1 :
サーヒブ・キラーン :
01/12/04 23:07 ティムール朝について語りたい人集まれ!
2 :
世界@名無史さん :01/12/04 23:31
ソユグガトミシュあげ。
3 :
サーヒブ・キラーン :01/12/04 23:40
>2 ティムールの立てた傀儡ハーンだね。その息子スルタン・マフムードも重要。 みんなの一番好きなティムール朝の君主は誰ですか?
4 :
世界@名無史さん :01/12/04 23:44
ティムールです。
5 :
世界@名無史さん :01/12/04 23:48
バーブルとか。
6 :
サーヒブ・キラーン :01/12/04 23:56
私もティムール大好きです。それとティムール朝の君主ではないですが、 その一族のムガル朝初代君主ザヒールッデイーン・ムハンマド・バーブル もいいですねえ。彼は一流の軍人であると同時に一流の文化人でもある。 彼の著した『バーブル・ナーマ』はチャガタイ・トルコ語文学の最高峰と 呼ぶにふさわしい。
7 :
世界@名無史さん :01/12/04 23:57
たるめらん
8 :
世界@名無史さん :01/12/04 23:59
あ、Tamerlaneだ。誤植だ。
9 :
世界@名無史さん :01/12/05 00:00
ティムール朝の君主ではシャー・ルフ、ウルグ・ベグ、アブ―・サイード、 スルタン・フサインあたりが有名どころか。
10 :
サーヒブ・キラーン :01/12/05 00:10
Tamerlaneは欧米での呼び方ですね。意味は「びっこのティムール」か。 そういえば、B.F.ManzのThe Rise and Rule of Tamerlane ってティ ムールについて書かれた本としては非常に良いものかと思います。
11 :
世界@名無史さん :01/12/05 00:11
ティムール朝のスレって定期的に立つけど長続きしないんだよね…。
>>6 バーブルはいちおうティムール朝に数えてもいいんでは。
サマルカンドを統治してたこともあるんだし。
12 :
世界@名無史さん :01/12/05 00:22
ティムールでハァハァしようョ
13 :
世界@名無史さん :01/12/05 00:43
日本のティムール朝研究の盛んな大学って、やっぱり京大と北大かな?
14 :
世界@名無史さん :01/12/05 00:47
ミーラーン・シャー
15 :
世界@名無史さん :01/12/05 00:52
ウマル・シャイフ、ジャハンギール、ミーラーン・シャー、シャー・ルフ。 ティムールの代表的な4人の息子達。
16 :
世界@名無史さん :01/12/05 00:58
>>13 京大にはティムール朝研究の第一人者の間野英二教授がいる。
17 :
世界@名無史さん :01/12/05 01:02
イスラーム史関係のスレって少なくないか?かなりマイナーとは思うが…。
18 :
世界@名無史さん :01/12/05 01:18
>>17 たまに立つんだけど、続かないんだな。
例外は最近の「イスラム教徒は諸悪の根源」等アフガン関連スレ(笑)
ティムール朝もアフガンに被るけどね。
スルタン・フサインのヘラート政権もそうだし、
バーブルの根拠地はカーブルだった。
19 :
世界@名無史さん :01/12/05 09:51
久々に立ってるねえ。ティムール朝スレ。 ティムール朝ってトルコ・モンゴル系の遊牧民勢力とムスリム中心の定住民勢力の 微妙なバランスの上に成り立っていたと思わないかい? トルコ・モンゴル的分封制をとり、ともすれば分裂傾向の強いティムール朝におい て、君主位を継承するには、両勢力をまとめ、自分の正統性を主張する必要性があ ったなじゃないかなあ。その辺について語ってみようよ。
20 :
世界@名無史さん :01/12/05 10:33
ティムールは自分の正統性を主張するために、 @チンギス家の人間を名目的なハーンに立てた。 Aチンギス家の女性を妻に迎え、キュレゲンの立場をとった。 他にもまだまだあるよ。
21 :
世界@名無史さん :01/12/05 15:33
>>19 より細かく言えば、
トルコ・モンゴル系の遊牧民、イラン系ムスリムの都市定住民、
農村定住民の三者かな。
サファヴィー朝史研究者の羽田正氏が「東方イスラーム世界」の
社会構成要素として挙げておられますね。
22 :
世界@名無史さん :01/12/05 15:39
ティムールってほんとにチンギス家の人間なわけ?
23 :
世界@名無史さん :01/12/05 16:05
≫22 シャラフ・アッデイーン・アリー・ヤズディーのZafar namaを始めと するティムール朝期の史書によればティムール家とチンギス家はトゥ メネイ・ハーンという共通の祖先をもつらしい。 またトゥメネイ・ハーンにはカチュリ(ティムール家の祖)とカブル (チンギス家の祖)の二人の息子がいて、カチュリの系統が軍事行政 権を、カブルの系統がハーン位を継承する誓約がなされたらしい。こ れが有名な権力二分論ってやつだね。 勿論、これらの伝承については、後代にティムール朝の後継者達によ って意図的に操作されたことは間違いないんだけどね。
24 :
世界@名無史さん :01/12/05 16:12
>>21 細かく言えばそうなりますね。
マー・ワラー・アンナフルに限定すれば、定住民はトルコ・イラン系
といった方がよいのではないでしょうか?
それとティムール朝期の農村研究ってあまり進んでないように思われ
るのですが、どうでしょうか?
25 :
サーヒブ・キラーン :01/12/05 17:07
>>22 ティムール家は別名バルラス家といって、チンギス・ハーンがチャガタ
イに与えた四個の千人隊の一つであるモンゴル系の名家ではありますが
チンギス家とは言えません。
ティムール家の人間が積極的にティムール家と婚姻関係を結んだのは、
自分の家の家格を高める為だったんでしょうね。
シャー・ルフとウルグ・ベグは親子ながらこのことに対する考え方が異
なっていて面白いです。
26 :
世界@名無史さん :01/12/05 19:58
>>25 シャー・ルフ:キュレゲンの立場をとらなかった。
ウルグ・ベグ:チンギス家と積極的に婚姻関係を結んだ。
ということだよね。
27 :
世界@名無史さん :01/12/05 20:32
世界史におけるティムール朝の役割とは? 教えてくれい!
28 :
世界@名無史さん :01/12/05 21:50
東西交流。遅いか。
29 :
サーヒブ・キラーン :01/12/05 22:09
>>27 世界史全体といえるかどうかはわかりませんが、
イスラーム世界においてイラン・イスラーム文化から脱却した
中央アジア独自の新たなイスラーム文化であるトルコ・イスラ
ーム文化を発展させたことでしょうか。
>>28 一時的にせよ、中央アジアを中心にイラン、キプチャク草原な
どを包括する帝国が出来たことは、モンゴル帝国後の東西交流
の復活に貢献したのでは?まあ中央アジアはその後のヨーロッ
パ(特にロシア)諸国の進出で周縁化されてしまいましたけど
ね。
30 :
世界@名無史さん :01/12/05 22:27
ティムール朝関連の本でおすすめの本とかってありますか?
31 :
世界@名無史さん :01/12/05 23:40
>>22 ティムールがチンギス・ハンの末裔を称した云々ってのは与太話。
実際は
>>23 、
>>25 の指摘の通り、
チンギス・ハンの先祖の兄弟の末裔でチンギス・ハンの家臣筋と自称した。
>>30 やっぱり今も講談社現代新書の間野英二『中央アジア史』が第一かな?
ちょっと古いのが気にかかるが。
32 :
サーヒブ・キラーン :01/12/06 00:06
>>31 『中央アジア史』は名著ですね。
今でも十分入門書としての価値ありです。
>>30 他にも同朋舎の『アジアの歴史と文化』の8、9巻、
山川出版社の『中央ユーラシア史』
それと今年出た間野英二先生の『バーブル・ナーマの研究』第四巻
などがティムール朝史についておすすめです。
33 :
サーヒブ・キラーン :01/12/06 00:15
洋書では V.V.BartholdのFour Studies on the History of Central Asia H. R. Roemerの著作 初期ティムール朝では B.F.ManzのThe Rise and Rule of Tamerlane がおすすめです。
34 :
世界@名無史さん :01/12/06 00:44
もしティムール朝と明朝が全面戦争していたら どっちが勝っていたのだろうか?
35 :
世界@名無史さん :01/12/06 00:53
>>33 おぉ、バルトリド…本格的ですな。
>>34 過去スレでも2〜3回は議論されてるけど、いつも結論はつかないね。
36 :
世界@名無史さん :01/12/06 02:18
サーヒブ・キラーン陛下はティムール朝史にお詳しそうですね。 加藤和秀の『ティムール朝成立史の研究』はどうですか? 専門書になってしまいますが・・・
37 :
サーヒブ・キラーン :01/12/06 14:11
>>36 いえいえ、とんでもないですよ。私はまだ学生ですからそんなに詳しいという訳でも
ありません。まあティムール朝は専門分野の一つではありますが、まだまだ知らない
事も多いし、知識にも偏りがあります。
加藤和秀先生の『ティムール朝成立史の研究』ですが、一度読んだ事がありますよ。
あの本は一般書と言うよりは加藤先生の論文集といった方がよいですかねえ。いろん
な史学系の雑誌に掲載された加藤先生の論文を集めてきたというか。でも読む価値は
大いにありですね。本の価格が一万円近くしたのは学生の私にとって少し大きな出費
でした。(笑)
38 :
世界@名無史さん :01/12/06 14:17
39 :
サーヒブ・キラーン :01/12/06 14:24
いえまだ学部生です。でも一応大学院進学は考えています。
40 :
世界史大好き! :01/12/06 16:29
はじめまして。 僕は現役の高校生です。 ティムール朝は最近学校で習いました。 ティムール朝ってとてもマイナーな気がするんですけど、 このスレの人たちってティムール朝に詳しそうな人多そうですね。 サーヒブ・キラーンさんは学生だそうですが、 他の人はどのような関係の人なんですか? これからちょくちょく質問とかさせて頂きたいのですが 構わないでしょうか? 歴史ド素人でも構わないですか?
41 :
世界@名無史さん :01/12/06 22:40
42 :
【^▽^】ビザンティン太郎ジョーカー :01/12/06 22:52
頑張れティムール! オスマン王朝を滅ぼせ!
>>39 中央アジア史で進学志望ですか。
大変そうだけど、頑張ってください。
やっぱりチャガタイ語とかペルシア語とか勉強してますか?
44 :
世界@名無史さん :01/12/06 23:47
>>41 オスマン朝の膨張が早くなったというよりも、
ティムールが1402年のアンカラの戦いでオスマン朝の英主
バヤジッドT世を破り、オスマン朝の拡大を抑えたという
方が正しいのでは?
よくこの戦いのおかげでビザンツ帝国が50年延命したというだろ。
45 :
世界@名無史さん :01/12/07 00:00
ティムール朝研究の穴場はアラビア語史料の研究だと思う。 勿論、ペルシャ語史料が一番の基本史料だけど。
46 :
世界@名無史さん :01/12/07 00:03
>>41 、
>>44 世界史における意義っていうよりは
ヨーロッパ史における意義って感じだね。
47 :
世界@名無史さん :01/12/07 00:24
誰か40に構ってやりなよ。
48 :
世界@名無史さん :01/12/07 00:46
zafar nama 持ってるんだけどもまだ読んだ事ない・・・ 暇になったら趣味がてらに読もうかしら。 だれか専門の方、この本は読むの難しいですか? シャーミーのかヤズディーのか、ちと忘れてしまったけど・・・
49 :
世界@名無史さん :01/12/07 01:04
シャーミーのZafar namaの方が素朴なペルシャ語で書かれているよ。 間野先生がおっしゃるにはヤズディーのZafar namaは技巧的である 程度のレベルに到達していないと難しいとのことだよ。
50 :
世界@名無史さん :01/12/07 01:30
>>49 どうもありがとうです。
そうですか
技巧的というとワッサーフ史みたく何やらわからん
ようなものなのかな?
51 :
世界@名無史さん :01/12/07 12:50
ティムール朝って何ですか?
52 :
サーヒブ・キラーン :01/12/07 16:12
>>40 世界史大好き!さん、はじめまして。
最近ティムール朝を学ばれたそうですか。確かにティムール朝を始めとして、
シャイバーニー朝、サファヴィー朝、ムガル朝などはイスラーム史を専攻する
者にとっては有名過ぎるぐらいですが、高校生の皆さんには少し馴染みがない
かもしれませんね。私もティムール朝に関心を持ったのは高校生のころでした
ね。質問はもちろん大歓迎ですよ。わたしもまだまだ未熟者ですからご期待に
添えるかどうかはわかりませんが。
>>43 ええ、もちろん勉強してますよ。まだ勉強を始めて日が浅いものですから自由
自在に扱える段階ではありませんが。同じ学生さんだそうですね。専門はどち
らでしょうか?やはりイスラーム史専攻ですよね?
53 :
サーヒブ・キラーン :01/12/07 16:24
>>44 アンカラの戦いはティムール朝の膨張を一時的に止めたことは事実です。
ただ、ムラトT世、バヤズィードT世の時代に早急に拡大したオスマン朝
が後の失地回復の半世紀を経て支配組織を固め、バルカン、アナトリアに
またがる帝国中核地域を生み出し、このことが更なる帝国拡大への出発点
となったともいえるのではないでしょうか?
54 :
世界史大好き! :01/12/08 21:26
現在『中央アジアの歴史』を読んでティムール朝の勉強中です。 質問なんですが、 ティムール朝の時代区分というか、 歴史の流れの捉え方というのは どのようにみればよいのでしょうか? あとティムールの大遠征ってすごいですね。 ティムールのライバルってどのような人物がいたのでしょうか?
55 :
世界@名無史さん :01/12/08 22:37
>>44 あなたの言う通りです。間違えました。
ティムールが居なかった場合のことです。
56 :
サーヒブ・キラーン :01/12/09 01:33
世界史大好き!さん。『中央アジアの歴史』を読まれてますか。この本を読んで 少しでも中央アジア史への理解を深めていただければ幸いです。 ティムール朝の基本的な流れですが、私が考えているのは「分裂と統一の繰り返し」 です。ティムール朝はトルコ・モンゴル的分封制・君主位継承制(一族の最も有力 な者を君主とする。)に立脚しているため、常に地方領主たる皇子達の独立・反乱 の危機にあり、また現君主の没後は一族間で君主位継承抗争の状態が生じました。 そして一族間の抗争に勝利した卓越した才能を持つ新たな君主が混乱した帝国を再 統一するのです。しかし初代ティムールほど優れた君主は現れず次第に領土は縮小 していきます。このことを簡単にまとめると以下のようになります。 ティムールによる大帝国の樹立 →ティムール没後の君主位継承抗争 →シャー・ルフによる再統一、息子ウルグ・ベグへの君主位継承 →ウルグ・ベグ暗殺後の君主位継承抗争 →アブー・サイードによる再統一 →アブー・サイード暗殺後の君主位継承抗争 →帝国はマー・ワラー・アンナフルのサマルカンド政権とホラーサーンの ヘラート政権(スルタン・フサイン)に分裂 →ウズベク族のシャイバーニー朝により双方とも滅亡 もちろん帝国の存続期間全てを通して常に分裂へのベクトルが作用し続けました。 流れは大体このような感じです。
>>54 ティムールのライバルというと、
キプチャク・ハーンのトクタミシュと
オスマン朝のバヤズィト1世かな。
どちらもティムールに敗れていますけど。
58 :
サーヒブ・キラーン :01/12/09 01:51
ティムールのライバルについては代表的な人物だけでもその数はかなり多い ですよ。例えば・・・ マー・ワラー・アンナフル統一期: トゥグルク・ティムール・ハーン(モーグリスターン、東チャガタイ・ハン国) アミール・フサイン(チャガタイ・ウルス、西チャガタイ・ハン国) など 大遠征期: マリク・ギヤース・ウッデイーン(カルト朝) バグラト(グルジア王) ザイヌル・アービデイーン、シャー・マンスール(ムザファル朝) トクタミシュ・ハーン(ジョチ・ウルス、キプチャク・ハン国) スルタン・アフマド(ジャライル朝) カラ・ユースフ(黒羊朝) スルタン・マフムード(トゥグルク朝) スルタン・バルクーク、スルタン・ファラジ(ブルジー・マムルーク朝) バヤズィードT世(オスマン朝) など まあこんなところでしょうか。
訂正 58 誤 ムザファル朝→正 ムザッファル朝 彼は明遠征も考えていたから洪武帝や永楽帝もライバル視 してたかもしれませんね。
61 :
世界史大好き! :01/12/09 11:08
サーヒブ・キラーンさん、57さん。 質問に答えて頂きありがとうございます。 また質問をするかもしれませんが、 そのときもよろしくお願いします。
62 :
People talk :01/12/09 16:54
北部同盟って何?
63 :
世界@名無史さん :01/12/09 18:25
64 :
世界史大好き! :01/12/09 21:41
『中央アジアの歴史』読破しました。 学校の世界史の授業では学べないことが たくさん書かれてあってよかったです。 次はサーヒブ・キラーンさんのおすすめの 本を読んでみようかな。
65 :
イスラム史マニア :01/12/09 22:00
祝『イスラーム史総合スレ』立ち上げ! このスレも栄えん事を。
66 :
世界@名無史さん :01/12/09 22:26
>>34 ティムール朝は明朝に朝貢していた
よって明の勝ち
>>66 > ティムール朝は明朝に朝貢していた
> よって明の勝ち
明の勝ち?(プププ
「朝貢」の実態ってしってる?
中華王朝の側は莫大な「回賜」をやるんだよ。
近隣諸国のショボい土地の物産をもっていって「冊封儀礼」を一式こなすだけで、
莫大な価値のある中国商品をおみやげにくれるんだ。
中華王朝が自身を「君」と記し、「朝貢国」を「臣」と表記していたのは、中華王朝の主観内のはなし。
明に対するモンゴルとか、東トルキスタンの側の記録には、上記の関係を、明王朝の側が貢ぎ物を差し出して和を乞うたと記してあるんだよ。
↑恥ずかしいヤツ(プププ
>世界史大好き!さん 講談社現代新書の次に読むのならば 同朋舎の間野英二(編)『アジアの歴史と文化』8巻(中央アジア史)か 山川出版社の小松久男(編)『中央ユーラシア史』がいいでしょうね。 どちらも最近に出版された中央アジア史の概説書です。
70 :
サーヒブ・キラーン :01/12/09 23:55
>>61 、
>>64 世界史大好きさん!どういたしまして。お役に立てて何よりです。
『中央アジア』の歴史を読み終えられましたか。中央アジア史に興味を
持たれるのは結構ですが、学校の勉強もお忘れなく。(笑)
いつでも気兼ねなく質問して下さいね。
>>60 、
>>62 現代アフガン史についてはアフメド・ラシッド氏の『タリバン』あたり
を読めばある程度のことがわかるのでは?まあホットな話題ですし、い
ろんなところに情報があると思います。
>>65 知らない間に『イスラーム史総合スレ』に出来たみたいですね。うれし
いかぎりです。私も参加してみましょうかね。
>>66 まあ戯れにおっしゃっているんでしょうね。ティムール朝が明朝に朝貢
していたのは事実ですが、朝貢あるいは宗主権を認めることが必ずしも
完全な服従を意味するのではありません。ティムールの場合、明朝を打
倒して、東方世界におけるモンゴル帝国の再興を目指してはいましたが、
如何せん彼は西方世界で起こる様々な戦いに忙殺されてなかなかその余
裕がありませんでした。私が思うにティムールは東方からの明による侵
入の危険を回避するためにあくまで政治的手段として朝貢を行なったの
でしょう。このことは建国後まもなく、依然混乱期にあった明にとって
も有利なことだったかもしれませんね。
71 :
サンチョエス :01/12/10 14:48
マー・ワラー・アンナフル統一期: トゥグルク・ティムール・ハーン(モーグリスターン、東チャガタイ・ハン国) アミール・フサイン(チャガタイ・ウルス、西チャガタイ・ハン国) など 大遠征期: マリク・ギヤース・ウッデイーン(カルト朝) バグラト(グルジア王) ザイヌル・アービデイーン、シャー・マンスール(ムザファル朝) トクタミシュ・ハーン(ジョチ・ウルス、キプチャク・ハン国) スルタン・アフマド(ジャライル朝) カラ・ユースフ(黒羊朝) スルタン・マフムード(トゥグルク朝) スルタン・バルクーク、スルタン・ファラジ(ブルジー・マムルーク朝) バヤズィードT世(オスマン朝) って何者?
世界史大好き! 氏へ、サーヒブ・キラーン 氏と話し方が同じなのはなぜ?
73 :
シャー・ルフ :01/12/10 16:15
>>70 >ティムール朝が明朝に朝貢していたのは事実ですが
どういうこと?ワシが明に送った修好使節の事かね?
なら、ワシも云うぞ、
「明はティムール朝に朝貢してた」(藁
もう一つ、わが父は明を認めておらなんだぞ、使者は来たが
首切っちゃたし。
>>71 それぞれティムールと戦った国の君主だと思うが。
>>72 え、同じか?
75 :
世界@名無史さん :01/12/10 23:07
>>73 すいません
あなたの父が、明の朝貢を要求する使節が来た時に
「オレが持って行く」
と言ったそうなのですがどうでしょう?
76 :
サーヒブ・キラーン :01/12/11 01:05
>>73 私が「ティムール朝が明朝に朝貢したのは事実です。」と述べたのは
加藤和秀「草原の英雄,ティムール」牟田口義郎編『世界の戦争3 イスラムの戦争』
講談社、1985.
の中の記述に基づいてのことです。
ご指摘の通り、ティムールは明を認めてはいませんよ。
しかし、マー・ワラー・アンナフルを統一して間もないティムールにとって
最優先すべき課題は配下の勢力の統制であり、また当時混乱期にあった西方世界への
進出ではなかったでしょうか?屈辱的なこととはいえ、あえて朝貢国の立場をとった
ティムールの政治的判断は現実的であったといえるのではないでしょうか?
もちろんティムールは、数々の戦いを経て大帝国を築いた後は朝貢国の立場を脱しよ
うと明遠征に乗り出した訳ですがね。
まあ『事実』という言葉を用いたのはいささか先走ったような気もしますね。
そのことについては反省しなければなりません。
67、68、71、72、73は荒らし 逝ってよし!
78 :
サンチョエス :01/12/11 10:40
加藤和秀「草原の英雄,ティムール」牟田口義郎編『世界の戦争3 イスラムの戦争』 講談社、1985.をサーヒブ・キラーン 氏は持っているのか?持っているのなら、 是非ともお借りしたい。呼んでみたい気がする。
79 :
世界@名無史さん :01/12/11 13:11
>>48 、
>>49 Zafar namaの日本語訳か英語訳ってありますかねえ。
どなたか教えてくれませんか?
読みたいんだけどペルシャ語わからないもので・・・。
ヤズディー、シャーミーどちらでもいいです。
>>77 :このスレを愛する者
>67、68、71、72、73は荒らし
>逝ってよし!
「このスレ」を愛するのではなく、「ティムール朝について」というこのスレのテーマ
を愛し、研鑚を積み重ねろ。
その上でオレ様の
>>67 を読め。
最新の学術研究の成果に基づいた正確な記述であることがわかるぞよ。
81 :
世界@名無史さん :01/12/11 15:51
80の人はどういった関係の人なのかな? 自分の知識に自信があるみたいだけど。 答えられる範囲でいいから教えてよ。 それとあまり過剰な反応するのもよしたほうがいいよ。 特にその言葉遣いは読んでて少し不愉快だよ。 77も煽るようなことはしてはダメだよ。
83 :
世界史大好き! :01/12/11 17:28
69さん、サーヒブ・キラーンさん。 今度は山川出版社の『中央ユーラシア史』を読んでいます。 また一つ質問ですが日本のティムール朝研究者って どのような人がいるのでしょうか? このスレを読むかぎりでは 間野英二氏と加藤和秀氏などがいるみたいですが…。
84 :
サーヒブ・キラーン :01/12/11 21:05
>>79 とりあえず私の知っている範囲でお答えします。
Nizam al-Din ShamiのZafar nama:
英語訳は確認しておりません。たしかフランス語、ロシア語、現代トルコ語訳のもの
があったと記憶しております。
Sharaf al-Din ‘Ali YazdiのZafar nama:
フランス語訳から英語訳への重訳版があります。
J.Darby,The History of Timur-Bec,2vols. London,1723.
まとまった日本語訳はないように思うのですが。
>>83 世界史大好きさん。とりあえず挙げてみましょうか。
安藤志郎、加藤和秀、川口琢司、川本正知、久保一之、堀川徹、間野英二(敬称略)
といった諸先生方でしょうか。確認すればもっといらっしゃると思います。
モンゴル帝国やムガル朝を含めるとかなりの数の方がおられますよ。
誰が、ティムール朝と名付けたんだ?まさか、当時の人間がそう呼んでいた訳ではなかろう。
>答えられる範囲でいいから教えてよ。 「一切仏の頂点に位置する者・六種の衆生すべての保護者・蓮華宝珠・すべて の者にあらゆる教化を施す身に化身されたダルマラージャ」アルタン・ハーン 陛下に父子三代にわたってお仕えしておる、ドゼウ=ベクと申す者じゃ。
当時、日本の奴らはこの国の事をどう思っていたか、 抱えている本は無いかな?
ありがとうございます。サーヒブ・キラーンさん。 あれから検索してみたのですが、ヤズディーの英語訳は京大にしか ないみたいですねえ。私は関東の人間なので京都は遠いです…。
89 :
通りすがりのものですが・・・ :01/12/12 15:22
ティムールってチンギス家の人間ではないのにどうやって自分の 支配の正統性を主張しようとしたのでしょうか? まあ実力さえあれば関係ないんでしょうけど・・・。
90 :
世界@名無史さん :01/12/12 15:42
>>86 自分で言ってて恥ずかしくないか?
82の質問の意味理解しているか?
君は学生なのか?プロの研究者なのか?世界史好きの社会人なのか?
