率】90程度は適当だと思いますね。
第二次ポエニ戦争全般を通して彼の示した資質は、
一軍の指導者として十分及第点です。
ザマの敗因は手持ちの騎兵が寝返っていた事が大きいとされてますね。
そう、僕がいいたいのはまさにそこにあります。
この一連の戦いでハンニバルが得た多くの勝利の要因には、間違いなく
精強なヌミディア騎兵の活躍が果たしていた役割が大きいものです。
ところがそのヌミディア騎兵がスキピオ軍に寝返ったとたんに、
惨めな大惨敗というのは、これは、ハンニバルとかスキピオとか、
そういう事よりつまり、結論はヌミディア騎兵にあるのではないかと。
ヌミディア騎兵という視点で語ると、カンネー戦その他の勝利もハンニバル一人の
功績には還元できず、やはりどっちにしても心持評価を下げなければなりません。
そういう意味で、結局はいずれにしてもハンニバルの【武力】には、
いささかの翳りが見えてしまいます。
本国で妬まれたことにかんしては、僕の私見はだいたい
>>554の通りです。
>>555 僕がいっているのは第二次ポエニ戦争進行中の期間の話ですね。
イタリアまで攻め込み、カルタゴの保有する軍事力の大部分を
握っていたハンニバルなら、本国の足かせを自分で外す事も可能だった
のではないかということです。
少なくとも、外す努力をしなかった点で不利な環境にあったことを
完全に弁解はできないと。酌量の余地があるというのは、僕自身述べて・・・
いや、情状って書いてあるな、ごめんなさい。変ですね、酌量です。
ある程度酌量の余地があるというのは、僕も既に述べたとおり、認めています。
>>557 外す努力をしなかったのは確かですし、弁解の余地はないでしょう。しかしそれは政治の要素であって、魅力とは関係無いように思われます。
失脚についても政治の部分が大きいのではないかと。
>>556 ザマの敗因は騎兵戦力の優劣以上に、兵の錬度の低さにあります。
ハンニバルは騎兵戦力で劣っていることを見越した陣形をとっており、それが戦線が熾烈になった原因です。
(ハンニバルは自分の精鋭を後方に待機させており、これは後に戦術の基本となる(精鋭を後方に待機させ、勝機に投入する)予備兵の観念に通じるもので、当時としては画期的。)
また、寝返ったマシニッサがハンニバルの(事実上の)騎兵隊長だった事からも、弁解の余地があります。(ハンニバルの騎兵の運用方が、まるまる敵に流れていた事になるため)
シリアの海戦については、深くとらえなくてもよいでしょう。これを重要視したら、ナポレオンをワーテルローだけで大幅減点しなくてはなりません。
559 :
「ど」の字:03/06/02 19:37
>>547、
>>551 レスありがとうございます。
まず、カンネー戦直後の状況ですが、この時点ではローマには僅かな治安部隊しか居なかったようです。
ただ、カンネー戦直後にローマ攻略の体勢に入ったら、背後から残存ローマ軍の猛追を受けること必定でしょう。
ローマを陥落させるのが早いか、残存軍に襲い掛かられるのが早いかという、時間との競争になったはずです。
(実際、カルタゴ軍の将官から、再三に渡ってハンニバルにローマ早期攻城の意見具申がありました)
その時点でハンニバルが100%の情報を持たなかったことが、ハンニバルが強攻しなかった原因と言われていますが。
しかし、相手は情報収集に熱心で、カンネー戦で敵指揮官の性格からローテーションまで知っていたハンニバルです。
自分は、そんな4例間に率いられるカルタゴ軍が、ローマ軍のイタリア国内での配置を知らなかったとは思えません。
強攻すれば、兵力の枯渇していたローマは陥落したでしょう。
ただし、ローマ陥落によって、植民都市や同盟市の士気が挫けるかどうかは分かりません。
もしかしたら、カルタゴ軍がローマに雪隠詰めにされる可能性もあったかもしれません……。
(つづく)
560 :
「ど」の字:03/06/02 19:37
(つづき)
で。ハンニバルの【武力】ですが。
自分が97を与えている理由は、情報の収集分析活用という要素に覚醒していたからです。
過去の歴史から斜線陣戦術と騎兵迂回包囲を。
地元調査から気候天候昼夜の別に合った戦法を。
そして敵兵から戦う敵将の詳細な情報を、それぞれ得ています。そしてそれらを完全に活用しています。
これ以後、ローマは五賢帝の時代が終わるまで、このハンニバルの示した情報管理のあり方がスタンダートになります。
(正確に言うと、ハンニバルを深く学んだ大スキピオによって示されたのですが)
現代戦においても、ハンニバルと同程度のことすらできずに敗れ去った国など、いくらもあります。
ちなみに、ハンニバルのザマでの敗戦原因は、騎兵戦力の不利とハンニバルの精鋭の経年劣化だと思っています。
騎兵とその指揮官の話題に付いては上で語っている方がいますので省略します。
ハンニバルの精鋭は、ハンニバルについて長い間戦ってきて、ザマの戦いでは既に老境に差し掛かっていました。
もしハンニバルが自軍兵を往年の若さを持っていた兵士に替えることが出来たなら、ザマ戦の結果はどうだったでしょうか?
>>558 ええ、僕がナポレオンやカエサルを引き合いにだしたのは、
あくまで
>>535さんのレスに対して、返答として言ったものですので、
元々魅力とかではなく、【政治】や【知力】その他の能力に関する見解ですね。
寝返りにより戦術等が敵に流れていることはハンニバル自身、十分解っていたはずです。
【孫子】はそういう場合は、逆にそれを利用して罠にはめるべき(用間編・反間)と
教えていますが、そのような対処もまるでできないまま、頼みの像兵も有効に使えず、
強力な敵騎兵を引き離す作戦も空振りし、
>>551で述べたように雑多な訓練不足の兵を
含めた混成部隊だったとはいえ、自軍を統率しきれず壊滅に至るほどの完敗に至らしめ、
軍勢の殆どが戦死、捕虜になったというのは、紛うことなき見事な敗北です。
用兵家としての失点とは、まさにこういうものをいうのでしょう。
もしこの戦いが失点とならなければ、戦史上どのような敗北にも致し方ない敗因が
見つけ出せ、敗軍の将の失点とする事はできなくなってしまうのではないですか。
しかし、ハンニバルはこの戦役の前半では文字通り野戦無敵で、仰るとおり彼が示した
戦術はその後も長い間戦術研究に生かされており、彼には優れた戦術的才能があったこと
は否定できません。その点を勘案して僕も、
>>533でどんなに割り引いても最低限80代は
あげるべきだと私見を述べています。僕としては90前半が妥当だと考えていますが、
少なくとも明らかな失点があるハンニバルの【武力】を、「限りなく神に近い超人」
つまり90代後半とするのは躊躇われるのです。
シリアの海戦がナポレオンのワーテルローだとのことですが、同感です。
僕も何もこの一戦をもってハンニバルの戦歴を大幅減点しろ、などと主張してるわけ
ではありません。あくまで「一つの評価材料」とするべきだと述べたまでです。
そしてこれがワーテルローなら、ザマ戦はハンニバルにとって、
1812年のモスクワ炎上、そしてべレジナ川の渡河作戦だと考えます。
>>559 >>561 レスサンクス。参考になります。
私の言いたい事は
>>558に書いたのと、
>>560で「ど」の字氏が述べられている事で殆どですので、最後に一つだけ。
当時の城砦国家の攻城に対する耐性は、どれくらいだったのですかね。カルタゴの例を見る限り、単純な兵数が不足してるくらいでは落ちそうにないかと思えたり。
なんだかハンニバル・ポエニ戦争の意見が沢山述べられていて嬉しいです。スレ違いでしたら申し訳ないのです。
私はというと、新潮文庫のローマ人の3/4/5巻をまた読みます。もう5巡目くらい(笑)。
ハンニバル
・統率
十分な点数をつけてよいと思われますが、信頼するに足る後進の指導育成を統率に含めてよいならば減点の余地有りかと。
・武力
ヌミディア(騎兵)の離反→彼の力で処理し得る範囲を超えた事象であり純粋に武力を評価する際に考慮するべきではないかと。
ザマの会戦時のベテラン兵の消耗→これもハンニバルの武力の資質を評価する上では除外した方がよいかと。
ザマの敗戦そのもの→ハンニバルを減点するというよりは、大スキピオを加点するべき結果かと思います。
シリア海戦での敗北→減点対象
・知力
加点対象:戦時における情報・諜報の重要性を理解、エポックメイキングな部隊の運用、雑多な遠征軍の整備
減点対象:カンナエ戦後に首都ローマ制圧ではなく周辺地域の制圧を優先させた判断、海戦での敗北
・政治力
加点対象:効力を持って実現させる事はできなかったものの、対ローマ包囲網を画策
減点対象:対ローマ包囲網を実現できなかった点、カルタゴ本国に対する影響力の無さ
・魅力
加点対象:部下、自軍勢力からの絶大な信頼
減点対象:カルタゴ指導者層、攻略したローマ同盟地域への影響力
と、考えますがいかがでしょう。
>>564 >>十分な点数をつけてよいと思われますが、信頼するに足る後進の指導育成を統率に含めてよいならば
彼にとっての後進はマゴーネでありハストルバルだったのでは……コルネリウス兄弟を仕留めるなど、(ハンニバルにはまるで及ばないが)戦果もある事だし
個人的には含まない方針です。(むしろ政治の領域)
あと、ガリア・マケドニアを味方につけた事やローマの属州(の一部)を離反させた事を知力・政治・魅力の加点対象にして欲しいです。
戦役後の政治も成果を挙げていた(失脚されたが)のも評価に入れてよいかと(良くも悪くも)
>>564 【武力】に関して。
ヌミディア騎兵がローマについたのはハンニバルの責任ではないから、
その結果生じた敗北そのものを、ハンニバルの用兵を判断する材料には、
できないということでしょうか?
マシニッサの離反は戦闘中に起こった事じゃないんですね。
確かにそれなら仕方ありませんが、既に戦う前から解ってた事です。
にも拘わらず適切に対処することができなかったという敗北の責任を、
その理由によりオミットできるのなら、同じ論法で、
珊瑚海海戦の結果、瑞鶴・翔鶴両空母が戦列を外れたのは南雲司令官の責任じゃな
いため、その結果ミッドウェーで敗北したのは南雲中将の用兵を判断する材料には
できない。ということに、なりますけど。
でもそのミッドウェーの敗北により当時としても後世的な評価でも、
南雲は空母機動戦の指揮には不適と、烙印を押されてますよね。
井上では?
>>567 井上は珊瑚海海戦の指揮、南雲はミッドウェー海戦の指揮ですね。
つまりここでいうマシニッサが井上成美。ハンニバルは南雲忠一です。
569 :
「ど」の字:03/06/02 23:03
>>562 古代では、適切な規模の兵士に守られている城を陥落させるには、城兵の3倍の兵が必要というのが相場です。
これは、洋の東西を問いません。
ただ、サグントのような守るに不適切な地に建っていたりすると、話は違ってきます。
(塩野七生女史は、ハンニバルがサグント攻城にてこずった理由は宣戦を待っていたという説を出しました。自分も同意します)
城塞としてのローマの場合は、また少し事情が違っています。当時存在していた「セルヴィウスの城壁」は、長すぎるのです。
厚さと高さは申し分無いのですが、その総延長8キロ。城門(この頃は当然木製です)は14箇所に開いていました。
カンネー戦以降補充があるまでの間ローマを護っていた治安部隊では、長い戦線を適切な密度で守れなかったはずです。
(ローマ市民から民兵を徴募しようにも、すでにカンネー戦のために無理をして予備役召集をしていましたので不可能です)
また、その糧食を支える大食料庫が港湾都市オスティアに分置されていたことも守るにはマイナス要素です。
オスティア街道とティベリス河を遮断されると、ローマは飢餓状態に突入します。人口が多いだけに飢えるのは早いでしょう。
(つづく)
570 :
「ど」の字:03/06/02 23:03
(つづき)
飢える頃にはローマ残存軍+植民都市+同盟都市の援軍がやってくるでしょうが、問題は指揮系統と数と質です。
まずローマ首脳部がローマに閉じ込めを喰っているので、統括指揮の人材が居ません。
(コルネリウス兄弟が帰って臨時指揮を執れば別ですが、押さえを失ったイベリア半島からハンニバルへの援軍も来るでしょう)
そして数の問題も付き纏います。カンネー戦を越えるような未曾有の大軍は、ローマには編成できません。
(塩野七生女史はローマは70万兵近い動員力があるとしていますが、自分はその説を採りません。
頑張って他の戦線を放棄することでかき集めて、あと8万人が限界と見ます。イベリアやコルシカ戦線を放棄は出来ませんから)
とどめは質の問題です。二線級の兵士が多い、しかも騎兵戦力0の軍隊が、ハンニバルの軍隊と野戦に踏み切れるかどうか。
恐らくローマ解囲軍は持久戦を選択せざるを得ないでしょう(最高責任者が解囲軍内に居ないので、決断は出来ないはず)。
持久戦でガリア兵は当てにならないのは定説ですが、勝ちが間近に迫っているなら、彼らは優秀な兵士であり続けるでしょう。
この戦いの行く末は、読み切れません。
>>564 まとめの作業お疲れ様でした。
カルタゴにスキピオを迎え入れて以降で間違いなく彼に勝利するためには
あらゆる戦略的メリットを整えねばならず、それはむしろ武力ではなく
統率・政治・知謀・魅力に分類するべきファクターではないの?
と彼は言っているんではないかな。
部下の離反は戦闘中だろうが、戦闘前だろうが、統率の方で考えるべきなんじゃないの?
武力を考えるのに、率いていた兵の質や、補給がどうだったかを含めて、それを
減点の材料にしたり、加点の材料に入れるのはやりすぎっぽい。
ハンニバルの武力や統率を80台まで下げると、ローマ側が高評価になり過ぎるような
気がするんだが。
>>566 マシニッサについてですが、彼の離反した理由はヌミディアでの権力争いに負けた事が原因なので、戦闘中の事では無いです。(その過程については長くなるので略)
ハンニバルもマシニッサも、個人的には嫌いじゃないです(どっちもカコイイ!!!)
あと、ザマの戦いは後世でも絶賛されており、日本軍と比べるのもどうかと。(よければ、蘭太郎氏のハンニバル評価キボン)
んー良スレですね
>>「ど」の字氏
ありがとうございます。なるほど、ここらへんでも複雑ですね。勝率は五割前後くらいですかね。どっちにしろ、ハンニバルにすれば大博打になりますね。興味あるかも。
>>569 戦術理論上、俗説では城砦攻略には防御側の7倍の戦力が必要と言われています。
おそらく三倍というのは、「攻者三倍の法則」という、攻撃側は防御側の三倍の
攻撃力が必要っていう、通常の戦闘の場合のことを指した数値のことかと思います。
>>565氏はじめ諸氏の指摘も加味すると政治力は・・・
・政治力
加点対象:
長征中の対地域住民政策、戦役終結時期の見極め、経済復興政策、演説(≒統率?)、ガリア、マケドニア、シチリアや
など反ローマ包囲網の画策、南イタリア諸都市の征服
減点対象:
上位者(カルタゴ本国指導者層、シリア王)や占領下ローマ諸都市への影響力の少なさ(≒ローマの結束力への理解不足?)、
マシニッサを取り込めなかった点(ザマ敗因の遠因)、大なるところでは「失脚させられた事」も。
としてはどうでしょう。仮に70点をたたき台にして、プラマイで62〜64点くらいではいかがですか。
政治力の無さ、ちゅーか彼の政治力の限界をみる様な気がしてチョットつらいですね。源義経をちょっと思い起こしますた。
>>577 サンクス。
7倍ですか・・・それだと少し厳しいか・・・?攻城器が無いのも考えると、そうとう厳しい・・・?ハンニバルの攻城における才能が未知数なので、難しいですね。
>>571>>572 僕は、部下が離反したこと自体を問題にしてるんじゃないんですね。
いきさつどうこうの議論を超えて、ほぼ同兵力の戦闘で、一方的に負けたという
純粋なハンニバルの戦術指揮能力を問題にしてます。
マシニッサがスキピオについていたとはいえ、
相対的な兵力では負けてなかったんですから。
>>547 ええ。マシニッサは小早川秀秋ではなく、まったくもって加藤清正です。
あはは、それから、日本軍お嫌いなんですね。
僕もハンニバルの評価は面白そうだと思ってます。
すでにアショーカ王、西郷隆盛、マッカーサー、東條英機という莫大な戦時国債を
抱えて財政破綻気味ですが、できれば国家総動員体制で要望にお応えしたいです。
581 :
「ど」の字:03/06/02 23:44
>>576 大博打ではありますが、こちら(ローマ攻略)を決断したらハンニバルはどこまでも突っ込むでしょうね。
自分はローマ解囲成功は40%あるかどうかと見ます(ガリア兵士の押さえが利かなくなることを想定して)。
ハンニバルにやや分の良い賭けと思います。
>>577 攻者7倍という数字は、兵器の進歩した中世の城塞を攻略する際の数字ではないでしょうか?
