洪武帝朱元璋

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153中華@名無史さん:02/02/20 03:16
そして、こちらは先だって紹介に漏れた人物で、これは!!?
と思った人物が居たのでageて置きます。

沐英@
朱元璋軍に参加後、養子成る。その後に従い吐蕃を攻め功を挙げ、
その後雲南を攻め梁王を破る。翌年大理を落とし雲南鎮守に任じられる。
粛清の多かった朱元璋配下の中でも、沐英を初代とする沐家は、
明朝300年間に渡り、その地位を世襲した。

それにしても先日の連続カキコ、改めて読み返すと誤字の多い事多い事(滝汗
思わず鬱に成りそうでした(にがわら
154世界@名無史さん:02/02/21 23:01
朱元璋が濠州の郭子興の軍から独立したときに朱元璋に従っていった開国の功臣とも言うべき「24人衆」は以下の通り。

徐達、湯和、呉良、呉禎、花雲、陳徳、顧時、費聚、耿再生、耿炳文、唐勝宗、陸仲亨、華雲竜、鄭遇春、郭興、郭英、湖海、張竜、陳桓、謝成、李新、張赫、周銓、周徳興

ああ、漢字変換が疲れる・・。
従って、誤字に責任は取れないのであしからず。

155世界@名無史さん:02/02/21 23:07
トクトのような人物を陥れたりするから、元朝は自滅したも同じ。
156世界@名無史さん:02/02/21 23:10
元朝の欠点は代替わりのたびに派手に内戦を始めちゃうこと。
157世界@名無史さん:02/02/22 16:28
>156
同じ異民族征服者による王朝でも
その点が権力闘争はあっても
内戦はやった事がない
清朝との違いだね。
もっともモンゴル人と違い、
満洲人の武力はかなり限られたものでは
あったから精神的にそんな
余裕がなかったとも言えるけどね。
158世界@名無史さん:02/02/24 15:52
清朝では、皇帝選びで混乱が起きないように後継者指名を秘密裏に行う仕組みがあったはず。
実力主義のモンゴルは内戦で勝ち残ったのが帝位に就くので、優秀なのが選ばれることが多いが、確定するまで混乱する。

明朝はどうなのだろう?
洪武帝が選んだ建文帝は簒奪されちゃうから、
後継者を残すことに失敗したのだろうね。



159世界@名無史さん:02/02/24 15:54
建文帝の邪魔になりそうなのは全部抹殺したのだが、
建文帝を守る人々もいなくなってしまった。
160中華@名無史さん:02/02/25 01:30
>>158
>洪武帝が選んだ建文帝は
朱元璋は別に建文帝を好んで選んだ訳では無いと思いますが・・・
朱元璋にはちゃんと皇太子?(長男)が居ました。
けど早逝してしまったので、家系の筋を通す意味で、
皇太孫の建文帝を後継ぎにした。と言う事で、
決して”後継ぎとしての実力を見込んで”の指名では無かったと思います。
161中華@名無史さん:02/02/25 01:43
まぁ、なんか突っ込みレスみたいに書いてしまいましたが、
この事で思ったのが、朱元璋萌えな自分が、彼を弁護する訳では無いんですが、
結果的に即位後の大粛清を避難されている訳ですが、
現に、李善長や胡惟庸等は相当の野心家だったと感じるので、もし存命だったら
明王朝乗っ取りの可能性も、十分に有り得たと思いのですが、どうでしょう?
やっぱりこう言う後継者が幼少、と言う家の事情等を考えますと、
粛清も皇統を守るのには本人が危機感を持った。と言う
状況は致し方無かったのかなぁ?と多少は感じます。
162中華@名無史さん:02/02/25 01:48
それと、これら一連の事を書いていてさらに思ったんですが、
朱元璋の長男(皇太子?)について詳しくご存知の方は居ませんか?
長男は何時頃没したのでしょうか?
また、活躍等はしたのでしょうか?

