世界の名将100人を選ぼう!

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1
タイトル通りです。

軍事板に行けと言われそうですが、名将の存在が歴史にどのような影響
を及ぼしたか、そして上位百人を選ぶとどういう面子になるのか、考え
てみたいと思います。
2:01/10/19 23:27
で、私の出す候補ですが、ぬるい歴史ファンなのでメジャーで評価が定まっている
メンバーを中心に出してみます。

アレクサンダー大王
ハンニバル
スキピオ
カエサル
フリードリヒ大王
ジンギス・ハーン
源義経
ナポレオン
ネルソン


ここで判定して頂きたいのは
ヴァレンシュタイン 豊臣秀吉
の二名です。特にヴァレンシュタインが名将だったかどうか、判断が着きかねます。
戦場に敵より多い兵力を集めるという点では軍事の専門家としての第一条件をクリア
しているのですが、采配指揮が突出している印象は受けません。しかし、歴史的な
存在としては、最後の大傭兵隊長と言われながら、皮肉にもその募兵・兵力維持手段
を国家に取り入れられたがゆえに暗殺されたという「功績」を考えると、やはり
歴史に影響を与えた巨大な存在ではないか、と。

落選候補
リチャード獅子心王:理由はいいですよね。
3世界@名無史さん:01/10/19 23:31
義経の選定理由は?
「坂之上の雲」の伝聞証拠?
4世界@名無史さん:01/10/19 23:33
アタテュルク
貧弱なトルコ軍を率いて、並み居る列強と戦い、独立を守った男。
名将と呼べると思う。

韓信
勢力的には楚に圧倒的に劣ってた漢軍で、ついに中華統一に導いた。
5世界@名無史さん:01/10/19 23:46
義経は天才だからですよ
6世界@名無史さん:01/10/19 23:48
蘭陵王高長恭
7世界@名無史さん:01/10/19 23:51
>>2
概ね賛成なのですが、ううん・・・。
>ジンギス・ハーン
軍事的規模・影響力からすると、
オゴタイ=ハン・ジュチ+バトゥ・フラグ・フビライ・ハーンの方が上では?
余談ですがジンギス・カンかチンギス・ハンにそろえましょう。
しかもハーン(カーン)ではなくハン(カン)です。
ハーン(カーン)はフビライ(クビライ)以降。

劉邦・衛青+霍去病・耶律隆緒・岳飛・東郷平八郎・アイゼンハウアー・
サラーフ=アッディーンも入れて欲しいな。
8世界@名無史さん:01/10/19 23:58
世界への影響から考えれば源義経は無理なんじゃない?
日本代表はやっぱり東郷平八郎1人だと思う。
9世界@名無史さん:01/10/20 00:01
第2次大戦だと、候補としてはロンメルとかジューコフとかマッカーサーとか。
10世界@名無史さん:01/10/20 00:07
ホー・チ・ミン
11:01/10/20 00:17
義経選出の理由は、圧倒的に優位な平家軍を次々にうち破り、一つの王朝成立に
寄与したからです。世界史への影響は・・・うーんw
12Cavabien:01/10/20 00:18
ベトナムのチン・フン・ダオ(陳興道)
イギリスのクロムウェル
オランダのマウリッツ
スウェーデンのカール12世

この辺はどうでしょうか?
13世界@名無史さん:01/10/20 00:20
>11
義経が入ってるのは、日本だけでなく、やがて大陸にも雄飛して大帝国を築いたから、ですよね?(笑)
14Cavabien:01/10/20 00:20
カール12世がちと怪しいですな。
各地域から数人ずつ選ぶ形式なら入りそうだけど。
15厨房:01/10/20 00:21
すいません。きょうやっと、学研・歴史群像シリーズ「ナポレオン皇帝篇」「戦争篇」
買いました。だから・・・ナポレオンいうのは、初心者すぎますか?
16世界@名無史さん:01/10/20 00:23
バイバルス。モンゴル軍を撃退したというだけで、ランキング入りの資格十分と思われ
17:01/10/20 00:27
>7
名称についての統一には気をつけます、すいませんでした。
で、ジンギス・カンは自ら戦場で敵を敗っていますからね。

ただ、岳飛はどうでしょうか。確かに金軍を次々に破っていますが、歴史的に見て
大勢に変化を与えたように思えないのです。何というか、バトルに勝ってるけど
ウォーではどうか?みたいな。
18Cavabien:01/10/20 00:27
>>15サン
 ナポレオンは1サンが入れてありますよ。
 やっぱり欠かせませんよね(笑。

ハンガリーからマーチャシュも。
19Cavabien:01/10/20 00:31
ブルガリアのシメオン帝も候補に入れたほうが良いんじゃなかろうか。
20世界@名無史さん:01/10/20 00:32
山本五十六とかは?
21厨房:01/10/20 00:33
あ。恥ずかしい(汗)>>18
2で入れてましたね。

東欧からマーチャシュがエントリーですか・・・。
アラブ世界からも誰か欲しいですね
22:01/10/20 00:39
東郷平八郎は入れてもいいかと。

で、お願いなのですが、マイナーな人物の場合は略伝や武勇を書いて頂けると
判断しやすくなります。っていうか教えてください。
マーチューシャ、シメオン帝、マウリッツの情報希望。
後、「ビーナスなきマルス」オイゲン公とかいう人がいるそうですが、この人も。
23世界@名無史さん:01/10/20 00:41
ティリー、トルステンスゾーン、瑞王グスタフ2世とカール10世。テュレンヌと大コンデ。
24世界@名無史さん:01/10/20 01:00
>>21
ウマル・ブン・アル=ハッターブ(第3代カリフ、イスラム帝国の実質的建国者)
ハーリド・ブン・アル=ワーリド(大征服時代の軍人、通称「神の剣」)
ハッジャージュ・ブン・ユースフ(ウマイヤ朝の将軍、内乱鎮定に功)
クタイバ・ブン・ムスリム(ホラサン総督、中央アジア征服者)
ターリク・ブン・ズィヤード(ベルベル人出身の将軍、西ゴートの征服者)
25世界@名無史さん:01/10/20 01:04
>>21
もう二人出ていますよ。
ケマル・アタテュルクとサラーフ・アッディーン

ハールーン・アッラシードとティムールと
ナーディル・シャーとアウラングゼーブも入れようか
26世界@名無史さん:01/10/20 01:27
モルトケ(大の方)
27世界@名無史さん:01/10/20 01:27
>>25
その中にアラブはハールーン・アッラシードしかいないって…。
イスラムならバイバルスも出てるよ。
28世界@名無史さん:01/10/20 01:31
ダビデ、ヨシュア
29世界@名無史さん:01/10/20 01:36
名将の定義を教えて欲しい。
30リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/10/20 01:40
ワラキアのヴラド三世は?
オスマン相手に大暴れし、結局非業の死を遂げたが
おかげでワラキアは完全征服されず、属国の地位にとどまった。

後、マイナーなので逝けば
第四回十字軍で、コンスタンティノープルを
「陥落」させたベネチア総督
ダンドロはどうよ?
世界史的な巨大な事件を成立させた作戦・戦闘・戦術を駆使した
職業軍人という定義でいいんじゃない?
32世界@名無史さん:01/10/20 01:51
>>27
つーか、ハールーンって名将だたの?
なんだか単なる夜歩きと宴会好きのオッサンというイメージが(w
33世界@名無史さん:01/10/20 01:54
楚漢春秋でいえば
劉邦は明らかに名将ではないだろう。
最終的には敗北したが項羽は名将だと思う。
34世界@名無史さん:01/10/20 01:58
そろそろ関羽
35世界@名無史さん:01/10/20 01:59
ビザンチンのベルサリウスをお忘れか。
36世界@名無史さん:01/10/20 02:00
ベルサリウス
37世界@名無史さん:01/10/20 02:01
ベリサリウスは?
古代末期というか中世初期というか、そういう時代の東ローマ帝国の将軍。
ユスティニアス帝時代の再征服って相当部分この人の能力に寄与してたと思われ。
3837:01/10/20 02:05
げ、35、36はオレじゃないよ
ベリサリウスでケコーンするとは…
39通行人:01/10/20 02:09
いや別に疑っちゃいないよ。そういう偶然もあるのでしょう
4027:01/10/20 02:16
>>32
ビザンツを親征で叩いてるよ。
アッバース朝の最盛期を築いたとされるだけに。

>>31
王侯はどうするの?
中国なら唐の太宗や明の永楽帝にような…。
41世界@名無史さん:01/10/20 02:22
とりあえず曹操は文句無く名将。
42世界@名無史さん:01/10/20 02:43
海戦では、テミストクレス、ドレーク、ネルソン、東郷が候補ですかね。
ネルソンと東郷は既出だが。
43世界@名無史さん:01/10/20 02:51
なんで頼朝じゃなくって義経なの?
44世界@名無史さん:01/10/20 03:09
>>35->>37
(・∀・)イイ!
45 :01/10/20 03:57
>>31
だったら山本五十六は外せない
彼なくして真珠湾攻撃はあり得なかったし
それといわゆる職業軍人ではないが、対ソ連戦前のヒトラーは有能な指揮官としていいんじゃないの?(あくまでも結果論だけど)
46250829:01/10/20 04:17
完顔宗弼
抗金の名将ってこの人一人と戦ってたから
47250829:01/10/20 04:22
あと鄭和
あの時代の世界最大の海軍を率いてたこの人ははずせないと思う
でも史料があんまり残ってないんだよなあ
48世界@名無史さん:01/10/20 04:37
名将じゃないだろ
チンポないし
4931:01/10/20 08:08
>>45
個人的には、日本人ははずしたいの意見です。ベルサリウスやドラキュラ伯爵といった
意外な名前が出てくるほうが、「知る楽しみ」というのが出てきますので
50世界@名無史さん:01/10/20 08:09
モンゴル軍を見事撃破」であれば完顔陳和尚も入れてください。
大勢に影響を与えた人ではないけれどね。

>>1
秀吉ですか、名将というほど戦上手ではなかったのでは。
どっちかと言うと戦略で勝つ人ですし、世界のBEST100に入れるには苦しいかと思われ。
51世界@名無史さん:01/10/20 08:14
やっぱここは東郷元帥かな
52世界@名無史さん :01/10/20 08:49
「モンゴル軍撃退」つながりでエジプトのバイバルス
5352:01/10/20 08:55
も一人ベトナムの陳興道 
54:01/10/20 09:54
大分数が出てきたので名将の定義、選考基準もつめていこうかと思います。

定義:その武勇で歴史上に何らかの影響を与えた。存在しなければ歴史が変わって
   いたという人物。

選考基準
1:戦場で奇跡を演じた(大軍を寡兵で破る、驚くべき機略を見せる)。
2:自ら軍を率いた。

劉邦は2の基準で行けば落選。韓信は入れても良いでしょう。
リチャード獅子心王を外した理由を書くと、確かに勇猛だったかもしれませんが、
別に聖地を奪還できたわけではなく、当時の歴史書にさえ、相手がサラディンで
あれば戦争しなくても結べたであろうと言う条約を締結したのが精一杯の武功。
戦場で武勇を見せた「だけ」ではだめだと思うのです。岳飛や源頼朝、五十六を
外したのもそういう理由なんですが。
55名無し三等兵:01/10/20 10:29
>>54
戦略でも戦術でも始める前に勝てる態勢(大兵力を掻き集めることも含む)を整えるってのは
名将の定義には該当しないのか?
俺は世界史板は初心者なものでこの板の流儀は余り知らないんだが、
戦争に絶対負けない(少なくとも負けない)ことだけが名将の条件だと思ってたんだが違うのか?
別に勝利する経緯はどーでもいいんでないか?

ま、名将と言われる人間にも得手不得手はあるがな
楠木正成なんかは陣地防御の鬼だが、たった1回の陣地攻撃で死んでるし
56世界@名無史さん:01/10/20 10:32
54の基準でいえば織田信長に1票。
彼が桶狭間で勝たなければ日本の戦国時代は大きく変わったであろう。
その後の秀吉の朝鮮出兵など近隣諸国に与える影響も大きい。
日本人で世界史的名将の部類に入る数少ない一人。
57名無し三等兵:01/10/20 10:42
訂正
× 戦争に絶対負けない(少なくとも負けない)ことだけが
○ 戦争に絶対勝つ(少なくとも負けない)ことだけが
58世界@名無史さん:01/10/20 12:12
マホメットII世とサラディンは
59大スキピオ:01/10/20 12:32
エルウィン・ロンメル将軍。
彼の進言どおりにノルマンディーに主力を差し向けていたら…
60世界@名無史さん:01/10/20 13:37
ハンニバルは?
61世界@名無史さん:01/10/20 13:38
>>54
その基準でいけば曹操だってあてはまる.
それから「存在しなければ歴史が変わって いたという人物。」って
基準からすると義経はあてはまらないだろ.
織田信長だされちゃうと、ちょっと弱いけど、楠さんとかなら、
ここはまず世界史板ということ念頭においてね。

「日本人がいかに世界史の中で重要か?」という議論は、ま、日本史板で
お願いしますよ
63世界@名無史さん:01/10/20 13:45
ベルトラン・デュ・ゲクラン
(英仏百年戦争のフランス大元帥)

「双頭の鷲」で彼の存在を知りましたが、
歴史的な評価としてはどんなものなんでしょう?
64世界@名無史さん:01/10/20 14:16
ならカール12世はありだね。北方戦争がロシアの大国化を決定づけ、さらには現代の北欧の方向性も決めたんだろうし。
65世界@名無史さん:01/10/20 14:27
伍子ショ、ハンレイ(越の軍師)とそれから諸葛孔明がまずはじめに思い浮かぶ
日本人では文禄の役のときに明軍を破った小早川隆景も捨てがたい。
66大スキピオ:01/10/20 14:28
モルトケ
67世界@名無史さん:01/10/20 14:30
リー
グラント
コシューシコ
バイバルス
グスタフ=アドルフ

どう?
68世界@名無史さん:01/10/20 14:39
米軍将軍のいわゆる原型として、リーとグラントのふたりに、
パットンやアイゼンハワーは収束されるかもしれませんね。

リーは戦術教育学校としてのウェストポイント卒業生の原型。
パットンやパーシングなんかみると、リーのコダマを感じます。

グラントは戦争遂行のハウツーを知るアイゼンハワーに通じる軍政型
69世界@名無史さん:01/10/20 14:52
名将 川上哲治
70世界@名無史さん:01/10/20 19:26
秦の白起。
六国から恐れられた戦国最強の武将。
71世界@名無史さん:01/10/20 20:05
1、オスマン帝国皇帝 スレイマン3世

2、近代トルコ建国の父 アタチュルク
72世界@名無史さん:01/10/20 20:19
>>71
スレイマン帝は2世までしかいません。
73世界@名無史さん:01/10/20 20:50
>>70
規定には外れてないがこんなドキュンを名将と呼びたくないなぁ

・・・・いや個人的意見
74世界@名無史さん:01/10/20 21:39
マァ、100万人近く虐殺してるからなぁ
751じゃないけど仕切るね:01/10/20 21:40
スレの頭から見るとがいしゅつの繰り返しなんでここらで整理しよう。
以下、賛否はともかく名前があがった者+私が新しくあげた者。

○日本○
1.源頼朝
2.源義経
3.楠正成
4.織田信長
5.豊臣秀吉
6.徳川家康
7.東郷平八郎

○中国○
8.伍子ショ
9.ハンレイ(越の軍師)
10.白起
11.項羽
12.劉邦
13.韓信
14.衛青
15.霍去病
16.曹操
17.諸葛亮
18.高長恭(北斉の蘭陵王)
19.李世民(唐の太宗)
20.李靖
21.岳飛
22.朱棣(明の世祖永楽帝)
23.鄭和
24.康熙帝(清の聖祖)
7675:01/10/20 21:41
○東南アジア○
25.ジャヤヴァルマン7世
26.陳興道(チャン・フン・ダオ)
27.ホー・チ・ミン

○内陸ユーラシア○
28.キョル・テギン
29.耶律隆緒(遼の聖宗)
30.完顔宗弼
31.チンギス・ハーン
32.完顔陳和尚
33.ティムール
34.アブールハイル・ハーン
35.ムハンマド・シャイバーニー・ハーン
36.アルタン・トゥシェート・ハーン

○イスラム○
37.ウマル・ブン・アル=ハッターブ(第3代カリフ)
38.ハーリド・ブン・アル=ワーリド
39.ハッジャージュ・ブン・ユースフ
40.クタイバ・ブン・ムスリム
41.ターリク・ブン・ズィヤード
42.ハールーン・アッラシード
43.サラディン(サラーフ=アッディーン)
44.バイバルス
45.バヤズィッド1世
46.メフメト2世
47.アウラングゼーブ
49.ナーディル・シャー
50.ムスタファ・ケマル(アタテュルク)
7775:01/10/20 21:41
○古代ギリシア・ローマ・オリエント○
51.ダビデ
52.ヨシュア
53.アレクサンドロス(大王)
54.テミストクレス
55.ハンニバル
56.スキピオ
57.カエサル

○ビザンツ・東欧○
58.ベルサリウス
59.シメオン(ブルガリア皇帝)
60.ヴラド3世(ワラキア公ヴラド・ツェペシュ)

○中世ヨーロッパ○
61.エンリコ・ダンドロ(ヴェネツィア統領)
62.エドワード1世
63.エドワード黒太子
64.ベルトラン・デュ・ゲクラン
65.マーチャーシュ・コルヴィノス(ハンガリー国王)
7875:01/10/20 21:42
○近現代ヨーロッパ○
77.ナポレオン
78.ネルソン
79.コシューシコ
80.大モルトケ
81.ロンメル
82.ジューコフ

○アメリカ○
83.リー
84.グラント
85.アイゼンハウアー
86.マッカーサー
87.パットン


私の知識になくて分類できなかった
88.トルステンスゾーン

これはどうするんだ…
89.川上哲治
7975:01/10/20 21:47
追加したのは、徳川家康、康熙帝、ジャヤヴァルマン7世、キョル・テギン、
アブールハイル・ハーン、ムハンマド・シャイバーニー・ハーン、
アルタン・トゥシェート・ハーン、バヤズィッド1世、
エドワード1世、エドワード黒太子です。
基準はけっこう適当に、あっても良さそうなのにリストになかった者を。
80世界@名無史さん:01/10/20 21:52
本気で百人選ぶなら
政権指導者と職業軍人を区別すべきか
そーしないとトルーマンとかも名将に
81世界@名無史さん:01/10/20 21:57
フランス軍とアメリカ軍を破ったベトナムの名将、グエン・ザップは?
対仏戦を決したディエンビエンフーの戦いとか。
82:01/10/20 21:58
さて、どうしたものでしょう。とりあえず75さんありがとうございます。
義経なんですが、軍事的才能ならかなり上位だと思うのですが、世界史に
影響を与えたかどうか、考えてみるとあんまり・・・ただ、個人的にかなり
好きなので外したくないなあw
家康は大嫌いなんですが、リストに入れてもいいかもしれません。
個人的に、項羽や孔明、楠正成は入らないかと。項羽や楠正成は、武略という
点では第一級でしょうが、「世界史的個人」ではないな、と。孔明の軍才は
標準的なものですし。
83世界@名無史さん:01/10/20 21:58
>>78
ロンメル入れるくらいならマンシュタイン入れて欲しいなあ。
84大スキピオ:01/10/20 22:07
もちろんですとも!
85世界@名無史さん:01/10/20 22:11
今、名将100人のうち90人くらいが上がっているのかぁ。
でも1さんのいうように「世界史的」という観点でみると
もっと少なくなりそうだな。
逆にまだ名前が出ていない名将もいっぱいいるんだろうな。
これから75さんのリストがどんなふうに再編されるのか楽しみ。
86:01/10/20 22:11
基準として、
勝利が歴史に影響を与えた
というのを加えたいと思うのですが、そうなると孔明や項羽や楠正成は入らない
でしょう。岳飛や蘭陵王もこの基準だと入りません。好きですけど。
衛青・霍去病は入れてもいい・・・かな?これで負けたきょうどが民族大移動
に影響与えたのかなーと。

で、以下は私が知っている人物だけを選抜させて頂きました。落選リストの
方もいるかな。

源義経
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
東郷平八郎
韓信
衛青
霍去病
李世民(唐の太宗)
鄭和
チンギス・ハーン
メフメト2世
アレクサンドロス(大王)
ハンニバル
スキピオ
カエサル
ヴラド3世(ワラキア公ヴラド・ツェペシュ)
エンリコ・ダンドロ(ヴェネツィア統領)

なんでこいつが入らないんだ、という抗議歓迎。ただし、その人物の武勲と
世界史への影響をプレゼンしてみてください。
87世界@名無史さん:01/10/20 22:13
面白いスレなんだが、名将の定義が難しいよね。
奇跡を演じなくても、最後には敗北しようとも、傑出した
軍事能力を発揮した事実があれば名将・・ってのは甘いか?
88:01/10/20 22:15
>87
それでもいいんですけど、それだと莫大な数になってしまうんですよね(^^;
義経も真田幸村は確実に入るでしょう。でも世界史には・・・
8987:01/10/20 22:20
>>88
  確かにそうだな。
  日本人だけで100人いきそうだ(笑)
90世界@名無史さん:01/10/20 22:22
う〜ん、項羽は入れて欲しいなぁ。
キョロクの戦い、ホウジョウの戦いなんかは他の武将じゃまず勝てんだろうし。
つーか、秦帝国を滅ぼしたのは実質的には劉邦じゃなくて項羽だから
世界史的影響もかなりあると思うのだが・・・。
91世界@名無史さん:01/10/20 22:30
坂上田村麻呂(征夷大将軍)
吉備真備(恵美押勝の乱を鎮圧)
92Cavabien:01/10/20 22:32
う〜ん。
やっぱり日本からは東郷平八郎一人になってしまうかな・・。

後、そういう事ならアッバース朝のジアード・ブン・サーリフも入れるべきでは。
アッバース朝初期の反乱平定に功があった他、タラス河畔の戦いで唐の高仙芝を
破って製紙法を知る捕虜を得ています。
93世界@名無史さん:01/10/20 22:32
モンゴル帝國のカクカンお願いします
94Cavabien:01/10/20 22:34
まず世界を各地域に分けてある程度人数を選び出し、その後で軽重を問うて
絞り込んでいく方法はどうでしょうかね。
95世界@名無史さん:01/10/20 22:40
王陽明
96Cavabien:01/10/20 22:50
>>94は何か説明不足なので追加です。
東南アジアからは5名、フビライの元を含む中国・東アジアから20名といった感じで
各エリアごとに人数を決めて絞込みを行っていく‥と言う方式です。
97日本@名無史さん:01/10/20 22:53
グナイゼナウを入れて欲しい。
ナポレオンをライプツィヒとワーテルロー
で破っている。
戦略も優れている。
98:01/10/20 22:55
私はイスラムには詳しくないので、詳しく紹介してくれる人募集です。

>94
代表選抜方式ですか。いいかもしれませんが、今の段階ではとりあえず挙げるだけ
挙げて頂いてからにしようかと。日本代表ですが、家康と秀吉は入れてもいいかと
思うのですが。
99:01/10/20 23:02
判定してもらいたい人物
ヴァレンシュタイン
ジャンヌ・ダルク
100Cavabien:01/10/20 23:02
なるほどです。もちろんその辺りは1サンの仕切りにお任せしますです。

日本からだと秀吉は微妙なとこではないでしょうかね・・。う〜ん。
国内戦では強かったですが、善戦というよりは調略上手の印象が強いものですから。
天下統一戦にも朝鮮出兵にも活躍した武人を一人選ぶ方がしっくり来るような気も
します。
うん、日本代表は人数も含めて議論が起きそうですね(苦笑。
101世界@名無史さん:01/10/20 23:09
既出だが、征服王メフメトII世
102世界@名無史さん:01/10/20 23:09
思い切って、日本人は今回、見送りいうのどうかしら?
ていうのは、ほら、薩長とかなんとか史観とか、ゴニョゴニョを避ける意味でも
103世界@名無史さん:01/10/20 23:14
>>102
同意
104世界@名無史さん:01/10/20 23:14
木曾義仲
105世界@名無史さん:01/10/20 23:14
>>99
ヴァレンシュタイン:グスタフ・アドルフを戦場で殺した
ジャンヌ・ダルク :飾り
106世界@名無史さん:01/10/20 23:16
寡兵で大軍をってならコルテスとピサロは外せまい
107世界@名無史さん:01/10/20 23:19
栗林中将。
何も名将とは采配だけとは限らない
108世界@名無史さん:01/10/20 23:22
グーデリアンがあがっていないけれど、何か問題でも?
109世界@名無史さん:01/10/20 23:25
ゲーリング
連合国にとって、もっとも頼りがいのある一人
110世界@名無史さん:01/10/20 23:34
宋を最終的に滅ぼした張弘範はどうよ?
111世界@名無史さん:01/10/20 23:40
ジル・ド・レエ元帥
悪名高いゾ
112世界@名無史さん:01/10/20 23:43
>>7
オゴデイはカーンだろ。
息子のグユクはカンで、フビライからカーンに戻った。
113世界@名無史さん:01/10/20 23:46
もしかしてマジな企画?
100人に入るかわからないけど、まあ賑やかし、ということで。
ガイシュツならスマソ。

英国人だと
マールバラ(スペイン継承戦争)
ウェリントン(ナポレオン戦争)
モントゴメリー(WWII)
は入れろ、って言うのでは?
あと、日本人にとって最も重要なバトルが関ヶ原であるように、
彼らは多分ヘースティングズの戦いを、そう考えているはず。
よって、ウィリアム征服王。
マールバラと相棒でプリンツ・オイゲンもノミネートされるはず。

あとエドワード1世が出てたけど、
ライバルのスコットランド王ロバート1世・ザ・ブルースも欲しい。
彼は、いわゆるゲリラ戦のプロだし、バンノックバーンという傑作を持っている。

マイナーだけど、ジェームズ・ウルフ。
7年戦争で、ケベックを攻略して32歳で戦死。
それだけの人なんだけど、リデル・ハートは名将の数に入れている。
世界史的影響は・・・ケベックの攻略って7年戦争(フレンチ・インディアン戦争)の帰趨、
引いては英国の覇権を決める上で結構重要だったと思うんだけど。

最後、フレンチ・インディアン戦争がらみで、ロバート・クライヴ。
めぼしいのはプラッシーの戦いだけなんだけど、この戦いは、
インド植民地の成立、引いては英国の覇権・・・・(以下同文)。
114夏侯操:01/10/21 00:02
フランスの百年戦争の英雄ベルトラン・デュ・ゲクラン元帥。
ナポレオンのせいでジャンヌ=ダルクが百年戦争の英雄になったために日陰者になったが、彼ほどイギリスに勝ち続けた人はいないでしょ。
ブルタニューの田舎貧乏貴族を家出した身から大元帥になるなんてすごい。
115世界@名無史さん:01/10/21 00:06
中国では後漢の光武帝は入れたいですね。別スレでも書きましたが、
昆陽の戦いは号百万を一万数千で破った大逆転劇で、なおかつ新の
滅亡の直接的な引き金になりました。その後の中国統一でも度々前
線で戦っていますし、名将としても十分な実績と言えるでしょう。
あの大混乱の時代を治めた政治的・軍事的手腕は文句なしに中国歴
代皇帝でもトップクラスで、歴史上の重要性も文句なしです。
116@@@:01/10/21 00:08
アレクサンドロス、白起、ハンニバル、カサエル、アッティラ、ティムール、
フリードリヒU世、ナポレオン、ビスマルク(ちとキツイか)
117世界@名無史さん:01/10/21 00:17
>>82
その主張中で義経が思いっきり矛盾するだろ.

