◇  無視された質問はここで訊け  ◇

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952949:2005/12/19(月) 11:43:17 O
>>951
トンクス。さっそくカキコしてみるよ。
953世界@名無史さん:2006/01/01(日) 13:05:59 0
☆☆☆☆☆☆告られレス★★超LUCKY☆☆☆☆☆☆
今月の間に超LOVEAになれるよо(^−^)о
自分が『好きだ』って思っている人から告られたり、
大切な人とずっと一緒にいられるよ♪∞
でも、まず最初にこの『告られレス』を
7つのスレに貼ってね。
そうすればLUCKYをゲットできるよ♪♪♪
(ただし7つのスレに貼ったらだよ)
信じるか信じないかはあなた次第!!
でも、このレスは本当にとっても効き目があるよ♪
このレスは絶対効きます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
954世界@名無史さん:2006/01/07(土) 04:11:36 0
こういうスレがあまり下がりすぎるのはよくないのではないか
955世界@名無史さん:2006/01/07(土) 05:39:26 0
なぁにかえって免疫力がつく。
956世界@名無史さん:2006/01/07(土) 12:05:19 0
ヴェトナム阮朝の第4代・嗣徳トゥドゥク帝は、幼時に天然痘に罹り、
小人の如く矮躯で、後宮に妻妾303人を擁していたにも係わらず、
全く子女が生まれなかったと聞きました。
これは全て事実でしょうか?
303人というのは単に女官・宮女を含めた総数ではないでしょうか?
「天然痘」という病名に間違いは無いのでしょうか?
嗣子が無かったというコトは史実でしょうが。

957世界@名無史さん:2006/01/07(土) 12:57:45 0
>>956
ググってみた感じでは、嗣子がなかったというのは事実らしい。

写真も出ていたが、「小人の如く」というほど小さくは見えなかった。
天然痘については出ていなかったが、そういうことはあったかも知れん。
後宮に妻妾303人というのは、曲がりなりにも皇帝と称するくらいだから
それぐらいはいただろう、ということしか言えない。
よりによって皇帝が種無しとは認められず、女の方に原因があるに違いないと決め付けたのかも知れん。

追伸:コピペ連投は自粛されたし。
958世界@名無史さん:2006/01/08(日) 16:08:28 0
オランダ植民地統治がインドネシアにもたらしたものとは何でしょうか?
ポジティブな面とネガティブな面の両面からお願いします
959世界@名無史さん:2006/01/08(日) 16:30:33 O
宋代の鎮を治める長の職名を教えてください。
ならびに宋代かその前後に大尉や少佐、軍曹などの階級はあるのでしょうか?
960世界@名無史さん:2006/01/09(月) 15:03:10 0
>>959
宋末が舞台の水滸伝には大尉が出てくるな。
禁軍の長だから、役職的には将軍に相当するが。
961世界@名無史さん:2006/01/11(水) 21:58:55 0
アッバース朝の末裔はどこに行ったのでしょうか?
オスマン朝にカリフを譲った後です・・・
962リリナ:2006/01/16(月) 20:06:08 O
ジョン・ディーが発見?したエノク語ついて教えて下さい。
963あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/16(月) 21:15:19 0
>>956
このサイトでは153cmだとあります。
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20050703/onair.html
嗣徳帝は次男だったのですが学問が好きな人であったので、遊び人の兄を差置いて即位したようです。
彼の時代は多事多難だったのですが、それなりによく対処したと思います。
964世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:36:15 0
>>957
阮朝の第4代・嗣徳トゥドゥク帝の写真は何処に載って居りましたかの?
是非とも教えて戴き度う御座りまする。
965世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:44:34 0
>>963
回答有り難う御座居ます。
153cmというのは、19世紀のヴェトナム人としても
小柄なほうだったのではないでしょうか?
妻妾303人というのは、その実、宮女(つまり奥女中の如き存在)が
303人居たと考えたほうが適切かと思われます。
徳川大樹家ですら妻妾数十人がせいぜいで、本丸・西丸併せても
大奥女中は数百人程度が通例だったことから推測しても。
966あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/16(月) 22:45:14 0
多分これでしょうが写真にキャプションが欠けてるので、どの人が嗣徳帝だか判明しません。
http://www.hist.arch.waseda.ac.jp/vietnam/intro/intro2-J.html
967世界@名無史さん:2006/01/20(金) 22:40:26 0
age
968世界@名無史さん:2006/01/21(土) 09:39:29 0
        ,.-─ ─-、─-、
      , イ)ィ -─ ──- 、ミヽ
      ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii /  Λ
    ,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
   ノ/,/ミ三ニヲ´        ゙、ノi!
  {V /ミ三二,イ , -─        Yソ
  レ'/三二彡イ  .:ィこラ   ;:こラ  j{
  V;;;::. ;ヲヾ!V    ー '′ i ー ' ソ
   Vニミ( 入 、      r  j  ,′
   ヾミ、`ゝ  ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
     ヽ ヽ     -''ニニ‐  /
        |  `、     ⌒  ,/
       |    > ---- r‐'´
      ヽ_         |
         ヽ _ _ 」

