朱姓をもらったのは分かるが100%シナの英雄というのも納得し切れん感じ がする(血・故郷的に)。 台湾のヒーローというのもやや厳しい気が(時間的に)。 日本は一番キツイか(w というわけでアンケートだ。日台支、どれが一番ふさわしいか選びなさい。 別に一国に限らんでもいいが、その場合は割合(7:3とか)と理由を述べよ。 では、フォイヤ〜。
支3 日2 台5 支那より日本の割合がいっこ少ない理由は男尊という事で、 台湾が半分なのは、構えた所が証という理由です。 俺もハーフに生まれてみたい。 明末清初スレはいくつあっても良いと思う(笑 (注:俺は1じゃないよ)
3 :
世界@名無史さん :02/12/31 11:55
彼は現在の中国共産党史観ではどのような扱いを受けているのでしょう? 台湾に立てこもったという点で反逆者扱いされる気がするのですが。
台湾をオランダから取り戻したという点で、 列強からの圧力をはねのけた民族の英雄。
5 :
世界@名無史さん :02/12/31 12:37
>4 取り戻したって? 最初は中国人のものだったですか? 一番最初に台湾を全部統治したのは何処ですか?
6 :
世界@名無史さん :02/12/31 12:53
>4 オランダって列強?
17世紀のヴァタビア共和国だかオランダは貿易立国として 富を誇ってたし、海軍力も局部的にはつよかったよ
8 :
世界@名無史さん :02/12/31 13:16
>>6 当時のオランダはスペイン、イギリスと同等以上の海上勢力。
ただし、中国を圧迫するほどの軍事力はなかった。
9 :
世界@名無史さん :02/12/31 14:21
>5 一番最初に台湾を「全部」統治したのは大日本です。
プロビンディア城、ゼーランディア城共に、オランダ人統治下時代、 オランダ人の誰も個人名見た覚えがない。 みんなひっくるめて‘オランダ人’になってる。 商人がちょこまかしてた程度じゃなかったっけ? 宮崎はんも、確か、鄭成功が台湾を征圧するのはどうというもので はなかった。とか書いてなかった?
11 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :02/12/31 16:34
>10 将軍との謁見を邪魔した末次平蔵の朱印船の乗組員を捕縛した時には幕府がゼーラ ンディア城の破却或いは引き渡しなどを求めていましたね。オランダ側が「皇帝の 家臣」などといってひたすら低姿勢に出たので大した事件にはならずに済みました が、台湾が天領になっていたかも・・・。 それと日本繋がりでもう一つ。雍正帝時代の記録によれば清国は日本に商人に扮し たスパイを潜入させていたとか。(蒙古襲来の直前にも「唐人商人」が女房たちに 商品を売り込んでいたらしい。)
(^^)
あげちゃおう。
14 :
世界@名無史さん :03/01/23 08:12
東洋の多国籍軍?
15 :
世界@名無史さん :03/01/23 13:12
「明」の英雄度 4 「中国」という文明での英雄度 1 中華人民共和国の英雄度 0 (勝手に中共は持ち上げてるけど) 台湾島の英雄度 4 中華民国の英雄度 0 (こっちも持ち上げてるけど) 日本国の英雄度 0 日本人(国の枠に捉われない日本・倭寇や移民を含む)の英雄度 1
16 :
世界@名無史さん :03/02/13 20:48
国姓爺あげ
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「倭寇」と総称された多民族混合の海の民の英雄だよ。
(^^)
20 :
世界@名無史さん :03/03/19 10:14
中国・・・この前のひどい映画みたいに一番国家主義、政治的に利用する姿勢が強い 台湾・・・単に台湾を拠点にしただけ。同様に政治臭がぷんぷんする 日本・・・一番客観的に見てるが、現在ほとんどの人間は興味ない。 したがって採点 中国 −150 台湾 −5 日本 5 どこの英雄でも無いんじゃねえの?
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
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∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
25 :
世界@名無史さん :03/07/13 13:03
田川マツですがうちの子が何か?
26 :
世界@名無史さん :03/07/13 13:26
「国姓爺合戦」みたいな物語は支那や臺灣にあるの?
27 :
世界@名無史さん :03/07/13 18:57
どこの国の英雄かというよりも、イデオロギー的な英雄だと思う。
28 :
世界@名無史さん :03/07/13 19:57
ブァドハーの英雄 永遠のチャンピオンの化身
30 :
世界@名無史さん :03/07/13 20:16
★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★ ★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★ ★肌の色が黒い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★ ★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★歯が大きい、または出っ歯★ ★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★ ★うりざね型の面長★ゼッペキ頭(過短頭)★ 韓国朝鮮人と混血すると日本人に増える形質一覧
31 :
世界@名無史さん :03/07/13 22:09
明朝の英雄でしょう。 しかし明朝の末裔を自称する人は今いないから、そういう立場から彼をたたえる人はいない。 あと、台湾人のうち、本省人にとっては、英雄だと思う(原住民にとっては侵略者かもしれないが)。 本省人の中には、彼の家来の子孫だという人も少なくないはずだ。
>>1 英雄って映画見たか?
鄭成功が主人公の中共プロパガンダ映画なんだが
「台湾は中国のもの」ってことで中国の英雄らしい。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
36 :
世界@名無史さん :03/08/07 18:10
>35 殺すぞキサマ。
38 :
世界@名無史さん :03/08/07 19:33
在日台湾人評論家の黄文雄なんて 鄭成功を「倭寇」呼ばわりして 英雄扱いするのはおかしいと主張するけど オランダ人支配がそのまま続いていたら 彼自体の存在が極めて危ういものであったのではないだろうか? 中国人嫌いが行き過ぎて 究極の自己否定まで逝ってるような。
39 :
(* ̄д ̄)y─┛〜〜 :03/08/07 19:34
>>11 もうレスなんてレベルじゃないほど亀なんだけど、
長崎の「シナ人」の中に、東南アジアや中国の官船が混じってたなんてのは、
長崎奉行すら認知してたレベルのお話しなんだけど。
ちなみに長崎には、ムスリム専用の通詞も存在しました。
日本と貿易できたのはオランダ・朝鮮・アイヌ・琉球・中国と普通説明されるけど、
この「中国」、額面通りにとっちゃいけませんぜ。
41 :
世界@名無史さん :03/10/13 21:03
平戸っ子ということで。
近代国家の枠内でしか考えられないから、
>>1 のような設問な誤りが発生する。
43 :
世界@名無史さん :03/10/14 16:26
台湾の英雄は日本だよねぇ。 大東亜戦の魅力に従ったし。
44 :
世界@名無史さん :03/11/09 23:28
東アジアが生み出した英雄ということで。
45 :
世界@名無史さん :03/11/11 01:07
オランダが台湾を支配してたなんて 史料を読んだことがある人なら決して言わないぞ 台南のほんの極一部を占領していただけなんだから 当時の台湾が国家として全くまとまっていなかったのは 歴史を学ぶ人間には周知の事実ではなかったのか
46 :
世界@名無史さん :03/11/16 20:20
東シナ海の英雄ということで。
47 :
世界@名無史さん :03/11/27 01:53
成功って名前いい!
48 :
世界@名無史さん :04/01/29 21:29
李朝が生んだ偉大なるウリミンジョク認定ニダ
49 :
世界@名無史さん :04/01/29 21:43
鄭成功といえば台南に成功大学というのがあるが、 なんか卒業したらがっぽがっぽ稼げそうな名前の学校だw
50 :
世界@名無史さん :04/01/30 18:18
鄭成功は大陸反攻を考える全ての人々の英雄であり、 台湾独立を志向する人々にとっても英雄だが、 中国大陸で満州族や共産党などの野蛮人に投降した腑抜けには イタイ存在ということだろう。 日本人の血が入っているといっても、皇族じゃないし、 そもそも日本人なんかめじゃない漢民族にとって、そんなことは問題にならない。
51 :
世界@名無史さん :04/01/31 16:30
金魚の一品種で和唐内っていうのがいるよね。 和金と琉金の間の子のやつ。 あれって国戦爺合戦から名前が来てるんだって。
52 :
世界@名無史さん :04/02/02 12:43
結局台湾の人々の英雄ですな。
英雄とは人々の心の中に生きるものだ。 それでよいではないか、秦檜どの。
54 :
世界@名無史さん :04/02/23 00:55
。
55 :
世界@名無史さん :04/02/23 09:14
イスラムの英雄だろ
56 :
世界@名無史さん :04/03/16 15:06
猿ベージュ
57 :
世界@名無史さん :04/03/16 16:41
英雄って映画では母親役が島田耀子とか日本公開版では日本人が母親と 解かるようにしてあったが、大陸で公開した時には母親が日本人であると 解からないようにしてあったと聞いた
58 :
世界@名無史さん :04/03/17 10:15
中華はくらいでしか まとめられない
59 :
世界@名無史さん :04/03/17 10:40
日本人の一般認識として、台湾がどうなろうと知ったこっちゃない。 よってそもそも鄭成功は日本人にとって英雄ですらない。
鄭成功って名前自体を知らない人、知ってる人より多そう
61 :
世界@名無史さん :04/03/17 15:01
>60 戦前の方がずっと有名だったろうね。
板違いかも知らんが、鄭成功に対する江戸幕府の対応と、 現代台湾陳水扁総統に対する、日本政府の対応は似ているかもしれん。 清が台湾に武力侵攻した際、三代将軍家光は島津・細川などの西国大名に 鄭成功救援の援軍を差し向ける計画を持っていたそうだが、清が大陸で三藩の乱を全て鎮圧し、 日本との貿易に乗り気になると、長崎での貿易の利益を守るほうが台湾援護より良いと判断、 鄭成功亡き後、台湾は清の侵略を受けたが、結局見捨てる結果となりその悲劇は 近松門左衛門の“国姓爺合戦”や鄭成功の母方のふるさと肥前・平戸藩が彼の生家をよく保存したことなど 民間の中で同情的に語られた。 今日、台湾は民主主義国家として独立への第一歩を踏み出そうとしているのに、 今日の政府の対応も冷ややかでつが何か?見捨てていいんでつか?かつての清と違って、いまの中国は 東アジア全ての覇権を握ろうと、野心を燃やしていますが・・・。対岸の火事では無い悪寒がするのですが。
63 :
世界@名無史さん :04/03/18 00:11
沖縄に米軍基地あります。 台湾とは目と鼻の先。 ブッシュ政権なら見捨てないよ(^O^)/
>>63 でもよ、ケリータソがまさかの大勝利をしてしまったら・・・。
クリントン政権みたいに、親中国的政策やっちゃうかも・・・。
やっぱ、自分の国は自分で守れということだな。その点の判断は台湾の人がやれば(・∀・)イイ!
それが民主主義でしょう。日本もこうした国にこそ手を差し伸べてることが正しい道と思うんですが。
65 :
世界@名無史さん :04/04/18 10:59
大河ドラマで国姓爺合戦をできないかね。 脚本用のいい小説もあることだし。
>>64 親中と言っても、中国がミサイル演習した時に空母を台湾に派遣したぞ、
クリントンは。
当時と違って、今や中国はアメリカ最大の貿易赤字国、しかも 10 億という
人口を武器に各種規格で公然と独自規格の採用を宣言 (欧米の規格の拒否)
しているから、そうそう親中にもなれんのじゃないのか > 民主党
67 :
世界@名無史さん :04/05/30 07:28
鄭成功の母の家系をたどると、誰に行き着くのですか?
