1 :
世界@名無史さん:
昔から疑問に思ってたんですが、氷河期に文明って作れなかったんでしょうか。
氷河期にだって氷河の及ばない暖かな地域は沢山あったわけですよね。なんでそういうとこに文明がおこったりしなかったんだろう。
一万年前より最近だと、砂漠だろうがジャングルだろうが標高三〇〇〇メートルの高山だろうが、所構わず文明って起ってる感じなのに……。
また、逆に一万年前の気候変動が無く、今でも氷河期が続いてたとしても、やっぱり文明は起らなかったんでしょーか。
氷河期の文明について、アトランティスとかは抜きにしてまたーりと真面目にかたりましょー。
2get。
>1にクソスレ立てんなって言っても無理?
限りなく無理。
暖かい地域が少ないことは文明に発展しそうな場所同士の
交流が少ないことを表し、相互交流が少ないということは
発展のスピードもスロー。
スローということは農業生産の技術発展も同じくスロー。
結果、余剰食糧の貯めこみが厳しいゆえに
政治家(王)や官僚や芸術家の出現が見込みづらい。
よって食料の分配や娯楽、文化的創造も小規模に成らざるおえない。
恐らく支配・文化規模は小規模のまま氷河期が終わるね。
では糸冬 了
>>1 文化や文明が進歩するには時間がかかるんだよ
一万年前はせいぜい土器や石器を作るのが関の山
その前はどんな文明があったといいたいのかな?
>>4 糸終
>>交流が少ないことを表し、相互交流が少ないということは
>>発展のスピードもスロー。
それならマヤやアステカって実例がある。新大陸に孤立して成立した文明で、確かインカ(アンデス)との交流もあんまなかったんだよね。
確かにメソアメリカ文明の発展速度は非常にスローだったが、けど、それでもそれなりには発展した。
オレがここで語りたかったのは、せいぜいそのレベル。メソアメリカ文明クラスの文明なら、氷河期でもアリじゃ無いかって話なんだけどね。
(だから『超古代文明に非ず』って断ってんのに……)
>>5 じゃ、もし氷河期が終わって無くて今でも続いてても、一万年の時間をかければ文明は出来てたってこと?
もしそうなら、現生人類の直接の祖先が現れて新石器時代まで何万年も時間があったわけだが、どーしてその間大した発展も無かったって事になってるの?
>>6 地球上に生命が誕生してから30億年以上。
先カンブリア紀以前まで何億年も時間があったわけだが、どーしてその間電波を宇宙外に発信できるほど発展した生命がなかったってことになってるの?
てゆーか、1万年以上前の遺跡を掘り返して文字だの建築物だの見つけてからまたおいで。
>>1 語る?結局、お前の妄想スレだろ。
今見たけど、誰も「超古代文明」の「こ」の字もカキコしていないぞ。
部分的に端折ってマヤ、アステカと繋げるな。
可能性的に少ない。これ結論だろーが。
第一、氷河期になった時点で交流少なかろうが多かろうが
余分な食料出来るだけの作物が見込めるか?
寒さに耐えてなおかつ技術者や
>>4の人が書いてある通り専門職を
囲うだけの食料が出来るか?その当時の平均気温と育つ作物考慮してるのか?
専門職が無ければそれ以後の発展は遅いだろーよ。
まさか、マヤ、アステカ規模ならそこまで食料問題考えなくてもいいってか?
マヤとアステカで類似点だけ探せば妄想は広がるよなー
交流が少ない・・・貴方が言ってるのはこれだけだろーが。
あ、ローマとアメリカも似てるんだっけか?TBSさんよぉ〜(話題違
オナーニするな。
>>8 バカかお前は。
>余分な食料出来るだけの作物が見込めるか?
>寒さに耐えてなおかつ技術者や
>>4の人が書いてある通り専門職を
>囲うだけの食料が出来るか?
四大文明が起った地域は氷河期には確かに文明を起こすには不適だったろーが、地球全体が寒冷化してたわけじゃねー。
アフリカ大陸や中南米、インド亜大陸に東南アジア。四大文明の起った地域より少し南にずれれば、マヤ的な文明くらいならやってける地域はいくらでもあんだろ。
それとも無かったの? って主旨のスレなんだが……。まーいーか。
>>7 あのな〜、証拠があれば仮想の話なんざする必要はねーだろ。(オレここってIF系のスレのつもりで立てたんだけどな〜)
それに、そもそも『文明起こすには時間がかかる』ってのに反論したのに、地球の生命進化? は?(苦笑)
進化と人類史を同列に語るなよ。いや〜、確実にオレより厨房な奴がいてくれて助かるな〜(w
自分の乏しい知識を絶対視して
他人を罵倒するイタイ
>>1がいるのはこのスレですか?
11 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/12 22:03
IFは嫌いなんだが。このスレ
>>1がおもしれーな。
>>1よ。例えばだ。氷河期でも普通に人が暮らせた地域があると言ってるよな。
その地域の人々は生活に不安が無かったんだろ。文明と呼べるものが無くてもだ。
大体文明が起きた地域ってのは文明が必要になったから人が集まって文明を築いた。治水にしろ農業にしてもだ。
ある程度の小集団のみで狩猟採集して生活に不安が無かったら文明なんぞ育たん。
氷河期の時の温暖な地域は皆こんな感じだったんだろ。人口が希薄だったのかも知れん。
まあ農業をやるにしても栽培種になりうる植物が無ければ無理だしな。
その辺から考える必要があるな。
最後に・・・・
>>1は馬鹿。
うーん、マヤやアステカって、それなりに「交流」(旧大陸よりは狭い範囲だけど)あったんですが…。
氷河期(アフリカでは雨期)って、どこも狩猟放浪生活だから、文明は起こしにくいですし(農耕は氷河期が終わってから)。
>>12 >農耕は氷河期が終わってから
そそ、それだ。それが不思議なんよ。
なんで旧石器時代の数万年間、世界中のどこでも農耕をやってなかったんやろーかって。
逆に新石器時代になると、ほんの何千年の間に同時多発的に世界中で農耕や牧畜が開始されてる。日本でもクリ中心ってな歪な形ではあるけど、植物栽培文化が起ってる。
なんでこんな事が起ったんだろう。各々の地域間の交流もなければ、遺伝的に何が変ったわけでも無いのに。
例えば、氷河期には北半球の広い範囲で大型動物が栄えてた。そういう地域からマンモスなんかを追っ払って馬や牛を飼う事だって出来たはずだ。
なして数万年間一度もそ−いう事が起らなかったんだろうって。これ、疑問に思わない?
14 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/13 00:36
>>1 とりあえず自分の好きに歴史書いてみろ。
出来が良ければ誰かが史実とか教えてくれるだろ。
新大陸に旧大陸に匹敵する文明があったらスレみたいに。
>>13 厨な僕の、うろ覚えですが…、
大型野生動物を狩りつくした結果の、「食料危機」への個別対策だと思います。
とはいえ、農耕・牧畜の起源は「ナゾ」が多いんですが。
それと、ナッツ食って、そんなに歪な文化じゃないと思いますよ。
16 :
世界@名無史さん:03/02/13 02:04
中央アジア
サハラ+サヘル
スンダランド・・・・・・候補としてはどうだろう?
タロイモ栽培は穀物栽培より古くから始まっていたようですが・・・・
でもそのメラネシアに文明が興った様子はあいにくないんですよね・・・イモは駄目スか〜
地球が一番温暖だったのは、今から10000年前から6000年前くらいまでの
地質学上「ヒプシサーマル」と呼ばれる時期。
この時期には、グリーンランドの氷床が大半融けていたので、
海面は現在より十数メートル高かった(縄文海進)。
その後の寒冷化でグリーンランドに氷河が溜まって海面が下がり、
陸地が広がると同時に気候帯が全体として南にずれていった。
この結果、例えば北アフリカでは砂漠が拡大し、
唯一緑の残ったナイルの岸辺のオアシスに狩猟民が殺到して、
ナイル河畔では人口問題が深刻になり、
狩猟民は農耕民に身を落とさざるを得なくなった。
これがエジプト文明の起こりで、気候変動が無ければ、
農耕という辛い生活を始める必要はなかっただろう。
他の地域でも、人口問題が起きるまでは、農耕は不要だった。
ところで、ヒプシサーマル期を基準として言えば、
人類の歴史の大半は準氷河期というべき時期の中にあった。
その意味では、われわれの文明こそが氷河期文明だとも言える。
6000年前の寒冷化がもっと徹底しており、
海面が100メートル下がるような本格的氷期になっていたとしたら、
その時間線では、どの地域が文明の中心になっていただろうか?
あるいは、このときの寒冷化が短期的なものにすぎず、
もっと温暖でもっと海面の高い世界で歴史が演じられていたとしたら、
その時間線の世界では、どの地域が文明の中心になっていただろうか?
工業文明の排泄する二酸化炭素は、こちらの問いを、
仮定ではなく現実の問題にしてしまいつつあるわけだが。
1へのアドバイスというか宿題だな。
1万年以上前の気候を調べて氷河期文明が起こる可能性がありそうな
・温暖であり
・農業に適する食物に恵まれた
地域を一つでもいいからあげること。
まともにIFスレすすめたいのならこのくらい自分でやれ。
ところで
>一万年前より最近だと、砂漠だろうがジャングルだろうが標高三〇〇〇メートルの
>高山だろうが、所構わず文明って起ってる感じなのに……
これは本気か?
>>17 >他の地域でも、人口問題が起きるまでは、農耕は不要だった。
断定するのはどうかと。農耕が始まったから人口が増加したとも考えられる。農耕開始と
人口増加は、どちらが先と言い切れるものではないと思う。
>>18 >・温暖であり
>・農業に適する食物に恵まれた
>地域を一つでもいいからあげること。
前者はともかく後者を
>>1に調べさすのはちと酷かと。花粉分析にしても当時の陸地全体を
網羅するほど研究が進んでないんでは。
農耕は必要が無ければ発生しませんが、
必要があれば発生するというものでもありません。
生存の条件が悪くなれば、単に人口が減るか
他に移動するのが普通で、農耕が発生するには
かなり特殊な条件が必要だったのでいす。
22 :
世界@名無史さん:03/02/13 14:52
IFスレなんだからスレ立てた奴がネタ提供しないと話の方向性定まらないだろうが
>>1 そんでもって農耕の問題、食料の問題、人口増加の問題、環境の問題、話しようが
まずは>>1に対して「マヤ的な文明あったよかもね〜♪」
っとやさしく肯定してあげなければ話が進みません。
ついでにネタの提供もお願いします。
マヤマヤ、アステカアステカ的しか
>>1は言えませんので。
皆さん、それを念頭におきましてカキコお願いします(藁
これってIFスレなの?
氷河期になぜ文明が生じなかったか、という問題設定は
ちっともIFじゃないと思うけどな。
面白いスレだと思うんだけどなー。なんで
>>1はこんなに叩かれたんだろう。
25 :
世界@名無史さん:03/02/13 20:41
>>13 たしかに氷河期が終わってから数千年のうちに世界各地で独自に農耕が始まっている。
それに先立つ数万年のあいだ一度も農耕が試みられなかったと考えるほうがおかしい。
推測になるが、氷河期は気候の変動が激しすぎて持続的な農耕が困難だったと
考えられないかな。実際ヨーロッパでは深層海流が途切れたことによる急激な(数十年のタイムスパン)
気候変化が確かめられてる。海洋というのが地球の熱収支において緩衝的な役割を
果たしている以上、大量の海水が氷河として陸上に蓄えられていた時代は今より気温変化の幅が
大きかったのかもしれない。たとえば近世において50年に1度の大飢饉をもたらしたような
異常気象が氷河期には数年に一度生じていたとするなら、文明の発展はきわめて困難になる。
・・・我ながらデンパくさいな。
>>24 さぁ。アトランティススレやハンコックスレのつもりの奴が(口では否定しとるが)多く、そーいうのは取りあえず叩く癖がついてるのか、
新スレを脊髄反射的に叩きたがる奴(多いよね)が何故か沢山釣れたんじゃねーの?
>>19 本気だけど。アンデス文明って知ってる? あそこって他所の文明の影響で出来たんじゃないよね。
砂漠はエジプトその他色々だし。
>>23 すまそん。「もし氷河期に文明が起るとしたら、どんなのが可能でどんな感じになるのか」って意味でのIFのつもりですた。
現実問題として、氷河期に文明があった証拠は何も見つかって無いわけで、あくまでも「こういう可能性なら考えられる」って方向で話を膨らませるしか無いと思ったもんですから。
ちと言葉足らずだたねー。
>>25 逆に氷河期末の気候変動が農耕文化を産んだってのはどうです?
厨なネタで申し訳ないが、先日のNHKで旧石器時代の壁画の話をやってて、その中でまだ弱かった人類にとって、大型動物は手の出ない強大な相手で信仰の対象だった〜みたいなネタをやっとったんですわ。
もしこれが本当なら、人間が大型動物をやっつける技術を獲得するのには結構時間がかかったんじゃないかと。
んで、マンモスその他の大型動物を人間の力が凌駕するようになったら今度は人類の力が強くなり過ぎてしまい、大型動物を根こそぎ絶滅させてしまった。
それでしかたなしに動物の数を自発的に調整する事を考えるようになった=牧畜の開始。とか、新規の食糧に手を出さざるをえなくなった=農耕の開始。なんてどーでしょ。そういう流れに持ってくのに数万年かかってしまった、とか。
それが新人出現から旧石器時代終わりまでの歴史の流れで、農耕・牧畜の開始が一万年前直後に集中してるのはこの時期気候変動が劇的に起って、弱体化してた大型動物類がとどめをさされて、それで世界一斉にそうせざるをえなくなった、とか。
だから、もし氷河期が終わらず続いてたら、今も大型動物の人類による駆逐は続いてて、まったりとした速度で文明に移行しようかって感じになってるんじゃないかな。
注:全部推論です。
あるいは、実際には農耕は試みられていたが、氷河期が終わった際に気候帯が思いっきり代わってしまい(数年ですげー変ったって話を聞いた事がある)
それまでの栽培種の殆どが消滅してしまって、今だこれの痕跡が発見されていない、とか。そーだと面白いなーってネタだけどね。
氷河期といっても長いので、いつ頃のことを論じるのかまず時代設定しる。
>26
>本気だけど。アンデス文明って知ってる? あそこって他所の文明の影響で出来たんじゃないよね。
>砂漠はエジプトその他色々だし。
お前本当にバカだな?
文明が成立した諸要素を考えないで
>一万年前より最近だと、砂漠だろうがジャングルだろうが標高三〇〇〇メートルの
>高山だろうが、所構わず文明って起ってる感じなのに……
っていってるのがアホだと言ってるのだが。
文明ができたところがどれだけ所をかまってるか本当に理解できないか?
自然条件(最大のものは川(水))と作物が手に入ることの重要性を頼むから理解してくれ。
というか
>>1よ。「銃・病原菌・鉄」を読んでくること。
読 み 終 わ る ま で 二 度 と 来 る な
>24
> 面白いスレだと思うんだけどなー。なんで
>>1はこんなに叩かれたんだろう。
そりゃ何度も注文がでてるように、
>>1が自分から全然ネタ振れないから。
自分がネタ振れないのにいちゃもんつけるのは立派。
このスレは「今まで30年間彼女がいなかったんですが、僕が彼女を作るのは無理だったのか
検証してください」という問題提起に近いものがあるのではないだろうか(w
問題設定としては
>>15でも触れられているように農耕・牧畜の起源は「ナゾ」に迫る、
って方が全然よいと思われ。
そのまま
>>15とかの考察の前に
とりあえずネタふれないくせに
>>1が
デカい態度取り続け、阿呆な論調&被害妄想なところが苦笑もん。
交流の不可しか考えておらん。
それとまず、コテハンやめろ。意地になるな、香ばしくなる。
またアンデス文明知ってる?とか固有の名前だけ出すのではなくて
そのアンデス文明が成立した諸条件とか間違ってもいいから振ってみろ。
そこから誰かが氷河期の暖かい地方の場所ネタ振ってくれて
話が続くかもしれんだろうが。
妄想なら妄想なりにそれなりに論理だった話してくれ。
新大陸チックな文明ならあったよねぇ〜だけでは話が続かん。
それとせっかく
>>15がとてもいいネタ振ってるのに返さないとは勿体無い。
>>11,15,25,28あたりの推測になるけどその辺りから話進めた方がいいよね。
でその結果、治水にしろ食料分配にしろ集権的な力が集まってきて何が出現し
どうなった・・・とか
そうすれば
>>17辺りのところで話広げていけばこのスレタイに行き着くかと^^;
>>31あ、俺も銃・病原菌・鉄、買って読んだなぁ〜
こういう系統の本、博識の方、紹介して貰えませんかねぇ〜
これは読んどけ!ってやつ。ハンコックの本とかはヽ(´Д`ヽ)(/´Д`)/イヤァ〜ン
>35
フェルナン・ブローデルの『地中海』。
死ぬほど有名な本なので内容は自分で検索したまい。
しっかし、1より1を叩いてる奴の方が遥かに香ばしいな。
そしてそれを自分で気付いてない。悲しい奴もいたもんだ
そして一番香ばしいヤシ(w>37
40 :
世界@名無史さん:03/02/14 16:38
>>37 まあまあ、そんなに
>>1を擁護しなくてもいいですよ。1さん
っと釣ってみる。
41 :
世界@名無史さん:03/02/14 16:58
今って小氷河期の真っ最中じゃなかったっけ?
確かに1も香ばしいが、35も相当なもんだ
まあ、その、つまりはあれだ。
火星にも文明が興っているんじゃないかと、そう言いたいわけだな。
44 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/14 21:26
>>1よ、頑張って書いてくれよ。俺は楽しみにしてるから。
みんなもとりあえずは見守ってやろーぜ。
ネタがあれば何か書きますが…今のところ、アメリカとオーストラリアで手一杯です。
46 :
世界@名無史さん:03/02/14 22:27
しかしあんたらよくそんな幼稚な煽りを入れられるな。
マジレス(またはネタスレ転用)が世界史板の美徳だったはずだが。
しまいにはジサクジエンとか言い出してもう見てらんない。
いくら
>>1が厨房とはいえ、こいつとは関係なしにこのテーマに関心を覚えないのか?
少なくとも俺は、言われてみれば不思議だな、と思ったぞ。
>>17 なるほど。確かに最近の数千年は間氷期のなかの「準氷河期」と言えるかも知れない。
ところで、1万年以上前のさらに寒冷な時期には、低緯度地帯の気候はどんなものだったのだろうか。
もし現在の温帯の各種気候に相当するような気候があったのであれば、
赤道付近で栽培と家畜化が進行していてもいいように思える。
しかし実際にそのようなことが起きなかったのは、
六千年前の寒冷化のような社会的変化を促すファクターに欠けていたんだろうな。
そしてこれを1万年から250万年もさかのぼると、(いわゆる大氷河時代)
>>25の言うように持続的な発展が難しくてやっぱり駄目だったのだろう。
250万年もさかのぼると洪積世全部になってしまうな。
大氷河時代は100万年前くらいからだろうか。
なんにせよこのへんになるとホモ・サピエンスがまだ登場してこない。
>41
> 今って小氷河期の真っ最中じゃなかったっけ?
ガイシュツだけどその通りなり
ほんの3、40年前までは寒冷化の問題が声高に叫ばれていた
さよう、ホモ・サピエンス・サピエンスの登場はおよそ20万年前。
冬は小氷河期ですが、
夏は温暖、もとい暑熱です。
52 :
世界@名無史さん:03/02/15 01:55
全然厨房質問なんで申し訳ないけど、インドネシアとかサハラ砂漠とかの、氷河期に湿潤だった地域の花粉分析とかってどれ位研究されてんの? それって、氷河期の栽培文化の存在を完全否定できる程のもの?
文明ってトウモロコシや麦や稲など、色々な地域で違う植物を使ってやってたわけだけから(全部イネ科の穀類だけど)、「氷河期にどんな植物使えるんだー」ってのは、そこまで致命的な問題じゃないと思う。
それどころか、アメリカ大陸スレで「北米の稲の親戚とか、何で使われなかったんだろ」ってなのを見て思ったんだが、案外、予想もしないような植物を使った文明とかがあっても面白いだろうなーとか思うんやけどね(あくまでも面白い、ね)
それに文明とまでは言えない栽培文化ならタロイモやクリその他色々な植物が使えるし、氷河期の寒冷な気候ならソバとか使ってても面白いと思う。
そういう植物栽培文化が氷河期にあった可能性を否定するだけの資料や研究って、もうあるの? 1並の厨房としては、とりあえずそこが知りたい(w
>52
>それって、氷河期の栽培文化の存在を完全否定できる程のもの?
を見るにつけ、「1並の厨房としては、とりあえずそこが知りたい(w」という自己判断は
間違ってないですね。
>52へ。こういう行為を「立証責任の転嫁」と言います。
覚えておくと恥をかくことを減らせますよ。
ああ、あと当然ながら完全否定できるわけはありません。
例えば幽霊が存在するのを完全否定できないようにね。
>52や>1のようなおばかさんに説明しておくと、こういうスレですべきことは「氷河期文明が
無理なことを世界史板住人にレスさせる」ことではなく、「このあたりの地域ならばXXXXの
理由で氷河期文明OKなんじゃない?」というレスについて他の住人にその妥当性を吟味
してもらうことです。
IFスレとしてスタートラインに立つことからはじめましょう。
しっかし、なんでこういう煽りすんのかね。マジで1よりレベルひきー。
もちろん、オレよりもね(w 人の事言う前に少し自覚しようよ。ね?
しっかし、52はなんでこういうみっともない煽りすんのかね。
マ ジ で 1 よ り レ ベ ル ひ き ー。
57 :
世界@名無史さん:03/02/15 08:11
>>55 当たり前の事も煽りにしか見えないとは…真性?(藁
で、結局このスレいつまで続くんだ?
さぁ。
人間ってさ、言い争いになると途中から論理性とかどーでもよくなって、とりあえず相手をやっつけられればそれでいいやってなっちゃうもんなんだよね。
そうなってしまった人間って凄くレベルが低くてさ。まじでおこちゃまな事を抜かすようになるらしいのよね。
とりあえず、53.54.56.57.51.43……、まだいるけど。このへんの連中のレベルの低さって泣けて来るじゃん。
ってゆーか、多分これ、同一人物だよ(w こいつが元気なうちは続くんじゃない? 自分が「勝った」と自己満足するまで。かなしーよねー
↑また必死な厨房が来ました
氷河期の世界の植生・気候区分を再構成した地図があるよ。
http://members.cox.net/quaternary/ 上の方のやりとりを見ていると、
このスレッドは妙に平均年齢が低いようだから、
リンク先の文章を読むだけの能力はないかもしれない。
でも、とにかくあちこち適当にクリックすれば画像が出て来るから、
文章は読めなくても、とにかくその画像さえ良く見れば、
一番基本的なポイントは判るはずだよ。
62 :
世界@名無史さん:03/02/15 18:45
地球完全凍結説ってどうなったの?
地球全土が凍ッ他時期があったってNHKで昔やってたけど
真偽のほどは?
63 :
世界@名無史さん:03/02/15 19:11
>>61 いいね。見応えのある資料だ。
まあ氷河期の低緯度地帯に栽培文化の発生に適した気候があったとしても、
栽培文化の着火点になるような社会的変化がないとだめな訳だが。
むしろなぜ実際の栽培文化が1万年前のアナトリアからインダス流域にかけて起こり、
1万8千年前の低緯度地帯で起こらなかったのかに興味があるな。
>>62 地質学的にそんな痕跡は無いそうです。詳しくは知りませんが。
65 :
2012年12月23日:03/02/15 21:03
>>63 >むしろなぜ実際の栽培文化が1万年前のアナトリアからインダス流域にかけて起こり、
>1万8千年前の低緯度地帯で起こらなかったのかに興味があるな。
紆余曲折あったけど、とりあえずそこが出発点ですね。
あと、確かにある程度特殊な条件でしか農耕は始まらないけど、さりとて栽培文化は1万年前以降は複数の地域で個別に起こっているのだから、
(1万年前のメソポタミア地域のみに限定されるような)極端に特殊な事情にその有無を支配されるとも考え難いみたいです。
よって、
1>1万年前以前と以降で栽培文化の有無を別けた、全地球的規模に及んだと思われる要素は何か。
2>1万年以上前に栽培文化があった可能性を否定できる証拠、もしくは説得力のある仮説があるのか。
3>仮に説得力のある1・2についての推論や仮説がない場合、どのような栽培文化が氷河期の低緯度地域に存在しえたのか。
といった手順で議論をすすめてはどうでしょう。とりあえずその方が建設的かと。この点については疑問(興味)を持っている人も多いみたいですし。
それから、1と2で「多分こうじゃないかなー」という結論が出たとしても、強引に3を語ってみてもそれはそれで面白そうではありますね。IFスレにするのはその後かな。
東シナ海や東南アジアの大陸棚に遺跡らしき物は見つかってないの?
インドやキューバの海底えピララミッドらしき遺跡が見つかったのは、
本当?デマ?
>>65 >確かにある程度特殊な条件でしか農耕は始まらないけど、さりとて栽培文化は1万年前以降は複数の地域で個別に起こっているのだから、
>(1万年前のメソポタミア地域のみに限定されるような)極端に特殊な事情にその有無を支配されるとも考え難いみたいです。
仮にメソポタミア文明圏のケースで考えてみる。
よく言われることと思うが、
メソポタミア圏の内で都市化が先行したメソポタミア中核部は、
いわゆる肥沃な三日月地帯の内側(南側)で、水利に適し、広域交易ルートの結節点。
要するに、栽培農耕のみでは人口の集住には不適当な気候条件の場所(肥沃な三日月地帯の内側)で、
人口の集住にメリットがあり(広域交易ルートの結節点センター)、
かつ組織的農耕を達成する環境条件(水利が有利)な場所だから、都市化と組織的灌漑農耕が、車輪の両輪のように、互いを推進しあって大規模都市文明の達成に至った。
かてて加えて、先行した粗放農耕地帯(肥沃な三日月地帯)が至近にあったことで、農耕技術に関するインスパイアと、より効率的な収穫を、というモティベーションも提供された。
大筋、こんなとこだと思うが。
この推論シナリオに問題点があるとしたらどこかな?
