1 :
世界@名無史さん:02/10/31 13:32
何でも語って下さい。
近況についてのレスが
漏れ的には一番有用ですが、
とりあえず現在の中国でも有名で
存命されている方も色々いらっしゃいますしね。
溥儀の末弟、溥任さんとか。
2 :
世界@名無史さん:02/10/31 13:47
3 :
世界@名無史さん:02/10/31 14:14
愛新覚羅ってヨーロッパみたいに、色々な国の王家と姻戚関係にあるの?
モンゴルとか朝鮮の李氏とか
確か日本はどっかの華族が関係してたと思うけど。
4 :
世界@名無史さん:02/10/31 15:03
溥儀の弟の嫁は日本人だよ
5 :
世界@名無史さん:02/10/31 18:01
>4
どうせならもうちょっと詳しく書いて
〜家の〜とか
6 :
世界@名無史さん:02/10/31 18:46
7 :
世界@名無史さん:02/11/04 15:52
8 :
世界@名無史さん:02/11/04 22:58
10 :
世界@名無史さん:02/11/05 00:18
前に愛親覚羅の一族を乗せて運転したことあるけど
かなり緊張しました
11 :
世界@名無史さん:02/11/05 01:29
>10
それはすごい。
差し支えなければ、そのときのこともっと教えてください。
12 :
世界@名無史さん:02/11/05 01:48
>>11 川島芳子の妹様(「清朝の皇女に生まれて」の著者)を
野暮用で乗せたことあるけど事故ったら新聞に出るだろなあ
とかそんなことずっと考えてました
>>10 マジデツカ? すげーーーーっ!!×100
いやぁ・・・ あやかりたいものです。
14 :
世界@名無史さん:02/11/05 02:07
>>13 でも乗せたのは電柱にぶつけてフロントへこみっぱなし
埃まみれ雑誌新聞散らかり放題のマイカーですw
世が世なら投獄されるよなあなどとも思いました
15 :
世界@名無史さん:02/11/05 02:11
なんとスレの趣旨にぴったりの人が出てきたもんだ。
もっと語ってください。
16 :
世界@名無史さん:02/11/05 02:13
>>14 マイカーってなによ!!!
なおさらスゲーーーっじゃないよ!!
俺はタクシー待ちしている、モっくんをバイクで跳ねそうになった経験があるくらいだ。
俺は一生に一度でいいから、おちゃらけではなく愛親覚羅の末裔に
三跪九叩頭をしてみたい。
まあ、あんまり尋ねると身元がバレますしね。
しかし、これだけでも体温あがりましたよ。
良い事聞いたな。
どうもありがとうございます。
20 :
世界@名無史さん:02/11/05 02:47
レス遅れて申し訳ございません
「清朝の王女に生まれて」でしたかね著書の題は。
80歳半ばを過ぎた現在もなおお元気な方でした
21 :
世界@名無史さん:02/11/05 03:03
>20
わざわざありがとうございます。
23 :
世界@名無史さん:02/11/11 15:55
あげ
24 :
世界@名無史さん:02/11/11 20:18
127 名前:哲也 投稿日:2002/10/21(月) 19:09
清王朝の末裔が確か日本にいた。
アイシンハクラエイシンとか言ってたきがした。
溥儀の姪にあたるって聞いたことがあるけど
129 名前:世界@名無史さん 投稿日:2002/10/21(月) 19:28
>>127 溥傑の娘じゃなくて?
132 名前:世界@名無史さん 投稿日:2002/10/21(月) 20:07
溥傑の娘さんは福永コ(袴みたいな字)生さんですよ。
144 名前:哲也 投稿日:2002/10/24(木) 15:04
129番さん
そうです。ただ溥傑は溥儀の実の弟にあたるので彼女は溥儀の姪にあたります。
25 :
世界@名無史さん:02/11/11 20:25
漢風の姓は金
26 :
世界@名無史さん:02/11/11 20:38
>25
使い分けている、ってこと?
