1 :
世界@名無史さん:
華南に勃興した、
呉→東晋→宋→斉→梁→陳
の六朝時代について語ろう。
2 :
世界@名無史さん:03/03/01 23:28
ぱっとしないスレだなぁ
まあ六朝に共通することは豪族の力が強く皇帝権が不安定、つまり軍事的には消極
ただし、この時期江南の開発が本格的に進み国力が富み、華麗な貴族文化が開花した
でも政治にぱっとすること無いし、興味無いな
3 :
世界@名無史さん:03/03/01 23:31
↑と、文句だけ言って去っていく2であった。
4 :
世界@名無史さん:03/03/01 23:47
謝玄とか桓温とか劉裕とか候景とか色々いるだろうが!
5 :
世界@名無史さん:03/03/02 00:07
6 :
世界@名無史さん:03/03/02 00:11
「侯景」ね。
南朝の人民は政治に満足していたのだろうか。
7 :
世界@名無史さん:03/03/02 00:16
宇宙大将軍
8 :
世界@名無史さん:03/03/02 00:49
王敦のドキュソぶりはひどいな。
アイツは董卓の生まれ変わりか?
捜神記
宋が北魏に山東半島を奪われたのって何年だっけ?
悪童天子がおらず、かつ自分が琅邪王氏クラスの名流貴族なら、
生活してみたい気がしないでもない。
12 :
世界@名無史さん:03/03/03 21:55
★六朝〜その一
呉【ゴ】(222〜280)
222年に孫権が武昌において呉王の位につき独立。
229年に即位、首都を建業におく。
280年に西晋の侵攻を受け滅亡。最後の皇帝・孫皓は降伏し西晋により帰命候に封じ
られ、洛陽で没した。
14 :
世界@名無史さん:03/03/03 22:59
★六朝〜その二
東晋【トウシン】(317〜420)
西晋が五胡十六国の前趙に滅ぼされたため、王導らの支持を得て司馬睿が即位。
「建業」の名前は殺害された西晋の愍帝の諱(「業」にこざとへん)に通じ不吉だという
ので「建康」と改名し首都とする。
皇帝権力は弱く、しょっぱなから王敦の反乱に悩まされ、桓温・桓玄父子などの権臣
の専横に苦しめられ、最後は劉裕に禅譲し滅亡する。
六朝といえば艶っぽい歌の時代。『玉臺新詠』も子夜呉歌も六朝。
少女なのに悩ましい歌を詠んだ子夜たんはあはあ・・
蘇小小たんはあはあ・・
子夜呉歌を検索したら、それを真似て読んだ李白の詩しか
出てこなかったよ。悲しい。
>六朝その3は?早く次ぎいってくれよっ!
そんあに劉裕のことが知りたいのか?
漏れとしては梁の武帝の方が良いのですが。
流内十八品萌え。
19 :
世界@名無史さん:03/03/04 17:25
★六朝〜その三〜
宋【ソウ】(420〜479)
漢の高祖の弟、楚元王の二十一世の孫を称する劉裕が東晋の恭帝の禅譲を受け
即位。
劉裕は名族ではなく貧困にあえぐ寒門武人であった。
三代皇帝・文帝の時代が最盛期だったが、最後は最後の皇帝である順帝が台頭し
た蕭道成に禅譲し、宋は滅亡する。
20 :
世界@名無史さん:03/03/04 22:36
10 :世界@名無史さん :03/03/02 01:07
宋が北魏に山東半島を奪われたのって何年だっけ?
まだその四にいかなくていいから、宋について詳しく教えれ。
(^^)
24 :
世界@名無史さん:03/04/04 22:17
南朝と北朝ってどっちが人気あるの?
世間ではどうか知りませんが、学界では南朝の方が研究が進んでいます。
26 :
世界@名無史さん:03/04/06 15:20
印象としては、
北朝は黄砂の舞う華北平原での食うか食われるかの政権争奪戦、
南朝は将軍たちによる王朝交代を眺めながら貴族が清談にふけっている、
かな。
27 :
ネットdeDVD:03/04/06 15:23
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
30 :
世界@名無史さん:03/04/29 21:15
レス少なすぎ よって上げとく
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
34 :
世界@名無史さん:03/06/02 17:25
東晋の西府軍や北府軍の実体を知りたいんですが、晋史のどこを読めば
いいですかね。
それから陳覇先の初期の活動と、彼が去った後の広州の状況について、
知ってたら教えてください。
晋史の中の人などいない!
北府を作ったのは郗鑒です。
東晋の名将です。
最初は郗氏と王氏のもの→謝氏がはばをきかせる→下層軍人が仕切るようになる
という感じですな
37 :
世界@名無史さん:03/06/30 13:56
>36
例えば晋史の郗鑒の伝には、北府という名称は出てくるのでしょうか?
38 :
世界@名無史さん:03/06/30 15:29
>>8 王導は「先に管夷吾を見る。また憂うるなし」と
管仲並と詠われているのに
格差があるよねー。
39 :
世界@名無史さん:03/06/30 15:30
>>18 餓死エンディングがそんなにいいのか。
おれはいやだ。
晋書が手元に無いんで・・・と、検索してみますと
中国語のサイトで晉書(こっちで検索してみてください)ちゃんとありました。
郗鑒伝に附されてる息子のところで出てきますね。
残念ながら、本人のところでは北府という表現はないみたいです。
あれは、建康の北に鎮する軍府というような意味合いだったと思います。
京口というところですが(こちらはしばしば伝内に出てきます)
北府は北からの五胡対策としての首都防衛軍的な存在で
郗鑒の遺言で、この軍団が北からの流れ者で構成されてるんで、
みんなに信頼されてる人物を司令官にしてね、ってなことを言ったんで
彼の親類縁者=貴族連中が北府のリーダーに→軍閥化という末路です
41 :
世界@名無史さん:03/07/01 06:07
>40
なるほど、だいぶ様子がわかってきました。どうも。
北府軍については、劉牢之伝を少しみたことがあるんですが、
記述が簡潔で、勢力範囲などがよくわからなかったんですよ。
西府軍の桓玄については比較的詳しい伝になっているんですが・・・。
43 :
世界@名無史さん:03/07/01 07:57
ふっ・・・小僧たちが賊軍を打ち破ったまでよ
46 :
世界@名無史さん:03/07/15 11:57
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
48 :
世界@名無史さん:03/07/17 09:21
age
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
51 :
世界@名無しさん:03/08/01 23:07
貴族制は実質的には侯景の乱で終わったのかな?
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
53 :
世界@名無史さん:03/08/09 18:55
結局漢民族は野蛮人と血がまじって絶滅しているわけだ。
だからこの時代にまんなかの連中は死に絶えた。
今のチャンコロは50年ていどの歴史しかない。
まんなかの連中w
55 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■:03/08/19 00:14
>51
終わりました、といえます。
「成り上がり」国家・陳の時代にいくらかは生き残ってますが
せいぜいお御輿程度で実権はあって無いようなものだったそうな。
56 :
世界@名無史さん:03/08/19 23:34
>55
そのあたりのこと、川勝さんの本に載ってましたね。
57 :
世界@名無史さん:03/08/20 17:45
陳というのも目立たない国ですね…
この「陳」というのは人名からですか?
国名(地名)。
もともと「陳」という国があったのです。
陳霸先はどうしても小物に思えるな・・・贔屓目に見ても
陳はまぎらわしいし(笑)
60 :
世界@名無史さん:03/09/11 19:22
六朝→百済
北魏→高句麗
61 :
世界@名無史さん:03/09/11 20:10
>>53 今の中国人は、蒙古に満州、人種も風俗も北夷に染まりきってる
今の日本が中国文化マネたって、昔の文化は別人種のそれ
62 :
世界@名無史さん:03/09/13 12:47
今の日本人は、蒙古に満州、人種も風俗も北夷に染まりきってる
今の日本が縄文文化に出自を求めたって、昔の文化は別人種のそれ
63 :
世界@名無史さん:03/09/13 14:22
>>38 コーエーの「信長」には水戸黄門すら出る作品があるのに王導・陸機の出ない「三国志」はなんか変?
