★鄭成功★明末清初を語りましょう!!★呉三桂★

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1世界@名無史さん
明日から鄭成功を扱った映画『国姓爺合戦』が公開されます!

国姓爺合戦
http://www.kassen.jp/

明末清初の激動の時代を語りましょう!!
2世界@名無史さん:02/11/22 22:11
日中ハーフの国姓爺。活躍期待AGE。
3世界@名無史さん:02/11/22 22:46
やっぱ名将猿世凱でしょう。彼がいなければヌルハチは戦死し、
清は滅亡していた。
4世界@名無史さん:02/11/22 22:49
>>3
袁崇喚です。
袁世凱の先祖かな?
陰謀で失脚、獄死したそうです。
ローマ末期のスティルコと同じ運命。
あほな社長はさっさと見捨てましょうね!!
5【^▽^】刺客兼用心棒ジョーカー:02/11/22 22:55
日漢ハーフ@台湾頑張れ!女真族を討て!
6世界@名無史さん:02/11/22 23:41
江戸幕府が支援していたら鄭軍は勝てただろうか???

南京奪還作戦の時に武田騎馬軍団と織田鉄砲隊が登場してれば、
勝てなくもない気もするが・・・(^^;
7世界@名無史さん:02/11/23 00:13
家光自体は出兵に乗り気だったらしいが、間も無くアポーン。
ソース不明の説まで出していいなら、諸藩に出兵の打診までしていたというのもある。

重臣は全員反対意見だったようだが。
ま、秀吉の大陸出兵で懲りていたんだろ。
やっていたら、江戸幕府の寿命も縮んでいたかもね。
8世界@名無史さん:02/11/23 00:26
信長が生きてたら当時の国際情勢をどう利用したかね。
南蛮諸国を味方につけて、貿易立国を目指したか?
それとも大陸進出を目指したか?
9世界@名無史さん:02/11/23 00:26
徳川の支援くらいで鄭が清に勝てたとは思えない。

こういうことには勢いというものがある。
鄭はしょせん残党。
勢いづいた清に勝てるわけはない。

うまく行ったとしてせいぜいそのまま台湾で政権を維持できた程度だろう。

10世界@名無史さん:02/11/23 00:28
国姓爺合戦!【映画化】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1036278226/
こっちでやれ。
11世界@名無史さん:02/11/23 01:05
信長生きてたら傭兵軍団を輸出して儲けてそうだ。コワイ(--;
12世界@名無史さん:02/11/23 01:10
秦良玉萌え、といきたいところだけど、婆さんになってからも活躍してるからなかなか萌えらんないな。
13世界@名無史さん:02/11/24 05:21
>12
女将軍伝?
14世界@名無史さん:02/11/24 07:02
親父さんの鄭芝龍はスペインからオランダに引き継がれた海上商業ネットワークを奪うため
台湾からオランダを追い出したんだよね
1514:02/11/24 07:03
追い出したのは鄭成功か。
スマソ
16世界@名無史さん:02/11/24 07:21
【国産やかん選】

慶応三年のパリ万国博覧会に出品するため、国内のやかん職人が鋳造技術に
粋をこらして作り上げた一大やかんコレクション群。金象嵌が施された美しい
やかんを前にしてパリの人々は東洋の美に賛嘆の声をあげた。

民明書房刊叢書『万国博覧会の風景』より
17世界@名無史さん:02/11/24 14:52
ていの字が違うのでは????
18世界@名無史さん:02/11/24 15:29
宮崎市定の清初についての記述に
「大義名分からいえば明朝を復興するのが正しいが
その明朝は既に統治能力を失っていた」とかあったな。

明末の士人達はほんと辛かっただろうな・・・。
忠義の心を抱いて亡命朝廷に馳せ参じても
皇帝は暗愚、皇族同士で殺し合い。
傍にいるのは金の亡者ばかり。

清に降伏しようとしても、揚州や嘉定城その他で大虐殺やってる憎むべき敵だ。
おまけに辮髪の強制。
19世界@名無史さん:02/11/24 15:35
押し寄せる清軍を前に
「長江の堤防を決壊させて敵を水攻めにしましょう」との進言を受け
「民を重しと為す。社稷これに次ぐ」と
孟子を引いて、あくまで正攻法で戦おうと決意した史可法。

