1 :
世界@名無史さん:
永楽帝は偉大なり!
2 :
世界@名無史さん:02/01/04 17:32
寒い。。。
ろくな皇帝が出なかった王朝。
でも長続きしたのは体制がしっかりしてたから?
4 :
世界@名無史さん:02/01/05 00:26
明朝とティムール朝どちらが強い?
5 :
世界@名無史さん:02/01/05 00:50
>>4 確かに「ティムールvs永楽帝のガチンコ対決」ってのは、
世界史マニヤなら誰もが一度は夢想することだもんなぁ。
仮にガチンコ対決が実現していたら、どっちが勝ったん
だろうか。それぞれの王朝のその後を比べると、やっぱ
明なのかなぁ・・・。
6 :
世界@名無史さん:02/01/05 00:56
>>4 このネタは今まで何度も議論されているけど結局決着はつかない。
この前もティムール朝スレで議論されたばかりだよ。
戦場はタラス河畔ですかねえ(藁。やはりティムール一人倒れたらあの国はあとが
やばいんじゃないでしょうか。
明国内で敗れても簡単に引き上げる訳に行きませんし。
それに二十万人ぐらいで一代にして明国征服出来たとは思えませんし。
8 :
世界@名無史さん:02/01/05 00:59
「明清」とはいうが「元明」とは言わないのはなぜ?
大明最強。
是真実。
10 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:01
ティムール朝が勝ったとしてもせいぜい略奪遠征のレベルで終わりますよね。
11 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:04
>>8 宮崎市定あたりがそんなこと言ってなかった?
呉三桂が李自成に素直に降伏していたらやはり清は中国
を支配できなかったのだろyか?
13 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:05
朱元璋って皆さんどうですか?
私はあまり好きにはなれないんですけど。
そういえば杉山正明先生は彼を痛烈に批判していますよね。
14 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:10
明朝とティムール朝の朝貢関係は具体的にはどうなの?
ティムール朝は明朝に朝貢してたらしいけど。
15 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:13
現在明朝とティムール朝のスレが同時に上がっているな。
両スレの住人で議論するべや。
16 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:30
>>14 マジ?
北元に朝貢してたらしいってのは知ってたけど、
明に朝貢してたとは知らなんだ。
「蛮子」ってバカにしてたんじゃないの?
17 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:41
明に朝貢してたのはさすがにティムールの死後でしょ?
それよりティムール朝が北元に朝貢ってのは初耳。
18 :
世界@名無史さん:02/01/05 01:45
ティムールは西方進出に忙殺されていたから東方の憂いをなくすために
あくまで名目的に明に朝貢していたのではなかったかしら?
>>17 岡田英弘が『モンゴル帝国の興亡』(ちくま新書)で明言してた。
通説ではキタイ=明朝だが、北元が正しいって。で、遠征先も
明じゃなく北元だって。
「これマジ?」てティムールのスレで尋ねたら、鼻先で笑われちゃった。
で、これは岡田氏の珍説なの??
20 :
世界@名無史さん:02/01/05 03:03
珍説です。
もう岡田さんにどのような感情をもったらいいかわからない
19
>>20 やっぱそうなんですか。
いや、あまりに「オレの説が正しい」という
書き方だったので。
23 :
世界@名無史さん:02/01/05 03:31
ティムール朝史料にはキタイは大ハーンよりトングズに奪われて云々とあるそうな。
ってことは、ここに言う「キタイ」ってのは
まさしく華北以南、明朝のことだと思われる。
ところが、岡田英弘はクラヴィホの記述
(ティムールは元々キタイ皇帝に貢税していた、という)をもとに
ティムールが明に朝貢していた事実はない、
ということはトングズというのは
北元の天元帝トクズ・テムル・ハーンのことだ、と解釈して、
キタイ=北元説を唱えたわけやね。
22
>>23 >キタイは大ハーンよりトングズに奪われて云々とあるそうな
どういう意味ですか? トングスって?
