明王朝を語る

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75ななし:02/02/13 13:12
>>71
家斉初期には松平定信がいるよ。
76世界@名無史さん:02/02/13 13:14
神宗万暦帝の墓って新中国になってから発掘されてたけど、
明代の皇帝の墓ってのはあんまり盗掘されてないんすかね?
李自成はそんな暇無かったでしょうし。
清の西太后のは民国期に北洋軍閥軍に盗掘されたんじゃなかっ
たかなー。他の皇帝達のは無事なんでしょうか?
77世界@名無史さん:02/02/13 13:20
明朝皇帝ランキング
英主  洪武帝 永楽帝 宣徳帝 弘治帝
普通  建文帝(臣下は良い) 洪熙帝 景泰帝 崇禎帝(でも手遅れ) 
馬鹿  正統・天順帝 成化帝 正徳帝(明史には天性聡明とあるそうだがその資質を遊びに使った)
クズ  嘉靖帝 隆慶帝 万暦帝 光宗 天啓帝
こんなもんでしょうか?特に、嘉靖帝と万暦帝の在位期間が各々40年以上なのが痛い。
78世界@名無史さん:02/02/13 23:34
清朝皇帝ランキング

英主 ヌルハチ ホンタイジ 順治帝 康熙帝 雍正帝 乾隆帝
普通 嘉慶帝 道光帝 咸豊帝 光緒帝(西太后に頭を抑えられてはいたが) 宣統帝(馬鹿かもね)
馬鹿 同治帝
クズ 西太后(皇帝じゃないけど、実質的には)
7963:02/02/13 23:47
>>78
>馬鹿 同治帝
ほー、どこら辺が?
80世界@名無史さん:02/02/14 00:03
>>79
紫禁城抜け出して遊びに行って、梅毒もらって死んだ。
81世界@名無史さん:02/02/14 00:23
>>69
『明代女真史の研究』という本がありますが、
俺は読んだことないので答えられません。

>>74
太宗は第二代皇帝専用の廟号だからじゃなかったかな。
永楽帝のころは建文帝は皇帝としての存在が抹消されていたけど、
のちに名誉回復がなされ、第二代皇帝と認められたから。
8263:02/02/14 13:00
>>80
ほー、それは知らなかった。

>>81
なるほど、そういうことでしたか。 ん? ただ、明一代の間は
建文という年号は認められたけど、皇帝の存在は認められてい
たんだっけ?なんか記憶の奥底で、建文帝の名誉が回復されるの
は清の乾隆帝の時代であるというのが残っているんですけど?


83世界@名無史さん:02/02/14 18:18
>>76
西太后の墓はめちゃくちゃにされたらしいね。
盗掘された時は西太后の死体はきれいで、まるで生きてるみたい
だったらしい・・・。んで盗掘した奴の中には屍姦を試みた奴も
いたとか・・・。あんなババァのどこがいいんだか。
写真で見る限りでは西太后も珍妃もきれいじゃないねー。
もうあの頃の美人ってのは今の美人に関する概念とあまり変らない
と思うんだが。
84嘉靖皇帝:02/02/14 22:15
朕を弑しようとした女官どもがおったので
残らず誅殺してやったが
何故大逆に及ぼうとしたのかさっぱり分からぬ。
寝ている時にいきなり首を締められたのじゃ。
苦しかったぞ。

誰か真相を上奏せい。
85世界@名無史さん:02/02/14 23:15
>84
永楽帝が『成祖』になったのは、たしか嘉靖帝の頃じゃなかったか?
その頃は、建文帝はまだ名誉回復どころか、記録の上では無視される
存在だろうと思うんですが。

山川の『世界史小辞典』では、そこらへん何も載っていないのでよくわからないのですが。

明朝の悲惨な点の一つに、『廷杖』の制度もありますな。
86【^▽^】アフリカ太郎スレイマン・ジョーカー:02/02/14 23:33
>83
蒋介石の北伐軍が暴く前に盗掘されていたのですか?
8783:02/02/17 03:08
>>86
うんにゃ、確か北伐軍による盗掘の時だったらしい。

8872:02/02/21 12:09
>>74
遅レスすまん。
洪武帝 永楽帝 宣徳帝 弘治帝 洪熙帝の5人が名君といえるんじゃないのかな?
>>77
洪熙帝は英主と言えるのでは?
89靡莫:02/02/21 23:38
何故か落ちかけていたので、ageます。

