____________ 諸君らの歴史上の人物をコーエー風数値化するスレの次スレを立てろという約束・・・
ヾミ || || || || || || || ,l,,l,,l 川〃彡|
V~~''-山┴''''""~ ヾニニ彡| 守りますとも・・・蘭太郎・・・
/ 二ー―''二 ヾニニ┤
<'-.,  ̄ ̄ _,,,..-‐、 〉ニニ| ことスレ建てに限り・・・虚偽は一切言わぬ・・・
/"''-ニ,‐l l`__ニ-‐'''""` /ニ二|
| ===、! `=====、 l =lべ=| 守る・・・! 守るが・・・
. | `ー゚‐'/ `ー‐゚―' l.=lへ|~|
|`ー‐/ `ー―― H<,〉|=| 今回、まだその時と場所の指定まではしていない・・・
| / 、 l|__ノー|
. | /`ー ~ ′ \ .|ヾ.ニ|ヽ そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい・・・
|l 下王l王l王l王lヲ| | ヾ_,| \
. | ≡ | `l \__ つまり・・・私がその気になれば・・・
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‐''" ̄| `iー-..,,,_,,,,,....-‐'''" / | | 次スレを建てる時期は・・・
-―| |\ / | |
| | \ / | | 1年後、2年後!!忘れられているころに建てる
ということも可能だろう・・・ということ・・・!
>>902 僕は幕府側が完全勝利で幕を下ろすには、勅許が下りる前の段階で斉彬一行を
撃退するしかなかったと思います。
薩摩と戦うにしても、勅命を得た薩摩を討ったとあれば朝廷対幕府という構図、
幕府にとっては最悪のカードです。勅許を得ずに条約を結んだだけで嘗てない
ほどの高まりを見せた幕府非難の風潮は、武力で勅許を退けたことで爆発し、
それこそ幕府が朝敵になる可能性も出てくるでしょう。
井伊がいかにその可能性を恐れ、そういった性質の勅許が下らないよう躍起に
なったかというのは、水戸藩降勅問題を受けての執拗な朝廷工作と、梅田雲浜捕縛
に伺えると思います。
斉彬に下された勅許が倒幕を招くような性質のものならともかく、幕府にとっては
井伊の失脚と一橋慶喜が将軍後見職に就く程度のものです。(その程度が日本の
進路を決定付けるには重要なものですが)それを撥ね付ける為だけに、朝廷との
全面衝突も覚悟して迎撃するとは考え難いと考えます。
それでも井伊が徹底抗戦を選べば、朝廷内でも反対が根強く形の上では許可が
あったにも関わらず、幕府の私闘と見なされ、出兵を見合わせる藩が続出した
第二次長州征伐以上に傍観する藩も増え、そして薩摩以外にも武力で対抗しよう
とした福井藩などを始め、井伊の強権政治に反発している藩も多く、斉彬に協力
する所もかなりあると思います。
幕府を揺るがす一揆や打壊しが続出した原因が、長州征伐による物価高騰に端を
発しているように、武力衝突が起これば時代の流れは必然的に幕府崩壊に向かっ
て加速することになるのではないでしょうか。
そして降勅を未然に防止される可能性ですが、時間的制約と雄藩の地勢的条件から、
京都に上がるまでに薩摩を撃退できるほどの兵力を展開するのは難しいと思います。
斉彬はその為に各地に配下の者を派遣して情報を収集させ、念入りに計画を立てて
いたようです。それでも上洛してから、久光のように勅許が得られるまでもたつけば
そこで迎撃される可能性も高くなりますが、事前の朝廷工作と『戊午の密勅』事件
での朝廷の動きを見る限り、すんなり勅命が下る可能性も高いと考えます。
もちろん、ただの一藩が兵を率いて上洛し、幕府に対抗しようという嘗てない大作戦、
どんな念入りに立てた計画でも失敗する可能性はあると思います。
斉彬自身それは解っていたようで、「薩摩が滅ぶことも覚悟の上だ」と語っていた
ように、一世一代の大博打という心境だったのでしょう。
>>903 僕も井伊があの時点で日米修好通商条約を結んだのは正しい判断だったと思います。
情勢的に朝廷の勅許を待っている余裕は、日本にはありませんでしたから。
ただ、その後の対応に問題があると思います。朝意に反して条約を結んだ事で、
朝廷始め公家や諸藩、志士達の反発は幕府の想像を超えて深刻だったわけですが、
そこで徳川一族の大名や一橋慶喜達が求めたような、幕府の立場を説明して前非を
謝罪するという方法をとるか、もしくは反対者を徹底的に弾圧するか、