>>68 >この推論シナリオに問題点があるとしたらどこかな?
「農耕の始まり」についての推論ではない点でしょう。
すでに農耕がはじまったあとのお話にはなっていますが。
>62
もし「スノーボール・アース」仮説のことを指しているなら、
1万年ほど前の氷河期についてではなく、6億年前のK/T境界に関する仮説だよ。
俺も詳しくはないけど。
ああ
なんか地学板や生物板住人の助けが多数必要なスレの予感
そういうのも面白いでしょうね。
>>69 >>この推論シナリオに問題点があるとしたらどこかな?
>「農耕の始まり」についての推論ではない点でしょう。
>すでに農耕がはじまったあとのお話にはなっていますが。
ん?
栽培農業から農耕への移行についての推論シナリオではあると思うが、違うかな?
特定地域圏に限定してのだが。
75 :
世界@名無史さん:03/02/17 00:37
つまり、
なんで8千年前のメソポタミアで粗放栽培から農耕文明へと進化したか、
という事の説明にはなっていて内容に納得もできるが、
メソポタミアに粗放栽培が芽生えた理由の説明ではない、と。
もしこれが説明できれば、
例えば人類の発生地アフリカではオリエントの栽培文化移入を待つほかなかった理由や
なにより最終氷河期の低緯度地域において栽培文化が芽生えなかった理由が
それなりに考察出来そうな気がする(解らないことだらけだが
あと、麦以外の栽培文化発生パターンも知りたいね。
トウモロコシや稲などの『文明』に繋がった栽培文化の発生背景や、
縄文文化におけるナッツ・雑穀栽培文化発生のメカニズム等の分析きぼんぬ。
75さん、解説ありがとうございます。
全くその通りです。粗放栽培といえどもそれ以前には
存在しなかったテクノロジーであり戦略なので、
なぜそれが始まったかをまず考える必要があります。
78 :
世界@名無史さん:03/02/17 01:28
野生の木の実や穀物を採集してるうちに、食べられる植物に対しての理解が深まって
誰かが種を植えるという行為を思いついた、くらいしか想像できん
>78
定住狩猟採集生活を続けているうちに、生ゴミやウ○コ場から植物が生えてきたことに
栽培のヒントを得た(排泄物が肥料になる、とか)んだろう、ってのがまあ一般的な仮説だったと思う。
そう、「定住」が農耕開始の必要条件なのです。
現在のサルや類人猿たちはみな、転々と寝場所を変える「遊動」生活を
送っています。餌を求めて移動するわけですが、新人の出現以降も
採集狩猟を行っていた頃は、移動して生活をするのが基本だったと推定
されます。
これが定住生活に移行しなければ、農耕も始まりませんしましてや文明は
生まれないでしょう。まず、定住生活が必要かつ可能になったのはなぜか
を考えるのが先決問題となります。
>81
それが結構謎なんだよね。
アボリジニなんかもテリトリーは決まってるけどその中でかなり移動してたわけで。
人口密度が高まってテリトリーがせばまり移動する範囲が狭まればなんとかスタートの
シナリオになる?
うーん?
自然の理由によって移動不可能になったというのは考えられないの?
火山噴火や地震とかで孤立したり。
農業がはじまった地域を考えるとそれはない
栽培文化や農耕が発生した地域とそうでない地域を分類してみたら何か判るんじゃない?
サハラ以南のアフリカやアマゾン以南の南米、あとオセアニアなどの栽培文化が起らなかった地域ってあるわけじゃん。
そういう地域と栽培文化の起った地域を比較対象してみて、何か違う点とかが見えてはこないかな。
86 :
世界@名無史さん:03/02/17 14:40
>>85 穀物orトウモロコシにこだわりすぎじゃないか?
タロイモ栽培を含めればそれらの地域でも栽培農業はある。
一応確認しておくと10000年前はまだトウモロコシは今のような農業に適した状態ではなかったよね?
ほんの数粒しか種がつかず堅くて美味しくない
農耕開始以前でも、三日月地帯の草原には、
麦の原種が雑草として大量に生えていて食料豊富だったらしい。
そういう地域では狩猟採集段階でも長い定住の歴史があったはずだよ。
北米の太平洋岸とか東日本では、鮭の遡上する川が、
定住した集落を支えられるだけの食料を提供した。
そういう特別に食料豊富な場所は、
シーズンには部族間で取り合いになっただろう。
放浪するバンドが一年後のシーズンにそこに戻って来たら、
別の部族が先に居て追い払われた、なんてこともあったはず。
その放浪部族が別の穴場を見つけたら、
今度はそこに定住するだろう。
放浪から定住への移行はそんな感じだったんじゃないかな。
89 :
世界@名無史さん:03/02/17 16:00
結局、それなりに温暖で湿潤な場所なら粗放栽培位なら起るのが必然って事?
氷河期の低緯度地域にもそういう場所がひょっとしたらあって、単にその証拠が残ってないと解釈してもいいの?
なんかそういう風にもとれる流れだが……。
逆に氷河期に粗放栽培すらなかったのだとしたら、これを疎外した要因を考えた方が手っ取り早いんじゃない?
例えば、誰かが言ってたけど「氷河期は気候変動が激しすぎ、粗放栽培は無理だった〜」とか。
>89
>結局、それなりに温暖で湿潤な場所なら粗放栽培位なら起るのが必然って事?
なんでそう読めるの?
そういう可能性があってもおかしくない、と必然の間には大部距離があるだろうに。
>>90 う〜んまぁ、「そうなるケースが多い」とか「かなりの確度で起る」とか、
そう言うべきだったんだろーけど。
その位流してよ(苦笑)
92 :
ソイレントグリーン:03/02/17 17:29
近代になっても狩猟採集やってた地域というのは、
農業のできない荒野ばかりだから、
狩猟採集というのに貧しいイメージを持ってしまうけど、
後に農地になった肥沃な土地に少人数が生活していた
農耕開始以前の時期の狩猟採集生活というのは、
それなりに豊かな暮らしだったみたいだね。
その時期の人類の視点で農業文明を見たら、
「人口抑制に失敗した地域が食料問題解決のために
合成食料に頼る生活を始めた」みたいな感じなのかもしれないな。
問題は、農耕が可能かというよりも
農耕が必要かどうかです。採集狩猟で
十分なら農耕は発生しません。温暖な
地域はその意味でむしろ農耕発生には
不向きです。
94 :
世界@名無史さん:03/02/17 18:10
タロイモは大人口を支えるには不向きだろ。
麦や米、トウモロコシに比べると耕地面積当りの収穫量が少なすぎる。
95 :
世界@名無史さん:03/02/17 18:43
97 :
世界@名無史さん:03/02/17 23:24
>>94 それならサツマイモ主食の文明は何で無いんだ?
芋が主食な文明はインカのジャガイモ位だ。んで、インカの場合ジャガイモをフリーズドライすることに成功してた。
芋の問題はむしろ保存が効かない事だと思うぞ。
富の蓄積も効かないし、芋が生産力の割に過小評価されてるのは、文明社会においては穀物の補助にしかなりえないからじゃないか?
トピズレ失礼。
√ガイッスラッガー! 氷河の戦士〜♪
>>97 いや、文脈読んでくれ。
その主張で何で漏れに絡んでくるのかが理解できんぞ。
すまん。書き込んだ後後悔した(汗)
101 :
世界@名無史さん:03/02/18 02:28
>>93 で、農耕が必要になった場合を考えると
粗放栽培が先か定住が先か、という問題にたどりつく訳だな。
粗放栽培によって定住人口を支える生産力を得たのか、
定住によって粗放栽培という技術を得たのか。
>>88は定住が先という意見だね。
漏れはありがちな同時進行説を採りたい。
定住は防衛・交易面からの要請だろうし、これは別にメソポタミアに限った現象ではない。
が、これだと利用可能な原種の有無が栽培文化発生の唯一の理由になってしまいそうだが。
102 :
世界@名無史さん:03/02/18 02:43
痕跡が発見されないような文明ってのは考えられないものなの?
>>102 だから、それを想定するならば仮説を立てた上で実証しなくてはダメ。
でないと単なるトンデモ。
海や湖に沈むとか、溶岩に覆われてしまうとか。
>>104 それなら位置を想定して綿密に調査、発掘を行えば何らかの痕跡は発見できるはず。
ソドムとゴモラは神の火によって焼き払われたので痕跡はありません。
ナームー
冗談はともかく、痕跡が発見されていないなら語りようもないわけで
>>106 神の火って使われた痕跡も残さないんだね、さすが
>>101 定住は防衛・交易面からの要請だろうし、
とありますが、採集狩猟の生活では防衛すべきものはほとんどありませんし
交易も装身具や石器の石材程度しか行われていなかったようです。
どちらもむしろ、定住の結果として必要になり、発達したものだと思われます。
というわけで、文明が発生するには数々のハードルをクリアしなければなりません。
1 遊動生活から定住生活に移行する
2 そこで初期農耕が始まる
3 その際、高収量で保存のきく種類が栽培対象種
4 余剰の発生、階層の分化
といったところでしょうか。1,2がなければ3,4はないですが、
1,2があっても3,4になるとは限らないので、ハードルは高いです。
>>108 >交易も装身具や石器の石材程度しか行われていなかった
それは「そういうものしか埋蔵資料として残ることができない」
という事情があるので、食料品、塩、あるいは絹などの消耗品の
交易ルートがどうなっていたかは考察の余地があると思われ
日本史だが、弥生時代に農耕が始まったという定説が
最近覆って、縄文時代に粗放的農業が始まっていた、
という説が出てきたんだろ?あれってどういう研究がもとになってるんだっけ?
日本史はサパーリなのよね
>>110 いずれにせよ、それらの交易のために定住した
とは、考えにくいですね。定住したから交易が必要に
なった、という可能性はありますが。
>>113 これのナラ林文化を照葉樹林文化が圧倒して行った〜って下り、なんか先日テレビで見たもののけ姫思い出したよ。
エミシ(ナラ林文化)の一族が北へ追いやられ、ヤマト(照葉樹林文化)が日本列島を支配して行く過程の時代の末期って感じで(w
いや、南米でのストロ−スの研究に見るように
定住しない集団でも一定のエリアの中をうろうろしている場合には
相互の縄張り意識から戦闘に入ることもあるだろうし、
貴重な労働力かつ場合によっては富の象徴たる婦女子の掠奪といった理由から
隣接集団と戦闘状態になることも容易に考えられる。
交易に関しても、交易の原形態が贈与や交換であったとするならば、
定住以前の人間集団間でこれが行われなかったという状況は想像しがたく、
やはり定住というファクターがすべてに優先するものではないと考えるのだが。
しかしなんか某研ぽくて読みにくいなw
115は
>>108に対するレスでし。
>>108 そして、それだと非定住集団は余剰や階層分化を持たない、ということになってしまう。
確かに穀物の集積だけ見ていればそう思えてしまうのだが、
さっき書いたような婦女子や奴隷などの労働力、武器やトナカイなどの移動財産、
神官王や技術者階級など、非定住集団に見られる要素を見ても決してそうとは言い切れない。
むしろその栽培文化発生論は伝統的にすぎるんじゃないかと。
そんでもって、
1. 定住は、防衛や交易の便、粗放栽培に好適な植物の有無といった種々の条件の帰結である。
2. その中でも、「粗放栽培に好適な植物を積極的に利用せざるを得ない状況」におちいった定住集団のみが
栽培文化を作ることができた。
と主張するものであります。
>>115 ご意見を拝聴しましょう。まず次の命題についていかが思われますか。
命題1 定住は農耕開始の必要条件である
命題2 農耕は文明成立の必要条件である
私はいずれもおそらく真だと思っていますが、定住無しの農耕、
農耕無しの文明が可能なケースはあるでしょうか?
焼畑を繰り返して、移住農耕を続けてる民族ってのがアフリカあたりにいなかったか?
遊牧民は文明にはやはり入らないのかな
遊牧文明は遊牧文明で、農耕文明とは異質なもう一つの文明形態だと思うなぁ。
まぁ、辞書的な定義には反するんだけど。
ぶんめい 【文明】
〔civilization〕
(1)文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。「オリエントの―」
(2)人知がもたらした技術的・物質的所産。「―の利器」
>>177 命題1 定住は農耕開始の必要条件である、は疑問の余地もあるんじゃないかな。
栽培状況の前段階に、非定住の周回生活集団が、ある季節にベースにする地域で播種だけして1年後に周回して戻って来るような生活形態があり得るわけで。
これは地域の環境に依存するんでグローバルに普遍だとの断定はしないが。
地域のよっては、前述のような粗放栽培からより手をかける栽培農業への移行が定住の前提条件足り得る。
だから、定住と農耕が相補的に進行するシナリオも考えられる。
定住は農耕開始の必要条件、とは断定しきれないんじゃないかな。
李陵にとって奇異な生活が始まった。家は絨帳(じゅうちょう)
穹盧(きゅうろ)、食物は羶肉(せんにく)、飲物は酪漿(らくしょう)
と獣乳と乳醋酒(にゅうさくしゅ)。着物は狼(おおかみ)や羊や熊
(くま)の皮を綴(つづ)り合わせた旃裘(せんきゅう)。牧畜と狩猟と
寇掠(こうりゃく)と、このほかに彼らの生活はない。一望際涯
(いちぼうさいがい)のない高原にも、しかし、河や湖や山々に
よる境界があって、単于(ぜんう)直轄地(ちょっかつち)のほかは
左賢王(さけんおう)右賢王左谷蠡王(さろくりおう)右谷蠡王以下の
諸王侯の領地に分けられており、牧民の移住はおのおのその境界の
中に限られているのである。城郭もなければ田畑もない国。村落は
あっても、それが季節に従い水草を逐(お)って土地を変える。
初め一概に野卑(やひ)滑稽(こっけい)としか映(うつ)らなかった
胡地(こち)の風俗が、しかし、その地の実際の風土・気候等を
背景として考えてみるとけっして野卑でも不合理でもないことが、
しだいに李陵にのみこめてきた。厚い皮革製の胡服(こふく)で
なければ朔北(さくほく)の冬は凌(しの)げないし、肉食でなければ
胡地の寒冷に堪(た)えるだけの精力を貯(たくわ)えることができない。
固定した家屋を築かないのも彼らの生活形態から来た必然で、
頭から低級と貶(けな)し去るのは当たらない。漢人のふうをあくまで
保(たも)とうとするなら、胡地の自然の中での生活は一日といえども
続けられないのである。
中島敦 『李陵』
こんなサイトがあった。
狩猟採集民と農耕民はそれぞれ熱帯雨林と、その外部の低地という
異なった自然環境に生活基盤をおき、それぞれがアクセスしやすい
資源を、互いに利用できるよう交換を行なっている。つまり異なった
ニッチ(生態的地位)に特殊化した適応を推進し、互いにコンペティション
(競争)を避け、互いが開発しやすい資源を交換することによって、
不足を補なうシステム(ある種の共生関係)を構築していると解釈できる。
もしもこうした社会・経済的関係が非常に長い歴史(たとえばこの地域で
農耕が開始されて以降、現在まで)をもっているとすれば、熱帯地域に住む
狩猟採集民と農耕民の交換をベースにした共生関係を、考古学的に
解明することが可能かもしれない。元来、この2つの人間集団は、
技術的背景も社会組織も、生活様式も異なった集団なのである。
人類が道具を使いはじめた約350万年前から農耕が開始される
約1万年前まで、一様の戦略やシステムには限定できないが、
人類の生計は狩猟採集によって支えられてきた。その後農耕社会が成立し、
国家が出現すると、世界中でさまざまな社会システムの下に諸文明が築かれ、
現在では世界に限られた数の狩猟採集社会しかのこっていない。
その数少ない例であるイタは、農耕民との密接な接触・共生関係をもちながらも、
なぜ現在まで存続することができたのだろうか。ここでみた「交換」はこの疑問に
答えられるほどの歴史をもっているのだろうか。いずれにしても考古学はこうした
過去における長い間の、人間行動の変化のプロセスを追うことのできる唯一の学問的手段である。
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/kidlat/Lallo/NegritoKokogaku96.htm
>>121 どうもです。
>播種だけして1年後に周回して戻って来るような生活形態があり得る。
というのは、そのような事例が報告されているのでしょうか。
1年もほったからしにしておくと、誰かに取られてしまいそうな
気がしますが。
現在発見されている日本国内最古の定住集落遺跡は、
鹿児島の上野原遺跡で、約9500年前、縄文時代早期初期のもの。
沖縄の港川人(18000〜16000年前頃、旧石器時代)が
縄文人の先祖だとか言われているわけだが、彼らが
>>1の言うように文明を獲得していた可能性なんて果たしてどれだけあるやら。
127 :
世界@名無史さん:03/02/18 21:17
>>120 命題1 定住は農耕開始の必要条件である
「農耕」の定義によると思います。
粗放栽培を指すとすれば、私は
>>116で述べたように粗放栽培可能品種による安定供給こそが
定住に対するインセンティブのひとつであるという意見ですので、この命題は真ではないと考えます。
一方、これが積極的な開墾や耕作、灌漑技術を伴う農耕を指すとすれば、
これらを行うには定住して常に作業整備する必要がありますから、この命題は真であると考えます。
命題2 農耕は文明成立の必要条件である
これも命題1と同じように分けて考えることができるのですが、
それ以前に「文明」の定義が明らかになっていませんので何とも言いかねます。
メソポタミアやインダス、エジプト、黄河のような文明に関して言えば、
また「農耕」の定義を積極的な開墾や耕作、灌漑技術などに限定するとすれば、
この命題は真であると考えます。
129 :
世界@名無史さん:03/02/18 21:31
狩猟採集オンリー
↓
粗放栽培も始めました。なんせ収量いいんで。
↓
定住したほうが便利じゃん
↓
なんか口も増えてきたし、こうなったら手間暇かけて農耕やるか
↓
富の蓄積ウマー
という感じかと。
>>128 文明の定義はいろいろあると思いますが、このスレの趣旨としては
メソポタミア文明やアステカ文明のような文明、
>>120の定義の1のような
文明を考えるのが適切でしょう。
>>127 >粗放栽培可能品種による安定供給こそが定住に対するインセンティブのひとつ
というのが、も一つよく分かりません。もう少し、解説をお願いします。
長江流域文明の発掘してる日本人の研究者が、稲作の開始は
12000〜14000年前頃で、中東の小麦(12000年前)より古いと
言ってるという話が微妙にうさんくさいサイトに載っていたんだが
トウモロコシの栽培種は確認される限り3000年前のものが最古、
野生種は4600年前ころにはじめて出現したらしい。(もちろん南米原産)
一万年前の時点ですでにアメリカ大陸南端まで人類が到達していたけど、
農耕がまともにできるようになったのはずっと後だったんかな。
>狩猟採集オンリー
↓
>粗放栽培も始めました。なんせ収量いいんで。
でも狩猟採集で暮らせるなら、なぜ粗放といえども栽培を
はじめる必要があるのでしょう?
狩猟採集で、獲物や採集物が減った場合は、他に移るのが
普通の対応ですが、それがなぜ、移動ではなくて粗放栽培に
なったのだと思われますか?
人口が幾何級数的に増大するのに対し、
食糧は算術級数的にしか増大しないので、
移住先なんぞというものはあっという間に消滅、
あとは限られた食糧を巡って殺しあうか、
さもなければ新しい食物獲得手段を探すしかないわけで。
>>136 食料が不足するにつれ、増殖率は減少するので、
人口は環境収容力の上限に収束します。
幾何級数的に増えるのは、食料が無限にある場合ですね。
140 :
世界@名無史さん:03/02/18 22:04
ところで
>>108 >採集狩猟の生活では防衛すべきものはほとんどありませんし
自分達の生命というのがあるかと。横穴にせよ竪穴にせよ
野獣・他部族の襲撃や寒さから守る、つーのは立派な防衛になるとおもわれ
141 :
世界@名無史さん:03/02/18 22:09
>>133 粗放栽培とは採集の延長線上にあるものだと思うのですね。
秋によく実の成る木がたくさんある森や、春によく魚の捕れる湾がある。
それと同じような感じで、秋に(春かも)よく実の付く草が生えている原っぱがあると。
秋になれば人々はその原っぱに草の実を採りに行きますね。
そうなると、落ちた実から芽が出るメカニズムに気づく人も出てくるでしょうし、
たくさんの実をつける一つの株が、たった一粒の実から育っていることに気づくかもしれない。
とにかくなにかの都合で、実を蒔けば蒔いたよりも多くの実を得られることに気づいた。
それなら今度行ったときに、採ったが食べきれず持ちきれない実を
そのへんの良さげな場所に「預けて」増やしてもらおう、
という考えが育っても不思議ではないと思います。
結果は上々で(その影には多くの不作例があったことでしょうがw)
実際に「預けた」ものを上回るお返しがあった。
これはいいというので毎年その原っぱに「預け」に訪れるようになったのでは。
しかし、どこにでも賢い人はいるもので、
苦労して木の実採ったり鹿追ったりするよりもこっちのほうがよっぽど割がいいじゃない、
そこでその原っぱに移住してひたすら「預け」作業に没頭する人達が現れた・・・
という筋書きかと。
食料が欠乏した場合の対策を採集場の移動ではなく採集場の効率化に求めた人々が
粗放栽培、ひいては定住を始めたと言っていいと思います。
こんどは河合隼雄っぽいな(苦笑
>>138 狩猟採集社会において人口が環境収容力の上限に収束するというその事態を
文化人類学的に観測すると、「隣合う部族どおしでお互いを食糧にして数を調節する」
という状況が見出されるわけですが
>>141 なるほど、そういうイメージなのですね。
普通、植物は動物にある程度の実を食べさせて、残りを
散布させる戦略をとりますが、それを「栽培」と呼ぶのならば
確かに定住なしの栽培はありえると思います。でも、動物が
食べ残しを捨てていくのを栽培と呼ぶのは、拡大解釈のような
気もしますが。。
>>140 洞窟をねぐらにする、というのは定住の一つのパターン
だと思います。
>142
つまり粗放栽培とは効率化された採集であると?
>>145 それを論じる場合、栽培意図の有無が焦点だと思います。
>>141-142の状況では意図ありと考えられるので、「栽培」と呼んでいいのではないでしょうか。
そういえばアリなんかは「栽培」も「畜産」も行う社会性昆虫として注目されてますな?
しかしアリの場合は「アリに集団的意志は存在するか?」などの議論に突入してしまう罠
古代の人々は、「種をまくと芽が出る」という現象をどう理解していたろう。
生き物は生き物からしか生まれない、という生物学的な真理が発見されたのは
長い目でみればごく最近の話で、むしろ自然発生説が普通。あのアリストテレスですら
「ネズミは汚物の中から自然発生する」という素敵な迷信を唱えていたそうだ。
よく知られていることだが、農耕開始以降、ひとびとは農作物の豊穣と
彼ら自身の生殖行為を結びつけて神格化した。古事記神話のオホゲツヒメ、
ベルガモンのキュベレー、バビロニアのイシュタル神、北欧のフレイなどなど。
何もないところから命が生まれる、それは古代の人々にとって非常に神秘的な現象だったのだろう。
ハキリアリは「農業」をするアリとして有名な種類です。彼らは
たくさんの木の葉を噛み切って巣に持ち込み、細かく噛み砕いたものに
キノコの胞子を植えつけ、生えてきた菌糸を収穫して食べます。
これだけでも驚くべきことですが、彼らはさらに他の菌が
繁殖しないための殺菌剤(フェニル酢酸)や、菌糸の成長促進剤
(3-インドール酢酸)などを体から分泌し、効率的に食物のキノコを
栽培していることが明らかになっています。いわば農薬や肥料を
自前で作って収穫を上げているわけで、その本能の精妙さは
自然界でも屈指のものといえそうです。
>>147 >それを論じる場合、栽培意図の有無が焦点だと思います。
栽培意図の有無は、以前は文化人類学的方法論で推定されてたわけだけど。
現在では植物遺伝子解析の手法が有効なわけだよね。
三内丸山の栗は栽培の意図が明白にあった、と推定される。
なぜなら採集された標本の遺伝子が野生のものより均質性が高いからである。
農「耕」をしていたとかどうかは現在では不明点が多いが、受粉作業をしていた可能性はあり
優良種を選別し不良種に対して、間引きに類した作業をしていたことはほぼ確実。
151 :
世界@名無史さん:03/02/18 23:00
>>148 スレとは外れるが、それに加えて
「種をまくと芽が出る」という行為と「供物をささげると獲物がよく獲れる」
はたまた「生け贄をささげると多くの敵を倒せる」という図式は、
昔の人にとっては同じ種類のものだったのかも知れない。
「親切は倍になって帰ってくる」も同根だったりして。
>>124 >播種だけして1年後に周回して戻って来るような生活形態があり得る。
>というのは、そのような事例が報告されているのでしょうか。
えーと、本棚をひっくり返さないと、どの本で見たか定かではないのですが。
>>131でも言及されてる、長江流域の関連ですね。文明化以前の話ですが。
東南アジア系の生育の手間があまりかからないタイプの水稲の話だったと思います。
>1年もほったからしにしておくと、誰かに取られてしまいそうな気がしますが。
周回路近くの沼地に苗(?)を投げ込んどいて、1年後に周回して戻って来る。
周回生活の狩猟採取で獲得されるリソースの補助としてはおいしかっただろう、
(補助の範囲で費用対効果、というか投下する労力に対するリターンは効率がよかっただろう)
って話です。
最適採餌理論では、収集すべき獲物の価値は
獲得されるカロリー量/獲得に要する総時間で求められ、
上位の獲物の価値が相対的に落ちれば「価値の低い」獲物も
採餌の対象になると考えられているわけなので、
「引っ越す」より先に「種を撒いてみる」という選択肢が
実行に移されるのは必然だと思うわけですが
そして撒くべき種と土地がないところにだけ狩猟採集文化は残存した。
>>153 植物の方も理想自由分布に従って、生えられるところにはすでに
生えてますからねえ。人が種をまけば生えるまで、生えていない・・
ということは考えにくいですね。
人が種をまいて生えるまで、生えていない、ですね。
訂正します。
もともと草が生えてるところには、種を撒いても何も生えないとでも?
