932 :
世界@名無史さん:03/05/28 21:30
>>913 戦後すぐまで、似たような農法やってたそうです…古タイヤを燃やして暖めたとか。
>933
そもそも食い物ですらありませんが、吉原の桜もわざわざ火で暖めて丁度良い
時期に満開にしていたとか。それと912の10万円云々というのは3人で食
べた場合の話でした。それでも十分高いのですが。
>917
昔の人・・・ちと悲しい。
まぁ、親の好みの影響だから間違いじゃないんだが。
>926
銚子から毎日超特急の馬車便があって、
その日の未明に水揚げされた魚を昼前には江戸でも買うことができた。
もちろん江戸前の魚もとれたて。
>935
気を悪くしたらスマソ。上ではああ書いたけど、俺も
トロは所詮脂の旨さでマグロの本当の味は赤味にこそあるとは思う。
ただ、知識でそうは思っていてもやっぱりトロを選んでしまうのな。
俺も最近の例に漏れず脂好きなんだろうね。
庶民には滅多に食えるものじゃないが、
本当のうまい赤味というのは本当にうまいものだからな(トートロジー)
多分、既出だと思いますが、
江戸湾は江戸という大都市を抱え、富栄養化が進んでいて、魚の成育に適していたそうです。
もちろん、昭和30年代以前までの話ですが。
>939
はて、江戸時代は便を肥料として余すことなく利用したと聞きましたが。
便以外の生活排水が、ちょうどイイ量の栄養になったのでせうか?
>>940 そういうことです。
外洋と、水の循環がしにくいのも好条件になったようです…。
その代わり、公害等で汚染された時はなかなか戻りにくかったんですが。
最近は、どこもマシになりましよね(70〜80年代に比べれば)。
942 :
世界@名無史さん:03/05/30 18:08
そろそろ次スレお願い。
食物酒嗜好品の四皿目で。
943 :
世界@名無史さん:03/05/30 21:49
おかわり〜ゲプー
早くも四皿目、このスレもけっこう伸びましたな。
次スレ立てようと思ったのですが、俺のホストではしばらく立てられないようなんです。
下のテンプレで誰か代わりに立てていただけませんか?
スレタイ:食物と酒、嗜好品の歴史 〜四皿目〜
1の本文
↓
食べ物や飲み物、お酒や嗜好品の歴史について語るスレッドです。
進行はマターリおながいします。喧嘩するとメシがまずくなるYO!
話題としては……
・食にまつわる歴史的エピソード 「この食べ物にはこんな経緯がある訳だが」
・食事作法の色々、その成り立ち 「マナーを守らぬ香具師、逝ってよし」
・外国での食事体験談 「隊長! 漏れこんなものを食って来ますた」
・(゚д゚)ウマーな外国料理店の紹介 「ウホッ! いいお店」 「 行 か な い か ? 」
などなど
前スレ
食物と酒、嗜好品の歴史 三皿目
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1047046710/
久しぶりのカキコ、失礼致します。
アブサン飲みたいなぁ…。ニガヨモギをたっぷりときかせた奴…。
>>898 鰹が、かつては下魚であったのに、鎌倉で珍重されるようになった様子は
徒然草にありましたね。「かつお」と、「勝男」をかけて、昆布やかち栗
なんかと同じように縁起物として珍重されたみたいですね。
あと、初鰹というと、文化期に中村歌右衛門が3両で購入して大部屋役者に
振舞ったお話が有名ですが、こういった初鰹ブームは文化文政期がピークで、
時代が下ると、もう少し安く買えたそうです。
初鰹といえば、某漫画で「初鰹をありがたがるのは江戸っ子の見栄で、
本当に美味いのはもどり鰹」ということを繰り返し言ってますね。
確かに江戸っ子の見栄という面もあったでしょうが、江戸時代の人々が
現在の我々と違い、脂っこい物よりもさっぱりとしたものを好んだ事も
ありますし、あと、最高級の鰹節は脂分の少ない鰹から作られます。
個人的には、そういった理由から、江戸時代の人は脂分の少ない初鰹を
好んだのではないかとも思いますが。(あんまり根拠はありません)
いずれにせよ、鰹はうまみ成分の多い魚なので、脂身が少ないほうが、
本来の味がよく分かるというのはあるのではないかと思います。
(鰹がうまみ成分を多く含んでいる事は古代から知られており、鰹を
原料とした「いろり」のような調味料も作られています。)
マグロについて
マグロは皆さんが仰るように、鉄道輸送が発達して以降、刺身として
多く食べられるようになりました。志賀直哉の『小僧の神様』の中に
トロのすしが出てきますね。この小説が書かれたのは大正9年で、丁度
この頃がマグロの評価が少しづつ変わり始めた時期でしょうか?
