1 :
世界@名無史さん :
03/04/14 06:58 湯名なのだと女王とか結構いるけど そんなに規模が大きくない場合 女の子が領主や一族の当主になったりすることって どの程度あったんですか? また、どんなの人がいたのか知りたいです
湯名
くらりす
4 :
世界@名無史さん :03/04/14 07:28
卑弥呼
5 :
世界@名無史さん :03/04/14 07:30
シーラ・ラパーナ
イモラ城主カテリーナ・スフォルツァー(1463-1509) ルネサンス期の女傑。飽きた亭主を刺客を使って処分するわ 自分の身代わりで人質となった子供を平気で見殺しにして ここ(お腹)からまた生んでやると啖呵をきるわでやりたい放題。
上杉謙信
8 :
世界@名無史さん :03/04/14 08:40
>>7 三戦の専用スレに帰れ
9 :
世界@名無史さん :03/04/14 08:43
しかしやはり仕えるならむさいおっさんやバカ殿より
美少女お姫様のほうがいいよな
>>6 見たいのはやだけどw
弱小国の可愛いお姫様とかが理想
すごい忠臣になりますよ?おれは
11 :
世界@名無史さん :03/04/14 09:05
アルバ公爵夫人 スペイン第一の貴族ですた
12 :
世界@名無史さん :03/04/14 09:11
>>9 それは世界中の男のほとんどが考えてることだと思われます
立花ァ千代
田中眞紀子 新潟県の領主。
15 :
世界@名無史さん :03/04/14 09:40
トスカーナ女伯マティルダ
16 :
世界@名無史さん :03/04/14 09:40
17 :
世界@名無史さん :03/04/14 13:32
アリエノール・ダキテーヌ フランスの女領主で仏王と英王の両方とケコーンしたと聞いている。
18 :
世界@名無史さん :03/04/14 14:34
男性が君主領主の際は性癖は強調されず、 女性の時のみいたずらに強調されるのは関心しませんね。 勉強してください。
19 :
世界@名無史さん :03/04/14 15:28
本来の封建制では従軍義務と封の授与とが引き替えだったため、 従軍能力のない女性は封臣にはなれなかった。 これは未成年の男性についても同じ。 しかし、次第に封が世襲のものとして観念されるにつれて、 女子供でも封を与えられるようになった。 したがって西欧では中世中期ごろから女性領主は多く見かけられるようになる。
21 :
世界@名無史さん :03/04/14 18:08
現イギリス女王のエリザベス女王の少女の頃の写真を見ますたが、萌えまつよw
22 :
世界@名無史さん :03/04/14 18:17
23 :
世界@名無史さん :03/04/14 18:18
>>9 残念ながらそんな娘は領主など務まらない罠。
だいたいが、カテリーナ・スフォルツアとかバートリ・エルジェベトのような
パターンだわな。
バートリ夫人は奥さんであって領主ではないのでわ
25 :
世界@名無史さん :03/04/14 19:42
デンマークのマルグレーテ女王はかなり美人
26 :
世界@名無史さん :03/04/14 19:59
胡桃野は飛雲城の城主、狩原義虎の姉、鈴女
27 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/14 20:55
立花ァ千代・今川〜なんてのが出ているので南部ねねを挙げておきます。遠 野三万石の女大名。但し未亡人で息子が成長するまでの中継ぎ。
28 :
世界@名無史さん :03/04/14 21:11
女の子ですよ!女の子、少女。十八歳まで。のびても二十歳。
29 :
世界@名無史さん :03/04/14 21:13
ミネバ・ラオ・ザビ
30 :
世界@名無史さん :03/04/14 21:15
チンチョン伯も女性だったな
>28 あの時代ならまだ若かったはず。それに6や19は(ry
セイラさんは死んだ! なぜだ!
>>29 ,32-34
おまいら、シャア板に帰りなさい。
女王ではあるが、卑弥呼、台与の頃の場合、国家の規模はたいして大きく無かったと思わ
れ。
台与なら年齢的にも文句無いのでわ?
>35 連合体の首長とか、魏晋に使いを送ったということを考えると「小」では無 いかと。萌えるか否かはまた別問題ですが。
37 :
世界@名無史さん :03/04/15 00:59
武則天
39 :
世界@名無史さん :03/04/15 22:36
スウェーデン女王クリスティナ。グスタフ2世アドルフの娘。 30年戦争で父王が戦死したため5才で即位。 オクセンシェルナ他の摂政団が実権を握り、30年戦争の後半を 優勢に戦った。クリスティナは18才より親政を開始し、 ウェストファリア条約でスウェーデン領土を拡大した。28才で退位。 カトリックに改宗し不評を買う。 男装を好んだが余り美人ではなかったようだ。
,rn
r「l l h. / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 、. !j |
ゝ .f _ |
| | ,r'⌒ ⌒ヽ、. │
ttp://www.saitama.gasuki.com/korea/ ,」 L_ f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ. │ こんなのあったニダ
ヾー‐' | ゞ‐=H:=‐fー)r、) |
| じ、 ゙iー'・・ー' i.トソ |
\ \. l ; r==i; ,; |' .人_
\ ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
\ ノ ハヽ |_/oヽ__/ /\
\ / / / |.
y' /o O ,l |
グランドフェンウィック大公国 当主じゃないか
42 :
世界@名無史さん :03/04/16 23:49
好きになった女の子が実は領主様だった。 なんてないかな…
43 :
世界@名無史さん :03/04/16 23:57
八条院ワ子。 12世紀の日本で230箇所の荘園を所有。 源頼盛の黒幕。
ハワイイの最後の王、リリウォカラニ陛下。 若い頃に結婚(その後離婚)した旦那さんは、アメリカ人。 アロハ・オエの作者でもあります。
45 :
世界@名無史さん :03/04/17 00:18
ヨーロッパじゃ、女性が領地を継承することもけっこう あったみたい。 イングランドがアキテーヌを得たのは、その領主だった エレアノール(アリエノール)とヘンリー2世が結婚した からだし。 こりゃ、ヨーロッパで政略結婚が盛んになるわけだ。
46 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/17 01:17
領主・当主ではないかもしれないが・・・。 チュン・チャック(徴側)andチュン・ニ(徴弐)姉妹 ベトナムの国民的英雄。メーリン州(現在のハノイ北西部)出身の土豪の娘。 この頃のベトナムは無能な太守 蘇定による暴政に苦しめられていた。 彼女らは、AD40年にとうとうチュンの夫が殺されるに至って、ついに後漢に対して反乱を起こす。 この反乱はあっという間にベトナム全土に広がり、土豪達はこぞってチャック姉妹に追従した。後にハイ・パ・チュン(徴姉妹)の乱と呼ばれる事件である。 蘇定が抵抗もせず逃げ出すと、一方的に独立を宣言し、翌年にはチュン・チャックを王とした「徴」を建てた。 42年に光武帝によって派遣された将軍馬援と十万(2万とも)をさんざん苦しめたが、最後には43年にチャック姉妹は頸をはねられ、独立は失敗に終わった。 なお、彼女らは霊廟に祭られ神となり、ハノイでは年に一度、三月にハイ・パ・チュンの祭りが盛大に執り行われている。 珍品として鹵獲されたチュンの愛用した竹笛は本国に送られた後、その音色を聞いたものが次々と病に倒れたとか光武帝があわててベトナムの寺院に納めたとか何とか。
47 :
世界@名無史さん :03/04/17 07:15
>46 当時のベトナムでは女性の実力者が多かった。 その女性たちも姉妹を支持した。
(^^)
49 :
世界@名無史さん :03/04/17 12:30
あげ
50 :
世界@名無史さん :03/04/17 12:39
「女の子」というには厳しいけど。 敏宮淑子(ときのみや・すみこ)内親王 文政12年生明治14年没 仁孝天皇の皇女で、将軍家に降嫁した和宮とは異母姉妹。 34歳の時、四親王家のひとつ桂宮家の当主に迎えられる。 桂宮家は弟の節仁親王が養子に入り相続していたが、 すぐに亡くなってしまい、長年空主が続いていた。 皇女による親王家相続は、女帝のいた江戸時代においてもこの敏宮のみで、 極めて異例のことであった(当主の妃や母が家督相続した例はあり)。 ちなみに桂宮家は淑子内親王の薨去した後、継嗣を得られず廃絶に至る。
51 :
世界@名無史さん :03/04/17 12:42
日本ではかなりあったよね。
52 :
世界@名無史さん :03/04/17 13:00
クレオパトラ7世フィロパトル 即位時の年齢は17歳、カエサルと組んで単独でエジプト女王になったのが19歳だね。
53 :
世界@名無史さん :03/04/17 13:09
>>42 ラノベとかでいけそうな設定ですな。
普通の高校の普通の女子高生と普通にお付き合いしてただけなのに、実はその子の
数代前のばあさんに欧州の領主の血筋の人がいて、相続人がいないことから彼女が
突然、女領主にご指名される。
欧州のどこかの片田舎とはいえ、立派な城と莫大な財産を受け継いだ彼女に擦り寄る
怪しい遠縁の親戚(殆ど他人)に、山盛りの求婚者に、今時レトロで烈しい忠誠を誓う騎士団。
一介の男子高校生に過ぎない主人公は、彼女の相手として相応しくないと周囲から邪険に
されまくるが、肝心の女領主である彼女が主人公一筋。どうしてもと涙目ウルウルで懇願され、
欧州のお城まで連れてこられる。主人公の運命やいかに! もちろん彼女を亡きものにしようと
する暗殺団も登場するぜ!!(動機があるのは遠縁の親戚やら、領地を国有に取りこみたい某国政府とか)
…陳腐の極みだな。
54 :
世界@名無史さん :03/04/17 13:24
55 :
世界@名無史さん :03/04/17 13:42
そういや、ラブひなのカオラ・スーが、突然、 実は王女様だったって話になったっけ。
56 :
世界@名無史さん :03/04/17 16:04
定番だけど…… ポーランド女王ヤドヴィガ 即位したとき10歳くらいで、しかも絶世の美少女だったとか
>42 『新宿鮫』の大沢在昌が<アルバイト探偵>シリーズでそんな話を書いていたな。 『女王陛下のアルバイト探偵』。 考えてみるとずいぶんラノベチックな話だった。
北条政子
>>57 つかあれラノベとして読んでた漏れ。
鎌倉時代にどっかに女領主っていたよね。
あの時代「ご恩と奉公」だったのに何で領主になれたんだろう?
このスレなんか臭わね?
あれ、山崎渉がいない(^^)
62 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/17 23:54
>59 普通に女子(というか全ての子供に)相続権があったのですよ。東北の安東 氏から九州の大友氏まで色々と例があります。名前は虎、犬など。 なお女性は結婚時に所領を持参して嫁ぎましたが、原則として一代限りでし た。御家人制度は惣領(一門の当主)制が基盤。軍役を果たす際には惣領が 一門を率いて戦いました。 詳しくは石井進先生の「鎌倉武士の実像」(平凡社)をどうぞ。
女の子が領土の相続人で、しかも器量良しとかだと 近隣の領主の政略結婚の最優先目標になっちゃうんでしょうね。 戦わずして勢力が増える機会になるわけですから。 ハプスブルク関係だと、そういうの一杯ありそう。
64 :
世界@名無史さん :03/04/18 09:30
>63 >女の子が領土の相続人 >ハプスブルク関係 ぱっと思い出したのはマリア・テレジア女帝(日本ではマリー・アントワネットの母として有名) 政略結婚の最優先目標になってたのかもしれないけど、実際にケコーンした相手は初恋のフランツ公子。 当時の王族にしては珍しく恋愛ケコーン。 まあ下手に釣り合いの取れた隣国の王族とかを婿養子に貰っちゃったら、そのまま乗っ取られかね なかったので、小国の公子の方が都合よかったのかもしれませんね。
ひめさまぁぁぁぁぁ
66 :
世界@名無史さん :03/04/18 14:05
お姫様って女の子の憧れだけじゃなくて男の憧れでもあったりする
67 :
世界@名無史さん :03/04/18 14:37
>>64 その結婚、当時のハプスブルクを代表する名将のオイゲン公は
徹頭徹尾反対してたらしいね。
結婚式にも欠席したとか。
カール六世の死後に、周辺諸国が攻めてくるのが読めてたんだろう。
ただ一つ、マリア・テレジアの器量だけは読み違えていたらしいけど。
或いは彼女としては、自分の結婚そのものに批判が及ぶのが嫌で、
必死だったのかも知れないが。
それにしても、随分勿体ないことをしたなあという印象。
ドイツ方面に戦わずして進出する好機だったと思う。
彼女くらいの才気なら、そう簡単に乗っ取られることもなかったろうに。
マリア・テレジアを巡る関係というのは、
一流の女は自分より器量が下の男を支配して満足することが多いが、
超一流の男に敗れ去るというパターンの亜種だと思う。
フリードリヒが文字通りの超一流かどうかはともかく、何か
似た雰囲気を感じる。
69 :
世界@名無史さん :03/04/18 15:51
邪馬台国の壱与は?
70 :
世界@名無史さん :03/04/18 18:54
>>69 壱与たんって響きが美少女っぽいのでよかったのに
最近では台与だったとかいう説が主流で表記が変わってしまった……
壱与のほうが台与より100倍ぐらいイメージ的に可愛いのに……
71 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/04/18 18:59
>70 山岸涼子氏は壱与と台与を母娘とする説をとってますな。 何を根拠とするか知りませんが。
72 :
世界@名無史さん :03/04/18 20:14
壱与がもし大統領だったら、「壱与っ!大統領。」 (失礼)
73 :
世界@名無史さん :03/04/18 20:16
座布団とっとけ!
74 :
世界@名無史さん :03/04/18 21:24
即位当時13歳か。 昔、読んだ本ではハイティーンに成長した壱与は青年と恋におちる。 島であった邪馬台国は沈みつつあり、彼と手をとりあって出雲に脱出。 そこで大和王朝を開く、なんてのがあった気が。
>>62 なるほど、軍役は惣領単位だった訳ですね。
非常に明快な回答に長年の疑問が完璧にとけました。
ありがとうございましたm(_ _)m
77 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/18 23:00
ロシアの女帝エスカテリーナがいない・・・。 推古天皇も・・・。 神功皇后・・・。
78 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/18 23:03
>77 64氏といい69氏といいあなたといい・・・1に「そんなに規模が大きく ない場合」と書いてありますが(笑)。
79 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :03/04/18 23:09
>75 『青青(あお)の時代』ですな。 あと、彼女の聖徳太子観も独自で興味を持たされましたな。
80 :
世界@名無史さん :03/04/18 23:12
マルグリット。 16世紀スペインに占領されていた小国ナヴールの女王。 名目だけの女王だったが文才があり「エプタメロン(七日物語)」を書く。
千葉れい子 若くして女社長
>>79 あ、そうでした。
トムには良い漫画が多かった…。
単行本が無いのも多いけど。
84 :
世界@名無史さん :03/04/19 01:47
>>15 で名前が出てきたトスカナ伯マティルダについて知りたいです。
カノッサの屈辱に出てきた人、というくらいの認識くらいしかないのですが
彼女はどういう領主だったのでしょう?