もし専門と言える分野があるとしたらそれは何なのか?
そういったことを82は質問しているんじゃないか?
デカイ口をたたくならそれぐらい言ってみな。
91 :
世界@名無史さん :01/12/12 15:47
>>86 恥ずかしいやつ(プププ・・・糞)
スマン言葉遣いが伝染してしまった。
他のまともなみなさん、ごめんなさい。
92 :
世界@名無史さん :01/12/12 16:13
>>89 チンギス家の娘と結婚して「婿」を自称したの。
> 君は学生なのか?プロの研究者なのか?世界史好きの社会人なのか? > もし専門と言える分野があるとしたらそれは何なのか? > そういったことを82は質問しているんじゃないか? だから、アルタン法王陛下に父子三代にわたって仕えたてまつるドゼウ・ベク だと明確に回答しておろうが。
アルタン法王陛下に
>>86 の如き尊称を奉ることのできるものといえば、
この南瞻部州でもごく限られておるぞ。
その者たちの名を列挙すれば、κ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Ν
__________/ ̄ ̄
以下、紙片が欠落し、その内容を知ることはできない。
ドセウ・ベクさんは自作自演がお好きですね。 例)67と68、80と81、93と94 HNは統一しましょうね。それにもっと穏やかにお話しましょうね。 90さん。あなたは66さんか77さんですか?喧嘩ならよそでしましょう。 ここは比較的真面目な方が多いみたいですし、煽るのはやめましょう。 サーヒブ・キラーンさん。いつもご苦労さまです。 このスレは最近少し荒れ気味ですがどうかめげずに頑張ってください。
96 :
世界@名無史さん :01/12/13 01:04
>>89 ソユルガトミシュやスルタン・マフムードなどの
チンギス家の傀儡ハーンを立てた。
97 :
世界@名無史さん :01/12/13 02:02
今夜はサーヒブ・キラーンさんは来られなかったようだね。 残念だ。
98 :
世界@名無史さん :01/12/13 02:22
>>89 >>92 >>96 まとめると
自身はあくまでチンギス家の婿の立場をとる
つまりハーンにはならない(彼はアミール・ティムール・キュレゲンと言った)
傀儡としてチンギス裔の人間をかつぐ(ちなみにソユルガトミシュはウゲデイの
後裔でチャガタイ・アミールたちにとってはそんなに意味がない)
おまけ「サーヒブ・キラーン」は「幸運なる二星の交合の持ち主」
の意味でティムールの称号として有名
ジサクジエンは
>>93 と
>>94 は正解、
>>77 、
>>82 ,
>>90 、
>>91 、
>>95 を追加。
>>68 と
>>81 はちがいますよ。
(
>>97 )
> 明に対するモンゴルとか、東トルキスタンの側の記録には、上記の関係を、
> 明王朝の側が貢ぎ物を差し出して和を乞うたと記してあるんだよ。
「上記の関係」とは、明との朝貢関係のことですが、この↑記述が「概ね正確
(
>>81 )」であり「恥ずかしい(
>>68 )」と思う人の方が無知であることを立証
する「原典史料の記述」を用意中です。「東トルキスタン側の記録」について
は本職らしき方がいるので、そちらからご呈示があるかもしれませんが。
お前らいいかげんにせい! 人格攻撃・プライバシー調査・「歴史上の人物になったつもり」のクソ芝居。 全部アラシやがな。 ただひたすら「ティムール朝について」語れや。 >どぜう なにやらウンチクを披露したげやけど、「ティムール朝」とちょっとでも 引っかかりがないなら、アラシやぞ。
>89 >ティムールってチンギス家の人間ではないのにどうやって自分の >支配の正統性を主張しようとしたのでしょうか? モンゴル本国では、非チンギス裔のエセンがティムール同様、ハーンの婿を名 乗ってましたが、エセンの場合はハン号を冒したとたん秒殺され(1453-55)、 チンギス裔とハン号の権威は後代までまもられましたが、マーワラーアンナフ ル以南(特にアフガン以南)ではティムール朝の時代に急速にチンギス裔の権 威は失われ、ハーン号もちっぽけな小豪族宛に乱発される、ちょっとした名誉 号にまで落ちぶれてしまいました。 アフガンやパキ、インドのムスリムの中にはカーンさんがぞろぞろいます。
ドセウ・ベクさん。一応言っておきますが、 あなたの指摘の通り、82と95は同一人物、すなわち私「傍観者」です。 ですが、70、90、91は私ではありませんよ。 まあ言葉遣いも改められようと努力されているみたいですね。 私もこれからは「傍観者」として書き込ませていただきます。 ここらで休戦協定といきますか。 我々は他の方にずいぶん迷惑をかけたようです。 これからはお互いティムール朝について熱く語りましょうよ。 しかし、99にみられるようなあなたの執念というか、 この掲示板に対する熱心さには感心させられるものもあります。 できればあなたが本当はどんな人物か知りたかったなあ。 ではこれからも宜しくお願いしますよ。
103 :
サーヒブ・キラーン :01/12/14 01:38
みなさん。昨日はどうもすみませんでした。大学の集中講義の準備に忙しくて、
ここに来る事が出来ませんでした。おわびいたします。
>>88 おっしゃる通り、ヤズディーのZafar namaの英語訳は京大にあります。しかし、
これは先日私が確認したのですが、この本は禁複写となっており閲覧しか認めら
れていません。私もそのことについては正直困っております。まさか先生方から
お借りするのも気がひけますしねえ。今現在入手すべく奔走中です。まあフラン
ス語訳はあるのですが…。88さんは関東にお住まいのようですね。それでしたら
東大か東洋文庫あたりをあたってみてはいかがでしょうか?あそこならきっと見
つかるかと思うのですがいかがでしょう?
>>89 通りすがりのものですが…さん。ティムールがいかに自分の支配の正統性を主張
しようとしたかについてですか。私の考えを簡単にまとめると以下のようになり
ます。(まだまだ未熟者ですのでたいしたことは言えませんが…。)
ティムールが自身の支配の正統性を示すべき対象は大きくは
@トルコ・モンゴル系の遊牧民勢力
Aトルコ・イラン系ムスリムを中心とする定住民勢力(都市、農村はまとめる。)
に分類される。(もちろんマー・ワラー・アンナフルは多様な社会ですからこのように
分類するのにはいささか抵抗があります。ここではこの地域以外はあえて除きます。)
遊牧民勢力に対してはみなさんのご指摘通りに
名目的なハーン(ソユルガトミシュやスルタン・マフムード 但しオゴデイ系)を
立て、自身はハーン位につかず、自身あるいは一族の者たちとチンギス家(チャガ
タイ系、ジョチ系、オゴデイ系など)との婚姻関係を強めたり、或いは伝統的慣習法
たるヤサを遵守し、彼らの利益を擁護したりするなどモンゴルの伝統を守る事に努めた。
定住民勢力に対しては
彼らの政治的、経済的、文化的重要性を熟知しその保護・繁栄に努める。また宗教的には
イスラームの擁護者としての立場をとる。
都市においては大バザールの建設や都市間を結ぶ通商網の拡充に努め、商業の振興を図り
また宮殿やモスクやイスラーム学院などの建築活動を積極的かつ大規模に展開し、地方に
おいては運河の構築や灌漑設備の整備などを行なった。
サマルカンドやキシュなどの中央アジアの大都市には帝国内から富や高名な学者や職人、
芸術家などといった人材を集め、また熱心に学芸を保護する事で中央アジアの文化の飛躍
的な発展の基礎を築いた。
イスラームについてはウラマーやサイイドや神秘主義者を厚遇し、またワクフ寄進などの
慈善活動を積極的に行い、ムスリム達の支持を獲得した。このような例としてティムール
自身のサイイド・バラカへの帰依、テルメズのハーンザーデ家の保護が挙げられる。
これらに加えてティムールの大遠征も自身の正統性の主張(というより支配基盤の強化で
しょうか?)に重要な意味を持つのですが、それは今度の機会にお話したいと思います。
下手な説明で申し訳ありません。明日も忙しいので来られるかどうかはわかりませんが
ご容赦ください。
ティムール朝は朝鮮人が作った。
105 :
世界@名無史さん :01/12/14 21:36
>>104 根拠もないのに書き込むな。馬鹿丸出し!
107 :
世界@名無史さん :01/12/14 21:46
ティムール朝といえばチャガタイ語も連想されるけど バーブル・ナーマの他に手ごろな勉強用の本ってないかな? 例えば日本語訳や英語訳がついているやつとかね。 あとチャガタイ語の辞書でおすすめのものとかってありますか?
108 :
世界@名無史さん :01/12/15 00:16
チャガタイ語に辞書はないんじゃ・・・? 京大の人に尋ねてみたらいいでしょう
109 :
世界@名無史さん :01/12/15 23:16
>>107 > ティムール朝といえばチャガタイ語も連想されるけど
> バーブル・ナーマの他に手ごろな勉強用の本ってないかな?
アクバル・ナーマ。
英訳が二種あり。
111 :
世界@名無史さん :01/12/16 18:23
サーヒブ・キラーン=「幸運なる二星の交合の持ち主」とあるが この二星とはティムール家とチンギス家を指すのか?
112 :
世界@名無史さん :01/12/16 23:38
>>112 「サーヒブ・キラーン」の称号はティムールに限るものではない。
あの称号は占星術の中でも特に上位のものをさすのであって、
ティムール家とチンギス家の交わりを指すものではない。
>>107 >>110 の続き。
アクバルナーマには、ウルドゥー語版もあるから、
チャガタイ語と一緒に勉強したら一石二鳥だよ。
115 :
世界@名無史さん :01/12/17 00:05
ティムールって戦の天才だったらしいけど、どういう戦術 が得意なんでしょう。モンゴルと同じなのだろうか。 あと、アンカラの戦いって合戦的にはどういう戦いだった のですか?かなり一方的な戦いだったようですが。 トルコを滅亡の一歩手前まで追い込んだと聞き ますが、そのまま滅ぼさなかったのは何故でしょう。
116 :
世界@名無史さん :01/12/18 00:14
サーヒブ・キラーン陛下よ。早く戻って来ておくれ。
117 :
世界@名無史さん :01/12/18 12:08
>>111 チンギス家と預言者(ムハンマド)の家系を指しているのではという
意見がある。
118 :
世界@名無史さん :01/12/18 12:17
アフガニスタンの最盛期か?
119 :
世界@名無史さん :01/12/18 13:05
ティムールってアフガン領有してたの?
120 :
世界@名無史さん :01/12/18 13:23
121 :
世界@名無史さん :01/12/18 22:25
ヘラート政権
122 :
世界@名無史さん :01/12/19 15:28
ティムールはアミール・フサインを破ってチャガタイ・ウルスの支配権を 確立しましたが、私が思うにまだまだ有力な勢力が残存しており、ティム ールの支配はまだまだ磐石なものではなかったのではないでしょうか?テ ィムールはこのあたりをどうやって解決していったのでしょう?
みなさんお久しぶりです。最近研究が忙しくてここに来る時間がありませんでした。
>>122 ティムールは1370年にアミール・フサインを破りとりあえずチャガタイ・ウルスの
第一の有力者となりましたが、他にもまだまだ有力な諸部族が残存しており、まだ
まだティムールの権力基盤は磐石なものではありませんでした。当時のチャガタイ
・ウルス内における遊牧諸部族は個々にウルス内外の諸部族と密接な関係を有して
おり、反乱等の行動を起こすときはまとまって行動するのが常でした。よってティ
ムールにとって敵対勢力に対するあからさまな抑圧策、攻撃は下手をすれば彼らの
集団的反乱を招く自滅行為につながる恐れがあったのです。ここでティムールがと
ったやり方には例えば以下のようなものがあります。
@有力勢力に対しては懐柔策を旨としたが、やむを得ずこれを攻撃する場合には、
彼らの結束を崩すように様々な策を講じ、また制圧し、リーダーを捕らえた場合に
はしばしばこれを赦免するなど寛容な君主の立場をとった。
A度重なる反乱を起こす者に対し、処刑せざるをえない場合にも自分の手を汚すの
ではなく、敵対勢力の下にこれを引渡し彼らが処刑するのにまかせ、遊牧諸勢力の
自分に対する非難を回避した。
Bマー・ワラー・アンナフル統一直後には、モーグリスターン、ホラズム、ホラー
サーン等の近隣の諸地域に遠征して打撃を与え、ウルス内の諸勢力が外の勢力と結
びつくのを防ごうとした。
もちろん部族連合体であるチャガタイ・ウルスを統治するのに以上のようなことだ
けでは十分なはずがありません。ティムールの大遠征は中央アジアにおける自己の
権力を確かなものにするために必要なものであったのです。
ティムールの大遠征について その大義名分は「イスラームの伝播」と「モンゴル帝国の復興」とよくいわれるが その実はマー・ワラー・アンナフルにおいて確立した自分の支配権とその正統性を より強固にするために行なわれたと考えられます。 @遊牧勢力に対して: 征服活動によって得られた土地や戦利品を彼らに分配して懐柔するとともに、彼らに 遠征従軍義務を課したり、配置換えを盛んに行なったりして彼らを封領から切り離し、 勢力削減を試みた。 また征服した土地の多くにはトルコ・モンゴル的分封制に基づき一族の者達や自分の 股肱の家臣達を分封し、自己に比較的忠実な新興エリート階層を創出した。(もちろん 彼らの反乱に対する策も同時に講じた。) 定住民勢力に対して: 帝国の拡大は商人達の活動範囲を広げ、通商を活発させた。 また征服地から富や人材をマー・ワラー・アンナフルに集中させたことは、征服に よる同地域の他のイスラーム世界(特にイラン地域)に対する政治的優越と共に、 同地域の住民達の精神的・文化的独立の契機を与え、またティムールや彼の後継者 達の熱心な学芸保護は、新しい主要文化としてのトルコ・イスラーム文化の発展に 大きく貢献することにもなった。(つまりそれまで抑圧されていた中央アジアの定 住民勢力が帝国において新たな支配階層となったわけです。) B両勢力に対して: またティムールは大遠征を通してモンゴル帝国の旧領を回復する事で自らがチンギス ・ハーンの正統な後継者であることを皆にアピールした。集団をまとめ、皆を危険から 遠ざけ、常に戦いに勝ち、皆に等しく利益を分配するティムールの姿は配下の諸勢力 に自身の実力を十分に思い知らせるものであった。 説明になってないかもしれませんが、以上が私のティムールの大遠征に対する基本的 認識であります。
125 :
世界@名無史さん :01/12/19 23:05
サーヒブ・キラーン陛下。久しぶり!
126 :
世界@名無史さん :01/12/20 23:30
カルト朝について教えて下さい。
127 :
世界@名無史さん :01/12/21 11:57
サーヒブ・キラーン陛下、ムザッファル朝についても教えて下さい。
128 :
世界@名無史さん :01/12/21 19:13
ティムール朝といえばナクシュバンディー教団が挙げられますが、 その成立過程について簡単に教えていただけないでしょうか?
お久しぶりです。みなさん。 僕たち高校生は明日から冬休みに入ります。 しばらく見ないうちに130レスいきましたか。 サーヒブ・キラーンさんを始めここの掲示板の人は 博識の方が多いです。 冬休み中は時間もあるのでまた書き込ませてもらいます。 みなさんよろしくお願いします。
130 :
世界史大好き! :01/12/22 00:01
失礼。129は世界史大好き!です。
131 :
世界@名無史さん :01/12/23 23:41
良スレ。最近誰も書き込んでいないのであげ。
132 :
世界@名無史さん :01/12/24 01:07
アブー・サイードの流れを組むサマルカンド政権があっけなく 滅びた原因は何なのでしょう? ホージャ・アフラールの下統治も安定し一見順調に見えたのですが・・・。
133 :
世界@名無史さん :01/12/24 01:14
ティムールがあと二十年生きてたとして(無理は承知) どこまで進出できただろうか?
134 :
世界@名無史さん :01/12/24 10:17
>>126 ,127
両方ともイル・ハン国滅亡後にイランに出来た地方政権じゃないの?
詳しい事はサーヒブ・キラーン殿が教えてくれるだろうが・・・
135 :
世界@名無史さん :01/12/24 23:55
史上最強ティムール帝国!
136 :
サーヒブ・キラーンの腹心 :01/12/27 00:33
良スレ。サーヒブ・キラーン殿が来られなくてもワシが守る。
>>133 ティムールがあと二十年生きていたら確実に明や東欧に進出していただろうな。
でもティムールにはイランを除いて征服地を政治的に支配する気はなかった
みたいだから、恐らくインドやアナトリアでやったような略奪中心の遠征に
なっていただろうね。
137 :
サーヒブ・キラーンの腹心 :01/12/29 14:30
ティムールが台頭により、旧来のチャガタイ・アミール勢力に代わる 新たな新興勢力が台頭するようになったわけだが、このことについて 語ってみないかね?
138 :
世界@名無史さん :01/12/31 00:57
ティムールが病死した遠征って、目的は明朝なんですか? それとも北元ですか? かれが税を貢いでた先も明ではなく北元であるという 説を読んだのですが……?
139 :
世界@名無史さん :01/12/31 13:11
興味深いのであげとく。
>>138 そういえばこないだ読んだ概説書でも
明ではなく北元って書いてあったよーな。
141 :
サーヒブ・キラーンの腹心 :02/01/01 12:51
サーヒブ・キラーン陛下は何処へ・・・ ティムールの遠征の目的はモンゴル帝国の再興だから明、北元 両方が標的だっただろうね。 倒せる可能性が高かったのは北元の方かな。
142 :
世界@名無史さん :02/01/01 18:28
岡田英弘の『モンゴル帝国の興亡』(ちくま新書)だと、 ティムールが朝貢してた先(資料中の「キタイ」)は明 ではなく北元であるって明記してあるよね。でもこの新書 は岡田氏の過去の概説の再録だから、最新の研究ではどうなってるの? くわしいひとお願いします。
143 :
世界@名無史さん :02/01/01 19:00
最新の研究というかティムール朝研究者の間では明が通説のようですが。
144 :
世界@名無史さん :02/01/01 20:10
142
>>143 てことは、「キタイ」=北元というのは
岡田氏の珍説なのですか?
145 :
世界@名無史さん :02/01/01 20:43
岡田氏は最近めちゃくちゃなことをいいすぎ このまえのサピオの記事なんかはあまりにひどい モンゴル研究してるんじゃなくて信仰してるよ
146 :
世界@名無史さん :02/01/01 20:58
岡田氏はぎょうさん概説書書いてるけど、 実証論文が少ないの。本人にすれば、 「いちい細かい実証なんてやってられるか」って ことなんだろうけど、新説をいきなり説明無く 概説書とかに書くので困る。
147 :
世界@名無史さん :02/01/01 21:05
ティムールの痛いは祟りをおそれていまだに封印されてるとか。 ほんとですか。 あるとすればすごいと思いますが。
148 :
世界@名無史さん :02/01/01 21:13
多分、喫茶室あたりに安置してあると思われ。
149 :
世界@名無史さん :02/01/01 21:27
>>144 他にティムール朝関係の本を読んだかい?
君の意見は岡田氏の本の記述だけによるものじゃないだろうね。
150 :
世界@名無史さん :02/01/01 21:36
ティムールの遺体ってサマルカンドのグーリ・アミール廟にあるんだよね。 彼の帰依したサイイド・バラカと一緒に眠っている。
151 :
世界@名無史さん :02/01/01 21:46
そういえばどせうさんは何処へ? 以前に自分の意見が正しい事を証明すると おっしゃっていましたが・・・。 どうなったのでしょうか。
152 :
世界@名無史さん :02/01/01 22:47
144です。
>>149 山川の『中央ユーラシア』(2000年)では明朝って
書いてありましたね。すいません、あとは読んでません。
よろしければご教授ください。
153 :
世界@名無史さん :02/01/01 22:51
>>152 たしかサーヒブ・キラーンさん達が
ティムール朝関係の本について語っていましたね。
それを参考にしてはどうですか?
それにしてもサーヒブ・キラーンさんやどせうさんなど
有名なコテハンがいなくなったのは寂しいなあ。
154 :
世界@名無史さん :02/01/02 13:23
ティムールっていつ足に怪我をしたの?
155 :
世界@名無史さん :02/01/02 22:37
>>147 >>148 >>150 たしか1941年に旧ソ連の調査団が発掘調査してますよ。そのとき文献通り足が悪かった事が判明したんじゃなかったっけな(記憶モード)。
おまけに、なんでも言い伝えか何かではティムールの墓を発けば祟りが起こるとかいってて、案の定その後すぐにドイツがソ連に侵攻して、やっぱり祟ったと言ったとか言わなかったとか。
でも当時はソ連の一部とはいえ地元のタジク共和国の人たちはけっこうドイツを歓迎してたりして。ロシア人にはひどい目にあってたでしょうからね。
156 :
世界@名無史さん :02/01/03 17:49
びっこのティムール。
157 :
世界@名無史さん :02/01/04 16:59
>>136 幾ら何でも東欧とまではイカンでしょ。
せいぜい、リトアニアからウクライナを切り放して間接統治する程度では?
あと、クリミア潰し。
158 :
世界@名無史さん :02/01/04 19:15
>>157 クリミアはティムール当時トクタミシュの支配下。
だから、そこまでは潰してる。
159 :
世界@名無史さん :02/01/05 00:37
宿敵明朝スレが出来ておる。
160 :
世界@名無史さん :02/01/05 00:42
明朝(あきとも)という名の友人がいた。 お爺さんが書道の先生だった。 いや、それだけ。
161 :
世界@名無史さん :02/01/05 00:54
>>154 ティムールが右足に生涯の傷を負ったのは
モーグリスターンのトゥグルク・ティムール・ハーンが
チャガタイ・ウルスの統一を成し遂げた直後の1365年頃
彼に対してティムールとアミール・フサインが共闘し、
シースターン攻撃したその帰途であったと思う。
間違ってたらスマン。
162 :
世界@名無史さん :02/01/05 01:09
誰かティムールの腹心にどんな人物がいたか教えて下さい。
163 :
名無しさん :02/01/05 02:14
164 :
世界@名無史さん :02/01/06 01:29
>>162 イブン・アラブシャーのリストには15人の有名な腹心がいたらしいね。
詳細はまた今度お伝えいたします。
165 :
世界@名無史さん :02/01/08 13:30
ティムール朝上げ!
166 :
世界@名無史さん :02/01/09 00:47
>>164 全員は知らないが例えば
Cheku Barlas、Aqtemurとかは有名だね。
167 :
世界@名無史さん :02/01/09 01:18
>>115 の「アンカラの戦い」に関する質問は、少し興味があるので、誰か教えてください。
168 :
世界@名無史さん :02/01/09 01:28
169 :
世界@名無史さん :02/01/09 06:22
170 :
世界@名無史さん :02/01/09 19:44
ティムール第2の腹心チャク・バルラスについて教えて下さい。
171 :
世界@名無史さん :02/01/09 19:51
クンドゥズチャ(?)野の戦いはどのような経過で行なわれたの でしょうか?誰かお答えください。
172 :
世界@名無史さん :02/01/10 01:22
ティムール朝はなぜ100年ちょっとで滅んだのだ? 1400年当時は世界最強の国家だったんだろ?
173 :
世界@名無史さん :02/01/10 15:11
>>172 トルコ・モンゴル的分封制と君主位継承法による内部分裂。
分裂したのはその下地があったから。
>ティムール朝はなぜ100年ちょっとで滅んだのだ? ティムール帝国は短命だったが、「ティムール朝」自体は長命。 傍系皇族がインドで新国家を樹立したりしてるし。
176 :
世界@名無史さん :02/01/10 23:13
ティムール朝とムガル朝は分けて考えるべきだろ? それだとモンゴル帝国やヨーロッパ諸国がめちゃくちゃ長命になることになる。
177 :
世界@名無史さん :02/01/10 23:13
>>175 モンゴルもそうだよね。
帝国は短命でもチンギス・ハンの男系子孫はずっと王侯として続いてる。
178 :
世界@名無史さん :02/01/11 00:25
1400年当時にティムール朝に匹敵する国家といったら 明とオスマン朝ぐらいか?ヨーロッパ諸国はまだ弱小だろ?
179 :
世界@名無史さん :02/01/11 08:51
ムガル朝のムガルってモンゴルの訛音なんですか?
180 :
世界@名無史さん :02/01/11 11:00
>>179 「モンゴル」のペルシア語読みである「モグール」が訛った
と聞いたけど。
181 :
世界@名無史さん :02/01/11 11:30
ティムール帝がもうちょい長生きして明の永楽帝と本気で戦争したら どっちが勝ったと思う?あの時代の明朝もかなり好戦的で強いよね。
182 :
世界@名無史さん :02/01/11 16:50
>>181 どっちもそこそこで切り上げるに100カノッサ。
183 :
世界@名無史さん :02/01/11 21:51
やっぱり1400年当時ティムールの軍隊が世界最強なのだろうか?
184 :
世界@名無史さん :02/01/12 14:50
ティムール朝最強!
>>181 トルキスタンから中国本土に侵攻した例って考えてみれば
ほとんど(全然?)ないから,どういう展開になるか想像つかないな。
186 :
世界@名無史さん :02/01/12 17:27
北元と連携をとるのならばうまく攻略できる可能性はあるけど、 そこまでして明を攻略したいと思うかどうか。
187 :
世界@名無史さん :02/01/12 23:46
もしティムールがいなかったら歴史はどうなっていたのだろうか?
188 :
世界@名無史さん :02/01/15 12:42
ティムール没後の後継争いについて詳しく教えてくれませんか?
189 :
世界@名無史さん :02/01/15 13:37
ティムールは地上における神の影である。
190 :
世界@名無史さん :02/01/15 21:38
age
191 :
世界@名無史さん :02/01/15 22:13
ティムールは唐と戦争をしていましたが、どこまで行く気だったのですか? まさか、中央アジアを越えて中原まで行く気だったとか?