>83,86
ちなみに、この時に東陵の盗掘を行ったのは孫殿英という軍人です。
国民党生え抜きの軍人ではなく、土匪出身で北洋軍閥から北伐軍に寝返った人です。
裏切りや略奪を何度も繰り返した人物で、大陸での評価は当然ながら最悪です。
90靡莫:02/02/21 23:51
あと、孫殿英が盗掘を行ったのは、北伐軍に寝返ってからです。
盗掘が発覚した後、世論に押されて蒋介石は孫を裁判にかけましたが、
大して罪を問うことなく放免しています。
91世界@名無史さん:02/02/22 16:46
>89
孫殿英の最後はどういったものでしょうか?
92靡莫:02/02/23 07:46
>91
盗掘後の孫殿英は、地方軍閥の閻錫山や張学良の配下となった後、
再び蒋介石直属となりましたが、1943年4月、汪精衛政権に加わりました。
抗日戦後はまたしても蒋介石配下に戻り、国共内戦にも参加しましたが、
人民解放軍に敗れて捕らえられ、1947年に獄中で病死しました。

ちなみに、>89では孫の評価は最悪と書きましたが、
一方で1933年に、熱河で日本軍を相手に果敢な抗戦を行っており、
この点についてのみは大陸でも賞賛されています。

関係ないことまで書いて、失礼しました。
93世界@名無史さん:02/02/26 18:39
>78
正統帝は馬鹿な皇帝ではないと思います。
ちゃんと仕事をしていました。全て宦官に任せたわけではありません。
何で景泰帝が普通で正統帝が馬鹿なのでしょうか。
土木の変では景泰は忠粛の言うことを聞いたに過ぎません
普段の治世においては景泰も十分仏教狂いで、正統と似たような治世を繰り広げました。
英宗が王司礼の言葉に従ったのは「先生」だからです。逆らえますか?
94世界@名無史さん:02/02/26 18:41
間違えた
>77です
95Ming Dynasty:02/02/26 20:19
英語で書くとカッコいいね。
96世界@名無史さん:02/03/01 21:06
>93 正統帝主席弁護人のレスに期待age
97世界@名無史さん:02/03/04 20:21
崇禎帝あげ
98世界@名無史さん:02/03/04 23:23
質問させてください。
昔、中国名将列伝という本で戚継光(?)という人の話を読んだことが
ありました。倭寇やモンゴルに対して活躍したとか。
どれくらい凄かったんでしょう?
99世界@名無史さん:02/03/04 23:28
100世界@名無史さん:02/03/05 00:01
>>93
宦官風情を先生にしてはいけません。
奉天殿の落成式に宦官風情を参列させてはいけません。
復辟した後、木像を彫ってあがめてはいけません。

>>96
細かいつっこみをすると、「主任」弁護人です。
101世界@名無史さん:02/03/05 01:08
>100 首席検事と混同してました。すみません
10298:02/03/05 01:19
>99
ありがとうございました。
やっぱ名将の名に恥じない人だったんだ。ホンにお世話になりました。
103元さいたま市長候補:02/04/03 23:51
明朝ってマニ教徒が協力して建てた王朝だったよね。
104世界@名無史さん:02/04/03 23:58
白蓮教とマニ教が協力?
105世界@名無史さん:02/04/04 00:16
白蓮ってマニ?
ミロクまんせーでしょ?
106元さいたま市長候補:02/04/04 00:37
ゾロアスター教→マニ教→明教→明朝、じゃなかった?
107元さいたま市長候補:02/04/04 00:40
白蓮教(東派紅巾軍)

●胡潤児(〜)
白蓮教信者。
白蓮教とは仏教の一派。しかし救世主信仰の弥勒信仰を強く持ち、
マニ教(明教)の影響を強く持つ宗教。
1337年、反乱するが鎮圧される。

●韓山童(〜1351)
白蓮教の教祖。
信者である劉福通たちに擁立された。
紅巾を目印にしたので紅巾軍と呼ばれる。
しかし反乱直前に陰謀は漏れ、彼は捕らえられ殺される。
http://homepage1.nifty.com/history/history/genn.htm
108世界@名無史さん:02/04/09 03:57
日蓮宗とマニ教が協力?