泣ける。
20世界◎名無史さん:02/11/25 04:53
鄭成功がもうちょっと長生きしてフィリピン遠征とかやってたら
台湾を中心とする中華系海上王国ができていたのだろうか
21世界@名無史さん:02/11/25 05:26
>>20
勢い盛んな清に対して大陸反攻は無理だから
彼らが生き延びる途があったとすればそれだろうね。
22世界@名無史さん:02/11/25 09:12
南宋末を思い出すね。
結局南宋はアボーンされちゃったけど。
23世界@名無史さん:02/11/25 09:56
鄭成功は台湾について語られることが多いが、もっとも華々しい
活躍はそれ以前にあった。第二次の南京攻略戦で、
南京ののどもとまで攻め寄せて、もはや南京陥落は目前となった
時点で一気に攻めず、余裕を見せて無駄に滞陣した。
その間に清軍が鄭軍陣地の弱点を研究して、一挙にくつがえした。
このとき南京を落としていれば全国の反清勢力が蜂起して
清国もあぶなかった。惜しいことだ。
24世界@名無史さん:02/11/25 10:11
楊応竜、高迎祥、李自成、張献忠と言った反乱者は語りませんか?
25世界@名無史さん:02/11/25 12:54
謀反人のことを語るなど・・・汚らわしいです。
26世界@名無史さん:02/11/25 13:30
 明王室の人間で、清王朝に仕えた人がいたら、お教えください。
 また、清王朝時代を通して、北京郊外にある明皇帝陵墓群の管理
と祭祀は、清の第二代皇帝ホンタイジの治世に、長城外で清軍の捕虜
となり漢軍八旗になった明王室の人間の子孫があたっていたという話
を聞いたことがありますが、そんな事実はあるのでしょうか。
27世界@名無史さん:02/11/25 13:35
>>20
カコイイ!
鄭成功って確か日本に馴染みがあるんだよね。
28世界@名無史さん:02/11/25 14:11
鄭成功の実弟で、日本に残留した人の子孫が今日
も存続しています。鄭成功の母は、長崎か平戸の
貿易商田川家の娘ですし。
29世界@名無史さん:02/11/25 16:24
鄭成功の母は清軍にはずかしめられた上で殺された。
それを悲しんだ鄭成功は母を葬る前に腹を割いて内蔵を洗ったという。
30世界@名無史さん:02/11/25 16:28
母親は日本にいたんじゃなかったの。
31世界@名無史さん:02/11/25 16:43
 鄭成功の母親は福州に篭城し、町が陥落した際、
明の唐王に殉じて自害しています。
32世界@名無史さん:02/11/25 16:49
秀吉の朝鮮出兵、李自成の乱がなければ明ももう少しはもったのでしょうか?
現に呉三桂が開城するまで、山海関は門に掲げられている通りに破られなかったのですから。
33世界@名無史さん:02/11/25 17:08
李自成の乱が無かったらもうちょっと粘れたろうね。
けど叛乱が起こった原因が解消されなければ遅かれ早かれまた叛乱が起こりそうだけど。
34世界@名無史さん:02/11/25 21:53
明室末裔として「迎恩侯」という貴族がいた.

宣統帝の英語教師ジョンストンが面会している。
岩波文庫版では当時の迎恩侯の写真と名刺の写しも
掲載されている.一見の価値あり。

保護された皇族と、弘光帝のように殺害された人と
その基準は何だろう?
35世界◎名無史さん:02/11/25 22:06
むしろ呉三桂を語りたい
36世界@名無史さん:02/11/26 00:09
三国時代よりも
明末清初の方が好きな人が、
ここには多いですよね?
熱烈同意なり。
37YP:02/11/26 00:29
今でもモンゴル(内蒙古?)には旗人社会的な名残りが基盤であるそうだが、
漢人の場合の八旗ってのはどうなのですか? あるわきゃない?
38世界◎名無史さん:02/11/26 18:16
ある。
漢人の職業軍人によって編成された部隊を漢軍八旗と呼んだそうな。
39世界@名無史さん:02/11/27 15:32
 尾張藩初代藩主徳川義宣の侍医を務めた亡命明国人の医師
張振甫は、実は明王朝最後の皇帝崇禎帝の皇太子が、偽名を
名乗って日本に亡命し、尾張藩に医師として仕えたものだと
いう話があります。ちなみに、正史の明史では、崇禎帝の皇太子
は、北京陥落後、いったんは李自成の捕虜になったが、やがて李自成
軍が清軍に敗北し北京を追われた混乱の中で、行方不明になったとされて
います。
40世界@名無史さん:02/11/27 15:42
張振甫の子孫も現存していたような・・・・・。
41世界◎名無史さん:02/11/27 17:36
13代目の人が昨年度まで名古屋の中学校で校医やってたらしい。
42世界@名無史さん:02/11/27 18:47
>>9
確か清は彼らのゲリラ活動に手を焼き
台湾での独立政権樹立を何度も懇願してたそうだよ。
台湾討伐は彼らがどうしても言うことを聞かないので仕方やったにすぎない。
43世界@名無史さん:02/11/27 20:36
たしか、孔子サマの子孫も明末に日本に亡命していたよね。

中国側の子孫も、その亡命した人が孔子サマの子孫であると認めたとかなんとか…。
そういや、それをウリにしている人もいたな。(藁
44世界@名無史さん:02/11/27 22:15
順治帝(;´Д`)ハァハァ
45世界@名無史さん:02/11/27 22:27
鄭氏政権の台湾経営の実際は、オランダの台湾経営よりも過酷
なものだったという罠。
46YP:02/11/27 22:39
>>38
ほうほう、それは興味の尽きない話ですな。
ところで・・
>漢軍八旗と呼んだそうな。

これ過去形ではないですか。 それはいつの話なの?


スレの本題に戻って・・

清朝(及び中華) = 読売巨人軍 
台湾 = 中日ドラゴンズ       

これ、俺の持論。
47世界@名無史さん:02/11/27 23:50
NHKの大河ドラマネタとして格好の題材だと思うが、難しいのだろうか?
48世界@名無史さん:02/11/28 00:23
>>45
台湾一省の力で大陸反攻しようとすれば、蜀漢の北伐よりも絶望的。
先住民の高砂族からしたら迷惑な話だろう。

>>47
ただでさえ中台関係が微妙な時期に、台湾ナショナリズムを盛り上げる
テーマは取り上げずらいでしょうね(→独立論に直結するので…)。
49世界@名無史さん:02/11/28 02:10
ところで、46のYP君は院生?学者?
それとも明末清初を専門に卒論書こうとしているのかな?
50世界@名無史さん:02/11/28 19:05
数名、院生クラスが混じっているとみた。
51世界◎名無史さん:02/11/28 21:59
>>46
スマソ。書き方まずかった。特に深い意味ない。1642年。
んで何で中日。
52世界@名無史さん:02/11/29 08:14
>>49
たぶん院生でも学部生でもなんでもないんじゃないの?
ただ単に明末〜清中期に興味があって、概説書の類を読んでる
勉強熱心な歴史好きの人だと思うよ。
他のスレでも彼の書き込みを見たが、いくら学部生でも、ああいう類の
質問はしないだろう、院生はいわずもがな。

