これといったソースも無いし、何ともいえないな。
オヤスミ(´-`)
>362
国境線画定してますよ。
でも、366のヘルシンキ宣言の内容では、「国境の変更は平和的手段によること・・・」と
うたっているだけで、別に現国境が画定されたもの、恒久的なものとは言っていないじゃないか。
それに、その前の「カイロ宣言」なんて戦争中の旧連合国の取り決めなどに、かつての敵国である日本やドイツが
そんなものに拘束されるいわれなんてなにもないのでは。
所詮、勝者のたわごとにしかきこえない。 それに、この宣言のあとの戦後になって北方領土もドイツの東方領土問題も
おきたのであり、旧連合国のほうからそんな宣言を形骸化させている。
やはり、ソ連やポーランドは日本、ドイツに領土を返すべきだ
ポーランドスレとまたがって議論が続いているが、正直混乱するしそれだけで
スレを立てるに値する話題だと思うので、WWUに詳しい人が多そうな軍事板
あたりに新スレ立てない?
>>377 そうするべきかもね。
映画からもワルシャワ蜂起からもドンドン離れていってるし。
>>378 二つのスレで平行して同じ議論をしてるからなあ・・・
ドイツ豚もポーランドうじ虫もうざい。
隔離スレキボン。
>357
実際にドイツで世論調査をして東方領土に関する感情を調べたことはあったのだろうか?
日本で世論調査して、北方領土の関する感情を調べたことはあったか?
あるわきゃねーだろ! ドイツだって同じだ!
何だって、自国の不利益になるようなことに賛成しなきゃならないんだ(バカサヨは別として)
そんなことを調査したって、日本人ならともかくドイツ人が本音をはくわけないだろ。
そんなこと言えば、周辺の国とゴタゴタを起こすことは目に見えている。
結果として、それがドイツの利益になるかどうかは、別問題だからだ。
それが、周囲が海に囲まれている国と、四方が敵国に囲まれている国との違いだ。
日本が北方領土を返せといっても、ロシアも世界も動じない。 しかし、ドイツがロシアやポーランドに
領土を返せといったら、とたんにヨーロッパには緊張が走るだろう。
>>382 お前、意図的に「日本が北方領土を返せといっても、ロシアも世界も動じない。
しかし、ドイツがロシアやポーランドに領土を返せといったら、とたんに
ヨーロッパには緊張が走るだろう。」という文章を無視し、文章のつながりを
無視して「あるわきゃねーだろ!」だけを取り上げるなんて、意図的に誤読して
いるのか? それとも真性か?
>>383 (゚Д゚)ハァ?
だったら
「日本で世論調査して、北方領土の関する感情を調べたことはあったか?」
云々など最初から書くな。
ケー二ヒスベルクと東プロイセンの歴史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1057576705/35 のナポレオン氏によると、戦後ブラント政権の新東方外交によってポーランドとの間ではオーデル
=ナイセ線の承認がワルシャワ条約によって確定する。
その後の総選挙でこれら新東方外交の結果に反発したキリスト教民主党/社会同盟が大敗北し、
ドイツの国民感情についてはその時点で決着がついたのだという。
追放されたドイツ人については
>元シュレジエン人の圧力団体などは今でも活動していますが、
>高齢化も進み、最早ほとんどまったく影響力を持っていないようです。
悲しい話である。
384=文意が読み取れず逆切れした真性バカ
結局、ドイツの占領を生き残ったユダヤ人って何人ぐらいだったの?
10人くらいだっけ?
>>391 生存率0.00002%ですかΣ(゚д゚lll)
393 :
世界@名無史さん:03/10/23 12:01
1939年当時降伏したのはポーランド国軍の部隊とワルシャワ市である。
大戦期を通じてポーランド政府が降伏文書に調印したという事実は無い。
従ってワルシャワ蜂起の当時においても両国の戦争は継続していたのであり、
問題は蜂起に参加した人々が軍属と扱うべきか一般市民と扱うべきかである。
ここにおいて結果的にではあるがドイツは蜂起を正式な軍事行為と看做している。
ワルシャワ市街の破壊はこの論法でドイツが正当化を目論んだものであるが、
ここにも問題がある。ドイツによる市街の破壊は蜂起軍が正式に降伏した後に行われたものであり、
国際法に違反する行為となる。
いずれにせよこの蜂起は戦時国際法にのっとったものである。
>393
ポーランド政府が降伏文書に調印したという事実は無い。
じゃあ、肝心のその政府はどこへ逃げたんだ。
みずからの国民を見捨てて。(ロンドン、モスクワ)
逃げって言った政府(というよりそれは卑怯者)がなければ交渉の余地はない。
フランスのドゴール(亡命政府というより逃亡政府)より、あえて祖国にいて
ドイツとの降伏交渉に臨んだペタンの方がずっと立派だと思うが。
しかし、>382のせいで、このスレもつまんないもになりそうだな
>>394 漏れは、ペタンの方が最低だと思うぞ。確かに、逃亡したポーランド政府は
卑怯だが、ペタンの場合
降服文書調印→仏国内混乱を利用し国民革命を宣言(独の関与なし)
→国家主席となり大統領制を廃止、独裁者となる(仏第三共和制を破壊)
→反対派を徹底的に弾圧(対独パルチザンだけでなく自らへの不満を口にしたものなども)
→連合国が仏に上陸、ドイツに逃亡・・・・←この時点で逃げている
など行動を起こした事から、どちらかと言うとポーランド政府よりも
タチが悪い(ポーランド政府とは違い自国民弾圧を行ったりしない)。
政府のロンドン亡命を卑怯と思う奴もいるんだな。これは圧倒的なドイツの侵略に対する戦略だと捉えるのが普通。
モスクワの政府は第二共和国と何の関係も無い共産傀儡政府でこれも問題外。
ロンドン政府が卑怯でない証拠にヨーロッパ各地で連合軍の一員として戦っているし、占領下でも抵抗運動だけでなく地下教育・地下福祉組織などを指揮していた。
おかげでワルシャワ大学やクラクフ大学は戦争終結まで秘密講義を続けることができたし、なんと地下医療・年金制度まで管理していた。
>>386 手前等のゴタゴタは手前等の板の中でケリつけやがれ糞コヴァにブサヨ!