(鉄砲の出現した近世で10倍と言われています)
近代コンポジットポウや総金属製の城門、銃眼や小型軽量の投石器が無い古代では3倍なのでは?
(例外はシラクサ。アルキメデス考案の兵器の数々で城塞を防衛していた)
>>578 まとめ乙。
>>580 >>あはは、それから、日本軍お嫌いなんですね。
凄い偏見でした。すみません。
評価期待してます。
あ、なにげに見落とし気味ですが数万の大軍を永年に渡って食わせていった、というのも政治力の加点対象ですね。
↑の大軍で思い出しましたが塩野氏のアルプス越えは大軍をフルイにかける意味があったという理解は
(”連れていく気がなかった”、”計算済みだった”)ちょっとこじつけがすぎる様な気がします。皆さんの意見はどうですか。
マゴーネなりにハンニバルのすぐ後を追わせ、ハンニバルが通過なり駆逐なりした後のエリアを友好的な地域にし
(塩野氏の表現でいうと「カルタゴ化」?)、スペインからの太い補給線を構築する事を考えるべきだったのでは。
585 :
世界@名無史さん:03/06/03 00:01
ヨーロッパ>>中国大陸になっている
586 :
「ど」の字:03/06/03 00:07
>>584 補給戦を恒常的に維持するには長すぎたのではないかと愚考します。
イベリアからイタリアへ向かう軍隊の進撃が保証されれば良かったのではないでしょうか、ハンニバルは。
あと、アルプス越えの真意については、塩野女史の意見に賛同します。
ハンニバル軍は、基本的に傭兵主体の軍隊でしたから、その士気の査定は重要です。
特に中途雇用のガリア兵は性向的に根性が足りていないので、道々での査定はことのほか重要だったはずです。
>>581 そういわれて資料を色々調べてみたのですが、
やっぱり書いてる本によって攻城側が必要な兵力が微妙に上下しますね。
『戦争論』では、具体的数値は述べてませんが、
飛び道具が発展した時代の戦いは過去の戦いより防御側が有利だとありますので、
やはり仰るとおり時代によって具体的な数値が変わるのでしょう。
ローマ時代の攻城戦については詳しく書いてある資料が見つかりませんでしたので、
にもかかわらず数値を限定した僕の発言は不適切でした。
ごめんなさい『ど』の字さん。
>>580 >いきさつどうこうの議論を超えて、ほぼ同兵力の戦闘で、一方的に負けたという
これは、両者が得意とした(この場合はスキピオが採った)包囲戦術の特性、オールオアナッシングに
あるんじゃないかと思います。
それと、ザマで示したローマの、密集陣で戦象の突撃をかわすという離れ業が出来るほどの練度と、
カルタゴ側の新兵の動きの鈍さ、これらを加味するとハンニバルの評価はより上がるかと。
589 :
世界@名無史さん:03/06/03 04:49
ん〜、前スレ読めないのでハンニバルの話を読めてスッキリ。
自分的に「ど」の字氏の評価がしっくりきました。
ただ、もちょっと政治を上げても良いかなと思いました。
同盟国捕虜達を、意識的に無条件釈放などしてるし。
ハンニバル祭りに乗り遅れてしまいました(^^;
>566
その通りです。絶対君主ではない将帥の場合、与えられた手駒で戦うしかないのですから。
ですから当然、南雲提督に対する世間一般の評価は不当だと思います。
まともな錬成もできていない二線級部隊を与えられ、本国政府は信用できず、敵は準備万端整えた精鋭で指揮官も有能。
そんな状況であれだけ戦ったのですからザマの敗戦は減点材料にはなりにくいかと。
結果がカルタゴ軍壊滅となったのは包囲戦の特性及びカルタゴ軍の戦意・錬度の低さにより再編成が困難だった等の事情にもよるでしょう。
カエサル及びボナパルトを引き合いに出されていましたが、あの二人は自らの境遇を打破するために自ら最高権力者になる道を選び、ハンニバルはあくまでカルタゴの一将軍であることを選んだ、それだけでしょう。
それがハンニバルの限界だったと言われればそれまでですが。名門に生れ落ちた彼には、政府を倒すとか最高権力者になるとかいった野心が希薄だったのではないでしょうか。
>>585 それってさ
紀伝体と編年体の差とも言えるんじゃないかな
編年体は、年代を追って事件や、事件の主役中心で書かれているけど
紀伝体は、列伝があるから、功績が事件の主役だけに集中しない事も多い
例えば、曹操なんかは本紀だけ読めば、スーパーマンだけど
その他、列伝を読めば、失敗や配下の活躍などもあることが分かる
まあ、勝手な解釈をしたけど、漏れの意見にも一理はあるんじゃないかな
592 :
世界@名無史さん:03/06/03 16:08
カエサルってどれ位なんだろう・・?
俺が数値化したらオール90以上になってしまう。
593 :
世界@名無史さん:03/06/03 17:44
>>592 確か初代スレ(html化されてるので誰でも読めると思う)
で「ど」の字氏がやった限りでは、all95以上で
知力と魅力が100、政治99だったかと。
他にも「2」の頭くらいに数値化のみのがあったけど、覚えていない。
ちなみに私でも、all95以上で知力100は確実につける。
あの最期で、魅力が「数値としては」99に落ちるかも知れんが、
個人的にはあの最期があってこそ、カエサルは伝説として完結しえた
のだと思っている。
>592
どうなんでしょうねえ・・・。
普通の英雄のような気もしますけど・・・。
90/85/90/95/90位かなあ。
595 :
世界@名無史さん:03/06/03 17:53
普通じゃない英雄は誰だ?総合1位をいいかげん決める!!
596 :
世界@名無史さん:03/06/03 17:54
>595
ウザイからやめれ
カエサルだろ。今のところ。
フィリップ2世キボンヌ
600 :
世界@名無史さん:03/06/03 18:04
>>596 総合1位を決めないと数値のつけ方がいまいちわかんない。
指標がないと。みんなかってにつけて072スレになっちゃう。
601 :
世界@名無史さん:03/06/03 18:13
>>600 もとよりここは恥ずかしい姿を生暖かく眺めるスレですがなにか?
>>590 仰ることを僕なりに咀嚼すると、
与えられた手駒でしか戦えない将は、戦闘に望む際の状況を自分で
決定できないため、不利な要素のある戦闘での敗戦は減点材料にな
りにくい。従って南雲のミッドウェー、ハンニバルのザマを失点と
するのは不当な評価である。ということでしょうか。
その主張だと、牟田口のインパール作戦、乃木の旅順攻略戦などその他、
戦史上のほとんどあらゆる戦術指揮の失敗例とされている戦例が、
指揮官の減点材料とはならなくなってしまいますね。
さらに、結果がカルタゴ軍壊滅だったのは、カルタゴ軍の内情及び
スキピオの取った包囲戦術の特性上ゆえであり、やはりハンニバルの
評価材料とすることはできない。ということですが、
そもそも、相手側の取った作戦が適切だった結果なら、どんなに損害を
受けても敗将の責任にはできないというのだったら、いったい戦闘で
失敗するなんて状況が、そもそも存在しえるのでしょうか。
また、弱兵を統率したことを敗戦の完全な免罪符にできるのだとしたら、
それだと弱兵で負けるのは当たり前、また強兵が勝つのは当たり前、となり、
バランス上、敵より自軍の兵の質が優位にあれば、どれだけ大勝利を得ても
指揮官の功績にはできないということになります。
ナポレオン、チンギスハーン、アレクサンドロス、または第二次ポエニ
戦争当初のハンニバル、全部評価できなくなります。
僕としては勝利を評価する以上、バランスとして敗北は状況に即した
減点材料とするほうが適切だと考えてます。
不利な状況を勝利に導いた、もしくは負けたにしても損害を最小に留めた、
あるいは敵にも相応の出血を強いて健闘した、というのなら評価も
できましょうが、その状況で徹底的に敗北、壊滅した。というのは
やっぱり間違いなく失敗ではないでしょうか。
603 :
世界@名無史さん:03/06/03 18:17
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合、あなたが
「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…
1:事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
2:ごくまれな反例をとりあげる
「だが、時として尻尾が2本ある犬が生まれることもある」
3:自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」
4:主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
「ところで、カモノハシが卵を産むのは知っているか?」
7:陰謀であると力説する
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」
8:知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
604 :
動画直リン:03/06/03 18:20
605 :
世界@名無史さん:03/06/03 18:20
誰か俺とがちんこで、戦国参英雄の数値をつけてみないかい?
明治時代の立役者達でもいい。
日本史板へどうぞ。
>>332 武力より知力で表したほうがいいと思われ
細川政権作りは事実上彼一人の功績といってもいいので
彼の政治化としての力量での+ポイントはここが一番になると思う。
統率に関しての評価は、数を集めるということと、数を維持するということ
前者にいたっては天才的だが、後者にいたっては羽田首相総辞職時の
対応を初めとしてミスが目立ち、原理主義者の限界が見える。
それでもここ20年の政治家では傑出しているから40ということはないと思う。
まだ現役の政治家なのでここから、まぐれで政権をとったりしたら
また評価も変わっていくんだろうが。
蘭太郎氏、理に囚われるの巻
>>3 始皇帝の統率が100ですか?そうですか。
始皇帝は確かに傑出した人材だが、彼が皇帝になるときには
秦にはすでに下地があったわけで。また彼が死去したあと一瞬で
秦は滅びているわけで。
610 :
世界@名無史さん:03/06/03 19:03
その主張だと、牟田口のインパール作戦、乃木の旅順攻略戦などその他、
戦史上のほとんどあらゆる戦術指揮の失敗例とされている戦例が、
指揮官の減点材料とはならなくなってしまいますね。
さすがに飛躍しすぎではないだろうか?
611 :
世界@名無史さん:03/06/03 19:07
ヒロヒトは?世界史上の日本人でもっとも重要な人。
遅れて来ました
>>602 と言うよりも、ザマは戦史上でも絶望的な部類に入る部類なので例外。と言いたいのでは?
ハンニバルの責任では無い敗因として
・ヌミディア騎兵の離反
・鍛錬不足の新兵(前線で簡単に混乱を起こすのは論外)
・忠誠の低い傭兵(新兵の無様さに怒り狂い、味方も刺し殺したりした)
・手持ちの精鋭の劣化(負傷、老化など)
・自らの戦術の流出
・敵はカルタゴ本土に迫っており、戦場を選びにくい
・本国はハンニバルに過度の期待を寄せており、撤退は許されない
・敵はすでにハンニバルの本土を落としており、後のローマの戦略・戦術の基本となった名将
これだけの敗因があり、ここに至っては蘭太郎氏の言うようなクーデターを起こす余裕などもないでしょう。
ハンニバルの90台中〜後半が絶望だとすると、蘭太郎氏の95、96、97、98、99は誰なのか気になったり。
訂正
本土に近づいており⇒本土に進入しており
614 :
世界@名無史さん:03/06/03 19:36
透明あぼーんは使うなよ!!訳わかんないじゃん
間違えた
本土に迫っており⇒本土に進入しており、首都に迫っているので
>>610 インパールで英軍より制空権、補給路、重火器装備率等が
劣っていたのは牟田口の責任ではありませんし、
旅順要塞のべトンを破壊できる22口径砲を、当初第三軍が持ってなかったのは
乃木の責任ではない、ということです。
>>608 そうですね。能力、実績をどう数値に反映するかは、
確たる基準がない以上、数値化する人の主観によるものも強いですので、
ある程度評価が分かれるのは仕方ありませんね。
僕はアレクサンドロスが用兵家としては最高と考えているので、
戦歴、戦果、戦術能力、劣勢な状況の対処、後世的な戦術研究への貢献、
また実戦指揮による戦略目的の達成。あらゆる面で実戦指揮官として
理想の結果を出しているアレクサンドロスと比較すると、
やはりハンニバルは実績面でも一回り劣った名将という気がします。
だから名将として高い評価はできても、最高LVの能力にまでするのは
躊躇われると、少し拘って私見を述べさせていただきました。
617 :
世界@名無史さん:03/06/03 19:39
618 :
世界@名無史さん:03/06/03 19:41
そろそろ大航海時代に突入してもらいたいものだが
スレ違いかもしれないが、知力100は最初に道具で火を起こした
奴じゃーないだろうか?
620 :
世界@名無史さん:03/06/03 19:53
┌┬┬┬┬┬┬┬┐
├┼┼┼●●┼┼┤
├┼┼●○○●┼┤
├┼┼┼●○○●┤
├┼┼┼┼●○┼┤
├┼┼┼┼┼●┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┤
└┴┴┴┴┴┴┴┘
例えばここから打てばどんな名人も素人に勝てないだろう。
621 :
世界@名無史さん:03/06/03 20:03
人類の革新に影響を及ぼしたのはいうに及ばず
政治家や軍人よりも科学者であります。20世紀に入り
未曾有の人口増加が続き、今なお継続中であります。
100億という人口も遠い将来ではなさそうです。これらの人口を維持
できるようになった功績は科学者の不断の努力によるものです。
統一王朝が何年続いたとか、局地戦で100戦無敗だとかは小さなことであります。
我らが今、顔もあわせずに議論できるこの環境。これこそ考えることで
あります。人はおそらく20世紀に入り格段に進化しつつあります。
一部の特権階級でしか知りえなかった情報が、いまや全ての人間に
享受されるものになりました。これによりあらゆる効率は100倍1000倍では
聞かないでしょう。つまり20世紀以後>20世紀以前であります。
622 :
世界@名無史さん:03/06/03 20:11
今やってる話、塩野七生の本読めば分かりますか?
大久保利通はすごいと思う。有色人種で唯一の近代国家日本を
作り上げた人物。世界史的に見てもっとプッシュされるべき存在だ。
10万単位の人間を一気に殺したという場合。
このスレ的には統率で評価されるべきですか?
625 :
世界@名無史さん:03/06/03 20:32
俺
統率95 生徒会で見事失政がなく、学校の歴史に残った
武力97 柔道有段者。空手も習っていた
知力95 名前はいえないが某有名高校で一年のころからトップクラスの成績
これまたいえないが、日本ナンバーワンの大学に入る。
政治 実践経験がないのでこれは社会人になってからの範疇だろう
魅力99 顔はいいし、なにかフェロモンがあるらしい。話術も巧み。
男女問わず人に好かれる。こんなに人に差があっていいものだろうか?
