ルクセンブルク、バチカン、キプロスなどの歴史を語ろう!
2 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:23
2?
>2 せっかくだから常連になってちょ!
リヒテンシュタイン公国、サンマリノ共和国、モナコ公国、 アンドラ公国、マルタ共和国を追加。
バルト三国はどうかと思って調べてみたらラトヴィアだけ100万切ってた。
いきなりだけど訂正。 ラトヴィアも100万越えてますた。 須磨祖。
広辞苑第五版だと251万人(1995年)。 150万人もいつの間に死んだんだ?
キプロスの歴史は「人口100万人未満の小国の歴史」というには微妙な気がするなあ
10 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:34
アイスランドーーーーっ(26万人) カーボヴェルデ(37万) コモロ(61万) サントメ・プリンシペ(12万) ジブチ(56万) スワジランド(81万) セイシェル(7万) 赤道ギニア(38万) 以上1995年資料
11 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:36
八寒地獄を建国したのはムッソリーニだったな。 教皇領をイタリアから独立させる事で教皇の権威を高め、 国内の結束と支持を得、同じに教皇の観光文化資源としての価値を高めたのかな。 やるなぁ
12 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:37
丸太といえば聖ヨハネ騎士団だよな! こんなことしか知らん。
13 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:38
山梨、福井、鳥取、島根、徳島、高知、佐賀
15 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:41
モナコといえばF−1レースとカジノ、これしか知らん!
あ、欧州か。失礼しました。
17 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:43
ちょっとキプロスの歴史が載ってるサイト探したけど1960年の独立以前はほぼ ずっと島の外の国の支配を受けてたみたい。
18 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:44
あのお、キュプロスはアジアでしょ?
19 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:45
リヒテンシュタインというと「珍しい切手の行商」で生計立ててる国。
キプロスにはトルコとギリシアの国境が通ってるからね。
21 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:45
22 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:48
カレリア共和国80万人。ほとんどロシア人。
キプロスはあり、、っちゅうことで。
>17 独立以後もバリバリに他所の国の影響を受けている気が
アンドラ公国って公がいません、、、、
26 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:59
アンドラ公国の元首はフランス大統領とウルヘル司教(在スペイン) (1)1278年、この領域を支配していた司教(宗主)は、フォア(仏) 伯爵との間で対等の封建領主権(徴税権、裁判権、徴兵権)を共有する 「対等の宗主契約」を結ぶ。 (2)以後、司教の宗主権は代々司教に引き継がれたが、フォア伯爵の 宗主権は 仏国王に譲渡され、その後も代々仏国家元首に継承された。 (3)1993年2月2日、新憲法案がアンドラ国会で可決され、同年3月14日 住民投票にかけられ、賛成多数で承認された。 (4)フランス及びスペインは、1993年6月1日、アンドラ公国を主権国家 として明示的に承認した(両国が仏西アンドラ善隣友好協力条約に署名し た日)。 また、同年7月28日、アンドラは、国連加盟国の全会一致により国連加盟 が認められた。 (注:ウルヘル司教とスペイン政府との関係は微妙である。スペイン政府 は常に司教をスペイン代表としてみなそうとしてきたが、司教は一貫して アンドラの共同君主としての機能は個人的特権であって、その限りでは スペイン政府の指揮下になく、むしろ歴史的に共同領有権の擁護者であ ったローマ法皇庁の精神的権威の下にあるとしてきた。)
27 :
世界@名無史さん :02/11/25 23:11
サンマリノ共和国は古代ローマ時代からの伝統国! 4世紀初頭、ローマ皇帝によるキリスト教徒迫害を逃れるため、マリーノ という石工がこの地にたてこもり、信徒を集め共同体を作ったのが建国 の伝説とされている。中世にも天然の要塞を利用し外敵の侵入を防ぎ、 自由と独立を守り続けた。1631年にローマ法王により独立的地位を認め られた。1862年にイタリアとの友好善隣条約を結び近代国家としての主 権と独立を確立した。 今でも国家元首は2名の「執政」が半年交代。
28 :
世界@名無史さん :02/11/25 23:12
>>24 つーか、島の半分がトルコの占領状態だった気がする。
最近になってようやく和解ムードになっているとか…
うろ覚えスマソ
29 :
世界@名無史さん :02/11/25 23:20
最近は「キプロス」ではなく「サイプラス」と呼ぶようになった。 島の北部、1/3がトルコ占領地の北キプロス(国連未承認)。 南部はギリシャ系のキプロス共和国。
>28 >島の半分がトルコの占領状態だった気がする。 そですね。北キプロスは実質トルコ領で、つい最近も「キプロスをトルコに併合しる!」 という政治家が大人気だったり。(選挙には負けたみたいですが)
31 :
世界@名無史さん :02/11/26 02:09
>>30 じっさい北キプロスはトルコ人が多いんだからトルコ編入が順当なんだが‥
マケドニア共和国のことといい、ギリシャってひそかに困ったちゃん。
32 :
世界@名無史さん :02/11/26 02:13
カリオストロ公国
33 :
世界@名無史さん :02/11/26 03:27
>>17 前2千年紀はアラシヤと呼ばれ独立した国だった。
34 :
世界@名無史さん :02/11/26 12:09
35 :
世界@名無史さん :02/11/26 12:49
>>27 石工のマリノがチタン山に逃げたのが国名の由来と
いわれているね。中世にメディチ家に占領され
一時的に独立を失っている。住民自治とともに庇護
(アジール)の精神で有名な土地で、多くの政治亡命
を受け入れている。オーストリアに破れたガリバルディ
もここにかくまわれていた。
36 :
世界@名無史さん :02/11/26 14:14
>>31 そいつはあまりにもトルコに好意的な見方だな。
キプロスのトルコ系住民が北キプロスに偏ってるのは
70年代のキプロス島ギリシア併合推進派のクーデタ
(こいつらはギリシア軍事独裁政権の援助を受けていた)の際に
トルコ軍が介入して、トルコ系住民安住の地を確保すべく
ドサクサに紛れてニコシア以北を制圧したために、
恐慌状態になったギリシア系住民の南への避難と
南にいづらくなったトルコ系住民の北への避難がおこった結果。
それより前は北部にもかなりのギリシア系がいたし
キプロス島中にトルコ系が散らばって暮らしていて、
人口に大きな偏りはなかった。
だから人口の多いギリシア系住民が完全に主導権を握って
しばしばギリシア系優遇政策や親ギリシア政策を取ったり
トルコ系住民との衝突を起こしたりしていたのであり、
トルコ共和国政府はキプロス島分割によりその最終的解決をはかった。
37 :
世界@名無史さん :02/11/26 15:04
クルド問題とかもあるし、トルコってけっこうえげつないよな
ニコシアって円形の城郭都市なんだよね。かっこいい!
39 :
世界@名無史さん :02/11/26 20:03
>27 サンマリノ共和国についてもっと知りたい、、、
40 :
世界@名無史さん :02/11/26 21:32
ルクセンブルク大公国とかが実は欧州の国家の原型みたいな気がする。
41 :
世界@名無史さん :02/11/26 23:34
サンマリノ共和国っていうからにはもしかして ナポレオン時代に強引に 共和国にさせられた国のひとつか?
42 :
世界@名無史さん :02/11/26 23:43
43 :
世界@名無史さん :02/11/26 23:52
トルコ人は、キプロスには、ほとんど存在しません。 トルコ化したギリシア人がいるだけです。 彼らが、本来の姿に戻るのは、歴史の清算手続きとして重要なことです。 それを軍隊を使って阻もうとするのは、正気の沙汰では、ありません。 キプロスの”トルコ人”もギリシア人になりたがっています。
キプロスのギリシア系とトルコ系の対立の遠因は オスマン帝国崩壊時のギリシア・トルコの対立と ローザンヌ和平後の住民交換にあるのではないだろうか。 このときギリシア領に住んでいたイスラム教徒は 「イスラム化したギリシア人」であったかもしれない人々も 「トルコ人」として小アジアに送られ、一方でその逆の現象も起こり、 「トルコ人」と「ギリシア人」は言語等ではなく宗教を境目とした 全く明快な線引きを持つ別々の民族であると定義されてしまったのだが、 キプロス島は当時イギリスの支配下にあったため 当然住民交換からは除外され二宗教の混住が維持されていた。
たしかルクセンブルクは山を掘れば石炭と鉄鉱石が出て、谷にダムを作れば自国分以上 の電力を作れて、金融機関に税制優遇したら世界中の金融機関が支店を作りまくるという ものすごい国だと聞くが
>>45 自由貿易体制が機能する限り、自国に天然資源を持つと言うことは、
その時点の最安値で資材を調達できなくなります。
丘陵地帯なのに水力発電の電力が余るということは
自国にそれほど電力需要が少ないと言うことでしょうか。
金融機関に優遇税制は、ほとんどズルです。
今後は、こういうことは、できなくなるでしょう。
結論 永遠の停滞
47 :
サン・マリノ共和国 :02/11/27 00:36
サン・マリノは総面積61平方km。世界で5番目に小さな国。 国家財源は専ら観光と切手販売収入。 1253年から共和制をとり「世界最古の共和国」とも言われる。 小さな独立国サン・マリノは、常に周囲の野心家から狙われ続けた。 例えば、アドリア海沿いの街リミニの領主マラテスタ家は幾度かサン・ マリノに攻撃を仕掛けている。西暦1503年にはイタリアの「織田信長」 ことチェーザレ・ボルジアの支配に屈している。この時は、彼の父、 法王アレクサンドル6世が急死して力を失ったため、独立を回復した。 1739年にも枢機卿ジューリオ・アルベロニがこの国を占領したが、 法王クレメンス12世が介入して軍を撤退させた。 野心家たちの攻撃を、標高750mの岩山とイタリア最古の三つの城塞 で防ぎながら、小さな共和国は独立を保ってきた。国家が自由と独立、 信仰を守るために払わねばならない代価とはどういうものであるか、 この国の歴史はよく物語っている。 その一方で、迫害を身をもって知る集団が作り上げたこの国は難民 を手厚くもてなすことでも有名。ガリバルディも戦いに敗れたとき、 ここに逃れた。また、第二次大戦においても、イタリアの参戦にも 拘わらず中立を守り、戦火を避けるイタリア国民を受け入れたという。 小さくともきらりと光る国というのは、サン・マリノのような国の ことをいうのだろう。
48 :
世界@名無史さん :02/11/27 00:38
もともと都市国家の集合体だったイタリアで唯一残った都市国家ってところか?
49 :
世界@名無史さん :02/11/27 00:43
サンマリノは、極めて貧しい国です。(平均所得、生活レベル) 市民の真の幸せを考える為政者がいたら 少なくともイタリア統一のときには、参加すべきだったでしょう。
50 :
サン・マリノ共和国 :02/11/27 00:54
>49 統一に参加したところで、過疎に悩む日本の農村と同じになってた でしょう。。。 それどころか、絶壁の高台の土地なので穀物畑も工場建設も難しい。 独自性を守って観光に生きてる今の方がいいんじゃない?
51 :
世界@名無史さん :02/11/27 01:06
その地域が過疎に悩んでいても高額な地方交付税交付金がもらえます。 住み続けている人たちは、農道を作るとか言って使いたい放題です。 また、離れた人たちは、自国民として大都市で 文化的な生活をおくっています。
52 :
世界@名無史さん :02/11/27 01:11
いっそモナコ公国のようにカジノで大儲けすればいいのに。 所得税安くすれば世界の富豪が住民票おいてくれるし、治外法権だよ!
サンマリノ共和国=中世の牢獄
>>51 「日本」をネタにするのはどうかと。
(日本の場合は、ヨーロッパに比べて「都市の過剰収奪」が多いのですが)
「独立して生活が貧しい」か「従属して生活が豊か」は軽々に結論を出すべきモノではないですし。
イタリアは、地方自立の気風が強い地域ですしね。
55 :
世界@名無史さん :02/11/27 14:19
ほとんど無視されているが、キプロスは十字群国家の内の一つだった。
56 :
世界@名無史さん :02/11/27 22:16
リヒテンシュタイン侯国って元は神聖ローマ帝国の家臣ですか?
57 :
世界@名無史さん :02/11/28 00:15
1699年 ヨハン・アダム・アンドレアス公、シェレンベルク領(現在の 低地部)を、またヴァドゥーツ伯爵領(現在の高地部)を1712年に購入。 公国の基礎を固める。 1719年 神聖ローマ帝国カール6世が両領に対し自治権を付与、リヒテン シュタイン公国に昇格。 1921年 新憲法(現憲法)の発布。 1923年 スイス・リヒテンシュタイン関税同盟締結。 1978年 欧州評議会加盟。 1990年 国連加盟。 1991年 スイスとの関税同盟を改正して改めて独自にEFTAに加盟。 1994年 OSCEに加盟。 1995年 EEA加盟、WTO加盟。
58 :
世界@名無史さん :02/11/28 01:17
>>45 >>46 欧州でもっとも国民が豊かな国です。国民一人当りのGDPはダントツのトップ!
世界で国民一人当り最もワインを消費する国でもあり、フランスにとって必要不可
欠な国でもある。一方ドイツの鉄鋼産業を支えるのに最も重要な国で、ドイツにとっ
ても必要不可欠な国。長年、どちらもが自国併合を企んだのだが…
1795年フランスが併合
1815年オランダ王室の私有地に
1839年行政が独立
1868年フランスが再併合の試みるが失敗
1868年非武装中立国となる
1870年フランスが買収を企むがプロイセンの怒りを買い普仏戦争となる
1890年元ナッサウ国のアドルフが大公位につく
1914年ドイツに不法占領される
1918年解放
1919年マリー・アデレード女大公幽閉、妹シャルロッテが即位
1940年、ドイツに併合される
1944年解放
1948年ブリュッセル条約に加盟し非武装中立を放棄
現在はNATO軍中央軍司令部、EU銀行その他欧州重要機関がルクセンブルク
に集まっている。また、かつての城砦を発掘中で一大観光国家を目指している。
13世紀には神聖ローマ皇帝も輩出し、現在の4倍の大きさがあった。
>58 かつては4倍の国土を有した。 って、聞こえはいいね。
60 :
世界@名無史さん :02/11/28 01:26
日本もかつては10倍ぐらいもってたけどね
61 :
世界@名無史さん :02/11/28 10:31
>>60 日本と一緒にしないでくれる…
最初独仏に半分の領土を持っていかれ
1839年にベルギーが行政権の独立は俺たちのお陰だよねと言って
アルデンヌ領持っていったんだから…
62 :
世界@名無史さん :02/11/28 10:54
そういえば、元々ベルギーの一つの県だったんだよな。 その半分が今の領土か。
63 :
世界@名無史さん :02/11/28 14:47
>>62 ちょっと違う
ベルギーは1830年に作られた未独立ニーダーラント諸侯連合
大きく分けてフランドル・ワロン・ルクセンブール(ここが割譲した場所)
の3地域で構成される。1839年の独立時にルクセンブルクから現在の
ルクセンブール州を割譲して王国を建国したのです。
ルクセンブルクとベルギーの大きな違いは何か?というと1815年に
結成されたドイツ連邦の域内なのか否なのか?という点。
カリオストロ公国ってモデルになった国あるのかな?
65 :
世界@名無史さん :02/11/29 00:13
だれか「グランド・フェンウィック大公国」を挙げる勇者はおらんのか? 女大公殿下万歳!
>65 出典希望でし、、、
67 :
世界@名無史さん :02/11/29 00:57
>>64 リヒテンシュタインを軸にアルセーヌ・ルパン・カリオストロ伯の陰謀
や実話のカリオストロ伯を掛け合わせて作られた。
>67 サンクス!
69 :
世界@名無史さん :02/11/29 01:21
GPのポジャーリはサンマリノ出身だよね。 彼は自国では大スターなんだろうな・・
ラピュタ王国 人口2人
71 :
世界@名無史さん :02/11/29 05:47
人口を100人にされてしまった「世界」。
72 :
世界@名無史さん :02/11/29 20:05
みんなアイスランドを忘れちゃいないか?
73 :
世界@名無史さん :02/11/29 23:27
因みに世界最小の国は?
>73 ヴァチカンでしょ
国有財産はいっぱいありそうだけどね。
76 :
世界@名無史さん :02/11/29 23:52
>奥州ではないが、「ニュー・アトランティス共和国」 欧州ではないが、・・・・・の誤り。
78 :
世界@名無史さん :02/11/30 00:05
アイスランドを忘れないで レイキャビクは温泉の熱を 町中の暖房利用しているらしい
79 :
世界@名無史さん :02/11/30 07:55
1986年10月11日 レイキャビクにて、レーガン・ゴルバチョフ会談。
80 :
世界@名無史さん :02/11/30 10:38
>>54 国防も経済もイタリアに完全依存していて
独立を誇ってもしょうがないように思うのだが‥
82 :
世界@名無史さん :02/11/30 18:06
リヒテンシュタインは侯国ですよね?侯の字が難しいから慣用的に 公国という表記になったと本に書いてあった。 侯家の別邸はウイーンにあるらしい。
83 :
世界@名無史さん :02/11/30 18:08
ところで王国、公国、首長国なんかの後継ぎを皇太子っていうのは おかしい。 王太子、世子、公子などというべきだ。
じゃ、東宮とでも呼ぶか。
春宮とも書くね。
86 :
世界@名無史さん :02/11/30 20:10
小国の歴史を考えるのも面白いね。
サンマリノではなくイタリア国内で独立を主張している町があるとか 前にテレビでやってたね。 独自の車両ナンバープレートやなにかを発行したりしてとか。 詳しく知ってる人はおらんか?
89 :
世界@名無史さん :02/12/01 03:38
フェロー諸島やグリーンランドに 独立の動きがあるとか。
90 :
世界@名無史さん :02/12/02 08:54
91 :
世界@名無史さん :02/12/02 09:28
92 :
世界@名無史さん :02/12/02 11:13
>>90 チベットか清か末期のモンゴル部族か忘れたが、ずばりその称号あったな。
93 :
世界@名無史さん :02/12/02 11:29
現在まで小国として存続する可能性のあった地域ってどのくらいあるだろう? スイスのヌシャテルやグラウビュンデンとかは? ポモジェ(ポンメルン)はポーランドへ統合されていた期間が短かったのでカシューブ人として独立運動があっても不思議じゃなかった。 コルシカは18c半ばには独自の政権あったし。 そう考えると他にもあるかな?
94 :
世界@名無史さん :02/12/02 14:14
クラクフ自由国
西ゴート王国はどうよ。
両シチリア王国って何人住んでいたんだ?
97 :
世界@名無史さん :02/12/02 15:38
>>95 昔過ぎるし、何よりでかい。
>>96 両シチリアという呼称を使う奴は素人。
その名を名乗ったのは短期間なのにね。クスクス
98 :
世界@名無史さん :02/12/02 15:48
99 :
世界@名無史さん :02/12/02 17:59
ダンツィヒ自由市
100 :
世界@名無史さん :02/12/02 18:13
百番百番?
バスク。って、バスクが国になったことなど、歴史上ただの一度もないけど。
102 :
世界@名無史さん :02/12/02 18:41
103 :
世界@名無史さん :02/12/02 21:00
>>93 スコットランドとバイエルンじゃないかな?
もっとも前者は小国かもしれないが、後者は国民1千万人GDPがヨーロッパ内
ではベスト10に入るので小国とは言えないかもしれんが…w
ブレーメンとハンブルクはいまだに都市国家。 でもハンブルクは170万もいるな。
105 :
世界@名無史さん :02/12/02 22:21
確か「セボルガ公国」では?
106 :
世界@名無史さん :02/12/03 01:32
ニコシアの城郭都市は今どうなってるの?
107 :
世界@名無史さん :02/12/03 03:23
>>103 その系統なら、ヴュルテンベルク、バーデン、メクレンブルク、ザクセン、ヘッセン等もそうだな。
108 :
世界@名無史さん :02/12/03 03:29
>>99 それ以前は王領プロイセンという独自の政体の時期もあったね(←ポーランドが騎士団から奪った)。
>>104 >>107 バイエルンと他は違うんだな…バイエルンはドイツ連邦準加盟国なんです。
なんと連邦基本法を批准しておりません。つまり未独立国地域扱い(もっと
も脱退されてしまうとドイツ連邦が崩壊するのだが…)なんです。
サイバー・ユーゴスラヴィア……は、だめっすか。
111 :
世界@名無史さん :02/12/03 14:29
>>109 ほほう。日本人だとなかなか連邦性国家のことがわからないな。
しかし、7年戦争で滅亡寸前だったプロイセンが
ホルシュタインのゴトープ家のお蔭で生き延びて、
その当時最強クラスのブルゴーニュ公国がスイス戦での
あっけない敗戦でフランスへ統合されてしまうなど、
小国も世界史上重要な役割を果たしてるよね。
112 :
世界@名無史さん :02/12/03 14:35
>>111 普仏戦争の時はバイエルン・ヴュルテンベルク・バーデンの三ヶ国が
フランスの予想を裏切って(バイエルンはプロイセンと仲が悪く、フ
ランスと仲が良かった。現在はWW2の恨みがあってどちらとも仲が
悪い)プロイセン側に立って戦争に参加したためフランスは大敗北を
喫した。アルザス・ロレーヌ地方占領(エルザッツ・ロートリンゲン
地方奪還)の立役者はバイエルンのフォン・デア・タン将軍とルート
ヴィヒ2世…
113 :
世界@名無史さん :02/12/03 15:08
>>111 三十年戦争の頃から、領邦国家も国際戦争に巻き込まれていく
けど、ドイツ史の本を見ても、プロイセンとオーストリアが
軸であって、その他の領邦って細かいところまでは解らないんだよね。領邦ごとの通史の本とか出ないかなぁ。
プロイセン、バイエルンをきちんと攻め滅ぼしてあげていれば、 後々ぐちゃぐちゃ言われなくてすんだだろうに…。
115 :
世界@名無史さん :02/12/03 15:13
とりあえず、モンテネグロ、グリーンランドに期待。 シェットランドもがんがれ。
116 :
世界@名無史さん :02/12/03 16:32
>>114 だからフランスとスウェーデンは30年戦争に加担してバイエルンの
名将ティリー伯爵とパッペンハイム将軍を殺したんじゃん。
結果としてその後300年に渡る大きな戦争の火種を作ったんだけど…w
117 :
世界@名無史さん :02/12/03 19:43
エルベ以東にはヴェレティやオボドリドと呼ばれる西スラブ系 の部族がいたが、ポーランドやチェコのように国家形成まで には至らなかった。 ポーランドのミエシコ1世、ボレスワフ1世、 チェコのヴァーツラフ1世、ボレスラフ2世、 ハンガリーのアールパード、イシュトバーン1世らのような強力な王がいなかったからなのだろうか? 後にメクレンブルク公家を輩出することになったニムロートでは役不足だったのか?
>>117 ニムロートじゃなくてニクロットだった。
息子の初代メクレンブルク公はプリビスラフとスラブ系の名前なのに、その次からハインリッヒ、ヨハン、アルプレヒトといきなりドイツ臭くなるのが笑える。
119 :
世界@名無史さん :02/12/03 20:23
ただ今から、ここは小国になるはずだった地域を語るスレになりました
>119 まあ、いいか、、、
121 :
世界@名無史さん :02/12/04 01:00
ロンドンツティはここに入りまつか?
122 :
世界@名無史さん :02/12/04 02:32
モンテネグロは日露戦争の際日本に宣戦布告してる。
123 :
世界@名無史さん :02/12/04 03:29
124 :
世界@名無史さん :02/12/04 05:22
リトアニア人は弱体なルーシ諸候を攻めて領土を拡大した。 古プロイセン人も弱体なマゾフシェを攻めた。そしたら狼を連れてこられ、滅ぼされた。 運が悪いな。 つーか、その直前に騎士団を追放したハンガリー王が悪いのか??
そういえばザールもフランスに占領されていて、ワールドカップ予選に独立地域扱いで出ていた。 沖縄みたいなもんかな。
>>123 モンテネグロをなめるな!
いや、あの国、強いよ。マジで。無意味に。
127 :
世界@名無史さん :02/12/04 12:57
>>125 今で言う、オーランド諸島のようなものか?。あそこは独自のサッカー協会ないけど。
>>126 歴史地図を見るとモンテネグロはオスマン内で
孤島のごとく独立してるように見えるが、
実はエジプトもチュニジアもアルジェリアも
シリア・レバノンも・イラクも実質的な独立状態だった。
128 :
世界@名無史さん :02/12/05 10:35
こんなゴミみたいなチンカス国家どうでもいいよ。 隣国に併合されたほうがいいんじゃねー?
モンテネグロのジョーク 「もし中国が攻めて来たらどうする?」 「あの国は人口が多いから、攻めて来たら困るなあ。 奴らを倒すのは簡単だけど、葬ってやるだけの土地がない。」 まあ、強いか弱いかはともかく、大変な負けず嫌いである事は 確かみたいですね。
130 :
世界@名無史さん :02/12/05 12:06
旧ユーゴスラビアのドゥシャン・マカヴィエフという映画監督の作品に 「モンテネグロ」というのがあって、田舎臭い自然に囲まれた街で 郵便局員が貴族のことをやたらと英語で「ユア エクセレンシー」と呼ぶシーンが ある。あれは小国が小国であるからこそ国家を国家たらしめる制度に敏感になる ことを表現していたのかな
131 :
世界@名無史さん :02/12/05 22:52
>>128 隣国とはどこ?