わざわざヨソの板に下らね〜争い輸出すんなや!
399 :
世界@名無史さん:03/10/24 22:13
>397
政府のロンドン亡命を卑怯と思う奴もいるんだな・・・
この戦争そのものが、すべてとは言わんでも、大方の責任はポーランド人にあると思っているよ。
ある意味で、自ら招いた種としかいいようないと思うのだが。
亡命先で、連合軍の一員として正規の軍服で戦う分には、合法かもしれないけど、逃亡したという
責任は免れない。 しかも占領下の抵抗運動はあくまでも非合法、一般民衆を巻き込む、もっとも卑劣な手段にしか見えない。
これは、フランスにおけるレジスタンス運動だって同じだと思う。
うちの、おじいちゃんなんかも、昔、中国で共産軍(八路軍パーロとか言っていた)と戦って、一般民衆に紛れ込む
ゲリラに散々戦友をむごい手段で殺されたらしい。 彼らは、強い相手とは決して戦わない。 病院車や負傷兵、少人数の兵など
戦って、かならず勝てるという場合にしか出てこないといっていた。
テレビなんかで、フランスやポーランドのレジスタンスの話をみていると、あの連中はパーロと同じだといって
不愉快そうな顔して部屋を出て行ったことを憶えている。
それに、共産傀儡政権といって、問題外としてはいるが、実際戦後に政権をとったのは共産政権だろう。
そのような結果になったのも、ドイツを敵視することによって、最悪のスターリン共産主義にヨーロッパの半分を
進呈した、ポーランドのロンドン亡命政府、イギリス、フランスの過てる政策の結果ではなかったか。
圧倒的なドイツの侵略に対する戦略といっているけど、ヒトラーはイギリスやフランスはもちろん、ポーランドとも
本格的にことを構える気などなかったと考えている。
ディルレヴァンガー
402 :
世界@名無史さん:03/10/25 09:54
>>399 ポーランドと本格的に事を構えたくってしょうがなかった国防軍のお偉方
プロイセンの出身の将校たちはそうだろうね。
自分たちの国を奪ったにっく気相手だからポーランドは。
ハインツ グーデリアンはポーゼン出身のドイツ将校だから特にその気持ちは強かったろう。
第一次大戦で失った自分たちの故郷を取り戻したいという気持ちは当然だろう。
その点、オーストリア出身のヒトラーは、さほどポーランドに敵意をもっていたとは思えないが、
そのヒットラーの寛容的な条件を無視して、ポーランド国内のドイツ系住民に加えた弾圧は、事を構えるのを
避けようとしていた彼の方針を変えさせざるを得なかった。
結局、そのポーランドの暴発は、第一次大戦の一セルビア青年の放った弾丸と同じ役をはたした。
>>404 その点、オーストリア出身のヒトラーは、さほどポーランドに敵意をもっていたとは思えないが、
そもそもそこがキミの妄想の元
>406
そもそもそこがキミの妄想の元???
それでは、あなたはどう考えているのだ?
