ナポレオンを語り尽くすスレッド

このエントリーをはてなブックマークに追加
1コルシカ人マンセー
ヒトラーに次ぐ大量虐殺を敢行したにもかかわらず、英雄と崇められるこの方を
大いに語りましょう。
2世界@名無史さん:02/01/24 18:35
何十万人殺したんだっけ?
3溥儀:02/01/24 18:40
ナポレオンは子供の頃学校でコルシカ生まれを同級生にからかわれていたみたい。
ようは、いじめられっこだったわけよ。
当時の手記なんかにはフランス人を必ず懲らしめるって書いてあるし・・・
結果的にナポレオン戦争で無数のフランス兵を死に追いやったね・・・
4世界@名無史さん:02/01/24 18:41
5世界@名無史さん:02/01/24 18:41
ナポレオンってかっこいいイメージだったのに、
実際はチビハゲなんだよね。激しく幻滅
6世界@名無史さん:02/01/24 18:42
ドイツとフランスが今でも犬猿の中なのは、元を正せばナポレオンのせい、と取ってよろしいでしょうか?
7世界@名無史さん:02/01/24 18:43
っつーか、ナポレオンなんてがいしゅつもいいとこなんだよヴォケ。
それより、ナポレオンが唯一勝てなかったイギリス海軍について語ろうぜ。
8世界@名無史さん:02/01/24 19:20
とりあえず、センターの世界史の問題をウプする。http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/center/mondai/index.html
諸君には簡単すぎるかも知れないが、とりあえず解いてみれ。
9世界@名無史さん:02/01/25 03:57
>7
その海軍の階位で揉めたじゃねえか。こないだ(笑)
10世界@名無史さん:02/01/25 04:16
>>1

スターリンのほうがもっと大量虐殺してるだろ。

あと初期の北米へのヨーロッパからの入植者たちも何百万もの
先住民族を殺したにも関わらず英雄扱い。
11世界@名無史さん:02/01/25 10:47
ナポレオン時代、フランス人はイギリスをローマに敗退したカルタゴ
(海運に優れた貿易国)になぞらえることを好み、
イギリス人もまた自国の驕りを自戒するためにしばしばカルタゴの
歴史に言及している。
もっとも、アルプス越えに関してはフランスがカルタゴ(ハンニバル)
のまねをしているけど。
陸軍国家VS海軍国家というテーマで論ずると面白いかもしれない。
12世界@名無史さん:02/01/25 15:36
ナポレオンって右翼? 左翼?
13世界@名無史さん:02/01/25 16:30
右翼左翼って言葉あったの?
14世界@名無史さん:02/01/25 16:43
ナポレオンは軍の左翼に号令した
「進軍」
15世界@名無史さん:02/01/25 17:42
>>13
フランス革命の時の議席の配置から
右翼左翼という言葉ができたので当時も
あったんじゃないかな。
ちなみにナポレオンは革命時ジャコバン(左翼)寄り。
16名無史さん :02/02/19 13:01
学会の人がすっげー英雄だと講釈こいていたが反論するネタはあります
17世界@名無史さん:02/02/19 13:08
>>16
単に学会だから反論したいだけとちゃうんかと(略
18世界@名無史さん:02/02/22 21:16
ナポ子孫の人って今でもフランスにいるのか?
確か法律でナポレオン1世の子孫は、フランスの元首になれないとかいてあると聴いたが、そんな法律ほんとにあるのかな。
人権侵害では?
19世界@名無史さん:02/02/22 21:59
EUなんか気にしないで、やりたいだけやればいいんだよ、ドイツとフランスは。
いまだに犬猿の仲じゃねーか。
どっちかが降伏するまでやったれ!
20世界@名無史さん:02/02/22 22:01
>>19
バカかお前・・。今戦ったらドイツ惨敗するぞ。
21(自称)世界史板総督:02/02/22 22:13
>>18
コルシカにいるはずだよ
22世界@名無史さん:02/02/22 22:18
>>12-15
ナポさんが車両の右側通行ルールを作った。
それに従わなかったイギリスとその衛星国、それにイギリスに学んだ日本だけが
左側通行になってしまった。
もとはこっちがメジャーだったんだい!
23ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/02/22 22:19
ナポレオンのサインって会っても高そうだ。
現在軍事板ではベンゼン祭りを開催中です。
24世界@名無史さん:02/02/22 22:44
>>22
馬車の御者が鞭を使うときに、右手で振りかざす。鞭が通行人や助手席?の同乗者にあたったら大変だから、運転手が右、通る車線は左と聞いた。
でもなんでナポは右側通行にしたんだろう。革命や啓蒙思想の時代から考えて何か合理的な理由があったと思うんだが? 知っておられる方いませんか?
25世界@名無史さん:02/02/23 11:46
ナポレオンの部下元帥 優良者ランキング
1.若はげ・ダヴー
2.マッセナ
3.ミュラ
4.スルト
5.ネイ
これでいいすか?
26世界@名無史さん:02/02/23 12:32
>>25
3〜4位ぐらいに参謀長ベルティエが欲しいナリ。
27世界@名無史さん:02/02/23 12:48
ん? にゃにゃ。マジ忘れ。藁
1.若禿・ちなみに子孫も若禿・ダヴー 2.マッセナ 3.ミュラ 4.ベルティエ 5.スルト 6.ランヌ 7.名前だけは有名・ネイ
これでいいかにゃ。

敵ランキングはどうかにゃ。
1.冬将軍(ロシア) 2.そこは欧州ではないアフリカだスペインの気候と地形 3.英仏海峡 4.タレイランとフーシェ
5.バカ兄弟姉妹 6.裏切りもんマルモン 7.ウェリントン  8.クトゥーゾフ
これでいいかにゃ。
28ウィーン珈琲文化の起源:02/02/23 12:53
ああ。禿げ人気高くてよろしい
29世界@名無史さん:02/02/23 18:12
個人的にはこうかな

優良者
1.ダヴー:文句無し、常勝無敗は彼にこそ相応しい。歴史上部下にしたい男No1
2.ランヌ:数少ない友人としても皇帝を支える。彼を失ったのがボナパルトの・・・
3.ベルティエ:正に縁の下の力持ち。彼無しではあれだけの大陸軍は維持できなかった
4.マルモン:ナポレオン戦術の大きなウェイトを占める砲兵戦術も彼無しでは・・・
 フランス戦役でパリ開城の判断は妥当
5.マッセナ:戦場での働きはNo1(ウェリントンの力量も正確に判断していた)

皇帝の足を引っ張った奴ら
1.ベルナドット:正にフランスの敵、文句無しでしょう
2.タレイラン:ある意味ナポレオン以上の天才。その才能が皇帝個人の為に使われる
 ことはなかった
3.ジョセフ:結果的に存在そのものがナポレオンを窮地に追い込むことになった
4.ミュラ:戦場での働きを帳消しにする度し難さ
5.オージュロー:ナポレオン軍の評判を地に落とした男。
 ある意味スペイン戦役のA級戦犯
30世界@名無史さん:02/02/23 19:09
>>29
どちらにも出てこないネイって哀れ。
31世界@名無史さん:02/02/23 19:27
ま、タレイランは彼が見放した時点で将来の破滅が決定しているとも言えるので、彼のせい破滅したとかは
言えない部分もあるな。まあ実際ヤツが一番足を引っ張っているのだが
32世界@名無史さん:02/02/24 14:56
敵ランキング逝くぞ。
1.ネルソン  (イングランド海軍)
2.ウェリントン  (イングランド)
3.ブリュッヒャー[および取り巻き参謀]  (プロイセン)
4.カール大公  (オーストリア)
5.クトゥーゾフ  (ロシア)

 これでいいかな、皆さんのご意見を
33世界@名無史さん:02/02/24 16:22
1と2は逆だと思う。英国史を重視すればそれでいいと思うが。
34世界@名無史さん:02/02/24 17:10
>>32
でもブリュッヒャーやカール大公ってナポレオンに負けることにかけては世界一ィィみたいなイメージが
あるな(ワラ

前スレでも(つーか史実だが)こういうのあったし

ベルナドット「ボナパルテが軍を率いてきたら戦わず引き、彼がいないところで攻勢をかければよい」
ブリュッヒャー(怒気荒く)「何だと。我々ではナポレオンに勝てないというのか!?」
ベルナドット(涼しい顔して)「その通り」
35世界@名無史さん:02/02/24 17:46
個人的にはこうだな


1.メッテルニヒ
2.ウェリントン
3.ベルナドット
4.ネルソン
5.シャルンホルスト
6.クトゥーゾフ
7.バグラチオン
番外:タレイラン

やられ役
1.ブリュッヒャー
2.カール大公
3.ブラウンシュヴァイク公
4.ヨハン大公
5.ベニクゼン

まあナポレオンに負けてるヤツは掃いて捨てるほどいるんだけど
ある程度名を知られてると言うことで。
36世界@名無史さん:02/02/24 17:51
ナポレオンから影響を受けた人ランキング逝きます。
1.ナポレオン3世  フランス皇帝
2.ヒトラー
3.南北戦争の将軍たち  ライフル銃でナポレオン戦争をやろうとして死傷者イパーイ。
4.ド・ゴール
5.仏第2共和制・第3共和制あたりの軍人あがり政治家
6.メキシコ皇帝 マクシリミリアン
7.池・・作
37世界@名無史さん:02/02/24 18:32
>>36
7番目。言葉を濁すな
38(自称)世界史板総督:02/02/24 18:33
>>36
ボガサは?
39世界@名無史さん:02/02/24 18:46
36からつづき
日本で奈翁に影響を受けた小童ランキング逝きます。
1.勘弁してよ上の7(富士美術館ではよくナポレオン展やってますね)
2.石原莞爾
3.河井継之助 (長岡藩)
4.西郷隆盛 (死ぬ時まで奈翁の肖像画を持っていたと聞いた)
5.大橋?  (ビジネスに生かす兵法)
6.柘植久慶 (戦場のナポレオン)
7.岸田恋  (漫画家)
40世界@名無史さん:02/02/24 18:58
ラス・カーズの『セント・ヘレナ回想録』は
潮出版社から出てるんだよね・・・。

19世紀の大ベストセラーだから
いずれは読もうと思ってるけど
あの独裁教祖(厳密には教祖じゃないが)がナポレオンファンだから
自分の傘下から出したんでしょ?そう思うと中々手が伸びない・・。
41世界@名無史さん:02/02/24 19:13
じつは近所の図書館からクラウゼヴィッツ『ナポレオンのモスクワ遠征』(原書房1982)
いうの借りられた。
原著は昭和18年出版。

軍事は素人なんだが、クラウゼヴィッツの書物って夫人が1832-35年に出版した
『遺稿集全10巻』がすべて。

有名な戦争論はその1〜3巻
1796年イタリア戦役(4巻)
1799年イタリア及びスイス戦役(5.6巻)
1812年ロシア戦役と1814年フランス戦役(7巻)
1815年フランス戦役(8巻)
他諸戦役(9.10巻)

で、邦訳は戦争論とこの原書房の第7巻の1部だけとか・・・。
ドイツ語読めればなあ。原著とりよせるところなんだけど
42世界@名無史さん:02/02/24 19:24
>>40
手を伸ばした・・
とりあえず、実際にナポレオンの肉声を聞いていた彼の回想録は
やはり一読の価値あり。
43世界@名無史さん:02/02/25 02:00
>ナポレオン元帥ランキング
スーシェ入れてあげようよ
ウエリントンとスペインゲリラに勝利したのは彼だけ。
44世界@名無史さん:02/02/25 19:28
>>43
うーん。知らなかった。スーシェ元帥ですか。そう言えばパリの外周道路にスーシェ通りがありますね。
いまいち知らなかった元帥なので、何で入っているのかなと思っていたらウェリントンとゲリラに勝っている?
すごい人がいたもんです。勉強になります。
45世界@名無史さん:02/02/25 19:40
ところで、なぜド・マルモンだけ1803年に元帥にしてもらえなかったんでしょう?
特に軍団長(親衛隊及び騎兵含む)は全員元帥になっているのに、第2軍団長のド・マルモンだけ将軍のまま。
あげさらしですか? かわいそうだ。
46世界@名無史さん:02/02/26 18:02
>>45
単純に若かったからじゃないの。
ダヴーは若くても見た目がアレだから元帥になれたとか(ワラ
47ラムセスX:02/02/27 01:00
【問題】科学に関心を持っていたナポレオンは電気に強く興味を持ちました。
    フランスで当時強力な電池が作られるとナポレオンは自ら実験に参加しました。
    それは、両極につないだ2本の導線を体のどこかに当てて体でその威力を試すと
    いうものでした。では 導線をつないだ体の場所はどこでしょう?
[出題]J・A・バリス『サー・ハンフリー・デービーの生涯(1831年)第2巻』より
    
48世界@名無史さん:02/02/27 01:05
>>47
ちんこ。

というか、ナポレオンでなくても男の9割はそうするはず。
49ラムセスX:02/02/27 01:44
≫48
違います〜(^O^)
男女両方あります。
50YP:02/02/27 01:56
>>49
48同様、絶対にチンコと思ったけど。
じゃあ、頭皮、頭髪とかですか?
51ラムセスX:02/02/27 02:45
【ヒント】古代エジプトの神 べス神に関わる部分です。
     この神は珍しく正解のものを持った神です。
52 :02/02/27 12:42
レベルが違いすぎてビックリした。
ここに名前が出てきてて俺が知ってるのはナポレオンとネルソンとメッテルニヒとジョセフだけだ。。。
53:02/02/27 13:32
>>47
目と舌?(ボルタはそうしてたとか)
54ラムセスX:02/02/27 16:23
【正解】舌
    ナポレオンは科学に強い関心があり、たとえその功績が敵国のものであっても大きく注目してい
    ました。例えば、ヴォルタが電堆(でんすい)と呼ばれる電池の祖先のような装置を発明して間も
    なく、これを用いてイギリスのハンフリー・デーヴィーは金属ナトリウムの単離に成功しました。
    このニュースを聞いてナポレオンは、「どうして我がフランスでそのような事ができないのか」と
    科学者に迫りました。そこでフランスの科学者達は自国で強力な電池を作ると、ナポレオン自らが
    その威力を試しました。彼は2本の導線を舌に当てたのです。しかし、あまりのショックで二度と
    この電池の話はしなくなりました。
    因みに、ナポレオンはヴォルタの科学的な発明の後に毎年電気に関する最も優れた実験研究を対象に
    記念メダルと賞金3000フランを与えると宣言しました。そして、1807年に当時、戦争していた
    イギリスのデーヴィーに与えられられました。この時、彼は「たとえ2つの国、又は政府が戦争して
    いても、科学者はそうではない。もしも科学者も戦争しているとすれば、それこそ本当に、もっと
    性質(たち)の悪い内戦であろう。科学者の力で国家間の激しい敵意を和らげたい。」と述べています。
    そして、デーヴィーは後にフランスの王立研究所の第一通信会員に選ばれ、戦争中のフランスを訪問
    しました。その記念のディナーで「イギリスの客(デーヴィー)に対して最も偉大な感情と心使いを
    示したのは、列席者達が皇帝の健康を祝して乾杯するのを辞退した事だった。後になってナポレオン
    がそのような不敬のしるしをどの程度怒っているかについて少なからぬ憂慮が抱かれた」と記録に
    ありますがナポレオンはこの事について何も行動をとらなかったと言います。 
55ラムセスX:02/02/27 17:02
≫54
読みづらくて申し訳ありません(^^ゞ
【問題2】ナポレオンはもう一人、イギリス人に勲章を与えている。それは皇帝に就いた1804年の
     事で、更に、1809年にこの技術をフランスでも用いるよう勅令を出したほどこの
     イギリス人の業績に共感した。あまりに技術が優れていたためにイギリスやオランダの
     宣教師たちは説教の中でも使うことを奨めたというその技術とは何?
56世界@名無史さん:02/02/27 18:25
>>55
瓶詰めの技術じゃなかった?
57世界@名無史さん:02/02/27 18:45
>>55
鉛筆では?
58世界@名無史さん:02/02/27 18:46
スーパーひとし君で挑戦です
59ラムセスX:02/02/27 20:23
【ヒント】日本ではその技術について、明治37年の国定教科書で誤った記載があったためにその
     間違った知識を持っている人がかなりいます。
60世界@名無史さん:02/02/27 20:38
>>59
むずかしいなあ。瓶づめでも鉛筆じゃないとすると?
判りません。少なくとも俺は降参(オーストリア軍参謀長 マック)
61世界@名無史さん:02/02/27 20:55
>>59
漏れもわからん。缶詰かと思ったけど、1810年の発明だからちょっと時期が合わない。
俗説で、日本の茶筒にヒントを得て発明したというのがあって、これのことかと思ったんだが。
んで、1804年だと瓶詰の発明がその頃なんだけど、こっちはイギリス人じゃなくてフランス人
だし。
62世界@名無史さん:02/02/27 21:09
よ〜し、今度こそシモネタだ〜
ズバリ、ゴム製「コンドーム」!
63世界@名無史さん:02/02/27 21:10
>>62
待て、ホントもしれないぞ! 
64世界@名無史さん:02/02/27 21:49
缶詰
65世界@名無史さん:02/02/27 22:17
救急車では?
66世界@名無史さん:02/02/27 22:24
>>59
軍服の袖ボタンでは?
67世界@名無史さん:02/02/27 22:37
電波なのですが石原莞爾はヨーロッパに留学していたころに
たくさんナポレオン関係の書籍を購入しています。
それらは酒田の光丘文庫にあります。
彼の著書にもナポレオン関係の研究が多いです。
68世界@名無史さん:02/02/27 22:46
>>67
確か鶴岡の図書館には石原が集めた日本語の本がたくさんあるとか?
よく考えると石原ちって賊軍? ボナパルトけと似てるね。
69世界@名無史さん:02/02/27 22:47
マーガリン
70世界@名無史さん:02/02/27 22:54
ボナパルティストとは?
71ラムセスX:02/02/27 23:28
【ヒントその2】ルイ15世、ピョートル2世、モーツァルト、ジョージ・ワシントン、伊達正宗
        彼らの共通点は?
72ラムセスX:02/02/27 23:29
【訂正】
  ≫71
  伊達正宗⇒政宗
73東亜連盟2ちゃんねる支部:02/02/27 23:47
>>67
実弟の六郎氏が亡くなられたときに西山の自宅にあった莞爾関連の
資料は鶴岡図書館の郷土資料室にあります。
しかーし、彼が亡くなった20年代にそのうちでもナポレオン関係などの
高価な洋書を鶴岡で引き取ってほしいとの話があったのですが
当時の鶴岡市にはそういう財政力がなく結局いまの光丘文庫にあります。
74東亜連盟2ちゃんねる支部:02/02/27 23:50
73は>>68の間違いです。満州へ逝って来ます。
75世界@名無史さん:02/02/28 19:01
>>71
性器の外部疾患では?(まじ)
76世界@名無史さん:02/02/28 19:02
>>71
いや痔かも知れない。少なくともルイ15世とジョージ・ワシントンは聞いた事がある。(まじ
77ラムセスX:02/02/28 19:21
【ヒントその3】
  実は、紀元前1000年頃には中国で原始的な方法で同じ目的の為の事が行われていて
  ぺルシャやトルコを通ってヨーロッパにも広まっていきました。
  そして、それを科学的に安全なものに成功したのがこのイギリス人でした。
  1749年に生まれて1823年に亡くなっています。
  
78世界@名無史さん:02/02/28 20:16
やっと解りました。ラムセスX様。知らなかったです。これもナポレオンのおかげ?
79世界@名無史さん:02/02/28 20:19
「それは不可能だ」というのはフランス語ではない。
80世界@名無史さん:02/02/28 20:23
戦争とは、時間と土地をうまく使う技術だ。私はどちらかといえば時間を重視する。
土地は敵から奪い返す事ができるが、時間はそうはいかないからだ。

 2CHに必死で書き込んでいる俺はボナパルト的には×
81世界@名無史さん:02/03/01 12:25
>>77
牛種痘の接種ですね。
スーパーストロングマシンが日本人かどうが議論になったときも話題になっていました。
82世界@名無史さん:02/03/01 19:24
ジュノーも何で元帥にしてもらえんかったのかな? (もちろんスモレンスクの前)
ド・マルモンもそうだが、元帥昇進でもめた(もめそうな)やつほどナポの足引っ張っていたような気がするが?
83ラムセスX:02/03/01 21:19
【正解2】 種 痘
ナポレオンは医学に対しても大きな興味や関心がありました。そのいい例が、エドワード・
    ジェンナーの種痘法の発明です。
    18世紀のヨーロッパでは、天然痘が猛威を振るいなんと1年間に60万人以上もの命が奪われて
    いました。病気は身分に関係なく1730年にはピョートル2世が、74年にはルイ15世が亡くなって
    います。また51年にはワシントンが、67年にはモーツァルトが、また日本では伊達政宗が罹って
    います。政宗の右目が見えなくなったのもこの為です。
    古代の中国では、既に病人から採った膿(うみ)を健康な若者の皮膚の中に植えたり、鼻の中に
    入れてわざと発病させていました。これは一度発病すれば、二度と罹らないということを知って
    いたからです。この習慣が、やがてペルシャ・トルコを通って18世紀にはイギリスに伝わりました。
    イギリスではやり方が変化して、人の腕に小さな傷をつけて天然痘の患者の皮膚のかさぶたから
    採った膿に付けておいた糸をそれに擦り付けるというものでした。これらの方法を接種
    (イノキュレーション)といいますが、原始的な方法なので命を落とす人も中にはいました。
    そこでジェンナーはもっと科学的に確立させようと、牛痘を男の子にわざと移しその後に本当の
    天然痘を移してみて、発病する確率がまずない事を確かめたのでした。1796年の事です。
    このニュースは、当初、批判を浴びましたが世界中に駆け巡りました。例えばロシアでは
    エカテリーナ2世が200人の子供に種痘させ、最初に種痘をしたペドロフ少年に「ワクチノフ」という
    名前で洗礼させ、官費で教育を授けました。
    ナポレオンも当然、注目し1804年にジェンナーに対して勲章を与え、更に09年にはフランスでも
    種痘をするよう勅令を出しています。また、2人のイギリス人がインターンとしてフランスに来て
    学んでいたのでジェンナーは彼らの放免を嘆願しましたがナポレオンはそれを拒絶しようとしました。
    しかし、ジョセフィーヌがジェンナーの名前を出したときに彼は一瞬絶句して、「ジェンナーか。
    よし、あの男の頼みとあらば断るわけにはいくまい」といい、2人は自由になったといいます。
    因みに、ジェンナーは牛痘と天然痘が似ている事を強調するために、牛痘を「ヴァリオ・
    ヴァッキナエ」(牛の天然痘という意味のラテン語)と名付けました。それからすぐ後に、牛痘の
    膿を接種すること(種痘)はヴァッキナエからヴァクチネーションと呼ばれここから「ワクチン」
    という言葉が生まれました。
    また、日本ではジェンナーが自分の息子を実験させたと思っている人がいますが、これは
    明治37年以降の修身の教科書にこのような記載があった為に誤った知識を持ってしまったのですが、
    実際は何の関係もない8歳のジェームス・フィリップス少年に協力してもらったのです。
    そしてこの種痘法が原始的とはいえ、古くから行われていた中国に伝わったのが1805年の事です。     
84ラムセスX:02/03/01 23:36
因みに、ギロチンにも関わるギヨタン博士は1800年4月29日、モンパルナスに「種痘病院」を設立し
ています。
【問題3】バスティーユ牢獄の跡地、つまりバスティーユ広場には七月革命記念柱が建っているが
     この柱が建つ前に、ナポレオンは1808年にあるものをかたどったモニュメント(記念物)を
     造ろうとした。この計画は実際に行われたが約40年後に途中にも関わらず取壊されて
     しまった。
     その記念物のモデルになったものは、1254年聖王ルイが十字軍から帰還した時に
     ヘンリー3世へ贈ったものでまた、オランダ人がルイ13世に1626年に贈ったもの
     でもある。では、記念物のモデルとなったものとは何?
85世界@名無史さん:02/03/01 23:38
ナポレオン=ユダヤ人説はどうよ?
86世界@名無史さん:02/03/01 23:56
あり得ない。弟はカソリックの坊主に一時期なってた。
87世界@名無史さん:02/03/02 03:39
>>86
ヨーロッパでゲットーを破壊し、ユダヤ人解放を推進したのはナポレオン。
ドイツのユダヤ人にドイツ人と平等の市民権を与えたのはナポレオンの弟。
http://www.t3.rim.or.jp/~khiyo/MENDELSSOHN/thesis/fm03_006.html

信仰については、ヨーロッパには国外追放か改宗かを迫られ、カトリックに偽装改宗
した「マラノ」と呼ばれたユダヤ人が存在した。
88世界@名無史さん:02/03/02 06:33
>>84
動物か?
象かラクダじゃない?
あるいはカバか?
珍しい動物を贈り物にすることはよくあるが。

でもそれだとモニュメント作ろうとしたナポレオンの動機がイマイチわからん。
89世界@名無史さん:02/03/02 13:54
ジョゼフィーヌの連れ子のウジェーヌは1804年にどうして元帥の選に漏れたのか?
ひいきが過ぎると思ったのか知らん。 ところでこのウジェーヌの軍事的才能はどうか?
どうもわからん?
90代表:02/03/02 14:49
>>84
おめークイズしにきてんのかこらぁ?おめーのための板じゃねーんだよ不細工アナリストがよぉうおぅ
おめーの知識ひけらかしに付きあってるほど暇なやついないんじゃ糞してねろカスが
91世界@名無史さん:02/03/02 16:45
>>90
おもしろきゃいいじゃない? に一票。
君の意見もわかるから、こりゃそれこそ多数意見に従うべきか。
といっておきながら、折れはわけのわからんクイズなので面白くも何ともない。(苦笑
92世界@名無史さん:02/03/02 16:52
>>89
まあ、人物的にはなかなかいい評価のようだね。
誰にとって優れていたのかによって判断が変わるかもしれないが。
 ttp://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/nh.html
の、
 ttp://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/n-g07.html
などはみんな見ているだろうが。
93世界@名無史さん:02/03/02 17:19
ウゼーヌはどこで戦争学んだのかな。ナポレオンの近くにいたという噂は聞かないが。
94ラムセスX:02/03/02 23:10
>90
 わ〜ッ、すみません!ナポレオンとは関係ないことをグダグダ書きすぎました
 不愉快に思われたら謝ります。すみませんでしたm(__)m
 一応、前の問題の答えだけを載せておきます。
 答えは象でした。
95世界@名無史さん:02/03/06 17:53
>>93
父親のボーアルネが革命戦争の将軍で、
ウジェーヌ本人も軍人志望だったよたしか
96世界@名無史さん:02/03/08 22:22
ダヴー元帥、まんせー
ボナパルト将軍(イタリア遠征の頃のナポレオン)と3万対3万でやったらどっちが勝つ?
97世界@名無史さん:02/03/08 23:16
ボーアルネーは貴族(子爵)だったもんで処刑されちまったよ。
ウージェーヌ、ナポ没落後ザクセンだかにいったけど若死にしているのな。
ところで革命戦争初期に貴重な勝利を挙げ、その後も騎兵を率いて活躍したけど
その後不明なケレルマン将軍について教えて下せえ。
98世界@名無史さん:02/03/08 23:25
>>97
皇帝ナポレオンにより、1804年に名誉元帥になっています。ヴァルミーの戦いの仏軍司令官として外国に名をはせていたケレルマンを無視するわけには行かなかったようです。
息子さんも将軍になり、騎兵軍団長にまで出世しています。
9997:02/03/09 00:02
>98 早レスありがとさん
ワーテルローにいたのは息子だったのね
えらい長生きと思っていた
www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/n-g16.htmlも見ました
100世界@名無史さん:02/03/09 01:21
100 日天下アゲ
101世界@名無史さん:02/03/09 04:33
ヴィクトル・ユーゴー
「大ナポレオン死して小ナポレオン現れたり」
102世界@名無史さん:02/03/09 04:38
>>96
もちろんルイ・ニコラ・ダヴーですよ。
103世界@名無史さん:02/03/09 18:05
ナポレオンの敵ランキング逝きます。
1.頭痛 「世の頭痛と世界を交換してもよい」
2.胃痛 早食いだったので、食事後胃が痛くなってバタバタすることがよくあったそうな。
3.痔  若いころ、満足に物が食べられないときに、椅子に何時間も座って勉強したため。
     ナポレオンの治療法はなんと蛭。患部にくっつけて血を吸わせるそうな。
     それを見たジョゼフィーヌは卒倒したそうな。
4.皮膚病 入浴が欠かせないとか。(もしかしたら痔の婉曲表現の可能性あり)
5.性病? 梅毒にかかっていたとか、いなかったとか? 
      数百万人に一人だが梅毒にかかって天才になる人がいるそうな。
      脳内の行動力を発揮するところを病気が刺激して休みなく働くことができるとか?
      具体例としてはドイツの歌曲作曲家のウォルフがそう。4流ダメ作曲家のウォルフはある日突然天才(一小節ごとに調や拍子が変わる曲を作る)になったそうな。
      ただし、人格は変わり、躁鬱を繰り返して廃人として死んだ。
       身に憶えのある人は期待してみて。
104世界@名無史さん:02/03/09 18:42
>>103
4.の関連で。 
むかし、何かの本でナポレオンは疥癬に悩まされたという話を聞きました。
あの、胸に手を入れている肖像画も、そのせいだとか。
この辺の説は、今も生きているのでしょうか?
念のため検索したら、↓こんなページがありました。
 ttp://www12.u-page.so-net.ne.jp/zb3/brb03737/15.html

ホントかなぁ?
105世界@名無史さん:02/03/09 18:43
>>104

ギクリ!
106世界@名無史さん:02/03/09 19:20
>>104
皮膚病は疥癬ですか? 誰から移ってきたのかな(W
毒壷売りジョゼフィーヌ?
107世界@名無史さん:02/03/09 19:23
>>103
 あと肩こりとかは?
 いつもマッサージ(?)してもらっていたそう。香水かけて思いっきりやれとか命じていたそう。

 働きすぎで病気になってしまって、ワーテルローで負け。
 どう評価していいのやら、わからん。
108世界@名無史さん:02/03/09 23:35
ナポさんの毒殺説は認定済みですか?
109世界@名無史さん:02/03/10 00:07
ナポレオンの身長は160cmくらいか。
曹操とちょうどおなじくらいだね。
110世界@名無史さん:02/03/10 14:09
>>109
曹操が当時の人に比べても相対的に背が低かったのは事実としても、ナポレオンは当時の人の中ではやや小柄ぐらいと聞いたが?
絶対値としてももう少し高かったのでは?

111アマノウヅメ:02/03/10 14:20
>>109 >>110
ナポレオンの身長は162.5cmとのことです。
遺体が保存されているので、実際に計った数値です。
112世界@名無史さん:02/03/10 15:37
>>111
死体がちぢんでしまったということはありませんか?
周りの老親衛隊どもが大きいので小柄だと誤解されたと聞いた。石橋効果ってヤツ。(実は木梨も背が高い)。
113アマノウヅメ:02/03/10 15:57
>>112
それは考えていませんでした。ミイラなんで縮んでる可能性あるかも。
しかし、当時のもの読むと(昔はフランス語少しは読めたので)小柄だったのは
事実のようです。
114世界@名無史さん:02/03/11 19:00
ここのみんなはランペルールやってる?
115世界@名無史さん:02/03/12 18:34
>>114
皆、ばりばりのボードシミュレーションゲーマーでは?
ラ・バタイユ、マンセー。ザッカーまあまあ。ウエリントン・ビクトリーじゃ物足りんな。みたいな。
116世界@名無史さん:02/03/13 00:12
>>114
なつかしや。ディスクが読めなくなってからはしてませんが
かなりやりました。エンディングのフランス国歌まんせー。
ロシア戦は結構つらい。
117114:02/03/13 09:13
んじゃ一応貼っときますね

ランペルール、復活キボンヌ
http://game.2ch.net/test/read.cgi/retro/1010938088/l50
118世界@名無史さん:02/03/13 10:41
>>116
スペイン戦も辛いぞ。パルチザンを煽りまくるイギリス許すまじ。
119世界@名無史さん:02/03/13 16:12
日本が左側通行なのは、右側だと侍がすれ違う時に刀が触れ合い
喧嘩の元になるからだときいたことがあります。
120世界@名無史さん:02/03/14 18:48
老親衛隊募集。
 条件
  ひげ伸ばすこと。
  髪の毛伸ばすこと。
  閲兵式のときは髪の毛三つ編み左右に結ぶこと。
121ルイ=ニコラ・ダヴー=ド・若禿:02/03/14 19:22
>>120
私はダメですか・・・・・そうですか・・・・
122世界@名無史さん:02/03/14 23:00
>>121
老年親衛隊は、勝利が決まった「後に」投入されます。
ダヴー元帥は、勝利を決めるまで頑張ってください。 老年親衛隊員一同。
123世界@名無史さん:02/03/16 16:02
ミュラ元帥率いる騎兵突撃は凄かったのですか?
ひょっとしたらミュラは欧州一の騎兵使いですかね。
124ランヌ:02/03/16 19:16
>>123
んだとゴルァ
125世界@名無史さん:02/03/17 20:53
>123 騎兵使いというより突貫男では
126世界@名無史さん:02/03/18 21:09
>>121
老練親衛隊の強さはかなり誇張されているといわれています。
特に1814年戦役で、かなり頻繁に投入されていますが、それ以前はほとんど残敵掃討段階になってから投入されているようです。
127世界@名無史さん:02/03/18 22:03
ランヌ元帥も、騎兵使いですか?
128ジャン・ランヌ:02/03/20 21:07
>>127
私はグランダルメにあって最も効果的に諸兵科を活用したと自負している。
諸兵科連合という観点に於いては、かのマッセナ将軍やダヴーでさえも私に遅れを取るだろう。
(何よりあいつらは戦場で美しくないしな)
更に言えばロシア戦役で名をはせたネイ元帥も、私がいれば「勇者の中の勇者」という称号を
受け取ることは無かっただろう。
129世界@名無史さん:02/03/20 22:21
>>35
ナポレオンの敵といえば
まずはグナイゼナウをあげるべきでなないのか。
戦略はナポレオン以上。
解放戦争を実質的に指揮して
ナポレオンをライプツィヒとワーテルロー
で破っている。
ブリュッヒャーは看板に過ぎない。
130世界@名無史さん:02/03/23 21:01
    __
   〆 _Ψ                                         
  / /  \\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ( ・∀・) ̄< こんなん作ってみた
   Ёр  ョ   \____________
    ノ 大_ |
   (__)_)
 
131世界@名無史さん:02/03/23 22:13
>>129
漏れはプリンツ・オイゲンに一票。タミヤよ、よくぞ出してくれた!

お呼びでない? (w
132世界@名無史さん:02/03/24 01:25
プリンツ・オイゲンといえばビスマルク
ビスマルクといえばフッド
・・・とむりやりナポスレに戻してみる
133世界@名無史さん:02/03/24 02:51
とくれば、やはりシャルンホルストも、
ブリュッヒャーは軍艦になってもヘタレだったな(ワラ
バグラチオン作戦なんてのもあったな
134世界@名無史さん:02/03/24 03:21
バグラチオン・・・。
露トルコ戦争の英雄で、ボロジノ戦で片足を失い翌年だか死亡だっけ?

猛将だけど、たしかアラブだかトルコの血が混じってたと記憶
135世界@名無史さん:02/03/24 11:06
クトゥーゾフは隻眼とか。
この時代は、元帥でも最前線に出ることもあったから怪我したおえらい軍人も多いね。
136(自称)世界史板総督:02/03/24 12:18
>>135
ネルソン提督も
137世界@名無史さん:02/03/26 00:09
セント・ヴィンセント提督も。

ありゃぁ、暴飲暴食の果てのリューマチだが。 (藁
138世界@名無史さん:02/04/22 21:27
暴飲暴食とリューマチは関係ないぞage
139 :02/04/28 12:42
俺の話聞いてくれる?
140世界@名無史さん:02/05/10 02:13
ベルナドットがあんだけシドイ裏切りをやらかしたのは、結局女房のデジレの
「オマンチョ」を先にナポレオンに喰われた恨みだと思うけど、どうよ?
141YP:02/05/10 02:25
ナポレオンが妾との間に出来た子供(妊娠しただけ?)は、
どうなったのですか?
マジレスキボンヌ
142世界@名無史さん:02/05/10 09:04
>>140
つーかナポレオンに世話して貰ったんだろ
143世界@名無史さん:02/05/10 11:21
>>134
バグラチオンはグルジア貴族です。
144世界@名無史さん:02/05/10 15:15
虐殺なんてしたっけ?
ナポレオンはホロスコートとは無縁の英雄だよ
145世界@名無史さん:02/05/10 20:32
エジプトでは相当やってるぞ>虐殺

モスクワから撤退する時も
捕虜千二百人処刑してるな。


全然関係ないが
今アパートの外でやくざか高利貸しとおぼしき男が
「お前の上司だれや」
「わかっとんのか馬鹿ヤロー」
「この野郎お前」とか携帯電話で
喚き散らしてる・・・。

相手がナポレオンなら
「これほどまでに偉大な人物がかくも育ちが悪いとは
まことに残念なことですなあ・・・」とか言えるんだが。
146世界@名無史さん:02/05/11 12:27
>>142
っつーか、デジレは先に「オマンチョ」食べさせたナポレオンが忘れられなかったらしい。
スウェーデン皇后となって他界した時、臨終の枕元からナポレオンのラブレターが
出てきたらしいし。
恐らく夫もベルナドットもその点は良く知ってたんだろうと思う。
ナポレオンの指揮下で将軍をしていたときの無能と怠慢ぶりと、スウェーデン国王に
なってからの戦争指導振りの落差は、そんなとこが原因じゃねぇかと下世話に考えたり
すんだけど。

147世界@名無史さん:02/05/11 14:31
ふ〜ん
148世界@名無史さん:02/05/11 14:37
ナポレオンとマリヤ・ヴァレフスカ夫人との子は
第2帝政の外相になったそうだ。

なおフランツ・ヨーゼフ皇帝の弟、
メキシコ皇帝マクシミリアンの実父は
ナポレオン2世=ライヒシュタット公ではないかと当時噂されていたらしい。
149世界@名無史さん:02/05/11 14:39
なおフランツ・ヨーゼフ皇帝の弟、
メキシコ皇帝マクシミリアンの実父は
ナポレオン2世=ライヒシュタット公ではないかと当時噂されていたらしい。

但しあくまでも噂。研究者でこれを事実という者はいないらしい。
150世界@名無史さん:02/05/11 18:49
フランツ・ヨーゼフ皇帝自身がナポレオン2世の子供ではないかとも言う研究者も
いるよ.
151シュールマイスター:02/05/11 18:59
レジオン・ドヌールくれよ!
誰のおかげで勝てたと思ってやがる!
スパイにも名誉をくれ!
152世界@名無史さん:02/05/11 21:05
やっぱりフランスではすごい人気らしいですね。留学していた先生が言ってた。
153世界@名無史さん:02/05/11 21:49
ナポレオンの生母、レティチア母太后は、自分の年金は外国に預金していたらしい。
自分の子供達の「たか」を知っていたから、いつか落ちぶれて国を逃れる日が来るかも
しれないからと女官に言ったとか。
154世界@名無史さん:02/05/19 00:47
age
155世界@名無史さん:02/06/01 02:09
ダヴー=ジダン
156世界@名無史さん:02/06/01 02:33
>>155
遅れてやってくる男、時々遅れすぎて間に合わない
157世界@名無史さん:02/06/06 17:38
フランス戦役=ハンブルグで孤立
ワーテルロー=パリで留守番

肝心かなめで活躍の場がなかったダヴー
でも一番好きさ
158世界@名無史さん:02/06/08 21:33
hage
159世界@名無史さん:02/06/08 23:02
ダヴー最高!
戦場では不敗、趣味は家庭菜園。
男だね〜
160世界@名無史さん:02/06/18 02:45
保守age
161世界@名無史さん:02/06/18 09:12
やっぱりダヴーが人気ですね。
ここであえてその親友、ウディノを挙げてみる。ナポレオンのエルバ島脱出の際、最初にナポレオンを迎え撃った元帥であり、
彼の皇帝復帰後に親友ダヴーに説得されるも三度の忠誠放棄を良しとせず(彼に限らずほとんどの元帥がルイ18世に忠誠を誓っていた)、
ワーテルロー会戦のときも故郷に引っ込んだままで何もしなかった。
この無骨な頑固さが大好きだ。

ところで突撃野郎ネイですが、彼の処刑の時に一人だけあさっての方向に発砲して抗議の意を示した兵士の名前は残っていませんか?
162世界@名無史さん:02/06/18 19:33
ナポレオンが戦争に巧みだったのは、その砲術の精度が高さによる
と消防のとき、伝記で読んだのだけど、それって三角関数を、
応用したということだろうか?(その伝記にも、数学が得意だったと
書いてあったし)
163世界@名無史さん:02/07/17 18:42
今日の「そのとき歴史が動いた」に出るみたいね
164総督:02/07/17 19:04
>>163
絶対見ます!
NHKの力量やいかに
165名無史さん:02/07/17 21:39
「ナポレオン戦争従軍記」によると、フランス革命後、軍の司令官は(投票でえらばれたから)
顔がいいだけの無能がなることが多かったそう。

重要資料の裏付けもあるのになんで腐女子むけにランペルールつくらんねんゴラァ、と思った。
あの本、そこしか覚えてない。
166世界@名無史さん:02/07/17 22:01
最低限2回に分けて欲しかったなあ>NHK
167世界@名無史さん:02/07/17 22:03
つーかいい加減に「抵抗勢力VS革新勢力」の構図を止めてくれ。
168世界@名無史さん:02/07/17 22:04
あの番組だけ見ると
ナポレオンがおかしくなったのは
皇帝即位後、になるけど。

エジプト遠征の大失敗は?
アンギャン公の裁判なし、おまけに冤罪での処刑は?
169世界@名無史さん:02/07/17 22:07
ワーテルローの時、ブリュッハーが
「アンギャン公が銃殺された場所でナポレオンを処刑してやる」
と息巻いたように、かなり重大な問題だったんでしょ?
170世界@名無史さん:02/07/17 22:07
私、見なかったんですけど、どうでした?
良い評価なら再放送見ようと思ってるんですけど。
171 :02/07/17 22:11
>>170
そこそこ映像がんばったから雰囲気は出てた。
172世界@名無史さん:02/07/17 22:11
フランス映画とおぼしき
資料映像が素晴らしかったよ。
大会戦とか戴冠式とか。

内容ははしょり過ぎ。
まあ45分で纏めるのは無理。
173世界@名無史さん:02/07/17 22:19
録画して倍速で見るが可ってことすか。
174世界@名無史さん:02/07/17 22:54
ナポレオンのおもろい小説ありますか?
175世界@名無史さん:02/07/18 00:03
直接の主人公ではないが

『戦争と平和』

今、昔一度読んだのを読み返してるけど
面白いね。ナポレオンの病的な誇大妄想ぶりが
よく描かれてるよ。
「(もし今一度フランスに敵対するならば)
余はプロイセンをヨーロッパの地図から抹殺する」
176総督:02/07/18 01:46
>>172
「その時〜」のHPからのコピペ

<使用映像>
「ベルサイユのばら」
(DVD発売中・パイオニアLDC) ※ビデオ絶版(ビデオ会社不明)
「紅はこべ」 (NHK・BS2で、7/8〜10で放送済み)
「戦争と平和」
(※1965ソ連作品 オードリー・ヘップバーン主演の同名のハリウッド版とは別 作品)
(DVD発売中・IVC/ビームエンタテイメント) ※ビデオ絶版(発売元DVDと同じ)
「英雄物語 ナポレオンとジョセフィーヌ ・〜・」
※DVD未発売 ビデオ絶版(ワーナーホームビデオ)
「ワーテルロー」※DVD未発売 ビデオ絶版(コロムビア)

以下は日本未公開、または日本国内でビデオ未発売
“DANTON”
“Napoleon” (監督Sacha Guitly)
177:02/07/18 02:30
アンジェイワイダの「Danton」なら、岩波ホールで見た記憶がある。
VTRも借りたと思うし、東京12chで放映されたはず。

違う「Danton」なのだろうか?
178世界@名無史さん:02/07/18 10:14
「その時〜」見て思ったけど、ヨーロッパには
日本の太秦みたいな所って、あるんだろうか。
179世界@名無史さん:02/07/18 11:39
チネチッタいう場所がある。
そこ舞台にしたフェリーニの「インテルビスタ」鑑賞すればよし
180世界@名無史さん:02/07/18 12:08
>>175
プロイセンに限っては誇大妄想とも言えないんだなあ、それが。
セバスチァン・ハフナーの「プロイセンの歴史」にこうある。
「(ずっと長い間戦争をしてきたオーストリア・ハプスブルク家を
滅亡させることは全く考えなかったが)しかしプロイセンのことは、
彼ナポレオンもまた、無きものとして考えることが出来たのであった」
半世紀足らず前には、マリア・テレジアも同じようなことを考えていた
形跡がある。もともとプロイセンは人工国家の側面が強いから、
こうした案も出て来る。特に当時は、国民の半分がポーランド人だったし。

実際の案は「シュレジエンのオーストリアへの返還、ポーランドの復活、
ホーエンツォレルン王家の退位」といった程度のものだった。
つまり王朝の交代と領土の削減に過ぎない。まあ大幅な削減ではあるが。