中世は貴族の時代ってぇけど、貴族と軍人の時代だろぅって。
65 :
世界@名無史さん:03/09/15 12:04
この時代ってごちゃごちゃしててそれがまた面白い
★六朝〜その四〜
南斉【ナンセイ】(479〜502)
479年に前漢の丞相、蕭何の二十四世の孫を称する高帝蕭道成が宋の順帝の禅譲を
受け即位。高帝とその次の武帝の治世は比較的安定した時期であったが、鬱林・
海陵の2幼主が続いた後、傍系から明帝が立つと、一族諸王を大量に殺害し、斉の
衰亡の端を開いた。続く東昏侯は南朝随一の暴虐な君主であり、人心はますます
離れていった。こうした折、宗室の疎族の蕭衍が東昏侯に兄蕭懿を殺されると、
挙兵して建康を陥落させ、梁王朝を開いた。
★六朝〜その五〜
梁【リョウ】(502〜557)
南斉の宗室蕭衍により建国。南斉の暴虐な天子東昏侯が即位すると、衍は
和帝を擁立して、東昏侯を討伐。502年に和帝から禅譲され、帝位につく。
以後武帝の治世48年の間に政治は安定し、首都建康は、仏教を中心として、
かつてなく繁栄した。しかし、548年の侯景の乱によって魏晋以来の名門貴族が滅び、
建康は荒野と化した。最後は侯景を平定した陳覇先が自ら擁立した敬帝の禅譲を受け
梁は滅亡する。
★六朝〜その六〜
陳【チン】(557〜589)
557年陳覇先が梁の敬帝の禅譲を受け即位。陳は、わずかに建康周辺にしか
支配を及ぼすことが出来ず、四代皇帝・宣帝の時に一時期北斉から淮南地域を
奪回するが、北方に隋朝が成立すると、その強圧に抗しきれず、589年隋に
よって滅亡する。最後の皇帝・陳叔宝は、陳滅亡後、長安に入り、洛陽で没した。
69 :
世界@名無史さん:03/10/14 23:42
age
世界史板に北朝スレはないんでくか?
北朝鮮のスレ?
72 :
世界@名無史さん:03/11/15 22:57
age
73 :
世界@名無史さん:03/12/14 05:23
私が中国史に疎いので
六朝文化とはきくが、六朝時代とは聞いたことがないな。
74 :
世界@名無史さん:03/12/31 15:21
南斉と梁は同じ血族(蕭氏)なのに、王朝としては全く別モノとしてカウントされているのは何故でしょうか?
そもそも「王朝交代」というのは何をもってそうだと考えるのか、、、、。厨な質問でスマソ。
蕭衍が王朝名を変えたから……じゃダメか。
斉和帝→梁武帝の間は禅譲の形式踏んでるしな。
やはり世襲とは言い難いものがあるな。
うまく説明できん。専門家の光臨きぼん。
76 :
世界@名無史さん:04/01/04 00:26
蕭衍は、斉皇室の「遠い親戚」程度のもので、
斉の東昏候の代には、擁州の軍団長程度の地位にあったはず。
親戚間の政権交代としては、隋と唐がメジャーか?
少なくとも斉→梁は、世襲じゃないな。
77 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■:04/01/04 22:02
う〜ん。単純に「俺とあいつらとは無関係だもん」という
アピール的な意味合いももあったかもしれません。
春秋→戦国時代の田氏に乗っ取られた「斉」や
王莽に滅ぼされた西「漢」を受け継いだ東「漢」
には権威や象徴的な利用価値はあったからこそ
「名」は受け継がれたのでしょうが
正統王朝である東「晋」を力ずくで奪った
字の読み書きもまともに出来ない不精者の劉裕の建てた「宋」
を奪った火事場泥棒のような寒人出身の蕭道成の建てた「斉」
ですから・・・20年程度の遍歴じゃ権威も重みも無いし
その間、血みどろのキ○ガイ君主のオンパレードだし。
ハッキリ言ってそんな「負債」を受け継ぐくらいなら
リセットしてイチからやり直したほうがマシ!
というのも理由の一端かも(^^;)。
78 :
世界@名無史さん:04/01/04 22:22
74です。みなさんレスありがdです。
>>76氏がいう「遠い親戚程度」の血縁で王朝名が受け継がれた例なら
>>77氏のいう西漢・東漢・蜀漢もあるし、南宋の初代皇帝→
二代皇帝なんかは血筋はものすごく遠いけど扱いは「世襲」。
後周の初代と二代なんかは、義父子というだけで血縁関係もないし。
何より目立っているのは、斉と梁の間は「直接の」禅譲という点。
王莽によっていったん中断された西漢―東漢の関係なんかより、
むしろ時間的連続性という点ではより繋がりが明確なワケで。
「王朝交代」であるか否かの判断基準は、血縁の近さでもなければ
時間的連続性でもない。ならば
>>77氏のレスを引用して考えるに
結局それは継続王朝の名を決める当事者の政治的な思惑に拠る
ものであり、客観的な基準は存在しないと考えるのが
むしろ妥当なのでしょうか。
79 :
世界@名無史さん:04/01/05 00:32
76です。ちょっと厨な発言かも…ですが、
王朝交代には、正統性をアピールする為の儀式がありますが、
例えば『南斉書』本紀第二、高帝下には、
建元元年夏四月甲午、上即皇帝位於南郊、設壇柴燎告天曰…
とあり、このような記述は『後漢書』や『梁書』『陳書』などにも見られる。
引用文中に、柴を炊いて天を祀り告天するという行為があるが、
これらは、西周以降に国家統治の原理として確立した「天命」の観念と関連する。
国家に於ける天命……易姓革命の考え方からいけば、
斉の皇帝の徳が衰え天命が去り、代わって蕭衍が天命を受けた。
故に国号も改められる。
姜斉と田斉はそもそも諸侯国であって、天命を授かった周王とは違うし、
後漢は漢の復興を標榜したのであるから国号は変わらない。
「王朝交代」の問題を複雑に見せているのは、このような「建前」の部分、
いわゆる正統性や思想、儀式の問題が存在するからだと思うのだが。
う〜ん。やはり漏れでは説明できない。
専門家の光臨きぼん。
80 :
世界@名無史さん:04/02/09 08:09
age
81
82 :
世界@名無史さん:04/03/24 23:55
age
83 :
世界@名無史さん:04/04/29 00:34
84 :
世界@名無史さん:04/05/26 06:39
倭王って、宋の劉氏にヒナの刷り込みのように文明を知ったんだよね。
当然、宋が滅んだ時の倭の権威の裏づけが喪失されただろうね、
丁度、宋が滅んだあたりから記紀でも人物が
具体的になっていくのが気になるんだよね
85 :
世界@名無史さん:04/05/26 07:53
六朝時代は、ぱっとしないどころか、中国史を代表する貴族文化全盛の時代
ですがな(侯景の乱までは)。
特に、梁の武帝の頃が最盛期。その頃は、北朝も東西に分裂してたし。
86 :
世界@名無史さん:04/06/11 09:52
六朝文化というけど、呉は文化が育ったり保護したりってあったのかな?