これらの事が判明すると、さらに彼の一生を解く意味でも、粛清の意味を
解く意味でも参考に成ると思うのです。

と、こう書くと、クレクレみたいで恐縮なので自分でも調べて見ますが、
何方かご存知の方御教授下さい。
163世界@名無史さん:02/02/25 22:59
長男の朱標は洪武25年に38歳で病死。
人となりは「友愛」だったそうな。
父親と違い、温厚な性格だったらしい。
殺戮を嫌い、柔弱かもしれない。

164世界@名無史さん:02/02/25 23:05
孫の朱允ブンも柔和な性格。
朱元璋としては、「汚い」仕事を全部自分の代で済ませようと考えたのではなかろうか?
165中華@名無史さん:02/02/26 23:16
>>163-164
レス有難う御座いました。
勉強に成りました(w

自分でも早速”朱標”と言う人物で調べて見た所、親子での面白いエピソードが
判明しました。

当時父”朱元璋”が数々の粛清を行なう中、皇太子の”朱標”は父に

「陛下は王朝安定の為とは言え、余りにも粛清をし過ぎているのでは無いですか?」

と嗜めた所。反対に部下に茨の弦を持って来させ息子に・・・

「ではそなたはその刺の付いた茨を持って強く握り締める事が出来るか?」

と尋ねた所、たじろきました。それを見た”朱元璋”が

「それ見ろ、掴めまい!朕はそなたの世の為に茨の刺を残らず取り除いて居るのだ!!」

と諭したそうです。
166中華@名無史さん:02/02/26 23:30
それと、皇太孫の朱允[火文]も、叔父の永楽帝が反旗を翻した際に
「朕に叔父殺しの汚名を着せてはならぬぞ」
と将軍に厳命した為に将軍達も本気で追討出来なかった。と言う事です。

まぁ兎に角
>朱元璋としては、「汚い」仕事を全部自分の代で済ませようと考えたのではなかろうか?
と言う指摘は多分その通りでしょうね?
167世界@名無史さん:02/02/27 12:25
>>154
ちなみにその24人の内、粛清されたのは何人なんですか?
168世界@名無史さん:02/02/28 17:15
>>167
李善長の獄で処刑されたのが、唐勝宗、陸仲亨、費聚。
藍玉の獄の時に処刑されたのが、陳桓。
徐達は病死だが、朱元璋から賜った見舞いの鳥を食べた直後に急死。
華雲竜は自殺の可能性あり。
湯和は病死。
他は手元に資料がないので私にはわかんない。


169世界@名無史さん:02/02/28 19:11
高校時代の世界史の資料集見てたら朱元璋の肖像が二枚載ってた。
一枚は穏やかな表情で、もう一枚は厳めしい表情をしたものだったが、文章では
「上の二枚の肖像画のうち、疑い深そうな右側が実像に近く、温厚そうな左側は
権力者が画家に強いて描かせた虚像であろう。」とあった。
170世界@名無史さん:02/03/01 21:13
>一枚は穏やかな表情で、もう一枚は厳めしい表情をしたもの

というより正直、一枚は高橋英樹似の二枚目、
もう一枚は松本人志似(ゴメン)の醜男って感じだったが…
てな事書いてると漏れにも粛清の魔の手が迫ってきそうでコワイヨー
171世界@名無史さん:02/03/01 23:31
功臣の粛清は漢の劉邦を手本に見習ったに過ぎない。
但し、見習いすぎた。
元璋は生真面目なのだ。
172世界@名無史さん:02/03/01 23:50
私自身は朱元璋ファンなのだが、
粛清がなかったとしても
元璋みたいな人の下で働きたくはない。
滅私奉公を強要されて、
堅苦しくて、息苦しそうだ。
173世界@名無史さん:02/03/02 00:13
人物像へのファンというのと、
お近づきになりたいというのは違うからね。

明って、とことん忠誠が報われない王朝だよな。
よく長続きしたものだ。
174朱元璋の事は何も知らん!:02/03/06 10:00
関係ないけど、中国関係とかは人名であるにも関わらず、
読めない、読んでて発音できない「漢字」のせいで読む気を失う。
せめて、人名ぐらいは仮名とか、読める語尾を添えてくれると助かり。

以上、朱元璋すら何と読むかわからない者の愚痴でした
歴史は好きなので、「英雄を上げよ!」スレで朱元璋(洪武帝)
の名が、多く上げられたので、興味本位だけでこのスレ読んでます
175中華@名無史さん:02/03/06 19:39
ちなみに此処のスレタイトルは
「こうぶてい・しゅげんしょう」と読みます。>>174
176世界@名無史さん:02/03/06 19:47
普通に音読みすればいいと思うけど…?
まあ、漢字固有名詞は慣れないとわかんないもんか。
177世界@名無史さん:02/03/07 00:14
形声文字(大部分の漢字はこれ)の場合は旁(つくり)の音読みで大体いけるんですけどね
関係ないのでsage
178世界@名無史さん:02/03/10 04:32
.  ∧∧     ∧∧
 /中 \  / 中\  ハイ、ドウゾ
 (`ハ´ )   ( `ハ´)
⊂二、  \  /,   つ
    \  ) )(_(_, )
    / / /   しし'
   (__)_)