井伊が後者を選んだのは日本にとって大きなマイナスだったと考えます。
幕府はそれまでに国難を打開する為、自由な意見を全国の有識者に求める、柔軟な
施策をとっていて、様々な建白書が幕府に寄せられていたのですが、「安政の大獄」
によってその建白書が元で投獄されるという、志士の側からすれば見事に騙された
ような形になったわけです。
それまでの幕府のように、出身や身分の限られた一部の人間だけで統治するような
やりかたでは、諸外国に対抗できる強固な体制には、到底成り得ないでしょう。
井伊の選んだ武断政治では自由な意見主張が統制され、その後の国創りに於いて
建設的な方向にはならないはずです。そういう点で封建制度の固持に綿々としてい
る井伊の政策は、国内の体制を整備する上では有害だったと思います。
956 :
世界@名無史さん:03/06/26 20:51
ヴァレンシュタインは二人も評価出てるから、
書く方ではマイナー好みっぽい青はやるまいと思ったが・・・。
宗教が絡むと人は何でも出来るし、やるからな。
これは厳密には宗教に限った話ではないかも知れんが、
実際、宗教は集団的狂信状態に陥りやすい要素を多分に持っている。
ベネディクト・アンダーソンは「ナショナリズムは宗教の親戚だ」と
書いたが、ヒトラーでなければ集団的狂信状態を作り出せなかった
ナショナリズムは、やはりそういう系譜からすれば傍系だろうな。
957 :
世界@名無史さん:03/06/26 20:56
なんとか上洛はできただろうね
禁門の変や鳥羽・伏見の戦いでも、幕府は薩長を京都に着くまでに防止できなかったし
>>951 あ、950踏んじゃった・・・
ごめんなさい、2ちゃん始めたの今年に入ってからで、
まだスレ立てたことないんです。
ごめんなさい、まだ僕の能力では無理っぽいです。
誰か変りに、お願いします。
ハハハ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ イキデキネーヨ
∧_∧ /
>>957激ワラタ ハライテ- ゲラゲラ
. ( ´∀`) < ∧_∧ 〃´⌒ヽ モウカンベン
. ( つ ⊂ ) \_______ (´∀` ,,)、 ( _ ;) シテクダサイ
.) ) ) ○ ∧_∧ ,, へ,, へ⊂), _( V V )_ ∧_∧ ○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ (_(__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
タッテ ラレネーヨ ワラウシカネエダロ!! ドウニデモシテクレ!!
ワハハハ
テンプレ変えなくていいんですか?
いろいろ議論ありましたが決着はつかなかったようで
>>958 ちゃんとトリップ付きましたね。
前に騙りが嫌ならキャップ付けたらいいとか言われたので、少し調べてみました。
不発すると恥ずかしいので、なかなか実行に移せませんでしたが。
ちなみにこのスレに現れた影武者は、
>>426と
>>677と
>>952の三本です。
965 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:02
>>945 武力で言えば、わずかにプロコプの方が高くなるかもしれません。
ただ、総合力では明らかにジシュカの方が上です。
>>946 >いや、だから同じ基督教徒であるが故の畏怖が、実際以上にフス派の
>軍事行動を強大にしたのではないかと思えてくるなという話でね。
当時のカトリックにとって、同じキリスト教徒はカトリックとギリシア正教だけです。
同じキリスト教徒と思われてないから、十字軍を起こされるのです。
>又フス派の軍隊の神がかり的強さは、指揮官の賜物ではなくて信仰心が第一って
>感じもするし。
過去に宗教を背景にして、国家を形成した勢力の発展過程には、
いつも優れた政治家や軍事指導者がいました。
いかに信仰心があろうと、優れた指導を受けなければ、
強い国家や軍隊を作ることは出来ないのです。
スレ建てしてみる。
訂正
>>443-444 ヴラド3世 by前971
>>814-818 吉田松陰 by蘭太郎
今スレではアウゼングラーブ、ヴォーバン、ミュラ、ブロコブ
などの評伝が個人的には特に面白かったです。
>965
カトリックの立場なんか別にどうでもいいんだけど。
当時の諸侯軍の一般兵なんかは彼等の側に神がいるのかと畏怖したのではないか?