69 :
世界@名無史さん :04/07/01 02:02
age
下関条約で清国側は奉天省関係の土地に加えて 「台湾全島及其ノ附属諸島嶼」、「澎湖列島即英国「グリーンウィチ」東経百十九度乃至百二十度 及北緯二十三度乃至二十四度ノ間ニ在ル諸島嶼」などの 「土地ノ主権並ニ該地方ニ在ル城塁、兵器製造所及官有物」を 「永遠日本国ニ割与ス」という事に同意していた。
家光はやる気まんまんだったんだよな。知恵伊豆が反対したらしいが。 もし、日本が参戦してたら泥沼だったろうな。百害あって一理なしだと思う。 まぁ、康熙帝が日本をどう処理するのか見たい気もするが
72 :
世界@名無史さん :04/08/17 15:17
age
乾隆帝sage
>>71 初めて聞きました。興味深い話ですね。
74 :
世界@名無史さん :04/09/14 08:45:36
age
175 :世界@名無史さん :04/09/10 09:29 >そもそも自治区となる前のチベットは一部僧院が農奴を抑圧支配する >前近代的な封建社会だった。それを近代的な社会に変革したのが中国。 >ダライラマ14世でさえ、近親者にラマ制度の存在意義を疑う発言をしている。 >一部の反中主義者に担ぎ上げられてるだけ。 この理屈で行けば、欧米や日本の植民地になる前の朝鮮、台湾、中国は 前近代的な封建社会、蛮地だった。それを近代的な社会に変革したのが日本。 中国の指導者達でさえ、日本を見習っての近代化を唱え、中国の旧弊な制度の存在意義を疑う発言を していた、反日教育で洗脳されてるだけって事、 現在でも台湾や香港も日本や欧米の統治下に居ていいって事になるな。
76 :
世界@名無史さん :04/09/26 14:03:28
この時代の日本では大名の改易ラッシュで市井に浪人が溢れて治安が悪かった。 だからこの機会に海の向こうに彼らを送ってしまえば解決できる。 などという考えが幕府内部でも結構あったみたい。 ただやっぱ朝鮮征伐が散々な結果に終わった記憶がまだ強いからね。 幕府がちょっかいだす必要もないとこに派兵して失敗したら面目丸潰れ。 ベトナム戦争に敗れたアメリカの様になる程度ならまだ良い方で 豊家みたくそのまま徳川家滅亡へのカウントダウンになっても不思議じゃないし 最悪の場合は外国相手に紛争けしかけて和睦の時期を逸すれば しまいには自分たちばかりか祖国そのものを滅ぼしかねない。 結局この決断で日本の鎖国と泰平は完全に決定づけられる。 ってその後にも由比正雪の乱とか起こるんだけどね。
77 :
世界@名無史さん :04/10/01 22:27:53
鄭成功の像って福建にあんじゃなかったかな?
78 :
世界@名無史さん :04/10/01 22:33:53
79 :
世界@名無史さん :04/11/10 08:00:02
age
80 :
世界@名無史さん :04/11/10 23:46:24
ハンガリーの英雄
81 :
世界@名無史さん :04/11/11 00:20:50
麻原 「オウムがなんで悪い。ナチスだってやってるじゃないか」 中国人 「中国が台湾に侵攻して何が悪い。 アメリカだってイラク侵攻してるじゃないか」
82 :
世界@名無史さん :04/12/14 00:50:20
age
83 :
世界@名無史さん :04/12/18 15:51:39
シンガポールの英雄だ。
また日本の領土になりたいよう・・・
85 :
世界@名無史さん :05/01/03 00:01:58
李登輝先生、お疲れ様でした
86 :
世界@名無史さん :05/01/16 04:32:21
俺俺
87 :
世界@名無史さん :05/02/06 19:32:57 0
age
88 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:11:18 0
朱元璋スレより引っ張ってきました _ /;;;;;;\ ∈━L:;,___.::ヽ━∋ / ;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ /j/三三三三三ヾ、 .ミ ミ モキュ? ミ ‘ ’ ミ .ミ (_人_) ミ 鄭和:宦官。元の名は馬和と言い、雲南出身のイスラム教徒。 永楽帝に仕えて靖難の変でも活躍した。 永楽帝の命によって、7回に渡り大艦隊を率いて南海に遠征し 艦隊はアラビアやアフリカ東岸まで至った。鄭和の愛らしい姿に萌え悶えた各地の人々は 争って鄭和に数々の朝貢品(エサ)を渡したのである。
89 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 22:59:46 0
age
90 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 23:03:37 0
米国大学で、南鮮や支那の歴史捏造にたった一人で立ち向かう日本人留学生
http://usam.blogtribe.org/entry-3ed13d8da53c34db25887aced6dcddcc.html 学期の始まりに自分で一つ教科書に載っている範囲でテーマを決めて
最後にそれに関する論文を提出。かつ、毎週途中経過を、クラスで
プレゼンするんですが、同じクラスに韓国人3人(内一人アメリカ国籍持ち)
中国人1人。こいつらが、ある事無いこと、戦時中に日本軍が行った蛮行
ってレーポートで、南京大虐殺だ、従軍慰安婦だ、強制連行だ毎週発表するんですわ・・
韓国人がプレゼンしてる間に、自分、アメリカ人にブーイングとかされるんですよ・・
で、耐えられなくなって、教授に自分の論文のテーマ変更させてくれって
お願いしました。題して「韓国・中国による歴史の捏造とプロパガンダ」
相手は、基本的にレイプオブ南京と、中国人・韓国人の出版した
いんちき本を使ってます。(実は結構な量の本が出版されてます。)それと、韓国の教科書。
最初は、南京大虐殺に付いて、韓国・中国人が使った資料の間違いや
矛盾、写真の元画像、写真の矛盾などを指摘。
91 :
世界@名無史さん :2005/04/12(火) 08:25:05 0
age
92 :
世界@名無史さん :2005/04/12(火) 10:36:44 0
17世紀くらいまでの東アジアの国境地域は混血集団の天下だろう。 倭冦なんてのは何人とかいう概念がそもそも通用しない。
93 :
世界@名無史さん :2005/04/26(火) 08:35:02 0
age
94 :
世界@名無史さん :2005/05/19(木) 08:29:08 0
age
95 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 23:34:39 0
age
96 :
世界@名無史さん :2005/06/10(金) 12:46:55 0
鄭成功なんてぶっちゃけ侵略者。 むしろ略奪されたオランダ人の方が可哀想。 謝罪と賠償を鄭成功に請求して良いくらいだ。 どっからどう列強の侵略をはね返し、なんて話になるんだ。 17世紀の南蛮人たちを過大評価していないかい
97 :
世界@名無史さん :2005/06/10(金) 12:51:15 0
オランダ人が可哀想? 激 ワ ロ ス
98 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 00:45:03 0
砦を建てて、商売していただけじゃないか! 日本人だってオランダ人のお陰でおいしい思いをしただろうに。 本来、台湾だって嫌々ながら、中国の顔を立ててボウコ島から引っ越して やったのに、そうしたら海賊紛いの連中がやってきて、占領されたんだぜ。 せっかく、疾病だらけの土地を苦労して文明化させている途中だったのにさ。 当時のオランダ人は、絶対、中国人野蛮!って思っているよ。
99 :
朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/06/11(土) 01:15:19 0
鄭成功以前にも、1628年浜田弥兵衛が約170人の手勢で、 台湾の長官府を襲撃して占領してたよね。 もともとオランダは台湾を維持する力量が不足してたのかな。
100 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 01:19:33 0
100
101 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 07:54:38 0
17世紀以前の列強は時々意外とショボイと思う。 俺が消防厨房時代に、無敵欧州の植民地化、最強。火器は強しとのイメージを持ちすぎてただけだと思うけど。 ポルトガルが明に追っ払われてたり、オマーンに負けてたり、あげくにはジンバブエの辺りでアフリカ人にも負けたことがあるようだし。 ネルチンスク条約の経緯やら、台湾でやられた件やら、オスマントルコになかなか勝てなかったことやら、ボロボロ出てきて 何かイメージと違うよなぁ〜、というのが最近の感想。 たった100数十人で新大陸を制覇したあれは何だったのだろう。あれですげぇ強いイメージが 植え付けられたんだが。
102 :
世界@名無史さん :2005/06/11(土) 12:23:53 0
>>101 文章下手だよ。でも、列強も以外と(世界各地で)負けているとの感想には同意。
103 :
世界@名無史さん :2005/06/12(日) 18:09:07 0
文明地域には遠隔地ではまだ太刀打ちできなかったろうね。 列強が遠い異境の文明国を一方的に粉砕できるほど本当に圧倒的になるのは18世紀末〜19世紀から。
104 :
世界@名無史さん :2005/06/12(日) 18:12:11 0
アメリカ大陸には馬が無く鉄器時代にすら達していなかったのと、原住民に 天然痘の免疫が無かったのが大きい。 天然痘の伝播で人口激減し、未知のスペイン騎兵と火器に対してなすすべが無く。 天然痘が一番の決め手になった感じ。
105 :
世界@名無史さん :2005/06/12(日) 18:16:00 0
オマーンはイスラム国家だし、中国も有史からの最先端文明のひとつだし、 近世までの欧州国家が、これらの進んだ文明に負けることもあるのはなんら不自然ではなく。 大航海時代でヨーロッパは世界の強力な文明の一つとして名乗りを上げ、 産業革命で圧倒的なナンバーワンが決定した感じだろうね。
106 :
世界@名無史さん :2005/06/12(日) 23:04:18 0
>>99 ググッた。浜田事件か。こんなことがあったとは知らなかったな。
わずか170人でやり合っちゃった根性は凄い。危ないけど。
しかし、この事件の顛末を見ると当時のオランダはひたすら低姿勢だね。
ちょっと信じがたいくらい。
仮にも植民地の長官を日本側に差し出すかね。日本や中国に一目置いていた
みたいだね、当時は。
107 :
世界@名無史さん :2005/06/30(木) 00:52:34 0
そうやね
108 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 18:56:39 0
>>106 そりゃねえ。
台湾なんていう地の果てに来て、母国の援助も得られる見込みのない状況だしね。
長剣と鉄砲で武装した凶悪な連中がぞろぞろ攻めて来たら基本的には勝ち目ない。
110 :
世界@名無史さん :2005/07/28(木) 00:29:38 0
111 :
世界@名無史さん :2005/07/28(木) 22:29:16 0
>>109 オランダ本国からは遠すぎるとしても、当時のオランダの拠点
バタビア(ジャワ島)からの間接的な援助は期待できたと思うけど。
実際、鄭成功の台湾侵略の際にも、バタビアからの援軍が駆けつけてるわけだし。
112 :
朱由檢 :2005/07/28(木) 22:56:44 0
>>109 さん
台湾を押さえた鄭成功は清の南京まで攻め及んでるから、
足場として不十分とはいえないんじゃないよ。
それから台湾島の面積は37,000ku、オランダ本国の面積は42,000ku。
本国の面積とあんまりかわんないってば(藁
鄭成功の台湾攻略の際、オランダの援軍って来てたっけ。 1年くらいかけてゆっくり要塞を攻め落としてた気がするが
114 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 00:03:32 0
ゼーランジャ城攻囲の最中にジャワから派遣されたオランダ艦隊が救援に来てる。 もっとも数隻撃沈されたら、あっさり引き揚げていった。 以外とオランダ植民地軍は粘りに欠けている。彼らはどっちかというと商売優先。
115 :
世界@名無史さん :2005/07/31(日) 23:25:00 0
オランダ、ヘタレ過ぎ
116 :
世界@名無史さん :2005/08/01(月) 23:03:55 0
当時の倭人は最強の傭兵
117 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 21:20:18 0
当時の清朝に王莽か武即天がいたら鄭失敗に改名させられてるな
118 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 23:17:08 0
>>116 あまり列強を舐めない方が良い。
日本が火縄銃をならべて意気がっていたとき、彼らはすでに撃鉄による発射方式
を発明していたのだ。いうまでもなく、速射性について天地の差がある。
大砲についてはいうまでもない。大砲に関しては日本は中国・朝鮮にすら劣る。
海戦については彼らのガレオン船は間違いなく当時世界最強の戦闘能力を持っていた。
操船技術、強度、砲戦への対応等で和船のかなう所ではない。
遠隔地で苦杯を喫する時があっても、五分の条件で戦えば、やはり列強が最強の戦力を
持っていたと思う。
119 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 23:57:31 0
>>118 フリントロックは火打石であって撃鉄ではない。
撃鉄の開発は19世紀前半である。
フリントロックは火縄銃より不発率が高い。
フリントロックは火縄銃より命中精度が劣る。
フリントロックも火縄銃も先込め式で装填時間は同じ。
当時は薬莢を開発していた日本の方が早い。
ヨーロッパの大砲は鋳造砲で脆い。
日本の大砲は鍛造砲で強度が優れている。
大砲と銅銃で武装した李氏朝鮮は1ヶ月足らずで崩壊している。
まともに抵抗できるのは雑賀衆が鉄砲を伝来してからである。
優れた大砲があった訳では無い。
近代以前に海戦など起こる事事態が稀である。
大型で動きの遅いガレオン船は倭寇のジャンク船に何度も襲われ拿捕されている。
120 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 00:09:40 0
ガレオン船の大砲は大きな音で敵が逃げてくれれば良い程度 波間で揺れる中型船に固定砲台等飾り以外の何物でもない 飾りに過ぎ無い証拠にヨーロッパ船の大砲の弾は木製 大砲は接舷するまで撃つだけ無駄
121 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 00:14:31 0
>>118 スペイン・ポルトガルって世界各地で無茶してたよね。新大陸の征服は氷山の一角。
もうお前ら海賊かってくらい無茶苦茶。
それが極東にきたらあんなに低姿勢でおとなしかったのはなんでだろ〜。
特に日本なんて黄金の国ジパングとされて、あの連中にとっては喉から手が
出るほど略奪したかったろうに、宣教師を送り込んだだけ?何でだろ〜。
明に追っ払われて、おとなしく海賊とつるんでただけなのは何でだろ〜。
せいぜい通商国家を征服できただけ、それも一度目は失敗。ひょっとしたら
琉球を征服できたかもしれないけど、日本を征服なんて夢のまた夢。
というか、秀吉がルソン攻略に乗り出してたら危なかったとおもうのは俺だけ?
