ナポレオンですが、ロシアを攻めきれません

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192189補足:03/02/27 14:38 ID:Sn24xIyh
英軍の軽歩兵の起源はもちろん、アメリカ起源なのですが、
1777年のサラトガ・ブルゴイン陥落に驚異を感じ、緊急に
国王ジョージの実家であるハノーバーから4000人の猟兵を
呼び寄せ、かつ国産及びドイツからのライフルの輸入をおこなったとの
記述を、古いGUN雑誌から拾いました。

このへんワーテルローで活躍したKGL(キング・ジョージ・レギオン)の
創設にも関わる話なので・・・
193名無し三等兵:03/02/27 14:57 ID:BuwFXbbF
食を制するものは戦をも精す
194名無し三等兵:03/03/01 06:46 ID:5aaeOd7s
>>188
猟兵Yaegerなどの軽装歩兵は元々は
非正規部隊だったのでしょうか?
195名無し三等兵:03/03/01 07:55 ID:Bk+6CyaQ
射撃の上手い猟師をなんかをスカウトしてエリート部隊にしたんだよ
196名無し三等兵:03/03/03 16:15 ID:JhH+tk1o
戦列歩兵と軽装歩兵とではどっちがエリートだったのでしょうか?
近衛兵なんかは戦列歩兵だったと思いましたが。
擲弾兵も戦列歩兵の1種ですよね。
そういえば現代のドイツで猟兵(Yaeger)といえば
空挺や空中機動、山岳部隊だけですよね。
197名無し三等兵:03/03/03 20:22 ID:???
独り立ちだったらしいね。
198名無し三等兵:03/03/04 00:44 ID:iur0TDzB
アメリカ軍はその源がプロイセン陸軍になるという話は本当なのでしょうか?
199名無し三等兵:03/03/05 02:02 ID:ZrVQloaq
>>198
アメリカ独立戦争のときにプロイセン陸軍の軍事顧問団が独立軍に付いたらしい。
200名無し三等兵:03/03/05 04:26 ID:ArwF5XeH
世はココアを飲みたい
201名無し三等兵:03/03/05 04:30 ID:ArwF5XeH
世はウンコもしとうなった・・・
202名無し三等兵:03/03/05 04:36 ID:eXrZDUIh
>198-199
ステューベン?男爵(1730-1794Friedrich Wilhelm Augustus von Steuben)
なんてのがいますね。7年戦争後、フリドリヒ大王の幕僚として活躍した男で
で退役。その後、アメリカ独立を睨んでパリに事務所を開設してたベンジャミン・
フランクリンにリクルートされ、(対英戦略を睨んだフランス王国陸軍省の意向もあって)
1777年9月渡米。

大陸会議に無給の志願を申し出、受諾。彼は英語がダメなので、アレキサンダー・ハミルトン、
ナサニエル・グリーン(独立戦争時の米側英雄たちです)の2人を補佐に、フランス語で
米側に軍事指導をおこなったようです

ttp://www.ushistory.org/valleyforge/served/steuben.html
ttp://www.americanrevolution.com/WinnIndValleyForge.htm
203アメリカのメッケル少佐?:03/03/05 04:56 ID:eXrZDUIh
>202のリンク先によれば、彼はまずヴァレイ・フォージ(独立戦争時の
アメリカの北部戦線の要衝)に赴任して、選抜100人からなるモデル中隊を
創設・訓練したようです。
彼のアメリカ大陸軍の創設寄与は以下の2点

1)
当初、命令や吶喊は独仏語でやってたらしいですが、やはり不便を感じ
ベンジャミン・ウォーカー大尉なる御仁から英語を習い、そのほうめんは
英語で統一したようです。
いずれにせよ18世紀式の戦争は、戦列を維持することと、縦列から横列への
陣形変換、号令にあわせ銃の再装填速度をあげる以外、歩兵操典もたいした
記述はありませんが、植民地の軍隊はそれすらも出来なかったので、
(植民者=市民の軍隊ゆえあたりまえですね)有効な訓練だったようです

