1 :
世界@名無史さん:
オランダについてのスレはありますが、ベルギー、ルクセンブルク
についてのスレが無いので立てました。
ベネルクス三国に関連することは何でもここで。
今や!あたしが2番ゲットやー!
.,''"'' -- ,,__
{ __ つ
i .r' " /
(;;ソ 、 ,イ .| |/i /::..::..
ヾ'.v..'―- ,,_ _,,, ----- ,,,_ /::.i __,,,,,} |::..::../::..::..::..
,,ィ'"::::::::::::::::::::::::`..、 , -' ` .、/V::..::..レ'"/:::::j i::..::..::..::..::..::..
、;;) ;;::) /::;:ィ/i::::::::::::::::::::::'.、....................... ヽ;;;;::..::..::;;;;;;;;;;;;;;;{__ i----::./
\ ,イ '' レ':{⌒ .!:ト::::::ヽ:::::::::::'.、:::;;;;;;;;;;;;:::::: `、二,,___________从ヽ }:::::::/::::::::::::
ヽ\,|\ ,,/::| ,,/{/,':::iO ''!弋!Vヾ::::::::::::ヽ "'''''''`::、:::: ', / __ノ::..ヽ-'-/:::::
__ヽ::..::..::..i::..::..7-------!::ノ 〇 i:::::::iヽ:::::::::::ヽ, '., }ィ--''::"::..::..::..::.. ̄/:::::::::::::::
>`::\|,,|:!,ッ__i__i|____/|_!::{ r ,_ .i::::::::jノ::::::::::::::::ヽ、 .} .ノ ,'::,,--イ;;::..::..::..::/:::::::::::::::::::::::
Z::..::..ヽ::::::7 /V::`-'::.|/{`...'、 'l,, |::::;;;i ヽ;、:::N`---` ノ/'"//ノ;;;ニ=--::.;;::-::'':::::::::::::::__,,::::::::::::
ー----;;|ヽ /::..::..::..ノi::..:/ ̄ ̄~-'"^` /_ -ヽ/(ノ''"i/::::::::::::`/;;;;;;;∠===二;;;;;-----'' - ,,-- ,,;;;;
冫::..::|、//:/::..::../"~(_,, - ''"::::/::..:(:::::::::::::::::::::::::::::、::::ヾ ヽ  ̄
ヾ、;;<;;;;;;;;;;;;;L;;/;;;;;;;;:::::::::::::::::::::(::..::..::..::..`,;;;;;;;;;、;;;Λヾ ̄ ̄ ずざ〜〜〜〜〜っ!
3 :
世界@名無史さん:02/07/21 21:07
ベネルクス三国って中韓日みたいなもん?
4 :
世界@名無史さん:02/07/21 21:13
独立心旺盛なロタリンギアで独立を実際に達成してる地域か。
5 :
世界@名無史さん:02/07/21 21:58
ベルギーはフランスに属するのが適当だ。
オランダは解体してドイツ連邦に組み込まれるのが適当だ。
これが本来あるべき歴史だった。
6 :
世界@名無史さん:02/07/21 22:21
>5
旧ブルゴーニュ公国の地域は独仏からの独立心が旺盛だからねぇ。
いっそブルゴーニュ公国を復興するか。
7 :
世界@名無史さん:02/07/21 23:31
8 :
世界@名無史さん:02/07/22 10:57
>>5 ベルギーのワロン系の人々はフランス復帰運動をやってますね。
ナポレオン時代にベルギー南部はフランスの領土になって、県も設置されたから。
9 :
世界@名無史さん:02/07/22 19:36
>>6 ブルゴーニュ公家って、フランス王家の分家だったんですよね?