>>547 兵の質と用兵について、僕なりの私見ですが、
『孫子』の兵法にはこうあります。
「善く戦う者は、之を勢いに求めて人に求めずして、之が用をなす。
故に善く戦う者は、人を択びて勢に従わしむる」(勢編)
用兵とは兵の戦闘技量や勇敢さに頼らず、与えられた兵を最大限活用すること、
つまり「勢」だというんですね。いつも精鋭を率いれるとは限らず、また兵を
十分訓練する余裕があるとは限らない以上、ただ兵の意欲、能力の低さを嘆く
だけでは将軍は勤まらない。そう孫子はいってるわけです。
孫子は続けて「安ければ即ち静まり、危うければ即ち動き、方なれば即ち止まり、
円なれば即ち行く」つまり兵の質には関係なく、相応しい状況さえ作る事ができれば
弱兵でも一丸の強兵となって戦う。その様に仕向けるのが用兵というものだと教えています。
ザマに関しては、確かに新兵と傭兵が上手く動いていません。寧ろ混乱してます。
でもそれは結果なんですね。ハンニバルが彼らの適切な配置と指揮(択びて勢に
従わしむる)に失敗したという証明だと思います。
一軍の指揮官として、弱兵とはいえまるで統率できずに壊滅まで陥ったというのは、
僕はまさに用兵の失敗だったと考えてます。
確かに、ただ一度の失敗で評価を大きく変更してしまうのはやりすぎですが、
少なくとも最高LVの用兵家とするには、ちょっと難点かなと思ったんですね。
もっと戦歴が優れている将もいますし、弱兵を駆使して多大な戦果をあげた将もいますから。
627 :
世界@名無史さん:03/06/03 20:34
>>625 学校レベル、自分の周りレベルじゃ90はつかん
キムタコで魅力が90いくかどうかぐらい。
美空ひばりなら90いくよ
629 :
世界@名無史さん:03/06/03 20:39
>>628 理屈抜きではない。十分な歌唱力あってのたまもの。
歌を抜いたひばりは丘にあがったかっぱ。
>625
俺歴史はスレ違いなんだが。
631 :
世界@名無史さん:03/06/03 20:51
>>628 しょせん日本レベルであり、世界史の英雄達と比べると力不足
>>631 美空ひばりは映像を通して容姿、声、性格、全てを何千万人に評価された。
英雄?しょせん特権階級の中での評価にすぎない。他の項目においては
それでもいいが、魅力と言う面では現代のテレビが普及してからの人材
のほうがはるかに価値がある。農民が指導者の人となりについては
なにもわからんだろう?そういう意味では100はダイアナ
633 :
世界@名無史さん:03/06/03 21:03
>>632 何が言いたいんだ?意味分からんぞ?ここでいう魅力はコーエー数値だ。
つまり、人材登用や他人との社交性、外交官としての資質や人間的魅力を評価する値だ。
美空ひばりが人材登用できるのか?外交官が出来るのか?否だ。
彼女の魅力は32と評価する。
つか、俺歴史の奴とか美空ひばりなんて
そもそもこのスレで評価する対象じゃねーだろ。
>>626 レスサンクス。嬉しいです。
ザマでのハンニバルはどうも新兵と傭兵を使い捨てにしていた感じがします。つまり、彼らは戦力外と判断した訳です。
実際、錬度の低い新兵を率いての会戦は、危険だった訳です。(本隊と合流させていたら、混乱に巻き込まれたでしょう。)
前線で(ローマ兵が疲弊し、勢いを失うまでの)使い捨てにしたのも、後世ではむしろ評価されています。
大スキピオも名将です。彼はハンニバルに後が無い事から、負けなければよかった訳です。
不利な状況で、引き分けすら許されないハンニバルとは、状況が違うのです。(彼の精鋭は劣化しており、長期戦に耐えられる保障はありません)
あれだけ追い詰められた状況で、あれだけ革新的な布陣をとったのはハンニバルの評価としたいです。
個人的にはハンニバルの武力には99〜96と言わないまでも、95を与えたいです。(あくまで個人的評価ですが)
駄文でスミマセン。
まとめて返答していきます。よしなに。
>602
ザマの会戦が減点材料になりにくいのは、ハンニバルがあのどうしようもない状況下でも最善手(に近いとは言えるでしょう)を打ち続け、善戦したからです。
結果としては壊滅しましたが、ハンニバルとしては決戦以外の選択肢など最初から無いのですし、なかば確実な破局を前にできる限りの事はやった後の壊滅です。
ザマは特殊な例です。あれだけ絶望的な状況で決戦を強いられた指揮官は不幸としか言いようがありません。
かかる決戦を意図したのがハンニバル自身ならこれは大きな失点になりますが、そうではないのですからもはやこれは不可抗力といっていい。
損害を最小限に抑えろとの意見もありますが、ザマでローマ軍を殲滅できない以上どうやってもカルタゴを救うことはできないのですから、持ち駒全て使い切るまで抵抗したのは過誤ではありますまい。
>626
孫子を引かれていますが、それが適用できる状況とそうでない状況というものがあると思います。
相応しい状況を作るったって、既に決戦の舞台は用意されていて、ハンニバルはそこで戦うしかなかった訳です。
時間も稼げない。戦場も変えられない。状況をどうこうできるレベルではないのです。
ザマにおけるハンニバルというのは、不幸な指揮官の一典型といっていいでしょう。
貴方が言うもっと戦歴が優れている将、弱兵を駆使して多大な戦果をあげた将が誰かは知りませんが、彼らは間違いなくザマのような用兵上の地獄で戦うことを強要されてはいなかったはずです。
あ、アレクサンドロスは確かに優れた将帥だと思いますが、しかし彼の実際の指揮統率や戦闘経過を詳細に残している資料が少ないのも確かです。
そういった資料においては、ローマと戦ったハンニバルの方が良質な資料が残っていますし、しかもその資料がローマ側のものが多い為その筆致や視線は客観的、あるいは批判的です。
資料面で二人を比べれば、アレクサンドロスはかなり得をしていると思いますよ。
639 :
世界@名無史さん:03/06/03 22:51
胸甲騎兵さん。
よろしければハンニバルの数値化お願いします。
640 :
世界@名無史さん:03/06/03 22:57
ハンニバル自身が、自分はアレクサンダーより下と言ってるんだから、
下でいいんちゃうんか?
641 :
世界@名無史さん:03/06/03 23:06
>>640 アレクサンダーは100候補だから。
ここでは90台後半か80台かで論議してる。
どんなに低く評価しても80台には下がるまいよ。
>>640 ザマでお前(スキピオ)に勝ってたらアレクよりも俺の方が上だな、ともねw
確かにザマ勝利ならばハンニバルの武力100は固いな
牟田口は存分に政治力を発揮してインパール作戦の実施にこぎつけたんじゃないのかとちょっと思うが、
ハンニバル進行が楽しいのでいいや。でも他の時代の話題が始まっても、もちろん嬉しいよ。
耶律楚材キボンヌ
646 :
世界@名無史さん:03/06/03 23:31
最強の武人野木希典
日本が生んだ侍。魅力高い
647 :
世界@名無史さん:03/06/03 23:32
日本の武人というとどうしても明治以降になってしまいますなぁー
源義経が最強。明治前だと
戦国時代だと、小一郎最強説もあるんだが
649 :
世界@名無史さん:03/06/03 23:37
マルコポーロ
統率30
知力80
政治20
魅力40
武力査定不能
フビライに使えたという色目人
乃木の勝利というより兵器の勝利かなと思います。
651 :
世界@名無史さん:03/06/03 23:43
よく日本の武将はへぼいというが、世界史で習う人物はその時代
トップクラスの人間なんだからそれと比べると落ちるのは当たり前である。
日本という国は一回も他の国の支配を受けたことがなく、優れた国
であることの証明といえよう。元寇が神風などとというでっちあげは
いいかげん、教科書から除くべきだ。
フランクス司令官キボンヌ
654 :
世界@名無史さん:03/06/03 23:45
とも
統率2
武力1
知力0 (ここ重要
政治2
魅力0 (ここも重要
歴代アメリカ大統領ではルーズベルトが一番。
これだけは譲れない。日本人にとってはあまりいい印象は
ないだろうが
二人いるわけだが
層化学界3代目池だ台作先生
統率 86 組織を強大にし、また一定の会員数を保っている
武力 なし
知力 82 数々の著作を見る限りかなりの知力を持っている。
政治 90 常に日本の政治に一定の影響を与えている。
魅力 72 好き嫌いが分かれるところ。(層化学界の人間内なら99
戦後最大の宗教指導者。現在公明党は与党であり、現政権にも
影響を与える。一代で学界を膨張させた政治力は見事。
ハンニバルをなかなか数値化しがたいのであれば話題に上る二人と相対的にみてはどうでせう。
下はあくまで主観ですが。
【統率】ハンニバル ≒ アレクサンドロス ≧ 大スキピオ
【武力】アレクサンドロス > ハンニバル ≧ 大スキピオ
【知力】ハンニバル ≧ アレクサンドロス = 大スキピオ
【政治】アレクサンドロス > 大スキピオ > ハンニバル
【魅力】アレクサンドロス > ハンニバル > 大スキピオ
近代戦については評価しづらい。
660 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:06
ロンメル将軍キボンヌ
>>658 大スキピオ>>ハンニバルとしたのは何故?
失脚したのはスキピオも同じだし、大スキピオって政治がらみの功績少ないような・・・(ハンニバルと比べて)。
他は同意
662 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:12
オゴタイ=カン
キボンヌ
あ、すいません最初理由書いてたんですけど、横に伸びたので消しちゃいました。
政治のお話ですね?。大スキピオの対スペイン政策、対ヌミディア政策、対シチリア民衆政策を評価して
ハンニバルよりは上、アレクサンドロスよりは下としてみました。
664 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:13
ラディンは高そうだな。もしかして記録更新するかも
アメリカ本土に攻め入った男だからな
すみません、寝ますm(__)m。
キボンヌ厨うぜー
667 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:17
歴史というのは長年培った物なんだよ
ハンニバル評の中で、蘭太郎氏の将帥もとい、軍事系英雄像は完璧であることが全面にでていますな。
特に職分の枠を越える点を要求するあたり、勇み足に過ぎると感じます。
669 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:20
織田信長ってどう?
671 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:21
/ノ 0ヽ
_|___|_
ヽ( # ゚Д゚)ノ 下がってろウジ虫ども! 。
| 个 | 訓練教官のハートマン先任軍曹が2をgetする!
ノ| ̄ ̄ヽ
∪⌒∪
>>1 貴様!俺の海兵隊をどうするつもりだ!
>>3 口でクソたれる前と後に「サー」と言え!
>>4 ふざけるな!大声だせ!タマ落としたか!
>>5 貴様には両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!
>>6 アカの手先のおフェラ豚め!
>>7 まるでそびえ立つクソだ!
>>8 タマ切り取ってグズの家系を絶ってやる!
>>9 じじいのファックの方がまだ気合いが入ってる!
>>670 あがってるスレに貼れば誰か貼るとでも思ってるのかカス
672 :
日本@名無史さん:03/06/04 00:23
エジソン以上の知力を89とした場合
90の評価をうけるのは、デカルトだと
思おう人は同意下さい。
673 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:27
20世紀以降の政治家じゃ90代はごろごろいるよ
リクエストがありましたので、私としてのハンニバル評を。
例によって5点刻みなのは御容赦ください。
【統率】90(傭兵軍をよく掌握して長年敵地で戦い抜いた。本国との連携に失敗したのは彼だけの責任ではないが、いくらか減点)
【武力】95(古代西洋最高の戦術家。 運用の独創性、そしてそれが普遍化されて後世に与えた影響はアレクサンドロスの上を行っている)
【知力】85(頭そのものは極めて良かったかと。教養も高く、ローマ人にまで讃えられている。ただ、軍人貴族の性とはいえ武断に走りすぎたのは禍根ではあるか)
【政治】75(父から受け継いだスペイン統治、ザマ後のカルタゴ再建でみせた手腕はたいした物。ただ、政治的駆け引きという奴で失点は多い)
【魅力】85(皮肉屋で機知に富み、独特の人格的魅力で部下を統率した様子はローマ人の記録から窺える。敵である彼らが魅力を感じたのだから相当なものだろう)
敵手たるスキピオも、だいたい90/80/90/85/80くらいやっても良さそうなくらいの傑物です。
世界史上の華なんですな、この二人の対決というのも。
675 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:29
676 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:29
>>674 通りすがりですがカキコありがと。かなり同意です。
678 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:38
蓮祭りに参加してきた。
俺はグロ画像なんて怖くないぞっていう奴は半角で参加してこい
面白かったけど、これ以上やると堂々巡りになりそうなので決でも取るか?
俺は胸甲騎兵氏の評価に同意。蘭太郎氏の武力の評価を下げる点として
列挙されていたものには同意できるけど、それが80台まで下げるものとするのは
辛すぎると思う。
更に、その後の例示は比較対照の時代は違うわ、範囲は違うわで説得力に乏しいっす。
680 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:47
681 :
世界@名無史さん:03/06/04 00:51
なんで乳首なんだよ
バレバレだっつーの
さっき踏んだばかり。確かにブラクラではないよな(笑)。
すげぇ 世界史板の人間は猛者が集まっているな。
だましてすまんかった。
今流行りの有名な蓮という植物の種子を使った
グロ画像です680のは。気持ち悪いので耐性がない人は
見ないほうがいいです。全身痒くなります。それではスレ違いすまそ
>>679 ごめんなさい。
あとちょっとだけ話しても構いませんか?
