1 :
世界@名無史さん:
元寇の時の陸戦では歯か立たなかった。しかも敵には南宋・
高麗の軍人も多かったし。
文録・慶長の役では、明の地方の軍隊と、なんとか互角に戦った
程度だし。しかも海戦は李舜臣にボコボコにされたし。
幕末だと黒船数隻に屈服したし。
世界史の中で見ると、凄い弱々しくないか?武士・侍って。
>>1 武士が弱いならなぜ日本は植民地かされなかったのですか?
3 :
世界@名無史さん:03/02/27 02:37
5 :
世界@名無史さん:03/02/27 03:04
>>4 だから他のアジア圏の国は地理的にだめだったの。
6 :
世界@名無史さん:03/02/27 05:28
織田信長の時代に蒙古襲来したら蹴散らしたと思われ
明の地方軍という表現なら、日本のも地方軍だし、
元寇なら蒙古、高麗、南宋の寄せ集め VS 九州勢といった文章表現にしないと対比不可能では?
>>1 かなり意味がわかんない
挙げてる各会戦をきちんと検証しましたか?
>海戦は李舜臣にボコボコにされたし
日本軍は李舜臣と海戦してませんが何か。
11 :
世界@名無史さん:03/02/27 08:58
12 :
世界@名無史さん:03/02/27 09:15
倭寇が高麗を蹂躙していたけど何か?
あ、あれは高麗人だから日本人じゃ無しとか(w
>>1は幕末までにどれだけ泰平の世だったか知らない香具師。
>元寇の時の陸戦では歯か立たなかった。
文永の役の際には集団戦法を採る元軍との戦い方の違いで負けたが、
九州に上陸してからわずか一日で例の嵐がやってきて終了。
弘安の役の際には防塁を築き、集団戦法に対する対処が出来るようになったおかげで
先発隊の東路軍の博多進入を阻むことができた。
博多進入を阻まれた東路軍は本隊の江南軍と合流し、鷹島に集結した。
しかし、そこで台風がやってきて終了。
15 :
世界@名無史さん:03/02/27 10:25
>>1 >文録・慶長の役では、明の地方の軍隊と、なんとか互角に戦った
>程度だし。
地方の軍隊といっても明軍中の最強部隊といって差し支えないのでは?
明の大将李如松が率いてきたのは親父さんの李成梁の軍隊でしょ。
モンゴルや女真と戦ってきた連中だよ。
16 :
世界@名無史さん:03/02/27 11:08
弱さの原因は何と言っても「軍」じゃなかったからじゃねえか。
秀吉にしろ家康にしろ30万くらいの「軍」を編成してるが、その内実は武装した地主の集団に過ぎんよ。武装は基本自弁だから、当然装備も統一されない。
関が原や大坂の陣を見ていても各個バラバラ、こんなものだから当時最強(ホントか?)と言われつつも明の弱兵といい勝負だったんだろう。
明治維新後の日本の大躍進の要因の1つに「本来の意味での軍」を持つことができたことを挙げていいと思うよ。
・・・
そしてなんでも近代に本来のものを求める厨房がまた一人
19 :
世界@名無史さん:03/02/27 17:26
20 :
世界@名無史さん:03/02/27 19:06
21 :
世界@名無史さん:03/02/27 19:24
銀河の歴史がまた1ページ
22 :
世界@名無史さん:03/02/27 20:07
それだったら対外戦争に殆ど勝ったことのない古朝鮮の戦士はどうなの?
弱くないか?白村江の戦いにぐらいしか勝ったって聞かないよ。
ああ、多分強くは無いだろうよ。
スイス傭兵やランツクネヒト隊なんかと戦ったらボコボコにされたろうよ。
金羊毛騎士団となら分からないけどね。
黒船に関してはすくなくとも薩英戦争で薩摩一国でイギリスと
戦って劣った装備ながら60人を上回る死傷者を出させて
撤退させているからねえ。この戦いで"東アジア専門家で
サツマを知らない奴はモグリだ”といわれその戦いぶりは
ビクトリア女王の耳にまで入ったとか。
チョン兵よりはよほど強い
26 :
世界@名無史さん:03/02/28 15:42
チョン兵ごときにしか勝てんのか
27 :
世界@名無史さん:03/02/28 15:49
今、日本は総ヘタレ化してるからな・・・
あの頃は凄かったんだぞみたいな感じなのかな?
どちらにせよ頑張って欲しいです。
日本史板からいろいろ混入してきてるなぁ
>>24 ビクトリア女王の耳にまで入ったとか。
そりゃあ、旗艦ユーリアラス号中破、ほか、パール号、パーシュース号、アーガス号、コケット号
レースホース号、ハブォック号諸々が損傷したほか、提督ジョスリング大佐、副長ウィルモット中佐
のトップ二名が戦死すりゃあ嫌でも報告を受けるだろうよ。
30 :
世界@名無史さん:03/03/01 12:45
ま、確かにマレー沖会戦なみだよね。
31 :
世界@名無史さん:03/03/01 12:58
>>24 それについてネットで読める文献ないかな?
読んでみたいんだけど・・・
32 :
世界@名無史さん:03/03/01 13:31
わたしはウクライナの入国審査の時
職業の欄にsamuraiと書いたら
サインしてくれといわれ、尊敬されました。
こんなふざけた奴ってやっぱりどこの国にもいるのかな
34 :
世界@名無史さん:03/03/01 14:03
>>32 それって本気で言われたの?
それともジョークで?
そこまで先入観がつよいのかな、外国からみた日本って。
36 :
世界@名無史さん:03/03/01 14:33
薩英戦争の時はイギリス側はそれまでの経験から
「野蛮人は艦砲射撃すればすぐに戦意を喪失するから、砲撃してすぐに上陸すれば降伏するだろう」
とふんで砲撃後に即座に上陸したところ激しい抵抗にあって驚愕した。
そんでもって薩摩側は
「毛唐どもは立派な砲は持っているが、遠くから撃ってくるだけの臆病者だ」
と考えていたところ、砲撃後すぐに上陸してきたので「臆病者ではない」と
それまでの認識を改めた。
双方の誤算が重なったわけだが、この結果双方共に互いを尊重するようになり、
それが後の日英同盟に至る伏線ともなった。
39 :
世界@名無史さん:03/03/01 16:12
894年の新羅海賊の日本侵攻と刀伊の入寇のときの敵方の戦死者を比べると前者のほうが多い。
これは894年時点ではまだ律令制的軍が残っていたため重装備を揃えることができ、且つ軍として行動できたのに対し、後者では現地の有力者の寄り集まりだから装備もバラバラだし、個人の勲功重視だったことが原因だったのではないかと「武士の誕生」には挙げられている。
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
>>39 前者の頃はまだ国際的緊張関係の中にいたのに対して、
後者の頃は国際的な緊張もない孤立した状態にあったから
外に対する備えが疎かになっていたというだけだろう。
42 :
世界@名無史さん:03/03/04 18:15
>>41 元寇の頃がいい例だが、それ以前に体制そのものが変質してしまってるんだよ。
43 :
世界@名無史さん:03/03/05 11:01
そうか?
律令制の崩壊と武装地主の勢力拡大の特徴じゃねえかな。
44 :
パックス・ジャポニカ:03/03/07 00:26
世界で初めて鉄板で装甲された軍艦を創建したのは織田信長。
>>44 創建つーか建造な。
団体じゃないんだから
46 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/03/07 00:29
>44
多聞院日記(勿論書いた人間は実見していない)に「鉄ノ船也」と書かれていただ
けで疑わしいそうですが。
戦国末期(安土桃山)当時の日本全体の鉄砲の数って、
世界最大だったと聞いたことがあるが。
>>44 その大船に乗った宣教師は
装甲についてなにも言及してないんだよね。
燃え難いように何らかの塗装を施しただけだろうよ。
その手の超兵器妄想にはいい加減ウンザリしてる。
当時の日本の水軍が弱体であるのは中国の歴史書にも記されてる事だ。
日本の海軍力が強大な物になるのは日露戦争まで待たねばならない。
50 :
世界@名無史さん:03/03/08 18:01
話しをむしかえすようですまんが、中国って国は古代から現代に至るまで「地方軍」と呼ぶべきもの以外の地上兵力を所有していないような気がするのだがw
どうだろう?
超きしゅつで厨な質問かもしれませんが
武士の日本刀って世界的には強かったんですか?
室町時代には大陸に日本刀を輸出してたようですし。
日本刀は武器として優れていた?
それともただの美術品?
52 :
世界@名無史さん:03/03/08 19:03
アメリカの包丁の通販の番組で日本のことを最高の刃物の職人の国って言ってた
53 :
世界@名無史さん:03/03/08 19:10
「倭刀」って名称で明と清で正式軍刀として採用されていますが、使いものにならなかったら普通は採用しないよね?
>>52,53
サンクスです。
しっかり武器として使われていたんですね。
55 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/03/08 21:08
>51
「日本刀歌」という漢詩などに依れば破魔の効果があると期待されていたらしい。
勿論日本にもそういった話はありました。
56 :
世界@名無史さん:03/03/08 21:24
大小2本も腰にさしてると、かなり重かったと
聞くけど、そうまでして装備してる小刀って
何に使うの?
大刀が刃こぼれや脂で切れなくなった時の予備?
57 :
いまさらだが:03/03/08 23:58
>>29 > 提督ジョスリング大佐
いや、書き間違えとは思うが、提督で大佐というのはないな。
そもそも、当時だと英国海軍の大佐はキャプテン、つまり艦長のことだし、
提督はアドミラル、艦隊司令のことだから無理がある。
ちなみに、薩英戦争の時の英国艦隊の提督はクーパーだ。
58 :
世界@名無史さん:03/03/09 00:01
>>1 毒電波は、ハングル板だけで発してよ。ふう。
>>58 そりは、いくらなんでもハングル板に失礼ニダ。
60 :
世界@名無史さん:03/03/09 01:02
>>47 ただし、大砲と騎兵の数はほぼ0という異様な軍隊。
61 :
世界@名無史さん:03/03/09 01:03
>>56 むしろ大事なのは小刀の方。
敵を組み敷いて、鎧の隙間から突き刺し、首を切り離す。
大刀は象徴的なもん。
63 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/03/09 10:00
かつての戦闘はほとんどが
・矢を射かける ・組み打ちに持ち込んで倒した相手の首をねじ切る
というもの。初心者が慌てて切ろうとしたところなかなか切れないのでおかしいと
思っていたら相手に「馬鹿者、首の輪(現在の首輪とはまた別)を外せ」と言われ
たので「恐れ入った御覚悟」と言って外そうとしたところ、別の敵に襲われて首を
取り損ねたということがありました。首をとろうとしていたら突然襲われた、なん
て事が多かったようです。
64 :
日本@名無史さん:03/03/09 12:41
戦国時代の戦闘ってそんなに死者がでなかったと聞くが。
結局切りあいだから、死亡率はかなり低かったときく。
それに比べたら、ノモハンなんて
とんでもない戦だったんだな。
>64
関ヶ原の合戦での死者数は本によって異なるのですが、ある史料によれば4,5千
人ほどであったようです。後から討ち取られたり野垂れ死にした人間や傷がもとで
死んだ井伊直政のような人間を加えればもっと増えるでしょうが。
>>64 しかし、川中島の戦いとかとんでもない死傷率だぞ?
67 :
日本@名無史さん:03/03/09 12:59
>>64
両軍20万のうちの死者が4、5千か
配色国内と逃げちゃったんだな。
そのご落ち武者狩りがすさまじかったようだが。
∩
∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`)// < 先生!こんなのを発見シマスタ!
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http://saitama.gasuki.com/aomori/ __| | .| | \
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>>57 >提督で大佐というのはないな
とも言い切れないのではないでしょうか。アメリカのことになりますが
例のペリー提督は"commodore"でしたが、この地位は佐官の上で将官の
下という微妙なものであったので、彼のことを書いた日本の本の中では
「代将」だったり「少将」だったり「大佐」だったりまちまちに訳されています。
72 :
世界@名無史さん:03/03/09 21:39
>>70 あやめ殿のご指摘ではあるが、階級の呼称とその訳の問題で、当時の英国海軍
に限定して、役職と階級が分離していなかったはずということを言ってるんで、
アメリカの例を出されてもちょと困る。
ペリー提督のcommodoreは、アメリカ海軍では階級ではなく、職名であるのに
対して、同じcommodoreが英国海軍では階級であって同時に該当する職を示す
ようになっている。同様に、Captainは階級であり職でもあるので、Captain
のcommodoreというのは英国海軍の場合は存在しないことになる。
ついでに言うと、通常は艦長=Captain又はCommander、提督=Admiral又は
commodoreで、Commanderとcommodoreはそれぞれ正規の艦長や提督から見て
1ランク下の艦長や提督として海尉艦長とか艦隊司令などと訳す場合もある。
>66
極端に死傷者が多かったのは有名ですが、基になっている史料が何か・それに信憑
性があるのかという事を検討しませんと。
74 :
世界@名無史さん:03/03/10 02:19
日本の武士軍は組織性に欠けるし、訓練もろくにされていないから
やはり高い評価はできないのではないかな。
そういう点で最強は古代ローマ軍団(レギオン)だと思うんだが。
76 :
世界@名無史さん:03/03/10 11:31
>>74 オレもそう思う。
中国の武経七書にも陣形などが記されていて、日本の武士たちもありがたがっていたようだが、江戸時代末期になっても行進すらまともにできなかった日本の武士にあのような陣形をとることができたとは到底思えねえ。
77 :
世界@名無史さん:03/03/10 11:57
太平の世の江戸時代は軍事技術が大きく後退したからね。
幕府は非軍事化を進めて平和国家を目指していたという話を聞いたことがあるよ。
unko
79 :
世界@名無史さん:03/03/10 13:30
文禄・慶長の役の水軍ですが最高司令官がいないのでとても
水軍や海軍と呼べる物ではないのには同意。
ちなみに弱かったのには秀吉が天下統一して際に海賊を討伐して水軍の力を
自分の手で弱めたからというのもある。
しかし李舜臣に全員が全員やられてわけではない。
先に書いたが日本には最高司令官がいない。だから大名が各自バラバラに戦っていた。
そのバラバラの軍隊を海流におびき寄せて一対一の直接対決以外避けられないように
してから事前に装備しておいた圧倒的火力でガチンコで勝負して勝利をおさめるのが
李舜臣の必勝パターン。これにひっかかった奴等は確かに敗北している。
ちなみに上に鉄鋼船のことが触れてあったが、九鬼の軍は日本丸とか何とか言うでかい
軍艦を率いて戦っていて、李舜臣のおびき出し作戦にのっかからずに撃退している。
そして海軍の目標はどんな時代も撃破することではなく、運搬や輸送などの後方支援。
九鬼の軍隊はおびき出しに引っかからず、港を守り制海権も守りぬいていて自分に
割り振られた職分を完全に果たしている。
80 :
世界@名無史さん:03/03/10 13:41
>>76 その場合、むしろ江戸時代末期になってもというより
江戸時代末期だからだろ。
江戸時代なんて全然、戦無かったんだから。
81 :
世界@名無史さん:03/03/10 13:58
あと日本たたきの原因は鈴木まさやの「鉄砲と日本人」からのパクリでしょ。
ちなみにこの人最近は戦国時代研究家になぜかなっているが、もともとは
「戦争で日本は特別刀が強いなんていわれていたが、昔から刀なんか諸外国に
比べて強かったわけじゃないじゃないか!銃剣なんかで戦わせやがって!
昔から日本は遠戦主義でありつつけているじゃないか!
白兵主義のせいで第二次世界大戦でぶざまな思いをしたんだ!」という
大戦が忘れられなっかたのが最初の研究テーマだった。
戦国謎解き絵巻だっけな?(題名はよく覚えてないが)
鉄砲と日本人以前に書いた著作にはその傾向がプンプン匂っている。
信長も鉄鋼船も最初はただの通過点に過ぎなかったのに、最近突然研究家と
名乗りだした変な人だよ、コイツ。
それなのに「鉄砲と日本人」ではもともとの研究テーマである大戦に
対する怒りが
「ただひとつだけ気にかかることがある。それは侍達の消滅とともに
日本人の鉄砲好きが影をひそめ、白兵主義、肉弾主義が頭をもたげてきた
ことである」
となぜか「気にかかること」に変化していて笑えた。
一つ一つの例の出し方が鉄砲の射程距離の変化を頭に入れず
クラゼヴィッツを批判するとこや、中世のヨーロッパで大砲の威力が
まだ増す前の事例を持ち出して大砲は脅すための道具でしかなかったとか、
組織的に運用しなければ効果が現れないあの当時の鉄砲を数だけで判断したり
とかかなり無茶苦茶。
まあ僕としては彼の本来の研究テーマである白兵主義に対する怒りのところは
面白かったと思うけどね(笑)。
82 :
世界@名無史さん:03/03/10 14:18
ちなみに三段打ちも可能だよ。
だって部隊を五人に分けているから。
千÷五=二百人を三段に分けて打つのならあの土地でも可能。
しかもたしかその部隊を指揮しているのは佐々成正とか前田利家と
か信長の親衛隊ばかりだから訓練度の面でも問題なし。
具体的に例を出さないで三千人が同時に横並びに一斉に三段に並んで撃つ
というレトリックを最後まで鈴木まさやは使ってるから彼の理論が
あってるように見える。やはり例が無茶苦茶。
しかもあの当時の鉄砲の利点について少しくらい詳しいひとはあのように
柵を構えて組織的に鉄砲を放つのがどれほど効果的かわかるはずだ。
それに織田軍は武田軍の後ろをふさいでいる。前に出て突破しない限り
兵糧の面でも挟み撃ちだという点でも兵農分離が促進されてないという面でも
武田軍は正面突破をせざる負えない。そこに柵で防護された鉄砲が配置されてたら
どれほど効果的か。
確かに「三段打ち」でないかもしれないね。でもあの戦いの凄さは全く微動だにしない。
長篠の戦いはパーフェクトゲームだよ。
さらに相変わらず武田軍に決定的打撃を与えたのは隣の郡まで追撃できる
機動能力を持つ信長の傭兵隊による間断なき追撃だ。
あの当時決戦で決定打を与えるためには追撃することが必要不可欠なんて軍事の常識。
だから武田の古参の歴戦の強者達は柵の前でなくて、追撃される最中にほとんど
討ち死にしている。
83 :
世界@名無史さん:03/03/10 14:44
それに梅雨が明けるまで信長は岐阜に留まっていたとか。
鉄砲を効果的に使おうとする構想が彼には事前にあったんでしょう。
しかもあそこまでうまく戦場を特定するには情報戦にも勝利して
なければならなかったでしょうしね。
84 :
世界@名無史さん:03/03/10 14:47
武士のシキタリとか、伝統とか、名誉っていうものは、日本が
ヨーロッパ諸国に遅れをとった直接原因と言える。
へえ。鈴木某後の長篠合戦研究、だいぶすすんでいるんだなぁ・・・。
英訳して、諸外国のSAMURAIマニアに教えてやりたいよ
日本水軍と朝鮮水軍の海戦は、五月七日の王浦戦を皮切りに
泗川、唐浦、唐項浦、栗浦、で行われた。
李舜臣の率いる朝鮮水軍は、藤堂高虎、加藤嘉明・九鬼嘉隆、
亀井茲矩、加藤清正、来島,道久等の率いる日本水軍を各海戦で
ことごとく打ち破った。
朝鮮水軍の勝因としては、日本水軍に比して
の大砲・造船、戦術等の優位、自然(潮流)・地勢の巧みな運用等が
あげられる。
とくに、泗川戦から登場した亀甲船は日本水軍撃滅に活躍した。
中世の倭寇以来朝鮮では日本海賊の侵入対策に腐心していた。
その教訓から考案された同船は日本兵得意の切り込みを防ぐ
ため、鉄板を亀甲状にはりつけ、それを鋭鉄に植え付けた。
櫂は両舷に六〜八艇ずつ備え、船腹には大砲を装備した。
同船は頑丈な竜骨を用い、箱船型の日本船に衝突して撃沈した。
唐項浦の戦勝報告は、陸戦の相次ぐ敗報に息消沈していた政府の
君臣を喜ばせ、国王は「本戦争始まって以来の欣快である」として
舜臣に資憲大夫職を贈っている。
秀吉は水軍の不振を挽回するため脇坂安治・九鬼嘉隆・加藤嘉明ら
水軍三将に、共同して朝鮮水軍を撃滅するよう司令した。
三将は釜山で協議したが、九鬼・加藤軍が出陣に手間取る間に脇坂
軍は巨済島を目指して出航した。
李舜臣水軍は同島近海の決戦をさけて、閑山島沖まで脇坂軍を誘因
した。七月七日、脇坂軍は敵船を追走して閑山島陰に待機していた
朝鮮水軍の鶴翼の陣形に包囲され、殲滅された。主将脇坂はからくも
逃れたが配下の諸将を失い六六隻の軍船が撃沈された。
この敗戦以後、秀吉は水軍に対して、朝鮮水軍との海戦を厳禁した。
朝鮮水軍が南海の制海権を掌握したため、日本と釜山を結ぶ玄界灘
も危険な水域となった。
89 :
世界@名無史さん:03/03/10 16:22
露梁津の海戦
慶長三年(一五九八)八月、侵略の仕掛け人秀吉は伏見城で死去した。
しかし、朝鮮には十数万の日本兵が残っていた。十月一五日になって、
徳川家康たち五大老の撤退命令が日本軍に届いた。
西海岸地方に布陣していた島津・小西・宋・立花らは、十一月十五日、
昌善島で合流して釜山へ帰還する予定だった。
島津軍は泗川の船津城から同島に到着したが、小西軍の姿は無かった。
小西軍が明・朝鮮軍によって、陸海から今順天城に封鎖されている事を
知り、島津・宋・立花たちは兵船五〇〇隻を率いて救援に向かった。
明・朝鮮連合水軍は、順天湾を出航し、露梁津で日本水軍を迎撃する
作戦をたてた。
十一月十八日、両軍は同海峡で遭遇し、最終となる一大決戦が展開された。
戦闘中、名将李舜臣が戦死した。
日本軍は約二百隻の兵船を失ったが、かろうじて釜山へ脱出する事ができた。
今順天城の小西軍も二十日、南海島を迂回して巨済島に帰陣した。
日本軍最後の小西・島津達が釜山浦を撤退したのは十一月十五日であった。
こうして七年間にわたる無益な戦争は終結した。
文禄・慶長の役の海戦って、大体こんな感じで最近の
本には書いてあるけど、どこまで信用できんの?
ちなみにこの文は歴史群像シリーズですw
91 :
世界@名無史さん:03/03/10 19:47
で、実際に武経七書に書かれていたような陣形システムを機能させることができてたのか?
92 :
世界@名無史さん:03/03/10 21:12
つーか、武経七書ってのは、孫子、呉子、六トウ、三略、尉遼子、司馬法、李衛公問対、の兵法書七つを一纏めにした言い方なんだが、陣形のってんのってどれよ?w
それとも現代では伝わっていない部分があったんかいなw
武経総覧?
93 :
世界@名無史さん:03/03/10 21:46
まぁ、武士よりはジェダイの騎士のほうが強そうだな。
95 :
世界@名無史さん:03/03/10 23:19
96 :
世界@名無史さん:03/03/10 23:35
97 :
世界@名無史さん:03/03/10 23:50
98 :
世界@名無史さん:03/03/11 00:51
大刀の話だけどさ、大刀で組み伏せ、小刀で首掻っ切ってとどめってきいたことあるよ。
99 :
世界@名無史さん:03/03/11 13:28
>武経総覧?
武経総要じゃねえのか?
100get!
101 :
世界@名無史さん:03/03/12 11:11
>>93 ジェダイ(時代)の騎士は真田十勇士がモデルだから忍者と同等の強さ
ということでいいのでは
102 :
世界@名無史さん:03/03/12 11:19
戦術的にみて、欧州の騎士と東洋の武士とはどちらが強いのだろうか?
103 :
世界@名無史さん:03/03/12 12:02
当然武士でしょう。兜は日本刀でまっぷたつに切断できますが、西洋の剣ではへこみもしない
どころか西洋の剣の方がへしゃげてしまうそうです。
まあ武士・侍はあれだな。
強さがどうというよりも精神論とか纏う衣装とか独特な刀とかで
形骸的に惹きつけられるところがあるんだろうな。
外人で侍コスプレしてる奴はただ見た目が珍しいから好きなんだろうが
日本人はどっちかといや自己犠牲的な精神論とかに萌えるんだと思う。
>>103 組織力とか体格的な問題で騎士のが有利な気もするけどね。
105 :
世界@名無史さん:03/03/12 12:43
ショーグントータルウォーという外国製のゲームに剣聖(うろ覚えで間違ってたら済みません)
という名前のユニットが出てきます。たった一人で数十人切り倒してしまいますが外人のみる
侍のイメージってああいうものなんでしょうか。
日本刀で騎士のフルアーマーは切れんでしょ。
>>104 何か日本人の方が形骸的に惹きつけられてる気がするんだが。
日本人で武士道がどうこう考えてる奴とか、
葉隠とか五輪の書を愛読してる奴って余り見たこと無いぞ。
108 :
世界@名無史さん:03/03/12 13:50
結論:カコイイものに引きつけられるのは洋の東西を問わず。
ただしカコイイからといって強いかどうかは知らない。
>>106 その身軽さを生かして、ドロップキックで転倒させてからが本番です。(地上戦限定)
>>102 騎馬武者のメインウェポンって何だろう。
鎌倉武士の場合は大弓だそうだけど、それ以後は槍・・・?西洋のランスみたいな物か?
どっちにしろ、正面からガチンコやれば騎士が勝つだろうけど、騎兵としては身軽さと器用さで武士の方が優れている。
武士が騎士に勝つにはとにかく機動性を生かして側面をつくことだろう。
もっとも、日本の馬は貧弱だからそれも計算に入れると・・・。
111 :
世界@名無史さん:03/03/12 15:26
>>106 その身軽さを生かして、ドロップキックで転倒させてからが本番です。(地上戦限定)
>>102 騎馬武者のメインウェポンって何だろう。
鎌倉武士の場合は大弓だそうだけど、それ以後は槍・・・?西洋のランスみたいな物か?
どっちにしろ、正面からガチンコやれば騎士が勝つだろうけど、騎兵としては身軽さと器用さで武士の方が優れている。
武士が騎士に勝つにはとにかく機動性を生かして側面をつくことだろう。
もっとも、日本の馬は貧弱だからそれも計算に入れると・・・。
112 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/03/12 15:33
幕末の武士ならメタクタ弱いですよ。
使い物になるのは薩摩と会津くらいで。直参はわずかの例外を除いて
文武ともにダメ。
化政時代には「お侍はうらやましい。ありもしない戦とやらを請け負って
代々禄を貰っていなさる」と言われたくらいです。維新の時は食い逃げ多数。
113 :
世界@名無しさん:03/03/12 16:09
まぁ、西洋の全身鎧は確かに日本刀でぶった切れるものじゃないが、弓は割と貫通するぞ。
逆に日本の鎧は妙に弓に対しては強い。だから必ずしも騎士が勝つわけではないと思う
>>112 質入れしてた武具を、黒船騒動であわてて
買い戻してますよね。
お侍があんまり情けないんで、長州では奇兵隊が
できたし、幕府側では元農民が幹部の新撰組ができた。
>>106 ぶったぎってた小説があったなあ。
『黄金の国から来た男』
百年戦争時代の英仏で、モンゴル経由でやってきた
隻眼の侍が活躍する話。
2ちゃんねるでいうところのライトノベルなんで
まあ、ルパン3世の五右衛門みたいなノリだ。
>>113 13世紀当時西洋の鎧はチェインメイルといって打撃には強いが刺突には脆かったとか。
武士VS騎士スレにもあったけどもし武士の方が一矢で騎士を射れば武士の勝ち。
でも、逆に外してしまってそのままガチでいけば騎士の勝ちかと。
ていうか結局いろんな問題が重なったわけで
朝鮮出兵に失敗=日本は雑魚には繋がらないのでは?
117 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/03/12 18:34
>103
幕末の名人(名前忘却)でも兜の半ばまで切り込むのがせいぜいであったとか。確
かに威力があることは16世紀から欧州に知られていましたが平服の相手でないと
切れ味はあまり意味を持たないでしょう。
兜の上から殴りつけられてもかなり効きますし。
>111
槍なんて振り回したら落馬する危険性が高い。刀を振るったという記録も少ないの
でフロイスの証言通り「馬から下りて参戦した」という事にしておくか已然として矢を
放っていたと見るのが穏当かと。
>112
幼い養子を迎えて「隠居」した直参が大量に居たとか・・・。
118 :
世界@名無史さん:03/03/12 22:03
戦国中期〜末期の当世具足は銃弾を防ぐことも考えられていたというので、武士=軽装とは必ずしもならないと思う。
ヨーロッパにおいての板金鎧の登場は15世紀まで待たねばならなかったのは主に金属加工技術が極めて未熟だったせいだという。
ヨーロッパ人が鋼を自給できるようになったのは14世紀。それまでは武器、防具ともその質は日本に比べ劣っていたはず。
そこまで考慮すれば騎士の優位性はかなり怪しくなる。
また、刀が装甲兵に効果が無いというのもどうだろう。
当世具足を着込んだ武士の装甲は決して騎士の板金鎧に劣る物とは思えないのだが。(鎌倉武士の大鎧とチェインメイルもまた然り)
もしかしたら板金鎧に有効な武器ってほとんど無いだけでは?
西洋剣も15世紀以降はもっぱら鎧の隙間をねらって刺突をしたという。
武士が刀で同じ事ができてもおかしくはあるまい。
>>117 幕末の名人ってのは恐らく直心影流の榊原健吉かと。
ただあの兜は南蛮造りの特製で名のある職人が作ったものなので
兜割りが不可能とは言い切れないかも。
なんでも現代の刀匠が製作した刀で兜割りが成功した例がいくつかあるそうで。
日本武士の強さを象徴するもののひとつは「雄叫び」。
名乗りを上げて交戦する伝統もあったが、
元寇での物量による奇襲攻撃には歯が立たなかった。
しかしシャムの山田長政の軍隊は
その猛々しい攻撃態勢で敵軍を圧倒させてしまったとか。
西洋にも雄たけびはあるみたいだね。battle cry
騎士にも切腹みたいな儀式としての自害行為はあるの?
クリスチャンには自殺は禁忌でしょう。
騎士には生け捕りにされることに抵抗はなかったようです。
互いに生け捕りを狙い賠償金をせしめる、ちょっと危ないスポーツ、それが騎士にとっての戦争観だったようです。
125 :
世界@名無史さん:03/03/13 09:52
で、実際のところ陣形システムをちゃんと運用できたのか?
号令によって隊列を瞬時に変更したり...
とてもそうは思えねえがな。
>>124 一回の戦闘で死者が一人だけ(しかも落馬して死んだ)
なんてのもあったそうですな。
127 :
世界@名無史さん:03/03/13 12:43
>>116 武士=雑魚とは思わんが、所詮烏合の衆じゃないかな。
(^^)
129 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/03/13 13:09
よく考えてみたら戦国期の母衣を背負った状態では矢は使用出来ませんね。
>119
わざわざどうも。洋剣を切断した映像や機関銃の銃身を切断した例もありますね。
>121
フロイスも「ヨーロッパの騎士は何も言わずに剣を振るうが、日本では大声で叫び
ながら振るう」と書いているのでかなり異様な光景であったようです。
西洋人との体格差って、どの時代から出てきたのかな。
司馬遼太郎によれば、残っている衣服から判断すれば
16世紀じゃオランダ人と日本人とで身長差はほとんどない、
って話だったけど。
>>130 義和団事件鎮圧の共同出兵での集合写真?
(教科書に載ってる有名なやつ)
の当時、成人男子の平均身長は150なかったような気がします。
東洋人、特に日本人=小人のイメージは強かった。
それでいて戦士の備える俊敏で機知に富み、自己犠牲を伴う闘志は
欧米人の憎悪をかきたてるどころか不可解にもさせたという。
映画「グレムリン」の狡猾で獰猛な怪物のモデルにもなったとか。
132 :
世界@名無史さん:03/03/16 12:22
age
133 :
世界@名無史さん:03/03/16 21:32
>>131 16世紀と書いてるのが読めなかったようだ。
134 :
世界@名無史さん:03/03/16 21:47
>>131 義和団事件鎮圧ころの集合写真の1人の日本兵で身長を判断するのは
誤り。そのころでも成人男子の平均は160cm弱あった。
第二次大戦時でアメリカ兵やドイツ兵の平均身長が173cm、
日本兵が162cm。
>>127 地方の田舎武士はともかく
信長なんかの軍団はちゃんと組織だってたよ
136 :
世界@名無史さん:03/03/17 11:38
>>135 そうか?所詮武装地主集団としか思えねえが...
137 :
世界@名無史さん:03/03/17 14:07
オソれす
>90
亀甲船は何隻有ったのか、活躍したのかについて信頼できる話がない
火力というが多数の火砲を李舜臣がもっていたというのは無理がある
火薬、砲弾も朝鮮水軍にないのになぜ李舜臣だけがもってたのか?
制海権を日本がもってなかったというのは明らかな嘘
日本は戦争中に何度も渡航している
李舜臣が有能なのは実績から確かだがそれ以外は眉唾
138 :
世界@名無史さん:03/03/18 18:10
>>136 鉄砲も効果的に運用していたし
将の指示どうりに組織として動いていたと思うが
陣形だって色々あったぞ
もちろん今の軍隊と比べると稚拙だが
しかし、そんなに中世欧州の軍隊が組織的だってたか?
139 :
世界@名無史さん:03/03/18 20:06
>>138 中世という言葉に引っ張りまわされてないか?
例えばグスタフアドルフの軍隊と比べてどうよ?
日本は鉄砲だってめいめいが勝手に狙いつけて撃ってただけだろ?
140 :
世界@名無史さん:03/03/18 20:17
日本の侍って
東南アジアなどに浪人達が自分の活躍の場を開拓して行って
戦争などで活躍し日本人町も作った事も知らないのか?
侍=武士って
接近戦がかなり強かったみたいよ
でも重なる戦で侍の数も減少したりと日本国内が安定し武士の流失も減ったり
雇われていた国の政権に裏切られて弾圧されたりもしたらしい
141 :
世界@名無史さん:03/03/18 20:21
142 :
世界@名無史さん:03/03/18 20:40
>>138 には同意かな
戦国時代には日本の軍隊も程度の差こそあれ組織として動いていたよ、
特に信長の常備軍は決して「所詮武装地主集団」などでは無かった
>>139 鉄砲隊にもちゃんと指揮官がいて、その指示のもと射撃してたよ。
ちょと日本の軍隊のことを低く見すぎてるんじゃない
組織として成り立っていなければ万単位の兵は動かせないでしょ
143 :
世界@名無史さん:03/03/18 20:42
グスタフアドルフって近世だよな
145 :
世界@名無史さん:03/03/18 20:58
>>140
接近戦=剣術が進歩したのは江戸時代のことで、戦国時代は飛び道具が主力だった。
鉄砲以上に画期的だったのは足軽集団による、印地打ち=石投げで、やはり、
実戦においては、いかに自分が傷つかずに相手にダメージをあたえるか、
が重要なことだった。
弱々しいようでも、勝つこと、生き残ること、を第一に考える者が真の強者だろう。
146 :
世界@名無史さん:03/03/18 21:08
>>140 あまり考えたくはないが
鉄砲を使わない陸上での接近戦の場合、
日本武士団は朝鮮兵より弱かったのでは無いだろうか。
>>146 明の文献には結構強かったと書いてるみたいよ
148 :
世界@名無史さん:03/03/18 22:02
149 :
世界@名無史さん:03/03/18 22:43
現在まで剣道が発展した様に武士の剣術は、世界的にレベル高いよ
やはり日本の「剣道」が世界的に認知されているのが証明かな?
150 :
世界@名無史さん:03/03/18 23:18
>>149 はぁ?