85 :
世界@名無史さん :03/04/19 11:14
おね、淀殿、春日局なんかも数千石〜数万石の自分の領地を持ってたよな。 現地の統治は代官がやってたにしても。
86 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/04/19 11:23
>>78 それを踏まえて、敢えてセベクネフェル女王と言ってみます(笑)
>>68 オイゲン公は、「プロイセンのフリードリヒと結婚しる!」って薦めていたと聞いた。
88 :
世界@名無史さん :03/04/19 17:21
>56 姉のマリアはハンガリー王ですね。 夫のジギスムントが王と書かれることが多いですが・・。
89 :
世界@名無史さん :03/04/19 17:33
90 :
世界@名無史さん :03/04/19 20:31
>>87 もしフリードリヒ大王とケコーンしていたら、18世紀中にドイツは統一されていたかも。
うろ覚えですが、トンガにも女王様がいたような。 ニュージーランドのマオリ王も、今は女王様ですし。 あとは…マダガスカルのメリナ朝にも何人かいたとか。
92 :
世界@名無史さん :03/04/19 22:08
マイナーなところではハウザ王国(北部ナイジェリアのあたり)は 10〜11世紀、連続17人の女王によって治められていた。 アフリカ南東部のロベドゥ族は代々、シャーマンな女性を長としている。 最後は自殺する義務がある。
93 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/04/19 22:16
>>92 ヨルバと違って北部の方は女権が強かったのですかね?
ヨルバ・ベニンなら女性の支配者はまず考えられないのですが。
94 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/19 22:19
いい加減小領主というものの話では無くなって来ていますが、小国の 女王といえばタンザニア、マダガスカル、ハワイが思い浮かびます。 タンザニアの女王は交渉時にフランス人が椅子を出してくれなかった ので男の奴隷を椅子代わりにして話したらしい。おっと、念の為言っ ておくと女王はいい年で太っちょだったようですよ。
95 :
世界@名無史さん :03/04/19 22:21
に、人間椅子・・・ (;´Д`)ハァハァ
96 :
世界@名無史さん :03/04/19 22:31
>>93 アフリカ史は詳しくないのですが、たまたま手元にある本にこう書かれています。
「1千年以上も昔、現在のガーナ、ニジェール、チャド、ナイジェリア、
カメルーンにあたる地域では、女性が移住者を先導し、都市を建設し、統治した」。
97 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/04/19 22:35
>>96 成る程、確かにヨルバ文明(中部・南部ナイジェリア)でも女性は支配者にこそなれませんでしたが、社会的な地位は高かったですね。
地域によっては女権が強かったという事なのでしょうね。
98 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/19 23:41
ハッ(;´Д`) ラクシュミー・バーイーは?
99 :
世界@名無史さん :03/04/20 01:32
>>98 15歳で結婚し、26歳で夫が死去。ジャーンシ国を何とか護ってきたが、
イギリスの圧力は目に余るものが。
後家のがんばりというか、戦わざるをえなかったというべきか。
アジアならベトナムのチュン姉妹は事実上、女王でしょう。
>63 ブルゴーニュのマリー(むこうみずシャルルの娘)はどうでしょう。
101 :
世界@名無史さん :03/04/20 02:33
ビクトリア女王は18の歳は美人?
きのうのBSの「エリザベス」のメアリー(血塗れ)の戦場での姿、 カッコ良し。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
彼女は、仕方なく彼の目の前で立小便する覚悟を決めた。 「私は、今から立小便をする。」 彼女は、堂々と言った。 彼女は、その場で立ったままズボンのチャックを開いた。 さらに、パンツの股の部分を手でずらして女性器だけを見せた。 そして、両手でズボンのチャックとパンツの股の部分を押さえた。 彼女は、手を使わずに股に力を入れて思いっきり大きく女性器を開いた。 趙石は、驚いて小宝に尋ねた。 「小宝様、その姿勢で小便して大丈夫なのですか。」 彼女は、落ち着いて彼の質問に答えた。 「趙石、私は慣れてるから大丈夫だ。」 しかし、彼は彼女の言葉を信用していなかった。 彼女は、彼が自分の言葉を信用していないことを察知した。 「お前は、まさか私が立小便できるとは思わないだろうな。」 彼女は、彼の真意を確認した。 「はい!」 彼は、素直に返事した。 「やはり、まあ当然だろう。」 彼女は、冷淡に言い放った。
「それなら、なぜ私が立小便できるのか説明してやろうか。」 彼女は、彼を説得しようと考え思い切ったことを言った。 「趙石、いま私は女性器を開いているから正面から覗いて見ろ。」 彼女は、恥らう気持ちを耐えて彼に言った。 「小宝様、私に向かって小便を放つ御積りなのですか。」 彼は、内心で反抗したような言い方だった。 「安心しろ、説明が終わるまで小便は出さん。」 彼女は、落ち着いた表情で彼に言った。 彼は、彼女の言葉を信じて正面から女性器を覗いた。 彼女は尿意と恥じらいを耐えて説明を始めた。 「中央部に小さい穴があるはずだ。」 彼女は、彼に自分の尿道口を確認させた。 「はい!」 彼は、素直に返事した。 「この穴から猛烈な勢いで小便を出す。」 彼女は、放尿の説明を始めた。 「小便は綺麗に飛ぶから、私の女性器は全く濡れない。」 彼女は、丁寧に説明した。 「小宝様、最後まで勢い良く出すのは無理です。」 彼は、不安になって彼女に尋ねた。 「小便は九割ほど出したところで急に止めるから、私の女性器は全く濡れない。」 彼女は、冷静に説明した。 「私の女性器は全く濡れないから拭かない。」 彼女は、説明を続けた。
「小宝様、本当に大丈夫なのですか。」 彼は、半信半疑で彼女に念を押した。 「それなら、お前が納得するまで繰り返し説明してやろうか。」 彼女は、根気良く彼を説得する覚悟だった。 「小宝様、そろそろ小便しなくていいのですか。」 彼は、彼女を気遣った。 「いや、お前が納得するまで小便は出さん。」 彼女は、放尿する前に彼を説得したかった。 「小宝様、私は小宝様を信じます。」 彼は、ついに彼女の説得を受け入れた。 なかなか小便を出せない彼女が可哀想になり、さらに彼女の根気に負けたからである。 彼は、彼女の放尿の邪魔にならないように少し離れた場所に避難した。 「そうか、それなら私は小便を始める。」 やっと、彼女は放尿することにした。
彼女は、勢いよく放尿するために膀胱に圧力をかけた。 ピューーー!と尿道口から、水鉄砲の水のように勢いよく黄金色の小便が弧を描き噴出してきた。 やはり我慢していたためか、小便は彼女の予想より遠くまで飛んだ。 遠くのほうでは、泡立ちながら水溜りができていた。 しかも、彼女の女性器は全く濡れていなかった。 「私は放尿しているけど、私の女性器は濡れてないだろう。」 彼女は、冷静に放尿を続けながら彼に聞いた。 「小宝様、見事でございます。」 彼は、驚きの表情で返答した。 「もしお前が女だったら、このように立小便ができるか。」 彼女は、さらに彼に聞いた。 「とても、とても私は小宝様にはかないません。」 彼は、素直に返事した。 「そうか、お前が納得してくれたら私はそれでいい。」 彼女は、彼が納得してくれたことを満足した。 「小宝様、私は知らずに疑ってしまったことを申し訳なく思っております。」 彼は、彼女を疑ったことを謝った。 「いや、お前が女の私に立小便できるはずがないと疑ったのは無理もないことだ。」 彼女は、寛容な気持ちで彼を許した。 彼女の小便は、まだまだ勢いが衰えてはいなかった。 「長い会議で小便は溜まっているから、かなり長い小便になるはずだ。」 彼女は、冷淡に言い放った。 「はい、たしかに長い会議ではありました。」 彼も、彼女に同意した。 「まだまだ私の小便は終わりそうにないから、そろそろ本題に入ろうか。」 彼女は、彼に確認の返事を求めた。 「はい!」 彼は、素直に返事した。
「遼東の野蛮人めが、また攻めてきやがったな。」 彼女は、放尿を続けながら冷淡に言い放った。 「小宝様、あのような輩は皆殺しにすべきです。」 彼は、熱意を込めて彼女に進言した。 「いや、憎い敵だからといって下っ端の兵士まで無闇に皆殺しにするのは得策ではない。」 彼女は、冷静に答えた。 「小宝様、なぜです。」 彼は、納得できなかった。 「できることなら、なるべく捕らえて奴隷にしたほうが利用価値がある。」 彼女は、理由を説明した。 「小宝様、さすがです。」 彼は、彼女の才能に感服した。
「ところで、お前は遼東軍の兵力を何万と見積もってるのだ。」 彼女は、彼の考えを聞いてみた。 「私は、せいぜい五万くらいと予測しております。」 彼は、自分の考えを正直に述べた。 「いや甘いな、私は十万くらいあると確信している。」 彼女は、凛とした声で断言した。 「小宝様、それなら我が軍は圧倒的に不利です。」 彼は、不安そうな表情で申し述べた。 「そうだ、我が軍は兵力では劣勢だ。」 彼女は、落ち着いて答えた。 「小宝様、なぜ平然としていられるのですか。」 彼は、不思議そうに聞いた。 「心配することはない、あそこの堅固な地形を利用すれば大丈夫だ。」 彼女は、自信を持って答えた。 「小宝様、さすがです。」 彼は、彼女の才能に感服した。
「今回の戦争は、我が軍だけでも余裕で勝てる。」 彼女は、凛とした声で断言した。 「はい!」 彼は、素直に返事した。 彼女の小便は、まだまだ勢いが衰えてはいなかった。
「ところで話を戻すが、もうすぐ私の小便も終わる。」 彼女は、あえて立小便の話に戻した。 なぜなら、彼女の小便も終わりに近づいていたからである。 そこで彼女は彼に自分の立小便の成功を確認させるために、あえて立小便の話に戻したのである。 「小宝様、まだ小便の勢いが衰えていませんが本当に終わりが近いのですか。」 彼は、半信半疑の表情で彼女に聞いた。 「ああ、もうすぐ小便を止める。」 彼女は、淡々と答えた。 「しかし、まだ小便の勢いは衰えていないのに早々と止めるのですか。」 彼は、信じられないというような言い方で彼女に聞いた。 「勢いがなくなると失敗するから、勢いがあるうちに急に止めるのだ。」 彼女は、丁寧に答えた。 「小宝様、そういうことだったのですね。」 彼は、素直に納得した。 「私は、今から小便を止める。」 彼女は、彼に自分が小便を止める瞬間を確認させようとした。 「はい!」 彼は、素直に返事した。 彼女は、尿道口をキュッと閉めた。 尿道口から水鉄砲の水のように勢いよく弧を描き噴出していた黄金色の小便が、急にプチッ!と切れて止まった。
なんと、彼女の女性器は全く濡れていなかった。 「私は放尿を終わったけど、私の女性器は濡れてないだろう。」 彼女は、自分の女性器が濡れていないことを彼に確認させた。 「小宝様、見事でございます。」 彼は、驚きの表情で返答した。 「お前は、本当に納得したのかな。」 彼女は、確認のために改めて彼に聞いた。 「小宝様、そろそろ女性器を閉じなくていいのですか。」 彼は、彼女を気遣った。 「いや、お前が納得するまで女性器は開いている。」 彼女は、放尿する前に彼を説得したかった。 「小宝様、本当に見事でございます。」 彼は、本心から納得していた。
113 :
世界@名無史さん :03/04/20 18:44
なんじゃこりゃ?
「もしお前が女だったら、このように立小便ができるか。」 彼女は、改めて彼に問い直した。 「私が女だったら、とても小宝様のような立小便はできません。」 彼は、素直に返事した。 「だから、私は手っ取り早く立小便したのだ。」 彼女は、冷淡に言い放った。 「私ごときが小宝様を疑ってしまったことを、本当に申し訳なく思っております。」 彼は、彼女を疑ったことを改めて謝った。 「いや、お前が疑ったのは無理もないことだから責められない。」 彼女は、改めて寛容な気持ちで彼を許した。 「小宝様、この私を許して下さることを感謝いたします。」 彼は、心から彼女に礼を述べた。 彼女は、彼に女性器を見られたことを内心では恥ずかしかった。 しかし、それ以上に彼の目の前で見事な立小便を見せつけられたことに満足した。 「そうか、それなら私も女性器を閉じて全てを終わりにするか。」 彼女は、女性器を拭かずに閉じた。
115 :
世界@名無史さん :03/04/20 18:46
116 :
世界@名無史さん :03/04/20 18:48
上杉謙信と伊達政宗には女性説がある
謙信はともかく、政宗が女性だったなんて説が本当にあるの?
118 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:12
現在の社民党は、土井が党首だよ
119 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:14
>>118 >現在の社民党は、土井が党首だよ
政党の党首は領主とは意味が違う
むしろ、地方自治体の首長のほうが領主に相当するよ
現在の大阪府は、太田が知事だよ
スペイン女王イザベル1世
121 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:16
>>119 >政党の党首は領主とは意味が違う
>むしろ、地方自治体の首長のほうが領主に相当するよ
同意!
122 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:17
政宗女性説は知らないね
123 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:19
イギリスやスペインには女性領主もいたらしいけど、フランスの女性領主は知らないよ
124 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:24
やっぱ、ジャンヌダルクが最強だろ?
ジャンヌダルクは領主や当主だったのか?
126 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:48
>>124-125 ジャンヌは領主ではない。
>>123 フランスでも、たとえばエレアノール・ダキテーヌは
アキテーヌの領主。
だからこそ、彼女のルイ7世との離婚・ヘンリー2世との
再婚は、アキテーヌをイングランド領にしてしまうことに
なった。
127 :
世界@名無史さん :03/04/20 19:49
地方自治体の首長は領主なのか?
128 :
世界@名無史さん :03/04/20 20:47
ポンパドゥール夫人はポンパドゥール侯爵領の領主だったわけ? 夫のル・ノルマンはエティオールの領主だけど爵位持ってないし。
129 :
世界@名無史さん :03/04/20 21:11
ポンパドゥール夫人は侯爵だったの?
130 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/20 22:31
ルイ15世が侯爵領を買い取って与えていたような。
131 :
世界@名無史さん :03/04/20 22:36
公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵 この順番でしょう?