それから僕は、先のレスでもハンニバルの【武力】は
90代前半が適当だといってます。
80代っていうのは、70代つけてた人にいたので
「敗戦が減点材料だとしても最低80代は上げるべき」といっただけなんですね。
それから時代背景が違う説得力が乏しい例示というのは
乃木に牟田口のことでしょうか?あれは「そういう言い方をすれば
どんな敗北でも指揮官の責任ではなくなりますよ」という、
本筋の議論と外れた例えですね。
それにしても、だいぶ話が進んでますね。
>>636 まず、ハンニバルのローマ軍迎撃の戦略目標は優先順位から、
第一に敵の戦略目標(カルタゴ首都攻略)を挫く事。
第二に防衛戦の性質上、味方の損害を最小限に抑える事。
第三にローマ軍戦力に出血を強いる事(再起を阻むため)。
この三つが主要な目標となるでしょうが、
ザマ戦の結果、どれ一つ達成できていません。
つまりハンニバルの行った作戦は全て、結果的に一点の曇りも無く失敗してる
んですね。後で述べますが、ハンニバル以上に不利な状況で防衛戦を完遂した
例が戦史上ままあるだけに、この失敗そのものを評価することはできないと
思います。もちろん、優勢でありながら負けた戦例もありますし、
それに比べてザマ戦で負けたハンニバルにもは確かに敵より劣勢で
あったという酌量の余地はあります。
でもあくまでそれは、失敗の度合いの問題であって、
劣勢だったから失敗でないとは言えませんし、もちろん失敗
ですので評価はできません。
ここからは僕の主観を述べさせていただきます。
僕は先にハンニバルは武力90前半が妥当だと言いましが、ザマ戦、その後の
シリア海戦が無かったら、ハンニバルの用兵にはまだどれだけ優秀なのか
底が見えないため僕としても最高LVの評価もありえます。でもここで見せた
敗戦がハンニバルの器の底を示しているという意味で、戦歴を減点するという
よりも、戦歴の評価をどこまで高めていいのか天井が決まった、という感覚ですね。
従って僕の天井は92〜93あたりでしょうか。
数値近いですね。元々お互いそんなに議論し合う必要もないんで
しょうが、ただ僕の天井はザマが判断基準だという意味で、そこだけは、
ザマを評価基準にはできない、というご意見には同意しかねます。
>>637 ハンニバルの最善手とは、頼みの象兵を無駄に突撃させ、前進させた傭兵は混乱し、
新兵はなかなか動かず、敵騎兵を引き離す作戦は味方の騎兵を消耗する結果のわりには
功を為さず、精兵を突撃させても対応され、結局は包囲殲滅されてしまいました。
つまり、用兵とは実践の技術ですが、ハンニバルの打った手は全部結果に
結びつけられていません。これでは、善戦とは少し言い難いと思います。
ザマは特殊で絶望的だったとの事ですが、これはどうでしょうか。
ハンニバルは雑多な編成とはいえ、歴戦部隊(劣化していたとはいえ)から
選抜した2万の精兵、減ったとはいえ精強なヌミディア騎兵。それに当時
としては十分な戦力だった傭兵に、新兵を合わせて戦力的に4万のローマ軍に
拮抗しています。また首都も近く長年の問題だった補給も十分にでき、
量、質、状況という面でも、これ以上劣勢だった戦例は多々あり、
そこまで絶望的な劣勢ともいえないのではないでしょうか。
また戦略面でも守勢に回り、孫子的に言えば「先」を許した劣勢だったと
主張されています。確かに首都を守る事が主任務な以上、戦略も限られますが、
僕と同じくアレクサンドロスが理想の将だと主張する『戦争論』では、
どんな守勢の会戦にも攻撃的な要素は含まれているため、
両軍がそこで相対している以上「守勢と攻勢で会戦を区別するような考え
は間違い」だと指摘してあります。
持ち駒全てを使い切るまで抵抗というのも、最後の一兵まで死兵と化して
抵抗したというのなら評価もできますが、軍の半数が捕虜となるというのは、
戦意喪失した軍の典型的な敗走パターンです。これで果たしてハンニバルが
兵を最大限活用したといえるでしょうか。
>>638 『孫子』にあるような対応は実践する準備ができなかったとのことですが、
孫子が言っているのは戦場に到着するまでの準備の段階ではなく、
戦場での「勢」を生かす、布陣と戦闘指揮。つまり元々実戦指揮での兵の活用の話です。
時間も稼げず戦場も設定できず戦うというのも、国土防衛戦というのは
守る側が受身ですので、時間も戦場も設定できない場合が多いですね。
余談ですが、こういう場合の理想的な対処としては、孫ビンの桂陵戦での
「迂直の計」とか思い出されます。でも、良く考えたら欧州の戦史というのは
中国のそれに比べたら、かなり淡白ですね。やはり文化の違いでしょうか。
アレクサンドロスは資料で得をしてる、というのはあるかもしれません。
そういう視点でいえば中国の正史なんてかなり得する人と損する人が分かれ
てしまいますね。
確かに古い時代より新しい時代が資料も信頼できるとは思います。
やっぱり一番信頼できるのは現代史ということでしょうか。
>>668 誤解されてます。僕は別に英雄に完璧を求めていません。
ただ、能力を設定する上では90後半というのは、スレ的にいえば「神に近い存在」
つまり完璧に近いという基準ではないですか。誰かに100つけたら、その能力が
その人以上の人物は存在しないということになりますから。
職分を超えるというのはナポレオン、カエサルを引き合いに出した件のことでしょう
が、別にそれがないからダメだと言っているわけではありません。そうしてそれを
克服した英雄がいる以上、不利な状況にあったことを「完全な免罪符」にはできな
いと言っただけです。
僕が憧れる英雄というのは、例えば坂本竜馬とか、むしろ欠点だらけの人物の方が
好きですね。もちろん、好き=90代ではありません。
なんだ、孫子厨か。
とりあえずこのあたりで、ハンニバル評は打ち止めなー>皆の衆
それと蘭太郎氏に個人的お願い<無視するも可
端的に言うと、ね。
蛇足、比喩の用法よりも、あと少し文章の推敲をがんばってね。
何つーか……
最近、武力だけで戦闘能力を調整する傾向が顕著だな。
特に統率力の算出基準が戦闘能力より切り離されつつあるような。
知力は既にそうなってるっぽいが。
>>691 >>3を見ましょう。
【統率】組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力】戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力】利害抜きで人を引きつける力。人望。
>692
それを見た上での発言だったんだが……
戦場における組織力まで武力の範疇にする節が見られたり、
少し上で戦略の面にまで武力の減点材料を求める発言があったり。
冒頓単于
【統率】92
【武力】89
【知力】80
【政治】72
【魅力】61
695 :
世界@名無史さん:03/06/04 13:17
>>693 ならそれを訂正して自分で数値をつけてみなさいよ。
数値をつける人間は叩き台になるから、へたれるのはわからんでもないが。
うるせー馬鹿
697 :
世界@名無史さん:03/06/04 13:36
698 :
世界@名無史さん:03/06/04 13:51
冒頓単于 >項羽かな
武力は。騎兵と歩兵じゃ勝負にならない。
劉邦じゃなくても勝てなかっただろう。兵の質が違いすぎる
699 :
世界@名無史さん:03/06/04 14:27
∧_∧
( ´Д`) <俺は劉備より戦争が下手なのだ
/ \
__| |劉邦| |__
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
>>699 劉備は名将だが、劉邦より上とする根拠は?
>>700 >>699は「戦闘」のみで、劉邦が下と言ってるんじゃないかな?
漏れは「戦争」なら劉邦の方が上と思う
702 :
世界@名無史さん:03/06/04 14:39
∧_∧
( ´Д`) <俺のファンがいたのかうれしいことだ
/ \
__| |劉邦様| |__
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
703 :
世界@名無史さん:03/06/04 14:41
∧_∧
( ´Д`) <冒頓単于の件はなしの方向で
/ \
__| |劉邦様| |__
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
知名度
三国志>項羽と劉邦>水滸伝>その他
>>703 それはできんw
だが、もっと自分に自信を持てよ
劉邦様
劉邦の戦争の腕前はそれなりだと思ったりするのだが。
漢の親衛軍率いて、げいふを討伐してるんだし、もっともそれが元で死ぬけど。
韓信とがちでやってほしかった。
708 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:23
この時代の人物評価って、項羽以外にやってたっけ?
710 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:33
劉邦もろやってるじゃん
711 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:33
>>709 ごめん。言い方がまずかった。漢の人物で。
韓信
713 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:40
メジャーな人間しかやってないな。しょせんミーハーの集まりかよ
714 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:43
ウゼえ消えろ
∧_∧ _ _ .' , .. .∧_∧
( ´_ゝ`) _ .- ― .= ̄  ̄`:, .∴ ' ( 713)
/ '' ̄ __ ヽ´=', ・,‘ r⌒> _/ /
/ /\ / ̄\-―  ̄ ̄  ̄"'" . ’ | y'⌒ ⌒\i
_| ̄ ̄ \ / ヽ \_ | / ノ |
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__) , ー' /´ヾ_ノ
||\ \ / , ノ
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ / / /
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| / / ,'
|| || || / /| |
!、_/ / 〉
715 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:45
>>713 マジレスすると、メジャーな人間の方が評価を出しやすい。事績が多いからな。
コテハン順位
胸甲騎兵>蘭太郎>永遠の青>そのほか
717 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:51
718 :
世界@名無史さん:03/06/04 15:53
胸甲騎兵×蘭太郎×永遠の青(;´Д`)ハァハァ
>>716 それぞれ得意な時代も違うだろうし、一言じゃいえないだろ
720 :
世界@名無史さん:03/06/04 20:14
722 :
世界@名無史さん:03/06/04 20:55
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
ショカツリョウ
諸葛亮 いわく、
氏ねよ、おめーら!!
723 :
世界@名無史さん:03/06/04 21:21
>>715 メジャーというか、結局は本人の興味次第。
まあ歴史の深さや長さという問題もあると思うが、
インドネシア始め東南アジア系は、日本語文献はかなりあるのに
余り取りあげられてないし。
英雄偉人に偏らない「等身大の歴史」を知るのに、あの地域は
一番向いていると思うんだが。
ちなみに私はドイツ史関係で何人かやったことあるが、
あんまり批評受けたことないな。
やっぱり偏りがあると来るっぽい。
>>713 メジャーな人物ばっかりってマジで言ってます?
前スレなんかマイナーな人物ばかりですごいのかわからんって
苦情がいっぱいあったのに・・・
725 :
世界@名無史さん:03/06/04 21:57
>>723 ここは欧州(特にローマ帝国)や中国史に通暁される方が読み手書き手の
双方で多いから、この分野で盛り上がるんですよね。いや私も楽しませて
戴いておりますが、もうそろそろ恩返ししたいと思うようになってきましたの
で、誰かを論じることにしました。
その上で考えたのが、世界史というからにはこのジャンルだけでは面白く
ないだろうし、また東南〜南アジア方面は歴史をフラットに語れる魅力が
かなりあると以前から思ったので、英雄と言える人物ではありますが、
興味のあったチュラロンコン王(シャム)を取り上げようと資料収集しており
ます。
英語のサイトも参考にしましたが、業績が断片的で人柄風評の類もまだ
判らないことから、もう少し先の話になると思いますが、暇を見つけて纏
めるつもりです。
なんとなくウィリアム・ウォレスはスレ童貞?。2が読めないので分からないですが。
728 :
日本@名無史さん:03/06/04 22:12
ヘーゲル
采配 40
知力 100
魅力 100
決め文句 神は死んだ
729 :
世界@名無史さん:03/06/04 22:12
↓こんなスレを議員・選挙板に立てようとしたけどスレ立てすぎで無理だった。。。。もし興味があったら立ててみて。
世界史板の、「世界史上の人物をコーエー数値化するスレ!」の議員・選挙板版です。
基本的な能力のテンプレートは以下の通りです。
【統率】:派閥統率力・選挙指揮力。金をばらまく能力も可。
【選挙力】:選挙における強さ。
【知力】:政敵を合法的・非合法で陥れる能力。
【政策力】:時代の先を読み、それに合った政策を立案する能力。
【魅力】:国民の人気。
プラス個人の持つ特技、略歴などもよければお願い致します。
各能力の基準は以下を指針にして下さい。
0代=逆にすごい
10代=ゴミ
20代=ろくでなし
30代=苦手
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
60代=まあまあ
70代=優秀
80代=一級
90代=超人
100=神(戦後以降の政治家の中で1人or0人)
なお、戦後以降の政治家でお願い致します。国会議員・地方議員・浪人は問いません。
また、存命中の政治家は書き込み時点での評価でお願いします。
世界史板のスレ
世界史上の人物をコーエー数値化するスレ! 3
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1051717230/l50
730 :
世界@名無史さん:03/06/04 22:15
>>729 あそこで機能することはほぼ無理と住人として判断しよう。
>>730 確かに、、、むしろ正常に機能している世界史板のこのスレがすごいって言えるかも?
ここだと偏りが仮にあったとしてもちゃんとみんなその理由を論理的に説明してるし。
732 :
世界@名無史さん:03/06/04 22:43
だが、100論争はNG。確実に荒れる
734 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/06/04 23:31
>>194 大変遅レスですが
カール12世、良かったです
かのギボンもカラカラ帝の章で
アレクサンドロスに匹敵する人物としてあげてます
(「しかし優雅の才は無かった」という落ち付きで(w)
>>252 リスト・リチを知らなかったとは我ながら不覚・・・ (´A`;)
永遠の青さん貴重な人物紹介マジで有難うございました(^^)
永遠の青>胸甲騎兵>蘭太郎
ではないか。
736 :
動画直リン:03/06/04 23:33
737 :
世界@名無史さん:03/06/04 23:38
田代まさし
統率 30
武力 82
知力 8
政治 5
魅力 94
なんだか色々言われてますね。
世界史板の方達なら孫子とか好きかなと思ったんですが、
そうでもないみたいですね。
確かに引用も度が過ぎたかもしれません。今後は控えます。
ここでハンニバルを数値化すると、
また蒸し返すと言われそうですので代わりに中国版ハンニバルを。
既出でしたら申し訳ありません。
岳飛(1103〜1141)
【統率】80
戦闘意欲に劣る当時の中国兵を厳格な軍規で統率し、過酷な作戦を
実行に移せる優れた指揮能力がある。ただ彼が指導的役割を果たし
ていた徹底抗戦派は殆ど失脚しており、優れた統率力が発揮されたの
は限られた範囲の中だけのよう。
【武力】96
戦意劣等な義勇軍の中にあって抜群の戦功で早々と頭角を表す。
友軍の痴態尻目に、破竹の勢いだった金軍相手に各地で連戦連勝。
その総本陣を脅かすまで暴れに暴れ、彼の率いる『岳家軍』の
名は満天下に鳴り響き、僅か数百で10万の敵を破ったと言う
“戦場伝説”ができるほど圧倒的武威を誇る。
【知力】71
武人としては珍しく高い教養と書の才がある。
金軍を徹底的に叩き潰す為、河南・河北からの迂回で北から攻勢を
かけようとする。金軍は南宋和平派に働きかけてこの作戦を止める
工作をしているので、びびるほど効果的な戦略だったのだろう。
ただ朝廷内の意思を読み損ねたこと、徹底抗戦がほとんど自己信念化
していただろうと推察され、その意固地さが難点か。
【政治】40
南宋の国風として、軍人である彼は直接政治に関わってない。
朝廷内では徹底抗戦を主張する派閥の長だが、結局は政治闘争に
負けて策謀により殺されるなど、やはり対人折衝は苦手なようす。
【魅力】67
怖気付く上官を罵倒して恨まれるなど、性格の問題で敵が多かった。
あまり親しみやすいタイプではないが、名将として敵にも尊敬される
人徳と、後に救国の英雄として崇め奉られる国民的人気を聊か加点。
岳飛に関する資料にはフィクションが多いと指摘される方もいると思いますが、
この人物も武将として興味深いものがありましたので、
それを承知で書き込ませていただきました。ご了承ください。
>>739 ハンニバルを武力90台前半と評価するのに、
岳飛が96ってのには反論のある人も多いのではないか?
岳飛の相手にスキピオ並の強敵がいたかな?
742 :
世界@名無史さん:03/06/05 00:22
いちいち文句つけんなよ
>>633 キリストとムハンマドが100なのにそういう基準ですか?
テンプレを読み直しなさい100回ほど
>>741 ハンニバルはスキピオには負けてますし、
岳飛はハンニバルと比較して武力以外の要素では劣る、
武力突出型の将として、性格付けを明らかにする意図もあったんですね。
中国史の中では稀有の名将として評価されているので、ある程度の高い能力は必要かなと。
蘭太郎氏の考える武力96位の武将て他にどんな人が居ますか?
>>742 文句って言うか、
異論があればそれを言うのは当たり前だろ?
もともと、このスレはそういうスレでは?
>739
ほぼ武力のみで覇王の一歩手前まで行った項羽でさえ
90台前半から半ばって声が多いのに、
特筆すべき強敵も存在しなかった岳飛が95オーバーというのは……
>>746 その程度はあげていいのは、他にはネルソンにモルトケとかでしょうか。
実は誤爆だったなんていまさらいえないよ
751 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 00:31
>>723 東南アジア系の人物は、前スレで二人評点を付けました。
「前スレの948」という名前で、サロト・サル(カンボジア首相)と、
グエン・タト・タイン(ベトナム大統領)の評伝を書いています。
>>739 その数値は、多少過大評価であるように思われます。
岳飛については、前スレで「前スレの948」の名前で簡単な評価を行っています。
彼は当時の最高の名将でしたが、武力90には相当しないと思われます。
彼は善戦しましたが、新戦術を考案したわけではなく、
歴史を塗り替える勝利をあげたわけでもありません。
金の中国統一を阻んだのは「抗金名将」たちが奮戦したからであり、
岳飛一人の力ではありません。
金軍最高の名将完顔宗弼を完敗させた南宋の将軍は、他にも何人もいます。
しかし、完顔宗弼の戦績を見ると、
彼が有能な実戦指揮官であったことは否定しませんが、
武力はあくまで有能レベルの70台に留まると思われます。
完顔宗弼の真価は、全軍を統率する組織力にあったと思われます。
よって、完顔宗弼に勝ち続けた岳飛の武力は80台後半で良いと思われます。
統率が80有って、武力が80台後半なら、武力90以上の将軍以外には、まず負けません。
752 :
世界@名無史さん:03/06/05 00:31
バトゥはどうですか?
