超古代文明を考える・第2間氷期

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508世界@名無史さん:04/01/26 23:01
氷河期が終わり温暖化して海面上昇したため
海中に没した遺跡はまだまだあるだろうな。

未知の文化圏や文明がないともいえないかも。
509世界@名無史さん:04/03/04 09:14
ムーやアトランティスは想像の産物なんだろうね。
510世界@名無史さん:04/03/25 00:49
age
511世界@名無史さん:04/03/29 11:35
世界の古代文明
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/sekaikokogakunext.htm

ところで、ストーンヘンジ等の巨石遺構を建てた新石器時代の西ヨーロッパの文化、
何か固有名詞的な呼び名ってないのでしょうか?
あのへん、エジプト文明の先行巨石文化だったという説があるようだがどうなんだろ・・・
512世界@名無史さん:04/03/29 14:29
一万年くらい前に文明があったとしたらみんな海の中だろうなぁ。
取り敢えず陸地にそれらしきモノが無いんだし。
与那国島の海底遺構もその可能性を大いに示唆してる。
513とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/01 21:30
>>512
当時の高地・台地(現在の地上部)にその「文明」の痕跡が存在しないことを
ちゃんと「説明」できればまだしもですが。
514世界@名無史さん:04/04/05 16:50
何万年か前に南極大陸に文明があった。
高度な文明を築いたが、近隣大陸はジャングルに覆われた
DQN地域ばかりだったので大陸に引きこもってた。

食料は寒いとこでも抜群に育って栄養たっぷりな
凄い未知の植物とかそんなの。

氷河期であぼーん
515世界@名無史さん:04/04/06 13:29
テケリリ♪
516世界@名無史さん:04/04/07 18:11
すみません。過去ログ見たいのですが、見れません。
どこかにまとめページとかありませんか?
517世界@名無史さん:04/04/07 19:47
一番のトンデモは、この地球というか宇宙に生命が誕生したことだ。
これこそ最大のトンデモだろ。これが現実でなかったら誰も
信用しないほどのトンデモだよ。
518世界@名無史さん:04/04/07 20:05
大朝鮮帝国史
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/jushin.htm

第1巻

我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。

我が民族はパミール高原に源を発して、バイカル湖を経て不咸山に移動、定着した。
不咸山に到着した我々の先祖はそこを中心に集団定着、文化を発達させ、紀元前6000年頃
には紅山文明を、続いて黄河文明を起こした。

我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国
を建設していた。

倍達国は18代1565年で終わり、その後に続いて檀君朝鮮が建てられた。

檀君朝鮮は阿斯達(アサダル)を都邑として帝国を形成、辰朝鮮を中心に馬朝鮮と卞朝鮮の
三檀君が広大な地域を分割して治めていた。

箕子朝鮮や衛満朝鮮は朝鮮帝国の地方諸侯国だった。 したがって、漢武帝の衛満朝鮮征伐
は中華族と地方政権との闘争であり、中国の史書が固執しているいわゆる漢四郡は、漢武帝
退治に功労が大きかった将軍たちに分封した領地だった。

檀君朝鮮が脆弱になると、解慕漱の扶餘と東明王の高句麗を共に継承した高豆莫が諸国を
合わせて卒本扶餘を起こした。

扶餘が起こるとともに帝国の権威は落ち、地方勢力が成長した。 紀元前3世紀頃には黄河
上流に暮らしていた東胡族の一分岐が匈奴に押されて南下、紀元前57年にソウルに定着して
国を建てたのだが、これが新羅である。 新羅は以後、馬韓,百済との闘争過程で小白山脈を
越えて徐羅伐に移る。
519世界@名無史さん:04/04/07 20:07

紀元前37年には卒本扶餘で育った高朱蒙が扶餘を脱出、卒本地方に至って高句麗を建て、
続いて北満州一帯を統一した。 この時、高句麗建国の功臣 陜父が日本地域に逃げ、最初
の国、多婆羅国を日本地域に建てた。

百済は高句麗の建国過程で背信感を感じていた皇妃 召西奴とその息子 沸流,温祚が高句
麗を脱出、沸流湖地域で独立した国だ。 以後、百済は遼西地域に移ったあと(外百済)、
再び忠清南道の牙山地域(目支国)に移った。 この時期に温祚が独立、十済(漢城百済)を
建てたのだが、百済の弟国である。

牙山に定着した沸流百済は、遼西,山東,日本地域を含んだ広大な海上帝国を建て、各地
に担魯 (訳注:植民地) を置いて治めた。

高句麗の帝国統一によって中央政権から追い出された昔の朝鮮の重臣たちは、新しい根拠
地を探して韓半島南部へ押し寄せたのだが、彼らによって6伽耶連盟が成立した。
520世界@名無史さん:04/04/07 20:09
第2巻

