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ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :
統一の弱みというか、現実的な対応をしたらそうなった、
ということでしょう。
簡単にその辺に関連した話をば。
ブラント政権が進めた新東方外交において、
その「設計図」とされたソ連との条約で、
西ドイツは「現在の国境を変更しない」ことを明確に意思表示しています。
それはポーランドとの間では、オーデル=ナイセ線の承認、
ということになります。ワルシャワ条約でこれは確定しました。
一応これは「ドイツが統一するまでの暫定的承認」だったのですが、
当時ドイツの統一なんて夢のまた夢のそのまた夢だったのですから、
実質上は「恒久的承認」と見られていました。
で、西ドイツ国内では、これは当然強い反発を招きました。
キリスト教民主/社会同盟はもちろん、
その大票田であったシュレジエンや東プロイセンからの元難民の怒りは
激しいものがあった…のですが、
新東方外交の是非を問うた72年の総選挙でキリスト教民主/社会同盟は大敗北を喫し、
49年建国以来の議会第1党の座を社会民主党に奪われてしまいます。
ドイツの国民感情としては、この時点で決着がついた、
と見てよいかと思われます。
少なくともキリスト教民主/社会同盟は転向しました。
コールが統一の際にオーデル=ナイセ線を再承認したのは、
言うまでもありません。弱みというより、そうするのが当然だと思われていたのでしょう。
元シュレジエン人の圧力団体などは今でも活動していますが、
高齢化も進み、最早ほとんどまったく影響力を持っていないようです。
ただ、彼らの郷愁の念を見ると、やはり泣けてきますね。
講談社文庫の『ドイツ傷ついた風景』に10年程前の彼らの集会の様子が出てきますが、
老人達が集まって懐かしい写真を見せ合い、懐かしい料理を食べ、懐かしい歌を歌い、…
たまらないものがあります。