騎兵らしい騎兵が存在しなかった南宋で、騎馬民族系の金軍相手に奮戦したんだから、そん位あってもいいのかも。
時代が近いコーエーゲームの蒼き狼シリーズだと、名将の歩兵系より凡将の騎兵系ユニットの方が強いくらいだしw
754 :
世界@名無史さん:03/06/05 00:33
ここでまた統率と武力の範疇に対しての論争になりそうな予感
755 :
世界@名無史さん:03/06/05 00:34
蒼き狼で姫ばっかり生まれて、天皇家状態です
>>748 うーん、
僕としては項羽が98だったのを意識もしているんですが
>>745 スキピオだって並の武将じゃないわけで、
ハンニバルも相手がスキピオでなければ負けなかったと思われる。
岳飛が勝ち続けたとしても、相手にスキピオ並の敵がいなかったなら、
ハンニバル以上という評価は下せないんじゃないかな?
758 :
すいませんが:03/06/05 00:36
>>751 話題とは関係ないのですが
完顔陳和尚に対しての評価が聞きたいのですが。よろしいでしょうか?
>756
それを踏まえての評価であれば構いません。
それでもまだいささか高いとは思いますが。
すまなく思わなくていいですよ
761 :
世界@名無史さん:03/06/05 00:40
このスレでは韓信と項羽の武力では項羽のほうが上という
流れでしょうか?武力というものを判断する指針としたいのですが
>>751 そうですね。岳飛以外にも評価を受けている金の将軍は他にもいます。
でも敵の将との能力比較というのはその時代の中での相対的なものですので、
当時の中国大陸でダントツの戦果を上げ続けたという彼の武威を
第二次ポエニ戦争時のハンニバルと比較して数値を決定させていただきました。
完顔陳和尚が圧倒的少数で多勢のモンゴル軍を破ったってのはマジなのか?
しかも、相手はスブタイだったと聞いたんだが。
本当なら正に神業だと思うが。
>>762 あ、ごめんなさい。「金の将軍は他にもいます」を
「南宋の将軍は他にもいます」に訂正させていただきます。
>761
個人的見解としては、
・統率・武力・知力がいずれも高水準な韓信
・低い統率と知力を超人じみた武力でカバーしてしまう項羽
>>766 このスレの統率は組織に対する能力みたいなもんらしいんで。
>766
人望で集めた配下を不公平な扱いで去らせてしまう繰り返しだったから。
贔屓する身内には受けが良かったらしいが。
>>757 ようするに僕の岳飛評は、戦歴にザマ、シリア海戦の無い
「小ハンニバル」というイメージなんですね。
>766
ま、部下を使うより自らが先頭に立って戦いたがるタイプだし(苦笑
771 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:05
>>763 スプタイ、怒って完顔性の者すべてあぼーんしたってから
ノ::::゙、 ヽヽヽヽ ゙、
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
i!f !::::: ゙、i
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
コーエーゲームでは皆勤の知力100の私をどう評価したのかね?
ハンニバルは紛れもなく当代最高の名将だったが、
岳飛はあくまでも一地域で最強だったに過ぎないような。
>772
あんたは知力より政治力の方が高いタイプだと思う。
775 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:11
>>773 岳飛の時代で岳飛を上回る将軍一人でいいからあげてくださいよ
>775
13世紀内で挙げるならアレクサンドル=ネフスキー。
777 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 01:18
>>769 岳飛の評価を付けるなら、
当然、宿敵完顔宗弼との相対的な評価を行わなければなりません。
完顔宗弼は、腐敗した北宋軍相手には勝ちまくりましたが、
精強な南宋軍には、優勢な戦力を有していたにも関わらず何度も負けました。
彼は遠征軍を組織して統率する能力には長じていたと思われますが、
用兵においては、名将と呼ぶのにためらわれるものがあります。
ハンニバルには、大スキピオという恐るべき敵がいましたが、
岳飛の宿敵完顔宗弼は、それほど恐ろしい敵であったようには思われません。
そういうわけで、岳飛の能力は「歴史に残る」軍事の天才ハンニバルには遥かに劣る、
「その時代の最高の武将の一人」として評価させてもらいました。
同感でし
779 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:21
またハンニバルかよ。ハンニバルだけでスレが作れそうだな
まあいいじゃん
ところでおまいら、コーエーのゲームやってるのか?
俺は三国志シリーズと大航海シリーズと蒼き狼シリーズと
信長シリーズ皆勤賞だぞ。
その地方ナンバーワンは決めれるが、土地が違えばその時代ナンバーワン
は決めれないのでは?
あ、バトゥも13世紀だったのを失念していた罠。
784 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:25
バトゥ対ハンニバルで
バトゥが上ならそれでいいよ
>784
何が言いたいのかいまいち不明だが、
少なくとも当時最強の侵略者だったバトゥと
ロシア滅亡の危機を凌ぎきったネフスキーに
一前線司令官だった岳飛が勝るとは思えんが。
ヌルハチ(漢字忘れた)の評価ってありました?
それとハンニバルがスキピオに負けたのは、ヌミディア騎兵の到着が遅れたとか
アフリカ本国に帰還する際に戦力を大きく失ったのが原因だと聞いたんですが
787 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:30
>>776 彼の場合、モンゴル庇護下だから・・・。
彼の功績のかなりの部分は、モンゴルの威光あってのものだと思うんだけど。
>>785 岳飛のことなど一言もレスしてないっすよ。
>788
そりゃスマンカッタ
>787
後背を脅かすモンゴルに恭順こそしていたが、
カトリック勢力の東進を食い止めたのは紛れもなく彼の実力。
>>777 そうでしょうか。
ハンニバルはファビウスやスキピオといったライバルの名将には
確たる戦果をあげれてませんよね。
そういう意味で、他の能力の劣る将軍が率いるローマ軍を打ち破って功績をあげた
ハンニバルは、岳飛と比べてしのぎを削っていたとは言えないと思います。
それから「歴史に残る」という視点でいうと、岳飛の名将としての評価も、
中国の中ではかなり出色ですよね。もちろん西洋史と中国史は違いますが。
>>784 モンゴルのヨーロッパ遠征軍の実質的な軍事総司令官はスブタイだろ。
バトゥは武力に限ってはさほどではないと思われる。
もちろん、それでも水準ははるかに超えるレベルだろうし、
統率については文句無しだろうが。
武力でハンニバル以上は難しいんじゃない?
793 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:41
日本史部門別ナンバーワン
統率織田信長
武力源義経
知力秋山真之
政治徳川家康 聖徳大使
魅力足利尊氏
794 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:46
>>792 確かにスプタイが果たした役割は大きいとは思うが
総司令として評価してもいいじゃない。長子軍の遠征で
得た領土は並大抵じゃない。歴史上比べられるのはアレクサンドロスぐらい。
これだけの快進撃をやってのけたバトゥがハンニバルより下だとは思えないが。
>>786 多分、キプチャクハン国のネフスキーへの認識は「麾下の一諸公」程度だと思うし、
ネフスキー自身もそう思ってたんじゃないかな?
あの徹底的なモンゴルへの恭順姿勢は「ロシアをスウェーデン、チュートン騎士団から守った英雄」というより
「モンゴルを支配者として受け入れ、彼等に尽くした男」だと思う。
彼が死ぬと、モンゴル側の気まぐれみたいなものでウラジミール大公国はぐちゃぐちゃになっちゃうし。
後に英雄になったのは、異民族の支配を覆し、恥ずべき過去としたロシアのプロパガンダ的な部分が大きいと思うよ。
岳飛と同様な英雄化のされ方だと思う。
>>791 いずれにしろ、岳飛がハンニバルを超えるっていう根拠にはならんよね。
スキピオ並の相手を破った例を上げないことには。
まあ、武力96は幾らなんでも言いすぎなんじゃないの。
ハンニバルの評価が同じくらいなら相対的にはおかしくないと思うけど。
797 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:49
上杉謙信の魅力は高い
798 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 01:49
>>784 バトゥとハンニバルを比較するなら、遥かにバトゥの方が恵まれています。
彼は遊牧騎兵を主力とする軍隊を率いていたので、
農耕民の歩兵を主体とする歩兵を主力としていたハンニバルと比べて、
補給線の心配をする必要がありませんでした。
ハンニバルのように愚劣な本国政府に悩まされることもありませんでした。
また、配下には、モンゴルの草原地帯、中国、中央アジアなどであらゆる戦いを経験し、
ワールシュタットでヨーロッパ連合軍を壊滅させた名将スブタイなど、
多くの優れた人材がいました。
バトゥの勝利は、モンゴル帝国の組織力の勝利と言うべきでしょう。
むろん、バトゥ自身の能力が優れていたこともありますが。
戦績から評価すれば、バトゥよりは、スブタイの方が武力は高かったと思われます。
799 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:49
ピサロとかもうやった?
800 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:51
800をゲットした俺の能力は800だ
ゲッツオーライ!!
>795
英雄扱いされる理由については全く異論はないが、
一方面を守っていただけの岳飛よりは上だという私的評価に変わりはない。
802 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:55
>>798 恵まれてたの一言で評価づけされちゃー困る。
長子軍はオゴタイの息子であり次のハーンのグユクがいて
陣営はほぼまっぷたつだった。グユクとバトゥでは犬猿
事実バトゥとグユクはこの後内戦一歩
手前までいっている。そういう内憂をかかえた状態であそこまで
いったバトゥの能力は並大抵じゃない。功績からもハンニバルより
大きい。
803 :
世界@名無史さん:03/06/05 01:57
一方面軍の司令官だとそれだけで評価が下がるのか?
804 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 01:58
ちなみに、モンゴル帝国時代最高の将帥は、
スブタイであったと私は考えています。
彼はチンギス指揮下の部将としても、別働隊の指揮官としても、
一軍の総司令官としても、活躍し、
ありとあらゆる戦場で、ありとあらゆる形態の戦いで勝ち続けたからです。
そんな彼を寡兵で破った完顔陳和尚は、恐るべき人物です。
>>796 僕は先のレスで、ザマとシリア海戦が無ければハンニバルの用兵には
底が見えないため、じゅぶん最高の評価を与えられると言いましたが、
岳飛評にはそういう意味もあるんですね。
大軍を指揮して広大な領土を得るのは、実戦指揮+優秀な統率に拠る部分が
強いという意味で、ハンニバルより統率その他の能力が劣っても、純粋な
実戦指揮では負けていないという、
純粋な用兵家としての性格付けをした評価なんです。
>803
一概にそうだとは言わないが、同じ様な事をやったのなら、
一方面軍の司令官よりは国家のトップの方が上だと思うのだが。
>>794 そういう功績はこのスレでは統率として評価されるのでは?
しかし、遠征軍自体がオゴタイが用意してくれたものって気もするし、
ハンニバルと同じ条件でバトゥにイタリア侵攻が出来たかな?
>>805 さほど実力の無い敵を相手に勝ってもなあ、
底が知れないと言えるか?
数値にするとネフスキーは80台半ば、岳飛は80台前半くらいかと。
もう寝るので漏れはこれでお終い。オヤスミー
>>807 一概に武力だけの評価とはいってないが、流れ的にはそう見えるかも。
オゴタイが用意してくれたってのは関係ないでしょう。あれだけの遠征を
ハン抜きで決めるなど考えられない。それに遠征中はハンの指示をいちいち
仰ぐなどという悠長なことはできない以上、長子軍の功績はバトゥの評価に
なると思います。
ハンニバルと同じ条件でってのは妄想の世界に入るんでやめときます
ハンニバルがバトゥと同じ条件でってのもね。
遠征軍はジュチが受け継いだキプチャクの軍勢が一番多かったというのも
バトゥ直属の軍が主要な役割を果たしたといえましょう。
812 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 02:10
>>791 ハンニバルが、ファビウス相手に戦果を挙げられなかったのは、
ファビウスが会戦を回避し、持久戦を取ったからであり、戦略上の理由です。
戦略は、武力ではなく、知力の範疇に入ります。
どのような将帥に率いられていようと、高い組織力を持ったローマのレギオンに、
劣勢な兵力で会戦を挑んで勝利した将帥は、歴史上、ハンニバルとカエサルだけです。
カンナエの包囲殲滅戦術は、後世に残る用兵の模範となりました。
ザマでは、ハンニバルは大スキピオに敗れましたが、
それはヌミディア騎兵がいなかった事と、錬度の低い軍隊を率いたからです。
それで、優勢なローマ軍相手に、全滅寸前まで戦線を維持し続けたのですから、
善戦したと言えるでしょう。
ザマでの敗戦は、減点材料どころか、加点材料です。
813 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:10
ところで世界史で習った範囲では、日本軍は残酷だったらしいが
これはどうだ?
>>808 では仮に歴史にスキピオが存在していなかったとしたらどうでしょうか。
そして仮に能力の劣る将軍相手にザマを勝ったとしたら。
ハンニバルの評価がそれで下がったとは思えません。
スキピオが名将と言われたのは、ハンニバルを破ったという功績に拠る所が
大きいんですね。つまりスキピオの存在はハンニバルの評価を高めて
るんじゃなくて、ハンニバルがスキピオの評価を高めてるんです。
815 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:12
これだけレス数費やしているんだからいいかげんハンニバル
に決着つけろよ。どの数値なら納得するんでございしょうか?
皆様方よろしくおねがいします
816 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:13
>813
激しくスレ違いだが答えてやる。
日本軍は暴行・略奪には極めて厳しかった事で評判は良かったが、
戦後の捏造やら何やらですっかり悪いイメージを植え付けられただけ。
>>802 その対立自体、スブタイその他の古参の将軍のとりなしで、
何とかなってたんじゃないか?
少なくともバトゥ一人の功績じゃあないと思うぞ。
むしろ、そのことは統率や政治・魅力に対する減点材料になると思う。
それに、モンゴル兵の基本的性能の高さ、
チンギス・ハーンにより既に必勝の戦術が確率されており、
新たな戦術を確立する必要が無かった点も考慮すべきだと思う。
819 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:15
なんつーか、ヨーロッパの一地方じゃないのか、ハンニバルもスキピオも。
方面軍指令官が評価を下げる要因になるのなら近代戦の将帥達はどうするんだ?
敵が弱かったからたいしたことないっていう減点は控えめにした方がいいと思う。
誰それが何某と同じ事が出来るか?なんて判断は曖昧すぎるだろ。
>820
同様の業績なら、与えられた責任の高い方が上になるのは不当なのか?
>>812 ファビウスが持久作戦をとったのは僕も前に言っていた通りです。
つまりハンニバルが勝ったのはライバルの名将相手じゃないんですね。
ハンニバルの倒したのは、用兵家として大きな評価を得ている将軍
ではない、ということは認めていただけますね。
そしてローマ軍が強力だったようにハンニバルの勝利にも
強力なヌミディア騎兵があったからこそです。
ザマ戦の評価に関してはもう幾度も述べていますので、
蒸し返すのは止めてここでは割愛しますけど。
823 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:19
他人のオナニの作法に口をだすなんて
なんて無粋な香具師℃もなんだ!!
824 :
動画直リン:03/06/05 02:20
825 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 02:23
>>802 バトゥは、グユクを強制送還するほどの、強い指揮権を有していました。
それを許すだけの度量が、バトゥの主君オゴタイにはありました。
ハンニバルよりは、やはり恵まれていたと思います。
その上で、バトゥが並みの人物ではないと言っているのです。
バトゥは、世界史上に残る英雄であることは間違いありません。
あれだけの広大な地域を占領した功績は、ハンニバル以上です。
ただ、ハンニバルにバトゥほどの兵力と権限、そして本国の支援が有れば、
ローマを滅ぼすことも出来ただろうとも思うのです。
>>805 何度も言っていますが、いくら勝ちまくったとしても、
世界史に残る名将を破った訳でもなく、
歴史を塗り替えたほどの軍事的勝利をあげたわけでもなく、
軍事史に残るほどの画期的な新戦術を用いたわけでもない将帥に、
武力96は高すぎると思います。
>>818 グユクはハンの子供で、バトゥより年長。そのグユクをバトゥの下においた
オゴタイの人選の問題だと思っている。実際バトゥはよく抑えていた。
4家の対立は親の代にまでの因縁なので、どうにかなるものじゃない
その4家の御曹司ばかりの軍を一つにまとめあげた功績は大きいだろう。
途中グユクは本国へ戻されたが、その不和で決定的な分裂を招かなかった。
オゴタイが死ななければもっと西にいけただろう。
バトゥ一人の功績ではないのはそう。スプタイを初めとしたチンギスハンからの
古参将軍の功もある。だがあまりある実績が彼が相当な名将であると位置づけしてもいいと
キプチャク=ハン国の治世下も見事であった。
827 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:30
個人の資質でいうなら、源義経はの騎兵を用いた
戦法は、真似じゃないでしょ?彼独自の発案。
90代与えてもいいんでは?
