933 :
新五代史周世宗家人伝第八:2009/07/09(木) 21:27:27 0
世宗子七人・・・皆不知其母為誰氏。
煕譲(宗譲)、煕誨、不知其所終。
934 :
世界@名無史さん:2009/07/10(金) 09:46:15 0
この頃南北の皇帝2人が同じように姉妹を相次いで皇后にしてるのか
>>934 むむむ?
柴栄と趙匡義が、姉妹を嫁さんにはしているけど、南北皇帝とはなんのことだい?
936 :
世界@名無史さん:2009/07/29(水) 09:08:28 0
江南後主李Uの皇后、姉:大周后、妹:小周后 だな
>>936 ah.........
こういうのは?
前蜀高祖(王建)の妃で、徐氏姉妹。
妹徐氏は、小徐妃あるいは、花蘂夫人の名で知られている。
太后と太妃だから、王建生存中に皇后とされてないけど。
南漢後主の李氏姉妹もいるけど、こっちは貴妃と美人で、皇后でもなければ
太后にもされてないな。
これでは単なるハーレムか。
938 :
世界@名無史さん:2009/10/11(日) 20:02:52 0
939 :
世界@名無史さん:2009/10/11(日) 20:05:13 0
なお、938は先ほど買ったばかりでまだ読んでいない。
読後感想は2週間後。
期限きって大丈夫かね?w
941 :
世界@名無史さん:2009/10/11(日) 20:36:27 0
では訂正。
→早くて2週間後。
942 :
世界@名無史さん:2009/10/11(日) 20:42:17 0
おっ。出たのか。俺も注文するか
中英は落ちてしまうから、こっちで話題にしようぜ
943 :
世界@名無史さん:2009/10/11(日) 20:53:09 0
本書は二〇〇八年五月、学習研究社より刊行された『夕陽の梨−五代英雄伝』
を改題し、大幅に加筆・修正したものを二分冊にしたものです。
944 :
938−939,941:2009/10/22(木) 20:42:10 0
読み終えた。
@朱温は、もっとワルではないのか?
A簡単すぎる地図が巻頭に一応はある。しかし各エピソードに関わる地図が所々にあればな、と思う。
B年表も欲しい。おれは自製の年表を一緒に持ち歩いていたが。
C「廣明」年号にまつわる黄巣のエピソードが漏れている。
D朱温が皇帝に即位したそのあと、賭場を開いた話が漏れている。
※思うに、ここに至るまで朱温がばくちをやっているシーンが書き忘れたかなんかで全く無く
唐突にここに賭場のシーンを入れるわけにはいかなかったのだろう。
史書だったらここを読んだときそれ以前からばくち打ちだったと類推できるが、
小説ではそうはいかない。
E読んでいて登場人物の相関関係でしばしば混乱する。
登場期間の長い人物はあまり間違わないが、スポット的人物が特に。
久しぶりに登場する人物も同様。
・・・それにしても登場人物の人数も戦いの数もやったら多いなー
三国志演義とはそれが大違い
945 :
世界@名無史さん:2009/10/22(木) 22:37:51 0
稀代の烈女・李漸栄さまを永久に称えよう!
逆賊朱温逝ってよし!!!
>>944 早いっすね。
仁木氏は、シリーズ化するのだろうか。
947 :
世界@名無史さん:2009/10/26(月) 21:44:44 0
シリーズ化するとすれば、
李存勗・李嗣源
石敬瑭・石重貴
耶律徳光・兀欲・述律
柴栄
李昪・李景・李U
・・・世間の認知度がなー・・・
948 :
世界@名無史さん:2009/10/27(火) 02:40:23 O
KOEIでゲーム化をキボンヌ
この時代の知名度が致命的だけどなwww
節度使と禁軍システムを、どう表現するかにかかってるな。
あと、かなり深く読み込まないと、三国志シリーズ以上に
とんでもな能力値付けになってしまいそうで、こわい。
950 :
938-939, 941,944:2009/10/27(火) 08:35:07 0
あ、そうだ、944に追加
F 節度使とは何か、の説明無し
>>950 夕陽の梨パートで、さらっと説明してあるような気がする。
と、言っても節度使そのものというより、その実態みたいなもんだったかな。
我々にとっては、それだけで十分だけど、初見の人は気付きもしなさそうな感じだったw
誤字が多くて萎えた。
(誤)銭傅瓘(せんふかん)
(正)銭傳瓘(せんでんかん)
呉越ファンとしてはこれはないと思った。
呉越ファンとは。
銭弘佐をどう見ます?
