ゲルマン民族大移動って何?

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1虫眼
ゲルマン民族大移動って
やっぱり
アジア人に追い出されたんだよね
それでなくても
白人の文化は
アジア人に見て「すごい」と言わせたところに意味がある
アジア人にシカトされた白人文化って
地上で最も憐れだな
2おさる:01/11/18 15:46
ヒッタイトが侵入したんだよ
3世界@名無史さん:01/11/18 17:50
>>1
ゲルマン民族大移動とは
375年、フン族がヴォルガ川を渡り西進したことに脅威を抱いた
ドナウ川北岸の西ゴート族約6万人が、ローマの防衛線ドナウ川を渡り
ローマ領に侵入を開始したことが発端。
ローマ帝国に大打撃を与えた事件。
4世界@名無史さん:01/11/18 19:44
>1
そして追い出されたローマ人たちは海へ逃れ、アメリカ大陸を発見。
アメリカ大陸各地に植民地を作り現在にいたる。
5世界@名無史さん:01/11/19 00:21
ぐるっと回って、現在「カンダハル」に向かっております。
6世界@名無史さん:01/11/19 00:40
現在「カンダハル」から市ヶ谷方面に向かっております。 ヤバイです。
7世界@名無史さん:01/11/19 05:20
まぁ、あの時代の中国の拡張政策に、遊牧民族がヨーロッパ方面へ押し出された、ということで。
たまたまローマ帝国も衰退期だったしね。
8世界@名無史さん:01/11/19 09:54
最近は、当時の気候変動の影響研究も興味深いところです。
9世界@名無史さん:01/11/19 11:02
>あの時代の中国の拡張政策に、遊牧民族がヨーロッパ方面へ押し出された、

ちがうと思ふ・・・
10世界@名無史さん:01/11/19 14:09
>>4
>そして追い出されたローマ人たちは海へ逃れ、アメリカ大陸を発見。

千年もタイムラグあるじゃん
11マンコ・カパック:01/11/19 16:12
>>4
おのれローマ人め、わしの帝国を滅ぼしおって。
12世界@名無史さん:01/11/20 17:35
>10
千年も流浪の旅を続けていたんだね。ローマ人って可愛そう。彼等に安住の地は…
13世界@名無史さん:01/11/20 20:27
>>12
約束の地、ローマを目指す運動は、ロマニズムと呼ばれた。男のロマン。
14現在も:01/12/14 22:52
このエピソードが彼の有名な「さまよえるローマ人」として世に残ったのです。
現在もさまよってますよ、こないだ横須賀で見かけました。
15世界@名無史さん:01/12/15 00:00
1が2度と現われさえしなければ、比較的まともなスレになりそう・・・
16世界@名無史さん:01/12/15 00:08
  それからイタリア半島にローマを建国しようとした
 ローマ人達の苦難はさらに続く、なんとそこには
 アラブ人達がすでに居住していたのだった。
 
17世界@名無史さん:01/12/15 01:07
前秦の符堅が南征に出兵したのが376年。ひょっとしたらフン族が西へ移動した為、
南方へ軍を出す余裕が出来たからかもしれない。
18世界@名無史さん:01/12/21 00:58
>17

375年にフン族が東ゴート族を服属させたことが、西ゴート族の移動の
きっかけなんだから、前秦と東晋のひ水の戦いとは取りあえず無関係でし
ょう。それに昔はともかく、今はフン族=きょう奴という学説は一般的では
ないんじゃないの?

個人的には、「ゲルマン民族の大移動」って言い方はあんまり適切じゃな
いと思う。「西ゴート族の大移動」っていうなら、まあ分からないでもな
いけど。それと、ヴァンダル族もかな。
19世界@名無史さん:01/12/21 01:04
フランス人は「蛮族の侵入」と呼ぶ。
20エルモのすけ:01/12/22 18:41
民族の大移動って具体的にどのように行われるのですか?
何万何十万という人々が荷物持って「はい、みなさん行きますよう」とか言って
一斉にぞろぞろ歩き出すのでしょうか。
その際、統率とか食料、住居などはどうするのでしょうか。
また、先住の人たちとは争ったのでしょうか(軍事力は?)。
21世界@名無史さん:01/12/22 20:50
>>20
大変そうに思えるけど
アフガニスタンの難民が簡単にとなりのパキスタンに移っているのを見ると
国境の定まっていない当時に武力を背景にした
何万何十万の大移動なんか、割りと簡単なのじゃないかなあ。
22世界@名無史さん:01/12/22 21:42
>>20
昔のヨーロッパの歴史書を読むとその通りだよ。
争いがないようにルートを選んだのが普通だが、それでも
時々は戦争になった。
紀元前後の古代ゴート族などはうまくやったほうだ。いまのポーランドの
グダンスクあたりにまず上陸し、しばらく定住してから、
ヴィスワ川沿いに南下していったが、土地の古代スラブ人やケルト人との
軋轢の跡はみられない。戦闘的な部族のはずだが、ゲルマン人の大移動期より
数百年も前の話なので、当時の部族の性格も違っていたと思われる。
23世界@名無史さん:01/12/31 20:04
フン族とゲルマン諸民族の関係だが、
昔はゲルマン民族がフン族に押されて、
つまり「玉突き式」に移動したと考えられていたが、
最近はどうも「雪だるま式」(つまり、フン族にゲルマン民族が
くっつく形)に膨らんでいったのではないかと考えられている。
24:01/12/31 20:24
>>23
詳細きぼーん。
各民族の移動には時間差があったように読んだんですが、
そのへんどうなんでしょ?