132 :
世界@名無史さん :03/04/21 10:16
西欧では、個人の所有という概念が非常に早くからあり、夫人が実家 から領地を相続していた場合、いくら夫婦といっても、夫や夫の一族 は、その領地を自由にはできませんでした。 その一例。 英国王スティーヴンの王妃マティルダは同名のマティルダ(神聖ロー マ帝国皇帝に嫁いだので、区別のためよく皇妃マティルダと表記され ます)と抗争しましたが、彼女が夫スティーヴンを捕虜にされてもな お抗争をあきらめなかった理由は、皇妃マティルダが王妃マティルダ 個人の領地ブローニュまで要求したからです。 皇妃マティルダは前王ヘンリー1世の娘であり、その時点での唯一の 嫡出子なので王位を請求する正当性はある(ちなみにスティーヴンは ヘンリー1世の甥)が、実家から相続した王妃マティルダの領地まで 差し出せというのは正当性のない無分別な要求だったわけで、皇妃マ ティルダは、この時点で王妃マティルダ派と有利な講和を結ぶことが できず、けっきょく王位を手にすることができなかったのです。 (まあ、最終的には、皇妃マティルダの子ヘンリー2世がスティーヴ ンの跡を継いでプランタジネット朝を開くことになりますが。)
133 :
bloom :03/04/21 10:16
134 :
世界@名無史さん :03/04/21 11:35
ルイ十四世の愛妾だったモンテスパン侯爵夫人には夫はいたの?
>>116 それは政宗じゃなくて、政宗の影武者が女性とか言うやつか?
136 :
世界@名無史さん :03/04/21 21:20
ナヴァール女王ジャンヌ・ダルプレはどうよ? アンリ四世の親だっけ。 この辺は複雑でどうも分かりづらい。
>>136 まず1512年に、 スペイン王国がナバラ王国の西半分を併合し 残りは
ナヴァール王国として存続します。
ジャン・ダルブレ(1469-1516)がナバーラ女王カタリナ(カトリーヌ)と
結婚したので、アルブレ家がナヴァール王になったはず。
さらにジャンヌ・ダルブレがアントワーヌ・ブルボンと結婚して
ナヴァール王はブルボン家になった。
おっしゃるとおり、ナヴァール王国はもともとジャンヌの国です。
あ、名前欄の数字を消し忘れてしまった・・・ 失礼。
139 :
世界@名無史さん :03/04/21 23:27
ルイ王朝時代の侯爵夫人というのは便宜上のものだよ 当時は今とモラルが違う 未婚女性が男性と交際することは厳禁 王が目をつけた女には誰か適当な男と形式上の結婚をさせた 既婚女性の浮気は既婚男性の浮気と同様に認められた
140 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/21 23:29
>139 夫人の部屋は聖域であり、夫は妻の部屋に入って間男と居るのを見て も突然入った無礼を詫びて退室したほどであったとか。
141 :
世界@名無史さん :03/04/22 02:00
スペイン以外に、女侯爵だの女伯爵だのがいた国はあったの? (ハンガリーかどこかにもいたような気が……)
142 :
世界@名無史さん :03/04/22 10:53
百済時代の衣装がわかるサイトを探しているのですが、誰が知ってる方教えてください。 高句麗の時代もわかると助かるのですが、、、御願いいたします。
144 :
世界@名無史さん :03/04/22 14:23
145 :
世界@名無史さん :03/04/23 21:45
十字軍がつくったエルサレム王国はやたら女王が多い。例えば マリー・ド・モンフェラは14歳で即位。 イザベル2世は生まれてすぐ王位継承。 2人とも、出産の後、若くして死去。
146 :
世界@名無史さん :03/04/24 21:17
>>139 モンテスパン侯爵は夫人が王の愛人となってからは喪服を着続けたとか。
>>89 遅レスですがありがとうございます。
なるほど、このような経緯で彼女は「カノッサの屈辱」に立ち会ったのですね。
無知を晒すようで恥ずかしいのですが、
単に教皇と皇帝の仲介役のような認識しかなく、
マティルダは皇帝寄りの領主だったものと漠然と思っていました。
148 :
世界@名無史さん :03/04/29 06:24
お姫さま、王女さまって、憧れの存在。 もしもなれたら、なりたいー
149 :
世界@名無史さん :03/04/29 06:54
(北京落城を前に最愛の皇女を自ら斬殺して) 「そなたは何の因果で帝王の家などに生まれたのであるか」 --- 毅宗崇禎帝 (在位 1627-44)
150 :
世界@名無史さん :03/04/29 07:02
>>149 猜疑心の強い基地街皇帝らしい最後ですね。
付き従ったのが、宦官1人と言うのも大笑い。
151 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/29 08:12
>149 そう言われた長女は生き延びましたけどね。次女は死にましたが。
152 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:40
↑ やっぱり生き残った明の公主は八旗の妻妾にされたのですか?
154 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/05 09:26
>152 周姓の家に嫁ぎ、若くして亡くなったとか。清には丁重に扱われたそうですよ。
155 :
世界@名無史さん :03/05/06 15:06
>>1 高貴な女性捕虜にした場合どう利用したのですか?
156 :
世界@名無史さん :03/05/10 05:51
ベルサイユのばらの断層の麗人の近衛隊長オスカルのモデルは居たのですか?
>>156 あれは実話を元に作られたお話しでつよ。
158 :
世界@名無史さん :03/05/18 13:00
ダルタニャンの奥さんはサント・クロワの女男爵だよな。
160 :
世界@名無史さん :03/05/18 14:52
>>156 >オスカル
なんかのスレで実在の男性がモデルだという話が出ていた。思い出せずスマン。
>>28 明正天皇
即位7歳、退位21歳 数え年だぞ。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
163 :
世界@名無史さん :03/05/27 01:15
既婚男性はみな女領主を一人もってるじゃないか
165 :
世界@名無史さん :03/05/27 02:20
>>160 オスカルみたいな男装の美女がいたかどうかは知らないけど、ルイ王朝
末期に、女装の美男(?)外交官は実在した。
166 :
世界@名無史さん :03/05/27 11:56
>>160 フランソワ=オーギュスタン=ド・レニエ・ド=ジャルジェ将軍(1745.10.2〜1822.9.11)
ルイ16世の側近の一人、侯爵で軍人。1769年より軍職につき、叔父の率いる部隊で
大佐となった。はじめその叔父の娘と結婚したが死別、1787年に王妃の侍女であった
女性と再婚した。1791年少将となる。<ヴァレンヌ事件>後、王妃と三頭政治家
(とりわけバルナーヴ)との仲介役をつとめた。1792年の<8月10日>事件の際は
王家の傍らにいた。王妃の命を受けて行動し、国王処刑後は王妃救出に尽力した。
バーツ男爵の王妃救出計画に加担し、密かにタンプル塔に赴き、王妃からフランス
王国の紋章入りの国璽と国王の指輪をプロヴァンス伯に届けるようにと依頼された。
のち1795年サルディーニャ軍に仕官して大佐となり、1797年に帰国。ナポレオンや
ルイ18世に仕えて、1822年パリにて没す。
モデルになったのは多分この人じゃないですか?
167 :
世界@名無史さん :03/05/27 15:00
168 :
アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/05/27 15:51
>>165 シュバリエ・デオンでしょう。
女装して活躍したけれど、根っからの女装好きだったらしく、晩年はイギリスで
くらしたけれど、死ぬまで女装だったそうです。
おかげで、死後、遺言状は「自分を女と考えている男は精神異常者である」とかで、
裁判所で破棄されたそうな。
>>166 ジャルジェ将軍は、オスカルの父親のモデルです。
アマノウヅメさんこの頃あまりお見かけしないような.....
ざっとスレを読んで誰もかいていないのが
Mary the Qween of Scots だとおうもうが。
なにしろ生後9か月でスコットランド女王ですから。
女性としては最年少の当主なのではないか。
ちなみにこんなサイトも(英語ですが + 音楽音量大きすぎ)
http://www.marie-stuart.co.uk/
170 :
世界@名無史さん :03/05/27 21:51
>デオンの騎士 女装を命じたのはマリー・アントワネットだという説もありますが。 ロシアのエリザベート女帝にも可愛がられたようですね。 女傑とオカマは相性がなかなかよろし。
171 :
世界@名無史さん :03/05/28 12:58
デオンの騎士はルイ15世のころから活躍していたよ。 優秀な外交官で剣の達人だったらしい。
172 :
”管理”人 :03/05/28 12:58
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174 :
世界@名無史さん :03/05/30 03:03
ゴールデンバウム王朝最後の皇帝は女帝だったな。
平安時代の日本では女子が財産を相続していたと聞いたが? 男は女のところに通いつめてっていう恋愛話が多いのも納得できる。
176 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/30 17:07
平盛子が夫であった摂政藤原基実の財産を相続出来たのは跡取り(夫が別の女性 との間に設けていた基通)の後見人になって管理し、摂政を継いだ基実の弟基房に はいくばくかを相続させたため。実質的には盛子の父清盛の管理下におかれたわけ ですが、言い換えればそうでもしないと相続出来なかったという事では。 もっともこれは未亡人の話ですが、女子が中心となって継いでいたというのは初 耳です。平安時代の貴族の結婚制度は基本的に婿入り(のようなもの)。付き合 う女性が男性の出世を決める事もあり、女性の実家は夫に対する援助を惜しみ ませんでした。ところで通いつめても何も当時は通い婚・恋愛が中心では。
177 :
世界@名無史さん :03/05/31 19:27
リ朝(ベトナム)最後の君主、昭皇は7歳の女帝。 最期は殺されたのか?
178 :
世界@名無史さん :03/05/31 19:33
平安時代でも、摂関期と院政期では母系社会から父系社会へ変わったから違うと思うけど。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
181 :
世界@名無史さん :03/10/04 10:14
〉〉155 犯して自分の女にする 結婚 とかで操りました
182 :
世界@名無史さん :03/10/05 10:48
スコットランド女王メアリースチュアート
岩村城遠山景任夫人。信長の叔母。
忍城成田氏長夫人、太田氏。 マヤ姫萌え。
185 :
アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/10/09 10:54
フランスの女領主というとルイ14世の従姉のグラン・マドモワゼルことオルレアン女工が まだ出ていないような。 ルイ14世は愛妾に公爵領や侯爵領を与えています。 ラ・ヴァリエール女候、フォンタンジュ女公は未婚のままだし、マントノン夫人は スキャロンの未亡人でマントノン侯爵領は自分が貰った物。
186 :
世界@名無史さん :03/10/09 12:19
ルフ゛ランにもでてた
187 :
世界@名無史さん :03/10/09 14:35
スレタイとはちょっと違うんだけど、質問させてくださいな。 公爵、伯爵、子爵って貴族の階層ってありますね。 それはわかるんですけど、よく出てくる大公とか国公ってどういう地位なんでしょう。 爵位とはまた別なんでしょうか? 皇帝の血族かなんかでしょうか?
188 :
世界@名無史さん :03/10/09 17:26
オーストリアもたしか女帝がいたはず。
189 :
世界@名無史さん :03/10/09 17:35
マリア・テレジア
>>185 >フランスの女領主というとルイ14世の従姉のグラン・マドモワゼルことオルレアン女工が
>まだ出ていないような。
オルレアン女工哀史ですか。
>187 「大公」って言っても二種類あって、英語だと Grand Duke と Archduke。 Grand Duke は単に、公の一個上の位ということ。 Archdukeはハプスブルク家のルドルフ四世が自称したのが始まりで、ハプスブルク専用。 何かの本(題名忘却。たしか講談社新書)に顛末が書いてあったんだけど、笑えた。 皇帝の勅書を偽造したけど、一発でばれたとかそういうエピソードがあったと思う。
193 :
世界@名無史さん :03/11/05 23:36
age
194 :
世界@名無史さん :03/11/14 21:31
グランド・マドモワゼルはフロンドの乱で国王軍に大砲をぶっ放す女傑だったとか。
195 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :03/11/15 00:53
>188 ハンガリー女王ですが皇帝にはなっておられません。 この界隈で女性君主というと ハンガリーとポーランド王だったアンジュー家のラヨシュ1世 の息女ヤドヴィガがポーランド王位にマリアがハンガリー王位 についています。お二人とも若くして亡くなってしまい、ご亭 主(ヤゲヴォとジギスムント)が王位についています。
196 :
世界@名無史さん :03/11/16 10:05
>>177 陳朝の初代・太宗の妃となりましたが、李朝一族を根絶やしにすると家臣に払い下げられたようです。
>>165 ところで、年配の方がブルボン王朝をルイ王朝と呼ぶのは
小説斜陽が原因らしいというのはほんとうかどうかさっぱりわからん?
198 :
世界@名無しさん :03/11/18 20:30
199 :
世界@名無しさん :03/11/18 20:32
ブルボンて苗字どんなときに使ってたんだ? いまじゃフランスのブルボン家は絶えてしまったわけだが。
200 :
世界@名無しさん :03/11/18 20:43
>>198 お江の方は三代将軍家光のご生母様だったからじゃないか
ところでヨーロッパの女領主は、どういう手続きで処女権を行使したんでしょうか?
203 :
世界@名無史さん :03/12/22 12:38
税金取るだけだから、関係なかったんじゃ。
204 :
世界@名無史さん :03/12/22 12:44
今のフランスに女侯爵は健在か?
>>203 いや、花婿が領主から処女権を買い取る、という形式をとったと聞いたので、
女領主はどういう手続きを取ったのかな、と。
206 :
世界@名無史さん :03/12/23 01:11
>>165 、168
かなり遅レスですが、ミシュレの「フランス革命」には、バスティーユ襲撃を指揮した将校は
女性のように美しい金髪の将校だった 、という記載があった記憶があります。
(間違いだったらすまん)。これがオスカルのモデルの一部を構成していたことは
間違いあるまい。
>>202 「処女権ではなくて初夜権」とつっこんでみる。通常は、伝説で、実質、結婚税。
無論、幻想の世界に浸りたいのならばとめんが。
208 :
世界@名無史さん :03/12/23 01:36
>>207 実際に初夜権が行使された例って無かったよね?確か。
>>207 あ、本当だ。恥ずかしい。>初夜権
いや、実質的には結婚税であったことは知っています。
ただ、手続きとして、花婿が領主から初夜権を買い取る、という形式を取っていたと聞きます。
では女領主の場合はどのような形式を取ったのだろうか、と思いまして。
やはり差は無かったのでしょうか?
エジプトの女王ニトクリスは?
ニトクリス!あれって実在の人物なんですか?
