東晋のおはなし

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1大朝鮮帝国
三国時代を統一した晋の生き残りについて
2 :03/01/14 10:20
司馬死ね
3世界@名無史さん:03/01/14 11:16
断言しよう。すぐ落ちるよ、このスレ(p
4世界@名無史さん:03/01/16 02:55
三国時代って庶民にとっては惨獄時代だよな。
5世界@名無史さん:03/01/29 03:20
「陛下、庶民はくう粟もありませぬぞ」
「はて? 粟がなくば何ゆえ肉を食わぬぞ?」

マリーアントワネットの元ネタ。
6世界@名無史さん:03/01/29 06:52
安帝に興味がある。その君主ぶりはどうだったのだろうか。
7世界@名無史さん:03/01/29 14:47
司馬くぞ!
8山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/29 23:02
「捜神記」の成立と「山海経」の注釈が行われたことで忘れられなくなりました。
9世界@名無史さん:03/01/30 00:18
>>5
それは西晋では?
恵帝でしたっけ
10世界@名無史さん:03/01/30 01:30
「梁山泊与祝英台」を思い出した。徐克監督の香港映画だ。日本ではバタフライラウ゛ァーズって題名だったかな。中国人なら誰でも知ってる有名な悲恋の物語。主演はニッキー・ウーとチャーリー・ヤン。
11世界@名無史さん:03/01/30 01:34
このころ金魚が作り出され始めたと言われております
12世界@名無史さん:03/01/30 01:41
明帝は、司馬氏の簒奪の過程を知って
ショックで号泣したらしい。
13世界@名無史さん:03/01/30 01:44
この時代は北のほうが面白い。

現代でも「北」はある意味面白い。
14世界@名無史さん:03/02/01 16:03
五胡の諸部族・諸政権も東晋を宗主として崇めていたらしい。だから
東晋から宋にかわった時、宋は正統なのか纂奪したのかで悩んだとか。
15世界@名無史さん:03/02/01 23:01
みんなあっというまに漢化しちゃったんだね
やっぱり五胡は「都会にあこがれて」侵入したのかな
16世界@名無史さん:03/02/01 23:42
結局「宋は纂奪政権だ」ってことで落着し、
それ以来、五胡は歴代中国王朝(南朝)に遠慮しなくなり
自ら正統の天子と称して南朝を「島夷」とよんで侮蔑するに至った。

東晋は弱っちぃイメージがあるのに宋は北伐したりして威勢がいいが、
武力でなく正統性だけで異民族を畏怖させ敬意を払わせた「ご威光」で比べると
宋はまったく東晋の比ではない。
171:03/02/02 00:22
東晋は北秦を破って天下統一を遅らせるなど武力もなかなかのものでしたが
18世界@名無史さん:03/02/02 18:43
>>17
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008691359/l50
「五代十国時代を語ろう」に関連言及あり。
19世界@名無史さん:03/02/07 20:08
>14
残ってるのは晋側に立った記述ばかりだしなあ。正直、民族云々って所を抜かせば、
春秋戦国の分裂時代と大して変わりない気がする。五胡諸国にすれば、東晋は
外交相手のひとつに過ぎなかったんじゃ……?

五胡諸国:味方にしておいて損はない。とりあえず使者を出しておこう。
東晋:なに、蛮夷の者どもが礼物を持って来たと?
   人面獣心の連中の割に、主を敬う心を忘れておらんと見えるわ!

とゆーよーな、
「単なる外交上の布石=五胡」←→「針小棒大に拡大解釈&自尊心肥大化=東晋」
ぐらいの温度差があったかもしれん。
20世界@名無史さん:03/02/07 23:38
>>16
呉を除く六朝中、北伐を最も多く行っていたのは、東晋ではなかったろうか・・・。
もっとも、東晋の場合は「その時代で特に有力な貴族」が北伐を敢行していた
(祖逖・殷浩除く)から、当初の至上目標すなわち天下再統一に向けた国家事業とは
言えないだろうけどな・・・。

しかしまあ、「江南の開発進展→豊かになる貴族→北伐の必要なし」となっていく
過程はあまり燃えんなぁ。当事者でない人間の無責任な感想だが。
あと、とりあえずageとく。「クソスレageんな」とかツッコむのは無しな(w
2120:03/02/07 23:43
あと、蛇足。
「その時代で特に有力な貴族」には、劉裕もいちおう含めて考えてる。
成り上がりだが皇帝になってるしなぁ、ってことで。
22世界@名無史さん:03/02/08 01:24
『魏書』には「偽晋」とされ
元帝の実父は牛金なる将軍とされている。

『晋書』では元帝の生母が小吏の牛氏と通じて
生まれた子との異説を帝紀末尾で紹介している。

最早千七百年も前のこと
真偽など確認しようもないが
それでも色々想像したくはなる。

自分は晋の正統性をどうしても否定できない五胡・北朝側が
やぶれかぶれに打ち出したデマだと思うけどね・・・。
真偽を確認しようもないが
疑惑だけは澱のように臣僚たちの心の底深く浸透していく
実に陰湿だが一定の効果はある手段。
23世界@名無史さん:03/02/08 01:34
『魏書』には確か歴代皇帝を本名で呼び捨てにして
元帝のことを「牛金之子也」とか書いてあったように記憶している。

北斉の君臣はその下りを読みつつ
「うむ、やつらは偽の血統を有り難がっていた間抜けどもで
司馬一族は自分で自分を欺いていたのだ。
これぞ江南が天から棄てられた証。我等こそ中華の正統」とか愉快になってたんだろうか・・・.

小説的想像だけど、2chだから自由に考えていいと思うので。
24世界史@名無しさん:03/02/13 21:30
東晋ではないが、なんで西晋はああも脆く自壊したんだろう。
貴族の贅沢話とか読むと、組織の自浄能力(政治に無関心な連中がトップに居座ったとか)を
失ったのがデカイのか、と思うが。他の人の意見を求む。
25世界@名無史さん:03/02/13 21:49
牛金って関羽とかがいた時代の将軍だぞ。
元帝の実父な訳がない。
司馬懿が牛金を毒殺したっていう話は聞いた事あるけどな。
26世界@名無史さん:03/02/13 22:06
『晋書』元帝紀所載の異説によれば
司馬仲達は「馬の後を牛が継ぐ」という予言書を見て
牛金を毒殺。一安心していたら
元帝の母が小吏の牛氏と密通、生まれたのが
元帝で、かくして予言書は実現したという、
と伝えている。
27世界@名無史さん:03/02/14 02:29
>>24
政治よりも清談に耽ることが名士の条件なんだもんな
そりゃ国が傾くわ

まあ洛陽に首都置いたのがそもそもの失敗かも
長安、あるいは【業β】に置くべきだったと思う
異民族対策の見地からね
洛陽なんてすぐ裏が上党だから、雑胡がうようよ周辺に遊牧してそうだよ
長安に首都置いて、積極的に異民族統治に手をつけるべきだった
逃げていては何も始まらん
28世界史@名無しさん:03/02/14 23:54
>>27
レスありがと。

首都問題か。うーむ、だが長安は羌族がウヨウヨしてたし、【業β】は烏丸・鮮卑が
近くにいたから、あまり変わりない様な気もする。
むしろ、異民族対策をやれる政治家がいなかったのが問題かもしれない。
趙王・司馬倫(八王のひとり)とか梁王・司馬ユウの伝を読むと、「失政→叛乱」の
パターンが書かれてるし。そのくせ、皇族の身分だからとか賈皇后に媚び売ったり
して、降格で済んだり不問に付されてお終いというのはちょっとね…。
周處のように羌族をうまく統治した人物もいるが、地位が郡の太守レベルでは焼け石に
水だったみたいだ。
29世界@名無史さん:03/02/15 02:14
>>28
異民族統治なら王浚だって結構上手くやったと思うんだが
負けただけで評価下げられるのは可哀想だな
こいつの場合は明らかに野心有りまくりだから、国のためでは無いってのが問題点か

長安の羌族についてだが
彼らは基本的に他の異民族たちと異なり、略奪や侵寇が目的ではなくて
奴隷狩りや、犯罪者として処刑されるのに抵抗して反乱を起こしていたそうだ
問題は反乱のアジテーターだろう
成や仇池の成立を見ていると、異民族の反乱というよりも
野心家たちの軍閥化にしか見えない
30山崎渉:03/03/13 13:42
(^^)
31世界@名無史さん:03/03/22 10:41
age
32山崎渉:03/04/17 09:59
(^^)
33世界@名無史さん:03/04/17 21:57
素人ですいません、質問です。
司馬炎ってあれほど苦労しながら曹操や孔明が失敗した中国統一を
いとも簡単にした人なんですけどそのあとすぐ潰れてしまったのは
やっぱり統治能力が無かったんでしょうか?
34世界@名無史さん:03/04/17 22:21
>>33
既出な意見だが
・藩屏に軍事的な権限を持たせて、地方に割拠させてしまった
・後継者問題で消極的な人事を行った
・派閥争いが激化していたにも関わらず、無介入の態度を武帝はとった
これが内紛が起こった原因の主なところか

次が呆気なく滅びた理由
・天下統一による、軍備縮小
・八王の乱の後、地方に政治的な空白地帯が生まれてしまい、異民族勢力が勃興してしまった
・政権内に漂う、泰平思想と厭世的なムード
・軍事的に無能な人間を、清談や家柄の評価だけで将軍に抜擢

何よりも石勒みたいな人間がこの時代に生まれたのが不運
「俺の精神テンションは今!
貧民時代に戻っている!
俺が、漢人官吏に首枷を嵌められ奴隷として売り飛ばされた、あの当時にだ!
冷酷!残忍!そのおれが西晋を倒すぜ!!」
…分かりにくいネタ
35世界@名無史さん:03/04/17 23:28
シィィィィザァーーー!!

それにしても十八史略読んでると結構名君が出たという記述が見られる。
まあ結局皆早死にするわけだが…。早死にしすぎ。せめて在位25年位いけたら
もっと強い国になっていたのではないか…。
36世界@名無史さん:03/04/18 09:14
>>35
司馬一族ってやっぱり優秀だったのかな…
37世界@名無史さん:03/04/18 09:22
33です。
>>34
返答ありがとうございます
「八王の乱」て…八つの王族が抗争をしたのか…派手ですね。
司馬氏は固定直属の軍隊だけでなく王族もそれぞれ軍を保有していたと言うことですか。

そして結局平和主義が国を滅ぼしたのか…
最後は日本に似てますな。

司馬炎自体は優秀だったが王族の取りまとめに失敗したと言うことですね。
38世界@名無史さん:03/04/18 11:04
西暦421年に恭帝が劉裕に殺されて司馬氏の血統は絶えたと
思いきや、北に汝南王亮の子孫がいたと本で読んだけど本当に
司馬氏の血縁者なんだろうか?わかる人いたら教えて。
39山崎渉:03/04/20 04:39
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
40世界@名無史さん:03/05/11 23:12
>>37
>そして結局平和主義が国を滅ぼしたのか…