954 :
942:2009/11/24(火) 20:56:40 0
1か月以上、経っているが俺も読み終えた
>>944Eに同意
良いところ
・この混沌とした人間も戦争もやたらと多い時代をよくまとめている
三国志よりはるかに戦争が多く、死人も多いため、人物も多い
・クローズアップする人物はクローズアップしている。おかげで、間違いにくい
・複雑な状況をよくここまでと、分かりやすく説明している
残念なところ
・期間的には30年ぐらいなのだろうが、書く分量に比べ、ページがこれでも足りない
もったいないが他の群雄は短く、さらに魅力的にみせる工夫の上で、朱温陣営に絞って欲しかった
・夕陽の梨の朱温とかなり違和感がある。李我と布袋のからみもあれだけ? って感じである
朱温の変化について、暗く救いのないものにせず、それなりの納得する帰結が欲しかった
現実と離れていても、魅力的にしないと感情移入しにくい
・文化的、商業的側面のとらえ方が弱い。経済観念の発達仕掛けた時代なので
そういった面を重視して欲しかった。これでは三国時代となにが変わるのか分からない
色々いったが、近年の中国歴史小説家では群を抜いている
ただ、調子のいい時の田中芳樹氏とどっちが上かは微妙
宮城谷氏には、まだ及ばないという感じ
もし、続編があるのなら、唐末反乱か、地方群雄で短編、中編を重ねるやり方を希望する
955 :
世界@名無史さん:2009/11/25(水) 06:50:51 0
以前「節度使って何?」と聞かれたとき、
「織田信長が各地に派遣した、羽柴、柴田、明智などの奉行のようなもの。
その土地の政治、軍事、税制の全権を行使できるけど、織田信長の思いつき一つで
すぐにほかの土地に異動させられる」
と答えたがこれでよかったのかな?
わかりやすい例としては、かなりいいと思う。
より正確に言えば、「節度使」という職掌の中に行政権が含まれるのではなく
同時に「観察使」を兼任されるのが常だから、徴税などができる。というあたり。
それぞれを分けて任命される例は知らないから、実質節度使の権限の中に
含まれると見ても、そう差し支えないが、制度としてはそう。
中央から派遣される監軍や兵馬都監によって、ある程度掣肘を受けるので
権限を無制限にふるうのは、時代を経るにつれて少なくなっている。
魏州藩鎮の解体からこっち、大鎮が縮小されてゆくのは、相対的な皇帝権力の回復
を目指してのことだから、節度使の権限は往時に比べ、小さくなる。
思いつきというよりも、異動させること自体を目的としている観があるかな……
封地に根が生え依拠してしまわないように、という具合に。
それも順地に限られるけどね。
夏州などは、移転を命じても受け付けない反地で、そこは節度職の世襲が追認させられていた。
(あれはほとんど独立国ですわな)
957 :
世界@名無史さん:2009/11/25(水) 09:50:23 0
江南など南方には観察使だけの任命があったような
958 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 14:02:20 0
元同僚に「朱温」を薦めたら興味を持って買って読み、
日曜日にやってきて読後感想を語った。
その話を要約すると
「この時代の知識がまるでないので、土地勘はともかく、登場人物がさっぱり解らん。
3回目の読み返し途中であきらめた」
そりゃ読後感想とは言わんw
三国志だって、日本戦国時代オタに読ませると
人名が覚えられんと言ってたもんだ。
>>『朱温』
おもしろくて、俯瞰するにもいいんだが、急いで執筆したのか
校正が不十分なのか、誤字が多かった……
960 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 19:28:46 0
三国志は中学生の時に岩波文庫を夢中になって読んだので
登場人物は身に染み込んでいる。
しかし五代十国はといえば最初に「五代群雄伝」を読んだのが35歳頃。
それから旧新五代史や通鑑やらを買い集めてちょこちょこと読み続けて
いるのだけど、三国志ほどには身に染みていかない・・・
961 :
世界@名無史さん:2009/12/08(火) 19:37:49 0
三国志読んだのは中学生のときだったが、
主要な人名はなんとか覚えられたが(いまはメジャーどころ以外は忘れた)、
土地勘がないから、どこをどう、どういうスケールで移動してるのか、
サッパリ理解できなかった。
三国志はゲームがあったから、どマイナーな人名まで覚えたけど
たしかに五代の場合、なかなか覚えられないでしょうね。
わたしの場合、せっせと辞書登録したから、結構記憶に残ってる。
>>960 >>35歳頃
いまそこに到達。
五代前期は未だ秘境。
963 :
960:2009/12/08(火) 20:04:49 0
まあ俺は地図と首っ引きで読んだので、土地については
それほどの違和感は感じなかった。
それよりも三国をまとめ上げた晋の武帝が中国史上最大の
英雄であるかのように書かれていてそれを信じていたら、
あとでわかった武帝の実像に大コケしたのが高校生の時。
そして五胡十六国、五代十国という乱世に次第に興味を
持ち始めたけど、その詳しい歴史本がなかなか手に入らなかった