212 :
世界@名無史さん :03/12/26 00:03
流石にネタだろ…ハトシェプストあたりがモデルなんだろうけどさ。
と言うか、よもやこの板でニトクリスの名前を見ようとは…
214 :
世界@名無史さん :03/12/27 22:01
アキテーヌ女公はどういうもんだったんだろ。
フランスはカトリック国ですが、王には正式に、愛人のような女性がいました。寵姫(フランス語、英語でなんというか知りませんが)といいます。 ただ、正式といってもいろいろな意味があるとは思います。 カトリックとしてどう説明していたか、疑問ですが、たとえば、映画クレーブの奥方にも出てきます。 寵愛がある間は、彼女はそれなりに影響力を行使できる立場であったと思いますが。 映画では、王が不慮の死を迎えた途端、身を引かなければならないようでしたが。そういうもんであったのかもしれません。 後のポンパドール夫人や、マントノン夫人が、寵姫についたかどうかよくわかりませんけど、立場としては同じものと思います。ポンパドール夫人はブルジョア出身(帯剣貴族ではないし、新貴族でもない)と思いますが、 その後、素性の怪しい女性が王の寵愛を受ける立場になるに及んで、王の権威は落ちたようですね。 美人で気が利けば、だれでもよいから、王に提供し、自らの立場を優位にしようという、悪臣がいたということでしょうか。
217 :
世界@名無史さん :03/12/27 23:05
ポンパドール侯爵夫人は、ただしくは、女侯爵ではないかな。 仏語や英語ではそこんとこキチンと区別しないからね。 第一、王とのしての地位だって、Queenでは、女王か王妃かわかんねーよ。 もう遅いよ、おやすみ。
219 :
世界@名無史さん :03/12/28 05:00
だな。 この板の住人にしちゃ知識がいいかげんだ。 >ポンパドール夫人や、マントノン夫人が、寵姫についたかどうかよくわかりませんけど どこの素人だよ (プ 横ついでに質問(俺も素人なのでな) 日本語では誰かのの夫人としてではなく自らの権利で爵位を称す場合, たとえば「○○公爵夫人」ではなく「○○女公爵」と訳されるわけだが, 正しくは「○○公爵領の女領主」とでも訳すべきだ,という事を読んだことがある。 それって,女公爵は自分の領地では男の領主と同様の権利を持つが, 宮廷に対しては公爵としての立場で何かを要求することはできないって感じの 理解であってるのかな? 詳しい方,ご教授キボンヌ
220 :
世界@名無史さん :04/01/10 21:34
マリアテレジアの王位継承について質問です。 父が国事詔書で、なんとかしたつもりが結局オーストリア継承戦争となったということまでは知っています。 また、女子の相続にサリカ法が絡んでいたとかも聞きかじりです。 父のカールは、今回限りで娘の特例を、としたんでしょうか。サリカ法の女子相続に件だけ、今後は廃止にしたんでしょうか。
続けてもうひとつ質問なんですが。 継承権で問題になったのは、オーストリア大公位ですか。オーストリア皇帝位ですか。 実質的にどうでも良いようですか、知りたいです。 それとなんですが、ボヘミア王位(サリカ法関係しそうですね)、シレジア候位はどうですか。 さらにハンガリー王位(クロアチア王位)とかも。 これらも、女子の継承の問題で実は引っかかっていたのでしょうか。
222 :
世界@名無史さん :04/01/11 14:04
>221 全然どうでも良くないですよ。オーストリア“帝国”と名乗ったのは マリア・テレジアの孫のフランツ二世(オーストリア帝国皇帝としては一世)です。 それまでのハプスブルク家の帝冠は神聖ローマ帝国のものでした。 神聖ローマ皇帝には男しか選出されないので、カール六世の思惑としては オーストリア大公領を始めとする家領を自分の娘であるマリア・テレジアに継承させて 皇帝位には夫であるフランツ・ロートリンゲンが付くという形になっていました。 国事詔書はハプスブルクの家法で継承権が認められていなかった女性を継承者として認める事 分割相続が原則だったものを一括して相続するものと定めたのが骨子です。 サリカ法はゲルマンの古法なので、そもそもが非ゲルマン国家であるボヘミアやハンガリーには適用されないし シレジアについては確か公爵領だったと思うのですが、以前にブランデンブルク選帝侯と他家が領有権を主張して 争ったのを、時の皇帝が裁定をするフリをしてハプスブルクの領土としたものです。 プロイセン王の領有権主張はこれに対する実力行使だったので、これもサリカ法は関係ありません。 ただハプスブルク家はスイス出身の古い家柄だったので、サリカ法がほとんど慣習とは言え 存続していたのは確かだと思います。
223 :
世界@名無史さん :04/01/13 20:28
ご丁寧な回答ありがとうございます。 にもかかわらず、さらに問い合わすようで恐縮なのですが、、、 結果としては、 オーストリア皇位は、フランツが就いて、マリアテレジアは皇妃ということでしょうか。 よく、女帝と書いているものがありますが、欧州語では、皇妃も女帝も表記では区別がないので、 正しくは、彼女は、皇妃(帝妃)ということでしょうか。 ちなみに、婿殿に継がすというわけですが、皇帝位は、一応選挙ですから、 サリカ法とか関係なかったかと書きながら思いましたが、どうでしょうか。 ボヘミア王位、ハンガリー王位、クロアチア王位ですが、 これは彼女が継いだということで、 女王となったということでしょうか(王妃ではなく)。 可能性としては、彼女が女王に、夫君が王にということも考えられますが (カスチラのフェルディナンドX=カトリック両王の夫の方、 イギリスのウイリアムV=名誉革命で王位に就いた)、 マリアテレジアの場合は、彼女が単独で王位(女王)になり、 フランツは、王婿殿下(エジンバラ公みたいなもの)だったでしょうか。 オーストリア大公位は、サリカ法の特例で、彼女が女大公になり、 フランツが、単なる夫(大公婿殿下?)になったんでしょうか。 以上、自分なりに整理しましたが、あっていますでしょうか。
特例って、サリカ法典はフィリップ五世がマルグリットの娘ジャンヌにフランス王位を 継がせないために、無理やり引っ張ってきた部族法だろ?
女の子じゃねえのばかりだ。 おばさんはどうでもいい
>223 まずオーストリア皇位というのはまだ存在していません。 フランツ2世が神聖ローマ皇帝位から退位して、オーストリア皇帝フランツ1世と というわけで神聖ローマ皇帝はフランツ1世でマリア・テレジアがオーストリア大公です。 フランツもマリアと結婚した際に、大公位を与えられていると思いますが これはオーストリアの君主を表す位ではなく、ハプスブルク家の一員としてのものです。 神聖ローマ皇帝が男の即位しか認めない理由は、私もあまり詳しくないのですが サリカ法というよりは、彼岸の最高権力者である教皇が男の中からしか選ばれなかったからでは? 神聖ローマ皇帝は俗世の最高権力者という位置づけだったので。 そんなわけで、マリア・テレジアはあくまで“帝妃”の筈なんですが、実際の政治は彼女が切り盛り していたので女帝というニュアンスの方が合っているような気がします。(笑) 実際にフランツ1世が亡くなって、二人の息子が帝位を継ぐと彼女は帝妃では無くなりました。 >ボヘミア王位、ハンガリー王位、クロアチア王位 この頃、クロアチアは王国ではありません。 確かそれより前にハンガリー王国に吸収されてしまっていたと思います。 ボヘミア王位はハンガリー王位に付随するというのが慣習で、いずれも女子継承に 問題が無かったので、マリア・テレジア単独で王位についている筈です。 フランツはマリア・テレジアとの結婚の際にトスカナ大公領を与えられていて こちらの経営に専念していました。 ちなみにレヴァンテ・ターレルというマリア・テレジアを冠した著名なコインには 他にブルゴーニュ公、チロル伯なんかのタイトルが書いてありますね。 そもそもサリカ法って百年戦争の時でさえいいがかりのよう使われ方をしてるので (詳しくは知りませんが、女子継承権の否定の他には条文があるようなので) あんまりサリカ法に厳格になる必要は無いと思います。 しかし確かに女領主というと若くて美人でないといけないような気がしますね。(笑)
ちょっと訂正を。 フランツ2世が神聖ローマ皇帝位から退位して、オーストリア皇帝フランツ1世と というわけで神聖ローマ皇帝はフランツ1世でマリア・テレジアがオーストリア大公です。 ↓ フランツ2世が神聖ローマ皇帝位から退位して、オーストリア皇帝フランツ1世と 名乗るまではオーストリア大公であるハプスブルク家が神聖ローマ皇帝に選出されていました。 形式的には選挙ですが、カール5世が即位してからカール6世が亡くなるまでは 慣習的に世襲でした。 というわけで神聖ローマ皇帝はフランツ1世でマリア・テレジアがオーストリア大公です。 ニュアンスでいうとオーストリア大公であるハプスブルク家は代々、皇帝を選出したって事です。
>223 当時のヨーロッパには「皇帝=ローマ皇帝」という通念があった。 だからドイツ人もロシア人も「ローマ帝国の後継」を自称した。 んで、三十年戦争やらウェストファリア条約やらで神聖ローマ帝国がずたぼろになった後、 ナポレオンが皇帝を自称したのをまねて、ほとんど有名無実だった神聖ローマ皇帝フランツ二世が オーストリア皇帝を名乗った。(どちらも1804年)
>>226 すみません。神聖ローマ帝国皇帝に決まってますよね。 オーストリア皇帝ではありません。 なんて、馬鹿な間違いを。。 マリアテレジアですが、実質的には皇帝。 私も素人ながら、そんな気がします。 帝国の会議にも、帝妃ながら出席したのでしょうか。 あるいは、出席はできないながらも、影で影響力を発揮ですか。。 *** >フランツもマリアと結婚した際に、大公位を与えられていると思いますが >これはオーストリアの君主を表す位ではなく、ハプスブルク家の一員としてのものです イギリスは爵位は長男だけが継ぐが、ドイツは息子全員が名乗ってよい?と聞いたことがありますが、 そういう感じで、彼も大公になったんでしょうか。 >>その後のハプスブルク家は、ロートリンゲン家とは言わずに、 ハプスブルク・ロートリンゲン家ですね。普通はこんなことはしないのに、 なにか特別な取り決めが、あるいは、必要性が、あったんでしょうか。 (ロートリンゲン・ハプスブルク家と呼ぶわけでもないし、これも深い訳があるのでしょうか)
>帝国の会議には。 帝国議会には彼女は出席してないのではないでしょうか? あくまでも皇帝の配偶者という扱いですから。 しかし、基本方針は彼女と廷臣達で検討されていたと思いますが。 ハプスブルク家は帝位を失っていた時期に、自家が他の貴族よりも一段上にあると 主張して大公位を創設しました。その後の帝位独占から来る権威によって 国際的にも認められたわけですが、ハプスブルクの一員であればどんな傍系でも 生まれた瞬間に大公、または大公女になっていました。 他の国の大公とはつづりも違うので、日本語でも太公と区別する人もいます。 >その後のハプスブルク家は、ロートリンゲン家とは言わずに、ハプスブルク・ロートリンゲン家ですね。 女系とは言え、ハプスブルクの血統をヨーゼフ2世が継いでいるからです。 ちなみに現在の英国王室はウィンザー王朝ですが、チャールズ皇太子が即位すると 同じようにマウントバッテン・ウィンザー王朝に改名される事が決まっています。 ちょっとスレ違いなので、話題を提供しますね。 マクシミリアン1世の娘でネーデルラント総督を務めたマルガレーテはどうでしょう? フランスの陰謀や父親の結婚政策によって、三度の結婚と三度の離別を経験した美少女。 領主としても有能で、父親からネーデルラントを委託されると第二の黄金時代を築きます。 子供はいませんでしたが、兄の子を精神異常の義姉に代わって立派に育て上げただけでなく カールの皇帝選挙の時には参謀として陣頭指揮を執り、後にフランスとの戦争が泥沼になった時には フランス皇太子妃時の人脈を駆使して、和平への道を開いた女性です。 欠点が見当たらない位なのですが、二度目の結婚相手だったスペイン王位継承者は彼女に夢中になって 死んでしまったので、スペイン王国にとっては美しさがアダになったかも知れませんね。
231 :
世界@名無史さん :04/01/19 04:29
イギリスって、男女に関わらず長子相続だよね。
>230 「ハプスブルク・ロートリンゲン」は女系・男系の順 「マウントバッテン・ウィンザー」は男系・女系の順 何か法則や規則があるのかな。
233 :
世界@名無史さん :04/01/19 13:42
>231 違う。男子優先。 継承権の順に 男子(及びその子孫、以下同)>女子>王弟>王姉妹>王叔父>王伯叔母>・・・ 同順位内では長系優先。
オーストリア皇帝は、近年に別の形で僭称した。 初代オーストリア皇帝は、フランツ2世
235 :
世界@名無史さん :04/01/19 14:15
>>225 >おばさんはどうでもいい
生まれたときからおばさんなのではない、愛くるしい少女の時もあったのだ、すべてのおばさんは。
ロシアの女帝エカチェリーナ オーストリアのマリア=テレジワ イギリスのエリザベス1世 の3人が有名かな。エリザベスの姉 スコットランドの女王メアリー・スチュワート(エリザベスの従姉妹) エリザベス女王の姉も、メアリー女王だった。
「女」ではなく「女の子」だ。
ブルターニュ公国のアンヌ・ド・ブルターニュ
239 :
世界@名無史さん :04/02/07 22:52
>>238 それならブルゴーニュ公国のマリアもそうなりますね。
しかもこちらはかなりの美少女だったようですし。
ちなみに両方ともフランス王に略奪婚されそうになって
マクシミリアンに求婚の使者を送った事まで一緒ですね。
アンヌはフランス王に取られちゃいましたけど。
しかしマリアと家族の肖像画を見てみましたが・・・マリア以外は ほとんど人外の顔してましたよ。マリアは綺麗でしたが、他は肖像 画家が修正してあれとは。
241 :
世界@名無史さん :04/02/08 01:19
あたしじゃダメかな…
242 :
世界@名無史さん :04/02/08 02:11
形式的に帝位は継いだもののフランツはマリアテレジアに頭が上がらなかったらしい。
>240 でもそのマリアの娘が230でも上がっているマルガレーテ・フォン・エスターライヒ 母娘揃って美人の誉れも高い上にドラマチック。 もっともマルガレーテは小領主というには大物過ぎますが。
244 :
世界@名無史さん :04/02/08 09:24
スウェーデン女王クリスティナ(グスタフ・アドルフの娘) は5才で即位。30年戦争を戦った。
>>243 人生も萌えますね。フワンも夢中になるはずだわ。
アリエノール・ダキテーヌまだぁ?