はあっ?平和主義によって西晋は滅びたわけじゃないし。
日本も平和主義によって滅びたことはない。
逆に軍事的冒険の結果として占領されたことはあるけどな。
司馬炎が優秀なんてのもはじめて聞く意見だ。
1万人ハーレム男が優秀??詳しく聞きたいな。
41世界@名無史さん:03/05/15 07:11
東晋末の劉牢之時代の北府軍、桓玄時代の西府軍の幹部には、どいうヒトたちが
いたのでしょうか?
42山崎渉:03/05/21 22:21
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
43山崎渉:03/05/28 15:45
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
44世界@名無史さん:03/05/28 18:35
史記の司馬遷の一族が司馬仲達につながるんすかー?
司馬遷自体は宮刑に処されたのはしってるけど。
45世界@名無史さん:03/05/28 18:53
晋の司馬氏は系図を楚漢時の殷王司馬ゴウに繋げていたはず。
一方司馬遷は自叙で、自分の系統は司馬ゴウの系統と春秋戦国で枝分かれしたと述べている。
関係あるといえばあるかもしれないけど、繋がるとは言えないようにも思えるのでス。
46世界@名無史さん:03/05/28 19:46
仲達自身は司馬遷とは関係ないとかいっているの?
後世の司馬炎でも誰でもいいけど。。
47世界@名無史さん:03/05/28 20:05
晋書の最初に書いてあるのは殷王司馬ゴウとの関係。司馬遷の事は書いていない。
そして司馬遷と司馬ゴウが「遠い親戚」であることは司馬遷自身が史記で言及している。

仲達その他は「司馬遷とは関係ない」などと明言していないとは思うけど、
当時は上のように理解されていたんじゃないかなぁ。
司馬遷・司馬仲達どっちの系図も眉唾モノという点は似てますが。
48世界@名無史さん:03/05/28 21:59
ドキュソな質問だけど、三国史のゲームとか
陳瞬臣の小説に五斗米道の張魯っていう教祖がいるよね。
魏の武帝つーか曹操に下っているんだけど、
東晋の頃五斗米道の孫恩という人物が東晋を荒らしまくったんだそうだけど
五斗米道って魏の曹操に下ってからどういう風に盛衰したのかキボン。
いつ頃滅びたのか分かる人いらっしゃいます?
49全然関係ないが:03/05/28 22:03
半島の苗字で司馬姓の人が両班階級に多いように思うが、
帯方郡や楽浪郡の漢人が半島に帰化したのか?
50世界@名無史さん:03/05/28 22:03
51世界@名無史さん:03/05/28 22:14
五斗米道は滅びたというより正一教として昇華したってほうが適切。
張天師は六十四代続いて現在は台湾にいるよ。
道教関連のスレで質問すると、もっと詳しく教えてもらえるかも。
52世界@名無史さん:03/05/28 23:56
五斗米道は潰れていなかったのはしらなかった・・・・。
張魯は勝ち組。
53世界@名無史さん:03/05/30 00:29
っていうか
司馬光は
司馬遷or司馬イの子孫なの? 
54世界@名無史さん:03/05/30 00:50
>>53
司馬仲達の子孫なら痴呆だと称して王安石を欺いて
隙をみて宮中クーデターぐらいやりそうなものだが。
55世界@名無史さん:03/05/30 00:58
資治通鑑といえばは南北朝最強のDQN侯景について詳しいな。
56世界@名無史さん:03/05/30 01:02
赤壁の戦いはフィクションだが、謝兄弟は苻堅100万の大軍を
破っているのに三国史とちがってマイナーだな。
やっぱ烏合の衆は烏合の衆でしかないのか。

57世界@名無史さん:03/05/30 01:52
史実ガンは編年体
58世界@名無史さん:03/05/30 03:09
>>49
僭称。
59世界@名無史さん:03/06/12 00:33
age
60世界@名無史さん:03/06/23 05:18
age
61永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/23 05:35
>>56
メンツだけみれば、苻堅軍はオールスターなんですけどね。
そいつらが、揃いに揃って忠誠心が無かったというのが、問題だったんでしょう。
淝水の戦いは、苻堅軍が勝手に自壊したようなもんですから。
62_:03/06/23 05:53
63世界@名無史さん:03/07/02 08:52

桓温て、日本では知られてないけど、中国史ではどのくらいの知名度なんでしょうか?
64世界@名無史さん:03/07/02 15:00
>>63
一般では教科書に載ってる誰かさん程度の知名度。
学界ではかなり熱く語られている。
つーか、東晋滅亡の原因と切っても切り離せない人物だから。
65世界@名無史さん:03/07/02 21:01

それは、息子の桓玄に西府軍を残したということ?
66世界@名無史さん:03/07/02 21:28
>>65
桓玄の蜀征服による西府軍の勢力増加

殷浩の北伐失敗による北府軍の威信の低下

独裁者になった桓温の簒奪未遂

淝水の戦いで謝安が勝ったことによって、北府軍の勢力回復

北府軍の劉牢之と西府軍の桓玄が結託して、建康に攻め込んでクーデター

桓玄が劉牢之を殺害して北府軍を吸収。ついでに皇帝を名乗る

旧北府軍の劉裕が挙兵して桓玄を破り、東晋の軍権を完全に掌握

劉裕が簒奪。宋を建国
67世界@名無史さん:03/07/02 23:56
>>64
土断法絡みとか?

前後両趙並立期、なぜ祖逖から戴淵に総大将を変えたんだ
やっぱコネとかの問題なのか?
東晋最大の失策としか思えないのだが
68世界@名無史さん:03/07/03 19:40
>66
それはわかるけど、やっぱり桓温が原因といっても、かなり間接的な印象だな。
いったん謝安が東晋を再建して、西府軍の力はかなり削られてたと思う。
69世界@名無史さん:03/07/03 20:35
司馬遼太郎も司馬遷の子孫なの?
70世界@名無史さん:03/07/03 21:08
ちんちんないやつの子孫なわけないだろw
71世界@名無史さん:03/07/03 21:12
でも娘はいるよ。
72世界@名無史さん:03/07/03 21:18
司馬遷の子孫は姓を変えたって聞いたぞ。たしか
73永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/03 21:51
>>67
王敦伝に「戴若思(戴淵)為征西將軍(事実上の北伐軍の総司令官)、悉發揚州奴為兵、外以討胡、實禦敦也」という記述があります。
平たく言えば、戴淵を北伐軍の総司令官にして、その兵力で王敦を牽制するつもりだったみたいです。
王敦は祖逖が死んだのを見計らって反乱を起こしたから、まったく意味の無い人事だったんですけどね。

>>68
>それはわかるけど、やっぱり桓温が原因といっても、かなり間接的な印象だな。
桓温死後、西府軍の軍権は弟の桓沖を経て、桓玄に移っています。
西府軍の軍権が桓温以来、桓一族の世襲になったのは、東晋が滅んだ大きな原因の一つだと思いますよ。

>いったん謝安が東晋を再建して、西府軍の力はかなり削られてたと思う。
西府軍は謝安政権下でも主力扱いで、かなり北方の軍と激しく戦ってます。
総帥の桓沖は、車騎将軍・使持節・都督荊江梁寧益交廣七州諸軍事・荊州刺史という途方も無い権力を有していて、
独裁者だった兄貴には及ばないものの、大軍閥の地位はしっかりキープしてたようです。

>>69
74永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/03 21:56
>>69
司馬遼太郎さんの本名は「福田定一」。
ペンネームの由来は「司馬遷に遼に及ばない」という自虐と、
大好きだった遼帝国の国号にかけたものらしいです。
75世界@名無史さん:03/07/04 06:32
>73
なるほど、桓沖の時代は、梁州、益州、寧州も確保していたんですね。
桓玄は、最初はたしか荊州の官職しか持ってなかったような気がするんですが・・・。
76世界@名無史さん:03/07/04 11:29
>>69
じゃあ俺はヘロドトス遼太郎を目指そう
77世界@名無史さん:03/07/04 12:38

金が好きだったら金太郎だったわけね。
78永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/04 22:31
>>75
>なるほど、桓沖の時代は、梁州、益州、寧州も確保していたんですね。
少し、事実に誤認がありました。桓温の死後、上の弟の桓豁が征西将軍となっています。
この人は桓温が存命中から荊州刺史だったので、西府軍を継いだと考えていいみたいです。
桓豁は征西大将軍・使持節・都督荊梁寧益交廣六州諸軍事・荊州刺史まで昇り、
その死後に桓沖が荊州に移って西府軍を継いだみたいです。

それまで桓沖は何をしてたかと言えば、桓温死後に江州刺史から、
中軍将軍・都督揚豫江三州諸軍事・揚州刺史・豫州刺史に昇り、北府軍を率いましたが、
その後謝安に揚州刺史の地位を取られ、豫州刺史からも外されています。
そして、車騎将軍に昇進し、徐州刺史・都督徐兗豫青揚五州之六郡軍事となり、
徐州刺史を解任されて、都督豫江二州之六郡軍事に軍権を削られています。
ただ、車騎将軍の地位はそのままで、北府軍から追い出されたものの、
軍部の実力者として北方と戦ってたみたいです。

>桓玄は、最初はたしか荊州の官職しか持ってなかったような気がするんですが・・・。
桓玄が最初に手に入れた州は廣州です。
当時、荊州は殷仲堪が持っていました。
79世界@名無史さん:03/07/04 23:08
竹林の七賢の侍はまだですか?
80世界@名無史さん:03/07/04 23:34
>67
>やっぱコネとかの問題なのか?
要約すればそうなるでしょうなあ。祖逖も兄の祖納が中央に仕えていたけど、
寵愛度では戴淵・劉隗・チョウ協の側近御三家には及ばなかったみたいだし。
まあ、玄談ができるわけでもなく儒学系の知識人でもない人間は軒並み元帝に
嫌われてますな。元帝って名君じゃ絶対にないと思う。暗君という印象が。

王敦の乱については、「主君に背いた」という流れで「単なる下克上」的に
書かれてるけど、個人的にはちょっと違う考えがある。
たとえば、王敦の麾下にいた主な連中をあげると、

沈充(呉興沈氏)
銭鳳(呉興銭氏)
周札(呉興周氏)
周撫(尋陽周氏)

という風に、中央から爪弾きにされた南土の新興豪族が大半だったりする。
「なぜ彼らが王敦を支持したのか?」という点について、もう少し深く考察
してみる必要があるのではなかろうか。
俺の結論を先に書くと、王敦の乱は「権力構造の再固定化への過渡期における、
半ば必然的に起こった叛乱だった」と思う。極論?

途中を端折っちゃったけど、明日あたり書き直してみたい…え?イラネ?
81永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/05 00:08
>>80
>元帝って名君じゃ絶対にないと思う。暗君という印象が。
私もそう思います。
西晋の名臣がたくさん流れ込んできてくれたおかげで、
大した能力も無いのに中興の祖扱いされてるような気がします。

>王敦の乱については、「主君に背いた」という流れで「単なる下克上」的に
>書かれてるけど、個人的にはちょっと違う考えがある。
私は「君側の奸を討ち、世直し」というつもりでいたのだと思っています。
82世界@名無史さん:03/07/05 04:23
だれだ、こんなの書いたのは。
わらった。
http://gaksan1.hp.infoseek.co.jp/story/short_tou1.html
■東晋ハイスクール・不退転の決意■
83世界@名無史さん:03/07/05 14:38
     ∧_∧
ピュ.ー < `Д´ > <これからも謝罪と賠償するニダ <`Д´>。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                       ニダー

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
      ∧∧
ピュ.ー m( _ _)m <これからもちょんに土下座して下さいねm(_ _)m 。
  =〔~座下土〕
  = ◎――◎                        おなー
                      
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 △△△△△△△△△△△△   △△△△△△△△△△△△△
<土下座するおな〜〜〜〜〜!> <謝罪しるニダ〜〜〜〜〜!!>        >
 ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨   ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
      ∧∧        ∧_∧
ピュ.ー m( _ _)m      < `Д´> =
  =〔~座下土〕    〔火病∪~〕=
  = ◎――◎     ◎――◎ =
        

    ∧∧∧
 =..∧_/∧∧=
= ..<ヽ;;;;;;;;;;;;;; _)m=
= 〔~∪ ̄.. ̄土~〕.=  グシャ!・・。    m(_ _)mハン板■反省・自省スレm(_ _)m   
= ..◎〜◎◎〜◎= http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1054360515/l50


