世界史上の人物をコーエー数値化するスレ!

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1ヘラクレイオス
http://salad.2ch.net/warhis/kako/1005/10056/1005659817.html
このスレみたいな感じでよろしく。
2世界@名無史さん:02/10/18 20:19


戦闘…0
政治…3
智謀…2
魅力…0
     (能力値最高100)
3世界@名無史さん:02/10/18 20:30
カエサル

戦闘
4世界@名無史さん:02/10/18 20:33
ハンニバル

戦闘…100
政治…56
智謀…96
魅力…90
5世界@名無史さん:02/10/18 20:35
田中真紀子

戦闘…0
政治…0
智謀…0
魅力…90
6世界@名無史さん:02/10/18 20:35
>>3
>>4

>>2に対する無反応…短時間の間のレス…そして時代の近さ。
これらのことから判断するに、>>3>>4>>1の自作自演。
7ヘラクレイオス:02/10/18 20:40
>>2
ありがとう

ヘラクレイオス
武力90
統率89
政治84
智謀88
魅力85

ビザンツ帝国皇帝。通称悲劇の英雄。 将校として父に従いクーデターを起こす。
カルタゴからコンスタンティノポリスに上り皇帝に即位。
その後、ササン朝に小アジア、エジプト、シリアを奪われ
尻尾を巻いてカルタゴへ逃げ帰ろうとしたが
財宝を積んだ船が沈没して神の啓示だと一念発起。 ペルシアに逆襲する意志を固める。
奪われた属州を取り返すのではなく、敵国の首都クテシフォンを
落とすという奇策を考案。 そしてユスティニアヌス帝依頼の大遠征の軍を起こす。
ペルシアの帝都コンスタンティノポリスに軍隊を派遣したが
留守を任せた大司教ゼルギオスの指導の元、帝都は死守される。
ヘラクレイオスはペルシアの領内に深く進撃し、とうとうクテシフォンに迫り
講和条約を結ばせる。これで敵が占領していた属州はすべて返還され、
ヘラクレイオスは稀代の英雄として帝都に凱旋した。
ところが息つく間もないうちにムハンマドの後を継いだアラブ軍に急襲される。
ヘラクレイオスは最後の力をふりしぼって応戦するが、
ペルシャとの死闘を終えたばかりの帝国にもはや余力はなかった。
奪い返した属州もあえなく占領される。
だがヘラクレイオスのしたことは無駄ではなかった。
ヘラクレイオスの創始したテマ制がのちのビザンツ帝国全盛期の原動力となるのだ。

8世界@名無史さん:02/10/18 20:41
>>7

誤魔化しのための長文カコワルイ(ププ
9世界@名無史さん:02/10/18 20:41
>>6
ハズレ。
>>4=>>5>>1です。
10ヘラクレイオス:02/10/18 20:43
>>6
長々と文章書くのに長びいてたんダヨコラ
11世界@名無史さん:02/10/18 20:44
>>9
あの…あなたのいくつかの発言見てると、
>>6での仮説の確信が
マスマス深まっていくのですが。
12ヘラクレイオス:02/10/18 20:44
>>8
楯突いてる暇があったら君も考えてください
13ヘラクレイオス:02/10/18 20:44
少なくともここには今3人いるな。
14ヘラクレイオス:02/10/18 20:48
とりあえずこんな調子でね。
文章はこんなに長くなくていいけど。
15ヘラクレイオス:02/10/18 20:48
どうかおながいします。
16世界@名無史さん:02/10/18 20:49
>>11は、>>1の自作自演かw
17ヘラクレイオス:02/10/18 20:50
全部俺ってことでいいから
本題に入るのきぼんぬ。
18ヘラクレイオス:02/10/18 20:51
このままじゃヘラクレイオスがパルウィーズ(勝利者)
になっちまうぞ。
19ヘラクレイオス:02/10/18 20:52
あ、そろそろ落ちなきゃ。
20世界@名無史さん:02/10/18 20:53
ここまで荒らされても暴れない1に男気を感じた。

メフメト二世
政治…87
戦闘…91
智謀…85
魅力…78
21世界@名無史さん:02/10/18 20:53
>>17
そうですね。
4=5=9=16です。
しばらくしたら、また来ます。
22ヘラクレイオス:02/10/18 20:55
>>20
いいとこつくね!正直ヘラクレイオスにしようかメフメット二世にしようか
迷ったんだ。
23ヘラクレイオス:02/10/18 20:56
>>21
俺のいないうちにどんどん英雄達を評価しちゃってよ!
24 :02/10/18 20:58
>>18
そのレスに座布団一枚あげたいとちょっとだけ思ってしまった漏れ・・・
25世界@名無史さん:02/10/18 20:59
2=6=11=19っぽいですね。
>>1さん、トリップ使った方が良いのでは。
26世界@名無史さん:02/10/18 21:00
カール五世

政治…78
戦闘…81
智謀…76
魅力…72
27世界@名無史さん:02/10/18 21:02
スレイマン一世

政治…94
戦闘…96
智謀…92
魅力…84
2826=27:02/10/18 21:02
しまった。カール五世に比べてスレイマン一世を強くしすぎた。
29世界@名無史さん:02/10/18 21:33
オクタヴィアヌス

政治…85
戦闘…60
智謀…90
魅力…40
30世界@名無史さん:02/10/18 21:59
信長

政治…100
戦闘…100
智謀…100
魅力…99
31世界@名無史さん:02/10/18 22:04
ペリクレス
【政治】98
【戦闘】75
【智謀】87
【魅力】88
32世界@名無史さん:02/10/18 22:10
イエス・キリスト

【政治】35
【戦闘】10
【智謀】78
【魅力】92
33世界@名無史さん:02/10/18 22:12
ツェーザレ・ボルジア

【政治】78
【戦闘】92
【智謀】94
【魅力】88
34世界@名無史さん:02/10/18 22:17
小ブッシュ

【政治】13
【戦闘】99.99
【智謀】20
【魅力】5
35世界@名無史さん:02/10/18 22:20
小ブッシュ

【政治】13
【勇気】99.99
【戦闘】0.01
【智謀】20
【魅力】5
36世界@名無史さん:02/10/18 22:34
金正日

【政治】10
【勇気】瀬戸際
【無能】100
【智謀】45
【魅力】10の-10乗
37世界@名無史さん:02/10/18 22:40
フリードリヒ2世

【政治】46
【勇気】83
【戦闘】88
【智謀】78
【ホモ】100
38世界@名無史さん:02/10/18 22:40
sarashiage
39前スレより:02/10/19 00:21
陸一心

統率:72(理屈にかなった指揮と、勤勉な態度)
武力:69(囚人暮らしで筋力バツグン)
知力:96(秀才のうえ努力家)
政治:62(そこそこ)
魅力:87(賢人や優れた人間に好かれる傾向あり)
特技 日本語
40世界@名無史さん:02/10/19 00:51
age
41ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/19 13:27
ベリサリウス
武力90(ほぼ負け無し、たぶん)
統率93(兵を自らの手足のごとく使った)
政治80(占領地ではそこそこ善く治めた)
智謀70(もう少しユスティニアヌスに対して意志を示すべきだったと思うが・・・)
魅力96(ユスティニアヌスに良いようにされても文句ひとつも言わずに黙々と仕事をした所はまさに職人肌のプロであろう
    ユスティニアヌスの影のような悲劇的な人生、特に晩年が感傷を誘う「英雄」という人物はまさにこういう人物のことを指すのかも) 

ビザンツ帝国の名将。時の皇帝ユスティニアヌス帝に抜擢され23歳で将軍に。
古代世界最後の民衆の大反乱といわれる「ニカの乱」の鎮圧を命じられ、競馬場に立てこもって
いた民衆三万人を虐殺することで鎮圧に成功。
これでわずかながら残存していた古代ローマの民主的な気風は完全に滅び去ったといえる。
次いで帝の西方領域回復のため、当方の国境を安定させるためにペルシア軍と交戦、
見事講和条約を結ばせる。
そしていよいよ帝の野望実行のため司令官をして遠征、無敵ぶりを発揮し西方領土の多くを回復する大功を立てる。
しかしあまりの有能ぶりに帝に嫉妬され司令官の任を解かれる。
その後は都合のいいときだけ呼び戻され、任務を終えればまた任を解かれる、
という理不尽な扱いを受けたが、彼は何も言わず黙々と命令に従った。
70代でひっそりと生涯を終える。

42世界@名無史さん:02/10/19 13:37
アドルフ・ヒットラー
【統率】85
【武力】52
【知力】85
【政治】98
【魅力】90
43世界@名無史さん:02/10/19 15:34
ヴィルヘルム2世(ドイツ帝国)
【統率】61;WW1時の同盟国のボス
【武力】50;
【知力】34;黄禍論とか口に出しちゃうあたり頭悪そう
【政治】18;ビスマルク解任、列強から反感買いまくりの3B政策、そしてWW1。亡国の責任者
【魅力】71;意外と人気はあった(特に軍人)
44世界@名無史さん:02/10/19 15:39
数値の項目が何種類もあるぞゴルァ!
45山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/19 16:20
申 叔舟(李氏朝鮮・1417〜1475)
【用兵】75
【武力】70
【知力】90
【政治】80
【魅力】65
<列伝>
李氏朝鮮の大学者。ハングル制定にも寄与した人物で、日本や明に使節
として遣わされる一方、女真族討伐や内乱鎮圧で功績を挙げた。
自らの経験を生かした「海東諸国紀」は当時の日本と琉球を知る貴重な
資料である。国王への遺言は「願わくは国家、日本と和を失うなかれ。」
46世界@名無史さん:02/10/19 18:21
フランシスコ・フランコ(スペイン・1892−1975)
【統率】91(スペイン内戦を勝利に導く)
【武力】70(軍人)
【知力】79(これといったエピソードもないが、その統治の巧みさから)
【政治】97(「最後のファシズム国家」を平和のうちに全うさせる。ヒトラーを切歯扼腕させる交渉力)
【魅力】68(共和主義者、バスク人にとっては不倶戴天の敵だが、今もその墓に花を手向ける人は後を絶たない)

47  :02/10/19 18:22
 くだらね
48世界@名無史さん:02/10/19 18:46
アンチコーエー発見
49ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/19 18:49
気が向いた人はその人物の簡単な説明も頼む
50ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/19 18:52
>>45
知らないヤシだ。説明ありがたい
>>46
フランコてこんなにすごかったの!?
まあ第二次大戦中の対応は非常に巧妙だね。よく考えると
51ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/19 18:54
それから数値とかに疑問を感じたら遠慮なく言ってくれ。
議論をした上で最終的なパラメータを決定するのがベストだと思うので。
52世界@名無史さん:02/10/19 19:01
>>46
>今もその墓に花を手向ける人は後を絶たない
マジですか?
5346:02/10/19 19:35
一般に権力を奪取したファシスト・共産主義者は
最終的に国民を大災禍に巻き込むことが多いけど
フランコは「革命家」と「統治者」を両立した稀有な例なので
高評価にしてみました

>>52
ブルジョア・軍部・教会からすれば、フランコは
今でも反共の英雄なのかも

54世界@名無史さん:02/10/19 19:42
アレイスター・クロウリー (魔術師・登山家・作家)

【統率】15 勝手気まますぎ
【武力】∞ なんせ「現近代最大の魔術師」
【知力】60 その文章は難解、ただし推敲すらしてない感じ
【政治】25 悪魔教会を設立するも、イメージ先行
【魅力】99 シンパ&信者多数

つうか、この人の場合は【HP】や【MP】の方がしっくりくるなぁ(w
55ガリエヌス:02/10/19 22:03
誰か、私を数値化してくれ!!
56山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/19 22:07
ノストラダムス(フランス・1503〜1566)
【用兵】50
【武力】45
【知力】76
【政治】70
【魅力】77
<列伝>
医師で占い師。お菓子作りの得意な男であったという。優れた医師であり当時
流行していたペストにも「鼠が原因である」と言って立ち向かうが、肝心の妻
子をペストで失い更に妻の実家からは持参金を返すように言われ失意を抱えて
放浪の旅に出た。その際に未来のローマ法王を当てた等の伝説を残す。
水晶玉占いと占星術を行いフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスとも三度
謁見したという。が、実は彼の占いは外れる事が多かった。
にも関わらず「恐怖の的中率」という事にされた彼の「予言書」は後世人々に
知られ、現在でも一部で未だに支持されている。
57ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/20 00:41
ベリサリウスのところの訂正、氏んだのは60歳でした。
あと抜擢されたのは24歳の時。
58世界@名無史さん:02/10/20 01:17
>>53
確かに反共としては英雄かもしれませんな。
レスありがとうございました。
59世界@名無史さん:02/10/20 04:57
金正男(金氏朝鮮・?〜)
【用兵】11
【武力】17
【智謀】67(日本政府の目を逃れTDL入りしたのは驚嘆に値する)
【政治】25
【魅力】32
<列伝>
金氏朝鮮の「偉大なる将軍様」と謳われる金正日の息子であったという。
家族で東京ディズニーランド訪問という気さくな一面を持っていたというが
その事件以外ではほとんど歴史の表舞台へと現れる事はなかった。愚鈍を
画に描いたようなその風貌は我々日本人にとって失笑を誘うに十分値したと
後世の史家は伝える。
60世界@名無史さん:02/10/20 05:25
ユリウス・カエサル
【用兵】96
【知力】100
【政治】95
【魅力】99

オクタヴィアヌス
【用兵】35
【知力】92
【政治】100
【魅力】80

こういうの結構好きではありますが、やっぱ単一軸上だと何というかどうしても
不満が出てきますね。カエサルの政治的駆け引きは100に値すると思うほど凄味が
あるのですが、その華やかさのせいで自分の足元を救われ、殺された。
カエサルとオクタの政治能力は95と100としましたが二人の政治能力の方向性は全く別な
わけだし、時代に負けた、勝ったというのがどうしても能力に反映してしまいますね。
61世界@名無史さん:02/10/20 07:21
>>7

そのヘラクレイオスの紹介文、昔俺が書いたのと少し似てるな(笑
62世界@名無史さん:02/10/20 13:42
ナポレオン3世
【武力】32
【知力】40
【政治】62
【七光】97
【友好キャラ】 徳川慶喜
       
叔父さんの人気のおかげで選挙に当選、後クーデターを起こし帝位につく
  その後、外征によって人気を保とうとするもメキシコ遠征で失敗。
 はては普仏戦争中セダンで降伏。あれ?なんか小ブッシュに似てない? 
63ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/20 13:49
>>61
他スレで見た評価を元にして書いたので
おそらくあなたのであろう(w
64世界@名無史さん:02/10/20 14:41
ビル=クリントン(もう歴史上の人物だよね)
【統率】75
【武力】20
【知力】85
【政治】90
【魅力】35
【オルド】100

苦手分野の戦争をよく避け、疲弊し尽した経済を立て直した賢者
大ブッシュ・小ブッシュと比較すると優秀さが際立つ
下半身の問題を除けば、アメリカ史上優秀な大統領の一人とて上げられる
65世界@名無史さん:02/10/20 14:46
自民党 亀井静香
【用兵】1
【武力】64
【知力】52
【政治】71
【魅力】44
66世界@名無史さん:02/10/20 14:46
現代人の数値が高すぎるような。
クリントンなんて後世ではマイナーもいいところの人物になると思うが。
67世界@名無史さん:02/10/20 14:55
ルイ・ニコラ・ダヴー
【統率】90 ナポレオンが軍を任せられた数少ない将軍。
【武力】79 常に最前線で指揮をした。
【知力】85 相当に博識であると思われる。
【政治】63 頑固すぎて政治家には向かないが、事務能力には長けていた。
【魅力】47 規律が厳しすぎて兵に人気が無く、友達もほとんどいなかった。(*)

フランスナポレオン帝国を支えた将軍の1人。鉄の元帥の異名を持つ。
イエナ・アウレルシュタット会戦では3倍の敵を破り、アウエルシュタット公爵の称号を得る。
ロシア遠征後の諸国民戦争においては、主戦場から離れたハンブルグで孤立する。同盟軍に包囲され、市内でチフスが蔓延し、ナポレオン1世が退位してもなお降伏しなかった。結局、新王ルイ18世の正式な降伏指令書が届くまで1年以上も同市を守り続けた。
熱心なボナパリスとである彼はルイ18世に忠誠を誓わなかったただ1人の元帥であり、パリから追放される。
百日天下においては戦争大臣・パリ防衛司令に任命され、ワーテルロー会戦には参加していない。
ナポレオン二度目の退位後、パリに殺到するブリャッヒャーの放った騎兵隊を完膚なきまでに叩きのめし、交渉段階においてはフランス代表として有利な条件で休戦するように努めた。
パリを譲り渡した後も、同盟軍に降伏するのを良しとせず、残った軍を率いて南へ移動し、7月14日の革命記念日を選んでブルボン王家へ投降した。
彼は生涯一度も戦闘に敗北したことが無いという偉業を成し遂げた。

(*)【魅力】の項に関しては、その業績から今現在は限りなく100に近い。
68世界@名無史さん:02/10/20 20:54
コーエーには、チンギス・ハーン番外編(歴史偉人編)でも出して欲しい。
北条政子とムフフなカエサル、義経とハンニバルがユーラシアで激突、とか面白いと思うのだが。
69世界@名無史さん:02/10/20 21:02
>>64
クリントンの就任早々から好景気だったので、景気回復は親ブッシュの手柄。

まあ政治屋としては一流だったけど、北朝鮮とインチキ合意してくれたので
今ごろになってそのツケが‥(泣
70世界@名無史さん:02/10/20 21:05
>>64
オマエ、オルドって何のことか知らないだろ(w
71世界@名無史さん:02/10/20 21:09
>>69
次も、子ブッシュが、がんばって種を蒔いて、収穫するのは
ヒラリー・クリントンだったりして。
72世界@名無史さん:02/10/20 21:13
マハトマ・ガンジー
【用兵】0
【武力】3
【知力】∞
【政治】14
【魅力】∞
73世界@名無史さん:02/10/20 21:26
>>46
たしかにフランコは、ファシズムが「歴史」になった暁には
高い評価を受ける人だろうね。
74世界@名無史さん:02/10/20 21:35
 俺
【用兵】0
【武力】11
【知力】68
【政治】23
【魅力】18
【身長】165
【体重】51
【ガンダム】92
【ひきこもり】100
75世界@名無史さん:02/10/20 21:39
>>74
犯罪に走るな。
親、兄弟に迷惑かけるなよ。
76世界@名無史さん:02/10/20 22:17
>>75
あのーすいません、もう充分迷惑をかけております。
77山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/20 22:27
ムクワワ(東アフリカ・?〜1898)
【用兵】85
【武力】80
【知力】70
【政治】65
【魅力】75
『特殊能力』・・・待ち伏せ(3ターン姿を消し、その間に移動して攻撃出来る。)
<列伝>
独領東アフリカ(現タンザニア)の南西部のへへ族の族長。一度はドイツ軍を
待ち伏せて攻撃して壊滅させ、カレンガ村を12キロの防壁で囲んで徹底抗戦
の意志を貫いた。カレンガ陥落後も4年間に渡りゲリラ戦を行ったが、追い詰
められて自害。
78世界@名無史さん:02/10/21 02:56
プブリウス・コルネリウス・スキピオ(前236〜前183)
【用兵】 92
【知力】 88
【政治】 90
【魅力】 84

<列伝>
ハンニバル・バルカに対抗したローマの将軍。17歳の時、執政官である父親に従い戦いに加わるが
父親は敗死。その後カンネの戦いにも参加するが辛くも生き残る。24歳の時に資格年齢30以上の
前法務官になり、異例の若さで指揮権を得る。そしてバルカ一門の本拠地スペインを攻め制圧。
イリパでは48000で74000のカルタゴ軍に完勝。戦果では逆カンネを達成。
スペイン制圧時、現地住民が使っていたグラディウスをローマ軍の一般装備に取り込む。
前205にわずか30歳で資格年齢40の執政官に就任。ヌミディア内乱に乗じてヌミディアを親ローマ政権に
し、ハンニバル軍の力の源であるヌミディア騎兵を手に入れる。前202、ザマでハンニバルと対決。
ローマ側4万、ハンニバル側5万だが騎兵の少ないハンニバル側は戦象と予備兵力の精鋭歩兵で
対抗した。スキピオは軍間の間隔を空け、象兵を無効化。騎兵戦を制し敵を包囲殲滅する。
ローマ側戦死1500に対しハンニバル側戦死20000に捕虜20000という、ハンニバル唯一のだが決定的な黒星
を与える。政治的には進歩派。流れ的にはグラックス兄弟、カエサルに連なる。保守派のカトーとの政争に
敗れ晩年不遇。
79山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/21 21:42
郭ハク(晋・276〜324)
【用兵】50
【武力】50
【知力】70
【政治】65
【魅力】60
『特殊能力』・・・遁甲(1〜5ターンの間相手の攻撃を無効にする)
<列伝>
字は景純。神秘主義者で博言学者。博学にして経術を好み、郭公について五行
・天文などを学んだ。元帝に優遇されて著作佐郎になり、元帝の死後王敦の記
室参軍となったが彼に殺された。
80山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/21 21:47
>79
列伝に「山海経」の注釈で有名。を追加。
81世界@名無史さん:02/10/21 23:55
ヒトラーの用兵は80以上ありますが・・・?
ただし1ターンに5づつ下がっていきますけど。
82 :02/10/22 00:42
>>64
亀レスだけど二期目は失政ですよ。手順をふまずにミサイル打ち込むとか
9・11の遠因を作ってる。
83ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/22 18:18
テミストクレス

【用兵】94(これはもう言うまではないだろう。戦史上屈指の輝きを放つサラミスの海戦での総指揮官である)
【武力】87(ごり押しより頭脳戦が得意っぽい)
【知力】95(特に言うことはないが低いはずはなかろう)
【政治】93(ペルシア襲来時に住民を避難させたりアテネ海軍を強化したりかなりの手腕)
【魅力】70(傲慢になったのが痛い、ペリクレスよりは2段ほど落ちる)

<列伝>
古代ギリシア・アテナイ屈指の政治家・名将。鉱山を掘り当てたが慣例に従って市民に分配するのではなく、
海軍を拡張に使いアテナイをギリシア随一の海軍国に押し上げる。
ペルシア三度目の襲来時にギリシアの各国が連合して交戦することを主張。
サラミスでペルシア海軍を迎え撃って完勝する。
アテナイ第一の人物となったが次第に傲慢になり、功績が巨大になりすぎたこともあって
市民の不安を誘い陶片追放の刑に処される。
彼はいろいろあってなんと仇敵ペルシアに亡命したが、そこで厚遇される。
ペルシアで生涯を終える。
84ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :02/10/22 18:21
数値は抑えといた。なんでもかんでも高くしたらインフレしちゃうからな
85世界@名無史さん:02/10/22 20:53
まぁ主観の違いだろうが、テミストクレスってそんな能力高いかね?
抑えてコレとは随分テミストクレスを買ってるんだね。
86世界@名無史さん:02/10/31 01:36

袁崇煥
【用兵】95
【武力】90
【知力】80
【政治】65
【魅力】70

<列伝>
明代末期、山海関の太守。徹底的な火力主義者で、城塞にフランキー
という大砲を設置。ヌルハチを最初で最期の敗戦に追い込む。
また悲劇の名称。女真族に買収された宦官の陰謀により処刑される。
彼が生きていたら、清の成立は無かったかもしれない。
87世界@名無史さん:02/11/03 21:26
アジアのリーダー ベスト10決定
http://www.at.wakwak.com/~asia/cgi-bin/vote.cgi
88世界@名無史さん:02/11/03 23:10
スカルノ

【用兵】50
【武力】45
【知力】75
【政治】60
【魅力】95

インドネシア初代大統領。
独立戦争を指導して勝利=独立に導き、バンドゥン会議を主催して
途上国の指導者の一人としての地位を確立。
が、その後は国内が混乱し、最終的に経済が破綻寸前になったところで
クーデター未遂事件に巻き込まれ、軍によって失脚。
非常な読書家で世界各地のことに通じ、また演説に巧みであった。
彼個人は気さくな人柄であったという。
現在でも、建国の父としてインドネシアでの人気は高い。
89世界@名無史さん:02/11/03 23:15
デヴィ=スカルノ

【用兵】25
【武力】10
【知力】50
【政治】90
【魅力】23

>>88の妻。元ホステス。若い頃は絶世の美女だった。
日本に帰国してからは日本の言論界で絶大な影響力を振るった。
今はビザンツ帝国のフリークらしい。
90世界@名無史さん:02/11/03 23:22
>>86
兵を一致団結させたり、彼の処刑を恨んだ部下が満州側に投降したりとけっこう魅力はあったのでは?
現在の中国でどうなのかは知りませんが・・・
91おなかいっぱい。:02/11/04 22:39
ボー・グエン・ザップや山下将軍、今村将軍や白(ペク)将軍もデータ化してくれぇ!!
92.:02/11/18 14:28
ビスマルク

【用兵】88
【武力】75
【知力】99
【政治】95
【魅力】97

特殊能力「外交」「謀略」

19世紀ドイツ、いや世界最高の政治家。
統一果たして間もないドイツの国力充実を図るため、隣国フランスを孤立化させ、
バルカン半島を空白地帯にすることにより戦乱の災禍をドイツから振り払うことに成功。
外交上のトライアングルを二つ形成する離れ業をやってのけたその手腕は、芸術的
かつ天才的といわざるを得ない。
93世界@名無史さん:02/11/18 15:55
 アーネスト・J・キング(1878〜1956)

【用兵】90
【武力】72
【知力】85
【政治】30
【魅力】3
WW2時、米国海軍作戦部長・合衆国艦隊司令長官兼務。仇名は「ニトログリセリン」。
自分以外の誰も評価せず、理解しない。趣味もユーモアも無く、笑う事も無かった。
強情・傲慢・尊大で我慢知らず。自分の考えを否定されると相手が誰でも怒り狂うので敵が多かった。
大の日本人・英国人嫌い。チャーチルの欧州戦線への兵力増勢申請に断固反対し続けた。
ハルゼーを「救い難い馬鹿者」、ニミッツを「義務の貫徹より周囲との妥協を大事にする官僚主義者」と公言。
彼が“いくらかは”信用していた部下は、スプルーアンスとシャーマンだけだった。
酒・女・ギャンブルが大好きで、浴びるように酒を飲み、美人を見ると速攻で手を出した。
彼のパーティーに出席する女性達は、彼がテーブルの下で触ってくるので彼の隣に座るのを嫌がった。


94世界@名無史さん:02/11/18 16:17
>>93
ある意味魅力高くないですか?
95世界@名無史さん:02/11/18 18:34
金日成

【用兵】52
【武力】81
【知力】32
【政治】21
【魅力】1



96世界@名無史さん:02/11/18 18:50
レイモンド・A・スプルアンス

【用兵】93
【武力】65
【知力】87
【政治】52
【魅力】61

ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦における米海軍の勝利の立て役者としてしられ、
第二次大戦中、最も優秀な提督と言われる。
しかし、反面、部下のムーア参謀長に「スプルアンスほどの怠け者はみたことがない」
言われる怠け者でもあり、書類仕事はとことんさぼり、どんなときでも夜8時には寝てしまうほど。
もともと、軍人志望ではなく、実家の経済的理由により海軍士官学校に入校したということもあり、
もしかしたら、銀英伝のヤン提督のモデルの一人かとも考えられる。
97スージーQ:02/11/18 18:58
>96
彼は沖縄に向かう戦艦「大和」と戦艦部隊で闘って最後の花道を開こうと提案したが、
惜しくも実現しなかった。航空部隊の前には「大艦巨砲は無力だった」とのワンパタ
ーンばかり作るなNHK!!
98世界@名無史さん:02/11/18 19:01
>>銀英伝のヤン提督のモデルの一人かとも考えられる。
イイ!
99世界@名無史さん:02/11/18 19:05
誰かティムール・ラング頼む
100山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/18 21:15
バイバルス1世(マムルーク朝エジプト・1223〜1277)
【用兵】85
【武力】95
【知力】70
【政治】60
【魅力】80
<列伝>
トルコ系キプチャク族に生まれる。1242年にモンゴル軍の捕虜となり売
り飛ばされ(なかなか買手がつかなかった)エジプトのマムルークとなり、
その後将軍として1260年にアイン・ジャールートの戦いでモンゴル軍を
撃破して同年にスルタンとなる。その後もキリスト教勢力、モンゴル軍相手
に次々と勝利を収めた。
101げっぺるす:02/11/19 11:25
アドルフ・ヒトラー
【用兵】89
【武力】61
【知力】87
【政治】94
【魅力】謎
102世界@名無史さん:02/11/19 11:58
>>101
そりゃ高くてもいいんやない、(95〜99)くらい
103世界@名無史さん:02/11/19 14:44
ティムール

【用兵】94
【武力】84
【知力】89
【政治】98
【魅力】90

草原の覇者。中央アジアのトルコ化されたモンゴル貴族に生まれ、
チンギス=ハンの子孫を自称した。
若い頃は同年代の若者を率い、盗賊稼業に勤しんでいた。
その時に片足を失い、ティムール=ラング(びっこ引きのティムール)
と呼ばれた。
イルハン国滅亡後の諸王国を統合し帝国を形成、チャガタイハン国を併合、
インド、南東ロシアに進撃、勃興期のオスマン帝国を粉砕するなど
破竹の進撃を続けた。宿願の東方の明討伐に進発したが、遠征途上で
老衰で死亡した。明の世祖永楽帝との決戦があと一歩のところで見れなくて
非常に残念である。
104世界@名無史さん:02/11/19 19:03
ジョセフ・フーシェ
【用兵】63
【武力】3
【知力】100
【政治】98
【魅力】10
特殊能力:密告・虚報・混乱・密偵・背信・鬼謀
105世界@名無史さん:02/11/19 19:16
>>100
バイバルスは知力と政治も高くていいと思われ
マムルーク朝の行政機構が本格的に整備されたのは彼の時代だし
106世界@名無史さん:02/11/19 19:30
項羽

【用兵】92(配下の楚兵の信望はかなりのもの)
【武力】100(+50)(お約束)
【知力】62(バカではないんだ・・・)
【政治】10(語るに及ばず)
【魅力】85(20万人坑殺の件を差し引きしてもこれくらいあると思う)

一度は天下を統一したし、「史記」には本紀もあるので準皇帝みたいなものだろう。
数千の軍勢で数十万の秦軍を粉砕したり、3万の軍勢で25万の劉邦軍を撃破したり
正気の沙汰とは思えない、というか嘘のようなほんとの話を体現してる男。
戦闘においては間違いなく世界史上最強の武将だろう。

107世界@名無史さん:02/11/19 19:35
>>104
フーシェの知力・政治を過大評価しすぎ。
三国志的に言えば、徐庶の足元にも及ばないだろう。
よって知力73、政治65がいいところ(w
108アルペンローゼ ◆XBKLFVrvZo :02/11/19 19:43
レーニン
【統率】95
【武力】49
【知力】97
【政治】100
【魅力】89

特技:亡命・陰謀・演説・著作・暗殺
特殊能力:細胞増殖
アイテム:封印列車
109世界@名無史さん:02/11/19 19:51
>1の貼ってるスレにも書いてるけど
すぐインフレになるだろうから数値は少し抑え目にした方が良いのではないか?
>100のバイバルスは適当だと思われ。
110アルペンローゼ ◆XBKLFVrvZo :02/11/19 19:53
修正。

レーニン
【統率】75
【武力】9
【知力】87
【政治】96
【魅力】81
111106:02/11/19 19:56
じゃあ項羽の知力は40くらいにするべきかな?
112県立新座高校:02/11/19 20:00
レフ・トロツキー
【統率】96
【武力】50
【知力】94
【政治】83
【魅力】78

特殊:亡命・演説・説得・士気・鉄壁・×暗殺

こんな感じでどうですか?
113世界@名無史さん:02/11/19 22:19
劉邦
【用兵】45(頑張ってやっと人並...かな?)
【武力】30 (期待しないで...)
【知力】55(まぁ、普通でしょ。たまに突飛なこともするけど)
【政治】50(そこそこ。)
【魅力】100+α
 特殊:5ターン毎に魅力以外のいずれかのパラメータが80以上の
    人材が仕官を求めてくる。

項羽のあまりに対照的な好敵手(?)自身にこれといった才はないが、一騎当千
の人材が自然に集まってくる。ある意味、究極のリーダー像かも。
114武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 02:04
ヨシフ・スターリン

統率42
武力54
知力86
政治100
魅力23

本名、ヨシフ・ビサリオノヴィッチ・ジュガシビリ
スターリンはペンネームで「鋼鉄の人」の意
トビリシで働きながらティフリス神学校に通う
1898年 グルジア社会民主党に参加し革命運動に加わる
以後、1913年まで7回逮捕され、2度のシベリア流刑、逃亡を繰り返す
1912年に党中央委員、ロシア革命後民族人民委員 1922年 党書記長
ウラジミール・レーニンの没後、トロツキー、ジノビエフ、カーメネフ、ブハーリンらを退け、党と政府を掌握 
ソビエト連邦憲法制定し、ボルシェビキ中央委員会委員として機関紙「プラウダ」を編集 
その後、五ヶ年計画を推進し徹底した農業集団化を指導 1936年〜1938年 大粛清
国家防衛委員会議長、赤軍最高司令官を兼任
1943年11月28日〜12月1日 テヘラン会談
1945年2月4日〜11日 ヤルタ会談
 7月17日〜8月2日 ポツダム会談に出席
1953年3月5日 モスクワで死去
115武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 02:36
【豊臣秀吉】

統率92
武力67
知力99
政治100
魅力98


1537年尾張国中中村の弥右衛門の子として生まれる。
18歳の時尾張に帰り織田信長に仕え、
25歳の時おねと結婚木下藤吉郎秀吉と名乗る。 
墨俣一夜城を築き稲葉山城攻めで手柄を立て、
37歳の時近江小谷城浅井家を滅ぼした信長により近江12万石を与えられる。
信長の重臣・柴田勝家と丹羽長秀から羽柴を頂き、
羽柴筑前守秀吉と名乗り、今浜を長浜に改め城を築き入城する。
その後、中国方面軍総大将に任命され毛利家と激しい戦闘を繰り広げるが、
備中高松城水攻め1ヶ月後「信長明智光秀の謀叛により京本能寺にて自害」
と言う密書を確認し、城主・清水 宗治の切腹を見とどけ、
「中国大返し」と言われる200qを17日で走り、
富田で準備を・・翌日山崎の地で明智軍を、打ち破った。
その後、柴田勝家、徳川家康、長曾可部、島津、北条などの有力大名を次々と降伏させ、天下統一を果たす。そして天皇から関白と太政大臣と豊臣の姓をもらい、文禄の役・慶長の役を経て1598年(慶長三年)8月18日この世を去る。
116世界@名無史さん:02/11/20 04:03
シャルル・ド・ゴール

【用兵】65 (無能ではないが、一流では全然なし)
【武力】80 (一次大戦での勇猛ぶりはなかなかのもの)
【知力】75 (先見の明に秀でるが、抜きん出る程ではなし)
【政治】91 (どんな状況でも知力を最大限に活かすことが可能)
【魅力】77 (傲岸不遜だがそこがまた魅力)
【胆力】100(文句なく満点)
117「ど」の字:02/11/20 04:16
【徳川家康】

統率100(部下のコントロールは完璧だった。彼に率いられた三河軍団は幾つもの逸話を残している)
武力80(部隊指揮能力と個人戦闘力は瞠目に値する反面、大軍の総帥としては突出し過ぎるなど問題点が多々あり)
知力95(幼時より教養を積み重ねていた。完璧ではない、という程度)
政治99(領土経営、調略力、交渉術など言うことはほぼ無い。モチベーション喚起の点で秀吉と比較してわずかに壁を欠いた)
魅力45(彼が人を惹き付けたのは魅力ではなく実力。吝嗇であるなど、人間的魅力はさほど無かったらしい)
特殊能力・信頼(彼は調略によって寝返る事は無い。彼の君主・同盟者は彼を成敗できず、彼の持つ優れた配下部隊の再編成も出来ない)

戦国最後の覇者にして、260年余り続いた長期政権の樹立者。
幼時は織田や今川の人質として辛酸を舐めたが、その後は齢16にして今川義元の武将として信頼を得るなど頭角をめきめき顕わした。
田楽狭間で今川義元が斃れると、織田信長と同盟を結んで覇道に邁進する織田信長の背後をよく守った。
織田信長が本能寺で殺された後は独自判断で勢力伸張を図り、やがて織田信雄と結んで羽柴秀吉と小牧・長久手の戦いを起こした。
秀吉との講和後は国替えで関八州を領土とし、僻地扱いであった関八州を豊かな領土に変える事で日本随一の大大名となった。
豊臣秀吉死後は自らの考える長期政権樹立へひた走り、反石田三成派大名を糾合して関ヶ原の戦いで親石田三成派を破り覇権を建てる。
徳川幕府樹立以後は長い年月を掛けて秀吉の遺児・秀頼の味方を減らし、ついには大阪冬・夏の陣で豊臣家を滅ぼし安定政権を確立した。
日本における近世の「平和」確立の最大の功績者であり、織田信長・豊臣秀吉と続いた日本安定の完成者。
118世界@名無史さん:02/11/20 05:56
用兵=統率力?
武力=腕力?だろうか?
魅力ってなんなんだろう!?
歴史に愚将とされる人物っていざ近くで接すると
世間的に優しいいい人であったり
漢って感じの人だったりとの話があるなぁ
119世界@名無史さん:02/11/20 10:02
秀吉とか家康の能力が高すぎねえか
90台って神レベルの数値だろ
カエサルとかアレクサンドロスとか始皇帝とか
120世界@名無史さん:02/11/20 10:03
まして100なんて気軽につけても良いのか?と思うが。
121世界@名無史さん:02/11/20 10:36
100でも最近のこーめーは嘘を付くぞ
122世界@名無史さん:02/11/20 11:10
お二方が出てるのでこいつも。

韓信
【統率】99
【武力】76
【知力】90
【政治】46
【魅力】80
特殊:思いつかん・・・

ご存知秦末随一の名将ですな。圧倒的な将才に似合わない人間臭い性格に魅力あり。
123山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 11:14
>122
背水の陣、とか。(特殊能力。兵が減るほど戦闘力が上がる?)
124122:02/11/20 11:19
>>123
ありが惇!
のぶやぼや三国志をやったことないから
いまいちわからなかったのです・・・
125山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 11:22
>124
いえ、上記のゲームにも123のようなものはありません。単なる思いつき。
126122:02/11/20 11:23
>>125
そうすかw
みんな創作が多いのかな?
127武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 11:39

【小倉優子】

統率110
武力6
知力35
政治2
魅力120


こりん星のお姫様。りんご・ももか姫☆
千葉県出身1983年11月1日 身長 162cm
3サイズはB80cm/W56cm/H83cm 血液型はB型
趣味はカラオケ 特技はピアノ、フルート、10秒で涙が出る、ものまね
好きな食べ物は甘いもの
日テレジェニック筆頭に選ばれ、
ロリヲタ、無職、ひきこもりから絶大な支持を得ている。
128世界@名無史さん:02/11/20 11:42
>>127
政治は少なくとも80以上はあるだろう。
あの完璧なキャラ作り、コギャルだった過去を微塵も感じさせない所など。
129世界@名無史さん:02/11/20 11:50
カエサルはどのくらいの数値にするよ?
130世界@名無史さん:02/11/20 11:57
>>129
統率、知力、政治、魅力のうちどれか1つか2つが100で
ほかは90台ってところか?
武力は70台か80台かな。
131山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 11:58
>129
こんなところでしょう。あまり高くしなくても良さそう。
ユリウス・カエサル
【用兵】80
【武力】80
【知力】75
【政治】70
【魅力】80
特殊:逆転(?)・・・敵軍と自軍の兵数を足した数字を両軍にランダムにふりわける。
132世界@名無史さん:02/11/20 11:59
小泉純一郎【統率】99【武力】12【知力】3【政治】24【魅力】80
133世界@名無史さん:02/11/20 12:01
>>131
むむっ・・・そんなもんか
が、もうちょっと高いと思うぞ。特に魅力。
後世でも俺含む大勢にさんざん過大評価されてるからな(w
134武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 12:10

【ジャンヌ・ダルク】

統率99
武力78
知力73
政治26
魅力85


フランスの国民的英雄。東部のドンレミの生まれ。
後期百年戦争でのフランスの危機を救い、形勢を逆転させた。
神のお告げを信じて、シャルル7世の許可のもと、
オルレアンの囲みを解き、フランスでの国王戴冠式を実現させた。
しかし、1430年コンピエーニュ救出におもむいて捕らえられ
イギリス側に引き渡された後、ルーアンでの宗教裁判により異端を宣告され、
火刑に処せられた。だが、1456年に名誉回復し、
1920年キリスト教殉教者として聖人に列せられた。祝日は5月30日。
135世界@名無史さん:02/11/20 12:32
ルキウス・コルネリウス・スッラ

【用兵】80
【武力】78
【知力】86
【政治】84
【魅力】88

古代ローマの政治家。ローマ共和制屈指の独裁者。
コルネリウス一門という大スキピオも出た名門出身だが、
スッラの家系は落ちぶれていて貧乏だった。
ユグルタ戦役でマリウスの副官を務めてから名をあげ始める。
同盟市戦役、ミトリダテス戦役などで活躍、一躍政界の中心に踊り出てコンスルとなった。
元老院政治への復帰を策し、いろいろと反動的政策を試みる。
が、東征中に政敵マリウスに、留守のローマを占領され、自派の人材を徹底的に虐殺される。
しかし、マリウスは緊張の糸が切れたのかまもなく死亡し、スッラは
マリウスのいなくなった首都に帰還、そして報復としてマリウス派の人間を徹底的に粛清する。
その後、ついに史上空前の終身独裁官に就任、反動的改革を徹底的に強化し、
政策を推し進めた。しかし、3年で辞職、後はカンパーニアで隠居した。
彼は若い頃遊びまくりの放蕩生活を送ってたが、大学に入るために売春婦に貢がせて学費に充てたり、
「味方にとってはスラ以上に良き人物は無く、敵にとってはスラ以上に悪しき人物は無し」
という遺言のセリフなど、なかなかダーティーヒーロー的な魅力に充ちた人物である。
あとかなりの美男だったようである。
136135:02/11/20 12:33
特殊能力:恐怖政治、粛清
137世界@名無史さん:02/11/20 12:51
【フェルナン=デ=マガリャンイス】
【用兵】82(ラプラプ王に大敗を喫する
【武力】90(槍が刺さっても死ぬまで戦い抜く
【知力】85 (新しい航路を発見する
【政治】73 (20台からインドにて軍務につく
【魅力】92(何回もの反乱を治める

ポルトガルの航海士で、軍人。
スペイン王カルロス1世(カール5世)の特許を得て、世界周航に成功する。
138世界@名無史さん:02/11/20 12:58
>>137
高杉
139世界@名無史さん:02/11/20 13:01
>>135
も他界と思うが。
140世界@名無史さん:02/11/20 13:02
つーかそんなに高いか?
他のも高いのばっかだぞ?
141世界@名無史さん:02/11/20 13:07
じゃあ
0代=逆にすごい
10代=ゴミ
20代=ろくでなし
30代=苦手
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
60代=まあまあ
70代=優秀
80代=一級
90代=超人
100=神

としよう。
142141:02/11/20 13:08
これに合わせて点数つけるのは?
143141:02/11/20 13:16
>>134のジャンヌダルクでやってみると、
統率=超人、武力=優秀、知力=優秀、政治=ろくでなし、
魅力=一級になるわけだ。 
まあ妥当かね。武力が高いかな。
144141:02/11/20 13:21
>>135のスラ
統率=一級、武力=優秀、知力=一級、政治=一級、
魅力=一級

まあ妥当ではないか?スラは文武両道だしな。

マゼランはよく知らないので判定はできんが
統率=一級、武力=超人、知力=一級、政治=優秀、
魅力=超人

になるな。
145武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 13:25

江青

【用兵】89
【武力】18
【知力】64
【政治】96
【魅力】43

146武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 13:33
エルウィン・ロンメル

【用兵】102
【武力】77
【知力】98
【政治】82
【魅力】90


147世界@名無史さん:02/11/20 13:33
>>141意識しますた

武則天
【用兵】50(わからない)
【武力】24(女だしね)
【知力】84(侮れない)
【政治】90(ここはさすがだ)
【魅力】25(まさにろくでなしですね)
148武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 13:37

山本五十六

【用兵】101
【武力】80
【知力】95
【政治】54
【魅力】88
149世界@名無史さん:02/11/20 13:40
100オーバーの大魔神がいっぱいいますな
150武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 13:43

南雲忠一

【用兵】−0
【武力】6
【知力】38
【政治】12
【魅力】0
151世界@名無史さん:02/11/20 14:23
>>131

>>60でカエサル評価した者ですが・・・。
まぁ、低い点つける人いるだろうなとは思っていました(w
異論はあれど主観を晒すスレだから仕方ないですね。
152s:02/11/20 15:55
>>132
ごめん、小泉の「統率」ってなんだw?戦後日本の政治家で「統率」を試されたことのある
人がいるのだろうか。

ちなみに

陸奥宗光
【用兵】-
【武力】25
【知力】93
【政治】80
【魅力】89

特殊能力・外交◎ 苦境○(苦難に耐えうる力) 
153世界@名無史さん:02/11/20 17:10
【武力】って必要か?
154世界@名無史さん:02/11/20 17:13
まあ項羽とかリチャード一世みたいのがいるからな
15560:02/11/20 21:48
>153
自分はいらないと思ったから書かなかった。
こいつにはこの能力値がいる、ってのは自分の判断でいいんじゃないかな。
ドゴール【胆力】100ワラタし。
156武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 22:14

寺内 寿一

【用兵】14
【武力】83
【知力】69
【政治】76
【魅力】−0

特殊能力・逃亡◎ 買春○(オランダ女子を愛人に雇った)
157武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 22:24

山県有朋


【用兵】14
【武力】83
【知力】69
【政治】76
【魅力】−0

特殊能力・検地◎ 引抜○(皇太子妃色盲事件)
158武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 22:27
>>157は間違い

山県有朋

【用兵】90
【武力】85
【知力】91
【政治】94
【魅力】65

特殊能力・検地◎ 引抜○(皇太子妃色盲事件)
159世界@名無史さん:02/11/20 22:35
日本史板ってどこだっけ?
160武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 22:54

土方歳三

【用兵】58
【武力】91
【知力】66
【政治】22
【魅力】93(ハバァどもからカリスマ的人気を誇る)

特殊能力・切り込み◎ 篭城○(五稜郭であっさり自滅(藁) 
161世界@名無史さん:02/11/20 22:57
>>160
なんとなくわかるw
162山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 23:07
平清盛(日本・1118〜1181)
【用兵】70
【武力】70
【知力】80
【政治】90
【魅力】60
特殊:日乞い・・・自軍のコマ内を好天候に、敵軍のコマ内を悪天候にする。
<列伝>
平治・保元の乱を勝ち抜き、摂関家領を娘に継がせて経済源と為した上で最後には
太政大臣にまで出世。平家一門を隆盛させ、国家の大事の決定権を得て日本初の武
家政権を誕生させた。福原を開発し、宋と交流した上一時はそこに都を移した実力
者。軍記物により不当な低評価に甘んじているが、情に篤かったとも。
163武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 23:12


ビル・クリントン

【用兵】3
【武力】90
【知力】75 -60
【政治】89
【魅力】88(無知至極な外国人・障害者などから圧倒的支持を得る)

特殊能力・セクハラ訴訟◎ 講演×(お金目当てバレバレの茨城講演)
164武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 23:19

江沢民

【用兵】61
【武力】83
【知力】87
【政治】99
【魅力】16

特殊能力・焼討◎ (徹底した法輪功弾圧)
165山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 23:19
平清盛(日本・1118〜1181)
【用兵】75
【武力】80
【知力】80
【政治】80
【魅力】70
特殊:家臣分析・・・混乱になる事を防ぎ、志気を高める。
<列伝>
彼以後およそ700年に渡って日本史を左右して来た「幕府」の創立者。流
刑先で挙兵し、戦を行わせながら鎌倉で地固めに勤しんだ手腕は評価される
べき。所謂「判官贔屓」により悪い印象もあるが、やはり立場の違いにより
生じた避けられない事態であったと見るべきであろう。
166山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 23:22
某氏が書いておられたので、世界史にも出て来る日本人2名を取り上げてみました。
>133
魅力が低いのは「禿の女たらし」であった為。女房を寝取られそうな人間にとって
は魅力以前の脅威では無かったかと(藁)。
167山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 23:25
>165
は源頼朝(1147〜1199)です。
168武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/20 23:32

源義経

【用兵】99
【武力】108
【知力】98
【政治】53
【魅力】100

特殊能力・影◎ 混乱◎
169県立新座高校:02/11/20 23:38
フランクリン・D・ルーズベルト

【統率】98
【武力】1
【知略】92
【政治】95
【魅力】99

特殊:挑発・商才・工業・外交・演説・説得・威風・開発・×呪殺
アイテム:かくばくだん


1945年当時の能力設定で考えてみますた。
170山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/20 23:39
源義経

【用兵】86(少人数による奇襲が多い)
【武力】70(弱い弓にコンプレックスがあった小男)
【知力】77(立場を考えていたとは言い難い。発想は良かった。)
【政治】53
【魅力】70(人による。同情する者も居たが、肝心の領主層からの指示無し。)
特殊:坂落とし・・・敵軍後方に自軍の1〜4部隊を移動させる。
171世界@名無史さん:02/11/21 00:00
ジョセフ・R・マッカーシー

【統率】52
【武力】73
【知略】49
【政治】65
【魅力】32

特殊能力:煽動・世論操作・事実歪曲
172:02/11/21 00:12
ケ小平

【用兵】52
【武力】21
【知力】97
【政治】94
【魅力】90

特殊能力・経済◎ ピンチ○ 強権○ 強運○ 謀略× 
       
173世界@名無史さん:02/11/21 00:28
武装共産党氏はちと極端だのー(w。

ところで、コーエー「風」だから信長とか三国志は参考のみかな。
一応ここの表記に似ている烈風伝より各人のデータ
武田信玄    織田信長
【戦闘】 95  【戦闘】 70
【采配】 99  【采配】 99
【智謀】 94  【智謀】 94
【政治】 95  【政治】 95

174世界@名無史さん:02/11/21 01:49
【野心】項目はねーのかい?
175世界@名無史さん:02/11/21 04:11
よくは知らないんだけどイブン・サウドなんか総合的に高そう。
少なくとも【精力】は90台(超人)。
176世界@名無史さん:02/11/21 07:21
>>175
だったら黄帝は余裕で100台=神クラス
177「ど」の字:02/11/21 09:18
>141 のフォーマットで徳川家康を焼きなおしてみました。

【徳川家康】

統率・100(異論は無いでしょう。彼に匹敵する人間を史上に見つける方が難しい。カエサルが99としたら家康は100)
武力・75(指揮も個人戦闘力も秀逸。ただ突出したがる悪癖がある。頓死しなかったのは幸運なだけ。武田信玄が90)
知力・85(幼時より教養を積み続けた。対応力も一級。ただ天才ではない。天才秀吉は98)
政治・95(調略・交渉術・領土経営などに超人的な手腕。唐の太宗李世民が95、オクタヴィアヌスが99)
魅力・39(吝嗇なこともあり人間的魅力には欠けていた。秀吉94、カエサル100)
特殊能力・信頼
178山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/21 09:36
織田信長(日本・1534〜1582)
【用兵】90(本願寺相手にうまくやっていたので)
【武力】85(水練や相撲が得意。若き日は800人の手勢で暴れ回った。)
【知力】80(浅井や明智の裏切りを想定して行動出来なかった。)
【政治】80(中世的人物とする解釈がある。)
【魅力】70(わりとしょうもない理由で人を切ったりもしている)
特殊:女装・・・敵軍に捕らえられても、一度は脱出出来る。
田舎から現れた人物が、数々の苦難(親の急死や身内との争い、強敵との対決等)を
乗り越えたあげく最後には味方の裏切りに倒れるという「英雄の条件」を満たした人
物。だがよく知られて来た「三段撃ち」、「関所廃止」、「楽市・楽座」、「鉄張船」
などは虚構であったらしい。本能寺の変が無ければここまでの人気は無かった筈。
179「ど」の字:02/11/21 09:52
【ティトゥス・フラヴィウス・ヴェスパシアヌス】 AD9〜AD79

統率・70(特に破綻したこともなく優秀)
武力・60(ローマの将軍としては可も無く不可も無い)
知力・58(平凡より上。ウィットには大変富んでいるが、反面教養はまるで無かったらしい)
政治・90(一流と超一流の境目あたり。現代の評価は『最良の国税局長官』)
魅力・80(ユーモア感覚に溢れており、ムキアヌスやケリアリス、アレクサンドロスなど優秀な幕僚に恵まれた)
特殊能力・常識(国家を害する可能性のあるコマンドを発すると自動で警告してくれる)

ネロ帝殺害直後の混乱を鎮め、国家経済再建に功のあった皇帝。フラヴィウス朝の創始者。
地方都市リエティの中産階級の生まれ。軍団内では平凡な昇進速度で昇進。
ネロ帝が自作自演していた劇の上映中に舟をこぎネロ帝の不興を買ったが、直後にユダヤ問題を一任された。
ネロ帝死後の混乱を一歩引いた場所で眺め、ヴィテリウス帝の登極後に皇帝の名乗りを挙げる。
半ば自壊させる形でヴィテリウス帝を排除した後は、ローマの財政再建に精力を傾けた。
実に健全な常識の人。想像力の人ではなく、冷静な現実観察力の人であった。
余談ながら、彼の命を受けた彼の息子が西暦70年にイェルサレムを陥落させている。(後にティトゥス帝と呼ばれる彼と同名の人)
180山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/21 09:55
エリザベス1世(イングランド・1533〜1603)
【用兵】90(用兵というより傭兵というか・・・男と兵の扱いが巧い)
【武力】30(武芸をやっていたわけでも直接兵を率いたわけでも無い)
【知力】95(ドキュソ家族の跡を継いでよくぞあそこまで)
【政治】95(大英帝国の礎を築いた)
【魅力】75(頭は良かったとして、深く付き合いたい人物だったとは)
特殊:私涼船・・・海上で攻撃した相手から兵糧・金銭を奪う。
日本でいえば信長より一年早く生まれ、家康と書簡のやりとりをする事は無
く江戸開府の年に死んだ。ドキュソ親父・姉と頼りない弟を持ち、母とも早
くに死に別れたという「恵まれた環境」に育ったせいか頭の回転が早かった
彼女の元でイングランドは一小国から世界の一等国へ。
181世界@名無史さん:02/11/21 10:26
真田昌幸

【用兵】99
【武力】85
【知力】80
【政治】65
【魅力】80

ガーン 日本史だ・・
182山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/21 10:30
>181
関ヶ原合戦の時に秀忠軍が遅刻した原因は単なる川の増水ですよ。
183世界@名無史さん:02/11/21 10:41
何か進行早いな(笑

>【用兵】90(用兵というより傭兵というか・・・男と兵の扱いが巧い)
ぉぃ。

ふと疑問に思ったのだけど、「魅力」ってなんでしょ。
私はおつきあいしたい人かどうかじゃなくて、カリスマのようなものを想定してたんだけど。
184世界@名無史さん:02/11/21 10:49
劉邦みたいなやつはカリスマ。
サラディンとかは魅力。
185山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/21 13:10
>183
今の人間から魅力的に見えても、当時の人間の目から見たら×か、そこまで行かな
いにしても醒めた目で見ていた、という事で考えています。サラディンは当時から
現代まで人気があるのでしょうが、信長やエリザベスの側近や領民達は果たして心
酔していたのかどうか。
186世界@名無史さん:02/11/21 16:41
>>183
結局、「魅力」に関しては普遍的なもの(後世から見てどうか)と
時代性に即するもの(その人が生きていた時代においてどうか)があるから、
(カリスマ性も魅力の一つ。「用兵」「武力」などにも関わるけど
細かいことは考えない)
それぞれ平等に50ポイントずつ割り振ればいいと思う。
で、最終的に書くのは両方足した数値ってことで。
(100点満点の120点などの意味で、片方に60ポイント入れるのはあり)
187武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/22 13:34

横山ノック

【統率】1
【武力】8
【知謀】69
【政治】84
【野望】99
【魅力】101(一部の支持層限定)

特殊能力・逃亡◎ 蹴り○(報道記者暴行)

<列伝>
はじめ摂津国のお笑い芸人であったが、
大阪府知事にまで上り詰めるほどの立身出生をする。
しかし、その才能を恐れた家臣の計略によって失脚。
188国際関係・安全保障専攻:02/11/22 14:13
ラブレンティ・ベリヤ
【統率】79
【武力】56
【知力】82
【政治】56
【魅力】21

特殊能力: 粛清(優秀な部下を殺してしまうことも、カスキャラの掃除には便利) 暗殺 

スターリン時代のNKVD,KGBの指導者であり
スターリンの粛清の嵐の立役者。
出世と保身のため自身の立場を利用して同僚をも粛清。
スターリンの死後はジューコフとフルシチョフに粛清される。
189武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/22 14:45

ラブレンティ・ベリヤ

【統率】79
【武力】56
【知謀】82
【政治】96
【野望】89
【魅力】103(人により異なる)

特殊能力・暗殺○ 少女誘拐◎(下校途中の女子高生多数を拉致)
190武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/22 14:59

田代まさし

【統率】81
【武力】60
【知謀】54
【政治】77
【野望】99+5
【魅力】64+45(捕縛後上昇)

特殊能力・盗撮◎ 逃亡× 登用○
191県立新座高校:02/11/22 23:43
ウィンストン・レナード・チャーチル

【統率】94(対独戦を戦い抜いた統率力は超人的である)
【武力】69(そこそこ腕っぷしもありそう)
【智力】89(まずは第一級の頭脳かと)
【政治】97(戦後新秩序を確立した立役者の一人、評価はせねば)
【魅力】82(なんだかんだで部下には好かれているし、まぁ妥当な評価かと)

特殊:水軍・演説・外交・先見の明(発動すると1ターン前に戻れる、実質的に1ターン先の予測がある程度可能)
アイテム:葉巻(ダンディーさをアピールして魅力+5、但し寿命が短くなる)
192「ど」の字:02/11/23 13:25
【マルクス・ヴィプサニウス・アグリッパ】 BC63〜BC13   >141のフォーマットで能力計測。