ただ、戦後まで下魚として扱われていた事は事実で、トロは労働者の食べ物
とされていました。荒木経惟氏(江戸っ子)なんかも、「アレはネギマなんか
にして、煮て食べるものだ」という事を言っていた記憶があります。
まぁ、それ以前にも刺身として食べられる事はあって、四条流包丁書
なんかにも出てきますが、それも白身魚との色のバランスをとるためで、
高級な魚とはされていませんでした。
>>939(とてたさん)
富栄養化のおかげで、江戸の川では蜆がかなり大量に取れたそうですね。
あと、ドジョウの柳川鍋は、九州の柳川で生み出された料理ではなく、
江戸で生み出されました。命名の由来も、柳川鍋を初めて出した店の屋号を
冠したという説と、ドジョウの姿が柳に似ていたという説などがあります。
>銚子から毎日超特急の馬車便があって、
>その日の未明に水揚げされた魚を昼前には江戸でも買うことができた。
>もちろん江戸前の魚もとれたて。
この話は初めて聞きました。というか、これは江戸時代の話ですか?
ちょっと信じ難いのですが…。
銚子からだと、利根川と江戸川を使った水運が、当時の大動脈でしたが…。
トラックも鉄道も無い時代に大量の貨物を陸送するのは無理だったから主力は水運だったろうが
船の速度じゃ鮮魚の輸送には間に合わないからそういうものだけは陸運だったんだろう。
>>950 そもそも、江戸時代に馬車があったかなぁ、と。
馬車自体の存在は江戸期の日本でも知られており、馬車を利用する事を
幕府に提案した学者もいたと記憶していますが、馬車が初めて日本で
走ったのは幕末の江戸横浜間が最初だったのではないかと思いましたので。
あと、この当時の馬はそんなスピード出せませんし、(人間が走ったほうが
遥かに速い)、当時の街道は馬車が通るほどの道幅もない気が…。
952 :
世界@名無史さん:03/05/31 10:58
>>951 工事現場などで馬に引かせる荷車はあったね。
953 :
世界@名無史さん:03/05/31 11:01
魚の主流は干物や塩漬け、味噌漬けだったんじゃないか?
あくまで馬車と言うなら確かにはなはだ疑問。でも、馬が人よりスピード出
ないと言うのは、並みの馬一頭では、人間である飛脚にも劣るという
意味なのだろうか。何れにせよ誤解を招きそう。
早馬を宿場ごとに用意して、乗り換えつつ駅伝する方法もあったそうだし。
江戸時代の食料品(鮮魚)の物流で主に馬車が使われたというのは信じがたい。
まず、江戸期に馬車が物流に使われたという事実があるのかどうか確認したほう
がよいのではないか。
基本的に、江戸期の物流の主力は水上輸送で、陸上輸送は補助的に使われて
いたし、荷車は人力が中心だったはずで、馬車については明治以降にならなけれ
ば出現しないはずだ。
また、駄馬を使った陸上輸送の速度は、徒歩の速度と同じであり、早馬などの特
別な手段とは比較できない。
>936は明治時代のことを江戸期と誤解しているのではないか?