ホイジンガの『中世の秋』で有名ですが。
10 :
世界@名無史さん:02/07/23 17:54
ルクセンブルクは小国ながらヨーロッパでもっとも豊かな国のひとつ。
理由は金融立国だから。
ロンドンやフランクフルトのように正統派の金融センターとしての機能の上に、
スイス銀行のような秘密厳守のシステムもある。
第二次世界大戦では中立国だったにもかかわらず、ドイツにあっさり占領され、
第三帝国崩壊の過程ではすさまじい戦火の舞台に何度もなった。
それらで一番有名なのが「バルジの戦い」(アルデンヌの戦い)。
バストーニュという街には戦争博物館がある。
11 :
世界@名無史さん:02/07/23 18:09
ベルギー南部→フランス領へ
ルクセンブルク→ドイツ領へ
ベルギー北部&オランダ→統合
12 :
世界@名無史さん:02/07/23 20:45
>>11 ルクセンブルク語って、ドイツ語の方言みたいなものらしいけど、
ドイツ占領下の記憶のせいで、対独感情はよくないらしい。
ベルギーでも、フラマン系の人々は、連邦主義にこだわっているとか。
13 :
世界@名無史さん:02/07/23 20:58
ルクセンブルクという国名の由来は963年、アルデンヌ地方のシージュフロワ伯爵が
ペトリュス川とアルゼット川に挟まれたルシリンブルク(小さな城塞)
という岩山の上に、城館を築いたことからきている。
14 :
世界@名無史さん:02/07/23 21:08
いっそのこと三国が合同したらどう?
ネーデルラント連邦連合王国とかいって、
王位は二つの王家と公家で持ち回り←こんなことは可能?
15 :
世界@名無史さん:02/07/23 21:18
>>14 今はEU統合が進んでいますので、そんなややこしいことするくらいなら
EUに組み込まれて「地方」になるというのが現実的なシナリオかと。
もちろん、また「国民国家」を意識するような時代が来ればどうなるか
わかりませんが。
16 :
世界@名無史さん:02/07/24 22:25
ベルギー「人道法」が成立して、「人道に対する犯罪」を犯したものは
誰でも訴追できる、という建前だけど、結局イスラエルのシャロン首相を
訴追することはできなかったみたいね。
>14
持ち回り国王制(正式名称忘れた) は実際にマレーシアが採用してます
15が現実的だと思いますが
18 :
世界@名無史さん:02/07/24 23:16
疑問
ルクセンブルクのフランス語読みが
リュクサンブールです。
で、ルクセンブルクと、
パリのリュクサンブール(公園?元宮殿?)は
どういう縁
有るのでしょうか?
19 :
世界@名無史さん:02/07/25 12:37
>>18 リュクサンブール宮殿はフランス王妃マリー・ド・メディシスのために
建てられたものですけど、「リュクサンブール」という地名はそれ以前から
あったのかな?
ちょっとわからないです。
20 :
世界@名無史さん:02/07/25 21:12
北方ルネサンスの画家たちが好きだな。ヒエロニムス・ボスとか、
ブリューゲル父子とか。
イタリアなどの絵画とは違った魅力がある。
21 :
世界@名無史さん:02/07/30 16:01
ベルギーが最近、コンゴのルドンバシ外相を「人道違反法」に基づいて
国際逮捕状を出したけど、植民地時代にベルギーがコンゴに対して
どんなことをやってきたかを考えると、複雑な気分。
ゴムの樹液をとるために現地人を強制労働させて、ノルマを達成できなかったら
手首を切り落としたってんだから。
22 :
世界@名無史さん:02/08/07 22:11
23 :
世界@名無史さん:02/08/13 22:37
オランダとベルギーは、ヨーロッパの中では珍しく公娼制度が残っている国
ですが、なぜこの二国だけがそうなのか、知っている人いますか?
24 :
世界@名無史さん:02/08/15 16:54
フランダースの犬
25 :
世界@名無史さん:02/08/16 18:31
>>18 昔あそこにリュクサンブール公の館があったからだそうです。
26 :
世界@名無史さん:02/09/01 11:37
「アルデンヌの戦い」にはベネルクス三国の人々は参加していたのですか?
それともまったくの部外者?
27 :
世界@名無史さん:02/09/16 08:23
age
28 :
世界@名無史さん:02/09/18 18:47
オランダの八十年戦争(スペインからの独立戦争)ですけど、
新生共和国の議会主権や思想の自由を重視してこの事件の近代性を強調する
立場と、
中世的諸特権を墨守しようとした分立主義または伝統主義の強さのゆえに
「保守的革命」と呼ぶ立場とがありますが、現在はどちらが有力なのでしょうか?