>>24 ブタって意味のトルコ語。
蔑称で、ここではブタを飼う漢人(=明朝)を指していると思われる。
もっとも岡田氏はトクズ・テムルを蔑んだのだと解釈している。
24
>>25 そういえばそういう解釈してましたね。
ありがとうございます。
岡田氏の著作はやたら景気よく通説を斬ってるけど、
鵜呑みにしてはいかんのですね。
まゆつば、まゆつば、っと。
しかし否定されてるのになぜ岡田氏は最近の新書に再録したんでしょ?
27 :
世界@名無史さん:02/01/05 14:37
>>26 そもそもはっきりと否定されたわけではなく、
たんに他の研究者からはシカトされてるのでは。
直接の専門ではなく、自分から一次史料にあたったわけでもない岡田氏の説など
みな「あのオッサンまた吹いてるな」くらいにしか受け取ってないと思われ。
>>27 なるほど……。
岡田氏っていうのは要注意人物なんですね。
今の学界でも無視されてるのかな?
29 :
世界@名無史さん:02/01/06 01:23
明代史って結構手薄かな?
研究者もあまり多くない気がする。
30 :
世界@名無史さん:02/01/08 13:53
笑って聞き流してくれても良いが
私は明朝の政治体制を調べたとき
鋼鉄の常勝将軍が統治する現在の凍土の共和国が
頭にちらついて仕方がなかったよ。
シークレットサービスの錦衣衛やら秘密警察の東廠やらが幅を利かし
それらを皇帝の使用人たる宦官とその手下の軍人が掌握した上で
地方の駐留軍にも監軍の肩書きで宦官があたかも「政治委員」の如く
「司令員」の政治動向を監視している。
明代の時期によっては東廠と職権が重複した西廠まで作った上で業績を競わせ
さらに内行廠まで設立して上記の諜報機関を監視させたりもしている。
前近代の専制体制の内、もっとも現代の共産主義体制との親近性を感じさせるのが
私にとっての明代である。
31 :
世界@名無史さん:02/01/08 14:37
「明」という国号とは裏腹に暗い陰湿なイメージ
32 :
世界@名無史さん:02/01/08 15:42
明王朝は暴君、愚帝が多く、清王朝は賢帝、名君が多かった。
明では宦官の横暴が猖獗を極めたのは有名な話。
33 :
世界@名無史さん:02/01/08 16:03
朱元璋は上流階級を徹底的に粛清したが、
常に貧民の味方であった。
と、オイラは教わった。
34 :
世界@名無史さん:02/01/08 16:33
明は暗い暗いとよくいわれるけど、貨幣経済の発達や文化の大衆化など見るべき点も多いと思う。
政府は腐敗しきっていたものの、民間に活力があった時代というイメージかなぁ。
>>34 貨幣経済の浸透や文化の大衆化は宋からの流れ
明代になっても永楽期まではその流れが順調に続いたが、それ以後、むしろ閉鎖的自給自足的な中世社会に復古する傾向となった
もちろん海禁策も明代の復古的な潮流の一つ
宮崎市定風に言えば支那社会は宋から近世に入った
37 :
世界@名無史さん:02/01/09 03:05
38 :
大元天聖大可汗:02/01/09 04:24
元朝再興!!
∩
⊂| ̄ ̄|⊃
( =゚ω゚)
/ ~)))~ )
人|__|||_|
(__ム)__ム)
粛正だけはいやだょぅ……
40 :
世界@名無史さん:02/01/14 00:45
age
明朝の歴史経緯ばかりではなく、
北京を中心とした都市文化や、芸術、文芸について、
勉強したいのですが、一般向けの手引き書となる本をご存じでしたら、
ぜひ、ご教示ください。
>>41 紫禁城に行ってみるのが一番なんだろうけど
現存の紫禁城って清代以後に改変されて部分がどれくらいあるのだろうか?