>>156 他の草が生えてるところに種をまいて、どの程度の収量が期待できると思いますか?
その理屈でいくと、粗放的農業なんてものは一切存在しえないな。
>>152 どうもです。これも
>周回路近くの沼地に苗(?)を投げ込んどいて、1年後に周回して戻って来る。
程度では、ほとんど収穫の増加は期待できないような気がするのですが。
その沼地が生育に適したところならば、すでに何かいろいろ生えているでしょうし
適していないならば、収穫もほとんどないと思われます。
除草などの手間隙をかけるなら、その近くに住んでいる必要があるでしょうし
離れている間に、他の人(や動物)に取られてしまうと、とっても
ばかばかしいことになるでしょう。
160 :
世界@名無史さん:03/02/19 00:08
こういう話になったら、農学の専門家の意見も欲しいところですな。
作物学とか栽培学とか園芸学とか、よく分からんがたくさんあるようだし。
>>160 そうですね。専門家に来てもらえるとうれしいですが、除草をしないで
何かの種をまいても、ほとんど収穫は期待できないのは容易に予想
することはできます。昔から、農業というのは雑草との戦いでしたから。
162 :
世界@名無史さん:03/02/19 00:28
>>159 まさにそれが粗放栽培から定住農耕へと移った理由のひとつだと思います。
逆に言えば、耕作や灌漑などの栽培新技術が導入されたということは、
粗放栽培による食物生産がある程度の生産量を叩き出せていたからこそ
新技術の投入によってさらなる収量アップを期待できたのだと思います。
>>158 「粗放的」の定義にもよりますが、食べ残しの種を捨てておくとか
言うレベルの「粗放的」農業は、ほとんど「農業」の名に値しないだろうと
思います。
のうぎょう ―げふ 【農業】
土地を耕して穀類・野菜・園芸作物などの有用な植物を栽培し、
また植物を飼料として有益な動物を飼育して、人類の生活に
必要な資材を生産する産業。広義には、畜産加工・林業も含む。
ふつう集約的農業に対して粗放的農業といえば、
灌漑とか肥料とかに手間をかけない農業のことであって、
なにも草むしりをしないことを指していうわけではないわけだが
>>162 >粗放栽培による食物生産がある程度の生産量を叩き出せていた
確認させていただきたいのですが、「ある程度の生産量」をたたきだせる
「粗放栽培」としてどのような栽培法を想定されてますでしょうか。私は、
除草と動物による食害を防ぐ工夫がなければ、自然状態に比べて
ほとんど収穫は増えないと思います。
>>163 ですね。
いかに粗放栽培といえ、あくまで生産の意図があることが重要かと。
>>165 そうですね。ある程度の草むしりをするには、その近くに
住んでいなければならないはずです。先の
命題1 定住は農耕開始の必要条件である
というのは、そういう事情を踏まえればおおむね真だと考えられます。
で、縄文文化は定住狩猟採集文化なわけだが。
>>168 乙です。どなたかいらして下さるといいですね。
草をむしる→種を撒く→実がなるまで放置
というパターンもありと思われ
栽培種が雑草とどれくらい競合するかによるが、
原種はいまの栽培種よりもタフだったんじゃないか?
>>171 そうみたいですね。なぜ定住していたのでしょう?
>>174 狩猟採集文化と定住生活とは必ずしも相反するものでは無いと思いますよ。
定住人口と周辺の食物資源とのバランスが取れていれば問題ないわけで。
>>173 1年もつぐらいきちんと草をむしるのは大変でしょうけどね。
焼畑でもすぐに雑草が生えてくるみたいですし。でも、ある程度は
うまくいくかも知れません。
>>146 そう考えています。
>>166 いえ、もし全くの粗放的に栽培をおこなって普通の採集とかわらない程度の収量しかなければ、
果たしてさらに手間暇をかけるだけの値打ちがあると判断されたかどうか、
そこから先の耕作や灌漑といった技術に発展したかどうか、と疑問に思っただけですので。
地形や気候、作物の種類、植物相や動物相、巡回の頻度などに影響されるでしょうから、
これこれこういう条件なら粗放栽培であっても充分な生産量が叩き出せた、
と断言することは難しいと考えます。
ところで今論点になっているのは
「命題1’ 定住は粗放栽培開始の必要条件である」
の真否ではないかと思うのですが、いかがでしょう。
現時点で耕作や灌漑などの技術が定住なしに成立し得たと主張する人は見あたりませんし。
粗放的と一口にいっても、三内丸山のクリのような果樹と、
ヒエ、アワ、コメなどの穀類では全く扱いが違うだろう。
果樹の場合、一度成長すればもう雑草になど負けないし、
放っておいてもかなり長期間に渡って収穫が期待できる。
ただ、最初に実がなるまで三年かかるわけだが。
ああ、一万年前のメソポタミアとか中世のフランスとかの例で
「一粒まいて何粒採れたか」を表す指標の載ってる本がどっかにあったんだがな。
どこだっけ、題名も忘れたから探しようがないや。
確かメソポタミアは何十粒という驚異的な収量で、
中世フランスとかは数粒とかだったはず。
>>181 種子生産性なら、古代シュメールの都市国家時代末のラガシュで平均76.1倍と言うデータがありますね。
中世フランスの例は寡聞にして知りませんが、ローマ帝政初期のイタリアで約4倍、中世イギリスで約10倍ですから、驚異的な数字と言えるでしょう。
それ、高校で使った世界史資料集かなんかに載ってたような。
フランスは知らんけど、三圃制とかができた中世の農業改革のころ、
種子生産性が三倍から六倍に向上したのだそうな。
ちなみに江戸時代の日本は40倍くらい。シュメールが凄いというより、
ヨーロッパの土地が貧しすぎるんじゃないかって気もするが。
>ところで今論点になっているのは
>「命題1’ 定住は粗放栽培開始の必要条件である」
>の真否ではないかと思うのですが、いかがでしょう。
それでいいと思います。で、それを前提として
a 定住が始まる条件
b 定住から粗放栽培が始まる条件
c 粗放栽培から集約的な農耕の始まる条件
の順に条件を洗い出して、農耕に依拠した文明が発生する条件を
考察してみてはどうかと思っています。
ところで、
>>164の定義に従うと、
遊 牧 も 農 業
なわけだが
>>186 確かに広義では含まれるでしょうね。
ただ、遊牧では集約的に大人口を養うのには不向きだと思いますが。
>>159 >>周回路近くの沼地に苗(?)を投げ込んどいて、1年後に周回して戻って来る。
>程度では、ほとんど収穫の増加は期待できないような気がするのですが。
>その沼地が生育に適したところならば、すでに何かいろいろ生えているでしょうし
>適していないならば、収穫もほとんどないと思われます。
いや、ですから、狩猟採取の周回生活の補助と言うか余録としてはおいしかった、という話です。
>ほとんど収穫の増加は期待できないような気がするのですが
については米という種の性質による、という理解のはずです。
なんでこの推定シナリオに拘るかと言うとですね。
この形態が先行している場合、狩猟採取の方になんらかの要因による採取量激減があったとき
周回エリア自体の変更という選択肢と別に、栽培に手間をかけてみるという戦術への移行に
まだ飛躍が少ない、……こともあるかもしれない。
関連する要因が多岐に渡るので、あやふやな物言いになりますが、推定シナリオの1つとしては検討の余地があるだろう、と思うわけです。
189 :
世界@名無史さん:03/02/19 12:14
>>187 ちょっと質問。なんで文明に大人口が必要なの?
それは、大人口が文明を起したという仮説でしかなく、
文明が起きたから人工が集中した。
との仮説もまた成り立つと思うけど?
190 :
世界@名無史さん:03/02/19 23:37
>>188 どっかで出ていた「採集場変更」戦術か「採集効率化」戦術か、という話ですな。
ところで牧畜は「狩猟効率化」戦術だと言えるかも知れない。
しかしとんでもなくスケールのデカいスレになっとるな。
191 :
世界@名無史さん:03/02/19 23:45
>>184 確かに東南アジアなら、年に何回も米が取れ。
単位面積辺りの収穫量も半端じゃないからねえ。
気候の違いは大きいと思うよ。
>>189 自然環境の変化等(エジプトだとサハラの砂漠化)
↓
人口密度の過度な増加→人口減or移動(文明化挫折)
↓
狭い面積での効率的な農耕の必要性
↓
農耕技術の思わぬ躍進→余剰生産物の発生(富と権力の発生)
↓ ↑ ↓
人口の増加→より効率的な農耕の必要性←投資増←↓
↓ ↑ ↓
都市の誕生→文化(科学含む)の発展←ヒマ人orパトロンの発生
文化や都市の発展を『文明』と呼ぶならこういう事だろうな。
あとはこれの無限ループじゃねー? オナニー覚えた猿のごとく、自然環境がぶっ壊れる迄これが続くのが『文明』だと思うが。今もね。
>>159 「狩猟採集生活」の補助と言うことを考えれば
既に採集を行っている植物の近辺に「人工的に」播種をしてやることで
目的とする植物の繁殖を補助すると言う形態が初期のものとしては自然かと。
自然にばら撒かれた種が生育適地にたどり着く確率は、
人工的な播種とは比べ物にならないわけで
年に一度の播種であっても採集効率を上げる手段としては有効かと思われます。
よーするに、(初期の)粗放的農業は
「一定の収穫を見込むもの」というよりは「採集効率を上げるための手段」として
非定住でも十分に行われ得るものではないかということ。
194 :
世界@名無史さん:03/02/20 09:09
>>192 狩猟採集(遊牧)民族の広域化(やはり人口増は有るけど)
↓
市(マーケットの成立)内陸系、沿岸系、河川系の物々交換
↓
市の規模拡大、文字、道、都市、が生まれる。
↓
市の更なる規模拡大(定住民の大量発生)定住食料の確保の必要性から農業の発達。
195 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/02/20 13:02
>>189 農耕文明の発生において必要な条件が、人口増加や気候の変動に伴う食域拡大です。
農耕発生に至るプロセスとして、以下のモデルを挙げて見ます。
(初期段階)大型動物の狩猟及び限定的な採集
↓
人口の増加により環境上限に到達した事により、小動物や木の実に食域を拡大
↓
環境限界の上昇による人口増加
↓
環境上限に到達した事により、野性性穀類の採集に食域を拡大
↓
環境限界の上昇による人口増加
↓
環境上限に到達
↓
農耕開始
↓
人口増加に伴う農耕労働力の増加と農耕地の拡大
↓
潜在農耕地比率の低下による農耕者の人口密度上昇
↓
農耕労働力の集約化による生産性の向上と人口増加
↓
更なる集約化による余剰生産の拡大
↓
初期農耕文明の発生
かなり端折っていますが、おおむねこのようなプロセスで文明の発生に至ったのではないかと考えます。
このモデルに気候変動による環境の変化などのファクターを加わえなくてはならないでしょうが。
つまり、「大人口が文明を起こした」のでは無く、「大人口だから文明を起こさざるを得なかった」と言えるかも知れません。
勿論、自然環境資源や土地利用、農耕適地比率、農耕労働力の集約化に対する土地生産性上昇率の違いなど、各々の地域の初期条件によって一定のばらつきがあったはずです。
このわずかな時間のズレが、農耕の開始後に発生する急激な人口成長のサイクルによって増幅され、いわゆる「初期農耕文明」の発生地と、その周辺地域との違い、また「初期農耕文明」間の成立年代の違いを生んだのでは無いでしょうか。
197 :
世界@名無史さん:03/02/20 14:56
>>195 まぁ一種の仮説であるわけで、そうでなければならない理由は一切説明されてません。
そういえば、イギリス産業革命も、労働人口が
準備されていたことが要因の一つとされていたな。
やっぱりマン・パワーがなきゃ話が始まらないか。
199 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/02/20 15:22
>>197 確かに仮説です。
大人口が必ず文明の発生を生むかと言うとそうではありません。
例えば、ナイジェリアのヨルバ文明の隣接地に居住していたイボ族の場合、全人口はヨルバ族とほぼ同じで、人口密度が2倍であったにもかかわらず、都市文明を持ちませんでした。
これは、ヨルバ族の農耕が集約度が低いものの、計画的、集約的な農耕であったのに対し、イボ族の農耕が氏族単位での分散型であった事と関係があるのではないでしょうか。
つまり、重要なのは「集約化による生産性の向上」であって、これは人口の多寡と密接な関係があります。
人口密度と人口圧は、あくまで要素の一つでしかなく、それだけで文明の発展を説明する、主要かつ独立した変数と見ることは出来ないでしょう。
200 :
世界@名無史さん:03/02/20 16:21
>>199 であれば、農業を基礎に置いた文明論は説得力をもたないと言うのも
そろそろ分かっていただけると良いと思うのですがね。
>>200 ん?
農業以外を基礎に置いた文明論も成り立つという意味か、
農業も大人口もともに文明発生の一要因にすぎないという意味か、
それともまた別の意味でしょうか。
もう少し解説きぼん
>農業も大人口もともに文明発生の一要因にすぎないという意味か、
修正:生産性向上と人口増とが相補的に進行して文明が発生したという意味、
のほうがいいな。
203 :
世界@名無史さん:03/02/20 17:01
>>200 実際に現在判っている初期文明の主要な経済基盤となっていたのは農業です。
農業が集約化されているかされていないかが文明発生への岐路になったと考えます。
文明を生み出す最も重要な要素は「集約化された農業生産から生み出される余剰生産」であると私は考えている訳ですが。
非生産階層や非農業人口を養えるだけの余剰を社会が持っていなければ、文明は成り立たないからです。
最も、この場合の「文明」は、あくまで所謂「四大文明」的な初期文明の形態を指しますが。
ただし、狩猟採集社会や遊牧社会でも、上記の余剰を安定して供給できるのであれば文明の発生は可能なのではないかとも思います。
ただ、私はそうした文明の例を知りませんし、文明成立への納得のいくモデルも考え付きません。
それらをお持ちの方は教えて頂けると幸いです。
誰か詳しい方はおられますでしょか?
204 :
世界@名無史さん:03/02/20 17:53
205 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/02/20 17:56
ぶんめい 【文明】〔civilization〕
(1)文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで
経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。「オリエントの―」
さしあたり、この定義で話をしていいのではないでしょうか。
他の定義の方がよい、という意見があれば承りますが。
>>195 はいわゆる広範囲成業仮説ですね。西アジアに関していえば
農耕開始前のプレナトフィアン期に人口増加の証拠は無いようですし
ナトフィアン期の狩猟採集活動はむしろ、ガゼル、麦などの少数の資源に
強く依存するものになっていたようです。
西アジアの場合、単なる人口増加ではなく、特定資源への依存という
潜在的な不安定性が農耕開始の必要条件だったようですね。
208 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/02/20 18:47
>>207 成る程、依存していた食料資源の量と人口とのバランスが悪化した事が農耕開始の要因になったと言う事ですかね。
特定の資源に依存する以上、人口に対する環境限界は早く訪れるはずですからね。
農耕開始前の人口の成長率が何とか判れば良いのですが、現状ではシミュレーション以外の手段は無いでしょうね。
209 :
世界@名無史さん:03/02/20 20:08
>現状ではシミュレーション以外の手段は無いでしょうね。
妄想膨らまして権威取ったものの勝ちよりよっぽど良い手段。
210 :
交易は都市化に先行する論者:03/02/20 20:09
>>206=177 ◆rBWlMpeA6.
>この定義で話をしていいのではないでしょうか。
>他の定義の方がよい、という意見があれば承りますが。
ちょっと予想を上回って意見交換のしがいが出てきたようなので、
さしあたりの捨てハンを付けました。
私は、文明を都市化した社会秩序を長期間維持した生活圏と規程し、
都市を、定住民に占める非1次産業従事者の割合が高い生活圏と規程しようと思います。
これは、定義と呼べるレベルの物ではありませんが、発言の立場を明確化するにはよいだろうと思います。
他の方にこの定義の方がよい、と勧めるつもりもなく、こういう観点もあるだろう、という意見に留めます。
さて、私の観点ですと、例えば内陸アジアのオアシス都市なども、いわゆる四大文明以外の文明形態として、多系的に把握する可能性が生じるだろうと思っています。
オアシス都市も農耕を基盤として高度化したわけですが、交易を前提とした社会構成が顕著で。
例えば、キャラバン・サライに当たる物の運営者は、非1次従業者として想定できます。
厳密には、1次産業従事者/非1次産業従事者と実体的に分けることは観念論で、
1次産業専業者/1次主非1次副業者/非1次主1次副業者/非1次専業者、との実態区分が解明されるとよいのですが。
ちょっと私ごときの知見では、内陸アジア古代都市に関して、そこまでの整理は不勉強で知らないでいますが、とりあえず。
211 :
世界@名無史さん:03/02/20 20:15
本題は、氷河期に文明が起こりえるかどうか?
農耕が文明の基礎となる。で言えば答えはNO.
食料が確保できれば良い。と言えば答えはYES.
さぁどっち?
>>195を見ると人類の食性が大型動物の狩猟から小動物や木の実に、さらに穀類へと
移行していったとあるがこれってどうなんだろう。初期人類はむしろ身近にある食べられるものは
何でも同時に食べていたんじゃないかな。単純にモデル化できるものではないと思う。
ちと横道にそれるがシャチってのはファミリーによって異なる食文化を持つらしいね。
あるグループは小魚の群れを囲い込む狩りをしたり、またあるグループはアシカを浜辺で襲ったりと
そのファミリーに代々受け継がれる伝統を持っている。シャチより知能が高く、雑食性の
人類ならさらにその傾向は強かったと思う。ある種族はマンモスなど大型獣の狩猟に、
ある種族は近辺にある有用な野生穀物の採集に特化する、どちらも利用できない種族は
いわゆる何でも屋のように食べられるものは何でも食するといった状況が生じていたと考えるのが
自然だと思う。
漁労という食料採取手段は、狩猟や農耕とは別に、
独立のカテゴリーとして考察の対象にする価値がある。
日本の縄文人は、狩猟採集民 hunter-gatherer というよりは
漁労採集民 fisher-gatherer だったし、
別の地域・別の時代にもそういう生活をする集団はあった。
漁労という生活形の場合、定住は必然性が高い。
川を上ってくる鮭を主に捕っていた縄文人の場合は川辺、
海に舟を出して魚を捕る場合は海辺に基地が必要である。
魚を捕る空間自体は広い面だとしても、岸辺は線であり、
波を避けられる入り江となると更に限られる。
人々は、特別に条件の良い場所に集まって生活したはずだ。
オーストラリアは氷河期にもユーラシアと切り離されていたが、
アボリジニーのオーストラリア侵入は4〜5万年前だから、
その頃には既に原始的な舟が存在したことになる。
原始的な舟で魚を捕っていた人々は、家族単位のバンドではなく、
それなりの規模の定住集落で暮らしていたはずである。
舟を扱える部族は、後の時代の倭寇やヴァイキングのように、
交易(と略奪)の担い手にもなったことであろう。
人類の最初の町は、そういう部族のものだったのではなかろうか。
>211
まあ>1にこだわってそんな結論急がなくてもいいでしょう。
ところでなんか一行レスしてる人でビミョーな人がいますね。なんか変な感じ。
>>210 なぜわざわざ新しい文明の定義を作り出すのか、その理由が見えてこないような気がしますが。内陸アジアのオアシス都市を
ひとつの文明形態として捉えることは、
>>206の定義によっても十分可能なように思います。
議論に熱中していて気づかなかったのだが、
なにげに177 ◆NgGAMEeuew氏が
>>177ゲットしてる。
218 :
世界@名無史さん:03/02/20 22:14
>>207 やはり供給が十分に安定していると、飛躍的な生産効率化にはつながらないんだな。
そして西アジアの場合、特定資源への依存率が高かったので供給が不安定だった、と。
確かに納得できる。
>>212 >シャチってのはファミリーによって異なる食文化を持つらしいね。
興味深いな。もちろん同じ種、生息エリアの中での話だよね?
世代を越える記録媒体なんてものはないはずだし、
猟場やテクニックなどがOJTのかたちで代々伝承されているのだろうか。
>>213 「陸は隔てるが、水は結ぶ」でしたっけ。
農業と関連した定住より先に、水面に関連した定住があった、という意見ですね。
>>210 どうもです。
>文明を都市化した社会秩序を長期間維持した生活圏と規程し、
>都市を、定住民に占める非1次産業従事者の割合が高い生活圏と規程
というのと
>(1)文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで
>経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。「オリエントの―」
というのと、私もそんなに違わないように思うのですが、
主な相違点はどの辺だろうとお考えでしょう?
>>213 漁労に依存した定住というのはご指摘の通り確かにありえると思いますね。
この場合、さらに特定資源に依存しすぎることによる不安定性も生じる可能性が
ありますので、漁労による定住→粗放栽培の開始、というのは論理的にありえる
気がします。
>>216 私は意識してましたw。177をとっておかないとあとから混乱する
おそれがありますから。
何人かの方が、採取狩猟社会と遊牧社会を同列にして論じているようですが、
遊牧は農耕社会と平行して独自の生産形態として登場したもので、両者を一律
に論ずることはできません。
遊牧社会は農耕社会よりも新しく出現した可能性が高いので、定着農耕以前
の社会形態と考えるのは適当ではないのです。
>初期人類はむしろ身近にある食べられるものは 何でも同時に食べていた
それが、そうでもないんだな。
たとえば、初期人類が狩猟した大型草食獣の化石などを調べると、
脂肪の多い部位だけを切り取って持ち去り、残りは捨てていたりする。
実はこれは現代の栄養学から見ても適切なやり方で、
穀物などから十分な炭水化物を摂取できない状況であれば、
赤味肉を控えてタンパク質過剰を避けなければならない。
古代人といえど、手当たり次第に食べていたわけではなく、
最適化された食文化を持っていたという傍証の一つだ。
223 :
世界@名無史さん:03/02/20 23:28
>>221 成る程、私も同列に論じてましたね、勉強になりました。
>>212 最適採餌理論を考慮に入れたため、
>>195のような形になりました。
初期の人類だからこそ、最適化された食性を持っていただろうと考証したのです。
確かに地域によって違いこそあるものの、環境資源の限界と食性のスイッチングを考慮してあのような形を考えてみました。
224 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/02/20 23:29
>>222 いや自分が言いたかったのは、初期人類が大型野生動物、小動物、果実、穀物などを同時期に
狩猟採集の対象にしていたということなんだけど。
ちょっと書き方が悪かったかな。
ただ
>>222の書いたことは納得できる。人間の食物に対する嗜好というのは、そのときの健康状態や
栄養状態によってがらりと変わることがありますからね。
226 :
交易は都市化に先行する論者:03/02/21 00:21
>>219 :177 ◆NgGAMEeuew
>文字をもち、交通網が発達し、都市化がすすみ、国家的政治体制のもとで
>経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす。
まず、文字を持たない文明と言うのを挙げることはできると思います。
北米でミシシッピアン文化と大きくくくられる物の内に、私の立場では文明と呼ぶべき物もあります。
次に「交通網が進んでいる『から』文明」なのではなく、
「交易ルートの重要センターで都市化が進む」と考えたいと思います。
つまり文明成立に関しては、因果関係が逆だ、と考えています。
「国家的政治体制」と言うのは、ほとんど空語で意味をなさないと思います。
何を持って「国家的」と称しているのか、暗黙の前提に左右されすぎるので、私は無視したいと思います。
正直、私は、国家的政治体制は文明の必要条件ではないと考えます。
文明とは都市化した社会秩序、と考える私としては、国家が推移しても、
国家より長く永続している都市は世界史に類をみないことに注目したいと思います。
>経済状態・技術水準などが高度化した文化
これもあまり意味がよくわかりません。
前提がことなる人が読むことでそれぞれにイメージで玉虫色に解釈されると思います。
私の立場では、都市化以前より総体的な労働のコスト・パフォーマンスがよいように
ハードウェア、及び、ソフトウェア(社会管理技術)が整備されたライフスタイルが共有された社会、
と言ったところでしょうか(?)
この解釈が許容される限りにおいて「経済状態云々」は、まあわからないでもないです。
こんなところでしょうか。
227 :
交易は都市化に先行する論者:03/02/21 00:26
ちょっと眠くて日本語が変でした。
>>226を一ヵ所訂正させてください。
×>国家より長く永続している都市は世界史に類をみないことに注目したいと思います。
訂正>国家より長く永続している都市は世界史をみれば無数にあることに注目したいと思います。
私も、文字とか交通とかいうのは本質ではないと思いますが
都市というのははずせないだろうと思います。ただ都市があれば
それを支える物流システムは不可欠ですし、統治機構もおそらく
必須でしょう(いわゆる都市国家)。文字は不可欠ではないかも
知れませんが、情報の伝達や記録のシステムは、物流や統治を
支える上で必要な気がします。
というわけで、上の定義にあげた事柄は結局大体出てくるのでは
ないでしょうか?
229 :
世界@名無史さん:03/02/21 03:38
困ったな。
・海退期に漁労や交易などの理由から水際に定住した場合の遺構は発見が困難だ
し、
・最初期形態の粗放的栽培が行われていても遺構が残らないので証明しようがない
し、
・粗放的栽培と定住の因果関係がはっきりしないから、定住跡があっても
それよりずっと以前に粗放的栽培が行われていた可能性を否定できない
し、
・そもそも定住なくして文明と呼べるのか、というか文明の定義があやふやだ
し、
なかなか歯ごたえのあるテーマに変貌しておるのお。
230 :
世界@名無史さん:03/02/21 03:53
>>226 226のおっしゃってるのは、文明ではなく文化なのでは?
文明、文化は語りだすと非常に難しいのです。1の主題
氷河期に文明は起こりえたか?と言う問を考察するならば、
>>206の定義を利用するべきだと思います。
206を修正するならば、航路も加えるべきだろう、とか程度。
>>229 発見が困難だから、無かった事にするのは学問的態度では無いと思います。
都市、交通網、文字、の定義を採用し、合ったとしたら、何が見つかるか?
そこを考えるのが良いのでは無いでしょうか?