あと、「何万何十万」ってどのように算出したんでしょうか?
25世界@名無史さん:02/01/01 11:19
>>20
ゲルマンの部族は原則、100世帯で構成されます。これをGAUと言います。
全ての行動はガウ単位で行われ、それを統率する族長によって動く方向が決まり
ます。移動グループは500人〜1000人位が何組も移動したと考えられます。

余談だが、ドイツにある有名な村オーベルアマガウはゲルマンの古典的地名
オーベル…上にある・アマ…地名・ガウ…村
アマの上にある村という意味
26世界@名無史さん:02/01/01 12:57
>24
従来フン族の西進についてついて、ある部族がフンを圧迫し、
フンが移動してアランを攻撃し、負けたアランがフンと合流して
東ゴートに襲いかかり、東ゴートは西ゴート領内に入った、
といように連鎖的にある部族が別の部族を追い出す結果をもたらしたと
解釈されてきた。
しかし、フン族の征服過程をたどっていくと、別の部族を追い出すのではなく
次々と飲み込んでいった「雪だるま式拡大」とでもいったほうがふさわしい。
それは後の突厥やモンゴル帝国の拡大にも似ている。
フンの最盛期の中心は従来ハンガリーにあったとされてきたが、
それも荒らし回られたという被害者意識の強いヨーロッパ中心史観の
産物である。
実際には、フンはカフカスを越えてアルメニアやローマ帝国の東方属州にも
侵入し、またカスピ海の東側をを回ってペルシアへも侵入している。
ということは、彼らの占拠領域が黒海北岸、北カフカス、カスピ海北方から、
カザフスタン草原までをも覆っていたという事になる。
そして彼らの残した考古学的遺物もこれらの地域から出土している。
27世界@名無史さん:02/01/01 13:47
フン族とエフタルって本当に関係あるのかな?
28世界@名無史さん:02/01/01 14:36
>27
ヨーロッパではエフタルのことを「白フン」、
テュルク(突厥)のことを「赤フン」と呼んでいました。
ただ単に同じ遊牧民だからという理由だと思います。
なお、この白とか赤とかいうのを肌の色と解釈する人が
いますが、方位(白=西、赤=南)を表している可能性も
あります。
29世界@名無史さん:02/01/01 18:01
<<24
北アフリカのヴァンダル族の王ガイセリックが、80人の千人隊長(キリアルクス)
を任命してみせかけの兵力を膨らませたという話があります。
ちなみにヴァンダル族はアラン族やムーア人も支配、あるいは同盟相手に
していました。
30世界@名無史さん:02/01/02 12:48
>>28
それは現在のロシア・白ロシア・赤ロシア(ウクライナ西南部)にも
あてはまるようですね。
31世界@名無史さん:02/01/02 21:02
ヴァンダル族の王ガイセリックは、西ゴート族の王テオドリックと仲違いしたあと、
ローマが西ゴート族の側についたので自分はフン族にたよりました。
あと、フランク族も王の死後兄弟が争ったとき、兄はフン族の援助を要請し、
弟はローマの支援を乞いました。
もちろんフン族の側はこの同盟に飛びつき、ガリアに侵入します。
32世界@名無史さん:02/01/03 00:04
テオドリック以外に西ゴートで何かやらかした王様っている?
33世界@名無史さん:02/01/03 01:30
ローマの将軍アエティウスは、アッティラと同盟を結んで、ブルグント族と
戦ったりしてますね。当然、カタラウヌムの戦いより前の話だけどね。
34世界@名無史さん:02/01/03 10:10
>32
西ゴート王エウリックはオドアケルからガリアとヒスパニアの統治権を
譲られています。
ちなみにこの人物は兄のテオドリック二世(テオドリック一世の子)
を殺して王位につきました。
その息子のアラリックはフランク王クローヴィスと戦って敗死。
35世界@名無史さん:02/01/04 02:09
一応、エウリックまでの西ゴート王国(アタウルフ〜テオドリック2世)は
ローマ領内の自治国家です。

>34
アンテミウス帝が西ゴート王国の独立は承認してたと思うけど。
オドアケルもそういう許可をエウリックに与えたにせよ、アンテミウス帝と
エウリックの契約の追認程度の意味しかないと思います。
36世界@名無史さん:02/01/04 17:26
しかし、ゲピデってのはいつから出現したかよく分からんよな、、、
37世界@名無史さん:02/01/04 17:33
赤フン族と白フン族フンドシで大暴れ
38世界@名無史さん:02/01/04 23:52
>36
269年にはトランシルヴァニア地方に定住していますが、
それ以前はそれよりも北に住んでいたのかも。
ホントによくわからない。
3936:02/01/05 04:50
>>38
後のバイエルン族やテューリンゲン族のように2次的に形成されたのかな?
確か「第3のゴート」の異名を持ってたよね?
40世界@名無史さん:02/01/08 17:54
素朴な疑問ですが、今のフランス人って、フランク族とは違う語族なの?
41世界@名無史さん:02/01/08 22:38
>39
その可能性もあると思います。
ブルグント族なんかも一種の混成部族だという説もありますし。
42世界@名無史さん:02/01/09 00:26
>40
語族的には同じインド・ヨーロッパ語族だと思うがそんなレベルじゃなくて?
43世界@名無史さん:02/01/09 00:54
>42
インド・ヨーロッパ語族じゃ範囲広すぎると思いますよ。
ペルシア人もインドのアーリア人もインド・ヨーロッパ語族なんだから。
44世界@名無史さん:02/01/09 01:15
移動だよ。
45世界@名無史さん:02/01/09 03:53
過去ログより、一応該当スレになるだろう