【統率】78(生涯ごく若い時期から万単位の軍を動かし続けて、ついに破綻しなかった。85を与えても良いかも)
【武力】89(カエサルが「彼こそは」と抜擢した秀才。だが天才肌ではなく堅実な用兵ぶりだった。90は与えられない)
【知力】56(教養は全く無く、ギリシア語も知らなかった。しかしギリシャ・ストア哲学の公共奉仕精神を生涯発揮し続けた)
【政治】85(平和に戻ったローマの公共事業を計画的に進めるなど色々な大功がある)
【魅力】50(この面においての彼は平々凡々。取りたてて言う事も無く、高貴な振る舞いなど望めなかった。破綻も無かったが)
【特殊能力】信頼(彼は調略で裏切ることなく、彼を粛清することも出来ない。徳川家康と違い、彼の部下は人事異動できる)

 帝政ローマ建設における軍事面での最大の功績者。
 生まれは卑しかったが、少年時代に軍事的素養と実直な性格をカエサルに見込まれ教育を受ける。
 17歳で生涯の親友にして上司となるガイウス・オクタヴィアヌス付きとなって、以後は軍事面での彼の代理として非常な功績を残した。
 生涯ただ一度の勝ち戦も無いオクタヴィアヌスがローマ初代皇帝になれたのは、アグリッパとマエケナスの功績によるところが大きい。
 平和に戻ったローマにおいては、大規模な国家的公共事業プロジェクトを元奴隷の技術者集団を率いて推し進めた。
(アグリッパの死後、この元奴隷技術者集団は解放され、ローマの公共事業省創設に携わることとなる) 
 軍事面を一手に引き受けていた彼の死は、アウグストゥスの対外政策のみならず後継者問題に大きな負の影響を与えてしまった。
193「ど」の字:02/11/23 20:17
【ガイウス・オクタヴィウス(オクタヴィアヌス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス)】 BC63〜AD14   >141のフォーマットに拠る

【統率】97(18歳にしてカエサルの遺臣たちの心をがっちり掴み、ローマ市民の圧倒的支持を勝ち取った超人的統率力)
【武力】0(生涯一度も戦闘に勝った事が無い。生まれつき内臓が弱く、いつ死んでもおかしくない状態のままで76歳まで長生きした)
【知力】80(当代一級の知力と教養の持ち主。しかしあまりな表現力の無さでややマイナス点をつけた)
【政治】99(王制的独裁にアレルギーを持つローマ人にも気付かれず、帝政確立とローマ社会大改革をやり遂げた手腕は神懸り)
【魅力】50(道徳的美点には溢れていたが、面白みのまるで無い男だった。外見魅力だけなら間違いなく100あった絶世の美男子)

 帝政ローマの初代皇帝。カエサルの姉の孫で、地方都市ヴェレトリ出身の元老院議員の子。父の死後、カエサルに引き取られて育った。
 カエサルの遺言で政治的後継者に指名され、同時に養子縁組をも遺言された。
 それ以後は親友アグリッパやマエケナス、そしてカエサルの遺臣たちを率いて共和制主義者と、次いでアントニウスの手の者たちと戦った。
 アントニウス側の正当性と戦意と同盟を削り取った末に、紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウス・クレオパトラ連合軍を破る。
 敵対者を一掃しローマに凱旋し、形式上ローマを共和制に戻す宣言をした際に元老院より『アウグストゥス』の尊称を贈られる。
 以後の彼は、国内での反独裁アレルギーに気を配りつつ社会改革と帝政確立に尽力した。
 老いてなお超絶的な美形であったと伝えられている。人格的には抜群の自己抑制能力の持ち主であった。
 残念ながらカエサルに指摘された通り彼には軍事的素養が全く無く、アグリッパ亡き後は幾つかの外政面での失策も目に付く。
 トイトブルグの敗戦(AD9)以後は防衛に徹し、後世に今後の領土不拡張を遺言する(トライアヌス帝に至るまで守られた)。
 家庭的には不幸な人ではあったが、カエサルの成し得なかった効率的な国家の建設という青写真を現世に実現した功績は大きい。

 世界最強の名君が誰かについては人によって色々意見もあろうが、世界最弱の名君は疑いようも無くこの人であろう。
194「ど」の字:02/11/24 03:53
【金大中】 AD1925〜      >141フォーマットで記入。

【統率】31(自分の子供が任期中に問題を起こすのを阻止できなかった。基本的統率能力の欠如)
【武力】45(人並みにはあるだろう。投獄生活を生き延びたのだから)
【知力】60(大学院卒としての教養はあるはず。政党のスポークスマンなどをやった経歴があり、表現力もあるはずなのだが)
【政治】28(この数字は太陽政策の失敗などで晩節を汚していた頃のもの。1970年当時は70あたりあったはず)
【魅力】54(現代の政治家としては問題あり。支持者と非支持者の間に大きな溝がある)

 現時点での大韓民国大統領。生まれは全羅南道。
 学歴は建国大学政治学科中退、高麗大学経営大学院修了、慶煕大学大学院修了。
 韓国の民主党・新民党スポークスマンを経て、1971年に大統領選に出馬し、朴正煕大統領に敗北。
 72年以降日本滞在を続けていたが、73年にいわゆる金大中事件が発生し東京のホテルからソウルに拉致される。
 80年に発生した光州事件の後、内乱陰謀罪により死刑判決を受けるが、日本や欧米からの救援の声が上がり、82年に刑執行停止となり米国へ渡る。
 85年に帰国して政治活動を再開、87年、92年の大統領選挙に出馬したが、いずれも落選した。
 一旦は政界引退したが、英国滞在などを経て、95年に政界復帰、精力的に活動を展開。97年の大統領選挙では、4回目の立候補で当選となった。
 対北朝鮮政策としては「太陽政策」と呼ばれる融和政策を展開し、北朝鮮に対しての譲歩を続ける。
 2000年、南北間の対話を促進したという功績を以て、ノーベル平和賞を受賞。
 しかし、2002年に北朝鮮の核開発問題などが噴出し、彼の政策の誤まりは明らかになってしまった。
 また1998年のIMFショックや、現在にまで続く韓国民カードローン地獄など経済社会の諸問題に無策であった責任は重い。

 決して無能ではないが、韓国有事と言っても良い状況に際して臨機応変に対応できなかった。
「もしも大統領に就くことがなかったら、大統領となるにふさわしい人物だと万人がいつまでも認められたはずなのに」
と言う人が居たが、全くその通りである。良く言ってもネロ帝暗殺直後の混乱時代のガルバ帝レベルの人物。今後の状況次第によっては……。
195世界@名無史さん:02/11/24 04:08
金大中が死刑判決を受けたことがあるなんて初耳だ。
どん底状態からよく大統領まで這い上がった。こんだけ幸運な人は
珍しいな。
196「ど」の字:02/11/24 12:56
>195
 幸運もそうですが、それ以前に努力の産物でしょう。
 大統領になる以前は、地域間の格差やいがみ合いに対して鋭くメスを入れようとしていました。
 日本との関係を、真の意味で改善する意志もあったようです(自分を救助してくれた日本人に対する感謝をしている)。
 大統領になって以後の彼は、まさに人格が変わったかのように晩節を汚した感があります。
 少なくとも現在の彼に、はっきり韓国のために貢献した政治的業績はありません。それゆえの 【政治】28 評価です。
 彼に初志貫徹の意志があってくれれば、と心から思う。哀しい……。
197武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/24 17:15

市川由衣

【統率】68
【武力】25
【知略】44
【政治】82
【野望】86
【魅力】76+23(よい時と悪いときの移り変わりが激しい)

特殊能力・誘惑 引抜 外交


<列伝>
今年のグラビアクイーン筆頭。
198warapupu:02/11/26 15:44
>>197
 お前のマヌケぶりに爆笑したよ。
 自分で自分に258票。
 なにはともあれ、1番だ。
 よかったね(ワラププ

 http://curoco.com/2chvote/vote700/tvote.cgi 
199warapupu:02/11/26 15:45
200まぬけ:02/11/26 15:51
200ゲットォ!
201世界@名無史さん:02/11/27 04:22
>>197
 マヌケはさらに58票自分に投票して、いま316票。
202世界@名無史さん:02/11/27 16:43
武装共産党
 【ジサクジエン力】53
 【逆ギレ力】30
 【ネンチャク力】25
 【信望】0
 【魅力】0
 【知識】6(幼稚園児なみ)
 【智慧】-12,000 (マヌケ)

特殊能力・ジサクジエン○ イタチガイ○ ネンチャク△
203世界@名無史さん:02/11/28 02:19
>>202
 ワロタ。
 今318票(ワラププギャハハ
204武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/28 22:09
>>198-203
チョン必死だな(藁
205世界@名無史さん:02/11/29 00:06
まあ、武装共産党みたいなヤシを相手にしてると自分も同レベルにみられるからやめとこう。
206世界@名無史さん:02/11/29 00:08
相手にすればするほど奴の思う壺だし
207「ど」の字:02/11/29 10:47
【金春秋】 >141フォーマットで記入。

【統率】70(特に記述は無いが、国難に当たって良く国をまとめたので少なくともこのくらいはあるだろう)
【武力】72(少なかろう筈が無い。戦術はどうか不明だが戦略策定能力は十分)
【知力】78(半島独特の風物を捨てたことには賛否両論あるが、現実的な判断力は買うべきだろう)
【政治】92(超先進国唐と軍事大国日本を手玉にとって独立を保った手腕は素晴らしい。外交の天才)
【魅力】88(他国に好感を抱かせる振るまい。容貌も美しかったらしい)

 朝鮮半島三国志時代の風雲児。後の太宗武烈王。
 半島では比較的弱体であった新羅が国家的危機に陥っていた時代に、新羅の王族として生まれる。
 弁韓地方の有力者金庚信の妹を妻に迎えることで、新羅古来の骨品制(血筋依存の身分制)にひびを入れた。
 新羅が百済や高句麗の圧力を受けつづける状況を改善する為に、日本や唐の支援を求めて外交に動き回る。
 その際に先進国唐の風物・姓名を受け入れて、半島特有の姓名を捨てる創氏改名を行った。
 歓心を買った甲斐あって唐と同盟成立し(韓国では羅唐同盟という)、その援助で百済を滅ぼす。
 百済再興の軍が日本から派遣されると、白村江で上陸しようとする百済・日本連合軍を破って百済にとどめを刺した。
 半島統一は子の文武王(彼も大変な外交上手)の時代を待たねばならないが、半島統一の道を切り開いた一代の英雄。
208「ど」の字:02/11/29 11:31
 半島独立保護の英雄を描いたら、この方をお描きしないわけにもいかないでしょう。

【明治天皇】 嘉永五年(1851)〜明治四十五年(1911)

【統率】80(部下たちの欠点弱点に拘らずまたそれを顕在化させず動かし、長所を良く引き出した)
【武力】83(戦略的視点があり、日露戦争時には広島まで大本営を動かして優れた戦争指導を行った)
【知力】68(自分の成すべき事と成すべからざる事を理解し実践できる知性と抑制力は十分あった)
【政治】74(決して満点とは言えない明治の功臣たちを良く信頼し、事に当たらせた)
【魅力】65(今に残る資料から特に破綻は無かったように見受けられる。もしかしたらもう少しあったかも?)

 日本第百二十二代天皇。明治は忌み名。生前の名は睦仁。
 自らが御神輿であることを知り、その上で成し得ることを成した名目上のみの指導者。
 弱肉強食の帝国主義時代に、良く明治黎明期の日本独立を守りぬいた。その功績によって明治大帝と呼ばれることもある。
 ペリー提督の来寇の前年に生まれ、長じて後は反徳川陣営に新生日本の名目上の指導者として担がれる。
 その後は、君臨すれども統治せずの政治体制の中で長く日本の頂点にあった。
 帝国憲法の発布や帝国議会の開設、教育勅語の成立など、1945年の敗戦に至るまでの日本の形もこの時代に出来あがった。
 日清・日露の両戦役を経て日本の国威を大いに宣揚し、世界史的には白人支配時代に終止符を打つ端緒を拓いた。
 日露戦争後は精力を使い果たしたかのように衰え、明治四十五年に崩御。享年六十歳。
209世界@名無史さん:02/11/29 15:31
319票のアホマヌケ
 【ジサクジエン力】53
 【逆ギレ力】30
 【ネンチャク力】25
 【妄想力】35
 【信望】0
 【魅力】0
 【品性】0
 【知性】0
 【知識】6(幼稚園児なみ)
 【智慧】-12,000 (マヌケ)

特殊能力・ジサクジエン○ イタチガイ○ モウソウ○ ネンチャク△
210:02/11/29 21:25
「アホマヌケ」にムキになってるかわいそうなヤシ(笑
211209:02/11/30 05:21
>>210
 おや、あほまぬけ君、いらっしゃい(嗤
 
212世界@名無史さん:02/11/30 18:00
金春秋ってすげえじゃん!
半島にこんな英雄がいたとは・・・
李舜臣や安ジュングンよりよっぽどすげえと思うんだが
213「ど」の字:02/12/01 00:28
 日本人として、豊臣秀吉の唐入り軍に抵抗して戦ったこの人を外すわけにもいかんでしょう。

【李舜臣】 1545年〜1598年   >141の書式で。

【統率】82(当時逃げてばかりの半島出身将軍たちの中で、自軍の統率を保てた一握りの将軍の一人)
【武力】85(転戦を重ねて遂に日本軍を撤退させた功績は大きい。小さい戦いの数々を良くも破綻せずに戦えたと思う)
【知力】72(冷静な現状把握力で、外国の支援を上手く有機的に使って戦っている。思考力も優秀)
【政治】30(この人の弱点。この人が政治勢力を保てていたら、文碌の役は違った展開をしていただろう)
【魅力】70(兵士には慕われていたが、上司同僚に好かれる人ではなかったらしい※)
※なお、現在韓国においてのカリスマは限りなく100に近い。

 漢城(現ソウル)出身。李氏朝鮮中期の人。
 長じて軍人となってからは、女真族との戦いなどで活躍したと記録にある。
 1591年、全羅左道水軍節度使に昇進。亀甲船を建造し水軍を強化。
 1592年からの文禄の役(半島では壬辰倭乱と呼ぶ) 水軍を率いて加藤清正、九鬼嘉隆ら豊臣秀吉による日本の侵攻軍を海上で破る
 以後、日本軍の補給路を断ち、全羅道より西への進出をふせぎ、戦局転換に大きな役割をはたす。
 日本軍の撤退後、軍功によって忠清・全羅・慶尚三道水軍統制使に任命されるも、慶尚右道水軍節度使の元均らに中傷されて失脚。
 1597年からの慶長の役(半島名・丁酉倭乱)開始当初の李舜臣は白衣で(一兵卒として義勇兵的に)従軍。
 自分を讒言した元均が巨済島の海戦で敗死すると、再度水軍統制使を命じられ、日本水軍を撃破。
 1598年12月16日の露梁海戦(麗水沖の戦い)で島津義弘らの軍に勝利し、撤退する日本軍を追撃中、流れ弾に当たって戦死。
 死後、忠武公の名を追贈される。現在も民族的英雄として朝鮮各地に銅像がある。
214「ど」の字:02/12/01 00:30
【李舜臣を書いた後で、どうしても韓国人に言いたい一言】
 この英雄の功績を書いた後で、一言。
 日本海の名称を東海(East Sea)に変えようとする運動が、韓国ネチズンらの熱烈な声援の中で展開している。
 その名も『李舜臣Project』。韓国の子供を矢面に立てて、外国にメールを送っている。
 韓国人たちは、この国土防衛の英雄を、生前のみならず死後においても汚す気でいるらしい。
 心の中が情けなさで一杯になる。李舜臣も死後の世界で泣いていることだろう。
215世界@名無史さん:02/12/01 01:18
>>213
>>214
このスレには神がご降臨されておられる

ところで、蒼き狼スレでちょっと話題になったこのお方の評価もお願いできないでしょうか?
救国とまではいかなかったものの、振る舞いや武力は十分評価できると思っていますので

http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1035470384/547
金允侯
処仁(しょじん)城(京畿道龍仁郡)居住、元僧侶。
1232年第2次侵略の際、モンゴル将軍サルタイの油断した隙をねらい射殺した。
恩賞をうけ、還俗して金允侯と名前を変え、江華島に招かれて登用された。
1253年第5次侵略では忠州城の司令官に赴任。奴僕出身兵士の前で、奴僕証文を
焼却して彼らの士気を高め、その勢いに乗じて反撃、モンゴルを撃退した。
216「ど」の字:02/12/01 01:19
 続いて、日本の形を整えた政治家です。

【厩戸皇子】 敏達3年(574)〜推古30(622)  >141の書式で。

【統率】77(物部氏との抗争では、兵士を上手く統率鼓舞して勝利の端緒を拓いた)
【武力】41(この面においてはとりたてて優秀とは見えない。半島出兵もだらしなく失敗続きに終わる)
【知力】97(超人的な現実把握力・解法模索力。日本に根差す「和」の深層心理に最初に気付いた政治家。当時最高の教養の持ち主)
【政治】99(蘇我氏の勢力を掣肘して皇室の権威を高め、対外的には日本の地位を超大国隋に強硬に主張し押し通してしまった)
【魅力】26(夢殿に引きこもって政策を考えるなど、人間嫌いであったらしい。冷徹過ぎる性格は肉親にも好かれていなかったろう)

 聖徳太子と呼称される、日本の原形を創った偉大な政治家。
 用命天皇と蘇我馬子の娘である穴穂部間人皇女の間に生まれる。その血筋上、親百済・反新羅派。
 日本の宗教論争である崇仏論争においては帰化人の蘇我氏側に立ち、その後の物部氏との抗争でも蘇我氏側に従軍、勝利の端緒を拓いた。
 推古元年(593)、立太子して摂政となる。以後精力的に政治活動をする。斑鳩宮の建立(推古9年(601))もこの人の手による。
 国力を蓄えた後は、幾度と無く異母兄弟の来目皇子・当麻皇子に命じて新羅征伐の軍を起こしているが、これらは内部事情であえなく撤兵。
 推古11年(603)に氏姓制から冠位十二階を制定し階級制度を整える。
 推古12年(604)には十七条憲法を制定し、日本人にとって最も重要な規範は「和」(話し合いによる意思統一)であると言明した。
 推古15年(607)遣隋使に任命した小野妹子に当時の超大国隋と自国を対等に扱った「無礼な」国書を煬帝に奉呈させ、立場を押し通した。
 その後も国家の精神的規範とすべき経典の選定や、戸籍・天皇記・国記の記録などを形成する。
 推古30年(622)、斑鳩宮で逝去。享年48歳。
217「ど」の字:02/12/01 01:41
>215さんの要請に応えて数値化します。>141フォーマットに準拠。

【金允侯】 生没年未詳

【統率】87(奴僕身分の民兵を率いて、その士気を高め存分に生かした)
【武力】89(70日間の蒙古軍の攻撃部隊を前に篭城を完遂した功績は大きい)
【知力】60(これに関連する資料が無いため、普通の寺の住職としての教養を持っているものとする)
【政治】45(これも関連書籍が無いので数値判定不可。しかし能力が有ったはずもない)
【魅力】74(その統率の方法を見るに、親分肌の人間であったのだろう。)

 処仁(しょじん)城(京畿道龍仁郡)居住、元は寺の住職。
 1232年第2次侵略の際、逃れて城内に居たが、モンゴル将軍サルタイの油断した隙をねらい射殺した。
 恩賞をうけ、還俗して金允侯と名前を変え、江華島に招かれて登用された。
 1253年第5次侵略では忠州城の司令官に赴任。
 奴僕出身兵士の前で、奴僕証文を焼却して彼らの士気を高め、その勢いに乗じて反撃、モンゴルを撃退した。
 総じて高麗の将はだらしないと後世に批判される中で、市井の人間が国を保たせた好例と言われる。
 政治に関わる立場ではなかった為、高麗の元への臣従は防げなかったが、戦術的能力は卓越していた。
218世界@名無史さん:02/12/01 01:53
>>217

さすがに早い、情報と数値化に感謝します!
ありがとうございました
219世界@名無史さん:02/12/01 02:04
スレ読んで感想

李舜臣や安重根といった反日運動に利用される人物以外にも、ちゃんと歴史ヒーローはいるんだなー、と
しみじみ
220世界@名無史さん:02/12/01 02:13
純半島じゃないけど、高句麗にけっこういそうだけどね、数値高そうな人。
あの国けっこうしぶとくて凄いから
221「ど」の字:02/12/01 02:16
 続いて古代ローマに最大の痛手を与えたこの人。>141書式。

【ハンニバル・バルカ】 B.C.247〜183

【統率】99(古代の戦史において従軍拒否をされなかった名将はこの人とスッラくらいのもの)
【武力】97(世界戦史上の金字塔であるカンネーの戦いを演出、ザマの戦いにおいても激烈な抵抗を展開した)
【知力】72(優秀ではあった。が、ターニングポイントでいくつかの失策をしているのでこのレベルとした)
【政治】52(政策策定能力は秀逸だが、実行力には疑問。ザマの敗戦後は政治改革に着手したが、政敵に讒言され逃亡を余儀なくされる)
【魅力】75(厳しい統率姿勢に関わらず、傭兵たちには良く慕われていたらしい。反面人間的態度に問題あり)

 カルタゴ名門の出身。第一次ポエニ戦役の名将であったハミルカル・バルカの長男。
 長じて義兄ハストゥルバルに父の地盤スペインを受け継いでからは、一族の悲願であるローマ滅亡を達成する為兵を起こす。
 アルプス越えを敢行してイタリア国内に侵入、長きにわたってローマの国土を荒らしまわった。
 エパミノンダス→フィリッポス二世→アレクサンダー三世と受け継がれた重装歩兵斜線陣戦術の完成者。
 戦場心理学・諜報・両翼包囲戦術など戦争における多くの分野で模範となる、カンネーの戦いでの大勝利をもたらす。
 その後はローマの執政官(独裁官の時も)ファビウスなどの良将との長い戦いに、遂にローマ攻略が出来ず北アフリカへ帰還。
 ザマの戦いにおいては己の戦術を深く学んだ大スキピオ(アフリカヌス)に指揮されたローマ・ヌミディア連合に敗れ去る。
 ザマの敗戦後に徹底抗戦を叫ぶカルタゴ議会において、早期講和を説くことで国家の破滅を防いだ。
 その後は復仇を目指して国内の政治改革に着手するが、国内の旧守派にローマへ讒言されてカルタゴを追われる。
 地中海のあちこちをさまよって反ローマの糸口を見つけようとするが、ローマ人に追い詰められついに毒杯を煽った。
 奇しくもハンニバルの死んだ年は、彼をザマで破った大スキピオが政争に敗れ隠遁した自領で憤死した年でもある。
222世界@名無史さん:02/12/01 02:27
どの字たん最高です
223「ど」の字:02/12/01 02:50
 ハンニバルを書いたからにはこの人も。やはり>141の書式。

【プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス】 BC236〜183

【統率】90(カンネーの敗兵の士気を再復し、若くして大軍の指揮を過たなかった)
【武力】95(スペインのカルタゴ首都カルタヘナを陥とし、ハンニバルにザマで勝利するなど超一流。理論にも卓越)
【知力】80(高い教養の持ち主であり、修辞学にも秀でる。ただ名を残すほどではない)
【政治】50(この面において彼の熱意の欠如は明らか。大カトーの讒言に嫌気が差して自領に隠遁し後憤死)
【魅力】89(ローマ人としては長身の、目鼻立ちの整った人らしい。立ち居振舞いも洗練されており、人を引きつける弁論も秀逸)

 ローマの名門コルネリウス一門に生まれる。
 ごく若い頃から、共和制秩序をややはみ出す派手な言動と人気によって知られていた。大のギリシャ愛好家。
 父親(同姓同名)と伯父グネウスのスペインでの戦死後、将が枯渇していたローマのスペイン方面指揮官として名乗りをあげる。
 そしてスペインやカンネー戦の敗兵などを糾合した軍隊で、スペインのカルタヘナを瞬時に陥落させる功績を上げた。
 ローマ軍の兵装を長期戦・機動戦・乱戦に適したように様々な改良を施し、また良くハンニバルの戦術を研究して理論を確立する。
 ザマの戦いではハンニバル由来の両翼包囲戦術をもってハンニバル本人の軍を撃破、第二次ポエニ戦役を勝利に導いた。
 その功績によって「アフリカヌス(アフリカを制したもの)」の称号を得、絶大な尊敬も勝ち得た。
 晩年は政治的に不遇。政敵大カトーの讒言に追われ自領に隠棲し、そのまま死去。
 彼の最期の言葉は「恩知らずの我が祖国よ、お前は我が骨を持つことはないだろう」であった。
 彼の政治的流れは、孫のグラックス兄弟やカエサルによって受け継がれていくことになる。
224「ど」の字:02/12/01 02:57
 う! 大スキピオはこのスレッドでもう書かれた方が居る…。失礼。
225中スキピオ:02/12/01 04:05
じゃあ小スキピオかいて
226世界@名無史さん:02/12/01 23:21
>>220

ウルチムントク(乙支文徳)とか強そうだよな
綴り間違っていたらスマソ
227「ど」の字:02/12/01 23:28
 リクエストにお答えして、小スキピオの記述を。>141方式。

【プブリウス・コルネリウス・スキピオ・エミリアヌス】 B.C.185〜129

【統率】68(まあ破綻は無かった。特に名は残していないが、ローマ軍だからこれで良かったのだろう)
【武力】81(カルタゴを効果的に陥落させるなど目覚しい軍歴を重ねてはいるが、偉大な大スキピオほどではない)
【知力】90(一流の教養の持ち主。ギリシャ愛好家のサークルなども自ら開いており、当時注目されていた)
【政治】55(平均的なレベル。グラックス兄弟の改革にはやや距離を置いていたので、先見の明には欠けるらしい)
【魅力】74(当時の社交界で有名になっているほどの俊英だが、素のままでとびきり光るものは無かった)

 俗に小スキピオと呼称される。なおエミリアヌスはカルタゴを滅して以後の綽名。「小アフリカヌス」。
 大スキピオの甥にして長男の養子。大スキピオに似て大変なギリシャ愛好家で、彼の下には教養のある人間が集まっていた。
 有名な歴史家ポリビウス(ギリシャのアカイア同盟騎兵軍団長。最初の信頼できるローマ記述である『歴史』の作者)との親交で知られる。
 第三次ポエニ戦役においては、メガラの3重障壁に拠って抵抗するカルタゴを陥落させるために中途から派遣される。
 理に適った方法で抵抗を遮断、ついにカルタゴを滅ぼす。その際のカルタゴ炎上に、遠い未来のローマ滅亡を幻視して慨嘆したと伝えられる。
 グラックスの妹と結婚して縁戚に連なるが、その改革にはやや距離を置いていたらしい。
 晩年は肥満していたと伝えられる。その死因は心臓病とも、彼の反対に業を煮やしたグラックス兄弟に暗殺されたとも説がある。
228世界@名無史さん:02/12/01 23:33
>>220

私は先の蒼き狼スレの住民でして、そこで紹介があった井上靖の「風濤」読んでみた

・・・・高麗かわいそうすぎ
苛斂誅求に対処する李蔵用や金方慶の奮闘ぶりが泣けてくる

いずれ、ここの神に洪茶丘の数値化を聞いてみたいところ
229「ど」の字:02/12/01 23:42
>228
 うぐぅ。
 自分はローマと日本担当の八百+八十万の神々の従者ですからねー。
 高麗は担当外なんですよ。朝鮮半島史担当の神は居られないものでしょうかねー?
 でも、拙い意見を言いますと、当時の高麗政治家には総じて高い点数は上げられないと思いますよ?
 彼らは残念ながら国土防衛を損ね、軍隊への統制も失っています。
 百済がまだあった頃の半島には、かなり優れた人材も居たとは思いますが…。
230■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:02/12/01 23:50
ひえ〜、ウチの書き込みに異国人の登録が増えてると思ったら
こんなスレが出来てたんですね
とりあえず貼っときます

■中国の歴史人物をゲームに登場させよう!■
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1005/10056/1005659817.html

■中国の歴史人物をゲームに登場させよう!その弐■
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1029/10297/1029761628.html

■中国の歴史人物を登場させよう!2【改】■
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1032/10327/1032787785.html

現在進行中のスレ
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1033048238/l50

宣伝だけなのも申し訳無いんで登録させもらおうかしら(^^)

■スレナス■(?〜BC53?52?)パルティアの貴公子
統率 74
武力 87(一万人を率いて4万のクラッスス軍をカルラエの戦いで撃破)
知力 73(ラクダを矢の輸送手段としたのは慧眼)
政治 20(ボンボンな感じ)
魅力 85(人気が有り過ぎたため、パルティア王に殺害された享年30歳)
特技:騎馬 弓兵S 挑発 陽動 足止 伏兵 連射 乱射 遠矢



あと、高句麗の王様をこっちのスレで登録してみようと思います・・(・・;)
232228:02/12/02 00:03
>>229
>朝鮮半島史担当の神は居られないものでしょうかねー?

私も探してはいるのですが、客観的な評価をおこなうだけの情報源が少ないように思いました
大きな図書館に行くか、いずれは日韓翻訳ソフトで半島のサイトも回ってみようかと思っています
233世界@名無史さん:02/12/02 00:10
12〜13世紀の高麗と日本、どちらも同じ時期に武家政権が誕生しているんですよね
そのあたりを比較すると結構おもしろい

>当時の高麗政治家には総じて高い点数は上げられないと思いますよ?

相手は世界史最強のモンゴル帝国だから、少々の情状酌量は認めてあげたいところだが
内紛が絶えなかった事と、当初からモンゴルに寝返った武将の存在(=洪茶丘)を考えると
やはり指摘通りかな、と思います。
234「ど」の字:02/12/02 00:20
 小スキピオを出したので、彼に見出されたこの将軍も書きましょう。同じく>141の書式。

【ガイウス・マリウス】 B.C.156?〜86 

【統率】70(他人に厳しく自分にはより厳しい姿勢を堅持。硬軟の手法を併せ持つスッラよりはわずかに下。ただ晩年統率力が陰るのでこの数字)
【武力】81(天才ではとても無いが、戦期と戦闘の本質把握能力に優れる。徹底的に戦術指揮官向き性格だが、戦略の才もあった)
【知力】32(教養も弁舌も無く、それらを比較的軽視していた感がある。この面でスッラに敗れたのは当然)
【政治】45(努力して努力して、やっとこの数字。真摯な態度と努力と軍功だけが、この人の政治生命を支えていた。影響力行使も拙劣)
【魅力】56(これもだいぶ贔屓目に見た数字かも。一徹にして辛辣な性格で人を遠ざけてしまった。ただアジテーションの才はあったらしい)

 紀元前1世紀のローマの将軍、政治家。軍制を改革した。 政治的には民衆派に属する。
 プルタルコスに書かれたような極貧の生まれではなかったらしいが、貧民層の生まれではあった。
 立身出世を志して軍に志願、イスパニア遠征に従軍。ヌマンティア攻囲戦で、小スキピオに勇気、質素、精強さなどにより見出される。
 後にマリウスは政界にも進出した。富も弁舌も無かったが、困苦に耐えて真摯に戦う姿勢が共感を得て、次第に勢力を増していった。
 なお、政界入りの頃にローマの有力者アウレリウス・コッタの妹ユリアと結婚した。この女性の甥に、ユリウス・カエサルが生まれる。
 北方ゲルマンの蛮族南下に対抗するのにたびたび功績があり、その功を以て政界に影響力を振るった。
 だが、やがて元部下であった将軍スッラ(元老院派)の台頭により勢力を失い、同盟市戦争においてもその功績の多さでスッラに一歩劣ることとなる。
 その後の抗争で、元老院派のスッラと共にローマを物理的だけでなく精神的にも荒廃させた元凶となる。
235「ど」の字:02/12/02 00:27
>232
 韓国の資料は、大概信頼に値しないんですよ……。
 あの国には、斥前王朝という特有の現象があって、新しく建った王朝は前政権の事物を破壊する事が多いのです。
 おまけに知っておられるとは思いますが、あの国は捏造された歴史が多くて……。研究家にはやりきれない国です。
 かなり資料が残っている古代半島史の研究が進んでいないのは、それが韓国の国粋主義者の意に反するからみたいです。
236世界@名無史さん:02/12/02 23:46
ガリアでカエサルと戦ったヴェルキンゲトリクスはどうよ?
それなりの数値は期待したいところ

なぜかゲーム化されているし
http://www.gzstyle.com/soft/200210/31/01ckj_zo.php
237世界@名無史さん:02/12/03 00:15
・・・か、書きづらいな。
「ど」の字さん以外、最近誰も・・・。
238世界@名無史さん:02/12/03 00:22
>>237

正直、あのレベルの書き込みはできそうにない
239世界@名無史さん:02/12/03 01:09
ヴェルキンゲトリクスってかなりファンなんですよね
学研かなんかで出てた新書サイズの小説で知ったんですが。

あとレイストームの二面ボス・・・

成果からいうと小粒な英雄になっちゃうのかな
AOEだとカエサルよりHPが高かったような
240世界@名無史さん:02/12/03 01:34
一応実在だけど業績は神話化ってのもありでしょうか?

【ギルガメシュ】B.C.3000くらい

 【統率】82(杉の森の遠征を成し遂げたので)
 【武力】94(並ぶものがいないといわれつつ部下のエンキドゥ頼み)
 【知力】77(至らんところもあるが不老不死をあっさり諦めたのは英断)
 【政治】70(若い頃暴君も民会を煽って長老会の意見を抑えるあたり評価)
 【魅力】88(気まぐれだし仁君ではないが人気はあったかと)

 ユーフラテス下流域ウルクの王。キシュ王アッガらと覇を競ったことは史実らしいが、それよりも親友エンキドゥとの冒険『ギルガメシュ叙事詩』で名を残す。数値もこっちを参考にしてます。
 
 ぼかぁシステムソフトの「天下統一U」の方が好きなんで、コーエーの数値の基準がよくわかりません。
241「ど」の字:02/12/03 01:52
 では、リクエストに応えさせていただきます。

【ヴェルギンゲトリクス】 ?〜B.C.46

【統率】72(当時のガリアでは超人的だったのだろう。しかしカエサルと戦うにはかなり力不足。随所に甘さが見られる)
【武力】93(気付きの早さを戦場に反映させるのが上手かったようである。戦略的にも超一流。ただ、やはりカエサルと戦うには……)
【知力】84(思考力は天然のものだったのでは?ローマ軍の構造的弱点と自軍の弱点を冷徹に看破した。教養の欠如によりこの数字)
【政治】80(ガリアに対ローマ共闘の同盟を作り上げた手腕はさすが。86を与えようかとも迷ったが、軍事と外交の遮断で減点した)
【魅力】88(同盟糾合の手腕はさすが。カリスマで同盟を引っ張ることが出来なかったのは、ガリア人特有の性癖によるもの)

 カエサルのガリア戦記に詳述される、対ローマに起ったガリアの指導者。
 ローマ南仏属州に接する、ガリア南端の強力な部族オーヴェルニュ族の反ローマ派指導者の息子。クーデターで首領になる。
 クーデター直後、ガリア全域に反ローマ決起を促し、主要部族ではヘドゥイ族以外の全ての部族を反ローマに起たせた。
 当時三十代半ばとは思えないほどの指導力と強権で、分離抗争を繰り返すガリアに独立の力を蓄えた。
 ガリア戦記後半でのカエサルとの戦略のせめぎあいは、強豪同士が戦う将棋を見ているような気分にさせられる。
 敗北の原因は、局地戦の一つ一つでカエサルの上を完全にいけなかったことと、駒が自分の意図に反することをしてしまったこと。
 なお、ゲルゴヴィアでの勝利で、カエサルの直接指揮する軍に土をつけた二人の人物の一人となる(もう一人はポンペイウス)。
 戦史上稀に見るアレシアの戦いにおける敗北後、カエサルに降伏しガリアの保全を図る。
 その後カエサルの行く先々に引き回され、カエサルがポンペイウスを破って後の凱旋式に参列した後、牢で殺された。
 カエサルをして、手元から離すには、生かしておくには、あまりに危険過ぎると判断させしめた恐るべき指導者。
 彼が相手国の政治を揺さぶる術を知っていたならば、あるいはカエサルはガリアから帰って来れなかったかもしれない。
242世界@名無史さん:02/12/03 03:10
好敵手を対比してみる。

レフ・トロツキー
統率 65 (スターリン派との闘争で敗北)
武力 82 (赤軍創設者)
知謀 47 (高かったら暗殺されない)
政治 96 (スターリンよりは賢い)
魅力 89 (ペトログラード・ソビエト議長)
野望 55 (すぐ腐る)

ヨシフ・スターリン
統率 97 (共産党権力を強大なものとする。第二次大戦にも勝利)
武力 54 (第二次大戦、勝つには勝ったんだけど・・・)
知謀 89 (暗殺、流言、煽動などが得意)
政治 23 (自分でやるのは苦手。粗野な田舎者)
魅力 60 (個人崇拝も長続きしなかったし)
野望 95 (靴屋の息子から立身出世)
243 世界@名無史さん :02/12/03 03:21
>>240
エクスかリバーを装備したら武力はいくつアップでつか?
244世界@名無史さん:02/12/03 04:41
>>243エクスカリバーはギルガメシュじゃないだろう
245世界@名無史さん:02/12/03 09:32
>>243
エクスカリパー
246世界@名無史さん:02/12/03 11:17
>>241
その「行く先々で引き回され」ってのは事実かなあ。
移動してる途中や戦闘中の、警備の気が緩んでる時に
脱走されたら最後だろうに。
ヴェルキンゲトリクスに関しては、年齢についても諸説あるみたいだね。
247山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/12/03 11:18
>244
FF5のネタでしょう。不毛ですが・・・。
248世界@名無史さん:02/12/03 20:45
ヴェルキンゲトリクスは、やっぱり当時のローマにおいても"すげェ奴"だったのでしょうか。
249「ど」の字:02/12/03 23:29
>246
 ローマは投降した敵国の指導者を殺さずに、ローマ市の有力者の家で軟禁するという扱いをします。
 もしもカエサルが手元から彼を放したら、ローマからどうにかして逃げ出して再起を図った可能性は十分あります。
 きっとカエサルは、彼の処遇の決定権を手放すまいと努力したことでしょう。
「サイを投げる」時もカエサルの側で監禁されていたと言う話は、恐らく真実でしょう。
250世界@名無史さん:02/12/04 01:11
>249
うーん・・・
もしカエサルが本気で彼を恐れていたとすれば、有力者の家で軟禁とか
連れ回しでなくて、刑務所の独房辺りで監禁した方が安全だったろう。
いずれは処刑することが前提なら尚更。
普通は指導者を殺さないから軟禁するんであって、
カエサルは彼を処刑しているからね。
251世界@名無史さん:02/12/04 01:14
ヴェルキンゲトリクスってすごい人だったのね
何とも、カエサルと同世代に生まれたことが悔やまれる
別の時代に生まれていれば、それなりの王朝を築けたかも知れない

今でも、古代フランスの英雄なのか
252「ど」の字:02/12/04 01:37
>251
 まず、彼と言う人間に「降伏させた」という事実が、ガリア戦記の後始末に有利だったのでしょうね。
 もしかすると、彼がカエサルにガリア統治の便宜をある程度はかることで、ガリアに有利な取引を狙った可能性もあります。
(カエサルがガリアから直接収税することに決めた租税は微々たる物。何らかの政治的取引を疑ってしまうほどに…)

 あと忘れてはならないのは、当時のローマ元老院から彼をローマへ送るように、カエサルに圧力がかけられていたであろうこと。
 ローマでは戦争で獲得した財宝も捕虜も、一旦ローマに送られてから処遇が決まる筈ですから。
 下手をするとローマ人自らヴェルギンゲトリクスを釈放してしまう可能性もあるだけに、とても手元から離せなかったのでは?
(ボリビウスなどローマに対して戦った多くの者への処遇を考えると、有り得ないとは言い難い)

>252
 100年早く生まれているか遅く生まれているかしたら、フランク王国がその時代に成立していたであろう。
 生まれた時代が、あまりにも悪かった。カエサルが居なくてもポンペイウスが居たのだ、この時代は!
253世界@名無史さん:02/12/04 09:44
カエサルの敵役で影が薄くなりがちなポンペイウスも
実はもんのすげえ武将なんだよね。
圧倒的な戦績だよ。
当時は弱りに弱りきってたとはいえ、オリエントとアフリカの諸国の沿岸地域を
根こそぎ属州にしてしまったのは凄い。
254世界@名無史さん:02/12/04 11:42
>>252
一点、基本的なところを確認したいんだけど、
彼を手元に置いて連れ回すってのは、いつまでやってたと思う?
カエサルがギリシアに渡ってからもやっていた、という考えなのかな。
ガリアにいた頃連れ回した、ってのは何となく分かるんだ。
他の原住民たちへの見せしめにもなるし。

ただ、内乱記の頃になると「そんな余裕はなかろう」というのが
私の基本的な考えで。
大体、ポンペイウスがローマから逃げるという保証もなかったし、
一戦やれば勝つかどうか分からない。混乱に乗じてヴェルキンゲトリクスが
逃げる可能性もあった。

カエサルは三つの州の属州総督だったから、同じ引き渡さないにしても
そこの刑務所に送るという手もあったと思うんだけど。
255世界@名無史さん:02/12/04 21:40
「ど」の字さん、いつもありがとうございます

さらにリクエストさせてください。
カエサル、ポンペイウス、オクタヴィアヌス、ヴェルギンゲトリクスときたら「クレオパトラ」は
いかがでしょうか?

絶世の美女だったかどうかはさておき、ローマの実力者2人を味方にしたので

知力(カエサル・アントニウスが満足するくらいだから)
魅力(同上の理由、銀座の超一流ホステス以上の魅力があったものと思うw)

以上2項目は一流と思っているのですが。

またm控えめに見て、武力は低く(当然か)、統率と政治は並よりちょっと上くらいでしょうかね

どうかご教示お願いします
256世界@名無史さん:02/12/04 22:01
>>255
クレたんは他の人よりも一層、人によって判断が分かれるでしょうなぁ…
257「ど」の字:02/12/04 23:40
>254
 鋭い指摘、ありがとうございます。
 自分の意見では、ポンペイウス他元老院派がイタリアから逃げ出すまでは、間違いなくカエサルは手元に彼をおいていたと考えます。
 その時までは、カエサルの近辺にまで元老院派の圧力が掛かっていましたので、誰かが寝返る土産に連れて逃げる可能性もあったので。
 内乱記の頃は、かえって手元から離せなかったというのが自分の考えです。
 イタリア本国を政治的に独裁できるようになってからは、分かりません。もしかしたら、ローマの牢獄に居た時期もあったかもしれません。
 ただ、長く本国を空ける際には、必ず連れて行ったでしょうね。
 ですから、ドゥラキウム攻防戦敗退前後の混乱が、最もヴェルギンゲトリクスが逃げる可能性があった瞬間でしょう。

>255
 カエサル、ポンペイウスはまだ略史を書いていません。
 他人の書いた数字がありますが、自分なりに考え資料を漁って結論を出したく思います。
 スッラ、ポンペイウス、クレオパトラ、キケロ、アントニウスと書いてカエサルにつなげていくつもりです。
258255:02/12/05 00:21
厨房なおいらに親切なレスありがとうございます
では、楽しみに待っております
流れと関係ないのでsage
259世界@名無史さん:02/12/06 18:11
◆アレクサンドル・ネフスキー◆(1220?1223?〜1263)/(在位1252〜63)
統率 81
武力 87
知力 83
政治 76
魅力 88
特技:鼓舞 伏兵 外交 聖痕
東方からはモンゴル軍。西方からは有名(?)な「北の十字軍」の進行を受けた
苦難の時代のロシア(正確には「ルーシ諸国」)の大公であり英雄
1240年、ネヴァ河畔でスウェーデン軍を破り
1242年チュド湖上の氷上決戦でドイツ騎士団を破った
モンゴルに対して徹底的な恭順外交を貫徹し、国内で起こった反タタール暴動をも自ら鎮圧、弾劾。
はるかカラコルムまで伺侯したこともある(約6000kmの旅・・・)
・・・後の時代
イワン雷帝の時代にはロシア正教会によって聖人に祭り上げられ
ピョートル大帝の時代にはペテルブルク大修道院が建立され
あのスターリンも「アレクサンドル・ネフスキー勲章」を戦功者に与えた
エイゼンシュテインの映画でも有名
260PURE-GOLD:02/12/06 18:50
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261「ど」の字:02/12/07 06:04
 さて、そろそろローマの紀元前1世紀を彩った人物評伝を書いていきます。

【ルキウス・コルネリウス・スッラ】

【統率】99(部下に従軍拒否されなかった名将は彼とハンニバルくらいしか居ない。世界史上類希な抑制力)
【武力】91(冷静にして果敢。名将の列に加えて問題ない。戦略戦術ともに欠ける事が無かった)
【知力】94(その思考力に文句なし。教養も自らひけらかす事はないが卓越していた。アリストテレス著作が現在あるのは彼の功績)
【政治】82(自らの理想を体現する能力は超一流。ただ「その後」を考える能力に欠けていたため大きく減点。でもこの高ポイント)
【魅力】93(極貧の生まれながら人品卑しからぬ振る舞い。美男子でもあり人心収攬にも優れた痛快な男)

 ローマの名門コルネリウス一門に生まれるが、極貧のうちに育った。
 ごく若い頃から向学心があったが、その学資は娼婦たちに貢がせたものという。
 最初はマリウスの部下として軍事面で頭角を顕し、特に同盟市戦争において、マリウスとの差をつけた。その勢いで執政官にも当選。
 元老院派に立ち、対ポントス戦線の指揮権を巡り平民派の巨頭マリウスと決定的に対立。
 平民の支持を得て一方的に指揮権を奪ったマリウス率いるローマ本市に対し、元老院派を率いてクーデターを実行、政権を握り粛正を敢行。
 キンナに後を託して小アジアへ遠征するが、そのキンナの裏切りによってローマの主導権を民衆派に奪われる。
 マリウスとキンナの死後、イタリアを元老院派の手に奪還するべく上陸。
 マリウス揮下の良将セルトリウスなどが率いるローマ正規軍を激闘の末撃破。
 その後悪名高い「処罰者名簿」を公布して民衆派を弾圧したことにより、恐怖政治の元祖のように語られている。
 その後民衆派が同盟市に与えた権利の剥奪、元老院機能強化などの元老院派に立った政策を進めるが、政策の執行後急に公的地位を辞任。
 政界に隠然と影響力を持ったが、不摂生が祟ったのかある日病に倒れ数日後死去した。
 彼の墓銘碑は「味方に対してはスッラほど良き事を成した者はなく、敵に対してスッラほど悪しき事を成した者はなし」であったと伝えられる。
 今を切り開く政治家としては秀逸であったが、未来を見据える政治家としてはこれほどの人であっても残念ながら落第点を付けざるを得ない。
262「ど」の字:02/12/07 06:16
 続いてスッラ(B.C.138〜78)をして「マーニュス(偉大なる)」と呼ばしめた名将です。同じく>141書式。

【グナエウス・ポンペイウス・マーニュス】 B.C.106〜48

【統率】84(緻密な行動と記憶力で能く部下を統率した。最期は良く知る元部下に殺されたのが減点要素)
【武力】97(早熟な天才だった。精力的に動けばカエサルと比べても互角以上の戦略・戦術能力を持つ。きっと数学も得意だったろう)
【知力】55(劣ってはいない。しかし表現力は拙劣、教養人にも成り切れないなど穴の方が目に付くので、かなりマイナスした)
【政治】29(政治的人間ではなかった。御神輿に担がれて滅びの道を歩む辺り先見の明も無い。ルクルスと比較すると引き際の悪さが際立つ)
【魅力】94(鷹揚な性格で人気が高く、ローマ市民の圧倒的な支持を集めた。その人気が維持できなかったのは、彼の政治力の無さに因る)

 カエサルに敗れ去るまでは、マケドニアのアレキサンダー大王なみの「マーニュス」の自称を許され、史上最高の名を縦にした名将。
 父親をマリウスの粛正に殺されており、復仇の念に燃えてスッラのイタリア上陸軍に自費で3個軍団を編成して参戦。
 その兵力のみならず軍才でスッラを大いに喜ばせた。その後は若きローマの宿将として活躍。
 特にキリキア海賊に対する掃討戦の鮮やかな手腕で、世界的な威信を得る。
 その後元老院派の底意地の悪い仕打ちに遭って一旦政界を引退したが、その後カエサルの協力を得て三頭政治の一頭として復活する。
 カエサルの一人娘ユリアを妻に迎える(夫婦仲が大変良かったと伝えられるが、彼女は子を身篭る負担に耐えられず死去)。
 カエサルによるガリア制圧後、元老院派とカエサル派の板挟みになるが、結局元老院派に担がれ「元老院最終勧告」の後ろ盾にされてしまう。
「ルビコンを渡った」カエサルの急襲にイタリアを明け渡すが、その後は広大な戦場で自在に兵を動かしてカエサルと戦った。
 ドゥラキウム攻防戦においてはカエサル指揮の包囲軍を打ち破り敗走させるが、の戦いで生涯最初で最後の敗北を喫する。
 その後引退を考えたとも言われるが、元老院派に励まされて敗走を立て直そうと逃れていったエジプトで、王家側近の罠に嵌められ殺される。
 アレキサンドリア市に送られたその蜜蝋漬けの首を見て、カエサルは涙を零したと伝えられる。
263「ど」の字:02/12/07 06:22
 262のカエサルとの決戦の地はファルサロス。書き忘れ失礼。
 敗因は、カエサルに自軍の優越していた騎兵の運用を奇策によって封じられ、逆に包囲されてしまったため。
 通常の将軍と戦っていたならば、まずファルサロス戦でも勝利していただろう。
 戦術展開にはほぼ文句のつけようがない。唯一海軍との連携に穴があったくらいか。
264「ど」の字:02/12/07 06:46
 スッラを書いたので、この人も書いておきたく思います。当時の世界で最も副官の地位が似合った男です。書式は>141で。

【ルキウス・リキニウス・ルクルス】 B.C.117〜56

【統率】58(優れているとは言えない。ただ彼自身スッラの統率下にあった際には能力は問われなかった)
【武力】80(戦術指揮も戦略策定も一流。スッラの司令を遂行する存在であったためか、総司令官としての器量はなかった。巧遅の悪癖あり)
【知力】70(教養人であったらしく諧謔の才もあった。あとグルメとしての名が残っている)
【政治】87(総督としては飛びぬけて有能。政治家としての引き際が分かっていたあたり、ポンペイウスより自己判断力があったようだ)
【魅力】52(同僚や部下を見下す癖あり。頭でっかちな文化人にありがちな人だったのだろう。公正さと清廉さでは認められていたらしいが)
【特殊能力】副官(自分より上司の能力が優れていた場合、その能力は+10される。ただし上司の能力以上にはならない)

 20代の頃、マルシー戦争に従軍。スッラに高いレベルでバランスの取れた精神的能力を見出される。
 それ以来、同盟市戦役や民衆派との内戦などで、スッラ門下第一の勇将として名を成した。
 スッラの死後は巧遅の性癖が顔を出しており、やや晩節を汚した感はある。本人もそれは分かっていたようだ。
 反ポンペイウス派に担がれそうになったが、判断力の鈍りを感じて自ら潔く引退。
 ローマ政界の一線を引退した後は、悠々自適の教養人としてまた莫大な金を使って宴会を開くグルメとしての名が残った。
 死に際して、スッラの墓の隣に葬ってくれるよう周囲に懇願するが、結局誰も真剣に諮ってくれなかったため望みは叶わず終わった。
 副官としてスッラの隣に在った頃が最も輝いていた男だと、自他ともに認める将軍。
265「ど」の字:02/12/07 07:06
 そして、現代まで続く弁護士の祖と言われる(決して良い意味だけではない。念の為)人の評伝です。>141書式。

【マルクス・トゥリウス・キケロ】 B.C.106〜43

【統率】25(指導層としては論外。自分の家族もコントロールできていない)
【武力】58(同盟市戦役従軍経験あり。ただこの方面での名はなかった)
【知力】91(当時はカエサルと並んで最高の教養を持っていた。現実把握力も一流。但し先見の明がまるで無いので減点)
【政治】79(平和を保つ点では最善の政治家。危機管理能力もそれなりにあった。ただバランスに欠けるきらいはある)
【魅力】21(ローマ政治家としては十人並み。弁舌で反感を買うこと多く減点。人間的にあまりに卑しすぎるのでさらに大きく減点した)

 当時のローマではカエサルと並んで最高の文人で、現代でも非常に評価が高い。
 若い頃はポンペイウスの父の下で同盟市戦争を戦ったこともあったらしい。
 ローマ最高の弁護士であったホルテンシウスとの大論戦に勝利する事で、ローマ最高の弁護士の名声を確立した。
「カティリーナの陰謀」事件で元老院の空気を変える為になされた「カティリーナ弾劾演説」は、今も欧米人が高校で必ず読まされる題材である。
 どちらかと言うと急進的な平民派に対抗する元老院派に属し、カエサルと友人(?)でありながら政治的には対立した。
 ちなみに彼の弟が、カエサルの副将としてとしてガリアで敢闘するクイントゥス・トゥリウス・キケロである(出来が悪いと言われつつ良く頑張った)。
 内乱時代にはどっちつかずの蝙蝠的態度を取り続け戦禍を逃れた。
 内乱終結後はカエサルの独裁的な改革に不満を鬱積させ、カエサル暗殺者たちの精神的バックボーンとなる。
「フィリッピケ」でアントニウスを弾劾、オクタヴィアヌスの政治的遺産相続を妨害など、カエサルの遺産を破壊してローマを共和制に戻す事を画策。
 後にそのことをアントニウスとオクタヴィアヌスに罪に問われ、「処罰者名簿」の筆頭に上げられ殺された。従容として迎えた死であったと言われる。
 死後、フォロ・ロマーノにその首級と筆を持つ右手を晒された。
266「ど」の字:02/12/07 07:07
>265の続き。
 後年、オクタヴィアヌス(アウグストゥス)がキケロの著作を読む孫たちに言った評伝はこう。
「学問のある人だった。学問のある愛国者だった」
 どんな気持ちで言ったのか、非常に興味深い。
 自分は、オクタヴィアヌスは深い哀しみと共に言ったと思う。
 これほどの教養人が、ついに最期までカエサルを理解できなかったことに対する哀しみを思って。
267「ど」の字:02/12/07 07:10
【キケロ批判  …I'm proud…】

 マルクス・キケロという人間を書いていて、どうしても書かねばならないと思ったので、彼への批判を文にします。
 彼は弁護士の祖として今も(主に進歩的)文化人に人気の高い人ではあります。
 が、この頃からすでにして弁護士の持つ構造的人格欠陥を具現した人物でもあります。
 官僚的現実把握力と解法策定能力は超一流でした。
 しかし、自分の解決策が未来に何をもたらすかという観点に欠けた人であり、政治家としては不適格と言わざるを得ません。
 何よりも、ポンペイウスやカエサルを語る文を見ると、この人の人間的な卑しさは際立ちます。
 オクタヴィアヌスは、自分を愛し育ててくれたカエサルの死を共和制復帰のチャンスのように語るキケロを見て、どんな事を思ったのでしょうか。
 自分としては、キケロへの殺意を抑制したことだけでオクタヴィアヌスの超人的自己抑制能力を賞賛したい気分です。
 後にアントニウスとオクタヴィアヌスはキケロを「処罰者名簿」のトップに載せ、首と右手を晒しましたが、彼の言動を調べて略評を書いた者として一言。

「当然の報いです」

 自分は、この人物が、嫌いです。人間として、大嫌いです。
 この人間を見ていると、現代の倫理的に問題ある世界中の弁護士の行いを理解できます。
 近現代の日本が、弁護士の制度で何故世界の例外と言われているのか、何故そんな例外的な法社会を築いたのか。
 世界の弁護士の祖と言われる彼の言動を見て、ようやく理解得心がいきました。
 きっと、当時の日本人も、欧米法社会の象徴である彼が大嫌いだったのでしょう。
 自分は、日本人として、現代世界の例外である日本の法社会を誇りに思います。
268世界@名無史さん:02/12/07 16:48
なかなか面白い。
日本じゃキケロ的人間は大抵官僚になってますな。
269世界@名無史さん:02/12/07 19:00
本当におもしろいなぁ。
270世界@名無史さん:02/12/07 21:57
おお!神が降臨されたぞ!
今宵は祭りじゃ
271「ど」の字:02/12/08 02:12
 さて、マルクス・キケロを書いたので、この人も書いておきましょう。兄のとばっちりを一身に受けて殺されたかわいそうな将軍です。

【クイントゥス・トゥリウス・キケロ】 B.C.102〜43

【統率】82(カエサルの下で学んで急速に伸びた。危機に遭って軍の統率に誤り無し)
【武力】74(体が弱かった。その他の能力もまあまあと言う程度。ただ最も苦しい時のカエサルの支えになったのでボーナス的に+10した)
【知力】69(教養も文章力も努力と兄の善導の割りには伸びなかったが、本質把握力と解法策定能力は兄譲り。戦場では78あっても良い)
【政治】45(弁護士としても官僚としても鳴かず飛ばず。仮にそういう政治的地位に就いても役には立たなかったであろう)
【魅力】55(兄同様、この点においてはぱっとしない。ただ人間的な卑しさは無いのでこの数字)

 カエサルの「ガリア戦記」で特筆される将軍の1人。
 後に文人として有名になるマルクス・トゥリウス・キケロの弟として生まれる。(以後彼を弟キケロ、兄を兄キケロと表記)
 若い頃は弁護士や文人として生計を立てようとしたらしいがまるで才能が無く、彼を愛してくれていた兄をやきもきさせている。
 ガリアに赴くカエサルに、有名人がこぞって預けた子弟の1人としてようやく歴史に名を表わす。
 兄キケロはどうも彼を体の良いスパイにしていた節があったが、弟キケロはカエサルに心酔しまた良く学んで有力武将に抜擢された。
 彼が最も輝いたのは、ガリア戦役中、エブロネス族の計略で、サビヌスとコッタの率いる増強15個大隊(9000人)が殺された後。
 その直後ガリアが集結し狙ったのが、増強1個軍団(6000人)で冬営する弟キケロの駐屯地。
 計略で、あるいは十倍の60000人という数で攻め寄せるガリア人に対する弟キケロの奮闘は、現代も「ガリア戦記」で我々が知るところ。
 彼の部隊が攻勢を支えられず崩壊していれば、カエサルはガリアから戻ってこられなかった可能性は十分あった。
 後の内乱では、兄キケロが元老院派に走るのを非難している。内乱後のカエサル独裁では幅を利かせたようだ。
 カエサルが暗殺された後、兄キケロ非難のとばっちりを食らって「処罰者名簿」のトップページに書かれ殺された。
272世界@名無史さん:02/12/08 02:35
「ど」の字さん最高!
ああ、久々にローマ帝国衰亡史読もうかな・・・
273世界@名無史さん:02/12/08 02:37
ほんと最高ですね。全て絶妙な数値。
274「ど」の字:02/12/08 02:49
 ところで、ここで見て下さっている皆さんに一つ提案があります。
 ここでの企画を、別の適当な場所で「架空物語上の人物をコーエー数値化するスレ」として作ってみたいのです。
 どう思います?

