新欧州史(24)
ナポレオン戦争中、南米の各植民地では本国のしばりが弱まったため、コロンビア連邦やイングランド、一部はロシアの支援
を受け、独立を果たした。
それぞれ、ロマンシアから独立したフロリダ共和国やマヤ共和国(ユカタン半島・グアテマラ)等中央アメリカ諸国、カスティ
リアから独立したフィリピン共和国(グランコロンビア)、ペルー共和国、ボリビア共和国、チリ共和国(本来の北部と中部)、
ブルゴーニュから独立したガイアナ共和国(ガイアナ+スリナム+仏領ギニア)、ガリシアから独立したブラジル帝国(ブラジル
北部・中部)、イタリアから独立したパラナ共和国(ブラジル南部)、サヴォアから独立したラプラタ共和国(アルゼンチン北部+
パラグアイ+ウルグアイ)、ケルトから独立したパタゴニア共和国となっている。
南北アメリカに残された植民地は、小さな離島を除いてはロシアの西アメリカとイングランドのヴァージニアのみとなった。
独立を果たした中南米諸国であったが財政的にコロンビア連邦やイングランド、ブルゴーニュに依存することとなり、3国の
重要な市場となる。
新欧州史(25)
ロマンシア大革命がヨーロッパ各地に伝えた国民主義と民主主義の思想は、各国の王権を激しく揺さぶることとなる。
各地で民主化を求める暴動が頻発し、ミュンヘン体制を揺さぶった。
この流れは、英領フランスにおいては激しい独立運動に発展する。
ミュンヘン会議の結果、ブルゴーニュ領となっていたシャンパーニュ地方は、もともとフランス国王戴冠の地であるランスを
抱える等、最もフランス人としての意識が強い地域であった。
(かつてジャンヌ・ダルクという大規模な反乱の煽動者を生んだのも、この地域特有の風潮のせいもあったとされる)
まず、このシャンパーニュで独立を求める過激な行動が頻発するようになった。
それに手を焼いたブルゴーニュは、まだこの地域に大した利権も愛着も持っていなかったため、独立を認める方向で動いていた。
これに慌てふためいたのが、イングランドであった。
シャンパーニュに独立などされたら、もはやイングランドの半身とでもいえる英領フランスの独立運動を煽ることは明白であり、
ブルゴーニュに対しシャンパーニュの独立を阻止するよう求めた。
そこで、イングランドとの関係を重視したブルゴーニュは、シャンパーニュ独立を認めないよう方針を転換した。
しかし、方針を翻されたシャンパーニュの独立運動家は運動を一層過激化させ、ブルゴーニュの首都ブリュッセルで組織的テロ
リズムの草分けとでもいうべき無差別殺戮を繰り返し、多くの被害を出した。
新欧州史(26)
フランス系住民がある程度発言力を持っていたアヴァロン合衆国から、独立を認めるよう圧力をかけられたブルゴーニュでは、
イングランドに対し、シャンパーニュ地方を格安で売却する旨を申し入れた。
イングランドはこれを受け入れ、英領フランスはナポレオン戦争以前の領土を取り戻したわけだが、シャンパーニュの独立運動
が英領フランス全体に拡大し、テロの標的がブリュッセルから、ロンドンあるいは英領フランスでもイングランド系住民が多数
居住するルアーブルやカレーへと移る等、イングランドにとっては状況はより悪化した。
なお、現在のフランス人に、ブルゴーニュがイングランドに次いで嫌われる理由は、ブルゴーニュの繁栄に対する嫉妬とは別に、
シャンパーニュ売却が時代錯誤の植民地主義の表れ、と解されていることもある。
こうした中、イングランドは、ヴァージニアと並びフランスの自治領化を認めた。
ただし、イングランドの国祖ノルマンディー公ウィリアムの根拠地であり、イングランド系住民が比較的多かった両ノルマン
ディー地方と自治都市カレーがイングランドの領土に残されたため、後々まで遺恨を残すこととなる。
自治領では満足できなかったフランス民衆は、すぐさま独立宣言を発し、フランス共和国が建国された。
ドイツ国民主義の広まるブランデンブルク王国は、バイエルン王国を同盟に引き入れ、ザクセン王国に侵入する。
ザクセンはブルゴーニュやポーランドに支援を求めたが、ブランデンブルクがフランス・ロシア・イングランドに好意的中立を
約させ、ブルゴーニュ・ポーランド包囲網を形成したため本格的な支援に乗り出せず、小規模な部隊を送ってはブランデンブルク
軍に撃破されるということを繰り返し、ザクセン王国はブランデンブルクに併合されてしまう。
ザクセンの他にもブルゴーニュの後ろ盾があり独立を維持していたハンブルク、リューベックをも併合したブランデンブルク王は、
ドイツ皇帝を名乗るようになり、ドイツ帝国が建国された。
hosyu
605 :
世界@名無史さん:02/10/05 13:40
あげ保守
606 :
世界@名無史さん:02/10/08 04:37
ほっしゅ
大日本共和国列伝
1940年、世界は二つの陣営の対立のさなかであった。
一つは、日英仏露四カ国軍事同盟を主軸に大韓帝国、中華民国、オランダ王国などを加えた
連合国側。
もう一つは、米独伊に東欧諸国、フィンランド、トルコなどを加えた枢軸国。
ヴェルサイユ条約以後、形づくられた、この構図は30年代に、ナチスドイツの台頭
アメリカによる満州事変、それに伴った蒋介石の失脚、汪兆銘の総統就任などによって
日に日に悪化し、そして1940年、ポーランドとの防共協定を正式な軍事同盟へと
発展させ背後を固めた、ドイツ帝国総統アドルフ=ヒトラーはフランスに対して宣戦布告