武士の家系を誇るのに、槍一筋の家柄とか、弓矢の家系とは言うけど、刀剣
の家とは言わないな。刀は武士の魂なんてのも平和な時代の精神論だし。
もともと、戦場での主要武器は槍であり、弓であって、刀はサブだね。
幕末の勤皇派や新撰組の闘争は刀主体だが、活躍したのは武士よりも郷士や
百姓身分から剣術剣道を学んで出てきたような連中だな。
ああいった市街地での護身用刀剣を使っての武術だと、むしろ江戸期太平の
300年をすごして、実戦を経験しなかった日本の剣道よりも、私闘の多か
った西欧のフェンシングのほうがレベルが高かった可能性もある。
やたらと観念的に日本刀や剣道を称揚する歴史を無視した連中がいるようだ
が、それは史実を無視した話だと思う。
むしろ、幕末の剣中心の死闘をくぐった連中が明治以降に展開した剣術剣道
が、すでに剣による戦いを過去のものとし、スポーツや名誉ある決闘の作法
になっていた同時期の西欧から見ると、実戦的だったということだろう。
151 :
世界@名無史さん:03/03/18 23:32
しかし、日本刀というのは両手持ちの刀剣としては細身で軽量だよな。
他国の刀の基本は、片手持ちで、もう片方には盾を持つのが普通だな。
両者が実戦で対戦したらどうだったんだろうか。
体力的な違いもあるだろうが、片手で盾をもって防御しながら攻撃する
形態が一般的なのは、そのほうが有利だからのようにも思うのだけど。
152 :
世界@名無史さん:03/03/18 23:36
日本刀&剣道最強は神話でしょうね。実戦で証明されている性格のものでは
ないです。
戦国期の実戦でも、幕末の場合も戦闘では飛び道具、鉄砲や弓矢、上にも出
てくる礫などがあって、次は槍でしょう。刀は個人単位の接近戦でしか使え
ないですから。
153 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:11
約一名西洋を引き合いにして武士を貶めたくて仕方ない方がいらっしゃいますが
○o○?
154 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:15
>>153 はぁ?
武士の問題じゃなくて、剣道とか日本刀の話だろ。
武士=剣道・刀ってのは、徳川幕府が押し付けた観念だと思うぞ。武道板ならとも
かく、歴史、特に世界史を語るなら、他国との比較と歴史上の位置付け抜きに語っ
ても意味はあるまい。
つーかフェンシングも剣道もスポーツですから
どっちが強いなんて意味ないんですが
156 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:23
日本の剣道の達人でアメリカにわたってフェンシングのチャンピオンになった
人がいたな。司馬遼太郎のエッセイで読んだけど、森寅雄だっけ。
157 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:24
>>155 そりゃ現代の話だろが。近世ではどちらも実戦で使われていたわけだし、
特に近世の西欧では決闘だの私闘だので刀剣は実戦に使われたと思うぞ。
むしろ、一般的にイメージされているよりも、日本刀による戦いのほうが、
実際には機会が少なかったんじゃないかってことだな。
158 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:26
>>156 それって、新撰組の生き残りなんじゃなかったっけ?
159 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:30
切れ味でも日本刀は他の刀剣に劣るのですか?
江戸時代が刃傷沙汰のなかった平和な時代だった訳ではあるまいに
「実戦ではテクニックなんて全然当てにならないっすよ、やっぱ気合いっすよ気合い」
って言ったのは斉藤一だったっけ?
161 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:31
伊藤博文指揮の力士隊はどうなん?
162 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:33
>>158 いや会津藩士の森要蔵の孫だったと思う。要蔵は坂本竜馬と同じ北辰一刀流で、
会津戦争で戦死した。
タイガー・モリか。当時のアメリカのフェンシングのレベルってどうだったんだろ。
164 :
世界@名無史さん:03/03/19 00:35
ヨーロッパの剣士が日本に来たら、
「フフフ、ニッポンの剣術ではフェンシングの直線的な動きにはついてこれまセーン」
「むむ、南蛮の妖剣使いめ」
日本の剣豪がヨーロッパに来たら、
「ふふふ、ヨーロッパの剣では日本刀の円の動きには勝てぬぞ」
「OH! サムライ恐るべしデース」
お前ら武道板か日本史板のほうに逝けよ
あっちでは語りつくされてるよ
>>151 前に武板で両手剣VS盾持ち片手剣のスパーリング動画みたよ
両手剣のほうが敵の盾側の方に回りこんで空いた手で相手の盾を掴んで
動き封じてから打ち込んでた
日本も昔は盾を使用してたけど使わなくなったわけだし
一概に不利とは言えないみたい
167 :
世界@名無史さん:03/03/19 01:01
明の時代、偽日本人海賊w退治の時、中国の兵士が「日本刀を見ただけで逃げ出して戦いにならなかった」ってのは、なんでだろうね?w
で結局、明の兵士に日本刀(形だけ)を持たせたら、逃げなくなって海賊撃退に成功したってのもなんでだろうね?
まあ、サムライの話じゃなくて日本刀の話なんだが。
日本刀は切る事に特化した剣
西洋刀は叩き潰す事が目的の剣
俺はこう考えているがどうだろうか?
170 :
世界@名無史さん:03/03/19 12:27
>>138 そうか。
それにしちゃヨーロッパの方陣や中国の陣形システムが実際に機能していたという記述が文献に登場しねえよ。なぜなんだ?
それに日本の鉄砲隊はただ前方に向かって発射するのではなく、個々人が夫々標的を狙って撃つというのを何かで読んだ気がするが。
とすりゃこれも個人戦の延長に近くならねえか?
文献に登場してねえのは単にオレがその文献を知らねえだけかも知れんからオススメ文献があれば教えてくれぃ。
172 :
世界@名無史さん:03/03/19 15:49
日本の鉄砲隊には指揮官はいたぞ
その指示のもとに行動してたよ
狙いも撃つタイミングも指示されてた
だいたい組織としてある程度は成り立ってないと
千、万単位で兵を動かせないと思うそら組織たって
外国と同じじゃないだろけど
でも日本には日本流の組織てもんがあっただろ
>>166 電波だらけの武道板なんかいきません。
ここでやりましょう。
でも元寇の時の武士達の拙さを考えると(しかもモンゴルは本気出してない)
やっぱり武士は「寄せ集め集団」に過ぎないでしょ。
戦国時代でも狭い島でチマチマ内乱やってただけなんだから。
個人的によくポルトガルや明、朝鮮が攻めてこなかったなあと。
175 :
世界@名無史さん:03/03/19 17:38
>>174 朝鮮ごときはゴミに過ぎねえが、確かに元の後継者を自認していた明が攻めてくる可能性は充分あったね。
>>172 その割に戦国時代にしても戊辰戦争にしても個人名がやたらと出てくるんだよな。
組織として動く本来の軍なら名前が出るのはせいぜい高級指揮官レベルまでだぜ。
176 :
世界@名無史さん:03/03/19 17:51
>>174 現代でも、日本近海は難破の多い航海の難所なんよ。
(日本からフィリピンにかけて、ね。)
1000年前の船と航海技術じゃどうなることやら・・・って、蒙古襲来の結末が良い例ですな。
大軍出すにはリスク大きすぎるよな。
ちなみに、アメリカ軍の記録だと、WW2末期には5000トンクラスの軽巡洋艦も台風で沈んでいたらしいですから、操艦ミスを考慮に入れたとしても、かなりスゴイもんですよ。
177 :
世界@名無史さん:03/03/19 18:21
>>175 日本史板逝ってこいや
あそこならこの手はなしよくしてるよ
ぶっちゃけ世界史板はあんまり日本の事詳しいやついねーんだかさ
178 :
世界@名無史さん:03/03/19 18:42
原稿も二回目時はよく戦ってるし
朝鮮攻めも最終的には負けたけど
一方的にやられたわけじゃない
明の資料にも倭軍が彼らに驚異を与えた事が記されているし
武士たちが弱いとは決して思わない
179 :
世界@名無史さん:03/03/19 18:46
つーか、軍隊として訓練されてなかったんじゃないの
己は磨いてたかも知れないけど
>>179 そういえば朝鮮出兵の際大名達には
「日本」軍としての自覚はあまりなかったとか。。。
181 :
水上飛行機:03/03/19 20:44
ところで、日本以外の当時の「国」の武装集団は「寄せ集めの集団」
じゃないのか?元だって常備軍はそんなにいないでしょ(多くて数万
?)?元寇なんて高々寄せ集めの集団だし、じゃぁ元寇が特に元の
出兵として寄せ集めの性格が強かったわけでもないでしょ(まぁ、
朝鮮半島の兵隊って言うのは別にしても)?
封建制度上は「寄せ集めの集団」の集団を超えなくて、ナポレオン
とかと比べない限り武士の戦力が戦略的に「寄せ集め」とはいえな
いんじゃないんかね?もちろん、組織として情報の伝達や指揮系統、
士気、組織力はもっと細かく見たら優劣があるんだろうけど。
まぁ、一般教養としての歴史認識で言ってるんで間違いがあったら
突っ込んで。
182 :
世界@名無史さん:03/03/19 22:02
一対一の勝ち抜き戦だったら強いと思う
朝鮮出兵ってのは第一段階で、
秀吉は明を降伏させて皇帝になるって言ってたんだから。
つまり晩年の秀吉の狂った戯言。
んなことできるわけ無いから部下もやる気出なかったろうな。
184 :
世界@名無史さん:03/03/20 12:58
元も寄せ集めは寄せ集めだが、遊牧民族はその集団自体が軍事編制に近いからね。
ナポレオンまで行かなくても、白村江の戦いの唐、新羅、日本の編成を見れば、唐と新羅、日本との編制の違いがハッキリするよ。
185 :
世界@名無史さん:03/03/20 13:09
7世紀の唐の軍隊は府兵制で農民の徴集兵からなってたけど、これって常備軍と
言えるのかな。
>武士の日本刀って世界的には強かったんですか?
幕末でも外国人暗殺は日本刀が主力武器、
鉄を砕くことはありえないが。
187 :
世界@名無史さん:03/03/20 16:21
日本刀というか刀が日本軍の主力武器になったのっていつ頃ですか。
その前は諸刃の剣だったのに何故刀に?
188 :
世界@名無史さん:03/03/20 16:23
>朝鮮出兵ってのは第一段階で、
>秀吉は明を降伏させて皇帝になるって言ってたんだから。
>つまり晩年の秀吉の狂った戯言。
当時のポルトガルやスペインに影響されたんでしょうね。
これは維新後の日本が英米帝國に刺激されてやっぱり旧大陸
方面に武力侵攻してるのに似ていると思う。
半分は恐怖心からきている。
平安末期には既に太刀が武士の装備になっているからそれより前なのかな?
190 :
世界@名無史さん:03/03/20 17:56
まあ結果的には撃退してるんだし、水軍は勝ってるしな。
192 :
世界@名無史さん:03/03/20 22:17
現在、イギリスの高校3年生で
剣道をしてる人は2名しかいないそうです。
じゃあ俺でもイギリスチャンピオンになれるな。
>>151 細身で軽量なのは打刀や太刀。
戦場で槍や薙刀と張り合える野太刀というのがあって3mぐらい。
ヨーロッパで盾と剣を使ってたのは昔の話で、
中世にはtwo handed sword(Zweihander)のような両手持ちの大剣が使われていた。
これらも3m近くある。
白村江で日本の水軍、新羅、唐軍に敗れるw
元寇には一人で突っ込んでくるしw
文禄・慶長の役で李舜臣にぼろ負けw
朝鮮半島の国との戦いに、ほとんど負けてるじゃねえかw
197 :
世界@名無史さん:03/03/21 17:50
へー、お宅の国ではそういうことになっているのですか。
それからマルチポストやめれ。
198 :
世界@名無史さん:03/03/21 18:03
>>185 府兵制=常備軍かどうかは常備軍をどう定義するかだと思うが、指揮系統がハッキリしていたことは事実。
ただ白村江の唐軍はおそらく府兵ではなく募兵によるものだと思う。
とはいっても唐の編制と新羅、日本の編制は全然違うよ。
199 :
世界@名無史さん:03/03/21 18:04
>>196 元寇で勝ったことになってるのか、姦酷では?
200 :
世界@名無史さん:03/03/21 20:55
半島の軍隊は、一度も負けていない。
開戦と同時に消滅するのが伝統だから、どこにも負けていない・・・。
201 :
世界@名無史さん:03/03/21 22:52
>>195 長さの単位を間違えてないか?
通常、刀剣の寸法は刃渡りで表記するが、3尺、3フィートの刀というのが鞘
に収めて携帯するものとしては最大サイズだと思うが。それ以上の長さだと、
ひとりでは鞘から抜けなくなる。
野太刀とか斬馬刀といっても、これに3尺程度の柄を付けて、全長1.8m程度
の武器として振り回すのが刀としての用途では最大限度だろう。
3mの刀となると、おそらく重量的に振り回せないと思うし、例えば柄が2mと
もなれば、それはもう刀ではなく、別種の武器、薙刀の類だろうな。
202 :
世界@名無史さん:03/03/22 01:17
>>201 現存している最大の太刀はたしか刀身が225cmで全長377cmだったはず。
ただ奉納用ならともかく、それが実戦で使用できたかは疑問が残ると思うけどね。
実戦で使われた野太刀は刀身が3尺から4尺程度の物が多かったみたいだし。
長い野太刀がそのままでは使いづらいので、刀身の中ほどまで荒縄を巻きつけて
長柄武器のように使えるようにした物から長巻が発生したとも聞いたこともある。
203 :
世界@名無史さん:03/03/22 03:50
204 :
世界@名無史さん:03/03/22 03:54
205 :
世界@名無史さん:03/03/22 04:37
>>203 マムルーク朝は陸上の騎馬戦でモンゴル軍を破ってますが何か?
モンゴル相手に数十年持ちこたえた宋が一番凄い。
最終的には征服されたけどそれまでにかかった時間を考えてみれ。
宋が征服される前にモンゴルは遥かアラブやヨーロッパまで到達してた。
208 :
世界@名無史さん:03/03/22 11:06
高麗だってモンゴルに屈服するまで40年くらい抵抗してるんだよな。
宋や高麗との戦いに比べれば日本遠征なんて余興みたいなものだろう。
高麗が元をそそのかしただけだからな。
210 :
世界@名無史さん:03/03/22 15:48
>>206 前に読んだ本だと『蒙古軍の主力が出払っている隙に、僅かに残っていた守備隊を10倍の兵力を動員して全滅させた』だったような・・・。
まあ、それでも勝ちは勝ち。
マムルークの場合、主力のいない間に12000人を120000人でやった、な
んていう話もありますが実際にはマムルーク側は20000人程であったらしい。
212 :
世界@名無史さん:03/03/22 16:23
要するに蒙古は広い平原が続いてるところでは無敵だったが
少しでも水際に近いところに出ると意外に弱かったということだ。
高麗が長期間抵抗できたのは
半島という場所が蒙古にとっては苦手な戦場だったということ。
まして島国である日本やジャワへの遠征は無謀でしかなかった。
エジプトだって狭いスエズを通らないと侵攻できないから
蒙古から見れば半島みたいなもんだ。
宋が長期間持ちこたえたのも宋の国力はもちろんのこととして、
淮水が天然の長城として蒙古の侵攻を阻んだということが大きいだろう。
213 :
正義の鉄槌!:03/03/22 16:27
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < イラクの自由作戦、いくぞゴルァ!! ,,、,、,,,
/三√ ゚Д゚) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
//三/|三|\ ∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
∪ ∪ ( ) ( ) ( ) )
,,、,、,,, ,,、,、,,, ∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
,,、,、,,, ( ) ( ) ( ) ( )
50年後に「バグダッド大虐殺」で50万人殺されたアル…てなことに
214 :
世界@名無史さん:03/03/22 17:04
>>212 言ってることはおおむね同意だが、モンゴルはエジプトまで行ってないよ。
マムルーク朝と戦ったのはシリア地方。
デリーサルタナトのハルジー朝もモンゴルを撃退してたはず。
216 :
世界@名無史さん:03/03/22 21:50
ヴェトナムは河を下ってきたモンゴル撃退したんだっけ?
渡河中だったっけ?
うろ覚えでスマソ
イルトシュミシュは?
218 :
世界@名無史さん:03/03/24 01:15
一言。
鎌倉武士のカルチャーショックを過剰に捉えて
元寇を日本が押されていたみたいに言う人多いけどね。
『元軍は一日の戦闘で上陸兵力の二割損失。主将負傷』
なんだから(普通15%損耗したら組織的戦闘力喪失)、
『負けて船に逃げ戻った』と考えるのが正当。
日本は押されていただけで、意外に損害は少ないみたい。
(正確な数値は不明だが)
219 :
世界@名無史さん:03/03/24 02:36
>>218 兵力の2割失ったら『壊滅寸前』にカナーリ近いね・・・。
モンゴルに制圧された国は、ヘタレ で決定w
220 :
世界@名無史さん:03/03/24 02:54
>>218 負傷した主将ってのは左副元帥の劉復亨のことだろうけど、2割損失と
いうのは根拠のある数字なのかな。元軍の実戦兵力は約2万人とされて
るらしいけど、1日の戦闘で4000人損失というのは多すぎるような気が
するんだけど。日本軍の兵力は約1万人だったらしいし。
221 :
世界@名無史さん:03/03/24 03:03
モンゴルは機動戦以外は苦手だから、だだっ広い平原以外では大して強くない。
ヨーロッパのような平野が多いところでも、中欧の森林地帯に入ると全然勝てなくなったし。
222 :
世界@名無史さん:03/03/24 09:04
モンゴルは、基本的に「田舎者」だから、自分達が住んでいた処以外の地形ではどうすれば良いのか解らないのかも知れない。
臨機応変性に欠ける、というか…。
もっとも、即座に対応できるのは天才だけかも知れないが。
なんだか、杉山正明氏の著作と正反対のことが書かれてるな…
224 :
例の170:03/03/24 23:17
モンゴルは、囮戦術が得意だから、自分の得意な場所を選んで戦う。敵地に攻め込みながらアウェーで戦うスゴイ奴。
それと、元寇は上陸作戦だったことも計算に入れてあげよう。
上陸作戦というのは難しいものなんだから。
225 :
世界@名無史さん:03/03/24 23:39
というよりも、ほとんどの兵員はモンゴル人ではなく、いやいや戦わされている漢人や高麗人という罠
226 :
世界@名無史さん:03/03/25 00:01
いや、高麗人はヤル気マンマンだったと思うぞ(藁
船酔い気味だったとは思うが。
高麗はチョソに非ず!!
実はモンゴルが攻め滅ぼした国のほとんどは内輪モメをやっていたという罠。
そう考えると北条時宗は早めに兄貴と名越を滅ぼしといて正解だったな。。。
230 :
世界@名無史さん:03/03/25 11:35
231 :
世界@名無史さん:03/03/25 16:32
232 :
世界@名無史さん:03/03/25 16:37
234 :
例の170:03/03/25 22:18
>>224 しまった。
アウェー<×
ホーム<○
話を変えて申し訳ないが、戦国時代の武士って何をメインウェポンにしてたの?
槍(ランス)でいいのかな。
235 :
世界@名無史さん:03/03/25 22:20
ランスじゃねえべさ。
どっちかといえばスピアが近いべさ。
236 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/25 23:05
それまでのパターンだと矢種が尽きたら刀を振るい、それが使えなく
なって腰刀が残ったら組み打ち→刺殺でしたが・・・はて。
鉄砲です。
それがなければ弓矢です。
普通は「矢種が尽き」る前に講和して撤兵します。
238 :
世界@名無史さん:03/03/26 08:56
どうでもいいがモンゴル軍が強かったのも騎兵隊を縦横無尽に駆け巡らせる
機動力と、走ってる途中振り返って弓矢を直接打ち込むから。
弓矢やそれ以外の飛び道具はどこであろうと直接的打撃の主武器。
あえていえば飛び道具に変わって剣等による直接的打撃を与えるような方法が脚光を
浴びたともいえるのはナポレオン戦争から第一次世界大戦前ぐらいだし、
そのなかでもやはり銃のような飛び道具は強力な手段とされていたぐらい。
だいたい現代戦でないかぎり人は戦闘でそう簡単に死なん。
たいていは追撃が一般化する前、ナポレオン戦争前までは戦闘で
被害をださせるのでなく、捕らえた後戦後処理として罰したり穴に
埋めたりするので人は死ぬんだよ。それか追撃。
もちろん銃や弓矢構えたところに突っ込んでいけばそりゃあ被害は甚大だが、
しょせん全体に比べれば数ある戦闘の限られた時間の中の攻防でしかない。
刀や剣で戦って人がばったばった死ぬのなんて西洋だろうが
東洋だろうが日本だろうが最近まではふつうにねーよ。
陣形の話してるがしょせん密集陣なんて点状でしかねーから戦場にそんな影響力
もない。
全ての考えを変えてしまうのは市民革命で軍が散兵形態をとれるようになってから。
日本だけ例外のように貶められて西洋だけ神のように持ち上げられてもねぇ。
239 :
世界@名無史さん:03/03/26 09:46
それも乱暴だろう
ナポレオン戦争期からの国民皆兵的な徴兵制度と、
第一次大戦での戦争が総力戦化で
戦争の被害が増加したのは事実としても
それまで陣形の影響力がそんなにないというのはちょっと。
だいたい密集陣といえばファランクスなどが思い浮かぶけれども
そのファランクスは市民兵。
そしてナポレオン以後の徴兵制は
フランス革命期における古代への回帰的側面、市民兵の復活的な見方もあんじゃねえの?
革命以前は密集陣より横隊が中心だったと思うし。
横隊も密集陣と呼ぶのかも知れないけど。
240 :
世界@名無史さん:03/03/26 10:26
>>239 んー、まあそうだとしても俺が主題としたいのは密集陣や横隊の
話をしたかったんじゃなかったんだ。
つまり刀や剣による直接的打撃よりも弓や銃のような間接的な攻撃方法
の方が歴史的に見て主流だったといいたかったんよ。
そしてその刀や剣による歩兵師団がなぜか武士を毛嫌いする(藁
連中が主張するように殲滅原理に歩兵が有効的に利用されたとすれば
市民革命から第二次世界大戦にかけての大規模な国民皆兵制による
散兵戦術がでてからの狭い間でしか行われなかったという事を
目立つ形で強調したかったんだわ。
まあ陣形の影響力の問題は上のほうの誰かの書き込みにもあったように
日本にも陣形はあったはずだからこのスレ的には問題にもならないっしょ。
241 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/26 10:54
>237
ええ。矢種が尽きるまで戦ったというのは普通落城(館)時に死んだ人間で
すね。太刀も滅多に使われませんでしたし。
242 :
世界@名無史さん:03/03/26 11:12
>>241 確かに普通城を防御する際にはあなたの言うように矢や鉄砲を使って
戦うでしょうね。
敵は城壁や防御用に作られた道や城門などの事前に作られていた
障害物をくぐっていって戦わなくてはならないのですから、飛び道具で
戦うのがもっとも有効的な抵抗手段であるといえるでしょうから。
太刀も確かにめったに使われなかったでしょうね。
せっかく障害物があるのに目の前にのこのこ出て行くような
非効率的な戦い方はしないでしょうし。
243 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/26 11:17
>242
通常の戦闘でも太刀の出番はほとんど無かったようですが。弓矢か組み
打ちから刺殺が多かったらしい。
244 :
世界@名無史さん:03/03/26 11:37
>>243 組み伏せてというか、それは追撃作戦中の出来事ではないですか?
弓矢は上にもあるようには西洋だろうが東洋だろうがあまり関係なく、
飛び道具は主流な武器でありつづけていて、弓矢が云々も従来の
「武士が刀を持って暴れる」というイメージを覆した以外では
当たり前な事実を焼きなおしたに過ぎません。
武田の軍法を勝海舟がみて武田の槍の構え方がとても理にかなっている
と驚愕したという話もあるくらいで、戦闘中に組みふして戦っている
暇など常識的に考えてないでしょう。
もちろん武士といっても室町や平安や鎌倉や安土桃山やら広く日本の
軍事を任されてきたわけであり、その中のいずれかの時代の戦闘形式
がそのようなごっこであったのかもしれませんが、そのような例は
全体から見て一部だと思われます。
245 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/26 11:46
>244
刺そう、あるいは首をとろうとしていて自分も襲われるという事があ
ったようです。弓矢が云々は当たり前ですよ。違うとは言いませんで
したが。それと「武田の軍法」というのはあてになるのでしょうか。
実際に使用されていたのかどうか。
246 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/26 11:53
勿論、組み打ちをわざわざするのはその価値を認められるだけの「よ
き相手」に限定されましたが・・・。
247 :
世界@名無史さん:03/03/26 12:33
>>245、246
もし資料がどうこう言うのならあなたの主張がまずおかしいでしょ。
弓矢や鉄砲などの飛び道具は東洋だろうが西洋だろうが日本だろうが
主武器には変わりないし、しょせん当たり前な事実の焼き直しに過ぎない。
組み打ち云々に相当な自信をもっておられるようですがそのような
出来事が起こる事事態が追撃戦や一連の戦闘が終わったあとの状態で
ない限りは普通に考えて起こりようがない。
だいたいその「組み打ち」が全ての戦闘の時間軸で使用されたというような
「資料」でもあるのかね?w
>弓矢が云々は当たり前ですよ。違うとは言いませんでしたが。
しかし方針の大変換には驚きましたよ。ほんっとにね。
248 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/26 12:37
>247
63以降、弓矢主体と述べて来たはずですが。「矢種は尽きて云々」もまず
矢が使用されたと考えなければ意味が通らないでしょう。
全ての戦闘の時間軸で・・・との事ですが(追撃時で無くとも)「よき相手」
に使用されたと述べてきたつもりです。
249 :
世界@名無史さん:03/03/26 13:05
ああそうですか。 それがあなたの主張なのですね。
ようく分かりました。
つまり武士は「ごく普通」に飛び道具を主体に使って戦って、
資料によると「よき相手」と遭遇した時のみ組み打ちをする
らしいというのがあなたの主張という事ですね。
いままであまりにもあなたの主張が曖昧模糊でよくわからなかったのです。
あまりにも具体的な記述がなく、どれがあなたの意見の中心だか
分からなかったので。しっかり確認させてもらいましたよ。
250 :
世界@名無史さん:03/03/26 13:50
宮本武蔵が項羽や関羽と戦ったら普通に負けそうな気がする
古今東西例外なく戦闘の目的は敵兵を直接殺傷することではなく
その組織的戦闘力の破壊にある
極言すれば戦術教義も陣形も戦闘技術もこの一点に全て集約される
それに言及せずして飛び道具がメインだとか白兵戦は稀だったとか
言われても説得力に欠けると思うが
バルタン星人カコイイ!!
254 :
世界@名無史さん:03/03/26 22:12
鉄砲が主武器といってるのは厨房か?
戦国時代どれぐらいの値段だったと思うんだ?
それから組み討ちが追撃戦といっているあなた。
もっと勉強しなさい。激戦中でも組み討ちはありましたが。
世界史板住人=日本以外の国のほうが弱かったに決まってるだろうが!!
日本史板住人=プ、日本は最強だったんだよ
257 :
世界@名無史さん:03/03/28 14:33
国って概念自体が妄想の産物
楽しく利用できるなら利用しちまえ
259 :
山犬 ◆g.bAIhTm1I :03/03/28 23:11
明日3月29日夜7:00から、テレビ朝日系列のチャンネルで、
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」
が放送されますよ。皆さんもぜひご覧になってください。
アニメと思って馬鹿にするなかれ。合戦の場面なんかも、かなりしっかりと
作られています。最近の大河ドラマをはじめとする時代劇なんかよりも、遥かに
時代考証がきちんとなされています。
まぁ、鉄砲の一斉射撃云々とか、天正期に関東に総石垣の城は存在しないとか、
ツッコミ所が無い訳ではありませんが、とにかく、面白いので見てください。
てかクレしんには戦車が出てくるがあれがリアル。
時々憲法9条に愚痴こぼしてる戦車長とか自走砲が弾を再装填するために砲身の俯角を下げるさまはすごい。
261 :
世界@名無史さん:03/03/29 08:07
いい年してクレしん見る君たちもすごい
そういうおれもガンダムを見たい
昭和50年以降にうまれた日本の男子の6割以上がアニメに汚染されて
るものと思いねえ。
人間の脳容量は一定だから、アニメやゲームやマンガ教養にすると、ぜったい
他の教養がおしだされるわな。
263 :
世界@名無史さん:03/03/29 09:32
少女マンガに歴史物が多い気がするのは気のせいですか?
264 :
世界@名無史さん:03/03/29 18:18
「日本刀歌」でぐぐったら、少女マンガにぶちあたった。
美談が多いように思われているから。
あと恋、そして別れ、死別なんかが自然と描けるからじゃないだろうか。
障害を乗り越える恋に恋するのもあるかもな
266 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/29 21:33
>264
欧陽脩の作品ですか?
「魚皮にて装貼す、香木の鞘、黄と白の閑雑す、鍮と銅」
267 :
日本@名無史さん:03/03/29 23:54
戦国ですでに、火薬と鉛球をセットにしたりして使いやすさの向上は著しい。
近代的な弾丸は、陽香後ヨーロッパでスエーデン国王が採用してm威力を発揮。
日本では、日本人的に小さな改良の積み重ねでかなりの射撃操作ほうが開発されている。
テレビドラマのごときスローな操作はありえない。
信長自身、連発銃を要求しているのである。 技術水準がそのレベルにたっしていなかった。
少女漫画で歴史物の絶対数が多いかどうかはともかくとして、名作が多いのは確かだね。
269 :
世界@名無史さん:03/03/30 00:31
少女漫画で歴史ものが多いのはやはり「王子様」を出すことができるからだろう。
>269
なるほど…思わず納得。あと、「お姫様」もだね。
271 :
世界@名無史さん:03/03/30 05:52
てか火縄銃とマスケット銃の違いについておしえて。
検索してもフリントロック云々わかんない。
歴史物少女漫画の裏メインテーマはやおい。
273 :
世界@名無史さん:03/03/30 10:02
>>271 火縄で点火するのが火縄銃
火打ち石で点火するのがフリントロック
ビームサーベルとライトセーバーの違いがよく分からないんですが。
275 :
世界@名無史さん:03/03/30 10:30
ライトセイバーのパクリがビームサーベルだ。
夕べの「クレヨンしんちゃん戦国合戦」いうの、初見だけど
凄かったね。外国のSAMURAIサイトでも、いまだ70年代の
長篠鉄砲3段撃ち神話流布してるから、こういう良質の
「90年代における戦国軍事史・生活史」ぶちこんだわかりやすい
アニメこそ、流布したいね。
ちょっくら、YAHOOやAMAZONに頑張って紹介記事かいてこようかしら
277 :
世界@名無史さん:03/03/30 18:39
>266
百金もて伝え入る好事の手 佩服すれば以て妖凶を祓うべし
というのと関係があるのかどうか、内容を確認していないので何とも言えませんが、そういうタイトルの作品があるようです。
見つけたら買うかも。
・・・しかし、少女マンガコーナーには近づかない罠。
278 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/30 22:08
>277
間違いありません。そこまで書いておくべきでしたね。なお太刀が鬼を祓う
という発想は中世前期の文献にはしばしば見られます。
279 :
世界@名無史さん:03/03/30 22:29
>>278 てっきり「鬼切り」の話しを日本刀を売り込む際に持ち込んだのかとも思いましたが、それ以前からあった、という事ですか。(笑
どちらにせよ、「美術品」というよりも「お守り」という意味合いが強かったように感じられます。>中国での日本刀等の刀剣類
(昔の「お守り」の意味は大きかったようですから。)
剣は道教の祭器になっていますからね。
280 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/30 22:36
>279
日本でも枕元に「枕刀」というのを置いていましたが、これは魔よけの
用途が強かったかと。「枕元の太刀をよこせ」と言って鬼を切ろうとし
た話もありますし、妖怪・怨霊が枕元に出たという話も多い。
ただ「平家物語」には源頼政が鵺退治を命じられて「武士の仕事は謀反
人退治であって変化退治とは思いもよらぬ事だ。」と述べたと記されて
いるのでイメージの変化もあったようです。
またモノノフとは貴人を物の怪から護るものという意味だという説があ
ります。
281 :
世界@名無史さん:03/03/30 22:53
>>280 なるほど、やはり「お守り」とか「魔除け」意味合いが強かった、という事でよろしいのでしょうか?
しかし、例えばヨーロッパでは、銀の武器や弾丸で魔物を退治できる(≒魔除け)が鉄の武器では無理、というのに対して、東洋では対して珍しくもない、いわば卑金属である鉄製の武器がお守りとして有効、というのは歴史的な違いがあるとは言え、面白い違いであるかと(笑
282 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/30 23:09
>281
欧米でも鉄・塩・流れる水を妖精が嫌うとした点は東洋と全く変わりがあり
ません(特に水怪は鉄を恐れた)。散らばったものを数えたり、直進しか出
来ないというのも共通した性質です。
直進云々は鎌倉時代以前から知られていたので16世紀の伝播では無い。ま
た西洋では死体を猫がまたぐと吸血鬼になると言われました。
日本での金銀の扱いはどうだったかというと、死者が金銀に執着したという
話や死体が金になった(類話多し)話まであるので特に霊的な力が認められ
ていたわけでは無かったようですね。
283 :
世界@名無史さん:03/03/30 23:18
>>282 ふむふむ、勉強になります。
「銀の武器」云々というのは、近代以降の比較的新しいものと考えてよさそうですね。
しかし、塩と水では、御葬式後の「御浄め」と同じですね。(笑
284 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/30 23:23
>283
塩は腐りにくくしてくれますし、銀は抗菌作用と植物性の毒への反応
がありますからね。ただ日本でお清めに使用されたのは禊に使用され
たのと同じ海水からつくられた塩だけで岩塩は不可でした。
逆に古代エジプトでは海の生物がセトを連想させたことから神殿では
岩塩が使用されていた。
なお銀の武器についてですが、銀の弾丸以前は杖を使用したそうなの
で意外と古いかもしれません。銀食器ならローマ以来でしょう。
285 :
世界@名無史さん:03/03/30 23:42
そういえば、聖遺物は銀の器に納めておく、というのが基本でしたが、ローマ時代以来の流れ、というものもあったかも知れません。
(更に古い可能性もありますね。)
セトで思い出しましたが、「オシリス&イシス」と「バアル&アナト」の神話がほとんど同じだというのは、なかなか面白い図式です。
・・・しかし、スレ違いの様子。(苦笑
286 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/30 23:43
>285
いろいろと気になりますが・・・止めておきましょう(笑)。
>>271 たしか前装式小銃の総称として「マスケット銃」という言葉が使われたはずです。(アルケブスとも)
>>284 スレ違いというより板違いになりますがせっかくなので。
私の知っている知識の中では銀が退魔の力を持っているとされる一番古い話は、1941年のジョージ・ワグナー監督映画「狼男の殺人」です。
この中の、狼男が銀の杖で倒されるのが初出になったはずです。
それ以前に銀により魔が退けられたという話は正直、寡聞にて知りません。
288 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/03/31 00:05
一応あちらで書かれた書籍を読んでみましたが、「民話に古くから登場
・活躍する」としか書かれておりませんね。ただいくらなんでも20世
紀は無いでしょう。中世の錬金術師には月と関係があるものとされてい
たそうですし。
コテハン入れ忘れました。
>>287は私です。
ええっと話を戻したいのですが(笑、
>>234で「武士」というのが漠然としすぎたようなので補足を。
私が聞きたかったのは、西洋の騎士階級に当たる「社会的地位が高く」「武装に潤沢に金を使える」「戦士階級」が自らの手で使った武器、その中で主要に使われ、頼りにされたのは何か。
ということです。
後、フロイスの本に武士は馬から下りて戦うとの記述がありますが、これは戦国期には通常の意味の馬に乗ったまま戦う「騎兵」は存在しなかったと言うことでしょうか。
それとも、これはいわゆる「メン・アット・アームズ」戦術なのでしょうか。
伊達の騎馬鉄砲隊なんかを考えるとどうも後者っぽいのですが、「戦国期の馬は体格が貧弱で騎馬戦術には使えない」なんて事をどこかで読んだもんで。
ンジャ鎌倉武士はドーなのよってツッコミを入れた方がいいんでしょうか。
290 :
世界@名無史さん:03/03/31 06:48
>>287 >>たしか前装式小銃の総称として「マスケット銃」という言葉が使われたはずです
てことは火縄銃もマスケット銃に入るってこと?