あら、さすが世界史板。予想を越えて伸びてるなぁ。
>>230 いえ、最初期形態の粗放的栽培と海退期の水辺定住跡は確認が困難である、
と述べたまでです。
ところで、
>>206での文明の定義を採用するとすれば、
スレタイに対する答えは「物証が出るまではNO」以外にないと思われませんか?
そして実際には
>>206での定義による先四大文明の遺構は見つかっておりません。
このような状況で「人間の技術及び社会は
>>206レベルにまで発展した」と前提して論を進めても、
そういった人間集団がいつどこに位置しえたかを想像するだけになってしまい、
IFスレとしては面白いでしょうが得るものは少ないと思うのですね。
むしろ今わたしは、ホモサピエンス登場からメソポタミア集約農耕開始までの期間において
人間の技術及び社会がどこまで発展できたのか、に興味をひかれています。
(生物板逝け、という声が聞こえますがw)
確認が困難なはずの最初期形態の粗放的栽培と海退期の水辺定住跡に注目したのは
そのような理由からです。
つけ加えると、
人類揺籃の地であったアフリカで集約農耕が始まらなかった理由、
または
>>206での定義による文明が最初に起こらなかった理由がどうもわからない。
一定時間が経てば次の発展段階に進む、ということはさすがにないでしょうが。
アフリカにはエジプトがあるじゃなイカー
ピレネーの向こうはアフリカだが、
ナイルの流れはオリエントをたゆたっているのだ
素敵な表現ですね。
>>232 あったかどうか、ならば、なかったで、いいと思いますが、
無理だったかどうか、に対しては、無理だった理由を考える
必要があるので簡単に答えは出せないと思います。
まあ、その辺を考えてみるのもおもしろかろうということで。
237 :
交易は都市化に先行する論者:03/02/21 09:22
>>230 >氷河期に文明は起こりえたか?と言う問を考察するならば、
>
>>206の定義を利用するべきだと思います。
逆だと思います。氷河期に文明があり得たか?や都市の発生≒文明の発生を
考える場合には、少なくとも文字ははずすべきと考えます。
交易、文字、都市化を比較すれば、文字は一番最近の発明ですね。
都市の発生を考えるなら少なくとも文字は除外すべきです。
>>232=229>
>>206での定義による先四大文明の遺構は見つかっておりません。
つまり定義が不適当なんです。
例えば先四大文明のエリコとかキプロスのキロキティアとか、都市と認定されていますよね。
>206を修正するならば、航路も加えるべきだろう、とか程度。
都市化に先行する「交易路」には当然、陸路も水路も含まれます。
238 :
交易は都市化に先行する論者:03/02/21 09:33
>>228=177 ◆NgGAMEeuew
>上の定義にあげた事柄は結局大体出てくるのではないでしょうか?
えーと、大体だからまずいんじゃないですか?
文字とか、整備された統治機構と言うのは、都市≒文明が高度化される過程で発明された物で、
都市≒文明の発生期にはあったとは限らない、と考えます。
>私も、文字とか交通とかいうのは本質ではないと思いますが
えーと、立場の違い確認、と言う事ですが。
私は交通は都市≒文明の本質と考えてます。
交通≒交易が、都市化に先行する、の立場ですので、こちらは必須条件です。
>>226で書いているのは因果関係の捉え方についての指摘です。
文明化、した「から」交通≒交易が発達したわけではない。
交通≒交易の活発な拠点に、都市≒文明が発生するのだ、という観点です。
文明の定義って、本来は
>>1が真っ先にすべき仕事だったんだよな。今になってようやく
>>1を
たたいた連中の気持ちがわかってきた。
>>233 気候が最大の要因のようです。集約農耕の対象となる作物はいずれも一年生の植物です。
温暖な夏に成長し、寒冷な冬に備えるために種子などの形で養分を蓄えるという生活形態が
作物化に適していたのです。一方熱帯に多い多年草の草木は幹や葉にエネルギーの多くを
費やすため作物化が難しいのだと本で読みました。
240 :
世界@名無史さん:03/02/21 11:43
>>239 >一方熱帯に多い多年草の草木は幹や葉にエネルギーの多くを
>費やすため作物化が難しいのだと本で読みました。
うんなこたーない。年がら年中実がなってるから、わざわざ栽培するよりも
テリトリーを確保する方が先決だっただけ。アフリカの部族間抗争の根っこ。
故に農業から文明っていうのは、あまり信じられないんだよね俺も。
よく出来た物語って感じがしてる。
四つか五つ牡蠣を食べたあとで、わたしはアルメリーナを膝にのせて
ひとつの牡蠣を与え、巧みにそれを胸の上に落した。これを見てエミリアは、
自分がわたしにみせた大胆な行為をアルメリーナがしないでいられるのを
内心不服に思っていたので、大喜びをした。しかし、わたしにはアルメリーナが
この偶然を喜んでいることが分かった。とはいえ、うわべは彼女も、そうと
見られたがらなかった。
――わたしに牡蠣を返してくれませんか、とわたしは言った。
――じゃ、おとりになって。
わたしはコルセットの紐をすっかりほどいた。だが、牡蠣は一番深いところに
落ちていたので、わたしは、手で探さなければならないと困った顔をして
訴えた。ああ!このような瞬間に有頂天な喜びを隠さなければならないとは、
恋する男にとって何という苦痛だろう!アルメリーナは、どんなことをされても
わたしに文句をつけられなかった。というのは、わたしが大理石のように固い
その二つの乳房にふれたとしても、それはただ牡蠣を探すためだったからである。
牡蠣を取り出し、それを飲み込んでしまうと、わたしは乳房にこぼれた汁を吸うために、
片方の乳房を握りしめ、貪婪な唇で薔薇色の乳首をしっかりとくわえた。
そして、二、三分吸いつづけた架空の乳に官能をかき立てられ、その喜びに
ひたりきった。彼女はすっかり驚き、感動しきっていたが、わたしはあまりの喜びに
麻痺してしまった正気を取り戻すためにしか彼女を離さなかった。
彼女がこのことに気づいていたかどうか、わたしには分からない。
しかし呆然としたわたしがじっと彼女を見つめていることに気づくと、
乳呑児の真似はとても楽しかったかときいた。
――勿論だよ。だって、無邪気な悪戯だからね。
――あたしはそうは思わないわ。院長さまには何もおっしゃらないでね。
あなたがなさったことは、あたしには無邪気なことじゃありませんもの。
もう牡蠣を拾ったりするのはやめましょう。
おっと名前をいれそこねた。
アメリカの心理学者クロンハウゼン夫妻は、『性文学をどう読むか』
の中でこの一挿話を評して以下のように記した。
一読ただちに私たちがカザノヴァの時代の精神と風俗に送り込まれてしまうことは
驚嘆に値する。ある十八世紀の上流、および中流階級の男女のグループに
ひろく行なわれていた風習が、このわずか一ページに満たぬ風流小話のなかに、
事実や年代がいっぱいつめこまれている大部の歴史書の及ばぬほど
生き生きと描きだされている。
……………………
すいません誤爆です
生き生きと死た誤爆ですたね。
>>238 研究の出発点では定義は大体のものがあれば十分です。
正確な定義は研究がかなりすすまないとできないのが普通です。
たとえば、生物とは何か、を定義するのはかなり困難で、ウイルス
とかプリオンとかの事例まで考慮にいれて正確に定義することは
今でも難しいでしょう。でも、正確な定義ができないから生物学を
研究することが不可能かといえば、そうではなくて、大体の定義
(動くもの、呼吸をするもの、繁殖をするもの・・など)に基づいて
研究を進めつつ、定義の精緻化を図るということが可能で、実際に
そのようにして研究が進められてきています。
文明の定義も大体、「都市とそれを支える政治的、経済的、文化的な
システムの総体」ぐらいで議論を始めて、次第に精緻化を図れば
いいのではないでしょうか。
245 :
交易は都市化に先行する論者:03/02/22 02:00
>>244 :177 ◆NgGAMEeuew
>文明の定義も大体、「都市とそれを支える政治的、経済的、文化的な
>システムの総体」ぐらいで議論を始めて、次第に精緻化を図れば
>いいのではないでしょうか。
大筋には同意できます。その上で言うのですが。
「文明は、都市生活の社会秩序」の定義と
「文明は、都市とそれを支える政治的、経済的、文化的なシステムの総体」の
定義自体を比較すれば、前者の方がシンプルなことは明白です。
つまり、次第に精緻化を図るに際して、融通が利くとの利点があります。
同じことですが、後者は、政治、経済、文化というそれぞれに複雑な概念が絡んでいるため
はじめから内容が複雑です。
さらに言えば、例えば、文字は必須の文化要素と思っている人もいるかもしれません。
このスレの話題に関心がある人にいるとは思えないですが、世界史板を訪れる人の中にはいないとも限りません。
経済についても貨幣が無い時代に経済活動がない、貨幣が無ければ文明的ではない、との先入観を持っている人もいます。
政治についても同様のことが言えます、
これら先入観を呼び込む可能性がある“不純”な要素は、一度思いっきり殺ぎ落としてみるところからはじめた方がよいのではないですか?
都市≒文明の発生形態を検討する場合には、ですが。
定義の問題はある程度は有用ですが、ある程度以上は不毛なので
この辺でやめて本論にもどりましょう。私としては
「文明は、都市生活の社会秩序」
「文明は、都市とそれを支える政治的、経済的、文化的なシステムの総体」
のどちらでも「都市」というそれまでには存在しなかった要素が
含まれているので結構です。他の皆様方も、この付近で各自の定義を
お持ちになっていれば、議論に大きな支障をきたすことはないと思います。
247 :
世界@名無史さん:03/02/22 02:24
248 :
アッティラ:03/02/22 02:37
私は真面目に、1万五千年前の南極大陸に、文明があったのではないかと
思っています。そこの人間が、エジプトに行ったり、シュメール人になったり…
中央アジアあたりは、南極の真上ですから、移動しやすかったと思います。
南極の4000mの氷の下には、なにがあるのでしょうか…
稚拙な文章ですみません
>>248 1万5千年前の南極大陸に人間はいません。以上
250 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/02/22 03:04
>>248 残念ながら、1万5千年前も南極は氷の大陸です。
251 :
世界@名無史さん:03/02/22 03:33
>>247 以後底なしの予感
>>240 やっぱり食料集めに苦労しないところに集約農耕はおきない、という話やね
たしか、三内丸山遺跡は「都市」だったと主張してる研究者がいなかったか。
253 :
世界@名無史さん:03/02/22 08:25
>>251 >やっぱり食料集めに苦労しないところに集約農耕はおきない、という話やね
そう。その食料集めに苦労してまでもその地に留まる理由が、交易都市の
言い分なんだよ。
>>240 突っ込みどころが多すぎて答えられない。一度「銃・病原菌・鉄」に目を通すことを
お勧めします。
>>252 つまり縄文時代の日本にも局所的に文明が存在していたことになりますが
このスレ的にはそれでいいんじゃないかと思います。もともと
>>1が抱いた文明のイメージも
それに近いものであったようですし。文明の定義をあまり狭義なものとすると、スレタイに対する答えが
出てしまいます(
>>232が述べたように)
255 :
交易は都市化に先行する:03/02/22 09:04
>>246 :177 ◆NgGAMEeuew
>どちらでも「都市」というそれまでには存在しなかった要素が
>含まれているので結構です。
さしあたり、私もそれでいいですよ。
ただ、質問への応答や、意見は書かせてください。
>>247 >次は「都市」の定義だな
交易先行の立場の都市定義は、すでに提出してあります。
>>210 >都市を、定住民に占める非1次産業従事者の割合が高い生活圏と規程
>厳密には、1次産業従事者/非1次産業従事者と実体的に分けることは観念論で、
>1次産業専業者/1次主非1次副業者/非1次主1次副業者/非1次専業者、との実態区分が解明されるとよい
>>252 >三内丸山遺跡は「都市」だったと主張してる研究者がいなかったか。
あの件は、栗は収穫量の変動が大きいので、そのパラメータをどうみるかにより
可能な定住者人数の想定が研究者によって違うようです。
で、非1次産業従事者比率の見積もりも変わってくるので、都市か都市でないかの評価はまだ決着がついていないはずです。
>>253 >その食料集めに苦労してまでもその地に留まる理由が、交易都市の言い分
そうですね。都市の発生期についてはそう言うことを言いたいです。
256 :
世界@名無史さん:03/02/22 09:23
>>254 読んだよ。だから言ってるの。戦争が文明の礎ならアフリカでこそ文明が
起きるべきだったんだよ。
>>256 ???
私の書いたことを整理します
まず
>>233がなぜ人類揺籃の地であるアフリカで集約農耕が起こらなかったのかと問いかけた。
>>239で私がその最大の要因(唯一の要因ではない)として、集約農業(粗放農業ではない)の対象作物の野生種が
温帯の気候帯に自生するものであり、熱帯のアフリカの植物は集約農業の対象作物には適さなかったと述べたのです。
戦争が文明の礎などとは一言も言っていないし、考えたこともありません。また「銃・病原菌・鉄」にもそのような主張は
のっていません。
258 :
世界@名無史さん:03/02/22 10:10
>また「銃・病原菌・鉄」にもそのような主張はのっていません。
はぁ?そのような主張じゃねーかあの本。
>>257 それから、集約農業の対処として適さなかったというのも大嘘。
色んな植物が集約農業に適するよう品種改良されてきたのが事実。
アフリカでは交易する必要がなかった、つまり農業も必要なかっただけ。
>>258 >はぁ?そのような主張じゃねーかあの本。
「銃・病原菌・鉄」は世界のさまざまな民族がそれぞれ異なる歴史の経路をたどったのはなぜなのか、
その疑問を解き明かそうとしたものです。人類が発展する際に生じた多くの事件や出来事について
その因果関係の連鎖を科学的に解明しようとしています。テーマが多岐にわたるため、内容をまとめたり
筆者の主張を要約することは困難です。ただあえてこの本の最大の主張を挙げるなら、
それはユーラシア大陸が東西に広がりアメリカ大陸が南北に広がっていたことが、後のヨーロッパ人による
新大陸征服につながったということです。
もう一度いいます。この本の中では戦争が文明の礎という主張はなされていません。
>>258 >それから、集約農業の対処として適さなかったというのも大嘘。
>色んな植物が集約農業に適するよう品種改良されてきたのが事実。
>アフリカでは交易する必要がなかった、つまり農業も必要なかっただけ。
確かに集約農業の対象となる作物が品種改良されてきたのは事実です。
しかしそれらの作物の野生種はもともと作物化に適した特質を持っていたのです。たとえば
小麦や大麦の野生種の穀粒の重さは平均的なイネ科植物の10倍以上はあります。
そしてなぜ熱帯にはそうした野生種が乏しかったのかは
>>239で述べたとおりです。また西アフリカでは
もろこしやアフリカヤムイモ、スイカなどを対象に粗放農業が行われています。農業自体は行われているのです。
261 :
世界@名無史さん:03/02/22 12:35
262 :
世界@名無史さん:03/02/22 12:43
>>259 馬鹿じゃねぇの?
タイトルを見ろ、「銃・病原菌・鉄」だぞ、征服の3大アイテムとして
「銃・病原菌・鉄」を上げて、なんであの方向に征服したか書いてるだけ。
栽培化の背景には季節的変動の大きさ、それを補うための貯蔵技術などが大きいです
たとえば類人猿段階においても、通年的利用可能な葉、茎利用を選択したゴリラは活動範囲が小さく、道具利用もしません
一方、季節変動の大きな果実利用を選択したチンパンジーは、活動範囲がより広く、集団関係もダイナミックです
また、道具利用による採食はメジャーフッド以外に向けられ、欠乏期に高エネルギー食を得る方向性が見られます
これにより、西アフリカではサバンナ地帯や高山地帯にも進出しています
おそらく、最初期の人類は、鮮新世の氷期(アフリカでは乾期)に直面して、チンパンジーよりさらに開けた、乾燥地を選択したかとり残されたのでしょう
そこでは、食物資源の季節変動はより大きく、分布もまばらなため、直立二足歩行による長距離移動、物資の運搬と貯蔵、個体単位ではなく集団単位での採食(個体間の共同)が発達したのです
続き
次の気候適期に、人類は一気に旧大陸全体に広がります
そこで、地域的な環境に適応、とくに高緯度地帯では季節的に大きな群れをなして移動する動物狩猟に適応してゆきます
一方で、アフリカ赤道地帯を中心とした熱帯では、植物利用が大きな比重を占めつづけてきました
そんな中で更新世末のエジプト、ナイル川流域では、ナマズ類を中心とした魚類とオオムギなど穀類の利用に適応した生活があらわれます
それぞれ、採取可能時期が異なるので季節変動を乗り切れる、また一定の貯蔵技術も発達したことと思われます
レヴァント地域ではおもに羊類、レイヨウ類と植物利用(ナッツ類、小麦)といった具合です
そして、これらの地域では季節変動だけでなく、周年的な気候変動の影響をもろに受けやすい条件があったので、食料資源の管理技術(栽培化、家畜化〉が発達したのです
(もともと年間降水量が生存限界に近いので、いったん気候が悪化すると数少ない生活適地に人口が密集するという圧力もある)
その過程で、居住地の集約化による生産、貯蔵の効率化や、必要資源の長距離交易が発生します
一方で、アフリカ中央部や中米パナマ地溝帯、インドネシアやパプアニューギニア島嶼部などで、遅くとも更新世末から最新世初頭には根菜類利用がはじまっています
しかし、これらの地域では中東のような圧力がかかりにくいので、特定の食物資源の管理や貯蔵は発達しにくかった
あるものが不足でも、それを補うものがすぐに見つかる、その繰り返しで、結果的に「停滞的」に見える
ちょっと本筋とは外れるかもしれませんが、こんな過程から捉えることで、都市化や文明を見ることが出来るのではないでしょうか?
266 :
世界@名無史さん:03/02/22 13:02
正直、「銃・病原菌・鉄」ってそんなに信用できないのだが。
>>264 スレ初期で
>>1を煽っていたジサクジエンと思われ
268 :
世界@名無史さん:03/02/22 13:53
>>265氏はきちんと把握しているようですが、他の方々はアフリカという呼称で何
を想定しいるのか明確でありませんね。
アフリカ大陸の気候風土植生は多様です。サハラ以北も文化圏で言えば非アフリカ
に分類することもありますが、エジプトもアフリカ大陸の中にあるのですから、こ
こで、都市文明を生み出さなかったアフリカというのは、地理的概念としてのアフ
リカ大陸の一部地域であるはずです。
269 :
世界@名無史さん:03/02/22 13:55
>>267 逆だろばーか。「銃・病原菌・鉄」を読んで、叩き台にする方がば〜か
だよ。あの本は西洋人による諸外国支配を正当化したいという意識に
あふれてる。正当化手段に人間の業を持ってくるとこなんざ、キリスト教
布教活動を正当化してたバチカン並みの厚顔無恥と思うがね。
そこまで読み込んで物を言え
>>264ばーか。
270 :
世界@名無史さん:03/02/22 13:56
>>268 ばーか。簡単に言うと土人文明の事だよ。
>>270 トンブクトゥとかアクスムとか知ってる?
272 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/22 14:13
おめーら罵りあいはやめろ。
マターリやれよ。
氷河期文明に話を戻せば、やはり無理があるでしょう
集約化を必要としない熱帯地域と、季節的な資源利用に特化するそれ以外の地域に分かれるのですが、後者の環境収容力の低さから、十分な人口圧が生じない、結果として集約化がおこらないわけです
ところが、氷河期の終焉にともない、前線帯が北上すると、熱帯地域と温帯地域の間に、乾燥したベルト地帯が生じます
中東〜北アフリカが先鞭をつけるのは、この緯度帯にまとまった陸地があるからです
(ヒマラヤ山脈以東では、季節風の関係上乾燥帯が生じません)
氷河期末から後氷期にかけて、この乾燥地帯は振幅の激しい変動に襲われます。
降水量が増加すれば人口が増加するが、好条件は持続しない
その過程で、「文明」への過程が一歩ずつ進められたのです
ちなみに、北米〜中米や南米の太平洋岸でも同様な条件はありますが、人類の到来、定着が最終氷期末〜後氷期だったため出遅れています
その後に到来する何度かの小氷期が、それぞれ圧力となるのでしょう
集約化の開始期をよく物語っている遺跡として著名なのはイェリコです
その最初期(無土器新石器文化A)から、レヴァントの比較的水に恵まれた地域には同様な集住化、小麦栽培化の拠点が増えます
ただし、動物資源はガゼル主体で狩猟によっていたようです
一方で、やや内陸では動物資源の獲得に特化した遺跡が出現します。遊牧民の起源というよりは、分業化の兆しとでも言うべきでしょうか
定住化、集住化は、身近な範囲での自然資源の獲得に支障をきたしますから
そのうち、動物資源に対する対応は、家畜化として解決方法を見出します
一方で、石器石材やアスファルト、そのほかの鉱物資源など、人間の手では作り出せないものについては、他所との交換、交易に頼らざるを得ません
これは、端から対等な関係での交易として表れるのではなく、定住化の先行する地域からの資源探索が広がり、その過程で現地民との交流がおこる、その中で、情報、技術が交換されるという過程のようです
アナトリアから地中海沿岸、メソポタミア、その東や北の山地、ナイル川上流域など
それらの地域も、もちろん、程度の差はあれ、植物の栽培化や定住化が進んでいました
そこに、先行地域からメジャーフッドとして小麦、そして粉食の技術が入ってきます
一方で、エンドウマメや各種雑穀などが先行地域に流入してきます
このあたりになると、単に、食糧生産における分業だけでなく、食糧生産に従事しない交易者など、社会内の分業、分節化は進行します
そして複雑化した社会を取りまとめる機構も出現するのです
この段階の居住地を「都市」と呼ぶか それは定義論になってはしまいますが
イェリコやアナトリアのチャタル・フユックなど、外部への防御、分業化、宗教的施設が出現しています
しかし、居住スペースや埋葬に関しての極端な格差や、集落内での特定区画の囲い込みはまだ見られない
遠隔地にしかない限られた資源以外は自給自足である、といったことから、まだ「都市」には至らないのではという感じでしょうか?
>264
知能レベルをさらしているというかなんというか(苦笑
>262あたりは本を読んでないか読んでも理解していないのがバレバレ。
>267
私はむしろ>1が戻って来たような気がしますが。
278 :
交易は文明に先行する論者:03/02/22 16:26
>>275 :つるめそさんへ
これまで関られてた議論はROMさせていただいてました。
私の理解が至らない面もあると思うのですが。
よければ質問させてください。
>イェリコやアナトリアのチャタル・フユックなど、外部への防御、分業化、宗教的施設が出現しています
>しかし、居住スペースや埋葬に関しての極端な格差や、集落内での特定区画の囲い込みはまだ見られない
定義論をそれ自体として追求する気はないのですが、どうしても切り離せない面もあると思っています。
この前提でもよければ、質問をお願いします。
a)「居住スペースや埋葬に関しての極端な格差」つまり恒常化した社会体制が成立していない段階での“都市”というのは可能性が考えられませんでしょうか?
一例、氷河期や石器時代ではないですが、私は、北米ミシシッピアン文化のポバティ・ポイントを都市とみなす可能性はきちんと検証されるべきだ、と考えているのですが、
一端、文明かどうか、と言う評価は棚に上げておくとしても、都市かどうか、と言うことについて、いかが思われますか?
>遠隔地にしかない限られた資源以外は自給自足である、といったことから、まだ「都市」には至らないのではという感じでしょうか?
この感じ方は、わかるつもりです。あえてお聞きしますが。
b)イェリコ、チャタル・フユック、それぞれの地域で異論の余地なく都市(文明とは限らない、判断保留するとして)が成立した段階での主要遠隔交易品目については、
イェリコ時代、チャタル・フユック時代、のそれと継続性は言えますでしょうか?
無理にとはお願いしません、地域ごとに事情が異なると思いますので、お聞かせ願える範囲で結構です、知見をご紹介いただけたら幸いです。
>>278 a.についてはすみません、私個人としては「都市」とは呼びがたいと思います
過去レスでの議論を参考にしてくださいとしかいえません
ただ、乾燥地帯での定住化と農耕化が軌道に乗る時点というのはかなり重要だと思います
レヴァントでも、インダスでも、定住化と農耕化の初期は、「飢餓か成功か」という状況が正解らしいので
投下した労働力に対して見返りとしての食料は年1回しか得られない、貯蓄の少ない時期には予想配当の大きなズレがすぐに悲劇を呼びます
自然資源に依存しているなら、その場を放棄すればよいだけなのですが
このターニングポイントを脱して恒常化した集落・居住地は、「都市」とまでいかなくても、それ以前の時代とは一線を画して捉えるべきでしょう
なお、三内丸山などは、このターニングポイントを脱していません
こうした過程の中で、居住をともにする社会の中で、血縁よりも地縁に重きをおく方向性が出てきますがこれはまた別の話
b.金属器出現以前の最大の交易品目は、アナトリア内陸山地産の黒曜石です。金属器が出現して後も、継続します
アナトリア東部沿岸地域の新石器時代社会の発展は、どうも黒曜石の獲得を目指したレヴァント地域からの活発なはたらきかけを契機とするようです
残念ながら、有機質の交易品目については現時点では検証の余地は乏しいです
個人的に異論の余地のない「都市」の成立した段階となると、イェリコやチャタルフユックではなくて、もっと下ってしまうのですが…
とくに目立ってくるのは西アジア〜中央アジア産とされるラピスでしょうか
地中海地域では、青銅器利用が本格化すると錫の交易が重要になるようです
焦点がボケているかもしれませんがこんなところで
280 :
世界@名無史さん:03/02/22 18:20
>>276 ばーか。イノシシの獰猛さを知らないで、家畜化を語ってる本だぞ。
世界史板でコテハン名乗るヤシはマジレス本位なのが偉いと思うが、
荒らしにもマジレスするヤシが多いのはなんとかならんもんか。
282 :
世界@名無史さん:03/02/22 18:41
>>281 嵐にマジレスカッコイイ。
専門板では嵐にマジレスカッコイイ。
結局なんだ、個人攻撃に移る奴は
>>1か同程度の奴
なんだと自ら証明してるだけなんだよな。
ここまでカキコがついた流れを把握してもらいたいね。
自分の意見と違うからといって阿呆な事をいう奴の気がしれん。
反論されようが建設的な意見は出ないのかと嘆息する。
じゃ個人攻撃に移るのを見た場合は放置の方向で話進めましょ。
284 :
世界@名無史さん:03/02/22 19:14
実は地球のほとんどが氷河期であった時代、逆に南極は緑にあふれた温暖な大陸だったと言われています。
その頃南極には非常に高度な文明が栄えていました。
実にその水準は現生人類に匹敵するものであり、地球外文明とも交流がありました。
しかし彼らは最後の氷河期が終わった1万年前、忽然と姿を消してしまったのです。
今はただ世界各地の神話に、その名残を残すのみです。
様々な民族の神話に今生きている人間に先立って存在した、神のごとき人々が登場しますが、
これは南極の超文明を目撃した、現世人類の祖先たちの記憶が、形を
変えて伝わっているのです。
彼らはどこに行ってしまったのでしょう。
全ての答えは南極の氷の底に眠っているのかもしれません。
285 :
世界@名無史さん:03/02/22 19:18
>>284 それが本当(俺は嘘だと思うけど)だったとしても、スレの主旨、
氷河期に文明がっていうのとは、ちょっと違うんじゃないの?