84世界@名無史さん:03/07/07 19:11
>80

南土の新興豪族ということですが、いつ頃からいる連中なんでしょうか?
晋が南に逃げてきてから登場したんですか?
85世界@名無史さん:03/07/07 19:57
>>84
呉、会稽には孫呉以来、顧氏や陸氏、賀氏や虞氏が幅を利かせていた
周氏(義興郡陽羨)、沈氏(呉興郡武康)らは三世紀後半から四世紀初頭にかけて勃興した新興勢力
孫呉滅亡後の権力の空白期に勢力を拡大させたらしい

304年の石冰の乱では、顧秘(呉郡)、周[王己](陽羨)らを中心に対応に当たっています
東晋の初期では顧栄(呉郡)が重用されていたようです
まあ王導が巧みに新興勢力と旧勢力の対立を煽っていたようですが

周魴―周処―周[王己]
…周魴って三国志にいたっけ?
86世界@名無史さん:03/07/07 23:22
>…周魴って三国志にいたっけ?
曹休に髪切ってみせた人? 嘘の投降をして。
87山崎 渉:03/07/15 12:45

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
88世界@名無史さん:03/07/25 00:58
age
89世界@名無史さん:03/08/14 01:56
age
90山崎 渉:03/08/15 18:32
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
91世界@名無史さん:03/08/27 14:45
すっごい亀レスだが。
>>53
司馬光は司馬フ(仲達の弟)の子孫となっているという話を聞きました。
晋書の司馬フの伝の内容が良かったからではないかと思われます。
92世界@名無史さん:03/08/28 13:16
つまり司馬フの伝の内容が良かったから子孫と称した訳であって
実際に司馬イの弟の子孫つーかこの弟って八王なんだろうか。
の子孫かどうかはわからんと

93世界@名無史さん:03/08/28 13:37
???
94世界@名無史さん:03/09/27 15:48
なあ、晋書ってかなり膨大だよな?
個人編纂できるレベルを越えてると思う。
95_:03/09/27 16:01
96世界@名無史さん:03/09/27 16:12
王羲之
陶淵明
97世界@名無史さん:03/09/27 19:36
姉妹スレ。くれぐれも侵攻しないで下さい

五胡十六国を語る 2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1033043530/
98世界@名無史さん:03/09/28 18:29
>>97
侵攻するヤツは劉裕だから、簒奪者ケテーイ!!
99世界@名無史さん:03/09/30 23:17
桓温は?
100世界@名無史さん:03/10/01 09:23
age
101世界@名無史さん:03/10/01 14:52
殷浩は?
102世界@名無史さん:03/10/03 19:26
晋書東夷伝について何か一言述べて。
103世界@名無史さん:03/10/03 19:52
ちょっと距離が遠いでん
104世界@名無史さん:03/10/16 17:04
age
105世界@名無史さん:03/10/16 17:22
八王の乱のようなエゲツナイ争いがあった王朝は好かれない。
106世界@名無史さん:03/10/16 17:26
この頃は皇族に軍隊持たそうが持たすまいが王朝が滅んだ
107世界@名無史さん:03/10/16 17:39
劉淵の挙兵は八王の乱で中原が乱れたのを好機と思っての事だと
思うが・・・
108世界@名無史さん:03/10/16 18:05
匈奴でも、劉淵の息子たちはみんな軍団を持っていたな
代替わりごとに、他の皇子達を抹殺していくの習慣のようなものだった
結局強くなきゃ誰もついてこない、遊牧民の冷徹な掟に従ったまでであろう
強いやつが親玉であれば、巨大な相手にも負けるとは限らない
晋が王族を各地に封じたのも、それらの相乗効果を狙ってのことだったのだろうが

109世界@名無史さん:03/10/16 20:07
地方豪族との関係じゃないの?
110世界@名無史さん:03/10/17 00:01
王に軍を持たせるとは、「反旗を翻せ」と言ってるようなもんじゃないの?
111世界@名無史さん:03/10/17 00:39
>>110
すごく基本的にいわれてることだけど、
曹魏が皇族を抑圧して、藩屏を育てなかったため、
司馬氏が簒奪したとき守ってくれるものがなかった。
その反動(教訓)で、西晋は皇族の諸王を藩屏として育てるべく
強権を与えた。それがけっきょく仇になり、八王の乱につながった。

知ってることだったらごめん。
112怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/10/17 01:05
魏の皇族というか諸侯王って、そんなに抑圧されてたのかなぁ。
本格的に抑圧したのは司馬懿なんだよな。
(楚王彪擁立事件後)
それまでって、漢の諸侯王とあまり変わらないような気がするんだけど。
具体的に漢と魏で扱いがそんなに変わった?

まあ、晋が諸侯王に兵権とか与えてエライコトになったのは確かだと思うけど。
113世界@名無史さん:03/10/17 07:23
すごく基本的にいわれてることだけど、
秦が皇族を抑圧して、藩屏を育てなかったため、
各地で反乱が起こったとき守ってくれるものがなかった。
その反動(教訓)で、漢は皇族の諸王を藩屏として育てるべく
強権を与えた。それがけっきょく仇になり、呉楚七国の乱につながった。

知ってることだったらごめん。
114世界@名無史さん:03/10/17 13:54
>>113
始皇帝の目指した、中央集権国家に王侯は不要でしょ
漢が各地に王を封じたのは、地方の面子を立てるため
地方の独立志向をある程度認めなければ、秦のように倒される
秦の行き過ぎを改める、という点では同意だが
藩屏の問題ではなく、地方分権の問題であろう

こうして考えると、八王の乱は異常だな
115世界@名無史さん:03/10/17 21:53
ま、晋の混乱は司馬衷がバカだった事が大きい訳だが・・・
秦も胡亥がバカだった事には変わらんな。
ところで始皇帝は何で秦を滅ぼすのは胡なりと
言われてたのに、息子に胡亥などと名前を付けたんだ?
116世界@名無史さん:03/10/17 22:39
>>115
廬生が始皇帝にインチキ古文書を提出したのは、秦による統一後じゃない?

そもそも、八王の中には字も読めない低偏差値野郎がいたようだが
そんな奴らでも一流の人士として遇され、一方で真面目に勉強している奴らは妬まれる
流石に、この時代の官僚や士人の大量虐殺を非難する気にはなれん
117世界@名無史さん:03/11/11 02:01
age
118世界@名無史さん:03/11/11 17:04
>>102
何が聞きたいのか詳しくいってくれないと、なんとも答えられない。
119世界@名無史さん:03/11/11 22:30
>>102
下は原文のサイトだが、東夷伝ではなくて四夷伝のことか?
http://www.chinakyl.com/rbbook/big5/25/jinshu/jins.htm
120保守:03/11/25 23:19
元皇帝諱睿,字景文,宣帝曾孫,琅邪恭王覲之子也。咸寧二年生於洛陽,有
神光之異,一室盡明,所藉蒿如始刈。及長,白豪生於日角之左,隆准龍顏,目有
精曜,顧眄煒如也。年十五,嗣位琅邪王。幼有令聞。及惠皇之際,王室多故,帝
毎恭儉退讓,以免於禍。沈敏有度量,不顯灼然之跡,故時人未之識焉。惟侍中嵇
紹異之,謂人曰:「琅邪王毛骨非常,殆非人臣之相也。」元康二年,拜員外散騎
常侍。累遷左將軍,從討成都王穎。蕩陰之敗也,叔父東安王繇為穎所害。帝懼禍
及,將出奔。其夜月正明,而禁衛嚴警,帝無由得去,甚窘迫。有頃,雲霧晦冥,
雷雨暴至,徼者皆馳,因得潛出。穎先令諸關無得出貴人,帝既至河陽,為津吏所
止。從者宋典後來,以策鞭帝馬而笑曰:「捨長!官禁貴人,汝亦被拘邪!」吏乃
聽過。至洛陽,迎太妃倶歸國。東海王越之收兵下邳也,假帝輔國將軍。尋加平東
將軍、監徐州諸軍事,鎮下邳。俄遷安東將軍、都督揚州諸軍事。越西迎大駕,留
帝居守。永嘉初,用王導計,始鎮建鄴,以顧榮為軍司馬,賀循為參佐,王敦、王
導、周、刁協並為腹心股肱,賓禮名賢,存問風俗,江東歸心焉。屬太妃薨於國,
自表奔喪,葬畢,還鎮,摯武髀骭S二萬戸,加鎮東大將軍、開府儀同三司。受越
命,討征東將軍周馥,走之。及懷帝蒙塵於平陽,司空荀籓等移檄天下,推帝為盟
主。江州刺史華軼不從,使豫章内史周廣、前江州刺史衛展討禽之。愍帝即位,加
左丞相。歳余,進位丞相、大都督中外諸軍事。遣諸將分定江東,斬叛者孫弼於宣
城,平杜弢於湘州,承製赦荊揚。及西都不守,帝出師露次,躬擐甲冑,移檄四方,
征天下之兵,剋日進討。於時有玉冊見於臨安,白玉麒麟神璽出於江寧,其文曰
「長壽萬年」,日有重暈,皆以為中興之象焉。
121保守:03/12/04 20:41
建武元年春二月辛巳,平東將軍宋哲至,宣愍帝詔曰:「遭運迍否,皇綱不振。
朕以寡コ,奉承洪緒,不能祈天永命,紹隆中興,至使凶胡敢帥犬羊,逼迫京輦。
朕今幽塞窮城,憂慮萬端,恐一旦崩潰。卿指詔丞相,具宣朕意,使攝萬機,時據
舊都,修復陵廟,以雪大恥。」三月,帝素服出次,舉哀三日。西陽王羕及群僚參
佐、州征牧守等上尊號,帝不許。羕等以死固請,至於再三。帝慨然流涕曰:「孤,
罪人也,惟有蹈節死義,以雪天下之恥,庶贖鈇鉞之誅。吾本琅邪王,諸賢見逼不
已!」乃呼私奴命駕,將反國。群臣乃不敢逼,請依魏晉故事為晉王,許之。辛卯,
即王位,大赦,改元。其殺祖父母、父母,及劉聰、石勒,不從此令。諸參軍拜奉
車都尉,掾屬駙馬都尉。辟掾屬百餘人,時人謂之「百六掾」。乃備百官,立宗廟
社稷於建康。時四方競上符瑞,帝曰:「孤負四海之責,未能思愆,何徴祥之有?」
丙辰,立世子紹為晉王太子。以撫軍大將軍、西陽王羕為太保,征南大將軍、漢安
侯王敦為大將軍,右將軍王導都督中外諸軍事、驃騎將軍,左長史刁協為尚書左僕
射。封王子宣城公裒琅邪王。六月丙寅,司空、并州刺史、廣武侯劉琨,幽州刺史、
左賢王、渤海公段匹[石単],領護烏丸校尉、鎮北將軍劉翰,單于、廣寧公段辰,遼西
公段眷,冀州刺史、祝阿子劭續,青州刺史、廣饒侯曹嶷,兗州刺史、定襄侯劉演,
東夷校尉崔,鮮卑大都督慕容廆等一百八十人上書勸進,曰:
122保守:03/12/04 20:43
臣聞天生蒸民,樹之以君,所以對越天地,司牧黎元。聖帝明王監其若此,知
天地不可以乏饗,故屈其身以奉之;知蒸黎不可以無主,故不得已而臨之。社稷時
難,則戚籓定其傾;郊廟或替,則宗哲纂其祀。是以弘振遐風,式固萬世,三五以
降,靡不由之。伏惟高祖宣皇帝肇基景命,世祖武皇帝遂造區夏,三葉重光,四聖
繼軌,惠澤r於有虞,卜世過於周氏。自元康以來,艱難繁興,永嘉之際,氛慈\
昏,宸極失御,登遐丑裔,國家之危,有若綴旒。ョ先後之コ、宗廟之靈,皇帝嗣
建,舊物克甄。誕授欽明,服膺聰哲,玉質幼彰,金聲夙振。塚宰攝其綱,百辟輔
其政,四海想中興之美,群生懷來蘇之望。不圖天不悔禍,大災荐臻,國未忘難,
寇害尋興。逆胡劉曜,縱逸西都,敢肆犬羊,陵虐天邑。臣奉表使還,乃承西朝以
去年十一月不守,主上幽劫,復沈虜庭,神器流離,再辱荒逆。臣毎覽史籍,觀之
前載,厄運之極,古今未有。苟在食土之毛,含血之類,莫不叩心絶氣,行號巷哭。
況臣等荷寵三世,位廁鼎司,聞問震惶,精爽飛越,且驚且惋,五情無主,舉哀朔
垂,上下泣血。
123保守:03/12/04 20:47
臣聞昏明迭用,否泰相濟,天命無改,歴數有歸。或多難以固邦國,或殷憂以
啟聖明。是以齊有無知之禍,而小白為五伯之長;晉有麗姫之難,而重耳以主諸侯
之盟。社稷靡安,必將有以扶其危;黔首幾絕,必將有以繼其緒。伏惟陛下,玄コ
通於神明,聖姿合於兩儀,應命世之期,紹千載之運。符瑞之表,天人有征;中興
之兆,圖讖垂典。自京畿隕喪,九服崩離,天下囂然,無所歸懷,雖有夏之遘夷羿,
宗姫之離犬戎,蔑以過之。陛下撫征江左,奄有舊呉,柔服以コ,伐叛以刑,抗明
威以攝不類,杖大順以號宇内。純化既敷,則率土宅心;義風既暢,則遐方企踵。
百揆時敘於上,四門穆穆於下。昔少康之隆,夏訓以為美談;宣王中興,周詩以為
休詠。況茂勳格於皇天,清暉光於四海,蒼生顒然,莫不欣戴,聲教所加,願為臣
妾者哉!且宣皇之胤,惟有陛下,意兆攸歸,曾無與二。天祚大晉,必將有主,主
晉祀者,非陛下而誰!是以邇無異言,遠無異望,謳歌者無不吟諷徽猷,獄訟者無
不思於聖コ。天地之際既交,華夷之情允洽。一角之獸,連理之木,以為休征者,
蓋有百數。冠帶之倫,要荒之眾,不謀同辭者,動以萬計。是以臣等敢考天地之心,
因函夏之趣,昧死上尊號。願陛下存舜禹至公之情,狹由巣抗矯之節;以社稷為務,
不以小行為先;以黔首為憂,不以克讓為事;上尉宗廟乃顧之懷,下釋普天傾首之
勤。則所謂生繁華於枯荑,育豐肌於朽骨,神人獲安,無不幸甚。
臣聞尊位不可久虚,萬機不可久曠。虚之一日,則尊位以殆;曠之浹辰,則萬
機以亂。方今踵百王之季,當陽九之會,狡寇窺窬,伺國瑕隙,黎元波蕩,無所繫
心,安可廢而不恤哉?陛下雖欲逡巡,其若宗廟何?其若百姓何?昔者惠公虜秦,
晉國震駭,呂去阜之謀,欲立子圉,外以絶敵人之志,内以固闔境之情。故曰「喪
君有君,群臣輯睦,好我者勸,惡我者懼。」前事之不忘,後代之元龜也。陛下明
並日月,無幽不燭,深謀遠猷,出自胸懷。不勝犬馬憂國之情,遲睹人神開泰之路,
是以陳其乃誠,布之執事。臣等忝於方任,久在遐外,不得陪列闕庭,與睹盛禮,
踴躍之懷,南望罔極。
124世界@名無史さん:03/12/28 12:56
晋書を読んでるんだけど、どの帝紀から読むのがおすすめかな?
125世界@名無史さん:04/01/06 03:13
帝紀から読むとは強者じゃな。列伝ではないのか。
126世界@名無史さん:04/01/08 19:06
十八史略読んだことあるんで帝紀ならだいたい内容は想像つきます
だいたい、ですがねw。
漢字からのいんすぴれーしょんによる脳内妄想→てきとー翻訳w