>>244 少女というか幼女だヌ
これで美人だったらなぁ…………
>>246 もう三回も書き込まれているものをどうしろと。
>>248 リンクくらい張ってやれよ
気が利かないコテハンだな、コイツは
>249 検索の仕方はご存知でしょう。
アリエノール・ダキテーヌ繋がりでブルターニュ女伯アリックス。 在位は1203−1221年。 生年は不明だが即位時少女と言うより幼女だったらしい。一説では1200年生まれ。
10歳で即位したオランダ女王ウィルヘルミナ。
はぁはぁスレですね
254 :
世界@名無史さん :04/02/10 21:15
255 :
世界@名無史さん :04/02/11 23:28
儒教圏では女の当主はいなかったんですかね、やはり・・・
256 :
世界@名無史さん :04/02/12 00:29
風の谷のナウシカ
257 :
世界@名無史さん :04/02/12 00:39
, -‐` ' └-、_, _ _フ ,、、く ヽ. ` 、 _フ , , ,ィ ハ. } i i ヽ_ ..-‐- 、 ´7 , ∠ ィ/ jノ !'ハノ ! :冫 姫は私だけど、何か用? ノ / /. ‐_‐ ,. ‐ 7′ ′ 〉 、彡' r‐v1 '{゚_j` { ー' |} {:. } >‐ . . . .: .: .: .: l rヽ! . 〉 | 〉:_,... ヽ__ ,´ `Z..__,. .. .: .: .: .:cゝ_;..、 、 __ ! 7.: , ∠:__: : : : : : : :,;:_;jヽ、 ‐ / _ /.: ヽ ____,二ニニニ^'..⊥.-`‐:-...∠._ノ:::`::..、 f;:...__ O ヽ f´ r─‐-、 ,..イc¬、::::::::::::::;.- ‐`- _、:∠! `゙┤  ̄ ̄``'P′ ヽ ゝ- ‐'"′. . 、. .c_-`ーァ'" / , `ー‐--- 、,_ r __ l
259 :
世界@名無史さん :04/02/12 00:46
中国大陸の歴史上唯一の女帝ですね
260 :
世界@名無史さん :04/02/13 03:21
ラランランララランランラン・・・♪
あぼーん
262 :
世界@名無史さん :04/02/15 00:01
アザリン シーラ・ラパーナ
263 :
世界@名無史さん :04/02/15 10:17
エリザベータ・ペトロプナは出ました?
264 :
世界@名無史さん :04/02/15 13:31
ナウシカみたいな女帝きぼんぬ
あぼーん
266 :
世界@名無史さん :04/02/16 23:27
267 :
世界@名無史さん :04/02/17 01:02
ナウシカみたいに美貌で少女とか若いときに権力振るった女王っていないの? おばちゃん権力者はいっぱいいるけどどーでもいいから。
あぼーん
このスレには10代で家督を継いでいる女当主が一部コメントされています。
>>1 からよく読みましょうロリペドさん。
270 :
世界@名無史さん :04/02/20 00:32
ベトナムで一時女王になった徴姉妹はがいしゅつ?
271 :
世界@名無史さん :04/02/20 11:36
>>267 :世界@名無史さん :04/02/17 01:02
>ナウシカみたいに美貌で少女とか若いときに権力振るった女王っていないの?
>おばちゃん権力者はいっぱいいるけどどーでもいいから。
だから、アザリンとシーラ・ラパーナだって!
シーラ・ラパーナは何度も出るのに何故エレ・ハンムは出ないのか・・・
関係ないけど・・・漏れの家の初代当主は女性だよ。 16で当位を継いで、一介の百姓だった家をたった一代で豪農に。 そして当時の大名から数万石の土地と屋敷、武家の位を与えられた。 とても美しい容姿と聡明な頭脳を持っていたみたいで、我が家では カリスマ的存在。
274 :
世界@名無史さん :04/03/02 20:42
マリア=テレジア
275 :
世界@名無史さん :04/03/02 20:44
あれは「子」か?
276 :
世界@名無史さん :04/03/02 20:57
文京区立真砂図書館の川崎さん、かわいい。
壹与
278 :
世界@名無史さん :04/03/06 03:08
ノルウェーの少女、スコットランド女王マーガレットはどうかニャ。 1286年にスコットランド王アレクサンダー三世が死んで、王位を継いだニャ。 ノルウェー王に嫁いだアレクサンダー三世の娘のマーガレットの娘だニャ。 母マーガレットは1283年に死に、アレクサンダー三世の二人の息子は1281年と1284年に死んだせいで王位を継承する事になったニャ。 御歳、3歳だニャ。 6歳の時にイギリス王エドワード一世の息子のエドワードと婚約したニャ。 7歳の時にノルウェーからスコットランドへ向かう途中で死んでしまったニャ。 詳しくはこの本にあるニャ。 michael prestwich, edward I,london,1988,pp.358-362
279 :
世界@名無史さん :04/03/06 04:33
>>226 マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファンがトスカナ大公となったきっかけは、マリア・テレジアとの結婚ではありません。
彼の先祖伝来の領地であるロレーヌ公国が、ポーランド継承戦争の結果、前ポーランド王スタニスワフ(仏王ルイ15世の妃の父)に与えられた代償です。
もちろん、これはロレーヌがハプスブルク家領に組み込まれることを阻止すると同時に、ロレーヌを将来フランスに統合しようというフランス側の思惑によるものです。
そして、この数年前にメディチ家が断絶してトスカナが領主不在の地となっていたことをいいことに、この領地替えが行われました。
>>227 ついでにいえば、カール5世以前の神聖ローマ皇帝は、かならず教皇臨席のもとで皇帝としての戴冠式を行っていたが、カール5世の次のフェルディナント1世以降は、ドイツ王位の継承が自動的に神聖ローマ皇帝への即位と見なされるようになった。
280 :
世界@名無史さん :04/03/06 16:23
異朝の話がさかんなようだが、本朝において 「少女君主」と言えば、まずは江戸時代の明正天皇でしょ。 後水尾天皇が幕府への不満から突然退位したのを受けて 寛永7年に7歳で即位して、同20年20歳で退位。 74歳まで生きるが結婚歴はなく、おそらく生涯(ry 山田風太郎の「柳生十兵衛死す」に登場。退位後だけど。 石川賢のマンガではアニメ風の装甲をまとっていたがW
281 :
世界@名無史さん :04/03/06 18:02
282 :
世界@名無史さん :04/03/06 21:55
結局即位はしなかったけど、本朝では平安末期に八条院が女帝として即位する可能性があった。
283 :
世界@名無史さん :04/03/06 22:00
北周の静帝は8歳だった
284 :
世界@名無史さん :04/03/07 02:35
フェミおばさんたちもこぞって「奔放な恋愛自慢」やら「悪女自慢」やらをやる。
あれがキモくて仕方がない。女はあらゆる価値を感性の泥沼に引きずり下ろしてしまう。
女って、何書くにしても「私は嫌いだ」とか「気持ち悪い」とか感情でもの言いすぎなんだよ。
「女に文化的なものを任せたり入り込むのを許したりすると、どんどんレベルを
自分のところへ引き摺り下ろしていきろくなことがない」女は「ものごとを客観的に見る」ことが出来ないからダメ。
どうしても感情が先に立ってしまって、何を読んでもウザイ。女は文化的なこと全てから手を引いてほしい。
女は自己中なイキモノです。子宮でモノを考える・・・まさにソレだ。その場限りのご都合主義にうんざり。
結論
メス=肉便器のアホ
文学板での女性差別発言は圧巻ですよ。
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1078210049/
286 :
世界@名無史さん :04/03/07 20:21
>>278 >ドイツ王位の継承が自動的に神聖ローマ皇帝への即位・・・
教皇権との退潮に伴って、教皇による戴冠はカール五世で終わりを告げたせいもあって
ローマ王(ドイツ王)という職位が消滅したかのように思われていますが
ドイツ王、あるいはローマ王とローマ皇帝はなお、区別されていました。
皇帝の生存中に自らの子供をローマ王に推挙させるというこの方法によって
ハプスブルク家は男子がいなかったカール6世まで皇位を独占してきたわけですから。
慣習化したのは、このローマ王選出までのプロセスです。
もっともルードルフ2世からはお家騒動があったり、君主が急死したりで
このプロセスを踏めなかった場合も多々ありましたが。
例えばマリア・テレジアの息子であるヨーゼフ2世は1765年に皇帝位を継ぐ前年に
ローマ王に選出されています。
訂正
>278→
>>279 です。
ところで278であがっているマーガレットというと
確か船酔いが過ぎて死んだとか水死したとか、死にいわくがある人物でしたよね?
彼女が生きてスコットランドの地を生きて踏んでいたら、両国の連合が
もっと早くに実現していたかも知れませんね。
288 :
世界@名無史さん :04/03/07 20:58
>>287 両国というのは、スコットランドとイングランドを指す解していいのでしょうか?
289 :
世界@名無史さん :04/03/08 00:48
>>287 そうかもニャ。スコットランドとイングランドの連合が早まったかもしれないニャ。
だけど、スコットランド諸候は納得しなかった可能性が大きいように思うので直ぐに連合、というわけには行かなかったかな、とも思います。
それでも、マーガレットが生きていればエドワード二世にとってはよりよい結果になったかもしれません。
マーガレットが死んだせいでフランスの雌狼とか言われたイザベラと結婚する事となり、最後はイザベラの反乱で廃位されてますから。
あ、だけどマーガレットだとしても、エドワード二世の同性愛にうんざりして反乱を起こすかもしれないニャ。
>>288 仰る通り、両国とはイングランドとスコットランドです。
曖昧な表現で申し訳ありませんでした。
さすがに北海帝国の再現、なんて事にはならないでしょうね、やっぱり。
>>289 確かにその後の内乱を考えると、直ぐにって事はないでしょうけど
血の正当性はエドワード2世に間違い無くあるわけですし
第一にスコットランドの諸侯が一致団結してイングランドに対抗するっていう
構図があんまり予想できないような気も・・・。(笑)
同性愛と悲惨な最後で有名なエドワード2世ですけど、幼いマーガレットと
結婚していたら同性愛ではなく、健全(?)な性生活を送れていたのかも知れません。
291 :
世界@名無史さん :04/03/08 02:49
それ以前に、もしエドワード2世がイザベラと結婚していなければ、英仏百年戦争は起こらない可能性が高い(or仮にもし起こっても史実とはかなり違った形になる)と思う。
292 :
世界@名無史さん :04/03/08 17:16
>>291 逆にフランスがイングランドとスコットランドの内紛に介入するかも知れませんね。
フランスはスコットランドとの『古い同盟』が破られるのを脅威に思うでしょうし
スコットランドの諸侯がフランスに援助を求めない事は無いでしょうから。
もしかしたら百年戦争で荒廃するのはイングランドになるかもしれませんね。
IF話がお嫌いな方には申し訳ありませんでした。
293 :
世界@名無史さん :04/03/08 18:43
>>287 名前:286 :04/03/07 20:32
>ところで278であがっているマーガレットというと
>確か船酔いが過ぎて死んだとか水死したとか、死にいわくがある人物でしたよね?
>彼女が生きてスコットランドの地を生きて踏んでいたら、両国の連合が
>もっと早くに実現していたかも知れませんね。
一説では、当時ノルウェー王領だったオークニー諸島で、
乳母によってドイツ貴族に売られて、召使仕事をさせられて
いた。18歳になって脱走して、ベルゲンに現れたが、
「偽者」だとして、「兄」にあたる王によって処刑された。
私は、これは本物だったんじゃないかと思うが、いずれにしても
不幸な少女だったのは間違いないだろう。
294 :
世界@名無史さん :04/03/09 01:48
>>290 たしかに、そうだニャ。
マーガレットと婚約した時にエドワードは6歳だったから、まだ同性愛に目覚めていないかもしれませんね。
スコットランドではエドワード一世の侵攻に対して団結する事ができなかったくらいですから、マーガレットが生きてたら、より一層バラバラになってしまうかも。
>>291 百年戦争のイフについては、我が輩には知識が不足していて何とも言えないニャ。
原因は血統の問題だけではなく、なにやら入り組んでいるみたいですから。
百年戦争スレで聞くといいかも。
>>293 面白い話だニャ。
「ノルウェーの少女」、通り名からして、何かはかなげで不幸が漂う感じがしますから、この話って妙に合ってるような気がします。
でも、ディズニーなんかが好みそうなおとぎ話にはなりそうにないニャ。
295 :
世界@名無史さん :04/03/09 02:08
>>293 オークニー諸島ってノルウェー領だったんですか?
296 :
世界@名無史さん :04/03/09 02:34
そういえば、フェロー諸島はなんでデンマーク領なんだ? 地理的には、イギリス(スコットランド)領であってもおかしくないと思うのだが。
297 :
世界@名無史さん :04/03/09 04:18
298 :
世界@名無史さん :04/03/10 00:44
>>295 オークニー諸島や、ヘブリディーズ諸島、シェトランド
諸島などは13世紀頃まではノルウェー領でした。
1098年にはノルウェー王マグヌスがこれらの島々の支配権を確立していたようです。
ヘブリディーズ諸島は1266年のパース条約で金銭によって支配権が委譲され
オークニー、シェトランドについてはデンマーク王女マルガレットと
スコットランド国王ジェイムズ3世との婚姻の持参金の抵当として譲られました。
その後、デンマーク王が金を支払わなかったので、両島は1472年に正式に編入されました。
また
>>296 で挙げられているフェロー諸島も元々、ノルウェー領でしたが
こちらはデンマークとの連合、離脱の際に譲られた様です。
地理的には確かにイギリス領のような印象ですが、卓越した航海者だったヴァイキングには
関係無かったようですね。
299 :
世界@名無史さん :04/03/10 16:36
| r──- 、_ l
i ,. -''"ヽ / `''ー-、 /
ヽ , ‐'" \ / `''‐-'、
,>" ,`=゙--r--、、..,,_ / わらわがなぜこんな扱いを…
\ ,,.. r‐''i"、、ヾ,ヾ、'r:ェ; 、,ヾ'‐-、_ / 不敬であるぞ!!
\,.r '"i l|r'').、ヾい、ゝ'l /::::::',ヾヽ\i ヽ、 /
`|'lヾ,i,{ l:::::ヾ ` l::::::::::l !iヽ, ト;ヽ/
http://www.geocities.jp/majesty_tan/ | |iト, i ヽ:::::l `ー'゙ |i| l |Lノ i
||i |ハ,| `" 、 //// |l| i lー''i゙l
!i'| | ヽ, //// ─( /i ノノl | | ||、
// | | | l `'i:; 、_ ,.‐'" i-'-Ll l |!ヽ
'' ノi| i | l | |! i`,=コ"´ ,. ‐''"´ )|| i|\
ノノノ'|l |i 、‐''"``''''''''"´ ``i| トヾ
スフォルツァは塩野小説のとおりだと美人で萌えそうですな。性格はガツガツしてそうだけど。 征服したチェーザレとふたりで数日ヒキコ・・世論沸騰ってのがワロタ
302 :
世界@名無史さん :04/04/04 04:27
>>295 :世界@名無史さん :04/03/09 02:08
>オークニー諸島ってノルウェー領だったんですか?