唐じゃなくて明でした。
唐じゃなくて明でした。
194 :
世界@名無史さん :02/01/15 22:44
ティムール軍と明軍って一度でも戦争したのかなあ? 対立はしていたみたいだけど。
195 :
世界@名無史さん :02/01/16 20:09
みんなティムール以外のティムール家の人物ってどれぐらい知ってる? 人物名を挙げてできればその人がどんな人物が説明してくれるとうれしいな。
196 :
世界@名無史さん :02/01/16 20:34
バーブル ムガル朝の初代皇帝 『バーブル・ナーマ』の作者
197 :
世界@名無史さん :02/01/17 03:40
198 :
世界@名無史さん :02/01/17 13:18
>>188 ティムールは自身の後継者に次子ジャハンギールの息子ピール・ムハンマドを指名していたが
ティムールの死後その約束は果たされず当時タシュケントにいた三男ミーラーン・シャーの
息子のハリール・スルターンがいち早くサマルカンドに入城し君主位を継承する。
しかしハリール・スルターンの軍隊の中心は忠誠心の低い外国人部隊だったので彼は彼らの
懐柔の為にサマルカンドの財貨を使い果たしてしまう。
その頃ピール・ムハンマドは本拠地カンダハルからサマルカンドへ向かう途中バルフでティムールの
四男シャー・ルフと合流、彼の支援を受けてクルシュでハリール・スルターンと戦うが敗れ逃走。
再起を期すも配下のアミールの反乱に遭い殺害される。
同じ頃ハリール・スルターンの陣営でも有力アミールの反乱が相次ぎ、中でもフダーイダードは
シャイフ・ヌールッデイーンと結んで反乱を起こし帝国北辺を占領、南部ホラーサーンのシャー・
ルフに使者を送り南北からのサマルカンド挟撃を画策。その後フダーイダードはハリール・スルターン
軍を破って彼を捕らえるが、部下の反乱に遭い殺害され、ハリール・スルターンはシャー・ルフの
下に送られた。
1409年シャー・ルフはサマルカンドに入城し君主となる。
簡単にまとめたけどこんな感じでいい?
199 :
世界@名無史さん :02/01/17 13:43
ウルグ・ベク上げ
200 :
世界@名無史さん :02/01/17 14:05
200ゲット! でもこのスレよく200レスまでいったよね。 頑張れ!
201 :
世界@名無史さん :02/01/18 12:41
>>198 かなり詳しい説明だけどどんな本を参考にしているの?
202 :
世界@名無史さん :02/01/18 22:58
北海道大学も京都大学と並んでティムール朝研究が盛んだね。 加藤和秀氏とか川口琢司氏を輩出しているし。
>>202 昔、北大ではペルシア語を用いた中央アジア研究の草分け、
本多実信が教官をしていたからね。
今の北大文学部のイスラム史担当の教官は
イランのサイイド研究が専門の方なので
モンゴル・ティムール朝史目当てで入学すると肩透かしを食らうかもしれません。
(もっとも前任者に至ってはトルコ文学史の研究者だったけれど。)
204 :
世界@名無史さん :02/01/19 01:28
ここ五年間ぐらいの間に日本のティムール朝研究者の論文って出てる? 最近久保一之氏が新しい論文を発表したけど・・・ あの人って精力家ですよね。論文に翻訳に大活躍です。
205 :
世界@名無史さん :02/01/19 13:04
>>204 久保氏ってアジアの歴史と文化8でティムール朝の通史を書いた人だろ?
たしか専門はヘラート政権だったと思うが。
206 :
世界@名無史さん :02/01/19 18:49
間野英二氏がこの3月で退官されますが みなさんご存知でしたか? 教え子だった方とかいらっしゃいますか?
207 :
世界@名無史さん :02/01/20 13:36
>>206 知らなかった。残念だなあ。
でも退官後も研究を続けるんでしょ?
研究者は生涯現役ですね。
208 :
世界@名無史さん :02/01/20 21:23
シャー・ルフ時代のティムール朝について知りたいのですが 何かよい本はありませんか? なければ論文でもいいですが。
209 :
世界@名無史さん :02/01/21 05:31
210 :
世界@名無史さん :02/01/21 12:56
誰か今現在大学でティムール朝を専門に研究している学生さんいますか? あるいは学生時代にやっていた人でもいいですけど。
211 :
世界@名無史さん :02/01/22 00:41
>>210 自分は学生時代ティムール朝を専門にしてたよ。
ちなみに大学は九州大学だけどね。
212 :
世界@名無史さん :02/01/22 05:09
中国の新疆ウイグル自治区の元書記は ティムール・ダワメットといいます(バカ
213 :
世界@名無史さん :02/01/22 15:14
でもティムールって名前の人物多いよね。
214 :
世界@名無史さん :02/01/22 15:27
そりゃ、ムハンマドって名前の人も多いからね。
215 :
世界@名無史さん :02/01/22 21:07
>>213 ティムールという名は鉄を意味するそうです。
テムジン(鉄木真)のテムか?
217 :
世界@名無史さん :02/01/26 21:03
ティムール朝age
218 :
世界@名無史さん :02/01/27 00:16
「テムル」「テミル」ってのがモンゴル語・トルコ語で鉄って意味。 モンゴル帝国史に「うんたらテムル」がよく出てくるし、 どうもメジャーな人名だったらしい。 ティムールはそのペルシア語なまり。
219 :
世界@名無史さん :02/01/28 01:01
ティムール朝って何か恐ろしくありません? ティムールの時代ならまだしも 君主が死んだり、或いは存命中でも常に一族の誰かが 反乱を起こしている。 親戚間だけでなく兄弟、親子間でも殺し合いをしている。 たしか第四代君主のウルグ・ベグって 息子のアブドゥ・ラティーフに殺害されたんですよね?
220 :
Cavabien :02/01/28 01:14
>>219 サン
ですね。アブドル・アル・ラティーフ自身も在位わずか二年で横死しています。
サイトにコンテンツがあるんで調べてるんですけど、その後を継いだアブドゥッラーの
最後がよく解らないんですよね…。
221 :
世界@名無史さん :02/01/28 14:13
>>220 どんなサイトですか?
できれば教えていただきたいのですが。
>>221 サン
スイマセン、思わせぶりな書き方しちゃいまして。
ティムール朝の部分には実はまだ歴代君主の名前が並んでるだけなんです。
もう少し立派になって、「金と太平天国とティムールならあそこだ!」と
言われるくらいになってから貼りますね。
スレと関係ないのでさげ。
>>222 完成・充実を楽しみにしますよ。
私なんてティムール朝の有名じゃない君主のことは全然知らないし…。
余計なお世話ながら一言。
'Abd al-Latifは「アブド・アッラティーフ」ないし「アブドゥッラティーフ」という片仮名表記が適当だと思います。
もっとも、あくまで正則アラビア語の読み方ですけども。
224 :
世界@名無史さん :02/01/29 07:53
ヤフーショッピングの本のカテゴリで著者検索で加藤和秀を検索してごらん。 ついにやっちまった的な誤植で爆笑!
225 :
世界@名無史さん :02/01/29 22:56
爆笑しつつも ( ´д`)ナンダカナァ…。
226 :
世界@名無史さん :02/01/29 23:03
ティムールって片足がビッコだったんだよね。 高齢になってから明朝攻めに逝ったり執念がすげーと 思った。詳しいことはよく知らんがなんとなく好き。
227 :
世界@名無史さん :02/01/29 23:05
みなさんティムール朝研究の二次資料には とても便利な王族のリストがあるのですが ご存知ですか? J.E.Woods,The Timurid Daynasty,Papers on Inner Asia,No.14,1990. ご存知でしたらすみません。出過ぎたまねをしました。 これはティムール朝のほとんど全ての王族がリスト化されたもので 大変便利なものです。 これによるとかの有名なムガル朝の創始者のバーブルの父ウマル・シャイフは ティムール朝第7代君主アブ−・サイードの24男だったことが分かります。 いくらウマル・シャイフの長男とはいえ必ずしも恵まれた立場にいたとは 言えないバーブルがティムール朝末期の実力者になることが出来たなんて・・・ まあそれが実力本位のティムール朝の性格なんでしょうけどね。(笑)
228 :
世界@名無史さん :02/01/29 23:34
>>224 みなさんでお茶でもしましょうかってな感じですな。
血なまぐさいティムール朝のイメージが吹っ飛びそうな・・・
それにしても爆笑しちゃいました。
229 :
世界@名無史さん :02/01/29 23:50
>>226 そうそう。びっこなのをよくライバル達にからかわれたんだよね。
ティムールに批判的な当時の歴史家イブン・アラブシャーは
このことをけなしていたみたい。
ティムール直前の明遠征の際には老体にしみわたる寒さを紛らすために
酒が手放せなかったとか。
それにしてもティムール朝の君主達って酒が好きだよね。
シャー・ルフみたいな厳格なムスリムもいたけどみんな基本的に酒好き。
『バーブル・ナーマ』にはバーブルが
よく仲間と宴会を開いた場面が記されているしね。
230 :
世界@名無史さん :02/01/30 13:45
>>229 でもバーブルはシャイバーン朝との対決や
インド進出などの重要な局面では酒を断って自分を戒めたんだよね。
まあこっそり飲んでいたという話もあるんだけど・・・
231 :
世界@名無史さん :02/01/30 13:55
逆らう家臣を殺してしまう凶暴な主君から「こっそり酒を醸造しろ」とか「秘密宴会で一杯飲め」といわれたとき、しょうがなく命令に従ったとして、宗教的には「罪」に当たるんでしょうか。 ブタを食べるのよりは軽そうですが。
232 :
世界@名無史さん :02/01/30 21:46
ティムールで大河ドラマつくったら面白そうだな。 ティムールの生涯を描いた海外の映画とかドラマってないのかな? ウズベキスタンならありそうな気がするんだけど。
233 :
世界@名無史さん :02/01/30 21:48
チムールのウズベキスタン綴り誰か教えて。 GOOGLE検索だけ、任せて
>>223 サン
遅レスですいません。
読み方のご指摘ありがとうございます。早速直しておきました。
スレ主題と直接関係ないのでさげです。
235 :
世界@名無史さん :02/02/01 10:26
ティムール朝のイラン史における意義って何だと思いますか?
236 :
世界@名無史さん :02/02/01 13:26
237 :
世界@名無史さん :02/02/02 00:13
238 :
世界@名無史さん :02/02/03 14:24
ティムール朝と海の関係について論じた本とか論文って今まで出た事あるのかな。 ペルシア湾世界って言葉がよく使われるんだけど。 ティムール朝ってペルシア湾沿岸部まで進出していたんでしょ?
239 :
世界@名無史さん :02/02/05 21:16
>>198 ハリール・スルターンのその後はどうなったの?
シャー・ルフに処刑されたの?
他のティムール朝の君主の最期も知りたいな。
240 :
世界@名無史さん :02/02/05 21:49
>>239 シャー・ルフに助命され、レイで余生を過ごした。
241 :
世界@名無史さん :02/02/06 14:31
ティムール朝の民族系統はモンゴル系でいいのか? 本によってはトルコ系とも言われているが。
242 :
世界@名無史さん :02/02/06 14:33
血統的にはモンゴル貴族の末裔、言語はトルコ系。 じゃないの?
243 :
世界@名無史さん :02/02/08 01:28
age
244 :
世界@名無史さん :02/02/08 16:33
安藤志朗博士がご存命であったならば日本のイスラム研究は 飛躍的な進歩を遂げていたであろうに・・・。 亡くなられてもう六年になるのか・・・。
245 :
世界@名無史さん :02/02/09 16:09
あげ
246 :
世界@名無史さん :02/02/09 18:12
age
247 :
世界@名無史さん :02/02/12 02:30
1400年頃の世界最強はティムール帝国だな。
248 :
世界@名無史さん :02/02/12 04:13
杉山正明さんも似たような事を書かれてましたな。 曰く、 「15世紀のユーラシアではティムール朝のみが唯一輝きをはなっていた」 だったかな?
「15世紀、暗黒のユーラシアでは…」だったかな?
250 :
世界@名無史さん :02/02/12 15:11
世界最強といえるのはティムールの時代だけだと思う。 シャー・ルフの時代には帝国西方領土はトルコマン勢力に奪われていたしね。 ある程度の帝国再統一が実現したシャー・ルフ、アブー・サイードの時代だって 同時代のオスマン朝や明朝、他にもアブル・ハイル・ハーンのウズベク族や カラ・コユンル、アク・コユンルと比較しても絶対的に優っているとは言い切れない。
251 :
世界@名無史さん :02/02/13 00:19
ティムール帝国ってかなり広い領土を持っていたけど ティムールの時代の統治はどのようになされていたんだ? ティムールは一族や有力家臣を各地に分封したが 誰がどの地方を統治していたんだ? シャー・ルフがホラーサーンを統治していたのは有名な話だが。
252 :
世界@名無史さん :02/02/13 19:52
黒羊朝、白羊朝の歴史っていまいちよくわからないんだけど 誰かいい参考文献知りませんか? よければ簡単にまとめてくれればありがたいです。
253 :
世界@名無史さん :02/02/15 13:17
>>252 昔読んだ新潮選書の『三日月の世紀』という本が概説ながら
白羊朝について書いてたという記憶があります。
でも絶版になってるかもしれません。
イスラム史についてちょっとした概説を読みたいときは
Encyclopeda of Islamにあたるのが一番だと思いますが…
大学ならともかく、普通の図書館には置いてないかな?
254 :
世界@名無史さん :02/02/18 00:51
age
255 :
世界@名無史さん :02/02/20 01:23
シャー・ルフ家はアブー・サイードの権力奪取後どうなったのか知りたい。 それとジャハーンギール家はピール・ムハンマドの死後どうなったの? アブー・サイードやサマルカンド政権はミーラーン・シャー系 ヘラート政権はウマル・シャイフ系だったよね。
256 :
世界@名無史さん :02/02/21 01:14
モーグリスターン・ハーン(東チャガタイ・ハン)国史についての 良書求む!
257 :
世界@名無史さん :02/02/21 16:58
>>255 シャー・ルフ家はヤードガール・ムハンマドが白羊朝のウズン・ハサンの
支援によりアブー・サイードを殺害。ホラーサーンに侵攻し、一時はヘラートを
占領するが、ヘラート政権のスルタン・フサインに敗れ死亡。以後この家系は
歴史の表舞台に現れず。
ジャハーンギール家はピール・ムハンマドの死後は急速に弱体化。その後は
まったくと言っていいほど政局にかかわらず。
たしかこれが一般的な見解だと思うが・・・
258 :
世界@名無史さん :02/02/23 00:27
結局ティムールは単なる破壊者ということでいいですか?
259 :
世界@名無史さん :02/02/23 16:16
>>259 イランなど中央アジア以外の地域にとっては破壊者だったかもな。
260 :
世界@名無史さん :02/02/23 23:50
ティムール軍とバヤジッド1世軍がまともに戦ったらどっちが 勝っていたと思う? 実際の戦いでは無駄な行軍による兵の疲労やトルコマン諸侯の反乱など いろいろとオスマン軍に不利な条件が重なっていたみたいだけど。 ティムール軍の騎兵隊や象兵、オスマン軍のイェニチェリ部隊やセルビア騎兵部隊など 両者の兵力は当時の世界ではまさに世界最強だったと思います。(明もあるけど)
261 :
世界@名無史さん :02/02/24 17:35
262 :
世界@名無史さん :02/02/25 10:17
263 :
世界@名無史さん :02/02/26 12:34
age
264 :
通りすがり :02/02/28 00:27
ティムール朝でここまでレスが付くとは・・・新記録か? この王朝ってかなりマイナーなはずだろ?
マイナーとは思わないけど、 オスマン朝の倍のレスがついてるのはすごいね。
266 :
世界@名無史さん :02/02/28 01:17
>>265 オスマン朝は関連スレがいろいろあるからね。
267 :
世界@名無史さん :02/02/28 14:14
ティムール朝君主の称号って、なんかこれと定まったものがないような・・・ キュレゲン?アミール?スルタン?
268 :
世界@名無史さん :02/02/28 16:27
>>267 ちなみにティムールの称号は
アミール・ティムール・キュレゲン、或いはアミール・サーヒブ・キラーン
でしたね。
キュレゲンは『チンギス家の婿』の意味ですが必ずしも資格のある君主全員
が自称したわけではないようです。(例:シャー・ルフ)
アミールについては、この王朝では特に遊牧貴族を指すようです。
よってティムール朝君主と他のアミール達とを区別するために『大アミール』
といった称号が使われたりする事もあったみたいですが、ティムール朝の
中央宮廷及び各皇子達の小宮廷で一番の権力を有していたアミール達の事を
『アミール・アル・ウマラー(=アミールの中のアミール=大アミール)』
と言う事もあり、必ずしも絶対とは言えません。
スルタンはこの王朝では単なる一君主の意味でしか用いられず、中央の統一君主
を指す言葉ではありません。
またティムール家の君主は絶対に『ハーン』を自称する事はありませんでした。
何だかんだと言いましたが結局のところ私にもよくわかりません。
お力になれなくて申し訳ないです。
269 :
世界@名無史さん :02/02/28 19:09
>>268 いやいや、十分参考になりました。
うーむ、やはり他と隔絶した君号は持たなかったのかなあ。
不思議な王朝だ。
270 :
世界@名無史さん :02/03/02 17:00
>>251 帝国北西部:ミーラーン・シャーとその息子達が支配
ハリール・スルターン(アルメニアやグルジアなど)
アブー・バクル(イラクやクルディスタンディヤルバクルなど)
ウマル(アゼルバイジャンなど)
帝国南西部:ウマルシャイフの息子達が支配
ピール・ムハンマド(ファールスなど)
ルスタム(イスファハーンなど)
イスカンダル(ハマダーン、ニハーヴァンドなど)
帝国南東部:ジャハーンギールの息子ピール・ムハンマドが支配
ピール・ムハンマド(カンダハール、カーブルなど)
帝国北東部:シャー・ルフとその息子達が支配
シャー・ルフ(ホラーサーン、シースターン、マザーンダラーンなど)
ウルグ・ベグ(タシュケントなど)
イブラーヒーム・スルターン(アンディージャーン、カーシュガルなど)
この帝国分割は1403年にティムールの後継者ムハンマド・スルターンが死去した
後になされたものだが、その直後のティムールの死後は各皇子達による内訌が起
こることとなった。
272 :
世界@名無史さん :02/03/04 16:14
お前らティムール朝っていつ知ったんだ?
273 :
世界@名無史さん :02/03/04 16:56
>>272 NHKスペシャルの「大モンゴル」。当時小学生か中学生だった。
たぶん、ふつうは高校の世界史では?
274 :
世界@名無史さん :02/03/04 17:09
>>272 普通に高校の世界史で学んだよ。
でも高校進学以前からモンゴル史には興味があったから
どこかで無意識のうちに読んでいたかも。
275 :
世界@名無史さん :02/03/04 17:16
学研のマンガ世界の歴史。中学までに小学館のマンガ日本の歴史と あわせて読んだな。今考えると、基礎知識が付いてよかった。
277 :
世界@名無史さん :02/03/04 23:55
>>276 ソ連が崩壊したかしないかのころだから、10年くらい前だね。
>>277 それじゃあ僕が小学校にあがるぐらいの頃かな。
それってどんな内容なの?
ビデオとか出ていますか?
279 :
世界@名無史さん :02/03/05 00:06
数カ国の国際共同製作で全6回くらいに分けて チンギス・ハーンの生い立ちからクリミア・タタール問題まで ユーラシア中のロケ映像を絡めて扱った番組でした。 監修は岡田英弘だったか、杉山正明だったか…。 ビデオも本も出てるけどもう入手できないんじゃないかな。 手に入るなら私も欲しい。 カラコルムや大都のCG映像(当時としては新鮮だった)は感動したなー。
>>279 ありがとうです。
自分でいろいろと探してみます。
281 :
世界@名無史さん :02/03/06 01:35
チムールは極悪人だろうが。
282 :
世界@名無史さん :02/03/07 13:58
ティムール朝ってある君主が指名した後継者と実際に君主になった人物が 異なる事が多くありませんか? 実力主義の傾向が大ですね。
283 :
世界@名無史さん :02/03/07 18:12
284 :
世界@名無史さん :02/03/08 15:29
>>282-283 後継者争いに敗れた王子は焼串で目を潰されちゃうんだよね。(; ´Д`)ヒドスギル
285 :
世界@名無史さん :02/03/08 16:15
イスラム圏では盲目者は王位継承権を持たないと見なされるんだよね? 後継者争いに敗れると即処刑、邪魔者は子供であろうと容赦せずの オスマン朝とどっちが酷いだろう…。
286 :
世界@名無史さん :02/03/11 23:59
age
287 :
世界@名無史さん :02/03/20 16:33
草原の覇王ティムール!
288 :
世界@名無史さん :02/03/26 13:11
age
289 :
世界@名無史さん :02/04/05 07:59
クリストファー・マーロウ戯曲『タムバレイン大王』ってどうなんですか。
290 :
世界@名無史さん :02/04/16 11:05
チムール帝国の国王の名を全て挙げて下さい。
291 :
世界@名無史さん :02/04/26 15:05
西方よりいづる狼
292 :
世界@名無史さん :02/04/26 15:24
>>285 イスラム教国ではないけど、ササン朝ペルシアもそうでしたよ。
293 :
Cavabien :02/05/07 00:48
294 :
世界@名無史さん :02/05/07 22:12
大モンゴル・・・確かはじめの場面がモンゴルの、ヨーロッパ風の名前が刻まれた倒れた墓石だったよな。 実家でビデオにとっておいてあるからまた見てみるか。 でもこういういいのMXに流したいけど、どうしたらいいん?
295 :
世界@名無史さん :02/05/13 22:15
上げ
297 :
世界@名無史さん :02/05/14 18:41
イスラム関係のスレ少ないので あげます
298 :
世界@名無史さん :02/05/14 21:52
>>293 帝系以外のコンテンツはいつ発表されるのですか?
299 :
世界@名無史さん :02/05/18 22:44
ティムール没後の内訌をシャー・ルフが制し、最終的に政権を獲得できた最大の 要因とは何ですか? 内乱期には他にも有力者がたくさんいたんでしょ? 2代目のハリール・スルターン、ティムールにより後継者指名を受けたピール・ムハンマド イラン西方領土総督のミーラーン・シャーとその二人の息子ウマルとアブー・バクル イラン南部のウマル・シャイフの息子達(ピール・ムハンマド、ルスタム、イスカンダル) 他にもたくさんいるみたいですが・・・。
300 :
世界@名無史さん :02/05/18 22:45
300
301 :
世界@名無史さん :02/05/29 13:27
チムール朝を語れ。
302 :
世界@名無史さん :02/06/03 22:28
ティムールが長生きして明を攻めていたらどうなったでしょうか。 興味ありますね。
303 :
世界@名無史さん :02/06/03 22:51
>302 勢いだけで攻めても駄目だったんじゃない?
304 :
【^▽^】勤皇の志士ジョーカー :02/06/03 22:53
余りに距離があるし、あの頃の明は強い。 そんなことをしようとせずに、 オスマン王朝を根絶やしにすべきだった。
305 :
【^▽^】勤皇の志士ジョーカー :02/06/03 22:56
バヤジットがティムールの捕虜になって、 オスマン王朝が半ば崩壊していた時に、 ビザンツは一体なにをしていたんだ? せっかくのチャンスじゃないか。
306 :
世界@名無史さん :02/06/03 23:00
>>304 根絶やしにしてどうすんだ?
アナトリアを支配する気なんか明らかになかったぞ。
307 :
世界史@ななし住人 :02/06/03 23:20
>305 せっかくのチャンスではあるが、その分裂状態のオスマン諸勢力を 攻撃する兵隊が・・・ 兵隊は金が掛かるし。
308 :
世界史@ななし住人 :02/06/03 23:23
>303 20万の軍隊の2年分の兵糧と、傀儡にするためのハーン(元の末裔) は用意してました。
309 :
【^▽^】勤皇の志士ジョーカー :02/06/03 23:26
私が薩長土肥軍と幕府海軍(榎本艦隊)を 率いて、ビザンツ救援に駆けつけたい。
310 :
世界@名無史さん :02/06/03 23:29
>>309 駆けつけるんなら第4回十字軍の時のほうがいいと思われ
311 :
【^▽^】勤皇の志士ジョーカー :02/06/03 23:32
>310 あとは無敵艦隊。
312 :
世界史@ななし住人 :02/06/03 23:44
>309・310 笑っちゃいけないかも知れんが 激しくワラタ
313 :
世界@名無史さん :02/06/04 02:55
>302・303・308 ティムールが死亡したのは1405年で、その時は明は永楽帝の時代でした。 二人とも戦上手と思われますが、ティムールが遠征の準備を万全に整えていたこと、また、永楽帝は1402年に靖難の変で皇帝になったばかりであったことを考えると、ティムールが勝ったのではないかと思われますが、いかがでしょうか?