列伝はどれがおすすめですか?
法学部卒の三国志オタなんで東晋の方はようわからんですは
桓温あたりですか?
127世界@名無史さん:04/01/13 10:17
やい、漢文読みども翻訳手伝え!
たまにはてめえらの無駄なパワーをネット社会に還元しろ。
「漢籍完訳プロジェクトIMAGINE」
ttp://mujin.parfait.ne.jp/
「解體晉書」
ttp://www.jin-shu.com/
128世界@名無史さん:04/01/13 11:17
>>127
言葉遣いは乱暴だけど、あんたけっこういい奴ですなw
なんか便利な翻訳ツールのあるサイトってないの?
129世界@名無史さん:04/01/15 01:40
翻訳ツールって、こんなののことか?
http://www.excite.co.jp/world/text_cn/
http://www.excite.co.jp/world/url_cn/
全く役には立たんぞ。
130世界@名無史さん:04/01/15 20:58
いや、そういった一般の翻訳ツールじゃ対処できない
歴史用語とかの和訳の一覧が載ってるサイトとか
131世界@名無史さん:04/01/22 12:25
謝玄について語ろうぜ
132世界@名無史さん:04/01/26 00:15
保守
133世界@名無史さん:04/01/26 02:03
1 名前:大朝鮮帝国 投稿日:03/01/14 10:07
三国時代を統一した晋の生き残りについて

一年続いて134レスか・・・・・
しかも1はどうみても嫌韓厨ぽい

134世界@名無史さん:04/01/26 02:05
>>115
それ劉邦の捏造じゃないのかなぁ。
項羽の阿房宮焼失も濡れ衣だったし
劉邦ならやりかねない

135世界@名無史さん:04/02/04 22:04
>>126
三国志オタなら「載記」の方がオススメかと。
乱世を彩る群雄の世界に浸れるぜ。
136世界@名無史さん :04/02/29 00:08
保存age。

八王の乱について、「皇族に兵力を持たせたことが悪い」と書いてあるのって、
本当にそうなんだろうか。火種はそうかもしれないけど…。
八王の部下を見ると、封土における在地豪族やら呉の出身者やらがウヨウヨ
しているし、むしろ「特定の名家が権力を独占したため、それ以外の人材が
平時じゃ出世できない状況」が、火に油をそそいだように思える。
特に第二期、趙王の司馬倫が賈后を殺害・帝位簒奪して以後。
どの皇族も、側近の野心に踊らされてる気が…。

ところで竹林の七賢、王戎は「虚名の人」だと個人的には思ってます。
というか、洛陽郊外の一等地を独占したりするような大金持ちが、
「銭にこだわらぬ清潔な高士」と賞賛されるのって、おかしくないですか?

王衍ともども、貴族制のひずみを代表する人物という印象があるんですが。
137世界@名無史さん:04/03/11 01:46
三国時代にも、自分は質素だが、妻には贅沢させてた、って人物がいたな
138世界@名無史さん:04/04/14 09:34
王敦って意外と頭いいな。もっとDQNかとおもてたよ。
139世界@名無史さん:04/05/03 01:41
東晋の皇帝って、けっこう不幸な最期を遂げている人物が多いような
140世界@名無史さん:04/05/26 23:15
>断言しよう。すぐ落ちるよ、このスレ(p

と3に断言されてからはや1年半が経とうとしている。
保守整備が行き届いているので落ちてはいないが、
大して話は進んでいない。
141世界@名無史さん:04/06/10 12:47
>>136
司馬氏による政権自体が王氏やら賈氏やらの
有力豪族に担ぎ上げられたようなもんだから、
それに対抗するためにも王族に力を与えざるを得なかったんじゃないかね。
142世界@名無史さん:04/06/17 06:39
hosyu
143世界@名無史さん:04/06/19 09:01
司馬師、司馬昭(漢字間違えてるかも)の代で纂奪出来てればもう少し西晋の基礎が固まって国も長生きしたのでしょうか?
144世界@名無史さん:04/06/19 10:08
>>143
司馬慰が曹爽を倒した時点で実質魏を掌握していたが、
魏の武帝(曹ヒが追贈)が「私は漢の臣でありたい」と固持し
ついに帝位に付こうとしなかった事に習ったんだろう。
蜀討伐など司馬氏主導の戦乱であったことでも分かるように
実際の政務も司馬氏が権限を掌握していた。
145世界@名無史さん:04/06/20 23:01
>>144
どんなに実質的に掌握してても簒奪となるとレベルが全然違うんじゃない?
一歩間違えれば王莽や桓玄のようになりかねんし
146世界@名無史さん:04/06/21 01:20
曹ヒは一族を重用せず兄弟や族弟をはじめ次々と地方に左遷した。
司馬慰が曹爽との権力闘争にクーデターを起こすと
曹一族は無力化した。元々幼帝の後見をめぐっての2氏の争いで
地方の曹一族は文帝に冷遇されて蚊帳の外だった。
曹爽の一族が族滅されると宮廷に幼帝の庇護者は喪失した。
後年の遼東のカンキュウケンの乱も予州(だったかな?)の諸葛センの挙兵も
鎮圧されており250年代には既に情勢は司馬氏の天下だったのだろう。
だからこそ血縁につらなる夏侯覇が蜀漢に亡命したといえる。
147世界@名無史さん:04/06/29 11:13
>諸葛セン

諸葛誕(しょかつたん)じゃないか?

曹丕・司馬懿・毋丘倹もIMEにいれとけよ。
148世界@名無史さん:04/07/05 00:24
魏は統一王朝じゃないのに皇族を冷遇
晋は統一王朝になったのに皇族を優遇

これが滅亡の原因だと思われ
149世界@名無史さん:04/07/05 00:38
魏の中央集権体制で中央に力を持つものが現れた場合、簡単に乗っ取られてしまう危険性があると指摘していたのは司馬朗。
しかしそれを実行したのが弟の家系とは皮肉よの。
150世界@名無史さん:04/07/17 23:19
今日、ソープランド逝ってきたけど、
まさかこんなところで歴史に触れると思わなかったよ!!!!!!!!!!