 最初はJ.R.トールキン氏や田中芳樹氏の著作などから入っていきたいのですが。
 一度ヤン・ウェンリーやラインハルト・V・ローエングラム、アラゴルン・エレサールやモルドールなどを数値化してみたいのです。
 荒唐無稽な英雄物語的作品から取り上げるのは避け、考証のしっかりした作品から取り上げていきたく思います。

 一緒に盛り上げてくださる方は居ませんか?
275世界@名無史さん:02/12/08 03:03
>>274
面白いですね。適当な板はラノベ板かSF板でしょうか?
276世界@名無史さん:02/12/08 04:15
ここらへんも頼むよ。

マンシュタインエリッヒ・フォン・レヴィンスキー=フォン・マンシュタイン
ドイツ軍屈指の智将と謳われた将軍
ナーディル=シャー
イラン全土、アフガニスタン、インド・中央アジア、トルコを切り取った残虐な天才
プリンツ・オイゲン
第2次ウィーン包囲を破った英雄
鄭夢周
高麗王朝最後の忠臣
277「ど」の字:02/12/08 04:29
>276
 これから勉強してみます。
 自分はローマと日本専門の「やおやそよろずの神々の従者」ですから、どこまで出来るかさっぱり不明ですが。
 ただ、ついに今日まで独立を果たせていない朝鮮半島についての評価はどうやっても辛くなりますね。このことだけは言えます。
 どうして百済と新羅の抗争時代はあれほども情報に敏感だった民族が、あそこまで落ちぶれたのでしょう?
 半島の政治家も軍人も、そして官僚も、1500年近く何をやっていたのか、きっちり批判してみたいものです。

>274
 ライトノベル板が良いかもしれませんね。SFとは限りませんし。ここともリンケージできる場所が良いですね。
 あと、誰が板を立てますか?
 自分は板の立て方を知らないもので……。
278世界@名無史さん:02/12/08 05:53
>>277
ちょっとここよりキツイしばりが入りそうですね。分野がとても広いですし。
ロードスはともかくリナ=インバースとかはあまり入れたくないでしょう?
テンプレ考えないとね。SF板はファンタジーも扱ってますから、別にSF板でも
構わないと思いますよ。過疎板ですけど…(つД`)
もしやるんならラノベ板よりSF板に立てる事をお勧めします。ラノベだと荒らされそうな
気がしまつ。。。
279世界@名無史さん:02/12/08 06:09
半島があそこまでだめになったのは朝鮮王朝(李朝)のせいだろうねぇ。
徳川幕府と李朝、両方とも長期政権なのにかたや文官、かたや武官による統治。
のクセに文官による統治が行われてた朝鮮王朝の方が内部抗争による人材の粛清が激しい。
アホだねぇ。
280世界@名無史さん:02/12/08 06:25
【ヤハウェ】

【統率】0(ユダヤ、キリスト、イスラム等の様々な派に分かれているため)
【武力】∞(天変地異を引き起こせる)
【知力】79(仏陀やシヴァに比べてあまり知力はないのでは?)
【政治】50(三千年もかかって世界を支配出来ていないのでこの数字)
【魅力】100(数十億人が慕うほどの魅力の持ち主)
281世界@名無史さん:02/12/08 09:20
>>278
過疎板のほうが人が少なくてマターリできそうじゃないですかね?
282世界@名無史さん:02/12/08 22:19
>>274

類似スレです、参考にどうぞ

おい、コーエー!この武将も出してくれよ!!
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1005/10054/1005476599.html
コーエーこの武将も出してくれよ!【2】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1033214356/
■中国の歴史人物をゲームに登場させよう!■
http://salad.2ch.net/warhis/kako/1005/10056/1005659817.html

ちなみに、私的にヒットなのはこれ

陸一心

統率:72(理屈にかなった指揮と、勤勉な態度)
武力:69(囚人暮らしで筋力バツグン)
知力:96(秀才のうえ努力家)
政治:62(そこそこ)
魅力:87(賢人や優れた人間に好かれる傾向あり)
特技 日本語
283ひかる:02/12/08 22:48
ニーチェ
【体力】23
【武力】39
【知力】100
【政治】65
【魅力】90
284ひかる:02/12/08 22:50
ひかる
【体力】71
【武力】56
【知力】98
【政治】41
【魅力】100
【狂気】83
【マゾ】92
285世界@名無史さん:02/12/08 22:52
>>284
責められても、放置されても満足プレイ?
286世界@名無史さん:02/12/09 16:50
>>284
自分で自分を変わり者とか狂ってるとか言う人はたいてい正常
287世界@名無史さん:02/12/09 17:58
どの字さんが飽きて書かなくなっても続けていけるように
お前らもどんどん書き込めよ!俺も考えるから。
288「ど」の字:02/12/09 22:27
 みんなありがとぉぉぉぉぉおおおおおおお。

 がんばるよー。皆もがんばってえぇぇぇ
289「ど」の字:02/12/09 22:45
 カエサル配下の勇将、第二次三頭政治の一頭です。

【マルクス・アントニウス】 B.C.82〜30

【統率】72(威厳と知性で人をコントロールするタイプではなかった。戦時の統率はほぼ満点だか平時の統率は赤点。よって減点)
【武勇】86(カエサルにも信用された将軍。名将と呼ぶにはほんの少し足りない程度。個人的武勇は卓越していた)
【知力】50(優れていたとは言えない。教養も身に付いてはいなかったようだ。軍事的知識は豊富にあったらしいのだが)
【政治】49(本来は少なくとも60辺りあった筈だが、クレオパトラの愚行に引きずられてしまったので減点)
【魅力】93(部下と肩を叩き合う親しい付き合いで人気が高く、慕う部下は多かった。降伏して後もなお、彼とは戦えないと言うローマ兵は多かった)

 平民貴族と呼ばれる階級に長く在る家に生まれた人。内乱直前に、カエサル派の護民官として歴史に姿をあらわす。
 内乱直後はクリオの次席扱いだったが、クリオの戦死後頭角を顕わす。その後カエサルの元で転戦を重ねた。
 軍人として優秀で信頼されていたが、ローマでの民政・軍隊統率のしくじりや利己的な行いでカエサルに見限られて以降は民政には回されなかった。
 カエサル暗殺後、オクタヴィアヌスを支える政治遺言執行者に指名されるが、後継者の地位を求めてオクタヴィアヌスと抗争を展開。
 抗争の中途でエジプトのクレオパトラと手を結んだ。彼女に双子を産ませている。
 その後女性としてのクレオパトラを遠ざけていたようであるが、遂に抗し切れず結婚し、その後は彼女の野望に引き回されて失政を重ねる。
 失政を利用したオクタヴィアヌスによって政治・外交的孤立に追い込まれ、アクティウムの海戦ではクレオパトラの遁走に連鎖崩壊を起こして敗北。
 その後はエジプトに逃れるが、結局追いつめられる。クレオパトラ自死の虚報を受け、自ら胸に剣を突き立てる。
 自死の虚報を流した後に悔いたクレオパトラの元へ運ばれ、彼女の胸に抱かれて死を迎えた。
 彼を追い詰め死なせたオクタヴィアヌスも、年老いた後同じように愛する妻リヴィアの胸に抱かれて死んだ事を思うと興味深い(こちらは自然死だが)。
290世界@名無史さん:02/12/10 02:09
「ど」の字さんage
291世界@名無史さん:02/12/11 17:02
こーえーしないくせに参加
アドルフ・ヒトラ-
【統率】50
【武力】20(口出しするほど前線が悲惨に)
【知略】50
【政治】90
【魅力】90(もちろん国内限定)
スキル 独裁(統率・政治が5割上昇)
エーリッヒ・フォン・マインシュタイン
【統率】80
【武力】90
【知略】100
【政治】60
【魅力】65
ヘルマンゲーリング
【統率】10
【武力】5
【知略】10
【政治】60
【魅力】5
292世界@名無史さん:02/12/11 17:02
こーえーしないくせに参加
アドルフ・ヒトラ-
【統率】50
【武力】20(口出しするほど前線が悲惨に)
【知略】50
【政治】90
【魅力】90(もちろん国内限定)
スキル 独裁(統率・政治が5割上昇)
エーリッヒ・フォン・マインシュタイン
【統率】80
【武力】90
【知略】100
【政治】60
【魅力】65
ヘルマンゲーリング
【統率】10
【武力】5
【知略】10
【政治】60
【魅力】5
293世界@名無史さん:02/12/11 17:39
ゲーリングは武力をもうちょっと強くしてやろうよ。
WW2の時はおデブだけどWW1の時は優秀なパイロットだったんだから。
294「ど」の字:02/12/11 23:24
>292
 うーん。
 ゲーリングの魅力は、もう少し多くても良いように思われます。
 彼(3代目レッドバロン)にあこがれて空軍に仕官を求める志願兵も、当時少なくなかったのだから。
 確かに晩年は麻薬中毒などによる肥満や判断力低下など、問題点の方が多かったが……。
 後、武力も相応にあったでしょう。戦略的思考は論外であったにしても、個人的武力と戦術指揮能力は卓越していたので。
 あと知力も10では、先進国家の軍隊のトップには登れないと思われます。
 全体的に、低過ぎるとおもうのですが、どうでしょう?
295世界@名無史さん:02/12/11 23:55
ボカサ1世(中央アフリカ帝国皇帝)

【統率】20
【武力】30
【知略】5
【政治】5
【魅力】65(色々な意味で)
296世界@名無史さん:02/12/12 00:35
G・K・ジューコフ
【統率】83 (恐怖を持って兵を統率、兵に悪魔とよばれた)
【武力】89(ソ連を代表する猛将)
【知力】97 (ずば抜けた軍略の持ち主、マンシュタインに煮え湯を飲ませたこともある)
【政治】63 (二度も失脚したが、そのたびに復活、英雄として生涯を全うする)
【魅力】68(ソ連の世間一般的には英雄として声望があった。)
297世界@名無史さん:02/12/12 00:54
>>292
アドルフ・ヒトラ-は統率力はもっとあるだろ。80代でもよい。
魅力は99か100でも良い様な気もする。
298世界@名無史さん:02/12/12 00:58
>>292
ヘルマン・ゲーリングは能力低すぎ。
一応、国家元首なんだから、No2の実力を持っていた訳だから。
最低でも、全体的に70〜80はあるはず。
299高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/12 01:00
ちなみに光栄の信長の野望は
第一作からやってるぞ
PCで戦国時代の国盗りゲームを作ったら
あたるんじゃないかということは
中学のオレでも考えた
だが三国志は思いつかなかったな
三国志をメジャーにしたという点では
光栄の功績は極めて大だろ
光栄も吉川英治と横山光輝の影響があって
三国志のゲームをつくったんだろうがね
最近三国志の小説が良く出るのは
光栄によりマニアが増えたためだと思うんだが
作家はそのへんをはっきりいわないしなあ
困ったやつらだよ
300世界@名無史さん:02/12/12 01:39
>>299
春秋戦国時代ゲーム化したら当たると思う?
個人的には三国志より面白いと思うんだけど。
301高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/12 01:48
>>300
タイトルは始皇帝の野望とでもするのかなw
作家の宮城谷がゲームをより
楽しむための資料となるんだろうが
史記のダイジェスト版の本でも出して
様子をみたらどうなんだ
春秋戦国だけをピックアップしてね
マーケティング・リサーチというやつさ
宮城谷の読者層がゲームの購買層と
重なればそこそこいくんじゃないのか
保証はできないけどね
302世界@名無史さん:02/12/12 08:42
>>300
三国志より作りにくいだろうなぁ。時代イメージを持ってない人も多いし。
303厨房時代小説愛好家:02/12/14 01:20
>>207に金春秋があったので、その第一の部下を紹介

金庚信(キムユシン)

【統率】90(部下の人心把握術に長けたエピソードが多く、部下のやる気を引き出すのが上手だった)
【武力】84(唐まで武名が伝わっていた。迅速な用兵と攻城戦に長けていたと思われる)
【知力】81(諜報員をうまく使いこなしている。また援軍を仰いだときから唐軍との戦いを予想しており、先見の明も確か)
【政治】55(ほとんど政治に介入しようとしなかったが、先見性と情報収集力を買ってまあまあと判断)
【魅力】80(死ぬまで部下に信頼されていた)

金春秋〜文武王配下の名将、唐、新羅、高句麗、日本と戦い、統一新羅建国に多大な貢献をした。
西暦595年、新羅の首都慶州生まれ。先祖は加羅国の王族と言われている。
15歳の時、新羅の花郎(騎士階級の一種)となり、武人の道を歩み始める。
いつしか王族だった金春秋(後の太宗武烈王)と意気投合し、対高句麗戦や百済戦で武功を立てる。
唐と共同で百済と高句麗を滅ぼし、援軍の日本を白村江で撃退した後、駐留する唐軍とも戦った。
金春秋は外交の天才で、唐、日本を手玉に取ったが、その背後では彼の軍事的功績が大きかった。
唐軍を撤退させ、統一新羅樹立を見ることなく死去したが、彼が育てた部下がそれをなしとげた。
304厨房時代小説愛好家:02/12/14 01:21
いくつかエピソードを紹介

対百済戦を有利にするために、金春秋が困難な高句麗との同盟交渉に踏み切る。案の定捕虜になるが、
金庚信は決死隊を募って武力を示唆するとともに、わざと高句麗のスパイに情報をリークして金春秋の
釈放に成功した。

645年、百済の7城を陥落させ凱旋した直後、再び百済軍が侵攻してくる、撃退したが3度も襲来。
家族に会う暇もなかったが、家人に自宅の井戸水を持ってこさせ「我が家の水は変わっておらぬわい」
と言葉を残して戦場に戻る。これをみた部下達はすっかり心服したという。

648年、金春秋は失敗した高句麗との外交を補うため、唐に援軍を持ちかける。このときの皇帝大宗(李世民)
は「お前の国には金庚信という名将がいるではないか」との返答。結局、このときは援軍要請には成功したが、
金庚信の優秀さは唐まで伝わっていたことが分かる。

大国唐の介入が決まり、新羅軍の軍規がゆるみそうな時期にわざと隠居し、百済軍を放置した。
当然危機感を抱く人が増えてきて、彼らが自主的に防衛体制を築くように誘導した。

百済との講和時に、殺された金春秋の娘夫婦の遺骨と、先に捕虜にした百済の将軍8人を交換。
このときの名セリフ「木の葉が落ちても、森に変化はなく、チリがつもっても大山に影響はない」実にカッコイイ
結局、この直後の戦闘で百済兵9,000余を討ち取り、9城を占領した。

冬季に生じた対高句麗戦の際、寒風吹きすさぶ中で片肌を脱いで馬を駆けさせた。部下は寒さに耐えた。
唐軍への食糧補給を成功させが、その唐軍はいきなり撤退。
金庚信軍は高句麗領内に孤立するが、奇策とタイミングをつかんだ用兵で追撃軍を撃退、撤退に成功する。
(一度に1万本もの矢を放ち、ひるんだ隙に切り込み、1万近い首級と捕虜将軍を得たという)
305厨房時代小説愛好家:02/12/14 01:21
出典=豊田有恒著「古代史を彩った人々」
ローマネタ、戦国、三国志、近代史ネタは偉大なる先達者がいらっしゃるようなので、手持ちの本から
このスレに未登場の人物を取り上げてみました。

残念ながら、私には歴史書を原文で読むだけの読解力と、出典の信頼性を判断する知識はありません。
先に指摘のあった、朝鮮史の史料の問題もあるでしょうが、参考になれば幸いです。
306「ど」の字:02/12/14 01:49
>303
 お疲れ様です。
 自分もそろそろネタが溜まってきましたので、もう少ししたら更新します。
 次回はクレオパトラとカエサル(彼の記述は長い)の記述をします。
 以降エパミノンダス〜アレクサンドロスの流れや、日本敗戦後の半島の指導者(評価激辛です)などの予定。
307世界@名無史さん:02/12/14 02:22
>>303

労作ニダ━━━━< `∀´>━━━━ッ!!!
いや、半島にもマトモに評価できる英雄っているのね
308「ど」の字:02/12/14 20:47
 続いて、エジプトの富を背景に覇を唱えようとした女傑(?)の評を。

【クレオパトラZ世】 B.C.69〜30

【統率】48(王家の子女としてはそれなりのもの。ただ戦場の将軍としては問題あり。自己抑制力の欠如は致命的なのでマイナス)
【武力】67(通り一遍以上の戦術指揮能力を有していたようだ。ただし戦略面と本人の個人的武勇は論外)
【知力】90(多くの語学に堪能で、なおかつ教養もウィットも文章力も超一流。駆け引きに秀でていた。ただ現実把握力に欠けたので減点)
【政治】13(カエサルのグランドデザインを理解できず、亡国のミスを犯した。滅びる筈の無い国を滅ぼした君主として差し支えないはず)
【魅力】95(美貌に加え、人の心を動かし掴む技量は天才的。国民の支持も篤かった)

 マケドニアのアレクサンドロス大王の部下から続く、プトレマイオス朝エジプト王家に生まれた。
 父王の遺言により、優柔不断な弟と国を共同統治するが、それに不満を抱いて内戦を起こした。
 丁度その頃内乱の後始末にやって来たカエサルに対して自己の機転をアピールし、それによって内戦を勝ち抜きエジプトの女王となる。
 直後に子供を産む(カエサルの息子説は彼女自身が流布したもの)。
 カエサルの死後に己の長男にカエサリオンと名付け、カエサルの政治的後継者オクタヴィアヌスと戦うべくアントニウスと通じる。
 彼との間に双子の兄妹を産み、離れようとするアントニウスを篭絡してついにアントニウスとの結婚にこぎつける。
 しかし本人の政治的資質は致命的なまでに低く、共にオクタヴィアヌスに対して戦うアントニウスの足を大いに引っ張った。
 彼女とアントニウスの失敗を徹底的に衝いたオクタヴィアヌスにやがて外交的孤立に追い込まれる。
 ローマ正規軍とのアクティウムの海戦では、アグリッパの軍と正対して自ら指揮を執っていながら、突如遁走し敗北の直接原因になってしまう。
 押し寄せるローマ軍からプトレマイオス王朝を存続させるために交渉するが果たせず、カエサルの子を自称した息子カエサリオンも殺された。
(その際、カエサルやアントニウスに試して成功した篭絡の手を試そうとしたとも伝えられるが、自分としてはその説は採らない)
 ローマに軟禁される後半生を悲観して、コブラに胸を噛ませて自害。彼女の死と共にプトレマイオス王朝は滅亡した。
309「ど」の字:02/12/14 20:54
 そしてとうとうやって来てしまいました。ローマ史、いや世界史上最大の英雄の略史です。評価は>141書式。

【ガイウス・ユリウス・カエサル】

【統率】97(数々の逸話を残している天才。ただ、中級指揮官の手綱を誤まって暗殺されたので数字を少し落とした)
【武力】96(個人としては卓越した騎手。戦略戦術にほとんど傷の無い将軍。後世の神君扱いも納得)
【知力】100(彼を100とせずに誰に100を出すのか。最高の教養、表現力、本質把握力、解法考案力、実行手腕、どれも完璧。まさに神)
【政治】99(硬軟両面を併せ持ち、相手の急所を突く凄腕。100を与えても、と思ったが、反対者の心理洞察に欠けたので1下げた)
【魅力】100(この面においても彼は伝説的。数々の伝説に彩られており、現代でも未だに魅了される者が居る。神と言うに相応しい)

 ガイウス・マリウスの甥として生まれ、その副将キンナの娘を妻に娶って明確な民衆派として認識される。
 スッラの「処罰者名簿」に記載され殺されかけるが、穏健民衆派のみならず主流元老院派も加わった嘆願によって救われる。
 その嘆願をしぶしぶ聴いたスッラをして、「あの若者の中には百人のマリウスがいるのだから」と言わしめる。
 しかしその後も逆らい続けた事でスッラの逆鱗に触れ、小アジアまで逃げ延びる。そこで軍務を開始、20歳で市民冠の栄誉を得ている。
 帰国後は弁護士業を開業するも不振。弁論で身を立てるのを断念した後は、宣撫官を経て政界入り。
 それ以降は、一貫して元老院に「元老院最終勧告」などの非常時権限はないと主張し、反元老院派である事を明確にする。
 その後、停滞する政治状況打破のためにポンペイウス、クラッススと共謀し、三頭政治の密約を結ぶ。
 500年近くもの間、平民派と貴族派の抗争の種になっていた「農地法」の改正は、三頭政治の威力が発揮された最大の例である。
 その後、ガリア地域への派遣軍の指揮官としてガリア・ゲルマン諸族と戦い、激闘の末にガリアを平定。
 ガリアでの戦闘状況を自ら速記した報告書とも言える「ガリア戦記」は、現代も一級資料であるばかりでなく文学作品として読み継がれている。
 戻って後も元老院派との暗闘を続けるが、鞍替えしたポンペイウスを擁する元老院派の「元老院最終勧告」によって反逆者にされてしまう。
(この項続く)
310「ど」の字:02/12/14 20:56
(続き)
 自らが信じる政治改革遂行と汚された名誉回復のため、ついに国法を破って軍と共にルビコン川を渡り元老院派に奇襲を掛ける。
 元老院派との死闘も長く続くが、ついにファルサロスの戦いでポンペイウス率いるローマ軍を撃破。
 返す刀でポンペイウスを殺したエジプトとローマに対抗しようとしたポントスを征伐して後帰国。
 その後は終身独裁官としてローマの構造改革を大胆に推し進める。が、その態度が王政に繋がると考えた者たちによって危険視されてしまう。
 結局、パルティア討伐問題を決定する元老院会議の会場であるポンペイウス劇場の大回廊で、暗殺者24人の乱刃に殺される。
 B.C.44年3月15日のこと。彼が息を引き取った場所は、ポンペイウスの立像の足元であったと伝えられる。

 カエサルの逸話は多い。
 ごく若い頃から裸馬に乗るのが得意で、長じてはゲルマン騎兵にも負けない乗馬の名人であった逸話。
 キリキア海賊が自分に付けた値段を不服として吊り上げさせ、身の安全と虚栄心を同時に満たした逸話。
 伝説的な記憶力(自分の部下一兵卒に至るまでの特徴を記憶していたといわれる)の逸話。
 これまた伝説的な読書量と服飾への金の掛け方、その結果としての莫大な借金の逸話。
 凄まじいほどの女たらしであったという逸話(その付き合いを旦那たちでさえ知っていたというのだから、秘密ですらない)。
 一体どういう教育を受ければこういう人格が生まれるのか、大変興味深い。
(この項まだ続く)
311「ど」の字:02/12/14 21:37
 中でも自分がカエサルについて興味深いと思った事が、三つある。

 一つ、カエサルは常に人を使う立場にあったのだが、唯一カエサルの上司であった人物が存在する。
 ミヌチウスという人物で、スッラの副将の一人として名を上げた親分肌の人物であるらしい。
 カエサルが小アジアに逃れた後、スッラ派も明らかなこの人の前に大胆に顔を出し、軍務に就いたものだという。
 後のカエサルに多大な影響を与えたに違いないこの人物は、カエサルをどう扱ったか、どう陣中で教育したか、大変に興味深い。

 もう一つは、カエサルの軍隊の動かし方である。
 実は、カエサルの軍隊の動かし方は、大変基本的な分野で抜けている時がままある。
 カエサルは、史上自分が指揮した戦闘で2敗をレコードに刻んでいる。
 一回目はヴェルギンゲトリクスの部族の都であるゲルゴヴィア攻略戦。
 二回目はポンペイウスの陣地であったドゥラキウム攻略戦。
 いずれも、兵力を分割した後臨んだ攻撃側としての戦いであった。
 恐らくだがカエサルは、自分の指揮する軍隊の質に対する過信があったのではないかと思われる。
 しかし、いずれに対してもその直後の勝ち誇る敵との戦いで(アレシアとファルサロス)決定的に勝利している。
 そこから察するに、カエサルは相手の心理を掴んで戦うタイプの将軍であったことがうかがえる。
 カエサルは緻密な戦術を創案して勝つ人ではなかった。これでは、戦績から理論を拾う術がない。
 カエサルが、後世の戦史研究家を大変困らせた所以である。

 最後の一つは、カエサルが死ぬ瞬間に去来した思いである。
 あまりにも有名なカエサルの最期の言葉は、「ブルータス、お前もか」であった。
 事毎に「青年ブルータス」と呼ばれ、遺言状でも第二相続人としてその才を買われていたデキウス・ブルータスのことであるという。
(第一相続人が、史上有名なオクタヴィアヌス…アウグストゥス…である)
 果たして、自分が第二に信じた人物がそういう愚行をした後のカエサルは、第一に信じたオクタヴィアヌスを信じられたであろうか?
 カエサルは、その後のローマが存続する事を死の瞬間に信じられたのだろうか。非常に興味深い。
312「ど」の字:02/12/14 22:53
 騎兵と歩兵の有機結合運用、重装歩兵斜線陣の改良を結実させた人物。

【エパミノンダス】 生年不詳〜B.C.362

【統率】79(兵士が統率を誤ったという記述は見当たらない。優秀として差し支えないはず)
【武力】91(戦術指揮能力は秀逸。近代まで戦術の模範となる斜線陣戦術の象徴とされた)
【知力】82(人となりはバランスの取れた温厚さで知られた。教養深いことでも名高い)
【政治】81(自らの武功を梃子にしてスパルタを二流国に追い落とし、短いとはいえテーヴェの全盛時代を築き上げた)
【魅力】88(その高潔な人格は後世まで英名を残している)
 
 ペルシャの代理的役割を果たしていたスパルタに対して立ち上がったテーヴェの将軍・政治家(王であるとの説もあり)です。
 B.C.371年にレウクトラの地でスパルタを迎撃。
 騎兵と精鋭歩兵(神聖兵団と言う「男の真実の愛」で団結した部隊だったらしい)で敵の迂回行動を阻止。
 テーヴェ特有の縦深陣形を衝突力にして、スパルタ首脳の指揮する部隊を殲滅。その戦いをきっかけにしてスパルタは斜陽化していきます。
 一時期テーヴェの全盛期を作るのですが、後に覇権に嫉妬するアテネと敗勢を挽回せんとするスパルタの連合軍に、戦争を仕掛けられてしまいます。
 決戦はマンティネイア(B.C.362)で行われ、テーヴェは勝利するのですが、エパミノンダスは追撃戦の中で槍を受けそのまま陣没。
 彼の死と共にテーヴェの時代は終わってしまいました。

 なお、彼は重装歩兵斜線陣の創案者のように言われていますが、実はそうではありません。
 彼は、それまでギリシャ世界で思考錯誤されていた戦術を、あまりに鮮やかに成功させたことで有名になったのです。
 以後、彼の戦術は、多くの者たちに受け継がれながら現代の散兵偏重の兵士消耗戦術が登場するまで戦場の模範となりました。
 現代は、戦争の歴史的には例外に属する時代です。

 ついでながら。テーヴェの全盛期に小国マケドニアから一人の王族が人質としてやってきています。
 一体少年の何処を気に入ったのか、エパミノンダスは、その少年に教育を施しています。
 少年の名はフィリッポスと言います。彼こそが、後のアレクサンドロス・マーニュスの父親です……。
313「ど」の字:02/12/14 23:14
 ギリシャ世界を統一した、優れた軍事指揮者。

【フィリッポスU世】

【統率】49(全盛期を過ぎると、宮廷内部の乱れが目に付く。暗殺されたのもマイナス)
【武力】88(エパミノンダスの完成させた斜線陣戦術を理解し発展させた、当時唯一の人物)
【知力】81(教育の何たるかはしっかり理解できていたようだ。理論を積み上げることが得意だったそうである)
【政治】82(ギリシャ世界を纏め上げた手腕は一流の器の証し)
【魅力】59(特に逸話はない)

 ギリシャ世界辺境の小国マケドニアの王族に生まれた。少年期に、当時全盛期を迎えていたテーヴェに人質に出される。
 彼はそこで、テーヴェの指導者エパミノンダスに利発さを気に入られて教育を受ける。彼はエパミノンダスの弟子とも言える存在である。
 三年後、マケドニアに帰還。宮廷闘争を経て即位する事に成功する。
 その後、人質時代に暖めていた農民を国家基盤とする軍事的改革を施し、弱国マケドニアを一挙に地域大国にのし上げた。
 B.C.338年のカイロネイアの戦いでは、アテネとテーヴェを中核とした連合軍をエパミノンダスの戦術そのままの戦法で撃破、ギリシャに覇権を確立する。
 晩年は妻を離縁するなど奇行によって国家に波風を立ててしまう。
 B.C.336年、ペルシャ出兵を計画中に、アイガイの劇場で青年貴族の凶刃に倒れた。

 彼の残したマケドニアンファランクス、世界初の重装騎兵編成、斜線陣戦術の洗練などは、まさに時代を100年先取りする改革であった。
 これらの軍事力を遺産として残されたアレクサンドロスV世が、はるかインドにまで届く広大な国家を創ったのはむしろ当然である。
314「ど」の字:02/12/14 23:24
 人類史上初の世界帝国とも言うべきアケメネス朝ペルシャを滅亡させ、広大な国家を創建した大王です。

【アレクサンドロスV世】 B.C.356〜323

【統率】95(部下を既知世界の果ての地まで引き連れて遠征した統率力は髄一。しかしスッラやハンニバルには一歩譲る)
【武力】97(海戦、野戦、攻城戦のどれをとっても欠けることのない天才。個人的武力も秀逸。特に乗馬が得意だったと伝えられる)
【知力】92(すでにあったペルシャのグランドデザインを自分のそれで撃破するなど超一流。バランスを重要視しており、教養にも優れていた)
【政治】80(占領地行政にはムラがあるが、彼の掲げた東西文化の融合という大きな理想は地域に文化と富を遺した)
【魅力】96(霊感の優れた人物であった。果断即決の特徴で人を惹きつけ、その後も長く武を以て立つ指導者の理想とされた)

 偉大な、という意味の「マーニュス」という尊称付けで呼ばれる事の多い、世界史上のスーパーヒーローの一人。
 多くの家庭教師、特に有名な教育者アリストテレスに厳しく優れた教育を受け、しかもそれを越えて自らの統治哲学を完成した。
 ごく若い頃より軍事面で頭角を顕し、16歳にして武勲により摂政の地位に就く。
 17歳の時点で参戦したカイロネイアの戦いでは、重装騎兵隊を自己判断で適切に運用して戦況を決定付けている。
 父王の死後競争者を排除してマケドニア王に即位、以後はギリシャをペルシャの圧力から解放するべく東征を敢行。
 グラニコス河畔で武将メムノンを、イッソスとガウガメラでダレイオスV世直卒の圧倒的兵力を誇るペルシャを撃破し滅亡させた。
 さらに軍勢を東に向け、戦象を巧みに使うインド王ポロスとの激戦にも勝利して降伏させ、ガンジス河まで到達する。
 しかし、ついに故郷から遠くはなれた軍隊のストライキに遭い、それ以上の進撃を断念。
 民政的には、多くの地理的要所にアレクサンドロス市を建設(その数70にも及ぶ)、東西文化の発展と民族の融和を図った。
 B.C.323年、アラビア半島への遠征準備中に熱病(マラリアと推定される)に罹り、10日苦しんで死去。
 後継者を問われての最期の遺言は、「クラストー(最も強き者を)」であったと伝えられる。
 内ゲバの激しいギリシャ人の中にあって、唯一共和の思想を持っていた指導者という意味でも貴重な存在。
315世界@名無史さん:02/12/15 00:03
どの字さん、気が向けば李世民おながいします。
自分じゃここまで高水準な解説できないっす。
彼奴はダークな面もまた魅力ですよね。
史書ではべた褒めさせるようなセコさも。
316「ど」の字:02/12/15 00:27
 李世民ですか。うぐぅ。きっと長いですよ?
 東洋三名君を挙げれば誰を抜かしても必ず登場してくる彼は、支那の歴史に大きな足跡を残しています。
 2回に分けて書くことになるでしょうね。

 その前に、WW2以後の朝鮮半島の指導者の評を書きますので、それまで待ってくださいね。
 どうして、近世以降の儒教国家には、国を支える才能が出てこない(来れない)のだろう……不思議だ。
317世界@名無史さん:02/12/15 00:46
神降臨じゃ!ものども、貢ぎ物を持ってこい

カエサルはまさしく神ですね

「困難は分割せよ!」「賽は投げられた」「来た見た勝った」
重みのある言葉を短く簡単に伝えた語彙力も神レベルだと思いますがいかが?
318世界@名無史さん:02/12/15 01:05
官僚国家には出にくいですよ、俗に言う英雄とやらはね。
日本も朝鮮に比べたらマシだけど、そんなに明治以後英雄といえる人物いないし。
319世界@名無史さん:02/12/15 01:15
李世民は英雄の風を持った男だよな。
清濁合わせ飲むし。
他の中国の天下人では劉邦、朱元章も英雄っぽいかな。
始皇帝は英雄という感じではないな。奴は「帝王」だ。
320「ど」の字:02/12/15 01:18
 カエサルの表現力は、「ガリア戦記」「内乱記」でも表われていますからね。
 演説と文筆と座談と手紙の全てをこなした点でも、神君と言うに相応しいでしょう。

 内乱記の最後を「アレキサンドリアで、ポンペイウスの死を知った」で締めくくっているのは、まさに文の名人の業です。
 筆記の難しい立場でも、諦念と哀しみと勝利を余すところ無く美しく表現したこの言葉は、まさに言葉の芸術だと思います。
 自分もしがない同人物書きとして、成れないことはわかっていても仰ぎ見ずにはいられない人物です。

 数多くの箴言は、一つ一つかみ締めるに相応しいと思っています。
 自分の好きなカエサルの箴言は、以下の二つです。
「人間ならば誰にでも、全てが見えるわけでは無い。多くの人間には、自分が見たいと欲することしか見ていない」
「どれほど悪い結果に終わったことでも、それが始められたそもそもの動機は善意によるものであった」
321世界@名無史さん:02/12/15 01:29
大モルトケ(ヴィルヘルム1世治世下の参謀総長・ドイツ統一の立役者の一人)
統率 86(90以上としたいところだが、参謀総長就任前の現場経験は少ない)
武力 64(個人的な強さはそれほどでもない)
知力 97(さすがに、これは譲れない)
政治 82(凡庸ではないが、軍人の限界・ビスマルクほどの大局観はないし、本人もそれを自覚)
魅力 88(典雅な風貌・誰からも愛される謹厳実直な性格、癒し系軍人?)
322世界@名無史さん:02/12/15 01:33
ビスマルク(鉄血宰相)
統率 65(軍人ではないが、カリスマ性はありそう)
武力 71(学生時代の武勇伝は数知れず)
知力 82(戦略家ではないが、そこらの軍人よりは使える.ただしモルトケには負ける)
政治 95(これは譲れない)
魅力 74(カリスマ性はあるが、晩年、ヴィルヘルム2世と不和になったことが減点材料)
323世界@名無史さん:02/12/15 01:36
やっぱ半島の人物は新羅高句麗百済の三国時代が多いな
半島ではあの時代が一番(というか唯一)面白いからな
特に高句麗の頑張りと新羅の強かさは注目に値するな
324世界@名無史さん:02/12/15 01:37
少々>>311に補足訂正。

アレシア時点では、そんなにガリア軍は優勢ではない。
というのも、ゲルゴヴィアとアレシアの間で実は野戦があって、
そこでローマ軍が勝って、負けたガリア軍が逃げ込んだのが
アレシアだからね。
まあ連敗しないところがカエサルの凄さ、という意味では同じなんだけど、
ちょっと気になったもんだから。

以下雑感。

個人的には、カエサルはある程度自分が殺されることを覚悟していたような
気がしないでもない。
本当かどうかは不明だが、こういう台詞が伝えられてるんだよね。
ルビコン渡河後、カエサルが降伏した敵将をことごとく解放していることを
褒めたキケロへの返事;
「私が許した人々が再び私を狙うことになっても、そんなことには
心を煩わせたくない。私が何よりも自分に課していることは、己の信念を
貫くことである。だから他の人々も、そうあって当然と思っている」
(記憶に頼って書いてるんで、一部間違えてるかも)

NHKのカエサル特集で紹介されて、多分一躍有名になってますな、この台詞。
しかし、こういう「史実として曖昧なもの」を紹介していいのかと
NHKをちょっと問いつめたい気もする。小一時間とは言わんから。
325「ど」の字:02/12/15 01:38
>321-322
 お疲れ様。
 近代ヨーロッパは専門外だから、こういうの見ると新鮮な気持ちになります。
 お互い頑張りましょう。
326世界@名無史さん:02/12/15 01:39
クラウゼヴィッツ
統率 67(まぁまぁ、取り立てて優秀でもないが、さりとて凡庸でもない)
武力 58(個人技は苦手か)
知力 95(「戦争論」は戦略論のテクスト)
政治 95(「戦争論」は今でも国際関係論の古典的名著)
魅力 77(ゲーテに似た美形だが、リーダーとしてのカリスマまではなさそう)
327世界@名無史さん:02/12/15 01:40
>>325 ありがとう
328「ど」の字:02/12/15 01:46
>324
 アレシア戦への流れはそうでしたね。
 全周包囲して、三方から迫ってきた軍勢を、一方向ずつ打ち破ってしまってますものね。

 あとキケロへの返事は、キケロの親友アッティクスが纏めた書簡群に残っていたはずです。
 史実と見て差し支えないのではないでしょうか。

 カエサルが、遺言書を書いた当時18歳だったオクタヴィアヌスをどのくらい信頼していたかは、非常に興味深いです。
 手を尽くして彼のフォローをしているところから、才能を買ってはいたのでしょうが……。
329世界@名無史さん:02/12/15 01:47
グナイゼナウ(実質的なプロイセン参謀本部の創始者)
統率 76(ナポレオンの侵攻で唯一軍団を壊滅させなかった、最低でもこれ位)
武力 45(はっきり言って、ウンチ)
知力 93(制限戦争から総力戦への移行期にナポレオンの次に戦略の必要性を説いた)
政治 88(同上、ただし、幕僚長なので、専門ではない)
魅力 72(風貌ゆえか、ふざけてるように見える、でもいい人)
330世界@名無史さん:02/12/15 01:49
>>329
グナイゼナウじゃなかった、シャルンホルストだった、スンマソ
331世界@名無史さん:02/12/15 01:50
カエサル強過ぎない?
アレクサンドロスより強いのはいまいち納得出来ないです。
332世界@名無史さん:02/12/15 01:53
どれかの能力が圧倒的に突出してて有名な人物は
その能力100(+α)でも良いと思う。
既出の項羽が武力100(+50)てなってるように。
チンギスハーンが出てくるとしたら、統率が100(+α)でもいいなあ。
333世界@名無史さん:02/12/15 01:57
アイゼンハウワー(アメリカ大統領)
統率 88(ノルマンディー上陸作戦を指揮)
武力 64(最低これくらいは必要か?)
知力 82(マッカーサーとの大統領争いに勝つくらいだから、低くはない)
政治 78(軍人ゆえ取り立てて高くないが、最近公開された文書で、対ソ封じ込めの主導権をとっていたことが
     再確認された.そして、それは一定程度合理的な戦略でもあった)
魅力 91(誰からも愛されるアイク、嫁さんも史上最高のファーストレディ)

 この頃のアメリカはよかたYO!!
334世界@名無史さん:02/12/15 02:03
ジョン・チャーチル(初代マールボロ公爵)
統率 88(幾多の戦いに勝利)
武力 71(白兵戦中心の当時、そこそこあったと思われ)
知力 87(優秀な軍人)
政治 54(宮廷政治家ではない)
魅力 81(女官の嫁さんはナンパでゲット!カリスマもそこそこある)
335世界@名無史さん:02/12/15 02:10
シャルル・モリス・ド・タレーラン・ぺリゴール
統率 38(軍人じゃありません)
武力 25(同上、おまけに足が悪い)
知力 98(結局、彼だけが最後まで表舞台に残った)
政治 98(外交実務家としてはかなり優秀)
魅力 88(その知性は女性を口説く以外にもあらゆる場面で活用された)
336世界@名無史さん:02/12/15 02:15
すこしふざけて…大学のゼミの教授
統率 72(大部屋のゼミを仕切る能力はさすが)
武力 34(酒の飲みすぎで、肝臓いかれてる噂あり)
知力 89(平成の吉田松陰)
政治 76(いいこと言うんだけれど、マスコミうけはしない)
魅力 81(平成の吉田松陰)
 さて、この人は誰でしょう?(藁)
337世界@名無史さん:02/12/15 02:22
リチャード三世(悪名高き簒奪者)
統率 82(ばら戦争時の現場指揮官、優秀)
武力 81(同上)
知力 71(どうして、上陸したリッチモンド伯軍を途中まで見逃したのかは謎、でもそこそこ)
政治 61(だって、政治やりたくてもやらせてくれなかったもの…)
魅力 84(不細工だったというが、実は結構偉丈夫だったらしい.悪の魅力)
338「ど」の字:02/12/15 02:23
>331
 いえ、アレクサンドロスよりカエサルは弱く設定してあります(>309、>314では97と96)。

>333
 うわっ、大変失礼ながらアイゼンハウワーの政治数値は高過ぎると思います。これはあまりにも……。
 少なくとも日本より多くの物資を輸送されたにもかかわらず、彼はドイツ(イギリスも)の民政を完全に失敗し多数の餓死者を出しています。
 大統領になってからも軍産複合体や弁護士の行動、アメリカの過サービス化を掣肘できていませんので、政治は極端に低いでしょう。
 自分的には、アメリカのその後の緩やかな衰退を決定付けた大統領と見ています(政治は20代前半が適当かと思われます)。
 武力も、圧倒的戦力を持ちながらノルマンディー上陸作戦直後カーンへの侵攻に1ヶ月要するなど、弱将と言うべきです(50はないでしょう)。
 アイゼンハウワーは、残念ながら只の事務屋の域を出ていない軍事官僚です。
 どう見ても、アメリカのためになる大統領はダグラス・マッカーサーだったと思っています。
 マッカーサーは困難な日本の民政を成功させており、アイゼンハウワーの拙劣な政治技量ではとても比べ物になりません。

 マッカーサーの評伝は、自分が担当したく思います。
 彼は非常に興味深い人物です。戦争前半は稀に見る弱将として、後半は名将として。戦争後は優れた政治家として。
339世界@名無史さん:02/12/15 02:28
>>333 確かに、アメリカの国益という尺度で見れば、アイゼンハウワー
の政治力は低くなりますが、しかし、戦後冷戦構造の構築という面で見れば
どうでしょうか?ということで65くらいで妥協しませんか?
あと、統率・武力に関しても、ノルマンディー上陸作戦については余り知らない
のですが、犠牲を最小限にするということも使命であったということを考えるべ
きではないでしょうか?
340世界@名無史さん:02/12/15 02:30
>>333
ついでに、マッカーサー元帥の評伝、早くみたいです。
吉田茂は私がやりますから…
341世界@名無史さん:02/12/15 02:34
吉田茂(大宰相)
統率 54(非軍人だけれど、そこらの軍人にひけをとらない)
武力 35(これはさすがに…)
知力 82(マッカーサーとのユーモア溢れるやり取りは聞いてて面白い)
政治 89(90以上にしたいが、経済は池田任せなので減点)
魅力 88(貫禄たっぷりの大宰相、でもあくが強いので90以上はご遠慮)
342世界@名無史さん:02/12/15 02:37
キッシンジャー(学者・政治家)
統率 38(学者さんですから)
武力 32(同上)
知力 87(機を見るに敏な戦略構築能力)
政治 92(同上)
魅力 69(こんなもん)
343世界@名無史さん:02/12/15 02:40
>>333 
ってか、333って、トルーマンと勘違いしてるんじゃねーの?
だったら分かるかもね…少しは
344「ど」の字:02/12/15 02:43
>339
 反論、どうもです。
 自分としては、冷戦構造の構築によって東側の民衆が受けた虐殺などを思うとき、彼の数値は高く出来ないと思うのです。
 また、戦争直後のドイツの惨禍も見逃せない点です。
 良くてもハンニバル・バルカ >221 並の評価ではないかと思いますが(>141の書式で60はまず与えたくない)。
 統率は90あっても良いように思います。
 武力についてなのですが、戦術的能力の欠如もそうですが、戦略的能力の欠如がいかにも大きいです。
 アイゼンハウアーはドイツ軍の撃破に拘泥することで、ソ連にベルリンまでの道を開かせてしまっています。
 この行動が無ければ、戦後ドイツの悲劇は無かったと言っても良いほどの大ミステイクです。
 彼には実は武力40も与えたくないのですけれど……。


 ダグラス・マッカーサーの評伝は、みんなで書き合って決めて見ませんか?
345世界@名無史さん:02/12/15 02:49
>>344
しかし、米ソ冷戦というものを、両大国の直接対決を避けることを
目的とする相互抑止体制として、積極的に評価するのなら、しかる
べき評価ではないでしょうか?
 それから、武力を低くするというより、統率・知力を修正すると
言うほうが、なんとなくご批判がより合理的なものになると思いま
すが・・・、あくまで私のイメージです
346世界@名無史さん:02/12/15 02:53
ダグラス・マッカーサー(吉田茂とのバランスを考えて)
統率 87(I Shall return)
武力 76(強そう)
知力 84(吉田と大親友、でも朝鮮戦争時に原爆投下進言はマイナス材料か?)
政治 89(日本国憲法制定、ただし、9条問題は残った)
魅力 92(実はダンディーなスタイリスト、カリスマ性はバツグン)
347「ど」の字:02/12/15 02:55
>345
 再反論、ありがとうございます。
 彼>333の統率は、多国籍軍を破綻無く扱うという大変困難な任務をこなしましたので、飛びぬけて高くてもよいと思っています。
 また知力についても、困難な業務を早く遂行する計算機にも似た能力を持っていたことから、高くても良いと思います。
 これらの数値で調整するのは、失礼ですが賛成しかねます。
 全体的に見れば、自己判断を要求されない平時の官僚としてなら最高級の人材、というのがアイゼンハウワーへの自分の評価です。
348世界@名無史さん:02/12/15 02:57
>>347
 となると、武力の評価って意外と難しいですね.個人的には
白兵戦における個人的能力と思ってたので…
349世界@名無史さん:02/12/15 02:58
>>346
 マッカーサーの軍服の着こなし度=田中さんの作業着の着こなし度
350世界@名無史さん:02/12/15 03:04
>>347
 じゃあ、あなたならアイゼンハワーの能力値をいかに表現しますか?
見てみたいです.よろしくお願いします
351「ど」の字:02/12/15 03:11
>346
 おお!ありがとうございます。
 これを叩き台にさせていただきます。

 武力は、大東亜戦争〜太平洋戦争前期とそれ以降では極端に違うと思います。
 前期では、マニラ防衛失敗など戦争勃発後1ヶ月を無為に過ごした拙劣な指揮などから、24あたりが適当かと思います。
 後期では、蛙飛び作戦の考案やアイゼンハウワーのやらかした失敗の轍を踏まず優秀なので82を進呈したく思います。

 知力、もう少し高くても良いように思われます。
 彼は士官学校では空前絶後の成績を持っているそうですし(在学中平均点98.14)、
 その後の足どりからも論理構築能力の優秀さは伺えます。89〜92あたりが適当と思います。

 政治、これは、まだ高い点数にしたく思います。
 日本という土地に落下傘降下同然で降り立って、日本の官僚を切るべきは切り、使うべきは使いこなした力量は天才的です。
 しかも、的確な手当てで日本の二次産業を復興した手腕は神懸りです。
 ことに金融性策での手腕は光っています。彼の遺産はつい最近まで実働していました。
(金融と保険の相互乗り入れ禁止。これあるが故にバブル崩壊の影響は最小限で済んだ)
 フィリピンでの失敗を考えると減点要素はありますが(この当時は55)、後期のみで考えるなら97を出してもよいかと。

 反論、お待ちしています。
352世界@名無史さん:02/12/15 03:16
>>351
う〜ん、さっきの評価は戦後のマッカーサーですが、気持ちとしては
ご意見に従いたいのですが、吉田との兼ね合い・能力インフレの抑制
を考えると、80代後半が限界ですかな…
353世界@名無史さん:02/12/15 03:23
ハインリヒ・ヒムラー ナチス親衛隊帝国指導者
統率 60(突撃隊内のインテリを使って親衛隊を築く。しかし、後々統制が取れなくなる)
武力 40(実戦経験無し)
知力 55(一応、当時の大卒)
政治 80(0から治安権力と諜報の全てを握るまで親衛隊を育て上げた)
魅力 40(見栄えしない。米軍に捕虜にされた時もまるで気づかれなかった)
野望 75(実行力あり。しかし、時々心が折れる)
妄想 95(古代ゲルマン社会の復興を本気で実行に移していた)

40を一般人と見なして算定してみました。
354世界@名無史さん:02/12/15 03:44
>>351
妥協策として、知力は93にしましょう
355「ど」の字:02/12/15 03:46
 はい。評価させていただきます。>141書式です。

【ドワイト・デイビッド・アイゼンハワー】 A.D.1890〜1969

【統率】92(古今稀な作戦(オーバーロード作戦)を雑多な軍でやり遂げた調整能力は天才的。94与えても良い)
【武力】42(戦術展開、戦略策定ともに水準点に達していない。ことに戦中でも戦後でもソ連を掣肘できなかった責任は重い)
【知力】93(超一流の事務処理技能と記憶力。ただ自己判断能力に欠けるので減点。教養は有ったらしい)
【政治】51(マッカーサーと比べると哀しいほど劣る。ことにドイツ占領民政とアメリカ大統領時代の失敗は痛い。世界的大局観はあったが…)
【魅力】88(数々の粋な逸話を残しており、評価が高い)

 テキサス生まれの人。
 士官学校、陸軍大学校を経て任官。第一次世界大戦では戦車士官として活躍、一時は大佐にまで昇格。
 戦後、大尉に降格。1935年〜1939年までマッカーサーの副官を務めていた。
 1942年、欧州派遣軍司令官に就任(当時中将)。北アフリカ侵攻作戦を指揮。
 1943年、欧州連合軍最高指揮官となる(大将に昇進)。1944(昭和19)年6月6日、ノルマンディー上陸作戦を指揮。
 1945年のドイツ侵攻では、戦略目標をドイツ軍にするという世紀のミステイクをやらかし、ドイツ分割の原因を作ってしまう。
 その後ドイツ民政を組みたてた(と言うより破壊した。この失敗で多くのドイツ人が犠牲になる)後、1948年にコロンビア大学総長となる。
 1950年〜1952年 NATO軍最高司令官
 1952年、共和党から大統領選挙に立候補し、民主党のスティーブンソンを破って第34代大統領となる。任期は1953年〜1961年。
 1957年にアイゼンハワー・ドクトリンを提案、中東に軍事介入するも、1959年ダラス国務長官の死後は方針変換して対ソ和平に転ずる。

 余談であるが、1954年2月、アイゼンハワー大統領はミュロック(現エドワーズ)空軍基地で異星人と会見したといっている。 
356「ど」の字:02/12/15 03:48
>354
 そうですね。
 政治の>141書式での「超一流」の線は譲れないと思いますし。そのあたりが適当でしょうか。
 しかし、改めて資料を見てみると、マッカーサーは本当によく日本の政治をやったと思います。
357世界@名無史さん:02/12/15 03:55
>>355
 武力に関する違和感は価値観の相違として…
【政治】51(マッカーサーと比べると哀しいほど劣る。ことにドイツ占領民政とアメリカ大統領時代の失敗は痛い。世界的大局観はあったが…)
ドイツでの民政は知らないけれど、大統領時代の経済政策に関しては、ドル本位制の建前から仕方がないと思います.また、世界恐慌前の利率
の水準に戻ったのが、1959年であることを考えると、78のラインは譲れないですね(笑)。

 ところで…第一次大戦中に大佐まで行ったのに、どうして大尉に降格したんですか?なんか問題でも起したのでしょうか?
358世界@名無史さん:02/12/15 03:58
>>355
 それから日本の二次産業の復興をマッカーサーの手腕だけにするのは、
すこしマッカーサーびいきですかな?やはり、朝鮮戦争があったと思う
んですが…
359「ど」の字:02/12/15 04:39
>357
 78と言うと、>141書式で言うと優秀と一流の狭間あたりの評価ですね。
 とてもじゃないですが、その評価は与えられません。
 アメリカ繁栄のための、有名な業績が一つ二つ有る人間への数値です、78は。
 ちょっと自分の調査では見付けられなかったので、何か業績があったら紹介していただけると嬉しいですが。

 あと大佐から大尉への降格は、戦時任官での昇格から平時での階級への復帰だと思われます(特に事件を起こした形跡は無い)。

>355
 日本の2次産業復興は、主に民生設備や軽工業(例外・鉄鋼業と漁船生産)への初期投資からの発展です。
 日本は朝鮮戦争当時、まだ重工業国とは言えませんでした(自動車生産など全くなかった時代です)。
 最も利鞘の稼げる兵器の供給は、日本からはほとんどなされていません(そして現在まで兵器輸出は用心深く避けています)。
 日本経済の再生と発展は、マッカーサーの功績と言うより、満州国経済を組み立てた官僚がそのまま生き残っていたというのが正解ですが。
 しかし彼らの政策を認めてアメリカ本国から隠蔽(!)し保護したのはマッカーサーです。
 日本経済が急成長しはじめるのは1955年以降のことです。
 朝鮮戦争特需は「回復」以上の意味を持ちませんでした。
360世界@名無史さん:02/12/15 07:36
アイゼンハウアーは捕虜にしたドイツ軍将兵への処遇を極端に悪くさせ、100万人以上の死者を出してます。
もともとアメリカ軍の捕虜への扱いは良かったのですが、彼が食料や医薬品の供給削減を指示したため(疑問の余地無し、文書が残っている)大量の死者を生んだのです。

また、彼は自身が立候補した大統領選まで、一度も選挙で票を投じた事が無い、
もっとも政治に興味の無かった大統領として有名ですね。


が、彼に戦略、戦術眼が無いとの評価は疑問です。

彼はノルマンディー上陸作戦を嵐のなか、6月6日に強行することを決断。
現代はローマ期などの古代と違い、一人の決断が戦争を動かす事があまり無い時代ですが、彼のこの決断は確実に連合軍を有利に導いています。
なにしろ、ノルマンディ、ブルターニュを防衛する第7軍は麾下の師団長を集め、図上演習中。
フランス全土の防衛を預かるロンメル将軍は本国に帰還。
完全に虚を突いています。戦術眼を認めるべきではないでしょうか。

槍玉に挙げられているカーンはイギリス軍の担当戦域ですし、ここが中々連合軍の手に落ちなかったのはドイツ軍が戦車師団3個を配備したからでしょう。最高司令官であるアイゼンハワーの手落ちは無いと考えます。

ドイツへの侵攻ですが、「戦略目標をドイツ軍にした為」ではありません。
1945年のアメリカ軍はドイツ本土へ侵攻後も電撃的に侵攻しています。(なにしろ殆どドイツ軍が居ない)が、エルベ川に取りついた所で突如進軍を停止、張り付いたまま終戦を迎えます。
補給に手間取っていた事は確かですが、だからといって張り付いたままというのは異常です。
ソ連との間に取引があったと考えるべきでしょう。
当然、そこにアイゼンハワーは介入できません。
361「ど」の字:02/12/15 11:46
>360
 ご意見、ありがとうございます。

 さて、アイゼンハワー指揮によるノルマンディー上陸作戦の成功は、どちらかと言うと偶然の所産なのではないでしょうか。
 第七軍の図上演習やロンメル将軍の本国帰還は、アメリカ軍に把握されていなかったはずでは?
 確かに、情報戦によってそうなっても然るべき細工を色々と施してはいましたが、上の条件は確定しないままの見切り発車のはず。
 圧倒的な戦力を整えたとは言うものの、予想外の援軍はドイツにもあったわけで。
 一つ手が遅いか疑問手を打てば、連合軍は海に追い落とされてしかるべきだったと見ていますが……。
 少なくとも近年の軍事評論家には、オーバーロード作戦はかなり批判されているはずです。

 あと、カーンはイギリス軍の単独戦区だったんですか。それは知りませんでした。
 アメリカ軍もカーンで戦っているという記録を見たような気がしたのですが、気のせいですかね?

