935 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/11 22:06
えーと唐突で申し訳ないが、
>>334からでた、ホームズが習ってたという”バリツ”
これは”バーリ・トゥード”と何か関係あるのでしょうか?(語源が一緒とか)
アホなネタでスマソ
>>935 バリツの語源は、ドイル氏を霊界から呼んで聞くしかないです。
ただ、現時点で殆ど定説となりつつあるのは、ずっと上のほうでも
論じられていたと思いますが、E.W.バートンライト氏が創始した
総合護身術「Bartitsu」の誤記という説です。
この護身術はピアスンズ・マガジンという雑誌に発表されたのですが、
ドイルも「シニョール・ランベルトの引退」「縞のある衣類箱」といった
作品を同誌にて発表していますのでバートンライト氏の記事を読んだ可能性は
非常に高いと思われます。
私は詳しくないので、バーリ・トゥードという語がいつ頃から一般的に
使われていたのか知りません。
しかし「バリツ」の登場する「空家の冒険」は1903年の発表です。
この時点においてポルトガル語の「VALE TUDO」とピアスンズ・マガジンの記事の
どちらが英国人にとって身近だったか、考えるとおのずと答えが出るのでは?
と思います。
ちなみに「Bartitsu」はボクシング、サバット、ステッキ術、
柔術(扱心流の可能性アリ)の4つを基盤とした護身術ですが、
バートンライト氏の期待に反してあんまり流行らず消えてしまいました。
937 :
世界@名無史さん:03/04/12 15:47
>>936 バーリトゥードというのはポルトガル語で「なんでもあり」という意味だと
夢枕獏が言っておりました。
>>937 ありがとうございます。
それは知ってました。
ちなみに調べてみるとバーリ・トゥード形式の試合は1920年代頃から
ブラジルであったそうですね。この時既に「Vale Tudo」と呼ばれていたとしても
「空家の冒険」には間に合わないですから、まずバリツの元ネタということは
ないでしょう。
あと上で書き忘れましたが、バリツ=BARITSU とバーティツ=BARTITSU
は、「T」一文字しか違いません。
やはりドイルの書き違い、もしくは誤植というのが適当だと思います。
唯一気になるのが、ホームズが「日本のバリツ」と言っている点ですが、
バートンライト氏が招聘した不遷流 谷幸男のデモが話題になっていたこと
等から柔術とバーティツは混同されていたかもしれません。
1901年にはセント・ジェームス・ホールでバーテイツの披露があり、柔術も
紹介されていますので、ドイルがこれを見た可能性もあります。
ちなみにこの公演は、夏目漱石も「日本の柔術使と西洋の相撲取の勝負」
があるから、と「一円二十五銭奮発」して見に行っています。
あぁ…。
HPに仕立てようと思ってた内容の殆ど書いてしまった…。
940 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/12 21:40
レスありがとうございます。
食い下がってしまうようですが、「バリツ」から「パーリ・トゥード」という言葉が成立したという事は…
普通に考えたらありませんよね、つづりが縮むならともかく伸びるなんて。
>>938 >唯一気になるのが、ホームズが「日本のバリツ」と言っている点ですが
「空家の冒険」はライヘンバッハの滝から奇跡の生還(笑)を遂げたホームズの話ですが、
私の読んでいた版では日本の神戸にも来たことがあるように書いてました。
これは推測になりますが、ドイルはバーティスというのが「日本の柔術云々」程度の講釈しか
覚えていなかったのではないでしょうか。かなり半端な覚え方をしていたとか。
だから彼にとってはバリツは柔術の一種なのではなかろーかと。
それともあるいは、「武術」という言葉が訛ったという説の方が正しいかも?
ネタフリになるかは微妙だけど、日本武道四方山話(笑)
植芝盛平翁は、身長156センチくらいだったけど、体重は80以上あった。
>>940 その逆発想は新鮮ですね!
