徒手による格闘技の歴史

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1ふにゃぽん
連日、スレ立ててスマンです。

最近、次から次へとアイデアが浮かんでくるもんで・・・。(w

テーマはタイトル通りです。

古代ギリシアでの、教育(体育)の一環としての格闘技、レスリング、
古代ローマや近現代の、「ボクシング」や「プロレス」などに見られる「ショー・ビジネス」としての格技、
「空手」「合気道」「柔術」など、「日本武道」の一種としてのものなど、
古今東西の「徒手空拳」で闘うことを基本的に前提とした「格闘技」の総合スレです。

映画、「2001年宇宙の旅」で、猿から進化をとげた「人間」が、最初に手にした「道具」が、こん棒という「武器」だったように、
現実の「人間同士での殺し合い」=「武器による戦争」というものがまず先にあって、
「徒手による闘争」というものは、その後に行われるようになったと思われます。それがいかな目的のものであっても・・・。

もちろん、「戦争」以前にも、人間同士の争いはあったでしょう。

ですが、それはちょうど「犬の喧嘩」のようなもので、ある意味、「本能的な習性」のようなものだったと思われます。

では、何故、「人類」は「兵器」の出現後も、殺傷力においては「兵器」よりも劣る、己の五体を使った「闘争術」=「格闘技」を発展させるよになったのか?
を問うのがこのスレです。

まず、「ボクシング」の起源はエジプトということでよろしいのでしょうか?
2世界@名無史さん:02/07/09 17:46
身に寸鉄一つ帯びずに、己の鍛え上げた肉体のみを持って
敵を征圧する。何と尊いことか。
人類が最初に手に入れた武器・・・・・それが拳。
3世界@名無史さん:02/07/09 19:02
拳闘暗黒伝セスタス、はよ連載再開してくらはい。
4ふにゃぽん:02/07/09 19:26
>>3
禿同。

あの作者、長期休暇の間、何やってんだ?
5世界@名無史さん:02/07/09 19:28
>>4
体弱いか、別に仕事持ってるかのどっちかじゃないかな。
6あるめにあ:02/07/09 19:37
白兵戦において武器の消耗は非常に激しい。
だからいざって時に己の肉体だけでもある程度戦えないと駄目なのでは?
ある文献で読んだけど古代〜中世の実戦格闘術はかなりエグイよ。
7世界@名無史さん:02/07/09 19:48
>最近、次から次へとアイデアが浮かんでくるもんで・・・。(w
「(w」がつくことによって非常にムカつく文章になったと思う
8世界@名無史さん:02/07/09 19:49
>では、何故、「人類」は「兵器」の出現後も、
>殺傷力においては「兵器」よりも劣る、
>己の五体を使った「闘争術」=「格闘技」を発展させるよになったのか?

相手を殺さないためです。

これにて終了で良いですか?
9世界@名無史さん:02/07/09 20:02
>>7
>「(w」がつくことによって非常にムカつく文章になったと思う

別に、イヤミで言ってるんじゃないんだよう。

本当に「アイデア」を吐き出さないと、「脳内あぼーん」になっちまうんだよう。

>>8
>相手を殺さないためです。

どっこい、「日本武道」の空手や柔術は、元来は、技を「一撃必殺」のものとして
創りあげています。









10世界@名無史さん:02/07/09 20:11
>>8
古代ギリシアのオリンピックでは、パンクラティオンというレスリング
に似た種目がありましたが、死者が出たこともあります。
素手でさえあれば、殴る、蹴る、投げる、関節技や首を絞めることさえ
みとめられていました。
11世界@名無史さん:02/07/09 20:22
競技格闘技と殺人格闘技に分けた方がよいのでは?
12オルテガ ◆RS05gDgk :02/07/09 20:35
古代、戦争の技術として格闘技が確立し、やがて競技に昇華していったんでしょう。
そうしてみると分けて考えるのは難しいかも。
13T・S:02/07/09 21:04
>>1
>まず、「ボクシング」の起源はエジプトということでよろしいのでしょうか?
 
 一番古い拳闘図が発掘されたのはバグタード東方にあるカファジェとかいうところで、だいたいBC2000年ごろだそーな。
 エジプトでボクシングと相撲ができたというのはよく言われるけど、文明の発祥とともにあったと考えるのが妥当なような気もするデス。
 つー訳で、特に根拠はないけどメソポタミア起原を推します。

>古代ローマや近現代の、「ボクシング」や「プロレス」などに見られる「ショー・ビジネス」としての格技、
>「空手」「合気道」「柔術」など、「日本武道」の一種としてのものなど、
>古今東西の「徒手空拳」で闘うことを基本的に前提とした「格闘技」の総合スレです。

 前者の「ショー・ビジネス」としての挌技はともかく、後者の「日本武道」の方は、競技化しているのはともかくとして、大概得物を持っていることが前程になっているんですけど……。

14ふにゃぽん:02/07/09 21:20
>>13
>後者の「日本武道」の方は、競技化しているのはともかくとして、大概得物を持っていることが前程になっているんですけど……。

スマソ。よく意味が解らんが・・・。
15ふにゃぽん:02/07/09 21:33
>>13
レスさんくすです。

「得物」ってなんです?
16世界@名無史さん:02/07/09 21:42
セクシーコマンドーとは?

普通の格闘技における「フェイント」などの技術を「技」として極めた格闘技…それがセクシーコマンドーである。
その歴史は古く、室町時代に苦しい生活を強いられた農民たちがうさばらしに始めた遊びが起源といわれている。

また、うっふん白書によるとセクシー斎がその始祖と記されている
17世界@名無史さん:02/07/09 21:46
え‐もの【得物】
 得意の武器。自分に適した武器。得道具エドウグ。「―の小太刀」
 最も得意とする物事。えてもの。狂、腹立てず「幼いお方に御指南申すは愚僧の―でござる」
18世界@名無史さん:02/07/09 21:59
人間は、直立歩行を始めた時、手という武器を得た。
同時に、腹や喉などの弱点を前面にさらすことになった。
すでにこの時、格闘技は萌芽していたというべきだろう。
19T・S:02/07/09 23:02
>14
>スマソ。よく意味が解らんが・・・。
すみませんです。
簡単にいうと武器を持っての戦闘が前程となって技術の体系が組み上げられているという程度の意味です。
空手は本来武器を相手に作られたといいますが、稽古には農具が用いられ、またそれを元にした武器も考案されました。
柔術は剣術の裏芸として発祥して、また発展してきました。その頃は武器をもっていない敵というのは現実性が薄いので、これもやはり武器を持っていること、持っている相手との戦闘のための技術です。
合気道は――剣の理合いで技がどうこう……剣術から生まれた技です。まあ、これに関してはねえ。素手の技術と言ってもいいのかな。
ただし合気会では「合気杖」とかありますし、大東流では「合気剣術」とかありますから。
素手のみの技術と言う訳ではないです。

>>15
>>17を参照のこと。まあ、私は武器の意で使わせてもらいました……が。
格闘漫画とかでも「得物を持たせたら」なんて描写がよくでてきましたから、今でも一般的に通じる用語だと思っていたんですがね。
うーむ。
「やっとお」なんて言っても解らん人の方がおおいんだろうか……。 
20オルテガ ◆RS05gDgk :02/07/09 23:11
>>19
私も高校時代から「やっとお」やってました。(過去形)
しかし時代劇でもないと出てこない言葉でしょう。
「やっとおの先生」とか・・・
21山犬:02/07/10 00:54
大東流柔術はいまだに金的等急所を狙った技があって、怖いです。

合気道ちょっとだけかじりましたが、武器を持った相手(短刀等)の対処の
仕方とか習いました。でも、正直実戦で使えそうな技は無かったなぁ…。
小手返しとか、かけ方が難しいし。まあ、使うことも無いだろうけど。

レスリング(フリースタイル)も一年ほどやりましたが、こっちの方が力任せに
相手を投げられる所為か、短期間で投げ技が出せるようになりました。
練習で20sくらい体重の軽い相手をタックルで倒したり、ポンポンと投げ飛ばす
のは、結構気持ちよかったです。
22米好き:02/07/10 01:07
なぜ、徒手の技術を含む格闘技が生まれたのか、そしてある時代、ある地域では
発達したのか?

というテーマは面白いね。
23米好き:02/07/10 01:16
興味があるのは、ムエタイとムエカッチューア。
どちらも、タイとビルマの紛争の中で出来た格闘技なのに、

・武器術が無い、
・素手の技術の中に対武器を想定したものが無い、

など、日本や中国の、徒手技術を多分に含む武術と比べると、競技性が
異様に高い。

とても戦場で生まれた格闘技には思えない。
24米好き:02/07/10 01:21
端から、競技志向のあった古代ギリシア人たちが、当初は白兵戦用の格闘技であった
ろうボクシング、レスリングを、競技性の高いものに育てていったのは分かるし、

日本の相撲のように、ある時代までは儀式、ある時代からは興行だったがゆえに素手
に拘った体系になっていったのも分かる。

タイ人も、ビルマ人も、競技志向があったのか、それとも、ムエタイもムエカッチュ
ーアも儀式的なものだったのか。
25山犬:02/07/10 01:30
ムエタイが今のように制限時間をきめて、グローブをつけて行われるように
なったのは、今から50年くらい前からじゃなかったかなと思うのですが…。
おそらく、ボクシングを手本にしたのでしょう。

それ以前は手に布を巻いただけで打ち合ってたそうで、怖いですね。
いずれにせよ、ほんの数10年前まではそれほど競技色は強くなかった
のではないかと思います。
26世界@名無史さん:02/07/10 01:34
東洋の格闘家がシルクロードを通ってローマのコロシアムで戦ったって本当なの?
ネタ元:セスタス、バキ
27山犬:02/07/10 01:39
>>26
いくらなんでも、それは無いです。
というか、私の友人はあの漫画を最高のギャグ漫画としてとらえてます。

ただ、板垣氏は著書の中で高田延彦をこき下ろしていて、好感が持てます。
28米好き:02/07/10 01:42
>>25

実は、ムエカッッチューアの方は、今でもグローブをつけずに殴りあっていて。
グローブ導入以前のムエタイと同じ形式で続けられています。

でも、やはり、武器術や、素手での対武器術もありません。

グローブ導入によって、パンチがボクシングスタイルになったという変化は
あったでしょうが、それでも、
・相手の素手による攻撃しか想定していない
・1対1しか想定していない
という技術体系は、タイ・ビルマの領土戦争の中で生まれたといわれるわり
には、あまりに競技色が強いと思います。
29T・S:02/07/10 01:42
>>21
 大東流の方なら私も齧りましたが。
 あれは確かに危険です。
 対武器の捕縛術に限らず、合気系の技法は現実離れしていますが……。
 そもそもからして古流というのは江戸時代の人間並みの基礎体力がないと身につかないメソッドになっていますから、現代の指導法については色々と考えるべきことが多そうです。
 また致命的な欠陥があって、敵の動きをかなりの高確率で予測できないと技がなりたたないという……。
 太極拳における聴勁と看勁のようなものがないとダメっぽいんですよねぇ。

>>24
 タイ人とビルマ人が競技志向だったのかはともかく、ムエタイとかが相撲的なものだったものは確か。
 詳しい史料が手元にないので想像だけにするけど、村相撲のようなものであったのが交流戦のようなことをして今のような形になったのではなかろーかと。
 地理的な問題だったんじゃないかなぁと?
(日本よか行き来が楽だったのでは、というだけのことだけど)
30米好き:02/07/10 01:45
>>26

【東洋】meets【西洋】 東西交流史総合スレ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1025920273/l50

にその議論があります。
31米好き:02/07/10 01:48
>>29

>村相撲のようなものであったのが交流戦のようなことをして今のような形になったのではなかろーかと。

あ、非常にストンと腑に落ちる説明ですね。
交流戦、対抗戦を通じて、競技的色合いを強めていった・・・。

逆に言えば、空手、柔術、中国武術が西洋スポーツとの邂逅以前に競技化しなかった
のは、相撲的な交流戦が表立ってなかったからか。 
32オルテガ ◆RS05gDgk :02/07/10 01:52
>>24
>>25
やはりムエタイにしても武器等の発達と戦争の様変わりによって
次第に儀式化・競技化していったのではないでしょうか?

>>26
拳闘士と猛獣とを戦わせる為に遠くアフリカから取り寄せていたことを
考えれば有り得ると思います。
それはそうとして早くセスタスの続きが読みたいものです。
剣闘結社ケルベロスは、どう絡んでくるんだ?
冥送のタナトスは・・・失礼、スレ違いか?
33米好き:02/07/10 01:54
アユタヤ朝の王子ナレスワンが、ムエタイでビルマの勇者を倒した、という
逸話があるのですが、今考えれば、これは、ムエタイが、決闘的な意味合い
を持つ対抗戦の中で使われた格闘技だったことを示すと考えられますね。

タイとビルマで非常によく似た格闘技が存在することも、交流戦、対抗戦ゆえ
と考えた方が納得がいく。
34T・S:02/07/10 01:56
んーと、例えば中国の散打なども、開始当初は色々なもん派の特色があったみたいですが、今となってはもっとも(ルール的に)有効だったシュワイジャオのものが主流になってるみたいですからねぇ。
交流戦が流派の差異をなくしてしまうことについては戦前の武徳会でも論議されていたところです。
結局統一柔術ルールが生まれなかったのは、当時の使い手たちのエゴであったようです。
(気持ちは解るけど)

でも実際のところ、ムエタイはどーしてあんな形になったんでしょうねえ。
想像にしか過ぎませんから。>>29は。
35米好き:02/07/10 02:00
>>34

いや、あなたの考え方は、すごく納得がいきますよ。

今まで、なぜムエタイは、
・武器術や対武器術の痕跡すら見られないのか?
 (競技化されても、かつて存在したなら痕跡はあるはず)
・首相撲のような1対1向きの技術が中核となっていたのか?

というのが疑問だったのですけど、対抗戦、交流戦を考えれば、すべてしっくり
くる。

ひとこと、なるほど、ですよ。
36山犬:02/07/10 02:02
>>28
ムエカッッチューアに関しては知りませんでした
なるほど、
・相手の素手による攻撃しか想定していない
・1対1しか想定していない
というのは、確かに実戦向きとはいえない特徴ですね。

あと、日本での他流試合に関してですが、基本的に他流試合てのはあんまり行われ
無かったみたいですね。
江戸時代、各藩で藩校が作られ、そこで剣術・馬術・弓術・柔術など、様々な武術が
教えられてましたが、一つの藩校の中でも、例えば剣術だけでいくつもの流派が教えられ、
一つ一つの流派ごとに、道場が分けられて、別々に練習していました。
そして、違う流派同士で試合して、流派の優劣を決する事はなかったみたいです。

それにしても、こんな時間になのに盛り上がってますなぁ…。
37T・S:02/07/10 02:13
 ふーむ。
 とりあえず手元で資料になるかなぁというものを捜したけど、出てきたのは「極意」の格闘技創成記のニページのコラムだけ(^_^;
 泣けてきた……。
 とりあえずまあ、それによると、百七十年前の古典ムエタイの教本の挿絵が載っている英文の「ムエタイ」と言う本があり、
それによると頚部に肘を打ち込んだり、喉を掴んだり、関節をとって投げ倒し、
踏む殺すという……戦場格闘技としての荒々しさに溢れ代物みたいです。
 競技化されたのは七十年ほど前のようですが。
 現在でも首相撲とかにその片鱗がうかがえるような気が。

>>36
 そりゃあ、格闘技はロマンがあるから(笑)
38山犬:02/07/10 02:13
>>29
>敵の動きをかなりの高確率で予測できないと技がなりたたないという……。
そうですね、合気道をモノにするには随分時間がかかりそうです。
体育祭の時、10年くらい合気道やってた人とちょっと遊んでもらったんですが、 
結構簡単にタックルきめる事ができました。まあ、体格差もあったんですが。
一回先生とも立ち会ってみたかったなぁ、と思うのですが…。

ところで、ムエタイは500年ほど前に生まれたと言われていますが、
技術体系に関して書かれた本の中で一番古い本というのは、いつ頃書かれた
ものなんですか?知っている方、教えて!
39米好き:02/07/10 02:18
>>37
>それによると頚部に肘を打ち込んだり、喉を掴んだり、関節をとって投げ倒し、
>踏む殺すという……戦場格闘技としての荒々しさに溢れ代物みたいです。

お、俺が思っていたよりも、遥かに荒々しい感じですね。

あとは、対武器や、複数の相手を想定した技法があるかどうかが気になるところ
ですね。
40山犬:02/07/10 02:21
>>37
踏み殺す!!?
まるで、日本書紀に載っている日本最古の相撲みたいですね。
野見宿祢と当麻蹶速の。
「蹶速」という名も、文字どおり蹴りが速かったからその名がついたそうで…。
41米好き:02/07/10 02:23
古流柔術が、レスリングのようになれなかったり、
空手が、ボクシングやキックボクシングになれなかった理由は、

武器や、複数の相手を想定した技法へのこだわりを捨てられず、
1対1素手の決闘的な戦いに特化できなかったから、と思っています。

ムエタイがもし戦場で生まれた格闘技なら、そうしたこだわりをいか
にして捨てることが出来たのか、興味があるのです。
42世界@名無史さん:02/07/10 02:28
そういえばプラトンもレスリングやってたんだってね
43T・S:02/07/10 02:36
>>38
 私の大東流の師匠は……達人でした。
 つーか、なつきクライシスにでてくる、腕を掴むだけで相手の動きを止める技とかされちゃあさあ……。
 まあ、スレた人によると、ああいう技というのはやり方を心得たら簡単にできるみたいですが(^_^;
 ちなみにタックルのように下半身に対する攻撃は日本の武道ではまず対処法がありませんので、レスリンクのうまい人なら、かなり簡単に高段者にも決められるのではないかと。
(夢も希望もない)
 そも剣術から生まれた武術ですから、腰から下に対しては無防備もいいとこなんですよ(笑)
 柳剛流とかが脅威だったのもそのせいだったり。
 まあ、使い手にもよるんでしょうが。

 ナレスワン王の逸話が最も古いムエタイが軍事課目に採用されていた記録だそうですが……。
 これが大体1570年ごろの話。

 一番古い資料は知りませんが、もはかしたら>>37にあげられた教本が一番古いのかも。
 それにはどうも対徒手が中心で一対一っぽいものしかなかったみたいですが。

 しかし戦場格闘技っつったって、基本的には訓練は一対一ですし。
 対武器は……どうなってるんでしょうね?
 
44T・S:02/07/10 02:43
>>40
 ごめん。
 >>37は「倒したところを踏む」でした(^_^;
 まあ、意味は一緒かも。
 けど「それによると」を同じ文脈で二回も続けるなよ、自分……。

 ビルマはポルトガルの傭兵の砲兵隊などの力でタイを制圧したというから、そういうのがあってムエタイはあくまで戦闘的な体術として、精神と肉体の鍛錬のものとして制定されたとか……。
(またいい加減なことを書いて(^_^;))
458:02/07/10 07:26
>>9 >>11 >>12
格闘技=殺人術という見方は
平和な時代に発達した武道が創作したキャッチコピーです。
陸奥エンメイ流じゃあるまいし。

戦争はいつの時代であろうが
統率の取れた部隊同士に行われるものであり
武芸、まして格闘技術の出る幕などありません。
暗殺の訓練としてなら短刀術の方がよほど優れています。
格闘技は本質的に逮捕術であり、様式的な力比べであり、
体力練成法です。

>>10
結果的に死者が出たという話でしょう。
現代のボクシングだって死者は出ます。
46ふにゃぽん:02/07/10 07:38
>>45
>戦争はいつの時代であろうが
>統率の取れた部隊同士に行われるものであり

ガイシュツですけど、白兵戦になったら、それなりに「挌闘術」がものを言ったんですが・・・。

「合気道」は、合戦中に刀を持って、鎧を着た相手を、どうくみふすかという技術が体系化したものですし・・・。

ただ、武道が、平和な時代に発達したという見解には賛成です。
47米好き:02/07/10 07:44
>>45

46も指摘していますが、古流柔術は戦場での手柄取りのための技術ではありませんか?

実際、技術体系が洗練されたのは、平和な時代の道場だったというのは事実でしょうが、
戦争に武芸、格闘技術の出る幕無し、というのは、ちょっと違うんじゃないかな、と思
います。
48米好き:02/07/10 07:52
>>45
>戦争はいつの時代であろうが
>統率の取れた部隊同士に行われるものであり

「日本の軍隊は、全く組織化されておらず、めいめいが勝手に戦う」
と言った内容のことが、宣教フロイスの報告書に書かれています。

柔術が戦場で使われた時代=戦国時代の話です。
49米好き:02/07/10 07:58
殺人術という胡散臭い言い方に反発するのは、分かります。
殺人術⇒陸奥エンメイ流のイメージ⇒んなもん、マンガの世界だ、と。

でも、大切なのは、ある技術体系が、なんのために作られたのか、という設計思想でしょう。
古流柔術の設計思想を考えれば、それは戦場で首級をあげることを目的としている、と言えるの
ではないでしょうか。
50ふにゃぽん:02/07/10 08:01
>>49
おお、「米好き」さん。

「東西交流スレ」でもそうでしたが、重ね重ねのフォローを、ありがとうございました。
51世界@名無史さん:02/07/10 08:20
>>45
>統率の取れた部隊同士に行われるものであり
統制の取れていない軍隊なんて、古今東西いくらでもある。
潰走時には、むしろ統制が取れている方が珍しいぞ。
逃げる時、兵士は、重い楯や長い槍は邪魔なので放り出している。
そんなところを敵に追撃されたという状況では、素手で敵を倒せる
技術を修得していれば、どれほど役に立つことか。
52T・S:02/07/10 09:20
 んー。
>>45の言っていることにも一理あるというか、乱戦状態では個々の戦闘技術などあってなきが如しであったというのは確かだし。
 肉体鍛錬法であったというのは、まあその通りだし。
 いわゆる軍隊格闘技とかはベトナム戦争時の近代兵器が必ずしも万能ではないという事実からの反省によるものだし。
 ただ甲冑組討の技法そのものは使用されていたのだと思われ。
 ってーか、戦場などで使われていた技の集積と応用が組討の発祥といえるだろうけど、それが柔術そのものであるかというのは微妙。
 剣は一人の敵、学ぶにあたわず。
 兵法者の賢しきこと、ただすすみ押し潰すべきなり。
 とか。
 殺人術でないというのは違うと思うけど。
 特に古流は対武器が前程になっているし。
 短刀術の方が役に立つというのはあまり意味のない指摘だなぁと。
 だって短刀術などと細分化したのが平和な江戸時代な訳だし。
53世界@名無史さん:02/07/10 09:29
大人気の>>45がいるというスレはここですか?
54世界@名無史さん:02/07/10 10:37
中国で初めて兵隊の訓練に徒手格闘を取り入れたのは
明の戚継光だそうですが。
55世界@名無史さん:02/07/10 12:32
>>29
>そもそもからして古流というのは江戸時代の人間並みの基礎体力がないと身につかない
>メソッドになっていますから

俺のひいじいさん(1902年生まれ)は、若いころは柔術で鳴らした(本人は「やわら」と
言っていた)そうなのだが、当時は米俵(60kg)を担いで走れないと入門できなかった
という。
漏れの親父も柔道をやっていたので、一度乱取りしてもらったことがあるらしいのだが、
驚いたことに「崩し」がない。なので、親父にはまったく歯が立たなかったそうだ。
本人は「これが『柔能く剛を制す』というやつか」と感心していたそうだ。
56世界@名無史さん:02/07/10 12:32
>>48
それどの巻にあるか教えて下さい。
57T・S:02/07/10 13:00
>>55
 ありそうな話ですな。
 怪力にして武道の達人として知られた武田物外も、柔道の原型になったといわれる起倒流より分かれた直信流柔道の使い手と戦い、敗れたといいます。
 講道館が伝える「崩し」というのもこの起倒流の研究からでたものだから、古流には崩しがないと言う訳ではないのですが。
(っていうより、その手のコツみたいなのは本来秘伝に属するものだった)
 それと乱取りでは当身が使用されない場合が多いから、まあ、状況が違えばまた話は違っていたかも。

 基礎体力が云々については、現代の古流の修行についての問題点だから。
 よーするに型の鍛錬だけでは昔の達人みたいにはなれないということです。
58世界@名無史さん:02/07/10 15:11
いわゆる兵士(兵隊)用以外の発生を持つ格闘技はどうよ?
空手とかカポエラとか。なんとなく暗器がわりの気がしてきた。
59世界@名無史さん:02/07/10 15:59
ソビエト発祥のサンボってどうよ?
60T・S:02/07/10 16:16
 空手とカポエラは世間的なものしか知らないけど、サンボについてはどうやらソビエトの国家プロジエクと・チムによって生み出されたらしいです。
 その中心人物にいたのがA・ハルランピエフだそーで。
 これは帝政ロシアの頃に伝わった柔道とか柔術とか民族格闘技とかをベースに作られたということになっている。一応。
 ただしビクトメ・古賀によれば、彼が留学していた1964年前後では「ロシアでもどれがサンボってのはなかったんですよ」とのこと。
 地方によっては別の技術だったりしたのだという。
 現代のカタチに統合されたのはそれ以降かと思われる……と。
 こんなもんで?
61T・S:02/07/10 16:18
>>60
ビクトメ・古賀×
ビクトル・古賀○

……ごめんなさいデス。
62米好き:02/07/10 20:52
>>56

「完訳日本史」ではないです。

お気楽に読める、岩波文庫「ヨーロッパ文化と日本文化」です。

第7章36
"われわれの間には、曹長、小隊長、十人組長、百人隊長などがある。
日本人は一切このようなことを気にかけない"

ちょっとニュアンスが違ったかな。
フロイスの見た当時の日本人の軍隊は、同時代のヨーロッパと比べて
整然とはしていなかったようです。
63T・S:02/07/10 21:08
 んー。
 兵脳分離をしたのが信長が初めてだったはず……フロイスがきた頃は、まだ半農半士の兵士が大半だったんじゃないかなぁと。
64世界@名無史さん:02/07/10 21:10
>>62
フロイスの時代のヨーロッパは、30年戦争あたりですか?
65米好き:02/07/10 21:14
こんなのも。

第7章38
"われわれの王や隊長は兵卒に報酬を支払う。日本では戦争の続いている間、
食べたり、飲んだり、着たりすることは、各人が費用を賄わなければならない"

足軽風情が国中に溢れかえり、安価な傭兵として使われていた姿を記述した
ものでしょうかね。
66世界@名無史さん:02/07/10 21:18
長曽我部氏は国民皆兵制のようなものを取っていたけど、
兵農分離まではいかなかったね。
でも、フロイスのいた自体でも、足軽など専門的な兵隊
たちはいたわけで、整然と戦っていなかったわけではないと
思うけどね。
命令系統の指示が絶対的なものではなかった、というならば
わかるけど。個人的な武名にこだわる気質は、まだ多分に
残っていただろうから。
67米好き:02/07/10 21:28
さらに、

第7章37
"われわれの間では馬で戦う。日本人は戦わなければならない時には、馬から
降りる"

武田の騎馬隊は幻想に過ぎない、とは、日本史の常識らしいのですが、フロ
イスの記述もそれを裏付けていますね。


第7章27
"われわれの武装具はきわめて重い。日本人のものはとても軽い"

軽い鎧を着て、歩兵戦が中心だった日本の戦場、重い鎧を着て馬に乗って
戦うヨーロッパ、この戦場環境の差が、日本に柔術を育ませ、ヨーロッパ
中世からボクシングとレスリングを奪わしめた・・・と言えないだろうか
68T・S:02/07/10 21:42
>>67
 ああ、言う前にスレの本題に戻っていた(笑)

 当時のウマは小さかったようですから、本当に移動用の手段以上のものではなかったようです。
 騎馬隊どころか三段ウチからしていい加減な話なんですが……。
 まあ、それはそれとして。

 環境の差がボクシングとレスリングを奪ったというのはなるほどと思えなくもないけど、騎馬民族は着衣の相撲を得意にしていたともいい、その影響はヨーロッパにも残っていたという話も。
 まあ、騎馬民族の影響云々はともかく、少なくともオランダの着衣レスリング「ボルステル」というのが1647年ごろにあったけど、これは肩車やら巴投げやら逆手技とか、日本の柔術と比べて見劣りするものではなかったらしいっす。
69米好き:02/07/10 21:50
>>68
>騎馬民族は着衣の相撲を得意にしていたともいい、その影響はヨーロッ
>パにも残っていたという話も

これは面白い!
たしかにモンゴルにはモンゴル相撲があり、トルコにも体にオイル塗るレ
スリングがありますね。

機動力を重視した騎馬民族は、重い鎧を着なかったから、落馬した場合の
ための技術がやしなわれたのでは?(とまたテキトーなことを言ってみる)

17世紀オランダのボルステルの話も面白いですが、いわゆる中世にはそう
いう格闘術は存在しなかったのではないでしょうか?

馬に乗って、重い鎧を着て、重い刀剣で撲殺しあっていた中世ヨーロッパに
は、レスリングもボクシングも無用そうな気がします。
70米好き:02/07/10 21:53
サンボの原型になったという旧ソ連版図内の伝統的な組技格闘技ってのも、
タタールのくびき時代の遺産なのでは、という気もしてきた。

ぽんぽん思いつくけど、検証するのは大変だな。
71T・S:02/07/10 22:06
とりあえずベースボールマガジン社の「格闘技の歴史」参照のこと。
ただまあ、この本の著者は……まあ、とにかくデータは揃っているから、色々と参考になるかと。

一応、レスリングは中世に騎士の訓練課目として奨励されたとか。
ボクシングは西ローマ帝国が滅ぶとともに廃れ、十三世紀にイタリアの修道士が“ボクシング”のなで奨励したけど、後継者がでずに廃れたとか。
72米好き:02/07/10 22:09
>>71
>レスリングは中世に騎士の訓練課目として奨励されたとか

そうだったんですか。
アイヴァンホーの槍の試合のイメージが強すぎた。

となると、レスリングの方は、中世の断絶はなかったんですね・・・
73T・S:02/07/10 22:18
んー。
レスリングっていうか、その類の相撲みたいなのは何処にでもあるし。
ただまあ、年代が下るごとに体力要請の課目みたいになっていったらしいですが>騎士の訓練課目
競技として新たに確立したのは鉄砲の発達以降だそうで。
十八世紀になってから各地の軍隊や学校での課目に入れられ、そこから発展したとか。

ボクシングについてはボルステルをボクシングみたいに解釈しているのがあって面白いなあと。
何せボクシングはまともなルールが確立したのは十九世紀の頃で、それまでは投げも締めもありの、とりあえず素手でのレスリングじゃない格闘技をボクシングとみなしていた可能性は高いんじゃないかなぁと。
74世界@名無史さん:02/07/10 22:27
達磨禅師の少林寺以前に武術はあったんでしょうか?
75米好き:02/07/10 22:37
>>73

http://www.settchan.com/sports/sports5.html
「日本の相撲と同じような裸のつかみ合いのスポーツであるレスリング
は、多くの近代スポーツと同じようにヨーロッパ中世の身体文化暗黒時
代をへた近世フランスで、ギリシャ・ローマ風のものという意味をもつ
グレコローマン式レスリングとして再登場しました。」

↑これを見ると、ギリシア・ローマのレスリングが一時廃れたような印
象も受けますね。

中世といっても長いから、騎士達に奨励されたのがいつ頃なのか知りた
いですね。
「格闘技の歴史」(ベースボールマガジン社)か、今度探してみよう。
76T・S:02/07/10 22:47
>>75
 ごめん。
 奨励された云々は「格闘技の歴史」関係ないっす。
 別の資料だったように思います。
 そっちの方は「鍛錬されいなかった」としてあったな……。
778:02/07/11 00:08
どこから反論したら良いものか。

かつて私は某フルコン空手を学びました。
大してものにはならなかったのですが身に染みて実感したことがあります。
それは「人間は素手で戦うのには全く向いていない。
    武器を持って戦う方がよほど自然である」ということです。
拳や足の甲はすぐ痛めるうえに、殺傷力はほとんどありません。
どちらかと言えば、柔道や合気道の方が理に適っていそうですが、
それも微々たる差でしかありません。
武道板でも、どれほど鍛え上げようが、素手では
刃物や鉄棒をもった素人に不意打ちされたら対処できないという
議論がなされていました。私も同意見です。

人間の手は武器をもつためにできています。
人体の構造上、素手で闘争するのは難しいし、不合理でしょう。
さらに言えば、最近の研究では、戦国時代以前では
全ての男が脇差を腰に差して外を歩いていたようです。
なおさらわざわざ素手で人を殺す技術が必要とされる理由はありません。
788:02/07/11 00:08
ではなぜ格闘技が発達したのかといえば、
それは逆になるべく相手を傷つけないように
押え付けたり、自分の力を誇示(ケンカ)したりするためでしょう。
その点において、制限された暴力である格闘技は極めて有効なのです。
(ふにゃぽん氏の>>1の疑問への答え)

ところで、このスレで議論されている方には、共通理解として
「戦国時代には武芸者は全く重要視されず、むしろ芸者と呼ばれて蔑まれていた。
 戦場往来の武士の多くは、兵法を積極的には採り入れなかった。
 関ヶ原以後、戦争が少なくなってから『戦争を知らない子供たち』の間に
 急速に普及して行ったが、剣術使いはなおも薄禄であった」
という事実を受け入れられているのでしょうか?
この前提を受け入れることの出来ない方(特に現役の武道家の方)が多ければ、
私が>>46以降のレスに逐一反論しても、まるで実りない議論となってしまいます。
私に武道を貶めようという意図は一切ありませんが、いかがでしょうか?

P.S.
「格闘技の歴史」は労作ですね。
私も読みました。
79米好き:02/07/11 00:18
>>78
>ではなぜ格闘技が発達したのかといえば、
>それは逆になるべく相手を傷つけないように
>押え付けたり、自分の力を誇示(ケンカ)したりするためでしょう。

俺もフルコンだけど、この考え方は、今のフルコンに合致した考え方だな。
フルコンに関してはその通りだ。

しかし・・・足の甲はすぐいためる・・・って、足の甲を使う蹴りは、空手が競技化
されるまでは、金的蹴り以外ないぜ。

拳と足の甲しか出ないところが、フルコンしか知らない、という感じだなあ。

ちょっと狭くないか?
80T・S:02/07/11 00:19
>>78
>「戦国時代には武芸者は全く重要視されず、むしろ芸者と呼ばれて蔑まれていた。
> 戦場往来の武士の多くは、兵法を積極的には採り入れなかった。
> 関ヶ原以後、戦争が少なくなってから『戦争を知らない子供たち』の間に
> 急速に普及して行ったが、剣術使いはなおも薄禄であった」
>という事実を受け入れられているのでしょうか?

 んー?
 私は受け入れているっていうか、一応はあんまし戦場では武術の類は重視されなかったという主旨のレスを……してない、かな?
 まあ、それはそれとして。
 ここのスレはどうも特徴として徒手格闘技の発展とかに絞られているっぽいので、そういうことはあんましキツく言わないことにしてました。
 だってそれ言い出したら全然話進まないし。
 まあ、武道家として有名でそれなりに戦場で活躍したという人はト伝とか上泉信綱いるようですが、徒手格闘技とはちょい離れるし。
 
 ああ、書いてて自分の言いたいことが解らんようになってきた(笑)
81米好き:02/07/11 00:22
>>77
>さらに言えば、最近の研究では、戦国時代以前では
>全ての男が脇差を腰に差して外を歩いていたようです。
>なおさらわざわざ素手で人を殺す技術が必要とされる理由はありません。

だから、本土の武術で言えば、
・まず剣術
・ついで、無手の時の次善策として柔術
という二段構えになったのではありませんか?

「おっしゃー俺はあえて素手という条件でで、刀持った相手倒すぜー!」という
ものではないでしょう。

あくまでも、次善の策ですよ。
82T・S:02/07/11 00:23
足の甲は古流空手では急所として扱われていましたからねぇ。
拳花受けでしたっけ?
あれは足の甲のツボを打つためとか聞いたことが……。

いや、空手については専門的な技法は自分でも怪しいと思うのだけど。
838:02/07/11 00:28
>>79
世界各地にあるレスリングの亜種(モンゴル相撲など)にも
ぴったりと当て嵌まりませんか?

私が良く拳の指の付け根や足の甲を腫上らせていただけのことです。
他にも前蹴りで足の指に脱臼癖がついてしまった人もいました。
抜き手の稽古はしたことがありません。
あれは不合理の極みではないかと思うのですが。

ていうか、そもそも本来の空手は棒術、短刀・短槍術、手裏剣術などが
メインなのではないでしょうか?
84T・S:02/07/11 00:29
拳花受けじゃなくて
落花受けだった……。
85米好き:02/07/11 00:29
実際に、徒手の格闘技が役に立つかどうか、ではなく、どういう目的を実現するための
設計されたか、という設計思想の方が重要だと思うのだがなあ・・・。

まるべく相手を傷つけず、というが、そりゃフルコンの技法が、
ボディへの突き、背足での回し蹴りだから言える話ですよ。

(実際に使えるかどうかは別として)型なんて、相手傷つける技ばっかり
じゃないですか?

教育用の型の平安にすら、金的打ちがあるしなあ・・・
86T・S:02/07/11 00:31
あらかじめ言っておきますが、「本来の」を言い出すと揉めるデス……。
87米好き:02/07/11 00:31
>>83
>ていうか、そもそも本来の空手は棒術、短刀・短槍術、手裏剣術などが
>メインなのではないでしょうか?

それ同意。

空手も、そうした武器術がメインで、素手の技法はむしろ次善策。
トンファーや短刀でやった方が役に立つ動きを、素手技法にも流用している。
88世界@名無史さん:02/07/11 00:32
>>77
う〜む、この論はかなり極端だと思うが・・・
一面の真理ではあるのだろうけれども。剣や槍の指南役に
大禄が与えられなかったのは、ある意味当然。指揮官じゃ
ないもん。センセイは所詮センセイ。戦争の時には、一兵士
としての価値しかないものな。

あと格闘術についてだけど。旅の坊主とかが、護身術として
身につける例は、結構あったんじゃないかな。
それと、戦場で首印あげるときにも、役に立たなかったとは思えないが。

まあ、積極的に「殺す」ことを目的としているというよりかは、
相手を動けない状態にするとか、そっちがメインっていうのは
当たっていると思う。
89米好き:02/07/11 00:34
俺、まじめな話、フルコンの現実的な存在価値は、相手に致命傷を負わせること
なく護身ができるところだと思う。

以前喧嘩で、「こいつ、ぶっとばしてやる」と頭に血が上った時も、出した右拳
は相手の胸を打っていた(w
90世界@名無史さん:02/07/11 00:38
>>89
セスタスと同じ雑誌に連載されている「ホーリーランド」って漫画で
空手使い君がでてたけど、けんかの時でも思わずルール通り動いてしまって
負けてますた。
91米好き:02/07/11 00:38
>>77
>ではなぜ格闘技が発達したのかといえば、
>それは逆になるべく相手を傷つけないように
>押え付けたり、自分の力を誇示(ケンカ)したりするためでしょう。

いずれにせよ、この指摘は、空手の中では、フルコン空手にしか当てはまらないのでは?
競技化以前の空手、いや、極端に言えば、寸止め空手にも当てはまらないのでは?
92米好き:02/07/11 00:45
素手の武術って、「あえて無手で戦う!」というものだと想定するとアホの極み。
でも、伝統的な稽古体系を見れば、武器術と補完関係を持つのは明らかでしょう。

「もしも、無手の状況で戦わざるを得ないことがあったら!」のための技術が、素
手の武術だと思いますよ。

もっと言えば、武器術を内包しない、つまり全ての技法が素手で行われる伝統武術
なんて存在しないのでは?
だから当然、ここで議論するのは、"武術に内包される素手の技法"ということにな
るのではないでしょうか?

(あいつが悪い。「修羅の刻」が悪いんだ!)
93T・S:02/07/11 00:46
>>91
 そりゃあ、まあ、そうなんだろうけど。
 一応柔術にも当てはまらないでもないですね。

 ただし私的されている通り、世間の格闘技の全てにあてはまるかというとちょっと違うでしょう。
 徒手格闘技は各地にあるのだから、その発展を一括した理由で括るのは乱暴だと思うデス。
94T・S:02/07/11 00:51
「修羅の刻」?
門じゃなくて刻ですか。

まあ、素手のみに拘るというのもあれのせいですかねぇ。
含み針とかはあるみたいだけど。

挫折したけど架空武術考察ってのをしたことがあって、圓明流の起源を宗貞しようとしたことがありましたが。
どうしても「素手にこだわる」というのがクリアできんかった……。
一応相撲起源にしたけど。
95米好き:02/07/11 00:56
>>94
>「修羅の刻」?

そうです。
刀剣が主流の時代に、何故か敢えて無手に拘る(ここでため息)暗殺術(もう一つため息)が
活躍する、あの漫画のせいで、徒手格闘技は敢えて無手に拘るものだ、という偏見が強まった
ような・・・気がするのです。

もちろん、近代化、競技化するにあたって、古流柔術でも空手でも、法に触れない素手の技法
ばかりを全面に押し出してしまったことが、主な理由なのでしょうが・・・

ところで、
>挫折したけど架空武術考察ってのをしたことがあって
これはいったい??
96T・S:02/07/11 01:09
>>95
>もちろん、近代化、競技化するにあたって、古流柔術でも空手でも、法に触れない素手の技法
>ばかりを全面に押し出してしまったことが、主な理由なのでしょうが・・・

 これが主な原因という肝。
 さらにいえば船越義珍翁が……まあ、それはいいとして。

>>挫折したけど架空武術考察ってのをしたことがあって
>これはいったい??

 えーと、その昔同人誌で「架空の流派を考証する」みたいなことをやろうとして――挫折したと、それだけの話です。
 とりあえず陸奥圓明流と南王手八神流とセクシーコマンドーと守天流柔術の期限と有効性についてを。
 その辺りで挫折っていうか、性も根も果てたです。
 昔の話、ね。
97YP:02/07/11 01:25
高校の時の国語教諭が合気道がかなり出来る人らしく、
横着した生徒を廊下で棒でこづきながら説教してた時など、
ポンと軽く棒の先を生徒に向けて出したら、その生徒はヒョ
いと避けたのですが、その生徒の後ろにあったガラスがヒ
ビ割れて砕ける事なく、丸く綺麗な穴が開いたんです。
これには流石合気道家と驚きました。
この教諭、定期試験の監督中とか暇なものだから画鋲を掲
示板に向かって投げたりするんですけど、これも綺麗に掲
示板にパンパン刺さっていくものだから、俺等生徒はテス
トどころでは無く画鋲の行き先に目を奪われてました。
スレ汚しスマソ。 つい思い出したので。
98世界@名無史さん:02/07/11 03:29
中国拳法の源流って、仏教と一緒にインドから入ってきたってことで
いいのか?
だとしたら、坊主の護身用?
99米好き:02/07/11 07:11
>>98
>だとしたら、坊主の護身用?

検証の必要はありますが、そういう見方が強いですよね。
少なくとも、「空手の歴史」の類の本が述べる、中国における素手技法を内包する
武術の発展は、僧侶達が先鞭をつけたものだった、と説明されています。

このスレでどなたかが、徒手格闘技が中国において軍隊に採用されたのは明代と指
摘していました。

これを考えると、素手の技法を内容するような武術は、軍隊とは別のところで発達
したのは間違いと思われます。
100米好き:02/07/11 07:18
太極拳、八極拳など有名な中国武術は、明代に作られたもののようですね。
それぞれ開祖は、僧侶とは関係なさそう。

明代の社会環境が生んだのかな、とも思えます。
101T・S:02/07/11 07:50
 一応、「史記」には帝紂が手で猛獣を打ち倒すことができた……とか書いてあるらしいけど。
 正史の中に拳法の文字が出現するのは後漢になってからで、「漢書・芸文志」の中に「手搏六編」が最初だとか。

 新紀元社の「武器と防具(中国編)」によれば、宋代だっけ? 禁武政策がとられたおりに発達したと言う話もあったなぁと……。
 其の頃に隠し武器などが発達したからだともいう。
 手元にないから詳しいことは覚えていないけど。

 八極拳は清代。
 開祖は旅の道士癩より伝授されたとかどうとか。
 癖だっけ?
 おかしな名前なのは“反清覆明”を志していたから名を伏せていたからだとか言われているけど、このスローガンは当時流行っていたので、何処まで本当か分からないそうで。
102米好き:02/07/11 07:54
>>101
>正史の中に拳法の文字が出現するのは後漢になってからで、「漢書・芸文志」の中に「手搏六編」が最初だとか。

達磨より古いね!


>新紀元社の「武器と防具(中国編)」によれば、宋代だっけ? 禁武政策がとられたおりに発達したと言う話も
>あったなぁと

琉球に似た感じだね。
103T・S:02/07/11 09:07
つーか、武器術と別に拳法が発達したと言う訳ではないのだから、分けられるのは何らかの要素が必要だったり?

まあ、今その本を探しているけど、資料としては何処まで信頼していいやら解らんので、さっと流しといて(笑)
104世界@名無史さん:02/07/11 12:06
ところで散打ってK-1の出来そこないやん。
それともムエタイのできそこない?
まあK-1もキックボクシングの出来そこない言われりゃそうかもしれんけど。
五輪の正式種目にはでけんでしょ。
どうせならちゃんとした拳法で闘えばいいのに。
関係なくてスイマセン。
105T・S:02/07/11 12:30
散打は散打単体の競技として考えるべきだから、K−1との試合の時のそれから判断しているんだったら、ちょい出来損ないは可哀相。
あれは聞いた話によると、シュワイジュアオ(中国史記の相撲)の技術が主流を占めているようだけど。
106世界@名無史さん:02/07/11 12:39
>>104
空手のできそこないのテコンドーが五輪正式種目になったんだ。
散打もなれるさ。
107104:02/07/11 12:56
>105
それは知らなかった。スマンス。
108世界@名無史さん:02/07/11 13:02
そういや、テコンドーってなんで足だけしか使わないのかな。
カボエラ(だっけ)は、黒人奴隷が手を縛られた状態でも
戦えるように、っていう説明を聞いたことがあるけど、足だけ
しか使わないってのは、何かそういう特殊な事情でもあったのか。

足技は、はずれるとイタイので手しかつかわん、というのなら、
まだわかるのだが。
109世界@名無史さん:02/07/11 13:20
キム・カッファンなんてパンチボタン押しても蹴りだもんな。
大だけだけど。
110T・S:02/07/11 13:21
足だけしか使わないと言う訳ではないそうな。
どうしてなのかは詳しく知らないけど。
そういえば空手も海外に輸出されると足技が発達すると聞いたことが……。
競技化しているのが原因かも知れない。
昔の空手の試合では帯よりも下を打たないというルールであったのだけど、フルコン空手の側から「そんなのは非実戦的だ」という意見があって上段の廻し蹴りが日本の空手にも使われるようになったとか。
もっとも、古い空手でけりが帯から下というのは、組討の要素が入るとバランスが崩れやすい蹴り技は自ずと下段に限定されるという理由だったんだけど……。
とりあえずまあ、競技として突き詰めると、蹴れ技が発達していくということでいいのかな?
111世界@名無史さん:02/07/11 13:46
>100


少林拳の場合開祖は僧侶と言われています。
少林拳自体は、僧侶が悟りを開く修行のためのものであった
と言うことを聞いたことがあります。

たいして太極拳は、地方の田舎武術が改良されたものです。
流派が様々に分かれていますが、そのおおもとは陳式太極拳です。
今日よく知られる太極拳は陳式を学んだ楊露禅という人物が広めた、
楊式太極拳です。

八極拳はよく知りません。専門外なもんで・・・

中国武術史については笠尾恭二著「中国武術史大観」
が詳しいです。

太極拳やって2年になりますが、先生達を見ていると徒手でも
かなり戦えることがわかりました。技術レベルとしてはかなり高いです。
殺人も容易にできそうに思えましたが、会の代表者の方に言わせると
"使わないことが望ましい"ようです。

格闘技は初めは"殺し"が目的で発生したわけですが、後から目的が"自己鍛錬"
に変わっているような気がします。
112世界@名無史さん:02/07/11 14:25
>>108
やっぱり手に何か(食料とか書簡とか?)を持っている前提で発達したとか?
カポエラは両手が縛られた状態で、なおかつ踊りに見えるようにとかなり制限があったね。
113T・S:02/07/11 17:31
>>111
大極十年不出門といいのすが……二年で戦えるように思えますか。

>>112
テコンドーの創始者は崔氏で、1937念ごろに日本に来て空手を学んだとか。
その後1945年に韓国陸軍の創設メンバーの一人として少尉を任せられ、それから韓国伝統武術テッキョンなどを研究して1955年にテコンドーの名をつけて発表したみたいな。

どうして蹴り技が発達したのかは知らないけど、ルール的に組討の要素がないと、あんな感じで発展していくんじゃないかと。
多分。
114おなかいっぱい。:02/07/11 19:23
北の特殊部隊は素手で自然石を割る!!とか言ってるけど・・。まさか足ではないだろ・・・。

『バキ』の石割のトリックではないことを切望。
115おなかいっぱい。:02/07/11 19:54
空手って沖縄では一般人は武器が持てなかったから、
身の回りの品で対応したってのが元では・・。

素手そのものを凶器にするよう鍛えぬき、急所を一撃して沈黙させる。
本土で言う空手と本来の沖縄唐手はまるで違うと聞いたけど?

玉を蹴り潰し、手刀受けが早いか目をくりぬき、腹の皮をつねって引き千切り(!)、
驚くべきことにノーザンライトボムみたいな技まで型にある・・・。
闇の中手探りしつつ殺し合う型もある。
(サイの型には唐手の蹴りをカウンターする技が結構あって怖い・・。)
そういえば素手で棒と戦わざるを得なくなった時の型とかを習いはしたな・・・。

空手の間合いって素手同士の戦いと考えると驚くほど遠い。(肘や膝があるのに・・。)
『一応』対(捕縛用)武器の格闘技とみてもいいんでは?

・・俺が昔見た空手の本では『対武器用』と定義する一方、
『できれば逃げろ』と書いていて好感が持てた。
116世界@名無史さん:02/07/11 22:04
エジプトのルクソールだかにあった、紀元前二千何百年の壁画に、
ブレーンバスターをかける男が描かれていた。
ご存知の通り、ブレーンバスターという技は、かけられる側の人間の協力がないと成立しない技だ。
驚くべきことは、数千年も前の古代に、格闘技から派生した花相撲や現代のプロレスに通ずる格闘ショーが
民衆の間に存在していたということだ。
つまり古代レスリングにおいても、ルールの中でのグラウンドの攻防や膠着状態は客受けが悪く、
当時の興行主が知恵を絞って「受ける」興行スタイルを確立したということが推測できる。
古代の格闘技は、宗教的儀式でもあり真剣勝負であることが前提のように思われるが、
古代人の意識の中に、それほど豊かな遊びの精神があったと考えるとなにやら微笑ましい。
現在我々がPRIDEなりK-1を観戦し、菊田×ヘンゾ戦や高田×ホイス、高田×ミルコ、高田×ベルナルド戦などで
「膠着してつまんねーよ、西田、オレ便所行ってくるけど、帰りに何か買ってくる?」と
会話していたことを、数千年前のエジプト人もしていたかもしれないのだ。
117111:02/07/12 01:08
>113
このまま何年も続ければそうなるでしょうね。w
今の自分はまだまですよ。あくまで人のを見て、です。

文脈を見るとまるで自分がうまいような書き方になってますね。(^^;)
反省・・・・
118米好き:02/07/12 01:39
テコンドーが足技偏重になったのは、空手との差別化なんだろうと思う。

特にテコンドーの母体となった松涛館は、突き重視。
119米好き:02/07/12 01:44
>>101

サンクスです。
いつも、俺の電波を訂正してくれてありがとう。
120世界@名無史さん:02/07/12 11:15
サクラ大戦のカンナがトンファー持ってるイラストを
1のときに見た。
琉球唐手も武器アリっていう、
これじゃ証拠にならないかな?
121T・S:02/07/12 12:13
>>115
沖縄から手の名人はもの凄い握力と指をしていたと言いますからな。なんというのか忘れたけど、かったい木の皮を素手ではがせることができたとか。
きっと手首と足首の強さとその先の使い方でキックなんかとは一線を画していたのでしょう(笑)

ちょい出自は胡散臭いけど、御殿手の上原清吉氏の手の写真というのを見たことがあります。
全ての指がぶっとくて、それを肋の隙間に突き込む技とかやっていたです……。

>>116
あー、なんか凄くありそうな。
古代でだって娯楽となればやっぱりそういうショー的な要素は欠かせないわけで。
実際、ブレンバスターを決められるようなのは東三四郎みたいな化け物でもなければ(^_^;

>>117
んー?
太極十年不出門ってーのは、太極拳をものにするには十年はかかるから、それまでは決して技を見せないこと――みたいな意味だったと思うですが。

>>118
そういう差別化を計ったというのもありえそうではあるけど……ルール的なものじゃないかと。

>>119
まあ、私も誤字やら記憶違いやら色々してますら、何処までちゃんとした訂正になっているやら。

>>120
そういうのなくてもべつに証拠にはことかかんというか、まあ、色々と。
……一応、空手の型の中には棒をもってのものと思われるるものがあるそうだし。

122世界@名無史さん:02/07/12 12:27
>>112
カポエラが手を縛られた状態で戦うために生まれた。
という話は大嘘。漫画の読みすぎ。
123世界@名無史さん:02/07/12 13:53
昨日、なんとなくNHKのお江戸でござるを見ていたら、室町〜江戸初期に
辻相撲なるイベントがあったということ。
これは、勧進相撲とはまったく異なるもので、相撲とはついているが、
投げる・殴る・蹴る・踏みつける。しまいには手足の骨を折るという、
現代のシュートやプライド、古代ギリシャのパンクラチオンのような
ものだったという。
江戸初期に禁止されたが、それでもお上の目を盗んでは行われていた
らしい。
そのころの辻相撲の人気をうかがわせる一句。

風そよぐ小萩が辻の角力哉(一茶)
124世界@名無史さん:02/07/12 15:11
旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫中佐は
ロシアのレスラーに勝ったらしい。
と、「日露戦争物語」に載ってました。
125ふにゃぽん:02/07/12 21:48
>>123さん。
このスレの>>40を読んでくださいね。

そういえば、「骨法」なる挌闘術の、ちょっと電波気味の総師範、「堀部 正史」
なるお人は、「『骨法』は、元来(古代、つまり奈良時代あたり)、投、極、打全てが備わっていた『相撲』
が、『投』と、『突っ張り』のみを採用した結果、その選にもれた『打』と、『極』によって
集大成された、純粋な意味での唯一の『日本武道』なり。」みたいなことを
言っていたけど、ホントのところ、どうなのかしらん?
126T・S:02/07/12 22:10
>>125
古流の履歴は怪しいのが多いから……。
開祖が伝説の人物とか有名人というのはザラです。
(例:藤原鎌足など)

堀辺氏の『骨法』については…………。
ノーコメント。
っていうか、来歴がいい加減でもちゃんと武術としては完成している流派だったあるから、そういうのは詮索してはダメです。
カワイソウでしょ……。
127米好き:02/07/13 01:23
>>120

琉球時代の空手(唐手?)が、
・トンファー
・サイ
・ヌンチャク
・棒
・亀の甲羅
を使っていたのは、認められていると思う。

むしろ、異論の方が少ないでしょう。
128米好き:02/07/13 01:28
トンファーを手にもってのクーシャンクー(観空だったかな?)を見たときは、
なるほどなー、と感心した。

素手では「?」な部分が、トンファーを持つと、見事な防御、見事な攻撃にな
っていた。
129世界@名無史さん:02/07/13 02:20
>123です
>>125さん
古事記に天覧?相撲があったことは知っていました。
相撲の歴史を調べると、辻相撲は百姓(公家・武家以外の平民)が
自主的に行っていたみたいです。
いわゆる勧進相撲や武家相撲とはまったく別の流れで。
武士の相撲を素人である百姓が見よう見まねではじめたのかもしれません。

ちゃんとした相撲の歴史についてはここにあります。
http://www.246.ne.jp/~a-kambe/snen.txt

辻相撲は江戸以降も勧進相撲ルールでほそぼそと行われ、明治期には
夜相撲という名で続きました。

夜相撲やかんてらの灯を吹きつける(夏目 漱石)とか
夜相撲に取る手や月の河津掛け(有也)などの句が残っています。
骨法は、あの・・・ぶっちゃけ堀部氏の捏造というのが武道板の見解です。

ヌンチャクは倉田というアクション俳優がブルース・リーの映画に出演した時
「日本にはこういう武器がある」と紹介し、「いつか使うよ」といって燃えよ
ドラゴンで使ったのがヌンチャク=中国拳法の武器という誤解を生んでしまっ
たのです。
130ふにゃぽん:02/07/13 07:33
>>129
>ヌンチャクは倉田というアクション俳優がブルース・リーの映画に出演した時
>「日本にはこういう武器がある」と紹介し、「いつか使うよ」といって燃えよ
>ドラゴンで使ったのがヌンチャク=中国拳法の武器という誤解を生んでしまっ
>たのです。

どうも、そうみたいですね。

でも、空手にしても、中国拳法にしても、「武器」は、原則として手足の延長と
捉えているから、「武器」を使う事があっても、あくまで「徒手格闘技」には
違いないと考えられているようですね。

131世界@名無史さん:02/07/13 15:15
>>122
漫画で仕入れた知識ではないと思うが・・・
漫画読まないし。
ちゃんとした本(ってあるの?)を読んだわけでもないけど。
何かの漫画に載っていたの?
132世界@名無史さん:02/07/13 21:17
>>131
いろんな少年マンガで、カポエラはそういうことになってるよ。
『コータローまかり通る』とか、ちと古いけど『悪役ブルース』とか。
もっと前にも読んだような気がする。
たぶん、最初に言い出したのは梶原一騎あたりではないかと。
133T・S:02/07/13 22:23
 空手バカ一代だね……。
 あの漫画はカナーリ(控えめな表現だ)の部分が嘘だから。
134ふにゃぽん:02/07/14 09:16
古流から、現代のブラジルのも含めて、柔術の「当て身」ってどう発展してきたんだろう?

「当て身」は、刺し身のツマ的、つまり、柔術本来の「投げ」や、「関節技」
を極めにいくまでの繋ぎ技としても使われる反面、柔術の技は、そうした技で
攻撃してくる相手に対するアクションとしても体系化されているよね。

「当て身技」は、もともとどこから来たものなんだろう?
135世界@名無史さん:02/07/14 10:58
バーチャのラウの虎燕拳ってほんまにあるの?
136T・S:02/07/14 11:03
 うーむむむむむ。
 一口に当て身とか言っても、流派によってはかなーり違うし……。
 例えば当て身で大量の暴漢を相手に立ち回ったと言われる磯又右衛門なんて人もいる(天神真楊流開祖)。
 この流を起こした磯は真神道流と揚心流を学んでいたが、暴漢との立ち回りにて当身について自得するところがあって二流をあわせて天神真楊流を称したという。
 ついでに揚心流は長崎の医者・秋山四郎兵衛が中国に渡って学んだ柔術三手他あれこれと工夫して完成したものという。

 合気道は実戦において当て身が七分で投げが三分と植芝盛平は言ってたらしい。
 植芝翁は大陸で太極拳を学んだともいわれるけど、何処まで影響をうけたかなどはよく解らない。
 
 しかし実際のところ、乱戦では当て身が使えた方が有利だったのではないかと思われ(植芝翁のいうところの『実戦』は一対一ではないくさい)。
 弟子の渋川……もとい、塩田剛三氏も「合気道修行」で若い頃の喧嘩の立ち回りにはいきなり当て身の一撃で相手を昏倒させたようなことが書いてあった。
 
 思うに柔術は時代が経過していくにつれ殺法としての要素の高い当て身は簡略化され、投げ技の繋ぎのような技が残されていったのではあるまいかと。
 無論のこと、伝承者によっては師より危険な用法を伝授されていた可能性は高いけど(古流ではそういうのがあっても不思議ではない)。
 服装とかも関係しているかも。
 そーいえば甲冑組討の要素を強く残している柳生心眼流などは、戦国時代から残っているし、当て身の活用では諸賞流なんかもかなり使うらしいけど、これも古い流派らしいし……。

 んー。
 考えが整理できていないなぁ……。
137ふにゃぽん:02/07/14 11:31
>>136
中国拳法の影響は、全くないのかね?
138ふにゃぽん:02/07/14 11:32
age忘れ。
139T・S:02/07/14 11:47
 影響って言われても……そもそも文化とか宗教の類は地方の風土よって土着化してしまうものだしねぇ。
 袴という服装が当て身――特に蹴り技の発展を妨げてきたのは考えるまでもないことだし。
 そりゃあ、明の儒者を名乗っていた王直より伝授された拳法を元に編み出されたという好要流は会津二伝承されて御式内とされたとか、色々と話は伝わっているのだけど……。
 
140ふにゃぽん:02/07/14 12:04
>>139
そだね。

でも、やっぱり中国拳法は、「空手伝承」以前にも、遣唐使の時代から
なんらかの機会に日本に伝わって、和風に土着化したものもあっただろうね。
141T・S:02/07/14 12:12
「格闘技の歴史」を読めば色々とのっているですが……。
 どうもこの作者は禅関係を強調していると思ったら、禅関係の人だった。
 ダメだこりゃ。
(武術関係ではこういうことが多い)。
142世界@名無史さん:02/07/14 12:16
日本ではどうしても「格闘技」ではなく
「武道」ってなってしまうから。
143ふにゃぽん:02/07/14 15:12
そういえば、あの明石 散人氏がたびたび作品中で取り上げている
「胡飲酒舞」(こんじゅのまい、と読みます)なる武術は実在するんでしょうか?
それとも、ただのネタなのでしょうか?