2)駐屯地・野営地の設計
野営する軍隊の、衛生や守備を考えた数百ものテントの配置方法を
マニュアル化。トイレや獣肉処理を周辺におく(以前の乱雑なテント配置では
それすらならなかった)など、欧州における1世紀に渡る経験をアメリカ大陸軍に
輸入し、その後南北戦争頃までの米陸軍のスタンダートとさせた
204というわけで:03/03/05 05:12 ID:eXrZDUIh
>198氏の回答は、たぶん、この男爵のことだと思います。
100人の士官候補生は、そのまま各中隊にかえりこのプロシア男爵式の
教練を伝え、これが大陸軍の組織的戦闘の基礎となったようです

彼はその後、ワシントンの司令部に勤務して、Regulations for the
Order and Discipline of the Troops of the United States通称ブルー・ブックス
なる訓練教本を上程してます。

以上、詳しい戦歴については煩雑になるので省略しますが、ヴァレイ・フォージにつ
いては独立戦争映画の傑作ヒュー「炎のランナー」ハドソン監督アル・パチーノ主演
「レボリューション」が荒涼とした雰囲気でよかったです。

南部戦線・英雄神話・親米視点「パトリオット」と
北部戦線・脱神話・反米視点「レボリューション」は
見比べると、その双子の陰陽ぶりに多いに興味をそそられます

ttp://www.patriotresource.com/otherfilms/revolution.html
205ぼくもココアは好きですがな(笑:03/03/05 05:35 ID:eXrZDUIh
次に独立戦争時の英側ドイツ人部隊ですが
ドン・トロアーニいう有名イラストレータの絵が素敵なリンク先参照ですが・・・。

「米独立戦争時の英大陸派遣軍」
ttp://www.revwar75.com/crown/index.htm
1)英正規軍
2)植民地王党派部隊(13植民地の独立に反対する連中ですね)
3)ドイツ連合軍(The German Auxilliariesって義勇より連合でいいんですかね?)

この3)の独人部隊を見るといろいろブランズウィック公の連隊とか
アンスバッハ公の軍隊とか。ハノーバー出身の国王ジョージ三世の縁戚がらみで
いろいろありますが本スレで問題とするならやはり
Hesse Cassel Regiments [Grenadiers, Jagers, Chasseurs, Garrison]
あたりですね
206h:03/03/05 05:44 ID:xvgReEzr
◆ピンクエンジェル◆↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.pink-angel.jp/betu/index.html
207>192補足:03/03/05 06:00 ID:eXrZDUIh
神聖ローマ帝国とかドイツ諸侯国について知識皆無でうまく訳せないのですが
ttp://www.geocities.com/Pentagon/Fort/2862/

アメリカ植民地民兵のライフルマン(指揮官狙撃とか森林における近接ゲリラ戦闘)
に対抗して英国はHesse-Cassel公国や Anspach公国はじめドイツ諸国から
イェーガーを緊急雇用してます。
1781年ニューヨークには821人のHesse-Cassel猟兵と 245人のAnspach猟兵が、
またBrunswick(のちのワーテルローで親子2代の悲劇を演じるブランズウィック家ですかね?)
やその他のドイツ諸侯国からイェーガーを雇い入れ、おもに親仏カナダ国境で
「北」からの浸透圧力を防いでたようです。

このHesse-Cassel公国??(さあ、このへんわからない)の猟兵が
どうやら神聖ローマ帝国内最古最強らしく一番古い文章では1631年
公主ヴィルヘルム5世の時代、王家の森番・狩猟管理人とし近侍したと
記録があります。
戦時においては非正規兵として(outside the common order of battle)
偵察や狙撃、伝令として活躍したようです

ttp://www.hessen-militaer.de/mizi_englisch/jaeger.htm

このプロシア猟兵を起源とする緑の猟兵服は各国が模倣したようですが
これはぼくより詳しい人がいると思うので、お任せします
208軽歩兵にこだわる理由:03/03/05 06:10 ID:eXrZDUIh
>196氏
軽歩兵は戦闘の要所要所で独立した判断と経験が要求されるのでヴェテランが
なるものらしいです。
>>185&190氏が、そのヴェテランが近衛軍団にエリートゆえ編入されてく過程を
述べておられますが、じつは僕もこのへんよくわからないのです。