>義経なんですが、軍事的才能ならかなり上位だと思うのですが、世界史に
>影響を与えたかどうか

>個人的に、項羽や孔明、楠正成は入らないかと。項羽や楠正成は、武略という
>点では第一級でしょうが、「世界史的個人」ではないな、と。


好き嫌いで決めるなよ.
118世界@名無史さん:01/10/21 00:24
喧嘩は良くないよ
119:01/10/21 00:30
>117
えへ(^^; いや、矛盾するのは重々承知なんですけどね。外そうかな。
後、ヴァレンシュタインをリスト入りしときますね。
120夏侯操:01/10/21 00:30
ハンニバルって有名所は3回あるポニエ戦争だよね。
結局ザマの戦いでローマ軍を率いるスキピオに負けちゃって、カルタゴ滅びるじゃん。
実質滅びたのは第3回ポニエ戦争だけど。
名将だけどほろぼされちゃーね。
そんな事言ったらきりがないね。
121世界@名無史さん:01/10/21 00:30
スウェーデン代表。
グスタフ・アドルフとカール12世が目立ちますが、多分妥当なのでしょう。

共に、>>23氏が既に挙げておられますが、
トルステンソン(Lennart Torstensson)は30年戦争で、グスタフ・アドルフ亡き後を支えた将軍です。
ある意味皇帝軍にとどめを刺した、1645年のヤンコフ(Jankov)の戦いが代表作。
カール10世・グスタフは、叔父(グスタフ2世・アドルフ)や孫(カール12世)ほど
有名でも有能でもなかったのかもしれないが、
第二次北方戦争(1655-160)で、氷結したバルト海の上を進軍してコペンハーゲンを衝く、
という、少なくとも世界奇襲史には確実に残る作戦を行っています。
122:01/10/21 00:36
現時点でのリスト

織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
東郷平八郎
韓信
衛青
霍去病
李世民(唐の太宗)
鄭和
チンギス・ハーン
メフメト2世
アレクサンドロス(大王)
ハンニバル
スキピオ
カエサル
ヴラド3世(ワラキア公ヴラド・ツェペシュ)
エンリコ・ダンドロ(ヴェネツィア統領)
ヴァレンシュタイン
グスタフ・アドルフ


現在二十名です。イスラム史に詳しい方、この人は絶対に入るという人を挙げて
頂けないでしょうか。
123:01/10/21 00:38
ナポレオンが抜けてましたね
124夏侯操:01/10/21 00:40
最近妄想にかられてきた…。
本当に三銃士っていたの?
というかいて欲しいだけです。(笑
トラファルガーの海戦で圧勝した、イギリスのネルソン提督に一票。
狙撃兵ごときにやられてほしくなかった(糞。
125リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/10/21 00:41
>>114さん
おお、デュ=ゲクランが出たか。
でも、同じ大元帥でも
ブルターニュ公リシュモンよりは、知名度あるかもナ。
最終的に、フランスを勝利に導いた人です。
まあ、ゲクランの親友、クリッソンよりましか。
126世界@名無史さん:01/10/21 00:54
サラディンよりバイバルスかと。
モンゴルとヨーロッパの挟撃から守り抜いた。
127世界@名無史さん:01/10/21 00:58
匈奴の冒頓単于。
匈奴が中国をも脅かす大国になったのは彼の時代から。
楚を破って中原を統一した劉邦でさえ冒頓単于には勝てなかった。
128世界@名無史さん:01/10/21 01:01
>>122
チンギスはハンでハーンではない
129夏侯操:01/10/21 01:06
ゲクランがいなかったら、フランスはないのでは?
実績より評価が低すぎる。
同じ百年戦争でもジャンヌ=ダルクじたいがなにをしたんだろうか?
曹操は名将というより、それ以上の存在だと思う。
自ら優れた政治、軍略をおこない。兵法書を書いたり文化人でもあるし。
130名無し:01/10/21 01:07
サムドラグプタ
131世界@名無史さん:01/10/21 01:08
ティムールは如何?
132世界@名無史さん:01/10/21 01:14
韓信もいいけど蕭何でしょ。
なにげに景の実力者。
133世界@名無史さん:01/10/21 01:19
ゲクランか・・・『双頭の鷲』の後人名事典で調べてみたんだけど
>ベルトラン・デュ・ゲクラン
>ブルターニュ公領の相続をめぐるブロア公シャルルとジャン・ド・モンフォールの争いでシャルルを支援。
>再度シャルル支援のオレの戦いで敗れ、イギリス軍の捕虜となる。
>釈放後、フランスの失業兵士を率いてカスティリャのエンリケ支援に出陣。
>戦いに敗れエドワード黒太子の捕虜となる。
>釈放後、フランス王シャルル5世の下で作戦を指揮。
>ノルマンディー、ギュイエンヌ、サントンジュ、ポアトゥからイギリス軍を一掃。
と記載されていた・・・三度目の正直って感じ。
13475:01/10/21 01:37
結局絞る方向で再検討がはじまったのかな。
まあ、多すぎですね。

絞ったうえでイスラムからあげるなら。
ハーリド・ブン・アル=ワーリド
 初期イスラム最大の軍人。通称「神の剣」。
ターリク・ブン・ズィヤード
 西ゴート王国を滅ぼしたイベリア征服者。ベルベル人。
ズィヤード・ブン・サーリフ
 タラス河畔の勝者。
サラディン(サラーフ=アッディーン)
 エルサレムの解放者。
バイバルス(1世)
 アイン・ジャールートでモンゴルを撃退。
バヤズィッド1世
 オスマン朝に最初の絶頂期をもたらす。通称「稲妻」。
セリム1世
 マムルーク朝を滅ぼしサファヴィー朝に痛撃を与えたスルタン。
バルバロス・ハイレッティン・パシャ
 オスマン朝に地中海の覇権をもたらした海軍提督。
ナーディル・シャー
 非業の死を遂げたイランの英雄、「東洋のナポレオン」。
ムスタファ・ケマル(アタテュルク)
 セーヴル条約の絶望的状況を覆し、オスマンの残骸からトルコ共和国を建国。
アブド=アルアジーズ・ブン・サウード(イブン・サウード)
 サウジアラビア王国の建国者。

まだ出せると思いますが、ざっと思い付いたぶんだけ。
イスラムじゃないけど、ヴラド3世があげられるなら
フニャディ・ヤーノシュやイスカンデル・ベクも欲しいかな。
ヴラド3世と並ぶ対オスマン戦争の英雄です。
135Cavabien:01/10/21 01:40
バルカンでセルビア王国を拡張したステファン・ドゥシャンも。
13675:01/10/21 01:41
>>86
ダンドロは自ら軍を率いてましたっけ?
愛知県出身の戦国三傑は時代も地域もかぶってるから
いずれ削減だろうなあ。

>>128
現代モンゴル語ではハーンなんだからどっちでもいいと思います。
それどころか正書法通りに発音したらカハンになるはず。

>>129
テュレンヌとかコンデ公とかウォーバンとかサックスとか、
フランスにも候補は数多いと思いますが。
137世界@名無史さん:01/10/21 01:41
>>132
戦闘指揮が基準らしい
138世界@名無史さん:01/10/21 01:47
>>129
曹操の評価はある意味ちょっと難しい。
一番肝心な赤壁で負けてるし、実際に王朝建てたわけでもないし。
実際にどこまで影響を与えたかっていう意味でちょっと疑問。
139Cavabien:01/10/21 01:51
世界史に影響を与えた、となるとその存在もしくは指揮した戦いの戦勝が
周辺諸国にとって脅威として受け取られた、というのも必要になるのかな。
140世界@名無史さん:01/10/21 02:04
漢の衛青とか南軍のリー将軍は?
141世界@名無史さん:01/10/21 02:09
石原莞爾閣下。
142夏侯操:01/10/21 02:11
138さん赤壁では本当にあんなに激しい戦いがあったというのは疑問なんですよ。
赤壁で戦いがあって負けたらしいが、正史では諸葛亮の活躍どころか呉陣営の話しなども出てこない。
赤壁の戦いで演義などが参考にしているのは、江表伝という、呉マンセーの資料ですから…
143夏侯操:01/10/21 02:21
すいません話しそれました。
144Krt:01/10/21 02:34
いくら何でもテミストクレスが二次選考で落ちてしまうのは解せない。

(1)第二次ペルシャ戦争をいち早く予想し(表面上は対アイギナ戦の軍備を装い)
アテナイ国民を動かして、ラウレイオン銀山の新鉱脈からの収入をバラマキ福祉
にではなく、海軍拡張のために使わせた。
(2)スパルタとの同盟を主張し、かつての追放者をアテナイに呼び戻すなど、
アテナイ国内の融和と、ギリシャ大連合軍の形成に多大の貢献をなした。
(3)ペルシャ軍の侵攻に際してアッティカから全市民を引き上げさせ
戦える者全てを投入して得意の海戦で勝負を決めるという大戦略を取らせた。
(4)しかも最も有利な決戦場を選ぶため、海戦に疎い味方のポリス軍までをも策略で騙し、
他ならぬサラミスでの海戦を実現させることに成功し、結果としてこれを勝利に導いた。
(5)戦後デロス同盟を結びペルシャの再侵攻に備えると同時にアテナイの覇権を確立した。
(6)アテナイとその近港ペイライオスとを一つの城壁の内に収めるという大工事を唱道し、
後のペロポネソス戦争においても大きな役割を果たすほどの難攻不落の都市を築いた。

さて、サラミスの海戦におけるペルシャ海軍壊滅はクセルクセスをギリシャ本土から
引き上げさせ、これが翌年のプラタイアイにおける残存部隊に対する勝利へと繋がった。
この第二次ペルシャ戦争の勝利無くしては後のギリシャ文明の本質的な開花はなく、
また彼ら自身が強く意識していたような「専制に対する自由の勝利」という
現代に至るまで人類精神に深甚な影響を与えている新たな価値観を産むことも無かったろう。

この「努力・友情・勝利」という英雄の条件を完璧に満たし、更に機略にも富んだ天才が、
歴史上他にどれだけいたというのであろうか?
145世界@名無史さん:01/10/21 02:54
ズールー王シャカ。
東アフリカに独力で帝国をうち立てる。
儀式的戦争が行われていた社会に、実践的な戦争法を取り入れ、
破竹の勢いであった。
146世界@名無史さん:01/10/21 02:58
何かこのスレ異様に生長が速いな。

「軍事革命」学説で有名なGeoffrey Parker氏の編集による
The Reader's Companion to Military History
という事典があり、そこに「名将10選」のような囲み記事が、何の説明も脈絡もなく出てきます。
まあ、英米の専門家の理解としてどんな感じか、ということで、
一応参考までに。

「名将10選(順不同)」
アレクサンドロス
ハンニバル
サラディン
ジンギスカン
織田信長(※非常に意外。でも信長の評価は概して割と高い。鉄砲戦術が効いている。)
モルトケ(※「大」の方)
ナポレオン(※「1世」の方・・って当たり前か)
ウェリントン
シャーマン(※南北戦争。「海への進軍」)
William Slim(1891-1970)(※誰?)

「愚将10選)
アルキビアデス(シチリア遠征の発案)
ユリアヌス(ササン朝攻め)
Ambrose Burnside(※南北戦争の人らしい。よく知らん。)
ヘイグ(※第一次大戦の英軍総司令)
Robert-Georges Nivelle(※第一次大戦の仏軍の人らしい)
Maurice Gamelin(※仏軍。第二次大戦で降伏)
Mark Clark(※誰? 第二次大戦のイタリア戦線の人らしい。)
ヒトラー(※お約束ですね。)
蒋介石
ウェストモーランド(※ベトナムの米軍総司令官)
・・・さすがにドキュン系は知らないのが多い。

「過大評価されている将軍10選」
アッティラ
ジャンヌ・ダルク
Louis-Joseph de Montcalm(※誰だっけ? 米独立戦争の人だったか?)
ロバート・リー(※南北戦争、南軍総司令)
グーデリアン
マッカーサー
モントゴメリー
パットン
ボーグエンザップ(※ベトナム人。ディエンビエンフーの立て役者じゃなかったか?)
シュワルツコフ(※湾岸戦争)
・・・何か、第二次大戦の英雄がなで切りや・・・

「過小評価されている将軍10選」
アエティウス(※多分、アッティラを破った人)
サラディン
スレイマン1世
マウリッツ・フォン・ナッサウ
ワシントン
コーウォリス(※米独立戦争、ジョージタウンで降伏。でも後にインドで活躍。)
フォッシュ(※仏人だっけ? 第一次大戦)
K.K.Rokossovsky(※知らん。誰? ロシア人?)
Matthew Ridgway(※聞いたことあるな。朝鮮戦争の米の将軍だった?)
147世界@名無史さん:01/10/21 03:11
古代ギリシャからはエパミノンダスも上げたいなー
努力→スパルタ傀儡政権下での忍従
友情→親友ペロピダスの存在
勝利→レウクトラ・マンティネイアでスパルタに完勝
という訳で三要素は完備しとるかと(w
でも歴史への影響という点で弱いですかね。
(斜形陣の発明ぐらい?)
148世界@名無史さん:01/10/21 03:20
ジャンヌは聖人だからだよ。
フランスの英雄っていったら良く知られているとこで、ナポレオンとジャンヌだし。
英雄という観念ならジャンヌもあり。
赤備えの山県昌景いいー。
149世界@名無史さん:01/10/21 03:27
班超は?
後漢の西域における優位を成り立たせたと言う点で
挙げておきたい
150世界@名無史さん:01/10/21 03:32
>>146
愚将のユリアヌスって「背教者ユリアヌス」だよね?
ちょっとショック…
すくなくともクラッススよりはましと思うのだ。
151世界@名無史さん:01/10/21 03:35
ワシントンは?
お札になってるし・・・
152世界@名無史さん:01/10/21 03:37
151、ワシントンは名将か?
153世界@名無史さん:01/10/21 03:41
アグリッパなんてどないで?
154世界@名無史さん:01/10/21 03:43
辺境地帯である中世ヨーロッパの
将軍達をリストラキボンヌ
155世界@名無史さん:01/10/21 03:53
元のバヤンは外せない
156世界@名無史さん:01/10/21 04:11
>>155
同時代にもっと大きい功績のあるひとがいたら厳しい
157世界@名無史さん:01/10/21 06:42
王せん(秦の将軍)は出てた?
秦の中国統一に多大な功績を残したのではないかな。
秦王(始皇帝)が親征せずに統一できたのは
こういう優秀な将軍がいたためと思うがどうさろう。
158世界@名無史さん:01/10/21 08:38
>>146
ロコソフスキー(1896-1968)
ソ連邦元帥。モスクワ防衛、クルスク等で活躍。

なんといっても最大の功績はスターリングラードのドイツ軍を包囲殲滅
したことでしょう。確かに過小評価されている人物の1人だと思われます。
159世界@名無史さん:01/10/21 08:39
モンティの過大評価に付いては激しく同意!
160:01/10/21 08:54
>144
テミスクレトス、当確です。わかりやすいし、熱い思いが伝わりました。こういう
レスだと判断がしやすいですね。

後、デュ・ゲクラン、ネルソン、サラディンはリスト入りです。
なんというか、この人がいなかったら歴史が変わっていたという方向で選びたい
ですね。その意味では、負けられない戦いに勝った武将の方がリストに入りやすい
かもしれません。
161世界@名無史さん:01/10/21 09:03
戦いによって歴史が変わったか?という基準だと
北条時宗も入るのかな?
でも彼個人が軍を率いたわけじゃないからダメか。
162:01/10/21 09:15
アグリッパ、光武帝、曹操について討論しましょうか。
アグリッパは入る可能性あり。帝政ローマ確立に多大な貢献を為した。なにしろ
君主のアウグストゥスが戦下手でしたから、功績は大きいし、世界史への影響も
十分かと。
光武帝は、微妙です。外すには本当に惜しいし、かといって入れるには世界史へ
の影響は少ないかと。
曹操なんですが、偉大な人だし、有能な君主だとは思いますが、入らないと思い
ます。

イスラム系ですが、詳しくないせいかいまいちどういう影響を世界史に及ぼしたか
わかりにくいのです。ハーリド・ブン・アル=ワーリドはリスト入りかな。
163:01/10/21 09:51
世界の名将リスト

織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
東郷平八郎
韓信
衛青
霍去病
李世民(唐の太宗)
鄭和
チンギス・ハーン
メフメト2世
アレクサンドロス(大王)
ハンニバル
スキピオ
カエサル
ヴラド3世(ワラキア公ヴラド・ツェペシュ)
エンリコ・ダンドロ(ヴェネツィア統領)
ヴァレンシュタイン
グスタフ・アドルフ
フリードリヒ大王
ネルソン
ナポレオン
テミストクレス
デュ・ゲクラン
サラディン
ハーリド・ブン・アル=ワーリド
バイバルス

暫定
光武帝

現在27+1名
164:01/10/21 10:05
清の太祖ヌルハチもリスト入りで。
165世界@名無史さん:01/10/21 11:50
どうやってスレッドたてるのですか?見当たりません。
アクセス制限の対象になるような行為の心当たりもありません
166世界@名無史さん:01/10/21 11:50
27名中4人もいる日本って凄いな
167世界@名無史さん:01/10/21 11:56
>>166
でも、対外戦で勝ったのは東郷だけ。
168世界@名無史さん:01/10/21 12:51
じゃあ日本代表は東郷クンだけでお願いします
世界史のためにも
169Cavabien:01/10/21 13:01
戦国の三人は微妙なとこだと思いますです。
対外戦争起こしたのは秀吉だけですけど>>100に書いたとおりの理由でどうかなぁと
思いました。
信長、家康は今回はダメかと?

マウリッツですけど、前世界史板に書いた文章があるので一応貼っておきます。
今は世界史板もレベルが上がってるのでツッコミがぼこぼこ入るかもしれないのですが
1サンの参考にはなるでしょう。
170Cavabien:01/10/21 13:02
ナッサウのマウリッツ(オランダ)

オランダが誇る名戦術家。
オランダの独立を主導したオラニエ公ウィレムの次男として生まれたマウリッツは
幼少時より数学に興味を示し、学生時代のほとんどを砲弾の弾道計算、後に攻城戦で
威力を発揮する建築・土木技術の習得に捧げた。
マウリッツが成人した頃のオランダはカトリックの大国であるスペインに無謀とも思える
独立戦争を挑むプロテスタントの一小邦にすぎず、父の横死に伴い弱冠18歳にしてオランダの
総督・軍事総監を継いだマウリッツは否応なしに当時の一大軍事大国である
スペインとの過酷な闘争の矢面に立たされる事になる。

百戦錬磨のスペイン軍に対して、戦意は高いが未成熟なオランダ軍は北部でこそ
国土に縦横に張り巡らされた運河を駆使した機動戦・水上戦によってスペインと
互角に渡り合っていたが、平坦な農業地帯である南部諸州を奪還するためには
平地での正規戦においてスペイン軍と互角に渡り合える精強な軍隊を早急に養成
する必要があった。
オランダにとって幸運だったのはマウリッツが政治的野心をあまり表に出さない
人物だった事で、民主的だが繊細な連邦議会は全幅の信頼を持ってマウリッツに
軍制改革を委ねる事が出来たのである。

マウリッツは、工兵隊の創設、攻城砲の拡充、銃隊の射撃法の改善などの改革を
矢継ぎ早に実行すると南部に進軍し、主要都市を奪還すべく奮闘した。
工兵の使用に造詣が深く、慎重な思考法の持ち主であるマウリッツは当時の欧州でも
屈指の攻城戦の名手でもあり、30近くの城塞を奪取してスペイン軍をして顔色
なからしめている。

野戦の指揮官としてのマウリッツは主力同士の決戦を好まず、機動力や要地の
奪取によって戦略目的を達成する事を重視したが、1597年のトウルノの戦いや
1600年のニューポールの戦いにおいてはスペイン軍の鈍重なテルシオ(四隅に
小銃を備えた密集陣)を小規模な戦闘集団の迅速な機動・展開によって撃破し、
卓抜した戦術家であることを示した。

マウリッツは生涯をスペインからの独立とオランダ軍の養成に捧げ、1625年に
57歳で病死した。
171世界@名無史さん:01/10/21 13:09
つうかさ、1が勝手に決めるんだったらさ、初めからスレなんか立てるなって。
172世界@名無史さん:01/10/21 13:35
だな
ちょい恣意的すぎる
173Cavabien:01/10/21 13:50
じゃあ>>1サン、しばらくは列挙された人をリストアップして整理するのに
徹してみたらいかがでしょうか?
ある程度数が集まってからみんなで話し合って削ったり加えたりするのが
無難かもですね。
174通りすがり:01/10/21 14:05
ハンニバルの父「ハミルカル・バルカ」
知名度ないけどハンニバルの力の基礎を作ったという事で、一票。
175世界@名無史さん:01/10/21 14:16
>>174
基礎を作った人より力を使った人
176世界@名無史さん:01/10/21 14:29
>>146

亀レスだが、ちょっと面白いな、それ。
カエサルがどれにも入ってない。
「名将十選」でもなければ「過大評価〜」でもない。
順当な評価でただ単に10位以下なのか、評価のしようがないのか。
「ローマ人の物語」には後者みたいなことを書いてあったが。
177世界@名無史さん :01/10/21 14:33
「軍人」というより「軍政官」って感じだから  かな。
178教えて:01/10/21 14:39
ポーランド全盛期の騎馬軍って強かったらしいけど、誰が率いてたの?
179夏侯操:01/10/21 14:50
日本の戦国時代はとても優秀だよ。
日本の鉄砲は西欧のものと違って型で作ってなく、刀のように打って作っている。そのため性能も良く西欧では人気だった。
山田長政も元は商人だが戦国時代の簡単な知恵を活かして、戦争では無類に強かった。
日本人も入っていいのでは?
180夏侯操:01/10/21 15:09
曹操って嫌われもの?
他の板で中国の名将をあげるやつで、曹操は入らなかった。
理由は名将という定義には入らない。それ以上の存在とか、名将という枠には偉大すぎてはまらないとか、いうので一応終わった。
曹操っていったい?
181???:01/10/21 17:02
ずいぶん古い時代の人物だが、
エジプトのトトメス三世(シリア・ヌビアの征服)
、ラムセス二世(ヒッタイトとの戦い)
なんてどうだろう?
182世界@名無史さん:01/10/21 17:06
>>180
それは嫌われてるんじゃなくって高い評価されてるじゃん
183:01/10/21 17:18
>171.172
言いたいことは分かるけど腹立つ言いぐさすね。勝手にとか恣意的にとか、当たり前
だっつーの。文句あるなら自分でリスト作ってくれてもいいんだよ?腹から声出して
もらわないと意見の取り入れようもないって。
それとも代わりにリスト作りやってくれるの?

>173
そうですね、いちいち入れる入れないやると流れが止まってしまうみたいなので。
つーわけで、今まで出たやつまとめていきましょうか。
184:01/10/21 17:52
日本代表
織田信長  豊臣秀吉  徳川家康   東郷平八郎

支那代表
伍子ショ  ハンレイ(越の軍師)  白起  項羽 劉邦 韓信  衛青 霍去病
曹操 諸葛亮 高長恭(北斉の蘭陵王) 李世民(唐の太宗) 李靖 岳飛
朱棣(明の世祖永楽帝) 鄭和 康熙帝(清の聖祖) 班超 張弘範 光武帝

東南アジア代表
ジャヤヴァルマン7世 陳興道(チャン・フン・ダオ) ホー・チ・ミン
グエン・ザップ

内陸ユーラシア代表
キョル・テギン 耶律隆緒(遼の聖宗) 完顔宗弼 チンギス・ハーン 完顔陳和尚
ティムール アブールハイル・ハーン ムハンマド・シャイバーニー・ハーン
アルタン・トゥシェート・ハーン バヤン カクカン 冒頓単于 アッティラ
チムール

イスラム代表
ウマル・ブン・アル=ハッターブ(第3代カリフ) ハーリド・ブン・アル=ワーリド
ハッジャージュ・ブン・ユースフ クタイバ・ブン・ムスリム ターリク・ブン・ズィヤード
ハールーン・アッラシード サラディン(サラーフ=アッディーン) バイバルス
バヤズィッド1世 メフメト2世 アウラングゼーブ ナーディル・シャー
ムスタファ・ケマル(アタテュルク) 
ズィヤード・ブン・サーリフ  サラディン(サラーフ=アッディーン)
バイバルス(1世) セリム1世 バルバロス・ハイレッティン・パシャ
ナーディル・シャー ムスタファ・ケマル(アタテュルク)
アブド=アルアジーズ・ブン・サウード(イブン・サウード)

古代ギリシア・ローマ・オリエント代表
ダビデ ヨシュア アレクサンドロス(大王) テミストクレス ハンニバル
スキピオ カエサル

ビザンツ・東欧代表
ベルサリウス シメオン(ブルガリア皇帝) ヴラド3世(ワラキア公ヴラド・ツェペシュ)

中世ヨーロッパ代表
エンリコ・ダンドロ エドワード1世 エドワード黒太子 ベルトラン・デュ・ゲクラン
マーチャーシュ・コルヴィノス マウリッツ 

近現代ヨーロッパ
ナポレオン ネルソン コシューシコ 大モルトケ ロンメル ジューコフ
グーデリアン マンシュタイン グナイゼナウ ウェリントン モントゴメリー

アメリカ代表
リー グラント アイゼンハウアー マッカーサー パットン


未分類
トルステンスゾーン
マールバラ
プリンツ・オイゲン
ロバート・クライヴ
ステファン・ドゥシャン
ズールー王シャカ
エパミノンダス
ロコソフスキー
トトメス三世
ラムセス二世
185軍事技師ですが:01/10/21 17:53
>>183
まあまあ。一行煽りなど無視して。せっかくの人気スレですから。

ぼくは
セバスチアン・ル・プレスト(ヴォーバンの領主1633-1709)あげときます。
いうまでもなくヴォーバン攻城理論をこさえたルイ14世の陸軍元帥。

これははずせない、といったところですが、ま、よろこんで1さんの恣意にお任せしますよ。
186世界@名無史さん:01/10/21 17:56
>>184をみてると
「兵に将たる」人物と「将に将たる」人物がごちゃ混ぜになってる
その辺の線引きした方がいいんでないの?
187:01/10/21 17:58
○日本代表○
織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
東郷平八郎

○支那代表○
伍子ショ
ハンレイ(越の軍師)
白起
項羽
劉邦
韓信
衛青
霍去病
曹操
諸葛亮
高長恭(北斉の蘭陵王)
李世民(唐の太宗)
李靖
岳飛
朱棣(明の世祖永楽帝)
鄭和
康熙帝(清の聖祖)
班超
張弘範
光武帝
ヌルハチ(清の太祖)
188:01/10/21 17:59
○東南アジア代表○
ジャヤヴァルマン7世
陳興道(チャン・フン・ダオ)
ホー・チ・ミン
グエン・ザップ

○内陸ユーラシア代表○
キョル・テギン
耶律隆緒(遼の聖宗)
完顔宗弼
チンギス・ハーン
完顔陳和尚
ティムール
アブールハイル・ハーン
ムハンマド・シャイバーニー・ハーン
アルタン・トゥシェート・ハーン
バヤン
カクカン
冒頓単于
アッティラ
チムール
189:01/10/21 18:02
○イスラム代表○
ウマル・ブン・アル=ハッターブ(第3代カリフ)
ハーリド・ブン・アル=ワーリド
ハッジャージュ・ブン・ユースフ
クタイバ・ブン・ムスリム
ターリク・ブン・ズィヤード
ハールーン・アッラシード
サラディン
バイバルス
バヤズィッド1世
メフメト2世
アウラングゼーブ
ナーディル・シャー
ズィヤード・ブン・サーリフ
バイバルス(1世)
セリム1世
バルバロス・ハイレッティン・パシャ
ナーディル・シャー
ムスタファ・ケマル(アタテュルク)
アブド=アルアジーズ・ブン・サウード(イブン・サウード)
190      :01/10/21 18:06
シナ代表
毛沢東
司馬仲達 は漏れの中では最終的に孔明に勝っていると思う。
この二人は入るんじゃないのかな?