ネットで検索しても出ませんでした。

なんでも、それは鎌倉時代に、天皇を守護するために開発された、一人で十六人を
相手に闘える武術らしいんですが・・・。
144T・S:02/07/14 20:25
 明石散人氏の作品にでてくるその武術は……私は聞いたことありません。
 小説はちょい読んだけど。
145ふにゃぽん:02/07/15 20:34
>>144
明石氏は、その武道を、「舞踊」と表裏一体に開発されたと言っていたけど、
日本武道の中には、純粋に「武道」としてのみ発展してきたんじゃなくて、
何か他の「宗教的儀式」や、「伝統文化」の一面としてもともとあったってのが
多いのかね?

「相撲」も、もとは「五穀豊穣」を祈る儀式から来てますよね?
146T・S:02/07/15 21:09
 元々は力比べとかの鍛錬と考えるのが妥当だと思うです>相撲。
 宗教的な儀式となってから様式化=ルールの整理がされだしたのではないかと。

 ただ、伝承の過程で舞踏と関連がなかったかといえばよくわからないです。
 相撲の語は「「妨げる」と言う鋳込みの古語から変化したといわれますが、裸で神前にてする「素舞う」から変化したというのもありますし。
 御殿手の上原氏は沖縄舞踊の女子の中に混じって踊っても誰も気づかなかったとも。

 うーんと、あとなんかあったよーな気がするですが。
147ふにゃぽん:02/07/15 21:23
>>146
でも、原則として、相撲は世界中にありますよね?

日本のそれとスタイルの似ている「モンゴル相撲」とは、関連はないんですかね?

そういえば、レスリングもある意味「西洋相撲」といえますよね?
148世界@名無史さん:02/07/16 11:35
格闘技って、奥が深いね。
149世界@名無史さん:02/07/16 12:41
<<146
モンゴル相撲、スワイジャオ、相撲という伝播の仕方をしたらしいよ。
組み技系格闘技って元は146の言うとおり、力比べとか、鍛錬の意味が強かったんだろうな。
打撃系はどうなんだろ?
ムエタイはタイの王族の人が戦場で戦うために編み出したって伝説があるけど。
150ふにゃぽん:02/07/16 13:06
>>149
>ムエタイはタイの王族の人が戦場で戦うために編み出したって伝説があるけど。

そういえば、ムエタイには「首相撲」がありますね。

ひょっとして、ムエタイの原型は、「相撲」だったのかもしれませんね。
151世界@名無史さん:02/07/16 14:30
「キックボクサーまもる」を思い出すな。
152T・S:02/07/16 15:08
「秘拳伝キラ」にでてきたムエタイ使いの少年は、自分の技を住もうと呼んでいたなぁ……というのはさておき。

 古典ムエタイがどんなだったかは>>37を参照のこと。
 これは>>40にあるような日本の古代の相撲の光景に近いのではないか、と。

 釈迦が嫁とりの時にやったという相撲も拳法っぽかったらしいし。
 古代においては組討格闘技とか打撃格闘技の区分は曖昧で、殴る蹴るは当たり前にあったものではないか、と。
 それがルールの整備がされていくうちに今のようなカタチになっていったのではなかろーか、みたいな。

 そもそもボクシングからして打撃が入っていたらボクシングみたいな観念だったらしいし。
 十九世紀に入るまでは、投げも蹴りもオッケーだったらしーです。
153ふにゃぽん:02/07/16 17:07
おお、T・Sさん。
また、どうも。

そうなると、ところで、「ムエタイ」と「ボクシング」の接点は、
どこにはあるんですかね?

「ムエタイ」の選手が、グラブを着けて、リング上で闘うっていうのは、
近代以降、西洋のボクシングから取り入れたスタイルなんですかね?

154T・S:02/07/16 17:25
いや、1775年にビルマの王マングラの前で、人質となっていたタイ人のボクサー、ナイ・カノム・トムがビルマ人のボクサー九人とリングで戦って勝ち抜いたという話があるそうだから。
リング――土俵と考えては?
別にボクシングに限らないっしょ。
場所が限定されるのは。
グローブの導入はボクシングの影響もあるとは思うけど……。
やっぱり拳を守るためのものだったんでしょうな。
155ふにゃぽん:02/07/16 19:07
>>154
>リング――土俵と考えては?
>別にボクシングに限らないっしょ。
>場所が限定されるのは。
>グローブの導入はボクシングの影響もあるとは思うけど……。

そうですね。
具体的な技や試合のテクニックなどは、「ボクシング以前」にほぼ
独自に体系化されていたんでしょうな。

ただ、3分1ラウンド制、10カウントノック・ダウンというシステムは、
明らかにボクシングの影響でしょうね。


156T・S:02/07/16 23:44
ごめん。
>>154は1774年だった。

んー。
実は事実上の競技ムエタイ発祥となる試合は1921年に行われ、
以後グローブがとりいれられたりしながらルールが整備されて現代にいたるのだけど
グローブが導入される以前と以後とでは構えが違っているらしい。
具体的には手の甲を敵側に向けていたのが内側を向けるようになったとか。
技術解説は瑣末になるので省くが、グローブ導入以前の西洋ボクシングもそう言うかまえをしていたらしい。
グローブは相手を傷付けないためのものではなく、拳を保護するための「防具」だから、導入することによって拳の負担が減り、
色々と素手ではできない打ち方が可能になったとか。
ムエタイでもその辺の技術革新はあったかも。
157世界@名無史さん:02/07/16 23:58
あと、グローブがあるからこそ可能な防御ってのもある。ボクシングのガードとか。
158ふにゃぽん:02/07/17 06:19
>>156
ムエタイの発祥時に、中国拳法の影響は考えられないのでしょうか?
159世界@名無史さん:02/07/17 06:46
イスラム商人の行き来から少林寺に心意把をもたらされた…だったかな?
(拳児って漫画で触れてたように記憶してます)
タイと中国の貿易ってどんなかったのかな…
中国武術の技法がムエタイに取り入れられたり、その逆があったりしたかも
160米好き:02/07/17 07:36
>>156
>具体的には手の甲を敵側に向けていたのが内側を向けるようになったとか

本部朝其の構えと同じですね。
でも、手の甲を向けることの利点って、体感したことがない。
どういう利点があるのかな
161米好き:02/07/17 07:40
>>159
>タイと中国の貿易ってどんなかったのかな…

アユタヤ朝は中国とインドの海上交易の中継地として栄えた王朝ですから、
何か伝わったことは十分考えられますよ。

スコータイ朝時代にも、中国から陶磁器に技術を移入したりしてますし。
162T・S:02/07/17 08:05
>>160
グローブをすることによって掌を開いて相手の攻撃を受け止めることができるので、
掌側を相手にむけるかまえをとるが、素手の戦いでは相手の構えのわずかな隙間に
拳をめりこませて攻撃できるので、拳の回転力を大きくするために甲側を相手に向ける
――とか。
上のは日本拳法空手道の宗家の言葉だそうだけど、拳の回転力云々については実際は
あんまり威力のタシにならないという話もあるし、どっちかというとグローブを
つけることによって掌を外に向ける利点ができたと考えるほうがいいのかな?
163世界@名無史さん:02/07/17 10:55
じゃあコークスクリューはパッと見だけの見せ技ってこと?
164世界@名無史さん:02/07/17 12:19
グローブは素手と違い外傷を与えるのは難しい。
けど、グラブのアンコ(詰め物)のクッション性がすでに比べて脳震盪を
起しやすい。
これは、掌底でも同じことで、素手で顎を殴ると単純に顎が骨折するだけだが
グラブや掌底で殴るとともすれば外傷無く相手が気絶させることができる。
4・5年前、大相撲の一番で旭道山だったかが張り手を放ったら相手がひざから
落ちたという一番があったがまさにこのことを端的に表している例であった。
コークスクリューパンチは、顎にあたると首を左右に振らせるのではなく、斜め方向
に首を振らせる効果があるので、より一層脳震盪が起こりやすくなりKOを生む可能性
が高い。

>具体的には手の甲を敵側に向けていたのが内側を向けるようになったとか
グラブが導入されるまでのボクシングもその構えでした。
人間が本能的に構えるものなのでしょうか。
古いムエタイの形はミャンマーに残っています。
ムエ・カチューアというのがそれです。
グラブはなく、牛の皮で作られたバンテージを巻いて戦うそうです。
たいていは、顔面パンチ一発で終わるそうなのであまり技術は発展して
ないとのこと。
165T・S:02/07/17 12:57
まあ、実際の話、グローブ導入によってボクシングでは死者が増加したというのは歴史的な事実らしいし。

ああ、>>163についてはなんとも。
そもパンチの威力は腕の力だけではきまらないし。
力の伝達の過程で捻りが入るってのは問題なしというか当然なんだけど、それは拳を回転させるということとイコールではなんじゃないかな?
空手の正拳突きも、元々は手の甲をぴったりと植えに向けるようには打たなかったとも。
どっちかってーと縦拳っぽい斜めの位置になってたみたいなのを常心流の宗家は言ってたそーな。
いやね、今野センセーがそんなことを大昔のSFアドベンチャーか何かのエッセーだかコラムで言ってた。
自作の小説でもそう書いてたけど。
ああ、あの人の小説の大ファンではないですよ。
念のため。
166163:02/07/17 13:25
勉強になった。
167世界@名無史さん:02/07/17 14:07
現在の中国武術というのははやくても 清末に成立したものであるというのが歴史家の見解です。
168世界@名無史さん:02/07/17 14:16
人類の戦争の歴史は兵器の進化の歴史です。 人類文明の誕生とともに人類は武器を手に戦ってきたのです。 したがってこの徒手格闘術というのは実際には古代ギリシャや江戸時代の日本などというように 平和な市民生活のあるところで発達したものなのです。
169ふにゃぽん:02/07/17 16:18
>>168
レスサンクス。

でも、それは私が>>1で言ってますって(w

>>159->>167
勉強になりました。

ありがとうございました。

ところで、格闘技には関心のない一般の人間がまず思い浮かべる「空手」「拳法」
の練習スタイルといえば「騎馬立ち」気味に立って、両拳を左右対称に
「引き手」を取りながら、脇を締めて交互に前方へ、唸らせるようにして出す、
といったものだと思うけど、あの動きは、中国拳法が元祖で、かなり古い時代から
あったものと考えていいんでしょうか?
170発掘家:02/07/17 18:16
87 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/07/03 19:42 ID:6VEfOdJG
武術はインチキの多い世界だね


88 :馬将軍 :02/07/03 21:18 ID:UZQpbPOd
ちゃんとした歴史を知るべきである。戦前の日中は今よりはるかに交流が深く


89 :馬将軍 :02/07/03 21:21 ID:akDQpOxY
日本は辛亥革命など中国の近代化の多くに関わり手助けしていたのであり


90 :馬将軍 :02/07/03 21:24 ID:Q3XJ8Nvt
中国拳法についても帝国陸軍によって徹底調査されているが


91 :馬将軍 :02/07/03 21:26 ID:6VEfOdJG
まったく使えない非実戦的なものであると判断されている


92 :馬将軍 :02/07/03 21:31 ID:UZQpbPOd
言っておくが陸軍は結社内部まで潜伏調査しており、そこで実戦的な武術が行なわれていれば見落とすはずがない。


93 :時事新報 明治27 :02/07/03 21:46 ID:UZQpbPOd
旧薩摩藩士剣客柴田源次郎。旧会津藩士谷猛重、同上野綱義いずれも棒柔術の達人は中国の秘密結社で武術を伝授。


171発掘家:02/07/17 18:18
検索で見つけたのですがおもしろそうなのでコピペしてみました。
172ふにゃぽん:02/07/17 19:03
>>171 発掘家さん。
ありがとう。日本史板からですか?

まあ、でも、「少林寺」に代表される中国の拳法は、不殺傷を前提に、
最低限の護身だけを目的に編み出されたものが多いから、
そんなもんかもしれませんね。
173T・S:02/07/17 21:18
>>172
>まあ、でも、「少林寺」に代表される中国の拳法は、不殺傷を前提に、
>最低限の護身だけを目的に編み出されたものが多いから、

それはどうかなー。
中国武術はとかく少林寺がクローズアップされるみたいですが、少林寺の武術で最初に有名になったのは棍法で、明の時代に倭の刀、蛾媚山の剣、崇山の棍と並び称されました。
が、拳術ではここ数百年くらいではないかと思うです。資料が手元にないから詳細は勘弁して欲しいですが。
元々からして日本と中国とでは武術に対する考え方が違うですし、護身術だったと言う考えは当たっているにしても、全体にいえたかといえば違うと思うです。

ちなみに結社がやっていた拳法については神がかりとかそんなものが多くて実戦に使えなかったというのはあり得るかも。
義和団が使っていたという神拳というのがそれで、鬼神が乗り移り弾にも当たらないと信じられたとか。

がしかし、それが中国武術の全てかというとどうか。
高名な拳法は田舎で生まれても普及するのは都会だったし。
競技人口が多ければ自ずとレベルは上がっていくし。
結社の中の秘密裏の伝承というとえらい強げな感じがするけど、そー言う意味ではさぁ。
174米好き:02/07/18 01:02
>>162
>グローブをすることによって掌を開いて相手の攻撃を受け止めることができるので、
>掌側を相手にむけるかまえをとるが、素手の戦いでは相手の構えのわずかな隙間に
>拳をめりこませて攻撃できるので、拳の回転力を大きくするために甲側を相手に向ける
>――とか。

確かに手の甲を相手に向けた方が、突く時にひねりを入れやすいですね。

でも、グローブをするから掌を開いて相手の攻撃を受け止められる、ってのは実感沸かな
いなあ。

個人的な経験では、むしろグローブをした時の方が、掌を開いて相手の攻撃を捌く、とい
う技術が使いにくい気がする。

ただ、手の甲を相手に向けると、自然と脇が締まりますね。
これはいい感じ。
175米好き:02/07/18 01:04
>>165
>どっちかってーと縦拳っぽい斜めの位置になってたみたいなのを常心流の宗家は言ってたそーな。

池田先生ですか?
あの人、ホンモノなのですか?

いや、動き見たことないのですが、なんとなく胡散臭くて
176米好き:02/07/18 01:11
琉球の空手では、小林流系が縦拳を多用する、と聞きますね。
でも、空手全般にいえることだったのかなあ。
177T・S:02/07/18 01:29
>>174
グローブは広げるだけで相手の攻撃の範囲を狭めますからねぇ。
ええと、「殴られ屋」によれば、相手のパンチをグローブで受ける「バーリング」こそが倒されない秘訣だとか。
まあ、これはさておき、ちょいかすらせるだけでもある程度は威力を殺せるしね。
ただ、防御というのはどの武10でも非常に錬度が必要だしねぇ。

>>175
知りません(笑)
つーか、本物偽者とかいいだしたらキリがないですから、これはパス。
まあ、今野センセーの師匠だしなぁ……。
そーいや、最近洗脳が解けたみたいなことを何年か前に大槻ケンジとの対談で言ってたような?

>>176
正拳突きをぴしっと甲を真上に決めるようになったのは、本土に入って体育課目とかなんたらを意識しだしてからとか。
まあ、色々と試した実感からすれば、ぴしっと決めようと意識して拳を出すと、その分だけ伸筋の伸びが阻害されているような印象はあるなぁと。
……本来打撃系ではないんで、当てにならないんだけどさ(笑)

ついでに>>162で引用した流派の初代は、「空手バカ一代」にでてきた由利辰雄のモデルになった山田辰雄だったり。
いや、そのコメントは後の人なんだけど。
どーでもいいっちゃーどーでもいい話だけどさ。
178172さんへ:02/07/18 08:32
日本の少林寺拳法と中国の 少林武術はまったく別物ですよ。
179T・S:02/07/18 09:10
宗道臣センセーが空手と八光流とかを組み合わせてどーだか……。
まあ、来歴が怪しいのは別にあれに限ったことじゃないしね。
その辺は、まあ。
180米好き:02/07/18 09:12
>>177

実は私、ボクシングも練習生レベルですが、かじっています。
ジムで習ったパリのことを考えると・・・

掌を【相手に向ける受け】、捌きというのは、確かにグローブを使った方がやりやすい
ですね。

素手の場合は、掌を相手に向けるのではなく、手を広げて【手刀の部分を相手に向けて】
受け、捌きをする、といおう感じになりますね。
181米好き:02/07/18 09:14
>>177
>ついでに>>162で引用した流派の初代は、「空手バカ一代」にでてきた由利辰雄の
>モデルになった山田辰雄だったり。

山田辰雄氏の息子さんはよく打撃系の雑誌で技術解説してますよね。
私も、山田辰雄の息子さんが、手の甲を相手に向ける構えをしているのを何度か
見ています。
「ああ、さすが、本部朝其直系なんだなあ」と思いますね、あれは。
182米好き:02/07/18 09:17
むしろ、本部朝其と日本拳法空手道、そしてベアナックル時代のボクシングでは、
なぜ、手刀の部分を相手に向ける手刀受けの構えを取らなかったのか、という疑
問の方がいかもしれませんね。
183T・S:02/07/18 09:34
>>182
そりゃあ、防御の方が高度な鍛錬が必要だからでしょう。
本部朝基先生がそういう技術に疎かったというのではなく、攻撃に特化した方がよいと考えたのではないか、みたいな。
>>164でムエ・カッチューアについて書き込まれていますが、防具であるグローブがないとその手の技術が発展しようがないのではないか、と。
特に本部先生といえば型はナイファンチンだけ、掛け試しばっかやっていたそうだし。
下手に受け手に回るよか、攻撃一辺倒に回った方が割りがいいと思ったのでは?
つーか、防御技術を誇る人って、なんか年寄りの熟練者ってイメージが……。
184米好き:02/07/18 09:36
なぜ開手の受け、構えではないのか。
閉手なら閉手で、なぜ甲を向けるのか。
185世界@名無史さん:02/07/18 09:38
関係ないがムエタイ選手のバランス感覚はすごい!
186米好き:02/07/18 09:39
>>183
>下手に受け手に回るよか、攻撃一辺倒に回った方が割りがいいと思ったのでは?

本部朝基なら、そうか。
なるほど
187T・S:02/07/18 09:41
>>186
とにかく相手のガードの隙間にねじりこみたかったからでは?
それが「しやすい」とのことだし。
一々拳を硬く握り直す手間も惜しんだ……訳はないか。
188米好き:02/07/18 09:52
本部朝基が自らの写真入りで、素手の打撃の攻防を説明した本がありましたよね。
たしか、内受け、外受けくらいは使っていた。
あれ見れば、拳の甲を見せた構えから、どういう風に受けに転じるか分かるかな。

・・・外受けは、甲を相手に向けた方がやりやすいかな。

よく考えから、剛柔流や上地流も、閉手開手の差異はあるけれど、三戦で甲を相手に
向けますね。

素手攻防における、手の甲を相手に向けた構えって、これだけ古い技法に見出される
のだから、もう少し研究すべきことなのかもしれないですね。
189T・S:02/07/18 09:59
うーん。
私は柔術のほうだからなんとも(笑)

ただまあ、甲を前にすると脇がしまるけど、それって腕の可動範囲が極端に素撒くなるということでもありますからねぇ。
対武器を前提に組み上げられた技術ですし、防御は後で生まれるものだから、とにかく攻撃優先だったんじゃないかなぁと。
武器をあいてにするのならば引いてたらジリ貧だしねぇ。
むしろ素手での複雑な攻防は考えていなかったということかな?
190米好き:02/07/18 09:59
手にトンファー握っていたとすると、鉄槌の部分を相手に向けた現代フルコン風
の構えの方がよさそうな気もするなあ。

型に、手の甲を向けた構えと鉄槌の部分を向けた構えの両方があるのは、そういう
ことなんだろうか。
191T・S:02/07/18 10:21
>>190
まあ、空手は素手での技術と考えるよりも先に、素手による武器操作の鍛錬法が先にあったんだろーし。
そーんじゃないかなぁ?
192ふにゃぽん:02/07/18 15:34
>>191
そうですか?

空手では、棒、ヌンチャク、トンファーなどの武器は、
あくまで手足の延長という発想で産またんであって、
素手による技の方が、先にあったんじゃないかな?
193T・S:02/07/18 16:10
>>192
さーて、卵が先か鶏が先か……。
所説あるけど、元々沖縄では「手」という武術があって、これに中国武術の技術が加わって「唐手」となったというものもあるし。
「手」などはなかった、中国武術が沖縄に土着化してできたとも。
ただ、禁武政策がとられたとき発展したというのは確かだけど、さて。
元々からして武器がなければ素手というのは安易すぎると思うです。
武器と思われにくい武器が最初に考えられたはず。
その鍛錬として生み出された技術を素手に応用したものではなかろーかと思うのだけど、どーかなー?
194ふにゃぽん:02/07/18 16:25
>>193
どうですかねー?

ただ、沖縄で空手を発展させた主体が農民、漁師だという定説には、
私は疑問を持っています。

まず、彼らに、それに打ち込んで発展させるだけの
時間的、体力的ゆとりがあったとはとても思えない。

だから、それは貴族じゃないかと思っています。

ちょうど、ヨーロッパで、文化や学問を発展させたのが、貴族および
彼らに召抱えられた学者だったというのと同じで・・・。

「空手」も、ひとつの文化として扱われてたんじゃないかな?

確かに、その動きの中に、漁師や農民たちの文化が取り入れられていたと
しても・・・。
195T・S:02/07/18 16:42
>>194
んー?
私は漁民とか農民は想定していなかったですが……。
元々農具から改良された武器とか使っているから、そう言う話が出るとは思うですが。

琉球にいた貴族というと武士(ブサー)ですね。
かなーりたいはずですから、彼等が空手を構築したとしても別に不思議ではない……と。
「武の舞」を久々に読むと、どうやら貴族や上級士族は刀剣の所有を認められていたとあるです。

では禁武政策で発展したとされる唐手は、下級の武士か農民とかが作ったことになるのかな?

この辺はまだ研究の余地がある――っていうか、実は何もわかっていないんじゃあ……。
196ふにゃぽん:02/07/18 16:50
>>195
>この辺はまだ研究の余地がある――っていうか、実は何もわかっていないんじゃあ……。

そうですね。巷間で言われているように、刀を奪われた武士や農民たちが、
本当に「護身」という、実用的な目的で編み出したのか、
あるいは、上流階級の純粋な「文化」だったのか・・・。



197T・S:02/07/18 17:05
うーんと。
禁部政策は実は二度行われていて、一度目は尚真王の時代に中央集権体制を確立するためのものであったとか。
その後に奄美大島に出兵したとか言う話もあるし(尚元王時代)。
沖縄にいけば多くの人間が唐手を教えられるとか言う話を聞くと、上流階級のみの「文化」ではなかったんじゃないかなぁと……。
198世界@名無史さん:02/07/18 17:48
しかし、沖縄は独特の文化をもった土地。 中国武術の影響はあったとしても 手をはじめとする武術はかなり独特なものだと思う。
199T・S:02/07/18 22:49
んー。
でも「手」なんて実際あったのかなかったのか……。
御殿手はなぁ、確かに独特っちゃー独特だけど、出自が怪しいし。
いやね、あの朝基氏と組み手したこともあったというし、八光流の奥峰氏も「隠れたる空手の大家」として上原氏のことを書いてるし。
つーか、百近くであれだけ動けたら、強い弱いはどーでもよくなってくるです。
が、問題は、何処まで本当なのかということ。
厳密に歴史考証しようにも、伝書は朝勇氏に渡されたものがあったけど、戦火で燃えてしまったとか……。

とりあえず「手」があったにしても、果たしてどんなものだったものやら。
200ふにゃぽん:02/07/19 11:36
マンガ「雲の慶次」を思い出しますな・・・。(w

でも、沖縄時代の「空手家」に、剣の「宮本 武蔵」、合気道の「武田 惣角」のような
名人、達人はいなかったんでしょうか?

やはり、空手の歴史は、本土伝承後に始まると見るべきなのでしょうか?

で、少し話を戻しますが、巷間信じられているように、空手が、
「刀をとりあげられた武士や農民たちが、護身のために開発した」とするならば、
いったい「何から」身を護るためのものだったのでしょう?

中世の沖縄内は、民族間対立や、治安などが酷かったとは、あまり思えないが・・・。
201T・S:02/07/19 13:03
>>200
いたと思いますよ。
達人は。
何度も名前があがっている本部朝基なんかがそうだし。

何故に唐手が発展したかについては、やはり平和だったからでしう。
江戸時代の日本と同じ。

まあ、遊郭のハズレとかそういうところに合戦場があって、そこでツワモノが掛け試しと称して戦っていたとも言うけど。
江戸の日本でいうところの辻相撲の唐手版みたいなのがあったとも。

一応、沖縄相撲というのもあるんですけどね。
202ふにゃぽん:02/07/20 12:53
>>201
沖縄時代の空手に、本土で侍同士がやったような、「命懸けの決闘」というのは
なかったのでしょうか?

それと、「沖縄相撲」に関して、詳細キボンヌ。
203米好き:02/07/20 13:01
>>200
>で、少し話を戻しますが、巷間信じられているように、空手が、
>「刀をとりあげられた武士や農民たちが、護身のために開発した」とするならば、
>いったい「何から」身を護るためのものだったのでしょう?

>中世の沖縄内は、民族間対立や、治安などが酷かったとは、あまり思えないが・・・。

剣術も柔術も、江戸時代に完成されたと言われていますが、いったい何のために
必要だったのでしょうか?

江戸時代の日本は、民族間対立や、治安などが酷かったとは、あまり思えないが・・・
204米好き:02/07/20 13:16
>>177
>正拳突きをぴしっと甲を真上に決めるようになったのは、本土に入って体育課目
>とかなんたらを意識しだしてからとか。

細かいことですが、正拳突きで甲を上に向けるカタチが出来たのは沖縄時代ですよ。
空手を沖縄の体育科目に採用させるために作られた平安シリーズにおいて、所謂横
拳が型として定められたはず。

その証拠に、船越義珍先生が本土で紹介した時点で、正拳は横拳です。


逆にハンファンチは、本土紹介時点では腰が高いのに、後にあのどっしりとした騎
馬立ちになります。これは、本土に来てから型が変わった好例。
205a:02/07/20 13:17
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206米好き:02/07/20 13:20
203はネタです。

T・S氏の、"武術は平和な時代においてこそ発展する"というテーゼこそ、
なぜ禁武の時代に唐手が発展したか、の説明になるでしょう。

もちろん、その担い手がどの層だったのか、というのは依然として疑問ですが。

(新垣先生の「空手三国志」には取り上げられてなかったかな?)
207米好き:02/07/20 13:33
大陸(明?清?)の武官 公相君が伝えた型が今日のクーシャンクーとして
受け継がれていることを考えると、やはり空手は琉球王に仕えるブーサー
達のたしなみとして形成されていったのではないかな?
208米好き:02/07/20 13:34
で、薩摩藩による支配以降も、そのたしなみは続けられた、と
209ふにゃぽん:02/07/20 19:10
>>203
米好きさん。
>203はネタです。

そもネタレスに、いちおうマジレスをお返しすると、だいたいこうでしょう。

江戸時代の「武士」とは、まさに時代の事実上の支配者なわけで、
その彼らにとって、「刀」とはまさに、「具現化された己が象徴」、
あるいは、「命」そのものだったわけです。

そうした彼らにとって、「『刀』とは何か?」、「我々は、その『刀』にどう向き合うべきか?」
という問いは、まさに、「平和な時代」にあって、最も重要な、形而上的な問題だったと。

そうした「問い」に対して、まさに「道」という形で求道していったのが、
「剣道」という概念だったと。

これは、ちょうど西洋における中世に、その支配者層たる「司祭階級」の人間たちが、
「我々は、神に対してどうあるべきか?」「『神』をどう崇拝すべきか?」
という問いから、「神学」を発展させていったということと同じだと思われます。

「柔術」に関しては、よく解りませんが、それは、「剣道」に対して、副次的な関係に
あったので、江戸時代に、メインにはならなかったが、サブ的な問題として
省察されていったのでしょう。






210ふにゃぽん:02/07/20 19:15
>>209の続き。

なにせ、「柔術」に関しては、あの嘉納 ジゴロウ(字、判りません)
が、若かりし頃、(東大の書生時代)入門しようと、道場を探したが、
見つけるのに何ヶ月もかかったという話があります。
211T・S:02/07/20 21:00
>>202
賭け試しでは時に死者も出たとはいいますが、詳細はよく知らんです。
本部朝基はこれで有名を馳せ、「本部の猿御前」とか呼ばれたそーな(やっと資料がでてきたよ……)。

沖縄相撲は沖縄角力と書いてウチナージマと呼ぶ。
が、これは戦後、ルールが明文化されてから広まった名前だそーで、各地方によって呼び名があったらしい。
どうも角力とは言っても着衣式のレスリングみたいなもので、相手の背中を地面につけた者の方が勝ち。
ただし右四つに組み合った状態から始める。
土俵のようなものは設定されているけど、この外に出たら場外となって中央に戻ってやり直しだそうで。
現代のルールでは制限時間は二分。
212T・S:02/07/20 21:20
>>203
>剣術も柔術も、江戸時代に完成されたと言われていますが、いったい何のために
>必要だったのでしょうか?

うーむ。
こう言う言い方はかなり曖昧で具体性をかいているのだけど、武士のアイデェンデイティの維持のためじゃないかなぁと。
戦国時代が終わったあと、武士は効果的な得物の使用が廃れていきました。
長巻とか槍とか鎖鎌とか。
長巻や槍のような長柄の物は携帯の問題だと思うんですけど、鎖鎌のような得物は「外之物」と呼ばれ、武士の持つものではないみたいに思われる風潮が生まれたみたいです。
無論、現在にまでちゃんと伝承者はいるんですが。
問題はこれらは使用禁止にされたのではなく、「いつの間にかそうなった」ということです。
思うに武士とは何か――という問いかけが平和になってからなされたんじゃないでしょうか?
戦国時代は武士と農民の区別は曖昧でしたし、兵農分離がされたのもかなり後です。
武士が武士であるということを区分する必要などはなかったんじゃないでしょうか。
しかし平和になって支配階級になったとき、果たして武士とは何かという思索がなされ、そうした中の一環として武術がのこったのではないか、と。

……とまあ、長々しく掻いたけど、よーするにそれが「武士のたしなみ」みたいに思わせた何かがあったのではないか、みたいな。
えーと、“高貴な義務”って、英語でなんていいましたっけ?
そんな感じで。

それで何で刀が残ったのかについては色々とかんがえたのだけど、携帯の便利さからでしょう。
多分。

ついでに下のは別スレに私が書き込んだヤツのコピペ。
参考なまでに。

 考えてみれば、日本刀は刀なのに刀術とは言わずに剣術といいますね。
 一部例外もありますが。
 中国では刀を使えば「刀術」、剣を使えば「剣術」と明確に分かれているのに、日本ではそうではない。
 これは中国では刀と剣ははっきりと別系統の武器だったのに、日本刀が元々は諸刃の「剣」だったものから、時代を経ていつの間にか片刃の「刀」になっていったことが起因しているのではないか、と私はかねてから思っています。
 確証はないんですが。
 ただ、日本刀は元「剣」であり「刀」でもあるのではないか、と。
 そして日本人は「刀」よりも「剣」の方が格上の得物だとみなしているのではないかと。
 つまり「刀」を活用していく内に霊性みたいなのが鍛えられて「剣」となると考えていたのでは?
 
 ……半分以上妄想だけど。
 ただ、新陰流なんかでは「殺人刀」の上に「活人剣」があることから、「刀」より「剣」は書く上なのだと思っていたことは恐らく間違いないとは思うのだけど。
213T・S:02/07/20 21:29
ありゃ。
>>209ですでにレスが書かれていた。
掻くことなかったですな……。

>>210
>なにせ、「柔術」に関しては、あの嘉納 ジゴロウ(字、判りません)
>が、若かりし頃、(東大の書生時代)入門しようと、道場を探したが、
>見つけるのに何ヶ月もかかったという話があります。

そりゃあ時期が悪かったんでしょう。
文明開化のあの時代、武術家は随分と割り食ってたそうで。
剣術の方は撃拳興行とかやってたりしましたけど、柔術はそういうのなかったですから
……いや、なんかあったような気もするけど思いだせない。
ただ元々から柔術が拳に対してはマイナーというのはあったと思うのですが、それでも藤田西湖の調べたところでは、剣術は1247流あったのに対して、柔術が504流あったそうですから。
つーか、剣術が多すぎ。
214T・S:02/07/20 21:31
ちょい書き漏らし。
文明開化のあおりをくって柔術の道場とかたちゆかなくて、高名な流派の宗家が人力車とか引いていたこともあるそーで……。
215世界@名無史さん:02/07/20 21:41
加納治五郎が道場を探すのに苦労したのは 維新後の文明開化で武術が衰退していたからですね。
216世界@名無史さん:02/07/20 21:51
江戸時代の武士は実際には刀を抜くことは 滅多にありませんでした。 そこで徒手で相手を制する柔術も学んでいたのです。
217T・S:02/07/20 22:00
隠し武器の使い方とかも学べたし。
案外知らない人が多いけど、「寸鉄も身に帯びず」という言葉の寸鉄は、そのまんま小さな鉄と言う意味ではなく、そう言う名前の隠し武器です。
218ふにゃぽん:02/07/21 09:14
みなさん、レスありがとう。

ところで、日本の忍者は、全くの徒手空拳で闘えるなんらかの
「体術」を身に着けていたんでしょうな。

それは、「柔術」?

まさか、「骨法」じゃないよね。(w
219T・S:02/07/21 09:41
>>218
甲賀流第十四世・藤田西湖によれば、最初に砂を指で突く稽古をやらされて指先を鍛えるとか。
これは天井の梁などに指二本でつかまるためとかなんとか。
これで喉を突けば相手を一撃で絶命させえるとも。
詳しくは解らないのだけど、彼は祖父から剣術や柔術、鎖鎌などもやらされたとある。
ただ、武器をもっていないときの用意として南蛮殺倒流拳法などもやったとある。
基本的に無手での戦闘は考慮していなかったんじゃないかと。
実際、軍隊では武器を持っているのが前提となっているわけだし。
素手で立ち向かうというのは無謀もいいところっす。

ついでに戸隠流の初見良昭氏は虎倒流骨法術というのを使っていたと思うけど(資料を打ったので記憶だけで書いてる…)、これは堀辺センセーのそれとは全然全く関係ありません(^_^;
220米好き:02/07/21 09:51
>ふにゃぽん氏、T・S氏

沖縄における空手形成(not 那覇手)は、江戸期における剣術・柔術の形成
と背景は似ていたのではないでしょうか?

(空手が、沖縄のブサーたちによって形成された、という仮定にのった話で
すが)

王家に仕えるものたちが、「武」をたしなみとするのは当然。
そして沖縄のブサーたちにとっての「武」とは、日本本土の「武」というよ
りも、大陸の「武」であった。
ゆえに、大陸の武官公相君が伝えた「武」の技術も受け継がれ、より高めら
れた。
221米好き:02/07/21 09:58
「なぜ素手の技法が?」
という問いに対しては、

・大陸から伝わった「武」の技法に素手の技法が含まれていたこと
・禁武政策に合致していたこと

が挙げられる、という言い方にすれば無理がないのでは?と思います。
222米好き:02/07/21 10:03
平和な時代に形成される武術が、実用第一よりも象徴的な意味を追求したものになる
ということは、江戸期の武士達の「武」のたしなみが、槍でも、鉄砲でもなく剣術に
なったことからも示されると思います。

沖縄においては、本土の剣術にあたるものが、武器術を含んだ唐手だったのではない
でしょうか。

中華の影響を進んで受け入れた歴史を持つ沖縄のブサーたちにとって、象徴的な意味
を持ちえたのは、武器術を含んだ唐手だったのではないでしょうか。
223T・S:02/07/21 10:10
首里手の糸洲安恒の師である松村宗棍は、示現流の竜臣でもあったそうですが。
まあ、それはそれとして、本棚の置くから引っ張ってきた「古伝琉球唐手術」によると、首里手は首里の士族から生まれたもので、どうもその起源は北派の拳法であったらしい。
対して那覇手は中国福建省からの帰化人が伝えた南派拳法が琉球化したものとも。
泊手はどうもはっきりしないらしい。中国からの漂流民から教わった術を泊の隠れ武士が密かに伝えていたものと思われる――とか。
それぞれの風格は本来全然別のものであったらしく、一緒にしてはならないという言葉もあるそうな。
でも現在は那覇手の流れが主流っぽいとも。
224米好き:02/07/21 10:13
那覇手は、明治以降なのでは?
上地流、剛柔流以前に那覇手というのはあったのですか?
225米好き:02/07/21 10:18
>>223
>松村宗棍は、示現流の竜臣でもあったそうですが

松村宗棍こそ、剣の宮本武蔵にあたるような、唐手の達人と呼んでよい人でしょうね。
この人によって、示現流の影響(掛け声、巻き藁)が唐手に導入されたとの指摘もある
ようですね。

支配者である薩摩の剣術を学んだ松村宗棍という存在は、沖縄武士の中で一般的だった
のか、特殊だったのか、分かりますか?
226T・S:02/07/21 10:28
那覇手の発展は一応それ以降になるのだけど、原型として、みたいなものでないかな?
帰化人の村、久米村に伝えられた武術を尚寧王の柵封を祝う祝賀行事の演目として演武したとあるそうで(1867年)。
ただしこれらの武術は那覇の士族以外には伝授することを一切禁止していたとか。
維新後に新垣氏に伝えられた東恩納屋寛量や復権に亡命していた湖城家の子孫によって体系化されていったという。

つーか、唐手の歴史は大体が古くて新しいものなのだから、明治前後だからといって差別してあげなくても……。
227T・S:02/07/21 10:33
>>225
うーむむむむむ。
どうも首里の上級士族は武器の携帯とかは(登録制ですが)赦されていたそうですから、剣術を使っていた武士は結構いたかも。
上原清吉氏は師である本部朝勇氏(朝基の兄)に所有する数々の刀剣を見せられ、伝授されたというそうです。
何せ御殿手には居合術もあるし。
出自については何度もいうようによー解らんですが。
まあ、それはいいとして、首里の武士の間では剣術もけっこうやっていたんじゃないかなぁと、
228T・S:02/07/21 10:37
薩摩の武士は唐手を「学ぶにあたわず」といっていたと言う話もあるからなぁ……。
もしかしたら押し付けがましく示現流の道場とかあったのかも。

――とはいいつつも、示現流って、薩摩でも上級士族の剣術だったんですよねぇ。
うーむ。
229T・S:02/07/21 12:05
うが!
調べ直したら、松村宗棍は薩摩からの琉球にいる在番奉行・渋谷三左衛門にその武再を見込まれて「立ち木打ち」を始めとする示現流を学んだとある。
それから鹿児島にある琉球役人の駐在所「琉球館」に派遣された時も、伊集院弥八郎の道場にて二年の修業の果てに免許までもらっているとか。

ついでにこの人は北京に赴いて剣術の試合を何度もしていたらしい。
八卦門に伝わる系譜雑記には、かつて北京にやってきて試合で不敗を誇った琉球人の話を載せているけど、これはまず松村宗棍に間違いないとか。
「格闘技の歴史」によれば、琉球の士分で二本剣術を納めた者は他にはいない云々……とか。

そー言う訳で、>>227>>228はさらっと流しておいてね(^_^;
(やっぱり資料を見て書かないとダメだねぇ〜)
230ふにゃぽん:02/07/21 13:00
T.Sさん。
空手は、確か本土に上陸した時点で、「寸止め」ルールだったと思うけど、
このルールは、沖縄でも主流だったんでしょうかね?
231米好き:02/07/21 22:05
>>230
ご指名ではないですが、私が。

本土に上陸した時の船越義珍先生の稽古は型の繰り返しがほとんどで、寸止めルール
の基になった、型分解の一本組手もなかったようですよ。

本土紹介時は型練習のみ、後に剣道、柔道の影響を受けて一本組手が稽古体系に取り
組まれ、一本組手が試合化されて寸止めルールになりました。

本土紹介時に寸止めルールがあったという前提が違うと思われます。
232T・S:02/07/21 22:23
>>231
どうもありがとうございます。

なんか資料漁ったんだけど、試合のルールとか書いたものが見当たらなかったもので、きっと米好きさんが書いて下さると待っていました(笑)

まあ、聞いた話ですが、そもそもからして寸止めと言う言葉からしてフルコン派が伝統派を読んだ蔑称みたいなものだったとか。
大乗仏教がそれまでのを小乗と呼ぶようなもの?
233米好き:02/07/21 22:34
>>229

レス遅れました。
いやはや、松村宗棍は凄まじい達人だったんですね。
琉球人が日本の剣術を学び北京でその腕を披露した、というのも、大陸と日本の
間でその双方に影響され掛け橋となった琉球らしさを漂わせるエピソードですね。

ただ、どうやら示現流に限って言えば、琉球のブサーたち一般が習えたわけでは
ないようですね。

でも、T・S氏が書いているように、御殿手に残る剣術を見ると、琉球に剣術が無
かったとするのは間違いかもしれませんね。
234米好き:02/07/21 22:41
たしか、亀の甲羅を盾にした剣術もありましたよね、琉球には?
あれって大陸の影響という気がします。

秀吉の朝鮮出兵時の明側の文献には、盾を使う明・朝鮮軍と、盾を持たず
両手で剣を振るう日本軍で、日本軍の剣術の方が強かった、との指摘があ
るそうですから
235T・S:02/07/21 22:55
>>233
しかも松村宗棍って人は、「自分は流派では中位程度の腕前である」と中国でいい、さらに他の流派についても「私は語るべき立場にはないが、我が流に劣るものではない」と宣伝してくれちゃってます(笑)
示現流の最高位四段まで得ていた人が……謙遜もいいところ。
ついでにこのコメントのおかげで、「日本の剣術は静止して動かず、一瞬電光の間に勝負を決する恐ろしい刀法である。しかし、その技倆にたっするためには中国の武術家より十倍以上の厳しい稽古を積まねばならない」などという評価を得てしまったみたいです。
相手したのは北京の善撲宮にいた腕自慢の師範達ということだから、よほどに凄まじかったとみえる……。

ちなみにこの人、今野センセーの「惣角流浪」に登場して武田惣角に影響を与えるというやくどころでした(^_^;
236T・S:02/07/21 23:04
>>234
戚継光も同様のことを倭寇に対して述べていたような。
両手に長刀を持った日本人の方が盾と剣をもった明の兵士よか有利であるとかどうとか。

前述しましたが、蛾媚山の剣や崇山少林寺の棍と並び称されたとか。
清なんか初期の軍隊では苗刀を採用しましたが、これは中国式日本刀と呼ぶべき得物で、その用法は陰流の影響が見えるとか。
ついでに陰流は倭寇にも加わっていた熊野八幡と縁がある愛洲移香斎が開祖。
237米好き:02/07/21 23:17
日本の剣術が逆に大陸に影響を与えていた、というのは面白いですね。

文化的影響は常に大陸⇒日本の流れだったという先入観がありますが、
近代以前に逆の例もあったとは。
238T・S:02/07/21 23:21
倭寇以外にも研究されていたみたいで、ちょっと手元にないからうろ覚えですが、向こうの資料には明らかに日本の剣術の流派から引き写したようなイラストがかなりあるそーです。
流派の詳細は……ちょっとわからないですが。
239ふにゃぽん:02/07/22 07:16
T・Sさん。米好きさん。ありがとう。

ちと、スレ違いになるかもしれませんが、マンガ「るろうに剣心」
で読んだんですが、大陸には、「和刀」という、日本刀とちがって、
刀身にソリのない、ぶっとい刀があるみたいですね。

なんでも、「倭寇」の時代に、日本からむこうに伝わったとか・・・。

日本刀の形態も、時代により変化しているのかな?

それと、あちらでは「和刀術」などという技術体系が存在するのかな?
240ふにゃぽん:02/07/22 07:22
>>231
米好きさん。

>本土に上陸した時の船越義珍先生の稽古は型の繰り返しがほとんどで、寸止めルール
>の基になった、型分解の一本組手もなかったようですよ。

すると、元来空手には、組手さえなかった?

それじゃあ、沖縄時代はどうやって「試合」をしていたんでしょう?
241米好き:02/07/22 07:28
>>240
>すると、元来空手には、組手さえなかった?
>それじゃあ、沖縄時代はどうやって「試合」をしていたんでしょう?

即レスです。
空手は、基本、組手、型が三大要素なんて言われますが、基本も組手も本土生まれです。
沖縄時代は、型分解すら行われなかったと言います。
だからこそ、型の解釈がバラバラになったと。

沖縄時代の空手の「試合」ですが、非合法の「掛け試し」と呼ばれるものは存在しました
が、公式の試合は存在しませんでした。そのためもあり、ルールが整備されることもあり
ませんでした。

え、「掛け試し」のルール?
ぶっちゃけ、対マンだったんじゃないかと思いますよ。
242米好き:02/07/22 07:39
あ、今調べなおしたら、1905年時点(空手の本土紹介は1922年)で、
「空手組手編」という本があった模様。
もしや、一本組手レベルは、沖縄時代にあったのかも。

ただ、自由組手については、1929年の東大生たちによる試みが最初みたいで
すね。たしか、この試みに、船越先生は激怒したとか。
243T・S:02/07/22 08:41
>>239
>>226参照のこと。苗刀というのがそれ。
苗の形をしている刀とのこと。
見た感じそんなに似てなたですけど。
るろ剣のあれは一応、「中国武術史大観」を参照にしているらしいのだけど、あれは持ってないからなんともコメントしづらい……。
244T・S:02/07/22 09:29
>>242
本を読み返してみると、本部朝基は兄と変手(組手)をして勝てなかったので掛け試しをどうこう――とありました。
沖縄では「変手」と読んでいたみたいです。
ただし、どんなものかは解りません。

>1905年時点(空手の本土紹介は1922年)で、
>「空手組手編」という本があった模様。

「空手」の名称が出たのは昭和十年とあるから、1905年に「空手組手編」はちょっとないんじゃないかな…。
本部朝基が大正十五年(1925年)に小冊子で「琉球拳法唐手術・組手編」という本を出してはいるようだけど。

唐手に試合が行われるようになったのは、大日本武徳会からの要請(?)もあったらしい。
その当時は柔道の一部門としてしか認知されていなかったために昇段審査には柔道家や剣道家があたったのだが、日本の武十かにとっては単独での型の演武というものは解りにくく、それがどこまで実用できるかが疑問視されたのだという。

まあ、試合形式を取り入れることによって、唐手から解脱法とか失われていったのはどうもねぇ……。
245ふにゃぽん:02/07/22 19:15
>>243 T・Sさん。
>るろ剣のあれは一応、「中国武術史大観」を参照にしているらしいのだけど、あれは持ってないからなんともコメントしづらい……。

そういえば、中国の刀といえば、思い出す「青龍刀」は、
純粋な戦争のための武器なのかな?

武術や、芸術のためのものではなく?

それと、メチャクチャ本質的な問題になりますが、日本の「居合」と「剣道」
に、当初から、なんらかの区別があったんでしょうか?

>>244
>唐手から解脱法とか失われていったのはどうもねぇ……。

「解脱法」とは?



246ふにゃぽん:02/07/22 19:26
>>241
米好きさん。

レスの順番が、T・Sさんと入れ替わってスマソです。

即レスありがとう。

>空手は、基本、組手、型が三大要素なんて言われますが、基本も組手も本土生まれです。

ということは、前に私がネタを振ったときに、レスをもらえなかった
質問なんですが、「武道」にさして関心のない一般人が、「空手」と聞いて、
まず最初に連想する基本動作、「『騎馬立ち』気味に立って、両方の拳を、左右交互に、
かつ対称に、脇を締めながら、唸らせるようにして、前に突き出す」
という運動は、「made in Japan」なんですか?

私は、てっきり、あの動きは、中国拳法のものだと思っていたんですが・・・」


247世界@名無史さん:02/07/22 19:51
>>245
居合はどう考えたって
戦争の技術とは言えん罠。
248T・S:02/07/22 21:25
>>245
>そういえば、中国の刀といえば、思い出す「青龍刀」は、
>純粋な戦争のための武器なのかな?

純粋な戦争というのがそもそもあれなんですけど、まあ、中国では武器ごとに使用法が限定されていて――ってーか、使用法ごとに武器があるというか。
剣や槍のようなポビュラーな兵器や武器ではまた色々とあるんだけど。

>それと、メチャクチャ本質的な問題になりますが、日本の「居合」と「剣道」
>に、当初から、なんらかの区別があったんでしょうか?

ねえっす。
抜刀術の祖流であるところのはや林崎流では抜いた後の戦闘法も伝わっているし。
ト伝より「一の太刀」を伝授されたともいう。
創成期では「刀を使った一技法」に過ぎなかったんでしょう。

>>唐手から解脱法とか失われていったのはどうもねぇ……。
>「解脱法」とは?

相手につかまれていた場合、それを振り解いたり逆手を取ったりするような技法。
よーするに柔術的な技のこと。
ちなみに柔術ではまず最初に捕まれた手を外す技から学ぶ。
これを「手解き」といい、まず最初に教えることを「手解きをする」というようになったのはそれからとか。
249米好き:02/07/23 01:09
>>246
>まず最初に連想する基本動作、「『騎馬立ち』気味に立って、両方の拳を、左右交互に、
>かつ対称に、脇を締めながら、唸らせるようにして、前に突き出す」
>という運動は、「made in Japan」なんですか?

レス遅れました。
騎馬立ちでの正拳突き。これは剛柔流の型にある動きですから、メイド・イン・チャイナ
ですよ。

誤解を招いてしまいました。
所謂空手の基本稽古は、全て型にある動きを取り出したものです。

『型の連続挙動のなかから、重要な挙動を抽出して、基本稽古として再構成したのは本土
での改良(悪)だった』というのが、本当のところです。
250米好き:02/07/23 01:15
>>244
>「空手」の名称が出たのは昭和十年とあるから、1905年に「空手組手編」はちょっとないんじゃないかな…。

http://www2.tokai.or.jp/jkka/untiku/k_history.htm
ここで見たのですが、確かにご指摘の通り、胡散臭いですね。
せめて、「唐手組手」の間違いなら、組手の語を遡る手がかりにはなりそうなのですが

>本部朝基が大正十五年(1925年)に小冊子で「琉球拳法唐手術・組手編」という本を出してはいるようだけど。

本部朝基の指導法を見れば、彼の言う組手がどんなものか分かりますね。
その本って復刻されてませんでしたっけ?

約束組手的なものか、はたまた自由組手的なものなのか。
251米好き:02/07/23 01:25
しかし、松村宗棍の活躍ぶりを知ってみると、武術に関しては、
日本>>大陸
という気がしてくるなあ。
(拳児ファンに怒られそうだが)

となると、大陸武術のイミテーションであった琉球の唐手は、
日本本土の武術>大陸武術>琉球唐手
になってしまうんじゃないか・・・

と、ふとそんなことを思ってしまった。
252T・S:02/07/23 01:58
>>250
http://www2.tokai.or.jp/jkka/untiku/k_history.htm
>ここで見たのですが、確かにご指摘の通り、胡散臭いですね。

んー?
船越義珍と本部朝基が一部ごっちゃになってる?
いや、気のせいかな……。

>本部朝基の指導法を見れば、彼の言う組手がどんなものか分かりますね。
>その本って復刻されてませんでしたっけ?

 確かBAB出版局から復刻していたよーな…。
「私の唐手術」だったっけ?
253T・S:02/07/23 02:04
>>251
>しかし、松村宗棍の活躍ぶりを知ってみると、武術に関しては、
>日本>>大陸
>という気がしてくるなあ。
>(拳児ファンに怒られそうだが)

一部の人の実力で全体のランク付けはできんでしょう。
つーか、示現流の戦闘法は最高位まで達していた人間自体が歴史上少ないってぐらいなんだし……。
予備知識とかあったり、よほどに優れているとかじゃないとどーにもならんでしょう。
逆に松村宗棍には中国武十の予備知識はたっぷりあった訳だし。

比べる条件が不公平。
254米好き:02/07/23 07:29
>>252
>船越義珍と本部朝基が一部ごっちゃになってる?

そうですか?
このサイトの方は、日本空手協会原理主義者だから、この二人を混同することは
してないと思います。

>>253
>一部の人の実力で全体のランク付けはできんでしょう。

もちろん、そうなのですが、松村宗棍と朝鮮出兵時の日本軍の剣術に対する評価
なども加味して・・・。

いや、空手をやっているとですね、
「これって、失伝しまくりの中国武術だな」
「失伝してしまった技法を、試合形式導入によって生み出されたテクニックで補って
いるだけではないか」
と疑問に思うことが多々あるのです。

では、失伝しなかった状態の中国武術はどれだけ強かったのか?と考えると、おやおや、
日本本土の武術に負けておるではありませんか・・・。
255世界@名無史さん:02/07/23 10:59
ジークンドーはホンマに強かったの?
256T・S:02/07/23 11:07
>>254
>>船越義珍と本部朝基が一部ごっちゃになってる?
>そうですか?
>このサイトの方は、日本空手協会原理主義者だから、この二人を混同することは
>してないと思います。

いや、ただの勘違いです。
 
まあ、それはそれとして、戦前では意図的なものかどうかは別として、講談でロシア人ボクサーを倒したのが船越義珍の事跡にされていたりという混同がちょくちょくあったと聞いたことがあるので……。
詳細は知らないけど。

>いや、空手をやっているとですね、
>「これって、失伝しまくりの中国武術だな」
>「失伝してしまった技法を、試合形式導入によって生み出されたテクニックで補って
>いるだけではないか」
>と疑問に思うことが多々あるのです。

んむむむむむむ。
どーなんでしょうねぇ。
そも試合て生み出されたテクニックって、ルールによって生み出されたということとほぼイコールですから、試合以外では使えない場合もあると思うですが。
よほど喧嘩なれした人間とかはまた別なんでしょうけど。

>では、失伝しなかった状態の中国武術はどれだけ強かったのか?と考えると、おやおや、
>日本本土の武術に負けておるではありませんか・・・。

そんなこと言い出したら、日本の武術家が中国の武術家に負けたという話だってあるし。
それに系譜雑記には、
「日本の剣術は静止して動かず、一瞬電光の間に勝負を決する恐ろしい刀法である。しかし、その技倆にたっするためには中国の武術家より十倍以上の厳しい稽古を積まねばならない」
とあるけど、その後で「そのため名人は少ないが、琉球にきた日本剣術を使う者が…」と続いていったりしてますので。
鍛えたらかなりの数がある程度はものになる武術と、何十人かに一人が不敗の名人になれるかも、という武術とではどっちに価値があるかというと、さて。
それにこの場合、上でも書いたけど松村宗棍は中国武術の知識があったのに対し、北京側では日本剣術――特に示現流についての予備知識はまずなかっただろうし。
比較対象にするにはちと問題ありまくり。
特に示現流はさあ。
薬丸流に比べたらまだしも技巧的だけど、絶対的な一撃の追及をした、いわば「拳児」にでてくる心意六合拳みたいな功夫重視の剣術だし。
技巧とか何よりも、私は錬度の方が問題だと思うとです。

ああ、こんなこと武道武芸板で書いたら、厨として叩かれまくられるのが目に見えているけど(笑)
つーか、中国武術擁護した時点でダメダメ?
 
257ふにゃぽん:02/07/23 11:10
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
258T・S:02/07/23 20:17
んー。
なんか唐手関係ばっかになってきたので、ちょいと修正を。

>>211で沖縄角力を書いたけど、これは相撲というよりは着衣式のレスリングっぽい。
これは公相君が伝えたという組合術から発達したものかどうかは解らない。
むしろ南方ではこのような相撲なのか?
東南アジアからオセアニアにかけての相撲(レスリング)に詳しい人は、ちょっと教えて欲しいです。
259T・S:02/07/23 20:45
>>255
ブルース・リーは元々武術家だったといいますが……。
強かったのかどうかは知らないです。
ある程度の水準には達していたとは思うですが。
ちなみにリーは名前をつけると言う行為自体が存在を規定して縛るように思え、後に友人が口にした「JKD」という言葉がいたく気に入り、彼は日常でも「素晴らしい」とか「優れている」というような感じて使っていたとか。
例:「なあ、今の女、実にJKDだと思わないか?」「ああ、JKDだ」
…………。
まあ、フィーリング的なものとして、ね(汗
260ふにゃぽん:02/07/24 14:23
>>258
>なんか唐手関係ばっかになってきたので、ちょいと修正を。

T・Sさん。再び空手の話題に戻して申し訳ない。
>『型の連続挙動のなかから、重要な挙動を抽出して、基本稽古として再構成したのは本土
>での改良(悪)だった』というのが、本当のところです。

空手が、本土に伝承された際には、技、それも基本的な動きに対しては、
剣道の技術が取り入れられたんでしょうか?

というのは、「沖縄」の名残りを残した流派、例えば「ジョウチ流」(字、忘れた)
などは、基本の立ち方、前屈立ちにを取っても、いわゆる「猫足立ち」なのに対し、
本土での再編成を前提としている流派、「松涛館」や「玄和会」などのそれは、
前足により重心をかけ、後ろ足をピンと張らせますね。

あれなんかは、剣道の「基本立ち」から来ているように見えますが・・・。
261ふにゃぽん:02/07/24 14:49
>>259
ブルース・りーの武道家としての実力に関しては、
武道板で長い間議論が交わされていました。

まだ、スレが残っているはずですので、見にいったら?
262ふにゃぽん:02/07/24 14:57
>>258
>むしろ南方ではこのような相撲なのか?
>東南アジアからオセアニアにかけての相撲(レスリング)に詳しい人は、ちょっと教えて欲しいです。

確かに、南方系の相撲というのは、あまり思い浮かびませんな。

打撃系だったら、「カラリパヤット」とか「シラット」とかあるみたいだけど・・・。

263世界@名無史さん:02/07/24 15:17
北インドには「クシティー」って相撲みたいなやつなかった?
イランのズルハネっぽい鍛錬法するやつ。
お釈迦様も相撲とってたらしいし。
「図説インド神秘図鑑」に書いてあったと思う。
264世界@名無史さん:02/07/24 16:40
非常に興味深いスレです。 一撃必殺の薩摩示現流と沖縄空手。 他に類をみない立木打の稽古法。(中拳にはない) この二つを繋ぐ人物が実在したとは。
265世界@名無史さん:02/07/24 16:47
示現流は、一撃必殺っていうか、一発目を外したらヤバイんですけどね。
新撰組でも「1発目は何としても外せ、そうすれば勝てる」と
教えてた。
266世界@名無史さん:02/07/24 16:48
沖縄相撲については朝鮮相撲との類似性が言われています。 また、過去の発言に中国拳法が護身術から発展のよいな発言がありますが これは日本の武術と混同してしまっているようですね。
267世界@名無史さん:02/07/24 16:54
そうすれば勝てる とは言ってないと思います。 新選組の話は示現流の初太刀の恐ろしさを語ったものだと記憶しています。
268世界@名無史さん:02/07/24 16:59
ま、剣術なんてどーでもいいんですけどね。このスレ的には。
269T・S:02/07/24 18:00
>>260
ジョウチ流は上地流ですね上地流ハンガイヌーン拳法というそうですが。

剣道の影響はあったでしょう。
そも本土では剣術家とかとの交流も十分考えられるし。
和道流の開祖なんて柔術をさきにやってるし。
270T・S:02/07/24 20:14
>>269
>ジョウチ流は上地流ですね上地流ハンガイヌーン拳法というそうですが。

は、かつては、でした。
すまんです。

>>261
>ブルース・りーの武道家としての実力に関しては、
>武道板で長い間議論が交わされていました。

>まだ、スレが残っているはずですので、見にいったら?