セルビア?アルバニア?ボスニアヘルツェゴビナ?ギリシア?イタリア?
スロベニア?
どこが併合しても血の雨降るのだが…
133 :
世界@名無史さん :02/12/06 01:32
モンテネグロって公国ですよね。 誰に公位を授けられたのですか?
134 :
世界@名無史さん :02/12/06 04:01
>>133 公・侯・子・伯・男スレで問題になってたんだけど、
デュークはともかくプリンスのほうの公は
教皇・皇帝・王に叙任されるものとは限らないんじゃないかね。
もっともモンテネグロの場合、オスマン帝国支配のもとで主教が公を兼ね、
その主教公に自治を委ねられていたというから
オスマン朝のスルタンが授爵者と言えるのかもしれんけど。
いえ、ツェチニェ主教は独立した教会組織だったので、オスマン朝(というかイスタンブールの総主教)に任じてもらってたわけではなかった、ような……。
あんまりそのあたり詳しくないから自信ないけど。
>>131 スロヴェニアは隣国違う(笑
バルカン戦争を始めたのこの国だったんだよなー。
大国の裁定でアルバニア独立決まったときも、最後までごねてシギショアラを占領し続けたんだよなー。
やっぱ変な国。
136 :
世界@名無史さん :02/12/07 03:55
ちなみにトランシルヴァニアの公位はオスマンからね。
んが。 シギショアラちゃうやんシュコダール(スクタリ)やん。 アホか>俺
サンクス。 で、モンテネグロ公国って臣下には爵位貴族はいたんでしょうか?
139 :
世界@名無史さん :02/12/08 21:49
東欧には西欧の公候伯子男みたいな制度はなかったんじゃない? たしか、ビザンツにはなかったでしょ。
140 :
世界@名無史さん :02/12/08 21:56
チェコやポーランドも?
141 :
世界@名無史さん :02/12/08 22:38
>>140 東欧といってもそっちはカトリック国だからなあ。
でも、ポーランドは貴族間に爵位の差はなかったんじゃなかったっけ?
フィウメ自由市ってどういうこと?
ポーランドの貴族制、選挙王制って複雑ですね。
144 :
抜かずヌルハチ :02/12/08 23:29
>>65 「グランド・フェンウィック大公国」とは通でんな。
俺がリヒテンシュタインその他のヨーロッパの極小国に多分にロマンチックな
興味を抱いたキッカケがウィーバリーの小説だった。
でも実際の極小国は、当然ながらあんなに浮世離れもしてなければ牧歌的でもない。
「町村合併にあえて参加せずに、**村を維持し、行政の独立を盾にアレコレ
せこい商売をやって稼いでいる村」てのが実情。
行ってみるとがっかりするよ。
145 :
世界@名無史さん :02/12/09 00:11
昨日『世界不思議発見!』でサン・マリノ共和国を取り上げてたけど よかったよ!
>144「グランド・フェンウィック大公国」ってなんですか?
147 :
抜かずヌルハチ :02/12/09 00:49
>146 レナード・ウィーバリーという作家が創造した架空の極小国家。 歴史的由来については、けっこうよく構成されてます。 良質のワインを細々と生産している田舎の独立国で、世間知らずの プリンセスと、マキャベリばりの宰相がいる立憲君主制。 それが、 アメリカに宣戦布告して、NYに弓兵を派兵して「戦勝国」になったり、 NY市場への投資で、偶然にもアメリカの金融資産の大半をゲットしたり、 米ソに先駆けて、月に有人宇宙船を着陸させたり、 縦横無尽の大活躍をする、というお話。 創元推理文庫でシリーズが出ていましたが、残念ながら絶版中。
148 :
世界@名無史さん :02/12/09 06:09
>>140 ポーランドなら、西ポンメルンが公として皇帝に臣従してたよ。
その後、シチェチン、ヴォウォゴシチなどに分かれて、ブランデンブルグに併合された。
あ、シロンスクの公もベーメン王に臣従してたな。
その2つの地域で、公の下の位があったかどうかは知らん。
149 :
世界@名無史さん :02/12/09 06:30
サンマリノの乳児死亡率は,西欧諸国の中では,最大です。 過去に対して変な幻想を持つのは,やめませう。
150 :
世界@名無史さん :02/12/09 06:49
創価学会は,日本の中の良心の王国です。
151 :
世界@名無史さん :02/12/09 07:32
バルト三国も、3つじゃなくて、昔いたリーブ人、ジェマイティ人、ヤトヴァグ人、プロイセン人、セミガリア人が全部生き残って国をつくってた方が面白かったな。
152 :
世界@名無史さん :02/12/09 17:24
153 :
世界@名無史さん :02/12/09 17:48
>>122 日露の講和条約締結時にモンテネグロは呼ばれてないので、
未だ戦争状態という後日談もあるとか
154 :
世界@名無史さん :02/12/09 17:55
>>153 それは吉里吉里国が大国に宣戦したというのと大して変わらないような、、、
155 :
世界@名無史さん :02/12/09 19:32
モンテネグロのネグロってなんでしょうな、、、にぐろ?
156 :
世界@名無史さん :02/12/09 20:41
モンテネグロ=黒い山
モンテ=山 ネグロ=黒い なので、まあ、にぐろと同じ語源ではあるわな。
158 :
世界@名無史さん :02/12/09 21:43
>>148 それらの公はモンテネグロの公と同じで
英訳されるとprinceになる公じゃないかなあ。
>>148 ん?ポンメルンやシュレジエンって神聖ローマ帝国とポーランド王国の
両方に同時に属していたの?
160 :
抜かずヌルハチ :02/12/09 22:58
日本は明治維新ですべての藩が版籍奉還したのだが、どっか山の中の藩が 「うちは日本国には参加しましぇん」とカバチたれて、何らかの事情で それが通ってしまってたら、リヒテンやモナコみたいな「極小国」が 出来たんだろうな。 下手打ってたら、欧米にとっての侵略の口実となりかねんが、 うまいこと近代日本と共存共栄していたら、それはそれで 面白いことになったかも。
161 :
世界@名無史さん :02/12/09 23:08
日本史にも蝦夷共和国があったけどな。
>160 俺の田舎は名古屋だが、名古屋リパブリックってのがあってもいい とかねがね思っております。 春日井市民などは名古屋出身と偽らないように。
163 :
世界@名無史さん :02/12/09 23:40
薩摩藩なんかは万国博覧会に幕府とは別に「独立国」として出展してなかったっけ?
164 :
世界@名無史さん :02/12/10 00:08
高校の世界史教諭が語っていた「独立国家の作り方」 1)家から一歩も出ず、税金・光熱費を払わない 2)食料や生活に必要な物は全て自活 3)税務署や水道局などがやってきたら、投石で追い払う 4)警察がやってきたら投石で追い払う 5)機動隊がやってきたら投石で追い払う 6)自衛隊が(以下略) 7)自衛隊を追い払い、日本国政府に独立を認めさせたら、晴れて「独立国家誕生」 よーし。パパ独立しちゃう(略
>>164 うちの近所にいる人なんですが、
(3)の段階を市役所の人間に包丁を投げつけるという荒技でクリアしたところ
基地害認定を受け警察どころか誰も彼の家に近づかなくなり、
役所も半ば見捨ててしまっているのですが彼の家は「独立国家」となるんでしょうか。
166 :
世界@名無史さん :02/12/10 00:49
>165 とりあえずどっか別の国と外交関係樹立すれ。 っていうか昔の筒井康隆作品みたいなヤシだな。
167 :
世界@名無史さん :02/12/10 06:25
北杜夫も独立国作ってたっけ、、、 あとベトナムの旧王家なんかが一族、旧家臣だけで国を名乗ることは 可能かな?
168 :
世界@名無史さん :02/12/10 11:30
タイトルの再確認 「欧州の人口100万人未満の小国の歴史」
>モンテネグロ 実はこの名前はイタリア語で、モンテネグロでは「ツルナ・ゴーラ」という。 ツルナ=黒い、ゴーラ=山。 概して森林に乏しいバルカン半島で、モンテネグロの深く黒々とした森が珍しく、地域名になったらしい。 ポーランドの公って何かややこしいことになってたような。 確か、ポーランド王の封臣なんじゃなくて、公たちの有力なのがポーランド王を名乗るんじゃなかったっけ?
170 :
世界@名無史さん :02/12/10 14:52
>>169 王じゃなくて大公。ボレスワフ勇敢王が得た王号は内紛によって返還されてしまう。
その後代替わりの度に内紛に見舞われるので、領土を分割統治して、その上に大公を置くことにした。
ヴェルコポルスカ、シロンスク、クラクフ、サンドミシェ、クヤーヴィ、マゾフシェ等が主な公国(後にひたすら細分化される)。シロンスクを除いて統合されるのは14C前半のカジミエシ三世の時代。
そんな感じなので、東西ポンメルンはポーランド公(王)に臣従していたのは極めて短い期間だった。
シロンスクは分領時代にチェコードイツ化。再統一直前はヴェルコポルスカの貴族がベーメン王(ヴァーツラフ二世)を公に選んだり、騎士団とチェコが同盟して攻めてきたりと、回収は難しい状態にあった。
ヴァーツラフの後はルクセンブルク家のヨハンを相手にしなければならなかったので、ちょっと分が悪い。なので、拡大政策は東のガーリチ公国に向かった。
171 :
世界@名無史さん :02/12/10 16:00
>>167 > 北杜夫も独立国作ってたっけ、、、
シャハジ・ポンポン・ババサヒブ・アル・アシッド・アリストクラ
シー・ストンコロリーン二十八世、新生アッシュア国の王として迎えら
れ、シャハジ・ストンコロリーン一世となる。
井上靖なら、吉里吉里国。
172 :
世界@名無史さん :02/12/10 17:18
懐かしい。『さびしい王様』だね。
173 :
世界@名無史さん :02/12/10 20:22
>>170 普通 再統一はカジミエシュ III ノッポ王(大王)ではなく
彼の親父のヴワデディスワフ II チビ王の仕事とされているぞ。
>>169 ツルナ・ゴーラってマヴァール年代記にでてきましたなあ、、、
175 :
世界@名無史さん :02/12/10 21:42
「さびしい王様」のジュゲム名前だが、俺が覚えているのはちょと違う。 「シャハジポンポン・ババサヒブ・アリストクラシー・アル・アシッド ジョージ・ストンコロリーン」 だったような…。手元に本が無いから確認できないが。 で、息子の王子は単なる「ジョン」。 スレ違いで怒られるのでsage。
178 :
世界@名無史さん :02/12/11 07:31
アメリカ合衆国皇帝には領土はあったのだろうか?
179 :
世界@名無史さん :02/12/11 07:35
↑何のことか解らない人人は「アメリカ合衆国皇帝」で検索かければ解るよ。
180 :
世界@名無史さん :02/12/11 07:45
>>178 アメリカ合衆国皇帝なんだから合衆国が領土だよ。
181 :
世界@名無史さん :02/12/11 08:57
>>180 いや、実効支配してないと駄目だよ。
神聖ローマ皇帝はドイツとイタリア全てを領土としていたわけではなかったが、自領地はあったからね。
せめて、合衆国皇帝も自分の家ぐらいはないと。
>181 しかしノートン1世はカリフォルニアで徴税権を持っていたぞ。
神聖ローマ皇帝の自領地ってどこ?
184 :
世界@名無史さん :02/12/11 12:31
>>183 ハプスブルク家の皇帝ならハプスブルク領
>>184 それは「神聖ローマ皇帝」の領土じゃないんじゃない?
オーストリア大公とかボヘミア王とかの領土でしょ。そのタイトルを皇帝が兼ねてるだけ。
皇帝としての領土、って聞いたことないよ。
186 :
世界@名無史さん :02/12/11 16:34
>皇帝としての領土、って聞いたことないよ。 じゃあ、そんなものないってことじゃないの?
187 :
世界@名無史さん :02/12/11 18:36
ではそうゆうことで決着したのでお手を拝借・・・・
あまり強大な権力を持っていると言いがたい例として神聖ローマ皇帝を挙げたわけだが。 皇帝としての領土という意味ではなく、一貴族として領土を持っていたという意味。 そういった意味で、アメリカ全土を領土としていなくても、せめて自分の家の土地ぐらいは所有してないと、と言ったのだ。
189 :
世界@名無史さん :02/12/11 19:29
アメリカの大統領選挙で多額の献金をした人は ルクセンブルグ大使にして報いるのだそうだ。 格式は高くても実権はなく限りなく名誉職に近い。 西欧の小国の大使はシロウトが多いとか。
190 :
世界@名無史さん :02/12/12 14:29
今度買う投資信託がルクセンブルク大公国籍なんだけど この国は政治的、経済的、軍事的には大丈夫ですか?
>>190 匿名掲示板でそんな質問をするなんてヤヴァすぎると思いますが。
192 :
世界@名無史さん :02/12/12 15:18
193 :
世界@名無史さん :02/12/12 19:29
>>155 モンテネグロって、昔はゼータ公国って、まるで漫画にでも出て
きそうな名前だったんだ罠
194 :
世界@名無史さん :02/12/12 20:13
>>193 一応ホローしとくが、17世紀に成立した公国とは全くの別物。
9-11世紀頃のセルビア人国家の中心はゼータとラシュカの2つあった。公(クネズ)というよりは族長(ジュパン)に近い存在だったと思うよ。
195 :
世界@名無史さん :02/12/12 22:27
公(クネズ),族長(ジュパン)ってどう違うの? 公(クネズ)は西欧の公爵と同じもの?
196 :
世界@名無史さん :02/12/12 22:32
>>161 蝦夷「共和国」は、歴史上存在していない。
>>196 うむ。自身が「蝦夷共和国」と名乗ったわけじゃないもんな。
198 :
世界@名無史さん :02/12/13 10:49
199 :
世界@名無史さん :02/12/14 01:14
あのとき北海道に徳川公国ができていたら今ごろどんな感じでしょう?
200 :
世界@名無史さん :02/12/14 01:19
>>199 新政府は絶対に潰してた。
徳川公国を認めるわけにはいかぬ。
せめて御三家が日和見なきゃ可能性あるんじゃ。 そんで北海道に家門譜代旗本が結集して。 ちょっと厨房な意見かな。スレ違いだし。俺が1なんだけど。
202 :
世界@名無史さん :02/12/14 01:58
>>201 「夢酔独言」読め
如何に江戸後期の旗本御家人の大部分が役たたずだったかよくわかるから
そんなやつらに何が出来た?
確かに260年で三河武士は堕落しきったらしいな。 戦国時代はいっちゃん強かったのに!
204 :
世界@名無史さん :02/12/14 19:02
>>201 鳥羽伏見の戦いで寝返った稲葉&藤堂両家は親藩譜代大名なんだが…
>>195 近現代史やってる私にとっちゃあクネズなんて村長さんみたいなもんだが。
近現代にはそこまで価値が落ちたんだよね。
>公(クネズ)は西欧の公爵と同じもの?
西洋の公爵……って、dux?
公爵"dux"は国王の臣下だから、クネズとは違う。
公"prince"は国王の臣下じゃない。この時代のクネズは公に近いもんだと思う。
藤堂は外様だけどかなり初期に家康に臣従してますね。 、、、スレ違いですまん。
なんで183は一方ではduxといいながらprinceというんだろうか
209 :
世界@名無史さん :02/12/17 06:02
モナコ公国の家臣になれば男爵くらいにはなれますか?
幻のサロ共和国も忘れないで!
突然ですが、独立国宣言を致します。 領土は世界史板内。 現在領土は1レス、国民は私一人。 国民募集中
213 :
世界@名無史さん :02/12/18 04:51
>>212 領土がネット上かよ。
沈黙の艦隊より認めがたい領土だな。
>>212 か、、勝手に店開きされてモナー
取り敢えず私を侍従長兼枢密顧問官にしてくれ。
215 :
世界@名無史さん :02/12/18 09:15
>>212 情報がこれだけじゃ国民になりたくても・・・
まぁ、AIが自分を生命体だと宣言する 漫画が流行ったりする時代だから、良いんじゃないか?
>>209 当初中世史でラテン語を勉強し、その後近現代に転向して英語論文を読んでるからです(藁
>ネット上国家
あるよ。
http://www.juga.com/ サイバー・ユーゴスラヴィア。1999年建国。市民が500万人に達したら国連に加盟申請し、
20平方メートルの領土を持つそうだ。そこにサーバー置くんだって(笑
218 :
世界@名無史さん :02/12/18 23:14
age
トルコはキプロスにかいにゅうするなああああ!
サンマリノ共和国の貴族ってどんな奴等なんだ?
222 :
世界@名無史さん :02/12/19 00:06
↑執政官を出したことがある、とか?
>>221 サンマリノ共和国の議会は二院制で
平民院と貴族院に分かれてたはず
貴族階級の人間はサンマリノ国内に三百人くらい居るらしい
これもローマ共和国時代の伝統か?
サンマリノ共和国に1946年4月非暴力自由選挙による 共産党政権が誕生したらしい、ますます謎だなサンマリノ
225 :
世界@名無史さん :02/12/19 01:23
人口2万の国で貴族が300人とは!
226 :
世界@名無史さん :02/12/19 13:30
外務省の資料を見る限り四十五年から左翼政権が続いたのはほんとみたいだ
228 :
世界@名無史さん :02/12/19 13:37
229 :
世界@名無史さん :02/12/19 13:49
PCでサッカーのゲームやる時使う国はサンマリノ、マカオ、香港
マカオ、香港は国じゃないですねスマソ でもワールドカップじゃ独自のチームをだしてるんですよ
231 :
世界@名無史さん :02/12/19 14:04
マルタ共和国には第一次大戦中、船団護衛任務で戦死した 71人の日本海軍軍人の慰霊碑があるらしい
233 :
下r-印具 :02/12/19 14:30
ドイツ潜水艦にやられたのだな。 ろくな対潜水艦機器もなく、存在が目的の派遣だ。 悪い居住にたえ長距離行動にたえた海軍将兵に敬礼! 井上海軍大将が、このような政治目的の兵の使い方はよくないと指摘 したが、無視された。
>224 史上初の「選挙による左翼政権」って、チリのアジェンデ政権だと 思ってた。
ビバ、サンマリノ
サンマリノ国民は何で共産党や社会党に票入れたんだろ? 農業立国だからか?
>>226 サンマリノ共和国では教会と共産主義が融合してるのか???
共産党の執政官て時空を越えたシュールレアリズムな…
キプロスはギリシャのものです。
239 :
世界@名無史さん :02/12/19 16:19
あげ
240 :
世界@名無史さん :02/12/19 17:10
サンマリノの46年の共産党政権だが連立政権だろ 別に共産党が過半数とったんじゃなくて連立の一翼を担っただけ
>>240 しかし、
>>226 によれば86年戦後初めてキリスト教民主党と
共産党の連立政権が誕生したとある
46年の共産党政権は左翼の連立政権と
考えるのが妥当だろう
242 :
世界@名無史さん :02/12/20 15:06
サンマリノの通貨はユーロ
243 :
世界@名無史さん :02/12/20 15:09
ヴァチカンの発行してる独自の通貨についての詳しい情報キボヌ
モナコ公国のネタが少ないなあ、、、 大公の臣下の貴族とかいるんでしょうか?
245 :
世界@名無史さん :02/12/23 03:55
ルクセンブルク、バチカン、キプロス リヒテンシュタイン公国、サンマリノ共和国、モナコ公国、 アンドラ公国、マルタ共和国、アイスランド 確認すると以上がこのスレの趣旨に該当する国です。
モンテネグロも100万ないよ。 焦って調べちゃったじゃないか。
247 :
世界@名無史さん :02/12/23 20:10
>>246 「セルビア・モンテネグロ(旧ユーゴスラビア)」を構成する国家の一部
害務省のHP漁れば結構資料出てくるYO!
249 :
世界@名無史さん :02/12/24 08:14
>>245 ローマのどっかの建物の3階だかにあるマルタ騎士団国(聖ヨハネ騎士団国)をお忘れでないかい
連邦国家の構成国でも、小国は小国でしょ。
マルタ騎士団国,モンテネグロも含めます。
252 :
世界@名無史さん :02/12/26 18:15
age
253 :
世界@名無史さん :02/12/26 21:44
ネタ切れ?
254 :
世界@名無史さん :02/12/27 01:31
>>242 すげーな、サンマリノってユーロに参加してんだ。
トルコはできないのに。
255 :
世界@名無史さん :02/12/27 04:13
サンマリノはイタリアの通貨を使ってたんじゃなかったっけ。 だから、イタリアがユーロに参加すれば当然ユーロ。
256 :
世界@名無史さん :02/12/28 14:35
age
モンテネグロもユーロに参加…というか勝手に通貨に採用しとる。 年末にもセルビア大統領が決まって、連邦の新憲法が採択されれば、 晴れて国際舞台にモンテネグロの名前が復活だー。
258 :
世界@名無史さん :03/01/03 20:39
アンドラ公国って「公国」じゃないだろ!
259 :
世界@名無史さん :03/01/03 20:42
Principality of Andorra Principaute d'Andorre だからなあ 訳すると アンドラ公国になるだろ
260 :
世界@名無史さん :03/01/03 20:57
プリンスがいないのに「公国」と名乗るのは何ゆえ?
>>260 ドイツ第三帝国も皇帝居ないじゃん
昔フランスの大統領か首相にアンドラ大公が権力を
委譲したんだろ
詳しくは害務省のHPでも観れば?
>プリンスがいないのに「公国」と名乗るのは何ゆえ? ウルヘル司教とファア伯爵の権利継承者としてフランス大統領の 二人が公爵となっています。 つまりカトリック教会とフランスが形式上の共同主権者。 (ウルヘル司教の公爵権利についてはスペインが権利を主張するも 司教側から個人的権利であり教会に属すると拒否されています。)
263 :
世界@名無史さん :03/01/04 01:19
つまりシラク氏は、アンドラ国内では君主なんですな。
>263 フランス大統領=アンドラ公爵(フォア伯爵権利継承者)なので シラク氏は大統領の在任中はアンドラ国外であっても君主の1人です。 (そう考えるとちょっと面白い〜共和国と公国が同君連合みたいなものでしょ?)
265 :
世界@名無史さん :03/01/07 23:12
あげおめ!
266 :
世界@名無史さん :03/01/07 23:16
スペインやフランスが邪魔しているのでしょう>バスク 独立心は結構熱い様だが。
(^^)
268 :
世界@名無史さん :03/01/17 12:16
そろそろカリオストロ公国ねた希望。
269 :
世界@名無史さん :03/01/19 14:54
age
270 :
世界@名無史さん :03/01/20 00:40
以前イギリスの沖合いの人工島かなんかの所有者が、王国を勝手に作ったという話を聞いたことがあるんですが、 誰か詳細を知りませんか。 またその後どうなったか教えて下さい。
油井の奴ね
272 :
世界@名無史さん :03/01/20 23:46
age
273です 名前間違えた
275 :
世界@名無史さん :03/01/23 03:24
今後、アルザス、ロレーヌなんかが独立する可能性はあるの? 最後の授業、知ってます?
276 :
世界@名無史さん :03/01/23 06:48
↑小学校の時の国語の教科書にあったな。
277 :
世界@名無史さん :03/01/23 11:08
>>276 フランスの対独&地方文化抑圧プロパガンダつーことで
教科書から消えたと聞いたがほんと?
278 :
世界@名無史さん :03/01/23 14:11
>>276 実際のところアルザス、ロレーヌはドイツ系の住民が多くて
ドイツ併合には肯定的だったらしいだから
最後の授業はあまり現実味の無い話
最後の授業を書いたドーデはフランス極右だからな。
280 :
世界@名無史さん :03/01/27 17:23
バスク人は最近どうなんだ一昔前なら爆弾テロとかやってたんだけど
バスク人だと100万人越しませんか?
282 :
世界@名無史さん :03/01/30 19:39
age
283 :
世界@名無史さん :03/01/30 19:42
マリア・テレジアの旦那フランツ・シュテファンの母親ってフランスの王弟令嬢 だったのね。
284 :
世界@名無史さん :03/01/31 05:56
「最後の授業」はそれまで他民族に支配されていた住民が明日からは 同系統の民族の国になるという話。
285 :
世界@名無史さん :03/02/01 21:41
「最後の授業」>同じような話、世界中にありそう。。。
286 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/02/01 22:01
>>278 サルトルの母方のお祖父さんはシュバイツァーのお父さんの長兄で、アルザス併合のとき
「ドイツ人になんかなれるか」と言ってパリに行っちゃった人です。
で、ドイツ語の先生になって教科書の編纂もして結構有名だったようです。
お祖父さんは左翼じゃないから、人それぞれだったんでしょう。
>286 アマノウヅメさん。また来てください。 いつも通り真面目で面白いレスを期待してます。
288 :
世界@名無史さん :03/02/04 18:23
第一次、第二次世界大戦後、フランスは執拗にザール地方を併合しようとした 「最後の授業」は立場をかえてあったかも むろんザールは純然たるドイツ人居住地域だから現地の人間はみなブーたれるだろうが
289 :
世界@名無史さん :03/02/06 06:23
今から欧州で独立するとしたらどこですかね?
モンテネグロ……は早くても3年後ということになっちゃいましたが。
291 :
世界@名無史さん :03/02/07 12:51
ブルターニュは?