だって塩盛があるんだもん!!!!!
思わず司馬炎の故事思い出しちゃったよ!!!!!
151世界@名無史さん:04/07/18 09:51
羊さんですか?
152世界@名無史さん:04/07/18 18:40
そんなの江戸時代からやってる事じゃねえのか?
別に遊郭だけじゃないし。
153世界@名無史さん:04/08/21 21:57
東晋は五胡十六国より人気がないのか。
154世界@名無史さん:04/08/22 00:11
俺、東晋好きだよ。
なんだかんだいってみんな結構頑張ってる。
変な方向に頑張っちゃってるのも多いけど…
155世界@名無史さん:04/08/22 01:26
>>149
兄貴が早死にしなければ…。
156世界@名無史さん:04/08/22 01:31
晋最後の皇帝は、匈奴族に捕まって豚小屋に監禁されて残飯食わせられ、
首輪つけられ強制労働の挙句惨殺されたんだってね。かわいそうに・・・

これだからドキュソの匈奴は!
157世界@名無史さん:04/08/22 09:31
>>156
東晋じゃなくて西晋の話な上に、なんか細部がかなり違うぞ。
しっかし懐帝の「青衣行酒」と
愍帝の「行酒洗爵」がダブっちゃうのはどういうことだ。
158世界@名無史さん:04/09/09 17:39
五胡に勝てない。
  /\
  スレ
159世界@名無史さん:04/09/20 07:54:28
王敦閣下がお怒りです。
160世界@名無史さん:04/10/10 20:07:01
司馬くぞ!
161世界@名無史さん:04/10/10 21:39:03
昔、麻雀で連荘になって百点棒積んでく時に、
「司馬望!(シバ棒)」と叫ぶのが流行ってた。
162世界@名無史さん:04/11/12 07:04:37
司馬かない、司馬きます、司馬く、司馬くとき、司馬けば、司馬こう!
163世界@名無史さん:04/11/12 20:35:10
司馬きage
164世界@名無史さん:04/11/15 23:32:47
すみません、このサイトの目次ページのアドレス分かる人います?
たまたま検索でひっかかった三国志と晋書のアドレスしかわからないので、
他の史書のページもあるならぜひアドレスが知りたいです。

http://www.chinakyl.com/rbbook/big5/25/shanguozhi/sgz.htm
http://www.chinakyl.com/rbbook/big5/25/jinshu/jins.htm
165世界@名無史さん:04/11/16 00:04:28
中央研究院の漢籍電子文献じゃだめなのか?二十五史が全部見れるけど。
166世界@名無史さん:04/11/17 19:02:28
ネット上の電子テキストで、二十四史というのは実はけっこうある。
しかしふつうは信頼性から言っても
中央研究院漢籍電子文獻
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
【寒泉】古典文獻全文檢索資料庫
http://140.122.127.253/dragon/
のふたつをまず見るもの。
それでも絶対に信用できるとまでは言えないけどね。
167世界@名無史さん:04/11/17 20:28:53
王導と王敦はなぜ敵味方に別れたのだろう?
王敦と祖逖って仲が悪かったの?
陶侃って忠臣ですか?

質問くんでゴメンと言いつつage。
168世界@名無史さん:04/11/22 01:20:34
【解体晋書】掲示板
ttp://jbbs.livedoor.jp/study/4190/
169世界@名無史さん:04/12/18 19:19:44
age
170世界@名無史さん:04/12/23 10:34:47
全ては司馬炎の興した西晋が問題だ!
171世界@名無史さん:04/12/29 08:50:01
ageておこうか。
172世界@名無史さん:04/12/29 21:55:17
司馬昭→司馬炎になる時に司馬師系の一族からは反対や抵抗は無かったのかな?
って西晋の話だけど
173世界@名無史さん:04/12/29 21:57:45
結構、問題があったんだよ。司馬師の養子に司馬望が居たようなきがする(うる覚え)
174ΑΩ=リアル初心者:04/12/29 22:45:09
司馬遷
司馬光
司馬叡
司馬炎

彼らは親戚ですか?
175世界@名無史さん:04/12/29 23:51:08
司馬遷と司馬炎は遠戚だな。(血は殆ど異なるが)
176世界@名無史さん:04/12/30 09:22:57
司馬遼太郎は?w
177世界@名無史さん:04/12/30 14:50:03
>>173
誤爆してました。司馬望じゃなくて司馬攸でした。
178おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/12/30 16:42:28
>174
全員親戚です。司馬光は司馬望の末裔。
179世界@名無史さん:04/12/30 21:31:45
司馬姓は結構、希少だよな。
180おぎまる ◆JJi5gOTcvk :05/01/01 20:48:28
別に司馬姓が希少と言うこともいうこともないと思います。
結構、いますよ。中国共産党の幹部にも以前は司馬長風氏が
いましたし。
181世界@名無史さん:05/01/13 20:49:17
>>420
東晋は滅亡しました。
182世界@名無史さん:05/01/15 09:14:50
禿
183世界@名無史さん:05/01/15 10:04:34
司馬氏は希少だが柴はいっぱいいるな
勿論日本にだけど
184世界@名無史さん:05/01/16 12:35:04
漏れにとって柴といったら柴玲タソなわけだが
185世界@名無史さん:05/01/20 04:17:55 0
>>184 懐かしいな
ウルケシ(ウアルカイシ)とか今どうしてるんだろう?
186世界@名無史さん:05/01/20 22:28:20 0
>>185
台湾にいるらしい>ウアルカイシ
趙紫陽(←合ってる?)が死んだとき、声明を出してた。

すれ違いスマソ。
187世界@名無史さん:05/01/21 03:51:03 0
張華に謚って追贈されなかったの?
188世界@名無史さん:05/01/21 10:33:51 0
>>187
『晋書』に見えないなあ。
賈皇后のお気にで、
八王の乱の過程で司馬倫に殺された経緯もあり、
公の追謚がなかったのかもしれん。
189世界@名無史さん:05/01/22 00:53:02 0
同じように賈皇后専政の時代に活躍して司馬倫に殺された
裴[危頁]は謚あったような・・・
190世界@名無史さん:05/01/22 01:32:45 0
ウーアルカイシが北京語で
オルケシがウイグル語。
191世界@名無史さん:05/01/22 22:26:24 0
張華の方は寒族だったのが理由じゃないですかね。
裴[危頁]は累代の名族だからもらえたのでは…?

適当スマソ。
192世界@名無史さん:05/02/04 20:29:31 0
age
193世界@名無史さん:05/02/27 10:42:59 0
保守
194世界@名無史さん:05/03/12 04:34:12 0

宮崎先生の本に東晋時代の襄陽にはソグド人のコロニーがあったと書いてあるんだけど、
根拠は何なんでしょうか?
晋書には、そんな話はないですよね?
195中華・文化人類学 ◆HyUzIP104w :05/03/12 17:06:48 0
>>190
×オルケシ
○エルケス
196世界@名無史さん:2005/03/27(日) 18:46:56 0
age
197世界@名無史さん:2005/04/09(土) 00:06:49 0
sage
198世界@名無史さん:2005/04/10(日) 10:32:03 0
>>185
先月末に台北の飲み屋で会った。
1998年から台湾に住んでるそうだ。
199世界@名無史さん:2005/04/22(金) 16:59:44 0
hage
200世界@名無史さん:2005/05/02(月) 20:41:26 0
ホントかよ
201世界@名無史さん:2005/05/09(月) 19:51:19 0
age
202世界@名無史さん:2005/05/10(火) 17:13:45 0
uge
203世界@名無史さん:2005/05/10(火) 17:21:10 0
tinge
204世界@名無史さん:2005/05/19(木) 00:07:10 0
荀灌ちゃんかわいいよ荀灌ちゃん
205世界@名無史さん:2005/05/19(木) 01:43:17 0
>>204
ジュンイク文若の孫娘、ハァハァ
206世界@名無史さん:2005/06/08(水) 13:35:49 0
age
207世界@名無史さん:2005/06/08(水) 13:42:51 0
東晋の歴代皇帝のエピソードが殆どないのはどういうこと?

簡文帝が稲を知らなかったこととか
孝武帝が側室に窒息死させられたこととか
安帝が白痴だったこととか
恭帝の最期のときの言葉とか

それくらいしかない。
東晋前期の皇帝たちの逸話が抜けている。
208世界@名無史さん:2005/06/09(木) 19:57:15 0
元帝の出生のゴシップとか、八王の乱での関所抜けとか、
明帝幼少期の「お日様と長安はどちらが近い?」問答とか?
209世界@名無史さん:2005/06/11(土) 03:36:59 0
>>207
>東晋前期の皇帝たちの逸話が抜けている。

『世説新語』に腐るほど出てなかったっけか、元帝・明帝関係のエピソード。

例えば>208が挙げてるものの他にも、王敦の乱の時に明帝が単騎で前線偵察に出て、
それをまんまと取り逃がした王敦が、「あの黄ヒゲの鮮卑野郎め!」と罵った話とか。
210犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :2005/06/11(土) 16:53:22 0
>>29
>成や仇池の成立を見ていると、異民族の反乱というよりも
>野心家たちの軍閥化にしか見えない。

中林先生の論文「李氏集団の展開とその性格」の中でも指摘されてたけど、
胡漢の相克が重要争点となった中原(黄河中下流域)とは違い、秦州南部や
巴蜀では、どうやら胡漢の差がそこまで明確には意識されてなかったっぽい。

実際、成漢における土着漢人豪族の態度や行動を見てると、どう考えてもコレ、
100年前に流れ者の劉備を担いだ時と、様式がほとんど一緒なんだよね・・・。

>>80
>王敦の乱は「権力構造の再固定化への過渡期における、
>半ば必然的に起こった叛乱だった」と思う。極論?

故川勝氏も、『六朝貴族制社会の研究』の中で同様の指摘(王敦の乱には
分断統治政策に対する新興土豪の不満を代弁した側面があった)をしてる
から、極論どころか全き正論だと思う。
211犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :2005/06/11(土) 16:53:40 0
>>136
>むしろ「特定の名家が権力を独占したため、それ以外の人材が
>平時じゃ出世できない状況」が、火に油をそそいだように思える。

これもまさしくその通りだと思う。福原啓郎氏の八王の乱に関する
諸論文でも、ほぼ同様の指摘がなされていたように記憶する。

というか両晋南朝期における騒乱って、「開発進展に伴い新興土豪の勢力が増進」
→「しかし門閥貴族制のため政界進出を果たせず」→「裏ルートの恩倖跋扈で政治
腐敗&高まる土豪の不満」→「致命的な政治問題をきっかけに全国的騒乱に発展」
のコースを結構な割合で踏んでるのね。八王の乱然り、王敦の乱然り。

あとは安田二郎氏の論文「晋安王劉子勛の反乱と豪族・土豪層」によると、宋末の
「晋安王の乱」がまさしくこの典型例らしい。各地の不満土豪で、晋安王側に与して
中央政府に対して蜂起する例が多数あったとのこと。
212世界@名無史さん:2005/06/23(木) 00:47:08 0
age
213世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:05:14 0
保守
214世界@名無史さん:2005/07/26(火) 22:32:21 0
恭帝で最後の皇帝だが、その一族はどうなったんかな?
三国時代から続く、正当な司馬懿の一族なんだが。
215世界@名無史さん:2005/07/27(水) 23:29:49 0
直系はあぼーん、傍系は北に亡命じゃなかったかな。
216世界@名無史さん:2005/07/28(木) 11:09:34 0
>>215
マジ?
thx

傍系でも一応しばらく続いたのかな。
217世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:06:44 0
保守
218世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:49:15 0
>>214
滅亡時に劉裕に殺されたのって6親等くらいの範囲であって、
それを超えるような縁戚で身分自体も高くない場合、
そこら辺の一般人として生き残ったんじゃないか?
219世界@名無史さん:2005/08/18(木) 03:52:16 0
簡文帝の孫くらいに劉宋に仕えた人がいるはず。
220世界@名無史さん:2005/08/19(金) 00:35:21 0
東晋の皇帝ってやけに早死にが多いけど何でだろう?
221世界@名無史さん:2005/08/19(金) 02:36:02 0
貴族連中がよってたかって暗殺をしまくった可能性はあり。
222世界@名無史さん:2005/08/19(金) 02:39:40 0
曹魏もそうだが、東晋の皇帝たちが皆せめて50歳ぐらいまで
生きてたならば、六朝史は随分と違うものになってたんだろうなぁ。
223世界@名無史さん:2005/08/19(金) 21:39:24 0
何であんなに短命なんだろうか
曹魏の曹丕とかは自称剣術の達人で貧弱だったって訳でもないはずなのに
それとも頑健なことにあぐらをかいて油断しすぎて病死とかなのかな
224世界@名無史さん:2005/08/20(土) 03:40:01 0
>>222
>東晋の皇帝たちが皆せめて50歳ぐらいまで生きてたならば、
>六朝史は随分と違うものになってたんだろうなぁ。