29 :
世界@名無史さん:02/09/25 17:45
30 :
世界@名無史さん:02/10/07 09:37
ttp://www.worldtimes.co.jp/ オランダのクラウス殿下が死去 【ベルリン6日豊田剛】
ベアトリクス女王の夫君であるクラウス殿下は六日、アムステルダムの病院で
死亡した。オランダ王室からの報道によると、死因はパーキンソン症と肺炎。
七十六歳だった。同殿下は、長期にわたって健康状態が悪く、九月下旬から容態が
悪化、アムステルダム大学病院で集中治療を受けていた。
クラウス殿下はドイツのハンブルク郊外の農家出身だが、貴族のもとで育った。
一九六六年にベアトリクス王女と結婚、二人の間に三人の息子がいる。
31 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/07 09:49
>>23 なぜだかは知らないけれど、ドイツにも公娼制度ありますよ。
32 :
世界@名無史さん:02/10/07 09:49
>>30 クラウス殿下ってあの鉄道好きでJRのお召し列車に喜んだ人?
33 :
世界@名無史さん:02/10/11 02:12
そういえば、第二次大戦中、ベルギー国王一家はナチスに軟禁され、
ノルマンディー作戦後にドイツに流刑になったようですが、
詳細知っている人いる?
ブルゴーニュ公国とブルゴーニュ伯領(フランシュ・コンテ)の違いを教えてみそ。
また、その昔アルル王国などと呼ばれていたブルグンド王国(何か低地とか高地と
かあったようだが)はどっちに受け継がれたんだ?
35 :
世界@名無史さん:02/10/25 23:58
age
36 :
世界@名無史さん:02/10/26 01:29
>>23 なぜだかは知らないけれど、フランスでも売春は合法ですよ。
こないだダンピング反対デモしてた。
アントワープの飾り窓、ネロとパトラッシュも逝ったのかと思うと
感慨も一入
38 :
世界@名無史さん:02/11/05 17:20
>>37 「フランダースの犬」の話って、ベルギーでは誰も知らなかった
って罠。
39 :
世界@名無史さん:02/11/11 18:34
中世ではブリュージュ(ブルッヘ)のほうが栄えていたけど、しだいにその地位を
アントワープに明け渡していった。
40 :
世界@名無史さん:02/11/11 18:55
最近福祉板でオランダのセックス・ボランティア制度なるものが
話題になっているのですが、社会制度史的には、
ベネルクス3国を同列に語ってよいものでしょうか。
障害者を相手に性的サービスを行うSARという団体が
アムステルダムにあって、その支部をベルギーに作るとか作らないとか。
41 :
世界@名無史さん:02/11/11 19:05
ttp://ww1.tiki.ne.jp/~j708kob/page/ryokou/ryokou4.htm 選択的人間関係財団 (SAR) 1982年設立
(直訳は、「今までにあまりない交際仲介のためのもうひとつの協会」)
ヨーロッパは障害者(老人も含む)のノーマライゼイションの先進国だ。
ノーマライゼイションとは、障害のある人も、可能な限り障害のない人と
変わらぬ暮らしの実現ということだ。日本に数十年も先んじて、あらゆる
福祉を充実させてきたヨーロッパの国々では、近年最後の仕上げとして、
性におけるノーマライゼイションに取り組んでいる。
●このようなサービスはスウェーデン・ノルウェー・デンマーク・
アメリカなども行っています。
42 :
世界@名無史さん:02/11/28 00:35
age
43 :
世界@名無史さん:02/12/02 19:04
女優のオードリー・ヘプバーンはアイルランド系イギリス人の父親と、
オランダ人の母親の間に生まれた。
第二次世界大戦中は、レジスタンス活動を助けるため、ドイツ兵を警戒する
見張りを立てたクラシック・バレエの秘密公演に出演、集めた金を活動費用に
献金したり、子供であることを利用して情報連絡の手伝いなどをしていた。
44 :
世界@名無史さん:02/12/13 23:41
age
>>28 80年戦争で、カルヴァン派と連動して反乱の指揮をとったのは既得権を守る
ためにフェリペ2世の中央集権化に抵抗した大貴族層だった。
貴族たちとカルヴァン派民衆を団結させたのはスペインのアルバ公が導入した
「10分の1税」。
オランニェ公ウィレムにしても例外ではなく、彼はカトリック→ルター派→
カルヴァン派と改宗している。
最初スペインに抵抗したのはアントウェルペンをはじめとするフランドル(現在のベルギー)