 あと、進撃は政治によってすでに掣肘されていたというのでしたら、その責はトルーマンにありますね。
 そうでしたら、自分の意見は取り下げます。失礼しました。
362世界@名無史さん:02/12/15 11:51
阮愛国(ホーチミン)
【用兵】91(ベトコンを率いる)
【武力】87(アメリカを撃退)
【智謀】71(中越戦争前後の行動から)
【政治】95(米、ソ、中の3国を手玉に取る)
【魅力】82(国内では絶大人気を誇るも、ベトコンとポルポトにより世界ではいまいち)
ゲリラ戦◎ 外交○
363世界@名無史さん:02/12/15 13:19
>>362
魅力低すぎ
364世界@名無史さん:02/12/15 22:13
>>322
ビったんには政治97-99くらい与えてもいいような気もしないでもない。
365世界@名無史さん:02/12/16 23:39
ウェリントン公爵(ワーテルローの英雄)
統率 87(スペイン戦線ではナポレオン以外のフランスの将軍に勝利)
武力 76(少年期から海軍でみっちり鍛えた)
知力 86(統率に同じ)
政治 71(後に首相をやるくらいだから悪くはない.内治が難しい時代でも、軍事ほどの功績はない)
魅力 81(オーラはある)
366世界@名無史さん:02/12/16 23:44
グナイゼナウ(プロイセン参謀総長・ワーテルローの作戦総責任者)
統率 79(もともとは前線で戦うタイプだったらしい)
武力 78(結構、荒っぽい)
知力 95(シャルンホルストの薫陶もあり、ナポレオンを蹴散らす)
政治 62(それなりに国家プロジェクトを持っていたようだが、晩年は不遇)
魅力 76(直情径行の性格は国王には敬遠された.だが個人的には共感が持てる)
367世界@名無史さん:02/12/16 23:57
>>365
>>366

いずれもランペルールに登場している人物ですな
あのゲームではA〜Eの5段階評価だったけど
368世界@名無史さん:02/12/17 00:02
ブリュッヘル(プロイセンの将軍・シャルンホルストやグナイゼナウがその参謀長を務める)
統率 88(強いの一言、ただしナポレオンには劣る)
武力 90(どっちかっていうと猛将タイプ、白兵戦も数々経験)
知力 61(頭脳派ではないが、独特の嗅覚で戦況を把握)
政治 38(こればっかりはね…)
魅力 81(古きよき時代の古武士然とした感じの軍人さん)
369世界@名無史さん:02/12/17 00:03
>>367 デアルカ
370世界@名無史さん:02/12/17 00:33
>>336
答えは?
吉田松陰を名乗らせるからにはよっぽどの人でないとy=ー( ゚д゚)・∵.  ターンですぞ・・・
371360:02/12/17 05:42
>>361
具体的にドイツ軍の油断を把握していない状況で決断したからこそ、アイゼンハワーの功績と考えます。
戦争において、具体的に相手方の情報がわかった状況などは殆どあり得ませんし、もしそうした状況がありえたなら、その功績は最高司令官ではなく、情報部に帰すべきです。

オーバーロード作戦自体に関してですが、文句の付けようはあまり無いものと考えます。
あれだけの戦力を整え、敵に上陸地点を悟られないための欺瞞工作さえ成功しているわけです。
海に落とされる可能性は無いでしょう。
これはアイゼンハワーの能力とは関係なく、ドイツ軍の弱体化と、圧倒的な連合軍戦力にあります。

カーンにアメリカ軍がいた可能性ですが、
居て不思議は無いと思います。空挺師団2個がノルマンディ周辺にばら撒かれており、
バラバラになった彼等の一部が、カーン付近の英軍に吸収されいても不思議ではありません。
ただ、カーン付近は英将モントゴメリー率いる第21軍集団の、イギリス第2軍が担当しており、アイゼンハワーがタッチできた可能性はほぼ皆無でしょう。
372世界@名無史さん:02/12/17 05:48
>>370
出すと自分の身元もばれそうだから出さないと見た
373世界@名無史さん:02/12/17 23:01
>>372
 デアルカ
374「ど」の字:02/12/18 02:43
 朝鮮半島に民間人300万人以上を死なせる戦乱と現在まで続く分割をもたらした、大韓民国の初代にして亡国の大統領です。

【李承晩】 1875-1965

【統率】15(朝鮮戦争前後の混乱は、まるで話にならない。リーダー失格)
【武力】25(軍事に関しては全く門外漢。独立運動も、武力を使って何かをしたわけではない)
【知力】36(哲学の博士号を持っているはずなのに、政治家にあるまじき理論構築能力の欠如は深刻。扇動の才はあったが…)
【政治】9(あまりにも酷い。利己的視野と世界情勢観察眼の欠如、目に余る。アメリカの支援が無かったら、韓国は…)
【魅力】28(独立運動集団を創っては追い出され、創っては追い出されているところから、全く魅力に欠けると推測)

(この項続く)
375世界@名無史さん:02/12/18 13:05
続きまだでしょうか?(´・ω・`)
376「ど」の字:02/12/18 14:05
 没黄海道平山出身。黄海道の両班出身の人。
 戦後、アメリカの元から(日本からではない。念の為)独立した大韓民国の初代大統領。本質的には扇動政治家と言って良い存在。

 1919年以降は上海やワシントンでコリアの独立運動を展開(多分に口だけだが)。日本敗戦に伴い、ワシントンから帰国。
 名うての反日主義者として、今日にまで至る数々の反日教育・反日世論の源流を再整備してしまう。
 呂運亨暗殺をはじめ、民族主義者・社会主義者を反共を口実に次々と抹殺して韓国右派主流化の流れを作った。
 また、日帝35年を破棄するとして、日帝が葬り去った李氏朝鮮の数々の悪習を復活させてしまったという点でも罪は重い。
 戦勝国として振る舞おうとしたり、日本の壱岐・対馬割譲を要請したりして、アメリカ政府を呆れさせた。
 アメリカとの間隙を、ソ連の支援を受けた金聖柱(自称金日成)に突かれてしまう(これが朝鮮戦争の始まり)。
 朝鮮戦争においては韓国政府は効果的な護民策を講じる事が出来ず、民間人の多くを殺してしまった。
 結局38度線で休戦ラインを引き、北半分の領土と国民を暴政の中に放り出してしまった。
 また、1952年以降、李承晩ラインを自称して日本の水域を侵し、その主張水域に入った日本漁民を不法に拿捕監禁して漁民に憎悪された。
 朝鮮戦争での無策にもかかわらず、それ以後も韓国右派の大物として大統領に連続当選する。
 1960年の再選直後、不正選挙を糾弾する4月革命で失脚し、ハワイへと亡命した。1965年、ハワイで客死を遂げる。
 自分(「ど」の字)の見るところ、新羅統一以後の半島の歴史の中でも、5本の指に入るであろう愚劣な指導者。

 それにしても、半島史5本の指に入る愚劣な指導者のほとんどが近現代に集中しているというのは、まさに韓国の災いである。
(大院君、李承晩、金日成、金正日。まず異論はないものと思う)
377世界@名無史さん:02/12/18 14:08
檀君

戦闘0
政治0
智謀0
魅力0
寿命1500年
(能力値最高100)
378世界@名無史さん:02/12/18 14:10
>>376
脳の海馬に異常があるミンジョクだからね。
世田谷の一家惨殺事件も勧告塵らしいしね。
はやく滅亡しやがれ。
電波ミンジョクめ・・・。
379世界@名無史さん:02/12/18 15:23
大院君は微妙なところだと思う。
反動政治を推し進めたけどアメリカを撤退させフランスを撃破してるから
武力と魅力はそれなりではなかろうか。
統率、政治、智謀はめちゃ低そうだが。
>>378
マターリにいこうぜ。そう言う事書きこむのは荒れるもとだ。
380世界@名無史さん:02/12/18 21:49
>>378を数値化したら、どれもこれも0ばかり。
なぜだろう なぜかしら。
381世界@名無史さん:02/12/18 23:19
>>376

>>303>>276と比べて、なんだこの数値の低さは?
戦後の韓国政治家って、これほど酷いものだったのかよ
382「ど」の字:02/12/18 23:51
>381
 よりにもよってこの人が、と思ってしまう人間がトップになってしまっていることこそ、韓国の不幸でしょう。
 特にこの人物は、大韓民国に粛清と暗殺の嵐を吹かせた人間としてこのような評価をしました。
 通常なら、亡国の大統領としての汚名と共に韓国を滅亡させていたはずです。

>378
 それはいくら韓国人といえど言いすぎかと思われ。
 正常な人間に気の毒ですし、半島で虐げられる弱者にも悪いかと……。
「頭の悪い人間が選りにもよって政権につくことが多い国」くらいにしておきましょう。

 みなさんの言うとおり、まったりいきましょうよ。

 次回は半島の災厄とも言える親子を厳しく査定します。
383世界@名無史さん:02/12/19 00:15
朝鮮の三国鼎立期は結構面白い気が。
能力も結構高めにつけられるしね。
高麗以後はちょっとね。つーか戦争がねーと面白くねーんだよ、ゴルァ!
384下r-印具:02/12/19 00:19
>376
そうか、かれはハワイでしんだのか?
忘れていた。
385「ど」の字:02/12/19 03:11
 朝鮮半島に民間人300万人以上を死なせる戦乱と現在まで続く分割をもたらした、ソ連からやって来た工作員。

【金聖柱(自称・金日成)】 ?〜1994

【統率】24(自分の息子の行動も掣肘しようとしていない。どうして近代以降の半島指導者は身内から統率が崩れるのか?)
【武力】19(武の才はまるで備わっていない。自称する数々の武功は本物の金日成のものであり、彼の才能ではない)
【知力】6(扇動の才はあったが、韓国の拙劣な行動が無ければ実を結ばなかったろう。教養は最低。自己神聖化などは狂気の沙汰)
【政治】21(外交においては成果を上げているが、タカリ外交の域を出ない。内政能力は史上最低ランクなのでこの点)
【魅力】28(国民に自分の虚像を信じさせる才はあったようだが、あれを本当の魅力とは誰も言うまい)

 現代の研究では、真実の金日成ではない事が知られる、北朝鮮の初代指導者(本物の金日成は1936年?に日本軍と交戦し戦死)。
 ソ連で世界プロレタリア革命のための教育を受けた工作員である、金聖柱という男がその正体と言われる。
 1950年6月25日、李承晩とアメリカの間隙を突いて、ソ連軍の支援と指導の下に朝鮮半島に侵攻、韓国軍を釜山近辺まで追いつめる。
 アメリカ軍の仁川上陸作戦で反攻され 鴨緑江まで押し返されるが、今度は中国の支援も受けてアメリカ軍を押し返す。
 結局、38度線付近を休戦ラインとして北朝鮮(正式名・朝鮮民主主義人民共和国)を建国することに成功してしまう。
 その後の北朝鮮を、秘密警察の支配する専制君主主義的収容所国家に退化させてしまったことで悪名が高い。
 産業も、日本の主要インフラが集中していた北朝鮮を活かす事無く腐らせてしまい、工業化はあっさりと行き詰まる。
(共産中国は満州国の日本の遺産を食い潰すことなく活用し続け、改革解放の波でリニューアルさせるまで持たせた。北朝鮮とは対照的)
 そのため国の外資獲得手段も、スーパーK(ドルの偽札)・覚醒剤・ミサイルなど非合法貿易で形振りかまわず資金を稼ぐ方向に変貌。
 将来の南侵に備えて韓国や日本ほか世界各国の人間を拉致するなど、非人道的な犯罪国家を形成してしまう。
 1994年7月8日、心筋梗塞のため死去。
386世界@名無史さん:02/12/19 03:37
>>385
魅力については意義あり。
「わが朝鮮総連の罪と罰」にもありましたが、個人的な魅力としてはかなりのものをそなえていたようです。
旧ソ連高官の話にもそういったものがあったはず(こちらはソースを失念しました)。
387360:02/12/19 04:46
「フレグ・ハン」

【統率】88(配下を巧みに率い、アッバース朝を始めとするイスラム勢力を粉砕した)
【武力】70(戦術的エピソードはあまり無いが、騎射など、一通りのことは出来たであろう)
【知力】95(巧みな謀略、調略、交渉によって敵を切り崩している。「智謀の人」といった感)
【政治】75(イスラム教徒をうまく用い、しっかりと治めている。合格点以上はあげるべきだろう)
【魅力】66(特にエピソード無し)

イル・ハン国の創始者。
チンギス・ハーンの第4子、トゥルイの第4子であり、大ハーンとなるモンケ、クビライ、アリク・ブカとは同母兄弟。
1253年、兄であり、大ハーンであるモンケの命によって現在の中東方面への遠征を開始、イスマーイール派王国、アッバース朝を滅ぼし、アム川からシリアまでをモンゴルの掌中に収めた。
シリアを侵攻中の1260年、モンケ・ハーンが死に、フレグは後継者となるためか、後継者を選ぶため、常に先鋒軍を率い続けたキトブカにシリアの地を委ね、東方へ向かう。
キトブカはフレグが去った後も攻勢を続け、ダマスクスを攻め落とした後、アイン・ジャールートでマムルーク軍に全滅に近い敗北を喫し、キトブカ自身も死んだ。
フレグの、というよりモンゴルの西方攻勢は終わりを告げ、フレグは確保したはずのシリアさえ二度と手にすることは無かったのである。

(続きます)
388360:02/12/19 04:53

遥か東で同母兄のクビライと同母弟のアリク・ブカが大ハーンの座を争い、戦っている頃、
フレグ・ウルスは北のジョチ・ウルスとの対立が決定的となってしまう。
そもそもフレグの遠征は「切り取り自由」という訳ではなく、モンケ・ハーンは
「(アム川からエジプト(ミスル)の国々を攻め滅ぼせ)この件を成し遂げたら、本来の陣営に帰還するように」
と言っていたし、フレグの遠征軍には多くのジョチ家の子弟が参加していた。
当然、ジョチ家としては遠征が一段落ついた暁には多くの見返りを期待していたであろうが、
フレグはモンケ死後の帝国の騒乱に乗じてジョチ家が最も欲しがっていた地を占有、事態は一挙に南北対立へと向かった。

幾度かの衝突の後、ジョチ家はマムルーク朝と組み、フレグはさらに西方のキリスト教国と組もうとした。
1265年、アリク・ブカとの抗争に打ち勝ったクビライ主導によるクリルタイが開かれようとする中、フレグは突如として死ぬ。四十八歳だった。
彼と争ったジョチ家当主ベルケも、彼の死後の混乱を衝こうとカフカズを南下中、急死した。
フレグのイル・ハン国は長子のアバカへと引き継がれた。


フレグ遠征軍の戦い方をみると、巧みな謀略、調略と交渉を多用し、あまり正面からの大会戦(野戦)をしていない。
そう多くない戦闘例も主な戦闘法は山塞や都市に篭る敵を、攻城兵器を多用し押しつぶすor敵の自壊を待つ、であるように見える。
その意味で、アイン・ジャールートは兵力の多寡もそうだが、不利であったのかもしれない。
多くの敵から「甘言を持って騙す」「策謀ばかり使う」と罵られているが、フレグにとっては最高の評価であっただろう。
389<ヽ`D´>:02/12/19 06:50
閔妃を数値化してほしいニダ。
できれば生態号、マリーアントワネットと比較付で
390世界@名無史さん:02/12/19 08:24
ヒトラーと金日成の魅力は同質のものだろうな。
ヒトラーが謎となってるのでこっちも謎がよかろうかと。
391世界@名無史さん:02/12/19 10:08
>390
違いはスケールだけか。なるほど。
392「ど」の字:02/12/19 11:10
>386
「わが朝鮮総連の罪と罰」は、自分も読みました。図書館で。
 ですが、あれ、懺悔というより言い訳臭い文章ですね。
「わたしは悪くない」という著者の意識が透けて見える、イヤな感じを受けましたが。

 で、あそこに描かれている金日成は、著者の自己正当化のために誇張されているのではないかと自分は思っていたわけです。
 旧ソ連高官の談話にそういうものがあったとは、寡聞にして知りませんでした。
 どのくらいが適当でしょうね……?謎のままで良いのかなぁ……
393世界@名無史さん:02/12/19 12:05
>>385
うーむ、中ソ対立という要素が完全に抜け落ちてるように見える。
当時の北朝鮮にとっては、これってかなり重要な問題だったんでは?
地理的にも両国と殆ど接していて、特に中国では文革の大混乱もあった。
その中でやってきたんだから、その評価は少々酷ではないかと。
394世界@名無史さん:02/12/19 15:02
蒋介石と毛沢東ってドンくらいかな〜?
395世界@名無史さん:02/12/19 16:12
>>374
反日教育などは日本以上の地縁主義の朝鮮半島では、国を纏める為には仕方なく、
反対者の暗殺も、そもそも地盤が存在しなかった朝鮮では、仕方ないし、
その中で生き残ったのは、無能と断定していいものではないと思う。
また李承晩ラインも日本人としては決して許せる物ではないが、
結果的にあの水域を韓国が利用する事に成功しているから、
倫理的に許せないものの、能力はその分高めに設定してよいのでは?

そして今だに、ドキュンな韓国人を生産している体制を作ったのは非難されるべきだが、
同時にそれだけ長期間有効な体制を作り上げたのは、それなりに評価してもよいと思う。
そこまで酷評しなくとも良いと思われ。
まあ日本から見れば、救い様のない最低のカスである事には変わりないが。
396世界@名無史さん:02/12/19 17:13
わーにんぐ。

このまま朝鮮ネタを続けると荒れる予感がするのは気のせいでしょうか。
397世界@名無史さん:02/12/19 17:49
>>396
激しく同意。
朝鮮ネタはここで終了したほうがいいと思う。
398:02/12/19 20:25
朴正煕の評価はみてみたい
399世界@名無史さん:02/12/19 20:53
良スレだからな。
400世界@名無史さん:02/12/19 22:21
>>397

まあ待て、>>207>>303のように評価に値する人物もいるようだ
(てゆーか、>>303は初めて知った)
世界史板住民のモラルを信じて、冷静なカキコを期待したい

俺も朴正煕の評価は知りたいし
401世界@名無史さん:02/12/19 23:59
>>400
いや、俺が言ってる「朝鮮ネタ」は金親子および現在の朝鮮人のこと。
やっぱまだ生きてる人間or謎ばかりの人間は判定が難しいし。
402世界@名無史さん:02/12/20 12:06
あずみ

【統率】56 けっこう仲間をうまく使ってる。たぶん軍を率いるのは苦手だろう
【武力】97 説明の必要は無いだろう
【知力】58 天見という知恵袋がいるのでその通りに動けばいい
【政治】32 必要無いでしょ
【魅力】93 伊達政宗、宮本武蔵ら天下の名将、豪傑から一目置かれている。人間性も問題無し

>>387
知ってると思うけど、フラグは蒼き狼と白き雌鹿WwithPKに登場するよ
>385
「武力」に関して
若い頃は粗暴な奴だったらしいし
討伐隊を伏兵で返り討ちにしたこともあるので
40台くらいにしても良いのでは?

404世界@名無史さん:02/12/20 22:31
プロイセン国王フリードリヒ二世(大王) >>141書式。

【統率】95(46年間王位にあって、国内的に内乱などは起きていない。
意志力の強さはまさに超人レベル)
【武力】79(戦術面では失策も結構あるが、最終的に目的を達しているので
優秀と言えよう)
【知力】90(読書を好み、即位以前から文筆活動も多かった。また、
ヴォルテールなどとの交友もあった)
【政治】82(内政面では立派。外交面でしばしば読み違えているので減点)
【魅力】90(敵には嫌われたが、個々のエピソードはやはり魅力が高い)

幼い頃から王太子だったが、父とは不和が続き、ついには国内から
逃亡を企てるも失敗。処刑されかかるも諸外国からの嘆願によって
免れる。
即位した年に隣国オーストリアではカール六世が死去。後継者の
マリア・テレジアにシュレジエンを要求するも認められず、オーストリア
継承戦争を引き起こす。これに勝ってシュレジエンを獲得。
だが、このことがマリア・テレジアの恨みを買い、七年戦争では
イギリス以外を全て敵に回して戦うことになる。途中絶望的な状況に
追い込まれるも、敵の一角だったロシアが味方についたことにより逆転、
シュレジエンを確保する。
国内的には農地の開墾や工業の振興、宗教に関する寛容の維持など、
まず名君と言っていい業績を残している。
エピソードを読むと、悪戯好きで弁舌に巧み、友人としては
面白い人物だったようだ。

(続く)
405世界@名無史さん:02/12/20 22:56
(続き)

後世、プロイセンを中心としてドイツが統一されることから、
善悪両方の意味で業績を過大評価されることの多い人物。
恐らく彼本人は純粋に「プロイセン国王」だったのであって、
ドイツ統一など、それ以上のことは余り考えていなかったろう。

さて、彼の有名な言葉の中に「浄福を得んがためには、人おのおのの
流儀あるべし」という言葉があるが、彼を尊敬していたとされる
後世の政治家たちの中には、どれだけこの言葉が浸透していた
のだろうか。
フリードリヒの軍事的な業績を中心とした、非常に偏った形での
尊敬しかなされてこなかったことを、個人的には哀しく思う。
406世界@名無史さん:02/12/22 01:37
>>405

もしかして背の高い兵隊が好きだったので、街で歩いている背の高い人を拉致して兵隊にしまくった王様なのでは?
407「ど」の字:02/12/24 11:58
 李世民を語るのに欠かせない諫臣を、先に査定しておきます。>141フォーマットです。

【魏徴】 A.D.580 - 643

【統率】53(幾つかあった従軍経験でも飛びぬけた実績はない)
【武力】60(それなり。反乱軍に加わって以降の実戦経験は色々あったらしいが、武功はない)
【知力】94(特に判断力と表現力に優れ、書記としての活躍が目立つ。若い頃には道教の道士として学問を学んだらしい)
【政治】92(内政を知悉した的確な諫言は、唐初期の大きな助けになった)
【魅力】58(これについては並の人間。裏表ない人間としての魅力はあっただろうが……)
特殊能力・内政諫言(国家を害する内政コマンドを発すると自動警告する。>179と違い、善後策まで献策してくれる)

 支那、唐の創世期に功績のあった諫臣。曲城(山東省掖県)の人。
 幼い頃に孤児となり、食う為に出家して道士となり、幅広く学問を学ぶ。
 隋後期の圧政に抗して李密の軍に身を投じ、そこで書記として登用された。
 李密が王世充に敗れ、唐の太祖李淵に降伏したことで、彼も唐に仕える。ただ、李密の将・徐世勣(後の勇将・李勣)は、山東地方に健在であった。
 そこで魏徴は志願して宣撫の使者となり、徐世勣を唐に帰順させるという功を立てた。
 唐では当初李建成に仕えていた。李建成の弟の李世民が武功を次々と立てて皇太子である李建成を脅かすと、魏徴は李世民を除くよう勧める。
 諫言を受け入れなかった李建成が玄武門の変で李世民に倒された際に囚われるが、その際の堂々たる態度にかえってその器量を認められる。
 その後は唐の太宗となった李世民に諫議大夫に任ぜられ、以後死ぬまで諫臣として太宗に仕えた。
 633年には宰相となり、鄭国公に封ぜられ、643年には、太子太師(皇太子の教育係・最高の役職)を兼ねたが、同年病により世を去った。
 魏徴が死ぬと,太宗は「おのれの行為の正否を知る鏡を失った」と嘆いたという。

 その諫言は『貞観政要』にみえ、守成の難を説いた話は有名である。
 また『隋書』は彼の奉勅撰であり、『梁書』『北斉書』『周書』の編纂にも携わり良吏と称せられた。
 ほかに彼が関係した書物には『類礼』20巻、『群書治要』50巻(奉勅撰、ほぼ現存)がある。
408世界@名無史さん:02/12/24 12:28
>>406
それは父の「フリードリヒ・ヴィルヘルム1世」かと。
ttp://members.tripod.co.jp/nishinom/human/fu/friewilh1.html
409「ど」の字:02/12/24 12:56
 唐の実質的な建国者の評価と略歴です。同じく>141書式。

【李世民】 A.D.598−649

【統率】89(来歴も出自も言語まで違う様々な部下による集団を統率して、ついに誤りがなかった)
【武力】90(ごく若い頃から卓越した将軍であった。ただ戦略面でほんのわずか欠ける)
【知力】86(国は人によって成り立つことを知り、実践した。彼自身諫臣的要素があり、帝位にあってもそういう人材を集めた)
【政治】95(適材適所を絵に書いたような人事を行い、結果として「貞観の治」と称えられる一時代を創った)
【魅力】93(自然と英傑を集める才があったらしい。また、自身も積極的に文武の人材を登用した。後世、文治の理想とされる)

 契丹系異民族の生まれ?隋の名門貴族である李淵の次子で、唐王朝創設の中心的役割を果たす。廟号は太宗。
 幼き頃より優秀な人物で、10代で早くも武将としてあるいは諫臣としての高い能力を発揮していた。
 隋末期で反乱が頻発するようになると、太原で司令官をつとめていた父李淵にすすめて兵を起こさせた。
 長男の建成は太子であるため、常に高祖の側に仕えており、群雄平定の役割は李世民が主として担った。
 李世民は武略ともにすぐれ、人望も厚かった。自然に有能な人材が集まるばかりでなく,自ら積極的に人士を登用した。
 李世民の戦場での華々しい武勲と人心収攬が、皇太子である兄・建成の妬みを買い暗殺を企てられるが、これは失敗に終わる。
 さらに、建成は弟元吉と手を組み、世民の排除に出ようとした。この行為に怒った世民は、側近の忠告に従い、626年6月にクーデターを起こす。
 この「玄武門の変」で兄と弟を抹殺し、父高祖を幽閉し、その後、譲位される。唐の基本統治システムである三省六部の官制をしき、制度を整えた。
 優れた臣下との政治に関する問答をまとめた「貞観政要」は、後々まで帝王学の手本とされた。
 また外征にも力を注ぎ、異民族の侵略を防ぎ版図を広げた。ただ高句麗への遠征は、無駄に兵と人民を疲弊させるだけに終わってしまったが。

 彼は非常に情報を重視した君主として知られている。生来短気であったが、部下や民間に耳に痛い忠言を布告を出して求め、その諫言を聞いた。
 後世の漢字文化圏では、文を以って治める指導者の理想像とされている。

 
410世界@名無史さん:02/12/24 14:37
魏徴格好ええなぁ。
411世界@名無史さん:02/12/24 17:16
>406
別に背が高いのがすきなわけでは無いよ。
擲弾兵という手榴弾を投げる兵種があって、背の高い者ほど遠くに投げる傾向があったから選抜されていた。
集めるだけでなく、大男と大女を結婚させて巨人を生産しようとしていたらしい。
412世界@名無史さん:02/12/24 18:26
>>409
先の新羅ネタもだけど、やはり王朝の創始者やその功臣はおしなべて能力値高いですね
413「ど」の字:02/12/24 18:51
>412
 能力が高くないと、王朝創始者や功臣にはなれない罠。
 金春秋は、その点で唯一半島に独立政権を創始した英雄かもしれませんね。

 自分は>374、>376で大韓民国の創始者とも言える李承晩を激しくけなしていますが、アレは世界史の例外。酷過ぎる。
 あと李氏朝鮮の創始者も相当なダメ君主。統治と独立と言うものを分かっていない。調べたら辛い数字になると思われ。
414世界@名無史さん:02/12/24 18:57
>>413
>李氏朝鮮の創始者も相当なダメ君主
軍人としてはそれなりだったのに、政治はあほすぎたっぽ・・・
415世界@名無史さん:02/12/24 19:56
そもそも、凡人=50って基準がおかしくないか?
八百屋のオジサンの武力=52とか、
モー娘。の歌唱力=61ってことになるのでは?

歴史上に名を残した人物ばかりなんだから、
数値のインフレ起こすのは当たり前だろ。


416「ど」の字:02/12/24 20:16
>415
 時々、凡人以下の政治家や軍人も出ますし、部分的に能力に欠損がある英雄も居ますからね。
>141の方が作られたフォーマットは良いものだと思っていますよ。自分は。
417世界@名無史さん:02/12/24 20:38
>>415
凡君=50、位の認識でいいんではないかと。
もしくは歴史上の人物の平均=50、と。
自分は幾つか挙げたり議論したりしてるが、
個人的にはそういう認識でやってる。
418世界@名無史さん:02/12/24 21:12
40台が凡人だからOK。50ならちょっとだけ高い。
419世界@名無史さん:02/12/25 09:25
保守アゲカキコ
420世界@名無史さん:02/12/25 10:00
非常にレベルの高い書き込みが多くて勉強になります。とりあえず私のできる範囲で参加させていただきます。
AD505頃〜565)
【ベリサリウス】 A.D.505頃−565

【統率】91(戦場では完璧、10倍の敵軍に対峙して自軍を統率できるのだから超人レベルでしょう。ただ戦場以外では???)
【武力】99(純粋に戦術能力だけ考えれば史上最強かもしれない)
【知力】67(馬鹿ではないが、教養はない。もって生まれた能力だけの数値)
【政治】9(言うまでもなく政治力は皆無)
【魅力】41(カリスマがあればあんな悲惨な最期を迎えることはなかったであろう)

 東ローマ帝国、最盛期の皇帝ユスティアヌスに仕えた軍人。農民出身ながら24歳で将軍に抜擢され、
その後530年のダラス要塞の戦いでペルシャ軍を破ったのを皮切りに地中海世界を転戦する。一時は
イタリアを含めた地中海世界の征服にほとんど成功するが、功績を挙げるたびにユスティアヌスから
疑われ何の恩賞もなく解任・投獄される。しかしその後もペルシャやブルガールの侵入など外敵の
侵略があるたびに呼び戻され、そのたびに皇帝の期待どおり完璧な軍事的勝利を収める。彼が皇帝
から与えられていた兵力は常に敵より少なく甚だしい場合は1/10ということさえあったが、敵の虚を
つく戦略的機動により常に勝利を収めた。彼の戦略がいわゆる”間接的アプローチ”という概念の元
になったのは有名。
 身内に目を転じてみると奥さんは浮気性で出世欲の塊、部下からは突き上げをくってばかりと
はっきりって戦場以外ではダメダメ君くさい。またいくら皇帝の命令とはいえ、ニカの乱の際に一般
市民を大虐殺(しかも軍事的には完璧な作戦で)し、古代ローマの良き伝統に終止符を打ってしまっ
たあたりはいただけない。
 最後は極貧のうちに悲惨な最後を遂げたらしい。唯一の救いは使用人であったプロコピウス
が彼を弁護する歴史書を書いてくれたことか。
421420:02/12/25 10:06
今のところ略歴を書くだけのネタを持ってない上に超亀レスですが、172の書き込みの
ケ小平の能力には疑問があります。毛沢東は林彪の次にケ小平の軍事的能力を買っていた
ふしもあり、あの武力は低すぎかと。そのうちちゃんとネタを集めて林彪、ケ小平、
周恩来などの評価をやってみたいと思います(毛沢東は私には荷が重すぎ)。
422世界@名無史さん:02/12/25 10:49
凡人=40〜 というのは平凡な軍人という意味だろうが。
素人とは話が違う。
423408:02/12/25 10:50
>>411
擲弾兵はいわゆる「歩兵」の旧名です。
(このへんは、グーグルで「擲弾兵」「プロイセン」などと
検索すると、わかるかと)

※ただし、いわゆるナチスドイツ下での「歩兵」の呼び名として
一般的ではありますが。(検索エンジンはこっちのほうをひっかけてくる)
(例:装甲擲弾兵<機械化歩兵、国民擲弾兵<民兵)
424422:02/12/25 10:50
>415ね
425世界@名無史さん:02/12/25 11:21
>>411>>423
えーっと、手元のオスプレイ「フリードリヒ大王の歩兵」によると、
歩兵一個連隊につきマスケット銃兵1220人に対して擲弾兵196人で構成。
ただし擲弾兵は戦闘時には引き抜かれて混成連隊となった、とある。
歩兵の「旧名」と言うのはちょっと違うかと。

ただ、巨人連隊はフリードリヒが即位してすぐに解体しているし、
父親が独立した連隊まで作ったのは単なる趣味でしょう。
426世界@名無史さん:02/12/25 11:28
擲弾兵ってのは、戦列歩兵の中で身長が高くて勇敢なものが選ばれたエリートのことです。名前の通り手榴弾を投げていたため、小銃をすぐに担げるようにつばのない帽子をかぶっていました。
18世紀になると手榴弾は投げなくなりましたが、エリート歩兵の名誉呼称として残りました。
ヒトラーは東部戦線の戦局が悪くなると、士気鼓舞のために歩兵の一般呼称として擲弾兵を用い、現在のドイツ国防軍でもその習慣は続いています。
スレ違いsage
427408:02/12/25 14:45
どうも近現代の「擲弾兵」とごっちゃになっていたようです(w
調べてみると「擲弾」ってブツは取扱いが面倒だったようですね。
化学の進歩(ダイナマイトとか)やら、国民皆兵が普通になるにしたがって
(つまり、わざわざ熟練がいることができなくなる)兵科としての「擲弾兵」
が要らなくなったんでしょう。

>>426
とりあえず、擲弾兵についてググってみますた。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:iVkWW9mtmZwC:plaza6.mbn.or.jp/~GNW/sen.html+%E6%93%B2%E5%BC%BE%E5%85%B5+%E5%85%B5%E7%A8%AE&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja
(元のサイトがdjのでグーグルのキャッシュ)

で、さらに探してみると
http://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/yougo01.html#te
語源(?)については、>>426 が正しいようです。

どんどんスレ違いになっているのでsage。
428世界@名無史さん:02/12/25 22:02
★朴(杉もしくは吉田)松陰★

              ∧             ∧
              / ・           / ';,
            . /  ';          ./  ';
            /   ;______/   ;
          /                  \
         /    /          \     \
       /´       ____            \
      /          |     |              \
     |   \     .|      |       /     |
      |     \    |     |      /      |
      \    ::|    |     |     |::       /
        \       ..|     |     |:  ..   /
          ヽ       ̄ ̄ ̄ ̄      ........:::::::<

         政治 72 戦闘 22 智謀 87 采配 75
         特殊能力:扇動 童貞 カルト教団

 信長の野望大内無能軍団の血を引く杉家(旧姓朴家)から吉田家に養子に入った吉田松陰は、
国家神道と言う新興宗教を長州内に広め、明治維新を引き起こした無欲の教祖だと評価されている。
 しかし松陰の著書を読むと、麻原彰晃、福永法源らと同じく自分と周囲に対して正直な生き方を
していることは明らかである。むしろ、うじうじ思い悩む性格だっただろう。
後に明治政府は吉田松陰が刑死した世田谷付近に国家神道カルト吉田神社を建立した。
429世界@名無史さん:02/12/26 00:55
戦国中期まで日本最大の大名が無能かあ。
430世界@名無史さん:02/12/26 03:58
「本物」の金日成の能力ってどんなもん?
荒れるなら無視してもらって構わんが、
比較してみたい気もする
名前パクられるぐらいだから強かったのかな
431世界@名無史さん:02/12/26 10:20
>>430
名前パクられるぐらいというか、パクる人間があんまりいなかったという罠。
あの半島には、本当に英雄が少ないのだよ・・・
432世界@名無史さん:02/12/26 17:24
本物の英雄というのはおいそれと出てくるものではないと思う。
言っちゃ何だけど日本も相当英雄が少ないぞ。もちろん、これは今の欧米史観の影響だけど。
そんな俺は嫌韓厨。
433世界@名無史さん:02/12/26 21:25
>言っちゃ何だけど日本も相当英雄が少ないぞ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
434「ど」の字:02/12/27 01:20
>432
 東郷平八郎は、世界史の流れを白人主体から大きく動かした、世界史的英雄だと思うのだが。
 確かに晩節を汚した感はあったが…。
435世界@名無史さん:02/12/27 01:40
大概のやつは晩節を汚す。
若くして死んだやつほど惜しまれる。
436世界@名無史さん:02/12/27 05:43
>>430から>>431の繋がりがわからん。煽りじゃなしに。
437世界@名無史さん:02/12/27 08:48
>>436
>>385 を見ていただければ、分かるかと。
438山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :02/12/27 15:42
>429
毛利や尼子を引き連れて上洛した頃なら・・・応仁の乱から16世紀前半の畿内の
情勢を語るには不可欠な存在。
>432
それは無いと思いますが・・・日本史も世界史に入れれば記されるべき人間は何人
もいるでしょう。偉人=英雄かどうかは微妙なところですが。
439「ど」の字:02/12/27 19:58
 今年最後の書き込みをさせていただきます。
 韓国を経済国家として立てた軍政家です。>141書式。

【朴正煕】 Pak Jung-heui A.D.1917〜1979

【統率】66(独裁者としては低い値。また、同僚の利己的行動を掣肘し切れなかった点や暗殺されたことも忘れるべきではない)
【武力】79(韓国陸軍情報局第一課長や韓国第5師団長を歴任した)
【知力】92(官僚的事務処理能力は最高。教養も低くは無い。現実把握力と解法模索力は高いレベルで、漢江の奇跡を演出した)
【政治】48(政治力学利用力と人心収攬力は低く、独裁に走らざるを得なかった。仕方ない、彼は軍人なのだから)
【魅力】39(融通の利かない固い人間として、同時代の韓国人には好かれなかった。近年再評価されつつあるが、反発も根強い)

 慶尚北道亀尾出身の韓国の軍人・政治家。
 大邱師範学校を出て小学校教師となるが、その優秀さを抜擢されて満州・新京軍官学校に入学。首席卒業。
「高木正雄」少尉として日本の陸軍士官学校に派遣留学し、1944年に日本陸軍士官学校を卒業(卒業成績3番)。関東軍に編入。
 終戦時は、満州軍歩兵第八団の団長副官・満州国陸軍中尉であった。
 韓国警備士官学校(2期)を出て、韓国陸軍情報局第一課長・第五師団長を歴任(この頃朝鮮戦争を経験)。
 1961(昭和36)年5月16日に、第2軍副司令官としてクーデタを指導。イン大統領辞任後は、大統領権限を代行。
 1963(昭和38)年に民主共和党総裁となり、12月17日〜1979(昭和54)年10月26日まで大統領として韓国の指導者だった。
 1965(昭和40)年に日韓条約を締結し、日本と韓国の間の賠償問題に決着を付ける。
 1979(昭和54)年10月26日に10・26事件が発生、ソウルのKCIA幹部食堂で金戴圭KCIA(韓国中央情報部)部長により射殺される。

 人となりは清廉で知られる。同僚や上司が「福祉活動」と称して森林乱伐で儲けるのに決して加担しなかった(止めもしなかったが)。
 箪笥を買う金も手元になく、ダンボール箱に衣類などを詰めていた逸話は有名。
 事実上、韓国の指導者として反日から離れようとした最初で(今のところ)最後の人。
440打通さん:02/12/27 20:16
岡村寧次陸軍大将

武勇 100 知略 100 魅力 100

大陸打通作戦の3000キロ勝利行軍を成し遂げ、その武勇と知略は敵である
中国人からも侵略への憎悪を超えて評価され、国民党軍事顧問に抜擢される。
441世界@名無史さん:02/12/27 20:40
K1のボブ・ザップは武勇いくらだと思う?(ほかの数値は必要ない)
442世界@名無史さん:02/12/27 21:20
>>441
ここでの武力は、個人的武勇を含めた「戦争における強さ」だからなぁ
あの体格だからまあ、個人的武勇の点で60-70はあるだろう。彼の射撃能力とかはシランが。
確かボブ・ザップはアメフトやってたと思うが、戦術的思考(中隊長クラスでよいから)
ができる人間ならばもっと上にいくかもしれん。70-80台。
…なんといっても戦争のうまさはこれがキモだからね。
将軍としての戦術能力が高い〜圧倒的に飛びぬけていれば、80台-99まで。
さらに戦略がわかる人間だったら微妙に数値は加味される。
後、結果。これらをまとめた物がここでの【武力】だと自分は認識している。

ボブ・ザップの俺的どんぶり勘定空想科学推定武力=72
443世界@名無史さん:02/12/27 22:02
>>438
日本は、戦国時代から統一するのに三人いったからなあ。
しかもその前の段階で、各地に大物がかなりいたし。
明治維新だって勝者は薩長だが、功労者を誰と一人挙げるのは難しい。

世界史上の英雄ってのは、そういうのを一人でやってしまうような
存在ではないかと。
ただ、何でもかんでも一人でやってしまうと、その人の政権や王朝は
長続きしないことが非常に多い。
この辺のバランスは、結果的に微妙だと思う。
思うに、業績のみで行けば信長と秀吉を合わせたくらいの人物が
世界史上の「英雄」に相当するだろうという気がする。
家康は後継者タイプっぽい。

・・・このスレで信長・秀吉・家康を数値化してみたら面白いかも。
444世界@名無史さん:02/12/27 22:41
>>443
そーんな大事ばっか起こせなくとも英雄は英雄さ。一人でなんでもできるかどうかは社会体制にも
よるしねえ。項羽もスラもサラディンもグスタフ・アドルフもピサロも豊臣秀吉も、タイプは違うが皆
世界史に輝く英雄だと俺はおもいまっせ。他にも色々。
カエサルだって結局はローマの体制を変えられなくて、そこらは養子のオクタヴィアヌスに
委ねられたしね。
(ふと思ったが世界3大英雄スレでカエサルに賛否あったのはそこらなんだろうなあ)
445山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :02/12/27 22:58
>443
日本史系は150以降に。
446世界@名無史さん:02/12/29 21:10
][
447世界@名無史さん:02/12/30 12:25
>>439
キーセンによる国ぐるみ売春を忘れてるぞw

 韓国を売春経済国家として世界に恥を晒した軍政家(民生家ではない)です。

【朴正煕】 Pak Jung-heui A.D.1917〜1979

【統率】66(独裁者としては低い値。また、同僚の利己的行動を掣肘し切れなかった点や暗殺されたことも忘れるべきではない)
【武力】79(韓国陸軍情報局第一課長や韓国第5師団長を歴任した)
【知力】68(キーセン政策で世界の嘲笑を買う、また、KCIAを設立するもその暴走により殺害)
【政治】78(政治力学利用力と人心収攬力は低く、独裁に走らざるを得なかった。
       しかしキーセンによる日韓貿易で李承晩以来の対日断絶政策の軌道修正に成功)
【魅力】59(融通の利かない固い人間として、同時代の韓国人には好かれなかった。
       しかし某統一教-ハンナラ党ラインには支持が根強い。)
448世界@名無史さん:02/12/31 00:21
むだ
449世界@名無史さん:02/12/31 17:48
どの字さんへ
ルイ14世と、スェーデンのグスタフアドルフ
の能力教えて。
450世界@名無史さん:03/01/01 02:27
クソスレ
451世界@名無史さん:03/01/01 03:17
全国版:評価できるほどやってない。
群雄伝:これを人がやっているのを見て興味を持つ。
風雲録:80 初めて買った野望。いろいろ面白かった記憶あり。
覇王伝:95 一番はまった。雰囲気重視の俺には一番あっていたのかも。
天翔記:60 前作が最高だったためにあまりはまれなかった。
将星録:90 あの野戦がいいと思ったのは私だけなのか?
烈風伝:70 戦闘が駄目になった。
嵐世記:やったことないです。
蒼天録:やったことないです。

覇王伝と将星録が双璧だったな。
452オヤッさん:03/01/01 07:37
生没年は失念しました、ソマソ
【シャルル六世】しゃるるろくせい 

【統率】32(あの頃のフランスの惨状を見れば・・・)
【武力】68(狩と武芸が趣味だったらしい)
【知力】30(先代シャルル賢王の良臣を引き続き登用した)
【政治】40(上に同じく、しかし発狂後は・・・)
【魅力】79(国民からは善王として慕われていた)

シャルル五世の子、シャルル七世の父
1380年に死去した父王の後を継いだ当初は、先代の有能な官僚を登用し善政を敷いたが
1398年に突如発狂、事実上政務を執ることが不可能となる。
以後、フランス国内の政治抗争が激化し、フランスは無政府状態となる。
1420年、トロワにてイングランド王の子をフランス王位を継がせるという「トロワ条約」を結ぶ。

治世前半だけなら、もっと高い数値が出たかも。
キティガイの評価は難しい。
453世界@名無史さん:03/01/01 16:34
秋山信友
政治 64
知力 77
武力 69
魅力 74
軟派 100
454世界@名無史さん:03/01/01 16:43
哲学板に賢者の能力値対決ってスレがあったが・・・
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1038667311

455世界@名無史さん:03/01/02 14:32
]
456「ど」の字:03/01/02 21:05
>449
 ただいま家に帰りつきました。あけましておめでとうございます。
 そっち方面は門外漢なものですから、調べてからにしたく思います。
 その後、ティトゥス・ラビエーヌスなどの数値化をしたく思います。
457世界@名無史さん:03/01/03 14:53

458世界@名無史さん:03/01/04 23:45
[
459世界@名無史さん:03/01/05 15:27
蒼天録は糞
460世界@名無史さん:03/01/06 07:01
金通精(キムトンジョン)(〜1273)

朝鮮半島でモンゴル及び高麗政府に反乱を起こした三別抄軍の首領
珍島陥落後、済州島にこもって抵抗。半島沿岸部で海賊的行為を働いたが洪茶丘とモンゴル軍に鎮圧された。
現在は韓民族の英雄に祭り上げられている。
結果としてモンゴルの日本遠征を遅延せしめた。

【統率】70 敗残兵をまとめて抵抗を続けるなど、水準以上の能力はあると判断
【武力】77 長らくモンゴルや高麗政府を手こずらせたので、高めに
【知力】42 人並み程度
【政治】48 苛斂誅求に苦しむ民衆の支持があり、日本に援軍を要請する外交センスもあったが、結果として制圧されたので
【魅力】61 ゲリラを組織できた人的魅力に配慮
461世界@名無史さん:03/01/06 13:28


462「ど」の字:03/01/06 20:13
 今回は、専門をやや離れて、>449さんのリクエストにお答えします。>141書式。

【グスタフ・アドルフ】 A.D.1594〜1632

【統率】97(部下に厳しい軍紀を守らせ、精強な軍を育成した。コントロール力は超一流)
【武力】94(西洋で初めて漸進射撃戦術を編み出した。個人的武勇も特筆に価する。その反面突出し過ぎる性癖があったので減点)
【知力】96(十数ヶ国語を理解できたと伝えられる伝説的な知識力。教養も当時の一流)
【政治】94(名宰相オクセンシェルナと協力して自国を富国強兵させた名国王)
【魅力】95(国民からは熱狂的な信頼を得ており、敵国の将兵からも人格は賞賛された)

 祖先がバイキングであったというバサ朝スウェーデン国の始祖グスタフ・バサの孫。グスタフU世とも言う。北方の獅子王とも称された。
 1611年、17歳でスウェーデン王に即位。
 デンマーク、ロシア、ポーランドを相次いで破り領土を拡大、バルト海の覇権をほぼ確立する。
 ドイツで起こっている30年戦争の影響がバルト海に及ぶのを回避する意図と領土拡大の意図を持って30年戦争に介入。
 それまで世界の最先端戦術だったテルシオ戦術を漸進射撃戦術で撃破して、後世に名将と呼ばれるようになる。
 ただし、テルシオ戦術を使っていた傭兵司令官ワレンシュタインを破ったリュッツェンの戦いで、自らは戦死を遂げてしまう。

 その人となりは率直で寛容、普段の態度は礼儀正しく威厳のあったが、稀に激しい癇癪を爆発させることがあった。
 彼は王者の剛毅さを備えながらも近づき易く、穏やかで親切な態度をとることから国民にカリスマ的な魅力があったようである。
 敵兵士にさえも慈悲深い行為を示した彼に対しては敵軍の将兵さえ尊敬の念を抱かずにはいられなかったとも伝えられる。
 文武両道に秀でる人間にありがちなことであるが、何でも自分が先頭に立って行いたがる性癖があり、それが彼の致命傷になる。
(この項つづく)
463「ど」の字:03/01/06 20:49
(つづき)
 彼は、戦闘で13回も負傷しているそうで、常に敵弾の飛んでくる場所で戦っていたことが伺える。
 部下から「王は貴い命を危険にさらすべきではありません」と注意されると、次のように答えている。
「自分でやってみなければ良くできたと思えないのが私の性質だ。何でも自分の眼で確かめなければ気がすまないのだよ」
 リュッツェン会戦での戦死は、いずれ来るベきものであったと言えよう。
 なお、その死に様は、最前線で至近距離からの銃撃を受け、倒れたところを敵兵に頭蓋を斬られるというものだったらしい。
 まったく典型的な最下級指揮官のような最期を、こともあろうに最高司令官たる国王が遂げてしまったのである――。

 そしてこの彼の死に様は、自分にとある日本国内の英雄を思い出させた。
(この項まだ続く)
464「ど」の字:03/01/06 21:36
(つづき)
 グスタフU世は、日本近世安定政権の樹立者である徳川家康とキャラがかぶるのである。スケールは違うにしても。
 >117、>177で自分も詳述しているが、徳川家康もまた、自分を恃むあまりに突出しすぎる欠点があちこちで目に付く人物である。
 徳川家康は危ういところで命を拾っている(?)が、グスタフU世はそこまで幸運ではなかったのであった。


 ただ自分は、徳川家康は早い時点(多分関ヶ原。遅くとも駿府での隠居後間もなく)で命を失ったと見ているのだが……。
 秀忠への政権委譲方法やわざとらしい死期など、怪しいところがあり過ぎる。
『影武者・徳川家康』説は、案外真実を含んでいるのかもしれない。
465アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/01/06 22:24
>>464
ご意見、ごもっともですが、徳川家康に関するトンデモはお止めくださいませ。
466山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/06 22:26
トンデモはさておき、危険に身を晒したのは家康だけでは無かったわ
けで。信長もかなり危なかった。
467世界@名無史さん:03/01/06 23:04
「影武者・徳川家康」
真相の真偽はともかく、小説としては面白かったな〜
マンガが中途半端な形でうち切られてしまったのが悔やまれる

流れと関係ないのでsage
468「ど」の字:03/01/07 18:00
>465
 徳川家康の早期死亡説は、やはりトンデモ歴史説だったのでしょうか?
 詳しく検証した文を知らないので、自分にはなんとも言えないのですが…。

 ただ、徳川家康の事跡を見ていると、不思議な点は多々あるんですよ。
 源義経=ジンギスカン説みたいなトンデモとはまた違っているとは思うのですが… 実際、どうなんでしょう?
469世界@名無史さん:03/01/07 22:46

470世界@名無史さん:03/01/09 00:09
「影武者・徳川家康」なつかしい
471世界@名無史さん:03/01/09 00:24
ヒバゴン
472世界@名無史さん:03/01/09 17:18
muda
473カール五世 ◆zJFe8ZPXPA :03/01/09 19:53
リンカーン
【智謀】86
【戦闘】40
【統率】98
【政治】95
【魅力】90

【智謀、政治】
奴隷解放を南北戦争中に行なうという政治的パフォーマンスを見せ付ける点からこの位が妥当。
【魅力】
エーブと言う名で親しまれていたから
474世界@名無史さん:03/01/10 02:46
陳慶之 
【統率】90 兵士を纏め上げる手腕は超人的なまさに理想の上司。
【武力】16 馬に乗る才能がこれほどない者は初めて見たと言われたほど、個人的武勇は無いに等しい。
【用兵】100(+α) 最早数値で表現できるレベルを超越しているほど、神の領域。
【智謀】85 若い頃から梁の武帝を驚嘆させる智の冴えと卓越した状況認識能力のため。
【政治】64 統治した規模がさほど大きくないとはいえ人民に慕われる善政を敷いた。
【魅力】82 部下が彼を慕うあまりに謀叛を薦めたほど。 しかし彼はそれを笑って嗜めたと言う。

梁の名将であり、世界史上でも間違いなく最高級に属する天才将軍。
僅か7千の兵で、権力闘争で混乱していたとは言え、北魏の大軍勢に幾度も勝利を重ね続けた。
虎牢関を二日で攻略し、数十倍に相当する敵軍を味方にほとんど犠牲を出さずに屠る様は人間の域を越えた用兵の天才。
撤退戦でも北魏30万の軍の11度の追撃を悉く阻み、梁の首都に意気揚揚と凱旋をした。
その勝利は常識や理屈で量れる物ではなく、その勝利はまさに神がかり的な物であった。



475世界@名無史さん:03/01/10 02:50
>468
裏づけになる史料が何処にもないんだから、どっちも同レベルの与太。
それでいいなら漏れは天海僧正=明智光秀説とか唱えちゃうぞー。
476「ど」の字:03/01/10 22:57
>475
 天海僧正は重農経済主義者で、明智光秀は重商(重金)経済主義者だったはず。
 それは、いくらなんでも理に合わないんじゃないでしょうか……。
477世界@名無史さん:03/01/11 12:35
陳慶之すごいけど、無名だね
478山崎渉:03/01/11 12:47
(^^)
479世界@名無史さん:03/01/11 15:02
ラスプーチンはどうですかね?
480世界@名無史さん:03/01/11 17:29
他の能力は知らんが「生命力」は100を進呈したい。
毒を盛られても効き目なし、それではと銃で胸を撃ち頭を鈍器で殴り、
いいかげんグロッキーになったところを川へ投げ込んでやっと臨終。
これだけやられても死因は溺死とか。
481世界@名無史さん:03/01/11 22:59
>474
゚Д゚)ハァ? 陳慶之が用兵100(+α)?
・・・お前、禿の「奔流」と「陳書」しか読んでないだろ。
陳慶之は不敗じゃないぞ。
482世界@名無史さん:03/01/11 23:01
用兵100(+α)はルイ・ニコラ・ダヴー元帥にこそふさわしい。
483世界@名無史さん:03/01/11 23:01
「陳書」じゃねー、「梁書」だ。
折れもでけーことは言えねえなあ(w
484世界@名無史さん:03/01/11 23:26
ダヴーは自分が君主だったら部下に一人は欲しい人材だよね。
二人以上はいらないけど。
485世界@名無史さん:03/01/12 13:50
梁書て訳されてるか。
486アルフォンソ拳王 ◆wDJtpxQyh. :03/01/12 18:27
http://bom-ba-ye.com/c.cgi?takiy=1

こういうのやってみました?ガイシュツだったらスマソ。
487世界@名無史さん:03/01/12 21:28
サラディンをキボン
488世界@名無史さん:03/01/12 21:50
>>480

斬首という処刑方法はなかったんだろうか?
さすがにこれなら生きておられまいが。
帝政ロシア時代には四つ裂きという方法もあったと聞くが・・・?
489世界@名無史さん:03/01/12 21:51
>487
サラディンは漏れも好き。…と言いつつ数値化するほどの知識は無し(鬱
誰かお願いします。

個人的には「ど」の字さんに
  1.五賢帝
  2.ゴティクス、アウレリアヌス、プロブス等の軍人皇帝時代後半の英雄達
  3.ユリアヌス(背教者の方)
  4.スティリコ
などを評価してみてほしいな。ん〜わがまま、かな。
490「ど」の字:03/01/12 23:03
>489さん
 はい。追々やらせていただきたく思っています。特に五賢帝は精力的にやりたいですね。
 ただ、2、3、4の方々は基礎から勉強して書きますので、少し時間を取らせていただきます。

 また、先にグスタフU世を書きましたので、ワレンシュタインを先に書きたく思っています。
 以前に、別の方からリクエストがありましたルイ]W世も書かないといけません。

 急いで書いていきますので、よろしくお願いします。

 あと、それと誰かに助けてほしいことがあったりしますが。
 自分の2チャンネルブラウザJaneSyrup test Doeで、書き込みが出来なくなっているのです。

・現在、荒らし対策でクッキーを設定していないと書きこみできないようにしています。
(cookieを設定するとこの画面はでなくなります。)

 とのことですが、パソコン初心者同然の自分には設定の仕方が分かりません。
 誰か、分かる方がおりましたらどうか助けてください。
 でないと、自分は別の場所から書き込みせざるを得なくなってしまいます……。
491489:03/01/12 23:14
>490
おおっと、神降臨!よろしくお願いします!

OSは何使ってるのかな?もしWinならcookieの設定は、
IEのツールメニュー→インターネットオプション→プライバシーで、「中」に設定すれば
大丈夫なはずだけどね?
492449:03/01/12 23:55
どの字さん正月休みの忙しい中調べて
いただきありがとうございました。
ローマ史が専門でしたんですね。
失礼しました。(汗
493世界@名無史さん:03/01/12 23:57
サラディンは魅力は文句無しに100ですね
494449:03/01/13 00:04
サラディンについて教えてください。
いまでもイスラム教徒に人気が有るそうですね?
495「ど」の字:03/01/13 00:08
 グスタフU世と激闘を繰り広げた、旧教サイドの傭兵司令官。

【アルブレヒト・フォン・ワレンシュタイン】 1583〜1634

【統率】78(部下を統率する手腕は優れていた。ただ部下の統制力を鑑みるに、当代一流と呼称するには足りない)
【武力】91(当時最新の戦術であるテルシオ戦術とその応用に熟達しており、戦場での臨機即応も優れていた)
【知力】66(この点において特筆すべきことはないが、哲学に無知ではなかった点からこの数字にしてみた)
【政治】89(意外ではない。ドイツの未来を憂いて戦争を終結させようとしていた先見の明は特筆に価する)
【魅力】57(部下には広く支持があったらしい。その反面ドイツの既得権益層には不人気だった。戦禍に喘ぐ民衆にも嫌われた)

 ボヘミア、ヘルマニッツ出身の傭兵司令官。スペイン由来のテルシオ戦術に熟達していた。
 1618年にボヘミアで三十年戦争が勃発すると、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント2世の軍隊に傭兵部隊を組織して参加。
 トランシルバニア公との戦いで名をあげ、以後神聖ローマ帝国軍を指揮してデンマークおよびスウェーデンの軍を撃退。
 1624年、戦功によってフリードラント公に叙せられる
 以後、新教軍マンスフェルト伯の軍をデッサウで破り、ユトランド半島まで侵攻し、メクレンブルグ公国を占領など武功を重ねる。
 スウェーデン国王グスタフU世がドイツに侵入した頃に(1630)ドイツのカトリック諸侯が彼の強大化をおそれたためフェルディナンド2世に解任される。
 遺された軍の指揮権はティリー伯(彼もテルシオ戦術の名手)に移るが、1632年にティリーがレヒ川の戦いで敗死したことで司令官に再任される。
(この項つづく)
496「ど」の字:03/01/13 00:10
 遺された軍の指揮権はティリー伯(彼もテルシオ戦術の名手)に移るが、1632年にティリーがレヒ川の戦いで敗死したことで司令官に再任される。
 それ以降もボヘミアからザクセン軍を撃退、ニュルンベルク近郊でグスタフの軍を撃退など奮戦する。
 リュッツェンの戦いではグスタフU世直卒の軍に敗戦するが、その地で最前線で督戦していたグスタフU世を戦死させている。
 ドイツの荒廃を憂いて独自に行った新教派との和平工作が、フェルディナント2世ほか旧教諸侯の不信を招く。
 その結果、1634年1月に再び司令官の地位を解任され、2月25日にフェルディナント2世の派遣した刺客によってエゲル(現ヘプ市)で暗殺された。

 彼がもう少し長生きしてドイツの再建に力を振るえたなら、現在にまで続くドイツの苦境は無かったかもしれない。
 30年戦争の惨禍は、以後のドイツを大きく歪めてしまっているからである。ナチス台頭から現在に至る苦境も、30年戦争の後遺症と言えば言えるのだ。
 
 なお、シラーの戯曲である悲劇「ワレンシュタイン」三部作で有名になっている。。
 故郷では豪勢な生活を送っていたらしく、傭兵司令として戦った理由はドイツ統一の為ではないかという説が有力視されている。自分もその説を採る。
497「ど」の字:03/01/13 00:57
 絶対王制の典型例と言われる、ブルボン朝フランス王国の最盛期の王。

【ルイXIV世】 1638〜1715

【統率】55(特に優れているとする記述は無い。またその人柄で臣下を律する人ではなかったようだ)
【武力】48(自然国境説を唱え戦争を幾つも起こしたが、いずれも戦略目標を達成できていない。一貫性の欠如は致命)
【知力】77(教養があり、優れた臣下を幾人も登用した眼力の持ち主だが、その知力にはムラがありすぎるので減点)
【政治】80(富国強兵策を強力に推進したが、ムラのありすぎる知性が彼の優れた政治センスを阻害してしまった)
【魅力】65(宣伝されるほどの魅力は無かったようだが、自分を魅力あるように見せる手腕はあったのでこのくらい)

 父王を早くに失い、しばらくは宰相マザランが国を統治していた。
 その時代にフロンドの乱でパリから逃げ出してもおり、パリ嫌いだったらしい。
 親政はマザランが死んだ1661年から。『太陽王』の異名は、その翌年の祭り衣装の意匠が太陽であったことから付いた。
 官僚制国家を策してリオンヌ、ル・テリエ、フーケをおくが、フーケが失脚し、そのポストには重金経済主義者コルベールが就任。
 コルベールの唱える政策である保護関税の新設、国内産業の育成、植民活動の拡大を推し進めた。
 幾つもの対外戦争を遂行しているが、国家戦略的一貫性の欠如により実り少なく、国家財政を圧迫した。
(この項つづく)
498「ど」の字:03/01/13 00:58
(つづき)
 壮麗なヴェルサイユ宮殿を造営しているが、これも国家財政を傾けている(コルベールはこの宮殿造営を諌めて解任されている)。
 最も国勢を傾けるきっかけになったのは、ブルボン朝フランスの始祖アンリW世の出したナントの勅令の廃止(1685)。
 これにより国内のプロテスタント技術者・金融業者などが国外に流出、国際的にも孤立してしまう。

 絶対君主の典型とされ、「朕は国家なり」(L'etat, c'est moi)という句は有名
 治世下ではコルネーユ、モリエール、ラシーヌら多くの芸術家が輩出し、古典主義文化の最盛期を創った。
 人となりはおだてに弱かったと伝えられる。また、その生活は生理的な営みから政務にいたるまで、すべてが儀式化されていた。
 サン・シモン公によれば、「7リュウ(約30km)離れている人でも、暦と時計を持っていれば、国王が今何をしているかほぼわかる」らしい。
499世界@名無史さん:03/01/13 01:28
>>485
「梁書」 姚思廉[奉勅]撰 荻生茂卿句読 古典研究會 1970
これで訳されてるというかどうかは分からないけど、読めないことはない
500世界@名無史さん:03/01/13 02:07
>>495-496
正規軍の規律のあった(それを盾にした統率が可能だった)
グスタフ・アドルフと、単なる傭兵軍のみのヴァレンシュタイン
とでは、もともと率いる兵の質が違うと思う。
そこを考えると「統率」は80台は行くんでは?