温暖な地方だったら、まったく別問題。
>>284 いちおうマジレスしますが
>地球のほとんどが氷河期であった時代
気候変動は全球規模で起こります。どこもかしこも氷づけになるわけではありませんが
両極から高緯度地帯は氷づけ、やや緯度が下がると寒冷、現在の乾燥帯はむしろ多雨(前線帯が南下するので)
しかし、氷として固体化する分が増えるので降雨量は全体で低下、という具合です
地磁気逆転現象が、自転軸の大幅な変化を示していると誤解されているようでしたら
天文・気象板あたりで質問してください
わずか数千〜1万年くらいの間に、自転軸が90度とか180度も傾くことがあったら、地球という天体に何が起こるのか?と
オッカムの剃刀っと
人
(・∀・) ベカーム!
289 :
世界@名無史さん:03/02/23 01:07
つるめそさん、詳細な情報整理ありがとうございます。
>氷河期末から後氷期にかけて、この乾燥地帯は振幅の激しい変動に襲われます。
>降水量が増加すれば人口が増加するが、好条件は持続しない
>その過程で、「文明」への過程が一歩ずつ進められたのです。
というご指摘は重要だと思います。
農耕成立には、このような「いちかばちか」のプロセスがあったのでしょう。
ここで農耕開始に成功して定住を維持できた社会が無土器新石器文化Aに向かい
定住を放棄して遊動生活にもどった社会がハリフィアン文化になったのだと
考えることができます。
この段階の農耕はいわゆる粗放栽培と呼ばれるものであったと思いますが
この段階から集約的な農耕が開始されるにいたる要因についてはどのような
ものがあったとお考えでしょうか?
>>290 粗放栽培から集約的な農耕といっても、メソポタミア〜エジプトにかけて、集落・都市の調査のみで生産施設については実体が分からない(というか残っていない)ため詳細は不明です(逃げ)
少なくともユーフラテス中流域(現在のシリア東部)では、無土器新石器文化AからBにかけて、出土するコムギ、オオムギの粒径の増大や、稔っても落ちないといった変化(品種改良)が顕著なようです
また、貯蔵施設の確立と大型化(プラスターを内張りした竪穴)、粉食利用のための石臼類の大量出土など、コムギ、オオムギ利用の安定化、拡大再生産が可能になったことを示しているようです
生業をほぼ一本化してしまうということは、ほかに逃げ道がなくなることですから、大規模化、集約化は必然
不安定な天水に頼るよりは灌漑、そして大規模化のために低地へ進出と
ただしこのプロセスは、中東ではかなり長い時間を必要としているようです
なお、コムギ、オオムギ利用の安定、拡大については、後氷期の変動期から温暖化という気候変化が作用している可能性もあるのかもしれません
いったん増えてしまったものを維持するために泥縄的に集約化、大規模化へ…
ただ、最近の年代測定技術の進歩にともなう中東地域の暦年代の議論についていけてないので詳細は分かりません…
遊動生活に戻るってそう簡単にできるのかなあ…
>>292 この場合、完全定住から遊動生活に戻ったのではなく
季節的な移動生活(複数の拠点間を移動する)から、かたや完全な定住化の方向へ、一方は、季節性の移動のままでというように考えてもらったらいいかと
>>292 「簡単に」もどったわけではなく、環境の悪化でナトフィアンの
定住集落が崩壊し、生き残りが遊動生活に活路を見出した、ということ
だろうと思います。
逆にいうと、農耕の開始はそういう危機的状況での起死回生の手段で
あったということみたいです。
「小麦を栽培化せよ −ナトフィアン集落最後の挑戦−」みたいな。
そういうがけっぷちに追い込まれることが農耕開始の必要条件ですが
もちろん十分条件ではなくて、単に定住集落が崩壊することの方が
多かったと思います。がけっぷちに追い込まれて、なおそれを脱出
できる技術的・社会的条件が必要であったことでしょう。
決して、「温暖な地域であれば農耕は自然に発生する」、といった
のんびりした話ではなかったと思います。
>>294-295 ナトゥフィアン(レヴァントの中石器時代文化)は定住社会とは考えられていないと思いますが
イェリコやアイン・マハラって定住集落では
なかったでしたっけ?
>>297 ナトゥフィアンに関しては、動物遺体の検討などから季節性が大きかったと推定されています
それ以前には顕著でない、固定的な建造物が現れるという点では変化が生じていますが、まだ洞窟も利用したりしています
>>297 イェリコにはナトゥーフィアンの文化層はないのでは?
301 :
世界@名無史さん:03/02/23 13:29
というか、ごく普通に生産手段の進化として、採取狩猟社会から定住農耕社会
への移行期には焼畑農業などの移動性農耕が考えられているんだが。
アフリカにせよ、東南アジアにせよ、古い形態の農耕社会が残っている地域で
は、今でも焼畑農業が行われているよ。
都市の形成と文明化には、農耕だけではなく、水利灌漑などを伴う定住農耕が
前提となるものだと思うが。
>>301 「ごく普通の思考法」では太陽は地球の
まわりを回っていたりします。普通の考えを子細に
吟味すると意外な発見があったりするものです。
試みに、採取狩猟社会から焼畑農業にどうしたら移行するのかを
考えてみると面白いでしょう。
304 :
世界@名無史さん:03/02/23 15:26
>>302-303 同意だなぁ。
正史と言われてる物は古い新しいの概念を近い遠いで近似してるような気がする。
なーんて俺が今更言う事じゃないけど。
レヴァントとか黄河流域とかインダス川流域で焼畑を行なうと大変なことになります…
現在も焼畑を行なっているのは、「残っている」「原始的」なのではありません
生態環境からみて合理性で説明できるものです
ブラジルなどによる森林の焼き払いは別ですが
306 :
世界@名無史さん:03/02/23 16:05
>>303 えーと。
>>100-200くらいでそれについての論議が始まりかけていた訳だが。
問題とされているのは狩猟採集と定住集約農耕の間に
移動性農耕、つまり非定住を前提とした粗放栽培が存在したか否か、と判断。
焼畑のような植物の高度成長性を必要とする農法はユニヴァーサルなものとは思えないが、
前述の非定住を前提とした粗放栽培がすべて焼畑であったとする必然性もまたないものと思われ
このスレの流れとして、中東地方では氷河期末の乾燥化および振幅の激しい気候変動が
断続的に高い人口圧を生み、文明化が進んでいった。つまり乾燥化(ないしは環境悪化)が
文明の必須条件ということになりつつあるみたいだけど、それじゃ長江沿岸はどうなるの。
やっぱり中東の文明の影響を受けるまで、中国文明は成立しなかったということになるの?
厨な質問スマソ。
308 :
世界@名無史さん:03/02/23 16:16
>>305 現在の環境からの推測で焼畑農業が一般的ではなかったという
のはどうかな。
農業革命が大規模な環境破壊を伴ったことは常識だと思うが。
逆に、焼畑農業などを継続することの出来ない環境が定住農耕
への圧力になったと考えたほうが素直に思える。
定住の前提は、固定した居住地のその周辺で必要資源がまかなえるかどうかです
農耕・牧畜のような資源生産が確立していない段階では、必要資源を確保するためにかなり広い範囲を開発する必要が生じます
このため、固定的拠点的な生活地だけでなく、離れた場所の資源確保のための分村、作業場のようなものが必要となります
そうした場所で活動を行なうのは、拠点から分遣される作業集団であり、完全な分業ではありません
また季節的なものだったりします
レヴァントのナトゥーフィアン、日本の縄文のかなりの部分、北米北西沿岸の定住的インディアンなどの社会などが当てはまるでしょう
植物資源の管理・保護・栽培化はこうした生業−居住形態の中で、季節的な資源獲得の一部門として進行し、ある時点でメジャーフッドになると考えられます
310 :
世界@名無史さん:03/02/25 21:07
>>309 つまり植物資源の管理・保護・栽培化が定住に先行するという理解でよろしいか?
数週間おきに転居とかやってたら作物の世話なんてできなさそう。
というか世話するって思いつかなさそう。
焼畑も、農業技術が何もない状態で思いつけってのは無理なような。
作物が自生してるところに暮らしてて、
世話してあげると収量があがるってことが経験的にわかってきた・・・
て感じが自然だと思う。
自生してくれないところでもそれをできるようにするのが
焼畑農業じゃないかな。
>>311 現在、焼畑農業をしながら、移住生活を行っている部族もいるとか。
「定住」しなくても「周回ルート」は決まっているようです。
遊牧民族だって、でたらめに放浪してるわけではなく
いちおう移動ルートの取り決めというものはあるわけだが
>>311 スレのはじめの方でそれに対するアンチテーゼとして
栽培というのは効率化された採集だ、という意見が出てきてるがどうか?
>>310 基本的にはそれで
ただ、移動vs定住という二元論ではちょっと難しいかと
民族例でも、次々と居住地を移動してゆく例もあれば、拠点をもち季節的に移動する例もあります
複雑さや計画性という点で、後者のほうが新しく発展してきた(しかも四季のはっきりした中高緯度帯で)と
有用植物の管理と収穫は、たとえば河川を俎上するサケなどと同じく、季節的な生業スケジュールの中に組み込まれていた
上エジプトのナイル川岸では、後期旧石器時代(1万8千年前)からこうしたパターンの確立が見られるようです
日本列島では、遅くとも縄文時代早期(1万〜8千年前)、福井県鳥浜貝塚の事例があります
>>312 それはどのくらいの頻度で移転するの?
>>314 栽培が採集の延長上にあるというのはその通りだと思う。
どのへんがアンチテーゼになってる?
317 :
世界@名無史さん:03/02/26 22:57
>>316 採集ってのは定住を前提としないから、
>作物が自生してるところに暮らして
いなければ
>世話してあげると収量があがるってことが経験的にわかって
こない、とは必ずしも言えないのでは?
「作物が自生してるところ」がテリトリーの一部でないと栽培を思いつかない、
というのなら解る。
>>316 南米・アマゾンの事例では2、3ヶ月。
オーストラリアだと一年単位…
と、記憶してます。
>>318 なるほど、2、3ヶ月でも農業できるんだ。
どういう農業なんだろう…
>>317 定住してても採集はできるわけで…
って、レス100番台の議論を繰り返すことになりそう。
とてたさんの言うアマゾンでは
>>173みたいなことをやってるのかな?
これがうまくいくんなら定住しなくても農業思いつきそうだ。
鳥に食べられないか心配だけど。
もし焼畑が農業の発祥だとすると、焼け跡にたまたま種を落として、
草原だったところに作物の実がなることを発見した…って感じかな。
なんかありそうな気もしてきた。
なんとなくこのスレでは古代人の知識や能力をみくびってるような気がする。前のほうのレスでも
アリストテレスがネズミの自然発生説を唱えたことなどがあげられていたけど、そういった考えは
むしろ文明化が進んだ都市の住民に限られるような気がする。たとえば自分などは田舎の出なんだけど、
子供の頃は納屋でネズミの子供(赤裸なやつ)を見つけたり、スズメの巣から卵をとったりしてた。
庭先でスイカを食べて種を吐き散らしながら、来年はここから新しいスイカが生えてくるかな、
なんて思ったりしてた。まして、食料をすべて周囲の自然から調達していた初期人類は、自然に対する
きわめて精確で膨大な知識を持っていた事とおもう。彼らは、種から植物が生えることはもちろん
どの植物がどんな場所でよく生育するかということもかなり知っていたにちがいない。適当な野生種さえあれば
彼らが粗放農業を始めるためのハードルは決して高くなかったと思う。
というわけで、自分は氷河期にも農業はおこなわれていたと考えます。(もちろん温暖な地域で)
アリストテレスからちょっとだけ後の時代、大学問都市アレキサンドリアの
高名な哲学者は地球が球体であることを見出しましたが、世間の人々は
世界が平らだとか亀の上にあるとかいう世界観をそのまま信じ続けましたし、
そのような迷妄が掃われたのは科学が進歩し、なにより、教育が広まったからです。
農民だろうと田舎者だろうと国民のすべてが義務教育を授かる身となり、
数千年来の人類の知識情報の集積の薫陶を受けている我々の情報水準を、
古代人に安易にそのまま当てはめるのは非常に危険な態度と思われますが。
>>148でアリストテレスの自然発生説を紹介したのは俺だが
俺は別にアリストテレスや、古代の人々を馬鹿にしているわけではない。
たとえばシチリアのエンペドクレスはダーウィンのソクラテス以前の先覚者
とも呼ばれた哲学者だが、自然選択を先取りするかのような学説を唱えた。
アリストテレスはエンペドクレスを批判して独自の見解を示したが、
この理論は二千年の間最高の知恵と讃えられ、今なお命脈を保つ。曰く、
「自然は死んだ物質から生きた命をあまりにゆっくりと徐々に移行させるので、
これら二つの間にある境界は不明瞭で、ほとんど見分けがつかない」
ただ、この偉大なる賢人、自然科学の父にして諸学の父たるアリストテレスは、
この理論にちょいとばかり余計なことを付け加えた。
「そして、自然は今も絶え間なく自然発生を通じて様々な生物を生み出している」
アリストテレスが自然発生を主張したのは、植物、二枚貝、巻貝、
蛆虫、蛭、クラゲ、エビ、昆虫等々、多岐に上るが、これは一つには、
これらの繁殖と発生の機序を理解するのは当時の知識では非常に困難だったためだ。
だいたい、今現代においてすら、ウナギがどこでどうやって繁殖するのか、誰も知らんのだよ。
ファーブルが生まれる二千年も前に、アリストテレスが昆虫の生態を知らなかったことは責められない。
もちろん体系的な科学を持たない古代人の情報の幅が現代人よりはるかに狭いのは百も承知してる。
しかしたとえば狩猟採集民が犬の出産に立ち会えば、動物が出産によって繁殖するというのは疑う余地のない事実となる。
また採集してきた種子も保存の仕方が悪ければすぐに根や芽をだすから、それをみれば種子と植物の関係も
容易に判断できる。あるいは、どこそこの木の根元にはどんなきのこが生える、あの川辺にはどんな野草が生える
といったように、経験に基づく知識は義務教育をうけずとも身につけることができる。そして最初に農業を始める際
さしあたって必要となる知識は、古代人にとって常識といえるものだったと思う。(確かに球体の地球をイメージするためには
義務教育で万有引力を習わねばならないが)
>>322 勉強になります。ところで自然発生説ってアリストテレスと同時代の農民(農奴?)が聞いたらどう思ったんだろう。
繁殖の場を目にすることが困難な昆虫やウナギについては信じたかもしれない。しかし植物やネズミが自然発生するなんて
聞いたら、鼻でせせら笑ったんじゃないかと思う。
種を撒けば芽が出るとか、ネズミが子を産むとかいう事実を自然発生説が否定するわけではない。
問題は、「種がないところに芽は出ない」「親がいなければ子は生まれない」という命題のほう。
自然発生説の迷妄がついに打ち破られたのは、17世紀、顕微鏡が発明されてからのことだ。
最初の顕微鏡学者ファン・レーウェンフックは「ゾウが埃から生まれることがありえないように、
ダニや寄生虫も繁殖なしで発生するということはあり得ない!」と高らかに宣言した。
そして、医師にして生物学者のフランチェスコ・レーディは、密閉された容器の中の
腐敗した食物の中からはウジが決して発生しないことを実験によって示し、これを裏付けた。
つまりそれまでは、大きい生き物と小さい生き物は別の法則に従うものと考えられていたというわけだ。
レーディとその後継者たち、レーディ学派はその後も様々な実験を繰り返し、
ほとんどの生き物が生命のない物質から自然発生したりしないことを実証した。
つまり今の我々なら幼稚園児でも知ってそうなことも、彼らが発見するまで、誰も知らなかったのだよ。
アリストテレスの時代の民衆について知ることは困難だが、アリストテレスの迷信の影響はその後も
民衆レベルではしぶとく生き続け、「卵からイモムシが、イモムシからサナギが、サナギから蝶が」出てくることを
発見した18世紀の昆虫研究家マリーア・ジビュラはホラ吹き、ペテン師と見なされて散々な目にあった。
ところがこの後今度は単細胞生物が自然発生するかどうかの
長い論争が二百年以上にも渡って続くことになる。
自然発生説の息の根をついに完全に止めたのは、
細菌学の父、パストゥール。彼は密閉の上殺菌された
フラスコの中からは一切の微生物が生じないことを実演した上で述べた。
「生物がそのもととなる胚もなく、自分と同じ形の親もなしに発生すると
考える理由は一つもない。そのようなことを主張する教えは、この実験が
与えた致命的な一撃から、けっして立ち直ることはないであろう。」
というわけで、自然発生説というのは前近代の生物学史において
非常に重要な影響力を持って存在していた学説であり、
決して無知な都会人の妄想などではないわけだが。
この頃の学者でさえ今から見たら抱腹絶倒な珍説を披露しているのに、
ましてや、アリストテレス以前、科学も哲学も無かった時代の
ただの一般人レベルの人間が、どれほど正確に自然界を
分析的に理解していたかといえば、推して知るべしというものだろう。
それでも、「種を撒くと撒かないときより多くのムギが生える」
という事実にさえ気付くことができれば、粗放農業は始められるわけだが。
たとえ、ムギが地面から自然発生するのだと彼らが信じていたとしても。
>つまり今の我々なら幼稚園児でも知ってそうなことも、彼らが発見するまで、誰も知らなかったのだよ。
職業や階層が現代より固定されていた時代、科学者を含む都市住人と農民とでは知識の量と質が全く違ったとは
考えられませんか。農民の多くは文盲であり生涯に一冊の書物も読まない、一方都市の住人も農民や農村に
関心を払わず両者の間の知識のやり取りもほとんどなかった、と考えられないでしょうか。歴史に名が残り、
後世にその思想が伝えられるのはたいがい都市の住人です。しかし自分は、農民は身近な生物の生態に関しては
都市の住人よりも詳しかったと思うのです(たとえ後世に伝わらなかったとしても)。都市の人間が政治や軍事に
精通していたように、農民も作物や家畜に精通していたのではないでしょうか。そして農民の知識は狩猟採集民のそれと
本質的に同等のものではなかったかと思うのです。
べつに農民や狩猟採集民の生活が合理的で現代的であったとは思いません。多くの迷信や恐れが彼らの生活に
付きまとっていたことは事実でしょう。しかしそれは動植物に対する正確な知識を必ずしも排斥するものではなかったと思います。
>>320 君は様々な要素をごっちゃにし過ぎている。
粗放的農業を始めた人々は、まだ農民でもなんでもなかった。
粗放的農業の出現からアリストテレスの時代までは数千年、
下手すりゃ一万年以上かもしれない時間が経過している。
職業や階層が固定、その前に出現するまでにも相当な間がある。
灌漑やら肥料の使用やらが始まって以降の農民は、
少なくともそのような農耕に必要なだけの経験的知識を蓄積していたろうし、
バビロニアの農民はバビロニアにおける農耕について俺よりよほど詳しかろう。
しかし彼らが、家の近所にいくらでもいる蝶々がイモムシとは別の生き物だと
当然のように考えていたとしても、彼らの生活に不自由はなんら生じない。
一度、自分の常識をすべて廃して、ものを考えてみるといい。
ピラミッドが実は公共事業だったという理由でヘロドトスを笑うことができないように、
古代人が身近な生き物についてなんら科学的知識を有さなかったことなど何の問題もない。
>320のほうが正しいな。
実例として、ニューギニア高山地帯の先住民が挙げられる。
彼らは20世紀の半ばにいたるまで、ほとんど石器時代と変わらない生活をしていたが、
食物を手に入れるために必要な知識(たとえば食用植物と毒を持った植物の見分け方や
狩猟対象となる生物の生態、またイモなど栽培にかかわる数々の知識)
に関して、実用レベルではきわめて正確で豊富な知識を有していた。
だいたい、我々自身のことを考えてみよう。
米にしろ麦にしろ食用植物が種から生えてくることを「知識」として知っていても、
実際に蕃種から栽培、収穫にいたるまで実際に完璧にこなせるだけの「知恵」を
持っている人間がどれだけいるよ?(もちろん農家は別だが)
>>320 何がどこに生えてるかは知らないとそもそも採集生活やってけないだろうから、
それに手を加えることを思いついたときが農業が生まれた瞬間だよね。
氷河期から農業やってたとすると…
いつ頃人類は「手を加えれば収量が上がる」って知ったんだと思う?その理由は?
誰も実用レベルの経験的知識の存在を否定しちゃおらんわい。
彼らがイモ栽培の知識を持つのは、イモを栽培している以上当然のことだ。
ただ、長い世代に渡って同じような生活をし、そのような知識を
必要としたが故に長い試行錯誤の上にそれを獲得した現代の採集民族と、
新しい産業にはじめて手を付けようとした頃の古代人とでは背景が違う。
たとえば、我々は必要にかられて遺伝子改良作物を開発したが、
それについての経験的知識を何ら一切有してはいない。学者でさえ。
遺伝子改良作物を食すと早死にする、あるいは平気、などの経験的知識は、
これから、時間をかけて獲得していくよりしょうがない。
後段の問題は、むしろ逆なんだよ。
播種、栽培、収穫を完璧にこなせるということは、
彼らが育種学の知識を所有していることを特に意味しない。
文字通り、それを実行するのに必要な知識だけがあればいい。
彼らが、彼ら自身の生活における「知恵」を有しているからといって、
我々がもっているような自然科学の知識を持つことを何ら意味しないし、
だからといってそれがどうだというものでもない。
人間、生物がいかに発生しいかに進化するかなんぞ知らんでも困らないからな。
>ただ、長い世代に渡って同じような生活をし、そのような知識を
>必要としたが故に長い試行錯誤の上にそれを獲得した現代の採集民族と、
>新しい産業にはじめて手を付けようとした頃の古代人とでは背景が違う。
現生人類の直接の子孫であるクロマニヨン人がネアンデルタール人にとって代わったのは4万年前です。
たとえば1万年も経過すれば彼らは十分に現代の狩猟採集民と同等の知識を得られるとは思いませんか。(個人的には
新たな土地に進出して数百年も経てば可能と思います)
それからレスを読み返してもらえれば分かると思いますが、自分の書いた古代人の知識というのはあくまでも
経験に基づいたものです。科学的知識を持っていたとは自分も思っていません。古代人が持っていたのは体系や法則ではなく、
事実の羅列のようなものであったと思います。狩猟採集民にとっては動植物の生態を誤って理解することは死につながります。
そのために生物に対する、より精確で膨大な事実の羅列を蓄積していったのだと思います。
>>330 現生人類が広がった4万年前から、可能だったと思います。(アジアでの現生人類の登場についてはよく分からんのですが)
・・・眠いんで今夜はもう落ちます。スマソ。
一万年間、気候条件も環境条件も変わらず、移住もしてないならな。
農耕の出現が気候の大変動に前後しているという前提を忘れたか?
君は自分が持っている科学的知識と経験的知識を混同している。
人間は素朴な経験から素朴な理論を導きだす能力を有している。
たとえば、重いものは軽いものより速く落ちる、という考えは
科学的には正しくないが、事実の羅列ではなく理論的な概念だ。
そして、このような概念――心理学でいうnaive conception――は
日常経験を通じて自然発生的に獲得される。
こういう概念はれっきとした知識体系を形成し、素朴理論、
因果的説明の枠組みとなって日常生活の中での実用的価値を持つ。
また、このような知識体系は親から子へ受け継がれもする。
こういうものは基本的に人間なら誰だって持っているし、
ニューギニアの人々の生活もこれに依存してることだろう。
むしろ、難しいのは事実の羅列のほうだ。
蝶がサナギから孵化するという事実は、ヒマな昆虫学者が
延々とサナギを観察し続けることによってやっと発見されるものであり、
日常生活における経験からは導くことのできない「事実」だ。
アフリカのある地方で暮らす農民は、ふだん野生動物なんか
まず目にする機会がないので、ほんのわずかな動物から成る
みすぼらしい移動動物園を見物するために殺到する。
それに引き換え我々は動物図鑑を気軽に読むことができるし、
行く気になれば簡単に動物園にだって行ける。
事実へのアプローチにおいてlこそ、我々は古代人を圧倒する。
ヒマ人たちが長い歴史をかけて獲得したいくつもの事実に触れられるからだ。
古代人達は、生物に対する、正確でも膨大でも、必ずしも事実でもない、
しかし実用的な対処方法を経験的に獲得することには成功したろう。
でも、地べたをはいつくばって、昆虫の生態に関する
無数の「事実」を発見するほどヒマじゃなかったのだよ。
334 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/02/28 02:08
>>332 >たとえば1万年も経過すれば彼らは十分〜
はっきり言って無理でしょう。
クロマニヨン人達は、手っ取り早くカロリーを得る為に、周囲に豊富に居た大型獣の狩猟に最適化していたと考えます。
食域が拡大され、植物性の食料を採集し始めるのはそれよりも後の事で、粗放的農耕に手を付けるのは恐らく2万〜1万5千年前の話でしょう。
これは勝手な推測では無く、傍証があります。
数々の洞穴や遺跡に古代人達が残した壁画です。
5〜2万年前の壁画には、狩猟以外の生活形態は描かれておらず、また大型獣以外の動物、鳥、植物もモチーフになっていません。
当時の彼らの興味の対象は、大型獣にしかなかった事の傍証でしょう。
2万年程前の壁画に至って、初めて木の実等を採集するモチーフが描かれ始めます。
農耕に関係するモチーフとなると、もっと時代を下らなくてはなりません。
>>330の問いに答えるにも、普通に考えれば、採集が始まったと思われる2万年前以上に遡る事は出来ないと思われます。
本筋と関係ないけど、そのような肉食に特化した食性は、
霊長類の中ではかなり稀で、ほぼヒトにしか見られない。
大型動物の狩りが彼らの生活の中で多くの役割を果たすように
なっていくと同時にヒトの生態学的状況は変化を示し、
食肉類の行動に似たような行動様式をヒトは獲得したのだそうだ。
だからして、当時のヒトの生活状況を解き明かすためには、
ネコの生態を研究することが役に立つのだと、動物行動学者で
ネコの行動研究の第一人者であるパウル・ライハウゼンが書いてる。
336 :
世界@名無史さん:03/02/28 02:49
>>332 >そのために生物に対する、より精確で膨大な事実の羅列を蓄積していったのだと思います。
これはその通りだと思います。
>古代人が持っていたのは体系や法則ではなく、事実の羅列のようなものであったと思います。
これは違うと考えます。
事実の集積は観察することによって得られます。そしてまた、新たな観察によって更新されたり
口承によって伝達されたりしてさらに集積されてゆきます。ここまではいいですね?