17世紀当時の「列強」ってのは、ムガール帝国、オスマン朝、大清帝国ですね。 国力では江戸幕府の日本も負けてませんが、如何せん武装解除にまっしぐらだったので・・・。
>というか、秀吉がルソン攻略に乗り出してたら危なかったとおもうのは俺だけ? どこぞの宣教師が本国に「日本に攻められたら絶対防げないから何とかして〜」という内容の手紙書いてましたな。
124 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 00:54:16 0
遠く離れたそれなりの実力を持った国を制覇するには ガレオン船では無くせめて蒸気船が欲しい所だ
125 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 00:59:02 0
出先機関に過ぎない東インド会社程度の実力では 村上水軍の小船にすら勝てない水準だったとオモワレ
126 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 03:02:43 0
ていうか当時、耐火性能を持つ鉄甲板の武装船(鉄甲船)持ってたの世界で唯一日本だけですから。 わずか6隻で400万隻の本願寺勢の村上水軍を全滅させたぐらいですから。 (先々週のNHK総合「その時、歴史が動いた」より)
127 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 04:02:08 0
当時、信長に仕えていたイエズス会の宣教師フェノロサも本国に宛てた書簡で 「信長様は恐ろしい方です、侵略ではなく交易こそ我が国にとって利をもたらします」と 本国のフェルデナンドU世に書いている。 なお、後の本能寺の変で奇跡的に救助された信長の黒人従者「佐吉」はフェノロサに保護され ヨーロッパに帰国することが許されたが、途中の台湾で毒蛇に噛まれ死んだそうである。
そんなキャラがいたのか…>黒人佐吉 信長モノの映画やドラマではまだ見たことないな。 燃え盛る本能寺をバックに突然踊りだす佐吉、それに見惚れる蘭丸…モエ
129 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 05:49:28 o
>>127 弥助だろ
佐吉は石田三成の幼名だろ
あとさ、フェノロサって誰?
フロイスだろ
>あとさ、フェノロサって誰? 日本美術研究で有名なお雇い外人ですな。浮世絵を海外に紹介したとか。 信長時代から活躍していたとは初めてしりました。
皆さんずいぶん傲慢ですね。 真面目に考えて、本当にヨーロッパ勢に勝てたとはとても思えない。 アフリカ、イスラム、インド、東南アジアとことごとく彼らの軍門に降っている。 中国もやがて彼らに侵食された。まず、兵器の性能が違った。 日本に彼らと同じように世界中で征服活動をしてのける力はなかったし、 日本の武器もすべて西洋由来。独自に誇れる武器といったら日本刀くらい。 大体当時の日本はヨーロッパ勢と戦ったことがないし。 このスレは西洋コンプレックス丸出しに思える
132 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 08:43:33 0
133 :
132 :2005/08/03(水) 09:07:58 0
まあ鎖国制度自体は成功だったと思うけどね。 あの時代に海外進出路線を取ったら 日本は一つにまとまっていられないと思うから。
134 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 11:47:30 0
16〜17世紀時点のスペイン・ポルトガル・オランダ・イギリスが 19世紀の軍制と兵器を持っているかの様な内容の発言を繰り返す。 ・・・・厨は 歴史に学ばない。 歴史は繰り返す。
1628年・1629年、オランダ東インド会社の商館は スルタン・アグン率いるマタラム王国20万の兵による攻撃を受けた。 バタビアを守るオランダ兵はわずか5百、 弾薬はつきてオランダ兵たちはジャワ兵に糞尿をかけて防戦した。 ジャワ軍には疫病が蔓延し撤退を余儀なくされたが 総督クーンもその直後にコレラに罹病して42歳で死んだ オランダが世界に誇る高性能兵器って、ウンコですかw
>>135 いや、これは立派なバイオウェポンだろ。
ただ、カタパルトで動物の死骸を打ち込む方法と違って、防衛戦で使うと諸刃の剣だな。
137 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:02:29 0
>>121 秀吉のルソン遠征計画というのはどこまで具体的だったんだ?
仮道入明なんて妄想を追っかけるよりよっぽど成功の可能性があったと思うし、
成功した後の利益も朝鮮にちょこっと領土を得るよりはるかに大きかったと思う。
個人的に惜しい。アジアの歴史は大きく変わったはず。
138 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:05:33 0
ルソン島を取っても利益が上がるかなぁ。
139 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:17:35 0
大航海時代に日本も割り込めるかもしれん。 マタラムと協力できればバタビアも取れるかもしれないし、 そうなれば東アジアの制海権は日本が得る。商業も活発化する。 架空戦記みたいな発想と思われるかもしれないが、可能性は0じゃなかった と思う。 戦う相手が西洋なら、後世にあまり悪く言われることはないだろうし(^Д^)
140 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:27:49 o
信長の黒人小姓「弥助」って台湾で毒ヘビに噛まれて死んだってマジっすか?
141 :
朱由檢 :2005/08/03(水) 23:33:05 0
>>140 さん
公式には明智氏のクーデターで捕まったものの、
黒奴に罪はないといって開放されたまま行方不明じゃなかった?
あきらかに眼を引くはずなのにその後の記録に残ってないのって、
…不思議。
142 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 00:49:07 0
妄想を垂れ流されると正直萎える ここは鄭成功スレだろ
143 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 00:52:26 0
鄭成功は台湾に何をもたらしたのか? 日本との関係は? オランダを駆逐できた要因は? 反清復明の可能性? 鄭氏政権没落の要因は? 語るべきことは結構あると思うけど
144 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 01:09:14 o
実はその鍵を握っていたのが黒人弥助だった。 台湾で絶命したと思われていたが 真実は台湾先住民の高砂族に救われ 後に鄭成功の右腕となるのであった。
弥助は南蛮寺に預けられたという説を聞いたぞ。 そのままバテレンの手伝いをしながら静かに一生を終えたか、 バテレン追放令まで生きて高山右近らと共に国外追放されたか。 もともとはモザンビークの王子だったそうだから、黒人奴隷とはいえ かなり教養も知性もあったのだろう
146 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 23:20:59 0
モザンビークの王子なら当然イスラム教徒だな。コーランは暗唱できたはず。 でもさ、モザンビークの王子ほどの人間が奴隷に売られることはあり得ないと思わないか?
147 :
朱由檢 :2005/08/04(木) 23:55:23 0
弥助って、人生波乱万丈だね。 国姓爺といえば、江戸演劇もう一人の外国人の劇中人物・天竺徳兵はモデルっているのかな?
>>146 モザンビークも含めてスワヒリ沿岸諸国はポルトガルの略奪を何度も受けております。
あいつら、ホントに乱暴なんで。王族といえども奴隷になる可能性はあるのでは?
まあ、私もあんまりアフリカの情勢は知らないので、テキとーなことしか言えないですが。
でも、本来ならイスラム教徒であるはずなのに、キリスト教徒として生きたわけか?
心中いかなる思いがあったのだろう。
黒人奴隷は黒人国家同士の戦争による捕虜が売られたものが多い。
150 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 10:45:19 0
奴隷の9割以上はそうだろうさ。あと、禁治産者の割合も多い。 ただし、ポルトガルは極初期に略奪で奴隷を手に入れた実績がある。たしか、 モーリタリア周辺で、ベルベル系を略奪したそうだから。ベルベルは厳密に 言えば黒人奴隷ではないかもしれぬが、西洋人から見れば見分けはつかんでしょ。 スワヒリ諸国がポルトガルに何度も何度も何度も荒らされたのは事実だから。
極初期というと、まだムスリムが地中海を荒らしまわっていたころかな
ぜひ伝記を誰かに書いて欲しい>弥助
明の英雄ではあるんだろうけど、別にどこの英雄でもないような。 結果的には、中国人が台湾にじゃかじゃか入ってくる基礎を作ったので、 中国人の英雄ということになるんかな。台湾の先住民族の英雄で ないことだけは、確かだろう。
154 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 21:40:02 0
アジア人初の、列強に対する勝利者と言っている人がおりますが。 だから、アジア人の英雄であると。
>>154 当時の列強はオスマン・ムガール・清だと他で書いていた奴がいたな
156 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 21:56:51 0
オスマン・清は良いとして、インドは列強が出てくるとほとんど 抵抗できなかったイメージが強いのだが。あまり強かったイメージはない。 まあ、あの時代のヨーロッパに勝ってもそれほどいばることじゃないな。 ヨーロッパに勝ったのは世界中に他にもいるし。ポルトガルは日本から 最後通牒を突き付けられるくらいだし。あの当時の東アジアはなにげに結構強かった。
157 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 22:43:07 o
信長の黒人小姓ではないが、あの水戸黄門 すなわち徳川光圀に、黒人の家来がいて しかもその家系が、幕末まで存続したらしい。 詳しい人いたら教えてください。
158 :
朱由檢 :2005/08/05(金) 22:44:29 0
ムガル帝国はイギリスに侵略されたから過小評価されてるけど、 ムガル帝国の内部崩壊にうまくつけこまれただけで、 全盛期はまずまずの水準の国家だったと思うけどね。
159 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 23:41:02 0
>>157 買えたとしたら、オランダしかないが。それ本当?
時代的に考えるとスワヒリ諸国からポルトガルに輸出され、どういう経緯でか
オランダが買ったんだろうな。
堺あたりでもっと前の時代に取引された、 数世代を経た「黒人」だったのかも。
161 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 23:54:53 o
>>159 以前、日本史板で目にした記事によると
買ったのてはなく、日本への漂着船に乗っていたらしい。
あの三浦安針みたいな経緯らしい。
162 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 00:33:02 0
黒人がアフリカ大陸の外部に出るルートはいくつかあるが、 ・奴隷ルート 大西洋貿易→まず日本には来ない サハラ縦断貿易→少数だし、これもまず日本には来ない インド洋ルート→来るとしたらこれしか、東アフリカ内陸部から連れ出され ムスリムの手を経て売買される ・商人ルート サハラ縦断塩金交易→まず日本まで来ることはない スワヒリ商人としてイスラム圏へ→日本にも来るかも? ・特殊 マムルーク朝等で傭兵となり、出世して使者となる→日本と縁はない 光圀の小姓の宗教や教養の水準が分からないとはっきりしないけど、 そんなに教養がなければ東アフリカの内陸部から連れ出された奴隷ではなかろうか。 イスラム教徒っぽいならスワヒリ商人でしょう。
163 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 00:43:04 0
>>162 地理的に機械的に判断したからだと思うけど、インド洋ルートの
方こそ外した方が良くないかな。当時の日本は南蛮貿易はやっていたけど
ムスリム商人とはまったく交流がなかったから。
日本くんだりまで来るのはどうあっても南蛮人に関係があったとしか思え
ない。すると、大西洋貿易しか考えられんのではないか?
