659 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/29 23:22
>658
歳神に対する行事と習合していると指摘する民俗学者も居ます。それ
と巫=医師という御意見についてですが、日本では専ら山伏や僧侶が
民間薬を出していましたね。
藪医者という表現も野巫医者から来たという説があります。
>658
サトゥルヌスも忘れんな!!
>梵阿弥
まだ懲りずに世界史板にくるのか。この既知害は。
>661
モーニング娘が好きでも、B.スピアーズが好きでも人それぞれ
好みがあるんですよ。
>>657 こちらこそお久しぶりです。
あと、熊野と言えば紀州の徐副渡来伝説を抜かしていましたが、それは梵阿弥さんが何処かでフォローしておられましたかね?
日本武術の原初については大陸からの影響は何がしかあったのは確かなのですが、直接的なものであったかはどうも私には思えません。
大陸の武術と日本のそれは共通点もありますが、相違点の方が目立ちますし。
土着化が激しかったと言えばそれまでなのですが。
愛洲移香斎の渡明の話は、伝書が向こうに伝わっていたことからの類推だったと思います。
禅は確かに大陸産ですが、日本で大成したとも考えられますし、そもそも「五輪書」は別として、多くの伝書が仏語などに拠っているのは、兵法者自身に教養がなく、伝書の作成に当たって僧侶や神官に協力を求めたからと言う話もあります。武蔵のような人間はまれだったかと。
空手については別スレ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1026203983/656参照のこと。
物部氏については日本史板で専門のスレが最近たっていましたね。
ちょっと専門的すぎてなかなか手出しできないですが(笑)
ただ、短歌に八十物部という枕詞があることからも、非常に数多くの係累がいたことは明らかです。
もしかしたら大和王朝以前の支配政権だったというのはいささか小説的ではありますが、そういうこともあるのではないかなぁとか思ったりします。
小角は一応賀茂氏の祖先ということになっていますね。
物部と関連するのは上でも書きましたが韓国広足ですが……実際問題、どういう間柄だったのでしょうね?
>>659 私が聞いた話では、昔、藪という名の名医がいて、それにあやかってみんなが藪を名乗ったとか。
そして江戸期の医者というのがなんの許可もいらなかったということもあり、とんでもない医者でも藪を名乗るようになり、そんなこんなでとうとう「藪」といえば酷い医者のことをさすようになってしまったという……。
いかにも俗説っぽいなぁ。
666 :
ふにゃぽん:02/10/07 18:16
668 :
世界@名無史さん:02/10/20 23:26
そろそろキチガイの梵阿弥が降臨するのであげておこう
>>659 その「歳神に対する行事」とはどういうものか教えて頂けますでしょうか。また習合説もご紹介頂けると
有難いです。私は年末賞与で子供におもちゃを買ってやって、とかそんなもんだと思いますけど。
>>663 徐 福渡来伝説は一応
>>652出しておきました。他にも渡来伝説は九州、丹後等にあり、秦氏の分布地と割と
重なるそうです。
弓削の道鏡は呪術を能くしましたが、弓削といえば物部の地盤でした。彼自身山岳修行を行ったという伝承
も有るようです。物部、葛木、道教の関連が気になりますね。
物部が失脚し、庇護されていた道教・雑密行者が葛木山上に逃れ、別に大陸と海洋の祭祀が定着していた
熊野と連携し…なんて小説的に考えたりします。役 小角が葛木と吉野に橋を架け、なんて伝説もあります。
>>669 熊野と言えば九鬼神流の祖、薬師丸隆真は、紀州熊野の別当の子で、家は代々別当職を
継承する藤原氏の末流。水軍を率いて源平合戦にも活躍した。父、道有から修験道を学んだ後、
京に上り、三藐院の僧、定海に就いて真言秘密禁厭の法を修めるとともに鞍馬に於いて兵法を
修行し、九字秘法、及び隠形の術に通じたと伝えられる。
九鬼の「九」は九字の「九」、「鬼」とは「鬼神」の意味でこれを「カミ」と読む。
本来、「クカミ」と称するのが正式だという。ところで、九鬼家に伝わる、古事記以前の
超古代史「九鬼(クカミ)文書」というものについて知っている人はいないか?