溥儀の甥が故宮の土産物屋さんで書を売ってるよ
溥儀のも一人の弟(異母弟)はまだ健在だったね。
このスレを読んで、
例のラストエンペラー公開時に発売された溥儀物の文庫本を引っ張り出してきた。
西太后の写真からその当時の弟の写真まであった。
29 :
世界@名無史さん:02/11/13 00:01
この前北京の故宮博物館行ったんだけど。あそこの一角に溥傑の直系の孫?だかが
(名前失念)書家として住んでるんだよね。故宮の中の小さなギャラリーみたいな
ところにいつもいて、そこ行くと自分の書いた書と日本語のできる取り巻き
みたいなのに囲まれて座ってる。で、近づくとその取り巻きみたいなのが、
流暢な日本語で「この人に名前書いてもらうといいよ、一文字一万円ね」って
話し掛けてくるんだよ。金持ってないって言うとクレジットでも、とかって。
その人はその間ずっと座ったまんまで、写真とか撮られる時も慣れたように
カメラに目線向けて観光客と一緒に映る。全然喋らない。感じが悪いとかじゃ
ないんだけど、本当に人形みたいだった。
書家としては名誉あるらしいけど、毎日ずっとあんなことしてるのかと思ったら
なんか本当に切なくなった。言葉は悪いけど、ラストエンペラーの末裔も
ああいう傀儡のような生き方しかできないのかな、と。本当に外の世界を
ほとんど知らないんだと思う。うまい言い方できなくてスマソ。
30 :
世界@名無史さん:02/11/13 16:30
溥傑さんは戦後、日中友好団体に所属していた。俺のバイトしていた
日本語学校の寮(在日本)はその縁で溥傑さんが宿泊したことがある。
当時を回想して職員が「『愛新覚羅溥傑様。愛新覚羅溥傑様。お電話を
承っております。受付までおいでください』って館内放送したらパニックに
なるだろうと思って止めた」と話していた。
31 :
世界@名無史さん:02/11/19 00:45
で、愛新覚羅の当主(世が世なら皇帝)というひとは
今どこにいて何をしてるんですか?
日本に愛新覚羅の男系男子はいるんですか?
>>31 当主みたいな存在は、普通の家庭の相続権みたく、きっと
何かしらあるんだろうね。
乾清宮玉座の上の額の裏で無くも、なんらかの集まりで
決めたりして。
33 :
世界@名無史さん:02/11/19 01:16
日本も早く子孫を傀儡に立てて中国全土を掌握し、
清帝国を復活させた上でせんじょうさせ、
プリンセス・サーヤ女皇国を誕生させよう。
34 :
世界@名無史さん:02/11/19 01:45
当人たちは
天禄永終=天命は永遠に去った
と納得しているだろうよ。
35 :
世界@名無史さん:02/11/19 01:48
それと一族は
共産党の政策ではあるが
共和国市民として普通の生活は
保証されている筈.もう「籠の中の鳥」ではないだろう。
封建社会の頂点にいた人々が
社会に順応して暮している
ってのは共産党にとって最高の宣伝材料だしね。
旧王朝一家の扱いの一点に限ってはボリシェヴィキより上だったな。
ざっと計算したけど、金が滅んで後金が出来るまで382年。
復興の先は長いな・・
ヌルハチ登場まで、その間の女真の生活って現代よりてんでん
バラバラだったんじゃないの?