民族の大移動について(26)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/957/957379191.html
46世界@名無史さん:02/01/10 17:47
折角該当スレがあっても、
すぐ、過去ログ入りしてしまいますからね
4745:02/01/11 02:34
>>46
このスレが過去ログ入りして、そこからリンクできるように過去ログのスレに限定したのだが…。
過去ログのURLって時々変わるのかな?
48世界@名無史さん:02/01/11 04:11
朝鮮人大移動は?
漢人に追い出されて日本になだれ込んだ?
4945:02/01/13 02:23
>>45のスレをよく見ると、いいレスないな。よく見てなかった自分(反省)
50世界@名無史さん:02/01/14 20:03
>45
うむ。以後きをつけよ。
51世界@名無史さん:02/01/26 03:26
>48
大移動ってほどじゃないでしょ。
52世界@名無史さん:02/02/07 21:28
第一次移動のとき、北ゲルマンはなにをしていたのかな。グレゴリウスの「歴史十巻」
にちらっとデーン人の記述がでてくるけど、それ以外はあまり聞かないよな。
53ドイツにん ◆ayJofU/E :02/02/16 11:44
>>52
デーン人のことはよくわかりませんが、ユトランド半島にいたユート族は近隣の
アンゲル、サクソン族と融合して、大ブリテン島に渡りアングロ・サクソン族の
起源となった。デーン人が歴史の表舞台に現れるのはノルマン人の時代でクヌー
ト王のときだったと思う。
54世界@名無史さん:02/03/02 15:31
匈奴の末裔って仮説は何が根拠なんでしょう?文化的遺物?政治制度?
55世界@名無史さん:02/03/02 17:36
>>39
ゲピダエ族は、最後にはランゴバルド族と結んだアヴァール人(モンゴル系)
によって滅ぼされたと思う。
56世界@名無史さん:02/03/13 21:00
ゲルマン人の王はもともと「ティウダンス」(thiudans)と呼ばれていた。
それが民族大移動後、王の名称もケルト語からの借用語である「レイクス」
(reikus)に変化した。
ドイツ語のライヒもこれと同じ語源。
57世界@名無史さん:02/03/15 00:32
>>40 
フランク族は、ガリア地域に侵入しメロビング朝を興したが、多勢に無勢で
ガリア先住民に吸収された。ガリア先住民の子孫が、近代フランス人でしょう。

58世界@名無史さん:02/03/16 18:06
ゲルマン人の王は、最初は血統が重視されていたけど、民族大移動の
時代を経て、しだいに血統より軍隊の指揮者としての才能が求められるように
なった。
59世界@名無史さん:02/03/16 19:45
>>52
スカンジナビアの方はフン族の侵入を受けていないので
相変わらずの牧歌的古代生活を送っていた。

>>57
ガロ・ローマ人という。
60世界@名無史さん:02/03/16 20:01
>>55
アヴァール人の支配階層は後代のタタールと同じような文化を持っていたし
中国にも侵入した柔然に比定されているが、モンゴル成立のずっと以前なので、
モンゴルではない。「アヴァール人」という集団全体の人種・部族については
諸説あるが、西欧に侵入した部族については人数的には大半が
後代のスラブ人だとされる。
彼らは当時アヴァールの汗の影響下にあり、正教系の年代記では、汗が
スラブ人の協力を要請したことが伝えられていて、汗はスラブ諸部族に
対してはゆるい支配関係にあったと想定されている。
61世界@名無史さん:02/03/16 20:35
>>59
ローマ人侵攻前の居住民がケルト人、侵攻後の両者の混血がガロ・ローマ人、
ガロ・ローマ人とゲルマン人の混血がフランス人、でよいのですか?
62世界@名無史さん:02/03/16 21:00
>>61
大体はね。デーンとの混血のノルマンとかいろいろいるのはまあいいとして。
しかし血統的な混血もそうだが、むしろ文化的混血と考えたほうがいい。
63世界@名無史さん:02/03/16 21:06
>>62
フランスが異文化に比較的寛大なのも、そういう伝統が
あるからなのかな?
64世界@名無史さん:02/03/16 21:12
>>63
いやフランスでなく、パリが寛大なんだよ。

いまはロンドンやニューヨークにはかなわないけど。
65世界@名無史さん:02/04/20 13:26
>>63
いやフランスでなく、都市という生活空間が寛大なんだよ。
フランスは、現代イスラームと違い異文化を排斥はしないが、自文化を保守している。
仏語維持運動のように。日本の古来からの舶来文化賛美心理とは、大違い。