     ウプレカス [ Uprecus ]
  ( 西暦一世紀前半 〜 没年不明 )
 
 
ttp://www.din.or.jp/~sage14/20051003.jpg
969世界@名無史さん:2006/01/21(土) 13:32:25 0
ここの質問って本当に無視された質問なのか?
世界史質問スレッドで答えてくれそうな質問が多いが。
970世界@名無史さん:2006/01/22(日) 02:29:45 0
少なくとも>>956はいつものホモ吉だと看破されて誰もまともなレス付けなかったのは確かだね。
971世界@名無史さん:2006/01/22(日) 04:05:11 0
>>969
10 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 03/02/15 21:23
本スレは議論が盛り上がってるときに、ルーマニアとかが質問されると、ほとんど無視状態になるからな。
972世界@名無史さん:2006/01/22(日) 16:53:45 0
マイナーな国はだれもしらんだろ。専用スレがあるから
そこできけ。
973世界@名無史さん:2006/01/22(日) 17:18:28 0
マイナーということもあるけど、バルカン半島あたりだと歴史そのものの連続性が
怪しいから、かなり難しい。
あのあたり一帯は、南下してきたスラブ人が占拠しているから、古代からの歴史
を時系列で並べても本当のところはよくわからない。
ブルガリアとかセルビア、ハンガリーあたりまでは割りと明確だけれど、それ以外
となると、もともとが辺境みたいな所だしね。
まあ、現代のギリシャ人は血統的には古代ギリシャの末裔ではないとまで極論す
る人もいるくらいだから。
974世界@名無史さん:2006/01/22(日) 21:00:12 0
メシアニズムって具体的にどういうことなんですか?
975世界@名無史さん:2006/01/23(月) 18:53:15 O
トニーモンタナは何をしたひとですか?
976世界@名無史さん:2006/01/23(月) 21:36:26 0
>>975
映画の登場人物。キューバ難民からフロリダを拠点と
して、コカインをネタにマフィアのボスに登りつめる。
モデルは存在するかも知れないが、恐らく実在しない。
977世界@名無史さん:2006/01/24(火) 01:06:36 0
質問があります。
1582年10月4日の翌日を10月15日にするといった、グレゴリオ暦導入がありましたよね。
で、これによって10日間が暦から消えてしまったことで被害を受けて裁判まで起こした職種
あるそうですが、どんな職種が被害を受けたのでしょうか。。。
分かりません。。。


978世界@名無史さん:2006/01/24(火) 22:47:19 0
どなたか教えてください。

11〜12世紀における、 フランス硬貨リーブルの価値は、
(多分、このころはまだ銀貨)
現在の価格にして、おいくらでしょうか?

10万円くらいと見て、間違いないでしょうか?

お願いします。orz
979世界@名無史さん:2006/02/06(月) 20:31:58 0
誰か答えてくれよ
980世界@名無史さん:2006/02/06(月) 21:25:13 0
村の女性が女神を演じ、儀式をする
という形の祭ってどこかの国にありますか
どなたか知ってる方教えてください
981世界@名無史さん:2006/02/06(月) 22:37:19 0
ヨーロッパで広汎に見られる春の祭に『五月の女王』というのがある。
この「女王」はもとは女神フローラを擬していることは容易に想像できる。
古代ローマから民衆の底辺で行なわれてきた。
982世界@名無史さん:2006/02/06(月) 22:46:23 0
>>978
つか、この板には貨幣専門のスレッドが2つもあるのに、何でそっちで
質問しないんだ?