>>669 秦氏というえばユダヤの末裔とかとうとかいう説を出した人が戦前にいたそうですが、まあ、それはかなり無理がある話として。
弓削の道鏡についていえば、宿曜道の呪術を使っていたと言われていますが、北辰妙見の呪術を使っていたというのもネットでみたことが。
後者の方はあてになりゃしませんが。
弓削氏と物部のかかわりについての参考に。
http://www.lint.ne.jp/~saruru/tyoko/yugejinjya.htm ……そういえば、ソースは思い出せないけど、道鏡が山岳の修行で得た神通力は天之一箇目神とかいう鍛冶神によるとかどうとか。
そーいえば、妙見とか八幡も鍛冶関係の神で、弓削氏は武器製作に関連する氏族だったか……。
呪術云々はそこいらからこじつけられたのかも知れず。
道鏡、雑密の行者を物部氏がかくまっていたというのはどうですかねぇ。
いっそ物部氏の衰退によって、そちらの物部系統の呪術師が大陸系のに乗り換えたとか、大陸伝来の賀茂氏がその勢力を塗り潰そうとした話を象徴しているとかでもいいのではないかと。
>>670 九鬼神流とは、また……。
武芸流派大事典にあれこれ載っていますが、九鬼姓は後醍醐天皇より賜ったというのもありますな。
「九鬼(クカミ)文書」については確かそれらしい本を持っていたと思うけど、すぐには出せないです。
ただ、記憶によれば「九鬼文書」の「鬼」は上の点というか一角がなかったと思う。
これは「鬼」と違って角がない、という意味合いでの造語だとするのなら、そんなに古くはないでしょう。
鬼に角というのはそんなに古くまで遡らない、はず。
お役に立てませんで。
672 :
邊羅阿弥 :02/10/21 17:10
「九鬼文書」の他、超古代秘史資料について、比較的詳しく書かれた本をみつけました。
吾郷清彦著『日本超古代秘史資料』(新人物往来社)です。それによると、
古書4書 「古事記」「日本書紀」「旧事記」「古語拾遺」
古伝4書 「ウエツフミ」「ホツマツタエ」「ミカサフミ」「カタカムナのウタヒ」
古史4書 「九鬼神伝精史」「竹内太古史」「富士高天原朝史」「物部秘史」
異録4書 「但馬故事記」「東日流外三郡誌」「忍日伝天孫記」「神道原点」だそうです。
最後、「神道原典」です。
675 :
世界@名無史さん:02/10/24 13:43
九鬼文書なんてのは竹内文書とかと同じ偽書の類だよ。
なんせ古代日本とユダヤの関係とかが書いてあったりするんだとお話しにならない。
676 :
邊羅阿弥 :02/10/24 14:01
>>675 ユダヤばかりか、インド、エジプト等世界中の宗教に関する記述が、上記「古史4書」の
すべてにみられます。 それが「お話にならない」とする根拠(文献、もしくは研究者)の
ソースをお願いします。
677 :
世界@名無史さん:02/10/24 14:13
>>676 ソースも何も「ウエツフミ」だの「カタカムナ」だの「ホツマツツタエ」だの全部、近世(早くても江戸期以降)に作られた偽書でしょうが。
ましてや、竹内文書みたいに三千億年前に初代天皇がいたり天皇がアマノウキフネとかいう空飛ぶ船で世界を観覧したり、
「ヨハネスブルク」「サンフランシスコ」「オストラント州メルボルン浜」だの
怪しい記述がある書物なんてお話しにならないでしょうが?