53世界◎名無史さん:02/11/30 15:30
永明王って実際どうだったんだろう。
なんか人によって評価が激しく違うんだが。
54世界@名無史さん:02/11/30 15:39
>>52
学部生の大半はレベル低いと思うが・・・
一般の勉強熱心の人の方が、義務で勉強やってる学部生よりマシでしょ。
55世界@名無史さん:02/11/30 15:41
>>35
呉三桂の間抜けな最後は泣けるな
56世界@名無史さん:02/11/30 16:08
呉三桂演義ってものの翻訳を
個人サイトで見たんだけど

永暦帝=永明王の最期は悲惨だな。
囚われた帝を見ようと集まってきた呉三桂の配下が
帝を見て、自分達が明の臣だったことを思いだし
一部は感極まって明朝復興の為起ち上がろうとまで叫ぶ場面がある.
57世界◎名無史さん:02/11/30 17:26
まあ演義だし。
58世界@名無史さん:02/12/02 18:50
呉三桂の裏切りで中国人は、頭剃らされ辮髪オサゲにさせられたッタ。
59世界@名無史さん:02/12/02 18:59
つまり呉三桂はラーメンマンの生みの親と言うわけだ。
60世界@名無史さん:02/12/02 20:27
ワロタ
61世界@名無史さん:02/12/03 08:23
日本に初めてラーメンを伝えたのは鄭成功の使者、朱舜水。

朱舜水は、徳川光圀の手作りうどんをごちそうになったお礼に
手作りラーメンを光圀に振る舞った。これが日本人が食べた
最初のラーメンと言われている。

後に光圀はそのレシピで家臣に手作りラーメンを振る舞った。
62アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/03 08:37
>>61
なんだか落語の「蕎麦の殿様」のような・・・
63世界@名無史さん:02/12/03 08:51
そのわりには水戸ラーメンってあまり聞かないなぁ。
もしかして水戸周辺では有名?
64世界@名無史さん:02/12/03 10:43
>>63 二、三年前水戸に旅行行ったとき、昼飯で入ったラーメン屋に「光圀ラーメン」
とかいう名前のメニューがあったよ。ガイドブックにも載ってたはず。松の実とか
変わった薬味が入ってた。

スレ違いさげ
6564:02/12/03 10:45
ってsage忘れてるわ、水戸逝ってラーメンで首吊ってくる
66世界@名無史さん:02/12/03 15:23
>>58
呉三桂を書いた小説家っていなかった?
67世界@名無史さん:02/12/04 00:03
イノウエユミコか? 陳円円×呉三桂で。
68世界@名無史さん:02/12/04 00:11
呉三桂が清に降った理由が
都にいた愛人を李自成に取られたからって聞いたことがあるが、
本当なんだろうか?
69世界@名無史さん:02/12/04 02:33
>>68 意外とそんなもんだったりしてね
70世界@名無史さん:02/12/04 02:34
>>63
>そのわりには水戸ラーメンってあまり聞かないなぁ。

黄門ラーメンとかラーメン博物館に飾ってあったような

検索してみそ
71世界@名無史さん:02/12/04 13:12
清朝初期の軍人で、李自成の部将から、明に投降して総兵となり、
南京の福王から広昌伯に封じられる。しかしながら、福王に見切り
をつけて清朝に寝返り、福王を捕らえて清朝に引き渡す。その後、
清軍の将として、江西で反清武力闘争を行っていた金声桓、王得仁
ら明の遺臣を殲滅する戦功をたて、左都督になった劉良佐は、最低の
裏切り人間です。
72世界◎名無史さん:02/12/04 23:42
なんか、最初は清に投降じゃなくて李自成を討つ兵を借りようとして
そのまま清に居座られたんで投降したってどっかで聞いた子とあるんだが>呉三桂

んで、陳円円って実在なのか?
73世界@名無史さん:02/12/05 00:27
陳円円は伝説の類でしょうねぇ。
実在したとしても陳円円を奪われたのが理由で山海関を明け渡すという事はないでしょう。
72氏の言ってるのが一番信じられそうな話だと思いますよ。
74確かに:02/12/06 18:28
既に明は体制が腐りきっていて、清のほうがマシだったんでしょ?当時は

>>9
>徳川の支援くらいで鄭が清に勝てたとは思えない。
> 鄭はしょせん残党。
75世界@名無史さん:02/12/06 22:26
>>71 >福王を捕らえて清朝に引き渡す。
捕らえられて清朝に引き渡された「福王」って、その後どーなったの?
いやがってるのを有無をも言わさず、むりやりねじ伏せられて、
強制的に頭剃られて、むりやり辮髪お下げにさせられちゃったの?(ウウ、屈辱。)
それとも、そのまんま首チョンパ!? さあ、さあ、その後の運命や如何に?
76世界@名無史さん:02/12/07 00:00
>>70
そこまでいくと、ラーメンの定義問題だとおもうなー。普通ラーメンって言っ
たら少なくとも、現代日本では鹹水で麺をくねくねさせなきゃならない…。中
国で単純にラーメンといったら、元々は手延べそばの意味らしいし。
77世界@名無史さん:02/12/07 00:01
>>76
手延べそば…じゃなくて、うどんみたいなもんね。スープは問わないけど。
78世界@名無史さん:02/12/07 00:36
福王=弘光帝