チョソ代表
金日成 ドサクサに国一つ造れた。
金正日 百戦百勝の霊将が西海海戦ボロ負け(w 
この二人、ウケ狙いで入れてやったら?
191:01/10/21 18:06
○古代ギリシア・ローマ・オリエント代表○
ダビデ
ヨシュア
アレクサンドロス(大王)
テミストクレス
ハンニバル
スキピオ
カエサル
エパミノンダス
トトメス三世
ラムセス二世

○ビザンツ・東欧代表○
ベルサリウス
ステファン・ドゥシャン
シメオン(ブルガリア皇帝)
ヴラド3世(ワラキア公ヴラド・ツェペシュ)

○中世ヨーロッパ代表○
エンリコ・ダンドロ
エドワード1世
エドワード黒太子
ベルトラン・デュ・ゲクラン
マーチャーシュ・コルヴィノス
マウリッツ
ヴァレンシュタイン
トルステンスゾーン
マールバラ
プリンツ・オイゲン
ロバート・クライヴ

○インド代表○
ズールー王シャカ
192:01/10/21 18:12
○近現代ヨーロッパ代表○
ナポレオン
ネルソン
コシューシコ
大モルトケ
ロンメル
ジューコフ
グーデリアン
マンシュタイン
グナイゼナウ
ウェリントン
モントゴメリー

○アメリカ代表○
リー
グラント
アイゼンハウアー
マッカーサー
パットン


全部で104人。多いな(^^; だが絞ると足りなそうだし。
193:01/10/21 18:16
アグリッパ、グスタフ・アドルフが抜けてる、バイバルス二人いる・・・
194世界@名無史さん:01/10/21 18:27
シャカ・ズールーってインドか?
195世界@名無史さん:01/10/21 19:18
>>146
愚将のクラーク将軍はモンテ・カッシーノ攻撃とローマ入城のことが責められているんだろうけど、ちょっと気の毒かな。
彼以下も結構いるし。でもパーカー先生のおっしゃることだから、きっと正しい。

リンカーン曰く「勝利から敗北をもぎ取る男」バーンサイドは納得。
196世界@名無史さん:01/10/21 19:22
なんで孔明は入らないんですか?
197世界@名無史さん:01/10/21 19:35
軍指揮官として大した成功を収めていない>孔明
19875:01/10/21 19:41
リストできあがりましたか。
もうこれ以上絞ってもしょうがないし、
単純に世界的名将を語るスレだと思ったほうがいいかもね…。

>>191
ズールーのシャカはアフリカ代表でしょう。
しかしインドがいないですね。
マラータ同盟あたりに名将いない?
私は知らないので申し訳ないですが。
199世界@名無史さん:01/10/21 19:53
アダムスミスを忘れないで。経済も戦いだ。
200世界@名無史さん:01/10/21 20:01
バトゥー汗を推す

モンゴル第二次征西軍の総司令官
冬のロシア(・・・地方)を攻略し東欧を征服
オゴディにあと二年の余命があればユーラシアを西端まで支配したと思われ。
201世界@名無史さん:01/10/21 20:06
インドがいないなら
アウラングゼーブをイスラムカテゴリからもってくれば?

ところでソンツェンガンポはどうだろう
202世界@名無史さん:01/10/21 20:12
がいしゅつだがテュレンヌも。ルイ14世の初期の治世を固めるのに大きく貢献。マールバラも彼に学んでるぜ。
あとポーランド王ヤン・ソビエツキ3世はどうでしょう。オスマントルコ軍を攻撃して、ウィーン解囲に成功している。世界史への影響もバッチリ。
それとウインフィールド・スコット将軍。南北戦争勝利のための手段を知っていた男……というより、米墨戦争での実績から。
メキシコを破ったおかげでアメリカの国境が変わっている。
203世界@名無史さん:01/10/21 20:56
シャカ・ズールーみたいな虐殺者がOKなら、
コルテスとピサロもOKじゃないのか?
204世界@名無史さん:01/10/21 21:01
>>203
戦略とか戦術が優れてればOKってことじゃない?
205夏侯操:01/10/21 21:10
諸葛亮ならば、軍事的面からして、司馬懿のほうが上。
演義だと諸葛亮は封神演義の仙人並みの強さだからな。
できれば蜀陣営は避けたい。
蜀好きだけど。
韓信ならば項羽のほうが上。
負けた国側だが、あれだけ評価が高ければ相当すごい将だったことがうかがわれる。
206ピンキー@くれよくれよ:01/10/21 21:27
世良田次郎三郎は?
207世界@名無史さん:01/10/21 21:34
岳飛なんか入れるなよ。アイツは政治力ゼロのドキュン。
日本帝国軍人入れるのと、一緒だろ。
208世界@名無史さん:01/10/21 21:37
>>204
すまんが、コルテスとピサロが戦略・戦術で
「優れてなかった」理由を教えてくれないか?
209世界@名無史さん:01/10/21 21:42
>>196
  孔明いるじゃん。
210てつたろー:01/10/21 22:20
アハマッド・シャー・マスード アフガニスタン

最新兵器を持つ十万のロシア軍の侵略に対して
数百人のゲリラ兵で対抗、ロシアは一万を越える
戦死者を出して撤退(80年代)

それでもアフガニスタンは安定しなかった

彼の思想はアラーの教えを生かした現代的イスラム国家
男女平等や民主主義、イスラムの下での宗教の原則自由
外の国の干渉を極力さけ、自分達の国は自分達で作ると

ロシア撤退後国防大臣になり、不安定なアフガニスタン
の安定に勤める、彼は自分だけ英雄視されるのを嫌った

組織が巨大化するにつれ傲慢になりウソをつく物を叱り
「闘う我々が嘘をついて、みんながついて来るか!」

「死ぬのはこわくない、人知を尽くした先に死があるのなら
 それは神の意志だ」とジャーナリストに語った

その後隣国パキスタンに援助を受けたタリバンの急速的な成長
により、不安定だったアフガニスタンは再び戦乱へ・・・

国際テロ事件の二日前、カメラマンを装った何物かに暗殺された

マイナーな方なので簡潔に書きました、まちがいがあったら
ごめんね、で、この人はどお?(笑
おいら好きだったから、暗殺されて欝・・・
211世界@名無史さん:01/10/21 22:20
>>207
軍事的才能評価スレなのですがなにか?
212てつたろー:01/10/21 22:33
>>211
軍事的でしたね、付け足し
数百人のゲリラ兵は、ほとんどが元農民、マスードが色々と教えた
武器は基本的に敵対勢力から盗んだ、有名になったのは
ロシアが三万の兵力でゲリラの掃討にあたった際、マスードは200人の
兵力で8ヶ月抵抗、ロシアは一時的に撤退
213世界@名無史さん:01/10/22 00:23
>>212
なら毛沢東もいけるんじゃない?
214世界@名無史さん:01/10/22 09:45
>>198
マラーター同盟なら、
ムガール帝国のアウラングゼーブに抵抗して
勢力を広げたシヴァージーになるのかな。
ムガール帝国の衰退のきっかけを作った
世界史的意義もある。
215てつたろー:01/10/22 10:45
>>213
後半ヤバげだけど、そうかも・・・
定義の難しいスレやね
既出だけど、もう世界の名将を語るスレのほうが
気楽だなぁ、スレの主義にあわないので逝ってきます
216???:01/10/22 11:41
フランク王国のクローヴィス。
ガリアを統一した功績は大きいのでは?
217:01/10/22 11:41
こんなのあったよ。http://merumo.ne.jp/i/00040521.html
218梵阿弥:01/10/22 12:22
ムハンマド・アリ。
219世界@名無史さん:01/10/22 13:09
フランスカペー朝の尊厳王フィリップ(2世)が全く上がってないんだけど?
南仏を平定し,リチャード獅子心王を打ち負かし,フランスを強国にした
スバラシイ人物だと思うが?政治家として,評価すべきなのかな?
220世界@名無史さん:01/10/22 13:30
立花宗茂。
朝鮮での戦いもすごかったし、義父も実父もすごい。
221世界@名無史さん:01/10/22 13:37
222世界@名無史さん:01/10/22 13:59
>>213
もちろんOKだと思いますよ。
彼自身かなり曹操を意識し、
彼の「毛沢東語録」は孫子、クラウゼビッツを下地に書かれた部分が多いですし。
実際国共内戦において広大な中国統一を勝ち取りましたから。
223世界@名無史さん:01/10/22 14:10
ところでこの1の謂う「将」とはなんぞや。
「軍人」か「軍政家」か

近代国家になるまでは兼務する事が多かった
から分けられないとか?

おれはこの2つの働きによって兼務時代の
人物も分けるべきと思う。
224≠1:01/10/22 18:31
>>223
とりあえず、「名将」の定義は棚上げにして推薦を受付中

既出ながら・・・
225世界@名無史さん:01/10/22 18:52
ありゃ。てつたろさんのお名前、赤武道で、どうもどこかでお見かけした名前思ったら。

ここでしたか
226:01/10/22 22:45
>>223
あくまで私の基準、というかレス立て当時の基準なんですが
・自分で軍を統率した
・類い希な軍事的才能を持っていた
・その存在が世界史に影響を及ぼした
の二つです。
単なる名将だと山ほど出るのは分かり切ってましたから。だから、近現代の
名将は外した方がいいと思っています。ナポレオンが時代的限界かな?
軍政家は外します。
ズールー王シャカなんですが、名前でインドの人かと思ってました。すいません。
227世界@名無史さん:01/10/22 22:50
228:01/10/22 22:57
提案なんですが、地域別・各国代表選抜方式で絞り込みを始めようかと
思うのですが。つまり、
どこそこの地域→こいつは入れる、落選、異議あり、こんなやつが抜けてる・・・
というように。今のままだとまとめるの大変そうなので。どうでしょう?
229世界@名無史さん:01/10/23 00:36
そんな事よりよ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、世界史板行ったんです。世界史板。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、「世界の名将100人を選ぼう!」、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、世界の名将如きで普段来てない世界史板に来てんじゃねーよ、ボケが。
名将だよ、名将。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で世界史板か。おめでてーな。
よーしパパ10人選んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、ハンニバルやるからその席空けろと。
世界史板ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
違う意見を持った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと入れたかと思ったら、隣の奴が、絞り込みを始めたい、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、絞り込みなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、絞り込みを始めたい、だ。
お前は本当に絞り込みを始めたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、100という数字にこだわってるだけちゃうんかと。
世界史板通の俺から言わせてもらえば今、世界史板通の間での最新流行はやっぱり、
吉野屋コピペ、これだね。
吉野屋コピペで批判。これが通の書き込み方。
吉野屋コピペってのは笑いが多めに入ってる。そん代わり真剣味が少なめ。これ。
で、それに連続投稿。これ最強。
しかしこれを書き込むと次から荒らし扱いされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、1は、クソスレでも立ててなさいってこった。
230世界@名無史さん:01/10/23 00:39
気にするな>1
大体、事情わかるから
231世界@名無史さん:01/10/23 00:43
・・・日本史板だな
232世界@名無史さん:01/10/23 00:44
>>226
>単なる名将だと山ほど出るのは分かり切ってましたから。
>だから、近現代の名将は外した方がいい

なんでこうなるのかわからん.
・自分で軍を統率した
・類い希な軍事的才能を持っていた
・その存在が世界史に影響を及ぼした
の3つを満たせば時代は関係無いだろ.
それに「単なる名将」ってなんだ?「名将」と「単なる名将」のチガイをはっきり教えてくれ.

軍政家外すならまとめるときに軍人として評価されてない人は外してくれ
例えば劉邦や諸葛亮は負け続けてるわけだし
233リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/10/23 00:47
名将といえば
帝政ローマ末期のアエティウスは?
彼がいなければ、ヨーロッパはフンに完全に蹂躙されただろう。
フンは、再起不能にこそならなかったが
結局ヨーロッパ制覇はならなかった。
後、古代ケルトのアンブロシウス。
アーサー王のモデル(?)になった人物で
ベイトン山の戦いでアングロサクソン軍を破った名将。

アンブロシウスに関しては、自分も少々記憶が怪しいが
>>229の阿呆に、文句言われる筋合いはないね。
234夏侯操:01/10/23 00:50
229世界史板まで、進出してきたか…(笑
ここでは耳を貸してやれん
戦国三国志ならば、受け入れられるがここでは無理だ。
孫武はダメかな?
漢寿亭侯は?
235世界@名無史さん:01/10/23 01:00
>>234
むしろこのスレが戦国三国志板に向いてる.
(実際1は信長の野望的武将を期待しているのでは?という気がする)

孫武は「自分で軍を統率した」戦果がはっきりしないからねぇ..
関羽は「類い希な軍事的才能」がないから不可と思われ
236世界@名無史さん:01/10/23 01:34
イラーンらヴぁーとしては、イスマイール・シャーを入れて欲しかったりするんだけど、無理かなあ(;^_^A
シャイバーニーを破って、中央アジアから独立したイランのその後の歴史を規定した人。
つても、セリム君にちゃるでぃらーんでズタボロこいてイスラム世界の武田勝頼。
パックスオットマニカな影響はないけど、シャイバーニー君と並べて・・ 無理かf(^^;)
237世界@名無史さん:01/10/23 02:17
インドの名将なら、ハルジーは?
238世界@名無史さん:01/10/23 02:47
シャー・アッバースも候補にしてくれ
239世界@名無史さん:01/10/23 02:50
アフリカとか南米の名将ってもっといないんでしょうか。
チェ・ゲバラとか、、、ダメか。。。
240:01/10/23 07:05
いい具合にあれてきましたね(笑)

>232
184から192で挙げたリストは出てきた奴を列挙しただけですので。おっしゃる
とおり、劉邦や孔明は明らかに名将ではないので外れます。
で、このスレで求めている名将と「単なる名将」の違いですが、三つの基準の一つ、
「世界史に影響を与えた」に尽きるかと。たとえば、日本人が名将として誰を
挙げるかとすると、真田幸村や私がしつこくこだわった(^^;義経が上がりますよね?
でも、この二人は名将には間違いないけど、世界史には大した影響与えていない訳
です。単なる名将=単なる軍事的天才という定義です。私の中では。べつにそれが
悪いというわけではなく、このスレを立てた理由、基準には合わないと言うだけの
話で。お分かり頂けましたでしょうか? 質問では名将と単なる名将の違いは何か
とのお尋ねですが、「世界史に影響を与えた名将」と「そうでない名将」の違いと
思っていただければ、と。
241:01/10/23 07:08
続きです。
で、近現代の名将を外すのはどういうことか、とのお尋ねですが、自分で全軍を
率いる人物が居ないように思えたからです。マッカーサーがカエサルやナポレオン
と同じ意味での名将とは思えなかったので。でも、これは場合によっては撤回して
も構いません。
242:01/10/23 07:15
場合によっては、というのは、三つの基準を完全に満たしている場合です。
2の類い希な軍事的才能を持っていた、というのは、戦場でそれを発揮したという
意味です。軍政家はもちろん、後方で戦略策定をやっていた人は入りません。
243世界@名無史さん:01/10/23 07:49
カール大帝出てないね。自分で軍隊を率いていた人だし、入れていいのでは。

あと、個人的にはローマのアウレリアヌス(パルミラの反乱を鎮圧した皇帝)が好きだが、ややマイナーか。
244:01/10/23 08:02
孔明を挙げている人が何人かいるので、三つの基準を見ながら何故入らないかを
述べてみます。
自分で軍を率いた。これは当てはまります。が、残り二つ、類い希な軍事的才能
を持っていた、世界史に影響を与えた、という基準には当てはまりません。
よって落選です。日本人は三国志演義の影響で、支那で名将と言えば孔明、みたい
な誤解をしています。これは別に、田中芳樹のようないかがわしい歴史小説家に
言われなくても、正史を読めば分かる事です。なにしろ、次の晋の歴史家にさえ
軍事の才能は大したものではなかったとはっきり言われているのですから。
私の孔明評は、偉大な名宰相であった。の一言に尽きます。宰相としては世界屈指
と言ってもいいのではないでしょうか。国力の貧弱な蜀を治め、連年出兵しながら
民衆は誰一人恨まず、孔明の死後、自発的に廟を立ててこれを祀った、とあります
から、これほど慕われた功績のある政治家は古今に何人いるでしょうか? 聖賢に
近い存在でしょう。ただし、名将ではないです。残念ながら。軍略では司馬仲達に
遙かに及ばないでしょう。
245世界@名無史さん:01/10/23 09:48
李舜臣はだめなの?
246梵阿弥:01/10/23 10:36
アクバル大帝。
247世界@名無史さん:01/10/23 10:43
ヤン三世ソビエスキが抜けているのがおかしい。
彼と彼の率いるポーランド重騎士団(フッサール)は、
ウイーンを包囲したトルコ軍の大軍勢を蹴散らし、ヨーロッパ世界を救った。
248世界@名無史さん:01/10/23 13:52
ていうか、日本人多過ぎ。
249世界@名無史さん:01/10/23 13:59
だな・・・
250世界@名無史さん :01/10/23 14:11
 名将って掃いて捨てるほど沢山居ますね。
251梵阿弥:01/10/23 15:29
イタリア王國のジュリオ・ドゥエ将軍。
252夏侯操:01/10/23 15:55
織田信長も徳川家康も豊臣秀吉も名将だが、こと戦争に関しては、真田昌幸や幸村、島津義弘に劣ると思う。
この中で、世界的実績があるのは、島津義弘だけか…。
日本は島国だから、しょうがないんじゃない?
日本はアイヌなどをぬかして、海外の国との戦争多くないし。
253世界@名無史さん:01/10/23 18:27
ロシア、アメリカ(連合国)と戦争しましたが……

日本は世界で最初に空母機動部隊を編成、運用しました。
その成果は真珠湾、マレー沖海戦で現れてます。
これにより中世末期から続く大鑑巨砲主義は葬られまったく新しい
型の海戦へと移行しました。この観点から1人くらい選びたいのですが
思いつかない……

一応山本五十六を上げておきます。
254世界@名無史さん:01/10/23 18:34
>252
島津義弘より島左近のほうがより名将だよ。
島津もたしかに名将だが、猪武者的な要素がある。
255全部読んでないですが :01/10/23 18:39
軍事に関しては日本って以外に世界初多いと思う。
うろ覚えだが、
1.義経が逆落とし?のような・・・
2.信長がテッポーどーたら、
3.トーゴーさんバルチック完膚なき・・・
4.空母機動部隊編成・運用・・・

上記3.4.とても矛盾していて日本人らしいですな。気が付いて信濃改造したの素敵。
256世界@名無史さん:01/10/23 18:47
猪武者的な局面と、冷徹な洞察力を兼ね備えているから、名将なのだよ。
朝鮮では、全く領土的野心を示さず諸将を驚かせているし、
だからと言って日和って居た訳ではない事は、明軍20万を返り討ちにしたり、
李舜臣を仕留めている事で分かる。
むう・・・。
世界史板の通り掛かりとしては、軍事板に「戦争論」という西欧中世〜近世の戦術を
エッセイ風にまとめた名物スレッドがあります。

まず、そこを覗いて見て情報を収集されてから熟慮されてもよろしいかと。
258世界@名無史さん:01/10/23 19:18
いや。世界史って調べるほど面白いのよ。そんだけの話
259世界@名無史さん:01/10/23 19:20
>>253
でもその新しい型の海戦って日本に不利な形態なんだよなぁ

>>255
鉄砲の集団運用じゃなかったっけ?
260世界@名無史さん:01/10/23 19:20
>256
それを踏まえても島左近のほうが一枚上手と言ったつもりなのだが。
飽く迄も相対的にというはなし
261世界@名無史さん:01/10/23 19:28
>>260
島左近の実績は?
島津義弘の実績に比肩する戦功を紹介キボン
262世界@名無史さん:01/10/23 19:44
>261
かの三成が知行の半分で召抱えたほどの人物。
関が原での戦など。
(家康によって城から出されたという説は電波ということはいうまでもないこと)
263世界@名無史さん:01/10/23 19:46
超大国アメリカ合衆国本土に攻撃を仕掛け
現在もアメリカ国民を不安に陥れている・・・

ウサマ・ビンラディンに一票〜
264:01/10/23 20:41
それでは、まず日本代表を選抜したいと思います。

○日本代表○
豊臣秀吉
東郷平八郎

暫定
徳川家康

東郷平八郎については異論がないかと思われるので、他の二人を選んだ理由を
書きます。
秀吉が世界史に与えた影響は、朝鮮出兵による明滅亡の原因を作ったという事に
尽きます。日本史上、未曾有とも言うべき強大な王権を持ち、失敗したとはいえ
明を滅亡させる遠因となった朝鮮出兵を行った。謀略の人と思われがちですが、
攻城戦の達人で統率力も問題なし。当時の西欧列強の危険性を認識し、キリスト
教を弾圧したのも、当否は別として世界史に影響を与えたと言っていいでしょう。
なにしろ、スペインの植民地フィリピンは、台湾をひとまたぎした程度の位置。
日本代表の資格ありかと。
暫定で家康を挙げました。世界史への影響は、積極的なものではなく、消極的な
ものなのですが、三百年近い太平の世を築いたという事ですね。当時のヨーロッパ
など、十年以上平和な期間がなかったという程戦乱が続いたというのに、日本だけ
は奇跡的な平和を享受できた。世界史上の奇跡とよんでいい功績ではないでしょう
か。ただし、あくまで暫定です。
以上の2名+1です。抗議、推薦、歓迎。
265世界@名無史さん:01/10/23 20:46
>>264
朝鮮出兵で明が滅びたって言っても
それで日本が得た利益がなけりゃ、なんの意味もなかったのと同じじゃない?
266:01/10/23 21:00
>>265
あ、さっそくレスにお答え。
日本に利益があるとかないとかは関係ありません。

詳しく理由を言います。
ハンニバルが名将である、ということに異存はありませんよね?そのハンニバルの
カルタゴはどうなったでしょうか?あるいは項羽は?
ハンニバルを私が選ぶ理由は「積極的」な理由ではありません。つまり、
「ハンニバルがいなければその後のローマが地中海帝国として存在しなかった」
というのが世界史への影響だった、と言いたい訳です。分かりにくいかな?
実際、ローマに連戦連勝のハンニバルは、ただ一度の敗北で西地中海の覇者たる
カルタゴの運命を滅亡に向かわせたのです。いわゆる「ハンニバル戦役」第二次
ポエニ戦争は、ハンニバルが先に手を出したのであり、ローマに戦争の意志は
ほぼ無かったのです。
と、秀吉を推薦する私は思うのですが、どんなものでしょうか?
267世界@名無史さん:01/10/23 21:21
秀吉、家康とくれば、彼らの先駆者織田信長も忘れちゃいけない。
世界史への影響という点は確かに小さいが、皆無というわけでもない。
戦場への鉄砲の大量投入、鋼鉄艦建造など、武将としての能力は十分だと思う。
家康同様、暫定ということで加えてはいかが?
268世界@名無史さん:01/10/23 21:31
基本的にいつの時代も日本はなんだかんだいって大国だから
意外と地味に世界史的にみてもを優秀な人って多いと思うよ。

東郷平八郎(この前NHKで部下の言うとうりに指揮しただけと子孫が暴露してたけど)
と信長に一票だね
269揚げ足鳥でスマンネ:01/10/23 21:53
>>262
15万石の中から、三万石じゃなかった?
270世界@名無史さん:01/10/23 21:56
>>264
豊臣秀吉の場合、以下の3条件に当てはまるかどうかは疑問(少なくともベスト100の範囲内では)。
@自分で軍を統率した
A類い希な軍事的才能を持っていた
Bその存在が世界史に影響を及ぼした

@Aの軍事的能力について、かなり有能ではだったのかもしれないけれど、
同時代の戦国武将の中で抜きん出て才能があったという感じはしない。
(敢えて言うなら水攻めの発想か。あとは米軍も真似した「ヒデヨシ」作戦(笑)くらい)
むしろ卓抜した政治能力の方が、秀吉のパーソナリティーを考える上で重要ではないか。

Bの明滅亡の遠因というのは確かにそうだが、朝鮮出兵はやっぱどう見ても失敗でしょ。
いやしくも名将を選ぶなら、結果責任まで含めて総合的に判断すべき。
(劣勢な中で素晴らしい戦いを見せた上で、ついに敗北する、というならまだ分かるけど)
更に、そこまで明滅亡に繋がったのを重視するんだったらヌルハチ選べばいいじゃん、という考え方もある。

と愚考するが、1さん、いかに?
271270:01/10/23 22:02
あと、家康の選考基準も含めて>>264は、もはや「名将」というより
「名政治家」の条件に近いような気がします。
272世界@名無史さん:01/10/23 22:16
日本の戦国武将に該当者なしというのはダメですか?
273世界@名無史さん:01/10/23 22:17
274@@:01/10/23 22:21
孫武忘れてんじゃないの?ナポレオンも孫子愛読したって言うしさ。
あと、フィリッポス2世。親父があれだけ基盤作ったから、息子もあ
れだけ突進できたんじゃない。カイロネイアの戦いも有名だし。
それとガリバルディ
275世界@名無史さん:01/10/23 22:24
>>274
孫武の戦闘指揮の実績は?
276世界@名無史さん:01/10/23 22:25
>>264
秀吉は
A類い希な軍事的才能を持っていた
には十分当てはめると思う。
鳥取の渇泣かしや高松の水攻めのような
ユニークな戦法を採用した武将が
世界に100人以上いるとは思われない。
Bその存在が世界史に影響を及ぼした
の条件については確かに弱いが、
日本は世界史の中で無視して存在でない以上
日本統一の実現という点で大いに
世界史に貢献している。
失敗しているというがナポレオンでさえも
最終的には失敗している。
277世界@名無史さん:01/10/23 22:58
島左近が結局何を成し遂げたのか良く分からん。
高い年俸で契約した野球選手は名選手なのか?
278世界@名無史さん:01/10/23 23:49
だ〜か〜ら〜さ〜、1よ、スレ立てて人の意見求めてるんだから、自分勝手に仕切んなって。
279@@:01/10/23 23:51
孫武を将軍とした呉は小国ながら強大な楚の都郢まで攻め込み、
また中原まで上り闔閭は覇を唱えた。孫武は第一位の功労者と
されたが官位を返上し、隠退した。
280夏侯操:01/10/23 23:57
俺も島左近勝猛を入れようと思ったけど、世界への実績がない。
三成にすぎたるものは、島の左近と佐和山の城と言わしめたし、関ヶ原の合戦も鬼神のような働きで、鉄砲で撃たれて死ぬまで敵を逃げ惑わせたとあるが、有名どころは関ヶ原だけ。
三成に仕えたのも1584、5年。
281夏侯操:01/10/24 00:07
秀吉の城攻めはすごいと思うが、長期戦は敵に後ろを攻められる心配と、金と食料の問題が解決できればできる。
砂を金で買ったり、水攻めはすごいが、後ろに信長という人がいるし大勢力だから成功したまでじゃない?小田原攻めでどこかの城で三成は水攻めに失敗してるけど。
282世界@名無史さん:01/10/24 00:09
孫賓は?
283世界@名無史さん:01/10/24 00:14
島津義弘の方は中国の歴史に名を知らしめているしな。
284世界@名無史さん:01/10/24 00:20
↑朝鮮の歴史だろ
285世界@名無史さん:01/10/24 00:21
明史じゃなかった?
「鬼石曼子」は
286リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/10/24 00:29
>>243さん
いや、マイナーな名将を発掘するのが世界史板の醍醐味。

>>1さん
勝ったから名将、というのはどうだろうか?
あえて負け戦に望んだ将軍もいるだろうし。
そもそも、勝ち負けは時の運って要素も小さくない。
287世界@名無史さん:01/10/24 00:30
中国近現代から
林彪 平型関戦役の勝利者
ホウ徳懐 百団大戦の立案者