678 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/24 14:33
>>677 九州の日本史マニアは邪馬台国で頭一杯だけど、東北の方は違うようですね。
津軽ナントカ史とかいうのがあって、マニアが随分いるそうです。
私は2〜3ページ読んでこけた。
仮名遣いの間違い方が江戸末期から明治初期なんだから。
679 :
世界@名無史さん:02/10/24 15:00
ネット検索した結果以下のサイトをみつけました。
ttp://f1.aaacafe.ne.jp/~megalith/kukamimonjyo.html このサイトには、確かに以下の記述がみられます。
<古史古伝にとっては、これは最も弱い部分なのかもしれない。筆跡鑑定をしようが、
紙の製造年代測定をしようが、ごく最近の物であるという結果が出てくるのはある種、
致し方のない事なのである。とはいっても、この書の内容を全面的に信用するのも、
常識的にも歴史学的にも、全く信用できない。>
しかし、この説に私は賛同を示すことはできません。同じサイトに以下の記述があります。
<ウガヤ(ウガヤフキアエズ)朝が73代続き、第73代天皇を大和朝廷初代の
神武天皇に置くのは上記、竹内文書と共通である(ウガヤ朝の存在は宮下文書にもある)>
大和朝廷時代以前に、高度な文化(国家)が日本で発達していた形跡はありません。
上の記述は、記載された「国」を、現在、日本国となっている小さな島に限定している
ようですが、おそらく、「古史4書」に記述された「国」はノアの箱舟伝説等で表される、
全世界的な大洪水によって海底に沈んだ、アトランティス大陸に存在したとされる
「ムー帝国」を意味していると考えるべきでしょう。帝国が沈没することを予想した
支配階級の優れた人々が、宇宙船のような船を考案し、沈没前に、陸地として残ると
推測された地域(ユダヤ、エジプト、インド、北欧、インカ、中国、日本etc・・・)へ
移住し、それぞれの地域に「舟に乗って降臨する神々」と「その子孫である統治する王」
の伝説の原型を作ったものと思われます。
それらの伝説に共通しているのは、太陽を象徴する王が殺され、その子を宿した
女王が(そのことによって死んだ王と一体化する場合もある)新しい土地の宗教上の
最高神となり、その「子」が初代の「統治する王」となるパターンです。それは、
上記のすべての地域の神話に様々な「神の名」によって表現されています。
「バベルの塔」の伝説(それぞれが別の言語を持ち、別の地域とは会話が成立しない)
は、各地域に散った同族のものたちが、勢力争いに陥らぬよう、との配慮であったと
思われますが、翻訳という作業が盛んになるにつれ、「宗教戦争」はあとをたたなく
なってしまいます。
ユダヤ王家の石棺には日本国皇室の紋章である菊花紋と同じ模様がみられますが、
「菊花」が太陽を表していることは疑いもありません。そのことからも、日本とユダヤの
統治者は、同じ血族であり、日本の超古代史書と旧約聖書は、同じ出来事に由来している
ものと思われるのです。
また、これらの文書は、文字として紙等に書かれたものであるため、本来、口伝えで
伝えられたものが、それぞれの地域、時代の人が理解しうる形で、書き直されてきたもの
と思われますので、書かれた時代が明治以降であるから、「偽書」とするのは、
「旧約聖書」が、ラテン語訳された年に書かれた「偽書」であるとするほど、愚かな
推測と言わざるを得ません。
日本の場合、「古事記」のみが、日本神話の正伝であると考えがちで、他の文書は、
すべて「偽書」であると決め付ける傾向にありますが、「古事記」が編纂されたのは
712年であり、そう古い時代のことではありません。「古事記」には、太安万侶の
手による序文がつけられていますが、それによると第40代天武天皇が「古事記」編纂を
思いつき、第43代元明天皇の時代にやっと完成したとされています。それは、第31代
用明天皇(橘豊日命タチバナノトヨヒノミコト)を「天照大神」にみたてて、女帝が
即位したことの正当性を表し、第32代崇峻天皇(長谷部若雀命ハツセベノワカサザキ
ノミコト)が暗殺された事件を「天岩戸」事件にみたて、第33代推古天皇
(豊御食炊屋比売命トヨミケカシキヤヒメノミコト)が即位することを「岩戸開き」
にみたてて、「天照大神」が再び統治することを印象付ける目的があったと思われます。
さらに、「魏志倭人伝」の卑弥呼統治→男王時代の戦乱→巫女壱与(表記は様々)の統治
という、500年前の故事もオーバーラップさせて印象付ける必要があったのではないでしょうか。
従って、この一連の出来事に関係のない神話は、ほとんどカットされてしまい、「偽書」
という形で、古代に神事を行なっていたいくつかの家(物部氏など)に伝えられている
のではないでしょうか。
何よりも、天武天皇にとって必要だったのは、前天皇妃である元明天皇即位の正当性
であったことは、いうまでもありません。
683 :
世界@名無史さん:02/10/24 15:44
オカルト板か民俗・神話板に行ったら?