というか、そういう心理が働いた結果ではないかと言ってるんだけど、そんなに変?
それでも信仰からくる強い裏づけがある兵隊を指揮するのは楽だろうと思うけど?
もっとも結果を出すには、貴方の仰るとおり優れた指導者は不可欠ですけどね。
971 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:19
>>950 名前倒れの典型ですね。
>>953 島津斉彬が勅許を得ても、
井伊直弼は「島津斉彬が朝廷を脅迫して、無理矢理勅令を出させた。奴こそ朝敵だ」と、
主張することができます。
勅許の有無が問題ではなく、諸侯が天皇の勅令を盾にして、
国政に介入しようとしたことの方が遥かに大きな問題なのです。
これを座視していれば、幕府の権威に関わります。
執政者がよほどの軟弱な人物で無い限り、討伐は行われるでしょう。
島津斉彬が討伐軍の前に敗北しても、反井伊勢力の諸侯と共に内戦を展開しても、
日本にとっては悲惨な結果を招いたと思います。
一橋派に政権を握らせるためだけに、日本の国家体制が崩壊しかねない賭けに打って出た島津斉彬は、
とてつもなく危険な人物だと思います。
972 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:43
>>955 >そこで徳川一族の大名や一橋慶喜達が求めたような、幕府の立場を説明して前非を
>謝罪するという方法をとるか、もしくは反対者を徹底的に弾圧するか、
>井伊が後者を選んだのは日本にとって大きなマイナスだったと考えます。
民主国家なら前者を選ぶべきでしょうが、封建体制なら前者を選んだ方が弊害は大きかったでしょう。
勅許問題で世論に譲歩したら、朝廷の世俗的権威が、幕府の世俗的権威を上回りかねないからです。
つまり、皇帝・国王の権威が、ローマ教皇の権威に脅かされ、
政治に大きな弊害をもたらした中世ヨーロッパと同じ状況になってしまうわけです。
幕藩体制という領邦国家体制自体が、そもそも外圧に弱いのに、
さらに朝廷が実質的な権威を持ってしまったら、もっと危険なことになるからです。
>幕府はそれまでに国難を打開する為、自由な意見を全国の有識者に求める、柔軟な
>施策をとっていて、様々な建白書が幕府に寄せられていたのですが、
このことが、かえって幕末の混乱を招いたような気がします。
平時ならともかく、緊急時は自由より統制を優先するべきだったと思います。
>それまでの幕府のように、出身や身分の限られた一部の人間だけで統治するような
>やりかたでは、諸外国に対抗できる強固な体制には、到底成り得ないでしょう。
私もそう思います。
ですから、私は井伊直弼を、政治体制そのものの変革には手を付けず、
近代化のみを推し進めた曽国藩や李鴻章と同類の政治家だと思っているのです。
>井伊の選んだ武断政治では自由な意見主張が統制され、その後の国創りに於いて
>建設的な方向にはならないはずです。そういう点で封建制度の固持に綿々としてい
>る井伊の政策は、国内の体制を整備する上では有害だったと思います。
彼の立場は、あくまで封建国家の宰相でした。
そして、その立場で最善を尽くした人物でした。
国家体制そのものの変革には、革命か戦争が必要だったでしょう。
しかし、それは彼の仕事ではありません。
973 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:59
>>970 >当時の諸侯軍の一般兵なんかは彼等の側に神がいるのかと畏怖したのではないか?
>というか、そういう心理が働いた結果ではないかと言ってるんだけど、そんなに変?