すなわち西アフリカ出身ということになる。
確率としてはコンゴ出身かギニア湾岸諸国出身の可能性が高い。
どっちの確率が高いかは時代により違うけど
164 :
朱由檢 :2005/08/06(土) 00:46:17 0
なんでマムルーク朝なのかと小一時間(ry
165 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 00:50:50 0
マムルーク朝はすでに滅亡していましたね。オスマントルコによって。 でも、オスマントルコに黒人の傭兵はいなかったのでしょうか? マムルーク朝などの北アフリカ諸国のように
166 :
朱由檢 :2005/08/06(土) 01:06:50 0
黒人宦官がいたのは有名だよね。
167 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 04:46:39 0
黒人なんて、唐代の長安にもゴロゴロ居ただろ。 東アジアでも、何ら珍しい生き物ではない。 もしかすると遣唐使が面白半分に買って、奈良の都に連れて帰った奴も居たかもよ。 つーか、「ムスリム商人→中国商人」て流れは1000年以上前から普遍的だったんだよ。 それが証拠に、敦煌壁画なんかでどう見ても黒人としか思えないような人物画もあるし。
168 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 07:53:56 0
唐の長安にもいましたか。初耳です。
だとしたら、出身は現マリやチャドあたりの人々でしょうか。
中国まで来たということは転売されたんでしょうが、何でそんなことに・・・
>>156 ムガール帝国はほとんど自滅と思っております。
ゴアなど西洋人に占領された所はムガール帝国の支配の及ばない所ですし、
西洋人が内陸へ進出しようと思ったときには、内部で反乱が相次いで
勝手に分解しちゃいましたしね。
うーん、でも西洋人の侵略に対抗できたかどうかは分からないですね。
169 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 08:06:52 0
>>168 インドは火器がなかったはず
火器をもって対抗できたのはオスマン・トルコや極東アジアのみ
170 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 09:00:47 o
中国では黒人を最高級の食(略
「小児の肉を上とし、婦人の肉これに次ぎ、男子のそれは下等とする」 ってのを見ると、黒人男性はちょっと口にあわないんじゃ…
172 :
朱由檢 :2005/08/06(土) 23:51:58 0
>>169 さん
ヴァスコダ=ガマが1498年にインドに到着したとき、
カリカット領主ザモリンの儀仗兵が火縄銃で礼砲を撃った記述があるよ。
ムガル帝国時代には砲兵(トゥプ・ハーナ)も存在しているし、
イギリスのムガル帝国に関する資料にも銃についての記述があったはず。
インドで使用されていたナーナル(手銃)、トレダール(火縄式)、
バンドゥーク・イ・キャクマキ(火打石式)が使用されており、
『武器甲冑図鑑』(市川定春著/新紀元社)にも挿絵があるんで、
そっちも見てね。
セポイが反乱を起こすまでは、形の上であれムガル帝国が続いていたんだから大したもんだよ。 タージ・マハルを始め、数々の遺物のすごさを見ても、かなりの大帝国だったことが伺えると思う。
174 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 22:56:19 0
>>172 火器で武装した相手を圧倒したわけか。
オランダなんかはインドネシアでも、紆余曲折はあれど着実に支配を
広げていったわけだし、西洋諸国の底力はやっぱりあなどれなかったと
思うけどな。
インド洋なんか16世紀始めの時点でほとんどポルトガルの内海になったわけだし、
当時の世界地図を見たら、ポルトガルの要塞でインドまでの沿岸がぎっしり埋め
尽くされている。
まあ、日本近海まではさすがに遠すぎると思うけど。
175 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 23:21:48 0
>>174 そういや、スペイン人宣教師ガスパル・コエリョはフィリピン総督に対して、
マニラから艦隊を派遣して日本を武力占領すべし、なんて書簡を天正年間に送って
いるそうです。
後、ペドロ・デ・ラ・クルスなんて宣教師もイエズス会!宛に
「 日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでもしも国王陛下が決意され
るなら、わが軍は大挙してこの国を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主と
してその内の一島、即ち下又は四国を包囲することは容易であろう。そして敵対する
者に対して海上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の生存を不可能
にするようなものを奪うことも出来るであろう。・・・」
なんて実に詳細な書簡を送っているようで・・・
宣教師とは思えん!
176 :
朱由檢 :2005/08/07(日) 23:29:23 0
>>174 さん
ポルトガルはインド洋で間借りしてた状態だから支配地位が限定的なの。
あと、ポルトガルは16世紀後半には滅亡してる。
それからイギリスの支配権確立は18世紀末で、
ムガル帝国の分裂(継承戦争)につけこんでることも忘れちゃだめでしょ。
インドは多民族、多言語、カーストによる階級分断など、
付入る隙が多く、各個撃破されて、分割統治されて行った経緯があるの。
向こうに行って真実を見てきたらいいのに。
177 :
朱由檢 :2005/08/07(日) 23:35:16 0
インドの火器製造技術が高かったことについては、 『世界文明における技術の千年史』 (アーノルド=パーシー著/新評社)にも載ってたはず。
178 :
朱由檢 :2005/08/07(日) 23:44:33 0
>>175 さん
フランシスコ=ザビエルの書簡の中には日本での売れ筋商品を紹介し、
できるだけ少なめにもったいぶって売ったら大もうけ間違いなしって、
書いてるものもあるから、
当時の宣教師を聖職と考えたらいけないと思う。
(参考文献:『聖フランシスコ=ザビエル全書簡』/河野純徳訳/平凡社)
>当時の宣教師を聖職と考えたらいけないと思う。 聖職者なんて今も昔も「物語」の中にしか存在しませんよ。 ・・・揚げ足取りスマンw
180 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 03:02:55 0
台湾を主戦場にした、明の忠臣って感じじゃないでしょうか?
181 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 22:05:10 0
>>175 ほお、また随分なめられていたもんだ。
>日本人は海軍力が弱く
は納得してやっても良いけど
>兵器が不足している
は納得しがたい。日本はかなりの銃生産国だったはずなんだが。大砲がないということを言いたいのか?それとも銃にバリエーションが少ないということか?いずれにしろきゃつらの眼力を疑う
大砲の性能はあまり高くなかった。 艦隊同士の海戦では苦戦しただろう。
宣教師追放令に至った経緯がうかがえる。 しかし、スペイン・ポルトガルは本気で狙っていた訳か? 結構やばい状況だったんだな。 天正年間っていやぁ、戦国時代で国内統一ができていない時期だぞ
184 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 23:35:29 0
>大砲の性能はあまり高くなかった。 ヨーロッパの大砲もこの時代軽量化して行く傾向にあり、 日本の軽量とされる大砲と大差がない。 製造技術の比較では日本製の大砲(芝辻砲など)が勝っている。 織田信長が鉄甲船搭載されていた大砲を見た宣教師オルガンティーノは、 豊後王(ナウタキン)以外が大砲を持っているということに驚いているが、 通信技術の無い時代であり、当然ながら情報収集手段はさほど高くなく、 前述の宣教師達も限られた情報と憶測で報告書を作成しているのだろう。 昨今の研究者の中にも、宣教師オルガンティーノのこの記述を引用して、 織田家と大友家しか大砲は無かったと言う者も居るが鵜呑みにできない。 >艦隊同士の海戦では苦戦しただろう 命中率も威力も低い艦艇砲は接舷斬り込み時に使用するもの。 遠く離れたもの、小型のもの、動きの早いものには当らない。 大砲が主力となる近代的な海戦は19世紀末まで起きていない。
185 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 00:27:53 0
率直に言って、希望的観測が紛れ込んでいると思います。 戦力は総量が重要で、1つや2つの高性能砲が紛れ込んでいても 意味は少ないのではないでしょうか。芝辻砲は一体何基あったのでしょうか? >昨今の研究者の中にも、宣教師オルガンティーノのこの記述を引用して、 >織田家と大友家しか大砲は無かったと言う者も居るが鵜呑みにできない。 これは希望的観測ではないでしょうか。日本は大砲の遺物はあまり多くないと 思われますので、やはり大砲は少なかったのではないでしょうか。大阪城攻撃の 際にもカルバリン砲をわざわざ輸入して使っているくらいです。 >大砲が主力となる近代的な海戦は19世紀末まで起きていない 有名なアルマダの海戦は1588年です。 この時、スペインは130隻、3万人を派遣しています。スペインの力は やはり侮れないですよ。 16・17世紀の時点でも欧州勢力はやはり危険な存在だったと思われます。
186 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 01:13:00 0
1589年後北条氏は豊臣秀吉に対抗するため、 山田次郎左衛門ら領内の鉄砲鍛冶に発注した大砲は20門。 小田原攻めで秀吉が動員した大砲の推定総数は1000門超。 1614年大阪冬の陣12月16日に使用された大砲は305門だが、 国友村に対する徳川家による慶長12年から慶長20年までの 大砲の総発注数は947+α 大砲の原料である銅の当時欧州最大だったスウェーデンが 1632年リュッツェンの戦いで使用した大砲は何門だい? それから、アルマダの海戦は悪天候によるイギリス版神風。 大砲を遠距離からバンバン撃ち込む近代的な海戦ではない。 また、アルマダ艦隊は海軍ではない。
それ以前に、大砲を積載した軍船を外洋で運用したことって、 日本はなかったんじゃないかな。 そういう風に設計されていたかどうかも怪しい。
188 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 01:29:33 0
江戸開府の1603年にアジアからヨーロッパに帰還した船舶数は、 葡4、蘭13、英4、仏1の合計22隻。 これはイギリス東インド会社開設の翌年で前後20年間中最大だが、 この程度しかきていない。 勿論、遠路はるばるやってくるのに大砲の様な重いものは積まない。 金属製の弾も波に煽られ船の片側によれば沈没の危険性があるため、 艦載砲の弾は木製だ。
189 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 01:38:56 0
>>187 大型関船(鉄砲船)、井楼船、安宅船などは大砲標準装備ですが、何か?
190 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 01:41:48 0
鄭氏の時代には私掠用ジャンク船は仏朗機が標準装備ですが、何か?
>>189 安宅船を外洋で運用していたのでしょうか・・・
あまり聞きませんが。井楼船も知りません。
ジャンク船ならば外洋で運用してたことはしってますが、
日本はジャンク船を使って大砲を外洋で運用していたのですか?