66世界@名無史さん:02/04/20 19:06
67世界@名無史さん:02/04/20 19:54
>>57
今のフランス人ってガリア人、ローマ人、ゲルマン人の混血じゃないの?
68世界@名無史さん:02/04/21 03:57
今のイタリア人には古代ローマ人の血は入ってるんですか?
69世界@名無史さん:02/04/21 09:59
>>65
でもイタリア文化(古典古代、ルネッサンス)に対しては違ってたんじゃ
ないかなあ。
アングルのような新古典派の巨匠たちもイタリア留学してるし。
70世界@名無史さん:02/04/29 02:12
もし糞の征西がなかったらゲルマン共はどうなってたか誰か想像してくれ。
71世界@名無史さん:02/04/29 05:55
そのままイラン人になってた
72世界@名無史さん:02/04/30 17:37
>>57
スペイン(西ゴート王国)も支配者はゲルマン系だったんだよね。
73総督:02/05/07 20:58
ゲルマン諸国家の中でフランク王国が最強だったのは「移動距離が短かったから」
って定説なの?なんか単純すぎない?
74総督:02/05/07 21:01
>>72
でも、すぐにウマイヤ朝に侵略されちゃってるね・・・
もしトゥールポワティエでフランクが負けてたらその後の欧州は
どうなっていたんだろう・・・
75【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/05/07 21:04
1はジーモンと根っこは同じく人種的・文化的劣等感の塊だね(藁
76世界@名無史さん:02/05/07 21:10
>>73
ユスティニアヌス時代の東ローマとか、もっと後のイスラム勢力から
遠かったので、あまり強力な敵の侵略を受けず、受けても撃退が比較
的楽だったってのは重要だと思うよ。
77総督:02/05/07 21:11
>>75
ここは>>1はいなかったものとして進行しておりますので悪しからず・・・
78【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/05/07 21:13
>77
済みません。
79総督:02/05/07 21:13
>>76
なーる。
どちらにしろ地理的幸運って事ね。
80 :02/05/07 21:45
>>74
まぁ歴史の必然でいずれはレコンキスタされてただろうね。
81世界@名無史さん:02/05/08 02:07
ドイツ語やるとどうしても民族意識が強くなるのは何故?
フランス語や英語をやってもそれほどでもないのに。
やっぱり近代(現代ではない)ドイツの旧い民族思想からの悪影響?
82総督:02/05/08 17:23
>>81
ヒトラーの影響と思われ。
83フィフテ:02/05/08 17:31
「ドイツ語こそヨーロッパ文明の根源に根ざした言葉で、
他のラテン系の言葉は人造語にすぎない。」
84世界@名無史さん:02/05/08 17:58
>>83のはちょうど、>>81のいうの旧い民族思想時代の発言だから、
やっぱりドイツ語やるとそういうのに多少洗脳されるのはあるかもな
85ヤーウェ:02/05/09 14:27
045(714)3120
     ↑
この者大罪を犯した者なり。
報復を与えたまえ。
86世界@名無史さん:02/05/09 18:49
「フランス」はエスニックなものというよりは「文明」
である、と自負しているフシがある。「フランス文明」
なんてよく見る表現だ。これはローマ帝国の後継を自認
しているのと関係しているだろう。それに、エスニック
なフランスの成立がせいぜいフランス革命後でしかなく、
周辺諸民族からの参加を前提とした民族である、という
事実がその観点と矛盾しなかった。
フランスがブルターニュ、バスク、アレマンなどの非ロ
マンス語系の同化を「肯定的」に捉えたのに対して、ド
イツはスラブ系の同化をいわば「無かった」ことにして、
「諸ゲルマン民族の統一」という神話を採用した。これ
はわざわざフランス的統一とは逆のイデオロギーを求め
たとしか思えない。
87世界@名無史さん:02/05/10 02:34
>>86
ドイツ民族という言葉はきくが、フランス民族というのは聞いたことが無い。
ドイツがゲルマン人とスラブ人の混交圏であるというのは、日本ではあまり認識されないね。
88世界@名無史さん:02/05/10 02:42
かなり極端な定義になりますが、西川長夫的な定義としては

ドイツ的な「民族」の定義…言語と血統と伝統文化が何より大事。
             これがないドイツ人はドイツ人じゃない。
フランスの場合…自由や平等などの(民主主義的)価値を「絶えざる
        国民投票」によって認め、実践するのがフランス市民
        としての条件。
        移民排斥したがってるルペンなんかフランス人じゃないのさ。