伽耶が新領地を開拓する過程で日本進出の足場として設置したのがいわゆる任那だ。 任那
は韓国語では我慢して耐えるという意味で、日本の立場で解釈すれば、主君がいる国という
意味だ。

伽耶の日本進出以後、倭列島に対する関心が高まるにつれて、百済,高句麗,新羅が争って
その地域に進出したのだが、伽耶系統であるカラ,アラ、新羅系統であるムラ,百済系統である
コム(熊),タムロ(担魯)などに関連がある地名は、皆この時期に開拓された所だ。

沸流百済の日本地域の統治過程で、百済皇統の継承のために全ての担魯を制圧して建てた
のが、まさに天皇国家の始まりである。 この時の討伐将軍であるキョン・ジンジュは百済の
大将軍であったし、天皇ソン・ソンジョも百済から派遣された百済皇族だった。

神武天皇は、現地妻を取っていたソン・ソンジョ皇子の代わりに百済から送られた新しい天皇
で、倭列島の東部征伐の任務を忠実に遂行した。

新羅王子 天日槍の倭列島攻略以後、本州地方をめぐる百済,新羅の間の争いが激化したの
だが、高句麗もコンボルを根拠地に勢力争いに飛び込み、倭列島は戦火に包まれ、これを解
決するために百済は景行王を派遣した。

三国遺事の延烏郎・細烏女の説話は、新羅に滅ぼされた馬韓遺民の倭列島移住を示し、この
細烏女がまさに卑弥呼であり、その娘が神功皇后である。

海上帝国を成していた沸流百済は、高句麗の広開土大王の侵攻によって本国の熊津(コム
ナル)を奪われて日本地域へ避難したのだが、この人が応神天皇である。 応神は奈良百済
を建て、そこを中心に本国の古莫那羅(コムナル)百済を支配した。(以下略)

※韓国の大手・東亜出版社は94年に「大朝鮮帝国史」という本を出版した。(中略)同様の
内容が、韓国陸軍の「民族史教育」で教えられており、もちろん正規の歴史学者からは「考
古学的な裏付けがない仮説を全軍に事実かのように教育するのは性急なこと」と批判され
ている。
521世界@名無史さん:04/04/13 01:16
平壌の柳京飯店(ユギョンホテル)も遠からず
檀君の趙古代建造物に認定される悪寒
もと水田だった地盤なので傾いできた
西のピサの向こうを張ってニダの斜塔とは香ばしい限りだ
522世界@名無史さん:04/05/11 15:38
>520
うへぇ。
卑弥呼から神功皇后までどんだけ開いてると思ってるんだw
俺の方がもうちょっとまともに捏造できるぞ。
なんつーか、その辺のあやしい新興宗教の教義みたいだな。
いろんなところの宗教の教義だの神様だの教典だのからよさげなやつだけ拾ってきて
適当にくっつけてるからいろんなところに矛盾が出るという。

中国・朝鮮・日本の歴史を比較して研究してみたいなーとは思わんでもないが、
まじめにまともな信頼できる朝鮮史はないのか。
これじゃ研究対象にもならん。
523世界@名無史さん:04/06/18 03:52
しょうがないさ
524世界@名無史さん:04/06/20 18:20
氷河期の文明ならば海中に水没した遺跡も多いのだろうけど調べられるのかなあ・・・
インド沖の都市遺構?やバハマ沖の「ビミニ・ロード」などは却下されているの?
525世界@名無史さん:04/08/01 02:08
海進age
526世界@名無史さん:04/08/02 21:57
よーしよし、age
527世界@名無史さん:04/08/07 23:05
アトランティス大陸はアイルランド、地理学者が新説
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/ancient_civilization/?1091886776
古代に実在したとされる伝説の「アトランティス大陸」はアイルランドだったという新説を
スウェーデンの地理学者が発表した。アトランティスがどこに実在したかについては、過去
数千年にわたり論議されてきた。

・・・・あ、そう・・・
528世界@名無史さん:04/08/08 09:54
アイルランドのイメージはアヴァロンとかティルナノーグですねぇ
529世界@名無史さん:04/08/08 16:52
アトランティスって、大西洋の真ん中くらいにあった今はもう沈んだ火山島じゃなかったの?
530世界@名無史さん:04/08/08 20:28
プラトンによれば、アトランティスは、
ヘラクレスの柱より西にある大島なんだけど、
さらに西の大陸とも交易してた、って話。

んで、後にアトランティス大島とアトランティス大陸とがごっちゃにされてる。
531世界@名無史さん:04/08/29 19:03
もまいら!旬はカブレラストーンですよ!
1万2先年前まで恐竜と人間が共存していて
しかも心臓摘出手術までやっていたなんてアンビリーバボー
532世界@名無史さん:04/08/29 20:13
日本の古代文明
533世界@名無史さん:04/10/10 18:18:58
ムー大陸が太平洋に存在したならば、
すぐそばのニューギニア島やオーストラリア大陸にも
古代文明の名残があってもおかしくなさそうだが、
石造建築物もオーパーツの類も見付かっていないよな・・・
534世界@名無史たん:04/10/10 19:53:02
>>533

 通常、山頂にバカスカ建造物を作る文明というのは想像できませんが?