鉄砲船はこの際あまり関係ないですね。
大砲を積んでいたかどうかが問題だし。
>>188 大砲を積載していないというのはどうでしょうか。
それなら、日本にも中国にも大砲は輸入されそうに
ないですが。
192 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 04:20:45 0
>安宅船を外洋で運用していたのでしょうか・・・ >あまり聞きませんが。井楼船も知りません。 >ジャンク船ならば外洋で運用してたことはしってますが、 >日本はジャンク船を使って大砲を外洋で運用していたのですか? なんだ何も知りませんということか。 九州の松浦地方ではジャンク船が建造されていた。 山下七左衛門の船もジャンク船だった。 和船の大砲積載数については石井謙治の「和船史話」でも読め。 明末崇禎年間には徐光啓によって紅夷砲の自国で鋳造する技術を確立し、 仏朗機に到っては万歴年間には確立している。 日本も織豊時代には自国での製造しているが、家康によるセーカー砲、 カルヴァリン砲の購入は技術研究のための試験導入であろう。 もし、国産より優秀であるならば当然継続的に購入しているであろう。 こちらとしては記憶にないのだが、これ以降に購入した事例があれば、 是非教えて貰いたい。
193 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 07:34:29 0
アルマダの戦いは、スペインは1000d級の巨船を揃えていて、
イギリス側は接舷戦闘では勝ち目がないため、距離を保ったまま
狙撃に徹して無敵艦隊を破ったと一般に言われてんだが。
悪天候も味方したようだが、最初の遭遇戦でもイギリス側が勝っていたはず
この時のイギリス側指揮官が有名なフランシス・ドレークだね。この人は
世界一周までやっている。
>>188 いきなり日本まで艦隊ならべてやってくるわけはない。
しかし、まず手近な根拠地から兵力を出すのではなかろうか。
スペインならマニラ辺り、ポルトガルならルソン辺り、オランダならバタビア辺り、
植民地の方程式は、まず橋頭保を確立し、それからじわじわ支配地を広げていく。
彼らは野戦では100戦100勝ではなかったが、要塞は堅固でほとんど落とされない。
インドやジャワで要塞に何度も総攻撃を食らっているが、落とされることはなかった。
とくにキリシタン大名がいた戦国時代は橋頭保を築かれやすく、今考えれば
危ない状況であったと言えるんではないか。
少なくとも楽観できた状況とは思えない
>>192 国産の大砲の方が高性能だったというのはいくらなんでも電波が過ぎるぞ。
ウリナラマンセーはほどほどにな
195 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 18:19:44 0
>>195 知識の全く無い夏厨が感情論だけで涙目で必死に反論するなよ。
お前は何一つましな発言できないんだから大人しくロムってな。
m9(^Д^)プギャー
197 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 18:52:59 o
ていうか当時、砲身内に施条してある大砲を製造してたのは日本だけです。 現物資料は靖国神社遊就館にある「薩摩砲」です。
>>192 安宅船はジャンク船だったのでしょうか。
井楼船は?
実際に外洋で運用していたのでしょうか。
仮にそうであったと仮定して、外洋での運用実績は
あるのでしょうか。
中国の鋳造技術については、この際あまり関係
ありませんからいいとして(知っていましたが)、
カルヴァリン砲の購入などは技術研究のための購入で
あるなら、最初からみるべきものでない品物を購入する
のでしょうか。これについては、むしろその後の政治的
な問題の可能性も高いのではないでしょうか。
>>195 ・・・自分が夏厨といいたいのでしょうか。
>>197 薩摩砲というのは、江戸後期ではなかったでしょうか。
戦国時代にありましたっけ。無知ですみません。
199 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 21:26:32 0
安宅船とジャンク船は明らかに違うが、戦国時代ともなると普通に国産ジャンク船 が建造されていた。 日本は良いものを取り入れるのは得意中の得意。 朱印船になると、ジャンクをベースにガレオン船から三角帆やバウスプリットをパクって 独自の改造を施していたりする。水密隔壁仕様ガレオン的逆風切り上がり船といった所か? 江戸時代には国産亀甲船まで作ってみたことがあるくらい。 でも、さすがにスペインやポルトガルと喧嘩して勝てるとは思わない。 日本は船は朱印船のような良い物も造ったけど、遠洋航海技術の点では蓄積がない。 この点は当時渡来した西洋人たちから指摘されている。
200 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 22:03:33 o
朱印船て実際、外洋航海可能なんでしょうか? 天正少年使節なんてヨーロッパまで行ったわけだし。
>>200 いい航海士が乗っていればどこまででも行けるよ。
ただ頑丈さではガレオンにはかなわないな。設計思想の段階で差がある。
西洋人は荒海に耐えられるよう、ひたすら頑丈で長持ちする船を作ろうとするが
アジア人は「ちょっとくらいなら浸水しても大丈夫な船」
あるいは「壊れたところで安価なのでもったいなくない船」を作ろうとする。
ちなみに江戸時代に入ってから、幕府にとって脅威となるような大型船の建造は禁止とされたが
朱印船はこの対象からは外された。
なぜかというと、純粋な帆船である朱印船は小回りがきかず
日本近海での戦闘においては使い物にならないと判断されたから。
202 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 22:38:10 0
うーむ海戦ではやや分が悪いかな。日本人は外洋航海を必要としなかった民族 だからしょうがない。 ただ、日本に上陸して拠点を作れるかどうかはまた別の話で、 たとえ、拠点を作れてもそれの維持は危険でしょう。 宣教師(ほとんどスパイですね)たちは自身たっぷりだけど、野戦戦闘に関しては 16世紀あたりの西洋とではそんなに引けをとるかどうか、 当時の大砲は会戦用の兵器とは言いにくいし(多分)、銃なら日本人もお手の物で、 フリントロック式銃がどれほどの性能か知らないので断言しかねますが、 お互いイーブンの条件でならともかく、地球の裏側まで来て、拠点からじわじわ 浸透していくのはかなり困難だと思います。 キリシタン大名と手を結べば可能性はあり得ると思いますけれども
>>203 知識の全く無い夏厨が感情論だけで涙目で必死に反論するなよ。
お前は何一つましな発言できないんだから大人しくロムってな。
204 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 22:55:52 0
わざとなのか?
205 :
世界@名無史さん :2005/08/13(土) 00:47:35 0
>>197 あらら、記憶違いではないかな。
薩摩砲は島津斉彬が西洋の技術を導入して作らせたもののはず。
>砲身内に施条してある大砲を製造してたのは日本だけです
これは明らかに間違いですね。こんなものが江戸初期に存在すればオーパーツです。
どう見ても大砲に関しては西洋が進んでたと思いますが、すでにオスマントルコがコンスタンティノープル
の攻略に使ったウルバンの大砲ですら、600ポンドの砲弾を飛ばしたと言われてるんですから。
>フリントロック式
フリントロック式は火縄が不要ですが、当時の技術では引き金を引くのがやたらと重くなり、
どうしても命中精度は著しく落ちたようです。また、不発率も高かったようで、火縄銃が
すぐフリントロック式に取って変わるというわけにはいかなかったようですね。
>>202 当時の西洋人の大言壮語を全部額面どおりに取らない方が良いんではないでしょうか。
何しろ、トルデリシャス条約で世界を仲良く半分こした人達です。
曖昧な記憶ですが、ポルトガルの総督アルブケルケは4つの要塞と三千人のポルトガル
人がいれば世界を支配できる、と曰ったとか(w
>>193 確かになかなか要塞は落とされなかったですね。火砲で守られていますからね。
でも、オマーンに東アフリカで要塞を落とされたりしてますよ。すでに落ち目のポルトガルですが。
後、我らが鄭成功がいるじゃないですか。
206 :
世界@名無史さん :2005/08/13(土) 12:50:31 0
>どう見ても大砲に関しては西洋が進んでたと思いますが、すでにオスマントルコがコンスタンティノープル >の攻略に使ったウルバンの大砲ですら、600ポンドの砲弾を飛ばしたと言われてるんですから。 とっくに巨砲時代が終わっていたことぐらい知っておけ。 大砲は軽量化する一方で17世紀に入った三十年戦争時の主力大砲は3ポンド砲だ。 金属精錬技術が三流であったヨーロッパの大砲が優れている訳がない。 脳内デムパだけで語るな
>>206 トルコの冶金技術はヨーロッパと比較にならない程低いです。
国姓爺殿もゼーランディア攻略の際にはヨーロッパ製(あるいはその模造品)
の砲を使用しています。国産は使ってます
↑国産は使ってません
210 :
朱由檢 :2005/08/14(日) 00:34:51 0
>>207 さん
オスマン帝国の冶金技術は当時ヨーロッパ諸国に対して、
比較にならないほど高かったよ。
オスマン帝国の火器製造技術が高かったことについては、
『世界文明における技術の千年史』
(アーノルド=パーシー著/新評社)にも載っているはず。
散々引用されているように、明で正式採用になった銃は、
ヨーロッパ式ではなく、オスマン式ね。
211 :
世界@名無史さん :2005/08/14(日) 02:17:03 0
>>211 実物見て知ってますが何か。
弾頭重量1貫500匁=5.62kg
の鍛造砲だな。型に流し込んでおしまいの鋳物じゃ無いから、作るのはさぞ大変だった事だろう。
砲としての打撃力は、セーカー砲以上、カルバリン砲以下というところ。
※アルマダ海戦に使われた火砲の弾頭重量は
カノン砲 50ポンド=約22.7Kg
カルバリン砲 17から18ポンド=約8kg前後
セーカー砲 5ポンド=約2.3kg
213 :
朱由檢 :2005/08/14(日) 13:29:53 0
『The Encyclopedia Military History』によれば、 セーカー砲の有効射程距離は450m、カルヴァリン砲の有効射程は1800m。 徳川側の陣所から大阪城本丸までの推定距離は1500〜2000mだから、 セーカー砲は役立たずね。 江戸時代の大筒は1090m先の100m四方の的に命中できたそうだから、 最低でも有効射程は1090m。 現実的に1500m〜2000m先の大阪城本丸まで砲撃しているから、 カルヴァリン砲と大差ないと思うよ。 あと、アルマダ艦隊の艦砲射撃で撃破されたイギリス艦船は、 0隻(!?)でしょ?
214 :
世界@名無史さん :2005/08/14(日) 14:22:00 o
そんなドでかい鍛造砲って、一体どうやって作ったのよ? 現代の技術でも至難の技じゃねぇ? どう考えても、ありゃ鋳鉄砲だろ?
>>214 細長い鉄の板をらせん状に芯棒に巻いていき、熱いうちに叩いて接着したものらしい。
要するに火縄銃の工法をそのままスケールアップしたわけね。
無論、そんな手間のかかるやり方では鋳造に比べて生産性は低いし、それ以上大型化もできない。
ほんと当時の技術が許すギリギリの大きさだと思うよ。
>>213 撃ったのは本丸から700mあたりの地点らしいよ。
大阪冬の陣での使用は、まっとうな攻城砲の使い方ではなく単なるおどかし目的だから、
有効射程(狙った場所に当たる距離)ではなく
限界射程(弾が届く限界距離)の範囲で
当たればどこでもいいって感じで撃ってたんじゃないかな。
216 :
215 :2005/08/16(火) 04:25:59 0
×限界射程 ○最大射程
217 :
朱由檢 :2005/08/17(水) 00:14:14 0
>>214 さん
均一な幅で鍛鉄を張り合わせる“重ね張り”の一種で、
“瓦付け”という高度な技法で作られており、
バウムクーヘンのように均一な幅の八層になってるよ。
(参考文献:『火縄銃の伝来と技術』/佐々木稔編/吉川弘文館)
218 :
朱由檢 :2005/08/17(水) 00:27:19 0
宋応星の『天工開物』(1637年)によれば、 ポルトガル式銅製鋳造砲の西洋砲の射程は285mで、 オランダ式鉄製鋳造砲の紅夷砲の射程は1140mね。 当時の実験だから近年のものより史実に近いかな。
219 :
朱由檢 :2005/08/17(水) 00:46:10 0
>>215 さん
実験では2000mの距離から50目玉筒で瓦1枚に板3枚を貫通してるから、
十分破壊力はあったみたいだよ。
(参考文献:『工業火薬協会誌』226号〜「大阪冬の陣に使われた大筒の性能」松永猛裕)
220 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 14:10:24 0
和製大砲=チハタン 洋式大砲=M4シャーマン と考えるとわかりやすい
221 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 16:41:40 0
>>220 一見関係ありそうで全く関係の無い事例を挙げたな。さすがに知将は一味違うな。
222 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 17:09:12 0
鄭成功⇒西洋と日本の戦力比較⇒銃砲対決かよ
223 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 17:10:39 0
鄭成功って科挙合格してたんだよな。それで忠臣になったのか。 中国史の反乱軍首領には科挙落ちが多いよね。
224 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 17:30:24 0
秀吉の愚行から分かることは、日本は少なくとも明に劣らぬ戦力が あったということだ。 で、大陸を追ん出された海賊の頭領ごときがオランダに陸海で完勝し、 要塞をも陥落させたわけだ(誰だ、ヨーロッパの要塞が落ちない言ってるやつは)。 しかも、17世紀半ばにもなってな。 ここから分かることは東アジアの南蛮人どもは日本を占領などできないということ。 少なくともポルトガルごときには。 大砲などの個々のパーツでは分からんが、総合力ではそういう結論。 大体、当時の大砲は合戦で使える兵器じゃないだろ。 後、他にもヨーロッパ勢力は極東で明に負けてなかったか。万歴帝だかその頃に
225 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 17:47:20 0
>>221 はいはい
書くと野暮になるかと思って省略したんだがすまんね。
・職人さんが心を込めてトンカチで製作
・高炉で鉄鉱石溶かして鋳造で大量生産
性能も信頼性も物量差も大体
>>220 くらい。
226 :
世界@名無史さん :2005/08/20(土) 19:28:31 0
>>225 ダービーのコークス製鉄法は1735年で18世紀以降なんだがねえ。
16世紀末〜17世紀初からいきなりタイムスリップかい?