世界史的影響:第二次大戦後、国民党を圧倒し、共産党政権を
打ち樹てるのに大功があった。
288世界@名無史さん:01/10/24 00:43
基準を勝ち負けにするならば、その勝ちというのは、どうしたら勝組になれるのか?
289現地っつっても北部行ってないんでしょ:01/10/24 01:21
マスード将軍の名を出してあっと言わそうと思ったら、てつたろー氏が出してましたな。

しかーーーーーし!一般論で退けられて、ろくに検討されていないのは何故?
全盛期のソ連軍の総攻撃を9度にわたって退けるなんてカエサルにできるのか?
ラバニ政権の国防省で、ヘクマティアル派の一部が買収されて裏切られるまでは
パキスタンの援助を受けたタリバンを退けつづけ、
市民を戦火の巻き添えにしないためにカブールを無血開城するという判断もできた人だ。
その後もタジク・ウズベクだけじゃなくバシュトゥン人の一部すら含む多民族の派閥を束ねて抵抗を続けたんだぞ。
彼がいなければ北部同盟などとっくの昔に雲散霧消して、名実共に米VSアフガンの戦争になっていたことは間違いない。
カエサルと比べてどう劣るのか、ちゃんとした説明がなければ俺はここを駄スレと公式に認定する!(誰も痛くも痒くもないだろうが)
290289:01/10/24 01:34
↑マスード将軍に関して連続カキコしたら妙な名前が残ってしまった。(汗
この事情に関してはマスード将軍追悼スレを。
291世界@名無史さん:01/10/24 01:34
>>289
>>1はただのドキュソ。無視して名将を挙げていこうよ!
292世界@名無史さん:01/10/24 01:49
>>286
>マイナーな名将を発掘するのが世界史板の醍醐味。

いいこと言うなあ・・・

で、強国スペインを支えた強者たち。

ゴンサロ・デ・コルドバ(Gonzalo de Cordoba)(1453-1515)
イタリア戦争で活躍し、「グラン・カピタン(el Gran Capitan)」の異名を持つ。
スペインの歩兵編成を改革し、後の「テルシオ」の原型を作った。
ピドナ(Pydna)・キュノスケファライ(Cynoscephalae)会戦(←ローマ対マケドニア)
にならった、sword-and-buckler歩兵の導入により、
スイス傭兵をまともにうち破った、チェリニョーラ(Cerignola)の戦いが代表作。

アルバ公(Alba, Fernando Alvarez de Toledo)(1507-1583)
カール5世がシュマルカルデン同盟軍を破ったミュールベルク(Muhlberg)の会戦に参加。
その後フェリペ2世に仕え、ネーデルラント総督に就任、
オランダ反乱に際しては、正規戦では反乱軍をあらゆる場面で破る。
後、更迭されるが、1580年のポルトガル併合を指揮する。

パルマ公(Parma, Alessandro Farnese)(1545-1592)
フェリペ2世の甥。オランダ反乱の最も困難な局面に総督となる。
ネーデルラントの南部を反乱軍から奪回するが、この時の軍事境界線が、
後のオランダ−ベルギー国境の原型になっている。
王族中では抜群の器量のせいか、あちこちで使い回されることが多く、
(無敵艦隊との連携・フランスの旧教徒同盟救援)
ルーアン攻囲で流れ弾に当たり戦病死。
軍事史的には、アントワープ攻略・セーヌ渡河でスペイン工兵隊の優越性を知らしめている。

スピノーラ(Ambrogio Spinola)(1569-1630)
ジェノヴァの金融業一門の出身。
パルマ没後、スペイン領ネーデルラントはナッサウ伯マウリッツ指揮下の反乱軍に押されまくるが、
スピノーラはオステンド・ブレダを攻略して失地を回復。
Parker教授は、彼を16-7世紀のスペイン将星中ベストである、と評しているが、
反乱軍=共和国の存在を既成事実として受け止め、「12年休戦」に尽力したあたりの柔軟さが、
そうした評価を生むのだろうか。
後、ミラノに転出し、マントバ継承戦争で陣没。

ティリー伯(Tilly, Johannes Tserklaes)(1559-1631)
フランドル出身。
30年戦争の前夜、バイエルン公の援助で一軍を組織。
30年戦争の第一局面、ファルツ選挙侯領の劫略で有名(悪名)をはせる。
(この時、スピノーラは「煮え切らない」指揮振りが不評を買う。新旧交代を象徴する事件である。)
皇帝側の代表的指揮官として、リュッター(Lutter)、マクデブルグ等で新教徒軍を懲らしめたあげく、
1631年ブライテンフェルト(Breitenfeld)でグスタフ・アドルフに撃破され戦死。

この戦い及び、
大コンデ指揮下のフランス軍が、スペインのフランドル派遣軍を破った、
12年後のロクロワ(Rocroi)の戦いは、陸軍強国スペインの衰退をようやく象徴する事件となった。

軍事史的にはコルドバが、
世界史的重要性では(→オランダ・ベルギーの分立)パルマが
知名度ではアルバが
それぞれ100位以内にはいると思われ。
293世界@名無史さん:01/10/24 03:49
ヴァンダル王国を攻略した東ローマ帝国のベリサリウスは
ぜひ100人に入れてほしい。
294世界@名無史さん:01/10/24 05:00
えっと一応リストは
>>184 かな

呉起は外せんでしょう!
295世界@名無史さん:01/10/24 06:01
朝鮮からは、隋の大軍を撃退した高句麗の乙支文徳、朝鮮半島初統一に
最大の功績がある新羅の武烈王(金春秋)、辺りが妥当ではないかと。
李舜臣は過大評価されてる気もするので、どちらでもいいのでは?
「世界に誇れる日本の武将100人をあげよう! 」
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1003874704/l50
297:01/10/24 07:09
>>267
信長なんですけど、本当に惜しいのですが今回は外れると思います。引っかかるのは
第三基準:その存在が世界史に影響を与えた、という部分ですね。歴史にもしもは
禁句ですが、後十年生きていたらと思いますが。駄目ですか?

>>270
確かに、世界史への影響という基準から見ると弱いかもしれません。
暫定に落とすということでいかかでしょうか?>ALL
ただ、

>Bの明滅亡の遠因というのは確かにそうだが、朝鮮出兵はやっぱどう見ても失敗でしょ。
>いやしくも名将を選ぶなら、結果責任まで含めて総合的に判断すべき。

と言われてしまうと、ハンニバルや項羽は外さざるを得なくなるのですが・・・
どうしましょかね。
後、これはあくまで私の基準ですが、ヌルハチは言いだしといてなんですが
外そうか考え中です。代わりに清の康煕帝を入れようかとも思案中です。
すいませんね。ころころ変わって。

>>278
何度も同じ事言わせないでくれるかな?(^^; 帰っていいよ。

>>286,288
勝ち負けについてですけど。その時その時で判断するしかないかなあ。これは
微妙です。判断しようがない。すいません。
298:01/10/24 07:14
>>289
別に駄スレ認定するぞという脅しに屈したわけではないけど(^^;
内容見てちょっとぐらついたかな。特に無血開城の話のとこでぐっときたんです
けど(笑) もっと詳しい略伝希望。

>>ALL
他に無いなら、支那代表の選定に移りたいのですが。
299#:01/10/24 07:20
>>293
いえてる。ユスティニアヌス帝に嫉妬されながらも戦い続けた
名将だよね。農民出身から抜擢されたところがまたイイね。
300世界@名無史さん:01/10/24 09:22
パウル・フォン レトゥ-フォルベック将軍:第一次大戦の東アフリカで本國停戦まで戦った。
アンドリュー・カニンガム提督:1940年の航空母艦によるタラント空襲
ヒュー・ダウディング将軍:レーダーを活用してブリテン本土防空戦を指揮
301世界@名無史さん:01/10/24 10:04
世界史的にはどうみても
李舜臣>>>>>島津なんだが…

あ、知名度でね。
302梵阿弥:01/10/24 10:11
サモリ・トゥーレ:銃を自作し西アフリカでフランスに対抗   ↑私です。
303世界@名無史さん:01/10/24 11:46
>>289
マスードへの愛は分かるが、そういう感情の発露は軍事板のスレでやれや
もうちょい冷静になろう

>>298
しかし世界史に影響を与えたとなると、日本人はほとんど入らねーな
軍事史的には特筆すべき人(孫武とかシャルンホルストとかギベールとか)もどうするか
それと時期は現代も含めてしまうのかい?
マスードなんかこの間まで生きてたぞ?
304世界@名無史さん:01/10/24 11:47
がいしゅつだけど、グデーリアンと山本五十六は必須かと。
戦闘の概念自体を変えたしね(機甲師団と機動部隊
305世界@名無史さん:01/10/24 12:49
「世界史に影響を与えた」なんてのが名将の条件ですかね?
軍指揮官は戦争に勝てばそれでいいわけだし、
影響を与えた云々は名将それ自体に関係ないのでは。
306アマノウヅメ:01/10/24 13:19
ジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルクを入れないわけを聞きたい。よそではキティとか。
いや、別に論争しようというわけじゃないです。

あの乙女が出てきてから連戦連勝。
通説では老練の将軍たちが指令を出していたことになってますが、敢闘精神があっても
兵の質だけでは勝てないのは証明済みです。
307梵阿弥:01/10/24 13:31
クイントゥス・ファビウス・マクシムス:第2次ポエニ戦争、「イタリアの盾」
レイモンド・スプルアンス:第二次大戦のミッドウェイ海戦他
308世界@名無史さん:01/10/24 14:25
ああ、戦国オタ消えろ!!
309世界@名無史さん:01/10/24 17:56
とりあえず20世紀末代表はマスードさんってことで。>>292 ロクロワで戦死したフュエンテス伯はダメ?
310世界@名無史さん:01/10/24 18:13
ミトラダテス戦争他を勝利した
ルキウス・コルネリウス・スッラを
311    :01/10/24 18:38
檀君。
312    :01/10/24 18:43
日本を第2の朝鮮国にした神武倭王
蘇我氏を滅ぼした朝鮮系天皇である天智倭王
さらにその子を滅ぼして確立させた天武倭王
蝦夷を討伐した桓武倭王
みな朝鮮系の父祖を持つ
313:01/10/24 21:29
○支那代表○
項羽
衛青
霍去病
李世民(唐の太宗)
鄭和
康熙帝(清の聖祖)
郭侃

暫定
光武帝
班超

一応、文句が出ない範囲と思う人を挙げました。郭侃は元朝に仕えた漢人武将
なので支那代表にしました。孫子なのですが、正体がはっきりしないので今回
は見送りということで。抗議推薦歓迎。
314世界@名無史さん:01/10/24 22:38
争いが絶えず、乱世をまとめるため、優れた将出た時代の三国志と春秋戦国時代から一人も出てない時点で死んでる。
ついでに言うならば孫子は二人いんだよ。
1は頭だいじょぶ?
また意味わからない事言ってる。
いないとか言ってるじたいで、勉強不足よって、このスレから追放。
315世界@名無史さん:01/10/24 22:50
悲惨な1のいるスレ、認定
316>>314&315:01/10/24 22:54
「世界に誇れる日本の武将100人をあげよう! 」
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1003874704/l50
317 :01/10/24 23:02
このスレで1だけが浮いている・・・・
いい加減に気付や。
見ていて痛々しい。
318世界@名無史さん:01/10/24 23:08
気にするな。粘着の時間だ
319292:01/10/24 23:38
>>309
>ロクロワで戦死したフュエンテス伯はダメ?

し、しぶい・・・。

よく考えたらティリーってあんまりスペイン軍と関係ないですね。
で、確かにこのFuentes伯の方が、テルシオ戦術・無敵フランドル方面軍の落日を
象徴する武将としてふさわしいのかな、と。
でも、生まれも生年もよく知らんのですわ。検索かけたけど。
何かご存じでしたら教えて下さい。

で、一応、他の方の参考までに、ロクロワの戦いの経過。
1.仏軍右翼騎兵(ダンギャン公=大コンデ指揮)が、スペイン軍左翼騎兵を蹴散らす。
  同じくスペイン軍右翼騎兵(スペイン側総司令官デ・メロ(De Melo)指揮)が仏軍左翼を圧倒。
2.大コンデは自軍左翼の危機を見て取ると、敵中央の後方をぐるっと回ってスペイン軍右翼を猛襲、壊走させる。
3.スペイン側援軍の接近を恐れたため、大コンデは
  残ったスペイン軍中央歩兵隊(Fuentes指揮)に突撃をかけるが、
  さすがにテルシオの堅陣に3度まで跳ね返される。
4.攻めあぐねた大コンデは慎重になり、自軍歩兵に正面を拘束させ、
  騎兵に側面攻撃させる。
5.包囲され進退極まったFuentesは死ぬまで戦い、栄光のテルシオ連隊は壊滅。

なんかものすごい爺さんみたいだったですな。
百年戦争のシュルーズベリ伯(Shrewsbury, John Talbot)(1387-1453)
(1453年Castillonの戦いで敗北・戦死→100年戦争終結)
みたいに<落日を支えた老将>というカテゴリーに入りそうでカッコいいのですが・・・
320:01/10/24 23:38
>>314
あなたこそ頭大丈夫ですか?正体がはっきりしていないって言ってるの。
一つの前のスレも読めないのですか?孫子の正体については孫武説、孫ビン説、
最近では伍子ショ説も出てる。だいたい、そのうちの誰か一人に確定したと
しても選定基準にはあてはまらないので落選。君も帰ってよし。
321:01/10/24 23:43
>>314
あっちのスレにも行ってたんですねw 煽り荒らしご苦労様です。
322世界@名無史さん:01/10/24 23:44
>1
お前も煽りを相手にすんなよ。
323:01/10/24 23:46
>>322
すいません(^^; ここは2ちゃんねるですものね。

あやめさん来てくれないかな〜
324世界@名無史さん:01/10/24 23:50
あっちのスレ?
325世界@名無史さん:01/10/24 23:59
>>1はマジでウザイな。
選別したいなら、一人でノートにでも書き出してろよ。
ここはお前が100人の名将を選ぶスレじゃないんだよ。
326夏侯操:01/10/24 23:59
黒太子ってどこがすごいの?
チャンドスのほうがすごいのでは?
327世界@名無史さん:01/10/24 23:59
>>314
その選定基準とやら自体がドキュソ。お前こそ帰ってよし。
328世界@名無史さん:01/10/25 00:00
>>314>>320の間違い。>>314スマソ。
329世界@名無史さん:01/10/25 00:00
「李靖」を推薦!
李世民が居るのにナンなんですが突厥帝国征服の総司令官としてゼヒ挙げたい。

>>314乱世をまとめるため、優れた将出た時代の三国志と春秋戦国時代・・・
優れた将が居なかったからダラダラと乱世が続いたと思われ・・・
世界の100人に入るような名将ならば統一してしまうのでは?
私見ながら。
330:01/10/25 00:01
>>326
双頭の鷲ですな。
331あっちのスレ:01/10/25 00:03
「世界に誇れる日本の武将100人をあげよう! 」
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1003874704/l50
332夏侯操:01/10/25 00:05
>>1yes
333:01/10/25 00:08
>>332
あれは面白かったですね。あれ読まなかったらデュ・ゲクランなんて言われても
誰だそれ?状態だったでしょう。ただ、チャンドスって良い奴なのか悪い奴なのか
はっきりしないので微妙です。そこが歴史の面白いところなんですが、などと
分かったような事を言ってみたり。
334夏侯操:01/10/25 00:17
329おれはそうは思わないなー。
平和の時代には優れた文学作品や文化人がでるたり、名刀は戦いの多い時代に作られるのと一緒で、いい人材は戦いの多い時代に現れると思う。
こと戦争に関しては。
335夏侯操:01/10/25 00:22
>>1、あれかなりお勧めブックだよね。
ガスコーニュ貴族のやつなんだっけ?
騎馬の迂回による側面攻撃を考えた人、本当にあんなにすごかったら100以内入る(笑
336世界@名無史さん:01/10/25 00:37
「双頭の鷲」佐藤賢一。
おもしろかったが直木賞とってからダメだよね、この人。
337世界@名無史さん:01/10/25 01:36
シモン・ボリバル
フィデル・カストロ
チトー
338世界@名無史さん:01/10/25 01:37
20世紀末代表候補にシュワルツコフも入れて頂戴
339世界@名無史さん:01/10/25 01:40
っていうか>>1よ、>>313に韓信と呉起が入ってない理由は?
340世界@名無史さん:01/10/25 01:41
IQ185ね。トム・クランシー熱砂の進軍や、ご本人著(ちがったっけ?)「山動く」
読んだことないから、湾岸戦争における個人の資質ってわからないなあ・・。
341世界@名無史さん:01/10/25 01:54
「山動く」はパゴニス中将。
342世界@名無史さん:01/10/25 02:09
韋駄天グーデリアンOKなら
トハチェフスキーもOK?

ギリシャからはレオニダスとエパミノンダスも推したい。
343世界@名無史さん:01/10/25 02:20
1>きさまは曹豹を入れろ。
呂布の次につおい
344世界@名無史さん:01/10/25 02:43
レパントの海戦の指揮官、オーストリア公ドン・ホアンは?
345世界@名無史さん:01/10/25 03:25
>>313
だから曹操や毛沢東がなんで外れてるんだよ
おまえのあげる名将の条件を3つともクリアしてるだろ

@自分で軍を統率した
A類い希な軍事的才能を持っていた
Bその存在が世界史に影響を及ぼした

むしろ項羽などBが疑問
346世界@名無史さん:01/10/25 03:38
>>345
少しは過去ログも読もうね。
347世界@名無史さん:01/10/25 03:41
項羽がいなければ劉邦は天下をとれなかっただろうという意味で
世界史に影響を及ぼしている。
曹操や毛沢東については賛同。中国史屈指の名将。(というより英雄かな?)
348世界@名無史さん:01/10/25 03:58
>>347
○○がいなければ××はなかった,じゃ
全ての人間が世界史に影響することなるじゃん.
直接的な影響で考えるべきでは?
349世界@名無史さん:01/10/25 04:03
項羽が秦を滅ぼした
350世界@名無史さん:01/10/25 04:31
何で衛青とかカクキョヘイ入るのかが大謎。
文帝景帝の時に貯めたお金を武帝が浪費して最新装備の大軍を与えて勝っただけ。
毛沢東は入れない理由がない。彼がいなければ共産党はつぶれていたし、
中国の姿は大きく変わっただろうし、日本を含めそれをとりまく列強の
バランスまで考えるとその影響は計り知れない。
彼を入れないということは、20世紀からは誰も入れられなくなる。
351世界@名無史さん:01/10/25 04:46
とりあえずベスト5を教えて下さい

俺的には
 孫子
 韓信
 項羽
 曹操
 毛沢東かな。支那ばっかりだけど。
352:01/10/25 08:02
>>350
衛青と霍去病を選んだ基準なんですが、この二人が北方の騎馬民族を撃ち破る
ことによって初めて中華帝国はアジア最強の帝国となった事を重視しました。
ご承知のように、歴代の中華帝国にとって北方騎馬民族は外患の最たる物。
ことにキョウドは漢代初期から猛威を振るい、高祖劉邦も一時は捕虜にされかけた
ほどでした。中華帝国は、国内を統一し、北方騎馬民族をおさえてようやく世界
帝国としての実質を備えるわけです。上記二人が漢の武帝の命を受けて騎馬民族を
追いやるまで、漢は莫大な宝物を毎年送り続けていました。(秦代は短かったうえに
騎馬民族もほとんど動いていない)西のローマ帝国と対比して東西の世界帝国を
考える上で、実質的な帝国化は、二人の戦勝をもって始まると考え、これを推薦
した次第です。
353:01/10/25 08:06
ついでに言えば、最新装備って何なんでしょうか?当時の機械力でキョウドを
撃滅したという記録は聞いたことがないのですが。それにそれだけで勝てたのなら
後代の中華帝国はあれほど騎馬民族に悩まされはしないかと。
354夏侯操:01/10/25 08:26
良質の武具をそろえたり、武具の性能をあげたり、馬を買い集めたり、訓練にもお金かかるよ。
金はいくらつぎこんでも、足りないのでは?
良質な武具のおかげで殺傷率が、大幅に下がった例もあるでしょう。
雑兵の武具はゴミみたいなものだし。
355夏侯操:01/10/25 08:27
みんなマータリいきましょう。
356     :01/10/25 11:45
金就砺将軍であろう。
将軍は高麗王朝の高宗3年(1216)に遼の王子の金山・金始が鴨緑江を超えて侵略
したが、戦ってこれを退けた。
朝鮮は弱小国ではなく偉大であることがよく分かる。
357世界@名無史さん:01/10/25 11:46
>350 毛の軍人としての優秀さを教えて下さい。「名将」スレなんで何よりもまずそれが知りたい。
358梵阿弥:01/10/25 12:11
ヤン・ジシュカ:チェコのフス派の急進的なタボル派を率い無敗
ミヒェル・デ ロイテル提督:ネデルラント共和國、第二次蘭英戦争で活躍
アレクサンドル・V・スヴォーロヴ将軍:ロシア帝國、革命後のフランス軍に連勝
ドミニク(フランソワ説も)・トゥサン:ハイティでフランス、イスパニア、ブリテン軍を破る
359世界@名無史さん:01/10/25 12:17
項羽は中国史的にはともかく、世界史的には名将にするにはちょっと...

鉅鹿の戦いに味をしめたのか、兵糧の確保や後方支援をおざなりにして
力攻めの繰り返し、特に漢楚の戦いに移行してからは意味のない
勝利ばかりで数年で自滅...

世間的には勝ち続けて最後の一敗で滅亡というイメージがあるようだけど、
客観的に見れば勢いで霸王になったけど速攻じり貧で滅亡したってことで、
陳勝レベルかと。武勇があったから呂布か?

あと、項羽を入れるならヨーロッパでヒトラーは外せなくなるかと。
360世界@名無史さん:01/10/25 12:20
>>358
タボル派はオウムやアルカイダと同じ狂信者
361    :01/10/25 12:29
それを主張するとボイン河でアイルランド軍を破った
クロムウエルも軍事的な才覚は大きいが狂信者じゃん。
362世界@名無史さん:01/10/25 14:59
漢が匈奴に貢物を送ってたのは
匈奴に敵わなかったからではなくて、
莫大な戦費や兵站の確保が出来なかったからでしょ。
武帝の時代になって漸くその余裕が出来て、
戦争を実行したのがたまたま衛青や霍去病だった。
363夏侯操:01/10/25 15:03
項羽は敗者だよ。敗者なんて、後の王朝がそいつをボロクソにかくだけ。
悪く書かれている分をぬかしても、、名君ではないが、名将だとは思う。
項羽は先見の目もないし、人を見る目もないが、戦争に関しては鬼のように強い。
364夏侯操:01/10/25 15:15
呂布にもいえることだが、丁原や董卓の元にいたときは、その強さはだれもがみとめていて無敵だったが、自分がトップになると、李確や郭泗ごときに長安から追い出されている。
項羽も楚の将のままなら秦をほろぼしたときのような働きを続けただろう。
将としてみれば名将。
365世界@名無史さん:01/10/25 15:28
>>364
そこまで限定した条件下でしか能力発揮できんのでは
名将と言うに難があるように思われるが
366夏侯操:01/10/25 16:02
おれは、さっきから他の人の論争に水をさしちゃってる(笑
名将の定義は戦争に強いことじゃないの?
項羽が最戦線の指揮をしたときの項軍が負けたのは、あまり聞いたことがない。
実質勝ち続けたわけだが、ほろぼされた。
367大将軍林彪:01/10/25 16:46
毛同志の戦勝歴は、ほとんど私のもののような気がするのですが……
私って韓信大元帥となんか被りますね。

世界史的には東郷元帥かロンメルかな?
368世界@名無史さん:01/10/25 16:56

無敵のグラディエーター、マキシマス。

彼は個人的な武勇に優れているだけでなく、
配下の将兵の士気を高めて維持し続けることができた。
また、コロッセウムの中で絶体絶命になりながらも
烏合の衆であるグラディエーター達を結束させ
秘奥義であるダイヤモンド陣形でローマ正規軍を撃破した。
369世界@名無史さん:01/10/25 18:07
>>361
ボイン川(楽しい名前だ)でジャコバイト破ったのはウィリアム3世では?
370:01/10/25 18:26
>>329
李靖なんですが、李世民を入れているので今回は・・・。

>>339
呉起は名将と言うより軍事理論家なのでは。今回は基準を満たしていないので
落選です。勝手に決めてすいませんが。韓信は悩みましたが、世界史への影響
という点で落としてみました。

>>345.347
曹操が世界史に与えた影響を教えてください。ちょっと思いつきません。
支那の名将百人なら間違いなく入るんですけど。
371世界@名無史さん:01/10/25 18:39
>>370
最後の2行はネタだよね?
372世界@名無史さん:01/10/25 18:48
だからテメーの世界史の定義ってナンだよ
373世界@名無史さん:01/10/25 19:03
>>370
『孫子』は魏武注があったればこそ現存したとされるが
これは別に世界史的に影響はないのか。なら別にいいんだが。
374世界@名無史さん:01/10/25 19:46
373に補足しよう。
孫子が実在の人物であるかどうか疑わしく、また
A自分で軍を統率した経験がないから将と呼べぬ、というのであれば、
『孫子』を収集・校定して自身の実戦経験に基づいた注を施し、
その理論を証明し後世に伝えた魏武曹操はこの条件をクリアしている。

B『孫子』そのものに世界史的な影響力がない、と言うならそれまでだが、
それによって論拠の崩壊する方、候補者が幾人かいるように思うがどうか。
375世界@名無史さん :01/10/25 20:15
>>368
たまに来てくれ
なごむ・・・・
376世界@名無史さん:01/10/25 21:05
やさしい名無しにフォローされてるけど
1の浮きっぷりが面白い
377世界@名無史さん:01/10/25 21:07
三国志ヲタが暴れまわっているな(゚д゚)y-~~~
378:01/10/25 21:55
>>374
うーん、そうすると孫子に世界史的な意義があるということになりますな。
一つ、孫子の世界史的な意義を教えて頂けませんでしょうか。ナポレオンも
読んだとかいう怪しげな説しか聞きませんな。
後、曹操はなぜ入らないのかという抗議をする人がいるのですが、曹操は確かに
有能な政治家にして武将、文人ですが、世界史にどんな影響を与えたと言うので
しょうか? おそらく、曹操がものすごく好きなんだろうなーとはスレの流れを
見て推測します。何人かなのか一人なのか知りませんが。
そこらへんの論証をしていただかないとちょっとリストには入れられませんね。
379世界@名無史さん:01/10/25 22:01
伍子ショやハンレイ(越の軍師)
こそ世界史に影響無いだろ。
380世界@名無史さん:01/10/25 22:01
374ではないが、そもそも系統だった軍事理論というもの自体、
(少なくとも現存するものとしては)孫子が世界初ではないか?
その一点をもってしても世界史的意義は十分だと思うが。
381:01/10/25 22:07
>>362
なるほど、そういう見方もあるのかと思いますが、ちょっと違うと思います。
武帝の軍事行動が先帝と先々帝の蓄財に支えられていたのは確かですが、それ
以前に武力的にかなわなかったのは厳然たる事実です。偉大なる漢帝国が匈奴
のご機嫌取りにどれだけ心を砕いたか、中華思想の国の人々としては耐えられ
ないであっただろうと思います。毎年莫大な宝物を送り、皇族の姫君を蛮族の
酋長に嫁がせ、それでもなお度々領土を荒らされても文句も言えない有様。
支那の名将を見ると、半数以上が北方騎馬民族への勝利をもって英雄とされて
いるんですね。そこらへんを考えると、やはり二人を入れざるを得ないかと。
それに、大軍を編成するのは兵法の常道ですが、運用者がヘタレで敗北した例
はいくらでもありますしね。
382:01/10/25 22:09
>>380
あ、そういうのも有りか・・・そういえばそうだな。どうしようw
戦場でどれだけ軍事的才能を発揮したのかはっきりしないのがネックなんですが。
383世界@名無史さん:01/10/25 23:33
結局1が全部決めるわけ?
384:01/10/25 23:37
>>383
煽りなのかもしれないけど
じゃあ誰が決めるんだよ(^^; 各人が好きな人物言うだけじゃおさまりつかないで
しょうに。なんだったら「おれが選ぶのはこれ」ってやってくれてもいいよ。
最終的な判断はさせてもらうよ。1権限で。
385383:01/10/25 23:48
>>384
いや、何となくそう思っただけ。
やっぱりそうなんだ。
386世界@名無史さん:01/10/25 23:59
だいぶみない間にあの優良スレがバカダメ糞スレになった?1の私物とかしたか…。曹操が戦いにいつ負けたか?軍事的才能実績ともにどこに、名将として問題がある?
387世界@名無史さん:01/10/26 00:04
↑中国統一できなかったアタリじゃない?
388世界@名無史さん:01/10/26 00:10
じゃあ、俺が選ぶのはコルテスとピサロ
何たってアステカとインカに喧嘩売って勝っちまったんだからな
世界史への影響も文句無しだろ?
389あっちのスレの1:01/10/26 00:14
>>386
ほい。こっちのスレは三国志でも薩長でもうけいれるよん。