43 :
世界@名無史さん:02/01/29 07:50
>>41 文春文庫からその名もずばり「北京」て本が出てる。北京についての概説書
としてはよいと思う。著者は竹内実。中国についての大家。今でも売ってる
から読むヨロシ。
44 :
戦う受験生@富田派 ◆MODS/80k :02/01/29 15:07
洪武帝
建文帝
永楽帝
正統帝
>>43 せっかく教えて頂いたのですが、
近くの書店には在庫が無いようでした。ありがとうございました。
北京に限らず、明の芸術文化、
また武術についても、ご存じの方がいらしたら、
書籍などご紹介頂けないでしょうか?
46 :
世界@名無史さん:02/01/31 01:11
>>42 かなりあります。太和殿(明朝のころは奉天殿。ちなみに、天安門は承天門ね。)なんて何度も焼けていますし。
李自成が逃げるとき火をつけちゃったし。内廷と外廷を分ける城壁や雲台門も清になって取り払った。
今の姿になったのは乾隆帝の頃だそうです。
47 :
世界@名無史さん:02/01/31 15:14
やっぱり成化帝を虜にした
万貴妃は当時の基準では、
あまり美人とされてないようだが(野史、稗史小説は除く)
もしかしたら今日の基準では、きれいだったかも…
彼女の墓は特定されていると思うが
発掘調査で頭蓋骨から復顔は成されないのだろうか?
48 :
世界@名無史さん:02/01/31 17:45
>>47 え?そうなの?詳細や出典きぼーん。
ちなみに万貴妃は纏足していたんだろうか。
49 :
世界@名無史さん:02/01/31 19:40
魏忠賢、九千歳!
南京から北京に都を移した理由を教えて!
51 :
世界@名無史さん:02/02/01 00:17
>>50 そりゃあなた なんだかんだいってもやっぱり居心地悪かったからでしょ。
何てったって回りからは燕賊ってしか思われてませんからね。
52 :
世界@名無史さん:02/02/01 23:32
靖難の変(だっけ)から20年位は確か南京にそのままいたんだよね。
蒙古への遠征も当初は南京から出撃したの?
53 :
世界@名無史さん:02/02/02 20:40
燕を逐うなかれ
燕を逐うなかれ
燕を逐えば日に高く飛び
高く飛びて帝畿にのぼらん
54 :
世界@名無史さん:02/02/03 01:33
55 :
世界@名無史さん:02/02/03 01:44
56 :
世界@名無史さん:02/02/03 09:38
age
反清復明反清復明反清復明反清復明反清復明
反清復明反清復明反清復明反清復明反清復明
反清復明反清復明反清復明反清復明反清復明
反清復明反清復明反清復明反清復明反清復明
反清復明反清復明反清復明反清復明反清復明
58 :
世界@名無史さん:02/02/03 11:15
>>55 太祖の死後巷間に流行った歌だとか。
後付っぽいけど黄子澄とかの無能振りが引き立ちます。
中華回復中華回復・・・あこれはちがうね。
幸田露伴の「運命」って実証研究の立場からみてどうよ?
AGE
62 :
世界@名無史さん:02/02/11 01:09
漢、唐の宦官跋扈の例をみて、洪武帝がせっかく宦官跋扈の防止策を講じたのに、永楽帝が壊してしまった。
これが暗帝を多数輩出した一因じゃないか。
暗帝の中でも一番ひどいのが万歴帝。政治を執りたくないだけならまだしも役人の欠員を補充しないのは最悪だ。しかも47年も皇帝をやっていやがった。
こいつが早死にすれば、明はもうちょっとは持っていたんじゃないの?
63 :
世界@名無史さん:02/02/11 01:12
>>62 確かに。こんな皇帝になぜ神宗という廟号が奉られたのだろうか?