日本が東方の辺境だからって、なめちゃこまる。
義経の時代、大陸進出なんて考えれないだろうし。
武士の利権さえ守れればいいんだから。
828 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:30
829 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:31
ハンニバルもモンゴル帝国もわからん
つまらん!!!おまえの話はつまらん!!!
830 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:32
武力のお話しタイムか?
みんな熱いなーーーーーーー
歴史を塗り替えたほどの軍事的勝利はわかる。
新戦術ってのはどうなんかね、誰それが何某の立場だったらみたいな比較を
評価の際に考慮するのなら、これは必ずしも決定的な要因にはならんのでは?
世界史に残る名将を破ったかってのは、これもどうなんかねえ…
833 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 02:35
>>814 >では仮に歴史にスキピオが存在していなかったとしたらどうでしょうか。
>そして仮に能力の劣る将軍相手にザマを勝ったとしたら。
>ハンニバルの評価がそれで下がったとは思えません。
当然です。ザマで優勢なローマ軍相手に勝利を収めれば、
カルタゴは亡国を免れることが出来たからです。
>>822 ヌミディア騎兵は強力でした。マシニッサは有能でした。
しかし、それの強さは、効果的に用いることの出来る指揮官あってのものです。
ハンニバルとヌミディア騎兵は、切り離せないものでした。
「ヌミディア騎兵無しで負けたのは減点材料」と言うのなら、
「岳家軍無しで岳飛が勝ち続けられたかどうか」も考えて見てください。
834 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:35
しかし史科が少ないから評価さがるのはいかんぞ。
現代>古代になってしまう。史記だってどこまで真実なのかとか
いいだしたらきりがないぞ
835 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:37
新戦術が評価+になるなら、韓信のほうが項羽より上になるんじゃないか?
ところでおまいら、明日大丈夫なのか?
>>826 あの遠征において、チンギスの決定で西方がジュチ家取り分と定められていた以上、
バトゥ以外に総司令官の地位につくことは出来なかったのよ。
能力は関係無く、はっきり言うと仮に無能でも総司令官になったはず。
もちろん、結果は無能とは程遠い実力を証明しているが、
世界史上屈指の人物とまでは評価できない。
繰り返すが、当時モンゴル軍の兵の強さと、
戦術の巧みさは一般的に他を遥かに凌駕していたので、
その分将の個人的能力に依存せずにかなりの結果を期待できたことも忘れたてはならない。
838 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 02:39
>>832 >誰それが何某の立場だったらみたいな比較を
>評価の際に考慮するのなら、これは必ずしも決定的な要因にはならんのでは?
そうですね。さっきやってみて、無意味な仮定だと思いました。
>世界史に残る名将を破ったかってのは、これもどうなんかねえ…
条件によります。優勢な戦力をもって破ったのなら、評価材料にはなりません。
同等か、それ以下の兵力をもった破ったのなら、評価材料になるでしょう。
>>825 前スレでも新しい軍事理論を生み出して実戦で効果をあげることが95の
条件だと仰ってましたね。
名将を破るというのは先に述べた通りですが、
僕の評価は、純粋な実戦指揮での戦果を基準にするところが大きかったですから、
能力の定義付けの問題で差がでるのは確かにしかたありません。
ただ軍事理論ということでいうと、中国の戦いでは西洋のように時代と共に
画期的に戦術が変わるというものでないというのをある程度踏まえても
いいんじゃないでしょうか。
ぶっちゃけ言っちゃうと、
バトゥは名目上の司令官で遠征軍を実質的に指揮していなかった可能性があるんだよな。
ハンニバルやアレクサンダーは自分の意思で開戦したんで間違いなく総司令官なんだが、
あの遠征軍にはチンギス以来の宿将スブタイがついてるから、
彼に任せてしまえばなんとかななってしまう。
まあ、もちろん無能では名目上の司令官もつとまらないんだけど。
>>837 モンゴル軍の強さを騎兵のみに求めてはいくらなんでもね。
戦術についても確立されてたというが、兵法書を丸暗記して
破れた、趙の趙括のようにマニュアル通りにすれば戦闘に勝利
できるほど甘いものではない。実用面こそが重要。
ハンニバルが戦った範囲とバトゥが戦った範囲を比べれば雲泥の差である
ことはあきらか。
それにオゴタイが総司令としてバトゥを指名したのは、もっとも西方
のジュチ家の当主だからという面もあるが、バトゥ個人が有能だった
からに他ならない。無能ならばあれだけの大遠征の指揮官として指名
するなどできない。
>840
それは言い過ぎじゃないかなあ?
スブタイはチンギスにも疑惑の目で見られていたし、オゴタイだってそれは同じだろう。
実戦の指揮ならスブタイが殆どかもとは思うけど、遠征軍を統括していたのはバトゥの
力量じゃないの?
それじゃスプタイの武力は?4駿馬で誰が一番優秀?
やっぱりスプタイだよな
844 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 02:51
>>835 新戦術とは、「その後の歴史でスタンダードになった戦術」です。
韓信は詭計を駆使して、寡兵で勝利を重ねました。
彼の軍事的勝利は歴史を塗り替えましたが、
彼の戦術は、後世のスタンダードにはなりませんでした。
項羽は「少数精鋭による強襲」を得意とし、寡兵で常勝を誇りました。
彼の軍事的勝利は歴史を塗り替えましたが、
彼の戦術は独創的なものではありませんでした。
そういうわけで、条件は同じなのですが、
垓下で項羽と韓信が対陣した時、二人の直率軍10万が正面衝突しました。
この時、あっさり韓信軍は敗走しています。
しかし、韓信が予備兵力20万を戦場に投入したため、
予備兵力の無い項羽は敗北したのです。
このことから、項羽>韓信と判断しました。
845 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:52
あれは戦法なんじゃないの?韓信の敗走は
846 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:52
847 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:53
蘭太郎氏に聞きたいがハンニバルの武力97はそんなに不満なのか?
・画期的な戦法を考案し、戦史を塗り替えた
・兵の質・量共に劣った状態でも、勝ち続けた
・敵地に十数年間ほぼ無補給で滞在し、なお戦える状態だった
・マルケルスのような有能な将軍と戦い、それを討ち取った
・生涯通して一方的な敗北はザマのみで、それも十分すぎるほど弁明できる
・カンネーの戦いはローマ史を通して見ても、ローマにとって最大の敗北である
これだけの要素が揃ってたら、90台後半は妥当だと思うぞ?
848 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:54
半島ナンバーワンの武将を教えてください
お願いします
849 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:54
局地戦の戦いだからちゃうの?
コテハンランキングつけていいか?
851 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:56
補給の評価は武力じゃなくて政治力だろ?
それか統率力
蘭太郎氏はもう寝た予感
853 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:01
俺も寝る予感
854 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:03
ところで変換できない漢字はどうやって書けばいいのだね?
855 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 03:04
>>839 そうでも無いですよ。
中国史でも、新戦術による勝利の例はいくつもあります。
例えば、騎兵戦術を極め尽くした不敗のヌルハチに対し、
袁崇煥が巧みに大砲を駆使して、勝利を挙げた寧遠の戦いがあげられます。
>>840 バトゥとスブタイは途中で分かれ、バトゥはハンガリー方面、
スブタイはポーランド方面に向かっています。
バトゥは独力で名君ベーラ4世率いるハンガリー軍を殲滅し、
オゴタイの死さえなければ、ハンガリーを平定できるところでした。
バトゥは、独力でも一国を滅亡寸前まで追い込んだのですから、
やはり名将であったといえるでしょう。
>>843 やはり、実績の面でスブタイが一番でしょう。
彼ほど、あらゆる戦場で、様々な形態の戦いで勝利を収めた将帥は、世界史上でも稀です。
最低、武力90は与えるべきです。
個人的には、モンゴル帝国を代表する将帥として、
武力95はあってもいいのではないかとさえ思います。
856 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:06
ハンニバルの評価はまだ定まらんのか。
>>851 兵士の補給が殆どないのに、戦える状態だったって事は、それまでの交戦であまり被害が出てなかった事になる。
ローマ滞在中、あれだけ交戦したのにな。
その上、本国に連れ帰ったのは全軍ではない。船に積めなかった分は、置き去りにしてる。
858 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:09
ところで今の流れでなんなんだがスターリンの統率100候補って
どうやって決まったの?フルシュチョフに即効駄目だしされてる男じゃん
859 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 03:10
>>848 古代では、新羅軍を率いて朝鮮半島を統一した金ユ信。
近代では、朝鮮戦争で、弱体な韓国軍を率いて北朝鮮軍を打ち破った白善ヨブでしょう。
860 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:12
age
>>844 当時のローマはまだイタリア半島を制圧したばかりで、強大になったのは
第一次、第二次ポエニ戦争を通してなんですね。
兵力と言う面で、カンネーでは劣勢の状況でしたが、
それでもアレクサンドロスとかに比べて
ポエニ戦争全般を通して兵力では敵よりそこまで劣っていたわけではありません。
統率でかなりの高LVな以上、武力が最高LVであればアレクサンドロスや
チンギスハーンの快進撃ようにローマを制圧したと思うんです。
ただ、攻城戦が苦手であったり、様々な不備な点でローマに重大な打撃を与える
ことができずに、反攻を受けその後カルタゴは滅亡した。攻撃特性とか付けれれば
いいんですが、それが無い以上攻城戦に難があるとか条件がつく場合は、
減点するしかないんじゃないでしょうか。
前にカール12世を評価された人が武力に90前後をつけていたように記憶しています。
その時反論はでずにみなさん妥当な評価だという感じでしたが、
僕はハンニバルの戦果は、カール12世よりそこまでぬきんでていたとは
考えられない、という意識があるんですね。それで90前半という結論だったわけです。
863 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:16
じゃ俺の数値はどうよ?
864 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 03:16
>>858 独裁者として、無敵のナチス・ドイツ軍相手に、苦しい戦争を戦い抜き、
帝政ロシアが支配した地域を再統一(フィンランドを除く)し、
東欧を衛星国にし、地域大国だったソビエトを世界帝国に押し上げた実績を買いました。
>858
スターリン批判は政権維持の手段だろ。
はぁなるほど。ソビエトの功績=スターリンの功績にしたわけだ
>>855 ええ。戦車の役割や新しい飛び道具の登場、
時代時代でみれば少しずつ戦争の様相がかわってます。
でも名将個人の画期的な発想で戦術が一変する、というような
西洋的な戦術の以降は、中国では全時代を通してそんなに見られないんですね。
868 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:22
もう寝ろよ。
869 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 03:24
>>862 ハンニバルは知力がさほど高くなかったと思われます。
そのため、カンナエでローマ野戦軍を殲滅したのに、
戦略を誤り、ローマを滅ぼすことが出来なかったのだと思います。
チンギスハンとアレクサンドロスは、高い知力を有していました。
そして、配下に多くの優れた将帥がいました。
これが、チンギスハンとアレクサンドロスが大征服者になり、
ハンニバルが成り得なかった理由であると考えます。
スターリンの凄い理由。
>フルシュチョフに即効駄目だしされてる男じゃん
生きてる間にはぜんぜん駄目だしされなかったし、させなかった。
なんだかんだで、独ソ戦を勝利に導いてるし、あれだけものすごい粛清
をしたにもかかわらず、めぼしい反乱も起こさせていない。彼の組織を
まとめる能力は世界の歴史でも最高クラスとしてもいいだろう。
わかった?
>>858
871 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:27
>>870 あれだけものすごい粛清したから反乱が起こらなかったんじゃないの?
粛清とはそういうものでしょ
このスレ今日の書き込み数板1位だってよ
やるなー
873 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:29
せめて海戦と陸戦を分けてもらわないと
874 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 03:31
>>866 大祖国戦争を戦い抜き、世界帝国ソビエトを築き上げるのは、
スターリンの強権によってしか、為し得ないものであったと思います。
>>867 一度、中国の戦史を勉強することをお勧めします。
名将たちが、独創的な戦術を作り出し、
それがその後のスタンダードになっていく過程が理解できると思います。
875 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 03:33
>>871 カンボジア首相サロト・サルは世界史上最大級の粛清を行いましたが、
最後は反乱軍とベトナム軍の攻撃によって、政権の座を追われました。
統率力の低い政治家が恐怖政治を行うと、こういうことになります。
>871
それも逆に言えば、
あれだけ粛正しても版図を拡げられる力を保持できるという
スターリンの凄さを証明している。
スターリンが存命中すごかったというのは理解できるのよ。
なんだかんだでスターリン時代は経済成長もしてたし、アメリカと並んで2大大国だったし。
俺の感覚では100候補は一転のくもりも許されないというふうに解釈したので、
死後後継者に否定されたのはマイナスかなと思ったのよ。毛も否定されたが
毛沢東は功績が第1であり誤りは2であると評価されたし.
878 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:38
じゃスターリンの流れだからレーニンの前スレの評価キボンヌ
879 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:40
>>875 劉邦の奥さんの呂公とか高く評価してます?
俺は高く評価しているんですが
>>874 例えばどういうことでしょうか。
僕がいっているのは、西洋の戦史で比類ない戦果をあげている将帥、
例えばアレクサンドロスはフィリッポス2世の戦術を踏襲し、独自に発展させた
武器や戦術があったればこそ、あれだけ、アジアに攻め込むほどの当時としては
異常な快進撃ができたわけです。ハンニバルの包囲戦術の影響もみなさんもう
ご存知でしょうし、ナポレオン、モルトケ、快進撃の裏にはほとんど画期的な
新戦術の確立があるんですね。
でも、中国史でそこまで画期的に戦術を転換させた例というのが、西洋史のように
ままあるでしょうか。
881 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:45
age
882 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:51
883 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/05 03:59
>>879 統一王朝というのは、創始者の後に有能な後継者がいなければ、存続することが出来ません。
漢が400年王朝になったのは、劉邦の後に、
呂后という優れた政治家が政権を握ったからです。
司馬遷は、史記の中で呂后本紀を立て、
その中で彼女の治世を最大級の賛辞をもって評価しています。
>>880 一例をあげましょう。
明の時代に戚継光という名将がいました。
彼は「鴛鴦陣」という戦術を発明し、対倭寇戦術を確立しました。
以後、倭寇の力は弱体化していくことになります。
そして、戚継光の著した操典は、その後の中国の軍事教育でも用いられています。
884 :
世界@名無史さん:03/06/05 04:01
∧_∧
( ´Д`)< 俺が負けたん卑怯な手ばっかやん
/ \ しかも司馬遷の奴捏造してるやん
__| |項羽様| |__
\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
>>883 ええ、そういう部分部分での戦術が新しく確立していくという例はあります。
唐太祖の時代の「李衛公問対」とかもそうですね。他にもそのつどそのつど
状況に応じて新しい技術が成立していくことは中国にもあります。
でもそれで西洋のように戦いの様相を一変させたりする性質のものはあまりありませんし、
中国の優秀な実戦指揮官は、新しく技術を確立するよりも既存の戦術を有効に
実戦できる人物である事の方が殆どですので、一概に西洋の技術確立と比較できる
ものではないのではないですか。
てめーら、丑三つ時過ぎても頑張りすぎだっっっ(笑)
>886
本筋とは違うレスになっちまうが…、
既存戦術を”実践”できるだけでも、十分たいしたものだと思います。
>>887 既存戦術を”実践”できるだけでも、十分たいしたものだと思います。
同感です。実践です。たいしたものですね。
それから、戚継光は軍編成で岳飛を参考にしたんですよね。
軍編成も新戦術確立の重要な一つですね。
なんだかんだいって、岳飛も確立してますね。
891 :
世界@名無史さん:03/06/05 10:04
ゲバラとジョン欠地王をキボンヌ
893 :
世界@名無史さん:03/06/05 10:58
ハンニバル → 拮抗する兵力で負けた → 仕方がない
太公望 → 寡兵で勝った(7万対70万) → すげえ!