傀儡とかじゃなく、その間、十分に体力養っておいて欲しいも
のだ。
俺は辧髪強制されたいのよ。ヤホーイだよ。
37 :
世界@名無史さん:02/11/19 20:51
>>35 日本軍国主義者に騙されて
傀儡国家の元首になった男が
暗殺の恐怖と欲求不満とで苛れたまま無為な生活を送り、
あんなに恐れていた共産党が彼の迷える魂を救った。
なのだそうです。
日本人は筋書き上、欠かせぬ悪役を
割り当てられています。
正直、つらいポ。
38 :
世界@名無史さん:02/11/19 23:04
弟の溥傑に6〜8年前頃に書いて貰った書がある。その2年後くらいに亡くなったが。
李洗鉄?{字を忘れた)将軍か元帥がいたよね。彼の書もある。
他に名前は出せない人の書もある。
別件ですが、
馬賊の伊達は酔うと余興で奥さんの頭上に林檎を乗せて、
後ろ向きで鏡を見ながら拳銃を撃ったそうです。
百発百中ですが、父は見ていて怖かったそうです。
39 :
世界@名無史さん:02/11/19 23:11
>38
誤字
× 拳銃を
○ 拳銃で
1907〜48 満州事変から日本の敗戦時まで暗躍した女性スパイ。中国名は
愛新覚羅顕◇(あいしんかくらけんし:◇は王偏に子)、別名は金璧輝。村松
梢風の小説「男装の麗人」(1933)のモデルとなり、「東洋のマタ・ハリ」などと
よばれた。
清朝末期の王族である粛親王善耆(しゅくしんのうぜんき)の第14王女として
北京に生まれる。辛亥革命によって清朝が滅亡後、一家とともに旅順にのが
れ、1913年(大正2)粛親王と親交のあった満蒙(中国東北部と内モンゴル)独
立運動の提唱者、川島浪速(なにわ)の養女となった。
豊島師範付属小学校、跡見高女をへて長野県の松本高女でまなび、大正末
期に断髪して男装をするようになった。27年(昭和2)満蒙独立をめざすモンゴ
ル将軍パプチャップを父にもつカンジュルジャップと結婚したが、3年ほどで離
婚した。
1930年、上海公使館付武官補佐官として赴任した陸軍少佐、田中隆吉と上海
で接触し、田中の諜報(ちょうほう)部員、男装の「女間諜X14号」として活動した。
満州事変がおこると、田中の命令で関東軍参謀の板垣征四郎の指揮下に入
り、元宣統帝溥儀の妃を天津から脱出させ、「満州国」建国に際して女官長と
なった。また32年の第1次上海事変に関与したほか、33年には「熱河安国軍総
司令官金璧輝」として熱河作戦(ねっかさくせん)にかかわった。日本の敗戦後
の45年11月、国民政府軍により北平(北京)で漢奸(かんかん:裏切者の意)とし
て逮捕、48年に処刑された。著書に「動乱の蔭に?私の半生記」(1940)がある。
41 :
世界@名無史さん:02/12/03 11:59
あげ
42 :
光緒帝 1871〜1908:02/12/05 12:28
清朝の第11代皇帝。在位1875〜1908年。「こうしょてい」ともよむ。
姓は愛新覚羅、名は載◇:◇はさんずいに人偏に舌(さいてん)、廟号は徳宗、諡(おくりな)は景皇帝。
父は道光帝の第7子醇親王奕◇:◇は説明できない(えきかん)。第10代同治帝の死後、その母で載◇には伯母に
あたる西太后の後ろ盾によってわずか4歳で即位した。
そのため、実際の権力は西太后ににぎられ、1887年に皇帝親政にうつっても事態はかわらなかった。
光緒帝在位中の約30年間は、清仏戦争、日清戦争など帝国主義列強との戦争が相つぎ、国内的にも孫文らの反
清運動が高まりをみせるなど社会不安が増大する多難な時代だった。
これらの危機打開のために革新的官僚の康有為・梁啓超らを登用した光緒帝は、日本の明治維新にならい立憲君
主制を実現するため、1898年に戊戌(ぼじゅつ)の変法にのりだした。
しかし西太后ら保守派のクーデタ(戊戌の政変)によって改革は失敗、康有為らは海外に亡命し、光緒帝は幽閉された。
以後、政治の実権は西太后のもとにおかれたが、清朝は1900〜01年の義和団事件に端を発した列強との戦いにやぶ
れ、光緒帝は失意のうちに病死した。
43 :
世界@名無史さん:02/12/08 13:22
>>25 愛新:Aisin=「金」(GOLD)
覚羅:Gyoro=身分を表す接尾語?と考えられている
だから
愛新覚羅=金
44 :
世界@名無史さん:
>>33 茶髪高校生 承子女王の「女王様とお呼び!」で
萌えだよ。