の諸都市だった。
ネーデルラントの内、北部だけが独立にこぎつけたのは複雑に入り組んだライン川と
マース川の下流の三角州地帯を越えて北に進軍するのが困難だという地理的条件のせい。
46 :
世界@名無史さん:02/12/27 23:16
>>28 「保守的革命」の方が妥当だと思いまつ。
少なくともオランダ人は、80年戦争のことを殊更に強調して「独立戦争」とは
呼ばないようでつ。
連邦議会といっても実際はホラント州のごく一部の都市が牛耳っていましたし、
北ブラバント、リンブルフなどの地域はカトリックであったという理由から
議会に参加できませんでした。
また、思想の自由という点でも、基本的にカルヴァン派以外は市民権を得ることが
出来ませんでしたし、ギルドにも加入できませんでした。
他国の迫害を逃れて北にやってきた、カトリックやメノナイト、ユグノー、マラーノは
基本的に市政、国政に参加できず、個々にコミュニティを作って生活していたようです。
ただ、彼らは独自の技術とか、貿易に関するコネクションを持っていたため、
新生弱小国にとって貴重な存在であったことは確かなようです。
確かに、彼らを共和国民として認める文書も残されていますし、レンブラントと
親しかったベン・メナッセ・イスラエルなんかはアムステルダムの著名人の一人
だったようです。
ちなみに、たとえカルヴァン派ではなくとも、金額さえ払えば、市民権を購入でき、
福祉などの点で市の保護を受けることは出来ました。
(^^)
48 :
世界@名無史さん:03/01/14 04:33
あげ
49 :
世界@名無史さん:03/01/16 23:31
あげちゃうよ。
>>28 >>45-46氏のつけたし。
「保守的革命」と呼ばれるゆえんはもう一つ、反乱の初期のユトレヒト同盟の
動向にも伺えます。
そもそも、よく「1581年にオランダ共和国が独立した」という記述を見かけますが、
これは誤りなんですよね。
1581年にユトレヒト同盟が発布した「廃位布告」Plakkaat van Verlatinghe は
独立宣言ではなく、要するにネーデルランドの君主としてスペイン王フェリペ
2世は認めない、ということであって、その代わりにフランス王弟アンジュー公
フランソワを国王として迎えますよ、という内容のものだった。
つまり、悪く言えば、単なる君主の首のすげ替えを目指していただけであって、
独立するなんて気はさらさらなかったと思われるのです。
その思惑の裏には、
>>45氏の言う既得権の保守という上流階級の思惑が
あったわけです。
結局、「フランスの狂暴」という事件があって、アンジュー公を迎えることは
失敗するわけで(イギリスのレスター伯しかり)、その結果、他国の君主を
迎える愚を悟った同盟側は、自分たちの力で「独立」する道を選ぶことに
なったのです。
で、ここからマウリッツ・ファン・ナッサウ(=総督派)vsオルデンバルネフェルト
(=議会派)などの小競り合いがあって、面白くなっていくのですが、
それはまた後の話。
それにしても、漏れが建てたオランダスレッドが消えている・・・欝だ
50 :
まものくなのくな:03/01/16 23:32
くなりれくなまにりれまにら
51 :
世界@名無史さん:03/01/17 10:44
>>49 厳格なカルヴァン主義を信奉する大多数の民衆と、エラスムスの寛容思想をひく
人文主義者の系統との価値観の対立が深刻化していった。
52 :
世界@名無史さん:03/01/21 19:17
53 :
世界@名無史さん:03/01/23 23:15
オランダとは逆に、南部ネーデルラントはパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ
によって次々と都市を奪回され、スペイン領にとどまることになった。
その後この地域を統治したのは、オーストリア=ハプスブルク家出身の
アルブレヒト大公とフェリペ2世の娘イザベラの夫婦。
54 :
世界@名無史さん:03/01/31 22:11
反乱初期の指導者エフモント伯(ラモラール・エフモントLamoral Egmont)は、
のちにゲーテによってエグモントとして劇化され、ベートーヴェンが戯曲化した。
現在のベルギー王国の建国は1830年。
ということはアメリカ合衆国より新しいのね。
国王はザクセン=コーブルク家から迎えたし。
56 :
世界@名無史さん:03/02/18 08:14
age
57 :
世界@名無史さん:03/02/18 10:33
ベネルクス3国?