 それに大陸を短期間で砕いて沈めるような異変が生じた場合、よほど堅固なつくりの
地下施設でないとメチャメチャに破壊されて数百年で風化すると思う。

 さらに予想すると中国や日本の古代文化がムーの名残だったとした場合、ムー文明自体
は、あまり機械文明を発達させたようなものではなかったか、あるいは人間の霊的/肉体的な
資質を引き出して、一種の超人化を引き起こして様々な仕事の効率化をはかる文明だった
ようにも思える。
 
 またあるいは石や金属ではなく自然に返りやすい物質・木材や植物繊維を利用する
度合いがはなはだ大きかった文明かもしれない(巨石分明ならぬ巨木文明?)

 この場合、名残と呼べる者は人々の記憶化言い伝え程度になるだろう。
 あるいはやたらと高度な知識か、それを感じさせる文明の利器に関する記述か・・・

 まあ、現代文明ですら崩壊したら数千年後には地上に痕跡すら残らないことは
明白だけどね・・・(何しろ半世紀前の軍用機の残骸ですら殆ど残らない現実を見るとね・・・)
535世界@名無史たん:04/10/10 19:56:59
 そういえば、何かの本に古代飛鳥時代あたりに高さ数十mもの木造建造物
(現在は基礎部分の痕跡だけが発掘されたそうだが)が作られたとかいう話を
聞いたが木造技術がかなり発達してないと難しいのではないかな?
536世界@名無史たん:04/10/10 20:06:53
 まあ滅亡の原因がわからない文明の場合、どこにその痕跡があるか想定するだけでも困難です。

 沈没と言っても、巨大な大陸が(人々の避難も間に合わないペースで)沈没する場合、その
引き金となった現象があったはず。

 仮にそれが巨大隕石の墜落(敵に制御されたモノ?)だった場合、大陸全域が
焼けただれ、周辺地域の陸地もメチャクチャになるでしょう。(直撃を受けた
大陸塊は砕けるかな?)

 せいぜい遠方の未開地にいた人々が僅かな機材と共に取り残され、異変の後遺症による
不作で次々と餓死して、ようやく安定した生活を送れる頃には体系的な文明の知識なんて
ろくにないという状態になるでしょうな。

 まあ・・・高度文明の(存在を証明するゆるぎない)痕跡が残っていなければ
ならない理由なんて、元々ないと思いますけどね。はい。
537世界@名無史さん:04/11/03 21:28:40
遅レスだが。

>(何しろ半世紀前の軍用機の残骸ですら殆ど残らない現実を見るとね・・・)
めっちゃ残ってるよ。砲台跡なんかはそれに輪をかけて大量に。
つうかなんで軍用機なんて限られた物を引き合いに出すのかが解らん。

ピラミッドは残ってても、古代エジプト人の使った戦車の残骸が無いと、
エジプト文明があった事は信じて貰えないんかい?
まあ、実際に戦車はあるんだけど。

文明は存在した以上痕跡が残るもんなんだよ。
538世界@名無史さん:04/11/14 17:52:43
前スレ読みたいので誰かうpおながいします。
539世界@名無史さん:04/11/15 13:12:52
【考古学】失われた文明「アトランティス」発見?米研究者が発表
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1100489841/
540世界@名無史さん:04/11/15 13:14:27
【社会】失われた文明「アトランティス」発見?米研究者が発表
 キプロスからの報道によると、同国南部リマソルで14日、米国の研究者が記者会見し、
キプロスの南東沖の地中海海底で「失われた文明」として知られる
「アトランティス」の跡とみられる人工の構造物を発見したと発表した。
しかし、キプロス政府の考古学者は「もっと証拠が必要だ」と懐疑的な姿勢を示している。
 発表したロバート・サルマスト氏は「れんがやモルタルなど確かな証拠はないが、
状況から見て間違いない」と述べた。
 同氏の調査チームは、キプロス沖約80キロ付近を深海音波探査装置などで調査。
今月初め、キプロスとシリアの間の水深約1500メートル付近の海底で、水没したとみられる丘を発見した。
丘には長さ約3キロに及ぶ壁や壁に囲まれた頂上部、深い溝とみられる構造物が確認できたという。
 アトランティスは高い文明を誇ったが、1昼夜で水没したとされる島または大陸で、
古代ギリシャの哲学者プラトンが書き記したことで知られる。(共同)
541世界@名無史さん:04/11/16 21:05:35
>>538
前スレどうぞ。
http://mimizun.com:81/2chlog/whis/academy.2ch.net/whis/kako/1037/10374/1037434710.html

読めない過去ログは、みみずん検索を使うと見れることがあります

みみずん検索
http://www1.odn.ne.jp/mimizun/
542世界@名無史さん:04/11/16 21:39:19
>>541
サンクス!
助かりまする。
543世界@名無史さん:04/11/16 21:48:40
>>536
お前大陸一つ砕け散るような隕石の衝突があって、
人類が生き残れるとでも思うのか?