                           …つまんねー 逝ってきます
109世界@名無史さん:02/04/12 16:01
>>30
うんうん、だから武侠小説とかで東・西廠が悪の巣窟で、錦衣衛がゲシュタポみたいで、いつも敵役
ビデオだと新流星胡蝶剣とか、龍門客桟(ドラゴン・イン)とか
日本の奉行所とは正反対だな
110世界@名無史さん:02/04/13 13:37
>>55さんに触発されました。
万貴妃タンもしくはそれをモデルにした人物が
登場した映像作品があれば、
中華圏にこだわらないから(ってそれしか可能性は無さそうだが)
紹介して貰えれば多謝です。
って、あっても数は少なそうですが(^^;
111世界@名無史さん:02/04/15 15:50
女ボディガード萌え。
112世界@名無史さん:02/05/09 23:28
強い女は美しいってか。
113世界@名無史さん:02/05/10 03:44
万貴妃タンは隋の独孤皇后タンの生まれ変わりで…とかないかな。

則天タンが李密の生まれ変わりってのもあったくらいだし、ダメ?
114世界@名無史さん:02/05/12 19:04
>113
唐代の武則天と違い、
明代ではいくら他家出身の女が皇帝を尻にしいても、
玉座を奪うとか、易姓革命とか
思いもよらなくなったんだろうな
115世界@名無史さん:02/05/17 15:42
>>114
それってやっぱり朱子学の影響なんでしょうかね〜
116世界@名無史さん:02/05/27 16:51
>>110
彼女の墓は荒らされたんだっけ?
盗掘者により。
117世界@名無史さん:02/06/04 10:51
明の時代になって側室や宦官の皇帝への殉死が盛んになったのは
はなぜですか?

歴史の歯車が一気に千五百年も巻き戻ったのが明王朝だったのでしょう
か?
118世界@名無史さん:02/06/04 12:01
>117
ソースを提示できなくて
須万曽ですが、
元代のモンゴル人の風習を
受け継いだものでは?
ただし途中で誰かの皇帝の判断により
取りやめになったはずですが。
119中華@名無史さん:02/06/09 03:34
重複スレ立てられたのでageて置きます。
120中華@名無史さん:02/06/09 03:36
【14:5】明王朝について語ろう
1 名前:日本@名無史さん 02/06/09 01:52
中国史上最強の完全皇帝独裁体制を確立した王朝。
今までの王朝のように宦官、外戚により皇帝を操ることは
なかった。常に家臣の粛清が行われ、家臣は皇帝の奴隷のように
扱われた。しかし暗君が多かった。
最強の権力を行使できるのに、政治に興味を示さず
信頼する宦官や、家臣にすべて政治を投げてしまう皇帝が多いのが
特徴。だが皇帝が変わるごとに、家臣の大粛清が行われ為、
宦官、外戚が皇帝の権力を超えることはなかったのは興味深い。

万暦帝は48年の治世で25年間朝廷に出なかったという、
中国の皇帝の新記録を樹立している。

このような王朝がなぜ300年近くも存在し得たのか語ろう。




2 名前:日本@名無史さん :02/06/09 02:09
土木の変は?


3 名前:中華@名無史さん :02/06/09 02:11
1の気合は理解出来ますが、激しく重複

明王朝を語る
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1010126616/l50
121中華@名無史さん:02/06/09 03:37
4 名前:YP :02/06/09 02:14
モンゴル民族に好き放題やられまくった後の漢族の王朝なので、
ベースである漢族の団結心が庶民レベルまで一応浸透してたから、
なんとなーくで300年持ったが、日本軍アシスト〜女真族でフィ
ニッシュ。

俺は、明王朝についてはこんな感じ程度の認識しかないっす。


5 名前:世界@名無史さん :02/06/09 02:21
Ming Dynasty
122中華@名無史さん:02/06/09 03:40
重複とただ指摘するのも悪いんで、>120 >121で、重複スレ一連の
書き込みこっちに転載して置きます。重複1のやる気は感じるので
誰か持論の有る人反応して上げて下さい。
123中華@名無史さん:02/06/09 09:32
>>122
サンキュー。あんたいい人だな。
124世界@名無史さん
age