最後の2行、訂正します。
(「古事記」編纂にどの程度、天武天皇が関与したかは明らかではないので・・・)
「推古天皇→文武天皇→元明天皇という流れを正当化する必要性があったことは
いうまでもありません」としてください。
>>683 ここは「日本の宗教」スレでしょう?
日本の宗教の話をしているつもりですが・・・。
民族・神話板はともかく、オカルト板は関係ないと思います。
>>681 んー。
日本の天皇家で菊が家紋になったのって、わりと新しかったみたいな気がするですが……。
つーか、菊は外来の植物ですって(^_^;
ついでに旧約聖書ったって、外典とか色々あって、現在伝わっているものだけを基準にしてると辛いです。
さらに言えば、ムー帝国って……まあ、それはいいとして。
古史古伝の類には中国でいうところの野史のように、民間に伝えられた話とかがあるのではないかなぁとか思いますが。
そもそも日本では考証しようとする考え方自体がないですからねえ。かなり恣意的に情報は歪められるは後から付加されるはしているでしょうから、色々と検討はしないと駄目じゃないかなぁと。
>>686 菊花紋というのは、紋章の形が菊の花の形に似ているからそう呼ばれているだけで、
ユダヤ王家の石棺の模様も、日本の皇室の紋章も、実際には植物の菊を表している
わけではないようです。おそらく、太陽、天体、方位、天皇家に縁のある神々の
御柱の数等を(曼荼羅のように)象徴的に表しているものと思われますが、
具体的な意味は、もう少し詳しく調べてみないとわかりません。
天皇家の儀式は、戦後、天皇が「象徴」となるまで、決して明かされることは
なかったわけですし、使われている「図像」も極秘のものであったと思います。
現在、天皇家の紋として、目にふれる「菊花紋」も、実際の儀式に使われている
図像とは違っているということを聞いたことがあります。(花弁の数が少ないとか…)
旧約聖書に関しては、「古事記」以外の古史のほとんどが、外典、偽書とされている
ように、キリスト教会で認められた「聖書」のみが正典、他は異端、外典とされて
いるのとよく似た状況なのではないでしょうか。
クムランから出土した「聖典」にも旧約聖書と似た記述がみられ、聖書にはない
記述もあるので、論議の的になっていますね。
「ムー帝国」のことは、「日本の宗教」と大幅にずれてしまうので、ここでは
やめておきます。(また他板へ行け、といわれてしまうので…)
古史古伝にはもちろん民間伝承もありますが、上に挙げた四書は、古代の神事を
祭司として行っていた家に、「秘伝」として伝わっていたものなので、他の文書とは
区別されているのだと思うのですが…。
688 :
山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/24 22:25
>686
確か菊の御紋が採用されたのは後鳥羽院の時代です。
>>688 わあ、ありがとうございます! 無知を晒して恥ずかしい…。
「天皇家」の歴史って何故か拒否反応があって、実はものすごく疎いんですよね。
別にサヨクじゃありませんが、実際は「万世一系」じゃないのではないか…、と
考えてみたくなってしまう方で…。かといって今まで調べてみる気もなかったもの
ですから。「熊野」とか「徐副」とかには異常反応してしまうのですが(笑)
あと、「大本教」が丹後由来だということも興味があります。「大本教」の
「お筆先」に現れた「神」は、実は藤原不比等である、と書いた本があったように
思います。今手元にないですが、著者は友清(?)ナントカ…。
(信者ではありません。念のため…)
690 :
山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/24 22:53
>689
とりあえず本当に歴史に興味がおありでしたら歴史書をお読みになった
上で大学の史学科にお入りになられる事をお勧め致します。
>>687 天皇家の菊家紋は十六曜八重面菊華紋……でしたっけかね?