64 :
世界@名無史さん:02/02/11 01:33
『運命』本編で建文帝は生きていて天寿を全うしたみたいに書いてて
後書きで自分の書いてること否定して、焼死が史実みたいな事書いてるんだもん。
些か興醒めした。
>63
神宗何たらかんたら顕皇帝
ってのが廟号+諡だった。
65 :
世界@名無史さん:02/02/11 01:41
明の暗君、個人的には羨ましい所もある。
難しいことは何も考えず、気に入らん奴は廷杖、賜死、斬首。
万天下は自分の物。美女がいれば誰だろうとお構いなしに
後宮にいれて、飽きれば放置。
三食は山海の珍味を集め、歌舞音曲を愉しみ
夜は後宮の美女を漁り、女体に溺れ
自分の快楽のみを只管追及。
自分の望むままに日々を生きる。
でも虚無感に押し潰されるかもな。
66 :
世界@名無史さん:02/02/11 15:09
>>47-48 いいね、漏れも万貴妃みたいにパワフルな
女ボディガード兼カウンセラーに
守られながら国政を執ってみたい。
でも皇帝より17才年上っつーのが、何とも(−−;
いつまでも10歳以上、若く見えるような
美女だったらいいが(^^;
67 :
世界@名無史さん:02/02/11 15:52
宦官の言うなりの末オイラートにとっつかまった皇帝が「英宗」だしなあ。
68 :
世界@名無史さん:02/02/11 20:37
>62
12年ほど前に出た『萬暦15年』という本を読んでみましょう。
萬暦帝、張居正の後継者申時行、軍司令官戚継光、異端の思想家李卓吾について、
『神宗実録』などの資料を縦横無尽に使って、
建国以来200年、さまざまな利権や思惑が網の目のように絡み合う
明朝末期のどうしようもない閉塞感を見事に描写しています。
そういう網の目がかかった現実を打破すべく張居正が頑張ったのですが、
結局矛盾を顕在化させただけで、果てしない混乱が巻き起こってしまった・・・
受験浪人時代に読んだんですが、すごく衝撃的な本でした。
69 :
日本@名無史さん:02/02/11 22:15
ど素人の質問でスマソ....
明王朝初期の女真族についてなんですが、当時は建州・海西・野人女直に分かれていた。永楽帝の時代に
彼等に対して通商権を与えるなどのゆう和政策(?)を取っていた....と聞きましたが、
当時の女直はどのような政治体制であったのでしょうか?
著名な人物とは?(建州首長・李満住って人物は知りましたが...)
どなたか、教えてください。
70 :
世界@名無史さん:02/02/13 10:24
>>66 ただ姉さん女房というより母親代わりというべき、
17の年の差が、彼女の人気を中国史ファンの間で
阻害する大要因なんじゃないかな?(^^;
また気が強く後宮の他の女を実力で排除する所が
楊貴妃みたいな、悪意の無い子悪魔的存在と違って
こわいオバハン的イメージを醸し出しているしね。
>>68 ただ、張居正は乱れきった
官界の綱紀粛正や財政再建、
ひいては基幹産業たる農業生産が
天候に恵まれた事もプラスして
従来にない規模の好景気を招来させたのではないかな?
もちろん、抵抗勢力の反対を押し切った強引な手法が
派閥対立を顕在化させた難点はあるが、
本人にすれば他に手はなかったのだろうし。
71 :
世界@名無史さん:02/02/13 10:53
なんか万歴帝って徳川11代将軍家斉と色んな所でだぶって見えるんですけど・・・。(治世期間の長さなんかも含めて。)
あ、でも家斉には張居正みたいな優れた側近は居なかったか。
72 :
世界@名無史さん:02/02/13 11:08
明朝16代、そのうちまともな皇帝は5人のみ・・・
73 :
世界@名無史さん:02/02/13 11:30
>72
清朝とは断然違うな!
>>73 太祖、成祖、宣宗、孝宗とほか誰?仁宗?
また、永楽帝って最初、太宗という廟号をもらっていた
はずなのに、どうして成祖という廟号に変えられたのだ
ろうか?