あと、彼の作った軍税制度がハプスブルク家における常備軍創設の
発端となったとされるし、哲学のみならず天文学にも関心があった
(占星術師を用いたとされるが、当時において天文学と占星術は
未分化な状況にあった)点、「知力」60台は他の人物に比べて
低すぎるように思う。

最近まであった該当の専門スレ(今もあるかな?)では、
グスタフ・アドルフよりヴァレンシュタインの方に高い評価を
与える人もいるくらいで、ちょっと評価が低すぎるような。
501世界@名無史さん:03/01/13 02:32
ヴァレンシュタインはともかくグスタフの数字が高過ぎだ。

ところで知力って教養とか浮世離れしたものじゃなくて
謀略能力とか戦略を練る力とか
そういう実際的な頭の働きを数値化したものじゃないのか?

それから政治力は、具体的に農地を開墾したとか、商業を発展させた人間に
高い数値を与えるものというよりは、
利害関係を調整して敵を味方につけたり、交渉を有利に展開させたりした
人間を評価する数字だろう?

こう考えれば知力・政治力ではヴァレンシュタインが勝るだろう。
502「ど」の字:03/01/13 02:54
 今日のおまけ。朝鮮半島に光州事件の惨禍をもたらした軍人政治家。

【全斗換】 1931〜

【統率】70(細々とした面倒を見るのが得意。性格は参謀向きであり事実参謀上がり)
【武力】50(実戦経験が全く無いのでこの数字に落ちつかせた)
【知力】67(常識的知性はあったらしい。半島の政治家によくある自己神聖化を嫌った数少ない人)
【政治】52(現状把握力は秀逸だが政治力学利用術は拙劣。豪腕政治家とは言えない)
【魅力】14(光州事件の虐殺を直接指揮したために国民から非常に憎まれた)

 慶南出身とも大邱出身とも言われる。幼い頃満州に渡った経験もあるらしい。
 1955年に少尉任官以後は、官僚的な軍人としてキャリアを重ねる。
 朴正煕大統領の死亡以後、権力の空白期に当時の大統領の弑逆事件の捜査を務める。
 その当時、国軍保安司令官少将だったが、クーデターで政権を奪取。
 1980年の光州民主化抗争(光州事件)で国軍保安司令部に学生市民を虐殺させたことで悪名を高めた。
 以後は、朴大統領が敷いた日本との貿易体制を維持しつつ国家経営をする。
 全斗換大統領は日本の支配について自分の国にも責任があったと認め、当時日本でも大きく報道された。
 1982年に起こった朝日新聞捏造による教科書問題では先頭に立って日本を非難している。
 1988年まで権力の座にあった。
 1995年に拘束され、死刑判決を受けている(後に慮泰愚と共に恩赦されるが)。
503「ど」の字:03/01/13 03:15
>500−501
 レスを読ませていただきました。

 グスタフU世の統率力は、軍集団に対しても発揮されているので超人的数字にしてあります。
 ワレンシュタインの統率力は、軍集団に対してもやや甘い点があるので下げました。
 しかしご指摘の通り、70台はややキツい数字かもしれませんね。83あたりでしょうか?

 あとワレンシュタインの軍制が後世に影響していたのですね。
 それは自分の通り一遍の調査ではわかりませんでした。
 天文学への興味も知りませんでした。お詫びして訂正します。知力は72が妥当でしょうか。
 ただ、政治の数値がワレンシュタイン>グスタフU世というのには納得いかないと思いますけれど。

 なお、自分の数値化作業では、知力はその人物の知識量と教養的能力として判定しています。
 謀略能力とか戦略を練る力とかは武力に含めています。
 また、政治力は内政(国家経営)と外政(外交交渉)を統合した数字にしてあります。
 その視点から見た場合にはワレンシュタイン<グスタフU世と解釈しています。
504世界@名無史さん:03/01/13 03:20
>500-501
批判は結構だが自分でも採点してみたら如何?
自分だったらこれくらいの点をつけるってのを示さないと「ど」の字氏も困惑すると思うが。
505世界@名無史さん:03/01/13 14:18
ヴァレンシュタインはやろうとしてたんだが頓挫した。
この人物の場合、略伝書こうと思ったら盛り込む項目ありすぎで、
どれを優先していいんだか分からん。
略伝抜きならすぐ書けるんだがね。
506世界@名無史さん:03/01/13 14:31
>>497
ルイ14世と漢の武帝ってなんか似てますよね。
あとユスティニアヌスも。
507世界@名無史さん:03/01/13 15:35
>>494

レビューできるほど知識はないので、蒼き狼と白き牡鹿4から拝借してきた
サラディンの能力値

政治 83
戦闘 91
知謀 84

歩兵指揮 A
弓兵指揮 B
騎兵指揮 A
水軍指揮 C

内政特性
商業、建築、外交、登用

軍事特性
突撃、連続、火攻、攻城
508世界@名無史さん:03/01/14 09:46
保全age
509世界@名無史さん:03/01/14 22:49
金日成
【統率】82(ともかく半島の半分の人民全てを惹きつけている統率力は確かなものがある)
【武力】38(その勇名のほとんどが虚構の物であり、実際はただの凡人にすぎない)
【知力】88(巧に自国の民衆を騙した、世界史上に残る詐欺師)
【政治】10(自己神聖化に付け加え、最低の統治で多くの人民を餓死させた)
【魅力】12(金日成という名前はともかく、彼個人に魅力などはあるはずもない)

金正日
【統率】46(良くも悪くも父親の威を借りているだけ)
【武力】24(東ドイツ滞在時でのレイプなど、下半身だけは並外れているかもしれない)
【知力】20(彼の外交戦略は時代を全く読めていない、自分の首を締めているようなもの)
【政治】6(歴史上の最後の暴君?)
【魅力】9(彼の父と同じく、彼個人の魅力など全くない)
510世界@名無史さん:03/01/14 23:51
李蔵用

【統率】55(崩壊しつつある高麗朝を支え続けた努力を買う)
【武力】30(武官ではないので)
【知力】60(日本への交渉を妨害したり、蒙古との難しい交渉を担った実績があるので、ちょい高め)
【政治】68(現実主義者でなかなかの見通しがあったが、なにせ相手が悪すぎた)
【魅力】51(それなりの人物であったようだが、内乱を抑えられるほどのものではなかった)

モンゴルの占領下、高麗の宰相として元宗に仕えた。元宗と共に蒙古の圧制から高麗を守ろうとした。
現実主義者で、皇帝フビライを最初から冷徹な支配者と見て、常に最悪の事態を考えて行動したが、
いかんせん相手が悪すぎた。
結局、高麗は相次ぐ内乱と日本遠征その他の負担で悲惨な状況に陥ることになる。

元ネタは井上靖著、風濤(新潮文庫)より。正確な史料は各自調べていただきたい。

「李蔵用よ、汝は泣いているのか」
元宗は訊いた。李蔵用の顔は濡れていたが、涙で濡れているのか雪のために濡れているのか、元宗には判らなかった。
「何で泣きましょう。これしきのことで泣いていいものでしょうか。まだまだ本当に泣かねばならぬ時のために、李蔵用は涙を貯(と)ってあります」
李蔵用は言って、さっき金方慶が為したように平手で顔を拭った。

とにかく打つ手打つ手どれも裏目に出て、悲惨である
511世界@名無史さん:03/01/15 17:12
インド系がほとんど出ていませんが、チャンドラグプタ王とか、アクバル帝、
アウラングゼーブ帝はどうでしょうか?
512世界@名無史さん:03/01/15 22:13
このスレ的に三国志の連中を数値化してみますた。
ややスレ違いかもしれませんが、どうでしょう?

曹操
【統率】90(混乱する後漢末期で最大の群雄として君臨した)
【戦闘】78(物凄い戦上手のようでもあるが、敗戦も結構ある)
【智謀】82(権謀術数を持って、数々の敵対者を打ち破った)
【政治】91(世界史上に残る業績を少なからず打ち立てた、統治の天才)
【魅力】78(詩歌の技術もかなりのレベルだが、基本的に人徳の人ではない)

劉備
【統率】42(彼の統率力はほとんど凡人と変わらない)
【戦闘】50(戦下手の印象があるが、若い頃はそれなり)
【智謀】68(多くの群雄に頼り、寄生虫のごとくその群雄を食い潰した)
【政治】52(政治家としての能力は必要とされてはいない)
【魅力】94(当時の人気もさる事ながら、後世の人気も絶大)

周喩
【統率】81(主君に代わり、見事に軍を統率した)
【戦闘】85(赤壁の勝利や曹仁との戦いから当時の最高級の将帥であるのは確か)
【智謀】73(確かな戦略眼を持ち、劉備の危険性を見抜いていた)
【政治】51(あくまで武人だが、政治センスがなかったわけでもない)
【魅力】76(音楽センスに優れる美男子であり、人望もかなりあった)
513「ど」の字:03/01/16 01:32
>512
 お疲れ様です。良いところを穿っているのではないかと思います。
 ただ、劉備の戦闘と智謀の値は少しだけ異議がありますが。
 戦闘の値は、雑多な軍隊を扱う才に恵まれているようですので72が適当かと。
 戦略面での才能はゼロですが、実際に敵と当たる武将としては秀逸でした。
 傭兵隊長としては使いでのある人物なので、そのくらいで……。
 逆に、智謀の面では68は高すぎです。凡人なみの45あたりかと。
 本質を把握する能力はあったようですが、それ以外は全然駄目だったようですし。
514「ど」の字:03/01/16 02:08
 さて、それでは五賢帝についての評伝を書いていきたく思います。

【マルクス・コッケイウス・ネルヴァ】 A.D.35〜98 在位96〜98

【統率】55(凡人よりはあったものと思われるが…)
【武力】40(どうも実戦経験はなかったくさい。クーデター抑止で表彰されているが)
【知力】75(精神的バランスに富む柔和な人物。教養もそれなりにあり、執政官を2度歴任)
【政治】70(自分の状況と国家の状況を鑑みて、わずかな時期といえ国家の采配を誤まらなかった)
【魅力】69(人の間に立って目立つ人ではなかったが、民間の人望はあったらしい)

 ローマの北80キロの街ナルニアの生まれ。父は法律家で裕福な身分だった。
 ネロ帝に引きたてられたのをはじめ、在位期間の長い皇帝たちには重宝されていたようだ。
 70年にはヴェスパシアヌス帝の、90年にドミティアヌス帝の同僚執政官に選出されている。
 年老いて以後は、柔和な元老院の一要素として穏やかに暮らしていたらしい。
 ドミディアヌス帝暗殺事件以後も、同時代人には彼の暗殺関与説は一笑に付されている。
 ただ、ネルヴァ帝就任は元老院のみの一方的な宣言でなされたため、軍部の支持を受けられなかった。
(この項続く)
515「ど」の字:03/01/16 02:23
(続き)
 ドミティアヌス帝は軍隊に信望篤く、またネルヴァ帝自身軍事で信望を得られる人物ではなかった。
 97年の半ばに親衛隊の皇帝暗殺者への報復措置が行われ、皇帝の権威が失墜してしまう。
 国内の分断を防ぐ意味と、残り少ない己の寿命を考慮してか、彼は早々に後継者人事に着手する。
 低地ゲルマニア属州総督で民衆と軍部の人気の高いトライアヌスを後継者に指名したのである。
 これは、当時ローマで対策が必要とされていたダキア国侵攻問題への手当てでもあった。
 後継者指名と養子縁組が終了してすぐ気が抜けたかのように病を得、98年1月27日に死去。

「統治する時期が短ければ、誰だって賢帝になれる」との口さがない批判もあるけれど。
 しかし後継者人事を誤まらないのは、善政を遮断しない重要な要素だと、自分(「ど」の字)は思っている。
 その意味で、十分にネルヴァ帝は賢帝の呼称を受ける資格があると思われる。
516世界@名無史さん:03/01/16 02:25
デンマーク、ポーランド、ロシアの連合軍と真っ向から挑んでナルヴァで勝利した
カール12世ってどうよ?
517「ど」の字:03/01/16 03:04
>516さん
 リクエストにお答えして数値化と略歴記述してみます。

【カール]U世】 1682〜1718 在位1697〜1718

【統率】84(若年にして国をよくまとめ、幾多の戦争を転戦し続けた)
【武力】89(北方で多くの国を向こうに回して敗北は一度のみ。一流の証明)
【知力】68(国王としては十分な値であったが、一流と言うには少し……)
【政治】69(戦闘と政治を上手く結合できていないところからこのあたりかと)
【魅力】85(若さと闊達さからくる魅力はあった。人呼んで「北方の流星王」)

 スウェーデン国王カール11世の長男として生まれる。
 1697年、父王の死により15歳の若さで即位。その若さは諸国に侮られる原因になる。
 1699年、ロシア・デンマーク・ポーランド間で、スウェーデン領の分割を目論む同盟が成立。
 これを知ったカール12世は、1700年三国に宣戦し、デンマークに侵入(北方戦争開戦)。
 1700年のうちにデンマークに城下の盟を結ばせ、次いで同年ロシアをナルヴァの戦いにおいて破る。
 以降はデンマークをどんどん切り取り、ついに1707年に有利な講和を結んでいる。
 それ以後はロシア遠征を有利に進めていくが、1709年ポルタヴァの戦いで生涯唯一の敗北を喫しトルコへ逃走。
 国王不在のスウェーデン軍は一進一退の攻防を展開していたが、1714年のトルコを脱した国王の帰国で息を吹き返す。
 その後も転戦を重ねるが、1718年11月30日、ノルウェー攻略中フレデリックスハルトにて狙撃され戦死した。享年36歳。
 環バルト海帝国としてのスウェーデンはカール]U世の死により瓦解したと言われる。
518512:03/01/16 03:15
>「ど」の字さん
レスありがとうございます。正直、劉備は確かに迷いました。
劉邦以上に彼は評価の決め難い人物なんじゃないか、と思ったほどです。
ただの無能のようで、そうでもないような気もさせる男……
流石は三国志演義の主役と言った所でしょうか。
519世界@名無史さん:03/01/16 10:40
このスレは正史や史料にこだわらず、演技、小説、架空の物語が元ネタでもOKなのね
世界史スレながら懐が広い
520世界@名無史さん:03/01/16 11:57
コーエーだからなあ(笑
521世界@名無史さん:03/01/17 02:20
ナポレオン・ボナパルト

【統率】86(多くの国民や兵士達をまとめたが、タレーランやフーシェといった人物を御し得なかった)
【武力】93(間違いなく世界史に残る戦争の天才だが、敗北もそこそこある)
【知力】72(謀略も駆使したが、やはり彼は正道を突き進むべき男であり、本質的には動の人である)
【政治】95(戦争の天才の名は彼が政治においても天才だったからこそ)
【魅力】91(外面こそ貧相ではあったが、内面より発する光が多くの人間を魅了した)



522世界@名無史さん:03/01/17 02:31
石原莞爾の数値化希望。

【統率】75(指揮能力は高いが、対人関係に弱点があると考える)
【武力】90(満州戦線での活躍から)
【知力】90(相互確証破壊を見越した「世界最終戦論」や敗戦後の発言より)
【政治】65(派閥争いにより閑職へ→退官)
【魅力】60

個人的にはこの程度を見積もる次第。
523世界@名無史さん:03/01/17 02:33
世界最終戦論→世界最終戦争論
524世界史@名無史さん:03/01/17 17:39
イブン=ハルドゥ−ンの数値化をお願いします
525世界@名無史さん:03/01/17 20:27
金正男
【統率】10(みたまんま)
【武力】08(そのまんま)
【知力】05(ディズニーランドに行く為に、不法入国…)
【政治】02(そのまんま)
【魅力】01(見たまんま、きもー)

現代坂阿斗
526「ど」の字:03/01/17 23:23
 五賢帝を書く前に、ローマの重要な皇帝を評価します。

【ティベリウス・クラウディウス・ネロ】 B.C.10〜A.D.54 在位A.D.41〜54

【統率】33(身内の統率が取れていない。また尊敬の必要性を理解できなかった)
【武力】55(小児麻痺の影響で武器が取れない身体になってしまったが、戦略戦術はそれなり)
【知力】87(教養は高く批判精神から来る智恵もあった)
【政治】62(時宜を得ない政策などでたまに国政混乱を招いた。外交能力はそこそこ)
【魅力】30(身体的にも表現力的にも、魅力ある人物ではなかった)

 四代皇帝クラウディウス帝として知られる人物。
 カリグラ帝の叔父で、アントニウスの孫。兄に夭折したゲルマニクスが居る。
 幼時は体が弱く、ゲルマニクスに保護教育されることでそれなりに健全な心を育てられた。長じて歴史学者になる。
 どうも敗者に同情的な伝記を書く癖があったらしく、その文章は現存する断片から平凡な出来と言われている。
 歴史上に登場するのは、カリグラ帝が暗殺された後に親衛隊長カレアに擁立(隠れていたところを拉致)されたため。
 カレアをはじめとする親衛隊士官に説得されたのか、皇帝即位を決意。
 その際の話し合いの結果であろうが、カレアを死罪に処した。カレア他一名の親衛隊長は従容と自死を遂げた。
 皇帝としては官房長官ナルキッソスを登用、ムラがあるものの政治に励んだ。
(この項続く)
527「ど」の字:03/01/17 23:34
(つづき)
 ローマ元老院の地位をローマ本国人以外に解放した際の演説は、世界史的に評価が高い。
 また、彼は最初にブリテン島に防壁を築いた皇帝でもある。
 しかし家庭的には大変不幸で、三人目の妻メッサリーナの統御を損ねて国民の失笑を買う。
 重婚の罪を犯したメッサリーナを殺害した後の妻が、史上有名な小アグリッピナ。
 結局、クラウディウス帝はネロを帝位につけんとして焦ったアグリッピナに毒殺されてしまう。

 塩野七生女史は彼の死期を「時宜を得た死」と言ったが、自分はそうは思えない。
 彼があと十年長生きしてネロの成長を待てれば、ネロ帝はあのような終わり方をしなかったであろう。
528「ど」の字:03/01/18 00:02
 続いて、焦った母親アグリッピナの野望に潰された哀れな皇帝の評価です。

【ガイウス・クラウディウス・ネロ】 A.D.39〜68 在位51〜68

【統率】41(とかく安定を欠いていた。何とか凡人並み)
【武力】65(アウグストゥス帝の戦略デザインを理解できる能力はあったようだ。小手先の技にも長ける)
【知力】66(安定を欠いたが、それなりのものは持っていた。教養はあったが芸術に傾倒していたらしい)
【政治】66(やはり若者らしい心の弱さは致命傷だが、なかなかの芸の持ち主ではあった)
【魅力】76(死後もそれなりに人気はあり、その墓には常に花が捧げられ続けた)

 元の名はガイウス・ドミティウス・アエノバルブス。上記の名はクラウディウス帝の養子になって以後の名。
 ネロ帝と呼んだほうが通りが良い、ローマ第五代皇帝。ユリウス・クラウディウス朝最期の皇帝。
 幼時からクラウディウス帝の親衛隊士官ブルズや文人セネカに英才教育を叩きこまれて育つ。
 クラウディウス帝毒殺後、母親やブルズやセネカらに擁立され、しばらくは大過無く治世に励んだ。
 その歯車は、ブルズの病死やセネカの引退あたりから狂い出す。
 成人した後、結婚や政治のことに疎ましく口出しする母親と意見を違え、過激な解決策を講じ殺してしまった。
 ブルズやセネカが去った後はティゲリヌスを重用するが、その統御を失い政治を混乱させてしまった。
(この項続く)
529世界@名無史さん:03/01/18 00:03
>525
それは劉禅に失礼だ。
内政面だけならそこらのボンクラよりマシだったはず。
軍事面も、相手との国力差がありすぎたので一概に駄目とは断言出来ない。
正男に関しては異論など全く無いが。
530世界@名無史さん:03/01/18 00:09
存命中の人間についての評価は差し控えたほうがいいかと。
ダメダメでも死に様だけで大幅ポイントアップという可能性もないではないし。
531「ど」の字:03/01/18 00:22
(つづき)
 世に言われているローマ大火やキリスト教徒の処刑は、一切ネロ帝の責任ではない。
 ローマ大火の際には、自ら火の粉を被るほどの陣頭指揮を執って消化に励んでおり、事後策も巧みだった。
 キリスト教徒の処刑については、ローマ古来の多神教秩序を破壊するカルト宗教の過激派を処刑したに過ぎない。
 芸術演劇に耽溺した点も非難されるが、これもギリシャ旅行さえなければ趣味の域を出なかっただろう。
(自作自演の劇の上演中に盛大に舟を漕いだヴェスパシアヌス>179を重用するなど、バランスは失っていなかった)
 致命的な失策は、カルプニウス・ピソの乱以後疑心暗鬼に陥り、コルブロなど有能な臣下を死なせてしまったことであろう。
 コルブロ自死強要で軍隊に、ギリシャ旅行で元老院に、完全に見限られてしまう。
 ウィンデクスの反乱に呼応したガルバ軍がローマに迫ると、ネロは元老院によって公敵宣言を受け、絶望して自害した。
 ギリシアほか属州では人望があり、また民衆にも人気を失わなかったので、死後も墓には献花が絶えなかったと伝えられる。
 彼の死によって、アウグストゥスの血統は途絶えてしまう。

 はっきり言って、彼の悪名の大部分は彼の直後に帝位に即いたガルバ帝と後のカソリック教徒の捏造である。
 人格に深みを加える間もなく皇帝になったことで安定を欠いたが、それでもそれなりに良く頑張ったとは思う。
 母親の焦りさえなければ、上手くいったらハドリアヌスレベルに、悪くてもヴェスパシアヌスレベルにくらいなれたろう。
 事実、外交や軍事にはなかなかの才能の煌きを見せていた。惜しいことである。
532「ど」の字:03/01/18 01:08
 三国志(正史)登場人物の自分なりの査定もさせていただきます。
 まずは、後漢末期の風雲児である、この人です。
 別の方が既に為されていますが、略史も付けて書いてみました。

【劉備】 161〜223 在位221〜223

【統率】62(改めて迷ったがこの点を付けた。庶民の統率は優れていたため)
【武力】74(錬度の低い軍隊を率いさせるとやたら強く、群雄に重宝された)
【知力】45(教養ほぼゼロ。ただ人生の何たるかを悟り、人の本質を見る目はあった)
【政治】52(政治的に何かを為した形跡は無い。ただバランス感覚には優れていた)
【魅力】94(正史にも数々の逸話あり。後世、儒教世界に君主の理想像とされる)

 字は玄徳。前漢の景帝の子中山靖王劉勝の子孫(最近の研究では事実らしい)。
 幼くして父に死なれ、草履売りやむしろ織りで暮らしを立てた。
 黄巾の乱が起こると、関羽・張飛と共に義勇軍を率いて黄巾討伐に参加して名をあげた。
 やがて群雄割拠の状況になると、根拠地を持たない彼は流浪することになってしまう。
 公孫王賛、曹操、袁紹などのもとを転々とし、201年、荊州の劉表の下に落ち着いた。
 208年曹操が南征を始めると、劉表の後継ぎ劉jが降伏したため劉備は逃亡を余儀なくされた。
 劉jの異母兄劉埼の根拠地夏口に拠って抵抗、諸葛亮を孫権のもとに派遣する。
 諸葛亮の努力の甲斐あって同盟を結び、赤壁の戦いで曹操を撃退する一助となった。
 その後の荊州争奪戦で勝利を重ね、長江以南の4郡を手に入れてはじめて根拠地を得た。
 211年,蜀の劉璋の招きで入蜀、翌年劉璋に反旗を翻し、214年に成都を開城させ益州を根拠地にする。
 曹丕が献帝に禅譲を強要して魏王朝を建国すると、221年漢室再興を大義名分に掲げて皇帝に即位。
 しかし,関羽の仇を取るために,群臣の反対を押し切って東征を断行してしまう。
 かなりの成果をあげるがそのため補給線と戦線の延びを招き、夷陵の戦いで呉の陸遜に崩壊的大敗を喫した。
 白帝城に逃げもどったところで病に倒れ、後事を諸葛亮に託してこの世を去った。
 後世に蜀漢武烈帝と呼称される、儒教の指し示す君主の理想像。
(この項つづく)
533「ど」の字:03/01/18 01:24
(つづき)
 正史では、その人格で刺客など数多くの人物を敬服させた有り様が描かれている。
 演義ではさらに極端であるが、とにかく人格で人を従える才能には溢れていたらしい。
(同じく正史には人肉食の逸話などもあるが、どうもこれは晋の正史記述者の捏造臭い)
 また全く無学であったが、人を見る目と人生について、そして後継者人事の重要性は理解できていた。
 後事を諸葛亮に託す際には「我が子に才なくんば君これに取って代われ」と遺言している。
 死に際しても、劉備と言う人物の政治センスは崩壊をきたしていなかったことの証明であろう。
 その有り様は、巨大企業に脱皮できなかった卓越した中小企業の社長を彷彿とさせる。
 義侠的采配で人を率いていたため、関羽のあだ討ちをせずにはいられなかったことなどはその象徴である。

 儒教の君主像は、自分自身が優れている必要は必ずしも無いのである。
 戦争が下手なら戦争が優れた者を、政治が下手なら政治の優れた者を部下にすればいい。
 劉備という人物は、まさにそういった儒教の概念の象徴として有名になっていったのである。
 儒学者がアウグストゥス>193を知っていたら、狂喜して伝を書いたに違いない。もちろん、儒学に都合の良いように。
534「ど」の字:03/01/18 01:45
 ああ、忘れていました。劉備の特殊能力です。

・部隊統率(彼が直接統率する兵士の錬度は+20される。錬度が100以上になる例外の一つ)
・調略説得(彼が窓口をするか最高指導者をしている国の登用・調略はやりやすくなる)

 どうも劉玄徳は、数字では表わし難い人です。
535「ど」の字:03/01/18 11:46
 劉玄徳に戦略的視点で貢献した、実質的な蜀の指導者。

【諸葛亮】 181〜234

【統率】84(率先垂範する姿勢で部下を上手くコントロールした)
【武力】88(戦略戦術ともに堅実で穴が無く、武勇も無いわけではなかったようだ)
【知力】94(天文・気象・冶金・農業知識などは時代を突き抜けていた。官僚的事務処理能力にも卓越)
【政治】85(良く貧しい蜀の経営に成功した。バランス感覚にも優れる)
【魅力】44(演義では良く描かれ過ぎている。人心収攬力が無く、蜀を先細りさせてしまった)
【特殊能力】文明向上(彼が存在している間は、テクノロジーが一時代分向上する)

 字は孔明。瑯邪群陽都の人。父は地方の有力者であった諸葛珪。
 身の丈八尺三寸(約190p)という、当時の漢民族としては雲突くような大男。
 父を早くに亡くし、予章太守となった叔父諸葛玄と共に予章に赴く。
 そこでの内戦で叔父を亡くすと、呉に仕官した兄の諸葛瑾(大将軍にまで昇りつめる)と別れ隆中に移る。
 晴耕雨読の研究生活をしていたようであるが、荊州の客将であった劉備に乞われて幕僚になる。
 以後、劉備の幕僚として戦略・政治面での補佐に功績を上げた。
 特に赤壁戦後の荊州・蜀切り取りと政治的安定には貢献している。
 内政面でも、豊かとは言えない蜀を良く富国強兵した(蜀の国力で実勢15万人の精鋭軍を維持できたのは奇跡的)。
 最重要武将関羽と重要策源地荊州を失ってからは戦略に齟齬を来たし、仇討ちに逸る劉備を制止できなかった。
 夷陵の戦いで敗北した劉備に後事を託され、以後は劉禅を支える。が、実質的な蜀の指導者と呼んで良い。
(この項つづく)
536「ど」の字:03/01/18 12:13
(つづき)
→訂正事項。>535の知力を97に、政治を92に修正。

 以後、劉備の遺志である北伐のために周辺民族を制圧し、そこを良く安定させる。
「出師の表」を227年に劉禅に上奏して以降は、魏との戦いに生涯を費やす。
 五次にわたる北伐を敢行し、圧倒的国力を持っていたはずの魏を大変圧迫した。
 第五次北伐の途上、激務が祟って五丈原駐軍中に病を得、そして病没。死後、忠武侯を諡される。

 若い頃は大口叩きで、自らを管仲・楽毅になぞらえていたという。
 劉備に重用されて以降は、一歩下がって献策者となっているところから、TPOはわきまえていたようだ。
 後事を託されてからは、積極的に指導者としての役割を務め率先垂範の態度で規律を引き締めた。
 その指導体制は信賞必罰を旨とし、刑政は峻なりといえども怨む者はなかったと伝えられる。

 彼の軍事指導は、演義にあるような奇策を多用するものではなかったらしい。
 国内政治経済の安定、個々の兵士の装備の進歩、外交調略を駆使しての堅実なものだった。
 特に軍事理論に卓越しており、理詰めでの戦いを旨としていたようである。
 その分ハイリスクな戦いを避ける傾向があり、それが蜀という国を先細らせてしまっている。
 積極的戦略の必要性が体得できていたなら、武力に95(大スキピオなみ)を与えても良い人材。
537世界@名無史さん:03/01/18 15:47
世界史レベルでも知力97。さすが孔明。
項羽の武力がどれだけになるのかなぁ……

いつも楽しませていただいています。
「人類史」なんてシミュレーションがあったら、なんて妄想を抱きたくなってしまう……
538世界@名無史さん:03/01/18 17:14
近肖古王 在位346-375(百済13代国王)

【統率】88(371年、高句麗の平壌を攻略し、故国原王を戦死させる)
【武力】60(武勇伝は聞かないが、戦務、政務ともに精力的だったから体は丈夫だったはず)
【外交】79(東晋に朝貢し鎮東将軍、領楽浪太守に任じられる)
【政治】95(子の近仇首王の2代に渡って百済の国家体制を確立させた黄金期)
【魅力】65(これといった失点なし。)

百済の実在の王として登場する最初の王。晋書では「余句」。
たえず北進して高句麗と戦ったほか故国原王を討ち取った翌年には東晋より
鎮東将軍、領楽浪太守に任じられる。倭(大和王権?)との交渉が始まったのもこの王代とされる。
文字による記録もこの頃に始まったとされ、国家体制の整備におおきく貢献した。
三国史記の記述もこの頃から史実性を帯び、口伝、伝承時代から歴史時代への転換期とされている。
539「ど」の字:03/01/18 17:47
>538
 お疲れ様ですー。
 この人は、やたら情報に鋭かった時代の半島指導者ですよね。
 こういった王権や新羅のような外交の巧みな国家が、何故統一以後はあんなに情報に鈍くなったのでしょうね?
 儒教(特に朱子学)の所為だけと言うには少し弱いですし…。
540YOSHIKI:03/01/18 18:33
おまえら,永遠の命を手にした■慎太郎クローン■が
次期総理に向けて始動したぜ!
石原は「自分に代わって■慎太郎クローン■が首相になって
大日本帝国を再建する。」といっているらしいが、本当かよ?
詳しくはこのHPに書いてあるぜ。
そして巨大地震を起す■謎の巨大コンドーム=神■の
謎を知りたければ、このHPを見ろよ!
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm

音楽や永遠の命の質問などおれのスレにいろいろ書けよ。
そして愛知万博の極秘情報も知りたければおれのスレに来いよな。
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/musicnews/1038739531/l50

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★/////■▲▼■▲▼
541「ど」の字:03/01/18 18:50
 続いて、劉備にとってかけがえのない将軍です。

【関羽】 ?(正史において生年記述はない。恐らく160〜163の間)〜219

【統率】96(一般兵に対する統率力は軍神の領域。高級士官の手綱を誤まったので減点)
【武力】97(受動的戦略理解力と多岐に渡る戦術指揮も天才的だが、それ以上に超人的武勇の持ち主)
【知力】62(子供に教育する程度の教養はあったが、事務処理能力は並み)
【政治】61(大過なく一地区を統治する才能はあったが、それ以上はない)
【魅力】88(情け深い性格で住民の支持篤かったが、高級士官には好かれなかった※)
※なお、現在の中華文明におけるカリスマは100+。最高神に近い扱い。支那人あるところ関帝廟あり。

 字は雲長。河東郡解の人。仁侠の人だったらしく、恐らく地元での抗争がもとでクニを捨てている。
 流れた先で同じく仁侠の人であった劉備に巡り逢って以降は、張飛と共に劉備の配下として働いた。
 正史においても数々の逸話があり、義に篤い人として後世に数多くの伝説を生んだ。
 超人的な個人的武勇の持ち主であり、正史にも「関・張は万人の敵」と評されている。
 戦術行動は秀逸の一言。劉備が蜀に侵入して以降も、荊州の留守居として地域を守護した。
 対魏戦線では勇名を轟かせ、一時は魏の曹仁の守る樊城を強烈に圧迫して曹操に遷都を考えさせた。
 受動的戦略理解力は優れていたが、臨機応変の修正力に乏しかった(支持待ち人間だったのかも)。
 荊州からの圧力軽減を狙い同盟しようとした呉を怒らせ、魏呉同盟を結ばれてしまい戦略の瓦解を招く。
 魏・呉の挟撃作戦に遭って支城の一つに追い詰められた末に呉に捕らえられ、処刑された。

 その人となりは、庶民など弱者には仁義篤かったが、指導的立場の者に対しては傲慢不遜だった。
『三国志』の編者陳寿も「羽は剛にして自ら矜る。短を以て敗を取るは、理数の常なり」と批判している。
 外観的には、その美しい髭から「美髭公」と称されていた。
 なお、忠義に篤いその性格を北宋以降多くの王朝が顕彰した結果、現在では『関帝』として崇められている。
 日本にも関帝廟は各地にあり、特に横浜・神戸・長崎のものなどが有名である。
542世界@名無史さん:03/01/19 14:21

543 :03/01/19 14:32
三国時代の人物の数値が高すぎると思います
544世界@名無史さん:03/01/19 14:38
同意、武力95以上は義経みたいに革新的新戦法を考案して他の武将は
全く歯が立たなかったような人にだけつけるべきだと思う
545世界@名無史さん:03/01/19 14:45
劉備は妥当、諸葛亮はそういう見方も出来るかな、というところですが、
関羽の武力は90台前半くらいが宜しいかと。
546世界@名無史さん:03/01/19 15:06
このスレの武力で考えるなら89くらいでも可だと思うけどね。
「ど」の字たん列伝ではアレクサンドロス、ハンニバルに
並んで関羽がトップタイとなっているがそこまでのものなのか
どうか。
私は中国歴史は正史の記述も事実関係以外はあまり信じてない人
なのでこう思うのかもしれんが。

「超人的武勇」の扱いが難しいところだね。
547 :03/01/19 19:06
劉備の評価は絶妙だと思われ。
548世界@名無史さん:03/01/20 00:16
逆に、中国史上の人物で関羽よりも武力が上であろう人物は誰だろう?
549世界@名無史さん:03/01/20 00:52
中国史は専門外なので、項羽と呂布くらいしか出てこない罠。
550■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/01/20 00:58
〉548
拓跋Z、楊大眼など。あと激しく概出だが項羽。班超も結構ムチャな奴です。
石虎や高洋などバイオレンスな連中も。楊玄感、秦叔宝、羅士信などもめっぽう。
尉遅敬徳は間違い無いでしょう。虞允文も弓技で女真族をビビらせてるし
常遇春や永楽帝の次男の朱高クというのも結構スゴそう。

こちらのスレッドでは関羽と諸葛亮はこれくらいになってます
■関羽■(?〜219)
統率 68(甘いかな・・・)
武力 93(う〜ん、甘い?辛い?)
知力 56(まあ馬鹿ではなかったとは思うが、知将とはとても言えない)
政治 38(魏と呉から二面作戦食らったのは致命的・・・)
魅力 81(神なんで・・・でも傲慢なんで・・・・)

■諸葛亮■(182〜234)
統率 74(正史にも特に悪くはかかれてないし、張コウを戦死させたのは事実)
武力 46(でかいから少したかめ)
知力 83(三分の計は戦略的には成功してるし、仲達だって布陣は評価してる)
政治 95(外交官として呉を説得成功してるし、正史だって絶賛している)
魅力 84(李平でも悪口いってない。魏延しか不満いっていない)

っていうか、こちらのスレッドから、ウチのスレッドへ二重カキコしてる人がいるけど
はっきり言ってやめてもらえます?マジウザなんで。東洋の人ならいざ知らず
全然関係無い西洋の連中出されても迷惑なだけ。
551世界@名無史さん:03/01/20 01:06
■アレクサンドロス大王■
統率99
武力 ?
知力 ?
政治 ?
魅力 ?
552世界@名無史さん:03/01/20 01:08
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553「ど」の字:03/01/20 01:24
 むむ。
 関羽の武力は、多岐に渡る潰しの効く戦術と個人的武勇に拠るのですが。
 確かに戦略の齟齬を考えると、97は高いかもしれませんね。93〜95あたり?
 その戦術行動を見ていると、会戦ではハンニバル並みに強そうな気もしますが。


 皆さん、よそのスレへの二重書き込みは止めましょう……。
554世界@名無史さん:03/01/20 01:39
>>550
重量上げの選手は、武力高いの?
(550の中では、朱高ク、勇猛らしいが宣徳に簡単に負けている)

>張コウを戦死させたのは事実
司馬懿の企みじゃなかったけ?
張コウは孔明の手の内を見通してたが、司馬懿は魏の実権を握る際に
張コウの存在が邪魔になるとみて、孔明の手で戦死させたと聞いたことがある。
>仲達だって布陣は評価してる
仲達の自我自賛かもしれないよ。(「偉大な敵」を撃退した)
孔明は司馬懿におびき出されたと聞いたことがある。
実権を握るには軍を掌握する必要がある。それには軍功を立てることが一番だが、
相手に痛打を与えすぎるのも都合悪い。
相手として孔明はうってつけ。
司馬懿は孔明と戦い、報奨を与えたりして軍を掌握していったのではないか?
555世界@名無史さん:03/01/20 01:50
○自画
×自我
556世界@名無史さん:03/01/20 01:55
丞相や関羽が挙がってるんで後主を。

劉禅

【統率】38(特に統率力を試すような場面に出くわしていない、人並み以下?)
【武力】45(特に戦績を示すような逸話もない、人並み?)
【知力】73(賛否あるにせよ、民を思いやり早期降伏をしたのは評価してもいいのでは?司馬師との問答も評価)
【政治】66(少なくとも40年間皇帝の地位についていたのは伊達じゃないのでは)
【魅力】18(当時はともかく後世での人気はある意味あるが、酷いものがある)

557■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/01/20 02:02
>554
朱高クは父親の場合と違って
相手が悪かったのもあると思います。

諸葛亮に関しては554さんの指摘の通り
「ど」の字さんに比べてもパラメーターは相当低くしてますが、何か?

ただ
>張コウを戦死させたのは司馬懿の企み
というのはあくまでも一説なので、事実から参考にさせてもらいました。
(それにしても「ど」の字さんの半分の数値だが)
558世界@名無史さん:03/01/20 02:07
>>556
禿同。知力は司馬昭以上。
559「ど」の字:03/01/20 02:12
>556
 知力73は優秀すぎ。68(>141書式ではそこそこと優秀の中間)あたりかと。
 あとはだいたい妥当かと思われます。おつかれさま。

 だいたい、伸び代の無い蜀の国力で魏を相手取るのにむりがあったのですし。
 懐に侵攻されての降伏は、幕切れとしては酷いものではないと思っています。
 孫晧(孫呉最期の君主。文字通りの亡国の暴君)よりはるかにマシかと。
560世界@名無史さん:03/01/20 02:15
>孫晧
この人が天寿をまっとうできたのが不思議でならない。
561世界@名無史さん:03/01/20 02:20
憎まれっ子世に憚る。
562「ど」の字:03/01/20 03:29
 孫呉を自らの手で滅亡させた暴君を査定します。

【孫晧】 241〜284 在位264〜280

【統率】10(精神的安定を欠き、自分の統御も出来なかった。ましてや他人をや)
【武力】34(それなりに拠点防御の姿勢は示したので凡人より下程度と判定)
【知力】18(教養はあったが、幼時体験から酷く安定を欠いた。躁鬱の気も見られる)
【政治】8(賞罰を軽々しく行い、そして誰も居なくなった。金正日と競るだろう)
【魅力】7(この値は即位して少し経って以後のもの。当時から最悪の評価だが、即位前は72)

 字は元宗。孫権の三男であった孫和の長男に当たる。孫権の老害の犠牲者。
 孫和は皇太子の身でありながら二宮の変によりその座を追われやがて自殺強要された。
 孫皓の母・可姫は女の手一つで彼と兄弟を育てることになった(これが彼の精神不安定の元)。
 孫休が皇帝となると許されて鳥程候となる。孫休が急死した後、群臣に推されて帝位につく。
 血の繋がりを偏愛し、自分の父母を激しく顕彰し、外戚を高位につけた。
 武昌遷都や真冬の行幸など、無意味な浪費を多く行った。大赦と王の封国なども浪費に含めて良いはず。
 後宮に数千の女性を入れたという陳寿の言は捏造らしいが、新しい宮女を後宮に入れる続けたのは事実。
 身内以外への猜疑心強く周囲の高位文官をことごとく処刑、部下を集団で晋に寝返らせてしまった。
 国家の柱石をことごとく失った呉は、晋国内の意見相違があったが故に永らえていたに過ぎない。
 278年、晋の司馬炎(武帝)の意志が呉討伐に傾いたことで、一気に状況が悪化。
 279年以降の晋の侵攻に、まさに「竹が割れるが如き」有り様で防御拠点を割られる。
 280年早春、建業にて孫晧は降伏。これをもって三国時代の終結となる。
 晋に降伏した孫晧は帰命侯の爵位をもらい隠遁。284年に洛陽で死去した。

 典型的な暴君ぶりで、陳寿など当時の記述官にも酷評されている。後世の評価も最悪。
 自分が調べたところから見ても、現代の愚劣な暴君である金正日と評価が競るくらい。
 さすがに武力は金正日よりはマシだが……。
563556:03/01/20 11:50
>558
司馬師ではなく、司馬昭だった……鬱。
>559
少し贔屓が入っていたかもしれません、知力。
564世界@名無史さん:03/01/20 14:06
どなたかチトーに詳しい方は居られますか?
もし居られましたら、数値化された彼を是非とも見てみたいのですが。

特に、恐怖政治以外の手法で
あの多民族・多宗教国家ユーゴスラビアをまとめ上げ、
スターリンに干されながらも政権を追われず独自路線を模索し、
寿命尽きるその時まで国体を維持し通した統率力は、
近代以降の人物としては図抜けているのではと思いましたので。
565世界@名無史さん:03/01/20 20:43
ttp://www.our-towns.net/~ganmo-net/sangokushi/bbs/yybbs.cgi

にコピペしたの誰だよ。荒らしにしか見えんぞ。。。
566世界@名無史さん:03/01/20 23:11
チンギス=カン

【統率】100(彼を100にしないで誰を100にするのか、というほどの統率力)
【武力】97(既存の戦術を最高に生かす事のできる戦いの天才)
【知力】84(何をすれば覇権に近づくのかを本能的に理解していた)
【政治】66(統治のセンスは確かだが、虐殺略奪破壊などの蛮行は減点)
【魅力】71(1人の私人としてより偉大な公人としての実力が人を集めた)

オゴダイ=カン

【統率】86(チンギス死後の帝国をよくまとめた、理想的な後継者)
【武力】63(戦下手では決してないが、ジュチやトゥルイといった兄弟に比べれば落ちる)
【知力】81(異文化の民に対しても理解を示し、人材の活かし方を心得ていた)
【政治】88(彼でなくてはこれほどまでに帝国を富ませる事はできなかったであろう)
【魅力】90(兄のジュチやチャガダイも彼ならばと、認めるほどの好漢)



567世界@名無史さん:03/01/20 23:18
皆の批評を見てると面白い。
「ど」の字氏もネタが溜まってるだろうががんがれ。
568世界@名無史さん:03/01/21 00:44
あげ
569世界@名無史さん:03/01/21 00:45
誰かマケドニア朝の 能力作ってください
570世界@名無史さん:03/01/21 00:45
マケドニア朝のビザンツです。
571世界@名無史さん:03/01/21 00:47
名無しさん
西ヨーロッパ確定させたカール大帝お願いしもす
私は全パラメータ100でいい気がします

コピペだがお願い
572世界@名無史さん:03/01/21 00:50
アッバーシ1世とか無名だね。
アラブはもう少し能力高くていいと思う
573世界@名無史さん:03/01/21 00:50
アッバース
574世界@名無史さん:03/01/21 00:54
任天堂の岩田が、またアホ丸出しなネット戦略でボロを出したぽ。
毎日新聞のインタビューで、任天堂がネットゲームを無視することを大喜びで宣言したぽ。
ネットゲームをハイテク詐欺呼ばわりすれば、ネットでもゴミのゴミキューブから
現実逃避トリップできて岩田たんオルガズムぽ。
GCのネットゲーム開発のサードパーティーも、モデムやLANのアダプタ買ってしまったユーザーも怒り心頭っぽ!

また任天堂は3rdとUserを裏切ったぽ・・・・・・もぅだめぽ。
GCのネットは、栄光のバーチャルボーイやN64のネットと同じように、岩田と妊娠の脳内で"無かったコト"に変換ぽ。

そしてサードパーティーには開発途中のGCネットゲーが、ユーザーにはモデムやLANのアダプタだけが残るぽ。
その時が、本当のネット詐欺会社は京都にあることがバレる時ぽ。

京都のネット詐欺会社は、最後に"お遍路さん"で騙され易い老人をカモにするぽ。
じつは"お遍路さん"は裏でアルツハイマー山内が、四国へ突撃取材しながら製作総指揮とってるぽ!
ゴミキューブは最後の最後に、カクカクーカクカクー四国巡礼詐欺で一儲けぽ。
最後の超大作!【お遍路さん】 http://www.p-change.com/game/
575世界@名無史さん:03/01/21 00:56
誤爆すまそ。
576世界@名無史さん:03/01/21 01:00
>>551
アレクサンドロス(大王)

【統率】92 (統治に関して讒言をしてきた友人を斬殺したことがあり、ヒュダスペス
        河畔の戦い後には兵士の不満に押され進撃をやめたこともあった。
        それでも高評価には違いない。)
【武力】100(緒戦からの快進撃は知っての通り。さまざまな局面において失策はなく
        結果満点意外に何点をつければいいのか?)
【知力】92 (戦略・戦術に関することだけではない。政治、哲学、芸術に関しても
        トップクラスの教育教育を受けそれらを吸収したに違いない。アリスト
        テレスの教育の賜物。ただ行動上、感情面の起伏の激しさも見られる)
【政治】90 (統治のセンスは当時としては最高のものであろう。諸民族を統治するの
        に宗教・習慣などに関して寛容であり、また法整備や通商の管理なども
        怠らなかった。ただ、死後の帝国分裂が減点対象として大きい。)
【魅力】99 (生前のことはもちろん、彼の死後当時の人々の評価に彼の死を惜しむ声
        が多い。同時期・後代の歴史家の評価も高い。
        なんだかんだいって現代の我々から見ても英雄の典型であるし)

こんなところでしょうか…いろいろ文句言われそうですね。80以下のパラメータが
ない、欠点のない人になってしまいましたし。
577世界@名無史さん:03/01/21 01:01
これまた豪快だな・・・
578世界@名無史さん:03/01/21 01:05
がいしゅつのと比較してみる?

>>314

>>576

あと知らない人のために一応。
このスレの能力値の基準は>>141の形式でやってるっぽいです。
579世界@名無史さん:03/01/21 01:15
>>578
なるほど、そうすると知力と政治は若干数値を低くしてもいい
くらいですね。それでも一級評価ですが。
580世界@名無史さん:03/01/21 01:20
・隠遁者と奇矯者。
・宦官

をお頼み申す。
581世界@名無史さん:03/01/21 10:10
ミカエル8世パレイオロゴス(〜1282年)

ニケーア帝国の大貴族。のちにビサンツ帝国皇帝
若いころ、皇帝(テオドロス2世)に疎まれてトルコに亡命、そのまま将軍として対モンゴル戦に従事、多くの戦功を立てた。
皇帝は有能なミカエルが敵の陣営にいるのは危険と感じ、帰国を許して忠誠を誓わせた。
ところが皇帝が死に、まだ7歳の息子ヨハネス4世が跡を継ぐとミカエルはいきなり摂政を惨殺、自分が摂政位について、
共同統治を強要する。
1261年7月にラテン帝国軍団が黒海方面に出撃している隙をついてコンスタンティノープルを奪回(タナボタだったらしい)、
ビサンツ帝国パレイオロゴス朝を宣言し、ミカエル自身が皇帝の位についた。(ヨハネスは目をつぶされ幽閉)

当然周辺国は黙っていない、周辺国が連合を組んで攻め込んできたが、ミカエルは巧みな外交で相手を翻弄、撃破する。
ラテン帝国とエルサレム王国の相続権を持っていたアンジュー伯シャルル(ルイ9世の弟)がラテン帝国再建を目指し、
十字軍を募り、コンスタンティノープル攻撃を企てていた。
が、ミカエルは東西教会合同という空手形で十字軍の足並みを乱し、シチリア住民に金をばらまいて反乱をおこさせる、
さらにアラゴン王ペドロ3世を味方に付けて背後から攻撃。結果、シャルルの野望は費えた。

保身のためなら宿敵トルコ人の為に働く事も辞さないし、陰謀、暗殺、詐欺、住民扇動なんでもありのその手腕に、
後世「最も狡猾なギリシア人」と称された。

【統率】81(四面楚歌&相次ぐ内乱をおさえて帝国を再建した)
【武力】72(世界最強のモンゴル相手に戦功を立てている、水準以上と判断)
【知力】85(狡猾さを裏付けるだけの知力はあったはず)
【政治】95(小国ながら外交で周辺国と教皇庁を手玉に取った、西洋の金春秋レベル)
【魅力】45(えげつない政治で、聖ソフィア教会から出入り禁止を受けていたりするので低め)
582世界@名無史さん:03/01/21 11:47
サラディンをきぼん
あと張良も

583世界@名無史さん:03/01/21 20:54
リチャード1世(獅子心王)

【統率】74(その勇武は戦に関してのみだが存分に統率力を発揮した)
【武力】90(革新的な戦術を編み出したわけではないが、超人的な強さを誇った)
【知力】23(サラディンには人間の器量で完敗し、フィリップには国王の器で完敗)
【政治】17(彼はただの軍人として生まれれば英雄だったかもしれない)
【魅力】36(その激しすぎる性格は長所よりも短所を目立たせる)

ジョン(失地王)

【統率】37(決して器量が低いわけではないが、人を引っ張っていく力はなかった)
【武力】41(凡人の域を脱する事はできない)
【知力】34(外交などが苦手だったのが致命的欠陥)
【政治】59(内政面ではそれなりの手腕を見せるが、リチャードの尻拭いができるほどではなかった)
【魅力】21(後世の英国人から散々にバカにされているが、むしろ彼より兄がバカすぎた)

フィリップ二世(尊厳王)

【統率】84(彼がいなくてはフランスの躍進が数十年は遅れたと思われる)
【武力】77(リチャードには直接対決では遅れを取ったが優秀なのは間違いない)
【知力】91(リチャード、ジョンを手の平で躍らせる辺りはまさに陰謀家)
【政治】89(フランスを様々な政策で一挙に富ませた)
【魅力】63(リチャードとはソリが合わなかったが、王としては完全に彼より格上)
584世界@名無史さん:03/01/21 21:17
こうして見ると、民主制から超人は生まれないね。
中共の政治家スケールでかい。まあブタキムの例も
あるから一概には言えないけど。
民主制はローリスクローリターン志向と理解して
よろしいか?
585世界@名無史さん:03/01/21 22:13
>584
民主制は平時の政体かなあ。
民主制と一口に言ってもアメリカの大統領制はでかいの出てるよ。
日本の議会制民主主義に縛られた首相制ではスポイルされてしまうね。
586世界@名無史さん:03/01/21 23:51
階伯(ケベク) (?〜660)

【統率】71(混乱の中、決死隊を編成し、最後まで抵抗した)
【武力】79(大軍を何度も押し返した、低いはずがない)
【知力】48(人並み程度はあったと思われるが、最後が玉砕一辺倒なので低めに)
【政治】40(武官なので、それほど高くはないかと)
【魅力】68(行動からして兵卒の支持はありそう。ちなみに扶余市には銅像があり、祭られている)

百済末期の将軍
660年、半島三国時代中期、外交的に孤立状態であった新羅はあろうことか超大国唐と同盟を結ぶ。
唐は蘇定方を総司令官に任命して、新羅に援軍約12万を差し向ける。
これを受けて、金春秋率いる新羅も金ユ信に5万の兵をあたえ、唐軍とともに一気に百済領になだれ込んだ。

百済軍国境守備隊2万は壊滅。宮廷も混乱状態の中、階伯将軍は5,000人の決死隊を募る。
彼はすでに国を守るのは難しいと覚悟し、敵軍の慰み物になるくらいならと自ら妻子を皆殺し、戦いを挑んだ。

希代の名将金ユ信と精強な花郎道の兵士5万を相手に、4度戦い4度撃退したが、衆寡敵わず戦死した。
その後、百済は一旦滅亡することになり、唐・高句麗・日本も新羅に翻弄されることになる。
587世界@名無史さん:03/01/22 04:42
>586
評価だけ聞いていると、むしろ武力が低いような。
あと+5〜10くらいすれば?
588世界@名無史さん:03/01/22 12:56
>584-585

というよい、軍人と政治家がそれぞれ専門化してきて、
はっきり区別されるようになったのがでかいと思う。
ナポレオンまでだろう、「軍人兼政治家として一流」と言えるのは。
589世界@名無史さん:03/01/22 14:19
議会制民主主義が英雄を必要としない体制である事は歴史の進歩だと思うのだが。
中共の政治家がスケールでかいってのもなんだかなあ…
590世界@名無史さん:03/01/22 15:41
しかし歴史の面白味が減少したのも確かだな。  
591世界@名無史さん:03/01/22 16:06

【統率】0
【武力】0
【知力】0
【政治】0
【魅力】0
592世界@名無史さん:03/01/22 18:27
>精強な花郎道の兵士5万
この辺にデンパを感じる
593世界@名無史さん:03/01/22 18:30
大体、660年代の朝鮮半島を記した書物なんて
そんなにないだろう?
その割には、えらく記述が詳しいなw
594世界@名無史さん:03/01/22 19:35
前蜀の王建
595 :03/01/22 19:58
>>592

-花郎-

真興王(514〜540)の時代に制定された新羅貴族の子弟による集会。
常時、遊楽を楽しみ心身を鍛え、戦時には戦士として活躍した。
その数は半島統一の英雄、金ユ信を含め新羅滅亡までに200人余りをかぞえ、国家に
とって人材の養成、登用のための格好の組織であった。


らしいです。
596世界@名無史さん:03/01/22 20:46
>>274のスレって結局建ってないんかいな。
俺が建てちゃうぞ。面白そうだし。
597世界@名無史さん:03/01/22 21:56
>>596

いくつかネタはあるんだけど、どこに立てようか判断が付かなかった
それにこのスレは時代小説ネタもOKという雰囲気だったので、はてどうしたものか?