韓信 → 背水の陣を編み出した → すげえ!
ということで
太公望 ≒ 韓信 >>>>> ハンニバル
という事でよろしいか?
>888
軍編成まで武力に含めるの?
だったら統率なんて要らねーじゃん。
コテハンは自分の理論に固執しすぎ。
評価の基準の正当性を主張しようとして、それぞれの評価の範囲を逸脱してる。
何の為に武力と統率、知力と政治を分けてるのかわからなくなってきてるぞ?
>>888 例えばアレクサンダーの確立した新戦術は、
ファランクスを16列の正方形陣に組んだ主力に、
強力な装甲騎兵と軽歩兵を組み合わせた独自の部隊編成が
いつも数的劣勢だったアレクサンダーが勝ち続けることができた理由ですね。
ナポレオンの強さが、徴兵制度の導入により、国民軍を適切に編成したこと
に拠るものなのは世界史板では説明するまでもないと思いますが、
他の時代を眺めても、新戦術とは革新的な部隊編成が重要なポイントなんです。
>軍編成まで武力に含めるの?
でも、実は僕もこれには賛成するんですね。
新戦術を確立して100の戦果を上げた将軍が凄いなら、
新戦術を確立もしてないのに100の戦果を上げた将軍も同じように凄いと。
武力と言うのはやっぱり、スレの基準だと純粋に実戦での指揮能力、戦果
に純化するべきでないでしょうか。
新戦術で得た戦果は武力で計算したとしても、新戦術を確立したことそれ自体は、
むしろ武力よりも統率や知力の範疇で計算するべきだと思います。
>>897 ですが、その基準でいくと、負け側の優秀な将軍を評価しにくいです。
負けた将軍でも、その新戦術が後世でも有用とされ、認められたハンニバルには、相応の評価をつけるべきでは?
それに、寡兵で大軍を破る事はローマより中国の方がやり易かったのでは?と思います。
>>894 >軍編成まで武力に含めるの?
そうすれば、なんとか、戦場に直接出ない人物の【武力】も決められそうですが・・・。うーん。
>>897 >強力な装甲騎兵と軽歩兵を組み合わせた独自の部隊編成が
コレは親父のフィリッポス二世の功績では?
>でも、実は僕もこれには賛成するんですね。
えっと、これは”反対”の間違いですよね?
>新戦術で得た戦果は武力で計算したとしても、新戦術を確立したことそれ自体は、
>むしろ武力よりも統率や知力の範疇で計算するべきだと思います。
正直、それでは【知力】の重要度が高杉。
五つの能力値の重要性は、どれも均等になるようにすべきだと思います。
要するに【武力】を決めるための理由が寡杉になるので、【武力】の数値が評価不能な人物が
続出するものと思われ。
このスレすごい伸びでしたね。
色々議論を読んで思ったハンニバル(減点法で)。減点法はちと嫌ですが。
【統率】96(洒落にならないレベルですさまじく偉大な国家指導者や宗教の改組が入る余地を考慮)
【武力】93(90代中後半に食い込む武力突出型の武将を考慮、あと負けたから)
【知力】85(作戦・諜報・部隊運用レベルでの知能は非常に高いが戦局眼・政局・対人関係はどうか)
【政治】63(ローマ結束力の見誤り、カルタゴ本国への影響力の薄さ、外線作戦の失敗)
【魅力】89(うとまれ分を下げ。部下からだけ見れば100)
どうですかな。お昼休みが終わるので失礼しまふ。
903 :
世界@名無史さん:03/06/05 13:31
議論が尽きないようだが…
どちらの意見も一理あるが、も〜ちっとアバウトでいいのでは?
所詮は各個人の主観の問題なわけだし。(ま、それを言ったら議論にはならないが)
ど〜しても、というなら10人くらいの意見を聞いて平均値採るとか…
正直、終わらんよ、これ。
>>900 【統率】組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力】戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
これを見れば、軍編成や新戦術はやはり統率か知力のほうでは?
>>900 何も僕は自分の主観で評価の基準を決めてるわけじゃないんですね。
それから、アレクサンダーがフィリッポスの戦術を踏襲して、
発展させ確立したというのは僕が先のレスで述べたとおり理解しております。
とりあえず、今の所の平均点で。(
>>524氏のは自分で失敗と言っているので、除外)
(少数点以下は四捨五入)
【統率】96
【武力】95
【知力】83
【政治】64
【魅力】86
これに蘭太郎氏の評価を加えて、それが答えってことで妥協しない?
907 :
世界@名無史さん:03/06/05 14:01
勝手に答えだすなやヴォケ
このままだと、次スレまで持ち越しになりそうなんだもん。ハンニバル・・・。
蘭太郎様へ
最初の方の議論(ほぼ同数の戦力で壊滅うんぬん)は、なかなか良い評論だなと
思います。ハンニバル程の名将、しかもそれが稀代の『軍神』とよばれる程の
人物であるが故に、逆にその、たった一敗が大きな傷に見えてしまう…
よくわかります。
しかし、無敗の将軍が名将であるかと言えば、必ずしもそうでは無いという事も
また事実ですね。
この理論なら、間違いなく生涯戦績八十四戦七十二勝十二引き分け、無敗の呉子(呉起)が
武力100になるわけですし。
コテじゃないからレスはもらえないかな?
911 :
世界@名無史さん:03/06/05 17:23
>>906 決まりでいいっすよ。ハンニバルでひっぱりすぎだろいくらなんでも
>軍編成まで武力に含めるの?
でも、実は僕もこれには賛成するんですね。
新戦術を確立して100の戦果を上げた将軍が凄いなら、
新戦術を確立もしてないのに100の戦果を上げた将軍も同じように凄いと。
武力と言うのはやっぱり、スレの基準だと純粋に実戦での指揮能力、戦果
に純化するべきでないでしょうか。
新戦術で得た戦果は武力で計算したとしても、新戦術を確立したことそれ自体は、
むしろ武力よりも統率や知力の範疇で計算するべきだと思います。
これはごもっとも。
( ;゚Д゚)
900いってる
今日は人がいないな。昨日の反動か。
異論を唱えるのはいい。
議論が盛んになるのもいい。
けど、あんまり長々と続くとな。
不満なら自分で評価した能力値をアップしたらいいじゃない。
岳飛や韓世忠は、そう何回も出てないでしょ?
あと、パラメータの項目名はコーエー風だけど
内容は全然違った基準で評価してるので
次刷れではタイトルの改定キボン。
『風』の一文字でもいいから。
>内容は全然違った基準で評価してるので
>次刷れではタイトルの改定キボン。
>『風』の一文字でもいいから
外野がうるさかろうけど、俺も希望。
個人的に一番気になるのは【知力】なのよね。
暗殺や民衆扇動、敵将内応を成功させる【智謀】だと思っていたから。
プレイヤー自身の領分に属するところを
武将の能力部分にねじこまざるを得ないから
致し方ないことではあるのだろうけど…。
>>910 そうですね。勝ち続けて勝ち続けて、一度だけ負けた事が原因となって歴史の表舞台
から退場していった名将はたくさんいます。
ナポレオンのロシア遠征、項羽の垓下、マイナーなとこでは李密に敗れた張須陀等々
みんな名将です。逆に前に例に出した南雲忠一、牟田口廉也などは、一度の敗戦で
それまでの功績が吹っ飛んで、愚将の烙印を押された好例ですね。
ようするに、敗北そのものより功績と失敗のバランスということでしょう。
ただ、僕は功績という面でハンニバルに勝る人物は結構いると思うんですね。
アレクサンドロス、ナポレオン、チンギスハーンといった大征服者以外にも、
先に例に出したカール12世もそんなに功績では負けてると思えませんし、
恐らく指導者でないため【統率】90は行かないと思われるモルトケやネルソンでも
戦果ではハンニバルを凌いでるんじゃないかと思います。
にも関わらずハンニバルの【統率】と【武力】を両方共に最高LVに近い所まで与え
るのには抵抗があったんですね。
前にザマは減点材料にできない理由として、マシニッサ率いるヌミディア騎兵がいな
かったからだとのお話がありました。ハンニバルの強さはマシニッサとセットなんだと。
つまり第二次ポエニ戦争前半のハンニバルの評価には、率いる部隊の強さがプラスされ
てるんですね。でもそれならどうして、後半の弱い部隊で敗北した場合に部隊の弱さが
マイナスされないんでしょうか。
なるほどチンギスハーンに蒙古騎兵がなかったら、アレクサンドロスにファランクスが
無かったら、岳飛に岳家軍がなかったら、彼らは歴史に名前を残す事ができなかったか
もしれません。(もちろん別の方法を編み出して克服したかもしれませんが)
では、玄宗皇帝は前半の善政を行っていた時と、楊貴妃とセットになって以降と、どっち
が本当の玄宗皇帝なんでしょうか。徳川綱吉は堀田とセットで善政を行ってた時と、柳沢
とセットの時とどっちが本当の綱吉として評価すればいいんでしょうか。
僕はどっちも玄宗皇帝、綱吉として切り離せない両面なんだと思います。両方を合わせて
評価するしかないと思うんですね。
歴史の中で、チンギスハーンに蒙古騎兵、アレクサンドロスにファランクス、岳飛に
岳家軍が無くなった事は無く、ハンニバルにはマシニッサと離れた歴史があるんですから。
以上が僕のハンニバル評価の根拠になった考えです。
長々と話して申し訳ありませんでした。もうよっぽどのことでもない限りハンニバルの
話は控えます。実は先のスターリンの話に入りたくてしょうがなかったんです。
僕は、そっちのほうの話が、ほんとは好きなんですね。
920 :
世界@名無史さん:03/06/05 21:47
ザマの評価は「ハンニバルの減点材料」とするよりも、「スキピオへの加点材料」
とした方がいいのではないだろうか?
ハンニバルの戦術を研究したから、スキピオはああいう戦術をとったんだろうし。
個人的にはコテハンさんのスキピオ評を希望。
ハンニバルを高得点じゃないと納得できない人達が、
暴れてたという印象しかない。蘭太郎氏は中々筋を通った
意見を言い続けてたと思いますが
>>904 正直、そのテンプレ作ったとき、「軍編成や新戦術」のようなどの値に属させればいいか、微妙な能力については
考えていませんでしたm(_ _)m
ちなみに、一応私自身は、前スレで武力100の条件に「新戦術の確立」を主張していました。
それと、その説明では「軍編成や新戦術」がどの値に属するのか、どうとも採りがたい、と読めると信じたいです。
ミナサンハドウオモワレマスカ?
さて、そろそろ次スレのテンプレをな・・・。
前回は時間無かったからテンプレ、カナーリいい加減だったし。
などと色々言い訳してみるテスト。
>>922 そうか?ハンニバルはローマ史を通しても、1、2を争う戦果をあげてるぞ?
十数年間無補給で戦い続けた将軍なんて、他にいるか?
次スレのテンプレに「ハンニバル&スキピオ禁止」をきぼんぬ
次々スレあたりになったらみんなの頭も冷えてるだろうから解禁で
>922
ハンニバルの評価が低い割に岳飛が過大評価気味で
それを台無しにしているから色々言われているだけかと。
>>924 ハンニバルの凄さは認めるところだよ。これに文句つけれる奴なんていないっしょ。
ただ90代はみんな怪物ばっかりだからこの議論で蘭太郎氏の
意見は説得力があったと受け止めたのです。暴れてたというのは暴言でした。
ハンニバル議論食傷気味の人、すいません。むしかえしてしまって。
「軍編成や新戦術」が武力だけに加点と考えるのではなく、
武力に加点しつつも知力・統率力にもやや加点、功績を評価して魅力にも少々反映
みたいにフレキシブルに考えたらどうでしょうか。
まあ人それぞれ評価が分かれるのがここのレスの面白いところですけど。
929 :
世界@名無史さん:03/06/05 22:26
客観などありえない。主観でどのくらい説得力をもたせるかだな
なんてたって人間に数値つけるわけだしw
930 :
世界@名無史さん:03/06/05 22:31
蘭太郎必死だな(糞
931 :
世界@名無史さん:03/06/05 22:33
岳飛より上の同時代の部将を挙げろと言われていたが……
おまいらリチャード1世は無視ですか?
933 :
世界@名無史さん:03/06/05 22:38
獅子心王は政治は20代ぐらいか
武力だけなら敵地であのサラディンと互角だった獅子心王の方が上じゃねーの?
ただ、他は全部駄目駄目だが(w
いっそのこと【戦術】【戦略】に分けたり特殊能力も追加しちゃえば次スレで
そうすると1スレ1人物になってしまったりしそうだが
俺は全然構わんがね
楽しいし
獅子心王リチャード一世
【統率】49 第三回十字軍に参加し軍勢を率いてアイユーブ朝サラディンと戦う程度の統率力はある。
【武力】62 武人でサラディンの好敵手とされている。流れ矢で死亡。
【知力】09 捕らえたサラセン人を食う。
【政治】48 建築には熱意を持って取り組む。
【魅力】31 性格が横暴・暴虐。男の人が好き。オーストリアの軍旗を踏み逮捕。
ちなみに「トータルウォー」のこの時代編が販売されているらしいですがプレイした事ありません。
ぶっちゃけた話、地元で無敗より敵地で互角に戦う方が難しいと思う。
しかも相手が名将なら尚更。
>936
……ネタ?
二日いなかったらこれですか。凄いですね(^^;)
ハンニバルが煮詰まったので何か書いてみたいと思います。
プロイセンのルイーゼ王妃の評伝を書いていたのですが、難しいので挫折気味です。
牟田口廉也、本気でやってみようかな。
呉起よりちょっと後だが戦国期の白起なんかはどう?
常勝無敗、しかも全部アウェーだが。
>940
白起は知力の高さで難敵を破ったイメージがあるので、
武力は90そこそこくらいだと思っている。
白起は所属してた陣営で大分助かってると思う
秦強過ぎ
所属陣営を入れたら件のニミッツやらジンギスカン、ハンニバルも
そういう事になりませんか?
武力だけ高い同時代部将というと義経も当て嵌まるっぽいな。
義経は高いよ!!騎兵の使い方は義経のアイデアだし、
アウェイで戦っているしさ
よろ↓
>>953 規模だけで語ってもらっては困る、ではハンニバルと同じ資質の人間が
あの時代に義経の立場で、大陸に攻めれたのか?否だろう。
>>954 攻め込めたとしても兵力が違う
十万単位の金軍相手に、たかだか数千か一万の義経が勝てるか?
すごいかみ合ってない議論に見えるが、預けられた兵力も勘定に入れたいの
>>955は?