要するに当時のヨーロッパにおいては、プロイセンはオーストリアの足下
にも及ばない存在として考えられていたということ。
これがオーストリアなら紛れもなく「病的な誇大妄想」だが。
181世界@名無史さん:02/07/18 16:18
プロイセンはフリードリヒ大王時代に急速に拡大してからそう年月が
経っていたわけじゃないっていうのが大きいんだろうね。

国民の大半が異民族っていうのならオーストリアだってそうなんだし。
182世界@名無史さん:02/07/18 16:21
故キューブリックが構想していたナポレオン映画ってどんなのだったのだろう?
巨大な死のバレーと評された会戦シーンで断念したらしいけど
183世界@名無史さん:02/07/20 20:26
ナポレオンは島流しにあったセントヘレナ島での生活は悲惨だったみたいだけど
どうなの?
184恐山イタコ祭り開催中!:02/07/20 21:12
うう・・・寒い寒い・・・「わしゃあ、ナポレオンじゃあ。島総督が学者肌のウィルクスから
ロウに変わってから大変じゃ。まず、財産がない。私財1億5000万フランはタレイランに奪われ、
残りは英政府にプリマスで没収された。おまけに孤島ゆえ物価はパリの4倍だし、従者40人の大所帯を
英政府支給の終身年金でささえねばならぬ。
しゃあないので私有の銀器を売ろうとすると、ロウのやつめ、島民と余との取引を禁止してしまった。
ワーテルローの戦勝記念日には、駐留英軍による島内観閲式を挙行。

英国医師オーミラを侍医につけたが、これも病が進行するうちに英国へ送還。
以後、専門の侍医無しであったが、これはロウの意地悪というより首相リバープール卿を
はじめとするイギリス内閣の意思というべきであろう。

英国は余の、病による早急な自然死をのぞんだのだ・・・」
185ハドソン・ロウ:02/07/20 21:18
本官は義務を果たしたまで。

貴下が「フランス皇帝位を退いても、ナポレオン皇帝という属性は失わない」
とか訳の分からぬ理論を振り回し、本官の「ボナパルト将軍」との呼称を
拒み続けたのが悪いのです。本官は殊更貴下を虐待などしておりませんぞ。
不摂生を続け、貴下は自ら寿命を縮めたのです。
186ハドソン・ロウ:02/07/20 21:29
貴下が欧州全土で
王侯貴族から一兵卒に至る迄何百万という人々に対して
どのような事をやったか少しは思い出されるがよい。

エルバ島を脱出し、政権を簒奪した貴下は本来フランス王国政府の手で
銃殺、否絞首刑にされてもおかしくはなかったのですぞ。

それを保護したのが我が英国なのです。
寧ろ貴下は我々に感謝されるべきだ。
187恐山イタコ祭り開催中!:02/07/20 21:42
おお憎き憎き獄吏殿、
元コルシカ駐屯軍士官にしてワーテルロー・キャンペーンにおいては
ウェリントンの配下で兵站部長をつとめた性剛毅にして小心翼々たる
兵式調練官殿、久しぶりだが、会いたくない顔じゃ。

余は英国摂政王を男と見こんでわが身を預けたが、それはあくまで名誉ある
客としてだ!!
貴公の余を一介の将軍扱いする無礼は我慢ならぬ。
余の貴公に対する心情は、余の気に入りの英国海軍提督マルコム公にかたった言葉に
集約される。

「そりゃ余が子供っぽいかも知れぬ。しかしニンゲンの好き嫌いの感情だけは
こりゃどうにもならんわい!」
188世界@名無史さん:02/07/21 00:36
ナポレオンって死語20年後にパリに遺体が戻ってきたみたいだけど、
つーことはセントヘレナ島で墓を掘り起こされたの?
189pt:02/07/21 00:39
掘り起こして廃兵院(アンバリッド)に最埋葬
時間が時間が立てば反ナポレオン感情も英雄に再評価
>188
190世界@名無史さん:02/07/21 00:57
1830年の革命の後で、反ブルボン熱、皇帝へ思い入れが反逆につながることなく
ただ懐古の時代でしたから>1840年12月の遺体のパリ帰還

その日、セーヌの両岸には、皇帝の棺をのせた船をむかえるため、酷寒のなか
50万人のパリ市民がおしよせたそうです・・・
191世界@名無史さん:02/07/21 01:15
ルイ・フィリップ王は
王子ジョワンヴィル公を団長とする遺骸受取団を派遣

ブルボン家の分家オルレアン家は古きフランスの伝統と
偉大な革命の成果を共に受け継ぐ王朝と自らを位置付けてたから
ナポレオン崇拝熱の昂揚で地盤固めをしたいとの思惑もあったんだろう。

>>189>>190で語られているように
ナポレオンによる犠牲は忘却され
彼の下偉業に突き進んだ祖国フランスというナショナリズムが昂揚。

その時同行した司祭の回顧録読んだけど
まさに国家的行事。それと、司祭の筆遣いが
「英雄」への思い入れに満ち満ちていた。
昂揚したナショナリズムにどっぷり漬かってる。
感傷的な英雄賛美の羅列。上のハドソン・ロウは
「地獄に落ちよ」と言わんばかりの書き方されてた。

遺骸は殆ど痛んでいなかったらしい。
顔もはっきり識別できたそうな。
セントヘレナにかつて同行した元側近らが立ち会った開棺の時には
みんな感極まって泣いたという。

で、実は書名も著者名も忘れてしまった・・・。
余りの感傷的内容に白けたのもある。
192世界@名無史さん:02/07/21 01:49
>>191

>遺骸は殆ど痛んでいなかったらしい。

これって冷凍保存でもしてたの?そーでなければ白骨化してるはずだYO!
193世界@名無史さん:02/07/21 02:16
長塚隆二の「ナポレオン」読むと遺体引き取り
「使節団の報告書には『面差しはほとんど痛んでいなかった』と記述がある」
みたいな文章だね

一次資料じゃないからわからんけど、白蝋化でもしたのかな?
誰かアンヴァリッドいって大理石の棺こじあけて確かめれ
入場料は32フランだ
194世界@名無史さん:02/07/21 13:36
ナポレオンがエジプト遠征で言い放った名セリフは何だっけ?
確かピラミッドがどうのこうの、言っていたような
195世界@名無史さん:02/07/22 23:39
ナポレオンって最後は何で処刑にならずに島流しで済んだの?
196世界@名無史さん:02/07/23 00:15
http://game.2ch.net/test/read.cgi/retro/1010938088/l50

レトロゲーム板から来ました
往年の名作SLG「ランペルール」スレにも援軍きぼーん
(最近ネタ切れ気味なのよ、助けて〜)
197世界@名無史さん:02/07/23 00:18
自分から英国軍艦へ
>>187
「余は英国摂政を男と見こんでわが身を預けたが、それはあくまで名誉ある
客としてだ!!」と言って乗りこんだから、
英国も「窮鳥懐に入らば・・・」で保護せざるを得なかった。
ブルボン王家政府に捕まっていたら多分処刑されていたね。
198世界@名無史さん:02/07/23 00:20
>196

>117でガイシュツ・・・
199世界@名無史さん:02/07/23 03:04
>>194
「4000年の歴史が諸君を見守ってる」

公式記録には無し
ナポレオン本人は「言った」
200世界@名無史さん :02/07/23 03:31
GBAのナポレオンは史実と無関係。
201世界@名無史さん:02/07/23 03:50
ヒトラーに次ぐ虐殺者ということだが、毛沢東のほうが例の文革で殺しているような気がするが・・・。
知り合いの中国人は毛沢東は悪魔だといっていたな。

それはともかく、ヒトラーと並べられると違和感がある。
ヒトラーは、虐殺そのものが目的だった。
戦争に勝てないことが明らかになってから、ユダヤ人虐殺のみが目的になったので、特に殺しまくった。
ナポレオンは、確かに戦争で人が死んでも何も思わなかっただろうが、
虐殺を目的としたことは一度もないだろうし。
202世界@名無史さん:02/07/23 04:42
>197
プロヴァンス伯(ルイ18世)自身が、フランス革命の成果自体を認識しない
ごりごりのウルトラ王統主義者だからね。ワーテルロー後のポナバルド派への報復テロは
はげしかったのは、周知だけど、画家のダヴィドまで追放されたとはしらなんだ・・・。

ウェリントンは制止したけど、ブリュッヒャーは銃殺を主張したし、
戦争犯罪法廷の概念がない時代だからこそ、よくぞまあ、殺されなかったいうのが
感想ですねえ
203世界@名無史さん:02/07/23 04:49
>>199
「健児よ! 4000年の歳月、卿等を俯瞰す」

鶴見裕輔「ナポレオン」(昭和6年発行 講談社)より
偶然、1969年版潮文庫で入手したけど、講談調だけどなかなか調べて書いてます
204ナポリタン好き:02/07/23 08:16
>>195 ナポレオンが何故処刑されなかったか?
実に良い疑問点ですね。 ボクもかねがね不思議に思っていました。
特に彼には一度流刑にされたにも関わらず、脱走し、再度ヨーロッパ
を混乱に陥れようと(敵側から見れば。。。)した実績があるわけですから
2度目はどう転んでも死刑は逃れないところではと思います。
それが何故孤島とは言え、セントヘレナ島への流刑ですんだのでしょう?
ボクなりに考えた答え数種。
1)ナポレオンを処刑するとフランス国内の残存親ナポレオン勢力が
  徹底抗戦する可能性が大きく残っていた。
2)ナポレオンは戦争などえ多くの人々を殺したが、個人的な意味での
  殺人や犯罪は犯していない?(あまり関係ないか)
3)結果としてヨーロッパの開放、魔女裁判などの中世からの脱却
  法典、叙勲制度などの実績が基本的には敵味方共に認められた。
4)殺すには惜しい男だと、英国などの主要国のDECISION MAKERが
  思った。
5)後で時期を見て処刑しようと思ったがその前にセントヘレナで  
  死なれてしまった。
等など
でも実際は何故なんですかね。 知っているかいればご教授下さい。
205世界@名無史さん:02/07/23 12:39
age
206 :02/07/24 01:07
ウィーン会議で各国が丁丁発止やりあったように、そのナポレオンの生死そのものが
意見対立あったのではないでしょうかね?

エルバ島でも、各国はナポレオン監視のため駐在外交官を派遣しましたが
概してロシアはナポレオンに同情的、英国は冷酷でしたね

ウィーン会議自体、ロシア・プロイセンとオーストリア・イギリスにわかれて
ドイツ問題やりあいましたし、ナポレオンの遺児(ローマ王)の処遇についても
ブルボン王家とハプスブルグ家は対立しましたから。

さまざまな問題の均衡点にたっていたことが、やはりナポレオンの早急な処刑を
各国に思いとどまらせた要因ですね
207世界@名無史さん:02/07/24 01:08
ナポリ王ことミュラ元帥や
ネイ元帥は銃殺されてしまったからなあ・・・。
208206はセントヘレナの間違いダナ:02/07/24 01:37
伊達男ミュラに関しては、ブルボン王家が血縁のシチリア王フェルナンド4世をナポリ王に
しようと画策してたので、ナポレオンのエルバ脱出に際して決起したのはしかたないですねえ。

ただイタリアの支配権をめぐりミュラと同盟を結んでいたオーストリアがフランスと対抗してたので
もし決起しなければもしかしたら、ワーテルロー後も死ぬことはなかったかもしれませんね
209世界@名無史さん:02/07/25 22:17
今日の深夜「その時歴史は動いた」再放送でナポレオンやるね。
味得か
210世界@名無史さん:02/07/26 00:45
何年か前に新聞記事でナポレオンの遺髪から砒素が検出されたとか出ていたような・・・
本当だったのか?
211世界@名無史さん:02/07/26 02:54
>>210
19世紀の林なにがしの仕業かな?
212世界@名無史さん:02/07/26 23:14
ナポレオンより

「何が国民のとっての利益なのか」を考えぬいて
自国を敗戦へ導く事も辞さなかったタレイランのほうに
一種の畏怖に似た感情を抱いてしまう。
213世界@名無史さん:02/07/27 00:36
元帥の中で処刑されたのはネイだけだと思ってたけど、ミュラもそうだったのか。知らなかった。

>>190
ナポレオンの元帥の中で、皇帝の棺の帰国を見守ったのは数人だけなんですよね。スルト、ウディノ、モンセイ、グルーシーだったっけか。


しかしダヴーはいいなぁ。親友たちも勇敢で頑固者ばかりなのがいかにも。
214世界@名無史さん:02/07/27 06:55
>>210
以前、特命リサーチ200Xでやってた。
以下はその時のまとめ

ナポレオンが死んだのは砒素が原因で、
彼の住居していた邸宅の壁の塗料から砒素が検出されたらしい。
島流しにされた後、ナポレオンが急に太ったのもそれが原因。

あと>>193氏の言う死体が傷んでなかったというのも、
実際に腐食防止剤として用いられている砒素が死の原因で、
体内に大量の砒素が存在したならおかしくないそうだ。
215世界@名無史さん :02/07/27 18:14
ナポレオンが早漏だったってほんと?
以前、歴史読本かなんかでは、一人15分ぐらいの速さで処理したとか聞きますた。
216:02/07/27 21:41
よくナポレオン1世の言葉として
「朕が字引に不可能の語なし」という
発言が採り上げられますが……
この言葉の出典はどこなんでしょう?
217世界@名無史さん:02/07/27 22:04
アルプス越え(1800)のとき従軍した砲兵隊長の台詞の変形
218⊂(ΦДΦ⊂⌒`つ ◆Nm83jaIU :02/07/27 22:17
『ナポレオン暗殺』ルネ・モーリ著・石川宏訳 大修館書店 2600円。
ナポレオンはセントヘレナ島で、「部下」に毒殺されました。犯人も
判っています。大名著だから是非読んでください。
219世界@名無史さん:02/07/27 22:27
ゲームボーイアドバンス「ナポレオン」お勧め!

ナポレオンに見えない!
ロゼッタ石は魔石かよ!
売ったわ!
220⊂(ΦДΦ⊂⌒`つ ◆Nm83jaIU :02/07/27 22:36
産経新聞に連載されている歴史小説「ナポレオンの夜」(藤本ひとみ)
はおもしろいよね。歴史は存外に卑小な動機で形成されていくものだ
ということがよくわかる。自民党の変態幹事長等をみていても頷ける。
221YP:02/07/27 23:03
>>215
15分が早漏なんですか? 俺には立派に聞こえますが・・
222世界@名無史さん:02/07/27 23:19
>>216>>217
わたしはイエナ会戦の時だと聞きました。
砲を丘の上に上げるように命令された砲兵仕官が四苦八苦した挙句、
ナポレオンに「無理です」と泣き言を言ったらそれに対して「不可能など無い!」
と活を入れたというエピソード。
223世界@名無史さん:02/07/27 23:20
>ナポレオンの夜
読んでいるけど

新聞小説で、やたら性描写が多いのは・・・。
頼むからタリアン夫人の身体にホワイトソース塗りたくるのは
やめてくれ・・・。
224世界@名無史さん:02/07/30 02:41
スライダーキャノンを使えばネルソンに勝てた
225世界@名無史さん:02/07/31 02:02
藤本ひとみなんて背表紙がピンクの集英社コバルト文庫の作家だと思ってたのに・・・。
えらい出世だ、やっぱ継続は力ですな(w
226世界@名無史さん:02/08/03 11:30
世の辞書には不可能の文字はない。
227世界@名無史さん:02/08/03 11:55
>>36古いけど・・・・

中央アフリカ帝国 ボカサ1世皇帝陛下が漏れてます。
http://www4.justnet.ne.jp/~rekitan/magazine/third/hkn3_3.html#4
228世界@名無史さん:02/08/03 12:13
>>227 うまくリンクしないようです。「皇帝列伝番外編」です。
229世界@名無史さん:02/08/03 13:33
>>226
つまり、超漢字4ですな。
230世界@名無史さん:02/08/03 15:07
>>223
神格化された虚像のナポレオン崇拝者は多い。
日本でも某堕落宗教(学会)指導者はナポレ
オンフェチだそうだ。等身大の人物把握って
大切だよね。
231世界@名無史さん:02/08/03 18:26
池田大作のナポレオン崇拝本で
学者集めて座談会やってたけど
べレジナ河で架橋工作して
数日後には肺炎で全滅した工兵隊を
絶賛してた。

命を捨てて義務を果たすのが尊いということらしいけど・・・。
その時ナポレオン自身がフランス国歌を口ずさみつつ激励したが
兵たちは冷淡だったそうな。
232世界@名無史さん:02/08/03 18:31
ところでナポレオンって黴毒(梅毒)患者だったんだろうか?

※梅毒は本来黴毒と書くべきだと思う。
233世界@名無史さん:02/08/03 20:25
>>231
なっていませんね!
名誉会長の励ましに胸を熱くしながら笑顔で答えなければ
学会員失格です。
234世界@名無史さん:02/08/04 01:50
アラン・ムーアヘッドの「青ナイル」(ちくま書房)ってアフリカ探検の本て
ナポレオンのエジプト遠征についても語っているんだ。
知らんかった・・・
235世界@名無史さん:02/08/04 21:57
ベートーベンの英雄ってナポレオンにささげた曲なの?
236世界@名無史さん:02/08/05 00:17
捧げるつもりでやめたの。
237世界@名無史さん:02/08/08 11:36
あの有名な「ジョセフィーヌ、もうカンベンしてくれ」って
どんなチーズを用いてたんだろう?
238世界@名無史さん:02/08/08 20:11
リュシアンってどうなったの?
239世界@名無史さん:02/08/08 20:41
今ナポレオンの子孫ってフランスで貴族の扱い受けてるの?
240世界@名無史さん:02/08/09 01:50
ナポ公はスタール夫人と結婚しる!
241世界@名無史さん:02/08/09 11:51
ちょっと教えて!

ナポレオン・ボナパルト

ルイ・ナポレオン

ルイ・フィリップ

ナポレオン3世


以上の人たちは、血縁関係者?それとなにかしらの養子縁組なのかい?
242世界@名無史さん:02/08/09 17:15
一番有名なルイ・ナポレオンはナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)の妻、ジョゼフィーヌの連れ子と兄、ルイ(オランダ王)の息子。
クーデターで大統領になって、その後皇帝に即位してナポレオン3世になる。子供の名前もルイ・ナポレオンで、兄貴の名前がナポレオン・ルイだったりする。

ルイ・フィリップは、ナポレオン1世退位後のブルボン王政に反抗して起こった7月革命で即位した、ブルボン=オルレアン家の王様。ナポレオンと血の繋がりは無い。
243世界@名無史さん:02/08/10 13:25
今でもナポレオンって名のフランス人はいるのか?
244総督:02/08/10 15:57
>>242
>>クーデターで大統領になって、その後皇帝に即位してナポレオン3世

細かいツッコミだけど、彼は2月革命後の選挙で大統領に選出されてるよ
その後、1851年にクーデターを起こし翌年皇帝に即位。
245242:02/08/10 17:08
>>244
あの辺りは革命が多くてちょっと混乱してました。すみません。
しかし政権を握っているのにクーデターとは、いったいどういうことなのでしょう?
246世界@名無史さん:02/08/10 18:18
>>245
ナポレオン1世だって皇帝即位のときはクーデターみたいなものだったでしょ。
247世界@名無史さん:02/08/10 18:51
1世は国民の圧倒的支持で皇帝即位したと思ってたが
国民投票の棄権率は過半数を超えていたそうな。

軍人票は自動的に即位支持に繰り入れたらしい。
「軍人は国家元首に絶対服従だから」ってことらしいが・・・。
248世界@名無史さん:02/08/10 18:58
>>243
ナポレオン・ソロ(ただしUSA)
ナポレオンズ(日本)
249総督:02/08/12 15:10
>>245
憲法を改正したんだよ
250世界@名無史さん:02/08/12 18:57
ナポレオンって、戦争の天才であるだけでなくて、すごい民法を作っちゃったり
するんだけど、一見、戦争と民法では興味のベクトルが随分ちがいますよね。
ナポレオンはなぜ、どうゆう経緯で民法制定に強力に力をいれたのでしょうか?
いつ頃からそういうことに興味をもったんでしょうか?
251世界@名無史さん:02/08/13 15:07
>>250
 もともとコルシカの独立を目指していたので、政治にも興味があったと聞いた。
 宗主国のフランスに負けない国コルシカを目指したとき、法律に興味を抱いたのでは?
252世界@名無史さん:02/08/14 03:14
>>250
ナポレオンは、パリ士官学校時代、友人が少なく(ナポレオンは周知の通りコルシカ島出身。コルシカでは公用語はイタリア語であったため、フランス語がしゃべれないナポレオンは皆から馬鹿にされていた)、読書に明け暮れる日々を過ごしていた。
若いころに、たくさんの書物を読み、知識を蓄えたナポレオンを「戦争の天才」とだけ評価するのは間違い(現にナポレオンは、エジプト遠征の際、多数の学者を同行させている)。
ナポレオン法典を編纂する時も、ナポレオンは『ローマ法大全』の『学説提要』をすみずみまで暗記していたという。

ナポレオンが、民法典編纂に力を注いだ理由は「社会の安定化」を狙ったからだと思う。
当時のフランスは、革命によりあやまった平等がうたわれ、社会が疲弊し、混乱の極みにあった。この社会秩序の乱れをただすことが、第一執政であるナポレオンの使命であったから、民法典編纂は当然の成り行きだったのでは?
でも、『ローマ法大全』を編纂したユスティニアヌスに憧れての民法制定ってことも考えられなくもないなぁ(『学説提要』を暗記してたくらいだし)。


253世界@名無史さん:02/08/14 09:05
252は説得力ありナリね。サンクス!
254世界@名無史さん:02/08/14 22:51
こいつらの手品はつまらん
255世界@名無史さん:02/08/15 14:51
ネイ
256世界@名無史さん:02/08/15 15:40
スルト
257世界@名無史さん:02/08/15 16:46
ミュラ
258世界@名無史さん:02/08/16 01:10
ランヌ
259世界@名無史さん:02/08/16 01:37
ダブー
260世界@名無史さん:02/08/16 07:46
モルティエ
261世界@名無史さん:02/08/16 19:42
ド・グルーシー
262世界@名無史さん:02/08/16 20:26
ド・マルモン
263世界@名無史さん:02/08/16 21:54
マクドナルド
264世界@名無史さん:02/08/16 21:56
マッセナ
265世界@名無史さん:02/08/16 22:00
ポニャトフスキー
266世界@名無史さん:02/08/17 01:52
ド・ソワソン(w
267世界@名無史さん:02/08/17 02:18
ラ・ベドワイエール
268世界@名無史さん:02/08/17 05:14
「ナポレオン睡眠」 徳間書店 酒井洋 上智大学名誉教授

酒井洋は、大正10(1921)年11月9日に生まれた。長岡藩士酒井貞蔵の子孫。
東京市四谷第二尋常小学校・東京府立第五中学校・旅順工科大学予科・同大
学電気工学科を卒業。海軍技術中尉・運輸省鉄道官補・東邦通信工業?褐、究
室長を経て、昭和33(1958)年東京都立大学工学部助教授、昭和38年からは上
智大学理工学部教授をつとめた。工学博士(京都大学)。「松濤」の号をもつ書
家としても知られ、智硯書道研究会会長等を歴任した。『ナポレオン睡眠』(徳間
書店)、『漢字ができるまで』(木耳社)など著書多数。
269世界@名無史さん:02/08/17 12:09
ラサル
270ナポレオン1世:02/08/17 22:17
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1029499390/l50

娯楽板にナポレオン軍団なりきりスレをつくりました。
ナポレオン軍団のスキな将軍名をHNにして参戦してください。
271世界@名無史さん:02/08/17 23:39
>270
孫権をNapoleonとは読めないなあ・・・
272世界@名無史さん:02/08/18 19:47
で、お前らにうかがいますが、ナポレオンにとって“最終的勝利”とは
なんだったですか? 昔からの疑問… 
273世界@名無史さん:02/08/18 21:08
全欧州が自分の足元に平伏し
フランス革命の理念が隅々まで行き渡るとともに
ボナパルト王朝の存続が確立されること

だったんじゃないかな。
274世界@名無史さん:02/08/19 17:00
にしても、フランス革命の理念とボナパルト王朝の存続は両立しないような。
275世界@名無史さん:02/08/22 19:46
江田島があと・・もといダヴーがあと10人いたらナポレオンは全ヨーロッパを
征服していた。
276世界@名無史さん:02/08/23 11:53
なぜ「ボナパルト」でなく「ナポレオン」が一般的な呼称と
なっているのですか?
277世界@名無史さん:02/08/23 12:29
>>276
のちにルイ・ボナパルトが登場したからだろ。
278世界@名無史さん:02/08/23 16:43
>>276
皇帝ナポレオン1世だからでしょう。
279世界@名無史さん:02/08/23 18:04
>>276
ド・ブルボン16世とは言わないだろ?

徳川と言わずに家康と呼ぶだろ?
280アマノウヅメ:02/08/23 18:45
>>276
王様や皇帝になったら名前で呼ぶ習慣です。
ボナパルトと呼ぶのは、皇帝とは認めないということで、
つまり、蔑称です。
王党派はさらにフランス人とも認めないという意味で
ブォパルテと呼んでいたとか。
ルイ16世も、廃位ののちは、革命派からルイ・カペーと
呼ばれていました。
281世界@名無史さん:02/08/23 18:46
Nの教科書の記載こそ歪曲ではないか?
282アマノウヅメ:02/08/23 18:46
ブォパルテ⇒ブォナパルテです。
ごめんなさい。
283世界@名無史さん:02/08/23 18:59
昔読んだナポレオンの伝記的小説にあった一コマ。

ある元老院議員、
「『ナポレオン・ボナパルト』?なんだそいつは。随分田舎臭い名前だな。
コルシカの出だと?なるほどな。
『ボナパルト』はイタリアにもありそうな家名だが、『ナポレオン』とはなんだ。
どこかのお城のおきさき様に忠誠を誓って一騎打ちに出かける騎士のような名前だな。
よくもまあそんな古めかしい名前を付けたもんだ。」

多分こんな内容。「ナポレオン」が極めて印象的な名前だという設定。
他の部分でもけっこう笑われる名前とされていた。
これが著者の主観的な創作なのか、フランス革命時の一般的な見方なのかは不明。
284世界@名無史さん:02/08/23 20:40
ナポレオーネ・ブオナパルテが、ナポレオン・ボナパルトとフランス風に呼び方を変えたのはいつでしょうか?
285世界@名無史さん:02/08/23 21:28
>>284
ナポレオンの親父の代からだよ。
彼の親父はコルシカにおける対イタリア独立闘争の闘士だった。
フランスは親コルシカ独立派を支援していたので、フランス語風
に姓を改めたということを聞いたことがある。
286276:02/08/23 23:16
なるほど。皆さんファミマ!
287世界@名無史さん:02/08/24 09:50
「ナポレオン」って、フランス語(コルシカ語でもいいけど)ではどんな意味なの?
288世界@名無史さん:02/08/24 11:52
>>287
ボルドー産のコニャック です。
289世界@名無史さん:02/08/24 11:55
>>288
いや、言葉の意味としてさ。

単なる意味のないコニャックのブランド名だったの? 
「越乃寒梅」みたいなものか? (ローカルネタでスマソ)
290世界@名無史さん:02/08/24 12:06
>>287
「荒野のライオン」と思う
291世界@名無史さん:02/08/24 23:21
戦闘の起こっていないワーテルロー集落が、ここまで有名になれたのは
まさしくペンのお陰。「勝てば官軍」も効いたね。
292世界@名無史さん:02/08/24 23:32
フランスの右翼、王党派はナポレオンをどう考えているんでしょうか
国威を発揚した英雄?
簒奪者のイタリア人?
293世界@名無史さん:02/08/24 23:56
>>292

「簒奪者ブオナパルテ、人食い鬼、怪物、コルシカ人」

ただし正統王朝派とオルレアン派とで違いがある。
後者は「当時は正統な君主だった」との認識。
294YP:02/08/24 23:56
ナポレオンは、ライオンの他、ギリシア語でのネア・ポリス
(新しい都市)の意味も含むらすぃです。
酒はよくわからんけど、「越乃寒梅」より「一番絞り・生」
に近いかも。
295世界@名無史さん:02/08/25 01:13
>>292
わが国でいえば天皇家に対する織田信長という風に解釈していますがダメですか?
296ダルメシアン:02/08/26 05:34
>>284
ナポレオンが、公文書でのサインにブオナパルテ(Buonaparte)ではなく、ボナパルト(Bonaparte)を使うようになったのは、イタリア方面軍最高司令官に任命されてから。
ナポレオンがサインを変えた理由は、コルシカの英雄であるパオリとの対立で、コルシカの地を踏むことができなくなっていたという背景と、
イタリア方面軍最高司令官の職についたことで、コルシカには戻ることはできないから、これからはフランス人として生きようと考えてのことだと思うんだけど、
どうなのかなぁ…
297世界@名無史さん:02/08/26 18:44
まじ                           まじ
 そろそろナポレオンボナパルとは、語り尽くされたか? 皆さん
まじ                           まじ  
298世界@名無史さん:02/08/26 19:35
ナポレオンとマリア・ヴァレフスカ夫人との間に生まれたアレクサンドルは
第二帝政で外務大臣となりましたが、彼の直系は今フランスに残っているの
でしょうか?
(レオンというのもいました)
299世界@名無史さん:02/09/02 20:03
ルイ17世になるはずだったお方について教えて下さい。
300世界@名無史さん:02/09/02 20:53
>>299
なっただろ?
ルイ17世はいるだろ?

なんでも、ルイ19世もいるのだそうだ。
でも桐生操の本だから、あてになるかどうか。
301ダルメシアン:02/09/02 23:13
302アマノウヅメ:02/09/02 23:41
>>300ゲットおめでとう

で、ルイ17世というのは、王党はの呼び方なんですね。
正式には即位していないし、王権廃止の時に父をなくし、その後まもなく
なくなっていますから。
もっとも、ルイ17世を騙る詐欺師はずいぶんいたようです。
フィクションですが『ハックルベリー・フィンの冒険』にも出てきます。

ルイ19世を認めるのは、よほどカチカチの王党派だけでしょう。
名目だけの王です。
303世界@名無史さん:02/09/02 23:42
7月革命のごたごたの時
シャルル10世がアングレーム公に一時王位を譲って
ルイ19世になり、その後すぐさらに公の甥アンリに譲って
アンリ5世となったんじゃないか?
304世界@名無史さん:02/09/12 00:29
保守。
305世界@名無史さん:02/09/25 22:02
保守しゅ
306世界@名無史さん:02/09/29 23:44
hozennage
307あぼーん:02/10/05 13:40
ついに語り尽くされたようだ。
あぼーん
308世界@名無史さん:02/10/05 13:52
語り尽くされるわけがない。ナポレオン研究は毎年書きかえられるのだBYスタンダール。

・・・いや、ゆうべ佐藤亜紀「1809ナポレオン暗殺」よんだけどおもろかった。
火葬戦記かいてる連中は元傭兵もふくめて嫌いだが、やっぱ亜紀たんは上手い。

あとゴヤの戦争の惨禍画集ほしいなあ
309ダルメシアン:02/10/06 05:10
みなさんおすすめのナポレオン伝記を聞かせて欲しいです。
個人的には、長塚隆二氏の『ナポレオン・上・下』がおすすめです。
それと、伝記ではないですが、両角良彦氏のナポレオン4部作(反ナ
ポレオン考・東方の夢・1812年の雪・セントヘレナ落日)は好著だと思います。
310世界@名無史さん:02/10/06 06:38
潮出版のIK田D作先生の息がかかざるをえないナポレオン伝
311世界@名無史さん:02/10/06 06:50
国内でめぼしいところは、ここにあがっていますが、
ttp://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/sankou.html

フランス書院がナポレオン文庫をはじめて以来、ナポレオン・ヒルに加えて
ネット検索の敵じゃが・・・
312世界@名無史さん:02/10/06 06:56
岩下哲典「江戸のナポレオン伝説―西洋英雄伝はどう読まれたか」
中公新書

幕末の異国船来訪期の危機感のなかで、蘭学者や新井白石といった人々が
軍事テクノロジーを学ぼうと「奈翁伝説」研究おこなった・・・みたいな内容。

正直、ちょっと薄い内容でした。江戸時代の市民〜幕閣の世界認識については
タイモン・スクリーチ(だっけ?)あたりの方が書籍としては上出来
313世界@名無史さん:02/10/06 07:01
池田理代子「エロイカ」(中公文庫コミック)

恋に破れて失踪して名前を隠してクリーニング屋で働いたこともある生臭い池田理代子さん。

人間の業に目覚め歴史研究にはしり著述をはじめた名著。
青池保子もそうだが女性作家・マンガ家の大河ロマンへの情熱は山岡荘八や大菩薩峠など
軽く凌駕する
314世界@名無史さん:02/10/06 07:05
ジョン ストローソン 著 城山三郎 訳
「公爵(ウエリントン)と皇帝(ナポレオン)」新潮社

タイトルどおり。ウェリントンとナポレオンの生涯をいちいち対比させて
理性の人と情熱の人みたいに分類する伝記。訳者がモラリスト城山三郎さんだけあって
両者の人生の要所要所でごくイージーな人生訓をひきだせそうな内容です。
315世界@名無史さん:02/10/06 07:14
J.P. ベルト (著)「ナポレオン年代記」
1789年から死去の1821年の彼にまつわる重要事件を日付単位でおった
データ集。
柏書房の「ヒトラー全記録20645日の軌跡」なみにいかないけど、彼がどこにいたとか
何年にパリ金融市場が暴落を起こしたとか、そのへんの周辺事情が手堅くまとまっている
316やはり長塚隆二か鶴見祐輔:02/10/06 07:18
あたりですかね。
文庫クセジュでも、誰かナポレオン書いてたかと思いますが、とりあえず
自分が目を通したのはこのあたりですね
317世界@名無史さん:02/10/06 07:22
318一番欲しい本:02/10/06 07:28
あと、ダフ・クーパーのタレイラン伝とかツヴァイクのフーシェ伝とか
バルザックの暗黒事件とかふくろう党とか遠景や背景に皇帝本人がでずっぱりから
見え隠れする名著もあり。

アントニーノ ロンコ 著「ナポレオン秘史―マレンゴの戦勝」而立書房 ; ISBN: 4880591939 ; (1994/02/01)

210Pで5000円いうので買えないけど、ナポレオンを一躍世界史の舞台におしあげたこの戦勝は
ドゼの悲劇的活躍がなければありえなかったいう戦史裏面史みたいな本。
これ読みたいなあ・・・
319図書館から借りっぱなしの本:02/10/06 07:35
そのうち返還訴訟おこされるかとびくついているが、なかなか返せないのが
某図書館の閉架書庫から出してもらった
クラウゼヴィッツ「ナポレオンのモスクワ遠征」(原書房)

クラウゼヴィッツの遺稿は全10巻にまとめられ、うち有名な戦争論は
1−3巻。このモスクワ遠征記は第7巻の半分をしめてます。

日本でクラウゼヴィッツの翻訳は、この1、2、3、7(の半分)巻、だけらしいですね
内容的には軍事板向けでしょう。
トルストイの戦争と平和の副読本として愛読してます
320おまけ:02/10/06 07:41
>>317
火葬戦記のたぐいは苦手だけど、やっぱ佐藤大輔さんて才人ですね。
年若い友人に「皇国の守護者」すすめられたけど、あれって元ネタは
ナポレオン文庫向けのポルノグラフィーらしいですね。
それの閨房部分を割愛し、むしろおまけのチャンバラの部分を執拗にかきこむ。
もっとも件のチャンバラはナポレオニックいうよりは南北戦争のころの
施条銃を思わせる内容ですが・・・

奇書、とっていいでしょう。★★★★☆
321世界@名無史さん:02/10/06 11:27
>>311
そのサイトすごい参考になるんだけどさ、
紹介されてる本からの転載(引用どころではない)がけっこう多かった記憶が
322世界@名無史さん:02/10/08 04:00
>>311
セバスチャン・ヘフナーの「プロイセンの歴史」そのサイト管理者が
批判している論拠をのべよ
323世界@名無史さん:02/10/08 09:27
>>322
レス番指定間違えてない?
324世界@名無史さん:02/10/14 00:56
レ・ミゼラブル買ってきたよ。
むろん、第2部のワーテルロー読むため。

ちょっと気になったのは、例の映画におけるオーアン窪道の落馬シーン。
あれが史実かどうか意見、わかれるところだけど、戦後のライオンの丘(ワーテルロー戦勝博物館)
造営のため、周辺の土ほじくりかえして地形をかえちゃったんだよね。
で、オーアン窪道も、現在は平坦な普通の小道になっていると・・・(BY ユゴー)

ユゴーの執筆から100年以上たって、いろいろ史実と隔たっている部分あるけど。
1815/6/18の概論としてなかなかよい出来だった。

ウゴモン館の攻防とか、やっぱ現地調査して書いてるしね。
柘植なんとかより100倍マシ
325世界@名無史さん:02/10/14 01:52
柘植も現地行ってるんだけどな(w
326世界@名無史さん:02/10/14 02:22
タクシーの運ちゃんあいてになんか涙ぐましいやり取りしてたな(w

お得意の「わたしなら」て作戦立案しまくりだけど、どんなものだか。
じつは中央公論の柘植「逆転ワーテルロー」も持ってるんだが、未読。

誰かレビュー描く勇気あるものはいないのか
327世界@名無史さん:02/10/14 06:08
オスカルとアンドレがバスティーユで戦死しなければ・・・・・
328世界@名無史さん:02/10/14 09:27
鶴見のは文才はあるんだろうけど
史書としてはなあ・・・。

べレジナ渡河の時にナポレオンがしんがりを務めたかのように書いているし.
実際は橋崩壊の前日に渡っている.
329世界@名無史さん:02/10/14 09:55
ベルナドットはフェルゼンと面識があるのでしょうか?
オスカルが健在ならば、ナポレオンはどう扱ったか。
アンドレは目の負傷で引退だろうな。残念。
330世界@名無史さん:02/10/14 10:01
「逆撃ナポレオン」のレビューなら
ttp://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/nh.html
の随筆にあるよ。窪道のシーンもしっかりつっこまれてました。
331世界@名無史さん:02/10/14 10:22
フェルゼン伯はスウェーデン国王毒殺の疑いで民衆になぶり殺しにされ、
そのあと王太子として迎えられたのがベルナドットだったと思う。
332世界@名無史さん:02/10/14 13:58
>鶴見のは文才はあるんだろうけど
IK田D作先生の潮出版でもとが昭和6年発行(大日本講談社)なので。
なにしろ文章が「4000年の歳月卿等を俯瞰す」「ボンデミール13日」「ウォーターロー」
時代を感じるよ
333世界@名無史さん:02/10/14 14:11
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-2138949-3052323
British Napoleonic Ship-of-the-Line
Angus Konstam (著),

アマゾン日本のNapoleonic売上げ順位だけど、1位のデビッドチャンドラーの
ナポレオン戦争辞書は当然として、2位の英国戦列艦のオスプレイ本はついこないだまで
無かった。

やっぱBSのホレイショ・ホーンブロワー放映効果とみるべきか

4位の赤本や A Military History and Atlas of the Napoleonic Wars
Brigadier General Vincent J. Esposito (著)
5位の同じくDチャンドラーの
Campaigns of Napoleon : The Mind and Method of History's Greatest
Soldier
は高価だけどやはり手元においておきたいなら、米国amazonの中古本を
買うべきか。
輸送料込み半額以下で入手可能だけど、そのかわり船便なので到着まで50日の覚悟の程を
334世界@名無史さん:02/10/14 14:15
『戦場のナポレオン』柘植久義はわるくないのでは。
 入門としては、かなり、よいと思っている。

335世界@名無史さん:02/10/14 20:38
チャンドラーの『Campaigns of Napoleon』
の日本語訳が近日発売とか日本一有名なナポレオニックサイトにあったが、
詳細はどうなのかねえ
336世界@名無史さん:02/10/15 06:52
>>334
同感。
軍事に的を絞り、あれくらい割り切って勢いのある内容でないと
訳がわからんと思うぞ。
(柘植は的を絞るつもりも、割り切ってるつもりもないだろうが(w)
逆にアレを読んで苦笑できるようになれば初心者卒業でないかな。
337世界@名無史さん:02/10/16 00:43
ツゲはネイが好きなんだと。
338世界@名無史さん:02/10/16 00:56
ナチシンパの柘植はどうしても拒否感あり
339世界@名無史さん:02/10/16 13:28
おいおい。amazonのナポレオニック洋書、順位いれかわり激しすぎ(笑)
思うに1冊2冊売れても、ランキングがかわるってことだろうな。
>333
>ホーンブロワー効果

だな。帆船もの売れまくってるぞ
340世界@名無史さん:02/10/17 03:01
ボナパルト家の当主は現在いるの?
341世界@名無史さん:02/10/17 13:29
ジャン・パティスト・ジュール・ベルナドット
(後のスウェーデン国王カール14世ヨハン)
について書かれた本って、あります?
342世界@名無史さん:02/10/17 13:37
グリヴォーヴァルの砲兵戦術や、カルノーの軍制改革についても知りたいZO!
343名無氏:02/10/18 13:05
ナポレオンがすごいと思うのは
1)サクセスストーリーを実現させた人
2)戦争の仕方が今の企業戦略に採用されてる事
3)ナポレオン法典が今だ使える事
4)勤勉さ
5)不可能を可能にしていく精神(もちろん失敗もあるがw
  超ポジティブな思考
6)いまだその人生が多くの人の関心事であること
7)理想を持っていたこと
8)やっぱかっこいい!(笑)(顔じゃないよ
9)・・・・・・・・・etc
  ナポレオンが考案して実行した事が現代社会に大きな影響を与えてる事が
  たくさんある。戦争等で色々評価は別れるけど、ナポレオンがいなければ
  実現されてない事が多い。
  単に英雄と言うだけでは語り尽くせない偉人だなと思うね


344世界@名無史さん:02/10/18 13:18
>>343
なんかさあ、ナポレオンはナポレオンでもナポレオン・ヒルのほうに
つながっていきそうでやだよw 速聴テープの売りこみスゲーうざかったぜ
345世界@名無史さん:02/10/19 13:50
天才の要因として、物事の原理原則を直感なり計算なりで見つけ出す能力が
あげられるな>ナポレオン。

ヴァンデミエール13日の市民虐殺とか、チュイルリー宮殿に保管されている武器を
叛徒から守るためには、道路を封鎖し、進出する民衆を物理的に排除せなばならない
で、市民砲撃の決断、と・・・。

ムードに流される民衆を軽蔑したのも「物事の計算が出来ない」てあたりかな・・
346フロイト博士:02/10/19 13:53
じついうと、悪名高いベ○ゼン氏の思考(民衆蔑視と力への信仰)て
ある程度、ナポに似ている思うけど、ナポの場合、経験則としてそれを導き出した。

B氏の場合、架空戦記とかありもののドイツ軍神話から妄想した
英雄願望でそういう発想にいたったからな。
347世界@名無史さん:02/10/19 15:32
>342
グリボーヴァルはたしか野戦砲を軽量化し・・・?
忘れた
348世界@名無史さん:02/10/20 11:40
@ナポレオン・ボナパルト将軍が、椅子に座っての勉強のし過ぎ、書籍代が欲しくてロクでも無い物ばかり食べて下痢。→ 痔

A痔が痛くて集中力欠く → ワーテルロー会戦で負け

 本とですか?
349ダルメシアン:02/10/20 16:18
>342
@痔になった経緯はともかく、ナポレオンが痔であったことは事実のようです。

A痔も一つの要因のようですが、「百日天下」期のナポレオンはちょっとした精
 神異常状態だったようで、それがナポレオンの「百日天下」を「百日」で終わ
 らせたというのは、言い過ぎではないと思います。

350ダルメシアン:02/10/20 16:20
間違えました。
>348、ですf(^_^;
351世界@名無史さん:02/10/21 16:30
コルシカ名はナポレオーネ・ボナパルテスだっけ?
352世界@名無史さん:02/10/22 02:26
Napoleone Buonaparte, Carloブォ〜ウナパルテ(てな感じかな・・・)の次男坊かいな。

思うのだがナポレオンの人民や兵士を奮い立たせる美辞麗句て、外国人だから初めて出来たんじゃないかと
妄想。
だって、「兵士諸君等を世界一の沃土に導こう」「4000年の歳月諸君等を見下ろす」
なんて芝居がかった台詞、そうそう出るものじゃない。
やっぱルソーもどき、ウェイテルもどきの小説を書いただけのことはある
353世界@名無史さん:02/10/22 10:50
でもよーく考えればかなり恥ずかしい台詞だよな。
354世界@名無史さん:02/10/22 14:58
高知在住なのだが、ナポレオン関係の本が極端に少ない

ナポレオンが愛したプルタルコス英雄列伝にいたっては皆無

だめだこりゃ
355世界@名無史さん:02/10/22 23:45
>353
そうそう。おでもそれ言いたい。外国語だと母国語でできない大言壮語が
できるんだよなぁ
356世界@名無史さん:02/10/22 23:47
>354
ナポ関係て、あれだけの有名人だし過去無数に著作あったのに
実際に本屋で買えるのは、激減してます。
やはり21世紀か。

来年のNHK大河ドラマで松本幸四郎あたり主演にして「ナポレオン」
やれば、本も沢山出るだろうに・・・。
357世界@名無史さん:02/10/23 03:41
王様の次は皇帝か、松本幸四郎って本当に凄いなあ
358354:02/10/25 12:37
>>356
あれだけ山積みしてあった「歴史群像」のナポレオン上下巻ですら
どこのも見当たらないですわ。
というか、本屋は仕方ないとしても、図書館にもほとんど置いてないです。

都市部の方がうらやましいす。

NHK大河ドラマでは是非ともやってほしいですな。
個人的には鹿賀丈史キボン!!
359世界@名無史さん:02/10/25 14:21
「わたしの記憶が正しければ・・・」
セント・ヘレナでえんえん回想される過去が毎回OP。

いいじゃん。真田広之に金髪のカツラかぶせて、ミュラーをやらせよう
360世界@名無史さん:02/10/25 17:27
(一般的な)日本人はナポレオンが嫌いなのかね。
361世界@名無史さん:02/10/26 14:52
ジュノは今井雅之キボン!!
362世界@名無史さん:02/10/26 19:16
>>360
嫌いというか、興味自体が全然ないのでは

ナポレオン関係の本は現在絶版・在庫切れのものが多いので、
古書店(ネット古書店含む)で探すのがよろしいかと
日本の古本屋とか、スーパー源氏あたりなら、
結構な数が検索にかかるので
363世界@名無史さん:02/10/28 13:17
石原莞爾はじめ世界中の現役軍人さん(あるいはアマチュア歴史マニアが)
ナポレオン研究に熱中したのは、当時は、彼をこえる「世界史的な軍人」がいなかったから。
直後にヒトラーはじめいわゆる「WW2ドイツ軍」て存在が出現して、一般人気は
そちらにながれた。

ちなみにフランス革命前後は、ナポレオンデビューまえで出版物はやはり
フリドリヒ大王とかに集中したのではないかと。

出版状況が違うから、一概には比較できないけどさ。
それ以前はアレキサンダー大王
364世界@名無史さん:02/10/28 13:27
あと関係無いけど、ゲームの話、識者に尋ねたい。
「包囲」「前線突破」あるいは「後方連絡線分断」あるいは外線、内線の
概念てゲームにあるの?