実は実在しなかった歴史上の人物
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1032875157/

>592
>>精強な花郎道の兵士5万
>この辺にデンパを感じる

5万の兵士すべてが花郎道出身の兵士とは思えない
ただ、下士官や親衛隊はそうだったかもな
結果、羊に率いられた狼より、一人の狼に率いられた羊がてごわい、と
598世界@名無史さん:03/01/22 21:57
>>596
同じく賛成しとくよw
激しく厨房だとは思うが、実に面白そうなんでお願いしまふ
599世界@名無史さん:03/01/22 22:01
とりあえず花郎の人数は200人。
600世界@名無史さん:03/01/22 22:08
600
601世界@名無史さん:03/01/22 22:16
>596
漏れも激しく賛成です。
各人によるラインハルトの評価とか楽しみだYO!
602世界@名無史さん:03/01/22 22:31
誰かはよ立てれ
603596:03/01/22 22:34
じゃーSF板に建てるよ。(理由:俺が住人だから)

皆さん盛り上げご協力よろしく。
604596:03/01/22 22:54
605世界@名無史さん:03/01/22 22:56
もつかれ。
606山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/22 22:56
>604
ブラド公とドラキュラ伯爵の区別はどうですれば。
607世界@名無史さん:03/01/22 23:00
銀栄伝。。。て?
608世界@名無史さん:03/01/22 23:02
>>604
誰か、「星を継ぐ者」のクリスチャン・ダンチェッカー頼む。
609596:03/01/22 23:03
>>606
ブラム・ストーカーの著書に出てくる方がドラキュラでしょ。

>>607
間違えますた。スマソ
610f:03/01/22 23:04
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611山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/22 23:05
>609
「ドラキュラ紀元」では同一人物になっていたので、判断に苦しみま
して。まあ別に私が書ける人物でもないからいいか。
612アルフォンソ拳王 ◆wDJtpxQyh. :03/01/22 23:06
ジョン王
【統率】51(兄に前線の守備を任されてからは無難な手腕を発揮)
【武力】43(体格も良かった)
【知力】67(エリザベス一世以前では最高の名君とされるヘンリー
二世の智謀・性質を兄弟中もっとも受け継いだのは彼と言われる。彼を
見直す声も多くなってきた。でも漏れ的にはエリザベス一世以前の最高
名君はエドワード一世)
【政治】40(手腕はあったようだがマグナカルタをめぐっても意見を
保身のため二転三転させ混乱を招く。また若い日にフィリップ2世の口車に
乗って大いに国を乱す。
【魅力】 4(ご存知英国史上もっとも人気のない国王。ただ個人的に
はそうなった決定打はシェイクスピアの書いた『ジョン王』だと思う。
シェイクの時代は史劇に関していえば、スペインと対抗する時代にあっ
たためか武勇・智謀・カリスマが抜群の英雄物語が好まれその象がリチ
ャード一世でありヘンリー5世であった。ジョンは明らかに兄王リチャ
ードが人気者になった割を食った。しかしながら彼の時代からジョンは
冷酷な人物という評価はすでにあったようだ)
613596:03/01/22 23:15
さすがSF板、反応が鈍い(w
人数少ないからなぁ。

他にもいくつか例を挙げておこーっと。
614アルフォンソ拳王 ◆wDJtpxQyh. :03/01/22 23:18
612だけど初めてカキコしたので是非ご意見を頂戴したい。
615世界@名無史さん:03/01/22 23:22
>>604

日本史板とラノベ板、三戦板、PCゲーム、一般書籍にも宣伝したほうがいいかもな
616アルフォンソ拳王 ◆wDJtpxQyh. :03/01/22 23:30
うーん、三戦版ではキリがないのでは(笑
617世界@名無史さん:03/01/22 23:40
>>615

判断難しいのが、歴史小説に出てくる架空の人物かもな

掲載基準からいくとSFの姉妹スレなんだろうけど、能力値の比較はこちらのスレのほうがやりやすいだろう

あまり厳密に決めたくないところなので、個人の判断にまかせてよろしいか?
618世界@名無史さん:03/01/23 00:15
こっちの人がいなくなってしまった罠
619「ど」の字:03/01/23 00:23
 ただいまー。
 リクエストがありましたので、伊藤博文を査定するために帰ってまいりました。
 ただいま読み込み中ですので、しばらくお待ち下さい。
620「ど」の字:03/01/23 01:07
 自分(「ど」の字)の住む県出身の、近代日本最大の政治家です。

【伊藤博文】 天保14年(1841)〜明治42年(1909)

【統率】82(大久保利通の暗殺後、良く日本を纏め上げました)
【武力】88(外国で洋式兵法を勉強。兵法を臨機応変に他分野に応用しています)
【知力】93(松下村塾という恵まれた場で学んだためか、対応力は世界史上屈指)
【政治】99(人類史上空前の速度で日本を富国強兵、幾つかは現在も続く日本の慣行を整備)
【魅力】75(日本新政府の要職を歴任して、その栄達に不満を持たれていないようです)

 幼名は利助。父親が伊藤家に養子に迎えられるまでは林姓でした。
 吉田松陰の松下村塾に学んだ後は、同学の志士と共に倒幕運動に奔走します。
 明治新政府では財政や殖産興業政策を担当する官僚となり、明治三傑と言われました。
 大久保利通の死後は、自由民権運動が急進に傾斜することへの対策につとめています。
 結果として、藩閥政府を行うことになり、自らその中心となっています。
 その後、内閣総理大臣・枢密院議長・貴族院議長・立憲政友会総裁・韓国総監の各初代を歴任しました。
 さらに、明治22(1889)年に発布された大日本帝国憲法制定に活躍、明治を代表する政治家となりました。
 その間に内閣を組織すること四次、明治の元勲といわれ、政界の最高指導者となりました。
 明治42年、枢密院議長として満州訪問し、ロシア国大蔵大臣ココフツエフと会見。
 ハルピン駅頭でロシアの守備隊閲兵見学中、安重根の凶弾に斃れました。享年69歳。
(この項つづく)
621世界@名無史さん:03/01/23 01:17
>>620
明治の三傑って誰ですか?
伊藤、大久保、?
622「ど」の字:03/01/23 01:29
(つづき)
 伝記では、最後に「この、ばかもんが…!」と言って亡くなったとされています。
 が、実際にはほぼ即死だったので、最後に何か言ったというようなことはなかったようです。

 伊藤博文は、初代大蔵卿大久保利通の下で大蔵小輔を務めています。
 それ以来、長期間に渡って「西洋の裏を取る」政策を展開しています。
 特に外資導入の禁止、支撓点旋回斜線陣戦術を産業と物流に応用した経済政策で足跡を残しています。
 大久保利通、伊藤博文、大隈重信、松方正義、渋沢栄一。
 この5人の経済官僚こそが、後世言われるところの非西洋的産業システムの仕掛け人です。
 人類史上空前の経済成長は、長く安定政権を担った伊藤博文あってこそのものでした。

 最後に。伊藤博文に対する朝鮮人の「日本三悪人」評価について。
 伊藤博文は、科学的重商主義とも言える経済概念の持ち主で、港湾以外の領土獲得には否定的でした。
 安重根の「義挙」は、ただ単に李氏朝鮮に止めを刺したに過ぎません。
 残念ながら、伊藤博文殺害は、いかなる朝鮮側の理と利に照らしても無益な愚行でした。

 次回は、この凶行を成した救国の意志過多・思考力過少の哀しきテロリストを評価します。
 また、上の人と思考が相似する、古代ローマの哀しきテロリストも評価します。
623葉隠 ◆GyfenCGQ4s :03/01/23 04:31
>>621
南州翁西郷隆盛だと思います。
624世界@名無史さん:03/01/23 06:20
>>623
西郷どんですか
2chだと評価低いから違う人だと思ってました
2chに毒されすぎかな

>>「ど」の字
頑張ってください
625世界@名無史さん:03/01/23 11:17
>>624
弥生顔の関西人としては、2chに毒されすぎかという疑問を
持っているだけでも偉いと思いまつw
626世界@名無史さん:03/01/23 12:34
伊藤は高過ぎないか?
統率にしろ、武力にしろ、伊藤だけ解釈が違うような…?
それに伊藤は元勲なんつー悪しき慣例を結局は残してしまったし、何より
藩閥を解消するどころか酷くしてしまってる。
627世界@名無史さん:03/01/23 13:37
伊藤つえーなあw
武力が家康・ローマの中堅どこの将軍ほとんど・李舜臣より高く、
フィリッポス2世と同等か。…そこまでの実績はないように思います。
他分野に応用ってそれ武力じゃないでしょう。

あと、明治日本の成功の功績が伊藤一人に帰せられるなら
政治99(アウグストゥスと同じ)でもいいと思いますが、
そうではないでしょう?93くらい(家康のちょい下)くらいでいいと思います
個人的には90でも(ヴェスパシアヌスと同じ)。
628世界@名無史さん:03/01/23 20:20
明治の三傑ではなく維新の三傑ではなかったかな?

西郷隆盛
大久保利通
木戸孝允(桂小五郎)
が三傑だったはず。

伊藤博文は同時代に領邦国家を統一国家にまとめ上げたドイツのビスマルクと対比される
ぐらいの人物で清の光緒帝が宰相として登用を考えたぐらいの人物だけど、ビスマルクと比べると
どうしても見劣りするような気がする。
629世界@名無史さん:03/01/23 20:54
伊藤の視野の広さは抜群だと思う。
だが伊藤が明治国家の政治経済の基礎を作ったと言われると正直ハァ?って感じだ。
630世界@名無史さん:03/01/23 21:18
伊藤は武力と政治を5くらい削れば、まあ妥当かな。
631世界@名無史さん:03/01/23 21:25
魅力高過ぎないか?
維新の顕官を憎んでいた人物は幾らでもいるだろうよ。
統率、武力も80台いくかいかないか程度だと思うけど。

政治は90台でもいいと思う。
632世界@名無史さん:03/01/23 23:04
あと、初物好きで、部下の娘を手篭めにしたっていうしな。
633世界@名無史さん:03/01/23 23:28
99はやりすぎ
634世界@名無史さん:03/01/24 00:12
伊藤の武力は50もあればいい方じゃない、基本的に政治家であって軍人じゃないしね。
日本を纏めていたから統率は高くてもいいと思うけど、
後、政治とかはそれでもいいかも、当時において世界的に有名な政治家の1人だったそうだし。
少なくとも近世日本で、
彼以上の人材はいないというのは悲しいが当っている。
>>628
伊藤もビスマルクを尊敬していたそうですしね。
彼より上は伊藤も望まないでしょう。
けどビスマルクより上の政治家なんて思いつかない。
ビスマルクは100で間違いないかと。
それと伊藤は三傑じゃなくて、三尊の間違いだったりして。
635世界@名無史さん:03/01/24 00:34
伊藤は高すぎ。
山県その他がぱっとしないから仕方ないかもしれんが、これは絶対評価なのか?
ところで俺も明治三傑は初耳なので詳細キボン。
636世界@名無史さん:03/01/24 00:45
俺は山縣はこんなものかと思ってる。
統率80
武力70
政治85
知力75
魅力10
日本国内だけなら、もっと高い点がつけられるんだが、
国際的といわれるとこれが限界かな。
>>635
維新の三傑は普通は木戸大久保西郷を指す。
世間の認識と章典禄辺りが基準なんじゃないかと思う。
西郷2000石、木戸と大久保1800石それに継ぐのが大村1500石
ちなみに岩倉と三条は5000石だがこれは論外

スレ違いすまんね。
637世界@名無史さん:03/01/24 00:46
山縣の政治が85…
638世界@名無史さん:03/01/24 00:51
おっと肝心な事忘れてた、
そうそう、山縣はパッとしないことはないぞ、
明治日本において、伊藤と互角の勢力をもち、伊藤と戦い続けたのが彼。
伊藤亡き後は大正デモクラシーや桂などの造反、原の台頭などで、
発言力が低下するまで、彼の権力は絶大だった。
個人的に山縣は嫌いだが、彼の存命中は彼の方針には大筋間違いなく、
国際強調路線で、現実的だ。
伊藤と比べれば、劣るだろうけど、もっと評価されてもいい人物だと思う。
639世界@名無史さん:03/01/24 00:57
>>637
彼の軍政能力と徴兵制の導入による、近代国家の礎を築いた能力。
そして国際状況を見極める能力辺りをかいました。
三国干渉で暴走する現場を説得に行き、
シベリア出兵などに反対し、21箇条の要求に反対するなど、結構評価出来る点が多いと思いましたから。
もちっと下げてもいいかもしれないけど、80以下はちょっとありえないかな。
640世界@名無史さん:03/01/24 01:24
>636
いや、維新の三傑は知ってるけど620で触れられている伊藤を含む明治三傑。
初耳だったもんで。
641「ど」の字:03/01/24 01:35
 活発な意見、ありがとうございます。
 伊藤博文の武力や知力や魅力が高すぎるという評価について、改めて考えてみました。
 武力は、確かにあまりに高過ぎるやも知れません。
 フリードリヒ大王の事跡や理論を応用しているところから、この辺りかと思ったのですが。
 自分としては、妥協して84あたりでしょう。
 知力は、十分世界史でもトップ近辺と考えています。99が大袈裟にしても96の線は譲れないでしょう。
 ビスマルクの業績を良く研究し、実際の政治に生かしてもいます。
 日本に合うように重商主義を再生した事実からも、超一流と判定します。
 魅力は確かに高過ぎるかも。しかし、自らの子弟への態度は多方面に尊敬を集めています。
 魅力は70あたりでしょうか。

 明治の元勲たちによって始まった藩閥政治の弊害は、確かにありました。
 しかし、欧州の政治を学んだものとしては、内戦の混乱は何としても避けたかったのでしょう。
 それを思えば、未成熟な日本の情勢を鑑みてのことだろうと思います。
 下手をすれば、フランス革命後のような激しい流血があったでしょうから、一定の評価はします。
642「ど」の字:03/01/24 01:37
>>641
 上記の知力は政治に変換してください。
 描き間違えました。
643世界@名無史さん:03/01/24 04:25
うわぁ〜、伊藤の政治力が99かよ。気前いいなぁ。
じゃあ大久保とかも99ぐらいあるわけ?
644世界@名無史さん:03/01/24 12:03
正直、伊藤に「政治」95以上は高すぎる。
ことに99とか言ったらカエサルと同等クラスだ。
伊藤がカエサルと同等か? というと激しく違うし。
伊藤は基本的にone of 維新志士だ。
維新期の日本で95以上やるとしたら、大久保だけだろう。
伊藤は91くらいが適当では。
645世界@名無史さん:03/01/24 13:36
>641
様々なモデルがあってそれから日本に合う形に修正したり選び取ったりした見識は
凄いと思うけど、それを実行に移した官僚達の優秀さが明治初期の成功の原動力だと
思う。それを伊藤の政治力に帰納するのはおかしいと思う。

正直伊藤は>141の基準でいう超人の域に達している能力など一つも無いと思うが。
一級ではあったと思うが。家康や関羽の時も思ったが「ど」の字たんでもひいきの
引き倒しがあるんだなあ。
646世界@名無史さん:03/01/24 21:04
確かに「ど」の字氏の伊藤博文評はハイパーインフレーションだと思う。
伊藤博文なんて大久保・西郷・木戸・高杉・坂本・大村・・・等の英傑が死に絶えた
あとにやっと脚光を浴びた一流半どころの政治家でしょう。
彼の業績なんてほとんど大久保の敷いたレールに乗っただけのもの。
構想力・着想力なんかは大隈にもはるかに及ばないし(寝技師としての政治力なら大
隈を凌駕するけど・・)
それに奇兵隊時代にちょろっと戦闘の指揮とったことがある程度の人物に武力88なん
て・・・軍人が怒るよ(w

ちなみにコーエーの能力値を参考までにあげときます(維新の嵐幕末志士伝より)
身体:74 剣技:115 体力:170 学力:91 弁舌:81 魅力:96(すべて200がMAX)
うーん、これはこれで雑魚志士過ぎかも(汗
647世界@名無史さん:03/01/24 21:19
>646
確かに明治初期の伊藤はたいした事ないとは思うけれど、
晩年辺りは経験をつんで相当の域に達したんじゃない?
それでも大久保より上だとは思えないけれど(w
648世界@名無史さん:03/01/24 21:33
ちょっと皆様に質問。
このスレは人物の能力という極めて曖昧なものをゲームに用いることを念頭に
おいて抽象化因子化するお遊びだと思いますが、「コーエー数値」なるものを
コーエーのゲームから考えるに、「政治力」は

(1)殖産興業、資本整備の実務能力
(2)外交における交渉能力
(3)有事においては兵站等の事務・調達能力

ここから更に絞り込むと

(1)戦略、知略、法案等を実務として具体化する(部下に指示しうるもの
   にまで作り上げる)能力
(2)具体化した戦術、政策等を事務的に処理する能力

・・・このくらいしか思いつきません。
私は最新のコーエーゲームをやっていないので、各職務においてこの「政治力」
にどれほどの因子の重みが割り振られているのかわかりませんが、もしこの因子
をコーエー的に純化するならば、ということを皆様はどうお考えなのでしょうか。

私にはこの「政治力」、どうにもイメージが固まりにくい値です。難しい・・・
649世界@名無史さん:03/01/24 22:15
大久保政治96、伊藤政治92
他、色々ブレンドされて100クラスとして機能した。どうか?
「ど」の字氏評価ではカエサルとアウグストゥスが続けて政治99なんだよな。
大久保-伊藤の流れがそれに匹敵すると捉えてるんだなぁ多分。

>648
ゲーム的に考えるのならもっと細分化したほうがいいんだろうけどねぇ。

政治力=政策立案能力とその妥当性+肝心な時に肝心な人間(とか民衆)
の支持を得れるか(根回し力)+官僚的事務能力

こんな感じで考えてます。まあかなりごっちゃですね(w
石田三成なんか官僚的にはたいしたもんだけどその他(特に二番目)アウトで
かなり低くなりそうですな(自分的には60-65)。
650世界@名無史さん:03/01/24 22:21
数値化するのには例えば伊藤とカエサルとかを比べて楽しむ意味があるわけだから
世界と比べられる絶対評価にして欲しい。
651世界@名無史さん:03/01/24 22:47
伊藤候のパラメータですが、

【武力】
武人としての実績が大した事も無い人物に80代を与えるのは如何なものでしょうか。
確かに彼は色々な理論を勉強し習得もしていますが、見るべきところは御指摘のあ
る通り「応用力」な気がします。これとても戦術として使われているわけではない。
寧ろ「知力」の範疇に入るのでは?かといって全く無知であったわけではないし、
無脳とも思えないので、私は50代に。

【知力】
見識、立案力、応用力、理論的対応力は間違いなく傑物だと思います。
少なくとも官吏の働きを後世の発展に間違いなく誘導するデザインを作った人でした。
明治を作った人かと言われると疑問を挟む方もいるでしょうが、我々が思い浮かぶ大正
や戦争までの昭和を、いや現在までの日本を良きにしろ悪しきにしろ導いた人だと私は
思います。
しかし古今東西の学問に精通していたという程ではありませんし、書や詩歌を見ても
めちゃめちゃ凄いとは・・・文化事業に功績があったかというとそれほどでもと思いますし。
80代は間違いない。90以上与えてもいいかも。

【魅力】
これは寧ろ私は低すぎると思っています。
伊藤候の人物評は総じて高く、人気は絶大でした。
朝鮮人ですら日本名をつける上で一番人気だったのが「伊藤」とか。
安重根の弁明ですら「お前は(期待を)裏切ったんだ」という臭いを感じます。
有能なだけの政治家ならこうはいかない。
それにも拘わらず明治の元勲の中で現在あまり人気がないのは、朝鮮併合の首謀者と
いう戦後の曲げられたイメージによるのではと私は思っています。
80代は与えていいんじゃないでしょうか。
652g:03/01/24 22:54
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653648:03/01/24 23:18
>>649さんありがとうございます。
貴方の言葉から少し思考が進みました。

>>648
(1)戦略、知略、法案等を実務として「妥当性のある」具体化をする能力
(2)具体化した戦術、政策等を事務的に処理する能力

に加えて
(3)政敵、大衆、あるいは外国のような、身内でない「枠の外」に対して
   彼らが意識するしないに拘らず、適時自分の意図通りに彼らを動かせ
る能力

というのが入ってきますね。
身内、あるいは日本国民のような「枠の内」に対する(3)ならば【統率】。
枠の内外拘らず、彼らが意識して自分の意図通り動いてくれる能力を【魅力】。

うん、少し区分けできた気がします。
654世界@名無史さん:03/01/25 01:32
コーエー数値だといわゆる佞臣も政治力や知力が高かったりする。
そう言う意味では伊藤の政治力がそこそこあっても納得できるな。
(それでも世界史レベルで90代はありえないが・・・)
655648:03/01/25 01:58
伊藤って佞臣なんですか?
656世界@名無史さん:03/01/25 02:02
どの字たんも疲れがたまってたんだよ。
最近の評価した人物のハイパーインフレぶりは。
657世界@名無史さん:03/01/25 02:12
>>646
647が少し触れているが、
そりゃ幕末の伊藤はただの人斬りだ。そんなに高い能力を上げられるわけない。
そもそもその人達が現役の時伊藤は20代、幕末の時は10代。
その頃の能力と、脂の乗りきった50代ごろの能力では差があるだろう。
ピーク時でも大久保より上とは思わないが、
大隈や、ましてや西郷なんぞより低いとは思えない。
658世界@名無史さん:03/01/25 02:18
>654
コーエーのやつだと実際の政治センスっつーよりは
陰謀とか根回しの力とか結構反映してそうだね。

>655
伊藤の政治行動に絡め手が多いということでしょう多分。
659世界@名無史さん:03/01/25 02:25
>>645
それを言ったら、優秀な部下に支えられて歴史に名を残した人物が酷評を受けてしまう気が。。。
特に近代は組織が出来あがっている為、個人の力量とは調整力である場合が多い。
俺は独裁で功績を残した人物を低くは見ないが、こういった人物も同じ程度評価されるべきだと思うな。
この辺りのバランスが難しいんだろうけどね。



まあコーエー的というか信長ではなく、三国志的ならこのインフレ理解できない事もないかも、
信長で武力で90を超えたら神で、無敵だったし、どの分野でも時代を通じて5、6人しかいなかった。
けど三国志は、90を超えた人物がどの分野でも思いつくだけで、10人を超えてた。
武力に限れば90台が、30はいたと思われ。
660世界@名無史さん:03/01/25 10:49
>>659
ただ、それと個人としてのリーダーシップは両立しうるんでは?
ビスマルクとかチャーチルとか。
調整力と言っても種類は色々ある。
一流以上の政治家としては、グランドデザインを描き、
それを実行に移す能力は普遍的に必要だと思う。
ただ、昔は対立する勢力を武力で倒すことが出来たのに対し、
今はそれが出来ないだけの話で。
661世界@名無史さん:03/01/25 12:54
つーか伊藤が一体何をしたと言って超人超人大騒ぎしてるわけ?
奴の超人エピソードなんか聞いたこと無いが?
662世界@名無史さん:03/01/25 15:27
>661
まあそうわかりやすいものでもないだろ。
>超人大騒ぎ
これワラタ
663世界@名無史さん:03/01/25 17:19
>661
とち狂った馬鹿のお陰で韓国併合の元凶扱いされてしまったので、
そういった話が出回らなくなった罠。
664世界@名無史さん:03/01/25 17:39
>>663
いや、戦前から大したエピソードは流布されてないからそれは理由にならんだろ。
665世界@名無史さん:03/01/25 18:24
「ど」の字節炸裂の予感
666世界@名無史さん:03/01/25 18:50
関東大震災で彼に関する資料の大半が消失したのが最大要因かも。
 
超人的エピソードではないが、偽名を除いても10回以上変名したのはある意味凄い。
667世界@名無史さん:03/01/25 19:41
大して気にならなく安重根にハルビンで撃たれた千円札の人というイメージだったが
急に興味が出てきたので勉強してみるかな
668世界@名無史さん:03/01/25 20:13
どの字殿、専門外で申し訳ないが
サラディンと秦の始皇帝の能力を
教えてくだされ。。
669世界@名無史さん:03/01/25 21:35
第二次世界大戦がコーエーゲーム化したら面白くなるかもなあ。
と思ったので数字化してみます。お目汚し申し訳ございません。もしよろしければ色々ご意見を頂ければとおもっています。

一章 第二次世界大戦
二章 日米開戦

【ヒトラーの野望】

【枢軸国側】

アドルフ・ヒトラー(ドイツ)

武力92
政治98
外交88
魅力91
野望100

全体的にバランスがとれた能力。
武力92は、戦車と航空機の共同運用を先駆けて実施(電撃作戦)ヨーロッパを掌握した実績など。後半はミスが多かったが。
政治93は巧みな演説で国民を掌握。ヴェルサイユ体制下の弱国ドイツを屈指の強国とした。善悪問わなければ世界一の政治家だろう。
外交89は初期の巧みな外交。はりぼてに過ぎなかったドイツ軍が育つまでは彼の外交力のみで英仏を手玉に取っていた。
魅力は何だかんだでカリスマだったであろう。
野望は言うまでもなし。

バランスの良い能力。主人公だから。
国力で圧倒的に上回る連合国相手に高い能力を生かせるかがポイント。
670世界@名無史さん:03/01/25 21:36
ムッソリーニ(イタリア)
武力10(イタリア軍ヘッポコ)
政治96(実は彼のファショは他のファショと比べても、粛清などもなく賞賛される所も多かったとか。ヒトラーより上にした。)
外交71(外交政策は失敗が多かった。体面だけでも枢軸国の一員として肩を並べていた点のみ評価)
魅力84(一応カリスマはある。)
野望91(野望はある)

・ヒトラーの先輩だけあって政治的な能力は高い。低い武力が難点で戦争の際は苦労するであろう。

近衛文麿(日本)一章
武力22(公家出身)
政治85(ヒトラーの真似)
外交73(外交的な見識はあったと思う。)
魅力52(普通。)
野望77(高め)

・能力は高くない。虎の子、東条英樹の登場を待て!

東条英機(日本)

武力88(現役軍人と真珠湾攻撃!)
政治70(カミソリ東条。でも誉めるほどではない)
外交74(やや高め。)
魅力75(普通。昭仁の方なら100だろうが)
野望65(どちらかというと忠臣)

全体的にバランスがとれた武将。武力が高いので近衛よりは対外戦争につよいだろう。
671世界@名無史さん:03/01/25 21:47
ああ、もうインフレが止まらない。
141の戒めはどこへやら。
ジャンプか?
672世界@名無史さん:03/01/25 21:50
首相や総統の武力は戦争に影響しないだろう、あんまり。
673世界@名無史さん:03/01/25 22:11
フランコ将軍

武力80(将軍。スペイン内乱でよく戦ったのとと第一次世界大戦の英雄として)
政治66(普通)
外交84(世界情勢を良く把握していたと思う。日和見に過ぎなかったが)
魅力67
野望72(独裁者だが、参戦せず)

比較的高い能力。しかし国力は無いので枢軸国側として参戦するなら覚悟が必要になるだろう。 サラザール博士(ポルトガル)

武力33(武闘派ではない)
政治87(経済博士出身の独裁者に。他のDQN独裁者とは異彩を放つ)
外交75(目立たず。でも一番長生きした独裁者)
魅力60
野望70(独裁者だが、参戦せず)

最後まで権力を握りつづけた独裁者だったので優秀な能力
国事情はスペインと同じくらいなので天下を狙うのは厳しい。

674世界@名無史さん:03/01/25 22:17
ペタン将軍(二章)

武力77(第一次世界大戦の英雄、フランス軍備の近代化に勤める)
政治60
外交63(ドイツ降伏は止むを得ない判断か..)
魅力59
野望44

二章。フランスの君主として登場。能力は高くない
ドイツとは従属関係であるが、破棄するのは危険。まずは国内のレジスタンス対策を

溥儀皇帝

武力33
政治20
外交22
魅力90(血筋は最強。清の皇帝)
野望64

一章から二章まで満州国の君主として登場。
日本と従属関係だが、ソ連との友好が良くないので独立は無理
まずは日本を利用して力を蓄えよう
675世界@名無史さん:03/01/25 23:01
【連合国側】

ルーズヴェルト
武力64(海軍出身だが、戦闘能力はそれほどでもない)
政治90(資本主義の修正。New Deal政策)
外交91(連合国側のリーダー。戦後の枠組みなどを決める)
魅力95(米史上初の3選、4選の長期政権)
野望33

アメリカの最も偉大な大統領と後世から言われるほどの政治家なので能力は優秀であろう。
軍事は低いが、国力は世界一の大国なので気にせず数でおしていけるだろう。天下を狙える。

チェンバレン首相(イギリス)
武力31
政治59
外交33(ヒトラーを放置したことは有名。)
魅力41
野望66

チャーチルと早期交代を急いだほうが良い。
676世界@名無史さん:03/01/25 23:05
チャーチル首相
武力72(海軍出身。ドイツの猛攻に良く耐えた)
政治94(後世の政治家のお手本となるほど議会や国民をまとめていた。)
外交70
魅力81(戦後はあっさりと捨てられたが、戦時はよく国民をまとめた)
野望75(大英帝国の復活を狙う)
677世界@名無史さん:03/01/25 23:11
>>660
ビスマルクはわかるが、チャーチルはちょっとなあ。
いくらなんでも、あれ以下はないだろ、
ドイツがイギリスに戦争仕掛けるわけもないのに、
ドイツに戦争吹っ掛けて、負けてドーバーに叩きこまれ。
ロンドンを空襲やロケットで焼かれ、膨大な死傷者を出した割に得た利益ゼロ。
東欧はソ連の手に落ち、国際的な発言力は低下、アメリカの走狗に成り下がった。
その結果戦後もずっと停滞した社会になったし、いいとこないぞ。
チェンバレンは強気に出る所で強気に出なかったからカスだが、
チャーチルは強気に出なくてもいい所で強気に出て、祖国を崩壊させた最低の宰相だと思うね。
678世界@名無史さん:03/01/25 23:23
>>670
ムッソリーニは参戦していなければ、
今でもイタリア史上最高の政治家と言われてるだろうと言う話を聞いた。
国内政策は抜群によかったそうだ。
679世界@名無史さん:03/01/25 23:36
>>669-676
色々言いたい所があるが、敢えて一つ挙げるとすれば
近衛の評価があまりにおかしい

政治スタイルは観念的な国家革新主義といった所。3次に渡る内閣
はいずれも陸軍に翻弄され続け、半ば責任放棄の形で総辞職を繰り返した

外交は論外。「国民政府相手にせず」で日中戦争を泥沼化させ、三国同盟に調印して
日米関係に致命的な打撃を与えた。最低レベルの外交実績すら残せていない

魅力を平凡とするのも疑問あり。これほど前評判・期待が高く、そして声望が地に
堕ちていった人物も日本ではなかなかいない。

故に、政治は10〜30台、外交は一桁〜10台、魅力は日米開戦前までは80台、
その後は20台(こっちが本当の値)が妥当だと考える。
680世界@名無史さん:03/01/25 23:48
近衛は裕仁が、明治大帝における伊藤のように期待していたそうな。

だから国を背負う前提で教育されていたし、本人や周囲もその気だったんだろうけど、
能力が伊藤の爪の垢もなかったんだよな。

元勲の最大の失敗は後継者の育成にしくじった所だな。
伊藤らの後継の元勲として育てられた西園寺がへタレで、その西園寺が育てた後継の近衛が馬鹿だもんなあ。
681世界@名無史さん:03/01/26 00:02
西園寺はヘタレだけど近衛は馬鹿じゃないよー。
ただとてつもなく小物だっただけだよー。
682世界@名無史さん:03/01/26 00:05
>677
チャーチルの評価は微妙だとは思うが、
>ドイツがイギリスに戦争仕掛けるわけもないのに、
>ドイツに戦争吹っ掛けて、負けてドーバーに叩きこまれ。

ここら辺おかしかないか?戦争しかけられてないから手をだしませんじゃ、チェンバレン
と同じでそもそもチャーチルが出てくる必要無いだろ。後手後手に廻った尻拭いを一貫して
行っていた訳でその責任まで押し付けてどうすんだ?

もっとも戦時の人であると英国民もわかってたから戦後直ぐ捨てられたんだが、逆説的に
考えると戦後英国が凋落するののには直接関与してる訳でも無いとも言える。
683世界@名無史さん:03/01/26 00:09
そうだな〜
ビスマルクとチャーチルを並べる自体が間違いだろうね〜
相棒の米国大統領は兎も角

チャーチルの政策はほとんど失敗したところしか見た事が無い。
評価できるのはチェンバレンのドイツ宥和政策を変更した程度だろう
議会対策が上手かったかどうかもも気になる。戦後、あっさり捨てられたしな。
返り咲いたときもあったけど植民地失っただけ。功績は殆ど無い

チャーチル(イギリス)
武力78
政治65
外交69
魅力80
野望80

連合国のサブリーダーとして一応好意的に評価してもこの程度だろ


684世界@名無史さん:03/01/26 00:17
>>682
時期の問題初期のドイツ軍なら、英国なら勝てないまでも、あそこまで無残に負ける事はなかった。
けど、チャーチルの頃はドイツ軍は十分再建しており、この時は強攻策が必ずしも正解とは言えない。
一時代前では正しい方針でも、時期が変われば正しいわけじゃないでしょ。

例えばアメリカなんか情報収集をしっかりしてて、ドイツがイギリスを落せない事を確信した後、
対日政策を強硬に変え、モスクワを落せない事を確信して、ハルノートを付きつけた。
そして日本は一昔前情報を信じて三国同盟やら、対米戦を決断したわけ。
後一月遅ければ、歴史は変わっただろうというのは秦などは言っている。
685世界@名無史さん:03/01/26 00:24
確かにチェンバレンの予定通り、ソ連と戦争するんだから、
選択を間違ったといえるかもしれない。
二人の任期が逆だったら、よかったのにね。
686世界@名無史さん:03/01/26 00:34

アントニオ猪木(日本)

武力93(プロレス98、ガチンコ88)
政治29(脱税歴あり)
外交89(モハメドアリ戦等を実現。)
魅力95(信者多数)
野望90(ブレーン新間を活用)

昭和のキーバーソンの一人

687世界@名無史さん:03/01/26 00:41
みなさん。ご意見ありがとう御座います。
ほんとはちゃんと答え返すのが礼儀なのでしょうが
まず自分の拙い知識で知る限りの政治家をだして
相対的に比べてもらった方が良いのではないかと愚考しましたので、先にそちらを優先させます。返答なしで書き込みを続けますがどうかお許しください。

トルーマン大統領(二章後半から交代)
武力51
政治70
外交91(トルーマンドクトリンと戦後体制)
魅力73
野望75

外交以外目立った能力は無い。
しかし、ルーズヴェルトがいなければそれなりに高い水準の大統領であっただろう

蒋介石
武力46(日本軍に勝てないばかりか、共産党に負け。)
政治20(共産党以下の政治)
外交66(アメリカを頼る。台湾しかないのに常任理事国入り)
魅力26(国民から嫌われていた)
野望66(大陸への野心)
688世界@名無史さん:03/01/26 00:44
>684
だが、チャーチルが就任した時点で強攻策に切り替えなければ、米国の欧州参戦の
時期やソ連の動向などは大きく英国にとって不利な形になったとも思えるが。

後だしジャンケン臭く感じるんだよ。第一アメリカは本土がまったく無傷なんだから
そんなもん出されてもね。
689世界@名無史さん:03/01/26 01:10
うーん、ヒトラーがソ連と戦争したのって
「イギリスが屈服しないのはソ連の援助を期待しているからだ」
と考えたからと聞いたんだが、その辺どうなんだ?
もしそれが正しければ、イギリスが参戦しなければ
独ソ戦は(いずれやったとしても)恐らく史実より数年後に延びただろうし、
その間にナチスドイツにヨーロッパ大陸の支配体制を整えられては
イギリス・アメリカの戦勝も厳しかったと思う。

大体、チェンバレンの時に既に宣戦布告はしていたわけで。
準備不足で戦えなかっただけで(だから彼は兵力を蓄えるために
宥和政策を採ったんだが)、単独でも戦う気はあったんではないかと。
690世界@名無史さん:03/01/26 01:18
ドゴール(フランス)
武力78(レジスタンスで徹底抗戦)
政治54
外交53
魅力56
野望73

戦後の外交はフランスの国力を大きく低下させた。
レジスタンス位しか見るべき物も無かった
691世界@名無史さん:03/01/26 01:19
共産圏

スターリン
武力98(スターリングラードの戦いでは多くの犠牲を払いながらもドイツ軍を追い払う)
政治77(五カ年計画。計画経済)
外交84(巧みに米英を利用し、ドイツを破る。)
魅力54(粛清)
野望95(ブレーン新間を活用)

ある意味ヒトラーを破ったと言える人。粘り強い戦いを評価して、武力は最高値に近い数字をつけました。


毛沢東
武力86(ゲリラ戦や中国内乱などを評価)
政治48(というか文化大革命が..)
外交72(独自の外交と対日合作)
魅力86
野望72

老いた毛沢東は抜きにすれば、ライバルの蒋介石より優れている。
外交の高さは中国の戦後の外交を評価。周の功績か
692世界@名無史さん:03/01/26 01:52
>>688
ああ、分かったよ、分かったよ。もうチャーチルも政治99でいいよ。
チャーチルのおかげでイギリスは助かったんだよな、よかった、よかった。
693世界@名無史さん:03/01/26 01:54
インフレ激しすぎ
694世界@名無史さん:03/01/26 01:58
>692
なんだよ、感じ悪いな。
俺は能力値の高低はともかく評価の仕方に問題があるのではないかと
書いただけだぞ?それが逆切れかよ。
695世界@名無史さん:03/01/26 02:02
つか、今までの数値化とコンセプトが明らかに違うような。
今までのは人物自身の能力値だったが、
現在進行形で提示されているのはむしろ国家の能力値っぽい。
696世界@名無史さん:03/01/26 02:04
>691
新間はスターリンのブレーンまでしていたのか。それは初耳だ(w
697世界@名無史さん:03/01/26 02:07
インフレは、この時代を舞台としたゲームと考えてやればよいと思われ
カサエルとか歴代の政治家と評価すればほとんどの政治家は70くらいの平凡な能力で落ち着いちゃうだろうから

例えばヒトラーを信玄にすると、スターリンは謙信だろう。
信長はルーズヴェルトかw

そう考えると能力はインフレとは言えないと思う
698世界@名無史さん:03/01/26 02:08
でも国レベルならアメリカの政治家の能力値が低いのは何故だろう?
699世界@名無史さん:03/01/26 02:15
ま、チェンバレンの時には戦争する準備が完了していなかっただけで、
チャーチルに替わった途端、戦争準備を始めた訳ではないのは紛れもない事実。
 
>698
国家の体力に物を言わせただけだから。
700世界@名無史さん:03/01/26 02:20
いつのまにかすりかわっていませんか?
知力が野望とかいうのと入れ替わってます。
701世界@名無史さん:03/01/26 02:37
国レベルの能力ならルーズヴゥルトは武力100だな
702世界@名無史さん:03/01/26 02:45
外交っつー項目も増えてるしな。内政外交ひっくるめて政治でよかんべ。
703世界@名無史さん:03/01/26 04:27
>>701
ならトルーマンは
家宝(原爆)所持で最高値の110かな・・・
704世界@名無史さん:03/01/26 11:06
出口王仁三郎
武力32(大本教信徒を率いて226事件に絡む)
政治58(早すぎた麻原)
外交62(米国に内通していた節があるが結果的に教団は壊滅)
魅力93(当時NO2の新興宗教を率いる。真光、生長の家、オウム、ワールドメイトはその流れ)
野望92(神社本庁を乗っ取り大本教が日本の国教になることを企てた。後に深見東州により実現)
705世界@名無史さん:03/01/26 11:56
劣等民族アングロサクソン(イギリス)から爵位を貰って安穏としている
ワールドメイト深見東州先生


706世界@名無史さん:03/01/26 14:51
「ど」の字さんがいなくなっちゃったよ……
707「ど」の字:03/01/26 16:42
 ただいま帰ってまいりました。
 今後は、ローマ衰亡史をコーエー数値化した人物面から書こうと思いましたので。
 勉強していたんです。ご心配おかけしました。

 今回は、伊藤博文を暗殺した亡国の引き鉄を引いたテロリストの査定です。
 本来は世界史上で語るに足る人物ではありませんが、次回のマルクス・ブルータス査定への伏線です。

【安重根】 1879〜1910

【統率】46(義兵を指揮しましたが、統率を完遂できる人格ではなかったようです)
【武力】46(戦略戦術を知っていたとは思えません。個人的能力にも不安あり)
【知力】50(韓国の現状を愁うる良識は持てましたが、対策を考案する視点は持てませんでした)
【政治】45(伊藤博文の政策の本質を把握できず、朝鮮国難の意味を理解できませんでした)
【魅力】28(虚言癖があったそうで、同時代の朝鮮人の文中では全く好かれていません※)
※現代の反日を国是とする南北朝鮮でのカリスマは、限り無く100に近いようです。

 黄海道海州の両班出身の人。狩猟が趣味であったといわれています。
 1894年の甲午農民戦争時には、父の泰勲に従って政府側義兵を起こし農民軍と戦っています。
 その後、フランス人宣教師から授礼しカトリック教徒となりました。
 1904年以降、日本に保護国化されつつある朝鮮の国権回復のため、各地で祖国独立運動に尽力しています。
 ですが、彼自身のカリスマの無さと虚言癖から、ついて来る者は多くなく失敗しています。
 1909年6月に伊藤博文のハルビン訪問を知りその殺害を決意。
 10月26日ハルビン駅頭に単身で現れ、伊藤をブローニング拳銃で暗殺。その場で逮捕されます。
 その後旅順地方法院で死刑判決をうけ、1910年3月26日に旅順監獄で死刑執行されました。  
(この項つづく)
708世界@名無史さん:03/01/26 16:42
(つづき)
 この人を一言で言うと、善意過多・思考力過少の行動派志士です。
 幕末日本の志士たちには、目的のために行動方法を構築するだけの知性があったのですが……。
 情報も集めず味方も探さず、一人の暴走で李氏朝鮮を終わらせる引き鉄を引いてしまいました。
 寿命が尽きていた李氏朝鮮を、不時着ではなく墜落させてしまった元凶と言えます。
 彼には、心を開いて国難について相談できる親友(女でもよい)は居なかったのでしょうか?
 残念ながら、彼の伊藤博文暗殺は「純粋な善意の人による、国家にとって無益どころか致命的に有害な悲劇」です。
709「ど」の字:03/01/26 17:23
 安重根を描いたので、この人も描いておきます。
 滅び行く李氏朝鮮を墜落死から胴体着陸に軌道修正した、最期の宰相です。

【李完用】 1885〜1926

【統率】52(致命的な国難に対して国内の軽挙盲動を鎮められなかった)
【武力】42(武人ではないが、冷静な戦力判定能力はあったのでこのくらい)
【知力】72(民と国を同時に保てないという自分の判定を信じ民を選んだ。十分以上の知性の持ち主)
【政治】80(全く手札の無い状況での交渉力は十分以上。健全な国家を差配したら良い宰相たりえたはず)
【魅力】45(併合当時は最低評だったが、日韓併合後発展する韓国の現状を見た人に見直されていた※)
※現代の反日を国是とする南北朝鮮でのカリスマは0。朝鮮史上最も不人気な政治家とされています。

 李氏朝鮮の最期を彩った大韓帝国首相(在任1907〜1910)。
 元は親露派の政治家であったが、日露戦争を契機に日本との交渉を考えるようになりました。
 1905年、学部大臣として第二次韓国保護条約に連署(韓国外交権を掌握して保護国とし、韓国統監府を設置する)。
 高宗がハーグ密使事件を起こし再び日本を激怒させると、李完用は高宗に皇太子だった純宗への譲位を強要。
 さらに、伊藤博文暗殺による日本の報復を恐れた国内の大混乱を、韓国併合によって鎮めています。
 日韓併合条約とそれに続く爵位下賜で多くの朝鮮人と共に伯爵位を受けています。1926年死去。

 業績を見ると、国内での軽挙妄動に引きずられたというのが一目で分かる、気の毒な政治家です。
 滅び行く国家の最期の宰相ということもあって評価は最低ですが、業績を分解査定すればかなりの凄腕です。
 健全な国家を指導することができれば、どれほどの業績が残せたでしょうか。惜しい事です。
 その後、彼の人格は徹底的に捏造され、彼の墓までもその後廃墓処分となっています。
 彼の略史が書きにくいのは、人の声と資料では正確な情報が導出できない為です。
 滅び行くしかない国の政治を強いられた彼の哀しみを、理解できる朝鮮人は、いないのでしょうか……?
710世界@名無史さん:03/01/26 17:29
>>707
確か安重根は「北」では売国奴扱いされているはずでは?
日韓併合を推進したということで
711「ど」の字:03/01/26 17:42
>>710
 そういえばそうでした……。
 ですが、政府の目と手の届かない場所での評は、どうでしょう?
 ほどなく北朝鮮は崩壊するでしょうから、その際に聞いてみたいものです。
712世界@名無史さん:03/01/26 17:46
713世界@名無史さん:03/01/26 17:56
>>711
北の一般人が政府の言うことを信じていないはずがない気が・・・
信じてなかったらあんな生活我慢はずないですよ
714世界@名無史さん:03/01/26 18:28
ムハンマド
武力:50(実際この人自身強いのかは不明)
知力:80(やりての商人だったようですが)
魅力:100(文句なし)
政治力:100(文句なし)
統率力:100(文句なし)

で、このキャラの顔は問題があるので、作ることはできない、と・・・。
715世界@名無史さん:03/01/26 18:58
高杉晋作
統率:88
武力:75
知力:90
政治:70
魅力:88

特技:クーデター◎ 焼き討ち◎ 三味線○ 結核×
716世界@名無史さん:03/01/26 19:02
井上聞多(馨)
統率:60
武力:55
知力:80
政治:86
魅力:45
不死身:120
717世界@名無史さん:03/01/26 20:12
大分前に言ってた人いたけど、俺もチトー希望。
理由:「石の花」のファンだから。

>>714
ムハンマドってレスリング強かったんじゃなかったっけ。
718世界@名無史さん:03/01/26 20:30
んじゃ統一教信者「どの字」が語りたがらないこの方をw


【三浦吾楼】 1885〜1926

【統率】69(大陸浪人を率いての閔妃殺害の実行力は立派)
【武力】72(閔妃殺害、それに尽きる)
【知力】22(段取りが狂い閔妃殺害は白昼に行われた。その手落ちぶりを反映)
【政治】10(殺害事件後、愛する妻を殺された高宗はロシア大使館に移転。手落ちもいいところ)
【魅力】55(学習院院長として風紀を正すなど高潔な軍人だったらしい)
長州出身。維新前後の動乱に活躍後、大鳥圭介らの後を受け朝鮮公使になる。
当時は金玉均ら親日派が政権から一掃され、朝鮮における日本の影響力は後退していた。
そこで思い切った策を打つべく後任に選ばれたのが三浦であった。三浦は当時親露派の
筆頭と目された閔妃を朝鮮国内の親日派と結託し殺害することで事態の収集を謀ろうと
した。しかし集合時間などの手違いにより朝鮮国内の親日派の合流は実現せず、閔妃が
暗殺されたのは白昼の最中、大勢の人が見守る中を血のついた蛮刃を振りかざす日本人
が堂々と往来する事態となり、世界の目には「日本人が暴発の末朝鮮王妃を殺した」と
写った。この誤魔化しようの無い問題を起こした三浦は逮捕され、広島に収容されたが
朝鮮国内で犯人が逮捕、処刑(もちろんダミー)されたことにより無罪放免された。
ちなみに大鳥圭介とは奇妙な因縁があり、後に大鳥圭介の後任として学習院院長となっ
た三浦吾楼は「前任の大鳥圭介が風紀をすっかり悪くしてしもうた」などと書き残して
いる。
719世界@名無史さん:03/01/26 20:54
【統率】44
【武力】100(ハンデとして片手でやってやるぜ)
【知力】22 (怒りっぽい)
【政治】10
【魅力】55(映画化)

1971年、クーデターでウガンダ共和国の統治権を握ったアミンは、ニクソン大統領のために 「ウォーターゲート事件からの快癒」を神に祈ったりする お茶目なイスラム教徒(自称)。
「夢の中に神が出てきて俺様にウガンダの統治を任せたんだ!」 と普段から公言してはばからない。
彼は 元ボクサー という経歴の持ち主で、1978年タンザニアに侵攻した時には、相手側の大統領に 「ボクシングで決着つけようじゃないか。ハンデとして俺は片腕でやってやるぜ」 などと挑戦状を送りつけた。
ちなみに、日本でも 「猪木とアミンを闘わせたら面白い!」 と考えたプランナーがいたそうですな(実現ならず残念)。
また、彼は独裁者のご多分にもれず怒りっぽい人で、 つまらぬ理由で何万人も処刑 してしまいました。
結局、1979年にはウガンダ解放戦線の反乱で国を追われましたが、亡命先のサウジアラビアでもやはりわがままいっぱいの余生を送りました。
「食人大統領アミン」 というドキュメンタリー映画まで作られてます。運が良ければお近くのビデオ屋にあるかも。
720世界@名無史さん:03/01/26 22:04
秋山真之
【統率】80(実際に統率していたのは東郷)
【武力】50
【知力】99(説明不要)
【政治】50
【魅力】45(奇行が多く近寄りがたい)

【特技】神算 鬼謀 
【持ち物】空豆
721世界@名無史さん:03/01/26 22:16
>>688
>後だしジャンケン

政治家ってのは国際情勢を分析し、ある程度予測する事が求められると俺は思う。
天災などなら仕方ないが、ドイツとソ連の衝突は予測不可能という訳ではない、
つーか一番可能性が高い事例じゃないの?
例え不可侵を結んだ後だったとしても、それほど無茶な要求とは思わない。

>「イギリスが屈服しないのはソ連の援助を期待しているからだ」

これがバルバロッサ作戦の一番の理由なのか?
東欧の問題が一番じゃないの?
ヒトラーの目的も元々ソ連の破ることだったそうだし。
722k:03/01/26 22:24
えっ!モロ!!


http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bubbs207
723世界@名無史さん:03/01/26 22:42
>>718
なぜ『三浦梧楼』ほどの人物を語るのに、暗殺しか触れないんだ?
四将軍上奏事件や、護憲三派内閣の成立、藩閥の打破など様々な功績があるだろ?
そして奇兵隊時代からの数々の軍功はどうして評価しないんだ?
三浦梧楼が公使就任の時の謙遜を間に受けてないか?