何だかんだいって成漢があれだけ保ったのも、李雄が長生きしたのが
第一に大きいもんなぁ。劉宋文帝や梁武帝みたいに晩節を汚しちゃった
例もママあるが、皇帝の長寿は政権の安定化に概ね結び付くものだ。

曹丕―曹叡がそれぞれ60ぐらいまで生きてたら、司馬懿の出る余地は
まず無かっただろうな。(まぁ、その後の歴史の趨勢から見て、八王の乱
や永嘉の乱に類したものは確実に起こっただろうが。それでも、曹魏が
史実のような短命政権に終わることは無かったはず。)
225世界@名無史さん:2005/08/20(土) 17:52:49 0
八王の乱は曹魏政権じゃまず起こり得ないだろ
あれは曹魏の失敗を見た西晋が皇族にしっかり力を与えた故に起こった乱じゃないかね
226世界@名無史さん:2005/08/20(土) 20:22:07 0
>>225
乱の根本的な原因は、九品官人法(とりわけ州大中正)制定以後の、
出世ルート途絶による寒門の不満爆発にあるわけなんだから、諸王に
軍権を与えて要所に配置したのは、あくまでトリガーにすぎないと思う。

故に、仮に曹魏が存続した場合でも、史実で衛瓘らが進言したような
九品官人法改革が行われない(=寒門の不満を和らげない)限りは、
例え軍権を保持した諸王の存在が無くとも、外戚なり異民族なりの政
争に乗じて、史実における王浚らのような姦雄が(配下の将校や不満
寒門層に推戴されて)挙兵しただけだろう。

あと、八王の乱はともかく、永嘉の乱の方はほとんど歴史の必然だと思う。
227世界@名無史さん:2005/08/20(土) 21:10:20 0
九品官人法は司馬氏によってさらに名門有利に変更されてる
それがなければ不満爆発とかってそうそう起こらないと思うんだよな
西晋は曹魏のいい点は悪くして悪い点は悪いままに国家を造ってるように俺には見える
228世界@名無史さん:2005/09/07(水) 21:36:52 0
age
229世界@名無史さん:2005/09/24(土) 23:11:12 0
保守
230世界@名無史さん:2005/10/13(木) 01:43:30 0
231世界@名無史さん:2005/10/29(土) 08:57:51 0
420に達するまでに滅亡しそうなスレですね。
北府と西府のバランスの上に立つスレは、やはり不安定なのだと思います。
ぼくが広州あたりに南府を立ててきましょう。
232世界@名無史さん:2005/10/29(土) 20:12:55 0
やはり都を置いた建業(建康)がマズかったかも。
秦始皇帝が、都になりやすい土地って事で
風水的に絶対に都に適さない様な土木工事を、
この地でやったという伝説が……
項羽と劉邦の瑞雲を感じたエピソードから来た
派生バージョンかも知れないが
233世界@名無史さん:2005/11/04(金) 03:19:06 0
東府も立てないと不安定だ!
234世界@名無史さん:2005/11/04(金) 13:29:42 0
いやいや東西南北中央府も立てないと不安定だ!
235世界@名無史さん:2005/11/17(木) 22:20:44 0
保守
236世界@名無史さん:2005/11/21(月) 23:00:41 0
 
237世界@名無史さん:2005/11/22(火) 10:42:08 0
まだだ、まだおわらんよ
238世界@名無史さん:2005/11/26(土) 23:44:31 0
とりあえず『図説中国文明史5融合する文明』(創元社)についてでも語るべし!

3200円はちと高いけどさ。この前の『中国の歴史05中華の崩壊と拡大』(講談社)より俺は好きだな。
239世界@名無史さん:2005/12/12(月) 23:21:05 0
謝安について、演義の諸葛亮的に過大評価されてる気がするんですが、
スレ巡回の皆さんとしてはどうでしょう?

いや、政治家としては一流だと思うんですが、それは貴族の調整役と
してであって、たとえば有能な寒族を積極的に登用するとか、体制に
清新な気風を吹きこむことはしてないと思うんですよね。
むしろ桓温の方が貴族制度の枠組みにとらわれてなかったというか。
240世界@名無史さん:2005/12/21(水) 22:23:09 0
age
241世界@名無史さん:2006/01/03(火) 10:59:46 0
滅亡の危機っ
242世界@名無史さん:2006/01/03(火) 22:48:47 0
救出っ!
243世界@名無史さん:2006/01/15(日) 21:57:45 0
このスレは桓玄が簒奪しました
244世界@名無史さん:2006/01/15(日) 23:20:09 O
このスレで孫恩が反乱を起こしました
245世界@名無史さん:2006/01/16(月) 16:28:46 0
ああそう
246世界@名無史さん:2006/01/20(金) 12:13:16 0
このスレは劉裕に禅譲(ry
247世界@名無史さん:2006/02/01(水) 23:55:53 0
司馬一族は根絶やしだ
248世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:58:53 0
fdb
249世界@名無史さん:2006/02/19(日) 07:10:15 0
東晋が東進した
250世界@名無史さん:2006/03/12(日) 13:48:57 0
250ゲット
251世界@名無史さん:2006/03/12(日) 14:32:34 0
資治通鑑を読みたいけど、一冊6,000円×3は高い・・・。
もっと安い本はないの?
252世界@名無史さん:2006/03/12(日) 18:56:20 0
それで高いと思うなら諦めた方がいいんじゃ?
253世界@名無史さん:2006/03/13(月) 00:23:53 0
そうなんだ・・・・ヽ( ´・ω・)ノ
254世界@名無史さん:2006/03/15(水) 01:12:02 0
これって有名な話なんですか?

197 :世界@名無史さん :2006/02/10(金) 17:09:42 0
416年、東晋の劉裕が率いる北伐軍は、後秦の本拠地である長安に向かって黄河を遡行。
後秦の同盟国であった北魏は数千の騎兵にこれを追わせた。
劉裕は700の兵を北岸に上陸させ、100台の荷車を半月形に並べて防御陣地を築いた。
さらに劉裕の部下の朱超石が2000人と100張の大弩(バリスタ?)を率いて上陸。
1台の荷車に20人の兵と1張の大弩が配置される形となった。
戦闘が始まったとき、寄せ手の魏軍は増援部隊をえてすでに3万騎を超えていた。
朱超石はまず威力の弱い弓矢を放って魏軍を油断させ、馬槊(ランス)を構えた騎馬隊が突撃を
しかけてくるところへ大弩と弓矢を一斉に放ち、撃退するが、魏軍にとっては微々たる損害であった。
そこで朱超石は数千本の矟(これもランスの一種)を3〜4尺に切らせた。
それを一人の兵が保持し、背後からもう一人の兵が大槌で魏の騎兵に打ち込んだ。
大槌で叩き込まれた矟は一本で数人の魏兵を刺し貫いたという。
この攻撃によって魏軍は大勢の死傷者を出して潰走し、2700人の晋軍が3万を超える魏軍を
破ったのであった。
255世界@名無史さん:2006/03/15(水) 01:32:32 0
>>254
『資治通鑑』第118巻「晋紀四十 義熙十三年」に見える記事だな。
256世界@名無史さん:2006/03/15(水) 01:40:10 0
>>255
槍を大槌で打ち込んだというのがどうもよく分からないんですが・・・
原文にも書いてあるんですよね?
257世界@名無史さん:2006/03/15(水) 03:37:24 0
>>256
うん。ちなみに、原文には以下のようにある。(※「槊」は「矟」の異体字。)
「時超石別齎大鎚及槊千餘張,乃斷槊長三四尺,以鎚鎚之,一槊輒洞貫三四人。」
258世界@名無史さん:2006/03/15(水) 07:36:34 0
肉薄してきた所を打ち込んだのか、それとも遠方から射出したのか・・。
接近状態でやられたのならすごく恐ろしい・・・。
259世界@名無史さん:2006/03/15(水) 07:48:24 0
>>254では兵が手が支えてる所を大鎚で打ったとしてるけど、
どうやら原文にはそこまで具体的には書いていないようだから、
多分これ、空いた大弩を発射台代わりにしたんじゃないのかなぁ。
260世界@名無史さん:2006/03/15(水) 08:36:52 0
>>257
>>259
ありがとうございます。なんか納得いきました。
261世界@名無史さん:2006/03/25(土) 15:59:48 0
伊庭
262世界@名無史さん:2006/04/03(月) 12:47:53 0
age
263世界@名無史さん:2006/04/23(日) 13:07:00 0
264世界@名無史さん:2006/04/23(日) 18:51:44 0
布団がふとっんだ
265世界@名無史さん:2006/05/01(月) 19:09:06 0
南宋や東晋の創設者って本当に一族の者なのかってときどき疑う妄想をしてしまう
266世界@名無史さん:2006/05/01(月) 19:19:08 0
この時代に男色が盛行したという記述を読んだことがあります。
されど、具体的にはどんな人々の契りが有名なのでしょうか?

267世界@名無史さん :2006/05/01(月) 21:10:53 0
東晋の方は本当だと思うけどな。
建康で政権建てた司馬氏は司馬叡だけじゃなくて、司馬亮の息子たちとか
計四人いるわけだし(司馬叡と合わせて、史書では五龍と称される)。
もし司馬叡が小吏の牛某の子だとしたら、その四人に追い払われてると
思うんだが。
牛某の子っていうのは、北朝系の王朝が書いてるだけのよーな。
最初に書いたのは、魏書の「僭晋司馬叡」伝?
268世界@名無史さん:2006/05/02(火) 12:14:38 0
「司馬睿が晋将牛金の子であるのは歴史的真実!
琅邪王司馬覲の妃の夏侯氏が牛金と密通してできた子なのです!」
「な、なんだって!!」
269世界@名無史さん:2006/05/25(木) 23:58:11 0
保守
270世界@名無史さん:2006/05/26(金) 01:27:57 0
牛金って曹仁の部将だろ?年代が合わなくね?
271世界@名無史さん:2006/05/26(金) 03:10:03 0
魏書のこじつけと思われ>牛金
やっぱり年代が合わないと思ったのか、晋書だと牛金は司馬懿に毒殺され、
司馬覲の妃・夏侯氏は小吏の牛氏と通じて元帝を生んだことになってるよ。
272世界@名無史さん:2006/05/26(金) 04:26:19 0
牛金毒殺の話は宋書の方が先かな?
牛金は公孫淵討伐までは司馬懿の部下だったようだし
245年頃まで生きていたとすると、娘が最晩年に
生まれたとして276年に司馬睿を生む事は可能だな。
でも宋書は小吏牛氏が密通したとしている・・・
273世界@名無史さん:2006/05/26(金) 10:47:41 0
>>271-272
これは「牛継馬後」(牛が馬の後を継ぐ)という予言の文句を気にした宣帝が牛氏を嫌って
部下の牛金を毒殺して一安心、ところが結局夏侯氏が小吏の牛氏と密通したから予言は
成就しましたよ、ってお話ですから、年代云々はもちろん合ってなくていいわけですよ。

で、この話の出所を見てみると、王隠『晋書』(『太平御覧』七百六十一引く)・孫盛『晋陽秋』
(同九十八引く)にすでに出ているのね。ただ『晋陽秋』では密通した小吏の名は「牛欽」と
なっているけど。

その後、沈約は『晋書』(『史通』引く)・『宋書』でこの事を受けるも「琅琊國姓牛者」
「小史姓牛」として、その名を記述はしていない。

これが魏收『魏書』僭晋司馬叡伝に至って混乱し、冒頭で姓・名・字を述べたすぐ後で、
「晉將牛金子也」と言い切る形になるわけですな。もちろん『魏書』ではプロバガンダの意味
合いからわざとやってる可能性も否定できないけど。