ヒトラーが最初からポーランドを攻撃するつもりなら、ダンチヒ返還の拒絶のあと、
即、開戦しただろう。 それだけ、ダンチヒ返還は合法的なものだった。
そのすぐ後、ポーランドは軍に動員令を発した。(ある意味で宣戦布告ととられてもいたし方がない事態だ)
それでも、数ヶ月間ヒトラーは粘り強く待った。 しかし、その間、ポーランドは、国内のドイツ系住民の
弾圧をはじめ、すでに戦争が始まる直前の8月までに、7万人のポーランドからのドイツ系住民が避難民として
ドレスデンやシュレージエン近辺の施設に収容された。
それまでに、ポーランド国内でドイツ系住民への、暴行、略奪、強姦、殺人はひっきりなしに行われた。。
そして、開戦直前、ポーランドは国家総動員令を発し、対決姿勢をしめした。 事実上の宣戦布告だ。
国境のいくつかで散発的なポーランド軍の挑発攻撃も行われた。
ここにいたっては、ヒトラーも平和的解決をあきらめざるを得なかったろう。
「ナチスの罪行を忘れるべきではない」 独首相
ドイツのシュレーダー首相は6日、ワルシャワで演説し、ナチスドイツがポーランドに侵攻し、ユダヤ人300万人を含むポーランド人600万人に犠牲者を出したことについて、「この罪行を忘れるべきではない」、「歴史と道義上の責任を回避すべきではない」と重ねて表明した。
シュレーダー首相はポーランド首相の招きで、6日にワルシャワを訪問、「ポーランド・西ドイツ国交正常化条約」調印30周年の記念式典に参加した。
「人民日報」2000年12月8日6面
>>407 とある日本の三流私立大学の先生も同じ考えだ。
論文がネット上に晒されている。
411 :
世界@名無史さん:03/11/27 04:03
戦後、ポーランドは被害者ヅラしてるが、
ポーランドは反ユダヤにおいてはナチスより根強く、
また彼らがポグロムとして行ったユダヤ人虐殺はナチスなど比較にならないほど残忍。
>>410 知ってる。B大だろ。あそこは三流どころか四流以下。リヴィジョニストのオアシス。
まだ落ちてないんだ。このスレw
415 :
世界@名無史さん:04/01/22 00:55
とりあえず保全
あげ
マンシュタインはポーランド系だし、国防軍もポーランド系将兵を多数含んでいた。
ドイツ軍に参加したポーランド人は軍人恩給を受けられず、また表に出て請求することも憚られた。
418 :
世界@名無史さん:04/02/20 21:09
国防軍の高級将校にはポーランド系が多数いたが、ドイツ国防軍の感覚はナチスとはちょっと違って中世から近世の騎士の戦争の感覚だったから、
戦争は彼らにとって男の遊びだったらしい。
ポーランドに勝ったあと、ナチスの占領政策を知って驚き、戦意や忠誠心を徐々に喪失していったそうな。
419 :
世界@名無史さん:04/02/22 16:20
だいたい
プロイセンはドイツ ポーランド ルーシからの移民で構成された
人工国家だろ
_∧_∧
/ ̄ ( # ゚Д ゚)⌒\
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ヽヽ / / \ | | ,,,,,,,iiiiillllll!!!!!!!lllllliiiii,,,,,,,
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| ヽ_「\ | |、 | ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ .|
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/.// ・l|∵ ヽ\
>>814 ガッ!
421 :
世界@名無史さん:04/03/24 23:47
この闘いで最も不思議な点は
蜂起鎮圧作戦の総司令官だった
エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキーSS大将と
現地のSSの総責任者だった
ハインツ=フリードリッヒ・ライネファルトSS中将
がともに戦後助命されてること。
とくにバッハ=ツェレウスキーはロシアの対ゲリラ戦の責任者だったこともあり
逮捕されたら死刑は確実と言われていた人物。
ちょうどワルシャワゲットーのユダヤ人蜂起を鎮圧した
ユルゲン・シュトロープSS少将が死刑判決を受けたのと好対照である。
結局この助かった二人はソ連がポーランド蜂起軍に対して行ったことを
仔細に知っており、それを法廷で証言されたら困るソ連が
助命を条件にその件について沈黙することと取引したのだろう。
422 :
世界@名無史さん:04/03/28 10:58
>410 >413
反論できなくなった負け犬の逃げ口上にしか聞こえない。
【ワルシャワ23日共同】第2次世界大戦末期にポーランドの民衆らがナチス・ドイツ軍からの解放を目指して起こした
「ワルシャワ蜂起」の60周年記念式典に、シュレーダー・ドイツ首相が参加することが23日、決まった。
式典は8月1日に開かれるが、ドイツ首相の出席は初めて。
ポーランドのミレル首相が23日、ワルシャワ訪問中のシュレーダー首相との会談で式典出席を要請。
シュレーダー首相は「大変喜ばしい」と快諾した。
イラク戦争をめぐり、米国を積極的に支援したポーランドと、これに反対したドイツとはぎくしゃくした関係が続いていた。
5月1日から欧州連合(EU)にポーランドが加入するのを前に、両国が関係改善を狙ったとみられる。
1944年8月1日から約2カ月間の蜂起では、壮絶な市街戦が展開された。期待したソ連軍の支援が得られず、約20万人の市民らが死亡、ワルシャワ市の約70%が破壊された。(共同通信)
上の方で国境線の話が出てたけれど
以前ドイツ語の先生が言ってたが、今回のポーランドのEU加盟でやはり問題が再燃しているらしい。