【不幸のレス】
   このレスを見た人間は七秒以内に中国人に強盗に入られます。

       ※あなたに訪れる悲劇を回避する方法が一つだけあります。
     それはこのコピペを一時間以内に7つ、別のスレに貼り付ける事です
179世界@名無史さん:02/03/28 12:47
朱元璋と毛沢東は似てないですか。
権力奪取までの行動と建国後などが。
180世界@名無史さん:02/03/28 14:19
東洋史は何故盛り上がらないのだろうね
181世界@名無史さん:02/03/28 16:28
朱元璋は、坊主上がりだからそれに関係する言葉を極端に嫌ったそう
で、禿・僧・光などが上奏文に入っていると大変なことになった。
しかも秘書に読ませるから同じ音も避けなきゃいけない。

たとえば
「光天の下、天は聖人を生ず」にはNGワードが二つ入っている。
ひとつは「光」。もうひとつは「生」。これは「僧(ソン)」と「生(ソン)」
の音が似ているから(^^;
182世界@名無史さん:02/03/28 16:29
183世界@名無史さん:02/03/28 18:57
スターリン型独裁者プロトタイプ。
ただし大衆が政治資源として登場する前ゆえに、
大衆が粛清の対象とはならなかっただけ。
184世界@名無史さん:02/03/28 20:49
既出だが永楽帝は馬皇后の実子ではないらしい。
それでも単に母が別ならまだいいが

元朝の宮廷から略奪した蒙古官女の子で
実父は・・・という噂もある。

永楽帝に反感を持つ知識人がでっち上げた話だろうが
万が一事実なら太祖高皇帝の子孫・明王朝というのは壮大な虚構だな。
185世界@名無史さん:02/03/29 00:34
>>141
胡惟庸(丞相)っていよいよ謀反を起こしたときに、日本(九州)に援軍を
もとめていて、実際に400名程度の「日本軍」が援軍として派遣されてい
ます。
#どうやら明朝初期の地理感覚では九州が本体で本州は付属の島のような
#扱いだったらしい。

で、当時九州を支配していたのが懐良親王。
親王はもともと8歳で九州平定のために派遣されたんだけど、半独立勢力として
南朝方北朝方問わずに人物を用いて、30歳のときに九州全域を統治下におきま
した。その後畿内で南朝が落ち目になる中、40年にわたり九州に君臨した。

で、明朝と何の関係があるかというと、明朝成立直後に(勝手に)朝貢して
「日本国王」の称号を受けている。ちなみに次の日本国王は15歳年下の
足利義満。

良い意味で食えない政治家だけどなぜかあまり注目されていない・・・
「日本」という枠内だけだとだたの地方政権だけど、アジア史全体からみる
と面白い政権
186185:02/03/29 00:51
>>184
あと、建文帝生存説もありますね。

太祖から「いざというときにはこれを使え」と自分が使っていた
乞食坊主の衣装一式を渡されていて、南京落城時にそれをもって
秘密の地下道を通って城外に脱出、雲南で余生を送ったという説。

また、海外に高飛びしたという話もあって、鄭和の大航海も建文帝
を探すためだとか・・・

しかし、成祖が反乱を起こしたのも無理からぬ話だと思う。
建文帝は太祖の孫。一方で太祖の子20人は王として各地に割拠している。

太祖にしてみれば、一族で宗家を守らせるつもりだったんだろうけど、
孫からしてみると、太祖と一緒に天下をとった「格上」の伯父さん(建文帝
は太祖の長男の子)が、子飼いの軍勢をもって割拠しているのは気味悪い。
ということで、一つ一つ各個撃破していった。
成祖は、いずれは自分の番ということで挙兵し、賛同する兄弟(建文帝から
すると伯父さん)も多かった。
187世界@名無史さん:02/03/31 01:13
>185 面白いな それ誰か小説にしてくれへんやろか
188世界@名無史さん:02/04/03 12:46
極太明朝体とは洪武帝朱元璋の事ですか?
189世界@名無史さん:02/04/22 07:49
>>187
幸田露伴『運命』という小説では、建文帝生存説だよ〜。

ageてみた。
190世界@名無史さん:02/05/17 15:39
>>189
でも露伴は「運命」を書いたあとで、建文帝生存説が完全な偽説であることを知って、後悔したらしいね。