>>289 多少とも可能性があるのはモンテネグロ、バスク、
カタルニア、ガリシア、コルシカぐらいかなあ
294 :
世界@名無史さん :03/02/09 08:54
モンテネグロの君主(公)が復活する可能性は?
バヴァリアとスコットランド独立キボン
296 :
世界@名無史さん :03/02/10 08:18
スコットランドが独立したら私兵もってる公爵が君主になるかな?
297 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :03/02/10 09:05
100万人ねぇ。 西鶴は「千軒あればともすぎぞかし」と言ってるから、100万人なら 何とか暮らせたんじゃ。鎖国時代の話で、内需が頼みの綱ですが。
298 :
世界@名無史さん :03/02/12 08:05
>「千軒あればともすぎぞかし」 どういう意味ですか?
299 :
世界@名無史さん :03/02/13 08:01
アップフェルラント王国ってなかった?
それは田中芳樹の脳内にしかない(笑
クリミア・タタール共和国、ロシアは承認して無いけどスターリン時代に カダフスタンとかに追放されたモンゴル人の子孫がクリミア半島に戻って 独立する運動をしてる スラブ人の迫害で虐殺されたりする事件もあったらしい クリルタイで物事を決めたりしてるらしい だけどロシア政府は電気、水道を止めたり 市民権の停止とかして弾圧中
302 :
世界@名無史さん :03/02/15 16:04
エビせんべい共和国
北杜夫の話が出てたが「さびしい王様」の事ではなくて「マンボウ・マブゼ共和国」 の事では? 関係無いな、すまぬ
304 :
新しいミニ国家誕生 :03/02/15 20:00
ルーマニアのトランシルバニア地方が近じか独立します。 人口100万ぐらいかな? ルーマニア領土の4分の1ぐらい。 ほとんどがハンガリー系住民です。 首都はクルージ・ナポカ。
WW1後、各国強引にハンガリーから領土をぶんどったわけだけど、その歪みが 解消される第一歩なのかな?
そうですね。大体この地域が独立していないのはそもそも不思議。 100万人以上の少数民族って?? しかも、トランシルバニアのハンガリー系って、本国の人よりも 伝統的なマジャール文化をもってるし。 シャウセスク政権が崩壊したあの革命も、この地方のティミシヨアラから 始まったし。 ってゆーか、現地の人によると、彼らは単にルーマニア人といっしょにさ れるのが嫌なだけとか。
307 :
世界@名無史さん :03/02/19 22:04
コルシカとか独立せんかな?
308 :
世界@名無史さん :03/02/20 02:49
>>306 それだったらハンガリーに入るのも可だと思うけれど、ルーマニア側が許さないかな?
309 :
世界@名無史さん :03/02/20 22:01
310 :
世界@名無史さん :03/02/20 22:49
>>304 うおっそりゃマジですか?
遂にセーケイ共和国成立か。
ソースきぼん。
311 :
世界@名無史さん :03/02/20 23:27
>308 ハンガリーがトランシルバニアを回復するって言うのは 国際法上無理がありますね。 1940年に北トランシルバニア地方をハンガリーに割譲し、 第2次大戦後、1947年にパリ講和条約でこの地を回復する 事が認められたので。 ハンガリーがこの地方を回復できる根拠がないのです。 それよりはトランシルバニア独立のほうが現実的です。
312 :
世界@名無史さん :03/02/20 23:34
>309 茶色の斜線の部分の事でしょうか?それは北トランシルバニアです。 先ほどの40年にハンガリーに割譲された部分ですね。 最もハンガリー色が濃い地方ですが、一般にトランシルバニア地方は トランシルバニア・アルプス以北、カルパチア山脈以西、の三角地帯です。 従って、ティミショアラ、アラドなども含まれます。
313 :
世界@名無史さん :03/02/20 23:49
>310 ソースはありません。私のカンです。 でも、私が去年2ヶ月ほどクルージ・ナポカにいましたが、 住民投票で51%が独立に賛成という結果が出ています。 私はなんだもう独立するのかと思ったほどです。 その時はルーマニアと相当もめるでしょうね。 なにしろ、ルーマニアの中ではこの地方はもっとも治安が良く、 経済も比較的安定しているからです。 ただでさえひどいルーマニアの情勢ですから、この地方がなくなると 残りはどーしようもないカスといっても過言ではないでしょう。 目立った運動とかは今のところありませんが。 ドラキュラパークのような外国の投資が盛んになり、他の地方との 経済格差がもっと進むと、独立は目の前です。 クロアチアやスロベニアみたいに、 本国よりも先にEUに入っちゃうってこともあるかも。
314 :
世界@名無史さん :03/02/23 09:13
age
315 :
世界@名無史さん :03/03/01 15:15
316 :
ほるちゃん :03/03/08 00:20
マルタ騎士団国ネタきぼんぬ。 「国土無き国家」といいつつ、議会も憲法もありだなんて・・・(藁) 何を話し合うんでしょうね。 イタリア旅行の時この国の存在を知っていたら本部ビルの外観だけでも見物したものを!残念!!
318 :
世界@名無史さん :03/03/08 16:46
創価学会みたいな宗教団体がどっかの島のっとって、国をつくるってのありそうじゃない?
320 :
世界@名無史さん :03/03/09 21:56
トランス・ドニエストル共和国はどう?
(^^)
322 :
世界@名無史さん :03/03/22 16:40
age
323 :
世界@名無史さん :03/03/25 18:01
ウエールズは独立国とは言えないの?
324 :
世界@名無史さん :03/03/26 08:12
マルタ騎士団は国に準ずる地位を認められていて、国連にもオブザーバーとして 参加している、と聞いた。
325 :
世界@名無史さん :03/03/28 20:41
age
326 :
世界@名無史さん :03/03/28 20:56
マルタ騎士団とマルタ共和国の関係ってどうなんでしょうか。 騎士団が領土回復要求とか出したりしないんだろうか。
327 :
【^▽^】ジーモン@ケー二ヒスベルク :03/03/28 20:59
マルタ人はアラブ系の血が濃く、マルタ語もアラビア語系かな? 宗教はカソリックだけど。
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329 :
世界@名無史さん :03/03/31 21:53
モナコ公国って もちろん憲法は存在するけど、 君主権力が強くて とても民主主義国家とは 呼べないと聞いたけど本当?
330 :
横レスですがマジレスしてみます :03/04/01 15:20
女帝グレース・ケリーってか。
名前は誤爆です(w
332 :
世界@名無史さん :03/04/02 21:12
>329 大公はんの個人商店ですか?
モナコ公国って税金安いから世界中の金持ちが移住するって聞いたけど。
334 :
世界@名無史さん :03/04/06 13:00
>333 つーか税金が無いんだよな。
335 :
世界@名無史さん :03/04/08 20:43
モーナ公国
336 :
世界@名無史さん :03/04/10 19:00
モナ-公国
337 :
世界@名無史さん :03/04/10 20:28
>>334 税金無しでどうやって運営してんだ。
全部外貨収入でまかなってんのかな?
338 :
世界@名無史さん :03/04/10 21:57
>337 カジノと観光収入
339 :
割込みしていいでしょうか :03/04/14 02:04
あの、お話中恐縮ですが、どなたかルクセンブルク大公国のマリー・アデレート女大公の退位後についてお教えくださいませんでしょうか。 このスレを読んで幽閉されたことまではわかったのですが、どこに幽閉されてどんな暮らしぶりだったのかもっと詳しいことを知りたいのです。 教えて君の厨房で恐縮ですが、どうかよろしくお願い致します。
>>231 日本人枢機卿は今までに4人いる
東京大阪長崎の大司教がなっている
342 :
世界@名無史さん :03/04/16 20:00
って事は教皇も夢じゃない!
(^^)
344 :
世界@名無史さん :03/04/18 00:35
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
346 :
世界@名無史さん :03/04/21 01:04
マルタとマルタ騎士団って同じものなの?
347 :
世界@名無史さん :03/04/21 01:16
>>346 領土を持った主権国家マルタ共和国と
領土無き独立国マルタ騎士団は別の組織。
ムツゴロウ王国って独立国家なの?
349 :
世界@名無史さん :03/04/23 22:37
ああ、畑正憲ね、、、
350 :
世界@名無史さん :03/04/29 22:09
age
351 :
世界@名無史さん :03/05/14 19:21
age
352 :
世界@名無史さん :03/05/18 22:23
ルクセンブルク大公家って神聖ローマ皇帝も出した名門ですよね?
353 :
世界@名無史さん :03/05/18 22:37
まあそうなんだが 神聖ローマ皇帝を出した中世のルクセンブルク公家と 今のナッサウ家のルクセンブルク大公には直接的な連続性はないよ。 ヨーロッパ貴族のことだからどこかで血は繋がってるとは思うけど。
え、そうなんすか!
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
356 :
世界@名無史さん :03/05/24 12:33
age
357 :
世界@名無史さん :03/05/24 12:56
そもそもナッサウ家も皇帝出してたよな。
358 :
世界@名無史さん :03/05/24 15:11
そこらへんもうちょい詳しく。
359 :
世界@名無史さん :03/05/24 15:39
大空位時代の後ハプスブルク家、ナッサウ家、ルクセンブルク家、ヴィッテルスバハ家の間で 帝位が行ったりきたりした時代があったな。この中で最弱のナッサウ家だけが現在でも2ヶ国 (オランダ、ルクセンブルク)の君主位を保ってるのか。
360 :
名無史さん :03/05/24 21:36
マルタ騎士団のHPあるよ。90ケ国以上と外交関係がある。実は、最後の宗主国であるイギリスと騎士団の間にはマルタ島返還の約束があったが、自治から共和制導入の流れで反古になった。 以来マルタ島の政局は結構流動的(二大政党の片割れが、なんとリビア派)。
361 :
パシッチ ◆mWYugocC.c :03/05/25 11:35
誰も語りそうにないから語ってみる。 ・皇帝を出したルクセンブルク家 リュッツェルブルク家。1247年にルクセンブルク公位を手に入れた。 が、1437年に最後の公ジギスムントが死んで、跡継ぎがいなくて断絶。 娘婿のオーストリア公アルブレヒト、ザクセン選帝侯ヴィルヘルムを通じて、公位はブルゴーニュに統合された。 ・現ルクセンブルク大公家 ナッサウ家。ブルゴーニュ家の有力な家臣の出。 1190年からナッサウ伯。1255年に兄のヴィルラム系と弟のオットー系に分かれる。 皇帝アドルフ・フォン・ナッサウはこのヴィルラムの息子。 ヴィルラム系はナッサウ伯位を相続、1890年にルクセンブルク大公位を獲得。 オットー系からはオラニエ公ヴィレムが出て(オラニエ=ナッサウ家)、ネーデルラント総督に。 ヴィレムの家系は1702年に断絶するが、ヴィレムの弟の家系がその後もネーデルラント総督位を相続。 1802年ルクセンブルク大公位を得るが、1890年これをオットー系に譲る。 1815年ネーデルラント(オランダ)王。 つーこってす。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
363 :
世界@名無史さん :03/05/31 20:05
>>361 さんくす。
ところでエステルハージ家って現存するの?
364 :
世界@名無史さん :03/06/08 16:29
あげ
365 :
世界@名無史さん :03/06/22 20:25
ドイツの領邦とか今でも史跡があるんでしょうか?
シーランド公国ってどうよ?
367 :
世界@名無史さん :03/06/29 09:41
age
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
369 :
世界@名無史さん :03/07/27 14:05
あげ
370 :
世界@名無史さん :03/07/29 08:36
切手で食っていけるのか?
371 :
世界@名無史さん :03/07/29 10:06
スイスの山岳地図は重要な輸出品。
実は僕の彼女がモンテネグロ人なのですが、彼女によると、もちろん独立したい とはみんな思っているが「独立してどうすんの?」という考えもあるらしい。 あと、やっぱ「セルビア人」という総体は「怖いから」好きじゃないらしい。
セルビアはEUから確実につまはじきにされるだろうから、そのセルビアから離れる という意味ではモンテネグロの独立はありかも。もっとも、同じ穴の貉だからなぁ。
374 :
世界@名無史さん :03/08/28 13:08
>>338 今は金融が主要財源
グレースケリー存命中はマフィアに麻薬ルートや資金洗浄の提供までしてたらしい
今は金持ちの税金逃れのための資金洗浄
大公一人のためではない所は、リン鉱石きれたナウルの大統領に通じるものが
モンテネグロ議会は独立賛成派が3割、反対派が3割、現状維持が3割と きれーにわかれてますな。首相は独立派だけど、 結局経済的にはセルビアなしでやっていけない国なので独立しようがない。 とはいえ通貨をユーロにしたりと、西欧に接近することによって 長期的にはEUの枠内での独立を考えているふしもある。
ヨーロッパ随一の嫌われ者のセルビアにくっついていても先がないからな。
何でセルビアがヨーロッパで嫌われてるのかいまだに良くわかんないよ。
その後にはクロアチアの遠大な陰謀が……
>>377 ボスニア紛争時の民族浄化が最高に効いた。
コテハンの名前通りにセルビアナショナリズムよりな発言になりますが、 "Ethnic Cleansing"「民族浄化」ちおう言葉そのものが、クロアチアの情報戦略のたまものです。 紛争時にクロアチアはアメリカの広告企業と契約し、反セルビアキャンペーンを展開して、 国際世論の動員に成功しました。 どの民族もやっている(というか、誰が始めたのかも定かではないうちに報復の連鎖が始まった)のに、 民族浄化=セルビア、というレッテルが貼られました。 ……ソースはNHKスペシャルですが。
セルビアが決定的に悪者になったのは、 オマルスカ鉱山強制収容所の存在が西側メディアによってスクープされてから。 荒涼たる風景の中、鉄条網越しにじっと立ちつくすガリガリにやせ細った収容者達。 中の一人に、耳がないのはなぜか、と尋ねると、「それは言えない」とだけ 答えて黙りこむ… すべてがナチスドイツの記憶と重ねあわされたのでした。
欧州には小さい独立国が7つあるそうだが 面積が小さい順にヴァチカン、サンマリノ、モナコ… あと四つは?
マルタ騎士団とかシーランドとか・・・(違
385 :
世界@名無史さん :03/09/18 21:43
>>338 あと金融もあるらしい
スイスやルクセンブルグもそうだが
>>381 クロアチア民兵なんて、公然とナチ敬礼やってたのにね。
メディアとは恐ろしい。
387 :
世界@名無史さん :03/09/18 22:04
>>386 レイプ収容所の一件、結局デマだったらしいですね
388 :
世界@名無史さん :03/09/20 20:14
アンドラは、以前は免税ショップの国でしたよね ユーロの時代の今の産業は何? マルタなんて観光と漁業ぐらいしか産業が思い当たらない
>387 ソースきぼんぬ。 >388 観光っす。というかそれ以外何もないし。
390 :
世界@名無史さん :03/09/20 21:53
>>386 「ウスタシ」or「ウスタシャ」ってどんなスペル?
またその意味は何?
どういう意図での質問か分からないけど答えてみよう。 ustaša (女),反乱者。
392 :
世界@名無史さん :03/09/22 20:43
>>389 週刊プレイボーイの国際ジャーナリスト記事
湾岸戦争時のクウェートの少女の証言と同じく、戦後調べたら、セルビア民兵の
レイプ収容所など、それらしいものは発見されなかったそうだ
コソボ自治州のKLAを「自由の戦士」と一方的に擁護し、イスラム原理主義者と
アルバニアンマフィアが重きをなした事実を黙殺していたことも書いてあった
ミロシェビッチが悪役に仕立てやすい独裁者だったのが災いしたな
>392 レイプ収容所の件はまだハーグで裁判中だったと思うが…
395 :
世界@名無史さん :03/10/01 11:35
タックスヘブンかねえか 日本も資源が欲しい
396 :
世界@名無史さん :03/10/01 14:00
沖縄の参考になることは?
397 :
世界@名無史さん :03/10/01 14:17
>396 非武装、芸能立国。
398 :
世界@名無史さん :03/10/01 15:50
ヨーロッパの極小国の国民は、いざとなったらEU圏内の他所の国にいけばいいものね
399 :
世界@名無史さん :03/10/01 15:52
資源なんてなくていいじゃん。 ヘタに資源が有るとオーストラリアやカナダみたいにフヌケになる。 土人や中国人ばかりでもシンガポールや香港がそれなりに栄えているだろ、 地理的な位置(交通の要衝)にあって、商いを国是にすれば、資源なんて 無い方が豊かな国になるよ。
400 :
世界@名無史さん :03/10/02 04:00
第二次世界大戦後、サンマリノだけが唯一アメリカに賠償金を払わせたという話を聞いたことかあるのですが、本当なんでしょうか?
ええかげん、 「○○という話を聞きました。本当でしょうか/詳しい話を教えて下さい」 みたいなネタの振り方にはウンザリ。 どこで、どんな風に聞いたかくらいのことを添えてみろよ。
シラネーなら偉そうにすんな。自分の趣向を押し付けんなよ
403 :
世界@名無史さん :03/10/04 10:25
中立なのに巻き添え食らったのだろう
404 :
世界@名無史さん :03/10/04 12:30
>>399 それは負け惜しみ。
資源はないよりあった方がいい。資源があれば、アメ公と戦争する必要もなかった。
405 :
世界@名無史さん :03/10/04 14:06
ネタの振り方にウンザリしている人がいるという話を聞きました。 本当でしょうか。詳しい話を教えて下さい。
>399 アメリカも資源大国ですが。 ついでにいうと加工貿易が日本の国是とされていた時代はそろそろ終わりかもしれません。 ファブレスのおいしいところは中国に持ってかれちゃったので。
407 :
世界@名無史さん :03/10/05 11:54
>>388 流通自由化で免税の意味がなくなったってこと?それっておおごとじゃん!?
408 :
世界@名無史さん :03/10/05 21:29
関税なくなったから、消費税の免除でもして、米国のデラウェア州みたいに リタイアした人集めるとか企業優遇しかないかも
409 :
世界@名無史さん :03/10/05 21:30
>>406 日本も韓国並に移民の用意した方がいいかも
大朝鮮帝国 データー 人口 0人 領土 心の中 兵力 上限無し 特産物 火病、性犯罪、パチンコ
411 :
世界@名無史さん :03/10/06 22:47
朝鮮人の新天地はシベリア
412 :
世界@名無史さん :03/10/07 22:52
age
413 :
世界@名無史さん :03/10/09 09:15
とはいうもののサンマリノが存続している理由はマルタよりわからない キプロスも、トルコとギリシアが併合すればいいものを そういやここで統一教会が新聞を発行してたな 最近ではイギリス女性観光客のレイプ被害が問題になってた
414 :
世界@名無史さん :03/10/09 10:47
サンマリノが独立保てた理由は他の国以上にわかりにくい 公国でもなく、国境地帯でも孤島でも港でもないものね しかも、めぼしい観光名所があるとも思われない
もろ観光名所
416 :
世界@名無史さん :03/10/10 10:03
観光でも古城しかない
417 :
世界@名無史さん :03/10/10 19:59
418 :
世界@名無史さん :03/10/10 21:04
↑ 独特にカラフル 紅色ばかり
419 :
世界@名無史さん :03/10/11 09:19
大学は国外かな?
420 :
世界@名無史さん :03/10/11 13:29
ルクセンブルクには大学はなかったはず サンマリノに至っては絶対無いと思う
421 :
世界@名無史さん :03/10/11 14:43
マン島は保護領だからダメ?
423 :
世界@名無史さん :03/10/17 15:47
age
424 :
世界@名無史さん :03/10/18 07:03
ムソリーニは何故サンマリノを併合しなかったのか? 経済的メリットがないからか? ナチスドイツはルクセンブルクの占領時フランス語を禁止したし、アルザスロレーヌ 住民をドイツ国民と見做して徴兵している。
425 :
世界@名無史さん :03/10/19 09:17
英国領ジブラルタルはスペイン語と英語の混合したシブラルタル語がある
426 :
世界@名無史さん :03/10/19 10:23
>424 その前にサルディーニャ→イタリア王国も併合しなかったんだが。
427 :
世界@名無史さん :03/10/19 20:34
サンマリノに何があるのだろう? 経済的メリットがないのはわかるが。 サルディーニャ島の言葉は、イタリア語よりもっとラテン語に近いそうですな。 山岳地帯で羊泥棒→誘拐組織へ変化していった と、イタリアでは言われている。
428 :
世界@名無史さん :03/10/20 07:45
429 :
世界@名無史さん :03/10/20 08:32
ノルマン王国の末裔たち。 ガーンジー島も英国王室の保護国だな。 面積:北海道の礼文島と同じ、人口6.5万人。 この配下に更に自治領としてオールダニー島、サーク島を持つ。 1066年以来イングランドの保護国で、外交と国防以外の内政権を持つ。 もう一つ、ジャージー島。 面積:北海道の徳之島の半分、人口9.0万人。 これも1066年以来イングランドの保護国。 ジャージー種の乳牛とか織物が有名。 第二次大戦では、両諸島とも独に占領された唯一の英国領土となっている。
>105 セボルガ公国は、イタリア北西部にあって面積は諏訪湖よりやや大きい。 人口2000人。 一応、独立宣言は1995年に出しているけど、954年に城塞と聖ミカエル教会 の設立が起源で、1118年、シトー派修道会の統治する独立国となる。 12世紀半ばには、シトー派の大物であり、第二次十字軍を組織した聖ベル ナールの支援もあって大いに栄える。 後に公国として、神聖ローマ帝国に編入。 1729年、サボイ公国に強制併合されるが、周辺諸国からは正式に認められず、 ウィーン会議、イタリア統一、イタリア共和国発足時には忘れ去られ、正式に 最終帰属には言及されなかったため、1995年に改めて独立宣言を行なう。 ちなみに、マルタ騎士団国は団員数11,000名なので、それより小さい。
432 :
世界@名無史さん :03/10/20 10:16
イタリアは、自国領土につきルーズなようだ。
433 :
世界@名無史さん :03/10/20 10:23
>>431 面白い。いいねえ、こういうの。
だけど検索しても旅行記ばっかり。公式サイトはないのか。
これから、
「イタリアには4つの国がある」というのは、
「イタリアには5つの国がある」と言わなければならないな。
434 :
世界@名無史さん :03/10/20 10:38
>>433 「4つの国」?
バチカンとサンマリノ以外何処?
435 :
世界@名無史さん :03/10/20 10:45
>>431 サンマリノがイタリア・リラなのに、自国通貨発行とは。
玩具みたいなものか。
436 :
世界@名無史さん :03/10/20 10:46
そのうち日本に住む在日朝鮮人もどこかで独立運動するかもね 民族独自の文化・言語・を棄ててなく日本の中で独自の社会を形成している だが少数として差別弾圧されていて民族文化の危機なので 在日朝鮮人60万人は独立します なんてこともあるかも・・・
439 :
世界@名無史さん :03/10/20 10:49
>>434 1,イタリア共和国
2,バチカン市国
3,サン・マリノ共和国
4,マルタ騎士団
に
5,セボルガ公国 <<431
440 :
世界@名無史さん :03/10/20 10:52
マルタ騎士団は領土なき国家? かつてのPLOみたいなものか。
441 :
世界@名無史さん :03/10/20 11:03
>>440 マルタ騎士団領は本スレに於いて一番人気。
繰り返し書き込まれています。
442 :
世界@名無史さん :03/10/20 11:09
>>430 >面積:北海道の徳之島の半分、人口9.0万人。
何と間違えたんだ?
445 :
世界@名無史さん :03/10/20 21:01
PLOは、レバノン時代には、 領土なき国家 と呼ばれていた。 ホメイニ時代のイランも、パレスチナ大使館を設置していたし。 国連のオブザーバーもしていなかったっけ。
>>445 いまは自治政府に継承(?)されたのでしょうか?
PLO時代、一応は独立国家を名乗っていたのに、いまは「自治」政府に格下げ(?)になっているような気も。
宗教的独立地域なら、エーゲ海北部アクティ半島先端部のアトス山を 中心とした地域もそうだね。 人口1600人で、面積385平方キロ。 政体は神聖共和制という謎なもの。 963年に聖ラブラ修道院が創建されて、ギリシャ正教最大の聖地となり、10世紀から16世紀に かけて建設された現在20の修道院と多くの付属施設が存在する。 1046年、ビザンチン帝国から「聖山」という称号を与えられ、オスマントルコ時代にも一定の 自治権を付与されていた。 19世紀のギリシャ独立で一旦ギリシャの領土となったが、1926年、行政権はギリシャ政府が 有するものの、大幅な自治権を有する特殊な自治体としての特許状をギリシャ政府から取付 る。 この地域一帯は、厳しい修行の場で、女人禁制であり、男性の入山自体も厳しい許可を必要 とするそうな。 但し、EUは女人禁制などを問題視して、この特別扱いを止めるよう、ギリシャ政府に圧力を 掛けているが、ギリシャ政府とアトス山は反対している。 また、ここを管理しているギリシャ正教の大主教が、先日、ローマ教皇と会談したのを不満と した過激派(宗教的に)修道士が退去命令を受けていて、今は予断が許さない所。 高野山や熊野三山とかが独立するとこんな感じになるんかな。
>高野山や熊野三山とかが独立するとこんな感じになるんかな。 富士山山頂は富士山本宮浅間大社の所有地ですが、県境が未設定のため どの県にも属していないそうでつ
449 :
世界@名無史さん :03/10/21 19:58
欧州以外のモルジブとかは100万人以上?