「世界に誇れる日本の武将100人をあげよう! 」
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1003874704/l50
390世界@名無史さん:01/10/26 00:18
バトゥ
伯顔
永楽帝
391世界@名無史さん:01/10/26 00:22
というか。
曹操が戦いで具体的にどういう指揮を執って
(或いはどういう命令を兵士に出して)、
それが勝利にどう貢献したか書いてくれないと、判断のしようがない。
官渡の戦い(字これでよかったっけ)とか、
名前と結果しか知らないもんで・・・
392世界@名無史さん:01/10/26 00:26
391おまえはその程度の知識で曹操を批判していたのか?
ふぅー、無知すぎるお前はいったい何者だ?
393世界@名無史さん:01/10/26 00:30
>>391-392
ふぅー、曹操程度のことで喧嘩しないようにな
394世界@名無史さん:01/10/26 00:33
インドや東南アジア地区の名将はいないのかね?
チャンフンダオは知ってるからその他で。
395世界@名無史さん:01/10/26 00:33
結局、たった一回しか負けてなくても、
その敗北が決定的なら「名将」とは見なされづらい
っていうのはあると思う。
「ここで負けたら意味ないじゃん」みたいなね。

赤壁の戦いの規模が実際にどの程度だったかはともかく、
その後曹操が南への直接的な侵攻をしていないことから考えて、
戦略的に重要な戦いを落としたってのは言えると思うが。
396世界@名無史さん:01/10/26 00:41
このスレなんで孟徳君たたかれてるの?
孟徳君なんかしたのかい?三国志演義でのナイス演技の悪役ぶりと晩年の意味わからない行動をしたという作られた話しが高い評価を得たのかな(藁
人が3回も死ねる話しを信じているの?
397世界@名無史さん:01/10/26 00:50
逆に孟徳君があんなところであの時期に戦うこと時点でおかしな話し。
別にあんな辺境の地を攻略する必要がないのね孟徳君は今では研究が進み物理じょう孫軍とそこで戦うことは不可能なんだなこれが。
ようするに呉マンセーと蜀マンセーにだまされてたんだなーこれが。
398要注意:01/10/26 00:50
>>396
ほら。曹操の話をするとこういうのがでるんだ。
399世界@名無史さん:01/10/26 01:14
せっかく>>286が「マイナーな名将を発掘するのが世界史板の醍醐味」といいこと言ってるのに、
>>1が全部ブチ壊してるな。

ちなみに、>>396が言う「人が3回死ねる話」ってのは、張コウ(合β)が3回死ぬ吉川英治の「三国志」のこと。
400世界@名無史さん:01/10/26 01:17
>>394
ジャヤバルマン7世くらいしか知らんな・・・
一応チャンパ軍をトンレサップで撃破したっていうけど
それがどの程度の規模かってのは全く分からん
401  :01/10/26 02:00
1さえ居なければ良スレなんだが。
もっともおれは名前1という時点でそのレス読まないが。
あまりのDONぶりに気分悪くなるから。
1を除けばこんなに緒もろいスレは久々。
ところでおれはアタチュルク一押しだな。近世〜現代では最高の名称だろう。
402世界@名無史さん:01/10/26 02:03
俺は>>368にワロタ
403359:01/10/26 02:12
>>363
だからさ、小説的にじゃなくて客観的に見てよ。
項羽の勝利ってのは後先考えず総力突撃で短期間に決着がついたときばかり。

その戦果もまともに維持できず、ほとんど間を置かずに失っている。
こんなのは普通は勝利とはよばない。
孔明の北伐が演義的には勝利だらけだけど、客観的には全敗なのと同じ。

実際のところ多くの戦いでは相手に逃げられて、しかもすぐに挽回されてる。
追撃しきれないのはなぜかと言えば、兵站がまるでわかってなかったから。
見方を変えれば、普通の将なら兵站に回す分まで前線に投入したから
局所的な戦いに強かったとも言える。

戦争の基本である兵站がわかっていないのを名将と言えるだろうか?

大局的な戦略眼もまるでないので関中も洛陽も無視して彭城に拠点を置き、
漢楚戦のポイントと言われた敖倉の食料は真っ先に漢に奪われ、周辺の拠点も
きっちり押さえられている。結果としてただの一度もそれらの要害の連携を抜けず、
漢の本拠地たる関中どころか函谷関さえも二度と拝めなかった。
項羽の勝利がいかに無意味なものばかりだったかを如実に表している。

>項羽も楚の将のままなら〜
こんな仮定をいれるなら誰でも歴史上の名将にできる。楚の将のままだったら
それはつまり項羽旗下の英布やショウリマイと同様。彼らは紛れもなく名将だけど、
世界史の百将に入れようとは思わないでしょ?

多分勘違いしていると思うから書いとくけど、ヒトラーを引き合いに出したのは、
項羽を名将として評価するうえでの功績は一瞬とは言え中国を制覇したこと
ぐらいだろうという意味で、史書に残されてる彼の悪行なんて真に受けちゃいないよ。
404通行人:01/10/26 02:15
粘着のあらわれる時間だ。気にするな
405世界@名無史さん:01/10/26 03:00
>>401
塹壕戦の指揮といい、政治家としての手腕といい、申し分ないですな。
ただ、トルコにケマルへの個人崇拝が残ってしまったのが難といえば難
かも。

んまぁ、中国における毛沢東崇拝、ロシアにおけるレーニン・スターリン崇拝が
消えうせ、今や個人崇拝で有名どころは北朝鮮における金崇拝のようなドキュソ
中のドキュソだから、個人崇拝が悪く目立っちゃうんだろうけど。
406世界@名無史さん:01/10/26 03:04
>>403
1が言うには戦場での世界史的(←意味ワカラン)勝利が名将の条件らしいので
項羽は名将となる

ってゆうかこのスレのタイトル
「SLGで戦闘関係パラメータを高く設定される武将を100人あげろ」
だったらもめなかったんだよ
407世界@名無史さん:01/10/26 06:28
というか100人選ぶのは、1にはちと重荷か?
408世界@名無史さん:01/10/26 08:08
候補にあげられた名前をいきなり選んだリストだすなよ
全部まとめてから誰と誰はふさわしくないってやりかたにすれ>>1
409:01/10/26 12:53
>>407
そうかも。イスラムや東南アジアは全然分からない。

>>408
はい。その方が理解してもらいやすそうなのでします。
410梵阿弥:01/10/26 13:27
スピタメネス:スキタイの王、アレクサンドロス3世軍の分遣隊を全滅させる。
トマス・コクレン:ブリテン王國の提督なぜか南米で活躍、生1775〜1860没。
 チリ独立戦争(1810〜1818): チリ海軍を率いイスパニア王國の海岸要塞を次々
  攻略し、戦艦を次々接収する。チリは独立。
 ペルー独立戦争(1820〜1825):チリとシモン・ボリヴァル達がペルーをイスパニア
  から解放。コクレンはチリ陸軍をペルーへ海輸。
 ブラジル独立戦争(1822〜1825):ブラジルが独立宣言、ポルトガル王國と戦争に成る。
  コクレンはブラジル海軍率いて海上封鎖続ける一方で港も攻略。本國に帰れずポルトガル
  軍降服。ブラジル独立。
411世界@名無史さん:01/10/26 14:10
高句麗の淵蓋蘇文に負け続けた李世民を入れてもいいのか?
412世界史@名無しさん:01/10/26 16:51
ノルマンのロベール・ギスカール。南イタリアの要衝パーリを占領、
挙句の果てにノルマンの戦士達を率いて、ビザンツ帝国本土に幾度
となく侵入した、無謀を力づくでやってぬける熱いおっさんと言う事で。
413世界@名無史さん:01/10/26 17:33
 一口に「名将」と言っても、いろんなタイプがあるよな。
A 戦えばほぼ常に勝った不敗の人物
B 最終的には負けるが、それまでは敵に大打撃を与え続けた人物
C 負けたが、それは国力差等の状況のせいで、それを考慮すれば善戦した人物
D たった1度(または数回)しか勝っていないが、それが歴史上重要な戦いだったという人物
E その時代としては画期的な新戦術・新戦略を編み出し実践した人物
 私としては、これらはいずれも名将だと思うのだが。
 こういった名将の基準をはっきりしないと、BやCは負けたから名将じゃない
ぞというような意見も出る。
 個人的には、1氏の言うような「世界史への影響」は、Dタイプの将以外では
あまり考慮する必用はないと思うのだが、いかがか?
414:01/10/26 17:40
○支那代表○
伍子ショ
ハンレイ(越の軍師)
白起
項羽
劉邦
韓信
衛青
霍去病
曹操
諸葛亮
高長恭(北斉の蘭陵王)
李世民(唐の太宗)
李靖
岳飛
朱棣(明の世祖永楽帝)
鄭和
康熙帝(清の聖祖)
班超
張弘範
光武帝
ヌルハチ(清の太祖)
孫子

自分の意見は後にします。誰が入って誰が落ちるのか、乞うご意見。
415:01/10/26 17:45
>>413
そうですねー、このスレを立てた時に思ったのは、名将の存在がどのような
影響を世界史に与えたのかを知りたかったからなのです。A〜Eは全部名将
の定義には入ると思います。ただ、戦勝が世界史に影響を与えたかどうかに
は拘りたいのです。ゲームみたいに軍事的才能をパラメータにしたいだけなら
いいんですけど。そんなの意味ないし。
416世界@名無史さん:01/10/26 18:23
諸葛亮は間違い無く落ちるよ。
417世界@名無史さん:01/10/26 18:43
>>414
毛沢東が落ちてるし孫子は2人にちゃんとわけてくれ
418毛沢東:01/10/26 18:56
朕か、林彪を入れるべきじゃな。
419 :01/10/26 21:38
>414
管仲と始皇帝は入れるべき。
420世界@名無史さん:01/10/26 21:40
>>414
ヌルハチは別の意味で外すべき。
421:01/10/26 21:47
中国系ははずすべき
422:01/10/26 21:49
↑偽物ね。
423通行人:01/10/26 21:49
>>421
本物?(笑)
424通行人:01/10/26 21:50
だと思った。いつもの粘着君ね
425世界@名無史さん:01/10/27 00:34
チンギス・ハーンが入ってない時点で1はDQN。
426世界@名無史さん:01/10/27 00:35
>>414
誰も期待してない。ていうかみんなが期待してるのはお前が消えることだけ。
427世界@名無史さん:01/10/27 00:35
諸葛亮を武将だと思ってる時点で1はDQN。
428世界@名無史さん:01/10/27 00:36
ほら、あれだろ?
世界史に影響を与えてないとか何とか・・・・
429世界@名無史さん:01/10/27 00:37
みんなって言うなよ
430世界@名無史さん:01/10/27 01:10
>>428
チンギス・ハーンが?
だとしたら、いよいよもって1はDQN。
431世界@名無史さん:01/10/27 01:41
チンギス・ハーンという表現自体がDQN
432世界@名無史さん:01/10/27 02:12
つか,中央アジアは別項目だ
ついでにハーンとハンはカタカナ表記のチガイ
コンピューターをコンピュータと表現するのはDQNといってるのと同じ
433@@:01/10/27 02:25
チンギス・ハーンはモンゴルっつうことで分けるんじゃねえの?
余談だが、中国って人口的に言って世界史のカテゴリーに入る
ヨーロッパ、アラブ等よりスケールがでかいよな。
東洋圏史上(モンゴルとかも含めてね)で特に多くの人間が戦にエ
ネルギーを注ぎ込んでた時代(春秋戦国時代や三国時代等)の名将
と言われる人って俗に言う世界史に影響与えてなくても、当時世界
的に最強の部類に入ってたんじゃない?
そういう意味で言えば日本だって世界的に見ても大人口だし、戦国
時代の武将もいいとこいくんじゃねえ?
別に人口がすべてを決めるんじゃないが、多くの人間が多くの戦い
に参加し、切磋琢磨している環境下で名将と言われるのは、真にそ
の資格ありと思われる。
変に世界史に影響与えたっていう制限は抜いて、純粋にそのとき
名将と判断できる武将をとりあえずノミネートしてみたら?
434リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/10/27 04:10
>>306さん
いや、たとえあの電波少(中略)がいても
後のフランスを支える人材がカスなら意味がない。
そんなとこなら、百年戦争を終結に導いた
大砲オタのビューロー兄弟は?
砲兵の整備をやったのは、この兄弟が始めて。

で、糞マイナーな名将(?)としては
イングランドのダービー伯とソールズベリー伯。
こいつらは何かというと、ヨーロッパで始めて、野戦(クレシー)で
大砲を投入したらしい。

>1さんの規定に入るか、非常に怪しいのでsage
435sage:01/10/27 07:01
唐の李靖
436世界@名無史さん:01/10/27 07:19
一応、荒らしがいるってことで通報しとくわ。
437  :01/10/27 08:39
荒らし?そんなのいるのか?
強いて言えばお前のことか?
438世界@名無史さん:01/10/27 10:03
437焦ってるね
439世界@名無史さん:01/10/27 11:36
自作自演の粘着荒らしが焦る様はいつ見ても楽しい(゚д゚)y-~~~
440世界@名無史さん:01/10/27 12:30
>437
規制@全サーバ
http://teri.2ch.net/test/read.cgi?bbs=sec2ch&key=1004009846

きみが前日までに荒らしたIPがここに載る日も近いよ
441世界@名無史さん:01/10/27 14:35
>>432
DQNですよ
もっと本を読んでくれ
442世界@名無史さん:01/10/27 16:17
クレシーでの大砲攻撃はそんなに意味無し
>>437
どっかで見たような口調だな。(藁
こいつとは絶対、複数の板で顔を合わせてるような気がする。
444神武天皇:01/10/27 18:27
朕は入らぬのか?
445雄略:01/10/27 18:57
朕は入らぬか?
446武烈天皇:01/10/27 21:38
朕は?
447世界@名無史さん:01/10/27 22:11
神武、雄略、武烈天皇の一人称に朕ってのは無茶苦茶だなぁ・・・
448世界@名無史さん:01/10/27 23:05
お、今日は1がいない。平和だ。
449呉用:01/10/27 23:26
おれは?
450花栄:01/10/27 23:26
me?
451ムッソリーニ:01/10/28 02:02
アドルフ・ヒトラーは名将100人に入るよな。
452世界@名無史さん:01/10/28 03:48
>>449
諸葛亮ヲタは却下
453世界@名無史さん:01/10/28 03:51
シッティング・ブルとか、クレージー・ホースとか、ジェロニモとか、
白人に抵抗して戦ったインディアンの勇者達も外せないと思う。
1あたりがまた文句つけてきそうだけど。
454世界@名無史さん:01/10/28 04:35
じゃーシャクシャイン
455世界@名無史さん:01/10/28 04:38
孫賓、孫武、孫策、孫悟空。すいまそん
456二郎神君:01/10/28 13:35
>>455
猿が入るなら俺も入れろ!
457世界@名無史さん:01/10/28 14:15
耶律楚材
(漢字間違ってるか)
ジンギス・ハーンの軍使
異民族でいながら、ハーンに協力した
458  :01/10/28 15:16
イェルマーク
459世界@名無史さん:01/10/28 15:28
>>457
同意。彼がいなければ、華北は一面の野っ原になるところだった。
460世界@名無史さん:01/10/28 15:53
伯顔
461世界@名無史さん:01/10/28 16:58
イングランドの英雄、ベッカムは?
462世界@名無史さん:01/10/28 17:06
>>457
耶律楚材は軍を指揮していないのでは?
463457:01/10/28 19:44
>>462
そうだね 厳密にいえば、有能な行政官
464大陸打通太郎:01/10/28 22:05
大陸打通作戦の支那派遣軍司令官岡村寧次大将を忘れておる。
「大陸打通作戦」は日本陸軍史上最高の戦術的戦略的大勝利であった。
中国のナラズ者共に連戦連勝。中国による沖縄占領を防いだ。
中国人でさえもこれにはすっかり脱帽。戦後は岡村寧次を軍事顧問に。



・・・だめだ、電波が足りん。
465世界@名無史さん:01/10/28 23:18
オレもベカームに一票
あの戦いぶりは凄まじかった
466世界@名無史さん:01/10/28 23:30
457は杉山正明の本読んだことないん?
お薦めしとくよ(w
467世界@名無史さん:01/10/28 23:52
太公望はどうでしょうか
468  :01/10/28 23:58
坂の上の雲を読むと秋山好古なんかも名将のにおいがするが、いかんせん日本陸軍の騎兵自体が存在感ないからな。
児玉源太郎は入らないのかな。旅順では兵を率いてるともいえる。
469世界@名無史さん:01/10/29 00:11
フランツ・グーデリアン
470世界@名無史さん:01/10/29 00:19
>>469
誰?
471世界@名無史さん:01/10/29 00:25
>>470

補足すると、「ハインツやろ?」ちゅーことでっしゃろ。
472世界@名無史さん:01/10/29 00:30
もしかしたら親戚かもしれない、と…
どのみちそんなマイナーな人を挙げるスレッドじゃないか。
473世界@名無史さん:01/10/29 00:41
日本人があがるのは名将云々以前より、単に日本人しか知らないとか
たまたま司馬遼太郎読んだばかりだからのほうが多いような・・・?
474世界@名無史さん:01/10/29 01:41
まあ客観的な指標があるわけじゃないんだから、
印象の強さで日本人が選ばれてもいいのでは。
475世界@名無史さん:01/10/29 07:40
ハインツ・グデーリアンは入ってもいいのでは?
地上戦術に革命をもたらした人物なわけだし。
でも、結局負けてるからなあ・・・(それをいったらハンニバルとかも不可?)
476世界@名無史さん:01/10/29 14:48
しばらく見ない間に荒れまくってるね。
「名将100人を選ぼう」でなく「名将を語ろう」の方が良かったのかも。
477世界@名無史さん:01/10/29 16:38
明の洪武帝と
ムガル帝国第三代皇帝アクバル
478世界@名無史さん:01/10/29 18:32
>>475
負けたのは本人の責任じゃないし
479世界@名無史さん:01/10/29 22:12
>>476
それいいですね。
 自分の知らない地域、時代の名将が知りたい。
480世界@名無史さん:01/10/30 00:00
僕も476に賛成。

で、「象戦役」
570年ころ(伝説でマホメットの生まれた年)アビシニアの総督アブラハム
がカーバ神殿を破壊しようと、象に乗り、大軍でメッカに攻め寄せた。
481天之御名無主:01/10/30 11:21
冒頓単于にいっぴょう
482梵阿弥:01/10/30 18:19
>>298
マスード将軍がカブルから撤退したのは単に勝ち目がなかったからでしょう。カブルを
追われた後は盛んに同市にロケット弾を打ち込んでいます。
483世界@名無史さん:01/10/30 19:16
人柄の竇建徳
484梵阿弥:01/10/30 19:47
スパルタクス:何の装備も教育もないのに、あの相手によくぞ
485あやめ:01/10/30 19:53
竇建徳!好き、子分の劉黒闥も
二人とも愚痴っぽい男ってとこが好感 (A^^;
486あやめ:01/10/30 20:00
後梁の名将で「一歩に百計を出だす」と謳われた劉潯も愚痴っぽいとこが
好き
五代の名将というと王彦章が有名だけど、兵略という点では劉潯を評価し
たいです
487あやめ:01/10/30 20:13
唐の名将というと沢山いるけどカッチョエエのは李愬です
「雪夜取蔡州」なんて絵になるわ♪
488Cavabien:01/10/30 21:32
それじゃ、今四苦八苦しながら清史稿読んでるので日本で名前が知られてないっぽい人を。

穆克登布(ムクダンフ)
清朝中期、白蓮教徒蜂起の鎮圧に従事して各地を転戦し、勇将として名をはせるが
白蓮教徒の残余勢力討伐で伏兵に会って戦死。
少し敵を軽んずる癖のあった人のようです。
489Cavabien:01/10/30 21:45
額「革力」登保(アロダンバオ)

満州正黄旗人。
ビルマ、金川、台湾と清朝中期の数々の遠征に従事した名将。
ネパール遠征時、カトマンズ付近で崩壊の危機に瀕した友軍を勇戦して救った功で
名高い。
頑健な体躯の持ち主では無く幾度か病に倒れているためか、部下とよく辛苦を共にし
ために部下も厳正な軍紀によく服した。
490名無しさん脚:01/10/30 21:59
真の名将は常に勝つ戦しかしないので「名将」と呼ばれないと思われ。
モントゴメリーよりロンメルを名将とよぶようなもん。
また、現代では戦略は「政治家」の領域に入る部分が多いので軍人の性格も中世以前と異なる。

現代戦で戦略家というか戦争思想家で独創的かつ偉大な人物をあげれば、陸戦では機甲部隊を構想したフラー、海戦では機動部隊を構想した日本海軍のだれかであろう。
ここで「だれか」としているのは源田実が自分だといっているからだが^^;
491世界@名無史さん:01/10/30 23:29
常勝だったけど衛青や霍去病は名将と呼ばれているよ。
492世界@名無史さん:01/10/30 23:58
>>490
確かにそうかも。孫子も「百戦百勝は善の善なる者にはあらざるなり、戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」って言ってますしね。
493世界@名無史さん:01/10/31 01:16
なに事も、すぎてはいけない。
494世界@名無史さん:01/10/31 02:25
戦術と戦略両面で語るなら、在名中に滅ぼされた奴は名将とは言えない
だろう。
よって、源義経は戦術が際だっていることは認めても戦略で
見るべきモノがないので、はずすべきでは。
同レベルで考察すれば、秀吉は入れるべき。
495世界@名無史さん:01/10/31 03:01
>>494
義経は戦略というより政略で負けた感じ
496494:01/10/31 03:16
>>495
それもまた「将」の器だとおもうわけよ。
497あやめ:01/10/31 12:52
Cavabienさん 「清史稿」読んでるの。
そう言えばまだ僧格林沁が出てないわね。
序でだから太平軍つながりでチャイニーズ-ゴードンも挙げときましょう。

それから当スレにおける「名将」の概念がかなりルーズじゃないかと感じるんだけど。
少なくとも戦闘現場に臨んで指揮してる人に限定すべきでは?
例えば漢の高祖の三傑でなら韓信は文句無く名将でしょうが、高祖の傍で「千里の外に
勝を決し」ていた張良は戦略の天才ではあっても名将ではないでしょう。まして後方
支援専門の蕭何を名将と思う人はいないはず。
そういった意味で康煕帝は欠格です、三藩の乱の鎮定が彼の適切な戦略指示によるもの
であったことは認めますが。
498世界@名無史さん:01/10/31 13:50
>康煕帝
ジュンガル討伐は親政では?
でも皇帝軍はガルダンと直接戦ってはいないか…。
499世界@名無史さん:01/10/31 14:41
>>494
>在名中に滅ぼされた奴は名将とは言えない

「在名中」って意味がイマイチよくわからん。在命中? でも、命のあ
る間に滅ぶって、なんか言い回しが変だぞ。
とにかく、負けて没落した者は戦略能力が欠けると言いたいのだな?
でもそうなると、ハンニバルも名将でなくなってしまう。
これは納得がいかん。
彼は戦術的にはもちろん、戦略的にも名将だと思うが。
ちなみに、義経に戦略的に見るべきものがないという点は同意。
500かえで:01/10/31 14:49
あやめねえさん、その事はとうの昔に決まってますよ。
501あやめ:01/10/31 17:08
>498
ガルタンと合戦したのは西路軍の費揚古で康煕帝はガルタン敗戦の報を
聞くと直ちに回軍してしまい、敵陣を指呼の間に臨んで矢弾の下を潜る
シーンは実現しなかったようです。一応ガルタンの営所まで2日行程に
接近はしていたらしいのですけど。前線指揮官としての資質についても
相当の水準を示したであろうことは想像に難くないところとは思いますが、
親征の具体的内容は行軍と使者の派遣が主なもののように記憶します。
>かえでさん
その事って? 決まってるって、どんな風に?
502世界@名無史さん:01/10/31 17:09
袁崇煥(こんな字だったか?)
503世界@名無史さん:01/10/31 17:44
議会軍を率いてイングランド国王軍を破ったトーマス・フェアファックスはどうよ?
504世界@名無史さん:01/10/31 18:09
>>501
過去スレくらい読んでね。
505世界@名無史さん:01/10/31 19:38
地味だが江忠源
506あやめ:01/10/31 19:47
過去レスって例えば >>54 あたりを指すのでしょうが、その後も「世界史的な
影響が」とか「最終的に敗亡したのは外したら」とか提案が続く状態で、基準が
決着してない印象だったので、問題提起したわけです。
507:01/10/31 21:37
>あやめさん
基準は設けましたが、解釈でもめたのでこのようにあれたスレになった次第。
尊敬するあやめさんが書き込んでくれたので嬉しいっす。
508世界@名無史さん:01/10/31 21:40
誰かこれまでに挙がった名前をまとめてくれないかな〜
509大スキピオ:01/10/31 21:47
>>499さん
ハンニバルは、ローマに連勝したうえで周辺国家と離反させようとしましたが、生憎その計画は同盟都市の非協力で失敗に終わったのです。
ゆえに私はイタリア半島の南端にハンニバル軍を釘づけにさせ、ザマで勝利できたのです。
あの時、もし周辺都市が全て裏切っていたら…
510世界@名無史さん :01/11/02 01:23
既出(?)ですが、日本代表に島津義弘を推します。
泗川の戦いでの勝利がなかったら、秀吉の朝鮮遠征軍は
どうなっていたかわからないのでは?
多くても8000(異論有り)の兵力で最少2万強(最
多30万。異論有り)の明軍を撃破したし、その時の講
和で1ヶ月の時間を作り出したし、「鬼石曼子」と恐れ
られたし(泣いてると鬼石曼子がくるよ!)。

とはいえ、侵略戦争での撤退戦における時間稼ぎでは、
世界に与えた影響は微妙かな?
当時の日本ではとても評価されてるようですが。
511世界@名無史さん:01/11/02 01:47
>>510

慶長3年晋州城(慶尚道の城塞都市)を占領し、船舶の運航を確保
するため、そこに新城を築き、泗川新城と名付けた。同年明は大軍
を朝鮮に派遣し、加藤清正の守る蔚山城を約7万の軍勢で攻め、
落城寸前に援軍が到着、9死に1生を得たほどであった。

正規軍を派遣した明軍は強く、あなどりがたかった。また、帯同する
朝鮮義軍は志気が高く、兵站も自国であるため日本軍よりはるかに
潤沢であったろう。加藤軍は土壁をすすり、死肉を食い、飲み水さえ
なくなるという極限状態の籠城戦を強いられたのである。