バーティツの技法群はそれこそ「なんでもあり」ですから
これを見たブラジルかどっかの人が、
意味が通じて同じような発音の言葉を自国の格闘競技に当てはめた…。
まぁ、たぶん無いとは思います(笑)
しかし、思わぬ資料が出てくることもありますから、100%ないとは言えないかも。
とりあえずホームズのパスティーシュ小説のネタにはなりそうですね。
>>941 ざっと調べてたんですがホームズ来日は聖典には無いようです。
大空白期間中に日本に来た、てパスティーシュはありますね。
ドイルがどう勘違いしてたかはわかんないんですが、
「あの格闘技、確か日本がどうたらいうの、あれなんてったっけー?」
程度だったのは確かでしょう。
で、うろ覚えで書いた、もしくは雑誌をひっくり返して名前を拝借した、
てところでしょうね。
あと「武術」訛り説ですが、当時の本にJujitsu は広くでてくるんですが
Bujitsu は見かけないんです。Japanese martial artsと書いてあるん。
この辺は要調査ですね。
>>942 明治時代の力士 両国が160センチ 80キロだったそうで
得意技はつま取り。
関係ないかーw
>>944 まあ、私が読んだの、山中峰太郎版だったから仕方ないですか(笑)
>明治時代の力士 両国が160センチ 80キロだったそうで
つまりあのじーさまは、明治の相撲取り並の筋肉の持ち主だったと……。
斎藤守弘師範に話しを聞いたという合気道部の大学生によると、ふのはかまの下にはぶっとい太ももがあったそーです。
946 :
世界@名無史さん:03/04/13 16:26
筋肉は贅肉の1.2倍の重さがあるそうですから。
とりあえずネタフリに(笑)
日本武道四方山話その弐
武蔵は柔術も教えていた。
一応は玄信の話。
弟子の内、「十智の伝」を授かった古橋が相伝したらしいのだけど、現在は伝わってない。
武芸流派大事典には、伝書の一部が残っていると書いてある。
さらについでにいうと、武蔵の書いた訓戒だかなんだかが、竹内流宗家の道場には残っているのだそーな。
……ネット喫茶からの打ち込みなので資料が手元になく、細部が間違ってる可能性高いです。
念のため。
曖昧ですいません。プロレスの神?鉄人?ルーテーズの師匠は(名前失念)の技は
日系ハワイ人の相撲関興の人が技教えたと「かくしょうじう」さん作家
(漢字忘れてしまいました)言ってました。結構日本マンセーの人ですが。
整骨医院やDJやカルホルニアワインなど見えないところで日系人がんばってるのですね。
すいません曖昧でSAGEます。
>>948 それは多分、加来耕三さんのことでは…。
ルー・テーズの師匠は講道館と戦ったことで有名な
アド・サンテルで、この人はジョージ・ボスナーのところで
柔術も修行してますね。
>>949 加来耕三さん……あの人は確か、「るろうに剣心」のノベライズを別名で書いてたような気がする(笑)
静霞薫だったかな?
違ってたらごめんなさい。
東軍流宗家の家柄に生まれて他古武道とか修めた人に何をやらせるんだと笑いましたが。
けど、この人が「秘伝」でやってた合気会の小説は、武田惣角師範を貶めるような内容で疑問が残ったなあ……。
>柔術も修行してますね。
ガイシュツだけど、すでに富田師範らがアメリカ行った頃には、すでに柔術伝わってましたしね。
>>950 >福田八之助師の娘さんの福田敬子女史(確か9段)は
九段ってことは赤帯?
女子でいたとは知らなかったデス……。
間違えてるじゃん……。
孫娘でした。
そりゃそうだ、年があわないもの。
>静霞薫
そうです。けっこう変なこともやってますよね。
武道系の本も、ちよっと「…?」な記述も多いけど、
デムパ系の多い昨今では、読んで損のない人かな、て思ってます。
日本の各藩の武道のHPが以前ありましたよね。
そのサイトもう一度張ってください。
>>852 そーいえば昔、静薫の名で「青い鳥の伝説」って漫画の原作もやってたなあ……。
ってか、デンパが多いのは昔から。
昔は「神がかってる」とか言ってたっけかなあ。
>>953 >>320のアレ?