中世の話だから、領土というのは国家のものじゃなくて、
国王や領主のものだから、王領というのが正しい。
303 :
世界@名無史さん :04/04/04 04:40
第二次世界大戦中にイギリスはフェロー諸島を占領していたような・・・。
304 :
世界@名無史さん :04/05/15 03:02
シバの女王 ビルキスは? 前10世紀、15歳で 4人の異母兄を殺して即位。 美貌、独身の彼女は香料を全身にまとって エルサレムのソロモンを訪問した。 彼女は2週間滞在し 「ソロモン王は彼女の望みにまかせて、す べ て その求めるものを贈った」 帰国したビルキスは 9ヶ月後男子メネリケを産んだ。 メネリケはエチオピア王朝の創始者となった。
305 :
世界@名無史さん :04/05/16 00:14
ソロモン当時のイスラエルはせいぜい軍閥程度の勢力だったと 読んだ事があるんですが、実際はどんなもんだったんでしょうね? クレオパトラもそうですが、一国の権力者に裸一貫で迫られたら そりゃ、イカれてしまうような気がしますねぇ。(笑)
どうでもいいが、ソロモンと会った時のビルキスは処女だったんだろうか? 十五歳で即位ってのが微妙だな。 クレオパトラはカエサルと会った時点で、十中八九処女ではないと思うが。
>>306 こういうのは処女じゃないほうがいいんじゃね?
308 :
世界@名無史さん :04/05/23 13:58
メアリー・ステュアート以前のスコットランドに女王っていたっけ?
>>308 アレグザンダー3世の孫娘 マーガレット(1283?-1290 在位1286-1290)
310 :
世界@名無史さん :04/06/15 04:50
北欧には、カルマル同盟のマルグレーテ1世以前に女王っていますか?
ざっと見た限りでは、北欧三国ではいないと思った。
312 :
世界@名無史さん :04/06/17 03:49
カルマル同盟離脱後のスウェーデンは、女王がかなりいたと思うのですが、全部で何人くらいですか?
313 :
世界@名無史さん :04/06/17 06:31
クレオパトラは夫(弟)と共に即位してるから処女のはずはないでしょ プトレマイオス朝は王家の高貴性を保つために兄弟姉妹婚を繰り返してる
実際は兄弟姉妹婚の場合、夫婦それぞれに愛人がいてその子供が王子・王女となったらしい。
315 :
世界@名無史さん :04/06/17 11:58
実際に領主をしていなくとも、名目上の領主で女性は多い。 有名なところで、ポンパドゥール伯爵夫人。 ルイ15世からポンパドゥール伯領を与えられ、堂々と宮廷に入った。 まあ、領地は爵位のおまけみたいなものという例。
316 :
世界@名無史さん :04/06/17 12:00
ポンパドゥール夫人の様に、爵位のおまけというような形で 領地を得た人は多い。
>>312 2人。
クリスチーナ(在位1632〜1654)
ウルリカ・エレオノーラ(在位1718〜1720)
318 :
世界@名無史さん :04/06/19 16:08
>>315 ポンパドゥールって伯爵じゃなくて侯爵夫人では?
イスラム圏のスルタンでは マムルーク朝(エジプト)のシャジャル・アッドゥール以外 誰かいますか?
320 :
世界@名無史さん :04/07/14 01:04
ファーティマ
ファティマはスルタンでもなんでもねーだろ。
322 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/14 01:10
奴隷王朝のラズィーヤ。
323 :
世界@名無史さん :04/07/14 01:47
日本の女帝が即位するときの礼装ってどういう感じなんですか? まさか十二単じゃないですよね、衣冠束帯ですか?
324 :
世界@名無史さん :04/07/14 02:18
十二単だろ。
325 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/14 21:09
十二単は俗称ですが・・・女房装束というやつでしょう。 ハレの場には領巾と裙帯を加え、髪上げして釵子を挿したようです。唐装束、 或いは物の具と呼ばれました。 明正天皇や後桜町天皇は近世の方々ですが、おおよそこんなものかと。
326 :
世界@名無史さん :04/07/16 23:14
絶世の美少女領主といえば シルバーランドのサファイヤ姫 お忘れではありませんか クラリス姫は二番目だな
327 :
世界@名無史さん :04/07/16 23:17
サファイヤは性同一性障害
328 :
世界@名無史さん :04/07/22 22:34
もし、愛子様が17歳ぐらいの時に即位したら面白いね。 取りあえず摂政として秋篠宮に公務は任せるとして。
329 :
世界@名無史さん :04/07/23 04:43
330 :
世界@名無史さん :04/07/23 20:01
スペインやポルトガルの女王様方が出てこないですね。 残酷王ペドロ1世の娘コンスタンスは、父の死に伴う政変で イギリスに亡命した後も、カスティリヤ女王の称号を持っていたし、 カスティリヤ女王イサベル、娘の狂女王ホアナ、 スペイン女王イサベル2世、 ポルトガル女王マリア1世、マリア2世…。 イサベル・ホアナ母娘以外は余り有名じゃないからかな? ところで一つ質問なのですが、スペイン・ポルトガルの王位継承には サリカ法は適用されなかったんですか? ブルボン王朝時代にも女王が出ているのが、一寸不思議です。
そもそもサリカ法典をむりやり引用したのはフランス王国なわけで
>>330 サリカ法典はフランク人(サリ族)の法、スペイン・ポルトガルは西ゴート族の末裔なわけで。
西ゴートの法は西ゴート法典。
インド奴隷王朝はムィッズィー朝の5代目女スルタン ラディーヤ(1236〜1240)
この人もまた男勝りな男装の麗人だったそうだが、エチオピア人奴隷との不謹慎な
仲を疑われて廃位されたという。その後、とある土侯と手を結んで政権奪還を狙うが、
敗死した、と。
イベリア半島のカトリック諸国の祖であるアストゥリアスが、初代国王のあと女系で相続してるんですよね……。 山川の世界各国史では、アストゥリアスやカンタブリアの女系的社会の影響があったようなことが書かれてます。
334 :
世界@名無史さん :04/07/24 00:50
>>329 しかし、国民の総意としては女の子とはいえ直系長子の愛子様のほうが
即位を願う声がひときわ大きいと思う。
だからこそ皇室典範の見直し云々という議論さえ出ているんですよ。
ちなみに私的には誠に勝手ながら10代での即位を願っています。
>>330 レオン=カスティリャ女王のウラーカ(Urraca)(在1109-26)とか。
>>334 女帝を認めるにしても、年齢順なら
今上→皇太子→秋篠宮→眞子内親王
だろう。敬宮の出番はなさそうに思う。
目一杯傍系な現皇室が今更直系にこだわっても仕方がない。
たとえ傍系でも、もし高円宮あたりに男子があれば、
皇室典範の見直しなんて話は出てないと思う。
断絶の危機だから仕方なくって感じじゃないのか。
337 :
世界@名無史さん :04/07/25 01:43
>>336 例えば十七年ほど後、帝と皇太子殿下が何らかの原因で不遇なれど
お隠れあそばされた場合、愛子様の立場はどうであろうか?
既に健やかにご成長された愛子様を尻目にそれでも秋篠宮殿下を
帝位に就かせることを国民世論は許すだろうか?
そもそも天皇を日本国民の象徴として考えた場合、
年取った髭のおっさんよりも若さみなぎる少女のほうが良いと思うのは私だけだろうか?
しかし、公務全てを愛子様がこなすには無理があるので秋篠宮殿下は摂政として補佐に徹して頂きたい。
いくら過疎化しているとはいえ、ここは世界史板ですよ?
>>337 どうして敬宮殿下と言わない。愛子様とはまた不敬な。
皇室敬愛派に見せかけている割に、バランスが変だ。
まあ、17年後の秋篠宮を年取った髭のおっさん
呼ばわりしてる時点で不敬だが。
340 :
世界@名無史さん :04/07/25 02:33
>>339 お名前でお呼びするのはそれだけ親しみを込めているからこそです。
かつてマスコミが皇太子殿下を「なるちゃん」とお呼びしたようにね。
或いは紀宮内親王殿下を「サーヤさま」皇后陛下を「美智子さま」とお呼びするようにね。
内廷の方々の場合、お若い頃はみんな下のお名前でお呼びするのが普通なんですよ。
秋篠宮殿下におっさん呼ばわりは不敬でしたが、三笠宮寛仁殿下なども「髭の殿下」などとお呼びするじゃないですか。
すべては愛着を込めてこそです。
341 :
世界@名無史さん :04/07/25 02:37
敬宮愛子内親王殿下とお呼びするのが正式ですな。
>>340 >お名前でお呼びするのはそれだけ親しみを込めているからこそです。
それを不敬という。敬愛してるんなら気安く諱を口にするな。
それに、髭の「殿下」と髭の「おっさん」では全然違うだろ。
マスコミは皇太后すら皇太后様と言ってたからな。無茶苦茶だ。
343 :
世界@名無史さん :04/07/25 02:51
>>330 スペインの女王について。
トラスタラマ朝のイサベル1世とフアナについては、いずれも夫に当たる人物との共同統治という形をとっています。
カスティリャ女王イサベル1世の夫は、カスティリャ王フェルナンド5世(アラゴン王フェルナンド2世)であり、
その娘であるカスティリャ女王フアナの夫は、カスティリャ王フェリペ1世(オーストリア大公フィリップ。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の嫡子)です。
さらに、その子供であるカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)から、スペインのハプスブルク朝が始まるのは、いうまでもないでしょう。
また、ブルボン朝のイサベル2世についてですが、彼女は夫もブルボン家の一族なので、それ以前と以後のスペイン王家は、結局男系でも繋がるのです。
344 :
世界@名無史さん :04/07/25 02:55
>>342 そういえば、愛子内親王殿下がお生まれになったときに、マスコミが無礼にも「女児誕生」などと書いていた。
どうして「内親王ご誕生」と正しくいうことができないのだろうか?
あと、高円宮殿下が亡くなられたときにも、「薨去」というべきところを「逝去」と書いていた無礼なマスコミのいかに多かったことか・・・。
いや、もう古館あたりは「平成天皇」ですからね。 特別に強い悪意もなしに言ってしまっているところが。。
自分たち以上の権力/権威なんぞ、認めたくも無いんでしょ。 マスゴミさまにあらせられてわ。
347 :
世界@名無史さん :04/07/25 14:35
>>330 ポルトガルのマリア1世は即位のときは40過ぎのおばはん
だから、「女の子」という定義に当てはまらない。
マリア2世(マリア・ダ・グロリア)はブラジル生まれ、
いったん7歳で即位したが、ブラジルからポルトガルに行
く前に叔父に位を奪われ、叔父軍と内戦になって、
15歳で再度即位した。内戦中は、英国にも長く滞在して、
あのヴィクトリア女王と同じ歳であることから、王女時代の
ヴィクトリアともそれなりに親交があった。
ただヴィクトリアよりは美人だったが、ヴィクトリアと違って
おつむはあまりよくなかったのと精神的にも幼稚だったため、
即位後は軍人政治家に翻弄されて傀儡。ただ、鬼のように
子供はたくさん生んだらしい。
ポルトガルの少女の君主としては、ほかにベアトリス[1372-1409、
在位1383-84]がいる。
ただ、内戦だったので、女王とみなさないこともある。
348 :
世界@名無史さん :04/07/25 14:37
>>330 スペインのイザベル2世も、ポルトガルのマリア2世より11歳年下
で、時代も同じなら、状況も似ている。
3歳で即位して、母が摂政として実権を握る。10歳のとき
クーデターで軍人エスパルテロが実権を握り、さらに13歳の
ときにナルバエスのクーデターで「成人親政」を宣言を宣言
されるが、結局ずっと傀儡に終わった。
ほかに、Yahoo Japan掲示板の次も参照のこと、一時、
イサベル2世、ポーランドのヤドヴィガ関係で書き込んだことも
ある。
ーム > 芸術と人文 > 歴史 > 世界史 > 女性の主権者ってどんな人がいます?
それをまとめた
ttp://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/reina/index-1.html も有用。
>>346 権威云々以前に、天皇や皇室に対しての正しい敬語を知らない。
(まあ、私も人のこと言えないが。学校で習ったおぼえもないし。)
>>349 いや、マスコミは「知らない」のではなく、「使わない」のでしょう。
「敬語を使ってはいけない」と言うガイドラインがあるという話ですから。
それによると
>>337 の呼び方が正しく
>>341 は間違っていることになるらしいです…
失礼しました。正確には 帝×→天皇陛下○ 皇太子殿下○(「皇太子さま」の方が好ましい) 秋篠宮殿下○(「秋篠宮さま」の方が好ましい) 敬宮愛子内親王殿下×→愛子さま○(「愛子様」ではないらしい) とのことです。いったいどんな基準なのでしょうか?
必要以上に堅苦しくならないように、
国民が親しめるように、といった程度の配慮でしょう。
そもそも宮内庁担当記者がいて宮内庁監修賛助の番組作ってるマスコミが
「権威を認めない」だの「敬語をしらない」だの、
本気で言ってるなら
>>346 >>349 はモノホンのアホ。
353 :
世界@名無史さん :04/08/11 02:14
メアリー・ステュアート
_ ___ , -_'_ ____ ヽ, /- ' _ ____ ̄ ` 、___ _/, - ' ~  ̄ --!、 / / , -‐'"´ ̄ ̄ ̄ ``ヽ \\ / /爪 ヽ `ヽ、`ヽ、 \ ヽ´ ! ./ / !lヽヽ \ \ \ }!. ! .\_/ l l l ヽ ヽ、_弐_ --ヽ _ヽノノ! / /! ll__l ヽ-‐' "┴─` l/rヌ、ノ| / 眞子様が !l/fri刀 >'〉}ノ/ l ̄ 、 _ ,Lノノ |. , 視察に参られたようです ', ヽ'´ヽ / | 「|ヽ ヽ _ ノ ! ヽ、 ー' / .| | ト、 ノ i、___.;'``ー-ャァ' ´ _」、l.ト、 く _ ノ! ` ‐-ッ、 __ノ /==三三 ヽ ノ / }ム/==ニ三-ァ-─‐ヽ´ 」ll /O/ ニ, -'´ / , -'´!
>>352 >そもそも宮内庁担当記者がいて宮内庁監修賛助の番組作ってるマスコミが
>「権威を認めない」だの「敬語をしらない」だの、 本気で言ってるなら
権威はともかく、担当が監修受けて作ってるからと言って、その担当が敬語
を知ってることにはならんと思うが?
医療記事を書く担当記者はカルテのドイツ語読めなきゃいかんの?
きょうびのカルテはドイツ語なんかで書かれていません。 と、突っ込みを受けるに100エクレア。
357 :
世界@名無史さん :04/09/05 03:18
日本語です。
358 :
世界@名無史さん :04/09/07 00:38
>>1 >女の子が領主や一族の当主になったりすることって
>どの程度あったんですか?