電撃作戦を敢行した。これに対してフランスと同盟関係にあった大英帝国首相サー=ウィンストン
=チャーチル、ロシア共和国連邦大統領アレクサンドル=A=クラスノシチョーコフ、
大日本共和国大統領近衛文麿らはドイツに対して宣戦布告を通達、これから五年に渡る
第二次世界大戦の開戦であった。
南部十四年式光線銃への考察
今は亡き大日本帝国が、世界に残した数少ない技術体系の産物で、
光線兵器について世界をリードする、イギリスすら驚いた「拳銃」だ。
二十世紀初頭に起きた、イギリスへの「宇宙人侵略」のさい、突入角度の違いから、
一基の「突入艇」が、日本帝国領九州に落下、この「宇宙人達」は細菌感染により、
死滅したが、「突入艇」「三脚歩行戦車」と共に「光線兵器」は残された、恐らくその産物であろう。
この「拳銃」の凄さは、その小ささ・威力である(イギリスにおいて、最初に開発成功したのは、
余りにも巨大で尚且つ、発電設備の必要な「大砲」であった)。
その秘密は、ある日本人科学者が「増幅装置」の解明に成功したからである(イギリスでは、増幅装置の解析中に暴走し、
研究所ごと消滅していた)。
その威力は、一撃で重戦車を粉砕するほどで、量産化が進んでいなかったのだけが、わがアメリカにとって、
幸いであった(戦争末期に我等を苦しめた、十五サンチ高射光線砲も配備が遅れていた)。
ただ、海だけは日本海軍戦艦に苦しみ続けた、特に十八インチ光線砲装備戦艦「大和」には、
アメリカが作った戦艦の十%近くを沈没させられたのだ。
そう、我々は奇跡的に勝った、潜水艦(光線砲は水中では激しく減衰するため)と、
被害を気にせず挑んだ、勇気あるパイロット達のおかげで。
大日本帝国は空襲と潜水艦による通商破壊により、中世以前の国家に転落した、もう二度と世界平和を乱せぬよう、
日本は農業国家としてだけ、存続を許され現在(2024年)にいたっている。
609 :
世界@名無史さん:02/10/10 01:36
誰か460KB越えた時点で次スレ立ててね。500KB越えると書きこめなくなるよ。
信長物・閑話休題・京都守護職と寺社奉行の分離について。
現在、日ノ本にある全ての宗教を管理する「寺社奉行」と、
京・内裏禁護役の「京都守護職」の分離は、織田家による初代守護職・村井春長軒の代から始まっている。
その理由は、本願寺衆徒との戦に求められる。
庶民を救う筈の宗教が、財を尽くし民を煽り、自らは戦わず、天下を荒す僧侶たちを、信長が嫌っていたからだ。
春長軒老は京の政務の他に、朝廷との折衝、京に本山を構える宗派の監視もしていた事になる。
(信長がキリスト教に好意的だったのは、仏教勢力に対する牽制と、宣教師達の利権を求めぬ姿勢からだろう。
その証拠に晩年、利権を求める宣教師達を大勢、本朝から追放している)
宗教監視を補佐したのが、松永弾正久秀と興福寺住職・筒井順慶の二人である。
この二人、双方が激しい怒りを抱えていた為、しばしば小競合いが生じている。
原因は、大和国の領地争いだった、筒井氏は順慶の父・順昭代に大和支配に成功しかけたが、
順昭が27歳で没したのでわずか2才で順慶が家を継ぐが、
当時三好方であった久秀により瞬く間に領土を切取られ、一時は滅びる寸前であった。
が、織田信長の最初の上洛時に、順慶がいち早く帰順、領土を安堵された為、久秀の大和支配は成らなかった。
信長物・閑話休題・京都守護職と寺社奉行の分離について2。
双方とも、帰順後も事有る毎に対立したため、海外遠征もせず、遠国への赴任もなかった。
信長が双方に科した、「寺社奉行」最初の仕事が、寺社の武力剥奪である。
理由としては信長の有名な「”民の救わん”と称する教えが、兵を雇い・財を凝らし・現し世の権勢を求むるは、
自らの教えを信じぬ故か?、その様な教えならば要らぬ、滅ぼしてしまえ」と言う詞に集約されている。
(尤も、滅ぼさぬ条件として、僧兵の退去・貧民救済・医療の無料提供・改宗の強制の禁止等厳しい物だった、
ただ、僧侶達も然る者、診療所での勧誘・寺子屋での早期信徒確保なぞをして、勢力を保っていた、
こんにち、本朝での宗教系医院・学校の多さはココに起因している)
つまり、日ノ本に宗教的な騒乱が、たいして無いのも京都所司代宗務掛をしていた、
この二人の仕事が如何に完全であったのかを、証明している。
(筆者は二人の仲裁をしていた、春長軒老の努力に感謝している、殺し合いにまで発展した事も有る”喧嘩”の仲裁を、
多忙な仕事の合間にしていたからだ)
613 :
大日本帝國崩壊:02/10/21 02:17
第四章序章 内戦前夜
昭和7年正月。
異星人との接触は、世界を揺るがした。
しかし、何故それが世界に漏れたのか、それは定かではない。
一説にはゾルゲ団の仕業だとも言うし、一説には力を失う事を恐れ、発狂した大川周明の仕業だとも言われている。
いずれにせよ、大日本帝國は大きく方向を変えていった。
ローマ=カトリック本山は大日本帝國を「野蛮の徒からキリストが産まれるわけがない」と罵りつつも「異星人」という概念をしっかりと理解しており、この点は歴史学者の間での謎とされている。
ともあれ、一部の人種差別主義者を除き(もっとも、白人のほとんどは依然として自然的人種差別主義者であったが)、世界が日本に注視していた。
さて、その後の一ヶ月に起きた事は、この地球に住む物なら誰もが知っている、「転回の1ヶ月」である。