30万位。
>447 アトス山の女人禁制は人間だけでなく、ネコ以外の動物すべてに及ぶ。 ネコはねずみを取るので、いてもいいそうだ。ということは、あそこの修道士たちは、 卵もミルクもチーズもない生活。きびしいなあ。
452 :
世界@名無史さん :03/10/24 15:36
菜食主義で修行なんて似たようなこと考えるな。
453 :
世界@名無史さん :03/10/24 15:56
極小国はマネーロンダリングに加担するかカジノしないと苦しいね。 後はリゾートや観光。 EU圏内はよその国へ移ればいいからまだいいが。 モルジブやマルタはしんどいだろうな。 太平洋の国々も。
454 :
世界@名無史さん :03/10/25 01:24
バチカンが台湾と国交を結んでいるのは、現法王の反響主義のせいか?
455 :
世界@名無史さん :03/10/25 07:43
台湾も利用されつつ利用してる。 生存するのに強かな国だ。
456 :
世界@名無史さん :03/10/25 09:01
>>454 中国がカトリックの布教を許さんのだろう。
457 :
世界@名無史さん :03/10/25 09:05
458 :
世界@名無史さん :03/10/25 19:55
リヒテンシュタインは、金融制度を非難されたり、君主権制限の憲法改正で 揉めたりしてるそうだ。
459 :
世界@名無史さん :03/10/25 20:03
>>456 教会組織が政治勢力化するのがイヤだとか?
460 :
世界@名無史さん :03/10/26 10:38
共産党はやっぱり宗教を警戒してるね。 イスラム教徒やチベット仏教のこともあるし。
461 :
世界@名無史さん :03/10/26 12:39
バスクも独立てもEU
462 :
世界@名無史さん :03/11/01 10:47
age
463 :
世界@名無史さん :03/11/01 12:22
モナコと太平洋の島国、別荘地にはどちらがいい?
>463 モナコは沈まないけど、太平洋の島国は沈む可能性があるんじゃない? なら、モナコの方が良いんじゃないかな。
465 :
世界@名無史さん :03/11/02 19:46
物価は島国の方が安そうです。
466 :
世界@名無史さん :03/11/03 07:25
アンドラの住民は、フランスとスペインどちらに住みたがるだろうか? サンマリノならまんまイタリアに引っ越しそうだが。
467 :
世界@名無史さん :03/11/03 07:34
468 :
世界@名無史さん :03/11/04 22:14
age
469 :
世界@名無史さん :03/11/05 08:30
英国船スレアラ号の解体作業を巡り、PCBのような有害物質入り機材でできた船の寄航に 反対のスペインがジブラルタルを封鎖した。
470 :
世界@名無史さん :03/11/09 10:31
巣みたいな
ブータン王頑張れ
モルジブの大統領は酋長かな 太平洋の島だとそうだが
スイスのカントンも小国家だな
474 :
世界@名無しさん :03/11/17 11:16
age
スペインのナバーラ王国は?
476 :
世界@名無史さん :03/11/21 21:38
>アンドラの住民は、フランスとスペインどちらに住みたがるだろうか? 対馬の住民は韓国と日本のどちらに住みたがるでしょうか? って関係ないか、、、
477 :
世界@名無史さん :03/11/21 21:42
アンドラの人は柔軟に対応できるよ どうせ母国もフランス、スペインもそろってEU圏内だし
478 :
世界@名無史さん :03/11/21 21:45
アンドラ公国の協同元首たるフランス大統領はアンドラ公爵って ことになるんですか?
もうちょっと学習して、むやみやたらに韓国の話をするのを止めるべきだと思う。
480 :
世界@名無史さん :03/11/21 21:47
対馬伯国の宰相は国書偽造により更迭されました。
>479 ありがたき勧告でつ。コリャ〜一本とられた。
>478 アンドラ公国の宗主権は従来、ウルヘルの司教が持っていたが、1278年にフランスの フォア伯との間で、封建領主権(徴税権、裁判権、徴兵権)を共有する「対等の宗主契約」 を締結。 フランスのフォア伯の宗主権はフランス国王に譲渡され、代々フランスの元首に受け継が れてきた。 で、国旗に描かれている紋章は、ウルヘル司教の錫杖と冠、カタルーニャ伯の旗章(以上、 スペイン側)、フォア伯の旗とベアルン伯の家紋(以上フランス側)が描かれている。 と、言いながら、スペイン側の地位は曖昧で、中央政府はウルヘルの大司教をして、アンドラの 主権者の代理人という考え方だが、ウルヘルの大司教は、この特権はあくまでも、ウルヘルの 大司教が個人的に保持しているものであって、スペイン政府を代表している訳ではない、寧ろ、 ローマ教皇庁の精神的権威の下にあるとしていたりするからややこしい。
483 :
世界@名無史さん :03/11/22 18:04
それでアンドラの人の投票率は何%よ?
もしアンドラで冬季オリンピックが開催してたなら、 誰が開会宣言するんだろうか。
485 :
世界@名無史さん :03/11/24 15:11
総理ダロ
486 :
世界@名無史さん :03/11/25 02:05
フォア伯って、一瞬アフォ伯に見えない?
487 :
世界@名無史さん :03/11/30 10:05
>>484 前提がそもそも無理。
夏期も冬季もオリンピックは金持ちの国でなければできない。
今年の開催地に立候補していました。 最終選考には残れませんでしたが。 冬季オリンピックはセルビアや長野でも開催出来たのだから アンドラくらいの経済力でも十分可能だと思いマスが。
セルビアがバカにされてる……? けど、セルビアは冬季五輪やったことないですよ。
490 :
世界@名無史さん :03/11/30 19:50
カナダのモントリオールもオリンピック開催したけど、ツケの財政赤字で10年以上 苦しんだぞ。
491 :
世界@名無史さん :03/11/30 20:33
サマランチみたいな儲け主義も必然だ。 金メダルもらっても、国家体制は維持できないのは、東ドイツやソ連の崩壊 で立証済みだし。
492 :
世界@名無史さん :03/11/30 20:54
メキシコは1968年にオリンピックを開催したが 現在はやろうとしてももはやできる状態ではないとか。
493 :
世界@名無史さん :03/11/30 21:00
日本ではもう五輪もW杯も万博もやるな! 赤字とハコモノ工事だけ、インフレか不景気と財政危機しか残さない。 千里万博の後、大阪府知事が落選した。 長野県も、その二番煎じ。 もっとも、前知事のこしらえた財政赤字の規模は桁違いだから、田中康夫は 失脚しそうにない。
494 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/11/30 22:40
そういえば、「スロベニア・オーストリア・イタリアの三国国境地帯で冬季五輪を」 というのを見た覚えが。
495 :
世界@名無史さん :03/11/30 23:21
向こうも利権がらみか? フランスもイベントで雇用がどうとか、核融合施設誘致で日本と張り合ったり とか、よくよく失業問題が大変そう。
496 :
世界@名無史さん :03/12/01 05:48
バチカンでのオリンピック開催を希望する。
497 :
世界@名無史さん :03/12/01 06:37
大阪民国
498 :
世界@名無史さん :03/12/01 11:37
関市長はつまらないが、コンビニ店員の立候補と健闘は、面白かったでしょう?
499 :
世界@名無史さん :03/12/01 13:56
「せき・いちなが」さん?
五百旗頭と書いてなんて読む? 答えはメール欄
501 :
世界@名無史さん :03/12/14 10:18
ベネチアは小さな街 どんな政治 してたの?だろう
502 :
世界@名無史さん :03/12/21 20:30
貴族共和制
503 :
世界@名無史さん :03/12/22 12:21
貴族たちはどの程度金持ちだった?
あと、日本では「教会領長崎」がバチカン領だよ(藁
505 :
世界@名無史さん :03/12/27 20:13
age
506 :
世界@名無史さん :03/12/27 21:04
507 :
世界@名無史さん :03/12/28 00:18
>>503 大金持ち。
日本で貴族というとお公家さんを思い浮かべるが、
ヨーロッパではああいう旧体制支配層の末裔は平民の中に没落した。
ヨーロッパの貴族は日本で言えば戦国大名や国人領主みたいなもの。
土地の支配権が根底にあるのでイメージとしては大庄屋に近いかも。
508 :
世界@名無史さん :03/12/28 09:57
今は観光相手?
509 :
世界@名無史さん :03/12/28 21:14
貴族共和制って何?
510 :
世界@名無史さん :03/12/28 21:22
サンマリノはどんなコネでF1開催地になれたのだろう?
511 :
世界@名無史さん :03/12/28 21:31
>508 主権者が特定の個人=君主制 主権者が少数の貴族=貴族共和制 主権者が国民一般=共和制 ・・・つっても割り切れないな。 フランス革命後の制限選挙制(=主権者は高額納税者に限られる)の政体を貴族共和制というのも違う気もするし、 主権が国民一般に存する現在の日本を共和制というのもちょっと・・・。
512 :
世界@名無史さん :03/12/28 21:35
日本の政体は外国では立憲君主制とされてるよね
513 :
世界@名無史さん :03/12/28 21:40
普通、立憲君主制での主権は一応君主に留保されてるけどな。
514 :
世界@名無史さん :03/12/28 21:45
天皇の国事行為は主権の範疇外だから立憲君主制には当てはまらない。 でも共和制とは言えっこないし、実は日本の政治でトップクラスの謎なのでは?
515 :
世界@名無史さん :03/12/28 21:51
リヒテンシュタインって1人当たりGDPが世界一高いらしいけど、本当?
516 :
世界@名無史さん :03/12/28 22:12
>515 ブルネイじゃなかったっけ?
517 :
世界@名無史さん :03/12/28 22:22
>516 でもリヒテンシュタインの1997年度における1人当たりGDPは5万米ドルの大台にのってるよ? ブルネイは1〜2万米ドルぐらいだったと…。 ちなみにルクセンブルクは常に4万米ドル台らしいです
518 :
世界@名無史さん :03/12/28 23:43
それはタックスヘブンだからじゃないすか? 大金持ちや企業が税金逃れ目的で籍だけそこに置いてて 数値が跳ね上がってしまったのでは?
519 :
世界@名無史さん :03/12/28 23:56
4人家族だとして1家族あたりのGDPが20万ドル!? いくらなんでもそれは・・・。
520 :
世界@名無史さん :03/12/29 00:58
>519 各家庭に一台米ドル紙幣の印刷設備があるんだろw
61,116ドル リヒテンシュタイン 49,800ドル ルクセンブルク 12,221ドル ブルネイ
ブルネイって相当豊かなイメージがあったけど、台湾並みなんだな。
523 :
世界@名無史さん :04/01/06 00:19
age
>>522 豊かさでいうなら一人当たりGDPではかるのが適切。
526 :
世界@名無史さん :04/01/06 13:45
1人当たりGDPからすればブルネイも台湾も同じぐらいだが、傍目からみた国民の生活水準は遙かにブルネイの方が良いのも確か。
527 :
世界@名無史さん :04/01/10 17:03
あげ
528 :
世界@名無史さん :04/01/10 22:44
今宮戎には3日で100万人来るぞ
529 :
世界@名無史さん :04/01/11 00:27
ジャージ−島のご領主様の御子息は 現在日本にきてます。
530 :
世界@名無史さん :04/01/11 15:45
どんな方ですか?
531 :
世界@名無史さん :04/01/11 17:08
日本文化の研究する為に 7年ぐらい前に 来日 オックスフォード出の 方です。 アニメが好きな方でした。 確か今でも独身
532 :
世界@名無史さん :04/01/11 17:37
ブルネイは外国人労働者を使ってるんだろ。自国民だけ換算すれば2万ドル 越えてるんじゃないの? どうでもいいが、公共サービスが無料だとか税金が安いからって豊かさ というかGDPは、基本的には変化しないよ。単に所得の使い道や移転ルートが 変わるだけだ。 変化するとしたら、富が不平等に分配されたとき、その分配された特定の 階層の豊かさが変化する。まさにブルネイな訳だが。
533 :
世界@名無史さん :04/01/21 22:38
>今宮戎には3日で100万人来るぞ だ・か・ら 何
534 :
世界@名無史さん :04/01/22 01:12
10日も過ぎてから時事ネタにつっこまれてもねぇ〜 ジサクジエンするにしても、ネタフリは自分でね!
535 :
世界@名無史さん :04/01/25 19:45
age
536 :
世界@名無史さん :04/02/05 22:00
,.r ,.-''ヽ_,,..--─=-ノ、 / / ', | __ !|.,'i ,r''":::::;:-─''''"゙''":::`''ヽ、 / / ._', ヽ、!,,,-;;;''";;;;;;;;;;;`''-、 '、!レ'::::::r'":::''"::::::``''ー、:::::`ヽ、/ / ,/;;;i. /;//;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,.-ァ'':::::!:::::::::'''ー=ニ-_;;::::ヽ;;::';ハ! / .,r';::-‐ァ;i ;';;;:-'''""ニ=-、、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;'、 .r'r'゙:;r'::;:::!;:'ヾ''ー-;r'`ヽ ヾト;;';-:::::Z ,' .,'/ ./;;;;| ;/ "~~`ヽ /!;;;;;;;;;;;;;;', //::;'::::;':::|:!\\、,,!_ ,.-ニ'' '!、',‐-、 ,' !;//r'`,' r'''='ヽ、 .''メ-、,!;;;;;;;;;;;;;;;! リ|:::;:::::!::::!'、,.-'ー、,,__. ' i::;;;;) .レ,. ) ,' ` ';;',.!,' ,.i;;;;;ノ _,,,! ';;;;;;;;;;;;;;' ';:::!:::|::::|r'ヽ,,.-- `‐'゙ ','、 ,' ,,_:;;::|i `'' , ,.::;;;,ヽ. ';;;;;;;;;/ '|:::::;:::;'! / !:::;;;) `,. '`、 .,!-、'!'ー、 / ir'、 r-、,,_ .i;;;;;lノ ' ,i;;;;;;;;! ノ!:::';::!::'、 `ニ-' ヾ、 ', /、 ヽヽ、ヽ // \. i ,/ `` ,.-'゙'''!;;;;;;'、 '"`リ、:|';:!゙`ヽ、 ヽ、_,ノ/|',:', ..,.!::''ヽ,`,rr''"/ !:iヽ、,___,,,,. ァ'/、-;;'";;;;;;;;;`ー ,,、 ._>、''゙`ー-i'ー---;--─' .!:i ,,:;!‐:::-', '!::::::!:;:, ';:', ,,.-''"-'/;;'//!;;r;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; >'''" ` ヽ,', `ヽ、,,_,ノノ ,:;;/:::::::::::|::!:レ':'、:, '、-‐'''" .,,.`,ゞ-'ヽ'i-、;;;;;;;;;;;;; '"`ゝ _,,.-r‐''" ヽ、
537 :
世界@名無史さん :04/02/08 23:07
age
538 :
世界@名無史さん :04/02/14 00:34
age
539 :
世界@名無史さん :04/02/14 19:32
,'.:.:/.:.:.:.:.:.:.:.:.:..;!:.i:.:.:.:.:.:、:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ;::::.:.゙、:.:.゙! !,.'.:/:.:.:;.':.:.:.:.:.:.,.'゙!:.、:.:、:.:.:ヽ、:.:.:.:.、:.:.:.゙、:::.:.゙!::.:| .,'.:,イ:.:./:.:.:.:.:.:./ ゙、゙、:.ヽ;:.:.:.ヽ、:.:.:゙、.::.:.゙;:::.:.!i:.:! .,':;'::.:.:.;':::.:.:.:.:./,,__ ヾ,ヽ:゙、ヽ、:::.ヽ、:.゙!:::.:.゙!:::.|l.;! l::!゙i:.:..;!::.:.:.:.:;' _,,.`ヽミ、、ヾ:.、,.>,、、ヾ!::::.:|::.;'/ というかここはひとつゲーム板に逝かず、 |:! ゙!::.;イ::.:.:.:;!ィ´!ノ:::::iヽ ヽ、 ` ,イ,ノ:::!゙ヾ::.:.;!iス、 世界史板で花開いたこのスレに万歳! . ゙! ゙!:| !::::.:.:| ゙!::::::ノ L::::ノ !|:/.:ヽヾヽ、 ヾイ、:.:.,. - 、 ̄´ ,!!':.:.:.:.:゙、ヾヽ`ヽ、 ,.'i゙,' !::ヽ! \ ' ,.' ゙、:.:.:.:.:.:.゙! ゙!| ,! /,rl::!´゙!::.:.゙、. ゙、 ´ ̄ ,.::'.::::::::゙、:.:.:.:.:.゙! .i|:.. | .// |:! .゙、:.:.:゙、. ゙!-/⌒!_,..-'',!:「`_- _:.!|i:.:.:.:.| ! ,. ,! .,.':,' |! ゙、:::.:.:.゙! .:..l | |-‐''゙,'::::! i::ト、` i|_!:.:.:;'-'; ,' .,.'::::!:.. .:.゙、:.:,r' ー--ゝ、 {ニ´ッ::__::! l::゙、テ``!::/ ,! んヘ:゙、:.. .:::..,! 、...__ ゙!、゙、,ィ',´-::..、!:::゙、:. |/ | ヾ、:. .:.! `ヽ.! !,ィ´`` ‐--ヽ,_/ _,,.! i゙ .{ '' ´ ̄ヽ y /::.. !- ....二二-' .,! ..:. ,.._ァャ゙、 t‐ 、 ,ソ /:.. ;.ヽ、 / ,! .:ィ',./ム-'"ヽ、` ―'゙ /:::.. , i::. Y__, . ゙!:.,.:イ |::i /:::... ,.:':. :. . !、,.゙! `i !::! イ|:::::: ,.ィ'::. .. ,'.!
540 :
世界@名無史さん :04/02/21 14:18
age
541 :
世界@名無史さん :04/02/24 17:51
>>160 率先して版籍を奉還した薩長土肥をはじめ、多くの藩は自発的に版籍奉還に応じたが、最後まで渋って自発的に奉還しなかった十数藩には、奉還命令が出て強制的に奉還させた。
542 :
世界@名無史さん :04/02/25 00:03
具体的にはどこの藩ですか?
543 :
世界@名無史さん :04/03/01 11:48
サンマリノの経済は農業中心だが、軽工業も成長している。
主な農産物は小麦、大麦、トウモロコシ、オリーブ、ワイン、家畜、酪農製品。
建築用の石材の切り出しもおこなわれる。
工業は繊維、セメント、皮革、合成ゴム、陶器など。
ほかに、観光(観光客数53万人(1998年))と、国際的に知られる郵便切手の発行が重要な収入源となっている。
OECD(経済協力開発機構)にタックス・ヘイブン(租税回避地)と判定されていたが、2000年6月、有害税制を
2005年までに除去すると表明した。
http://society.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1013025370/l50
544 :
世界@名無史さん :04/03/01 11:50
545 :
世界@名無史さん :04/03/01 11:52
546 :
世界@名無史さん :04/03/26 10:41
欧州はいいな
547 :
世界@名無史さん :04/04/20 12:10
アンドラの元首ってどなた?
548 :
世界@名無史さん :04/04/25 13:59
刀水書房刊の「ルクセンブルクの歴史」を持ってるでよ。 現大公家はルクセンブルクでは百年余の歴史しかなく 元はルクセンブルクとは何の関係もないドイツ諸侯出身(神聖ローマ帝國配下)で 当時ルクセンブルク大公を兼任していたオランダ王家の親族だったというのが不思議だな。 外国人の君主というのは欧州では珍しくはないらしいね。 例えばリヒテンテンシュタイン候国もハプスブルグ家の有力家臣が出自な関係で 代々オーストリアのウィーンが本拠地だった。 そして侯爵家は殆どリヒテンシュタインに足を踏み入れた事がなかったとか 第二次大戦前にナチスドイツにおわれるかたちでリヒテンシュタインに定住するようになったとか。
549 :
世界@名無史さん :04/04/25 16:30
ドイツ連邦に加わっていたルクセンブルクが ドイツ帝国には加わらなかったのはどうしてですか?
551 :
世界@名無史さん :04/05/03 19:22
>550 ウイ−ン会議後にドイツ連邦に加盟するルクセンブルク大公国が成立しますが 国家元首たるルクセンブルク大公はオランダ国王が兼任することになり オランダの属国ないしは保護国のような位置付けになってしまいます。 このオランダとの関係がドイツ帝國への併合を防いだと思われます。
でも、同じようにデンマーク国王を元首にしていた シュレスヴィヒとホルシュタインは、プロイセンとの戦争で 完全に併合されてしまっていますが。
ついでに書いておくと、ルクセンブルクがオランダ国王の統治下にあった 期間より、シュレスヴィヒ=ホルシュタインがデンマーク国王の統治下に あった期間の方がはるかに長いですし、ドイツ連邦下のルクセンブルク大公国 では、プロイセン軍がルクセンブルク市内に駐留していました。
オランダとの関係より、フランスに隣接しているというのが要因では?
555 :
からむなや>552 :04/05/03 22:55
さすがに仏蘭の両方と戦争する気はなかったんだろうよ>普仏戦争時 但し、ルクセンブル併合への動きは別線でちゃんと進行してたらしい。 最終的にはWWIの独逸敗北で併合への動きは完全に消滅するんだけどね。 大戦中はドイツに進駐されちゃうしドイツが戦争に勝利してれば併合されてたとオモ。 ルクセンブルグからみた場合、WWIはルクセンブルグ併合を目的とした戦争にあたるんだろうね。
>>550 時系列を整理すると、
1.普墺戦争
2.ルクセンブルク問題→ロンドン会議
3.普仏戦争
4.ドイツ帝国成立
という順序。
普墺戦争の長期化で漁夫の利を狙ったものの、
短期終結であてが外れ、何か損をした気分になったナポレオン3世が、
「じゃあこっちをよこせや!」とごねたのがルクセンブルク問題。
で、この仏の野望を英・普が阻止したのがロンドン会議。
(普は、この時点では南独諸邦を懐柔するために、余計な領土的野心は見せていない。)
このロンドン会議でルクセンブルクの中立化が決まっていたので、
普仏戦争後の欧州勢力均衡の安定を望むビスマルクは、ルクセンブルクにはタッチしなかった。
(彼が最も配慮したのは、ロンドン会議の保証人である英の動向。)
ビスマルク一代はこんな感じ。
ヴィルヘルム2世以降はよく知らん。
おそらく
>>555 氏の言うとおりなのだろう。
ベルギーにだって侵攻しちゃうぐらいだし。>>WWI
あと、一般に低地諸国(ベネルクス)の中立化が問題になるとき、その最大の守護者は英国。
あとは独仏のどっちか併合を主張してない方が英の味方になる。
557 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:14
>>550 ドイツ連邦成立時(1815年)におけるルクセンブルク大公国の領域は、現在のルクセンブルクよりかなり広いです。
1830年にベルギーが独立した際、ルクセンブルクは、西半分(ほぼフランス語地域)をベルギーに割譲しています。
なお、1815年から1890年まで、ルクセンブルクはオランダと同君連合でした。
つまり、ベルギーは、オラニエ家の支配地域だったオランダとルクセンブルクの双方から、領土をかすめ取る形で独立したと言えます。
558 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:18
ちなみに、1714年から1837年までイギリスと同君連合だったハノーヴァーも、もしドイツ帝国成立時までイギリスとの同君連合が解消されていなかったら、かなり微妙な状況になっていた可能性がある。 ただ、幸運(?)にもハノーヴァーは、女子の継承を認めていなかったので、イギリスでヴィクトリア女王が即位した結果、同君連合が解消された。
559 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:28
1815年のドイツ連邦の実態 オーストリア・・・域外領土あり(クロアチア=スラヴォニア、ダルマチア、ヴォイヴォディナ、ハンガリー、トランシルヴァニア、ルテニア、スロヴァキア、東西ガリツィアなど) プロイセン・・・域外領土あり(東西プロイセン、ポズナニなど) ルクセンブルク・・・オランダと同君連合 ハノーヴァー・・・イギリスと同君連合 ホルシュタイン=シュレスヴィヒ・・・デンマークと同君連合 リヒテンシュタイン・・・事実上オーストリアに臣従
非常に興味深い。こういう知識は、日本の外交官諸氏は当然持ってるよね?
>>556 補足すると普墺戦争のきっかけの1つは、
デンマークがシュレスヴィヒ=ホルシュタイン公国を失った
シュレスヴィヒ戦争(第一次、第二次)の戦後処理を巡る
2つの戦勝国、プロイセンとオーストリアの対立だった。
おお、全ての話がリンクしている!