291 :
例の170:03/03/31 17:08
>>290 「マスケット銃」という言葉の一般的な使われかたからいえば確かにその通りです。
しかしマスケットというのは当時は、より大型の、Y字型の支えを必要とした前装銃を指すので、当時一般に使われた小銃は「アルケブス」と呼ぶのが正しいみたいです。
「火縄銃」という言葉は「着火方式」に着目した呼び名なので、大きさや火力によって使い分けられる「マスケット」「アルケブス」という呼び名をあてはめるのは確かに乱暴です。
しかし本格的に学術的な話をするのでもない限り「マスケット=火縄銃」という理解で問題ないと思います。
292 :
そりはちょと違いまつ:03/03/31 22:10
>>287 musket というのは、滑腔式の軍用長身銃の総称です。
火縄銃もマスケット銃の一種で、点火方式が火縄による
ものです。
これに対して、腔線 (rifle) を施した長身銃をライフル銃
と総称しました。
ちなみに、短身銃についてはカービンなどの名称があり
ます。
つまり、いわゆる普通のサイズの(軍用)小銃のうち、弾
丸を回転させるための溝が銃身内にきざんでないものを
マスケット銃と呼んだのであってび点火方式や弾薬の装
填方式は関係ありません。
293 :
そりもちょと、、、:03/03/31 22:41
>>291 Arquebusというのは初期の短銃身の小銃で、その後、より
実用的な軍用銃としてMusketが出現します。
というか、マスケット銃の射程距離や威力を考えれば、それ
よりも短銃身で小口径だったアルケブスの実用性はあまり
なかっと考えるほうが妥当でしょうね。
登場した段階では、マスケット銃はアルケブス銃と比較して
はるかに長銃身で口径も大きかったのです。
ただし、マスケット・レストと呼ばれるY字型の支えは実際に
はマスケット銃にだけでなく、アルケブスでも使われていま
した。
マスケット銃が主流となるのに平行して、Bastard Musket
と呼ばれる比較的小型軽量の銃に進化し、小型化したもの
も同様にマスケットと呼ばれるようになったため、旧式の軍
用小銃は短身銃を除いてマスケット銃と総称されるようにな
ります。
日本の種子島はその長銃身から見て、アルケブスに分類さ
れることはありえません。確実にマスケット銃の一種です。
294 :
世界@名無史さん:03/03/31 23:48
>>252 >古今東西例外なく戦闘の目的は敵兵を直接殺傷することではなく
>その組織的戦闘力の破壊にある
>極言すれば戦術教義も陣形も戦闘技術もこの一点に全て集約される
>それに言及せずして飛び道具がメインだとか白兵戦は稀だったとか
>言われても説得力に欠けると思うが
あなたの言われる、
『古今東西例外なく戦闘の目的が敵兵を直接殺傷することでなく、
その組織的戦闘力の破壊にある』というのには完全に同意です。
そしてこれはどこの国もどんな時代であっても同じであるために軍事を
語る際備えなければならない最低限の『前提条件』ともいえると思います。
このスレで僕が242、244、247、249でその『前提条件』を伴わない形で
なんで口を酸っぱくして何度も同じ事を繰り返しているのかといいますと、
「刀や剣での死傷率が低いために武士は弱い」という、短絡的で、
それこそ『前提条件』をも満たさないようなとんでもない説が乱れ飛んでいたことが
あったのです。
(このスレの前の方でもその雰囲気つかめると思います。)
だから僕はそういう人たちに分かりやすく説明するために、
あえて前提条件がぶっ飛んでいる彼等の主張と同じ延長線上にある
「武器による死傷率だけ」を取り出し、別に武士も東洋も西洋も
戦場の死傷率という観点からは飛び道具が優位であるという点において
なんら変わりがないということをはっきりと示しておこうと思っていたわけです。
つまり僕に前提条件が欠けているのでなく上記の理由からわざと伏せているのです。
その辺をご理解いただきたい。
>>254 >鉄砲が主武器といってるのは厨房か?
>戦国時代どれぐらいの値段だったと思うんだ?
値段が高いかどうかなんて主要な武器であったかなかったの答えにならないね。
戦場で死傷率や殲滅原理が高い傾向があるのは刀ではない。鉄砲以外の何者でもない。
あんたの刀や剣が主武器だという定義はさ、全軍団に装備された割合のことだろ。
工業が著しく発達して鉄砲の大量生産が可能になるまでの間、鉄砲が武器に占める
比率が必然的に低くなり、刀や剣が武器に占める割合が高くなるのなんて当たり前。
こっちの主武器の定義は「武器の割合」ではなく「武器による死傷率に占める割合」が
高いか低いか。
俺の主張は「刀や剣で死傷率が挙がらないのはむしろ当然であり、
死傷率や殲滅原理が戦場で適用される際に主武器となるのが鉄砲だ」ということだよ。
あなたの示唆するような全軍団中に占める武器の割合のことなど議題にも
挙がってないよ。もし武器の割合が議題なのなら初めから議論に参加するかよ。
そんなことは当たり前なんだし。
>それから組み討ちが追撃戦といっているあなた。
>もっと勉強しなさい。激戦中でも組み討ちはありましたが。
それも答えになってないね。あんたこそもっと基礎的な知識を身に付けてから
にしなさいよ。
戦場が混雑すれば局地的な白兵戦などはどこにでもあるね。
296 :
例の170:03/04/01 00:16
とりあえずマスケット云々についてはチョトまってね。
>>294 >『古今東西例外なく戦闘の目的が敵兵を直接殺傷することでなく、
>その組織的戦闘力の破壊にある』というのには完全に同意です。
>>295 >こっちの主武器の定義は「武器の割合」ではなく「武器による死傷率に占める割合」が
>高いか低いか。
・・・矛盾してないか?
貴方の定義する「主武器」って死傷率が高いもののこと?
>>252に同意するなら「主武器」とは「組織的戦闘力の破壊」に一番貢献した武器、という定義にならないか?
死傷率=組織的戦闘力の破壊力 にはならないぞ。
ついでに
>>294に補足して「敵の組織的戦闘力を破壊するのに一番頼りにされた」のは何か、ということでおながいします。
297 :
世界@名無史さん:03/04/01 02:12
>>296 矛盾にはならない。
『古今東西例外なく戦闘の目的が敵兵を直接殺傷することでなく、
その組織的戦闘力の破壊にある』というのは各時代を通じた客観的な
戦争の様相の話であり、「武器による死傷率に占める割合が高いか低いか」
は戦闘ドクトリンの話でしかない。話している次元が違う。
それに元々戦闘ドクトリンの話を持ち出したのは294で書いたように
「刀や剣による死傷率が鉄砲や弓矢などの死傷率に比べて低いので
武士は弱かった」という『非常に狭い範囲の(短絡的な)意見』を否定するために
使ったものであり、295はその議題にそった考えを肉付けした物にすぎない。
>>252の意見と295の意見は完全な別物。
294は295で狭い範囲を考えるんだという説明文みたいなもん。
298 :
世界@名無史さん:03/04/01 02:17
「敵の組織的戦闘力を破壊するのに一番頼りにされた」兵科は時代や
作戦内容などによってそれに当てはまる内容はかなり違ってくるでしょう。
戦闘力を破壊といっても戦闘の「真っ只中」というのが当てはまるでしょうし、
壊滅させた後の追撃がなければあいてに決定的な損害が与えられず
ちりじりに敗走した敵軍の兵士が再び再編成され立ち向かってくる事だって
ありえるのですから「追撃」も当てはまるでしょう。
この場合は追撃も相手の組織的戦闘力を破壊しているといえるますから。
しかしあえて言うのなら(時代の定義が難しいので僕の意見で
一般的に扱っている戦国時代を時代背景として進行する)
戦闘中に敵の組織戦闘力を壊滅させるのなら『組織的に運用された』鉄砲
が最も頼りにされたでしょう。しかし戦闘は観念の遊戯ではないのでもちろん
資金力や自国の技術力に制約を受けますし、殲滅原理がいくら高いとはいっても
守勢に適しているという事はいうまでもありません。
作戦内容が守備の性質を持つほど有効性は高くなるでしょう。
長篠の戦なんかは最もいい例なんじゃないでしょうか。
299 :
世界@名無史さん:03/04/01 02:18
追撃の場合では、戦闘中の敵の組織的戦闘力を破壊するのならば
一番頼りにされたのは間違いなく騎兵でしょうね。
無力化状態になった敵を肉迫して追いまくり、主要な道路に先回りして
退路を断ち、分断して各個撃破したり敵兵の機動力を奪って渋滞を
起こさせ、後ろから追ってきた味方の援軍が敵兵を討ち取る効果を
高めたりとこの種の任務は最も騎兵の得意とするところですからね。
しかしながら騎兵も砲兵も余分な馬や鉄砲を当然携えていかなければ
ならないので膨大な資金力を必要とするわけで・・・。
もし騎兵や砲兵をズラリとそろえたとしても資金力が底をついて戦争そのもの
の質が落ちてしまうのなら歩兵を変わりにそろえた方が結果的に多くの
組織的戦争力を破壊できることにもなることもあるでしょう。
そして信長のように自分の傭兵隊を組織すれば略奪行為を抑えて移動速度が
あがり、結果的に追撃の効果が高まったり戦闘の効率が上がったりして
歩兵が騎兵や砲兵のあいだを「タフ」に埋めることになり普通の歩兵よりも
戦闘の効率を高める事ができたはずです。
つまり全体的には歩兵が最も頼りにされたんだと思います。
300 :
世界@名無史さん:03/04/01 02:23
兵科じゃなくて武器のみで話を進めようとしたがだめだった。
百年単位でずっと戦乱を続けて威力の増大した鉄砲とか、
産業革命による石炭を燃やして走る戦艦などのレベル
でない限りはしょせん戦闘の効率があるていど上がった、
上がらないとかいった弱いレベルの話にしかならなかった。
戦艦や大砲レベルについてでも、その武器の
存在感は増すが全体に比べればその一点でしかないし、そうでなくとも
もし戦争を変えてしまうレベルならそれは時代背景が変化するほどの大きな
動きなので結果的にごちゃ混ぜになって議論が混乱すると思い避けた。
それに戦国時代のほうがある程度はわかる(軍事オタには遠く及ばんが)ので・・。
294、295、297、298、299、300は僕ね。
302 :
世界@名無史さん:03/04/01 02:33
武士・侍などグスタフ・アドルフ率いる軍の前にはカス同然。
だっさい薄汚い鎧を着た足軽どもが突っ込んできた所で次々とスェーデン槍兵の前に薙ぎ倒され。マスケット銃兵に次々とやられてしまうだろう。
そしてスウェーデン重騎兵の怒涛の突撃の前にろくな陣形を持たない足軽鉄砲隊などは次々と蹴散らされいとも簡単に全滅してしまうだろう。
303 :
世界@名無史さん:03/04/01 05:51
「軍事史」を考える場合にも
「軍事」からアプローチするか、「史」からアプローチするかで大きく違ってくるわけで。
>古今東西例外なく戦闘の目的が敵兵を直接殺傷することでなく、
>その組織的戦闘力の破壊にある
こういう発想は史学プロパーのものじゃないと思うな。
「古今東西例外なく政治の目的は、諸価値の権威的配分を行う点にある」
というような命題に似ている。
それ以前に「組織的戦闘力」って何なの?
それぞれ感性で語ってるから意見が食い違うと思われ。
306 :
世界@名無史さん:03/04/01 21:18
>>294 主武器という言い方はふつうは装備率で一番多い者だと誰しも
思うのだが・・・。
自分勝手な定義付けはその前に一言を断りを入れるべきでは?
307 :
世界@名無史さん:03/04/01 22:28
308 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/01 22:30
>307
横レスですが、やはり戦闘の全体像やその重要性に関りが無いことで
もとにかく分かるところまで細かい点を突き詰めて行くことかと。
どんな武器がどう使われていたのかを明らかにしないでいいというこ
とは無いでしょうから。一方を優先させるのでは無く両方大切です。
309 :
世界@名無史さん:03/04/01 22:35
答えになってないと思うのは俺だけ?
それで史学プロパーの発想ならどうなるの?
>>307 わからん(笑)。
多分「古今東西例外なく・・」というようなアプリオリの命題は前提にしないだろうと思う。
消極的な言い方でスマンが。
しかし誤解して欲しくないのは、そのような発想を否定するつもりではないということ。
「あらゆる時代に通じる何らかの軍事的な「理」があるはずだ」という信念は
実学的な軍事史学(ウェストポイントやサンドハーストで教えられるような)のレゾンデートルだろうから、
そこは理解できる。
が、
>>252に全く異論が出なかったのでちょっとした留保として
>>304を書いた。
自分はスレのテーマ:武士・侍の強弱については理解も知識もないので、
以上2つのレスはスルーしていただいて構わない。
で、「武士の武器」はどこに行ったの?・゚・(ノД`)・゚・。
武士の武器は大和魂だよ。
結局304はプロパーだのアプリオリだのレゾンデートルだの難しげな単語を
使ってみたかっただけみたいだな。
315 :
世界@名無史さん:03/04/02 17:22
結局は「日本刀」に行き着いた、という事か(藁
否定はしないけどお前の発想は間違ってる、ってのは矛盾してないか?
>>304は、「バルタンの発想は史学的に異端である」と言いたかったんだろ?
惜しむらくは史学的に正統な主張がなされなかったことだが・・・。
318 :
世界@名無史さん:03/04/02 21:44
>>307 敢えて言うなら「統一された指揮系統の下で戦う力」
のことじゃないかと。
ただ、剣や槍・弓矢が中心で(弓矢というのは扱う人によって飛距離が違う)
個々人の力量によって兵士の戦闘力が著しく異なっていた時代と、
銃器の登場でとにかく当たれば多少腕力がなくても殺傷出来るようになり、
兵士の戦闘力にさほど格差がなくなった時代とでは、
戦う力にも違いが出てくる。
例えば、前者では指揮官の声が聞こえていればよほどのことがない限り
大丈夫だろうが(でなければ「宇治川の先陣争い」などほとんど不可能)、
後者では(特にグスタフ・アドルフ辺り以降)戦列の維持というのが
重要になってくる。
一人、もしくは少人数だけ突出するというのは原則として許されない。
この場合、ただ指揮官の声が聞こえるだけでなく、指揮官の指示する場所で
一定の戦列を保って戦えなければ「組織化された戦闘力」を持っているとは
言えないだろうな。
319 :
世界@名無史さん:03/04/02 21:54
1vs1で鎧をつけない生身の真剣勝負なら武士最強だろ
>古今東西例外なく戦闘の目的が敵兵を直接殺傷することでなく、
>その組織的戦闘力の破壊にある
に対する
>>318の史学プロパーの発想はピントが外れてない?
>>318 11 :(V)o¥o(V) :03/03/31 01:09
部隊の組織的戦闘力とは個々の戦闘員の戦闘力の総和ではなく、
状況に応じて適宜に戦闘力の集中を可能にするシステム及び集中された戦力を意味する
だそうだぞ・・・・。
322 :
世界@名無史さん:03/04/02 23:50
風林火山最強ということですか?
323 :
世界@名無史さん:03/04/03 02:49
>>319 武道板の「剣術VSフェンシング」スレでも
不意討無しならフェンシングの方が強いと考える人の方が多かったようですが。
324 :
世界@名無史さん:03/04/03 03:16
ま、フェンシングは武器といい技術といい、
使用目的を完璧に決闘に絞ったものだからな。
これで有利で無い訳が無い。
そういうこと
326 :
世界@名無史さん:03/04/03 03:47
>>323 そうだったか
フェンシングが先手をとるが一撃で即死には出来ずに
直後に侍の一撃を受けてやられる
特に示現流が相手ならそうなる可能性が高い
て感じだったぞ
結論としては「相打ち」て意見が多かったと思うが
327 :
世界@名無史さん:03/04/03 04:07
328 :
世界@名無史さん:03/04/03 04:08
よんだよ てか部位他の常駐
329 :
お前ら古いよ:03/04/03 04:15
>>327,328
「剣術VSフェンシング」スレなんかとうの昔に終了してるぞ
いまは
「日本の剣術vs世界の剣術:もし闘わば2」だよ
で
日本剣術はフェンシングに対しては正眼から堂々中心を割っていくか、
上段で潰していくのがやりやすいでし。。。
だそうだ
330 :
世界@名無史さん:03/04/03 04:20
千葉周作最強!
>>327 そのスレ見たけど結論なんか出てねーだろ
てか剣術って剣道とフェンシング以外になんかあるの?
欧州には昔はトゥーハンド・ソード(大型の両手剣)の技術とか
フェンシング以外の技術もあったそうですが
今残っているのはフェンシングだけみたいです
それと剣道と剣術は違います
剣術がスポーツ化しtものが剣道です
古来よりの剣術は今でもあります
柳生新陰流、宮本武蔵の二天一流などが有名ですね
334 :
世界@名無史さん:03/04/03 04:51
いや、たくさんあるだろ。
フェンシングを学んで両手剣が上手くなる訳がないからね。
廃れたんですよ、今どき両手権なんて使わないでしょ
対してフェンシングは競技化することで今、盛んになっています
詳しくは武威他の
「剣術VSフェンシング」
「日本の剣術vs世界の剣術:もし闘わば2」
で
アラブやロシアにはもっとすごい剣術がありそうだ。
私が言いたいのは
昔は武器ごとに技術があったが、
今残っているのはフェンシングぐらいだと
339 :
世界@名無史さん:03/04/03 05:14
どんな剣術やったって
弾ははじき返せない
ああ無念
でも、サークルはたくさんあるでしょ?両手剣とか剣&盾とか。
いや、実際にたくさんかは知らんけど、そういう動画を公開してるページは見たこと有る。
すれ違い
おまえら武板でしろ
342 :
世界@名無史さん:03/04/03 05:25
このスレが上がって向こうのスレが上がった・・・
てかあそこに某研がいるとは思わんかった。
>>340 サークルはありますよ、ここですね
http://csx.jp/~avalon/ サークルは基本的に遊びやっていますから
あくまでチャンバラです
技術も個人で試行錯誤しているみたいです
フェンシングや日本剣術、剣道のような確立された技術が
あるわけではないよですよ
>>341 確かに・・
これで最後にしますスイマセン
344 :
世界@名無史さん:03/04/03 05:33
日本戦国期の戦術遂行の中核をなしているのは重槍兵(長柄足軽)と銃兵(鉄砲足軽)の
隊列のコンビネーション
重槍兵が衝撃力を、銃兵が火力を担任し、両者を連携させて初めて組織的戦闘力が発揮される
銃兵が火力を発揮して敵を漸減し、重槍兵は銃兵が近接戦闘に巻き込まれないよう
これを掩護しつつ機を見て突撃により敵を撃破する
さらに比較的少数の軽歩兵と弓兵が隊列の翼側掩護や間隙閉塞に任じていた
このように白兵と火力を連携させる戦術において主力兵科となるのは
重槍兵と銃兵の両方であり、どちらか一方ではない
死傷率の違いは戦闘推移の時系列的な問題に過ぎない
>>292 >点火方式や弾薬の装填方式は関係ありません。
確かにマスケット銃に関してはその通りです。
しかし繰り返しになりますが、火縄銃に関してはその名に「火縄」という語が入っているとおり、その定義は「着火方式」によって分けるべきだと思います。
マスケット銃には、火縄式だけでなく、時代が下ると火打ち石式になってゆきます。
ですが、「滑控式」というのを定義に入れていなかったのは確かに迂闊でした。
フォローありがとうございます。
>>293 >>291で私が「当時」といったのは、日本で火縄銃が使われた16世紀後半のつもりでした。
しかし、この文脈では確かに「マスケット銃が使われた時代」と読む方が自然ですね。
ちぐはぐな文章、申し訳ない。
>日本の種子島はその長銃身から見て、アルケブスに分類さ
>れることはありえません。確実にマスケット銃の一種です。
日本に種子島が伝来したのは16世紀中頃です。
(通常想起される)マスケット銃が普及し始めたのは16世紀後半以降のはずです。
なので、支えや剛力を必要としたわけでない種子島は、アルケブスの方が近いというのが私の意見
・・・だったのですが、調べてみるとアルケブスとマスケットの混同してくるのがちょうどそのころなんですよ。
というわけで、結論としては火縄銃は「マッチロック・ガン」と表記するのがよいかと。
亀レス長文スマソ
(^^)
348 :
世界@名無史さん:03/04/18 17:38
あげりう
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
350 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/09 23:46
で、武士の武装は
基本的に何でも使う。弓、刀、短槍、状況に応じて使い分ける。ただ、密集する槍足軽の
武器である長槍は使わない。
騎乗するのは横隊を組んでランスチャージするためではなく、単純に騎乗したときの戦闘力
と視界の広さを期待するもの。
飛び道具が主武装云々は
どの軍隊も例外なく飛び道具と白兵戦を使い分けていて、
地中海地域などでは飛び道具をある程度撃って、それで敵陣が崩れたところに素早く騎兵
を突撃させる。あるいは崩れるのを見計らって(もしくは崩されないうちに)歩兵の密集陣
をぶつける。
日本では飛び道具で打ち合っているのが他地域に比べ、比較的長かっただけ。
という事でよろしいか?
馬上で槍を扱うのには慣れておらず、馬の目に槍の穂を当てて怪我を
させて使い物にならなくなってしまったという記録が割と多いそうです。
352 :
世界@名無史さん:03/05/09 23:52
チン4の武士ユニットはモンゴル騎兵と同じ弓騎兵タイプだね
353 :
世界@名無史さん:03/05/10 01:51
武士道と騎士道ってなんか違うの?
>>350 弓兵の数・割合が少なく
白兵武器を持った貴族が無闇に突撃したがった西欧の一部を除けば
飛び道具の射ち合いで雌雄を決しました。
基本的に戦争で弓の方が有利なのは、その貫通力が刀槍を遥かに凌ぐからです。
貫通力は速度の二乗に比例するため
200キロ出る弓と名人でも30キロほどしか出せない槍とでは格段の差がありました。
>>354 武士道が世界の倫理体系の中で特殊なのは
「一思いに殺してやれ」という発想があることです。
第二次大戦で日本軍が残虐だと言われたことと関係するでしょう。
356 :
世界@名無史さん:03/05/10 15:15
>>第二次大戦で日本軍が残虐だと言われたことと関係するでしょう
関係しないと思うけどなぁ。
>>第二次大戦で日本軍が残虐だと言われたことと関係するでしょう
日本軍は残虐というよりも粘り強く狂気じみてると思われてるんじゃない?
武士道の義に生き名誉を重んじ信念貫いて死を恐れない、
みたいなのも江戸時代の太平の世に武士像がちと理想化されて完成したもんだけどね。
んでその人間の生きかたとしての武士道が爆発したのが幕末〜明治なんだろ。
江戸以前は武士も生きることに必死で割りとフラット私欲丸だし。
窮地に陥ったら切腹は伝統だが。
なんにせよ武士・侍は「死」と共にあるね。
射撃戦のみで雌雄を決するのならば銃兵の保有率はもっと多くてもよかった筈だが
例えば、ヨーロッパで騎兵突撃の戦術的価値が低下して野戦の様相が徹底した射撃戦に移行した17世紀の
フランス軍の銃兵の比率は編制で約50%、編成で約60%強だった
やがて銃剣が登場して銃兵と槍兵の任務が融合し火器保有率はほぼ100%に達することになるが
いずれにせよ射撃戦を重視した場合、野戦軍の火器保有率は過半に達すると考えて間違いないだろう
一方、戦国期の日本の軍隊の火器保有率は最良の軍勢でも約30%であり、
射撃戦のみで雌雄を決するには火器の比率が低く、槍兵のような近接戦闘兵科の
比率が無駄に高いことになる
以上の点から、戦国期の日本の戦闘で火器のみが決定的な役割を果たしていたとは
考えにくい
360 :
世界@名無史さん:03/05/10 18:57
>>35 > 一方、戦国期の日本の軍隊の火器保有率は最良の軍勢でも約30%であり、
大坂の陣の時はもっと高かったような
大坂の陣の時はもっと高かったようだから戦国期日本の戦闘は射撃戦が雌雄を決していたとする
論法には無理があるのではないか
362 :
世界@名無史さん:03/05/10 19:20
戦国時代の日本はライフル(火縄銃)製造量で世界一の軍事大国だった。
363 :
世界@名無史さん:03/05/10 19:21
水軍戦に弱いというのが理由の一つ。
国家水軍というもの自体、幕末期になって萌芽が
出てきた
海軍奉行とかね。
桃山期までは倭寇だとか、海賊集とかそんな手合いでしょ。
大会戦なんて出来ないし、補給に護衛つける発想もないから
李瞬臣に補給を立たれた。
補給の段取りを整えたたのは石田光成だとされるが、
宗氏をはじめとして日の本の名だたる戦国大名たちが
あつまって誰一人、補給の重要性を指摘していない点が
外征に対する経験の未熟さを浮き彫りにしている。
364 :
世界@名無史さん:03/05/10 19:24
>>362 わからんぞ。
インドやアステカのようにスペインやイギリスは諸侯の抗争を利用して
徐々に浸透していったのだからな。
桃山期に統一していなければ、結構やばかったと思う。
弓や弾は垂直に命中すれば槍を上回る貫通力を発揮するだろうが、
斜めに命中すれば鎧にはじかれてしまう
そして、矢弾は常に垂直に当たってはくれない
故に矢や弾が垂直に被弾すれば貫通されてしまう鎧でも着用するだけの価値はある
大阪夏の陣において、鎧を着用しなかったり、さらには褌一つで戦った兵は、
鎧が弾に無力だったからというより、鎧を着用した上で長時間戦闘に及ぶことによる
熱中症や脱水症を恐れていたことによるほうが大きい
弓や銃のような投射兵科の利点は、その貫通力の優秀性ではなく、その射程の及ぶ範囲内に
任意に火力すなわち戦力を集中できる点にある
射程を持たない近接戦闘兵科ではそのような芸当は出来ない
一方で投射兵科は楯や遮蔽物で隠掩蔽された敵に対しては効果はほとんど期待できない
そのような敵を撃破するためには白兵の衝撃力に頼る必要があった
このため投射兵科は攻撃よりも防御戦闘において威力を発揮する兵科であるとも言える
366 :
世界@名無史さん:03/05/10 20:59
367 :
世界@名無史さん:03/05/10 21:02
やあやあ我は土佐の国のなんたらかんたら
ライフルって銃身に溝入ってるやつだよね線条だっけ?
>>363 朝鮮の役に関しちゃ、九鬼水軍だけは
補給の重要性を理解して海上輸送の任を完全にやり遂げている。
海賊はなめたらあかんのヨ。
>>359 >一方、戦国期の日本の軍隊の火器保有率は最良の軍勢でも約30%であり、
射撃戦のみで雌雄を決するには火器の比率が低く、槍兵のような近接戦闘兵科の
>比率が無駄に高いことになる
そもそも30%以上の兵士に火縄銃を装備させる事は可能だったのか?
そこまで当時の日本に生産力があったとは思えない。
それに鉄砲隊は槍隊に比べて訓練時間も長くしなければならないから30%以上というのは常備軍制度が完全に根付かなければ無利だと思うのだが。
371 :
世界@名無史さん:03/05/11 01:38
鉄砲隊以外にも弓、石など間接武器を装備した部隊はどれくらいいたんだろう。
372 :
世界@名無史さん:03/05/11 01:42
373 :
世界@名無史さん:03/05/11 01:55
巨済島海戦
○李舜臣VS藤堂高虎
唐浦海戦
○李舜臣VS亀井慈矩
唐項沖海戦
○李舜臣VS村上水軍
安骨浦海戦
○李舜臣VS加藤嘉明・九鬼義隆
銃兵の養成が槍兵よりも高いとは考えにくい
戦場で鉄砲足軽に最低限必要とされる戦技は銃の装填動作と照準、撃発であり、
部隊教練や隊列を維持したままで機動や時には突撃を要求される長柄足軽よりも
訓練に要する労力は低い
そもそも銃兵の利点は他兵科に比して養成が用意な点にある
確かに火器の兵站所要は他兵科に比して大きいが、それが常備軍制に直結するとは
考えにくい
常備軍制の最大の利点は柔軟な軍事作戦の機会の保障であり、
火器の戦術的な重要性の増大と常備軍制に強い相関関係があるとは思えない
九州の大名衆や雑賀衆などの火器保有率はかなり高く、龍造寺家などは
攻城戦用の軽砲まで備えていたが
しかし3割で高いとなるとますます射撃戦で雌雄を決するなど無理な話だが
375 :
第20軍団兵:03/05/11 02:01
>368
ライフルリングの訳が"線条"
火縄銃にもマスケット銃にもライフルリングは無いです。
(狩猟用は分からないけど)
正確には旋条だな
前装式旋条銃はかなり早い時期から実用化していたが、
ただでさえ遅い発射速度が更に低下するため軍用としての需要は低く、
狙撃用等に少数が使用されるにとどまっている
>>359 >>361 >>365 >>374のバルタン殿
別スレであんたとは何度となく議論してるんだけど
結局毎回水掛け論で終わるんだよな。
あんたの言ってることはいつも一緒。
論理的にここがおかしい、ではなく『そうとは思えない』『考えにくい』ばっかり。
あんただって同じこと何回書き込んだか分からないんじゃないか?
楽しいの?まあいいけどね。
・合戦が行われる場合、戦闘行為に参加するのは全軍の何パーセントですか?
間違っても100%じゃない。軍の40%は荷駄隊だし、全軍が一度に展開するのは不可能だから
自然、参戦する軍にも前線で良く戦う精鋭部隊と予備隊に徹する弱小部隊ができるね。
・それからマーシャルの研究について、無論知ってるだろうけど
硫黄島での上陸戦闘で敵陣に向けて発砲した米海兵は全軍の15%にすぎないという事実がある。
ここから言えることは、15%程度しか戦わなくても雌雄を決することは十分可能だということ。
現実にはどの戦闘においても戦った兵士数はその程度である。
3割は雌雄を決するのに十分過ぎる数字だ。
・鉄砲隊は数は少なくとも前線を担う最精鋭のエリート兵科だった。
鉄砲での狙撃には努力ではどうにもならない要素があり、優秀な鉄砲足軽は常に不足していた。
織田家では新規に足軽を採用した場合、まず鉄砲を撃たせてみてその素質を見極めた。
暴発させるなど素質の乏しい者は弓・槍足軽に回した。
北条家では鉄砲足軽の家禄は弓足軽・槍足軽の二倍。地位も高かった。
・全軍に鉄砲を装備させることができなかった第一最大の理由は経済力の問題。
槍足軽はタダ同然。ほとんど訓練もいらん。
同時代でも貧しい地方領主の軍制では弓足軽はほとんど揃えられずに投石で戦った。
・弓矢は力学上射出すればほぼ水平に飛ぶために甲冑の面に対して垂直に突き刺さりやすい。
鉄砲玉も同様。だが、刀槍は自分の手で水平になるようコントロールせねばならない。
どっちが貫通しやすいか、一目瞭然だね?
あー書くの疲れた。ちょっとでかけます。
あ、378の『同時代でも〜』は鉄砲がなかった頃の話ね。
380 :
世界@名無史さん:03/05/11 07:26
おまえの空論で戦争はこうであるべきだったなんてのはいらないんだ。
同時代史料をもとに語れ。鈴木信者の355よ。
381 :
世界@名無史さん:03/05/11 07:35
朝鮮の弓は日本の武士に全く効かなかったって読んだよ。
顔をあげた時に狙ってうつのだ!って将軍が叫んだとか。
弓がまずいのか鎧が良いのかしらないけど。
はて?
射撃戦で雌雄が決するに違いないと決めつけているのはそちらでは?
最も数が多かった槍兵が戦闘に決定的な役割を果たさないのならば、
もっと銃兵や弓兵、投石兵の比率が高くてもよかったはずだが
先端戦力に銃兵を集中配置したから数が少なくても問題ないとは考えにくい
当時の日本では各家の鉄砲足軽を集成して集中運用した事例は長篠のように皆無ではなかったが少数派で、
基本的に鉄砲足軽の集成運用は行われていない
硫黄島の15%という数字は「発砲した者のうちで敵を確認した後に射撃した者」の筈だが?
間違っても残り85%が引き金を引かずに終わったわけではない
槍兵は訓練が必要ないという根拠は?
槍兵に緊密に隊列を組んだまま突撃させるためには非常な訓練が必要となる
また、俸給が高いから戦術的価値が高いとは考えにくい
例えば近世ヨーロッパでは火力戦の重要性は認識されていたが、
それでも銃兵の俸給は槍兵よりも低かった
弾道が水平に飛んでも、水平方向から見て常に鎧の装甲面に対して
垂直に命中する訳ではない
戦闘の様相が射撃戦で終始するような戦闘の場合、白兵に頼らず射撃戦によって
組織的戦闘力を破壊するためには延々と射撃を続けて損害を累積させる以外になく
死傷率は敗北した軍勢のみならず勝利した側でも非常に高くなる傾向にある
例えば、チェレゾーレにおける両軍の死亡率は約30%に達し、負傷者も入れればもっと高い
チェレゾーレのみならず三十年戦争以降の戦闘における死傷率はそれ以前のものよりも高く、
火力戦への依存による損害の増加は軍隊の大型化を促す一因となっている
一方で例えば関ヶ原において勝利した東軍の死傷率は数%であり、
戦国期の日本で勝利した側で2割3割の損害を出したような戦闘は例外的で
白兵による衝撃力が火力とともに戦術を構成する重要な要素であることを
示している
>楽しいの?
楽しいぞw
楽しくないのならわざわざ朝早くから書き込まなければいい
まあいいけどねw
385 :
世界@名無史さん:03/05/11 08:42
明智家での兵役供出の基準は
軍役の人数は100石につき段列要員を含め6名が基準とされ、
100〜150石では士分1、長柄足軽1、馬卒1
150〜300石では士分1、長柄足軽2、馬卒1
300〜400石では士分1、長柄足軽3、鉄砲足軽1、旗手1、馬卒1
400〜500石では士分1、長柄足軽4、鉄砲足軽1、旗手1、馬卒1
500〜600石では士分2、長柄足軽5、鉄砲足軽2、旗手1、馬卒2
600〜700石では士分2、長柄足軽6、鉄砲足軽3、旗手1、馬卒2
700〜800石では士分3、長柄足軽7、鉄砲足軽3、旗手1、馬卒3
800〜900石では士分4、長柄足軽8、鉄砲足軽4、旗手1、馬卒4
1000石では士分5、長柄足軽10、鉄砲足軽5、旗手2、馬卒5
であり、騎乗して従軍した者1名は2名に数えられることになっていた
鉄砲足軽の比率は部隊に対して10%程度、戦闘部隊全体に対して20〜25%程度である
長柄足軽と鉄砲足軽の比率は2:1かそれ以上であり、槍兵が量的に主力を占めており、
鉄砲とともに戦術遂行において中核的な役割を果たしていたと考えられる
387 :
世界@名無史さん:03/05/11 15:56
というかどっちも必要な兵科なんだけどな。
ただ時代がたつほど鉄砲の重要度が上がるのは確か。
関ケ原では槍:鉄砲=1:1にまでなっている。
だからといって過大評価は禁物だろう。
当時の鉄砲では敵の突撃を防ぐ事はできなかったようだからやはり槍は必要だったのだろう。
西欧では銃剣が開発された後も槍の方が使い勝手が良いので使用されていたようだし。
一概にどっちが重要かというのは言えない。
槍と鉄砲どちらが訓練が必要か?