明治時代には、確かにそういう馬車便があったと、どこかで読んだ記憶があるんだが…
江戸時代の「馬運送」って、「一人で荷を載せた多くの馬をゆっくりと連れて行く」だったような。
生鮮食品の輸送には向かないと思います。
959 :
世界@名無史さん:03/06/01 11:20
>>958 若狭から京都への鯖の特急輸送は、人間が走って運んでたらしいね。
鯖街道を通って。
960 :
世界@名無史さん:03/06/01 13:25
そういえばクスコにいる皇帝も、
太平洋で水揚げされた魚を飛脚リレーで運ばせて
毎日の食事で食していたそうな。
足の早いイワシが好まれたということは
かなりのスピード配達だったのかな。
961 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/01 13:29
>>958 写真を見たことがありますが、確かにそんな感じでした。目立った点
といえば足に専用の草鞋(蹄鉄代り。滑り止めでもあった。)があっ
たことくらい。
若狭方面から京都に抜けた鯖街道というのがありますが、あれは塩の
味がきつかったらしく戦後までは「海の魚は塩辛い」と考えられてい
た山村もあったそうです。
牛輸送と馬輸送では、牛のほうがメジャーだった。
確かに馬のほうが足は速い。しかし馬は臆病で、少しの刺激で暴走する危険がある。
それに口が贅沢なので飼料用の穀物を持参する必要がある。
その点、牛は鈍いが暴走の危険は少ないし、粗食に耐えるので
道端の草で充分。「もののけ姫」でも、牛に米や鉄運ばせていたし。
いつになったら次スレに移動するの?
>>948 隅田川蔵前あたりの蜆は、高値で取引されていた。
ここの蜆はこぼれ落ちる蔵米を食べて育っているから味がいい、とされていたからだ。
(ソースは宮部みゆきの小説『あやし』。信憑性なくてゴメン。
小説中、蜆好きの口入屋主人は不老不死の一族を知り、それにおののいて失踪、
隅田川で蜆に食い散らかされた土左衛門になって発見されるのだ。怖い!)
964 :
アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/06/01 14:10
うろ覚えなんですが「馬十駄ゆりもて行くや夏木立」とかいう俳句があって
(ここからは確かです)馬に二樽ずつ振り分けに酒樽をかつがせて上方の
清酒を江戸に運ぶさまを詠んだ句です。
人が何人かついて、ゆっくり運んでいたようです。江戸時代の街道で、馬を
走らせるとこけてしまいます。
江戸の町中では、早馬は制度的にははあったけど、事実上はゆっくり歩かせて
いました。大名の正室が跡取りを産んだ時に、実家の上屋敷に知らせに行く場合とかで。
実際に馬を出すのは火事のときの町奉行だけだったらしい。
江戸末期になると直参は馬に乗れないのが普通だったと、勝海舟が書き残してます。
965 :
世界@名無史さん:03/06/01 17:51
そろそろ誰か次スレ立ててくれ
まともなスレ上位には1つもねえじゃねえか!!!
次スレならたってるぞ。よく見ろバカ。
968 :
パタリロ8世:03/06/01 18:43
>>967 サンクス
しかし、せっかく立てたのならサゲで書くのはやめてくれたまえ!
ウザイ糞スレばかり目立つではないか
だったらアゲて書くな!
970 :
パタリロ8世:03/06/01 19:12
>>969 アゲなければ目立たないではないか!
愚か者!!!
このスレは以下1000まで荒れます。
あ〜れ〜
まあまあ、よいではないか
この蛇の踊り食いがたまらぬのう
うほっ
よーしこのスレあと三ヶ月もせちゃうぞー
「人肉腸詰」って夢野久作?
「人間腸詰」だ!
じゃぱん がばめん ふぉるもさ ううろんち わんかぷ てんせんす かみんかみん
日本 政府 台湾 ウーロン茶 一杯 十文 来い来い?
「日本は台湾を統治してウーロン茶を一杯十文で売るから来い来い」?
正解は
日本専売局台湾烏龍茶一杯十銭 イラハイイラハイ
夢野久作の「人間腸詰」の名台詞、アメリカセントルイス博覧会日本館の
呼び込みの口上!