ボードゲームとかPCゲームとかで、たとえば連隊なり軍団なりが
司令部やら策源地やらから切り離された時のルールやプログラムて
あるのかしら?

でないとナポレオンのシム・ゲームて意味ないような気がして・・・?
365世界@名無史さん:02/10/28 13:43
>>364
あるよ。てか、ないとシミュレーションゲームじゃないよ。
PCのゲームはしらんけど、ボードだったら絶対にある。
366世界@名無史さん:02/10/28 15:48


■歴史■巽 孝之 先生の大失態!■捏造■
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/news/1035786096/l50

「リンカーンの世紀」という書籍で、歴史的な前後関係を無視しておいて、
現代批評的視点から再検討しているだけだそうです。

1)リンカーンが暗殺されたのが南北戦争後としている。
2)ゲティスバーグ演説が、当時はあまり評価されておらず、後年に印刷され
てから評価されるようになったことも無視して、リンカーンがメディア操
作の達人であるかのごとく書いてる。
3)「電報技術は南北戦争を拡大したといっても過言ではない」といってい
ますが、これも軍事兵器の進歩による戦術の変化をしっかりととらえていない
一面的な見解です。


論破するために皆様の応援頼みます!
367世界@名無史さん:02/10/29 03:25
ぎゃあぎゃあマルチコピペするな。巽センセは大昔、サイバーパンクだか
スチームパンク運動の邦訳旗手として活躍したが、あんた同様、すぐに歴史を読み替えたり
「いや、19世紀の人は意外とと先進的だった」とか一足飛びに奇抜な意見を言う癖がある。
あんた同様、賢しらでちょっとあわて者のブルース・スターリングとかそういった連中の
影響だ。

なにが論破だ。アフォめ。面と向かって論破も出来ぬくせに
368世界史@名無史さん:02/10/29 09:16
>>363
ナポレオンの戦術を研究したクラウゼビッツの「戦争論」が軍人のバイブル的
存在であったことも一因でしょうね。軍人の尊敬できる軍人としては、
マッカーサー元帥は「ジェネラル オオヤマ(大山巌)」を挙げています。彼が
連合国軍総司令官として進駐し、軍国主義につながるものとして日本各地
の軍人の銅像を破壊した時も唯一大山元帥の銅像は壊させなかったそうです。
兵力、兵站能力ともに劣勢の軍隊を率いて当時世界最大最強の陸軍国と評価
されていた帝政ロシアに対し一歩も譲らずかろうじてではあるが勝利を収めた
彼。日本ではとかく児玉源太郎、乃木希典の影に隠れがちですが、世界中の
軍人から尊敬される偉大な軍人の一人なのです。
369世界@名無史さん:02/10/30 04:03
ああ。補給フェイズか。補給所とユニットのあいだのヘクスに敵の駒が入ると
士気だか攻撃能力から1ポイント引くみたいな感じかな?>365

戦略級とかだとわかるけど、戦術級、はやい話、イエナ会戦でスルトの歩兵ユニットと
ランヌの騎兵ユニットがホルツェンドルフの部隊ユニットの後方連絡線を遮断した時
潰走が始まる過程が、ちょっと想像つかん・・・。

ゲームデザイナーはどういう風にルール明文化してるんだろう?
370世界@名無史さん:02/10/30 05:50
>>363
大モルトケはどうよ。
371世界@名無史さん:02/10/30 05:58
ああ。たしかに1900-1930年代なら、普仏戦争や普墺戦争、WW1の戦訓として
モルトケの戦術研究、ナポレオンより、「より近代戦に適している」いうことで
ケーススタディ行われただろうね。

ま、日本陸軍創生とプロシア陸軍の関連についてはスレ違いだし、もっと詳しい識者におまかせする。
372世界@名無史さん:02/10/30 06:39
>>364>>369
包囲下や後方にまわりこまれてる状態だと戦闘でDR(防御側後退)の結果がでても、
どこにも引く場所がなくなり、その結果ユニットが除去されるというルールの
あるゲームは多いです。

普通に正面から殴り合ってる状態だと、なんでもないDR=1マス後退でも、
後ろをとられてしまうと、DE(防御側壊滅)と同じ扱いになって、
いきなり損害が急増していきます。
あるいは包囲下での攻撃には+修正がついていたりしますね。

あと大規模包囲の場合には、たいてい策源からの連絡線ルールがあって、
それが遮断されると、士気やら、能力やらが落ちていきます。
で、それが続くようだと大抵アポーンなルールが多いですね。
373イワン相手の古い手がある:02/10/30 14:03
>>372
なるほど。ゲームは素人だから多いに参考になりました。
ナポレオン(あるいはフランス革命前後の共和国軍)のオーダーミクス隊形て
フリードリヒ大王の横隊戦術に対抗するところから始まったから、
「突撃縦隊」や「騎兵」が敵の横隊や戦線を突破した時の潰走や士気の低下や
敵司令官による「後退の意志決定」がないと、シムにならないし、なにより
ナポレオン(あるいは俊英大陸軍の)芸術的勝利の再現にならない。

ただこれには熟練した部隊指揮官や、陣形を崩さぬ愛国心に燃えた兵士が必要だから
のちの硬直した巨大密集陣形による、損耗を恐れぬ正面対決(ヘクスにやたらうずたかくスタックした
鈍重な歩兵ユニットで敵を押しつぶす)で、ナポレオンは機動戦を忘れるのだよなあ・・・

(いやしたくてもできない・・・)
374 :02/10/30 17:03
ナポレオンは「病死」生前の髪と比較し断定
ヒ素を使った毒殺か、病死かで論争が続くナポレオン1世(1769−1821年)の
死因をめぐり、フランスの専門家3人が28日、ナポレオンの遺髪だけでなく、生存中に
採取された髪を放射光利用の精密解析装置で分析した結果、毛髪のヒ素汚染は「外部から
もたらされたことが分かった」と発表した。胃がんの合併症による死亡の可能性が強いという。
発表によると、パリ警視庁の法医学研究所に所属するリコルデル教授とシンクロトロンと
呼ばれる放射光解析の専門家ら3人が1821年に切った遺髪と、1805、14年に
側近らに与えた髪のヒ素濃度や分布を初めて比較分析。
いずれも通常の人の髪に含まれるヒ素濃度の5−30倍だったが、3つ年代で大きな違いはなく、
髪の先端や根本にほぼ均等に分布。教授は「皇帝は3回も毒を飲まされたのだろうか」として
毒殺説を退け、ヒ素は毛髪の保管用薬品など外部から付着したと結論付けた。

 ナポレオンは幽閉先の英領セントヘレナ島で獄死したが、「英国の陰謀による毒殺」との説が
たびたび浮上し、崇拝者でつくる「ナポレオン協会」などが繰り返し「毒殺の科学的証明」に取り組んできた。
375世界@名無史さん:02/10/31 01:30
>>349
痔で負けたの?
ワーテルローでは下痢ではなかったの?
376世界@名無史さん:02/10/31 01:44
乃木神社の中央乃木会がくりかえし、乃木無能説に反証するようなものか(笑)

いや、心の奥底では「病死」信じているけど、ぼくは毒殺説を信じているぞ!
第1、病死じゃロマンがない
377世界@名無史さん:02/10/31 06:06
おいおい。amazonの洋書の在庫、猛烈に減っているな。
ついこないだまで,OspreyのMen at armsとかCampaignなんてごろごろあったのに
どんどん検索から消えている
378世界@名無史さん:02/10/31 21:08
>>373
バタイユのルールとかは、日本語訳がダウンロードできるから
読んでみたら? 隊形とモラルに重きを置いてデザインされているのが
わかると思う。
もう少し大きい規模なら、ザッカーシステムのゲームとかが
参考になるでしょう。
379ダルメシアン:02/11/01 01:34
>>375
ナポレオンが痔だったのは事実。でも、下痢って話は聞いたことないです。
無知で申し訳ない・・・
軍人としてのナポレオンに関しては詳しくありませんが、ワーテルローでの
敗因は、対仏大同盟の圧倒的な戦力によるところが大きいと思います。
たとえワーテルローで勝っても、それは対仏大同盟への決定的な勝利にはならないはずですし、
普通に考えて、ナポレオンの敗北は戦う前から決定していたと私は思うのですが・・・
380世界@名無史さん:02/11/01 14:01
>378
ご教示感謝。さっそく例のPDFファイルDLして読みふけってます。非常に面白いですね。
資料の宝庫を知らずに、今日まで過ごしてきたことを痛感しました

http://www.napoleongames.com/

Kevin Zuckerいう人のBonaparde in Italyいうゲームが無性に欲しくなりましたね
381世界@名無史さん:02/11/01 14:39
>>379
ミッドウェーで勝っててもどっかで負けてたよ日本軍っていう説と
似てますな。

個人的にはワーテルローで勝ってたら、やっぱり歴史は違ってたん
じゃないかと思いますわ。
少なくともセントヘレナに流されるようなことはなかったかと。
382世界@名無史さん:02/11/01 23:35
>>381
ワーテルローで勝利。
→しかし徹底した追撃できず。
→ロシアとオーストリア軍がフランスに接近し、その対応に追われる。
→その間にイギリス軍とプロイセン軍が立ち直る。
→泥沼のフランス戦役。
→史実よりヨーロッパに余計な犠牲を強いたあげく退位。

・・・ま、ある意味、歴史は違いますわな(w
383世界@名無史さん:02/11/02 06:03
>>380
第1版からのルールの変遷も面白いですよ。
版が進むにつれ、プレイ困難になっている気もしますが…(笑
ほかにも、入手できれば Wellington's Victory のルールも参考になるかと。
50年ほどずれますが、Great Battles of American Civil War もお勧めです。

ザッカーは… 昔からかなりDQNでしたが、新生OSGになってからは酷すぎる。
ただ、ボナイタ、アットベイ、ハンドレッドデイズ等は名作なので、
ぜひ入手をお勧めします。

384世界@名無史さん:02/11/03 01:20
ザッカーてDQNなのですか(笑。
それはなんでまた・・。

いや、たまたまタロンソフトの「ワーテルロー」いうターン制PCゲームもっているのですが
全54ターンの巨大シナリオで、はたしてウゴモン館を陥落させたとして、
ウェリントン(=AI)が中央から右翼に増援をして中央の戦線を薄くするのか、
それともブルッヒャーを待って中央に戦線を縮小するのか、AIのシム能力に
限界を感じて、ちょっといろいろお尋ねしました。

LOSや数値計算とかPCゲームは便利なのですが、やはりある瞬間、紙の駒と
地図をはさんで対陣する人間二人のプレイのほうが、再現性において面白そうですね
385La Bataille system:02/11/03 06:00
Great Battles of the American Civil War
http://www.gmtgames.com/gmt0g.htm#cw
386381:02/11/03 13:51
>>382
ロシア遠征敗北後の時みたいにウジェーヌがうまくたちまわって
敗残兵を集めてフランス防衛戦争に勝利!!っていう展開になったかも
・・・

だんだん不毛な議論になってきましたな(w
387世界@名無史さん:02/11/03 23:04
>>319
今更だが、「ナポレオンのモスクワ遠征」なら、
『日本の古本屋』(まー知ってるだろうけど、ネット古書検索サイトね)で
2件ヒットしたよ。どちらも2000円。
妥当な値段だろうし、買っちゃえば?

借りっぱなしで「愛読」とか言ってないで、図書館に返してあげなよ。
388382:02/11/04 00:08
>>386
ウジェーヌって何か戦略的に影響あることやってましたっけ?(w

まあ、これ以上、夢のない話しはやめましょう。(w
個人的には夢話より現実の方が数倍面白いと思っているのですが・・

夢話ならフランスの勝ち負けより、ナポレオンが速攻でアメリカに亡命し、
アメリカの地で英雄か?疫病神か?みたいな方向の方が、
おばかな仮想戦記ぽくて面白いと思うんですがネェ。
389マナー違反はいかんよな:02/11/04 02:08
>387
あんたの言うとおりだな。じつはヴァンデ反乱関連調べたく、先々週
くらいに返して、別な資料借り出している。

ま、ご忠告感謝。さっそく1冊買ったよ
390世界@名無史さん:02/11/05 02:12
ジョゼフィーヌ 椅子をもて
椅子はホートクだよ
ホートク
ホートク
391世界@名無史さん:02/11/05 11:35
ナポレオンの遺体は別のとこにあるという噂が広まっていたようですね。
アンバリッドの墓を開けて検査するかどうかで関係者たちがもめていました。

http://fr.news.yahoo.com/021030/5/2trpw.html
392世界@名無史さん:02/11/14 03:59
>>335
>チャンドラーの『Campaigns of Napoleon』
>の日本語訳が近日発売とか日本一有名なナポレオニックサイトにあったが、

亀レススマソだが、そのサイトさんざ探したけど、その情報見つからなかったです。
どこなんでしょ?

amazonで中古本(初版1973)買って届いたけど、見た限りでは例の巨大赤本
(Military history and Atlas of the Napoleonic wars)と内容的に重なりますね。

なんにせよDチャンドラのThe Campaign of Napoleonは1172p中、図版が極端に少なく
文字がびっしりゆえ読むのに骨が折れます。
邦訳が出ればこれにまさる喜びはないです
393335:02/11/14 09:50
>>392
ttp://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/nh.html
ここのトップにGIFで出てる。
信山社から「ナポレオン戦争」全五巻として発売
第一巻は11月31日に一万円で
…って11月31日って存在しないんだが
信山社のHPにも情報ないし、
検索でもひっかからんし…
管理人の壮大なネタか?
394ネタっぽいですね:02/11/14 14:00
・・・なるほど。ネスケで見てたのでGIFアニメがなぜかでなかった。
エクスプローラーで見ると、たしかに不在の日付に、実在の出版社・訳者?
ネタでしょうかね?

出版事情を考えれば、たしかに5分冊5万円で邦訳売り出したいでしょうが、
原著は定価で60$くらいだしなあ
395世界@名無史さん:02/11/14 14:15
あとあまりに有名すぎて国内で入手可能なNapoleonic邦訳研究書
忘れてました。
クラウゼヴィッツ「戦争論」(岩波、中公、ほか)
第4編以降(その前後もふくめて)7年戦争、ナポレオンの諸戦役を
材にした戦略教育テキストですが、マニア的にこんな面白い著作
今まで読まずにすごしてきたことを後悔してます。

のちにリデル・ハートが「間接アプローチ」理論で、クラウゼヴィッツの
「目標はパリ。目的はフランス軍の壊滅」に代表される敵主力の破壊戦略を
批判しているようですが(WW1の犠牲の大きさに、かな?・・・勉強中)
クラウゼヴィッツ自身は、1814年戦役で、盟友グナイゼナウがナポレオン軍の
国民戦争的な包囲殲滅を主張し、シュバルツェンベルグ公や、ロシア皇帝といったアンシャン・レジームな
連中と対峙、タレイランの陰謀により、戦傷の身でどこかの都市に戦時中とめおかれ
敗血症で死なせたことを恨みに思っているようです
396世界@名無史さん:02/11/14 14:22
クラウゼヴィッツの「敵主力の会戦による壊滅と戦争継続意志の途絶」
は単なる戦略論ではなく、フランス戦役やウィーン会議後の王政復古的な
雰囲気のなかで、ドイツ統一が遅れてしまった・・・国民としての
ドイツやプロイセンの形成が、制限戦争を旨とするウィーン会議派に
阻止された・・・いう恨みと政治意識が多分にありますね。

これ以上はプロイセン参謀本部史とドイツ統一になるので別スレでやったほうが
適当ですが・・・
397訂正:02/11/15 13:36
>395
タレイランの陰謀によりグナイゼナウ客死
→メッテルニヒの陰謀によりシャルンホルストはプラハで客死
398某研究者:02/11/17 06:44
まあナポレオンの戦術も縦隊突撃で雑兵を上手く利用したと言う事だろうが
後期には縦隊を突入迄防護する横隊の訓練された兵士が不足したと言う事だろうか
399某研究者:02/11/17 06:46
まあしかし白兵戦を主体とする雑兵である縦隊は
射撃訓練や銃剣で騎兵を防護する訓練等受けておらぬだろうし
サーベルや槍は兎も角銃等は持たせる必要は無かったのではないのか
400某研究者:02/11/17 06:49
まあしかし白兵戦を主体とする筈の胸甲兵に
胴体にしか鎧が無いのはどうかだろうし
鎖や皮鎧位全身に施せなかったのだろうか
(鎖は銃弾を受けた際の傷口を広げ得るにしても
 皮鎧は問題は無い訳だろうか)
401某研究者:02/11/17 07:20
まあしかし密集方陣には兎も角横隊には大砲の弾も殆ど葡萄弾しか通用しないだろうが
敵の物量に任せての密集突撃・各個撃破を避ける為一応榴弾も用意されていたと言う事だろうか
402世界@名無史さん:02/11/17 14:13
>398
あ。猊下だ。L'ordre mixte(オーダーミックス)とかは
単なる陣形の問題ではなく、やはり編成や熟練した野戦指揮官、歴戦の兵士の
存在こそ前提だと思うわけです。
そのへんは、猊下の情報収集能力に多いに期待を寄せるものであります。

ちなみに雑兵いうのは、いわゆる前衛や軽歩兵(Voligeur中隊だか、あとよくわからないのが
Fusilier中隊)みたいなものでしょうかね?
これらの戦闘における役目が、今一つわからない・・・
403世界@名無史さん:02/11/17 14:29
>401
http://riv.co.nz/rnza/hist/shrap/index.htm#fig1

英国のShrapnel中尉の発明したShrapnel(榴散弾)は
300m〜1100mの有効射程距離で散弾をばらまくことができました。
初実戦はバタヴィアのスリナム諸島のオランダ守備隊あいてにだと、いうことなので

むろんフランス大陸軍はこれを持ってなかったようですね?

密集陣形については、1812年のスペインでウェリントンが延々500mにも
およぶ500名2列射撃横隊(正面250名)で、幅70m9列840名(正面90名2個中隊)
で侵攻するフランス軍密集陣形に火力線で勝利してます。

これはワーテルローで老近衛隊を射撃したメイトランド旅団にいたる英軍の
対密集陣形戦術ですね。

===============================

         ↑
      ★★★★★★★★★
      ★★★★★★★★★
      ★★★★★★★★★
      ★★★★★★★★★
404某研究者:02/11/17 18:56
上まあ銃撃のみで崩したのか榴弾を密集隊形の中に
叩き込んで撃破したのかと言う事だが
どうなのだろうが
405某研究者:02/11/17 19:28
しかしこの時代の竜騎兵は乗馬して銃撃を行う様だが
30年戦争の騎銃兵は余り役に立たなかった様だが
この時代の物は違うと言う事なのだろうか
406世界@名無史さん:02/11/17 20:56
>>400
革鎧じゃ大して刺突を防げるわけではないし、動きが緩慢になることには変わりないのだから着せたって意味ないでしょう。
それに騎兵同士が激突するなんてことめったに無かったのでは…。

>>405
竜騎兵だけじゃなくて胸甲騎兵も軽騎兵も銃は持っていました。でもほとんど銃撃することはなかったようです。
30年戦争ではカラコール戦術が無力化されてから、騎兵が会戦で銃撃する意味は無くなりました。


ところで某研さんて何者なんですか?
407某研究者:02/11/17 21:21
>革鎧じゃ大して刺突を防げるわけではないし、動きが緩慢になることには変わりないのだから着せたって意味ないでしょう。

まあサーベルは切り主体の武器だから(サーベルに日本刀の様な切れ味は無い以上は)
皮鎧は有効かも知れないが
騎兵等どうせ馬がやられたら終わりであるし重い胸甲では無く
全身に皮鎧でも装備した方がましだったのかも知れないが


>竜騎兵だけじゃなくて胸甲騎兵も軽騎兵も銃は持っていました。でもほとんど銃撃することはなかったようです。

まあそうすると重い銃等は捨てて全て槍或いはサーベル騎兵とする方向は無かったのだろうか
ナポレオンは散兵からの銃撃を多用しており確か騎兵の散兵も有っただろうが
これは馬上から銃撃していたのでは無いと言う事なのだろうか
408某研究者:02/11/17 21:24
>およぶ500名2列射撃横隊(正面250名)で、幅70m9列840名(正面90名2個中隊)
>で侵攻するフランス軍密集陣形に火力線で勝利してます。

まあ只これは万一白兵戦に持ち込まれれば横隊が各個に撃破され得るだろうが
敵が銃撃戦に持ち込んでくれたので助かっていた部分も有ると言う事だろうか
409某研究者:02/11/17 21:31
>単なる陣形の問題ではなく、やはり編成や熟練した野戦指揮官、歴戦の兵士の
>存在こそ前提だと思うわけです。

白兵戦用の縦隊はろくに射撃訓練も受けていない様な雑兵であり
これを援護する横隊・散兵は訓練を受けた兵と言う事ではないのか
(他国の軍隊には当初は後者は兎も角前者は無かったと言う事だろうか)

ナポレオンの騎兵は平民主体であり
槍騎兵も少ないので他国より弱かったと言われるがどうなのだろうか


>そのへんは、猊下の情報収集能力に多いに期待を寄せるものであります。

まあ前に大量に調べたかと思うが細部は忘れて仕舞った部分も多いだろうか(苦笑
410某研究者:02/11/17 21:34
>それに騎兵同士が激突するなんてことめったに無かったのでは…。

まあ騎兵同士の戦いで勝利した騎兵が歩兵に突撃して
決着が付いている例も多いだろうが
砲兵対砲兵の戦いで勝った方が一方的に敵を砲撃して
其の後に騎兵が突入して勝ったと言う例も多いが
砲兵同士の戦いに勝っても騎兵同士の戦いに負けていた場合は
恐らく歩兵に騎兵を突入されて敗れていた可能性も有るだろうか

まあ騎兵の槍や銃剣に対しては皮鎧では確かに
どうかと言う事だろうが
411某研究者:02/11/17 21:39
まあしかし騎兵もホイールロックのラッパ銃でも連発すれば
敵騎兵の馬は使えなく成ると言う事は無いのだろうか
412某研究者:02/11/17 23:30
まあしかしホイールロック銃と言うのは火縄銃やマスケット銃と異なり
雨天でも発射出来ないのだろうか
413某研究者:02/11/18 06:05
まあ陣形の整った歩兵に騎兵は突入出来ぬとの意見も有るだろうが
仮に砲兵と砲兵の戦いで勝っても
敵の砲撃で味方歩兵の陣形が崩れている訳なら
騎兵対騎兵の戦いに負けた場合は
騎兵突撃を阻止出来なくなる危険は有るだろうか

まあ弾薬の尽きた敵歩兵或いは雨天であり銃撃の可能性が無いなら
槍騎兵であれば敵歩兵の隊列が整っていようと突撃は可能だろうか
雨天でも砲兵は使えるなら其の葡萄弾等で騎兵が阻止される可能性は
有るだろうか
414世界@名無史さん:02/11/18 06:11
某研究者氏の口癖なんですかね。「まあ」って。
それにしても、戦史のコアは話題には、ついて来れる人が少なくて、
氏が一人でモノローグ状態になっちゃってて気の毒。軍事板の人をリクルート
してきましょうか。
415世界@名無史さん:02/11/18 16:23
>>412
ホイールロック式でも、銃口から弾薬を込めて火皿に火薬を入れる手順には変わりないのだから無理でしょう。

>>413
そもそも雨天時の騎兵突撃自体が困難かと。
砲兵だけで騎兵を阻止するのも難しいでしょう。クリミア戦争での勇敢なる600騎は、結局ロシア砲兵陣地を壊滅させていますし。
416某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/18 19:25
>砲兵だけで騎兵を阻止するのも難しいでしょう。クリミア戦争での勇敢なる600騎は、結局ロシア砲兵陣地を壊滅させていますし。

まあ只砲兵を防護する歩兵に整列されておれば
突撃は困難だろうしこれを壊滅させぬ迄も
崩せるだけの歩兵の攻撃は必要と言う事だろうか
(まあ騎兵のみで物量を投入して銃撃や突撃を繰り返せば
 崩せるのかも知れぬが歩兵や砲兵を用いて崩す場合より損害が大きくなる危険は有るだろうか)
417某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/18 19:26
>ホイールロック式でも、銃口から弾薬を込めて火皿に火薬を入れる手順には変わりないのだから無理でしょう。

まあ只騎兵等が事前に詰めておいた最初の1発は
放てると言う事は無いのだろうか
418某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/18 22:19
砲兵だけでは波状攻撃を掛けられれば装填に時間が掛かるので
騎兵の阻止はきついだろうが
砲兵を整列してる歩兵が守っていればどうかだろうが
419世界@名無史さん:02/11/19 13:34
葦原将軍と話すと疲れて、みんな黙っちゃうね。

遠くから眺めている分には愛すべきキャラだが・・・
420世界@名無史さん:02/11/19 21:02
自説なのか問題提起なのか質問なのか分かりにくい。
421世界@名無史さん:02/11/23 12:03
語り尽されたよね。
422世界@名無史さん:02/11/23 12:08
>>419
葦原将軍が国内サッカー板で、日本代表のフォーメーションを熱く語って
いたのを見てびっくりしたよ…やっぱり切り出しは「まあ」だったから
目頭が熱くなった。
423武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/23 12:12

偉大なる毛主席万歳万歳万々歳!!!

毛沢東ド チェック
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/2791/maotsetung.htm

424あやめ :02/11/23 13:08
「まあ」という口癖については彼の宮崎市定大先生が、読売新聞紙上において昭和51年5月に2回にわたり専論を展開されておられます。先生のエッセイ集「東風西雅」に収録されています。
先生がおっしゃるには最近10年ほど話の合間にマアがやたら繰り返される傾向が耳立つて気に障る。
先生の史学的考察によると起源は政治家に発するらしい。彼らは人を瞞着するのを本性とする所からマアを連発するようになったとのこと。
元来は保守系政治家の特技であったが、革新系が政権に近づいたことで変質しマア語族に取り込まれるようになった。
しかも政治的動機を欠く司会者も連発するようになったが、マアが原義を失って単なる雑音になったのは注意すべき社会現象だと、先生は慨嘆しきりでした。
これが第1回分で第2回は対談形式で
司会者「マア早速ですが、マア先生、マア昨日聴取者から投書がありまして、話の合間にマアという音を入れるのはよくないと。
先生「マそれは日本語を知らぬ者の言うことです。マ話の合間にマ、マと入れるのはソフトムードを造るのに、マたいへん宜しい。マある外國人も、マ、マをはさんで話せるから、マたいへん話やすいと言っていた。
と皮肉たっぷりな調子でした。
マ先生としてはマア放送局に何度も注意したが効き目がないのに、マア業を煮やしてコラムに書いたという事情で、マあったようです。
425世界@名無史さん:02/11/23 13:13
へえ、まあってけっこう新しい言葉なんだね。
土屋の古文単語とかに「まあ〜そ」てなふうに乗ってそうな気がしないでもないが
まあ、あやめさんがこんだけ長く書くんだから、まあ多分そうなんだろうね。
426世界@名無史さん:02/11/23 14:29
〜じゃないですか?
てゆーか、

と同じぐらい最近の言葉なのねん、まあ
427世界@名無史さん:02/11/23 14:39
荒らすな荒らすな
428某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/24 00:55
まあ何度も言う様だが銃は兎も角大砲は雨天使用できたのだろうか
(城内の物は矢張り可能だろうか)
429世界@名無史さん:02/11/24 14:53
語り尽くされたよね。
430あやめ :02/11/24 15:04
「まあ」という言葉自体はけっこう昔からあったと思いますよ。明治の小説なんかでもよく出てくるように記憶します。
恐らく「まづ」(先ず)が音便化したものでしょう。つまり「断言は憚るが当面このくらいのことは言えるが」といったニュアンスで使われたもの。
ただ連発されると聞き苦しいので思慮ある人のパブリックな談話においては、なるべく口にしないように心がけられていたと想像されます。
テレビなどで有識者の生な発言が大量に播き散らされる時代になり、日常的な口調が教養ある人士にとっても恥ずかしくない空気が社会全般に拡がりました。
そうした背景の中で「まあ」が座談会などで多くの発言の合間に頻繁に挿入される現象が無遠慮にはびこるようになり、
宮崎先生などは我慢がならなくなり、皮肉の一つも言いたくなったのでしょう。
こうした言葉の嗜みの鈍磨はこれからも更に甚だしくなっていくでしょう。そしてそうした現象の考察資料として盛んに利用されることになるのが、2ちゃんねるでのカキコってことになるんでしょうね。
431世界@名無史さん:02/11/25 05:01
コピペうぜえ・・・>某研

結局、おたくも腹が立てば荒らすダメ人間ということで・・・
432某研究者 ◇NITkxmpUgI :02/11/25 05:30
まあ、あやめとやら(誰すか?)がどっかからコピペして文章張るのは構わないが
某研は正真正銘のヒキコモリで、たぶん、自身が暗示するようにビル管理会社の
セガレだと思うんだけど、まあおそらく、本来社会性を教育すべき母親が無力か不在で
ネットにおいても疑問系というか、極端に対人接触を拒否する自己完結した文章を
2年間にわたって貼りつけてきたのだろうか(苦笑)

おそらく彼自身知識を持っていると自負している19世紀の戦術とやらも所詮は
コピペで、やはりそんだけ氏とか日常の読書の積み重ねで得たものとちがい、どこか
身についていず体系にもなっていない。そして残念ながら、もはやそれを習得できる
若さもない、いったら言い過ぎだろうか(苦笑)

あるいはヒキコモリ生活が長すぎて、自身が本来興味を持てるものへの探求心さえ衰え
懸命にコピペで「自分はまだ生きている。あの日あのとき、父母の非難にもめげず自閉ライフを
開始したのは間違いじゃない!」と自分に言い聞かせているのだろうか(苦笑)
433某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/26 10:00
まあ歩兵も危険な葡萄弾の射程外からの銃撃や砲撃で
砲兵を先ず叩くと言う方向であるなら
葡萄弾等は陸戦で使われたのだろうか
(火力が劣勢だからと言って早期に近接戦に持ち込もうとしても
 葡萄弾の攻撃を受け得る訳だろうし
 ナポレオンの様に葡萄弾の攻撃を縦隊で回避しつつ
 突入するしか無い訳だろうか
 まあ騎兵が敵騎兵に勝てるなら無理に突入せず共
 騎兵が突入出来る程度に敵歩兵の隊列が崩せれば良いだろうが
 歩兵縦隊の突入無しには葡萄弾の攻撃で騎兵がやられる事に成りはすまいか
 まあ敵の砲が残っていても歩兵や砲兵の攻撃で歩兵の隊列が崩れておれば
 騎兵が縦隊で突入すれば葡萄弾は避けられた可能性は有る訳だろうか)
434某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/26 10:09
まあ雨天では砲兵も使えないと言うなら
敵歩兵の隊列を崩すのは歩兵の突入しか無い訳だろうが
槍騎兵なら雨天であれば敵歩兵の隊列を崩さなく共突入は可能だろうか
雨天でも砲のみは使えるなら
砲兵を歩兵の突撃や砲撃で排除後に騎兵を突入させるか
槍騎兵を直接縦隊突撃させるしか無い訳だろうか

敵騎兵に自軍の騎兵が勝てないなら
下馬させて歩兵を補強し敵の騎兵突撃を止めると言う方向も
有るだろうか(まあ雨天では槍騎兵を下馬させて
槍襖でも作らないと無理かも知れないが)
435某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/26 10:12
まあ騎兵が劣勢な側が自軍歩兵に敵騎兵を態と突入させた後で
其の背後から騎兵突撃を掛けて敵騎兵を壊滅し
次は歩兵に騎兵突撃を掛けると言う様な戦法は有り得たのだろうか
436世界@名無史さん:02/11/26 10:14
某研究者さん少しは心を開いてくれよ。みんなあなたのことをもっとよく
知りたいって言ってるんだから。
437某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/26 10:18
まあしかし歩兵は兎も角騎兵の縦隊突撃と言うのは
行われた訳なのだろうか
438世界@名無史さん:02/11/26 13:29
おれは荒らしは相手にしないので、他の方、どうぞ猊下のお相手を・・・
439世界@名無史さん:02/11/26 21:11
某研が来たら、このスレも終わり…
結構良いスレだったのにね、残念。
440335:02/11/26 22:03
ナポレオン戦争全五巻ってマジみたいだね。
ナポレオニックサイトにチラシのコピーが載った。
前にGIFがあったところからリンクされてる。
毎月一冊ずつで、来年三月までに全部出るようだ。
441世界@名無史さん:02/11/26 22:43
いや、まあ語り尽くされたわけでも終わったわけでもないでしょう。
わたしも、あんま知識はないが、たとえば個々の会戦の検討がされてない。

話題の密集陣形に対する散兵の効用にせよ、横隊をうちやぶる縦隊の衝撃力にせよ
第一次イタリア戦役におけるタグリアメント渡河作戦(1797/3/16 一般にナポレ
オンがはじめて混合陣形をとったといわれる)の突撃をかたるなら、それ以前に
ブルボン王朝の軍事研究家ギベールが考案したといわれるL'ordre mixte(オーダーミックス)が、どういう過程で
フランス革命軍をへて、ナポレオンの軍隊にとりこまれたか考察せねばならないと思う。

一般にナポレオンはこの陣形をブリエンヌ士官学校以来のフレデリック大王や歴代フランス軍事書の読書で得た
いうことになっているけど、それは食料品瓶詰めからアスペルン−エスリングの浮き橋まで大発明はすべて皇帝陛下
いう「奈翁英雄伝説」というもので、真相は自然発生的なものと思う。
442L'ordre mixteの起源:02/11/26 23:19
>>440
げ!まじですか!? 5万用意しちゃおうかしら(笑)

それはともかくL'ordre mixteの実戦での起源ですが・・・。
「祖国は危機にあり!」ということで召集された新兵をl'amalgame(アマルガム法 1793/1/21)でdemi-brigade
(半旅団方式 ヴェテラン1大隊-召集兵federe2大隊の組み合わせ)で
革命防衛戦争(1791-95)にかりだしたとき、ヴェテラン1中隊が前衛で横隊をしき、その散兵射撃の援護で
素人2個中隊の縦隊突撃がすでに制度化されている。

すると、これに先立つ実戦成功例があるわけで、砲撃に終始した有名なヴァルミーの戦い
(1792/9/20 革命軍がはじめてプロシア軍に勝った)でプロシア軍横隊をやはり横隊斉射で
のけた例のあとに、前衛ヴェテラン散兵戦+後方砲兵火力支援で、素人密集陣形(縦隊)で
ザクセン-テッヒェン連合軍の前線を(経験的に)破らせた。

それが当時のフランス革命軍北方軍司令官デュモリエズ経由で国民公会〜公安委員会
時代の軍事委員に上告され、制度化し
・・・未来の皇帝ポナバルドいうよりは共和国の准将にすぎないプォナパルテが
戦術を遵守したみたいには考えられませんかね?
443442訂正:02/11/26 23:23
・・・砲撃に終始した有名なヴァルミーの戦い(1792/9/20 革命軍がはじめてプロシア軍に勝った)でプロシア軍横隊をやはり横隊斉射で
のけた例のあとに、
イェマペスの戦い(1792/11/6)で前衛ヴェテラン散兵戦+後方砲兵火力支援で、素人密集陣形(縦隊)で
ザクセン-テッヒェン連合軍の前線を(経験的に)破らせた。
444badhiro:02/11/26 23:35
僕はやはり冬将軍には勝てなかった説でいきます
445世界@名無史さん:02/11/26 23:42
ナポレオンってけっこうオカルテリストだったって話きかない?
446The art of warとは?:02/11/26 23:48
また以前からぼんやり思ってたのですが、何をさしてナポレオンを軍事的天才とさすのか
わからない。

いや天才だとは思うが、ナポレオンが真に強かったのはイタリア方面軍を指揮した96-97年戦役)だけど
あれはもともとミューズ方面軍(ジュルダン指揮)、ライン方面軍(モロー指揮)を主力とするフランス
の対ハプスブルグ首都侵攻作戦の牽制として、敵も若干、弱かった。
アウステルリッツ(1805/12/2)〜イェナ・アウエルシュタット(1806/10/14)はたしかに神業的な勝利だったけど、
その直後のアイラウ戦(1807/2/8)の頃から、辛勝や消耗を恐れぬ力による正面対決が多くなる。
ヘタレで有名なハプスブルグ帝国もアスペルン・エスリング(1809)の頃から互角の戦いをくりひろげる・・・。

思うに、当時、大陸軍とハプスブルグ帝国軍、プロシア軍、ロシア軍、英軍とのあいだに
それほど戦術や装備について差異はなかったと思うのです。
ましてイェナ・アウエルシュタット戦において「新式のオオダアミックス陣形に
旧弊な斜行戦術であたったからプロイセン軍は負けた」いうのは、ちょっと信ぴょう性に
欠けると思うわけですよ
じゃ、ナポレオンの強さ(あるいはフランス軍の強さ)とは何だといえば、
1793年の「国民総動員」によって、世界史にはじめて(ま、モンゴルとかアッチラは別にして)
出現した100万人規模の軍隊これの制御法に長けていた点があると思うんですよ。
(ルイ16世の軍隊は1789年で15万人)

これを制御する師団制度(1万2000人規模で歩砲騎3兵科の独立運用可能)は
オーストリア継承戦争(1740-48)の頃、イタリアアルプス山岳戦の経験を踏まえ
ピーエル・ド・プルセいう参謀がすでに考案してますが、これを実際に運用するノウハウは
誰ももってなかった。
フランス革命軍は5年にわたる流血の末、まなび、これらの経験をふまえ1805年の
ブローニュにおけるあの巨大な大陸軍の編成に成功した。
革命の内紛により煩雑な官僚組織が一掃され、ナポレオンの意のままデザインされた
この巨大軍隊が時速100km/hで反応するソニーのハイテク品川工場だとすれば、
しばし皇帝や大公がクトーゾフやブリュッヒャーいう現場指揮官の決定に容喙し、
かつ指揮権も「絶対君主の軍隊」いう統帥にしばられ、しばし不在の墺軍や普軍が
なすすべもなくアウステルリッツやイェナで負けたとしても、それは当然であり、

かつ指揮・参謀組織を再編した両軍が、急速に作戦指導においてフランス軍に比するようになっても
また当然だと思います

ちょっと妙な文章になりましたね。失礼。

で、この100万の軍隊いう「人員革命」をどう制御するかといえば、
王国として官僚制度が確立しているプロイセンは役所内改革として
いわゆる参謀本部制度という間接指揮をえらび、一方、革命で
旧秩序を失ったナポレオンは、共和国軍のノウハウをうけついだ
自身と幕僚団による直接指揮をとった。

フリドリヒ大王の時代は、号令というか指揮者の大声ひとつで
せいぜい1-2万の軍隊をうごかしたが、アウステルリッツの頃
(1806年以前のプロイセンその他諸国)には、各国1軍団3-5万
にふくれあがった軍隊指揮のため、師団制度を導入した混乱の中にあった。

プロイセンにかぎっていえば(すまん。たまたま今、クラウゼヴィッツが趣味なので)
軍団の分進合撃のための命令書起草のノウハウも未熟なら、そのための
地図や兵站のノウハウも未熟。軍-軍団-師団の指揮権さえ混乱。

一口でいって命令・訓令(軍団指揮者の自由裁量権も認める)のノウハウが
各国、フランスに革命戦争の分1歩遅れをとっていた
ちょっと疲れちゃったのでこれでやめるけど、彼我20-30万になる19世紀初頭の会戦の
指揮および補佐(参謀)つまり運用は、まあ難しいと思うのです。
たとえば師団・軍団毎に発行する命令書・訓令書(いわゆるコレスポンディング)
量をみても、(これはどっかの英文サイトに英訳があるので探せば読めるのですが)
幕僚団による処理(ナポレオンならベルティエ。彼の最後は自殺だけど、そういう
処理をこなせる官僚的繊細な人物)が難しい。

1815年のワーテルローでよく故ベルティエの後釜に座った参謀長スールトの不手際
(敗戦の一因であるウゴモン攻略命令書の曖昧さや、グルーシーへの援軍要請の拙さ)
が非難されるけど、これはもう、スールトの責任や、ナポレオンの独裁的性格による
萎縮いうより、号令式戦争と幕僚団だけで戦争をしようとした大陸軍の「旧式化」
ということじゃないかな。

ま、最近、軍事板世界史板で主に技術革命からみた軍事史がはやりだけど、
ちょっと旧弊な論法でいろいろ知りたいこと疑問に思うこと書きました。

長文スマソ
450世界@名無史さん :02/11/27 18:30
戦争学(文春新書)のP150から151にかけて
ナポレオンの金言集(115の軍事格言)未訳って載っとったけど、
拿勃烈翁 兵家格言(MAXIM DE GUERRE DE NAPOLEON 1ER) 
ゼ子ラル ヒユルノ氏ノ序 月曜会文庫 M18.5発行
一応、115の軍事格言が訳されているみたいだけど。(漢字ばかりだけど)
451祝・Dチャンドラー翻訳!:02/11/28 03:32
一般にナポレオンは軍事に関する箴言集は少ないいわれてるけど
「Napoleon on the Art of War」いう割と最近の出版の命令書・遺稿集や
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0684851857/qid=1038420979/sr=1-3/ref=sr_1_3/002-0709769-9970464?v=glance&s=books
初版1831年の英訳本の定番「How to Make War」
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/stores/detail/-/books/0964228424/reviews/002-0709769-9970464#09642284243200
いうのがありますね。

クラウゼヴィッツスレで、皇帝陛下が孫子に言及してる云々のソースはこのあたりですね。

それにしてもDチャンドラーの「Campaigns of Napoleon」(11/31いうのに一抹の不安感じるが)
ttp://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/etc/CANPA-PAPER.gif
これが万が一にも冗談だと困るなあ(笑)
これが出版されれば、同じくDチャンドラーのNapoleonic Dictionaryあたりからの引用で
誤魔化してた学研歴史群像47-48「ナポレオン皇帝編」「同戦争編」はじめ、
一般のNapoleonicファンの知識も飛躍的に向上するでしょう
452世界@名無史さん:02/11/28 13:45
>445
ナポレオン自身はコルシカの田舎者だけど、やっぱ革命がらみなら
フリーメイソン。

453世界@名無史さん:02/11/28 14:01
ピケット・チャージで有名な南軍アーミステッド准将と北軍ハンコック将も
同じフリーメイソン・ロッジの仲間だよ
454450:02/11/29 11:04
拿勃烈翁 兵家格言って
ttp://www.pvv.ntnu.no/~madsb/home/war/napoleon/maxim00.php3
の翻訳みたい。
455某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/30 19:30
まあナポレオンの散兵では砲兵と合わせても騎兵突撃を阻止し難く
騎兵が突入してくる様なら縦隊を横に並べるか
或いは後方の横隊も前進させて騎兵突撃を防いだと言う事は無いのだろうか
456某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/30 20:05
ナポレオンの陣形の中で狙撃を行う散兵の銃は精度の高い火縄銃の方が
良かったと言う事は無いのだろうか
(まあ火縄ライフル銃迄必要だったかは
 ライフル銃の装填速度を考える限り疑問かも知れぬが)
457某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/11/30 20:06
まあ只火縄銃では銃剣を使い難いと言う事も
有るのかも知れないがこれは致命的共言えないだろうか
458兵が足りなきゃ機動作戦で補え!:02/12/01 03:34
>454
ああ。こりゃいいサイト発見しましたね。>奈翁115の軍事箴言(Military Maxims)

1-20節あたり、いまばーっと読んでいるのですが、3本〜5本の軍団縦列で敵地に侵攻し
(1805年以降の定石ですね)つねに相互に連絡線をたもちながら、しかも補給線を
切らせないキャンペーン戦略(複数作戦)を考案せよみたいなこといってますね。

クラウゼヴィッツあたりだと18世紀の戦争の分析で、「夜間の戦闘は不可能」
「夜間行軍は疲労たかし」としてますが、ナポレオンにいわせると、
「甘いぞ、プロシアン!わがフランス軍将兵は歩兵。砲兵。騎兵はすべて完全装備で眠れ。
不足する戦力は夜間行軍も辞さぬ機動作戦で補うのだ!」
みたいなこといってますねえ・・・
459装備は猊下にきけ!!:02/12/01 04:06
>456
ああ。猊下。わたしもその辺、軽歩兵と戦列歩兵の装備知りたく思ってます。
というのは横隊戦列をつくる大陸軍歩兵はご存知のCharleville1777マスケット銃
が標準装備ですが、これは滑腔。
いわゆる施条(ライフリング)銃がフランス軍において組織的に使われた事例って
なかなかないですね。

軍用猟銃(ライフル)部隊の起源はドイツの猟兵(Jeager?)とか仄聞しますが、
ナポレオン戦争期間中、ドイツ諸国、あるいはハプスブルグ帝国、あるいは
英国のBakerライフル部隊等、敵がつかいまくったにもかかわらず、ナポレオン自身は
配備をためらったようです。

ライン連邦経由(フランスの同盟軍)でこのJeagerライフル、いくつか
仏近衛軍前衛や近衛騎兵に出まわったようですが、1807年に武器の統一を
はかるか何かでナポレオンに廃止を命じられてるようですね
460某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/01 10:56
>英国のBakerライフル部隊等、敵がつかいまくったにもかかわらず、ナポレオン自身は
>配備をためらったようです。

http://www.sanynet.ne.jp/~imperial/Napoleon/weapon2.html#r
まあライフル銃は装填速度が2倍で命中率は1.5倍(遠距離のみ)であれば
コストを増やして迄使う意味は有るのかと言う事だろうが
(火縄の通常銃の方が装填速度は同等・命中率は上であり
 コストも同等だったかも知れぬが)
461某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/01 11:12
しかし葡萄弾の射程が600mも有る大砲も有る様だが
これは装填速度が毎分1発程度だから撃たせた後突入と言う方向も有るだろうが
毎分3発も射程400mの葡萄弾を放てる大砲も有るだろうし
これを潰すには砲兵でないときついと言う事は無かっただろうか
(しかし砲兵も砲に上手く当てられるのかと言う事だろうし
 葡萄弾で攻撃するしか無い訳だろうか)
462某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/01 11:17
まあ只1つの砲に何発も通常砲弾を放てば
砲も潰せるかも知れぬだろうが
大型の砲を用いての葡萄弾でのアウトレンジとどちらが早いだろうか
463某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/01 11:25
まあ確か木の枠等で防護された大砲も有っただろうし
これには葡萄弾は通用し難いかも知れないが
464某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/01 11:27
しかし塹壕の中に砲を置かれたら殆ど砲弾がバウンドして
上を通り過ぎていたと言う可能性は無いのだろうか
まあこれに対しては榴弾での破壊と言う方向も有るだろうが
上手く上で爆発させられるだろうか
465某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/03 17:17
長距離砲は葡萄弾での敵砲兵の殲滅が主体であり
敵歩兵は発射間隔の長さから
主に短距離砲で攻撃していたと言う事だろうか
(まあ短距離砲も敵短距離砲の葡萄弾での殲滅が主体だろうか)
466世界@名無史さん:02/12/03 17:22
砲弾を撃つ人、拾う人。ひろうひと、ひろひと・・・・。
467世界@名無史さん:02/12/03 20:42
葡萄弾は(大砲にとっての)接近戦用じゃないんですか?
468某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/03 21:21
>葡萄弾は(大砲にとっての)接近戦用じゃないんですか?