日本は関東軍を縮小した。また、梅屋庄吉を中国に派遣して孫文、またその後継者達と交渉を行い
日中危機を回避した。
しかし、果たせるかな、国内では「日清・日露の血と汗と涙の謝罪と賠償を(以下略」という怒号が飛び交い内閣が崩壊・首相が暗殺未遂されつづけるという事態が起きた。
さらに同時に縮小が決定された関東軍で公然と内乱が発生した。
満州国の建国こそまだであったものの、既に関東軍は実質的に軍閥と化していた。
また、混乱に乗じてソ連がソ満国境に終結していた。
天皇は当然のように「ご出馬」されるかに見えた。
が、しかし。
614 :
大日本帝國崩壊:02/10/21 02:17
天皇は憲法を停止した。人々の希望の込められた憲法。
亜細亜で初めての立憲君主国家としての誇り。
その上で歴史に残る施策を行った。「天皇領の分配」である。
実質的に公地公民制の復活といっても良かった。
そのうえで、「地主制度解体」を発令したのである。
そして、その上で声明を表明したのである。
「この国はこれで終わるかもしれない。しかし、名を惜しんで身を滅ぼすよりは、協力してくれる者だけ日本に帰って来れば良い。それでも手向かう者は賊軍としよう」と。
賊軍。この汚名を着たが為に辛酸を嘗め尽くした者、その家族、それらは軍には多かった。
しかし、同時に思うのであった。「君側の奸を斬れ」と。
そして、2月26日。「2・26内戦」が起こったのである。
616 :
世界@名無史さん:02/10/29 18:26
617 :
世界@名無史さん:02/11/07 04:31
ほしゅりあげ
621 :
世界@名無史さん:02/12/05 18:01
hosyuhosyu
保守
623 :
世界@名無史さん:02/12/16 20:16
bosyu
捕手シュ
kuuusss
626 :
世界@名無史さん:03/01/07 06:16
age
627 :
世界@名無史さん:03/01/08 20:51
ほし
ageなくていいよ
(^^)
保守
631 :
世界@名無史さん:03/01/28 14:52
メインタンクブロー!
hosyu
633 :
大日本帝國崩壊:03/02/13 02:53
第四章 2・26内戦
壱ヶ月以内の帰属決断。これが天皇から帝國臣民へ渡された「踏絵」であった。
それから壱ヶ月。
発端は些細な出来事であった。税制の劇的な改革に伴い、「食える人々」が増えた。
それは即ち「旧陸海軍」がその力を失った等かった。
何故ならば「飢えへの恐怖」「ロシアの恐怖」が民衆の頭を占めていたからである。
2・26内戦。一般には、第二次日露戦争とも呼ばれるこの戦争は一部の扇動による朝鮮独立運動が
発端であった。
昭和帝は併合状態であるとは言え、大本営や提督、将官クラスにすら旧韓国籍臣民が居る状況であった
為に、朝鮮の状況が把握できていなかったと言われる。
昭和7年2月26日。京城及び長春にて関東軍蜂起。
長春を首都とする満州朝鮮合衆帝国の樹立を宣言。
既に朝敵となった身の関東軍にしてみれば怖い者は何も無かった、そう、ソ連を除いては。
国際連盟は日本を責めたが日本代表は
「逆賊の徒」つまり犯罪者の起した不逞行為として弁明し逆に民族自決を訴え
国としては体を為しえず、捨て身の注進に来たはずの旧大韓帝國代表が号泣するほど堂々と反対演説を行った。
634 :
世界@名無史さん:03/02/28 01:00
あげる
635 :
世界@名無史さん:03/03/05 10:31
19世紀後半、カナダのケベックでフランス系住民による独立戦争が勃発、これに呼応し、メキシコ出兵などで声望を落としていたナポレオン3世はやけを起こして(と誰もが判断した)イギリスとの抗争を決意。
アジアで、アフリカで、中東で第三次英仏百年戦争と呼ばれることになる長期的な戦闘が行われ、これは普、露、墺、西、葡、蘭などの元列強、あるいは新興国の野望を呼び起こして第一次世界大戦へとつながる。
一方南北戦争の終結によりナショナリズムの再形成が至上の命題となっていたアメリカ合衆国。
ケベックの独立に危機感を抱いたニューファンドランドなどのカナダ東南部諸州の併合要請に応じ、
また本国の対応に不信感を抱いた他のカナダ諸州やカリブ諸植民地を併合した。
そして独裁政権に倦んでいたメキシコ、中央アメリカ連邦、コロンビア共和国といった中南米の諸国も星条旗の下に集い、
ヨーロッパで第一次世界大戦が死者と国債以外に何も生み出さずに終結した時には北はアラスカ、グリーンランド、南はかつての大コロンビア共和国にいたる、南北両アメリカ大陸の2/3ほどを版図に収めた史上最大の民主主義国家ができていた。
636 :
世界@名無史さん:03/03/05 12:26
>>635 そこで問題となったのが星条旗の星をどうするか、であった。
USA 48
カナダ 10+2
メキシコ 32
旧中米連邦 5
ベネズエラ 24+72
コロンビア 33
エクアドル 21
ギアナ植民地 3
カリブ諸領 13
その他 20 合計 283
どうデザインしても50が限度の星の数をどのようにするか大もめに揉め、
一旦は小星10を大星で表現することで落ち着いたが、
準州や保護領を数えない原則に対して反発がおき、
決着はまたしても先送りとなった。
637 :
世界@名無史さん:03/03/05 16:07
>636
でかすぎる国だな……反応兵器がたった一発首都に落とされただけで四分五裂しそう。