志気高まる明軍は、南下を開始。ついに時機到来とばかりに日本軍
壊滅をめざし、20万と号する大軍をもって島津義弘の守る泗川古城、
泗川新城に迫った。港を守るここを攻め落とされれば、朝鮮にいる
日本軍は1兵たりとも日本の土を踏むことはできないのであった。

義弘は文禄の役の時、財政の窮状から日本一の遅陣をし、
さらにその装備は漁船をなんとか借りてやっと釜山に辿り着くという、
はなはだ不名誉なものだった。そして今、さしたる活躍もないまま
終戦を迎えようとしている。

この戦に勝てば、島津の武門の名声はおおい高まる。それであろうか、
この危機的状況に、なぜか義弘は立花宗茂、宋氏らの援軍申し入れ
を断っている。 島津1家だけでこの大軍を蹴散らそうというのだ。
これには他の理由もある。 寡兵で大軍をうち負かすには、作戦の
細かいところまで、一つとして失敗があってはならない。思いのままに
ならない他家との協同戦線では、逆に勝てないという読みもあった。

島津義弘は、寡勢の島津軍(7000)を勝利に導くため、軍略を練った。
義弘の取った策は、島津得意の釣り野伏せ戦法を、マクロ的に利用
することだった。この戦法は、これほどの大軍に利用した例はなく、
成功した事例も歴史にないと思われる。1歩間違えば各個撃破されて
散るのみ。中国では劉備玄徳が黄巾賊に青州城の戦いで使っている。

釣り野伏せは、おとりが周りを伏兵でぐるっと取り囲んだ場所に
おびきよせ、周囲からいっせいに攻撃し、パニック状態に陥らせ、
殲滅する戦法である。

実は島津が得意としたのは、このおとりに原因がある。
このおとりは、当然命がけで、中途半端に敗走してはいけない。
あまりにも早く逃げると、悟られ、失敗してしまう。頑強な抵抗ののち、
やっと逃げるという頃合いのタイミングが絶妙でなければならない。
しかも全軍をその中におびき寄せるほどの強さが必要で、
一軍だけ裂かれて追撃されても、これも失敗となるのである。
少数の兵で、全軍を引き入れる。これは実際やるとなると大変
なことなのである。
しかし、島津の兵は強旱で、このような役をほとんど見事に
やってのけた。
512nanasi:01/11/02 01:55
バトゥはどうかな
513世界@名無史さん:01/11/02 01:56
この時は、義弘はおとりを泗川古城の城兵たちに課した。
明軍は、まず最初に、兵糧庫のあるこの城におめきかかったのだ。
だが古城にはたった500人の兵だけを残して、全員泗川新城に
引き揚げさせたのである。
20万に対し500人とはいかにも見殺しの感が否めないが、
ここがミソで、明軍も、完全に島津軍がおそれをなして泗川新城まで
逃げたと思った。寡兵で守る城を落とし、勢いにのりたい明軍であった、
しかもここには兵糧庫がある。

義弘は、歴戦の強者川上忠実を城将に配した。
川上は迎え撃つに怠りない。まず城の全面に設けた木柵に倚って
鉄砲を構えさせた。「まだまだ撃っちゃならん、合図まで待て。」
当時の鉄砲は殺傷能力の範囲は36メートルとされている。
ほんの間近まで引き寄せなければならない。大軍相手に、寡兵で
守り抜くには、相当剛胆な城将が必要だ。

城兵達は心もとない人数で、「シャー、シャー(殺)」と蛮声を上げ、
津波のごとくおめきかかってくる敵の恐怖に耐えに耐えた。
ここは城といっても簡単な砦のようなものである。大波のように
寄せてくる大軍にはいかにも耐え難いように味方にも思われる。

ほとんど敵が眼前まで迫った頃、「撃てーっ」と川上の絶叫に近い
号令とともに、銃口が火を噴いた。とたんに敵は一瞬の大量死に
恐怖に襲われ、退却するものと前に進む者とがぶつかりあい、
大混乱に陥った。
そして「弾籠めーっ」の合図とともに、一斉に弾が装填され、
隊列を整え直して再来する敵にまたも激しい銃弾の雨が降った。
明軍、朝鮮義軍の前線は死傷者が続出し壊乱する。
そしてその最中にかねてから伏せておいた地雷火が炸裂し、
地獄の様相と化した。
514世界@名無史さん:01/11/02 01:56
惨敗を喫した明軍は、一旦しりぞき、体勢を立て直す。
同夜、明軍は嵐のような猛攻撃を再開した。だが、今度はあせって
突入したりはせず、距離を置いて弓箭隊が矢を雨あられと降らせた。
間断なく突き刺さる矢に、ついに持ちこたえられず、石塁の中に
全軍が退いた。朝鮮勢は木楯を頭上にかざし、石塁を上ってくる。
こうなると鉄砲も役にたたず、石塁を上ってきた敵との激しい
斬り合いとなった。

切っても切っても雲霞のごとくはい上がってくる敵に城兵も疲れ、
さすがに敗色が濃くなってきた。が、その時、このために仕組んで
おいた仕掛けが作動した。塀が崩れ落ち、石塁したの空濠に落下した。
川上勢はすかさず煮えたぎった油を頭上からあびせかけた。
つづいて松明を投げ落とし、煮え油と猛火で阿鼻叫喚の地獄絵が
現出し、驍将・李寧はあえなく戦死した。

朝鮮軍の戦死者は、はや5000を数えていた。
が、数にものを言わせる敵はひるまずに攻め続ける。
今度は火車で火攻めに合った。水が井戸しかないこの城は、
たちまち火災が随所に発生し、防御とまた消火活動に
人手不足に陥ってしまう。

今や城を離れ、泗川新城に敵をおびき寄せる時が近づいてきている。
問題は食糧庫の爆破だ。食料庫は城より離れたところにあり、
爆破のしかけをして帰ってくるのに時間がかかりすぎるのが問題だった。
敵を島津本隊に誘い込むための逃走と、食料庫爆破は同時で
なければならない。食料庫の爆破は、それをあてにしていた敵に、
新城即攻を決断させるわなである。

一旦休息され、慎重に隊伍を整えて新城を攻められたら、いかに
島津が強兵でも防ぎようがない。食料の払底している今、籠城戦だけ
は絶対避けなければならない。敵に食料を渡してはならない。
食料を焼き払えば、敵も大軍であるから、早期決戦に決するはずである。あくまで敵がかさにかかって泗川新城におそいかかってもらわなければ勝利は見えてこないのだ。それには食料庫の爆破は必須なのだった。

だが、この食料庫は城より離れている。爆破に行ったが最後、
敵中に取り残されて確実な死が待っている。
だが、この決死の大役をひきうけた者がいたのである。
「誰か行くやつはおらんか」との川上忠実の要請に、
「おいどんが行きもす」と数人が向かった。
敵を蹴散らし、食料庫にたどり着くと、直ちに爆薬をしかけたが、
いかんせん、はや敵に取り巻かれてしまった。導火線に火を付けて
などと悠長なことをしておられなくなった。どうせ、敵に取り巻かれて、
この囲みを突破することはもはや不可能。彼らは死を覚悟し、
爆薬に直接点火して全員爆死した。

泗川新城へ向かって敗走した兵も必死の逃避行が待っていた。
この膨大な数の敵中に撃って出て囲みを突破しなくてはならない
のである。切っても切っても敵が現れる。この時、泗川新城に向かった
半数が戦死したと伝えられる。
たどり着いたときには、全員体中に矢がささり、蓑虫のようだったという。
義弘は到着した川上にねぎらいのことばをかけようとしたが、
川上は全身包帯でぐるぐる巻かれており、息も絶え絶えだったため、
「もう、何もせんでよか。休んでくれ」と言うしかなかった。
515世界@名無史さん:01/11/02 02:04
さて、あんの定、翌日明軍は兵卒を休めると、翌々日の早朝より
全軍による猛攻を開始した。義弘の思惑どおり、全軍で一挙に
攻めかかってきたのである。

島津義弘の息子島津忠恒らは、新城陥落の報を聞いて、
歯がみすること一方ならぬものがあった。若武者達は、
「こげん悔しかこつはなか、どうか討ってでもす。引きとめんで下され」
と義弘に迫るが義弘は頑として聞かない。

「戦には、時として味方を見殺すのもまた必要な時もある。
今討って出て、敵に付け入られでもしたら、悔やんでも
悔やみきれない事態になる。そうなったらどうするのだ。」
と、絶対に軽はずみな行動を制止した。

実は、他家の援兵を断ったのもこのあたりに理由がある。
手柄をたてたいがために、勝手に敵に切り込み作戦を台無し
にする者がいるからである。

大軍に囲まれると、鎧などのこすれる音すら、
膨大な音の圧力となって、恐怖を駆り立てる。
静かな黎明の時に、それらの雑音は、やけに近くに感じられる。
城兵は皆武者震いして、歯の根も合わないぐらいだ。

突然敵司令官の、突入の合図がする。一斉に銅鑼や太鼓の
大音響が耳をつんざくほど鳴り響き、明軍の一大攻撃が開始された。
敵が塀を越えようと迫ってくる。迎え撃つ島津軍は定石通り、
火縄銃の一斉射撃で出迎える。

島津得意の3段戦法(島津家は、長篠の合戦に織田信長がこの戦法
を採用する10年以上前に薩摩平定にこの戦法を用いている)である。
間断なく発射される銃砲に敵先鋒は混乱する。「撃て、撃てい」と
皆間断なく撃ちまくった。すると火攻めに使おうと引いてきた火薬など
に火がつき、大爆発して敵中は大混乱に陥った。

引き続き、大砲に釘や鉄くずを入れて暴発させると、鉄片は凶器となり
敵兵の肉を切り裂いた。敵前線は累卵のごとき死体の山となった。
当然引き始める者、さらに突入してくるものなどが入り乱れ、
収集がつかない状態に陥っている。

その状況を義弘は確認すると、
「いまぞ、城門を開きて、敵を切り崩せ」
と大音声を響きわたらせた。言うも終わらないうちに、
満を持していた城兵が、引き絞った矢が放たれるように
城門から飛び出し、激しい白刃戦が展開された。

薩摩隼人の猿声は、当たる者に恐怖を抱かせる。
「チェスト−」の絶叫があたりいちめんに拡散していき、
そこは殺戮の荒野と化した。切れ味鋭い日本刀
(薩摩のは長刀)は圧倒的であった。
516世界@名無史さん:01/11/02 02:04
だが、すさまじい攻勢にいったん退いた明将・茅国器は
体勢を立て直し、少し離れたところから戦況を見ると城内には城兵が
いないように思われた。今、敵城に突撃すれば苦もなく城を落とせる。
茅国器再び1万あまりの軍勢でとって返したのである。

これに攻められれば、ひとたまりもない。これを見ていた島津忠長は、
敵陣の前にある細い川を前にして、わずか百騎たらずで立ち向かった。
川を渡らせれば島津兵は全員玉砕に決してしまう。必死の防御である。
「一歩も引かぬ」という大将に若武者たちも奮い立ち、死を決して戦った。

しかしながら多勢に無勢、奮戦も次第にもちこたえられなくなってきた。
樺山久高、寺山久兼らは戦況を見て、
「これほど士気の高い精鋭軍に、寡兵で立ち向かっても勝算は
なかでごわんそ、背後には軽率らがおりもそ、背後からこちらに
混乱を起こしてみもそ」
と敵の背後から鉄砲や矢を射かけると、はたして敵の背後は
大混乱になった。これには先鋒も動揺して、その鋭鋒は鈍った。
そこへさらに城内から野添帯刀、本田与兵エらが討って出て、
ついに明軍はちりぢりに逃げまどい、潰走していった。
この時島津義弘、忠恒自身も自ら撃って出て敵を討ち取っている。
実に白刃で討ち取った者だけで3万8千人、切り捨てによる死者、
負傷者、鉄砲による死傷者を入れると壊滅的な打撃を加えたのだった。

だが、島津義弘の仕事はこれだけではすまない、
どうやって敵国から引き上げるかである。
さっそく、敵が敗戦のショックから立ち直らないうちにと、
義弘は直ちに長寿院盛淳に敵との和睦交渉を命じた。
条件は、当方の撤退期限は1ヶ月、その間明軍は手を出さない、
そのかわり明軍撤退に必要な食料1万石を残すというものだった。
”島津は強旱”が見にしみている董一元は、戦意が喪失しており、
喜んでこの条件をのんだ。
517世界@名無史さん:01/11/02 05:20
>511、513〜516
こんだけ長いと読む気が失せるよ。
悪いけど、もっと要点だけを簡潔にまとめるようにしてくれない?
518世界@名無史さん:01/11/02 06:24
>>517
  いや、駄文ならともかく、これだけ読み応えのある
  内容なら歓迎だ。
  なぜ島津が朝鮮で猛将と言われたのか、要点だけなら
  伝わってこない。
  
519Cavabien:01/11/02 18:46
ちなみにその文章のサイト、他の合戦記や武将伝もなかなか面白いので結構オススメです。
島津義弘と島津家がホントに好きな人なんですなあ・・・。
520世界@名無史さん:01/11/02 18:55
>>519
URL教えれ
521Cavabien:01/11/02 19:02
ttp://www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/simatop.htm
ここですよん。頭にhを付け加えてくんしゃい。
522Cavabien:01/11/02 19:08
それと書き忘れましたが、やっぱしコピペで貼るには長すぎるような気もするです。
それほどの長文で推薦しないとダメ、となったら史料の少ないエリアから推薦したい人や
資料の手に入りにくい人にはちとツラいのでは・・・。
523518:01/11/02 21:14
>>522
  もちろん、長文でなきゃダメというつもりは全くないです。

  ただ、中はこういう面白い物語のような長文があっても
  良いかな。。というだけの話です。はい。

  ちなみに、今そのサイト見てます。面白い!
524Cavabien:01/11/02 23:52
>>522
‥などと説教臭い事を書くのも、実はあまり長文が推奨されると俺みたいなショボイ人が
困るからです(苦笑。
>>523サン
あいや、差し出がましい事を言いましてどうもすいません。
我ながらちょっと短絡的で恥ずかしいス。

というわけであやめサンが名前をあげた二名の武人について軽めに。
525Cavabien:01/11/02 23:53
チャールズ・ジョージ・ゴードン(1833-1885)

中国名は戈登、欧米諸国の利権争いの舞台となっていた中国に少壮で着任し、
1860年の英仏連合軍による天津・北京占領に参加。
のち、太平天国軍が上海を攻撃した際に英・米・仏が結成した(主力は英・仏
及び中国の流民)「常勝軍」の指揮官に就任し、清朝からの豊富な援助を
生かしてこれを大幅に増強、各地で太平天国軍と死闘を繰り返す。
特に護王・陳坤書の守る常州の攻防戦では自らも負傷し、常勝軍に多大な
損害を出しつつこれを制圧、太平天国の首都天京攻略への道を開いた。
これによって大局が定まったと見たゴードンは常勝軍を解散し、植民地での
勤務に従事するが、スーダンで起こった「マフディーの反乱」の際にイギリス
総督として討伐軍を指揮し、首都ハルツームを包囲されて戦死。
526Cavabien:01/11/02 23:53
僧格林沁(センゲリンチン)(?〜1865)

蒙古貴族コルチン左翼の出身。
1853年に参賛大臣に任命され、太平天国の北伐軍を打ち破った功により
親王に封じられるが1860年、アロー戦争の際に英仏連合軍と戦って天津を
失陥して爵位を剥奪された。
同年、勢力を増しつつあった捻軍の討伐を命じられ、再び前線に返り咲き
子飼いの蒙古騎兵を率いて転戦、捻軍首領・長楽行を捕える功をあげる。
センゲリンチンは曉勇をもって鳴る猛将であったが当時の清軍内部の複雑な
事情もあって
(清朝は蒙古兵を指揮するセンゲリンチンを、台頭しつつあった漢人勢力
 への対抗馬とするつもりだったが、その意図が曽国藩・李鴻章らの漢人
 勢力に見透かされていた)
有効な支援を受けられたとは言いがたい。
黒石渡の戦いで捻軍主力を撃滅した後、残党勢力の掃討にあたって功を焦り、
主将のセンゲリンチン自身が馬の手綱も取れなくなるほどの無謀な追撃戦の
末に捻軍の伏兵に包囲されて討死した。
527世界@名無史さん:01/11/03 00:16
>蒙古貴族コルチン左翼の出身
どっかからコピペしてきたもんだと思うけど、
普通の表記はコルチンじゃなくてホルチンじゃないかな?
ホルチン部ってことはチンギス・ハーンの弟の子孫か。
528Cavabien:01/11/03 00:17
>>527サン
科は「ホ」でしたか。どうもです!
529世界@名無史さん:01/11/03 00:58
僧格林沁を殺した宋景詩はどうよ?
530世界@名無史さん:01/11/03 00:59
>>289
【アーマド・シャー・マスード】
’79年のソ連軍侵攻から始まったアフガニスタン紛争時にソ連軍に抵抗した
ムジャヒディン組織の一派、ブルハヌディン・ラバニ率いる「イスラム協会」に
所属していたカリスマ的指導者。パンジシール峡谷を拠点として戦略上重要な
サラン街道を脅かしていた。ヒンズークシュ山脈の峻険な起伏を利用してゲリラ活動の
隠れ家を造り、そこからサラン街道を通るソ連軍輸送部隊に対する攻撃を仕掛けていた。
そこから「パンジシールの獅子」の異名を持つ。その後もつねに最前線に立ち、戦い続けた。
タリバン政権は彼の抹殺を最優先目標に挙げていた。紛れもなく「現代の名将」の一人。
531世界@名無史さん:01/11/03 01:24
エルネスト・チェ・ゲバラ
カストロとともにキューバ革命を達成した立役者。上陸後、攻撃で十数人になった状態から、バチスタを叩き出し、アメリカとカリブ海を挟んでにらみ合うまでになったのは、彼が居なくては不可能だったろう。
ヤンキー帝国主義への挑戦と、キューバを離れ、ボリビアで死ぬまで、世界中で革命を目指したその姿は、さまざまな意味で世界中の人々に影響を与えた。
彼は一昔前の時代の英雄であり、現在も、あるいは待ち行く若者のシャツの中から、貧困と不正を睨みつけている。
まさしく彼は、純粋なる革命家、ゲリラの名将であり、世界史上、その存在は大きい。(この『世界史』ってのは、ちょっと意味が特殊かも)
532えーちゃん@:01/11/03 01:31
◆WW2の名将
【カール・デーニッツ】(ドイツ海軍元帥、1891〜1980)
とにかく諦めない、決して投げ出さない。あの不屈の精神は賞賛に値する。
味方の兵士の7割を失うという最悪の状況に陥っても、戦いをやめなかった。
すばらしい戦意の持ち主。
【エーリヒ・フォン・マンシュタイン】(ドイツ陸軍元帥、1887〜1973)
ヒトラーが嫉妬したほどの逸材。ソ連軍を一人で引っ掻き回した。
彼の作戦通りにやればドイツは勝ったかもしれないが、その才能が周囲に
理解されなかったことが悲劇。
【チェスター・ニミッツ】(アメリカ海軍元帥、1885〜1960)
戦略家として非常に優れた人物。周りから尊敬され、部下には気を使い、
戦争をさせれば勝つという、絵に描いたようなアメリカのヒーロー。
ここまで弱点がないと誉めるしかない。
【ドワイト・D・アイゼンハワー】(アメリカ陸軍元帥、1891〜1980)
連合軍最高司令官として、パットンやモントゴメリーなど、とにかく癖のある
部下をよくまとめた。議論はあるが、ノルマンディーに上陸した後の進撃の
方法は正しかったと思う。
【岡村寧次】(日本陸軍大将、1884〜1966)
北支那方面軍の司令官として、大陸打通作戦を決行した人物。人の足だけで
中国大陸を突破した。彼が司令官だった時代は虐殺行為などなく、軍の規律も
しっかりしていたという。

◆番外編(その他の指揮官たち)
ロバート・リー、シンプソン・グラント(南北戦争の両軍の司令官)
児玉源太郎(日露戦争で活躍した血飛沫の中から生まれた陸軍大将)
上村彦之丞(ウラジオストック艦隊を追跡した第二艦隊司令長官)
酒井縞次(中国で初めて機動兵団(戦車師団)を作った陸軍少将)
山口多聞(何があっても戦い続けた戦意の人、海軍少将)
あと、ナポレオン麾下の将軍、ルイ・ニコラス・ダヴーやスピキオ父子など。
533リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/11/03 12:30
エーちゃんさま
今村均はどうよ?
534天之御名無主:01/11/03 22:26
徐達はどうですか?
535世界@名無史さん:01/11/04 18:59
あげ
536カウニッツ:01/11/04 22:13
オイゲン公(プリンツ・オイゲン)って既出ですか?
じゃなかったら1票!
537Cavabien:01/11/05 19:32
宋景詩について書いた本の邦訳があるらしいので注文中です。
『太平天国史』に記述があるかと思ってたけど、関係ありそうなところ見ても
出てこないんだよな・・。
538世界@名無史さん:01/11/05 21:04
>>532
デーニッツはどうかなあ・・・?相手がレーダーやASDIC使い始めても
狼群戦術にこだわって潜水艦隊を壊滅させた。
戦力の7割喪失は指揮官としてはドキュンの部類に入るのでは?
539世界@名無史さん:01/11/05 21:14
ソ連のトハチェフスキー元帥
粛清されなければ独ソ戦はなかったといわれる「赤いナポレオン」に一票
540世界@名無史さん:01/11/05 22:00
戦場の指揮官としてはニミッツよりスプルーアンスだと思うが
541世界@名無史さん:01/11/07 14:52
WWUのドイツではマンシュタインを代表にした方がすっきりする。
理由.戦後のドイツ将帥が一致して一番の名将だと評した。

世界史に影響とは当時の国際政治状況に影響を与えたという点だけではなく
戦史上の不朽の足跡を付けたという点も考慮に入れるべき

エパミンノダスは斜線陣だけでもリストアップされる価値がある。

日本は東郷と信長の二人ではないのか?秀吉は所詮、信長の亜流であるし
鉄砲の集団運用と鉄甲船の二点は大きい。

イスラエルのモシェ・ダヤンはどうだ?数次に渡る中東戦争で無敵だったイスラ
エル軍の代表として
(国防大臣時代にエジプトの奇襲を食らったという失点はあるが)
542541:01/11/07 14:55
あ、それと1の基準だとバトゥ・ハンは外せない。
彼の世界史に対する影響はナポレオンを凌駕する。

ローマのアウグストゥスは入らないか?
543世界@名無史さん:01/11/08 17:06
スヴャトスラフ
ロベール・ギスカール
ハルジーあたりは?

これだけでてる人数が多いといちいち検索かけにゃいかん。めんどいな。
544世界@名無史さん:01/11/08 19:31
秀吉を信長の亜流とみるのは正しくないだろう。
どちらかというと秀吉の方法を信長が取り入れたというのが
正しいと思う。
あれは通常の戦争ではない。
調絡と土木工事が主となるような戦闘は奴ならではなのでは?
三木城の水攻めに相当するような世界史上の戦闘を俺は知らないが。
545世界@名無史さん:01/11/08 22:33
実戦指揮ではないが、鉄道を利用した兵力の動員・運用を確立したモルケトは
どうでしょうか。
546世界史@名無史さん:01/11/08 22:46
>>544水攻めにしたのは備中松山城
>>545モルケト×モルトケ○
細かくてスマソ
547世界@名無史さん:01/11/08 22:54
チャーチル・・・ボソッ
548世界@名無史さん:01/11/08 22:58
>>545
タイピングミスでした。あんがと
549世界@名無史さん:01/11/09 02:03
>>544
城攻めにおける秀吉のオリジナリティは認めるが、それ以外の点はちと・・
鉄砲の集団運用、兵農分離、鉄甲船、軍団制(制度化ではないが)
山崎や賤ヶ岳で見せた戦略的機動の速さにしても信長が何度も実行した
ことの真似だし(真似できるだけでも大したものだ)

秀吉の方法を取入れるって・・・・(^^;)秀吉がそれを言えるまで出世したの
は精々、長浜以降ではないか?
墨俣にしても築城自体は信長の発想で秀吉は現場レベルで功を立てただ
けだろう(充分、凄いことではある)
550世界@名無史さん:01/11/09 04:24
山本五十六はこの話聞いてから名将とは思えなくなっちゃったよ

軍事板「『大和』型戦艦のバラしてはイケナイ欠陥」 スレで見つけてきた話
299 :名無し三等兵 :01/09/26 19:17 ID:pOE0Qbbs
そういえば、おれのオジイチャン、呉の造船所に内装の段階で電話線ひきにいったそうだけど、
なんか防水区画がちょうど平行して工事中で、そのまま閉じ込められちゃったみたい・・・

とオバアチャンがいってた

303 :299 :01/09/26 20:24 ID:pOE0Qbbs
辺身じゅん「男たちの大和」(角川文庫)とか読むと、昭和17年2月くらいまで、
外壁と内壁のあいだ隙間50センチを、ごそごそ這い回っては助けを求める
声だしてたらしいって。

軍令部でも一時期問題になったけど、結局、五十六さんが
「陛下からお預かりした軍艦に、いくら人命とはいえ傷をつけるわけにはいかんだろう」
って、結局、見殺しだってさ
551LTer:01/11/09 05:28
>>調絡と土木工事が主となるような戦闘

数千年前にローマ人がやっておるがな・・・
中国では墨家がやっておるがな・・・
552世界@名無史さん:01/11/09 06:39
>>550
それ・・ネタ。そのスレをちゃんと読もう
553世界@名無史さん:01/11/09 09:56
>>550
名将かどうかと、人道的によい人かどうかは、別問題とちゃう?
554  :01/11/09 11:51
アフメット・シャー・マスード
555世界@名無史さん:01/11/09 13:19
>>546
ツッコミにツッコミ入れて申し訳ないが
備中松山じゃなくて備中高松では?
556しょう:01/11/09 13:54
ベルトラン・デュ・ゲクラン
フランスの大元帥で、イングランドとの百年戦争の前期で活躍。
近代戦の概念をこの当時から持ち込み、負け続けたフランスを
立て直す。
フランス王だけしか葬られない墓に初めて埋葬された。
557坂の上の雲:01/11/09 14:04
日露での秋山兄弟がすごいと思われ
558しょう:01/11/09 14:24
>>556
既出でした。
と、いうわけで。

クラウゼウィッツ

プロイセン軍人で、ナポレオン包囲網の参謀。
ナポレオンの戦術の弱点を的確につき、ナポレオンを退位へ
追い込んだ。
また、西洋の兵法書「戦略論」の著者でもある。
559世界@名無史さん:01/11/09 15:09
ナーディル・シャーは既出?
560世界@名無史さん:01/11/09 17:35
>>558
クラウゼウィッツは
不朽の名著「戦争論」の著者として有名であり、
確かに解放戦争当時、ロシア軍の参謀であったが、
解放戦争への貢献はグナイゼナウの方が大きいのでは?
561世界@名無史さん:01/11/09 17:41
クラウゼウィッツが入るならジュミニはどうだ
562世界@名無史さん:01/11/09 19:19
クラウゼヴィッツと比べるなんてジョミニに失礼
563世界@名無史さん:01/11/09 19:58
サルゴン2世はどう?
564世界史@名無史さん:01/11/09 21:28
555>>
546だが訂正サンクス。
565世界@名無史さん:01/11/10 12:10
クラウセヴィッツもジョミニも将ではないんじゃない?
それよりナポレオン戦争期の名将といえば
ルイ=ニコラ・ダヴーじゃないでしょうか?
566世界@名無史さん:01/11/10 13:46
まぁ、ジョミニは参謀であって軍事思想家だけど
彼なくして近代軍隊の運用教本はあり得ない。
クラウゼヴィッツやマハンらの近代軍事思想家の代表としても
567世界@名無史さん:01/11/10 19:23
日本の戦国時代に野戦が滅法強かった名将