砲兵が敵砲兵を攻撃する時は
葡萄弾では無く通常弾を使用していたのだろうか
(しかし600m先等から正確に大砲を狙い撃つ事は無理だろうし
 矢張り葡萄弾での攻撃に成らざる負えなかったのではないのか
 通常弾は葡萄弾の射程外で歩兵を攻撃する為の物だろうか)
469世界@名無史さん:02/12/04 05:36
ああ。糞、いま砲兵隊まで趣味がまわらんわい。
グリヴォーバルの規格統一から知りたいのに・・・
470世界@名無史さん:02/12/04 05:45
おれ、銀河英雄伝説の影響で、ナポレオン好きになった痛い厨房だけど、
やっぱナポレオン戦記にあう音楽いったらボレロとニールセンの「不滅」
交響曲だよな。

ハイドンやベートーヴェンにも「皇帝」とか「エロイカ」あるけど
やっぱ決定打は年末の定番「第9」だよな。
あのドイツの深い森の奥から人類の星まで届く理想をシラーの詩にのせて
歌われると、ナポレオン戦争の栄光と悲惨といやおうなく変わりゆく歴史の
巨大さそれにのみこまれた人々の無念が胸に迫るぜベイビイ
471世界@名無史さん:02/12/04 05:49
ゲーテはヴァルミーの戦いに新時代を予感し、
カントはイェナ会戦の砲声をききながら「純粋理性批判」の執筆を
つづけたらしいけれど、
ベートーヴェンの「星の彼方にそは住みたまふ」のあの大合唱は
聴くたびに涙が出るぜ
472某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 09:24
まあ矢張り基本的には砲兵を砲兵である程度排除出来た所に
歩兵兵力を集中させて突入し敵歩兵を排除して騎兵の突入口を開くと言う方向だろうか
(他の部分は主に砲兵で支えると言う事なのか)
縦隊突撃も砲兵の葡萄弾の中を行く訳ではなく
砲兵を砲兵である程度排除した後に散兵に支援され乍ら突入すると言う事だろうか
(まあ味方砲兵が自分の砲の前に出たら
 矢張り援護は出来ない訳だろうか)
473某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 09:27
まあ無論敵の歩兵も砲兵がやられた所を
歩兵で補強しようとするだろうから
歩兵も兵力を集中させるとは言え
敵の歩兵も集中する訳なら突入は簡単では無いだろうか
(まあ他の場所で砲兵が砲兵の攻撃で大規模に潰れたら
 歩兵も手薄な其処から騎兵を突入させて敵歩兵の背後や側面に
 周り込むと言う方向も有るだろうが)
474某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 09:34
まあ故に先ずは複数箇所に砲兵で砲兵を排除した突破口を作り
其処に敵の歩兵兵力を分散させた後で
1箇所に兵力を集中させて突入すれば良いと言う事だろうか
475某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 16:28
砲兵で敵により多くの砲兵を潰した突破口を空ければ
敵は騎兵を阻止するためには戦力を分散せざる負えぬ訳であるし
歩兵や騎兵で容易に突破する事が可能と成る訳だろうか
(突入後背後から砲兵も排除して味方砲兵を砲撃から
 守ると言う方向も有るだろうが)
476世界@名無史さん:02/12/04 16:35
"あたり"をつけて盲撃ちする当時の大砲で、狙って敵の砲をぶち壊すなんて真似できるんですか?
477某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 17:21
>"あたり"をつけて盲撃ちする当時の大砲で、狙って敵の砲をぶち壊すなんて真似できるんですか?

まあ故に葡萄弾で銃より遠距離から砲を狙ったのではないかと書いたが
実際はどうだったのだろうか
(敵砲兵の破壊が砲兵の役目と言うのは
 少なく共フリードリヒ辺りからは言われていた事ではないのか)
478某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 17:26
>(敵砲兵の破壊が砲兵の役目と言うのは
> 少なく共フリードリヒ辺りからは言われていた事ではないのか)

まあ30年戦争辺りではこの様な考えは無く砲兵では無く歩兵を砲が最初から攻撃しており
大型の砲は単なる城砦の攻撃用や威嚇用だったのだろうか
479世界@名無史さん:02/12/04 17:56
騎兵の突撃<歩兵の方陣

歩兵の方陣<大砲の斉射

大砲の斉射<騎兵の突撃

ではなかったかい? おおざっぱにいってだが。
ところでこのスレにも「まあ」野郎のご光臨を賜ったのか。重畳重畳。

あれを連発されると目が痛い。
野郎のオナーニを見せられているような気分になる。
480世界@名無史さん:02/12/04 18:06
おお、ジャンケンになっているではないか!
481某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 18:35
>大砲の斉射<騎兵の突撃

まあこれは葡萄弾を小銃と合わせて連発されればきつい部分も有るのではないのか
482某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 18:36
大砲の無い場所に機動力で回り込むと言う方法も有るだろうが
地形の障害等で困難な場合も有るだろうし
周り込める状況でも敵騎兵が追撃してくる訳だろうか
483世界@名無史さん:02/12/04 19:16
>>481
とはいえ、クリミア戦争時ですら騎兵突撃は有効だったわけだ。
いわんや、ナポレオン戦争においては。
484世界@名無史さん:02/12/04 19:50
>>482
地形の悪いところに、騎兵はともかくあんな重たい大砲を引っ張って据え付けられるものか。
当時の大砲の装填速度から考えれば、
  火力<機動力
となるのが妥当ではなかろうか。

これに関しては、映画「ワーテルロー」にそのものズバリの場面があったと思う。
>>479のじゃんけんが気に入った。
485某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 19:59
>当時の大砲の装填速度から考えれば、

まあ騎兵が全力で突入して来れば次弾を装填する前に1発放って終わりだろうが
騎兵に取り葡萄弾+小銃攻撃は脅威では無いのだろうか
486世界@名無史さん:02/12/04 20:51
仮に騎兵が5メートル程度間隔をとって横隊で突撃をかけたとする。
 (仮に、ではない。英国の騎兵操典によると横の距離は最低でも15〜20フィートとなっている)
大砲だの小銃の連射だのがあっても、突撃自体を食い止める役には立たない。
だから歩兵は「方陣」を作ることでのみ騎兵の突撃に対抗し得る。
砲兵はそれだけでは騎兵の機動力に勝てない。
ナポレオン戦争時の記録のたぐいをもっと調べることを希望する。

だいたい、「騎兵の突撃」とはどの程度の距離を疾駆するものなのか知っているのか?
普通、約50ヤード以下とされているのだ。
つまり、ごく近くに寄るまで騎兵は列を維持するため早足程度でしか進まない。
最後の最後になって、全力で突撃をかけるものだ。
にもかかわらず、騎兵突撃は大砲の放列に勝る、とされている。
「まあ」氏がなんと言おうが、事実だ。

また、「まあ・・・ではないのだろうか」節で蒸し返すんだろうがね。好きにやってくれ。(w
487世界@名無史さん:02/12/04 21:06
何でこんなに葡萄弾にこだわるのだろう…。
葡萄弾とは鉄片をまとめたものであり、発射後扇状に広がる。接近してきた歩兵や騎兵用の砲弾で、砲を破壊するには力不足だろう。
まさか敵の砲列の2-300メートル前までえっちらおっちら移動して撃つわけでもあるまい。
488世界@名無史さん:02/12/04 21:11
つーか、某研にマジレスしたって時間の無駄
そろそろ信者が「猊下、猊下」って湧いてくるぞ
489某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 21:29
>大砲だの小銃の連射だのがあっても、突撃自体を食い止める役には立たない。

まあこれは葡萄弾や小銃を近距離で発射しても
阻止出来ないのだろうか


>砲を破壊するには力不足だろう。

まあ砲を操作する人員を葡萄弾で倒せは
数分程度は砲は発射不能と成る事は無いのだろうか
(或いは弾薬の誘爆も誘えないだろうか)
490某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 21:31
>まさか敵の砲列の2-300メートル前までえっちらおっちら移動して撃つわけでもあるまい。

600m飛ぶ葡萄弾も有る様だが
通常の砲を当てるよりは早いのかも知れないが
491某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 21:34
薄い歩兵横隊と大量の砲では
騎兵を阻止出来ぬのだろうか
しかしクリミアで使われた砲兵の密度と言うのは
どの程度なのかと言う事であり歩兵の援護を受けていたのだろうか 
492某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 21:36
>普通、約50ヤード以下とされているのだ。

まあそうすると突入前に数発の葡萄弾を受ける可能性も
有るだろうか
493世界@名無史さん:02/12/04 21:38
>>489
>まあこれは葡萄弾や小銃を近距離で発射しても
>阻止出来ないのだろうか

猊下、冒頭で述べられている「まあ・・・しても」のあとに「ないのだろうか」と来るのは、
文法的におかしくはありませんでしょうか?
494世界@名無史さん:02/12/04 21:41
>>492
当然だ。普通突撃とは、損害を顧みず突進するものだ。
秋山中佐の士官学校における講義を知らないのか?

 ・・・大丈夫、期待していない。
495某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 21:44
まあ只葡萄弾は3次元的に拡散するから地表近くに広がる子弾の密度はそれ程でも無いと聞いたが
600m先の騎兵を殺傷する能力と言うのは有ったのだろうか
496世界@名無史さん:02/12/04 21:46
猊下! 猊下は臣の話を聞いておられないのですか?



猊下ぁぁぁ!
497世界@名無史さん:02/12/04 21:56
>>487
>接近してきた歩兵や騎兵用の砲弾で、砲を破壊するには力不足だろう。
歩兵はともかく、当時の騎兵は騎兵砲は持たないんではないかな。
突撃して、砲列を突破してサーベルをふるうことで砲兵を制圧するんでは?
つまり、半分になろうが四分の一になろうが砲列を突破できれば勝ち、ということ。

>>494
秋山中佐の講義ってのは、あれか。
「騎兵とは」
といって拳で窓ガラスを貫き、血まみれの手を見せてにこりともせずに
「これじゃ」
とやって見せたヤツ。

損害をかえりみずに打撃を与えること、ということだな。
残念ながら秋山少将は、日露戦争ではとうとう最後まで騎兵突撃ができなかったが。
498世界@名無史さん:02/12/04 22:12
水を差して申し訳ありません
残念ながら騎兵砲は既にありましたよ
499某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 22:19
>つまり、半分になろうが四分の一になろうが砲列を突破できれば勝ち、ということ。

まあ只敵の騎兵との消耗戦で数を減らしていたら
突撃も無理だろうか

まあ密集方陣でなければ騎兵を阻止出来ないのなら
ナポレオンの散兵と言うのは騎兵を全く阻止出来ない訳なのだろうか
(或いは砲兵と合わせれば阻止可能なのか
 騎兵を阻止する場合は縦隊を横に並べて散兵を支援する可能性も
 有るのだろうか)
500某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 22:21
>残念ながら騎兵砲は既にありましたよ

まあ17世紀のピストル騎兵や騎銃兵から有るだろうが
実戦では殆ど使われていないと聞いたがどうなのだろうか
501某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 22:22
>騎兵を阻止する場合は縦隊を横に並べて散兵を支援する可能性も
>有るのだろうか

或いは散兵を密集させて騎兵を阻止すると言う方向も有るだろうが
これは行われたのだろうか
502世界@名無史さん:02/12/04 22:29
だって三瓶の役目は騎兵の阻止じゃないもん
当時の騎兵の攻撃は3段階に分けて行う。つまり、約900メートル先からトロット>キャンター>ギャロップと移行する。
砲に向けて突撃した場合、理論上最初の360メートルで砲丸か榴散弾を9発食らう。次の360メートルで砲丸2発か葡萄弾3発を食らう。最後の180メートルで葡萄弾を2発食らう。

バラクラヴァで、カーディガンに率る673騎(The Charge of the Light Brigade)は、幅約1.6キロの渓谷で約300メートルに広がって攻撃した。ギャロップに移ったのは敵砲陣の90メートル前。
ロシアの砲陣には8門の砲があり、これに横からの砲撃と銃撃、コサックの攻撃が加わった。
結果的に砲兵陣を壊滅させることには成功したけど、生還できたのは195名に過ぎず、多くが重傷をおっていた。特に先頭を勤めた第17槍騎兵連隊の中で母国に戻れたのは4名だけだった。

ちなみにこの数時間前、550名+αの第93高地方連隊が2000騎のロシア重騎兵を2列横陣で追っ払っている(The Thin Red Line)。

長文すみません。
504世界@名無史さん:02/12/04 22:52
しびれますねえ 騎兵の突撃
505世界@名無史さん:02/12/04 22:58
>>498
あ、手元の史料で調べてみたらありましたな。多謝。
この程度の砲では、騎兵と共に動けると言うだけでしょうが、ないよりまし。
もちろん、突撃には随伴しない。

しかし、>>499
>まあ只敵の騎兵との消耗戦で数を減らしていたら
>突撃も無理だろうか
なんか日本語が変だな。
それはいいとして、敵騎兵と消耗戦を行ったあとで、全滅覚悟で砲兵に突撃させる
指揮官がいたら、銃殺ものだろうな。
無理かどうかと言う問題じゃない。勝ちたいのにそういう阿呆なまねをするかい?

>>500
騎兵砲とは、騎兵の行軍に随伴できる小型の「大砲」だよね?
ピストル騎兵だの騎銃兵だのって用語があったのかちょっと記憶にないが、まるっきり
意味が違うだろ?
実戦ではほとんど使われていない、という世迷い言がどこから出たのか知りたい。

>或いは散兵を密集させて
・・・言葉の意味分かってる?
密集した散兵って、散兵じゃないだろ?

なんだか、冒険野郎って頭がよくなさそうだな。
506某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/04 23:08
まあロシアの砲の密度が高ければ
上の騎兵は全滅していた可能性も有るだろうか


>密集した散兵って、散兵じゃないだろ?

まあこれは敵の砲撃や銃撃を逃れる為に散開していた歩兵を密集させて騎兵に対応すると言う事だが
507世界@名無史さん:02/12/04 23:13
昔、冒険は軍事板のスレでピストル騎兵を持ち出されて
完膚無きまでに論破されたトラウマがあるんだよ
508世界@名無史さん:02/12/04 23:16
>>503
騎兵は突撃を始めちゃったらもう突進する以外に出来ることはないですからねえ
509世界@名無史さん:02/12/04 23:30
>>507
この人軍事板で、「・・自分は兵法に関しては歴史上如何なる戦いの
如何なる局面についても岡部いさく氏などどんな軍事評論家をも
論破できる自信がある・・」なんて言っていたくらいだから…
510世界@名無史さん:02/12/04 23:42
>>509
某研ってやばそうな人だとは思っていたが
そこまで虫食まれているのか。
てか岡部いさくって現代兵器専門だと
思ってたが。
511世界@名無史さん:02/12/04 23:46
軍事板で古代や中近世関連のスレが育たないのも
冒険とその信者が荒らし回ったからだからね。
軍事板で自分専用のスレが許されてるんだから、
そこから出てこないでほしい。
512懲りもせず.. (w:02/12/04 23:56
>>506
 >密集した散兵って、散兵じゃないだろ?

>まあこれは敵の砲撃や銃撃を逃れる為に散開していた歩兵を密集させて騎兵に対応すると言う事だが

そ〜れ〜は〜、「歩兵」なの。「散兵」は違うの!
知らないんなら、シッタカ君はやめてね。お願いだから。

  散開している歩兵=散兵

だと思っていたの? まいった。
散兵ってのはさ、 ... やめた。

ともかく、歩兵と散兵とは別物なのヨ。ちょっとは勉強してね。
513世界@名無史さん:02/12/05 00:01
英国陸軍にベーカーライフルを装備した散兵部隊があったと聞いているが、フランス軍
にはあったのかなあ?
シャープ中佐の部隊は、なんだったっけ?
514世界@名無史さん:02/12/05 05:38
ありゃりゃ。揉めてるね。おれも猊下よばわりすると巻きこまれそうなので
おっかないな(苦笑。でも、苛立つのもわかるけどね)

ま、いいや。
コーンウォリスの「炎の英雄シャープ」の元ネタだけどNapoleonic Library
いう古典業書があってさ。そこに収められている1899年出版、
オーストラリア陸軍のジョージ・サイモン少佐なる御仁があつめた半島戦争の
書簡や命令書集だと。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0947898336/qid=1039033379/sr=1-19/ref=sr_1_19/104-5247192-7683120?v=glance&s=books

もう1冊、ファンが推薦する元ネタ集あったんだけど、わすれちまったなぁ
51519世紀自由戦士のためのRPG7:02/12/05 05:53
ちなみにBakerライフルは1800-1815から都合3万丁生産され、
このジョージ・サイモン少佐が指揮、半島戦争Badajosで
フランスの砲兵中隊を狙撃戦で沈黙させたかの名高き英国95連隊
(これと第60連隊で英国ライフル軍団を形成する)のほかに、
内地の市民軍やスペイン、ポルトガルの陸軍および義勇兵にも支給されたんだとさ。
516世界@名無史さん:02/12/05 06:12
>513
シャープは未読なので(だいたい新刊で買ったハヤカワ囚人部隊シリーズさえ
読んでないっす)所属はわかりませんが、ファンサイトあたると
1793年に喧嘩だかに巻きこまれ罪を逃れるためヨークシャーで英国陸軍に入隊(16才)
33連隊の2等兵としてヨーク公の指揮下に94/9/15、フランダースで革命軍と戦闘。

1808年の半島戦争における所属はやはり95連隊第2大隊っぽいですね。

ちなみにわしのライフルの知識はNapoleonic!サイトの武器頁の元ネタくさい
P.J.Haythornthwaite(オスプレイでマリアテレジアの歩兵かいているヘェイソンスウェイトさんです)
「Weapons & Equipment of the Napoleonic Wars」
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/1854094955/qid=1039036157/sr=1-1/ref=sr_1_1/104-5247192-7683120?v=glance&s=books
いう入門書だけど、どうもマニアの評価は厳しいらしいね
517516捕捉:02/12/05 06:21
シャープのバイオグラフィーね
http://www.ar.com.au/~jriddler/sharpe/bio.html

しかし、>>513氏の台詞じゃないが、おれもナポレオンの軽歩兵について
知りたいよ。選抜戦列歩兵とかいう襟章が黄色いのがいるじゃん・・・
518某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 11:13
散兵も散開した侭騎兵を阻止出来るのかと言う事だろうが
散兵は散開した侭銃撃を続け騎兵の阻止は砲兵に任せるのか
或いは縦隊を前に出して横に並べる・或いは散兵が密集すると言う方法も
有るだろうが

ライフル銃の精度は余り高くは無く装填時間は通常の倍掛かると言うが
雑兵のマスケット銃の装填速度と同等程度かも知れないが
通常のマスケットを連発した方が早いのかも知れぬが
(矢張りライフル銃の性能で砲兵を壊滅させたと言うより
 射撃手の能力の高さでだろうか(笑)
マスケット銃ではなく撃鉄の反動の無いホイールロック銃や火縄銃を使えば
彼等の銃の時間辺りの命中率も更に増しただろうか
519某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 11:18
>或いは縦隊を前に出して横に並べる・或いは散兵が密集すると言う方法も
>有るだろうが

まあ散兵が密集したとて火力が増す訳では無いし
先ずは縦隊を横に並べて火力を強化しなければ成らないだろうか
(まあ只槍騎兵は銃剣で槍衾を作っても防げるのかどうかだろうし
 パイク兵でも居なければ銃撃や砲撃のみで阻止せざる負えぬ部分も有るだろうか)
520世界@名無史さん:02/12/05 11:26
ナポレオンとプライドルールで喧嘩したら
私が勝ちます。

ナポレオンより強いおとこ
521某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 11:37
まあ故に発射速度の遅いライフル銃を使う英の散兵より
仏の散兵の方が能力は上かも知れないが
522世界@名無史さん:02/12/05 14:13
ありゃ。これは猊下がいかんな・・・。
散兵サンペイて確信犯的にデタラメ書いちゃ、そりゃ訂正した相手も怒るって
523某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 15:20
まあ兎も角散兵+砲兵で騎兵を阻止出来たのかだが
実例は有るのだろうか
(撃破出来ず共敵騎兵が突入をためらった例は恐らく有る訳だろうか)
524世界@名無史さん:02/12/05 17:15
散兵だろうがなんだろうが、砲兵を真ん中において方陣を作れば阻止できるの。
なんべん言ったらわかるんだろうね、このトウフ頭は。>冒険野郎

歩兵は、通常横列を組んで行進しつつ射撃するのが任務。
散兵は、20フィート以上間隔をおいて、射撃しつつ攪乱するのが任務。

イギリスの散兵は、発射間隔は長いが命中精度に勝るベーカーライフルが装備の基本。
フランスに散兵がいたのかもわからないくせになにを言ってるんだか。
525某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 17:22
>散兵だろうがなんだろうが、砲兵を真ん中において方陣を作れば阻止できるの。

まあ砲兵+散兵では騎兵の阻止は無理であり深い横隊が必要とされる訳だろうか
(もし銃撃を突破して来ればサーベル騎兵は兎も角槍騎兵は銃剣を用いた槍襖でも
 阻止出来ないだろうが槍騎兵の数が少なければ撃退は可能だろうか)

>フランスに散兵がいたのかもわからないくせになにを言ってるんだか。

否むしろ散兵と縦隊だけで通常の横隊は無いのかと考えていたが
526某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 17:27
まあ只横幅の無い方陣は容易に包囲され得る訳だろうし複数方向から同時に騎兵に突撃を受けた場合は
矢張り厳しい局面も有る訳だろうか
527世界@名無史さん:02/12/05 18:26
この人、散兵と戦列歩兵の区別が付いていないんじゃないか?

>槍騎兵は銃剣を用いた槍襖でも阻止出来ない
できる。歩兵は銃剣で馬を狙うのが基本。
槍騎兵は対騎兵の白兵戦に効果があって復活した兵種だ。
528世界@名無史さん:02/12/05 18:35
冒険、電波ゆんゆん
 ↓
見かねた名無しがマジレス
 ↓
冒険、マジレスを踏み台に妄想さらに加速
 ↓
呆れた名無し消える
 ↓
猊下、猊下と信者が湧く
 ↓
冒険リサイタル状態
 ↓
「勉強になります」と信者大感謝
 ↓
スレが廃墟に

今回もこのパターンの予感
529某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 18:50
>できる。歩兵は銃剣で馬を狙うのが基本。

まあ只騎兵の槍の方が歩兵に当たる方が早いかも知れぬが
どうだろうか
530世界@名無史さん:02/12/05 18:55
>>529

馬 鹿 ?
531莫迦につける薬はないのだが、:02/12/05 22:33
>>526
>まあ只横幅の無い方陣は容易に包囲され得る訳だろうし複数方向から同時に騎兵に突撃を受けた場合は
>矢張り厳しい局面も有る訳だろうか

莫迦!
「方陣」ってのは、歩兵が正方形に陣取ってそれぞれの辺に4〜6列になるもの。
一列目は、銃剣を斜め前に傾けて地面に据え、しゃがんで前から来る敵を防ぐ。
二列目は、片膝を付いた姿勢で銃剣をつけた銃を水平に構える。
三列目は、立って銃を構える。
四〜六列目は、交代要員として銃に装填しながら待機する。
中央に指揮官と幕僚と看護兵(そんなのがいればの話だ)、砲兵が待機する。

方陣=包囲されることを前提とした守りの陣形 である。

このくらい勉強してから来い。阿呆!
こんな針ぶすまの陣形に、たとえ槍騎兵であったとしても、めったやたらに突撃する
ものか。

ただし万が一、砲兵の葡萄弾などでこの一角に穴があき、その穴をふさぐ前に騎兵が
突入できたら、騎兵のサーベルによってその方陣は崩壊する。
532高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 22:35
ちなみに>>15はオレだよw
533世界@名無史さん:02/12/05 22:41
 ↑
それがどうした。>>22は漏れだ。

なにかいばれるようなネタなのかと思って見てみたらガカーリだったなぁ。
534某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 22:46
>方陣=包囲されることを前提とした守りの陣形 である。

まあ只同時に全方向からの騎兵突撃を受ければ歩兵が恐慌を起こして
内側の兵が押し潰される危険も無いとは言えないだろうか
(古代の戦闘では上の様な事が確か有っただろうか)
まあ内部が中空の方陣であるなら押し込まれても逃げるスペースは
ある程度は有るだろうが何度も突撃を受ければ
同様の事態が起こり得るだろうか

ナポレオンの余り訓練を受けていないと言う縦隊は
方陣は組めない訳だろうか
535某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 22:48
まあ全方向に対応していると言う事は兵力が分散している訳だろうし
一方向から波状突撃を受けると脆いかも知れないが
536まったく莫迦に (以下略):02/12/05 22:51
>>534
>只同時に全方向からの騎兵突撃を受ければ歩兵が恐慌を起こして
>内側の兵が押し潰される危険も無いとは言えないだろうか

同時に前方向からの攻撃を受けて守れるための陣形が方陣なのだが?
三文アニメの見すぎだよ。
中央部は押し込まれて逃げるスペースなどない。

方陣を組める訓練を受けていない歩兵は、騎兵突撃の前に死ぬ。
横隊の陣形、つまり敵に一斉射撃をするための陣形のままでは、騎兵の敵ではない。

まあそんな兵でナポレオンは戦ったとでも言うつもりだろうか

  ・・・あ、写っちゃった。(w
537まったく莫迦に (以下略):02/12/05 22:53
「前方向」ではない、もちろん。

まあ「全方向」であると言ってもいいのではないだろうか
538高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 22:53
>>533
いまおおざっぱにスレみたんだが
やっぱり長塚が基本文献のようだな
てえかそれぐらいしかオレもしらない
あとオレが持ってるのは赤い歴史群像の2巻組ぐらいだな
ベルトのナポレオン年代記というやつは
初めて知った
歴史群像シリーズでナポレオン戦争を
出してくれればいいんだが
ナポレオンの伝記は以外と少ないんだよな
もう完全に過去の人物ということなんだろうな
オレが高校時代あまりにもナポレオン関連の
文献が少なくてトルストイの戦争と平和を
読もうと思ったぐらいだもの
結局トルストイは読まなかったけどねw
539高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 22:55
しかし某研究者はすげえな
軍オタの代表といったところか
英語文献を読んでるんだろ
オスプレイ?ぐらいしか
ナポレオン時代の軍事関連の日本語文献は
無いと思うからな
540某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/05 22:56
>同時に前方向からの攻撃を受けて守れるための陣形が方陣なのだが?

まあ例え訓練を受けていたとしても
実戦経験の無い兵であれば一歩間違えば騎兵に包囲され逃げ場の無くなる状況に
錯乱し得たと言う事も有るのかも知れないが(笑

散兵は兎も角縦隊突撃を行う兵は横隊さえ満足に組めない雑兵であると聞いたが
彼等は当然方陣等組めない訳だろうか
541ナポ:02/12/05 22:57
>高木氏
あなたの家のそばには大型書店か図書館は無いのですか。
542高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 22:58
まあソースを言わないところが
某研究者も2ちゃんねらーというところだろうがねw
543世界@名無史さん:02/12/05 22:59
漏れの本棚には「ナポレオン」という名前の付いている本だけで10冊以上あり
ますが?

トルストイは、文学として楽しむものだと思うな。歴史の研究とするにはちょっと
不十分だと思う。
以外に「レ・ミゼラブル」あたりにも、ナポレオン時代の話が生々しく描いてあっ
たりする。
「モンテ・クリスト伯」にもその時代はあるが、はじっこをかすめているだけだな。

あの、なんといったか元軍曹が書いたモスクワ遠征紀はなかなか面白かった。
544高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:01
>>541
あるけどとてもオレの蔵書にはかなわないよ
なんてこんなこといったら防犯上やばいがねw
ただいわゆる貴重書は一冊も持ってない
いずれも一般の書店で20年かけて集めたものだからね
545世界@名無史さん:02/12/05 23:01
>>542
お? 君にも写ったね? 冒険病が。 (w
546高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:06
ナポレオンの生涯を書いたものは
長塚ぐらいしか知らないよ
マレンゴとかタレイランについて
書いたものはあるんだろうけど
オレは別にナポレオンおたくじゃないからな
それからナポレオンはクーデーターで
つまり軍隊を使って政権をとったという事を
忘れてもらっては困るな
547世界@名無史さん:02/12/05 23:08
>ナポレオンはクーデーターでつまり軍隊を使って政権をとったという事を忘れてもらっては困るな
 
だーかーらー?
それは歴史の真実であって、誰もそれにコメントをしてはいないと思うが、それがどうしたの?

だからナポレオンは悪い奴なんだ! と言うのなら、世界史板住民としてはイタすぎるなぁ。
548世界@名無史さん:02/12/05 23:13
ナポレオン時代の小説が読みたければ
スタンダールやバルザックを読みなはれ
とくに、スタンダール、
代表作『赤と黒』と『パルムの僧院』は共にナポレオン崇拝者が主人公。
彼自身、イタリア遠征時代のナポレオン軍に従軍したこともあってかなりのナポレオン党。
ナポレオンの活躍が当時の若者の思想に爆発的な影響を与えたことが描かれてます。
ちなみに、『ナポレオン』という伝記も書いてます。多少内容は偏ってますが、
ナポレオンと同時代に生き、その姿を見たことがある人間が書いた数少ない伝記と思います。
549高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:15
>>547
別に悪いやつだとはいってないだろw
じゃあサード・ライヒのあの人はどうなんだw
550世界@名無史さん:02/12/05 23:17
チャーチルはナポレオンの伝記を書くために資料を山ほど集めさせていたらしい
完成してたら、相当ナポレオンマンセーな伝記が出来上がってただろうな。
残念というより、その資料はいずこへ…
551547:02/12/05 23:18
>>549
ナポレオンが、「くーでーたー」で政権を取ったことを忘れないでいることが
どうだって言うのか、と聞いている。

「さーどらいひ」のお話は自分の脳内妄想でやってくれ。
552高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:19
>>548
別に小説が好きなんじゃないんでねw
スタンダールの赤と黒は概要を知ってるよ
赤が軍人で黒が聖職者の意味だったか?
まあオレは銀河英雄伝説ぐらいでちょうどいいのさw
553世界@名無史さん:02/12/05 23:19
>>550
ま、研究を突き詰めて嫌いになる例もあることだし。
マンセーになったのかどうかまでは、どうかな。
いずれにしても、チャーチルだったら本気で研究しただろうな。
554高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:22
>>553
ちなみにチャーチルの第二次世界大戦は
高校時代に買った
第一級の一次資料だからなw
河出文庫で2000円ぐらいだったかなw
555553:02/12/05 23:25
>>554
すまんが調子っぱずれのレスはやめてくれないか?
556高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:28
>>551
オレがいいたいのは
現代の先進国でナポレオンを応用できるのかな
ということさ
せっかく歴史を研究してもそれを応用できないんじゃねえw
557世界@名無史さん:02/12/05 23:29
語尾に「w」つけるやつって
書きながら一人笑いしてるのか?w
かなり気持ち悪いなw
558世界@名無史さん:02/12/05 23:30
>>556
人のまね(応用)でナポになれると思っている妄想バカ ハケーン

それができれば歴史はそのようになっている。
できなかったから今がある。
559高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:36
>>555
だってチャーチルの書いた日本語文献は
それぐらいしかないじゃんか
560世界@名無史さん:02/12/05 23:50
>>559
・・・・ 君は冒険の仮の姿か?
561高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/05 23:55
>>560
オレは戦術面はそれほど詳しくないよ
ただ2ちゃんの並みの軍オタぐらいの
知識はあるということだ
冒険とはあきらかに別人なんだが
そこは2ちゃんねる証明しようが無い
562世界@名無史さん:02/12/05 23:58
>>561
行間から自己顕示欲が溢れまくっていてとてもステキですね。
563世界@名無史さん:02/12/05 23:59
真ちゃん、クソ生意気そうでカワイイ!
564世界@名無史さん:02/12/06 00:04
真ちゃんっていうのか。

人の文をよく読まないで変な「れす」をつけるところなんて、ぼーけんサンと
そっくりでつね。
元気に育って下さい。

一日も早くこの板から卒業しますように、お祈りしていますね。
565世界@名無史さん:02/12/06 00:04
ま、偉そうな割にたいしたこと言ってないし、よくいる雑談コテだろ
自分を人気者だと勘違いしてる類の
566世界@名無史さん:02/12/06 00:06
567ブルゴーニュ軍曹:02/12/06 14:24
>>154かいたものだけど、この高木っちゃ何物だ?
正直、10年くらい、刑務所かどっかに収監されてて、一般社会常識
ないんじゃないか。

さっきゴッドファーザー映画スレみたら、すげええらそうに、カバレリア・ルスティカーナの
曲名教えてもらってたけど、カキコみるかぎりいい歳じゃん・・・

568世界@名無史さん:02/12/06 16:20
>>527とか書いたものです。
まともに読んだナポレオニックの本はコレンクールとヴィゴ=ルシヨン(笑)ぐらいしかないけど、冒険や真ちゃんとかいう人のレスが支離滅裂だということは分かります。お知り合いですか?
488さんの予言が当たるといやだな。
569少女漫画板よりコピペ:02/12/06 23:54
43 :花と名無しさん :02/12/03 23:24 ID:Yk9c67bS
池田理代子『エロイカ』

肖像画のある人は流石良く似ていた.
メッテルニヒとかタレーラン。
タレーランは伝記の口絵見てて「あ、この肖像画がモデルだな」ってわかった。
アレクサンドル1世は意図的に実像より少女漫画的美男にしてる。

分からないのが、フランツ1世.
全然似てない.
肖像画は細面、無髭で刈り上げたような髪なのに
漫画は丸顔で髭生やしたおじさん。
なんかモデルの絵はあるんだろうけど、違いすぎ.


44 :43 :02/12/03 23:26 ID:Yk9c67bS
漫画のフランツ1世は禿げてます.
快調に荒れてますのう・・・。

大陸軍(1808/2/18以降の編成)には
1.(戦列)歩兵連隊(Regiment d'Infanterie de Ligne)
2.軽歩兵連隊(Regiment d'Infanterie Legere)
のふたつの兵科があります

【歩兵連隊】
1連隊=5大隊(野戦4、予備1大隊)
1大隊=6中隊(1擲弾兵Grenadier中隊+1選抜歩兵Voltigeur中隊+4小銃Fusilier中隊)
(※ 予備大隊は4中隊編成)

・・・Voltigeurを「選抜歩兵」と訳すのか「狙撃兵」と訳すのか正解はしりませんが
skirmish(衝突)に起源するSkirmisher(散兵・・・というか前哨兵ですな)いう言葉のほかに
大陸軍なら大陸軍の編成にそれに該当する別称(つうても英語ですけどね)があります。

このへんが、まあ氏の混乱の源じゃないでしょうか?
【軽歩兵連隊】
その起源は1671年のルイ14世統治下の北イタリアからリクルートされた
イタリア人部隊に端を発します
革命(1789)前はプロヴァンス公第1猟歩兵連隊1er Bataillon de Chasseurs Royaux de Provence
あるいは王立第1イタリア連隊、ただ一隊でした。
1791年に軽歩兵大隊1er Bataillon d'Infanterie Legere(1er bataillon de Chasseurs)
1795年(93年いう説も?)に同大隊を基幹に第1軽歩兵半旅団( 1er Demi-Brigade d'Infanterie Legere)
を創設してます。

1795年の同旅団の編成は以下のとおり
(軽歩兵(猟歩兵)大隊×1)1er bataillon d'Infanterie Legere
(ジロンド内閣募集の義勇兵。)8e bataillon Volontaires de la Gironde
(↓さあ、こいつがわからない.復讐大隊?まさかね(笑)識者のレス希望)
1er bataillon des Vengeurs

・・・今、参照にしたのは下記のサイトだけど
ttp://www.napoleon-series.org/index.html
95年いうのは93年の誤記じゃないかなぁ?アマルガム法施行(1793/2/21)や
ジロンド派が軍事指導をおこなう共和国の30万人募兵(93/2/24)、
それに1794年に軽歩兵22個旅団いう話もあるし、このへん、ちょっと研究不足。
572571訂正:02/12/07 05:35
おっと、軽歩兵連隊が革命前ただ1個だけいうのは誤りでしたね。
正確には1788年の革命直前の軍制改革で複数ふえた軽歩兵大隊が、
のちにジロンド政府下で半旅団-連隊-大陸軍への編入ですね・・・。スマソ
573軽歩兵とは何か?:02/12/07 05:56
ま、わたしゃ編成バカですので、自身の勉強もかねてもちょっとお付き合いを・・・。

軽歩兵いうのはその名のとおり、大隊単位で戦闘時に第一戦にでて射撃で制圧戦を
おこなう突撃歩兵みたいなものらしいですが・・・。。

大昔の「大陸軍光と影」なぞ眺めると、ソース不明で
軽歩兵1大隊(=小銃兵1中隊+猟歩兵1中隊+選抜歩兵1中隊)などと編成がのってますが、
これが「おおだあみっくす」だか「三瓶突撃」を行ったかは知識外です。

ただ言えることは、シャルンホルストがフランスの軽歩兵に対して『大陸軍の勝利の原動力』とし
最大限の賛辞をおこなったことですね。曰く・・・
『彼等は戦列横隊の硬直化した陣形にこだわることなく最大限に地形を利用し
個々の兵士の判断で、果断に攻撃をおこなう・・・』

・・・なんとなく近代戦の萌芽、WW1のあのシュトルムトルッペンの原型らしきもの、
ひいては彼等の戦う姿が見えてきそうだと思いませんか?
(むろん、小隊ごとに横隊をしき火力を集中しなければならぬマスケット銃戦闘の限界
もありますが)

ま、戦術や装備の詳細については識者の方にお任せします
Ospreyの未訳で『Napoleon's light infantry』等、それらしい書籍
多数でてるようですね
574軽歩兵の末路:02/12/07 06:08
軽歩兵は起源からして外人部隊(大陸軍ではドイツ諸国、オランダ、ボヘミア、コルシカ連隊も
あるでよ)がかなりをしめますが、esprit de corps(軍人精神いうか士気)が高く、
わりと戦列歩兵にくらべると、老親衛隊へのリクルート率高かったようです。

【共和国〜大陸軍の軽歩兵戦力】
1794年 22半旅団
1803-4年 25連隊
1808年 33連隊
1815年 たった15連隊

普通兵科である戦列歩兵連隊が1813冬-14年春の戦役で157個連隊を頂点
(その後戦死者で90連隊に激減)にくらべるといかにも少ないのは、
消耗もありますが近衛軍団への昇格的編入が多いようです。

1812年以降、新兵縦隊の密集突撃を擁護すべく、果敢に敵第一線にたいして
射撃戦をいどんだんでしょうね
575世界@名無史さん:02/12/07 06:16
以上、フランス語わからんので間抜けな誤りあったらご容赦を。

北杜夫が船舶マニュアルの翻訳でドイツ語のGalgenstain?を
「クレーン」ではなく「絞首台」と訳すくらいならユーモアあって
何ですが
576 :02/12/07 20:54
1er Demi-Brigade d'Infanterie Légèreの編成は1795年で間違いない模様。
Digby SmithのNapoleon's Regimentsによると同年6月16日の編成となっている。
8e bataillon Volontaires de la Girondeはジロンド内閣の云々ではなく「ジロンド県」の義勇兵第8大隊と思われる。
1er bataillon des Vengeursは私もよう分からん。識者の解説希望。
1796年4月10日、1er Demi-Brigade d'Infanterie Légèreは
32e Demi-Brigade d'Infanterie Légèreなどと一緒になり
17e Demi-Brigade d'Infanterie Légèreと名を変えた。
後のナポレオン戦争下ではこれが17e Régiment d'Infanterie Légèreとなった。
ジロンド派(まあジロンド県人会といってもいいしょうが)とジロンド県義勇兵
とりちがえる大ポカやってしまいました(笑)

それはともかく>>576氏、訂正感謝です。
前年のヴァルミー(92/9/20)、ジェマップ(92/11/6)両戦における新旧混成大隊の成果をみて
(話題の散兵+密集縦隊の共和国軍における起源ですね)
L'amalgame(アマルガム法 制定1793/1/21)による大隊基幹の半旅団への再編成ですが、
元ネタをだしたヴァルミーの英雄デュムリエ(ジロンド派)が、祖国を裏切り
オーストリアに亡命(93/4/2)。

当然、ジロンド派から権力を奪取した公安委員会(山岳派)(1793/4/6)が
対立派閥の法施行をしぶり、粛軍のすえ1794年にやっと施行したようです
94年末で軽歩兵22個半旅団なのに、第1大隊を基幹とする第1軽歩兵旅
団の創立が1795年なのはどういうこっちゃと思いました↓

ttp://www.napoleon-series.org/military/organization/c_lightinf1.html

ご指摘どおり、第2、第3軽歩兵大隊のほうが先に1794年に半旅団に
再編されてるようです。この辺も調べれば、単なる書類上の問題ではなく
半旅団が地方の軍隊である以上、ジロンド県選出議員が根こそぎやられた
恐怖時代、ちょっとした揉め事があったかもと妄想してます
579世界@名無史さん:02/12/07 23:20
>Digby SmithのNapoleon's Regiments
ttp://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/1853674133/qid=1039269913/sr=1-1/ref=sr_1_1/104-5247192-7683120?v=glance&s=books

amazonで早速書評みました。そりゃ、あれだけ膨大な軍隊だから
些細な誤記があるかもしれませんが(Dチャンドラ本のいくつかで
もアマルガム法制定日が1793の2/21だか1/21で記述に差異があります)
書評者各位の「正確な連隊史」への情熱はいいですねえ

わたしゃR/D氏じゃないので、ここで共和国の軍隊議論をはじめる気は
ありませんが、今回の某研閣下の混乱は、(私も含め)やはり本邦にお
いてナポレオン軍の固有名詞の普及がたりないんじゃないか、
ひいてはNapoleonic資料の邦訳が最近すたれているんじゃないかと思っちょります。

どっかのスレで誰かいってましたが、歴史という只一回限りの事象の連続において
「戦術」という公約数をみつけることも大事ですが、戦史研究という事象の再確認も
大事かなあと、最近、ぼんやり思っちょります。

エラソーでスマソ
580 :02/12/08 15:51
576の続き、というほどのものでもないが1er bataillon des Vengeursについて。
ネットで調べたところ、「私の先祖はNiortでbataillon des vengeursの1個中隊を指揮してヴァンデで戦った」というHPを発見。
ttp://adelorbeau.free.fr/genealogie/18.html
もしかしたらこのbataillon des Vengeursは、Légionsとか英語でfree corpsと呼ばれる部隊の一種かもしれない。
(県単位で集められた志願兵部隊でなく、地域やあるいは特定有力者が集めた部隊のことで、革命時にもいくつか編成された)
こうした部隊の中には変わった形容詞で呼ばれたものもあったそうだ(John EltingのSword around a Throneによる)。
たとえばHussard de la LibertéとかHussards de la Morteなどという部隊も存在した模様。
もしそうなら、bataillon des Vengeursは本当に「復讐大隊」だった可能性もある。
とはいえ具体的な論拠はないので、やはり識者による解説を希望したい。
581世界@名無史さん:02/12/09 04:36
やあJohn EltingのSword around a Throneをお持ちですか!
あの緑本は当方も今、購入を予定している本です。
あれはよさげですね・・・。

ご紹介いただいたリンク先、残念ながらフランス語知識皆無ゆえ
単語を拾うくらいしかできませんが、自由軽騎兵とか死?の軽騎兵とか
芝居がかった名前がいいですね。

フランス革命スレで誰か、ヴァンデーの叛乱(1793/2/24布告の30万人義勇兵
徴兵に反対し3/10-15一斉蜂起)について調査してましたが・・・。
・・・コンヴァンション(国民公会といっぱんにいわれる組織のことです)
は当時82名の議員を諸県に政府布告で派遣(Representants en mission),
これをSociete populaire(ジャコバンクラブの地方支部)の支援のもと、徴兵に
あたらせました(徴兵退避者の処刑権ももつ)

これがおそらく前述の「県別義勇兵」の起源?でしょうが、戦況が悪化するにつれ
1793/8/23の「総動員令 levee en masse」の時期に無数に編成された部隊が
あります。

軽歩兵大隊がアマルガム(融合)の精神で新中隊+新中隊+旧中隊で編成されたのか
それとも戦線の前衛として旧+新+旧のわりと精鋭編成されたか知りませんが、
そのへん、是非、知りたいところですね
582世界@名無史さん:02/12/09 04:51
ま、当方もとりとめもなく調べているのですが、最終的には戦史研究につなげたいのです。

ナポレオンのArt of war(戦争芸術)の本質として、ヨーロッパで最初に存在した
100万人の巨大軍隊を指揮し、いかに戦ったか、

Corps d'armee(軍団制度)や、「ぶんしんごうげき」の1語で片付けられることの多い
前衛+側衛+後衛のアイディアの結実としてのLe battallion carre(大隊方形)。

それらを駆使しての1806年のイェナ・アウエルシュタット戦と
その失敗例(左翼のネイの延着が引き起こした惨事)としての1807年のアイラウ戦の比較あたりに、
ナポレオンの戦争芸術の本質がひそんでいるのじゃないかと最近
睨んでいます
583 :02/12/09 14:06
>>581

>やあJohn EltingのSword around a Throneをお持ちですか!
>あの緑本は当方も今、購入を予定している本です。

「ナポレオン戦争逸話集」みたいな本なので、持っていれば知ったかぶりできるのが吉。

>これがおそらく前述の「県別義勇兵」の起源?でしょうが、戦況が悪化するにつれ
>1793/8/23の「総動員令 levee en masse」の時期に無数に編成された部隊が
>あります。

John A. LynnのThe Bayonets of the Republic(p58)によると、
1)1791年、92年の志願兵は地元で大隊を編成し、その大隊のまま最前線で戦った。
2)1793年以降の徴募兵たちは既存部隊(常備兵、志願兵部隊)の「補充用」に使われた。
とある。
県別志願兵大隊はむしろ1791年、92年に編成されたものと見られる。

>軽歩兵大隊がアマルガム(融合)の精神で新中隊+新中隊+旧中隊で編成されたのか
>それとも戦線の前衛として旧+新+旧のわりと精鋭編成されたか知りませんが、

この時期の軽歩兵大隊は3個中隊編成ではないと思われる。
少なくとも革命前は8個中隊、1803年からは10個中隊編成だった。
(参考文献:Digby SmithのNapoleon's Regiments)
アマルガムの時点だけいきなり3個中隊に減った可能性は少ないと思う。
軽歩兵半旅団のアマルガムとなると、これはケースバイケースだったのでは。
一般的には常備軍大隊1+志願兵大隊2というケースが多かったと思われるが、詳細は不明。
584 :02/12/09 14:07
>>582

>その失敗例(左翼のネイの延着が引き起こした惨事)としての1807年のアイラウ戦の比較あたりに、

アイラウの戦いについては以下のHPが興味深いので参考まで。
ttp://www.graymo.clara.co.uk/eylau/index.htm
585世界@名無史さん:02/12/09 19:18
チャンドラーの翻訳が出たが???なんと一万円だ。一冊一万円が5冊。そりゃないのでは・・・。しかも地図もほとんどないし・・・
586某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/09 20:32
http://www.asahi-net.or.jp/~PH4M-TIRK/Fa-02.htm
猟騎兵は訓練が容易だったと有るが
馬上からの銃撃等簡単に出来るのだろうか
587世界@名無史さん:02/12/09 22:30
「まあ」はどうした!