>637
いや、ソレより教育とか国防とかの心配が、先だと思う。
私には、連邦政府が国軍維持費で沈んで行くような・・・・?。
州知事に州内限定で全権委任しても、大統領の仕事量も半端じゃなさそうですよ。
ただ、コンだけ大きければ、殆ど国内で全ては完結しそうですが。
かくしてアメリカ合州国は自他共に認める世界最大最強の国となった。
しかし、その内実は無数の民族・宗教の寄り合い所帯であるめ、大統領当選者の獲得票数が毎度の如く過半数をわずかに超えるだけという不安定な政体であった。
無理やりにでも中央集権をとるか、あるいは地方分権をすすめるか。
独立当初の論争が再び上がってきていた。
しかし前者は先の理由により難しく、後者は合州国の解体につながる。
かくして停滞した政治が進むこととなった。
結果、大恐慌が起こった時には社会主義者も入り乱れて内戦勃発の危機があった。
それを収めたのはルーズベルト大統領である。
彼は持ち前の力量と、幸運にも助けられて経済的・社会的混乱を収束に向かわせた。
そしてその過程で彼はドクトリンを打ち出すことになる。
それは外敵による国内意志の統合という古典的な手法だった。
合州国の脅威となる国は幾らでもいた。
戦争中ふんだんに血をすすった相手である英仏とは表向きは手を結びつつも決して心を許すことが出来ず、
ソ連は革命の有力な輸出先として合州国をにらんでいる。
太平洋を挟んだ日本とはハワイ王国の宗主権をめぐって争い、
南米諸国は合州国内の拡大論者にはっきりと敵意を抱いている。
そしてドイツはその南米に手を伸ばそうとしている。
640 :
世界@名無史さん:03/03/15 17:36
あげ
641 :
世界@名無史さん:03/03/15 17:58
合州国は、安い外国人労働者をあまり得られなくなるわけだが、どうするのだろう?
国内に大きな経済格差を作って貧民州から安い労働者を得るか
あるいは他の大陸から労働者を入れるか
それとも他に手があるのか
ソロソロ捕手
もう一回ほしゅ
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
646 :
世界@名無史さん:03/05/10 16:30
続編キボンヌ〜
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
652 :
大日本帝國崩壊。:03/07/11 16:40
さて、2・26内戦が発生した最大の原因は「一ヶ月以内の帰属」という無理な
スケジュールであったといわれている。
また、内地民・外地民に関わらず、貴族への投票兼を見とめたためとも言われている。
情報が伝わらないうちに帰属を迫られたために現地民の不満の多かった北部朝鮮では一も二も無く
賛成した、といわれているが、これは後付けで、関東軍の支配する北部朝鮮で旧日本帝國住民から接収した土地を
現地民に大盤振る舞いしたためである。
そして、この時に発生した略奪の数々に昭和帝は激怒した。
そこで旧大韓帝国籍の陸軍少将に命じ、北部朝鮮解放作戦を決行したのである。
北緯38度線にて、戦闘に入った第7管区方面軍と関東軍であったが防戦する関東軍に悲劇が起きた。
ソ連の侵攻である。
関東軍は自分たちが 対ソ連舞台であることはわかっていたが、同時に半島南部からも攻められた時の
事態までは想定はしていなかったのである。
関東軍は総崩れとなり、38度線にまで追い詰められた。
国際連盟日本代表は関東軍の非を責めた上で訴えた。「ソ連は侵略者だ」と。
また民族自決主義に基づいて韓国をっ独立自治英国にする意思の有ることも表明した。
また、アメリカに対しては、満州国解放後に、貿易への参画を条件として、日本・中国国民党・中国共産党の
仲介の労を頼む密約を交わした。
これが石井・ランシング協定である。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
655 :
大日本帝國崩壊。:03/07/18 03:38
この、第弐次石井ランシング協定には、いくつかの重大な約束が取り交わされていた。
1.人種平等原則
2.門戸開放原則
3.民族自決意見尊重原則
4.貿易相手国育成義務
である。
これは重大な意味を持った。
一言で言えば「収奪されるだけの植民地を持つ国は信頼できない」という世界的な枠組を
作るきっかけとなったからである。
共存共栄。まさに、この為に日米は手を組んだのである。
かくして、米国はソ連に対し、宣戦布告を行うことは無いものの、コングロマリットを背景とした義勇軍と
作家達による中国民衆を救うための、戦いと称されたアジア戦争が切って落とされたのである。
これにより、一時的に暴落するかに見えたアメリカ株価は逆に急騰。
ドイツにおいては債務返済がスムーズに進みナチスは支持を失い、イタリアへと逃れた。
当時、最前線に、あるソ連兵が存在した。
その男は、後に「もっとも有名な一平卒」と呼ばれるようになるトロツキーである。
彼は単独で白旗を掲げ、中国共産党部隊に投降してきた。
失脚後、シベリアに配流れていたところ、突撃命令が下ったのだという。
中国共産党がこれを利用しないわけが無かった。国民党との交渉材料、そして一発大逆転のための
布石とするためであった。
657 :
世界@名無史さん:03/07/31 04:11
age