あの時代の文化レベルは魏の方がはるかに上でしょう
一度統一で途切れてるし五朝文化が適切じゃないか?と。
寺建てたりしてる>呉
88 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/12 00:32
>>85 >特に、梁の武帝の頃が最盛期。
寺から武帝を「買い戻す」のに大金が支払われていますが、あの時代は全体
的に大量消費が行われていたようですね。
89 :
世界@名無史さん:04/06/12 13:49
いきなりのレスですが。
>88
一回に三億銭でしたっけ? 支払った銭は、どんな内訳だったんでしょうか。
鉄銭か銅銭か、貨幣の質はどうだったのか、この時代の「億」は現代と同様に
一千万の十倍を意味していたのかとか、すごく興味があるんですけど。
私の浅薄な知識では、謎が深まるばかりです…。
>89
寺と書かれているのでしたら、仏教ではないでしょうか。道教の宗教施設は
「道観」ですし。だから併記するときは「寺観」となっていたかと。
92 :
世界@名無史さん:04/06/12 22:41
謝霊運の詩は、華麗でいいね。
93 :
世界@名無史さん:04/06/12 22:45
東晋の有力貴族といえば王導・謝安の「王謝」だが、書の大家は王義之、
詩の大家は謝霊運で、王家・謝家の出身だ。
うちは浄土真宗なんですけど、お経に出てくる梁天子って、
武帝のことでしょうか?どうもそれが気になりまして。
95 :
世界@名無史さん:04/06/12 22:49
朱雀橋辺野草花
烏衣巷口西陽斜
旧時王謝堂前燕
飛入尋常百姓家
唐詩の方がいいな!
96 :
世界@名無史さん:04/06/12 22:50
達磨と問答したのはそうですが、それが何か?
>>90 武帝は523年に貨幣を鉄銭で統一し、官吏の給料も全て銭としています。
しかし宋代以来「悪貨が良貨を駆逐する」状態が続いており、経済は度々
混乱していたようですよ。
鉄銭の導入も混乱の解決と銅不足の解決を目的としたものであったようで
すが、すぐ元に戻ってしまいました。
そんな中で農村を棄てる農民が増加し、彼らが軍隊に入ったりヤクザ者に
なったりと混乱に拍車をかけました。梁がああした最後を迎えたのもむべ
なるかな。
98 :
世界@名無史さん:04/06/12 23:14
>旧時、王謝堂前ノ燕
>飛ンデ入ル、尋常 百姓ノ家
昔は王謝の大邸宅、今はただの平民の家。
この詩を見た限りでは、中唐の頃には、南京は衰退していたのかな?
>>90-91 ありです。
何か三国志に仏教ってピンとこなかったもので。
太平道、五斗米道と道教の方がイメージ的に
100 :
世界@名無史さん:04/06/12 23:49
江雨霏霏江草斉
六朝如夢鳥空啼
無常最是台城柳
依旧籠煙十里堤
晩唐の詩「金陵図」では、「六朝、夢ノ如ク 鳥、空シク啼ク」と歌われている。
当時の南京は衰退していたんだな。
101 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/13 09:09
>無常最是台城柳
いい文句ですね。
>>97 経済混乱ですか。あの時代の経済制度ってどのくらい成熟してたんで
しょう。たびたびということは、さほどでもないのでしょうが。
十六国時代の後趙・前涼では絹を貨幣代わりにしていたと「載記」には
書かれてましたけど、もしやその頃と大差なかったとか・・・。
でも、官僚の俸給が払われてたというのはすごいですね。
北魏あたりだと、孝文帝中期〜宣武帝初期を除いて俸給ゼロだったそうです。
非豪族の官僚であれば、野菜を売ったり交易に参入したりして、自己の才覚で
稼いだらしい、と。
だから列伝では、論評の文(論賛ではなく)で「すぐれた人物だったが、産業を
営み利を貪った」と批判的に書かれてる人が多いのだとか。
ご存知の話でしたらすいません。
うーん、経済関係の話は奥が深いです。いろんな方のいろんなお話が読める。
ほんと、ためになりました。多謝です。
103 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/14 23:49
武帝がああいう最後を遂げなくても、あのままだと梁朝は長くは無かったかも
しれませんね。農民が逃亡→軍人・野盗化→襲われた農民が逃亡の悪循環。
104 :
世界@名無史さん:04/06/19 01:04
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 島夷を語るスレはここか。
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
105 :
世界@名無史さん:04/06/19 08:19
106 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/06/19 11:27
「島夷」と呼べば 「索虜」と答える 南北朝の嬉しさよ
107 :
世界@名無史さん:04/06/25 23:39
「南朝」というから「南」というイメージがあるけど、地図で見たら、洛陽と
南京は緯度があまり変わらんな。「東朝」という方が実態に近そうだぞ。
北京と比べれば、たしかに「南の京」だけど。
108 :
世界@名無史さん:04/06/25 23:42
109 :
世界@名無史さん:04/06/26 00:29
そういえば「南晋」じゃなくて「東晋」だな。
三国志には、魏と呉が激突する「合肥の戦い」というのがあるけど、
読んだ当時は、北の魏が南に攻め下ってきて、南の呉が迎え撃った、
というイメージだった。
地図で見ると、魏の都・許昌と、呉の都・建業(南京)は、緯度が
あまり変わらない。東西にだいたい並んでいる(もちろん、建業の
方がちょと南だけど)。安徽省の合肥は、その中間点だ。
距離的にも、江戸と大坂くらいにしか離れてなさそうだな?
110 :
世界@名無史さん:04/06/26 00:43
違った。江戸と長崎くらい
江戸の仇を長崎で(ry
112 :
世界@名無史さん:04/06/26 01:08
>>109 当時の中原は不毛の大地ではなく、緑が生い茂っていたらしい。
唐辺りから、禿山&砂漠化していったのかなぁ。
113 :
世界@名無史さん:04/06/26 07:53
>>109 首都ではなく国で考えれば北と南になっちゃうでしょ
>>112 ん?樹木の伐採は戦国時代くらいからひどくなって、両漢あたりに半分になっちゃったでしょ。
趙宋のころにはほとんど伐るものがなくなって、石炭が主要な燃料になった。
砂漠化は現在も進行中。中国行って植樹しろ!
>>100 亀レスだが転句、結句は
無情最是臺城柳
依舊煙籠十里堤
でせう。俺が現代音で覚えてる数少ない詩の一つ。
116 :
世界@名無史さん:04/06/26 22:37
>砂漠化は現在も進行中。中国行って植樹しろ!
清代に、満州人が熱心に植樹した。森林の民である満人にとっては、華北の
砂漠は耐えがたかったようだ。
でも、満州人は去り、以前にも増して砂漠化が進行している・・・。
117 :
世界@名無史さん:04/06/27 00:50
118 :
世界@名無史さん:04/06/27 01:25
>>114 宋朝期に石炭が燃料として使われたとは良く聞く話だが、
どの程度の範囲で使われてたんだろうか。
もし人民の生活必需品のような状況になっているのであれば、
炭鉱は官営にして、石炭に税金を掛けているはずだと思うんだが。
119 :
世界@名無史さん:04/07/11 02:57
殺戮王国の南朝マンセー
120 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 07:01
今も上海周辺は「華東」地区だ。広東省周辺が華南。
121 :
世界@名無史さん:04/08/03 21:46
陶淵明がヤオ族の出自って本当ですか?
>>121 概説書で読んだ覚えがあります。余談ながら、白楽天も中央アジア出身の西戎
の子孫とされたことあり(事実は異なるようです)。
武陵蛮の出身って何かの本に書いてあった>陶淵明
124 :
世界@名無史さん:04/08/25 04:33
梁武帝勅撰の書って結構あるよね。
>>100 千里鶯鳴緑映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少楼台煙雨中
中唐の杜牧。南京だと思うんだけど・・・古を懐かしむのと現在の繁栄とは必ずしも絶対反比例ではないのでは・・・?