北京に連行された後殺害された。
その時の状況は知らないけどね。
史書では散々に言われている人だけど
実態はどうだったんだろう。

呉三桂が捕らえたのは永暦帝ではなかったか?
弓の弦で絞殺したらしい。
79世界@名無史さん:02/12/07 19:51
国姓爺・・・
80世界◎名無史さん:02/12/10 21:59
age.
81世界@名無史さん:02/12/10 22:34
鄭成功が南京奪回に成功していたらの
畏怖論に萌えてみるテスト。
82世界@名無史さん:02/12/10 23:14
鄭成功も言っていることですが、
ダイバダッタ、悪徳破廉恥坊主日顕に正義の鉄槌を!
アメリカで買春もしていた破廉恥漢です。
取り巻きは、脱税を繰り返しています。


83世界@名無史さん:02/12/11 10:11
>81
少なくとも南北朝時代になっただろう。
うまく行けば全国の反弁髪勢力が蜂起し、徳川幕府もいよいよ加勢して
清朝は転覆しただろう。
84世界@名無史さん:02/12/11 12:45
>81
>少なくとも南北朝時代
に萌え。
>全国の反弁髪勢力が蜂起し
なにげに藁田。
巧まざるにユーモラス。
85世界@名無史さん:02/12/11 12:49
ジェフ
86世界@名無史さん:02/12/13 22:13
辮髪(弁髪)って、カッコいいんだか カッコ悪いんだか、ワケわからん。
87世界@名無史さん:02/12/14 06:50
あれで背広を着るのは厳しいだろう。
88(−中−)---*- ラーメンマン:02/12/14 08:46
  §_
/ ̄ \
|  中  |    __________
| - - |  /
|  |  | <  辮髪こそ男の心意気
|ノ ーヽ |   \__________
\_____ノ
89(−中−)---*- ラーメンマン:02/12/14 08:50
     ●●●●
   _■■■_●
 /        \●
|             |●
|     中      |  ●
|  ー   ー  |   ●    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|             |  ▼*▲<  弁髪 >> ちょんまげ
|             |        \__________
|  /ー─\  |
|  §  ―  § |
|             |
 \        /
   \___/

    o0o
    8 _8_
   / ̄ ̄ ̄ ̄\
  /      中   |  
  |            |  
  |   =-   -ー  |  キミも弁髪にしてみないか?
  |     l´ `l   |
  |   'ー┼-┼'  |
  |    |  |  |    ( )
  |    ノ   ヽ /    | |
  /\____/   γ し'⌒)
                 ⊂ )
90世界◎名無史さん:02/12/15 16:16
ドルゴンとか物凄い容姿端麗だったらしいが
辮髪で容姿端麗ってどんなだろう
91世界◎名無史さん:02/12/19 23:57
ageれ
92世界@名無史さん:02/12/20 00:01
辮髪でも美男は美男.
93なるほど:02/12/20 06:47
つまり、>>92さんは辮髪であってもなくても醜男に変わりはないアルね
94イッシューカーン:02/12/23 15:29
>>87
案外、ロシアのルバシカなんかは、辮髪頭と違和感ないと思うのは、オレだけか?
95別スレ・蒙古辮髪の話:02/12/23 15:59
↓これの No.27 ・ 29 ・ 30 ・ 32 見るよろし。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1031997098/l50
96世界@名無史さん:02/12/23 16:06
>>3
今さら言うのもなんだが、
おまいの言いたいことはその文章と違うのでは???
97世界@名無史さん:02/12/23 18:52
留学生の中国人と会話していて、
鄭成功の母親が日本人だと言っても信じてくれなかった。
「それはフィクションでしょ!」だってさ。
98世界@名無史さん:02/12/24 12:07
鄭成功の母の田川氏が日本人であったことは、中国で刊行されている
歴史書や歴史事典にたいていは載っているのに、鄭成功の母が日本人と
いう事実を否定した留学生は、たぶん、最近中国ではやっている反日国粋
主義に感化されているのではないかと思います。
99世界@名無史さん:02/12/30 03:20
 別にいいじゃん、そんなに「日本人」にこだわんなくても。
日本人だろうがそうじゃなかろうが、事蹟には関係ないじゃないの。
 そもそもが、「民族を超えたところにいる英雄」として、
鄭成功は評価されてるんだし、日本人・中国人云々いうのは、無粋ってもんでしょ。
 そもそもが、日本人って何よ?中国人って何よ?。
100世界@名無史さん:02/12/30 03:31
辮髪なんてそんなに奇異なもんじゃないだろ。
江戸時代のチョンマゲだって、同等以上に奇異じゃないか。
ま、アメリカで曲がって日本文化が受容されてるのと一緒だよ。
101世界@名無史さん:02/12/30 09:24
>>99
鄭成功は、日中ハーフだから「民族を超えたところにいる英雄」なのであって、
中国人なら、歴史上いくらでもいる、唯の「亡国の愛国者」の一人に過ぎなくなりますよ。
102世界@名無史さん:02/12/30 22:02
 だから、日本人てことを過度に強調することないってことでしょ。
いちおうアゲ
103世界@名無史さん:02/12/30 22:19
>>98
単純に知らないだけだと思うよ。
あんた日本史の教科書に出てくる人物の母親全員知ってるかい?
104世界@名無史さん:02/12/30 22:20
日中ハーフであるってことは鄭成功を語る上の前提なんだから、
「鄭成功の母親は日本人ではない」何て言われたら、
「いや、本当に日本人なんだよ」と答えるしかないでしょ。
日本人だから活躍できた、とか言っているなら問題あるけど、
単に歴史的事実を確認するだけで、過度に強調しているってことはないでしょ。
10597:02/12/30 22:28
今日、授業でその子に人物辞典(中国の)を見せたら、
「へー、ほんとうなんだ。こんなこと中国人みんな知らないよ!」
って言ってた。
こないだの映画で少しは有名になってくれればいいのだが。
あくまで歴史事実として。
今回の映画、中国語でセリフ聞いたヤツいるか?

