中国史について。
2ゲット
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.∩∧,,∧ (´´
,,,,,,,,,,ミ゚Д゚,,彡 (´⌒(´
ど,,,, ,,,,,二⊃≡≡(´⌒;;;≡≡≡
~''(,,,,,づ゙゙ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ!!
3 :
世界@名無史さん:02/12/22 16:00
無理があるだろ。
時代区分しろよ。
興亡が寄ってきそうなスレタイだ。
4 :
世界@名無史さん:02/12/22 16:32
出雲王国、吉備王国、大内氏、尼子氏、毛利氏、浅野氏、池田氏などを語るスレに変更。
「支那史」にしとけば間違えなかったのに。
6 :
世界@名無史さん:02/12/22 16:43
芳ばしいね
7 :
世界@名無史さん:02/12/22 16:45
史無し?
8 :
世界@名無史さん:02/12/22 16:49
しなしな…
9 :
世界@名無史さん:02/12/22 18:43
中国史なんて長すぎてスレ一つでは不十分。
中国史といったら、やっぱり毛利元就からはじめますか。
11 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:24
いや、やはり京かぶれの大内氏からでしょ。
大国主命からだろ
13 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:28
出雲大社の本殿は今の数倍もある巨大なものだったそうだが
古代日本に高度な建築技術を伝えたのは何者か?
除福
>>3 だから工房が立てたんでしょ。冬休みの冬廚が舞い降りてるんだわさ。
16 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:32
>13
掘立て柱であんな大きな建造物建てられるもんかな。
17 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:35
このスレは今から日本史総合とする良いな!
チャン頃の歴史など学ぶ価値は無い。
18 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:35
>16
中国地方一円を支配してた強大な一族の神殿だし
信憑性はあるな。
19 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:36
出雲臣・出雲国造家が今でも存続してるのは萌えだな。
20 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:38
中国地方とは関係ないけど古代豪族の下毛野氏や尾張氏も現存してるな。
21 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:40
吉備氏は残ってるの?
22 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:45
岡山県を根拠とする豪族、和気氏(半井家)は存続してる(京都の製薬会社・ナカライテクスの経営者)けど
吉備氏はどうかな?
23 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:48
>22
和気清麻呂の子孫ですな。明治維新期まで医家として存続して今は製薬会社ですか。
24 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:52
吉備氏も和気氏も奈良時代以降は近畿で活動してるんだけどね。
古墳時代は中国地方に巨大な勢力張った吉備氏も奈良時代の
吉備真備以降冴えなくなったな。
吉備大臣は陰陽師としても有名でしたが、冴えませんねえ。
医家といえば丹波氏(中国じゃありませんが)。丹波哲朗さんは直系の子孫だとか。
27 :
世界@名無史さん:02/12/22 23:57
>25
吉備氏って「大臣」の地位を獲得してたのですか?
28 :
世界@名無史さん:02/12/23 00:03
毛利元就の「3本の矢」はチンギス=カンのパクリですかね?
29 :
世界@名無史さん:02/12/23 00:08
姓は源という源氏の名門だから毛利も当然パクるのはいた仕方あるまい。
当時からユーラシア大陸を席巻したのは皇家につらなる源氏だと
いうことは常識だったわけだ。
だから大東亜共栄圏は日本の不利不可分の領土であったわけだ。
それが日本は戦後分割されたわけだ。
>27
吉備真備は右大臣まで昇っており、「今昔物語集」には陰陽道の達人吉備大
臣として登場しています。
>28
ロスチャイルドにも類話がありますから、そうとも言えないでしょう。
やった、やった・・・・(ニンマリ
33 :
世界@名無史さん:02/12/23 10:47
関が原の後、毛利氏は徳川と単独で抗戦できなかったかな?
中国120万石の大大名だったわけだし。
毛利一族の中でも割れてるから無理か。
34 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/23 11:35
毛利家はうっかり大阪方の総大将にかつぎあげられて取り潰されるとこでした。
吉川広家がなんとか黒田長政を通じて、徳川に話をつけて37万石取り留めた。
兵力が違います。
35 :
世界@名無史さん:02/12/23 11:45
鼬はどこだ?