以上、そういうことです。
89世界@名無史さん:02/05/10 03:02
>>88
であるから>>86の言うようにドイツの「民族意識」は事実とは無縁の神話に過ぎなくなって、
ナチス的破綻を起こしてしまう。
しかし現代のドイツ人の意識はその西川先生のいうところの民族意識からさえも
かなり変化してきている。
左派政権の長である首相や、右派でも産業連盟の会長などは明らかにスラブ系の血統に繋がる人々であるし。
戦後の移民系の社会同化が進んでいる。
90世界@名無史さん:02/05/10 19:50
>>88
でも、フランスは言語的なしめつけは強いぞ。
91世界@名無史さん:02/05/11 01:09
>>90
ドゴールの右派政権からね。
それまでは共通語さえ実際はまだ曖昧だった。
もちろんジョスパンの社会党はそんなに保守的な政策を採らない。
いまのシラクの保守政権では実際上フランス語使用を強く求めるが、
EUになってから、なし崩し的に英語化も進んでいる。
英語は文法がシンプルで、ヨーロッパ人にとっては最も学習しやすく、
大衆的な近現代の英文学やエンターテイメント産業の貢献もある。
でもドイツも若い世代は皆懸命に英語勉強してるけどね。
現代のドイツ人はそんなに民族意識は強くない。
しかし、旧弊なドイツ民族意識はドイツ語やドイツ史を学習する日本人の間に
半永久的に相続されていく。この現象には当のドイツ人さえ戸惑う。
92世界@名無史さん:02/05/11 01:57
日本にいるドイツ学者のほうが割と戦前までの旧態依然なドイツ観を持ち過ぎてる
ってことか。(ドイツはヨーロッパの中のドイツ、と意識して学ばないと、
ドイツの思考の森に陥って抜け出せなくなるとフランス語学者が言ってたが、
ユダヤ人でありながら愛国者の詩人のハイネも、フィフテらに対して
「もっと外からドイツを見る必要がある」と警告してたようだし)
93世界@名無史さん:02/05/11 22:58
>>92
そもそも日本人がドイツ関係のことを学ぼうとする動機は
それ以前からもっていたドイツへの何らかの憧れから、という場合が多い。
これはもうドイツ屋の日本人の宿命的に持つフィルターではないだろうか。
(中国屋ではチャイナ・スクールなどという言葉があるくらいだし)
それに対して、ドイツ以外のヨーロッパ人がドイツ関係を学ぶ場合、
動機はもっと現実的な必要性に基づくものではないだろうか?
94世界@名無史さん:02/05/12 01:06
そもそもゲルマンの定義はなに?
北欧もゲルマン?
95世界@名無史さん:02/05/12 02:09
ノルマン
96世界@名無史さん:02/05/13 11:44
「ゲルマン」という語はローマ人による呼称であって、
自称とは違うのですか?
97世界@名無史さん:02/05/13 11:54
>>96
最初はゲルマンは他称でした。
その後、自称として受け入れるようになった経緯があったはずですが、私は詳しくは知りません。

ついでに書いておくと、20世紀も後半になって古代ゲルマン系諸族の分布や移動経緯がある程度詳しくわかるようになってから
ノルマンは学術的には言われなくなりました。北方ゲルマンとか言われるようになりました。
98世界@名無史さん:02/05/13 12:22
ローマ人ゲルマニクスの名にちなんだ地方名ゲルマニアに住む人々が
ローマ人によってゲルマン人と総称されていたのであって、タキトゥスのゲルマニアでは
実際はスラブ系言語を使う(と後の時代にわかった)いくつかの部族(ルギャニェ族など)が
彼のいうゲルマン人(とくにスエビ諸族)の中に含まれている。しかし過半の部族には
言語的な共通性があったので、その系統の言語を話す人々が、より限定的に
ゲルマン人と呼ばれるようになった。ドイツの英語名はいまだにGermanyで、
ヨーロッパのうちの「ゲルマニア地方」としての意味。
99世界@名無史さん:02/05/15 20:09
>>ローマ人ゲルマニクスの名にちなんだ地方名ゲルマニアに住む人々

ゲルマニクスはゲルマニア地方を制した者って意味じゃなかった?
カエサルはなんて呼んでたの?
100世界@名無史さん:02/05/18 21:15
100ゲットぉ
101世界@名無史さん:02/05/25 17:49
アフガン難民がパキスタンやイラン等、移動したとき 情報はラジオ、テレビ、新聞、クチコミでほとんど人々は理解していたと思うけど
やっばり当時は争いが相当あったのですかね?
102世界@名無史さん:02/05/25 18:53
古代にはCNNやインターネットはおろか、ラジオもTVの新聞もなかったから大混乱になったよ(w

アフガン難民との違いは次のような点。
民族大移動の主力になったゲルマン民族はローマ帝国の同盟部族と言って、もともと辺境部の防衛の任にあたることを交換条件に土地の耕作権を認められていた。
つまり、元々武装集団としての一面を有していた。

そこにフン族から追われたゲルマン族が合流したのが大進入の起因。
だから人口圧も高まっていたので、飢えた武装難民として掠奪をして廻った。
>争いが相当あった
なんて生易しい状況ではなかった

辺境警備をしていた連中が領土内に大進行しちゃったんだから、ローマ帝国側の防備はモロモロ。
ここに東ローマと西ローマの駆け引きとかが絡んだ。
大まかに言って東ローマはともかく自分とこを優先的に守備しようとしたので、蛮族は西ローマ領の内奥部までジャカスカ侵出してった。
103世界@名無史さん:02/05/26 00:17
紀元370年頃、現在の南ロシア地域にあった東ゴート族の生活圏がフン族に襲撃され、交戦するも敗れる。
多数がフン族帝国の傘下に吸収されるも、多数が西に逃れ、ドニエプル川近辺で西ゴート族に合流。

伝376年、一部キリスト教化(アリウス派)していた西ゴート族は、フン族に圧迫され、東ローマ皇帝ヴァレンス帝にドナウ川渡川(帝国領への進出)を嘆願し、許可される。
一説に、皇帝は西ゴート部族をフン族に対抗する戦力として利用しようと意図したとも。

推定20万人と言われる進入民がおそらくは地中海に到達しようと掠奪行を続けるに至り、ヴァレンス帝は彼らの迎撃を決意。ペルシア遠征を中止し、アドリアノープルへ転進。
ヴァレンス帝は、378年8月9日、西ローマ皇帝グラチアヌスの増援来援を待たず開戦。混戦の後、東ローマ軍は壊滅。ヴァレンス帝は戦場で行方不明に(おそらく戦死)。