その槍が長槍だった場合はどっちもどっちだと思われる。
信長は長い槍を採用したおかげで訓練に時間をとられていたらしいし。
槍はどんどん長くなっていったようだからそれに比例して訓練の時間も長くなったはずだ。
また鉄砲は鉄砲でいかに素早く次の弾を込められるかで訓練をしなければならないし。
それなりに大変だ。鉄砲隊は防御だけではなく攻勢時にも使われてたようなので。隊列を組むという点では槍と一緒かも知れない。
鉄砲の装備率が信長でも10〜20%というのは単に鉄砲が高かったというのもあるかも知れない。
本当はもっと装備率を高くしたいが金銭的な問題で揃えられなかった可能性はある。
まあしかし雨が降ったら銃は使えないし
槍兵も雨天戦う分には有用だろうか
日本の長槍或いはハルバード兵やパイク兵等の両手で構える長槍を
多数装備している軍隊はそう多く無いとは思うし
大陸の軍隊の槍は片手持ちの短い物しか無いなら
日本の長槍兵を阻止出来ただろうか
弓もモンゴル軍の弓より射程は長いだろうが
中国のクロスボウよりは短いだろうか
(まあ銃の射程なら中国のクロスボウ(固定式以外)
よりは長いか或いは同等程度だろうが)
明軍の大砲や弓は信長が作った塹壕で防げたかも知れぬが
明側や西欧軍は塹壕を使用してはおらぬなら
日本側の銃や弓・大砲を防げただろうか
389 :
bloom:03/05/11 16:20
>戦国期の鉄砲装備率
>関ヶ原で四割ってのは驚いた
まあ只百年戦争の際のイングランド軍の弓兵の比率は
2/3程度は有ったかと思うが
どうだろうか
元寇に関して言えば、陸自の第4師団が刊行した「本土防衛戦史 元寇」って本が
軍事的考察としては逸品。
非売品だけどね。
392 :
世界@名無史さん:03/05/11 17:55
>>388 雨が降ったら銃は使えないというのは間違ってはいないにせよ、
実際雨でも使えるように覆いをかけるとか、火薬を改良するとか工夫して
かなり使えるようになっていたらしいよ
まあ6−9mの槍を持つパイク兵には槍足軽は勝てないにしても
3.5m程度の槍を持つハルバード兵なら
これより長い槍を持つ足軽も存在しただろうし
勝てる可能性も有った訳だろうか
(まあ只槍兵も無敵ではないし
円盾兵の様な物には勝てない可能性も
有るだろうか)
>・・・世界の古典武器を(少しでいいから)調べて下さい。両手持ちの槍鉾類が山ほどあります
まあ中国の長刀の様な武器は兎も角
両手持ちの長槍と言うのは見た事が無いが
存在するのだろうか
(モンゴルやアラブには存在するのだろうか)
或いは存在するにしてもパイク兵やハルバード兵の様に大量に使用されたかは
疑問も有るが
>スペイン戦争の塹壕戦
兵の突撃を防ぐ為の溝の様であり
兵が直接塹壕内に隠れている訳では
無い様だが
兵は塹壕の後ろの低地に布陣されている様であり
低地の兵は敵からは見えなかった様だが
この布陣で大砲迄防げたのだろうか
(塹壕を超えて後方の歩兵に砲弾が
飛び込まなかったのだろうか)
>イングランド軍一万のうち2千が長弓兵。
http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/agincorttext.html まあしかしアジャンクールでは2/3が長弓兵だった様だが
>槍は長ければ長くなるほど機動性が損なわれる。そのせいで側面を突かれれば一発であぼーん。
まあしかし側面は大概は騎兵や軽装歩兵で防護されていた訳だろうが
どうだろうか
>マスケット銃兵の格言「相手の瞳が見えるまで打つな」をご存じですか?
まあロングボウやクロスボウに関してはこの様な事は無いのだが
銃に関しては何故引き付けないと駄目なのだろうか
398 :
bloom:03/05/12 00:20
>マケドニアファランクスは槍を長くしすぎてローマのスキピオ仕込みの機動戦術に破れた。
正面からローマ歩兵がファランクスの槍の間合いの内側に
円盾兵の様な感じで飛び込んだのか
或いは側面や後方の軽歩兵や騎兵が撃破された後
騎兵や歩兵に側面や後方を突かれたのだろうか
<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www3.ocv.ne.jp/~cochome/kaisetsu.htm#chigai http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/ ●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
401 :
世界@名無史さん:03/05/12 00:43
塹壕から機関銃をうったところで日本歩の肉弾突撃にさえ勝てないのだ。
火縄銃も機関銃にくらべたら雑魚。
弓なんかシラス。
さらに東洋で最も固く美しい鎧甲冑をまとった武士は三国一の兵だろう。
402 :
世界@名無史さん:03/05/12 00:44
歩が敵陣に侵入したとき成り金となる
ことは小学生でも知っている。
403 :
世界@名無史さん:03/05/12 00:54
>>401-402 日本軍の歩兵は、美麗な甲冑に身を固めて機関銃弾を弾きながら塹壕に突入し
その際成金になるってこってすかい?
シュールだな。
404 :
一尺八寸 尽:03/05/12 01:22
某研究者さんこんな所にもいたんですか?
405 :
世界@名無史さん:03/05/12 01:23
ベンゼンいるしな。
軍事オタだらけじゃ。
406 :
世界@名無史さん:03/05/12 01:29
>>395 あと、こんなことは言いたくありませんが、
いっぱい疑問があるのは分かる。でも、ずらずらとそう疑問を並べる(本当に並べるだけ。
質問ではないのかも不明)前に、
少しでいいから、自分で調べて、勉強して下さい。
>
某研のあの何々だろうかという口調は彼独自の文体によるもの。
彼、恐ろしい博学だよ。
軍事板屈指の名コテハンだし。
>アジャンクール
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/5421/history45.html このサイトでは、イングランド勢は5千となっている。しかも、すでに兵をかなり損耗していた状態のようだ。
他も調べると、兵数に幅がありすぎる。これは事前に兵を損耗していたため、その時点での兵数を正確に
把握できていなかったと考えるべきだろう。。
とにかく、この時点での弓兵の比率は、全兵数の損耗により、いびつになってしまっただけと思われ。
>長刀の様な武器
・・・ハルベルトは「長槍」か「長刀」かどちらかといわれれば明らかに「長刀」に近いと思うんですが。
>>388を改めて読み直して
>信長が作った塹壕
これ、何ですか?
きっと、長篠のアレを想像してるんだと思いますが、あの正体は色々物議を醸していますので・・・。
それに、それこそ騎兵、歩兵の突撃に備えたモノだったはずなので、銃砲(特に大砲)に効果があったかは極めて疑問。
それと、
>明軍の大砲や弓は信長が作った塹壕で防げたかも知れぬが
朝鮮出兵で日本側が攻城のために要塞を築いた、あるいは野戦築城をしたというのは本当ですか?
もし、それが仮定、想像の類なら、
そもそも塹壕を含めた野戦築城戦術は、常に相手に攻撃してもらわなければいけない。こちらから攻撃できない。
そのため、野戦築城が有効なのは、自軍が劣勢なときか、相手に積極的に攻撃する理由があるとき、その逆に
こちらには自分から攻撃を仕掛ける理由がないかに限られる。
ついでに、当然ながらそれを築くのに時間がかかる。
ウェリントンは、
味方の攻撃や機動の 自由も奪ってしまい、さらに築いたそれを守りぬかなければならない。奪われれば取り返
さねばならないし、反撃のちの追撃が出来なくなり、作戦の自由もなくなる 。そして、退却に際しても障害と
なり、何より、堡塁の中から兵隊が出たがらなったりする
のでこれを嫌ったという。
ということで銃砲を防ぐことが出来る野戦築城が出来たって、決定的なモノには成り得ない。
ある程度のアドバンテージを得ることは出来たでしょうが。
とどめに、ヨーロッパでは野戦でも積極的に大砲を使ったのだから、それを防げるほど強固な土塁を築くのは
野戦ではまず不可能。その前に敵の突撃であぼーん。
あとの疑問はそろそろ本格的にスレ違いなので自分で調べて下さい。
>>406 そりゃ分かってます。でも、正直この人、前近代の戦争には全くの無知としか思えない。
410 :
世界@名無史さん:03/05/12 02:28
>>404 日本の歩兵は裸に褌ひとつに素手だ。力士とも言う
キムチ臭いスレがどういうわけかタクアン臭くなってきてるな。
412 :
世界@名無史さん:03/05/12 07:40
名コテハン?
迷コテハンだろ。
電波ともいう。
413 :
bloom:03/05/12 08:20
414 :
世界@名無史さん:03/05/12 10:34
>このサイトでは、イングランド勢は5千となっている。しかも、すでに兵をかなり損耗していた状態のようだ。
>とにかく、この時点での弓兵の比率は、全兵数の損耗により、いびつになってしまっただけと思われ。
まあ確か戦闘で弓兵以外の兵が消耗したのでは無く
赤痢か何かで兵が消耗し撤退中に起きた戦闘が
アジャンクールだっただろうから
弓兵だけが赤痢で余り死ななかったと言うのも有り得ぬ話だろうか
(或いは弓兵以外の兵にも弓を渡して敵の突撃に
備えたと言う可能性も有るのだろうか)
>・・・ハルベルトは「長槍」か「長刀」かどちらかといわれれば明らかに「長刀」に近いと思うんですが。
兎も角中国やモンゴル・アラブやトルコの兵は
西欧や日本の様に長槍は大量には用いていなかっただろうか
(蒙古襲来絵巻のモンゴル軍の槍も
片手でも扱え投げられる様なハルバードよりも短い物しか
見当たらなかったが)
>それに、それこそ騎兵、歩兵の突撃に備えたモノだったはずなので、銃砲(特に大砲)に効果があったかは極めて疑問。
まあ騎兵・歩兵の突撃に備えるなら
塹壕の中ではなく後方に布陣する訳だろうし
塹壕の中に布陣したなら敵の銃撃や砲撃に備えての物だろうか
(無論良く言われる様に塹壕の中に布陣したのではなく
塹壕の後方に布陣していた可能性も有るだろうが)
>そもそも塹壕を含めた野戦築城戦術は、常に相手に攻撃してもらわなければいけない。こちらから攻撃できない。
まあ朝鮮の日本軍は侵略軍であるし
敵は積極的にこれを排除しに来るだろうから
防御に徹しても敵を殲滅する事は可能だっただろうか
(仏軍も英軍の基本的に防御戦にしか使えぬロングボウ兵を迂回せず
これに突撃したのは
英軍が侵略軍だったからだろうか)
陣地を迂回して前進すれば
陣地から補給線を突かれるリスクも有るだろうし
(まあ中世の食料は現地調達だっただろうが
弾薬等はそうは行かない場合も多いだろうか)
これを常に迂回出来たのかと言う事だろうが
(まあ補給が切れたら一旦兵は味方の拠点迄戻して
補給を受ければ補給線を突かれる可能性は無いだろうが
部隊の機動性を損なう可能性は有るだろうか)
>とどめに、ヨーロッパでは野戦でも積極的に大砲を使ったのだから、それを防げるほど強固な土塁を築くのは
>野戦ではまず不可能。
まあ確か長篠に現存する塹壕は
土塁は無く単に溝が掘られていただけに見えたが
これであれば砲弾は塹壕の上を通過して
被害は与えらえれないだろうし
仮に土塁が有ろうと銃撃や軽量砲・或いは葡萄弾の砲撃は
防げただろうか
>その前に敵の突撃であぼーん。
まあ塹壕だけではなく柵も有るし
騎兵・歩兵の突撃は銃撃で阻止されるのではないのか
418 :
世界@名無史さん:03/05/12 11:44
日本のサムライは室町時代、傭兵で東南アジアに渡っており、
「戦争の鉄人」と現地の人に呼ばれ、その勇猛果敢さは群を抜いていま
した。西洋の宣教師も日本人は、勇敢さ、屈強さで東洋一で西洋人に
匹敵する唯一の国民と賛辞しました。
419 :
世界@名無史さん:03/05/12 11:48
420 :
世界@名無史さん:03/05/12 11:50
リンク先の解説
ハルベルトの語源は、ドイツ語の「棒」を表す"ハルムHalm"と「斧」を意味する"
ベルテBerte"よりの造語です。
その名の通り、戦斧と槍をあわせたような形状をしています。
とあるな。
某研究者の方が正しい。
>halbertはこんな武器。
まあハルバードは3.5m程度だろうが
長刀は3.5mよりは短いだろうか
>西洋の宣教師も日本人は、勇敢さ、屈強さで東洋一で西洋人に
>匹敵する唯一の国民と賛辞しました。
まあ矢張り銃や剣の扱いに
慣れていた事も大きいだろうか
422 :
世界@名無史さん:03/05/12 11:52
その切っ先は、30pほどの斧とその反対側に突起部、
そして先端に向かっての鋭い槍からなっています。この形状により、
「切る」「突く」「鉤爪で引っかける」「鉤爪で叩く」の4つの使い方が可能でした。
>
槍と明記されているな。
槍を刀とは呼称しない。
423 :
世界@名無史さん:03/05/12 18:13
>>409 >>そりゃ分かってます。でも、正直この人、前近代の戦争には全くの無知としか思えない
某研究者の方があなたより詳しそうなんですけど。
>>423 軍事板からの出張かな?
昔、重装騎兵の縦隊突撃とか言ってた某研が詳しいとは思えないんだが。
うおっ、冒険と真面目に議論しようとしている人がいるw
>>423 某研によればイングランドのロングボウ兵の射程は
1000メートルもあったそうだぞw
某研さんとその取り巻きは軍事板に隔離スレがあるからそこでやって欲しいね。
件の白装束の連中と同じなんだから。
某 研 は 自 然 現 象
>某研によればイングランドのロングボウ兵の射程は
>1000メートルもあったそうだぞw
まあ八人張りの弓の射程はバリスタ同様の
1km以上有るのではないかとは書いたが
通常のロングボウは余程の高台から放たない限り
射程1kmは無理だろうか(苦笑
>419-422
いえ、用法での分類です。
長さを利して突き刺す「長槍」か、振り回して叩き切る「長刀」か、どちらかといわれれば
後者の方に分類されると考えます。しかし、たとえ後者の用法が主だったとしても、確かに
ハルベルトには両方の用法がありました。謹んで謝罪と訂正をさせて頂きます。
謝罪ついでに、「周礼」では、徒歩の兵士の矛を、4.5mと定めています。
ある程度の長さがあれば槍襖をつくって敵騎兵の突撃を阻むのは可能です。
馬は槍襖の中に飛び込めるほど向こう見ずな生き物ではありません。歩兵が突撃を怖れて
隊形を崩さなければ、馬はその場で棒立ちになるか、急停止するか、あるいは勝手に180°転進
してしまいます。
もちろん、日本の長槍兵やパイク兵のような練度と密度を保った歩兵は稀でしたでしょうが。
もう一つ謝罪と訂正を。
アジャンクールのイングランド勢は確かに上陸時一万二千、その2/3が長弓兵でした。
申し訳ない。
しかし、このあとイングランド勢はカレー経由で帰還していますので、その後も、このような
いびつな編成であったかはまだ分かりません。
某研修者氏
もしかして、この「塹壕」を、一時大戦の壕を掘ってその中に隠れる正しく「塹壕」とごっちゃ
にしていませんか? 正直この、前装銃砲全盛の時代に、銃砲を避けて空堀の中に隠れる戦術が
採られたという話は寡聞にして聞いたことがありません。
>仏軍も英軍の基本的に防御戦にしか使えぬロングボウ兵を迂回せず
>これに突撃したのは英軍が侵略軍だったからだろうか
いえ、クレッシー、ポアティエ、アジャンクールではただ(特に騎兵の)数で圧倒していただけです。
その後、フランスは攻城戦に固執するようになったそうです。
>まあ塹壕だけではなく柵も有るし
>騎兵・歩兵の突撃は銃撃で阻止されるのではないのか
失礼しました。「包囲、突撃であぼーん」と訂正させて下さい。
それに、そこまで強固な陣を築いている間、敵が自軍を素通りして後方を絶ったりすると思いませんか?
>謝罪ついでに、「周礼」では、徒歩の兵士の矛を、4.5mと定めています。
>ある程度の長さがあれば槍襖をつくって敵騎兵の突撃を阻むのは可能です。
中国の軍隊が騎兵を防ぐ為に
パイク兵の様に槍襖を作ったかは不明だが
(映画等では大概は歩兵は盾と片手で扱う
槍を装備していただろうか)
クロスボウで騎兵を阻止したと言うのは良く聞く話だが
日本の軍隊も騎兵を防ぐ場合は槍襖では無く
柵や火力に拠る物かも知れぬが
日本の場合は騎兵の乗馬突撃は行われていないと言う意見も有る訳だろうが
(
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/gallery/moukoshurai/e04.htm 上の蒙古襲来絵詞では騎兵が乗馬突撃している様な絵も有るが
これは正しいのだろうか
突撃が有り得たとしも騎兵単独では無く歩兵を伴っての
物かも知れないから
其の場合は余り速度は出ていないだろうか
まあ余り速度が出ていなく共槍や柵・火力無しで
歩兵がこれを阻止出来たのかだろうが)
>正直この、前装銃砲全盛の時代に、銃砲を避けて空堀の中に隠れる戦術が
>採られたという話は寡聞にして聞いたことがありません。
まあTVで見た分には長篠の場合塹壕内から兵が射撃していた様に見えたが
小牧・長久手の戦いでは羽柴軍・徳川軍双方が塹壕に篭って
戦ったとの記述も確か有ったが
これは正しいのだろうか
>その後、フランスは攻城戦に固執するようになったそうです。
まあこれは英軍を城の外に出さずに篭らせて叩いたのか
或いは仏側が城に篭ってロングボウ兵を無力化したと言う事なのだろうか
野戦でも15世紀後半には
仏の大砲でロングボウ兵は射程外から攻撃され撃破されたと言う事だが
後には敵にも大砲が装備されて砲兵対砲兵の戦闘が先に生じ
砲兵のみで弓や銃を持った兵を排除する訳には
行かなく成った訳だろうか
>失礼しました。「包囲、突撃であぼーん」と訂正させて下さい。
まあ只仏軍も英軍の陣地を包囲出来てはおらぬし
(これは側面は騎兵が通れぬ地形に英軍が布陣していた所為かも知れぬが
仏軍が騎兵突撃のみに固執せず歩兵を側面に投入していれば
勝機は有ったのだろうか
恐らくに下馬騎兵を側面に回らせるのは疲労の問題で無理だろうし
騎兵は歩兵が側面から突入し弓兵を無力化した後で
正面から突入すると言う方向だろうか)
信長の長篠の陣地は確か四方に塹壕が有り
全方向からの攻撃に対応していただろうか
>それに、そこまで強固な陣を築いている間、敵が自軍を素通りして後方を絶ったりすると思いませんか?
まあ後方に回って敵の兵站を突くか
後方の拠点を先に落とすと言う方向だろうが
しかし敵も自軍の兵站や後方の拠点を攻撃するかも知れず
後方に予備兵力が無い場合は厄介な事に成る可能性も
有るだろうか
或いは敵の陣地の近くで兵站を攻撃し
敵を陣地から釣り出して
これを迎撃すると言う方向も有るだろうか
兵站への攻撃を無視しても敵は兵糧が尽きて
何れ出て来なければ成らぬだろうから
其処を攻撃すると言う方向だろうか
435 :
世界@名無史さん:03/05/13 13:05
>謝罪ついでに、「周礼」では、徒歩の兵士の矛を、4.5mと定めています。
>ある程度の長さがあれば槍襖をつくって敵騎兵の突撃を阻むのは可能です。
>
ん?
趙が王みずから戎衣を着用して騎馬戦の有効性を認識していたと思うが?
そもそもパイク兵ってスイスぐらいしかいないじゃん。
436 :
世界@名無史さん:03/05/13 13:07
>正直この、前装銃砲全盛の時代に、銃砲を避けて空堀の中に隠れる戦術が
>採られたという話は寡聞にして聞いたことがありません。
まあTVで見た分には長篠の場合塹壕内から兵が射撃していた様に見えたが
小牧・長久手の戦いでは羽柴軍・徳川軍双方が塹壕に篭って
戦ったとの記述も確か有ったが
これは正しいのだろうか
>
三戦板に話題をふってみたら、わかるんじゃなかろうか。
あそこの知識量も半端ちゃうし。
塹壕というより胸壁では? 掘った穴を空堀とし
銃は胸壁に委託して射撃する。
まあ銃を塹壕の後ろの土塁からではなく
塹壕内から放っていた様に見えたが
どうなのだろうか
敵が突入して来たら確か後方の土塁の上に
上って戦っていただろうか
439 :
あっちゃん:03/05/13 14:41
塹壕ってなんて読むの?おせ〜てー。
まあ上の様な事をするなら最初から土塁の上から
銃撃をすれば良いだろうし
実際の所はどうだったのだろうか
>439
ざんこう
>そもそもパイク兵ってスイスぐらいしかいないじゃん。
パイク兵が独の騎兵を槍襖で撃退したと言うのは
良く聞く話だが
矛槍兵(或いは盾と片手用の短槍を装備する槍兵)
が騎兵を撃退したと言うのは聞かないが
銃剣を持った兵士の方陣では騎兵は阻止されていたのだろうか
445 :
世界@名無史さん:03/05/13 16:57
446 :
世界@名無史さん:03/05/13 17:28
>444
スイスの農民はハプスブルグの騎士軍と度々戦闘してますが
矛槍を持っている時代は随分下がるのでどうでしょうね。
侍は平家物語の前あたりから、サッカーの如き集団戦闘を行っているので
戦慣れしてて強いと思います。が、戦闘の様式が現代で考えられている
のと大きく違うので強いと現代人は思えないのかもしれません。
>侍は平家物語の前あたりから、サッカーの如き集団戦闘を行っているので
>戦慣れしてて強いと思います
平家軍に源氏軍が勝てたのは弓の装備率の高さが
一因だったとの意見も有るだろうが
(或いは元寇の勝因もだろうか)
徒歩の兵士も弓を使用していた様には見えないが
蒙古襲来絵詞では大鎧ではなく胴丸を装備した兵も騎乗して弓を構えており
彼等の比率がかなり高かったと言う事なのだろうか
モンゴルには槍を持つ重装騎兵が存在するが
鎌倉時代の日本には無く
騎兵は全て弓を持つ訳だろうが
弓歩兵はおらず
モンゴルには弓歩兵も恐らく
存在する訳だろうが
どちらの弓の装備率の方が高いだろうか
某研究者ってまる一日カキコしているね。
何者?
>>432 NHKの時代劇は時代考証がメチャクチャだそうなので信用しない方がいいですよ。
>>433 とりあえず長篠では、準備万端な敵陣に突っ込んだ勝頼がアフォということみたいです。(かなり意訳)
>>434 いや、そんな悠長なことやっていたら完全包囲されるだろう、という意味です。
そうなったら最早、攻城戦、要塞戦です。
兵站を絶たれた状態で戦えるなら、俄拵えの野戦築城に頼るより、要塞や城壁にこもるでしょう?
>>435 >>444 失礼。「槍襖」という用語でなくただ単純に「槍を前方に突き出して」とするべきでした。
>>435 「胡服騎射」ですな。(某スレで周と趙を間違えていたのは君と僕の秘密だ!)
中国の歴史は全然詳しくないのですが、騎馬突撃が行われたのはもっと後の時代だと思いましたが。
背丈と体格と速度(たとえ人が走るより遅くても)を利して突っ込んでくる騎兵は歩兵にとりて
大変な恐怖です。少なからず歩兵は恐れにより隊列を崩し、騎兵の突撃を許してしまいます。
それゆえ西欧騎士は正面からの突撃を好んだのです。(もちろん成功、失敗、両方ありましたが)
そして突撃を阻めるからといって、必ずしもそれが成功したわけではありません。騎兵の正面突撃が
たとえ難しいものでも全く不可能でもないし、そして、騎兵には迂回戦術など、機動力を生かした
活躍場面があったので、その有効性は全く損なわれません。
>>444 http://plaza4.mbn.or.jp/~tactic/heistingus.html 1066ヘースティングスの戦いでは、大盾を装備したサクソン歩兵により、ノルマン騎兵の突撃が
阻まれたようです。長物を持っていなくても、恐れにより隊列を崩さなければ、騎兵の突撃を
防ぐのは決して不可能ではない(むろん長物の助けがなければ困難でしょうが)ということですね。
453 :
世界@名無史さん:03/05/13 23:37
というか例も某研もあきないのか?
一日中やってる気がするのだが。
職についてないのか?
454 :
世界@名無史さん:03/05/14 00:15
>>444 ワーテルローでは銃剣を持ったイギリス歩兵がフランス騎兵を止めてなかったっけ?
>>453 不景気で開店休業状態の自営業なんだろ。
例は何やっとんかしらんが、
軍事板で某研究家はたしか不動産関係についていると出てた。
この不景気で儲かっていない業界だよ。
知り合いで食えんから長距離トラック運転手を合間にやって糊口を
しのいでいる人いるし。
まずは鎌倉時代の武士と戦国時代の武士との戦い方は全く別だと思うんだが。
だから、そこから分けるべきかな。
しかし、漏れ日本史はあんまり詳しくないんだよな。
>1
このスレ 何で世界史板にあるの?
日本史板にあるのが普通なんだけど、世界史板にこのスレがあるので びっくりしたよw
>いや、そんな悠長なことやっていたら完全包囲されるだろう、という意味です。
>そうなったら最早、攻城戦、要塞戦です。
>兵站を絶たれた状態で戦えるなら、俄拵えの野戦築城に頼るより、要塞や城壁にこもるでしょう?
まあ只野戦築城等せず陣を敷くだけでも
かなりの時間は掛かるだろうし
時間が余り変わらないのであれば
野戦では陣地を作った方が良いとの考えも
有るだろうか
(或いは野戦はせず攻城戦のみをすると言う方向も
有るのだろうか
まあ少数の敵を一々城で待ち構えると言うのも
城下町等の安全確保を考えれば
馬鹿げているだろうし出来れば街の外で撃破するべきだろうし
クリスタニアに出て来た様に街の外を荒らし回り
兵站を破壊する敵を迎撃するのにも
野戦は必要だろうか
無論新たに城や砦を築く際に
これを阻止する為に攻撃して来る敵を迎撃する為の野戦も有るだろうが)
>背丈と体格と速度(たとえ人が走るより遅くても)を利して突っ込んでくる騎兵は歩兵にとりて
>大変な恐怖です。少なからず歩兵は恐れにより隊列を崩し、騎兵の突撃を許してしまいます。
>それゆえ西欧騎士は正面からの突撃を好んだのです。(
中国の歩兵がクロスボウで騎兵を阻止した際は
壕や柵は使用していたのだろうか
>1066ヘースティングスの戦いでは、大盾を装備したサクソン歩兵により、ノルマン騎兵の突撃が
>阻まれたようです。
まあしかしランスチャージを受ければ木の盾では
難無く貫かれるだろうし
(或いは槍を受け流したとでも言うのだろうか)
騎兵に槍が無かろうと
只の盾では押し潰され得るだろうし
矢張り盾には突起物でも付いていたのだろうか
>ワーテルローでは銃剣を持ったイギリス歩兵がフランス騎兵を止めてなかったっけ?
仏には槍騎兵が少ないから止められたのかも知れないが
槍騎兵が多数存在すればこれを銃剣で果たして
阻止出来たのだろうか
461 :
アクセスUPにお役立ち!:03/05/14 15:45
>まあ只野戦築城等せず陣を敷くだけでも
>かなりの時間は掛かるだろうし
まあ歩兵が少ない側・或いは大砲が少ない側が
敵が整列して陣を敷く前に騎兵等を突入させると言う事も
有り得たのだろうか
まあしかし砲兵は少ないが
歩兵が優勢な側が歩兵を
敵の整列前に突入させても
敵の騎兵が騎兵等で阻止出来ねば
騎兵突撃で撃破されるだけだろうか
>>459-460 馬は、障害物に体当たりしてくれはしません。槍襖にかかわらず、何か障害物が進行先にあって、
それが動かなければ、追突するのを嫌がって騎手の意志に反して立ち止まったり反転してしまいます。
飛び越える?歩兵横陣は幾層にも列をつくっているものです。飛び越えてもなお障害物があるのなら、
馬も飛び越えるなんてことはしないでしょう。
某研究者氏
そろそろ完全なスレ違いですぞ。
反応した私も、きちんと私のレスから生じた貴方の疑問には答えたいですが、そろそろ限界です。
もう勘弁して下さい。
465 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/14 22:47
塹壕、
>>446の後半部分、長弓の弾幕射撃、鎌倉武士
これらのキーワードから、ある妄想が浮かび上がってきた。
まず、平安後期〜鎌倉時代の戦風景は以下のようなものだと思う。(誤解があったら指摘キボン)
両軍が一ヶ所に会したら、まずそれぞれは陣を作り、全面に矢盾などで防壁を立てる。
そうしたら夜明けと共にお互いに、相手の矢からの被害を防ぐため散開しながら防壁の後ろから
弓を打ち合う。そして日が沈むと矢を撃つのをやめる。これだけではほとんどお互いに死傷者は
出ない。なので、隙をついて騎馬武者達が奇襲・突撃をかける。散開していた敵は、火力を集中
させてこれを押しとどめることができなければこれに耐えられず、たちまち戦線は崩壊する。
攻撃防御の区別無く防壁を作る。飛び道具は敵の隊列を崩す、もしくは直接敵を削り殺すための
ものではなく、敵を押しとどめるためのもの。奇襲による一点突破で散開した敵を打ち倒す。
これらの特徴から何かが想像できないだろうか。
そう、一時大戦の塹壕戦である!
つまり、日本は世界に1000年ほど先駆けて正しく塹壕戦をおこなっていたのだ!
>馬は、障害物に体当たりしてくれはしません。槍襖にかかわらず、何か障害物が進行先にあって、
>それが動かなければ、追突するのを嫌がって騎手の意志に反して立ち止まったり反転してしまいます。
馬を目隠しして突入させるのは
矢張り起伏の有る地形等では危険な事なのだろうか
>飛び越える?歩兵横陣は幾層にも列をつくっているものです。飛び越えてもなお障害物があるのなら、
>馬も飛び越えるなんてことはしないでしょう。
ロードス島戦記でカシュー王を乗せた馬がパイク兵を飛び越して
敵を攻撃したと言う記述も有っただろうが
あれは飽く迄パイクの槍先を飛び越して
一列目の兵に斬り付けただけだろうか(笑
>これだけではほとんどお互いに死傷者は
>出ない。なので、隙をついて騎馬武者達が奇襲・突撃をかける。散開していた敵は、火力を集中
>させてこれを押しとどめることができなければこれに耐えられず、たちまち戦線は崩壊する。
まあしかし敵にも騎兵は居るだろうし
迎撃される可能性も有るのではないのか
まあ鎌倉時代の場合単純に最初は騎乗した兵が矢を放ってから
突撃し剣を交えた後
やや遅れて来た歩兵がこれを支援すると言う方向であるかも知れないが
(まあ防塁が有るとすればこれ程単純なのかと言う事は有るだろうが
常に防塁が利用されたかと言う事は有る訳だろうが)
>>465 騎馬武者の奇襲・突撃ですか・・・前半部分なら分かるのですが。いえ無い
とは申しません。『前九年合戦絵巻』には安倍貞任が源頼義の陣を奇襲した
際の光景が描かれていますが、これがご想像なさっておられるようなものか
と。ただ武者たちは馬に乗った状態で弓を持っており乱戦状態にあっても刀
をふるっている姿は描かれていません。
ただこの話は重陽の節句進上に名を借りてのものであったので通常の戦場の
それとはまた違うはずです。
防塁が有る場合は其処から弓を放って
敵が接近するのを阻止すると言う事だろうし
射撃の中無理に接近して来た敵が混乱したら騎乗した兵と歩兵が
一気に突撃し騎兵は退路を断つ様な事も
有り得ただろうか
防塁には銃眼が有る訳では無いし
矢に対する防御効果は完全では無いだろうが
矢張り無いよりはましだろうか
(攻撃側に盾等完備されてはおらぬだろうし
まともに射撃を受ければ混乱は必至だろうか)
危険な防塁には先に歩兵を突入させて
騎兵は後ろから逃走しようとした見方の兵を
撃てる様に待機する等の事も有り得るのか
或いは突入する歩兵の後方に待機して
歩兵を援護する為防塁から射撃して来る敵の頭を塞ぐ為に
防塁に射撃を加えると言う方向も有るだろうが
徒歩の雑兵が騎乗した兵より先に攻撃を掛ける等
当時としては不名誉な事だろうし
通常の野戦・防塁への攻撃共に
騎乗した兵が恐らく先頭に立っていたのかも知れないが
竹崎季長は「弓箭の道先をもって賞とす。ただ懸けよ。」と言って
蒙古軍の中に突っ込んでいましたね。
>>466 >馬を目隠しして
目隠しされた馬が素直に走ってくれるとは思いませんが。
騎手を放り出して味方に突っ込むのがオチでしょう。
>ロードス島戦記
えーと、ラノベでの演出上の描写を云々するのはやめて下さい。水野は
”ロードス島”という土地が実在することすら知らなかったそうですから。
>まあしかし敵にも騎兵は居るだろうし
>迎撃される可能性も有るのではないのか
二次大戦以降の対空砲火と戦闘機による敵機迎撃との関係をご想像下さい。
>>468 古代では戦車も突撃に用いられたと思いますから、敵が散開していれば
飛び道具を得物にしていても、騎馬武者の迫力により十分敵を追い散らす
ことができた、とか考えていますが、どうでしょう。
475 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/14 23:49
>>474 集団でなくとも敵陣に突入するかたちになればそうなったかと。ただ
相手方も当然馬に乗って矢を放って来たでしょうからそれですぐ一方
的なかたちになるという事態にはなりにくかったとは思いますが。
講義中に一騎打ちというのは馬に乗ってすれ違いざまに矢を放つもの
であったと聞いた覚えがあります。出典を聞いておけば良かった。
>えーと、ラノベでの演出上の描写を云々するのはやめて下さい。
まあ誰が書いたか・何に書かれていたか等は
問題する意味は有るのかと言う事だが
パイクの槍先を飛び越して最前列のパイク兵を倒すと言う事は
果たして可能なのかと言う事だが
(まあしかし軍馬に其れ程の跳躍力が有るだろうかと言う事は有るだろうし
パイクの柄の部分に着地する事等望むかだろうが)
>>474 ちゃんとスレ違いにも反応している駄目な俺・・・。
今度こそ無視するぞ。
>>472 歩兵の速度では奇襲にならんでしょう。
>>471 >援護する為防塁から射撃して来る敵の頭を塞ぐ為に
>防塁に射撃を加えると言う方向も有るだろうが
援護射撃のことですか?まぁ突撃に加わらなかった歩兵がそれをしなかったと
考えるのが不自然でしょうな。
>>475 一騎打ち、それがありました。
矢合わせから一騎打ちへの戦闘推移、ここらへんが一番の問題ですな。
敵方に飛び込んでもそれで終わらず、なお激戦(というか本番)が続くことが多く、
そしてそれこそが勝敗を決めることが多かった。
とすべきでしょうか。
一時大戦ではどうだったんだろう。そうそう奇襲が上手くいったとは思えないから、
強襲になってしまったパターンからなら上との類似性を見いだすことはできたかな?
某研にレスしても学習能力無いからいつまでもループし続けるよ。
一度軍板で相手したことがあったが、どうにもならん。
あれだけ教育されているのに、自分で資料あつめて勉強する気もないし
過去の資料を参考にしないで妄想だけで展開するから質が悪い。
>援護射撃のことですか?まぁ突撃に加わらなかった歩兵がそれをしなかったと
>考えるのが不自然でしょうな。
鎌倉時代は恐らく徒歩の兵は弓を扱えないだろうが
騎乗している兵も胴丸を装備している物は
恐らく代え馬も無いなら下馬戦闘をした可能性も有るだろうが
行軍後に馬が休めた状況で戦闘をした場合はどうだろうか
(西欧の騎馬して行軍した重装歩兵は
戦闘前に馬が休めた場合騎馬突撃した可能性も有るのだろうか)
480 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/15 00:29
>>477 大抵の戦闘は戦う前に勝負がついていた・・・というとまたわけが分
からなくなりますしねえ。ただ平安後期〜鎌倉時代の正面からのガチ
ンコ対決というのがちょっと思いつかない。
481 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/05/15 00:35
そういえば関ヶ原の合戦に顕著なように日本の戦闘は「根回し」で解決
されていたと言った人が居ましたね。どんな立場の人であったのかは忘
れてしまいましたが。
482 :
世界@名無史さん:03/05/15 01:03
弓と馬の道=武士
>西欧の騎馬して行軍した重装歩兵は
>戦闘前に馬が休めた場合騎馬突撃した可能性も有るのだろうか
まあ矢張り騎乗して突撃する訓練を受けておらねば
馬が疲れておらず共突撃等不能だろうか
484 :
世界@名無史さん:03/05/15 02:19
1は、ルイス・フロイス(戦国時代の宣教師)の「日本史」は読んだことがないのか?
西洋人から観ても、侍は恐ろしく強かったらしい。明+朝鮮軍隊:侍は、10:1の
兵力でも勝ってた。
そもそも、秀吉が明征服を企んだのは、倭寇の情報で明の軍隊が恐ろしく弱いことを
知っていたから。
485 :
動画直リン:03/05/15 02:20
えーと、ラノベでの演出上の描写を云々するのはやめて下さい。水野は
”ロードス島”という土地が実在することすら知らなかったそうですから。
そうか、水野ってDQNだったんだ・・・・
>倭寇の情報で明の軍隊が恐ろしく弱いことを
>知っていたから。
まあこの時点では騎兵を撃退した時のクロスボウの集中運用等は
廃れていたと見て良いのだろうか
489 :
世界@名無史さん:03/05/15 13:56
491 :
世界@名無史さん:03/05/15 14:01
http://www.yorozubp.com/0003/000317.htm フロイス、後世による2次史料。
http://www56.tok2.com/home/history/collaborate/hon-nohji/order/3.htm フロイス『日本史』の記事は本当か?