36 :
世界@名無史さん:02/12/23 13:30
江戸時代は毛利本家と吉川家の仲が悪かったらしいな。
本家は「吉川が邪魔しなければ関が原で勝てたものを・・・」
吉川家は「誰のおかげで毛利家が存続できてると思ってんだか」
37 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :02/12/23 14:42
細川や京極などという金魚の糞攻めに各一万人以上も動かしおって・・・。
京かぶれの大内氏に興味があるんだけど、関東の田舎町にいては資料があまりにも乏しくて・・・
39 :
ゑ゛じゃないか解放戦線伊勢派 ◆Q.pECj.Kaw :02/12/23 21:33
>38
大内家の氏は多々良氏で、渡来系の氏を称してる大名は珍しいよな。
他では秦氏を称した長曽我部家くらいかな?
他の出自の怪しい武家が平気でメジャーな源氏や藤原氏を称してるのに
あえてマイナーな渡来系の氏を称してた背景にどんな経緯があるんだろう。
40 :
世界@名無史さん:02/12/23 21:39
毛利家も大江氏で、もひとつマイナーな氏を称してるよな。
41 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :02/12/23 21:42
>40
あれは確かな筋では。大江広元の子孫毛利季光(去年の大河にも出ていた)
の子孫であったはず。そのせいか記録が多い(?)。
42 :
世界@名無史さん:02/12/23 22:51
ところでフロド=バギンズについても語りたいんだけど。
43 :
世界@名無史さん:02/12/23 23:17
吉備王国というのは、どの程度の現実性があるのでしょう?
河内王朝と対立したなんていう記述も見るのですが、文献的な裏付けがあるんでしょうか。
44 :
世界@名無史さん:02/12/25 10:58
「文献的な裏付け」だけからいったら、日本は昔から皇室だけの一王朝なんじゃないの?
大和朝廷の倭国統一をいつ頃とみるかによるが、
それ以降の時代については、吉備地方の羽振りのよさを比喩的にいっただけで
実際に「王国」があったわけじゃあるまいよ。
弥生時代については考古学なので、いろんな解釈は可能だが
もちろん文献的な裏付けなどない。
45 :
世界@名無史さん:02/12/25 11:50
>>44 「王国」が何を指してるだろうけどね。
周の中にいろんな国がありそこに王がいる、という意味の王国ならあってもいいかと。
形式的には国造でも、実質的には王である、と。
>形式的には国造でも、実質的には王である、と。
具体的にそんな実例あるのかよ?
国造になっちゃったら実質的に王じゃないだろ。
筑紫君磐井が国造というのは捏造で実は九州王朝の王でした、
みたいな電波はやめてくれ。先にいっとく。
47 :
世界@名無史さん:02/12/25 12:53
>>46 「王」をどういうふうに規定してます?
軍事統帥権、懲罰権、徴税権を持ってたら一応実質的な王としてよいのではないかと。
>国造になっちゃったら実質的に王じゃないだろ。
江戸時代の大名は○○守だったりして一応形式的に朝廷の秩序の中にいますけど、
実質的には朝廷の秩序下にはないですよね。
これと似たように、形式的には国造でも実質的には「王」ということもありうるかと。
>筑紫君磐井が国造というのは捏造で実は九州王朝の王でした、
当然ですが、「国造」ということは大和朝廷の枠組みのなかにはいるわけで、
いわゆる「九州王朝」なんぞが存在しないことはいうまでもないです。
キッシンジャーと韓国系アメリカ人が支配している現代中国。
49 :
世界@名無史さん:02/12/25 14:24
しかし、「国造」という制度が置かれたのは
存在を否定する意見が多い成務天皇の時代なんです。
国造とは何か、については国造制の成立時期の問題もふくめて
かなり広範な議論があるだろうが
おおかたの通説としては、
大和朝廷が地方豪族をとりこんで任命した「世襲“官”」というところだろう。
むろん通説が正しいとは限らないが。
51 :
世界@名無史さん:02/12/25 19:41
出雲なんかは、国譲り神話などからみても、大和王朝から独立した王朝が
存在していたと考えてもいいんじゃないかな。
まぁ、神話伝説を文献と呼べるかという問題はあるが。
ところで、日本海側の出雲も中国の範囲内ということでいいんだよな?