16〜17世紀当時の欧州諸国を「列強」などと言うくらいですからw
>>226 申し訳ないが、木炭高炉は14世紀からある。君が言ってるのはコークス高炉。
まあ欧州マンセーと勘違いされても困るから言うが
>>224 には同意。16世紀なら火器の差はそれほど致命的ではない
229 :
朱由檢 :2005/08/20(土) 23:05:48 0
16世紀における高炉の生産性ってそんなに高いのかな? 16世紀の炉高は4.5m程度で、大型木製鞴が開発されて炉高が大きくなり、 生産性が向上するのは17世紀だよね。 17世紀の炉高は22〜23フィート(7.26〜7.59m)で、 一回の操業で生産される銑鉄は2〜3tでしょ? 一方、鑪製鉄は一回の操業で生産されるヒが2〜2.5tで、 最終的に生産される鉄類は1.8tだから、 そんなに変わらないような気がするけど…? (参考文献:『技術史概論』/馬場政孝著/芦書房)
>>229 年間生産量についての記述は無いですか?
>>228 火器は当時としても重要な武器であった。
これで決定打となるものではなかったであろうが、戦局を有利に進める上で効果的だったはずだ。
有名な例はコンキスタドールによるインカ、アステカ、その他現地抵抗勢力の征服。
征服自体はまあ色んな事情が重なった結果だが、その後も数百人で数万人程度の現地反乱勢力
を何度も鎮圧し、支配を確実なものにしている。
また、良くしられていないが、サアド朝モロッコによるソンガイ帝国(現マリ)征服もその例で
サハラ砂漠を超えてヘロヘロ状態の5千人の征服軍が、準備万端整えた3万人のソンガイ軍を
一方的に壊滅させている。この時、モロッコ軍は火縄銃を使用している。
戦国日本にあっと言う間に銃が広まったのも、当時でも火器は使える兵器だったからにほか
ならない。
より後代の話だが、ロシア帝国は僅か60人でカムチャッカ半島を縦横無尽に征服したこともあるほど。
非対称戦闘は簡単に兵力差を逆転させてしまう。
232 :
世界@名無史さん :2005/08/21(日) 11:21:28 0
これモナー
>>225 室町時代末から江戸時代初期(16〜17世紀)にかけてたたら製鉄に画期的な変化がおこる。
野たたらから高殿たたらへの発展である。
@炉が大型化し,高度な炉床防湿設備をもつものとなり,高殿と称する工場家屋を備える恒久的設備となった。
それに伴い炉の稼動日数が野たたらの年間100日から通年となった。
A送風用の足踏フイゴが17世紀末天秤フイゴに変わり,強風を送ることによって炉内温度を高め,生産性・品質が著しく向上した。
B従来のヒ押に加え銑押の製鉄法が完成し,大量の銑鉄が得られるようになった。
C原料面では,17世紀初頭に銑穴流(かんなながし)という一種の比重選鉱法が導入され,原料品位を高めた。
D高殿たたらを中心に,選鉱・精錬・鍛錬(大鍛冶)の3部門に分化し,社会的分業を形成した。
生産量は銑押しの場合,4昼夜で銑鉄1,500貫前後(5〜6トン),イギリス18世紀前期のコークス高炉で日産1トン程度であるからその水準に匹敵する。
1600年代にイギリス東インド会社の平戸商館長であったリチャード=コックスは,日本の鉄はイギリスのものに比べ品質優良価格低廉で,
鉄を日本へ輸出することはニュー・カッスルヘ石炭を送るのと同じほど愚かなことだと述べている。
生産形態においても飛躍的発展がみられ,近世中期以後,中心地である山陰地方では,巨大マニュファクチュアが現れた。
233 :
朱由檢 :2005/08/21(日) 18:46:33 0
高炉は原料(鉄鉱石、木炭)投入口とガスの排気口が一緒だったので、 原料の重量で木炭が潰され粉化して排気口を塞ぐ重大な欠陥があった。 また、高炉式製鉄は大量の木炭を必要としていた。 乱開発などによって木炭飢饉に直面した17世紀イギリスの事例では、 17世紀中頃国内に300基あった高炉が1740年には50基まで減少していた。 高炉式製鉄は17世紀から18世紀まで生産能力は向上していないので、 稼働率が6分の1になれば、単純に生産力も6分の1になったと考えられる。 (実際、18世紀後半イギリスは国内消費の80%を輸入に依存している。)
そういや、ゼーランディア城ってどの程度の規模だったのだろう。 あんま知らん。
鄭氏の台湾政権とか、その前の南京の福王政権に関わった 復社とか東等林党の残党みたいな連中って 全体的に斜に構えたインテリが多いような気がする。 平和な時代なら皮肉屋やひきこもりで終わってただろう連中が 強烈に輝くのってなんか意外だよな。
陳舜臣の鄭成功(小説)読んだけど、あそこまで明に拘った理由が判らない。
237 :
世界@名無史さん :2005/09/05(月) 22:02:04 0
幼少期が日本で育ったのが影響している気がする。
.
239 :
世界@名無史さん :2005/09/06(火) 11:40:33 0
陳舜臣かよ
鄭成功は半分日本人だから、その分、忠節を重視したという説があるけど それは嘘だな。
241 :
世界@名無史さん :2005/09/07(水) 09:21:22 0
>>234 常駐兵力600人くらいで、白人はその半数
残りは中国人と日本人の傭兵
242 :
世界@名無史さん :2005/09/07(水) 12:31:14 0
鄭成功がルソン攻撃を計画していたと聞いたことがあるが、 実現していれば攻略の可能性はあったのだろうか? 台湾占領後数ヶ月で病没したから、計画はおじゃんになったようだが。
243 :
ジョーカー :2005/09/07(水) 12:44:31 O
鄭成功は台湾では外省人と本省人、両者共通のヒーローでした。 外省人にとっては大陸反攻のシンボル、本省人にとっては父祖の指導者・開拓誘致者。 ただし、今はどちらにとっても微妙かもしれません。
244 :
世界@名無史さん :2005/09/07(水) 23:22:16 0
ぶっちゃけ鄭成功はオランダ人にとっては侵略者、高砂族にとっては独裁者 以外の何者でもない気がする。 日本人にとっては・・・。ただのネタかな?>国姓爺合戦
>>244 オランダ人が苛烈な侵略者だろ?
ゼーランディア?海賊砦の間違いだろ?
歴史認識以前の問題だな。
246 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 01:08:55 0
オランダ人は税金を巻き上げたから現地人から嫌われ、反乱も起きた。 しかし、鄭成功も住民から税金を巻き上げたのは同じ。大量の食い詰め者の 大陸移民まで運んできた。 また、鄭成功はもはや実現性のない反清復明なんかに拘って、外ばっかり見て たから内政がどれほどのもんだったか激しく疑問。 鄭氏王朝の崩壊の時には現地人の支持はほとんどなかったそうだ。
247 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 11:01:41 0
■台風:台湾で野菜高騰 日本産キャベツ安値販売、話題に■
【台北・庄司哲也】台湾でこれまで高級品のイメージが強かった日本産キャ
ベツが、台湾産よりも安い値段で売られている。台湾では、台風の被害によ
り野菜が軒並み高騰。一方、日本ではキャベツの供給過剰で価格が暴落して
いるためだ。日本各地で産地廃棄が伝えられているキャベツは、台湾でも安
値が話題を呼んでいる。
台湾では7月から立て続けに四つの台風が上陸し、農作物にも大きな被害が
出た。この影響で、例年1玉50台湾ドル(1台湾ドル=約3.4円)ほど
のキャベツが2倍の約100台湾ドルに跳ね上がるなど野菜が、軒並み高騰
している。
一方、日本ではキャベツの価格が急落。春先の天候不順で生育が遅れ、その
後の好天で収穫が早まったキャベツとの出荷時期が重なり、市場でだぶつい
たため卸売価格は平年の半値ほどで取引され、各地で廃棄処分が行われてい
る。
台湾野菜の高値が伝えられる中、台北市にある日系デパート「太平洋そごう
忠孝店」では、9月から群馬県産のキャベツを目玉商品として1玉69台湾
ドルで販売。デパートで売られる高級品の日本産野菜が、地元産よりも安い
とあって初日の9月1日に200玉がたちまち売り切れてしまった。折から
の野菜高騰もあり、台湾メディアもこの話題を「高くない輸入野菜に殺到」
と報じた。
同店の担当者は「船便を使いコストを抑えてはいるが、輸入コストが上乗せ
される日本産キャベツが地元産よりも安いのは特異な現象」と話している。
毎日新聞:
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050908k0000e040021000c.html
248 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 19:27:02 0
救済あげ
>>217 なぜ当時の日本人が面倒な鍛鉄にこだわって
青銅で鋳造砲を作らなかったのかがわからん。
銅はヨーロッパに輸出するほどの生産量だったし
仏像や鐘の鋳造の経験から技術的な下地もあったはずなんだが。
249 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 19:31:52 0
>>1 東アジア−特定アジア=台湾と日本
非特定アジアの東アジアのヒーロー
それが鄭成功
250 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 19:43:31 O
台湾のヒーローで何か不都合でもあるのかしら?