一つには、この本全体が嘘と偏見と異宗教への差別的言辞に満ち満ちているからである。
例えば、「西国の諸大名は皆キリシタンになりたがり、そのために宣教師の数が足りなくなった」など
と理解し難いことが書いてあったり、「明智は残酷な刑罰を好み、人を欺く方法に精通していると
吹聴していた」などと、一般的な光秀像からかけ離れたことが書いてある。
したがって、『日本史』は公平な立場に立って書かれた史料とは考えがたい
(つまり、何らかの宣伝的な狙いを持って書かれた可能性がある)。
フロイス、また疑義でしるし。イエスズ甲斐より相手にさtれず。
二つ目には,前ページの太字部分を見ればわかるように、問題の記述が又聞きによって書かれているからである。
「人々が語るところによれば」と、情報源も明らかにされておらず、単なる噂によって知ったものだと受け取れる。また、密室で二人だけの間で(お小姓くらいはいたかもしれないが)行われたことが、なぜ外部に漏れたのか、という疑問も生じてくる。
492 :
世界@名無史さん:03/05/15 14:03
捏造民族チョンに言われたかねぇや。
495 :
世界@名無史さん:03/05/15 22:10
496 :
世界@名無史さん:03/05/15 22:34
>>489 それが本当なら秀吉の朝鮮征伐の時、なんで鮮人はあんなに弱かったの?
つーか、コピペ煽ってどうするよ、もまえら。
とりあえず、
>>452の5段目二行の
>騎馬突撃が行われたのはもっと後の時代だと思いましたが。
は脳内あぼーんしてくらはい。
>>480 源平合戦でもダメですか?
ま、近現代にも戦争法なるものもありますし、馴れ合いな戦争は、本当は
そうそう特異なものではないのかも。
>>496 どこが弱いの?
イスンシンに補給叩かれ放題だったからどの道日本負けてる。
まあ補給が断たれても食料は現地調達出来ようが
弾薬は無理だろうし
明や朝鮮軍のクロスボウでも奪って兵に使わせるしか無いだろうか
だから こういう話は日本史板でやれって言ってるだろ
501 :
世界@名無史さん:03/05/17 00:52
502 :
世界@名無史さん:03/05/17 01:02
フロイスの草稿の前書きで日本人について「このような文化の開けた、
創造力の旺盛な、自然の知識を備える人々」と呼んでいる。
フロイスの日本人論の結論は、「名誉を重んじ、道理に従い、創造性が
ある」ということだった。
チョンがちょっかいだしても、朝鮮人に対する記述で肯定的なものは
聞いたことがない。中国の下僕という意識に過ぎなかったのだろう。
第一朝鮮に行ったり、興味を覚えたという兆候すらなかったのだ。
>>502 正確には「道理に従い」でなく「理性に従い」なんだよね。
偶然、西洋のキリスト教の概念『理性』と
日本の『道理』が価値観として重なっていたわけだ。
日本でもキリスト教国でも嘘吐きと泥棒を
知恵のある行為として考えず、軽蔑する文化があったわけだ。
>創造性がある
http://www.tnm.go.jp/doc/Srch/Flm/FQ3.html 上に有る鈴木春信の絵の構図等は創造性は非常に高いと思うし
(実際は中国の絵を参考にした部分も多いだろうが
中国の版画は構図はやや形式的で西欧同様固いだろうか)
(錦絵を最初に作った)鈴木春信が無ければ錦絵・浮世絵は無く
錦絵・浮世絵が無ければ西欧の印象派も無く
印象派が無ければ恐らく西欧の・世界の文化の自由化も遅れ
文化の自由化が遅れれば
民主主義や科学技術の進歩さえも遅れていた可能性は有るだろうか
505 :
世界@名無史さん:03/05/17 21:33
>錦絵・浮世絵が無ければ西欧の印象派も無く
浮世絵がなかったら
西洋の芸術家たちはインドかどこかの美術を参考に
新たな様式を作り出したと思われ。
>印象派が無ければ恐らく西欧の・世界の文化の自由化も遅れ
んなわきゃねー
>浮世絵がなかったら
>西洋の芸術家たちはインドかどこかの美術を参考に
>新たな様式を作り出したと思われ。
まあ只インドや中国の文物はかなり以前から入っていただろうし
其処から余り新しい物が出て来た訳では無いなら
矢張り西欧は独自に文化を印象派のレベルに
自由化し得たかと言う事は有るだろうし
仮に可能であれ参考とする物が後で見付かれば
自由な物が出て来る時期も遅れ其れが他の方面(政治・科学技術等)の
自由化・進歩の遅れにも繋がった可能性は有るだろうか
>まあ只インドや中国の文物はかなり以前から入っていただろうし
>其処から余り新しい物が出て来た訳では無いなら
まあ中国は儒教・インドはヒンズーやイスラムの影響が強過ぎて
自由な構図・題材は余り用いれなかっただろうし
矢張り浮世絵の構図・題材の自由性と言う物が
欧米に与えたインパクトは大きかった訳だろうか
米の文化の自由と言うのも
以前は欧州より劣っていたかも知れぬし
欧州の自由に対抗してより自由な物を求めた結果が
今の米の文化だとすれば
其の発端と言うのも結局日本の浮世絵或いは
江戸時代の文化だったと言う事にも成り得るだろうか
509 :
世界@名無史さん:03/05/18 01:48
半島は中国と地続きだからしょうがないね。いつも大陸の情勢に
左右され、独自性を保ちにくい。西欧人から見れば中国の属国に
見えても仕方がないだろう。それに朝鮮は地政学的に見ても西欧人が
渡来しにくいのは常識だ。ヨーロッパから東アジアに陸路で至れば
中華帝国にぶつかるし、海路で至れば中国沿岸及び日本にぶつかる。
アメリカから来た場合も同様(例:ペリー艦隊)。だから朝鮮人は近世
に至るまで欧米人と接触しにくかった。もしペリー艦隊が朝鮮に来ていたならば
朝鮮が維新をおこなっていたのかもしれない。
江戸期あっての維新の成功かと
田沼意次が失脚せねば
歌麿が武士の生活を描いたからと言って
果たして投獄されたかと云う事も有るだろうし
この辺りが自由と成れば
西欧の影響が無く共民主主義の様な物が
日本に生じ得なかったと言う可能性も捨て切れないだろうか
(田沼失脚は汚職ではなく飢饉が原因であるし
必然的な物では無いだろうか)
>歌麿が武士の生活を描いたからと言って
>果たして投獄されたかと云う事も有るだろうし
他にも文化的な自由や自治を求める勢力は
多数存在していた訳だろうし
彼等が存在する限り何れは
民主主義の様な物が得られた可能性は
有るだろうか
513 :
世界@名無史さん:03/05/20 18:59
>>509 朝鮮はペリー艦隊が日本に来る前に欧米から開国を要求されているだろうが
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[京阪神急行大山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
516 :
世界@名無史さん:03/05/25 19:14
age
519 :
世界@名無史さん:03/05/26 12:00
>>484 違うって。
その情報を無邪気に信じたから日本側は城に立て篭もって
寄せ手を鉄砲で迎撃するという状況にまで追い込まれた。
そんな差があるなら、あと数回野戦で撃破すれば即座に北京まで到達できるよ。
明の総兵力は軍事大国であり膨大な人口を抱えてた日本より
さして多くはないからね。
>>526 骨董的、美術的な価値は異なるだろうが、真剣用にせよ、居合刀用にせよ、
目貫としての実用上機能ならば何の変りはないのでは
武士・剣豪は歩兵文明の中じゃ間違いなくトップクラスの強さ。
なんといっても、攻撃速度+ の文明ボーナスが大きい。このお影で
暗黒から民兵出して攻めに行ける
529 :
世界@名無史さん:03/05/27 13:44
>>519 だから日本は実質勝利していたんだよ!
それを朝鮮に通じた宗氏と石田光成が台無しにした。
本当ならば、中華皇帝に秀吉がなり、
日本帝國が燦然と輝いていたのは常識。
そして、東南アジアの日本人街とあわせて考えて場
フィリピンを攻撃して新疆を征服し、ロシアを破り、ネパールを突破して
インドを併合し、サファビー朝を倒し、オスマントルコを破り、
シベリア、沿海州をあわせ、太平洋に進出し、オーストラリア、ニュージランド
を発見し、大帝国を築いていた。
イスパニアやぽるどがるなどけちょんけちょんにたおせますよ。
日本最強。
530 :
世界@名無史さん:03/05/27 15:19
すげェ楽しそうな妄想。漏れもまぜて。
531 :
世界@名無史さん:03/05/27 19:08
上に同じ
532 :
世界@名無史さん:03/05/27 19:25
529みたいに
石田三成を石田光成と書いてるヤシが結構いるんだが
同一人物か?それともはやってんのか?
533 :
世界@名無史さん:03/05/27 19:50
^^
534 :
世界@名無史さん:03/05/27 20:07
どう考えても攻勢を取れず、城に篭っての迎撃に終始した
日本が勝ってたとは思えない。
まあしかし相手が侵略者を排除しようとして
待っていても攻めてくれるなら
城で迎撃した方が最も効率的かと思うが
どうなのだろうか
536 :
世界@名無史さん:03/05/27 21:11
>1の元寇で活躍できなかった、っていうのはどうだろうか。
文永の役のときは戦術の違いからコテンパソにやられたみたいだけど、
弘安の役ではけっこうよく戦ってる。
元軍の船に小船で奇襲をしたり、塁を築いて迎え撃ったり
襲撃が事前に予想され海岸に陣地が築かれていたと言うのが
大きいだろうが
(文永の役の時も防塁は確か築かれていただろうか)
モンゴル側も騎兵は少なく歩兵が大半なら
これが日本側の騎兵の突撃や精鋭歩兵の突入に
雑兵が多く集団戦法がまともに機能しない様な状態で
抗し得たのかと言う事は有るだろうか
538 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/27 22:40
539 :
世界@名無史さん:03/05/27 23:50
>>534 まあチョンにシナは攻略できんよ。
日本が本気だせば余裕。
なんでもかんでも在日の発言にするなって。
541 :
世界@名無史さん:03/05/28 13:46
実際に在日がかきこんでいるんだろ。
542 :
世界@名無史さん:03/05/28 14:00
でも534は在日に限らず、普通に日本人でも感じてることなんだが。
対馬海峡ってそんなに越え難い障壁なのかなぁ。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
秀吉が死んだ後を睨んであんまり消耗したくなかったんだろ。
546 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/30 17:12
547 :
世界史@名無しさん:03/05/30 21:27
>>538 一番進化しているのは寒冷地適応型新モンゴロイドですよ。脳重も最大です。
現在では南方モンゴロイドの方がよ北方モンゴロイドよりもりコーカソイドに
近く、新モンゴロイドはコーカソイドからは遺伝的にかなり遠いとする結論が
出ています。北方モンゴロイドは新モンゴロイドとは同一ではないので誤解無
きよう。
548 :
世界@名無史さん:03/05/30 22:05
寒冷地適応型新モンゴロイドの具体例はなんでしか?
549 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:22
>>547 それは事実ではありません。DNAでは、揚子江を境に北方モンゴロイドの
方が南方モンゴロイドよりコーカソイドに近い研究結果が出ています。
北方モンゴロイドでも古モンゴロイドのアイヌや縄文人の方が新モンゴロイド
より頭囲が大きいです。
新モンゴロイドがコーカソイドと遠いのは形質です。
550 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:29
551 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:31
552 :
世界@名無史さん:03/05/31 01:55
>>538 >>547 電波な本を読んで信じ込んだのか、誤読か、または単なる無知なのか。
とりあえず、お前ら『進化』ってどういうことか全然分かってない。
少し勉強して来い。
大体『進化』に一番も二番もビリもありゃしないよ。
>>549 >>551、コーカソイドに近いも何もないんだよ。
モンゴロイドとコーカソイドの大枝が分岐した後で
各モンゴロイドの小枝が分かれたんだからな。
>>550もこんな無内容な議論に騙されるな。
>>534 それ以前に朝鮮出兵の失敗が石田三成のせいだと
主張している時点で
>>529は。。。。。
個人的に朝鮮出兵は戦術的には日本が勝って戦略的には負けたってとこかな?
555 :
世界@名無史さん:03/05/31 09:03
>>553 南方モンゴロイドは遺伝学的に北方とはかなり遠く、北方とコーカソイドの
方が近いという論文はありましたな。
556 :
世界@名無史さん:03/05/31 09:33
日本は朝鮮出兵の重要な敗因の一つである補給線の失敗を研究しなかった。
太平洋戦争の重要な敗因の一つである補給戦の失敗を研究してなかった。
つまり400年近く日本は同じミスをしていると個人的に思う。
しかも自衛隊は日本本土で戦うものだから余計にそういう研究はしない。
557 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 09:48
まあ中世の軍の補給は現地調達が基本だろうが
補給線の防護と言う概念が出来たのは何時頃なのだろうか
(現地調達が困難な弾薬等が切れた場合は
其れをどの様に調達していたのかだろうが
一旦拠点迄後退していたのか
或いは別の軍に輸送させていたのだろうか)
朝鮮の場合は補給線がやられたと言うより
海上を移動する軍自体がやられたと言う事ではないのか
(兵站線を防護しなかったと言うより
海軍力自体を敵の海上での襲撃に備えて
最大限増強しなかったと言うのが正解だろうか)
558 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 09:52
三国志でも物資は軍と共に移動して
物資単独で輸送を行ったと言うのは記憶に無いし
兵糧はある程度は携行されるだろうが其れが切れれば現地調達
・矢が切れたら別の軍に運ばせるか
或いは軍を自軍の拠点に後退させると言う方向だっただろうか
秀吉が小田原を攻略する際には兵糧を海上輸送したが
これは現地調達では足りないと見ての事でだろうか
(敵の襲撃の可能性が有れば
海上の輸送船に護衛は付けたのだろうか)
559 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 10:00
>太平洋戦争の重要な敗因の一つである補給戦の失敗を研究してなかった。
まあ只米の潜水艦を利用しての通商破壊が始まったのは
(Uボートにやられていたにも拘わらず米の戦略ミスで)かなり後期からだろうし
其の段階では物量の差で護衛艦や哨戒機等配置しても
敵の正面戦力に排除されるので補給線を守る事等無理だっただろうが
通商破壊の防護以外にも補給のミスは目立っただろうか
(其れでも伊−201で米の補給線を突けば
独のU−21等の投入も有るなら講和に持ち込めた可能性は
有るとの意見も有るだろうか)
560 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 10:07
まあそもそも補給線への攻撃と言う概念が出来たのは
何時からなのかと言う事だろうが
補給線では無く敵の兵糧を焼き払うと言う事なら
三国志でも行われただろうか
敵の食料庫ではなく補給線への攻撃と言うのは
事実上Uボート等での通商破壊が最初なのか
或いは英国のドレーク等の敵国商船への海賊行為迄
補給線への攻撃に含めるべきなのだろうか
561 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 10:14
まあそもそも補給線と言う概念が出来たのは
何時なのかと言う事だろうし
Uボートや通商破壊艦等が登場したWW1以前には
存在したのかと言う事だが
海上では無く陸上の補給線を最初に叩いたのは
WW2のアフリカ戦線の英軍辺りだったろうか
562 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 10:21
米英も初期にはUボートは防げておらぬし
何れにせよ米英の様に正面戦力が無いと護衛艦や哨戒機を配置しても
撃破されるだけだろうか
563 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 10:35
兎も角中世に日本以外の国には
海賊対策は兎も角補給線の防御と言う概念が有ったと言うのは
恐らく幻想だろうし
秀吉の小田原攻めでの大部隊を長期に前線で維持する為の
海上からの大量の物資の補給は
他国では行われていたのかだろうが
中国にも細い山道を通って補給物資を輸送する為の
一輪車の様な物は有っただろうが
他に補給能力を増す様な工夫は西欧諸国等には
有ったのだろうか
564 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 10:42
まあしかし日本がWW2の初戦から潜水艦を用いて通商破壊をしておれば
米の迎撃体制が整う迄時間は稼げたかも知れぬが
これはどの程度だろうか
565 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 12:02
>朝鮮の場合は補給線がやられたと言うより
>海上を移動する軍自体がやられたと言う事ではないのか
まあこれに対して如何成る対策が出来たのかと言う事だろうし
日本船の大砲装備率を増すか
或いは海上の兵力は出来るだけ纏まって行動させると言う方向なのだろうか
(まあ只日本の船全てを集めてこれを一斉に行動させたとしても
かなりの損害は出ただろうし
囮等を使うのでも無ければ纏まって行動した上で大砲装備率を増すしか無かっただろうか
或いは朝鮮水軍の迎撃も彼等が隠れていそうな場所を迂回する等すれば
逃れられた可能性は有るのだろうか
海上での戦いは避けて地上戦に勝利し続ければ勝てたかも知れぬが
確か朝鮮側が港への攻撃を掛けていたかも知れぬが
別に港で無く共兵力は陸揚げ出来ただろうし
港以外の場所から兵力を陸揚げすれば良かっただろうか)
566 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 12:23
まあしかし10万単位の兵を動かすのに
食料が現地調達のみで足りたかと言う事だが
兵力を分散配置するか
一点に集中して略奪して移動を繰り返せば
食料も現地調達のみで済んだ可能性は有るだろうか
(小田原攻めの様に前線に食料を大量に輸送しようと言う計画は
有ったのだろうかと言う事だろうし
弾薬は現地調達は不能だろうか)
567 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 12:52
兵力を2手に分けて
片方は食料を略奪し城に持ち込む事を繰り返し
片方は城内の食料を守る為に篭城すると言う事をすれば
弾薬等無く共かなり持久戦は
可能だっただろうか
568 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 13:06
15万を2隊に分けて
片方は城に篭らせ
(まあ城の方の兵力は敵を支えられる程度に少なくても構わないだろうが)
片方は城の外に出て食料を奪わて城に帰還する事を繰り返せば
良いだろうか
(城に5万・外に10万程度の兵なら
外で兵が襲撃されても恐らく保つだろうか)
569 :
世界史@名無しさん:03/05/31 13:38
>>149 その学説を裏付ける資料は皆無ですよ。だからそれぞれの学者「特に日本の」が自分達に
都合の良い解釈をでっち上げている。特に日本では北方モンゴロイドがコーカソイド
に近縁だとする論を取りたがる白人崇拝主義者が多いようですね。現実には南方モンゴロイド
の身体的形質はコーカソイドの原種に近く、かつてはオーストラロイドはコーカソイドと
モンゴロイドの混血だとさえ地理学の学術書に記載されていました。現在では遺伝子による分類法
により南方モンゴロイドを特色付けるある遺伝子群はコーカソイド由来であるということが証明され
つつあり、南方モンゴロイドはよりコーカソイドに近いと考えるのが妥当でしょう。
571 :
世界史@名無しさん:03/05/31 13:45
脳の容積に関してですが、脳容積が最大なのは寒冷地適応型
新モンゴロイドですよ。
新モンゴロイド>>南方&北方モンゴロイド>コーカソイド>>ニグロイド
572 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 13:45
>特に日本では北方モンゴロイドがコーカソイド
>に近縁だとする論を取りたがる白人崇拝主義者が多いようですね。
まあ脳重がモンゴロイドより軽い白人等に近く共生物学的に優秀なのかだろうし
黒人・白人・南方モンゴロイド・北方モンゴロイドの順に遺伝子が新しく
脳重も重いのなら
生物学的には白人から遠い事こそ良い事ではないのか(苦笑
573 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 13:48
>脳容積が最大なのは寒冷地適応型
>新モンゴロイドですよ。
まあ只南方モンゴロイドも寒冷地適応した物は有る訳だろうし
中国は南方モンゴロイド遺伝子の比率も多いだろうから
脳重は重く共古い遺伝子は混ざっていると言う事だろうか
(ブリヤートの北方モンゴロイド遺伝子の比率の多い
新モンゴロイドが一番遺伝子の新しい存在と
言う事なのだろうか)
574 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 13:50
>脳の容積に関してですが、脳容積が最大なのは寒冷地適応型
>新モンゴロイドですよ。
これのソースが有れば教えて貰いたいが
中国等の南方モンゴロイドの遺伝子の比率も多い者が
寒冷適応しても同様なのだろうか
575 :
世界史@名無しさん:03/05/31 13:54
>>573 新モンゴロイドの典型はエスキモー
日本人では故渥美キヨシの身体的形質がまさに新モンゴロイドそのもの。
576 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 14:00
エスキモーが世界を支配する分けには行かないなら
南方モンゴロイドの遺伝子も多いが
寒冷適応した中国の人間が
最も進化した人間として何れ世界を支配する可能性も
有るのだろうか
577 :
世界史@名無しさん:03/05/31 14:14
>>576 過去の中華文明の偉大さを考えればわかると思うが、北方モンゴロイド
遺伝子と南方モンゴロイド遺伝子の適当な割合でのブレンドが想像性豊かな
優秀な人種を生み出すと考えて間違いないだろう。日本の文明は殆ど猿真似ばか
りであるし、東アジア地域で真に想像性豊かな世界的大文明を築き上げたのは中華帝国
とその周辺民族ばかり。漢民族を筆頭にいずれの人間集団も過去から現代に至るまで南方及び
北方モンゴロイド遺伝子の混血集団だ。どちらかの遺伝子が偏在していれば想像力の優秀な人種は
生まれない。シベリアやエスキモーしかり、フィリピンやマレーシアしかり。
578 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 14:23
>北方モンゴロイド遺伝子と南方モンゴロイド遺伝子の適当な割合でのブレンドが想像性豊かな
>優秀な人種を生み出すと考えて間違いないだろう。
まあそうすると矢張り今後は中国が世界を支配すると見て良いのだろうか
>想像性豊かな世界的大文明を築き上げたのは中華帝国
>とその周辺民族ばかり。
まあ仏教はインドの物だろうし儒教には創造性がそう有るのか
キリスト教に比べて新しい物事を生み出す力が有るのかと言う事は有るだろうが
>日本の文明は殆ど猿真似ばかりであるし
まあ只中国の影響の有る以前は
中国とはかなり異なった文化を持っていた様に見えたし
これは真似では無いだろうか(苦笑
579 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 14:25
まあ中国人も寒冷適応で脳が重く共南方モンゴロイド遺伝子の混血の影響で
構造自体は古く余り能力は得られないと言う事は無いのかと言う事だが
どうなのだろうか
580 :
世界史@名無しさん:03/05/31 14:29
中国の三大発明「火薬・羅針盤・紙」&競争試験による官吏登用システム「科挙」
、造園術、古代思想「孔子、荀子、墨子」は欧州にも絶大な影響を与えた。
581 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 14:35
上まあ只其れ等は創造の為と言うより
支配の為に作られた物であるとの印象は
否めないだろうか
583 :
世界史@名無しさん:03/05/31 14:37
>>580 それと老子も有名では。無為自然を説いたんでしたっけ?
虚無主義を唱えた偉人もいましたね。彼の思想がやがて欧州に
伝わり、ニーチェのニヒリズムとして大成したと何かに書いてありました。
いずれにしても2000年以上昔の話ですよ。中国は過去に遡るほど偉大だ!
584 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 14:40
まあ只虚無主義は確かギリシャにも有っただろうし
中国のオリジナルと言えるのかどうかだが
585 :
世界史@名無しさん:03/05/31 14:46
>>580 その科挙のおかげでわが国では人生を棒に振る人間が後を絶たない。
国家公務員1種試験&司法試験は現代の科挙だ!!(受験戦争も)
586 :
世界史@名無しさん:03/05/31 14:52
まあ、身分・階級・人種・民族によらず競争試験をパスすれば
人生の栄達が保障されるから科挙は素晴らしくもあるんだけどね。
これがなければ世の中は永久にカースト制度だったかもしれない。
>>585 でもペーパーテスト以上の、人物選別法ってないだろ
588 :
世界史@名無しさん:03/05/31 15:08
>>587 では、世界に先駆けてペーパー試験を行った中国は偉大ってことですな。
589 :
世界@名無史さん:03/05/31 15:40
>>587はどうかと思うが(w、
>>588は結構言えてるんじゃないかなあ。
科挙による選別を行い、出世には教育が必須であった国が東アジアの中心だったってことが、
今のアジアの経済発展の歴史的要因なんじゃないかと思う。
590 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/05/31 15:43
>出世には教育が必須であった国が東アジアの中心だったってことが、
まあ只其の教育が実際の政治に生かされる事と言うのは
余り無かったと言う事だろうか(苦笑
591 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/01 11:59
>まあ只其の教育が実際の政治に生かされる事と言うのは
>余り無かったと言う事だろうか(苦笑
まあ現在に措いてもこれはそうだろうが
西欧の芸術は作品の中の宗教的メッセージで他人を支配する為の物も
多かっただろうが
他の地域では必ずしもそうでは無いと言う事だろうか
(浮世絵等に宗教的メッセージは
余り無いだろうし他者を宗教で支配する・拘束する為に
書かれた物では無いと言う事だろうか)
592 :
世界史@名無しさん:03/06/01 12:05
>>591 Me262を戦闘機型として量産し、V2ロケットに化学兵器を
搭載して戦闘をすればどうなってた?バルバロッサ作戦の発動が
半年早かったらどうなってた?
593 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/01 12:10
>西欧の芸術は作品の中の宗教的メッセージで他人を支配する為の物も
>多かっただろうが
まあ只宗教的な題材を用いているからと言って
例えばギリシャやルネサンス期の芸術等は
必ずしも他人の宗教に拠る支配を意図しているとは限らないだろうが
594 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/01 12:15
>例えばギリシャやルネサンス期の芸術等は
>必ずしも他人の宗教に拠る支配を意図しているとは限らないだろうが
まあ只ローマやキリスト教暗黒時代の芸術は宗教的メッセージに拠る
他者の支配を意図していた物が恐らく大半だろうが
中国はどうなのだろうか
595 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/02 09:37
まあ実物の忍者刀や忍者装束が
見当たらないのであるなら果たしてTVで見る様な
忍者は実在したのかだろうが
(手裏剣の実物は有ったかも知れないが
鎖釜等は確か無いだろうか)
596 :
アマノウヅメ ◆4cna7XPsQo :03/06/02 10:03
>>595 司馬遼太郎氏が「上忍を地侍、下忍を雇い人と位置づけたのは私である」と
どこかで書いてたから、どうせ、ほとんどでっち上げでしょう。
一般に手裏剣というのは小柄を投げる技だったようです。
597 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/02 12:19
>どうせ、ほとんどでっち上げでしょう。
まあ只忍者が使う道具や武器が実存しなく共
過去の文献に記述は有る可能性は有るかも知れぬが
正確な外観迄は判らないかも知れないが
599 :
世界@名無史さん:03/06/02 13:12
戸隠流忍術宗家の初見良昭(確かまだ生きてる)はCIAやSS、
各国の特殊部隊で忍術を教えているんだぞ。
600 :
世界@名無史さん:03/06/02 14:32
↑
あのジライヤの!?
601 :
世界@名無史さん:03/06/02 18:24
602 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/04 14:07
忍者は任務に失敗すると正体を隠す為に自ら顔を爆破すると言うが
漫画等に有る様に奥歯に爆薬を仕掛けたと言うのはどうかだろうし
(まあしかし此れの着火はどうやるのだろうか)
矢張り通常の爆薬を顔の顔の近くで炸裂させたと言う事なのだろうか
603 :
世界@名無史さん:03/06/04 14:10
ところで生物学的に見て昆虫と哺乳類ってどっちが成功しているの?
完成されまくっている昆虫と効率の悪い哺乳類を比較すんな汚らわしい。
単細胞生物こそ完成されてるじゃないか
606 :
世界@名無史さん:03/06/04 20:13
>>603 圧倒的に昆虫だが
別に昆虫も原生動物も完成されているわけではない。
607 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:06
どうして昆虫が圧倒的に完成されているの?
608 :
世界@名無史さん:03/06/05 02:57
609 :
世界@名無史さん:03/06/05 03:18
なんでこれ以上進歩しないとわかるんですか?
三葉虫やアンモナイトも韓性もとい完成されていたのか
612 :
世界@名無史さん:03/06/05 22:32
大韓は完成されている^^
613 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:40
614 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/05 23:42
>613
碧蹄館では。>小早川 もっとも最終的な兵力はこちらが勝っていたそうですが。
615 :
世界@名無史さん:03/06/06 02:14
>>614 要するに日本軍の勝利じゃん。
明もたいしたこと無いな。
616 :
世界@名無史さん:03/06/06 03:27
明はもう疲れ果ててた時期だからな。
それにしても文禄の後に明が貢物持ってこいと秀吉に催促してるのがうける。
617 :
世界@名無史さん:03/06/06 08:36
明は何様のつもりだ。
あの時代って正に明末清初で明の末期でしょ。東北地方では満州族が
日の出に勢いだったし。そんな明軍に局地戦で勝利してもねえ…
それにあんな時期に実現不可能な構想を抱いて、大陸で大消耗戦なんか
やるから豊臣政権は2代で滅亡してしまったんだよ。大陸での情勢をよそに
せっせと江戸の街作りに励んでいた家康の勝ちでしょ。
620 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:01
局地戦?
日本は実質戦勝国だよ。
局地戦?
622 :
世界史@名無しさん:03/06/06 13:13
>>620 こっちで勝手にそう主張しても相手はそう見てくれないでしょ。
それに最終目的は、長安への遷都&日本国天皇のシナ皇帝化だったらしい
し。でも実際は朝鮮どまりで最終的には撤退しているから日本の負け。
623 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:16
相手?
624 :
世界史@名無しさん:03/06/06 13:19
相手=中共だと思われ。
625 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:25
でたぁー 実質勝利! お家芸だなp
626 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:28
>>622 日本は最終的に200年かけて朝鮮を合わせて満州へも進出しているから
勝っていますが何か?
627 :
世界史@名無しさん:03/06/06 13:31
>>626 で、今は千島列島さえ取り上げられ狭い島国にこもってるかPP
628 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:31
そもそも壬申倭乱って朝鮮を明から解放するための戦いだったのにね。
629 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:32
>>627 日本の工業製品は世界中を席巻しているわけで
文字通り世界制覇しているが何か?
植民地獲得の目的は市場の獲得にあったわけ。
ならば、戦後、次々と工業製品で世界制覇したんだから
日本は勝っている訳だよ。
630 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:35
まあまず冷静に考えて見よう。
チョン武将李舜臣も結局は討ち取られているし、
明将もたくさん首とっているわけだよ。
日本は将軍クラス誰もしんでないじゃん。
伊達も島津も加藤もピンピンしているわけだしな。
武士がどれぐらい強いかというと島津なんか明軍14万を余裕で撃退
しているんだよ。
つまり圧倒的に強いわけだ。
631 :
世界史@名無しさん:03/06/06 13:38
>>629 正確に言うと日本を根拠地にした多国籍企業ね。今の高失業率を
考えればわかると思うが、勝ち組は一部の資本家とエンジニアだけ。
国民の大半は生活に危機感を持っています。
632 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:38
633 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:39
>>631 横レスすまんが、平均的な水準は高いよ。
危機感もってるのは煽られてるだけだし
君が昼間から2chやってられるのも
634 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:40
朝鮮出兵で誰も大名が死んでない
635 :
世界史@名無しさん:03/06/06 13:40
>>630 話は少しそれるが、関が原の戦いで島津がちゃんと西軍の
主力として戦っていたらどうなってたと思う?
636 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:42
>>635 もっと話しがそれるが、俺の金玉をみてどう思う?
637 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:48
>>635 まあ光成が島津の夜襲策を受け入れる度胸があれば
結果はちがっていただろう。
毛利も情勢をみて動いただろう。
小早川も主体性ないから裏切らなかっただろう。
家康はそのまま決戦@光栄の展開になっていたかもしれんね。
638 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:49
>>636 お前が染んだらこのスレも荒れないだろうなとは思う。
639 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:49
ウホ!!いい島津!!
640 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:51
まあ石田三成は野戦を選択した時点でうつけ者。
佐和山城で撃退すりゃ良いのに。
まあ長期戦になると九州から黒田官部衛が上がってくるので
先が読めんが。
641 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:52
チョン軍<チャン軍<島津軍<秀吉軍
642 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:52
世界標準から見たら強いってことはもう明白じゃん
644 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:59
三成は島津を飼いならせなかった。
夜襲策を採用し、先陣の栄誉を与えて突撃させていれば
ソ連軍の縦深作戦やドイツ軍の電撃戦並に戦線を分断さしめて
いたと思うぜ。
645 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:06
島津か。秀吉の遠征で一瞬で負けたじゃん
646 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:06
647 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:09
http://www2.harimaya.com/simazu/html/sm_hiro.html 大勝利!
●「鬼石曼子」、そして関ヶ原の戦い
秀吉の朝鮮出兵に際しては、嫡子の久保とともに一万の兵を
率いて出陣。南原城、泗川城などで戦った。なかでも、泗川城の
戦いでは、明の大将薫一元率いる二十万の大軍を島津軍一手で
引き受け、鉄砲を有効に活用、二十倍の明軍を打ち破り、晋州川
まで追撃して、敵兵の首三万八千余をあげる記録的な勝利を得た。
以後、明軍に「鬼石曼子」と恐れられた。
慶長三年(1598)、八月十六日、秀吉が伏見で死に、朝鮮部隊が次々と引き上げることになった、義弘は殿軍をつとめて、挑戦の名将李舜臣が率いる朝鮮水軍と戦ってこれを打ち破り、無事、帰国することができた。
648 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:12
http://www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/sisenn.htm しかも賢い。
島津義弘は、寡勢の島津軍(7000)を勝利に導くため、軍略を練った。
義弘の取った策は、島津得意の釣り野伏せ戦法を、マクロ的に利用する
ことだった。この戦法は、これほどの大軍に利用した例はなく、成功した
事例も歴史にないと思われる。1歩間違えば各個撃破されて散るのみ。
中国では劉備玄徳が黄巾賊に青州城の戦いで使っている。
釣り野伏せは、おとりが周りを伏兵でぐるっと取り囲んだ場所におびき
よせ、周囲からいっせいに攻撃し、パニック状態に陥らせ、殲滅する戦
法である。実は島津が得意としたのは、このおとりに原因がある。この
おとりは、当然命がけで、中途半端に敗走してはいけない。
あまりにも早く逃げると、悟られ、失敗してしまう。頑強な抵抗ののち、
やっと逃げるという頃合いのタイミングが絶妙でなければならない。
しかも全軍をその中におびき寄せるほどの強さが必要で、一軍だけ
裂かれて追撃されても、これも失敗となるのである。少数の兵で、
全軍を引き入れる。これは実際やるとなると大変なことなのである。
しかし、島津の兵は強旱で、このような役をほとんどみごとにやって
のけた。
チョンやチャンは馬鹿だからまんまとひっかったんだね(w
649 :
世界史@名無しさん:03/06/06 14:16
家康が佐和山→京都ルートを選択して大垣城を避けた時点で
戦闘での主導権は家康に握られていた。三成には地の利を生かして
先回りして関が原に布陣する以外術はなかった。だが、もし毛利や島津
がまともに戦っていたら小早川の裏切りなどあろうはずもなく地の利を生かし
た西軍が圧勝していただろう。
650 :
世界史@名無しさん:03/06/06 14:24
いいじゃん。毛利は長州、島津は薩摩として270年後に手を組んで
倒幕して徳川氏を追放したんだから。
651 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:26
、もし毛利や島津
がまともに戦っていたら小早川の裏切りなどあろうはずもなく
>
だからそうなった原因は三成が夜襲策の献策を蹴った上に田舎者だと
島津を激怒させたからだろう。
652 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:27
>>650 家康は毛利と島津を潰しておくべきだったな。
653 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:28
今おもいついたんだが、関が原より先に関東攻略すればいいんじゃねーの?
654 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:28
ブw
655 :
世界史@名無しさん:03/06/06 14:35
>>652 そしたら明治維新は起こらず、日本は清朝末期のように列強の
半植民地とされていました。はい。
656 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:39
>>654 簡単な話だ。
上杉征伐の際に反転したときに、景勝が背後から奇襲して
時間稼ぎしている間に西軍が関東をとっちゃえばいいわけだろ?