中国ってのはもともと山陽地方だったんだけど、
毛利が尼子を併合してから山陰までふくむようになったという説があったけど、
それへの反論もどっかでみたような気がする。
大内氏あたりから寧波の乱につなげ、本家中国に話を戻すというのはどうだろー。
54 :
世界@名無史さん:02/12/31 16:48
三国志を読んで興味持ったのですが、
中国史を殷周の時代辺りから中華民国くらいまで
概略を掴めるような、入門書的な本でお薦めのもの
がありましたら教えてください。
55 :
世界@名無史さん:02/12/31 17:15
>>42 中つ国ミッドランドということでは、フランス地域も範囲内でしょうね
57 :
世界@名無史さん:02/12/31 17:30
>>54 まじレスするとだな、
陳瞬臣の『中国の歴史』(平凡社)だろ。
一番オーソドックスで、中国史の入門書といえば10人中8人はこれを挙げる。
全15巻だったかな、で、神保町とかで1万4,5千円ってとこ。
なんだ、ホントに「中国史」へシフトするのか。
残念。中つ国のはなし、しようよ。
吉備国造は旧国名でいうと備前中後・美作の四国を治め、
毛野国造は上下野の二国、
火国造は肥前後の二国、
越国造は越前中後・佐渡・能登・加賀・若狭の七国を。
一方で出雲国造の版図は、ただでさえ狭いあの出雲一国だったのでしょうか?
60 :
世界@名無史さん:02/12/31 23:18
鼓腹撃壌が中国の理想の政治なのにそのような理想の
政治が実現したことはなかった。
ということは、理想は実現しないということか
61 :
世界@名無史さん:03/01/01 02:20
鼓腹撃壌が実現したことなど一度もないし
将来も決して実現しないだろう。
永遠の理想なのだ。
62 :
世界@名無史さん:03/01/06 05:31
>>59 ぜんぜんちがう。
吉備国造というのはなく「吉備○○国造」というのがたくさんあってひとつひとつは小さかった。
毛野国造も上毛野・下毛野・那須の三つの国造があって、毛野国造というひとつの国造だったのではない。
火・越も吉備と似たような状況。
63 :
世界@名無史さん:03/01/06 10:10
殷代、周代といった中国古代史に興味があるのですが
関連スレはありませんか?