あるひ おだのぶながは かみのちからをみにつけました
のぶながあろーは ちょうおんぱです。
のぶながいやーは よくきこえます。
のぶながうぃんぐは そらをとびます。
のぶながびーむは ねつこうせんです。
かみのちからをみにつけたのぶながは
たわむれに ひでよしにのぶながあろーをはなちました。
のぶながあろーは ひでよいのみけんにめいちゅうし
ひでよしはそくししました。
そのしがあまりにもとうとつで はやかったせいでしょうか
ひでよしのしにがおは のぶながへのあいにみちあふれていました。
のぶながはそのかおをいとしいとおもい
そのごのてんかとういつの おおいなるはげみとしたのでした。
ひでよいってなによ?教えてデビルマン。
660 :
世界@名無史さん:03/08/22 02:04
cominng soon
大日本帝國崩壊。第1部 終章 同床異夢
1.いくつかの結末
2.無数の時空
3.日満ソ国共、停戦
4.大活況時代
661 :
世界@名無史さん:03/10/06 17:02
沈船サルベージage
662 :
世界@名無史さん:03/11/04 11:07
木下家の末裔が22世紀から送り込み、
徳川家の覇権を未然に葬り、
幼君秀頼を補佐する大任を命じたロボット・・・
ドラミネーター
対する徳川家側が送り込んだ
T(トクガワ)−1000型
の死闘が今、慶長の道頓堀で始まる・・・・
「わしゃすぐ戻るだぎゃ(方言翻訳ソフト不備)」
だめか・・・
663 :
世界@名無史さん:03/12/03 22:08
豊臣・徳川・伊達・島津など東西の争いが関が原戦場で続きついでに世界中が参戦、遂には
日本発世界大戦となったわけだが、これは結果として白人史上主義を潰えさせる事となった。
1900年代に入り「関が原の壁」が建設されるに至り、東西の国家分裂は決定的となった。
しかし、同時に、この徳川・豊臣の2国家は対外戦争を行わないのが特徴的であった。
一方で伊達家は津軽から蝦夷・アラスカまで制覇し、北アメリカ一帯を先住民等と共に白人との
派遣をかけて争う一大勢力に成長した。
これは漁夫の利を狙った「明智光秀=天海が日本を制覇した世界」から送りこまれた最強の刺客に対抗して
ドラミネーターやT−1000が共同してこれに立ち向かい、結果として救ってしまった信長の処遇に困って
伊達家に押し付けた為と言われている。
やっぱ苦しい。
664 :
世界@名無史さん:03/12/16 08:07
日露戦争でロシアが勝っていたらどうなっただろう?
665 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/12/21 21:52
>>664 架空戦記でいくつかあります。
中立国になって繁栄しているのもありますが、たいていはロシアの属国になってます。
あ、西郷総理の元でシベリアまで手に入れるのもあったか…。
ロシアの属国になって皇女アナスタシアに萌えるのも良いかも。
ロシア革命が起こってオリガ、タチアナ、マリア、アナスタシアの四人姉妹だけが助かって日本に逃げてくんの。アレクセイはどうでもいいや。
んで彼女達に萌えつつソビエトと戦争。
667 :
世界@名無史さん:03/12/22 00:37
>>665 日本独立戦争が結構よかったが学研が撤退しちゃったからなあ・・・
>>666 確か覇王の軍がそういう設定だったような・・・
668 :
世界@名無史さん:03/12/22 01:33
秀吉が朝鮮出兵中に死なず、明の反撃によって日本軍撤退。
明の日本上陸を恐れた秀吉は武士の鉄砲の訓練を奨励する。
徳川の200年の鎖国中、武士の象徴となった鉄砲は
ひたすら射程の増大と精度の向上が図られ、
鉄砲の腕と短筒の早撃ちこそが武士の誉れとされる。
19世紀、ペリー来航によって開国を余儀なくされた日本だったが、
日本の鉄砲は射程と精度においてヨーロッパのそれを凌いでおり、
生麦事件によって上陸したイギリス軍海兵隊を撃破することになる。
この結果欧米各国は対等な貿易関係を結ぶ事になるが、
輸入超過によって財政破綻寸前に陥った幕府は、
外貨獲得の手段として、傭兵としての武士の貸し出しを行う。
これ以後、世界各地の戦場で武士は優秀な狙撃兵として、
又は要人のボディーガードとして活躍を始めることになる。
色々と無理有りすぎだな。
>668
鎖国中積極的に銃火器の情報の収集と新型銃の導入を行ってた方がマシかと。
第一射程延長に不可欠なライフルがそれでは発明されないぞ。
670 :
世界@名無史さん:03/12/29 12:39
鎖国といっても、琉球・朝鮮・清・明とは貿易してたわけだから、琉球を薩摩が直轄化せず、
琉球を通して短筒を明に輸出することでボロ儲け、イスラム系商人や台湾の明商人と共同して
ライフル開発・・・・
荒唐無稽かな。
671 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :03/12/31 12:11
>>666 「帝国海軍の陰謀(若櫻木健)」が近いかと。
アイヌ人工作員が彼女らを「誘拐」して、沿海州にアムール帝国を建国…。
霧島那智な人達の中ではよいできかと。
672 :
世界@名無史さん:03/12/31 15:25
if日本の近代化が失敗したら
迫りくる薩長連合軍に対し、徳川幕府は徹底抗戦を表明、ロッシュ公使を通じてナポレオン・フランスに軍事援助を要請した。