657 :
世界@名無史さん:03/06/06 14:51
おいおい歴史のifを語るのはいいが、
短絡すぎるぜ。
658 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/06 14:58
日本は島津や水軍の指揮官が冷遇され
朝鮮は李舜臣が冷遇されていたと言う事だろうし
双方共この様な事が無ければ
結果はどうなっていたのかだろうが
659 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/06 15:04
まあ武器も素人相手にはパワーや間合いが物を言う訳だろうし
日本側の足軽の長槍+打刀は中国や朝鮮軍の槍兵より
強かったのかも知れぬが
どうだろうか
(まあ歩兵の機動力は中国や朝鮮の兵の方が
高かったかも知れぬが
機動力を生かすには指揮官の能力が必要だろうし
中国や朝鮮の徒歩の兵の一部には
重装備の物も居ただろうし彼等の機動力の低さが
歩兵の機動力を低下させ得るだろうか)
660 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/06 15:07
騎兵の機動力を中国や朝鮮側は生かせなかったのかと言う事だが
矢張り銃相手には厳しいと言う事だろうし
日本側が騎兵の機動力を封じられる様な地形に
布陣しておれば駄目だろうか
(日本側が朝鮮や中国の大型の馬を奪って
使用したと言う事は無いのだろうか)
これこれ、どこのスレでも明軍は38000となってるぞ。
20万は完全な嘘だと言われてるのに、なぜここで言い出す。
某研究者もそこにツッコメよ。
662 :
世界史@名無しさん:03/06/06 15:13
664 :
世界@名無史さん:03/06/06 15:17
665 :
世界@名無史さん:03/06/06 15:20
>>66 あちらの資料は全部そう。
ちなみに書類上の話なので、もっと少ないかもしれない。
666 :
世界@名無史さん:03/06/06 15:48
>>660 当時の銃なら騎兵で突破できそうな気がするけど・・・
667 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/06 16:10
>当時の銃なら騎兵で突破できそうな気がするけど・・・
まあ防衛側が壕や柵を用意していれば
其処で拘束され撃破されるだろうが
銃+槍衾のみで騎兵を阻止する事は
日本の歩兵がロングボウ兵やパイク兵では無いなら恐らく無理だっただろうか
669 :
アダルトDVD:03/06/06 16:20
670 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/06 16:22
まあ騎兵を柵や壕の無い歩兵で阻止出来ず共
騎兵で騎兵を阻止する事なら出来たのかと言う事だが
明や朝鮮軍は弓騎兵が大半である可能性も有るだろうが
日本側は島津以外は槍騎兵が大半だろうし
機動力の問題も有り雨天以外では不利だった可能性は有るだろうか
671 :
世界@名無史さん:03/06/06 16:29
武士ってひらがなで「ぶし」って書くとよわそうだよね
672 :
世界史@名無しさん:03/06/06 17:14
ブシ bushi
www
673 :
世界@名無史さん:03/06/06 17:58
高麗<明<島津<秀吉<徳川<天皇ということだな。
つまり日本は16世紀当時、世界の中心だった。
674 :
世界@名無史さん:03/06/06 19:09
おかしな奴が湧いてでるな。
675 :
世界@名無史さん:03/06/06 19:19
まあ
高麗<日本は認めるが明=日本だろ。
お互いにせめても併合できない。
676 :
世界史@名無しさん:03/06/06 20:15
>>673 おいおい、16世紀に天皇が何かで戦ったことあるのか?
677 :
世界@名無史さん:03/06/06 20:16
>>676 天皇の代理で秀吉が戦った。
関白だしー。
679 :
世界@名無史さん:03/06/06 22:47
680 :
世界@名無史さん:03/06/09 15:54
age
681 :
世界@名無史さん:03/06/12 23:17
日本史上の戦闘集団で世界に通用するのは
織田信長軍団と伊賀・甲賀忍者衆
逆に通用しないのは、一騎打ち大好きの鎌倉武士団と
日本刀にこだわる頭の弱い幕末武士たち
683 :
世界@名無史さん:03/06/12 23:51
日本には本当の「軍」が存在せず各個人の技量に頼った一騎打ち形式が
最後まで続いてたのが原因だと思う。
個人の働きを示すために、戦闘中に敵の首を切り取って持ち帰ってたし
あくまで個人主義。
>>720 そんな言い方するなよ傷つくだろう、馬鹿!!
685 :
世界@名無史さん:03/06/13 01:47
戦国時代を経て、常に戦いの為の精神力を養い兵法を学び鍛錬を怠らず、
質素でいて強きを重んじる合理性を備えていた、武士(もののふ)圧倒的強さは、
大日本帝國に至った後でも、世界史が事実として示している。
欧米列強諸国により隷属化された、アジアの近隣諸国とは比べる余地すらなかろう。
武士とは刀を研ぐ者にあらず、心を研ぐ者也。
不可能を可能にし、絶望的な戦局すらも覆す、あらゆる死地を乗り越え、己が守る者の為に心を鬼し修羅と化す。
それが武士だ!
つーか、近世までの日本の対外戦の少なさは世界的に見ると異常だよね。
まぁ君主の方針と海のおかげなんだが。
だから海を渡っての対外戦争となると、水軍の弱さや渡航戦の経験の少なさ(特に何百キロにも
わたって兵站線を構築する機会なんざ国内の戦いではあり得ない)もあって最初はなかなか
上手くはいかないだろう⇒朝鮮出兵
だが信長(出来ればコイツが望ましい、局地戦に強いかどうかは微妙だがトータルで見ると
もっとも優秀)・秀吉(全盛期の)・家康のうちいずれか一人を君主にすえ、何回か対外戦争を経験して
かつ日本が逆に滅ぼされなければ、最後にはかなりの強国になると思われ。
1550〜1600年頃の話だけど、ヨーロッパの平均的な国家に比べれば
兵士、装備の質・火力・軍組織の機能度はそう変わらないと思うな。
まず兵士個々の質だけど、あの時代のバリバリの武士がヨーロッパあたりの兵士に比べて
「肉体的にも精神的にも技術的にも弱かった」って言う人はまぁいないだろう。
兵士の武装だが、
きわめて長くパイク以上に機能的な足軽槍
西洋のサーベル同様の機能を持つ日本刀
鎧は薄く軽いがこれは一長一短、欠点ではない(ホバークやプレートには
重すぎるという欠点、反面強靭だが実戦では重さが足を引っ張った例も多い)
当時の西洋の水準以上に進んだ火縄銃
1580年頃には兵農分離が進み既に兵士は専業化しつつあった
船舶技術が西洋に比べてまったく劣っているのを除けば遜色ないかと。
あと馬の質もちょい劣るかな。
「武士は首級を挙げることしか考えてない個人主義だからダメ」という意見が
チラホラ見受けられるがあいや待たれい。
あの時代の西洋国家の主力は殆どが傭兵だぞ?名誉よりも実利と金を重んじ、敗色が漂えば
真っ先に逃げ出しかねん連中だ(勿論全部がそうとは言えない)。
もしかして西洋の軍隊と聞いてマケドニア・ファランクスみたいのを想像してる人が
いるのかな?確かにあの時代のスイス傭兵の戦術やテルシオは一見古代の精強な軍団の様に
見えるが、機能度や統率度は比較にならんほど低い。反面、騎兵の強さは鐙すら無かった古代とは
比較になりませんが。
全体の統率度、機能度についても日本の軍勢が西洋に劣ったとは考えにくいですなぁ・・
統一の取れた国民軍の出現は、たしか1600年代前半のグスタフあたりが始めた筈。
結論
日本の軍勢は、戦場が陸なら敵が大連合でも組まん限り互角に戦える、とおもわれ。
ただしグスタフやヴァレンシュタインあたりの連中が相手だとヤバそうだね。
特に野戦での軽砲の集中運用となると日本はゼロに近いからなぁ・・・
ティリーとかと同じような負け方しそう。
だが二度同じ徹を踏まんのが日本武士なのだ!
次は新たな戦術を編み出し必ずや勝利する!!
日本の武士は世界一ィィィイイイイ!!!!
と思いたい・・・
>鎧は薄く軽いがこれは一長一短、欠点ではない(ホバークやプレートには
>重すぎるという欠点、反面強靭だが実戦では重さが足を引っ張った例も多い)
これ訂正しとくケド、1550年頃にはもうフルプレートメイルなんて着てる奴は
いないんだよな・・・・どんなに装甲を厚くしても銃弾を完全には防げない事が
判ってしまったから。でも相変わらず西洋の鎧は重いんだよね。
16世紀は、確か胸部を異様に厚くした鎧が流行り始めた頃だっけ。
重さは15〜25kg程だったかな・・・・
692 :
世界@名無史さん:03/06/13 05:58
そうか。
695 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/13 23:52
>1550年頃にはもうフルプレートメイルなんて着てる奴は
>いないんだよな・・・・
まあ博物館では17世紀でも3クオーターアーマーや
完全鎧は有るだろうし
重装騎兵は完全鎧を装備していた者は
17世紀でも依然存在したのではないのか
696 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/13 23:53
>きわめて長くパイク以上に機能的な足軽槍
短槍やハルバードより使えるかも知れないが
パイク以上に使えるかは疑問も有る訳だろうか
697 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:19
海老は伊勢、蟹は越前、槍は薙刀。
698 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:57
>>695 17世紀の騎兵は完全鎧なんて着てないんじゃなかったっけ?
マスケット銃やら何やらを持っていてそれどころじゃなかった様な・・・・
つーか火縄銃出てきて重騎兵なんかはもう時代遅れになったんじゃなかったっけか?
詳しくないのでだれかヨロ。
699 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/14 01:23
>17世紀の騎兵は完全鎧なんて着てないんじゃなかったっけ?
カールグスタフ用の全身鎧等も有るだろうし
明らかに戦場で使われた様な17世紀の3クオーターアーマーも
博物館には沢山有る様だが
700 :
世界@名無史さん:03/06/14 02:01
700
>692
といっても、>686に見られるような、今のわれわれが抱いている武士のイメージなんて
元になっているのは江戸時代も後期の人間が頭で考えた理想像にすぎないんだよ。
「葉隠」なんて18世紀の作品だし。
鎌倉や室町武士の実像はどうだったのかなぁ。
>701
かなり強烈なアクの強い個性だったんじゃなかろうか?
殺し合いに倫理も道徳も必要ない
実力勝負だけだから。
703 :
世界@名無史さん:03/06/16 16:45
>>702 平田弘史のマンガに出てくるような連中だな。
704 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/16 22:19
>>701 『吾妻鏡』は徳川幕府も手本にしたものですが、そこには承久の乱の時のこ
んな逸話が記されています。理想像の一面を示したものと言えるでしょう。
「今日(承久三年五月廿三日)及黄昏、武州(泰時)至駿河国、ココ安東兵
衛尉忠家、此間有背右京兆(義時)之命事、籠居当国、聞武州上洛、廻駕来
加、武州云、客者勘発人也、同道不可然カ云々、忠家云、存義者無為時事也、
為棄命軍旅於進発上者、雖不被申鎌倉、有何事乎者、遂以雇従云々。」
あとは軍記物、説話に少々。『葉隠』は胡散臭いというか都合のよいものを
書いただけでは。
>>702 そんなことねーよ。
この当時の戦いはそれこそルールでガンガラ締め。
破ったら一生卑怯者、臆病者呼ばわりだ。
殺し合いに倫理と道徳があったの。
706 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/16 23:35
>>705 組み打ちで倒した相手を見逃してやって休息していたら背後から襲われて首
をとられた、なんて話もありますけどね。無為の時の闇討ちも多かった。
707 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/16 23:41
連続レスですみません。当時の武士が賞賛された話ではその武芸の腕
や周到さ、「殺されるぐらいなら」といった気概が取り上げられるこ
とはあっても道徳面に話が及ぶことはほとんど無いような。
『平家物語』には行家が刺客に襲われ一対一で戦っている最中に相手
に石を投げられて(珍しい行為ではなかった)「お前は下郎だからこ
んな真似をするのだな」とさして怒った風でもなく答えたという話が
ありますが、そんな刺客を差し向けていた時点で「勝ってなんぼ」と
いう感覚があったのかも。
>>705は戦国時代の宇喜多直家とか拾い首とか夜襲・奇襲・騙し討ちとか
暗殺とかもっと知ったほうがええと思う。
あと剛侍の可児才蔵が果し合いを申し込まれた時のセコイ対応とかな。
>>706-708 見当違いのレスどうも。
騙し討ちや暗殺をしまくった宇喜多直家、松永久秀が
当時も昔も悪評プンプンだったのは何でだろう?
拾い首や女首・童首を取ってくるのがゲスなことだと言われていたのは何でだろう?
裏切り行為が卑しめられたのは何でだろう?
殺し合いに倫理と道徳が無く、勝った者が正義なのであれば
なぜ彼らは「利口だ」と賞賛されないばかりか、貶められていたんだろうね。
答えは簡単、単一民族同士で長い間戦争していた日本の戦国時代には
ユニークな暗黙の戦争道徳・倫理が共有されていたんだよ。
自分の命が危なくなったら破っちゃうヤツも多かったけどな。
君らの言ってることは、例えば数百年後の人が平成日本を振り返って
「この時代のビジネスでは倫理や道徳が全く無視され、
儲け至上主義の結果、サラ金やキャッチなどの悪徳商法がはびこっていた」
と、書くようなもの。
サラ金や悪徳商法に対して世間の倫理・道徳が無批判で無いように
当時の武士が倫理を持たなかったなんて大間違いだ。
名前書き忘れた・・・
>>708 それから、夜討ち・奇襲は当時卑怯でも何でもなかったので
一絡げにするのはやめようね。
当時の武士の殺し合いに倫理も道徳もなかったかどうか、
これ以上は歴史知識ではなく、論理性の議論になる罠。
711 :
世界@名無史さん:03/06/17 05:52
712 :
世界@名無史さん:03/06/17 05:59
論点がずれてるんじゃないかと思うのだが。
>>712 正直その通りだな…(藁
個人戦闘は、まさに個人の戦士としての才能差が最も大きな要素となるわけだから、
実際には国別の比較考量なんか難しい。
集団戦闘での戦いは、国や時代ごとの文化的な差異が反映されるから、かえってわかりやすい。
それとても、天運と地の利がイコールではないのが現実なのだから、集団戦が弱くても、元軍を撃退できるようなこともある、
しかも、戦国時代以降、海の向こうの集団戦は、銃器が中心となる。
事実上、明治になるまで銃を捨て去った日本とは、戦争のパラダイムが全く異次元になる。
さて、ここまで言えば判るね。武士・侍が弱い・強いってのは、ほとんど無意味な議論だってことが(w
つまり武士は総合的に見て弱いって事ですな。
所詮運頼りの劣等人種
時代による。
戦国末期頃なら兵数、戦術、装備共に世界最高水準の強さだったが
徳川時代の武士団はほとんど軍と呼べるものではなくなってる。
嘘だよ。大砲だって持ってないし
それから戦術って何よ?
どういう基準で戦術が世界最高水準だったって言うの?
つーかこの時代に戦術なんて呼べるものは本当にあったのか?
せいぜい夜討ち朝駆け、側面からの奇襲ぐらいのものだろ。
あとは結局10人くらいの血族集団が鉄砲撃つなり槍振り回すなりして
めいめい勝手に押し合い圧し合いしてたのが戦国合戦の実態なんじゃないのか。
717 :
世界@名無史さん:03/06/17 19:42
>>716 大砲は無かったがそのかわり鉄砲の数は世界一だった。
逆に、明は鉄砲は無いが大砲の数は世界一だった。
ではどっちが強いかとなると難しい問題になるが
だからはっきりと「世界一強い」とは書かず
ずるい書き方ではあるけど「世界最高水準」と書いたのだ。
日本も明も上記の通り、装備が偏ってたから
装備については大砲も鉄砲も偏らずにバランス良く両方装備してた
オスマントルコが最強と見るべきかもしれないとは思う。
戦術については真田父子を挙げれば納得してもらえないか?
718 :
世界@名無史さん:03/06/17 19:49
ちなみに日本の武士は遠戦志向だぞ
主武器は矢、投石、鉄砲で槍や刀はあくまでも補助的な武器でしかなかった。
馬はほぼ移動専用だったし。
日本の武士は実質的には飛び道具で固めた歩兵集団だ
>戦術については真田父子を挙げれば納得してもらえないか?
(゚Д゚)ハァ?
真田父子なんて西洋や中東の武将に比べりゃ
心技体全てにおいて凡庸極まりない凡将だろうが?
背もチビだし。
宗教戦争もやった事のねー様な腑抜けのチビ助共が、調子込んで西洋・中東と肩並べた気に
なってんじゃねーよ、タコ
【結論】
肥溜め臭い百姓が農具を槍に持ち替えた。
それが武士。
721 :
世界@名無史さん:03/06/17 19:56
>>719 一人一人はそこそこ強かったかもしれんが、頭は弱そうだよね
やっぱそこらへんは日本人だしね・・・・
真に人間的な行動と言える偉大なる無差別殺戮戦を繰り広げ、人間の数を常に適正に保ってきた
優秀な大陸系人種にはかなわない。
・・・妙な野郎だ。
723 :
世界@名無史さん:03/06/17 22:32
武士ってヤー公とおなじようなもんじゃん。
724 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/17 22:36
>>709 私は戦国期の話はしておりませんが。それと私が話題にした中世前期に卑怯
云々が言われた話を挙げていただきたいのですが。平致経にせよ源義光にせ
よ恨みを抱けばなんでもするが、恩を感じればその利益はすごいというから
完全なやくざ者で「アサマシ」、「アヤシ」とされた人々でした。
(敵を倒して収入を増やすのが仕事。『武士道』なんてありません。それだ
とおまんまが食えない。高楊枝といいながらなんとか食えた平時でないと出
て来ない発想でしょう。卑怯とかいう感覚はあったにせよそれが「武士」特
有のものであったということは出来ない。せいぜい他国並みでは。)
それに裏切り行為なんて珍しくもありませんでしたが・・・。鎌倉幕府の功
臣なんて畠山ですらはじめは敵だったでしたし。結局三浦・梶原などと同様
殺害されてしまいましたが、それが惜しまれたのも彼の武勇ゆえ。
725 :
世界@名無史さん:03/06/17 22:51
「武士道」は武士が実際に戦うことの無い時代になってから作られたもの。
それはあたりまえのことで、戦場では綺麗事は通用しない。
戦いの無い平和な時代になると
武士も堕落しがちになってしまったので
それを引き締めるために「武士道」が称揚されるようになった。
727 :
世界@名無史さん:03/06/18 02:44
1は頭がおかしいのではないか?
728 :
世界@名無史さん:03/06/18 02:46
720
はチョンだろ、どうせ。
729 :
世界@名無史さん:03/06/18 08:08
なるほど世界でも屈指のレベルであったという論調は
説得力があるな
730 :
世界@名無史さん:03/06/18 13:32
>>725 鎌倉武士道がありますよ。戦国時代くらいまでの「武士道」の方が
より武士道らしく「騎士道」にも通じるものがある。
731 :
武士は強い:03/06/18 13:33
oヾ ('A`) しとしとぴっちゃん・しとぴっちゃん・
カーチャ-ン ('A`o) ┏⊂「 ノ
〔 ̄ ̄∪ ̄| /斤《ゝ しとぴっちゃん♪
◎-----◎ ∪∪
橋幸夫 子連れ狼
732 :
世界@名無史さん:03/06/18 14:12
大伍郎は殺人犯。
世界5本の指に入る国家といってもよかろう
>>730 「鎌倉武士道」という言葉の出典(論文でも可)とその内容、それを示す具
体的な事例を教えてください。あったとしても
>>704のようなものだと思い
ますが。
勿論、道徳面のものであろうとなかろうと思想史の面から見て面白い点はか
わりがありませんし、道徳的な『武士道』が江戸時代の産物であっても武士
自体の価値は落ちないと考えるのですが。
ただ「武士」というものの定義自体難しくありませんか。先日「『明月記』
に見える「武士」」という論文を見ましたが、当時なにをもって武士とした
のか・・・。兵を募る場合でも武士とは言わず「兵器にたえうる者」という
表現を使用している場合が多いですし。
やはり勇猛さをもってその中心(これも「道徳」でしょうか)としたように
考えられるのですが。
737 :
世界@名無史さん:03/06/18 17:43
>>735 我弓箭の道に足れり。今の世には討ち勝つを以って君とす。
「今昔物語」巻25
その他『よみがえる武士道』菅野覚明、PHPに出てます。
前期武士道は主君と家来の契約関係で、婦女子を守るなど多くが
騎士道に通じます。
738 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/18 18:33
>>737 わざわざどうも。ただ前者はともかく婦女子云々が心得としてあった
でしょうか。道端で女性をまどわしていた蛇を切るぐらいのことはあ
りましたが。それと『今昔物語集』の編纂者(南都北嶺あたりの僧?)
は「どうせ死ぬなら切りかかって死ぬ」という思想の持ち主であった
らしく説話中の随所にそういって道を切り開いた人々が登場していま
す。ただそれは何も武士に限ったものではなく、中世というある意味
「自由と暴力の時代」に突入していく中での基本理念といってよいも
のだったのではないでしょうか。
(生きるか死ぬか、という思想云々は池上洵一先生の説より)
契約関係の美徳、という話は『陸奥話記』と『今昔物語集』によく表
現されていますね。無条件のものというよりはギブアンドテイクの関
係であったようですがまあこの辺は欧州の実像も大して変わらない。
739 :
世界@名無史さん:03/06/18 18:34
740 :
世界@名無史さん:03/06/18 21:13
>>738 もう10年くらい前になるでしょうか、日系アメリカ人の「武士道」に対する
論文を読んだのですが、その中で彼が日本武士道の前期武士道には、
敵方の城内に突入した際、婦女子に一切手出しなきようにという徳目があった
そうです。
106 :人間の商品化、全体主義への一歩 :03/06/17 09:11
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その7A●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1004/10049/1004950940.html 38 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 01/11/09 19:17 ID:/Jozo2co
フジのスーパーニュースを見ていたら、盗聴、盗撮をしていた。
とにかくレポーターとか、テレビ局の人間と話しをする時は、
カメラやマイクで隠し撮りをしていることを、常に念頭に置くべし。
マスコミをとにかく用心するに超したことはない。
取材を受けて、物がなくなったというのもよく聞く。
39 名前: >38 投稿日: 01/11/09 21:33 ID:qM1FVdrM
蛆は自爆か(W
カミングアウトをするより、盗聴を止めろ
置かれた盗聴機はいつ撤去するんだよ?
そんなことを電波に流されたからって、不安で寝れやしない。
40 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 01/11/09 22:32 ID:GPVrbaOJ
マスコミ相手にしても仕方ないぜ。まじで自分らの生活を死守する方が大事。
テレビ・ラジオは出来る限り無視しよう。ついつい見聞きするから調子に乗らせる。
今後世の中どうなっていくかわからんのだから、必要な情報のみ入手して身の保全を
図れ。いい加減な娯楽メディアは放っておくべし。
朝鮮憎しの反動で意地になってる奴やめとけ。
傍から見てると電波レスだらけのスレに見えるから。
743 :
世界@名無史さん:03/06/18 21:27
>>738 今思い出したのですが、旅人が通りすがりの老人に会い、彼は武士だが
年老いて、1頭の馬と甲冑しか持ってなく貧乏していた。
馬と甲冑はひとたび事あらば、馳せ参じるため手放せないが、盆栽を
焼いて旅人に暖をとらせたという鎌倉武士の話しがありましたが、
あの精神こそ前期武士道、なんだか風車に突撃するドンキ・ホーテの
ようにも見えるのですが。
そういう古い時代の武士道は「武人のモラル」であり
世界共通の普遍的な武人のモラルだ。
だから西洋の騎士道とも共通点が多い。
徳川時代の武士道は普遍的な武人のモラルを
禅の哲学と朱子学の教養で修飾したものなので
普遍性が減少して文化的な固有性が増した。
745 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/18 22:11
>>740 そうですか。有難う御座います。ただアメリカの日本史研究者はDQNが多
いので有名なのですが・・・。
>>743 有名な謡曲『鉢の木』の逸話ですね。北条時頼(時宗の父)の廻国伝説から
生まれたものですが、当時の「武士のモラル」の理想像だと考えられる。
まあ、女装して逃れた、あるいは女装して逃れているのかもしれないという
理由から逃亡する婦女子を切って捨てたという話がありますのでこの点につ
いては正しいとみていいかもしれません。
平治の乱の時、信西邸から逃れようとした婦女子は井戸に放り込まれるか切
られるかして殺されていましたがこれは主人の変装と疑われたため。
>>744 別に世界共通の普遍的モラルじゃありません。
日本とドイツ・フランス・イギリスぐらいなものです。
モンゴル軍やジハドを行うアラブ兵と共通しますか?
全世界規模で見れば彼らの方が普通ですよ。
748 :
世界@名無史さん:03/06/19 07:27
じゃあ、世界の支配階級限定大戦争とかやったら
数で押して、いいとこまで行くんじゃないか>武士・侍
749 :
((≡ ̄♀ ̄≡)):03/06/19 07:30
750 :
世界@名無史さん:03/06/19 07:40
武士、侍というか当時の戦国時代の末期の戦力で
日本刀が今の世で評価が高いのは江戸時代における武士の誇り、って
影響が大きいと思うんだが。実際戦争になったら槍や弓や銃を持ち出す輩が
多かったわけで。刀ってのはあの当時に領民の殺生与奪を握ってるという
特権階級のシンボルで、だからこそ刀が工芸的、精神的に深みが出来たと思う。
ただそれが戦争時に有効かと言えば、いささかベクトルが異なってくると思うのだが。
752 :
世界@名無史さん:03/06/19 08:42
刀は戦場で使う武器ではありませんな。
主力武器はまず弓。
次いで槍。
刀は倒した敵にとどめを刺し首を取るためのもの。
で、そしたら槍や弓でなく刀が武士の象徴になったのは何故かといえば、
携帯用武器で取り扱かったからだと思います。西部で両手持ちの
ショットガンより片手持ちリボルバーが保安官の象徴になってるような。
でも時代によっては弓は支配階級の象徴になるってのはあったかも。
平安とかそんな感じだったような。
754 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/19 22:49
>>752 首を切るのはいわゆる「刀」では無いでしょう。
>>753 『今昔物語集』や『古今著聞集』には刀が魔除けになるという信仰が見られ
ます。もっとも弓や鏃にも霊性が認められていた上に中世には大抵の男子が
ネクタイのような感覚で腰刀を所持していたのですが。
『古事談』には弓を、『太平記』には刀を枕上に置いて悪夢を祓ったという
話がありますのでこの場合は「武力」自体を問題にしたものでしょう。
ただ実際に戦場で用いられたものとしては「穢れ」という問題に強度も加わ
ったせいか弓のほうが重宝されたようですが。
13世紀までの武士は馬上で弓矢を使用し、稀に刀も使用しました。それが
14世紀になると長刀や槍を使うものが現れ、刀も長型化が進んだ。
ただ槍の穂先で馬の目を傷つけることも多く、普段は槍持ちに持たせていて
使用直前に受け取ったのですが。この辺の事は映画「クレヨンしんちゃん」
にも出て来ていましたね。
755 :
世界@名無史さん:03/06/19 23:28
756 :
世界@名無史さん:03/06/20 01:55
>>751 >日本刀が今の世で評価が高いのは江戸時代における武士の誇り
古典にも名刀の話がいくらでもあるな
>刀ってのはあの当時に領民の殺生与奪を握ってるという
>特権階級のシンボル
廃刀例よりずっと以前の古典な
>だからこそ刀が工芸的、精神的に深みが出来たと思う。
江戸時代の刀があんた的には最高傑作なのか
>実際戦争になったら槍や弓や銃を持ち出す輩が
>多かったわけで。
遠戦主義って奇怪な言葉を作った鈴木何某の電波理論だな。
長篠の戦いで騎馬突撃は無かったとか史料無視で迷言を残
してるあんた並みのドキュソな
757 :
世界@名無史さん:03/06/20 01:56
廃刀令->刀狩な
馬鹿はうつるな
香ばしい方が登場されましたね。
武道板あたりからこられたのでしょうか。
皆さん、どうします?
放置or徹底的に論破?
弓や槍はでかくてかさばるから
平時に常時もちあるくわけにはいかない。
刀は常時腰に下げて歩くことができる。
760 :
世界@名無史さん:03/06/20 08:54
ボブサップ1000人の重歩兵(槍装備 対 モンゴル騎兵なら
モンゴル騎兵が勝つよ
武士、その者は、忠に生き、信の道を駆け、義に殉する。
敵陣を切り伏せ、数多の死線を越え、武をもって武を制する。
彼等の放つ弓矢には神の息吹が、彼等の振るう太刀には神の威光が、彼等の肉体には神の魂が宿る。
その力、甚大にして協力無比也。
騎士なんか、デコピンで一発ノックアウトさ。
763 :
世界@名無史さん:03/06/20 23:55
武士は強いよ。
サムライトルーパー見れば納得してくれると思う。
マジデ、マジデ。
764 :
世界@名無史さん:03/06/21 08:44
>>762 武力を持って暴力を制する
と、言ってくれたまえ
765 :
世界@名無史さん:03/06/27 16:52
>>36 nidaと書いたらぼこぼこにされますた。
766 :
世界@名無史さん:03/06/27 18:54
当時、武士一人でイスパニア兵の二十人に匹敵したとか
話し半分でも十人力か、こりゃ十分強いだろ
767 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/27 22:25
蔚山の戦いですが、実際には明・朝鮮軍200000人ではなく明軍34500人
と朝鮮軍2200人が島津軍8000人に敗れたものでした。もっともそれでも4
.5倍ですから十分凄いのですが。
768 :
世界@名無史さん:03/06/27 22:28
やあやあ割れこそは2chねらーである
769 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/06/28 03:52
まあ刀が使われたのは戦国以前の方が多いかも知れず
戦国以前は騎馬武者は弓を放った後で突撃した後馬上で刀を用いて
戦った訳だろうが
(徒歩武者も弓を持つ者は
長巻では無く刀を用いていただろうか)
戦国時代では騎馬武者は槍を用いていただろうが
鉄砲足軽や弓足軽は刀を使用していただろうか
(まあ後は騎馬鉄砲隊は槍は用いていないだろうか)
どうでも良いけど、
「明・朝鮮軍200000人」より「明軍34500人と朝鮮軍2200人」のほうが
強そうに聞こえるのはなぜですか?
島津のあんちゃんなら、2200人の釣り部隊を編成しそうだな…。
>>767 島津家の戦果申告ってやたら過大ですよね。
>>760 ボブサップかよ。こえーよ。
なんか巨神兵を思い浮かべてしまった。
加藤清正ばりに活躍しそうだ。
773 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/06/28 08:32
>>771 しかも「嫌韓厨」の方々がそれを鵜呑みにしてらっしゃるというのがまた。
やる気のある半可通ほど恐いものは無い。(人のことは言えませんが)
うーんコテハンが嫌韓厨なんていうとは
できればもう書き込まないでほしいものだ
>>774 返答レスであったのでつい。はっきりとした定義がないので「」をつけました
が、こういうスレを中心にここのところ目立つもので。
勿論江南から伝わった文化もありましたが、だからといって朝鮮半島の影
響をほぼ全面的に否定しなくてもいいでしょうに。
>はっきりとした定義がない
と思っていたら用語辞典(2典)にありましたね。しかも世界史板に属すと
されていた。
いやとりあえずもういいよ帰って
779 :
世界@名無史さん:03/06/29 19:38
ボブサップ千人の重歩兵を生かせる戦場は攻城戦だろう
>779
食料補給の維持が困難かと。補給路を一時でも経たれたらあぽーんしそうな。
ボブサップをつかうんなら司令官は短期決戦に持ち込むだろうな
サップはスタミナないし
782 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :03/07/02 13:35
長巻直し刀と言うのは長巻の重量を考えれば
かなり重い(2kg以上)だろうが
これを扱える者は限られたと言う事なのか
或いは安価な刀とすれば雑兵が用いた可能性も
有るのだろうか
783 :
世界@名無史さん:03/07/02 18:51
戦国時代の侍なんて、満州騎兵の糞にも劣る
784 :
世界@名無史さん:03/07/02 19:16
素人ながらに思うのは、武士は所詮日本国内での戦い
なので、異民族、異文化、つまり、全く発送の違う武器、戦術を
大陸の連中と比べて経験していないところというのは
大きな不利要因であるとは思う。
本当に素人だな
今まで、武士階級の構造的問題が弱さの一つとして議論されていたが、
当時においては武士階級以外に職業的職業戦士はいなかったわけで
更にそこに知識人の不足や教養レベル、戦いを規定する文化・倫理・道徳がある。
こうした外的要因の方が、単純な戦略戦術武器より余程ウェイトが高かったと思うのだが。
何言ってんだか
788 :
世界@名無史さん:03/07/10 18:32
秀吉の出兵の時などはかなりの戦果を挙げている。半島が明に救いを求め、日本の進撃は止まったのだ。
祖国を離れ出兵し、なお、敵地での戦いであったから、当然地の利はない。
だが、最期まで戦い退却したのだから日本武士が弱いという言葉は当てはまらない。
それよりも、その当時に朝鮮、中国という二国と戦った意味は大きい。
武士弱い派→島国の日本なんて弱いに決まってるなどの感情論。根拠はなにもなし
武士結構やる派→筋道たてて武士が強いことを証明。
幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしても
その結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるとように思える。しかもこの種の
人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋にはうまれなかった。サムライと
いう日本語が幕末期からいまなを世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を
帯びてチャンバラをするからでなく類型のない美的人間ということで世界がめずらしがっ
たのであろう。また明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌
悪をもつとき、かつての同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおし
て、かろうじて自信を回復しょうとするのもそれであろう
こんなの見つけた
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
>>790 結局狭い島国日本の侍が大陸に通用するなんて妄想だろ?
↓
そんなことはない。日本の武士は結構強かった。
↓
元寇や朝鮮出兵の話になる
↓
じゃあ、武士って結構強かったんだ。
↓
(゚Д゚)ハァ?ヨーロッパに比べりゃカスだぞ?
↓
振り出しに戻る・・・・・。
つーか、仮想戦記以上の話は出来ないと思われ。
敵、思想、地形、技術その他外的要因が多すぎる。
796 :
世界@名無史さん:03/07/28 09:52
朝鮮で秀吉軍が苦戦したのは事実ですね
ある本には朝鮮派遣軍から送れてくる虎肉を喜んだ秀吉が
もっと送るようにと催促した結果、諸將が虎狩りに血道を上げるようになり
これでは巨費を投じて、戦争をしに行っているのか虎狩りに行っているのか
わからないような始末で、現地指揮官が内地の最高指揮官のご機嫌を
取ることを第一に考えているようでは、勝てるわけがない
とか書いてありましたね
また秀吉は戦国諸將の中では政治的手腕はぬきんでていたが
戦下手だったのは有名な話で、彼が勝った戦に名作戦や戦略を見ることは出来ず
政治力で集めた大兵によって数で押し切る形での勝利がほとんど
織田信長没後の家康との戦いでも散々家康に引っかき回されて居ますし
その点で言えば大兵を集めて朝鮮に攻め込んだはいいが
作戦の下手さ、外地への不慣れ、戦い方の違いなどによって
ぐずぐずしているうちに明国の軍が参戦して降着化、秀吉の死によって
日本の撤退 と成るのではないでしょうか?
そう言えば明国の將軍が
「日本人というのは不思議だ、城攻めや個々の戦術は非常に強く
勇猛なのだが、戦略は何も考えていないのではないだろうか
このまま朝鮮を攻めあがれば、明国を攻略できるとでも考えているのか?!」
と言った意味のことを言っていたと思うのですが そのへんはいかが?
>796
粗悪な燃料はいらん
どうも燃料じゃなくて本気の悪寒。
うんこレスだね。
>798
簡単なことさ剣持のオッサン…
「將軍」という字は普通にワープロで打っても出ない。
つまりこれを偽造に見せかけようとしたヤツは、一旦「将軍」と打ってから
わざわざ「将」だけ消して打ち直したのさ!