武道武芸版はねぇ。
あの世界に関わる者の暗黒面を必要以上に見せられるから……。
勘弁してちょ。

>>263
>北インドには「クシティー」って相撲みたいなやつなかった?
>イランのズルハネっぽい鍛錬法するやつ。
>お釈迦様も相撲とってたらしいし。
>「図説インド神秘図鑑」に書いてあったと思う。

ありがとうございます。
インドの相撲ってどんですかね?
釈迦がやっていたのは古代ですから、殴る蹴るありのどうも拳法みたいなものだったらしいですが。

271T・S:02/07/24 20:40
>>264
松村宗棍は伝説的な人物ではあるけど、今ひとつ現代ではマイナーですからねぇ。
私も小説とかで出ているのを見たのは、今野敏の「惣角流浪」ぐらいしか知りませんし。
もっと他にも出ているとは思うですが……。
私も彼を知って「それでチェストーなんて掛け声だしているのか」とスゲー納得した覚えがあったり。

>>265
言ってなかったと思うデス。
まあ、「受けたら死ぬから逃げろ」なんて言えないから、そう言って励ましたってのはあるかも。

>>266
韓国相撲と……。
やはり着衣式のそれはモンゴルとかの北方系の相撲と考えるべき?
しかし沖縄になんで……。
そういえば公相君は「組合術」を伝えたというけど、現代に残る公相君の型は北派っぽいというしなぁ。
そっちの関連かな。

>>267
「受けたら死ぬ」との忠告だったと考えるべきですよねぇ。
西南戦争の時は嘘か本当か、受けた刀の峰が額にめり込んで死んだ政府軍の兵士が結構いたとか。
ただ、ここで近藤が言っているのは示現流とは書いていても、野太刀(薬丸)自顕流のことなんだけどね。

>>268
んー。
体術は武器術の発展と共にある場合もあるから、一概に関係ないとは……。
それに立ち木打ちのやり方は、示現流と空手の正拳突きは腰の回転とかをベースにしている分かなり近いと思うです。
もしも松村宗棍が示現流をやっていなかったら、唐手は打撃よか投げ関節とかの技が多い、柔術っぽくなっていたかもとか思ったり。
まあ、そう言う可能性も、という話。
ちなみに前述した野太刀(薬丸)自顕流は示現流とは懺悔器の理論からして違っているし、立ち木打ちではなく横木打ちだったりするのですが。
272T・S:02/07/24 20:44
>>271
懺悔器 ×
斬撃 ○

――すんません。
273米好き:02/07/25 01:51
>>260
>というのは、「沖縄」の名残りを残した流派、例えば「ジョウチ流」(字、忘れた)
>などは、基本の立ち方、前屈立ちにを取っても、いわゆる「猫足立ち」なのに対し、
>本土での再編成を前提としている流派、「松涛館」や「玄和会」などのそれは、
>前足により重心をかけ、後ろ足をピンと張らせますね。

本土に入ってからデフォルメ化されたことはあると思うのですが、上地流と松涛館の
重心の置き方の違いは、沖縄時代の、那覇手と首里手の差だったんじゃいないかって
気はします。

きざみ突き、追い突き(どちらも本土でつけられた名前だと思いますが)を大切にす
ればこそ、首里手の重心は前足なんじゃないですかね。
274米好き:02/07/25 01:54
確か、前屈立ち、後屈立ちっていう立ち方の名前も、本土に来てから付けられたんじゃ
なかったかなあ。

ちなみに、松涛館と剛柔流では、後屈立ちが全然違う・・・
275263:02/07/25 14:09
>>270
正直、南インドのカラリパヤットの方が興味あったのであんまりよく読んでません。
でも、相撲の<撲>は殴るという意味だから相撲と言っても打撃があった云々とか書いてあったような気が・・・
とにかく、組み技の技術より、ズルハネっぽい鍛錬法の方に惹かれました。
クシティーは北インドで盛んだということなので,民族的にイランと近いから鍛錬方も似ているんでしょうか?
276ふにゃぽん:02/07/25 15:18
>>275
>正直、南インドのカラリパヤットの方が興味あったのであんまりよく読んでません。

10年以上前、村上 弘明だったか、名高 達郎が、「カラリパヤット」の名人と
出演している、強壮剤のCMがありましたね。
(頭上1メートルくらいのところに、ぶら下げられているバスケットボールの
ようなものを、二段蹴りであてるやつ)

あの武術のことを知っている方、レスきぼんぬ。
277T・S:02/07/25 16:12
>>275
まあ、相撲(レスリング)と言えば組み技オンリーって訳ではないですからねぇ。
日本の相撲にだって打撃はあるし。
そう言えばさっき思い出したけど、ヒンズー・スクワットってのは力道山がインドレスリングから採り入れたとか聞いたなあ。

>>276
カラリパヤットについては昔もってた本にちょびっと。
あとは世界丸見えでちょいでてたですね。
何でも刀術、兵法、等を含めた総合的なものらしい。
映像では関節を取っての四方投げのような技もやってた。
あと穴から飛び出る鍛錬とかもみたです。
また本棚を調べて見るですけど、期待せんでてください・・・・・・。
278263:02/07/27 00:32
>>276
カラリパヤットについては、「図説インド神秘図鑑」が一番詳しいと思う。
まず、体術(詳しい説明はなかったけど、格闘術そのものではなく、
体の使い方を学ぶものらしい。徒手だけの長拳みたいなもの?)
を学んで、武器術に移行し、最後に格闘術を学ぶそうです。
また、インドの伝統医術「アーユル・ヴェーダ」も併習するため、
カラリパヤットの達人は名医でもあるそうです。

>>277
カラリパヤットはふしぎ発見で、276が書いた「いやはや鳥人!」をやってました。
世界まる見えのは5年ほど前ですね。
柔軟でみたこともない動きをするのと、曲がりくねった刀が印象的でした。
また、10年近く前の衛星第二で、松浪健四郎と浜口京子が共演して、
世界の格闘技を解説する番組で、ヒンズースクワットがインド起源だといってました。
「だから<ヒンズー>スクワットなのか!」と妙に納得した覚えがあります。
279世界@名無史さん:02/07/27 00:32
ところで、名古屋近辺に在住のかた。
八月にブラジルからカポエラの先生が来て講習会を開くそうです。
漫画チックなう噂しか伝わってこないカポエラを詳しく知るチャンスですね。
詳しくは、http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9701/
に書いてありました。
興味がある人はいってみるといいかも。
280世界@名無史さん:02/07/27 01:02
>>279
わー、見に行きてえ。でも遠すぎ・・・
誰か名古屋近辺の方頼みます。
281世界@名無史さん:02/07/27 14:39
カポエラといえばリチャード・メイヤー。餓狼伝説。
282T・S:02/07/27 23:04
>>278
>また、インドの伝統医術「アーユル・ヴェーダ」も併習するため、
>カラリパヤットの達人は名医でもあるそうです。

ふむふむ。
中国武術家は漢方医を兼ねる場合も多かったといいますからな(別にウォン・フェイフォンが特別だっと訳ではない)。
日本の柔術家も骨接ぎの技能をもっているし。
そういう鍛錬と医療の関係はインドが起源なのかな?

>10年近く前の衛星第二で、松浪健四郎と浜口京子が共演して、

ああ、あの「格闘技バイブル」の作者ですな。

>>279
んー。
なんか日本でいう祭りでの「棒の手」みたいなかんじですな。
見たいとは思うけど、遠い……。
283世界@名無史さん:02/07/27 23:43
ところで格闘技といえば筋肉トレーニングですが、
古代ギリシャやローマ、あとインドでは一体どういう
トレーニングをしていたのでしょう?案外この頃から
柔道部とかでやってる手押し車とか空気椅子とかで
腕や脚を鍛えていたのでしょうかね?
(武道板やスポーツ板ではまともに答えてくれそうも
ないのでここで聞いてみたいです)
284T・S:02/07/27 23:50
>>283
とりあえず、ヒンズースクワットはインド起源と(笑)
腕立て伏せは虎伏――だったかな?
そんな名前で中国でもあったと思うですが。

しかしトレーニング法の起源かぁ……。
これはこれで盲点かも。

ちょい調べてみるですが、多分、日本とか中国しかわからないと思います。
資料が偏っているので。
あるいは全然解らない可能性も。

インド・ギリシャ辺りは私も知りたいです。
誰か書いて欲しいです。実際の話。
285世界@名無史さん:02/07/28 02:34
昔テレビで見たカラリパヤットの修練法に「ワニ歩き」ってのがありました。
腕立て伏せの姿勢でホッピングするように前後に移動する、っていう内容でしたが、
自分でやって見たらこれがえらくキツく、胸筋・腹筋・背筋まで鍛えられる感じがしましたね。

あと昔何かの本で読んだのですが、武術において門外不出の秘伝とされているものが筋力鍛錬法であった事もあるとか。
単に腕立て伏せを知っているということも、近代以前の勝負においては大きなファクターたりえたのではないでしょうか。
歴史的に古いかどうかは知りませんが、片足前傾姿勢で行う「ブルガリアンスクワット」というのを聞いた事があります。
あるいはパキスタンのコシティという棍棒を振り回す鍛錬法とか、各民族に独特の鍛え方はあるようですね。
286YP:02/07/28 03:46
トレーニング法・・
ひたすら薪割りとか、酒樽、小麦袋(米俵)担いで歩くとか・・
これじゃあ昔の人馬鹿にし過ぎ?

ランニングなんか想像しにくいですが、あったのかな?
287世界@名無史さん:02/07/28 03:54
鎧を着込んでランニングってのがあったと聞いたことがあります
288283:02/07/28 18:01
284〜287
為になるご回答ありがとうございます。

わたし自身もきょうは図書館で調べたのですが、
古代ギリシャ人は手足に関わりなく資質のなかで最も
軍事的なのは肉体全体の活動と考えていたようです。

敵から逃げるにせよ捕らえるにせよ、必要なのは
俊足で、そして肉弾戦になれば活力とパワーの
必要性を重要視していたとのこと。肉体の美的胴鎧
としての賛美がが古代男性の像でも見かける
ヌードでのアピールにもあらわれています。
なお、鍛錬所にはヘルメスの像が神棚に祭られていた
そうです。

でもこのような張り詰めた筋肉と洗練された姿勢も、
運動選手や能力のある戦士の印も、
実用性を伴う肉体に対する審美眼も
霊主体従のキリスト教の台頭によって重視されることは
なくなってしまったみたいです。

あとどういう鍛錬がなされていたのかまでは詳しく調べられなかったのは
残念。ただ、古代ギリシャにもローマにも鉄亜鈴ならぬ
石亜鈴があったとのことです。形態はちょうど沖縄唐手
で使うチーシー(力石)とそっくりです。それと
自分を負荷にしての現代の体操競技のような
方法が軍隊の練兵所に置いてあったようです。
ちょうど吊革とかうんてん棒みたいなものです。

いまはこんなところです。皆様、後をよろしく。
289カーマ・スートラ(278):02/07/28 23:39
数字打ち込むのがめんどくさくなったのでこのスレはカーマスートラで行きます。

古代の鍛錬法といえば、
ギリシャでは、子牛を持ち上げている壁画だか石版があるそうです。
成長する子牛を持ち上げることで負荷を上げることができるので、
自然に筋力の増強もできるとか。

日本では、忍者が葦を植えて、毎日それを飛び越していたそうです。
葦は生長がはやいので、跳躍力の鍛錬になったと言う話です。

どちらもうろ覚えなので違っているかもしれません。こんな話もあるよぐらいに聞いてください。

ところで、279の講習会にいける人っていないんですかねえ・・・
おれも行って見たいんだけど・・・・
「カポエイラ入門」みて我慢するか。

>>282
「棒の手」ってなんですか?
290YP:02/07/28 23:55
カポエイラについては2年前くらいに都内のどっかで講習会やっ
てましたよ。 友人が行ったような覚えがある。
俺は格闘技はよく判らないんですけど、
ハンセン&ブロディのタッグ以上に凄いものってこの世にあるん
すかね?
291T・S:02/07/29 04:57
>>289
棒術のことだと思えば話は早いですが、民間の祭りの時などで棒を振り回して型を演舞することがあり、そーいうのを「棒の手」と呼んだり呼ばなかったり。
まあ、本当にただの「型」なんですが。
うろ覚えなのでもうちょっと詳しく調べてきます。

忍者の鍛錬については少し上で書きましたが、甲賀流第十四世を名乗っていた藤田西湖などは、まず砂に貫き手を突きこむという鍛錬をして指先を鍛えたそうです。
無論、軽身功に類するものもやっていたのでしょう。
塩田剛三の養神館が落成した折りに呼ばれた西湖は、壁走りの術を見せて三メートルほど道場の壁を走ったという話も。
ちなみに塩田剛三も「俺もやってみる」とぶっつけで1メートル走ったとか……。
嘘っぽい話だけどね。
292ふにゃぽん:02/07/30 08:29
>>291
T・Sさん。

毎回、>>1にかわって、大量のカキコ、ありがとうございます。

ところで、
>忍者の鍛錬については少し上で書きましたが、甲賀流第十四世を名乗っていた藤田西湖などは、まず砂に貫き手を突きこむという鍛錬をして指先を鍛えたそうです。

中国拳法でも、「指拳」はメジャーで、「指」を鍛えて、いわゆる「経絡秘孔」を
突くというのは、ありますけど、忍者のそれも、同じなんですかね?

ところで、
293おなかいっぱい。:02/07/30 09:31
全然関係ないけど中国の蝶剣(二刀流)を習ったと言う人と剣道で対戦したんだが、
独特の動きに幻惑されてこてんぱんにやられました。

ムチャクチャ悔しかったです。
294ふにゃぽん:02/07/30 10:18
>>293
でも、そのテのって、一回見切ってしまえば、二回目からは通じないんじゃないですか?
295世界@名無史さん:02/07/30 15:07
>>294
見切る前にとどめを!

実戦ではなるべくパターンを多くして簡単に見切られないようにするはずですが
296T・S:02/07/30 17:54
>>292
それについては>>219で書きましたので、それを参考に。

>293-294-294
上原清吉氏がフィリヒンで対戦した武術家たちの中で、一番強かったのは二刀を使う北派拳術の使い手(原文ママ)だとのこと。
変幻自在の動きであったのだけど、しばらくすれば慣れてきて、間合いの取り方と踏み込みが甘かったし、外しも切り返すところがはっきりと見えたので、、切り上げたところを狙って制したとか。
まあ、交換稽古だったらしいですから、どうしても本気で切り込むとかできなかったんでしょう。
つーか、この場合は見切れた方がどうかしているような気もするけど。
297世界@名無史さん:02/07/30 23:23
>TS様
南蛮殺倒流拳法とはどのような武術ですか?空手の一種でしょうかそれとも柔術でしょうか?
また南蛮殺倒流拳法は本土起源なのでしょうか?小説では鹿児島の武術となっている
ようですが。
あと関東軍拳法について知っていることがありましたらぜひご教授ください。
298世界@名無史さん:02/07/30 23:27
◆「写真班ガッカリ! 身体の消えぬ忍術実演」
 "エイッ"と一声、たちまち姿が消える"忍術"の
実演大会なる代物が29日午後、浅草伝法院書院で
行われた。演者は甲賀流14世と称するF(32)、南
蛮殺倒流4世というI(25)の両氏。50畳敷きの伝法
院書院の広場には秘術の奥義をさずからんと押し
かけた200余名の観客やUP、APなど外国通信社をは
じめ内外報道関係者が固唾を飲んで待ち構えたが、
あらわれたF先生の「忍術は秘密の術であるが、身
体を消すことはできない」に、一同まずがっかり。
腹を上下に自由にふくらませたり、ガラスのコップ
を食べたり、手首の関節をはずしてみせて…(以下略)

299世界@名無史さん:02/07/30 23:33
無茶を云うな〜
無粋だぞ、アメ公〜
よぉっし、エロ同人を買いに上京しちゃうぞぉっ
青春18きっぷ
300T・S:02/07/31 00:02
>>297
以下は「どろんろん」よりの引き写し。

(前略)これは橋本一夫斎という老人で、その特殊な体術は南蛮殺倒流と称した。
一夫斎の先師は薩摩の武士で、鳥羽伏見の戦争には、激戦の最中に刀が折れると、
手刀で敵の頚骨をくだき、十数人を倒したという豪傑であるが、一夫斎はそれにおとらぬ名人で、
坐ったまま飛び上がって天井を蹴り、クルリと一転して、またピタリと元のように坐るという妙技が得意だった。

 ……これじゃ何もわからんね(笑)
 太い竹筒をあっさりと挫いたり、束にした青竹に指を突っ込んで一本だけ抜き取ったりとかしたともあるから、空手っぽい技なのだと思う。

 武芸流派大事典を読んでも、初代は延岡藩の人で「南蛮一法流に同じ」としか書いてねぇ(苦笑)
 ただ、南蛮一法流とした場合は分類が柔術となっている。
 ……訳がわからん。

 小説って、もしかして「鬼の冠」?

 関東軍拳法は……師範が陸軍少将・永山喜一と武芸流派大事典にある以上は知らないデス。
 お役に立てませんで。

 >>298
 南蛮殺倒流四世の名は岩田万蔵だと思われ。

 >>299
 気持ちは解るけど――
 エロ同人もしばらく買ってないなぁ(遠い目)。
301297:02/07/31 00:57
>300様
くわしく教えていただき本当にありがとうございます。
どろんろんや武芸流派大事典までもっておられるのですか!凄いですね!
延岡藩や薩摩が起源ならば南蛮殺倒流は唐手の影響も受けた柔術なのかもしれませんね。
小説は鬼の冠です。けっこうおもしろかったです。

 



302世界@名無史さん:02/07/31 01:06
示現流も剣道有段者の私にとっては謎の武術です。
左手ではなく右手中心に振り、しかも足の回転とともに腰を極度に回転
させるというのは、現代剣道とは原理そのものが異なる気がしますです。
示現流は剣道よりもむしろ空手や日本拳法に似通っているようなきも
します。薩摩藩の琉球進攻とともに示現流は空手にも影響を与えたの
だろうか・・。
303T・S:02/07/31 01:21
>>301
元古本屋だからね……。
大概うっぱらって、手元には大したもの残ってないけど。

>どろんろんや武芸流派大事典までもっておられるのですか!

どろんろんは壮神社あたりから再版されたとかいう噂を聞いたけど?
デマかな。
武芸流派大事典は、一万円から一万二千円くらいするけど、古本屋回ったら割と簡単に手に入りますよ。
目録とかネット書店でも売っているだろうし。

>>302
空手と示現流の関連に関しては、>>223>>225>>229を参照のこと。
他にもあったかも。

ところで、それは薬丸流ではないほうですよね?
現代剣道と古流の差は――まあ、一口では言い表わしにくいです。
まあ、とりあえずは古流ったって色々ありますかし、それに八双からの斬撃って、現代剣道ではあまりつわないかなぁと。
304ふにゃぽん:02/07/31 08:49
以前、ちと、忍者の体術なんてのを話題にしましたが、
マンガとかに出てくる、「毒手」なるものは、実在するんでしょうか?

マンガでは、中国拳法でも、忍術でも出てきますが、その解説にあるように、
じょじょに体を毒に馴染ませる事によって、致死性の毒を自分の体の一部に
できるなんて、本当でしょうか?

ところで、このスレもたった三週間で、レスが300ですか・・・。

しかもみんな、中身の濃いものばかり・・・。

これもひとえに、T・Sさんや米好きさんなどのご尽力の賜物ですね。

スレの作者としては、ただただ御の字です。
305T・S:02/07/31 20:45
>>304
>マンガとかに出てくる、「毒手」なるものは、実在するんでしょうか?

寡聞にして知りません(笑)

>ところで、このスレもたった三週間で、レスが300ですか・・・。

>しかもみんな、中身の濃いものばかり・・・。

>これもひとえに、T・Sさんや米好きさんなどのご尽力の賜物ですね。

>スレの作者としては、ただただ御の字です。

濃いといえばそうだけど、なーんか「格闘技何でも質問スレ」になってるよーな。
いや、それが悪いというのではなくて……。

なんてーか、もちっとこう、学術的っつーか、歴史的な考察とかがあっても。
306ふにゃぽん:02/07/31 21:59
>>305
>なんてーか、もちっとこう、学術的っつーか、歴史的な考察とかがあっても。

いや、私はいまのあり方でいいと思ってますよ。

ここは、世界史板だし。充分、学術的で、歴史的だと思いますが、
もし、T・Sさんが望む方向性があるんだったら、おっしゃって下さい。

あるいは、そちらの方に誘導して下さい。

私は着いていきますよ。

307T・S:02/08/01 00:24
>>306
>>なんてーか、もちっとこう、学術的っつーか、歴史的な考察とかがあっても。
>いや、私はいまのあり方でいいと思ってますよ。

うーん。
間違っているというのではなく、もう一歩進めた感じで……具体的には、ちょっとでてこないけど。

>ここは、世界史板だし。充分、学術的で、歴史的だと思いますが

武芸武道板でもありそうなスレみたいな感じはあるけど、向こうならすぐに荒れそうな気もするし(偏見)、こういう風に意見交換が続くのは世界史板ならでは、かな?

>私は着いていきますよ

いや、まあ、特にないです。
このままの質問に受けて答えてみたいなので続けましょう。
私も答えられる範囲で答えます。

……あんまりアテにならないので、鵜呑みにはしないでくださいね(苦笑)
308YP:02/08/01 01:31
会社の同僚に、元プロボクサーと学生時代に長刀を
やっていた娘がいます。
何か質問ございましたら聞いてみますよん。
309カーマスートラ:02/08/01 10:58
>>TSさん
「棒の手」は型なんですね。
カポエイラは動きが全部アドリブなのであまり似ていないのでは?

学術的、歴史的考察というのも面白そうですね。
でも、このままの雰囲気も捨てがたいので、
流れに任すのが一番ではないかと・・・
310世界@名無史さん:02/08/01 12:30
徒手の話しにもどります。

前のほうで毒手のはなしがありましたが、よく中国の秘伝書
なんかでは掌を毒酒に浸して、また解毒酒に浸してをくりかえしたら
毒の手ができあがるってなことを書いてますが、さそりやむかで
じゃあるまいし果たしてそういう手が毒を分泌できるようになるのか
どうか疑問です。もっとも簡単な毒手は長く伸ばした爪、または鉄の爪
に毒塗っといてそれで引っ掻く・・・・身も蓋もロマンもないはなしで御免。
311T・S:02/08/01 13:20
>>309
日本ではアドリブで祭りの踊りとかやるイメージじゃないですしねぇ。
ただ、踊りの中に戦闘の動作が秘められているという点では、ちょっとね。

>>310
身も蓋もないといえば、「遠当ての術」という古流の技もあったなぁ……。
いや、腐った卵とか、特別配合の目潰しとか投げることなんだけど(苦笑)
312世界@名無史さん:02/08/01 14:24
>>311
以前何かの本で読んだ「遠当て」は、袖の内側に仕込める毒矢発射装置でした。
むしろ秘伝はその毒の生成方法だったようで、やられた方は解毒方法がわからず本当に必殺技に(w
313カーマスートラ:02/08/01 15:05
>>312
>>袖の内側に仕込める毒矢発射装置
袖箭ですね。
たしか、ばねで毒矢を飛ばす中国の暗器らしいです。
暗器術はものによっては現代の護身術に応用できそうですね。
314T・S:02/08/01 20:48
>>312
ふーむ。
そういう「遠当て」があるのは寡聞にして知りませんでした。
毒の配合に関しては、「どろんろん」で皮膚に塗るだけで心臓の血液を凝固なさしめる毒というのがるとか欠いてましたが、非常に嘘っぽい(笑)
ついでに、戦時中に松根油から睡眠薬をつくったり、覚醒剤をつくったりして軍部に貢献したとあったりもする。
毒の知識についての伝承もあったのでしょう。
ちなみに覚醒剤は使わずに農家の倉庫にしまっておいたら、それを近所の若い男女が持ち出して、全国に広がったなんてしゃれにならないことが書いてあったりも。
それが「ヒロポン」である――って、マジですかい!?

>>313
んー。
日本の暗器には、そういう機械式のものは少ないですから……。
いや、とりあえず暗器の類は柔術の裏芸みたいなものです。
護身には充分以上に役に立つと思います、
315世界@名無史さん:02/08/02 00:14
最近諸賞流和術に興味もってます。
いったいどんな当身を用いていたのでしょうか?
現在学ぶことできるのかなあ・・・。
316T・S:02/08/02 13:33
>>315
>最近諸賞流和術に興味もってます。
>いったいどんな当身を用いていたのでしょうか?

あー。
とりあえず鎧着て稽古したりしていたようですが……。
「秘伝日本柔術」によれば、肘撃ちで裏当てみたいな技をやっていた人のことがかいてあったように思う。
けど、とっくに売り飛ばしたから詳細は知らないです。

>現在学ぶことできるのかなあ・・・。

板違いだとは思いますが……。
でも多分、まだ学べると思いますよ。
詳しいことはわからないけど。
多分、地元にいけばまだ稽古をやってるんじゃないかと。
317T・S:02/08/02 22:23
 諸賞流和術を検索してみたら、こんなのに当たった。
 http://risya3.hus.osaka-u.ac.jp/ikemoto/karate.htm
 ……いや、直接は関係しないんですけどね。
 無思慮に個人の主観が正当化されている観があるけど、ケッコー面白いなぁと。
318世界@名無史さん:02/08/03 02:55
盛岡で今でも教えてるらしいよ
家元?さんは高橋なんとかつー名前で大衆料理屋のオヤジさん。
319世界@名無史さん:02/08/04 17:37
東北は諸賞流和術柳生心眼流拳法とか結構古流が残ってるのに
九州は意外に残ってないね。昔は肥後の柔といわれていたらしいのに
320T・S:02/08/04 20:08
>>319
んなこたぁないですよ。
示現流とか二天一流とか残っているし。
それに、東北も心眼流とか諸賞流だけじゃないし。
とりあえず現存しているいないは別として、こんだけあったそうです。
http://kobe.cool.ne.jp/ikkansai/syohan.htm

321世界@名無史さん:02/08/05 20:00
>>320
でも柔術は現存していないと思いませんか?
322T・S:02/08/05 20:56
>>321
んー。
知名度の問題だと思うですが。
前述の南蛮殺倒流だって、九州発祥で最近まで残っていたし。
つーか、最近も残ってないの?
地方では捜せばまだやっている人もいるかも。
東北地方だって天明水進流の例があるし。
隠れたる伝承者とか達人とかって、この国ではまだまだいる余地があるようにも。

柔術関連ばかりというのもナンだから、ちょい話を変えて。
「マーシャルアーツ」のルールを詳しく知っている人、います?
軍隊格闘技のことではなく、ベニー・ユキーデとかのあれ。
今となっては軍隊のそれみたいになってしまっていて、昔のそれの実情がよー解らんので……。
323世界@名無史さん:02/08/05 21:22
>>322
マーシャルアーツ…、ユキーデの所属した全米プロ空手なる組織があったのは記憶してますが。
ムエタイやキックボクシングとは別に、ローキックと膝蹴りなしのルールでアメリカで競技化したようです。
324世界@名無史さん:02/08/05 22:39
>322
天明水進流ってなにか逸話があるのですか?
>323
マーシャルアーツ=柔道+空手(テコンドー)かと思ってた

325T・S:02/08/05 23:38
>>323
とーも。
今でもやっているんですかね?

>>324
>天明水進流ってなにか逸話があるのですか?

いや、別に……。
流派名はうろ覚えなので間違っているかも。

ちょい昔、柳生心眼流の島津兼冶師範が旅行中にたまたま話を聞いて伝承者を見つけて、その経緯とかを「秘伝」誌上に発表して世に知られるようになったというだけの話っす。
今の日本でも、まだまだそういうことがあるかなと思うと、ちょっとロマンがあるかなぁと。

マーシヤルアーツが軍隊格闘技とごっちゃにされるようになったのは、ベニー・ユキーデが「グリーンベレーでもマーシャルアーツの研究がされている」というコメントがでてからだとか。
詳細は知らないけど。
確かそんな話。

326世界@名無史さん:02/08/05 23:47
てゆうか、martial arts って一般に格闘技の事を指すし。
そういえば、昔、早見優とケイン・コスギが、"sports は play。martial arts は do" ってテレビでいってたなあ。
ex. play tennis, baseball.... / do boxing, karate....
327世界@名無史さん:02/08/06 00:44
マーシャルアーツって、単にネーミング的に米国人に分かりやすいのを採用しただけのような。
昔は日本にも「新格闘術」なんていうのがありましたが、そんな感じでは?
サンボと違って意図的に作り上げた格闘技というよりは、グローブ競技としての空手のはしりだったかと。
328世界@名無史さん:02/08/06 00:50
マーシャルアーツって武術を英語に訳したんでしょ
329世界@名無史さん:02/08/06 00:51
誰か黒崎健時に、「新格闘術とキックは何が違うんですか?」
ときいてほしい
330T・S:02/08/06 00:56
ふむふむ。
勉強になるです(←英語壊滅的にダメ)
ちなみに手元にある現代実用辞典で「武術」を引いたら、「ミリテリィ・アーツ」とあったりする。
「マーシャルアーツ」が武術とか格闘技全般をさしているような意味があるのは知っていたけど、元々は軍隊格闘技はそうよばなかったとか聞いてたしね。
前から詳しく知りたいと思っていたのですが、現行の書籍ではほとんど扱ってないみたいな……。
331世界@名無史さん:02/08/06 14:06
martial=戦争の、武
arts =技術
332世界@名無史さん:02/08/07 00:58
>>326
すると、英語的では「スポーツ」と「格闘技」ははっきり別物ととらえられてるってことなんでしょうか?
333326:02/08/07 01:27
>>332

いいえ。
英語における martial arts の位置づけというのは、スポーツの中の1カテゴリーという感じのようです。
そもそも、スポーツの中で格闘技だけが「する」にあたる動詞が違うというのは、格闘技というものの
位置づけが特殊であったためではなく、文法的な問題に過ぎません。

板違いだとは思いますが、せっかくなので boxing を例として説明させていただきます。

もともと、英語では「ボクシングをする」ことを、単に "box" と言いました(今でも言いますが)。
ところが、17〜18世紀ごろ、do + 動名詞という形で元の動詞のみの場合と違う意味を表す
という用法が発達し、「ボクシングをする」を "do boxing" と言って、「殴る」 "box" と区別する
ようになりました。
(この用法は、"wash" と "do washing" などに残っています)

そのうちに、今度は do の用法が変わってきて、助動詞よりも本動詞としての役割が大きく
なっていきます。そのため、助動詞+動名詞であった "do boxing" も、本動詞+名詞であると
感じられるようになってきます。
こうして、競技名としての "boxing" が生まれ、それに似た競技に対して "do" を使うという習慣も
確立します。
334326:02/08/07 01:28
まあ、こんな経緯で、格闘技に対しては do を使うようになっていったのです。

ボクシングがスポーツの一種と考えられていることは、まず間違いありません。
かのコナン・ドイルも、「英国伝統の良きスポーツであるボクシング」などとホームズに
言わせています。

・・・・ここまで書いてきて思い出しましたが、そういえば、ホームズも柔術の心得があることに
なっているんですよねえ。
いま文庫本を引っ張り出してきて確認しましたが、「空き家の冒険」と言う作品に、
「僕は日本のジュウジュツ(原文では baritsu)を少し知っていたから、それまでにも何回か
ずいぶん役に立ったものだが、巧みに彼の腕をすり抜けた」
という台詞があります。

ドイルがものすごい格闘技マニアだったために柔術の存在を知っていたのか、あるいは、
ドイルの時代には柔術はイギリスでも広く知られていたのか、興味深いところです。
335世界@名無史さん:02/08/07 03:18
>>334
ベルツが日本の武術に関心を持ってて「嘉納柔術」なんて書いてますが、
医者だったドイルがベルツの本を読んだ可能性はありますね。
時期的にも合うし。
336335:02/08/07 03:43
と書いてから気がつきました。
明治22年には嘉納治五郎は外遊してるんですね。
ホームズのほとんどはこれ以降に書かれてるんで、
出てきても不思議はないですね。
337T・S:02/08/07 09:33
ああ、なんかイイ感じでスレが進行している(笑)

>>334
「ジュウジュツ」になっているのは新潮文庫の改訂版から。それ以前は「バリツ」。
ちなみにポプラ社の山中峰太郎翻案(笑)の方では「柔道」になっていたと思う。

さらについで。
「バリツ」は1899年に「ビアンズ・マガジン」にてE・W・バーティス・ライトなる人物が発表した日本の護身術「バーティス(Bartisu)」とのこと。
紹介者の名前からその名前で呼ばれるようになった――と、手元の本には書いてある。
この記事をワトソンが覚えていて(シャーロキアンはワトソンとホームズは実在したように書く)、ホームズの帰還についての話でそれをあてたのではないか、との説がある。
ちなみに「バリツ(Baritsu)」は覚え違いか印刷ミスかのどちらか。

……もっとも、本に寄っては「バーティス(Bartisu)」については記述が異なる。
以前読んだ本には、バーティスが紹介したのは「日本の柔術にある梃子の原理などを応用した投げ技とボクシングの打撃を組み合わせてつくった、まったく新しい護身術」とあった。
バーティス当人(その本ではバートンとなっていた)の黒い道着と棒を持っている写真が載っていた。
どうやら棒術もありだったらしい。

どんなものだったのかは、今ではさっぱり解らんのだそうな
338T・S:02/08/07 09:45
聞いた話なので詳細は知らないが、「ジュウジュツ」は英語の辞書に最初期に載った日本語だそうな。

当時は日本人はかなりの数が欧州に出かけて、柔術を喧伝したのではないかと思われ。
つーか、「破天荒〈明治留学生〉列伝」によれば、幕末からすでに何度も英国を中心として留学生が送られていたらしい。
当然嘉納が講道館を始める以前からの話なので、その時にかくし芸的に柔術でも疲労したのではあるまいか?
実際、講道館より以前に日本の武術がイギリスで公開されたと言う話も聞いた覚えが。
詳細は知らないのだけど……。
339カーマスートラ:02/08/07 10:38
>>332
文法的な違いと別物として捉えているのとは意味が違う。
文法的違い=別物 だとすると、スキーやスケートもスポーツではなくなる。

ところで、「カポエイラ入門」のHP作った人はカポエイラで修士論文書いたらしいけど、
この板の人で格闘技の歴史で論文書いた人っている?
TSさんなんか結構博識だし、書いてそうだなあと勝手に想像してるんですが・・・
340T・S:02/08/07 10:44
>>339
私は高卒です(笑)
しかも工業高校の土木科(爆)。

例え書いたにしても、一体どこにだせばいいのやら……(苦笑)
(まあ、自サイトでそれっぽいコンテンツを製作中だけど、そんな専門的なものにはなりません)
341ふにゃぽん:02/08/07 17:11
>>336
>>338
あ〜忙しかった。ひさしぶりに自分の作ったスレに来てみたら、
実にいい流れじゃないですか。

みなさん、盛り上げてくれててありがとう。

ところで、英国における「柔術」なんですが、私がもっている著作に、
あのD・H・ローレンスの「Wemen in love」というのが
あるんですが、(和訳があるのかは、不明。私はこれをシアトルの古本屋で買いました)
その中で、二人の男が、「Jujitu!Jujitu!」と言って、
じゃれあうシーンがあるんです。

嘉納 治五郎は、英国留学の経験もあり、本人も英国通だったことから、
(その極端なディフォルメ例は、マンガ「コンデ・コマ」参照あれ)
「柔術」=「後の柔道」は、ヨーロッパの中では、最初に英国に伝えられ、
そこから欧州全土に広まっていったと思われます。

余談ですが、最近、少年マガジンで、若き日の「嘉納 治五郎」をモデルにしたと
思われるマンガの連載が始まったので、その中で、その辺の継緯が、フィクショナブルに
描かれることになるかもしれません。タイトルは、「風の柔士」だったかな?

342T・S:02/08/07 20:15
>>341
ふむふむ……。
英文が読めるデスか。
しかしD・H・ローレンスの「Wemen in love」とは、また。
各地に柔道や柔術が伝わり、かなーり最近まで伝承されていたり競技化されていたりするそうです。
サンボやグレイシーの例は無茶苦茶に珍しいと言う訳ではないんですよね。
実際の話。
ただ、その詳細については時折に格闘技雑誌に紹介される程度。
この方面に詳しい人がいたら、教えてください。

「風の柔士」についていえば、あれは「姿三四郎」の前日談「柔」が原作だと思うデス。
ちらっとだけ読んだ覚えがあります……が、まんまは漫画にされないでしょう。
だって最近でてきた女柔術家は――
343世界@名無史さん:02/08/08 03:22
>>338
Websterのオンライン版だとjujitsuの項にDate 1875とありますね。
海外渡航者が見せたのか、日本に来た外人が伝えたのか、いずれにしろ
古いですね。相撲とレスラーの対戦話なんかは明治以前にもあるんで、
日本武術はかなり関心を持たれてたと思います。
ちなみにライトについては、こんなところにも出てました。
ttp://perso.wanadoo.fr/laurent.thomas/ffjj.htm
どうやらフランスにも広めたようで。
344世界@名無史さん:02/08/08 03:26
シャーロック・ホームズのバリツか。

こないだロンドンにいった時、ベイカー街のホームズ博物館に行ったよ。
あそこには、どんな質問にも答えてくれるハドソン夫人役の女性がいるの
だけど、「バリツ」のことを聞いたら、「知らない」「正典ではない話
に出てくるのでは?」とは言われてしまった。

くやしー
345T・S:02/08/08 07:38
>>343
ほお?
これは――読めない……!
んー。
なんか興味深いイラストとか写真が載っているのになぁ〜。

>>344
ははは……。
バリツに関しては実は死語になって久しく、本場のシャーロキアンでも知らない人が増えていると聞いたことがあるです。
いや、マジだとは知らんかったですが。
つーか、もしかしたら現代版のホームズは「jujitsu」に書き換えてあるんでしょうかね?
百年以上前の作品だし、意味不明の言葉とかは改訂されてしまったのかも……。
346326:02/08/08 10:36
>>343
これは面白そう・・・・だけどフランス語なんてほとんどわからないや・・・・・。
一応タイトルは読めましたけど。
「柔術のフランスへの到着」ってとこでしょう。

仏→英の翻訳サイトは知っているので、英語を間に入れて何とか訳してみますんで、
ちょっと待っててください。
347大アジア主義:02/08/08 10:38
大東亜戦争敗北によってこれらの領土は失われました。
とくに満州、北方領土はソ連参戦による国際法違反によって失われました。
今こそ見直してこれらの領土は日本の領土であると主張しょうではありませんか?
348326:02/08/08 11:40
(仏→英の自動翻訳から仕事の合間に大急ぎで訳してるので、カナーリ適当ですが)

柔術は、1905年の秋、フランスに現れた。フランス国防軍のスポーツの専門家であり、Re-Nie place(?)の
日本の術の教師であるジョルジュ・デュボワによって体系化された格闘術が、パリのスポーツニュースの
最前面を飾った。柔術についての記事は、専門紙でも、全国日刊紙でも増えていった。1906年1月14日の
le sport Universel illustreには、次のように書かれている。
”すべては柔術とともにある。通りで、新聞で、劇場で、寄席で、勝利のラッパのように響くこの魔法の
言葉が反響している。”
記者の力説ぶりが、広い成功を証明している。

9月の始め、シャンゼリゼ通りに近いポンティユの55番街に、柔術の学校が開かれた。
これは、この日本の術の長所を賞賛し、継続的に広め続けることの始まりであった。
どうやら、普及があまり進まないことにいらだったジョルジュ・デュボワが立ち上がったようだ。
柔術−それは、グレコローマンの伝統の中で、尊敬される域にまで高まった黄色人種の影響である。
体育教育を批評する皮肉な記事が書かれた。
”この日本人たちは、われわれの関節を冷静に捻り上げるためにヨーロッパにやってきた。
人は強力な打撃によって堂々と相手を打ち負かす方法を学んだ。柔術があるのだ。おお! 彼にとっては
簡単なことなのだ。20世紀には、グレコローマンの戦いの教えは、それに弾き飛ばされてしまうだろう。
(最後の1文は意味不明)

・・・・・・やっぱり、フランス語から直接訳さなきゃだめか・・・・・・・・・
349カーマスートラ:02/08/08 12:01
そういえば、フランスにはサバットのもとになった格闘技のひとつに
「パリジャンレスリング」(確かこんな名前)ってのがあったと思うけど、
上の話題とは関係ありますかねえ?
350世界@名無史さん:02/08/08 12:20
>>341
「恋する女たち」は映画化されていて、柔道シーンも見られます。
男二人が完全全裸になって絡み合います。
かなりグロくエロっぽく美しいシーンです。
もちろん和訳あります(どこかの文庫)。
351世界@名無史さん:02/08/08 13:55
嘉納 治五郎が柔道についての英語論文を書いていたような気がする。
昔の秘伝に載ってたはずだけど、内容を覚えている人いる?

352世界@名無史さん:02/08/08 14:36
二十世紀初めのフランスだと、
アルセーヌ・ルパンが柔術の達人だという設定になってる。
どの作品だか忘れたけど「腕ひしぎ」とか、間接技を使ってたな。
353世界@名無史さん:02/08/08 14:43
>>338
その当時、欧米で柔術ブックと言う本が売り出されていたそうですよ。
空手とか柔道とか柔術とか神秘の闘争のための技術が書かれている本の総称で、内容は
ナイヨウと言った所で、読み捨てにされるたぐいのものだったので、案外一般にも知ら
れていたかも知れませんよ。

354326:02/08/08 15:19
なるほど、流行作家だったドイルやルブランが、そういったものを取り込んでいても不思議はないですね。
とすると、ルブランなどにとっての柔術と言うのは、
「なんだかよくわかんないけど、神秘的で凄い技」
という感じだったんでしょうかね?

たとえば・・・・・・そう、ギャラクティカマグナムみたいな(爆

まあ、それは冗談としても、リュパンやホームズのように謎めいたキャラクターには
うってつけの要素だったのかも。
355T・S:02/08/08 15:43
>>349
んー。
手元にある「シャーロック・ホームズの決闘」(伊吹秀明・著)の中で、フランス人の記者ラウール・リメジーがサバットのことを「サバットが荒っぽいのはナポレオン軍隊時代の懲罰からきているためです。つのれ、尻を蹴とばすのが起源でして。
 それが足技の格闘技ボックス・フランセーズとなり、ボクシングを取りこみ、パリジャン・レスリングを取りこみ、ラ・キャンを取りこみ、貴族社会にも浸透して進化していった」
……とか言っている。
実際にどうなのかは別として、ラ・カンってなんでしたっけ?

>>351
持ってた……。
けど、古本屋やってた時代に売っ払ったよ。
さっき確認してきたが、季刊だった時代の頃のだと思う。
だとしたら、もう十年くらい前じゃん。
確かそんなに専門的な内容じゃなかった。
解説にもあったけど、ちょこっとした柔術の紹介だったんじゃないかな?
しかも未発表ということだったし。

余談だけど、その「未発表論文」というネタだけは当時連載中で雑誌休刊のために中途で終わった「関節王」で使われてた。
内容はそれこそ全然関係なし。
柔術の紹介ってとこだけは一緒。
356T・S:02/08/08 15:50
>>348
あ、見逃してた。
ふーむ。
フランスにも戦後までは柔術を使う人間とかいたみたいですよ。
合気道の阿倍正……だったかな?
は、フランスに合気道の支部を置いた時、色んな連中から勝負を挑まれて、その肩書きには「柔術王者」とかいうのもあったらしい。
流派名は神道六合流とか名乗っていたようにも思う。他にもあったような気もするのだけど、記憶が曖昧。

それにしても、ご苦労様でした。

>>352
むー。
ポプラ社版でしか読んでないけど(訳は南洋一郎だったかな?)、それでは「柔道」となっていたなぁ。
357326:02/08/08 16:32
ああ、サバットって何のことかと思ったら、「空手バカ一代」に出てきた「サファーデ」のことなんですね。
358351:02/08/08 17:37
>>355
そうそう、あと鬼横山の話を翻訳したのもあったよな。
あの頃は電波の出力がそれほどでもなかった。

あと話は変わるけど、日本武術みたいに文献から発展の仕方がわかる格闘技
って欧米でボクシングとレスリング以外に何かあったっけ?
なんだかこの二つの勢力が強すぎて見つけにくいのだけど…。

359世界@名無史さん:02/08/08 17:55
>>356
神道六合流は野口清(潜龍軒)が名乗った流派ですね。
帝国尚武会の人で主にアメリカで柔術を広めた。
講道館の影響もかなり受けた、というか長所を取り入れてたようで
なかなかの商売上手でもあったようです。
確か通信教育もこの人が始めたんだったかな?
360T・S:02/08/08 20:29
>>358
鬼横山の話のなら今でも手元にあるが……。
詳しいことは秘伝王子様にでも聞いてちょ(笑)
確かにあの頃はそんなでもなかった。
すでに高岡センセーはいたけどね。
電波の出力が増大したのは2000年に入ってからかな?

文献からたどれる格闘技……どうも「格闘技の歴史」を見ると、ありとあらゆる格闘技を「ボクシング」と「レスリング」に分類しているけど、その内訳は結構煩雑にあったんじゃないかな?
ちょっと格闘技から外れるけど、フェンシングなんかは文献そろってそうだけど、どうかな〜。

>>359
ふむふむ……。
アメリカでですか。
そういえば富田常次郎を破った男も、アメリカ人だけど柔術に詳しかったという話を聞いたことがあるなぁ。
大東流もアメリカに一部伝わっていると言うし。
ハワイの壇山流なんかもあるっていうなぁ。

ちなみに武芸流派大事典には名前と伝系、それと帝国尚武会は載っているけど、アメリカ云々は書いてないんですよね。

通信教育は大山倍達もやったけど、失敗したっけなぁ……。
361世界@名無史さん:02/08/08 22:46
レスリング史を調べるとローマでは裸でオリーブ油を塗ってレスリングをしてたらしい。



…やなモン想像しちまったよ。
362世界@名無史さん:02/08/08 22:56
>361
なんと麗しい・・(;´Д`)ハァハァ
363T・S:02/08/08 23:24
トルコ相撲でも身体にオイルを塗るって聞いた覚えが……。
364世界@名無史さん:02/08/09 03:40
>>351
秘伝のその論文は知らないですが、嘉納の論文、講義が
いくつか載ってます。
ttp://judoinfo.com/articles.htm

History of Judo and Jujitsu
Principles of Judo
の中。翻訳したものもあるかも知れんですけど。
365世界@名無史さん:02/08/09 03:49
もひとつついでに紹介。
ttp://www.savateaustralia.com/Photos/photos_main.htm

サバットの古い写真が面白いです。
特に組み技(Grappling)は興味深いす。
366 :02/08/09 04:46
>>1-100 までしか読んでないんですけど
柔術が元々岡引とかの逮捕術だってのは日本史の常識なんじゃないですか?
そもそも柔術が今の形になったのも明治以降ですし
戦国以来をうたっているような流派はほとんどが詐称、捏造です。
そのへんは武道板いけば詳しく教えてくださる方がいるんじゃないでしょうか。
戦場で実際に徒手格闘なんて効率の悪いことはしません。ボロボロに錆びた
刀で相手を叩き殺したほうがよっぽど効率的ですし、確実です。
私は伝統空手をやってるかたなら誰でも一度は名前を聞いたことがあるだろう
超有名老師範に学生時代にしごかれましたが、その師範は常々空手は明らかに
実戦的じゃないし、体捌きの欠如等、格闘技としては致命的な欠陥があるって
言ってました。ただ、健康体操としては非常に優れているらしいので
私もいまだに続けていますが(笑
えーと、一撃必殺や戦場での殺人術なんて言うのは平和な時代に道場生を集める
ための宣伝文句や、流派を権威付けるための創作、方便にすぎないってのは
実際に今現在その流派をやってるかたにとってもかなり自覚的なことなのに
外からそれを見ている方が宣伝文句を鵜呑みにしちゃってどうするよ?
なんて思ったもので、長々と書かせていただきました。
367ふにゃぽん:02/08/09 06:28
>>366
柔術と合気道が、いつから分離したのか考えるのも面白いかも。
368世界@名無史さん:02/08/09 07:49
>366
もともと柔術は実戦で相手を生け捕るための武術だが、戦国発祥を謳ってるやつは
鎧通しなどを今での使う。大体は江戸時代に対平素の服装に発展していった。
岡引が使うのは捕縛術と言って、ロープとか使う文字通り捕縛。柔術とは違う。
逮捕術は今の警察とかでもやってんじゃないのかな。
369T・S:02/08/09 07:55
>>366
んー。
岡引とかの逮捕術にあったのは確かだけど、それだけってこたぁないでしょう。
実際、記録に残る人で関口柔心とかいる訳だから。
まあ、抜刀術の方が専門だったみたいですけど。
あと戦国以来を語っている流派についていえば、考証の上で一番古いのが竹内流小具足術ってのがありますな。
もっとも、抜刀術剣術ありの総合的なものだったみたいですが。
ああ、ほとどと書いていて、全部とは書いてないですか。
柔術が今のカタチになったのは明治以降というのもまあ、確かなんでしょうね。
一応江戸期には独自の試合や乱取りがあったようですが(互いに組み合った状態から始めたり)、大抵講道館方式になってしまったようだし。
そうなれば自ずと様相もかわってくるでしょう。
けど、武道板は……。
つーか、戦場で徒手格闘が使われたというレスは誰も書いてないように思うですが?
なんかなー。
格闘技について語っていて「戦場」とか「実戦」とか「空手」とか書いてあったので、発作的に書き込んだようにも見受けられるです。
歴史的な事柄を考えていたら戦争での鍛錬とかは外せないから、そーいうのもコミで書いてたつもりなんですけど……。
空手についてはよー知らんです。
体捌き云々については本土にきた時点で「失われた」か「最初からなかった」のかは微妙なところ。
首里手には歩法に相当するものがあったとか言う話もあるけど、今はないからなんとも言えないです。
松村宗棍は示現流もやっていたそうですから、その方の運足も心得ていたでしょうが。
ま、個人の例などを言ってたらキリがないけど。
とりあえず宣伝文句を私はあんまし鵜呑みにしてないです。
長々と書いてて言いたいのはそれだけかいってな感じですが(笑)
つーか、ちょい366氏の言はピントがズレでいるような?
いや、別にそんな大して間違ってもないんだけど。

>>367
柔術と合気道に関して言えば、明治です。
つーか、「合気」という言葉を作ったのは出口王仁三郎という説もあります。
もともとの武術用語としての「合気あるいは相気」は、合気道関連のそれとは全然別です。

……古流関連はちょい控えめにしたいなぁとか思うデス。
武道板とか――まあ、アレだし。
370T・S:02/08/09 08:05
>>368
「十手・捕縛事典」だったかな……?
手元にないからうろ覚えだけど、その本には適当な柔術技法っぽいのはあったように思うデス。
道具込みですが。
つーか、元々柔術なんてのはその類の武器とかのとり扱いもやっていたわけで。
371カーマスートラ:02/08/09 09:14
>>T・Sさん
ラ・カンはステッキ術というか、杖術のようなものだったと思います。
>>366
伝統空手が実践的でないのはあたりまえ。
もともと、柔道に対抗して、危険な技を排除して、
国民的な体育種目として発展・普及を目指したものだから。

どうも、武道板や格闘技板の人は
「格闘技や武道は実践的じゃないと意味がない」
という歴史的な経緯を無視した、
ごく一部の人の間でしか通用しない価値観の持ち主が多くて困るんだよなあ。
だいたい、喧嘩に強いかどうかを問題にすること自体が
格闘技・武道の価値を貶めてるって事がわからんのかなあ・・・

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>>371
武板や格闘板での実戦は戦争ではなくて喧嘩や総合の試合なので、それを
知らないと物凄い違和感がありますよ。

鳥瞰してみれば、試合で怪我の恐れがある武術より危険な技を制限した武
術のほうが兵士を作る上でより効果があると考えられるので、レスリング
が一番実戦的だともいえるのですが…。
374T・S:02/08/09 09:55
>>371
ありがとうございます。
なるほど、棒術ですか。
考えてみればイギリスにはクォーター・スタッフとかありますし、世界的にみてもそういうのは普遍的にあっのかも。

武術の実践性というヤツは……定義次第なのであんまり触れたくないです。
それにここは世界史板ですから。
「現在に於いて」強い弱いとかは別にどうでもいいと思うデス。
まあ、どういう経緯でこんなカタチになってしまったか、という推察でもいいとは思いますが。
それに強いのは格闘技の種類ではなく、それをやっている個人の問題に帰結するということを認識していないと、色々と問題あるです。
私の見た限りでは武道板や格闘技板でもそういう考え方はスタンダートなのだと思うのですが……。

>だいたい、喧嘩に強いかどうかを問題にすること自体が
>格闘技・武道の価値を貶めてるって事がわからんのかなあ・・・

まあ、その辺は気持ちも解らんでもないです。
一概に「貶めている」とは私は思わないですが……。
でも、一つの極論であると思った方がいいデス。

>>373
キャッチ・アズ・キャッチ・キャンというのもありますな。
元々騎士の鍛錬用として始ったとか言う話も聞きますが、どうだか。
でも、レスリングは体作りに適していると思うデス。
欧米の男子は体育とかで必ずやっているみたいですし。
375カーマスートラ:02/08/09 10:46
>>374
おおむね賛成です。ただし、
>まあ、どういう経緯でこんなカタチになってしまったか、という推察でもいいとは思いますが。
>それに強いのは格闘技の種類ではなく、それをやっている個人の問題に帰結するということを認識していないと、色々と問題あるです。
>私の見た限りでは武道板や格闘技板でもそういう考え方はスタンダートなのだと思うのですが……。

この部分に多少異議あり。
一言で格闘技と言ってもスポーツ志向だったり、
護身術として発展したり、健康体操や鍛錬重視や表演武術だったりします。
でも、そんな多種多様な格闘技を喧嘩やらVTといった同じ土俵に乗せたがる奴が多いんですよね。
それで、あの格闘技は駄目だの弱いだのと批判する。
そういう状況が不快だったということです。

話を本来の趣旨に戻しますが、
徒手の格闘技ってのは、格闘技術そのものの有用性より、
それをすることで鍛錬になるのが主たる意義だったんでしょうか?
また、武芸という言葉もあるように、武術と言うのは芸能の一種として発展したと言う見方もあります。
たしかに、武術は戦時よりも平和なとき、主武器よりもやや時代遅れな武器が発達します。
それに、武術の戦い方はどうも「鶏を殺すのに牛刀を使う」というか、
一部の流派を除いて、人を倒すことに関して、無駄に難しい技術が多いと思います。
皆さんはこのような考え方についてどう思われますか?
376世界@名無史さん:02/08/09 11:54
義和拳って本当に最強なのかね?
377T・S:02/08/09 12:14
>>375
>一言で格闘技と言ってもスポーツ志向だったり、
>護身術として発展したり、健康体操や鍛錬重視や表演武術だったりします。
>でも、そんな多種多様な格闘技を喧嘩やらVTといった同じ土俵に乗せたがる奴が多いんですよね。

確かに多そうに感じますが、いわゆる悪目立ちというやつでしょう。
まっとうなマニアやオタクといった連中は、ちゃんとその辺の良識とか常識をわきまえていると……信じたいデス。

>一部の流派を除いて、人を倒すことに関して、無駄に難しい技術が多いと思います。

難しい話なのでこの部分だけ。
無駄に難しい技術は鍛錬のためにうみだされた場合、研究の果てに現実的ではないところまでつきつめた場合、営業用の場合の三つがあります。
いわゆる合気とかも現実的ではないといいますが、さて。
営業用というのはいわゆる「長者の芸」と言いまして、武者修行中の武芸者が泊まった先の長者に宿代がわりに教えた技術のことです。
見た目はえらく複雑で難しいのだけど、実はそんなに難しくなく、なお現実的ではないという……。

>>376
義和拳については>>173を参照のこと。
378世界@名無史さん:02/08/09 12:32
>376
高校のときの世界史教師に聞いた話。
義和団事件が起こったとき、列強は中国に出兵して鎮圧に当たったが
突撃してくるところを機関銃で掃射しても何人かは残って、それで白兵戦になると勝ち目が無かったそうな。
百日修行すると銃弾に当たっても死なず、千日修行すれば空を飛べるらしい。

あと、古流の柔術は一応マーシャルアーツで、戦場で刀も槍も無くなった時に戦うための武術で
江戸初期の剣術と柔術は表裏一体で一緒に習ってたんだそうです。
明治期の柔術はスポーツ志向の講道館柔道と実戦主義の大東流・武田惣角の大きく二つあった気がする。
そのあと大東流の免許皆伝の人が起こした大東流合気術は実践からは遠ざかっているかな。多分に演技的なものがある。

最近のスポーツ化した格闘技と違って昔の(江戸の)武術は、実戦を想定してはいるが、実際戦って勝てる武術は戦時の方が
発達しそうと思う。
剣術も幕末には面と胴をつけた竹刀稽古が一般的だったので。
それと武芸は「武」と「芸」じゃないの?
379世界@名無史さん:02/08/09 15:26
八カ国共同出兵

義和団事件

白蓮教徒の乱

北清事変


これは皆おなじものなのか?
380世界@名無史さん:02/08/09 16:15
>>378
よく勘違いをする人がいるけど、明治になって講道館柔道が突然試合稽古を始めた訳ではないんだよ。
大概の柔術の流派は自由に技を出し合う試合稽古を行なっていたのが嘉納治五郎の自伝に載っているし、
柔道の大会の上位に関口流や楊心流の人が入賞しているのを講道館の資料で見ることが出来る。
このことから、当時講道館柔道だけがスポーツ志向だったとは言えないのでは?

それと大東流という柔術が明治の頃に実戦主義であり講道館と二分する勢力だったと言うのは疑問だな〜。
というのも大東流がそんな大きいなら警視庁の柔術指南の職を得るために講道館と闘ってきたはずなんだけど、
そんな資料は無いよ。
>明治期の柔術はスポーツ志向の講道館柔道と実戦主義の大東流・武田惣角の大きく二つあった
と言うのは気のせいでは?