では、これら集積した事実の間に相関関係を見いだすことは不自然でしょうか?
私はこれを全く自然なことだと思います。
例えば太陽が昇ると暖かくなり、明るくなる。火に近づくと暖かく周りが明るい。
片方は核融合によるエネルギーですし、片方は炭水化物の燃焼エネルギーですから、
科学的には異なった現象と言えます。
しかし、神話的説明にせよ、技術譚的説明にせよ、
太陽と火になんらかの相関関係を付与しない伝承を見つける方が難しいのではないでしょうか。
つまり、近代西ヨーロッパが産んだ「科学」という体系を知らない人々であっても、
彼らの共同体なりの体系を自然現象にそれぞれ付与しているのではないだろうか、ということです。
このスレに即して言い換えると、
自然発生説のような素朴な体系を自然現象に対して付与していた人々であっても、
実用レベルの正確で豊富な栽培知識を組織化、実用化しえた、となるでしょうか。
栽培知識が集積・組織化されるのは、粗放栽培が実行に移され、
様々な試行錯誤が行なわれるようになってからだと思う。
粗放的で、手間をほとんどかけない初期農耕とはいえ、
そこから情報と経験が蓄積されるというメリットは無視できない。
経験的知識や技術ってのは、結局はやってみてナンボだよ。
これは現代の科学や工学においても変わらない。
>>333
>蝶がサナギから孵化するという事実は、ヒマな昆虫学者が
>延々とサナギを観察し続けることによってやっと発見されるものであり、
>日常生活における経験からは導くことのできない「事実」だ。
それでは中国人が蚕を家畜化した事実をどう説明するのでしょう。昔の中国人や狩猟採集民が、現在の科学者と
同等の知識を持っていたとは思いません。しかし少なくとも食用になる生物、生活に役立つ生物、危険な生物の習性に関する
知識については、昆虫学者に引けをとらないものを持っていたと思います。もちろん人目につきにくい地中や水中で行われる
繁殖活動などについては、昆虫学者のほうがはるかに詳しいでしょうが。
>>334
壁画という物証は説得力がありますね。ユーラシア北部やアフリカ北半の人類の食性についてはそのとおりだと思います。
しかしその南方は、どうでしょう。クロマニヨン人(またはアジア人の祖先)が大型獣を狩っていた同じ時代に、
東南アジアやスンダランドでは現代のニューギニア人とかなり近い食性をもつ人々が暮らしていたと考えられないでしょうか。
>>336
納得です。
議論の途中に横レスでスマソです
>クロマニヨン人が大型獣狩猟に特化
高緯度帯については、考古資料と今日の民族例の両面から、大型獣狩猟がかなりのウェートを占めていたといえそうです
しかし、中緯度(日本列島を含む)〜低緯度帯からは、後期旧石器時代の植物利用を示す資料が少なからず出ている
とくに、森林地帯に関しては中緯度、低緯度を問わず、植物と小動物(爬虫類、両生類や魚介含む)利用の方が、効率が良い(作業量、獲得できるカロリー、栄養面での質ともに)といわれています
植物の利用、その中での知識の増加は、間違いなく3万年前以降、最終氷期の期間に蓄積されてきたでしょう
>壁画について
洞窟壁画のモチーフは、彼らの精神面での「重要性」を示しているとはいえ、実生活の上での重要性をそのまま反映しているとは限りません
チンパンジーが、メジャーフッドではない堅果類、昆虫などの食用に関してのみ道具利用を発達させ、「地域文化」と擬せられるほどの多様性を見せること
また狩猟肉食行動に見せる熱狂性などは、生きていくためのなりわい、のほかに、別の基準で重要性が与えられることの起源のようにも見える
>>338 定住農耕化の直前とされる時期の遺跡から出土するコムギなどの粒径が、祖先種よりすでに大型化している点などが注目されています
採集活動の中でも、より粒の大きなものを集める。そうした性質を持つものを保護する(あるいはもたないものを除去する)など、人為的な管理保護や淘汰が行なわれた結果ではないかと
またイネ科穀類は、種子が稔ると穂から落ちてしまう性質がありますが、これは穀類の利用にとって大変問題です
(余談ですが、くちばしの小さな鳥は口先で落ちた粒を選って利用しますが、哺乳類に穀類を利用するものはほぼいないです)
しかし、やはり定住農耕化直前とされる時期から、イネ科植物の茎を切ったときに付く痕跡を残した鎌刃が現れる
穂の状態で茎を切り落として集めていたことを示すが、つまり、種子が稔っても穂が落ちない性質が作り出されていたということになるだろう
これもまた、管理保護と人為的な淘汰の蓄積によるものと考えられる
>>341 古代の品種改良ですな
より粒の大きいものを集めて、それを播種し、意図的に増やすなら、
定住していようとしていまいと間違いなく既に農耕なわけだが
しかし、品種改良に当たっていた彼らは、淘汰とか、突然変異とか、
そういった進化生物学の知識はまず何も持っていなかったろうし、
それでも品種改良が可能であることに変わりはない。
逆に、だからこそ初期人類は驚くべき能力を持っていたともいえる。
>>339 くどいようだが、君自身が持つ動物の生態についての知識の大半こそは、
まさしく歴史上の名もなき学者たちの努力に依存していることを忘れるな。
ついでに、学者の収集する知識というのは、まさにそれが生活に直結せず
必ずしも実用的でないが故にこそ、圧倒的な量と精度を誇ることができるんだよ。
「家蚕における脂肪組織とその主な含有成分の量的変化について」
「家蚕幼虫の体表面から得たリピドの組成(家蚕の皮膚構造特にクチクラリピドに関する研究 VII)」
などという現代の昆虫学研究の水準と伍する知識を、古代人が持っていたとでも?
えー、養蚕を示す最古の痕跡は紀元前七千年頃(新石器時代)の黄河流域、
発見された最古の絹は紀元前二千年紀インダス文明の遺跡のもの、と
何が根拠かは知らんが、はじめ人類は蚕を食べるために利用し、
繭を利用することを思いついたのはその後であったそうだ。
また、今日でも野生の蚕から採取されるワイルドシルクが存在する。
カイコガの人工飼育には高度な技術が要される。なんせ、
ビザンツ帝国皇帝がわざわざスパイを派遣して盗みに行かせたほどだ。
古代の養蚕開発者、中華四千年の繁栄を支えた偉大なパイオニア達は
長い試行錯誤と品種改良を行なった末にそれを実現した。
それは、彼らが、養蚕への挑戦開始以前の時点で、野生カイコに関する
深い知識を持っていたということを何ら意味しない。
家畜化や栽培化が進んで以降は、まさに飼育と栽培のために、
その品種に対する詳しい知識が集められることは当然だ。
しかし、実用的な知識というものは、現代の科学の水準からいって
正しいものである必要は、全くない。まさに利用するに足る知識があればいいのだから。
当たり前だが飼育下の動物と野生動物では情報の集めやすさは全く違う。
野生動物の場合、ヒトの居住地域と軒を接して住んでいても、
野生動物の警戒心の強さゆえに、研究はなかなか容易ではない。
狩りをするなら、どういう手がかりを辿ればそれを見つけられるか、
だの、子持ちのそれは凶暴化しているから危ない、だのといった
経験知は絶対に必要だし、その種の素朴知識は往々にして
学者なんぞには到達できない境地にまで達していたりもするのだが、
だからといって、それでその動物の普段の生態までが分かるわけではない。
アフリカの奥地で野生のピグミーチンパンジーを観察しているある研究者は、
あえて餌付けをせずに、しかしなるべく近くで彼らの生態を観察せんがため、
森の中で木石の如くに静止し、彼らが警戒を説いて近付いてくるのを何ヶ月も待った。
ある研究者は、野生のコウモリが巣穴の中でどう振る舞うかを調べるため、
コウモリの住む木のうろに上半身を突っ込んで仰向けになり、
コウモリの落とす糞尿にも負けず根気強く彼らを観察した。
彼らは、ヒマだ。少なくとも、「狩りに行かないと、あるいは畑を耕さないと
生きられない」という一般的な古代人の生活水準に照らし合わせれば、
カモメのジョナサン並にヒマなことをしているとしか言いようがない。
しかし無数の偉大なヒマ人たちの努力によって学問や我々の常識は支えられている。
そのような彼らの努力は、知識の正確さ、精度において、農民の水準を越えることがないと、
そう抜かすのか貴様は?あ?
>>332 4万年前より以前にはできなかったのはなぜ?
農業誕生モデルを妄想しなおしてみました。
何かの好条件のおかげでそれまでより狭い行動圏で生活できるようになる
→採集対象に少し手をかけられるようになる
→収量が上がり、さらに行動圏を狭くできる
→さらに手をかけられるようになる
→さらに行動(以下略
→定住農耕に収束
どうかな?
>>341の後者の品種改良が定住農耕化の直接のきっかけになったのかも…
>それは、彼らが、養蚕への挑戦開始以前の時点で、野生カイコに関する
>深い知識を持っていたということを何ら意味しない。
古代人が、蚕について生理学的知識を持っていたとは思いません。しかし蚕を家畜化するためには、少なくとも幼虫が桑の葉を
食するという知識が必要です。また幼虫に桑の葉を与えるのは、幼虫がやがて絹糸を吐き出すことを知っていたからです。幼虫が
繭を作り、さなぎとなった後、繭は湯で煮られ虫は殺されます。しかしすべてが殺されるわけではなく、一部は繁殖用に残されます。
繭から蚕蛾が出てきてやがて卵を産むことを知っていたからです。つまり家畜化を始める前にすでに、卵→幼虫→繭→成虫という
生活サイクルやえさに対する正確な知識が必要です。そしてそのような知識は蚕だけでなく、身近な多くの生物に対して持っていたと
考えるのが自然でしょう。もちろん昆虫の変態について彼らが付与した体系は、科学的なものでなく、呪術的なものであったでしょうが。
またビザンツ帝国皇帝がわざわざスパイを派遣して盗みに行かせたというのは、蚕蛾の高度な人工飼育法ではなく、むしろ
絹が虫から生み出されるという事実そのもの(もしくは蚕卵)だったのではないでしょうか。
これ以上の議論をしてもスレが荒れるだけな様な気がしますので、自分は身を引きます。
>>340 中緯度〜低緯度帯において3万年前に粗放農業が起こった可能性についてはどうお考えでしょう。
・・・書き捨てになるので返答なさらなくとも結構です。
なんだ、やめちゃうの?久々にノれる議論相手に巡り会ったと思ったのに。
くどいようだが、別に餌が桑の葉だと知らなくても、
養蚕を始めようとしてから適当に草を摘んできて試せば
そのうち「桑の葉じゃないとムリ」という事実には気付くし
(まあ、野生生育圏を見れば桑が餌だってことくらいは分かろうが)
カイコガの人工交配までが養蚕開始の時点で組み込まれていた必然性もない。
たとえば、幼虫と桑の葉を集めてきて人里で管理して繭を取り、
また次も幼虫を取ってくるところから始める、というやり方が
人工交配が始まる前段階に行なわれていたと想定できるし、
実際、人工交配が困難な養殖漁業などでザラに見られる手法でもある。
古代エジプト人は、何もない大地から誕生するスカラベを
創造と再生のシンボル、創造神の化身として神聖視し、
ハチは太陽神ラーの落とした涙から生まれると考えた。
しかし同時に、ミツバチを飼い、ハチミツを抗菌剤として用いたり、
プロポリスをミイラ用の防腐剤として用いる技術も持っていた。
科学と経験知の関係とはこのようなものだ。
生殖の科学を知らずとも、生殖を利用することはできる。
古代人たちが優れた経験知を既に獲得していたことは、
彼らが西洋的な常識を持っていたことを意味しない。
むしろ、西洋的な常識なんぞなくても、優れた文化は創れる、
という主張にこそ俺はコミットしている。レヴィ=ストロースに怒られたかないしな。
>>345 >品種改良が定住化のきっかけ
意図しないはたらきかけが、結果として収量の増加、安定化につながれば、利用資源の品目の中での優先順位が上昇します
その結果、移動性の生活スケジュールも、重要な食料資源の利用に向けて修正されてゆくでしょう
この過程が一番はっきりと見出せる(考古資料としてみることができる)のが現在のレヴァント地域です
一方で、日本列島の縄文時代では、利用できる資源の豊富さが大きい
特定品目に特化していくよりも、いくつかの資源に分散してリスク回避→季節的な半移動・半定住
北アメリカ北西海岸や、中石器時代のヨーロッパ南西部なども同様な状況が考えられます
>>346 まずは農業、農耕をどう認識するかという問題があります
植物を利用するということと、農業、農耕はイコールではないでしょう(当然ですが…)
管理保護と栽培の間も微妙です
山野草を、自生している場所で採る、ついでに、周りの利用できないものは抜いてしまうとか
開けた場所を好む植物を増殖させるための、伐採、火入れなどから栽培というのか?
現状では、自生地から移植するなどの行為がないと、栽培化、農耕化とは認識しないかと思います
オーストラリア先住民の火入れは、その後の動植物利用を目的としたものですが、意図的な種まきなどはしないですね
南米やパプアニューギニアの根菜利用では、火入れの後、耕す、種芋の植付け、その後も雑草の除去などを行ないます
前者を農耕と言わない、後者は農耕と言う、というあたりが境界線かと
火入れの可能性については、イラン西部の後期旧石器時代バラドスト文化(1万8千年前)に、草本花粉の急増から想定されたことがあります
その後のイスラム革命により調査がストップしているのでそれ以上のデータはありませんが…
低緯度地帯については、アフリカ中部を除いて、その時期の資料が少なすぎる
それでも、旧ザイールを中心とする多雨林地帯では、非常に古い段階(それこそ数十万年前)から、植物利用が行なわれているようだが
ゲーム理論的には農耕は「コストをかけて資源を増やす戦略」と定式化
することができます。こう考えると、ただちに「誰がコストをかけるのか」
「誰が増加した資源を獲得するのか」という問題が浮上します。
特に、コストをかける人間と資源を獲得する人間が別の場合、前者はなぜ
コストをかけるのでしょう? 逆に、コストをかける人間と資源を獲得
する人間が一致する場合には、いかにしてそれは可能となるのでしょう?
これは、知識の獲得とはまた別な次元の問題です。たとえば、サン族に
メロンの栽培を教えるプロジェクトが実施されたことがありますが
メロンの収穫期になると親戚や近所の人がわらわら集まってメロンを
もっていってしまいました。獲物の平等分配の規範では当然そうなるの
ですが、そんなわけでメロンの栽培の方は定着しませんでした。
メロン栽培の知識があっても、必ずしもそれが行われるとは限らない
例といえるでしょう。
351 :
世界@名無史さん:03/02/28 19:57
>>550 すまんが漏れはメロンの植え付け方法を知らないのでオチがわからん。
種イモのようにメロンの実自体を残さねばならなかったのに全部食べちゃったってこと?
栽培知識と実践の問題とはちょっと違いますが、即時消費と時差消費という概念が人類学で提示されています
手に入れてから、食べてしまうまでの時間差は、貯蔵などによって最大限引き伸ばされます
季節性の大きい中〜高緯度ほど時差消費の傾向になる
ある季節に大量に入手できる食料を貯蔵、少しずつ消費して、次の入手の機会までつなぐ
同時に、入手量をできるだけふやすための働きかけも続けられる。これが成功すれば、ほかの食料への依存が減ってゆく
低緯度帯では、一定の食糧に依存しなくても、周囲に利用可能なものが非常に多いので、即時消費の傾向になる
蓄えておかなくても、すぐに次のものが見つかる。また環境条件で貯蔵しにくい(すぐ腐る)というのもありますが
この辺にも、栽培化、農耕開始のヒントがあると思います
>>351 メロンはそこにもらいに行けばよい、ということになって
自分で作ろうとする人は現れなかった、というお話です。
サン族って、ボツワナやナミビアあたりに住むブッシュマンのこと?
東南アジア社会の研究家に昔聞いたことがあるが、ラオスの農民は
二期作とか三期作とかの農耕をして暮らしているんだが、
基本的にみんな働くのが嫌いなので、たまたま誰かしら
畑を耕す(焼畑だったかな?)やつがいると、みんながそれに頼って、
他のやつらは全然働かない。おかげで余剰作物は全然ないし
国はいつまでたっても貧しい(ラオスは東南アジア最貧国)ままなのだが、
そんな生活でも別に餓死する国民がいるわけではない。南国で実りはいいから。
同様に、サン族だろうとホッテントット族だろうと彼らはメロンを食わずとも生きられるだろうし、
それを別に必要としているわけではない人間に何かを教えようとするのと、
生活上の必然から農耕を開始せざるを得なかった中東の人々を想定するのとでは、
状況が根底から違っていると思うのだけど。
まあ、メロンの栽培を教えようとした連中は
国内の産業を育成させて国の近代化をどうたらこうたら、
という構想を練っていたんだろうけど、それこそ、
日々の暮らしに困らない人々がなんでそんなことをせにゃならんのか?
という壁に突き当たるからねぇ。
ラオスでは乳幼児死亡率がべらぼうに高く、その研究者は
医療の整備の必要性を主張していたのだが、俺はこう思った。
それが人間の自然な姿じゃねえか、と。
西洋人の常識を押し付けてはいけないよ。誰にも。
前の方に学者の話があるけど、生活に追われない人が出てくることが、
体系的な観察にもつながるわけですね。
たぶん、それは都市化と関係しているんですよね。
あと、
>>350-354にある話でいいたいことは、
人間は死ぬか生きるかという瀬戸際でないと、無茶な変化を起こさない。
ということでよろしいでしょうか?
それと同時に、気候は産業変動に決定的なまでに影響を及ぼすって話でもある
北極圏と赤道直下のジャングルとでは、本当にこれが同じ生き物なのかというくらい
ヒトの生態ってのは異なってるものだしな
北に住む人は しあわせ 春を迎える よろこびを
誰より強く 感じることが できるから
南に住む人は しあわせ いつでも花の 首かざり
愛する人に 捧げることが できるから
『しあわせのうた』 木下龍太郎 作詞
この南方優越論的な幸福観の是非はともかく、ためしに断言してみようか。
「暖かく、食糧が豊富で、外敵に脅かされない環境では、ヒトは進歩しない。」
緯度の低さだけではなく、水の豊富さとか、いろんな条件が必要になるけど、
そういった環境では古い産業形態がそのまま残存していると。
>>358 進歩とは何かという問題でもあるかと思いますが…
レヴィ=ストロースの小編「人種と歴史」というのもあります
暖かい地方に変化がなく見えるのは、それで十分だからという点に注意
環境収容力の大きさとともに、復元力の大きさもある
バランスの取れた状態=平衡状態=動きが見えない=冷たい歴史
一方で、中〜高緯度地帯では終わりの見えない拡大再生産ループに入って環境の変化=社会や生業の変化を繰り返す
または破滅…
農耕は、複数の植物からなる生態系を破壊することにもつながるので、当然、周辺植生、そして昆虫や動物などのバランスにも変化をもたらします
それを進歩と呼ぶべきかどうか
360 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/03/01 00:18
>>339 スンダ大陸にホモ・サピエンス・サピエンスが定着したのは、約3〜4万年程前だと考えられています。
それ以前のホモ・サピエンス・サピエンスの存在の証拠が今の所見つかっていないからです。
スンダ大陸でのホモ・サピエンス・サピエンスの食性は
>>340氏が仰るとおりだと思います…食性が自然環境に最適化した結果でしょう。
当時のスンダ大陸は食物資源の豊富な温暖な亜大陸であったと考えられています。
恐らく彼らは後の早期〜中期の縄文人のように、ごく短時間の採集だけで生きていく事が可能だったでしょう。
少なくとも、農業に手をつける必要性は、後の時代の人類に比較すると薄かったのではないかと考えます。
後期旧石器時代のデータはないのだけれど、海面上昇後のインドネシア地域の事例
東チモールの洞窟遺跡(リエ・シリ、ウアイ・ボボ)
・BC3000より古いレベル>アブラギリ、エノキ(茸じゃないよ)、ビンロウジ、コショウ?
・BC3000より新しいレベル>ポリネシアグリ、竹、ヒョウタン、粟?
氷河期が終わっても古い段階では、刺激性のもの、薬草的なものが多いようです(スラウェシ島のウル・レアング洞窟も同様らしい)
根菜やバナナなどは、もちろん資料として残らないので検討し難いのですが…
最近、中米パナマでは非常に古い段階(9000〜7000年前くらい)の石器から、イモ起源のタンパク質を検出できたというので、東南アジア方面でも、新しい知見が得られるかもしれないです
>>348 なるほど、ほかの食糧とのバランスもあるんだね。
>>350 コストってそんなに重いかな?
よそから伝わってきた技術を採用するかしないかの二者択一ならともかく、
少しずつ管理技術を身につけていったのならあまり問題にならないような。
環境変動か何かで人口圧が高まっていたときはなおさら。
採集狩猟民って基本的に暇な暮らしなんだよね?
…でもやっぱり働きたくない人たちにとっては重いのかな。
食糧増やさないなら人口抑えるために子供作るの我慢しなくちゃいけないから、
それと働くのとどっちがいいかって問題になるのかも…。
>>359 復元力ってつまりどういうこと?
363 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/03/01 01:36
>>362 あくまで労働効率に限った話ですが…。
狩猟・採集・農耕の三つの労働形態ごとの労働効率を比較した場合、狩猟の場合がもっとも高く、2時間/日、生産年齢人口の40%の労働力で社会の全人口を養えます。
それに対し、採集では4時間/日、60%で、また最も効率の悪い初期農耕では6時間/日、60%が必要とされると算定されています。
農耕は非常にコストの高い生産法であると言えるのではないでしょうか?
364 :
世界@名無史さん:03/03/01 01:39
問題はコスト対効果の数値でわ。
それ、人口とか狩猟場の条件とか無視したデータだろ。
365 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/03/01 01:44
>>364 各労働形態に最適な環境を設定した上で、同一の人口を養った場合の比較です。
>>362 復元力=人為的に変更を加えられても、元に戻れるかどうか
採りすぎても元に戻る
邪魔な(と人間が思う)植物を抜いても抜いても後から生えてくる
火入れをしても、十数年で森に戻る、など
連続カキコすまぬ
>>363-365 364の指摘どおり、単純モデルが何を代表するのか
一口に、狩猟、採集、初期農耕といっても、選択される対象資源、方法によって大きな差が出る
また中緯度温帯の狩猟に関する生態学的データがないのもネック
今日活用できる人類学・民族学データは、低緯度と高緯度に偏っているから
368 :
トトメスV世 ◆prgqkIQ406 :03/03/01 02:01
>>367 確かにそうですね。
>>363の元になっているのは、あくまで現在のデータを元にした算定値でしかありません。
現在、中緯度温帯には該当する狩猟文化がありませんので、その部分は現行のデータを元に推測するしか無いでしょうね。
単なる憶測ならば言った者勝ちですが、参考値としての価値は現行のデータにも十分にあると思います。
_Y_
r'。∧。y.
ゝ∨ノ ,,,ィf...,,,__
)~~( レスが続く間にも _,,.∠/゙`'''t-nヾ ̄"'''=ー-.....,,,
,i i, ,z'"  ̄ ̄ /n゙゙''''ー--...
,i> <i 文明はどんどん発達 r"^ヽ く:::::|::|:::〔〕〔〕
i> <i. していく・・・・。 入_,..ノ ℃  ̄U ̄_二ニ=
`=.,,ー- ...,,,__ |,r'''"7ヽ、| __,,,... -ー,,.=' >ーz-,,,...--,‐,‐;;:'''""~
~''':x.,, ~"|{ G ゝG }|"~ ,,z:''" ___
~"'=| ゝ、.3 _ノ |=''"~ <ー<> / l ̄ ̄\
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|「 ̄ |i ̄i|「.//||「ln|:;
||//__|L_」||__.||l」u|:;
|ニ⊃| |⊂ニ| || ,|/
|_. └ー┘ ._| ||/
ヘ 「 ̄ ̄ ̄| /
諸事情で調査精度が均質でないうらみはありますが
レヴァントをはじめ、西アジア〜北アフリカでは、最終氷期(後期旧石器時代)の遺跡が、前後する時期と比べて少ないというのも興味深い現象です
東西ヨーロッパ、東アジアなどでは、氷河に覆われて根本的に人がすめなくなる地域を除いて、中期旧石器〜後期旧石器〜中石器と極端な遺跡数の変動はないと思われ
中期旧石器時代のレヴァントは、非常に暖かく、湿潤な気候だったことが明らかです(サイ、カバ、ダチョウ、ライオンなどアフリカのサバンナ帯の動物相)
それが、乾燥・冷涼化すると、環境収容力が低下→人口が少なくなる
けれども、居住可能地自体も小さくなるので人口が特定の場所に集まる傾向
その中で、特定資源への依存が高まるというプロセスが考えられます
こうした環境条件下での、各種生業のコストに関するデータがあればよいのですが
371 :
ふと思った:03/03/01 18:18
「採集生活」している普通のアリの中から、
「アリマキ牧畜」やら「キノコ農業」やら行う
アリの系統が進化してくるためには、
どんな条件が必要だったんだろう?