562 :
waza_fire :04/05/04 02:22
久しぶりに見たらなんかイイ感じに進行してるね。ルクセンブルクか…
563 :
世界@名無史さん :04/05/04 07:29
ルクセンブルグも
>>558 と同様の理由で1890年にオランダとの同君連合が解消され
現在の大公家であるナッサウ=ヴァイルブルグ家(ルクセンブルグ家)が大公位を継承しますね。
564 :
世界@名無史さん :04/05/04 07:47
大昔(〜15世紀)のルクセンブルグ公はチェコ王やドイツ王や神聖ローマ皇帝就任するなど中々有力な諸侯であり ルクセンブルグ自体の広さも今よりも四倍程の面積であったそうな。 それがフランス、ドイツ(プロイセン)、ベルギーなどに領土を取られて今の国土となったそうな。
WWIの時はルクセンブルグ政府と大公家はドイツの軍事占領をさしたる抵抗もなく 受け入れてドイツに協力した格好になったので戦後は苦しい立場に立たされた。 大公女は妹に位を譲り退位しますた。 WWIIの時にもルクセンブルグが軍事占領されてしまいますた。 今回は前回の反省から政府と大公家は国外に亡命し連合国側で亡命政府の旗を樹てます。 占領期間中にナチスドイツによりドイツへ併合を大前提とした国勢調査が実施されますが ルクセンブルク全国民が団結し国政調査を拒否し国政調査を中止に追い込み いわゆる建国神話の一つを構成します。 WWII中は亡命ルクセンブルグ人により亡命ベルギー軍内の亡命ルクセンブルグ中隊として 一応連合軍の一翼を担います。
567 :
世界@名無史さん :04/05/04 20:25
>>564 神聖ローマ帝国のルクセンブルク朝だね。
金印勅書を出したカール4世が有名かな。
あの時期のルクセンブルク家は、家名の由来となったルクセンブルク公の他に、神聖ローマ皇帝(ドイツ王)やベーメン王(当時のベーメンは神聖ローマ帝国の一部)を兼任していたね。
結局、これらの称号は、婚姻関係によって1438年にハプスブルク家のオーストリア大公アルプレヒト5世(神聖ローマ皇帝としては2世)に継承されて、以後ハプスブルク家の世襲となった。
WWII中の亡命ルクセンブルグ政府の重要な仕事は「忘却との戦い」。 連合国の一員としてのルクセンブルグをアピールしつづける事であった。 各国首脳の声明や談話でも亡命政権もオランダ、ベルギーなどについては言及されるが ルクセンブルグの亡命政府についてはスルーが多かったとか(w。
>>567 ルクセンブルク公領自体は、ブルゴーニュ公の支配の後、同家との婚姻を通じて
アルプレヒト2世の2代後のマクシミリアン1世に、ネーデルラント諸邦
(現在のオランダとベルギー)とともに継承されたわけで、してみるとそれまでは
ルクセンブルク公といっても名目のみだったということかな?
その後は、カール5世からその直系のスペイン・ハプスブルク家へ、同家断絶後は
スペイン継承戦争の結果、オーストリア・ハプスブルク家へ継承されて
ナポレオン戦争に至る、ということでよろしいですか?
>569 厳密にいうとフランス・ブルボン家による占領期間(1684-1714)が存在しますね。 >ルクセンブルク公といっても名目のみだったということかな? というか当時はそれが普通、一人の君主が様々な称号を保持していた。 たとえば時代は下るけどビクトリア女王がインド帝国の皇帝を兼任したとかいう例もある。 但し当時の歴代ルクセンブルグ公が現地を実効支配していたかどうかは微妙。 場合によっては現地勢力にお任せでアガリだけ貰ってたというケースもあったとオモ。 神聖ローマ皇帝の権力が帝国内にどの程度行き渡っていたかという話と重なるね。
今のルクセンブルクは「ルクセンブルク語」をつくるのに精を出している。 ドイツ語扱いされるとドイツの一部扱いされるので必死。
572 :
世界@名無史さん :04/05/05 22:09
ルクセンブルク、、、規模で言ったら国主大名くらいか。 ルクセンブルクと長州藩が戦争したらどっちが勝つかな?
573 :
世界@名無史さん :04/05/05 22:22
>>571 フランス語の語彙が、ドイツ語に混じった言葉ですよね。
でも、何故そこまで必死なのかな?
何か実益があるのですか?
575 :
waza_fire :04/05/05 23:04
>>571 モルドバ語やブリャート語も、ソ連が標準から方言程度の差しかないものを「言語」にしてしまったんだよな
>>573 国家としてのアイデンティティに関わるからでしょうな。
「同じドイツ民族としてドイツに併合〜」などという話を打ち消すために
民族としての独自性を強調する必要があるのでしょうな。
又、居住者の三割が外国人という現在の状況下では
ともすれば薄れがちなルクセンブルグの独自性というものを
重要視する必要があるのでしょうな。
ちなみルクセンブルグの独自性が強調されだしたのは19世紀末頃からだとか
恐らくオランダとの同君連合が解消され独自の君主を持つようになった事が
多少は関係しているのでしょうな。
次あたり「ボスニア語」制定と予想してみるテストw
>572 ルクセンブルグの常備兵力は800名とか。
国土の広さは横須賀市並、城主大名では?
580 :
世界@名無史さん :04/05/05 23:17
582 :
世界@名無史さん :04/05/05 23:31
薩摩語制定マダー?(AA略
たしか、大正天皇の天長節は、一ヶ月遅らせて祝ってた。 夏の暑い盛りにするのはよくないとかで。
>>583 18世紀末だとまだハプスブルク家の領土だった時代で、神聖ローマ皇帝
ヨーゼフ2世、レオポルト2世、フランツ2世(19世紀になってから
オーストリア皇帝フランツ1世と称す)が君主ということになりますね。
586 :
世界@名無史さん :04/05/06 03:09
ハプスブルク家(オーストリア系)の南ネーデルラント&ルクセンブルク領有は、ブルボン家のスペイン王位継承を認める代わりの見返りだった。
587 :
世界@名無史さん :04/05/06 08:36
>>583-584 なんとも、ノンビリしてていいじゃないか。
形式より実益重視というか。。。
588 :
世界@名無史さん :04/05/06 17:52
俺ん家。
>>586 ヨーゼフ2世は隣邦バイエルン選帝侯領を併合しようと、選帝侯に
ハプスブルク領ネーデルラント(ルクセンブルク含む)への
国替えを迫ったが、結局実現しなかった。
飛び領だったから平気で?取引材料にできたのだろう。
実現していたらヨーロッパの地図は今とは少し違っていたはずだ。
590 :
世界@名無史さん :04/05/09 00:01
ルクセンブルグ大公位はオランダ王国ではなくて オランダ国王が個人として所有するものとされていました。 従ってオランダ国王が大公位を第三者に譲渡するのも自由だったそうです。 事実ナポレオン三世への譲渡が画策されたこともあったそうです。
592 :
世界@名無史さん :04/05/10 04:03
ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国、旧ザイール)がベルギー国王個人の所有地だったのと似ているかな。
593 :
世界@名無史さん :04/05/10 04:03
>>591 ベルギー独立ってイギリスが関係してたの?
>>593 してた。
1830年の仏七月革命を機としたベルギーでの反オランダ闘争勃発&独立宣言に際して、
英国のやった(言った)ことは2つ。
1.「もう別れなさい。」
2.「再婚は許しません。特にフランスとは。」
出来立てのルイ・フィリップ七月王政は対英強調を優先し、
(一部共和派はごねたけど。「同文同種」のベルギー併合を主張して。)
英仏の主導でロンドン会議が開かれ、
正統主義に固執する東方三君主国(露普墺)を説得して、
ベルギー独立&中立化という運びになった。
(だからベルギー独立はウィーン体制解体の重要な一局面であるとも言える。)
(あとこの場合の「中立」は、「永久にフランスとはくっつくなよ!---わかりました」
の婉曲表現だったわけやね。もともとは。)
595 :
世界@名無史さん :04/05/10 05:36
このスレ、はっきり言ってベネルクス3国スレの様相を呈しているな。
話は変わりますが、リヒテンシュタインがオーストリアに併合されなかったのは なぜなんでしょう?
597 :
世界@名無史さん :04/05/11 00:05
>594 そしてベルギー革命の動きと呼応する形でルクセンブルグでも 新生ベルギーへの統合(オランダ国王からの自立)が主張されだす。 その結果ルクセンブルグのほぼ全土(プロイセン軍が駐屯する首都部を除く)が 新生ベルギーの実効支配する所となってしまう。 関係各国の思惑が複雑に錯綜するなか紆余曲折の結果 1839年のロンドン条約で妥協が成立する。 その内容はルクセンブルグの領土を仏語地域と独語地域にニ分し 仏語地域をベルギーに編入し、独語地域を従来のオランダ国王所有の ルクセンブルグ大公国とするものです。この時の国境が今にいたっています。
>596 オーストリアと関税同盟を結んでいて、第一次大戦で負け組に。 それは嫌だと言って、スイスと関税同盟を結んだんじゃなかったっけ。
>>596 おそらくその必要がなかったんでしょうかね。
ハプスブルグ家の家臣が君主だったので属国みたいなあつかいだったし
おまけに人口も少なく特にこれといった産業や資源もない
そして戦略上の要地という訳でもない。
だから無理して併合する必要もなかったかと・・。
ちなみにリヒテンシュタイン候は代々ウィーン在住でハプスブルグ家の宮廷に常時仕えていたとか
そしてハプスブルグ家から賜った広大な所領をオーストリア領内に有しており
そちらの方が本拠地でリヒテンシュタインには殆どいったコトが無かったそうです。
しかし、ハプスブルグ家の没落に伴って広大な所領はなくなりました。
最終的に侯爵家がリヒテンシュタインに定住するのは第二次世界大戦直前だそうです。
600 :
世界@名無史さん :04/05/11 23:54
リヒテンシュタイン公の家名ってなに?
601 :
世界@名無史さん :04/05/12 01:32
リヒテンシュタイン家。昔は別だったのかも知れんが・・
602 :
世界@名無史さん :04/05/12 02:26
>>599 あぁ、だからオーストリアにリヒテンシュタインの名が
つくものがあんのね。
やっぱり王様でも田舎は厭なのかね。
こうみていくと、ヨーロッパは日本と似た歴史を歩んできたから、日本は維新で先進国に なれたんだなと感じるなぁ。 王・大公を日本の大名に、国を藩に、なぞらえると、そっくりだな。 ヨーロッパでは最後までだれも天下取り(ローマの勢力圏全域をまたぐ政治圏の確立)が できなかった、日本では豊臣や徳川に天下取りができて五畿七道六十余州をまたぐ政治圏が 確立し、明治政府によって中央集権を確立土台となった、これが違いか。 もし、日本で戦国時代の天下取りがだれもできなかったら、ヨーロッパで教皇庁が王権を 承認したように、朝廷があちこちの大名に個別に官位を与え、そして、それぞれがバラバラに 小国に発展したかもしれないし、もしヨーロッパでナポレオンがイギリスやロシアを 攻め取っていたらEUのようなものははもっと早く成立し或いは強固な一枚板の国になって いたかもしれない。
605 :
世界@名無史さん :04/05/16 04:38
>>601 ヨーロッパの王や公で、国名と家名が同じなのって、建国当初の君主の家系が続いている場合のみだよね。
>605 違います、後から家名を国名に合わせて変更するケースもあります。
607 :
世界@名無史さん :04/05/16 18:34
>>567 神聖ローマ帝國ルクセンブルク朝の帝位繼承順は、ハインリヒ7世、その孫のカール4世、その子のヴェンツェル、その弟のジギスムントのやうになつてゐる。(正確にはヴェンツェルとジギスムントの間に他家の王が2代入る)
神聖ローマ皇帝位(=ドイツ王位)とベーメン(ボヘミア)王位は、ジギスムントののち、その娘婿のアルプレヒト2世(ハプスブルク家)に繼承され、以後ハプスブルク家の世襲となつた。
但し、ルクセンブルク公位は、ヴェンツェルが歿したときに、ジギスムントではなく、そのもう一人の弟ヨハンの娘に當たるエリザベートに相續されてをり、神聖ローマ皇帝位などと一緒にハプスブルク家に囘收されたわけではない。
その後、ルクセンブルク公位は、最終的にネーデルラントを統一したブルゴーニュ(ブルグント)公の手に移り、1477年のブルゴーニュ公女マリーとハプルブルク家の皇太子(のちのマクシミリアン1世)との婚姻によつてハプスブルク家の手中に收まつた。
>>607 話はそれるが、ボヘミア王位もルクセンブルク家からすんなり
ハプスブルク家へ継承され、世襲になったわけではない。
アルプレヒト2世から一旦ポーランド王家であったヤゲウォ家に移った後、
フェルディナント1世(マクシミリアン1世の孫)に(ハンガリー王位とともに)、
いずれも婚姻関係により継承された。
609 :
世界@名無史さん :04/05/17 04:12
>>608 それは見落としてゐた。
フォローサンクス。
端的にいうと、アルブレヒト2世の後継者フリードリヒ3世がボンクラだった せいで、神聖ローマ皇帝位以外はルクセンブルク公位もボヘミア王位も むざむざと他家に奪われたわけだが、事情を考えると無理もないかも知れない。 アルブレヒトは即位から1年ほどで急死している。しかも、唯一の男子は その死後に生まれた。こうした状況で、ハプスブルク宗家の継承者となり、 皇帝にも選出されたのは、一門でもアルブレヒトの又従兄弟という遠縁になる (母方ではもっと近いか遠いのかは知らないが)フリードリヒだった。
611 :
世界@名無史さん :04/05/18 00:08
でも、この時代のブルゴーニュって、ほとんど婚姻だけによってネーデルラントを統一しちゃっているのが凄いよね。
そうですか? 戦争も仕掛けていたのでは?
613 :
世界@名無史さん :04/05/18 22:28
>>612 一部には戦争もあるだろうし。
強引な縁組みや相続もあるだろう。
615 :
世界@名無史さん :04/05/22 06:31
神聖ローマ皇帝時代のルクセンブルク家の本拠地ってプラハなんだよね。
のちにハプスブルク家にもプラハを本拠地とする皇帝が出た。
617 :
世界@名無史さん :04/05/22 20:26
ドイツで思い出したけど、ドイツ人は最悪だね。 とても傲慢でアジア人に対する差別がすごい。 なにげにアジア人を卑下した含みを持つ発言するところがむかつく。 俺の女友達(顔は可愛い。高級ブランド物は持たないタイプ)が ドイツ語勉強してて、憧れのドイツに旅行して帰ってきたんだけど さんざんな目にあったって言ってた。 ドイツ語でアジア人や日本人を馬鹿にした発言したり 罵倒してきたりしてむかついたって。 酷かったのは、広場で見知らぬ金髪青目男にドイツ語で「馬鹿な日本人」と 言われた事らしい。 あと、17、8才ぐらいのガキにワザと肩ぶつかられて、「プッ」って 笑われたって言ってた。 こういう体験を旅行記としてホームページに書こうかなって言ってたけど 絶対書いたほうが良いと思う。
なんか神聖ローマ帝国ルクセンブルク朝&ハプスブルク朝スレみたいだな。
619 :
世界@名無史さん :04/05/23 01:11
プラハのドイツ語読みはプラーグ?
読みというか、綴りまで変わってしまうわけだが Böhmen ベーメン(ボヘミア) Mähren メーレン(モラヴィア/モラヴァ) Prag プラーク(プラハ) Pilzen ピルゼン(プルゼニ) Karlsbad カールスバート(カルロヴィ・ヴァリ) Brünn ブリュン(ブルノ) Preßburg プレスブルク(ブラティスラヴァ)
ルクセンブルクの領主の爵位を伯から公に格上げしたのは 何のことはない、カール4世のお手盛りだった。 余談だが、ブランデンブルク辺境伯=選帝侯位と所領もカール4世が 自らの家系に獲得したが、ジギスムントがホーエンツォレルン家に 譲った。同家が後にプロイセン公国を相続し、さらにプロイセン王 の称号を獲得する。
622 :
世界@名無史さん :04/05/24 00:44
ルクセンブルクが公から大公に格上げされたのはいつ?
625 :
世界@名無史さん :04/05/24 02:53
今のルクセンブルクは、オーストリア統治時代のハプスブルク家の当主も歴代の代数に数えているの? たしか、オランダと分離したときの大公はルドルフ4世とか名乗っていたように思うけど、1〜3世は誰に比定してるの?
まとめると、ルクセンブルクは ・ルクセンブルク伯 963-1353 モーゼル家 963-1136 ナミュール家 1136-1247 リュッツェルブルク家 1247- ・ルクセンブルク公 1353-1815 リュッツェルブルク家 -1437 ハプスブルク家 1437-39 ヴェッティン家 1439-43 ブルゴーニュ公家 1443-82 ハプスブルク家(スペイン系へ) 1483-1713 ハプスブルク家(オーストリア系) 1713-1815 ・ルクセンブルク大公 1815- ナッサウ家(ディレンブルク系、現オランダ王家) 1815-1890 ナッサウ家(ヴァイルブルク系) 1890- でもざっと見た限りで、「ルドルフ」は1人もいないっぽい。
627 :
世界@名無史さん :04/05/24 11:51
中世ヨーロッパで爵位の格上げって誰がしてくれたんですか? 教皇?皇帝?有力諸侯?帝国議会?
628 :
世界@名無史さん :04/05/24 15:23
自称
629 :
世界@名無史さん :04/05/24 19:21
>>620 プレスブルクって中世ハンガリー王国の首都でしょ?
>>625 勘違いでしょ。
アドルフ(1890-1905)
ウィレム4世(1905-1912) オランダ風の名乗り
マリー=アデライド(1912-1919) ここからはフランス風の名乗り
シャルロット(1919-1964)
ジャン(1964-)
4年前に代替わりしてる。 ジャン(1964-2000) アンリ(2000-)
>>630 ウィレムにしても、誰を数えて4世なのか、よくわからんわけだが。
633 :
世界@名無史さん :04/05/25 03:43
>>630 正解。
確かに勘違いだ。
まあ気にするなって。
>>630-631 名前がフランス名になったのはオランダともドイツとも違うという
意思表示だろうか?
635 :
世界@名無史さん :04/05/26 05:03
ベルギーもフランス語名じゃない? 現国王はアルベール2世だし。
なんだろうね。 武力で征服とか言うわけでなくて その国と縁もゆかりも無かった人が 相続やら譲渡やらでいきなり王位につくような 事例が結構ある かなり不思議だったーりする
637 :
世界@名無史さん :04/05/26 22:32
>>635 ベルギーはもともとフランス語話者がオランダ語話者をも支配する国だった。
だから当然。
638 :
世界@名無史さん :04/05/26 22:58
サクス・コーブルク家はザクセン出身なのに・・・。
スウェーデン王家のベルナドッテ家なんぞ、フランス人でナポレオン軍の 元帥だったジャン・ベルナドットに始まるが、ちゃんとカール・ヨハンと 改名している。
オランダ総督のオラニエ公ウィレム3世はイギリス王になったらウィリアム3世だ。 既出の神聖ローマ皇帝カール4世はボヘミア王カレル1世だし、 カール5世はスペイン王カルロス1世だ。
>>638 ザクセン=コーブルク=ゴータ家のその他の国王
イギリス王:エドワード7世、ジョージ5世(ウィンザー家に改称)、
ポルトガル王:ペドロ5世、ルイス1世、カルロス1世、マヌエル2世の4代
ブルガリア王:フェルディナンド1世、ボリス3世、シメオン2世の3代
(フェルディナンド1世は王制以前にはブルガリア侯、
最後の王シメオン2世は現ブルガリア首相シメオン・サクスコブルゴツキ)
余談だが、デンマーク王家のグリュックスブルク家からの分かれで
ノルウェー王家とかつてのギリシャ王家が出ている。
>>632 歴代の(オランダ国王兼)ルクセンブルク大公だろう。
ウィレム1世フレデリック(1813-1840)
ウィレム2世(1840-1849)
ウィレム3世(1849-1890)
オランダ王家はこの後
ウィルヘルミナ(1890-1948)
ユリアナ(1948-1980)
ベアトリクス(1980-)
ルーマニア王家はホーエンツォレルン家の分家からだね。 ドイツの小国は第一次世界大戦中に(ロシアと休戦したころに) フィンランド王、クールラント公、リトアニア王を出してる。
644 :
世界@名無史さん :04/05/27 23:56
>>641 文にするとややこしいが、
初代ベルギー国王レオポルド1世、
イギリス女王ヴィクトリアの夫君アルバート公の父(エドワード7世の祖父)である
ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世、
ポルトガル国王ペドロ5世、ルイス1世の兄弟と
ブルガリア国王フェルディナンド1世の共通の祖父フェルディナント、
この3人がともにザクセン=コーブルク公フランツ・フリードリヒの息子であった。
646 :
世界@名無史さん :04/05/28 04:40
>>643 家名は、同じホーエンツォレルンですが、プロイセンとルーマニアの王家は、血縁的にはかなり遠い親戚というレベルですよね。
あと、フィンランドは王じゃなくて大公だったような。
ところで、クールラントってどこですか?
647 :
世界@名無史さん :04/05/28 09:45
ドイツ帝はオランダ逃げてからどうなったの?
648 :
世界@名無史さん :04/05/28 10:24
1940年に一人寂しく死去。
所で大公や侯爵様は称号を国王とかに格上げする気はないのかね?
650 :
世界@名無史さん :04/05/28 23:08
>>646 フィンランドが大公国だったのはロシア支配下(ロシア皇帝が大公を兼ねる)での話。
独立後、大統領制が成立する以前に一時、ドイツから国王を迎えた。
クールラントは現在のラトヴィア。
>>646 ブランデンブルク選帝侯→プロイセン王→ドイツ皇帝 に至る家系と
ジグマリンゲン伯→ジグマリンゲン侯→ルーマニア王家が分家 に至る家系は
12〜13世紀頃、まだホーエンツォレルン家がニュルンベルク城伯だった
時代に分かれている。
>>649 それなりに国の規模が大きくないと、かえってみっともないと思われ。
>>558 遅レスの上に脱線だが、イギリス王兼ハノーファー王ウィリアム4世(ヴィルヘルム)の死後、
ハノーファー王位はウィリアムの弟(ヴィクトリアの叔父)カンバーランド公アーネストが継承した。
しかしアーネスト(ハノーファー王エルンスト・アウグスト)の家系はイギリスの爵位である
カンバーランド公位も保持し続けている。ハノーファーがプロイセンに併合された後までも。
>>650 > 独立後、大統領制が成立する以前に一時、ドイツから国王を迎えた。
共和制になった後は、その国王の処遇はどうなったんですか?
ドイツに帰したとか?w
ハノーファーはイギリスとの同君連合の時代(1714〜1837) 実質的には誰が治めていたのだろう?
>>654 フィンランド国王に選ばれたのは、ドイツ皇帝ヴェルヘルム2世の義弟
ヘッセン公フリードリッヒ・カールだが、ドイツが敗戦したため
王位を辞退した。一度もフィンランドに入国しなかったのではないか?
19世紀前後のヨーロッパでは、新しく独立国ができたら ドイツの貴族(小国の領主)の家系から国王を招くのが普通だったのか。
なんのスレかわからんようになってきたが・・・ ギリシャも最初の国王はバイエルンのヴィッテルスバッハ王家から出た。 やっぱりこういう場合、絶対王政の時代を通過したような国の貴族よりは ついこの間まで曲がりなりにも君主をしていたような、ドイツ貴族の方が 良いのだろうな。 ノルウェーがスウェーデンから独立する時には、スウェーデンやデンマークとの 歴史的関係を考慮してだろう、どちらか(結局後者)から国王を迎えようとしたけど。
660 :
世界@名無史さん :04/05/30 02:58
661 :
世界@名無史さん :04/05/30 03:00
凄く基本的な質問なのだが、スレのタイトルにある欧州で人口100万未満の国って、
>>1 の挙げたもの以外に何があるの?
あのスロヴェニアでさえ200万あるんですが。
662 :
世界@名無史さん :04/05/30 03:26
>>661 おさらい(過去レスちゃんと読めよ)
ルクセンブルク、バチカン、キプロスの他、
リヒテンシュタイン、サンマリノ、モナコ、アンドラ、マルタ、アイスランド
あと微妙なのが
モンテネグロ、セガルボ、マルタ騎士団
663 :
世界@名無史さん :04/05/30 10:44
>>660 ブルガリアでは侯爵から国王になったらしい。(
>>641 参照)
どこかの国王や皇帝に封じられているのでない以上かまうまい。
664 :
世界@名無史さん :04/05/30 15:48
>>663 ブルガリア侯ってのはオスマン帝国の主権下での侯国でしょ?
オスマン帝国には、西欧の五等爵制のような貴族のくらいのランク分けはあったの?
資料によってブルガリア侯ともブルガリア公とも書かれてる。 公侯伯子男の侯爵じゃないぞ、これは。 何にしても、完全独立したら侯でも公でも総督でも国王になれるわけだ。
>664 オスマントルコでは、1878年まで属州じゃなかったかな。 保護国とかそう言うのではなく…。 1878年のベルリン列国会議で対トルコ貢納義務を残されたものの、ロシア皇帝の甥の ヘッセン・ダルムシュタット家のバッテンベルク侯、アレクサンドルが就任したから、侯国 となったのでは? 1886年にロシアと対立したために、1代で侯爵は退位したが。
ブルガリアは英語でprinciparityでしょ。公国だと思われ。 Prince 公 ≠ Duke 公爵、ね。 1878 オスマン朝主権下の自治公国として成立 1885 東ルメリア併合 1908 青年トルコ革命に乗じてオスマン朝から完全独立、王国に。 バルカンあたりのオスマン朝主権下のPrinciparityを「侯国」と訳すのはよく見ます。 公と訳すにせよ侯と訳すにせよ、Princeですから公爵でも侯爵でもない。
そうか、侯爵の侯じゃなくて、諸侯、王侯、君侯というときの侯なのか。
669 :
世界@名無史さん :04/05/30 23:26
五等爵に分かれていない非西欧圏の諸侯のことは基本的に「○○侯」という。 日本の大名なんかも、幕末期には、薩摩侯、長州侯、会津侯なんて言い方は結構普通に使われる。
670 :
世界@名無史さん :04/05/31 00:38
673 :
世界@名無史さん :04/06/03 00:38
リヒテンシュタイン侯爵は今でも憲法上規定された君主大権を有している そしてその権力を行使して実際に政治的決断を下している。 政府/議会側は憲法を改正し君主大権を制限しようと考えているが中々進展しない。 その理由の一つは侯爵家が政府から歳費を一切支給されておらず経済的に完全に独立している点だろう。 政府/議会は課税権や予算措置を取引材料とする事が出来ないのであった。 以前は歳費を支給されていたのだけれど国家財政が赤字になったのを機に侯爵自らの判断で 一切の歳費を返上する事にした。 実は侯爵家は大金持ちなのであった、従って候室の経費を自己負担する位の事は朝飯前とか。 その財産もハプスブルグ家の重臣として蓄えたものでリヒテンシュタインとは関係がないそうな。 昔ほどではないが今でもウイーンをはじめとする旧帝国領内各地に地所や宮殿、農園などを多数所有しているそうな。 又、先祖代々が集めた莫大な美術品コレクションもありかなりの富豪との事。
某所に載っているリヒテンシュタインのお姫様かわいい
>>673 > リヒテンシュタイン侯爵は今でも憲法上規定された君主大権を有している
> そしてその権力を行使して実際に政治的決断を下している。
こういう国もEUに入れるんだ?