>951
乙。
ついでに岳飛の統率/武力を87/84と見積もっている漏れの場合。
リチャード1世
【統率】 78(エルサレムまで多国籍軍を率いて破綻なし)
【武力】 89(敵地でサラディンと互角に戦ってのけた)
【知力】 56(戦場に限定すれば意外と頭は切れる)
【政治】 11(弟の被った汚名は殆どこの男が元凶)
【魅力】 92(武名の高さはマイナス面を帳消しにして余りある)
源義経
【統率】 56(軍をまとめていたのは範頼)
【武力】 88(地続きとはいえ、源氏側にとっては未知の地である西国で連戦連勝)
【知力】 46(良くはないが悪くもない)
【政治】 18(考え無しに官位を受け取り、頼朝に口実を与えてしまった)
【魅力】 81(判官贔屓)
>>957さん
義経の知力46点ですが、
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
の間になる様ですね。
自分としては、
一ノ谷における少数騎兵による迂回奇襲
屋島における長距離起動および即戦
壇ノ浦における戦闘技術の転換(でも当時の倫理観からちょっと)
あたりを日本の戦術史に一石を投じたものとして武力と知力に加味してあげたいと思います。
壇ノ浦での事は魅力をちょっと下げますかな。
こんな感じです。
【統率】 56
【武力】 91←88 (+3点)
【知力】 53←46 (+7点)
【政治】 18
【魅力】 79←81 (−2点)
やはり政治力はゴミかw
>958
なるほど。つまり獅子心王と同じく、
「戦場に限れば切れ者」という評価で問題なかったのか。
90以上を付けると日本史だからどうこう言い出す連中が居るので、
武力は90弱あたりで落ち着けたのだが。
義経やリチャードと岳飛は、1世紀以上も時代が違いますが、
岳飛とほぼ同時期の武力の高そうな人物には、「ノルマン征服」の
ウィリアム公ギョームがいますね。
この人は寡兵よくイングランドを征服してるので武力もかなりでしょうが、
統率や政治もけっこうなものがありそうです。
ちなみに、ハンニバルは劉邦と同い年です。
>961
岳飛 1103〜1141
リチャード1世 1157〜1199
源義経 1147〜1199
岳飛マンセーなのはみんな分かってるから、もう言い訳は止めたら?
ちなみに征服王ウィリアムは1027〜1087
>>962 あ、1世紀も違いませんね・・・
ごめんなさい、計算間違ってました。
ただ、僕はリチャードや義経より総合的にギョームが上だと思ってます。
>964
総合力では両者をかなり上回ると思うが、
ヘイスティングスの戦いっぷりを見るに、武力はそこまで高くないのでは……
966 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 02:20
>>910 呉起は中国史に燦然と輝く英雄です。
武力が100あるとは思えませんが、その理由は彼の評伝を書く際に明らかにします。
彼の歴史的意義は、実に巨大なものがあります。
戦国時代を代表する名将の一人であり、現代に伝わる兵法家であったことと評価されていますが、
その評価すら、過小評価であると思っています。
次回は、呉起の評伝を書きます。
>>918 大モルトケの功績は、参謀総長としてプロイセン全軍を指導したことであり、
軍を指揮して勝利を収めたことではありません。
彼は偉大な組織者であり、戦略家でもあったので、統率力と知力の人として評価すべきでしょう。
>>919 玄宗皇帝の前半の治世は、張九齢、姚崇、宋mといった、
優れた宰相を得たことによるものでした。
これらの人々は、武則天の残した人材であり、
「開元の治」は武則天が敷いた政治路線の上に成り立ったものです。
治世の後半になって、玄宗が宰相に起用した李林甫、楊国忠などは、
権力闘争のみに長じた宮廷政治家で、国を悪い方向へと導きました。
補佐に人材を得ていた時は名君で、人材を得ていなかった時は乱れた政治を行ったのですから、
平均的な君主でしょう。
取得はおはやめに。2chブラウザを推奨します。
乙。
征服王より対戦相手のハロルド2世の方が武力だけは上のような気がする。
戦場設定から補給まで前提条件をかなり有利に整えておきながら、
弓兵の援護を受けた騎兵による突撃をことごとく防がれてしまい、
偽装退却により敵を突き崩した後も、3度に渡り突撃を撃退されたから。
言葉足らずで誤解される前に補足。
征服王は有利な条件下で防がれたり撃退されたりした方。
973 :
世界@名無史さん:03/06/06 02:42
ヤパーリ武力100は呉起。
>>965 ヘイスティングスでも苦戦ながら勝ってますし、
ナポレオンも為しえなかったイギリス征服を1万程度の兵で達成してますから。
指導力もありますし、統率と武力の平均が90はあげてもいいと思いますね。
>>967 お疲れ様です。
みなさんこのスレではかなりお騒がせすることになって、
申し訳ありませんでした。
976 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 02:50
>>919 徳川綱吉の初期の治世がまともだったのは、
堀田正俊が将軍擁立の功によって大老となり、独裁的な権力を振るっていたからでした。
しかし、あまりの独裁ぶりに幕閣内部の反発を受け、暗殺されてしまいます。
以後、綱吉は大老を置かず、自ら政治を行います。
前半のまともな政治は堀田正俊の独裁によって行われ、綱吉は完全に棚上げされており、
後半の愚劣な政治は綱吉自らが行ったのですから、
綱吉は暗君と言って良いでしょう。
>>944 >>945 白起はローマレギオンとならんで、古代最強の組織力を誇る秦軍を率いていました。
歴史上、秦軍を最も効果的に運用できたのは、白起だと思われます。
彼は韓・趙の主力を殲滅し、魏軍を打ち破り、秦の六国に対する覇権を確立しました。
史上に名高い王セン・蒙恬の活躍は、
秦の優位が完全に確立してからのものなので、白起には劣るでしょう。
長平で趙の名将廉頗の持久戦に苦戦しましたが、
それ以外の相手には攻城・野戦関係なく常勝を誇りました。
秦軍というアドバンテージを持っていたことを考慮しても、
武力90を与えて良いと思われます。
>974
勝つべく条件を整えた上でどうにか勝ったというだけで
武力90近くを与えるのは無理があると思う。
無論、統率や知力は絶賛に値するレベルであるが。
>>966 前スレでマンシュタインを【武力】95前後と仰ってましたよね。
マンシュタインも参謀として軍を動かして功績を得た人ですが、
分野はモルトケと同じじゃないでしょうか。
>>977 やっぱり統率の方が武力よりは高くなると思います。
功績と戦果に加え、戦場の定義とか、全スレでもそんな話をしてたのを
思い出しますが、自分で軍を率いる為の知力というのは、僕は武力にも
分類できると思うんですね。
980 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 03:19
>>961 中国史には、岳飛より不利な条件下で常勝を誇り、
岳飛より大きな功績をあげた将軍が大勢存在しています。
例えば、漢の韓信は、関中平定戦と垓下では、精強な大軍を率いていましたが、
河北平定戦と斉攻略では練度が低く、兵力の少ない部隊を率い、河北と山東を征服しています。
彼はその過程で二つの大会戦を行いました。
井徑の戦いでは、3万の兵で陳余率いる20万の趙軍を撃破し、
イ水の戦いでは、やはり弱兵を率いて、竜且率いる楚・斉連合軍20万を殲滅しています。
陳余は、趙王武臣を殺して秦に寝返った李良を打ち破り、
わずかな手兵と斉からの援軍を率いて、趙全土を支配していた張耳を破るなど、
当時においては屈指の戦績を有する将帥でした。
竜且は、項羽に遠征軍の指揮を委ねられた唯一の将帥であり、
楚漢期において屈指の将帥である英布の反乱をあっさり鎮圧するなど、
覇王になってからの項羽軍では、最も高い軍事的能力を有すると思われる将帥でした。
これらの有能な将帥相手に、練度が低い寡兵を持って勝ったのですから、
韓信の軍事的能力は、岳家軍という精兵を有していた岳飛より高いと思われます。
>>980 岳飛も蓬頭嶺で十数万の敵を、一万に満たない兵で打ち破ってますよね。
岳飛の戦いは、他のもこんな感じでかなり劣勢なものが多いんですが、
韓信より戦果は勝ってませんか。
強力な異民族の金軍相手に常勝を誇ってますし、
岳家軍も元々弱小な兵を岳飛が鍛え上げて強くしていったんですね。
今まで話していたように率いる兵の強さも能力に加味するのなら、
韓信とくらべても戦果では劣ってないんじゃないでしょうか。
982 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 03:42
>>961 韓信がイ水で破った竜且について補足します。
英布は反秦戦争では、蒲将軍と並ぶ項羽の副将格として楚軍の主力を率い、
項羽が秦軍の主力を殲滅した鉅鹿の戦いでは、
2万の兵を率いて数十万の秦軍に突入し、勝機をもたらしました。
漢の建国後に反乱を起こした際には、劉邦が最も信頼する将軍であった劉賈を戦死させ、
劉邦率いる漢の全軍相手に会戦し、最終的に敗北したものの、
劉邦に重傷を負わせるほどの善戦を見せました。
ちなみに、劉邦はこの傷が原因で死亡しています。
これほどの名将である英布に、劉邦以外に黒星を付けたのは、竜且だけであり、
兵力差を考えても、その軍事的力量は相当なものであったと推測されます。
>979
戦場の設定や偽装退却の成功率は知力、補給の完備は政治に属するのでは。
漏れの見積もりでは 90/80/85/85/65 くらいの万能超人タイプになる。
百年戦争の火種を残した点で政治を、
息子の反乱やら何やらで統率と魅力を多少減点してもこのレベル……すげえ。
985 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 03:55
>>961 もう一人、分かりやすいようにメジャー過ぎる人物の例をあげましょう。
後漢の班超は、自分の手兵ですらない上に、
練度が低く、兵数も少ないオアシス国家の兵を率いて、西域を転戦しました。
彼は常に劣勢な兵力で戦うことを強いられましたが、
匈奴勢力を駆逐し、西域最大の大国大月氏の正規軍数万を数千の兵で打ち破り、
西域における漢の覇権を確固たるものとしました。
彼が征服した地域の面積は、漢の本土に匹敵します。
部下に人材がいたわけでもなく、信頼できる手兵を持っていなかったのに、
これだけの軍事的功績をあげた将帥は、世界史でも稀です。
>>983 僕の見積もりでは、【統率】は93〜5程度は行きそうです。
軍を率いる能力、広大な領土を制圧して、中央集権で権力掌握。
【統率】に分類されるほとんどの要素で高LVですから。
それと彼は知将というより、(イングランドに攻め込んだいきさつ等を
考えたら)国家戦略より戦いで知力を発揮するタイプ、武力が80半ばは
あげたいですね。
政治は80くらいに下方修正。
>986
漏れも息子の反乱さえ無ければ統率95は堅いと思う。
あまり武力を高くすると、善戦したハロルドの方も高くなってしまうので。
ま、ハロルドも弟のトスティヒとノルウェーのハラルドを破った実力者ではあるが。
>>985 前スレでもグーデリアンは率いていた機甲兵力とセットで武力を評価する
べきだと仰ってましたし、ハンニバルはマシニッサとセットが前提という
ことでしたよね。
率いてた部隊の弱さというのは、能力に加味すべきだと思われますか。
あと、最初のロンドン攻略が有力諸侯軍に撃退されて失敗したのも
武力をあまり高くしたくない理由の一つに挙げておく。
990 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 04:15
>>978 マンシュタインについては、前スレで武力95はあるのではないかと書きましたが、
調べて見ると、武力より、知力の高い軍人ではないかと考えるようになりました。
多くの評伝を書き、議論を重ねていく中で、私の基準も変わりつつあります。
現在の私の基準では、マンシュタインは知力90を与えるべきであろうと思います。
大国フランスをわずか二ヶ月で征服した「マンシュタイン計画」を評価してのことです。
将帥としては、東部戦線で勝利を重ね、ソビエト軍の大反攻が始まった後も、
機動防御戦術を駆使して、クルスク戦までソビエト軍を防ぎ続けました。
このことから、彼の戦場での指揮能力は当時でも屈指であったと思われるので、
80台を与えても良いと思われます。
991 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 04:27
>>988 弱兵を率いて、大きな戦果をあげた指揮官の能力が、
強兵を率いて、大きな戦果をあげた指揮官の能力より高いのは、当然のことと思われます。
しかし、スブタイやバトゥの戦果がモンゴル騎兵あってのものであったように、
特定の部隊を指揮しないと、戦果をあげられない将帥も存在していました。
ハンニバルの勝利とヌミディア騎兵を切り離すことは不可能ですし、
機甲部隊を率いていないグーデリアンというのも、ありえません。
「ヌミディア騎兵抜きでは勝てないから、ハンニバルの力量は低く抑えるべきだ」
「機甲部隊を率いないと戦えないから、グーデリアンの武力を低く見積もるべきだ」
といって、彼らがあげた巨大な戦果を低く見積もるのは、愚かなことです。
992 :
世界@名無史さん:03/06/06 04:27
>>980 岳飛の敵は金軍以外にも大勢力の賊など周り中敵だらけ、戦歴は20や30じゃない
ですよね。味方はほとんど当てにならない状況で、ハンニバルのような軍事拠点
もなく敵に対抗できる兵力もない。
そんな状況でどれだけ兵力劣勢(信憑性は薄いが伝承では数百で10万)でも
勝ち続けたわけです。しかも最後は金軍に王手をかけたところで無念の帰還命令。
僕は岳飛があのまま金軍に北から攻勢をかけていれば、勝った可能性もじゅうぶん
あると思うんですね。
項羽が98なら、戦歴に可能性も加味して、岳飛の武力は96はあげてもいいんじゃない
か、そう思ったんですが、そんなに不適切でしたでしょうか。
994 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 04:52
>>981 私が言いたいのは「岳飛程度の将帥は中国史には大勢存在する」ということです。
岳飛はその時代では常勝を誇った将帥ですが、
別の時代にも、寡兵を率いて強敵相手に常勝を誇った将帥は存在します。
あなたは、彼らにも武力95以上の数値を与えるのですか?
それでは、インフレになりませんか?
また、金軍相手に寡兵で勝利を重ねた劉リ、韓世忠、呉兄弟の武力は、
やはり90以上を与えるべきなのですか?
岳飛が蓬頭嶺で勝ったように、
劉リは順昌で勝利して、金軍を開封まで押し戻し、
韓世忠は黄天蕩の戦いで、完顔宗弼の大軍を殲滅し、
呉兄弟は、和尚原で、完顔宗弼を負傷させるほどの勝利を収め、四川を守り抜きました。
彼らの軍事的能力が、岳飛に大きく劣るとは思えないのですが、どうでしょうか?
また、寡兵で金軍・西夏軍相手に常勝を誇った李顕忠、
采石磯で60万の金軍を寡兵で破り、宋を滅亡の危機から救った虞允文の武力は、
どうなるのでしょうか?
二正面作戦を強いられて大変だと思うが(w
>993
それは逆に項羽を見くびっている。
項羽は文字通り武力のみで連戦連勝を積み重ね、覇を唱えるに至った。
岳飛の戦術的勝利の積み重ねはその領域には至っていない上、
彼独力ではなく韓世忠や張俊といった
同僚の良将の存在を無視してはならない。
996 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 05:06
>>993 不適切です。
それでは、中国史だけでも、武力96が何人存在するのか分からなくなってしまいます。
テンプレによれば、90は天才の数値です。
つまり、武力90は軍事的天才の数値ということです。
私が言いたいのは「軍事的天才が各時代に大勢いてたまるか」という事です。
天才は、めったにいないから天才なのです。
能力値のインフレは極力避けるべきです。
997 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 05:08
失礼。天才ではなく、超人でした。
>>990 了解しました。前スレで戦術と戦略の定義について話していた時、
「戦術、戦略の定義は近代戦では曖昧だから保留する」と言われましたので、
戦域が広大な近代戦では、国家戦略と軍事戦略に分ける基準なのかな
と思ってましたけど、僕の基準もそのように改めさせていただきます。
>>988 僕は「岳飛軍がなかったら戦えないから岳飛の武力は高くするべきでない」
とは少しも考えてません。
前スレでも述べましたが、ロンメルは歩兵戦術の権威でした。ポーランド戦
での電撃戦を見て、すかさず電撃戦の有効性に気づき、機動戦術を僅か
数ヶ月で習得、独自の戦法も開発してフランスでは勝利を重ねました。
でも北アフリカ戦線では敵が機甲兵力で優勢で、機動力の優位が確保できない。
すると今度は対空砲や囮、地雷原を駆使して歩兵戦術を応用した優れた
対戦車戦術を編み出して連勝します。
このように、柔軟に戦術を変えあらゆる戦場で戦果をあげている将がいる以上、
条件付で敗北した場合、戦術の適応力の無さとして、少しは評価に加えるべき
だと言ったんです。減点幅は、前スレでもここでも最大で2〜3でしたよね。
僕は何も一度や二度の敗北で「高くすべきでない」とまで思いません。
「高くてもいいけど、心持抑えるほうがいい」と言ったんですね。
皆さん移動ヨロ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。