>>313 でも、内乱直後とはいえ、非漢族に対してなら力を結集できる状態だよ。
315 :
世界@名無史さん :02/06/04 22:29
ティムールが勝ったと思われる理由 ?@ティムールと永楽帝の個人の資質 ティムール≧永楽帝 であろう。 ?A兵(および将兵)の資質と兵器 ティムール軍>>明(永楽帝)軍 朱元璋の時代に胡惟庸の獄 、第二次胡惟庸の獄、藍玉の獄 などを行い、建国以来の功臣を多数粛正した。ちょうどソビエトでスターリンが大粛正を行い、トハチェフスキー将軍をはじめとした優秀な将校が多数いなくなったことにより、 ソビエト軍が弱体化したのと同じと考えられる。 朱元璋の後を継いだ建文帝が強大な藩王らの勢力削減策を強行したことも軍が弱体化した一因であろう。燕王(後の永楽帝)が建文帝の軍を撃破し、靖難の変が成功できたのも建文帝の軍の弱体化によるものが大きいと考えられる。 ティムール軍は弓術を持つ遊牧民の騎兵隊を中心に、定住民を歩兵や火器の使用兵として編成、各隊に先兵隊を配置し、本営の前に左軍・中軍・右軍の3隊、そして戦いに応じて前衛や後衛隊を置いたといわれている。 ティムールがこの軍を率いた遠征では成功をおさめた事実は特記すべきものである。 これらの点からティムール軍有利と推測される。 明軍が籠城した場合には明軍の火器は発達していたので、有利であったかもしれないが、ティムール軍は投射兵、橋を懸け、城を囲みこれを落とすための工兵、山岳戦用の兵もそろえてあったので、 この点を考慮にいれると明軍の優位性はわずかなものとなるであろう。 平地戦では前述のように圧倒的にティムール軍が有利であろう。 ?B周囲の状況 明に追われた元が北元を建国しましたが、モンゴルあたりではまだ勢力があったようです。ですから、ティムールが明に侵攻した場合にはこれに呼応して侵攻したかもしれません。明は腹背に敵をかかえています。 ティムール帝国の周囲は安定していると思われますので、ティムールは明との戦いには全力を投入できます。 ティムール帝国<明(永楽帝) ?C戦場 明国内なのは明らか。ティムールが遠征して来るのを永楽帝が迎え撃つわけですから、永楽帝がやや有利? ?D戦争の準備、兵站 ティムールは準備万端で20万の軍勢と2年間分の食料が用意出来ていた。永楽帝はティムールが遠征して来るのを前もって分かっていたと思うので、 迎撃する準備をしたとしても、即位後間もないことからティムールよりも準備不足になると思われる。 兵站は距離の部分でティムールが不利であるから ティムール帝国≧明(永楽帝)か? ?Eティムールの弱点 寿命ですね。 ?F永楽帝の弱点 靖難の変で建文帝から帝位を奪ったことでしょう。 建文帝は自殺したといわれているが、僧の姿に変装して宮殿を脱出し南方へ逃げのびたという説もあり、雲南方面に逃れた建文帝を捜すため鄭和が大艦隊での遠征を命じられたという説もある。 建文帝が生きているという情報を流したかもしれませんね。 あと、靖難の変から3年しか経っていないことも不利な点でしょう。 以上、総合すると両者が激突すればティムールが勝つでしょう。 しかし、ティムールが明を支配することは寿命(遠征時にはすでに69歳)や、長期間ティムール帝国本土を留守することは不可能であることから無理でしょうね。
316 :
世界@名無史さん :02/06/04 22:39
ティムールによるイスラム政権が中華帝国に樹立されていたら、 歴史は大きく変わっただろうなー 聖戦と称して、元寇以上の衝撃が日本を襲っていただろう。 天皇はじめ既成勢力は皆殺しか。
317 :
世界@名無史さん :02/06/04 22:40
朝鮮やベトナムなどはどう反応しますか?
318 :
世界@名無史さん :02/06/04 22:44
足利義満が当時全盛期だった。 ちょうど日本国王を名乗った時期であり、ティムール朝侵攻の報は 国内の求心力を高めるのに外敵の存在は必要不可欠。 上皇に即位し、日本国皇帝として世界にデビューする。
319 :
【^▽^】勤皇の志士ジョーカー :02/06/04 22:47
>318 オモロイ。でも有りうる話し。
320 :
世界@名無史さん :02/06/05 00:17
当時のティムール朝の周囲の状況はそれ程楽観視できるものではないかもしれませんね。 確かにそれ以前の遠征によってジョチウルスやオスマン朝、マムルーク朝など 周囲の大勢力を弱体化させることに成功はしましたが 多くの場合は自らの宗主権を認めさせるだけにとどまり、 被支配民族の自治を認めた間接統治領も数多く存在しました。 (まあティムール朝と対等に争えるほどではなかったでしょうが) 彼等の忠誠心は低く、隙あらば独立、反撃する可能性も大いにあったことでしょう。 更にティムール朝内部では彼の子孫達の間で熾烈な後継者争いがありました。 この遠征の前にはティムールが自らの後継者に選定し、また血統や能力においても 最大の後継者候補であったムハンマド・スルターンが死んでいます。 (彼の後継者選定の際にはそれを不服としてティムールの3男でペルシア総督であった アミーラーン・シャーが反乱を起こし、それが七年戦役の契機となりました。) この後、ティムールはムハンマド・スルターンの弟であるピール・ムハンマドを 後継者に定めましたが、他のアミール・ザーデ達の反発は兄の時以上に大きかったようです。 遠征に従軍したハリール・スルターンやアミール・フサインの他、帝国内にとどまった ホラーサーン総督のシャー・ルフ、西イランのアミーラーン・シャーとその息子のウマルとアブー・バクル、 中央イランのピール・ムハンマド、ルスタム、イスカンダルのウマル・シャイフの3人の息子達は いずれもピール・ムハンマド b.ジャハーンギールに匹敵するだけの有力後継候補であり、 遠征が長引いたならばティムールに対して反乱し、独立する可能性は高かったと思います。 私は明遠征が実現し、ある程度の成功を収めたとしても必ずや帝国内の反乱のために 途中で引き上げざるを得なくなったと思いますよ。
321 :
世界@名無史さん :02/06/05 01:10
明帝国がそして瓦解し、群雄割拠状態となった中原の惨状を明貿易 に携わった宗氏、大内氏から入手した足利義満は中原の統一に立った。 時に1405年の事である。 永楽帝はすでになく(歴史は変わり、恭帝としごうされた) 唐、天竺何するものぞ! 壬申倭乱の幕開けであった!
朕は上皇である。 京は醍醐寺、三宝院にて、国事に携わっておる。 大内義弘、足利持氏、醍醐寺の座主の満斎らに下知をすませたばかりじゃ。 先代上皇(後小松)も帝も(称光)廃位して戮したばかりじゃ。
323 :
世界@名無史さん :02/06/08 17:38
ティムール朝対明以外のネタはないのか?
324 :
世界@名無史さん :02/06/21 10:34
age
325 :
世界@名無史さん :02/07/02 17:18
ティムール朝とティムール帝国の違いは?
326 :
世界@名無史さん :02/07/04 20:18
ティムールあげ
>322 義満が法皇になったら金閣で国務を執ると思われ。 スレ違いつっこみスマソ。 黄金の皇帝とか言ってマルコ=ポーロに続き今度は直接コロンブスの好奇心に火をつける。
328 :
世界@名無史さん :02/07/16 22:22
age
329 :
世界@名無史さん :02/07/22 21:32
ティムール朝は支配領域が広い割には(むしろだからなのか) ジュチ王家やモグーリスターン汗国に比べてけっこう安定を欠いた王朝だったと思うのですが。 320氏の話からすると これも結局はティムール自身がキュレゲンに過ぎなかった事と何か関係あるんでしょうか?
>>329 ティムール朝のどの時代を指しておっしゃっているのかわからないので
ティムール時代について少しお話します。
ティムール個人の時代に限っていえばいくら実力重視の時代とはいえ
チンギス家の人間ではないティムールが自己の支配を正当化するには
チンギス家の権威が必要であったと思います。
ティムールがチンギス家出身の傀儡ハーンを擁立したり、
チンギス家の女性を娶りキュレゲンを称したのも支配力強化のためです。
しかしこれらの権威もティムール治世の末期頃よりその重要性は弱まっていきます。
それは上記の事柄の他数々の遠征の勝利やティムールを頂点とする新たな支配機構の構築、
その他ティム-ル朝期の歴史書等における系図操作などにより
ティムールや彼の一族自体の家格が高まっていきました。
またティムール家の君主はチンギス家の権威の他、イスラーム学芸の保護などにみられるように
イスラームの擁護者としての立場をとり自己の権威の源としています。
貴方がおっしゃるティムール朝の不安定性の要因ですが、
初期ティムール朝に限って申し上げるならば代表的なものに新旧二つの要因があります。
@従来のトルコ・モンゴル的伝統にのっとった分封制(地方政権の独立性大)や
君主位継承制(実力重視)などをその支配において採用したが、
その弊害を克服する新たな統治体制を確立できなかったこと。
A諸部族の解体、新興エリート層などの形成などティムー個人の時代に強力な支配体制が
築かれたが、それはティムール個人の力量による完全独裁体制というべきものであり、
彼の皇子達もその権力を大きく制限されていた。また特に帝国周縁部には
ティムールの辺境統治政策の限界からその勢力を温存させていた在地勢力が数多く残存していた。
強力な独裁君主ティムールの死後、各地で傑出した力を持たぬ皇子、ティムール股肱の家臣団
などの新興エリート層の内部でまた有力在地勢力も加えて三つ巴の争いが繰広げられる事になります。
ティムール没後の内訌期には各地で争いが起こりましたがそれらは地域的に
大きく四つに分類する事が出来ます。
各地域にはそれぞれ異なる事情があり、それは初期ティムール朝の政治史を
扱う上で重要なものです。
もしお望みであれば今度の機会にでもお話しましょう。
331 :
世界@名無史さん :02/08/04 22:11
ティムール帝国=ティムールの時代 ティムール朝=ティムール時代も含めた興隆から滅亡まで
332 :
世界@名無史さん :02/08/17 00:50
age
333 :
世界@名無史さん :02/08/17 00:56
足が悪くても馬には乗れるの?
334 :
世界@名無史さん :02/08/17 02:50
明もいいけど1390年代のキプチャクハン征服て結局成功したの? 年表によってはキプチャク征服って書いてあるんだけど。
335 :
世界@名無史さん :02/08/17 06:37
>>334 併合はしてない。
でも再統一を進めていたトクタミシュ・ハンがティムールに敗れて勢力を失ったので
結果的にキプチャク草原の分裂を促進させた。
336 :
世界@名無史さん :02/08/24 00:54
キプチャク・ハン国とかオスマン朝とかってティムール家の領土に組み込まれたの? 本の領土地図によって含まれていたり、いなかったりするんだけど。
337 :
世界@名無史さん :02/08/24 02:08
それは占領+租税してたかってことかな。 それはどうなんですか?詳しい方教えて下さい。 別に国境線がある時代じゃないから微妙だな。
338 :
世界@名無史さん :02/08/24 17:37
>>336 、
>>337 参考になるかどうかはわかりませんが私が知る事例に関してお話します。
皆さんはティムールの同時代の中近東の地方政権の首長で
アゼルバイジャン地方シルワーン州のシャイフ・イブラーヒーム・シルワーニーや
東アナトリア(特にアルメニア地方)のタハルテンや白羊朝のカラ・ウスマーン
をご存知でしょうか?
彼等は常に自領に圧力をかけてくる金帳可汗国やオスマン朝、それにマムルーク朝
に対抗するために積極的にティムールに服属する道を選びました。
彼等はティムールにより領土を安堵されましたが、当然のことながら制約もありました。
制約の代表例は以下の通りです
@フトバや貨幣などにティムール(或いは彼の傀儡ハーン)の名をいれること。
A一定の貢納義務を課された事
Bティムールが近隣地域の遠征に訪れた時に従軍する義務
C自分の領土内の各地にティムールによりチャガタイ人の軍事司令官が配置された事
またティムールは西イラン総督職に自身の息子のミーラーン・シャー、彼の失脚の
後にはその息子のウマルやアブー・バクルを任じていますが
史料にはミーラーン・シャー封土の際には
アゼルバイジャン、レイ、ダルバンデ、バークー、シルワーン諸州、ギーラーン諸州
からルーム(ここでは東アナトリアを指す)まで委ねた
とありこれは明らかに上に述べた三人の領土を内包しております。
また金帳可汗国、オスマン朝、マムルーク朝ですがこれら三大国はティムールの
七年戦役終了時までにティムールによって大きく勢力を減じられ
ティムールが明遠征の前にトランスオクシアナで開催した大クリルタイやその前後には
これらの国々から使者が送られ、各君主達がティムールの名によるフトバや貨幣、
一定の貢納を約束しておりますが、
この時には彼らに対して遠征従軍や彼等の領土に対するチャガタイ人司令官の駐屯
を義務付ける措置は行なわれていません。(明遠征で余裕がなかっただけかも)
また七年戦役終了後に西イランの領土に封ぜられたウマル・アブー・バクルについても
諸史料を見る限り彼らが委ねられた領土には上記三人の領土は含まれているものの
三大国の領土に関する記述はありません。
私としては少なくとも上記三人の領土と三大国については皆最終的にはティムール
の宗主権を認めるに至ったものの、その扱いについては明確な違いがあったと
解するべきだと考えております。
最後に一般的なティムール朝の領土区分を挙げておきますと
トランスオクシアナ:直轄地
アフガニスタンから両イラク:直接支配地
上記三人の領土や三大国その他グルジア、モーグリスターン、ヒンドゥスターン
トレビゾンドなど:間接支配地
となっております。
各書物にみられるティムール朝の最大版図はこの間接支配地をその性質ごとに
きちんと区別するか否かで異なってくるものなのです。
きちんとした説明になっていないかもしれませんがご容赦ください。
339 :
横レス御免 :02/08/24 19:44
もしティムールが明に攻め込んだとしても、せいぜい華北(それも内陸部)ぐらいしか 征圧できないんじゃないですかね? 当時、モンゴル高原ではオイラート部族が元の皇族(?)を何人も擁立して勢力を 伸ばしていたから、オイラート部族がティムールの擁立したハーンの権威を重んじたかどうか・・・ それに当時の明の首都は南京だから、秦嶺山脈と長江という天然の障害を超えない事には・・・
340 :
世界@名無史さん :02/08/25 02:55
>>338 素晴らしい。
オスマン帝国はともかく金帳可汗もマムルークも服属してたとは知りませんでした。
間接統治というのは国境の協定で区切られた近代国家の概念とはだいぶ違うから
確かに解釈でいろいろ描きようがあるわけですな。
でも貨幣の介入や納税までしてるとは。
これはかなりでかいような。植民地と一緒だ。
ティムール帝国、思ったよりでかいかも…
ティムール帝国と東チモールは何か関係があるのですか?
342 :
世界@名無史さん :02/08/25 13:32
良く「勢力圏」と領土が塗り分けられてるのはそういうことなんですね。
>>341 煽りは無視すべきとは思いますが、素人の混乱は回避
すべく書き込みました。
関係はありません。
(ティムールは)片や中央アジアにあり、交易は西にしか関心なし。
(東チモール)もう一方は太平洋の一つの島の半分。
両者共に相手への興味なし。
344 :
世界@名無史さん :02/08/25 14:40
>>341 >>343 蛇足ながら。
歴史板では慣行に従い“ティムール”と書いてますが、元々ペルシア語の諸史料では、
tymwrと書かれているので仮名でtranscriptionする場合、
“ティームール”としたほうがより精確です。
(小学館の『日本大百科全書』は“ティームール”にしています)
本来この“ティームール”とはモンゴル語の“テムル”から来ています。
大元朝の皇帝モンケ・テムルなどのテムルです。
ちなみにペルシア語ではt音とch音を表す文字とは全く別の文字があてられてますので、
往時の“チムール”の表記は“ティームール”か“ティムール”に改めるべきでしょう。
なので件の“東ティモール”とは恐らく全く無関係でしょう。
345 :
世界@名無史さん :02/08/25 15:12
ペルシア語にとっては、 テムル?ティムール?ティームール? は、外来語の固有名詞ですよね。 アラビア文字で固有名詞を表記する場合、 別に現代アラビア語に限らず、 y, w, ' ('alif) は、 必ずしも常に長母音を示すわけではなく、 前の子音に後続する短母音を示す場合も、 あるのではないでしょうか。 ですからある時代は、「t y m w r」と いう表記で、例えば「temor」と聞こえた音を 表現していた可能性もなくはないと思います。 こればかりは当時の音が分からないと なんともいえませんが。
346 :
世界@名無史さん :02/08/27 06:25
日本語なまりってことで許してやってくれい。
347 :
世界@名無史さん :02/08/27 20:18
>>344 ティムールやティムール朝を
「テムル」「テムル朝」と表記する人もいますよね。
345さんの言うように当時のチャガタイ人がどう発音してたかわからないですし、
どっちが正しいということもないんでしょうが。
348 :
世界@名無史さん :02/08/27 21:09
確かに全部厳密にやってたら小牧ユカみたいになるな。
>>345 >y, w, ' ('alif) は、
>必ずしも常に長母音を示すわけではなく、
>前の子音に後続する短母音を示す場合も、
>あるのではないでしょうか。
仰る通りです。
アラビア語に限らず、ヘブライ語もアラム語も子音字中心の文字体系なので
外来語の母音表記をどうするかで苦心惨憺と言った感じです。
しかしそもそも近世ペルシア語という物が、アラビア文字を使用していることが
さらなる問題をはらむことになります。アラビア文字でペルシア語を表現する手法を、
テュルク語などの多数の短母音で開音節や閉音節を持つ言語に適用しなければなら
なくなったのです。
基本的言ってアラビア語は短母音は3つ、ペルシア語は5つですが、
テュルク語やモンゴル語は8つもあるのです。おおよそペルシア語では他の子音字間の
y, w, 'は長母音として使うのが普通です。
テュルク語を母語とする人物にとって問題なのは、
(ペルシア・)アラビア文字の体系で、母音を明確に表記したい場合、
母音が8つもあるのに使える文字は3つしかないという事なのです!
そのため、テュルク語話者がtymwrと書いてもティームールとは読まず、
テムルtemo:r(o:はオー・ウムラウトのつもり)と読んでいたとしても何ら不思議ではありません。
しかしながら、これはネイティヴなテュルク語話者での事情でして、アラビア語・ペルシア語話者での事情ではありません。(笑 ティムール本人については存じ上げませんが、彼の子孫たちはペルシア語やアラビア語を読み書きすることが出来ました。 彼の時代、中央アジアからアナトリアの宮廷や都市の言語、国際語はペルシア語でした。 行政文書や書簡、文学はペルシア語で書かれたのです。 翻ってtymwrと書かれてたら、ペルシア語話者には “ティームール”か良くて“タイムールorテイムール”としか読めないはずです。 この綴りでテムルtemo:rと読めるのは、テュルク語に通じていた人しか出来なかったでしょう。 ペルシア語話者にとってtymwrと書かれてたら“ティームール”と読むのが無理がないのです。 テュルク語に通じた人物でも“ティームール”と言った方が楽だったことでしょう。 ティムールの時代、同時代史を含め史書もペルシア語で書かれました。 そこでもやはり彼のことをtymwrと書いています。恐らく“ティームール”と読んでいたでしょう。 でも厳密にはどうであったかは当時でない限り判りません。 もっとも、そう言う問題は『バーブル・ナーマ』を完訳された間野英二先生あたりに 伺った方が間違いがないのかもしれません。(笑 こういった難しい問題はよくよくご存じの上だろうとは思いますが。 私見をいわせてもらえば、テュルク・モンゴル語のアラビア文字表記は、 ウイグル文字表記をそのまま流用したり、少なからず影響を受けた物だったりするのでは、 と思っています。(笑 蛇足に蛇足を重ねてひどく長いカキコをしてしまい申し訳ありません。m(_ _)m
351 :
世界@名無史さん :02/08/27 23:39
このスレにはティムール朝に関して歴史学と言語学二つの分野で それぞれ詳しい人がいるみたいだな。良スレだ。
非常に有用なご議論を頂いて、せっかくですので、 つまらないもので恐縮ですが、イラン?付け足しを二つだけさせて下さい。 (1) 「ペルシア語を書記言語に使用する」 ということと、 「ペルシア語を母語としている」 というこのの区分には、言及しておいたほうが、 いいかもしれません。 要するに、昔の日本人が日本語を母語として、 使用しながら書記言語に「(似非?)中国語」を 使用していたケースと同様の事態も、 考えられるということです。 ペルシア系言語の「母語」話者なら「t y m w r」を、「tiimuur」と 発音した可能性は高くなりますが、 ウラル・アルタイ語系の言語の「母語」話者となると、 別の事情も考えられると思います。 どうもペルシア語圏でのモンゴル系の人間の 完全なペルシア人化というのは、そうそう 簡単には起こらなかったと思います。 個々の使用者の母語(母から習った言葉)によって、 同じスペルの単語でも読み方が異なる可能性も考慮にいれておいたほうが、 いいかもしれませんです。 (2) 仮に「t y m w r」で表記されていた音が、長母音を含んで いなかった場合でも「t m r」という表記法は、採用されにくかった であろう、ということです。 というのは、 普通に「t m r」 とアラビア文字で表記すると、 「tamurr」と読まれて、 アラビア語で「you (m) or she pass」という意味に取られやすい と思うんです。 当時のペルシア語文化圏でも特に宗教関係の分野では、 アラビア語の地位は高かったと思いますので。 議論の流れを積極的に変えるようなネタでは、ありませんが、 ご参考までに、ということです。
353 :
世界@名無史さん :02/08/29 17:54
黒柳せんせの『現代ペルシア語辞典』(ポケット版) をみたら (p.220) 、 tymwryan [teimuuriyaan] ティームール朝 とあった。現代語ではあるが、「テイムール」とよんでたのか? ちなみにわしゃスタインガスはもっとらん。 あと、 ペルシア語式であれ、チャガタイ語式であれ、 詩のなかに「tymwr」が登場していれば、 母音の長短くらいは、推測が可能やろうね。 チャガタイ語にも韻文資料はあるらしいので、 その辺あさってみるとおもろいかも。
354 :
世界@名無史さん :02/08/30 22:55
モンゴル語を母語にしてる連中が教養つけてペルシア語使うって、 かなり今の日本人が学校英語で苦戦してる感覚に似てるかも。 韓国語と日本語とかと違って言語系統がぜんぜん違うもんね。
355 :
世界@名無史さん :02/08/30 22:55
ティムールにしてもその後のイランの王朝にしても文化的に何も 生み出すことが無かった。 ティムール時代は、イラン>ヨーロッパ だったのだが。
357 :
世界@名無史さん :02/09/01 11:58
∩∩ ( ゚Д゚)<カポーン (o )
>>356 あの〜。中央アジアではチンギスハーンは破壊者だったが、ティムールは建設者
だったといわれていることを御存知?
359 :
世界@名無史さん :02/09/12 22:30
保全
360 :
世界@名無史さん :02/09/26 23:25
ティムールの伝記とか出版されていないのかな? チンギス・ハーンだったら日本語の出版物がけっこうあるのに。
361 :
Cavabien :02/09/27 23:21
ttp://www.carecom.net/leaf/i00-6407.htm どうもここが発行してる訳ではないようなので一応h抜きで。
『まんが物語 人物 世界の歴史』
第7巻が『マルコポーロ、ティムール、ジャンヌ・ダルク』のラインナップ。
ちょっと読んでみたいですねコレ。
あと、ぎょうせいから
>ぎょうせい学参まんが世界歴史人物なぜなぜ事典〈9〉
>ティムール・スレイマン1世・アクバル アジアの専制王朝
>出版社: ぎょうせい ; ISBN: 4324032858 ; 9 巻 (1992/12/01)
それにしても漫画ばっかりだねこりゃ
362 :
世界@名無史さん :02/09/28 13:18
まんが日本の歴史、特に小学館版はめちゃくちゃレベルが高い。 ぎょうせい版みたいに、ジャンヌダルクと同列とかじゃなくて 世界史もあのセンで充実すれば子供が読むにはいい傾向なんじゃないの。
363 :
世界@名無史さん :02/09/28 20:23
>>360 英語訳されているティムール朝の史料でしたら以下のものがありますよ。
ティムール朝末期からサファヴィー朝初期にかけて活躍した歴史家
KhwandamirのHabib Siyarです。
この英訳本には原書の扱う範囲の内、初期イル汗国からサファヴィー朝初期までの
部分が翻訳されています。
勿論ティムール本人に関する部分も約70ページにわたり収録されています。
これを読めばティムールの生涯についてかなり深く理解できるのではないでしょうか。
The reign of the Mongol and the Turk ;
pt. 1, pt. 2. -- Dept. of Near Eastern Languages and Civilizations, Harvard University, 1994.
-- (Sources of oriental languages and literatures ; 24 . Central Asian sources . .
{ Habibu's-Siyar / Khwandamir ; t. 3).
日本語のもので伝記といえるほどの詳しいものはないように思います。
ティムールの生涯についてまとめて記したものでわりと詳しめのものでしたら
加藤和秀
「草原の英雄,ティムール」
牟田口義郎編『世界の戦争3 イスラムの戦争』講談社、1985.