251 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 22:27:47 0
中華人民共和国の小中高の教科書では 中華英雄・鄭成功が 日本人が産んだ子であること、 日本で育ったこと、 この二つは絶対に教えないよ。 その二点を教えたら、 狂ってると思われて同情されるか、 無知だと思われて軽蔑されるか、 日本の右翼だと思われて罵倒されるよ。
252 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 12:44:14 0
はっきり言って鄭成功は過大評価されてる。ヒーローなんかじゃないよ。 鄭成功が後世に残したものなんてほとんどないじゃん。 台湾を奪回したという表現は(意図的にかな?)思いっきり間違ってるし。 台湾は本来オランダ人のものでも、中国漢民族のものでもないよ。今でも、台湾には 先住民族の系譜を引く人達がかなりの割合でいるよ。
>>248 確か、日本の城は山間部であることを利用した天然の要塞である場合が殆どで
西洋の城のように、街そのものが城壁で囲まれている訳ではなかったので
大砲の必要性が低かったという話を聞いたことがある。
当時の大砲は野戦では、あまり効果を発揮できなかったし
西洋みたいな平原での合戦も、土地が狭いから起こりにくかっただろうから。
戦国末期の大城塞が築かれる時代になると、大砲の使用が必要になってきたが
すぐに戦国時代そのものが終ってしまったということらしい
254 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 21:47:57 0
日本の城って世界標準で言えば落としやすかったのだと思う。 海外の城塞攻防戦なんて数年間かけての攻囲戦が当たり前だけど、日本の城攻めで 1年以上包囲戦をやったと言うケースは少ないと思う。 より短期間で落とせるから、城攻めは重視されず、野戦にのみ力が注がれた。 それが、大砲が発達しなかった原因じゃないかな。その代わり小銃が発達したけど。 当時の大砲って城塞の攻防以外では使いようがないよね。あるいは威嚇用として 威力を発揮したかもしれないけど。
>>254 日本の城は基本的に敵が大人数で攻め難い所に作っている。
もしくは何某かの仕掛けを作ってある。
当時はアスファルト舗装なんかされてないから大砲の運搬が大変。
欧州と違って山ばかりの入り組んだ地形が多いから移動には向かない。
日本が平地だらけだったら群雄割拠の戦国時代なんかは無理だったろうし。
256 :
朱由檢 :2005/10/04(火) 23:40:08 0
257 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 22:37:48 0
大砲が野戦で威力を発揮するようになるのはいつからなのだろう? ナポレオンの頃は既に大活躍だけど
258 :
朱由檢 :2005/10/16(日) 00:49:23 0
>>257 18世紀中葉フリードリッヒ大王が“騎馬砲兵”を導入したことで、
野戦砲の運搬方法と運用方法がある程度確立されて少しはマシに。
18世紀後半グリボヴァールの“大砲革命”以降かなり使えるように。
19世紀初頭ナポレオンが登場して大活躍するようになりました。
18世紀にプロイセンはベルリン近郊に小火器を量産するために水力式の国営兵器工場設置。
18世紀末にはフランスが小火器、大砲を量産するために国営兵器工場設置。
場所はモブージュ、シャルビル、チュリー、サン=エティエンヌの4箇所。
次いでイギリスもバーミンガムに小火器、ウーリッチに大砲の国営兵器工場設置。
さらにオーストリアはウィーンとプラハに、ロシアはツーラに設置し、
18世紀末〜19世紀には欧州植民地主義国の兵器量産体制は整ったことになります。
259 :
世界@名無史さん :2005/10/16(日) 02:40:26 0
14世紀の元軍が野戦に青銅式の大砲を運用したのが最初だろ。 それがヨーロッパに伝わり、効果的に運用されるまで300年かかったと。
野戦で大砲の火力支援が物を言い始めたのは 30年戦争のブライテンフェルトの戦い(1631)あたりからと見て良いと思う。 スウェーデン軍のグスタフ・アドルフは、馬二頭いれば手軽に配置転換でき 発射速度も速い軽量の連隊砲を大量配備して、 16世紀以来の旧態依然とした神聖ローマ側のテルシオ陣形に圧勝した
261 :
世界@名無史さん :2005/10/17(月) 02:41:38 0
野砲の歴史は 起源は14世紀の中国軍 勃興は17世紀の欧州戦 それでいいのかな
262 :
世界@名無史さん :2005/10/18(火) 00:01:55 0
ヌルハチを撃退したことで名高い袁崇煥と同時代人の孫承宗は 大砲を車(って荷馬車)に搭載して、それに弾薬を積載した車両と 歩兵を組み合わせて野戦で運用するということを考えていたらしいけど。 最も当時の明の大砲はいわゆるポルトガル砲で後代の砲とは性能が段違いだから、 このアイデアがどこまで実現できたかは知らない。 史実上でも明時代の大砲の運用の仕方って、攻城戦か、守城戦かで使うだけという イメージがあるし。
>>259 元や明初の大砲はもっぱら攻城戦などに使われてたらしい。
264 :
世界@名無史さん :2005/10/19(水) 03:37:37 0
城攻めに使ってたということは 騎馬軍団が砲を引きずって移動し 野原に設置しては砲撃してたんだろ
>>262 馬車の時代に戦車砲を考えてたってことか。スゲエ
266 :
世界@名無史さん :2005/10/21(金) 03:12:39 0
元〜明代の中国での銃砲の運用は 当時の世界で最先端で独走状態 清代に入って大きく陳腐化し 欧米に侵略されることを招いた
フス戦争のヤン・ジシュカもお忘れなく
268 :
世界@名無史さん :2005/10/21(金) 11:16:59 O
明なら戦国末期の日本(織田・豊臣・徳川・伊達)のほうがすごいと思う。なんで日本は焙烙玉をあまり使わなかったんだ。
270 :
世界@名無史さん :2005/10/22(土) 10:52:32 0
明代中期までが、世界に冠たる大中華文明圏(日本を含む)の時代だ。 清代の中国、江戸時代の日本は それぞれ禁海と鎖国で眠りにつき、 アヘン戦争と黒船襲来で 金髪碧眼の蛮族らに叩き起こされる。 英米の侵略がなければ、 軍拡・日本帝国も 軍拡・中華人民共和国も 生まれなかっただろう。
>>262 袁崇煥が使用していた大砲はオランダ系の「紅夷砲」で、
ポルトガル系の大砲ではありません。
オランダと明が武力衝突した折、その性能を目の当たりにし、
導入されました。
(なお、徐光啓が宣教師から鋳造技術を仕入れてそうですが、
現時点では私は内容を確認していません。)
袁崇煥の下で1000門程鋳造され、対後金用に運用されました。
明代に伝来したポルトガル砲は青銅鋳造砲で「西洋砲」と呼ばれていました。
なお、オランダ系の「紅夷砲」は鋳造砲だが、原材料は鉄です。
>>271 明代のここで皆が言っているポルトガル砲、いわゆる仏朗機砲は、ポルトガル
来航以前に、既にイスラム圏から伝わっていたとものとの説を聞いたことがある。
真相はどうなんだろう。
後、日本の火縄銃も、構造(銃床を肩に当てず、弓をつがえるようにして撃つ)
から見てヨーロッパ式の銃ではなく、インド式の銃が伝わったとの説もあるよう
だが。
インドも結構独自の火器を持っていたらしい。
273 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 22:33:32 0
>>266 イスラム圏の火器の運用も忘れてはいけません。対ヨーロッパだけが世界史
ではない。
274 :
朱由檢 :2005/11/13(日) 01:42:51 0
現在、日本の鉄砲はマラッカ製との類似点が指摘されており、 ポルトガルから直説伝来したという説は少数派に転落してますね。 イスラム教圏における攻城砲使用は13世紀だと考えられています。 最古の使用例は13世紀ハフス朝のアブー=ユースフによって、 シジルマーサ包囲戦に使用したとイブン=ハルドゥーンが紹介しています。 点火装置の前に据えられた小さな箱から、 小さい玉を発射する火薬兵器(hindam al-naft)とあります。 ただ、時代が100年近く空いており信憑性に乏しいように感じます。 スペインの歴史家ホセ=コンデは、ムワッヒド朝のナーシルが、 1248年マフディーヤ攻城戦で砲を使用したと紹介しています。 また、同年にレオン主教ペトルスによって、 1248年セビリアで砲が使用されたと報告されていますので、 13世紀にはイスラム教圏で砲の使用が始まっていたようです。
275 :
世界@名無史さん :2005/11/22(火) 01:23:58 0
朱のカキコはイラネ
琉球経由説もあるみたいだけどね。
>>213 >江戸時代の大筒は1090m先の100m四方の的に命中できたそうだから
それ幕末期のデータだね
江戸初期ごろの和製大砲の有効射程は500mくらい
278 :
世界@名無史さん :2005/12/15(木) 09:39:51 0
age
「関氏鳥銃記」によれば、1674年(延宝2年)関昌信が850目の抱え大筒を膝射ちした。
このときのレコードが30町(3270m)です。
同年に昌信の弟、勝信が750目の抱え大筒で28町(3052m)の記録を出しています。
また、京都の三十三間堂には1711年(正徳元年)8月大和郡山の星場(射撃場)で、
稲葉重政が1貫筒を頬付けして15町(1635m)の記録を出した奉額が掛かっています。
これらの記録は抱え大筒で人間が支えて撃ったために記録扱いとなっていますが、
大砲を砲架に置いて台撃ちする場合であれば誰でも容易に飛距離が出せたでしょう。
以上の資料から射程距離は1600〜3000mと推測されます。
>>278 >江戸初期ごろの和製大砲の有効射程は500mくらい
このデータの論拠はどこからきているのでしょうか?
280 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 09:54:32 0
>>279 名無しになっても全然変わらんな
俗っぽい本ですまんけど新紀元社の「武器と防具日本編」。
文句は書いた人に言っとくれ。
一応言っておくと、有効射程というのは「狙って正確に当たる距離」の事。弾が届く限界の事ではない。
281 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 10:00:55 0
なお
>>213 のレス「100m四方の的」というのは
ずいぶんでっけえ的だなあと思ったので100cmの間違いだと判断した。
>>280 >文句は書いた人に言っとくれ。
な〜んだ!また適当かぁ。程度が知れる書き込みだね。
283 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 13:55:30 0
(´,_ゝ`)プッ
洋に東西を問わず施条されたアームストロング砲が登場するまで 命中精度を向上させるような目立った技術革新は無いのですから 江戸の初期であろうが後期であろうが命中性能に大差はありません。
たまには弾道学のことも思い出してやって下さい
286 :
世界@名無史さん :2005/12/20(火) 19:54:38 0
芝辻砲の砲弾重量は一貫500匁=12ポンド6と3/8オンス 口径が9.3cm、砲身長313cmだから 砲身長÷口径で口径長33.65。(口径長が長いほど命中精度が上がって射程も長い) このデータから考えると、芝辻砲の性能は 同時代のスペインにおける12ポンド中型カルバリン砲にほぼ相当すると思われる。 中型カルバリン砲のスペックは 砲弾重量10〜18ポンド 射程=水平射撃時760m、最大射程4600m 口径長30〜32 やや口径長が長いから、射程はあと2、30mくらいはあるかな? 大坂城との距離から考えても、まあだいたいその辺が妥当なところじゃまいか。 参考資料:「大砲の歴史」アルバート・ヌマシー ハイデンス刊
287 :
世界@名無史さん :2006/01/08(日) 16:56:00 0
288 :
世界@名無史さん :2006/01/10(火) 21:02:12 0
初詣ついでに靖国神社で芝辻砲を見てきた。 直径も長さも大友宗麟の青銅製仏郎機より二周りは大きいのに、 口径は仏郎機以下なんだね。 異常なまでに砲身が肉厚。 そんなに暴発が怖かったんだろうか?
289 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 18:41:37 0
このスレも早4年目。 低空飛行ながらも長続きしたね。これからもヨロシコ
290 :
世界@名無史さん :2006/01/13(金) 19:09:53 0
鄭成功の生きていた時代に、台湾人という概念はないと思うから、 絶対にこの人は台湾人ではない。
291 :
世界@名無史さん :2006/01/14(土) 18:57:24 O
「支那猪」と「胎毒」のワルツ。
高砂族はどう思ってるんだろうか
294 :
世界@名無史さん :2006/01/30(月) 22:05:24 0
オランダよりはましって程度じゃないの
295 :
世界@名無史さん :2006/01/31(火) 06:26:59 0
鄭成功が大成功
296 :
世界@名無史さん :2006/02/19(日) 19:33:16 0
age
297 :
世界@名無史さん :2006/03/17(金) 23:07:44 0
そんなもんか
298 :
世界@名無史さん :2006/03/18(土) 11:19:15 0
>>213 >『The Encyclopedia Military History』によれば、
学研「戦略戦術兵器事典2・日本戦国編」からの孫引きを
原典あたってるような書き方するのはどうかと思うよ、朱由檢クン
299 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 18:39:09 0
あげ
300
301 :
世界@名無史さん :2006/05/09(火) 11:27:47 0
鄭失敗は泣いています、ベッドの上で。
302 :
世界@名無史さん :2006/05/09(火) 14:00:12 O
ベット? 鄭性交?
303 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 10:01:50 0
そりゃ、できないのが辛い
305 :
世界@名無史さん :2006/06/24(土) 11:26:50 0
ん?
306 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 23:10:06 0
>>281 逆に1km先の1mの的って精密すぎると思うんだが
当時の大砲と射撃法でそんな精度が出せたのかな?
307 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 23:18:55 0
>>1 福建人(明)と日本人のハーフだから、素直に日:明=5:5じゃないの?
間違っても台湾人じゃないだろうな。戦後乱入してきた国民党みたい
なもんだろう、鄭氏政権なんて…。
>>270 それあるね。それから、半島が盲腸だったという深刻な理由も、、
308 :
世界@名無史さん :2006/07/17(月) 22:19:47 0
>>306 遠眼鏡があって、的が動かないなら、そう非現実的な数字でもないと思う
一発で的中はまず無理だろうけど
でも鄭成功を先祖と呼べるのは台湾人だけじゃないの? 日本や中国で子供つくってたっけ?