じつは「軽歩兵の戦闘運用」「近衛軍団の戦闘運用」等を調べていけば
おそらく一部のマニア・ウォーゲーマー以外本邦であまり知られてないだろう
「ナポレオン時代の戦闘の実体」がわかると推測して、いろいろ軽歩兵に
こだわっているのですが・・・。

ロシア1812戦役スレでやるのもなんですが、結局、ロシア軍が戦闘を忌避して
奥地へ逃げたのは(バルクライ経由のスペインにおける焦土戦術の成功伝聞もありますが)
ナポレオン軍への恐怖があったからと思うのです。

ではその恐怖の源泉である「仏軍の戦闘上手」の源泉はというと、やはり
18世紀から19世紀への転換点である軽歩兵戦術あたりかと・・・

209185:03/03/05 16:47 ID:???
>>208
いわゆるオーダーミックスにおいてフランスに一日の長があるのは確か
だと思います。

革命期のフランス軍は散兵戦術を多用しておりますが、これは

・そもそもフランス王国軍に比較的多数の軽歩兵が存在した(1788当時
 で12個大隊)。
・革命軍の士気が高く、散兵戦闘を行うことが可能だった。

等の要因に依ると思われます。また当初単体で行われることが多かった
散兵戦術が、1797年以降縦隊との複合隊形として用いられるようになっ
たと言うのも重要な変化だと思います。こうしてみると大陸軍のオーダ
ーミックスの嚆矢は革命軍にあると見ることができるかも知れません。
210185:03/03/05 17:40 ID:???
追記

してみるとデュムリエの功績はもっと称えられてしかるべきかも
知れません。
211名無し三等兵:03/03/06 14:11 ID:sYX28LEn
仰るご意見、じぶんも激しく同意です>185氏
いろいろ周辺を調べてみても、結局は「祖国は危機にあり」の一連の戦争こそ
大陸軍の基礎だと信じます。

R/D氏のサイトをみれば答えは一発なのでしょうが、自身の勉強もかねて
牛歩の歩みでこのへん、お付き合いのほどを(w
212名無し三等兵:03/03/06 15:37 ID:IdEK5Vck
>>95
遅レスだけど、徴兵制は18世紀のスウェーデンとロシアの方がフランスより先に
採用してるよ。
213名無し三等兵:03/03/06 15:57 ID:???
腰折ってごめんね。おぢさんどうもオーダーミックスという言い方がイヤでねー。
なんかいい言い方ないものか……。
214名無し三等兵:03/03/07 03:45 ID:7K4moX2c
>おおだあみっくす
「縄文時代」いうことばが同時代の言語ではなく、あくまで後世の「ソレをさす
表現様式」みたいなものでしょうかね。
たぶんこのあたりの一次資料なり信頼のおけるネット論文(??う〜ん・・・)
あされば、おぉだあみっくすl'order minceだかmixの当時の表現様式みつかるかもしれません。
宿題ですね。
当時横列は、cordonシステムとか表現されてたので、該当する物言いさがしてみましょう

革命戦争以前の1770年代末に「縦列VS横列どっちが優れているか論争」
いうのがフランス軍部であったらしいのですが、
1792年以降の現実の戦場ではともかく前衛散兵線ひいて援護射撃してやるから
、被弾正面のせまい縦隊密集で遮二無二つっこめいう雰囲気じゃないかと
妄想して、現在、調査中です。

(おそらくジャン・ジャック・アノーの文化人類学的映画「スターリングラード」の
あの冒頭のように、督戦を担当する政治委員なりいたりしてとこれまた妄想。
なにしろプロではなく市民の軍隊なので)