802 :
世界@名無史さん:03/10/26 22:19
織田信長
黎明期:1560〜1568
最盛期:1568〜1577
衰退期:1577〜1582
803 :
世界@名無史さん:03/10/29 01:21
ウンコスレばっかだよ
804 :
世界@名無史さん:03/11/01 18:25
日本の軍事力は
初期は下から数えたほうが早い
中世で第8位 くらい
近代戦で平均
現在第10位 くらい
現実問題、中世の日本はそんなに強くない。
中世ヨーロッパが銃器に奔らなかったのは単に銃より、まだ洋弓の方が優れていただけの事。
和弓と洋弓とじゃ比べ物にならない位、性能に差があるのよ。
飛び道具の発達が遅れていたおかげで鎧の発達も著しく遅れたのも事実。
また、騎馬の性能もはっきり言って最悪のレベル。当時は侍以外は馬に乗ることすら間々ならなかったんだよ。
しかも在来種の馬は担いで走って逃げたと言う笑い話があるほど小型だったらしい。
さらに、百姓の兵の士気は著しく低い。
大体、中世日本の戦争ってかなりのんびりしていたらしい。
戦が始まると百姓は弁当もって安全なところから観戦していたと言う話も有るし。
良くも悪くも日本の戦争ってお行儀が良すぎるのよ。
まあ、そこが日本のいいところなんだけどね。
>>804 2chで得た情報だけで2chに書き込むのって空しくならないか?
組織化しなくても明軍を撃ち破れたのだからすごいな。
加藤清正にボコボコにされて、数万死んだというのは
ちょっと多過ぎると思うが、やっぱりすごい。
大根切りのデモンストレーションみたいなものだったのかな。
アメリカのこんなジョーク見つけた
ニューヨークの深夜、暗い街角を回ったとたん、
向こうから3人の人間がよって来た。
見ると、ギャング、イタリアンマフィア、日本のサラリーマンだった
身の危険を感じて、懐のピストルを探ると、
あいにく残りの弾は2発しかない。 さあ、貴方はどうするか。
回答:日本のサラリーマンに2発撃ち込んで必ず仕留める
…日本の侍(サラリーマン)がいかになめられてるか分かるな
なんで「サラリーマン=侍」ということになるのかさっぱりわからん
>807
日本のサラリーマンが1番怖いってことじゃないのか?
どう読んだらなめられてるって読めるんだ?
説明してくれ。
>なんで「サラリーマン=侍」
侍も俸給制度(サラリー)ってことでは同じ。出世競争みたいのもあったから
案外似たところがある。太平の世の中で刀を使えない無用の階級としての憂愁
など。
>どう読んだらなめられてるって読めるんだ?
そういう読み方もあるか。「日本のビジネスマン」とあったら迷わずそう読ん
だろうけど、「日本のサラリーマン」のニュアンスには否定的、嘲笑的な意味
があるからそれでなめられたと思った。
811 :
世界@名無史さん:03/11/12 08:31
ネットゲームで外人にどこの国に住んでるか聞かれたから、
俺は日本人だ、と答えたら、イギリスのガキに「サムライソード持ってるか?」
って聞かれたが。
812 :
世界@名無史さん:03/11/12 11:00
>>807 それはバブル期に怒涛の勢いで日本の金融資本がアメリカを
買い占めてたころに出回ったジョーク。日本が経済的な脅威
であったときの話し。
813 :
世界@名無史さん:03/11/12 14:07
薩英戦争に負けていれば今頃薩摩は香港状態だった?
なんともいえんけどいいとこ神戸横浜化ぐらいだと個人的には思う。
イギリスサイドからすれば日本に深入りするよりはびびらすぐらいで良しとして
中国の植民地化を優先するんではないでしょうか。
ただ、泥仕合になって薩摩の国力が落ちると維新自体が遅れたりするかも。
816 :
世界@名無史さん:03/11/14 18:53
突っ込みキボンヌ
あい。
>>804 >中世ヨーロッパが銃器に奔らなかったのは単に銃より、まだ洋弓の方が優れていただけの事。
実用的である引き金をそなえた火縄銃が発明されたのは15世紀中〜後半なんだが。
そもそも弓に取って代わったのは大砲の方でしょ。マスケット銃の有効射程は「相手の瞳を
狙って撃て」という格言があるほど短かった。
でも、「ヨーロッパに於いて、白兵武器に取って代わったのは小銃かパイクか」っつーのは、
議論する価値があるかも。ここでだとスレ違いの予感だが。
>和弓と洋弓とじゃ比べ物にならない位、性能に差があるのよ。
とりあえず、弓胎弓の最大射程は500m弱、ロングボウは300m弱らしいぞ。
比べるべきなのはむしろクロスボウとかもしれないが、あまりに効果になりすぎたせいで、
いっせいに小銃や大砲にシフトしていったとか。
>鎧の発達も著しく遅れたのも事実。
鎌倉武士の大鎧や戦国時代の当世具足って、中世ヨーロッパのホウバークやプレイトメイル
に比べてそんなに劣ってる?
>当時は侍以外は馬に乗ることすら間々ならなかったんだよ。
いや、それ農耕民の国なら普通だし。
818 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/11/15 00:46
>さらに、百姓の兵の士気は著しく低い。
そりゃ日本じゃなくてもどこだってそうでしょ。
まぁ確かに、西欧では14世紀以降、中央集権化や都市市民の資本蓄積に助けられて徴集兵から
傭兵に置き換えていったから、質は劣るかも知らん。しかし、徴集兵はとにかく数を揃えられる。
その分差し引かにゃフェアじゃない。それに、ドイツのマクシミリアン一世が農民兵を組織して
フランス騎士+傭兵軍を打ち破っているし、クトルレーではフランドル農民兵がフランス騎士を
ボコボコにしている。徴集兵だって、いつもいつもやる気がないワケじゃない。
>大体、中世日本の戦争ってかなりのんびりしていたらしい。
応仁の乱なんかはどうよ? 中世西欧では、一日の戦闘で死者が”落馬で一名”だけというのは
結構有名でしょ。
>>818 確かに農民兵って攻め込まれた場合に限って言えば雇われた兵より強いと言いますよね。
織田信長は兵農分離して足軽を戦の専門職にしたけど
「尾張兵三人に三河兵一人」といったようにそんなに強くなかったとか。
むしろ年中戦ができたっていうのが強みなんですよね。
それに
当世具足や大鎧って確かに防御力は西洋甲冑に比べたら低いけど
日本、特に鎌倉武士にとっては馬上で弓矢が撃ててなんぼのもんですからねえ。
いくら防御力が高くても機動性ゼロだったら意味ないし(w
しかも西洋もプレートアーマーの前は刺突攻撃には至極弱いチェーンメイルで
イスラムみたいに金属を丸く加工する技術もなかったから
バケツみたいな兜被ってて視界最悪だったとか。
なんか釈迦に説法みたいでスマソ。
820 :
世界@名無史さん:03/11/16 14:19
>>804 >近代戦で平均
平均ぐらいの国がなんで清に勝てたんだ?
なんでロシアのバルチック艦隊に勝てたんだ?
なんで太平洋戦争で一時的に東アジアの殆どの国を植民地にできたんだ?
なんでアメリカをはじめ世界中の殆どの国を敵に回して5年近く戦えたんだ?
俺頭悪いからよくわかんねえんだよ。教えてよ。なんで?なんで?なんで?
>>820 少なくとも後三つは日本が単独でやった訳じゃないでしょう。
なんで?は一回でいいでしょう。本当に頭が悪く見えますよ。
822 :
世界@名無史さん:03/11/16 15:06
江戸時代の軍事貴族たる純粋な武士は、それ程強くなく、農民や商人や郷士が、後天的に剣術を修めた者の
方が強かった。ただし、兵農が完全に分離する以前の半農状態の武士は、同時代の他国の軍人階級には、
決して引けをとらなかったと思う。秀吉の朝鮮出兵だって、兵站をキールのない和船ではなく、ヴェネツィアの
カレアス船の様な強力な艦艇で固めていれば、補給だってもっとましに出来たろうし、大体、当時のチョンにも
投降してくる裏切り者が大勢いたようだから、あながち大失敗に終わらなかったと思う。大体、当時の日本の方
が、同時代の女真族より、動因兵力が大きく、欧州の優れた武器はためらいなく取り入れ柔軟性あったから、
うまくいけば、豊臣家が没落していても、家康や秀忠の諸子とか伊達政宗とか島津氏とかが、半島や中国本土
に領地を確保したかもしれないと思う。
韓国人留学生が日本は自文化の売り込みに、朝鮮や中国にはない
侍を使ったのは上手い。とかいってました
ジャポニズムについてはだまっておきました
欧州人って他文化を加工するの上手いね。本当に
>821
>なんでロシアのバルチック艦隊に勝てたんだ?
って、どっか別の国の協力があったんでしたっけ?
あと、>804の言う平均は、列強内とか非植民地とかの平均
でないとおかしくないか?
>>825 日本へ来る途中にイギリスが色々ちょっかいを出してくれていてかなり消耗していたって話
確かに後3つは単独でやったわけじゃ無いけど当時の世界の平均だったら達成はできない罠
>>826 の言う通り列強か非植民地での平均だったら納得はいくんだが
日本にもかなりの力があったから、イギリスも同盟して
力貸してくれたんじゃないの?ヘボ国家ならイギリスは
相手にしてなかったでしょ。
日本のサッカー界を見れば日本の侍がいかにヘタレだったかよくわかる。
彼らには戦術はあっても戦略がない。
↑
釣れますか?
サムライが海外で人気があるのはたしかだな。
アメコミとか映画での伝統的日本のイメージって
髪型とか和服、武器とかなんかちょっと琉球チックなのが多いよな。
中国のイメージが半端に混じって日本人から見ると琉球風に見えるのか、
それとも米軍基地が大きいせいで彼らの日本観に影響を与えてるのか気になる。
833 :
世界@名無史さん:03/11/24 17:02
,,.-‐''""""'''ー-.、
,ィ" \
/ `、
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r'-=ニ;'_ー-、___,,.ィ‐‐-,,_ __|
| r,i ~`'ー-l;l : : : `l-r'"メ、
ヾ、 `ー‐'": i!_,l_ノ`
| ,:(,..、 ;:|/
| ,,,..;:;:;:;,/
/ `::;;. '"`ニ二ソ 侍だと思ったね!
/7 ゙゙:`-、;:;:;;;:;:;:;;/
,,.ィ"`:、 "/;:`ー-:、.._
834 :
世界@名無史さん:03/11/24 17:30
戦国時代の日本の銃は質、量共にヨーロッパ全土を合わせたよりも上だった。
侍って実態は弓騎兵でしょ。
836 :
世界@名無史さん:03/11/25 02:30
鳥羽伏見で幕府方が大敗したのは、侍が走れなかったから。
皇軍の主力の薩摩と長州の方はフランス式の練兵で足が速かった。
このスレなら、「LastSamurai」叩きができそうだなぁ。
>>836 某ゲームってなぁに?
ところで、馬上から射掛ける戦術が消滅したのって何時なんだろう?
>>837 走れなかったってのは興味深いが…フランス式は幕軍側だと思うが、どうよ。
まぁ、拙者も偉そうなことは言えんがね、幕末の知識の骨格は司馬の小説だからさ…
>>838 チンギスハーン〜蒼き狼と白き雌鹿W〜
正直武士部隊を率いる義経と僧兵部隊を率いる弁慶のコンビ
が反則並みに強いです。
エドワード黒太子のガーター騎兵程じゃないけど。
馬上から弓を射るというのはあくまでも武将一人一人のステイタスだったのでは?
と勝手に想像してみる。
「どうだ!俺はこんな事出来るんだぞ!!」みたいな。
って違うか(w
悪党の活躍等により一騎討ちから集団戦法化する南北朝あたりの資料から
そういう記述が見られなくなったような。。。
>>839 江戸時代、殆どの人は走れなかった。走り方すら知らなかった。
一種の特殊技能で、限られた階層の職種のひとしか走るようなことはなかった。
武士も農民も商工業者も走ることは無かった。
衣類のせいなのか、走ることが無かったからあの種の着物が発達したのか、
ともかく、明治になって富国強兵策にかなりの支障をきたしたそうな。
>>840 じゃあよく時代劇の殺陣のシーンで
サムライが向かい合いながら横走りするシーンは嘘っぱちってこと?
足を前に振り上げてぶれた重心を、振り上げた足と逆の腕を大きく振って
中心に補正するような走り方ができなかった、ってことじゃないか?
袴の紐部分辺りに手を置いて小走りぐらいはできたろうけど、
現代人の考える全力疾走や持久走みたいな走り方は
飛脚とかの特殊な人以外はできなかったかもね。
現代人でも袴に雪駄じゃそんなにスピードだせないし、
当時走る体験が日常ほほんどなかったならなおさら。
走術の口伝資料で「呼吸は小分けに2回吸って2回吐く」
が奥伝扱いになってたし。
でもさあ、裾を捲り上げて裸足だったら結構速いんじゃない?
子供も走り回って遊ばなかったのか?
犬でも追っかけまわしてりゃ全力疾走することもあると思うけど。
というか、それはナンバを西洋式の歩き方に矯正するとかの話なんじゃないのか。
走る必要もないし、衣類をはじめ生活様式が走るのに向いていないし、
なにより社会規範が大多数の一般人に走ることを要していなかった。
で、倒幕の際に幕軍が敗退したのも、薩摩や長州の兵が西洋式の練兵でなんぼかは
走れたものを、幕府方の武士は全く走れなかったため、鳥羽・伏見など野戦で敗退。
走れない武士のさまを見て、初等教育を慌てて導入し義務教育化。
それ以前から識字率は前近代社会でも異常に高かったが、図らずも兵隊にするために
子供を鍛錬する目的が、副次的に初等教育の普及、産業化の人材育成が進んで、
近代化が急速に進んだ。
兵隊が何もしなくても最初から強いと、小学校を全国に立てて子供を通わせようとする
強い動機にはならなかった。
846 :
世界@名無史さん:03/11/29 14:22
じゃあよく大河ドラマなんかでやってる
戦国時代の足軽達が槍を持って突撃するシーンも嘘っぱちって事??
多分戦国時代はまた別。戦国時代の足軽なら多少は走れただろう。
服装は軽い胴丸に脚半だし、走る必要性もあった。
それでも「足軽達が槍を持って突撃する」みたいなシチュエーションは
そんなにはなかったとも思う。
長柄槍で防陣、合間から弓と印字打ち、金があれば鉄砲って感じだろう。
野戦でも大規模な合戦になればほとんど塹壕戦だから、
ごく小規模の小競り合い、急いで追撃するような時とか、
大勢が決したあとの掃討戦ぐらいで、
近代の軍隊みたいな整然と走って突撃っていうのは
比較的稀なケースだったんじゃないだろうか。
絵的には欲しいから使うんだろうけど。
>>847.私の経験では甲冑付けて戦場で相手にむかって走っての突撃は無かったと思う。
100mも走ると疲れて動けなくなる。だからゆっくりと隊列を組んであるいていったはず。
>>845。江戸時代でも人間が走れなかったと言うことはあり得ない。
一つには「走る」ことは落ち着きのない「小人」とみなされることもあったろう。
>>835。そのとおり。時代によって違いますが
特に平安〜鎌倉の武士は重装騎馬弓兵とも言うほどに世界的に見ても、まれな兵科です。
弓馬の道というのが武士のことを言う言葉からでもわかります。
「秀吉の中国大返し」は有名でしょ
ありえないスピードで行軍したらしいが
どう説明する?
史実かどうか怪しいところがあるのはおいておいても、
5日で200Km弱ならたしかに早いけどそんなに無茶なスピードじゃない。
補給部隊も一緒にならきついが、姫路城に前もって早馬と勘定役出しておけば
兵が移動してるタイムラグに物資の調達も多少できるから
極端な話手持ちの荷物だけもって一日十時間時速4キロで歩けば間に合う。
「ありえないスピード」の事例なら関が原直前の島津の
国許からの駆けつけとかの方がふざけてる。
歩兵が敵陣に走って突撃するのは、
ゆっくり歩いてたら矢で針鼠にされるからだろう。
手に持つような盾を持ってる訳でも無いし、
隊列を組んで歩いていたと考えるのには少し無理があるんじゃないか。
852 :
世界@名無史さん:03/12/03 21:03
>>1はどう見ても、戦国時代の情勢を知らないんだろうな
>>846 槍を持った歩兵が出てくるのは、一番最後だよ。
戦端を切ったら、まずは、鉄砲と弓矢。
ひととおり片づいたら、騎馬戦。
騎馬戦が乱戦になってくると、歩兵が出てくる。
引くときには、騎馬兵が先に逃げて歩兵がぞろぞろついてゆく。
攻め取ったら、歩兵が進駐する。
歩兵はなんでも屋で、補給部隊で行政事務官で進駐した先では足りない農民の
補充の代わりに植民までする。
戦国と江戸ではまた話が違うんじゃね?
少なくとも元寇や朝鮮出兵の時は激弱だったのは事実だろ?
その辺に関しては
>>1の言うとおリだ。
高麗や南宋なんかは30年近く、しかもモンゴルの正規軍を相手にしてたんだぜ。
モンゴル人は殆どおらず士気の低かった高麗や宋の兵ばかりだったのに
ボコボコにやられた。しかも弘安の役でも石塁を築いた以外は何一つ改善されず
武士達は相変わらず一騎討ちに走ってボコボコにやられてたとか。
一騎討ちなんてバカな事やってたの武士ぐらいなもんだよ。
竹崎季長が元軍の船に奇襲をかけた絵なんて恩賞欲しさのでっち上げに決まってる。
当時もし台風が来なくてモンゴルの「正規軍」が攻めてきたらと思うと。。。。
それに朝鮮出兵のときも最初上手くいったのは向こうが油断してただけ。
後半は当時の日本では一番強い水軍をもってた九鬼が李舜臣にいいようにやられてたし。
大安岳船も亀甲船の前では形無しだったんだろ?
陸戦では明の中でも辺境の田舎の軍隊と朝鮮の民衆にボコボコにされてたし。
あの当時にもし明や朝鮮、あるいはポルトガルが攻めてきたらと思うと。。。
>>853 なぁ・・・、それ、現代戦と勘違いしてないか?
>856
853ではないが。
現代戦に限らず真面目に殺し合いしようと思ったら自然とそうなるだろう。
同じ文化規範をもった集団同士のレクリエーション的な戦ならともかく、
野戦でもよっぽどの奇襲や予期しない遭遇戦でなきゃ
簡単な陣地構築や柵の敷設なんかは古代から行われていた。
仕掛けようとする方が単純にそんなとこに突っ込んだら
アウトレンジでボコられるのが必定なら、
絶対ではないにしろ853のいうような流れになる。
他はよくしらんが中国だと三国時代には既にこの手の型が一応完成してたっぽい。
まあ、853の書き方だともろにナポレオンの三兵戦術が連想されるのと、
うしろ二行の書き方が現代行政の用語なんで致し方ないとは思う。
>855
概ね同意だ。が、できる範囲で修正と補足。
元寇。南宋はともかく高麗は事実上ファーストアタックで壊滅してる。
「高麗は元の侵攻に対し30年以上抵抗を続け…」
みたいなのは近代のナショナリズムによる偏向があるといわざるをえない。
例の元寇の主要資料である「高麗史」を読んだ限りでは、
当時の高麗は崔氏という武官の一族が事実上の政権をほぼ握りかけていた。
そこに元がやってきて、まあ贔屓目に見て痛みわけになったんだが、
高麗正規軍はほぼ壊滅。そこに文官を中心にした旧保守層が台頭してきて、
元への降服路線で国論をまとめようとするんだが、あの国の悲劇というか、
そんな国難の折りに権力闘争なんぞ始めて泥沼化してしまった。
三別抄の乱も反元というより、
元に服属路線を固めた高麗中央政権に対する武官の反乱と捉えた方が
より当時の実情に近い認識ではないかと思う。
日本でいえば平清盛の時代に元寇が前倒しされて、
後鳥羽上皇が院政復活を狙って元に取り入るような感じ
だと思えば高麗の _| ̄|○ 感が多少は理解できるかも。
逆にいえばあと20年元の高麗侵攻が遅かったら向こうにも
武家分封政権が誕生し、サウラビだの剣道の起源だのを捏造せんでも
本物ができてたかもと思うと、他人事ながら憐れだ。
朝鮮出兵。
厳密にいえば九鬼は李舜臣に戦術的には勝っている。
ただし、海戦に勝って制海権を一時的に得ても
補給体制を整えられなかったので長期戦略的には明らかに×。
この責任は 実際戦争してた連中より、
大陸貿易を一時縮小せざるを得なくなった博多商人に
戦時利益を効果的に分配できなかった奉行連中にあると個人的には思う。
島井宗室なんかは陣地ぐらいは作ってやるけど旨みがないなら補給兵站
協力はしないと言い放ってた節がある。
亀甲船はじつは存在自体が怪しいって説もある。
当時の朝鮮の造船技術と木材供給量、資金力では伝説どおりの
火力と性能を持った船は造ることができたか怪しいという技術面からの指摘。
仮に伝説どおりのものが実在したとしても、重量が重過ぎる上に
帆走機能はほとんどないので港の湾内で停泊して固定砲座扱いの
活動しかできなかったはず。
まあ無敵の武田騎馬軍団みたいな願望の混じった伝説だと思った方が良いかと。
>>857 ならんて。
>野戦でもよっぽどの奇襲や予期しない遭遇戦でなきゃ
電信機も何もない時代じゃ野戦は普通遭遇戦になるだろ。
>簡単な陣地構築や柵の敷設なんかは古代から行われていた。
特別な状況じゃなきゃされとらん。
クレシーのイングランド軍やウフドのイスラーム軍のように、相手の攻撃が確実に
期待できない限り糧食と時間の無駄。無駄に時間と金と兵糧を消費するのがいや
だから城に篭もらず野戦を選んだのにそれじゃ、何のために討って出たのかわからん。
>アウトレンジでボコられるのが必定なら、
それこそイングランド長弓兵のようによほど飛び道具が充実してないと無理だって。
>他はよくしらんが中国だと三国時代には既にこの手の型が一応完成してたっぽい。
流石にこれはソースきぼんぬ。
>まあ、853の書き方だともろにナポレオンの三兵戦術が連想されるのと、
三兵戦術もナポレオンのオーダーミックス戦術も連想できん。
海を越えて戦争を行うというのは、
普通に戦争をするよりもずっと国力を消費するものだろう。
海を挟んで二十万の大軍を上陸させ、一兵も残さずに撤収できることだけでも
簡単に出来るものではないのに、
その上に効率的な補給線まで求めるというのは少し酷なんじゃないか。
しかし寧波の乱で日本使節団が武装して近辺を略奪し、
市舶司の責任者を人質にして、明の官軍を海上で撃破して逃走した話とかを聞くと、
日本も北方異民族に負けず劣らず野蛮じゃないかとか改めて思ってしまうね。
まあ、野蛮であることが良いことかどうかは知らないけどな。
基本的に海洋国家は凶暴。
当時の日本を海洋国家と言って良いのか疑問ではあるけど。
元→明になるにつれて
中国人から見た日本人のイメージはどんどん野蛮化かつ狂暴化したとか。
やっぱり元寇や倭寇の影響かな?
>>806 地勢で、戦場になる場所は大体決まっている。
>>855 九鬼水軍(だけ)はやられてないよ。やられたのは海戦をろくすっぽ知らない武将の船団ばっかり。
所詮李舜臣は優れた戦術指揮官であって戦略指揮官にあらず。
朝鮮出兵の時点で数十万単位の兵力を運営した組織力は十分凄いだろ
荒山徹の本ってどの程度信用できるの?
アレ読んだ限りだと亀甲船って超兵器としか・・・
ナンバって今はやってるもんね
今の子は、日本人は飛脚以外走れなかったて
言うのがトレンドだもんね
堀部安兵衛なんて創作だもんね
870 :
世界@名無史さん:04/01/02 23:24
一騎打ちというのは、周りにいくら仲間がいてもそれに頼ることなく、
自分の力で戦わなければならないからな。
逆に言えばそれが兵士一人一人に高い錬度や勇気を必要としたということで、
それこそが元寇の兵法に差の有る中での善戦や、
倭寇が明の官軍との船上での戦いに勝利した理由なんじゃないか。
871 :
世界@名無史さん:04/01/03 00:47
>国防っつー概念が無くなって・・・。
>他国の軍隊が攻めて来ても、「犯罪の取締」として処理されるんぢゃねーの?
>罪状を上げれば・・・不法入国に銃刀法違反そして武器準備集合罪とか?
>本来ならば「捕虜」として扱う処を「犯罪者」として処理し、国内法で裁くコトになりそうだ。
>案外面白いかもなw
コントで使えそうw
で、敵の軍隊を逮捕しようとした警察が全滅!
装備が違いすぎるだろ! ってツッコミが入る。
いや,オトボケ3等兵が警察に捕まって尋問→逮捕ってのが先に浮かんだw
873 :
世界@名無史さん:04/01/03 02:18
で,結局,侍ってどのくらいの水準だったの?
S級妖怪並み
モーデン軍>>>>コスタリカ警察=会津武士団←薩摩武士団攻撃中
↑(殺意)
ナチス親衛隊
藤原紀香(姫路城)
まぁこんな所だろうな
では以下のスレで見られた、良くある思いこみと間違いを検証していきましょう。
日本の城とヨーロッパの城@世界史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1067504381/288-292 288 名前:mememe me too! 本日のレス 投稿日:04/01/06 00:36
>>281 >兵科編成は兎も角、個々の兵士の質や戦術では日本軍兵も決してひけは取らぬと思えるのだが
>どうでござろう。1580年以降の鉄砲装備率はかなりのものであったし小銃備えに限って言えば西洋の
>小銃隊よりも柔軟かつ集中的な運用が可能なように思えてしまうのはやはり拙僧の思い違いであろうか
はっきり言ってしまうと、日本の戦国時代の武士なんてのはただ槍や刀を持って適当に騒いでるだけ。
鉄砲隊って言っても、西洋の小銃隊の様に優秀な指揮官のもと規律・統制が取れていた訳ではなく、
アマチュア当然の部将の号令で好き勝手に撃っているだけだった(織田軍の鉄砲三段撃ちなんかが
大ウソだったってのはもう常識だよね)
>>286みたいにコキおろすつもりはないが、日本騎兵の貧弱さについてはもう言うまでもない。
長篠の戦いだって、敵が速度の遅い武田騎兵ではなく純粋な西洋騎兵隊だったら
織田軍なんぞ踏み潰されていたよ。
291 名前:mememe me too! 本日のレス 投稿日:04/01/06 00:45
次に装備について見てみよう。
まず歩兵だが、日本の足軽の長槍と西洋のパイクを比較すると
西洋のパイクの方が長く機能的な事が判る。
また近接武器では日本の刀やなぎなたに相当するものが西洋のハルバルトであるが、
切れ味はともかく打撃力においてはハルバルトの方が勝る。実戦では切れ味にはあまり
意味がないし、体格は明らかに西洋人の方が勝っているので足軽と西洋の槍兵では勝負にならないだろう。
鎧だが、足軽鎧は西洋の歩兵用半身鎧に比較して防御力が皆無な反面
非常に軽量で速度の妨げにはならないが、着る兵士自体の運動能力の差を考慮すると
決定的なアドバンテージにはならないと思われる。守備面では互角であろう。
292 名前:mememe me too! 本日のレス 投稿日:04/01/06 00:57
騎兵だが、白兵戦での武器は日本の槍・刀に対し西洋のサーベル。
ほぼ同等と見て良いだろう。
騎兵用小銃については西洋の方が明らかに優れている。そもそも日本騎兵には
基本的に銃戦闘という概念がなく、例外的な伊達の騎馬鉄砲は上で既出のように
要求される錬度が無駄に高く一般的なものとはならなかった。
馬はあきらかに西洋馬が優れている。よく「日本馬は小型だがパワー・耐久力が優れてる」という
世迷い事を見かけるがそれはガラスの様なサラブレッドとの比較であって、戦闘用の西洋の馬は
速度・スタミナ・パワー・馬格の全てにおいて日本種を上回っていた。
決定的なのは2番目に挙げた馬上における火力運用で、これが皆無な日本騎兵は
おそらく白兵戦で西洋騎兵に圧倒されてしまう。
>291
>アマチュア当然の部将の号令で好き勝手に撃っているだけだった
16世紀の西欧でちゃんとした士官としての教練を受けていたのは、マウリッツ公のオランダ軍ぐらい。
他はスペイン・ドイツのランツクネヒト隊のように、直接は下士官であるところのシェフ(フランス語
だが(゚ε゚)キニシナイ!!)に率いられている。
>実戦では切れ味にはあまり意味がないし、
倭寇がその刀の切れ味で明の長柄武器の柄を切り落とし、さんざんに苦しめている。同じ事をハイランダーが
ジャコバイト戦争でしている。”切れ味にはあまり意味がない”というなら、ダマスカス剣の価値は無いな。
>体格は明らかに西洋人の方が勝っているので足軽と西洋の槍兵では勝負にならないだろう。
槍兵に何より重要なのは統率と錬度。
続きは少し待っとけ。
>>877-878の続きがあった…。
294 名前:mememe me too! 本日のレス 投稿日:04/01/06 01:04
銃兵。
西洋においては16世紀前半には既に火打式の小銃が出現しつつあったにもかかわらず、
日本では17世紀においてもなお旧態依然の火縄銃だった。
西洋の16世紀の火打式小銃は威力こそ劣るものの重量・運用・信頼性に優れ
特にその速射力は凄まじく弾幕の量がものを言う実戦ではおそらく日本の鉄砲隊は即座に射すくめられてしまうだろう。
火力運用戦術の差は
>>288で言った通り。
スウェーデン銃兵を持ち出すまでもなく、テルシヲの銃兵にすら圧倒されてしまうとすら考えられる。
295 名前:mememe me too! 本日のレス 投稿日:04/01/06 01:07
大砲は言うまでもないよね。
17世紀前半からバンバン大砲を使ってた西洋に比べ、日本では野戦で大砲が使われる事自体が
ほとんど無かった。これも既出なんだけどね。
>>293 妄言を吐く人が多すぎるから西洋の優位性を説明したまでです。
『戦国時代の日本が強い』ってのだって根拠の無い妄想だろ。違うか?
>292
>例外的な伊達の騎馬鉄砲は上で既出のように要求される錬度が無駄に高く一般的なものとはならなかった。
西欧でピストル騎兵が重装騎兵を駆逐したのは、コストの問題と兵制から。
完全鎧はあまりにも高く付きすぎたため、騎士階級やらならともかく、自分で装備を調えなければならな
かった傭兵には揃えるのは不可能だった。そのため、騎兵には強いが歩兵相手にはほとんど役に立たない
ピストル騎兵になることを選んだ。
>日本馬は小型だがパワー・耐久力が優れてる」という世迷い事を見かけるがそれはガラスの様なサラブレッドとの比較であって、
モンゴルの馬はスタミナで西洋馬・アラブ馬を圧倒してましたが何か?
>294
>西洋の16世紀の火打式小銃は威力こそ劣るものの重量・運用・信頼性に優れ
アルケブスに代表されるように、16世紀西欧の銃はむしろ威力を重視してる。
882 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/06 01:32
>>877 >日本の戦国時代の武士なんてのはただ槍や刀を持って適当に騒いでるだけ。
弓や鉄砲(と組み打ち)による死者の方が多かったような。些細な事ですが。
しろうとの疑問
日本の騎兵は,ほぼ歩兵と替わらなかったらしいので、パイク意味無しじゃ?
槍歩兵VS槍歩兵だとして
パイクは長い、凄く長い、軽くても梃子の原理で取り回しが難しくなるし、密集してたらなおさらのはず
将の用兵次第では、パイクVS槍よりも西洋槍兵接近戦用武器VS槍が多くおきる用にするのはそう
難しくないきがする。
日本の「騎兵」について少々説明させていただくと、まず武士というもの自体
が「弓馬の道」という言葉で表されるような騎乗弓兵でした。
それが14世紀に入ると馬上で弓矢・刀とは別に長刀も扱うようになり、その
頃使われるようになった槍も同じく使用されるようになったようです。
もっともルイス・フロイスが「日本では馬から下りて戦う」と書いていた通り
槍などを振るう場合には馬の目を傷つけることを気にしてか地上に下りること
が多かったようですが。
『雑兵物語』に「陣中に鼠一匹飛び込んで来ただけで大騒ぎになったことがあ
ったが、これが馬だったらどうなるかは推して図るべし。」と書かれていたこ
とからしてそれなりの威力はあったようですが・・・集団的な運用は無理。
>>883 パイクやサリッサ、長槍のあの馬鹿みたいな長さには二つの理由がある。
1.ランスに対抗するため
ハルベルトやらではリーチで互角かもしかしたら負ける。騎兵は騎兵というだけで
恐るべきものだから出来る限り優位に立っておきたい
2.長さで歩兵を圧倒するため
ただの騎兵を押し留めるだけなら盾持ちの槍兵でも可能。後期のローマ軍や十字軍
時代のアラブなどの実践が記録に残っている
つーわけで、確かにパイク兵は騎兵に対して異常な強さを発揮するけど、パイクが重宝
されたのは何より歩騎両方に有効だったからで。
>>884 >もっともルイス・フロイスが「日本では馬から下りて戦う」と書いていた通り
それは西国の話で、東国では騎乗して戦っていたという話も聞きましたがどうなんでしょ?
>>881 蒙古小馬がその性能を生かせたのは、蒙古高原においてであり
中国内地に連れてこられるなり、その飼育法の粗放さから途端に衰弱化するってのは西洋人が書き記している
乗用馬ぐらいにしか使えなくなって、ちょっと背が高いのが貴人の乗り物として献上されたくらい
清代でそれだから、そのほかは推して知るべし
蒙古馬はモンゴルとか、精悍な騎馬民族が使ってこそ威力を発揮するのであって
中国人が用いてもあまり期待はできなかったようだ(その分、騾の育成には頑張ったようだが)
日本の馬はよう知らん
蒙古小馬の血を引き継いでいるの?
887 :
世界@名無史さん:04/01/06 01:50
例の170の書き込みって、休み時間の小学生の雑談レベルだな。
>>886 >蒙古小馬の血を引き継いでいるの?
俺の聞いた限り、木曽馬がモンゴル馬と繋がりがあるなどという事実はないな!
889 :
世界@名無史さん:04/01/06 01:57
そもそも、比較というのは比べて意義のあるもの同士でおこなうべきなのであって
こういう「もしも」は滑稽きわまる。
西洋式軍隊と闘うことになれば、それにあった軍装に徐々に切り替わっていくべきものだし、
実際そうなったら、そのように変わっていったろうよ。
また、勝海舟が氷川清話だかで書いているが、八王子に伝わる武田の槍法の調練を見て
西洋の調練と同じく理にかなっていたと記しているけど、
おおよそ、いくさの道具や調練や実践などというのは、相手があるからこそ生まれるものであって
全く異なる文化を比較して悦に浸っているのは、児戯に等しい。
890 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:02
日本の戦というのは、相手を打ち殺して蹂躙するものではなくて、
あくまで勢力争いの一環であるから、さしたる死者も出してはいない。
軍が崩れれば大逃げするし、逃げた連中がもう一度集まって、敵軍に参加するような事例さえある。
多民族間の殺し合いのようなどろどろした戦は、日本国内においては数えるほどしかないし
皆殺しの蹂躙戦に至っては、信長がおこなったいくつかの焼き討ちや殲滅戦くらいしか
今思い浮かばない。
そういういくさのものと、西洋のものを比較するのはとても滑稽だと思うのだが。
891 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:07
そうだ滑稽だぞ例の170
892 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:12
>>877 武田隊は、追撃戦で多数の死傷者を出したのであって、
直接当たって損害を出したのではない。
その上、川沿いに馬防柵や空堀を敷設してあったので、西洋の調練された騎馬軍であっても
多大な損害を出しただろうと想像されるよ。
あんたの妄想におつきあいしたとしてもね。
また、同時期の西洋での小銃隊は、日本の戦国武将の軍隊に比べると遙かに少数しか
銃は持っていなかった。
日本の大名家は、異常なほど多量の銃砲を持っていたと思うよ当時にしては。
893 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:13
>そういういくさのものと、西洋のものを比較するのはとても滑稽だと思うのだが。
激しく同意!
ガキの石打ち合戦とドイツ電撃戦を比較するようなもので、実に滑稽だ。
日本の『いくさ』なんて大陸国家の殲滅戦に比べりゃガキのお遊戯。殺戮という
人間の歴史において最も崇高な行動にかける情熱が違う。
894 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:14
>軍が崩れれば大逃げするし、逃げた連中がもう一度集まって、
>敵軍に参加するような事例さえある。
あ〜ぁ、愚劣で卑怯だったんだね。
895 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:16
>>880 日本が旧式のまま軍備がとどめおかれるのは、兵器を新式に改める必要のない
治世が300年弱も続くことになるからで、その間の軍事史を比較するのは、
愚かしさの骨頂だと思うんだがね。
実際、幕末から維新にかけて、幕府・長州・薩摩・肥前・土佐などの
近代化兵器への渇望とどん欲なまでの購買意欲を見ても、
日本が特別なにかに劣っている事への証左には、全くならないと思うんだがね。
どうしてこういう屁理屈を、得意満面で書けるのかがむしろ知りたい。
896 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:18
>>894 そうじゃないんだよ、わかんないかな?