のですな。
今は、五代関連も結構充実していて、随分よくなりましたね。
知名度はあいかわらずですが。
歴史地図と藩鎮年表は手放すことのできない工具書ですね。
965 :
世界@名無史さん:2009/12/09(水) 11:14:21 0
突厥最高
966 :
952:2009/12/12(土) 01:53:26 0
>>953 銭弘佐は在位中の福州獲得で高評価を得たのでしょうけれど、
陣頭に立ったわけではないですし、
弟の弘倧が重臣の粛清を試みて失敗しているところからして、
彼の在位中も重臣の発言力は高かったと思われ、
彼自身の真価はもうちょい存命してくれないとわからなかったのでは。
>>959 固有名詞は一般人の校正専門家の手に負えないわけで、
基本的には作者自身ががんばるしかなかったと思うんですよね。
>>963 昔は(今もそうだが)手に入りやすい「五代十国本」って
中公文庫の礪波護『馮道』しかないですしね(まだ在庫ある?)。
村松暎氏の『五代群雄伝』もとっとと文庫化して欲しいものです。
『朱温』って読んでないけどクライマックスはやっぱり
「此の輩、常に自ら清流と謂う、宜しく之を黄河に投じて濁流と為さしむべし」
の行になるんでしょうか。カワイソス(´・ω・)
>>966 つらつらと見てたら銭弘佐の代になって、丞相の位だった人ら
皮光業、曹仲達、林鼎などが相次いで死んでいますね。
古株の死がどのように影響したかは、まだ勉強中。
んで、それと代わって驕慢になった、禁衛軍のお歴々を誅している。
(禁軍の驕慢は五代ではお約束)
くわしくは不明ながら、その翌年には福州の乱があり、王としての発言力はわりと
ある(ほとんどが介入に反対。水丘昭券だけが賛成し決定)みたいなので
先の粛清で、若年ながら立場の強化には、ある程度成果をみたように思う。
この頃の南唐のクソさにも助けられ、福州を得た後は銭弘倧を丞相にするなど
その王権の強化には成功しつつあったようですが、やはり寿命の短さがあって
その後どうなったかは、わからんところではありますね。
ただその王権といっても、あくまで中原王朝の冊封国としての立場であって
後晋国なりの威名(後晋にあるんか?w)を最大限に利用してのことでしょうが。
969 :
世界@名無史さん:2009/12/15(火) 06:02:06 0
>>967 それほど盛り上がってはいない。淡々とほかと同じ調子で一つのエピソードとして書かれている感じ。
970 :
世界@名無史さん:2009/12/27(日) 00:54:00 0
李我と布袋は結局なんだったんだろう?
妻の張氏もあれだけ?
張存敬もよく分からない
小説面白いんだけど
詰め込みすぎ
できれば、もっと朱温にスポット絞ってほしかった。
しょうがないといえばしょうがないけど、途中から
李克用陣営に肩入れして読んでしまったw
朱温が主人公なんだけど
他の群雄にもスポットとあててるから
どうしても主役が薄くなったしまった気が
たしかに。
あの時期を軍記小説として、各陣営を書ききろうと思ったら
10巻くらいの長編でないとダメかもね。
974 :
世界@名無史さん:2010/01/02(土) 16:29:02 0
即位式典直後、賭場を開帳したエピソードが全く書かれなかった件についてはどう思う?
今回、そういうキャラではなかったから
というのでは?
突然、そこに脈絡なくエピソードを放り込めばいいってもんでもないし
全体の流れとか、空気とかそういうので省いたんじゃないかな
976 :
世界@名無史さん:2010/01/02(土) 21:56:58 0
942だが、残念ながら、万人に勧められる小説ではないな
2ちゃんでいう、史実重視派が小説の勉強をして、書いたという範囲を超えない(その範囲内で最大限に面白いが)
「夕陽の梨」で救いのない終わりを見せ、そのままいってしまったというのは小説としてどうか
若い頃の朱温を世話した李我と布袋があの状態の朱温に、なんの手も打たなかったのはあまり納得できない
張存敬のゾロアスター教徒設定も中途半端だったし
977 :
世界@名無史さん:2010/01/02(土) 22:33:18 0
>>974-975 944で書いてるように、単にそれ以前からばくちをやってるというのを
そこに至るまでのストーリーに入れ損なったんじゃないのか
978 :
世界@名無史さん:2010/01/06(水) 13:32:25 0
初心者でも楽しめる五代十国入門書があったら推薦してください
979 :
世界@名無史さん:2010/01/06(水) 19:50:49 0
中公文庫、世界の歴史第4巻「唐とインド」、第6巻「宋と元」
小説風に読みたいなら、「馮道 乱世の宰相」の一択でしょ。
981 :
世界@名無史さん:2010/01/16(土) 22:16:24 0
李克用のあだ名「独眼竜」は自称だったのかな?
基本的に他称だと思う。
《舊五代史》武皇紀上「武皇一目微眇,故其時號爲“獨眼龍”」
また、《五代史補》『太祖號獨眼龍』では、部族内で驍勇あり、騎射をよくし
向かう所敵なしなところから「時謂之『獨眼龍』」とある。
もしかしたら軽く自称してたのが、その風貌と勇猛にあいまって広まったの
かもしらんけど。