「まあ」がない冒険など、冒険としてはみとめられんわ! (w
588世界@名無史さん:02/12/09 22:31
>>586
ボーヤ,どうしたの?
軍板でデンパしていたと思ったらこんなところで。
589世界@名無史さん:02/12/10 05:59
>583
>John A. LynnのThe Bayonets of the Republic(p58)によると、
>1)1791年、92年の志願兵は地元で大隊を編成し、その大隊のまま最前線で戦った。

なるほど〜。いまちょっと調べたら、ラ・ファイエットの国民衛兵(National Guard 1789)
自体が、地方募集ですから、1789年に憲法議会のしたで成立した83県
(というか地方分権decentralisationを目的とし設立された行政単位。各立法・司法府をもつ)
各県からまず10万人あつめ、そこから91年、92年とさらに選抜したのですね

・・・しかし当方が部分的な知識をいかに全体に誤った形で敷衍してたか
カキコみると痛感しますね。しかし尋ねてみるものです。

「散兵」の1語で最近片付けられインフレさえおこした概念に「固定名詞」の
肉付けをしようと、最近ちょこちょこ調べてたのですが、当方も
アマルガム法について同じことしちゃ世話ありませんや(苦笑)

こうなると、あちゃらの歴史である以上1にも2にも書籍調査ですね。
amazonの書籍コーナーでNapoleonicで検索かけて書評眺めるのが最近の日課ですが
>John A. LynnのThe Bayonets of the Republic
は残念ながら在庫無し。

書評読むと、共和国時代の現場指揮官が革命戦争時代、いかに悪戦苦闘しながら
創意工夫を働かせたか、なかなか面白そうです。
「起源論」をはじめると切りがありませんが、やはり革命戦争における戦術や
装備のなかに、のちのナポレオン戦争の萌芽があるはずなので要チェックですね

個人的にはモロー将軍にしろオージュローにしろ
590世界@名無史さん:02/12/10 06:06
それとアイラウ戦のサイト、紹介有難うございます。
冒頭のチャンドラ博士の「アイラウ研究は舐めてかかると痛い目にあうぜよ(意訳)」
のお言葉にケンケン服膺しつつ、まずは読んで見ましょう。
591某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/10 22:02
猟騎兵の馬上からの銃撃能力が一番上であり
他の騎兵は馬上から銃を使う事は
基本的に無かったのであるならまともな馬上での
射撃訓練は受けていたのだろうか
592世界@名無史さん:02/12/10 22:04

http://petitmomo.com/mm/
ここがちょっぴりエッチ系のめぐが運営している出会いサイトです。
もしよかったら使ってみて、、、
ヨロシクです。

めぐ(^o^)-☆
593某研究者 ◆NITkxmpUgI :02/12/10 22:04
猟騎兵の下馬しての銃撃能力も
馬上からの銃撃能力が高いなら
かなり高かった訳だろうか
(まあ只馬上からの銃撃と言っても移動し乍らでは
 無い訳だろうか)
594カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/11 13:17
ナポレオンの運命を変えた瞬間。

1795年10月14日夜10時、小柄で顔色が悪く、陰鬱で痩せた青年が、パリで最も有名な
芝居小屋の一つ、フェドー座から出てきた。青年の名はナポレオン・ボナパルト。
彼は現役兵のリストから抹消された将校で、任務もなければ給料もなく、テロリスト
のレッテルを貼られたために免職同様の扱いを受けていた。こんな暗い気分を紛らせる
ためにメロドラマ『孝行息子』を観に芝居小屋へ行ったのだ。
フォセ・モンマルトル通りのみすぼらしいホテルに帰る途中、彼は、ヴィヴィエンヌ
通りで、暴徒たちの起こした騒乱に遭遇する(ヴァンデルミエールの暴動)。
国民軍を率いるムヌ将軍が、暴徒たちと一戦を交えるどころか、ミュスカダン(ミュスク
:麝香をつけて粋を気取った王党派の若者たち)の騒動を抑えることもできず、退却する
のを目撃したナポレオンは、憤りのあまり議会へ駆けつけた。
ロベスピエールを追放・断罪したテルミドールの反動の立役者・バラスは、無能なムヌ
将軍を解任し、後任の司令官として、いきなり飛び込んできたこの熱血漢、ナポレオン・
ボナパルトを抜擢。王党派を鎮圧する。

この日、ナポレオンが芝居を観に行かなかったら、そして、騒乱に遭遇しなかったら、
彼は一生、うだつのあがらない一将校で終わったかもしれないのだ。
実質的に国政を指導していたバラスは、1799年、ナポレオンによる「ブリュメール18日の
クーデター」で追放される。これも皮肉な話だ。

上記、嘘みたいな話だが、ミシェル・ダンセルの『パリ歴史物語』(原書房)にも出て
くるので信用していいのかな…。
595世界@名無史さん:02/12/11 14:06
へえ。彼がバラスに接近してたのは知ってましたが(ボーアルネ子爵夫人の下賜以前だから、ツーロン軍港
攻略あたりですかね?最近見た、フランスのTVドラマではヴァンデミエール13日直前、
スタール夫人のサロンにも出入りしてたようですが)
そういうエピソードもあったのですね。
ウェイテルばりの小説を書くとはききましたが、なるほど〜。

ただ、陸軍省陸地測量部に8月には職をみつけ、官制にこだわらず有力者と
接触してたので(モローにしろピシュグリ?にしろ、当時の混乱期の軍人の特徴ですね)
芝居小屋のまえで激昂していうのは伝説くさいですね。
最近の研究では、ヴァンデミエール将軍のサン・ロック教会での民衆砲撃時、
彼は名目上は「軍事補佐官」で、現場指揮官は別人だったいう説もあるそうです。

ソースは恥ずかしながら学研の赤本【皇帝篇】です
(いや、けして悪くないんですよ、コレ。読めば読むほど、広く浅く、一応
全域を網羅してるので)
596関係無いが:02/12/11 14:23
ベートーヴェンの「不滅の恋人」って、弟の嫁さん?
で、じつはその嫁さんの長男は、じつはルドヴィヒの不義の子?

いや、あの第9の宇宙的歓喜きくたび、ええなあ思うので
597カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/11 14:29
>>595
>最近の研究では、ヴァンデミエール将軍のサン・ロック教会での民衆砲撃時、

「ヴァンデミエール将軍」って誰? 王党派?
それも【皇帝篇】とやらに書いてあるの?

ミシェル・ダンセルは、1935年生まれ。歴史学と文学の博士号を持ってる人だよ。
1973年の著書『ペール・ラシェーズにて』ではブラック・ユーモア大賞をとっている。
「最近の研究」っていつのこと? 【皇帝篇】に文献、書いてある?
598カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/11 14:43
>>595 ついでに…。
君、女性だろ? 男は、「ボーアルネ子爵夫人の下賜」なんて屈辱的な言葉、絶対、
書かないよ! いくらジョゼフィーヌが元バラスの愛人だったからといっても、バラスが
彼女をナポレオンに与えたわけじゃない。ナポレオンに会った頃はバラスと別れていた
らしいし…、ナポレオンを選んだのは、彼女の自身の意思だろ? 
彼女はしたたかな女性だよ。女性は、往々にして同性に対して差別的な言葉を使うよな…。
599カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/11 15:55
>>595
ヴァンデミエールの騒乱鎮圧の総指揮官は「別人」というよりバラスなんだよ。バラスは
2年前(1793年)、派遣議員として、王党派が占拠するツーロン市を攻囲した際、
ナポレオンの活躍(と変な名前)を覚えていて、この騒乱のとき、解任したムヌ将軍の
代わりに砲兵隊の指揮官(急だったので、臨時補佐官)としてナポレオンを起用した。
彼は国民公会のまわりに大砲を並べ、叛徒を撃退した。
10月26日、国民公会はナポレオンを国民軍の指揮官に任命し、翌日、解散。
総裁政府(すなわち後のナポレオン帝政)の土台がここに築かれた。
600世界@名無史さん:02/12/11 20:58
>>595
>ウェイテルばりの小説を書くとはききましたが、なるほど〜。

うぇいてる? 誰?
ナポレオンって、小説書いていたの?

マジに知らなかった。結構大奈公は好きだったんだがな。知らないことってあるもんだな。
601 :02/12/11 21:47
戦場にいくときも「若きウェイテルの悩み」はいつも持ち歩いていたとか
ピラミッドやアウステルリッツで士気高揚の為に兵士に言ったあの名言も
昔小説書いていたときに思いついたネタだったらしい
・・・なんかゲッペルスに似ている
602600:02/12/11 23:23
>>601
...と言うことならわかるんだが、595氏の書き方だと「うぇいてる」という作家
がいて、それにかぶれて小説をモノしたように読めるんだな。
603世界@名無史さん:02/12/11 23:43
そもそも「ウェイテル」って何よ?
ゲーテの小説のことなら、Werthersを何語で読んだら
「ウェイテル」になるのか、と小一時間(略)。
604世界@名無史さん:02/12/11 23:56
「若きウェイテルの悩み」で検索すると結構ヒットしますね。
昔風の読みかた?
605世界@名無史さん:02/12/12 00:13
ギョエテ&ワーザースのタイニィー・トゥーンのはじまり、はじまり。
最初のお話はもちろん、我らがバックスバニーだ。
606595:02/12/12 03:00
ひぇえええ。な、何事ですか?>バックスバニーカメレオン氏

いや、状況はよくわかりますが、フランス革命スレの騒乱に僕を巻き込まないでくれ〜
としかいいようがないです(笑)
607世界@名無史さん:02/12/12 03:28
ま、いいや。「Clisson et Eug?nieいう小説が」などと話す前に、そちらは
学識深そうな方なので、言い争うのは本意じゃない。
ウェイテルは濁らなきゃならんのでしょうな。失礼

わたしゃ、別な方面で調べものしましょう。
608世界@名無史さん:02/12/12 03:38
>600
いや、書いているらしいですよ。ナポレオン。1795/9に『クリッソンとウジェニー』いう小説。
(正確なタイトルは『クリッソン』)
騎兵士官のクリッソンが湯治場でウジェニーいう少女と知り合い恋に落ちるが
戦傷で入院中に副官のベルヴィルに少女を寝取られる。絶望で主人公クリッソンは
自殺的突撃の戦闘にたち戦死いう話です。
つうか、わしのほうこそ、なんかカメレオンさん女性のような気がしてきたよ。
わしは無骨な軍事板厨房でしてな。ま、なんとなくそちらを取り巻く状況、
先週あたりからROMっているんで判りますが、巻きこまないでくれ、としか
言いようがありませんな
610というわけで:02/12/12 04:56
わしも当方の誤りを訂正しておきましょう
>595の誤り


>芝居小屋のまえで激昂は神話
未確認ゆえいいすぎですね。ただミュスカダンいうのはテルミドール派の
愚連隊で、まあ・・・、あとはナポレオンや国民公会が誰を鎮圧しようとしたか
そちらの判断におまかせしましょう


>1説によると現場指揮官ではなく現場副官
>学研の赤本のP42志垣嘉夫教授の記述
>『翌日の国民公会の議事録にも官報「ル・モニトゥール紙」にもポナバルドの名前は無い。
>ゆえに現場指揮官はナポレオンではないのではないか?』

(事実)公会議事録はともかく翌日の「ル・モニトール紙」には無名ゆえBouna Parteと誤記
(Napoleon BonaparteでもNapoleone Buonaparteでもない)これが教授の誤記の源。
わしもこれを「一説には現場指揮官は別人」とあげたが、早断でしたね。
失礼。

あとムヌを解任したのは国民公会であって、バラスじゃないような・・・(ゴニョゴニョ)

わしゃあ、得たりとカメレオンさんにロベスピエールやらナポの書いた小説の
話してもらいたく尋ねたんだが。悲しい・・・
611世界@名無史さん:02/12/12 05:15
ああ・・ミュスカダンの定義で、また揉めるんだろうなぁ
612カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/12 12:10
>>610=>>595
荒らす気はないですよ。一般的には、1799年のナポレオンのクーデターまでが、
「フランス革命」というくくりだから、このナポレオンスレに書き込んだ時点で
>>595は「フランス革命スレの騒乱」に巻き込まれたわけで…。
俺は、外国語のカタカナ表記については、こだわらないんで、「ウェイテル」云々と
言っている>>606あたりは俺じゃないです。(前もどこかで書きましたが、俺は名無史
では書き込まないし、昨夜は例によって飲み会で、帰ってきたのが午前様だったから、
結構酔ってたし、すぐ寝ちゃった。で…、9時頃起きた。ちょっと二日酔い…)

>>595の「ヴァンデミエール将軍」はどうなりました?

>最近の研究では、ヴァンデミエール将軍のサン・ロック教会での民衆砲撃時、

「民衆」という表現は漠然としすぎてる。どういうグループが、誰に(何に)対して
砲撃したのか? あるいは「民衆」に砲撃したのか、この書き方では判らんです。
ナポレオンの人生を変えた大事な事件ですから、正確に書きましょう。

俺が「嘘みたいな話」と書いたのは、ナポレオンが、この暴動鎮圧に加わったのが、
フェドー座で『孝行息子』を観た帰りだったという点。メロドラマを観て、涙を流す
なんてのは、あまりにもナポレオンのキャラに会わないからね。『パリ歴史物語』に
書いてあったとはいえ、ミシェル・ダンセルはブラック・ユーモア大賞とった人だから、
多少怪しくても、面白い話なら書いちゃうだろうな、と思ったわけで…。
(この話、どの本か覚えてないが、他でも読んだ気がする…)
613カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/12 12:10
>>610
>未確認ゆえいいすぎですね。ただミュスカダンいうのはテルミドール派の
>愚連隊で、まあ・・・、あとはナポレオンや国民公会が誰を鎮圧しようとしたか
>そちらの判断におまかせしましょう

「ミュスカダン」=「テルミドール派の愚連隊」は明らかに間違いです。

ミュスカダン: フランス革命期のテルミドール反動後に、麝香(ミュスク)などを
つけて粋を気取った王党派の青年たちを指す。ちなみに「テルミドール」とは、革命暦
で「熱月」を意味し、テルミドール反動とは、国民公会に拠って恐怖政治を展開して
いた山岳派の指導者ロベスピエールが、1794年のこの月に反対派に捕らえられて処刑
されたクーデターを指す。この事件から、国民公会は再びブルジョワジーたちのジロンド
派(テルミドリアン=テルミドール派)によって掌握され、翌年(1795年)、総裁政府
の成立とともに解散する。
ミシェル・ダンセル『パリ歴史物語(下)』(原書房)P16(注)より

「テルミドール派」の筆頭がバラスですよん!
614カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/12 12:11
>あとムヌを解任したのは国民公会であって、バラスじゃないような・・・(ゴニョゴニョ)

はいはい。厳密に書きます。国民公会は、ムヌ将軍を罷免し、バラスに全権を託し、
国民公会に全権を託されたバラスは、1793年にツーロンで活躍したナポレオン・
ボナパルトに期待をかけて、「砲兵隊指揮官」に彼を指名した。
バラスはヴァンデミエールの暴動鎮圧の際の「総指揮官」、ナポレオン・ボナパルトは
「砲兵隊指揮官」。「現場指揮官」だと、どっちを指すのかよく判らんですな。

>わしゃあ、得たりとカメレオンさんにロベスピエールやらナポの書いた小説の
>話してもらいたく尋ねたんだが。悲しい・・・

今度、時間のあるときに書くよ。今日はもう出かけるので…。
615世界@名無史さん:02/12/12 20:17
見るにみかねて閣下が
大陸軍45万を引き連れてこのスレを視察にきました

http://www.columbia.edu/~ahs129/napoleon.jpg
616世界@名無史さん:02/12/12 22:21
>>615
ワラタ!
617世界@名無史さん:02/12/13 00:44
>1795年10月14日夜10時、小柄で顔色が悪く、陰鬱で痩せた青年が、パリで最も有名な

1795年の王党派蜂起「ヴァンデミエール13日」は10月5日だったのでは。
参照↓
ttp://home.nordnet.fr/~blatouche/E26.html
ttp://www.bartleby.com/65/ve/Vendemia.html
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~french/history/10-4.html#top
など。
Michel Dansel自身が「10月14日夜10時」と書いているのだろうか。

>「ヴァンデミエール将軍」

横レスだがボナパルトのことを言いたかったのではないかと思う。
ttp://users.skynet.be/bs802199/FILES_E/Chapitre_E/06-Consulat_E.html
(一番下にある絵の説明参照)
ttp://madeline.cc/history/jf.html
(真ん中より少し上のあたり参照)
など。
618カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/13 02:49
>>617
>横レスだがボナパルトのことを言いたかったのではないかと思う。

その通り。「ヴァンデミエール将軍」は、ナポレオン・ボナパルトのことです。
スルーしようとも思ったんだが、>>595>>610 のレスがちょっと?だったから…、

>まあ・・・、あとはナポレオンや国民公会が誰を鎮圧しようとしたか
>そちらの判断におまかせしましょう

「こちらが判断」するようなことではないので、「ヴァンデミエールの暴動(蜂起)」
そのものについて、少し整理してほしいと思ったわけで…。
619カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/13 02:50
>Michel Dansel自身が「10月14日夜10時」と書いているのだろうか。

そうです。『パリ歴史物語(下)』(P15)にはそう記載されている。
今は詳しい資料がないので確認できないが、俺は、Michel Danselの誤記や、誤訳では
ないと思う。ヴァンデミエール13日(10月5日)の蜂起による騒乱は、鎮圧にあたった
ムヌ将軍が、王党派である叛徒に同情的であったために収拾がつかず、長引いていた
のではないだろうか。そこで、国民公会は10月14日にムヌ将軍を罷免し、バラスを
指揮官として全権を託した。
>>595の言うように、ボナパルトは、確かに1795年8月に名目上は陸軍省陸地測量部
に所属していたが、それはバラスのコネというわけでもなかったようだ。
華々しい活躍の舞台とは程遠い閑職のようで、Michel Danselは「免職同様の扱いを
受けていた」と書いている。(ロクに給料ももらえなかったらしい)
620カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/13 02:50
<…ホテルへ帰る道すがら、革命兵士が暴徒たちと一戦も交えずに退却したことに
憤った彼は、議会に行き、ムヌ将軍の解任劇に立ち会った。その際、議会に呼ばれた
バラスは、無能な将軍の後任としてボナパルトを指名する。
翌日、コルシカ島出身の小柄な将校は、ヴォルテール河岸で叛徒を打ちのめし、
二日後、中将に昇進する。それは周知のような彼の栄達の第一歩にほかならなかった。
倦怠が若い追放者をささやかな慰みへと連れ出した10月のある夜。一切がこうして
その夜のフェドー座からの帰り道で始まったのだ。>『パリ歴史物語(下)』(P16)

>>610 俺も「歴史読本」の「フランス革命とナポレオン」の号を読んでみたが、
志垣教授の文は、やはり少し…??の部分があるので、ご注意。
621世界@名無史さん:02/12/13 04:10
いやいや、いろいろご教示ありがとうございます。
ま、わたしは整理するほど知識は完璧とはいえないので、ちょぼちょぼ
以下のあたり、知りたいなあ思ってネット検索でもしましょう。
基本的に、某研閣下同様、ネットで調べ物をするのが好きなので

おっしゃるとおり「帝政の基礎となった総裁政府」?〜統領政府がらみで、ヴァンデミエール13日は
重要と思われる以下のキーワード、ちょっと知りたい思ってたのですよね・・・。



ヴァンデミエール13日蜂起(1795/10/5)の直接の主因である「3分の2法 decret des deux tiers」
王党派貴族?Jcques Menou(1750-1810 プレリアル3日の暴動を鎮圧した)の解任の経緯

治安維持軍forces de l'ordre司令官バラスの支持でポナバルドにあたえられた
Sablonsキャンプ4000人+パトリオット1500の緊急部隊創設を支持した経緯
(国民公会から創設を依頼された5人委員会にたいするバラスの恣意)

ま、あと、1795/8以来〜つどつど目撃例が報告されるバラスとナポレオンの同席例

いわゆるMuscadins(sectionnaires royalistes 小粋な?王政主義者いわれる町の愚連隊と
La Convention Thermidorienneのジャコバンへの報復・暴力装置としてのそれの2つの意味)
については、まあ、そのうち・・・。


622世界@名無史さん:02/12/13 04:35
フォント化けは面倒なので、単なるアルファベット表記ですが・・・。
いずれにせよわたしゃフランス語ワカリマセンの人なので、英文サイトあたってみましょう。
報告例なければ、「大風呂敷ひろげて逃げたな」くらいに思ってください(笑)
わたしゃ、面倒くさいことは嫌いなので

というわけで
アイラウの激戦区となったあの修道院だか教会の名さえ知らず
楽しみにしているThe Military Experience in the Age of Reason BY Christopher Duffy
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0689119933/qid=1039721278/sr=1-1/ref=sr_1_1/104-5247192-7683120?v=glance&s=books
が今だ、届きません
>>584氏のサイト精読してレポート書こうと楽しみにしてるのですが・・・
623これは1795/10/4〜10/5:02/12/13 05:55
・・・・>>617さん。なんとなくわかってらっしゃると思いますが・・・

いわゆる通説だと確かに
General Jacques Francois Menou, the commander of the Army of the Interior in charge
of the government troops in Paris, ordered the sectionnaires to disperse; they refused.
Menou withdrew and the government, gripped by crisis, promptly sacked him. In the
evening of October 4, General Bonaparte was in a box of the Feydeau Theatre, watching
a play, when friends informed him of what was happening. He instantly went to the
Convention and took a seat in the spectators' gallery. The Convention was extremely
agitated: the Republic was in danger. The Committee of Public Safety in desperation
named Barras to replace Menou. But Barras was no general. At his recommendation no
doubt, several representatives proposed Bonaparte as the man most capable of saving
the Republic, and sent for him.
from『The Age of Napoleon, J. Christopher Herold, 1963』

と・・・ざっとこんな感じでフェドー座からチュイルリー宮殿に一目散、
「バラスさん共和国の危機はおいらにまかせろ!」
なんですが、これはすべて『セントヘレナ覚書』等による神話だとおもうんすよね。
これの検証については膨大になるのであれですが、ま、自筆による自己申告なんすよ。

いや、孝行息子みてたいうのもわかるんですが・・・
なにしろ当方は「8月初旬からのナポ-バラスの接触説」いうフリーメイソン陰謀より
妖しい奇説を検証中ですので、おいそれと認めません!!(いや、当方が電波なんですよ。そうすると)
624これは1795/10/4〜10/5:02/12/13 05:57
ttp://www.napoleongames.com/italian_camp.htm
上記リンク先。
以下、小生のPCに大昔DLしたあれなんで、リンク不明だけど、一応一次文の
英訳なので、検索できるでしょう

I...was at the Feydeau theater, when I heard of the extraordinary
scene that was passing so near me. I felt curious to observe all
its circumstances. Seeing the Convention’s troops repulsed,
I hastened to the tribunes of the Convention to witness the effect of
this news, and observe the character and coloring which it would recei
ve. The Convention was in the greatest agitation. The representatives deputed to the army, wishing to exculpate
themselves, eagerly accused Menou, attributing [to] treachery what arose from unskillfulness alone. Menou was put under
arrest.

from「セントヘレナ覚書」

「王党派のムヌ将軍はヴァンデミエール13日をまえにして働きが無いので逮捕されたよん!」と、セントヘレナで語っている。
ところが・・・

これとべつにヴァンデミエール13日のクーデターではナポは兄のジョゼフに私信を残しています

The royalists, organized in their sections, became every day more
insolent. The Convention ordered the Section Lepelletier to be
disarmed. It repulsed the troops. Menou, who was in command, is said
to have betrayed us. He was instantly superceded.

ムヌはチュイルリー宮殿で、議員さんたちに銃を握らせ、とにもかくにも指揮をして
たんすよね。逮捕なんざされてない。7年戦争の経験しかないポール・バラスが
王党派と野合の疑いのあるムヌが一応、国内軍司令官(英語ではthe Army of the Interior)
に昇格してるが、じっさいは例のヴァンデミエール将軍の悪名をとどろかせた(本人はこの呼称をよろこんでない)
教会前民衆砲撃(死傷者400名)をおこなった40門の大砲の持ち出しをナポに
許可したのはほかならぬムヌなんですよね。
625これは1795/10/4〜10/5:02/12/13 06:01
すなわちムヌはサン・ロック教会のバラス-ナポレオンの特別軍事行動において、一応
監督してる

ムヌが10月14日に解任だか他の陸軍職だかに転任だかはしりませんが、かれは
その後もアレキサンドリアあたりで戦ってます。
バラスとムヌ(いうかヴァンデミエール13日の3分の2法案可決反対蜂起時における
国家を分裂しかねない国民公会の分裂や混乱)の関係は、まあ、非常に微妙なものと
思うんですよね。
少なくとも、逮捕や解任、などというドメスティック・バイオレンス(すいません
流行語つかってみました。意味教えてください)なものじゃない。
もっと微妙なものだと思うんですよ

と、するとですね〜。わしは案外志垣嘉夫教授の元ネタである
Jean Tulard records that "neither the minutes of the proceedings,
nor Le Moniteur, the official government newspaper, mention Bonaparte’
s name at all. In likelihood, the Convention simply called upon Bonaparte
to serve along with other unemployed officers."
についても、じつは再検討したいんだが(ゴニョゴニョ)

ソース?
ソースはブルドッグソースです。悪しからず。
ことNapoleonicに関するかぎり、邦訳書籍より、最近、ネット検索にこってますので。
ま、信憑性については2chゆえご勘弁を。
626624訂正:02/12/13 06:09
7年戦争の経験しかないポール・バラスが
一応、国内軍司令官(英語ではthe Army of the Interior)
に昇格してるが、じっさいは例のヴァンデミエール将軍の悪名をとどろかせた(本人はこの呼称をよろこんでない)
教会前民衆砲撃(死傷者400名)をおこなった40門の大砲の持ち出しをナポに
許可したのはほかならぬ王党派と野合の疑いのあるムヌなんですよね。


・・・長文ガリガリかいたって誰も読まんし公共の迷惑だから、結論をいいますとね。
「国家分裂の危機にあたり、あの日、政府中枢も軍隊も混乱してた!」てなとこですかね
627625付記:02/12/13 06:40
he Army of the Interiorとは何かについても再検討したいとこですね。
いわゆる憲法制定をめぐって国論を2分,3分したわけですから、
その武力が何を交戦対象(南仏王党派の白色テロル? ふくろう党? エミグレの
上陸作戦?)としたかも、このバラス-ムヌ-ナポレオンラインの混乱を
解析する一助となると思います。
これも、課題として残しておきましょう

・・・起源論をはじめるときりがないですね。
アイラウにいってきます
628カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/13 11:56
結局、ほとんどの資料が「セントヘレナ覚書」やナポレオンの手紙等を基にしているので
彼自身の記憶違いや、誇張があっても、よくわからないな。
ちょっと気になるのは、「セントヘレナ」が革命暦で日付を書いているかどうかだね…。
ただ「14日」、「15日」と書いてあったのではないだろうか?

上にあげてくれた英文はグレゴリオ暦で書いているようだが、Michel Danselの記述に
よると、ナポレオンがヴァンデミエールの叛徒に対して砲撃したのは、10月15日と
なるので、英文論文は、これをヴァンデミエール13日(10月5日)の誤りであると解釈し、
フェドー座の夜を"October 4"としたのではないだろうか? こう考えると、「王党派の
ムヌ将軍はヴァンデミエール13日をまえにして働きが無いので逮捕されたよん!」も、
10月14日の解任を指していると解釈できる。

なんだか、外国人が、「忠臣蔵」と小説の「赤穂義士」等を参考にして事件の真相を
解明しようとしてるみたいで、面白いね。(太陰暦を使っていることを知らず、
間違える人がよくいる) もう少し、詳しい(正確な)資料を探してみるよ。
629世界@名無史さん:02/12/13 13:55
おめえがひとりで、誤った資料誤読して大騒ぎしてるんだよ。
630世界@名無史さん:02/12/14 01:19
>>619

>今は詳しい資料がないので確認できないが、俺は、Michel Danselの誤記や、誤訳では
>ないと思う。ヴァンデミエール13日(10月5日)の蜂起による騒乱は、鎮圧にあたった
>ムヌ将軍が、王党派である叛徒に同情的であったために収拾がつかず、長引いていた
>のではないだろうか。

そこまで無理な解釈をする必要があるのだろうか。
ヴァンデミエールの蜂起についてはどのHPを見ても「5日」という日付を掲げている。
ほんの一部の例↓
ttp://www.arts.adelaide.edu.au/personal/DHart/ModernEurope/Lecture/FrenchRev.html
ttp://88.1911encyclopedia.org/V/VE/VENDEMIAIRE.htm
ttp://socsci.gulfcoast.edu/rbaldwin/NAPOLEON.htm
また、手元にある本(ゴデショのフランス革命年代記、
ChandlerのThe Campaigns of Napoleon、
ScottらのHistorical Dictionary of the French Revolution、
Boycott-BrownのThe Road to Rivoli、
PhippsのThe Armies of the First French Republicなど)を調べたところ、
いずれも蜂起が鎮圧されたのは10月5日となっていた。
私の知る限り、14日以降まで騒乱が続いていたなどと書かれている文献は(Dansel以外)存在しない。
単純にMichel Danselの誤記あるいは原書房の誤訳と考えても問題ないのでは。
631世界@名無史さん:02/12/14 01:20
>>624
>I...was at the Feydeau theater, when I heard of the extraordinary(以下略)
以下のHPに同じ文章がある↓
ttp://www.wargame.ch/wc/nwc/newsletter/Aug99/Shosenberg%20article.doc

また、ナポレオンが兄に宛てた私信の内容は以下のHPでも確認できる↓
ttp://www.napoleonic-literature.com/Book_22/1769.htm

さらに>>625のJean Tulard records that...は以下のHPが元ネタか↓
ttp://europeanhistory.about.com/library/prm/blnaptakescharge4.htm

もっとも上記のHPを読んだ限りでは、「芝居云々」の論拠が本当にセントヘレナ覚書
にあるのかどうかよく分からない。
セントヘレナ覚書について識者の解説を希望。
632世界@名無史さん:02/12/14 01:21
>>626
>7年戦争の経験しかないポール・バラス

Historical Dictionary of the French Revolutionによるとバラスの生年は1755年。
1756年から63年に行われた七年戦争への従軍は不可能だと思えるが。

>教会前民衆砲撃(死傷者400名)をおこなった40門の大砲の持ち出しをナポに
>許可したのはほかならぬ王党派と野合の疑いのあるムヌなんですよね。

ソース希望。

>>627
>The Army of the Interiorとは何か

Armée de l'Intérieurは国内の敵に対抗するため1792年10月に
編成を布告された軍のようだ(The Armies of the First French Republic)。
この部隊はヴァンデ反乱鎮圧などにも使われた模様。
パリ周辺に配置されていた国内軍については、存在していたのは1795年7月から
96年9月までとの説もある(Paddy GriffithのThe Art of War of Revolutionary France)。
おお!流石ですね>631さん
貴殿の赤点チェックを戦々恐々とお待ちしてました。

www.wargame.ch/wc/nwc/newsletter/Aug99/Shosenberg%20article.doc
は、まさしく僕のPCに大昔DLしたドキュメントです。
そのほかのサイトも最近、確かに見てます。いや、敬服。
上の文章から、昨晩は論旨の大半を展開しましたが、
「一人称の文章ゆえセントヘレナ覚書」
これは確かに未確認ですね。識者の修正を待ちたいところです

次に
>ポール・バラス生誕以前7年戦争従軍説
Despite his lofty military rank, Barras had little practical experience-in seven years he had never risen above second
lieutenant in Louis XVI’s colonial troops.
If the Convention was to defend itself, Barras would need experts
to help him.

・・・いやいや。なにも申しますまい。
experience-in seven yearsを語尾にwarとかナントカ、目撃した気になったのでしょう。
いけませんね。まあ、これはバラスが未経験にかわりないと強弁できますが問題は以下です。
But to their chagrin, Barras and Bonaparte soon discovered that
the Convention’s forces were mediocre-just 5,000-6,000 men,
scattered about the terraces and squares around the Tuileries.
Opposing them, the rebellious sections could muster five times that
many insurgents. What was worse, the all-important artillery was
nonexistent. Menou admitted he had left all of the artillery--40 guns
-at the camp at Sablons, six miles away. Undeterred,
Bonaparte immediately called for the commanding officer of
the nearest available cavalry force. This turned out to be the 21eme
Chasseurs a cheval-thanks to Menou-now conveniently encamped in the
Tuileries courtyard just down the staircase.

・・・・て、これも再度読み返すと怪しいものですねえ。
僕はこれでもMenou admitted he had left all of the artillery--40 guns
-at the camp at Sablons(ムノがサブロンキャンプに残地を許した大砲40門)
ではなくthe 21eme Chasseurs a chevalのチュイルリー野営をthanks to Menou
(ムノに感謝)いうことで、以下のミュラによるサブロンからの砲兵引率を
以前、国民公会の要人であるムノの監督下と解釈したのですが・・・。
うん。いま全文読んでみると、当方の解釈は牽強付会かもしれませんね。
もし、「新資料か?」期待してたら謝っておきましょう。
強弁してデンパ扱いされるより、無知な厨房のほうがましなので。

ただ、2/3法案決議における、国内各派、誰がイニシアチブをとってもおかしくない
微妙な政治状況(1795/10/4)

議員自身が武装しチュイルリー宮に篭城し、政府が危機の瞬間そこまで縮小して
しまった異常自体下で、一応軍事委員歴任のムヌをふくめた多数が筒井順慶(でしたっけ?勝ち馬がきまるまで動かなかった戦国武将は)
をきめこんだなかで、おいそれと解任とか逮捕したいう話も知らないのですよね。

たしかに以下、バラス自身の記録「ムノは無能だ。まかせちゃおけん!(under arrestedには至らない)」いう
文章もありますが・・・。

わたしは、政治状況の定まった10/14(ヴァンデミール22日)?ムヌ解任だと思うんですよ(未確認)
そのあと軍事法廷にかけられますが無罪放免、しばらく野にいたあと1798 the army of the Orientで師団を指揮してます。
(from Dictionary of the Napo Wars By D.Chandler)

P.S.
Jean Tulard records that...>>625
につづく、「ナポレオンが当日、誰々の副官だった可能性」
すなわち、当時、テルミドール反動政府にナポレオンは仕官を求めてつどった
失業軍人のなかのOne of them(多数の中の一人)だったのではないか
バラスとつながりをもつことでのし上がった政治的傭兵のひとりじゃなかったか
いう話もそのうち、識者のレス、まちたいところですね
636東和整理回収グループ:02/12/14 11:51
ボナとっとと払え、ゴラァ

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
御請求通知書
 
東和整理回収グループ
  TEL 090-1281-6511
  FAX 020-4622-7863
  担当 高橋・菊池
この度私共は過去にあなた名義の電話から使用された有料アダルト番組について番組提供会社より未納利用料金に関する債権譲渡を受け、代わりに回収させて頂くこととなりましたのでご連絡させていただきます。
現在下記記載の利用料金が未納となっておりますので遅延損害金、回収代行手数料と合わせて本請求通知書到着後の翌日より4銀行営業日以内を支払期限として下記の銀行口座までご入金頂くようお願い申し上げます。
本請求通知書を無視しそのまま放置されますと最終的にあなたのご自宅まで訪問させて頂き、下記の合計お支払い金額に交通費、人件費を加算して回収させて頂くこととなる場合がございますので必ずご入金下さい。

合計お支払い金額     20,450円
ご利用番組        モモコクラブ
未納利用料金        6,500円
遅延損害金         4,450円
回収代行手数料       9,500円
お振込先口座    東京三菱銀行恵比寿支店
          普通口座 1297428
          口座名義 タカハシXXX
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
637世界@名無史さん:02/12/14 15:49
ナポレオンは民主主義の伝道者です。これ、最強!
638世界@名無史さん:02/12/14 15:53
それとくだらねえ横文字言葉でくっちゃべってるんじゃねえぞ。
日本人なら日本語使え
639世界@名無史さん:02/12/14 21:25
>>635
>議員自身が武装しチュイルリー宮に篭城し、政府が危機の瞬間そこまで縮小して
>しまった異常自体下で、一応軍事委員歴任のムヌをふくめた多数が筒井順慶(でしたっけ?勝ち馬がきまるまで動かなかった戦国武将は)
>をきめこんだなかで、おいそれと解任とか逮捕したいう話も知らないのですよね。

少なくともThe Armies of the First French Republicや
Historical Dictionary of the French RevolutionはMenouの解任について触れている。
日付は5日未明と見られる。時間は前者によるとおそらく午前3時から4時半の間。
ただ、後者はMenouについて、解任後は閑職に回されたとだけ記しており、
Chandlerのように彼が軍法会議にかけられたという話は載せていない。
解任はともかく、逮捕についてはもしかしたら事実ではない可能性がある。
640世界@名無史さん:02/12/14 21:27
>Jean Tulard records that...>>625
>につづく、「ナポレオンが当日、誰々の副官だった可能性」
>すなわち、当時、テルミドール反動政府にナポレオンは仕官を求めてつどった
>失業軍人のなかのOne of them(多数の中の一人)だったのではないか
>バラスとつながりをもつことでのし上がった政治的傭兵のひとりじゃなかったか
>いう話もそのうち、識者のレス、まちたいところですね

同様の指摘は確かに存在する↓
Among the republican generals who volunteered to help in the defense was N. Bonaparte,
although contrary to his and Barras' later claims, he was neither commander nor
official second in command during the fighting.
(Historical Dictionary of the French Revolution)

ナポレオンがBarrasの副官だったというのはBarras自身の主張に基づくようだ。
ただ、Thiébaultは回想録でBonaparteが副指揮官だという話を聞いたと記している。
Barras自身は後に10日になって公安委員会でBonaparteを参謀長だと紹介した。
ヴァンデミエール蜂起の際に国民公会側に立った将軍としては、Bonaparte以外に
前の国内軍指揮官Berruyer、後の帝国元帥Brune、後に兄弟が帝国師団長となったDupont-Chaumont、
かつてマルセイユの反乱を鎮圧したCarteauxなどがいたという。
(The Armies of the First French Republic)


あと、遅レスだがドメスティック・バイオレンスとは配偶者に対する暴力のこと↓
ttp://www02.so-net.ne.jp/~cherry-b/bousihou.htm
641結局、神話に逆戻りか・・・(苦笑):02/12/15 06:04
お。週末なんで酒飲んでしまってあれですが、詳細な調査、毎度ありがとうございます。
しかもドメスティック・バイオレンスまで(笑)

じつはカメレオンさんが疑問形で引用した「フェドー座からチュイルリー宮に一目散」でも
いいのではないか、むりやり「神話破壊」をせずとも一応、筋がとおっている
・・・とあまりに複雑になりすぎた自説に少々、自信を失ってました。

あの日(1795/10/4-5)チュイルリー宮に仕官をもとめて集まった失業軍人たち
(テルミドール9日のロベスピエールの失脚が原因のほかに諸派含)のネットワークはあったと思うのです。
バラスがムヌからやんわりと指揮権をとりあげたなら、とりあげた部屋で意見を百出する
失業軍人のひとりで、声が大きかったのがナポレオンだった可能性もアルと思うのです。
(プラス、バラスとの親密性ですね)


長塚「ナポレオン」の上巻によれば、
>翌日の「ル・モニトール紙」には無名ゆえBouna Parteと誤記
ととにもBonaparteがサンロックの砲撃の責任者なり、Barrasの副官なり暗示されてますが、
正直、これもソース不明(というかナポレオン神話のソースの多さに)ゆえ、
ル・モニトール紙そのもの見ないとわからないんですよね。

ぼくもあまりソースなしに奇異な説に固執するのも、あれなので
ミュラの第21猟騎兵?を呼び寄せた直後(1795/10/5未明)にムヌは解任。バラス-ナポレオン
に指揮権をゆずり、以降の軍事作戦(とりわけサン・ロック教会への砲6-10門だかの
進出)なナポのイチニシアチブでも良かったと思います。
642結局、神話に逆戻りか・・・(苦笑):02/12/15 06:04

>ポナバルドは国民公会周辺要所に砲を配置する。リュー・サン・トレノを
>遮断するためサン・ロック教会にも砲列がしかれた(長塚「ナポレオンP178」)
を読んで、サン・ロック以外にも当然、砲撃を指揮する士官がいて

>リュー・サンフロランタンやルーブル宮傍のポン・ロワイヤルでも砲が威力を発揮し
・・・なら、ナポレオンと同じ事をしたのに戦後、ナポが手柄を独占したと
思ってたもので・・・。

10/5早朝なり夕刻なり、ナポが国内軍総司令官バラスから指揮権代理なり副官
なりしてれば、そこまで小難しく考えずとも、すべては神話で筋がとおる思うのです。
実際、>>640で複数の回想録にバラスの補佐としてのボナパルドの名があるのなら、その
とおりなのでしょう。

ただ、この歴史の中のone of them、いつでも誰かにとって代わられるいう考え方、
好きなんですよね。
643トクヴィルはどうかいているのでしょうね?:02/12/15 06:29
このフランス革命におけるone of them(誰でも誰かにとってかわられる。誰もが
ロベスピエールにもバブーフにもなれた。会おうと思えば処士横議で誰もが政治的にふるまえた)
いう当方の妄想は、説明するならこんな感じです↓

1)1789年の憲法制定会議がアンシャン・レジームの行政の存続をゆるさず
市町村レベルのコミューン(自治体)という全国を無数に分割する行政区分をこさえ、フランス全人民の
政治参加を許した

2)このコミューン(無名のアジテーター)が革命史の原動力・・・いうといいすぎですか、
少なくとも数回の憲法制定会議の廃立や国王断首についてきっかけをこさえた

3)ゆえにこれら不安定要因に恐れをなした国民公会が、テルミドール反動で
(司法・行政権だかを公会直轄の委員会だかに委譲し)コミューンを無力化している

4)結局、そこで生き残ったものがはじめてメモワールを残し
「フランス革命の数々の神話」を作った・・・みたいなことを常日頃思ってます。

ゆえに今回みたいな

「ヴァンデミエール13日の真実!わたしならこう解釈する!!BY 柘植傭兵大尉」

みたいな話を展開してしまうのです。当方の悪癖でしょう
いや、ご容赦を
644世界@名無史さん:02/12/15 06:41
つまらないことを長々と書いてしまってご容赦を。

ナポレオンの民衆砲撃については、ヴァンデー叛乱鎮圧とか、
有名なフーシェの民衆砲撃(リヨンの虐殺者?いやちがうなあ)とかの比較論、
フランス革命における残虐性・混沌性についても、いろいろ識者に尋ねたいことがあります。
むろん、軍隊の構造も。こっちが趣味ですが(笑)

それにしても、良書をたくさんお持ちですね
The Armies of the First French Republic、ぼくもそろそろ欲しいなあ思ってましたし
えーと、あと初版1926?年だかのNapoleonic研究書いう古典らしき本、
(amazon はout of printばかり・・・)
あれよさげですね。羨ましすぎます。

Napoleonicってみりょくにあふれてますよねえ(うっとり)
645スフィンクス:02/12/15 06:43
俺に謝れゴルァ!