「お母様が南安から来ました」ってセリフ言ってるんだぜ、中国語では。

よく聞いてみな

ホントは平戸からやって来たんだがな、長崎の。ところが、中国本土では
決してそのセリフは流せない。

中国では、鄭成功というオランダを台湾から追い出した民族の英雄が日本
生まれの日本人だと困るワケだ。

こんな歴史捏造国家と真正面から向き合えなんてどだい無理な話だぜ
107中国ってホント歴史捏造の国だよ:02/12/31 00:02
>>105

つーことで、この映画が中国で公開されても、鄭成功が日本生まれで日中
混血児だという事実は中国人は誰一人として気付くことはない。

福建省の南安生まれって形になってるからな。ふざけんじゃねーよ、この
歴史捏造国家め。
108世界@名無史さん:02/12/31 00:59
歴史「捏造」国家ではなく、「ご都合」だろうな。
とりあえず、みんな中国人にしとけ、とそういう国家だから、あそこは。
偉大な業績を残せるのは、それは漢民族だから〜ラララ〜。
いよ!中華帝国の文明は世界イチィ〜!。
109そのとおり!:02/12/31 01:04
地名ひとつ、ヒアリングができたからって、上を下への大騒ぎですか日本人?

むろん鄭成功は平戸なんぞいう東夷の地名なぞ関係ないよ
110世界@名無史さん:02/12/31 01:11
 ま、当時の「日本人」は彼を日本人とは見とめてないわけだし。
111世界@名無史さん:02/12/31 11:58
>110
彼の偉業にも関わっていないんだよね?

無駄に騒ぐと同類なり。
112世界@名無史さん:02/12/31 18:25
>>110
> ま、当時の「日本人」は彼を日本人とは見とめてないわけだし。

オマエの脳内情報ではな

近松門左衛門をはじめ、当時はいろんなところで戯曲化されたりして英雄扱い>鄭成功
113気の毒だが:02/12/31 18:59
>当時は
なんて書くなよ(苦笑)フォローのしようがないだろ。

鄭成功が死んだのは1662年4月、
近松の国姓爺合戦初演は53年後の1715年。
114世界@名無史さん:02/12/31 19:02
当時ハーフ(というかダブルか)って
結構いたのかね?
115世界@名無史さん:02/12/31 21:48
 は?「和藤内」の由来を知らんわけじゃないだろうな。
110は正しいゾ?
116世界@名無史さん:02/12/31 22:25
日本人(和)でも中国人(唐/藤)でもない(内)ってね。
117世界@名無史さん:02/12/31 23:12
 場かだね。日本人が戯曲化したから、「日本人」か?
吉川英治が小説にしたから、『三国志』の登場人物はみんな日本人かよ。
116のいうとおり、いかなる認識のもとに戯曲化されたかを理解しないで、
語るのはDQNってもんだ。
118世界@名無史さん:03/01/01 16:40
 幕府だって鄭成功を日本人とはみてないだろ。
むしろ朱舜水とかと同様明の遺民だろ。
119世界@名無史さん:03/01/02 22:30
113は、110がいった「当時」を近松と同時代ととらえたわけか。
それこそフォローのしようがないな。
 118がほぼ正しいと思われ。
120世界@名無史さん:03/01/02 22:37
>>118・119
ジサクジエン楽しいですか?
121世界@名無史さん:03/01/02 22:40
 う、何故わかった?キサマ、ショッカーの手のモノだろう!
ってか120もジサクジエン?
122世界@名無史さん:03/01/02 22:42
120>>121

おれ、さっきからあんたの直後に、リアルタイムでずっとレスつけてるから、
あんたが普段文頭を一字空けするの知ってるの。
123世界@名無史さん:03/01/02 22:43
 あちゃ、ばれたら。
124世界@名無史さん:03/01/02 22:46
素直でいいな、あんた。
125世界@名無史さん:03/01/02 22:49
最初、一文字あけるあたり、原稿用紙の癖だろ?
そうとう、お育ちが良いか、相当年配の方と見たがいかが?
126世界@名無史さん:03/01/02 22:55
 いや、まだ若いつもりなんだが。
そういうもん?一字あけは。
127世界@名無史さん:03/01/03 02:05
長文書くならともかく
たった1行や2行の短文で
わざわざ字下げする人は少ない。
128世界@名無史さん:03/01/03 17:36
個人の詮索なぞどうでもよい。
本題にもどれ。ついでにアゲ。
129世界@名無史さん:03/01/07 01:30
age
130世界@名無史さん:03/01/07 11:18
>>125>>126
分かりやすい自作自演だな(藁
131世界@名無史さん:03/01/07 14:08
あちゃ、ばれたら。
132世界@名無史さん:03/01/07 14:17
句読点が・・・
117からは全部ジサクジエンだろ。
133世界@名無史さん:03/01/10 00:26
あちゃ、ばれたら。
134山崎渉:03/01/11 13:01
(^^)
135世界@名無史さん:03/01/13 19:12
李自成って牛金星以外に知識人を
獲得できなかったのかしら。
136世界@名無史さん:03/01/13 19:24
田川福松
都内近郊でまだ観てない人、一緒に観覧してその後offしませんか?