そんな名前でしたが、ちょっと思い出せないですな。
天皇家の儀式は、例えば伯家神道なんてのがあったりしますが……。
まあ、それはそれとして、日本で公式な歴史書でいうと、「古事記」ではなくて「日本書紀」の方じゃないかなぁと……。
「古事記」の方は、太安万侶の、どちらかといえば私的な感じでなかったですかな?
>旧約聖書に関しては、「古事記」以外の古史のほとんどが、外典、偽書とされている
>ように、キリスト教会で認められた「聖書」のみが正典、他は異端、外典とされて
>いるのとよく似た状況なのではないでしょうか。
新約の方も今の形に落ち着いたのは少し後になってからですから、別に初期キリスト教にかかわりがあったかも知れないクムラン教団に新約聖書とことなる文書化背あっても全然不思議ではないように思います。
>古史古伝にはもちろん民間伝承もありますが、上に挙げた四書は、古代の神事を
>祭司として行っていた家に、「秘伝」として伝わっていたものなので、他の文書とは
>区別されているのだと思うのですが…。
残念ながら、「秘伝」というだけではなんら「捏造されていない証明」にはならないです。
本来秘密敵要素が高い武術の世界なんかでもそうですが、歴史的に辻褄が合わない話や、明らかに捏造と思われる話は混入されているのが常ですから。
まあ、まったく外部から接触がなった場合、劣化が少なく情報を保持できる可能性もあるわけですが。
例えばエスキモーの中には、マンモス狩りの様子を伝承していたと言う話もありますしね。
>>688 あ、どうもありがとうございます。
大本教?
それはまた……とりあえず、出口王仁三郎とかは調べてみると楽しい人です。
なんとなく。
日本宗教四方山話その9
茶道は利休による成立以前では、禅院での茶礼が源流っぽい。
693 :
世界@名無史さん:02/10/24 23:13
菊の肛門ですか
肛門を菊座という話は、東方朔の話が由来だったと思うけど、詳細はすっかり忘れてしまったです。
誰か知っている人います?
まあ、スレ違いだけど。
695 :
山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/24 23:33
>694
ホウソが若い頃菊侍童と呼ばれて周の穆王の寵愛を受けていたような。
696 :
世界@名無史さん:02/10/24 23:43
ホウ素は殷の伝承じゃね、別人か?
697 :
世界@名無史さん:02/10/26 15:36
あげ
日本人の宗教観という言い方は不適当かも知れないけど、日本の社会では徹底して議論するということはあまりされないっぽいのかも。
山本七平だったか、収容所で英国兵が進化論について話をしだしたことがあって。
その時に彼は中学校で習った、知っていると言ったのだけど、ひどく驚かれたとか。
「お前達は現人神が猿の子孫だと認めていたのか!?」
って。
言われて「そう言えば」と彼も気づいたという(笑)
つーか、欧米の人間は、当時の日本は進化論を認めていないと思っていたのか……。
日本の宗教を語る上でヒンドゥー教文化を無視できないだろう。
>>671 物部氏は中々道教と縁が有ったようです。物部は冶金と非常に縁が深い。この点は谷川 健一氏が
精力的に考証されているようです。生駒山西麓の日下近くに石切剱箙(いしきりつるぎや)社の祭神は
物部の祖の曉速日ですが名の通り剣の特を称えた所です。また奈良県天理市に石上神宮が在りここも
物部系施設ですが大和朝廷の武器庫とも言われ、かの七支刀が在ります。また垂仁紀だったか、
物部 某が出雲の鏡を鑑定した,とある。また土佐国香美(かがみ)郡に物部郷が在り領主は物部鏡連
と延喜式だか何かに在る。剣も鏡も共に金属製品であるとともに、道教で天皇(天帝)の神器とします。
また物部系の神社は鉱山傍に多いそうです。石見国一之宮の物部神社は大森銀山の近く。物部宗家没落
後は一族や配下は冶金術を生かして各地に散っていったとも言われます。数年前に移植手術を受けに
米国に行き、順番待ち中に亡くなったのが秋田県の物部さんでした。:続く
続き:吉野は古くは金の御岳(かねのみたけ)と呼ばれました。修験道の交流に物部遺臣達が一役
買ったというのは有り得ると思います。
冶金術は結局大陸から導入する訳で、そうすると道教が錬金術中心に入ってくる。昔の人にとっては
科学的な技術と呪術に区別はありません。従って冶金に堪能な物部は道教も(錬金術を中心に)