お前なんてバーミヤン破壊した
奴らと一緒なんじゃボケ!!

お酒なんかになってんじゃねーよ

かーーー




ぺっ
へ?
なんすか?
ピラミッド会戦かなにかでスフィンクス壊したんですか?

それともブルボン王家の墓がどうの、最高理性の祭典がこうのいうお話で?

それともたんなる暇つぶしっすか?スネイクマンショウの痰壷小僧ですかい
647世界@名無史さん:02/12/15 10:08
>>646
無知って恐ろしいな
ナポレオンがスフィンクスの鼻に大砲をブチ込んだことも知らないとはな
そこまで無知なくせに他人を揶揄して恥ずかしくないか?
さっさと死んでしまえ
648世界@名無史さん:02/12/15 14:23
まあまあ、おちついて(笑)

なるほど〜。何か深い怒りと悲しみにとらわれている文章に揶揄したのは
当方が悪かったです。これは謝っておきましょう。

ところで、無知ついでに・・・。
へえ?スフィンクスに大砲をぶち込んだのですか?なんでまた・・・???
649世界@名無史さん:02/12/15 15:19
スフィンクスの話は聞いたことあるけど、なんかうさんくさいな。

ナポレオンがやったのではないという説もあるんで、一応。
650世界@名無史さん:02/12/15 21:47
>>641
>ミュラの第21猟騎兵?を呼び寄せた直後(1795/10/5未明)にムヌは解任。バラス-ナポレオン
>に指揮権をゆずり、以降の軍事作戦(とりわけサン・ロック教会への砲6-10門だかの
>進出)なナポのイチニシアチブでも良かったと思います。

Muratの騎兵部隊による大砲確保についても諸説ある模様。
BarrasはSablonsにあった大砲を確保するため騎兵を派遣したのは自分だと主張している。
別の歴史家はDuterbie将軍がこの仕事をしたと指摘している。
Muratが5日午前2時にはSablonsに到着していたのに対し、
Bonaparteは午前4時半まで彼が鎮圧部隊に配属されたのを知らなかったから、というのが理由。
ただし、Barrasは3日の時点でBonaparteに対して自分のところへ出頭するよう手紙を出しており、
最終的に4日午後9時にはBonaparteが司令部に現れたと記している。
従ってBonaparteがMuratに命令を出す時間は十分あった、との説を唱える向きもある。
651世界@名無史さん:02/12/15 21:48
>>642
>10/5早朝なり夕刻なり、ナポが国内軍総司令官バラスから指揮権代理なり副官
>なりしてれば、そこまで小難しく考えずとも、すべては神話で筋がとおる思うのです。
>実際、>>640で複数の回想録にバラスの補佐としてのボナパルドの名があるのなら、その
>とおりなのでしょう。

どこまで信用できるかは分からないが、少なくともThiébaultはそうした証言をしている。
彼はまずBonaparteがSaint-Rochへの攻撃を自ら指揮していたのを目撃。
その後にPont-Royalへ行くと、既に先にここへ来ていたBonaparteが敵の攻撃を撃退していたとか。
もっとも、Bonaparte以外の将軍たちもそれなりに活躍はしていたようだ。
Berruyerは指揮していた際に乗っていた馬を撃ち殺されている。
Bruneは敵の拠点となっていた建物の扉を大砲で打ち壊してこれを占拠している。
652世界@名無史さん:02/12/15 21:49
>>643
>3)ゆえにこれら不安定要因に恐れをなした国民公会が、テルミドール反動で
>(司法・行政権だかを公会直轄の委員会だかに委譲し)コミューンを無力化している

行政権の移管はコミューンよりも陸軍省などの官僚組織からの権限剥奪ではなかろうか。
確かにエベール派が陸軍省に影響力を持っていたのは事実のようだが、
エベール派とコミューンを同一視してもいいのだろうか。
このあたりについてはより革命の政治史に詳しい識者の解説を希望。

なお、Historical Dictionary of the French Revolutionの
ヴァンデミエールの項目には以下のような解説がある↓
It was the last Parisian street insurrection until July 1830
and thus marked the end of direct popular involvement in the Revolution.
653カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/16 04:37
俺、12日に書き込んでから、ずっと変な気分だったんだ。
「ヴァンデミエール13日」が10月5日なのは、調べたらすぐに判った。
だから、「ごめんな、誤植か、ミシェル・ダンセルが間違ってるのかも…」とすぐに
書くべきだったかもしれない。しかし、書き込まなかったのには別の理由がある。

ここ数日のレスを読みながら、俺は、全く別の疑いを持ち始めてしまった。
…つまり、ナポレオンは、実際には10月5日の騒動の鎮圧に際して、重要な働きを
していなかったのではないか?…ということだ。
赤穂浪士の討ち入りの日、実際には雪は降っていなかったってこと、知ってるか?
これはほぼ事実だよ。しかし、雪抜きの討ち入りなど、小説でも映画でもテレビでも
見たことはない。ヴァンデミエール将軍=ナポレオンの伝説にも、そんな風な劇的効果
を狙った「捏造」の匂いを感じるんだ。
2chだから、ここから先は、ネタとでも思って読んでくれ。

俺はまず、1795年10月4日〜14日のモニトゥール紙の記事を探したが、持っている書籍類
にも検索したサイトにも無かった。しかし、ヴァンデミエール12日(10月4日)夜、
ル・ペルチエ地区で王党派の蜂起があり、第21猟騎兵連隊の大隊長だったミュラ(Murat)
が、サンブルの兵営に放置されていた40門の大砲を、5日未明に奪取してきたという話は、
間違いなく事実のようだ。そして騒乱の鎮圧にこの大砲は大いに活躍した。
654カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/16 04:38
どうしてもひっかかるのは、それを命令したのが本当にナポレオンであったかどうかだ。
バラスは、いくらツーロンの活躍を覚えていたとしても、陸軍省陸地測量部(事務職)
という閑職に所属している無名のナポレオンを、この緊急事態の中で、いきなり重要な
ポストに抜擢するという「無謀な英断」を下すことのできる男だろうか。

>>650
>Barrasは3日の時点でBonaparteに対して自分のところへ出頭するよう手紙を出しており、
>最終的に4日午後9時にはBonaparteが司令部に現れたと記している。

バラスが手紙を出したのは、本当にナポレオンだったのだろうか? そしてSaint-Rochや
Pont-Royalで、Thiébaultが目撃したBonaparteは? 
また、>>610にある、翌日の「ル・モニトール紙」の"Bouna Parte"は?

そのBonaparteは、ナポレオンではなく、すぐ下の弟、リュシアン・ボナパルトである
可能性はないだろうか? リュシアンは、この事件の起こるしばらく前から、バラスの
家に出入りしていたようだ。リュシアンは、バラスの家を訪れた際、後にナポレオンの妻
となるボーアルネ夫人、ジョゼフィーヌとも面識があったらしい。(ナポレオンが彼女に
会うより前に…)この頃、リュシアン・ボナパルトは、バラスの直属の部下だったのでは
ないだろうか?(The Armies of the First French Republicには記録が載ってない?)
655カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/16 04:38
明らかに「ナポレオン・ボナパルト」の名が登場するのは、10月14日、パリの人々に
武装解除の命令が出され、一軒一軒の家から武器が回収された日のことだ。一人の少年が
国内軍参謀本部を訪れ、「共和国軍の将軍であった父の形見の剣を返してもらえないか」
と、応対に出たナポレオンに頼んだ。(この話も少し変だ。「ヴァンデミエール将軍」と
呼ばれるほどの活躍をした男が、パリ市民の家に置いてある武器の回収作業や、少年の
訴えを聞くという、まるで「中村主水」のような仕事をするのだろうか?)
ナポレオンは涙ながらに訴える少年の姿に感動し、剣を返してやった。
この少年が、ウージェーヌ・ボーアルネ、すなわちジョゼフィーヌの息子であった。
ジョゼフィーヌは礼を言うために参謀本部を訪れ、翌10月15日、ナポレオンは、答礼の
ためにボーアルネ夫人の家を訪問した。これが二人の出会いだったという。

ナポレオンは、10月4日〜14日のどこかの時点で、弟のリュシアンを通じて、バラスに
再会し、国民軍司令官となったバラスのもと(参謀本部)で働くようになったのでは
ないだろうか。バラスは、ツーロンの活躍を思い出し、1796年2月のイタリア方面軍の
司令官としてナポレオンを抜擢した。(コルシカ出身の彼には最も相応しい役職である)
656カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/16 04:39
もう一つ、気になるのは、ミュラという男の処世の上手さである。ミュラもナポレオン
同様、テルミドールの反動の際、ロベスピエール派とみなされて逮捕されている。
ここで面識があったか、あるいは異例の抜擢に、ナポレオンを「成長株」とみなしたか、
1796年2月、ナポレオンがイタリア方面軍の司令官に就任すると、副官として同行する
ことを申し出る。その後、サルディニャ王国との休戦条約締結後、パリの総裁本部に
派遣されたミュラは、ナポレオンとジョゼフィーヌの仲をとりなすのに一役買って出る。

さらに、ナポレオンのブリュメール18日のクーデター(このとき、1795年から終身総裁
の座にあったバラスが辞職する)の際、500人議会で罵声を浴びせられ、窮地に陥った
ナポレオンを救い出し、精鋭部隊の議場突入を決定したのはミュラであった。
(ミュラの過激な行動のおかげで「軍事クーデター」の様相を呈してしまったといえる。
また、この事件は、500人議会の議長にリュシアン・ボナパルトが選ばれたことが発端で
あることも付け加えておくべきだろう)1800年1月、ミュラはナポレオンの一番下の妹、
カロリーヌと結婚し、ボナパルト家の一員となり、ナポリ王となる。
(このあたりの経緯は、もっと詳しい人がいると思うので、やめておくが…)

俺が言いたかったのは、このナポレオン---リュシアン---ミュラのつながりが、後に
「ヴァンデミエール将軍」の伝説を生んだのではないだろうか、ということだ。
つまり、実の弟のリュシアンと、義弟のミュラが、ナポレオンを実際以上の英雄に仕立て
上げたのではないか? 
…とまあ、こんなところだが、また罵倒されてしまうかな…。
以上、長々と失礼しました!
657でぇふぉ:02/12/16 22:18
ナポレオンのフランス軍の散兵戦術が効果的であったとあるが・・・。
銃の的にならないので効果的だったのであろうか?

658高木真一 ◆cA7oIM8fok :02/12/16 22:25
ナポレオンがそれほどの演説の名手では
なかったことは知っていたがね
ブリュメールの時はリュシアンが中心になって
議会工作をしたらしいし
ナポレオンは政治的な根回しが苦手だったんじゃないのか

659世界@名無史さん:02/12/16 22:28
我輩の辞書の不可能という文字が読めない
660世界@名無史さん:02/12/16 22:30
我輩の辞書に不可能という文字が   ない


日本語じゃねえか あるわけねーだろ 
661世界@名無史さん:02/12/16 22:56
フランスの辞書にはそりゃないだろうね
662世界@名無史さん:02/12/16 23:12
>>654
>どうしてもひっかかるのは、それを命令したのが本当にナポレオンであったかどうかだ。

>>650にも書いた通り異なる説もある模様。

>陸軍省陸地測量部(事務職)という閑職に所属している無名のナポレオンを、

陸地測量部(Bureau Topographique)については、Bonaparteらの就任後にそれまでの管理業務中心から
戦略立案部局に変わったとの説がある(BrownのWar, Revolution, and the Bureaucratic State)。
Bonaparteはここでイタリア方面の作戦立案を担当したという(The Campaigns of Napoleon)。
また8月19日にこの部局のトップになったとの説もある(The Road to Rivoli)。
ナポレオンの書簡集にはこの時期に彼がイタリア方面の部隊に出した作戦命令も掲載されているようだ。
従って彼の仕事は単なる事務職ではなかった可能性がある。
もっとも、10月4日時点で彼がまだ陸地測量部に所属していたかどうかは分からない。
The Armies of the First French RepublicやThe Campaign of Napoleonなどによると
9月15日時点で彼は現役将官リストから抹消され、一市民になっていた。
しかし、Bourrienneの回想録などでは違うことが書かれているようで、詳細は不明。
663世界@名無史さん:02/12/16 23:13
>いきなり重要なポストに抜擢するという「無謀な英断」を下すことのできる男だろうか。

副官(aides-de-camp)というのは単なる使い走りに毛が生えたようなもの。
BarrasはBonaparteをaides-de-campとして雇用したと述べており、それが事実なら重要ポストではない↓
ttp://europeanhistory.about.com/library/prm/blnaptakescharge4.htm
しかし、Bonaparte自身は副指揮官(英語でsecond in command)として雇われたと述べている↓
ttp://www.napoleonic-literature.com/Book_22/1769.htm
いずれが正解なのかは不明。

>バラスが手紙を出したのは、本当にナポレオンだったのだろうか? そしてSaint-Rochや
>Pont-Royalで、Thiebaultが目撃したBonaparteは? 
>また、>>610にある、翌日の「ル・モニトール紙」の"Bouna Parte"は?

少なくともThe Armies of the First French RepublicはNapoleonだったと記している。
Lucien Bonaparteの名は一切登場しない。
ThiébaultはBonaparte「将軍」と記しているようで、これはLucienではないだろう。
Le Moniteur紙については不明。肩書きがGénéral de BrigadeだったらNapoleonと見られる。
664世界@名無史さん:02/12/16 23:14
>>655
>一人の少年が国内軍参謀本部を訪れ、「共和国軍の将軍であった父の形見の剣を返してもらえないか」
>と、応対に出たナポレオンに頼んだ。

この話のソースが何か正確には知らないが、少なくともConstantの回想録には載っている↓
ttp://www.napoleonic-literature.com/Book_9/V1C2.html
ご指摘の通り、変な話だと思う。

>バラスは、ツーロンの活躍を思い出し、1796年2月のイタリア方面軍の
>司令官としてナポレオンを抜擢した。(コルシカ出身の彼には最も相応しい役職である)

Bonaparteを指揮官に抜擢したのはカルノーだという説もある。
(The Armies of the First French Republic)
総裁政府が彼をイタリア方面軍指揮官に任命したのは1796年3月(The Road to Rivoli)。
う〜ん。お世話になっております。多いに勉強になっているものです。
興味深い展開ですが、いよいよ師走になり忙しくて・・・(トホホ)

宿題については消化の予定なのでしばしご容赦を。この伝でマレンゴあたりまで
いったら素晴らしいですね〜
>>663 
Rob君のサイト、非常に興味深く拝見しました。全部プリントアウトしたので、これから
じっくり読むつもりだが、665と同じで、やたら忙しいんだな〜。
でも、これ、↓
If Napoleon had been absent during these events, would he still have risen
to dominance in Europe? Tell us all in the Forum.
俺と同じようなこと、考えた奴もいるようで、ちょっとがっかりした。

読み直してみると、ミシェル・ダンセルはわざとヴァンデミエール13日と書かなかった
ようだし、大砲の件には一切、触れていない。彼はおそらくフェドー座の芝居の記録から、
ナポレオンが議会に行った日を14日と推測したのではないか?(訳注を書いた人たちも
ダンセルの誤記かどうかわからず、困惑して、わざと革命暦の日付を入れなかったような
形跡がある。最初、俺が間違えたのはそのせいだ)

フェドー座からの帰り、ナポレオンは、不意に愛国心に燃えて、是非とも革命軍に参加
したいと思い、参謀本部に駆けつけたのではないだろうか? そこで、司令官に面会を
求めたが、なかなか相手にされず、泣きべそをかいているウージェーヌ・ボーアルネ少年
に出会い、参謀本部に怒鳴り込んだ。「おい、バラス! 俺を忘れたか! ツーロンの
ときのボナパルトだぞ! この子の言ってる事くらい聞いてやれよー!」とか…。
(俺の想像だが…)ウージェーヌ少年は、嬉しさのあまり、ナポレオンを偉い人(司令官)
だと勘違いする。彼は継父となったナポレオンをものすごく尊敬していたし、少年時代の
記憶というものは、いつのまにかすりかわってしまうことはよくある。
「ヴァンデミエール将軍」の伝説は、ウージェーヌの証言が、案外、重要な要素になって
しまっているのかもしれない。
実は、このとき、パリ市内で、大砲をぶっぱなすなどという行為は、犯罪すれすれで、
ミュラは処罰されかねなかったのではないかと、俺は思う。誰が責任者か、命令系統が
はっきりしない混乱の中で、誰の指示も受けず、ミュラは独断でサブロンから大砲を
運んだのではないか? 諸説錯綜する事態というのは、結局は、皆が責任回避したがった
結果ではないだろうか? 結果的に成功したので、今度は、功績は誰のものか?という
論議に変化しただけなのかもしれない…。

まあ、俺の説は、かなり無責任なんで、全く見当違いだったらご容赦。
668カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/18 14:04
>>663
Rob君の記述と、ミシェル・ダンセルの著述の一致点、見つけましたぜぃ!
ttp://europeanhistory.about.com/library/prm/blnaptakescharge8.htm の中段、

On October 11, a greatful Convention appointed Napoleon Bonaparte
Second-in-command of the Army of the Interior and, five days later,
promoted him to the rank of General de Division (major general).

俺が、>>620に転載した、『パリ歴史物語』「通行人ボナパルト」P16 には、
10月14日の夜、フェドー座の帰りに議会に行き、ムヌ将軍の解任劇に立ち会ったという
記述の後、2日後に「中将に昇進」と書いてある。つまり、ナポレオンが"General"に
なったのは、10月16日であるのは確実だ。(これは信頼できる史料があるのだろう)

むしろRob君の記述が怪しいのは、Barrasがナポレオンを呼び寄せた日付だ。
ttp://europeanhistory.about.com/library/prm/blnaptakescharge4.htm

The committee, at my suggestion, at once decreed to place Bonaparte on the
active list....But that day, the 12th, when he ought to have been attending
me with other soldiers and patriots, I had not had a glimpse of him all morning.
669カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/12/18 14:05
"activ list"には名前のないナポレオンを呼び寄せようとバラスが彼を探したのは、
"the 12th"とあるが、これがヴァンデミエールかOctober かはわからない。しかし、
まだヴァンデミエールの蜂起が起こる前の12日に(バラスはまだ議会に呼び出されて
いないし、ムヌ将軍が無能であることも立証されていない段階で)ムヌが罷免される
ことも考えられず、後任の将軍を考える理由もない。おそらく、事態が煮詰まった12日
になって(ミュラやリュシアンの推薦もあって)、バラスはナポレオンの起用を
考えたのではないか? ナポレオンは、なかなか見つからず、ようやくCarrousel で
見つかって、バラスの意志が彼に伝えられたのは、"almost 9 o'clock"。
しかし、ナポレオンはすぐには動かなかったのではないか? フェドー座で芝居を観た後、
急に愛国心に目覚め、「ものすごい勢いで」議会へ出頭。入り口でウージェーヌ・
ボーアルネ少年と会い、議会に乗り込み、「俺が将軍だろ? だったら、俺の命令だ!
この子の親父の剣は返してやれ!」ということになった。ナポレオンが出頭したので、
ムヌ将軍は14日に解任。で、翌日、「ヴァルテール河岸で叛徒を打ちのめし」、その
功績をもって、10月16日、「中将」に昇格。…と、どうだろうか? こんな推論は?
670世界@名無史さん:02/12/18 14:11
ヴォナパルテとボナパルトは別人だったのだ!そう考えれば全ての辻褄があう。
671じゃおれも一口:02/12/18 14:16
フランス革命における人体砲撃の美学を追及しろ!
672世界@名無史さん:02/12/18 14:19
日本だと自由民権だか秩父困民党が歌ったラ・マルセイエイーズとかの
伝統で、仏革命は「自由・博愛・愛情」(まちがいをさがせ)ばかり
強調させるけど、バロネス・オルツィとかディケンズとかだと
「混沌」「無秩序」ばかりいわれるね
673世界@名無史さん:02/12/18 14:22
それとスフィンクス砲撃うんぬんネタふったやつ、あとを続けろ!
あれはあれで学士会員とか、中央大学だかが翻訳作業している
学術調査報告書全20巻とか、おもしろいんだぞ!!
674世界@名無史さん:02/12/18 14:25
ベルニエのムガル帝国史だすなら、岩波も文庫でダイジェストでいいから
エジプト史だせ!
675世界@名無史さん:02/12/18 14:32
立て〜飢えたる者よ!いま〜ぞ日は近し〜
醒め〜よ我がは・らか〜ら! あかつ〜きはー来ぬ〜
暴〜虐の鎖 断〜つ日 旗は・血〜に燃〜えて〜
海を〜へ・だ・てつ 我〜ら か・い・な む〜す〜び〜ゆ〜くー
い〜ざ!た〜た・かーわん い・ざ!ふるい〜たてー い・ざー
ああ〜インタ・ナショー・ナー・ルー わ・れらがーものー
いーざ!た〜たかーわんー い・ざ!ふーるいたてーいーざー(↑)
ああ〜イーンタ・ナーショー・ナァアルゥ わ・れー・らがー・ものー
676世界@名無史さん:02/12/19 01:50
>>666
>「ヴァンデミエール将軍」の伝説は、ウージェーヌの証言が、案外、重要な要素になって
>しまっているのかもしれない。

具体的なEugeneの証言があるのかどうかが問題。
少なくとも私は、このEugeneと剣の話についてはConstant以外の資料を発見できなかった。
なお、このConstantの回想録なるものはゴーストライターが書いたとの説もある↓
ttp://www.napoleonseries.org/reference/bibliographic/memoires.cfm
677世界@名無史さん:02/12/19 01:51
>>668
>Rob君の記述と、ミシェル・ダンセルの著述の一致点、見つけましたぜぃ!

まず基本的な点として、件のページに載っている文章はJames W. Shosenberg氏のもの。
Robert Wilde氏は該当サイトの管理人のようだが、文章自体は彼のものではなさそう。

>10月14日の夜、フェドー座の帰りに議会に行き、ムヌ将軍の解任劇に立ち会ったという
>記述の後、2日後に「中将に昇進」と書いてある。つまり、ナポレオンが"General"に
>なったのは、10月16日であるのは確実だ。(これは信頼できる史料があるのだろう)

以下の文献にも彼が16日にGénéral de Divisionに任命されたと記してある。
PopeのDictionary of the Napoleonic Wars
Boycott-BrownのThe Road to Rivoli
PhippsのThe Armies of the First French Republic
ChandlerのThe Campaigns of Napoleon
ただし、疑問点が2つ。
Général de Division (Major General)は通常、日本語では「少将」となる。
Danselの著作には本当に「中将に昇進」と書かれているのだろうか。
また、Danselの著作は14日の「2日後に」昇進という書き方となっているのか。
それとも蜂起を鎮圧してから「2日後」なのか。
678世界@名無史さん:02/12/19 01:52
>>669
>"activ list"には名前のないナポレオンを呼び寄せようとバラスが彼を探したのは、
>"the 12th"とあるが、これがヴァンデミエールかOctober かはわからない。しかし、

確かに該当ページだけ見たのでは不明。
もっとも、その前のページ↓
ttp://europeanhistory.about.com/library/prm/blnaptakescharge3.htm
にOctober 4という言葉があり、さらに次のページ↓
ttp://europeanhistory.about.com/library/prm/blnaptakescharge5.htm
には13 Vendemaire (October 5)という言葉があるので、
このBarrasがBonaparteを探したシーンは10月4−5日の間のことと考えるのが普通だろう。
従って、Barrasが記録した(himself records)12日とは、Vendemiaire12日と考えるのが妥当では。
679世界@名無史さん:02/12/19 01:53
678の続き
>まだヴァンデミエールの蜂起が起こる前の12日に(バラスはまだ議会に呼び出されて
>いないし、ムヌ将軍が無能であることも立証されていない段階で)ムヌが罷免される
>ことも考えられず、後任の将軍を考える理由もない。

Menouは無能ゆえに解任されたのではなく、積極的に蜂起を鎮圧しようとしなかったため解任された。
(The Armies of the First French Republicによる)
また、国民公会とパリの保守的な地区との論争はVendemiaire3日から続いており、
同11日には地区側が蜂起準備を始め、公会は防衛を組織するための委員会をBarras中心に組織している。
(Historical Dictionary of the French Revolutionによる)
従って、12日段階でBarrasが使える部下を集めること自体は不思議ではない。
また、BonaparteはMenouの「後任の将軍」ではない。後任はBarras。

>ナポレオンは、なかなか見つからず、ようやくCarrousel で
>見つかって、バラスの意志が彼に伝えられたのは、"almost 9 o'clock"。

該当のShosenberg氏の文章は以下の通り。
"It was almost 9 o'clock when he finally appeared at the Carrousel, which I had made my headquarters."
Barrasが司令部を置いたCarrouselにBonaparteが最終的に姿を現したのは(午後)9時、という意味。
Carrouselで見つかったBonaparteにBarrasの意思が伝えられた、という意味ではない。
司令部に午後9時に姿を見せた彼が一度劇場に行って午後10時にまたそこから出てくる
というのは、いささか慌しすぎるのではないか。
680世界@名無史さん:02/12/19 06:13
おお。快調に比較すべき史実があきらかにされていきますね。
いや、クロス・リファレンスの重要性をここ読むたびに痛感します。

じついうとわたしの仏革関連の種本はAソブール『大革命前夜のフランス』(法政大学出版局)と
小倉了之『フランス革命と独裁』(荒地出版)いういまでは古本2冊きりなので、
はなただ心もとないのですが

>>652については当方の書き方が悪かったですね。
上記2著を当方の頭で理解した限りでは・・・

エベール逮捕とコミューンによる抵抗(蜂起委員会Comite insurrectionnelによる1793/6/2蜂起)も
そうですが、1792/8/10蜂起(王政廃止)以来、ロベスピエールの実戦部隊である叛乱コミューン
(Commune insrrectionele)が、少なくともパリにおいて合法Commune Legaleを倒してしまった。

いや、恐怖時代、市町村自治体(commune 1789年の封建制度廃止例にともなう旧制度にかわる最小の
地方自治単位。区districts郡cantonsコミューンですね)が革命的政治機構として恐怖政治の道具となり、
これにこりたテルミドール反動政府が、(公安委員会がコミューンに設立させ地方監視の道具とした中央派遣の)
革命的諸委員会comites revolutionnariesのいわゆる残酷な司法行政権をコンバンション直任の委員に
うつし、地方自治の原則を、あるていど中央のコントロール下においた。

これにより、「誰もがコミューンに参加することで革命政治に参加できる」
時代は終わり(テルミドール反動政府がおこなったこのコミューンの改革について
確かに当方の調査もたりませんね)・・・

>It was the last Parisian street insurrection until July 1830
>and thus marked the end of direct popular involvement in the Revolution.

・・・みたいなニュアンスですかね?



681世界@名無史さん:02/12/19 06:27
>>679
王党派はヴァンデミエール11日(1795/10/3)、テアトル・フランセTheatre-Francais
で集会を開いて2/3法反対集会をひらいてます。これはニヴェルネ公duc de Nivernais
(1716-1798)主催で、ル・ペルチエ区section Le Peletierがイニシアチブを
とったそうです(sectionはコミューンをさらに分割する単位ですね。パリ・コミューンは
48section)

これがコンバンションが自己防衛のためBarassだか5人委員会(さあ小栗教授の言葉だが
これがわからない)だかに軍召集をかけさせる直接の契機となるのですが・・・
うん、まあ、当方の場合はあとで英文検索かけたいのでメモ代用の
おつもりで.

↓今はまだ時期尚早の話題ですが(笑。すばらしいですね。いったい誰がナポレオンは
語り尽くされたといったのか? 知れば知るほど魅力にあふれます)
ナポレオンのLa Description de l'Egypte「エジプト誌」
(いやタイトルしか知らぬのです)あたりも
総統閣下の略奪美術館史などよりロマンにあふれて好きなので、
識者いでば、当方も是非、師事し教えをこいたくおもいます。

いいじゃないですか、スフィンクス砲撃!
是非、そのうち史実を検討しましょう>>647-649さん
683世界@名無史さん:02/12/19 15:11
プルタルコスが生きてたら、ナポレオンやヒトラーは英雄伝に
乗せられてただろうかという疑問が小一時間・・・
684世界@名無史さん:02/12/20 00:13
>>680
民衆史については詳しくないので識者の解説を希望するが、一点だけ。

>エベール逮捕とコミューンによる抵抗(蜂起委員会Comite insurrectionnelによる1793/6/2蜂起)も

Hébertの逮捕は1794年3月↓
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~french/history/09-1.html
1793年6月はジロンド派逮捕では↓
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~french/history/07-4.html

>>681
>これがコンバンションが自己防衛のためBarassだか5人委員会(さあ小栗教授の言葉だが
>これがわからない)だかに軍召集をかけさせる直接の契機となるのですが・・・

Historical Dictionary of the French Revolutionには以下のようにある。
The Convention (中略) appointed a five-man commission led by P. Barras to organize its defense.

>>682
>いいじゃないですか、スフィンクス砲撃!
>是非、そのうち史実を検討しましょう>>647-649さん

以下のページ参照↓
ttp://www.napoleonseries.org/faq/sphinx.cfm
685世界@名無史さん:02/12/20 08:33
いやいや、エベールの逮捕劇は93-94年にかけ2回ありまして・・・。
このあたり入り組んでてわたしも理解してるといいきれないのですが

1.(1793/5/25-革命政治への開幕)
穏健ジロンド派によるコミューン弾圧のためのエベール逮捕(1793/5/25)および
奪回のためのコミューン蜂起(1793/6/2 ジロンド派追放と公安委員会中心の
恐怖政治の幕開け)。
むろん、エベールはこれで釈放され、コルドリエクラブで、以後、永久革命論めいたものを
ぶつ・・・てなところですかね?
ttp://www.unlv.edu/faculty/gbrown/hist462/resources/chrono.htm#1793

2(1793/9-1794/3/24 寛大派と超革命派の対立)
戦況が好転したものの国家経済が混乱してる時期、公安委員会の施策責任を
追求し、サン・キュロット(わたしはこれをルンペン革命家集団とでも記憶してますが・・・)
ともども1794/3/14エベールがコルドリエクラブで暴動を煽りました。

これにぞろまた、自身が政権をとる一助となったコミューン暴動の再発をおそれ
公安委員会はエベール派を逮捕、処刑しました(1794/3/24)
ttp://www.unlv.edu/faculty/gbrown/hist462/resources/chrono.htm#1794

このあとテロルの終焉を説く寛大派ダントン等の処刑もひかえてますが・・・
686世界@名無史さん:02/12/20 09:07
まあロベスピエールもテルミドール反動政府も制御不可能な
路上の革命を恐れたいうことで。次回は1830年の7月革命を待てというところでしょか

>>684
スフィンクスの件、ありがとうございます。
Napoleon series.orgはいいサイトですね。

ここをよむと・・・
どうも鼻欠けはアラブ人観光ガイドの口から出任せ来歴が、たまたま
欧州人のロマンティシズム(カスパル・ハウザーを是が非でもナポレオンの遺児とするような)
とむすびついて、「ナポレオンの砲撃による顔面損壊」伝説となったようですね。
(すでに18世紀のスフィンクス銅版画でも鼻欠けが描写されてますし、16世紀頃の
西欧人の旅行記でも古代遺跡にたいする蛮行の数々が目撃されてるとか、14世紀頃の
偶像崇拝を禁じるムスリムの破壊行為だとか、
1378年 Sa'im al-Dahrなるマムード?が狂信的スーフィの教えをもって(
(そんなのいませんでしたっけ?)鼻を削ったとかうんぬん・・・

ためしにJ.R.Elting大佐の赤本地図本ひらいてみましたが、ピラミッドの位置さえ
これじゃわかりませんでした・・・あとで検索してみましょう
687世界@名無史さん:02/12/21 01:27
>>685
>穏健ジロンド派によるコミューン弾圧のためのエベール逮捕(1793/5/25)および
>奪回のためのコミューン蜂起(1793/6/2 ジロンド派追放と公安委員会中心の
>恐怖政治の幕開け)。

なるほど了解。
もっとも、この蜂起が革命中のパリにおける民衆史の中でどのような位置付けにあるのかは
今一つ理解できないのだが、これ以上はスレ違いなのでこの件についてはここまで。

なお、ジョージ・リューデの「フランス革命と群集」にはVendemiaireのBonaparteについて、
Barrasが部下として集めた6人の将軍たちの一人に過ぎなかったとの脚注があった。
この脚注はZivyなる著者の書いた本に基づくもののようだが、詳細は不明。
688世界@名無史さん:02/12/21 21:08
世界ふしぎ発見age
689世界@名無史さん:02/12/21 21:21
いまNHKの傭兵ビジネスと交互に見てます
690世界@名無史さん:02/12/21 21:32
やっとテレビでもナポレオン毒殺を取り上げるようになったね。
691世界@名無史さん:02/12/21 22:39
犯人は林真須美
692世界@名無史さん:02/12/22 00:09
誰も書いてないんで、過去レス見ないのに書いときます。
番組の内容は、側近7名の誰かが砒素を盛った真犯人。

伝記作家は、口述筆記が終わり次第帰国させられているので除外。

コック長は、夫婦揃って変死してるので除外。

医師は、症状への対処に気づかれないうちに、
真犯人の通報によって英国指示で帰国させられた。

ナポレオン崇拝者は、モンブランばかりナポレオンが気に入るので、
嫉妬に狂ってついにモンブランに決闘申し込み、
それを告げ口されてナポレオンに帰国させられる。

召使頭のルイ・マシュランは、日記に症状を書いているので除外。
犯人なら不利になるようなことを書くはずが無い。

懐刀のベルトランは帰りたくて仕方なかったが、
693世界@名無史さん:02/12/22 00:10
お気に入りのモンブランが真犯人。
妻をナポレオンに寝取られたらしく恨みを持っていた。
妻だけ帰国させられて、替わりが見つかったら帰すと言われたのに、
妻の手紙「ナポレオンはそんな約束守る気ありません」
で、小説をヒントに殺したという。
その小説には砒素中毒でゆっくりと頃す方法が詳しく載っていた。
それを貪るように読んでいたのは彼一人という証言あり。
おまけに、彼は頻繁に出没するねずみへの担当で
ネズミ取りの砒素を管理していた。
ナポレオンの遺骸対面にも彼だけ顔を出さなかった。
方法としては、ナポレオンのみが飲むワインに砒素注入。
それを隠れ飲みしていた為、コック夫妻は変死。

結論:イギリスの陰謀とかでは無く単なる男女のもつれが原因(´・ω・`)ショボーン゚
694世界@名無史さん:02/12/22 16:12
男女のもつれが原因なんかじゃないよーん。
モントロン夫妻はもともと遺産狙いだった
んだよん。実際成功した。>>218の本を読
めばすべてがわかるよん。番組の元ネタ本。
695世界@名無史さん:02/12/22 23:38
ああ。そいや、ルネ・モーリ教授とかいってたね
696692-693:02/12/23 01:32
>>694 そうなのですか?番組では曲解してたのかな。
で、遺産は奪えましたか?金額にしていくらです?
ナポレオンの遺族はよく黙ってましたね。
それと、うろ覚えで書いたので他にも間違いあったら、訂正お願いします。
697世界@名無史さん:02/12/23 15:58
>>694
某日立製作所が提供するクイズ番組の解釈は、
一貫性があってそれなりに納得した。
698世界@名無史さん:02/12/23 16:33
それにしてもみんなナポレオンと関係ない話で盛り上がっているな。
やはり語り尽くされたのか・・・

ちなみに俺の好きなミステリーハンターは、吉田真里子。
699毒殺ネタも好き:02/12/24 03:55
はあ。まあ、個人的には共和国の軍隊の延長としてのナポレオンの軍隊
(伝統の継続と断絶)みたいな方向で、ヴァンデミエールの動員に関する検証とか、
まあ別スレで質問あったヴァンデ叛乱と鎮圧がらみの話とか、
国民総動員の過程とか、最近はなかなか興味深い展開だと思ってます。

些事末端といわれればそうですが・・・
たとえばですね

>>662氏がいろいろ書かれている
>陸地測量部Bureau Topographiqueいうポストについても、地図作成いう
作業が18世紀後半、戦争遂行のための重要な意義をもってたわけですし、
たんなるナポレオンのヴァンデミエール直前の足がかりポストと見過ごすには、ちょっと
寂しいわけですよ。
700ナポレオンの軍事官僚組織:02/12/24 04:39
早い話が、当方はナポレオンの官僚組織a bureaucratic organization(検索用のメモです)
について何も知らない。

The War Ministry had undergone numerous transformations before Clarke (1812年にMalet将軍のクーデタでへたれた陸軍大臣です)
took it over. From having its functions usurped (機能を簒奪)by Carnot's Bureau topographique
and finally being eliminated altogether by the Thermidorians, the Ministry was put back on shaky feet by the time of
Brumaire.
Napoleon named Alexandre Berthier its first Minister during the Consulate.

ttp://www.napoleon-series.org/reviews/military/c_clarke.html

などとみると、どうもカルノーの陸地測量部は思ったより旧陸軍省内で
軍事作戦全般に幅を利かせていたように見えます。

引用した書籍レビューは、このあたりを皮きりに「野戦軍の指揮官である
ナポレオンが同時に、国家も運営する」いう至難というか分裂症的な荒業で
おこりうる様様な問題を検討しているようですが・・・。
701ベルティエがいないと何も出来ない:02/12/24 04:55
ま、じついうと軍事板の「ナポレオンですが、ロシアを攻めきれません」
ttp://hobby.2ch.net/test/read.cgi/army/1037930391/l50
がらみで、ナポレオンの統帥や、陸軍省について調べている最中なのですが、
なかなかわからない。

わからないのも当然でナポレオンが権力をとるやthe Conseil d'administration de le guerre
(統領政府の陸軍省?)はベルティエの恣意でデザインされましたが、彼らが戦場にあるときは
カルノーが留守大臣をつとめるも、肝心の点は、ベルティエのパリ帰還をまって承認・裁可され
なければいけないことです。

カルノーはこれもふくめて嫌気が差してナポのもとを去ったかどうかした
(あれ?爆弾がらみの追放だっけ?)
組織は1805年改変され、陸軍大臣はJean-Fran輟is-Aim? Dejean
その後G?n?ral Henri Jacques Guillaume Clarkeとかわったようですが、
この「ベルティエ不在の場合の行政の空白」いう事情はかわらない。
しかもベルティエはどうも「無欲の君子・参謀技術のいち歯車」として
平時においては、それほど陸軍省軍政業務に関心をはらわなかったようです。
702世界@名無史さん:02/12/24 05:01
当方は1812年のロシア侵攻にかんする意志決定になんらかの
致命的欠陥、本来、官僚組織なり参謀集団がシミュレーションのうえ
「短期決戦での敵野戦軍の捕捉殲滅不可」
「長期戦で兵站が続かず破滅」
と提言すべきだった(じっさい官房長官兼補給総監ダリュー伯はそのむね
提言してます)のにそれがない・・・いうことは

ナポレオンの個人の天才に立脚した「第1帝政」には、近代国家として
なんらかの構造的欠陥があったと思います
703世界@名無史さん:02/12/24 05:11
英国海軍も海軍省(軍政)と海軍第1委員会(軍令)にわかれてましたが
フランス軍も陸軍省(軍政)と大陸軍司令部(軍令)、でならすっきりするのですが、
その軍政と軍令のうえにたつお人が、全権力を握ってパリから1000マイルも
離れられると・・・
704世界@名無史さん:02/12/24 08:05
>>703
分かれていましたっけ?
当時、First Sea Load が国王の名のもとに指示を下す総理大臣の下で、軍政・軍令
すべてにわたって海軍を統括していたのでは?
ナポレオン戦争時に英国に海軍大臣っていましたっけ?
705世界@名無史さん:02/12/24 14:21
>704
1832年にホイッグ党政府が従来、軍政を担当していたNaval Boardを廃止し
軍令・軍政の全機能を海軍本部委員会に一元化してます。その最高責任者が
The first Loadいう議会に責任を負う閣僚ですね。
それ以前は、以下の2元化が英国海軍でおこなわれてるようです

1)16世紀なかばヘンリー8世が提督府Admirality(最高責任者は大提督Load High Admiral)
をおき軍令・軍政・軍法会議に広範な権限を付与。
このしたに艦政府(Navy Board)がおかれ艦船の建造・管理を担当しましたが、
海軍の拡張にともない、当初財務長官-大提督-艦政府のラインで統括されたものが
提督府から独立。
以来、イギリス海軍は1832年まで軍政・軍令と分離したようです。

2)17世紀スチュアート朝打倒後のクロムウェルの手で提督府→3人の委員による委員会構成に
改変(王政復古後、チャールズ二世が大提督をかねて自ら海軍を指導しますが)
706世界@名無史さん:02/12/24 14:21
3)1803年の組織は以下のとおり

【軍令】
国王
 |
内閣
 |
第1海軍委員(閣僚the First Load of the Admirality)1名と
内閣指名の4人の委員と官房長からなる
海軍本部委員会(Admirality Board)

【軍政】
海軍本部委員会と財務長官(閣僚)の指導管轄下で複数機関があります
Navy Board艦船の建造管理
VICTUALLING BOARD陸海軍の食料被服管理
ORDNANCE DEPARTMENT陸海軍の兵器製造管理
PAY OFFCE予備役含める給与管理
エトセトラ・・

1806年2月から第1海軍委員は武官歴代の伝統を廃止、文官ホヴィッグ卿就任を
契機に完全なシヴィリアンコントロールにおいてます

4)1832年のThe first Load(閣僚)による軍令・軍政の一元化ですね
707世界@名無史さん:02/12/24 14:27
>704
>ナポレオン戦争時に英国に海軍大臣っていましたっけ?