ヴァレンス帝の後継者テオドシウス帝は、コンスタンティノープルに迫った西ゴート族と交戦しつつ講和締結。数年後、西ゴートはトラキア地方に同盟部族として滞留。

この後、西ゴートのアラリックが東ローマを牛耳ったりいろいろ。フン族のゲルマン族への圧迫も継続。
406年にはヴァンダル族、スウェーブ族、アラン族がライン川を渡川して侵入。当時ローマ同盟部族としてライン川畔に滞留していたフランク族、アラマン族に襲いかかった。
このときのゲルマン諸族のガリア侵入は当時の記録に「ガリア(地方)は松明のように完全に焼けてしまった」と記されている。
408年には西ゴートのアラリックがイタリアに進攻するなど蛮族の侵入と混乱はまだまだ続く。
104103の続き:02/05/27 18:46
紀元406年頃、西ローマのガリア地方にヴァンダル族、スウェーブ族、アラン族が侵入、大混乱に陥った。
当時ラヴェンナにあった西ローマの政庁は、アラリック率いる西ゴートに対処するためガリア方面には有効な対策をうつ余裕がなかったと思われる。
(西ゴートはこのとき一端イタリア半島中部に滞留する)
このため、ヴァンダル族らの移動についで、グンダハール率いるブルグンド族、アラマン族などが西ローマ内奥への侵入を果たすことになった。

ブリタニアのローマ軍に擁立された僭称帝コンスタンチヌス3世が、ピレネー山脈を防衛すべくブローニュに上陸したが、敗退。
409年にはヴァンダル族などがイベリア半島に侵出。
多数のローマ臣民が対岸のアフリカに避難した。
当時の歴史記録には次のようにある
「蛮族はイスパニアで暴れまわっている。ペスト禍も同様に荒れ狂っている〔中略〕飢えに迫られて人間が人肉を貪り食うほど恐ろしい飢餓が猛威をふるっている」

数年後、イベリアに侵入した蛮族は彼ら自身も困窮し、同盟部族としてイベリアに居住する交渉を西ローマ相手にはじめた。
ハスディング=ヴァンダル族、スウェーヴ族はドウロ川近辺に、シリング=ヴァンダル族は現在のアンダルシア地方に居を構えることになった。

現在の南仏〜地中海沿岸一帯は、ヴァンダル族らのイベリア居住により一息ついた型になった。
が、おそらくは1年ほどの差で、アラリックの跡を継いだ義弟アタウルフに率いられた西ゴートがイタリアから南仏に転進してきた。

南仏の地中海沿岸部に居を構えたアタウルフは、僭称帝ヨヴィウヌスを倒し、西ローマのホノリウス帝と和解。
413年に同盟部族の扱いを受けナルボンヌ地方への居住を公認された。
が、数年後、同盟締結条件だった食糧の供給が西ローマからなされなかったことを理由に、ゴート族はナルボンヌから、トゥールズ、ボルドーを占拠した。
この後、アタウルフは西ローマ政庁に対し、種種の政治的駆け引きを展開するようになる。
105世界@名無史さん:02/05/27 19:46
僕は高校の世界史で、中国に追われたきょうどがフンとなり
西に西にゆき、それが玉突き式にゲルマン民族の大移動を引き起こした
と習いましたがこのスレを見ているとどうやら違うようです。
ではフンとは何者なのでしょうか?
フンは何のために移動したのでしょうか?
106世界@名無史さん:02/05/27 20:07
>>105
フン族の前身が中国史書に記された匈奴だ、と言う説は古くからあります。
同時に古くから疑問視する説もあります。

近年、疑問視する説が有力化しているかに聞きます。
が、実はこうした問題は、中国史をやってる人達と西欧史をやってる人達で見解が微妙に違う、といったこともあるのでやっかいです。

もし「高校の世界史で、中国に追われた匈奴がフンとなり」と教わったのでしたら、
受験勉強用には「フン族の前身は匈奴」と覚えることをお勧めします。

「フン族の前身は匈奴」と仮定するならば
「中国に追われた匈奴がフンとなり西に西にゆき、それが玉突き式にゲルマン民族の大移動を引き起こした」と言う理解も、さほど間違いとも言えなくなります。

実は3世紀頃からゲルマンの一派はゴート族はローマ帝国の領域を度々侵していました。
これはいわゆる「ゲルマン民族の大侵入」の前史です。
また、ゲルマン諸族の大移動を引き起こした時点でのフン族は、研究者によってはフン帝国と呼ぶような体制でした。
配下にゲルマン系部族やイラン系部族も従えていた。
が、中心勢力はフンでした。
こうした知識も補助的に覚えておくと受験勉強でも何かの役にたつかもしれません。

>フンとは何者なのでしょうか?
>フンは何のために移動したのでしょうか?
すでに書きましたように、この辺は専門研究者の間でも幾つかの説が唱えられているようです。
私も、詳しくは知りません。
私も、どなたか、どんな説が、どんな根拠で唱えられているか整理していただけるとありがたいと思います。
107世界@名無史さん:02/05/27 21:09
>>105
このスレの次のあたりが参考になると思うぞ。

>>20-26
特に(>>26)>フン族の征服過程をたどっていくと、別の部族を追い出すのではなく
>次々と飲み込んでいった「雪だるま式拡大」とでもいったほうがふさわしい。
>それは後の突厥やモンゴル帝国の拡大にも似ている。
ってあたり。