955 :
世界@名無史さん:03/04/15 15:01
「力道山と日本プロレス史」という本を見た。おもしろかった。
作者は梶原一騎。
956 :
世界@名無史さん:03/04/16 03:36
戸塚派揚心流って佐賀藩の流派だったんですね。
講道館と対決したのも佐賀藩の人だったのかな?
天神真楊流や戸塚派揚心流は当身中心だったらしいけど
いまで言えば空手のような感じでしょうか?
和道流とか・・。
958 :
世界@名無史さん:03/04/16 04:29
なんていうか初期の柔道や甲冑拳法のなごりがみえて
良いページですね。
しかしなぜ中国に・・・。
959 :
世界@名無史さん:03/04/16 04:49
>>957 基本的に服装とか風俗の都合上で変化しちまいますしな。
打撃中心の技法にはなりにくいのでしょうか。
>>958 >>136でも書いたけど、開祖が中国で習った三手に工夫を加えたもの……が最初だったらしいから、その関係じゃないかなあ。
中国や韓国では、「日本の武術はわが国より伝えられた」と主張する人は結構いるそうなので。
いや、おかしな人は少数派だと思いますけど。
実際に中国から伝わったものも結構あるみたいだし……。
上記のページ、ざっと訳してみたんですが、
甲冑組討から始まって、かなり正確な知識を書いてますね。
陳元贇についても、福野、三浦、磯貝三人をあげ、柔術に影響を
与えたけど、決して柔術の創始者ではない、と明言してます。
かなりの武術オタみたいですね。
ちなみにホームはここ。
http://www.geocities.com/quan_fa/ 「他山の石」の所に柔術、合気道があります。
一番面白かったのは、日中戦争で活躍した(らしい)中国版の斬り込み部隊
「太刀隊」の記事でした。
「太刀隊」...
日本刀使うのだろうか。
意外と中国にも日本武道に興味持ってる人いるんですね
わわ、また間違えた…。
「大刀隊」だったですね。
鹵獲した日本刀とかだったらもっと面白いけど。
(^^)
965 :
世界@名無史さん:03/04/17 12:38
保守age
>>961 日清戦争の時には布を重ねた鎧(?)と青竜刀ぶん回す清の兵士に対して、日本刀で挑む日本の兵士という話も聞いたことがあるです。
しかしすでに古流から離れて久しい剣道では浅い打ち込みで大した打撃を与えられず、師範に古流の人を招いて稽古を改めてさせたとか。
……何かの小説だったかなあ。
ソースがわからないから上のはさっさと聞き流してもらうとして、日清戦争には杉村義衛(永倉新八)が抜刀隊に加えて欲しいと嘆願したが加えてもらえなかったという話があるそうです。
当人はそのことを「薩長も今更新撰組に助けてもらおうなんてイヤだったんだろうなあ」とか語っていたそーで。
967 :
世界@名無史さん:03/04/17 15:43
>>960 >実際に中国から伝わったものも結構あるみたいだし……。
柳生心眼流と中国武術の類似性は良く指摘されていますね。
>>967 >>実際に中国から伝わったものも結構あるみたいだし……。
>柳生心眼流と中国武術の類似性は良く指摘されていますね。
それは確かに言われますが……。
何年か前の秘伝誌上で武檀の蘇老師と心眼流の島津師範の対談がありました。
まあ随分と前の話なので詳細は覚えていないのですが、「決め」のポーズは八極拳に似てはいるものの、用法としては劈卦掌よりで、歩法は八卦掌に似ていたとか。