なんちょうしひゃくはっしんじ
この読みはテストに出るので覚えておくように
Namchao sibiakbatsip si
もちろん漢字でも書けるように。
江戸八百八町、京都八百八寺、大坂八百八橋。
書けますた。
129 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/09/10 10:56
>>121-123 確かに、今手元にある概説書にも「陶侃は五渓蛮出身で云々」って
いう記述があるんだけど、でも、史書(晋書・南史・通鑑)に当たって
みても、肝心の「陶侃は蛮の出である」と言い切った記述がどうも見
当たらない・・・。
「貧しかった少年期の陶侃は、漁業を生業としていた」みたいな記述
はあったから、曽孫にあたる陶淵明が五渓蛮をモデルに《桃花源記》
を書いたという説あたりと併せて、五渓蛮説を類推してるのかなぁ。
と思ったら、今これを書きながら調べてるうちに、温嶠が陶侃のことを
陰で「渓狗」と呼んで馬鹿にしているエピソードを《世説新語》に発見。
多分に脚色の混じることが多い世説だけど、これはかなり在り得そう。
て、そういや《南史》調べたって、陶侃の事跡
が載ってるわけないよな、そもそも・・・。(汗
ちなみに「渓狗」とは、長江中流・武陵周辺の
渓谷に棲んでる、ガマガエルの一種を指すらしい。
だれだ、りくちょうのことをろくちょうとよんでいるやつわ?
133 :
世界@名無史さん:04/10/08 09:07:52
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< おうおう、島夷がわめいておるわ。
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
134 :
世界@名無史さん:04/10/08 23:22:02
索虜よ、去れ!
ろくな史書も編纂できぬくせに!
(『魏書』は「穢史」と呼ばれるほどの悪書)
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 南風競わずたぁ、このことか。
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
136 :
世界@名無史さん:04/10/10 20:58:56
索虜が何を言おうとも
中華文明の正統な継承者は南朝である。
137 :
世界@名無史さん:04/11/12 07:02:14
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 哀れだからageといてやる。
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
138 :
世界@名無史さん:04/12/01 16:08:58
age
139 :
世界@名無史さん:04/12/12 23:35:25
思うに、唐時代の史書編纂のバイアスがかかっているので、南朝の実態があまり見えていない
側面も、面白くないと思わせる一面があるのでは?
この前南京に行って来て、南京博物館なるところで、建康遺跡からでた巨大な獅子の像(5mくらいあった)を見て
ちょっとびっくりした。あと城壁の写真もあり、(時間がないので場所を調べなかったが)、少しは
ヴィジュアルな史料が増えると、イメージが変わるかも。
140 :
世界@名無史さん:04/12/13 23:55:19
六朝が最後の漢人政権な訳よ。
「宋書」は南斉、「南斉書」は梁の時代に編纂されてるんじゃ…?
バイアスがかかってるのなら「南史」では。
「南史」のコンセプトは四朝の通史だけど、同時に各書から漏れた記事も
記載するスタイルだったかと。
あと入手しやすいのは唐代の「建康実録」ですかね…。中華書局と
上海古籍出版社のふたつがあったかな。
この時代の資料に詳しい方、降臨キボンヌ。
142 :
世界@名無史さん:04/12/14 22:00:49
>>141 唐代に編纂でバイアスが掛かってると言えば、忘れちゃいけないのが、
「バイアスの王様」こと《晋書》。(晋代は南朝の内に入らないけど。)
優秀な先行晋書群をなんで全部葬りやがったんだYO、太宗。
このせいで後世の六朝専攻史家がどれだけ苦労してることか。
個人的に太宗は、通説通りの名君じゃあ絶対にないと思う(もちろん
暗君でもないだろうけど)。宋初4代清中3代のような真性名君たちと
比べると、どうも劣る。どちらかと言うと、秦の始皇帝や漢の武帝に
行動様式が近い気がする。
>141
「晋書」のアレは、諸説色々ありますねえ。
個人的には、「皇帝勅撰の史書」を作りたい自己顕示欲も混じってたかな、
などと考えておりますが。自家の先祖に仮託していた西涼の李氏が、なにげに
列伝に入っているのは確実な偏向でしょうね。
北魏の崔鴻「十六国春秋」では李氏も五胡の群雄と同列に入っていたそうですし。
北魏といえば上にも挙がっている「魏書」ですが、後世の評価は意外にも肯定
否定が相半ばしていますね。「四庫提要」では肯定、「二十二史箚記(誤字失礼)」
では否定といったところですか。
肯定する理由としては「釈老志」の創出、宗室伝の充実などが挙げられるようです。
結論として、「史書としてはそう悪くない」ということみたいですね。
「穢史」というのは少々酷に過ぎるでしょうか。
唐の太宗が名君かどうかは…「創業の名君」はまちがいないと思いますが。
問題は「守成の名君」かどうかじゃないですか?
漢の武帝に近いというのは同意です。
すいません。
143は、
>142
です。
145 :
世界@名無史さん:04/12/15 01:43:22
>>143 >「穢史」というのは少々酷に過ぎるでしょうか。
歴史を捻じ曲げてると言えば、対象年代と成立年代の隔絶具合(300年)
を勘案しても、それでもなお晋書の方が余程か歴史を捻じ曲げてると思う。
しかも、魏書は一応ある程度他書で補填可能だけど、晋書の場合、
所謂「九家旧晋書」が破棄されちゃったせいでそれもままならない。
太宗の直接的な罪悪は、編纂時の意図的なバイアスよりも、
むしろこの旧晋書の破棄の方にあると思う。
これに比べれば、よく指摘される「小説類(捜神記や世説新語等)
由来の面白可笑しい挿話や眉唾の記述を、考えも無しにバカバカ
突っ込んでる」なんて欠点は、全然屁でもない。可愛いもんだ。
146 :
世界@名無史さん:04/12/15 12:04:50
晋書をよく読んで言ってるのか?
晋書はそれまでの正史の中で一番膨大なんだぞ。
旧晋書を全部取り込むのは当然無理。
147 :
世界@名無史さん:04/12/16 00:00:54
なんか中国人って完全版がでると、旧版とか捨てちゃうような気がする。
148 :
世界@名無史さん:04/12/16 00:46:24
とはいえ、ほかの時代のはけっこう残ってるからなあ。
「七家後漢書」だって(残闕激しいけど)現代に伝わってるわけだし。
150 :
世界@名無史さん:04/12/17 01:05:16
七家後漢書は伝わってるとは言えない。
ありゃ、注から取ったのがほとんど。
151 :
世界@名無史さん:04/12/18 03:27:37
そんなこといったら旧唐書だって旧五代史だって、散逸したものを再編したわけだが。
152 :
世界@名無史さん:04/12/19 19:04:34
岡崎文夫の魏晋南北朝通史って文庫化してる?
内篇だけ東洋文庫に。
154 :
世界@名無史さん:04/12/19 21:39:40
サンクス。
でも何でそんな中途半端な・・・?
155 :
世界@名無史さん:05/01/05 17:47:13
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 新年だからageといてやる。
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
156 :
世界@名無史さん:05/01/06 02:15:56
南北朝の抗争ってゲームになんないのかな?
ふたつかみっつしか勢力ないんじゃなあ。
158 :
世界@名無史さん:05/01/08 16:45:14
むしろ政争ゲームだな。
項劉記みたいなシステムなら出せそうではあるが、
面白いかどうかは…
来月『中国の歴史』川本芳昭センセの担当巻(魏晋南北朝)発売sage
161 :
世界@名無史さん:05/01/21 17:50:23 0
age
162 :
世界@名無史さん:05/02/04 20:38:11 0
保守
主人公侯景の成り上がりゲーム。
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 赤壁大戦・淝水大戦・侯景の乱くらいが面白いんだな
§(|#◎#|) \___________________
//|||||||||)
(__)_)
165 :
世界@名無史さん:05/02/27 10:48:37 0
保守
166 :
世界@名無史さん:05/02/27 20:47:41 0
宋の前廃帝、後廃帝
斉の東昏侯
残虐非道な少年皇帝が勢揃い。
167 :
世界@名無史さん:05/02/27 23:06:36 0
>>166 呉の末帝・孫皓は、それら後代の南朝における暴虐
若帝たちのプレリュード的存在とも言えるだろうって、
川勝義雄(越智重明だったかも)も確か書いてたな。
168 :
世界@名無史さん:05/03/14 23:12:15 0
保守
169 :
世界@名無史さん:05/03/14 23:47:07 0
でも三国志じゃ正史でも脇役扱いされてる呉だけど
中国史全体で見るとすごい功績なんだよなあ
三國志における呉書は脇役扱いではないと思う。
本当に脇役扱いなら、列伝に入れられてるはず。
東夷伝のしたに南蛮伝なみの扱いにされてるだろう
晋書風だったら載記みたいに
171 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 23:15:20 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 南斉の慧深です。扶桑バカンスから帰ってきました。
§(|#◎#|) \___________________
//|||||||||)
(__)_)
>>170 とはいえ呉の皇帝孫権は呼び捨てにされている。
また三国志演義でも善玉劉備と悪玉曹操が強調されていて、終盤にはフェードアウト。
りっくんの登場までその存在は忘れられていたといっても過言ではない。
173 :
世界@名無史さん:2005/04/10(日) 08:13:21 0
ほっしゅん
174 :
世界@名無史さん:2005/04/10(日) 15:43:09 0
>慧深・扶桑バカンス
貴殿は詐欺師とのうわさもありますが
真否やいかに?