大陸の流行を追って導入していたのではないでしょうか。また河内は渡来系の西漢(かわちのあや)氏
が居て大陸的な所です。また河内鋳物師は有名です。土佐も打刃物で知られます。
現高知県香美(かみ)郡物部(ものべ)村に「いざなぎ流」というのが在り、陰陽道を中心にした
民俗祭祀です。陰陽道は広い意味での道教ですね。
弓削の道鏡は少し不親切だったかもしれません。というのは、日本書紀には「物部弓削守屋大連」と
出てくる。つまり守屋は弓削の人です。道鏡は系譜が良く判らないんですが、物部系ではないかと
する見解も在る。たとえそうでなくても弓削の出身でしょうから、道鏡の活動を知ることで守屋当時の
物部の祭祀形態に迫れるかもしれない。先ず妙見ですが北極星の神格化(北斗は北辰)です。全天の
中心たる事から天帝とされ、宿耀つまり暦学とも関わりますが暦学は陰陽道ですね。また星は光る。
そこで冶金師が、うまく行くように、つまり星の光が製品に宿るようにと拝む。鉱山の近くに妙見や
北辰の霊場があるそうです。摂津ですが能勢に妙見がありますね。佛教化した物としては薬師霊場が
ある。正式名を「薬師瑠璃光如来」と言い光の属性が在る。何故なのか不思議ですが。
続き:また薬師の脇侍は日光・月光両菩薩です。また七佛薬師、十二神将と何故か西方の聖数と縁があり
不思議ですね。或いは虚空蔵菩薩霊場となる事もある。虚空蔵尊(アカシャ・ガルバ)は地蔵尊と対を成す
存在ですが天体の神格化です。因みに架空蔵霊場の周りでは鰻を食べないそうです。眷属だからだと。
また孔雀明王霊場となる事もある。羽を広げた姿が天体と星、或いは太陽の放射光と見なす為です。
月山、朝日岳、大日岳、金剛山等も鉱山由来の例が多いそうです。そして修験道場となっている所が多い
ですね。廃佛毀釈で大分様変わりしましたが。
天之一箇目(あめのまひとつ)は風の神で、いかにもつむじ風由来の様に思えます。しかし「一本だたら」
と言う片目・片足の妖怪が山に居ると言う話あり。冶金師は溶けた金属(湯)や炎の温度を見極める為に
見つめるので片目を潰す者が多かった。また炎の温度を上げる為に鞴(足で踏む蛇腹)を踏み続け、片足が
聞かなくなる。一本だたらはその老いた冶金師殻来るとも。「たたら」も一本足で立っていると言うより
溶解炉である「たたら」から来ているのかもしれません。因みに北伊勢の多度(たど)社の祭神は
天之一箇目です。と言う訳でお説の通り道鏡と冶金は縁が深い。
弓削氏の事は存じませんが「今昔物語集」には陰陽師の弓削 是雄が出て来ます。ですから弓削と陰陽道は
縁有りでしょう。そもそも道鏡は「どうきょう」ですからね。鏡は道教の重要な祭器です。
かの安部 清明は和泉の信田の人でしたかね。母が狐とか。この説話の起源は勿論色々有り得るんですが、
例えば「天狗」はそもそも「天の狗」で流れ星の事。また伏見の稲荷社は渡来系の秦氏のものでしたが
狐が出て来ます。道教と狐は何か縁があるんですかね。ともあれ河内(摂河泉)と道教は極めて縁が深い。
ですから物部以来の道教導入がこうした形で花開いたと見たい。:続く
続き:道教は公式には否定され、大王・天皇家の秘術とされますが、「朝敵」物部の祭祀だったからかも
知れません。そこで山と言う異界で展開し修験道となったのではないでしょうか。なお物部の廃佛の
話は全くの捏造で、勝者による歴史の典型でしょう。物部の本拠の渋川辺りで大寺院の遺跡が
見つかっています。そもそも東漢氏と蘇我氏が結び、対抗して物部と西漢が結んだとされています。
ですから物部が全くの鎖国的な守旧派だったわけはありません。
役 小角が葛木から吉野への架橋をさせたのは葛木の一言主神ですが、雄略紀に土佐に流されたとか。
いつの間に戻って来たのか謎ですが、土佐一之宮の土佐神社の祭神は一言主です。土佐と言えば
香美郡の物部ですね。と言う訳で物部と道教・修験道は幾重にも繋がってます。
そう言えば陰陽道の加茂家と古代の賀茂家、小角は関わりあるんですかね。また確か賀茂(鴨)氏の
祖は八た烏だったと思いますが、あれはシナの太陽神ですね。
704 :
世界@名無史さん:02/11/29 07:43
あげ
705 :
世界@名無史さん:02/11/29 07:51
パソコンの調子が悪かったので……。
>>700‐
>>703 そういえば物部の本拠の難波は古くから大陸とのやりとりがあったですね。
迂闊でした。
その後を聖徳太子が所領にしたのでしたっけ?