さらに唐代に現行『晋書』が編纂された際にもこの記事を引きずったけど、さすがに帝紀の
冒頭で断言はせず、最後に「こういう話もあるよ」とつけたした、と。





274世界@名無史さん:2006/05/27(土) 14:21:09 O
曹氏や劉氏や孫氏はどうなってしまったんだろう!?十六国時代に、家の再興考えた子孫はいないのかな?
275世界@名無史さん:2006/05/27(土) 17:00:45 0
孫氏は反乱起こして鎮圧されとるよ。
276世界@名無史さん:2006/05/29(月) 00:18:30 O
東晋は、ほぼ出尽くした感がある。
宋〜陳ネタを出しても良いのでは?
277世界@名無史さん:2006/05/29(月) 18:48:46 0
侯景の乱始末記でも再販されりゃあな・・・
278世界@名無史さん:2006/06/11(日) 15:59:48 0
>>277
復刊.comで既に復刊希望のメール連絡済から3年
どうなることやら・・・・復刊側もうわすれてるのかな?
279世界@名無史さん:2006/06/13(火) 01:42:52 0
東晋の末に倭国が使者を送ったのは劉裕が山東半島を攻め落としたから?
280世界@名無史さん:2006/06/17(土) 22:32:36 0
最初の一回目は
東晋(の劉裕)と高句麗(の長寿王)に頼まれたから。
281世界@名無史さん:2006/06/29(木) 05:48:21 O
282世界@名無史さん:2006/06/29(木) 15:33:32 0
康帝や成帝、穆帝って何かエピソードあるの?
283世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:19:41 O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
284世界@名無史さん:2006/07/08(土) 11:28:56 0
脳糞古川って誰?
285世界@名無史さん:2006/07/14(金) 02:17:51 O
286世界@名無史さん:2006/07/25(火) 13:57:32 O
287世界@名無史さん:2006/08/09(水) 23:55:42 O
288世界@名無史さん:2006/08/28(月) 22:48:09 0
age
289世界@名無史さん:2006/09/05(火) 23:49:30 O
ぬるぽ
290世界@名無史さん:2006/09/05(火) 23:54:53 0
ガッ

すまない、脊髄反射してしまった。
291世界@名無史さん:2006/09/06(水) 01:40:18 0
晉帝国万歳
292世界@名無史さん :2006/09/13(水) 02:32:07 0
スレ番から考えると、八王の乱(前半戦)が始まったか…。
さらば楊駿。
293世界@名無史さん:2006/09/24(日) 10:52:02 0
『楚書』巻一
帝紀第一
高皇帝
高皇帝諱玄,字敬道,一名靈寶,譙国龍亢人。姓桓氏。漢五更榮之十一世孫也。祖彝,字茂倫,晉宣城太守。皇考温,字元子,晉大司馬。
294世界@名無史さん:2006/09/27(水) 13:55:32 0
大楚皇帝桓玄へーか万歳!
295世界@名無史さん:2006/09/27(水) 23:16:42 0
>>293
『魏書』で道武帝以前が帝紀に加えられていることを考えると、
帝紀巻一には桓温が来そうな気がしないでもない。
それとも桓氏の権力は一旦、断絶してるからダメか
296犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :2006/10/05(木) 01:15:28 0
>>295
晋書は司馬懿から始まってることだしね。
ならば、楚書は桓彝から始めるってのもアリ?

もし劉宋じゃなくて桓楚が出来てたら、五胡諸国の南朝観もやっぱ
史実とは違ってたのかねぇ。いくら華中以南に逼塞してるとはいえ、
東晋に対しては皆、何となく引け目みたいなのを感じてたっていうし。

それが、史実では劉宋が出来たことによって、「司馬氏じゃない王朝なんて
何ぼのもんじゃい!」っていう気風が次第に華北で芽生えたっていうけれど、
もし建ったのが劉宋じゃなくて桓楚だったら、一体どうなってたんだろうね。

そりゃ劉裕よりか大分毛並みは良いけども、やっぱ桓玄の場合でも、
在北漢人や五胡王族からはそれなりに軽視されたんだろうかね?
297世界@名無史さん:2006/10/05(木) 21:43:37 0
晋代・六朝は支那歴代でも最も男色が盛行した
という話は、よく耳にしますが、例えば有名な
男色家では、どんな人々が居るのでしょうか?
教えて下さい。
298世界@名無史さん:2006/10/11(水) 00:11:41 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/
299世界@名無史さん:2006/11/07(火) 22:34:16 0
age
300世界@名無史さん:2006/11/08(水) 00:28:49 0
300ゲット
301世界@名無史さん:2006/12/03(日) 21:05:17 0
302世界@名無史さん:2006/12/04(月) 04:43:19 0
この頃のシルクロードやステップ地帯って
何がしかの大きな事件が起きたような気がする
例えば巨大隕石の落下とか・・・
それで西はフン族東は五胡と・・・

トンデモですみません
303世界@名無史さん:2006/12/05(火) 10:51:54 O
もうすぐ一年あげ
304世界@名無史さん:2007/01/14(日) 11:53:13 0
>>302
そんなわけない。
そもそも五胡の華北移住は後漢末にはじまっている。
フン族はおそらく北匈奴…(以下略)。
もう少し前から見ろって話。
305世界@名無史さん:2007/01/24(水) 18:30:00 0
祝四周年、慶祝!
306世界@名無史さん:2007/03/02(金) 01:40:33 0
>>302
古墳寒冷期の到来ではなかろうか?
307世界@名無史さん:2007/03/03(土) 00:50:17 0
永嘉age
308世界@名無史さん:2007/03/03(土) 06:58:14 O
舎長よ
309世界@名無史さん:2007/03/24(土) 14:02:48 0
司馬遼太郎の祖先
310世界@名無史さん:2007/03/28(水) 14:05:21 0
司馬って姓は日本由来じゃないだろ
311世界@名無史さん:2007/04/01(日) 12:43:09 0
じゃあやっぱり中国人の子孫なのか
312世界@名無史さん:2007/04/05(木) 19:57:50 0
ペンネーム
313世界@名無史さん:2007/04/05(木) 23:31:08 0
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年8月7日-1996年2月12日) は、
日本の小説家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪市生まれ。
ペンネームは、歴史家の司馬遷に遼(はるか)に及ばず、の意味。
314世界@名無史さん:2007/04/14(土) 18:05:38 0
309-311
自演ヴァカ三匹
315世界@名無史さん:2007/05/23(水) 18:48:52 0
月例東遷に上がりました。
316世界@名無史さん:2007/05/25(金) 19:28:00 0
>>3
このスレいつになったら落ちるんだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
317世界@名無史さん:2007/07/01(日) 16:11:37 0
318世界@名無史さん:2007/08/01(水) 08:17:12 O
永嘉の乱age
319世界@名無史さん:2007/08/01(水) 09:26:22 0
>>316
東晋並みのしぶとさで存続します。
これが東晋クオリティー
320世界@名無史さん:2007/08/04(土) 03:27:14 0
南風競わずsage
321世界@名無史さん:2007/09/09(日) 22:53:48 0
age
322世界@名無史さん:2007/10/04(木) 19:50:17 0
3 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/01/14 11:16
断言しよう。すぐ落ちるよ、このスレ(p


このスレがあるかぎり>>3の恥がさらされ続けるage!
323世界@名無史さん:2007/10/04(木) 22:09:12 0
>>319
もう…我慢しなくていいよね…?
 孫恩、桓玄、劉裕より
324世界@名無史さん:2007/11/06(火) 12:46:00 0
>>323
まだだ、まだ終わらんよ!
 司馬元顯、劉牢之、劉毅より
325世界@名無史さん:2007/11/15(木) 01:43:34 0
>>324
不安だな。
326世界@名無史さん:2007/11/29(木) 20:26:34 0
なんだ東プロイセンのスレだと思ったのに・・・
327世界@名無史さん:2007/12/22(土) 04:54:37 0
蘇峻の乱age
328世界@名無史さん:2007/12/22(土) 08:16:30 0
>>324
まあ、ウチのしぶとさには勝てないだろ
 拂菻国歴代皇帝一同
329世界@名無史さん:2008/01/19(土) 14:38:04 0
名宰相謝安age
330世界@名無史さん:2008/01/20(日) 03:23:40 0
投資信託のスレはここですか?
331世界@名無史さん:2008/02/12(火) 17:43:26 0
    |┃三 ガラッ! ┌───┐ミ 
    |┃       | あげ  |  
    |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃   ( ___)│    サッ 
    |┃=  (_》 ^ω^)E)   
    |┃ ≡⊂     ノ  
332世界@名無史さん:2008/02/15(金) 23:58:40 0
安帝なんか廃太子にすればよかったのに。
333世界@名無史さん:2008/02/17(日) 21:58:04 0
つか何で廃さなかったんだ?
334世界@名無史さん:2008/03/16(日) 20:51:30 0
廃さなかったというか廃せなかった、とした方が正しいかもしれない
安帝即位の際には、元帝直系の、皇統を優先して伝えられる尊貴な子孫がいなかった筈

<東晋の皇帝>
1:元帝
2:明帝(元帝の長子)
3:成帝(明帝の長子)
4:康帝(成帝の同母弟)
5:穆帝(康帝の長子)
6:哀帝(成帝の長子)
7:廃帝(哀帝の弟)
8:簡文帝(元帝の末子)
9:孝武帝(簡文帝の長子)
10:安帝(孝武帝の長子)

ちなみに血統順なら哀帝の方が先なんだけど、成帝が庾亮・庾翼・庾冰の庾氏三兄弟と仲が悪かったために、
哀帝ではなく康帝が即位した事情がある
穆帝の代で庾氏三兄弟が全滅した&穆帝が19歳で子供もなく崩御したおかげで、哀帝が即位できたという話
ところが哀帝・廃帝の兄弟は、不遇の時代にグレていたのか寒食散に手を出していたため、哀帝はほどなく
不具同然になり、若死にすることになる
また廃帝の方は道教系の怪しい宗教にも入れこんでいて、それが建康政府の要人や桓温に嫌われてしまった
(だから後年、廃帝を「救出」しようとする妖人が現れる)
それで廃帝には子供がいたんだけど、「廃帝の胤ではなく側近の子供」とされて、封爵されずに終わってしまう
つまりこの時点で、明帝系の皇族は絶えてしまったことになる
結局は元帝の子供まで遡らないといけなくなって、簡文帝に白羽の矢が立ったというわけ
で、簡文帝系の皇子はと言えば、司馬道子とかあまり出来が宜しくない連中ばかり
こうなると、「司馬徳宗でいいや」という状況になったと思われる
ぶっちゃけた話、建康政府は皇帝の指導力で動いたことは成帝以降ゼロだし、実際に動かしていたのは有力な
貴族たちだったから、誰が上に立とうが構わなかったんだろうな
長文、すまんかった
335世界@名無史さん:2008/03/29(土) 00:15:30 0
せめて恭帝を即位させるべきだった。
336世界@名無史さん:2008/03/30(日) 10:59:05 0
1, 問題あるとはいえ、兄より先に弟を即位させるわけには・・・・・・
2, むしろ安帝の方が都合がよいのでこのままで
337世界@名無史さん:2008/03/30(日) 17:05:38 O
つうか、元帝自体西晋から見たら傍系だが…
338世界@名無史さん:2008/03/31(月) 11:40:20 0
よくそんなんで百年も存続できたな。
実際、桓温や桓玄に簒奪されかけてるけど。
339世界@名無史さん:2008/05/17(土) 16:38:00 0
    |┃三 ガラッ! ┌───┐ミ 
    |┃       | あげ  |  
    |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃   ( ___)│    サッ 
    |┃=  (_》 ^ω^)E)   
    |┃ ≡⊂     ノ  
340世界@名無史さん:2008/06/19(木) 09:11:05 0
いい加減晋書の翻訳がほしい
341世界@名無史さん:2008/07/15(火) 03:32:18 0
    |┃三 ガラッ! ┌───┐ミ 
    |┃       | あげ  |  
    |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃   ( ___)│    サッ 
    |┃=  (_》 ^ω^)E)   
    |┃ ≡⊂     ノ  
342世界@名無史さん:2008/07/23(水) 15:55:15 O
結局劉氏に滅ぼされた晋のおはなしか
343世界@名無史さん:2008/08/04(月) 12:07:42 0
のう
344世界@名無史さん:2008/09/04(木) 21:07:52 0
南朝全般を扱っていいのでは?
まぁ、それでも過疎は続くけど
345世界@名無史さん:2008/09/04(木) 22:36:02 0
陶淵明は晋宋革命後も密かに晋朝の遺臣を以て任じていたんだよね。
346世界@名無史さん:2008/09/06(土) 02:45:28 0
>>345
アンチ劉宋ではあったけど、晋の忠臣でもなかったと思う。
陶淵明本人が一番入れ込んでたのは、桓氏政権じゃないかと。
ここらへんは、筑摩叢書の『陶淵明』(李長之著,松枝茂夫訳)に詳しい。
347世界@名無史さん:2008/09/06(土) 12:36:04 0
>>345