読んでみて疑問が生じたら、また質問してみてもよいと思う。
108世界@名無史さん:02/06/14 13:24
>>76
オイオイ!南仏は海を越えてきたイスラム教徒に荒らされてるよ。現スイス領内まで進入されてる。シチリアのように国のレベルまで到達しなかったので、無視されがちだが。
 
カール・マルテルのマルテル(鉄槌)とは盛んに遠征したために付けられた。その遠征地はアキテーヌや南仏だ。
 
109世界@名無史さん:02/06/14 13:24
>>76
オイオイ!南仏は海を越えてきたイスラム教徒に荒らされてるよ。現スイス領内まで進入されてる。シチリアのように国のレベルまで到達しなかったので、無視されがちだが。
 
カール・マルテルのマルテル(鉄槌)とは盛んに遠征したために付けられた。その遠征地はアキテーヌや南仏だ。
 
110世界@名無史さん:02/06/14 18:03
どこからともなくやってきて一大勢力を築き、当時の秩序を一気に覆して西ローマ帝国を崩壊へ導く。
"海の民"ならぬ"陸の民"ですか。
111SP:02/06/27 12:53
現在は「フン族」を称する人はいないのかな?ハンガリーだってマジャール人だし。
そうすると消えた民族?
112世界@名無史さん:02/06/27 16:03
>111
フィンランド
113SP:02/06/27 17:51
そうか、フィンランドかあ、フィンランドといえばアホネン
114世界@名無史さん:02/06/28 01:39
>>113
ニッカネン、マキネン・・・
115世界@名無史さん:02/06/28 18:00
へるす マネキン
116世界@名無史さん:02/07/07 15:10
アホちゃいますねん パーデンネン パー
117世界@名無史さん:02/07/07 15:24
ゲルマン民族大移動って第二次大戦中に、アイヒマンが組織した強制移送のことでしょう?
118世界@名無史さん:02/08/05 17:33
                    + 小移動 age +
      ∠ ̄\
        |/゚U゚|
      〜(`二⊃┳⊃>>55
       ( ヽ/┃
        ( |┃
        UU┃
   〜〜 (◎) ̄))

119世界@名無史さん:02/08/05 18:40
>>112 >>113
日本に次いで姓(ファミリー・ネーム)の数の多い国。
120世界@名無史さん:02/08/22 12:03
現在のスペインの王族や貴族はゲルマンの地が濃いの?
いちおう、あそこには西ゴート王国があったけど・・・
121120:02/08/22 12:03
×地→○血
122世界@名無史さん:02/08/26 00:45
>>120
現在のスペイン王家=ブルボン王朝の系統じゃなかったかな。
貴族は・・ゲルマン系かどうかという詮索は不可能でしょう。
西ゴート王国は、カトリックを採用してから、ゴート人と
ヒスパノ・ローマ人との混合が進んだので。
123クラムネシンドゥス:02/08/27 01:02
フランスに旅行したときに、現地で人名学の本を買ったことがある。それによると:

ガリアを征服したフランク人は、人口的にはガロ・ローマ人に対して劣勢だったので、
独自のゲルマン系言語を次第に失い、ラテン系というかロマンス系言語を採用して
いったのだが、反面、人名のつけ方については、逆にガロ・ローマ人に影響を与えて
いったそうだ。
特にフランク人の影響の強かった北部と中部では、ローマ系住民がゲルマン系人名を
つけるようになる度合いが極めて大きかったという。

教会記録などを調べると、北部と中部では、5世紀には、人名の中のゲルマン系氏名の
比率は1/4未満なのだが、6世紀にはほぼ半数になり、9世紀になると、ほとんどすべて
ゲルマン系人名だけになる。
一方、ローマ文化が根強く残った南部では、マルセイユの記録によれば、9世紀でも
半数近くはギリシア・ラテン系人名が用いられていたという。

9世紀を超えると、次第に聖人崇拝が広がった関係から、キリスト教系(語源的には
ヘブライ・ギリシア・ラテン)の人名が広がっていく。
124ふむ:02/08/27 10:11
なお、人名の中には、稀に、
ラテン語とゲルマン語を合体させた「ハイブリッド人名」も
生まれたという。
たとえば、現代のフランスにも残っている「ボナール=Bonard」は
ラテン語のBonus(=善い、勇敢な)とゲルマン語のHard(=強い、鋭い、勇敢な)を
あわせて生まれた名前であった。
125世界@名無史さん:02/09/15 20:16
yg iu9
126世界@名無史さん:02/09/23 19:24
>>20
>民族の大移動って具体的にどのように行われるのですか?
安住できる土地まで、とり得る交通手段で、行くのだよ。
田畑にしがみついて生きる習性が、沁みついた水稲耕作民の末裔らしい質問だね。
難民が、生きのびるために移住するのは、歴史的には、定住生活民より多数派なんだよ。
食糧不足や軍事的迫害でね。現代でも最近アフガニスタンで報じられたばかりだが。
127世界@名無史さん:02/09/29 08:17
フンの侵入以前にゴートはバルト海沿岸から南ロシア方面へ移動してるよね。
この原因はなんだったの?