175 :
世界@名無史さん:2005/04/22(金) 16:50:33 0
干す
干すとヒカラビます
177 :
世界@名無史さん:2005/05/09(月) 19:46:16 0
age
178 :
世界@名無史さん:2005/05/26(木) 06:56:58 0
「荷荷」
梁武帝の最後の言葉。
179 :
世界@名無史さん:2005/06/11(土) 02:49:51 0
いかなる意味?
180 :
世界@名無史さん:2005/06/11(土) 19:39:05 0
「荷荷」
意味はないと思う。
飢餓状態だった武帝の最後の呻き声だろう。
181 :
世界@名無史さん:2005/06/27(月) 23:05:39 0
保守
182 :
世界@名無史さん:2005/06/28(火) 01:42:04 0
絶版になった
吉川忠夫『劉裕』(中公文庫)買えた。
184 :
世界@名無史さん:2005/07/06(水) 14:09:22 O
185 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 23:11:20 0
保守
186 :
世界@名無史さん:2005/07/26(火) 18:44:17 0
平凡社の『世説新語 顔氏家訓』
品切れです・・・。
187 :
謝家の腰元:2005/07/28(木) 09:41:06 0
おっとこんなスレが!
「東晋末まで建業がちゃんとした城壁ではなくて竹矢来でかこまれていた」
と『建康実録』のどっかに有るらしいのですが、なんか詳しいことご存じの方、教えて下さいませ。
188 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:03:43 0
保守
>>186 ネットの古本屋で探せ。
漏れはネットでけっこうな美本が手に入ったよ。
>171
慧深さん、還俗されました?
ヨロイまできちゃってるし…マツケンのマネ?
191 :
世界@名無史さん:2005/09/03(土) 23:07:36 0
age
192 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 23:08:46 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 陸法和です。私がこのスレの風向きを変えてあげましょう。
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
194 :
世界@名無史さん:2005/10/14(金) 23:02:27 0
age
sage
このスレが落ちたら、次は北朝スレだ!
決定!
197 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 23:03:04 0
気が早いでつね
>>198 この調子だともうすぐだから。w
2年半経っても、この空疎な内容。
さすが島夷スレp(w.
次スレ案:
【中国】宇宙大将軍と愉快な仲間たち【北朝】
【中国】蘭陵王殿下と引き立て役のヤローども【北朝】
【平城〜洛陽〜武川鎮】北朝【胡漢融合の中華】
200 :
世界@名無史さん:2005/11/10(木) 23:50:16 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 南風競わず、か(w
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
201 :
世界@名無史さん:2005/11/10(木) 23:59:40 0
索虜に自前の文化があったか?
全部南朝の模倣じゃねえか。
ログも読まずに質問。この時代にかんした面白い本でてる?
203 :
世界@名無史さん:2005/11/11(金) 00:38:04 0
吉川忠夫『侯景の乱始末記』(中公新書)
に優る物なし。但し絶版。
>>203 それは復刊.comにリクエストしたけど、いまだに反応なし(´・ω・`)
他にはないの?
205 :
世界@名無史さん:2005/11/14(月) 22:23:09 0
胡馬荒れ狂う中原を避け、江南に避難する中華の民たち。
そこには純粋な漢族による風雅な楽園があるはずだった。
しかし現実には暴君狂君暗君の連続で、血を血で洗う修羅場と化していた。
そうこうしてるうちに、禽獣に等しい土蛮だったはずの北の連中がメキメキと力をつけて
ついに南北を統一してしまいましたとさ。
〜¶
∧⌒∧
>>201 わが中華には、雲崗・竜門はじめ荘厳な文化をもって後世の人々に知らしめているが、
ノ ( ´∀`)< あわれ島夷は、江陵で書籍を焼き、建康は平地になってしまったので(w
§(|#◎#|) 文化なるものの一片は、わずかなお文学と史書にしか見ることができない。いや、おかし。
//|||||||||)
(__)_)
207 :
世界@名無史さん:2005/11/17(木) 23:18:36 0
胡が跋扈する華北を回復するのが漢民族悲願の時代だったのに
なんでこの時期にはバカ殿ばかり輩出したんだ?
父帝の葬儀に、喉が痛いから泣きたくないと駄々をこねる皇太子とか
クーデターの軍隊に寝室に乱入されるまで素っ裸で愛妾と戯れていた帝とかいたよな。
208 :
世界@名無史さん:2005/11/18(金) 22:59:50 0
>>203 それやたらに持ち上げられてるね
中公文庫ビブリオあたりで復刊すりゃいいのに
中公は駄本出してる暇あったら
過去の名作を復刊してくれよ
高島俊男氏が言ってるように世界史好きには
昔の中公文庫って宝の山なんだから
209 :
世界@名無史さん:2005/11/22(火) 01:45:52 0
心配しなくても定期的に復刻してるじゃないか
人生を10年の単位で語れる歳になろう
210 :
世界@名無史さん:2005/11/23(水) 12:43:36 0
六朝時代には大いに男色が盛行したと言いますが、
例えばどんな人たちがゲイで名高いのでしょうか?
それは初耳。
ソースはなんて本?w
212 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 23:11:32 0
age
213 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 23:18:03 0
確か『玉台新詠集』では梁の簡文帝が
赤い下着をつけた美少年を称える詩が載っている。
舞いながらちらちら下着が見えるのが美しいと。
214 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 23:11:04 0
保守
215 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 16:04:15 0
老人って基礎代謝量が少ないから実は若者より飢えや渇きに強いらしい。
つまりそれだけ長く苦むってこと。
梁の武帝に末期の蜜ぐらいやればよかったのに、宇宙大将軍も酷な奴だな。
216 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 17:11:34 0
いや、普通に宇宙大将軍は酷いやつでしょ。
217 :
世界@名無史さん:2006/02/10(金) 23:11:30 0
age
218 :
世界@名無史さん:2006/02/10(金) 23:55:04 0
六朝時代には大いに男色が盛行したと言いますが、
例えばどんな人たちがゲイで名高いのでしょうか?
初耳だとはド素人の言い条!
すりゃあ、聞こえませぬぞゑ。
関羽死す!!
梁初期に普通という元号があるのが微笑ましい。
221 :
世界@名無史さん:2006/03/03(金) 23:05:30 0
保守
222 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 01:49:09 O
中大通も微笑ましい
どこの大通りだ
223 :
世界@名無史さん:2006/03/10(金) 17:05:36 0
劉宋に「大明」という年号があって
その間に建立された寺が「大明寺」。
しかし後年清の乾隆帝が「法浄寺」という額を下賜したため
寺名を改めざるを得なかった。(明王朝を連想させる名前を乾隆帝が嫌ったらしい)
という事を陳舜臣氏が朝日夕刊の連載「六甲随筆」で述べていた。
揚州大明寺か…、鑑真がらみの寺だろ。
この時期って、諱と字がまったく同じ人物が何人かいるが、
なぜなんでしょう?