そんなのいくらでもいたじゃん。
有名なところではイタリアのトスカナ女伯マティルダ。
ローマ法王の手先でローマ皇帝ハインリヒ4世の息子を手玉にとった悪女だな。
359 :
世界@名無史さん :04/09/20 21:36:21
クレオパトラ7世
ヨーロッパでは嫡男子がいなければ嫡女子が当主ですよね? メアリー・スュツアートには庶子の兄がいたけど、女王になった。 (庶子といっても母親は貴族の出)
ヨーロッパでひとくくりにしてはいけない。 フランス王家では、サリカ法典から強引に土地相続の部族法を取り入れ、女子系統には相続権が 生じないように立法化してしまっている。
>361 フランス以外と書くべきでした。
語弊があるかもしれないので、ひとつ付け加えるけど「王家」だけね。
364 :
白苺 ◆ONZAK87A0c :04/11/09 02:03:38
ファティマがNGということはアイシャも駄目か。
ゼノビア。 パルミュラの。
366 :
世界@名無史さん :04/12/28 13:13:04
淝
367 :
世界@名無史さん :04/12/29 00:46:33
>>343 カスティーリアは女子の王位継承権を認めている。
イサベル1世は、夫のアラゴン王太子フェルディナンドときわめて仲が良かったが
単独で即位している。フェルディナンドはなぜ共治にしてくれなかったんだ、と
苦情を言ったが、女王即位の時、夫がいればはじめから共治とすると将来禍根を残す、
といったので、賢明なフェルディナンドは納得したが、その心配は実現した。
唯一の王子ファンは結婚後半年で病死。妃のマルガレーテはまもなく死産して、
男系は消えた。
次の継承権者イサベルはポルトガル王妃で、アラゴンはサリカ法で女王を認めない。
夫婦で築き上げたこの大国を遠い親戚の馬鹿者などに渡してたまるか、というので
二人でアラゴン貴族を説得し、女王は認めないがアラゴン王の男の孫なら認める
という約束を取り決めた。
368 :
世界@名無史さん :04/12/29 00:47:28
ポルトガル王妃イサベルは男児を産んで死亡。 この孫息子は、カスティーリア、アラゴン、その他すべてのスペインとポルトガルの相続権を 持つが2歳で死亡。 次の継承者はカスティーリアは次女ファナ、アラゴンはファナの長男カールとなった。 ファナの夫ブルゴーニュ公フィリップは早速共治を希望してスペインに行き、急病で死亡。 このフィリップは能力は無いが野心家で、実は、アラゴン王フェルディナンドが毒殺したと いう説もある。 カール5世は祖父の死とともにアラゴン王となったが、カスティーリアでは、ファナが発狂 しながらも王位に在ったので正式には最後の2年間を除いて摂政王太子だった。
>次の継承権者イサベルはポルトガル王妃で、アラゴンはサリカ法で女王を認めない。 アラゴンって女王いたことあるのにね(笑 1132-64 ペトロニラ
370 :
世界@名無史さん :05/01/10 05:14:12
俺ん家の次の当主は女になりそうだな。。。
371 :
世界@名無史さん :05/01/22 22:18:03 0
360 :世界@名無史さん :04/10/02 09:13:23 ヨーロッパでは嫡男子がいなければ嫡女子が当主ですよね? メアリー・スュツアートには庶子の兄がいたけど、女王になった。 (庶子といっても母親は貴族の出) あ、そうですか。 庶子っていうけど、母親は正式な結婚をしていなかったわけですか。
372 :
爵位等の継承。 :05/01/22 22:31:24 0
モールバラ公爵家は、二代目は女性でした。初代に男の子が居なかったからです。 三代目は、彼女の息子がなりました。 現ノーサンバラント公爵は、最初、ノーサンバラント伯爵でした。 初代伯爵は、他の公爵など持っていましたが、死亡時は娘だけが残っていました。 二代目伯爵は、その娘の夫でした(彼は、その爵位を公爵へ上げましたが)。 他に、こういうのもあると思います。A男の子供は、B女のみ。B女の夫Cとの間にD男が居る。 A男の爵位は、D男へ直接引き継がれる (Aの死亡時、Dが生まれていなければ、一時空位となる ☆)。 (☆:王によって爵位が収公される危機だよね) また、こういうのもあるかも。A男の子供は、B女のみ。B女の夫Cとの間は子供はない。 その後、BとCは離婚し(あるいは、Bが早死にし)、Cは別の女との間に、E男を作る(作っていた)。 結局、E男が継ぐ。 また、こんなのも。A男の娘B子の夫Cが爵位を継ぐ。BとCの間に子供が居ない。 そのとき、Cの後は、Cの甥が継ぐ。あるいは、Cが前の妻との間にもうけた息子が継ぐ。 または、B子が早死にした場合、Cの後添えが生んだ息子が継ぐ。 プシュミル家のオタカル2世が、 オーストリア公爵位について、これに似たことをやりました。
そもそも女の継承を認めないからと言うんで、父の弟の家系や祖父の弟の家系に移るなんてことも。
374 :
世界@名無史さん :05/02/27 04:56:35 0
age
マリア=テレジア エカチェリーナ
376 :
世界@名無史さん :05/02/27 15:00:03 0
>>373 限定相続とか限嗣相続とか訳はさまざまですが、王位や爵位でなくても、男系男子
しか、財産を相続できない場合もあったようです。
当主が自分で作った財産は自由ですが、代々の領地は1番近い男系男子(又従兄弟の子とか)
「高慢と偏見」がこの例で、娘が4人いても、土地(ちょっとした地主程度)は相続できない。
だから結婚が不利。
推理小説にもでてきますが、イギリスの例しかわからないので、欧州では一般的だったか
どうかは知りませんが。
ある家に子供が三人、うち男子が二人いて、一人(長男)が子供を作らずに死に、 もう一人(次男)が聖職者になってた場合、 普通は聖職者から還俗して男が継ぐのか、妹もしくは姉に当たる女の子が継ぐのか、 どっちだろう。 あと、兄弟二人でも長男に女の子しか生まれなかった場合も気になる。 食い扶持確保のために、次男以降が聖職者になる例は結構あったと思うんだけど。
タイトル見てクリックしてしまった・・・ 負け
>>377 ルネサンス頃までは、ケース・バイ・ケースだったようです。要するに実力主義。
女子継承権があっても、庶出の兄が継承権を主張して勝ったり、嫡子が幼いと弟が
司教クラスでも還俗して勝ったり。嫡子がなければ庶子を認知しておくとか。
ルネサンス期になると食い扶持確保というより、聖職者は外交官だから長男以外で
最も優秀な男子は聖職者にするのが、名門の慣例のようです。
12,3歳から僧籍に入れて、20歳前後で枢機卿になれるから、あとを継ぐより有利。
チェーザレ・ボルジアも次男だったので、17歳くらいで枢機卿になっています。
>>378-379 爵位スレで何度も触れていますが、女子に相続権がない国の方が珍しいのです。
サリカ法はフランスの王位相続を解決する為に引っ張り出してきたこじつけでしか
ありません。
封の家産化が進んだか否か、というのが女子相続を認めているか否かのボーダーラインを形成しているように思います。
また明確な長子相続制が確立したイングランドも全体で見れば珍しいケースです。
当主以外が聖界に入るのは珍しくありませんが、生きる為というよりは
その家が聖界に持っている特権の維持という性格の方が強いと思います。
381 :
世界@名無史さん :05/03/09 19:39:06 0
上杉謙信 きれいなお姉さんだったみたいよ
382 :
世界@名無史さん :05/03/09 20:37:10 0
マーガレット・サッチャーは?
383 :
世界@名無史さん :05/03/09 23:36:38 0
おまいらマジャパヒトのトリブヴァーナタンを忘れてないか
384 :
世界@名無史さん :05/03/10 10:03:50 0
現在の上杉家当主は婿養子。奥さんが上杉家の血筋。 んで3人子供がいるけどみんな女の子。数年前、テレビに出ていた。 今は長女が16、17才くらいかな?
385 :
世界@名無史さん :05/03/14 19:14:59 0
あげ
ヤドヴィガについて詳しく書いてある本って無いですかね?
388 :
世界@名無史さん :2005/04/07(木) 00:01:22 0
本家だろ
389 :
世界@名無史さん :2005/04/22(金) 02:55:00 0
あげ
390 :
世界@名無史さん :2005/04/26(火) 02:13:39 0
>>386 ヤドヴィガについては、詳しい本は結構出ている。ただ、絶版になっている
ものは多いが、英語とドイツ語とポーランド語でけっこう出ている。
私自身けっこうかき集めた。
ヤドヴィガよりも、その姉のマリアについての本のほうが少ない。
ハンガリー語でしか出ていない。
書籍リストを挙げたいところだが、ただ、今、ちょっと忙しいので整理できないので、
数ヶ月後になってもいい?
とりあえず簡単に挙げておくと、
Oskar Halecki:Jadwiga of Anjou and the Rise of East Central Europe.
が現在では一番簡単に手に入る研究書・ただ、ヤドヴィガについては
少女ながらかなりの政治力を発揮したという観点。わたし個人としては
疑問。
Lois Mill: So Young a Queen.
Charlotte Kellog: Jadwiga, Poland's Grean Queen.
Monica Gardner: Queen Jadwiga of Poland.
この二つは、子ども向けの読み物という感じだが、わりと考証と記述も
しっかりている。ただ、入手困難だし、日本国内でも所蔵されていない
はず。
Fr. Boleslaw Prybyszewski: Saint Jadwiga - Queen of Poland
これは、カトリックの聖人としてのヤドヴィガに焦点をあてたもの
だが、政治的なことも書いてあるし、写真も豊富。
ほかにドイツ語とポーランド語はいくつかある。
391 :
世界@名無史さん :2005/04/26(火) 02:19:06 0
ヤドヴィガについていえば、わりと研究書などの類では、カトリック に配慮しているのか、業績があったとの見地にたっているが、 これは疑問。だって、10歳で単身クラクフに入って即位して、 さらに12歳でヨガイラと結婚させられているわけだから、 実権がまったくなかったと見るべきだろうね。 そもそも11歳のときには、許婚者だったオーストリアの王子と 密会しているところをクラクフの貴族に引き離されていて、 幽閉されているわけだし、ヨガイラと結婚後も母と姉がハンガリー の叛乱軍に幽閉されたときに何の反応も出すことができなかったし、 貴族の陰謀で誣告されて王位を失いかけたり、ヨガイラがいないすきに 誘拐されそうになったりしているから。 わりと薄幸の姫君って感じ。 ただ、姉のマリアのほうが、もっと不幸。1386年のハンガリー 王国南方で発生した叛乱軍に捕えられて、身包み剥がされて 幽閉、拷問されているし、さらにマリアは目の前で母親を 殺されている。 でも、これで発狂しなかったのは不思議だが。
392 :
世界@名無史さん :2005/04/26(火) 07:58:56 0
卑弥呼
393 :
世界@名無史さん :2005/05/02(月) 03:58:25 0
age
394 :
世界@名無史さん :2005/05/13(金) 03:34:43 0
hage
395 :
世界@名無史さん :2005/05/13(金) 04:13:01 0
ヨーロッパ城物語を見ていると女城主はよくでてくるぞ。
396 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 11:32:34 0
日本の中世だって女性の地頭は結構普通にいるだろ。
397 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 17:34:18 0
八条院領は、八条院ワ子内親王(後白河帝の異母妹)が所有していた荘園群です。
398 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 17:42:20 0
>>395-396 女性にも家産の相続権や所有権はあったので、別に珍しい話では無いかと。
これがレーエン保持権になると話は変わってきますが。
400 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 09:19:10 0
霊園保持?
401 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 08:32:29 0
レーニン保持
402 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 19:06:53 0
レーニエ大公ってモナコだっけ?
403 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 18:03:37 0
メラメラの国の獣人プリンセス、リオーネたんについて詳細希望。
404 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 23:21:33 0
最後の古河公方は女だね。
シャジャル
406 :
世界@名無史さん :2005/06/10(金) 01:12:49 0
だから日本史ネタはやめれって。
>>400 レーエンってのは封の事。軍役を代償として与えられた領土だから
とうぜん従軍できない女や子供には相続権が発生しなかった。
時代が降るに連れて曖昧になっていく事が多かったけど。
409 :
世界@名無史さん :2005/06/10(金) 12:50:06 0
日本史における半済みたいなものか。
410 :
世界@名無史さん :2005/06/10(金) 23:04:17 0
てか西欧の封建制は、日本の中世荘園のように一つの土地に対する権利関係が重層的に錯綜しているようなことってあるの?
所有権と用益権は分離している事が多かったですし 一つの集落に複数の領主が存在する事も少なくありませんでした。 一般的に下位の封臣になるほどに、細分化されている傾向にあると思います。
412 :
世界@名無史さん :2005/06/12(日) 06:04:36 0
西欧の場合、一つの土地に対して複数の領主がいる場合、土地自体を領主ごとに 分割してしまうのですか? それとも土地自体は分割せずに「この土地の収入の何割は誰々、何割は誰々」と いうような感じで年貢を納入させるのですか?
どっちもあるとしか言いようがない。
414 :
世界@名無史さん :2005/06/16(木) 21:15:32 0
西欧の中世って、税は物納?or金納?
>>414 流通という概念自体ロクにない時代に貨幣の存在価値はあんまりない罠。
物納、当初は賦役だったけど。
416 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 01:16:01 0
じゃあ金納化がかなり進んでいた日本中世より遅れてたんだね。
マルクス主義者がいる!
418 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 21:17:31 0
419 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 01:48:28 0
日本は徳川家康の重農主義政策のお陰で近世に物納に戻るんだよな。
420 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 00:14:04 0
マルクス・アウレリウス
>>419 米価経済だからな。
鎖国してるから海外貿易もできないし経済的発展はさっぱり見込めない。
だからもう持ってるものを減らさないこと、すなわち倹約が流行った。
まあ平和ではあったが。
板違い乙。
423 :
世界@名無史さん :2005/06/26(日) 16:58:43 0
板違いではないがスレ違い
424 :
世界@名無史さん :2005/07/04(月) 07:42:28 0
>>421 >鎖国してるから海外貿易もできないし経済的発展はさっぱり見込めない。
???
限界があるってことじゃないの? 実際江戸中期以降は人口増加も頭打ちになってたし。
426 :
世界@名無史さん :2005/07/04(月) 12:43:43 0
>>414 9世紀末初頭のパリ近郊の農民(コロヌス)の一家の場合 夫婦、子ども3人
耕地8ボナリウム2アントシンガ(単位が判りません)
葡萄畑2アルパン(1アルパンは約8000平方メートル)
採草地8アルパンを保有
金納 年間 人頭税一人4ペンス 軍役代納税銀貨2シリング(物納するなら牡牛1頭+羊)
物納 年間 若鶏3羽 卵15個 森林使用料として葡萄酒大樽2個
賦役 毎週2日領主の直営地を耕作 毎週1日領地の雑用 他に荷物運搬年数回
歴史の表舞台に出てくる女政治家ってろくな奴がいないような。
>428 あなたはマーガレットを馬鹿にするのですか?
どんな功績があるの?