君主主権が完全に名目上のものになってる国だけ加盟できると思ってた。
>675 例えば国連やEU加盟自体が侯爵主導で行われたのであった。
キプロスは中東だろ
プリンス オブ ウェールズのプリンスも王子ではなくて ウェールズ大公とかいう意味のプリンスなのかね。
イングランド王に征服されて、イングランド王の王子(王の嗣子)を 据えられるまでは、ウェールズ公国のれっきとした君主だったよ。
DukeじゃなくてPrinceだから、イングランドの公爵とは別扱い、 「外国」の公爵と見なされていたわけだな。
国連の他には欧州評議会、OSCE、EFTA、EEAに加盟しているらしい。 どれかとの間違いだろう。
>681-682 正式加盟ではないがEU代表部は置かれていますよ。
>>678-680 プリンス・オブ・ウェールズはウェールズ公ですね。
1258年までは王を称していたんですが、イングランドの圧力で公に自ら格下げ。
1283年にイングランドに征服されてます。
それでもウェールズにはプリンスがいるだけまし?で、 アイルランドなんかヘンリー8世がアイルランド王を称するまでの 1世紀半ほどは、君主といっても(イングランド王なのだが) 王でも公でもなく、Lord of Irelandという曖昧な称号を使っていた。
それ以前はLord of Ireland(つまりイングランド王)の下に どこそこの王がいたり、勝手に王を名乗っていたようだが。 もちろん、イングランド王の征服以前はアイルランドの王たちも自立していた。
687 :
世界@名無史さん :04/06/06 10:39
リヒテンシュタイン、モナコ、アンドラ、サンマリノ このへんの国がEUに加盟する日は来るの?
688 :
世界@名無史さん :04/06/06 10:40
>>673 そんなに大金持ちなら、むしろリヒテンシュタインごとき小国の元首の地位や君主としての大権なんかに固執することもなかろうに。
>>687 加盟したら、わざわざ独立を維持する意味がなくなるように思われ。
モナコはフランスの保護国で、大公家が断絶したらフランスに統合される ことが決められている。そうなったら必然的にEU加盟だ。
691 :
世界@名無史さん :04/06/07 00:30
養子をとってでも統合を阻止しようとする国なので期待薄。
>688 先祖が侯国の支配権を大金出して購入した訳だから 先祖代々受け継いだ伝来の財産という認識があるんでは?>侯位 恐らくは君主でいた方が税制上は有利なんだとオモ。
>>693 君主でいる限りは税金は納めなくていいわけか・・・。
WWIIでリヒテンシュタインが中立を保ち戦禍にあわず 独立を維持できたのは当時の侯爵の政治力のおかげが大きいのだ。 当時ナチスの勢力が進出しリヒテンシュタイン国民にも第三帝国への統合や戦争協力を主張する者が出始めた。 侯爵は外交面ではドイツを訪問ヒトラーと会見し独立の維持をそれとなく主張する。 そして国内では君主大権を行使し全国会議員を留任させ選挙を無期延期するなどしナチスの勢力拡大を抑止した。 もちろん同盟国スイスの後ろ盾の影響も無視できないが・・・・。 これらの功績を踏まえて 高貴なる者の義務として侯爵には国民を保護し教え導く責務があり その責務を果たすためにも君主大権は放棄できない。 という理屈らしい。
リヒテンシュタイン人に会ったことある人いるか?
697 :
世界@名無史さん :04/06/12 13:41
age
698 :
世界@名無史さん :04/06/14 00:20
今のリヒテンシュタインは、事実上、スイスの1州みたいな感じだね。
アメリカの画家「リキテンステイン」
700-
701 :
世界@名無史さん :04/06/17 04:02
リヒテンシュタイン公家って、ハプスブルク家の家臣だったんでしょ? ハプスブルク帝国崩壊時に、よく一緒に潰れずに済んだね。
702 :
世界@名無史さん :04/06/17 12:37
いきさつ 知らない ?
>701 維新時の譜代大名みたいなもんじゃね?
WWIの侯国は位置付け的にはWWIIのスペインやタイ王国って所 オーストリー=ハンガリー帝国とリヒテンシュタイン侯国は別々の国家という建前であり 国家としてのリヒテンシュタインはWWIでは表面的には中立を保った。 そしてオーストリアからの援助が途絶えた戦後の混乱期には スイスが援助してくれたのでなんとか持ちこたえる事ができた。 オーストリア帝国臣下としてのリヒテンシュタイン家が保有していた所領は帝国解体により無くなった。 但し、個人財産にあたる部分の農場やら宮殿やら伝来の宝物類などは なんとか持ちこたえる事ができた。
705 :
世界@名無史さん :04/06/19 16:06
706 :
世界@名無史さん :04/06/19 16:13
譜代大名(徳川家の昔からの家臣)≒ハプスブルク家の家臣
707 :
世界@名無史さん :04/06/20 00:15
譜代大名のなかで、幕府崩壊を本気で阻止しようとした者がどれだけいただろうか? むしろ、譜代筆頭の井伊家をはじめとして早々に新政府支持を表明した大名が大半。 新政府軍に自らの藩兵を参加させた者も多数。 そもそも譜代大名自体、戦国大名としての徳川家康の急成長によって徳川家臣団に編入された者(多くは、三河・遠江あたりの国人領主層や今川・武田・北条の旧家臣)が相当数含まれており、松平(徳川)氏の根本被官はさほど多くない。
つまり、江戸時代の譜代大名とリヒテンシュタイン家は、同列に並べられるようなものではない。
>707 ではリヒテンシュタイン家はハプスブルグ家の崩壊を本気で阻止しようとしたんですが リヒテンシュタイン家はハプスブルグ家の根本被官だったんですか? そこまで断言されているんであれば是非コメント。 物のたとえとしては譜代大名や旗本を挙げるのは妥当だと思いますよ。
訂正するよん ×ではリヒテンシュタイン家はハプスブルグ家の崩壊を本気で阻止しようとしたんですが ○ではリヒテンシュタイン家はハプスブルグ家の崩壊を本気で阻止しようとしたんですか? ×そこまで断言されているんであれば是非コメント。 ○そこまで断言されているんであれば是非コメント願います。
711 :
世界@名無史さん :04/06/20 17:44
>>709 旗本には大名と同様に譜代と外様がいますよ。
もちろん、大名と違って、制度的に厳密に区別されていたわけではないですが。
特に、石高の多い上級旗本は、もし大名身分なら確実に外様に分類されるような家(つまり没落した旧大名家)が多いです。
>>703 日本の場合は、自らの領地を持つ封建領主層(大名・旗本の他に、宮家皇族・公家・寺社なども該当)は、版籍奉還&廃藩置県によって、その領地をすべて没収されています。
その後、そのうちの一部(公家は堂上以上、武家は1万石以上、寺社は門跡or神職が世襲の大寺社)が、皇室の“藩屏”としての華族という身分(但し大した特権はない多分に名誉的な地位)に再編されたのです。
しっかり自らの領地を維持しているWWT後のリヒテンシュタインとは、あまり比較にならないと思いますが。
712 :
世界@名無史さん :04/06/20 20:23
もういいよ、細かい話は。 それよりモナコがフランスに取りあえず併合されずにすんできたのはどうして?
>711 君の話は他人を批判するのみ、非建設的でイクナイ! どんな例が適切なたとえなんだか自分の意見はないの? 読んでて不快になります。 もう少し自重してください。
714 :
世界@名無史さん :04/06/20 22:14
>>713 私は、事実誤認や曖昧なイメージに基づく話をされている方がいるので、最低限の定義、歴史的事実、そしてそれに基づく両者の違いを述べただけです。
読んで不快になるのは勝手ですが、私は最大限建設的な議論にしようとしているだけです。
貴方こそ、勝手な自分の感情で他人に向かって「自重しろ」などと、無礼なことが言えますね。
一応、私の意見を求めておられるようなので、それについて、以下に述べておきましょう。
ある地域のある時期の歴史的事実を、他の地域の同時期あるいは他の時期の歴史的事実と比較し、議論する比較歴史学は、それ自体はいろいろな見方ができて有益である。
しかし、無理に同様の例を探そうとして、「これとこれは同じ例えだ」などという議論に持っていくと、よく考えれば気が付くような相違点さえ見落としてしまい、重大な事実誤認に陥る可能性がある。
よって、「確かに一見似ているところもあるが、こういうところは違う」というような議論がもっとも有益である。
さらに言えば、両者の間にその違いがどうして生じるのかという議論に進められれば、尚更よい。
あーあれだ、とりあえずどうでもいいんだよ。 板違いも。言い争いも。
>>712 フランス革命の時に1度は併合されましたけどね。
718 :
世界@名無史さん :04/06/21 02:02
モナコは男子の継承者がいなければフランスに併合されるという 条約を結ばされたと聞いた覚えがある。
719 :
世界@名無史さん :04/06/21 02:14
>>718 今でも有効だ
王室に男子がいなくなったらフランスに併合される
720 :
世界@名無史さん :04/06/21 02:20
そもそもいつ結ばされたんだ?
721 :
世界@名無史さん :04/06/21 04:06
>>719 その後、モナコは1度実際に男子の継承者が断絶思想になったことがあるが、国民の総意で、公室に養子を立ててフランスへの統合を回避したらしい。
722 :
世界@名無史さん :04/06/21 10:59
どの小国も他国に守って貰っているわけか・・・ 日本は大国でありながら、小国と同じよう状態・・・情けない
んならば憲法を改正して公然再軍備をしよう。
>>722 が言い出しっぺになってくれ。
右翼の寝言はスルーよろしこ
あのあたり、サヴォイ地方は、神聖ローマ帝国、フランス、統一前のイタリア(サルデーニャ) と帰属がはっきりしなかったようで、それがモナコの独立維持につながった、のか?
726 :
世界@名無史さん :04/06/22 01:32
アンドラとサンマリノがあのような特殊な状態で存続してきたのも不思議。
アンドラリベリャがちょっと前冬季五輪の候補地に名前があがってたけど もし開催されたら誰が開会宣言するの?フランス大統領?
729 :
waza_fire :04/06/22 06:26
フォルネ首相じゃないの?
>>727 漏れは726ではないがレス抽出サンクス。
アイスランドは未出?
732 :
世界@名無史さん :04/06/27 22:48
734 :
世界@名無史さん :04/07/14 01:00
>>728 共同主権なのだから、両方の元首が共同で宣言。
735 :
世界@名無史さん :04/07/14 09:01
>>727 インドのカルカッタ州は、30年にわたり共産党です。
でも、物乞いもスラムも健在w
736 :
世界@名無史さん :04/07/24 01:23
遅レスの脱線だが、ブルガリアの「侯」は「クニャージ」で「王」は「ツァール」だから それぞれ「大公」「皇帝」とも訳せるかも。
737 :
世界@名無史さん :04/08/11 02:17
アンドラってスペインに統合しちゃえばいいのに。
738 :
世界@名無史さん :04/08/11 02:50
なんでさ?
739 :
世界@名無史さん :04/08/12 02:20
アンドラの現地住人の日常語ってカタルーニャ語なんでしょ?
741 :
世界@名無史さん :04/08/12 15:45
カタルーニャ語はフランス領カタルーニャの言語でもあるから フランスに併合されても良いことになる。
クウェートのアラブ語はイラクのアラブ語でもあるから クウェートはいらくに併合されても良いことになる。
743 :
世界@名無史さん :04/08/12 16:33
日本の文化は朝鮮半島から伝わったから 日本は韓国に併合されても良いことになる。
744 :
世界@名無史さん :04/08/12 16:39
>>742 うむ。中東の現国境線は帝国主義時代の列強の勢力範囲をかたどったような
もんだから、改めてアラブ民族で大同団結して一つのイスラム国家をうちた
てるか、或いは、部族ごと、宗派ごとにその居住地に合わせて国境線を
引き直すかが理想だね。
ま、現実問題、現国家の支配層の利権、第2次大戦後の国境線を動かすことに
旧連合国が大変嫌悪感を持ってることを考慮すると、
やはり不可能ではあるが。
ってことで、大英帝国が大復活します。
746 :
世界@名無史さん :04/08/12 17:32
モンテネグロって世界一の巨人国だって聞いたけど。 なんでも男で2m越えはザラらしい。 プロレスラーとかバスケ選手輸出国になれるのに。
747 :
世界@名無史さん :04/08/12 18:58
>>744 現在の中東の国境線って、第1次世界大戦後のものが原型では?
>>746 セルビア・モンテネグロは2002年のバスケットボール世界選手権で優勝したし、NBAでも選手がプレーしてる。
749 :
世界@名無史さん :04/08/12 23:33
>>737 それを言い出すと、このスレで話題にされてる国々はことごとく
存在意義を否定されるわけだが・・・・・・
750 :
世界@名無史さん :04/08/12 23:37
モンテネグロといえば、19世紀から20世紀初めにあった 君主国の名前がゼータ公国、ってなんか、漫画か小説に でてきそうな名前。
751 :
世界@名無史さん :04/08/13 00:13
ツルナゴーラは?
753 :
世界@名無史さん :04/08/14 00:28
ツルナゴーラの「ツルナ」って、「黒」って意味だとすると、チェルノブイリとかの「チェルノ」と同語源?
754 :
世界@名無史さん :04/08/14 16:25
>>753 おお、なるほど。
第二次スレースヴィ(シュレスヴィヒ)戦争に敗れたデンマークは、
スレースヴィの代わりにアイスランドを譲渡しようとビスマルクに持ちかけていた。
755 :
世界@名無史さん :04/08/14 22:59
>>721 親戚の息子さん?
>>722-724 周辺が大国ばかりでは仕方ない。中国がのさばりすぎてる。
欧州とは事情が異なる。ロシアは、EUへの石油輸出抜きに経済成りたたないのが現状。
防衛という意味では、日米安保解消しても、戦力バランスを整えさえすれば 対中国なら十分以上に戦えるけどね。なんせ潜在的海軍力が段違いだから。
自衛隊は継戦能力がない。
758 :
世界@名無史さん :04/08/15 06:59
>>757 と言われているが、やってみないとわからない。
760 :
世界@名無史さん :04/08/15 13:25
>>758 そこに書いてあるモナコ語って何?
プロヴァンス地方の言葉?
761 :
世界@名無史さん :04/08/15 21:41
ルクセンブルク語って何?っていうのと同レベル。
同じ言語だからといって一つの国にならねばならないなどということは全くない。
違う言語だからといって別々の国にならねばならないなどということは全くない。
>>744 連邦制国家なら可能かと。
実際シリアとエジプトは国家統合してたし、すぐ崩壊したけど。
アラブ統一主義はもう死んだと思われ
766 :
世界@名無史さん :04/08/17 10:32
>>760-761 モナコ語はフランス語とイタリア語、ルクセンブルク語はドイツ語とフランス語
の混合言語。
ちなみに同様の混合言語として、イギリス領のスペインの角地のジブラルタル語。
767 :
世界@名無史さん :04/08/18 01:14
それを言い出すと、現代英語自体がゲルマン語とフランス語とケルト語の混成言語。
768 :
世界@名無史さん :04/09/09 23:48
769 :
世界@名無史さん :04/09/10 09:35
英語から性がほとんど消滅してるのはありがたいけれど。
771 :
世界@名無史さん :04/09/10 10:02
文法が単純だから習得しやすい
772 :
世界@名無史さん :04/09/11 05:29:12
>>750 何言ってんの、おまえ?
ゼータは11c頃の国だよ。
773 :
世界@名無史さん :04/09/13 22:04:02
>>89 >>115 亀レスの上に重箱の隅つつくようで悪いんだけど、グリーンランドって地理
区分では(北)アメリカじゃないの?
んだ
775 :
世界@名無史さん :04/09/15 22:43:06
>744 アラブで合体してもまたイラク・シリア・サウジ・エジプトあたりで主導権争いが起きて分裂しそうだ。 でモロッコは放置されてしらんまに独立、とw
んじゃ、連邦的な大枠だけを作って、内政は部族単位にしちまうのはどうよ。
>>776 多分石油出るとこに住んでいる部族が大儲けして、他の部族が反発するか、
逆に中央に石油利益が吸い上げられて貧しい部族に投下されることに産出地域の部族が反発するか、
どっちかだと思われ
つーかベルベル人やクルド人やキリスト教徒はどうすんだ
アラブといってもスンニとシーアとドルーズと…中東全体がレバノンになるな
>>777 > 逆に中央に石油利益が吸い上げられて貧しい部族に投下されることに産出地域の部族が反発するか、
あの地域に再分配という発想はあるのか?
779 :
世界@名無史さん :04/09/16 08:17:18
サンマリノもアンドラも歴史的に教会との結びつきが非常に強い国なんだな ヨーロッパの極小国の秘密を見た感じだ マルタが英国領にならず独立を保っていれば同様に興味深いものになったであろ
780 :
世界@名無史さん :04/09/16 08:24:14
>>778 サダム・フセイン政権でも、それなりの配慮はしていたぞ。
でないと、恐怖政治だけでは持たない。
781 :
世界@名無史さん :04/09/16 08:31:02
パチョリック教会
783 :
世界@名無史さん :04/10/16 10:42:09
税金 天国
784 :
世界@名無史さん :04/10/31 16:21:47
バチカン自体が、銀行やマフィアとのスキャンダルに揺れたからな。 モナコも、マフィアの資金洗浄で稼いでいたそうだ。
785 :
世界@名無史さん :04/11/11 22:55:18
モナコ王女の前の夫のステファーノ・カシラギは、フランスの反マフィア委員会報告で マフィアのメンバーと名指しされたことがある。
786 :
世界@名無史さん :04/11/11 23:08:28
キャロライン王女の、です。 事故死しました。
787 :
世界@名無史さん :04/11/11 23:25:19
788 :
世界@名無史さん :04/11/11 23:39:04
789 :
世界@名無史さん :04/11/11 23:59:31
790 :
世界@名無史さん :04/11/12 01:18:28
エストニアって何なん?
何なん?とはどういう意味で?
792 :
世界@名無史さん :04/11/12 01:31:51
エストニアがこのスレで果たす役割と存在意義について。
794 :
世界@名無史さん :04/11/12 22:09:05
100万人いますから
795 :
世界@名無史さん :04/11/12 22:14:12
極小国の場合、金融が命だから、資金洗浄に手を貸すのはやむをえない。
796 :
世界@名無史さん :04/11/13 15:20:27
結局、非難されたときだけ、帳尻あわせで誤魔化すしかない。
797 :
世界@名無史さん :04/11/14 13:00:54
そのくりかえし フィジーも
798 :
世界@名無史さん :04/11/17 22:50:11
そういえばナウルっていう、現在経済が超ヤバな国があったな。 島民の成人の半数が糖尿とかいう話。 リン鉱石を取り尽くしたんだが、島民が贅沢な暮らしに慣れちゃって 全然働こうとしないらしい。それでマネーロンダリングとかに 手を出したら、経済制裁食らったり、イラクの捕虜を引き受けたりして大変。 あと独立国ではないが(ナウルも半分オーストラリアの支配下だけど)、 ピトケアン島だったかあの辺の英国領の島で、 島の男性陣がレイプで訴えられて、何か経済的に維持できないとかいう ニュースがあったな。もともとバウンティ号の反乱事件で、 女を巡って殺し合いをして生き残った男の子孫だから、 DQNの血を引いているんだろうけど。
てかこのスレって欧州限定だったんだな。 スマソ
800 :
世界@名無史さん :04/11/18 08:38:46
フランスや英国の植民地もあるからOK(v^-^v)♪
801 :
世界@名無史さん :04/11/19 21:46:16
モナコの王女の奔放さは、グレース・ケリーの血?(゚∀゚)
802 :
世界@名無史さん :04/11/23 09:57:52
モナコは監視 かめらだらけ
803 :
世界@名無史さん :04/11/23 14:11:25
804 :
世界@名無史さん :04/11/23 14:37:57
>>798 ナウルって確か国に1台しか国際電話出来る電話が無くて
暴徒にその電話ぶっ壊されたので、一時国ごと孤立したという
あのお笑い国家?
805 :
世界@名無史さん :04/11/23 20:45:05
>>804 ナウルに一台しか無いってのはワインオープナー
電話は一時不通になったとかいうのは、2003年の2月か3月ごろの話で、
単にメンテの問題じゃなかったっけ?
日刊ベリタって新聞がやたらナウルのニュースを取り上げていたけど。
806 :
世界@名無史さん :04/11/23 22:27:54
っつーかキプロスって欧州なんですか? 均等だとおもた。
外務省のサイトを見ると欧州。 近東:旧ユーゴからボスポラス海峡まで 中東:小アジア半島からイランまで 遠東:インド亜大陸からインドシナ半島、インドネシアまで 極東:中国亜大陸、朝鮮半島、日本列島、ロシア極東
TurkeyはEurope。
809 :
世界@名無史さん :04/11/24 22:19:24
キプロス、グルジア、イスラエル、トルコ、アルメニア、マルタは、 サッカーでは欧州枠だな。 グリーンランド:デンマーク領だが通常は北アメリカ セウタ、メリリャ:スペイン領だが通常はアフリカ、でも国連等では欧州扱い。 カナリア諸島:スペイン領だが通常はアフリカ、でも国連等では欧州扱い。 マデイラ:ポルトガル領だが通常はアフリカ、でも国連等では欧州扱い。 アゾレス諸島:ポルトガル領で、この辺は通常もヨーロッパ(?) バレアレス諸島:スペイン領でヨーロッパ マルタ:マルタ語はアラビア系言語だが、通常ヨーロッパ エーゲ海の島々:何かもの凄く政治的に左右される地域だが、 現状ではギリシャ領がヨーロッパでトルコ領がアジア トルコ:ボスポラス海峡以西がヨーロッパ、小アジア半島はアジア 南北キプロス:20世紀初頭はアジア扱いされていたが、最近は微妙。 Britannicaではヨーロッパの方に分類されていた。国連ではアジア扱い。 グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア:通常はアジア ノヴァヤ・ゼムリャ:ロシア領で、通常はヨーロッパ ロシア、カザフスタン:カザフスタンの一部がヨーロッパに入る 通常は、黒海〜ケルチ海峡〜アゾフ海〜クマ川〜マニフ川〜カスピ海 〜エンバ(ウラル)川〜ウラル山脈を境とする。 でも実際はグルジア国境を境としたり、イラン国境を境としたり、 特に定説があるわけではない。
そうそうここで通常と書いたのは、どっちかというと、20世紀初頭での話し。 昔の国連統計では、カナリア諸島とかがアフリカで纏められていた。 自宅にある戦前の古い世界地図(英国製)では、少なくともキプロスは アジア扱いになっていたと思う。
カザフスタンもサッカーは低レベルのアジアからハイレベルのヨーロッパに乗り換えました。
キプロスは今年EUに加盟したしね。
ウクライナってヨーロッパ?
814 :
世界@名無史さん :04/11/25 08:29:44
んだ アジアとヨーロッパの酒井はウラル山脈
815 :
世界@名無史さん :04/11/26 15:12:55
ゆんべ、NHK・BS-hiでリヒテンシュタイン公国の美術品の番組をやっていた。 が、帰ってきた次男に途中で切り替えられてしまった(泣)。 再放送期待。 えーと、大公は高齢なので、侯太子が摂政に就任して、隠居するというところから始まった。 8月15日にその摂政就任式があったんだと。
大公なのか公なのか侯なのか!
817 :
世界@名無史さん :04/11/26 15:19:35
元首は「公爵」、ただし尊称として「大公」とつける習わし。 太子の爵位は「侯爵」、それで「侯太子」と呼ぶ。
818 :
世界@名無史さん :04/11/26 16:47:19
リヒテンシュタインは「侯国」です。
ですから嗣子は「侯太子」が正しいです。
>>817 はデタラメです。
でも英文の外交文では大公国も公国も侯国もprincipalityになってたりします。
819 :
世界@名無史さん :04/11/26 17:03:55
じゃNHKか、リヒテンシュタイン公国が間違えてたんだ。
820 :
世界@名無史さん :04/11/26 17:10:04
外務省のデータも間違い?