まず、11世紀から12世紀のフランスにリーブル硬貨などという貨幣は
存在しないぞ。
フランク王国の貨幣制度は、1リブレ(リーブル)=20ソリドス(スー)=240
ディナリウス(ドニエ、ペニー)で、13世紀に金貨が登場する以前に実際
に流通していたのは1ディナリウスの小型銀貨とその4倍の価値を持つ
大型銀貨の二種類だけでリブレ(リーブル)は計算上の単位にすぎない。
で、実はリブレとポンドは同じ単位だから、要するに本来は1トロイポンド
の銀が1リブレで380g弱の銀ということ。
しかし、中世の貨幣の質は粗悪で、イギリスのペニー(ディナリウス相当)
やドイツのマルク(重量単位で約234g)はそこそこの品位と重量を保っ
ていたが、中世の普通の小型銀貨は1g弱程度しかなかった。
逆算すると、1リブレは1g銀貨240枚に相当するので、よく使われる中世
の1g銀貨=現代の1000円換算では、24万円程度ということになる。
983Krt:2006/02/06(月) 23:27:38 0
>>978
なかなか微妙な時期の貨幣価値なのですっきりとした解答は出せないが、まず>>982氏も
答えられているように、11-12世紀の時点のフランスには「リーブル硬貨」なるものは
存在しなかったことだ。この時代のフランスで作られていたのはリーブルよりずっと
小単位の1ドウニェ銀貨で、流通していた金貨はといえば、東ローマのノミスマ貨や
イスラムのディナールだが(1)、これらとて銀1リーブルよりはずっと価値が低かった。
もう一つ重要なのは、カロリング朝が崩壊して久しい11-12世紀時点のフランスには
統一的な貨幣はまだ存在せず、貨幣鋳造権を持った封建領主や修道院らが鋳造した
様々な硬貨が流通していたことだ(2)。そして彼らから、なんとか貨幣鋳造権を回収し
貨幣鋳造権の独占によって王権を強化しようとする漸進的な試みが具体化したのが
ルイ六世(在位1108-37)及びルイ七世(同1137-80)による新硬貨「パリのドウニェ」の
導入であり(3)、これがフィリップ二世(同1180-1222)以来フランスの標準とされ、
以後他地域の硬貨もこれに準拠させられていくことになるわけだ。ただ13世紀以後は
新たに領地に加わった南部、中部、西部の通貨だった「トゥールのドウニェ」の
流通をフィリップ二世が容認し、また彼以後の王も新たに獲得した領地ではこちらを
流通させたため、やがてトゥール貨がフランスの標準になっていくのではあるが(4)。
984Krt:2006/02/06(月) 23:28:49 0
ではこの12世紀の「パリのドウニェ」に基づく1リーブルはいったい現在の何円に
あたるのだろうか。直接の比較は難しいが、幸いヒントを与えるデータはある。
 少し時代が後になるが「フランス中世の社会ーーフィリップ=オーギュストの時代」
(東京書籍)において、著者アシル・リュシェールはフィリップ二世時代の貴族達の
厳しい財政事情について語り、一例としてシャンパーニュ伯爵がサン=ドニ修道院に
借りていたパリ貨2000リーブルの担保としてトロワのサン=テティエンヌ教会の金の
テーブルと金の大十字架を1223年に引き渡さなくてはならなかったことに言及し、
さらに2000リーブルが「現在のおよそ25万フランに相当」することを注記している。
彼は他の箇所でもこの時代(12世紀末-13世紀初め)のリーブルの評価額を出しているが、
それによると(巻末の訳者の換算に従えば)1リーブル=120〜150フラン程だという(5)。
この数字はある程度11-12世紀にも適用できるだろう。
 ただしリュシェールの本は1909年に出た物なので、これだけでは当時の1フランが
日本円でいくらか見当が付かないが、幸い訳者が二十世紀初頭の物価(人件費)を
調べてくれている。それによると、当時パリ大学理学部実験主任の年俸が2400フラン
同講義担当1万、上院議員3万、ノーベル賞6万、労働者平均年収2350、パリ市民の
年間生活費が貧困階級1000、中流階級5000、富裕階級15000フラン以上だったという。
985Krt:2006/02/06(月) 23:29:48 0
さらにマリー・キューリーは1893年当時に一ヶ月100フランで生活していたそうだから
おおざっぱに言って、20世紀初頭の1フラン=1000円ぐらいの感覚ではないだろうか?
となるとフィリップ二世の頃の1リーブルは12万〜15万円ということになりそうだが、
中世の物価体系と現在のそれは全く異なるし、1フィリップ二世の時代までの物価上昇
を考える必要もあるので、11-12世紀ならもう少し高めの数字を考えた方が良いだろう。
なおこの20世紀初頭の1フラン=1000円というのも実はかなり適当な数字なわけで、
この試算はあくまで参考数値だと思って欲しい。