これは当方の誤解ですね。海軍省(DEPARTMENT)はないです
nAVY BOARD(軍政にかんする海軍委員会)+海軍本部委員会(軍令)の二元化
とかくべきでしたか・・・?
708世界@名無史さん:02/12/24 14:46
というわけで、帆船マニアの強豪もおりますし、上記とフランス海軍
陸軍の組織について検証希望。

年内は忙しくてアレですが、正月当たり、のんびり取り寄せ中の洋書とか
もふくめいろいろ識者の皆さんとお話したいですね
709世界@名無史さん:02/12/24 20:02
うーむ、さすがに反戦ヲタ恐るべし。
1803年度のFirstからForth Sea Loadは誰でしたっけ、なんてうかつに聞けないな。(w

   ...即座にレスが来たらコワイ。
710世界@名無史さん:02/12/24 23:35
Load って何?
711世界@名無史さん:02/12/25 00:24
>>700
>などとみると、どうもカルノーの陸地測量部は思ったより旧陸軍省内で
>軍事作戦全般に幅を利かせていたように見えます。

bureau topographiqueは陸軍省内組織ではなく、公安委員会直属の組織。
(War, Revolution, and the Bureaucratic State, p295の組織図による)
同書によると同部局設立は1794年6月だが、実際に機能し始めたのは8月以降。
Carnotが同部局を設立したのは、公安委による戦略のコントロールを強化するためらしい。
同部局は総裁政府設立後は総裁直轄の組織として存続するが、
1977年にCarnotが国外へ亡命したのに伴って解散される。

>>702
>当方は1812年のロシア侵攻にかんする意志決定になんらかの
>致命的欠陥、本来、官僚組織なり参謀集団がシミュレーションのうえ
>「短期決戦での敵野戦軍の捕捉殲滅不可」
>「長期戦で兵站が続かず破滅」
>と提言すべきだった(じっさい官房長官兼補給総監ダリュー伯はそのむね
>提言してます)のにそれがない・・・いうことは

当時、シミュレーションという概念が果たして存在したのか。
存在したとして、軍事作戦を立案するに当たってそれを行うのが一般的であったのか。
また、ロシア遠征以前のナポレオンの作戦計画について参謀集団が意見具申をした事例があったのか。
そもそも意思決定者であるナポレオンが部下の官僚組織にそうした意見を求めていたのか。
そうした事例がロシア遠征以前にないのなら、ロシア遠征のみ取り上げて欠陥と言うのはどうだろうか。
今まで読んだロシア遠征関連本では、ナポレオン自身の決定を問題にすることがあっても
官僚組織や参謀集団なりの不作為を問題にした事例は寡聞にして見たことがないのだが。
712世界@名無史さん:02/12/25 05:16
>>710
これは汗顔のいたり。
LoadではなくLordですね。Load High Admiralだと超過重提督ですね(笑)

>711
おお。ご無沙汰しております。
クリスマス向けにいろいろ書籍を頼んだのですが、なぜか新古本で買った
Digby SmithのNapoleon's Regimentが真っ先にとどいてしまいました。

それはともかく・・・
シミュレーション云々は昨今、火葬戦記がらみであまりいい印象を与える
言葉ではありません。ま、このへん噛み付かれて当然でしょう。いわれることは
いちいちもっともですが、フリードリヒ型のいち将軍による号令方式戦争から
1813-14年戦役におけるグナイゼナウ主導のプロイセン軍における訓令方式
(命令を文書にし指令の枠内で下級指揮官の裁量を残す)戦争の過度期で、
その中間にナポレオンはいたと思うのですよ

当方としては、第1帝政は軍事技術のうえで、まあ1807年のアイラウ戦のころを
折り返し点に(国王が親征したわけでもない英国イベリア派遣軍や、国王が作戦案を
立てたわけでもない13年秋季戦役が仏軍に勝った)各国においつかれ追いぬかれた
原因を探りたい。
そのへん、欠陥と称したわけで。
713世界@名無史さん:02/12/25 05:47
>709
いやあ〜(苦笑)時間をかければネットのどこかに情報は転がっているはずですが
さすがにPCでテキスト長時間読むと目がちかちかしてきて。

ま、語り尽くされた語り尽くされたといわれると、そんなわけない!
思うので、初心者である当方を当て馬にいささかなりとNapoleonic関連
スレがまわればこれにまさる喜び無しです
714Bacler d'Albe (1761-1824)とは誰か?:02/12/25 06:19
>War, Revolution, and the Bureaucratic State
ttp://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0198205422/qid%3D1040761642/sr%3D11-1/ref%3Dsr%5F11%5F1/103-1504495-8092635
なるほど。これは良さげな本ですね。是非、次回、入手してみましょう。

さてbureau topographiqueの件ですが・・・。
なるほど。勝利の組織者organizer of victoryカルノーCarnotの公安委員会時代の
陣頭指揮組織なわけですね。手もとのChandler辞書みると過去ログでいろいろ話した
総動員法levee en masseと同時にdeputes-en-missionいうシステムを93年に構築しています。
まず、これの日本語訳がわからない(余談)

つぎにビューロウ・トポグラフィクのそれで検索かけて以下のソース不明ながら
なかなか要領良くまとまったサイトにたどりつきました
Napoleon's Command System
ttp://www.smartgroups.com/vault/napoleon/Napoleonic_Command_System.htm
ここだけでは1790年代について情報不足ですが読むとbureau topographiqueが
ナポレオンのイタリア作戦立案に大分関わっているような気がします。

また読みすすめるとBacler d'Albe (1761-1824)なる測量技師だか地図作成者
がナポレオンのスタッフとして注目されている。
このへん、ま、民衆史関連で「全体を把握せず闇雲に細部を調べているのではないか?」
いう疑義ももっともですが(まあ正解です)、ちょっと調べてみたいですね

715世界@名無史さん:02/12/25 06:21
ま、あんまネットサーフィンまがいでやると某コピペ閣下の愚をくりかえすつもりか
と叱られそうなので、次回、もちょっとまとめて・・・
716世界@名無史さん:02/12/25 14:27
てめえ!ナポレオンが毒殺された件に付いてはどうなってるんだ!
717総督:02/12/25 20:06
ナポレオンの非欧州における軍事活動に興味があります
ハイチのトゥサン・ルーヴェルチュールを征伐したのも
彼だったはず。
718世界@名無史さん:02/12/25 23:21
>>713
>ま、語り尽くされた語り尽くされたといわれると、そんなわけない!
>思うので、初心者である当方を当て馬にいささかなりとNapoleonic関連
>スレがまわればこれにまさる喜び無しです

ではこちらも問題提起を一つ。
1813年のライヘンバッハ・プラン(英語ではTrachenberg Planと書かれることが多い)の立案者は誰か。
ナポレオンとは戦わず彼の部下とだけ戦うというこの作戦は、ナポレオンを東奔西走させ連合軍の勝利に貢献した。
ある意味ナポレオンの没落をもたらした決定的要因の一つと思われるが、実は立案者については諸説ある。
識者の見解を求める。
719世界@名無史さん:02/12/25 23:22
>>714
>総動員法levee en masseと同時にdeputes-en-missionいうシステムを93年に構築しています。
>まず、これの日本語訳がわからない(余談)

deputies in missionは要するにコミッサールのこと。
様々な部局から軍に派遣されたようだが、特に国民公会が送った派遣議員のことを指す場合が多い。
従ってしばしば英語ではrepresentatives on missonとも言われている。
公会は1793年4月に共和国のあらゆる軍に3人の議員を派遣することを決定。
後に多い軍には12人もの議員が派遣されるようになったという。
彼らは前線における軍編成の支援や疑わしい将軍の監視、兵士たちの士気向上などを任務としていた。
(The Art of Warfare in the Age of Napoleon)

>また読みすすめるとBacler d'Albe (1761-1824)なる測量技師だか地図作成者
>がナポレオンのスタッフとして注目されている。

ChandlerのDictionary of the Napoleonic Warsに掲載されているはず。
ChandlerのThe Campaigns of Napoleonにも詳細な説明が載っている。
ル=ロワ=ラデュリの「気候の歴史」には彼の描いた氷河のスケッチについての話がある。
なお、彼についての簡単な紹介は以下のサイト参照↓
ttp://www.historydata.com/biographies/baclerdalbe.html
以下はBacler d'Albeの描いたリヴォリの戦い↓
ttp://benoa.ifrance.com/benoa/images/napoleon/peintures/rivoli.jpg
実際のリヴォリの戦場については以下のサイトの写真参照↓
ttp://www.historydata.com/places/rivoli_panorama.html
720世界@名無史さん:02/12/26 02:21
>1813年のライヘンバッハ・プラン(英語ではTrachenberg Planと書かれることが多い)の立案者は誰か。
なるほど〜。これは識者でない当方は識者のレスを待つほかないですな(笑)

ま、ご見解をお待ちしますがな
721世界@名無史さん:02/12/27 01:18
キンマンコの池田大作と創価学会がナポレオン礼賛に熱心だそうだけど、
きっと他民族出身の成り上がり者という点に共感しているだけだよな。
ナポレオンの下劣で浅薄な実像が明らかにされねばなるまい。
722世界@名無史さん:02/12/28 18:05
ヤングキングアワーズという一部では有名な雑誌にナポレオン漫画の連載が始まりましたよ。
723世界@名無史さん:02/12/29 03:52
てめえ。>720
>国王が作戦案を立てたわけでもない13年秋季戦役が仏軍に勝った
とかかいといて1813年秋季戦役におけるライヘンバッハだかトラヒェンベルグだか
の密約調べて逃げたな?

ベルナドットとかモローの立案とか、うまく話題をずらして逃げろ!!
724世界@名無史さん:02/12/29 14:31
>722
ヘルシングだか、いけてるふたりしか読みません
725世界@名無史さん:02/12/30 19:57
うざいかきこみやめろ
726世界@名無史さん:02/12/30 20:31
ヘルシングいいよな
727世界@名無史さん:03/01/08 23:06
>>678の追加

ようやくBarrasの回想録発見。以下のHP↓
ttp://catalognum2.bnf.fr/html/i-frames.htm
で著者名barrasで検索し、Mémoirs de Barras, membre du Directoire Iを見ればOK

回想録250ページに以下のような文章がある。
mais dans toute cette matinée du 12 où je l'aurais du trouver avec les
militaires et les patriotes qui m'accompagnaient, je ne l'avais point aperçu.
これが>>678で問題になった以下のHP↓
ttp://europeanhistory.about.com/library/prm/blnaptakescharge4.htm
にある、
But that day, the 12th, when he ought to have been attending me with other soldiers
and patriots, I had not had a glimpse of him all morning.
の原文であろう。

問題はこの12日がVendémiaireなのか、それともOctoberなのかという点。
しかし、同回想録の直前ページ(249ページ)には、以下のような文章がある。
Le citoyen Valentin, adjudant général, suspendu de ses fonctions
à l'armée de l'Ouest, vint m'annoncer, le 12 vendémiaire dans
l'après-midi, que la Convention serait attaquée le lendemain à
quatre heures du soir.
ここには明確に12 vendémiaireという言葉が含まれている。
従ってその直後の250ページにある12日もVendémiaireと考えるのが妥当ではないか。
728カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/10 11:21
>>727
すごい…。本一冊読めるようになっているんだね!
『回想録』の245ページから260ページ位までざっと目を通してみたが、確かに日付は
革命暦で統一しているようだね。それに、ツーロンでの活躍を記述したすぐ後に
ヴァンデミエールの事件のことを書いているので、この Bonaparte が弟ではなく、
ナポレオンであるのは、明らかだ。(前言撤回…)

やはり、ミシェル・ダンセルの間違いなのかなぁ…。でも、何だか釈然としないのは、
バラスの記述が、どこか「調子良すぎる」感を否めないからだろうか…。
政権を握ったナポレオンの出世へのきっかけとなったヴァンデミエールの事件で、
自分(バラス)の果たした役割をことさら強調している印象があるんだよね。
(以下、辞書を引いてる時間がないので、いい加減な読み方で誤訳もあると思うが…)
729カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/10 11:21
まず、事件前日(12日)、Menou の後任(remplacer)としてBonaparte の起用を提案
した(Le Comite de Salut public, sur ma proposition …)とあり(p250)、
さらに Sablons の大砲の使用を思いついたのは Barras 自身で、彼が Bonaparte に
指示し、(Je dis a Bonaparte: "Tu vois s'il y a un moment a perdre, …)
Barras の命令を Bonaparte が直ちに第21猟騎兵隊長を遣って(Bonaparte expedia
aussitot mon ordre au chef d'escadron du 21e de chasseurs)、Murat が大砲を
チュイルリーに運んだとある。(p252)

Barras は何もしなかったかもしれない(俺の想像)にもかかわらず、すべてが彼の
命令で動いたような書き方してるよね。これじゃ「いいとこ取り」だ。
Barras が自慢するために書いた『回想録』っていう感じだな…。
今度、時間のあるとき、ちゃんと読んでみる。もっと面白いことが書いてあるかも…。
730カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/10 11:31
上の文、日本語が少し変だった。「Bonaparte は私(Barras)の指示を
直ちに第21猟騎兵隊長に発令し…」かな…。
731世界@名無史さん:03/01/11 11:03
藤本ひとみの『ナポレオンの夜』はすばらしい!
732山崎渉:03/01/11 12:51
(^^)
733みつば:03/01/11 21:27
ナポレオンがなぜ処刑されなかったのか。知っている方がいらっしゃいましたら教えてください。おねがいします。
734みつば:03/01/11 21:38

ちょっとわかりにくかったので。
エルバ島から脱出し、再びレントヘレナ島に流されましたよね。
それまで国を支配してきた王などは、処刑されたのに
ナポレオンは処刑されなかったのかということを教えていただきたいのです。
735世界@名無史さん:03/01/11 22:11
>>729
>Barras は何もしなかったかもしれない(俺の想像)にもかかわらず、すべてが彼の
>命令で動いたような書き方してるよね。これじゃ「いいとこ取り」だ。
>Barras が自慢するために書いた『回想録』っていう感じだな…。

安易に「あらゆる功績は英雄Bonaparteのもの」と解釈するよりはましだと思う。
少なくともこの回想録は当事者が記したもの。
それを否定したければより強力な証拠(一次史料)を示すことが必要最低限だろう。
なおPhippsは、Barrasが大砲の回収を決めたのはBonaparteと会った後という点から、
実際にはこのアイデアはやはりBonaparteに由来するのではとの見方を示している。
(The Armies of the First French Republic)
もっとも、Phippsもクーデターで最も重要な役割を果たしたのがBarrasであることは認めている。

ついでに、Phippsがこのクーデター関連で脚注に紹介している文献を以下に載せておく。
Fournier, R., Chroniques et légendes des rues de Paris, Nouvelle édition,
Paris, Dentu, 1893.
Sciout, L., Le Directoire, Paris, Firmin-Didot, 1895-7.
Fastes de la Légion d'Honneur, Biographie de tous les Décorés, 5 vols.,
Paris, Saint-Edme, 1843-7.
Napoléon Ie, Correspondance de, publiée par l'ordre de l'Empereur Napoléon III, 32 vols.,
Paris, H. Plon, J. Dumaine, 1858-70.
Montholon, Le Général C. de, Récits de la captivité de l'Empereur Napoléon à Sainte-Hélèna,
2 vols., Paris, 1847.
Baron Fain, Manuscrit de l'An Trois (1794-5), Paris, Fain, 1828.
Thiébault, Général Baron, Mémoires 5 vols., Paris, Plon, Nourrit, 1893-5.
Jung, Lucien Bonaparte et ses Mémoires (1775-1840), 3 vols., Paris, Charpentier, 1882-3.

もちろん、Barrasの回想録も紹介されている。
736世界@名無史さん:03/01/11 22:35
Vendémiaireについてさらに資料の紹介。
ttp://catalognum2.bnf.fr/html/i-frames.htm
で著者名Zivyで検索すれば、
[Le] treize vendémiaire an IVなる書物が発見できる。
pdfファイルの文字が汚いのでかなり読みにくいのが難点か。
737世界@名無史さん:03/01/14 23:14
藤本ひとみの「ナポレオンの夜」が冴え渡っている。
738カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/17 01:34
>>735->>736
面白くなってきたな…。>>736にあげてくれたサイトの"Le Treize Vendémiaire" のp74
あたりから先を10ページほど読んでみて欲しい。画面が非常に読みにくいし、翻訳には
自信がないが、Barrasの"Mémoires"(回想録) や Bonaparte の"le Mémorial"(日記:
"Feydeau"のことも書いてある)の記述の後に次のような文章がある。

Ce récit est faux. La Convention ne désigna pas Bonaparte pour le commandement en
chef. Ni le procés-verbal de l'Assemblée, ni le Moniteur ne mentionnent son nom.
「この物語は虚偽である。議会はボナパルトを指揮官(?)に任命していない。議会の
議事録にもモニトゥール紙にも彼の名は記載されていない」(参考までに…拙訳ご容赦!)

主観的な「回想録」や「セントヘレナ日記」に比べると、議事録やモニトゥール紙は、
より信頼できる「一次史料」ではないだろうか? いずれにしても、虚偽と断定する学者
がいる一方、ヴァンデミエール13日の事件にナポレオンが関わったのは確実だとする学者
もいるようで、それぞれの根拠は細かく読んでみないとわからない。今日はp80あたりまで
目を通したが(視力が落ちた!)まとまった話を書けるほど読み込んでいないし、サン=
ジュストスレで、俺のレスを待ってるお嬢さん方が(madameも)いるので、また後日…。
739世界@名無史さん:03/01/18 01:37
>>738
>主観的な「回想録」や「セントヘレナ日記」に比べると、議事録やモニトゥール紙は、
>より信頼できる「一次史料」ではないだろうか?

同感だが、Zivyがp74で"Ce récit est faux."と述べているのはBonaparteの主張について
だけではないだろうか。p74にはBarrasの回想録についての言及はほとんどない。

>「この物語は虚偽である。議会はボナパルトを指揮官(?)に任命していない。議会の
>議事録にもモニトゥール紙にも彼の名は記載されていない」(参考までに…拙訳ご容赦!)

当方も翻訳には自信がないが、おそらくそういう意味なのだろう。
ここで問題となっているのはBonaparteが国内軍のcommandement en chefではない点。
そもそもBarrasの回想録ではBonaparteをaides-de-campに任命したと記していたのだから、
Zivyは、「Bonaparteを指揮官に任命する動きがあった」というBonaparteの"Le Mémorial"
にある主張を「虚偽」だと指摘したかったと考える方が妥当だろう。
別にここの部分でBarrasの回想録まで否定にかかっている訳ではないと思う。

もっとも、p77ではBarrasの説(aides-de-camp)も否定して、以下のように述べているが。
Bonaparte ne reçut done, ni le commandement en chef, ni le commandement en second;
il fut simplement réintégré dans l'armée, et mis à la disposition de Barras.
つまり、Bonaparteは単にBarrasが指揮する軍に編入されただけ、ということになる。
740世界@名無史さん:03/01/18 01:38
739の続き
>いずれにしても、虚偽と断定する学者
>がいる一方、ヴァンデミエール13日の事件にナポレオンが関わったのは確実だとする学者
>もいるようで、それぞれの根拠は細かく読んでみないとわからない。

従って、ZivyはBonaparteがVendémiaireにかかわったことまで「虚偽」と断言したわけではない
と見る方が妥当であろう。
彼はBonaparteがBarrasの部下として国内軍に編入されたと書いており、
国内軍がVendémiaireの反乱鎮圧に携わったことは間違いないのだから。
なお、ここでのBonaparteがナポレオンであることは、しばしばgénéral Bonaparteという表現が
出てくる点からもまず疑いない。
ナポレオン以外のBonaparte家の人物がこの時期に将軍になっていたという話は聞いたことがない。
741カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/18 10:08
>>740
>従って、ZivyはBonaparteがVendémiaireにかかわったことまで「虚偽」と断言したわけではない
>と見る方が妥当であろう。

BonaparteがVendémiaireに関わったことまで「虚偽」といっている学者は、おそらく
誰もいない。問題は、ヴァンデミエール13日に(12日夜から)彼がいたかどうかだ。
少なくても、ヴァンデミエール24日(10月16日)のComité de salut public の布告には、
général de division としてBonaparteの名がある。(Le Treize Vendémiaire:p102)
どの時点でナポレオンが鎮圧に加わったかは不明だが、テルミドールの反動の後、
général として公の文書にBonaparteの名が出てくるのは、これが初めてなのでは
ないだろうか?(未確認:Barras の回想録には、しばしば出てくるようだが…)

それ以前に、ヴァンデミエール17日のモニトゥール紙にBuona-Parteの名が出ている。
(p102:読みにくいし、疲れるので、申し訳ないが仏文の転載はしない)この記事は
見事にバラスの記述と一致している。
742カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/18 10:09
>なお、ここでのBonaparteがナポレオンであることは、しばしばgénéral Bonaparteという表現が
>出てくる点からもまず疑いない。
>ナポレオン以外のBonaparte家の人物がこの時期に将軍になっていたという話は聞いたことがない。

この男は将軍とは記載されていないし、ナポレオンである確証はない。(将軍であるなら、
「Buona-Parte」などと誤記されることは考えにくい。この男は少将でさえなかったのでは
ないだろうか?)

やはり、疑問に思うのは、ヴァンデミエール12日、13日の議事録やモニトゥール紙に
Bonaparteの名がないことだ。ナポレオンが何らかの功績をあげたことは確かだろうが、
バラスの回想録やナポレオンの日記に誇張はないだろうか? 2chだから、学者の説は
ともかく(同じことを推測した学者がいたらがっかりだが…)俺は、誰も考えたことのない
奇想天外な説を出してみたい。

…つまり、バラスは回想録を書くにあたって、当時のモニトゥール紙や議事録を参照した。
そしてヴァンデミエール17日の「Buona-Parte」の記事を見つけた。「なんだ、あいつ、
12日の夜からいたのか。俺の部下だったのか、ということで、général Bonaparteが登場
する…。どうだろう? この説、あまりにも無理があるかな?
743カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/18 10:16
失礼! 17日の記事、ちゃんと「général」と書いてあったな。やはり俺の説は
無理だったか…。
744カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/18 10:44
話題を変えてすまんが、1807年9月19日生まれのSaint-Justの甥(妹の
Louise-Marie-Anne Decaisne の次男の名が「ナポレオン」(Naporéon
Augunte Decaisne)だと最近知った。(D.Dommange: La Famille de Saint-Just)
出典は忘れてしまったが、ナポレオンの弟とサン=ジュストは親友だった
という話をどこかで読んだ記憶がある。ボナパルト家とサン=ジュスト家は
親交があったのかな?あるいはサン=ジュスト家もイタリア系だったのか…?
745世界@名無史さん:03/01/18 20:53
>>741-743
カメレオン氏は分かっていると思うのだが、他にスレを見ている人もいるだろうから念の為記しておく。
もし、新しい説を唱えるのであれば、立証責任は新説を唱える側にある。
ヴァンデミエール13日にナポレオンがいなかったということを立証したいのであれば
「12日、13日の議事録やモニトゥール紙にBonaparteの名がない」だけでは不十分。
彼が反乱鎮圧の場にいなかったことを積極的に裏付ける証拠を提出しなければならない。
少なくともBarrasの回想録(Moniteurより信頼性は低いかもしれないが、立派な一次史料である)
にはgénéral Bonaparteが鎮圧にかかわっていたとあるのだから、それより確実な証拠が必要。
ナポレオンがこの時期に別の場所にいたことを証明するか、あるいは鎮圧にかかわっていたのが
ナポレオン以外のBonaparte家の人物とはっきり言明した一次史料を示さない限り、新説は成り立たない。
「記録がない」ことは、その場に不在であったことを証明するものではないからだ。
なお、Zivyが試みているのは、Bonaparteが13日時点で国内軍指揮官ではなかったことの証明。
彼はBonaparteが鎮圧にかかわっていなかったなどとは記していない。

>失礼! 17日の記事、ちゃんと「général」と書いてあったな。
p76に紹介されているMusée des Archives no 1439の文章にもgénéral Bonaparteとある。

>俺は、誰も考えたことのない奇想天外な説を出してみたい。
正直言って、ナポレオンに関しては史実かどうか怪しい話が既に嫌というほど存在する。
個人的にはそうした俗説のおかしい部分を探索するだけでも十分に面白いと思うが。
例えばナポレオンがイタリア方面軍指揮官の地位についたのは本当にBarrasのお蔭だったのか、など。

>744
>出典は忘れてしまったが、ナポレオンの弟とサン=ジュストは親友だった
>という話をどこかで読んだ記憶がある。
兄のJosephは1768年生まれなのでSaint-Justが死んだ時点では26歳くらいか。
しかし弟たちになると若い。Lucienは19歳、Louisは16歳、Jéromeは11歳くらい。
親友だったかどうかは知らないが、何をきっかけにそんな若造が公安委員と知り合えたのだろうか。
746世界@名無史さん:03/01/18 20:55
ついでに>>734
>それまで国を支配してきた王などは、処刑されたのに
敗戦をきっかけに処刑された君主というのは歴史上どれほどいるのだろうか。
少なくとも日本の天皇は処刑されていない。
第一次大戦で敗北したドイツのヴィルヘルム二世もそう。
普仏戦争で敗れたフランスのナポレオン三世も退位しただけだ。
ロシアのニコライ二世の場合は敗戦以前に権力を失っていた。
国ごと滅んだ事例なら沢山あるだろう。ビザンチン帝国の最後の皇帝のように(処刑ではないが)。
しかし、ナポレオンが流された時、フランスは別に滅亡したわけではない。
なぜナポレオンが処刑されなければならないのか、むしろその根拠を聞きたい。
747世界@名無史さん:03/01/19 03:30
藤本ひとみの「ナポレオンの夜」を読めー!
748カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/19 13:35
>>745
>親友だったかどうかは知らないが、何をきっかけにそんな若造が公安委員と知り合えたのだろうか。

Lucienの19歳は当時にしてみれば「若造」とはいえないし、彼がSaint-Justの友人で
ないということの何の根拠にもならないよ。(俺が言ったのは、もちろんLucienの
ことだが…)Saint-Justの妹の結婚相手で、Saint-Justの義弟、「親友」でもあった
Emmanuel Decaisne は1756年生まれ、1767年生まれのSaint-Justより11歳も年上だ。
彼は1790年の7月14日の連盟祭に参加する国民軍の小隊長としてパリへ赴く際、自分の
副官としてSaint-Justを指名している。スレ違いになるので簡単にしておくが、
Saint-Justは国民公会議員となる前は、軍隊に属していたわけだし、その後も度々
派遣議員として軍隊へ赴いているから、Lucien BonaparteとSaint-Justが軍隊で会って
いる可能性はいくらでもある。

また、テルミドールの反動の際、Lucienも「ロベスピエール派」として逮捕・投獄
されているから、当然、ジャコバン・クラブには属していたと思われる。公安委員は
他のジャコバン・クラブのメンバーと隔絶された存在ではないし、Saint-Just が
公安委員であったのは、1793年7月から1年ほどの間(途中抜けていた時期もある)に
すぎない。最年少議員のSaint-JustとLucienとは5歳しか違わないから、ジャコバン・
クラブで親しく会話を交わしていたとしても不思議ではない。(行動派の兄に比べて
Lucienは頭脳型の人物として知られている。尚、ナポレオンが「モンターニュ派」の
「ロベスピエール派」となったのは1793年春だ。(3歳年下のLucienに関しては資料が
ないが、このとき行動をともにしていたのではないだろうか?)
749カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/19 13:37
また、ヴァンデミエール13日の事件の後、初めて会ったジョゼフィーヌへの手紙に
ナポレオンはこう書いている。「あなたがバラス氏の邸でお会いになったボナパルトは、
弟のリュシアンです」…このことから、リュシアンはナポレオンより前に、バラスの
家に出入りしていた(おそらく彼はバラスの部下であった)と考えられる。
ナポレオンはヴァンデミエールの事件の後、バラスの家に頻繁に出入りするようになる。

>正直言って、ナポレオンに関しては史実かどうか怪しい話が既に嫌というほど存在する。

俺は、ナポレオンがヴァンデミエール12日の夜から13日にかけて、鎮圧に参加したの
ではなく、ヴァンデミエール14日以降に加わったという説が、嫌というほど存在するか
どうかを知りたい。ヴァンデミエール24日には布告に名前があるのだから、10月16日に
いたのは確実だろう。

>>740
>なお、ここでのBonaparteがナポレオンであることは、しばしばgénéral Bonaparteという表現が
>出てくる点からもまず疑いない。
>ナポレオン以外のBonaparte家の人物がこの時期に将軍になっていたという話は聞いたことがない。

一次史料にこだわるなら、Lucien Bonaparteがgénéralでなかったという一次史料を
出さなければ、>>740の説を立証する根拠にはならない。(「聞いたことがない」では
不十分だ。何を根拠に「まず間違いない」というのか?)

それから…、できれば、番号を固定してほしい。
750世界@名無史さん:03/01/19 21:52
>>748-749
若造だから云々は確かに筋が通っていなかった。発言を取り消すことにする。

>Lucien BonaparteとSaint-Justが軍隊で会っている可能性はいくらでもある。
「可能性」でなく具体的史料があるのだろうか。
Lucienの簡単な伝記を読んだが、彼が北方軍のcommissaireになったのは1795年とあった。
既にSaint-Justは死んでいる。
ま、誰と誰が知り合いかということには興味がないので、別に返事はもらわなくてもいいのだが。

>また、ヴァンデミエール13日の事件の後、初めて会ったジョゼフィーヌへの手紙に
>ナポレオンはこう書いている。「あなたがバラス氏の邸でお会いになったボナパルトは、
>弟のリュシアンです」
史料を示してほしい。できれば一次史料(CorrespondanceのNoを示してもらうのがベスト)。

>ヴァンデミエール14日以降に加わったという説が、嫌というほど存在するかどうかを知りたい。
私の知る限りではない。
751世界@名無史さん:03/01/19 21:54
>一次史料にこだわるなら、Lucien Bonaparteがgénéralでなかったという一次史料を
>出さなければ、>>740の説を立証する根拠にはならない。
そうした一次史料の存在に心当たりはない。
二次史料ならいくらでもあるが、どこにも彼がgénéralになったという話はない。
ttp://www.histofig.com/history/empire/personnes/france_bonaparte_lucien_fr.html
↑あくまで1例

逆に聞くがLucien Bonaparteがgénéralであったという一次史料はあるのか?
たとえそうでもBarrasの回想録を見る限りヴァンデミエールに参加したのはNapoléonだ。
Lucienがgénéralだったとしても、それだけでは参加したのが彼だという証明にはならない。
ついでに以下のHPなどにあるNapoléonの手紙でも、彼自身が参加したと述べている↓
ttp://www.napoleonic-literature.com/Book_22/1769.htm
(1795年10月6日付けのJosephへの手紙参照)
もちろん、これも一次史料である(英語に翻訳されているが)。
新説を唱えるのであれば、以上のような史料を覆すだけの史料を示してほしい。
もし史料の提示がないのなら、もうヴァンデミエールについての議論はやめにしたい。
新史料が出てくればこちらにとっても勉強になるが、そうでないなら実のある話はできそうにない。

>それから…、できれば、番号を固定してほしい。
そちらの好きな番号で結構。
752カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/20 02:03
>>750-751
2chとは思えぬ厳格な研究態度とレスに敬服する。(皮肉じゃないよ!)

>もし史料の提示がないのなら、もうヴァンデミエールについての議論はやめにしたい。
>新史料が出てくればこちらにとっても勉強になるが、そうでないなら実のある話はできそうにない。

俺は誰かを名指ししてヴァンデミエールの議論をしているわけではないし、ここへは
「勉強しに来ている」訳ではないから、レスをするしないは勝手だろ。第一、新説を
打ち出して論文を書けるほどの「新史料」を呈示できるなら、こんなところに書いて
いないよ! まあ、歴史ネタで遊んでいるだけだから、読みたくない奴は無視してくれ。
で、俺はもう少しだけ「ナポレオンを語りたい」。

リュシアン・ボナパルトとサン=ジュストが軍隊で会っったという史料は探している
ところだが、ボナパルト兄弟がロベスピエール兄弟と親しかったという史料はある。
そもそもツーロン奪回の際、バラスとともに派遣された議員がマクシミリアンの弟の
オーギュスタン・ロベスピエール(1763年生まれ。ナポレオンより5歳年上。余談ながら
ジョゼフィーヌと同年、サン=ジュストよりは4歳年上だな…)である。
ナポレオンの活躍に注目し、彼を砲兵隊長に任命したのはオーギュスタンのようだ。
753カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/20 02:04
その後、ボナパルト兄弟はロベスピエールとは親しく交際していたらしい。
彼等がジャコバン派のロベスピエール派となったのは、この経緯によるものだろう。
「ロベスピエールの代理人」マルク=アントワーヌ・ジュリアン(1775-1848)が、
ボナパルト兄弟との交流を証言しているが、彼はテルミドール反動の際は19歳だった。
(ピエール・ガスカール『ロベスピエールの影』:一次史料はマルク=アントワーヌの
手紙だろうね…)マルク=アントワーヌ・ジュリアンもテルミドールの反動の後に
ロベスピエール派として逮捕されるが、告発される証拠となったのは彼の書いた16通の
書簡類だ。そのほとんどが長文で、内訳は、ロベスピエール宛13通、サン=ジュスト宛
1通、父親宛1通、名宛人不明(おそらく公安委員会宛)1通だ。ロベスピエール宛の
手紙は、初めの4通は「あなた」と呼び、5通目からは「君」となっており、年長者に
対しても臆するところ無く率直に書き綴っているという。(「テルミドール派」の
バラスはボナパルト兄弟のロベスピエールへの接近をどう思っていたんだろう?)

このマルク=アントワーヌ・ジュリアンが、ヴァンデミエールの騒乱の後、ボナパルト
兄弟に急接近し(おそらく同年代のリュシアンを通じて)、ナポレオンのイタリア
遠征への同行を願い出ている。

まあ、「ヴァンデミエール論争」はもうやめるが、「一次史料」なるものが真実とは
限らないことはよくあることだと思うよ。特に自伝などは…。真実を曲げるために
文書を残す「一次史料」もあるはずだ。しかし、文書無しには何一つ後世に伝えること
ができないというのもまた事実だ。
754世界@名無史さん:03/01/21 00:36
>>752-753
>2chとは思えぬ厳格な研究態度とレスに敬服する。(皮肉じゃないよ!)
どの掲示板かは関係ない。歴史について語る際に一次史料を無視したくないだけ。
何より、その方が面白い。
もっとも他人にそれを強制するつもりはない。できれば理解を得たいとは思うが無理なら仕方ない。

>「一次史料」なるものが真実とは限らないことはよくあることだと思うよ。
こちらの考えも一応述べておく。
私は歴史上の事件に立ち会ったことはない。つまり部外者。
部外者が事件について知りたければ当事者の話を聞くしかない。
当事者とはこの場合一次史料となる。
当事者の発言が事実かどうかについて、部外者であるこちらには分からない。
単なる主観で「ウソつき」「間違い」「事実に反する」と決めつけるのは無理。
当事者の発言が怪しいのなら、別の当事者を呼び出して
「あんたはそう言うが、こいつはこう言っている」とぶつけるしかない。
裁判と同じだ。被告の発言がウソだと思うのなら、証人を連れてくるか証拠を出すべき。
それができないのなら、いくら被告がウソつきだと主張しても説得力はない。
一次史料にこだわるのはそれが理由。一次史料抜きの発言は歴史について語ったことにはならない。
そして、具体的反証がない限り一次史料は信じるしかない。その部分では謙虚になるべきだろう。
とはいえ、何度も言うが他人に強制するつもりはない。
ただこちらの希望を言わせてもらうなら、後学の為に是非とも史料は示してほしい。
一次史料でなくてもいい。それが新しい知識を得るきっかけになるかもしれないのだから。

ついでに、以下の疑問について何か知っているなら、誰でもいいので教えてほしい。
>>718に書いた1813年のライヘンバッハ・プラン(Trachenberg Plan)についてだが、
最近読んだ本ではオーストリアのラデツキーが真の立案者とあった。
(Napoleon's Great Adversary、Napoleon and Berlinなど)
どのような根拠に基づいてこの説が唱えられているのかを知りたいのだが。
755世界@名無史さん:03/01/21 13:29
 ナポレオンは、セントヘレナ島を脱出してはるばる日本まで
逃亡し、江戸幕府により大和山辺郡にある旗本奥田氏の所領に
匿われました。そして、奈良県山辺郡山添村箕輪にはナポレオンの
墓だといわれる五輪塔があるそうです。
756世界@名無史さん:03/01/22 01:43
一次史料は霊能力というオチでしたw
757世界@名無史さん:03/01/23 20:08
ナポレオンの子孫って2世が夭折したから存在しないと思っていたけれど
庶子の存在を最近知ったのだが
子孫って今も残ってるのかな?
758世界@名無史さん:03/01/25 14:34
藤本ひとみの「ナポレオンの夜」を読む方が
よっぽど、「歴史の真実」に迫れると思う。
759世界@名無史さん:03/01/28 01:03
YOUNGKING OURs連載中の
ナポレオン〜獅子の時代〜/長谷川哲也
も読もう!
760世界@名無史さん:03/01/28 13:08
あんなの俺のダヴー元帥じゃないやい。・゚・(ノД`)・゚・。
761カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/28 16:33
酷く忙しくて、なかなか2chに来られない状態だ。今日は少しだけ時間が空いたので…。

>>754
遅レス。おまけにスレ違いになりそうだが、「一次史料」について、俺の考えも
言っておくよ。俺は一次史料を無視する気は全く無い。一次史料無しには何一つ
立証することができないのは事実だ。しかし、俺の語学力は英語・フランス語ともに
かなりいい加減なものだ。だから読みたくても世界史の「一次史料」を厳密に検証する
ことなんかできない。特にナポレオン時代(約200年前)の文書は、現代フランス語
とも若干違う部分がある。だいたい200年前の日本語さえ(辞書無しには)正確に読解
できない俺にはフランス語の一次史料を読むなんて、どう考えても無理な話だ。
(Barras の回想録、30ページほど読んでみて、面白い箇所が幾つかあったが、自分の
解釈が正しいかどうかわからない…ミュラに関して気になる記述をみつけたんだがね…)
しかし、すでに様々に解釈されている一次史料をもとに新説を立てることは、不可能
とは思わない。謙虚であるかどうかと、これは全く別問題だ。

それと、フランス史に関して、俺は英語の資料はあまり参考にしないことにしている。
英語訳されたフランス史の書籍にちょっと「?」という箇所がいくつかあることを指摘
する学者もいる。(もっとも仏語の日本語訳はもっとひどいものがあるらしいが…)
文化も歴史も異なる英語圏の人が書いたものを参考にするより、俺にとっては日本語の
資料を読んだ方がましだというだけなので、それは>>754と同じく、人に強制するつもり
はない。だから、古典的な外国語を勉強した上で、一次史料を読み込んでいる学者には、
心底頭がさがる思いがする。サン=ジュストのスレで、不遜にも俺が要約して書き込んで
いた安部住雄氏の論文は、そういう意味でも貴重な研究だと思う。古老の証言に疑問を
持った上、サン=ジュスト研究家として著名なオリヴィエやヴェレー、ヴィノの研究に
まで異論を挟む自信は、彼等が重要視(?)しなかったと思われるコレージュの記録や
パリ警察の裁判記録(一次史料)を詳しく調べた上での検証だからだ。
762カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/28 16:34
俺には持論を立証する手立ては無い。ヴァンデミエール論争を蒸し返して申し訳ないが、
あえてここに書かせてもらうと、ヴァンデミエール12日の夜、ナポレオンが参加したと
いうのは嘘だと思う。ミュラが独断でサンブルから大砲を運び、13日にぶっ放した。
暴動は鎮圧され、まあ、成功したからよいものの、誰が命令したか、その責任問題に
なった。無論、バラスが指示したものではない。これほどの大事にあたって指揮する者
は、少なくても「将軍」でなければならない。当時、指揮官であったムヌ将軍は王党派
寄りの人物で、そのような指示をする筈もない。(もちろん大反対をしたのだろう)
そこで、ミュラとリュシアンの発案で、ツーロンの英雄・ナポレオン(généralだし…)
に白羽の矢が当たった。そこで、ナポレオンを召喚すると同時にヴァンデミエール17日
のモニトゥール紙には、大々的にヴァンデミエール12日、13日のナポレオンの活躍が
報じられた。(200年前でも情報操作はあったと思う)しかしナポレオンは乗り気では
なかったと思う。すぐに召喚に応じる気にはなれず(たぶんロベスピエール派の彼は
バラスと組することには迷いがあったと思う)ぐずぐずしていたが、22日(10月14日)
夜、フェドー座での観劇の帰り、不意に愛国心に目覚め、議会へ直行。…余談だが、
その際、ウジェーヌ・ボーアルネ少年と対面。翌日(10月15日)、ジョゼフィーヌ宅
訪問。議会は、ヴァンデミエール24日(10月16日)正式にナポレオン・ボナパルトを
général de divisionに任ずるという布告を出した。
763カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/01/28 16:34
俺が、「モニトゥール紙」と「議会の記録」という「一次史料」をもとに推測した状況
は上記のとおりだ。バラスが『回想録』に書いた事柄は、これらの経緯を裏付けるため
であり、おそらくムヌ将軍は「解任」されてもいないし、(ヴァンデミエール30日の
モニトゥールにもムヌ将軍の名前がある)後任としてナポレオンが任命されたことは、
バラスの回想録以外には記述がないようだ。ナポレオンが「ヴァンデミエール将軍」と
呼ばれることを嫌いながらも否定しなかったのは、この事件が成功への足掛りとなった
ことを承知していたからだと思う。…この説、やはり無理があるだろうか?

俺がこの推論を思いついたのはブリュメールのクーデターの際の記述を読んだときだ。
ナポレオンの態度の不甲斐なさと(詰め寄られて失神寸前、助け出されるという有様)
それに対するリュシアン態度の強かさ、リュシアンの指示による軍隊導入を敢行した
ミュラの過激な活躍ぶりを読んだとき、これと似たようなことが「ヴァンデミエール」
でもあったのではないか、という疑問が起こったんだ。
ボナパルト一家の変わり者。後に政治を離れ、聖職者となってしまう弟リュシアン。
兄嫁となるジョゼフィーヌの色香にも惑わされず「更年期」と酷評し、頭が良く、
決断力にも優れているが、奇行癖もある(たぶんバラスの稚児であった)この男が、
俺にはナポレオンよりも面白い人物と思えてきた。
764世界@名無史さん:03/01/28 23:52
>>761-763
Vendémiaireについては新史料の提示がないのでパス。

>それと、フランス史に関して、俺は英語の資料はあまり参考にしないことにしている。
>英語訳されたフランス史の書籍にちょっと「?」という箇所がいくつかあることを指摘
>する学者もいる。(もっとも仏語の日本語訳はもっとひどいものがあるらしいが…)
やはりスレ違いなので短く済ませるが、理解できない。
重要なのは言語ではなく内容。
フランス語だろうと英語だろうと、使えるものは使えるし、使えないものは使えない。

とりあえずナポレオンの戦争に関する限り、私の読んだ日本語の本で他人にお勧めできるものはない。
今まさに出版中のチャンドラーの「ナポレオン戦争」が、きっと一番ましな本だろう。
チャンドラーの本にある間違いまで探すようになれば、さらなる高み(深み?)に行けると思うが。
765世界@名無史さん:03/01/30 03:05
さらなる深みにはまると高木なんとかいう人格になるの?