ほとんど実見したことないからそういわれたらそうするしかないですけどね。
いずれ「類似している」というだけで、中国から伝来したというのとは違うのではなかろーかと、これは私の意見。
>>968 直接伝来したとは私も考えていませんね。
ただ、技法等で影響を受けた部分は多いのではないかと考えています。
戦場での組討術に中国から伝来した技法を取り入れ、それを独自に昇華させた結果が諸流派の技法なのではないかと愚考する次第ですね。
伝来問題は難しいですね。
柳生心眼流はかなり特殊だから置いとくとしても。
柔術も幹となる流派の成立には、どこかしら異人さんや神様の陰が付きまとう
わけで、これは箔づけもあるだろけど、実際の見聞や文献を参考にした可能性も
とても大きいし。
ネットで公開された直信流の論文を読んだんですが、1700年代には30本だった技が
天保8年(1838)には97本と増えている。平服技法なんかが追加されてるんだけど
ちよっと増えすぎ。
恐らくは、渡来人の技法の実見、新規輸入文献による理論を基にした新技法の開発
なんて盛んにあったんでしょうね…。
西洋式解剖学もこの間に入ってきてるから、これが関節技や絞め技に影響した、
てのも十分に考えられますね。
なんかまとまってないな…w
NX−01さん。
T・Sさん。
他の名無しのみなさん方。
>>1である私の不在中に、これだけこのスレを盛り上げてくれていて、ありがとうございました。
ただ、当方の事情を申しますと、めちゃ多忙な上、私のPCが壊れてしまい、しばらくカキコはもちろん、
ROMることも出来ない状態です。いまはネットカフェからこのレスを書いています。
で、次スレですが、私もみなさんと同じように、「徒手」に限らず、格闘技全般の話題のスレでいいと思います。
「剣の歴史」スレなどもありましたが、話題を人類の闘争術そのものにすれば、ガイシュツネタということにはまらないと思います。
で、レスが980を超えたあたりで、新スレは立てればいいと思いますが、前述の私的状況のため、私自らがスレを立てることが出来ません。
そこで、どなたか出来る方に新スレ立てを依頼させていただきたいのですが、いかがでしょうか?
(つづく)
コテハン、名無しのみなさま方のご愛顧、ご協力のおかげでさまで、
このスレも新スレに突入することが出来るようになりました。
まず、人類の歴史とは、闘争そのものの歴史とも言えます。
そして、その闘争の内容、および形態も、原則としてエスカレーションの一方の歴史でした。
たとえば、敵が「棍棒」という兵器を発明すると、我は「石斧」という武器で対抗し、
すると相手はさらに「刀剣」でもってそれに応えるという具合に・・・。
ところが、その一方で人類は、普通に考えれば、殺傷力という点では、どのような兵器にも適わないはずの、
己が五体を駆使しての闘争術=「格闘技」や、あるいは、新兵器の発明、発展により、実戦ではそれほど有効性を発揮しなくなったはずの武具による格闘形態、
やとえば、「銃」が開発された後の「剣道」の進化といったように・・・。
では、人間は何の目的でそうした「闘技」を編み出していったのか?
世界の古今東西にわたる「格闘技」およびその歴史、あるいはもっと肩の力を抜いて、
「格闘マンガ」、「格闘小説」に至るまで、みなさんと語り尽くすのがこのスレです。
濃い目の話題から、ライトなネタまで、お気軽にどうぞ。
(つづく)
975 :
ふにゃぽん:03/04/18 22:10
ってな感じでどうでしょうか?