76 :
世界@名無史さん:02/02/13 13:14
神宗万暦帝の墓って新中国になってから発掘されてたけど、
明代の皇帝の墓ってのはあんまり盗掘されてないんすかね?
李自成はそんな暇無かったでしょうし。
清の西太后のは民国期に北洋軍閥軍に盗掘されたんじゃなかっ
たかなー。他の皇帝達のは無事なんでしょうか?
77 :
世界@名無史さん:02/02/13 13:20
明朝皇帝ランキング
英主 洪武帝 永楽帝 宣徳帝 弘治帝
普通 建文帝(臣下は良い) 洪熙帝 景泰帝 崇禎帝(でも手遅れ)
馬鹿 正統・天順帝 成化帝 正徳帝(明史には天性聡明とあるそうだがその資質を遊びに使った)
クズ 嘉靖帝 隆慶帝 万暦帝 光宗 天啓帝
こんなもんでしょうか?特に、嘉靖帝と万暦帝の在位期間が各々40年以上なのが痛い。
78 :
世界@名無史さん:02/02/13 23:34
清朝皇帝ランキング
英主 ヌルハチ ホンタイジ 順治帝 康熙帝 雍正帝 乾隆帝
普通 嘉慶帝 道光帝 咸豊帝 光緒帝(西太后に頭を抑えられてはいたが) 宣統帝(馬鹿かもね)
馬鹿 同治帝
クズ 西太后(皇帝じゃないけど、実質的には)
80 :
世界@名無史さん:02/02/14 00:03
>>79 紫禁城抜け出して遊びに行って、梅毒もらって死んだ。
81 :
世界@名無史さん:02/02/14 00:23
>>69 『明代女真史の研究』という本がありますが、
俺は読んだことないので答えられません。
>>74 太宗は第二代皇帝専用の廟号だからじゃなかったかな。
永楽帝のころは建文帝は皇帝としての存在が抹消されていたけど、
のちに名誉回復がなされ、第二代皇帝と認められたから。
>>80 ほー、それは知らなかった。
>>81 なるほど、そういうことでしたか。 ん? ただ、明一代の間は
建文という年号は認められたけど、皇帝の存在は認められてい
たんだっけ?なんか記憶の奥底で、建文帝の名誉が回復されるの
は清の乾隆帝の時代であるというのが残っているんですけど?
83 :
世界@名無史さん:02/02/14 18:18
>>76 西太后の墓はめちゃくちゃにされたらしいね。
盗掘された時は西太后の死体はきれいで、まるで生きてるみたい
だったらしい・・・。んで盗掘した奴の中には屍姦を試みた奴も
いたとか・・・。あんなババァのどこがいいんだか。
写真で見る限りでは西太后も珍妃もきれいじゃないねー。
もうあの頃の美人ってのは今の美人に関する概念とあまり変らない
と思うんだが。
朕を弑しようとした女官どもがおったので
残らず誅殺してやったが
何故大逆に及ぼうとしたのかさっぱり分からぬ。
寝ている時にいきなり首を締められたのじゃ。
苦しかったぞ。
誰か真相を上奏せい。
85 :
世界@名無史さん:02/02/14 23:15
>84
永楽帝が『成祖』になったのは、たしか嘉靖帝の頃じゃなかったか?
その頃は、建文帝はまだ名誉回復どころか、記録の上では無視される
存在だろうと思うんですが。
山川の『世界史小辞典』では、そこらへん何も載っていないのでよくわからないのですが。
明朝の悲惨な点の一つに、『廷杖』の制度もありますな。
86 :
【^▽^】アフリカ太郎スレイマン・ジョーカー:02/02/14 23:33
>83
蒋介石の北伐軍が暴く前に盗掘されていたのですか?
>>86 うんにゃ、確か北伐軍による盗掘の時だったらしい。
>>74 遅レスすまん。
洪武帝 永楽帝 宣徳帝 弘治帝 洪熙帝の5人が名君といえるんじゃないのかな?