あと実戦主義ってなあに?
381世界@名無史さん:02/08/09 18:08
実戦てのは止めましようよぉ〜。武板でもこれが出るともめる。

講道館が画期的だったのは、柔術を近代化改修したということでしょう。
古流もスポーツの要素は内包してたわけで、実際、嘉納の入門当時、
天神真揚流には乱取りしかしない門人なんかもいた。
柔術の効用を体育、修身、勝負の3つに分類したこと、
技を分化し、競技的修行も可能にしたことが講道館の特異性で、
他流派との比較はこの辺から考えるべきだと思います。

実戦主義なんていえば講道館も立派に実戦主義なわけだし。
382378:02/08/09 19:26
>380
大東流が実践的と言ったのは武田惣角自身が諸国を巡って実戦稽古(つまり他流試合や喧嘩)
ばかりしていて、講道館のような難解な古流の要素を抽出し分かりやすいくした稽古じゃなく、
体で覚える的な部分を持ってしてみた。

スポーツ志向と言ったのは講道館が一般普及しやすい分かりやすさ、を持ってした。
大東流(と言うか武田惣角)は道場も持たず文章でも示さずただ稽古をして体得していく
昔ながらの弟子対師の特許性と言うか秘密性があって……

何を言いたいか分かんなくなったのでもうやめます。
>大きく二つ
は確かに言いすぎだね。別に二分するとまでは言ったつもりはないんだけど。
(だから大東流としては普及しなくて、合気道として普及したんだと思う)
383T・S:02/08/09 20:25
>>382
追い討ちをかけるようなみとを、しかも「もうやめます」と言っている人にいうのもアレなんだけど――
講道館が一版普及したのは解りやすいということはまあ、ありとして。
武田惣角が文章を示さなかったのは文盲だったからです。
それで陰陽道を修めたという話は矛盾しているなぁとか思ったら、恐ろしく記憶力はよかったとか。
英名録三万人の弟子に対して(講習会形式だけど)、誰に何処まで教えたとかほぼ完璧に把握していたともいう。
もしかしたらサヴァン症とかいうやつだったのかも知れない。
字を覚えることができなかったとか。
話はズレたけど、講習会形式というのを武術でやったのは惣角が初めてで、これは昔ながらのやり方ではないです。

ついでに合気道に「比較すれば」普及していないかも知れないけど、大東流は会派の別をなくせば古武道としては競技人口多いですよ。
何万人か単位いるんじゃないかな?
(ただし会派が多くて人括りにするのはどうかとも思うが)。
384380:02/08/09 22:44
>>382
講道館も実戦稽古(つまり他流試合や喧嘩)をやってますけど・・・
と言うか、他流との試合こそ講道館の真骨頂でその手の話は嫌と言うほど残っているから
それをもって実戦云々はいえないでしょう。

それと
>文章でも示さずただ稽古をして体得していく
>昔ながらの弟子対師の特許性と言うか秘密性があって……
と言うのは当時の講道館以外の柔術の殆どがそうだったし、それほど著名(当時)じゃ無
い武田惣角の大東流を類型にするのは適当ではないと思うけど。
それより武田惣角の武者修行って剣道のことじゃなかったっけ?
385T・S:02/08/09 23:10
>>384
武田惣角は東北で人足と揉め事を起こした時に刀を没収されたらしいデス。
どの時点から柔術の修行にしたのかは定かではないけど、おそらくそれ以降かと。

……でも、壮年期の武田惣角は柔道の高段者に閉め落とされたという話も聞いたことが。
ソースは忘れたけど。
まあ、この類の勝った負けたの話はアテにならないんだけど。
386世界@名無史さん:02/08/10 00:46
ところで大東流ってほんとうに会津藩につたわる柔術だったのでしょうか?
387世界@名無史さん:02/08/10 07:51
>>386
江戸時代の伝書がまったく無いので、ただのハッタリでしょう。
御止め流だとしても藩内の記録に残ら無いはずはありません。
388教えてクン:02/08/10 08:12
ベトナムに古典武(コテンブ)という
日本の空手や韓国のテコンドーに相当する格闘技があるらしいのですが
どんなもんかご存知の方はいませんか?
389T・S:02/08/10 08:28
>>387
ただまあ、「御式内」に相当する流派はあったそうで…。
大東流が武田家のみの家伝の流儀と考えれば記録に残ってないというのもありえる話ではある。
けど、伝書がないのは致命的だしねぇ〜。
まあ、惣角は「ヤマト流」と呼んでいたらしいのだけど。
もしかしてそっちの方は――

>>388
すまんです。
知らないです。
私も知りたいですよ。
390世界@名無史さん:02/08/10 11:05
>>389
ヤマト流って弓道かYO〜。

391T・S:02/08/10 11:38
>>390
弟子に「大東ってヤマトって読みません」といわれて直したらしい……。
392ふにゃぽん:02/08/10 13:20
南郷 継正氏によれば、「合気道」とは、「柔道」が「柔術」から
投げ技や締め技を持っていかれたため、残った「関節技」や、「当て身」
などで再構成された武道だということらしいけど、そう捉えてていいのかな?
393T・S:02/08/10 14:00
「武道の理論」の南郷先生の言っていることですからねぇ。
あの人、読んでもいない「姿三四郎」の映画とか原作をクソミソにけなしてたし……。

つーか、合気道に投げ技がないって、どーしてそう思ったんでしょうかね。
394世界@名無史さん:02/08/10 14:02
弁証法の南郷継正か・・・

たしか、講談社社会新書の弁証法の入門書読んで感動した人だったよね。
395世界@名無史さん:02/08/10 19:49
>>32
資料を確認すること無く印象で物事を定義した時点で、南郷氏の弁証法がどういうものか
解かろうもんだ。

それにしても柔術に試合が無いといった堀部氏みたいに簡単に調べれることさえしないのは
ギャグとしか言いようが無い。
396T・S:02/08/10 20:57
「武道の理論」は高校の頃に一度読んだけど、あっちこっちの先生の批判とシゴキがどうこうとか、「三四郎」の映画の批判とか、「柔道一直線」の監修を木村政彦がやったことについてあれこれ言ってたとしか覚えないです。
堀辺センセーや高岡センセーと並んで、あんまり真に受けてはいけない類の人だと思うデスよ。

武道板じゃないので、これくらいにしときますけど。
397世界@名無史さん:02/08/11 04:37
ベトナムにはVo ThuatとかViet Vo Daoなんてのがあるみたいだけど
フランス語ページが多くて読めないage
398ふにゃぽん:02/08/11 10:16
合気道といえば、佐川 幸義、塩田 剛三 高岡 英夫(?)など、
一部の達人ににしかできないといわれるあの「合気投げ」は、なんなんでしょうね。

あれは、中国拳法の「発ケイ(変換できないよう)」「寸ケイ」などと
原理は同じなんですかね?

武板での結論は、「習得することは出来るが、物理的には解明不可能」
みたいな感じでしたけど。
399T・S:02/08/11 11:21
>>398
達人じゃないですから解りません(笑)
まあ、いずれこの世界で起きている現象なのですから、どーにか理屈はつくと思いますが。
まあ、合気術の投げ技って恐らくは接触した瞬間に浸透勁だか裏当てだかと同じ原理で作用点をズラす技で相手の重心のラインを崩すのと同時に形意門式の推進力重視の発勁を爪先の三角が結ぶ方向に流しているのだとおもうですが。
あと肉体講造とか条件反射とかも利用しているだと。

……考えてみるまでもなく私には無理。
400ふにゃぽん:02/08/11 14:26
>>399
さらに、あの現象は、中国医術でおなじみの「気功」にも通じるんでしょうな?

よく解んないけど、T・Sさん以外にも、答えられる人がいるかもしれないんで、
期待を込めてage!

ついでに400げっとー!!

さらに、T・Sさんの面倒見のよさに謝々!!
401世界@名無史さん:02/08/11 15:15
>>399
神秘と関わりがない柔道の空気投げ=隅落しも最初はインチキだと言われたからな〜。
出来ないわけではないと思うけど。
402T・S:02/08/11 20:03
>>400
>中国医術でおなじみの「気功」にも通じるんでしょうな?

通じているようないないような……。
そも「気」については私はあんまし関わりたくないです。色々と。

>よく解んないけど、T・Sさん以外にも、答えられる人がいるかもしれないんで

解らないのに納得したふりしちゃダメでしょ(笑)
色々とツッコミ入れなきゃ。

>>401
昔の合気道の本には、三船先生が植芝翁の合気投げの稽古を垣間見て(盗み見て?)空気投げを編み出したなんていうことが書いてあったような……。
究極的に言えば、反射と重心操作の技術と考えるべきなのかな。
403世界@名無史さん:02/08/12 01:24
講道館柔道の「内股」は従来なら奥技とされるほどの高等技術だったそうで。
そういう意味で近代武道では国民体育競技としての技術の情報公開が行われてきたわけですが、
これをスポーツ化と呼ぶか競争を激化させる事による実戦化と呼ぶかは…、判断が難しすぎるように思います。

あと発剄は気功の類ではなくて、特殊な力の入れ方とかそういう感じだったかと記憶してますが。
日本で誤解されるようになったのはマンガの影響だそうで。
404世界@名無史さん:02/08/12 03:22
>>402
隅落は理合はそれほど複雑ではないと思います。
初心者相手なら私でも(たま〜に、偶然)掛けられる(笑
むしろ球車の方がわかんないですね。
あれは三船さん自身が「相手の反射神経を利用する」なんて言ってます。
405世界@名無史さん:02/08/12 05:24
ケイ:勁

コピペして辞書登録してくらはい
406T・S:02/08/12 08:09
>>403
嘉納治五郎氏は「柔能く剛を制す」と言う言葉が好きじゃなかったそうですからな。
柔道という名称についても「精力善用国民体育の道」とでも名づければ云々……とか。
晩年は競技化が進む講道館の柔道に嫌気がさしていたらしい。
植芝翁の演武を見て「私が求めていた真の柔道だ」ともいい、「柔らを極めたくば古流を学べ」とも言っていたとか。
実際に講道館内に古武道研究会を作っていたとも。
少なくとも創始者は競技化を「実戦的になった」とみなしていなかったのではないかなぁと。

発勁に関して言えば、まあ……今更っしょ。
漫画とかでのあれは、どうも「キマイラ」の責任らしい……。

>>404
球車……相手の足のところに手を出して、そこを飛び越えようとするのを――というやつですか。
ああいう反射利用の技は隅落としなんかもそうですが、よほどに相手の「虚」を掴むとかしなければかからんでしょうなぁ。
初心者相手なら空気投げどころか、なんだってかけ放題っしょ(笑)

勁に関しては変換モードを人名/地名にすれば出ると思うですよ。
407世界@名無史さん:02/08/12 19:16
数ある古流柔術の中でもどうして合気道だけがこんなに普及したんでしょうねえ
竹内流なんてもっと普及して良さそうなものだが。
408ふにゃぽん:02/08/12 22:03
>>407
ある意味で、時代に迎合したからとも
言えるんじゃないですかね?

かなり早い時期から、「護身」を謳い文句に、「若い女性にも、どうぞ」
って感じで。

でも、ホントに合気道の「実践=実戦性」ってどうなんでしょう?

「SA」みたいな流派ができることからして、それに疑問を持ってた人
って多いんじゃないかな?

その「SA」の師範の人も言ってますもんね。

「塩田 剛三先生は、たしかに偉大な武道家だけど、何十万人が修行して
やっと、ひとりの塩田 剛三しか産みだせないんなら、今の合気道なんて無意味だ。」って。





409世界@名無史さん:02/08/12 22:41
>>408
僕は合気道未経験ですけれども
合気道って実はけっこう実戦的だと聞いたこともあります。
各国の軍隊でも合気道はきわめて評価が高いらしいです。
でも塩田 剛三のようなスーパーマンになれるまで
どれほどの年月と才能が必要なのか・・・。
410T・S:02/08/13 00:14
合気道の実践性というのは考えたらダメです。
どの格闘技も武術もそうですが、それを生かせるのは当人の問題です。
そりゃあ、まあ、もっと万人向けのメソッドがあってもいいと思うですが。

ちなみに塩田剛三先生は、若い頃から合気道の技で喧嘩してたそうですから。
まあ、先生が習ったころのそれは大東流とほとんど同じだったそうですから。
合気道が今のような感じになったのは戦後も大分たってからみたいです。
初期の門人には色んな人がいたそうですからねぇ。
411T・S:02/08/13 00:20
>>408
>「塩田 剛三先生は、たしかに偉大な武道家だけど、何十万人が修行して
>やっと、ひとりの塩田 剛三しか産みだせないんなら、今の合気道なんて無意味だ。」って。

について。
塩田剛三先生が習っていた頃の門人は数十人程度です。
彼以外にも色んな達人がいます。

塩田剛三氏や他の人たちの下にどうして新たな塩田剛三が生まれないのかについては、塩田先生らがそれを望んでいなかったからだと思うデス。
ああいう達人先生の方々は後進を育てようなどとはほとんど考えていないと思います。
きっと自分の技を追及していたのだと思います。
弟子なんか実験台としか考えていなかったんじゃないかと思います。
つーか、そういう人間でなければ達人になれなかったと思います。
412世界@名無史さん:02/08/13 09:43
世界の格闘技の原点はだいたい中国武術です。
日本の国技といわれる相撲でさえもその起源は中国相撲にありますし、
立ち技最強と言われるムエタイも中国武術が源流です。
だいたい今の格闘技で使われている技はほとんど中国武術にありますね。
柔術の技とかも少林寺拳法とかをみればわかるようにもともと中国武術の
技だと思います。
なにしろ5千年の歴史の国ですから。
413世界@名無史さん:02/08/13 18:01
メソポタミアにも中国から伝わったんだろうか(笑

原点なんて言い出すと、人類はいつから格闘を始めたのか?になってしまいますよ。
それに少林寺拳法(間違いだろうとわかりつつ)は戦後にできたし、
純粋な中国武術じゃないし…。
414世界@名無史さん:02/08/13 18:26
>>413
格闘と言う言葉は昔からありますが、格闘技と言葉は戦後日本で生まれました。
よって、世界の格闘技の原点は日本です・・・
なんて突っ込みを>>412は入れてほしかったんでしょう。

帯の色によって、強さを決めるのは、講道館柔道のビジネスモデルです。
それ以外の流派は、特許料を支払ってください。
ぐらいの煽りはしてほしかった・・・
415412:02/08/13 21:59
少林寺拳法は宋道臣が中国で学んだ中国武術をもとにできた
ものですから中国武術といってもさしつかえないはずです。
帯の色や言葉は格闘技とはあまり関係のない話。格闘技の技のほとんどは
中国武術を原点にするということ。
416T・S:02/08/13 22:04
>>415
えーと、その……。
>>179参照のこと。
417世界@名無史さん:02/08/13 22:10
少林寺拳法をやっていたものだが残念ながら415の意見に賛成できない。
少林寺もインドから伝わったという事になっているし、
フランスにはサファーデ、ブラジルにはカポエラ、インドにはカラパリヤット、イギリスにはボクシングというように各国にそれぞれ特徴のある格闘技がある。
ただ流派が最も多いのは多分中国拳法だろう。
これには日本のように、弟子を破門するという制度がないのも一因と考えられる。

418世界@名無史さん:02/08/13 22:16
>>415
宗さんが中国で武術を学んだって経歴はかなり
あやしぃというのが武術界の常識です・・
419T・S:02/08/13 22:16
流派の数については多分日本じゃないかと思う……。
柔術の流派については五百くらいだそうな。
中国はそんなにあるのかな?
つーか、詳しく全部の門派を調べた研究者というのがそもそもいない?
誰か知っている人がいれば教えてください。
420世界@名無史さん:02/08/13 22:21
松田隆智
421世界@名無史さん:02/08/13 22:42
>418
不動禅の人かもしれんが根拠のない事を常識といわないように。
少林寺の人間なら知ってますが、嵩山少林寺とは交流がありこちらから中国にいったり、中国からりー・リンリンチェイが鏡割り式にきてくれたりしています。
現在は休眠の身なのでどうなってるかわかりませんが。

422世界@名無史さん:02/08/14 03:30
まぁ、経歴は「怪しいと思う人もいる」てくらいにしときましようよ。
423世界@名無史さん:02/08/14 06:40
>>421
根拠のない事を常識といわないように。
少林寺の人間なら知ってますが、嵩山少林寺とは交流がありこちらから中国にいったり、中国から
りー・リンリンチェイが鏡割り式にきてくれたりしていますが、
嵩山少林寺と少林寺拳法には拳法上の共通点がありません。
と言うか演武会で、ゲストとしてきた小林拳の技を見たら、別物なのはわかるだろ?
424世界@名無史さん:02/08/14 08:21
>>421
武術やってる人間ならあきらかな違いはわかるはず。
事実は事実としてちゃんと認めるべき。 崇山との交流は少林寺拳法の多額の
寄付が元。 日本の少林寺拳法が中国武術とは関係のないというのは
ちょっと武術に詳しい人間なら周知のこと。 くだらないのでこの話はここまで。
425ふにゃぽん:02/08/14 12:19
中国の武術は、基本的に、あの「中国靴」を履いて行うのに対し、
日本のそれは、「剣道」、「柔道」、「合気道」、「空手」など、
全て裸足で、稽古されるのは何故だろう?

日本には、「裸足の文化」ってのがあるのかな?

逆に「靴の文化」はない?

それは、中国側にも正反対に当てはまる?
426T・S:02/08/14 12:55
>>425
多分、蒸れやすいからではないかと思われ……。
服装だって通気性のいいのばっかしだしね。
427ふにゃぽん:02/08/14 13:07
>>426
おお、T・Sさん。
どうも。

そうですね。

それと、今ふと思ったけど、日本人にとって、「裸足になる」
ということは、「穢れの思想」に繋がるのかな?

自殺する人は、靴脱ぎますしね。

だから、宗教的側面を多く持った日本の「武道」では、
稽古前に靴なり、草履などを脱ぎ、神聖な道場へと入る、
そしてそれは、同時に俗世からの一時的なな「解脱」となる。

といったところでしょうかね?
428世界@名無史さん:02/08/14 14:41
単に生活習慣の問題でしょう。

昔は中国武術はたいてい屋外で練習してましたし、中国の生活
そのものが靴をはいた生活ですからね。
429ふにゃぽん:02/08/14 15:39
でも、いずれにしても、「日本武道」ってものは、
「神道」の影響なしに考える事はできないんじゃないかな?

「道着」は原則として、「純白」の白だし、相撲取りなんて、
その起源は、まんま五穀豊穣の祈りをささげる神官の僕みたいな
もんだし・・・。
430世界@名無史さん:02/08/14 16:11
>>425
塩田剛三翁は足の親指の用法の重要性を説いてましたが、
やはりそれも靴ではなく足袋と鼻緒の文化から来たのかも知れませんね。
・・・妄想ですけど。
431世界@名無史さん :02/08/14 18:14
>424
少林寺が崇山少林寺に多額の寄付をしたという事実がどこにあるのか、ソースを説明して欲しいね。
そんなにお金を貰ったのなら、もっと寺を改築してても良さそうだが。
(日本の平均月収は中国の20倍以上といわれているのだが)
ちょっと武術に詳しいと義和門拳は知らないのですか?

個人的には少林寺が日本の古武道であっても、全然構わないが中国の人達との人間関係を損なうのがいやなのでやめてほしい。
もし、根拠のある事だというならこんな所でなく、雑誌で発表して下さい。
多分裁判になると思いますが自信があるなら、匿名でなく公的出版物にてお願いします。

432世界@名無史さん:02/08/14 19:26
>>431
横レス申し訳ないが、議題になっているのは中国の少林寺との人間交流ではなく、
宋道臣がどの中国拳法を学び、どの程度それを日本少林寺拳法の技術体系に組み込んだかって事だと思われ。
それを公的出版物だの裁判だの、きちんとソースを挙げて議論すれば済む話でしょうに・・・。
433T・S:02/08/14 20:42
>>429
生活習慣という>>428の意見に同意です。
宗教的側面というのは確かに抜かせられない要素ですが――そも神道というもの自体が曖昧なものですからねぇ。
いや、確かに古流の多くは神社や寺院との関わりがあったようではあるのですが……。

それを視野に入れるならここが参考になるかも。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/998675857/l50
ちょい手前ミソなレスな感じもあるですが。

この辺のことは梵阿弥さんが詳しいのだけどな……。
434世界@名無史さん:02/08/14 22:31
少林寺よりも少林寺空手道の方が気になる。あれはどういう経緯でできたの?

435世界@名無史さん:02/08/15 03:13
>>429
道着が白って、意外と新しいんじゃないかな。
昔は藍染が主と思うんですが。
嘉納治五郎が普及しやすいように安い白にしてから主流になった、
て話も読んだことあるんですが、その辺どうなんでしょうか…。
436世界@名無史さん:02/08/16 11:04
>>431
そういう話がしたいなら葡萄板にいきなさい。
ここでは他の人に迷惑がかかります。
437ふにゃぽん:02/08/16 18:35
さらに、日本武道の神道のみんらず、仏教からの影響ってのは
どうでしょう?

一部の坊主は、体術使うし、なんらかの相互影響があったと思うけど。

密教の修行法なんか、ある意味、武術と切り離せないような。

役 小角は、武術の達人だったって話がありますし・・・。
438T・S:02/08/16 20:12
>>437
「格闘技の歴史」には古代において修行僧などにより体術が伝道していたとあるけど…。
密教の修行者は古くから「手足の利く者」として武術に長けていたという話を小説で読んだけど、実際のところは知らない。

ただ、寺社と武術の関わりは鹿島神宮で古代の兵士が訓練を積んで防人として旅立った伝統から「鹿島立ち」といわれていたものもあるし、全くないとは言えない。
念流開祖・念阿弥慈恩はどこやらの寺にいた神僧より秘術を伝授されたともいい、禅門には護身の杖術が伝わっていたとも。
まあ、元の復興により多くの明の禅僧を招きいれ、山門の中では彼等が不自由しないように中国語を喋るようにしていたとも。
その伝統は江戸初期まて残っていたとかなんとか。
大陸伝来の武術が保存されていた可能性もなくはない、という感じですかね。

すまんですが今日は時間ないのでとりとめのない感じになってしまったデス。
439T・S:02/08/16 20:16
あとちょっと。

小角の伝記は時代を経るごとに色々と加算されていっているので、あんましアテにならないです。
詳しくは銭谷武彦の「役小角伝記集成」参照のこと。
一番古い続日本記には妖術を能くして衆を惑わしたといかかいてないですよ。
440 :02/08/16 21:56
モンゴル航空相撲
441世界@名無史さん :02/08/16 22:54
バビル二世最強伝説!

442世界@名無史さん :02/08/16 22:58
>436
つーかこのスレ自体葡萄板にいくべきだと思うのだが。
人間(というかその祖先)が武器をもった段階で徒手による格闘技の歴史
(世界史的にみて)はすでに終わってる。
より効率的に相手を倒すなら武器を持った方が早いでしょ。


443世界@名無史さん:02/08/16 23:12
>>442
戦争のメインウェポンとしての格闘技はそうだろうけど、
サブウェポン、競技、見世物、鍛錬、護身としての格闘技はこの板で語るに足りる文化だと思うが?

それに武道板はこういう議論ができる雰囲気じゃない。
444T・S:02/08/16 23:21
>>442
>つーかこのスレ自体葡萄板にいくべきだと思うのだが。
>人間(というかその祖先)が武器をもった段階で徒手による格闘技の歴史
>(世界史的にみて)はすでに終わってる。

この辺については異論が。
誰かが武器を持った段階とかどうこうは別にして、徒手格闘技は生まれて、廃れ、競技化していったりしなかったりと色々な事件がありました。
この発展の仕方は地域に寄っては違っていたり、広範囲で共通していたりと様々な側面があります。
そーいうのをひっくるめて現代にいたるまでの歴史をあれこれ語るというのは、この板にあるスレとしては十分存在意義があると思います。
445世界@名無史さん :02/08/17 01:11
純粋な徒手空拳が発達した歴史とは、カポエラにしろ、空手にしろ権力者に武器を持たせる事を禁じられた為に副産物として発展したにすぎない。
世界史板であえて語るべき事もないような気もするのだが。
446世界@名無史さん:02/08/17 01:36
>>445

そこまで単純でもないだろう。

古代ギリシアのレスリング、ボクシング、パンクラチオンは、自ら進んで徒手空拳で戦い
合うものだった。武器を取り上げられたわけではないのに。
ムエタイだって、武器を取り上げられたから出来たのか?
あるいは相撲は?

全てが、空手のパターンではないはず。
いろいろな類型にまとめられるなら、それに挑むことは史学的な価値はあるだろ。
447世界@名無史さん:02/08/17 01:37
>>445

だいたい、空手を純粋な徒手空拳の武術と思っているらしいところが、問題だな。
448世界@名無史さん:02/08/17 01:41
>>445
>純粋な徒手空拳が発達した歴史とは、カポエラにしろ、空手にしろ権力者に武器を持たせる事を禁じられた為に副産物として発展したにすぎない。

過ぎないと簡単に言い切っている割には詳しくなさそうだが。
というか、「世界史板のスレとしてかくあるべき」なんてものがあるのは初耳だ。
感覚的に「これからここだろう?」って感じのものだと思っていたが。
449世界@名無史さん:02/08/17 01:47
世界各地に存在する徒手格闘技を、「文化」と捉えるならば、文化史として語る意義は十分に
あると思う。
450世界@名無史さん:02/08/17 04:09
殆どの格闘技は文化的、歴史的背景を背負っていて、
それによって格闘スタイルが出来上がってたりもする。
文学の方でも伝書の研究なんかしている人もいる。
武道板と違った側面から語る意義は十分にあると思う。
451ふにゃぽん:02/08/17 11:12
朝から見てますけど、みなさんよろしいでしょうか?

>>445さんの様な、このスレの存在意義を問うようなレスは
決してスレ違いではないので、どんどんお寄せ下さい。

ただし、ご自分も論破される御覚悟で。

>>431のようなケースは、あきらかにスレ違いですので、ご遠慮頂きたいですが
・・・。

みなさんの下さったご質問に、能力上、レス数上の都合で、全てはお答えできませんが、
どうしても回答が欲しい場合は、話の流れが向きそうになったときに、随時
お聞きください。

私も>>1なので、みなさんのお勧めに従って、
「格闘技の歴史」を図書館から借りてきました。


452ふにゃぽん:02/08/17 11:27
出来うる限りの質問には答えたいと思います。

ところで、「日本」「中国」ときて、今度は朝鮮の格闘技、「テコンドー」
の話に行きたいと思います。

>>106で述べられているように、あの競技は、もともとから「極心崩れ」なんでしょうか?

でも、空手より早く、オリンピックにも採用され、昔(7年ほど前)私がアメリカ
に住んでいたころから、道場の数は、空手のそれより圧倒的に多かったのは、(約1・5倍ほど
シアトルにて)ひとえに、流派が統一されているからでしょうか?

それと、「テコンドー」以外の「朝鮮武道」ってあるんでしょうか?

453世界@名無史さん:02/08/17 14:01
「朝鮮武道」はそのほとんどは日本の統治時代に根付いた
日本武道が元になっていますね。

しかし、朝鮮では日本統治時代の遺物は全てがタブーなので、朝鮮独自の
朝鮮武道であると言い張っています。
454世界@名無史さん:02/08/17 14:25
>>446>>450
そうですね。
それぞれの格闘術にはその発生した地域の文化的特色が色濃く出ていますね。
今では普通に見ているレスリングやボクシングでも東洋の文化から見れば
かなり激しく荒々しい格闘術に見えると思います。
455ふにゃぽん:02/08/17 14:43
>>453
>朝鮮武道」はそのほとんどは日本の統治時代に根付いた
>日本武道が元になっていますね。

そうですか。じゃあ、前近代の朝鮮には、あまり「武術」はなかったんだ。

この板でこのテの話題はあまりしたくないけど、マス大山は、朝鮮の北側の人だった
ってのと、「テコンドー」の起源は北と言われるのは、こういうことなんですかね。

「テコンドー」は、数多い極心の亜流の中でも、大山派に近いみたいですからね。

>>454
、>今では普通に見ているレスリングやボクシングでも東洋の文化から見れば
>かなり激しく荒々しい格闘術に見えると思います。

確かに、西洋のボクシングやレスリングの選手は、遅くても40前には
引退します(させられます)ね。

東洋の拳法や剣道や合気道の選手は、場合によっては70前後の人が現役
だったりしますね。

456コギャルとHな出会い:02/08/17 14:49
http://book-i.net/sswab/

  ヌキヌキ部屋へ

女子高生とHな出会い
457T・S:02/08/17 15:18
>>452
テコンドーについては>>113を参照のこと。

>>453
それいいだすと色々と問題がさぁ…。
つーか、それって「合氣道(ハプキドー)」についてのことじゃないの?
一応、なんかあったと思うよ。

>>455
んー。
よく知られる伝記ではマス大山は最初に「借力(チャクリキ)」ってのをならったことになっていますね。

言い方にもよるけど、ルール限定して発展したレスリングやボクシングと「色々アリ」の日本や中国の武術の方が荒っぽいと思うデス。
それに西洋スポーツの選手が引退が早いのは、練習方法の問題であると思いますよ。
ボクシングの場合は試合にグローブを使っているせいだと思いますが。
458ふにゃぽん:02/08/17 17:52
それと、答え人の一人である
私こと、ふにゃぽんは、T・Sさん等と違い全くの無知蒙昧です。

で、みなさんのレスにお答えしていて、自分でも判らない、
したがって答えようがないんだけど、興味深い
質問というのに出くわしたりします。
>>434とか>435とか。

そういうのを見かけた方は、横レスや亀レスでもいいから、できたら
ご教授ください。

いただいたレスにかんしては、必ずコメント致しますんで。

ところで、日本から海外に伝わって、向こうで定着した武術といえば、
最近(でもないか)では、「ブラジリアン柔術」なんて考えられますが、
あれなんか、「前田 光世」が伝えた段階から、ああ(マウントとかパンチとかあり)
だったんでしょうか?

459世界@名無史さん:02/08/17 18:02
>>446
少しは自分で調べろ。
とりあえず、スパルタクス戦争ぐらいからな。

460T・S:02/08/17 18:23
>>458
ブラジリアン柔術についてはちと考察しましたが、ああいうタックルからマウント、締め技と流れる方式にどうして柔道がなったのか――
それは柔道のルールが日本の文化的な思考の上に成り立っている様式的なものではないか、と考えました。
投げ技の一本、押さえ込みの一本というのは、それが路上であり、戦場であるからこそ意味があるルールです。
硬い地面に叩きつけられた投げ技の衝撃は相当なものがありますし、押さえ込みの三十秒というのは戦場ではそれだけの時間動きを封じ込められていたら首をかききられていることを意味するからと聞きます。
しかしマットの上でやっていたら、それらのルールは意味をなしません。
バーリトゥードのルールの上で確実に動きを封じるためにそれらの様式美をとりのぞいていった結果として、ああいう形になったのではないか、と。
結局は文化の違い?
みたいな。
461ふにゃぽん:02/08/17 18:27
T・Sさんどうも。

そうですね。それじゃあ、「ブラジリアン柔術」は、日本武術が
戦場モードにアレンジされたものみたいに考えていたらいいのかな?
462世界@名無史さん:02/08/17 18:37
>>455
 基になった空手は松涛館。崔さんは北へ結局亡命。そのため創始者が
北にいることから北が本家といわれるようになる。ツーかこれぐらいは
常識。あまりうそ書いたらいかんよ。
463ふにゃぽん:02/08/17 20:44
>>462
あっそうだったんですか?

ご教授ありがとうございました。
464世界@名無史さん:02/08/17 21:09
>>461
戦場というより、ラテンなストリートファイトというべきでしょうか。
以前テレビでヒクソンとデュアルデ・ウゴだったかのビーチファイトを見たことがあるのですが、、
周囲の連中(仲間、身内含む)が輪になって寝技の攻防を繰り広げる2人を決着まで取り囲んでました。
プロレス風に言うと、ランバージャックマッチですね。

日本の場合、江戸時代の喧嘩なんかは町ぐるみで乱闘になったらしいです。
そういう意味では、マウントポジションはえらく非実戦的だな、と。
何しろ横から第三者が蹴りを入れれば終わりなんですから。
やはり喧嘩に対する民族性の認識の違いによって発展したのではないでしょうか。
465T・S:02/08/17 21:11
>>461
いや、戦場モードというより、あくまで「素手による戦い」でしょう。
柔術でも石黒流みたいに独特の寝技を使う流派もあるけれど。
武器を持つ前提があるだけでも全然戦いは違ってくると思われ。

とにかくブラジリアン柔術と柔道とでは、国土による文化の違いなどがやり方の違いを生み出してるのだと。
ただ、全体の流れとしては
柔道       崩し→投げ→押さえ込み→一本 
ブラジリアン柔術 崩し(ローキック)→タックル→マウント→フィニッシュ
って感じで、様式に負っている部分を変えざるを得なくなったのではないか、と。

んー。
もうちょっと上手くまとめられたらなぁ……。

重ねていうけど、>>453のことについては「合氣道(ハプキドー)」のそれを全体に適用しているっぽいなぁと。
私もテキョンぐらいは知っている。それが捏造かどうかは知らないけど。
466T・S:02/08/17 21:56
>>464
そうそ。
向こうではストリートファイトが始ったら一対一で、仲間も手出ししないという話を聞きました。
民族性の違いはデカいです。
467世界@名無史さん:02/08/18 00:25
松涛館+剛柔流+若木竹丸氏著の「怪力法」+山田辰雄の影響+沢井健一の影響+ムエタイの影響⇒極真空手

松涛館+創始師範の工夫+若干の極真空手との技術交流(?)⇒テコンドー
468世界@名無史さん:02/08/18 00:27
テコンドーと極真の関係は、創始師範がともに学んだ戦前の松涛館。
それ以上の関係はどうなんだろ?

少なくとも、テコンドーの技術に剛柔流っぽいところはあまり見られないな。
一方、極真の基本、型はほぼ剛柔流。
(剛柔流の方から見ると、我慢ならない受け継ぎ方らしいが)
469世界@名無史さん:02/08/18 00:29
B柔術は、日本武道が、「1対1素手の誇りをかけた決闘」という近代の格闘技のニーズに
あわせて、実に見事にアレンジされたもの。
470世界@名無史さん:02/08/18 01:11
>>465
柔道の海外普及でレスラーなんかと試合った柔道家が
「こちらの観客は投げて一本というのがわかんないから、
絞めるなりして参ったさせなくてはダメだ」みたいに書いてますよね。
ストリートファイトとしての実用性もあるだろうけど、ボクシングや
レスリングの感覚でやる(or観る)者に対して普及していくために
様式的部分を削っていく形になった、というのもありえると思います。
471世界@名無史さん:02/08/18 01:14
>>470
>柔道の海外普及でレスラーなんかと試合った柔道家が

ずばり、グレイシー柔術の祖、前田光世ですね。
472世界@名無史さん:02/08/18 01:22
戦前の松涛館では、まだ背足の回し蹴りは使われていなかった。
しかし、現在のテコンドーの主力となる攻撃は背足による回し蹴り。

極真や日本拳法空手道はムエタイからの影響で導入したというけれど、テコンドーは
どこから学んだのだろう。
473T・S:02/08/18 01:34
>>471
別に前田光世だけじゃないですよ。海外にて活躍した柔道家は。
望月稔師範も柔道畑だし。
小山十段(下の名前忘れた)も海外でレスラーと試合とかしてる。

ついでに>>470さんのおっしゃる裸締めについては望月稔師範の回顧談よれば、向こうの選手は面白いようにきまったのだそうで。
474世界@名無史さん:02/08/18 01:38
>>473

昔の柔道家は結構他流試合してたんですね。

考えてみたら、木村政彦だってエリオと対決していたっけ。
475T・S:02/08/18 04:05
>>474
大正の頃に行われた柔拳興行ってのもありますな。
……もっと前だったかな?
柔道家対ボクシングの試合興行。
どんなだったかは詳しく知らないのだけど。
476世界@名無史さん:02/08/18 04:56
>>475
戦後にもあったけど、大正頃のは嘉納健治がやってたというやつですよね。
ただ嘉納健治が拳闘を持ち込んだのが明治42年だそうですが、
その42年の5月17日に
「柔道拳闘 日米の試合 見物は八百長と絶叫す」なんて朝日の記事があるそうです。
そんなにすぐ始めたのか、あるいは嘉納以前にも対拳闘試合を考えた人がいたのかも
しれませんね。
477世界@名無史さん:02/08/18 06:00
もひとつ。
前に話題に上ったホームズのバリツですが、流祖(笑)のバートン・ライトを
検索したら結構偉大かもしれない人でした。
E. W. Barton-Wright (1860-1951)は土木技師でして、仕事柄各国を廻る。
一方で護身術に興味がありボクシング、サバット等を研究。
日本にも3年ほど滞在し、流名不詳の流派および講道館でも修行。
1899年、帰国後、護身術(バリツでいいらしい)教室を開くにあたり、
日本から柔術家を招聘。中の一人18歳のタニ・ユキオ(天神真楊流)は
賭け試合を受けるなどして評判。
かくて柔術はロンドンで一大ブームとなった。
らしいです。知らんかった…。
478世界@名無史さん:02/08/18 07:28
訂正
やっぱりBartitsuもしくはBartisuだった…。
479世界@名無史さん:02/08/18 13:27
伴流古式武術についてどなたか御存じの方いらっしゃいませんか?
日本でも稀な蹴り主体の挌闘技と聞いたのですが?
480世界@名無史さん:02/08/18 15:38
ここが有名な夏房による自作自演スレですか?

481世界@名無史さん:02/08/18 22:48
>>472
大ばか者。
テコンドーは中足の回し蹴りが基本だ。
背足を用いるようになったのはつい最近。
ITFの内容を知ってるのか?中途半端な知識で書き込むな。
ポイント制でスピード重視になってから背足が使われるようになった。
しかし、あくまでも基本は中足だ。

それからムエタイは脛の端が基本だ。
君の師匠は背足が基本とでもいったのか?
馬鹿も休み休み言え。フルコンでも脛の端
でけりこめというところがほとんど。
背足はいろいろと危険が多いのでな。

もっと勉強してこい。
482472:02/08/18 23:00
>>481

テコンドーも基本は中足だったのか、知らなかった。
教えてくれてありがとう。

あと、背足での回し蹴りってのは、個人的には脛から足の甲までのどこかを使って
蹴る蹴りくらいの意味で使ったつもり。

あと、当方は、極真茶帯です。
483472:02/08/18 23:05
テコンドーについては、うちに入門してきたテコンドー経験者とのスパーで体感
した程度の知識しかない。

確かに中途半端な知識だった。
スマソ
484世界@名無史さん:02/08/18 23:09
698 :Ms.名無しさん :02/07/04 22:39
とにかく痩せてる女は大嫌いっ!私の前に現れたら即効で
いじめの的にするよ。
昨日も町を歩いてて165cmくらいで40kgくらいのやつが
私にむかって流し目してきたからトイレに連れ込んで
服全部脱がしてやった!
私の半分くらいの体重で勝てると思ってんの?
485世界@名無史さん:02/08/18 23:17
俺は、ミドルは脛、ローとハイは脛でも足の甲で蹴るよ。
486T・S:02/08/18 23:18
>>476 >>477
どうもでーす。
嘉納治五郎の弟でしたっけ?
嘉納健治は。

柔拳興行に近い対決はなにかの伝統になっているのでしょうかねえ。
日本武道の真髄を見せたがっていたのかも知れず。
米兵だかイギリスだかが選抜したボクサー五名と柔道かがやりあったという話もありますな。
国井善弥の逸話にあったものですが。
見学していた国井はボクサーの大将を肘打ちの一撃で破ったとか。
大昔の雑誌で読んだ話なので、詳細はさっぱりわかりませんが。

バートン氏の業績については気になってはいたものの、詳しいことは知りませんでした。
ですので非常にありがたいことです。
そうですか。
やはり天神真楊流の使い手を招いてたりしているわけですか。
ふーむ。
当時の東京で流行っていた流派は起倒流、楊心流、天神真楊流だったそうですから、やっぱりその線ですかな?
いや、細かい流派はいっぱいあったそうですから、特定はできないですねえ。

>>479
うーん。
知らないですなぁ。
「武芸流派大事典」には伴流弓術というのはありますが、違いますねぇ。
あるいは大伴流柔術というのもありますが。
うーん。
なんか「私闘学園」あたりで見たような記憶が……。
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488ふにゃぽん:02/08/19 17:58
>>479
今日、ちと調べましたけど、やっぱ判りませんね。

伴流古式柔術ですか・・・。

古流でありながら、蹴り主体というのは、始祖は藤原 鎌足あたりなのかな?

というと、流派では、平心流の支流なのかな?

判る方、教えてキボンヌ。

>>481>>485さん。
>フルコンでも脛の端
>でけりこめというところがほとんど。
>背足はいろいろと危険が多いのでな。

私も、お恥かしながらも、空手をやってまして、今茶帯です。

そうですか。テコンドーは脛の端で蹴るのが基本ですか。

私の流派では、コシと呼ばれる、足の指の付け根あたりで蹴るのが基本ですが。
(前蹴りも、回し蹴りも)

それは、やはり蹴る側、駆られる側の安全を考慮してのものなのですかね?

コシや、足の甲で蹴る場合は、蹴られる方は、破壊力の問題で、蹴る方は技の未熟さ
からくる突き指や打撲の心配がありますから・・・。
(高田vsミルコ戦 参照)
さらに、私の空手の師匠曰く、「ミルコがコシで蹴ったら、相手を殺しかねん」と・・・。

でも、脛で蹴る場合は、破壊力は置いといて、足の長さが問題になってくるんじゃ
ないですか?

それと、脛も何かに打ち当てるなどと、それなりに鍛える必要があるんじゃないですか?




489481:02/08/19 18:55
>>742さん
 背足といったら足の甲のみのことです。通常、特にミドルはスネを使った方が
安全です。もちろん背足も使いますが、基本はスネです。

 とはいえ強い口調で書いてスマソ。

>>488
誰がテコンドーはスネと書きましたか?
それに中足は虎趾(コシ)とも言われることは空手をやっている者なら常識だ
とお思いますが。

もともと空手には回し蹴りはありませんから、虎趾を使った前蹴りを横から足
をもってきて蹴るやり方の回し蹴りを編み出したという経歴があります。威力
的には逆にフルコンやキックの蹴りの方が上です。また当てにくいので、私と
してはマスターに時間がかかるこのやり方はあまりどうかなと思っています。

>でも、脛で蹴る場合は、破壊力は置いといて、足の長さが問題になってくるん
>じゃないですか?

>それと、脛も何かに打ち当てるなどと、それなりに鍛える必要があるんじゃな
>いですか?
この2文の意味がわかりません。スネで蹴ろうと膝で蹴ろうと足が長い方が有
利なのは当たり前。ボクシングならパンチのリーチで勝負が決まるといわれる
こともありますし。

それから、キックの選手もムエタイの選手も特にスネは鍛えません。
サンドバッグとミットを蹴るだけです。


っていうかこれぐらいは検索かければサクサク出てくる知識です。
もう少し書く前に下調べしてはいかがですか?
490T・S:02/08/19 20:18
>>488
藤原鎌足が竜祖というのなら、一応、諸賞流が蹴り技を使うとは聞いていますが…。
なんか他にあるですか?

中足の蹴りは上地流とかで見る限り、威力の問題ではなく急所を「刺す」感じですかねえ。
門外漢なので印象ですが。
まあ、その方が危険なような気はするけど。

脛をビンで叩くとかいう鍛錬法を聞いたことがあるけど、あれは一体なんでしたかな?
491世界@名無史さん:02/08/19 22:18
蹴り技が強力な日本古流柔術ってあるの?
492T・S:02/08/19 23:11
>>491
諸賞流では殿様の御前にて鎧相手の当身を披露したのだけど、その時の前口上で「本来なら蹴足にて行うところですが、御前にてそれは失礼故え」とかなんとか言って肘撃ちを当てたと「秘伝日本古流柔術」には載ってあったように思う。
つまり、ウチは蹴り技も使うという意味合いではないかと思われるけど……さて。

まあ、江戸期の日本人は正座の生活とか車に乗れなかったとかいうこともあって、やたらと下半身が強かったらしい。
蹴り技を使えばかなーりの威力がだせたかも知れないなぁと。
それでその時の下半身の強さを前提にした蹴り技では、現代では大したことないかも。
493世界@名無史さん:02/08/20 01:03
>>489
実に勉強になります。

>それから、キックの選手もムエタイの選手も特にスネは鍛えません。
>サンドバッグとミットを蹴るだけです。

わたしは大道塾の緑帯なんですが、私の通っている道場では「脛を鍛えるため」にサンドバッグや
砂袋を蹴り込むように指導されます。
もちろん、これはローキックやミドルキックの技術練習でもあるので「特に脛は鍛えない」(脛を鍛える
ためだけの練習はしない)といえばそのとおりなんですが。
実際、白帯の脛と黒帯の脛では明らかに強さが違うように思われます。単に筋肉が付くからなのかも
しれませんが。。。。。。。

494ふにゃぽん:02/08/20 19:11
>>489さん。
スマソ。たしかに、勉強不足、読解不足でした。
そうですか。「中足」は「コシ」なんですか。

私の道場では、そんな言葉使わないので。どうも。

あっ、あのですね。

>でも、脛で蹴る場合は、破壊力は置いといて、足の長さが問題になってくるん
>じゃないですか?

>スネで蹴ろうと膝で蹴ろうと足が長い方が有
>利なのは当たり前。ボクシングならパンチのリーチで勝負が決まるといわれる
>こともありますし。

こう言ったのは、こういうことです。

「コシ」を使った蹴りならば、自分で間合いを計り、遠くから突っ込んでいくことも
可能ですが、「脛」での蹴りだと、最初から接近戦が前提とされるので、
足の短い者には不利なんじゃないかと・・・。

それと、K1やムエタイ、テコンドーなどで、「前蹴り」がない
(あるのかもしれないけど、実際ほとんどみかけない)のは何故なんでしょう?

空手をやっている者から見て、「前蹴り」ほど威力があって、正面にいる相手には
決まりやすい蹴りもないのに、一部の空手を除いて、前述の格闘技では、
たいてい「回し蹴り」か「足回しモドキ」しか使わない。

これは、「ショー・ビジネス的」動機かな?
(つまり、「回し蹴り」のほうが、派手に見えると・・・。)

あるいは、「前蹴り」がある意味で危険過ぎるから?
(威力もさることながら、ヘタに金的にでもあたろうものなら・・・。)



495481:02/08/20 20:42
>>493
おっしゃる通りの意味です。
空手の一部の流派のように砂袋や木を蹴って堅くすることはないということで
す。サンドバッグやミットを蹴りこんでいけば自然と堅くなっていきますか
ら。

>>494
あまりつっこんだ内容なら武道板へ移動しましょう。もっとも私よりもきつい
言葉で書き込まれるでしょうが。

>「コシ」を使った蹴りならば、自分で間合いを計り、遠くから突っ込んでいく
>ことも可能ですが、「脛」での蹴りだと、最初から接近戦が前提とされるの
>で、足の短い者には不利なんじゃないかと・・・。
 あのー、脳内妄想で書かれてもこちらとしては困るんですが。
まず、簡単に飛び前蹴りをかませるほどの余裕あるスペースを作れるかどう
か。そもそも前蹴りが有効かどうかを考えるべきです。

 伝統派のように一撃で試合が終わるならともかくキックやフルコン、テコン
ドーは一撃で試合は終わりません。必ずそのあとに来るだろう反撃を警戒しな
くてはなりません。

 跳び前では必ずダウンを奪えますか?
2回目3回目で必ずリズムを読まれて終わりです。
それから、回し蹴りの威力を本当にご存じですか?前蹴りよりも遙かに威力が
ありますが。

>それと、K1やムエタイ、テコンドーなどで、「前蹴り」がない
>(あるのかもしれないけど、実際ほとんどみかけない)のは何故なんでしょ
>う?
 それはあなたの勉強不足です。ありますしよく使います。
ただ、K-1やムエタイではストッピングであり中足は使いません。
これは裸だからです。

 テコンドーではポイントが少ないのであまり使う選手はいません。
飛んで着地する前に蹴りこむ場合はあるかも知れませんが。


>空手をやっている者から見て、「前蹴り」ほど威力があって、正面にいる相手
>には決まりやすい蹴りもないのに、一部の空手を除いて、前述の格闘技では、
>たいてい「回し蹴り」か「足回しモドキ」しか使わない。
>これは、「ショー・ビジネス的」動機かな?
>(つまり、「回し蹴り」のほうが、派手に見えると・・・。)
この大馬鹿者が。
もう少し見聞を広めなさい。
どこでも良いからキックやフルコンの道場に行ってミット持たせてもらいなさ
い。そうすれば君の脳内妄想はずたぼろに消えるから。

それから、思ってるほど前蹴りは当たらないよ。
伝統だけの世界ならともかく、キックやフルコンではね。それよりサイドに
回って回し蹴りの方が安全でよっぽど当たる。


>あるいは、「前蹴り」がある意味で危険過ぎるから?
(威力もさることながら、ヘタに金的にでもあたろうものなら・・・。)

ローキックが股間に当たる方がその何倍も危険だよ。


とにかく、もう少しいろんな本やサイト、道場を当たって研鑽を深めてくれ
よ。こんなの初歩の初歩だよ。
496ふにゃぽん:02/08/20 21:19
>>495
たしかにおっしゃる通りです。

レスありがとうです。願わくば、このスレに、アドバイザーor答え人として
今後もレスしてくださるように。

話が突っ込んできたので、もう少し一般的な話題に。

西洋に、古代から近代にかけて「蹴り」主体の格闘技が生まれなかった
のは何故だろう?

「パンクラチオン」で、もちろん「蹴り技」はあったでしょうけど、
それはあくまで、数ある「打撃技」のひとつで、けっしてそれが「主体」
ってわけではありませんでしたよね?

西洋に「蹴り」
497T・S:02/08/20 22:38
前蹴りは間合いを広げるとかストッピングとかに使われるとは聞いたことがあるけど、門外漢なのでその辺はサパーリです。

>>496
えーと、「蹴り」が「主体」といわれても……。
うーん。
東洋で蹴りっつったら弾腿ってのはあるようですが。
あれって鍛錬法だったかな?
一応、独立した体系になってなかったっけ?
西洋では……。
いや、そもそも蹴り技って組討の要素が入るとあんまし使われなくなるっぽいし。
バランス崩しやすいし。
空手でも昔は帯より上は蹴らなかったとかどうとか。

断定はできんですが、蹴り技の発達している武術とか格闘技は、ルール的に組討がない風に整備されとりはしません?
サファーデとかは……よー解らないですけど。
498世界@名無史さん:02/08/21 00:48
サバットも歴史は意外と新しいみたいですね。
もとになったChausson (スリッパ)が蹴り技が主体になったのは
南仏発祥なんで衣服がゆったりしてて動きが自由だったから、なんて説もあるようで。
手はもっぱら平手打ちで、これは試合で「当てたよ」て合図みたいなものだったらしい。
護身には蹴り+ナイフで使ったようです。
今のような形になったのは1838年にCharles Lecourなる人がボクシングと
組み合わせてLa Boxe Francaiseとしてからだそうです。
499世界@名無史さん:02/08/21 04:37
>>494
日本の武道でも日本拳法は前蹴り(突蹴と揚蹴)が主体で、まわし蹴りは試合では
ほとんど見かけません。横蹴(まわし蹴り)は金的をガードして使うと学んだ。
500ふにょぽん :02/08/21 05:55
481ってこいつなに一人で興奮してんの?

うざい。きもすぎ。

このスレからさっさと出て行け!!
501世界@名無史さん:02/08/21 08:47
サバットは体格に劣るフランス人が近代の銃剣を持ったままの白兵戦に勝つために広まったそうですが、
やはり体格的に劣る民族のほうが格闘術は進化しやすいのでしょうか?
あと回し蹴りってナイフとかの切りつける刃物を相手にすると滅法相性が悪いそうです。
刃物を持って回し蹴りをガードするだけでザックリいくとか。

それと、>>500みたいな騙りが出てくるようになったし、そろそろsage進行にしませんか?
まぁ>>481氏はもっとマターリしたほうが良いように思われますが。
502世界@名無史さん:02/08/21 12:24
481kimoi
503世界@名無史さん:02/08/21 18:12
>>501
サバットの原型のひとつのjeu marseillaisは船乗りの技だったんで、
甲板で転ばないように手は何かを掴んで足だけで戦ったんだそうです。
白兵戦云々は知りませんが、英国のボクシングとは因縁浅からぬものが
あったようですから「体格的に劣るから工夫」はありそうですね。
504ふにゃぽん:02/08/21 19:50
>>501
>そろそろsage進行にしませんか?

不本意だが、そうしますか・・・。

T・Sさん始め、みなさんのおかげで、このスレも立ってからわずか
一月半でレスも500突破しましたし。

みなさん、ほんとうにありがとう。

しかも、語りたいことはまだまだあるし・・・。

では、これからは誰かが、それとしらずageてしまったときか、下がり過ぎた時のみ
ageということにしますか。

>>503
そうですか。
空手の「サンチン立ち」も、揺れる船の上での闘いをモチーフに創られた
というから、以外と「海洋民族」の風習などが反映された格闘技というのは
多いのかもしれませんね。
505481:02/08/21 20:32
>>496
蹴り主体となると、ルールでかなり規制しないとうまく存在出来ないからでは?
実戦では蹴りはバランスを崩しやすいですし。プライドなどの総合格闘技でも蹴
りはなかなか難しいようでテイクダウンを取られるのを気にしてか素早いローが
多くなりますし。

昔の空手もへそ下までしか蹴りを入れないところを見るとそういうものなのか
も知れません。
506ふにゃぽん:02/08/21 21:48
>>505
あや、481さん。これはどうも。
たしかに、K−1でも、対抗戦で蹴りをがんがん使うのはミルコくらいのもの
ですからね。

そうですね。それと西洋人は基本として足長いから、蹴り技には不向きってことが
あるかも。

アクロバティックな「ソバット」とか「飛び蹴り」はともかく、
西洋人で片足で立っての足技の名手って、フグでもミルコでも短足ですからね・・・。
507世界@名無史さん:02/08/22 00:16
蹴り技の格闘技って体勢が不利になる危険性もあるけど、
パンチや組討に比べて本能とちよっと遠いというか、
自然に発生する率が低いのかもしれないですね。
それ故、必要となる裏事情がないと発達しないのかも。
508481の暴言集:02/08/22 06:10
あのー、脳内妄想で書かれてもこちらとしては困るんですが。
大ばか者馬鹿も休み休み言え。もっと勉強してこい
もう少し書く前に下調べしてはいかがですか?この大馬鹿者が。
もう少し見聞を広めなさい。
どこでも良いからキックやフルコンの道場に行ってミット持たせてもらいなさ
い。そうすれば君の脳内妄想はずたぼろに消えるから。
とにかく、もう少しいろんな本やサイト、道場を当たって研鑽を深めてくれ
よ。こんなの初歩の初歩だよ。

481は謝罪の一言もないのか?ウンチク偉そうにタレル前にその人格どうにかしろ!







509T・S:02/08/22 11:19
>>503
ふーむ。
なかなか面白い話ですねぇ。

>>504
んー。
サンチンが船の上で発達ってのはどうですかねぇ。
詳細は知らないけど、福建の方に似たような型があるとかないとか……。
詳しい人に教えてほしいですけど。

>>505
ですかね。
外国に輸出された空手は蹴り技が発達すると聞くけど、やはりその辺はこちらと違って打撃のみの格闘技としての認識が強く、ルールが整備されているからでしょうか?

>昔の空手
何処のなんと言う人かはしらないけど、「上段の廻し蹴りが受けられないやつは、武道家やめてしまえ」とか言い切った人もいるそうで。

>>506
足が長いってのはどうなんでしょう。
うーん……。
そういいきるのはちと辛いかも。

>>507
そーいえば、いきなり始った喧嘩では、ボクサー同士であってもつかみあいから始ることが多いとは聞きますな。
実際にどうだかわかりませんが

>>508
まあ、そういうのはさぁ……。
折角穏やかになってるんだから、蒸し返さなくても。
510世界@名無史さん:02/08/22 13:31
>そーいえば、いきなり始った喧嘩では、ボクサー同士であってもつかみあいから始ることが多いとは聞きますな。
>実際にどうだかわかりませんが

私の経験と観察から考えることですので、あらゆる場合に当てはまるとは思いませんが・・・・・・

突 発 的 に 喧嘩が始まるような状況では、すでに距離が詰まっていることがほとんどです。
というより、手が届くほど近づいたからこそ喧嘩になるんじゃないでしょうか?
何かで口論になり、興奮している状態で、相手と距離をとろうとする人はまずいません。そして距離が詰まっていき、
どちらかの我慢の限界を超えたときに手が出る・・・・・というような経緯で喧嘩になるパターンが多いでしょう。

相手と間合いを取ろうとする(というか、技を使いやすい状況を作る)のは、あらかじめ「喧嘩しよう」と決めている場合か、
冷静さを保っている場合に限られるのではないでしょうか?
そして、たいていの場合冷静な大人は喧嘩などやりません。
511世界@名無史さん:02/08/22 18:05
>>510
「距離が詰まっていきどちらかの我慢の限界を超えたとき」って
ポータブル・テリトリーとかパーソナル・スペースとかいう
対人距離を想わせますね。
こういう感覚も技の発達に関係してくるのかなぁ。
国によって距離が違うらしいし。
512世界@名無史さん:02/08/22 18:21
>>508
 君ってさぁ、ちょっと前に武板でぼこぼこになったへなちょこテコオタ
じゃない?
 捨てハン使いだし、人を貶める時ってコテハン使ったこと無いよねぇ。
 
513世界@名無史さん:02/08/22 22:03
>>511

>こういう感覚も技の発達に関係してくるのかなぁ。
>国によって距離が違うらしいし。

それは新しい考え方ですね。興味深いです。
514世界@名無史さん:02/08/22 22:23
>>508
これだからテコオタは。
一回死んでこい。荒らしが。
515世界@名無史さん:02/08/23 02:23
>514
てこおたって何?
516T・S:02/08/23 17:11
>>511
聞いた話ばかりなので恐縮なのだが、中国武術は日本のそれに比べて間合いの観念が薄いとそうな。
誰かやっている人いないですか?
517ふにゃぽん:02/08/23 17:22
>>516
日本の空手に、「間合い」の概念があるのは、剣道の影響だと
いう説がありますな。
518ふにゃぽん:02/08/23 17:54
>>516
それに反し、中国拳法には、「投」、「極」、「打」の区別が
曖昧だというふうにも見えますな。
519481:02/08/23 21:12
>>509
そりゃそうだよ。空手は南拳が沖縄に伝わったものだから。
南拳て長江以南の武術の総称。一度見るとわかるけど、かなり空手に似てる。
アジア大会正式種目だから一度ごらんあれ。
520世界@名無史さん:02/08/24 04:46
>>516
化勁とか聴勁とかは言うわりに、間合いに相当するような言葉は
あまり聞かないですよね。私が知らないだけでしょうが。
対人距離で言えば中国の人は、他人にべったりくっついても平気って聞きます。
領空が狭いから、哨戒や警告なんかはしないどいて、領空侵犯=即撃墜て考えなのかしら。
なんかほとんど妄想みたいですね(笑
521ふにゃぽん:02/08/24 21:19
中国武術では、武器はあくまで手足の延長と
考えるみたいで、そこは「空手」と同じだけど、
実際、中国のものだと思われてるけど、実は空手の
武器って、けっこうありまうよね。

例えば、「ヌンチャク」なんかは、ブルース・リーが使ってから、
カンフーの武器みたいに思われているけど、本当は空手野のものだって
聞いたけど・・・。

そうなると、「トンファー」とか「サイ」はどうなるんだろう?

だいぶ下がったので、ageます。
522481:02/08/24 22:52
ぬんちゃくは脱穀機、トンファーも脱穀機の出です。
琉球の民が武器を奪われたので、農作業品や櫂を武器とする拳法を
生み出したのがきっかけです。刃物を持っては行けなかったからの
ようです。
523世界@名無史さん:02/08/25 04:28
西洋のフレイルも本は脱穀用具。
考えることはみんな同じだね。
524T・S:02/08/26 21:22
>>519
うーん。
レスはありがたいけど、唐手の起源については上の方でぼちぼちと。
今は解りにくいですけど、泊手とかが南拳っぽいそうです。

上地流とかは大陸で教えていたそうだから、当然その地方の影響とかあるだろうし。

いや、サンチンとそっくりな套路が云々は、船の上で残ったというのに対するレスでしたから。
525ふにゃぽん:02/08/30 22:43
遅ればせながら、みなさん、レスをありがとう。
勉強になりますた。

ところで、東洋の格闘技の話題が多かったので、西洋の方の話をします。

「格闘技の歴史」を読む限り、古代ギリシアにおいては、最初からボクシングと
レスリングは異なる競技と認識されていたようです。
(オリンピックでの取り入れられ方等から察するに・・・。)

ところで、日本では、野見宿弥と当麻蹴早の、史上初の相撲試合に見られるごとく、
「打撃技」と、「投げ、固め技」の形態が、一つの競技の中に渾然一体となっていたようです。

古代ギリシアのさらに源流となる文明の地、エジプトやメソポタミアの時代から、
こうした「打撃技」と「組み技」の区別は明確だったのでしょうか?