これを受け薩長側も、朝廷を何とか説き伏せて英国の援助を受けるようにした。
英仏は日本の頭上で折衝し、日本の分割植民地化まで話をまとめた後、日本の内戦を長引かせて利権を吸い取り合うことで妥協する。
こうして日本は、悲願の近代化を遂げることなく10数年間の凄惨な内戦に膨大な資金・人員を投じることになってしまう。
結局、普仏戦争の敗北によりフランスが手を引くことで薩長側が勝利することになったが、
もはや英国の植民地化というとりかえのつかない事態を迎えていた。
数年後に旧武士階級が英国の保護下にあった皇室を持ち出しての大規模な反乱が起こったが、英国軍の圧倒的な火力、
またいまだ絶えなかった武士階級間の地域感情・階級的対立により反乱は鎮圧され、2000年の歴史を持つ皇室は廃絶されることとなった。
ロシアの樺太・千島・蝦夷占領、米国の伊豆諸島領有といったつまみ食いもあった。
ロシアは対馬にも何度か食指を伸ばしたが、イギリスはこれを断固として拒絶、
また津軽海峡のロシア軍艦船通行に対しても制限を課し、ロシアの南下を防ごうとする。
英国はやがて、対馬海峡を封鎖する戦略のために朝鮮国にも開国要求を行った。
しかし朝鮮の宗主国である清国はこれを中華に対する侮辱、またアヘン戦争の復讐戦ととらえて宣戦を布告した。
この清・朝鮮対英国という構図をとった第一次極東戦争は、(朝鮮半島を舞台に陸上戦が主体になったこともアヘン戦争とはいくらか異なるが)
こともあろうに英国が撤退を強いられると言う、世界最強国の事実上の敗北という結果を招く。
英国は敗因を陸上兵力の不足と判断、インドのセポイに習い、日本人傭兵をイギリス軍の部隊として編成することにした。
再び行われた第二次極東戦争では、日本人部隊、旧武士階級の子弟で構成された部隊が活躍を見せ、清・朝に対し圧倒的な勝利を収めた。
敗北した清・朝鮮両国はたちまちに列強の植民地化の洗礼を受け、こうして東アジア諸国は19世紀末以来数十年にわたる暗黒の植民地時代を送ることになった
その決定的な引き金が東アジア諸国の一員であるべき日本人傭兵の活躍にあるというのはまったくの歴史の皮肉である。。。
ウホッ続きお願い。イギリスに対するレジスタンスとか独立戦争とかなったら萌える。
674 :
別の板でもやったが:04/01/01 09:16
創価学会が幕末にできていたら世界の歴史はかわってると思う
多分大正には公明党政権ができ、いまごろは欧米もこーせんるふしてるとおもうのですが。
675 :
世界@名無史さん:04/01/02 16:40
創価学会はね、池田以降と池田前で完全に違う組織だから、もしも幕末に現在の形に
進化していたら(元々は法華講)、池田が付け入る隙が無くて、もっと健全な団体になってたと思うよ。
676 :
世界@名無史さん:04/01/03 02:50
ええじゃないか人口を信者に取り込み、世直しメシアニズム色を強めて巨大化するとかw
677 :
世界@名無史さん:04/01/03 13:56
if日本が近代化に失敗してイギリスあたりに半植民地化されたら
日本を獲得したイギリスは朝鮮の保護国化、清からの領土割譲(台湾等)、遼東半島租借、なども成果とした。
そして満州に勢力を伸ばしていたロシアとの対立を深めた。
津軽海峡、朝満国境から中央アジア、ペルシアに至る英露の勢力争い、いわゆるグレート・ゲームは一触即発の雰囲気を漂わせていた。
英露が争えば漁夫の利を狙うのがフランス、そしてプロイセン改めドイツ帝国である。
彼らは英露の対立を煽るため、分が少ない方であるロシアの立場に立った政策が多くなった。
しかし独墺はロシアとバルカン半島で争い、独仏もまたアルザス・ロレーヌ問題を抱えていた。
列強間の亀裂はますます深くなっていったが、決定的対立をもたらすにはいたらず、世界は運命の1914年を迎えた。
このとき英仏協商、露仏同盟は結ばれていたが英露協商はたびたびの外交努力も実を結ばず成立していなかった。
しかし現実の必要性から戦争中に三国協商が締結された。
開戦後、陸上戦では西部戦線は膠着状態、東部戦線はドイツの圧倒的優勢となった。
一方海上戦では一気に勝利をつけるべく、英露の連合艦隊がドイツ艦隊を急襲した。(当然日露戦争などなかったため露太平洋艦隊もバルチック艦隊も健在)
ドイツ艦隊はわずかに通商破壊艦が逃れたに過ぎず、主力艦隊は艦隊決戦に敗北して全滅の憂き目に遭ってしまった。
そして英露連合艦隊は圧倒的な海上優勢の元、海上封鎖作戦、港湾都市の戦略艦砲射撃を行い……ドイツの戦時経済は数ヶ月にして崩壊、
陸上戦においてもドイツ軍の士気の低下を招いてドイツ帝国の敗北となった。
この機を逃さず参戦したイタリアの力もあり、オーストリア・ハンガリーも敗北を認め、いまだ余力を残していたオスマン・トルコ帝国は連合国の袋叩きにあった。
1915年初頭に開かれたヴェルサイユ講和会議では独墺の条件付講和が結ばれ、また最後まで抵抗したトルコは英仏露列強に蚕食されることになった。
しかし新たな火種はオーストリアで起こった。
ルーマニアやセルビア、イタリア等にむざむざと領土を削られた二重帝国政府をまずハンガリーが見限り、
チェコ、スロバキアといった諸民族も独立を宣言したのだ。
678 :
世界@名無史さん:04/01/03 15:55
アメリゴヴェスプッチ
679 :
ふるさとはオリーブとうどんの地:04/01/03 22:22