何やらその辺りに件の論争の真相が隠されていそうな気も。
十二神将は玄武上帝の配下である六甲六丁からきているようなのですが、よく解りませんね。
一本だたらとかはギリシャ以来の鍛冶神の特徴を受け継いでいるように思います。
片目の巨人ヘパイトスとか。
狐と道教の関わりというと、狐は泰山娘々の下に行って修行して仙狐になるといわれていたりするようですし、何やら格の高い生物と思われていたのかもしれません。
賀茂氏とのかかわりは後になってでてきているので、何処まで正確なものかはわかりません。ただ伝説を取り入れただけという可能性もありますし。
八た烏は熊野の方で祭られてませんでした?
……って、それは漫画か(笑)
>705
そこの122こそオカルトにはまった基地外にしか見えないんだが
>>686 最初の家紋は橘でしたかね。橘も外来植物です。「左近の梅、右近の橘」(平安前期に梅は桜に変わられる)
なんてのも有り、国風文化といわれる平安時代も奈良時代と比べればそうなのであって陰陽道の広まりとか
やはり外来要素の定着が見られます。
橘は「日本書紀」で田道間守(たじまもり)が「常世の国」へ行き持ち帰ったとあります。そしてこの常世の国
と言うのは道教の仙境の倭的表現だろうと言われてますね。この常世が仙境だとすると重大な問題が出ます。
それは伊勢祭祀に関ります。機会があればまた。
橘姓は藤原 不比等の妻の県犬養 美智代が賜ったんでしたかね。そして家紋とした。私は実は藤原氏は
鎌足以後は渡来系化も知れないなどと思っています。物部 守屋に唯一味方したのが中臣 勝海で、一度
滅んだらしい。「大鏡」には鎌足は常陸の出だと書いてある。なんか怪しいんですよ。
それはともかく、橘を通して奈良・平安期の貴人の道教趣味の一端を見る事も出来ないでしょうか。
>>706 <その後を聖徳太子が所領にしたのでしたっけ?
そうですね。一応守屋の妹辺りが蘇我 馬子の妻で遺領は蘇我の物となったとも言われては居ます。しかし
厩戸皇子が斑鳩等やたらと土地を持っているのも妙な話で、詰り彼の土地と言うのはそれまで物部領だった
所が多いのかもしれませんね。
<狐と道教の関わり
私は取り合えず、道教の占星術から狐を含む狗を天の使いと考える観念があり(実はあるかどうか存じ
ませんがあるとして)暦法に堪能だった安倍 清明の母が狐、と言う説話が出来たのかなと。その舞台が
和泉の信太ですから和泉にも占星術の伝統があったのかなと思ったんですよ。しかし改めて考えてみると
狐は佛教の荼岐尼天と同一視されますね。これは女神で人の寿命を司る。詰り暦法と接点ありです。母は勿論
女ですからこちら起源の説話かもしれません。ただこれがまた道教に取り込まれて伝わったのかもしれない。