724世界@名無史さん:03/01/26 22:44
>>715
高杉には知力も政治もないと思われ。
とくに政治。
725世界@名無史さん:03/01/26 23:10
>>723
彼は朝鮮人なのです。
726世界@名無史さん:03/01/27 01:35
>723
面白そうだから、貴方も三浦の数値化をしてみてくれ。
727世界@名無史さん:03/01/27 13:10
「ど」の字の評価は2ch系ウヨサイトの評価に影響されすぎ・・・
急に駄スレ化が・・・(;´Д`)
老婆心ながら言わせてもらうと正直ローマの話に特化しておいた方が良いと思うよ。
728世界@名無史さん:03/01/27 13:26
同意。
近現代には触れないほうが。
729世界史@名無史さん:03/01/27 13:45
だからイブン=ハルドゥ−ンを頼むよ
730世界@名無史さん:03/01/27 14:17
【三浦梧楼】
【統率】65
【武力】70
【政治】45
【知力】70
【魅力】80
こんなものかと
統率は反山縣として活動し、護憲三派内閣を設立した手腕

武力は軍人として、奇兵隊から西南戦争に至るまでの軍功

政治はその広い見識や政界の黒幕といわれた能力から、
だがこれといった内政案は出していないから、この程度かと所詮軍人だし。

知力はその見識をかって高い数値をあげた、
議会の設置や官業払い下げや急進な条約改正への反対などは、それなりに評価できる。
だが山縣に追い出された様を見ると、山縣より、統率や知力などの能力は下と見るべき。

魅力は当時の人気などだね、長州人なのに藩閥に批判したり、議会などの設置を建白したり、
民主化を請願したりする様は、当時の軍人にしてはかなり異色、(木戸を崇拝していたからだそうな)
また払い下げなどで、直訴するなど、当時軍民とわず、かなり人気があったらしい、
天皇も個人的に彼の果断な性格を好いていたといわれる。

ちょっと低いが【世界史】レベルならこの程度かと、
当時の【世界】や【日本史】だけなら、もっと高い点数をあげてもいいと思う。
けど【世界‘史‘】である以上これ以上は難しい。
731世界@名無史さん:03/01/27 15:56
>「ど」の字の評価は2ch系ウヨサイトの評価に影響されすぎ・・・

2ch系ウヨサイトって何だ?「ど」の字の評価に異議があったらどんどん指摘すれば
いいだけだと思うんだが。評価主の中傷は更なる駄スレ化を招くからやめとこうや。
732世界@名無史さん:03/01/27 16:15
   マリア・テレジア 【1717-80】

【統率】85(国民の支持は高かったが、子供とは不和。また、戦争の最終段階で
ロシアの離脱を招いた(引き留められなかった)あたりで減点)
【武力】35(まあ女性なので、もともと戦場には出ていないわけだが・・・。
戦争の目的を達成していないのでこの程度かと)
【政治】87(有能な人材に恵まれ、様々な改革を行った。
また外交革命を実現させた)
【知力】81(教養はあり、政策もある程度的を得ていた。ただ子供の
結婚問題ではえこひいきが目立ち、ことに娘たちの教育方針を誤った気がする)
【魅力】75(ひいきな人も多いが、嫌いな人もいた)

略伝省略。雑感のみ。

 個別の政策で非難されるべき点は少ないが、フリードリヒ二世との
争いに負けたので、彼以上の評価はしづらい人物。敢えて言うなら
「外国に頼らずに単独で倒せるようになるまで戦争を我慢していれば」と。
この辺は運も左右するのでどうしようもない面もあるが、
どうやら彼女は『君主論』を読んでいなかったらしい。
(援軍に頼ることの危険性が書いてある)

 夫の死後の子供たちとの不和を見ていると、「円満な家庭生活」というのは
実は夫のフランツの功績が大きかったように思える。
 余談だが、ライバルのフリードリヒより十歳以上も早死にしている。
733世界@名無史さん:03/01/27 18:51
>>730
王妃暗殺なんて国際世論の総反発を招きかねない下手をうったDQNが知力70も
あるわけないだろ(w
734世界@名無史さん:03/01/27 19:40
ウヨサイトがネタ元だというのならば、いわゆる進歩派サイトをネタにした人物評価も聞きたいね。

いずれにしても個人攻撃はなしで
735世界@名無史さん:03/01/27 21:57
>>734

以外と難しいテーマだな
彼らの行動原理は偉大な人物への反発・抵抗・嫉妬なわけだから
本当の偉人だとウヨサイトネタ(wとそう変わらない評価になるだろう
平凡な奴だと最初から記録が残らないし、

本スレだと、キケロのような詭弁家で面従腹背な知識人あたりが題材になりうるかな
736世界@名無史さん:03/01/27 22:11
>735
進歩史観だと、カエサルが「独裁者」の一言で片づけられそうなので却下。
他にも「パクス・ロマーナといっても内乱があり、平和ではなかった!」とか。
こんな電波ばかりでもないと思いたいが・・・。
737世界@名無史さん:03/01/27 23:13
自国に批判的な進歩的文化人ならいそうだぞ
738世界@名無史さん:03/01/28 00:46
>>733
総反発なんて受けるわけないじゃん。
三浦はロシアの南下を恐れていたイギリスなどが日本を弁護するだろうと予測するし、実際した。
国際的に問題にならなかったから、裁判でも無罪になったんだよ。
つーか朝鮮の内紛に介入(三浦のしたのは大院君のそそのかし)したぐらいで、国際問題になるわけないだろ。
当初の三浦案通りにはいかなかったから、計画より大事になったのは事実だが、
親露勢力を駆逐する事には成功したわけだから、目的は達したわけだ。

てーか君、三浦の実績を暗殺しか知らなかった厨房だよね。
739世界@名無史さん:03/01/28 01:16
サイババをスカウターで見ても読めません
誰かレベルを教えてください!
740世界@名無史さん:03/01/28 01:56
>738
いや、国際問題にはなるだろう。
少なくとも朝鮮側は反発する。
立派に国際問題。

このスレ、現代史はなるべく触れず昔の戦争屋さんを気楽に数値化しているほうがいいと思う。
741世界@名無史さん:03/01/28 02:08
>740
んじゃ、国際問題になって日本が総反発を食らったという資料の提示を求む。
朝鮮のみなら二国間問題だな。

感情的になったり変な配慮をする方がおかしいんだが。
742世界@名無史さん:03/01/28 10:18
>741
総反発云々は知らんよ。
俺は718でも733でもないし。
二国間でも国際問題だろうという意味。

>朝鮮の内紛に介入(三浦のしたのは大院君のそそのかし)したぐらいで、国際問題になるわけないだろ。

というのはいささか乱暴だろう。
「国際問題」という言葉の捉え方が違うのかもしれんが。
743世界@名無史さん:03/01/28 13:04
だから当時、問題になったのか?なってないだろうが。バカじゃねーの?
744世界@名無史さん:03/01/28 13:39
     ______
    /_      |
    /. \ ̄ ̄ ̄ ̄|
  /  /  ― ― |
  |  /    -  - |
  ||| (6      > |
 | | |     ┏━┓|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | |     ┃─┃|  < 正直、紆余某うざい。
|| | | |  \ ┃┃┃/    \___________
| || | |    ̄  ̄|
745世界@名無史さん:03/01/28 21:55

;:;:
746世界@名無史さん:03/01/28 22:04
>>740
そういうのは普通国際問題とはいわんだろ。
つーか733の『総反発』という言葉に反論したんだが?
747世界@名無史さん:03/01/28 22:11
このスレにウヨっているのか?
748世界@名無史さん:03/01/28 23:26
>747
いないと思うけど。>733は近現代の歴史的知識が足りないと思う。
若しくは、時代が近いと何らかの配慮をしなければならないというよくわからない
基準を押し付けようとしている人間がいるという事か。

右翼とか左翼とか言い出すヤツはここを覗かなければいいんだよ。
749世界@名無史さん:03/01/28 23:28
唐突なリンクで恐縮ですが、博識な方、どうかコメントお願いします。

黄巾の乱後の中華人口大激減 
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043762877/
750世界@名無史さん:03/01/29 12:38

ik
751世界@名無史さん:03/01/29 19:38
つーか朴大統領賛美といいウヨと言うより統一教会だろw
752世界@名無史さん:03/01/29 23:11
朴大統領自身は親日なんですが…
李承晩は基督教徒ですが…

つーか、もう少し勉強しようよ…
753世界@名無史さん:03/01/29 23:16
アフシャール朝のナーディル=シャーをどなたか教えてくれませんか。
754世界@名無史さん:03/01/29 23:28
ウヨっていいたいだけなんだから、放置しろよ。
755世界@名無史さん:03/01/30 01:00
>>752
はあ?朴はまさしくウヨだろ?
756世界@名無史さん:03/01/30 06:05
↑プ
757世界@名無史さん:03/01/30 14:12
k
758世界@名無史さん:03/01/30 14:14
喧嘩はいらないから、淡々と数値書け
759「ど」の字:03/02/01 05:18
 ローマ滅亡の一里塚を立ててしまった、安重根同様に負の意味における重要人物。
 ガイウス・ユリウス・カエサルを暗殺した24人のグループの、名目上のリーダーです。

【マルクス・ブルータス】 A.D.86〜43

【統率】68(方法はどうあれ、万単位の軍隊に対して統率する才能は有ったようです)
【武力】44(大隊長として直接カエサルの軍隊と戦いましたが、評価すべき点は全くありません)
【知力】81(哲学的教養は高いのですが、自分の行いが共同体に何をもたらすかを理解できませんでした)
【政治】50(要職を歴任しましたが、それは純粋な人格と、なによりカエサルの引きあってのものでした)
【魅力】85(陰気かつ生真面目で、政治家向きではないようですが、人を惹きつける何かはあったようです)

 父親は民衆派に属している「平民貴族」で、レピドゥスの乱に参加したためポンペイウスに殺されています。
 若い時代から、政治や軍事キャリアを積むより哲学に全てを捧げていたようです。
 小カトーの娘ポルキアを妻にしており多大な影響を受けていますので、元老院派とみなされていました。
 30代時代には金融業をしていました。大変な高利で金を貸そうとして、キケロに呆れられた逸話は有名です。
 その生涯においては、延々カエサルの愛人セルヴィーリアの息子という見方をされ続け、鬱積した思いを抱いていたようです。
 カエサルがルビコンを渡って以降、国家的危難の前に私怨は捨てると言い、ポンペイウス側で戦っています。
 死地を求めてわざわざ最前線を志願し戦っていますが、その軍事的素養は平凡なものだったようです。
 セルヴィーリアのたっての願いを受けたカエサルの厳命により追求されず、手紙でカエサルに居場所を明かして保護されています。
 その後はカエサルの引きで北伊属州総督や法務官などの要職を歴任しています。
 しかし、キケロと親交が深くなってくると、キケロのカエサル観を共有するようになります。
 つまり、一代の英傑ではあるがローマのためには取り除かねばならない人物である、というキケロの見方を――。
(この項つづく)
760「ど」の字:03/02/01 05:20
(つづき)
 結局、彼はカシウス・ロンジヌスの誘いにより、カエサル暗殺を企てるグループの、名目上のリーダーとなります。
 カエサルの最期の言葉「ブルータス、お前もか」は、彼を指した言葉ではないとする意見が有力で、自分もその意見を採ります。

 カエサルの主導によって終わったはずのローマ内乱は、このカエサル暗殺によってさらに続くことになります。
 その終結は、カエサルが選んだ後継者オクタヴィアヌスがアントニウスの拠るエジプトを滅ぼすまで待たねばならなかったのです。
 なお、その後のブルータスは、アントニウスと連合したり離れたりしながら首都ローマを離れていきます。
 ギリシャで軍備を整え、カシウスと共にフィリッポスの野アントニウスとオクタヴィアヌスの軍と戦いますが敗北。
 ブルータスは逃亡の勧めも断って自死を選びました。享年43歳。

 塩野七生女史によるカエサル暗殺事件の歴史的評価を書いておきます。自分も意見を同じくしています。
「3月15日」は、カエサルにとっての悲劇ではなく、ブルータスの悲劇ではなかったか。
 ただし、時代に受け容れられなかった高潔な人の悲劇でなく、時代の変化を見ようとしなかった高潔な人の悲劇として。

 ルネッサンス以降、彼の行動は一転して高い評価をされていましたが、現代ではその見方に更に批判が加えられています。
 自分は、さらにその歴史的意義から批判を加えて行きます。
 カエサルが暗殺されていなかったら、パルティア問題やゲルマン問題など、後世ローマが苦しめられる諸問題も少なかったはずです。
 結局、ゲルマン民族処置の失敗で長い防衛線を敷かざるを得なかった地政学的問題点が、ローマを衰退させていくことになります。
 その意味でも、ブルータスはローマに損害を与えていたのです。
 安重根と並べて評したのは、その純粋な憂国の思いが国家にとって全く役に立っていないことに拠ります。
 この二人の高潔な精神は、国家にとって無益どころか有害でしか有りませんでした……。
761世界@名無史さん:03/02/01 05:30
「ど」の字さんには
次にチェーザレ・ボルジアをやってほしいな
762世界@名無史さん:03/02/01 06:18
「ど」の字さんは略歴も書いてくれるから、馴染みの無い人物でもよく分かるね。
煽りは気にせずがんがってくれ。
763「ど」の字:03/02/01 06:19
>>761
 ごめんなさい、名前だけしか知らないんです…。
 それと、これから五賢帝のうちのトライアヌス帝とハドリアヌス帝をやらないといけません。
 その後は人物から見るローマ衰亡史をしていくつもりなので、時間が……。

 誰か他にやっていただける方を探すべきかと。
764世界@名無史さん:03/02/01 06:23
∵.☆:* ・∵.゜.☆.・∴.,★ :*・∵.:☆.。.:*・:* ・∵.+:*・∵.゜ ">*・.:.。.:*・:*・

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765世界@名無史さん:03/02/01 17:12

@
766世界@名無史さん:03/02/01 20:22
「ど」の字さんは安重根を高く評価してるけど、自分の事業が日本のせいで失敗したから
日本に多大な恨みをもった男がそんなに高潔な人物なのでしょうか?
767世界@名無史さん:03/02/01 21:03
>>766

>>707-708
高く評価してないと思うよ。
768世界@名無史さん:03/02/01 21:15
>763
ついに五賢帝まで来たね。楽しみ。

トライアヌスとハドリアヌス・・・かっこいいよねぇ。両者とも賢帝の名に恥じない。
769「ど」の字:03/02/02 00:59
>>766
 高くは評価しておりませんです。
 >>141書式で能力は凡人並みです。
 彼に真の智恵があるのなら、日本国内の朝鮮半島併合反対派(経済界に多い)と連合すべきだったのです。
 彼はまさに「敵を知らず己をも知らずんば、一戦ごとに必ず危うし」を地で行く思考力過少の志士でした。

>>768
 現在、文推敲中……。しばしお待ち下さい。
770「ど」の字:03/02/02 01:46
 五賢帝の一人、初の属州出身皇帝です。

【マルクス・ウルピウス・トライアヌス】 A.D.52〜117 在位98〜117

【統率】92(若い頃から最前線で働き続け、遂に過ちませんでした)
【武力】94(ダキア戦役を足掛け2年でやり遂げたのは見事。自画自賛も当然でしょう)
【知性】90(教養十分、自己を律することを知っていた。事務処理能力も秀逸)
【政治】97(ローマを属州本国の差無く整備。現代政治家に爪の垢を飲ませたいほど)
【魅力】93(国内では軍民問わず絶大な支持を得ました。数多くの歴史家に帝政の理想像とされています)

 スペイン南部属州の幹線道路沿いの街イタリカの生まれ。父親の代までは全く無名だったようです。
 父親はヴェスパシアヌスやティトゥスの下で武功を立てた軍人(この人の代で元老院階級入りしました)。
 見習い期間終了以降、最前線の紅章付き大隊長や会計検査官を出発点とする「名誉あるキャリア」を歴任。
 スペイン駐在の軍団長時代にドミディアヌス帝に認められ、正規執政官就任の後高地ゲルマニアの司令官兼総督に。
 ドミディアヌス帝の暗殺後にネルヴァ帝が即位、軍の支持とゲルマン・ダキア問題に明るい彼が次期皇帝に指名されました。
 それ以降、ネルヴァに託されたダキア問題解決の為ネルヴァの生前より共同皇帝として活動を始めています。
 彼が首都ローマに皇帝として入ったのは、それらの準備を一応片付けた即位後一年半後のことでした。
(この項続く)
771「ど」の字:03/02/02 02:27
(つづき)
 国内の空洞化防止策や子弟の育英資金制度創設などの政策を終えた後、ダキア問題に取り組みます。
 軽挙妄動したダキアを攻めにドナウ河へ向かい、準備期間計4年、交戦期間計2年でダキアを滅ぼしました。
(彼の書いた「ダキア戦記」はキリスト教の焚書に遭ってしまいましたので、詳細は不明だそうです。
 今は、戦役の様子はトライアヌスの立てた円柱の記録に拠るしかありません……)
 ダキアは滅亡後、住民の総入れ替えが実行され、その地域はルーマニアと呼ばれるようになります。
 実はこの敗者非同化政策が、自分の考えるところではトライアヌス生涯唯一の失政になるのです。
(カエサルがガリアで使ったゲルマン侵略とのリンケージという手が使えない難問ではありました。
 ローマにとってはギリシャ都市活性化やバルカン地域安定、北の防衛線補強などの成果があっても。
 このダキア消滅が、ローマの圧力に直面している諸国を逆に刺激してしまうのです)
 そこからは、この皇帝は属州と本国の区別無くインフラ整備に奔走していきます。
 それはもう、掲示板のスペースでは工事の名前を書くことも不可能なくらいに多くの公共工事を。
 そして、その動きは、様々な階級をも巻きこんで発展し、ローマ全体をさらに充実した国家にしました。
(この項まだ続く)
772「ど」の字:03/02/02 02:28
(つづき)
 トライアヌスが最後に取り組んだ問題は、パルティア問題。
 パルティアは、ローマ東方で地域に影響力をもっていたそれなりの大国です。
 トライアヌスは、この問題を完全に片付けて東西交流路にローマ街道を敷いて物流の促進を目論んでいたようです。
 しかしその進路は、ダキア消滅を見て危機感を抱いた東方国家群とユダヤ教徒に遮られてしまいます。
 ことにユダヤ教徒の反乱は後ろから斬る方式の卑劣かつ残虐なもので、平らげるのに大変苦労しています。
(後任のパルティア侵攻司令官ハドリアヌスがユダヤ教徒を良く思わなかったのには、この事件の影響もあったでしょう)
 A.D.117になると病に伏せり、ローマへ帰還しようとしますが、途中にセリヌスで病状悪化します。
 117年8月9日に死去。享年63歳。死の直前に、ハドリアヌスを次期皇帝に指名していました。
 なお、死後その遺灰はローマへ戻されて、死者を主人公にした凱旋式で迎えられました。

 とにかく、真面目一筋にがんばった皇帝というのが略評を書いた自分の印象です。
 ハドリアヌス帝も「疲れを知らぬ働き者」の評を得ていますが、この人も相当なものです。
 なお、唯一の欠点と呼べる欠点は大酒飲みだったことだそうです。
 塩野七生女史のトライアヌス評を、ここに記載しておきます。全く、自分も同じ思いです。

「あなたはなぜ、ああもがんばったのですか」
773世界@名無史さん:03/02/02 12:45

774PURE-GOLD:03/02/02 13:21
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775世界@名無史さん:03/02/02 13:22
>思考力過少の志士

これは伊藤博文の若い頃にも言えることだろう。
ここら辺が正直手前勝手な評価という印象を与えている。
776「ど」の字:03/02/02 14:18
>>775
 若い頃の伊藤博文は、確かにそういうところもあったようです。
 が、伊藤博文など新生日本の首脳陣は諸外国を己の目でつぶさに見て回り、敵を知る努力をしました。
(当時の日本は、発展途上国と言っても良い資金力しかなかったにもかかわらず……)
 また、諸外国の最高の頭脳を高額の報酬で招き、その知識を吸収しました。
 諸外国の実力とその限界点と弱点を冷徹に観察できる能力が、日本の首脳陣にはあったのです。
 日本は、1890年代に入ると、当時の基幹産業である紡績で世界最先端を行くイギリスに圧力をかけるようになります。
 また、ごく早い時期に支撓点旋回斜線陣戦術を応用した経済攻撃によって欧州資本を駆逐し、物流の独立を達成しています。
 三十年足らずの期間で、これほどの発展膨張をした国家は、人類史上例がありません。
 それゆえに、その政策を推進し完遂した伊藤博文にはカエサルとオクタヴィアヌス並みの評点がしてあります。
 カエサル並みの政治力(99)が大袈裟にしても、96の線は譲れないでしょう。

 一方、安重根の経験と知識は、儒教世界の中で完結していました。学ぶ努力もしていなかったようです。
 安重根が、西洋を知る努力をしていたならば、あのような終わり方をしていたでしょうか?
 そういう視点からすれば、半島にとって惜しい人物であったとは思います。
777世界@名無史さん:03/02/02 15:19
>776
繰り返しになるが、明治の経済発展は伊藤の頭から湧き出してきたものだとは
どうしても思えない。それとさ、

>また、ごく早い時期に支撓点旋回斜線陣戦術を応用した経済攻撃によって欧州資本を駆逐し、物流の独立を達成しています。
>三十年足らずの期間で、これほどの発展膨張をした国家は、人類史上例がありません。

支撓点旋回斜線陣戦術の応用ってのをもう少し具体的に教えてくれない?
それにしてもねえ…伊藤の能力値はともかく業績を誇張しすぎだよ。
778世界@名無史さん:03/02/02 15:58
>>776
そもそも安は政府の要職どころか単なる抗日ゲリラ活動家の一人に過ぎない。
立場の全く違う伊藤と安を全く同じ視点から評価するのは人物評価として疑問が残るとこ。
そういう書き込みばかりしてるとえこひいきととられても仕方ないかもなぁ・・
779「ど」の字:03/02/02 16:07
>>777
 伊藤博文は官僚と政治家というある意味相反する部署で業績を残したことなども特筆すべきです。
 あと自分は、日本のような急激な膨張をした国家を寡聞にして知りません。それも二度にわたって。

 なお、支撓点旋回斜線陣戦術とは、フリードリヒ大王の創始した斜線陣戦術の最新モードです。
 砲兵(これが支撓軸になります)を軸に、敵と接触した後敵前回頭して側面攻撃するものです。
T                  U
 ●●@ABCDEFGHIJK     ●●
     ↓ ↓  ↓   ↓      ←@ABC
     ↑↑↓  ↓   ↓      ←○○○↓DEF
    ○○○○  ↓   ↓        ○○○○○○G
   ←○○○○→     ↓           ○○○←H
    ○○○○      ←               I
     ●●                  ●●  ←J
                              ←K

 黒●は砲兵、番号の大きいものほど軽装の歩兵です。最外郭JKは騎兵であることが多いです。
 実際、このように見事にいくパターンは稀ですが、図に描くとこんなものです。
 この戦術は、現代の歩兵を使い捨ての駒とする会戦回避型散兵偏重戦術が登場するまでの戦術でした。
(この項つづく)
780「ど」の字:03/02/02 16:09
(つづき)
 上の図がズレてしまいました。失礼しました。

 さて、この思考法を、経済に応用したのが明治時代の日本です。
 砲兵に当たるのが基幹産業(製鉄・紡績)で、小さな番号が農業と金融、番号の大きなものが物流関係の外郭産業です。
T砲兵を活用されないうちに(日本のニーズに合った商品を輸出されないうちに)行動を開始し。
Uあたりの強い重歩兵で敵の勢いを止め(農業と金融で日本に入る隙が無いと思わせ)。
V相手の足の早い産業(鉄道や船舶輸送産業)の頭をなけなしの資金を集中した国産物流資本で駆逐して。
W空いたスペースに自国の物流産業網を張り巡らせる。
 この一連の行動によって、欧米は日本での利権を失いました。
 この勝利は、黎明期日本の産業にとって大変重要な勝利でした。
 これ以後、日本の輸出産業は、外国物流の掣肘を受けることなく海外に展開できるようになったのです。
 原案は大久保氏の生前にあったかもしれませんが、これを指揮して結果を出したのは伊藤博文です。
 この戦術は、プロイセンを深く学んでいた伊藤博文にとって、違和感無く理解できる概念だったのでしょう。

781「ど」の字:03/02/02 22:36
>>778
 確かに立場が違いすぎですね。同列に論じるのは無理があったかも。
 失礼しました。今、スレを見返して気付きました。
782「ど」の字:03/02/03 01:48
 さて、本題に戻ります。
 トライアヌスを継いで国家を安定させた、「疲れを知らぬ働き者」の評価です。

【プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス】 A.D.76〜138 在位117〜138

【統率】95(その技術は卓越していました。ローマ史上ではカエサルにほんのわずか及ばない程度です)
【武力】94(若い頃は戦略戦術ともに天才的閃きを見せた武将、帝位にあっては防衛を合理化した名君)
【知力】96(卓越した官僚的能力。また、ローマの他宗教共存の精神を体現したパンテオンを自ら設計造成)
【政治】98(民衆や諸国の声を聞くことに熱心でした。アウグストゥス並みの国家効率化能力の持ち主)
【魅力】59(身近な人に安心感を与える人ではありませんでした。元老院に全く好かれず、「記録抹消刑」に処されるところでした)

 トライアヌスの従兄弟の子として、イベリア半島南部の街イタリカに生まれました。
 先祖は、カエサルの元で働いたことで認められ元老院入りを果たした人です。
 父親はトライアヌスの父親と共に働いたことで、推挙を受けて貴族に列されています。
 が、父親はハドリアヌスが10歳の頃、トライアヌスとアティアヌス(後の近衛軍団長官)の二人に後事を託し病死しました。
 それがきっかけで、彼は養父二人の方針の下ローマでの教育を受け、そこでギリシャ文化愛好家になります。
 ギリシャ文化耽溺を心配した養父たちにイタリカに戻され、そこで軍隊見習いをしています。
 今度はそこで狩猟の趣味にハマり、今度はローマに戻されてからローマでの行政職見習いを始めます。
 それ以降は、紅章付き大隊長などをはじめとする軍民混然とした「名誉あるキャリア」を積んでいきます。
 いきなり遠パンノニアという最重要前線士官になったにもかかわらず、彼は十全に任務をこなし有能さが有名になったそうです。
(この項続く)
783「ど」の字:03/02/03 02:55
(つづき)
 トライアヌスが皇帝となって以後はダキア戦役を計画する彼の幕僚となって手助けしています。
(それ以後、若干の民間キャリアを積んでいますが、彼の猛勉強ぶりは有名だったそうです)
 ダキア戦役では、第二次で第一ミネルヴァ軍団の軍団長となって、目覚しい活躍をしています。
 その後、30歳で法務官当選、32歳でトライアヌス帝推薦により執政官当選と、猛スピードで出世していきます。
 が、その後充電期間を置くことになります。
(皇帝が身内贔屓を嫌ったとも、認めてくれた将軍リキニウス・スーラが死んだためとも、皇帝の「四天王」に警戒されたからとも)。
 ハドリアヌスが37歳の時からのパルティア戦役では、シリア属州総督に据えて後方兵站を担当させています。
(この抜擢にはトライアヌス帝の妻プロティナの引きがあったと一部では噂されています)
 トライアヌス帝が、パルティア戦役を激しい抵抗とユダヤ教徒反乱の為畳めなくなったまま病を得ると、司令官代理になります。
 そして、死の直前にトライアヌス帝に養子指名と共に次期皇帝指名をされて、帝位に即位することになります。

 皇帝となったハドリアヌスが最初にやったことは、パルティア戦役から名声が傷付かないように撤退することでした。
 反ハドリアヌスとパルティア戦役継続を考えるトライアヌスの「四天王」を、もう一人の養父である近衛軍団長アティアヌスの献身で排除。
 様々な術策で有力者四人の暗殺とパルティアからの撤退を隠し、なんとか戦線をたたむことに成功します。
 そしてハドリアヌスは入念な下準備と残されるローマ市民と元老院への配慮をして後、ローマ帝国再構成の視察巡行に出ます。
 ローマ軍制や諸防衛線の合理化、地方住民パート兵編成による出費削減、ハドリアヌス防壁の構築などをした後ローマへ帰還します。
(この項まだつづく)
784「ど」の字:03/02/03 03:14
(つづき)
 ローマに滞在した間に、ローマ法大全の整理という大事業に着手します。
 また、同時期にアグリッパ>>192の建てていたパンテオン「万神殿」の再建設計にも着手します。
 パンテオンでは全ての神々が円周を作って並べられ、人間中心と多宗教共存のローマ的宗教観が表わされました。
(パンテオンは一時キリスト教の破壊により神像が撤去されキリストと聖者の像が置かれましたが、今はそれらも取り除かれています。
 人類は、いまだにローマの到達した他宗教共存の境地に届いていません……日本は何とかその境地に手を伸ばそうとしていますが…)

 それらのことに一応のめどをつけて後、ハドリアヌスは再び巡行の旅に出ます。
 ローマ帝国に残った火薬庫たるユダヤ問題や東方問題を解決するための旅でした。
 ムセイオンでサボる教授たちを論破したり、アテネを再生したり楽しんだり、ユダヤに圧力をかけつつの旅でしたが。
 ナイル周航の旅をしている最中、ユダヤ教徒が再び蜂起してしまいます。
 これで、ローマにとってはネロ帝時代、トライアヌス時代に続いて3度目のユダヤ教徒大規模蜂起でした
 しかも、今度もユダヤは毒入り葡萄酒や欠陥品の装備を利用しての騙し討ちでした。
 さらに、彼らは制圧地域内の過激ユダヤ教徒でない存在(特にローマ市民とキリスト教徒)を残虐に迫害、ハドリアヌス帝を激怒させます。

(この項まだまだ続く)
785「ど」の字:03/02/03 03:54
(つづき)
 131年から134年まで続いた戦役は、ヴェスパシアヌス帝>>179が処理したのと同じように掃討されます。
 戦後処理として、ハドリアヌス帝は、反乱の火の手の上がったユダヤの地をパレスティナと変名します。
 そして、それ以降はユダヤ教徒がユダヤ教の聖地イェルサレムに立ち入るのを禁止します。
(そして、イェルサレムがユダヤ人の実行支配に服するのは、20世紀半ばのイスラエル建国を待つことになります)
 その処置を終えてローマに帰ったハドリアヌスは、齢を重ねたことから来るのだろう衰えと癇癪を抱えた余生を過ごすことになります。
 やることをやり終えての余生は、後継者問題に悩むことになりました。
 義兄セルヴィアヌスの策謀を斬り捨てたり、指名したアエリウス・カエサルを肺炎で喪ったりしているうちに、彼の目はある人物に止まります。
 その少年は、後に「哲学皇帝」マルクス・アウレリウスと呼ばれることになる、マルクス・アンニウス・ヴェルス。
 ただ、帝位につく人物としては若すぎ、ハドリアヌス帝は中継ぎの人事をする必要に迫られました。
(まだ続いてしまうのです)
786「ど」の字:03/02/03 03:57
(つづき)
 ハドリアヌス帝は、中継ぎとして元老院の支持篤く、皇帝の「内閣」常連でもあるアントニウスに次期皇帝への就任打診をします。
 1ヶ月後、就任を受けたアントニウスによって、ようやく次期帝位が安定しますが、ハドリアヌス帝の精神と肉体はその処置を終えると一層病状が悪化します。
 癇癪を押さえられなくなって元老院に八つ当たりするハドリアヌス帝は、次期皇帝アントニウスの薦めでバイアへ移動して療養しましたが、そこで病状悪化。
 急変を告げられた次期皇帝アントニウスが到着するのを待っていたかのように死去しました。享年62歳。

 死後、癇癪もちの皇帝の死を喜んだ元老院が神格化を否定する動議を提出し、記録抹消刑の足がかりにしそうになります。
 新しい皇帝アントニウスは、議場で涙を流さんばかりに先帝の神格化に求め続けることになります。
 もし、神格化拒否と記録抹消刑が採決されていたなら、ローマにとって大変な功績を残したハドリアヌス帝の記録は残らなかったことでしょう。

 この先帝を尊重する行動によって、皇帝アントニウスは「ピウス(大慈大悲)」と尊称されるようになります。

 20世紀の人は、この皇帝をこう呼ぶことになります。
「属州民が代表をローマに送って要望を訴えるのではなく、皇帝自らが属州を回って属州民の声に耳を傾けた」と。
 ですが、この皇帝は、晴天が続く日々に台風の備えをするという、大変重要であっても理解されにくい多くの任に従事した皇帝でした。
 現代人の調査によっては理解されましたが、ついに同時代人には理解されませんでした。
 ローマという共同体がハドリアヌス帝を理解するのは、マルクス・アントニウス帝の時代を待たねばならなかったのです……。
787世界@名無史さん:03/02/03 17:06

788世界@名無史さん:03/02/04 08:16
「ど」の字氏はあいかわらずすごいな・・・
789世界@名無史さん:03/02/04 14:06
「ど」の字殿、全て読んだが感服つかまつった。
久々に歴史に対する情熱が戻ってきた。
790世界@名無史さん:03/02/04 15:04
「ど」の字は自分でHP作っちゃった方が良くないか?
791世界@名無史さん:03/02/04 15:44

792世界@名無史さん:03/02/04 17:38
斉藤一

【用兵】59
【武力】97
【知力】86
【政治】62
【魅力】48

特殊能力・埋伏、混乱、なりすまし
793世界@名無史さん:03/02/06 21:32
>>752
朴とKCIAについて目をつぶりますか、ハア
それとも士官学校の先輩瀬島先生の一派ですか?w
794世界@名無史さん:03/02/06 22:20
ジュチ

【統率】68(チンギスの長子として各地の戦場を駆け巡った)
【武力】72(野戦ではかなりの戦功を示すも、攻城戦は苦手)
【知力】43(知的水準は標準的だろうが、基本的には当時は野蛮とされた草原の民)
【政治】51(多くのモンゴル将兵と違い、都市の破壊を嫌ったのは評価できる)
【魅力】36(彼個人の人格はともかく、出生の不幸がその人生に翳りを見せた)

チンギス・ハーンの嫡男にして、キプチャク=ハン国の祖。
母・ボルテがメルキト族に略奪されて、
その奪回後に生まれたという不幸な出来事が彼の人生に大きな翳りを残す事になった。
ラシードの「集史」では出生の疑惑を否定しているが、
弟のチャガダイを中心にジュチを白眼視する者は数多くいたようだ。
だが、チンギスは彼を息子の1人として愛し、ジュチも父の期待に答えるべく多くの戦で活躍した。
大西征直前の後継者選定のクリルタイでチャガダイとの対立を深めるが、
彼と共に弟のオゴダイの擁立に同意した。
大西征後にアラル海の北方に進駐しキプチャク平定に専念し、
この地とスブタイとジェベが討伐した南ロシアを併せた所領を与えられた。
後にチンギスの召喚を受けるも病の為戻る事が適わずそのまま病没。
父への配慮から死の直前まで病を隠していたが、
複雑な彼の立場とあらぬ風聞から却って謀反の疑惑を招いてしまい、
チンギスはチャガタイらを討伐軍として派兵する寸前にまで至る。
その直前に発覚したジュチの死はチンギスをいたく悲しませたのだった。
795世界@名無史さん:03/02/06 22:50
バトゥ

【統率】83(ヨーロッパ遠征軍の総司令官であり、帝国の実力者として君臨)
【武力】94(オゴダイの崩御がなければ、ヨーロッパ全土の征服も充分可能だったろう)
【知力】72(名より実を取り、モンゴル帝国の長老的存在となった)
【政治】67(特に実績はないが、民には寛大かつ宗教にも寛容)
【魅力】78(賢明なるハーンだが、オゴダイ・チャガダイ派からは嫌悪された)

キプチャク=ハン国の初代ハーン。ジュチの次男。
1236年からのヨーロッパ遠征で総司令官を務め、
副指令スブタイやモンケ・グユクら一族の嫡男クラスを統率した。
この遠征軍は連戦連勝を重ね東欧を散々に蹂躙。
ユーリ2世やヘンリク2世やベーラ4世などの東欧の将を悉く撃破している。
その征服地は殆どバトゥの領土となりキプチャク=ハン国の基盤が築かれ、
中国攻略の遅れと比べヨーロッパ遠征軍は華々しい成功を残した。 
しかし、遠征中の1239年にグユクらオゴダイ・チャガダイ家諸子と対立した事が、
後のモンゴル帝国分裂の決定的な原因になったのは事実だろう。
オゴタイ没後のクリルタイでグユクの擁立に反対し、
あわやモンゴル帝国の内乱の危機を招いたが、
グユクが急逝した事により回避された。
自らは黒幕に徹し、トゥルイ家の長子の盟友モンケをハーンとして擁立する事で、
モンゴル帝国の西方の最大の実力者として君臨した。
彼が黒幕に徹した事は、ジュチ=トゥルイ家連携による帝国の再編成に大いに貢献したといえる。
モンゴル人からは「サイン=ハーン」(賢明なるハーン)と称えられ、
モンゴルに非好意的な一部のイスラム史家も彼を高く評価している。
その一方でプラノ=カルピニは「戦争においては残忍な君主」と手厳しい。
破壊されたキエフの惨状を目撃しているとあっては仕方がないのかもしれないが。
796「ど」の字:03/02/07 09:39
 モンゴルの人物評、お疲れ様です。
 確かに、世界レベルの広大な領土を持つに至った国家ですし、より調べられる価値がありますよね。
 よろしければ、ぜひフビライの評もお願いします。
797世界@名無史さん:03/02/07 13:06
>「ど」の字氏
リクエストありがとうございます。
貴方には遠く及びませんが、幾人かモンゴルの人物評をやってみようと思います。
まずはリクエストのフビライです。

フビライ=ハーン

【統率】91(危機的状況に晒される事が幾度もあったが、適切な指揮でこれを切り抜けた)
【武力】82(バヤンなどの優秀な将がいたのも大きいが、彼個人も間違いなく一級)
【知力】88(当時のモンゴル人の中では間違いなく超一級の頭脳)
【政治】93(モンゴル帝国こそ分裂してしまったが、広大な中国を見事に統治した)
【魅力】90(彼の器量の大きさは兄モンケをも恐れされたほど、帝国の動揺は彼の大きすぎる器量のためとも言える)

モンゴル帝国第五代ハーン、後に元王朝の初代皇帝。
チンギス・ハーンの末子トゥルイの第4子、廟号は世祖。
1251年の長兄モンケのハーン即位に伴いフビライは華北の大総督に任じられ、
その本拠を開平府(大興安嶺山脈南部)に構えた。
当面の敵・南宋の側面を抑えるべく、
1252〜3年に雲南の大理国を滅ぼしチベットの吐蕃を服属させ、またベトナム陳朝をも攻撃した。
史天沢ら軍閥の支持・漢人の知識人の登用により、華北の統治においても成果をあげた。
こうした軍政は良くも悪くも旧来のモンゴル流に拘るモンケやその側近の不信を招くも、
一時期失脚寸前に至るが後に復帰し南宋攻略に参戦。
モンケ没後は南宋の宰相賈似道と講和して漢地の軍勢を回収し開平府へ帰還、
クリルタイでハーンに即位すると、
これと前後してカラコルムで即位した弟アリクブカと対決。
圧倒的軍事力を持ってアリクブカを打ち破り、名実ともに正統なハーンとなった。
(続く)

798世界@名無史さん:03/02/07 13:09
(続き)
しかし、オゴダイ家のハイドゥやチャガダイ家のボラクはフビライの主権を否定して独立。
もっとも、この独立はフビライの問題というよりもチンギスの子達の世代からの問題であり、
フビライがハーンになったためにモンゴル帝国の分離独立が起こったとは言い切れない。
ハーン即位後にフビライは燕京に遷都し「大都」と改名。李壇の反乱鎮圧を契機に漢人軍閥を解体、
年号を中統として1271年に国号を大元と定めた。
優秀な部下を擁し、長年の宿敵高麗や南宋を征服して異民族による初の華南征服という偉業を成し遂げた。
南宋滅亡後も積極的な対外進出を行なったが、日本やベトナムでは敗北し精彩を欠いた。
唯一、成功と呼べるのは腹心バヤンによるハイドゥ討伐くらいだろう。
内政面でもモンゴル人、色目人、漢人、南人からなる身分制度を作った事や、
紙幣・交鈔を発行して通貨の統一をはかり、元の初代皇帝として大いに国を富ませた。
建設事業も推進し、モンゴル人としては驚異的長寿をまっとうし病没した。
元朝はフビライの代が最盛期で以降は彼ほどの人物は現れなかったが、
フビライ一代での軍政両面における巨大国家の完成度は際立って高く、
その後、名君が現われなかった元朝もその衰えは急速には表れなかったのである。
799世界@名無史さん:03/02/07 17:36
トゥルイ

【統率】82(チンギスの精鋭を上手く統率し、帝国の領土拡張に大きな功績をなした)
【武力】85(チンギスの戦術や思想を受け継ぎ、幾多の戦功を挙げている)
【知力】67(己の野心を捨て、帝国の発展を考えオゴダイに領土を譲る賢明さを持つ)
【政治】36(激情の人であり、しばしば過剰な虐殺をした点は政治家としては失格)
【魅力】70(チンギスの末子として、実力と人望を兼ね備えていた)

チンギス=ハーンの第4子。モンケ、フビライ、フラグ、アリクブカの父。
チンギスから離れ活躍していた兄達と違い、
常に父に従軍していたトゥルイはチンギスの思想や戦術を受け継ぐ形となった。
そのような環境とモンゴルの末子相続の慣習もあってか、チンギスの遺言にも関わらず、
チンギスの後継者にトゥルイを押す者も少なく、モンゴルはあわや分裂の危機に見舞われた。
だが、トゥルイはチンギスの遺言と帝国の行く末を重視し、自己犠牲の精神でハーンの位と、
彼がチンギス死後「監国」として治めていたモンゴル本土をオゴダイに譲渡した結果、分裂の危機は避けられた。
1230年にチンギスの悲願である金討伐が再開されるとオゴタイにその基本戦略を進言し、
自ら軍の右翼を率い殆どの実戦を担当し金の精鋭15万を三峯山で壊滅させた。
彼の死は深酒のために健康を害したためと伝えられているが、
彼の実力と功績を怖れたオゴダイ党派による暗殺という説もある。


800799:03/02/07 22:03
誤字があったので訂正します。

トゥルイを押す者も少なく→押す者も少なくはなく
801世界@名無史さん:03/02/07 23:23

]
802世界@名無史さん:03/02/08 02:02
乙。読み応えありました。
803世界@名無史さん:03/02/08 03:37
インフレーション激しすぎだろ。神多すぎ。
804 :03/02/08 04:20
俺的にはオール80台中盤で完全無欠の万能人といった感覚なのだが
数字のとらえ方は人それぞれでいいだろうに・・・
805世界@名無史さん:03/02/08 04:38
それ言っちゃ数値化する意味ないじゃん
全員納得ってのは無理だがそれに近づけようとする「試み」なんじゃないの?
漏れ的には最近ハイパーインフレーション
806世界@名無史さん:03/02/08 05:51
>>803
 そりゃ、そういう人物ばっかりレーティングしてるんだから
当たり前だろう。
 古代ローマならティベリウス・カリグラ、モンゴルならグユク
あたりを数値化したら凡人かそれ以下クラスになるだろうさ。
807世界@名無史さん:03/02/08 06:45
>>805
漏れもそう感じてたけどね。
どの字氏の数字が最近インフレ気味だからそれに合わせて
平均的につり上がってきてるような。
>>806
ティベリウスが凡人ってのは納得いかないぞ。
808「ど」の字:03/02/08 08:17
 いやどうも。
 インフレ傾向は、ローマが勃興していくに従って名君を扱っているからです。

 そろそろ、ローマの足を引っ張ったポエニ戦役時代以降の政治家など書きます。
 何故ローマが内戦に突入したのか、その政治家の政策あたりから問うていくつもりです。
 その内戦を鎮めたカエサルとアウグストゥスのことについても、再度言及します。
809世界@名無史さん:03/02/08 10:10
モンゴルの史上の人物評をやっている者ですが、
インフレ傾向なのは「ど」の字 氏がローマの名君を扱っているように、
自分もモンゴルの名君を扱っているからです。
言い訳ついでにもう一人、人物評をやってみます。

チャガダイ

【統率】44(些細な事でも、彼が関与すると大きな揉め事になってしまう)
【武力】70(ジュチよりは苛烈な用兵が持ち味だが、柔軟性でジュチにはやや劣るか?)
【知力】29(モンゴル帝国の分裂は彼とジュチとの対立があり、その対立の原因は彼にある)
【政治】42(モンゴル帝国の法律であるヤサの番人だがヤサの遵守に固執しすぎた)
【魅力】33(チャガダイの意見は確かに正論だが、あまりに苛烈すぎる)

チンギス=ハーンの次子で、チャガタイ=ハン国の祖。
出生に疑惑のあった兄ジュチと対立したため、
チンギスの後継者候補からは一番最初に外されたようだ。
しかし、性格は一本気で自分にも他人にも厳格な事から、
モンゴル帝国の法律・ヤサの管理を任されている。通称「ヤサの番人」
チンギスの金討伐や大西征に従軍し、大西征ではオトラルを攻略したが、
ホラズム首都のウルケンジ攻略戦はジュチとの対立で軍の統制を乱しオゴタイの救援を仰いだ。
その後所領として西遼の旧領を与えられ、
イリ河畔・アルマリクを拠点とし、この地のヤサ遂行を徹底した。
チンギス=ハーンの死後はその遺訓に従い弟のオゴタイの即位を支持。
ジュチが没したため、兄弟の年長者として重んじられオゴタイからも
政策決定に関して相談を受ける事が多かったが、
過度の酒色が元でオゴタイの死後その後を追うように没した。
その厳格すぎる性格は父にも兄にも、そして自分が統治した領土の民にも嫌悪されたが、
酒席でオゴタイ=ハーンの尊厳を傷つけた行為をした時には
罪人としての処罰を求めてオゴタイの遠慮にもかかわらず自らを罰している。
自分にも他人にも厳しい一本気な性格の人物であった。
810「ど」の字:03/02/08 10:39
 カルタゴを滅ぼした、共和主義者の略史です。

【マルクス・ポルキウス・カトー】 B.C.234〜149

【統率】71(優秀な方でしょう。軍事・民事ともに過たなかったようです)
【武力】79(若年の頃は負け戦ばかりでしたが、イスパニアやシリアとの戦いでは活躍しました)
【知力】90(非常な博識と弁舌の持ち主。ただ尚古主義者的な雰囲気はありました)
【政治】45(政治テクは多彩でしたが、ローマを精神的鎖国に導いた頑なさは責められて然るべき)
【魅力】82(弁舌の力と峻厳さがローマ市民に敬意を払われ恐れられました)

 共和制ローマ史に残る雄弁家にして政治家。大カトーと呼称されることも多い。
 共和主義体制のローマを打倒する可能性を潰して回った、「狂的」と冠詞を付けるべき共和主義者。
 第1次ポエニ戦役後のローマに生まれ、ハンニバルのイタリア侵攻に対して戦ったローマ軍に従軍し戦っています。
 その際の敗北体験が、後のカルタゴ滅亡への偏執狂的執念につながっていきます。
 当時ギリシャ文明を受け入れて変容していくローマの風潮を激しく批判、質実剛健であった古のローマに戻す事を主張しました。
 第2次ポエニ戦役後、ギリシャ文化愛好家にしてカルタゴに対する寛容な政策を取った大スキピオ>>223と敵対。
 激しい政争を展開して、ついに大スキピオをローマ政界から駆逐してしまいます。
 それ以降は、ハンニバルを生んだカルタゴに対して様々な圧力を掛け、その滅亡を策します。
(どんな演説をする際でも「カルタゴは滅ぼさねばならない」という言葉で締めた故事は有名です)
 カルタゴを滅ぼす第3次ポエニ戦役勃発を見届けるように死去。享年85歳。

 あらゆる分野で有能さを見せたローマ人ではありますが。
 滅ぼす必要の無いカルタゴを滅ぼしたことや、ローマを精神的鎖国に導いたことは批判すべきことです。
 彼の流れを汲む者たちが、グラックス兄弟の改革を途絶させ、諸内乱時代の引き鉄を引いたわけですから、責任は重大でしょう。
 政治能力を45に設定してあるのは、自分の行動が将来に何を及ぼすか理解できなかった人物ということでの減点です。
811世界@名無史さん:03/02/08 10:42
まあ、ローマやモンゴルは大帝国足りえただけあって有能な人材だらけ
だからしょうがないのかもしれない。
812世界@名無史さん:03/02/08 12:28
>>811
南宋とか平安時代日本とかいいかもな
813世界@名無史さん:03/02/08 18:19
>812
知力だけは神に近い連中がゴロゴロいそうな罠(w
 
それはそうと、誰かマジでチトーの評価きぼんぬ。
814世界@名無史さん:03/02/08 20:29
>>812
フビライとの対比で北条時宗とか文天ショウを数値化してみると面白いかも。
815世界@名無史さん:03/02/08 21:24
>>814

コーエーSLG「蒼き狼と白き牡鹿」のファンサイトがある
そこにいくとほとんどの人物のレビューが掲載されているよ
816「ど」の字:03/02/08 23:39
>>814
 横レス失礼。
 自分が、北条時宗の数値化と略史を試しに書いてみます。

 日本を史上最大の上陸作戦から護り抜いた、武家軍事政権の執権。

【北条時宗】 A.D.1251(建長三年)〜1284(弘安七年)

【統率】84(二月騒動後、鎌倉政権への反乱も起こさせずに国難を乗り切ったのは凄い)
【武力】92(戦略的に命令の届き難い鎌倉に居た事を除けば失敗は無く、軍事専門家から絶賛されています)
【知力】63(禅に深く帰依しており、敵に対しても寛容だったようです)
【政治】35(内乱収拾の腕は認めますが、外交意志の欠如と南北朝動乱のきっかけを作った事でこの点に)
【魅力】55(特に取り沙汰されている逸話は無いようです)

 律令体制を廃し関東御成敗式目51か条を制定し日本の基本法とした三代執権北条泰時の曾孫。五代執権北条時頼の嫡男。
 九歳で小侍所別当、十三歳で執権を補佐する連署と、幼くして政治経験を積まされ、十八歳の若さで執権に就任します。
 実際は、時宗が執権に就任する以前から日本は蒙古(元)の圧力を受けており、その生涯は元との戦いに終始しました。
 しかし、どうもこの頃の日本は外交というものに疎く、元を苦しめていた高麗や南宋と連合するなどの努力をしていません。

 文永の役は、実はかなり短期間で終わっています。
 文永11(1274)年10月5日の元・高麗連合軍の対馬上陸から、10月21日に船団が台風で流される(いわゆる「神風」)まで二週間。
 上陸した人員数35000(戦闘員はもっと少ないはず)という数字から見ても、本格的な日本侵攻とは考えにくいものでした。
 多くの歴史家が見るように、これは元のデモンストレーションだったと見るべきでしょう。 
817「ど」の字:03/02/08 23:41
 フビライは日本がこの痛手を受けて降伏すると信じ降伏勧告の使者を送りましたが、元使の杜世忠は随員と共に処刑されてしまいます。
 それを受けて元が本腰を入れて取り組んだ弘安の役こそが、日本前近代最大の危機と呼べる侵略でした。
 元は東路軍(元漢高麗連合4万)と江南軍(南宋人主体10万)の二方面からの攻撃で日本を屈服させようとしました。
 しかし、腰を据えて対処していたのは日本も同様でした。弘安の役での元軍は上陸する地点にも苦しみます。

 弘安の役の期間は弘安4(1281)年5月21日の東路軍(元漢高麗連合4万)の対馬攻撃で始まります。
 東路軍が壱岐経由で博多湾に姿を現われたのが6月6日(江南軍との合流の遅れの為、東路軍はすぐ壱岐まで後退)。
 江南軍との合流が遅れつづける元軍の隙を突くように、日本軍は壱岐に後退した東路軍を攻撃します。
 7月になって、病気になった司令官を入れ替えた江南軍がようやく五島列島に到着し東路軍と合流。
 鷹島近辺に集結した両軍は、博多突入を図ります。
 今度こそは日本軍も劣勢に陥り、夕方には全軍先を争って水城の城に逃げ籠もってしまいました。
 本陣の置かれた箱崎のある防衛線は完全に敵の占領下となり、軍神を祀る箱崎八幡宮も元軍の手にかかって焼け落ちます。
 しかし、補給への不安、湿気・害虫などの影響回避、そして日本軍の夜襲を避けるために元軍は船舶まで引き揚げてしまいます。
 その翌日、閏7月1日に、折からの台風により、博多沖に停泊していた元高麗南宋連合軍は壊滅的被害を受けることになりました。

 その後の北条時宗は元冦の後始末や反攻作戦を計画しますが、それらを形に出来ないうちに弘安7(1284)年死去。享年34歳。
 まさに元冦と戦うために生き、元冦の脅威が無くなると同時に死んだと言っても良い執権でした。

 拙劣な外交政策や朝廷への干渉(持明院統・大覚寺統という南北朝抗争のきっかけを作った)では誉められたものではありませんが。
 戦争指導者としては秀逸でした。現代の軍事専門家から見ても、あまり瑕は見出せないそうです。自分もそう思います。
818世界@名無史さん:03/02/08 23:48
坂本龍馬
武力87
知力45
政治40
魅力105
 
819世界@名無史さん:03/02/08 23:52
スターリン
武力58
知力80
政治75
魅力66
820世界@名無史さん:03/02/08 23:59
シャロン
武力45
知力19
政治32
魅力5
   
821世界@名無史さん:03/02/09 00:02
小泉純一朗
武力25
知力60
政治54
魅力51
  



822世界@名無史さん:03/02/09 00:05
ビン・ラディン
武力62
知力92
政治76
魅力89
        
823世界@名無史さん:03/02/09 07:11
帝京大学
【統率】12
【武力】78
【知力】 3
【政治】 8
【魅力】99
【暴行】98
【強姦】97
【ホモ】100

824帝京大生:03/02/09 12:12
・・・・・・・
帝京ってレベルひくいの??
825世界@名無史さん:03/02/09 14:02
>>823
この魅力の高さは2ちゃんねるの中だけですね。
826814:03/02/09 14:32
>>816
ありがとうございます。
なかなか読み応えありました。
827世界@名無史さん:03/02/09 14:34
>825
ネタとしての魅力だな(w
828世界@名無史さん:03/02/09 16:05
>>816
それもインフレかと・・・
能力値がインフレ気味の光栄チンギスハーン4でも北条時宗の能力値は
政治56 戦闘82 知謀51
に過ぎません。
829世界@名無史さん:03/02/09 19:01
時宗は寿命が短いから
多少インフレ気味でも害は無い
830世界@名無史さん:03/02/09 19:53
こういってはなんだが、取り上げられているのはどこぞの馬の骨ばかりというわけじゃない。
大政治家、大軍人でしかも”歴史的”な人物ばかりだ。軒並み高くなって当たり前。
これじゃ比較にならん、ゲームに使えんというならば、出すべき人物全部出して
数値の標準化処理をして補正する事だ。
831世界@名無史さん:03/02/09 22:10
島木譲二
武力87
知力1
政治1
魅力105
832世界@名無史さん:03/02/09 23:58
>>829

言い得て妙
執権の地位にあった期間が短いので失策が目立たない
失策はあったとしても、侵略をくい止めた、という実績の前にかすんでしまう
833世界@名無史さん:03/02/10 00:02
他人様の書き込みにコメントするだけではなんなので、父の北条時頼を試してみた
>>816のような精密さは無理だし厨房丸出しの内容だが、まあネタ提供の意気込みを買ってくれ

北条時頼

鎌倉幕府5代執権。時宗の父
宝治合戦や宮騒動で幕府内外の不穏勢力を一掃し、北条氏の念願であった皇族将軍を実現させ、
北条家による幕府支配を不動のものにした得宗政治体制を築いた。
政治も公正で、庶民の保護条例も定め、祖父泰時とならぶ善政の人物だと賞賛された。

教科書にも出ている徒然草「小さな素焼きの器についた味噌を酒のつまみにした話」や
子供向けTVにもなった全国行脚伝説「鉢の木」のエピソード云々、その名君ぶりを示すエピソードは多い。
仏教(禅宗)に深く帰依しており、曹洞宗の開祖・道元や宋の蘭渓道隆を鎌倉に招き、後者を開山に建長寺を建立している。

惜しむべきは、激務だったからであろうか、37歳の若さで病死した。
彼が長寿だったら、対蒙古戦も別の展開があったかも

【統率】82(優れた危機対処能力と指導力で御家人や庶民から賞賛されている。長寿だったらさらに評価アップ)
【武力】71(実戦の事例は少ないが、宝治合戦で三浦氏を滅ぼした手際の良さを評価)
【知力】70(禅に深く帰依しており、中国の文化人や宗教人とも交流があった)
【政治】90(武士階級だけでなく、町民や農民に至るまで配慮した公正な政治をおこなっている、
      武家の頭領ながら地主の非法をも諫める政治をおこなった事は政治家としてすばらしい)
【魅力】94(上記の実績により、数多くの伝説が残っているので超人レベルで)
834山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/10 00:05
>813
知力でいえば大江匡房・広元(毛利元就の先祖)あたりが高そう。藤原定家もね。
835世界@名無史さん:03/02/10 00:36
秋山好古   当時最強といわれていたロシアのコサック師団を撃破
武力90
知力72
政治50
魅力88      
836世界@名無史さん:03/02/10 00:49
秋山真之   好古の弟。「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」で有名。日本海海戦において名参謀として
        知られている40代前半で亡くなったことが悔やまれる。
武力58
知力96
政治72
魅力96
837世界@名無史さん:03/02/10 00:59
東郷平八郎   言わずと知れた日本海海戦の名将。世界最強のバルチック艦隊を撃破
        トーゴービールなるものも登場した。
武力88
知力80
政治60
魅力96

838「ど」の字:03/02/10 01:31
>>833
 お疲れ様でした。

>>828
 実は自分は、この人のことをあまり高く買っておりません。
 政治評価の数字とその理由に注目してください。


 さて、考えてみれば、日本史上の人物の一人として、この人を書かないわけにはいきませんでした。
 日本に簡素にして道理の通った法を整備した、偉大な軍政家です。>>141フォーマット。

【北条泰時】 A.D.1183〜1242

【統率】84(天皇家に対して部下に弓を引かせ、殆ど落伍者を出しませんでした)
【武力】61(戦略戦術ともに全く傷は無いが、それは単に難しい局面を経験していない為です)
【知力】82(事務処理能力と価値観創出能力は優秀で、その能力あってこそ国家と法律の合理化は成りました)
【政治】95(世界史上初めて時効の概念を明記した簡素な土地法・訴訟法・相続法である御成敗式目を制定)
【魅力】92(敵対する朝廷の貴族にすら『徳政の人』と言わしめ、後世に武家政治家の理想像とされました)

 鎌倉政権黎明期の武将。北条義時の長男。幼名は金剛と言い、江間太郎とも称しました。
 承久の乱(1221)には叔父北条時房と共に東海道大将軍として上洛し、後鳥羽上皇側の軍勢を撃破し京都を占領。
 2年の間六波羅探題として、乱後の処理と論功行賞の公平な手配に敏腕を振るいました。
(この間のうんざりするような体験が、後に御成敗式目を制定させるきっかけになったようです)
839「ど」の字:03/02/10 02:02
 元仁元年(1224)父の急死により鎌倉に帰還し執権となります。
 翌嘉禄元年大江広元や北条政子が死去し多難な時期を迎えますが、ここで政治機構の改革に着手します。
 執権を補佐する連署を設置して権力を強化し、併せて評定衆11人を置き有力御家人による合議制を推進します。
 貞永元年(1232)には、最初の武家法典である御成敗式目を制定しました。
 この法典こそは、世界で最初に時効の概念を取り入れた成文法です。
 簡素な文体と少ない字数で仕上げられた、分かりやすく覚えやすい文章で、法律を国民のものとする端緒を拓きました。
(時効の概念は、慣習法としては古代ユダヤの土地税制に一時あったそうですが、明文化されたのはこれが世界初です)
 その後の朝幕関係の推移の中で、皇位に干渉し、鎌倉政権の朝廷への優位性を確立することにも成功。
 仁治3年(1242)に死去。享年59歳。自らが創建した臨済宗常楽寺に葬られました。

 北畠親房の書いた朝廷側の史書である神皇正統記にすら『徳政』と書かしめるほどの善政を敷いた、歴史的人物でありました。
 自分の評価では、厩戸皇子、徳川家康、伊藤博文と並ぶ、日本の偉大な政治家と考えています。
840世界@名無史さん:03/02/10 02:34
津田左右吉
武力5
知力88
政治52
魅力87
特殊能力
禁断の扉を開く呪文。
841世界@名無史さん:03/02/10 05:15
>>830
厳密にやるならそういうことになるんだろうけど、さすがにめんどいし、
できってないしな。
しかし厳密には無理としてももうちと世界史標準からみるよう配慮してほすぃ。
北条時宗、武力92とか軍事専門家に絶賛とか、正直(゚Д゚)ハァ?なんですけど。
そんな漏れは軍版住人・・・
842世界@名無史さん:03/02/10 06:29
義経きぼんぬ
843世界@名無史さん:03/02/10 06:37
義経はコーエーゲーでもうとっくにパラメータ化されてるじゃん
844世界@名無史さん:03/02/10 12:38
超人多すぎ(;´Д`)
845世界@名無史さん:03/02/10 14:04
正直公平に見ても数値が高騰しすぎている。
到底世界史レベルとはいえない人物まで80代や90代をポンポンと出されちゃあ・・・
846世界@名無史さん:03/02/10 14:09
日本の人物は別に日本史バージョンのスレ立ててやったら良いと思う。
家康や秀吉や信長ならまだしも、日本でもあんまりメジャーじゃなくて
そこまでの功績がない人物まで
軒並み80代以上だったらさすがに萎えるよ。
一応「世界史上の人物」のスレなわけだし。
847世界@名無史さん:03/02/10 15:07
日本史レベルでいえば能力値70くらいあれば傑物の部類にはいる。
ここがよくわかってないんじゃないか?
848世界@名無史さん:03/02/10 16:43
まあグスタフや五賢帝がオール90台ってんならこの数字も肯けないことはない。
・・・いや北条氏とか詳しい事全然しらねーから「へーすごかったんだ」っつー感想
しかないけどね。

世界史上有名な人物でなくても、やった事の方向性とか物事を捉えるセンスとかを
根拠のある論をもとに独断でかつ大胆に判断してますな「ど」の字氏は。
数字の根拠や列伝が充実しているので、今まであまりしらなかった人物でも
「ほーそうなのか」と納得できるが、他の持論がある人には色々受け入れがたい
ところもあるんだろうな。

まあ私も時宗が武力92っつーのはチョット納得できない(w
「ど」の字氏は>>177で家康の能力書いてるんだがそれによると

>武力・75(指揮も個人戦闘力も秀逸。ただ突出したがる悪癖がある。頓死しなかったのは幸運なだけ。武田信玄が90)

とあるんですな。家康や信玄より強いとはちょっと思えない。いやイメージ的になんですが。
849山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/10 16:53
>838〜839
先を越された・・・日本史板に書き込もうにもこの手のスレが無いし。
850世界@名無史さん:03/02/10 16:54
名君を扱ったからしょうがないっていうけど、五賢帝もあらゆるパラが高すぎの感は
否めないなあ。塩野タソの読みすぎなんと違う?(ワラ
851世界@名無史さん:03/02/10 17:02
まあ、厳密詳細にやろうとするといろいろホコロビがでるのはしょうがないけど
評者の主観とかを排除するのは無理だし、その主観を楽しんだり議論したりするのも
またよいではないかw
列伝が充実してるどの字氏のが面白いのは確か。でも減点方式により過ぎかも。
かと思うと「単に難局に対したことがないだけ」って評もあるし、その辺の基準がよく
わからんね。それが主観なのかも知れんけど。しかし90以上はやはり絶対評価で見直す
ことが必要なんじゃない?世界史史上からみて価値あることをしているかどうか。
852世界@名無史さん:03/02/10 17:03
>>850
まあ、同意かなあ。
トラヤヌスはALL80代くらいで良いとおもわれ。
853世界@名無史さん:03/02/10 17:45
>852
しかし何だ、オール80台というのも十分すぎるほど凄まじい人物なんだよな、思えば。
854世界@名無史さん:03/02/10 17:55
>>848
>家康や信玄より強いとはちょっと思えない

いあ、ここでは武力ってのは広い意味では戦略的視野から戦術的視野、新戦法の
考案とかまで含めるから単に武将としてのモーレツ度をあらわすわけではないから
別に家康より上がいかんとか言うわけじゃないと思うが、90台っていったら
その辺じゃもう敵無し(同時代に同等のヤシがいれば別だけど。そういうことって多いし)
じゃないとさすがに多くの人が納得はしないと思う。

でも高すぎる評価も萎えるけど、傑物の評価に遠慮するのもそれはそれで萎えるので
むつかすぃね。

個人的にはあの辺の時代の日本人の「武力」に高評価なんぞできるわけないと思われ。
中世ヨーロッパの暗黒時代の騎士を高評価するのと同じだよ。
義経だけは例外扱いしてもいいかも知れんが。(坂の上の雲もあるしなw)

日本史スレって話もあるけど、まあ、盛り上がるんならそれでもいいけど、
日本人とローマ人その他、近代人と古代人とかを同じ土俵で評価するから
このスレ面白いと思うんだが・・・
855世界@名無史さん:03/02/10 18:05
オマイラ一騎討ちでもしてれば、って感じ?
856848:03/02/10 20:18
>>854
ああ、誤解を招く表現だったかも。
>いあ、ここでは武力ってのは広い意味では戦略的視野から戦術的視野、新戦法の
>考案とかまで含めるから

うん、これらの意味ひっくるめて時宗が家康や信玄以上って事はない・・・
ような気がするわけです(弱気w
陣頭指揮してないから戦術能力は未知、画期的な戦法開発もしてないし
どれだけすごかろうと戦略能力だけで90オーバー(超人)に値したのかどうか、
またそこまで凄い戦略はどんなものだったのだろう、とね。
857世界@名無史さん:03/02/10 20:45
呂布

【統率】59(部下に寝首をかかれたとは言え、名高い天下の飛将軍)
【武力】80(個人の武勇は超人的、騎兵の指揮も三国時代で屈指だろう)
【知力】41(短慮ではあったが、そこまで馬鹿じゃない)
【政治】26(あくまで武に生きる者、内政、外交なんて気にしない)
【魅力】40(主君としての魅力は無い、付き従った者も彼の力に従っただけだが人間としてはそこそこ善良か?)