注記
(1)シャルルマーニュやルイ一世も金貨製造を試みたが流通しなかったらしい。ただ
13世紀後半になるとイタリア諸都市に倣い10スーのエキュ金貨が作られ使用される。
(2)国王以外の封建領主や修道院の名による貨幣鋳造は10世紀末ごろから盛んになる。
以下の記述は主に:湯浅赳夫:文明の「血液」:貨幣から見た世界史:新評論:
第六章:による。
(3)当初は1リーブル(489g)=2マール=16ウンス=128グロ=384ドゥニェ、だった。
当時は銀含有量の少ない(0.5g以下)粗悪な銀貨が流通していたためカロリング朝
時代の量目に匹敵するこのパリ貨は歓迎されたと思われる。
(4)1226年にルイ九世によってパリ貨とトゥール貨の価値は4:5に定められ、やがて
1リーブル=20スー(パリ貨25スー)=240ドゥニエ(同300ドゥニエ)という
シャルルマーニュ以来の伝統的な比率へと収束復帰していくことになる。
だが12世紀時点でのパリ貨とトゥール貨では、もとになるリーブルそのものの値
(この時点では435.76g)も異なっていたことに注意。
(5)20世紀初頭のフランスと比べても当然物価体系が異なるので、貨幣の対象となる
物の違いに応じてリュシェールが様々な数字を使い分けている結果である。
986Krt:2006/02/06(月) 23:32:18 0
さすがだね。
良レス乙です。
987Krt(本物):2006/02/06(月) 23:53:33 0
>>986
褒めて頂いてありがとう。Krtは宛名だと受け取っておくね(苦笑)。

なお、質問者が>>982氏のレスを誤解するといけないので書き添えるが
11-12世紀の時点では大型銀貨(グロ)はまだ出ていない。
ドゥニエ銀貨の何倍かにあたる大型銀貨で一番最初に出たのは
ヴェネツィアのグロッソ銀貨で(1202年)他国はもっと遅れる。

参:お金の歴史全書:東洋書林:第三章

988世界@名無史さん:2006/02/06(月) 23:56:31 0
やっちゃったのか。
989世界@名無史さん:2006/02/07(火) 00:58:42 0
祭がおきないな
990世界@名無史さん:2006/02/07(火) 01:14:11 0
無視されたスレですから
991世界@名無史さん:2006/02/07(火) 01:49:56 0
トリップ無しのコテだからな。
やはり煽りでしょw
992世界@名無史さん:2006/02/07(火) 01:51:27 0
自演くらい誰も怒らないのに。
993世界@名無史さん:2006/02/07(火) 03:15:14 0
おーkrt氏久しぶりだな
生きてたのかw

ところで次スレ必要?過疎ってるけど
994世界@名無史さん:2006/02/07(火) 03:29:06 0
いらないでしょ、質問系スレも乱立気味だし。
無くて困るならまた俺が立てるよ。
995世界@名無史さん:2006/02/07(火) 05:05:06 0
乱立気味?ここ以外で稼働中は4つしかないけど。
世界史なんでも質問スレッド28
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1138716293/l50
中・高生用質問スレ Part9
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119908564/l50
現代史質問スレッド
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1100698545/l50
★★ 西洋史なんでも質問スレッド vol.1 ★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1100267843/l50
996世界@名無史さん:2006/02/07(火) 05:49:12 0
昔は一つ二つだったんだけど、質問スレが荒れたときに分裂したんだよ。
で、結局過疎ってる。
なるべくなら住民をまとめよう。
997世界@名無史さん:2006/02/07(火) 05:51:51 0
ちなみに東洋史質問スレもあった。
少しずつまとめよう。
998世界@名無史さん:2006/02/07(火) 05:52:23 0
うめ。
999世界@名無史さん:2006/02/07(火) 05:52:54 0
うめ。
1000世界@名無史さん:2006/02/07(火) 05:53:25 0
おわり。
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