リヒテンシュタインの元首は"Prince"。ドイツ語では"Fürst"。 これを「公」と訳す人も「侯」と訳す人もいる。どっちが正しいとは言い切れない。 だが「公」と訳すと"Herzog"とややこしいのであまりよろしくないとは思う。 "Fürst"を「公」と訳し、"Herzog"を「公爵」と訳して区別する人もいる。 どちらにしても、「公爵」「侯爵」ともに変。「大公」はもっと関係ない。
823 :
世界@名無史さん :04/11/26 17:39:17
それは大変だ。 リヒテンシュタイン政府に、「公国と自称するのは間違ってますよ」と言わなければ。
リヒテンシュタインに言ってどうするんだよ。
principalityを「公国」と訳してるのはNHKと外務省。
princeを公爵とか言い出したのは
>>817 =819=820=821=823
825 :
世界@名無史さん :04/11/26 18:01:53
そのうち再放送するだろうから、なんと言ってたかはそのときに確認。
826 :
世界@名無史さん :04/11/26 18:09:25
820ですが何か?
827 :
世界@名無史さん :04/11/26 23:09:17
漏れ、今の今まで候国と思ってたけど、外務省は公国なんだなw
princeという称号が、ねえ……。 英語prince、ドイツ語Fürst、ラテン語princepsは、 語義から言えば「第一人者」。 その領邦のトップという意味で、公、侯、伯などのタイトルの保持者の総称として用いられることもある。 (この場合では「諸侯」と訳すのが普通だと思う。) 独立的な小国の君主の称号として用いられることもある。 例えば19世紀のセルビアやルーマニア、それにウェールズなんかがそう。 (この場合は「大公」「公」「侯」どの訳も見る。けど、公爵よりも格上なのに「侯」は違和感がある。) 18世紀〜19世紀ドイツの諸侯の称号としても用いられる。このprinceはdukeよりも格下。 リヒテンシュタインはこれ。 (この場合は「公」「侯」両方見る。私は、公爵より格下なのだから「侯」でいいと思う。)
829 :
世界@名無史さん :04/11/28 00:37:23
イタリアの中にちっちゃい国ありましたよね?バチカンの他にもう一つ。 なんて名前か失念しますた。 誰か教えてつかーさい
830 :
世界@名無史さん :04/11/28 00:44:03
サンマリノ?
831 :
世界@名無史さん :04/11/28 05:25:04
イタリア半島の5つの国家 イタリア共和国 バチカン市国 サン・マリノ共和国 マルタ騎士団 セボルガ公国
ネットで検索したら、アンドラ公国って「共和制」なんだって。 「公国」なのに「共和制」って、ワケワカラン。
あと、サモア独立国は「立憲君主国」に分類されてるけど、 独立以来、大首長の座にあるマリエトア・タヌマフィリ2世は終身元首であって、 2代目以降は議会が選出する任期5年の元首になるそうな。 これって「立憲君主国」でいいのか?
834 :
世界@名無史さん :04/11/28 17:16:08
マレーシアもおなじく国王の任期は5年。
835 :
世界@名無史さん :04/11/28 18:28:44
837 :
世界@名無史さん :04/11/28 19:41:55
838 :
世界@名無史さん :04/11/28 20:40:35
サモアの場合、現大首長に関しては特例措置みたいな感じで君主制だけど、 2代目からは共和制になるってことじゃないの?
たぶん
>>836 はポーランドも選挙で国王が選ばれていたといいたいのだろう。
恐らく寡頭制になるんだろうから共和制でも選挙王制でも間違ってない気がするなぁ。
やはり自称の問題か?
そういやUAEはアブダビ首長が連邦大統領なんだよな
…ってスレ違いだぞサモアは。
>>837 ポーランド王国は自称「貴族共和制(ジュチポスポリタ・シュラヘツカ)」。
「共和」=君主がいない、という定義に従えば変な訳ではあるけれども。
しかも寡頭制という言葉はマグナートと呼ばれる大貴族台頭後を指す(マグナート寡頭制)ので、
貴族共和制期には使えないのでした。
841 :
世界@名無史さん :04/12/17 11:25:17
アンドラには王家ないものな 大司教とフランス大統領
842 :
世界@名無史さん :04/12/17 16:47:25
公爵領を、フランス国家とカトリック教会が共有する関係だと思う。 封建の遺制は、英国だけではないと。
843 :
世界@名無史さん :04/12/17 16:48:46
英国でも、なんたら公爵、なになに伯爵を兼ねていることが多い。
844 :
世界@名無史さん :04/12/17 16:49:26
相続で決まるのだ
845 :
世界@名無史さん :04/12/21 01:14:24
>>845 似てるけど、選帝侯がいる訳じゃなくて、貴族全員の総意として王位を選ぶ。
大空位時代以前の神聖ローマと同じかな。
おかげで二人の王が同時に選出されて相争うなんてこともあった。
847 :
世界@名無史さん :04/12/29 10:25:39
>>824 他
リヒテンシュタインは公国ではなく侯国が正しいはず
まぜなら神聖ローマ帝国での爵位が公爵ではなく侯爵であったから
しかし常用漢字表に侯の字がない時期があり
そのため日本では便宜的に公国と表記していた
今現在もその習慣が残っているだけ。
日本国内ではスイス大使館がリヒテンシュタインの代理となっており
リヒテンシュタインの代表は国内にはいませんがそのかわりの
日本リヒテンシュタイン協会では公国ではなく侯国と表記しています。
848 :
世界@名無史さん :04/12/29 16:06:22
>>847 イタリア史で侯爵と訳されるMarch'ese (英語のMarquess,Marquisに相当)も
神聖ローマ帝国下ではMarkgraf 辺境伯に相当する。
つまり英国・イタリア史の侯爵は、歴史的にはドイツ史の辺境伯と同格。
でも英国やイタリアではドイツ史の辺境伯をMargrave, Margr`avioと読んで区別する。
逆に英語ではドイツ史のKurf"urst 選定侯、Reichsf"utst 帝国侯などの諸侯F"urstと
Kronprinz 王太子/皇太子、Kurprinz 選定侯子、Erbprinz 皇子/侯子などのPrinz親王を、
ともにPrinceと翻訳してしまう。
結局のところ欧州側でも呼称に混乱があってしょうがない面もある。
849 :
世界@名無史さん :04/12/29 17:02:14
失礼 ×選定侯 ○選帝侯 ね。 ドイツ史だと K"onig 王 = King (一応イタリア国王とかドイツ国王(ローマ王)とかいった 称号が神聖ローマ帝国崩壊まで存続していた) Kurf"urst 選帝侯 =Prince Elector (19世紀のヘッセン=カッセル公国などは むしろ選帝侯を好んで称しており、Dukeよりも上と見なされていた節がある) Erzherzog太公 = Archduchess (オーストリアのみ) Grossherzog 大公 = Grand Duke (19世紀以降) Herzog 公爵 = Duke Markgraf 辺境伯 = Margrave (Markherzog 辺境公と呼ばれていた時期もある。 英国などの侯爵Marquisと同格) Landgraf 方伯 = Landgrave (元々はDukeと同格とされた) Burggraf 城伯 = Burgrave (Landgrafよりは小さい土地を支配する) Pfalzgraf 宮中伯 = Count Palatine (元は皇帝の司法代理人) Reichsf"urst 帝国侯 = Prince of Empire (無冠のF"urstと違って帝国会議に参加できる) F"urst 侯爵 = Prince (元々諸侯という意味であり、どっちかというと 領主聖職者(後述)を指した。 英国のPrince of Walesなどは、むしろDukeよりも上で、「公爵」という訳が ふさわしいが、ドイツ史ではMarkgrafやLandgraf等などの独立的な地位を持った grafたちよりも下とみなされた。 神聖ローマ帝国末期には、侯爵といえば総てReichsf"urstであり、 無冠の侯爵は存在しなかった) Reichsgraf 帝国伯 = Count of Empire (無冠のGrafと違って帝国会議に参加できる) :Graf 伯爵 無冠の伯爵は帝国会議に参加できない。この他Rheingraf ライン伯 = Rhinegrave), 高地伯 Altgraf = Altgrave), Wildgraf 僻伯 = Wildgrave), Raugraf 土伯 = Raugrave)等々 怪しげなタイトルが地方により使われていたらしいが、これらは帝国的には無冠のGrafと 何ら変わりがなく、辺境伯、地方伯、城伯、宮中伯とは比較にならない。 Vizegraf 子爵 = Vicecountはドイツ史では一部の伯領内でのみ存在。 Reichsfreiherr 帝国男爵 = Baron of Empire Freiherr 男爵 = Baron (伯爵等の下の低い身分の帰属)
850 :
世界@名無史さん :04/12/29 17:21:10
>>849 のGrafの英訳はCount
ドイツ史では聖職者グループも領主権を持ち、
F"urstと言えば、領主聖職者を指す時期もあった。
F"urst-Erzbischof 領主大司教 Prince Archbishop
F"urst-Bischof 領主司教 Prince Bishop
F"urst-Abt 領主大修道院長 Prince Abbot
Reichsabt 帝国大修道院長 Abbot of Empire
Reichs-Kloster 帝国修道院長 Cloister of Empire
Reichsprobst 帝国教務院長 Provost of Empire
そして最後に混乱の元となるタイトルが
Prinz 親王 = Prince 英語ではF"urstと区別されない。
Kronprinz, Kurprinz, Erbprinzb等々...
>>848-850 FürstもPrinceも結局「一番」という語が語源だからなあ。
中世ドイツ史でFürstenが出てきたら「侯爵/公爵たち」じゃなくて「諸侯」っすよ。
本来、爵位じゃない。
それぞれの領地の一番偉い人ってこと。
これがなんで18〜19世紀頃のドイツで突然爵位として称されるようになったのか、そっちの方が不思議。
で、まとめとしては、リヒテンシュタインはやっぱ「侯」でOK?
君主としてのFürstじゃなくて、帝国の爵位としてのFürstだから。
852 :
世界@名無史さん :04/12/30 02:23:03
世界史的にはリヒテンシュタイン侯国という訳が正しいが、
外交的にはリヒテンシュタイン公国という訳が正しいといったところじゃない?
リヒテンシュタインは、帝国侯爵Reichsfurstとして
神聖ローマ帝国時代末期の18世紀中頃に叙勲されている。
ちなみに帝国侯爵というのは帝国伯爵、帝国男爵とともに創設された
比較的新しい地位らしい。
うる覚えだが1500年前後のマクシミリアン1世の頃からだったと思う。
それまでは爵位としてのFurstは、
>>850 に書いたような領主聖職者
(Furst-Bischofとか)の場合か選帝侯(Kurfurst)の場合だけで、
多分ReichsfurstでもKurfurstでもない無冠の侯爵Furstは、
公式には存在しなかったのでは?
853 :
世界@名無史さん :04/12/30 08:24:20
いや〜勉強になるなあ 神は細部に宿るというからねえ
854 :
世界@名無史さん :04/12/30 10:01:56
高卒就職者って就職先決まって祝福されるの? 親とかは心の奥底ではスゲー悲しんでるよ。 オレとかが行ってた大学進学率ほぼ100%の進学校だと、学年350人中2〜3人就職、1人専門がいたが コソコソと冷たい視線や嘲笑い、暴言、哀れがられてたし、この高校を卒業しても気やすく名乗るなよ!って言われてたな。 教師の態度も変わるし卒業式にはとうていでられません。 ある教師が学校の名をけなすクズとか社会の敗者とか言ってたな。 逆に浪人も60人くらいいたが彼らの扱いは将来があるということで学校側がバックアップしてやるぞ!安心しろ!みたいなこと言ってて手厚かった。 この差はなんざんしょ? とりあえず、こんな僕から言わせてもらうと高卒なんか直視できないほど恥ずかしいよ。 だって僕の育った環境からすればアリエナイし同じ人間ってか、高卒は人間ではないんだもん。
855 :
世界@名無史さん :04/12/30 11:18:38
>>854 あの、絶えずそんな事を気にして生きてて、疲れないですか?
856 :
世界@名無史さん :04/12/30 11:43:39
857 :
世界@名無史さん :04/12/30 12:21:11
>>854 空しいよな('A`)
そのうち、日本の大学卒業しても相手にされない時代が来るだろうに。
何でいつの間にスレ違いな話題が始まってるんだ。
859 :
世界@名無史さん :05/01/10 18:23:43
熱海が日本のモナコなんて言っているけど、レベルが全然違う。 山の絶壁の景色とか、海のきれいさとか。 特に夜景は美しすぎる。 F1好きな人も一回はいかないとね。
860 :
世界@名無史さん :05/01/10 19:40:42
Markgraf 辺境伯 = Margrave (Markherzog 辺境公と呼ばれていた時期もある。 英国などの侯爵Marquisと同格) 辺境伯というと、国境周辺、僻地に位置し、ある程度独立的な権限を持っていたんだ、 という変な思い込みをしてしまいますが、 この「辺境」伯というのは、適切な訳か気になります。 たとえば、バーデン辺境伯などいますが、 バーデンの一体、どこが辺境なのか、わかりません。 もとの意味はともかく、単純に格を示すもの、 マーキス(侯爵)といったほうが、余程、しっくりくるように思うんですけども。 ブルク(城だけ)より広い、ラント(地域)よりもっと広い、 広域=マルクの伯という感じです。
>>860 バーデンが辺境伯になったのは1803年ですから……
中世の辺境伯はオストマルクとかブランデンブルクとかスペインとか、辺境ばっかですよ。
>>861 バーデン辺境伯の成立は1112年。
1803年に選帝侯兼大公へ昇格。
うへ
864 :
世界@名無史さん :05/01/20 22:30:38 0
865 :
世界@名無史さん :05/01/21 22:53:09 0
867 :
世界@名無史さん :05/01/22 00:42:27 0
>>860 辺境伯ってのはカロリング時代の官職の名前に由来します。
軍事権を併せ持った伯の事で、速やかな軍事行動が必要な区域に
置かれました。(反乱が怖いので、数は絞ってましたが)
で、王命がすぐに届かずなおかつ軍事的脅威に晒される区域というと
国境地帯が多かった為、辺境伯と呼ばれているわけです。
で、この官職ですが、カール大帝以降の混乱時代になると王国内部でも
頻繁に軍事衝突が起こるようになり、その対処として辺境伯管区が設置される
ようになりました。
という説明をしておいてなんですが、中世盛期(10世紀以降)になると
フランク王国の官職的要素の強い伯なんて、いなくなってしまいます。
いくつかの伯管区を兼ねる事で、強大な権力を獲得する事に成功した伯が
箔付けの為に、かつての王国の遺制からそれらしい官職名を引っ張ってきて
名乗る事が多くなりました。(公とか大公とか辺境伯とか)
もちろんアンジュー伯のように、称号に興味の無い上級貴族もいたので
この時代、爵位の間に明確な区別なんてなかったと考えるのが正しいです。
(帝国諸侯制度なんかが整備されてくると、また話は変わってくるわけですが)
868 :
世界@名無史さん :05/01/22 09:00:32 0
リヒテンシュタインって立地条件で助かったような国だな。 領土がドイツ本土から離れてスイス・オーストリア国境にあったから、 ドイツ統一にも第一次大戦後の革命にも巻き込まれずにすんだ。
869 :
世界@名無史さん :05/01/22 14:28:38 0
バチカン行くのに入国審査あるの?
870 :
世界@名無史さん :05/01/22 14:29:36 0
なんでサンマリノだけ残ってるの?
871 :
世界@名無史さん :05/01/22 16:09:13 0
>>849 王ですけども
「K"onig 王 = King (一応イタリア国王とかドイツ国王(ローマ王)とかいった称号が神聖ローマ帝国崩壊まで存続していた) 」
@ブルグンド王は、どうでしょうか。
Aイタリア王、東フランク王の資格で、家臣に爵位を与えることはできるのでしょうか。
皇帝の資格でないと、駄目なんでしょうか。
また、ボヘミア王は、どうでしょう。
872 :
世界@名無史さん :05/01/22 16:13:47 0
>>849 王ですけども
「K"onig 王 = King (一応イタリア国王とかドイツ国王(ローマ王)とかいった称号が神聖ローマ帝国崩壊まで存続していた) 」
@ブルグンド王は、どうでしょうか。
Aイタリア王、東フランク王の資格で、家臣に爵位を与えることはできるのでしょうか。
皇帝の資格でないと、駄目なんでしょうか。
また、ボヘミア王は、どうでしょう。
873 :
世界@名無史さん :05/01/22 16:19:22 0
やっぱヨーロッパの都市王国も独裁したらアメリカの攻撃対象になるのかなー?
874 :
872 :05/01/22 16:24:05 0
Bボヘミア王位は、その前は、大公であり(ヘルツオーク)、部族大公みたいなもんだと、 某氏が書き込みしていました(別のスレッドで)。 王位と大公位の差のひとつは、 家臣に爵位を与えられるかどうかでしょうか。 ハプスブルク家の大特許状によると、 太公(エルツヘルツオーク)には、家臣に授爵権がある、となっていますが、 そのほかのヘルツオークやマフクグラーフには、授爵権がないように読めますので。
875 :
世界@名無史さん :05/01/22 16:38:55 0
>>873 リヒテンシュタインは侯爵の個人経営みたいなものだと思うが。
876 :
世界@名無史さん :05/01/22 19:51:40 0
爵位とか何とかの世界では席次は重要だと思います。
それが、国の格や、勢力分配(領土分配)、領地内での権限行使(帝権の介入度合い)
にかかわってくると思いますから。。。。
>>849 氏の文脈からいくと、
Reichsgraf 帝国伯>>F"urst 侯爵 なんですね。
ただ、帝国末期には、「F"urst 侯爵」は存在しないので、
Reichsf"urst>>Reichsgraf >>Graf となってすっきりしていますけど。
中途は、ややこしかったですね。席次とか難しそうで。
ただ、Graf 無冠の伯爵 と Reichsfreiherr 帝国男爵 の関係がヤヤコシイですね。
後者が優位であるようですが、
席次上も、Reichsfreiherr >> Graf >>Freiherr となるんですよね。
877 :
世界@名無史さん :05/01/22 20:06:37 0
>>867 の最後の一言、
「帝国諸侯制度なんかが整備されてくると....」って、そそられます。
手っ取り早い説明のある書籍やサイトはあるでしょうか。
878 :
世界@名無史さん :05/01/22 20:18:26 0
>>861 ザクセン王国の元になった家って、もともとは、 マイセン宮中伯でしたっけ、マイセン辺境伯でしたっけ、 ちょっと頭がごちゃごちゃしています。
>>877 ガンスホーフの『封建制度』なんかが平易だと思いますが・・・。
封建制を論じた本や論文を読めば、重要な問題なだけによく出てきますよ。
ちなみに帝国諸侯制度というのは、簡単に言うと
・複数の伯管区を掌握している諸侯。
・国王(皇帝)以外の誰からも封を受けない。(国外は除く)
というものです。(中世を過ぎると形骸化が進みますが)
880 :
世界@名無史さん :05/01/22 21:24:39 0
>>879 さん。 ありがとうございます。
「重要な問題なだけによく出てきますよ」といってもらえるとうれしいです。
すぐに、貴族オタとかいわれそうでしたので。
序列とか、会議の席をリードするのにとても重要なのは、普段の会社員生活でも
つとに感じているところです。(はやく定年迎えて、歴史の本をいっぱい読みたいです)
>>849 さん。
官職・爵位を、書いていただいていますが、
これらは基本的には、王(フランク王→東フランク王。また、皇帝)から授与されたもの、
という理解でよいでしょうか(あるいは授与されたとう「形式」「捏造」)。
ただ、Vizegraf 子爵( = Vicecountはドイツ史では一部の伯領内でのみ存在。)については、
一部の伯爵領でのみ存在というので、ちょっと気になります。
ドイツでは、領邦君主が与える爵位もあったと思いますので、なんか、こんがらがります。
(これは当初は、越権だったかもしれませんが)
西フランクでは陪臣爵位として、呼び名があったような気がします。通称かもしれませんが。
>>878 ヴェッティン家ですか?
『世界歴代王朝王名総覧』によれば、辺境伯ですね。
882 :
世界@名無史さん :05/01/30 23:31:46 0
>>867 氏のコメントを再掲する。
辺境伯ってのはカロリング時代の官職の名前に由来します。
軍事権を併せ持った伯の事で、速やかな軍事行動が必要な区域に
置かれました。(反乱が怖いので、数は絞ってましたが)
で、王命がすぐに届かずなおかつ軍事的脅威に晒される区域というと
国境地帯が多かった為、辺境伯と呼ばれているわけです。
で、この官職ですが、カール大帝以降の混乱時代になると王国内部でも
頻繁に軍事衝突が起こるようになり、その対処として辺境伯管区が設置される
ようになりました。
で、イスパニア辺境伯は、対イスラム(イベリア半島)。
オーストリア辺境伯は、対マジャール?
ブランデンブルク辺境伯は、対ポーランド?
マイセン辺境伯は、対「誰」でしょうか。対ザクセン公でしょうか。
また、バーデン辺境伯は、対「誰」でしょうか。
883 :
世界@名無史さん :05/01/31 00:10:59 0
83 :世界@名無史さん :02/11/30 18:08
ところで王国、公国、首長国なんかの後継ぎを皇太子っていうのは
おかしい。
王太子、世子、公子などというべきだ。
84 :世界@名無史さん :02/11/30 18:23
じゃ、東宮とでも呼ぶか。
433 :世界@名無史さん :04/02/10 23:52
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/liechtenstein/data.html ↑リヒテンシュタインのErbprinzも”皇太子”っていうのはチョット・・・って思うけど
でも公爵の継承者に対する適訳ってある?
で、質問なんですが、
[Erbprinz ]は、ドイツ語だと思いますが、これを英語でいうとなんとなるでしょうか。
特に、この「Erb」がわかりませんが。
Kronprinz = crown prince Kurprinz = electoral prince Erbgrossherzog = hereditary grand duke Erbherzog = hereditary duke Erbprinz = hereditary prince Erbgraf = hereditary count Erbeは「相続」
885 :
世界@名無史さん :05/01/31 20:23:18 0
モナコのレーニエ大公の父はポリニャック公というが、もしかして七月革命のとき、 シャルル10世の首相だった、あのポリニャックの子孫なのか?
886 :
世界@名無史さん :05/01/31 20:26:34 0
検索したらポリニャック「公」ではなく、「伯」だった。 シャルロット・ルイーズ・ジュリエット Charlotte Louise Juliette 生没年:1898-1977 父:モナコ公ルイ2世 ヴァレンティノワ公 夫:ポリニャック伯ピエール・マリー・グザヴィエ1895-1964 1920-1951 アントワネット・ルイーズ・シュザンヌ 1923- レーニエ3世
>>882 不勉強につき、各辺境伯領の仮想敵国(?)についてひとつひとつ明確に
答える事は出来ませんが、オーストリア辺境伯は東方の守りの要でしたし
バルセロナ辺境伯がイスラム対策であった事が間違いが無い所でしょう。
マイセン辺境伯は設置当初はザクセン対策もあったようですが、スラヴ人の
反乱に対して有効に働いています。
で、バーデン辺境伯についてですが、設置されたのは12世紀のようですから
こちらはフランク王国の官制というよりは、伯の上位概念としての名称として
判断すべきかと思います。(867の後半部分を参照して下さい)
ドイツに関してはフリードリヒ1世が封建制度に関する大きな指標になります。
これより前は部族大公でも頻繁に交代している事があり、まだまだ官僚的性格が
強かったと考えて良いでしょう。
888 :
世界@名無史さん :05/02/05 14:48:57 0
小国の人たちはいちいちパスポートが必要なの?
889 :
世界@名無史さん :05/02/05 15:21:11 0
リヒテンシュタインやモナコみたいに隣国が外交権を代行している国の場合、 パスポートは隣国に発行してもらうんだろうか?
890 :
世界@名無史さん :05/02/05 19:50:10 0
Vizegraf 子爵( = Vicecountはドイツ史では一部の伯領内でのみ存在。)については、 誰が与えたという形でしょう。Grafがですか?
少なくとも神聖ローマ帝国としては子爵位を出していないけど、 まあGrafとかが伯爵領内で出したんじゃない? vicecountにしてもVizegrafにしても、元来「伯爵の代理人」という意味だし。
>>890 フランク王国の官制上は伯の下級役人という事になります。
なので、当初は国王の選任によっていたはずですが、こちらも世襲化したようです。
年代が降るにつれ、伯が自らの管区の副伯との縁組によって管区を完全に掌握しようと
した事が見られます。
893 :
ドンブロスキー :05/02/25 00:30:50 0
シメオン=サクスコブルゴツキ首相(元ブルガリア王国国王シメオン2世)は、アテネオリンピック の開会式のスタジアムにいたらしい。ちなみに、首相は、国を追われた後にアメリカ軍に入隊した ことがあったらしい。また、当時ブルガリア経済が悪化していたことで、与党への国民の信頼が失われ ていたこともあり、帰国した首相がシメオン2世の国民運動なる政治団体を結成し、実業家としての 経歴も国民が高く評価したこともあり、この政治団体が第一党となった。後にブルガリア共和国の首相 に就任した。首相自身は、国王として復位する考えはないとのこと。しかし、この事は社会主義政権 によって退位を強いられた諸王家にとって、わずかながらも王家再興にとって明るい兆しとなったことは 否めない。
894 :
世界@名無史さん :05/02/25 00:38:04 0
あまり知られていない話だが、GHQ占領直後の日本で、
アイヌ協会の幹部たちがGHQ司令部に呼ばれた。
GHQの司令官はそこで、アイヌ独立の意向を尋ねた。
ここでなにを考えたのかアイヌ人たちは、独立の意向は
ないと解答した。もしここで、「独立したい。日高か釧路を
アイヌ人の国にしたい。」なんて解答したらどうなって
いたのだろう。アイヌ人は独立国を築けたのだろうか。
現在、北海道に住むアイヌ人の人口は約2万4千人だそうだが、
これはサンマリノ、モナコ、リヒテンシュタインに匹敵する人口だ。
ttp://www.kmatsum.info/lec/meziro/endangered/Ainu.html アイヌ人はアイヌ王国を築けただろうか。
それにしても、なぜ琉球王国は独立を維持できなかったのだろうか?