64 :
世界@名無史さん:03/01/06 11:44
65 :
世界@名無史さん:03/01/06 11:46
ありがd
(^^)
68 :
世界@名無史さん:03/01/11 14:07
国造の国は郡に相当しそうな気が。。。
郡司には国造系の者が多かったし。
69 :
世界@名無史さん:03/01/23 07:50
age
70 :
世界@名無史さん:03/01/27 13:14
律令の国も国造の国も面積がいろいろだから一概にいえないが
国造の国の大きさは、だいたい律令の国と郡の中間くらい。
71 :
世界@名無史さん:03/01/29 02:20
72 :
世界@名無史さん:03/01/29 02:39
中国という言葉に脊髄反射する習性か…
73 :
世界@名無史さん:03/01/29 02:42
74 :
世界@名無史さん:03/02/13 00:00
age
75 :
世界@名無史さん:03/03/02 09:04
age
76 :
世界@名無史さん:03/03/02 10:27
「四国中央市」ができる。「中国中央市」はどうかな。
※地理板からの出張でした。
77 :
世界@名無史さん:03/03/02 21:29
中国における、りそな銀行的役割のトマト銀行はどうか。
(^^)
80 :
世界@名無史さん:03/03/19 20:16
81 :
世界@名無史さん:03/04/01 00:14
age
82 :
世界@名無史さん:03/04/14 08:07
age
83 :
ブーツカット:03/04/15 01:37
世界大戦が起きたとしたら日本と中国はきっと手を組む
アメリカと日本は対立関係になる
もし日本とその同盟国がアメリカに敗北しそうになったら中国が
アメリカ本土に核爆弾を落とす
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
86 :
世界@名無史さん:03/04/22 08:29
age
中国に核使わせるのは基地外に刃物持たせるのと同じ。
日本が核武装して中米を牽制する方がマシ。
88 :
ブーツカット:03/04/23 02:16
何にしろ日本(ほぼ確定)とドイツ(推測)とスイス(推測)が
次の戦争に関わってくると思う。
アメリカとの戦いで日本側が負けたら中国が動くと思う。
核戦争になったら負けも勝ちもない。
特にアメリカとの戦争になったら。
中国の怪しい技術よりも
日本の技術があれば核なんか1ヶ月で作れるんだから、
日本が核武装して中国が台湾やチベットで変なマネしようとしたり、
日本に刃向かおうとした時の懲罰用として備えておくのがいい。
日中米の対立は決定的になるだろうから、無用な軍事費使うよりも
核があれば簡単に攻撃なんてできい。
90 :
muramura:03/04/23 11:33
中国地方にもう核はいらんけえ。わしらは反核じゃけぇの。(by 中岡元)
92 :
ブーツカット:03/04/24 01:09
93 :
世界@名無史さん:03/04/27 10:36
話は変わるけど、
ところで玄宗皇帝というように唐代は皇帝の名称に「宗」をつけるのに漢代は無かったよね…
いつから宗がついたのかどなたか解説してくだされ。
「宗」は廟号。死後,位牌を安置する場所の呼び名です。
といっても元々は太祖と太宗以外は特別な名は無かったのです。
でも漢以降「世宗」「中宗」「元宗」など皇帝毎に別の廟号が付けられるようになりました。
「文帝」「武帝」などは諡号です。死後に後継者から贈られる名前です。
史書などでも普通こちらを皇帝の呼び名としていました。
が,唐以降はこの諡号が何十文字にもなり,通称としては使用できない状態でした。
そのため廟号の方が呼び名になったのです。
明・清でまた「○○帝」という呼び方になるのは,「一世一元」のためです。
1つの元号と1人の皇帝が対応するので,元号をそのまま呼び名にする方がわかりやすいのです。
(日本は今も一世一元制ですなあ)
また,廃位・滅亡の場合は後継者に諡号を贈られたり廟を建てられたりしないので,どちらもありません。
三国志で霊帝が立てた皇帝は「少帝」ですが,これは廟号・諡号ともに無いので便宜的にそう呼ばれているのです。
これらの呼び名は全て皇帝死後のもので,生前は「皇帝」「上」としか呼ばれません。
唯一の存在なので,固有名詞で呼ばれる必要がないのです。
95 :
世界@名無史さん:03/04/27 11:19
解説どうも、昔から宗はあったのか…
それとようやく少帝の意味がわかりました。
一世一元は明清代からだったというわけですか。(日本は明治からか)
いろいろ勉強になりました。
上の方で日本にある中国の話をしているけど山陰山陽地方が中国と呼ばれたのは
いつ頃のなのだろうか。
確実に大陸の中国より早いことは確かだが。
97 :
世界@名無史さん:03/04/27 12:10
幻の王朝「夏后」代にはすでに「○宗」と廟号がつけられていたはず。
>>96 吉川弘文館「標準日本史地図」『八世紀の行政区分』によると
機内=大倭、山背、摂津、河内、和泉
近国=(東)参河、美濃まで、(北)若狭まで、(西)淡路、備前、美作、因幡まで
中国=(東)伊豆、甲斐、信濃、越中まで、(西)出雲、備後、讃岐、阿波まで
遠国=上以外
漏れた。
中国=隠岐まで、を追加
「某宗」という称号は殷代からありました。
殷の帝太甲が「太宗」帝太戊が「中宗」帝武丁が「高宗」と称されたことは
いずれも「史記」に見えています。これらが廟号の始まりでしょう。
周代には廟号によって君主を特定することはありませんでしたが、漢の
高帝が「太祖」の廟号を贈られて復活しました。
ただし殷代の研究においては各帝の祭祀に用いられる十干を付した名称
例えば「天乙」とか「河亶甲」といったものを「廟号」と呼んでいますので、
混同を避けるため「宗号」とでも言っといた方が適切かも。なお殷の場合
「某祖」と称された君主は存在しません。
おっとそうだたネー。
教えてくれてありがとう。
ところで天子七廟って「太祖」+昭×3+穆×3だっけ?