215名無し三等兵:03/03/07 04:04 ID:Kystqn7P
広すぎる土地を持つ国家にはなかなか勝てません。
攻めても攻めてもいくらでも退却し防備を固めてしまう。
そして冬がやってくる。
216名無し三等兵:03/03/07 04:05 ID:7K4moX2c
>>209
>フランス王国軍に比較的多数の軽歩兵が存在した(1788当時12個大隊)

じつは以下のKevin Kiley氏の論文から僕は、引用剽窃が多いし
調査の指針としてるのですが・・・。

こちらをのぞくと、その最終12ケ大隊の創設の動機は、

1740年代(オーストリア継承戦争当時)、ボヘミアやバヴァリアやアルザスの
辺境自由民(無税と入植の権利とひきかえにハプスブルグ王家に忠誠を誓う人々)が
フランスやプロシアとの紛争にあたり、後方補給線襲撃や森林遊撃戦を
果敢におこなった戦訓をふまえたものらしいです
『(このゲリラ戦により)敵主力と接敵することなくわが軍は著しく消耗した』
ことに鑑み、おそらくは鎮台、国境警備的な性格とぼくは思うのですが・・・。

これらが革命戦争期、単独でどのように改変・運用され、
あるいはdemi-brigadeにおける散兵戦において、どのような影響があったのか
やはり調査すべきでしょうね。

えんえん同じことやってるように見えますが、これでも少しづつ少しづつ(w

ttp://www.napoleonseries.org/articles/military/doctrine.cfm
217名無し三等兵:03/03/07 04:48 ID:???
>215さま
うわっ。ここが1812年戦役スレいうのころっと忘れてました(汗
クラウゼヴィッツ『ナポレオンのモスクワ遠征』(原書房)によれば
プロイセンからの亡命軍人であるプールと皇帝によって、初期の防衛計画
はたてられたようです。

奈翁軍42-60万侵攻の噂に対してロシア軍は当時、対トルコ戦の講和の
遅れで西欧・対仏正面に全兵力40万のうち18万しかふりむけなかったようです。
プールは国境から遥か離れたドリッサに野営陣地をこさえ、ここで
補給線ののびきった仏軍を叩くいう初期計画をこさえたようです。
(ウェリントンの1810年ポルトガルにおける敵補給線をのばして
トレス・ヴェドラス陣地で決戦する・・・いうのがヒントになってるらしいのですが。
知識皆無でまるでわかりません)


クラウゼヴィッツのこの1812年戦役史の信頼性がどうとか、以前
世界史板のどこかで論議があったようですが、とりあえず手近の
資料ではこれしかわかりません。

亡命プロシア将校へのロシア軍部における位置付けは、トルストイの
「戦争と平和」を読むと、だいぶ批判されてますが、このへんも調べてみると
面白いかもしれませんね
218名無し三等兵:03/03/07 05:12 ID:???
>214
プロ市民、
恐いよ~
219名無し三等兵:03/03/07 09:38 ID:???
>>216
当初軽歩兵大隊は猟騎兵連隊に1個ずつ配置されていましたので、その時点で
はおそらくは猟兵的運用をねらっていたのだと思います。軽歩兵大隊が独立的
運用を開始するのは12個大隊になった1788の事です。

この1788の時点で軽歩兵大隊は全て猟歩兵中隊で編成されており、かつ戦列歩
兵連隊の1個大隊のうちの1個中隊が猟歩兵でした。ここに明確に混合隊形に
おける散兵運用の意図を見てとれると思います。

ところが1897年の軍制においては戦列歩兵連隊(この年連隊は半旅団となりま
したが)における猟歩兵中隊は消えております。しかし散兵戦術は用いられて
いようなので、この次期においては擲弾兵中隊、若しくは一般の小銃兵中隊が
散兵任務についていたことが伺えます(軽歩兵連隊においては同じくカラビニ
エ中隊、若しくは猟歩兵中隊がこれを行っていたのでしょう)。

1800頃からは各連隊が独自に散兵任務専門の中隊を編成するようになり、これ
を追認する形で1804年に正式にボルテュール中隊が成立した、というのが流れ
だと思います。