・上杉謙信(臨機応変の化け物)・織田信長(敗戦も多いが無益ではない)
・武田信玄(冷静な戦が多い) ・毛利元就(なんと本当に不敗)

ちなみに家康は信玄に敗れているし、秀吉も家康に敗れているので省く。
それと家康は信長よりも野戦に強いとコーエーゲーマーは言うが、
どう見てもそうは思えない。
568世界@名無史さん:01/11/10 19:24
島津は池宮マニアが誇張して書いているが、
上杉や武田と比較すれば、互角以下じゃない?
569世界@名無史さん:01/11/10 23:17
>>567
秀吉は野戦は苦手だけど攻城戦は戦国時代で飛びぬけて上手かった
逆に家康や信長は攻城戦が下手
570世界@名無史さん:01/11/10 23:20
マンシュタイン。ロンメルより上だと思う、クリミア戦役での要塞セヴァストポリを
陥落させた手腕は凄い。第二次世界大戦全体を通じて最高の将軍
571世界@名無史さん:01/11/11 01:11
>567
うむ。
家康の強さは、三河の家臣団の忠誠心によるところも大きいからな。
これと対照的に、信長の軍は兵農分離の弊害として、兵の士気が低い。
(土地を守るという意識のある農民兵と違い、職業的な兵士はすぐに逃げる。)
まあ、その兵で勝ってたというのもある意味名将といえるが。
572世界@名無史さん:01/11/11 01:17
秀吉はおろか。兵は死なないが金に頼りすぎ。あんなことしていたらいつかまた戦国に逆戻り
573世界@名無史さん:01/11/11 01:37
うーん...>>572は煽りなのかネタなのか真性なのか判断に苦しむ
574世界@名無史さん:01/11/11 02:21
駄目だとはわかってるが、ドスタム将軍に一票。
俺なんかあのおっさん憎めない。
575世界@名無史さん:01/11/11 02:37
グデーリアンはどうよ
576世界@名無史さん:01/11/11 03:17
573が煽りで真性なのは定説だな。
逆説あの乱世の世渡り上手今川氏真無能説が今ちまたではやり。
577世界@名無史さん:01/11/11 03:26
>>571
三河武士はみんな大名旗本になったからそう書きとめられたが、もとから
結束が固かったわけではない。家康が直率して強兵を育てたって部分も
大きいと思う。年とるまでの家康は勇将だよ。知略の方はあるんだかない
んだか、結局小牧までわからんかった。
そういう意味で、結論は同じく、世界の名将にはいれてあげない。
578世界@名無史さん:01/11/11 05:14
>>577
知略のほうは三河一向一揆のだましうちっていうのがあるぞ。
579世界@名無史さん:01/11/11 09:10
>>570
同意・・・したいところなんだが
一面ほとんど砂漠な北アフリカと
平野と泥沼が基本のロシア平原では
比較が難しいのではないかとも思う
580世界@名無史さん:01/11/11 10:38
ロンメルは前線の指揮官としては最良の部類ではあっても
戦略について、例えば兵站などを管理する能力はあまりなかったといわれてるね。
まぁ、そこらは参謀がきっちりとしてりゃ良いんだろうけど。

その点本国からの兵站が途絶したまま15年間外地で戦い続けたスキピオは
名将といっていいんじゃないかな。
581世界@名無史さん:01/11/11 10:41
スキピオ>ハンニバルなのかハンニバル>スキピオどうなんだろう。
582世界@名無史さん:01/11/11 15:01
>>544
>調絡と土木工事が主となるような戦闘は奴ならではなのでは?
同意

>三木城の水攻めに相当するような世界史上の戦闘を俺は知らないが。
備中高松城の水攻めはもともと中国春秋時代の晋陽城水攻めをパクッタ
んだよ。

>>581
戦術のハンニバル
戦略のスピキオアフリカヌス
583582:01/11/11 15:08
戦略のスピキオアフリカヌス ×
戦略のスキピオアフリカヌス ○
スマソ

>>580
>その点本国からの兵站が途絶したまま15年間外地で戦い続けたスキピオは
>名将といっていいんじゃないかな。
これはハンニバルの間違えか?
584580:01/11/11 17:16
>>583
ごめん、ハンニバルの間違いでした。
脳味噌が腐ってたみたい。
585世界@名無史さん:01/11/11 17:41
すごくマイナーだけど、メムノンはどう?アケメネス朝ペルシャの海軍を率いてアレク
サンドロス大王と戦った将軍。アレクサンドロスの東方遠征の一番の障害となると
見られていたらしい。ただ、残念なことに本格的な戦いの前に病で急死してしまう
んですな。そして、彼を失ったアケメネス朝はアレクサンドロスによって滅ぼされて
しまうんです。ただ、具体的に活躍してないから、名将にはならんかな?名将候補
かもしれない。あと、ケマル・アタチュルクに私も一票!
586世界@名無史さん:01/11/11 18:18
とりあえずロシア代表はアレクサンドル・ネフスキーだ。
こいつがいなけりゃ、ロシアはゲルマン・カトリック社会になってたかも知れん。
587世界@名無史さん:01/11/11 18:31
もし、ダレイオスV世がメムノンの作戦を始めから採用していれば
アレキサンドロスはモスクワのナポレオンになっていたカモネ。
惜しむらくは作戦発動が遅れた事と、途中で死んじゃった事。

俺が思う一番の名将はビザンツ帝国のペリサリウスだね
4万のペルシャ軍を2万5千で撃破
3万の反乱軍を8千で撃破
1万5千で15万のゴート軍を壊滅
柔軟な発想と機動力重視によって勝ち得た功績でね。
588世界@名無史さん:01/11/11 22:42
>>537
アレクサンドル・ネフスキーは確かにスウェーデン軍やドイツ騎士団を
破っているが、
一面ではモンゴルに進んで臣従して、自分の親族を含めて
反モンゴル活動を弾圧して、
モンゴルの力でウラディミール大公となっている。
こいつがいなけりゃ、ロシアはゲルマン・カトリック社会になっていたと
いうのは、あるいはそうかもしれんが
一面では200年のキプチャック汗国の支配を許し、
ロシアのタタール化をもたらしている。

ロシア代表にはドミトリ・ドンスコイやピョートル大帝など
他に、よりふさわしい候補者がいると思うが。
589588:01/11/11 22:44
訂正:>>537でなく586
590西国のアズマ帰依者:01/11/11 23:51
岳飛のプッシュがなく、落ちそうなので書いておくと、
中国では非常に評価が高い人だね。

まあ、民族主義的評価というのもあるんだが、戦略的には
河東抗金地域と湖広平原を連結する戦略をたて実践しただけではなく、
それが効果をあげ開封を一時占拠するなどしている。
実戦でもほとんど負け知らずだしね。

ゲリラ戦の提唱・民衆蜂起評価という先見の明もあったらしいが
591西国のアズマ帰依者:01/11/11 23:56
あと、林彪なんだけど1907年生まれの人だぞ?
軍指揮官だったっけ。
毛沢東は政治指導者であって、軍事面では朱徳が司令官で
葉剣英、ほう徳かいあたりが仕切ってたんだが

人民軍10大元帥の功績など調べてみるわ。でわ
592世界@名無史さん:01/11/12 04:15
孫ピン田単楽毅武霊王は?
あと伍子胥と范蠡が入っている理由がわからんのだけど
593世界@名無史さん:01/11/12 05:16
だから呉起だってば。
実戦の指揮経験も豊富だし、負けなしだよ。
評価を落としたのも宰相になってからだし。
594世界@名無史さん :01/11/12 14:33
不敗の将帥なら、俺はダヴー元帥を挙げるね。確実で詳細な記録も残ってるし。
恐らく皇帝自身よりも実戦指揮官としては優れていたろう。軍政家としても
素晴らしい手腕を持っていた。
近代的な「軍人」としては世界史を通しても五指に入るんじゃないだうか。
英雄といった柄じゃないけど。
595スタン・反戦:01/11/12 22:02
「大元帥 昭和天皇陛下」
日本陸軍・海軍を無条件降伏させたマッカーサー元帥を、無条件心服させ、
GHQ幕府の征夷大将軍としての日本統治を認めさせた。
これ以上の名将は、歴史に二人と存在しない!
596565:01/11/12 22:11
やっぱダヴーですよね?
彼は良いですよ。
部下に一人は欲しいね。
裏切らないし。
口煩いのでたくさんはいらないけど。
597世界@名無史さん:01/11/12 23:30
東郷やネルソンもいいけど、
オランダ黄金期の海軍三人男もノミネートさせてくれ〜
ピート・ヘイン(Hein)・・キューバ・マタンサス(Matanzasa)湾海戦:1628
マールテン・トロンプ(Tromp)・・ダウンズ(the Downs)海戦:1639
ミヒール・デ・ロイテル(Ruyter)・・チャタムの焼き討ち:1667
皆、平民出身者であり、
貴族的な秀麗さとはほど遠い、逞しく抜け目無い風貌で、
商船勤務から出発し、実力で提督にのし上がり、
最後は海で戦って死んだことが共通する。
598世界@名無史さん:01/11/13 00:43
>>184
イギリスの凄さとしてビートルズを持って来るのは在る意味凄い
でも言ってる事は判るよ
ビートルズを産んだイギリスマンセー
ところでG・ハリソンは大丈夫だろうか
599Cavabien:01/11/13 01:05
なるほど、ジョンレノンなんかさながら明末の呉三桂といった位置付けなんでしょうか。
オノヨーコは陳円円で。
んじゃ今でも元気なポールマッカートニーはドルゴン?

なんちて。つか思わずヨーロッパにビートルズを探してしまった(笑。
お遊びレスだし本筋と関係無いんでサゲときます。
600世界@名無史さん:01/11/13 01:07
584です
板違いでした スマン
601世界@名無史さん:01/11/13 05:28
 山川の「詳説 世界史研究」にエパミノンダス(テーベ)、李舜臣(朝鮮)
の名の前に「名将」という形容詞がついていました。定義はなんなんでしょう?
602LTer:01/11/13 06:37
いわゆる「功績ある政治家or兵法家」は
「名将」と言う概念にはそぐわないと思うがどうか。
「世界の偉人100人を選ぼう!」ならわかるが。

後、一部に三国志が好きなのはわかるがそれだけ、
と言うコゥェィ厨がいるのが気になる。
○○マンセー!と感情で主張されても・・・

と言うわけで俺は一応楽毅を揚げとく。
603nanasisaso:01/11/13 08:07
オサマ・ビソ・ラディソ

アフガン侵攻の際には義勇軍を率いて参戦。
サウジにラディソ在りと世界に知らしめる。

世界帝国アメリカに対してはたった、8000の軍を用いてその新戦略形態を以って世界の心胆寒からしめる。
またアフガンの地の利を生かした篭城戦&ゲリラ戦法で米軍に応戦する。
盟友オマルの協力のもと、アフガンでの地上戦を行いつつも米本土に対しても猛攻をしかける。

イスラムの救世主 聖戦の指導者 
604リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:01/11/13 10:44
>>588さん
ドミトリー=ドンスコイ
激しく同意!
キリスト教圏(東西含む)で、真っ向からモンゴルを破ったのは
こいつくらいなもん。

後、これは少々ガセくさいが
神聖ローマのフリードリヒ二世が、1241年
ドナウ河畔でモンゴルを破ったと聞いたが、本当かな?
605世界@名無史さん:01/11/13 12:15
クリコヴォの戦いはなかったって説もあるけどどうなの?<ドンスコイ
606こんなのいかが?:01/11/13 16:12
我が名将・東郷平八郎提督が命名
ドミトリー=ドンスコイ[ゴミ取り権助]
クニャージ=スワロフ[国親父、座ろう]
ちなみに「戦艦ポチョムキン」の正式名称は
クニャージ・ポチョムキン・タウリチェスキイと言います。
607世界@名無史さん:01/11/13 20:55
>602 とりあえず俺は一応、と無感情で主張されても…
608588:01/11/13 22:13
訂正
アレキサンドル・ネフスキーは
ロシア人出身のモンゴル帝国の将軍と見なすべきと思う。
スウェーデンやドイツ騎士団を打ち破り、
モンゴルに反抗する諸侯(自分の兄弟を含む)を
滅ぼすことにより、
モンゴル帝国のルーシ(ロシア)支配を確立し、
その功績によりヴラディミール大公の地位を得た
偉大な名将といえる。(W)
609梵阿弥:01/11/15 15:00
シモン・ボリヴァル:南米独立戦争で活躍。6千で9千のほぼ全軍を捕虜にした事もあった。
610西国のアズマ帰依者:01/11/15 21:30
1がいないと寂しいな。
戻ってきて欲しい
611:01/11/15 21:33
あまり思想板とか政治板とかおかしくなった日本史板でおかしくしてるコテハン名乗る人と
世界史板では話したくないです。

御気を悪くされたらごめんなさい。でも、いつわざるところ
612西国のアズマ帰依者:01/11/15 22:17
んん?別に気にはしないよ。
歴史学の政治性の問題が、わかんない人に話しても仕方ないし。
あとおかしくしたのではなく正常化しただけなので
(ウヨクソ隔離スレッドと化しているでしょ?)
613 :01/11/16 03:06
614世界@名無史さん:01/11/16 04:00
同志トロツキーに一票
615:01/11/16 07:24
611は偽物ね。通報するわw
616:01/11/16 12:29
東郷平八郎と秋山真之のセットなんてどうでしょう。
なんか最近まんがにもなってたな〜
617世界@名無史さん:01/11/16 23:48
しかし交通整理ぐらいして欲しいな
618世界@名無史さん:01/11/19 15:28
郭去病 対匈奴に凄かったけど病気で若くして他界.本名何ていったっけ
619世界@名無史さん:01/11/19 15:33
↑霍去病
620世界@名無史さん:01/11/19 19:42
謝玄はどうでしょう? 肥水の戦いで9万対80万の劣勢にもかかわらず
前秦の符堅を打ち破ってますが。これで前秦は中国統一どころか滅亡の
道を辿りました。
621620:01/11/19 19:52
×肥水
○?水
スマソ
622620:01/11/19 19:53
再度訂正。さんずいに肥です。ゴメンチャイ。
623世界@名無史さん:01/11/26 22:36
誰かいる?
624世界@名無史さん:01/11/26 23:15
中国の武将に詳しい人はこちらもよろしく(^^)

http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1005659817/
625世界@名無史さん:01/11/28 03:59
名将を選ぶなら「補給戦」って本を読んだ上でやるとまた違った視点で面白いよ。
原書房から出てるからなかなか手に入らないけどね。
ここにメモはあった。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/8932/
626 :01/12/13 22:41
age
627世界@名無史さん:01/12/13 22:43
山下泰文大将なんかどうよ?
628世界@名無史さん:01/12/13 23:18
日本初のゲリラ戦を展開した楠正成とか…。
世界の名将に入るかどうかはきわどいけど…。
629西国のアズマ帰依者(本物):01/12/13 23:59
最近さびれたねえ。
1よ、何か書け。

みんな1をいじめすぎだ
630世界@名無史さん:01/12/17 17:09
日露戦争満州総軍参謀総長の児玉大将に一票 日露戦争の陸戦で辛勝を
得られたのはこの人のお陰かと。また西欧の帝国主義にひとまず歯止めをかけた
日露戦争の意義から考えて。(日露戦争の評価は私の偏見)

毛沢東にも一票 瑞金に追いつめられていたころを考えると日本軍と国民党
を駆逐できたのが信じられない。(政治家としての評価は別です。)

チンギス ハン 矢張り史上最大の基礎を築いた人ですからまあ。
アレクサンドロス ペルシア帝国との闘いとその後の影響から。
モルトケ    参謀本部というものを確立。普仏戦争 普おう(字でない)戦争
        の完璧な勝利。
ナポレオン   師団の確立。欧州諸国相手の数々の闘い。

 
631世界@名無史さん:01/12/25 19:07
オスマントルコのメフメト二世に一票。
前代未聞の軍艦の山越えによって金閣湾内に侵入
見事コンスタンチノープルを落とす。
632世界@名無史さん:01/12/25 22:19
宮崎繁三郎は名将だとはおもう。世界史に影響を与えたわけではないけど。
ノモンハンでは戦線をただ一人維持、インパールでは見事に非常に困難な後方撤退を
してみせた。当時の日本陸軍きっての名将でしょう。
633クトゥーゾフ:01/12/25 22:20
 。
634世界@名無史さん:01/12/25 23:31
伝説と実像が区別つかんけど太公望呂尚は名将になるのかな。
有名ではあるよね。
635世界@名無史さん:01/12/26 14:10
名将っていうより、仙人のほうが近そうだな。
636世界@名無史さん:02/01/03 17:42
まだでていないようなので
カール・グスタフ・マンネルハイム
フィンランド軍元帥・大統領

ロシア革命勃発後、白衛軍を率いてフィンランドの独立を勝ち取る。
1939年のソ連軍によるフィンランド侵攻に際し、最高司令官として全軍を指揮、
自ら設定した防御戦マンネルハイム線(マジノ線と違い、大規模な要塞群では
ない)で頑強な抵抗を示した。最終的にマジノ線は突破されたものの、ソ連軍
に多大な損害を与え、独立を守り通した。
この抵抗はフィンランドの奇跡と称され、世界中に驚嘆の目を持って見られた。
また、この戦争でソ連軍が大粛正の結果、いわれていたほど強力な軍隊でなか
ったと判断したヒトラーに独ソ戦に踏み切らせることにもなった。
637 :02/01/03 22:29
誰か選考引き継がない?
638通行人:02/01/03 22:40
火中の栗、という言葉があってのう・・・
639世界@名無史さん:02/01/04 10:06
ワラタ
640世界@名無史さん:02/01/04 19:14
エルシッドが出ていないのはこれ如何に?
641世界@名無史さん:02/01/05 09:23
オサマ・ビンラディン
642世界@名無史さん:02/01/05 13:33
ダウディング英国空軍戦闘機総監。

極めて優秀な早期警戒管制システムを構築して、
バトルオブブリテンでドイツ空軍の猛攻を撃退した。
その結果、ドイツ軍の英国本土上陸を挫折させた。

この勝利が、ダンケルクの敗北で絶望感を漂わせた英国民に
戦勝への希望を復活させた意味でも功績は極めて大きい。

その後チャーチルと衝突して予備役に編入。
643世界@名無史さん:02/01/26 13:58
agetoku
644 :02/01/26 14:05
日本の島津義弘、東ローマのバシレイオス、カルタゴのハンニバル。
ありきたりかな・・・
645世界@名無史さん:02/01/26 14:11
李舜臣と安重根と金日成(影武者含む)は入るだろ!
646Cavabien:02/01/26 14:17
安重根は軍隊を指揮した経験が無いのでダメでしょう。
金日成は現代史にはいってくるんで俺だったら保留するかな。俺だったら、だけど。
李舜臣なら候補に上げてもおかしくないし、エリア別で人数決めて選ぶなら十分入る。
647chanel:02/01/26 17:01
始皇帝(秦・えい政)
 歴史上最初に中国を統一国家にしたとされているから

光武帝・(後漢・劉秀)
 高祖以後「漢王朝再興」を謳い、見事成し遂げたのはこの人だけ。
 しかも、統一後一人の功臣も粛清しなかった。(高祖は「劉氏に
 あらずんば人にあらず」といい、三傑の一人韓信を粛清)
  「昆陽の戦い」において少数で大軍を蹴散らし、将としての実績
 も十分かとおもわれ。

 でもわしって中国しか知らねーや
648世界@名無史さん:02/01/26 17:05
>>647
光武帝とくるなら
巨無覇を出しといてあげよう。
グルァ!!巨人だぁ!!
649世界@名無史さん:02/01/26 17:40
朱徳。あの風貌がいい。親方、と呼びたい。名将談じゃないか。
650  :02/01/26 17:41
安重根はどう考えてもナシっしょ。

ガリバルディは出てきた?
かれはすごい指揮官だと思うけど。
651650:02/01/26 17:49
ガリバルディは一人しか挙げてないや(w

あ、義経だけど、
当時の騎馬戦術の戦い方を圧倒的に有能な存在に仕立て上げた武将だと思う。
その事は、世界的に見ても評価されるべきだと思う。

特に鵯越えに見られる戦術なんて、当時の戦闘ではありえなかったわけだし。
652世界@名無史さん:02/01/26 18:45
三国志の周瑜。
曹操を破って、三国鼎立を決定づけたから。
ただし、「赤壁の戦い」が事実だとすれば・・・。
653別スレ328:02/01/26 19:12
>606
遅レスながら…
その命名は東郷元帥がしたのではなく三笠砲術長の安保清種少佐(後大将)。
654世界@名無史さん:02/01/26 19:22
猪木
655世界@名無史さん:02/01/26 19:28
ピピン。がいしゅつ?
656世界@名無史さん:02/02/06 02:48
近代ならマンシュタインは入ると思いますね。フランスへの侵攻作戦の原案は彼の
発案だし、ソ連相手にもほとんど負けていないし43〜44年のドイツの戦力でな
んとか持ちこたえていたのは彼の指揮のおかげだろう。最後は罷免されたがもしク
ルスクあたりから全軍の指揮を任されていれば歴史は変わっていたに違いないと思
われる
657世界@名無史さん:02/02/06 03:21
>>630
さんせい 児玉源太郎ははずせない。
乃木まれすけが203高地で苦しみまくってるところを、すぐ来てすぐに解決し、
自らの功績を乃木にゆずる男らしさ、これで、東郷平八郎のパーフェクトゲームはなされた。
658世界@名無史さん:02/02/06 03:23
>>656
だったら、山本五十六もはずせない、世界ではじめてのボックスフォーメーション
を考案した、傑出した存在。
659世界@名無史さん:02/02/06 03:34
名将は戦争に勝ってこそ名将足りうる。
660世界@名無史さん:02/02/06 03:46
ピュロス(エペイロス)でた?
先駆者は、いつまでも偉大であるということで。
661世界@名無史さん:02/02/07 06:06
背教者ユリアヌスとペルセリウスは名将だと思うんだけどな。
662世界@名無史さん:02/02/07 06:49
エルドラド!
世界一の成り上がり者でない?
663カウニッツ:02/02/07 07:18
プリンツ・オイゲン!既出?
664世界@名無史さん:02/02/07 08:33
>656
マインシュタインは、ティデルタ作戦(クルスク・バルジ包囲殲滅作戦)に異を唱えなかったのですか?
665  :02/02/07 10:24
名将といえばハンニバル・バルカでしょう。
既出ですか?
666世界@名無史さん:02/02/07 12:12
もし、義経=チンギス・ハンだとしたら、義経が世界史にあたえた影響
はとてつもないものになるゾ
667世界@名無史さん:02/02/07 23:16
しゃあねえな。おれが司会進行してやるよ。
京は眠いから明日な。
668名無し1:02/02/07 23:50
フィンランドの独立を守ったカール・グスタフ・マンネルへイム元帥
独立直後の内戦から冬戦争、継続戦争を最高司令官として戦い抜き
戦後大統領にもなった。
669世界@名無史さん:02/02/08 02:20
>>667
楽しみにしてるぜ。泣き面を
670世界@名無史さん:02/02/08 06:05
>>651
義経について基本的には賛成だけど、
仕立て上げたとはいえ、誰も引き継いでいないのが彼のイタイところかと思われ。
ただ、義経の軍事的才能なくして頼朝が国内を統一できたか疑問。
俺は影響アリとしていいと思います。

>>ALL
鄭成功はナシ? 影響ナシ? 岳飛と同程度と思うが。
中国では長江を境に、スーパーヒーローが二分されるそうです。北は岳飛、南は鄭成功。

ルドルフ・フォン=ハプスブルク Iは将?
石達開とかどうですか?太平天国の翼王。
671670:02/02/08 06:06
国内では大村益次郎とか。
672世界@名無史さん:02/02/11 05:22
うーむ。100人といわず500人とかにすれば、
良かったのでは、まぁ、遅いかもしれないけど、
今から、そのくらいの枠にしてみてはどうでしょうか?