ちなみにスウェーデンのエーテボリ(Goetburg)ってゴートの街ってことだよね。
128世界@名無史さん:02/09/29 10:52
「アジア」はラテン語。
129世界@名無史さん:02/09/29 20:21
>>127
イェーテボリは「ゴートの町」
イェータランドは「ゴートの土地」

なのでしょうが、これは後の時代になってから
ゴート族を意識して意図的に名づけたのかな?
まさか、ゴート族移動時代からその地名があったなんてことは
ないでしょうね?
130世界@名無史さん:02/09/30 05:09
>>127
移動の原因は多分、気候の変動だと思う。
もっと詳しい人いるとおもうけど。
131世界@名無史さん:02/09/30 11:18
移動の原因は経済格差が原因ですよ。
ようするに今でいう難民みたいなもの。
132世界@名無史さん:02/09/30 11:53
>>131
もうちょい詳しく教えて。
ということは、残った人はどうなったの?
ノルマン人の祖先とか?
133世界@名無史さん:02/09/30 12:01
正直、漢の武帝の西方進出が原因だと思ってたよ…ショボーン
134世界@名無史さん:02/09/30 12:28
経済格差、気候の変動、フン族の圧迫などが
要因として挙げられる

ただ、ローマ帝国自身が、すでにゲルマン人を
軍隊や下級官吏などにどんどん登用していたことも
忘れてはいけません
135ケルト人:02/09/30 14:01
俺達の方が哀れだよ
136世界@名無史さん:02/10/27 22:58
>>3
そのとき、スラブ人はどうしていたの?
137世界@名無史さん:02/10/28 23:21
>>132
残った部族は、スラブ系に吸収され同化したものと思われ。
138世界@名無史さん:02/11/14 23:23
現代イタリアの地名ロンバルジアは、ゲルマン諸派のうちのランゴバルド族の
部族名起因でしたでしょうか?。
139突厥:02/11/15 00:02
>>138
>現代イタリアの地名ロンバルジアは、ゲルマン諸派のうちのランゴバルド族の
>部族名起因でしたでしょうか?。

そうすっよ。
140世界@名無史さん:02/11/16 09:08
>>139
どうしてランゴバルド族は、ローマ近辺地域まで侵入・移住しえたのですか?
先住ローマ人は、どこへ追い出されたのですか?
141世界@名無史さん:02/12/01 01:14
長身金髪碧眼のゲルマン系の直系子孫の現代ドイツでも、北部に比べ中部や南部では
長身金髪より、短身黒髪の人が多いのは何故なのですか。
142世界@名無史さん:02/12/01 07:24
全然直系子孫じゃないし、なにより民族と人種とをごっちゃにしている時点で…
143:02/12/13 19:45
フン族に圧迫され、ゲルマン民族大移動の
きっかけを作ったのは東ゴート族でした。
ところが西暦375年、先にローマ帝国に
侵入してきたのは西ゴート族でした。
そこで質問。なぜ、西ゴート族は
東ゴート族より先に動いたのでしょうか?
144世界@名無史さん:02/12/13 20:03
ドイツと日本は結構密接な関係にあるよね。
元寇の時、運も味方して何とか侵略を防げた。
その後新たなモンゴル帝国である。ロシア、ソ連
との戦い。歴史って野は何の因果か。
145世界@名無史さん:02/12/14 10:58
>>143
東ゴートはフンと行動を共にし、西ゴートはフンから逃げたから。
146世界@名無史さん:02/12/14 21:00
>>141
ローマ帝政時代史書に登場するゲルマン人種の直系子孫は、現代の何人なのですか。
147:02/12/15 11:11
>>145
ありがとうございましたm(__)m
148世界@名無史さん:02/12/15 18:50
149世界@名無史さん:02/12/29 16:03
ベルンハルト・マイアー「ケルト事典」ならぬ「ゲルマン事典」ってないんだろうか?
150世界@名無史さん:03/01/03 03:33
ヨーロッパの民族移動について海外(欧米)の英語のサイトを調べていて、
面白いことに気づいた。
私は映画ファンなので、「この話をxx主演で映画化したらいいのになぁ」
などと妄想にふけることが好きなのだが、「この物語の時期の、この階層の
人間はどういう『容貌』『身体的特徴』の系統の人だったのかな?(それに
よってキャスティングの可能性は随分と変わってくるから)」ということを
知ろうとすると、途端につまずいてしまうのだった。

ある時代のある地域のある階層の人々は、「髪の毛や目や肌の色や背の高さ」
がどういう傾向を有していたか、ということについて、同時代の人々の記録や
証言が当然あったはずだろうに、それに関して言及しているサイトが驚くほど
少ないのだ。

で、たまに言及してるサイトは、たいていがアーリアだのナチだのの
白人至上主義サイトだったりする。

ああ、ヨーロッパでは「(ヨーロッパ)地域における人種的特徴の差違」
に言及する行為自体が、人種差別を誘発しかねないタブーに近いものとして
扱われているのだな、ということをこれで知った次第。

ヨーロッパ人の気持ちは分かるし、古代や中世においても混血が進んで
いて現在と同様に人種的特徴はヨーロッパ全地域で多様だったであろう
と見なすのも勝手だけど、でもそれは人種的特徴の地域的差違がヨーロ
ッパに存在しないということではないはずで。

ディカプリオがアレクサンダー大王ってのはどうなんだろう。何か違う
んじゃないの。
151世界@名無史さん:03/01/08 05:08
確かに、何か違うんだが、しかし、マケドニア人を含む、ギリシア人も
元は、北ヨーロッパからの移住であるし、アテナイ人ほど原住民との混
血はしてない、と思われてるし...
152山崎渉
(^^)