あぁ、三国志でしょ?
58 :
世界@名無史さん:03/02/26 17:42
>>18 >>19 アンリ4世の臣下にジャン・ド・リュクサンブールという人物がいて、この人物が
自分の屋敷を王妃マリー・ド・メディシスに委譲しました。
これがリュクサンブール宮殿の名前の由来です。
59 :
世界@名無史さん:03/03/13 09:27
age
(^^)
61 :
世界@名無史さん:03/03/16 23:19
age
62 :
世界@名無史さん:03/03/25 21:36
スペイン語の「フラメンコ」は「フランドル風の」という意味。
63 :
世界@名無史さん:03/04/06 22:40
age
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
66 :
世界@名無史さん:03/04/30 09:51
age
67 :
世界@名無史さん:03/05/16 08:46
age
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
69 :
世界@名無史さん:03/05/25 08:02
age
70 :
世界@名無史さん:03/05/25 11:32
オランダ王とルクセンブルク大公は共にナッサウ家だが、両家はどこで繋がってるの?
また、神聖ローマ皇帝、アドルフ=フォン=ナッサウの子孫なの?
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
72 :
世界@名無史さん:03/06/02 08:13
age
73 :
世界@名無史さん:03/06/16 11:24
age
74 :
世界@名無史さん:03/06/16 21:07
75 :
世界@名無史さん:03/06/27 03:29
age
76 :
世界@名無史さん:03/07/06 09:10
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
81 :
世界@名無史さん:03/07/22 08:24
age
82 :
世界@名無史さん:03/08/12 22:17
age
83 :
世界@名無史さん:03/09/09 07:51
age
84 :
世界@名無史さん:03/10/07 07:30
age
85 :
世界@名無史さん:03/10/11 12:29
age
86 :
世界@名無史さん:03/10/11 13:19
ベルギーは、北部地方、南部地方、ブリュッセルの地域別と、ヴァロア語、フラマン語、
ドイツ語の言語別の各代表からなる上院を置く連邦制
今も分権化が進んでいる
49さん、オランダのスレが消えたなんて残念ですね。
さて、オランダのウイリアム三世(ウイレム)が、英国王になりますけど、
同君連合は王様が死んだらすぐ解消なんでしょううか。
ずっと、夫妻の子孫が、両国の王(主権者)という風に決めておかなかったのはなぜでしょうか。
オランダの空位時代もありますが、この辺に関係があるのでしょうか。
49さん、
ちょっと質問します。
「フランスの狂暴」という事件とか、
マウリッツ・ファン・ナッサウ(=総督派)vsオルデンバルネフェルト
(=議会派)などの小競り合いとか、
詳しく書いた本とかありますでしょうか。
また、小説ネタとしても面白そうですしね。
89 :
世界@名無史さん:03/10/19 15:20
フリースランド語保護されてる?