>>77 洪熙帝は英主と言えるのでは?
何故か落ちかけていたので、ageます。
>83,86
ちなみに、この時に東陵の盗掘を行ったのは孫殿英という軍人です。
国民党生え抜きの軍人ではなく、土匪出身で北洋軍閥から北伐軍に寝返った人です。
裏切りや略奪を何度も繰り返した人物で、大陸での評価は当然ながら最悪です。
あと、孫殿英が盗掘を行ったのは、北伐軍に寝返ってからです。
盗掘が発覚した後、世論に押されて蒋介石は孫を裁判にかけましたが、
大して罪を問うことなく放免しています。
91 :
世界@名無史さん:02/02/22 16:46
>89
孫殿英の最後はどういったものでしょうか?
>91
盗掘後の孫殿英は、地方軍閥の閻錫山や張学良の配下となった後、
再び蒋介石直属となりましたが、1943年4月、汪精衛政権に加わりました。
抗日戦後はまたしても蒋介石配下に戻り、国共内戦にも参加しましたが、
人民解放軍に敗れて捕らえられ、1947年に獄中で病死しました。
ちなみに、>89では孫の評価は最悪と書きましたが、
一方で1933年に、熱河で日本軍を相手に果敢な抗戦を行っており、
この点についてのみは大陸でも賞賛されています。
関係ないことまで書いて、失礼しました。
93 :
世界@名無史さん:02/02/26 18:39
>78
正統帝は馬鹿な皇帝ではないと思います。
ちゃんと仕事をしていました。全て宦官に任せたわけではありません。
何で景泰帝が普通で正統帝が馬鹿なのでしょうか。
土木の変では景泰は忠粛の言うことを聞いたに過ぎません
普段の治世においては景泰も十分仏教狂いで、正統と似たような治世を繰り広げました。
英宗が王司礼の言葉に従ったのは「先生」だからです。逆らえますか?
94 :
世界@名無史さん:02/02/26 18:41
間違えた
>77です
95 :
Ming Dynasty:02/02/26 20:19
英語で書くとカッコいいね。
96 :
世界@名無史さん:02/03/01 21:06
>93 正統帝主席弁護人のレスに期待age
97 :
世界@名無史さん:02/03/04 20:21
崇禎帝あげ
98 :
世界@名無史さん:02/03/04 23:23
質問させてください。
昔、中国名将列伝という本で戚継光(?)という人の話を読んだことが
ありました。倭寇やモンゴルに対して活躍したとか。
どれくらい凄かったんでしょう?
99 :
世界@名無史さん:02/03/04 23:28
100 :
世界@名無史さん:02/03/05 00:01
>>93 宦官風情を先生にしてはいけません。
奉天殿の落成式に宦官風情を参列させてはいけません。
復辟した後、木像を彫ってあがめてはいけません。
>>96 細かいつっこみをすると、「主任」弁護人です。
>100 首席検事と混同してました。すみません
>99
ありがとうございました。
やっぱ名将の名に恥じない人だったんだ。ホンにお世話になりました。
103 :
元さいたま市長候補:02/04/03 23:51
明朝ってマニ教徒が協力して建てた王朝だったよね。
104 :
世界@名無史さん:02/04/03 23:58
白蓮教とマニ教が協力?
105 :
世界@名無史さん:02/04/04 00:16
白蓮ってマニ?
ミロクまんせーでしょ?
106 :
元さいたま市長候補:02/04/04 00:37
ゾロアスター教→マニ教→明教→明朝、じゃなかった?
107 :
元さいたま市長候補:02/04/04 00:40
日蓮宗とマニ教が協力?