もちろん、これ以外にも、意見があるのでしたら、ご自由にどうぞ。
では、私のPCが直るまで、みなさん、しばしのお別れです。
どうか、良い時間を。
申し訳ありませんが、次スレに私の
>>973-974の書き込みを使われるのでしたら、
「改行が多すぎます」ってことになるかもしれません。
そのへんは、調節をよろぴくお願いします。
976 :
ふにゃぽん:03/04/18 22:19
すんません。
>>974の私の文章、ヘンでした。
ところが、その一方で人類は、普通に考えれば、殺傷力という点では、どのような兵器にも適わないはずの、
己が五体を駆使しての闘争術=「格闘技」や、あるいは、新兵器の発明、発展により、実戦ではそれほど有効性を発揮しなくなったはずの武具による格闘形態、
やとえば、「銃」が開発された後の「剣道」の進化といったように・・・。
を、
ところが、その一方で人類は、普通に考えれば、殺傷力という点では、どのような兵器にも適わないはずの、
己が五体を駆使しての闘争術=「格闘技」の創出や、あるいは、新兵器の発明、発展により、実戦ではそれほど有効性を発揮しなくなったはずの武具による格闘形態、
やとえば、「銃」が開発された後の「剣道」の発展といったように、
古い格闘形態を捨て去らず、むしろ、それを進化させていったというのも事実です。
にして下さい。
>>969 「図説 隠し武器百科」なんてのを見ると、中国から伝来されたと思しき得物が結構あります。
そのすべてではなくとも、かなりが武器だけではなく用法も一緒に伝来したはずなので、そういうのが何らかの影響を残しているとは思うのです。
>>970 あー、技は増えますよ。
平和な時代だと特に。
別に何らかの発見があったとかではなく、ある程度の技がないと流派の箔がつかない……みたいな感じで。
増やそうと思えば増やせるんですよね。入り方とか握る場所とか変えるだけとか。
「長者の芸」と呼ばれるような実用性皆無の技が創案されたりとか。
まあ、直信流のその論文を読んだわけではないので、それについてはなんともいえないですが。
他の流儀の技をとりこんだというのも考えられたり。
新陰流とかの例もあるし。
現代の古武道でも、演武会の様子をビデオにとったのをこっそりと自分とこのみたいにしてやったりすることがあるそーだし。
西洋式の解剖学が本格的に本邦に入ってくるのは「解体新書」からだとは思うけど……。
だいたい、十九世紀も半ば過ぎるまでは、西洋医学とは言っても観念優先してたところがあったりで、まだしも経験則とかに裏打ちされた漢方とかの方が有効性が高かったみたいな――って、これは武道には直接関係しませんな(^_^;
>>977 いや、その技が増えていく、てのはわかるんですよ。
逆に増えすぎちゃってるのを再構成して減らしたのもあるし。
ただ、この1700年代ての書いてて、例のオランダのボルステル(1674)が
気になって w
中国武術よりもっと柔術っぽい、そのもの、みたいなのが、
わかりやすい図版入りの本であった。柔術の輸出ではなくボ…の輸入って
可能性があったんじゃないかなー、て。
柔術では、剣術の柳生兵庫助みたいな素肌化への変化の記述ってあんま無いけど、
なんかのきっかけがあっても不思議ではないな、と小説のネタ的に考えたわけですw
解体新書(1774)も、予告版「解体約図」を多くの医者に送りつけたていうから
熱心な武術家だったら目にした可能性はありでしょう。
>>978 ふーむ……。
再構成ですか。
なるほど。
ボルステルの輸入というのは面白いですけど、その当時にはすでに竹内流とかあったわけですからねえ。
オランダが貿易の主流になるのがそれ以前からだったら、あるいは柔術そのものが――とか考えられなくもないのですが。
解体約図……ふむふむ……。
しかし、ちゃんと読めた人いるのですかな?
ってか、蘭学が表立って盛んになるの、もう少しあとだったような気が。
ああ、読み違ってた。
ボルステルの影響、というのですね。
ふーむ……。
さういえば、あまり知られてないですが、オランダ館の館長は、交代するごとに江戸にきていたのです。
そうして街にある宿で泊まってたりしてたそうです。
んで持ち込んだいろんなものを売り飛ばして小遣いにしていたという――
この時に交流があった可能性は、あるいは?
オランダ商館のお医者さんたちも日本人医師と交流があったみたいですね。
よく調べてみないとわかんないけど、来年江戸に来る時はこんな本持ってきて♪
なんてオーダーもあったかもですよね。
甲冑組討から素肌への移行って、なんかあたりまえのように流されるけど、
意外と発見があるんじゃないかなー、と考え始めました w
ところで次スレ立てようにも、立てられなくなってるのは家だけ?
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
わたしのやってるところからも立てられない……。
誰かやってくださいな<新スレ
これだけだとあれなので四方山話。
無影脚は(一応)実在するッッッ!!!