余談ですが、「旧約聖書」の「創世記」で、ヤコブが、天の使いと争うのは
「レスリング」においてでしたね。

起源としては、競技としての「打撃技」と「組み技」はどちらが先に体系化
されたのでしょう?

ageます。
526世界@名無史さん:02/08/31 04:37
オリンピック競技としては
レスリングとパンクラチオンは前708年の18回大会、
ボクシングは前688年の23回大会、
からだそうですね。殆ど一緒というべきか20年の差は大きいと見るべきか。
どちらが先に体系化……う〜ん…。
527世界@名無史さん:02/08/31 06:27
>>527
実際、現代のボクシングの技術は全てグローブ着用を前提として作られている
ので体系化といったらそれほど昔ではないのでは?
528T・S:02/08/31 10:08
>>525
私としてはレスリングだと思うデス。
大概の地方にはレスリングか相撲の類はあるのに、打撃中心の技術は割かし少なめなような気が。
前世紀までボクシングでも投げとかあったみたいですし。

つーか、殴る蹴るは自分の手足も痛くなるから苦手(笑)
529ふにゃぽん:02/08/31 19:22
>>526-528
みなさん、ありがとう。

ところで、レスリング、ボクシング、およびパンクラチオンですが、
「格闘技の歴史」によると、ギリシア時代には、これらの選手は強者ほど
尊敬され、観客も試合を観る際には、選手に敬意を表することが義務づけられていた
ようですが、ローマ時代のように、奴隷(拳奴、剣奴)同士を戦わせるのを観て楽しむ
というような「ショー・ビジネス的」要素は、ギリシア時代にはなかったのでしょうか?
530アマノウヅメ:02/08/31 19:46
たしか、奴隷は参加権がなかったと記憶しておりますが
ショー・ビジネスとはまた別の問題で、これらの名選手たちの
師匠だのナンタラは相当もうけていたんじゃないでしょうか。
531世界@名無史さん:02/08/31 22:45
ちなみにみなさん。
格闘技の祭典「Dynamite」の地上波放送は9/114:30〜16:54(関東地方)
ですよ。
532世界@名無史さん:02/08/31 22:58
>>529
ギリシア時代は参加権はアマノウヅメさんのいうとおり、奴隷じゃない男子のみ。
見る側も奴隷じゃない男子のみが許されていました。
ショーではあるでしょうが、ビジネス的要素は低いでしょう。
強い男尊女卑環境下での男性のためのショーと考えた方がよいのかもしれません。
533世界@名無史さん:02/09/01 01:46
>>530
選手はポリスの代表という側面もあったわけで、
勝者ともなれば、故郷では英雄としてなに不自由なく暮らせたみたいですね。
ボクシングで、丸一日戦った、なんてのがあったと記憶してますが、
信仰心、名誉、生活…いろいろなきゃそんな無茶なこと出来ませんよね。
ローマが入ってくると、ぐっとビジネスライクになったそうですが。
534世界@名無史さん:02/09/01 03:41
>>528
発生と体系化は別に考えた方がいいと思うんです。
たとえばヌバ族の相撲なんか、体系化されてる、とは言いにくいような気がします。
組討は世界中あるけど、拳技に比べてレクリエーション的要素も多いから、
原始的なまま、て場合も多いかと。
体系化されるには、流行ってるから統一ルール作ろう、とか
軍隊が採用したから教育のために体系化する、てな流れが必要でしょう。
レスリングもボクシングもエジプト以前にエチオピア辺りで兵士の格闘術として
行われていた、という説があるんで、恐らくは両者ともこの時点である種の体系化は
なされていたとも思います。
もちろん、厳密に組討だけ、拳闘だけ、みたいなものではないでしょうけどね。
535世界@名無史さん:02/09/02 01:16
>陸奥エン明流の起源なんたら〜

そういやある人が
「陸奥エン明流は九十九のじいさんが空手等を家伝の柔術に取り込んで創作した
流派だ。だから修羅の刻はほとんどじいさんのほら話。」
とか考証してたな。
案外現実の古武道の世界にもある話でおもわず納得しそうになった(藁
536ふにゃぽん:02/09/02 06:56
>>>534
>軍隊が採用したから教育のために体系化する、てな流れが必要でしょう。

ちと、調べて判らなかったんですが、レスリング・ボクシング等の徒手格闘技は、
中世になると、「騎士」の教育的目的としても、行われなくなったんでしょうか?

日本の武士は、「体術」を一通りマスターしたみたいだけど・・・。
537アマノウヅメ:02/09/02 08:04
日本の戦には「組み合う」というのがあるけど
ヨーロッパじゃ鎖帷子だから落馬なんかしたらもうアウトじゃないですか?
538世界@名無史さん:02/09/02 08:39
>>536
逆に中世なら、身代金のために傷をつけずに捕らえる必要があるから
組討は絶対必要じゃなかったっけ?
539アマノウヅメ:02/09/02 09:30
それは考えてませんでした。
日本の場合は首をかき切るんですが。
540T・S:02/09/02 09:40
>>534
なるほど。
そういわれてみると、組討技法のある相撲とかでもレクレーションぽいですな。
日本の相撲にしたって様式いっぱいだし。
勉強になります。

>>535
それやるとみもふたもないし〈笑〉
まあ、廻し蹴りとか体系に入れてある古武術という時点ですでにインチキ臭いし〈笑〉
つーか、修羅の刻には重大な考証上の矛盾があるです。
いや、伊織が生まれたのは舟島の決闘の年だということだけ〈爆〉
あと陸奥氏って姓名は鎌倉時代までしか遡れられないらしいし。
まあ、「全部あったこと」として仮定してみたけど、スゲー嘘っぽくなったです。

>>537
体力作りにレスリングやってたという話もあるにはあるですが、どうもソースがいい加減……。
一応、十七世紀には柔術っぽい護身技法の「ボルステル」ってのがあったのは上の方で書いたデス。

平家物語に五つほど剣術の技法名らしいのが載っているそうだけど……。
さて。
541北の武人:02/09/02 15:02
誰か落合信彦の空手の実力を暴く情報をもってないの?
542世界@名無史さん:02/09/02 18:13
>>536
私も調べてよく判らなかったんですが、
騎士は14世紀頃にはもう役立たずの存在で、一方の庶民は
生活が苦しくってスポーツどころじゃない、おまけに教会が色々禁令出す、
とかで廃れたみたいですね。
ボクシングは教会が許した、てどこかで読んだ気が…。
543ふにゃぽん:02/09/02 20:05
>>532>>533さん。
亀レスでスンマセン。

そうですね。ギリシアとローマの国家としてのあり方が、
そのまま競技に反映されたとみるべきですね。
544T・S:02/09/02 20:31
>>542
うーん。
十三世紀のイタリアの神父セイント・ベルナルディーネが「The Art Of Boxing up an Opponent」と称し、“ボクシング”のなで青少年に奨励したけど、その後は後継者もいなくて廃れてという話があるですな……。

545北の武人:02/09/02 21:03
落合の空手の件は誰も興味なし?
ねえ山ちゃん?
546ふにゃぽん:02/09/02 21:12
>>545さん。↓へ逝ってください。どこかしらにその話題があったはずです。

http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1004611682/l50
547世界@名無史さん:02/09/03 03:14
調べててちょっと面白いもの発見。
1539年のドイツ(かな?)のレスリング教本です。
http://perso.club-internet.fr/jfgilles/escrime/bibliotheque/auerswald/index.html
80ページ総図版入り!
548世界@名無史さん:02/09/03 05:03
 以前、NHKの衛星放送だったかな……で見たのですが、
上の方で何度か話題に出ているトルコのオイルレスリングは、
戦場において鎧を着た騎士同士の戦いがもつれ合って刀剣などが
使えないような密着した間合いになったときに、相手に組み付いて、
相手の首の骨をヘシ折るための膂力と技術を鍛えるための格闘技だったそうです。
 体にアブラを塗りたくるのは、そうやってヌルヌル滑るような状態でも
相手を押さえ込んで首を捻ることができるくらいに俺達は腕力があるぞ、
それくらい鍛えてるぞ、鍛えるぞ、というような意味合いだったとか。

 ええと、もう9年くらい前の番組だったと思います。
 解説に松浪健四郎が出てたような記憶があるっす。
549世界@名無史さん:02/09/03 05:50
>>548
体に油を塗るって、皮膚の乾燥防止とか虫除けなんかの効果があって
古代から一般的な風習だったみたいですね。
もとは実利だったのが、戦士の精神を表わすものに変わったというのも
興味深いですね。
トルコのは確か審判とかいなくて、「お前の方が強いや」みたいに勝敗を決めるんですよね。
550世界@名無史さん:02/09/03 07:10
>>549
漏れはずっとローマの影響だと思っていたよー!
551北の武人:02/09/03 08:36
ふにゃぽんさん落合空手情報ありがとう!
552ふにゃぽん:02/09/03 10:28
北の武人さん。
どういたしまして。

ただ、ご存知かと思いますが、ノビー氏の「武勇伝」には、
いつも第三者の証人がいないものばかりですので、
ネタかマジかは判断しかねます。(w
553北の武人:02/09/03 15:18
皆さん格闘技の歴史について熱心に議論中スミマセン。又落合武勇伝についてです。
有名な話でブルースリーを三分でKOしたっていうにありましたよね。確か私の記憶では
二十年以上前雑誌の対談(ザ・ベストだと思う)でも言ってました。もし本当に勝ったの
なら、どんな技で倒したのか、それともやはり嘘なのか?それを考えると夜もねむれませ
ん。(オーバーか)
554T・S:02/09/03 17:34
>>553
あんましその類の話を持ってこられてもこまるですよ・・・・・・。
その類の個人の武勇談というのは多くの場合は第三者がいない場合が多いし。
本当かどうかというのは考えても仕方ないです。

あと、証明できる人間がいなくなってから話がでてくるというのも。
「秘伝」で連載していた合気道の初期門人の小説があったですが、その中で武田惣角が植芝盛平の元にやってきて金をせびったことがあって(これは本当)、その時のあまりにも無礼な態度に門人の某が怒って惣角に勝負を挑んだとか。
惣角は勝負を嫌がってたけど、某にひっぱり出されて試合して、投げられっぱなしであったとか。
地の文には「達人と言われる武田惣角先生も、実際は威張るだけの老人であった・・・・・・」とかもっともらしく書いてあった。
しかし惣角が負けたという話はあるにはあるけど、老年期にはないし、そもそもこの話の舞台になったところには存命の師範の望月稔師範もいたけど、そういう話は一切していない。
しかもこの話は佐川幸義師範が死んだ翌年に掲載されてる。
その上に某というのはよく合気道の初期門人が「困った先輩」として引き合いに出す人物で、実力はあるけどここ一番で失敗し、それを自分か師匠がフォローしたとかいう類の。
若くして喧嘩で刺されたといういわくつきの人物。
そういう人が惣角に勝ったと言う話は、どうもなにやらおかしな意図を感じさせるです。
まあ、私がそう思うだけで実際にあった話かも知れないけど。
それにしても、ね。

とにかく宣伝に「〜〜やっていた」「〜〜に勝った」というのはよくある話です。
武道家のすべてとは言わないけど、かなーりが詐称癖があるのと留意しておいた方がよろしいのでは。

つまんない話なので、sageます。
555ふにゃぽん:02/09/03 18:19
>>547さん。
またも、亀レスすんません。

お寄せ下さったページを見ると、「教育」としてのレスリングでもなさそうだし、
「戦闘用」の訓練でもなさそうですね。

技をかける方とかけられる方、両方が(当時の)日常服を(そうですよね?)
着ているところから、一種の護身術のようなものでしょうか?

ページにはハッキリと「RINGER KUNST」と書いてありますが、
その当時、1539年(?)のレスリング自体が、レクリエーションか護身術の
ようなものだったのかもしれませんね。

556北の武人:02/09/03 20:12
TSさん。冷静だね〜。個人的には「誰が強かったか」、とか「格闘技裏話」みたいのが
面白いと思うけどね。でも、ふにゃぽんさんは親切で好感がもてたよ!これからも頑張って
それでは皆さんさようなら……

557T・S:02/09/03 23:28
>>555
上でも書いたけど、騎馬民族の影響か、着衣式のレスリングが残っていたというから、その一種っぽいですな。
>>547さんのあげられた映像は、なんかそれっぽい。

つーか、「格闘技の歴史」は参考にあげるけど、なんか私的に資料として信用しきれないんですよね……。

>>556
冷静でないとこの手の議論はできません(笑)
裏話はそりゃ色々と……。
例えば山○編集長が責任編集している某雑誌にD○社の広告が載っているのは金の問題で、実は○岡先生をバカにしているとか……。
今更な話だなぁ。


558世界@名無史さん:02/09/04 00:55
>555>557
このスレをきっかけに色々と古典書籍の画像を調べたんですが、
恐らく動作がわかりやすいように裸で描いた剣術はあっても
裸体に近いレスリングはないんですよねー。
倫理的配慮なのかもしれませんが、この時期の欧州では着衣式の方が一般的だったのかも。

ところでボルステルって、これでしょうか。
http://www.aemma.org/onlineResources/petter/petterHome.htm
559T・S:02/09/04 23:41
>>558
えっと、これですね。
当身があることから「ボクシング」の古式とみなしている資料もあるようですが、全体的には着衣式の護身術っぽいですね。
つーか柔術っぽい。
オランダだったけど、確か1647年……うーん。
日本の柔術の技法が伝わったというのはないよねぇ(それこそ小説っぽい発想だけど)。

しかし、何を書いてるのか読めんです(笑)
それが残念だなぁと。
560世界@名無史さん:02/09/05 02:29
>>559
実は私も「オランダ→貿易…」とか考えてしまいました。
ついでに「山田長政→シャム………むえたい…」とかも(笑

しかし本当に柔術顔負けのよく出来た護身術ですね。版を重ねたというのも頷けます。
調べた画像の殆どは、レスリングだなぁ、というものでしたけど、
このボルステルはなんか異色ですね。
ついでにもひとつ、1400年前後のものらしいんですがこれも興味深かったです。

http://www.thehaca.com/spotlight/PKkick-10.jpg
親指の逆とって、膝関節蹴り〜!
561ふにゃぽん:02/09/05 06:48
>>560
「ボルステル」をはじめ、騎馬民族、主にフン族からヨーロッパに
伝えられた格闘技には、強烈な「蹴り技」があった、と
「格闘技の歴史」にはありますな。

T・Sさんは、この書をソースとしてはあまり信用できないと
仰るが、とりあえず、私の持ってる文献は、これとあと数冊の書籍だけなので・・・。

ところで、何故に遊牧民の格闘技に「蹴り技」があるんでしょう?

もちろん、馬上ではそんなもの使えるわけないのに・・・。

それと、いろいろ調べても判らないんですが、純粋な「ゲルマン民族」の
格闘技ってなかったのでしょうか?

あるいは、>>534氏が仰るように、格闘技が体系化されるのは、社会がある程度
成熟してからなので、未開のゲルマン民族には、まだ「体系化された形での」
そういうものはなかった?
562T・S:02/09/05 14:22
>>560
この映像は面白いですね。
指関節の技は柔術ではポピュラーですが、指なんてどこの国でもいっしょなのだから、どこにでもあっても不思議じゃないですし。

>>561
「格闘技の歴史」は力作だと思うのですがねぇ。

中国では「南船北馬」という言葉に対応して「南拳北腿」ってな言葉があったそうな。
船を漕ぐのに上半身を鍛えるから拳術が発達し、馬に乗ってばかりいる者は下半身が丈夫になるから腿法(蹴り技)が発達したと。
現実に南派とか北派は必ずしもこの分類には分けられないのだけど、馬に乗るというのは結構下半身が強くなければならないという認識があったかと思われ。

>格闘技の体系化
体系化は競技化と必ずしもイコールではないけど、やはり社会的に余裕があって、比較研究ができるようになってから発展するのではないかと思われ。
563世界@名無史さん:02/09/07 01:27
>>561
「騎馬民族」って言われると、それだけで納得しちゃったりします(笑
でも、乗馬と蹴り技って、どう考えても関連がわからない…。
周りに取り付かれた時に上から蹴り付けるんでしょうかね? 落馬しそうだし。
私としては、誰かが、なんかのきっかけで考え付いた蹴り技が、移動力=情報伝達力の大きい
騎馬民族の中であまねく広まった、のかなー?とも思います。

ゲルマン人については「ゲルマニア」のさわりを紹介してるページ
ttp://www.geocities.jp/hgonzaemon/germania.html

に色々と出てるんですが

「戦争がないときを狩りをして過ごすことはよくありますが、
何もしないでいることのほうが多いと言えるでしょう」

「たいてい日が出てから起き出してきて、まず風呂に入って、
それから朝食をとります。食事はばらばらに座って別々のお膳で食べます。
それから武器を手にして仕事に出かけるのですが、そのまま宴会に行って
しまうことがよくあります」

だって
あんまり格闘技に精進するというタイプではなかったのかも(笑
564ふにゃぽん:02/09/08 20:09
遅レス失礼。

>>563さん。ありがとう。

>だって
>あんまり格闘技に精進するというタイプではなかったのかも(笑

そうなんですよね。

で、例えば、日本の柔術なんてのは、元の元は合戦における
組み合いを制する技に由来するみたいだけど、
遊牧民族の格闘技というのは、ある意味で、白兵戦などの際における
「実戦」とは、わいかし無関係に出来上がったものなんですかね?


565ふにゃぽん:02/09/08 20:36
またも、亀レス失礼。

>>558さん。
お寄せ下さったページに載っている「unarmed」(徒手の)格闘技は、
「ボルステル」に間違いないようです。

そのページには、「当時の騎士は、武器を持って闘うのが普通で、
徒手の格闘技は異色だ」みたいなことが書いてありますね・・・。

やはり、私が思ったように、中世の騎士はあまりレスリングやボクシング
をしなかったみたいです。

そのことの確認が出来ました。ありがとう。

それと、>>561で、私はゲルマン民族の格闘技について、
みなさんにお伺いしたところ、彼らの社会はまだ未成熟だったので、
そういうものはなかった、みたいなレスを頂きましたが、それはケルト民族
にも言えることでしょうな?

ただ、「ボルステル」は、オランダのレスリングで、そのオランダの
マジョリティーはケルト人だと言うことはありますが・・・。

ただ、その「ボルステル」にしても、間違いなく中世に発生、体系化された
ものでしょうな。
566NX-01:02/09/09 03:16
>>564
白兵戦での格闘技ってどうなんでしょうね?
現在の軍隊格闘技も練胆が主目的なようですし。
柔術の場合は一騎打ちという思想と、首取りという現実的目的の二つが
大きく影響してる特殊例ではないかとも思います。
基本的に一対一の格闘技って戦場では凄く非合理的だし、昔の兵士は
剣やら槍やら、銃などよりはるかに修練が必要な武器を扱うわけで、
徒手格闘技まで手がまわらないんじゃないかなー?
567T・S:02/09/09 03:39
>>566
基本的に戦場では一定の技法はあったみたいだけど、体系化はされていなかったのではないかと思われ。
まあ、掴み、捻り、倒す、ぐらいのもので。
あと殴るとか。
古式の相撲には突く、殴る、蹴るの三手しかなかったともいうけど、平安末期にはかなりの技法が創案されているらしい。
戦場で武士が格闘技をつかったとすれば、これらの技法ではないか、と。
まあ、基本的に練胆でしょう。
それと徒手格闘技にまで手が回らなかった、というのは、あくまでも別個の武術として考えているみたいですが、当時は総合的なものだったの考えるべきです。
少し時代は下るけど、天然理心流などでは最初に柔術を学び、身体つくりをしてから剣術を教えられたとも言われてます。
とっくに失伝しているみたいですが。
それでも身体作りというテーマは外していなくて、通常の三倍重い木刀(鉄芯入り)を振って膂力を鍛えたとか。
568ふにゃぽん:02/09/09 08:20
>>566>>567
そうですね。やはり騎馬民族の格闘技は、体育という教育目的に
編み出された、と考えるのが妥当みたいです。

レスありがとう。

それにしても、T・Sさんのレスはいつも勉強になります。

今後ともよろぴく。
569NX-01:02/09/09 17:53
>>567
平家物語だったか太平記だったかにも今の相撲にはない組討の技の名前が
出てきますよね。
家伝レベルでの技法はあったんでしょうね。

>総合的なものだった
忘れてた(笑

ローマの歩兵は盾とグラディウスの使い方ばかり練習してたらしいんですけど、
あの戦い方の中で、格闘の技が使えるとすれば蹴り技くらい。
タイ捨流なんかも剣技の中で蹴りをよく使うみたいですが、剣術と蹴り技
は意外と相性がいいのかもなー、もしかしたらそういう方向で
遊牧民の「蹴り技」というのもあったのかもな、と今思いました。
570ふにゃぽん:02/09/09 19:42
>>569
>ローマの歩兵は盾とグラディウスの使い方ばかり練習してたらしいんですけど、
>あの戦い方の中で、格闘の技が使えるとすれば蹴り技くらい。

フランスのブルターニュ地方を中心に伝わる「リュット」なる
格闘技は、組み技を中心に構成されているが、同時に強烈な「蹴り技」も
あるそうです。

この格闘技は、西ローマ時代から伝わったとも信じられているが、
実際は「フン族」の影響に出来たとも言われています。

NX−01さんが仰るように、いずれにしても、この「蹴り技」の存在は、
「剣」との相性により存在しているとも言えそうです。

鋭い意見をありがとう。
571NX-01:02/09/10 01:32
>>570
ちょっと調べたんですが、ブルターニュの格闘技は
Gouren (lutte de Bretagne=ブルターニュの闘技)てのが今も盛んみたいですね。
蹴り技は無いようですが、kliked という足を河津掛状に引っ掛けるテクが
ポイントになってるようです。
http://www.bzh5.com/gouren/rannig4.html
足を使うと言う点では蹴りに通じるものがありそうですね。
572T・S:02/09/10 10:14
>>569
鎌倉時代にすでに「異制庭訓往来」ってな本に四十八手の技目が見えているというけど、反・捻・投・掛の四種の形をおのおの十二手に分けて四十八手としたもので、゛んざいの四十八手とは若干異なるものであったらしいです。
平安時代の相撲は土俵自体がなかったせいか、押技の類はなかったとも。鎌倉期も同様だったのではあるまいか、と。

平家物語がでたついでに、日本の武術史上、技法名が文献に現れたのは巻四、宇治橋合戦の条にて
蜘蛛手・角縄・十文字・蜻蛉返り・水車
――の五手が上げられたのが最初。

蹴り技との相性は、戦国時代の威風を残す流派にはぼちぼち残っているのではないかと思われ。
接戦で両手を塞がった状態から蹴りを打つのは、それなりに有効だったのかも知れず。
ただ、時代が下って特化していく内に廃れたのではないか、と。
鍔迫り合いは何処の流派でもあんまし歓迎されない事態だし。
足を使う技としては願立(がんりゅう)の松林蝙也斎が足譚と称する足技を披露したと言う話があるけど、どんなものかは不明。
刀の峰を踏みつける技があったとかいうけど、ソースが思い出せない……。

現代剣道でも協会によっては激しい組討を認めているのもあって、そこでは確か足でひっかけるとかは日常的にやっているとか聞いた覚えもあるですなぁ。
どの道、武術は下半身が命なのだから、そりゃ蹴り技もあって不思議ではないんでしょうけどね。
573世界@名無史さん:02/09/10 10:17
13日の金曜日が誕生日の奴緊急集合!
http://news3.2ch.net/test/read.cgi/news7/1031587413/
574NX-01:02/09/10 17:44
>>572
足譚が刀の峰を踏みつけるとか刀を蹴り落とすとかいう技ではなかったでしたっけ?
バカ一代にもあったな、峰の上に立つシーン(笑
あと伊藤一刀斉だったか上泉伊勢守だったかも中国武術家の得物を飛び蹴りで
蹴り落としたなんて逸話もありましたね。
一刀斉の末裔だった挿絵で有名な画家、伊藤彦造も、編集者の見てる前で
気合と共に正座から飛び上がり天井を蹴ったと伝わってます。
竹内流なんかも結構アクロバティックなことしますが。昔の人は身が軽かったんでしょうかねー。
575ふにゃぽん:02/09/10 19:57
ヨーロッパで唯一の蹴り中心の格闘技と言っていいかもしれない
フランスの「サバット」も、起源は軍隊での懲罰(上官がミスを犯した部下を
蹴っ飛ばす)らしいですが、それが体系化される際に、技術的に「リュット」や
「Gouren」の影響を受けていると考えられるかもしれませんな。
576NX-01:02/09/11 02:51
>ふにゃぽん様
そのリュットなんですけど気になるんですよねー。
仏語できるわけではないんですが lutte ってfightingとか
wrestlingくらいの意味でリュットという名称の格技は、最近のリュット・コンタクト
くらいしか出ないんですよ。
あのフランス人がお国の歴史文化を誇示しない、てのも考えにくいし、
上げられた説のソースは存じませんが、本であればもしかして著者の方が
「ブルターニュのリュットには強烈な足技(上記kliked)がある」を「蹴り技」と
捕らえてしまった、てことも有り得るかもしれません。
本でもけっこうこの種のことがありますから…。

って、全然綴りが違う語だったりしたら大恥だな(笑
577ふにゃぽん:02/09/11 06:41
NX−01様。
>本でもけっこうこの種のことがありますから…。

私のソースは、「格闘技の歴史」(藤原 稜三 著)です。

この中では、「リュット」のフラ語でのスペルは載ってませんし、
さらに、この著者が、この格闘技を何故「フン族から伝えられた蹴り技中心の
もの」と定義づけているのか、の根拠も判りません。

とにかく、「リュット」のフラ語での正しいスペルさえ判れば
問題ないんですが・・・。

578NX-01:02/09/11 17:45
>577
やはりそうでしたか。
この本、持ってないんですよー。高いんだもん…。
モンゴル騎馬民族とか禅の歴史とか色々書いている方のようですが、
その辺の根拠とかは書いておいてくれるとありがたいですよね。

昔は武道関係の本って少なくて、結構、曲解しちゃってるのも多かったりしたんで
どーしてもまず疑ったかかる、て癖が付いちゃってます(笑
年のせいでしょうか…。
お気を悪くされたかもしれませんね、変なこと言ってすみませんでしたー。
579世界@名無史さん:02/09/11 22:03
スレタイでは義和団を思い浮かべたけど、
ここまで話題にのぼっていないみたいですね。
政治史では有名だけど、
格闘技史(?)では有名ではないんですか?
義和拳はどういう位置づけなんですか?
580T・S:02/09/11 22:59
>>574
伊藤一刀斎と上泉信綱が蹴り、ですか?
うーん。
知らないですねぇ。
伊藤一刀斎の師匠の鐘巻自斎は明人と戦ったという話はあるですし、上泉信綱の弟子、小笠原源心斎は明にて「張良の末」より秘術を学んだという話はあるですが…。

正座してから天井を蹴るという技は、上でも書きましたが、南蛮殺倒流の師匠が使っていますね。
もしかして、よく使われていた芸だったのかな?

個人的にはいわゆる「なんば歩き」は尋常極まりない下半身の強さから生まれたと思っています。身が軽いという以上に下半身が強かったと。
平均身長低かったそうですから、身も軽かったでしょうけど(^_^;
>>578
>この本、持ってないんですよー。高いんだもん…。
>モンゴル騎馬民族とか禅の歴史とか色々書いている方のようですが、
>その辺の根拠とかは書いておいてくれるとありがたいですよね

 なんか初めに結論ありきっていうか、どうもみんな騎馬民族から生まれたことにしてあるっぽいのがどうもねぇ。
 まあ、非常な力作なのは認めるですが、色々と……。

 私も疑う癖はついてます(笑)
 ちゃんと研究している人がいないから、みんな好き放題書いているところありますしね。

>>579
>>173で少し書いたです。
海野弘の「ドラゴンの系譜」が詳しいけど、この人は武術には素人だしねぇ。
河南少林寺が実在していると思ってるみたいだし。
引き写しでいいなら、適当に書きますが?
581NX-01:02/09/12 02:50
>どうもみんな騎馬民族から生まれたことにして
そうなんですかー。
まぁ、ロマンのなせる業てことに(笑

>>579
有名ではあるですが、やはりどんな武術だったのかが定かではない、
というのがネックなんでしょうね。
格闘技的には、突きが、投げが…て話が出来ないと盛り上がらないし。
義合拳・神拳て布教活動の一端だったので、T・S様の言うように
「使えない」ものだった可能性もありますしね。法倫功みたいんかなー?
ただ決起の前には村々の拳宜なる所で拳術を教えていたというし、梅花拳も
活動に参加してるらしいので実戦的なものになっていった可能性もありますね。

しかし「刀槍不入」とか弾に当たっても死なない、ていうの、
フィリピンで米軍を震撼させたモロ族みたいですね。
582T・S:02/09/12 10:41
>>581
神拳は使えないというのは、あくまで個人レベルで、集団で行動した際は宗教的熱狂とかでもの凄いことになったのではあるまいか、と思っているですが。
ちなみに現実には弾に当たって死ぬ場合があった訳で、そういう時は女性の穢れのせいとした。
神拳のもたらす効果は女性の不浄にあうと破られると信じられていた。
北京公使館を包囲した時、そこには西洋の夫人達もいたが、彼女らは汚れた下着を窓から振って義和団の魔術を破ろうとしたとか。
……もっとも、義和団には女性の分団があり、娘子達ばかりの紅灯照などは穢れ亡き処女隊であり、彼女らなら穢れを恐れずに突破できるとされていたという……。
となみに未亡人ばかりの青灯照はどうだったのかは知らないですが。
583ふにゃぽん:02/09/12 11:34
>>>579さん。
T・Sさん。

>スレタイでは義和団を思い浮かべたけど、
>ここまで話題にのぼっていないみたいですね。

>集団で行動した際は宗教的熱狂とかでもの凄いことになったのではあるまいか

話の流れがそちらに向かったら、私が振ろうかなと思ってた話題ですが、
ちょうど、話題が上ったみたいですので、書きます。

「義和団事件」で、「義和団」の拳士たちが引き起こした影響って、実際どの程度
だったのでしょう?
もとは、全くの徒手空拳で引き起こされた連中の暴動が、近代兵器を持った
軍隊で武装した「清国」に対してどれほどのダメージをあたえられたのでしょうか?

まあ、それが、T・Sさんのおっしゃるように、純粋な「武」の力によってではなく、
いわゆる「宗教的情熱」の産物であったとしても、八カ国の軍隊を動かしたのは
事実ですからね・・・。
584T・S:02/09/12 13:15
>>583
うーん。
義和団と一口に言うけど、その源流を辿れば白蓮教のような秘密結社にたどり着いたりつかなかったり…。
どうも山東から発生した彼らは、それを取り締まる側の巡撫の毓賢が実は排斥派で、外国人を追い払うために密かに利用しようとしていたらしいです。
義和団を民間の自衛団として認めたために、一気に組織を拡大したそうな。そしてそれを密かに支持していたのが西大后であったとも。
そんな背景があって、彼らはやりたい放題にしていたらしいです。

正直、この手の話題は詳しくないので。
あやめさんなどがこの手の詳細に詳しそうなんですがねぇ。
(何でも他人頼りにしてしまうヤツ(^_^;)
誰かに聞きたいのはこっちのほうですよ(笑)
585NX-01:02/09/12 17:53
>>583
八カ国の軍隊を動かした、というより事件に乗じて進出を狙って動いた、感もありますね。
ドイツなんかは三国干渉以来の恨みとかあったし。
西大后の件も、その辺で義和拳を利用しようとした。
反キリスト教と、それに絡む扶清滅洋の民衆ナショナリズムと、租界を巡る各国の思惑と…
もう、ぐちゃぐちゃみたいですねー。
ちなみに徒手空拳なわけではなく、武器を供与されたりしてたみたい。
また制圧後の義和団員の多くはころっとキリスト教に改宗したとかで、
この辺もようわからん(笑
おかげ参りみたいに、溜まっていた民衆のエネルギーが一方向に
噴出したというのもあったんでしょうねー。
586ふにゃぽん:02/09/13 07:31
T・Sさん。
NX−01さん。
ありがとう。

おっと、仕事だ。逝かなきゃ。

また後ほど。
587T・S:02/09/13 13:33
>>580
の訂正。
実在してなかったのは河南ではなくて福建少林寺でした……。

588T・S:02/09/13 13:48
>>585
>また制圧後の義和団員の多くはころっとキリスト教に改宗したとかで、
>この辺もようわからん(笑

西大后に全ての責任を押し付けられたからか、それとも神拳の術が西洋の魔術に破られたとでも思ったのかも。
義和団は神拳のデモンストレーションとかで人寄せしてたと言いますからな。
今の日本人ではちょいと解りにくいけど、武術と魔術はそんなに厳密に区別されるものでもなかったみたいだし。
日本でも「法伝」と呼ばれる、呪法に属する術の伝承がされていると言うし。
昔、竹内流宗家は憑き物落としを能くし、地元で「竹内教」といわれたたとか。
武芸流派大事典には十神流……だったかな? 呪術にて敵を倒す流派の名前があった。

……今漫画喫茶からなので、資料がないのですまんです。

義和団も最初に乱を起こした人物は梅花拳を使ったとも言うから、必ずしも神拳だけではなかったのだろうけど。
589NX-01:02/09/14 05:30
義和団からみでは神拳、義合(和)拳、六式拳とか色々出てきますけど、
どれも実態はわかんないみたいですね。梅花拳もどうせ今あるのとは違うんだろーな。
改宗したのは、多分「勝った方につく」てな中国大衆が歴史の中で身につけた保身法
なんでしょうが、魔術合戦みたいな捉え方も面白いですねー。小説に使えるな(笑

>武術と魔術はそんなに厳密に区別
二階堂流とか南国太平記を思い出してしまいます。
九字を切る流派なんかあるのは、その対処法なんでしょうかね。
ちなみに検索してたらこんなんが…
http://www.goshin.co.jp/juso.html

>今の日本人ではちょいと解りにくいけど
いやいや、「秘伝」がその伝統を今に伝えています(笑
590ふにゃぽん:02/09/14 08:55
>>588
>武術と魔術はそんなに厳密に区別されるものでもなかったみたいだし。

T・Sさんの得意そうなテーマですが、以前、私は少し日本武道と日本の宗教の
関連についてお聞きしましたが、中国武術と宗教の関連はどうなんでしょう?

あの実践志向の中国人のことだから、中国武術は「タオ」=「道教」
なんかと関わっていそうですが・・・。
591T・S:02/09/14 16:26
 >>589

 九字きりはあちこちの流派に残っていますが、大方は精神集中とかの方便ではないかと。
 まあ、長尾流では九字の法で病人を治したと言う話がありますね。
 現代の宗家が。

 二階堂流は実は一文字、八文字、十文字のあわせて「平」法というのは「るろ剣」にでていた解説だけど、実はそれは正しかったりしたり(笑)
 八文字までは弟子の村上尚次だったか、そんな名前の者に伝えられたとも。
 乱暴であったから八文字までしか授けられなかったが、それでもその強さは恐るべきものであったといわれます。
 その子供は流儀を継がず新免弁助に神免派二天一流を学び村上派を開いたとか。

 ・・・・・・資料がないので記憶に頼っています。

 >>今の日本人ではちょいと解りにくいけど
 >いやいや、「秘伝」がその伝統を今に伝えています(笑

 あれもなぁ・・・・・・。
 2000年まではまだしもまうちっとマシだったんだけど。
 どうしてああなったのやら。
592T・S:02/09/14 16:27
 >>590
 >中国武術と宗教の関連

 さあ、どう言っていいものやら・・・・・・。
 方士に伝授されたとか、古い神話時代から伝わると称する武術は多いですけど、「宗教」といっても、ちょい困るですねぇ。
 
 よく誤解され勝ちですが、宗教というのは世界の仕組みを解き明かそうとする人間の認識が生み出した知識体系のひとつで、現代科学から不合理極まりないですが、当人たちにしてみれば合理的なものなのです。
 ですから科学が伝わる以前に生まれた武術は、いろんな意味で非科学的な論理によって生み出されていますが、合理的っていえば合理的なんです。
 うーん。
 ハードの調子が悪くて喫茶からの打ち込みだから、資料がねぇ・・・・・・。

 ついでにいえば、中国の人は日本人よかはるかにドライです。
 何年もかけて身に付けた武術でも、役に立たないとなったらさっさとやめます。
 文革で台湾にやってきた名のある老師でも、生活のために役立たないからといって把式場をつくらずに電器屋なんぞをひらけたりして。
 そこに日本の若者が「武術」とか「拳児」とかの影響でうわさを辿ってやってきて、「是非とも弟子にしてください」とかいうものだから、高い金をとってなんとなく覚えている技を適当に教えてやったりしていることがままあるそうで・・・・・・。
 向こうさんの実践志向ってのは、大体んなものだそうで(笑)

 宗教絡みの詳しい話は、またハードの調子が戻ってからで勘弁(笑)
593ふにゃぽん:02/09/14 18:13
>>591
>二階堂流は実は一文字、八文字、十文字のあわせて「平」法というのは「るろ剣」にでていた解説だけど、実はそれは正しかったりしたり(笑)

>>592
>そこに日本の若者が「武術」とか「拳児」とかの影響でうわさを辿ってやってきて、「是非とも弟子にしてください」とかいうものだから、高い金をとってなんとなく覚えている技を適当に教えてやったりしていることがままあるそうで・・・・・・。

ハッキシ言って、T・Sさんのレス、面白過ぎですよ。(爆

本体が直ったら、またよろしくお願いします。
594NX-01:02/09/15 00:51
>一文字、八文字、十文字のあわせて「平」法というのは「るろ剣」にでていた
「るろ剣」ですかー。私は白土三平で覚えたなぁ(古〜

ちょっとずれるけど、中国人と宗教で私が面白いと思うのが小日向白郎の話で、
彼が道教と拳法を修行した千山無量観を降りるとき、院に伝わる破邪顕正の拳銃
小白竜を授かるのだけど、拳銃なんて近代的でメカな殺伐としたものにまで
宗教的な役割と名前まで与えてしまう、こーいう感覚って面白い。
宗教の使い方がうまい、というか常に現実とリンクしてるというか。
道教だから、てのもあるかもしれませんがねー。
595T・S:02/09/15 11:50
>>593
んー。
なんかおもしろいかなぁ・・・・・・あ、「実は」を二回繰り返してる。
恥ずかしい・・・・・・!

ちなみに「心の一方」と言われる「居縮みの術」は別伝っぽい。
二階堂流平法でも松山主水だけしか使えなかったっぽい。


>>594
ああ、馬賊として有名な彼ですね。
梶原一騎が別名で小説にしていたと思うですが。

銃器自体はすでに伝来して何百年もたつのですから、破邪顕性のアイテムとして扱われても不思議ではないように思います。
何せ中国ではかなり古くから複雑な機械兵器は発達していたっぽいし。

ちょい話は帰るけど、どうも清代の中国では、電気を霊魂を加工していて作っていると思っていた人たちが結構いたらしいです。
596ふにゃぽん:02/09/15 12:28
T・Sさんありがとう。

では、宗教関連の話は、また後ほどお聞かせ下さい。

楽しみにしています。
597NX-01:02/09/16 03:33
>>595
>梶原一騎が別名で小説にしていたと思うですが
ホント!? 私、馬賊関係の本は結構チェックしてるのですが知りませんでした。
ご記憶でしたら題名を教えてください。お願いします。

>銃器自体はすでに伝来して何百年もたつのですから…
鍛治がトンカン造ってた時代なら、刀剣同様に霊性を持つものと捉えられるのも
わかるんですが、機械工作時代の製品にも同様な扱いをしてるのがオモロイな、と。
もっとも、1980年代頃でしたか、「日本に学べ」の頃、自動車工場の工業用ロボットに
名前をつけているのに外国人がびっくりした、てなのがあったんで、東洋的な
伝統(?)なのかもしれませんね。
598T・S:02/09/16 20:17
>>597
>>梶原一騎が別名で小説にしていたと思うですが
>ホント!? 私、馬賊関係の本は結構チェックしてるのですが知りませんでした。

うーん。
確か子供向けの読み物であったと思いますが……。
本になっているのかどうかも知らないです。
詳しく調べてみますけど、もしかしたら勘違いということもあるかと。

しかし馬賊関連の本をチェックって……。

中国における熱兵器(火薬を使った兵器)の歴史は古いですからねぇ。
鳥銃とかも簡単に受け入れてるっぽいし。
つーか、応仁の乱の時に大陸伝来の銃火器が使われているらしいという話もあるし。
(詳細は知らない)
599NX-01:02/09/17 02:49
>応仁の乱の時に大陸伝来の銃火器が使われているらしいという話もあるし
当時ですと銃はハンドキャノンの時代。現在の撃鉄と引き金に相当する
サーペンタインという金具がそろそろ発明されるという時期ですね。
応仁の乱で火箭が使われたのは確からしいですが、銃はちよっと?
石火矢・大砲様のものなら時代からしてありえますね。
600NX-01:02/09/17 03:00
スレ違いの話題が続いちゃったので修正を兼ねて柔道関連で質問させてください。

1943年の新聞に「活かす必殺の禁じ手、柔道も決戦型に再編成」
という記事があるそうです。また1939年の小学校武道指導要目では
当身技を主教材としていた、ということなんですが、ここら辺の
柔道の戦時下対応について、情報をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか?
私自身は昔、体育史の本で、当時発表の五方当とは少し違う当身の単独形を
見たことがあるだけです。
どんな情報でも嬉しいのでお願いします。
601T・S:02/09/17 12:01
>>600
>戦時下の柔道

またマニアックな……。
残念ながらその辺のことは詳しくは知りませんが、この頃は武徳会とかが講道館とはまた独自に展開していたてすからねぇ。
もしかしてそっちの方の影響だったのかも知れず。
当身についてはどうかな。
そう言えば日本拳法の澤山沢海氏は元々柔道畑だったと言うし。
この当時は空手が柔道部門の下にあったそうですから(武徳会で)。
独特の当身の研究がされていたかも知れない。
この当時は講道館の内部には古武道研究会があったはずだし。

あ、そういえば、講道館内部で一部高段者にのみ合気道の一部を伝授していた時期があるというのを聞いた覚えが……。
ソースも何もかも思い出せないけど。
うーん。
602ふにゃぽん:02/09/17 13:25
>>600
まあ、我々は竹ヤリで、B29に対抗しようとする
国民ですからね。

話としては、あるかも。(w
ただ、その問いにはお答えできません。(w

>>601
T・Sさん。
本体が直ったんなら、中国武術と宗教の話をお願いしますよ。
603世界@名無史さん:02/09/17 14:02
>>600
講道館が空手をプッシュしていたのは当身技を空手で学ばせるためだと聞いたから。
その当時の当身は殆ど空手系だったのでは?
その頃の本で徒手格闘術とかいう本があったけどもしかして同じナイヨウだったかも。

>>601
治五郎がこれこそ本当の柔道だ!と感動したとか…
それで、弟子にうち等のやっていることはニセの柔道ですか?と聞かれて困った治五郎萌え〜!!
604NX-01:02/09/17 18:21
うう…(悲
やっぱりあまり知られてないようですね。でも、ありがとうございました。
ちなみに昭和20年に出された「国民抗戦必携」てのがネットでも読めるんですが
(リンク禁なのでご容赦)これの「格闘」の所は「水落を突く」「睾丸を蹴る」
「其の他柔道唐手の手を用ふる」だけ(笑
ふにゃぽん様が仰るように竹やりの国、しかも本当に竹やり対空ミサイルとか
造ろうとしてた国ですから、講道館がかかわったとしてもそれほどマジでは
無かったとも思われますね。いつか講道館に行って調べてみます。
605ふにゃぽん:02/09/17 21:10
>>603さん。
そうなんですか・・・。
私は読んでいませんけど、「姿 三四郎」なんかでは、空手家は完全にヒールで、
それから恣意的に、「空手」=「危険、野蛮」みたいなイメージを撒き散らかしたのは、
柔道家だと聞いていましたが、最初のうちはそうでもなかったのかな・・・。

NX−01さん。
お役に立てなくて申し訳ない・・・。
606世界@名無史さん:02/09/17 21:14
>>604
そういや竹やりでB29を落とすとかは誰が言った言葉だっけ?
漏れが調べても出てこなかったけど、爆撃機に槍で対抗しようとしたソースってなに?
607T・S:02/09/17 21:14
>>602
まだ不安定ですけどね(笑)
一口に宗教と武術というと解りにくいから、魔術と武術の関連と言うかたちにしますか?
どういう感じがいいのかおっしゃってくださいな。

>>603
「柔能く剛を制す」って言葉を嫌っていたそうですからねぇ。
その宣伝文句と共に広がった柔道もあんまり好きじゃなかったらしいし。
「精力善用国民体育の道とでも名づければよかった」とか言ってたんでしたっけ?
「柔を極めたければ古流を学べ」という言葉は、結構有名。

>>604
お役に立てませんで(汗)
うーんと、嘉納治五郎は当身の豊富な天神真楊流ま学んでいるのだから、その辺の別伝とかあっても不思議じゃないですけどねぇ。
ただまあ、前述の澤山氏も当身の研究が柔道にとっては急務と考えていたっぽいし。
当時の空気ってどんなだったんでしょうね。
柔拳興行とかの影響はあったのかな。
608T・S:02/09/17 21:21
>>605
その姿三四郎がどうこうって、「武道の理論」に書いてあったことじゃないですか?
もしかして。
609NX-01:02/09/18 00:23
>>606
竹槍云々は元は「竹槍でB29は墜とせない」て趣旨ですね。
1944年の毎日新聞に「竹槍ではまにあわぬ」てな記事が出て発禁になった
竹槍事件ていうのがあったのですが、これが元だと思います。
これが竹槍訓練やらされる国民の間で「竹槍でBを墜とせ、ってか?」と
自嘲的なお笑いになって…という展開だと記憶してます。

竹槍対空兵器に関しては「対空噴進爆槍」を検索してみてください。
他にも哀しい決戦兵器の数々がでてます。ホントに作ったのかは知りません(笑
610NX-01:02/09/18 00:34
>>605
小説の受け取り方は人それぞれなんでアレですが、「姿 三四郎」では
唐手家というより桧垣兄弟という人間が未熟で粗野、て描かれ方と思います。
イメージを巻き散らかしたのは柔道家というより漫画家とかで、
「姿 三四郎」の柔道対唐手という魅力的な構図を安直に取り入れた結果。
講道館と空手の関係は603さんの仰るように恣意的に悪く言うようなものでは
なかったと思いますよ。
611T・S:02/09/18 01:12
記憶は不確かですが、嘉納師範は神道自然流の小西師範とかとの交流もあったと思う出すし、富田常三郎氏はそーいうのを間近で見ていたり取材していた人ですから、「姿 三四郎」で悪く言うというのは考え難いかと。
って、私もあの小説読んでいないんですが(^_^;

ただ、確かふにゃぽん氏が上の方で南郷継正氏の名前を出していたもので、もしかしたら「武道の理論」あたりから得たのではないかなぁとか邪推してしまいました。
すいません。
612.:02/09/18 01:47
613NX-01:02/09/18 03:16
>>611
宮城長順や摩文仁賢和を本土に呼び寄せたのも嘉納だと言いますしね。
ただ私も南郷継正氏の本でそんなの読んだような記憶も…。

ちなみに外国のCDのタイトル見てると
"「剛の形」富名腰義珍の唐手との関連が見れる形"
なんてのがあります。買ってないんでわかんないけど。
Lost Kata’s of JudoというこのCD、「連行法の形」なんてのも出てる。
なんで外国のCDなんじゃ…(笑
614ふにゃぽん:02/09/18 07:10
そうなんです。実は、私は「武道の理論」読んでそう思ったんです。

あの書の私の中での影響力は、いまだに多大なものがあるんです。

ところで、T・Sさん。

中国武術と宗教の関係を語ってくださるのなら、おっしゃるように、「タオ」の
密教的、あるいは魔術的な部分との関連がいいです。

よろぴくお願いします。
615T・S:02/09/18 11:34
>>614
南郷先生は、上でも書きましたがあんまし真に受けたら駄目だと思います。色々と。


中国武術と宗教で、密教的というか魔術的な部分ですか。
了解。

んでその前に、宗教というのがどういうものなのかちょい定義づけ。
太古から伝えられる叡智の体系というか、知識、認識の体系が宗教です。
世界観、と言ってもいいのですが。
要するに科学みたいなものです。
魔術とは、その観念が先行した世界観の中で通用する理論とか技術のことをさしているのです。
だから、太極拳とか八卦掌とかも、その定義の上だと魔術となります。
その技法の理論が、五行とかに結び付けられて説明されていますから。
いや、中国の武術の多くが、どうも易経を起源として理論を構築しているようです。
(続く)
616ふにゃぽん:02/09/18 19:51
T・Sさん。横レス申し訳ない。

今日はもう、まとまった時間がとれないから、明日の夜に
レスを返させてもらいます。

ところで、特に意味はないが、>>615を読んで、私の大好きなマンガ、
「うしおととら」の中の主要人物で、私が萌えまくっている「符呪師 ヒョウ」を
思い出しちゃいました。
617NX-01:02/09/20 03:42
T・S様、またマシンの調子がお悪いのでしょうか…。
続き読みたいよぉ〜。

ヒマネタてことで戦中の柔道に関して自己レス(笑
英文ページからなのでソースは怪しいです。

嘉納は「柔」に対するものとして、富名腰の影響もあって当身の多い
「剛の形」を作ったが、おりしも雲行き怪しき時代。
教練に使われることを懸念した嘉納はこの形を公式のものとはせず封印した。
…らしい。コスモポリタンの嘉納ならあり得る話かも知れません。
しかし英語だと「剛」も「後」も「GO」なんでややこしいです
618T・S:02/09/20 11:48
>>617
すまんです。ちょっと忙しいのと、どういう具合に書いたものかちと迷ったもので……。

嘉納治五郎は柔と剛が一致するのを目指していましたからねぇ。
当身専門の「剛」というのはちと考えづらいなぁと。


……易経の影響を受けているのは中国武術に限らないし、そも中国の陰陽、柔剛、虚実、八卦はこの書から多く広まっているから……。
うーむ。
とりあえず宗教と武術の結びつきというのとはちょっと違うけど、明の頃、白蓮教の反乱を起こした徐鴻儒という人物がいたが、この人物の元に集まった景州の于弘志は棒垂会という結社を作っていたという。この棒垂会はどうも棒を使った武術の結社であったらしい。
それにこの徐鴻儒にしてからが水滸伝に憧れてなのか梁山泊に立てこもろうとしたと言われている。
水滸伝には多くの武術の名前がのっているが、門派とか言われて盛んになるのはこの頃ではなかろーか。
また秘密結社がらみでは1337年頃には棒湖の乱というのがあった。
これは陳洲の棒湖という人物が香を焼いて妖言を吐き、民衆を誑かしてたりして乱を作したという。
彼は六、七尺の棒を操り「進退し伎撃すること神の如し」と謳われたという。
弥勒菩薩を祭っていたことから、弥勒教ではなかったかと言われる。

ごく大雑把な話、民間にて発達した武術は地方の無頼の徒がより集まった結社のようなもので研鑚なされたものではなかろーかと思う。
それで民間の結社は多く宗教団体の要素が強かったのではないか、と。

うーむ。
この類の詳しい話は、去年にあった「あやめちゃんファンクラブ」だったかな?
そんなスレで見たように思うけどなぁ。
削除されてしまったからなぁ……。

少林寺関連は「格闘技の歴史」に詳しいけど、あれも宗教がらみとはいえなくもないし。
もうちっと詳しい話はまた後で。
619NX-01:02/09/20 17:58
>>618
>嘉納治五郎は柔と剛が一致するのを目指して
この辺はよくわかんないところですね。
「組んでいるのを崩したり、当身や逆も剛であり……柔道と言うのは変かも」
て言ってますが、これを、剛の内在を認める→柔剛道だなぁ→精力善用なんとか道のがいいかなぁ?
と取るか、仰るように一致を目指したのか(合気に見たのはこれか?)
とりあえず私は剛の形のCDを注文しました 笑
620NX-01:02/09/20 18:12
で、中国武術は常識程度の知識しかないんで質問です。
ふにゃぽん様、横レスすまんです。

結社と拳棒の技が結びついていたのは知っているんですが何故結びついたの?
目的遂行のために武力が不可欠ととらえていたからでしょうか?
また義和団に見るように、拳技=神技 というようなのがあるようですが
この構図はどこから出たのでしょうか?
621T・S:02/09/20 21:47
>>619
嘉納治五郎は古流の精神性より技法を強調するあまり、易経とか老荘とかに由来するような話にはあんまし通じてなかったっぽい。
精力善用なんとかは、精力善用というのを力を上手く使う・・・・・・つまりは力技の意であるようです。
それで晩年にはすでに試合偏重で力技頼みになってしまった柔道に対して「精力善用国民体育の道とでも名づければよかった」とこぼしていたのではなかったでしょうか?
確か。

>>620
今日は不調なのでネット喫茶からですが――
結社は多く血族を超えた信仰などによってつながっていましたが、彼らは地方で精力を持つ内にヤクザっぽくなっていったようです。あるいはその逆、かな。
そういう経緯もあって武力を得たのではないか、と。
また白蓮教だの弥勒信仰は時に反乱勢力となることもしばしば。
体制に叩かれたりしていくうちに武装化とかしていったのもあり、と。
義和団に限らず拳技=神技というのはあります。
というより、武術は時に達人となると常識を超えたものに見えますし、その解説を陰陽五行などで行うと、方術と同じです。
>>615でも書きましたが、武術と魔術の区別はほとんどありません。
武術家は方士と同じ理論を展開し、同じような養生法などを行っていました。
民間レベルでは同じものと認識されるのではないかなぁ、みたいな。


622NX-01:02/09/21 00:46
>>621
>易経とか老荘とかに由来するような話にはあんまし通じてなかったっぽい
これは仕方ないでしょうねー。時代が時代ですから。

>精力善用なんとか…
これはこぼしていたのではありませんね。
今手元に著作集がないんで加来耕三の本から引用ですが
「柔術で攻撃する場合に、打ちもし、切りもし、咽喉(いんこう)を
絞めもするが、それらは皆攻めを取るので、順応とか柔とかいう意味は少しもないのである」

「柔術とか柔道とかいう称呼は、柔能制剛という言葉から出たものと
一般的に考えられている。
それで、予も以前はそんな柔の理屈に基づいて万般のことを説いていたが、
だんだん研究してみるとどうも無理ができるから、遂には柔術柔道という
称呼はそれらが実際に指しているところのものの意味を適当に表しておらぬ
のであり、もしその意味を本当に表す名称を選ぼうとすれば、
別に命名しなければならぬということを信ずるに至った」

ということです。ある意味嘉納は「剛」の扱いをこーゆー形で
落とそうとしたとも取れるわけですが、これがさらに
柔であれ剛であれ、柔術技も杖術もスポチャンみたいの(考慮してた)であれ
精力善用(嘉納の訳でmaximum efficiency=最高効率)なものであれば
それは自分の目指す道で、導入する価値のあるものである、という所まで
発展していったということですね。

武魔術の続き期待してまーす。
623ふにゃぽん:02/09/21 08:25
いろいろ聞きたいけど、今、みなさんが「柔道の『柔』」や、中国の
宗教などについて、熱く語ってくださってるので、コメントは後にして
しばらくROMってます・・・。
624T・S:02/09/21 21:35
>>622
柔道については興味薄かったから、色々と参考になりました(^_^;

嘉納治五郎批判ではないけど、柔剛の解釈などについては佐藤金兵衛師範の「柔と拳と道」に詳しいです。
ただ、要約できないほど長いので、書くのはパス(笑)

講道館では古武道研究会を置いていたのは有名ですね。
行く末ではあらゆる武術を講道館で統合しようとしていた節もあるようで。
この研究会の出身者で古武道の宗家と言う人も結構いるという話ですが、詳しくは知りません。
鹿島新当流の宗家も招いて指導を仰いでいたこともあったりするとか。

武術と魔術の関連については、どうも上手くまとまらないのでまた次の機会にしたいかなぁと。
ただまあ、金庸の武侠小説を読む限りでも、武術の達人は魔術めいた技を使えるイメージがあるっぽいです。

この辺のことは感覚的には解っているんだけど、ちょい説明が難しい……。
625NX-01:02/09/22 00:42
>>624
「魔術」の定義なんでしょうなぁ…。
私も詳しくはないんですが、魔術って仲介業というか、霊的世界と物質世界
を結びつけるような役割がある。もちろん修行、研究を要するけど、それにより
常人には見えぬものを見、あるいは交信し、それを利用しなにかの現象を起こす。
エロイムエッサイムで悪魔を呼び出すのも魔術だけど、
エレキテルでビリビリさせて、「あ! ビクーリ」も魔術と言える。
アグリッパの言う「自然魔術」なんて殆ど「自然科学」に近かったりして。
T・S様の仰るように、一種の科学手法といえると思います。

で、武術も修行によって常人ならぬ力、敏捷性や、鋭敏な知覚を得る点は魔術修行と同じ。
人体を研究し、関節やツボを発見するのも見方を変えれば魔術と言える。
そこへもってきて中国だと導引,練気あるいは薬効という現実的手法によって
不老不死や昇仙するというのがある。修行と言う点では武術と通じる。
仙人になっちまえば、空も飛べるし、壺にも入れるしー、みたいな(笑

こう見て(私見だけど)いくと武術、魔術の境は殆どないかも、だし
小説や映画で武術の達人が魔術めいた技を使う、というのが自然に受け入れられる
のも頷けるのかなー、と長々思いました。
626ふにゃぽん:02/09/22 11:12
T・Sさん。
NX−01さん。

どうも、お世話さまです。
興味深くお話をきかせていただきました。

たしかに、「武術」と「魔術」に共通するオカルトチックなイメージは、
実際のものというよりは、小説や漫画、映画等により広められたのかも
しれませんね。

ただ、このテの話題は深入りすると、スレがとんでもない方向に流されたり
するので、T・Sさんの提案どおり、またいつかお話しましょう。

ところで、いろいろ調べて判らなかったんですが、そもそも「柔術」の語源って
なんなんでしょう?

いったい、何が「柔らかい」「術」なんでしょう?

この語ができたときから、「柔よく剛を制す」という言葉はあったのかな?
627T・S:02/09/22 15:26
>>625
魔術の場合は原理原則が観念優先でありますが、一定の法則に基づいているわけですから、一種の科学ではあります。
まあ、この辺の話は長くなるのまでまだ機会を改めて。

>>626
確か老荘から来ていると思います。
関口柔心が最初だったように思うけど、さて?
上でもあげた「柔と拳と道」が詳しいのですが、また調子悪いので手元にはありません(笑)
まあ、ざっとした感じていうのなら、柔は陰、剛は陽とかなんとか。まあ、色々と。
対立概念ではなく、調和しているんですけどね。
柔らかい、ではなく、柔は自在の意が強いでしょう。
嘉納治五郎はどうしても師や先輩が東洋的な観念を押し出してくるのを「こけおどし」と見下していた風がありますから、どうしても理解が及ばなかったっぽい。
ついでに「柔道」の語は嘉納が最初ではなく、起倒流ではすでに用いていたみたいで。
祖を同じくする直信流では柔道を名乗っていた。
628世界@名無史さん:02/09/22 16:12
>>627
オカルトまがいの流派が淘汰されていったことも明記しないと勘違いする人がいたりして。
629ふにゃぽん ◆tgcLieck :02/09/22 19:04
いろいろ話たいことあるけど、T・SさんのPCが
完全に直るまで待っていよう。

それまでに、ネタを整理しておこう。
630ふにゃぽん:02/09/22 19:36
それと、T・SさんのPCがいまだ調子悪いのは、ひょっとして、我々が
半ば強引にレスさせたからですか?