日本は英仏に分割統治される
韓国はロシアの植民地
中国は列強が分割
故郷は西日本の親藩だったので
ウチの姓は英語でかいてフランス読み
おれはジャンジャックウシャダなんて名だっただろうな
680 :
ふるさとはオリーブとうどんの地:04/01/03 22:23
それは明治維新に日本が失敗したときのお話
681 :
世界@名無史さん:04/01/03 22:24
>677
単に、近代日本の役割をイギリスに押し付けただけじゃねーか。
682 :
世界@名無史さん:04/01/03 23:00
何を言おうと、書いたという事実が大切。
条件を変えるケーススタディとはそーゆーもんだ。
683 :
世界@名無史さん:04/01/03 23:44
(日露戦争当時)世界第二位とも言われたロシア海軍が健在であっても、第一次世界大戦の戦況に役立つとは思えないのだが……。
684 :
世界@名無史さん:04/01/04 00:38
第一次世界大戦が欧州だけにとどまるならば、艦砲射撃で席捲した可能性はあるけどな>ロシア海軍
685 :
世界@名無史さん:04/01/29 18:33
あのまま第一次大戦後も露・墺・土大帝国が続いていたら面白そうだったろうな・・・
黒海北岸の穀倉地帯を手中に収めんとアウグストゥスは20万のローマ軍を東へ進軍させた・・・
「皇帝が東へ向かえば死ぬ」と予言したイエスの首には新征服地・ダキアの領主の懸賞が懸けられた。
スキティアの地でローマ将兵を待っていたのは黄金の山でも豊穣なる大地でもなく
焦土と化した荒野と破壊され尽くした街の残骸とローマ植民者の惨殺死体であった・・・
史上最大最悪と言われたローマとスキタイの攻防戦の幕開けである・・・
sage
688 :
世界@名無史さん:04/02/16 09:32
>696
史実ではサルマタイも滅んだ後になるっけ?
まあいいとしよう、続き進めてちょ
hage
690 :
世界@名無史さん:04/03/25 20:37
秀吉が、堺商人の助言等でもう少し国際感覚を身につけていたら。
秀吉はイスパニアと手を結び、対明戦争を開始した。
西国の大名を主力とする日本軍はイスパニアの輸送船によるピストン輸送で東シナ海を横断した。
イスパニアの新兵器と新戦術、日本の人的資源を有機的に活用した連合軍は快進撃、南京を陥落せしめる。
しかし相次ぐ中国人民のゲリラ的活動、明軍の物量作戦によりそこが攻勢限界点となった。
しばしこう着状態が続いた後、講和条約を結ぶことになった。
すなわち日西両軍の明国土からの撤退、日西明の限定貿易の開始、日西両国が明、朝鮮の幾つかの港湾都市で租界を持つことなどであった。
これは血を流して領土を勝ち得た、という認識がある武将達にとっては不満のあるものだった。
しかしこれは本国での事態の急変(無敵艦隊の敗北)という急報が届いたイスパニア代表の意向によって締結された。
かくして秀吉の対明戦争は一応の(政治的)目的は果たしたが、国内の(国際情勢をわきまえない)武将達からは不満の多い結果となった。
そして勝手に明国と外交を行った、ということで朝廷の対秀吉感情も険悪なものとなった。
一応述べておくと
天下統一→1590年 朝鮮出兵→1592年 無敵艦隊敗北→1588年
692 :
世界@名無史さん:04/03/30 06:28
とある個人の流転<1>
以下に述べる物語は全ては電波と片付けられるかもしれないし、全てが真実かもしれない。
全ては、あと数百年経たないと分からないことである。
1.温暖化・海面上昇した世界
私は、その世界では、日本連邦九州府の実家で豊前神楽を教えていた。
残念ながら、其の時点で海面上昇によって多くの国々が海中に没し、東京もまた、海面下に消えていた。
そんな中、私は自らの長年の夢を実現した。
時空ドライブの開発。
早速私は、全世界に連絡をとり、「ダメで元々、イチかバチかにかけて、この絶望的な世界を変えてみよう」と
時空ドライブを始動した。
<2> 終わる銀河系
私が次に目が覚めたのは、1984年〜5年頃の、首吊り死体の前だった。
私はピンときた。
私の居た歴史の流れでは、目の前に居る自殺体=幼い頃によく面倒を見てくれた女性は自殺などしていない。
私は時空実験に失敗したのだと悟った。
時間実験に失敗して、多くの人間の意識が時間を遡行して過去の時間の流れにある、平行世界の自分の身体
に宿る。
これは何と不幸な事だろうか。
この世界では、核戦争が起きた。
第三次世界大戦である。
この世界では私は、軍に捕まって幾つかの精神に引き裂かれた挙句、千々に細分化されながら多くの世界へと
旅立つ羽目になった。
693 :
世界@名無史さん:04/03/30 06:44
<2>の終わる銀河系の世界と<2>の内の世の世界は別の世界だった・・・
終わる銀河系・・・銀河が収縮を始めるか何かで、人類は地球ごと移住する事になった・・・
すして、私達は、どうしても、時空ドライブを必要とした。
私は、迷わず、再び、知識を掻き集め、思い出し、スイッチを,入れた。
そして、先に述べたような経路を辿り、また別の世界へと出たのである。
694 :
世界@名無史さん:04/03/30 06:44
<3>
共和日本
次に目が覚めたのは、自殺身体の前ではなく、廃墟の中を爆弾を積んで走るワゴン車の中だった。
今は17歳、か・・・私は中学5年生。
そして、ここはアメリカを打ち破った独ソによって圧制がしかれている日本。