なんかがおすすめかと思います。
364 :
世界@名無史さん :02/09/28 23:21
363さんの紹介された本をNACSIS Webcatで検索してみたらこうなった。 普通の図書館にはないだろうな。たぶん。 The reign of the Mongol and the Turk. -- (BA25968337) [Cambridge, Mass.] : Dept. of Near Eastern Languages and Civilizatio ns, Harvard University, 1994 v. ; 28 cm. -- (Sources of oriental languages and literatures ; 24 . Central Asian sources ; 1 . { Habibu's-Siyar / Khwandamir ; transla ted and edited by W.M. Thackston } ; t. 3) -- pt. 1;pt. 2 注記: Includes indexes ; Pt. 1. Genghis Khan-Amir Temur -- pt. 2. Sh ahrukh Mirza-Shah Ismail ISBN: (pt. 1) ; (pt. 2) 別タイトル: Habibu's-siyer ; Mogol ve Turk hakimiyeti ; Orta Asya ka ynaklari 著者標目: Khuwand, Ghiyath al-Din ibn Humam al-Din, d. 1535? ; Thack ston, W. M. (Wheeler McIntosh), 1944- -------------------------------------------------------------------------------- 所蔵図書館 4 京大文 西南ア史 ; pt. 1 G1||266||1-1 95009350 ; pt. 2 G1||266||1-2 950 09351 九大 文 ; pt. 1 イスラム 文明学||H||221 068052195028504 ; pt. 2 イスラ ム 文明学||H||221 068052195028516 東大文 東史 ; pt. 1 3号館G:12:168:1 4815931227 ; pt. 2 3号館G:12:168:2 4815931235 北大文 図書 ; pt. 1 0570829514 ; pt. 2 0570829525
そんなことよりティムールの映画はないのか? オペラとかはあるみたいだな。
> 加藤和秀 >「草原の英雄,ティムール」 >牟田口義郎編『世界の戦争3 イスラムの戦争』講談社、1985. そっか、これがあったか!不覚…。
367 :
世界@名無史さん :02/09/29 03:57
>>363 ホーンダミールの『ハビーブ・ッスィヤル』の英訳があったか!すっかり忘れてた。
でも原文読むのとどっちが楽だろ? いまだにミールホーンドと間違えるなぁ(笑
>>366 加藤和秀
『ティームール朝成立史の研究』北海道大学図書刊行会 1999
なんてのもございます。もう秘本の類ですけどね(笑
368 :
Cavabien :02/09/29 16:13
>>367 サン
>加藤和秀
>『ティームール朝成立史の研究』北海道大学図書刊行会 1999
論文集みたいなやつですよね、持ってますよコレ(笑。
この加藤和秀サンって人が日本の第一人者なのかな。
369 :
世界@名無史さん :02/09/29 18:45
日本ティムール朝研究の中心は京大と北大ですね。 現在のティムール朝研究者の双璧はやはり間野英二先生と加藤和秀先生でしょう。 (といっても御二方はティムール朝の領域では括れない程の多様な分野の研究で ご活躍されていますが) 私が知る日本のティムール朝研究者(分野はあくまで私の私見ですが) 京大系 間野英二:ティムール朝に関するほとんど全ての領域を研究。後進に多大な影響を与えている。 世界の研究者によるMu'izz al-Ansab研究の先駆者。 特にバーブル・ナーマの世界最良の校訂本作成は最大の偉業。 堀川徹:ティムール朝末期からシャイバーン朝にかけての研究。 シャイバーン朝研究では日本の第一人者。 川本正知:中・後期ティムール朝(アブ-・サイード〜サマルカンド政権)研究者。 ナクシュバンディー教団研究で有名。 小野浩:主に黒羊朝・白羊朝研究者。 安藤志朗:初・中期ティムール朝(特にシャー・ルフ時代)の研究者。 ミールザー、アミール関係等の政治史・制度史研究はティムール朝全てを包括。 その他中央アジアにおける神秘主義研究など。 久保一之:後期ティムール朝(ヘラート政権)研究者。 特にティムール朝有力者達による学芸保護活動研究で有名。 岩武昭男:ティムール朝期の社会史研究。 ヤズドなどを始めとする諸都市におけるワクフ研究で有名。 北大系 加藤和秀:チャガタイ・ウルス、初期ティムール朝期の政治史研究で有名。 川口琢司:初期ティムール朝のアミール研究で有名。 尚安藤・岩武両先生はそれぞれこの数年の間に若くしてお亡くなりになられています。 これは世界におけるティムール朝研究、イスラーム史研究における大きな損失です。
370 :
Cavabien :02/09/29 19:01
>>369 サン
間野英二サンは講談社現代新書「中央アジアの歴史」でもティムールについて紙数を
割いていらっしゃいましたね。
時間を見つけていろいろ調べて、名前を挙げていただいた方達の論文等研究成果に
触れてみようと思います。
371 :
世界史マニア :02/09/29 20:51
ここに書いてる人はいったいどういう人なんですか? なんでこんなに詳しいんですか?
372 :
世界@名無史さん :02/09/30 07:03
チムールをウズベク民族の英雄とするのはおかしいのでは? チムール王朝(彼はなんと言う家名?)を滅ぼしたのが、 今のカザフスタン辺りから南下した「ウズベク」という集団だから。 ワーマラーアンナフル(トランスオクシアナ)のオアシス地帯の定住民は、 ロシア革命までは「ウズベク」ではなく「サルト」と呼ばれていたらしい?
373 :
世界@名無史さん :02/09/30 12:01
>>372 せいぜいチャガタイ・トルコとしての同族意識しかないわけだよね。
チャガタイつながりとサマルカンドつながりの消去法的選択なのでは?
旧ソ連の共和国では自国の領域内で生まれ活動した者は 自民族の先祖とみなして顕彰する傾向があるらしい。
375 :
世界@名無史さん :02/10/08 18:04
ティムールのカリスマ性ってどう思いますか?
376 :
世界@名無史さん :02/10/12 15:01
「白羊朝」ってすごい名前だ。 直訳なんでしょうか?
377 :
世界@名無史さん :02/10/12 16:17
>>376 アクコユンルは直訳すると「白き羊に関わるもの」とかいう意味だったと思う。
アク(aq)が白、コユン(qoyun)が羊、そしてル(-lu)が名詞を形容詞化する語尾。 黒羊朝(カラコユンル)のカラ(qara)は黒。
379 :
世界@名無史さん :02/10/18 21:15
ティムールが滅ぼした国を挙げてください。
380 :
世界@名無史さん :02/10/23 00:05
ティムール時代にイラン地域に存在した地方王朝について知りたいのですが 詳しく記したいい本とかないですかね? このスレの人は博識の方が多いようなのでどうかお願いします。
381 :
世界@名無史さん :02/10/23 02:16
詳しいと言うほどではないけど 山川の世界各国史の『西アジア史II』が イルハン国後のイランや黒羊朝・白羊朝に一通り説明のページを割いてたよ。
382 :
世界@名無史さん :02/10/23 20:30
>>380 日本語のもので詳しく記された本はほとんどありません。
(381さんが紹介されているものでも頑張っている方です。)
英語でも構わないのでしたら例えば次のようなものがあります。
Roemer,H.R.
"The Jalayrids,Muzaffarids and Sarbadārs"
"The Türkmen Dynasties"
The Cambridge History of Iran,vol.6,The Timurid and Safawid Periods,1986.
Potter,Lawrence G.,The Kart Dynasty of Herat:Religion and Politics in Medieval Iran,Columbia University,1992.
Woods,J.E.,The Aqquyunlu:Clan,Confederation,Empire,Minneapolis and Chicago,1976;Revised and Expanded Edition,Salt Lake City,1999.
Smith,John Masson,Jr.,The History of the Sarbadar Dynasty 1336-1381 A.D. and its Sources,The Hague and Paris,1970.
383 :
世界@名無史さん :02/10/23 22:07
チムールに捕まったオスマントルコのスルタンはどうなったの?
★【社告】あ!東海…、その名を蘇らせよう .
・愛国歌の1番の歌詞に登場する国民の海。東アジアの地中海であり、海岸の長さ
だけで6000キロメートルを超える大きな海「東海(トンへ)」の名を取り戻すための
作業を、朝鮮日報が始めます。 .
朝鮮日報は慶熙大学・戦争記念館と一緒に、『あ!東海…、その名を探して』
特別展を、今月30日から12月31日まで、ソウル龍山の戦争記念館で開催します。
最近、国際的な論議となっている東海の地図表記問題に対する国民的関心を
高め、海外に「東海」表記の正当性を広く知らせるために企画された展示会です。
東海がわれわれの認識とは違って、過去100年間、国際的に
「日本海(Japan Sea)」として通用されているという歪曲された現実を正すため
には、まず、国民が歴史を正しく知る必要があります。
今回の展示会は「東海」を否定し、「日本海」を固執する日本の主張が根拠の
ないことであるという事実を鮮明にする出発点となるはずです。
韓国民族の重要な生活基盤であり、全国民の愛情が盛り込まれた「東海」の
名を国際的に蘇らせるための努力の一環として設けられた『あ!東海…』展。
歴史と民族意識のある読者のみなさんの熱い声援をよろしくお願いいたします。
(一部略)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/10/23/20021023000008.html
385 :
世界@名無史さん :02/10/31 01:22
チムールは大砲や火器は使ったの?
386 :
世界@名無史さん :02/11/04 14:01
age
387 :
世界@名無史さん :02/11/10 18:01
388 :
世界@名無史さん :02/11/10 21:17
>>385 ティムールが鉄砲を手に取っているミニアチュールがあります。
ティムールはヴェネツィアやフランスやカスティリアなど
西方のキリスト教諸国との交流もあったわけですから
大砲その他の火器を使用した可能性は十分にあるでしょう。
(残念ながら史料からは確認できませんが…。)
ただ普通の鉄砲程度でしたらティムール軍の主力の騎兵達は
馬上で矢を射る技術を持っていたのですから
当時の鉄砲の性能を考慮に入れると
あまり必要なかったのではないかとも考えたりします。
389 :
世界@名無史さん :02/11/13 18:34
チムールは大虐殺しなかったの?
390 :
世界@名無史さん :02/11/13 19:12
391 :
世界@名無史さん :02/11/18 21:54
>>389 ティムールは大規模な破壊・殺戮を幾度も行なっています。
有名なところでは次のようなものがあります。
イラクのバグダード、シリアのダマスクス、ファールスのイスファハーン
ホラーサーンのヘラート、インドのローニー、ロシアのサライ
いずれも数万人から十万人規模の大虐殺です。
当時の各都市の人口を考えれば凄まじいものがあります。
特にヘラートでは斬首した敵の首を漆喰で固めて首の塔を建てたほどです。
首の塔は彼の子孫で文化的君主で有名なムガル朝初代君主のバーブルも
建てたと言われています。
ただ誤解しないで頂きたいのですが
ティムールは何の考えもなく快楽犯的に大虐殺を行なったのではありません。
ティムールは素直に自分に従う勢力には寛容な態度を示し
その安全を保障したり、文芸保護や灌漑事業などで支援したりしました。
しかし、中には頑強にティムールに抵抗する勢力もあり、
帝国の秩序維持のために言わば見せしめとして破壊と殺戮がなされたのでした。
まあ数万人も殺害したというのは現代人の私たちから見て
やり過ぎのような気もしますが…。
392 :
世界@名無史さん :02/11/18 23:11
14世紀、唯一光り輝いていたのはティムール帝国だけだった!!
393 :
世界@名無史さん :02/11/18 23:30
そして現在、唯一光り輝いている国は韓国だけ。
>>392 たしか、杉山先生もそんなことを書いておられたな。
395 :
世界@名無史さん :02/11/19 02:39
私は某大史学科を卒業、卒論を18世紀のバルカン地域のミレット について書いたものです。学生時代、ある教授が「遺骨から再現された ティムールの顔は、いい男だった」というような内容をふと雑談で 言ってたような気がするのですが、どなたか見たことあります? その教授は、オスマン朝のスルタンもばっちり残ってんだからやってみろ、 と言ってました。
>>395 中公の『世界の歴史9 大モンゴルの時代』に
ティムールとウルグ・ベクの復元した顔の写真が載ってますよ。
いい男というか、渋いオヤジって感じの顔です。
ウルグ・ベクは生き写しというくらいティムールに似ています。
>>394 レスどうもです。そんな基本的なとこに載ってるなんて...
灯台下暗しっす。
ソ連の学術調査隊がティムールの骨を掘り出したとき サマルカンド市民はまもなくソ連にティムールのたたりがあるぞと噂したが はたしてまもなくドイツがソ連と開戦したのだった、 って話があった。はて、どこで読んだんだったかな…。
400 :
世界@名無史さん :02/11/19 07:02
中央アジア最後の巨星 サマルカンド青の都の建設者
401 :
世界@名無史さん :02/11/25 22:44
ティムール博物館の入り口はわかりにくいから要注意だ。
402 :
世界@名無史さん :02/11/27 18:48
センター試験を控えている工房です。 出ないと思いますが、バーブルはティムールの子孫と言うのは 事実ですか?
403 :
世界@名無史さん :02/11/27 18:56
>>402 高校レベルの教科書に載ってるかどうかは知らんが
ちゃんとした本についてるティームール朝の系図にはちゃんとバーブルが載ってる。
ティームールから数えて5代目の子孫に当たる筈。
404 :
世界@名無史さん :02/11/28 13:23
良く考えたら5代目だと子孫ていうより親族だよな。
405 :
世界@名無史さん :02/11/28 15:59
406 :
世界@名無史さん :02/11/28 23:06
>>402 Mu'izz al-Ansābやその他の史料によりますと…。
ティムールから数えて五代目の子孫がバーブル。
ティムールから数えて五代前の先祖が
チャガタイ・ハン国のバルラース部の祖カラチャル・ノヤンです。
さらにティムールから数えて九代前の先祖が
チンギス家と共通の先祖になるトゥメネイ・ハーンになりますが
これは後世の歴史家による捏造の可能性が大きいようです。
まあバーブルはモグーリスターン・ハン国のユーヌス・ハンの娘である
母のクトゥルク・ネガール・ハーヌムを通じて
しっかりとチンギス家の血統を有しておりますけどね。
彼がティムール朝末期の混乱の中で台頭できたのは
彼の能力もありますがモグーリスターン・ハン国の支援のおかげです。
407 :
世界@名無史さん :02/11/29 13:33
>>405 人類学的な血族コードの話じゃなくて、ひまごの息子だから、
子孫とか仰々しいもんじゃなくて下手したら親戚みたいな近さかもということ。
>>407 平均寿命が短かく、子どもの数も多い場合、5代って凄い離れているよ。
日本の例だけど、徳川家康と吉宗なんて3代しか離れていないけど、
親族というとかなり疑問でしょ。
409 :
世界@名無史さん :02/11/29 13:43
>>405 でも、男系社会なら男系の直系子孫は
何世代離れていても子孫とみなされるもんでしょう。
410 :
世界@名無史さん :02/12/04 14:09
age
age
412 :
世界@名無史さん :02/12/04 15:39
ティムール王朝の一族が建てたインドのムガール王朝の 子孫の方は、現在どこにおられて、何をしておられるのでしょうか?
413 :
世界@名無史さん :02/12/11 12:47
デリーでホテル経営してます。
414 :
世界@名無史さん :02/12/17 02:23
>401 あの辺、汚い犬と子供がいてドーナッテルノ?
翻訳をしておりまして、わからないことが一つ。 「アク コユンルが、チムール王国に従属し、その後継承者を襲った」 という記述なのですが、この継承者というのは誰のことなのでしょうか。 全くの門外漢で申し訳ありませんが、どなたかご存知でしたらご教示お願いいたします。
416 :
世界@名無史さん :02/12/22 21:58
>>415 ティムール朝最後の統一君主アブ−・サイードのことだと思われ。
カラ・コユンル朝を圧倒して強国へとのし上がりつつあったアク・コユンルを討とうとして
1469年にアブ−・サイードは遠征を行うがウズン・ハサンに返り討ちにされて敗死している。
417 :
世界@名無史さん :02/12/22 22:49
恐らく
>>416 で正しいのだろうが、その原文は怪しいな(苦笑)。
一瞬、アクとカラを間違えてるのかと思った。
アクコユンルはティムール、シャールフ時代にはカラコユンルに対抗するためにティムール朝に服従していたけどね。
アブー・サイードがアクコユンルに対して進軍したのは、名目上はカラコユンルの要請に応えたためだからねぇ。
反旗を翻したのとはわけが違う。
まぁ、どちらにしろ、破れた後継者とはアブー・サイードなのだが。
一応、関係年表を書いておく。
1408 黒羊朝(カラコユンル朝)のカラ・ユースフ、ティムールの後継者シャールフの王子アバー・バクルを破ってタブリーズを占拠。
1419 カラ・ユースフ、イラン高原中央部に進出
1420 シャールフ、アゼルバイジャンに遠征。カラ・ユースフ死亡によりアゼルバイジャンを支配下に戻す。
1429 カラ・ユースフの息子イスカンダルに対して、シャールフが遠征
1434 シャールフ再度遠征。イスカンダルの兄弟ジャハーンシャーをタブリーズ知事に任命。(←これが従属と思った)
1447 シャールフ死亡
1452 ジャハーンシャー、イラン高原中央部に進出
1458 ジャハーンシャー、一時的にヘラートを占領(←これが「継承者を襲う」だと思った)
1467 ジャハーンジャー、ムーシュの戦いで白羊朝(アクコユンル朝)のウズン・ハサンに破れて死亡
1469 ウズン・ハサン、ムーシュの戦いでティムール朝のアブーサイードを破り殺害
>>416 &417さま
お答えいただいてありがとうございます。助かりました。
確かに原文ヘンですね。
反旗を翻すニュアンスで訳すのはやめておきたいと思います。
ついでにお聞きするなら、In constant tension with the Ottomans and
lesser Turkish principalities in Anatoliaの"lesser Turkish principalities"
を「弱小国、トルコ公国」とした場合歴史を専門となさっている皆様が読まれた場合、
「可」でしょうか、「不可」でしょうか。また、principalitiesが複数なので、
公国は複数あったのでしょうか。ティムールからずれていると思いますが、もし
お答えいただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。
419 :
世界@名無史さん :02/12/23 00:59
>>418 前後の文章がわからないので考えられる範囲で答えると漏れの拙い英語力では
「オスマン朝とより弱いアナトリアのトルコ系諸君候国」と訳せる。
多分ルーム・セルジューク朝解体後のアナトリアに分立した諸侯国のことだろう。
オスマン朝もその1つだったがその他カラマンやドゥルカドゥル、エルテナ、ラマダーンなど一杯あった。
しかし16世紀前半にはすべてオスマン朝によって併合された。
トルコ語では「ベイリクレリ」とか言ったが日本語に訳するときは「候国」表記が一般的かと。
てかどんな文章訳してんだ?
>>419 様
ありがとうございます。
小さな国がたくさんあったということなのですね。
また、公国ではなく、君候国と表記する。大変勉強になりました。
ありがとうございました。
ほとんど瞳はハート型になっております。
Many thanks!
いかん、、、1467年の戦いはムーガーンの戦の間違いですた。
>>418 ウズン・ハサンは迎撃側でしたが、奇襲によって倒したので、襲ったというのは当ってはいるのですがね。ただ、文脈的にはもっと長いスパンで見ていると思うので、間違いかな、と。
422 :
世界@名無史さん :02/12/23 03:38
世界史版らしいすさまじいレベルの高さだ。レスペクトあげ
423 :
世界@名無史さん :02/12/23 10:11
424 :
世界@名無史さん :02/12/24 14:03
デリーでホテルを経営しているムガール王朝の子孫の方に ついてと、セポイの乱終結後から今日にいたるムガール王家 の歴史について、出来る限り詳しくお教えください。
425 :
世界@名無史さん :02/12/24 15:02
>>425 ムガール朝というのは、ティムール家のインド帝国なんだから、いいんじゃない?
427 :
世界@名無史さん :02/12/24 16:39
ムガール王朝は、ティムールの子孫のバーブルが建てた帝国 だから、ティムールの子孫の動静を知る意味で質問したのであり、 スレはキチンとわきまえています。ムガール王朝以外のティムールの 子孫の今日の動静もあわせてお教え願いたいです。
428 :
世界@名無史さん :02/12/24 18:09
>>414 博物館のまわりに小汚いやつはいません。
ただよく目立つ入り口らしきものは入り口ではなく地下みたいなとこが入り口。
429 :
世界@名無史さん :02/12/24 19:46
>>427 ふざけんな!ヴォケ!
ムガールについて詳しくなんて言ったら、本1冊分必要だろうが!。お前は見ず知らずの人にそこまでの労力を要求するのか?
しかも金も払わずに。
調子にのるな!。質問はワンポイントにしろ!
430 :
世界@名無史さん :02/12/24 20:58
マー・ワラー・アンナフル、モーグリスターン、ホラズム、ホラーサーン… いつもゴッチャになってドコがドコやらわからなくなるんだよねぇ。 それぞれ中心都市を教えてくれまいか?
431 :
世界@名無史さん :02/12/24 21:07
>>430 中心都市ったって時代によって代わってるぞ。
まああえて言うなら
マー・ワラー・アンナフルはサマルカンドとブハラ
モーグリスターン・・・・・ってFFじゃあるまいし
モグーリスターンはカシュガルとかまあ新疆のあたりだな
ホラズムはウルゲンチとかヒヴァ
ホラーサーンは歴史的ないわゆる4大都市は
アフガニスタンのヘラートとバルフ、イランのニーシャープール、トルクメニスタンのメルヴ
このうち現在もある程度の規模があるのはヘラートだけでバルフはマザーリ・シャリーフに、ニーシャープールはマシュハドに繁栄を奪われた。
メルヴは・・・・よくわからないけどとりあえず古い市街は廃墟になったはず。
こんなところかね。あとは誰か補足してくれ。
432 :
世界@名無史さん :02/12/24 21:31
モグーリスタンは新疆でもタリム盆地やジュンガリアは入らなくて、 天山の北側の草原地帯のほうからイリのあたりにかけてを指したんじゃなかったかな? で、モグーリスターンとマーワラーアンナフルの間にあるのが セミレチエ(バルハシ湖の南)とフェルガナ盆地という感じ。
433 :
世界@名無史さん :02/12/24 21:31
ホラズムとホラーサーンは特にごっちゃになるな。 漏れもいまだにはっきり範囲を定義出来ん....
434 :
世界@名無史さん :02/12/24 21:48
ホラズムは白い地図だとわかりづらいけど色付きだとわかりやすい。 要はアムダリヤ下流域で砂漠や湖によって他から隔てられた場所だ。 ただここら変の詳しい地図自体が多くないという情けない罠。
非常によくわかったよ!サンクス! マー・ワラー・アンナフルがアム・シル川に挟まれた地域、 ホラズムはアム川下流地域、 ホラサーンはイラン高原北部から盆地地帯への入り口地域、 モグーリスターンだけは、東トルキスタン西部ってカンジだね。 ホラズム帝国の首都がサマルカンドって書いてあるから、 混乱するんだな。じゃ、トランスオクシアナってのは、ナニ?
436 :
世界@名無史さん :02/12/25 00:49
>>435 ホラズムの首都がサマルカンドになったのはカラ・ハーン朝の末裔を滅ぼしてサマルカンドを攻略した1212年のこと。
それまでは首都はウルゲンチだったしスルターン・ムハンマドがサマルカンドに移っても母后のテルケン・ハトゥーンは残ってた。
トランスオクシアナってのはギリシア語でオクサスの向こう側とかいう意味で
アレクサンドロスに従ってきたギリシア人たちが名づけたやつだったと思う。
今でもヨーロッパではこっちの呼び方を使う人が多いはず。
ああマー・ワラー・アンナフルってのはアラビア語で川向こうの地っていう意味で要するにどっちも似たような語だ。
437 :
世界@名無史さん :02/12/25 01:00
415さんの質問ですが私は一見ティムール時代の事かと思いました。 416さんや417さんの指摘されているのが正しいようですね。 415さんは何の史料を読まれているのでしょうか?興味津々です。 私の方からネタをば一つ。 アク・コユンルがティムール朝に従属したのは14世紀末のカラ・ウスマーンが 最初だと言われております。 いつ従属したかについては史料により三年戦役期、五年戦役期、七年戦役期と 違いがありますが七年戦役期とするのが一般的な見解のようですね。 これはティムールに服属した当時の地方勢力の中では遅い部類に入ります。 14世紀末のアク・コユンルは1389年の首長クトゥルの死後その息子アフマドが シヴァスの領主カーディー・ブルハヌッディーンと同盟を結ぶ事で 集団の指導者の地位を維持していました。 アフマドの弟であったカラ・ウスマーンは兄に対抗するために 当時カーディー・ブルハヌッディーンが敵対していた ティムールに従属する道を選んだものと思われます。 事実カラ・ウスマーンはティムールの支援を受けてアフマドを排斥、 七年戦役期にはティムール軍に従軍してマラティヤやアーミドなど後に 15世紀前半のアク・コユンルの中核となる都市の支配権を与えられました。 つまり14世紀末のアク・コユンルの後継者争いにはティムールが大きく関与し、 15世紀のアク・コユンルの発展の基礎が築かれた事になりますね。
ティムールとアク・コユンルの関係は ティムールの三男ミーラーン・シャーの息子サイイディー・アフマドと カラ・ウスマーンの娘ルカイヤ・スルターンが結婚するなど 一時緊密な関係にあったようです。 二人の子孫はその後アク・コユンル集団内でかなりの地位を占め、 所謂白羊朝ティムール家なるものが存在していたとも言われています。 ウズン・ハサン死後の第三次内訌期にはこれらのティムール系の子孫の 活躍が見られますし。 さてティムール治世とシャー・ルフ治世にティムール朝とアク・コユンルが カラ・コユンルなどの共通の敵に対する同盟関係にあった事はよく知られております。 ではティムール歿後の内訌期の両者の関係はどうだったのでしょうか? 当時ティムール朝西イラン領ではミーラーン・シャー家内部で地域覇権をかけた抗争が繰り広げられ、 またアク・コユンル側でもマムルーク朝、アルトゥク朝、クルド人勢力による 対カラ・ウスマーン包囲網形成の動きもありました。 また両者の共通の敵であるカラ・コユンル、ジャライル朝の攻勢もありました。 このような状況下にあって姻戚関係にある両勢力が依然として同盟関係をしていたのか? 残念ながら私の知る限りティムール朝年代期にはそれを裏付ける記述がありません。 私はこの時期アク・コユンルはティムール朝から独立の動きを示しており、 両者の間には一時同盟関係の断絶があったと考えているのですがどうでしょうか? アク・コユンル、カラ・コユンル関係史料やオスマン朝、マムルーク朝関係史料から のアプローチからこの問題は解決できるのでしょうか?
439 :
世界@名無史さん :02/12/25 01:02
なんか最近このスレ妙に活性化してるな。
>>436 またまたサンクス!
トランスオクシアナって術語は、多用しない方がよさそうなのね。
オレも大学時代、中央アジア史やりたかったんだけど、
専門にしてる担当教官がいなかったので、渋々日本
古代史専攻にしてしまったのは、大失敗だったなぁ…。
>>439 イブの夜にティムール朝で盛り上がるなんて、悲しすぎ…。
441 :
サムチョリ :02/12/25 07:07
> モグーリスタンは新疆でもタリム盆地やジュンガリアは入らなくて、 > 天山の北側の草原地帯のほうからイリのあたりにかけてを指したんじゃなかったかな? 「天山の北側の草原地帯のほうからイリのあたり」って、これぞまさしくジュンガリアだよ。 > で、モグーリスターンとマーワラーアンナフルの間にあるのが 私の理解では、 チャガタイ家の支配層は、永らくセミレチエとジュンガリアを本拠としてこの地の遊牧民を 権力基盤としてアルティ・シャフルを支配下においていた、カザフの勃興にともない麾下の 牧民たちがカザフにはしったので、しょうがなくオアシス都市に移転し、 だからある時期からジュンガルに征服されるまで、タリム盆地こそモグーリスタンだと理解しています。
442 :
世界@名無史さん :02/12/25 07:39
>>440 >イブの夜にティムール朝で盛り上がるなんて、悲しすぎ…。
いや、話題が話題だけに、あまりにあまりで逆にカコイイ!