多くなったら太祖廟以外はぶち壊してたんだよね。
102 :
世界@名無史さん:03/04/27 18:01
やっぱり太祖が一番偉いのか…
103 :
世界@名無史さん:03/04/27 19:07
漢武帝→「漢世宗孝武皇帝」が正式名称
104 :
bloom:03/04/27 19:18
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
106 :
世界@名無史さん:03/05/22 10:50
質問です
1.契丹や金は、北方に本拠をおきつつ華北の農耕地帯の支配を行うに当たり、
北方民族の部族制を基礎にした制度と中国的完了制度との二重の支配体制
をとったのでしょうか。
2.元の時代は中国はモンゴル帝国のユーラシア規模の交易網に組み込まれ、
様々な民族が入り交わる社会が作られたのでしょうか。
3.女真の首長であったヌルハチは、明末の交易ブームの中で勢力を伸ばし、
八旗などの独自の制度を整備して、後の清朝の基礎を築いたのでしょうか。
分かるかたいたらお願いします。
すみません
完了×
官僚です。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
109 :
世界@名無史さん:03/06/20 10:20
今の中国、台湾であざなを持ってる人を知っていたら教えてください。
匈奴とか鮮卑って中国が他国を貶めるためにつけた呼び名じゃないの?
それを教科書でも採用するのってどうよ?
人から本名を呼ばれると
この上ない屈辱だったそうだが
本名に抵抗が無くなったのはいつからなんだろう?
112 :
世界@名無史さん:03/06/20 19:16
鮮卑拓跋部の末裔であることを自称する中国人っていないの?
俺の先祖達が中心となって唐を作ったんだ、とか言ってるような奴
やっぱ彼らは完全に漢化しちゃったのかな
113 :
世界@名無史さん:03/06/20 20:10
>>110 そう言われてみりゃ、その通り。日本も「倭」で東夷だし、小さな人間、
東の方の夷とは人間と認めていないともとれる。「南蛮」は南の方に住む
野蛮な奴、といった意味か。ま、中国は中華思想にドップリと浸かっている。
だから中国に多額のODA援助をしたところで、東の方の夷の国がわが中華
大国に貢物を献上した、くらいにしか思っていないかも。
114 :
世界@名無史さん:03/06/20 20:34
鮮卑は自業自得だろう
自ら漢化して自分達の言語、習俗を破壊したんだから
「鮮卑」って「朝鮮人みたいに卑しいやつ」という蔑称なのか?
中国の領土の遍歴がよくわからないのですが、どなたか地図で記載されている
HPをご存じの方がいましたら教えてください。
できれば日露戦争前あたりから、ロシア、満州などの関係がわかる方がよいのですか・・
>>112 鮮卑拓跋部の末裔・・・「元」姓はまだいるんじゃないの?
ここは質問スレか?
他の質問スレは答えてる常連は西洋史しか知らないから
中国関係の質問はここでよい。
歴史上中国人の日本語読み(ルビの振り方)の法則というのはないんでしょうか?
人や本によって違うルビが振られていたりしますよね。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