372 :
世界@名無史さん:03/03/01 20:06
>371
実際観察してみるとすぐに分かるけど、
アリとアリマキの共生とかキノコとの関係って、
牧畜とか農業とかいう言葉から想像できるものとはおよそかけ離れてるよ。
人間のそれとは似ても似つかない。
言葉だけで知識を得てしまうと、ついそっちに引きずられがちだけどね。
実際観察された方のお話キボンヌ。
375 :
世界@名無史さん:03/03/02 00:43
>373
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の上巻にアリの観察の話が載っていたな。
世の中で言われているほどアリは社会的でも頭よくもないよん、といった話を、
彼一流の好奇心と観察力とユーモアを交えて面白おかしく書いてあるので、是非一読を。
ちなみに他の話でも、人間の嗅覚の限界を試す話なんか、如何に自分が
本で得た知識と先入観に頼って間違った思い込みをしてるかってのが身につまされる。
>>363 うん、直接比較すれば明らかに農業のほうが手がかかるし、
飢饉のリスクも抱えるわけだからだいぶ損な選択をしてるんだよね。
でも、管理の度合いを少しずつ段階的に強めていったのだとしたら
各段階においてそんなに障害になるのかなと思って。
元々暇がたくさんあったわけだし…
昔の人が農業のデメリットをちゃんとわかってて
それでも農業を合理的に選んだんだとすると、
そうさせた理由はなんだったんだろう?
>>354のラオスの人たちみたいな性格だったら
「もっと豊かな暮らしがしたい」ってのはありえないから、
子供生む数を増やしたいとか、環境悪くなっても生む数を減らしたくないとか、
そういうことだったのかな?
でもそれなら採集生活の時点でもっとぎりぎりまで人口増えててもよさそう…
>>366 なるほど納得。ありがとう。
>>374 アリの場合は全部遺伝子で決まってるんだ…
二〜三のプログラムを打ち込んだだけのシンプルきわまりないロボットで、アリとほぼ同じように合理的に作業を行う事ができる、なーんて話もありますよね。
確かにアリはバカで単純なつくりの生き物だ。けど、それでも合理的に行動できるのだから『生物』としては実に洗練されている。
なんて話も聞きますな。トピズレなので下げ。
>377
結局、ある環境に適応しようとしているだけの生物について、
知的だとか社会的だとか人間の俗っぽい価値観を当てはめて矮小化して理解しようとする行為が
そもそも無意味なんだろう(ファインマンも当然、その辺理解したうえで書いてる)。
昆虫の「社会性」を人間の社会性の基準と同じ次元で考えてもしょうがあるまいよ
アリの行動が意図や計画に基づいたもんじゃなくて、
超単純な機械的プログラムだ――なんて、最初からの共有前提だろ。
でも、そういう流儀で他の生物と相互依存的共生に入ることが可能なら、
ヒトの場合の相互依存的共生の開始も、
それ自体は無意味な行為が、ミームレベルの淘汰を通じて、
農耕や牧畜めいた行動連鎖に転化していった、
という道筋の可能性を想定できるんじゃない?
「何をどうしてそんな馬鹿なことを思いついたんだ?」
みたいな行為(嗜糞・瀉血……)が、伝統医学にはたくさんある。
そういう行為の発端はマジナイで、わけわからんことやってる中から、
青カビを飲ますなんていった有効なマジナイが生き残ったんだろう。
カラスは、口にくわえた物を空中に投げる「遊び」を習性に持っていた。
そういう「遊び」で道に落とした木の実を自動車が轢くと、
固い殻を割ることができ、その木の実を食べることもできた。
木の実を道路に落として自動車に割らせる行為が、
現時点でのカラスにとって意図的行動なのかどうかは判らないが、
とにかく行動進化の初期段階では、非意図的な「遊び」の結果だろう。
ヒトの農耕の発端も、それ自体は無駄な行為だったんじゃなかろうか?
ミームの淘汰を理論化したモデルって作られてるのかな?
いろんな点で遺伝子の淘汰とは別物なのは間違いないが
>>381 いろいろあります。手元に文献がないのでにわかにはあげられませんが。
383 :
世界@名無史さん:03/03/02 11:12
>>379 逆なんじゃないの?
昆虫並みの社会性で考えた方が色々分かり易いと思うよ。
384 :
世界@名無史さん:03/03/02 11:31
行動進化という考え方をするんだったら、
狩猟の軍事的意味も考慮しないといけないと思う。
狩猟という行為は、食料獲得には効率の悪い方法になってからも、
男らしさの表現手段という社会的意味を担って生き延びた。
古代や中世の将軍は、兵士の軍事訓練のために狩を行ったのだ。
狩猟採集段階の社会は、環境限界に対して低い人口密度のおかげで、
農耕開始以前よりも栄養水準が良かったらしい。
人口密度を低く保っていた一要因は、部族間の縄張り争いだろう。
身を隠し、長距離を走り、槍を投げ、弓を射る狩猟の技術は、
戦闘の技術としても使用可能なものである。
人数が同じなら、農耕民は狩猟民に勝てないだろう。
定期的な部族間の争いがあった石器時代の社会環境では、
軍事訓練としての狩猟を男たちに行わせる必要があり、
初期農耕民には、周辺部族よりも弱くなるリスクがあったはずだ。
無論、農耕は狩猟よりも多くの人数を支えられるので、
いちど農耕社会が成立してしまえば数の力で身を守ることができるが、
初期の段階では人数の優位は無いわけである。
狩猟民の中で最初に農業をはじめた部族は、(全く違う時代の話だが)
『七人の侍』に登場する農民と似た状況に直面したことだろう。
最初期の農耕民が乗り越えるべきハードルとして、
この軍事的不利も念頭に置く必要があると思う。
農耕民の軍事的劣位といえばなんといっても
中華歴代王朝と遊牧騎馬民族の長い関係の歴史があげられるが
ケルト・ゲルマンとローマ、ヴァイキングと中世ヨーロッパなども考えると
必ずしも「農民は数の上で有利」とも「狩猟民族の方が喧嘩が上手い」
ともいえないと思われるがどうか。
なにより、粗放的農業が出現した時点では、別に狩猟を止めたわけじゃないし。
とはいえ、せっかくコストをかけた収穫物を持っていかれる危険性は
常にあったでしょうから、障害の一つには違いないでしょうね。
ちなみに、戦闘の規模自体は農耕の開始以降の方が格段に大きくなり
戦いも激しくなったようです。弥生時代の人骨に矢尻の刺さったものが
かなり見られるそうです。戦利品の価値の増大が軍拡を招いたのかも
しれません。
北方遊牧民が毎年漢民族を襲撃することで冬を越していたように、
非定住民が定住民を襲撃するのは主に収穫物を奪うためだろうけど、
定住農耕開始とそれ以降で決定的に価値に差がついたのは、むしろ
収穫物それ自体より、「土地の価値」だと思う。
小規模狩猟採集部族にも「縄張り」の概念はあるだろうけど、
「優れた地所」を押さえることの重要度は集約農耕のほうが遥かに高い。
狩猟採集民族のネイティヴ・アメリカンはそもそも「土地を所有する」
という概念を持ってすらいなかったし、それゆえに開拓者たちが
「インディアンから土地を騙し取る」というようなこともザラに起こった。
長い泥沼の闘争は単に白人が知恵が回って悪辣だったというだけではなく、
根本的な文化的ギャップが横たわっていたために起こったものだろう。
アメリカ開拓移民、カウボーイ達は狩猟採集民族ではなく農民であるが、
そうそう腕っぷしで先住民にひけを取ったわけではないだろう。
だいたい「農民=非武装・脆弱」というのが現代人のイメージだが
それはあくまで刀狩令以降に定着したものじゃあないかと思うが。
>>387 > アメリカ開拓移民、カウボーイ達は狩猟採集民族ではなく農民であるが、
開拓農民は農耕民ですが、カウポーイは牧畜民ですな。現実にも両者は利害の
衝突があったようです。
牧畜も遊牧も広義には農業である、というレベルの話。
実際のところカウボーイってのは輸送係だから、定住民とも言い難いが。
たとえば開拓というのも単純に農民がぱっぱっと出ていって土地を耕すわけじゃなく、
一番最初に原野を切り開く奴、その土地を買い取って耕す奴、
そういう地域を回って家畜を買い集め都市部まで輸送する奴がいるわけだが
こいつらはマクロ的には「土地所有」を前提として成立する社会を持っている。
この社会内部での利害衝突と、彼らとインディアンとの利害衝突は異質だ。
インディアンとの利害衝突がどれくらいのものかといえば、
彼らにとって「いいインディアンは死んだインディアンだけだ」というほどなわけで。
>>384の
>狩猟採集段階の社会は、環境限界に対して低い人口密度のおかげで、
>農耕開始以前よりも栄養水準が良かったらしい。
>人口密度を低く保っていた一要因は、部族間の縄張り争いだろう。
と、
>>386の
>ちなみに、戦闘の規模自体は農耕の開始以降の方が格段に大きくなり
>戦いも激しくなったようです。弥生時代の人骨に矢尻の刺さったものが
>かなり見られるそうです。戦利品の価値の増大が軍拡を招いたのかも
>しれません。
は矛盾するような。
どっちが正しいんだろう?
別に矛盾しないとおもう。
狩猟採集段階では、適度にお互いが間引きされる程度の戦争でよかった。
農耕段階では、土地獲得を巡ってもっと徹底的な戦争をやる必要が生じた。と。
>>392 だとすると、採集狩猟社会のほうが人口支持力に対して人口が少なかった理由が
戦争だということにはならないと思う。
戦争が理由でないとすると、いったい何??
ニホンザルの群れの場合、春〜秋はかなり余裕のある暮らしをしていますが
これは冬の寒い時期が律速段階になって、この時期の環境収容力以上に
個体数が増えないためだと思われます。
採集狩猟社会でも、食糧事情の悪い時期が定期的・不定期的に訪れると
すると、それ以外の時期では「余裕のある暮らし」ということに
なる可能性が考えられるでしょう。
>>394 冬がない地域の場合はどう?
それと、農業社会でも一種類の食べ物に依存するわけだから
食糧の供給にだいぶ波があるんじゃないの?
狩猟民とか一言で区切ってしまうといろいろややこしいんんだが…
「未開の戦争」に関しては、参加人員に対する死傷率が、第1次、2次大戦とは比べ物にならないくらい酷い例があることが指摘されてます。
日本語では、民博の栗本さん「未開の戦争…」(手元にないから詳しいタイトル忘れた…)
今日残っている狩猟採集民の多くは、周辺の農耕民、牧畜民から激しい圧力を受けているので、極度に攻撃的だったり、あるいはその逆だったりするので、過去に遡らせることは無理
狩猟行動が、食料獲得以上の意味を持つという点は、いわゆるブッシュマンの事例だけでなく、チンパンジー、ボノボでもいわれてます。
共通祖先段階から、特殊な活動として意識されてきたのではないでしょうか?
狩猟採集社会の低人口増加については、単純化平均化された環境収容力にもとづくのではなく、やはり窮乏期を基準としているようです。
季節的な窮乏期だけでなく、定期的、あるいは不定期に襲う環境変動、災害なども
可能な範囲の中の最低ラインを基準に取る、安定志向ということになるでしょう
>>395 農業社会についてもまさに同様で、だからこそ初期農耕について「成功か、破滅か」(とある論文集のタイトルでもある、ガイシュツ)と言われているのです
しかし、そうした波を乗り越えられるだけの拡大再生産の流れにのった途端、爆発的に拡張していくことになるようです
この臨界点が現在の研究の焦点です
保護、管理、栽培と、農耕化、農耕社会化のターニングポイントということ
398 :
世界@名無史さん:03/03/03 23:11
氷河期は、地球上の水分が大量に凍っているので、全体的に乾燥していました。
>>397 つまり…採集狩猟社会では厳しい時期や天災時の水準まで人口を抑える
何かのメカニズムが働いていて、その結果豊かな時期に余裕がある暮らしが
できるんだよね。
農業社会でもこのメカニズムが機能していれば、採集狩猟社会より波が大きい分
もっと余裕ができるはずだよね。
でも、実際には農業社会のほうが人口圧が高い…どうして??
>そうした波を乗り越えられるだけの拡大再生産の流れにのった途端
これは、生産量が増大し続けてるおかげで少々失敗しても乗り切れるくらい
余裕ができてくるってことかな?
>採集狩猟社会では厳しい時期や天災時の水準まで人口を抑える
>何かのメカニズムが働いていて、
というよりも、「厳しい時期や天災」そのものが人口を抑える
メカニズムなのだろうと思います。
食料の貯蔵が行われるようになると、この波が平滑化されるので、
かえってぎりぎりまで人口が増えることになるのでしょうね。
さりげなく400getしつつ
一つの考え方として、北米北西海岸の「ポトラッチ」なんかも、条件が良い時の余剰を持ち越さない、それを基準としない、ための生態学的な意味を考える人もいます。
ちょっと前のカラハリのメロンもそうだけど、貯金に頼って間口を広げてしまうより、日々の稼ぎで賄える分までしか基準にしない。臨時収入はその場で使い切ってしまう。
平等主義の背景には、不測の事態への激しい恐れがあるのかもしれない。余剰もまた、均衡を破る不測の事態な分けだ。
農業社会のほうが人口圧が高いのは、以下の理由によります。
いわゆる「自然経済」では、生産性は、自然に決定されるものなので、労働力を過剰に投下すると復元力を越えてしまって無駄になるだけだったりする
いつでも適当がいちばん
一方の「生産経済」では、労働力をつねに投下しなければならない
人口を均衡状態に維持するのがベストなんだろうけど、不測の事態で減少してしまうと、投下労働力も減少、生産性も減少、不要可能人口も減少と言うデフレスパイラルに
そこで、つねに増える方向性となる
もちろん、増える側にも限界があるが、そのときはよそへはみ出していく
拡張主義の誕生だ
400のつもりで長かきこしていたら… 恥かしい
>>401の続きで
よく、農民社会のほうが定着的で平和志向なんて言われますが、実際、大変拡張的なのでは?
中国の例なんかでも、農民の日常的な圧迫が遊牧民を条件の悪い土地へ追いやることになり、ついに爆発という状態
北米平原インディアンとか、カラハリの例とか、農民社会に圧迫されてついに爆発という場合のほうがよほど多いと思われ
まあ、単に「余裕があれば増える」のだろうとは思いますが。
>>403 余裕があっても増やさない
ための社会的な規制、機構をもつ社会があるようです
そこが、農耕社会との大きな差かと
資源は土地であるとして、農民はブルジョア、狩猟民はタカ。
ブルジョアは一度獲得した資源を恒久的に手放さない。
タカは周期的に資源の放棄と再獲得を繰り返す。
同一量の資源から獲得できるエネルギー量ではブルジョアが圧倒する。
要するに、農民が狩猟民を駆逐するのは必然。
>余裕があっても増やさないための社会的な規制、機構をもつ社会があるようです。
現代の先進国のように余裕があっても増えない社会については説明が必要なのですが、
採集狩猟社会については、不定期の環境悪化や捕食、病気などで人口がときどき
減るからで良いような気がしますが、いかがでしょう?
ネイティヴアメリカン、アイヌ、イヌイットなど様々な狩猟採集民族に
共通してみられる思想として、必要以上の資源を食い荒らすことを
戒める、っつーものがあるように思われる。
労働力を過剰に投資→餓死者続出 を周期的に繰り返すより
労働はテキトーに→人口も均衡を維持 という形になるような
文化のほうが結果的には定着しやすかったんだろう。
実際のところ、今日でも狩猟採集民族って人々は
せっせと狩りに出かけるどころか、主には寝て暮らしている。
ガンガン狩りをして保存食作って子供を作りまくって、
ということをやればできないわけではないだろうに。
つくづく思うけど、ESS戦略理論は近視眼的に過ぎるよ。
>>406 それだと、余裕があるときには増え、災害などで激減という振幅を示すことになりますよね
ところが、実際には低成長率のまま推移している
余裕があるときには、現代人的に見れば「無駄遣い」してしまう
宗教儀礼や芸術なども、そうした方面に向けられているようです
>実際には低成長率のまま推移している
というのは、興味深いことですね。
それがなぜかを考えるのもきっと面白いだろうと思います。
どうも、狩りをする動物一般(昆虫も含めて)に、目一杯
狩りをしているわけではないという現象が見られるようです。
>ESS戦略理論は近視眼的に過ぎるよ。
近視眼的な戦略が有利なはずのところに、そうではない戦略が
現れてくるところが面白いのですよ。
近視眼的な戦略が有利であるという理論的前提を立て、
それに従った視点から現象を分析しようとするときに生じるバイアス、
それが近視眼的な態度だと言っているのだが。
「よく増える戦略ほどシェアが増える」
という想定のどのあたりにバイアスが
あるのか、指摘下さると幸いです。
いかなるバイアスも理論の中には存在しません。
理論を用いる人間の頭の中にあるだけです。
なるほど。お互い気をつけましょう。
帰納的アプローチと演繹的アプローチでは
この問題にひっかかる危険性はイーヴンではない罠。
では、その辺の指摘は帰納屋さんにお任せします。
ただ、単に「バイアスがある」ではなく、
「これこれこういうバイアスがある」といって頂けると幸いかと。
>>401 ええと…
>>363に生産年齢人口の60%の労働力で全人口を養えるってあるけど、
そうするとまだ40%余裕があるわけだよね。
人口が減ったところで即労働力低下ということにはならないんじゃ…
それと、採集狩猟社会が安定志向だとしたら、危機が起こったとしても
子供の数を減らすことを考えるのが自然だよね。農業を始めるという
発想は(それがもし大きなリスクを伴うとするなら)生まれないと思う。
>>409 理由づけはできると思う。たとえばこんな感じ。
もし人口が資源量に素直に反応してしまうと、人口や資源量は
ロトカ−ヴォルテラのモデルみたいに波を描くことになる。
そうすると(初期条件にもよるけど)人口が最小のときは
人口を一定に維持したときの水準よりもかなり少なくなる。
あまりに人口が少ないとちょっとした突発的な災害でも全滅しやすくなる。
たとえば災害が起こる確率がexp(-災害の規模)に比例するとすれば、
人口が多いときに大きな災害にも耐えられるメリットよりも、
人口が少ないときに小さな災害にも耐えられないデメリットのほうが大きい。
つまり、人口を一定に保ち続けたほうがその部族が生き残るのに有利。
…胡散臭いけどね。
>>417 必要労働投下量や余裕の問題はさておき
繰り返しですが、農耕に一本化していくときの問題は、メジャーフッドへの労働力投下がほぼ通年(生育期間はもちろん、その後も利用可能に加工し、貯蔵する)なのに対し、収穫はほぼ年1回ということです
いちどきに大量に手に入るものを、次まで食いつないでいくということ。
いったん、人口を大きく減らしてしまうと、次の収穫までに投下できる労働量減→収穫減の循環に陥りかねない
また、2年、3年続く災厄の場合は…
人口増加率に関しては、移動性の高さが制約になっています
子供が自力で移動できない間は、次の子を産めない、産まない
ブッシュマンなんかでは、平均的な出産間隔は3〜4年(5〜6年とも)
シベリアのエヴェンキなんかでも同じようです
定着できるようになると、1年おきとかでも可
両者の増加率の差は一目瞭然
中近東地帯ってのは一期作なん?
南方だと二期作三期作あたりまえってところも多いが
>>419 地中海性気候なので、一期作なのでは?
>>418 大量の食料を防衛するのも、困難な課題となりそうですね。
>>420 聖書で有名なイェリコの城壁も、定住農耕化とともにすぐに築かれるようです
また、対人間よりも、ねずみとか虫なんかの方が大変なのではないかと
ネズミの侵入が問題になると同時にネコとヒトの長い共生の歴史が始まるわけだ。
宋代の中国みたいに、防衛することを放棄して先に自分から差し出す、
という方略もあるが、ある程度の量を奪われたり、差し出したり、防衛コストに割いても
相対的優位は揺らがないほどに定住農耕のアドバンテージは高いともいえる
>>422 そして農耕で得られる飯のうまさを覚えさせて虜にする
やくざが薬漬けにするように…(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
数の少ない渡来系弥生人が、この手法で縄文人をのしていったって言ってたのは誰だったですかね?
>>418 人口減→投下労働力減→収穫減まではわかるけど、そこからさらに人口減には
至らないような。
むしろ…たとえば収穫直前に事故で人口激減とかになると、投下した
労働力に対してリターンを受ける人が少なくなることはあっても、
その逆は起こらないわけだから人口が増えるほうに働きそう。
何年も続く災害については採集狩猟社会も条件変わらないし…
後半についてはたしかにその通りだと思うけど、
移動してても定住してても潜在的増加率がプラスではあるんだよね?
マイナスだとどんどん減っていっちゃうから。
そうするといくら増加率が低くてもいつかは収容力ぎりぎりまで増えるよね。
採集狩猟社会が農業社会より人口圧が低くなるためには、
それとは別に抑制メカニズムが必要なんじゃないかと思う。
>>423 穀物ってそんなにおいしいほうだっけ?w
ところで。
定住や農業と同じくらい文明の発生に必要なのが「分業」だと思うんだけど、
いったどうやって分業化が進んできたんだと思う?>みなさん
本とか読んでると、農業で余剰生産が増えたおかげで云々とか書いてあるけど、
>>363にあるように食糧獲得にかける労働力は農業のほうが多いから、
ほかの仕事に回せる余力は採集狩猟民のほうが多いと思うんだよね…
もし仮に狩猟採集民族が軍事的に農耕民を圧倒しても、
「相手が全滅しない程度だけ掠奪して、来年また来る」だとか
「土地を奪って自分達が農耕を始める」という可能性もあるわけだが
特に後者の例。中国でいえば北魏の漢化政策などを見ても分かるが、
征服された集団の文化が征服した集団によって継承される例は結構ある。
「征服されたギリシアが野蛮な征服者をとりこにした」というやつ。
>>425 たとえば女子供や老人など狩猟を行うだけの体力を持たない人たちが
採集に従事するということはあったのではないか。
いわゆる家庭内分業。
もう一つ、
たまたま木の実を見つけるのがメチャクチャ上手いヤツが居たり
石や骨を加工して武器にするのが神がかり的に上手いヤツが居たりすると
その能力は集団の中で重宝がられるんじゃなかろうか?
で、たとえばそういう能力に長けた人たちがその能力をもっぱら
集団に提供することで糧を得るっていうのはあってもいいんじゃないかと。
我々だって「この仕事はあいつがうってつけだからあいつに任せよう」
っていうことがあるでしょ?
で、地域的な条件(この地域は有用な木の実が良く取れるとか、
この地域では武器として加工しやすい石が豊富にある)などがそろって
かつそこをテリトリーとする集団が定期的にコンタクトするようなことがあれば
お互いの集団にとって利益があるような物々交換をはじめるってことは考えられるのでは?
このあたりが集団内での職能分化の始まりだと思う。
>>424 大きく人口を減らしたら、という条件付なので…
年1回の収穫に対して、その時期までに耕地や耕作物に手をかけつづけていかなければならない
これに必要なだけの労働力が足らないと、次の収穫期に環境条件が悪くなくても収穫減へ、という循環
集団の再生産プロセスにも影響を及ぼすだろうし
収穫直前に人口が減った場合の想定でも、収穫そのものに労働力が必要なので、結局、獲得量は減ってしまいます
種実が完全に熟して落果する前に収穫しなければならない
十分な処理をして貯蔵しなければ、端境期を乗り越えられない…
この辺を、自集団内の増加プロセスだけでなく、近隣集団のネットワークも含めて克服できた時に、農耕社会化が一気に進展すると考えられています
429 :
311の妄想:03/03/09 00:00
誰かageようよw
>>427 男が狩猟で女が採集っていう役割分担は採集狩猟民にもあるみたいだし、
集団間の物々交換もあるんじゃないかと思う。
でも…食糧獲得以外の仕事を専門にする人たち、たとえば鉱物を掘るだけの
人とか物流の仲介をするだけの人とかは旧石器時代にはいなかったんだよね?
(ひょっとしていたのかな??)
何が原因で新石器時代になってこういう人たちが出てきたんだろう?
と思ってたけど、つるめそさんが
>>309で言ってる分村が答えのような気が
してきた。完全な分業じゃないって書いてあるけど、それぞれの分村に
目的があるはずだから、分業の起源にはなりそう。
遊動周回から定住+分遣に移ったことが分業のきっかけ、てことかな。
どう思う?