443 :
世界@名無史さん :02/12/25 14:00
ティムール朝が滅亡した後、中央アジアに残ったティムール王家の 人たちは、どうなったのでしょうか?
444 :
世界@名無史さん :02/12/25 14:11
>>441 自分で書いてることが矛盾してるぞ。
16C前半にウズベクやオイラートに圧迫されてタリムに退くまでは本拠地がジュンガリアだったので、モグーリスタン=ジュンガリアでも良いと思うが。
16c以降はウイグリスタンとカシュガルに分裂したし、イスラムに改修してるので、モグーリスタンの名称は不適な気もするし。
>>441 ありゃりゃ、ジュンガリアって天山北麓(ウルムチ)より北で
ジュンガル盆地からアルタイ南麓までの地域、だと思い込んでました。
実は天山北麓自体がジュンガル盆地の一部なのね?
無知晒しました、スマソ。
言い訳じゃないけど、モグーリスターンの定義が混乱するのは
それが地理的な名称というよりは政治的な名称だからではありますまいか。
所謂カシュガル汗国・トゥルファン汗国の時代に書かれた
西トルキスタンの史料でもモグーリスターンなる呼称は見られるの?
446 :
世界@名無史さん :02/12/26 22:04
NHK 興亡のユーラシア 文明の道
2003年4月スタート
http://www.nhk.or.jp/bunmei/ 時代はモンゴル帝国までらしい。
最後あたりでティムールもに出てきてほしいがたぶん無理かな。
ティムールなら中央ユーラシアの英雄の五指に入るのにな。
どういうことだNHK!
447 :
世界@名無史さん :02/12/27 00:54
ティムール朝インド帝国についての話題もあり?
448 :
世界@名無史さん :02/12/27 04:11
>>447 無しで。ムガールスレ作ってやったら宜し。
449 :
世界@名無史さん :02/12/29 12:37
ティムールの大河ドラマを日本で作ったら配役はどうなるかな?
ティムール:ランバ=ラル 一人しか登場人物思い浮かばん。
451 :
世界@名無史さん :03/01/04 02:12
>>438 プロの研究者の人ですか?
初耳の情報が多いですが。
452 :
世界@名無史さん :03/01/09 20:54
あげ
453 :
世界@名無史さん :03/01/10 03:49
プロ市民
454 :
世界@名無史さん :03/01/10 08:07
中央アジア最後の巨星
(^^)
456 :
世界@名無史さん :03/01/21 21:22
保全
457 :
世界@名無史さん :03/01/21 23:31
モグーリスターンハン国の王統って、 チャガタイ王家の誰からだったっけ?(汗)
458 :
世界@名無史さん :03/01/22 00:58
>>457 チャガタイ・ハン国の分裂は14世紀前半のケベク、タルマシリン両ハンの時代から
加速化していきます。
一番大きな理由としてこの頃にチャガタイ・ハン国における
イスラム化の進展が挙げられます。
学会の一般的見解としてはチャガタイ・ハン国の東西分裂後、
更に分裂状況にあったモグーリスターンを再統一した
トゥグルク・ティムール・ハーンを
モグーリスターン・ハン国初代ハンとするようです。
トゥグルク・ティムール・ハーンは
『ターリーヒ・ラシーディー』の中の改宗譚や
ティムールが青年期に服属した事でも知られている人です。
459 :
世界@名無史さん :03/01/27 05:13
さすがみんな博識だなあ。
460 :
世界@名無史さん :03/01/27 11:14
質問なんですが、山川の世界史B問題集(私大・二次対策)の 通史問題44はティムール帝国からの出題でシャー=ルフが答えの問題があるんですが 解説に『ライン史上最も教養ある君主』とあります。 これの“ライン史”って何ですか?気になってしょうがないんですが・・・。
「イラン史上」の誤植では?
イラン史ってなんの説明もなく出てたんなら サマルカンドもヘラートもイラン領じゃないんだから受験生の誤解を招きそう。
463 :
世界@名無史さん :03/01/27 23:37
>>460 私ははシャー・ルフについて詳しく知っているつもりですが
『イラン史上最も教養ある君主』であったとは
聞いた事もないし考えた事もないです。(汗)
彼が文芸保護者・イスラームの擁護者として有名なのは知られていますが
文芸保護者としては歴代のティムール朝の君主・王族はもちろん
配下のアミールや宗教家達も熱心に文芸保護活動に取り組んでいたので
彼がとりわけ優れていたという訳ではないと思うのですが…。
パトロンではなく文化人そのものとしてならシャー・ルフよりも
彼の息子ウルグ・ベグの方が有名ですよね。
ウルグ・ベグは自身で『キュレゲンの新天文表』や『チンギス家の四ウルス史』を
著したと言われていますし。
(まあ高名な学者達が手助けしたり、或いは代筆した可能性が高いですけど)
問題を作成された方は何を考えて問題を作成されたのか疑問です。
>>458 わざわざレスを頂いてましたか! 遅レスですみません(汗
トゥグルク・ティムール・ハーンが新生モグーリスターンハーン国の初代ですか〜
ティムール・キュレゲン以降、
バーブルの時代までティムール朝と密接な関係にあった王朝なのに、
(バーブルの母はユーヌス・ハーンの娘クトゥルク・ニガール・ハーニムだったか?)
系図も余り見たことがない気がします・・・
考えてみれば、
『ターリヒ・ラシーディー』はミールザー・ハイダル(バーブルの従兄弟)ですし
有名な『ハビーブ・ッスィヤル』のホーンダミールもバーブルに関わってますし、
『ラウダト・ッサファー』のミールホーンドも
ティムール朝のスルターン・フサイン治下のヘラートの人。
モグーリスターンハーン国を扱った史書ってぱっと思い付きませんが、
何かありましたでしょうか・・・?
465 :
458=463 :03/01/28 00:07
>>464 モグーリスターン・ハーン国の歴史書は
『ターリヒ・ラシーディー』が最高のものであり
残念ながら他にはなかなか適当なものがありません。
あえて史料を挙げるとするならば
同じミールザー・ハイダルの文学作品『ジャハーン・ナーマ』。
アミーン・アフマド・ラーズィーの『ハフト・イクリーム』の
カーシュガルについて記した部分。
中国史料では『明実録』、『明史』西域伝などでしょうか。
旅行記に『西域行程記』、『西域番国伝』なんかもありますね。
いずれも断片的な情報しか書かれていないみたいですが。
ティムール朝史料では貴方の挙げる史料の他にも
シャーミー、ヤズディーの『ザファル・ナーマ』から
断片的にではありますがモグーリスターンについて知ることが出来ます。
皆さん、レスどうもありがとうございました。
>>461 誤植だったんですか。てっきり中央アジア史の専門的な分野か何かで
゛ライン史”ってのがあると思ってました。
あくまで答えの解説にちょっとだけ載ってた事で、分からなくっても支障は無いのですが
何調べても出てこなくて気になって気になって仕方が無かったもので・・・。
467 :
世界@名無史さん :03/01/31 21:12
age
>>465 またもレスを頂きありがとう御座います!
ミールザー・ハイダルの『ターリヒ・ラシーディー』で最高なんですか。
ではモグーリスターンハーン国自体を扱ったようなものは
(モンゴルの『ターリーヒ・ジャハーングシャー』やクルト朝の『ヘラート史記』などに相当)
制作されなかったか、発見されてない、あるいは刊行されてないと考えた方が良いんでしょうか。
あ〜、『ザファル・ナーマ』までくると、
本当にティムールのころの断片的なものになる可能性が高いですね〜
モグーリスターンハーン国について殆ど耳にしないのは、
やはり直接史料自体が無いことが原因しているんですね。(汗
ところで基本的な質問で恐縮ですが、
ティムール朝の君主たちはスルターンとアミール、どちらで呼ばれてましたでしょうか?(汗
469 :
世界@名無史さん :03/02/10 20:25
470 :
世直し一揆 :03/02/10 21:09
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され るな!) ●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い) ●他人に異常に干渉し、しかも好戦的・ファイト満々(キモイ、自己中心) ●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に はたいてい、内面的・実質的に負けている) ●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!) ●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本 の常識は世界の非常識) ●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる) ●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす) ●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗) ●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ) ●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量) ●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険) ●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい) ●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、 世間体命) ●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度 も言ってキモイ) ●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は 個性・アク強い) ●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う) ●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬 する(不合理な馬鹿) ●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ) ●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷) ●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男 前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
471 :
世界@名無史さん :03/02/10 21:49
>>469 日本語のものでは京大名誉教授の間野英二先生が作られた
簡易版のチャガタイ語文法書ならあるけど…。
>>469 それは勝田先生が大阪外大内で作ったテキストを元にした出版だから、
間野先生が同じようなのを作っているのなら出版の目もありえるかな?
473 :
世界@名無史さん :03/02/19 13:33
もしもティムールが1402年のアンカラの戦いでオスマン・トルコに勝たなかったら、 ウィーンはとっくにトルコに占領されたのではないか、と言ってみる。
474 :
世界@名無史さん :03/03/03 14:40
バヤジット1世即位 コソヴォの戦いで他の兄弟たちと共に戦っていたバヤジットは、 ムラド1世の死後、後継者に選ばれると兄弟を直ちに処刑した。 将来の権力争いを防ぐための兄弟殺しがオスマントルコでは慣例となった。 イスラム法では、親の遺産の相続権は兄弟に平等にあったため、 兄弟のなかで先に即位した方が後継者になった。 オスマン帝国 講談社現代新書より 兄弟を殺しまくって守ろうとした帝位が、 1389〜1402のたった14年しか続かなかったとは……。
475 :
世界@名無史さん :03/03/03 15:48
>>474 まあ相手が悪かったよ
バヤジットもなかなかのタマだが、スケールでも残虐性でも遥かに上回る
ティムールをバカにした時点で運のツキ
476 :
世界@名無史さん :03/03/10 14:00
ティムールとは「鉄」の意味 ……「ウンババの鉄」って知ってる?
477 :
世界@名無史さん :03/03/10 21:36
ところで ナスタアリーク体ってティムール朝時代に完成したんだっけ?
(^^)
479 :
世界@名無史さん :03/03/15 14:02
もうネタはないのか?
480 :
世界@名無史さん :03/03/29 00:47
age
481 :
世界@名無史さん :03/03/30 22:10
ふと疑問に思ったんだけど・・・ ティムール朝時代でも モンゴル帝国時代に隆盛を誇ったバルラス部とかオッチギン家とかいった モンゴル王家と婚族関係にあった有力諸侯家って存続していたんだろうか?
482 :
世界@名無史さん :03/03/30 22:31
>>481 ティムールはバルラス部出身(但し傍系)ですが・・・。
483 :
世界@名無史さん :03/04/04 22:37
>>482 ああ、失礼失礼。(汗
いえね、ティムール自身は傍流だったけど、
王家に近侍していた諸侯家の本家筋の家系は、ティムール朝時代でも存続してたのかなと・・・
例えば、イルハン朝が断絶した後でもチョバン朝とかムザッファル朝みたいに
ベスト部やオイラト部みたいな有力諸侯家の(うろ覚え(大汗)当主家が存続していたので。
ティムール朝時代の部族構成とかはモンゴル王家が健在だった時代と違いはあるのだろうか?
と思いまして・・・(汗
484 :
世界@名無史さん :03/04/04 23:39
>>483 バルラース部の事例に関してお話します。
ティムールが青年時代の時にバルラース部全体の指導者であったのは
チャガタイ・バルラース部の始祖カラチャルの息子イェスン・モンケの
子孫のハーッジー・ベグでしたがモグーリスタン・ハン国の
トゥグルク・ティムール・ハンのマー・ワラー・アンナフル侵攻の際に
部族の指導者の地位をハンに従属したティムールに奪われています。
確証は得ていませんが仮にハーッジー・ベグの一族を
チャガタイ・バルラース部の主家筋と仮定します。
この一族はティムールが部族の指揮権を掌握した後
ティムールに従属しました。
とはいえ彼らはそれまで保持していた勢力を全て喪失したわけではありません。
ティムールはかつてハーッジー・ベグが指揮していた大万人隊の指揮権を
彼の甥のムハンマド・ダルヴィーシュに委ねたと言われていますし、
またハーッジーの兄弟のジャハーンギールの子孫達は
ティムールの息子のミーラーン・シャーやシャー・ルフの宮廷内で
高い地位を有していたと言われています。
尚、イェスン・モンケ系以外にもバルラース部には
ティムールの属するイジェル系の他シールーガー系やラーラー系
など幾つかの系統がありますが
いずれの系統もティムール朝期に高位の官職を有する有力者を輩出しています。
バルラース部についてまとめて言えば
主家の地位はティムール家に移行したと言えますが
他の系統からも軍事や財政の両分野で有力者が輩出され続け
王朝の中核部族として他の部族と比較して優位な立場にあったものと思われます。
485 :
世界@名無史さん :03/04/05 00:29
>>484 便乗質問。
大万人隊という耳慣れない用語についてご説明頂けませんか。
>>483 昨日の発言に関して補足します。
チャガタイ・ハン国時代からティムール朝時代にかけての
支配階層の変遷については以下の文献を読む事をお奨めします。
貴方の関心に応えると思われる研究で和文のものでは
安藤志朗「ティムール朝Shāh Rukh麾下の中核amīr」『東洋史研究』43−4、1985.
川口琢司「Tīmūrとチャガタイ・アミール達」『東洋学報』69-3・4、1988.
の二つが代表的でしょう。
欧文のものでは
Ando,Shiro,Timuridische Emire nach dem Mu'izz al-Ansāb:Untersuchung zur Stammesaristokratie Zentralasiens im 14. und 15. Jahrhundert,Berlin,1992.
Manz,B.F.,The Rise and Rule of Tamerlane,Cambridge,1989.
といった体系的な研究書があります。
いずれの研究にしても…
ティムール朝の誕生により旧来のチャガタイ有力部族はその勢力を削減され、
ティムール股肱の家臣(新興エリート階層)の指揮下に置かれる。
とは言えティムール朝の要職は新興エリート層の他旧来のチャガタイ有力部族からも
多くの者が登用されている事から部族の枠を超えて君主との個人的な関係に基づく
支配階層の再編成がなされたと考えられる。
以上の認識では共通するところがあります。
ティムール朝では時期により支配家系が変わりますから
王朝の存続中常に君主との個人的な関係に基づく支配階層の再編成が繰り返された
ものと思われます。
しかしティムール朝期に部族制の重要性が薄れたわけではありません。
確かにティムール治世には部族制は前時代と比較して弱まった感がありますが
シャー・ルフ時代以後もバルラース部優位の下確固たる部族制が存続し
ティムール朝支配の中核をなしたものと思われます。
>>485 『大万人隊』という語は上述の川口氏の論文によれば
ヤズディーの『勝利の書』の中に見られる
『tūmān-i kalān(巨大なテュメン)』をそのまま邦訳した語に過ぎません。
私としては単なる誇張表現だとは思いますが
不注意にも氏の論文からそのまま引用してしまい
貴方を戸惑わせてしまった事をお詫びします。
(^^)
489 :
世界@名無史さん :03/04/19 00:41
age
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
491 :
世界@名無史さん :03/05/01 16:03
ちょっと聞きたいんだが、ティムールのライバルだったフサイン(ホッセイン)とイラクのフセイン大統領って英語表記は同じ?
492 :
世界@名無史さん :03/05/01 16:28
493 :
世界@名無史さん :03/05/01 16:51
494 :
世界@名無史さん :03/05/01 16:58
ティムール自身はあくまでハンではなくアミールの1人だった(こういう点は日本の「将軍」と少し似ているか)らしいが、シャー・ルフ以降はどうだったの?
>>484 ,486
レスが大変遅れて申し訳有りません。(汗
詳細なレスを頂いてどうもありがとう御座いました。
なるほど、ティムールの台頭によってバルラース部の主家の地位を追われた
ハーッジー・ベク系もその後存続し続けたのですね。
気になったのは従来の部族制を土台としながらも、
「君主との個人的な関係に基づく支配階層の再編成が繰り返された」という件にでして、
モンゴル帝国がチンギス・ハン家を主軸とする中核部族などの部族組織の役割が
重要な位置を持っていたことをかんがれば、
ティムール朝では構造的な性質の違いがあるように感じました。
旧来の有力部族層と新興のエリート層という二重構造に興味が引かれます。
欧文資料の入手はちょっと見込めないようですので、
先に挙げられた2文献を今度調べてみようと思います。
ティムール朝を始めモンゴル帝国関係の部族体制を扱った文章は、 『モンゴル帝国史研究序説』や『岩波講座 世界歴史11』くらいしか思い浮かびません。 なので、イルハン朝以外の部族制や部族の動勢を知るのは、素人ではなかなか難しいです。(汗 最近、『系図が語る世界史』という本を購入しまして、 先のモグーリスターン王家の系譜も、『ムイッズル・アンサーブ』や『ズブダト・ル=タワーリーフ』の 諸写本間で記述が錯綜していて系図の真偽を精査し直す必要がある、 というなかなか空恐ろしい報告を目にしました。 王家の系図という基本的な事柄でさえ不明瞭であるという事実に、 改めて中央アジア史の未解明さがただならぬモノであることを思い知った次第です。(汗
もうひとつ、重ねて質問ですか
>>487 の『tO-i kalO(巨大なテュメン)』という言葉ですが、
これは志茂碩敏先生の仰る、『tO-i buzurug』とは違うモノなのでしょうか?
あれ?文字化けした(汗 『トゥーマーニ・カラーム』と『トゥーマーニ・ブズルグ』の事です。
499 :
世界@名無史さん :03/05/12 22:30
スルターン・フサインあげ
500 :
世界@名無史さん :03/05/12 22:49
>>473 >ティムールが1402年のアンカラの戦いで...
勝利の勢いで、そのままヨーロッパに雪崩れ込まなかった理由は何
だったのですか。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
505 :
世界@名無史さん :03/05/30 23:23
age
506 :
世界@名無史さん :03/06/11 23:17
テムル
507 :
世界@名無史さん :03/06/13 19:09
ミールザー・ハイダルage
>>500 ヨーロッパに興味が無く、明征服に向かったから。
510 :
世界@名無史さん :03/07/04 23:28
ティムールは本当に明征服が可能であったのだろうか?
511 :
世界@名無史さん :03/07/09 01:01
>>510 明というよりあれは
北元征服を企図しての遠征だったらしいと、どなたか論文で書いていたような・・・
512 :
世界@名無史さん :03/07/09 01:03
513 :
世界@名無史さん :03/07/12 00:45
東ティモール帝国age
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
516 :
世界@名無史さん :03/07/15 19:41
age
517 :
世界@名無史さん :03/07/23 23:00
>>512 森川哲雄先生だったような気がするんだけど、
ティムールがマンジ(南中国)じゃなくてヒタイ(北中国)を征服しようとしてたから、
これは北元のことだろうって、クラヴィホの報告を引用して説明してたけど・・・
あんまりよく憶えてない(汗)ゴメソ
518 :
世界@名無史さん :03/07/27 02:05
東ティモール帝国
>>517 岡田先生も概説ではそういうこと書いてる。
520 :
世界@名無史さん :03/08/12 14:46
保守
521 :
世界@名無史さん :03/09/06 22:07
age
宿題でティムール帝国について1200〜2000文字でレポート書けという 宿題が出た。地理受験で世界史知識皆無のこの私になにかアドバイスを・・。
523 :
世界@名無史さん :03/09/29 10:35
524 :
世界@名無史さん :03/10/17 22:21
クトゥルグ・ニガール・ハーニムあげ
525 :
ty270410 :03/10/19 00:10
>>496 「ムイッズル・アンサーブ」をローマナイズしたものは,
ありますか?
ジョチの子孫について知りたいと思っているのですが・・・
>>511 明は実は中国史上唯一南が根拠地で北上に成功した国家。
528 :
世界@名無史さん :03/10/20 21:40
>>525 手許にある、『ムイッズ・アル=アンサーブ』を資料として扱っている
いくつかの論文を見てみましたが、どうも刊本を使っている気配が全くありません(汗
恐らく直接各写本をあたったか、それぞれのファクシミリ本やマイクロフィルムなどで調べている可能性があります。
詳細を知らないので何ともですが、多分『ムイッズ・アル=アンサーブ』は
未だ校訂本も訳本も出版されていないのではないでしょうか?
>>511 >>526 項羽の楚もいいところまで行った(行ってない?)けど。
#その程度なら、ほかにもありそうな気もする。
530 :
世界@名無史さん :03/10/21 00:14
>>526 、
>>528 私の知る限りでは、『ムイッズ・アル=アンサーブ』の
校訂本や訳本は今だ出版されていません。
先行研究で使用されているのは主に
Anonym,Mu'izz al-Ansāb fī Shajarat Salātīn Moghūl,MS.Bibliothèque Nationale,Ancien fond persan 67.
所謂パリ本と言われる物です。
残念ながら日本国内でこの史料を読みたい場合は
ファクシミリ本やマイクロフィルムに頼るしか術はありません。
しかもそれらは大学の書庫には所蔵されおらず
研究者達がコピー製本したものを個人で所蔵しているケースが殆どです。
ですから入手するには少し苦労する事になるでしょう。
因みに私はある研究者の先生からお借りしてコピー製本したものを
一部所持しております。
勿論活字本ではありません。
癖のある手書きの写本である為大変読み辛いのが正直な感想です。(汗
531 :
ty270410 :03/10/21 00:15
>>528 ご教示ありがとうございます.私は素人の歴史好きで,英語しか読めませんので,
訳本があれば,見たいと思っていました.
正しくは「ムイッズ・アル=アンサーブ」とのご教示にもお礼を申し上げます.
532 :
世界@名無史さん :03/10/21 00:39
ウズベキスタンに行ってきますた。 サマルカンドのティムール像は新婚カップルが記念写真を撮影する名所だそうです。 漏れが行ったときにも一組撮影しておりました。 しかし何でまたこんなところで・・・
533 :
ty270410 :03/10/21 00:49
>>530 詳しいご教示ありがとうございます.
訳本がでるのを辛抱強く待つことにします.
534 :
世界@名無史さん :03/10/24 18:26
逆に明が執拗にモンゴル高原に出兵したのは ハーンも中華皇帝も兼ね備えないと天子にはならなかったという話があるね。 ティム−ルから見ると別にハーンだけで良かったのか?
535 :
世界@名無史さん :03/11/20 15:18
age
536 :
ty270410 :03/12/12 22:18
>>530 赤坂恒明「トカ・テムル裔の系譜情報の復元」
『中央ユーラシアのおける民族文化と歴史像』
東北大学東北アジアセンター,2003
を見る機会を得ました.
ムイッズ・アル=アンサーブについての詳しい
記載がありました.
537 :
世界@名無史さん :03/12/12 23:08
معز الانساب في شجرة الانساب
あれ? シャジャラト・アル=アンサーブの「アンサーブ」の性は複数形だから女性形とみなして良ったんだろうか?(汗
>>536 おお、どんな内容のでしたか。
先の「モンゴル王統系図『ムイッズ・アル=アンサーブ』諸写本におけるチンギス裔系譜情報の異同について」も
個人的にかなり衝撃的で読み応えがありましたね〜
もう一年余裕があったら赤坂先生の講義が聴けたのに・・・まあ仕方ないか(苦笑
538 :
ty270410 :03/12/12 23:32
>>537 『集史』,『五族譜』,『ムイッズル=アンサーブ』,『勝利の書なる
選ばれたる諸史』のトカ・テムールの子と孫の系譜の異動を論じ,
次に,オロス・ハン,ダルヴィーシュ・ハン,トクタミシュ,大ムハンマドと
ハージー・ギレイ,テムル・クトルクの系譜について考察しておられます.
エクサイティングでアトラクティブな論考です.
私は素人の読史家ですが,赤坂先生の論考はいつも楽しみにして
います.
>>537 名詞+名詞の場合だったら名詞+形容詞の場合と違って、
修飾する名詞の性や数を気にする必要ないやん。
540 :
世界@名無史さん :03/12/13 01:26
صاحب قران
541 :
世界@名無史さん :04/01/11 00:36
age
تيمور لنگ
543 :
世界@名無史さん :04/01/15 22:49
544 :
世界@名無史さん :04/02/14 22:41
age
545 :
世界@名無史さん :04/02/19 13:20
БУρАГ
546 :
ty270410 :04/02/19 21:49
>>545 「ブラーグ」とは何のことですか?
教えてください!
547 :
世界@名無史さん :04/02/19 21:51
フビライの弟フラグじゃないの?