私も1788〜1800年位までの散兵戦術の実態については大変興味があります。良
い文献があれば良いのですが・・・
220185:03/03/07 10:58 ID:???
上、「1897年の軍制」は「1797年の軍制」の誤りです。
221216:03/03/09 05:14 ID:VQHDvyEJ
>>219

非常に興味深いご教示ありがとうございます。
鎮台・国境警備とおもわず憶測でうめてしまいまいましたが、仰る編成なら
すでに平地戦闘における連隊前衛の組織だった狙撃兵(散兵)運用が構想さ
れてたのでしょうね。

どうもこの時期の散兵戦術、ひいては本体の横列斉射から縦列突撃への変換
について、ぼくも体系だったカキコができたらと苦慮してるのですが、資料
がなくて困ってます。

前述のKevin Kiley氏の論文のくりかえしですが・・・。
7年戦争後、敗戦国フランスの軍事啓蒙思想家Mesnil-Durandの機動戦理論にもとづき
1778年9月ノルマンディーのVaisseux駐屯地で、歩兵44個大隊、竜騎兵6個大隊、砲兵
中隊もふくめての縦隊VS横隊、ないし混合陣形(l'ordre mince)の大演習がおこなわれました。

18世紀型の戦争では、敵味方が決戦しやすい平地をえらんで初めて横隊を展開し、
斉射戦をくりひろげるの(すでに前衛散兵はいましたが)で、この地形を読んで
機動戦(速度戦)をくりひろげる演習は、縦隊や混合陣形の評価も含め、査察した
保守的な元帥連中には悪評だったようです。
(高地奪取の思想はもちろんありましたが・・・)

「地形は指図できない(ゆえに軍事理論の範疇外だ)」と、19世紀以降から見れば
恐るべき倒錯が残った時代です。
ゆえに、現役士官連中の間では語り継がれた、この縦隊突撃、あるいは混合陣形の
運用も、1791年版操典(the 1791 Reglement)まで正式とはされなかったようです



222↑あれ?Reglementは軍制かな??:03/03/09 06:04 ID:VQHDvyEJ
資料が無くてどうしても核心の外側をとびまわるのですが・・・(苦笑

>散兵戦術において革命期フランスに一日の長がある。
いうお話。

【オーストリア】
革命期、たとえばオーストリアなどは18世紀前半に活躍した
the Grenzers等よばれる辺境武装自由民を、「同化政策」のため戦列歩
兵や民兵組織にくみこみ、すでに1792年の革命戦争開始当時、猟兵とし
ての性格を失ってたようです。
マレンゴ戦においてもその名声のわりに、組織だった戦列戦闘にはまったく
むかなかったと当時の記録(ハプスブルグ士官の罵声)が残ってます。
いずれにせよ、1807年の軍制?(the 1807 Reglement)でフランス同様の
選抜歩兵制度(前衛や側衛に専門に展開する部隊内散兵中隊)をとるようになったようですが・・・
223一種の浸透戦術でしょうね:03/03/09 06:40 ID:VQHDvyEJ
【プロシア】
またマレンゴ戦研究においてシャルンホルストなどは、1806年の大破局以前から
散兵戦術の有効性を当局に勧告してたようですが、「自由行動可能な散兵は
(封建的なプロシアでは)扱いが難しい」と、現場士官たちから採用を
拒絶されたようです。

・・・。
いずれにせよ革命期のフランスの前衛散兵+縦隊や横隊の攻撃は、
初期の混乱から立ち直り、最終的には精緻をきわめたようです。

1791年の操典では混合陣形(l'ordre mince)の大隊レベルのダイア
グラムおよび行軍時の側衛散兵についてのみ明記され、92年の開戦後も
当初は、敵砲兵への狙撃等、火点潰しにあてられたようですが、その後、
縦隊陣形l'ordre profondの突撃時の援護等の中隊レベルの運用がはじま
ったようです。
>>219の組織の変遷年次がそのあたり関わってると思います)