>>428 大きく人口が減ったとしても、やっぱり収穫減が人口減につながる理由が
わからないよ。たとえば人口が半分に減ったとして、労働力が半分に
なっちゃったから土地も今までの半分しか耕せないとするよ?そうすると、
今まで使ってた土地のうちのより良質なほう半分を耕すのが普通だよね。
すると効率がよくなるわけだから投下した労働力に対する収穫の割合が
増えて、人口に対する収穫の割合も増えるよね?だからむしろ結果的に
人口が増えるんじゃないかな。
収穫作業についても、より作業効率のいいところで優先的に収穫すれば
いいから、たとえ元々労働力に余裕がなかったとしても、人口に対する
収穫の割合は増えると思う。
農耕民族が常に増加傾向を持つ、というのは正しいとは思うのだが
たしかに、たとえば中世ヨーロッパのペスト流行の例などを見ても、
人口大減少のあとは結婚・出産件数の激増(ベビーブーム)が起こって
猛烈な勢いで人口が元の水準まで回復してるんだよね
ある都市の記録では、三分の一になった人口が二、三十年で元に戻ってたとか。
>>430 ボスラップやコーエンのモデルもそこに拠っています。
自然資源=食糧に人口が適応・均衡するマルサス・モデルに対し、人口成長とその結果としての人口密度の増大こそが、生態環境に対する人類の対応=生産様式を継続的に変化させたのだとする全く逆のモデルを提案しているのです。
先史時代から人類は非均衡型の人口システムを持っており、人口は常に増加する傾向にある。
このため狩猟採集社会の人口成長率が、たとえ、どのように低い値であったとしても、いつかは潜在狩猟採集地が枯渇し人口密度が増大し「環境限界」に達する時期が来る。
しかし、マルサス・モデルと異なり、この非均衡モデルでは、人口は自然環境に適応して停滞してしまうのではなく、「何でも食べる」、いわゆる食糧のブロード・スペクトラム化(食域拡大)を起こす。
この結果、枯渇しつつある大型狩猟動物に替わって、従来なら顧みられなかった小動物や木の実などを新たな食糧レパ−トリ−に加え、これが「環境限界」を上昇させる。
そして、この結果さらに人口が増加し人口密度が高まって行くと、やがては、生産効率が悪く美味しくもない野生性穀類が採集されるようになり、さらに人口圧力が増大すると、これを労力を掛けて栽培する農耕革命が発生する。
以上が、ボスラップやコーエンの提唱するモデルです。
確かに、マルサスらの提唱するモデルの場合、人口は常に与件である自然資源=食糧のゆらぎに適応するだけであり、人口のレベルは上下するものの、狩猟採集社会が致命的な危機に陥ることはなく、農耕革命に至る動機は少なくなってしまいます。
程度の差こそあれ、人口は常に拡大する傾向を持っていると言う事で良いのではないでしょうか?
>>430 > ある都市の記録では、三分の一になった人口が二、三十年で元に戻ってたとか。
これは閉鎖モデルの場合ではないですね。この数字は流入人口を含むものと考え
ないと無理がありそうです。
ペストの本を図書館で借りて読んだのはずいぶん昔なので、
数字とか詳細は曖昧だす
というか流入人口のない都市というのはありえないように思うのですが。江戸時代の日本でも、都市そのものの人口増加率はマイナスで
常に農村部からの人口移入によって都市の人口は保たれていたそうです。
435 :
世界@名無史さん:03/03/09 22:08
>>434 狩猟採集社会という、ひとつの社会全体の人口の回復率を論ずるのに、
周辺からの人口流入が想定される都市の人口史料を引用してはまずいと
いうことです。
しかし都市の人口の回復は、周辺地域全体の人口の回復と多少なりと対応している予感。
>>430 それは潜在的な増加率の話で…
採集狩猟民のほうが農耕民より栄養状態がいいってことは、
採集狩猟民のほうがうまく人口をコントロールできてたってことだよね?
それはなぜなのかなと思って。
ここまでで出てる説としては、
・採集狩猟民は縄張り争いで人口が抑えられる
(でも縄張りの重要性は農耕民にとってのほうが大きいよね)
・採集狩猟生活は食糧供給に波があり、その最低水準に人口が適応していた
(でもむしろ農業のほうが供給量の当たり外れは大きいみたい。
農業社会は頻繁に飢饉起こしてるから最低水準に適応してるとも思えないし)
・農業社会では人口減→労働力減→収穫減→の正のフィードバックがかかるから
できる限り人口を増やさなければならない
(でも収穫減→人口減ってほんとに起こるの?)
という感じでまだ納得できてない…
>>431 ボーズラップモデルは聞いたことあるけど…そのモデルだけで説明すると、
旧石器時代は自然に人口が増えてたけど一万年前まで飽和に至らなかった、
ということにならない?
いくら採集狩猟社会の人口増加が移動で制約されてたとはいっても、
飽和まで何万年もかかるほど緩慢だったとはちょっと信じにくいよ…
単に環境限界に達するだけじゃなくて、それまで人口増加を抑えていた
何かが働かなくなってはじめて限界を突き破る必要が生じて、
農業の開始につながるんじゃないかな。
>>437 収穫減→人口減というのは、生産性が人口に比例すると考えたら理解しにくいと思う。農繁期には、共同体の中で
労働力のやり取りをすることによって飛躍的に生産性が上がることがある。そういった閉鎖的な共同体の中で
たとえば人口が半減したら、生産量が三分の一、四分の一になるということもありえるのでは。(極端な話だけど)
十分に発達した農耕社会ではそういった事態を乗り切れても、まだ収量が低く余剰の乏しい初期の農耕社会ではそれが直ちに
端境期の飢餓につながり、そのまま衰退のスパイラルにつながる恐れもありうるということでは。
後半部分は同意。旧石器時代の人口が数万年かけて飽和に至ったというのは、不自然な気がする。
>>437-438 ボスラップらのモデルでは、平均寿命や乳幼児死亡率の問題などから、農耕開始以前の人口成長率を約0.01%程度に見積もっているようです。
元々の人口の少なさもあって、飽和に至るのに時間がかかったと言う解釈のようです。
ボスラップらのモデルだと、狩猟採集から農耕への労働力の遷移と、その後の、農耕労働力の集約化による土地生産性の上昇、これに伴う人口成長率の急激な高まりと言う、所謂「農耕革命」の一連のプロセスを十分に再現しうると思います。
また、この種の一連のプロセスが、いつ頃、どれくらい急激に起きるかは、当然、自然環境資源や土地利用率の初期値、農耕適地比率や、農耕労働力の集約化に対する土地生産性上昇率などに影響されます。
また、土地ごとの植生や動物相によって、特定の植物・動物資源への依存性が高くなるのも不自然な事ではないと思います。
人口の成長率が高くなるのも、
>>437氏の言われるように、人口増加を抑えていた何かが働かなくなったと言うよりも、むしろ、農耕が開始され、それが集約化された事が最も大きな要因ではないかと考えています。
以前にも述べていますが、要は「集約化された農耕」こそが、文明に繋がる最も重要な要素ではないかと考える訳です。
>>438 >農繁期には、共同体の中で労働力のやり取りをすることによって飛躍的に
>生産性が上がることがある。
なるほど…そうだとすると、人口が減ると増えたとき以上に人口圧が高まる
ことがありうるってことだね。それなら説明がつけられなくはないけど…
でも具体的にどういう場合にそうなるの?
>>439 0.01%/年ってことかな?自然な増加率としては奇跡的な数字のような…
あと0.02%でも低ければ滅亡へまっしぐら。
(環境条件でこのくらい簡単に揺らぐよね?)
たまたまそうだったんだと言われてしまえば反論のしようもないけど…
どうやって計算したのかが気になる。
>>440 仰るとおり、0.01%/年ですね。
算出の方法については詳しくは判りません、ご容赦を。
まあ、平成14年度の日本の人口自然増加率のトップが沖縄県の0.66%である事を考えると、妥当な数字かも知れません。
何しろ、当時は現在とは比較にならないほど医療・衛生等の環境が悪い訳ですから。
ところで、農耕以前の人口増加率がそれだけだとすると、
ある時期から新人が猛烈な勢いで全地球に拡散した事実と矛盾しない?
>>442 現在の研究では、古代において2回の人口の爆発があったと言われています。
1回目は大型獣の計画的狩猟の技術が確立されたと思われるウルム氷期亜氷期T後期〜亜氷期Uの間(約5万〜3万年前)で、これは大規模狩猟を行う必要から、従来に比べて集団の人口密度が上がり、人口爆発の引き金になったと考えられています。
新人の拡散の時期は丁度この頃の話ですね。
2回目は農耕革命以降の事で、ボスラップらはこの時期の人口の増加率を0.15%/年と算出しています。
つまり三万年前ころに人口爆発がいったん沈静化して、人口増加率が低下したと?
しかし、その後もけっこう民族の移動と拡散は続いているような気がするんだけど。
たとえば、新大陸への移住なんてまだ始まってもいなさそうだし。
>>444 集団としての移動、分散はかなり長いタイムスパンで起こっていたはずですので、増加・拡散を続けるには問題ないかと思います。
また、拡散を続けて行くうちに人口密度は下がっていきますので、人口増加率もそれに比例して下がっていったものと考えます。
まあ、確かにボスラップの算出したほど当時の人口増加率が低かったかどうかについては疑問の余地はあるのですが。
疑問点がいくつも…
>>441 多数の人が個人レベルで財産を持つような社会では、増加率が
落ちるんじゃなかったっけ?普通にマイナスになったりしてたような。
現代日本は参考にならないんじゃ…
>>443 >これは大規模狩猟を行う必要から、従来に比べて集団の人口密度が上がり、
>人口爆発の引き金になったと考えられています。
???
これはどういう因果関係になってるの?
>>445 >また、拡散を続けて行くうちに人口密度は下がっていきますので、
>人口増加率もそれに比例して下がっていったものと考えます。
これはなぜ?
ボーズラップモデルに合わせて妄想してみた。(以下妄想)
旧石器時代の間、採集狩猟民は危険な環境の中で生き延びていた。
天敵も多く、事故で死ぬ者も多く、病気で死ぬ者も多かった。
そのかわり、高い死亡率のおかげで人口が抑えられていたため、
食糧事情は極めて良好で、みな飢え知らずであった。
すなわち、個体群生態学で言うところの非平衡説に従うような状況であった。
人口は食糧事情とは無関係に、環境の変化に振り回され、乱高下した。
滅亡の危機も多く経験したが、辛うじて存続していた。
約一万年前、とある地域では何らかの理由で人口増加が続いていた。
それは過去に例がないほど継続し、ついに採集狩猟生活の支えられる
限界にまで達してしまった。人々は、今までにもとってきたであろう
「食域拡大」戦略に従い、農耕を開始した。
ところが、農耕の開始は人類社会にかつてない変化を起こしてしまった。
遊動生活から定住生活に移行したため、事故の危険性が減った。
一箇所に集住することで、天敵にも強く立ち向かえるようになった。
人口が増えてきたおかげで、技術の進歩も加速された。
こうして死亡率が急激に減少し、人口増加を抑えるものはなくなってしまった。
人口はあっという間に農耕で支えられる限界にまで達した。
人々はそれ以上の食域拡大を果たせず、飢饉が訪れた。
人間は今やいわゆる群集理論に従うような生き物になっていた。
旧石器時代に比べるとはるかに安全に生きることができるようになったが、
そのかわり大いに飢えに苦しめられることとなったのである。
…問題点としては、食物連鎖の上位にいるはずの人間が本当に非平衡説に
従うような状況にあったのかということ。
現存の採集狩猟民の場合はどうなんだろう?
それと、事故や天敵はともかく病気に関しては、農業社会のほうが
採集狩猟社会よりも疫病が流行しやすいらしいんだよね…
>>446 人口密度と人口増加率の間には密接な関係があります。
人口密度が高いほど交配の起きる確立は高くなり、自然増加率は高くなります。
仮に行き来が不便な環境で、1000人の人口が10ku内に集中している場合と、1000ku内に分散している場合を比較すると、わかりやすいのではないかと思います。
>現代日本は参考にならないんじゃ…
確かに社会環境があまりにも違いすぎますね。
ただ、身近な人口増加率の例として挙げてみた訳なのですが…。
戦後のベビーブームの時の自然増加率が、約4.8%/年だそうですので、
>>445でも挙げている様に、ボスラップのモデルに対する疑問も湧いてくる訳ですが。
>>447 >…問題点としては、食物連鎖の上位にいるはずの人間が本当に非平衡説に
>従うような状況にあったのかということ。
>現存の採集狩猟民の場合はどうなんだろう?
小集団で狩猟生活を営んでいる間は、現在の狩猟採集民など比べ物にならないほど危険は大きかったのでは無いかと思います。
集団の規模と、危険度は反比例すると思いますしね。
>それと、事故や天敵はともかく病気に関しては、農業社会のほうが
>採集狩猟社会よりも疫病が流行しやすいらしいんだよね…
確かに、集約的農耕の開始によって人口の増加・集中が起きるまでは、初期農耕社会はかなり不安定なものだったのではないかと思います。
疫病の流行や環境の変化によって一つの集落が全滅するような状況は、もしかすると頻繁に起きていたかも知れませんね。
>>密度が高いほど交配の起きる確立は高くなり、自然増加率は高く
それは野生動物、それも単独行動性のもののモデルでは?
ヒトはかなり古い段階からオス・メスのペアを核とした
社会集団を形成しているから、集団ごとの密度が希薄でも
交配を促す個体間の密度が低くはならないだろう。
大型集団の形成はそもそもは防衛のためにある、
というのはずっと原始的な生き物から変わらない要素だが。
>>450 >それは野生動物、それも単独行動性のもののモデルでは?
草食や雑食性の動物の場合にも、コロニーの大小に比例して、個体数の増加に差異があることが確認されています。
人間に当てはめたとしても問題はないと思われますが、どうでしょう?
いや、食性は関係ないだろう。
問題はどのような集団を形成して活動しているかであって。
でかいコロニーのほうが個体数の増加が多いのは
防衛その他の諸要素からみて当然だけど、それが
「交尾成功率の高さ」に依存するかというと疑問だなぁ。
>>452 ああ、どうやら私の書き方が悪かったようですね。
>交配の起きる確立は高くなり
の部分は「交配の起きる頻度は高くなり」と読み替えて頂けますか?
推敲せずに書いていたので、誤解を招いたようです。
「交配の起きる頻度」と「個体数の増加」では
フィールドワークの際に用いる指標が違ってくるのでわ。
その二つは意味上等価値に読み替えられるものではないし。
「群れの規模」はその集団がどれくらい有利な餌場を確保しているか、
等の条件にも対応しているだろうし、個々の雌にとっても群れが大きいほど
子育てのための安定した状況も確保しやすくなるだろう。
だがそれは単位面積あたりの密度とは必ずしも関係がない。
100頭から成る群れが10平方kmを占有しているのと、
その100倍の面積を占有しているのとで想定しても、
外敵の存在を無視すれば前者のほうが有利になる要素は見当たらない。
極端な話、アダムとイブの交配の成功を妨げるものは何もない。
これがネコ科のような縄張りをもつ単独行動性の動物なら、
生息頭数が少なすぎて交尾の機会じたいが生まれないという
野生ヤマネコがいま瀕しているような状況が生まれるのも自明だけど。
大型獣を狩猟する能力の獲得によって適応度が劇的に向上し、
大きな集団の維持が可能になり、それによりさらに大規模な狩猟が可能になる。
この相乗効果で人口が爆発したというのは分かりやすいシナリオだけど、
「狩猟のために人口密度を上げなきゃならなかったので人口が増えた」
というのはなんだか因果関係を逆に捉えてる気がするんだけど。
ところで、進化ゲーム理論の観点からいえば、
現代の合計特殊出生率の減少は説明不可能な謎だそうな
そもそもヒトの生殖は謎が多い。発情期がなかったり、
哺乳類には珍しい父親の育児協力がみられたり、
やたらめったら妊娠期間が長かったり。
(^^)
>>448についてはロボさんに同意。
>>449 今の採集狩猟民は確か数十人単位で行動してたよね?
昔はもっと少なかったの?
>>455 進化ゲーム理論ってのはよくわからないけど
子供を産めば産むほど負担が大きくなって貧しくなるからって説明はだめ?
だいぶ間が空いてしまったので空気読めてないかもしれませんが
1万年前の増加率の問題については、その時点まで、まだ世界各地に処女地が残っていたことが大きいかと
ある程度の圧力がかかると、「外」へ行ってしまう。
南米最先端への到達が、おそらく1万数千〜8千年前頃。また、氷河に覆われていた北ヨーロッパ、シベリア北部などへの進出も1万年前以降と。
一方、現世の狩猟採集社会については、周辺の農耕牧畜社会からの圧力が最大原因と言われています。
人口減→収穫減については、1回限りのダメージについて、純粋に数学モデルで検討するならば考えにくいかもしれませんが
実際には、環境の変動や悪化は農耕以外の生業にもダメージを与えるし、これが社会組織などにも影響して、人口の再生産を阻害する点なども考慮する必要があるかと
良好な耕地だけに集約されるとはいっても、耕地の維持にも相応な労働力が必要なわけで(たとえば灌漑)、その最低必要量を割ってしまった場合には、次の収穫には期待できない
かつ、1回の収穫で次の1年を乗り切るわけだから、端境期を迎えて備蓄がそこをつけば、次の収穫期を前にどんどん人口が減ってしまう→収穫量も減る
→次の耕地整備、維持に投下できる労働力も減るということです
もちろん、一定の環境変化に対して同時に影響を受ける範囲をこえて農耕社会が広がりを持ち、かつ各社会集団間の連係が取れているのなら、収穫減、人口減の地域に他所から食料や人口が流入することで全体的な維持は可能になるのでしょう
極端な場合は、民族移動や征服といったかたちに
けれども、初期農耕社会の場合には、そうしたネットワークの広がりが弱いために、破局を迎えやすかったというわけです
459 :
世界@名無史さん:03/03/14 16:33
あげ
>>449にもう一つ。
現存の採集狩猟民も低成長なんだよね…?
>>458 >一方、現世の狩猟採集社会については、周辺の農耕牧畜社会からの
>圧力が最大原因と言われています。
圧力が原因で人口増加が抑えられてるってこと??
>実際には、環境の変動や悪化は農耕以外の生業にもダメージを与えるし、
>これが社会組織などにも影響して、人口の再生産を阻害する点なども
>考慮する必要があるかと
これは採集狩猟民も同じじゃないかな。
>良好な耕地だけに集約されるとはいっても、耕地の維持にも相応な労働力が
>必要なわけで(たとえば灌漑)、その最低必要量を割ってしまった場合には、
>次の収穫には期待できない
でも、維持するのに必要な労働力は維持したい耕地に比例するよね?
人口が減ってしまえばそれを支えるのに必要な耕地も減るわけで…
>>460訂正。
維持したい耕地 → 維持したい耕地の面積
しばらく前に、個体群密度が低いと交尾確率が減るので増加率が低くなる
という話が出てましたが、新人のバンドは複雄複雌群で遊動してたよう
ですので、人口密度と交尾確率はほとんど関係ないと思われます。
人口減がさらなる人口減につながるか、という点については、集約農耕の
方が灌漑システムの崩壊などのダメージを大きく受けそうですので、
一旦減ると大きく減るという現象は発生しやすそうです。黄巾の乱後の
人口減のスレでそんな話をしてたと思いますが、あれはどうなったの
でしょう?
それから、ボスラップ−コーエンモデルの話題が出ていたようですが
人口が増加し食糧事情が悪化すると、出生率の減少と死亡率の増大が生じて
人口増加に歯止めがかかり、食糧事情の悪化にも歯止めがかかるのが
通例です。食糧事情の悪化が慢性的に続いて、食域拡大→農耕開始に
至るとする彼らのモデルは、かなり眉唾だろうと私は思っています。
464 :
世界@名無史さん:03/03/15 04:54
何か、批判のための批判になってるような気がするね。
全然話が前に進んで無いじゃんw
465 :
世界@名無史さん:03/03/15 09:11
つーか、通説的にはどのような経過が考えられているのかを、まずまとめ
てから議論していないから、空回りしているのではないのか?
漏れも断片的にしか知識はないが、基本は気候変動と人口移動、食料生産
技術の進化(変化)の組み合わせという枠組みだったと思う。
まず、原始的な採集狩猟民が家族単位程度の集団でテリトリーを持って
散開分布している段階−−ん万年前かな
マンモスなどの大型獣を組織的に狩猟できる技術が出現し、協同狩猟の
ためと、食料取得が容易になるために人口の増加と集中がはじまり、い
くつかの家族が集団で生活するようになる。−−2〜3万年前
気候変動のために、特定地域に大型獣が移動するのにつれて、同じ地域
に狩猟民の集団も集中していく。人口増加は進む。
気候変動と人口増による過剰狩猟により、大型獣の狩猟での人口維持が
できなくなり、代替食料の生産技術が開発される。−−2万〜1万年前
採取狩猟と巡回型の原始農耕の組み合わせから、定住型の農耕に移行す
る集団が人口を増やしていく。−−1万年〜6千年前?
>>1 の疑問に直接答えるならば、氷河期が生んだ文明というのは、大型獣
を協同作業で狩猟するという生活スタイルということだな。
園山俊二のギャートルズの世界が該当するが、マンモスを狩るというのは
偉大な技術進歩であり、協同作業の必要から人間の社会組織や言語の発達
にいたるまでの大きな変化の源であったとも言える。
おかげでマンモスは絶滅してしまいますた。諸行無常。
山奥の小さな村なんかで、流行り病などで住民が壊滅してしまい、
田畑が荒れてしまってついに人が住めなくなった、なんて場所は
いまでも廃墟となったまま残っていたりするというが
人が手を入れなくなったら荒廃が急速に進む環境で、
さらに耕地の維持に要される最低人口が環境収容力の限界値
ギリギリだったりすると、そういうことは起こりやすいかもな
469 :
世界@名無史さん:03/03/15 10:32
しかし、マンモス狩のための技術革新、組織と指導者の出現、複雑な意思の
伝達のための言語や通信手段の発達と、人間社会が受けた影響は大だな。
おそらく、集団のために英雄的な行動をとった者を称えたり、狩の安全を祈
願することも行われたのではないだろうか。
そうだとすると、科学技術、社会組織、言語情報、思想宗教といった人類の
文明の基本要素はマンモスを狩るなかで形成されていったことになる。
マンモス、もって瞑すべし 喝!
470 :
世界@名無史さん:03/03/15 11:03
>>466 > まず、原始的な採集狩猟民が家族単位程度の集団でテリトリーを持って
> 散開分布している段階−−ん万年前かな
> マンモスなどの大型獣を組織的に狩猟できる技術が出現し、協同狩猟の
> ためと、食料取得が容易になるために人口の増加と集中がはじまり、い
> くつかの家族が集団で生活するようになる。−−2〜3万年前
この間の移行の理由がよく飲み込めないんだが。
類人猿と区別がつくかつかない程度の個体や家族集団で移動しながら採取
狩猟、というか雑食的に何でも手に入る食料を得ていた段階から、組織的な
狩猟までの遷移の理由は何だろう。
その時に至るまで新人は発生から十万年前後にもわたって雌伏を続けており、
その遷移はまさしく新人と旧人の間に地位の逆転が生じた瞬間でもあるんだけど、
ホント一体なにが起こったんだろうね。モノリスでも降ってきたかのように劇的だよ。
472 :
世界@名無史さん:03/03/15 12:01
>>470 いや、もう一度言うが、漏れは詳しいわけではなく、断片的な知識しかないぞ。
しかし、氷河期による寒冷化は適応のために動物の大型化を引き起こすらしい。
現在の生態系でも、とがりネズミのような小型哺乳類は餌を常時摂食していなと
生命を維持できないように、体温の保持の関係で、寒冷地には大型哺乳類が適
応するんだそうだ。十分な体脂肪が体温の保持に役立ち、また摂食間隔が開い
た場合の生命維持にも役立つということだろうな。
そういった適応進化の頂点がマンモスなどの大型哺乳類ということになる。
植生も採集には向かない針葉樹林などが中心になるから、人類が生き残るため
には、大型哺乳類の狩猟に追い込まれるということだろう。
同時に、肉食動物も大型化しているから、それとの生存競争も行わなければなら
ないってことだな。要するに他に食うものがないから、マンモスを食べるということ。
あと、人類がマンモスが絶滅するほどに効率的な狩りができるようになったのは、
氷河期の終期、温暖化のために形成された湿地などを罠にして、追い込んでは
狩りをするようになってからということのようだ。
正面から戦いを挑んでいたのでは、そんなに効率的には狩りはできないだろう。
473 :
世界@名無史さん:03/03/15 12:05
そして、日常的にマンモスを集団的に狩り、必要なら大型の肉食獣と戦うことに
習熟した集団が食料を求めて移動していったとき、より温暖な地域で木の実や魚
の採取狩猟で生活してきた集団と遭遇すれば、飢えた側の戦闘力が発揮される
ことになりそうだ。
仮に、食料を求めて移動してきたのが、かつて少数派として寒冷地においやられ
ていた新人で、温暖地で従来からの生活を継続していたのが旧人なら、ここで逆
転が起きそうな気もする。
>>473 ゲルマン民族大移動によるローマ滅亡はいわばその縮図だな
476 :
世界@名無史さん:03/03/15 13:35
>>473 旧人、ネアンデルタール人は新人よりも寒冷地適応しているといわれているが・・・?
ところで、旧人もいちおうマンモスのような大型獣を狩猟していたことは
生活痕跡から明らかだとどこかで見たような記憶が
まあいずれにせよ、技術革新後の新人のほうが
旧人よりもマンモス狩りがうまかったことは
ほぼ確実だろうから大勢に影響はないが
481 :
世界@名無史さん:03/03/16 05:02
482 :
世界@名無史さん:03/03/16 05:08
483 :
世界@名無史さん:03/03/16 13:40
484 :
世界@名無史さん:03/03/18 00:09
空あげ
485 :
世界@名無史さん:03/03/22 00:18
age
終わってしまいますたか。諸行無常の地引網。
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
489 :
世界@名無史さん:03/04/26 21:13
恐竜・人類共存説は? 三葉虫を踏んだ人類の足跡の化石は?
クロノトリガーにはあった・・・
492 :
世界@名無史さん:03/05/06 22:33
スプリガンにもあった・・・っけ?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
495 :
世界@名無史さん:03/05/29 01:54
氷河期以前に文明があったのかもしれない。
496 :
世界@名無史さん:03/05/29 02:17
フリントストーンとかってオチはなしよw
497 :
動画直リン:03/05/29 02:20
498 :
世界@名無史さん:03/06/10 22:36
499 :
世界@名無史さん:03/06/10 22:45
>>475.477.478.479.480
関係ないけどアーミテージって
ロボットみたい。
500 :
世界@名無史さん:03/06/10 23:08
あの国務長官、いやに大柄でいいガタイしてると思ってたら・・・・そうだったのか
わお、まだ残ってたんだ。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
504 :
世界@名無史さん:
マンモスって東シベリアの北極海沿岸で
4000年前まで生きていたんですね・・・知らんかった。
もう四大文明始まってるじゃない!