成功自身の子孫の行方は知らないけど 日本に残った成功の弟の一族は今でも日本にいるね
311 :
世界@名無史さん :2006/08/09(水) 23:37:39 0
312 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 22:44:34 0
父は台湾。母は長崎。
313 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 22:46:19 0
父は明の海賊兼貿易商、母は長崎の武家の娘。
314 :
世界@名無史さん :2006/08/11(金) 20:39:18 0
>>310 tp://pcroom.org/teiseikou/
によると横浜在住らしい。
人物叢書「国姓爺」(←何故か変換できる)に載ってる家系図には
成功の子孫で15世鄭安世の名前があるね
(成功は12世だからもっと後まで続いてるはず)
316 :
世界@名無史さん :2006/08/13(日) 07:05:00 0
>>314 おお!会いに行こう、会いに行こう。横浜在住なのか〜…
317 :
世界@名無史さん :2006/08/13(日) 07:09:36 0
「鄭氏子孫会」というぐらいだから、子孫が日本中に沢山いそうな 気配。
318 :
世界@名無史さん :2006/08/14(月) 22:59:44 0
どこの国の英雄でもいいじゃないか 強いて言うなら、海の男
319 :
世界@名無史さん :2006/08/17(木) 21:51:39 0
強いて言うなら、強烈な愛国者だろう。
320 :
世界@名無史さん :2006/08/18(金) 16:01:10 0
海域中国の英雄 帝国中国にも日本にも馴染まない。
321 :
世界@名無史さん :2006/08/19(土) 08:24:27 0
福松っつぁんは、オランケ嫌いの明人だろう。
322 :
世界@名無史さん :2006/08/19(土) 10:51:05 O
ただの海賊だろ
323 :
世界@名無史さん :2006/08/20(日) 10:45:27 0
朱舜水が応援していた人。
324 :
世界@名無史さん :2006/08/20(日) 10:51:19 0
じゃあ間をとって、ボヘミアの英雄にしよーよ
葛城ユキか。
326 :
世界@名無史さん :2006/08/21(月) 10:31:03 0
>>323 朱舜水って明の儒学者なのだが、茨城の常陸太田市に墓があるって知ってた?
水戸藩主歴代の墓所瑞龍山。
朱舜水は鄭成功の北伐が失敗した後、水戸光圀に招かれて来日し そのまま日本に帰化したよ。 茨城に墓があるのもそのため。
朱舜水の影響で水戸藩士はやたらと大義名分論にこだわるようになった・・・
329 :
世界@名無史さん :2006/08/24(木) 23:32:33 0
朱舜水自体は熱血漢だったのにな…
330 :
世界@名無史さん :2006/08/28(月) 14:33:18 0
台湾
orz
332 :
世界@名無史さん :2006/10/10(火) 21:54:21 0
安彦良和がこの辺を題材として漫画を描き始めた様ですが…
333 :
世界@名無史さん :2006/10/10(火) 22:45:06 0
333ゲット
長崎
335 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 12:28:06 0
>>332 安彦良和は、マイナーな題材が好きだよな。
王道の狗なんて、普通書かないしかけないだろう・・・
336 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 13:38:33 0
倭寇なんてドマイナーな題材で新連載なんて事を平然とやってのける! そこにシビれる!あこがれるゥ!
337 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 16:43:15 0
結論から言うと台湾では無い事は確か。 鄭成功自身に自らは「台湾人」だと言う自覚もないだろうし、 また「台湾人」だなんて概念は当時にはないのだから 鄭成功を台湾の英雄にする事は難しい。
史料名とか記載されていてすごく好感のもてるスレッドですね。 中共関係のリンクとかで荒れてるスレかと思った
もうあんな映画誰も覚えちゃいないよ
いまいち地味な映画だったな。
341 :
世界@名無史さん :2006/12/09(土) 17:58:38 0
このスレ嫌欧厨の暴れっぷりが面白すぎるあげ
先月のANAの国内線に乗って機内誌読んだら、 椎根 和という人のエッセイで王貞治の話があった。 その中で、鄭成功の肖像画だか銅像が王貞治に似ていると書いてあった。 グーグルイメージで見ると、確かに銅像は目鼻立ちが似てる気がする。 漫画で特徴的に描かれる口のところは違う感じ。 同じ日中ハーフだし、王が台湾の英雄になってから、 台湾人が後付けでそういう造形にしたんじゃないかと思うけど、どうだろう。
343 :
世界@名無史さん :2007/01/11(木) 23:16:25 0
普通に明王朝のために戦った英雄。でしょう。 で、明王朝を中国史の一部と考えれば中国の英雄であると。
鄭成功が倭寇の一派とすれば、 あれだけ倭寇を毛嫌いしていた明王朝最後の英雄が倭寇というのは興味深い。
キャプテンハーロックみたいなもんか 友よ明日のない国と知っても やはり守って戦うのだ
台湾人と日本の芸妓のあいの子で 父親が長崎に遊びに来たときに孕んだ子
日本語できたの?
鄭芝龍は福建人だろ。 >348 言葉は普通母親から学ぶものだからできたと考えていいんでない
母親は明に渡ったのかな
現地妻
352 :
世界@名無史さん :2007/04/01(日) 16:44:12 0
保守
当時の東アジア世界に中国国籍・台湾国籍なんかは存在しないから、 中国人・台湾人を明確に区分するのは難しいんだよな。
まあ現代人の立場でどう見るかの問題だからな。 その国の歴史に与えたインパクトの大きさなら台湾>中国>日本なんだろな 台湾はそもそも歴史自体が少ないから鄭氏支配は一大トピック 中国じゃ南京北征と清朝の海禁政策の引き金 日本は生まれ育っただけで歴史に深く関与してない 日本乞師関係じゃ朱舜水の影響は大きいし日本文学には国姓爺合戦や小説もあるけど 中国や台湾ではどうなんだろう(あのプロパガンダ映画以外に)
355 :
世界@名無史さん :2007/04/24(火) 16:58:43 0
中国には、鄭成功以外の英雄は多数いる。日本も同様。 でも台湾には、ほかに英雄と呼べる奴いない。 だから、彼を真面目に英雄として崇められるのは、台湾人しかいないでしょ。 ということで、台湾の英雄ってことにしときましょ。
356 :
世界@名無史さん :2007/04/24(火) 17:06:53 0
鄭成功のいた時代には国籍法なんて存在しないし、 何より台湾人である事を明確にする台湾国籍なんてのは存在しない。 今現在ですら台湾人を明確に扱う事は難しい。 この世に台湾国なるものが存在しないのも一つの理由だが、 台湾の国家と言うのはあくまで中華民国であるのも一つの理由ですらある。 無国籍人というのは考えられないわけで、 今現在の台湾の在住者は正確には中国人なんだな。 だから台湾人だ、と強調するのは難しいでしょ。
357 :
世界@名無史さん :2007/05/24(木) 22:27:33 0
鄭成功の軍に、日本人の特別部隊があったって、本当ですか?
358 :
世界@名無史さん :2007/05/24(木) 22:41:31 0
>>357 日本式の装備をしてたらしい「鉄人」「倭銃隊」がいたらしいけど
単に装備が日本製だっただけなのか日本人部隊だったのかは不明だそうだ
日本人もいただろうが、おそらく日本式の武装という『宣伝』が相手にインパクトと恐怖を与えたのかと。 国籍不明の奴らが、わざわざ日本の甲冑を着て、日本刀を持つ倭寇と同じ理屈かと。 当時、日本は武器輸出国でもあるし、傭兵輸出国でもあるから
361 :
世界@名無史さん :2007/07/04(水) 13:06:48 0
>>96 アンボイナ事件というのは知っていますか?
1623年、インドネシア東部モルッカ諸島のアンボイナ島で、オランダ商館襲撃の陰謀を理由にしてイギリス商館員(雇用日本人をふくむ)多数をオランダ人が殺害した事件。
362 :
世界@名無史さん :2007/07/04(水) 13:07:56 0
364 :
世界@名無史さん :2007/08/18(土) 11:48:50 0
南明の永暦帝、何で陸路でミャンマーの方へ逃げて行ったのでしょう? 鄭成功と一緒に海へ出ていれば朱氏の血筋が今でも残った、かも
鄭氏は元々倭冦、つまり海禁政策をとっていた明とは対立する立場にあった。 また子龍が元に降伏している点からも、信頼しきれなかったと思われる。
元?
367 :
世界@名無史さん :2007/11/15(木) 23:15:20 0
age
368 :
世界@名無史さん :2008/01/02(水) 23:47:02 0
フォルモッサ
369 :
世界@名無史さん :2008/01/03(木) 19:17:23 0
村田英雄
370 :
世界@名無史さん :2008/01/03(木) 20:14:04 0
日本史でも研究が進み九州沿海から台湾、琉球と呼ばれた地域や眈羅にかけて 日本人でも中国人でも朝鮮人ともいえない国籍不明混血の海民集団がいて、 倭冦はこの武装集団と考えられる。 鄭和はこういう集団の代表なんじゃないか。
>>370 鄭子龍や鄭成功なら納得できるが、鄭和は関係ない。
372 :
世界@名無史さん :2008/01/03(木) 21:31:08 0
>>371 スマン間違えたw
鄭和じゃなくて鄭成功な。
鄭芝龍だよ。
374 :
世界@名無史さん :2008/02/14(木) 23:54:56 0
和でも唐でもナイ! だから、和唐内! 近松は上手いこと言うもんだ。 >>日本人でも中国人でも朝鮮人ともいえない国籍不明混血の海民集団 ロマンやねえ。 似たような連中がタイにもいたな。
日本語で読める鄭成功関係の書籍ってなにがある? 石原氏と林田氏の書籍は探しだしたんだが
376 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 23:15:30 0
age
377 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 02:02:08 0
前近代の人物を現在の国境にあわせて評価しようとしている時点で どっかしらのナショナリズムのプロパガンダに騙されてるんだよ
378 :
世界@名無史さん :2008/07/04(金) 12:53:00 0
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215141336/ 【万博】日本では知名度低い?開催地サラゴサ…実は“東経135度(日本の中心)でアジアを2分割し植民地支配”する500年前の協定締結地
1 :早よ説教部屋に来栖川芹香 m9( ゚д゚) → ネットナンパ師φ ★:2008/07/04(金) 12:15:36 ID:???0
<参考:サラゴサ協定(Treaty of ZaragozaもしくはTreaty of Saragossa)
この植民地支配を防いだのは、織田信長の国家統一・豊臣秀吉のキリスト教禁止・徳川家康
の鎖国および日中混血ハーフの鄭成功による台湾統治(スペイン・ポルトガルの両国に代わり
極東進出したオランダ拠点を撃破)と言えます>
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1401-1500/1494_torudeshiryasu.html 新航路発見を機に、スペインとポルトガルは争って通商・植民活動に乗り出し、両国が発見し
た土地、島の帰属を巡って紛争が続出した。両国ともローマ教皇下にあったので、1494年、
教皇が教書を出して、両者の進出領域を決定した(トルデシリャス条約)。
アフリカの西岸ベルデ岬諸島の西方の西経45度の子午線を基準に、西方をスペイン、東方
をポルトガルの進出範囲となった。しかし、地球の裏側にも線が必要となるのは明白で、1529
年には、サラゴサ協定によってアジアでの分界線を東経135度に定めた。この線は日本を真っ
二つに分断する。
そして1543年にはポルトガル人が種子島に、1549年にはスペイン人、フランシスコ・ザビエル
が鹿児島に上陸する。まさに日本は二つの侵略国の先端が衝突する地点にあった。
379 :
世界@名無史さん :2008/09/03(水) 22:53:57 0
本を其のまま読むな
381 :
世界@名無史さん :
2008/11/15(土) 04:46:43 0 海覇王の話ってまだ出てないよね?