>>87−88
オラニエ=ナッサウ家のウィレム3世には子供がいなかったからじゃないでしょうか。
後継者にはヨーハン・ウィレム・フリゾが指名されていたけれど、
彼はナッサウ家のもう一方の血族ナッサウ=ディーツ家に属していた。
だから、総督空位期を経て1747年に総督に就任したウィレム4世は、ウィレム3世の直系ではない。
ついでに、総督は君主ではなく、共和国の一役職にすぎない。主権は連邦議会にあった。
連邦議会内には、自由貿易を阻害するものとして、イギリスとの連合・同盟関係を
快く思っていないものも多く、こうした状態が必ずしも歓迎されていたわけではなかった。
同君連合の締結書の内容とか、イギリスの事情は良く分からないです。
17世紀オランダを扱った本ならParker、Israel、Gheyl、Price、あたりの著作が英訳で出てます。
マウリッツ・ファン・ナッサウ、オルデンバルネフェルトの伝記は蘭語で出ているけれど、古いです。
91 :
世界@名無史さん:03/11/03 11:41
<オランダ>王子が結婚のため王位継承権放棄
アムステルダムからの報道によると、オランダのベアトリックス女王の
二男フリーゾ王子が、婚約者と結婚するために王位継承権を放棄す
る意向をバルケネンデ首相に伝えた。首相にあてた王子の書簡が
10日公表された。
王子は今年6月、メイベル・ウィサスミットさんとの婚約を発表。
しかしウィサスミットさんが過去にマフィアの男性と親しかった
とのスキャンダルが表面化し、政府から結婚の承認を受ける
のが困難な状況になっていた。
オランダでは、王位継承権を持つ王族が結婚する際に
は政府と議会の承認が必要。(ブリュッセル共同)(毎日新聞)
やりますね、オランダ王室。
92 :
世界@名無史さん:03/11/03 11:47
ベルギーでは、レンブランドの絵の具を再現している絵画復元のプロがいる
そうで^_^;
93 :
世界@名無史さん:03/11/03 12:03
オランダってドイツに野菜を輸出したんだよな。
それが農薬問題で不買運動が起きた。
今は土地を休ませている。
政府が農家に補助金だしてな。
オランダ政府は対応が素早いな^_^;
94 :
世界@名無史さん:03/11/03 12:07
オランダもベルギーも小党分立の割りに、政府のしっかりした国だ。
95 :
世界@名無史さん:03/11/03 16:25
>>91 件の女性、お国の大画家レンブラントの妻サスキアによく似てますな^_^;
『夜警』の少女にも。
マフィアも王子も夢中てことは、オランダ美人はあんな顔なんでしょうか?
日本人には、地味に見えるな^_^;
クウィネス・バルトロウがあんな感じ?
確か去年だったか、皇太子もアルゼンチン女性と結婚したね。
国内ではいろいろ反感があったようだけど、オランダ語を特訓して国民にアピールしたりして、
好意的に受け入れられているそうだ。
と、知人が言っていた。
97 :
世界@名無史さん:03/11/04 11:06
オランダ政府と労働組合 が合意
インフレ率を問わず2年間賃金凍結
年金、失業手当など社会福祉の減額はせず
98 :
ミルトン ◆cA7oIM8fok :03/11/04 12:58
>>97 失業対策で賃金凍結なんだろうな。
賃金の下方硬直性と失業率はなんらかの関係が
あるだろう。
失業率ゼロでインフレ懸念がないのなら
財政に余裕がある限り
いくら賃金を増加させてもいいわけだし。
それともただの財政難なのか?
99 :
世界@名無史さん:03/11/04 18:32
>>98 ニュースでは、
国際競争力を付ける
最近の経済危機への対処
とか言ってたが・・・
100 :
世界@名無史さん:03/11/08 06:47
age
101 :
世界@名無史さん:03/11/19 08:57
小国の身すぎ世すぎの参考にしたい国。
102 :
世界@名無史さん:03/11/19 21:27
ユーロだと為替で調節されないからな。周りより賃金が高くなれば、
直接下げるしかない。
103 :
世界@名無史さん:03/11/19 22:36
生活防衛の面では、オランダ人はドイツ人同様倹約で対処しそう。
104 :
世界@名無史さん:03/12/22 23:23
保守あげ
105 :
世界@名無史さん:03/12/23 12:26
オランタ
オランダでは、
いったん病気となった人間はどのような理由があれ解雇できない。
そのため病気欠勤のふりをさせるため。単純労働作業の工場では
病気欠勤率は10%以上となる。
これは正しい情報?
107 :
世界@名無史さん:04/01/27 14:58
そりゃ羨ましいな
108 :
世界@名無史さん:04/01/29 02:44
オランダでは、
レストランで口紅のついたグラスがでてくることもある。
これは正しい情報?