というか、「痕跡は全くないが、あったかもしれない」
などという言い方は妄想以外の何ものでもないが。
544世界@名無史さん:04/11/17 22:05:15
XXXX年、世界は核の炎に包まれた!
だが──人類は死滅していなかった!

みたいな
545世界@名無史さん:04/12/29 11:14:32
サルベージ
546世界@名無史さん:04/12/30 05:28:37
547山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/30 13:15:20
>>535
雲太、和二、京三の出雲大社です。技術力は・・・48mを建てただけでも大
したものですが、何度も大風で倒壊しており、分相応なもの。
現在の本殿の高さは、24mですが、これが無難です。
548世界@名無史さん:05/01/10 19:13:23
捕手
549世界@名無史さん:05/01/10 20:50:11
>>547
確かそれって柱の太さ(柱用のタテ孔)がそれ級の建造物を支えられる大きさだったという話だけで
実際にその大きさの建造物があったかどうかはわからないんですよね?
550山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/10 21:09:38
>>549
・・・「上」への突っ込みとは、ミもフタも無い事を。
一応、『出雲国風土記』に社殿の壮大さが記されており、10世紀末の『口遊』
に東大寺大仏殿よりも大きいとあり、『杵築大社旧記御遷宮次第』の内、14世紀末
のものと思われる文に、
杵築大社、三十二丈と申は仁王十二代景行天皇の御時御造立也。其後十六丈になり、
次に八丈になり、今は四丈五尺也
と記されています。が、確かに後世の記述ですから、あの時代となると不明瞭。
掘立式の巨大木造建造物が多く築かれていた事は、土器の文様や他の遺跡から
も分かっていることですが。
551かきつばた ◆O1SdlnknBs :05/01/11 02:27:17
ポリネシア人こそ、ムー人の末裔だった!

スマトラ島、ボルネオ島からフィリピンにいたる広大な海盆は、氷河期には、
肥沃な大陸だった。

ムー人は、この地に高度な文化を築き、ノンビリ楽しく暮らしていた。

しかし氷河期の終わりとともに急速に海面が上昇、ムー帝国の中枢は壊滅的
な打撃を受け、多くの人々が嘆き悲しみながら海に沈み、後にスマトラ島、
ジャワ島、ボルネオ島、セレベス島、フィリピン等となる山頂に逃れたわずか
な者達も、手持ちの食料が底をつくにつれ、静かに死んでいった。

しかし、あくまでも運命に屈しない少数の者達がいた。
彼らは急増の祖末な帆船で、東西南北の未知の海へ、敢然と乗り出したのだ

かれらこそ、西はアフリカ、マダガスカルから、東は太平洋、南米イースター
島にいたる広大な領域に分布する、ポリネシア系の人々の祖先である。
552世界@名無史さん:05/01/11 06:38:34
スンダランドの水没は人の一生の間に気が付くかどうかというほど
ゆっくりしたもの。
553かきつばた ◆O1SdlnknBs :05/01/11 18:40:04
うーん、水面の上昇は徐々にすすむとしても、あの地形だと、水面上昇が飽和点に達した段階で、
広大な平野が一挙に水没しはじめそうな。数年から十数年という時間単位で。

あの大平野が限界まで開墾されていたとしたら、溺死はともかく、餓死が大量に発生したことは
間違いないと思います。
554世界@名無史さん:05/01/11 22:26:58
やはり世界中に伝わる洪水伝承の元はこの海面上昇の記憶なのかなあ。
555世界@名無史さん:05/01/11 22:39:03
アトランティスの沈没は古代ローマのポンペイとリンクしてるみたいよ

隆盛 超文明 退廃 破滅 
556とてた ◆0Ot7ihccMU :05/01/12 22:29:11
>>553
逆に、ニューギニアの高地に「独自文化」があったようですが。
(断崖に壁画があるそうです)
557山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
出雲大社の社殿の大きさについてですが、中世の社殿・祭神の変遷も含めて、
『しまねの古代文化』9号に解説されています。興味がおありの方はどうぞ。
しかし、どう考えても「超古代文明」とは無関係な建造物ですが。