でも吉川幸次郎や一海知義は、陶淵明は晋の恭帝の死を悼む詩を
晦渋な語句を駆使して作っていたと書いてたよ。
348世界@名無史さん:2008/10/03(金) 19:04:31 0
劉裕も恭帝を丁重に扱えば、趙匡胤みたいに寛大な人物として伝えられたのにな。
恭帝には野心なんてさらさらなかったみたいだし。
349世界@名無史さん:2008/10/03(金) 22:49:25 O
>>348
位を譲った後の皇帝は殺される、という悪い流れを作ったな。
結局子孫が同じ目に遭うことになって、劉宋最後の順帝は「帝王の家には生まれ
変わりたくない」って泣く羽目になった。
350世界@名無史さん:2008/10/14(火) 11:18:41 0
趙匡胤が異常なだけ
351世界@名無史さん:2008/10/20(月) 22:01:03 0
>>349
劉協や曹奐みたいに扱えばよかったのにね
352世界@名無史さん:2008/10/20(月) 22:06:22 0
恭帝は劉裕を恐れる余り、生まれてきた自分の皇子を間引いてまで
野心のないことを示していたというが、これは本当なの。
353世界@名無史さん:2008/12/23(火) 15:02:11 0
そんなことするくらいなら最初から性行為なんかしなきゃいいのに
354世界@名無史さん:2009/02/02(月) 18:46:49 0
あげ
355世界@名無史さん:2009/03/09(月) 04:44:01 0
王導みたいだな(w

http://mainichi.jp/select/today/news/20090309k0000m010092000c.html

一方、小沢氏はこの日午後4時過ぎから6時ごろまで、
別の個人事務所で渡部恒三・民主党最高顧問と囲碁を打っていた。
渡部氏は事件が急展開しているとは知らず、
終わってテレビのニュースを見て驚いた。
「彼は当然知っていたと思う。普通は打ち方が乱れるものだが、
いつも通りだった。肝っ玉が据わっているよ」
と後に渡部氏は周辺に語った。
356世界@名無史さん:2009/03/09(月) 05:04:45 0
劉牢之
357世界@名無史さん:2009/03/15(日) 03:20:48 0
囲碁といえば、魏の王粲、蜀の費禕、呉の呂範、晋の張華
358355:2009/03/20(金) 01:45:23 0
すまそ。
囲碁の話は謝安だった
359世界@名無史さん:2009/03/21(土) 05:48:16 0
劉牢之
360世界@名無史さん:2009/03/21(土) 07:50:24 0
孫恩
361世界@名無史さん:2009/03/21(土) 08:08:46 0
蛍の光、窓の雪
362世界@名無史さん:2009/03/21(土) 11:57:31 0
文読む月日重ねつつ
いつしか東晋も杉の戸を
開けてぞ今朝は別れゆく
363世界@名無史さん:2009/03/21(土) 19:47:26 0
北府軍
364世界@名無史さん:2009/03/27(金) 16:49:22 0
書聖王義之
365世界@名無史さん:2009/04/07(火) 23:43:28 0
司馬道子
366世界@名無史さん:2009/04/08(水) 08:40:35 0
>>349
因果応報てやつだな
367世界@名無史さん:2009/06/21(日) 07:21:46 0
age
368世界@名無史さん:2009/06/21(日) 08:07:55 0
北府軍の将劉牢之こそ最強の武将。
369世界@名無史さん:2009/08/21(金) 07:40:30 0
謝安は何で桓玄を始末しておかなかったんだ?
桓温が死んだとき桓玄はまだ幼少だったんだからどうにでもできただろうに。
370世界@名無史さん:2009/08/21(金) 11:21:01 0
桓温派だった軍閥官僚らがそのまま桓玄を盛りたてることにしたからだろ
371世界@名無史さん:2009/08/22(土) 13:27:53 0
>>369
賊軍として討伐された後の桓玄と違って、桓温はあくまで朝廷の大立者のまま
亡くなったんだから、その幼い忘れ形見を粛清するなんてまさか出来ないだろ。
(肥水の戦いで幾分疲弊したとは言え、西府軍団も依然勢力を保ってたんだし。)
372世界@名無史さん:2009/08/29(土) 05:38:16 O
>>369
桓沖
373世界@名無史さん:2009/09/30(水) 23:31:49 0
ほしゅ
374世界@名無史さん:2009/10/27(火) 05:53:44 0
あげ
375世界@名無史さん:2010/01/16(土) 22:12:50 0
祝七周年!
376世界@名無史さん:2010/01/27(水) 14:58:07 0
356、359、361、363、368はオレ。
本当に進まないスレだな。
よく削除されずに残っていると感心。
377世界@名無史さん:2010/01/27(水) 15:08:15 0
3 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:03/01/14(火) 11:16
断言しよう。すぐ落ちるよ、このスレ(p
378世界@名無史さん:2010/02/06(土) 00:08:27 0
もう7年か。東晋と同じくしぶといスレだ
379世界@名無史さん:2010/02/06(土) 11:40:28 0
東晋ハイスクール
380世界@名無史さん:2010/02/07(日) 09:22:46 0
北府軍マンセー
381世界@名無史さん:2010/06/04(金) 23:57:37 0
東晋が滅んだのは司馬道子のせい
382世界@名無史さん:2010/06/26(土) 19:28:06 0
前趙分裂時や前秦分裂時は東晋にとって大きいチャンスだったはずだが、何故北上出来なかったんだろう。
三国時代や五胡十六国前期と違って華南の人口比率も上がってる筈なんだが・・・。

やっぱり、北府軍と西府軍のバランスが悪かったのか?
383世界@名無史さん:2010/06/27(日) 16:40:56 0
×前趙
○後趙
384世界@名無史さん:2010/06/30(水) 19:50:22 0
桓温や劉裕が北伐したろうが。
385世界@名無史さん:2010/07/08(木) 10:14:54 0
ウィキがひどすぎるww

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%99%8B

西晋は316年(建興4年)に事実上滅亡した。その際に西晋琅邪王であった司馬睿は、江南の建業(現在の南京)に逃れ、
琅邪の豪族王氏出身の王導の助力を得て317年(建武元年)に東晋を建国した。

当時江南(長江流域)は中原(黄河流域)と比較し人口が希薄な後進地域であり、東晋に先立つ漢末には華北からの避難民により一時的な人口増加が見られたが、
三国時代に社会が安定すると流入者が華北へ帰還したことにより、呉朝の衰退の原因になった。

東晋は都城と国境が近接していることより北方からの攻撃を受けることもあり、政権は不安定なものであった。328年(咸和3年)に発生した蘇峻の乱に際しては(中略)
その後も大規模な反乱が発生しており、324年(太寧2年)には土着勢力であった王敦の反乱により都城が陥落、

貴族階級が要職を独占し、中でも土着勢力出身である王氏、謝氏、桓氏など有力氏族が大きな勢力となった。
386世界@名無史さん:2010/07/09(金) 01:31:52 0
>>385
ただの歴史好きな俺でも、このメチャクチャ加減には吹くしか無い

誰だよ、これ書いたの。高校生か質の悪い本読んじゃった残念な子か?
387世界@名無史さん:2010/07/09(金) 02:18:07 0
・司馬睿は西晋の滅亡のずっと前から江南に赴任している
・東晋の都城が攻撃されたのは、内部の反乱者によるもの。また王敦は長江上流からの侵攻。
・王敦は土着豪族ではない。
・桓氏も土着豪族ではない。

なんか「土着豪族の王導によって擁立された司馬睿」という図式が頭にある気がする。
あと三国時代に流民が華北に帰還した、それによって呉が衰退したなんて、学説かなんかであるのか?
388世界@名無史さん:2010/07/09(金) 02:31:48 0
素人の俺がちょっと疑問に思う部分

・初年を免税にするなど税制上の優遇措置を設けた理由が、呉時代の流民帰還が原因
・郡県の名称の由来が、流民の故郷(流民定着のため)
・魏から帝位簒奪した司馬氏の歴史も皇室権威の低下につながった

本当か、これ?
389世界@名無史さん:2010/07/09(金) 05:31:32 0
>>388
2番目は正しいと思う。
北方からの流民に対応して、その流民達の故郷の郡(県)を江南に新たに設置していた。
3番目も間違ってないけど、この書き方だとそのせいで東晋の王権が弱体化したかのようで不適切に思う。
390世界@名無史さん:2010/07/09(金) 23:06:02 0
元帝が司馬氏ではなく、母の姦通による不義の子だという伝承が
晋書の本紀の最後にも記されているけど、これ五胡側の捏造だよね?
391世界@名無史さん:2010/07/09(金) 23:08:17 0
いーのいーの
どうせ俺達日本人は五胡族側の子孫だから
南朝のことなんか気にしな〜い
392世界@名無史さん:2010/07/09(金) 23:15:37 0
北朝の『魏書』でも「偽晋」とされて
元帝は「牛金之子也」と大書されているのが目立つ。

南朝の源流である東晋が不義の子によって立てられた
三文芝居の王朝だったとなれば胡族にとってこれ以上の痛快事はないだろう。
393世界@名無史さん:2010/07/09(金) 23:16:46 0
倭国が誼を通じて朝貢臣従したのは南朝。
よって日本にとっても東晋及び南朝が正統。
394世界@名無史さん:2010/07/09(金) 23:18:30 0
ボクのせんぞが先祖が五胡ぞくだとしたら鮮卑だとうれしいです
なぜなら唐のこうていと同ぞくだからです
395世界@名無史さん:2010/07/10(土) 00:04:24 0
殷商の頃に生き埋めにされていた人達が
あなたの先祖の胡族でしょう
396世界@名無史さん:2010/07/10(土) 02:50:02 0
牛金の話って司「馬」との絡みで創作されたんだろうか。
司馬睿の生年は276年。
397世界@名無史さん:2010/07/14(水) 23:48:39 0
牛金どんだけ長生きなんだよ
398世界@名無史さん:2010/07/19(月) 00:28:16 0
>>388
>魏から帝位簒奪した司馬氏の歴史も皇室権威の低下につながった

これは司馬光が資治通鑑でそういう論評したんじゃなかったっけ
399世界@名無史さん:2010/07/25(日) 18:29:29 0
北府軍の将軍劉牢之こそ古今無双の英雄。
400世界@名無史さん:2010/07/26(月) 08:26:47 0
>>385
とりあえず、大唐帝国の市定本を元に再編集だな
401◇ssssss
tes