この世界では男女別学だったために、今居る世界では初恋の女が目の前に居ても、風貌が本来の美しさ
を保っている・・・茶色になど染めては居ない黒髪をみて・・・逆に心が痛んだ。
私達は・・・中学5年生全員と教員、そして、女学校生徒の最高学年の者たちが、殺され陵辱され、消された。
その仇を取ろう・・・全てが最早何も無かった。
周りは完全に焼けの原で何も残っていない。
アメリカも、欧州も、そして、日本や大陸も。
695 :
世界@名無史さん:04/03/30 06:48
アメリカよりも先に原爆を実用化させた、独ソはやりたい放題だった・・・で、私達は、まさに最期の最期の
特攻をしかけるべく、小倉にあるソ連軍司令部に、女学校の生徒会長を献上するという言う名目で、自爆攻撃
をやりに行っている最中だった。
・・・しかし、私は、こともあろうに乗り物酔いしてしまい、女学校の生徒会長に道端で背中をさすられている始末だ。
情けない。
・・・目が合った。意識が離れていく。
どうやら、今回はまったく関係の無い、本流とは遠い世界だったようだ・・・彼等がどうなったのか・・私にもはや
知る術は、ない。
・・・そして、目が覚めると、またおなじみの自殺体だ。
これから,覚えている限り、あと2度は同じ風景を見ることになるのだが,何度見てもなれない。
確かに、この幼児である私の同位体が精神崩壊を起こすのも分かる・・・が、
ここで一つの問題が起きた。
今まで通り過ぎていった、そして頭の痛くなることに、私には覚えの無い多くの私が
この幼児の精神の中に混在している事に気づいたのだ。
いわゆる、多重人格状態となったわけだ。
さて・・・あと、3つの世界について述べて、私の話を終わろう。
696 :
世界@名無史さん:04/03/30 06:49
<4>スゥェディッシュ大公イエヤス・公子ノブヤスを守って
日本列島が信長によって切り取りペーストされてスカンジナビア半島と融合してしまった世界
<5>
ときをわたるものたち
について、大まかに述べて終わろう。では、また。
>654
関係ないこと書くな。
>>690 漏れ的にはこうなりまつ。
【大明征伐】
文禄元年の初夏、十隻の大型帆船が平戸の港を出港した。
船団は無数の和船を従えシナ海を西へと向かう。
先頭の船にはイエズス会の東インド巡察使ヴァリニアーノと小西行長であった。
第二船団の旗艦には平戸の松浦隆信がポルトガルの軍事顧問と乗っていた。
これこそは日本とポルトガルとの連合艦隊であった。
これをさかのぼる事5年前、豊臣秀吉はイエズス会の日本準管区長でもあった
パードレ(神父)コエリヨと筥崎神社で引見した。
コエリヨは単なるパードレという立場を超えてポルトガルとイスパニアの利益を
代表する立場にあった。
かつて信長が大陸出兵を意図していたことはイエズス会のフロイスに打ち
明けていた、秀吉は天下統一を目前に信長の遺志である明と朝鮮への出兵計画
を実行するつもりでいたのだ。
その為の海軍を求めたのだ。大航海時代の到来で西洋諸国は外航用船舶の
造船技術を飛躍的に発達させていて、1600tの巨船マードレ・デ・ゼウス号も登場
していた。
帆柱の数も15世紀の末には1本から3本に増え、帆も三段に張られ横帆の他に
三角帆が取り付けられている。
それだけの造船技術は日本にはなく、ポルトガル、イスパニアもその技術は
日本に教えないようにつとめていた。
秀吉はあえて大型船の売却を求めた、その交換条件として提示したのは
明でのカソリック布教の自由化であった。
良いタイミングで、ポルトガルとイスパニアも明の征服計画は真剣に検討
しており、秀吉もその計画は察知していたようだ。
イスパニアはマニラを、ポルトガルはマカオを根拠地として激しく鍔迫り合い
を演じていたが、国王は同じフェリペU世であり、
イエズス会の日本布教長を努めたカブラルは天正12年に国王宛の書簡で
「シナ全土には青銅の弾丸は一つなく」征服がいかに容易で実りが大きいか
を縷々として述べてもいた。
「キリスト教や陛下にとって、大きな利益、名声、及び名誉が期待されるこの
偉大な王国(明)を征服するのに、それほどの経費や武器は必要とはしません。
なぜなら私の考えでは、この征服事業を行うのに、最初は7千人多くても1万人
の軍隊と適当な規模の軍隊で十分でしょう。」
その裏事情はイエズス会の東インド巡察使ヴァリアチーノは手紙の中で日本は
最初の発見者であるポルトガルの征服圏に属すると解釈している旨述べているが
日本は信じがたい事に鉄砲で針鼠のように武装していた。
日本の軍事征服は不可能であるとヴァリアチーノが改めて報告、これによって明
の征服計画が浮かび上がっていたのだ。
マニラのフィリピン総督ディエゴ・ロンキーニョが国王宛に
「陛下がこのような重要な遠征を断行されるなら8千人のスペイン兵と十隻ないし
十二隻のガレオン船からなる艦隊で十分であります」
と進言していた。
しかし問題となる8千人の兵力を本国から回航するということであった。
殖民地ネーデルランドの新教徒、イングランドとの戦いにより兵を割く余力が
なかったのだ。
このような背景に熱心なキリシタンでもあった小西行長が秀吉の大明征伐と
考え合わせて裏工作をした成果であった。
小西行長自身が秀吉側のつまり日本の立場にいたか、イスパニア、ポルトガル
の報じるキリスト布教の十字軍の側にいたかは歴史の謎であったが。