これに関する研究論文とかありますか?
227 :
世界@名無史さん:2006/03/30(木) 13:59:46 0
何故か南北朝鮮人が自慢する百済仏教は、
この六朝が発展させたの仏教文化のコピー。
>>226 異民族の風習。
異民族から帰化したのもいれば、漢人でありながら流行にのったのもいたろう。
230 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 21:45:57 0
231 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 23:08:20 0
age
232 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 16:19:28 0
この時代、何でどうしようもない気違い暴君が続出したの?
五石散のせいでは?
234 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 22:41:32 0
五石散で悪影響を受けた人もいただろうけど
それなら当時の貴族社会全体が変態的な殺人鬼ばかりになるはず。
南朝のイメージは王室が突出して残虐で
貴族連中は出来るだけ係わり合いになるのを避けて世渡りしているという印象があるんだけど
どうだろう?
235 :
世界@名無史さん:2006/05/17(水) 18:02:54 0
この時代「一日人を殺さざれば怏怏として楽しまず」とか書かれた皇帝もいたよな。
236 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 19:03:23 0
>>235 劉宋の後廃帝劉cだな。
ニンニク臭い将軍の腹を裂いて胃の中を調べたり
外出の度に、見掛けた老若男女を殺したりと、明らかな狂人君主。
特に南朝のほうは、現代の若者と同じで倫理観が欠如しとる
3代目あたりからはわがままに育てられたんだろう・・・
儒教も衰微してたから、教育環境が皆無だったんだろ・・・
世説新語から読み解くと、当時は儒教よりも老荘や仏教が流行していたな。
教育環境というより、軍権持つ皇族と政治・文化的優越を誇る名門貴族との
争いで皇帝権保持するには、暴君化していく道が一般的だったのか。
239 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 22:11:14 0
江南で初めて寺立てたのは孫権かや?
240 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 00:41:58 0
「天子莫走馬、大将軍怒」
この文、
「天子様、馬を走らせてはなりませぬ。大将軍がお怒りになりますぞ」
と訳すべきか、それとも
「天子よ、馬を走らせるな!大将軍がお怒りになるぞ!」
と訳すべきか。
東魏の孝静帝が高澄から陰に陽に圧迫されていた時の狩の記述。
魏書の記述だから厳密には六朝ではないんだが時代は同じということで。
>「天子様、馬を走らせてはなりませぬ。大将軍がお怒りになりますぞ」
>「天子よ、馬を走らせるな!大将軍がお怒りになるぞ!」
ニュアンスの硬軟あるだけで、どっちも同じ意味じゃん。
壬申、東魏主は王とともに鄴の東で狩猟し、飛ぶように馳せ逐った。監衛都督の烏那羅受工伐が後に従って呼んで曰く:「天子よ馬を走らせてはいけません、大将軍が怒っておられます」。
243 :
忠 ◆cXO3LIs87k :2006/06/17(土) 20:12:38 0
漫画「中国の歴史」より
陶 やあ、劉祐どの。また手柄を立てたのですね。
劉 わしのように家柄の良くないものは、戦で手柄を立てる以外、出世の道はないからな。
君だって出世したいだろう?陶淵明君。
陶 私は家族を養うために仕方なく役人をしているのです。
できることなら故郷の田園に帰ってのんびり暮らしたい。
劉 君は欲のない人だなあ。
本当にこんな関係だったかは分からぬが、妄想が膨らみますなあ。
244 :
忠 ◆cXO3LIs87k :2006/06/17(土) 20:13:08 0
劉裕
245 :
世界@名無史さん:2006/07/04(火) 20:27:09 0
age
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
/\_,, -―――-- _
| ∧ ___ `ヽ
/ ̄ ̄` ヽ ノ´__`ヽ \
\ _ノヽ〕斗- ―――‐\ \
\/ / \ )
| / | l l ___/ハ |ー―r‐‐'
| /_ノl 斗-ハl l/リ/ハ`刈 l |
〃 / ハ i|八 ィfテト イr'ハトj イ /
/ /ハ从ハハ い} ゞ-'〃/l/ は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
/ /l トi i}込 " '- "//斗
/ | !.N f´ _`≧ェイ「ニニ人___
〆 , / / て)(_) `ヽ \
// V / / /Y´l| 〉 \
/ ′ ∧ ∨イ シ弋‖ l / ̄个/
. / , 〈 \ ./ {{‐‐- ミ、 /l く/-=ミ /
/ , \ \j´ ̄` `ヾ `> 、__|`i i___
. / , \イ´ ̄`ヽ z \}‐<´| \ハ /
/ i /´7´ ̄`^ーへ_シ}=- ! ` ー} /
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! ,人ノ`ヽ / / |i l i \
! ト\ / 〃 |l ! l \
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/ム/厶/、_ ,厶_/ム/ーzj L\/ | \」| V`Y´
くヘ´ ̄`  ̄` l  ̄「ハ¬---Lz __∧ \
248 :
世界@名無史さん:2006/08/05(土) 10:33:13 0
月例放生に上がりました。
249 :
世界@名無史さん:2006/08/15(火) 02:15:21 0
宋の文帝の評価ってどう?
最後、息子に殺されたけど何が悪かったんだろ?
250 :
世界@名無史さん:2006/09/03(日) 21:14:59 0
金陵って始皇帝の時代からそう呼ばれてたんだっけ?
251 :
世界@名無史さん:2006/09/03(日) 21:28:42 0
宋の文帝は家庭教育が間違っていたとしか思えない。
皇太子をよほど甘やかしたんだろうな。
252 :
世界@名無史さん:2006/09/03(日) 21:54:38 0
文帝の子孝武帝は母の路太后と近親相姦していたと言われる。
北斉の某皇族にも「美少年だったが母と同寝して穢れた声が聞えた」とか書かれてる人いるな。
厳しくても間違う
もっとエロい話を聞かせてください、はぁはぁ。
255 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 09:01:14 0
ほしゅ
256 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 08:51:48 0
257 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 22:35:40 0
保守
258 :
世界@名無史さん:2006/12/04(月) 21:10:18 0
月例保守に上がりました。
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 島夷スレよ、静かに沈め!プゲラゲラ
§(|#◎#|) \___________________
//|||||||||)
(__)_)
260 :
世界@名無史さん:2007/01/13(土) 22:49:44 0
age
261 :
世界@名無史さん:2007/01/13(土) 23:27:12 0
南朝こそ中華の正統なるぞ。
索慮は漠北へさっさと帰るがよい。
262 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 07:24:31 0
263 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 20:59:13 0
祝四周年、謹賀!
264 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 21:26:18 0
森三樹三郎『梁の武帝』探しているけど見つからない。
265 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 21:41:20 0
a
266 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 21:41:56 0
a
りくちょうって読むんですよね
そうです
ろくあさ
華南は温暖で沿海部で交易が発展して
内陸部は取り残される
この時代は、人気無いのかね
ただでさえ過疎ってたのに、住民の半分以上は中華英雄板に流れたからな。もうダメぽ。
DQN皇帝が続いたのに、わりかし保ったほうか。
274 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 16:44:32 0
age
275 :
世界@名無史さん:2007/07/08(日) 16:18:43 0
今の書道の大本がこの時代に完成(楷書・行書・草書がこの時代に成立)
この時代は人気無いね。人物とか小粒だし
覚える量ばっかり多いし
278 :
世界@名無史さん:2007/09/17(月) 22:53:11 0
age
279 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 16:50:08 0
高校の世界史の教科書はおくれているからなあ。
280 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 14:30:12 0
漢の最後の後継国家は陳
三国厨の臭いがする
>>280 陳はないだろう、陳は。劉宋ならまだ分かるが。
こんなもの見つけた
1 :世界@名無史さん:2007/11/13(火) 10:38:26 0
ローマ帝国じゃガルバの時代からクーデターが相次いでいた
軍人皇帝時代など次々から次に皇帝が代わって言った(禅譲)
最終的には東西に分かれてしまった
だがローマ帝国は滅んだと言われない
劉邦が建国した漢は新の王莽に禅譲(クーデター)されたとき、または
分裂して出来た国の魏の曹丕に禅譲されたときに滅んだと言われる
だが上記のローマと同じように家臣や軍人による家臣のクーデターを滅亡としなければ
外部かあ征服された時(コンスタンティノポリス陥落)を滅亡と考えれば
漢から続く漢人の最後の正統後継国家は六朝の陳だよね?