>430 公社売り払いに始まるマネタリズムによる国家財政建て直しと、舐めて戦争吹っかけてきた小国を機動艦隊で粉砕して破産寸前に追い込んだこと。だけかな。
小国というイメージではないがな。 まあ確かにそうともいえるかw
433 :
世界@名無史さん :2005/07/07(木) 02:02:46 0
>>427 中世末期(ルネサンスの直前)くらいだと、どんな感じ?
434 :
世界@名無史さん :2005/07/15(金) 10:17:10 0
age
マーガレットたんについて誰か語ってくんないか?
436 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 20:19:44 0
マルグレーテ?
マルグリット? マーガレットは王侯貴族には特に多い名前なのでは。 あとは、メアリー、アン、ジェーン、エリザベス、キャサリンですか。
438 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 21:16:34 0
道ばたのマーガレット
「この内閣には私以外に男はいないのか!」 カコヨ杉
>431のマーガレットたん
441 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 23:44:25 0
マーガレット・サッチャー?
うん
444 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 20:46:56 0
スコットランドの女王だろ。
445 :
世界@名無史さん :2005/08/19(金) 17:20:10 0
447 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 20:28:54 0
ベルジナ・ブット(パキスタン) タンス・チルレル(トルコ) イスラム国で稀有な女性首相だが、マーガレットタンの偉業に比べると・・・ウーム
450 :
世界@名無史さん :2005/10/02(日) 12:50:49 0
451 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 21:37:04 0
貴族以外だとサッチャーだけか・・・
453 :
世界@名無史さん :2005/11/24(木) 22:51:39 0
なんで?
454 :
世界@名無史さん :2005/11/24(木) 23:00:50 0
エカチェリーナ1世 ヨーロッパで農民から皇帝に成り上がった珍しい例
455 :
世界@名無史さん :2005/11/24(木) 23:45:46 0
まあ、サッチャーも一代男爵であり准男爵夫人であるわけだが。
月例保守に上がりましたよ・・・
457 :
世界@名無史さん :2006/01/02(月) 18:18:36 0
458 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 00:56:50 0
459 :
世界@名無史さん :2006/01/11(水) 13:01:10 0
460 :
世界@名無史さん :2006/01/11(水) 19:27:52 0
461 :
世界@名無史さん :2006/01/11(水) 21:53:41 0
>>454 エイレーネ・テオドラ・ゾエなど女帝がそれなりにいたビザンツからの伝統。
462 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 01:03:54 0
463 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 03:49:57 0
捕虜になったら?
464 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 19:48:53 0
465 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 20:01:26 0
466 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 20:03:12 0
467 :
世界@名無史さん :2006/01/25(水) 22:52:29 0
好きですこのすれ
少なくとも女の子ではない。それは中年女性だ。
470 :
世界@名無史さん :2006/03/02(木) 23:42:08 0
470ゲット
471 :
世界@名無史さん :2006/03/19(日) 01:24:48 0
472 :
世界@名無史さん :2006/03/30(木) 18:50:42 0
473 :
日本@名無史さん(女性) :2006/03/32(土) 18:26:32 0
十二国記の世界では少女が王になることは到って普通。
474 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 20:28:09 0
アンゴラの女王ジンガは既出かゑ?
475 :
世界@名無史さん :2006/04/09(日) 01:13:52 0
パルミラのゼノビアはなぜか影薄いね・・・
476 :
世界@名無史さん :2006/04/09(日) 13:51:39 0
ゼーノビアは飽くまでも君主ではなく、カエサルの妻にして アウグストゥスの母だった筈。
477 :
世界@名無史さん :2006/04/10(月) 16:01:24 0
>十二国記の世界では少女が王になることは到って普通。 しかも少女が登極すると外見上は死ぬまで少女のままだからな。
478 :
世界@名無史さん :2006/04/10(月) 16:35:49 0
>>476 アウグストゥスと言ってもカエサルの息子のことではなく、自分の息子の
ウァバラトゥスに勝手にアウグストゥスを名乗らせたもので、誤解なきよう。
479 :
世界@名無史さん :2006/04/10(月) 16:53:22 0
カエサルの妻はコルネリア>ポンペイア>カルプルニアを相次いで娶り、 愛人としてはセルウィリア・ポストゥミア・ロリア・テルトゥラ・ ムニキア・クレオパトラと関係していた。 ゼノビアにも食指を動かしていたかもしれないが、実際には無関係。 彼女は諸王の王の称号を取っていたので、当然に君主である。
480 :
世界@名無史さん :2006/04/10(月) 23:46:10 0
479のカエサルは、ユーリウス・カエサルの事ではないか! 何故にユーリウス・カエサルがゼーノビアに食指を動かし得るのか? はてさて面様な限りぢゃて!!! なお、「ムニキア」とあるのは、大ポムペイユスの妻ムーキアの間違いであろう。
481 :
世界@名無史さん :2006/04/12(水) 02:33:53 0
国家元首じゃなくて伯爵とか大地主とかの当主ならロシアには普通にいた。 で、無駄話なんだが『フェビアの初恋』という結構面白い小説があって 主人公はメイフワラー号以来の家系を誇るボストンの大富豪の長女で 寄宿学校を卒業して実家に帰ってくる。そこで社交界デビューのための 舞踏会が催されるのだが、これを仕切った彼女の従兄はまず選りすぐりの 令嬢75人と青年300人に招待状を送る。男女比は4対1が適当らしい。 そこを読んでいて俺は思わず笑い出したのだ。 その少し前にツルゲーネフの『猟人日記』を読んでいて、田舎令嬢という 言葉が出てきたのを思い出したからだ。選りすぐりの田舎令嬢が75人 だったらスゴイだろうなと。 ロシアの地主貴族はペテルブルクやモスクワに住んでいる者もいるが、 領地に住んでいる者も多い。領地住まいの貴族の娘は広い館でメイドに かしずかれ、コックが作る料理を食べ、家庭教師にフランス語を習い、 ピアノを習ったりして教養を積み、未来の夫の到来を待つ。一人娘だと 大富豪なら求婚者も多数あるが、そうでなければ独身のまま齢を重ね、 死後は遠縁の者に爵位や領地が行くケースも多い。 美食を味わい、教養を積む田舎令嬢。ロシアの片田舎に流れてくるコック、 ロシアの片田舎に流れてくるフランス人、ロシアの片田舎に流れてくる ピアニスト。偽物の美食、偽物の教養。そして財産目当て以外の何者でも ない偽物の白馬の王子様。今からは想像もつかない世界だね。
482 :
世界@名無史さん :2006/05/07(日) 13:43:11 0
祝三周年おめでとう。
エレ・ハンム シーラ・ラパーナ
484 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 00:59:18 0
485 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 12:38:00 0
西欧だと、女子相続権がかなり普及してたから、 女君主は多かったけど、だいたい、すぐに他家の男と結婚して、 婿の方が主役になる感じか。 マリア・テレジアみたいに、夫を従えて活躍するのは珍しいか。
486 :
世界@名無史さん :2006/05/25(木) 19:16:48 0
漏れの知ってる話と全然違うな・・・ 女子相続権はイスラム法>ゲルマン法>ローマンカトリック だったと思うのだが・・・
487 :
世界@名無史さん :2006/05/25(木) 19:50:52 0
>>485 してねーよ。何を言っているんだと、君は。
財産権と封の相続権は全く違うぞ。
> 財産権と封の相続権は全く違うぞ。 分かりやすく解説プリーズ。
489 :
勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2006/05/26(金) 22:48:41 0
>>488 >380と併せて見て頂きたいですが、簡単に言えば自分の家に伝わる財産と
領地(封)を連続して授かる権利というものが区別されていたという事です。
封は軍役など様々な義務の代償として授けられたものですから、それを履行する実力・資格を持つ者
つまりは成人した男子でなければ当初は継承を認められませんでした。
この権利が家の財産として見做されるようになると、義務を果しえない幼年者や女性にも認められるケースが出てきた所もあったという事です。
つまり封というのは官職みたいなもんで、 死んだら王なり皇帝なりが別の人物に授けるけど、慣習的に子孫に授けられることが多かったので、 いつのまにか世襲されるようになったってことでOK?
全く意味が理解できとらんな、コイツ。
492 :
世界@名無史さん :2006/06/06(火) 23:41:22 0
<<491 そこまで言うなら分かりやすく解説プリーズ。
基本的な素養のない人には多分理解できない。 だからその辺深く考えずに楽しく生きたらいいと思うよ。
494 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 02:35:20 0
495 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 03:56:00 0
>>485 マリア・テレジアの夫フランツは凡庸な人物ではない
なにしろあのマリア・テレジアが惚れ込んだくらいだから
理財の才があり国庫を豊かにしたと言われているよ
軍最高司令官としても相手がフリードリヒなので分が悪かったが
一度は窮地に追い詰めたこともある
ただ地位が王でなく公なので皇帝になるまで時間がかかったが
>ただ地位が王でなく公なので皇帝になるまで時間がかかったが ハプスブルク家もオーストリア大公だったけど? 第一シルトに居る限り帝国諸侯として同格なんだけど。
>>495-496 >ハプスブルク家もオーストリア大公だったけど?
正確にはこの時代だとマリア・テレジアが
オーストリア女大公を名乗っていたはず。
フランツはマリア・テレジアとの結婚で
フランス王家から領土没収とされてるから
結婚後は神聖ローマ皇帝に戴冠されるまで
ロートリンゲン公からトスカーナ大公を名乗っていた。
>>487 それで君は何を言いたいのかが分からない。
フランツが第一シルトに居なかったとでも言いたいの?
彼はテレジアの配偶者であるので、オーストリア大公位も持ってた筈。
(もっとも君主という意味でのものでなく、大公婿とでも訳すべきか)
えーと後、既出だと思うんだけど、ロートリンゲンとトスカナの交換は
ポーランド継承戦争の戦後処理の一貫だから結婚云々は直接関係しないよ。
もちろん間接的要因ではあるけどね。
>>498 すいません、話の腰を折るようで恐縮なんですが
あなたの言う「シルト」って何ですか?
文章の前後の意味を読む限り
ドイツ周辺一体を意味してるんでしょうかね。
>>499 ・・・( ゚д゚)ポカーン
横レスだがヘールシルト制ってのはドイツ特有の階級制度。
俗に帝国諸侯と呼ばれる皇帝から直接、封を受けてる諸侯を頂点にピラミッド的な階層があったわけ。
概説書にでも読んでるから、ドイツ関連の歴史をやりたいなら勉強汁。
501 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 06:26:07 0
月例保守。
502 :
世界@名無史さん :2006/08/07(月) 23:55:27 0
当主といえば高知のかの有名なCMでは延々と当主○○と繰り返し自慢してウザイ
503 :
中の國さん :2006/08/08(火) 00:07:59 0
カエサルがコルネリアに送った首飾りは・・・なんと パラティーノの丘の最高級豪邸が二つも買えるほどの値段だった。
504 :
世界@名無史さん :2006/08/08(火) 12:21:25 0
中世の日本でも、女性の相続権はあった。 特に貴族の社会では、女性が親の領地を受け継ぐことは それほど珍しくなかった。 ただ、鎌倉時代の武士政権では女性が広大な領地を受けつぐことは 原則として許されなかった。
505 :
世界@名無史さん :2006/08/08(火) 12:29:09 0
長講堂領だっけ?
506 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 17:25:50 0
ハ,,ハ ('(゚p。∩_ イアアアアア!クトゥルフ・フタグン! /ヽ 〈/\ フユウ……フユウ、、ヨォォグソトォォォトオオオ! /| ̄ ̄ ̄|.\/ (モツ煮は変なお土産のせいで壊れてしまいました。 | .モツ煮..|/ 彼にふさわしいスレに送ってやってください。)  ̄ ̄ ̄ 現在の所持品:たばこ・ライター・コーヒー・ウィルス 電話加入権・「PartのかわりにRigelを流行らせよう」のログ ドエット・ギコペ・Jane・ネクロノミコン・無名祭祀書・エイボンの書 ナコト写本・輝くトラペゾヘドロン・水神クタアト・黄の印 屍食経典儀・黄金の蜂蜜酒・ルルイエ異本
507 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 19:59:52 0
>>500 世界史板はドイツ史の勉強やってる史学科の学生ばかりじゃないのに、
自分の知識をふりかざして「ポカーン」はないもんだ。
自分の知識が一般世間の誰にとっても常識なんて思わないこと。
508 :
世界@名無史さん :2006/08/26(土) 18:48:28 0
ジョンベネJonBenétって名前は普通にあるの?
>508 2つの名前を縮めた愛称だったと、殺人事件が起こったときのニュースで言っていたよ。 10年も前だから覚えていないんだけどね…
510 :
世界@名無史さん :2006/09/28(木) 22:50:05 O
ヨハネとベネディクトをつなげたんじゃね
511 :
世界@名無史さん :2006/10/01(日) 14:05:19 0
お父ちゃんがジョン・ベネット・ラムジーなので それをつなげてジョンベネ お母ちゃんの名前パトリシアをミドルネームにして フルネームでジョンベネ・パトリシア・ラムジー
512 :
世界@名無史さん :2006/10/03(火) 06:59:46 0
今夜9時〜10時50分 ハイビジョン特集 悲劇の女王 メアリー・スチュアート 明日と明後日がエリザベス1世
513 :
世界@名無史さん :2006/10/03(火) 07:00:39 0
おっと忘れた、これはNHK・BShi
514 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 22:38:35 0
age
515 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 23:27:41 0
淀殿の妹お初も領地を持っていました。 その領地は彼女の死後、養女に相続されました。
516 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 23:45:26 0
稲姫w
卑弥呼
518 :
世界@名無史さん :2006/12/06(水) 13:36:02 0
age
日本人女性を勘違いしてる外国人は少なからずいる。 特に昔から日本に興味持ってて、昔の小説とか、映画などが好きな人。 結婚するまでバージンだとか、つつましいとかいろいろ。 そんなやつは絶滅寸前なんだけど実際はね。 日本に長く住んでる人なのならそういう勘違いではなさそうだけど、 単にエッチに自信がないのかもしれない。 過去にエッチのせいで振られたことがあるのかも。 それで936がそれが理由で振ったりしない女性かどうか見極めてるのかな? 自分の元彼がそういう人だったけど(全然手出しなしのアメリカン) つきあってだいぶんして理由教えてくれたけど、 あそこが半端なくでかくて、女の子とエッチしようとして パンツ脱いだら、恐怖で泣かれたwとか逃げられたってのが 結構あったようで、私のときには用心深く、本物見せる前に どのくらいのサイズだとか、物に例えてくれて心の準備をさせてくれたけど。 そんな準備をしててもさすがに実物はびびった。
どこの誤爆だよw
521 :
世界@名無史さん :2007/02/14(水) 09:23:35 0
あげ
上杉謙信
伊勢神宮の祭祀
524 :
世界@名無史さん :
2007/04/05(木) 00:50:29 0