ageてみた。
191世界@名無史さん:02/05/17 16:51
三谷幸樹に似てる
192世界@名無史さん:02/05/17 20:59
>>186

伯父さん→叔父さん
193世界@名無史さん:02/05/18 09:20
日本で渡来銭の代表と言えば永楽通宝だが、
実は洪武通宝もそれに負けず劣らず流通し、
密鋳・私鋳も盛んに行われてた。
代表的なのは、南九州で量産された「加治木手」の洪武通宝。
194世界@名無史さん:02/06/04 11:11
age
195中華@名無史さん :02/06/15 23:12
遼陽(遼東半島付近)の群雄「劉益」に興味が有ります。
この時代、遼東半島付近と言うと元の本国である蒙古にも近く、
群雄として割拠するには相当の才覚が無いと生き残れないと思いますが、
ネット関係&手元の簡単な文献だけで調べて見ても、
”遼陽の群雄”と言う事しか解りません。
この人物について何方か知識がお有りの方は教えて戴きたいのですが・・・
196中華@名無史さん:02/07/14 11:48
他スレで偶に此処のスレが話題に上って、「このスレ読んでいたら気分が悪く成った」
と言う様な意見も見たけど、やっぱり普通の人にとっては朱元璋って許せない?

何か全然ネタも上がって来ないし、やっぱり世界史板住人的にも人気薄なのかなぁ〜…と
空ageもなんなんで、こう話を振りつつage!
197世界@名無史さん:02/07/14 13:16
気分悪くなるところなんかあったかなぁ?
198金蓮:02/07/14 14:33
朱元璋の薄気味悪さは時代を考えなければ気の毒だ。元の支配されてる時代は中華民族の誇りがずたずたにされ、彼の出身地は特に搾取の対照でしか無かったわけだから、
内に秘めた敵愾心は相当なものだった思われる。だから最下層の農民なんかには優しかったのでは無いでしょうか。その分商人とか官僚には厳しかったのでは無いか。
農本主義が彼の理想でその為に中央集権を目指すと同時に小さな政府官僚機構を作ろうとしたのではないか。
粛正のやり方が妙に用意周到で陰険だけどそれをもって彼を評価するのは可哀相だよ。
199世界@名無史さん:02/07/19 00:23
中国の朱鎔基首相は朱元璋の24番目の息子、長沙王朱権の16代目の子孫だとか。

ご先祖様の悪いところを真似しなけりゃいいが・・・
200世界@名無史さん:02/07/19 14:55
↓これは、こちらで質問すべき事でしょうか?

>「洪武五年在銘 手銃」は、現在→「藩陽博物館」に所蔵されている模様。

>発掘したのは、黒田博士(Dr.)という日本人のようですが、
>発掘時期がいつなのか、実は明確な記述が、上記同書には無く、
>同じ著者の「図解古銃事典」(入手困難)には、
>昭和12年に、かつての「元」の都城の地である、熱河省で発掘されたとの記述がありますが、
>記述に曖昧なところがあって、何か消化不良ぎみです。

>どなたか、詳しい事をご存じの方、ご教授下さい。

よろしくお願いいたします。
201中華@名無史さん:02/08/14 02:34
>>200さん
銃の歴史スレでの一文ですね?
僕も一度銃が何時頃から”てつはう”から今の”ライフル”の様な形状に成ったのか
興味が有って、覗いた事が有ったのですが、僕もその書き込みを見て
洪武帝も、天下を取る過程で鉄砲隊を組織していたのかな?と言う疑問が湧きました。
で、肝心な質問回答については存じません(爆)
202世界@名無史さん
>>167
地味だけど花雲とかはどうよ?
初期の面子で粛清免れてるよ・・・
単に粛清前に戦でとっ捕まって殺されただけだけど

個人的には
自分ひとりで何でもできるぜ!誰も俺には敵うまい!
天上天下唯我独尊タイプの陳友諒
商業・農業の中心地である江蘇さえ抑えとけば、とりあえずどの勢力も
俺を無碍には扱わないだろうし、そう簡単には滅ぼされんぞ
明日は明日の風が吹くタイプの張士誠
んでもって、資源は無い、地勢も無い、あるのは無駄飯ぐらいが大半の
「人」だけ
頭使わないと世の中何ともならんわタイプの朱元璋

この中では一番陳友諒が好きだけど、どうも評価良くないなあ
無数の屍の上に乗っかっていたのは朱元璋だけではないのに