漢は689年の陳滅亡まで続いたと考えられない?
中国史は王朝単位でものを考えるから
それを超えた単位を想定するのは難しい。
というか多分不毛。
漢〜陳を同一の正統性を持った一連の政権であるという考え方は勿論可能だよ。
正統論は重要な問題だからね。
ついでながら北の方では、北魏〜唐を一連のタクバツ国家として見てる人もいる。
286 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 19:03:30 0
唐から後も五代・北宋・南宋まで一連の政権っていうふうにも考えられる。
287 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 19:47:47 0
遼、金、元、北元、清も一連か?
288 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 20:18:17 0
>>286 五代〜北宋は、北宋が燕雲を取り返せなかったから、厳しい意見として
6番目の河南軍閥政権という見方があるけど(六代十国か?)
拓跋国家としての北魏〜唐とは、若干意味合いが違わない?
五代は沙陀第三政権である後漢ののちは、一応漢人が政権を担ったので、
政治的連続性以外では、北魏〜唐のくくりとは別になると思う。
289 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 02:47:22 0
五代を漢人政権と非漢人政権に分けるとどんな感じ?
290 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 10:44:50 0
>>289 漢人(と一般に認知されるであろう人)の政権
後梁、燕、岐、呉、南唐、閩、前蜀、後蜀、呉越、楚、荊南(南平)、湖南、
(および延州軍閥、霊州軍閥、定州軍閥も2代続く世襲政権)
沙陀政権
晋(後唐)、後晋、後漢、北漢
その他
南漢(もとは彭城人だけどアラブ系少数民族出とする説がある)、趙(回鶻)、夏州軍閥(拓跋)
291 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 15:33:40 0
沙陀ってな〜に?
292 :
世界@名無史さん:2008/02/16(土) 17:00:51 0
>>291 にちゃんねらの大好きなセリフを贈ろう。
293 :
世界@名無史さん:2008/02/17(日) 20:31:46 0
後周は漢民族?
294 :
世界@名無史さん:2008/02/17(日) 22:01:16 0
>>285 北斉・北周・隋・唐は、拓跋氏ではない。
>>293 あ、後周二氏を忘れていたw
とりあえず、漢民族とされるけど、郭氏、柴氏ともに邢州の人ということで
あるいは、鮮卑系か? ともされるが、それを言っちゃあ皆さん、その疑いがでてくるな。
>>294 そうなん?
他国が唐のことをダブガチュと呼んだのは、拓跋の音ではないかということになっているけど。
297 :
世界@名無史さん:2008/02/18(月) 00:29:53 0
北魏・・・漢姓:元氏、鮮卑姓:拓跋氏
北斉・・・漢姓:高氏、鮮卑姓:??
北周・・・漢姓:??、鮮卑姓:宇文氏
隋・・・漢姓:楊氏、鮮卑姓:普六茹氏
唐・・・漢姓:李氏、鮮卑姓:大野氏
298 :
世界@名無史さん:2008/02/18(月) 20:39:38 0
北斉の高氏って漢族なの?なんか高句麗系って話をきいたんだけど。
299 :
世界@名無史さん:2008/02/19(火) 19:33:02 0
宇文氏の漢風姓はないの?
高氏は渤海でしょ。
高姓の人は出自はどうあれ、渤海郡王に封ぜられることが多い。
301 :
世界@名無史さん:2008/02/19(火) 21:12:48 0
渤海王は大氏
302 :
世界@名無史さん:2008/02/23(土) 20:19:38 0
そういえば五胡十六国に渤渤って名前の王様いたね
303 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 01:16:32 0
勃勃だろ
304 :
世界@名無史さん:2008/02/27(水) 00:34:03 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 勃起勃起
§(|#◎#|) \___________________
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(__)_)
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´Д`)< 伏犠伏犠
§(|#◎#|) \___________________
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(__)_)
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´_ゝ`)< おまいらそのへんにしとけよプゲラゲラ
§(|#◎#|) \___________________
//|||||||||)
(__)_)
306 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 22:11:45 0
意味不明
307 :
世界@名無史さん:2008/03/05(水) 03:31:46 0
308 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 23:11:21 0
勃勃の名字ってなんだっけ?
309 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 23:14:56 0
赫連氏じゃないのか?
六朝時代はネタの宝庫なのに、ほんと話題少ないな。
俺もろくに書き込みしてないけど。
そんな俺だが吉川忠夫『侯景の乱始末記』を函館の某古書店で
偶然250円で入手して後生大事に持っている。
また、「劉」でもある
>>309 その幸運にSIT。
でも、再販しても売り上げ考えたら二の足踏むのは仕方ないしなあ。
侯景は平均より遙かに高いレベルで有能だし、
生き様もアウトロー的には格好いいのに
「宇宙大将軍」名乗った基地外としか語られん所が不憫ス。
312 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 03:19:14 0
侯景って鮮卑人なんだっけ?
>>294 タクバツ国家と拓跋氏の国家とでは意味が違うんじゃ
>>312 北鎮出身者なんて出自はもう分からんよ。
鮮卑匈奴その他北族漢人やらがごっちゃ煮になってよく分からん世界が出来てたのだ
>>287 部族も違うし
漢〜陳のように配下が禅譲させたわけじゃないので
事情が違う
316 :
世界@名無史さん:2008/04/05(土) 12:31:37 0
>>313 じゃあなんだ?
鮮卑族王朝=拓跋国家とでも?
そうすると北斉とかはどうなるんだ?
>>297によれば鮮卑姓はないようだが。
んな喧嘩腰に言われてもなぁ。
正確には覚えてないから本人の(杉山正明)本読んでもらうとして、おおよそ下の二点じゃないか?
1:拓跋氏以来の正統性を持った王朝であること。
2:胡漢ごっちゃ煮状態から生まれた王朝であること。
まあ杉山さんのことだから遊牧勢力のほうばっかり強調してるだろうけどね。
>そうすると北斉とかはどうなるんだ?
>
>>297によれば鮮卑姓はないようだが。
に関しては
>>313の下2行で言っているとおり。
高歓も宇文泰も楊忠も李虎もみんな北鎮出身者。
北鎮では漢族も胡族もごっちゃになって姓も変わって風習も入り混じってって世界。
そこ出身者の系図なんてもはや誰にも分からん。
北斉の高歓に関しては、鮮卑姓は伝わっていないが代々北鎮にいて鮮卑と同俗だったとある。
少なくとも漢人らしい漢人ではなかったってこと。
もしかしたら本当に渤海高氏の子孫だったかもしれんし、鮮卑だったのかもしれんし、
高句麗の血を引いていたのかもしれんが、そんなことは意味を持たない世界だったんだよ。
318 :
世界@名無史さん:2008/04/05(土) 19:48:24 0
広義においてのタクバツ。
唐がダブガチと呼ばれているのを拓跋の音のなまりとするなら、氏は関係ないことになる。
鮮卑系が広い意味で拓跋と呼ばれていた、ってことはないのかね?
唐ののち中国華北を席巻する突厥沙陀部も、氏でいえば朱邪。
沙陀はあくまで、朱邪氏の前の沙陀氏の名称なわけだから。
319 :
世界@名無史さん:2008/04/06(日) 12:37:02 0
>>318 >唐がダブガチと呼ばれているのを拓跋の音のなまりとするなら、
それってどうなんだろう?