正史には
「呂布は猛り狂った虎のように勇猛な男であった。  
 だが、きわだった策謀に欠けたうえ、尻軽でずる賢く、
 裏切ってばかりいた。ただ目先の利益だけを追ったのである」
とあり、陳寿は「古来、こんな振る舞いをした者が破滅しなかったためしはない」そう評している。
確かに呂布は恐るべき武勇があり、騎兵の指揮は同時代でも屈指の勇将であった。
だが、人の上に立つ君主としてはあまりに仁義に欠けた彼は陳寿の言うように破滅しかなかったのだろう。
858世界@名無史さん:03/02/10 21:26
世界史に残る程の人物を数値化してるから高くなるのならば、一般人とくらべての数値では無く、こういう人達を基準にした数値にしたらどうだろう。
141フォーマットの繰り上げを行うとか。
極端な話、非凡な人間の数値化なんだから凡人クラスは0に決めても良いのだけれど、凡人以下の部分が有る人間を考慮して、

0代=能無し
10代=欠点
20代=凡人
30代=可もなく不可もなく
40代=二流
50代=非凡たりえる
60代=優秀
70代=一級
80代=超一級
90代=超人
100=神

というのはいかがか。
859世界@名無史さん:03/02/10 21:35
>>858
うーむ、気持ちはわかるが同意できん。
60という数値を「優秀」と受け止めるのは漏れを含めゲームなどに慣れている
大半のヤシには感覚的に受け入れられないと思ふ。数値基準そのものはそのままで
いいような気がする。要は評者の人は「世界史標準」という意識を持つようおながいします
ってこと。

数値の後の説明とか列伝とかでのフォローがあれば喧嘩馬鹿の武力が
高くても(低くても)ある程度は納得できる。そういうときはツッこまないで
いいよな。
860「ど」の字:03/02/10 23:17
>>859
 そうですね。
 北条一族は、正直高過ぎたかも。少し反省します。
 ただ一点、北条泰時の政治95は妥当と思っていますが。
 もう少し、世界史標準の数値と考え方を整理しなおします。

 さて、そろそろカエサル周辺の人物評価の準備でもしますか……。
861世界@名無史さん:03/02/10 23:19
前述の泰時や時頼の評価はどうよ?
どちらもエピソードに魅力的なものが多いと思うが
862世界@名無史さん:03/02/10 23:24
何を持って「世界史標準」とするんだ?
戦国期の日本武将は世界的な動向ではさして影響を与えていないが、
北条時宗は蒙古の拡大を防いだという点では大きく評価できると思うが?

それをマイナーとか言われると年表に載ってない人間は駄目ってことにならないか?
なんつーか、日本史だから駄目とかいう批判は違うと思う。

評点には色々あるとは思うが。
863山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/10 23:30
時頼の逸話は「徒然草」・「雑談抄」や「増鏡」・「太平記」に乗っていますね。
母の松下禅尼についても好意的な逸話が多く「女人ではあるが聖人の教えに叶った
人物」と言われていたのでかなり賢明な人物であったのは確か。
廻国伝説は異人来訪の観念から発達したものでしょうが、その根の一つには石井進
先生が述べておられたようによく御家人を救済した事があったのでしょう。
864世界@名無しさん:03/02/10 23:51
このスレにおける「ど」の字氏の功績は認めざるを得ないが、
ちと塩婆を読みすぎじゃねえ?
とても俺にはアレクサンドロスが「東西文化の融合」なんて、考えていた
とは思えないのだが・・・。アジアの行く先々で略奪・暴行・殺人のやり放題じゃん
(あの持ち上げ御用作家アリアノスですら、認めてることだろ)。
煽りのつもりでないので、気を悪くされたらスマソ。もちっと公平な眼で見ることも
必要じゃないのか思ったまでで・・・。
865世界@名無史さん:03/02/11 00:22
塩野、学界じゃDQN扱いだからね。とはいえ話をドラマチックに説明するのは
うまいし、漏れも嫌いじゃないんだが、塩野だけ読んでそれを鵜呑みにしてはイカンよw

>>862
日本史だから駄目だといってるヤシはいないと思われ。
866世界@名無史さん:03/02/11 00:35
結果「東西文化の融合」をもたらしたのは確かだし
このスレ的にはアレクサンドロスを「神レベル」ってするのは
世界史標準ってやつの指標となると思う
あいまいだけど、その視点を忘れずに、って程度のことよ
マイナーな人物の時は列伝とかでフォローよろしく、ってことよ

しかし開国以前の日本で、世界史標準に達してる人物なんて極わずかだと思うけどね
867世界@名無史さん:03/02/11 01:07
唐突に三国志、しかも既出だが

【関羽】

【統率】73(刑州防衛において、よりによって呉を敵に回した上、その対呉戦においても失敗したが、勇名の通りに軍の統率にはある程度優れていたので70代)
【武力】98(ここは否定されるだろうが、死後、武神関帝聖君として神に奉じられている事を考えて神クラス。99、100ではないのは呂布がいるから)
【知力】49(思慮深さがいくらか見られる事、塾を営んでいた事等から凡人の40代後半。基本的に策略を行うという意味での知力はない)
【政治】42(この点においては全く凡人)
【魅力】78(地位の高い人間に対しての傲慢不適な態度等を考慮。ただし義を重んじる人間として後の世まで名高いので70代)
868世界@名無史さん:03/02/11 01:35
>>862
実績と能力は必ずしも比例しないよ
869世界@名無史さん:03/02/11 01:39
>>868
指針にはなると思われ。
つ〜か、実績無視してどうやって能力を評価するのかと小一時間…。
870世界@名無史さん:03/02/11 01:45
つーか、呂布は100なのかよと・・
871世界@名無史さん:03/02/11 02:12
つーか各国を代表する政治家や、将軍、はてや英雄とまで言われる人達は、
全て神クラスになるのでは?
中世以前は、相互にろくな干渉がなかったわけだし、そこが中心なわけでもない。
それに地中海沿岸の国々だけ、神クラスになってしまっては納得いかないのだが。。。
ハンニバルは確かに大将軍だろうけど、中世の日本の大名や、中国の戦国時代の将軍は
世界的には有名ではないからといって、実績だけを見るなら、そんなに大差があるとは思えない。
872世界@名無史さん:03/02/11 02:22
中国戦国時代の人物はともかく、日本の大名はなぁ・・・
中国春秋戦国時代の人物はまだほとんど出てきてないので、あなたが評価してみては?>>871
873世界@名無史さん:03/02/11 02:23
>>871
だからその辺は評者のバランス感覚ってことだよ
それにこのスレで別に中国が過小評価されてるってこたないだろ

ある程度はその地域・時代での相対評価になるのは当然だが
90以上とか出すようならやはりなんらかの絶対的に評価できることが必要かと
ハンニバルに関しては戦略面ではローマを追い詰め(結局は見誤ったともいえる)
戦術面ではまさに神レベル(最後は負けたが、だからといって評価が落ちるものでもない)。
絶対的に評価できるのはカンネエなんかがいまだ軍事系大学などでの教本に
なってることからも明らか。世界史上の軍人ベスト3に入るかといえばわかれるかも
しれないがベスト10なら間違いなく入る。
874世界@名無史さん:03/02/11 02:25
100近くの数値をつけるならそういう人物にして欲しい
875世界@名無史さん:03/02/11 02:26
>>871
日本の人物はむしろ過大評価されすぎな気がしますが。
876世界@名無史さん:03/02/11 02:39
まあしかし「世界との接点がなかった」ってことを理由に評価を抑えることもないかと。
んなこといってたらいわゆる「世界史の中心」とやら(ワラ)の人物ばっかになるし
その「中心地」から戦国時代に日本に来た宣教師の多くが日本人の精神性とかを(他にも
清潔さとかいろいろw)すごく高く評価してるよ。
「主の教えが広まっていない未開地にこんな高度な文明国があったとは…
 告白すれば、彼らの文化は我々よりよほど高度だといわざるを得ません」
みたいな手記がいくつも残ってる。

明治維新以降、日本が他の植民地みたいにならず、急速に発展したのはそれまで積み上げてきた
文化、精神なんかが土台になったともいえるし。
877世界@名無史さん:03/02/11 03:05
>>873
なんでそこまで評価が高いかってことなんだよね。
それ以上の兵力差で、敵をほぼ全滅させ、
かつハンニバルト違い、生涯ほぼ無敗の将軍もいないわけじゃないんだよ。

中国の戦国時代にも楽毅や白起とかが該当するかな、
日本の戦国時代にも、結構いる。
残した実績だけを考えれば、決して劣ってないどころか、むしろ勝っている人も大勢いるんだ。
けど多大に評価されるのは、やはり西洋とアラブまでが多いんだよね。
(大モンゴルは桁が違うので別)
878世界@名無史さん:03/02/11 03:13
つか、世界の中心とやらが基準になるなら、
当時紛れもなく世界の中心だったモンゴル軍(しかも戦力的に優勢)を
撃退してしまった時宗の評価は妥当になってしまうが。
アレも日本史限定の出来事だってか?

つか、マジでチトーきぼんぬ。
漏れのかじった程度の知識では無理だった……
879世界@名無史さん:03/02/11 03:59
実績の内容を評価しろってことでしょ。
モンゴル軍撃退って時宗の軍事能力に拠るものなんか?
兵力差が大きい相手を破ったっていってもそれはそいつの能力に拠るものなんか?
状況とか運とか誇張とかいろいろあるだろ?そういう内容を絶対的にみるべき、って
ことだろ。

例えば軍事でいえば包囲殲滅・各個撃破・騎兵運用・兵種混合なんかの軍事思想は
近代まで通用する軍事学的常識であり(兵器の射程・威力が比べ物にならない現代ではそのままでは
通用しないがそれでも普遍的部分はある)それらが常識でなかった時代にそれを開発、改良
したやつなら神評価できるってこと。理解してうまく運用したやつは高評価。
1000人で10万人倒しました、ワショーイ、武力100!つーのはやめれってこと。
アレクサンダーの場合、史書での兵力差はうそ臭いシロモノだが
別に兵力差で神と評価してるわけじゃなくて、その手法が絶対評価ですごい、ってこと。
880世界@名無史さん:03/02/11 04:10
中国で言えば、孫子なんかはナポレオンが「これをもっと早くに読んでいれば
ワーテルローでは負けなかっただろう」と言ったとかされてるし、世界史標準にも
通用する軍事思想と言える。引き合いがこれまた「中心地」の人物でスマンけど。
孫子自体は詳しく知らんからどういう評価になるのかは漏れ知らん。

単に村一番の力持ちなのか、それとも握力100キロぐらいあるのか。その辺の見極め、
バランス感覚だよ。まあしかしある程度は評者次第なのは仕方ない。
881878:03/02/11 04:11
>879
世界の中心とやらを絶対視するなら、という極端な例として挙げただけなんだが。
そういう基準で評価するならともかく、世界標準をやらを主張する連中によれば、
内容よりも活躍した舞台を重視しているようなので。
882世界@名無史さん:03/02/11 09:34
では
能力それぞれに、ゴミクラス・凡人クラス・神クラス3つの人間を出して絶対評価の基準をつけるしか無い。

だれか太公望・楠木正成・竹中半兵衛の数値化希望
883世界@名無史さん:03/02/11 09:36
俺も878氏の意見に賛同するよ。
世界史ていっても、結局は西洋史な訳で何故西洋だけが
特別じゃないと逝けないのか理解できないね。
後、時代によっての資料の多寡と信憑性によっても差がでるのも
アレだなと思う。
項羽や、カエサルの時代と近代以降ではまったく情報量が違うし
当然脚色が多分に入ってる前者が馬鹿みたい高くなるのは
納得いきかねる
884世界@名無史さん:03/02/11 13:06
まあ康煕帝あたりはオール90クラスじゃねえか。
885世界@名無史さん:03/02/11 14:24

886世界@名無史さん:03/02/11 15:55
>>877
じゃあ楽毅や白起を高評価すりゃいいじゃん(漏れもこの二人は評価されてしかるべきだと思う)。
まだ出てもいない人物なのにハンニバルと比較して不公平とか言うのもどうかと。
漏れの個人的な感覚で言うと、ハンニバルは神だけど楽毅・白起も同レベルだと思うよ。
887世界@名無史さん:03/02/11 16:00
トラヤヌスと康熙帝ってかぶる。
どっちも能力は超優秀だけど、これだ!っていう強烈な印象が無いような・・・
888世界@名無史さん:03/02/11 16:16
そこまでたいした実績を残してない香具師がやたら能力値高く設定されてるのが
問題だと思うんだよな。地域問わずね。
889世界@名無史さん:03/02/11 19:02
誰も東洋史とかにけちつけてるわけじゃないのになに怒ってんの?

ここ世界史板じゃん。世界史の定義から決めようっての?
世界史=西洋史ではない、ってのは史学系の学生とかなら
誰でも意識してるよ
そんなにいうなら自分で評点しる! できれば説明つきでおながい!
それで「こいつは世界史レベル」ってことを納得させればいいじゃん

879は軍事板の人なの?それじゃハンニバルとかナポレオンとかをおまい様の基準とやらで
評価してみてくれ!
890世界@名無史さん:03/02/11 19:33
つーかさ、相手よりもたくさん兵隊を揃えて数で叩き潰すのも立派な軍事的才能と思うんだけど
891世界@名無史さん:03/02/11 20:02
んじゃナポレオン、辛口で逝ってみようか

【統率】80(多くの兵士が彼に従い各地を転戦した。しかし見捨てちゃいかんだろ)
【武力】85(戦理に忠実にかつ数学的正確をもって部隊を指揮した。しかし実は攻城戦が苦手)
【知力】60(1805年にブーローニュの丘に集結していた兵団を反転させてから後の戦争は華麗で豪華だったが無駄だった)
【政治】75(国家資源の戦争への投入に手腕を示した。でも所詮は戦争屋です)
【魅力】90(後世、信者とアンチの評価が両極端なのは魅力的だった証拠)

第2次フランス革命戦争(ナポレオン戦争)の帰趨はナポレオンがいなくても変わらなかっただろう。
しかしナポレオンがいなければ、19世紀初頭のヨーロッパの情勢がこれほどこじれなかったことも間違いない。
892世界@名無史さん:03/02/11 20:16
>>891
知力の評が意味不明。他のも適当すぎる。ちっとは過去ログで流れみてこいや。
893世界@名無史さん:03/02/11 20:21
文句言ってる人は何で自分でやらないの?
894世界@名無史さん:03/02/11 20:24
批評への批評・反論なしじゃこのスレつまらなくなるっしょ。つーか知力意味不明w
ナポレオンとかやるんならもうちと気合いれてくれよな
895世界@名無史さん:03/02/11 20:24
>>893
いちゃもんつけたいだけじゃないの?
そこまで西洋に偏ってるとはおもわんがなぁ。
文句あるなら自分の評を著せばいいだけなのにね。
896世界@名無史さん:03/02/11 20:25
どの字たんきぼんぬ
897世界@名無史さん:03/02/11 20:29
ブーローニュ云々はイギリス本土上陸作戦を断念したことだろ?
それをどう評価するかは議論の分かれるところだろうが、
そんなことも知らない世界史板住人が二人ほどいるみたいだなw
898世界@名無史さん:03/02/11 21:09
またーりすれ
899世界@名無史さん:03/02/11 21:09
>>897
それと知力の関係は? 知力ってここじゃ教養とかの意味だよ?
900世界@名無史さん:03/02/11 21:32
>899
>知力ってここじゃ教養とかの意味だよ?
それはこのスレでの意味じゃ無く、アナタの中での意味なのよ、と人は言う。
901山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/11 23:12
楠木正成(1294?〜1336)

【統率】80(大軍ならどうだったか分からないが、少人数なら神レベル)
【武力】85(ゲリラ戦以外に、湊川でもおおいに奮戦していた)
【知力】70(後醍醐天皇と側近達よりはよっぽど)
【政治】50(土豪としてそれなりの収入を得ていたから歴史の表舞台に出る事が出来た)
【魅力】80(なんであそこまでついて行ったのかと問いたくなってしまう)

鎌倉末期にさまざまな階層から出現した「悪党」の一人。当時の悪には強いという意味
があった。元は河内の豪族であったが、後醍醐天皇に登用されて赤坂城に籠城。一旦は
逃れたが、その後も幕府の大軍相手にゲリラ戦で立ち回り、千早城に籠もった時には丸
太や大石、煮えたぎった大便まで使用してわずか千足らずの兵で護りきった。
幕府滅亡後も建武の新政に不満を持った武士たちに支えられた足利尊氏を九州に追う活
躍を見せたが、尊氏は西国の兵たちを纏め上げた大軍で攻め上ってきた。
これに対し後醍醐天皇に比叡山に逃れるなどの献策を行うも採用されず、わずか七百の
兵を率いて湊川で奮戦。一旦は敵軍を敗走させたが衆寡敵せず弟と自害した。
息子との「涙の別れ」は有名。幼名多聞丸に恥じぬ戦いの人生であった。

余談:後醍醐天皇が「楠」を連想させる夢を見て登用したという逸話がある。すると桜
の夢なら桜山慈俊が、松なら赤松円心が、笹なら佐々木道誉が登用されたのか?
882さん、如何?
902882:03/02/12 00:06
thx! 数値もイメージ通りでした。ばっちり
903世界@名無史さん:03/02/12 00:21
ふむふむ。いい感じかも。
904山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 00:23
大江広元(1148〜1225)

【統率】70(頼朝亡き後、北条氏と幕府を支えしかも用済みと始末されなかった。)
【武力】30(承久の乱の時には勇ましかったですが、学者さんですから。)
【知力】80(幕府政所別当。守護・地頭の設置を献策した。)
【政治】90(その後の数百年の日本史の流れに影響を与えたと言っていい。)
【魅力】60(失脚することなく天寿を全うした優秀な政治家。)

大江氏の先祖は土師氏で、菅原氏と源流は同じ。野見宿禰、天穂日命まで遡れる。
では本人の事跡はというと、鎌倉幕府の初期の官僚の多くがそうであったように彼
もまた京から登用されたくちであった(他に三善氏など)。はじめは公文所別当と
して、最終的には政所別当として辣腕を振るい多くの献策を行った。
頼朝、更には実朝の信頼が厚く実朝が暗殺される直前には「不吉な兆しがある。」
と言って止めようとしたが果たせなかった。なお「承久記」は実朝の最後の言葉を
「広元やある」であったと記している(同行していなかったが)。
1221年、承久の乱が起こるが、なんと彼の嫡男であった親広が上皇方について
しまう。そのうえ「十善の帝王」に弓引く事に対する不安感から消極論が大勢を占
めようとしていたが、眼病を患い出家して覚阿と称していた広元と北条政子の発言
・演説により進撃する事となり、幕府方が勝利を収めた。
1225年、政子と同年に死亡した。守護・地頭の設置献策や承久の乱時の態度、
子孫(毛利元就など)の事を考えると日本史上かなりの重要性を持つ人物。
905山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 00:27
リクエストも無かったのにやってしまって申し訳ない。この時代(中世前期)
が好きなものですから。
906世界@名無史さん:03/02/12 00:31
すまん、漏れが日本史に詳しくないからだと思うけど大江広元評は文章が
よくわからん。もうちとわかりやすく説明してほすぃ。単語の意味からして
ついていけん。でも日本史上重要なんだよね?
907世界@名無史さん:03/02/12 00:37
>>904
純粋な疑問なんだが、子孫が毛利ってのは確実なんだろうか?
毛利側のこじつけとか系譜の操作でなしに?
908山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 00:39
>906
ええ、重要です。読みやすい文章に挑戦なさって下さい(笑)。でも「吾妻
鏡」はともかく「愚管抄」や「承久記」の現代語訳があったかな・・・。
とりあえず別当=長官のことです。野見〜は殉死を止めた代わりに埴輪をつ
くる事を提案した人物。天穂日命はかつて七福神にも含まれていた神様。
守護・地頭の設置による支配ははじめは東日本限定だったようですが、承久
の乱に勝利してからは全国に行き渡ったと言われています。
それでも「本所一円地」(荘園・国衙領)からも非常時に動員出来るように
なったのは蒙古襲来の時になってからでしたが。
909山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 00:43
>907
広元の四男季光が毛利姓を名乗ったのですが、三浦義村に荷担して自害してしまい
ました。この辺の事情は(歪められていても)一昨年の大河ドラマでご存じの通り。
その際越後に居た息子が許されていましたが、安堵された土地の中に安芸吉田庄が
あった。一応信用してもよさそうですが・・・。
910山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 00:49
余談続きでも申し訳ないのですが、武田とか児玉とかいった戦国の毛利に絡
む氏族もほとんどがかつては相模とその周辺に居た面々でした。
詳しくは吉田の資料館でどうぞ(誰も行かないか)。
911世界@名無史さん:03/02/12 00:59
とりあえず「ど」の字は一回
90台、80台を封印して評価してみろ。
912879:03/02/12 01:24
む、一応断っとくが漏れは891ではないので、あしからず。

ハンニバルに関しては>>221の「ど」の字タンのが素晴らすぃし、
数値に関しても漏れは異論ない。あのころはインフレおきてないと思われる。
ナポレオンに関しては… 少々異論ありか。あっさり斬り捨てていい人物ではない。
まあやってみる。 かも。 でもいざ数値考えるのって、1単位でこだわると
なかなか難しいのう。評者の苦労がしのばれるな。
913「ど」の字:03/02/12 02:15
 とりあえず、90台は世界史的功績を上げた人の能力限定で、としてみます。
 80台も慎重に検討して国家的功績を立てた人の能力限定で、ということで。

 今回は、カエサルを憎悪し、カエサルやポンペイウスの足を等しく引っ張った政治家の論評です。

【マルクス・ポルキウス・カトー】 95〜46B.C

【統率】42(凡人並み。少なくとも、政治家のそれではないでしょう)
【武力】30(論外。何一つ実務的なことは知らないと思われます)
【知力】63(ストア哲学には親しみましたが、実務的判断力が特に優れていたとは…)
【政治】31(政治テクニックにのみ秀で、国の未来を論じることが無かった典型的愚物)
【魅力】34(市民にも同僚にも、愛されていたとは思えない。まだ過大評価しすぎかも)

 小カトー、ウティカのカトーとも呼ばれる、共和制末期の政治家。
 ローマの農地法を改正しようとしたカエサルを、長演説で妨害したあたりで歴史に顔を出します。
 とにかくカエサルの政策に纏わりつき、その足を引っ張る行動を様々に画策しては失敗、世間に失笑を提供します。
 ローマを二つに割った内戦でもポンペイウス側に付き、そちらでも足を引っ張る才能を発揮。
 ポンペイウス敗北後、ウティカにまで逃れるが、そこで結局カエサル派への面当ての為自害しました。享年49歳。

 面白いほどにカエサルに叩かれる、共和制末期を彩るギャグメーカーというのが自分の感想です。
 相手がカエサルだったからギャグになるのであって、これがスッラであったなら瞬時に処刑されていたでしょう。
 蛇足ながら、カエサルの生涯の女人と言われたセルヴィーリアは、この人の姉であります。
914世界@名無史さん:03/02/12 02:24

土方歳三

武力80         軍略(兵法)に通じており剣もかなり達者
知力70         新選組をまとめあげた立役者。
政治40         かなりモテたらしい。
魅力80
915世界@名無史さん:03/02/12 02:28
イエス・キリスト  神の使者   
武力1
知力100
政治1
魅力110
916世界@名無史さん:03/02/12 02:32
沖田総司
武力90
知力30
政治30
魅力70
917世界@名無史さん:03/02/12 03:20
詭弁家ってやつか
918世界@名無史さん:03/02/12 03:22
でも命がけの面当てってのもすごいなw
919山崎渉(^^):03/02/12 12:13
山崎渉(^^)
武力80
知力95
政治85
魅力95
920世界@名無史さん:03/02/12 17:04
915に触発され暴挙

イエス・キリスト

武力0(目には目を、歯には歯をを否定して『頬を殴られたらもう片方の頬も差し出しなさい』と宣った)
知力0(必要無い)
政治100(+∞)(現代に至るまでに世界最大の宗教であるし、数々の争いすらも生み出したそれは無論至上最強。おそらく今後も)
魅力100(+∞)(政治の項に準ずる)

処女であった聖母マリアから生まれてきたとか。
神の子か、はたして人類最強の詐欺師か。

てけとー
921世界@名無史さん:03/02/12 18:08
竹崎季長

【統率】42(大軍を率いたわけではない、凡人よりちょっと上くらいか?)
【武力】60(勇敢だった、文永で先駆けの功績がある)
【知力】40(たしなみ程度はあったと思うが、知性を発揮した記録があまりない)
【政治】45(褒美の肥後国海東郷を大事大事にしたらしい)
【魅力】52(「頑張れば報われる」彼の行動は他の武士の希望になったそうだ、
残した絵詞の史料価値が極めて高いのでボーナス)

1246年生、没年不詳、肥後国の御家人
武士とはいえ、もともと土地・財産のない身だった
文永の役のとき、少弐景資のもとで戦功をあげ、その恩賞として肥後国海東郷(現熊本県小川町)
の地頭に任じられる。その後、弘安の役でも敵船に乗り込むなど活躍
戦役後、「蒙古襲来絵詞」に戦功を描かせる。これは世界史上に残る極めて貴重な史料となった。

ちょうど鎌倉時代がネタにされているのでカキコ
922山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 19:04
熊谷直実(1141〜1207)

【統率】40(あの混乱の中で負け組につかないようにしてくれた大将。)
【武力】70(敵陣に真っ先に乗り込んで平家一門の人間の首をとった。)
【知力】50(出家は突発的ではあったが、機を見るに敏であった。)
【政治】40(一応地頭職にあったという程度。)
【魅力】65(あまり考えが深くは無かったが、それだけに真剣さが感じられる。)

通称は次郎。保元・平治の乱では源義朝に与したがその後は平家に仕えた。1180
年の石橋山の合戦では源頼朝を追いつめているが、その後頼朝に臣従。一ノ谷の合戦
では霊笛青葉の笛を所持していた若武者平敦盛を殺害している。
息子と同じ年代の青年を殺害した衝撃から出家・・・というのがよく知られた話であ
るが、実際には叔父との土地争いに対する裁定への不満から世を儚んでの事であった。
上洛して法然上人の弟子となって後は念仏一筋。頑固というか純粋というか、東へ行
く時には馬の背に後ろ向きに乗って西方を拝んでいたという話がある。

竹崎さんが出たことだし、書き込みも無いようだしいいでしょう・・と書き込み。
923921:03/02/12 19:15
おお、名のある方が早速書き込んでいらっしゃる(恐縮)
三戦板は戦国〜安土桃山中心で居場所が無いのよね〜
924山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/12 19:21
>923
今の日本史板も半分以上は似たようなものです。で、この板を利用させて戴いてい
るわけでして。
925921:03/02/12 19:35
>>924

レスありがd
日本史板も三戦板も好きなんですが、前者はネタスレがあまり好まれないのと、
後者は時代限定なので、話題に幅のある世界史板を選びました。
鎌倉〜室町前期、平安以前のネタ話はここがよさそうです

世界史板の皆の衆、sage進行するから居させてくれい(w

前に三韓時代ネタがあるので、飛鳥時代も探ってみようと思っております。
926世界@名無史さん:03/02/12 21:24
いきなり数値が低くなりだしました。
もともと人物に数値なんてつけようがないんだから、気にすることなかったんじゃ・・・
それにそれぞれの時代によって戦法も兵器もちがうんですよ。
だから呂布とナポレオンなんか比べられないでしょう。
武力に注目したって肉弾戦の強さと将としての強さなんて比べられません。
比べるとしても、こういうのはほぼ同じ時代の人物どうしでしか比べようがないです。
だから剣や槍が強い奴と銃や大砲を使うのが上手な奴を武力という文字だけでは
比べられません。そこを無理やり数値化しようとしてるんだからある程度ズレが生じるのはしょうがないでしょう
927世界@名無史さん:03/02/12 21:31
>>920
ネタにレスするのもアレだが。

イエス・キリストは政治力は100ではないと思う。むしろイエスよりも
パウロの方が政治力は非常に高いと見るべきじゃないのか。
イエスは結局ユダヤ人の枠の中での布教であったが、
パウロは非ユダヤかに尽くし、世界宗教への礎を築いた。
928世界@名無史さん:03/02/12 22:06
イエス・キリスト
武力10(0なんてありえない)
知力70(人々に説くのだからこのくらいは必要)
政治15(キリスト教が政治と関わったのは後の世のことであって彼自身はむしろ避けたのでは?)
魅力105
>926 そーだね・・・
929世界@名無史さん:03/02/12 22:40
>>926
だけど、普遍性というものもあると思う。
どれほどその時代において新しい戦術や兵器を発明し、採用したかという
「先見性」。
更に、純粋な(本人が指揮官として参加した)戦争の勝敗。
武力に関して公平性を期すなら、こっちの方の評価を中心にするべきかと。
930世界@名無史さん:03/02/13 00:36
>>929
んむ。926が言ってることはわかるけど、それ言っちゃおしまい。
それに個人的武勇と戦略で明らかに違うときは注釈でもつけりゃいいだけのこと。
歴史上の人物にただただインフレ数値をつけまくるんじゃ萎え萎え。
931世界@名無史さん:03/02/13 11:02
ここの1は今どこに…
932世界@名無史さん:03/02/13 18:58
バシレイオス2世(マケドニア朝ビザンチン皇帝)

【用兵】90
【武力】79
【知力】87
【政治】74
【魅力】52

ライバルだったブルガリアを壊滅させ、北の国境をローマ帝国時代の物である
ドナウ川近辺まで戻し、イタリアでも神聖ローマ帝国に対して優位を保ち
ユスティニアヌス帝以来の第二の最盛期を創出。軍事の才においては
歴代皇帝の中でも随一と思われるが、度々戦争していたにも係わらず、死後に
莫大な財産を遺す事が出来た事から、政治力もまずまずあると見た。ブルガリア
人の捕虜1万5千人の目を悉く潰したという話があるために魅力は少し低め。
933世界@名無史さん:03/02/14 01:19
やり直し(というか数値のつけ直し)はいいんだろうか?
以前ちょっと揉めたヴァレンシュタイン評をやってみたんだが。
934世界@名無史さん:03/02/14 03:15
>933
漏れは他の人の評価も見てみたいので、是非とも。
935世界@名無史さん:03/02/14 03:24
>933
いいんじゃないの。異なる視点からの評価も見てみたいし。

ちなみに「ど」の字のヴァレンシュタイン評は>>495-496
その後、ツッコミにより>>503で以下のように訂正。
【統率】78→83
【武力】91
【知力】66→72
【政治】89
【魅力】57
936933:03/02/14 10:49
ということでやります。注釈長め・・・

アルプレヒト・ヴェンツェル・フォン・ヴァレンシュタイン(1583-1634)
【統率】85(金と生存と出世のために集まった傭兵たちをまとめ上げる能力はあった。暗殺で部下に裏切られたので減点)
【武力】89(皇帝軍総司令官に相応しい能力は持っていた。ただしグスタフ・アドルフと違い、新戦術を開発したわけでもないので90以上はつけがたい)
【知力】87(若い頃にはイタリアに留学し、天文学にも関心があった。彼の創設による軍税制度が、ハプスブルク家における常備軍の基盤となったことも評価)
【政治】71(諸侯の反発を買って総司令官を罷免されたり、部下に裏切られて暗殺されるなど、この方面は他に比べて落ちる)
【魅力】85(彼の暗殺を扱った論文は三千を超え、シラーが彼の名を冠した戯曲を書くなど、後世における魅力は高い。また傭兵たちへの金払いも良かったようだ)

 ボヘミアの、プロテスタントの小貴族に生まれる。若い頃に
カトリックに改宗し、イタリアに留学。ここで傭兵隊長としての
立身出世を夢見たようだ。
 その後故郷に帰り、金持ちの未亡人と結婚して将来のための資金を得る。
折しも始まった三十年戦争で、兵士を集めるための資金難に苦しむ皇帝
フェルディナント二世に接近し、莫大な金を貸し付けると同時に自身も
五万以上の大軍を擁する傭兵隊長・皇帝軍総司令官となる。
 彼が占領地で略奪をしない代わりとして課した軍税が、
後のハプスブルク家における常備軍の基盤となる。だが直接的には、
その租税が様々な波紋を広げ、1630年の諸侯会議において
皇帝軍総司令官を解任される。
 ちょうどその頃、スウェーデン王グスタフ・アドルフ率いる軍が
ドイツに上陸。グスタフ・アドルフにティリーが敗れたあと、
1632年に皇帝軍総司令官に復帰。その年十一月にリュッツェンで
グスタフ・アドルフ率いる軍と激突し、グスタフ・アドルフは
戦死させるも戦いそのものには敗れる。
                  (続く)
937933:03/02/14 10:52
 その後、総司令官復帰の際に手に入れた条件を盾に和平を推進し、
最後にはフェルディナント二世に謀反の疑いをかけられて暗殺された。

 なお、彼の暗殺に関してはそれから一世紀以上あと、フリードリヒ
大王がヨーゼフ二世にその事件の真相を尋ねたところ、「先祖の
フェルディナント二世の名誉と廉直に疑義を差し挟むことは出来ない」
と答えたというから、どうやら少なくとも「客観的に見て確実な証拠で
もって、彼の謀反を認定して暗殺を命令したとは言い難い」というのが
実情のようだ。

 出生に関してはどうにもならないので言うべきことではないが、
もし彼が生まれながらの帝国諸侯だったら、と思うと惜しまれる人物。
それがそもそもの不幸だったような気がしてならないのだが・・・。
                       
938世界@名無史さん:03/02/14 11:03
始皇帝の統一政策が、中国の歴史上の大きな分岐点だったんですか
郡県制 思想 文字の統一が、やはりでかかったんですね
939世界@名無史さん:03/02/14 11:19
ヴァレンタインの日にヴァレンシュタインの再評価か。
……しょーもなくてスマソ。
 
確かにスタート段階が違えば……と思わせる物がある人物ではある。
940933:03/02/14 11:20
>>935-937
「どの字」さんとの評価は「魅力」で一番違うのかな。
あと「政治」と「知力」がほぼ逆転。

敵からは憎まれるのが当たり前なので、敵の評価は
あまり参考にはしなかった。

略奪を禁じた代わりの税、というのは手段としてかなり巧妙で、
ティリーあたりに文字通り略奪されるよりはましだと感じた
人もいただろう(払えば家を燃やされずに済むし)。

あと、政治方面は味方に対する工作が苦手そうだったので下げた。
941世界@名無史さん:03/02/14 14:02
ショコラトルの日ですよ。
942世界@名無史さん:03/02/14 17:55
なかなか説得力ある評だけど、「魅力」って後世の魅力もはいるんかのうw
943世界@名無史さん:03/02/14 18:47
>>942
このスレの「魅力」は、原則として当時の部下・市井の風評から考えられているようで、
それが適切かと思います。他のパラメータは後世の評価も加味されていますが。
944世界@名無史さん:03/02/14 21:54
足利義満・義教親子はどうでしょうか?
義教は個人的に日本史限定なら政治100あげても良さそうですが、、、、
945世界@名無史さん:03/02/14 22:07
「ど」の字たん何処行った。
946世界@名無史さん:03/02/14 22:16
>>943
生存当時に限定したら、カエサルだって100は行くまい。
少なくとも共和派には嫌われていたから殺されたわけだし。
暗殺されたから魅力が高まったとすれば、
それも評価に入れるべきかと。
947山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 00:05
足利義教(1394〜1441)

【統率】80(将軍直属の奉公衆を強化。刃向かうものには徹底した弾圧で望んだ。)
【武力】70(直接戦ったわけでは無かったにせよ、「強かった」。)
【知力】60(決断力と実行力に溢れていたが、詰めが甘かった。)
【政治】80(将軍権力の強化を目指し、敵となったものは全て排除した。)
【魅力】20(おっかないのなんの。世人は皆恐怖したという。)

足利義満の第四子。出家して青蓮院に入っていたが、くじ引き(出来レース)で選
び出されて第六代将軍となった。将軍となってからは直属の奉公衆を強化。出る杭
は打ち、出ない杭は引っ張り出すようにして排除していった。勘合貿易も復活。
中でも鎌倉公方・足利持氏を討った(永享の乱)とその遺児を奉じた結城合戦(共
に1438年)は有名。比叡山とまで合戦に及び、金輪院弁証らを切って僧兵らを
焼身自殺に追い込んでいる。なおこの事を言いふらした者は首を切られた。
まさに恐いもの無しであった将軍義教。だが1441年、鴨見物に誘われた赤松満
祐邸において討たれ(嘉吉の乱)、以後将軍権力は弱体化の道を辿った。
冷酷な人物とされる事が多いが、二木謙一氏のように評価する研究者も存在する。

余談:義教が討たれた時に山名持豊(後の宗全)もその場に居合わせたが、さっさ
と逃げ出している。だが結果的に赤松を討って山名氏の勢力を拡大した。
948世界@名無史さん:03/02/15 00:20
こちらのスレの熱気に引かれてやってまいりました。
私も書かせてもらいましょう。

第一回(二回目以降があるかどうかは、きわめて微妙ですが)は、石田三成(1560-1600)です。
【統率】82(大軍の兵站や、幾多の行政事務を指揮し、常に職務も全うした。また、関が原では十倍以上の敵兵の攻撃を半日にわたって支え続けた)
【武力】69(天下平定戦では少なくない武功をあげている。関が原での勇戦ぶりを見れば、勇敢で粘り強い戦いをする指揮官だったと思われる)
【知力】78(頭の回転が速く、機知を示すエピソードが多い。また、小大名ながら、十万の大軍を集め、家康を死地に誘い出した戦略能力は評価すべき)
【政治】47(頑ななまでに筋を通す人柄が、政治家としての選択肢を狭めたように思う。関が原では内部調整に失敗し、せっかく集めた大軍を生かしきれなかった)
【魅力】80(領内では善政を敷き、領民に慕われた。士を愛したため、多くの武功の士が彼の元に集った。一緒に仕事をした事のある武将の多くが、不利を承知で彼と運命を共にした)

若い頃から秀吉に従って各地を転戦し、賤ヶ岳では先鋒部隊に所属して一番槍の功績をあげるなど、もともとは軍人だったらしい。
1584年以降は官僚としての仕事が多くなり、太閤検地をはじめとする秀吉の政策のほとんどに関与。
朝鮮出兵では、李朝との講和、遠征軍の撤退という難題を解決してみせた。
秀吉が死ぬと豊臣秀頼を守り立てようとするが、天下に野心を抱く徳川家康と対立。
声望、兵力ともに大きく劣っていたが、諸大名を組織して、関が原にて天下分け目の決戦を挑んだが、敗れて処刑される。
949山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 00:36
足利義満(1358〜1408)

【統率】90(失敗らしい失敗が思い当たらない。しいて言うなら息子の教育か。)
【武力】70(山名・大内・斯波などの有力大名の勢力を削った。)
【知力】95(大名家から朝廷まで、分裂させるのが得意。しかし息子は・・・。)
【政治】90(南北朝合一を計って成功させた。天皇になることが出来たか。)
【魅力】50(この当時公卿らの間に義や満の字を我が子につける事が流行った。)

足利義詮の子。1374年に京の室町に「花の御所」こと室町第を建てて移った。
1392年に南北朝の合一に成功。1394年12月17日に息子義持に将軍位を
譲り、同25日に太政大臣に。1395年に出家した。1398年にようやく北山
第(現鹿苑寺)に移る。百王説を流布し(後小松天皇が百代目)、勘合貿易を行っ
て1404年に「日本国王」に封じられるも、51歳であっけなく病死。
名実共に父の跡を継いだ義持は勘合貿易などの義満色を薄めていった。

余談:一休さんやジャンヌ・ダルクと同時代の人物といえば分かり易いか。世阿弥
らを保護して所謂「北山文化」を創出したことでも知られるが、鹿苑寺は応仁の乱
の際金閣を残して焼けてしまい、金閣も昭和に放火により全焼してしまった。
950山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 00:44
>948
世間の評価は低すぎますが、ちょっと高すぎませんか。地元の方ですか。
951948:03/02/15 01:05
>>950
むしろ控えめに採点したつもりですが。

三成は家康より圧倒的に不利な状況から出発したのに、
最終的には、ほぼ同数の兵力を集め、天下を争って見せました。
また、島左近、蒲生郷舎といった戦国生き残りの猛者を心酔させ、
外様ばかりの家臣団で、全軍玉砕に近い壮烈な戦いぶりを展開したほどの人物が、
ただの切れ者の官僚であるとはどうしても思えませんでした。
そういう思いから、三成のデータを自分で作ってみようと思ったのです。

P.S
この数値が、家康の評価であれば、あなたは低すぎるように思うのではありませんか?
952山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 01:08
>951
家康と三成は同列には論じられないでしょう。魅力は味方(主に家臣)の目
から見たものでしょうが、嫌われていたのも確かなのではありませんか。
953948:03/02/15 01:27
>>952
文治派と武断派の対立は、立場の違いによる対立であったと思います。
三成が武断派に嫌われたのは、対立派閥の中心人物であったからであり、
人格的な理由は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類の後付けだったのではないでしょうか?

家臣や友人の多くが関が原で死ぬまで戦い続けたことを思えば、
カリスマでは無いにせよ、十分に個人的な魅力を備えた人物であったとは思います。
身内であろうと、平凡な人間のために死ぬまで戦うなんてことは、ほとんどありませんからね。
武士は主君に殉じるものであるという観念の薄い時代ですから。
954世界@名無史さん:03/02/15 02:03
>>949
息子は方向が違うだけで、無能という訳ではないと思うのだが。
955世界@名無史さん:03/02/15 02:19
>山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
おまえは第二の「ど」の字か?
正直インフレ数値ですぎ。
足利義満なんて、正気の沙汰とは思えない。

ここは世界史板ですよ?
956世界@名無史さん:03/02/15 03:07
>955
「ど」の字たんは極めて適確であったと思うが。
949の足利義満の数値は確かに高いが、しかしそう大騒ぎしなさんな。

つーか、正しい日本語を学んでくれ。
957世界@名無史さん:03/02/15 03:12
>>955
>ここは世界史板ですよ?
つっこむ場所が違う気がするが。俺なら「納得できる論拠を示せ」
かね。90以上与える場合は(そして、納得できない人が多いだろうと予測される場合は)
そう判断するまでに至った理由(文献+主観)がほしいところ。
別に世の一般的評価が低いからってそれに迎合する必要はないと思う。
新鮮な意見が多いのがこのスレの良いところだと思うし。

>>949に苦言を呈すと、
>【統率】90(失敗らしい失敗が思い当たらない。しいて言うなら息子の教育か。)
これとか凄さが全然伝わらなくて説得力に欠ける。
958世界@名無史さん:03/02/15 04:47
>>957
まあ同意。ただ世界史板ってのはやっぱ日本史限定と世界史でやれば
数値が違ってくるということを言ってるのだと思う。漏れもそう思う。
正直、足利義満であんな数字でるんなら100超えるやつがいくらでもいるんと違う?

世界史的に比べるつもりがないんならやっぱ日本史板でやったら?
959特急ありあけ921号:03/02/15 08:53
能力値のインフレが話題になっていますが、ならばインフレにふさわしい人物をネットで捜してみました。
西洋や日本は既出ですので、少々マイナーなところから
(日本史ネタも好きですが、まあ世界史板ですので・・・話は折りたくないのでsage)

アクバル大帝

インド・ムガール帝国第3代皇帝(1542〜1605、位1556〜1605)
イスラム教徒の父の急死によって14歳で即位。
即位当時は豪族(ヒム・・・デリー付近を支配)の反乱やペルシア軍の侵入など、領内は混乱しており、
その鎮圧が初仕事となる。
ヒムは商人カースト出身ながら22回もの戦で負け知らずという猛将で、即位時も1,500頭もの
戦象部隊を率いていた。大帝は苦戦しながらもこれに勝利、北インドの支配権を確立した。
さらにアフガニスタンのカーブルやデカン高原に兵を進めて支配領域を拡大し、
ムガール帝国はアクバル大帝の時に最盛期を迎える。

内治について、豪族・貴族らを政府官僚へ吸収して整備された官僚制を構築。
全国を州・県・郡に分けて中央から官吏を派遣して統治させた。
なお、彼らには土地を与えず、国庫から給料を支給して封建領主化を防いでいる。
また全国の耕地を測量させて面積に応じて課税し、良質の銀貨を鋳造して貨幣を統一して財政の確立に努めた。
文化にも深い理解と造詣を示し、彼の保護の下、独特のムガール文化が発達した。

インドといえば激しい宗教対立だが、大帝はイスラム教徒とヒンドゥー教徒との融和をはかり、
ヒンドゥー教徒(ラージプート族)の王女を王妃に迎え、ヒンドゥー教徒に対する差別待遇を廃止、
差別的待遇の象徴とも言えるジズヤ(人頭税)を廃止した。
960特急ありあけ921号:03/02/15 08:53
と、ここまではいいのだが、理想主義の大帝は両教徒のさらなる融和を目指すべく、
皇帝を神として、イスラムとヒンドゥーを融合した新宗教(ディーネ=イラーヒー)を創設する。
・・・人民の心理にも伝統にも基礎を持たない人為的な宗教が受け入れられる訳がなく、彼の死後、急速に廃れた。
融和のための新宗教とはいえ、人民からみれば異教の押しつけにすぎなかった訳である。

【統率】92:(まとまりが悪いインドを一時的にせよ統一している、神レベルとしたい)
【武力】81:(その人生は戦争の連続でもあった、インド帝国最大の版図を得ている)
【知力】85:(政治改革を成し遂げる構想力と実行力、宗教勢力を抑える説得力を裏付ける知力はあったと思われる、
しかし新宗教の失敗でわかるように、いささか理想に傾倒していたのかも)
【政治】94(官僚制構築、検地、貨幣統一、宗教紛争の沈静化など、インド史上における功績は数知れない、
ジズヤ廃止という大減税をおこなったにもかかわらず、国家財政は豊かであった)
【魅力】70(「大帝」の名前にふさわしい数値にしたかったが、やはり宗教関係の失敗が・・・・、理想主義者は敵も多い)
961山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 10:33
石田三成の場合、知力や統率力が高ければ日和見や裏切りなど出さなかったと思う
のですが。魅力もまた然り。
足利義満は息子が悪いというわけではありませんが、なんというか反発し過ぎてい
たきらいがありましたので。能力が高すぎると言われましたが低くする理由があま
り思い当たらなかっただけの事です。
とりあえず当分書き込みは止めておきましょう。
962933:03/02/15 11:14
>>961
「低くする理由が思いあたらない」という程度なら
80台で調節すればいいと思うんだが。
あと、三成に関しては、日和見や裏切りは政治の方の数値だと
思うんだが、どうだろう?
政策に関しては「知力」だろうけど。
裏切りといっても、所詮は同僚の大名たちだからね。
部下に裏切られるのとは相手が違う。
963山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 11:25
>962
配陣は理想的。しかし実際に機能しなかったあたりやはり「机上の空論」を
ふりかざしていたと言えないでしょうか。忍城を水攻めにした時も結局落と
せませんでしたし。
出典が分かりませんが、落とせなかった理由を言い訳する三成に対して秀吉
は「それなら敵に向かって『この城は(計算通りなら)落ちる筈であるから
落ちよ。』と言ってやれば良かったでは無いか。」と皮肉られたという逸話
があります。
それと「本当の巧者は目立ったことをせず目立った失敗もしなかった」人物
では無いかと。別に義満が世界史上を見渡して上位に位置するというわけで
は無く、90代が何人も居てもいいくらいに考えられたので。
逆に華々しい活動を行ったわりに・・・という人が居ませんか。
964山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 11:34
まあ「目立ったことをせず」には義満は当て嵌まりませんが・・・。
965世界@名無史さん:03/02/15 11:39
山野野衾はアナクロな漢籍の読み過ぎで神経が麻痺してるらしいからな。
世界史と日本史の区別もようつかなくなっとるんだよ。
966山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 11:43
>965
それは言える・・・。
967世界@名無史さん:03/02/15 13:25
足利義満

【統率】76
【武力】65
【知力】75
【政治】82
【魅力】50

このくらいでも良いかと
968世界@名無史さん:03/02/15 14:39
>とりあえず当分書き込みは止めておきましょう。

この一時間後に書き込み再開する山野野衾に激しく萎え
一つ言っておくと、関が原の布陣は諸将が空いているスペースを
探しているうちに、「偶然」なったようなもの。
決して三成の計算どおりじゃないですよ?
基本的には933の姿勢に同意。
969世界@名無史さん:03/02/15 16:26
>>967に賛成。これくらいでも充分優秀。
970世界@名無史さん:03/02/15 17:26
世界史って、ヨーロッパで何カ国か舞台にすればそれで「世界史レベル」なんすか?
評点の疑義は読んでても面白いが、これは世界史じゃないとかいう頭悪い書き込みは
勘弁してくれや。

971世界@名無史さん:03/02/15 18:18
武力等は日本史における野戦のトップクラスの家康とハンニバルが戦ったとしたらとかを妄想してみるのがいいんじゃないかな?
あと絶対値がないから100段階で付けるのは難しそうだ。
10段階ならもうちょっとやりやすいかもしれない。

ジャンヌ・ダルク
統率 7 (腐った王太子派の将兵を立ち直らせたのは素晴らしい)
武力 4 (戦闘力で劣る兵で素人ながらよく頑張った。戦素人ゆえの砲の使い方も+)
知力 1 (すべては宗教的情熱で動いたために思慮浅く)
政治 1 (実直すぎたので王太子派が盛り返すとトカゲの尻尾切りよろしく)
魅力 10(数々の貴族や兵そして王太子の心を動かした)

魅力maxがやりすぎかもしれないがそこは個性を出すための誇張表現なので
972世界@名無史さん:03/02/15 18:26
世界史って、ヨーロッパで何カ国か舞台にすればそれで「世界史レベル」なんすよ。
評点の疑義は読んでても面白いが、地元の方ですかとかいう頭悪い書き込みは勘弁してくれや。

973世界@名無史さん:03/02/15 18:41
>968
光成を書いたのは山野野衾たんでは無いと思われ

AC146前後のローマの発展よりAC221の始皇帝の中国統一の方が劣るのか?
東洋は総じてレベルが低いとでも?
974世界@名無史さん:03/02/15 18:52
>973
横から口出しスマソだが。
古代ローマと戦国中国では歴史に対する個人の力の影響具合が異なると思うのだよ。
ローマのシステムの中で個人が政治家と軍人を兼ねていた世界と、既に文官と武官の
別が立てられ始めていた中華世界とでは、個人の能力の発揮され方が違う。
始皇帝は統治者として優れていたが軍人、行政官としてどうよ、と問われれば疑問でそ?
国家としての能力を君主に集約して数値化すれば、始皇帝はカエサルにやや劣り、スラと
肩を並べる程度に評価できるとは思う(戦争についてはちょと劣るかも)
975世界@名無史さん:03/02/15 19:03
私は>>948さんに全面的に賛成ですね。
家康のような保守的(独創性に乏しく小心者)な人物にさえ高い数値をつけているのならば
石田三成には、それに匹敵、あるいは上回る数値をつけてしかるべき。(運と領土と狡猾さ
だけは家康の方が上)。また、家康のように悪逆非道の行為をなした人物であれば憎まれ
て当たり前であるが、三成、島左近、真田父子は当時から人気も高く、それだけの魅力を
備えた人物である事は間違いない。>>948さんのご指摘のとおり、関が原に東軍を圧倒する
兵力を結集させた手腕(戦略的才能)は同時代からずば抜けているといえるだろう。
976948:03/02/15 19:07
>>961
関が原で西軍を裏切ったのは、利に釣られて集まって来た人々でした。
彼らは元々三成と同格の大名ばかりで、三成の指揮権に無条件で従う立場ではありません。
このような人々を動かすのに必要なのは、統率力や個人的な魅力ではなく、政治力です。
三成は高潔な人物で、多くの人を引き付けましたが、清濁併せ呑む政略は不得手でした。
それ故に内部調整に失敗し、日和見を許してしまったのです。

三成の指揮権を認めていたと思われる部隊は、西軍の半数程度でした。
彼らは数的劣勢にも関わらず善戦し、松尾山銃撃という苦し紛れの策を使わざるを得ないところまで家康を苦しめました。
歴史にIFは禁物ですが、全軍が三成の指揮権を認めている=統率力の影響が及ぶ部隊だったら、
関が原は違った帰趨をたどっていたように思います。
977948:03/02/15 19:24
>>963
関が原の戦いは、綿密に作戦が練られた戦いではなく、遭遇戦でした。
おそらく、三成と家康の双方にとって、不本意な状況だったでしょう。

また、忍城の水攻めは、三成の戦下手を象徴するエピソードとされていますが、
現在残っている当時の書状によると、忍城を水攻めにするという作戦は秀吉が立案したようです。
秀吉は頻繁に三成に書状を送り、後方から作戦指導を行っています。
しかし、忍城は水害にきわめて強い場所に建っており、
誰が指揮を執ったとしても、水攻めにすることは不可能でした。
無理な命令を押し付けられて当然のように失敗し、
戦下手呼ばわりされるのは、三成にとって不本意きわまりないことでしょう。
978世界@名無史さん:03/02/15 19:39
だれか次スレ立てて。
まあ、このスレは三成論で埋め立てていいよ、次スレには持ってこないでね。
あと山野野衾さんの評価、好きですんで次スレでもよろしくお願いします。
979948:03/02/15 19:58
>>978
新スレ立てようと思ったんですが、私のホストからは立てられないみたいです。
これじゃ、二回目が書けませんね。
今度は世界史板にふさわしいネタを用意しておりますので、
よろしくお願いします。
980世界@名無史さん:03/02/15 20:07
しかし良スレだ。
981948:03/02/15 20:16
>>971
家康は既存の戦術の範囲内での戦上手であり、
歴史そのものを塗り替える軍事的業績をあげたわけではありません。
戦史に不朽の名を刻む軍事的天才ハンニバルには、見劣りするように思われます。
982世界@名無史さん:03/02/15 20:19
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045307937/
立てました、移行よろしく。
983世界@名無史さん:03/02/15 22:16
スレまとめ。統率−魅力の5能力+能力注+列伝の物のみ。
再評価などは列伝なしでも載せた。

>>2 ヘラクレイオス
>>41 ベリサリウス
>>56 ノストラダムス
>>67 ルイ・ニコラ・ダヴー
>>177 徳川家康
>>179 ヴェスパシアヌス
>>188 ラブレンティ・ベリヤ
>>191 チャーチル
>>192 アグリッパ
>>193 アウグストゥス
>>194 金大中
>>207 金春秋
>>208 明治天皇
>>213 李舜臣
>>216 厩戸皇子
>>217 金允侯
>>221 ハンニバル
>>223 大スキピオ
>>227 小スキピオ
>>234 マリウス
>>241 ヴェルギンゲトリクス
>>259 アレクサンドル・ネフスキー
984世界@名無史さん:03/02/15 22:17
>>261 スッラ
>>262 ポンペイウス
>>264 ルクルス
>>265-267 キケロ
>>271 キケロ弟
>>289 アントニウス
>>303-304 金庚信
>>308 クレオパトラ
>>309-311 ユリウス・カエサル
>>312 エパミノンダス
>>313 フィリッポス2世
>>314 アレクサンドロス
>>355 アイゼンハワー
>>374-376 李承晩
>>385 金聖柱
>>387-388 フレグ・ハン
>>404-405 フリードリヒ2世
>>407 魏徴
>>409 李世民
>>420 ベリサリウス
>>439 朴正煕
>>447 朴正煕
>
985世界@名無史さん:03/02/15 22:18
>>452 シャルル6世
>>460 金通精
>>462-464 グスタフ・アドルフ
>>474 陳慶之
>>495-496 ワレンシュタイン
>>497-498 ルイ14世
>>502 全斗換
>>510 李蔵用
>>514-515 ネルヴァ
>>517 カール12世
>>526-527 クラウディウス
>>528>>531 ネロ
>>532-534 劉備
>>535-536 諸葛亮
>>538 近肖古王
>>541 関羽
>>562 孫晧
>>576 アレクサンドロス
>>581 ミカエル8世
>>586 階伯(ケベク)
>>620-622 伊藤博文
>>707-708 安重根
>>709 李完用
986世界@名無史さん:03/02/15 22:19
>>718 三浦吾楼
>>730 三浦吾楼
>>732 マリア・テレジア
>>759-760 マルクス・ブルータス
>>770-772 トラヤヌス
>>782-786 ハドリアヌス
>>794 ジュチ
>>795 バトゥ
>>797-798 フビライ
>>799 トゥルイ
>>809 チャガタイ
>>810 大カトー
>>816-817 北条時宗
>>833 北条時頼
>>838-839 北条泰時
987世界@名無史さん:03/02/15 22:19
>>857 呂布
>>867 関羽
>>901 楠木正成
>>904 大江広元
>>913 小カトー
>>921 竹崎季長
>>922 熊谷直実
>>936-937 ワレンシュタイン
>>947 足利義教
>>948 石田光成
>>949 足利義満
>>959-960 アクバル
988983:03/02/15 22:31
>>983訂正

>>7 ヘラクレイオス
でした。まあ1もヘラクレイオスといえばそうだが…

他、スレ序盤で多数あった「統率」の代わりに「用兵」を入れてある
ものは入れてません。ご容赦を。特に山野野衾氏。
989特急ありあけ921号:03/02/15 22:59
>>987

ローマ史と日本史に偏っているような気がするな・・・

以外に朝鮮半島の人物が多いのね
あまり荒れていない。良スレです
990世界@名無史さん:03/02/16 00:25
ムルワカ(1968〜2005)

背100
ごますり96
武力98    

稀代の政治家MUNEOにあやかったカス
MUNEOが逮捕されたあとは格闘家に転身
その才能の多彩さを示す。
991世界@名無史さん:03/02/16 00:53
>>983
(・∀・)イイ!! 仕事したね!感謝。
992世界@名無史さん:03/02/16 01:15
埋め
9931 ◆DPvZRJ5eF2 :03/02/16 01:32
>>983-987
漏れに代わりまとめありがとう。しかしこのスレ育ったなあ。
「どの字」氏の功績は絶大だな。
994ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :03/02/16 01:32
名前訂正
995世界@名無史さん:03/02/16 10:38
アドルフ・ヒトラー

【統率】54
【武力】69
【知力】73
【政治】87
【魅力】89
996世界@名無史さん:03/02/16 10:42
次スレは?
997世界@名無史さん:03/02/16 11:48
>996
>982
998世界@名無史さん:03/02/16 12:05
0
999世界@名無史さん:03/02/16 12:05
田代
1000世界@名無史さん:03/02/16 12:06
まさし
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