549 :
世界@名無史さん :04/03/08 13:13
サーヒブ・キラーンصاحب قرامن号をモンゴル君主にあてたのは、 イルハン・アルグンの治世(1284-1291)に宰相(ワズィールorサーヒブ・ディーワーン)のサァドゥッダウラسعد الدولهが最初らしい。 預言者ムハンマドが征戦によって宗教を確立したように、 チンギス・ハンもまた神命を帯びて世界を征服し信仰を新たにするために神に使わされた存在、 つまり預言者性を持ち、アルグンにもそれは受け継がれたのだと主張したらしい。 アルグン自身はムスリム排斥を標榜したためこの主張は潰えた。 しかしガザン・ハン登極以後、 ガザンが「イスラームの帝王」پادشاه اسلامと称されるようになったのは、 ガザンのイスラーム改宗のみならず、サァドゥ・ッダウラのこの理論が再び注目されたらしいことも関係しているとか。 『集史』にはイルハンを指してサーヒブ・キラーンという例がいくつかあり、 ティムールがサーヒブ・キラーンと称されたのは このチンギス・ハンの(後継者として)モンゴル君主としての地位と 神命を征戦によって確立する預言者性を兼ね備えた人物、 という君主像をイルハン朝あたりから受け継いだもの、とする見方が出されている。
550 :
世界@名無史さん :04/03/08 14:34
ティムールは自分の容貌に悩んでたって 訊いたんですけど・・・ 既出でしたらスマソ
551 :
世界@名無史さん :04/03/08 20:32
全言語のページからصاحب قرانを検索しました。 約1.940件中1-10件目・検索にかかった時間0.16秒
全言語のページتيمورからを検索しました。 約17.800件中1-10件目・検索にかかった時間0.12秒
553 :
世界@名無史さん :04/03/08 21:08
東ティモールのサイトばっかだな。
554 :
ty270410 :04/03/08 22:08
>>549 面白いですね!
ティムールが予言性を持った君主ということですが,
私の今までのイメージが少し変わりました.
555 :
世界@名無史さん :04/03/28 23:16
age
556 :
世界@名無史さん :04/04/30 17:18
保守
557 :
世界@名無史さん :04/05/01 05:51
>>554 おっとレスが付いてたんですか。亀レスで申し訳ない(汗
細かいようですが、「予言性」ではなくて「預言者性」=「預言者の性質」(nubuwwat)です。
「予め起こることを言う者」でなくて「啓示された神の言葉を預かる者」ですね。
>ただの誤記だったらスミマセン
このサーヒブ・キラーン号の理論は、「サーヒブ・キラーンの治める王国」=「預言者の治める王国」として
イスラム社会の新秩序を目指したのではというのがある論考で提示されてました。
個人的にはこの仮説から考えればサーヒブ・キラーンとは、
アッバース朝を滅亡ぼして歴代のカリフの系譜を断絶させたモンゴル政権=イルハン朝の首長となったガザンの、
国内モンゴル諸勢力の再編と国家経済・社会体制の回復と改革とに連動したものだったのではないかと思います。
イラン・中央アジアではセルジューク朝の例でもあるように、シーア派とスンナ派の対立、
スンナ派内部の法学派間の紛争などで常に都市社会は動揺と係争を抱えて疲弊していたようです。
モンゴルやホラズムシャー朝が容易にイラン・中央アジアの諸都市を征服できたのはそれも大きな原因と見られているそうですね。
558 :
世界@名無史さん :04/05/01 05:52
あるいは国内秩序の回復のためといいますか、ガ ザンはカリフ制度やイマーム理論とは別のシーア派とスンナ派のなどイスラム諸派間の抗争を抜本的に緩和し、 ムスリム全体のの国内統合を視野に入れた新秩序の創造のため、「イスラームの帝王」を名乗り、 「サーヒブ・キラーン」号もそれに関わる名称として使われるようになったのかもしれません。 サーヒブ・キラーン号から考えて、イルハン朝を「『預言者』チンギス・ハンの王統を継ぐ『預言者の王国』」としてガザンが目指したとするならば、 ガザンがシーア派保護として「サイイドの館」を建設したことも見方が違って来ます。 そうなるとミスター・「サーヒブ・キラーン」ことティムールのシーア派、イスラム諸学派の保護政策がどうだったか気になりますね。 ティムール朝時代に「サイイドの館」はどうなったろう?(汗
559 :
世界@名無史さん :04/05/27 04:59
あふぇ
560 :
世界@名無史さん :04/05/27 17:57
シーア派とスンニ派っていうけど、対立してたのはセルジューク朝の初期とか 時代にもよるんじゃない? この時代の法学的関心はむしろスーフィズムや神秘主義に移ってると思うけど。
561 :
世界@名無史さん :04/05/28 06:03
この頃には、タサッウフとかの類はスンナ派・シーア派を問わずイスラームの信仰形態の一つとして確立されちゃってる感じがつよくて、 シーア派とスンナ派ではイスラム法の施行についても両派でそれぞれ分業してるような感覚が・・・(汗 神秘主義的な思想・哲学にしても十二イマーム派の碩学ナスィール・ッディーン・トゥースィー以来シーア派の基幹思想に定着した印象があるね。 多分、イルハン朝もスンナ派とシーア派の対立にはあまり直接かかわろうとしなかったのかもしれないけど。 >バーブルとかティムール家の王族たちのについてシーア派だったことを異端の輩と罵ってるけど 多分、イルハン朝からティムール朝のころのシーア派とかサイイドの動向を探れば、 アーゼルバーイジャーンからやってきたサファヴィー朝がホラーサーンまで進出できた 背景を探れる気がするのだけども・・・
562 :
世界@名無史さん :04/05/28 11:51
シーア派の中の神秘主義教団の動きがサファビー朝成立につながってく。 なにげにチュルク人モンゴル人遊牧民が早い時期に持ち込んだシャーマニズムも 神秘主義の流行に関係してると思う。
563 :
世界@名無史さん :04/06/22 07:34
ヌー一族
564 :
世界@名無史さん :04/07/15 20:30
あげ
565 :
世界@名無史さん :04/08/10 21:50
صاحب قران
567 :
世界@名無史さん :04/09/01 17:19
ティムール朝って内部抗争ばっかりだったというが シャー・ルフとアブー・サイードとスルタン・フサインって それぞれティムールの異なる息子達の系統だよね? 非主流の皇子が政権を握るためにはどうやったのかな?
568 :
世界@名無史さん :04/09/18 21:23:34
其の侭・・ティムールはオスマントルコ帝國の首都を攻略していたら・・ 現在も続く国家が無い悲劇は無かったでしょう・・宿敵トルコ人の最大最強 の国家を根絶出来るチャンスだったのに。
569 :
世界@名無史さん :04/10/04 23:49:29
>>568 ティムール軍はアンカラ会戦後当時のオスマン朝の首都ブルサを陥落させています。
570 :
世界@名無史さん :04/10/10 21:28:13
アンカラの時にティムール軍はオスマン軍の宿営の飲料水に 毒物を入れて回ったというが、どんな種類の毒だったんでしょうね。 イメージとしてはトリカブトなんかの神経毒かな。
571 :
世界@名無史さん :04/11/04 14:39:38
あげ
>>567 ティムール朝はモンゴル諸王朝と似て王子たちを各地方ごとの領国を分封して
帝国全土に王子たちの宮廷がそれぞれの地域で営まれていたようです。
たとえばスルターン・フサインは曽祖父の代からヘラートの領国を受け継ぎ、
やがて他の諸王子家勢力を圧してティムール緒王家の筆頭として
ティムール朝の第一の君主になりました。
ムガル帝国の始祖バーブルも父ウマル・シャイフがフェルガーナ領国の君主だったため
これを受け継ぐ形でティムール朝政権に参画することになりました。
ティムール家の各々の王子家で有力な君主たちが、
自分の領国を基盤として他の領国を服属できるか否かでティムール朝の宗主が決まる
という感じでしょうか?
他の領国の君主たちを服属させてティムール朝の宗主になれるか否かは
各君主の力量に加え、モグーリスターン王家や家臣団の動向など決まったようです
(スルターン・フサインも結局最後までお家騒動で息子たちと大喧嘩してはいましたが)
もうじき3年目突入かあ・・・長寿スレになりましたなあ。
574 :
世界@名無史さん :04/12/24 19:09:41
保守
575 :
世界@名無史さん :05/01/08 08:35:04
576 :
世界@名無史さん :05/02/03 10:35:56 0
独ソ戦スレで ティムールの墓を暴いた翌日にドイツの奇襲が始まった事で ティムールの呪い説があると話題になっているけど、 アレって誰が命令したの? 向こうのスレではスターリン説が出ているけど 真相は?
577 :
世界@名無史さん :05/02/03 17:34:24 0
わからん
578 :
世界@名無史さん :05/02/24 01:50:53 0
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / ヽ l::::::::: | |:::::::::: (●) (●) | |::::::::::::::::: \___/ | 偉大な祖先を訪ねてはるばるやって来たよ。 ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
579 :
世界@名無史さん :05/02/26 13:29:16 0
『チムール帝国紀行』って読んだ人いる?
580 :
世界@名無史さん :05/02/26 20:14:01 0
>>579 クラヴィホの旅行記を山田信夫先生が翻訳されたものですね。
持っていますよ。
杉山正樹先生翻訳の『遥かなるサマルカンド』も家にあります。
581 :
〜兵員募集中〜 :05/03/01 15:24:10 0
「蒼き狼と白き牝鹿 チンギスハーン4」掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/game/20221/ わが帝国は、軍事力の兵員欠乏と言う根本的な問題に常に悩まされている。
そこで、この問題を打開するために世界史版の精鋭を募集する。
・年齢・性別・履歴その他一切不問。
・三戦のマッタリ感を信条に三食昼寝つき。
・AA可。
傭兵から無頼漢まで、兵質は一切問わずとにかく人数を集めます。
ここ世界史版の現実的な鋭い論法で、わが帝国軍の質の向上を図りたいと考えている。
582 :
世界@名無史さん :05/03/01 16:08:43 0
>>580 新訳があったんですね。情報サンクス。
シルトベルガーの俘虜記も邦訳出ないものか・・・
ティムール帝国の君主って 可汗や大汗はおろか汗すら名乗らなかったのか?
584 :
世界@名無史さん :05/03/07 12:23:56 0
>>583 ティムール以降の君主はスルタンを名乗っていたのでは?
でもムガル朝はシャーだね。よく分からん。
ティムールはアミール・クールカーン(婿)とは名乗ったが、 「ハーカーン」は死んだときと墓碑にこっそり彫らせた一度だけ。 後の子孫たちは「ミールザー」ティムール家の首長は「スルターン」を名乗った。 ムガル朝はバーブルがインド遠征前に以後自分を「パードシャー」と呼ぶよう命じている。 以降はムガル朝の君主達は「パードシャー」を名乗った。 ティムール家の君主達は「ハーン」はさすがに名乗っていない。 パミール周辺には降嫁してもらっていたチャガタイ家の「ハーン」がちゃんといたし、 北方のウズベクの首長、ジュチ家の「ハーン」たちもずっと脅威としてあった。東方のモンゴル高原には、 「ハーン」どころかクビライ王家の「カーアーン」=モンゴル皇帝が健在だった。 本物の「ハーン」がまわりにいるのに、とても「ハーン」だの名乗れる状況ではなかった。
まあ、カアンだろうがスルタンだろうがパーディシャーだろうが 西欧から見れば通常君主(この場合はアミールか)より上級の君主=皇帝だったんじゃない? 当の欧州人自身らは、おいそれと皇帝を名乗ら(れ)なかったわけだが
ブルゴーニュ公はフランス国王よりも権力が強かったのに なぜブルゴーニュ「王」と名乗らなかったんだ? と聞いてるようなものか。
588 :
世界@名無史さん :05/03/18 01:30:19 0
サマルカンドやボハラもティムール帝国の時代が 交易で栄えて絶頂期だったんだろうなあ。
589 :
世界@名無史さん :05/03/18 02:53:03 0
位取りの問題は歴史的な経緯があるからね ブランデンブルク辺境伯もプロイセンを征服して 本拠をブランデンブルクに置いたままプロイセン王を名乗ったし
イスラムを排除してたら
591 :
世界@名無史さん :2005/04/17(日) 21:04:26 0
>>588 そして世界の内陸大国の凋落の始まりでもあった・・・
>>591 大航海時代の後の西欧大進出の始まりか・・・
そうかな
後の世代はともかく、ティムールがシャリーアをそれほど尊重したとも思えん。
596 :
世界@名無史さん :2005/05/11(水) 23:31:32 0
age
597 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 23:55:00 0
シーク教国との戦いは? 結構激しかったと聞くけど。
598 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 23:55:44 0
>597 スマソ、ムガール帝国と間違えました・・・orz
599 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 13:07:58 0
破壊の度合いではチンギスよりティムールのほうが上だと聞きましたけど
600 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 14:14:24 0
>>599 ある土地を占領してもティムールが去ると反乱が起きてまた鎮圧、という
パターンを何度も繰り返したのでイランをかなり荒廃させた。
項羽みたい
大規模な反乱すら起こさせなかったチンギスとその後継者たちとは 役者が違うのはしょうがないところなのかなぁ。
当時はチンギス統原理が生きていたし、何よりも東の方にはモグーリスターン・ハーン家と 北の方はジュチ家のウズベク集団がいたので権威としては格がかなり下がる感じがしたのかも。 東や北の方から「何々ハーン」が征服してきたのなら服属するにたる血筋・権威も感じるだろうけど 「アミール・ティームール・グールガーン」では、 「ちょっとばかり腕っ節が強いくらいで同じアミールの家ごときに仕えてられるか!」というのも あるのではと。そもそもイランのトルコマン系とかのアミールの後裔達は、イルハン朝の時代は ティムールの主君筋であるチャガタイ家とかと戦争ばっかりしていたし。
604 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 03:51:07 0
アミール・フサインのカラウナス部ってニークダリヤーンとなんか関係あるの?
605 :
世界@名無史さん :2005/07/01(金) 22:43:22 0
いつから清原のAAがティムールになったのだろう・・・
607 :
世界@名無史さん :2005/07/02(土) 00:45:38 0
皆の者、何故「ティームール」と呼ばぬのぢゃ?
608 :
世界@名無史さん :2005/07/02(土) 21:51:06 0
皆の者が「喫茶室」と言い間違えて仕方がないからぢゃw
地元のオッサンの発音だと「テンムル」てな感じだね。
610 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 07:53:18 0
皆の者、何故「ティームール」と呼ばぬのぢゃ?
いわゆる「ティームール تيمور tīmūr 」はモンゴル語のテムル temür の ペルシア語転写なわけだが、この形の初出は『集史』の定宗テムル・カアン تيمور قآان tīmūr qā'ān あたりかな? アラビア語資料だと「ティームール」の他に、 「ティムール تمور timūr 」や「ティムル تمر tamur 」の形も見られるが、 さすがにティームル تيمر tīmur の形は見たことがない。自分が知らないだけかもだが。 (「ティムール」の形はペルシア語資料でも見かけはするが) それとは別に辞書ではそうでもないが、一般的な概説書では「ティムール」が慣習的に使われている。 論文でもそれを踏襲してか「ティムール朝」の「ティムール」という風な綴りが一般化ししている模様。 qur'ānが今でもちゃんと「コーラン」で通じているようなものか。未だに「チムール」と綴る人はあの先生くらいかな?
612 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 12:41:49 0
「タメルラン」というのは何語の呼び名?
「定宗」は第3代のグユクで、クビライの孫で第6代大カアンのテムルの事を言っているのなら「成宗」。 「初出」という言葉をどういう意味で使っているのか分からんが、 「テムル」あるいは「○○・テムル」という名の人物なら、チンギスの時代から史料に出てきている筈だし、 アラビア語史料ならば、モンゴル語の「temür」を音写した「تيمور」などの形に加えて、 トルコ語で同意の単語の「demir」を音写した、「دمر」とかの系統の音写も多いと思うが。 「Tamerlane」はペルシア語の「تيمور لنگ」(Tīmūr-i lang)の西欧での転訛やろ。
>>569 ブルサってオスマン朝の基盤はヨーロッパ側でそ。
エディルネ攻略しなきゃ
現代ウズベク語をラテン語でつづるときのスペルではTemurみたいだねえ。 ちなみに現代トルコ語ではTimur。
>>606 結構昔に朱元璋スレでティムール=清原のAAが定着したからじゃない?
617 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 17:37:19 0
右腕右足が動かないティムールに一騎討ち挑まれて逃げ出したユースフ・スーフィーって・・・
618 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 15:12:50 0
age
619 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 23:04:17 0
ムガル朝って正式にはドウラテ・グルカーニーというらしい。
620 :
世界@名無史さん :2005/09/03(土) 03:36:17 0
age
621 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 19:48:42 0
>>619 語源は何だろうな。
家名、発祥の地、最初の首都、あるいは尊称の類が語源だろうか? 思い浮かばない・・・
グルカーンのダウラ、「大ハーンの王朝」が語源だと推理してみる
623 :
世界@名無史さん :2005/09/26(月) 16:42:54 0
グルカンは「キュレゲン」のことだろう。
>>615 ウズベク人の発音だと「アンムル・テンムル」みたいな
感じだった。
625 :
世界@名無史さん :2005/09/28(水) 21:10:05 0
ティムールのトルコ・モンゴル系武将とかは「アミール」なんて言葉使ってたのかな?
『ビザンツの鷲』だとティムールが「サマルカンドのアミール」と呼ばれている。
627 :
世界@名無史さん :2005/09/28(水) 21:13:41 0
颯沫建王帖木児
>『ビザンツの鷲』 なんか面白そう。探してみる。
629 :
世界@名無史さん :2005/09/30(金) 00:24:55 0
「ミール」とか「ミールザー」みたいな称号が普通に使われてたようだけど。
630 :
世界@名無史さん :2005/09/30(金) 00:49:56 0
詳しくは知らんがミールザーって「アミールの子」だから小貴族みたいな意味か?
「ミールザー」は「アミール・ザーデ」がつづまったもので、 「アミールの裔」の意味。 似たような言い方でサイイドの一門に「アリー・ザーデ」とか 「イマーム・ザーデ」などと言われている人も多くいる。 ティムール朝時代以前には「ミールザー」という用語は使われていない。 無論「アミール」自体はティムール朝時代より前からある普通の用語だが、 ここでは、モンゴル時代から十戸長とか万戸長などのように部衆を統括 する人物としての部将(ベクとかノヤン)の訳語の「アミール」でもある。 (もとは単純に「司令者」の意味) 「ミール」は「アミール」の短縮形だが、ティムール家に仕えていた 部将たちも「アミール」と呼ばれている。ちなみにティムール家の全体の 首長は「スルターン」でティムール家の子息たちは別に「シャーフザーデ」と 呼ばれていて、ティムール家の一門とその他の部将たちとは区別がされている。 ティムール朝時代のティムール王家の王子たちの称号としての 「ミルーザー」は「アミール・ティームール・クールカーン」 つまり 「キュレゲン(チンギス・ハン家の皇女の降嫁を受けた婿君)たる アミール・ティムール」の「ザーデ(裔、子孫)」の意味。 早い話、このティムール朝時代での意味では、「ミールザー」は 「アミール・ティムール・キュレゲン家の王子」ほどの意味になる。 バーブルやシャー・ルフなども「バーブル・ミールザー」とか 「シャー・ルフ・ミールザー」などと呼ばれている。 ティムール朝時代より後は当然ティムール家の人々はイラン方面からは 居なくなるため、また他の家系の王侯でも使われるようになったようだ。
632 :
世界@名無史さん :2005/10/01(土) 19:26:09 0
クリミア・タタールやノガイ・タタールの貴族も「ムルザ」といったそうだが それが元になってるのかな?
633 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 22:54:51 0
age
sage
635 :
世界@名無史さん :2005/11/04(金) 12:39:25 0
636 :
世界@名無史さん :2005/11/04(金) 22:21:30 0
Beatrice Forbes Manz The Rise and Rule of Tamerlane て翻訳の動きはないのかな? 日本で、ティムールの本でまとまったものって ないよね。加藤先生のは論文集だし。小説ならあるけど。
637 :
世界@名無史さん :2005/11/23(水) 18:13:25 0
>>636 平易な英語で書かれているんだし頑張って読んでください。
それより安藤志朗先生のティムール朝研究の大著作が
ドイツ語のままで日本語翻訳の動きがないことの方がつらいですね。
638 :
ホジャ :2005/12/15(木) 12:30:45 0
ティムール、お主など四十文というところですな。
639 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 20:11:01 0
age
ティムールが自分の顔を見て泣いたって聞いて感動した
>>638 誰かと思ったらホジャ・ナスレッディン、ホジャ・ナスレッディンじゃないか!
642 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 00:15:20 0
age
.
644 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 14:03:47 0
age
645 :
世界@名無史さん :2006/02/01(水) 17:15:58 0
646 :
世界@名無史さん :2006/02/18(土) 01:11:51 0
今バルトリドの「ウルグ・ベク」読んでるけど ティムール死後の後継者戦争って結構面白いですね。 裏切りと足の引っ張り合いで。 ハリール・スルタンが妙に好人物だ。
647 :
世界@名無史さん :2006/02/21(火) 19:09:13 0
ティムールとイブン=ハルドゥーンの会見はイスラム史屈指の名場面だ。
648 :
世界@名無史さん :2006/03/05(日) 23:25:59 0
ティムールスレもいまや、世界史板でも最長寿級のスレになったかな。
5年てすごいね
651 :
世界@名無史さん :2006/03/06(月) 20:17:01 0
>>647 ティムールにしてみれば目から鱗の体験だったろうな。
イスラム世界にこんな人物がいたとは…という感じで。
>>651 同じ歴史マニアとして話が合ったのだろうな。
仕官は断られたけど。
もしあの時点でハルドゥーンがティムールに仕えたら
独自の視点でチャガタイ=ハン国〜ティムール朝序盤の歴史を
書いていたかも。
ああ、もしイブン・ハルドゥーンがティムールに仕官していたら シャー=ルフ時代にはハーフェズ・アブルーの位置になっていたわけか。 すると『集史』とかのモンゴル帝国からイルハン朝史・チャガタイ・ウルス史 なんかの修史関連の事業も彼が直接かかわる事になるのか。『イバルの書』の 改訂版も『集史』や『カーミル・フィ・ッタアリーフ』なみに本格的な 「イスラーム世界史」になったんだろうねえ。年齢的にちょっときついかも 知れないけど。
655 :
世界@名無史さん :2006/03/27(月) 09:24:15 0
age
656 :
世界@名無史さん :2006/03/27(月) 10:46:31 0
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / ヽ l::::::::: | |:::::::::: (●) (●) | |::::::::::::::::: \___/ | ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 僕達も一応アフガンやトランスオクシアナに出兵してるから ティムール朝にいれてよ。 一応向うの人は『ティムールの子孫』として扱ってくれるよ。
ザヒールッディーン・ムハンマド・バーブル・パードゥシャー曰く。 γ~三ヽ (三彡0ミ) ・゚・( ∩Д`)・゚・ マーワラーアンナフルの首都なるサマルカンドを征服・統治せずして / /ヾ|@@ヘ どうしてアミール・ティームール・クールガーンの裔たるを誇れようか、 ┃ / ||::| (⊃ 我が愛子よ! ┣━━━┓ヾ ヽ┓ ┃※※※┃ | | ┃ ┣━━━┫_)_.)┃
658 :
世界@名無史さん :2006/04/22(土) 23:41:26 0
アッラーの御名において月例保守。
659 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 01:53:54 0
660 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 16:02:27 O
ティムールは永楽帝に勝てただろうか? どちらも全盛期の国家 ただ全盛期の宋は契丹に惨敗したが
>>660 このスレでも散々語られてきたけどティムールの遠征経路をシミュレーションするだけでも
優に一スレを消費する話題だ。
敦煌→華北方面か、それとも北元と共同して長城越えて北京を衝くか。
兵站面でも二年分もの食糧を備蓄(携帯)したいたというし、長期戦を覚悟していたかも。
ティムールさん家は人材に乏しい。 ティムールが一人で切り盛りしてるだけ。 チンギスさん家とはえらい違い。 たとえ明に勝っても、ティムールの死後支配崩壊。 結局、ティムール死後帝国瓦解というシナリオは 変わり様がないと思うな。
チンギスの場合、生前にオゴタイを指名して、それがクリルタイで通ったのが 後々の帝国発展の基礎になったけどティムールの場合、臨終での指名で しかも一代飛ばしての孫を指名したから各地に分封されていた王子たちの内紛を 防げなかったのが帝国衰退の要因。
664 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 17:45:39 0
トランスオクシアナのある村では「ティムールが死んだぞ!」というニュースが伝わると みな一斉に近くの山へ避難を始めたという。
正式名の「トランスオクシアナ・アミール・ティムール」じゃないと通じないよ 当時のあそこら辺にティムールなんて名前は日本でいうと太郎や一郎と同じメジャーな人名だし。
「アミール・ティムール」でも駄目?
「アミール・ティムール・キュレゲン」が正式名じゃないのか? チンギス家の婿というのがティムールの看板みたいな物だし。
668 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 19:34:16 O
ティムールに不幸だったのは北のウズベクが興隆期に入ったこともあるでしょうね アブー・サイードなんかはウズベクのアブル・ハイムの支援受けて即位してるし
>664 なんで逃げるん?