…つまんねー 逝ってきます
109 :
世界@名無史さん:02/04/12 16:01
>>30 うんうん、だから武侠小説とかで東・西廠が悪の巣窟で、錦衣衛がゲシュタポみたいで、いつも敵役
ビデオだと新流星胡蝶剣とか、龍門客桟(ドラゴン・イン)とか
日本の奉行所とは正反対だな
110 :
世界@名無史さん:02/04/13 13:37
>>55さんに触発されました。
万貴妃タンもしくはそれをモデルにした人物が
登場した映像作品があれば、
中華圏にこだわらないから(ってそれしか可能性は無さそうだが)
紹介して貰えれば多謝です。
って、あっても数は少なそうですが(^^;
111 :
世界@名無史さん:02/04/15 15:50
女ボディガード萌え。
112 :
世界@名無史さん:02/05/09 23:28
強い女は美しいってか。
万貴妃タンは隋の独孤皇后タンの生まれ変わりで…とかないかな。
則天タンが李密の生まれ変わりってのもあったくらいだし、ダメ?
114 :
世界@名無史さん:02/05/12 19:04
>113
唐代の武則天と違い、
明代ではいくら他家出身の女が皇帝を尻にしいても、
玉座を奪うとか、易姓革命とか
思いもよらなくなったんだろうな
115 :
世界@名無史さん:02/05/17 15:42
>>114 それってやっぱり朱子学の影響なんでしょうかね〜
116 :
世界@名無史さん:02/05/27 16:51
>>110 彼女の墓は荒らされたんだっけ?
盗掘者により。
117 :
世界@名無史さん:02/06/04 10:51
明の時代になって側室や宦官の皇帝への殉死が盛んになったのは
はなぜですか?
歴史の歯車が一気に千五百年も巻き戻ったのが明王朝だったのでしょう
か?
118 :
世界@名無史さん:02/06/04 12:01
>117
ソースを提示できなくて
須万曽ですが、
元代のモンゴル人の風習を
受け継いだものでは?
ただし途中で誰かの皇帝の判断により
取りやめになったはずですが。
119 :
中華@名無史さん:02/06/09 03:34
重複スレ立てられたのでageて置きます。
120 :
中華@名無史さん:02/06/09 03:36
【14:5】明王朝について語ろう
1 名前:日本@名無史さん 02/06/09 01:52
中国史上最強の完全皇帝独裁体制を確立した王朝。
今までの王朝のように宦官、外戚により皇帝を操ることは
なかった。常に家臣の粛清が行われ、家臣は皇帝の奴隷のように
扱われた。しかし暗君が多かった。
最強の権力を行使できるのに、政治に興味を示さず
信頼する宦官や、家臣にすべて政治を投げてしまう皇帝が多いのが
特徴。だが皇帝が変わるごとに、家臣の大粛清が行われ為、
宦官、外戚が皇帝の権力を超えることはなかったのは興味深い。
万暦帝は48年の治世で25年間朝廷に出なかったという、
中国の皇帝の新記録を樹立している。
このような王朝がなぜ300年近くも存在し得たのか語ろう。
2 名前:日本@名無史さん :02/06/09 02:09
土木の変は?
3 名前:中華@名無史さん :02/06/09 02:11
1の気合は理解出来ますが、激しく重複
明王朝を語る
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1010126616/l50
121 :
中華@名無史さん:02/06/09 03:37
4 名前:YP :02/06/09 02:14
モンゴル民族に好き放題やられまくった後の漢族の王朝なので、
ベースである漢族の団結心が庶民レベルまで一応浸透してたから、
なんとなーくで300年持ったが、日本軍アシスト〜女真族でフィ
ニッシュ。
俺は、明王朝についてはこんな感じ程度の認識しかないっす。
5 名前:世界@名無史さん :02/06/09 02:21
Ming Dynasty
122 :
中華@名無史さん:02/06/09 03:40
重複とただ指摘するのも悪いんで、>120 >121で、重複スレ一連の
書き込みこっちに転載して置きます。重複1のやる気は感じるので
誰か持論の有る人反応して上げて下さい。
123 :
中華@名無史さん:02/06/09 09:32
124 :
世界@名無史さん:
age