よく音が訛るときって、母音が入れ替わることは多いけど、子音が変わる
ことって、あまりないよな。
もちろん有声⇔無声や有気⇔無気の入れ替わり、口蓋音化・鼻音化なんかは
普通にあり得るが。
しかしタクバツとダブガチの場合、とりあえず有声⇔無声や有気⇔無気に
ついては無視して考えたとしても、
タクバツ・・・t→k→p→t
ダブガチ・・・t→p→k→t
って感じで子音の配列が違ってきてしまう。
本当にダブガチがタクバツの訛りであるのか、ということには相当の疑念が残る。
コンスタンチノープル→イスタンブールと比べればおかしくも無いと思うけどね
拓跋←???(鮮卑原音)→tabgach
あと拓跋は子音の配列ではt→pじゃない?
akとかatで母音じゃないかな。
もしかしたら漢字の拓跋は原音の前半部分だけなのかもね。
イスタンブルの語源のうち有力なのは、イス・ティン・ポリン(街へ)という中世ギリシア語だ。
コンスタンティノープルのアラビア語形はクスタンティーニーヤ。トルコ語形はコスタンティニエ。
コンスタンチノープルがイスタンブルの語源という説を唱える人はあまり多くない。
322 :
世界@名無史さん:2008/05/25(日) 07:35:57 0
323 :
世界@名無史さん:2008/06/17(火) 16:04:43 0
>>310 >侯景は平均より遙かに高いレベルで有能だし
王偉があやつってるからそう見えるだけ説を推しちゃうぜ。
と、3ヶ月前のカキコにレスしてみる。
324 :
世界@名無史さん:2008/07/27(日) 03:20:39 0
緊急浮上
325 :
世界@名無史さん:2008/10/09(木) 15:37:59 0
「宇宙大将軍」って称号は当時の人間からはどう思われてたの?
326 :
世界@名無史さん:2008/10/09(木) 17:51:37 0
「宇宙」という言葉が現代と同じ意味やイメージで使われていたかにもよるな。
たぶん、ちがうと思うけど。
>>325 宇宙は仏教用語でしかなかったから
現代日本人が感じるのとは違った捉え方をしてたはず。
「スーパー大将軍」程度のものじゃないの。
「宇宙大将軍」の英訳ってどうなっているんだろうw
実際は「四方領域」程度の意味合いだと思うけど、解っていても笑ってしまうんだなこれが。
330 :
世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:17:49 0
当時で言えば「世界大将軍」ぐらいの意味か。
それでも十分変だと思うが。
1.屋檐和棟梁。《淮南子・覽冥訓》:“而燕雀佼之,以為不能與之爭於宇宙之間。”高誘注:“宇,屋簷也;宙,棟梁也。”
2.天地。《莊子・讓王》:“余立於宇宙之中,冬日衣皮毛,夏日衣葛?;春耕種,形足以勞動;秋收斂,身足以休食;日出而作,日入而息,逍遙於天地之間。”
《淮南子・原道訓》:“四維而含陰陽,紘宇宙而章三光。”高誘注:“四方上下曰宇,古往今來曰宙,以喩天地。”唐韓愈《苦寒》詩:“兇?攪宇宙,鋩刃甚割?。”
宋羅大經《鶴林玉露》卷三:“豫章之詩,包含欲無外,搜抉欲無祕,體製通古今,思緻極幽眇,貫穿馳騁,工夫精到,雖未極古之源委,而其植立不凡,斯亦宇宙之奇詭也。”
清黄遵憲《雜感》詩:“茫茫宇宙間,萬事等兒戲。”茅盾《三人行》七:“他渇望著震撼宇宙的大風暴。”
3.猶言天下,國家。南朝梁沈約《游沈道士館》詩:“秦皇御宇宙,漢帝恢武功。”《隋書・煬帝紀上》:“方今宇宙平一,文軌攸同,十歩之内,必有芳草,四海之中,豈無奇秀!”
唐王度《古鏡記》:“(蘇賓)謂勣曰:‘……今宇宙喪亂,他郷未必可止。’”元楊梓《霍光鬼諫》第三折:“臣則怕連累了霍光老幼,這廝毎必反?劉朝宇宙。這的是未來事微臣早參透。”
4.猶時代。明李東陽《書東莱先生手稿后》:“其前有朱崇者,自稱為宋遺民,倖生於三、四十年之前,得以講明諸老之學,因嘆后生者視咸淳又隔一宇宙。”
5.包括地毬及其他一切天體的無限空間。
6.一切物質及其存在形式的總體。宇,指無限空間;宙,指無限時間。
宇宙って大気圏外じゃなくて時間と空間の意味でしょ?
つまりはこの世の支配者ってだけの意味で現代的DQNではないんでは?
そりゃ今を生きてる俺らが
現代人の感覚で読むのは当然だろう。
字面見ただけで反射的に吹き出すのは必至w
334 :
世界@名無史さん:2008/10/20(月) 19:43:45 0
「全世界の支配者」ってだけで十分笑える
335 :
世界@名無史さん:2008/10/20(月) 20:54:10 0
「皇朝の官爵は懸かりて玄天による」
この言葉好きだな。なんともいえない諦観が感じられる。
336 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 11:51:58 0
age
337 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 15:50:11 0
陳霸先は名将
338 :
世界@名無史さん:2009/01/24(土) 19:32:31 0
General of Space 侯景
Universal-Generalだろ常考…
実際どっちの意味にもとれるし。
340 :
世界@名無史さん:2009/03/31(火) 23:00:20 0
「宇宙大将軍」の称号はインパクト強いけど、侯景はさほど知名度はない
341 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 10:52:06 0
あげ
342 :
世界@名無史さん:2009/09/10(木) 21:12:09 0
「世界征服者」の語義ならジャハーンギールやウラジミールも然り。
343 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 02:03:54 0
江南貴族って散官にいるのが尊いと思ってたってマジ?
344 :
世界@名無史さん:2009/10/26(月) 02:30:46 0
宇宙大将軍……pgr
345 :
世界@名無史さん:2010/01/05(火) 11:15:18 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 東夷も島夷も書き込まないからageでやるよ!
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
346 :
世界@名無史さん:2010/01/05(火) 18:34:56 0
索虜は漠北に帰れよ。
347 :
世界@名無史さん:2010/01/05(火) 18:36:04 0
索虜が辮髪をやめたのは孝文帝の漢化政策の時からでいいの?
348 :
世界@名無史さん:2010/03/27(土) 21:11:52 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 東夷よ!島夷なんかに媚びず、我に跪け!
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
349 :
世界@名無史さん:2010/05/17(月) 01:21:42 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 東夷よ!島夷のことなんかどうでもいいから、もっと我のことを語れ!
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
350 :
世界@名無史さん:2010/06/11(金) 23:12:25 0
北朝に比べて南朝は人気ないな
351 :
世界@名無史さん:2010/06/12(土) 15:02:47 0
なんという長寿スレ・・・。
南朝、面白いよ。なんといっても漢族の正統だし。
正統を謳う反面、陰惨どろどろで気違いだらけの皇帝たちの逸話は
いくら読んでも飽きない。
352 :
世界@名無史さん:2010/07/29(木) 01:04:37 0
〜¶
∧⌒∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`)< 東夷も島夷も書き込まないからageでやるよ!
§(|#◎#|) \_______________
//|||||||||)
(__)_)
↑↑醜虜可速帰陰山、勿復於我皇国猖獗、僭号神華、乱我東国衆庶耳目也
354 :
世界@名無史さん:2010/08/02(月) 21:22:08 0
age
355 :
世界@名無史さん:2010/08/19(木) 13:46:15 0
東夷あげ
↑↑
問索虜: 南夏孰与代北楽? (゚∀゚)
貴州省を島夷なんてよばないで