革命精神の為せる技か、中隊、大隊、連隊レベルで可能な限り地形を利
用した前衛散兵線展開による突撃訓練(この総称がいわゆるオーダーミ
ックスなんでしょう)がおこなわれました。
最終的には1806年のアウエルシュタット戦で師団内の連隊が、連隊内の
1大隊が、大隊内の1中隊が、つねに前衛に展開し、敵の弱点に火力戦で
浸透し、後続の縦隊に突撃路をひらくレンジャー的な有機一体戦闘をおこな
ったらしいです。

この散兵の有効性から、>219で仰るフランスにおける軽歩兵legereと戦列歩兵
ligneの組織分離が(といっても制服に黄色の襟章がつくかつかぬかの差らしいですが)
1800年以降、ナポレオンにより行われたようです


中隊、大隊、連隊レベルで、
224資料について:03/03/09 07:00 ID:VQHDvyEJ
フランス共和国の軍隊について、いくつか世界史板で推薦をうけたので
すが、良さそうなのは絶版が多く途方にくれてます。
オスプレイのエッセンシャル・ヒストリー物は費用対効果のうすい安本で・・・(苦笑

個人的にファンである元陸士のKevin Kiley氏は>>216リンク先末尾の著作を
参考にしてるようです。ちょっと面白いのは、ダブー元帥の散兵戦術案内
(1811)ですね。読んでみたい〜(笑)と思います。

Napoleonic literatureの全資料、CD-ROM(わずか10$かそこら!)になってるようですが、
これ国外販売してくれないので、そのうち友人にでも頼んで入手しようかと思います。

あとロンドンのGreenHillいう出版社って面白そうな革命期軍事研究書
だしてるようですね(ご存知でしょうが)
225山崎渉:03/03/13 15:34 ID:???
(^^)
226名無し三等兵:03/03/15 21:14 ID:ZHonicmZ
保全age
227名無し三等兵:03/03/21 01:17 ID:???
巡回保全
228オレ様用メモ:03/03/22 02:24 ID:???
Corps des Grenadiers a pied
  Vieille Garde
    Grenadiers a pied
    Veterans
  Moyenne Garde
    Fusiliers-grenadiers
  Jeune Garde
    Tirailleurs-grenadiers
    Conscrits-grenadiers
    Tirailleurs
    Flanqueurs-grenadiers
Corps des Chasseurs a pied
  Vieille Garde
    Chasseurs a pied
  Moyenne Garde
    Fusiliers-chasseurs
  Jeune Garde
    Tirailleurs-chasseurs
    Conscrits-chasseurs
    Voltigeurs
    Flanqueurs-chasseurs
    Gardes Nationaux
229名無し三等兵:03/03/23 03:59 ID:???
↑いつの?
230名無し三等兵:03/03/31 01:55 ID:JjmGZ9a9
このスレの住人は、こちらのスレの住人と共通なのか?

http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1047811641/
231名無し三等兵:03/04/02 23:05 ID:0qFsTkL6
ポニャトフスキーを使え、ポニャトフスキーを!
232名無し三等兵:03/04/08 14:27 ID:???
         
233名無し三等兵:03/04/09 22:13 ID:McI9Q7HD
age
234名無し三等兵:03/04/09 23:43 ID:???
今の米軍なら、ナポレオンもヒトラーもなしえなかったロシア征服が出来そうだな。
235名無し三等兵:03/04/10 04:06 ID:???
>>234

なんかObjectiveMoscowとかInvasionAmerikaとかってバカゲーム(規模も馬鹿馬鹿でしたな)思いだしますな。
てか並べてるうちに嫌になる罠(謎
236山崎渉:03/04/17 11:29 ID:???
(^^)
237山崎渉:03/04/20 05:42 ID:???
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
238名無し三等兵:03/04/26 22:52 ID:???
  
239モンゴル:03/04/26 22:57 ID:???
>234
征服しましたが、なにか?
240名無し三等兵:03/04/26 23:39 ID:???
アメリカって、俗に言う世界島に踏み込んで戦った事ってないよね。
艦載機が届かない範囲で戦ったこともないし。
241名無し三等兵
>>240 福島発言「空母からB52が飛び立っている」を思い出した