1/26(日) 国姓爺合戦 9:30/2:05/6:40
「新文芸座」 中国映画名作選
http://www.shin-bungeiza.com/schedule.html#0118
池袋駅東口徒歩3分
東京都豊島区東池袋1-43-5マルハン池袋ビル3F
http://www.shin-bungeiza.com/theater.html

料金
◆ 一般1300円 ◆ 学生1200円
◆ 情報誌(ぴあ、Tokyo Walker、Chou Chou)各100円引き
138世界◎名無史さん:03/01/15 22:41
李巌とか
139世界@名無史さん:03/01/15 23:09
あー、紅娘子関係ですなぁ。
たしか、李自成政権内における李公子の位置〜みたいな論文あったような気が・・
しかし、実在したのかなぁ。
アゲです
140世界@名無史さん:03/01/16 02:30
>>135
劉宗敏。北京の高官(知識人)を李自成からもらい受けた。
陳円円を奪い、呉三桂に山海関を開かせ、ドルコンの入関に貢献したともいわれる。

李巌=李自成自身説。
李公子=李の旦那、であり李自成自身が昔そう呼ばれていた。
また、李自成の名前は他にも多く存在し、
その中に「延」「炎」などの字をあてているものがあり、
これは「巌」と音がほぼ同じらしい。
141世界@名無史さん:03/01/16 03:22
李巌と紅娘子のエピソードは、清代の小説に元ネタが
あるらしいよ。
142世界@名無史さん:03/01/21 19:44
李自成って中国では結構注目されているって聞いたけど。
呉三桂が山海関を開けなければ大順王朝が中国統一した可能性もあるのかな。
李自成の研究本ってどんなのがあるのでしょうか。
143世界@名無史さん:03/01/21 19:47
七殺碑age
144世界@名無史さん:03/01/21 19:58
劉邦のなりそこねが李自成。
145世界@名無史さん:03/01/21 22:55
李自成は、中華人民共和国初期に
人民の代弁者(だったかな?)として英雄にされたのです。
今でも北京から八達嶺へ行く途中のインターに像が立ってるよ。
146七殺碑:03/01/25 03:33
天は万物を生みて以って人を養うに
人は一徳をも以って天に報いる無し
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
147世界@名無史さん:03/01/28 01:28
いや、李自成は皇帝になりたかったけど
劉邦になりたかったわけではないと思うのだが。
148世界@名無史さん:03/01/28 01:39
田川マツですが、うちの子が何か?
149世界◎名無史さん :03/01/28 21:18
>>142
無理だろうて。
北京落とした時点で兵の統率が崩れてたみたいだし、
あの後また群雄割拠にでもなったと予測。
150世界@名無史さん:03/01/28 23:18
唐突なリンクで恐縮ですが、博識な方、どうかコメントお願いします。

黄巾の乱後の中華人口大激減 
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043762877/
151■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/02/07 20:56
宋献策がいるから大丈V!?
152世界@名無史さん:03/02/12 15:58
目指せ大商人!ガマニア、今春からMMORPG第2弾「巨商」をスタート
http://www.rbbtoday.com/news/20030212/10507.html
経済活動中心のMMORPG「巨商」日本でも配信決定
http://www.zdnet.co.jp/gamespot/gsnews/0302/12/news08.html

「巨商」は,16世紀末の日本・朝鮮半島・台湾,および中国大陸の激しく移り
変わる商売の世界を舞台にしたタイトル。プレイヤーは個性的な各地域の男
女のキャラクターの中から1人を選び,各地を渡り歩く。戦闘だけではなく,貿
易や物の売買,投資を繰り返すことによって莫大な富を築き上げ,偉大な商
人「巨商」を目指す。
153世界@名無史さん:03/02/14 21:49
栃木と茨城で明日から映画上映みたいです
154世界@名無史さん:03/02/15 02:27
判官贔屓こそ日本人のビトク。
155世界@名無史さん:03/02/17 23:03
李自成=張良と蕭何と韓信のいない劉邦。
156■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:03/03/04 23:42
樊噲っぽいのはいるんだけどね・・・劉宗敏
157世界@名無史さん:03/03/05 10:59
>3回にわたる明征伐では、朝鮮軍は満州人を驚嘆させるほど明人を虐殺した。
満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。
しかし、朝鮮軍が満州人の軍門に下り清軍に召集されると、今度は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐殺と略奪を行ったのだ。
清の将軍である龍骨大が率いた、明征伐についての朝鮮兵行状の記録には次のようなものがある。
「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝(シナの異称)、朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」
(恒屋盛服著「朝鮮開化史」博文館、明治34年)。

これも忘れちゃいかんよ。しかし事実なのか?
158世界@名無史さん:03/03/11 03:11
>157
清朝が李朝の軍隊を動員したことはなかったのでは?
デマでしょ。
それに龍骨大って誰?どの史料に出てくる人?
『清史稿』では見つけられなかったけど。
159世界@名無史さん:03/03/11 04:17
>>158
検索したらこんなサイトが見つかったけど、どうなんだろう。
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/kt_naha.html
160世界@名無史さん:03/03/11 13:38
問題はこれだよな。
「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝(シナの異称)、朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」
恒屋盛服がどの書物からこの部分を見つけたかだな...
161某研究者:03/03/11 16:56
まあ明を清から救う為に日本が軍を出す計画と言うのも確か有っただろうが
朝鮮が清に攻められた段階で援軍を出す計画は無かったのだろうか
(まあしかし明や朝鮮から正式の援軍要請の様な物は
 有ったのだろうか)
162某研究者:03/03/11 16:58
>「巨商」は,16世紀末の日本・朝鮮半島・台湾,および中国大陸の激しく移り
>変わる商売の世界を舞台にしたタイトル。