アイスランドの繁栄を考えれば、沖縄も独立したほうが繁栄しただろう。
>>894 独立するには沖縄は面白すぎる位置にあったと思う。
896 :
世界@名無史さん :05/02/26 14:55:35 0
台湾に近すぎ
897 :
世界@名無史さん :05/02/26 14:58:47 0
イタリアとリビアに近すぎのマルタでも独立国なんだが。
898 :
マンクスではないけど :05/02/26 16:28:30 0
一方、マン島王国は、今は独立していないね。
899 :
世界@名無史さん :05/02/26 16:35:59 0
沖縄には、せめてフェロー諸島なみの自治領としての地位は認めてやろうよ。
900 :
世界@名無史さん :05/02/26 16:41:50 0
Reichsfreiherr 帝国男爵 VS Freiherr 男爵 無冠の男爵 Reichsgraf 帝国伯 VS Graf 伯爵 無冠の伯爵 849からコピーしましたが、 このような区別は、いつごろできたのでしょうか。 旧来からの伯や、男爵に加え、新たに、爵位を乱発した際に、 新しい爵位には帝国議会出席権をあたえていないケースが多く、 それを無冠の伯爵、無冠の男爵ということでしょうか。 従来の伯爵や男爵をこれらと区別のため、帝国伯爵、帝国男爵とあえて呼ぶようになった のでしょうか。 一方、侯爵ですが、これはもともと諸侯という意味で、 爵位(タイトル)という位置づけではなかったので、 特に、「乱発」が起きるはずもなく、 帝国議会に出席権のない侯爵は発生しなかったということでしょうか。
901 :
世界@名無史さん :05/02/26 16:54:23 0
一方、マン島王国のことですが、 そもそも、王というタイトル格式をどうして得たのか、疑問です。 ウエールズですら、公国なのに。
>>900 >>852 にも書いてあるけど、Reichsfürst, Reichsgraf, Reichsfreiherr
というタイトルが整備されたのは、、1500年頃のマクシミリアン帝の時代からで、
管区制度とか、帝国会議とかの改革の中で、創設されたもの。
とにかくReichs-がつけば、帝国会議に参加できた。
選帝侯と公爵クラスは、自動的に帝国会議に参加でき、
Markgraf、LandgrafやPfalzgrafクラスは、1500年前後にReichsfürstとして会議に
参加した。でもこれらの上位のGrafたちは、タイトルとしてはFürstを名乗らずに、
Markgraf、Landgraf、Pfalzgrafを名乗り続けていたと思う(未確認)。
問題は、それまで単にGrafと名乗っていたクラスで、特にReichsfürst
へ上がったGrafは、喜んでFürstを名乗っていたんじゃない?
リヒテンシュタインなんて、完全にその例だな。
>帝国議会に出席権のない侯爵は発生しなかったということでしょうか
Fürstは一般名詞として「諸侯」だけど、
>>850 に書いてある通り、
領主聖職者たちもFürstとしてタイトルを持っていた。
まあ、この人たちは通常なら司教とか修道院長とかを名乗っていたので、
世俗階級では、ReichsfürstでないFürstは存在していなかったと思う。
少なくとも世俗階級と聖職者階級のタイトルに上下の区別を付けるのは難しいし、
中世ドイツのヒエラルキーは、相当複雑だった。
>>901 1406-1765の間の支配者のタイトルは、"lord of Mann"だった。
まあ、1341年以降実質イングランドの支配下だったんだけど、
島の住民の言葉が異質だったからしばらく"king of Mann"と
いうタイトルを使い続けたんじゃない?
ヴァイキングが島を支配していた頃も、すでにマン島の支配者は
Kingだったらしい。
904 :
世界@名無史さん :05/02/26 19:23:31 0
マン島は自治領ではあるな ヒースロー空港の入国審査場には The United Kingdom Ireland Isle of Man Channel Islands と書いてあって、連合王国の範囲には入らないことがわかる ウエブスター地理事典によれば 9〜13世紀:ノルウェー国王領 13〜14世紀:スコットランド国王領 14世紀〜現在:イングランド国王領
905 :
世界@名無史さん :05/02/26 21:15:55 0
>"king of Mann"と いうタイトルを使い続けたんじゃない? そういう回答、たしかに納得できます! アイルランドもイングランドが侵入する前は、 リンスター王など、「王」が複数いて、その上に「上王」が居たとなってます。 「上王」といっても、イングランド王より格上という訳でもないでしょうし。 >Channel Islands マン島のほかに、ここも自治領なんですか。びっくり、複雑ですね。
906 :
世界@名無史さん :05/02/26 21:22:17 0
TO 900,902 詳しい解説ですね。深謝ですが。 ところで、ドイツでは、跡取り以外も、爵位を名乗っているようです。 (たまたま、ヘルツオークの例ですが)ウイッテルスバッハ家も、そうですし。ザクセン家もそうです。 この場合の、 帝国議会出席権はどうなっているんでしょうか。 本家本元としての爵位の名乗りと 一族の者としての爵位の名乗りは別扱いをしているんでしょうか。 なお、最初から、帝国議会に出席できないクラスの爵位の場合は、次男や三男の名乗りと長男の爵位の名乗りも おんなじものかもしれませんが。
>>904 正確には英国国王の属領のひとつです。
ですから連合王国には属していないという事ですね。
属領というカテゴリにはジブラルタルやフォークランド諸島も入ります。
中世のマン島とヘブリディーズ諸島に存在していた王権ですが
最盛期にはアイルランドの諸王を圧倒する勢力を誇っていたようです。
>>906 ドイツにおいて、長子相続制が確立するようになるのはかなり後期の事です。
そして帝国議会も成立時期はマクシミリアン1世の時代ですから
神聖ローマ帝国の歴史の中ではかなり後期の事になります。
帝国諸侯とそうでないクラスの違いについては、爵位スレに詳しい解説が
載っているので(ハプスブルク家スレだったかも知れませんが・・・)
そちらを参照する事をオススメします。
マン公
マン島の住民にはEU住民としてのパスポートは与えられないんだよね、確か。
910 :
世界@名無史さん :05/03/01 23:28:56 0
マン島は独立国じゃなくてイギリス領なのに?
912 :
世界@名無史さん :05/03/02 06:29:44 0
913 :
世界@名無史さん :05/03/02 06:34:14 0
いや、単に、外交をイギリスに委ねている保護国
914 :
世界@名無史さん :05/03/05 21:17:08 0
単行本: 279 p ; サイズ(cm): 22 出版社: 慶応通信 ; ISBN: 4766400496 ; 改訂新版 版 (1982/07) 封建制度 F.L.ガンスホーフ (著), 森岡 敬一郎 価格: ¥2,730 (税込) 現在、在庫切れです。
915 :
世界@名無史さん :05/03/05 21:24:21 0
マン島にも、貴族制度はあったんでしょうか。 カウントやバロンもどきがいたんでしょうか。 また、イギリス支配下後、 イギリスが有力者を手なずける手段で与えることもあるかと思う。
916 :
世界@名無史さん :05/03/05 21:51:11 0
1463〜1525 ザクセン選帝侯(在位1486〜1525) 皇帝マクシミリアン1世治下, マインツ大司教ベルトルートを中心とする帝国改造運動に参加。 マクシミリアン死後皇帝代理をつとめ,1519年皇帝選挙では候補とされたが これを辞退, 新皇帝カール5世誕生を助けた。学問的教養もあり, 1502年居城のあったヴィッテンベルクに大学を設立, ルターやメランヒトンを教授として招いた。 その結果,同市は宗教改革運動の中心となる。 ルターに対しては,最初から保護的な政策をとり, 1521年ウォルムス国会でルターが法的保護を停止されると, 自らのワルトブルク城に彼をかくまった。皇帝権からのいっそうの独立をはかる反皇帝派有力諸侯の一人として,教皇と絶縁し皇帝と決裂したルターを援助した。 長く旧教信仰を保持したが,死の直前改宗したといわれる。 帝国改造運動とは何でしょうか。本でも紹介して頂けると。。
917 :
残念だ :05/03/05 22:09:23 0
56 :世界@名無史さん :02/11/27 22:16 リヒテンシュタイン侯国って元は神聖ローマ帝国の家臣ですか? 57 :世界@名無史さん :02/11/28 00:15 1699年 ヨハン・アダム・アンドレアス公、シェレンベルク領(現在の 低地部)を、またヴァドゥーツ伯爵領(現在の高地部)を1712年に購入。 公国の基礎を固める。 日本が鎖国せず、 日本の大商人(茶屋四郎次郎とか、堺や博多の大商人)が、 あっちで、領土を購入すれば、今頃、日本人の公国ができていたのかも。 日本からは、戦線琢磨の兵隊をなんとか、連れて行けばよい! 支倉さんみたいな紳士でなくて、もっと野心家だったら、、、 (リゴール太守の山田さんの例もあるし)
918 :
ルクセンブルクについて :05/03/05 22:13:32 0
>61 :世界@名無史さん :02/11/28 10:31 >@最初独仏に半分の領土を持っていかれ >A1839年にベルギーが行政権の独立は俺たちのお陰だよねと言って > アルデンヌ領持っていったんだから… 上記@Aの経緯を詳しく知りたいです。文字通りだと、 あまりにも酷いでないですか。 民衆の意見とか、言語(方言)の違いとか考慮されたんでしょうか。 単に、ルクセンブルクの君主の敗北なだけでしょうか。
919 :
世界@名無史さん :05/03/07 17:01:11 0
日本のような島国と違い大陸の国々では 例えばドイツにしてもフランスにしてもイタリアにしても はじめからそれぞれの国が存在した訳でなく 各勢力同士が離合集散しながら今にいたる国家が成立します。 たまたまルクセンブルクが狭いながらも生き残ったというだけで 他の国に飲み込まれて消えていった小国は沢山あるですよ。 ルクセンブルクだけが酷い目にあったという訳ではないですぜ。 逆にルクセンブルクが他領を併呑したケースもありました。 詳しい歴史は刀水書房から出ている「ルクセンブルクの歴史」がお勧めです。
920 :
世界@名無史さん :05/03/07 20:45:31 0
本の紹介ありがとうございます。 読みもせず、聞くのも、まずいかもしれませんが、 ルクセンブルクという国、 ブラバント(下ロレーヌ)と上ロレーヌの間に位置を占めています。 部族大公国として、ロレーヌ公国ができたときは、その一部であったのだろうなぁ と予想しますが、 その後、ロレーヌの分裂細分化の中で、出てきた領邦なのでしょうか。 その後皇帝を出すような有力な家が君主になったため、 ★ロレーヌ公国の宗主権も早くに脱し ★公国のタイトルまで早く(いつかよくわかりませんけど)に得ることが できたのでしょうか。
921 :
世界@名無史さん :05/03/07 20:57:08 0
>852 :世界@名無史さん :04/12/30 02:23:03 >リヒテンシュタインは、帝国侯爵Reichsfurstとして >神聖ローマ帝国時代末期の18世紀中頃に叙勲されている。 それまでは、タイトルはなかっったのですか。 アーデル貴族の一人であったのでしょうか。 (アーデル貴族といいつつ、よくわかっていないのですが) >ちなみに帝国侯爵というのは帝国伯爵、帝国男爵とともに創設された 比較的新しい地位らしい。 >うる覚えだが1500年前後のマクシミリアン1世の頃からだったと思う。 本件について、どなたか、詳しく教えてほしいです。
922 :
世界@名無史さん :05/03/07 21:06:34 0
>851 :世界@名無史さん :04/12/29 21:21:39
>FürstもPrinceも結局「一番」という語が語源だからなあ。
>中世ドイツ史でFürstenが出てきたら「侯爵/公爵たち」じゃなくて「諸侯」っすよ。
>本来、爵位じゃない。それぞれの領地の一番偉い人ってこと。
>これがなんで18〜19世紀頃のドイツで突然爵位として称されるようになったのか、そっちの方が不思議。
中世っていうけど、いつからいつまでをさしているんですか、
したのマキシミリアンの改革の時は、もう中世ではないということなんでしょうか。
>>852 「マクシミリアンの時の改革」で、帝国侯爵というタイトルができたと書いていますが、
これが侯爵がタイトルとなった嚆矢でしょうか。正確には帝国侯爵のようですが。
一方、帝国伯爵と帝国男爵は、それまでの伯爵というタイトル、男爵というタイトルとは別に
新たに設けられた、新たに、別個に設けられたんでしょうか。
>>849 いっぱいあってややこしいと思います。
>>920 皇帝を出したときはまだルクセンブルク伯ですね。
皇帝カール4世(1346-78)が1353年に伯爵位を弟のヴェンツェルに譲ったときに公に格上げされたようです。
なお、このヴェンツェルは下ロートリンゲン公(いわゆるブラバント公)の娘を妻にしてまして、
1355年に下ロートリンゲン公の死去を受けて皇位を継承しています。
ひょっとしたらこの関係が格上げに有利に働いたのかも。
詳しい内容も出典は思い出せないが・・・・ ウェストファリア条約により帝国諸侯の独立権?が確認された。 結果として総人口十数人というような零細司教領も独立国家としての格式を持つことになったとかいう話しだ。 恐らくこれが歴史上最も小さい小国であろうと思われる。
925 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/01(金) 00:52:05 0
ウホッホ
926 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/02(土) 08:35:35 0
( ) 知ら (` ) 知らん (・` ) 知らんが (ω・` ) 知らんがな (・ω・` ) 知 ら ん が な (´・ω・`) 知 ら ん が な ( ´・ω・) 知 ら ん が な ( ´・ω) 知らんがな ( ´・) らんがな ( ´) んがな ( ) がな
927 :
世界@名無史さん :2005/04/29(金) 21:24:05 0
おもろい
928 :
世界@名無史さん :2005/05/04(水) 18:24:35 0
age
遅レスでありますが。
>>900 Reichsfreiherr 帝国男爵とは皇帝が任命権を持っていた称号諸侯の事で
宮廷儀礼的には帝国諸侯の末席に列せられるのですが、帝国諸侯部会の出席権は
持ちません。
帝国諸侯への正式な参入を認めるのは皇帝ではなくて、帝国諸侯全員の賛同です。
(もちろん皇帝も帝国諸侯の資格を兼ねてるわけですが)
Reichsgraf 帝国伯とgrafの違いは帝国諸侯であるかないかという事です。
皇帝に直属するgrafもいるのですが、その事は彼らのシルトを向上させません。
以前としてへールシルト制の中では彼らは帝国諸侯の下に置かれました。
(とはいえ独自の部会を持ち、帝国諸侯シルトとの通婚権は保持していました)
930 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 17:54:25 0
あげ。
931 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 20:53:12 0
age
932 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 22:00:44 0
age
933 :
世界@名無史さん :2005/05/25(水) 10:42:38 0
ルクセンブルクが大国だった時代があるんだものね
934 :
世界@名無史さん :2005/05/25(水) 16:49:44 0
なぜ琉球王国は独立を維持できなかったのだろう? このへんが民族性の違いだろうか。
935 :
世界@名無史さん :2005/05/25(水) 17:41:22 0
宗主国たる明が衰えたから。
936 :
世界@名無史さん :2005/05/25(水) 18:28:17 0
小さい島嶼国だから
937 :
1 :2005/05/25(水) 22:09:33 0
2年3ヶ月かけてここまできましたか。 980超えたらパート2作ります。 個人的には観光以外の産業〔金融、鉄鋼〕が充実し城郭が随所にある ルクセンブルクに萌え萌えです。
>>934 明治政府は「地方領主」を容認するほどの余裕はなかったからでは。
>>934 はっきりいって板違いだと思うが。
琉球処分に関しては、琉球王国云々よりも、琉球と中国の関係を重要視しての
処分だったのではないだろうか?後の李氏朝鮮に迫った清からの自立の
テストケースというか何というか。
940 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 21:31:02 0
仮に幕末に琉球王府が独立していても直ぐアメリカか中国に併合されたに違いない。 軍事的要衝の地である上に周囲の海洋資源もおいし過ぎる。 板違いですが。 サンマリノとかはそういううまみがないせいで独立を維持できたのでは?
>>840 うまみというか、無理矢理併合するメリットがなかった。
統一イタリアにとってみれば、既に国際問題に対処しないといけなくなってたし。
942 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 23:17:48 0
>>941 日本で言えば十津川村が共和国を名乗り
それに対し明治政府が「好きにすれば」、って言うみたいなもんか?
>>942 違う。だって元々、独立してたから。
ホントにイタリア政府もどうでも良かったんではないかと思ってしまう位に
地理的には重要じゃないトコだから。
・・・実は忘れてたとかいうオチだったりして。
944 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 23:30:18 0
>>943 石工の作った国だと聞いたことあり。
最近は小太りな女性が多いらしい。運動不足?
ガリバルディを匿った謝礼に統一イタリアへの併合を免除してもらったらしいです。 何だか「秦の暴政を逃れた民衆が作った桃源郷自治国が最近発見されました」みたいな 国家ですね。
ガリバルディはあとでイタリア政府と事を構えたから、併合する気があれば してただろうと思う。半ば忘れてたってのを信じたくなってしまうね。
947 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 00:51:33 0
今でも執政官がいるんだっけ?
948 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/27(金) 12:14:10 0
>>946 統一完成の直後にイタリアはサンマリノと友好条約を締結してますから、その後に
ガリが不届きだから約束は無効で、併合したくなったなんて言い出せないでしょう。
その例を日本に照らしあわせると 西郷隆盛が薩摩藩で失脚したときに琉球がかくまえば 独立できていたのかも知れないのか。
>>947 元首 執政2名。6ヶ月毎に議会の議員の中から互選し、毎年4月1日と10月1日に就任。
ファウスタ・シモーナ・モルガンティ(2005年4月就任)
チェーザレ・アントニオ・ガスペローニ(2005年4月就任)
議会 (1)構成 大評議会のみの一院制。任期は5年、定数は60名。
(2)選挙制度:比例代表制
951 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 14:39:20 0
市議会並み
952 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 15:33:28 0
>>951 面積 60.57km2 人口 28,753人(2002年末)
日本だったら、市にはなれませんね。町議会。
サンマリノ人意識ってのはちゃんと存在するの?
そもそも周囲もイタリア人意識が希薄な連中ばかりな気がするが。
955 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 22:08:01 0
age
956 :
世界@名無史さん :2005/05/28(土) 09:35:53 0
南北 だとまるで別の国だよな
958 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 02:41:07 0
age
959 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 22:45:19 0
モンテネグロで王制復古は ありえるか?
小国で、ナショナリズムの拠り所が他に見つけられなければ あり得るかも。
961 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 01:36:51 0
王制って基本的に小国に向いている制度だと思う
逆でそ。多民族をまとめる必要のある大国だと王政は都合がいいけど、 小国の場合民主制でもどうにかなる。
小さすぎると拠り所を作る必要が出てくるのよ。 作られた民族性なんかで持ってる国だとね。
964 :
謎の小市民21 :2005/06/01(水) 02:36:05 0
ところで、イタリアからセボルガ村が公国として独立宣言した件についてはどうなったんスか!! …もしや、無かったことになったんでつかぁ〜!!?
965 :
961 :2005/06/01(水) 03:27:34 0
>>962 清朝やロシアなどの大帝国は20世紀に崩壊してます
大国で現存するのは日英くらい
966 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 09:48:59 0
アメリカとロシアは?
>>959-960 モンテネグロの王族のご先祖さまがユーゴ文学の金字塔扱いされている間は厳しいかと……。
969 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/01(水) 18:46:01 0
セボルガ(Seborga)公国はイタリア北西部のフランス寄り標高約517mの山間に位置する公国(自称)です。 面積 20平方km 人口 340人、ルィジーノという通貨や切手を発行し、車のナンバープレートも交付してます。 産業はやっぱり観光がメインなんでしょうが、他には健康食品の販売とかもやってて、イタリア定番の ワインやオリーブオイルとか売ってます。勿論ユーロは使えます。 歴史については或るサイトの記載によれば、959A.D.にヴェンティミリアのサンミケーレ教会の修道院長と レリーノ修道院(カンヌの近辺らしい)の僧侶によって建国されたとあって司教領かと思ったら、他のサイトで 954A.D.に城塞と教会が建てられ(誰が造ったの?)、神聖ローマ帝国内の公国となったとあります。その後 1118A.D.にシトー派修道教会の治める独立国となり、1729A.D.に一旦サヴォワに併合されたとしていますが、 これはサルディニア王領となったということでしょう。ところが最初に挙げたサイトにはウィーン会議で サルディニア王国の領土となったとしていて、しかも1946A.D.にイタリアの領土となったとしています。 だけど近代統一イタリアはサルディニア王国が中核になって出来た領土のはず。よく判んない記述です。 でイタリア領になった時点でうっかり登記の手続きを忘れてたのが、セボルガが独立を主張する根拠と なっているようです。現時点における「君主」はジョルジョ1世(2世に承継できるのか?)です。だけど 「公国」って何だかなぁ。
970 :
世界@名無史さん :2005/06/01(水) 18:55:18 0
イタリアの5つの国 イタリア共和国 バチカン市国 サン・マリノ共和国 マルタ騎士団 セボルガ公国
971 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/01(水) 19:00:54 0
972 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 04:16:20 0
>>971-972 日本もヒマだね・・・
で、セボルガ公国の主張に対するイタリア政府の態度はどのようなもので?
ァ ∧_∧ ァ,、
,、'` ( ´∀`) ,、'`
'` ( ⊃ ⊂) '`
ってかんじですか。
974 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 08:05:10 0
m9(^Д^)プギャー
975 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/02(木) 11:07:11 0
イタリア政府の対応は不明ですが、恐らく放置プレイってとこでしょう。 単なる一つの村として扱ってるということですが、村民はどっちの政府に 税金とか払ってるのか、セボルガ独自で大学を建設する計画とかもあると 書いてあるサイトもありますが、どこから資金を捻出するのかインフラは どうやって維持しているのか謎だらけ。
976 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 21:03:47 0
977 :
世界@名無史さん :2005/06/02(木) 22:39:18 0
>>977 モンテネグロ主教公ペタル2世ペトロヴィッチ・ニェゴシュの『山の花環』"Gorski Vjenac"です。
モンテネグロのセルビア人たちが団結してイスラム教に改宗したスラヴ人を倒すという筋書きで、
セルビア人の団結を南スラヴ諸民族の団結に、
改宗したスラヴ人をその時々の敵に、
それぞれ読み替えられて、戦前のユーゴスラヴィアでも戦後のユーゴスラヴィアでも、
「ユーゴスラヴ文学」の名作として扱われてきました。
979 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 01:50:01 0
イタリアに極小国が多いのは、それだけアバウトということか?
982 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 22:33:56 0
ドイツと同じく近代化が遅れたから ところで誰か次スレ立てて
983 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 22:48:08 0
王権という強力な中心を欠いたからでしょうね。 ハプスブルク家も、スペインやネーデルランド、ボヘミアというように、 領土が、ドイツ以外に分散しすぎだったし。 ローマ教皇には、他のイタリア半島の諸国を併合するだけの力はなく、 せいぜいボローニャなどを征服しただけ。
>>981 その前提が間違ってる。ホントにイタリアは地理的な名称だったんだよ。
ドイツに関しては色々と原因が考えられるけど、こっちにはドイツという
統一的なアイデンティティは存在してた。
ドイツのアイデンティティはナポ以前も民衆の間に存在したか?
近代以前に民衆なんてものを考える事が間違ってる。 ドイツ王位が最後まで選挙制だった事が、ドイツ諸侯のアイデンティティの証明ってのは むしろ古典的な説だよ。
987 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 21:22:50 0
ゲーテがどっかの大臣になってなかった?
ヴァイマル公国の宰相
989 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 21:31:26 0
ヴァイマル公国の宰相には爵位はあるの? バーバスールとか?
990 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 01:16:55 0
欧州の人口100万人未満の小国の歴史 part2 誰か↑のタイトルで次スレ立ててください。本スレのアドレスもつけて。 お願いします。
992 :
1 :2005/06/09(木) 02:27:21 0
ありがとうございます。
まず対象になる国を書いとかないとね
994 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 06:16:20 0
アンドラの平均寿命は、2005年現在で83.51歳で世界一だそうですよ。
デンマークの首都コペンハーゲンのあるシェラン島は 英語でジーランド島というが……?
ゼーラント(これも英語でジーランド)ならオランダ南西部の州
フェロー諸島(デンマークの自治領)?
なんで次スレに書かずにここに書く? ・・・・・・埋め立て?
1000 :
1001 :2005/06/10(金) 01:42:15 0
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