戦国期の戦というのは、親分決定戦なのであって、領土侵略戦ではないんだよ。
だから、本領を安堵されれば、地付きの侍たちは、勝つ側につく。
897 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:19
898 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:20
例の170どこいったの?
戦争が起こればとにかく殺しまくる大陸の人間は残虐非道。人間止めるべきだな
例の170はどこでも嫌われてるなぁ・・・
901 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:28
902 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:31
あと、例の170は、日本の鉄砲隊は無統制にパラパラ売ってるだけみたいな書き方をしているが、
三段撃ちはともかくとしても、信長の長篠での用兵は、角は以下の鉄砲隊だけを抽出し
統制を持って撃たせているし、伊達家の鉄砲隊もしかり。
旧来の日本の戦国大名家の場合、各武将が、騎馬1に対し歩兵3、槍1、鉄砲1、という風に
兵を用意したために、同じ兵科の集中運用というものが見受けられなかったわけだが、
鉄砲などの兵科を集中運用する事例が出始めてからは、そういう用兵を取り入れた大名家もある。
そういうものまで無視してこの手の話をするのは、暴論もいいところだと思う。
903 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:32
パラパラ売ってる->パラパラ撃ってる
角は以下->各配下
訂正すまそ。
904 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:33
例の170マダ〜〜?
>>902 もちつけ、それを主張してるのは他のスレの奴だ。
例の170じゃないぞ。
906 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:37
907 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:47
∧ ∧ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 ./ ヽ ./ ヽ マチクタビレタ〜
/ ヽ―――/ ヽ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 / l___l \ マチクタビレタ〜
| ● | | ● | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
へ | へ ヽ ./ | < ねえ、例の170まだぁー?
\\ \ \\ ヽ/ / \____________
チン \\ .> \\ ヽ
チン \\/ \\ _ | マチクタビレタ〜
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / ̄ ヽ / _
\回回回回回/ ̄ ̄ヽ / ̄ ̄ /| マチクタビレタ〜
\___/ ヽ____/ / .| マチクタビレタ〜
/ | マチクタビレタ〜
__________________/ .|
| | マチクタビレタ〜
908 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:51
しったか程度で煽り口調でもの書くなど片腹痛いよ。
>>906 >>877ってmememe me too!と言う人で例の170ではないよ。
その場面ではどっちかというと日本の方を擁護してる風に見える。
910 :
世界@名無史さん:04/01/06 03:09
>>909 そうかい。
そっちのスレのことなんて俺は知らないし、そもそもレスアンカーだけすりゃいいものを、
煽り目的かどうか知らんが、全文引用とかするのが間違いの元なんじゃないのかい?
あと、日常彼の言動の悪さが、そういう先入観を持ってみられる遠因になっているしね。
911 :
世界@名無史さん:04/01/06 03:11
ナポレオンの最初の妻
>>910 まぁ要するに、俺様憎さのあまりありえない誤読をしてしまうほど知能障害起こしてたと。
∧ ∧
/ ヽ ./ .∧ /ヽ /ヽ
/ `、 / .∧ / ヽ / ヽ
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913 :
世界@名無史さん:04/01/06 08:45
>>888-889でグダグダいってることは
要するに「戦国の武士団は同時代のヨーロッパの軍隊よりはるかに弱い」
ということでOK?
>>888 では木曽馬と西洋の馬を比べて、どっちが優秀なのでしょうか?
あんまり煽らなくてもいいでしょうに
何でいつも怒りっぽい口調なんですか?
Q:ナポレオンはチビだったというが、身長は何センチ位なのか。
A:フランス革命後の徴兵検査の記録などから考えて、当時の
平均身長は145センチくらいと考えられます。従ってそれ以下
の身長ということになります。
↓サムライズ
織田信長の身長167〜9cm、伊達政宗の身長159cm
前田利家の身長180〜6cm、豊臣秀頼の身長180〜3cm
まあ、実際戦わせることを考えると、戦場まで戦力を維持したまま輸送して、
兵站線を確保するのが最重要課題なので、それを無視して比べても、
という気はする。
武士の集団がヨーロッパまで遠征できたとは思えないし、
戦国時代くらいまでのヨーロッパの国が送り込める戦力では、
日本では武士の相手にはならん。
ホーム側が勝つ程度の能力しかお互いに持ってないだろう。
大航海時代以降の海軍能力、機能には差があるだろうが。
外洋海軍と沿岸海軍の違い(まだそれほど明確なものではないだろうが)。
それ以前も、アラビア人などに比べると、日本の航海能力は劣っていたしなあ。
後は、政治の問題だね。
国が割れて外国勢力を誘致するようなことがなければ日本側が完全に負けることはないだろうし。
919 :
世界@名無史さん:04/01/06 17:53
平均身長145cmって本当か?
920 :
世界@名無史さん:04/01/06 18:10
>>912 オマエは何もいっていないじゃない?
オマエの見解を書いたら?
無定見で、他人を煽ることしかしていないようなオマエにも、
意見をいう機会はあってもいいと思うから、一応聞いてあげるよ。
921 :
世界@名無史さん:04/01/06 18:31
∧ ∧ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 ./ ヽ ./ ヽ マチクタビレタ〜
/ ヽ―――/ ヽ マチクタビレタ〜 マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜 / l___l \ マチクタビレタ〜
| ● | | ● | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
へ | へ ヽ ./ | < ねえ、例の170まだぁー?
\\ \ \\ ヽ/ / \____________
チン \\ .> \\ ヽ
チン \\/ \\ _ | マチクタビレタ〜
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / ̄ ヽ / _
\回回回回回/ ̄ ̄ヽ / ̄ ̄ /| マチクタビレタ〜
\___/ ヽ____/ / .| マチクタビレタ〜
/ | マチクタビレタ〜
__________________/ .|
| | マチクタビレタ〜
>>890 当時までの西欧もそんな感じだったと思うんだが。
>>914 ……実をいうと、あんま木曽馬には詳しくないんで分からん。ただ
>>878に根拠は無いというだけで。
しかし
>>916のサイトには木曽馬の起源は蒙古+汗血馬だという驚愕の事実がっ…! ボケる前に一応でも
ググっておけというオチですた。南部馬っつー種のことも忘れてたしね…。
>>915 フランス革命前の話、農家のお婆ちゃんとおぼしき人の年齢を尋ねたら20代の姉ちゃんだったという
エピソードがあるほど農民の栄養状態は劣悪だった。国民兵達の幼児期がこのような惨状だったのでは、
身長がそこまで低いのもむべなるかな。
しかし14〜16世紀はペストによる人口減少により皮肉にも、三圃制が放棄され換金価値の高い小麦が多く
収穫できる二圃制にシフトするほど食料生産に余裕ができたので、当然農民の栄養状態も良好だったはず。
923 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/06 22:33
>>885 フロイスの記述は『日欧文化比較』にあるものですが、確かに具体例として
は西九州と京都周辺のものが多いですね。
ただ極端な例や表現が目立つものですから、騎乗したまま戦うことも可能で
あったでしょう。ただ槍を持った場合には馬から下りたほうがやり易かった
のでそうした可能性は高い。
木曽馬には良くのっていますが、馬の世界ではポニーに区分されます。
鎧武者を乗せていたのだから、体の大きさの割には頑丈といえます。
また、ひずめが硬く球節の角度が深いので山岳の移動には適していました。
しかし、日本人は去勢の方法を知らななかったため、戦場では暴走状態となりました。
騎馬軍団と言っても戦場間移動を馬で、実際の戦闘は下馬して戦うことが多かったのも
この理由があったと思います。
対して、西洋では品種改良は普通に行われ目的別に多くの種類がつくられました
単純に乗用馬としても、戦馬、パレード用、散策用、狩猟用など多くの品種がありました。
特に、重装甲騎士の乗る物は、むしろ荷馬車用のブルトンの様な大型種が使われました。
これら大型種はギャロップは苦手だったので、実戦でも競馬のようなスピードは出せず、
せいぜい時速40kmあるかないかで突撃をした物と思います。
これらは森林に生息する馬で、モンゴルの小型馬は草原適応型でした。
日本の馬は、陸続きの時代に大陸からきたものと、半島経由で人為的にもたらされた者の
混合でしょう。
925 :
世界@名無史さん:04/01/06 23:44
>>922 >当時までの西欧もそんな感じだったと思うんだが。
その通りでヨーロッパが殲滅戦に転じるのは兵士を使い捨てできるようになった
フランス革命後。ナポレオンはこの変革に乗じて英雄となった。
イタリアの都市間戦争なんて18世紀まで他国にママゴト扱いされてたからなぁ。
死人なんてほとんど出なかったらしいし。
人骨を調べると日本人は江戸時代が一番低身長で、戦国時代はもっとでかかったようだ。
「身の丈6尺大男が〜」なんてのもあながち誇張ではなかったしい。
考えてみると日本の生活レベルは当時としては決して低くはなかったんだよね。
927 :
世界@名無史さん:04/01/07 14:52
関東武士を「あずまえびす」とよんだりするが、これは関東地方を指して「あずま」というのに由来している。
「あずま」は関東を指すときは関東が近畿よりも東にあるため「東」であるが、本来は「吾妻」と書く。
吾妻の意味は漢字そのままで、「わたしのつま」、マイハニーである。
古代においては、近畿地方が政治の中心であり、関東地方は野蛮な未開の地とされた。
しかし、近畿地方に住む貴族・豪族たちが勢力範囲を次第に広げ、関東地方を組み入れると、
関東地方は「未開の地」から税金を搾り取る「収奪の地」に変わった。
近畿地方の豪族たちは、収奪を円滑に行うため、関東地方の反感を抑えようと、
「近畿を夫とし、関東を妻のように大事に思っています」、ということで「あずま」と名付けた。
今だとドメスティックバイオレンスだとか言われそうな話である。
マジレスすると、ヤマトタケルの叫びが語源ということになってました。>吾妻
関東が蛮地扱いされていたのは確かですが、同時に亡弊国としてしばしば
収税を免除されていたことも付け加えておきます。
なお話はまるで異なりますが、日本の馬は蹄鉄の代りに一日ではき潰す様
な草鞋をはいていました。日本人が最初に蹄鉄を採用したのは享保年間で
すが、しかし蹄鉄>草鞋とは言い難い。
日本の山道、それも雨などでぬかるんだ場合には草鞋の方がよかった。
大陸の平原で戦うには向きませんが、日本国内なら最適だったでしょう。
サブライ(傍に仕える)→サムライ。
英語のKnightも、元々は傍に仕える少年という意味しかなかった。
サムライもナイトも本来の意味は卑しい使用人なのだ。
930 :
世界@名無史さん:04/01/08 02:26
>>929 ずいぶん基本に立ち返ったな。1000年近くか?
サウラビが語源だちょんまげ。日本人はそれを自覚しる!!
>>924 縄文時代の遺跡からも自然地層からも、馬の骨や歯は全く出てきていないんだが、
それでも、「陸続きの時代に大陸からきたものと〜混合」か?
面白いことを言うなぁ。
ナウマン象だのヘラ鹿だのと一緒に入ってきたものはあったにせよ、旧石器時代の
うちに絶滅して、改めて入ってきた家畜種の馬だけではないのか?
933 :
世界@名無史さん:04/01/08 14:22
戦国大名の甲冑や衣服は結構残ってるんで、ある程度身長は判断できるはずだが
高くても160cmかそこらといったところらしいぞ。宮本武蔵のように例外的に高いやつも
いるけどな。
>>933 あの時代のフランス人とかラテン人は平均身長153cm程度だったらしいから
まぁ高くもなく低くもなくってとこだろうか。
16世紀フランス貴族は170あったっつっても、それ言ったら前田利家とか
藤堂高虎は180以上あったしなぁ。山形昌景なんかは140なかったらしいけど。
可愛いからいいじゃないか>>山形昌景
山形昌景萌え〜スレでもたてるか
>>933 宮本武蔵は巨人症だったとか聞いたが
確かに強いわけだ
その反面、年をとると衰えも酷くなるらしいが
デカいって言っても178cmジャン>>みやむー
徳川吉宗も180cmほどあったそうです。
女性だと斎藤義竜(190cm)の母が息子と同程度はあったという話が・・・。
>>939 それはウソ。
吉宗の身長が169〜171cm程度しかなかった事は、徳川家廟の遺骨や衣服から調査済みです。
江戸時代は日本の歴史の中で日本人が最も低身長だった時代であり、平均身長は153〜157cm
(←江戸時代は長い)程度だったようです。それ以前は日本人と西洋人(北欧人除く)の間には
それほど体格差が無かったのですが、江戸270年の太平の間に日本人の身長はドンドン縮み、
それとは対照的に西洋人の身長はグングン伸びたので近代に入るとかなりの差となりました。
戦国時代以前の日本人はもう少し背が高く大体平均して160cm程度で、鎧や骨から身長が
六尺(180cm)以上あったと推定されるものも江戸期に比較すると少なくないようです。
中国の戦国時代最大の合戦、長平の戦いでは40万人が生き埋めにされたと史記には書かれている。
今世紀になりその戦場から大量の人骨が発掘され史実だと証明されたわけだが
骨の平均身長は175センチだったそうな。
日本人って小さくね?中国人とは別の祖先なんだろうか。
>>940 ありゃ・・・研究も進みましたね。それでも相当なものですが。
日本人は子人の国と呼ばれてたんだから小さいことには小さいでしょ
944 :
世界@名無史さん:04/01/09 08:40
>>941 175cmってマジかよ、信じられん。
ホントなら孔子の195cmもありうるな
今は中国人より日本人の方が3cmほども背が高いよん。
中国人は歴史的に「日本はチビの国」と見下してたので
かなりショックだったらしい。
でもどう考えても日本の武士や城って
西洋の騎士や城郭に比べたら貧弱だよなー。
貧相なら分かるがなぁ
米ばかり食って脚気だったチョパーリ(プ
949 :
世界@名無史さん:04/01/09 16:07
2日かけてここまで読んでみたんですが一点だけ気になってしまいました
長槍部隊が刺突で殺傷能力を発揮するみたいに書かれてましたが、私の記憶が
確かならば長い槍を振り下ろして叩くという使用をするのではなかったので
しょうか?
950 :
世界@名無史さん:04/01/09 21:00
>>946 日本の城って、どの時期かで全然違うんですけど。
西洋の騎士も。
ちなみに騎士の戦い方は、身動きできないほどガチガチに鎧を付け、馬で突進しながら相手とすれ違いざまに突き合うだけ。
この戦いは時代が進むにつれて形式的になって、最後はほとんどスポーツ。
しかも金賭けたりしてたわけで。
一方で武士は土地のために命張ってたわけだから、「貧弱」というなら騎士の方がはるかに貧弱っぽい。
西洋騎士の甲冑に関していえば、戦闘用の物であれば充分に動けますし、
ランス突撃は攻撃法の一つでしかありません。
身代金で命を救うにしても、殺されずに生き残っていればの話で、
戦場では手加減などできません。身代金目的になったのは
大けがをさせない武器を使用する後世のトーナメントの話です。
ついでに、日本では戦車や飛行機などでも伝統的に防御よりも
俊足性や攻撃性に重点を置きます。
しかし、私自身盾甲冑をつけて解ったことは、
「防御力が高ければ、より攻撃も積極になる」
と言うことです。防御が薄ければ相手を負かす反面、
こちらはよりひどいダメージを負うリスクがあり頭を離れません。
したがって、どうしても積極的に攻撃ができません。
技術を習得するエネルギーの内、50%は防御に回さなくてはなりませんが、
盾と充分な甲冑があれば、そのエネルギーは防具と言うハードに任せておき
100%のエネルギーを攻撃の習得にむけられます。
また、実戦でも少々叩かれても怪我がないと安心できるので、リスクが大きいとは
考えなくても良いのです。
この感覚は剣道や日本剣術では解らないと思いますけど。
それに背景的な事情もかなり異なるんじゃない?金になるなら何でも持って行きかねない異民族を
防がなければならなかったヨーロッパとかと、土地の支配権を手に入れられればよかった侍、当然侍達も
高い城壁で囲えるものなら囲いたかったろう,けど日本には地震があるし、せめて有利に闘える地形を・・・
と言うことで地形改良的な築城技術が発展したんだろうなぁ
日本の家は地震が多いから建て替えやすいように造られていると
勘違いする人が居ないように、あえて言おう
明治時代自身があったとき壊れた順番は
西洋式煉瓦の家→日本式木造の家→鉄筋コンクリートのビル
の順番であった。三匹の子豚の法則は地震には通用しないのだよ
955 :
世界@名無史さん:04/01/09 22:27
大英帝国並びに日本国のサムライ達に告ぐ 我々は薩摩藩である!
いわゆる修好通商条約と呼ばれた不平等条約が偽りのものであることは誰の目にも明らかである!!
なぜならば協定は日本国の名を語る幕府の売国奴によって結ばれたからだ
我々はいささかも戦いの目的を見失ってはいない! それは間もなく実証されるであろう!!
我々は日々思い続けた! 亜細亜諸国の自主独立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者たちのことを!
そして今またあえてその火中に飛び入らんとする若者のことを!
亜細亜諸国の心からなる希求である独立に対し白人国がその強大な軍事力を行使してささやかなる
その芽をつみ取ろうとしている意図を証明するに足る事実を私は存じておる・・・!
見よ! これが我々の戦果だ! このエンフィールドの銃剣は亜細亜人を弾圧するために開発された
このエンフィールドの銃剣が亜細亜人の血を吸い続けた事実をもってしても呪わしき白人国の悪意を否定できる者がおろうか!!
顧みよう! なぜセポイ独立戦争が勃発したのかを! なぜ我らが武士道と共にあるのかを!!
我々は3年間待った・・・ もはや我が軍団にためらいの吐息を漏らす者はおらぬ!
今、若人の熱き血潮を我が血としてここに改めて私は大英帝国に対し宣戦を布告するものである!
繰り返し心に聞こえてくる祖国の名誉のために!! 薩摩藩、万歳!!
騎士の戦い方は、伝統と目的に応じた鎧をつけ、
必要で費用が許せば馬に乗り、部下を連れてはせ参じる。
その国や家のやり方にしたがって編成されて、
騎兵になったり重歩兵になったりして戦う。
封建領土のために命張ってるんだから、
いくらなんでもスポーツ感覚はあり得ないよ。
韓国人とかに、中世日本は殺し合いをスポーツ感覚で
楽しんだと言われてどう思うかね?
>952
日本の戦車や飛行機については、伝統よりも資源と製造能力の問題かと。
戦車は上手くいかなかったけど、戦闘機は上昇・旋回能力の追求でいいのが出来た感じ。
あれはハードによる防御力と言えると思うけどな。
"ゼロ戦"ついて言えば、「回避能力が高ければ、攻撃に積極的になれる」を
実際に示していると思う。
余談ですた。
ttddさんは盾使いとして、日本で手持ち盾が流行らなかったのはなぜだと思います?
ハイレグ十字軍はあってもハイレグ侍はないので
騎士の圧勝。
>>956 いや、本人が言ってるんだから良いんじゃない?
曰く「戦争とギャンブルほど男を興奮される物はない」
曰く「戦争というスポーツは数々の名言を産んだ。ルイ14世の(以下略)」
曰く「戦争とはスリリングな賭博行為に他ならない」
>戦争とギャンブルほど男を興奮される物はない
まあこの辺は中世の日本の武士(以外も含めた男)にも共通しておりますが。
「負けた方が職を譲る」とか「負けた方が某家の倉から略奪して来る」とい
う博打まであったのだからまともではない。
>>953-954 地震の多いペルシアでも城塞建築はそれなりに発達してる。
騎馬民族を初めとする異民族の進入がなかったからじゃないかな?
962 :
世界@名無史さん:04/01/10 01:02
963 :
世界@名無史さん:04/01/10 01:05
>>952 >ついでに、日本では戦車や飛行機などでも伝統的に防御よりも俊足性や攻撃性に重点を置きます
>しかし、私自身盾甲冑をつけて解ったことは、「防御力が高ければ、より攻撃も積極になる」
>と言うことです。
プッ!こいつ何もしらねーなww
WW1〜WW2の兵器の事を指してるんだろうけど、あの時代に本当に頑丈なものを作ってるのは
アメリカ・ドイツ・旧ソ連の重工業上位三ヶ国だけ。知ったかすんなよアホ君。
ちなみに日本の戦車が弱いのは、単に中国軍が弱過ぎて日本戦車がバトルプルーフされる機会が無かったからだ。
戦争中盤でいきなりアメ戦車と当たった時はもう手遅れだった。
無知なお前に教えてやると、1939年以前の時点では日・仏・独・ソ・米の戦車の間には性能差がほとんど無い。
1〜3号戦車、BT戦車、リー軽戦車・・・どれも軽装甲・小火力の戦車だ。
ただし1941年以降、米・独・ソは血塗れの機甲陸戦を果てしなく続け、その間にどんどん火力や装甲を増強していった。
ドイツやソ連だって最初からティーガーやJS-2みたいなバケモノ戦車を作ってたわけじゃないのよん。
ただ相手がどんどん装甲・火力を増加したからあんなになっただけ。その程度わかれよ。
964 :
世界@名無史さん:04/01/10 01:12
ドイツの戦車というと、いきなりティーガーやパンツァーを思い浮かべる
人が多いけど、電撃戦の頃は2号戦車と、ポーランドの戦車が主で、
それはもうしょぼいものだったんだよね。実際、ポーランドの戦車の方が、
重火器・重装甲だった罠。
アフリカ戦線でやっとこ3号戦車。
というか、連合軍の戦車も結構しょぼい。
日本はもっとしょぼいが。
基礎工業力が列強で一番下では戦車もあれくらいが限度だよな。
967 :
世界@名無史さん:04/01/10 01:18
>>965 >騎馬民族を初めとする異民族の進入がなかったからじゃないかな?
これは「憶測」なのか、根拠があるのかって質問だけど、
たった一行の文意も汲めないの?
>>967 要するに、ペルシアではスキタイ系やトルコ系の遊牧民、ギリシアではスキタイ・スラブの
牧畜民、中国では匈奴など、ローマではケルト・ゲルマン人、中世欧州ではアヴァール・
マジャール人やノルマン人やイスラム帝国などの、城郭建築(城壁)が発達した地域では
遊牧民などとにかく「攻城戦が不得手」な敵と恒常的に争っていたが、日本ではそれに相当
する異民族の侵入を受けたことが(先史までは知らんが)無かったという、僅かなりでも
このスレに必要な知識があれば理解できるようなことすら思いつかないほど無知です、
ってことか?
969 :
世界@名無史さん:04/01/10 01:32
>>968 そういう姿勢で歴史を語るのは、小説を読んで歴史を語るのと
何ら変わらないでしょう?
ゼロ戦の本当の弱点は防御のモロさじゃなくて、戦術ドクトリンが誤っていたのと
パイロットのパラシュート未着用の傾向、最後に機体の拡張性のなさだな。
戦術ドクトリンだが、あの手のレシプロ空戦は突き詰めると
集団一撃離脱(速度重視)>>個人旋回戦(機動性重視)
となる。レシプロ機では高さ=運動エネルギーだからそれが確保されていれば格闘戦なんぞやらなくても
チームワークを駆使した一撃離脱通り魔戦法で敵を圧倒できるのだ。だが日本航空隊はそれが判っていなかった。
いや、判っていたのだが、今更伝統の個人格闘戦主義を捨てられなかったのだ。
ゼロ戦とF6Fを比較すると、ゼロ戦は航続・旋回・低高度性能以外の全ての面でF6Fに多少劣るが致命的な差ではない。
むしろ敗因はチームプレイの欠如(戦争前〜中期の個々人の技量は名人級)で、それはアメリカのパイロットが戦後に
よく言っている。「彼らは個々の戦力は素晴らしいがチームプレーを知らない。それを駆使すれば恐るべき敵となった筈だが
なぜそれをしなかったのか不思議だ。彼らは全体主義国家の兵士だというのに」
パイロットの消耗は装甲の薄さよりもむしろパラシュート未着用に起因する。
日本軍のパイロットは重量がかさむパラシュートを「どうせ開かないから」と言って着用しなかった。
その結果整備不良ですら戦死者が続出。戦争後期の熟練者不足に繋がった。
メッサーやスピットの様な比較的脆い戦闘機のパイロットが幾度も撃墜されても帰還できたのは
言うまでもなく彼らが皆パラシュートを装備していたからだ。
ドイツのあるエースは30回近くも撃墜され、その度に帰還を果たしている。
艦上で活動するというのも帰還率の低さに繋がる、、、
というか、>970他の書き方では一面的な批判の集合としか取られないよ。
防御をハード(盾・鎧・速い馬・旋回能力・上昇力など)に任せて、
攻撃の練習に専念出来ることは良いことだ、っつー論旨に異論はなかろう。
972 :
世界@名無史さん:04/01/10 05:47
>>970 なんとなく、同じルーツの人の予感(某ゲーム)
ただね、F6Fが出てくる時代だとね、もう圧倒的に機数の差だよ。
アメリカ 200機 vs 日本 12機 とかいうお話にならない状況だった。
まず、経済力の差というのは間違いなくある。
戦時体制とは言え、普通の生活をして軍需で景気がよかったアメリカと、
同じ戦力を整えようと思ったら、馬鹿みたいに軍票刷るしかなかった。
続いて、インフラの差。一面だけ取り上げるのはあれだが、中島の工場
で組み立てた零戦を一旦ばらして牛車で空港まで運んでたりとか、色々
ちぐはぐな面があったのは、インフラが整っていなかったから。
そして、追い討ちをかけたのが源田実の戦闘機不要論。これ自体は大戦
直前の世界の流行なので、なんともいえないが、実際に実行に移した上
で、失策を糊塗するために「少数精鋭主義」を唱えて、自ら思考停止して
しまった。
F4Fの時代は、まだ性能面で大分有利だったし、戦力的にもちょっと多い敵
だったので最初は楽勝。そしてアメリカの戦力が整うにつれてだんだんと
厳しい局面になっていった。ここに至っては、もう「少数精鋭」を放棄する機を
逸してしまい、後はずるずる。少数精鋭主義なので一撃離脱なんてやってる
状況じゃなかった。
ミッドウェイ以後は、ベテランパイロットを一気に失い、後は促成栽培だけなの
に、既に一撃離脱でなんとかなる戦況ではなくなっていた。
973 :
世界@名無史さん:04/01/10 05:51
ちなみに、防弾鋼板に関して言うと、欧米のパイロットも重量増加を嫌って
外してしまっていた例もある。ただし、パラシュートはなぁ。
これは、アメリカとの比較じゃないから、話半分だけど、ヨーロッパ戦線は
パラシュートで降りたらなんとかなった。下は地面だし、海はドーバー海峡
程度だから。
太平洋戦線では、海上に落ちたらお話にならないと、あきらめが先にたった
んだと思う。
P-51Dの時代になると、もう機体性能から何から零戦では勝ち目なし。
>>963 貴重な知識をお授けいただき
感涙にむせぶ次第にございます。このttdd、自ら名を名乗る事もできぬ名無し殿に
書くも寛大なお言葉をかけられまこと恐悦至極。。。。
つきましては、
>>963卿、閣下の申されたことは
あくまでも戦車の装甲の歴史について述べておられるだけでございまして、
重装甲と、攻撃マインドの関係について述べておりません。
貴重なお言葉と裏腹に、問題の主旨の感想がおべられておらぬは、
これ閣下の知能の低さ故かとこのttdd、いらぬ心配を思う次第。。。
パラシュートをつけないことなども、攻撃オンリーの精神しかなかった事の現れでしょう。
攻撃オンリーはその時の戦いには勝利するかも知れないけどそのうちは負ける。
戦術局面ではかっても戦略的には負けます。それから、日本の剣術なども防御は
あまり重視していません。
>>957。解りません。いろいろと調べましたが謎です。
剣の消滅以後、盾がすたれたであろうといえます。
いまでは、武士が馬に乗り長弓をつかうこと。郎党がなぎなたを使うことで、
盾の使用が無くなったと考えています。
個人単位の防御より部隊単位の防御の方が効率良いからじゃ?盾が片手を塞いでるから弓撃てない、
片手持ちの盾なんて,所詮自分しか護れない、小銃には貫かれる、でいみなくなったんと違う?
騎射と組打ち中心の武士の世になったら手持ち楯は必要無かったでしょう。
弥生〜平安前期までは手持ちの楯も(少なくとも歩兵には)使われていた事
ですし、やはり戦闘法によるものだったのでは。
977 :
世界@名無史さん:04/01/10 10:24
世界史版ウノ!!
名前: 世界@名無史さん
フリードリヒ1世
→フリードリヒ2世
→フィリップ2世
→・・・
のように数字か名前のどっちかでつなげていく
書いた名前の人物の詳細はできるだけ簡素に詳しく書く。
最初は、「ルパン3世」
でスタート!!
まぁ西洋でも、中世後期の歩兵の装備は、
パイク・クロスボウ(+パビス)、アルケブスが主体になって
盾と片手剣の組み合わせは減ってるみたいだし。。
飛び道具を防ぐためのたてなら、日本でも普通に使われてたみたいだし。
979 :
世界@名無史さん:04/01/10 15:55
>>974 なんだか幼稚な皮肉だなぁ・・・中学生みたいだ。
最近の世界史板の新人コテハンって質が低くないかぁ?
ttddって武道板の某スレでは「自分は剣道は殆どやった事がない」って言ってた(その割に剣道のウンチクを
いろいろ垂れてて笑える)のに、「日本の剣術などは防御はあまり重視していません」なんて言い切るんだから
ホントすごいよ。
まぁttddさんは163cm53kgの稀に見るチビ君らしいから、本格的に格技を修練する体力が全然無いのは判るけどさ。
ttddさんには全然関係ないけど、ドチビ男って何で屁理屈や理論だけは達者なのかねぇ。
それじゃホント中学生なんじゃないか?
まさかちょっとかじってる人の聞きかじりとか『けんどう入門』を見て
「日本剣術は防御無視のカミカゼ剣術」なんて考えてるわけじゃあないよね。
日本の剣術って言うからには、竹刀剣道じゃなくて日本の剣術の流れを俯瞰した上で
確信を持ってそう断言しているのだろう。「剣道はよく知らない、やった事無い」ってのも勿論謙遜で
本当は剣道は専門外だとしてもフェンシングなんかはもうバリバリなんだろうね。
強豪大学のフェンシング部(同好会じゃないよ)なんかの主将つとめちゃったりしてさ。
剣道の流行の構えがどうのだのフェンシングの近代戦術がどうのだの言ってたから
まさか理論だけって事はないよ、ね?
まぁ竹刀剣術は防御軽視って言われても仕方がないけどさ、そりゃ当然だよ。
竹刀&防具でしかも(厳密には違うけど)ポイント制だもの。
打たれても(慣れれば)我慢できる、浅けりゃポイント入らないじゃ自ずと防御軽視になるさ。
でも真剣ならどうだろうね。おいら真剣なんて振った事も無いからよく知らないけどさ。
指なんか落とされたらもう戦えないんだから、竹刀剣道と一緒に考えるのはマズイと思うのは
気のせいかなぁ・・・・
あっ、もしかして昔の武士って竹刀持って戦ってたんだっけ?
だとしたらttdd氏の考え方は正しいよね。
984 :
世界@名無史さん:04/01/10 16:51
>>979 新人ではありません。割と昔から居る中堅コテハンです。
>>981 ttdd氏はその筋では超有名な甲冑マニア集団の一員ですよ。
剣道やフェンシングの腕前とやらは知らんけど、彼等は実際に重い鎧を着て戦っているし
西洋の戦闘に限って言えば半端でなく詳しいので、ここの連中のいい加減な話よりは
遥かに参考になる筈。
ただ彼は自分の専門外の事もさも専門家の様に偉そうに話す癖があるので
しばしば短気な奴に突っかかられている様だ。
>この感覚は剣道や日本剣術では解らないと思いますけど
みたいにね。そりゃカチンと来る香具師が居るのも判る。
>彼等は実際に重い鎧を着て戦っているし
ttddとやらは何と戦ったのか
ブラックホールでやってた甲冑チャンバラ大会ならば一度見た事あるよ。
ガタイのいい外人同士の闘いはさすがにド迫力だったけど、
前座で行われた日本剣術の演技はいただけなかったなあ〜
本物の剣術家が発する気合とかキレが全然無くて…
一言で言って
「オ タ ク の 動 き」
だった
アマチュア西洋剣術家(セミプロ集団)>>【越えられない壁】>>アマチュア日本剣術家(オタク集団)
が
>>986で証明されたわけだが。
よってttdd>>【越えられない壁】>>
>>980-983
988 :
世界@名無史さん:04/01/10 18:50
いや剣道は若い連中がやってると強そうなんだけどね。
オッサンとか爺さんが出るとアイタタって感じ。
>982。オリンピッククラスの人や、クロアチアのフェンシング選手とやってました。
>985。もちろん。
何なら来たまえ!それから私よりも身長の低いC卿はほとんど無敵。
>980にいたっては。。。身長と精神レベルは一致しませんな。
あなたが相手をしてみたら?人のことをそのように言われるのでしたら、
さぞかしおお強うございましょう。
ここの人間は精神レベルが低いので撤退〜〜
990 :
世界@名無史さん:04/01/10 20:10
精神レベルで言ったらなんかttddも同レベルに見えるけどな・・・・
はっきり言ってオタク同士の良くある醜い争いにしか見えない
t氏撤退すんなアホか?
とも言えないなぁ。ウチも引き揚げるか…
資料と実践(というか実験?試行?)を付き合わせて史実を追求するのが面白いのに。
剣とブロードソードで両手剣相手にどう戦うか、馬上でどのような行動が可能なのか、
実験してみたことがあるか。
西洋の鎧と日本の甲冑を着比べてみたことがあるか。
漏れは当然無い。
なぜ、それを代わりに試みて、結果を発表するものを叩くのだろうか。
その腕が未熟で説が稚拙であれば、より熟練した人を連れて来るか、
その言葉を引用してより高度な説を展開すればよい(自分でやれとは言わない)。
素人臭い、ステレオタイプの認識が混じっていれば、単に指摘すればよい。
漏れも、「大戦期軽装は日本の伝統による」に対して「それは基本的に資源不足」と
指摘した。が、論旨は認めた。まして人格を攻撃したりはしない。
つーか、この程度で撤退宣言すんなよ…
>952と>983を比べてみよう。
論旨は同じ事に気付くかな?
952曰く
> 盾と充分な甲冑があれば、そのエネルギーは防具と言うハードに任せておき
> 100%のエネルギーを攻撃の習得にむけられます。
983曰く
> 打たれても(慣れれば)我慢できる、浅けりゃポイント入らないじゃ自ずと防御軽視になるさ。
得られた原則は「充分な防具を着込めば、剣術、武器術は防御軽視、攻撃重視になる」
盾の話が出てたんでちょっと。
個人レベルでは似たようなもんを使ってたって言うエピソードが。
戦場では実績のある猛者なんだけど、
剣術のからきし下手な奴が九州かどっかにいて、剣術師範に、
おまえどうして戦場で死なないの? みたいなこときかれた時、
普通の3倍ぐらい厚くて重い傷だらけの左手の篭手を見せて、
この左手で槍や刀を受けて、右手に持った野太刀で敵をかち割る、
って訥々と答えたって話をなんかで読んだよ。
それと、日本で戦国期に使われてたっていう触れ込みの
鉄張りの皮と藁で作った小ぶりの編笠みたいなのが
弓矢専門のバックラーとしてアメリカの博物館に展示してあった。
国内では見たことも聞いた事もなかったし、
当時の藁が残ってて奇異に思ったんで覚えてるんだが、
こんなものも散発的にかもしれないがあったことはあったらしい。
995 :
('A`)マンドクセ:04/01/11 03:44
アーチェリー>弓矢
996 :
世界@名無史さん:04/01/11 04:30
話は変わるが1000ゲット!
997 :
世界@名無史さん:04/01/11 04:31
もう一回1000ゲット!
998 :
世界@名無史さん:04/01/11 04:32
まだまだ1000ゲット!
999 :
世界@名無史さん:04/01/11 04:33
もうちょっとで1000ゲット!
1000 :
世界@名無史さん:04/01/11 04:33
ついに1000ゲット!
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。