まあ何れは地球全体をカバーする事に成るのかも知れぬが
矢張り海軍力が無いと亜細亜は欧州に勝てないだろうか
163某研究者:03/03/11 17:38
>活躍はそれ以前にあった。第二次の南京攻略戦で、
>南京ののどもとまで攻め寄せて、もはや南京陥落は目前となった
>時点で一気に攻めず、余裕を見せて無駄に滞陣した。

まあ日本が援軍を出していれば
これは攻めていた可能性も高いのだろうか
164某研究者:03/03/11 17:41
成功は日本刀を持っていたと言う意見も有るだろうが
映画ではこれは中国向けなので無い訳だろうか(苦笑
(まあ矢張り成功以外の将軍や親衛隊等も日本刀を持っていたのだろうか)
165世界@名無史さん:03/03/12 17:45
>>161
南明からなら都督の某が正式に援軍要請してたぜ。
166bloom:03/03/12 18:04
167世界@名無史さん:03/03/13 01:09
ずーっと気になっているんだけれど、
女将軍伝の良玉の息子夫婦、祥麟・鳳儀って実在?
あまりにも名前が嘘臭い・・・
168山崎渉:03/03/13 12:47
(^^)
169世界@名無史さん:03/03/25 00:07
保守しておくか…
170世界@名無史さん:03/03/31 20:02
田川松は清軍に殺されたの?
171山崎渉:03/04/17 09:52
(^^)
172山崎渉:03/04/20 04:49
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
173世界@名無史さん:03/05/02 16:21
南明保守
174世界@名無史さん:03/05/10 11:54
ここの研究者は本職?
だったら清朝スレをどうにかしてやってくれ。
175偉大なる戚継光:03/05/14 21:15
あげておく
176世界@名無史さん:03/05/15 07:18
>167

芸名でしょ。
177あやめ:03/05/18 19:52
>>167
>祥麟・鳳儀って実在?あまりにも名前が嘘臭い・・・
どういうとこが嘘臭いのかしら?有りがちな名前だと思うけど。
この夫婦はどちらも実在します。特に馬祥麟は「明史」の「土司傳」にも見えてます。
馬祥麟は石柱宣撫使の馬千乘と秦良玉の間に儲けられた子です。生年は明らかでは
ありませんが、父の千乘が獄死した時点では「石柱廰志」や「馬氏家譜」などに拠れば
「襁褓に在り」ということで、「馬氏家譜」は千乘の没年を萬暦四十一年としていて、
萬暦三十年代の末に出生と推定する外ないでしょう。千乘と良玉の結婚は衛聚賢の
著した「明史秦良玉傳補注」には萬暦二十三年とあり、また同書は夫婦の生年につき
千乘が隆慶六年で良玉が萬暦二年としています。すると祥麟は両親とも三十歳代に
入って授かった子ということになります。諸書に見える良玉の子は祥麟のみなので、
何かの事情でなかなか子供が出来なかった(または育たなかった)のか知れません。
しかし真相は「石柱廰志」や「馬氏家譜」の記述が誇張に過ぎるものと解すべきであり、
史料に拠れば晩くとも萬暦三十年代初頭に祥麟は出生しているものと思われます。
178あやめ:03/05/18 19:54
「明神宗實録」の萬暦四十七年十一月の条に兵部左侍郎の楊應聘の覆奏を載せており、
土司の兵を調発したことを述べた中に「石柱宣撫使の兵四千は、應襲(宣撫使継承有
資格者)馬祥麟が秦邦屏と同(とも)に親しく領す」とあって、領兵の能力を身に付け
戦闘を指揮できるのは、よほど若くても十歳台後半と考えるのが妥当でしょうから、
仮に十五歳だったとしても萬暦三十二年に生まれ、父を失ったのが満九歳前後かと
推定すべきでしょう。「實録」の萬暦四十八年四月の条には秦良玉に三品を馬祥麟に
指揮使が加えられたことが記されています。
天啓元年三月ヌルハチ軍の南進を迎撃するため良玉に率いられた石柱の兵は遼東に
赴きました。そして渾河の会戦で良玉の兄の秦邦屏と弟の民屏は力戦しましたが、
敗衂して邦屏は壮烈な陣亡を遂げました。救援のため良玉は祥麟と兼程して馳付け
及ばなかったので楡関を守りました。「石柱廰志」によると祥麟は進撃中に矢が目に
中ったのも物ともせず、引き抜いて更に前往したそうです。「馬氏家譜」には彼をば
軍中の諸人は「趙子龍」とか「小馬超」と呼んだと伝えています。これに対して明廷は
良玉に二品夫人の誥命を与え、祥麟には都指揮使を授けたと「石柱廰志」は記されて
います。   続きは明日
179あやめ:03/05/19 16:58
馬祥麟は天啓元年八月に巡安御史の張銓の女と結婚します。即ち張鳳儀その人です。
明代には張銓が二人います。一人は洪武帝の統一事業に功績があって都督僉事まで
陞った定遠出身で「明史」に専傳が立てられています。そして「明史」では「忠義傳」に
事跡が載せられているのが鳳儀の父なる人です。彼は沁水縣(山西省東南)の出身で
萬暦の進士です。萬暦の末年に遼東は女直の興起により多事となりましたが、彼は
軍國の安危に関して建言するところ多く、当時において先見を称されたと本傳には
語られています。熹宗が即位すると遼東に出按することとなり、「蜀龜鑑」によると
祥麟の年少にして忠勇なる人物を壮として鳳儀を妻あわすことを約します。やがて
渾河の血戦で明師が潰滅するとヌルハチ軍は遼陽城を攻囲し、銓は經略の袁應泰と
分守して拒戦を続けましたが、應泰は事の済らざるを知って自経して死しました。
銓は敵に捕らえられ屈せず一旦は釈放されたのですが、公署に帰ると衣冠を正した
上で帝闕と父母の方を遥拝した後に遂にこれまた自経して最期を遂げました。
180あやめ:03/05/19 17:06
張銓の妻の霍氏についても語るべきことがあります。銓の父の張五典は海内の乱を
予想して郷里の竇莊を堅固な堡塞として修築していました。崇禎四年に流賊が遂に
この沁水の家郷に迫ったときには五典も歿していて、霍氏だけが婚家を守っており
皆が避難を勧めましたが、彼女は「賊を避けて出づれば家は保たれず、出でて賊に
遇へば身は更に保たれず、等しく死せんのみならば、盍(な)んぞ家に死せざらんや」
とこれを謝絶し、僮僕を率いて堅守したので賊は環攻すること四晝夜で去り、この
砦は「夫人城」と呼ばれたそうです。
張銓の子の道濬は父の忠績によって錦衣指揮僉事に任じられていましたが、宦官と
交際があったり納賄の醜聞のため一時は雁門関に戍配されていました。霍氏が独り
郷里を守っていたのも息子が辺地に流されていたためでしょう。流賊の跳梁が更に
激しさを増し、山西巡撫の檄を受けた道濬は家丁を率いて禦賊に奔走する身となり、
崇禎五年に賊が沁水を犯し守備が戦死した際には、道濬は部下を遣わして馳援した
ところ賊は退去しました。その後にも流賊の連合軍が襲ってきた際も内部に反間を
設けて混乱を誘い、奇襲によって賊帥を捕らえるなど功績を挙げたのですが、結局
昔の不評判が祟って行賞に預かれませんでした。そして沁水も賊の陥れるところと
なってしまいました。       次回には張鳳儀本人について書きます
181かおりん祭り:03/05/19 17:14
182世界@名無史さん:03/05/20 09:32