>>669 チンギスが死んだ時、柩を担いだ行列に出会った生き物(人間や家畜類)を
殉死と位置づけて殺した故事に基づいた話だろ。
ティムールの頃に行われたかは知らんが。
ティムールの頃にはもうやってないと思われ。 後継者の間で戦争が始まるのは確実だと思われていたっていうエピソードだろう。
672 :
世界@名無史さん :2006/05/07(日) 20:49:21 0
EUとかアラブとか中南米とか見ての通り、たとえ同系でも国際的に力のある統合体を作るのは そりゃー大変ですからなあ。汎トルコも難しい。
そーいえば全盛時のティムールはオスマン朝とジュチ・ウルスと東チャガタイを勢力下においた と考えればほぼ全テュルク統合と言えなくも無いか。 シャー・ルフはオスマン朝との国交を修復し、黒羊朝とはすったもんだの末にアゼルバイジャンの 支配を認めたそうだがジュチ系やチャガタイ系の国々とはどんな関係だったんじゃろ。
675 :
世界@名無史さん :2006/05/18(木) 20:13:48 0
日本語で読めるティムールの伝記とティムール朝の歴史で お薦めの本を教えて下さい。
『世界の戦争3 イスラムの戦争』って本に載ってる加藤和秀「草原の英雄ティムール」が一番いいと思う。
677 :
世界@名無史さん :2006/05/18(木) 22:08:32 0
>676 これティムール好きは知ってるけど、書名にティムールの 名前は出てないし、一般には知名度低いんだよなー。 他にティムール本っていいのないし、3倍くらいに膨らまして、 どっかの選書か厚い新書で出し直してくんないかなー。 小説だけど、森下研『草原の彗星チムール』新潮社 もよく読み返す。小説にしてはちょっと固すぎて あんまり売れなかったのか、もう絶版かな。 文庫化もされてないし。装丁がまたいいんだよな。
ティムールの死からフサイン・バイカラの死までのティムール朝史を知りたかったら 少なくとも英語が読めないとキツい・・・
679 :
世界@名無史さん :2006/05/21(日) 20:52:07 0
680 :
世界@名無史さん :2006/05/23(火) 04:14:35 0
日本じゃあまり人気ない 中東や西洋の方が人気があるか
カスティリア・レオンのエンリケ三世の侍ルイ・ゴンザレス・デ・クラヴィホが ティムールの最晩年に使節として謁見し、その旅行記が今でも読まれているのが 大きいんじゃないだろうか。マムルーク朝やバヤズィット1世をこてんぱんに したってのもあるんだろうけども。
チンギス・ハーンには成れなかった人・・・のイメージだな。 永楽帝と衝突の前に死んじゃったし。
683 :
世界@名無史さん :2006/05/23(火) 22:39:37 0
当時の明は国としてしっかりしてるから負けるとは思えない
モグーリスターン、オイラト、モンゴルを 完全制圧もしないで一足飛びに永楽帝と対決、っていわれても あんまりリアリティないんだよなー。だから岡田英明説 (明遠征じゃなく実はモンゴル遠征だった)みたいなのが 出てくる。
あ、岡田英弘だったw
別にイランやロシアも完全征圧してる様にはみえないからいいんでない? 中国遠征も長期に亘ったろうから 「3年戦役」(イラン) 「5年戦役」(ロシア、カフカス) 「7年戦役」(アナトリア、シリア) の順番から 「9年戦役」となっていたに違い無い
687 :
世界@名無史さん :2006/05/23(火) 23:09:12 O
侵入経路はタリム盆地経由?
?
689 :
世界@名無史さん :2006/06/12(月) 01:10:41 0
いまW杯、イラン対メキシコ戦がキックオフ! ところで今気付いたが、背番号14番のミッドフィールダーが 「アンドラニク・タイモーリアン」選手。 姓の綴りが「Taymourian」なんだが・・・もしやティムールにちなんだ姓なのか?
690 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 23:12:14 0
イランならありえそうだ。
691 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 01:13:40 0
ティムールが単体で中国を征服するのは無理だよ。 元以降中国を支配した王朝が滅ぶパターンは全部一定だからね。 元以降は全て日本相手に戦って消耗した所を他にやられる、だからね。 元は北条、明は豊臣、清は帝国、中華民国(本土統治国家として)も帝国。 そういや人民共和国も毎度おなじみパターンにはまりつつあるな。
元は北条と戦って消耗したのか?消耗したのは基本高麗だと思うが。 明はまぁそう。清は、太平天国でしょう。ひょっとして釣り?
693 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 01:35:22 0
>元は北条 これは絶対おかしいでしょう。
691=フビライ以降の全盛期がどれだけ続いたのか知らないバカ
紅巾の乱がひどくなるまでは留学ブームとかあったしな。
696 :
世界@名無史さん :2006/07/06(木) 17:37:16 0
当時の日本の僧侶の間では元に留学するのがブームで 夢想礎石がそれに苦言を呈していたな。 「元に行くより自分の元で修行しろ」と それに正式な国交は無かったが民間交易は盛んだった。 有名な天竜寺船なんかもそう。
697 :
457 :2006/07/06(木) 20:25:21 0
でも15万人も溺死者が出たなんてモンゴル史上最悪の敗北じゃないかな
>>697 元寇のことか?
溺死者の大半が旧南宋兵だから元からすれば厄介払い出来てラッキーと
思ったんじゃない?
新附軍のうち老兵、幼年兵に農機具、種籾を持たせて送り出したというが ソースは何なんだろうねえ。元史とか?
700 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 06:30:20 0
700ゲット
白羊朝・黒羊朝って、お手紙書いた食べたさっきのお手紙御用事何?って感じだな
1370年のティムール朝建国以後のティムールは不敗を誇ったが 彼の軍隊や官僚制度についての日本語で読める史料て無いですかね?
703 :
世界@名無史さん :2006/07/27(木) 01:25:03 0
>>702 The Rise and Rule of Tamerlaneの邦訳なんかあれば手頃なんだが・・・
そういえば岩波講座世界歴史の11巻に
「ティムール朝とその後――ティムール朝の政府・宮廷と中央アジアの輝き」
てのが載ってます。
704 :
世界@名無史さん :2006/07/27(木) 01:30:47 0
昔、チムールという名のレストランがあったな・・・ 何料理だったのだろう。
ムガールというインド料理屋なら近所にあるが。
やはりティムール朝を深く研究するとなると 英語・ウズベク語・ロシア語は必需品か。
707 :
世界@名無史さん :2006/08/13(日) 10:54:05 0
あとペルシア語な。これ読めないと何にもわからんよ
708 :
世界@名無史さん :2006/08/13(日) 21:40:10 0
陳舜臣にティムールとその子孫という題材で小説書いてほしい。 彼、大学時代はペルシャ語専門だったからペルシャ語のティムール関連の 史料文献も読めるだろうし。
709 :
世界@名無史さん :2006/08/13(日) 21:52:17 0
チャガタイ・トルコと現在のトルコ語て、どう違うんだ? 「バーブル・ナーマ」の日本語翻訳は相当な期間を有したが それを考えると、難解な言語の部類に入るのか?
711 :
世界@名無史さん :2006/08/22(火) 17:54:55 0
age
712 :
世界@名無史さん :2006/08/25(金) 22:08:24 0
チャガタイ語と比較するのなら、ウズベク語やウイグル語だろ。
ティムールは文盲だったがチャガタイトルコ語とペルシャ語は 自由に話せたそうだ。
本が少ないから 文字が読めてもたいして助けにならないだろ
当時のイスラーム圏の本の普及率を知っていての発言か?
716 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 22:17:43 0
保守
ティムールって人気ないね
718 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 14:01:45 0
>>713 秀吉の御伽衆のような側近が文書を読み上げていたのだろうか。
719 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 20:25:35 0
ティムールの生き様はジンギスカンより遥かにドラマチックなんだが 誰か堺屋に教えてやってくれ 誰か「勝利の書」を和訳してくれ
堺屋は別にチンギスハーンに魅力感じてるわけじゃないだろ。 800周年で商売になるから取り上げてるだけだよ。 ティムール生誕ナントカ周年で商売になるなら 取り上げるだろうよ。
直木三十五の実弟の植村清二氏が日本最初のティムール朝史家。
アミール・キュレゲンって称号は 単なるアミールよりは価値が高かったんだろうな。
去年はティムール死去600周年。 今年はティムール生誕670周年。
キュレゲン←グルカン←鮒馬 …何でフナとウマで「娘婿」の意味になるんだろうか(´・ω・`)
「鮒馬」じゃなくて「駙馬」。 駙馬(皇帝の予備の車につける馬)をつかさどる駙馬(「駙馬都尉」の略)の官に 魏・晋以後、公主(皇帝の娘)の夫が必ず任命されたことから、皇帝の娘婿を「駙馬」と言うようになった。
…(´・ω・`) お恥ずかしい。
>725 って事は ティムールに擁立された名目ハーンは「可汗」だったんだろうか?
ソユルガトミシュやその息子のスルターン・マフムードは傀儡とはいえ、 ティムールによって擁立されてハーン位に即いた。 ティムールは宿敵アミール・フサインをバルフに包囲する前に チンギス家のソユルガトミシュをハーン位に推戴し、大義名分を得るとともに、 フサインとその子供を滅ぼした後にはフサインの妻だったサライ・ムルク・ハヌム (チャガタイ・ハーンだったカザン・ハーンの娘)を娶り、チンギス家の婿(キュレゲン)となった。 娘婿といっても、ハーン位に擁立したソユルガトミシュはチンギス家とはいえオゴデイの子孫で、 一方、妻となったサライ・ムルク・ハヌムはチャガタイの子孫で、二人に父娘関係があるわけではない。
729 :
世界@名無史さん :2006/12/02(土) 15:37:35 0
日本文芸社の「チンギス・ハン世界帝国の謎」川崎淳之助著 は後半3分の1はティームルの伝記だよ。
ティムールの伝記ってこういう中途半端なのばっかりなんだよな そしてどれ読んでも内容同じ(あたりまえだが)で読後感も一緒。 特に印象に残らない。
731 :
世界@名無史さん :2006/12/02(土) 17:30:01 0
まあ小説じゃないからな
ティムールの伝記ってそんなにたくさんあるのか?
代表的なティムールの伝記は、ティムールが晩年に編纂を命じて書かせた、 ニザームッディーン・シャーミーの『ザファル・ナーマ(勝利の書)』(1402-1404年編纂) 及びシャー・ルフの命によって1425年にシャーミーによる伝記を改訂補筆した、 サイイド・シャラフッディーン・アリー・ヤズディーの『ザファル・ナーマ(勝利の書)』の 二種類の『勝利の書』が有名。 最初期のティム−ル朝関係の史料としてはシャーミーの『勝利の書』に先立つギヤースッディーン・ アリー・ヤズディーの『ルーズナーマ=イ・ガザワティ・ヒンドゥースターン(インド遠征日誌)』 が知られている。他に代表的なティム−ル朝時代のティムールの生涯について書かれた史料としては シャー・ルフ治世中のハーフィズ・アブルーの著作集や王朝後期のミールホーンドなどの年代記資料 などがある。クラヴィホの旅行記やイブン・ハルドゥーンはじめマムル−ク朝側の記録もいくつかあるけど。
アフマド・イブン・アラブシャーとか
735 :
ty270410 :2006/12/03(日) 21:54:05 0
ザファル・ナーマの英訳本がたまに古書店の目録に載っているが, えらく高価ですね! 一昔前ならば,英訳から日本語への重訳でもよかったが, 今は原語からの訳でないと通用しなくなった. 諸本の校訂,さらには註をつける・・・・ 翻訳へのハードルが高くなったのは望ましくはあるが, 悩ましい問題でもある.
736 :
世界@名無史さん :2006/12/29(金) 17:39:54 0
祝五周年! 世界史板最長寿スレになったか?
737 :
世界@名無史さん :2007/01/01(月) 05:23:54 0
人よ、君はねらった目的を達成すべきだ、 それより夢見るのを止めるがよい。 このどちらもできないのならば、 どこかへ去って、鳥のように生きるがよい。 --バーブルの詩
バーブル・ナーマはいいな。 全編読みたいけど高すぎて手が出ない・・・ 東洋文庫で出してくれればな・・・
740 :
世界@名無史さん :2007/01/18(木) 19:26:40 0
日本語で読めるティムール朝史の本が少なすぎる。 頑張って英語やペルシャ語を覚えるしかないのかな・・・
741 :
世界@名無史さん :2007/02/23(金) 21:32:51 0
>>737 一月に逝ってしまわれましたな・・・合掌。
742 :
世界@名無史さん :2007/03/15(木) 18:54:47 0
ティムールの少年〜青年期て家畜泥棒に明け暮れて ムスリムとしての基礎教育もされてなかったのね。
743 :
世界@名無史さん :2007/03/16(金) 09:32:26 0
「コーランを暗記」とかなら やってる人のほうが少数派だったと思う
息子以降はインテリ多いだろ。
745 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 22:39:56 0
ティムール自身は普段は何語を話していたんだろうな。 サマルカンドだからウズベク語あたりか?
>>745 チャガタイ語と言わず、ティムール朝を滅ぼした
「ウズベク」の名を挙げるなんてジョークかいな?
747 :
世界@名無史さん :2007/03/25(日) 23:55:17 O
その滅ぼしたウズベキスタンではなぜか今、ティムールを英雄に祭りあげている
そういやキプチャク汗国では行政文書はチャガタイ・トルコ語で書かれたのが多いらしいですね。 キプチャク・トルコ語より洗練されてたんでしょうか。
>747 別にサマルカンドやブハラの住民を皆殺しにして ウズベク人に入れ替わったわけじゃなくて、 ウズベク人王朝(シャイバニー朝)に占領されて ウズベク人になった(合流した)だけだから、 全然かまわんだろ。
750 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 18:30:30 O
ティムールでなく自民族であるシャイバーンを讃えて英雄にすべきでは?
751 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 18:41:27 O
シャイバーン→シャイバーニー スマソ
752 :
世界@名無史さん :2007/03/26(月) 21:53:47 0
そういえば今夜から18日間「シルクロード第2部」の 再放送だね。ビデオで全部持ってるけど、楽しみだなあ。 旧ソ連の××スタン諸国は第8集(4/2(月))〜第13集(4/7(土))。
シャイバーニー・ハーンってティムールに比べたら圧倒的に知名度ない(国内外問わず)感じだし、 なんと言っても、最期が哀れというか情けないというか…やっぱティムールの方がええわ。
754 :
世界@名無史さん :2007/03/29(木) 13:48:42 0
シャイバーニー・ハーンの名前なんかせいぜい、サファヴィー朝史で 初代のイスマーイールに負けて頭蓋骨を酒盃にされた時くらいしか 出てくることないからな〜。
755 :
世界@名無史さん :2007/03/30(金) 14:57:19 0
シャイバーニーといえばバーブルが自伝のなかで 野蛮な田舎モノ呼ばわりして散々こき下ろしてるな。
756 :
世界@名無史さん :2007/03/30(金) 18:57:02 O
そりゃそうだろう バーブルはティムールの子孫だし ウズベクにコテンパンにのされたわけだから 負け犬の遠吠えだろ
実際シャイバーニー・ハンは田舎者だったみたいで、バーブルの従兄弟のミールザー・ハイダルの 著書だったと思うが、シャイバーニー・ハンがサマルカンドだったかブハーラーを制圧した時、 ナクシュバンディー教団の指導者ホージャ・ヤフヤーの親族の何とか言う人物が、ハンから 抵抗した言い訳を聞いたところ、韻を踏んで「時世の推移で致し方なかった」みたいなことを 言ったんだそうだ。 ところが、ハンは彼の言ってる内容があまり理解出来なかったみたいで、首を傾げただけで そのまま処刑してしまったんだとか。 田舎者といえば田舎者だけど、ジョチ家はバトゥとオルダの家系が断絶してからずっと政情が 不安定なままで、ティムール朝のスルターン・フサイン・バイカラの宮廷みたいに拠点となる 宮廷の存在をずっと欠いたままだった。あるとするとクリミア・ハン家くらいだろう。 ティムール朝の宮廷みたいなペルシア語文化のある種の「雅びさ」から遠い環境だったわけで、 そこらへんは流石に仕方ないじゃないだろーか。 普通、イスラーム社会でも宗教者を殺害するのはかなり問題あるから余程の事でもないと世俗君主は やらないんだけど、シャイバーニー・ハンは上のホージャ・ヤフヤーの親族みたいにあまり抵抗なく やってる場合多い。これもだいたいシャイバーニー・ハンの「田舎者さ」の表れだったとか聞いた事が ある。
初期のモンゴル王侯なんてみんなそんなもんだったんだけどな だからちょっと口がうまいサキャパンディタやパクパあたりに コロリと参ってしまう。粗暴だけど純朴な人たち。
そういやハーフィズの書いた詩がティムールの逆鱗に触れて逮捕されたときは 当意即妙な答えをして許されたとか。 本当にあった話かどうか知らんけど。
760 :
世界@名無史さん :2007/04/03(火) 12:43:30 0
シャイバーニーも詩人でその名前も先祖のジュチの子シバンの名を 元ネタにしたペンネームだそうですな。
ハナフィー法学派の始祖のひとりに10世紀に活躍したアブー・アブドゥッラー・ ムハンマド・シャイバーニーという高名な法学者がいて、自分達の家の名祖シバンと アラビア文字での同じ綴りのシャイバーンを引っ掛けてシャイバーニーと名乗ったとか いうなかなか凝った趣向だと聞いた事が。>しかも「ムハンマド」というのも同じ
764 :
世界@名無史さん :2007/04/05(木) 19:16:23 0
>>763 これ本人の頭蓋骨から復元したんだけど
その際、墓廟発掘してすぐにドイツがソ連に侵攻したんで
ティムールの祟りと言われているよ。
>>760 それ監督の名前もティムールなんだよなw
「エスケープ・フロム・アフガン」とか撮った人だが
クラヴィーホの記述でバルフの前に名前を忘れた大きい町のことがでてるけど これってメルブのこと?もうこのころは廃墟かな
767 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 09:40:15 0
>>766 クラヴィホの記録は「遥かなるサマルカンド」で時々読んでますけど
ティムールや后妃たちの巨大テントがいったいどういう構造になってるのか
何度読んでもさっぱり分からないw
訳文が悪いのかこっちの読解力の問題なのか
768 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 14:50:45 0
ティムールと永楽帝の戦いがもし実現していたらどういった結末になりますか? ティムールは史上最高級の戦いの天才と思いますが、明の広大な国土を生かして戦えば 簡単には永楽帝も負けないと思います。ティムールは北のモンゴル族と挟撃する つもりだったとも聞きます。永楽帝も戦争のプロです。どうなると思います?
FAQだな。答えはないよ。
770 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 17:08:57 0
既に老衰していた(クラヴィホの記録だと常にまぶたが垂れ下がっていた)ティムールと 壮年期でやる気まんまんの永楽帝じゃ勝負にならないと思うが・・・
771 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 17:19:45 0
棺のたたりの後、ソ連は棺を溶接したらしいが これは現在でもそのままなのであろうか? どなたかおしえてくだされい。
772 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 18:44:24 O
>>767 いいなあクラヴィホの本よく手に入ったね
今、古本で探してるけどなかなか手に入らないよ
773 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 22:48:08 0
戯曲「タメルラン・ザ・グレート」って観てみたいな やっばり浄瑠璃「国姓爺合戦」みたいに史実とかけ離れたものなのかな?
クラビホなら英訳がネット上に公開されてたと思ったが。
775 :
世界@名無史さん :2007/05/07(月) 12:44:20 0
ティムールの後継国はもうないんですか?
776 :
世界@名無史さん :2007/05/07(月) 12:59:34 0
ティムール!!ティムール!!
>>775 サマルカンドとかを含むウズベキスタンにおいてはティムールは英雄。
実際、ティムール帝国中核部の住人の子孫の大半はあのへんに
いるだろうし。
779 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 16:15:05 0
質問だけど、今現在、日本語で読めて価格も手ごろなティムールの本てありますか?
>>779 ちょっと思いつかない・・・
自分が最初にある程度詳しく読んだのは「戦争の世界史」の
「イスラムの戦争」の巻に載ってた「草原の英雄ティムール」だった。
岩波新書の「中央アジア歴史群像」にティムールについて一章割いている。
782 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 19:00:23 0
『草原の彗星チムール』森下研著、新潮社 『チムール帝国紀行 』クラヴィホ著、山田信夫訳、桃源社 『遙かなるサマルカンド』リュシアン・ケーレン著、杉山正樹訳、原書房 『ティームール朝成立史の研究』加藤和秀著、北海道大学図書刊行会 『ティムール帝国支配層の研究』川口琢司著、北海道大学出版会
>『草原の彗星チムール』森下研著、新潮社 これは小説。でも意外にきちんとまとまってるんだよな。 「息子の嫁に横恋慕(プラトニック)」なんて妙な サブテーマ(創作)はあるけど。
ティムール、クシャン朝、ソグドってシルクロードがらみで やたら取り上げる人が多いけど、まとまった日本語の本がないし、 どれもみな同じネタを繰り返すだけになってる。もう飽きた。
785 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 14:16:33 0
ティムールはアレクサンドロス、チンギスハーンに比べると知名度が低いね
786 :
世界@名無史さん :2007/07/05(木) 15:32:52 0
ペルシャ史では必須の王朝名なんだがね>ティムール朝 如何せん日本では知名度が低い。 優れた研究者&研究書も少なくないのだが・・・
787 :
世界@名無史さん :2007/07/05(木) 15:50:43 0
ティームールがオスマン・トルコのバヤジト1世と戦った後 オスマン軍に与したアルメニア人捕虜たちを全員、去勢した と聞いた記憶があります。 これは何という文献に記載されているのでありましょうや? また、それは耶蘇暦の1402年のことと看做してよいのでせうか 間違って他の板で聞いてしまいました。
ティムール朝では宦官を宮中で使う風習は無いから その話はデマ臭い。
>788 いつものホモ男くんだから、放置しておいていいよ
アルメニア人の捕虜を全員城壁から投げ落として処刑したという話なら聞いたことがある。 最後の方の人は死体がクッションになって助かったとか。 当時のオスマン朝の版図に、例えばセルビア人部隊のようなまとまった数の兵力を 提供できるほどのアルメニア人の集団っていたんですかね。 白羊朝とかならいただろうけど。
ティムール朝てイブン=ハルドゥーンの 「都市を征服して文明生活に触れた遊牧国家は衰退する」を 地でいっている王朝だよな。
ティムール朝の連中は「最初遊牧民で後で定住民になった」 わけじゃなくて、初代ティムールの頃から定住民だよ。
793 :
世界@名無史さん :2007/07/06(金) 07:26:20 0
789番の超ド変態のド白痴め!!!! 天刑病に蝕まれて死に腐れーイッ!!!!!!
>>792 そうだったっけ?
ティムールにしろ後代のバーブルにしろ、サマルカンドやヘラートに
やって来た時は郊外の庭園にユルトを張ってそこで生活しているけど。
>>794 バーブルまでずっと遊牧民だった、て言うんなら
「ティムール朝は定住化して衰退した」という説は
やっぱり成立しないよなw。
796 :
世界@名無史さん :2007/07/10(火) 23:05:48 0
遺体の写真は結構な迫力だね 500年前の歴史上の人物が未だに存在してるって凄いわ
797 :
世界@名無史さん :2007/07/11(水) 01:10:28 0
ティムールの軍事力と経済力は世界的に見てトップですか?
799 :
世界@名無史さん :2007/07/11(水) 09:55:24 0
>>798 返事サンクス
ナンバー2という所ですね
800 :
世界@名無史さん :2007/07/11(水) 22:44:51 0
801 :
世界@名無史さん :2007/07/12(木) 07:41:36 0
>>788 ,790
Wikipediaの“castration”の項目に書いてあった記事は偽りなのでしょうか?
アルメニア人捕虜を去勢したという話の件です。
802 :
世界@名無史さん :2007/07/18(水) 03:14:12 0
Beatrice Forbes Manz Power, Politics and Religion in Timurid Iran Cambridge University Press, 2007 という本が出てるらしいね。前作のティムール時代に続き 今回はシャー・ルフ時代が中心らしいけど。 とはいえUS$100くらいするのは高いなあ。特に昨今の 円安の折なかなか厳しい。誰か読んだ人感想聞かせて。
図書館に入るかペーパーバックが出るまで手が出ないな
804 :
世界@名無史さん :2007/08/06(月) 09:28:38 0
>>773 クリストファー・マーロウの『タムバレイン大王 第一部・第二部』は日本語訳あるよ。
もちろん史実とかけ離れてる。いちおう「トルコ王バジャゼス」ってのは出てくるが
なんか首都がバビロンだったり、ペルシアの姫君とのラブロマンスがあったり、
いまどきバビロンとか出てきたり、アフリカ大陸まで征服してたり、
現実のティムールを念頭において読むと滅茶苦茶な内容になっている。
『タムバレイン大王』については川崎淳之助の本読めば充分だな。 どうでもいい話満載だったけど。
806 :
世界@名無史さん :2007/09/05(水) 22:54:41 0
age
807 :
世界@名無史さん :2007/09/08(土) 08:50:07 0
ムガル帝国の王族は最後はどうなったんですか?
1858年、大反乱を鎮圧したイギリスは最後の王バハードゥル・シャーを 裁判にかけて有罪とし、ビルマへと流刑に処して退位させた。 と書いてあったから他の王族も一緒に流刑にあった可能性は高いね。 中には王族ということを隠して逃げ延びたり、匿われた人もいるかもしれないし、 ゼロではないと思うね。
いっぱいいるよ。ムガルは何代続いたと思ってるんだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mughal_Empire Present-day descendants
A few descendants of the last Mughal Emperor,
Bahadur Shah Zafar, are known to be living in Delhi,
Kolkata (previously called Calcutta), and Hyderabad.
Some of the direct descendants still identify
themselves with the clan name Timur and with one of
its four major branches: Shokohane-Timur (Shokoh),
Shahane-Timur (Shah), Bakshane-Timur (Baksh) and
Salatine-Timur (Sultan). Some direct descendants
of the Mughals carry the surname of Mirza and Baig
and are found predominantly in Pakistan particularly
in Multan. There is some controversy surrounding
the use of these surnames by imposters masquerading
as descendants today. However, good genealogical
records exist for most families in the subcontinent
and are often consulted for establishing the authenticity
of their claims.
hou
バハードゥル・シャー2世の娘のムムターズは流刑先のラングーン(ヤンゴン)で 杜文秀の雲南・大理の回族政権から英国やオスマン朝に救援要請に赴いたが、 成果が得られずに帰国する途中で回族政権が清軍に滅ぼされて帰るあてが なくなっていた、杜文秀の甥のハサン(中国名・劉道衡)と結婚したらしいな。 子供には恵まれなかったみたいだけど。
812 :
世界@名無史さん :2007/10/16(火) 01:48:45 0
ティムール朝ってなんで始祖本人の名前に因んでるんですか? ウマイヤ朝やアッバース朝はご先祖を立ててたのに。遊牧民って自己中なんすかね。 それと、ティムールがスルタンだった時には既に「ティムール朝」って呼ばれてたんですか??
813 :
世界@名無史さん :2007/10/16(火) 02:35:39 0
あ、アミールって呼ばれてたんですね、スルターンじゃなkった。ふふふ^^
814 :
世界@名無史さん :
2007/10/31(水) 08:58:30 0