個人的にコリン・パウエルとかマスード司令とか
チトーとか近現代(もしくはご存命方)が出てくると
面白いのだけど・・・(軍事板のがいいのかしら?)
673世界@名無史さん:02/02/12 09:32
過去ログほとんど読んでなくて恐縮ですが、
女性を挙げた方、あるいは挙げたい方はいらっしゃいますか。
史実となると、やはり入らないのでしょうか。
674世界@名無史さん:02/02/14 18:57
>>664
マンシュタインは確かに7月になってからの
チタデル作戦には反対だった(後の先をやりたかった)が
ヒトラーがGOと言ったのでやるしかなかった。
結果は歴史の通り。
名将とは言え、色々な外的要因に縛られるのは気の毒です。
675リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:02/02/14 23:38
>>660さん
ピュロスぅ〜?
名将とは思えんがねえ?
この人で思い浮かぶのは「ピュロスの勝利」のことわざと
RORのキャンペーンでボッコボコにしたことかなあ?(w
しかし、「先駆者」とは気になる、何がでしょうか?
676【^▽^】アフリカ太郎スレイマン・ジョーカー:02/02/14 23:40
シャーマン将軍の「海への進軍(焦土作戦)」も良いね。
677【^▽^】アフリカ太郎スレイマン・ジョーカー:02/02/14 23:42
板垣退助も名将だね。
678世界@名無史さん:02/02/15 02:44
WWUのドイツからならハインツ=グーデリアンも名将だと思います。戦車の集団運用を
考案したのは彼だし、「電撃戦」という戦術を駆使してポ−ランド・フランスを落とし、ソ連首都モスクワ
を陥落寸前まで追い詰めたのも彼の力が大きいと思う。(キエフ経由のため失敗してしまったが)
その戦術手腕は高く評価してもいいのでは。
679世界@名無史さん:02/02/15 02:48
680日本@名無史さん:02/02/15 08:15
日露戦争に限っていえば児玉、東郷ばかりみんな目がいっているな。
俺的には黒木為禎と立見尚文は外せない。この二人は敵を見る目がある
上、戦国武将顔負けの大胆な兵力移動を行っている。児玉よりはこっちの
方を俺は支持したい。
681大スキピオ:02/02/15 09:10
お久しぶりです
大学受かったのでまた来ちまいました

・東ローマ帝国の名将 ナルセス
682世界@名無史さん:02/02/15 17:21
>>673
100人では流石にね。
500人ならパルミラの女王ゼノビアを推したい。
683新参:02/02/16 04:05
過去ログ参照の上、イスラーム関係名将として次の名を挙げたいと思います。

I.正統カリフ、ウマイヤ朝部門
1.全般及びシリア方面
 ハーリド・ブン・アル=ワーリド[正統カリフ時代:特にヤルムークの戦い(対ビザンツ)]

2.イラク・ペルシャ方面
 サード・ブン・アビー・ワッカース[正統カリフ時代:特にカーディシーヤの戦い(対ササン朝)]
(落選者:イヤード・ブン・ガヌム[正統カリフ時代:北イラク]、ハビーブ・ブン・マスラマ[正統カリフ時代:アルメニア])

3.北アフリカ方面
 アムル・ブン・アルアース[正統カリフ時代:エジプト(対ビザンツ)]
(落選者:ウクバ・ブン・ナーフィー[ウマイヤ朝:北アフリカ])

4.中央アジア方面
 ハッジャージュ・ブン・ユースフ(ウマイヤ朝:中央アジア、西北インド)
(落選者:クタイバ・ブン・ムスリム[ウマイヤ朝:中央アジア]、ムハンマド・ブン・アルカーシム[ウマイヤ朝:西北インド])

5.北アフリカ・イベリア半島方面
 ムーサー・ブン・ヌサイル[ウマイヤ朝:北アフリカ、イベリア半島]
(落選者:ターリク・ブン・ズィヤード[=ベルベル人、ウマイヤ朝:イベリア半島(西ゴート王国)])
684新参:02/02/16 04:20
I.正統カリフ、ウマイヤ朝部門(続き)
第2代カリフのウマルの名が以前に上がっていましたが、メディナから各部
隊に詳細指示は出てなかったはずなので落としました。同様に、アラビア半
島を治めた預言者ムハンマド、預言者の死後離反した半島を再度イスラーム
の下に戻した初代カリフのアブーバクルも軍事的に名将とは思えないのでは
ずしました。
一方で、各方面ではむしろ政戦両面を考えあえて総督職にあるもの等(最初
にジブラルタルを渡ったターリクではなく、ムーサにする等)の名を挙げて
ます。
ウマイヤ朝初代カリフのムアーウィヤは、アラブ初の海戦(対ビザンツ)に
勝利したことでリストアップしても良いのかもしれません。
685新参:02/02/16 04:41
II.アッバース朝以降
1.アッバース朝以降
アブー・ムスリム[=ペルシャ人?、アッバース朝:ウマイヤ朝打倒、中央アジア方面征服(タラス河畔で唐軍を破る)]
(落選者:ハールーン・ラシード[アッバース朝第5代カリフ])

アブドルラフマーン1世[後ウマイヤ朝初代アミール:イベリア半島征服(ユーフラテス河畔からイベリア半島までアッバース朝の追跡を逃れ、王朝樹立)]
 
ジャウハル・アッシキッリー[=シシリー人、ファーティマ朝:エジプト、征服]

2.十字軍以降
サラーフ・アッデッィーン[=サラディン=クルド人、アイユーブ朝初代君主:対十字軍(ヒッティーンの戦い他)]
(落選者:イマード・アッデッィーン・ザンギー[=トルコ人、ザンギー朝初代君主:対十字軍]、ヌール・アッデッィーン・ザンギー[=トルコ人、ザンギー朝第2代君主:十字軍])

バイバルス1世[=トルコ人、マムルーク朝第5代スルタン:十字軍・マンスーラの戦い(ルイ9世を捕らえる)、モンゴル・アイン・ジャールートの戦い]

3.近代
サウード・ブン・アブド・アルアジーズ[=大サウド、アラビア半島第1次サウド王国建国]

アブド・アルアジーズ・ブン・アブドゥルラフマーン(=イブン・サウード、現サウディアラビア初代国王)
686新参:02/02/16 04:51
III.その他(候補)
以下の人も候補となると思いますが、トルコ、イラン、モンゴルのことは詳しくないので、確信はありません。ムスタファ・ケマルは名将に入れたいですね。
ムガール朝、サブサハラの王国にも有力候補がいそうな感じですね。

アルプ・アルスラーン[=トルコ人、セルジューク朝第2代スルタン:マラーズキルドの戦い(ビザンツ皇帝ロマヌス・ディオゲネスを捕らえる)]
ティムール[=モンゴル人:モスクワ、デリー、オスマン朝等に勝利]
メフメト2世[=オスマン朝代7代スルタン:コンスタンティノープル征服]
セリム1世[=オスマン朝第9代スルタン:マムルーク朝征服、サファヴィー朝イスマーイール1世に勝利]
スレイマン1世[=オスマン朝代10代スルタン:ウィーン包囲]
バルバロス・ハイレッディン・パシャ[オスマン朝・元海賊、後に海軍提督:地中海の制海権・プレベザの戦い]
シナーン・パシャ[=アルバニア人、オスマン朝エジプト総督:北アフリカ、アラビア半島南部征服]
ムハンマド・アリー[=アルバニア系?、ムハンマド・アリー朝:アラビア半島、スーダン、シリア征服]

(落選:レザー・シャー、パーレビ師)
687新参:02/02/16 05:07
>>683〜686
以上の基準ですが、世界史的にインパクトのあること、ドラマ性のあることに加え
て、単純に征服面積の多いことも加味しました。
なお、ハールーン・ラシードについては、ビザンツ遠征程度の功績ではウマイヤ朝
カリフ数名も入りますので、対象外にしました。
688ザイナブ:02/02/18 08:11
>>682
ゼノビアは、一時アンカラ、カルケドン、アレキサンドリアまで領土を広げたんで
したか?最後に金の鎖で引き回しに合うのも悲運の名将って感じはしますね。
689名無史:02/02/18 10:11
薩英戦争で薩摩指揮してたのって誰でしたっけ?

あとパウエルは入んないんですか?
690梵阿弥:02/02/18 16:32
>>683
スダンのムハンマド・アフマドのマフディー団で軍事面に功のあった人は居ないでしょうか。
691世界@名無史さん:02/02/18 20:31
ベリサリウス、マールバラ、なぜかフリードリヒ1世(バルバロッサ)
692世界@名無史さん:02/02/18 22:34
ウイリアム・ウォレスはだめ?
映画は感動したんだが。
693世界@名無史さん:02/02/18 23:01
なぽれおん
694???:02/02/24 00:53
まず、織田信長は間違いなく入るだろうね。
でも、徳川家康は入らないと思うよ。
あと、明代末期の女将軍・秦良玉は入ると思うよ。
695世界@名無史さん :02/02/24 10:49
>694
じゃあ、豊臣秀吉は?
696世界@名無史さん:02/02/24 22:34
乃木希典よりは東郷の方が知名度上だし、世界史的な影響も大きいと思う。
日本人から一人選ぶなら東郷だな
697世界@名無史さん:02/02/25 00:25
曹操と織田信長とエリザベス1世は間違いなく入るよ。
698世界@名無史さん:02/02/25 02:50
小早川隆景。
諸葛孔明。等
699世界@名無史さん:02/02/25 06:12
フンのアッティラはだめですか?(tt
700世界@名無史さん:02/02/25 09:08
>>697
ドレークならともかくエリザベス1世は無理。
701世界@名無史さん:02/02/25 09:59
東郷平八郎は秋山真之とペアで1人では・・・。
702ザカリヤ:02/02/25 10:00
メイショウオウドウ
703世界@名無史さん:02/02/25 11:16
曹操・劉備・孫権は、三名とも選びたい。
あと、織田信長も選びたい。
それと、ゼノビアとイザベル1世も選びたい。
704世界@名無史さん:02/02/27 00:20
未登場の武将として、モントローズ(Montrose)を挙げとくヨ。
イギリス内乱時代に、国王派の将軍としてスコットランドで戦い、
1644〜45年に、反国王派(Covenanters)の軍を寡兵で6度も破った。
さすがに7度目には敗れて亡命、再蜂起にも失敗して処刑されるのだが。

負け組に付いたことと、割とローカルな場面でしか活躍しなかったことで知名度が低いのは残念。
705世界@名無史さん:02/02/27 01:15
オーストリアのモンテクッコリ
機動戦の達人で軍事を科学的に体系的捉えた人。この人は影響の面からも名将。
他に好きなのはフランスのガストン・ド・フワ。近世の大会戦ラヴェンナの戦いでの
勝利者。ここで死んだけどルイ12世が勝利を生かせれば、介入したイタリアで
もっとうまくやれたはず。

ポルトガルとマムルーク朝の紅海での戦いのポルトガル側の指揮官は誰?
ああ言うのは後のことを考えると大きな勝利だし、その当時ポルトガルには
それなりに海で有能な人が多かったと思うんだよね。
706世界@名無史さん:02/02/27 01:38
ディウ沖の海戦ならアルメイダじゃないかな?
これは紅海ではないけど…。
707世界@名無史さん:02/02/27 02:54
アステカ代表
クワーテモク
インカ代表
チャルクチーナ
北米先住民代表
クレイジーホース
どれか一人は選出して!彼等の名誉のためにも…!
708159:02/02/27 03:56
>>705
紅海に入った艦隊であれば、Lopo Soares de Albergariaとかいう人でし
ょうか?1517年3月に紅海入りでは遅すぎますか?

ところで、東アフリカのイスラーム化という点では、オマーンの王朝の誰か
を挙げるべきかもしれませんね。
709708:02/02/27 03:59
>>708
すみません。全然159ではありません。
710世界@名無史さん:02/02/27 11:29
第一次世界大戦の将が少ないな・・・・・・。(皆無?)
俺が押すとすれば、独のマッケンゼンかな?
東部戦線の常勝将軍。
あと、旧ソ連赤いナポレオンの・・・・・・名前ど忘れ。
フランスのペタンかは・・・・・・防衛戦の将軍ってどうも印象薄いからなぁ。
711しげる:02/02/27 15:41
どマイナーなんですが・・・・簡単な説明つきで

アレクサンドル・ネフスキー
中世ロシアの救世主。ノブゴロド公からウラジミール大公へ。
モンゴル軍にやられ国力半分以下になったロシア諸公国は周囲のいい獲物になっていました。
そこに北欧の大国スウェーデンが商都ノブゴロドを襲いに大軍を率いてバルト海を下ってきます。
当時唯一モンゴル軍に襲われなかったノブゴロドはルス族の最後に残された希望でした。
ここが潰されるともうロシアに復活する力は無かったでしょう。
しかしノブゴロドとバルト海を結ぶネヴァ河で軍を下ろしていたところを若干20歳のアレクサンドルは僅かな兵で奇襲を
かけこれを撃退。奇跡と呼ばれる勝利を得ました。
その後殖民をしにきたドイツ騎士団との対決、通称「氷上の決戦」にも勝利。
モンゴルとの同盟、当時は大国だったポーランドからの侵略への防戦。
約五十年の間に一回もの負けなし、という人物です。
しかもロシアでは珍しいことに性格は温厚で民の評判も上々だったそうです。

ええ、どマイナーです。
しかも印象の悪いロシアです。
でもベスト100には入らなくても間違いなく名将だったと私は思いますしみなさんにちょっと知ってもらいたかったもんで・・・
712 :02/02/27 17:04
ハンニバル将軍マンセー
713  :02/02/27 17:09
エルシッド
714  :02/02/27 17:10
フリードリヒ=バルバロッサ
715  :02/02/27 17:11
スッピリルウマ
716  :02/02/27 17:11
ラムセス
717世界@名無史さん:02/02/27 17:41
>>710
赤いナポレオン=トハチェフスキー元帥です。白軍をことごとく粉砕した
まさにロシア革命の軍神です。最期はスターリンに粛清されてしまいまし
た。彼がいれば独ソ戦はもっと早くかたがついたかも。
718世界@名無史さん:02/02/27 18:04
二ザーム=アルムルク
セルジューク朝の宰相。二ザーミーヤ学院を建てる。再興紀元

わからない奴は氏ね
719世界@名無史さん:02/02/27 18:11
>>710
フランスのフォッシュ元帥はどお?
720世界@名無史さん:02/02/27 18:18
>>711
禿同! 既出だが、
アレキサンドル・ネフスキーはマイナーでなく、
モンゴル帝国の代表的な名将と思う。
モンゴルに反抗する、(自分の兄弟を含む)ロシア諸侯を滅ぼし、
スウェーデンやドイツ騎士団を打ち破ることにより、
モンゴル帝国の200年のロシア支配を確立させ,
その功績によりヴラディミール大公の地位を得た偉大な名将である。
721世界@名無史さん:02/02/27 18:40
うん、ネフスキーは世界史ヲタにとってはマイナーではないでしょう。
ちなみに、モンゴルのコバンザメをして
強大になったことで有名なモスクワ大公もネフスキーの子孫だ。
722 :02/02/27 18:46
スブタイハンオゴタイハン
723世界@名無史さん:02/02/27 19:57
>>710
トハチェフスキーは戦争する前に粛清されちゃったじゃん。
でも、モスクワ前面でドイツ軍の攻勢を退け、ソ連邦の危機を救ったのは
彼が育成したシベリア軍団だったといのはなんとも皮肉。
724世界@名無史さん:02/02/27 20:09
林彪
725世界@名無史さん:02/02/28 00:36
マハトマ=ガンジー

彼以上はいない。
726世界@名無史さん:02/02/28 03:15
>>718
ニザーム・アル・ムルクには軍事的功績もあるのですか?
名政治家・文人というイメージを持ってました。

ところで確認ですが、名将の条件は軍事的才能、功績があるということ?
727710:02/03/01 00:44
>>717
トハチェフスキーだったね。初めて2chで教えられたような。
>>719
フォシュは名将と言うより軍人として堅実な「良将」というイメージがあるなぁ。
最高司令官の立場で、最終攻勢を成功させた実績は評価できるけど。

しかし、「歴史を変えた名将」ってお題は難しいね。
「迷将」の方が多いくらいかも。

728710:02/03/01 01:02
あと名将として、中国の「李勣(徐勣)」を推挙。
隋唐代では・・・・・・この人かと思われ。
729ぴあそら:02/03/01 09:52
ガリバルディ
730???:02/03/01 13:27
曹操
劉備
孫権
ゼノビア
イザベル1世
織田信長
731世界@名無史さん:02/03/01 13:54
>>670
肥前の産んだスーパースター鄭成功が無いのは悲しいです。平戸観光でも
隠れキリシタンに押されているし、碑もしょぼいし、寂しいですね。
732世界@名無史さん:02/03/01 14:11
>>678
キエフ経由って。。。
ポレシェ沼沢地の突破は、土地勘のないドイツ人には不可能でしょ?
退却戦でも、沼沢地の通路を知り尽くしているロシア人に奇襲されたし。
733732:02/03/01 14:12
んで、逆の現象はあれだな、
ロシアがフィンランド攻めたとき。
逆にロシア人に土地勘がなくて、侵攻失敗。
734フィンランド:02/03/01 14:44
第二次世界大戦の名将、ドボロフ・シンデエルも捨てがたい・・・。
735梵阿弥:02/03/04 14:18
ジョン・フィッシャー:単一巨砲の戦艦構想をドレッドノートで実現。高速化の為にチャーチルと組んで
 燃料の石炭から重油への転換を進め、艦隊主力の集中配備を実現する。仕官と水兵の格差縮小を進め
 士気向上を図る。
>>427
フォシュ将軍はペタンと組んで叛乱を鎮めたのは大きい。歴史を変えた当事者でしょう。名将かどうかは
解りませんが。
736 :02/03/26 23:15
逆に、こいつは絶対外せ無いという奴挙げていった方が早いんでは?
737パーニーパットの戦い:02/03/28 22:34
まだ挙がってないのかヴェトナムの民族的英雄・黎利・・・
あと既出だがボヘミアの独眼竜・ヤン=ジシュカ
ついでインドからマラータの指導者・シヴァージー

この3人は戦術的手腕も然る事ながら民族ナショナリズムの影響面でも評価したい
738【^▽^】二グロ太郎ジョーカー@奴隷小屋:02/03/28 23:03
グラント、シャーマン、シェルダン。
739世界@名無史さん:02/03/28 23:59
汀汝昌
740世界@名無史さん:02/04/02 01:13
キスカ撤退を成功させた、木村昌福少将。
世界史に影響を与えたわけではないし、
画期的なこともしてないが、濃霧を利用した
神業の操艦で米軍の包囲網をすり抜け
キスカ守備隊を全員救出。俺的にはかなりの名将。
741愚礼@倍南:02/04/02 01:20
>>736さん
それのほうがもっと難しいのでは???
敢えて上げるならゲーリング。
嘘吐き、偏狭、独断専行
将としてあってはならない要素をそろえております。
こいつが空軍元帥でなければ、イギリスはドイツ空軍に
蹂躙されていたかもしれない。
742世界@名無史さん:02/04/02 04:40
>741

ウーデッド君もお忘れ無く。
743世界@名無史さん:02/04/07 20:14
長嶋茂雄もいれてね
744世界@名無史さん:02/04/08 20:28
フィンランドのマンネルへイム
745世界@名無史さん:02/04/08 20:30
ゲーリング。でも若いときは優秀なパイロット
だったでしょ?
746世界@名無史さん:02/04/08 21:08
ガストン・ド・フォア(Gaston de Foix)
イタリア戦争中、1512年ラヴェンナの戦いの仏軍指揮官にして勝利者。

この戦いはちょうど長篠の戦いに類似した様相を呈した。
(ラヴェンナを攻囲する仏軍→後詰めのスペイン軍が城外の堅固な防御陣地に拠る)
スペインの戦法は信長@長篠的でもあり、英軍@クレシー的でもあり、
直接にはイタリア戦争初期にゴンサロ・デ・コルドバが用いた必勝パターンの反復でもあった、

が、ガストンはいきなり正面攻撃を行うという勝頼的な愚策はとらず、
優勢な野戦砲でまずスペイン軍陣地をボコボコに叩く、という手法により大勝利を納めた。
(塩婆作品で有名なアルフォンソ・デステが砲兵隊を率いて仏軍に参加)

この時ガストン、23歳。
まさに後生畏るべし、の典型だったが・・・・

敗勢色濃いスペイン軍中、どうしたわけか、
仏軍隊列を突っ切って裏側に抜けてしまった歩兵2個中隊があった。
彼らはやむなくラヴェンナの方向へ必死の退却を試みるが、
これを見とがめたのが、督戦中のガストンと幕僚達。
窮鼠に対し追撃を行うが、死にものぐるいのスペイン歩兵はそんなに甘くはなかった。
ガストン(と幕僚連)は「よせばいいのに・・」の最期を遂げたのであった。

あれ? 「情けない死に方」スレにもエントリーできるね。
747世界@名無史さん:02/04/24 17:56
>>736
牟田口たん。
748世界@名無史さん:02/04/24 17:59
>>735
フィッシャーはド級戦艦のほかにドキュソ艦も建造してるからなあ・・・。
749世界@名無史さん:02/04/24 20:35
バーブル(ムガル帝国初代皇帝)

デリーイスラム第五第イスラム政権のロディ朝軍と戦う
ロディ朝軍十万に対し、バーブルの軍は一万二千。
しかし、力を入れていた砲兵隊の活躍と、巧みな戦術によって勝利。
ロディ朝を滅ぼす。
750世界@名無しさん:02/04/24 22:43
李舜臣
不幸にして国家的広告塔として利用されているが、品行方正、生まれ育った国に対しては忠、
老母に対しては孝、自らの陰口を叩く同僚に対してさえも礼を失わず、行動の全てに義が通る。
正に儒教の理想が人間になって歩いているような人物。
戦闘経験に乏しく、士気も高いとは言えなかった朝鮮水軍、それも、その半分だけを率いて、
指揮系統がばらばら、艦隊温存主義で、輸送が主で決戦を避けていたとはいえ、
戦闘経験に長けた緒大名を、抑え得るだけの水軍を育成し得たのは、やはり名将。
酒が入れば陽気にはしゃぐ、御茶目な一面もあったらしい。
751山野野衾:02/04/24 22:49
既出意見がかなりありそうですが、1さんは纏めておられるのでしょうか?
すでに読んでおられない可能性大ですが。
752世界@名無史さん:02/04/25 02:00
織田信長は戦略や政略に優れているけど戦術的にはそれほど優れていないでしょう
753世界@名無史さん :02/04/25 03:21
アレクサンドル・ネフスキー

ノブゴロド公国、大公。
1240年、十字軍として襲撃してきたスウェーデン軍をネヴァ川の河畔で撃退し、
ネヴァ川のアレクサンドル=アレクサンドル・ネフスキーと呼ばれることになる。

その後、貴族と市民たちと対立→ノブゴロド市を追放されるも、
十字軍の一翼を担うドイツ騎士修道会の来襲により呼び戻され、
1242年、チュード湖「氷上の戦い」で騎士修道会に決定的に勝利し、
これを撃退した。

この勝利によりロシアの偉大なる救国の英雄となり、
死後、ギリシャ正教会により、聖者に列せられた。

ロシアのピュートル大帝は、1712年、ネヴァ川の河口に
アレクサンドル・ネフスキー修道院を開設し、
1722年には、アレクサンドル・ネフスキー勲章を設けている。
754世界@名無史さん:02/04/27 21:58
曹操
孫権
劉備
武田信玄
上杉謙信
織田信長
ジンギスカン
シーザー
ジャンヌダルク
秦良玉
755世界@名無史さん:02/04/28 02:44
>>747
セットで作戦の神様、辻正信たん。
756世界@名無史さん:02/05/01 11:54
あげ
757世界@名無史さん:02/05/04 02:06
山本五十六
真珠湾攻撃を企画。
空母時代を作り上げた。

山本権兵衛
日本海軍の父と呼ばれる。
彼がいなければ、東郷平八郎が聯合艦隊司令長官になることもなかったし、
日露戦争時の海軍もなかった。

加藤雄三郎
日本海海戦時の参謀長。
さらに、ワシントン軍縮会議の全権。
その見識の高さで軍縮会議をまとめて、英米の将官に
「彼こそNO1の海軍帝国である」
といわしめた。

あと家康はちゃうだろ。
家康はいるなら、信玄もいれるべきだし。
秀吉は文句なし、家康に負けたというけど、秀吉の本隊はびくともしてない。
前線部隊がやられただけ。

758世界@名無史さん:02/05/04 11:54
>>757
信長は?
759梵阿弥:02/05/06 19:06
藤原 隆家:1019年の「刀尹の入寇」を太宰権帥として撃退。しかし太宰権帥赴任自体が兄の伊周と
 共に政敵の道長による左遷であった為に、中央政界からは評価されなかった。剛毅な性格で逸話は
 多く、軟弱な兄伊周とは対照的。しかしその性格が左遷の元となる事件を起こした(濡れ衣の
 可能性も指摘されている)かも知れぬ。ちなみに刀尹はツングース系で操船に巧みだった。
760世界@名無史さん:02/05/07 17:47
>>758
信長は、入れるべき。
秀吉・家康は外れるね。
761世界@名無史さん :02/05/07 21:03
古代中国代表(紀元前)だけでもかなりの候補がいる
1.孫武
2.伍子ショ
3.ハンレイ(越の軍師)
4.孫ピン
5.呉起
6.楽毅
7.田単
8.白起
9.信陵君
10.項羽
11.韓信
12.張良
13.衛青
14.霍去病
15.李広

時代が古すぎてハッキリしない、太公望呂尚とかはカットね。
あと上のメンバーでオイラが推薦するのは、この3人
呉起(あらゆる状況の戦績ながら無敗)
韓信(要害の関中を平定した実績など)
項羽(一騎打ちなどのガチンコ対決なら最強)






762【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋:02/05/07 21:06
好き嫌いは別としてトロツキーと毛沢東とチトー
763世界@名無史さん:02/05/08 21:00
いや、信長と秀吉だろ。家康はいらない。
764世界@名無史さん:02/05/08 23:33
>>763
信玄・謙信も入れてほしいよ。
765世界@名無史さん:02/05/09 12:56
信玄・謙信・信長・秀吉で決定!
766世界@名無史さん:02/05/09 22:09
元就と北条早雲は?
謙信は生涯で能登しかうばってないけど、元就と早雲はすごいぞ。
767世界@名無史さん:02/05/09 23:02
アレクセイ・ブルシロフ(帝政ロシア末期及びソ連の名将)

間違い無く、第一次大戦における最も優秀な指揮官。
機関銃によって防御された塹壕を突破するために独創的な「浸透戦術」を編み出す。
彼が指揮した「ブルシロフ攻勢」はオーストリア帝国に止めを刺したとも言われる。
768767:02/05/09 23:03
ゴメン下げちゃった。age
769世界@名無史さん:02/05/10 19:38
元就・義元・氏康・信玄・謙信・信長・秀吉で決定!
770世界@名無史さん:02/05/11 23:48
なぜに義元が?
いや、それなりの名将であるとは思っているが、あげるほどのものではないだろう。
義元いれるなら、真田三代とか武田二四将とか・・・
771世界@名無史さん:02/05/11 23:57
こちらのスレについても、よろしくお願いします。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/whis/1019912519/l50
772世界@名無史さん:02/05/13 22:37
ウエリントン(英国軍人、政治家)

ナポレオンにとどめをさした。
773名無し一兵卒:02/05/13 23:26
ラデツキー将軍(オーストリア軍人)

マカロニ野郎の鼻を明かした。
774世界@名無史さん:02/05/29 21:06
age
775世界@名無史さん:02/06/08 09:47
>>750
李舜臣は日本軍の軍船とはろくに戦わずに
主に補給用の船をたたくことに集中したらしいね。
通商破壊のはしりか。しかし日本て戦闘は強いがとにかく
補給の思想がねえ国だな。
776世界@名無史さん:02/06/15 05:17
項羽は戦闘には強いけど戦争がド下手。
777世界@名無史さん:02/06/15 05:53
>>775
戦闘を避けたケースは秀吉軍の方が多く、
李舜臣が何度も挑発しても滅多な事では港から出れなかった。
それというのも秀吉は水軍を嫌い、水上の戦いには全く理解が無く、
艦隊運用が重要な水軍を個別の大名に供出させ、各大名の指揮に委ねたため、
各大名は持ち出しで無け無しの船を被害に曝す事を避けたため。
伝統ある伊予の河野水軍のように、積極的に戦いを挑んだ大名もあったけれども、
140隻も付いていながら、14隻の李舜臣水軍に敗北している。
それというのも河野水軍が5隻にも満たない船で戦っている間、
他の130隻以上の水軍は、遠巻きに眺めて手を出さなかったから。
河野水軍の指揮系統下に、他大名の水軍を絶対服従させていれば、
李舜臣といえども勝てなかったと思われる。
778世界@名無史さん:02/06/15 06:00
李舜臣は補給船を徹底的に叩いただけではなく、
正々堂々の艦隊決戦を挑んでも度々勝利を得ており、
水上戦における、その優秀さは否定出来ない。
779世界@名無史さん:02/06/15 10:35
ポントス王ミトリダテス6世エウパトル

ローマの小アジア支配に激しく抵抗し、
何回敗れても再起して、30年にわたる
ミトリダテス戦争を戦った。
一時的には小アジア全域に加え、ギリシャを支配。
小アジアを追われてからもクリミアを支配し
捲土重来を期していたが、反乱のため自殺した。
780世界@名無史さん:02/07/09 22:49
ベリサリオス!
これで3票目かな?
781世界@名無史さん:02/07/11 01:42
マクベス
782世界@名無史さん:02/07/11 01:55
マンネヘルムは冬戦争より継続戦争の方を評価したいね。
1944年のソ連軍は39年のヘボ軍隊じゃない。友軍のドイツ軍の
おかげで戦線を持ち堪えながら、ソ連と単独講和する手腕は
素晴らしい。
783世界@名無史さん:02/07/13 15:22
硫黄島指揮官、栗林忠道中将。
のべ25万人の敵を二万数千人、3分の1以下の火力、補給無し
の状態で、日本兵の数以上に敵の死傷者を出したのはマジで
凄いぞ。日本軍は56ばっかりあがってるから、陸軍から出してみた
784世界@名無史さん:02/07/13 15:29
ポル・ポト
785世界@名無史さん:02/07/13 17:31
j
786世界@名無史さん:02/07/13 17:31
v
787世界@名無史さん:02/07/29 21:02
age
788世界@名無史さん:02/07/29 21:19
「敵の強きを避け、弱きを撃つ。」
という原則からすれば名将対名将というシーンは
少なくなるのでは?
(ハンニバル対スキピオぐらい?)
789世界@名無史さん:02/07/30 16:19
>>788
項羽vs韓信、ティムールvsバヤジット1世、グスタフ・アドルフvsワレンシュタイン、
カール12世vsピョートル1世、ナポレオンvsクトゥーゾフあたりかな。
790世界@名無史さん:02/09/02 19:25
マンシュタイン
791世界@名無史さん:02/09/02 19:30
  9月2日は全AA人気トーナメントだ!
 「 コ リ ン ズ 」票を入れること、忘れるなよ〜
現在の投票所→ http://live.2ch.net/test/read.cgi/vote/1030807438/l50
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792世界@名無史さん:02/09/02 19:59
ティムールVS永楽帝も見たかったなあ。
793梵阿弥
1954年の第5回フットボール世界杯で優勝したドイツ連邦共和国(西ドイツ)代表の
ゼップ・ヘルベルガー監督。