特に張献忠ってのはよくわからんなあ。
体制側も反体制側も、明末にはろくな人材がいないよ。
183山崎渉:03/05/22 00:41
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
184山崎渉:03/05/28 15:24
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
185世界@名無史さん:03/05/29 14:58
最近買った「世界の歴史5 東アジアと中世ヨーロッパ」という本に清までの
中国史も収められているのですが、そこに「満州族(原文ママ)が中国を征服
する過程で、およそ2500万人もの人名が失われたと考えられています。」
とかかれていました。多分古い歴史書の数字をそのまま鵜呑みにして書かれた
のだろうと思いますが、いったい何を根拠としてそれを言ったのだろう・・。
186世界@名無史さん:03/05/29 18:32
>>185
 中国の史書には嘘や誇張が多いから、鵜呑みにしないほうがいい
187世界@名無史さん:03/05/29 22:45
明末の記録だと、例によって人食いはもちろん、石まで食ったとかあったような。
中国戦乱期の人口激減はいつもの事だし。
明末の荒廃の分まで考慮すれば、その位でもおかしくは無いかも?
188世界@名無史さん:03/05/30 00:29
>>185
根拠はないね。ただ、1628年には大飢饉が起きているんで、死者もかなり出たはず。
あと、張献忠によるものと、その後の清との戦いによるものとで、四川の死者が
とんでもない数になったであろうといわれている。
189世界@名無史さん:03/05/30 23:46
李自成が好き
黄巣もすき
190世界@名無史さん:03/05/31 03:25
中国の史書に出てくる数字はちょっとね・・・・
191世界@名無史さん:03/05/31 10:20
>>188
張献忠の乱により四川省はほとんど無人の地になったというな。
現在の四川省の人の大部分は、清初に他省から入植した人の
子孫ということだ。
192動画直リン:03/05/31 10:20
193世界@名無史さん:03/05/31 12:36
史書の数値は大抵十分の一に直して・・・。
194世界◎名無史さん:03/05/31 20:40
>>190
まぁその張献忠の話もデマの可能性があるわけで。
195世界@名無史さん:03/06/02 03:10
うむ。七殺碑にしても有名な「殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ」はあとで
清によって書き加えられたというしね。んで、張献忠ではなく清によって大粛正
くらったのではないかという話もある。

んで、今の四川人の多くは系図を遡っても清初で途切れてしまうというのは
確からしいから (他の省ではそこまで極端なことはない模様) 、四川の人口が
急減したとはいえそう。
196世界@名無史さん:03/06/02 19:20
明史には、ヌルハチ伝やホンタイジ伝はないんですか?
清史はまだ出ないみたいだし、出ても簡体字だろうから読めないなあ。
あっ、台湾で海賊版が出るか。
197世界@名無史さん:03/06/05 13:13
楊応竜いいよね。
198世界@名無史さん:03/07/06 18:28
age
199さる:03/07/06 18:30
☆疲れた貴方を癒します・・・☆(入場無料)
http://yahooo.s2.x-beat.com/linkvp2/linkvp2.html
200世界@名無史さん:03/07/06 18:52
あなたが探してるのってこれだよね?この中にあったよ♪
http://alink3.uic.to/user/angeler.html
201世界@名無史さん:03/07/13 03:35
>196
『清史稿』がでてるでしょ
202山崎 渉:03/07/15 12:46

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
204世界@名無史さん:03/08/07 11:44
age
205世界@名無史さん:03/08/07 12:34
>>195
朝鮮人の仕業らしいよ
206世界@名無史さん:03/09/26 20:56
age
207世界@名無史さん
>>196
満洲語やれよ。