だったら、スンマセンです。
631NX-01:02/09/23 00:32
「柔」はもともとは老子でしょうね。水を「至柔」なんていった人ですから。
柔之勝剛也、弱之勝強也、天下莫弗知也、而莫之能行之

これが三略(漢もしくは後漢とも)では 「柔能制剛。弱能制強」になるわけです。
「柔術」はいつ出来たかは知らないですが、恐らくT.S様のあげられた
関口流ころなんでしょう。当然この語ができたときからあった、ということです。
しかし、よく言われる「柔能制剛 剛能断柔」はソースがわかりません。
632NX-01:02/09/23 00:39
>>627 
T.S様のおっしゃる「対立概念ではなく、調和している」ですが
中国では確かに陰陽が相互依存,相互制約,相互転化するとされますが、
日本の柔術ではちよっと変わってしまったような感もありますね。

起倒流ではご存知のように「起倒は起き倒ると訓ず 起は陽の形 倒は陰の形也
陽にして勝 陰にして勝 弱にして強を制し 柔にして剛を制す」
です(富山県立図書館HPの影印から)

また天神真楊流の磯も、例の大バトル後の話で
「かの柔能制剛に反するところも工夫し、真の当を…」みたいに。

直心流も「寛柔温和の道徳、天然に備はりあるところなり、
順に従ふ之をめざして柔道といふ」

どうも「柔」の方が気に入ってたみたい(笑
中国的な陰陽合致というより、剛だってなんだって工夫して柔にしちゃうもん、
みたいな。
ここら辺は伝書読んでいくしかないんですが、字が読めなくてなぁ…。

T・S様のハードが早く治りますように(祈
633YP:02/09/23 01:03
中国武術で「アチョーー!」と言うステレオタイプは、やっぱブルース・リー
からなんですかね。
他にも「ハッ!ハッ!ハッ!」、「ハイ!ハイ!ハイ!ハイ!」(←懐かしいスレより)とか
もあるけど、西洋の武術等で定番なかけ声ってあるのでしょうか。
634ふにゃぽん:02/09/23 09:13
YPさん。
どうも。このスレではひさしぶりですね。
コテハンのことで、悩まれていたみたいですが、あちら(YR氏)は
あきらかにキャラクターが違いますので、混同されることはないと思いますよ。

ところで、ご質問ですが、「アチョー!」というあのブルース・リーの気合は、
西洋人はどう言っているのか知りませんが、我々日本人はウマイこと名づけて、
「怪鳥音」と呼んでますが、どうも始祖はリーらしいです。
ソースは以下に。
http://216.239.53.100/search?q=cache:VNElcxAqjXoC:www2u.biglobe.ne.jp/~GANMO/dvd/lee.htm+%E6%80%AA%E9%B3%A5%E9%9F%B3%E3%80%80%E6%9C%80%E5%88%9D&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8

http://216.239.51.100/search?q=cache:0yxMCDQjmOMC:www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/2446/acho.html+%E6%80%AA%E9%B3%A5%E9%9F%B3&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8

>西洋の武術等で定番なかけ声ってあるのでしょうか。

これはないでしょう。

というのは、レスリングでもボクシングでも「気合」は出しませんもん。

映画のアクションシーンでも、あちらのはただ絶叫するか、卑語や猥語をがなるだけですもん。

ただ、リーの影響で、「気合」らしきものを発する役者はいるみたいですね。





635ふにゃぽん:02/09/23 09:50
NX−01さん。
そうですか。「柔」は老子からですか。

最初は、タオに見られるように、実践的で原始的な東洋的弁証法
(事象の二極分化および、その調和=中庸)だったのを、
日本的に改作して「柔」=「融通無碍」みたいにしたのかな・・・。

余談ですが、この辺の日本人の才覚は、毀誉褒貶の以上に激しい
あの某高岡氏あたりに引き継げられているような・・・。(w

>>628さん。
>オカルトまがいの流派が淘汰されていったことも明記しないと勘違いする人がいたりして。

そうですね。T・Sさんが別のスレで おっしゃっていたように、日本の宗教は
江戸時代以降、一種のサービス産業みたいになっていったみたいで、
「日本武道」も似たようなところがありますからね・・・。

最近でも、オオガミなんとかと言う、武道家との宗教家ともつかない
胡散臭さが服着て歩いてるようなオッサンに、騙された人がウン万人ですってね。

(実は、私もアノ会社に資料請求したことがあったんですが、送られてきた
もののあまりのトンデモ具合にひとりで爆笑したもんでした・・・。)






636YP:02/09/23 15:07
>ふにゃぽん殿
お気遣いありがとう。
お互いにトリップ付けなくていいコテイでのんびりダラダラと
行きましょう。

御紹介、解説もありがとうございました。
気合い声じゃないけど、フェンシングなんかは、「いくわよ」
みたいな上品なかけ声ありませんでしたっけ?(笑
「いくわよ」の語源は「レッツゴー」カナ?

ところで、チアガールってアメリカ産ですか?
637T・S:02/09/23 17:49
レジストリがね、なんか破損とかマイクロソフトのサポートに連絡入れてくださいとかどうとか……。

いや、それはともかくご心配をおかけしました。

>>628
何故淘汰されていったのかということについては、実際の効力がまるでなかったからという哀しい現実があったりしますが(笑)
ただ、形意拳とか五行で解説されていますしね。
そういう意味では秘儀的なものは残っているといえなくもないけど。
結局は解釈のひとつな訳だし。

>>632
まあ、弱者の力でも勝てる、見たいなことを強調したかったのかな?
儒教でも日本風に直してしまうし、そのあたりの観念も日本風にしてしまったのでしょう。
それに本場中国でも柔を陽、剛を陰と解釈する人もいたりで、案外一貫してなかったり。
日本の場合は兵法者が知識人ではない場合が多いから、独自の解釈もますます増えることでしょう(笑)
武田惣角は極端だけど、宮本武蔵みたいなのは少数派でしょう。

ついでに、私も伝書は読めません(笑)
638T・S:02/09/23 17:50
>>633
日本でも口で叫ぶ気合は近世の流派では奨励されなかったようです。
こっちから打って出るのを知らせるようなものですからね。
なるべく見せないようにしていたようです。
ただ、逆説的にそのせいでジゲン流の切り込みが脅威になったという話もあるのですけど。
「猿叫」といわれるアレは、気合を掛けられるのに慣れていない剣士にとってはえらく驚く代物だったらしいです(^_^;

>>635
高岡先生の名前を出してきますか(苦笑)
金と時間の余裕が十年くらいあれば、どんなか試してみたいですが(爆)
D・S理論は非常に魅力的だと思いますよ。
小説的に。

騙されたといえばゴハクエン老師とか(笑)
十年くらい前の「武術」の編集後記によると、元弟子に「裁判をするから金を融通して欲しい」とか押しかけたり電話したりで脅迫まがいのことをしているとか書いてありましたが、あれからどうしたのかな……。
裁判の話なんかない、と当時の牛島編集長は言ってたけど。

つーか、長野氏もゆうとりますが、武術家って、どうして虚言癖の人が多いのか……。
639NX-01:02/09/24 00:11
>>633
かけ声には、調息の効果もあると思うですが、その点からみると
ボクサーがシュッシュッやるのは一種のかけ声と言えるかもしれませんね。

チアガールの歴史。格闘技じゃないけど調べたら面白かったです(笑
まずチアガールはあくまで和製英語です。そもそも19世紀末に米国で
フットボール応援団として生まれて以来しばらくは男子学生のみ。
フランクリン.D.ローズベルトもチアリーダーだったそうです。
1920年代に女子も参加。日本に入ってきた70年代頃には女子が主体になりつつあり
そのため「チアガール」という日本語になったそうです。

>>638
ゴハクエンさんですか。
私も当時「この体で武術家〜?」と半信半疑でした。
でも一番ナニだったのは鶴……あ、ちよっとまだ生々しいか(笑
640世界@名無史さん:02/09/26 18:06
保守
641ふにゃぽん:02/09/26 19:11
ネタはいくらでもあるけど、T・SさんのPCのことがあるから、
話題を振るのは、明日以降にしよう。

>>640さん。
ありがとう。

でも、このスレは当分落ちることはありませんよ。

カキコがないときは、たいてい意図的に間を置いているだけです。
642T・S:02/09/26 22:34
>>641
心配してくださってありがたいですが。なんとか復調しました(^_^:

けど、私なんか無視して話すすめた方がいいと思いますよ。
私もそんなに無茶苦茶詳しいって訳でもないし。
西洋格闘技の歴史となるとサパーリだし。

それにまあ、ネット喫茶からぼちぼちと覗いてたりしてましたので(笑)
資料を持ち込むこともなんとかなるかと。

それじゃあネタふり。

ハワイにて柔道を基礎として発展した壇山流について詳しく知っている人はいませんか?
643NX-01:02/09/27 03:41
あ、上がってる。
俺、厨なこと書いちゃったかしら…。
だったらごめんね、みなさん。

>>642
檀山流は以前検索しまくったので、たくさんブックマークしてあります。
>柔道を基礎として
これは「心勇会道場の柔道師範 田中吉松氏の門を叩き…
一生懸命柔道の練習…」とあるのですが、古流のことも「柔道」と記述した
部分があるのでよくわからないところです。
検索した限りでは田中吉松氏は楊心流です。

岡崎星史朗の修行した柔術流派は楊心流、岩賀流、古曽我部流ということですが
岩賀流、古曽我部流って私は知りません。

しかし初伝目録の技名を見ると「投手」には釣込腰、出足掃 等が見え、
「絞手」にも裸絞、並、逆十字絞 など明らかに柔道の影響があります。
また柔術の稽古で結核が治ったという岡崎氏の経験からか整復術という
治療法が非常に豊富なようです。
1942年6月30日制定のFM 21-150(軍隊格闘術教範)の製作にも協力されたようです。
644T・S:02/09/27 09:19
>>643
おや。ありがとうございます。
最近検索したらみつからなかったもので。

柔道師範というのは、四、五年前に一度雑誌で紹介されたときに(買ってない)「柔道師範によって」とかいてあったのを覚えていたためですが、そうですか、古流出身者でしたか。
ちなみに岩賀流、古曽我部流共に武芸流派大事典に載っていません。
所詮個人の研究成果なので、漏れている流派も多いのですが、あんまり有名な流派ではなかったのでしょう。
古曽我部流については曽我部流でも調べましたがないですしねぇ。
整復術は楊心流において盛んだという話ですが、詳細は知りません。
ことのついでですが、FM 21-150というのは初耳ですので、もう少し詳しくお願いできますか?
645NX-01:02/09/27 18:19
>>644
FM 21-150 は米軍のフィールドマニュアルで
Unarmed Defense for the American Soldier と題されています。
ちなみに現在のはFM 3-25.150 COMBATIVES です。

このマニュアルのセクション1 概説の5にBACKGROUND OF UNARMED DEFENSE
非武装防御の背景(でいいかな?) の項には中国で生まれて、日本で
柔術になって…みたいに歴史が書いてあります。
その中に アメリカでは原理が理解されなかったので柔道の進化は遅く
防御技術(実戦的技法のことか?)は殆ど教えられなった。
そこで若者たちが The American Judo Club を名乗り、
アメリカ人のニーズと体質にあった護身術を作った。それは日本のものより
優れていた。米国兵は彼らのために必要とされた技術を持って柔道家たちと
対峙するのです。 なんて書いてあります。

この「若者たちの技」が実態は檀山流であり、具体的には岡崎の高弟の
Sig Kufferath が関わった、ということらしいです。

技法の解説にも「檀山流の技」なんて書いてありますけど、これはHPの檀山流の
修行者の人が付けた注釈なんで、私にはよくわかりません。

余談ですが、米国の軍隊格闘術をいくつか見てみると、古いものほど
柔術の影響が大きいようです。この42年版FM 21-150でも、一番最初の教えは
「崩し」だったりします。
646ふにゃぽん:02/09/28 11:13
「軍隊格闘術」というのは、原則として、一対一の徒手の状態を前提として
創られているんでしょうか?

それと、T・Sさん。NX−01さん。
私事になりますが、最近急に仕事が忙しくなってきたので、いままで
ほどカキコができるか判らなくなってきました。

私なぞがいなくても、このスレは問題なくやっていけるでしょうが、
とりあえずお知らせまでに。

どうか、よろぴく、このスレを護っていってやってください。

もちろん、時間のあるときは、できるだけ参加させていただきますが・・・。
647T・S:02/09/28 20:34
>>645
>古いものほど柔術の影響が大きいようです。

空手などが流行るのはずっと後ですからな。
戦前では柔道や柔術が欧州で流行っていたという流れも汲んでいるかも。

>>646
まあ、適当にやっていきますが、私としては他の人に参加とかして欲しいと思いますね。
648ふにゃぽん:02/09/28 20:56
>>645
それと、検索しても判らなかったんですが、「軍隊格闘技」の起源は
意外と新しいのでしょうか?

というのは、私見では、「核」が歴史上に登場したことにより、
兵器の殺傷力の向上による戦闘が不可能になってきて、
「ゲリラ戦」が戦闘の主体になってきた「朝鮮戦争」、「ベトナム戦争」後に、
「軍隊格闘術」は盛んになってきたのかな、とか思うわけでして・・・。

>>647
そうですね。
もっと大勢の名無しさん達にも参加してほしいですな・・・。

私も、今日仕事の見積もりをしていたら、思ってたより時間が取れそう
なんでホッとしましたが・・・。
649ふにゃぽん:02/09/28 21:00
ちと、話が専門的過ぎるんでしょうか・・・。

もうちと、一般受けする話の方がいいのかな・・・?
650T・S:02/09/28 21:40
>>648
その辺は専門外なのでいまひとつ。
「軍隊に採用されていた武術」というのなら中国では色々あるのでしょうが、近代に入ってからだとベトナム以降ですかね?
大東流とかは軍隊で習われていましたが、あれは軍隊格闘術とは言えないでしょう。
皇武館合気道とかね。
もっと言えば柔道とか訓練していたんでしょうけどね。

日本の軍隊格闘技と言えば自衛隊採用の徒手格闘術ですか……。
しかしアレは実はまだレベルがそんな高くないとか言う話も。
具体的には知らないですが。
ちなみに日本拳法と富木流合気道を基にしているそうです。

>>649
どんなのが一般的なのか解らない……。
651NX-01:02/09/29 01:10
軍隊格闘術は調査中なんで不確かなところもあるんですが、

>原則として、一対一の徒手の状態を前提として創られているんでしょうか?
基本は一対一のようです。前記FM 3-25.150 にはGROUP TACTICS という項が
ありまして2対1の場合、3対2の場合、なんてありますが、これは題の示すように
「戦術」で位置取りとかの注意です。多人数取りのような技はないです。

>「軍隊格闘技」の起源は意外と新しいのでしょうか?
これ、近代の軍隊では、分ける必要があるでしょうね。

1.海軍兵学校の柔道のごとく主に体育、胆練として行われた既存武術。
2.兵卒が戦場で使ういわゆる「軍隊格闘技」Hand-To-Hand Fighting とかCQBてやつ。
3.特殊部隊などが使う(と噂されている)より専門的な格闘術。

3は実態がよくわかんないので2に関して言えば、一次大戦中には既に芽生えていたようです。
大戦後になると塹壕戦の経験からか花開き、二次大戦中に頂点に達した(と書いてある 笑)

ふにゃぽん様のおっしゃるように、戦争形態の変ってきた現在、再びその
必要性は増しているようですが、これは対テロ部隊等の専門家に(今のところ)
限るようで、一般の兵卒の格闘技はごくシンプルなもののようです。

軍隊格闘技の父とも言われるW.E. Fairbairn の有名な本「GET TOUGH!」
がここで見られます。なんかすごーく怪しげなサイトですけど(笑
ttp://www.vrazvedka.ru/main/learning/ruk-b/fairbairn-01.shtml
652ふにゃぽん:02/09/29 08:14
>>651
NX−01さん。

サイト拝見。
ありがとうございます。やはりエゲツない攻撃もみられますな・・・。

しかし、軍隊格闘術はどこの国のものであれ、日本の「柔術」「空手」が
ベースになってるんでしょうか?

余談ですが、あのミルコ・クロコップのハイキックは、軍隊格闘術の蹴りを彼流に
アレンジしたものなのかな?

というのは、あんな蹴りは、ヨーロッパで習える極心や伝統派のものとは
違うし、キック・ボクシングの蹴りでもありませんからね・・・。
653NX-01:02/09/30 03:22
>>652
>どこの国のものであれ、日本の「柔術」「空手」がベースに
とは限らないと思いますよ。米国に関して言えば一次大戦中に海兵隊で訓練
されたのは、徒手の部分はボクシングだったそうです。
こんな写真も(笑
ttp://raven.cc.ukans.edu/~kansite/ww_one/photos/bin15/imag1469.jpg

とはいえ、17〜18年に歩兵キャンプでAllan Corstorphin Smith 大尉が
教えたのは柔道、柔術ベース。その後のW.E. Fairbairn やE.A. Sykes
も柔道、柔術、中国武術を学んでいたので、それがベース。

ボクシングやレスリングに見ない関節技や離脱法が有益だったんでしょうね。
あと、ド素人の兵隊に手っ取り早く仕込むのには日本式の「形」という訓練法
は効率的だったかも。

今は、より効率的に色々ブレンドされてるんでしょうが、ベース部分は、
韓国はテコンドーだろうし、ロシアはサンボだろし…お国柄が出るところかも。
ちなみに台湾軍の公式サイトにはちゃんと?拳が載ってました。
http://www.mnd.gov.tw/division/~defense/mil/afpc/company/train/page/train8-1.htm

K-1とかは見ないからなぁ…ミルコのハイキックはわかんないや。
クロアチア辺りだと、なんでもあり、て気がしちゃいますね(笑
654ふにゃぽん:02/09/30 19:19
NX−01さん。
ありがとう。

でも、やはり前にこのスレで結論されたように、
「軍隊格闘術」というのは、よほど「対ゲリラ」みたいなものでない限り、
「体育」の一環と見るべきでしょうな。

「格闘能力」の高い人間が、必ずしも優秀な軍人とは限らないみたいですね。

>ボクシングやレスリングに見ない関節技や離脱法が有益だったんでしょうね。

そういえば、なんで西洋の近代格闘技には、関節技がないんでしょうね?



655ふにゃぽん:02/10/01 10:33
そういえば、我が国の自衛隊は、どんな格闘術を
訓練するんでしょうね?

「陸自」と「海自」とでは違うのかな?
656T・S:02/10/01 12:38
ふーむ。
軍隊格闘技については関連書籍が少ないのでとっても参考になりました。

以前流し読みしたSASの本に載っていた格闘技は空手っぽかったですが、実際はどうでしょぅかねぇ。
まあ、検索とかすれば解るのでしょうけど。

>>654
一般的に「西洋の格闘技」で知られるたぐいのものは競技性が高いからではないかと。
関節技は「サブ・ミッション」というけど、これは大体「従属させる」のような意味というし。
競技ではない、護身術ならばあるのではないか、と。
関節技は非常に危険ですからねぇ。
柔道でも肘の関節にしか許されていないし。
ただまあ、視野を広げると、投げ技の多くが関節の構造を利してのものだから、これも広義の関節技と呼べなくもなかったり。
相撲でいう上手投げなんて、まさに関節技だしさ。
ちなみに、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンというスタイルが関節ありのリスリングだという話はよくきくけど、具体的には知らんです。
ゴッチさんにでも見せてもらうしかないですね(笑)

>>655
>>650でちょい書いてるけど、自衛隊では「徒手格闘術」とか採用されてるらしいです。
成立の過程については何年か前の「秘伝」に載ってたけど、あれは何処にいったかな……。
富木流と日本拳法から編み出されたというから、いかにもな「総合格闘技」なのではないかと思われ。
ずっと以前に格闘技板か武道板でこれについてのレスを読んだけど、競技人口がそんなに多くないのか、そんなにレベルは高くないと言う話だったよーな。
あと、銃剣術とかやってるそうだけど。
657琉球人:02/10/01 13:02
一応、琉球唐手にある武器は
・棒
・ヌンチャク(脱穀機から考案)
・トンファー(上に同じ)
・サイ(由来不明)
・鎌ヌンチャク(鎌とヌンチャクから考案)
・スルチン(石や石鹸を使ったボーラみたいな武器)
・ティンベー(鍋と銛)

ほかにもあるかも知れないがこれくらいしかわからないw
658T・S:02/10/01 13:30
御殿手では、なんでか箒を使ってた……。
659世界@名無史さん:02/10/01 15:39
>>657
結局、沖縄伝の示現流は失伝したのかな・・・・
660NX-01:02/10/02 03:37
>>656
流石にSASは検索してもなかなか出てきません(笑
拳銃射撃のことなら出るんですけどねー。

自衛隊徒手格闘も軍隊格闘としてはなんか中途半端というか…。
武道色が濃いっちゅーか、もっとシンプルじゃないとWACとかじゃ使えんかとも
思いますね。あ、「軍隊」じゃないからあれでいいのか…。

>キャッチ・アズ・キャッチ・キャンというスタイルが関節あり
ボキボキいってますね関節。

初期のアメリカのキャッチの写真
http://www.catchwrestle.com/pictures.htm

弟子ゴッチいわく「アメリカンキャッチの父」のファーマー・バーンズ
http://www.sandow.crosswinds.net/Competition/Burns/burnsindex.htm
腕、極めてみました(笑
661世界@名無史さん:02/10/02 04:21
自衛隊の徒手格闘技の本はたまーに本屋で売っていますね。
中を見ると日本拳法そのもの+合気道(対武器技法や制圧技法)でした。
まあでも現在の自衛隊において、それほど特殊徒手格闘を必要とする人はあまりいないと思うので、あれで十分だと思います。
(もっともそんな特殊技法を市販本に載せる意味も必要もないですが) 
私がたまにしか勝てなかった人が、自衛隊空挺部隊の人に秒殺されていたので、こんなことを言うのは実際おこがましいのですが…
662ふにゃぽん:02/10/02 11:00
>>656->>661
みなさん、ありがとう。
勉強になりました。

>>661さん。
>私がたまにしか勝てなかった人が、自衛隊空挺部隊の人に秒殺されていたので、

そうですか。やっぱ、自衛隊の人って強いんだ。
それは、柔道でですか?空手でですか?

空挺部隊のOBだった人に話を聞いたことあるけど、
飛行機乗りは、もとから選りすぐられたエリートな上に、
普段から徹底して節制しているから、素のままでも身体能力はおそろしく強いって聞いたけど、
さらに格闘技をやってるとなると、「鬼に金棒」ですな。

>>657
琉球人さん。
そうですか。
「鎌ヌンチャク」なんてものもあるんですか。
「男塾」の世界ですな。(w

琉球では、刀剣がご法度だっただけに、身近にあるものはなんでも
武器にしたみたいですな。

はたして、それらが「刀」や、「槍」や、場合によっては「銃」に対してどれだけ
対抗力が実際にあったかは別として・・・。
663琉球人:02/10/02 16:56
>>662
ふにゃぽんさん
ティンベーは刀や槍に対してはかなり有効だったと聞いています。
あと、スルチンは民間人でも簡単に使えたらしく、護身武器としては
一番広まっていたとの事でした。

ティンベーに関してはちょっと違ったふうに書いてありますが、
るろうに剣心で卯水ってキャラがいました
彼の武術のもとはティンベーだったはずです。
664NX-01:02/10/03 06:28
>>661
空挺の人が本格的に格闘技やってたら、普通じゃとても適わないでしょう。
きっと蛇を食べたこともある方だったんでしょうねー。

>>662
妻の父が、元空自の戦闘機のりだったんですが、運動能力は
あんまし高くなさそう(笑
但し、いかにもGに強い、て感じで頑健な体してます。
これも身体能力になるか…。
あと三半規管関係(?)は凄いみたいで、妻も、どんな乱気流でも大時化でも
酔ったことはないらしいです。
格闘技とぜーんぜん関係ないレスですね(笑 すまんでした。 
665ふにゃぽん:02/10/03 07:58
琉球人さん。
NX−01さん。

ありがとう。

このスレも2、3日寝かそうかな・・・。

話題があったら、自由に言ってください。

ちゃんとレスしますんで。
666T・S:02/10/03 15:51
>>659
松村宗棍の伝なら、板良敷朝忠と安里安恒に伝授したそうです。
その後は知らないですが。
あと、糸洲安恒の弟子で屋部憲通は日露戦争の折りに摩天嶺における白兵戦で示現流仕込みの片手軍刀術を駆使して軍功を表したとあるけど、この人の屋敷内に松村宗棍は隠居していたので、伝授されていたのかも知れないなぁと。
ついでに宗棍は明治三十二年に没したと言われていて、これが正しければ享年九十歳。
彼の首里手は嫡男が早世したために孫(鍋親雲上)に伝授されたけど、この人も若くして亡くなり、妹の子である祖堅方範が松村正統少林流を名乗って伝承したとのこと。
この人は1982年に九十二歳で亡くなられたそうです。

微妙にスレ違いなのでsage。
667NX-01:02/10/03 18:07
>>666
すごくスレ違いの上、むかーし読んだので超ウロなんですが
大山巌(確か)が晩年、剣術の演武会を見て、
「この中で、戦場で使えるのは示現流(自顕流?)と直心影流だけだ」と言ったとか。

大山も鹿児島なんで身びいきかもしれないけど、屋部憲通の印象が強かったとか?
屋部は沖縄出身者として初の軍人ということで、注目されてた可能性もあるですね。
668T・S:02/10/03 19:09
>>667
演武会における弊害という奴があったそうですからねぇ。
影山流居合の宗家の先生がおっしゃるに、戦前では年に一度は全国の武道家が集まっての演武会があった。
時折に古流そのまんまの素朴な型を演じる老先生が出られたりしていて、「何処にこんな方がおられたのだろう」と感心してしまうほどなのだが、二、三年ほどたって見るとすっかり華法に流れた、見せ掛けだけの演武になってしまっている云々……。
どうも素人の観衆にもわかるように「受け」を狙ってしまっていたのだろうと。
そうなってしまうと取り返しがつかないので、未熟な者には演武会に出ないように教えていたとかどうとか。
示現流はあれ以上どうにもならないし、直心影流は平山行蔵の影響を受けていましたからねぇ。
その二つに実戦性が保持されていたという話は、まあ「ありえる」でしょう。
多分。
669NX-01:02/10/05 02:08
告知age
国立国会図書館の明治期刊行図書データベース

http://kindai.ndl.go.jp/

面白いです。
格闘技関係はそれほど多くないけど
「合気之術/無名氏著」「通俗柔道図解 有馬純臣著」
「日本武道教範 千葉長作著」……。
かなり遊べそうです。
670ふにゃぽん:02/10/05 18:46
少し前に、ブルース・リーの話題が出たので、
アクション、カンフー映画の歴史を語りたいのですが・・・。

私は、最初のカンフー映画が作られたのは、ハリウッドだと思ってたのですが、
どうも違うみたいです。

http://216.239.33.100/search?q=cache:nbpwIsx17NcC:hccweb5.bai.ne.jp/k-movie/rekisi1.htm+%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%BC%E3%80%80%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%80%E6%AD%B4%E5%8F%B2&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8

でも、これって、元は「京劇」などの延長線上にあったものなのですかね?
671NX-01:02/10/06 00:14
「燃えよドラゴン」がどんなにショックだったか、
若い方にはピンとこないだろうなぁ……。

「カンフー映画」のイメージにもよるだろうけど、武峡小説の流れの
武峡映画だと中国の1928年「火焼紅蓮寺」が大ヒット。ブームになったらしいです。
満映でも「龍争虎斗」なんて時代娯楽映画を作ったそうで、日本の時代劇映画と同様
娯楽映画の一ジャンルとして、無声時代からルーツはあったんですね。

ところでふにゃぽん様の思ってらした「ハリウッド製最初のカンフー映画」って
なにのことですか?
672NX-01:02/10/06 00:41
書いてて思い出した。
記録映画以外の世界最初の徒手格闘技のアクションストーリー映画は
たぶん日本製。
1915年、尾上松之助の「拳骨和尚」「渋川伴五郎」だと思う。
殺陣はもちろん歌舞伎風だけど。
「渋川伴五郎」は見た事があるけど15年版か20年版か22年版かはわかんないや。
673T・S:02/10/06 01:49
>>669
は、なんか面白そうなのでブックマークに。
ありがとうございました。

>>670
なしてハリウッド……。

>>672
そのラインナップだと、ほとんど時代劇ですね。
まあ、「拳骨和尚」はなんか興味あるですが。
674ふにゃぽん:02/10/06 08:13
昨日のK−1は凄かったですね。
ボブ・サップか・・・。

ああいうのがいると、格闘技とはどんな存在価値があるのか、と考えさせられますな・・・。

>>673>>671

>ところでふにゃぽん様の思ってらした「ハリウッド製最初のカンフー映画」って
<なにのことですか?

>>>670
>なしてハリウッド……。

中国系のアメリカ人が、ハリウッドに売りこんだんだと
思ったんです。
「京劇」等の中国の芸能文化を、時代劇風に、娯楽昨として
製作したんじゃないかなとか思ったわけで・・・。




675ふにゃぽん:02/10/06 08:14

>>672
>1915年、尾上松之助の「拳骨和尚」「渋川伴五郎」だと思う。
>殺陣はもちろん歌舞伎風だけど。

意外と古いですね。
なんと、大正時代ですか・・・。
キートンやチャップリンとほぼ同時代ですね・・・。

となると、「チャンバラ映画」はもっと早くからあったのかな・・・。

でも、それらは世界に認められたり、後のアクション映画に影響を
与えたりってことはなかったんでしょうか・・・?

アクション映画は、始まったときからエンターテイメント一色だったんでしょうかね?

676T・S:02/10/06 09:46
主役でこそなかったと思うけど、水戸黄門の角さんだって手甲をつけて渋川流柔術で大立ち回りなんてのがあったたような気もする。
主人公が柔使いというだけで、恐らくはチャンバラ映画の一種だったのでしょう。

K−1はたまたま昨日見たけど、あれはルールの上での問題が大きい。
攻撃方法が限定される競技では、体重差のある相手を制するのはメンドイです。
打撃ならなおさら。
組討ち系ならばまだしもやり口はあるけど。
にしても、ボブ・サップは強かった……。
677ふにゃぽん:02/10/06 10:10
>>676
>攻撃方法が限定される競技では、体重差のある相手を制するのはメンドイです。

ちと、話がカンフー映画から脱線しますが、文字通りの”ヴァーリ・トゥード”
=「なんでもあり」で、急所打ちとかもOKだったらねえ・・・。

無敵だった時代の桜庭だったら、関節を極められたか、
塩田 剛三だったら、ほいほい投げられたか、なんて思っちゃいましたけどね・・・。
678T・S:02/10/06 10:38
>>677
急所打ちはある意味で武術の核心みたいなものだし。
それを外して相手を打倒しようとするなら、色々と修練つまなけれりゃいけないはテクニックが生まれるわで。
それはそれで面白いですけどね。

三十五歳くらいのヒクソンなら、なんかいつの間にか勝ってしまいそうな気も(笑)
あのとっつあんは初めてビデオで見た時、なにやら猫のように動いていて感心したものです。
最近は、さずに辛いと思うけど。
679NX-01:02/10/07 00:40
>>676
もちろん「主人公が柔使いというだけ」です(笑
立川文庫とか講談とかがネタなんで妖怪とかも出てきたりします。
武道を前面に押し出したものだと、やはり黒沢の「姿 三四郎」が最初かなぁ?

>>675
アメリカの最初の劇映画と言われる「大列車強盗」1903年
がすでに大アクション西部劇。
日本初の劇映画と言われる「稲妻強盗」1899年も拳銃強盗対刑事のアクション。
劇映画の始まり=アクション映画の、そしてエンターテイメント映画の始まりでした。

あと普通イメージするチャンバラ映画は22〜23年頃以降です。新国劇のリアルな
立ち回りや外国の連続活劇の影響でスピード感のあるチャンバラになりました。

それ以前のは、いかにも歌舞伎で
2人の捕り方が両手を取る→主役、手を降る→捕り方、トンボをうってひっくり返る。
みたいのです。

書いてて思いついたけど、近年の時代劇だと、素手の格闘は当身や合気っぽい技が
多いけど、昔の阪妻やアラカンのは切りかかる敵を肩車、とか背負い、と柔道風のが
目立ちます。カメラの自由度とか殺陣師の嗜好とかあるんだろうけど、
今見ると、かえって昔の方がリアルに見えたりもします。
680NX-01:02/10/07 01:04
ボブ・サップは久々にキャラの濃いのが出た、て感じで(笑
K−1も落ち目ぎみだったんでいい刺激ですね。
しかしあの体だと急所打もよほどタイミングが良くないと効かないような気も…。
間接も力で持っていかないとダメなようにも感じるし…ノゲイラは極めたけど。
私は昔のルスカだったらいけるかなぁ……と思たです(古
681世界@名無史さん:02/10/07 01:09
北インドの相撲「クシティー」と、イランのズルハネの相撲「コシティ」は同じもの?
言語的には同じようだけど。
682ふにゃぽん:02/10/08 09:45
>>681さん。
「クンティー」と「コンティー」については、文献や
HP等で調べましたが、ちよ判りませんでした。

すんません。

ただ、イランもインドも隣国同士であり、同じ印欧語族ですので、
関連はおおいにありそうです。

(なにしろ、仏教の「阿修羅」などは、もとはペルシアの神だと聞いてますんで・・・。)
683ふにゃぽん:02/10/08 10:05
しかし、一般に、カンフー映画の役者の動き(シュタシュタ、と素早く動いて
奇声を発する等)は、特定の拳法に基づいたものなのかな?

それともやはり、京劇等の殺陣のシーンをディフォルメしたものなのかな?

ブルース・リーは、「ジークンドー」なるオリジナルの武術を
編み出しましたけど、あれなんかは、いちおうマジに戦闘用の武術として
創られたんでしょうか?
それとも、役者としての体捌きの延長みたいなものだったのかな?
684T・S:02/10/08 13:08
>>683
カンフー映画の殺陣と実際の武術は違うですよ。
多分。
ジークンドーに関していえば違うはずです。
確か。

あの奇声についてはノーコメントです。
あんまし声をだして攻撃するのってよろしくないとは思うですが。
さて。

ついでに、日本の時代劇とかの殺陣について言えば本物の古流とかを参考にしていたりするようです。
685世界@名無史さん:02/10/08 13:27
これって本当か?

↓ ↓ ↓
http://www.dream-express-web.com/space-trust.htm
686ふにゃぽん:02/10/08 16:36
>>683
ジークンドーは、武術じゃないんですか?

それと、世界に冠たるクロサワ映画の殺陣は、なんらかの形で、
ハリウッドのそれに影響を与えたんでしょうか?

「椿 三十郎」等の、血がおおげさに噴出すシーンなんか、
そうだと聞いたことあるけど・・・。
687NX-01:02/10/08 17:23
>>681
私も調べたんですが、全然実態がわからないんで同じものかどうか…。
「身体にやさしいインド」伊藤武 講談社+α文庫 
にクシティーの道場に入門記が出てるそうなんですが。
688世界@名無史さん:02/10/08 17:35
>>682
スレ違いレスですが、、、
「アシュラ」はインド人・イラン人に分かれる前の、アーリア人が神的存在を
呼ぶ名前の一つと考えられています。
ペルシャの神と言うのは、多分ゾロアスター教の「アフラ・マズダ」の「アフラ」が
アシュラと同語源と言う話のことかと。
689NX-01:02/10/08 17:41
>>686
ジークンドーは…リーは武道として考えていたと思いますが、
名前が大きいだけに、死後いろいろとあって
わけわからなくなってきてる…みたいな感がありますね。
ま、リー自身、映画では映画用の技を使うと言ってますが。

カンフー映画の動きは、リー、ジャッキー・チェン両氏の影響が
大きいと思います。「燃えよドラゴン」のヒットに乗じて続々と
公開された当時の「カラテ映画」では、あまり現在のような動きは
なかったと記憶してます。
ただ、延々やたらとビシバシ打ちまくり蹴りまくる、みたいなのでしたよ。

黒沢のハリウッドに与えた影響の大きさは、「荒野の七人」とか「荒野の用心棒」とか
スピルバ、ルーカス、コッポラはじめ凄く大きいですが、
殺陣そのものはどうかな?

モロ、なものでは「隠し砦の三悪人」だったかなー? 三船が刀を八相に構えて
馬で敵を追い、一刀の元に切り殺すシーン。
傑作「風とライオン」でショーン・コネリーがまんまやってます。
690ふにゃぽん:02/10/09 20:28
>>688さん。
そうですね。

そして、「アフラ=マズダ」と「ブラフマン」は、おそらく語源は同じ
なんでしょうね。

時間がないから、ネタ振りおよび、NX=01さんへのレスは後日。

スレ違いにつきsage.
691ふにゃぽん:02/10/13 13:21
>>689
ブルース・リーという存在は、ある意味、「映画俳優」というワクを
超えて、世界に知られてますけど、リーを「世界史上の人物」と
位置付け、定義すると、どうなりますかな?

「カンフー・アクション映画のパイオニア」、あるいは
「『空手』、『拳法』などの東洋武術の世俗的な伝道者」(そのぶん、東洋武術
への誤解や偏見をおおいに広めたともいえそうですが・・・。w)

といったところでしょうか?

事実」、彼の出現以来、世界での空手、拳法人口は一気に増えたんでしょうね・・・?
692ふにゃぽん:02/10/15 10:51
それと、武道家、格闘家で、「世界史上の人物」と呼んで
さしつかえないのは誰でしょう?
693T・S:02/10/15 13:31
>>692
異論はあるだろうけど、とりあえず強かったし修行歴もあるからこの人をあげてもいいのではないかと思われ。




釈迦。

694山犬:02/10/15 13:50
とりあえず、ジョー・ルイスとモハメド・アリは当てはまるのでは
ないでしょうか。
(ボクシングは格闘技というよりスポーツだといわれてしまいそうですが)

ジョー・ルイスはチャンピオン連続防衛25回の記録をいまだに破られていない、
史上最強のチャンピオンですし、また、ナチスドイツのシュメリングとの
国の威信をかけた戦いや、黒人差別等の社会背景などありますし。

白人の反感を買わないために、白人女性と一緒に写真を撮らないなど、
様々な苦労をしていた話を読むと、泣けます。
モハメド・アリも同様の理由です。

カレリンなんかはどうなるんですかね?
記録はすごいんですが、なんとなく人生を彩るような事件やエピソードが
少ないので、果たして一般人に記憶されるのかどうか。
695ふにゃぽん:02/10/15 14:11
T・Sさん。
おひさしぶりです。
最近、メチャ忙しかったもんで・・・。

そうですね。釈迦ですか・・・。
「格闘技の歴史」を読む限り、釈迦が、各種格闘技に通じていたのは
確かみたいですが、それは、彼がクシャトリア(武士、貴族階級)出身だから、
必然的に幼少のころから仕込まれたというだけでしょうか?

あるいは、江戸時代の日本の武士のように、修行の一環として、
武道も積極的に研鑚したということもあるのかな?

拳法で闘う釈迦・・・・・・・・。

なんかイメージ湧きませんな(w
696世界@名無史さん:02/10/15 14:21
>>692
お釈迦さんって格闘家ってイメージ全然ないんですけど、
具体的にはどんな格闘技をやってたんですか?
697ふにゃぽん:02/10/15 14:42
山犬さん。

>(ボクシングは格闘技というよりスポーツだといわれてしまいそうですが)

いや、ボクシングは、確かに武道ではないが、格闘技ではあるでしょう。

ジョー・ルイスのことはよく知りませんが、モハメド・アリですか・・・。

あんまり、知ったような事言っちゃいけませんが、ヘビー級のボクシング史上、
「強さ」という点では、彼クラスの強者は、有数とは言え、いたんでしょうね・・・。

ただ、アリの場合、その波乱に富んだ人生や、数々の奇行、蛮行、
そしてそのファイティング・スタイル等が「ボクサー」という存在を超えた
時代のトリック・スターとして、人々の記憶に残り続けるんでしょうね・・・。

カレリンの場合、どうかな・・・?

強さ自体は、文句なしでしょうが、アリと違い、やや地味なイメージは
拭えませんね・・・。

でも、「ソ連崩壊」〜「混乱の極にあるロシア」を生きた英雄として、
その人生は、決して平坦なものではないでしょうがね・・・。


698ふにゃぽん:02/10/15 15:00
続き。
そういう意味で、アリは、ブルース・リーや、ベーブ・ルースといった
人たちに通じるかもしれませんね。


>>696さん。

>お釈迦さんって格闘家ってイメージ全然ないんですけど、
>具体的にはどんな格闘技をやってたんですか?

今、手持ちの資料、「格闘技の歴史」によると、
釈迦は、クシャトリア(武士、貴族階級)出身なので、少年時代には、
騎馬術、弓術、槍術、(ホントは「ヤリ」の字は、カネヘンなのですが、変換できません。)
剣術なども修行させられたはずだ、とあります。

ただ、>>695で前述したように、出家後、修行の一環として、格闘技を
研鑚していたのか、どうかは判りません。

知っている方、教えて下さい。

699山犬:02/10/15 15:20
>ただ、アリの場合、その波乱に富んだ人生や、数々の奇行、蛮行、
>そしてそのファイティング・スタイル等が「ボクサー」という存在を超えた
>時代のトリック・スターとして、人々の記憶に残り続けるんでしょうね・・・。

そうです。
なんて言いますか、例えば「映像の世紀」のような番組を作るとして、
ジョールイス対には、国の威信をかけたシュメリング戦、
モハメドアリには、兵役拒否、イスラム教入信、オリンピックの聖火点火等、
その時代の雰囲気を伝えてくれる、時代精神と結びついた部分があるのに対し、
どうもカレリンにはそういった部分が足りませんよね。

私はどちらかというと打撃系よりも組み技系のほうが好きなので、
カレリン最強信者なんですけどね。
これからの政治家としての活動に期待しましょうか(w
700ふにゃぽん:02/10/15 15:25
700と。

山犬さん。
>カレリン最強信者なんですけどね。
>これからの政治家としての活動に期待しましょうか(w

その前に、プロ格転向があったら、興味深いですね。




701山犬:02/10/15 15:25
>お釈迦さんって格闘家ってイメージ全然ないんですけど、
>具体的にはどんな格闘技をやってたんですか?
お釈迦様には、確かケンカに一度も負けた事がないといったような
伝説もありましたね。

あんまり関係のない話で恐縮ですが、以前日本の絵で、子供の頃のお釈迦様が
他の子供と相撲をとっている姿を描いた絵を見た事があります。
カリスマになるためにはケンカも強くなきゃいけないってコトですかね。
702T・S:02/10/15 17:33
>>698
お釈迦様の喧嘩歴については、嫁取りに相撲を取ったとあります。
当時のインドの相撲についてはよく分かりませんが、恐らく拳法じみたものでしょう。
あと、出家してからは七人の行者の元で荒行を積んでいます、後でそう言う行法は否定していますが。
それから布教を始めてからも勝負を挑まれたという話もあったような。
ソースを覚えていないけど、相手の攻撃のことごとくが当たらず、
「なぜ私の拳が当たらないのか?」
と聞くと、
「君の拳が届かないだけだ」
みたいなことを答え、感服して弟子入りしたのだとか。
まあ、記憶が不確かなので、また調べなおしときますけど(笑)

703NX-01:02/10/15 17:57
>>694
褐色の爆撃機はいい奴だったそうですね。
ただ、あの人当たりのよさは、ジャック・ジョンソンの行状が
大反発を食らったのを見てたマネージャー等が教育した結果とも聞きます。

スポーツ史ではなく、世界史に残る、といったら
まず嘉納治五郎でしょう。当たり前すぎるけど(笑
あと釈迦がでたならスパルタカスとか。
704T・S:02/10/15 22:31
孔子も強かったみたいな話は聞くけど、別に武芸をやっていたと言う訳でもなさそうだし……。

孫子起源の孫嬪拳とかあるけど、関係ないでしょうし。

世界史に残る、となると途端に少なくなるですな。

達磨についてはどうなのだろう?
易筋経を残したという話は清代の偽作だと言う話だそうだが……。



705NX-01:02/10/16 06:10
文学史を超えて世界史まで来るかどうかわかんないけど、
一人思い出したのがヘミングウェイ。
プロとも対戦できるくらいのボクサーだったです。
706ふにゃぽん:02/10/16 12:14
「五輪の書」を書いた時点で、宮本 武蔵はケテーイじゃないですか?

(私は、まだ読んでないけど・・・。)
707T・S:02/10/16 18:25
>>706
「五輪の書」についてはねえ・・・・・・。

剣道史で一番影響が大きかったといえば、伊藤一刀斎ではないかと思うですが。
708ふにゃぽん:02/10/16 19:23
T・Sさん。

でも、まあ、「世界史的に」見たら、
「五輪の書」はいちばんメジャーじゃないかと・・・。

私の友人の、武道ヲタのアメリカ人も読んでましたし・・・。

彼は、おそらく、一刀蔡は存在さえ知らないと思いますよ。
709ふにゃぽん:02/10/16 19:35
×蔡

○斎ね。
710NX-01:02/10/17 00:30
ふにゃぽんさん、「五輪書」はネットでも読めますよ。
ttp://www.imwar.2u.com.tw/Book/East/E-1-gorin0.htm

伝書としては一番メジャーではありますね。
評価は人それぞれでしょうけど、同じ有名伝書なら
私は「兵法家伝書」の方を評価します。

しかし「五輪書」を経営論として読んだりするっていうのがあるけど
ああいうのは感心しませんなぁ…。
711T・S:02/10/17 13:41
>>710
そーいえば、五味先生も「兵法家伝書」の方を推してましたっけ?
そっちの方はあんまし見ていませんが……。

ちなみに武蔵の絶筆は「十智の伝」と呼ばれる本で、これは考証家の綿谷雪氏に言わせれば
「五輪の書には到底及ばぬ卑雑な俗書」であるとか、そのようなことを言ってますね。
十か条の武術の心得にみせかけた生活指南書で、弟子の古橋惣左衛門に授けたが、読んだらすぐ焼き捨てよと命じたという。
古橋はそれを覚えていて写し書きしたとも、焼かずに秘匿していたとも言われて、今日まで写本が伝わっている。
ついでに武蔵はよく心得書きなどを請われて書いていたけど、そのほとんどがその場で焼き捨てられていたそうな。
完璧主義者だったのか、満足いったもの以外は残したくなかったのかも。

スレとはかなり違うのでsage
712ふにゃぽん:02/10/17 16:47
NXー01さん。
T・Sさん。

そういえば、洋の東西を問わず、「伝書」として歴史的価値を持つ
徒手格闘技の(空手、拳法を含む)書物って、パっと思い浮かびませんな・・・。

剣道なら、「五輪の書」の他にも「猫の妙術」とかあるのに・・・。

スポーツでも、ノーアン・ライアンの「ピッチャーズ・バイブル」
とかあるのに・・・。(これが歴史に残るのかどうかは、判りませんが・・・。)

やはり、T・Sさんが以前おっしゃていたように、武道や格闘技の実践家は、
あまり教養のある人間がいないので、自らの実践を理論化しがたい
ということでしょうか・・・?
713NX-01:02/10/17 18:12
>>712
伝書にも素っ気無いのから、延々と書き綴ったのまで色々ありますが
基本的に専門書で、一般の読書としては面白くないからでしょう。
「五輪書」なんかはその点、読みやすいし、T.Sさんの仰るように
人生訓的というか、普遍的な解釈もできちゃうからウけると。
私ゃ燈火問答なんて好きですけどね。
714T・S:02/10/17 21:23
>>712
基本的に伝書の類は技の名前とか記されているだけとかの場合が多いですから、門外の者にとってはあんまり意味がないかと。
「五輪の書」だって吉川英治のあれで有名になる前は、そんなにご大層な扱いはされていなかったと思うですがね。
一応、流派の伝書みたいな扱いだったはず。

幕末近くになってくると、色んな武術解説書のようなものがでてくるようですが、それらが役に立ったという話は聞かないですね。
「猫の妙術」とかは山岡鉄舟が推していたのでしたかな?

武術関係とは微妙にずれるけど、白隠禅師の『遠羅天釜』と『夜船閑話』がよく売れて、これに記された内観の法が多くの武術家や一般人に広がったらしい。
玄武館四天王の一人で、後に千葉道場にも劣らぬ大道場をたてた森要蔵などもこれらの書によって大成したとか言う話もあったはず。
千葉周作の先輩で中西道場三羽鴉と言われた寺田宗有は、参禅大悟して剣の理を極めたという人だけど、この人も白隠禅師の内観法を習得してたそうな。
一応、寺田は柔術も得意だったらしく、江戸城登城の押し合いの中、自分らの道を阻む水戸藩の侍達をいともたやすく蹴散らかしていたとか。
竹光で石を叩き割ったと言う話は、さすがに嘘だと思いますがね……。
またこの人は型剣術で竹刀剣術の使い手を圧倒していたりして、“型剣術による最後の名人”とも言える人だったりします。
715NX-01:02/10/18 03:10
寺田宗有って切っ先から色々出す人でしたっけ?
白井享の方でしたっけ…記憶力減退。

>五輪の書だって吉川英治のあれで有名になる前は

ぜーんぜんスレ違いなんですけど、国会図書館のデータベースで
五輪書を調べてみると全71件中、1920〜60年代はたった6件。
70年代以降「わが空手五輪書」だの「五輪書の知恵を盗め」だの雨後の竹の子の如し。
他のデータベースみても吉川栄治の連載前後はいくつか出てるものの、あとは近年。

「士道要論 ; 武道初心集」1916 とか「宮本武蔵/宮本武蔵遺蹟顕彰会編」1909
とかマニア向け(笑)のものは昔からあったものの、武蔵、五輪書が
持て囃される様になったのはごく近年のようですねー。
716T・S:02/10/18 08:56
>>715
出すのは両方です(笑)
宗有が「我が木剣の切先よりは火炎が生ず」といってたのに対して、
亨は「我が木剣の切先よりは輪がでる」と言ってたとか。
そう言えば白井亨の「兵法未知知留辺」という本もあったですな。
「年老いたならどんな名人も筋骨が固まりうごけなくなってしまう…自分はなんと愚かしい道に心骨を注いだものか」と嘆くのは現代の格闘家とかにもあることだけど、それを言い出したのが二十四歳くらいの時だったとか。
それで60過ぎの寺田宗有と試合したら全然かなわなくて弟子入り。
勝海舟によれば、「この人は何処か神通力めいた力をもった不思議な人だったよ」と言われるようになったみたいですが。

>五輪の書

まあ、吉川英治の頃は、そんなハウトゥー本もすくなかった……のかな?
70年代以降ということは大山先生がらみとか(笑)
そーいえば、極真会館の道場訓みたいなのは吉川英治に書いてもらったとかいう話があったなぁと。
おお、スレの話題に微妙に戻った(笑)
717ふにゃぽん:02/10/18 09:12
>>716
>70年代以降ということは大山先生がらみとか(笑)

T・Sさん。
NX−01さん。

他に、徒手格闘技(空手、拳法、ボクシング等)の実践家の書いた
伝書や理論書というのは、歴史上、見受けられませんかね?

現代では、ナンゴウ氏や、タカオカ氏の著作が、歴史に残るか、どうか?
718T・S:02/10/18 12:18
>>717
フロイド・パターソンの「ハウ・トゥ・ボクシング」ってのがあったかな?
なかったかな?

理論書というのならぼちぼち。
けど理論書だし。

ナンゴウ先生のが歴史に残るのは、なんかヤだなぁ……。
タカオカ先生のはもっとヤです。
つーか、DS理論が本当なら、もっと世間的に有名になってもいいと思うですが。
719NX-01:02/10/18 18:10
>現代では、ナンゴウ氏や、タカオカ氏
私も嫌だなぁ…ていうか絶対に残らないと思う。
南郷氏のは一部わかるところもあるんだけど全体としてはねぇ…。

歴史に残る、となるとやはり著名人が書いた、あるいは実践者でも
筆の立つ=本として完成度が高い、てのが必要になりますね。
パイロットの戦記色々あれど「大空のサムライ」だけが際立って有名なのは
やはり坂井が筆が立ったからで。

武道だとヘリゲルのとかは歴史的だろうけど、徒手だとなぁ…。
ベルツ博士の「Das Kano Jiu-Jitsu」なんてのはそうだけど紹介というか
分析というかみたいな本らしいし。
まぁ、ほんのちょこっとだけど実際に柔術を齧ったみたいだけど。
なんつーか、三船久蔵の「道と術」くらいにならんと歴史的とは言わないと思うです。
720T・S:02/10/18 21:26
そういえば「弓と禅」ってのがあったですな。
薄い本ですが面白いです。
師範の実力が凄くて、なんら理論的でないもの言いなのにドイツの哲学者を納得させる様は見事でした(笑)
721ふにゃぽん:02/10/20 01:01
NX−01さん。
T・Sさん。

いずれにしても、武道、格闘技関係の書物で、歴史に残りえるのは
まれで、あったとしても、「文化」の主流になることは、
ちと、難しいと・・・。
722ふにゃぽん:02/10/20 01:12
http://216.239.53.100/search?q=cache:hcbMKxpzoHkC:fps01.plala.or.jp/~nyocci/boxing/history.htm+%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%80%80%E6%AD%B4%E5%8F%B2&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8

http://216.239.53.100/search?q=cache:kdDaKUmWYjAC:www.geocities.co.jp/Colosseum/5132/prow.html+%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%80%80%E6%AD%B4%E5%8F%B2+%E3%80%80%E8%B5%B7%E6%BA%90&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8

ところで、20世紀初頭には、ボクシングもレスリングも、完全にプロ化し、
ショー・ビジネスとなったわけですが、
では、何故、一方のボクシングは、あくまで真剣勝負が原則の「ガチ」の立場を
固持し、他方、レスリングは、「プロレス」と化し、年間150試合をこなし、
意図的に相手の技を受けて、相手に技をかけるのを観客に見せるという
完全な「エンターテイメント」へと変わっていったのでしょうか?

723ふにゃぽん:02/10/20 01:26
プロレスも、草創期は、ヘッド・ロックを相手に一時間かけ続けて、
脳障害を起こさせた、なんてこともあったらしいですが・・・。

さらに、今から20年ほど前までは、プロレスは、世間ではいちおう
マジ=「ガチ」だという認識があったにも関わらず、その後のUWFやPRIDEの勃興、
さらには、ちょうど去年の今ごろ発刊された暴露本などにより、
完全に「ヤオ」ということが証明されたと思われます。

「プロ・ボクシング」と、「プロレス」、この二つの興行格闘技の
歩んできた道程は、何故、かくも対照的になったのでしょう?
724T・S:02/10/20 01:39
ガス灯時代のプロレスはなぁ……。
というのはさておき、とりあえず打撃主体の格闘技というのは見せやすいから、真剣にやりあっていても観客が集まっていたと考えられるかなぁと。
プロレスは打撃もありったって組み技が主体でしょう。
組み技については近年こそ評価が高まっているものの、かつては組まれる前に叩けば勝てる、という論調は支配的でしたからねえ。
あんまし見栄えがするわけでもなし。
プロレスラーは自分がどれだけ頑丈なのかを示すためのパフォーマンスとかを強調するようになっていったのでは。
それとボクシングではショー的に興行しようにもちょっと無理があったり。
殴る方も殴られる側も、無事じゃすまないでしょ。
グローブをつけたならなおさら。
グローブの導入によって死者が増えたというのは、歴史的な事実だし。

しかしプロレス……。
今週から再開した「アグネス仮面」は、まあいいとして。
「格闘美神 武龍」は、ちょっと切ない話だったなぁ……。
725NX-01:02/10/20 02:35
村松友視とか懐かしいなぁ…。
あれでうすうす感じてた「どうも、なんか…」が「プロレスはショーである」て
はっきりと認識させられたです。一般人に対し、その楽しみ方も説いた
あの本は歴史に残るもんだったかも(笑

>何故、かくも対照的
ボクシングもレスリングも、競技、興行種目として必要な安全性を
発展させて来た歴史はありますよね。
危険技を廃し、特徴的技術を前面に出す。

その結果、ボクシングは比較的シンプルなものになった=拳での打ち合いのみ。
これを興行として成り立たせるには、ガチの迫力で売るしかない。

一方レスリングは、競技が比較的安全であり、技のバリエーションも多い。
また、日本の力士が特別な畏敬の念を抱かれるのと同様、大きく、強い男
というのはそれだけで特別な存在とみなされる。
こーいう大男が派手に格闘する、というのはそれだけでショーとして
成り立つ要素を持っていた。勝負に関係なくね。
それなら、試合数がこなせて、テレビ写りもいい方がビジネスとして
ベター。
て、ことで、ショー化に拍車がかかったのでは? とか思います。
726世界@名無史さん:02/10/20 03:34
プロレスは1934年頃を境にラスベガスの賭け屋が扱わなくなったので
日本に入ってきた時にはもう完全にエンターテインメントだったと思われ。
727世界@名無史さん:02/10/20 05:37
日本じゃ戦後のプロ柔道とかもコケてますし・・・。
でもプロ柔道は道場でガチのランキング試合やって、それを元に打ち合わせをやってたらしいですが。
根本的に興行として客を沸かせるある種の残酷さに欠けてたんじゃないかと思います。

やっぱりアマレスの試合を素人が見ても面白くないように、
キャッチレスリングの関節技の取り合いを興行として成り立たせるのは難しいでしょう。
ともすれば60分フルタイム・ドローなんてことも普通にありえますし。
大相撲のように単純なルールで大男が短時間でわかりやすくぶつかり合うならいいんでしょうけど。
力道山の時代はボディスラム一発で客が沸いたらしいですし、
そういう客が喜ぶ技は相手に警戒されるとほとんど出ないというジレンマがあったんでしょうね。

あと猪木なんかは全盛期にタッグマッチを含めて年300試合したらしいですが、
ボクシングと違って毎日試合ができるということは、プロであるならば毎日試合をするのが求められ、
そうすると怪我が蓄積して再起不能になるか、怪我をしないようなつまらない試合しかしなくなる。
だから、ある程度は打ち合わせをして派手な技を安全に受ける事が必要になったんじゃないかと思います。
728ふにゃぽん:02/10/20 14:13
http://fps01.plala.or.jp/~nyocci/boxing/history.htm

http://www.geocities.co.jp/Colosseum/5132/prow.html

私が>>722で、貼ったページは、キャッシュがついて、かえって読みづらそうだったので、
キャッシュなしのをこっちに貼っておきます。

>>724
T・Sさん。

>グローブをつけたならなおさら。
>グローブの導入によって死者が増えたというのは、歴史的な事実だし。

どうも、グローブの存在意義は、相手に対する配慮というより、
自分の拳をガードするということにあるみたいですな・・・。









729ふにゃぽん:02/10/20 14:15
>>725
NX−01さん。

>ボクシングは比較的シンプルなものになった=拳での打ち合いのみ。
>これを興行として成り立たせるには、ガチの迫力で売るしかない。

でも、現在でも、超一流レベル以下の選手への低待遇は、
何とかならんものですかね・・・。

純粋に「ボクシング」だけで喰えるのは、世界レベルの選手だけでしょう。

日本チャンピオンクラスじゃ、バイトしなきゃやってけないって
いうし・・・。

これも、やはり、試合数の少なさ(しかたないですけどね・・・。)
が元凶かな?



730ふにゃぽん:02/10/20 14:21
>>726さん。
>プロレスは1934年頃を境にラスベガスの賭け屋が扱わなくなったので
>日本に入ってきた時にはもう完全にエンターテインメントだったと思われ。

モハメド・アリが、無敵のチャンピオンだった頃も、
興行には、まだマフィアの影が見えたそうですな・・・。

現在では、どうなんだろう?
731ふにゃぽん:02/10/20 14:39
>>727さん。
>日本じゃ戦後のプロ柔道とかもコケてますし・・・。

それは初耳です。

「プロ柔道」は、講道館公認のものだったのでしょうか?

それと、>>726さんが、1934年時点で、すでに「プロレス」は、
エンターテイメント化していたんじゃないか、とおっしゃっていましたが、
例えば、「ブレーン・バスター」のような、相手の協力がなければ
成立しない技や、ロープに振った相手がかえってくる、などということは、
もう当時からあったのかな?
732T・S:02/10/20 15:38
ん? プロ柔道をご存じない?
かの木村政彦がはじめたという……。
結構有名だったと思ったのですが。
勿論未公認というかなんというか、破門同然になったとは聞いてますが。
733T・S:02/10/20 15:45
プロ柔道についてはこんな感じで。
http://aikij.com/iku/ik/projudo-kimura.html

ついでにこんなのもあるそうで(^_^;
http://mbs.jp/voice/special/200205/0514_1.html
知らなかった……。
734ふにゃぽん:02/10/20 21:52
T・Sさん。

サイト拝見。
「プロ柔道」とは、そういう経緯があったんですか・・・。

じゃあ、当然、木村 政彦VS力道山の世紀の一戦も、「ヤオ」だったんでしょうな・・・。
735T・S:02/10/20 22:12
>木村 政彦VS力道山の世紀の一戦

それについては、確かかなり細かい指示がされていたのだけど、力道山が途中でそれを破ってガチを仕掛けたという話を聞いたことが。
つーか、割と有名な話なんだと思っていたですが。

しかし力道山といえば、「仰天 平成元年の空手チョップ」がなかなかよろしかったですな……。
736NX-01:02/10/21 01:15
>>734
牛島辰熊には不遇をかこつ柔道家を助けたいとう思惑もあったみたいですね。
剣道に比べればマシだったみたいですが、昭和25年までは学校柔道が禁止されて
いましたから、柔道で食っていくのは大変だったみたいです。

>>735
木村によれば、最初は引き分け、その後勝ったり負けたりとリベンジ合戦を
続けていく、と話し合いで決まっていたそうですね。
しかし力道山側はこれを受け入れたように振舞いつつ、実は…。みたいな説もあるらしい。
737蛇の穴:02/10/23 12:52
プロレス板からやって来た男です。
古代ギリシャ時代のレスリングには、立ち技専門の相撲に
近いルールで行われていたものがあり、そこでは今日の
ツームストン・パイルドライバーやスープレックス、卍固め
と同じ技が使われていたことが確認されております。
観客は寝技の攻防よりも、投げ技の美しさの方を支持して
いたそうです。
20世紀最初の頃のプロレスは、長時間の寝技の攻防戦ばかりで、
アメリカの観客は退屈して、興行としての成立が危うくなった
らしい。そこで、こうした派手な投げ技を意図的に使うことが
試みられたようです。「黄金のギリシャ人」と言われたジム・
ロンドスの飛行機投げあたりが、そのルーツでしょうか。これと
並行して、殴り合いの要素も入れられたのですが。
まあショー化と言ってしまえばそれまでですが、ジャーマン・
スープレックスなどの技が決まった瞬間の陶酔感というのは、
確かに格別なものがあり、それはそれで格闘芸術的なものでは
あります。
738蛇の穴:02/10/23 14:19
ちなみに力道山と木村の試合については、力道山の
八百長破りが真相に近いです。
力道山はその前年、ハワイでルー・テーズと戦った時、
空手チョップを乱発して、テーズの怒りを買い、
危険な角度のパワーボムでKOされています。
プロレスの基本は予定調和ですが、相手が危険な攻撃を
仕掛けてきた場合は、シュートを仕返していいという、
もう一方の掟もあったのです。力道山はプロレスの
そういう面を知っていて、木村は全く知らなかった。
木村が急所蹴りに行った瞬間、力道山はそれを危険な
攻撃と過剰反応して、一気にシュートに走ったのです。
いずれにせよ、誕生1年目にして、このような試合が
実現してしまったことが、日本のプロレス定義を、複雑な
ものにさせたことは、確かなのです。
739ふにゃぽん:02/10/24 08:18
蛇の穴さん。

有益な情報を、ありがとう。

>こうした派手な投げ技を意図的に使うことが
>試みられたようです。「黄金のギリシャ人」と言われたジム・
>ロンドスの飛行機投げあたりが、そのルーツでしょうか。これと
>並行して、殴り合いの要素も入れられたのですが。

じゃあ、サブミッション等が取り入れられたのも、
この時代でしょうか?

http://www.asakusakid.com/diary/spj.html

キャッチ・アズ・キャッチ、キャンのテクは、そのまま
プロレスへ応用できたのかな?