ありゃ勘弁だな
766シャア大佐:03/01/30 03:23
しかしナポレオンてのは今や日陰の話題なんだな。
今、過去ログ読みなおしたけど、10年だかかけて本貯めこんで
話す相手もいなくて鬱屈しまくっているのがよくわかるよ【禿

くくく。
鬼のように復讐心を燃やすがよい
767世界@名無史さん:03/01/30 13:51
おや、ひさしぶりにつづいてると思えば・・・。

チャンドラー、チャンドラーとこの世の春とばかりにはしゃぎたい気持ちは
わかるが、あまり関係者の品位を貶めるような真似はよしてくれ。

君のやってることは研究ではなく、単なる収集だ。糞転がしが糞を集めているような
ものだ。それで研究云々いわれても、なんだかな
768世界@名無史さん:03/02/01 11:12
創価学会って頭悪すぎですぜ。
769カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/07 15:03
ヴァンデミエールに関しては、資料不足の為に煽りや荒しを呼んでしまったようで
申し訳ない。今度は一次史料(?)も豊富に揃っている「ブリュメール18日のクーデター」
(1799年11月9日)について語ってみないか? この政変に関してはすでに今までに
話題になったかもしれないが、弟のリュシアン・ボナパルトの言動に注目しながら、
ブリュメールのクーデターについて見直してみると、ナポレオンという男の別の面が
見えてくる。「自説のソースも想像に頼らなくて」いいしな…。

何をもって「ソース」と呼ぶのか俺にはよく解らないが、厳密に考えるならば当事者に
よって残された手紙、メモ、記録以外は「一次史料」と呼ぶことはできない。フランス
革命史に関しては、日本語や英語に翻訳されたものも注釈つきで後に印刷されたものも
「一次史料」とはいえない。不鮮明で判読できない文字や誤字を、編集者や翻訳者が
「想像によって」意味の通る文章になるよう繋ぎ合わせたものとなっているからだ。
まして、論文やサイト中に引用された文を「ソース」と呼び、頭から信用してかかる
態度は疑問に思う。

俺は、他人の書いた文章をここにコピーする場合は、「 」や< >で必ず囲んで
引用している。「まるまるコピー」を鬱陶しく思う人もいるようだが、俺はサイト上
では読めない本や論文を参考資料として提供しているつもりだ。それはあくまでも、
この掲示板を読む他の人が、もとの本なり論文なりを入手する時間と手間を節約できる
ようにと思ってのことであり、原文や「一次史料」を読むことができる人には申し訳
ないが、引用をやめるつもりはない。ついでに引用元の本や論文に興味を持って、入手
してくれる人がいればいいと思っている。原文を読めば、別の解釈も出てくるだろうし、
ここでの議論ももっと面白いものになるだろう…。
770カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/07 15:03
で、「ブリュメール18日のクーデター」に関して、まず話題提供ということで、早速、
得意の論文コピーをしてみよう。

<「ナポレオンの心中にはなにかの野心があり……専制者たる素質があり……王位に
つけばまさに独裁者となろう」と、早熟な17歳の弟リュシアンが23歳の兄の本質を早く
から見抜いたように、ナポレオンの人生には若くしてすでに野望の炎がゆらめいていた。
それも普通ではなく、「非合理、無際限、そして悪魔的」(マーカス)といえるほど
強烈なものであり、その放つ光芒こそが多くの敵を作り、そして味方をも引きよせた
わけだった。
 そのためか、ボナパルトに初めて権力への途を拓いたいわゆるブリュメール(革命暦
の霧月)18日(1799年11月9日)のクーデターは、二万三千あまりの将兵をエジプトの
地に置き去りにし、単身帰国をあえてしてまで(10月9日)ボナパルトが強引に野心を
遂げたものと見られている。通信途絶の遠隔の地にありながら、弟のリュシアン(当時
24歳)となんらかの連絡を保ち、本国情勢に通じていたのかもしれない。さもなければ
あの帰国が数ヶ月前か数ヶ月後だったら、敵前逃亡罪で軍法会議は免れまいというほど
絶妙のタイミングで姿を現せたはずがない。とにかく常勝将軍の不意の帰還を民衆は
異様なほど歓迎した。> 両角良彦著『反ナポレオン考』朝日選書
771カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/07 15:04
ナポレオンの帰還とブリュメール18日のクーデターにおいてリュシアンの果たした役割
の重要性に関しては、これまであまり注目されることはなかったように思われる。
両角氏も上記の記述の中で「なんらかの連絡を保ち」と述べているにすぎない。しかし
実際はどうだろうか。

当時、総裁政府はバラスを中心とした主流派、ベルナドット将軍の率いるジャコバン派、
元司祭のシェイエスを戴く中立派による三つ巴の権力闘争が始まっていた。社会は混乱
し、腐敗しきっていた。政治は堕落し、公職は売買され、納税は行われず、風紀は乱れ、
野盗は横行。まさに革命前夜のごとき状況を呈していた。この事態を打破すべく、変革
(クーデター)の計画を練ったのはシェイエスとされている。シェイエスの計画に加担
したのは、上院議員メルシエ、下院議員リュシアン、その他の有力議員が結託し、外相
タレーランを引き入れてシェイエスは体制の刷新を図ったのである。

ナポレオンは後に「あれはシェイエスと文官たちがやったことで、余は手先にすぎず、
主役ではなかった。ただ果実だけはいただいた」とセント・ヘレナで語った(ベルト
ラン伯日誌)。すなわちクーデターの首謀者はシェイエスらであり、ナポレオンは、
その成功を力で勝ち取るための「剣」の役割を担ったにすぎないというのだ。この
クーデター計画をナポレオンに伝え、パリへの帰還を促したのがリュシアンであること
は間違いない。そしてクーデター当日、何よりも重要だったことは、五百人会議(下院)
議長をリュシアンにすることだった。
772カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/07 15:05
クーデターの詳細については諸説あるようなのでここでの引用は避けるが、まず、初日
(11月9日)の議会は次のような展開であったらしい。元老院(上院)ではレニエ議員が
ジャコバン派の妨害を避けるという口実で両院をパリ郊外のサン・クルウ離宮に移し、
翌日正午より開会すること、この決議の執行と両院の警護ならびにパリ守備隊の指揮を
ボナパルト将軍に委ねることを提案し、異議無く採択された。(モニトゥール)
この際、5人の総裁のうち3名は辞表を提出、2名は監禁され、総裁政府は崩壊した。

翌日(11月10日)、サン・クルウでは設営に手間取り、2時間遅れで開会したものの、
冒頭、上院では議場移転の事情説明を求めて騒然となった。ナポレオンが姿を現し、
国政の堕落を糾弾したが、「野次でかき消されるほど支離滅裂な演説だった」(両角)。
「余には軍神と幸運の女神がついている!」という意味不明な大見得を切るにいたって
ようやく議場は静まったという。
773カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/07 15:06
しかし五百人会(下院)の様子は全く異なった。ジャコバン派追い落としの気配を察知
したジャコバン派が猛然と巻き返し、「裏切り者を葬れ! 独裁者を追い払え!」と
口々に叫び、騒然とした中に護衛兵に囲まれてナポレオンが登場、演壇に登ったが、
ビゴネ議員が「軍人が許可無くして神聖な議場を汚した」と激昂。「無法者」「暴君を
殺せ」と叫ぶ議員たちに詰め寄られてナポレオンは顔面蒼白になったという。まさに
ロベスピエールを断頭台に送ったテルミドールの反動の際の議場を再現したかのような
光景に、ナポレオンは狼狽し、失神寸前のところを護衛兵の肩にすがってようやく議場
から逃げ出す始末だった。かくして「クーデターの命運は風前の灯ともいうべき危機に
直面した」(両角)のだった。

その危機を救ったのは他ならぬリュシアンだった。以下、両角氏の『反ナポレオン考』
から少し引用してみよう。(引用の方が少なければいいわけだろ?)

<議場の混乱の中でボナパルトに対して「法外追放」の動議が出されるや、危機を感じた
弟のリュシアンは議事を中断して中庭に退き、議場警備隊の馬に跨った。たまたま兵士の
一人が袖口を釘で引き裂いているのを目ざとくみつけ、これを議員の短剣の仕業にすり
かえて、扇動的なアジ演説を試みる。
「五百人会議は短剣をかくし持った数名の議員の制圧下にある。議事は進行せず、警護
の責任者であるボナパルト将軍に法外宣告をしようとしている。余は議長として兵士
諸君に議員の解放を求める。あえて議場に留まる者は実力で排除せよ。」>(両角)
774カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/07 15:07
武力行使に慎重だった警備隊指揮官ルクレルク将軍(ボナパルトの義弟)も議長の下命
とあってついに行動に移った。ミュラ(あのヴァンデミエールで活躍した男・翌年同じく
義弟となる)を先頭に進軍太鼓を鳴らしながら議場に突入。銃を構えて議場に散開して
居残っていた議員に退去を迫った。たちまちのうちに議場は閑散となったという。
夜9時、上院議員の大半と残った下院議員とで共和暦三年憲法を破棄し、総裁政府を
解散、新たに臨時総裁政府を創設する決議を採択した。「最低の計画の最悪の展開」と
評された政変はこうして曲りなりにも成功をおさめたわけである。

ナポレオンの狼狽ぶり、格好悪さに対して際立っているのはリュシアンの颯爽とした
アジ演説である。悪く言えば、議長という立場を利用し、釘で引き裂いた護衛兵の袖口
を短剣で襲撃されたと嘘をつき、前代未聞の武力行使を命令したリュシアンの態度は、
とても24歳とは思えぬ狡猾さである。
775世界@名無史さん:03/02/07 21:10
連続カキコうざ
776世界@名無史さん:03/02/08 00:38
>>769
>何をもって「ソース」と呼ぶのか俺にはよく解らないが、厳密に考えるならば当事者に
>よって残された手紙、メモ、記録以外は「一次史料」と呼ぶことはできない。フランス
>革命史に関しては、日本語や英語に翻訳されたものも注釈つきで後に印刷されたものも
>「一次史料」とはいえない。不鮮明で判読できない文字や誤字を、編集者や翻訳者が
>「想像によって」意味の通る文章になるよう繋ぎ合わせたものとなっているからだ。
>まして、論文やサイト中に引用された文を「ソース」と呼び、頭から信用してかかる
>態度は疑問に思う。

スレ違いだが、一応こちらの考えを。
一次史料の定義について話をしだすと長くなるのでその部分はパス。
こちらが言いたいのは、史料を否定するならより信頼性の高い史料で、ということ。
翻訳された一次史料は、フランス語の二次史料よりはるかに信頼できる、というのが私の考え。
もし英語に翻訳された史料が信頼できないというのなら、その具体的証拠となる史料を示してほしい。
それがない以上、こちらとしては英文に翻訳された史料を受け容れるしかない。
引用した文にしても、別に頭から信用しているわけではない。
それ以上に信頼できる史料を提示してもらえば、もちろん喜んでそちらに転向させてもらおう。
だが、具体的史料の提示がなければ、どんな説を出されても同意はできない。
私が知りたいのは具体的史料の具体的な内容である。
一般論としての史料の信頼性についての議論ではなく、個別具体的な史料について知りたいのだ。

なおブリュメールのクーデターについてだが、特に異論はない。
もっとも、両角氏が何を根拠に「弟のリュシアンとなんらかの連絡を保ち」と考えたのかは知りたいところ。
私が読んだ本では、英軍のシドニー・スミスから新聞を見せられて初めて本国の状況を知ったという話の方が多かったのだが。
(The Campaigns of Napoleon、The Armies of the First French Republic)
Bourrienneの回想録にも、新聞を見るまで10ヶ月もフランスの状況を知らなかったとある↓
ttp://www.nalanda.nitc.ac.in/resources/english/etext-project/Biography/napolean/book1.chapter24.html
777カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/09 13:02
>>776
おいおい、もう少しレベルの高い話をしているつもりだったのに、どうしたんだ?

>もし英語に翻訳された史料が信頼できないというのなら、その具体的証拠となる史料を示してほしい。
>それがない以上、こちらとしては英文に翻訳された史料を受け容れるしかない。

史料なんか示す必要もないだろ? 俺は日本人だからね。翻訳されたものなら、英語
より日本語で読んだ方がマシだって言ってるだけで、それを他人に強要するつもりは
ないよ。>>776は英語の読解力に自信があるようだから、好きにすればいい。しかし、
英語訳が日本語訳より仏文に近いとは限らないよ。それでも解らないって言うなら、
簡単な例をひいてみようか? フランス語を翻訳した文章の中に「大きな店のドア」と
いう記述があったとする。この日本語の文では、大きいのは店かドアかわからない。
英語では"a big store's door" だろ? …これでも大きいのはどちらかわからない。
しかし、フランス語ははっきりしている。原文が "grande" なら 大きいのは "porte"
だし、"grand" なら大きいのは "magasin" だ。「背の高い椅子に座った男」でもいい。
"chaise"は女性名詞だから、形容詞がどちらにかかっているかで判断できる。こんな例
は一冊の本の中で何万箇所あるかわからない。結局、全体の文脈から読み取るしかない。
翻訳過程で生じる困難は日本語も英語も大差ないと思うよ。

しかも「一次史料」の筆者のほとんどは文章の専門家ではない。時代による語法の違い
や方言、文法上の誤りも多々あるはずだ。翻訳の苦労はより大きくなる…というわけで、
>翻訳された一次史料は、フランス語の二次史料よりはるかに信頼できる
という説には納得できない。俺はフランス語の二次史料の方がはるかに信頼できると
思うな。…また、長々とスレ違いで申し訳ない。
778カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :03/02/09 13:03
>>776
>もっとも、両角氏が何を根拠に「弟のリュシアンとなんらかの連絡を保ち」と考えたのかは知りたいところ。

根拠は、「さもなければ、あの帰国が数ヶ月前か数ヶ月後だったら、敵前逃亡罪で軍法
会議は免れまいというほど絶妙のタイミングで姿を現せたはずがない。」だろ? 
>>776は「こういう史料に基づかない推測(想像)」はひどく嫌いなようだが、

>英軍のシドニー・スミスから新聞を見せられて初めて本国の状況を知ったという話

の根拠が、Bourrienneの回想録だとすると、Bourrienneはともかく、ナポレオンが
「英軍のシドニー・スミスから新聞を見せられ」たかどうかもわからないし、他のどの
ような媒体によって本国の状況を知ったか(知らなかったかも)全くわからない。

ナポレオンだけは何らかの方法で本国の情勢を知っていたからこそ、軍隊を置き去りに
して帰還した、と考えた方が自然なんじゃないか? そしてナポレオンは秘密のルート
で知った情報を他の軍人に漏らすような間抜けじゃないだろうな…。リュシアンから
手紙か何かを受け取っていたとしても、証拠は残さないだろう。>>776は史料、史料と
騒いでいるが、これは「秘密裡に画策されたクーデター計画」なんだから、根拠となる
一次史料は、まず見つからないと思った方がいい。
779世界@名無史さん:03/02/09 13:51
>根拠となる一次史料は、まず見つからないと思った方がいい。

いいねえ、いいねえ。ほんとに素晴らしいよ、君は。
ぎゅっと抱きしめて上げたいくらいだ。
780世界@名無史さん:03/02/09 20:36
>>777
>俺はフランス語の二次史料の方がはるかに信頼できると思うな。
全く同意しかねる。
なぜ当事者に由来する史料より部外者に由来する史料の方が信頼できるのか、理解できない。
それに、そう主張するなら是非ともフランス語の二次史料を示して欲しいところだ。
だが、これ以上の議論は水掛け論にしかならないだろう。
そちらが一次史料より二次史料を重視するなら、時間の無駄なのでもう議論はやめる。

>>778
>これは「秘密裡に画策されたクーデター計画」なんだから、根拠となる
>一次史料は、まず見つからないと思った方がいい。
そういうことなら私以外の誰かと議論をしてほしい。
私は史料について知りたいからカキコしている。
史料の提示がないならもう議論する意味はない。
以降はそちらの発言に対してレスをつけるのは差し控えさせてもらう。
781世界@名無史さん:03/02/24 15:12
age
782世界@名無史さん:03/03/02 20:07
まだ、基地外が跋扈しているんだね。このスレ。
783山崎渉:03/03/13 13:28
(^^)
784世界@名無史さん:03/03/15 01:25
保守
785世界@名無史さん:03/03/22 01:08
創価の基地外がウザイ。
786世界@名無史さん:03/04/07 00:05
>>785
そういえば2chで初めて気付いたのだが>創価学会のナポ萌え
あの富士美術館だっけ?静岡だかのド田舎の博物館だかのナポ展とか。
遠くて見にいけねぇよ!
つーことで上野の公共美術館に持ってる物寄付しろ!
787世界@名無史さん:03/04/14 04:24
http://www.coolquiz.com/trivia/directory/search.asp
It was reported that Napoleon carried chocolate with him on his military campaigns, and always ate it when he needed a boost of energy.
「我にショコラありせば他の食べ物を断つも可なり」(ナポレオン)
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruchoco/choco1.htm
これって本当ですか?
788世界@名無史さん:03/04/14 04:43
ナポレオンがココアばっかし飲んでいたという事が、他の某スレッドで議論になってます。
識者の方、どうかご教授願います。
789世界@名無史さん:03/04/14 04:49
ナポレオンはコーヒー好きだったはずだが。
790世界@名無史さん:03/04/14 05:14
>>789
はい、コーヒー好きなの知っています。
それとは別に、ナポレオンはココア(ショコラ)を常に携帯していたということと、ココアがあれば他は何もいらないと言ったということが本当かどうかが
どうしても裏づけをとることができないのです。
ネットで検索してみると、ナポレオンのココアについて書かれたサイトは大量にあるのですが
ちゃんとした論文や文献的なものはどこにも書かれてなくて、これ以上調べようがなく困ってます。
791世界@名無史さん:03/04/15 00:37
ナポレオンはココアばっかり飲んでたって本当ですか?
792世界@名無史さん:03/04/16 21:34
あげ
793山崎渉:03/04/17 09:16
(^^)
794世界@名無史さん:03/04/20 01:36
ナポレオンがココアばっかり飲んでた頃があったって本当ですか?
795山崎渉:03/04/20 04:31
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
796世界@名無史さん:03/04/23 22:18
世界史フラッシュのナポレオンさんとフランス皇帝のナポレオンさんは
親戚ですか?
797世界@名無史さん:03/05/18 20:42
ナポレオンとココア
798山崎渉:03/05/21 22:12
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
799山崎渉:03/05/28 15:47
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
800世界@名無史さん:03/05/31 21:52
ナポレオンの諸事象に対する評価の論述を書かなくてはならんのですがどんな所に要点を置けばいいですかね?また、これは欠かせないだろってところも教えてくれると嬉しいです。
801世界@名無史さん:03/06/01 20:55
age
802世界@名無史さん:03/06/01 21:28
今の松井みたいなもんよ。幻想が一人歩きしてる。
革命伝播と言ってもやってることは大東亜共栄圏とどっこいどっこい。
803世界@名無史さん:03/07/02 17:25
www.fides.dti.ne.jp/%7Ecome/napo/
上記URLの資料が示すとおり
ナポレオンはへなちょこです。
804世界@名無史さん:03/07/02 20:52
語りつくした?
805世界@名無史さん:03/07/02 20:55
ナポレオンはブーデー
806世界@名無史さん:03/07/03 18:45
ナポレオンはビーチー
807*****:03/07/03 19:54
★★完全無修正のエロエロサイト★★
http://upbbs.s2.x-beat.com/linkvp/linkvp.html

 ↑ 
このサイトマジやばいです。早く見ないと消されちゃうかも・・・
808世界@名無史さん:03/07/03 23:52
コーエーのPC98名作群がWin版となって帰ってくる!
ttp://www.zdnet.co.jp/games/gsnews/0307/03/news04.html

Vol1「信長の野望・全国版」「維新の嵐」「伊忍道」 発売8月1日
Vol.2「三国志」「ロイヤルブラッド」「ヨーロッパ戦線」 発売8月22日
Vol.3「蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン」「大航海時代」「ランペルール」 発売9月5日
各4500円

ナポレオン好きの皆様、往年の光栄名作SLG、ランペルールが再販されるそうです。
809世界@名無史さん:03/07/04 09:25
マジ!
810世界@名無史さん:03/07/04 10:33
メッテルニヒが軍団率いて攻めて来るゲームだな…。
811世界@名無史さん:03/07/05 09:57
やってみたい・・・・
812世界@名無史さん:03/07/05 11:26
イギリス滅ぼしたらウェリントンが仕官してきたこともあったぞ
813世界@名無史さん:03/07/05 12:50
エジプト軍は?強い?
814世界@名無史さん:03/07/05 15:31
>>813
エジプトそのものは出てこない。マムルークの武将がでてきたような・・・・

オスマントルコはそこそこ強い
フランスと組みやすいので同盟相手になることが多いけど

で、オーストリアとプロイセンをねちねちいじめる
815@@@@@:03/07/05 17:50
★★★ 完全無修正のエロエロサイト ★★★
http://upbbs.s2.x-beat.com/linkvp/linkvp.html

 ↑ 
このサイトマジやば! 早く見ないと消されちゃうかも・・・
816世界@名無史さん:03/07/05 23:27
>>814
サンクス おもしろそうだね
817世界@名無史さん:03/07/08 13:32
小学生の親戚に
ナポレオンてどうすごいの?と聞かれた。
どう答えたらいいですか?
818世界@名無史さん:03/07/09 17:27
知らない
819世界@名無史さん:03/07/09 18:15
>>816
光栄のランペルールの復活を希望するスレ2
http://game.2ch.net/test/read.cgi/retro/1044066155/

以前に貼ったURLはdat落ちしそうなんで、次スレ貼っておきます、ネタにどうぞ
820世界@名無史さん:03/07/10 01:02
>>817
立派なベンチャーおやじだったが
例によって足を洗うタイミングを逃して
元も子もなくした
821世界@名無史さん:03/07/10 08:37
817です。>>820ありがとう。
822世界@名無史さん:03/07/10 10:01
>817
年増で子持ちのバツイチ女に惚れて結婚したくせに
子供ができないと
若い女を妻に迎えて溺れて身を滅ぼした
823世界@名無史さん:03/07/10 22:01
のくせして古妻の名前を呟きながら死んだ
824世界@名無史さん:03/07/11 00:08
離縁した後もしょっちゅう古妻のとこへ行ってた。
新妻もらう時も古妻に相談してもらった。
825世界@名無史さん:03/07/11 00:44
>>822
さらに別れた元カノはスウェーデン王妃になって、その家系はいまも続いていたりする
826世界@名無史さん:03/07/11 21:37
>>825
別れたのではない。捨てられたのだ。出世の見込みなしというので。

で、その悲しみを古代ギリシャを舞台にした一大歴史小説に書いた。
女に捨てられた主人公は、敵に自爆攻撃掛けて散華する。

あんまり思い出したくない青春だろうな。
827世界@名無史さん:03/07/11 22:12
ナポレオンとナポリタンって関係あるの?
828世界@名無史さん:03/07/12 12:05
>827
ナポリタンは日本人が作った料理なので、ナポレオンとはたぶん関係ないと思う。
もしかしたらコックさんがナポレオン好きだったりするかもしれないが。
829山崎 渉:03/07/12 12:38

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
830世界@名無史さん:03/07/12 12:53
裏ジャ
831世界@名無史さん:03/07/12 13:15
ナポ萌え
832:03/07/12 14:32
お気に入り集 ☆
http://pleasant.free-city.net/
833世界@名無史さん:03/07/14 18:27
シャンポリオン
834山崎 渉:03/07/15 12:30

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
835世界@名無史さん:03/07/16 11:17
ナポレオンいついてはまだまだ語るバキダ!
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
837世界@名無史さん:03/07/18 23:21
ナポレオンは部下を置き去りにして逃げたってほんと?
838世界@名無史さん:03/07/19 15:18
>>837
「逃げた」のではありません。「後方への進撃」といいます。
839世界@名無史さん:03/07/20 23:42
「転進」ともいいますな。
・・・・・・辻?
840世界@名無史さん:03/07/21 09:43
おまいらナポレオンのお薦め伝記教えてください
841世界@名無史さん:03/07/21 10:02
>836
殺すぞきさま。
842世界@名無史さん:03/07/21 12:25
>>840
『ナポレオン』
843世界@名無史さん:03/07/21 18:00
>>842 ワロタ
844世界@名無史さん:03/07/21 21:33
コルシカ島で独立派の爆弾テロ。彼らにとってナポレオンはフランス人じゃなくて
コルシカ人なのだろうか。コルシカが独立したら、フランス人はナポレオンを
どう捕らえるのだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030722-00002021-mai-int
845永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/21 21:42
>>844
コルシカの英雄パオリと対立して、フランスに寝返った売国奴でしょうね。
今のコルシカでのパオリの人気度は凄まじいものがありますから。
846世界@名無史さん:03/07/21 22:36
>>827
イタリアに、ナポリって都市があるのは知らないのか?
ナポレオンとナポリが関連するとすれば、ナポリ王国の国王にナポレオンの妹婿のミュラを
任命したことがあげられるか?
847世界@名無史さん:03/07/22 08:10
>>840
ナポレオンのお薦め伝記
http://www.fides.dti.ne.jp/~come/rekisiparo/
このホームページの『西洋編』。某日記サイトで知った。
まだ発売されてないけど、日本篇編がおもしろかったので
おそらく西洋編もおもしろいと思われ・・・・

848世界@名無史さん:03/07/23 19:51
ありえないけど。
大河ドラマ『ナポレオン』の主演はだれだと思いますか?
てなことでも話して雑談しましょうよ。
849世界@名無史さん:03/07/23 23:27
ナポレオン=中川家の弟
850世界@名無史さん:03/07/24 09:40
>>849 髪型が似てるな
851高校生:03/07/25 01:52
ナポレオン(フランス革命関係)の画像がたくさんおいてあるサイトないですか?
名言集もあれば宜しくお願いします。
852永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/25 01:56
>>851
もうしわけありませんが、画像については分からないです。
名言集は、あったらこっちが教えて欲しいです。

「フランス革命」でぐぐったら、テキストサイトはすぐに出てくるのですが。
853高校生:03/07/25 02:01
あと、ナポレオンが掲げてた(かどうかは知らないけど)
旗のデザインってわかりますか?
854永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/25 02:20
>>853
ナポレオンの軍旗は、鷲の軍旗と呼ばれていますが、
どういうデザインなのかは、興味が無いので知りません。
855世界@名無史さん:03/07/25 14:26
>>851
ナポレオン言行録 オクターブオブリ編。てのが岩波文庫から昔出ていた。翻訳物はそんぐらいじゃないのかな?

原書はまぁ、ぐぐってみてくれ。

>>853
旗竿のてっぺんに鷲が乗ってる。
旗のデザインそのものは三色旗にその部隊の名前と活躍した戦場名が刺繍してある。
騎兵とか帝政以前の旗はちょいデザインの違うのがあったりなかったり。
一昔前に日本のアパレル屋がその部隊名の刺繍をちろっといぢったのをジャンパーの背中にはりつけて売っていた。

軍旗着てるよ(汗と、当時思ったもの。
画像はぐーぐる様でNapoleonとかで検索すると出てくるメジャーサイトに案外ある。日本語だけだとないかも。
ダビッドとかアングルとかドラクロワとかあの当時の画家の名前で検索すると教科書に載ってるよーなメジャーどころがヒットするんとおもう?





856世界@名無史さん:03/07/25 17:48
ナポレオン役は大竹まこと
857世界@名無史さん:03/07/25 23:34
メッテルニヒは高田純二
858世界@名無史さん:03/07/26 14:44
かっこいいナポの名言をあげよ。
「世の辞書に『不可能』の語はない」
859世界@名無史さん:03/07/26 15:12
夏期休暇中の課題 「ナポレオンの部下ベスト5を挙げよ。」
1.ダヴー元帥  (常勝不敗の天才軍団長)
2.参謀長 ベルティエ元帥  (ナポレオンの手足・最良の補佐役)
3.ランヌ元帥  (皇帝の友)
4.ミュラ元帥  (フランス騎兵軍団の華)
5.スルト元帥  (手堅い用兵家)

 以上 採点頼む。
860世界@名無史さん:03/07/26 18:03
>836
殺すぞ。
861世界@名無史さん:03/07/26 18:21
かっこいいナポの名言
「人類全体が目覚めるには、誰かが人類の業を背負わなければならない」
862世界@名無史さん:03/07/26 19:36
お気に入り集 ☆
http://beauty.h.fc2.com/
863世界@名無史さん:03/07/26 19:37
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
★☆                       
☆★ 送料激安!!  送料激安!!  送料激安!!
★☆      http://www.get-dvd.com      
☆★  激安アダルトDVDショップ        
★☆    お買い得セール1枚500円〜980円!急げ!
☆★    インターネット初!「きたぐに割引」  
★☆    北海道・東北の皆様は送料も激安!   
☆★      http://www.get-dvd.com      
★☆        スピード発送!        
☆★      http://www.get-dvd.com      
★☆        商品が豊富!         
☆★      http://www.get-dvd.com      
★☆                       
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
864永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/26 21:17
>>859
>夏期休暇中の課題 「ナポレオンの部下ベスト5を挙げよ。」
面白い課題ですね。どこの学校ですか?
それはいいとして、私見を述べさせていただきましょう。

>1.ダヴー元帥  (常勝不敗の天才軍団長)
これに関しては、異論はないですね。
前線の一将軍に留まらず、戦略家、政治家としても優れていた人物です。

>2.参謀長 ベルティエ元帥  (ナポレオンの手足・最良の補佐役)
兵站・情報・作戦計画作成における彼の手腕は、
華々しい武功が無いと言っても、それを補って余りあるものがあります。
この人選にも異論はありません。

>3.ランヌ元帥  (皇帝の友)
フランス帝国軍の軍事ロマンチシズムのシンボルで、
勇猛なだけでなく、戦略のセンスにも長けていて、
ナポレオンのいない戦場でも勝利できる数少ない将帥でした。
ついでに外交までこなしてみせました。
よって、この人選も支持します。
865永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/26 21:24
>>859
>4.ミュラ元帥  (フランス騎兵軍団の華)
この人は、勇猛な戦術指揮官でしたが、それ以上でも以下の人物でもありません。
彼が入るなら、ベスト5によりふさわしいナポレオンの元帥はいくらでもいます。
彼は能力以上に出世し過ぎました。元帥の器では無かったと思います。
よって、この人選は不適切だと思います。

>5.スルト元帥  (手堅い用兵家)
彼の戦術能力は、おそらくナポレオン配下の元帥でも指折りです。
ただ、戦略眼に欠けており、そのことが半島戦争の敗因となってしまいました。
ナポレオンの指揮下でしか輝けなかった男と言うことと、
眼を覆いたくなるような人間性の卑しさから、彼をリストには入れたくないと思います。
英国のウェルズリー将軍に「スルトは戦場というものを全く理解していない」と酷評された人物を、
ナポレオン配下の元帥のベスト5に入れるわけにはいきません。

私ならこの両名を外し、マッセナ元帥とスーシェ元帥を入れます。
ナポレオンの元帥には、単なる勇将でしかない人物が多いのですが、
この二人はその枠を越えた本物の名将です。
866世界@名無史さん:03/07/26 21:46
ドゼー、ダヴー、マッセナ、スーシェ、スルト。

865氏よりはもう少しスルトを高く評価したい。かわりにド・マルモンでもいいかな。
人間性の卑しさはこの際あまり関係ないしマッセナも誉められたもんじゃない。

あとミュラよりはベシェルかケレルマンのがまだしもなんぼか。

しかしなんつーか「新撰組で一番強いのは誰?」みたいな。
867世界@名無史さん:03/07/27 03:27
>864

>作戦計画作成

それはちがうでしょう。それではベルティエが作戦
そのものを立てたことになります。

正確には作戦計画「文書」作成でしょう。ナポレオン
が立てた作戦を状況に応じて、的確な文章で伝えた
のが彼の大きな役割ですから。
868世界@名無史さん:03/07/27 07:53
ゼークト、シュトックハウゼン 両提督をお忘れです。
869世界@名無史さん:03/07/27 10:48
いや、ルフェーブルを忘れちゃいかんよ。ツィヒツィヒに1票。
あ、違うな、ルフェーブルの妻のが偉いってだけか(をい
870世界@名無史さん:03/07/27 14:50
この人がいなかったらということでドゼーも入れてやってください
871世界@名無史さん:03/07/27 15:32
>>859
うーん。マッセナ元帥ですか・・・ 
確かマッセナ元帥も素行は悪かったような気が・・・(有能な軍団司令官であることは間違いないと思いますが)
あと、日本だけかもしれませんが、スーシェ元帥の優秀さは喧伝されていませんね。
たとえば柘植久慶「ナポレオンの戦場」でも、脚注になかった気がします。まあこの本を信じちゃいけないのかもしれませんが。

ただ単なる「合戦屋」だとしても、ミュラ元帥と騎兵軍団の活躍は、評価したい気もします。
872ネー:03/07/27 19:24
わしは?
873世界@名無史さん:03/07/27 19:24
ナポレオンがエジプトくんだりまで行ってたときに
誰がフランスを守っていたのか考えるとマッセナは外せない。
874世界@名無史さん:03/07/27 21:11
勉強になるのでage
みなさん、学ばせていただきます。
875おすすめ:03/07/27 21:18
☆貴方のガス抜きサイトはこちらです(^−^)☆
http://endou.kir.jp/yuminet/link.html
http://endou.kir.jp/marimo/link.html
876世界@名無史さん:03/07/27 21:18
ナポリたん(主人公)
ぺペロンちぃの(ライバルっ娘)
877世界@名無史さん:03/07/27 22:49
皇帝陛下の評(時々変わるが)。

「私の部下のうちで最も優れた将軍は、ダヴー、スルト、ベシエールだ(が、最もダメなのがモルティエだ)。」

「(最も優秀な部下は? と問われて)
 たぶんスーシェだと思う。 もっと以前にはマッセナだと思っていたが・・・
 私の考えでは、スーシェ、クローゼル、ジェラールが最も優れた軍人だと思う。」

みなさんの評価とあんまり変わらん。
グルーシーとかの名が上がると面白いんだが・・・
878世界@名無史さん:03/07/27 23:26
ペリニョンをあげる人がいたら、びっくりだ。
879世界@名無史さん:03/07/27 23:52
ベルナドットをあえて推薦
880世界@名無史さん:03/07/28 01:02
>>879
ナポレオンが失脚すれば自分がフランス王になれるという
とんでもね〜妄想抱いていたどアホウとしかいいようがないけど…。
881879:03/07/28 01:03
>>880
タレーラン抜きで考えると一番成功したのが奴だから
882世界@名無史さん:03/07/28 01:19
何をもってして成功というかでそれも変わる。
ウェリントンなんてナポレオンに勝ったけど
あくまでも「ナポレオンに勝った男」としてしか語られない付属物でしかない。
883879:03/07/28 09:51
もちろん地位の面で、後はスルトかな?
884世界@名無史さん:03/07/28 11:28
ペルナドッドとしての名前ならともかく、
カール14世としては、世界史の教科書で取り上げているところすらあるもんなあ。
885世界@名無史さん:03/07/28 13:53
ベルナドットだけだよねぇ。そういう意味で成り上がってそのまま今に続いてるのって。
ルイ・ニコラが一番だよね。
ハゲLove
886世界@名無史さん:03/07/28 16:08
銅像にまでなっているのは、ネイ元帥だけでは?
887世界@名無史さん:03/07/28 16:56
オージロー元帥は、優秀な部下なんでしょうか? マッセナとともに初期のナポレオン軍を支えたメンバーと思います。
後、スールト元帥はやっぱり優秀なのではないかと思います。負けたとは言っても、その相手は皇帝ナポレオン1世ですら負けたウェリントン公ですから。
888世界@名無史さん:03/07/28 18:51
>>887
Aさん>Bさん
ってのが成立しないのが世の中だしな
Aさん>Bさん
Bさん>Cさん
Bさん>Cさん+Aさん
なんてこともあるし
889世界@名無史さん:03/07/28 19:35
まあ、テッパンで無能な部下ってーのはいないんじゃないかな。
ナポレオンは穀潰しに禄をハマせておくほど甘い人間じゃないだろ。
890世界@名無史さん:03/07/28 19:58
ベルナドットがそれだ
891世界@名無史さん:03/07/28 20:05
しかもスウェーデン王になった途端精力的に働きやがって
892世界@名無史さん:03/07/28 20:29
ベルナドットって王様としてはどうだったんですか?
893世界@名無史さん:03/07/28 21:01
>>892
スウェーデン史では名君として名前が残っているな。
行政能力を見込んだスウェーデン議会の人を見る目は確かだった模様。
894世界@名無史さん:03/07/28 23:18
>>859
マイナーなところから選んでみると

1)ウジェーヌ・ボーアルネ
 1809年、1813−14年に独立した部隊の指揮を取り善戦。
2)スーアン
 対峙したウェリントンが後に「軍事的に追い詰められた」と述懐。
3)グーヴィオン=サン=シール
 ポロツクの勝者。部下としては極めて扱いにくい人物。
4)クレベール
 予備部隊の扱いがうまいとか。ボナパルト帰国後にエジプト遠征軍指揮官。
5)デュムリエ
 というか既にナポレオンの部下ですらないが。
895世界@名無史さん:03/07/28 23:35
>>893
でも、スウェーデンが最初に王として望んだのはタヴーでしょ。新教に転向する
ことが条件だったのでダメだったけど。
896世界@名無史さん:03/07/28 23:43
>>895
ベルティエじゃないのか?
897世界@名無史さん:03/07/29 01:16
新スレ立てました。

スレを1000まで使ってしまうと見えなくなり
また、すべてのサーバーが蝉化してしまったので
過去ログ化はほとんどなされず。ゆえにこのまま残しましょう。

ナポレオン・ボナパルトを語り倒すスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1059408770/l50
898世界@名無史さん:03/07/29 01:29
俺もウージェーヌは好きだね
899世界@名無史さん:03/07/29 01:40
ウジェヌてイタリア副王だっけ?
顔は好き(をい
900世界@名無史さん:03/07/29 02:28
>>886
この前パリを旅行した時、戦利品の大砲をとかして像をつくったとかで広場の真中に
立ってるナポレオンの部下の像ってのをみたがネイではなかったよ。
901世界@名無史さん:03/07/29 09:48
はじめまして。『ガチンコ』のホームページです。
もうすぐ最終回。みんな見てください。
http://www.tbs.co.jp/gachinko/
902永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/31 05:22
>>883
この人、密かに7月王政では首相やってますよね。

>>890
革命戦争中は有能でしたよ。

>>894
デュムーリエだけは納得いきません。
ヴァルミーの殊勲者は、彼じゃなくてケレルマンパパでしょう?
革命期の将軍を入れていいなら、「ヴァンデの調停者」オッシュを入れますよ。
革命戦争での戦績を見るならナポレオンと同等か、それに次ぐ将軍だと思います。
903世界@名無史さん:03/07/31 12:41
>900
これ見れ↓
ttp://www.d5.dion.ne.jp/~snowfall/pcard/nei.html
あと、メス(メッツ)にも巨大な銅像があるべさ。
904世界@名無史さん:03/07/31 13:10
部下って考えるとついつい元帥府に入った連中(特に1804年の)しか思い付けなくなってたりするけども、結構いろいろすごい人いるよねぇ。

1809年のMcdonaldとPrince Eugeneの二人の活躍も忘れちゃいけないな〜とか。
Kellermanとかいいよね。うん。

そういえばBruneとかって影薄いよね(w
905永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/31 18:52
>>904
ドゼーは早く死にすぎました。
ジュノーが元帥になれなかったのは、納得がいかないです。
906世界@名無史さん:03/07/31 22:35
>>902
マニアックなネタにわざわざの反論ありがとう。
ケレルマンがヴァルミーでやったのは「国民万歳」と叫んで部下を鼓舞したことだけ。
デュムリエはギベールが始めた戦術改革を実践に移した人物といえる。
その代表例がジュマップの戦い。ヴァルミーと異なりまともな戦闘をやり革命軍が勝った。
デュムリエの戦術面での寄与はPaddy Griffithの"The Art of War of Revolutionary France"参照。

オッシュについてだが、ヴァンデの鎮圧は軍事的というより政治的成果なので評価から外した。
カイザースラウテルンの戦いではブラウンシュヴァイク公に敗北している。
また、グーヴィオン=サン=シールによる「ピシュグリュより劣る」との評価もある。
一番の功績が、訓練不足のエミグレの軍隊を追い返したキベロン湾の戦いという点がつらい。
むしろワッチニー、フルーリュス、ローエル河などの勝者ジュールダンの方が実績は上と見る。
ま、評価なんてのは人それぞれだし、異なる見方があって当たり前なのだが。
907世界@名無史さん:03/08/01 18:01
>>871
なにしろ、柘植久慶は、BEST3に
ネイ、マクドナルド、ルフェーブルを選んでいるからな。

 個人的にBEST3は、ダヴー、スーシェ、サン・シール
908世界@名無史さん:03/08/01 20:13
猪突猛進かいな。さすがインチキ傭兵柘植…。
909ネー:03/08/01 20:31
柘植こそ戦いを知る真の勇者
910永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/01 23:05
私のBEST3は、
ダヴー、スーシェ、マッセナですね。
911世界@名無史さん:03/08/01 23:10
>>907
ダヴーを選ばないってのがある意味すごいと思った。
912世界@名無史さん:03/08/01 23:21
考えられるフォローとしては…
兵隊の視点で見た場合のベスト…かな

いや別に心から柘植をフォローしたいわけじゃないから無視して…
913世界@名無史さん:03/08/02 00:36
>>912
一理あるかも、いずれも優秀な連隊長としての資質を充分に備えている感じだし

個人的にネイは好き。映画「ワーテルロー」の影響だが
914世界@名無史さん:03/08/03 13:47
ダヴとか兵隊には怖がられたりしてたしねぇ。
死傷率も高そうな戦い多いし。
そう考えるとやな親分なのかもしれない。
915世界@名無史さん:03/08/04 20:51
>>905
ジュノーは一説によると、ジョセフィーヌと関係があって元帥になれなかったといわれています。
916世界@名無史さん:03/08/08 10:24
アワーズでやってる「ナポレオン〜獅子の時代〜」って正直どうですか?
【後世に残る】ナポレオン・ボナパルト【名言集】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1062043403/
918世界@名無史さん:03/08/31 12:32
ナポレオンは漢字で何て書くんですか?
919世界@名無史さん:03/08/31 14:00
那波利翁
920世界@名無史さん:03/10/09 10:37
N
921世界@名無史さん:03/10/11 16:06
中央集権制の官僚制度は80年代初頭にようやく改革された
民法の家族法の改正もその頃

ほんとナポレオンの足跡を消すのは容易ではない
922世界@名無史さん:03/10/13 11:25
司法制度は今も改革の最中
 作な            埋
 業ん    ,─--.、
 かと   ノ从ハ从    め
 |面   .リ#´∀`§
 |倒    X_@X     立
 |臭   U|_____|U
 ! ! い    ∪ ∪    て
924rosuke:03/10/15 20:26
ジャンヌダルクと会ったりしなかったのかな。
925世界@名無史さん:03/10/15 20:32
ナポレオンはジャンヌ・ダルクを大いに宣伝したね
926世界@名無史さん:03/10/15 20:49
近代の戦争は将軍や、時には王まで出陣しなくてはならない点で
現代よりマシだな
目の前が戦場で自分もやばくなる危険があれば、格好だけで無責任な
派兵はしづらい

小泉首相の指揮でイラクに赴く自衛隊員は無事で済むかな?
米国のネオコンどもは実戦経験ない者ばかり
首相の息子も戦地には行かないが
927世界@名無史さん:03/10/15 21:32
こちらへどうぞ

ナポレオン・ボナパルトを語り倒すスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1059408770/l50
                     ,,ylーhy,
                       _ノ″  ¨アly_   , .∴
                   _,yr!!^゙″      .゙\,  ', ・,
             ___,,,,yvrr!^″           ゙\_,;.ヘ
       - =  .'^^^¨ ̄′       y   .,,     .゙`,。;:)
            -            .l|______,il′._,,,,  .|.∴:;、:。:、・
        _ ='           ,,,__  《 ̄⌒゙アlll|厂  .{∵:;:,:;
   ∧ ∧ '               ⌒^冖レy,_   .″ .,il「,∴,:;,。,:.
  (  ゚∀゚)つ                  ¨アluyy,,,,yzll},・, ,;..
  (つ  ノ’           y               アl,,,.∵ >>927
  人 ヽ/   - .,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,》lly                ,.〉,.
  し(__)  −   ≡  . ̄ . ̄フ=vy,,___   ,、,、,、,、,、,、,_,i| , ,
              ̄          ゙゙゙゙゙゙゙̄^;:;,:.:,:;.:・″, ・,  ‘
                       ,.。.;:;、;⊂:;,,⊂ノ
                      ’゛`` (⌒:;,:;.,ノ
                          :;,:;(__)
                         :,、。,
                         ゛‘'
50も埋め立てる方の身にもなれや
929世界@名無史さん:03/10/18 18:37
それは自意識過剰。一度コテハンを外して、自分が居なくても世界は回る現実と
直面してください
   /⌒ヽ すいません、ちょっと意味が分からないので殺しますよ・・・
  /  ゚∀゚j \从/    ,,...-:':::":~~ ,,..  .~~""''':::..,,,
  | つ[〔ロ=:(∈(二(@ >:::::>>929 ,  :..::::::::  ,
  | /| |   /W'ヽ ⊂;~"''-::..,,,. ;;;;;,,,...:::--''''"~
  // | |          |';:'':';|;:'';:'.;
 U  .U          ';:',''';:'';:'.;;
931rosuke:03/10/19 01:27
>>836
どこの国の人?
932じゃ、埋め立て代わりに無駄話:03/10/19 11:16
最近、どこかでナポレオンの料理長の話を読んだか聞いたのだが・・・。

どこだっけな?いや、ブリア・サヴァランじゃなく
933世界@名無史さん:03/10/19 14:34
プーレ・ソテー・ア・ラ・マレンゴの人?
934世界@名無史さん:03/10/19 19:10
たぶん、その人。なんで馬の名前(マレンゴ号いうんでしょ?)と料理が
並んでるんだと思ったから
935世界@名無史さん:03/10/19 22:44
モーニングの『大使閣下の料理人』で出てたね>プーレ・ソテー・ア・ラ・マレンゴ
こんなもんがありました・・・_| ̄|●

 ★ 倉庫格納 ★ @削除整理
http://qb2.2ch.net/test/read.cgi/saku/1047244816/

すんまへん。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