109 :
世界@名無史さん:04/02/12 23:17
サービス悪いらしいよ
オランダといえば、チューリップのイメージが強いと思いますが(小学生レベル)
『チューリップ・バルブ 人間を狂わせた花の物語』マイク・ダッシュ 文春文庫
が面白かった印象が……。チューリップが投機の対象になっていたという話の本です。
イギリスの南海泡沫事件といい、バブル的なものがやはりこの国にも。
低地諸国って言えばいいのに、なんでベネルクス三国って言うの?
112 :
世界@名無史さん:04/02/13 22:56
>>111 地図をみなされ。
ベルギーのワロン地方のリエージュ、ナミュール、シャルルロワからルクセンブルクにかけて、アルデンヌ高原がある。
ルクセンブルクにかぎっては、ほとんどが海抜500メートル以上。
これらを低地(諸国)なんていってしまったら、ニーダーザクセンやホルシュタイン地方はどうなるの。
ちなみにBelgie(Bergique)、Nederland、Luxenburg三国によるベネルクスの由来は、
1948年に発効したベネルクス関税同盟。
あげてしまった。
ニーダーザクセンは低地ザクセンか。
適切な例ではなかったスマソ。
<ヽ`∀´>ニーダーザクセン!
>>115 Nederlande
最後のeをお忘れなく。
今の(?)女王はカナダのオタワ(モントリオールだったかも)で産まれたのだが、
オランダではオランダ生まれじゃないと王位継承出来ないので、一時的にオタワをオランダ領にしたとか。
形式上であってもそんなことが出来るとは凄いな。
116 :
世界@名無史さん:04/03/23 07:48
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040320-00000174-kyodo-int ユリアナ前女王死去 オランダ
ユリアナ・ルイーズ・エマ・マリー・ウィルヘルミナさん(オランダ前女王)
アムステルダムからの報道によると、20日早朝、肺の疾患のため同国
中部にあるスーストダイク宮で死去、94歳。
1909年4月30日ハーグ生まれ。37年にベルンハルト殿下と結婚。
ドイツのオランダ侵攻で一時英国などに逃れ、45年にオランダに戻った。
ウィルヘルミナ元女王の跡を受けて48年に即位。80年の誕生日に長女の
ベアトリックス現女王に譲位し、引退した。
在位中は自転車を乗り回すなどの庶民性で国民に親しまれ、
前女王の誕生日の4月30日は「女王の日」として現在も祝日となっている。
(ブリュッセル共同)(共同通信)
[3月20日22時23分更新]
ご冥福をお祈りします。。。
117 :
世界@名無史さん:04/03/23 08:05
にしても、ホテルのサービスは改善されたのか?
118 :
\(^■^ ラ 【卍】:04/03/28 12:53
首都南京を見捨てた蒋介石、パリを見捨てたドゴール、マニラを見捨てたマッカーサー、モスクワ
を見捨てたかも知れないスターリンなんかと比べたら、余の偉大さが解るだろうな。
余の秘書の本、買ってオクレ!
さて、イラクの日本皇軍を護るオランダ軍は、先の大戦において本国では、枢軸側に立って最後ま
で健闘した頼もしい相棒であるゾ。ナチス・ドイツ武装親衛隊でオランダ人を隊員とする第23SS
義勇装甲擲弾兵師団「ネーダーラント」と第34義勇擲弾兵師団「ラントシュトルム・ネーダーラ
ント」が編成されて、「悪の連合軍」米・英・ソ連を相手に健闘したんだゾ。
>>118 総統。単にもう逃げるところがなかっただけではないでせうか?
120 :
世界@名無史さん:04/05/19 03:21
test
122 :
世界@名無史さん:04/05/20 10:54
ほほう
123 :
\(^■^ ラ 【卍】:
勘違いしてはいかんな。
終戦時、まだ北部沿岸、バイエルン、オランダ、デンマーク、ノルウェーなんかは連合軍の手には
落ちていなかったから、脱出する手段は残っていた。
日本に潜水艦で亡命するようにも要請されたのだが、余は帝国の首都を最後の地と選んだのだ。