740ふにゃぽん:02/10/24 08:22
>>737
>古代ギリシャ時代のレスリングには、立ち技専門の相撲に
>近いルールで行われていたものがあり、そこでは今日の
>ツームストン・パイルドライバーやスープレックス、卍固め
>と同じ技が使われていたことが確認されております。

それと、古代ギリシアのレスリングは、神聖な競技だったというのが
定説で、したがって、「ヤオ」などなかったはずですが、
「ツームストン・ドライバー」や、「卍固め」等の技が、
相手の協力なしにかけられたんでしょうか?
741蛇の穴:02/10/24 12:05
>739,740
古代ギリシャの壷絵にはツームストン・パイルドライバー等の
技が描かれているので、使われていたのは確実です。
確かにギリシャのレスリングは神聖なものでしたが、神聖の
意味に現代と違いがあり、「神様に美しい技を見せる」という
意味が強かったようです。ただ強いだけでは駄目で、投げ方が
美しくないと駄目。ついでに裸の肉体も美しくなければ駄目
だったようです。かのプラトンは「動きの鈍い試合、太った
選手の試合、寝技ばかりの試合はギリシャ的でない」と語って
います。どうやら相撲のような立ち技限定ルールの試合があった
ようで、それだとスタンド状態の大技もかかりやすいと思います。
イギリスの「蛇の穴」ジムでは、ギリシャ時代の大技、関節技も
伝承されているそうです。それが証拠には、プロレスで卍固めを
初公開したのは同ジム出身のカール・ゴッチ、ツームストン・パイル
ドライバーを持ち込んだのも、同ジム出身のビル・ロビンソンなのです。



742T・S:02/10/24 12:33
……そーいえば、上の方でもエジプトのレスリングにもすでにプロレスな技があったとか書いてる人がいましたね。

743ふにゃぽん:02/10/24 14:53
>>741
蛇の穴さん。
>ただ強いだけでは駄目で、投げ方が
>美しくないと駄目

>どうやら相撲のような立ち技限定ルールの試合があった
>ようで、それだとスタンド状態の大技もかかりやすいと思います。

>プロレスで卍固めを
>初公開したのは同ジム出身のカール・ゴッチ、ツームストン・パイル
>ドライバーを持ち込んだのも、同ジム出身のビル・ロビンソンなのです。

そうでしたか。それは、目にウロコです。

じゃあ、古代の(あるいは江戸時代の)相撲もそうだったのかな?

それと、プロレスを100年の歴史を持つ興行格闘技として見た
場合、「カール・ゴッチ」の位置付けはどうなりますかね?

アメリカじゃあ、全然認められていないみたいだけど、
「アメ・プロに、ヨーロピアン・ストロング・スタイルと、
多彩な投げ技、サブミッションを持ち込んだ一レスラー」
ってとこかな?
「ジャーマン・スープレックス」は、彼のオリジナルでしたよね?
「ビル・ロビンソン」は、さしずめ「AWAテリトリーでならした本格派」
かな?



744ふにゃぽん:02/10/24 14:58
>>742
T・Sさん。

そのようなことを、あの松浪 ケンシロウも、言っていたような・・・。

それと、どなたか、しりとりの新スレ作って下さいませんか?

前スレの>1を、新スレに貼るだけで、結構ですので・・・。

私のホストからは、今、立てられないので・・・。
745NX-01:02/10/24 18:11
>>741
寝技が美しくない、てのは近年特にわかるような(笑
古代ギリシアのレスリングでは3回投げなければ勝ちにならなかったそうで、
大技が研究されたのも納得できますね。
746T・S:02/10/24 18:42
>>743
相撲はがちがちに.ルールがありますからねぇ。
技術的にはあれこれ発達したと思われ。
ただまあ、雷電には三つほどの禁じ手があったという話もあるですから、興行的な枷もあったものかと。

747ふにゃぽん:02/10/24 18:55
>>745
>古代ギリシアのレスリングでは3回投げなければ勝ちにならなかったそうで、
>大技が研究されたのも納得できますね。

たしかに、古代ギリシアのレスリングを描いた絵や彫刻で、
寝技が描かれているのは、ほとんど見ませんね。

>>746
>相撲はがちがちに.ルールがありますからねぇ。

イガーイと、現在より、江戸時代のほうが、ルールはきびしかったんですか?



748世界@名無史さん:02/10/24 18:59
>>741
江戸時代の大相撲とかだと、決まり手に一本背負いとかあるんですよね。
猪反りとか、近年見られなくなった技もけっこうあるようですし。
これってやっぱり体が小さく体重が少なかったからなんでしょうか?
そう考えると、古代ギリシアでツームストンが出ても不思議じゃないような。
プロレスもアマレスも柔道も、ヘビー級よりも軽量級のほうが派手な技が出ますし。
スパルタ人は体格的にペルシア人より数段劣っていたと言いますし。

それと、古代ギリシアのレスリングって体重で階級を分けていたんでしたっけ?
昔のUFCではダン・ズバーンが軽量級の選手を思いっきり綺麗なジャーマンで投げてましたし、
体重差があれば多少は無茶な技でも出せるのではないかと思うのですが・・・。
749NX-01:02/10/25 00:11
一本背負は十年くらい前かなー。大相撲で誰かがやったな…。
もっとも、押し出される際にやけっぱちで出したような感じで、
負けてましたけど。
居反りも、何年か前に全日本相撲(学生だったかな)で決まって、
珍しい、とニュースでも流れてました。
江戸時代にも釈迦ヶ嶽とか巨漢力士はいたけど、曙とか小錦に比べると
細身(笑)だったようです。

古代ギリシアでは少年レスリングは別物としてあったようですが、
体重制は無かったようですね。
体重で有利になるように食べまくったとかありますから。
あったとすれば身長制?
750T・S:02/10/25 02:39
体重製の導入はボクシングにおいてさえ最近ですからねぇ。
古代リスリングでは推して知るべし、でしょう。

現代でも相撲の決まり手には一本背負いがありますが、なかなか見られませんからねぇ。
ちなみに巨漢力士といえば、件の雷電は、張り手と閂と、あと一つ禁じ手をされましたね。
閂なんかかけられたら、巨漢で怪力の雷電には誰も勝てないというのが理由だったらしいですが(笑)

細身とは言っても、ハリスだかペリーがきたときに、水兵達と住もうしたという力士達をして「彼らはまるで脂肪の塊のように見えた」とか書かれていますからね(笑)
曙とか小錦はちょっと規格外でしょう(笑)
751世界@名無史さん:02/10/25 04:41
先日の日曜日スカパーでPRIDEの下部大会のような「THE BEST 3」ってのが放映されてたんですが、
そこに出てきたムエカッチャとペンチャックシラットに関して詳しい人いませんか?
752蛇の穴:02/10/25 17:06
>743
ゴッチの位置付けは、おっしゃる通りだと思います。
そもそも彼ら「本格派」のレスラーは、生活のため
プロレスをやっていたとは言え、いわゆるショー性に
染まりきることには抵抗があったのだと思います。
そこで実戦的な関節技と、芸術性的大技の両面をプロレスに
持ち込んだ。関節技は、相手に対する「わかってるな、
俺の本当の強さを」というプレッシャーを与えるため。そして大技は
「ショーを超えたレスリング芸術」を観客に感じさせるために。
負けブックはとことん拒否して嫌われましたが、それはテーズも
同じ。では何故テーズは嫌われなかったかというと、相手の技を
受けて試合にストーリー性を持たせる達人だったからでしょう。
ゴッチは自分の技巧さえ売れればいいという考えでしたから。
テーズはハリウッド映画の文法に従った監督、ゴッチは妥協
しなかった監督・・・というところでしょう。
ロビンソンにもゴッチにかなり近いところがあり、アクシデント
以外の負けブックは呑まなかったですね。ゆえにAWAでしか
活躍できなかった。二人とも、猪木にも勝ちを譲りませんでした
からね。そう考えると、プロレスに八百長性があっても、実力者
は否定しきれないという、そういう側面もある・・・


753蛇の穴:02/10/25 17:14
ところで、ギリシャ時代に現代のレスリング、
プロレスに近い要素が出ていながら、その流れが
何故一旦途絶え、何故19世紀のイギリスで復活した
かが、よくわからないんですが・・・
誰か知ってる方はいませんかね。
やはりローマ時代の奴隷の戦いとかが、ミッシングリンク
を生んだのでしょうか・・・
754NX-01:02/10/25 17:28
>>751
ムエカッチャってビルマ版ムエタイですよね。
グローブなしで、噛み付きと引っかき以外はOkとかいう。
あちらでは結構人気があるようですが詳しくは知りません。
ペンチャックシラットはブルース・リー絡みもあって、
検索すれば出てきますね。
インドネシア共和国大使館後援の日本シラット協会なんてのもあるようで。
755NX-01:02/10/25 17:39
>>753
>何故一旦途絶え
調べてもよくわかんないですよね、その辺。
ただ、ローマではギリシア的な肉体賛美が無かったこと。
戦争ではより効率的な戦闘法が求められたので役立たず。
てことで廃れたようですね。
一方、古代オリンピックに中近東あたりの選手も出てた、て話もあるよう
なので、レスリングは各地に拡散、伝承されたのかとも思います。

個人的にはイギリスやヨーロッパの地方レスリングは、
着衣式が多い点などから北欧のグリマとかの流れが
根付いたものと思っています。
756NX-01:02/10/25 19:54
答になってなかったな…(笑
>何故19世紀のイギリスで復活した
これは、今と同じ意味での「スポーツ」が19世紀頃に発明? 発見? 認識?
されたからではないでしょうか。
その結果、細々と伝わってたのが脚光を浴びて復活したからでは?
757蛇の穴:02/10/26 13:57
>756
細々でも伝わっていたというのは、やはり軍事目的から
でしょうかね・・・。
スポーツを見て楽しむ、それが大衆を興奮させる、という
要素は、実はギリシャ、ローマ時代にすでに発見されて
ましたよね。それが一旦途絶えたことも、不思議といえば
不思議です。権力者たちが、その大衆に与える影響を
恐れたということでしょうか。日本なんかはむしろ、
相撲を含めて、格闘技興行という概念が、昔から続いて
きてるような・・。
758NX-01:02/10/27 06:57
>>757
レスリングが軍隊で使われてたか、は上の方でもありましたが、
よくわかんないです。騎士たちがやってたのは確かですけど、
体育的な要素が多いような…。
むしろ村相撲のような形で残ってたのではないでしょうか。

>スポーツを見て楽しむ、それが大衆を興奮させる、…それが一旦途絶えた

これは、もっと面白いものにハマってたのでは?フットボールとか。
もちろん賭けるので禁令なんかも出てたようですが。
スポーツの語源はご存知でしょうが、チェスやトランプや芝居鑑賞まで
スポーツでした。それが今日のような競技スポーツみたいな意味になるのが
19世紀ごろ。アスレティシズムという運動礼賛の思想が出てからです。
この辺で「自分でやって楽しむもの」にもなったようで。

ボクシングもそうみたいですが、レスリングが英国で多く残ってたのは、
肉弾戦を好むという英国人の特殊な趣味(笑)のようですね。
759T・S:02/10/27 10:37
>>751
ビルマ伝わる素手のムエタイですが、十何年か前に日本で公開された時、あんまり評判はよくなかったみたいです。
ちゃんとしたルールがなかったものだから、技術的にはいまひとつだったような話を聞いたけど、さてどうだか。

しラットは聞いた話ですが、200ほどの流派があるそうです。
細かい差異は知りませんが。
確か二段階あって、普通に殴る蹴るで戦う《競技のシラット》と、特異な超能力(?)まで発揮できるという《瞑想のシラット》があるとかどうとか。
大昔に雑誌で見た話だから、あてにならないけど(^_^;
日本の古武道演武会なんかでも呼ばれたことがあったらしいけど、その時は「空手に似た格闘技」として紹介されていたかな?
漫画ではサンデーで連載されていた……「トキオ」だったかな?
に出ていたけど、あの技法がどれだけ正しいのかはさっぱり解りません。

>>753
レスリングが途絶えたのは、東ローマ皇帝によって520年に中止の勅令がだされたためだそうです。
レスリングはとりあえず騎士の訓練などにされていたのですが、火砲の発明が戦場のあり方を大きく変えてしまい、スポーツ化への道を辿り始めたとか。
十八世紀になって各国で軍隊の体育教育として導入され、十九世紀後半には広く一般民に楽しまれるようになった……そうな。

ちなみにギリシヤからローマにうつる過程で、賞金目当てのプロのレスラーが出現していたそうです。
さらについで、ギリシャではスタンド・レスリングの「オルティア・バレ」、グラウンド・レスリングの「アリンデシス」の二種類があったそうです。
大英帝国とレスリングについては、また後で。
760ふにゃぽん:02/10/27 11:34
中世の時代には、見世物、興行としての
レスリングもなかったのかな?

ロマ人(=ジプシー)による大道芸の一環としてなら、
あってよさそうですが・・・。
761世界@名無史さん:02/10/27 15:46
ムエ・カッチューアはけっこう前に大道塾の人(ホイスに負けた人が)が
大会に飛び入りで参加して、はっきり言って技術的には楽勝だったみたい。

つーか、素人がお祭りの余興みたいな感じでやってるような感じらしいです。
日本で言えば、お祭りの奉納相撲に血の気の多いヤシが参加して
観客がヤンヤヤンヤ盛り上がる、そういう雰囲気みたいですね。

もう一つの流れである武術ムエタイが気になってるんですが、現代では伝承されてるんでしょうかね?
タイ陸軍の格闘術はそれをベースにしてるとかしてないとか・・・。
762世界@名無史さん:02/10/28 01:41
俺、トキオ読んでたけど、シラットが出てたなんて知らなかったよ。
763:02/10/28 01:43
>>761
>ムエ・カッチューアはけっこう前に大道塾の人(ホイスに負けた人が)が
>大会に飛び入りで参加して、はっきり言って技術的には楽勝だったみたい。

大道塾の市原海樹さんですね。
小柄だけど、思い切りのいいファイトスタイルの強い選手でしたね。
ちょっと電波入っているのが玉に傷でしたが・・・

764T・S:02/10/28 03:17
>>760
中世のレスリングについては「格闘技の歴史」参照のこと。
相撲みたいにあっちこっちで行われていたとも思われますが。
ロマニーがレスリング……は、やったのかなぁ?

>>762
トキオではなかったかな?
なんか原宿だか六本木だかでシャーク団だがなんだか、そんな名前のチーマーと喧嘩していく少年の話。
最初のほうでフィリピンだかインドネシアの少年から棒術カリとか習ったりとかしたり。

>>783
格闘家は多かれ少なかれ電波が入っているものです。
武道家はもう大概電波が入っています。
765世界@名無史さん:02/10/29 15:00
>>764
それは間違いなくトキオですよ。
 
さて、電波と言えば、現在発売中の紙のプロレスで
佐山サトルが靖国神社で制圏道の興行をやって、
英霊に日本人の精神が生き続けていることを見せる、
とか訳の解らないこと言ってますね。
766NX-01:02/10/29 18:51
自衛隊員が硫黄島で「加藤隼戦闘隊」のビデオ見てたら
「いいもの見せてくれた」て声がして、ビールお供えしたら
宝くじが当たった、て話があった。
佐山サトルも、霊の恩返しを……。

ひどいレスだな スマソ
767ふにゃぽん:02/10/31 19:12
ひ〜〜〜!!

めちゃ忙しいよお!!


しばらく、カキコできませんので、みなさん、よろぴく、
私なぞに構わず語って下さい。

後ほど、レスします。
768世界@名無史さん:02/11/04 15:46
a
769世界@名無史さん:02/11/05 13:11
削除依頼が出てしまってますが削除しないようにお願いします>削除人さま

#依頼すりゃいいってもんじゃないぞ
770世界@名無史さん:02/11/12 19:02
保守。
771NX-01:02/11/14 02:06
雑談age
最近スウェーデンの武道オタと話しています。
中世ドイツの甲冑武術にはMordstossenという
当身様の技があったとか、色々おもろいですわ。
772T・S:02/11/14 04:31
>>771
なんともそれは面白そうな話ですね。
別スレですが北欧には古式の剣法とかが残っている話がありました。
その関係なのですかね?
しかし中世ドイツの甲冑武術というのは、どんな感じなのでしょうか?
詳細を教えてください。
773NX-01:02/11/15 01:21
>>772
詳しく聞いてみますね。
なんせ翻訳サイト頼みのターザン英語なもんで(泣
なんでも10代の頃、柔術やって、その後も詠春拳なんか習って、
今は合気道と中世剣術(あちらの人がよくやってるコスプレチャンバラかも)
という奴です。
起倒流のことを聞いてきたんで教えたら「投げて、首を掻くのは一緒だよ」
なんて言ってMordstossen(英語だとマーダー・ストライクになるらしい)
のこと教えてくれますた。
英語もっと勉強しとけばよかた…。
774T・S:02/11/15 13:48
うーむ。
なかなか濃ゆい人のようですな……。
しかし起倒流のことを聞いてくるというのもなかなかシブい。
本邦で初めて「柔道」の語を使用した流派でありましたか。
一体それのナニが知りたかったのかも興味深いところで。

投げて首を掻くのは一緒というのもなかなか面白いですな。
対甲冑武術は欧州のそれはどうもイメージができないですが、ない訳はないんですよね。
面白そうです。
775ふにゃぽん:02/11/17 12:41
みなさん、おひさしぶりです。
私なぞいなくても誰も困る人はいないでしょうが、
いちおう身辺事情を。

とにかく、最近多忙で、まともにカキコする時間がありません。

いや、正確には、カキコだけならできますが、その際私が振ったネタに対して
みなさんが返して下さるレスにお答えする時間がありません。
ネタだけ振って、返事をしないというのは失礼にあたりますので、
しばらくはカキコいたしません。

この状態は、もう少し続くと思われます。

いちおう、このスレの>>1として、そのことをお伝えしておきます。

ですので、私なぞに構わず、どんどん話を続けちゃってください。
あしからず。

この状態は、もうしばらく続くと思われます。
776世界@名無史さん:02/11/24 11:24
保守。
777ふにゃぽん:02/11/30 18:59
あ〜〜〜〜〜。疲れた。
やっと、暇ができた。また明日から忙しい日が続くけど、このスレもまだ200以上
書き込めるから、マターリ逝きましょう。

今回は、プロレスの話をば。

前述したように、プロレスを100年の歴史を持つ興行格闘技として見た場合、
その歴史に名が残る日本人レスラーは、誰でしょう?

私の見たところ、
@力道山    英雄、ルー・テーズのライバル、および日本のプロレスの(事実上の)
        創始者として。
AG・馬場   戦後、米マット界で活躍した「東洋の巨人」として。
BA・猪木   モハメッド・アリと奇妙な異種格闘技戦を行った、日本のマット界の
        不世出の英雄として。
CK・カーン  世界の大巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントの足をへし折ったレスラー
        として。
D武藤 敬司   世界のヒール・エンターテイナー、Gムタ張本人として。

といったところでしょうか?
こうして見ると、プロレスの歴史は、どうしてもアメリカ中心に捉えざるをえない
ように思われますが、それも仕方ありませんかね?

ところで、また業界内部の暴露本が出るらしいですな・・・。
関係者は、戦々恐々・・・。
778ふにゃぽん:02/11/30 22:03
じゃあ、日本のプロレスが、世界のプロレスに与えた影響って
なんでしょうか?

ここ数年、アメ・プロで、足にレガースを着けて、キックを多用する
レスラーを見かけますが、あれは、日本のUWF系の団体の影響なんでしょうか?
779山犬:02/11/30 22:38
>>778
UインターVS新日本プロレスの対抗戦は、現在のアメプロに多大な影響を
与えたというのが通説です。

「新日vsUインターの「全面 対抗戦」の記録。その頂点は97年10月9日、
 6万7千人の観客で埋め尽くした東京ドーム。この動員数の記録は未だに
 破られていない。しかも、この団体対抗戦アングルは、その異常な興奮を
 客席で目撃していたエリック・ビショフによってアメプロに輸出され、
 WCW vs. N.W.O.(New World Order)となったことは余りにも有名である。
 WWFのRAWに対抗して、時間帯が同じ裏番組NitroをWCWが95年秋に開戦させた
 際の目玉 に。視聴率を奪い合う「月曜生戦争」を爆発させ、ビジネスとしての
 アメプロの繁栄を決定づけた発端ともなっている。」by田中正志
まあ、この動員数の記録は今年破られたわけですが…。

詳しくはこのページを見てください。
http://www.asakusakid.com/shoot/

プロレスファンの前で田中正志の名前を出すのは気がひけるのですが、
どうぞお許し下さい。
780ふにゃぽん:02/11/30 23:07
>>779
山犬さん、おひさしぶりです。
有益なページを、ありがとうございました。
面白くて、一通り目を通させてもらいました。

どうも、このページを見る限り、私は、前田、高田、船木といった
面々を、世間の風評に引かれて、過小評価してたかな・・・。

そうですね。彼らの全盛期には、まだプロレスと格闘技のボーダーが、
危うくもまだ存在していた時代ですので、「ガチ」と「ショー」を融合してみせた
彼らの手腕は、もっと評価されてもいいかもしれませんね・・・。

彼らが、現在のプロレス、格闘技界の状況において、例えば、まだ20代半ばくらい
だとしたら・・・。
「グレーシー・キラー」当時の桜庭以上の実績と名声を得ることも可能だったんじゃないか・・・?

なんて思っちゃいました。今日、高田の引退試合、テレビでやってましたし・(w

不勉強でもうしわけないが、それにしても、この田中 正志氏という人は、
例のピーター高橋氏と同じようなスタンスの人なのですかね?
781山犬:02/12/01 00:14
>>780
勝負には、真剣勝負と、あらかじめ勝敗が決められた勝負とがあります。
そして、例えば日本の代表的プロレス団体である新日本プロレスにおいては
後者が圧倒的な数を占めています。

プロレスの楽しみ方自体も様々あり、それを真剣勝負として楽しむ者、真剣勝負では
ないと知りながら、そのシナリオを楽しむものとがいます。
(前者のようなファンを「マーク」後者のようなファンを「シュート」と呼びます。
 そして、日本では、その中間の「シュマーク」と呼ばれるプロレスファンが多数を
 占めています。)
前田、高田、船木といったUWF出身のレスラーは、そのシュマークに分類される
ファンによって支えられ、まさに「ガチ」と「ショー」をつなぐ、その役割を果たし、
我々を熱狂させ、現在に繋がる総合格闘技人気の道を開いたてくれたレスラー達です。
このシュマークと呼ばれるファンによって現在の総合格闘技人気が支えられてきたと
言っても過言ではないと思います。
その根幹を作り上げたのはUWFの存在と、猪木の異種格闘技戦の存在です。
782山犬:02/12/01 00:15
彼等は正直言って真剣勝負の世界で生きてきた選手ではありません。
例えば高田について言えば、PRIDE3での試合を見れば分かる事です。

彼等を真剣勝負の世界に生きていなかったレスラーとして笑う事は簡単です。
しかし、もし彼等が存在しなければ、現在の総合格闘技の盛り上がりは存在し得た
でしょうか?1997年10月のヒクソンVS高田戦がなければ、総合格闘技は、もっと
マイナーな存在としてしか存在しえなかったのではないかと思います。
高田も、船木もプロレスラーとしてならもっと確実な地位を手に入れることができた
にもかかわらず、未知の領域に踏み出していった事は評価されるべきです。

彼等は彼等なりの役割を十分果たしました。まさに、それはふにゃぽん様の仰られるとおりです。
問題は、それらを継いで行く我々に課せられていると思います。

プロレス的なブックに依存した試合構成か、実力に基づいた試合を組んでゆくか。
それを左右するのは、現在の格闘技を支えてゆく我々の判断にかかっているのです。
まあ、まずは今回のプライドの吉田対ドン・フライから見直していくことでしょう。

えらそうな事言ってゴメンなさい。酔っぱらっているので、勘弁してください。
それにしても、高田の引退は結構感動的でした。試合自体は噴飯物でしたが。
それにしても、ふにゃぽん様に名前を憶えて頂いていたと言うのは光栄です。
783ふにゃぽん:02/12/01 00:31
>ふにゃぽん様に名前を憶えて頂いていたと言うのは光栄です。

こちらこそ、これからも、良レスを下さるように、よろぴくお願いします。


784T・S:02/12/01 00:45
しばらくぶりです。
バソコンの調子が悪かったので……。

で、早速何か書こうかと思ったけど、プロレスネタはあまり知りませんねぇ。
つーか、「超最狂プロレスファン列伝」とかは好きでしたが(笑)

しかし高田対ヒクソン……まさかあの試合が組まれると思っていなかった当時の私。
まあ、(あの頃の)高田が格別弱いとは思いませんが。
しかし思い返すにつけ、あのアームバー。
「格闘技の医学」とか、そんなタイトルの本を立ち読みしたら、ヒクソンが仕掛けたのはプロレスとかで見られるようなのとは違い、あっという真に腕を壊すタイプのものだったとか。
だから高田はあそこですぐタップして正解だった云々……。
なんというか、ちょっと恐いぞ……ヒクソン……。

785ふにゃぽん:02/12/01 01:17
T・Sさん。
おひさしぶりです。

>だから高田はあそこですぐタップして正解だった云々……。
>なんというか、ちょっと恐いぞ……ヒクソン……。

過去ログでちょっと教えていただきましたが、ブラジリアン柔術の技って、
やはりあくまで競技用なんですかね?
それとも、日本の古武道みたいに、「必殺」を前提に創られているとか・・・?


786NX-01:02/12/01 03:27
ふにゃぽんさん、小復活ですか。
お疲れ様です。

「必殺」てのも定義がちょっとアレですが、ブラジリアン柔術はやっぱり
本質は競技用に見えますね。
「本当はこうなの」てのがあるのかもしれませんが、試合等、
目に出来るものからはそう見えます。
試合はめっぽう弱かった、特に寝技は全然ダメな私なら必殺されますけど。
787ふにゃぽん:02/12/01 10:35
NX−01さん。
あひさしぶりです。どうもです。

>試合はめっぽう弱かった、

ノゲイラは、メチャ強いけど、ホイス以後の選手は、なんか
脆いヤツが多いですな・・・。

ところで、昨日、高田の引退試合で、別のカードで「ヨーロピアン柔術」なる
ものが出て来たので、googleかけたら、こんなのひっかかりましたので、
貼っときます。

http://www.pref.akita.jp/tiiki/wg2001/jp/sports/jujitsu.html

T・Sさん。NX−01さん、山犬さん、他のみなさん、これからもよろぴく。

マターリやっていきましょう。
788世界@名無史さん:02/12/08 13:30
保守
789世界@名無史さん:02/12/11 19:09
age
790世界@名無史さん:02/12/13 08:31
age
791世界@名無史さん:02/12/13 08:39
このレスに何度か出てきた古武道の直信流のこと知りたいのですが・・・
色々検索もしてみたのですが分りません。
なにか情報お持ちの方、教えてください。
792NX-01:02/12/14 01:48
>>791
柔術の直信流のことですよね?
基本的な情報しかありませんが…。

流祖は寺田勘右衛門満英(正重)
父親の平左衛門定安より貞心流和術を学び、さらに叔父の寺田八左衛門頼重より
福野流(良移心当流)を学び、直信流柔道と名乗る。

福野と共に良移心当流を研鑽した茨木専斎は「乱」を加え、これを見た
沢庵和尚が起倒流と名づけたらしい。

福野七郎右衛門は寺田八左衛門頼重に全てを伝えたらしいので、
流れとすれば
良移心当流→直信流(=起倒流)となるのかなぁ。

武芸流派辞典によると起倒流は
茨木専斎後房−福野七郎右衛門−寺田平左衛門定安−寺田八左衛門頼重−寺田勘右衛門
     
直信流は
福野七郎右衛門−寺田平左衛門定安−寺田八左衛門頼重−寺田勘右衛門

ややこしいです。


793世界@名無史さん:02/12/14 02:46
>NX-O1
詳しい情報ありがとうございます。
直信流柔道のことです。この流派は体術のみの流派なのでしょうか?
また今現在伝承されているのでしょうか?
以前に雑誌か本で中部地方に伝承されているとみたのですが・・・。
794NX-01:02/12/14 04:34
>>793
茨木専斎は柳生と関係があるんで剣術とかあってもおかしくないんですが、
起倒流に剣が無い(少なくとも伝書にも記述が無い)所からして
体術専門だったのかもしれませんね。よくわかりません。
伝承は私は知りません。
T・Sさんがお詳しいような予感がする。と人頼み(W
795T・S:02/12/14 12:34
起倒流の中である伝系を直信流柔道としたっぽいですな。
ちなみに起倒流でも「柔道」と名乗っていますけど。

武芸流派大事典によると、起倒流には鎧組討ちと居合などがあったようです。あと早縄とか。
伝書に残っていないという以上、別伝かも知れないですが。
直信流にもあったかも……。
ただ、そういう伝承って失伝している可能性は大きいです。

現在の伝承は残念ながら忘れました。
確か日本古武道総覧に起倒流は載っていたと思うのですが……。
生活に苦しくてうっぱらったし(苦笑)

参考ttp://kobe.cool.ne.jp/ikkansai/syohan.htm
796NX-01:02/12/15 02:43
>>793
今調べたら島根大学が紀要の全文データベース化を進めていますね。
しかも学外者でも読めるというありがたいもの。
まだ一部ですが、教育学部、藤岡正春氏の
「直信流柔道について」が読める日も近そうです。
797NX-01:02/12/15 03:00
>>795
起倒流柔術記録には表裏二十一の形と、その実践法の鎧組、
早縄、中(アタリ)は出ていますね。
あと活法と、鼻血の薬とかも出てた(w

字がちっこかったり、崩れてたりで読めないところもあるんですが、
随所で「うちは組討でつ」と書いてる流派ですから、
元から武器は取り扱ってなかったようですね。
武芸流派大事典は、その辺はちょとアレな本ですしね。
798世界@名無史さん:02/12/16 05:02
話の流れをさえぎってゴメン。気に障ったら無視してね。
「作州で棒をふるな」なんていわれて、江戸時代には竹内流の棒術が一般に
広く普及していたらしい。
武器あっての柔術かな?
799T・S:02/12/16 15:42
>>797
んー。
まあ、所詮は個人の研究ですからねえ。
あるいは個人の得意技を流派のものと勘違いしていた可能性も。

>>798
流派にもよりますが、基本的に武器の用法があまりない流派というのは大分後代になってからではないかと。
古流は多くが総合武道でしたから、まあなんでもありのようでしたが、平和な時代になるとそれぞれ分化が進んで、それのみの流派を幾つも習って武芸十八般の備えとしたのではないかと。
とりあえず竹内流は下層階級にも広く普及したというから、得物として棒は適当だったのでしないでしょうか。
刀とかはなかなかもてませんしね。

800NX-01:02/12/16 18:02
>>799
調べる際に最初にあたる本としては素晴らしいんですが、
収集が眼目みたいなものですからね。
これを検証する人が現れていないのが寂しいところですよね。
801NX-01:02/12/16 18:18
>>798
竹内流は棒も主要取り扱い品目の一つですからね。
棒の手とか棒踊なんてのもありますが、農民の自衛策や落ち武者狩りなんか
棒は有効だったんでしょう。

ただ私はT・Sさんの仰るような「古流の多くが総合武道」は、疑問点もあるんですよね。
竹内流なんかは総合に当てはまると思うんですが、多くの場合は表芸に付随するもの、
というレベルじゃなかったのかな、と。
新陰流にも柔はあるけど、こーいうのは総合とは言えないんじゃないかなー、と。
流派が確立する以前の時代は総合だったとは思うんだけど。
ま、「総合」とか「古流」の定義が曖昧なんでアレなんですけどね。

どちらに対するレスかわかんないですね。すみません(w
802T・S:02/12/18 08:48
>>801
>>799の文章は一般的な認識の文脈に合わせましたので……。
古流というのは今の人間にとってみれば何々流とつくのはみんなその扱いしている人もいるようですが、定義的には江戸時代以前のものをさしているようです。
だから大東流は古流ではない、という人もいます。考証上では明治からだから、と。
しかしそれいうと空手なんかは大体が明治以降だし。
大雑把に現代武道より昔の流派、と考えた方がいいかもしれません。
でも柔道なんか案外古いしねぇ。
どうしたものか。
総合というと、とりあえず柔術と剣術を始めとする武器術の双方があればそれとみなす傾向があるようです。
その意味では新陰流は古い時代では総合と呼べたのではないか、と。
まあ、天真正伝香取神道流みたいに築城だの測量だのもある流派を総合の基準としてしまったら、ほとんど残らないのですが(笑)
それとあと困るのは、開祖が一人なのに、その下には幾つもの種類の術がある場合。
宮本武蔵は剣術以外にも棒術、柔術などを教えて、それらは別々の流儀として独立している……はずなのに、弟子の仲にはそれらを剣術と併伝してたりする者もいたり。
またあるいは、代々その流派を継承する者は、別の流派を伝承するのが慣わしになっている場合。
無比無敵流杖術では為我流派勝新流柔術を合わせて習うことになっているらしいし、尾張の柳生流だったかでは、制剛流居合も併伝して習っていたと思う。
こういうのは宗家レベルでの話で一般の弟子では違っていたかも知れないけど、果たしてどうかなぁ。

>>800
……全体を批判できるほどの専門家がいないというのが現状ですからなぁ。
私としては御式内の流派名があるのは何を根拠にしているのかが無闇に知りたいです。
803世界@名無史さん:02/12/20 15:32
>NX−01さん、T・Sさん
直信流のことでレスありがとうございます。参考になりました。
804世界@名無史さん:03/01/02 08:40
age
805T・S:03/01/05 00:35
今年最初の書き込み。

ネタがあんまりないのですが、とりあえず有名人が身につけていた格闘技とか武術の話とか知りませんか?
剣豪とか武道家は当たり前だけど、例えば権力者とか著名な人が、実は格闘技の使い手だったというような話。
日本史の部類に入るけど、板垣退助は土佐伝の竹之内流を習っていたそうです。
襲われたときもその業でいちめいをとりとめたとかいう……。

――明治の高官とかは若き日にテロリストまがいのことやってた連中が多そうだから、これは別に珍しくも意外でもないですか(^_^;
806NX-01:03/01/05 01:54
板垣退助の話、懐かしいな。
日本史の授業で先生がその話して教室中がどよめいた(w
月形龍之介が剣道三段で殺陣が凄かったとか、怪我して入院したら、
そのベッドは患者が必ず死んでしまう、といういわくつき。
案の定寝てたら足元から黒い影が…。気合一閃、影が消えて助かった。
なんて話なら……って、素手じゃないし、オカルトじゃん(w

子供の頃死んだけど、衆議院議長だった伯父が柔道六段。
改正警察法の乱闘の時に役に立ったって……あんまり著名じゃないな(w
807T・S:03/01/05 10:49
あら、あけましておめでとうございます。

>>806

割と知られていますかねぇ。
「板垣死すとも自由は死せず」なんて言ってねぇとか。
実際に板垣が負ったのは全治3日ほどの軽傷で、板垣と取っ組み合いした元士族の若者は、牢の中で板垣に打たれた箇所が二週間ぐらい夜になるとしくしく痛むとかなんとか。
当身をしていたらしいとかどうとか。
昔習ってた師匠に感謝を、と新聞のコメントで言ったら、師匠の人はそれを聞いて「よくぞ公然でその業をやくだててくれた」とかなんとかで、なんかの免状を板垣に出しているとかいう。

時代小説家は剣術とかやっている人は結構いるという話だけど、徒手格闘技の話でもないかぁ。
というか、歴史上の人物となるとあんまり聞かないですねえ。
四方山話になんか聞いたような気がするのですが。
808ふにゃぽん:03/01/06 12:29
みなさん、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

今日は、武術と医術の関係を。

http://www.budoigaku.org/budoigaku.html

日本では、「柔道整体師」という資格があるように、昔日の柔術は、おのおのの流派によって、
独自の「医術」を持っていたものと思われ、やがて近代になって講道館が「柔道」を創設したことに
よって、その講道館での「整体術」が、現在の国家公認の「医術」になったものと思われます。

ところで、中国ではどうなんでしょうか?
中国拳法の「指拳」などは、敵の急所を的確に突くというところから、医術と深い関係にあったと思われますが、
ネットで調べても、詳しいことは判りませんでした。

実際はどうなんでしょうか?
「医食同源」のあの国では、最初から「武術」と「医術」は、親密な関係にあったんでしょうか?
809世界@名無史さん:03/01/06 13:04
全然関係無いけど、ヤングサンデーで連載中の蝶野原作の漫画「白兵武者」読んでる?。戦国時代に徒手のみで戦闘行為を行う集団の話だよ。
810ふにゃぽん:03/01/06 20:00
>>809
そういえば、武藤が原作のアクションマンガがあったけど、
たいして尾脆くなかったな・・・。

しばらくしたら、挌闘マンガの歴史をこのスレでやろうと思ってましたけど、
スレ違い(板違い)じゃないですよね?
811ふにゃぽん:03/01/06 20:01
>>809さん。
私は未読です。

こんど、立ち読みしてみますね。
812NX-01:03/01/07 00:50
>>807
あれは確か肘当てで倒したんでしたっけ?
後には「自由は死すとも板垣死せず」なんて揶揄されるようになっちゃっいましたけど(w

歴史上の人物で徒手格闘、は実際は覚えがあっても、絵にならないから伝わんないんじゃ?
「○○総理は毎朝百本の素振りを…」なんてのだとニュース映画とかにありそうですけど、
「△△官房長官は毎晩ドシンバタンと受身を欠かさず…」じゃあねぇ。
813NX-01:03/01/07 00:58
>>808
中国でも医学はベースでしょう。急所はもちろん、少林寺なんかでも
手を鍛える時には特殊な薬を使うとかなんとかいうし。

ただ、日本の柔術家が副業として開業してたようには、一般的ではなかったんかなー?
名倉流なんて江戸時代から整骨の代名詞になってたみたいですけど、
そーいう民間ベースの活動はなさそうな雰囲気(w)がありますよね。
814世界@名無史さん:03/01/07 14:40
>>812
そうですか、結構カコイイと思いますが・・・

「□□陸軍大臣の30年来の日課、それは柔の稽古であります」とのナレーションのあとに、
五人掛けの技を披露する大臣・・・・・とか。
815T・S:03/01/07 23:22
>>808
>その講道館での「整体術」が、現在の国家公認の「医術」になったものと思われます。

細かいことですが、整体だの鍼だのは「医療類似行為」であって、「治療」と呼ばず「施術」と呼ぶのではないかなぁと。
いや、今野敏の小説に書いてあったのだけど(爆)

>「医食同源」のあの国では、最初から「武術」と「医術」は、親密な関係にあったんでしょうか?

黄飛鴻が医者にして武術家という話ですから、達人とかは漢方その他に知識に長けていそうな気がします。
実際にそのような話を小説で読みましたが、未確認ですので。

>>809
読んだ……けど、壱話で読むのやめました。

>>810
小川監修ってのも……。
変わったところでは、柔道一直線のドラマの監修を木村政彦がやってたりとか(笑)

いいですよ。
現在の格闘技ブームのムーブメントには、格闘技漫画が深く関わってますから。

>>812
絵にならないかなぁ。

>>813
骨接ぎ名倉堂……また渋いの知ってますね(^_^;
つーか、名倉流って流派でしたか……。
迂闊だった。

>>814
五人がけ……それ、凄すぎ。
816NX-01:03/01/08 01:10
T・Sさん、まさに五人がけ状態ですね(w

>名倉流って流派

武術としては
「武備心流(柔、整骨) 南葛飾郡千住の名倉孫次兵衛直賢(素朴)の家伝」
てことですね。整骨の方だけ有名になっちゃって俗に名倉流と。

>柔道一直線のドラマの監修を木村政彦
あれ、タイトルバックで木村が演武してましたよね?
シルエットだったけど背負いや大外が独特なんで。

格闘マンガ……一番古い記憶はやっぱり柔道一直線かなぁ。キングだっけか?
817ふにゃぽん:03/01/08 12:12
T・Sさん、NX−01さん、名無しのみなさん。
レスをありがとう。
楽しく拝見させてもらいました。

今日もまだ忙しいので、とりあえず、お礼と挨拶だけ。

どうもです。
818ふにゃぽん:03/01/08 19:36
少し時間ができたので、>>817の追加を。

やはり、武道家という人たちは、己の五体が実践の素材だから、否応なく「医学」や「身体論」に
関心がいくんでしょうな・・・。

現代の人でも、ナンゴウ氏は弟子に医者、医学者を多く持ち、自分も看護学の雑誌に連載を持ってるし、
タカオカ氏は、「運研」時代はともかく、今の社会的なありかたは、アヤシイ自己啓発セミナーの所長って感じだし、
コウノ氏は整体師で、「骨法」のホリベ氏も独自の療術を持つという。
アオキ氏やトキツ氏も、健康体操の先生っぽいし・・・。

考えてみれば、日本ほど多くの「武術」の流派と、なんらかの「民間療法」という医術の種類がある国は
またとない・・・。

これも、やはり各武術の流派が、それぞれなんらかのオリジナルの施術法をもっていたということの
裏返しなんでしょうな・・・。


819380:03/01/08 21:21
あ〜このスレ落ちたと思ったのに、残っていたなんて!!
ストックしていたネタを全部、武道板にかいてもうた〜!!
こうなったら強引に話に入ってやるー。

えーと、遅レスだけど忠臣蔵の大石内蔵之助が東軍流免伝者とかは、有名かな?
浅野内匠頭や梶川与惣兵衛の習っていた流派がここでさらっと書けば、浅野の武芸は
未熟だとか、55歳で35歳を取り押さえた梶川が達人だったとか話を持っていけるんだけど…。
820T・S:03/01/08 22:06
>>818
>ナンゴウ氏、
>タカオカ氏
>コウノ氏
>ホリベ氏
>アオキ氏
>トキツ氏

また揃いも揃って、凄い名前を列挙しましたな(笑)

柔道整体だとは思うのですが、私が習っていた系統の大東流の祖(惣角の弟子)は、山奥で整体しながら弟子を数人だけ育成していたそーです。
詳細はしらんですが。

>>819
東軍流は知ってますけど……。
仮名手本忠臣蔵の話じゃないですよね。
つーか、武道板は基本的にみないので、そちらの話をふってくださっても私は構わないですけど。
821ふにゃぽん:03/01/09 19:03
ところで、西洋の格闘技から、ある種の医術は生まれなかったのでしょうか?

ローマ時代の拳闘やパンクラチオンでは、戦士は原則として奴隷で、
その身体も生命も消耗品であったでしょうから、それほどケガの治療法というものも
なかったでしょうが、ギリシア時代においてはどうでしょう?

市民同士が、体育や競技目的で闘っていたあの時代には、そこから整体法のようなものは
創られなかったのでしょうか?
822T・S:03/01/09 19:27
ギリシャ時代の医学書には、戦争で怪我を負った際の治療法が書かれていたとは聞きますが。
変わったところでは投石器の石が体内にめり込んだときの方法とか。

けど、後は知りません。
お役に立てませんでした(^_^;
823ふにゃぽん:03/01/09 19:38
T・Sさん。
ひさびさの即レスどうもです。

ギリシアでは、ヒポクラテスの興した医術などがあったはずだけど、
それはまだ、哲学的思弁レベルで、闘争の際の負傷に対応できるほど
臨床的ではなかったのかな?

824NX-01:03/01/10 02:03
>>821
医学の起源の一つとしてなら、病気の対処と並んで格闘中の怪我とか、
関節の理の分析も当然あったでしょうけど、
明確に「格闘技から医術」というのは殆どないんじゃないかな。
日本の整骨だって、もとは按摩とか金瘡医の流れが柔術の中に定着、発展
したものでしょう。江戸時代とかは医者が少なかったり、えらく高かったりしたから
身近な医療機関、ある種ニッチ商売として成り立ったんでしょうし。

エジプトではすでに「眼科医」なんてのもいたそうだし、ギリシアになると
呪術と分離して科学としての医学が確立してたようで。
ヒポクラテスになると骨折、脱臼に対する治療法や整復術なんかの記述も
あるようです。
当然「闘争の際の負傷に対応」することは十分可能だったでしょう。
ていうか、その程度の術なら文明発祥と同時にあったんじゃないかなぁ。
825世界@名無史さん:03/01/10 04:03
石器で穿頭術やってる地域もあったぐらいだからなー。
826ふにゃぽん:03/01/10 19:10
>>824
NX−01さん。

どうもありがとうです。

タメになりました。

>>825さん。
インカ帝国とかですかな・・・。
827380:03/01/10 19:29
>>820
いやいや、よく考えたら実戦(戦争)で本当に使う機会がある武道は銃剣術ぐらいだろうとか、空手の押忍は大学の体育会の
隠語が誤って広まった物とかソースの少ない推測ばかりなので、世界史板には向かないから止めときます。

>>832
中国文化圏以外にも針の技術は存在したと言う話は聞いたことがあります。
ソースは忘れましたが(W、雪山?で見つかったミイラに、当人が患っていた病気に効くツボに刺青がしてあったと言う物です。
これが事実だとしたら、なかなか面白い話なんでしょうけど素人には検証できない罠。
828T・S:03/01/10 21:11
>>827
薙刀とかは戦闘になったらすげー効果的な感じもしますけどね。

カラリパヤットには医術もあったかも知れず。
けどやはり詳細は知らないのでした。
829380:03/01/10 23:44
>>828
そのときは、競技としての技術がそのまま使えるのはと言う意味で武板にレスしたんですよ。
万が一起きるかもしれない白兵戦で、兵士が持てる備品を使って闘う場合は?って感じで。

最も、ライフル銃より短い突撃銃に多目的ナイフを付けたようなものじゃあ、スタビライザ
にもならんし、トップヘビーで扱いにくいから実戦では、まず装着しないと思うんですけどね。
830NX-01:03/01/11 01:43
>>827
それって例のアイスマンですか? 5000年前の男。
あの人には確かにツボ療法らしき跡があったそうですね。
あと薬効のあるキノコも持ってたとか。

>>829
フォークランドで英軍が白兵戦やってますけど、
あの時はまだFALですからねー。
今のL85だったらやんなかったでしょうね。

「戦争で使う機会がある武道」
ということでは、むかーし買ったサンボの本に、ドイツ兵を倒して
勲章もらった兵士の話が出てましたけど、なんせソ連時代の本だから
信憑性はゼロに近いですな(w
831T・S:03/01/11 11:44
戦争で使う機会がある武道ですかぁ。
昔「秘伝」で根岸流だったかの手裏剣を使う前田という人が斥候か何かしていた時にその技を使う機会があり、それで功を立てたとして新聞に載ったことがあったとかいう記事を見たなぁと。

――けど、競技じやねえよなぁ、手裏剣って。

しかし銃剣術……。
GHQの下、剣道復興をかけての試合でアメリカの銃剣術の使い手と国井善弥師範が戦ったという話を、大昔の月刊剣道か何かで読んだけど、本当かよとか思ったり。
いや、勝ったそうですよ国井師範。

832山崎渉:03/01/11 12:49
(^^)
833380:03/01/11 21:11
>>831
さすがにそれは、出まかせでしょう。
政治的判断がそんなことでくつがえせるとは思えないし、軍国主義と関連ずけて禁止したのだから
勝ったら逆に締め付けが行なわれると思うのですが…。
834NX-01:03/01/12 02:47
>>831
国井善弥師範のその話、よく見ますね。

GHQ文書を検索してみると46年に柔、剣、弓のデモンストレーションが
日比谷でありますが、その後「問題点レポート」が出てますから、これは
禁止のための調査でしょうね。
その後は50年、関東拝殿(?)で剣道としないのデモがありますが、
これは笹森順造氏が出てるから撓競技のためのデモですね。
実話だとしたら、ごく地域的な締め付けに対する実証だったんでは?
835NX-01:03/01/12 02:58
よく調べたら46年のは体錬科武道の教員免許無効とか武徳会解散の後だなぁ。
ということは早くも復活に向けて動きがあって、GHQも色々検討した
ということみたいですね。スマソ
836ふにゃぽん:03/01/12 12:52
>>831
>戦争で使う機会がある武道ですかぁ。

武道じゃないけど、野球の投手経験者などは、手榴弾を投げさせられたらしいですね。

伝説の大投手、沢村 栄治が、これをやらされ野球選手としては、潰されたのはあまりにも
有名な話。

前の大戦は、人類史上の近代戦の総決算みたいに言われてますが、
イガーイと、まだ人間の体力がモノを言ったということ。

朝鮮でもベトナムでもそうだった。

近いうちに来るだろうと予測される、「第五次中東戦争」や、「第二次朝鮮戦争」はどうでしょう?

人力や武術などが、有効性をもって入り込む余地はあるんでしょうか?

837ふにゃぽん:03/01/12 12:59
>>836での私のカキコ、読み返してみると、まんざらスレ違いではないので、
ageます。
838カーマスートラ:03/01/12 14:44
ほんとうにおひさです。

>>828
以前も書きましたが、カラリパヤットはアーユルベーダという、
インドの伝統医学も併修しています。
身体についての理解を深めるとともに、
鍛錬中に傷めた部位を治療するためだそうです。
839ふにゃぽん:03/01/13 10:35
>>838
カーマスートラさん。

おひさしぶりです。

そうでしたね。そのアーユルベーダの中には、ヨガなども含まれるんですかな?

いずれにしても、仏教やインド整体術に見られるような、東洋的身体観に基づいたものなんでしょうね?
840世界@名無史さん:03/01/18 21:35
ホシュ
841T・S:03/01/24 22:20
格闘技漫画の歴史で上げるのはあれなんだけど、とりあえず戦後にてスポーツ・格闘技関連の漫画で今に至るものの元祖といえるのは、「イガグリくん」と「赤同鈴之助」かなぁとそこはかとなく思います。
作者は同じですが。
前者はなにやら解らない必殺技で(うやむやに)相手を倒す格闘技漫画のルーツ。
後者は遠い相手を倒す技の漫画のルーツ。
……。
ということにしておきたいけど、どうも詳しくないから、誰か補足というか訂正してください。

あと、戦争に武道、格闘技だけど、そろそろ近代戦にパワードスーツが用いられるかもとかいう噂もあったり。
そういう場合はどう生かせるのかなあと。

――全然、使わなくなったりはしないと思うけど、なんか様相が変わりそう。
842名無し:03/01/24 22:32
まあ世界最強の格闘技は中国武術ということで
843名無し:03/01/24 22:33
ボクシングやパンクラチオンは所詮見世物
戦いの中で発達してきた中国武術がはるかに
実戦的だ
844名無し:03/01/25 01:15
>>843
同意
845NX-01:03/01/25 04:30
イガグリ君、復刻版が書庫に眠ってます。
確か悪役の唐手家が鬼山とか言うんですよねー。
でも必殺技ってあったかなー?
鬼山ものんびりした背負いかなんかで倒してたような記憶…。

>パワードスーツ
これですね。
ttp://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/1112411.stm
こちらは公式。
ttp://www.darpa.mil/dso/thrust/md/exoskeletons/mar_03_2000.html

パワードスーツと言えばパワードスーツなんだけど、
どちらかというと「動力アシスト人間」ですな。
ヤマハとかが売り出しそう。
846T・S:03/01/25 21:10
>>845
すんません。記憶違いでした。
イガグリくんが使ってたのは巴投げでしたね……。
何を勘違いしてたのか。

パワードスーツに関してはアシストだとはわかってます。
力の増幅というよりは負担の軽減といった感じになるみたいですが、これが戦場をどう変えるのかな?
ちょっと期待してます

>>597
すごい遅いレスですが(^_^;

改めて資料を見つけたのですが。
梶原一騎が少年マガジンにジュヴナイル風にまとめていたとしかやはりわかりませんでした。
その詳細は不明でした。
お役に立てませんで……。

847NX-01:03/01/26 03:12
>>846
おお、なんか昔の質問、憶えていてくださって感謝です!
梶原一騎がジュブナイルとくれば、内容は想像できますね。
まぁ、読んでも収穫は無さそう、てことで w
でもありがとうこざいました。

>これが戦場をどう変えるのか

より身近なランドウォーリアーでも電池切れすると、
ただ重いだけになっちゃうようで、その辺が課題でしようねぇ。
て、いうか、そのため、てのもあるんかな?
とりあえず旧日本軍の軽装甲車よりも強そうですね。
一人豆タンクが飛び回るんですから、市街戦では無敵かも。
湾岸では「やっぱり歩兵は大事」でしたけど、
今度の(が起きれば)次第ではこの計画も変ってくるかも、ですね。
848世界@名無史さん:03/01/31 16:22
君たちクラビ・クラボン(タイの剣術)を知らんのか?
849世界@名無史さん:03/01/31 16:24
>>843
パンクラチオンは残虐すぎて見テラレナイ、とプラトンは言ったらしいです。
見テラレナイ、というのは見世物として失格じゃないでしょうか。
850ふにゃぽん:03/01/31 20:14
みなさん、おひさしぶりです。
格闘マンガネタは、私が振ったもので、その私自身が、みなさんの下さったレスを
無視するようで、申し訳ないんですが、>>849さん。

現代から見て、(ローマの)パンクラチオンは、どういう形態の闘争だったのかは、だいたい判るんですかね?

ルールや、使われた武具はもちろんですが、技術的にはどこまで発展していたのか?
どんな技が使われていたのか、というところまで、判ってるのでしょうか?

ちなみに、「ヤング・アニマル」の「セスタス」の中で説かれているウンチクは、信用できるんでしょうか?
851ふにゃぽん:03/01/31 20:28
>>850の続き。
形態は、現代のNHLや、バーリ・トゥードをさらにエゲツくした感じでしょうか?

(金的、眼球への攻撃や、噛み付き等も許されるというような・・・?)

それと、あれって、もともとキリスト教以前のローマの神々を祝う祭祀だそうですが、
キリスト教普及以来は、どういう名目で行われたんでしょうか?
852世界@名無史さん:03/02/01 16:15
肛門に指突っ込むのもアリと聞きましたが・・・
853世界@名無史さん:03/02/01 17:32
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854T・S:03/02/01 20:10
>>851
噛み付きは「男らしくない行為」としてあんまりよろしくなかったような気がしますです。
つーか、その辺のパンクラチオンの歴史とか、「格闘技の歴史」に載ってません?
855ふにゃぽん:03/02/02 10:15
>>854
T・Sさん。

>つーか、その辺のパンクラチオンの歴史とか、「格闘技の歴史」に載ってません?

いや、たしかに載ってるんですが、私の知りたいのは、現代のNHLやVTなどと
比べて、どれほどの技術や闘法の差があったのか、ということなんですけど・・・。

それと、隣人愛や平和を説くキリスト教が普及するにつれ、
あの競技は残虐度が増してきたように思うんですが、それは何故かということです。
856ふにゃぽん:03/02/02 13:26
ちと、話がマニアックになってしまったようなので、
また格闘マンガの話へと。

その起源は、おそらく「のらくろ」が読まれていた戦前、戦中あたりに、
一種の国民の戦意高揚を目的とした作品などに求められると思いますが、

ttp://www.asahi-net.or.jp/~ri7h-obt/norakuro/material.html

格闘マンガが、ひとつのジャンルとして成立したのは、
やはり、梶原 一騎の登場あたりからでしょうか?

http://member.nifty.ne.jp/BONKURA/
857NX-01:03/02/03 01:07
子供の頃「のらくろ」の復刻版を夢中になって読みましたけどねー。
銃剣術は出てきたけど、他の格闘技は出てなかったと思います。
のらくろも、戦意高揚みたいになるのは後期で、初期はのんびりムード。
兵、軍を愚弄してる、なんて軍に目を付けられて紙の配給減らされたりしてたと
記憶してます。
漫画自体が戦後花開いたもので、戦前ってそう多くはなかったしね。
戦前の少年倶楽部なんかでも小説の中では武道が活躍しますけどね。
ジャンルとして成立したのはやはり梶原 一騎あたりだと思います。
858ふにゃぽん:03/02/03 14:31
NX−01さん。
どうもです。

そう考えると、梶原 一騎は偉大だな。

たとえば、今のボクシングマンガのキャラの相関図式なんて、
ほとんど「あしたのジョー」のそれに規定されているような。

(たとえば、「はじめの一歩」の主人公の永遠のライバル「宮田くん」=「力石 徹」
「ラスボスとしての、メキシコのチャンピオン」=「ホセ・メンドーサ」みたいな。

859T・S:03/02/03 20:35
>>855
>>つーか、その辺のパンクラチオンの歴史とか、「格闘技の歴史」に載ってません?
>いや、たしかに載ってるんですが、私の知りたいのは、現代のNHLやVTなどと
>比べて、どれほどの技術や闘法の差があったのか、ということなんですけど・・・。

 プラトンだかにいわせれば、「不完全なボクシングと不完全なレスリングを組み合わせればパンクラチオンになる」と言ったのでしたっけ?

>>857
「格闘技マンガ アニメ ゲーム ノベル99の謎」によると、昭和三十年代には熱血武道マンガと呼ばれるようなジャンルがあったといいます。
その主流をなしたのは柔道マンガで、一峰大二の「忍三四郎」、九里一平の「ジュードー・ボーイ」、横山まさみちの「わんぱく三四郎」などなど……。
いろいろとあったみたいです。
むろんのこと梶原一騎も書いてはいますが、まだこの当時はそんなにすごいものではなかった……のかな?
さすがに当時は生まれてなかったからなあ。
ただ、格闘技ブームの根っこにあるのは、「空手パカ一代」であることには私も異存はないです。

>>858
ボクシングの場合は、日本人はどうしても中・軽量級になりますから、重量級が主流のアメリカとかはだしにくいってのもありますな……。
徳川貴作がそれを脱却しようとしているようですが、なかなか。

ちなみに団体戦でやりあうというのは、夢枕獏によると山田風太郎の「甲賀忍法帖」に起源があるらしいです。
860NX-01:03/02/04 02:38
>>855
>現代のNHLやVTなどと比べて、どれほどの技術や闘法の差があったのか
これは絵画とかから想像を巡らすしかないですね。
多少、技術のことが書いてあります。
ttp://www.greece.org/olympics/research/wrestling/

>隣人愛や平和を説くキリスト教が普及するにつれ
普及といってもローマ帝国の国教になったのは4世紀末ですし、
同時にオリンピックもなくなったわけですが、
それまでは迫害されたりなんやら…。あんまり関係ないのでは?
残虐化については
ttp://risya3.hus.osaka-u.ac.jp/ikemoto/boxing.htm
ちよっと面白い論を書かれています。

861NX-01:03/02/04 02:53
>>859
>まだこの当時はそんなにすごいものではなかった……のかな?
原作者ていう立場の発祥とかも関係ありそうですね。
「熱血」→「根性」にしちやった、てのはある種発明だったような気もします。
ま、私はその辺が好きじゃないんですけどね。あと浪花節な所とか、必殺技とか(w
格闘技マンガじゃないけど格闘技な漫画(w)としては白土三平なんかも
功績大な感じもしますね。
862ふにゃぽん:03/02/04 11:04
>>859
T・Sさん。
>ボクシングの場合は、日本人はどうしても中・軽量級になりますから、重量級が主流のアメリカとかはだしにくいってのもありますな……。

そうですね。
ただ、「世はマンガにつれ、マンガは世につれ」ですので、日本人の体格の向上とともに、
重量級ボクサーが現われたら、ヘビー級の日本人ボクサーの話も成立するかもしれませんね。

現に、野球マンガなど、これほどメジャーリーガーものが作られるなど、
つい十年前には考えられませんでしたものね。

NX−01さん。
サイト拝見。
ありがとうございました。

>>861
>あと浪花節な所とか、必殺技とか(w

これも、やはり梶原一騎の影響が決定的だったかな?