私もそう思います。
物量の差も、戦略的不利も、常識もことごとく無視して、勝ちまくる軍隊が存在すれば、
神か悪魔か、何か超自然的なものが付いているのではないかと思う方が、
自然な反応であるような気がします。
実際、「偉大なる行軍」の洗礼を受けた地域の住人の中には、
フス派に転向した者も存在していました。
>それでも信仰からくる強い裏づけがある兵隊を指揮するのは楽だろうと思うけど?
場合によると思います。
信仰が強力な結束力を生み出す場合もあれば、
信仰のためにコントロールを失って暴走する場合もあるからです。
974 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 01:07
>>962 >>963 >>968 評伝をまとめていただき、お疲れ様です。
>今スレではアウゼングラーブ、ヴォーバン、ミュラ、ブロコブ
>などの評伝が個人的には特に面白かったです。
典型的な英雄・名将・名宰相などより、一風変わった人物の方が面白いですからね。
>>945 15世紀の東欧・中欧は、優れた人物がたくさん出ているんですよ。
あまり知られていない時代や地域にも、立派な人物はいるんです。
それを書きたくて、このスレにいるのです。
>>971 計画の成功率、これ以上は技術論に踏み込み、煩雑になるので止めておきますね。
ただ斉彬の思想について、あと少しだけ述べさせていただきます。
斉彬は幕府に、西洋に対抗するだけの国防力の強化を進言し続け、軍艦を献上し、
またペリー来航以降の幕府の狼狽振りを目の当たりにして、各個たる体制の
元で強力な外交力を持つ事が諸外国と渡り合うためには必要だと考えるなど、
先進的に日本の行く末を考える事の出来た人物です。
けして自分の権勢欲の為だけに日本を混乱に導こうとしたわけではなく、
慶喜を将軍にするというのも、開明的な彼の元で様々な改革を行い、外国に対抗で
きるよう国を強化したいと考えていたからに他ならないと思います。
井伊の武断政治に対抗しようとしたのも、斉彬が計画を藩士に打ち明ける際に
「このような方法は望むところではないが」と付け加えているように、
外国文明にとても理解のあった彼こその、旧態然とした幕府のままでは何れ亡国に
なり、もう尋常な手段では幕府を改革できないという、ゆくゆくの思案の果ての
ことだったと思います。
現実に斉彬の死後、圧倒的な弾圧政策の前に、諸藩、薩摩はもとより長州でさえも、
恐れおののいて波風を立てないよう「安政の大獄」に協力姿勢を取るなど、
独裁は井伊の元に確立されそうになっていました。そうなっていれば革命も戦争も、
到底起こりえなかったでしょう。国家制度の改革が日本が生き残る為の必要条件で
あるのなら、井伊政治に具体的計画をもって唯一対抗しようとし、それにより薩摩
をしてその後の維新を方向づけた有力諸侯として、これを斉彬の評価を下げる材料
にはしたくないと考えています。
>>972 僕も井伊を統率トップ候補にあげてますので、彼の指導力には並外れた凄さがあると
思っています。徳川体制を維持するという手腕に於いては、国難の時期にあって
彼以上の適任者はちょっと見つからないでしょう。
「井伊大老ではなく義言大老」と言われるように、井伊政策とはつまるところ
長野主膳ですが、この有能な謀略家を腹心として活躍させたのも統率者として優れて
いた証明で、幕府の指導者としてはとても有能な人物だと思います。
けれどもこの時期に封建体制を守るために尽力したというのは、国家的な視点では
迷惑なことで、暗殺された事が結果的にプラスだったのでしょう。
やはり幕府の人間であっても、幕府に幕を下ろすことに貢献して国家全体を優先した
勝海舟や徳川慶喜などのほうが歴史に果たした功績は大きいのではないでしょうか。
ドストエフスキーが『罪と罰』で述べているように、時代の先駆者というのは、
社会にとっては危険な側面があるのだと思います。フランス革命、アメリカ独立戦争、
南北戦争しかり、理想的に成功した明治維新ですら、幕府側指導者の賢明な選択が
なければ、江戸城無血開城までは常に泥沼の内戦に陥る危険を孕んでいました。
失敗した場合のリスクに臆さず、断固として時代をリードした英雄の存在が、
歴史的な変革には必要条件なのだと思います。
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