格闘マンガじゃないけど、「ドカベン」なんて、「根性もいいけど、野球はもっと楽しくなければ」
というコンセプトで作られたらしいですね。

格闘マンガに、おちゃらけた主人公が出てくるのは、「コータローまかりとおる」くらいからかな?
(なんと、いまだに続いている)

「北斗の拳」も「魁!! 男塾」もキャラ達はみなシリアスですが、そのシリアスさを突き詰めたところから、
あるいは、あまりにくだらないことをあまりにシリアスに行うことにより
逆に笑いを取ろうとする作者の意図が見えますな。
863世界@名無史さん:03/02/05 15:15
>>862さん
バンチに連載中の「満腹ボクサー徳川。」についてはどう思われますか?
864ふにゃぽん:03/02/05 19:47
>>863さん。
>>859で、T・Sさんが、

>徳川貴作がそれを脱却しようとしているようですが、なかなか。

とおしゃってますが、私もほぼ同意です。

作者はまだデビューしたばかりなので、多くを望むのは酷だと思いますが、
いまの時点では、あの作品はまだ、批評の対象にはならない、試行錯誤の段階なんじゃないかな?

ただ、作者の志の高さは、評価してもいいと思います。

というのは、従来のボクシング・マンガにはめ込まれていた、二つの限界に挑戦しているからです。

一つは、ヤセマッチョでない、というより、それと正反対の脂肪太りの選手が成立するか、という点、
もう一つは、重量級の日本人ボクサーが成功できるか、という点です。

うまく波に乗せられたら、かなりのものだと思います。
865380:03/02/06 01:21
ボクシングか…
そういえば、テレビ番組でアフリカだか南アメリカだかのお祭りで、素手で殴りあう
大会の模様を見たことが有ったな〜。
全員、肩からさきを伸ばして振り回していたのを覚えています。
格闘技文化としては、隔離されていたと思うんですが、現代のボクシングもグローブを採用
する前はあんな感じだったんでしょうね〜。
グローブ無しでフックなんか打てるはずもありませんしね。
866世界@名無史さん:03/02/06 15:26
えっ、グローブなしでフックは打てんのですか?
867380:03/02/06 16:46
>>866
打てるよ。ただ、素手で複雑な力のかかるフックを本気で打つと、自分の手が壊れるだけ。
そのためにグローブが開発されるまで発達しようが無かったといいたかったの。
実際、空手なんかで側頭部や側体部を狙う手技なんか肘だけを曲げた鉤突きだったり、
肩から先を伸ばした熊手や手刀がのこっているしね。

868世界@名無史さん:03/02/07 15:05
このスレ見てると勉強になるっす。
869NX-01:03/02/07 18:12
ちょと質問です。
空手の「追い突き」「逆突き」なんですが、
この用語ができたのっていつ頃でしょうか?
870ふにゃぽん:03/02/08 11:07
>>869
NX−01さん。

申し訳ないです。

いろいろ調べたけれど、判りませんでした。

参考になるかは判りませんが、私も多少空手をたしなんでいる身の者として、
知っていることといえば、

1、「順突き、逆突き」は、空手のみならず、中国拳法にもある、

2、空手では、基本を一通りマスターしたあと、型の練習に入る前くらいから、習い始める。

3、上の方で、T・Sさんが、「空手は沖縄時代には、基本、型、組手などが渾然一体としてあった。」
  とおっしゃってた。

というくらいでしょうか。

で、3から推測して、空手は、本土上陸以降、剣道の運足等を取り入れて、再編成されたので、
用語ができたのは、大正か昭和の初めくらいじゃないかな、と思われます。
871NX-01:03/02/09 02:45
ふにゃぽんさん、ありがとうございます。
やっぱり、詳しくはわかりませんか…。

実は先日、柔道の失伝形の一つ「剛の形」の一方(違う2つがある、との説がある)
の技名が一瞬だけネットに出まして、そこに「追い突き」「逆突き」
というのが使われていたんですよ。
他の技法名もあんまり空手そのままだったんで、どーも怪しい(w
で、この用語が確立した時期がわかれば、そこから色々と手がかりもできるかなー、と。

空手は高校生の時、マイナー流派を3ヶ月ばかり覗いただけで詳しくないもんで。
これから自分でも調べてみます。ありがとうございました。
872T・S:03/02/09 20:13
講道館の嘉納治五郎は空手家との交流もあったので、用語を提出したのは彼のサイドであるとも考えられますです。

>>870
っていうか、基本練習自体が本土に入ってからできたらしいです。
沖縄時代は型と組み手のみではなかったのではないかという話も。
ただ、そうすると巻き藁突きがよく解らない。
示現流の影響であると言われているのですが……。

>>862
そーいえば、ドカベンは当初柔道漫画であったなあと。
873NX-01:03/02/10 01:27
>>872
嘉納側の提案ですか…うーん。
微妙なところですね。
そこまで深く関わっていたとしたら、柔道、空手どちらかの文献に記述が
あってもよさそうですが、少なくとも柔道側文献で見たことはありません。
また技術的にも影響があってしかるべきですが、昭和2年の精力善用…にしても、
明治末に構想していたカタチからそれほど変ってないようですし…。
個人的には本土で確立したなら慶応や武徳会、沖縄だったら師範学校あたりが
怪しいとにらんでるんですが、どうも資料がありませんね。

巻き藁…柔術で立ち木相手に当身稽古してたというのも読みましたが
その辺から、てのはないでしょうかねぇ…。
874T・S:03/02/11 22:13
>>873
古武道研究会とかはデータ残っていませんかね?
存在はしていたけど、じゅりゅうには到底なりえていない地味なところだったし、もしかしたらそっちの絡みは?
嘉納先生は鹿島新当流の宗家を招いたり、神道夢想流の稽古をさせていたりとかして、どうも武道全般を講道館の下で統合しようとしたフシがあるような……。
もしもそれが正しかったら、空手のことも視野には入っていたと思うのですけどね。

巻き藁と空手の関係については、このスレの二百番代でぼちぼち。


割とどうでもいい話ですが、力石があんなに減量で苦労してしまったのは、初登場時に迫力を出すために大柄に描きすぎたからだという……。
大豪院邪鬼みたいなごまかしは到底できなかったでしょうな。
時代的にも。

ついでに脈絡はないですが、梶原一騎つながりでひとつ。
異種格闘技を一同に集めて戦わせるという漫画は、「天下一大物伝」が先駆だという話が。
格闘技漫画じゃないんですが。
875世界@名無史さん:03/02/12 19:21
ここ、琉球ブサーを検索してて見つけたんですが、
むっちゃ濃いスレですね…。

で、話の流れに横槍入れる様で申し訳ないですが、
ちと忍者・忍術関連について質問させて下さい。
琉球や朝鮮の歴史上において忍者や忍術の様な存在ってあったのでしょうか?
あったとしたら、どのような名称でどのような活躍をしていたのでしょうか?

取り敢えず、朝鮮系で調べた限りでは、アメンオサ、スルサ、
トンガプスル(遁甲術)とか言う物がありました。
アメンオサはあまり格闘技と関係なさそうなので割愛しますが、
スルサは新羅時代の花郎の特殊部隊(という触れ込みの怪しい存在(藁)、
また彼らの格闘技を始めとした術をスルサ道と呼ぶとか…(これも怪しい)。
ハングル板でも詳しいことは分からないみたいです…。
それと、遁甲術については、朝鮮で忍術の事をこう呼ぶ、と聞きました…。

琉球の方に関しては、何やら琉球の忍者なる「夜行人」と言うものが
検索に引っかかりましたが、これも真偽が怪しいです。

そんな訳で、もし何かご存知でしたら、御教授お願い致します。
876NX-01:03/02/13 01:45
>>874
ありがとうございます。
最近、歴史関係の研究者の方、の知り合い(笑)とコンタクト取れたので
そっち方面からも調べてみます。
嘉納師範のあれも、これも振りも、真意を調べてみると面白そうですね。

しかし、数十年かそこら前の事がよくわかんない、って情けない…。
877NX-01:03/02/13 02:12
>>875
忍者のことを夜行人とも言った、というのは子供の頃、なんかで読みました。
琉球の、かどうかは忘れちゃったけど…。
花郎のスルサは、Sulsa とか Sulsa-Doとか検索すると引っかかりますねー。
新羅時代にあったかどうかは疑問ですが、とりあえず現在は存在してるようで。
遁甲は日本の忍術でも使ってたようですし、朝鮮半島経由なのは確からしいですね。
ちなみにハングルのサイトの国語辞典の「遁甲」を翻訳してみたら
遁 甲 術 (occult art) of the magician it is fact cheating.
ということです。
役に立てませんで…。
878T・S:03/02/13 19:33
>>875
濃くしているのは主に米好きさんとかNX-01さん(笑)

朝鮮の忍者については残念ながら詳しく知りません。
ただ、小説ですが山田風太郎の「忍法 不倭兵杖」(破倭兵杖だったかも知れない)の中で、日本から帰順した忍者と組む朝鮮忍者として、呪術師が登場していました。
どこまで史実に忠実かとか元ネタは何かとかはさっぱりわかりませんが、参考なまでに。
あと「高麗秘帖」とかいう小説に、朝鮮の忍者がでてくるという話もはききましたが、これもよく解りません。

ついでにアメンオサは暗行御史でしたか。
サンデーGXで漫画が連載していますが、日本で最初にそれを漫画にしたのは皇なつきの「李朝暗行記」でしょうか。
どうも水戸黄門的遊歴をする遠山の金さんみたいな公職……のようですね。
これらは忍者のカテゴリーから外れるような印象はありますが、そも「忍者」の分類というのがいいかげんですから。
特殊な体術とか使ってたイメージがありますが、正忍記だか万川集海だかには、「武士とは恐るべきものなり」として、なるべく武士とは戦わないように戒めていたという話も。
戦いは不得手だったのかも知れず。

沖縄の忍者……そんな面白くて怪しい存在のことを知っていたら、さっさとここに書いていたと思います(笑)
つまり、私も知りません。

お役に立てませんで。
879世界@名無史さん:03/02/13 19:49
>>875

いえ、レスありがとうございます。
現在、ゲームの世界設定に使う、各国の戦士の資料を集めていたもので…。

なお、新羅云々は「ガープス・マーシャルアーツ」というゲーム本の記述で、
朝鮮の青年戦士集団ホワランの特殊部隊だと記述されておりました。
(ホワランってのはファラン(花郎)の事でしょうが、ハングル板あたりでは、
花郎自体は戦士ではないというのが定説ですけど)

>花郎のスルサは、Sulsa とか Sulsa-Doとか検索すると引っかかりますねー。

それらのサイトの一つを見た事がありますが、トンファーやヌンチャクを
持ってたり、新羅時代の存在のはずなのになぜか忍者刀を持ってたりと、
どうも良くあるアメリカンニンジャっぽい印象を受けました。

ハングルで検索してみても、「召還術士(スルサ)」みたいな
ゲーム風なサイトしかHITしませんでしたし、韓国人らしき方に
話を聞いてみても、やはりご存知ない様子でした…。

別の方(日本人)の話では、怪しげな技を使う人間全般ではないかと
言う事でしたが、ひょっとしたらこのニンジャモドキのスルサ、
テコンドー同様に日本の忍者からアメリカ人受けする要素を取り出した物で、
新羅云々は仙人とか天狗から技術を授かった、といった話と同レベルな
ものではないか、と踏んでいたのですが…。
880T・S:03/02/13 19:49
>>876
鹿島新当流を習いたいと言ってきたという話は、菊池秀行の「ザ・古武道」に載っていた話ですが。
同書によると、植芝翁も申し込んできたとか。
柳生流の免許もちだったくせに。

まあ、それはともかく。
講道館の古武道研究会から出た師範としては望月稔師範がおられ、この人は玉心流柔術から合気道から柔道から空手から……とにかく色々と教えているそうです。
存命の師範でもっとも当時の事情に通じているかと。
……存命されてたかな?
とりあえずこんなの見つけましたけどttp://www2.tokai.or.jp/aikido/seifukai/sensei.html
ちなみに空手をやっていたというのは私の勘違いの可能性もありますから。
881世界@名無史さん:03/02/13 19:50
>878

レス、ありがとうございます。
済みませんが、時間の都合で、本格的なレスはまた明日…。
882T・S:03/02/13 19:53
883NX-01:03/02/14 02:39
T・Sさん、ありがとうございます。
濃くしてっかなぁ…(笑

望月稔師範は知っています。むかーし「日本伝柔術」読んで以来、興味持ってて。
外国だと養正館空手なんてのもありますね。
師範は確か「ボックス・フランセーズ」なんて本も書いてたりして、
武道の虫みたいな方ですね。
でも1907年生まれでいらっしゃるから、昔のこと覚えてるかなぁ…フランスだし。
私も、もう少し元気だったら柔道科学研究会なんか行って勉強できるんですが
年…じゃなくて今は持病のせいで外出ままならないもんで。
皆様、くれぐれも体だけは…って、なんか老人の年賀状みたいだ(w
884T・S:03/02/14 02:47
>>883
戦前の柔道の話題なんか、フツーはでません(笑)

とりあえず十年ぐらい前の秘伝で、昭和五年頃の師範の思い出話が載ってました。
……当時は八十七歳か……。
うーむ。
微妙だなあ。
いや、もうちっと後だったかも。
現物は手元にないからなんとも言えず。

武田時宗先生は晩年は痴呆症だったとは聞くけど。
実際の話どうなんだろ?
885NX-01:03/02/14 02:51
>>879
どんな国でも間諜はいたでしょうから、忍者に似たような存在は否定しきれませんよね。
でも今のアメリカなんかのスルサは確かに怪しい。ていてうか花郎道なんて武道もあるみたいだし。
日本にも、伝承捏造武道が時々出現しますから、話半分、良くても
かっていた術士の文献から想像を巡らして再現を試みた、くらいに思っていた
方がいいかもしれませんね。
886875=879=881:03/02/14 16:49
>>878

>どこまで史実に忠実かとか元ネタは何かとかはさっぱりわかりませんが、参考なまでに。

ありがとうございます。
確かに小説に出てくる様な朝鮮忍者は、実際にそういう文献があったのか、
あるいは忍術の起源説の一つに朝鮮渡来説があるという事から膨らました創作か
判別はつきませんが、いたとしても可笑しくない、という事ですね。

>ついでにアメンオサは暗行御史でしたか。

それです(^^)
名前自体はGXで初めて知りましたが、ネットで調べて実在を確認しました。
なんか、作中に出てきた御史の護衛の山道とかいう職もあったので、
調べてみましたが、検索ではマンガ関連しかHITしませんでした…。

李朝暗行記は、某誌で小説版が紹介されていたので知りました。
なんか、忍者というより、陰陽師だか風水師だか道士だか風な
アレンジがされている様で、いつか読んでみたいと思ってましたが、
漫画版もあったのですか…。
887875=879=881:03/02/14 16:50
>>878
>どうも水戸黄門的遊歴をする遠山の金さんみたいな公職……のようですね。
>これらは忍者のカテゴリーから外れるような印象はありますが、そも「忍者」の分類というのがいいかげんですから。

シノビのやっていた事自体も幅広いですしね…。
奪還、誘拐、暗殺、諜報、偵察、その他様々な工作活動…。
これらのどれかになるべく多く引っかかる古代職という基準で、
忍者にあたる存在か否かを決めております。
大陸の「遊士」「間」「諜」「細作」「遊偵」「六韜」また「飛賊」とか、
アラブのフェダーイン(いわゆるハッシッシを吸うヒットマン)など。

>戦いは不得手だったのかも知れず。

まあ、忍者といっても色んな階層の人がいてたわけで、
半蔵とかみたいに槍術に長けたサムライのスッパ・ラッパなんかは
また別だと思いますけど、そういう例以外は白兵戦は確かに不得手かも…。

>沖縄の忍者

ちなみに、ウチナーニンジャについて言及してたのはここ。
http://www.oaks-soft.co.jp:80/princess-soft/ps_nju/images/06.html
http://www2.odn.ne.jp:80/kurotora/kougetsu/ilust/ryukyu.html
…ゲーム関連とかただのイラストとかばっかりで(藁

一応、琉球王朝の宝刀「治金丸」が京の刀商にすりかえられ、それを奪還する為、
王に任命された阿波根親方実基(あはごんうえかたさねもと)が京へ向かい、
京商人に変装し、言葉も京弁を使って探っていた、という事はあったみたいですが…。
888875=879=881:03/02/14 16:50
>>885
>日本にも、伝承捏造武道が時々出現しますから、話半分、良くても
>かっていた術士の文献から想像を巡らして再現を試みた、くらいに思っていた
>方がいいかもしれませんね。

そうですね。文献があったとしたら大いに興味をそそられますが…。

あと、遁甲術についての情報、ありがとうございます。
オカルトアートって事は、霊能力全般って事かな?
借力みたいなもんか…(って、借力も色んな意味があるみたいですけど)。
889T・S:03/02/14 21:15
>>886
>李朝暗行記は、某誌で小説版が紹介されていたので知りました。
>なんか、忍者というより、陰陽師だか風水師だか道士だか風な
>アレンジがされている様で、いつか読んでみたいと思ってましたが、
>漫画版もあったのですか…。

 小説版の方は私知りませんけどね。
 陰陽師みたいなといえば、CLAMPがそういえば、暗行御史のでてくる漫画書いてました。
 春香伝とか言ったか……よく覚えていませんけど。

>>887
>>これらは忍者のカテゴリーから外れるような印象はありますが、そも「忍者」の分類というのがいいかげんですから。
>シノビのやっていた事自体も幅広いですしね…。
>奪還、誘拐、暗殺、諜報、偵察、その他様々な工作活動…。
>これらのどれかになるべく多く引っかかる古代職という基準で、
>忍者にあたる存在か否かを決めております。
>大陸の「遊士」「間」「諜」「細作」「遊偵」「六韜」また「飛賊」とか、
>アラブのフェダーイン(いわゆるハッシッシを吸うヒットマン)など。

 それはまた大変ですね……。
 しかし「六韜」?
 兵法書のことですか?
 義経が陰陽師・鬼一法眼より奪い取ったという昔話があるあれ。
 どんなゲームになるかは解りませんが、頑張ってください。

890T・S:03/02/14 21:16
>>戦いは不得手だったのかも知れず。
>まあ、忍者といっても色んな階層の人がいてたわけで、
>半蔵とかみたいに槍術に長けたサムライのスッパ・ラッパなんかは
>また別だと思いますけど、そういう例以外は白兵戦は確かに不得手かも…。

 徳川配下にいた服部半蔵・通称「鬼半蔵」とか「槍の半蔵」と言われた彼は、
実は忍者ではなかったとも言われています。
 服部家というのは古くから分家が多くあり、半蔵の服部家は早くから伊賀を出た家柄
だったようで、「我らの服部より下の服部なり」と伊賀者が言ってたという話も。
 先祖の出身地ということから伊賀につながりがあり、そのまま伊賀者、甲賀者を配下に
したのではなかろーかと。

 そも上忍とか下忍とかいう分類は司馬遼太郎の創作したものがまかりとおっていますが、
本来は上忍とかいうのは忍びの術者としてのランクを表しており、
「どれほどの達人であろうとも、名前の残っている忍びは下忍である」
 とのことだそうです。
「上忍とは、いたという痕跡も残さない」とか。
 ただ、そういうことを書いた忍びの文献は戦国時代から遠く離れた
時代になって書かれたもので、書いた人間の理念とか理想が反映されただけ、
という可能性も否定できないのだけど。

 遁甲については天武天皇が「天文・遁甲を能くした」と日本書記にあるという話なので、ほぼ同一の文化圏に属していた朝鮮半島にも使えた者はいたのではないかと。
891ふにゃぽん:03/02/15 21:59
>>885
>でも今のアメリカなんかのスルサは確かに怪しい。

日本の忍者の一種である「草」=「長期間、適地に現地人になりすまして、諜報活動を
行う忍」の存在は、アメリカCIAが早くから注目しており、そのような諜報員を実際に養成している、
と何かで読んだな・・・。
892ふにゃぽん:03/02/15 22:13
>>887さん。
T・Sさん。
NX−01さん。

>>887
>シノビのやっていた事自体も幅広いですしね…。
>奪還、誘拐、暗殺、諜報、偵察、その他様々な工作活動…。

日本の忍者もやはりそうだったんでしょうか?

たしかに、彼らの任務を諜報活動だけと捉える方が、不自然なような気もしますな。
893漫画痛:03/02/15 23:33
>ふにゃ
満腹ボクサー徳川は評価対象外どころか漫画板では評価高いよ。
新人かどうかじゃなくて、一目見ただけでその才能を読み取れるぐらいにはなってくれよな。
894ふにゃぽん:03/02/16 10:38
>>893さん。
う〜〜ん。
たしかに、あの作者の画力、構想力とも、並外れたものがあると思うけど、
あの作品自体、まだ軌道に乗ってないように思うし、
長編作だったら、少なくとも一つは作品を完結させるまで、作者の才能を判断するのは、
危険だと思うけど・・・。

なんせ、最初はよくある妖怪モノだと思っていたら、最終回でとんでもない大作に
仕上がった「うしおととら」の例もあるし、逆に、この作品は完全にスレ違いだろうが、
序盤から中盤にかけて、さんざん匂わせておいて、最終回で何十万人もの読者を
脱力させた「羊のうた」なんてのもありますからね。
895T・S:03/02/16 20:39
>>891
聞いた話ですが、イギリスの情報部は世界各国に「草」と同様のスリーパーがいるといいます。
東洋にもかなりいて、日本人でも幕末や明治期に留学してきた学生をその頃から教育して、何代にも渡って潜伏させているのではないか、という話も。

>>892
忍者のやっていたことは、実際の話よくわかってないですな。

>>893
あれはいい作品ですが……そうですね。
今現在の格闘漫画で一番熱いのはエアマスターだと思ったり。
史上最強の弟子ケンイチは、意外と伸びないなあと。
ちょっと違うけど、無敵看板娘は絵が元に戻って欲しいと思う今日この頃。

>>894
才能と完結するかどうかはまた別問題だと思うです。
つーか、作者と作品は、いろんな意味で別です。

「羊のうた」……。
あれは結局、筋自体はわかりきった話でしたから。
むしろ予定調和を外したという意味で評価してます。
つーか、盛り上がっていた人たちは、いったい何に盛り上がっていたのだろうか。
姉弟でスるとかを一話まるまる使って描いたらよかったのかな……。
(↑自分が期待していた展開(爆))
896ふにゃぽん:03/02/19 11:19
>>895
T・Sさん。
毎度どうもです。

スリーパー・・・「勇午」で、IRAには、そうした活動員が今もっているというのを
読んだな・・・。ホントかどうかしらないけど。

やはり、忍者の実体は謎ですか・・・。
そりゃ、たしかに、隠密行動を行う限り、証拠となるようなドキュメントは極力
抹消されるでしょうからね。
だからこそ、いろんなイマジネーションを膨らませて、映画や小説の中で活躍する現在の忍者像が
出来上がったんでしょうからね・・・。

私が今の格闘マンガでいちばん注目しているといったら、スピリッツの「ガチ」かな?

まだ生まれて間もない、したがってそのありかたも、はっきりと定まっていない格闘形式
NHBで、(今まで、私は、これを「NHL」だと思ってカキコしてました。スンマセン)
作者が主人公をどのように育てていくのかは、関心あります。
897T・S:03/02/20 02:12
>>896
抹消というかなんというか、元々記録するとか日本人しないしね……。
乱破とかやっていた人達って教養なさげだしなあ。
残さなかったというより、残せなかったのかも知れず。
あと、織田信長のせいとか。

まあ、島原の乱の時に落とし穴にはまった仲間を助けに返ったりとか、現実の軍隊とかの例をもって考えるに、使い捨てたり切り捨てたりというような非情な連中、というイメージは忍者漫画からでしょうなあ。多分。

「ガチ」は内容は面白いと思うけど、絵に「華」が足りないなあ。
あとなんか一押しでおおばけすると思うのだけど。

全然関係ないけど、柳哀れ……。
いや、私のところではチャンピオン水曜発売なので。

あと、ここでするべき質問ではないかも知れんけど、塩田剛三と国井善弥があわややりあうか、という寸前まで煮詰まった時に仲裁した古武道の宗家って誰か知りません?
898NX-01:03/02/20 18:42
>>897
最近のマンガはわかんない…泣

国井善弥関連は門外漢ですが、武道板では…

植芝盛平に吹っ掛けたところ、塩田はんが名乗りを上げたけど
同僚が止めたとか、もとより植芝氏が相手にしてなかったんで実現しなかったとか。
とか言われてるようですね。
899T・S:03/02/22 19:58
>>898
ああ、そうなんですか。
聞いた話ではどっかの古武道の宗家が仲裁に入ったと聞いたのですが。

しかし国井VS塩田かあ。
実現していたら、さぞ楽しかっただろうに。
900T・S:03/02/27 03:07
重量級ボクサーの話だけど、思い出したら、六人の世界チャンピオンを作り出した
エドワード・ナオユキ・タウンゼント――通称エディは、重量級ボクサーの養成を試みていた
力道山によって昭和三十七年に日本に呼ばれたんだった。
結局、既存勢力の反対にあってそれは夢に終わったのだけど、
それでも後の世界ジュニア・ウエルター級チャンピオンの藤猛が入門してきたんだよね……。
もしもどうにかできていたのなら、今ごろは何人かの重量級のチャンピオンがでていたかも?
901世界@名無史さん:03/02/28 21:23
自衛隊ではこれだね。
902世界@名無史さん:03/03/04 14:54
「アグネス仮面」はまだ続いてるんですか?
903ふにゃぽん:03/03/05 11:39
>>900
>エドワード・ナオユキ・タウンゼント――通称エディは、重量級ボクサーの養成を試みていた
>力道山によって昭和三十七年に日本に呼ばれたんだった。

「のぞみウィッチーズ」で、彼をモデルにしたトレーナーが出てきたような・・・。

>今ごろは何人かの重量級のチャンピオンがでていたかも?

かつて、猪木はボクサー志望だったが、あの長いアゴがネックになって断念したとか。

プロレスラーになれるほどの身長、体格を持つ日本人が本格的に挑戦してたらどうかな?

個人的には、ストロング小林、豊登、武藤敬司、西村修、なんかはイイ線いったんじゃないかと思いますが・・・。

>>901
このスレの上の方を見てもらえば判りますが、自衛隊で習う格闘技は、必ずしも実戦目的とは限らないようです。
主な狙いは、体力、精神力の向上=(体育)にあるようです。

>>902
どうなんでしょうね?
話の展開からして、まだ終わる段階じゃないはずなのに、最近見かけませんね・・・。

まあ、またあの作者恒例の長期休暇なんじゃないかな?
904世界@名無史さん:03/03/07 23:18
自衛隊の徒手格闘を作るに当たって使われた合気道は合気会じゃないって聞いたけどホント?
何でも富木先生の日本合気道協会の合気道だとか・・・・。
905NX-01:03/03/08 01:15
>>904
ホントです。
906ふにゃぽん:03/03/09 12:28
少し前に、忍者ネタで盛り上がってたので、今日はその話題を。

http://homepage1.nifty.com/kumori-hibi/edo/hito/nin.html

↑によると、忍者は、もともとは密教の行者たちの集団だったそうです。

では、その実体はいまだにベールに包まれていますが、彼らの使ったとされる技=「忍術」
も、本来は密教の修行における技だったんでしょうか?

すると、役 小角などは、さしずめ彼らの先達と言えるのかな?

http://www.st.rim.or.jp/~success/ennoozuno_ye.html
907T・S:03/03/09 17:29
>>903
リキドーザンは猪木に相撲をやらせようとしていたと言う話も聞いたなあ……。
本当かどうかは知らないけど。

>>904
富木流は当時としては数少ない、試合を認めている合気道でしたからね。
確か秘伝で「徒手格闘」の成立にあたって、日本拳法と富木流を一緒に習っていた人の話がでてたなあ……。

あと武田流とかあったと思うけど、最近はSAとかかなあ。
他にもあったっけ。

>>906
んー……。

http://homepage1.nifty.com/kumori-hibi/edo/hito/nin.html
>↑によると、忍者は、もともとは密教の行者たちの集団だったそうです。

 この上忍・下忍・中忍の区分は、上でも書いたと思うけど、司馬遼太郎が
「現実の軍隊を参考にして創作した」ヤツだし。
「九の一」というのについては諸説あって、「穴が九つより一つ多い」という意味だというのも。
 山伏起源……ううん。

>すると、役 小角などは、さしずめ彼らの先達と言えるのかな?

 これも書いたけど、役小角は「続日本記」の話が初出で、それには「妖術を使って民衆を誑かしたので流罪した」
とかしかないです。
 彼が山伏の開祖かどうか、というのはよー解らんですね。
「役小角伝記集成」と言う本には、彼の物語がどういう風に時代を下ることに歪曲されていたか
詳しい……って、これもあちこちに書いたなあ。


908T・S:03/03/09 22:22
>>23
すごい遅いレスだけど、最近のKなんたら……ああ、ド忘れした!
とにかくそんな名前の格闘技専門誌で、「ムエカッチューア」の起源とかについて特集組まれてました。

……なかなか面白い、というか、私の想像大はずれで楽しかったです(笑)

つーか、米好きさんは、まだこのスレ見ておられるのだろうか……。
909NX-01:03/03/10 00:57
>>908
900近く前へのレスって初めて見ました(笑

で、その起源ってどんなんですかぁ?
私がどっかで読んだのは、タイとビルマが戦争してた時、
捕虜になったタイ人がビルマで憶えた(逆だったかな…?)
てのだったんですが。
910世界@名無史さん:03/03/15 11:36
保全age.
911T・S:03/03/20 21:53
>>909
>900近く前へのレスって初めて見ました(笑
このスレでは割と重要な話題だったもので。

しかしどんなだったかを詳しく書こうと思って九段の雑誌を探し回ったのですが、どこにも見当たらない。
あーあ……。
買っておけばよかった。

しかし、それにしても覚えている限りの話では、地方による特色がかなりあり、「流派」と呼べるようなものだったというのは新鮮。
今現在のような姿になったのは、グローブでの試合以降……とか<ムエタイ
やはりルールに淘汰されたのか。
912世界@名無史さん:03/03/20 22:09
ちっと疑問に思ったので質問したいのですが…。
誰か、柳生心眼流の「鉄砲(重ね当て)」の原理って知りませんか?
心眼流の本を読んでて、型の解説の所で「ここで重ね当て」とか平気で書いてあるので、そんなに簡単に出来るものなのか?と思ったもので。

>>902-903
「アグネス仮面」今週から再開されましたね。
913T・S:03/03/20 22:23
>>912
「鉄砲」とは、また……。
裏打ちの系統の打撃は古流ではわりと普遍的にあるみたいだけど、原理といわれてもなあ。

とりあえず某漫画によると「打撃の作用点をズラす」ことらしいんですけどね。
それだけではさっぱし(笑)

まあ、原理なんかしらんでも技使えますからねえ(苦笑)

914素人ですんまそん:03/03/22 16:25
「セスタス」みたいな拳奴って、ホンマにおったんですか?
915ふにゃぽん:03/03/23 13:28
>>914さん。
はい、いたはずです。

このスレ上の方を見てもらえば判りますが、ボクシング、レスリング、パンクラチオン等は、
ギリシア時代には神聖な競技で、それを行うのは、原則として市民のみでしたが、
ローマ時代になると、宗教的祭祀の一環として、奴隷同士で闘わせて、それを市民たちが
見物する、という習慣が根付きました。

詳しくは、「格闘技の歴史」をお読みください。

ただ、「セスタス」の中で出てくる技術論(主人公の師匠、ザファル先生が垂れる薀蓄)は、
おそろしく筋が通っており、21世紀のこの日本で空手を少しばかりたしなんでいる私から見ても、
説得力があるものなので(私の空手の師匠の言う事と、ときどきカブったりする。)
果たして、あの時代に、あそこまで拳闘の理論が発達していたのかは、謎です。
916914:03/03/23 15:17
>>915
なるぺそ。
いつもながら、ためになるっす。
良スレですなここは。
917世界@名無史さん:03/03/25 00:16
>>915
つ〜か、セスタスで語られているのは現代のボクシング理論ですからw
劇中で、セスタスが実に多彩なパンチを放っていますが、実際に「セスタス」だけ装備した拳であのコンビネーションを使えば間違いなく手首がいかれるでしょう。
戦闘理論ならば、同じアニマルで連載している「ホーリーランド」がかなり実戦重視で良い感じかとw
918世界@名無史さん:03/03/25 17:04
ふむ
919世界@名無史さん:03/03/25 17:12
ムフ
920ふにゃぽん:03/03/26 11:12
>>917
しかし、「ホーリーランド」も、初期はともかく、最近の展開では実戦の戦いでの
リアリティーという意味では、ちとムリがあるような・・・。(w

(ダブダブの袖のついた服を着ていながら、エルボーにより、敵の顔面を鋭く切り裂くなど)
921ふにゃぽん:03/03/26 11:20
>>917
>つ〜か、セスタスで語られているのは現代のボクシング理論ですからw

やっぱ、そうですよね。(w

当初、私は、作者がローマ時代の文献を元に、あの作品を描いていると思ってました・・・。

こりゃ、二十歳を過ぎても「民明書房刊」の実在を信じている人たちと変わんないな・・・。(w


922世界@名無史さん:03/03/28 23:25
>>920
確かに描写の部分はだんだんと雑になってるんですよね…理屈自体は間違ってないんですがw
>>921
この作者さん、以前にも「ブラス・ナックル」と言う妖怪退治ものボクシング漫画を描いていました。
どうやらかなりのボクシングフリークのようですw
923T・S:03/03/30 03:51
>>920
ダフついた服でも肘がちゃんとヒットしてるのなら裂けると思いますよ。
多分。
あと、布地によっては、勢いよく振るとちょっと裂けるぐらいのことはできるかも……。

――と書いてみたけど、なんか無茶苦茶無理があるような気がしてきた。

あと、「ちゆ十二歳」で「集団で倒すときは弱い相手から」というのに対する疑問があってアンケートをとったという話がありましたな。
もっとも、「ただしそれをするためには、一撃で相手を仕留める攻撃力が必要である」という一文を抜きにしているから、全然意味合いが違ってきているというか……。
924T・S:03/04/05 20:54
すっかりと閑散としてしまいましたが……。

次スレ誰か立てるのですか?
925世界@名無史さん:03/04/07 13:40
age
926世界@名無史さん:03/04/07 15:59
>>909
あのさ、、、
ここ世界史板なんだから、タイとビルマじゃなくて、例えば、アユタヤ朝とアラウンパヤー朝が戦争した時とか書いてくれんかなー。
当時の国の枠組みと今とは同じじゃないんだから。
927世界@名無史さん:03/04/09 03:26
カポエイラもこのスレの話題に該当しまつか?
928ふにゃぽん:03/04/09 09:37
T・Sさん。
はい、次スレはいつか私が立てようと思います。

今は忙しいですが、暇ができたら、まだ振ってないネタがあるので、
そのことについてみなさんと議論したいと思ってます。

>>926さん。
たしかにそうですね。
まあ、ただ、東南アジアの各国については、中世の段階でほぼ現在の各国の
枠組みの原型は出来上がっていたので、(仏教文化圏、中国文化圏、イスラム文化圏など)
そう細かく分類しなくてもいのではないかと・・・。

>>927さん。
もちろんOKですよ。

カポエラというと、逆立ちして闘うというイメージが強いが、
オーソドックスでは、普通にたって行う競技みたいですね。

ただ、足技はやはり多いみたいです。

その起源については、ラテン・アメリカに連れてこられたアフリカ奴隷達が、
カセをされて使えない手の代わりに、足を使って闘うようになった、というのが
定説ですが、私は少し疑問に思います。

もとからアフリカにあった土着の闘争術が、アレンジされたものじゃないかな、と思ってます。
929NX-01:03/04/09 17:56
マンガ話はわかんないのでご無沙汰してたんだけど
>>926
確かにそうだす。すまんです。
なんせ情報が少ないからソース確認でBurmese traditional Boxingで
検索してて、その頭で書いてしまったんで、ついうっかりでした。

>>928
お疲れです。
次スレ、得物も含める というのは?
徒手限定だと広がりにくい感があるし、戦術戦略論は除外するとしても
「武術史」くらいでも面白いかと…。
930NX-01:03/04/09 18:57
>>927
ふにゃぽんさんが挙げられた手かせ説はよく見かけますが、
海外のサイトではこの説はまず出てきませんねー。
日本だけで流布してるのかな?

面白い説ではアンゴラ辺りで女性の成人儀式=男子の求婚チャンス
の際にシマウマを真似た脚の動きが主体のダンスがあり、
これがカポエラのルーツの一つではないか、というものもありました。
931T・S:03/04/09 20:44
カポエラの起源の一般的な説については、多分、梶原一騎あたりのでっちあげじゃないかと思うのですが……。
根拠はありませんけど。

戦闘技術の歴史でもいいかもしれませんね。
徒手限定にすると、どうしてもボクシングとレスリング(相撲)あたりでとまっちゃいますから。
932世界@名無史さん:03/04/10 16:43
プロレスは、いつごろから始まったのでしょうか。
933NX-01:03/04/10 19:35
>>932
これはきっと難しいぞー w

とりあえずフリとして…。
古代オリンピックでも賞金制があったし、中世の王様のお抱えレスラー等も
「プロ」と呼べてしまうと思うけど、現在のいわゆる「プロレス」だと
19世紀末にフランスでグレコ・ローマンルールが制定され、その試合を
入場料を取って見せるようになってからだといえるのかな?

より「プロレス」らしいものの始まりとしては、
1893年アメリカで エバン・ストラングラー・ルイスがアーネスト・ローバー(?)
を破りグレコとキャッチ・アズ・キャッチ・キャン両方の統一チャンピオン
になった時。
もしくは1908年、フランク・ゴッチがジョージ・ハッケンシュミットを破り
世界ヘビー級チャンピオンを名乗った時、というあたりかな?

色々な説があると思うので、あくまで私の個人的な意見です。
934T・S:03/04/11 21:16
>>933
上のほうでも、エジプトの壁画に既にショープロレスでしか見れない技があるってレスしている人がいましたね。
プロレスの嚆矢をどれが最初とするのかはともかくとして、世界中あっちこっちでも競技にはある程度の派手さというか「演出」が求められていたのは確からしいです。
例えば江戸期の力士・雷電の立ち合いなんかは、その出番が回ってくるとお客は帰り支度をはじめたといいます。
意外性というかドラマを期待していたのでしょうねえ。
だから雷電のごく少ない黒星の時、それを目撃していた人はほとんどいなかったという話も(苦笑)
本当かどうかは微妙ですが。
935例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/11 22:06
えーと唐突で申し訳ないが、
>>334からでた、ホームズが習ってたという”バリツ”
これは”バーリ・トゥード”と何か関係あるのでしょうか?(語源が一緒とか)
アホなネタでスマソ
936NX-01:03/04/12 01:04
>>935
バリツの語源は、ドイル氏を霊界から呼んで聞くしかないです。
ただ、現時点で殆ど定説となりつつあるのは、ずっと上のほうでも
論じられていたと思いますが、E.W.バートンライト氏が創始した
総合護身術「Bartitsu」の誤記という説です。
この護身術はピアスンズ・マガジンという雑誌に発表されたのですが、
ドイルも「シニョール・ランベルトの引退」「縞のある衣類箱」といった
作品を同誌にて発表していますのでバートンライト氏の記事を読んだ可能性は
非常に高いと思われます。

私は詳しくないので、バーリ・トゥードという語がいつ頃から一般的に
使われていたのか知りません。
しかし「バリツ」の登場する「空家の冒険」は1903年の発表です。
この時点においてポルトガル語の「VALE TUDO」とピアスンズ・マガジンの記事の
どちらが英国人にとって身近だったか、考えるとおのずと答えが出るのでは?
と思います。
ちなみに「Bartitsu」はボクシング、サバット、ステッキ術、
柔術(扱心流の可能性アリ)の4つを基盤とした護身術ですが、
バートンライト氏の期待に反してあんまり流行らず消えてしまいました。
937世界@名無史さん:03/04/12 15:47
>>936
バーリトゥードというのはポルトガル語で「なんでもあり」という意味だと
夢枕獏が言っておりました。
938NX-01:03/04/12 18:54
>>937
ありがとうございます。
それは知ってました。

ちなみに調べてみるとバーリ・トゥード形式の試合は1920年代頃から
ブラジルであったそうですね。この時既に「Vale Tudo」と呼ばれていたとしても
「空家の冒険」には間に合わないですから、まずバリツの元ネタということは
ないでしょう。

あと上で書き忘れましたが、バリツ=BARITSU とバーティツ=BARTITSU
は、「T」一文字しか違いません。
やはりドイルの書き違い、もしくは誤植というのが適当だと思います。

唯一気になるのが、ホームズが「日本のバリツ」と言っている点ですが、
バートンライト氏が招聘した不遷流 谷幸男のデモが話題になっていたこと
等から柔術とバーティツは混同されていたかもしれません。

1901年にはセント・ジェームス・ホールでバーテイツの披露があり、柔術も
紹介されていますので、ドイルがこれを見た可能性もあります。
ちなみにこの公演は、夏目漱石も「日本の柔術使と西洋の相撲取の勝負」
があるから、と「一円二十五銭奮発」して見に行っています。
939NX-01:03/04/12 18:59
あぁ…。
HPに仕立てようと思ってた内容の殆ど書いてしまった…。
940例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/12 21:40
レスありがとうございます。
食い下がってしまうようですが、「バリツ」から「パーリ・トゥード」という言葉が成立したという事は…
普通に考えたらありませんよね、つづりが縮むならともかく伸びるなんて。
941T・S:03/04/12 21:49
>>938
>唯一気になるのが、ホームズが「日本のバリツ」と言っている点ですが

「空家の冒険」はライヘンバッハの滝から奇跡の生還(笑)を遂げたホームズの話ですが、
私の読んでいた版では日本の神戸にも来たことがあるように書いてました。
これは推測になりますが、ドイルはバーティスというのが「日本の柔術云々」程度の講釈しか
覚えていなかったのではないでしょうか。かなり半端な覚え方をしていたとか。
だから彼にとってはバリツは柔術の一種なのではなかろーかと。
それともあるいは、「武術」という言葉が訛ったという説の方が正しいかも?
942T・S:03/04/13 00:45
ネタフリになるかは微妙だけど、日本武道四方山話(笑)

植芝盛平翁は、身長156センチくらいだったけど、体重は80以上あった。
943NX-01:03/04/13 00:48
>>940
その逆発想は新鮮ですね!
バーティツの技法群はそれこそ「なんでもあり」ですから
これを見たブラジルかどっかの人が、
意味が通じて同じような発音の言葉を自国の格闘競技に当てはめた…。

まぁ、たぶん無いとは思います(笑)
しかし、思わぬ資料が出てくることもありますから、100%ないとは言えないかも。
とりあえずホームズのパスティーシュ小説のネタにはなりそうですね。
944NX-01:03/04/13 01:24
>>941
ざっと調べてたんですがホームズ来日は聖典には無いようです。
大空白期間中に日本に来た、てパスティーシュはありますね。

ドイルがどう勘違いしてたかはわかんないんですが、
「あの格闘技、確か日本がどうたらいうの、あれなんてったっけー?」
程度だったのは確かでしょう。
で、うろ覚えで書いた、もしくは雑誌をひっくり返して名前を拝借した、
てところでしょうね。

あと「武術」訛り説ですが、当時の本にJujitsu は広くでてくるんですが
Bujitsu は見かけないんです。Japanese martial artsと書いてあるん。
この辺は要調査ですね。

>>942
明治時代の力士 両国が160センチ 80キロだったそうで
得意技はつま取り。
関係ないかーw
945T・S:03/04/13 01:40
>>944
まあ、私が読んだの、山中峰太郎版だったから仕方ないですか(笑)

>明治時代の力士 両国が160センチ 80キロだったそうで

つまりあのじーさまは、明治の相撲取り並の筋肉の持ち主だったと……。
斎藤守弘師範に話しを聞いたという合気道部の大学生によると、ふのはかまの下にはぶっとい太ももがあったそーです。
946世界@名無史さん:03/04/13 16:26
筋肉は贅肉の1.2倍の重さがあるそうですから。
947T・S:03/04/13 20:28
とりあえずネタフリに(笑)

日本武道四方山話その弐

武蔵は柔術も教えていた。
一応は玄信の話。
弟子の内、「十智の伝」を授かった古橋が相伝したらしいのだけど、現在は伝わってない。
武芸流派大事典には、伝書の一部が残っていると書いてある。
さらについでにいうと、武蔵の書いた訓戒だかなんだかが、竹内流宗家の道場には残っているのだそーな。

……ネット喫茶からの打ち込みなので資料が手元になく、細部が間違ってる可能性高いです。
念のため。
948世界@名無史さん:03/04/13 21:04
曖昧ですいません。プロレスの神?鉄人?ルーテーズの師匠は(名前失念)の技は
日系ハワイ人の相撲関興の人が技教えたと「かくしょうじう」さん作家
(漢字忘れてしまいました)言ってました。結構日本マンセーの人ですが。
整骨医院やDJやカルホルニアワインなど見えないところで日系人がんばってるのですね。
すいません曖昧でSAGEます。
949NX-01:03/04/14 01:33
>>948
それは多分、加来耕三さんのことでは…。
ルー・テーズの師匠は講道館と戦ったことで有名な
アド・サンテルで、この人はジョージ・ボスナーのところで
柔術も修行してますね。
950NX-01:03/04/14 02:20
んじゃすごくマイナーな武道四方山話w

福田八之助師の娘さんの福田敬子女史(確か9段)は
4月に90歳になられ、記念パーティーが開かれた。
http://www.usjf.com/news2003/fukudabdayapp.html
951T・S:03/04/14 20:59
>>949
加来耕三さん……あの人は確か、「るろうに剣心」のノベライズを別名で書いてたような気がする(笑)
静霞薫だったかな?
違ってたらごめんなさい。
東軍流宗家の家柄に生まれて他古武道とか修めた人に何をやらせるんだと笑いましたが。
けど、この人が「秘伝」でやってた合気会の小説は、武田惣角師範を貶めるような内容で疑問が残ったなあ……。

>柔術も修行してますね。

ガイシュツだけど、すでに富田師範らがアメリカ行った頃には、すでに柔術伝わってましたしね。


>>950

>福田八之助師の娘さんの福田敬子女史(確か9段)は

九段ってことは赤帯?
女子でいたとは知らなかったデス……。
952NX-01:03/04/15 01:25
間違えてるじゃん……。
孫娘でした。
そりゃそうだ、年があわないもの。

>静霞薫
そうです。けっこう変なこともやってますよね。
武道系の本も、ちよっと「…?」な記述も多いけど、
デムパ系の多い昨今では、読んで損のない人かな、て思ってます。
953世界@名無史さん:03/04/15 11:08
日本の各藩の武道のHPが以前ありましたよね。
そのサイトもう一度張ってください。

954T・S:03/04/15 14:12
>>852
そーいえば昔、静薫の名で「青い鳥の伝説」って漫画の原作もやってたなあ……。
ってか、デンパが多いのは昔から。
昔は「神がかってる」とか言ってたっけかなあ。

>>953
>>320のアレ?
955世界@名無史さん:03/04/15 15:01
「力道山と日本プロレス史」という本を見た。おもしろかった。
作者は梶原一騎。
956世界@名無史さん:03/04/16 03:36
戸塚派揚心流って佐賀藩の流派だったんですね。
講道館と対決したのも佐賀藩の人だったのかな?
天神真楊流や戸塚派揚心流は当身中心だったらしいけど
いまで言えば空手のような感じでしょうか?
和道流とか・・。

957NX-01:03/04/16 04:05
>>956
戸塚派揚心流は維新後は千葉に拠点があったそうです。
千葉市中央区に戸塚派楊心流祖戸塚彦介英俊・二代戸塚英美の墓があり
県史跡に指定されてるそうで。

>当身中心
というか当身が多い、得意て感じでしょうか、
見ればやっぱり柔術ですよ。
中国語のページだけど天神真楊流の一手。
ttp://www.geocities.com/quan_fa/jujitsu.html
958世界@名無史さん:03/04/16 04:29
なんていうか初期の柔道や甲冑拳法のなごりがみえて
良いページですね。
しかしなぜ中国に・・・。
959世界@名無史さん:03/04/16 04:49
960T・S:03/04/16 13:25
>>957
基本的に服装とか風俗の都合上で変化しちまいますしな。
打撃中心の技法にはなりにくいのでしょうか。

>>958
>>136でも書いたけど、開祖が中国で習った三手に工夫を加えたもの……が最初だったらしいから、その関係じゃないかなあ。
中国や韓国では、「日本の武術はわが国より伝えられた」と主張する人は結構いるそうなので。
いや、おかしな人は少数派だと思いますけど。
実際に中国から伝わったものも結構あるみたいだし……。
961NX-01:03/04/16 18:32
上記のページ、ざっと訳してみたんですが、
甲冑組討から始まって、かなり正確な知識を書いてますね。
陳元贇についても、福野、三浦、磯貝三人をあげ、柔術に影響を
与えたけど、決して柔術の創始者ではない、と明言してます。
かなりの武術オタみたいですね。

ちなみにホームはここ。
http://www.geocities.com/quan_fa/

「他山の石」の所に柔術、合気道があります。
一番面白かったのは、日中戦争で活躍した(らしい)中国版の斬り込み部隊
「太刀隊」の記事でした。
962世界@名無史さん:03/04/17 01:50
「太刀隊」...
日本刀使うのだろうか。
意外と中国にも日本武道に興味持ってる人いるんですね
963NX-01:03/04/17 02:16
わわ、また間違えた…。
「大刀隊」だったですね。
鹵獲した日本刀とかだったらもっと面白いけど。
964山崎渉:03/04/17 09:19
(^^)
965世界@名無史さん:03/04/17 12:38
保守age
966T・S:03/04/17 15:36
>>961
日清戦争の時には布を重ねた鎧(?)と青竜刀ぶん回す清の兵士に対して、日本刀で挑む日本の兵士という話も聞いたことがあるです。
しかしすでに古流から離れて久しい剣道では浅い打ち込みで大した打撃を与えられず、師範に古流の人を招いて稽古を改めてさせたとか。
……何かの小説だったかなあ。
ソースがわからないから上のはさっさと聞き流してもらうとして、日清戦争には杉村義衛(永倉新八)が抜刀隊に加えて欲しいと嘆願したが加えてもらえなかったという話があるそうです。
当人はそのことを「薩長も今更新撰組に助けてもらおうなんてイヤだったんだろうなあ」とか語っていたそーで。
967世界@名無史さん:03/04/17 15:43
>>960
>実際に中国から伝わったものも結構あるみたいだし……。
柳生心眼流と中国武術の類似性は良く指摘されていますね。
968T・S:03/04/17 16:02
>>967
>>実際に中国から伝わったものも結構あるみたいだし……。
>柳生心眼流と中国武術の類似性は良く指摘されていますね。

 それは確かに言われますが……。
 何年か前の秘伝誌上で武檀の蘇老師と心眼流の島津師範の対談がありました。
 まあ随分と前の話なので詳細は覚えていないのですが、「決め」のポーズは八極拳に似てはいるものの、用法としては劈卦掌よりで、歩法は八卦掌に似ていたとか。
 ほとんど実見したことないからそういわれたらそうするしかないですけどね。
 いずれ「類似している」というだけで、中国から伝来したというのとは違うのではなかろーかと、これは私の意見。
969967:03/04/17 16:19
>>968
直接伝来したとは私も考えていませんね。
ただ、技法等で影響を受けた部分は多いのではないかと考えています。
戦場での組討術に中国から伝来した技法を取り入れ、それを独自に昇華させた結果が諸流派の技法なのではないかと愚考する次第ですね。
970NX-01:03/04/17 19:34
伝来問題は難しいですね。
柳生心眼流はかなり特殊だから置いとくとしても。

柔術も幹となる流派の成立には、どこかしら異人さんや神様の陰が付きまとう
わけで、これは箔づけもあるだろけど、実際の見聞や文献を参考にした可能性も
とても大きいし。

ネットで公開された直信流の論文を読んだんですが、1700年代には30本だった技が
天保8年(1838)には97本と増えている。平服技法なんかが追加されてるんだけど
ちよっと増えすぎ。
恐らくは、渡来人の技法の実見、新規輸入文献による理論を基にした新技法の開発
なんて盛んにあったんでしょうね…。
西洋式解剖学もこの間に入ってきてるから、これが関節技や絞め技に影響した、
てのも十分に考えられますね。

なんかまとまってないな…w
971堕天使:03/04/18 11:03
972ふにゃぽん:03/04/18 20:57
NX−01さん。
T・Sさん。
他の名無しのみなさん方。

>>1である私の不在中に、これだけこのスレを盛り上げてくれていて、ありがとうございました。

ただ、当方の事情を申しますと、めちゃ多忙な上、私のPCが壊れてしまい、しばらくカキコはもちろん、
ROMることも出来ない状態です。いまはネットカフェからこのレスを書いています。

で、次スレですが、私もみなさんと同じように、「徒手」に限らず、格闘技全般の話題のスレでいいと思います。
「剣の歴史」スレなどもありましたが、話題を人類の闘争術そのものにすれば、ガイシュツネタということにはまらないと思います。

で、レスが980を超えたあたりで、新スレは立てればいいと思いますが、前述の私的状況のため、私自らがスレを立てることが出来ません。

そこで、どなたか出来る方に新スレ立てを依頼させていただきたいのですが、いかがでしょうか?

(つづく)
973ふにゃぽん:03/04/18 22:03
そういうわけで、次スレのタイトル、および>1での書き込みは、以下のようなもので
どうでしょうか?

格闘技の歴史総合スレッド【弐段目】

前スレ
徒手による格闘技の歴史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1026203983/l50

(つづく)










(つづく)



974ふにゃぽん:03/04/18 22:04
コテハン、名無しのみなさま方のご愛顧、ご協力のおかげでさまで、
このスレも新スレに突入することが出来るようになりました。

まず、人類の歴史とは、闘争そのものの歴史とも言えます。
そして、その闘争の内容、および形態も、原則としてエスカレーションの一方の歴史でした。

たとえば、敵が「棍棒」という兵器を発明すると、我は「石斧」という武器で対抗し、
すると相手はさらに「刀剣」でもってそれに応えるという具合に・・・。

ところが、その一方で人類は、普通に考えれば、殺傷力という点では、どのような兵器にも適わないはずの、
己が五体を駆使しての闘争術=「格闘技」や、あるいは、新兵器の発明、発展により、実戦ではそれほど有効性を発揮しなくなったはずの武具による格闘形態、
やとえば、「銃」が開発された後の「剣道」の進化といったように・・・。

では、人間は何の目的でそうした「闘技」を編み出していったのか?

世界の古今東西にわたる「格闘技」およびその歴史、あるいはもっと肩の力を抜いて、
「格闘マンガ」、「格闘小説」に至るまで、みなさんと語り尽くすのがこのスレです。

濃い目の話題から、ライトなネタまで、お気軽にどうぞ。

(つづく)
975ふにゃぽん:03/04/18 22:10


ってな感じでどうでしょうか?
もちろん、これ以外にも、意見があるのでしたら、ご自由にどうぞ。

では、私のPCが直るまで、みなさん、しばしのお別れです。

どうか、良い時間を。

申し訳ありませんが、次スレに私の>>973-974の書き込みを使われるのでしたら、
「改行が多すぎます」ってことになるかもしれません。

そのへんは、調節をよろぴくお願いします。
976ふにゃぽん:03/04/18 22:19
すんません。
>>974の私の文章、ヘンでした。

ところが、その一方で人類は、普通に考えれば、殺傷力という点では、どのような兵器にも適わないはずの、
己が五体を駆使しての闘争術=「格闘技」や、あるいは、新兵器の発明、発展により、実戦ではそれほど有効性を発揮しなくなったはずの武具による格闘形態、
やとえば、「銃」が開発された後の「剣道」の進化といったように・・・。

を、

ところが、その一方で人類は、普通に考えれば、殺傷力という点では、どのような兵器にも適わないはずの、
己が五体を駆使しての闘争術=「格闘技」の創出や、あるいは、新兵器の発明、発展により、実戦ではそれほど有効性を発揮しなくなったはずの武具による格闘形態、
やとえば、「銃」が開発された後の「剣道」の発展といったように、
古い格闘形態を捨て去らず、むしろ、それを進化させていったというのも事実です。

にして下さい。








977T・S:03/04/19 01:53
>>969
「図説 隠し武器百科」なんてのを見ると、中国から伝来されたと思しき得物が結構あります。
そのすべてではなくとも、かなりが武器だけではなく用法も一緒に伝来したはずなので、そういうのが何らかの影響を残しているとは思うのです。

>>970
あー、技は増えますよ。
平和な時代だと特に。
別に何らかの発見があったとかではなく、ある程度の技がないと流派の箔がつかない……みたいな感じで。
増やそうと思えば増やせるんですよね。入り方とか握る場所とか変えるだけとか。
「長者の芸」と呼ばれるような実用性皆無の技が創案されたりとか。

まあ、直信流のその論文を読んだわけではないので、それについてはなんともいえないですが。
他の流儀の技をとりこんだというのも考えられたり。
新陰流とかの例もあるし。
現代の古武道でも、演武会の様子をビデオにとったのをこっそりと自分とこのみたいにしてやったりすることがあるそーだし。

西洋式の解剖学が本格的に本邦に入ってくるのは「解体新書」からだとは思うけど……。
だいたい、十九世紀も半ば過ぎるまでは、西洋医学とは言っても観念優先してたところがあったりで、まだしも経験則とかに裏打ちされた漢方とかの方が有効性が高かったみたいな――って、これは武道には直接関係しませんな(^_^;
978NX-01:03/04/19 02:39
>>977
いや、その技が増えていく、てのはわかるんですよ。
逆に増えすぎちゃってるのを再構成して減らしたのもあるし。

ただ、この1700年代ての書いてて、例のオランダのボルステル(1674)が
気になって w
中国武術よりもっと柔術っぽい、そのもの、みたいなのが、
わかりやすい図版入りの本であった。柔術の輸出ではなくボ…の輸入って
可能性があったんじゃないかなー、て。

柔術では、剣術の柳生兵庫助みたいな素肌化への変化の記述ってあんま無いけど、
なんかのきっかけがあっても不思議ではないな、と小説のネタ的に考えたわけですw

解体新書(1774)も、予告版「解体約図」を多くの医者に送りつけたていうから
熱心な武術家だったら目にした可能性はありでしょう。
979T・S:03/04/19 02:58
>>978
ふーむ……。
再構成ですか。
なるほど。

ボルステルの輸入というのは面白いですけど、その当時にはすでに竹内流とかあったわけですからねえ。
オランダが貿易の主流になるのがそれ以前からだったら、あるいは柔術そのものが――とか考えられなくもないのですが。

解体約図……ふむふむ……。
しかし、ちゃんと読めた人いるのですかな?
ってか、蘭学が表立って盛んになるの、もう少しあとだったような気が。
980T・S:03/04/19 03:02
ああ、読み違ってた。
ボルステルの影響、というのですね。
ふーむ……。
さういえば、あまり知られてないですが、オランダ館の館長は、交代するごとに江戸にきていたのです。
そうして街にある宿で泊まってたりしてたそうです。
んで持ち込んだいろんなものを売り飛ばして小遣いにしていたという――

この時に交流があった可能性は、あるいは?
981NX-01:03/04/19 21:10
オランダ商館のお医者さんたちも日本人医師と交流があったみたいですね。
よく調べてみないとわかんないけど、来年江戸に来る時はこんな本持ってきて♪
なんてオーダーもあったかもですよね。

甲冑組討から素肌への移行って、なんかあたりまえのように流されるけど、
意外と発見があるんじゃないかなー、と考え始めました w

ところで次スレ立てようにも、立てられなくなってるのは家だけ?
982T・S :03/04/20 02:51
>>981
どれどれ
983山崎渉:03/04/20 04:30
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
984T・S
わたしのやってるところからも立てられない……。
誰かやってくださいな<新スレ


これだけだとあれなので四方山話。

無影脚は(一応)実在するッッッ!!!