1 :
張良:
最近三国志のスレッド乱立がおおいので、
サーバーへの負担をかるくしてマターリいきませう。
三国志そんなに詳しくないんですけど、
出師の表って、どんな事が書いてあるのか
誰か簡単にでいいので教えてください。
劉備って誰
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/05(月) 13:47
???なんも知らなんのか?
>>4 3は低レベル幼稚園児並の知能だが、精一杯煽ってるつもりなんだよ。
わかってやれよ。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/05(月) 15:37
「サーバーへの負担を軽くしよう」と言いつつ
既存スレを再び立ててサーバーへ負担掛けてしまった
>>1に乾杯♪
1=7ってことで乾杯♪
三国志って太公望が出てくるんだろ?
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/05(月) 22:14
11 :
1:2001/03/06(火) 00:52
>>allスマソ
このスレは放置してくれてよかです。
なんなら、ほんとにしょーもない質問
とかに使ってもらってもよかです。ではでは
12 :
しょ〜もない質問:2001/03/07(水) 02:22
ここの板の人間はみな、孔明をけなすよな。
孔明は軍事できないって事を言っては、
自分がさも頭いいようなしゃべりをする。
そして、孔明をほめる人間がいると、
あげあしとりばかりして、正史とかすぐもちだす。
昔はこんな板じゃなかったんだがなぁ。
なんでこうなったんかな?
オススメにいた頃がとくにうざかった。
そのバカ共のせいで、降格だ。
いいじゃんよ。演義だろうが。
一番読まれてるものだろ。
お前らも、そう思ってたくせに、ここにきて
孔明の話に目を通すうちに、くさったウンチク
たれらすようになりさがりやがって。
誰もそんな話聞いて、すげーとは思わないぞ別に。
演義や吉川の孔明がすげー!
知力100だなコリャ。
そして、なにより国を思う事と先帝を思う
気持ちはだれにも負けないんだよ。
これで十分かまわんだろ。
なんでお前らみんながそうなのか知りたいね。
アンチで坊やだからさ。
三国志ってホモ小説なんでしょ
つまらない奴だな12は
>そして、なにより国を思う事と先帝を思う気持ちはだれにも負けないんだよ。
これで十分かまわんだろ。
お前それで終わりか?じゃあここで何を話すんだ?
薄っぺらいやつだな。
16 :
caviar:2001/03/07(水) 03:58
K栄の書籍群がそうだったのさ。爆笑なんたらシリーズ。
スタンスは一貫していて、曹操オタクが演義や諸葛亮を正史という観点
からただ罵倒するだけ。K栄隆盛の頃だからK栄支持者はあのスタンス
が正しいと盲信したが、あれ見て随分不愉快になった。
中国でも三国志と言ったら演義。普通の人は正史(三国志)なんて知らんよ。
吉川しか知らない素人の俺が言うのもなんだけど
諸葛亮に関しては過大評価気味だったから
バランスとれていいんじゃないの?
叩きすぎて無能扱いするのは変だと思うけどね
弱小新興勢力の蜀で内政を統括し
まがりなりにも魏と戦えるだけの戦力を整えたんだし
むしろ、陳寿が諸葛亮を「臨機応変の軍略は不得手だった」としか
評価してないように思ってる(?)人が気になる・・・。
管仲・蕭何と並べるなんて、最大級の賛辞を贈っているのに。
ついでに、諸葛亮が勝てなかったのは、管仲に王子城父・蕭何に韓信
というような名将がいなかったせいで、諸葛亮のせいには出来ないと
弁護だってしているのにね。
19 :
12:2001/03/08(木) 01:29
sage率が多いが、なんだかんだ言って
まともな人が多くて安心した。
ここの板が狂ったみたいな言い方は訂正しよう。
15みたいな電波が揚げ足とりで、
ひたすら噛みつくだけかと思ってたから。
しっかりと客観視できる人間もいるみたいだから、
申し訳なかった。
愚痴にかえってくるレスなんてそんなもんだろうに。
12っていったい…
21 :
馬謖:2001/03/09(金) 14:14
とゆうわけでageとこ
22 :
証言拒否@訴追の恐れがありますので:2001/03/09(金) 14:32
中国史上で比べてみると、小物だけどね>亮
地方政権の宰相。やっぱり、過大評価だと思うが。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 12:57
>23
んなこたぁない
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 16:03
山口県に三国志城というのがあります。はるばる行ってみたのですが
孔明のことばかりでした。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/10(土) 16:27
26 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/12(月) 01:26
えっと、話題をふるけど、
曹操というか、魏の政治って、
民に税金ふんだくりの悪い政治だったんでしょうか?
(三国志、そんな詳しくないんですけど)
そもそも、劉備や張飛って、黄巾賊や董卓の
時代だと民が平和に暮らせないから、
立ったわけですよね?
曹操もそれで都を手にいれて、民にとっては
別に、特別よくないが悪くは決してないんじゃ
ないでしょうか?
劉備的には、朝廷をかさに好きかってやってる
曹操はゆるせんというのはわかるが、
そんなのは曹操の傘下に入り、
中から治していくのもありだと思う。
ほんとに民が望んでたのは、戦争のない国だと思う。
みなさんどうでしょうか?
「食」を奪うために兵士になって、食うために戦争してる流民兵が
多かったのは劉邦の時代までだっけ?
けっこう低レベルな戦さが多かったように想像するのはイケナイ?
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 01:15
>>22 私も実はそう思う。十分偉大なのはわかってるけど、蕭何や管仲と
比べるのはどうか・・・
>>26 全くその通りですが、劉備は人の下でおとなしくしていられるような
人物ではなかったようです。
>>27 イケナクはないでしょう。
曹操と呂布が戦っていた時には、天災が重なって、両軍食えずに兵を
引いたなんて場面もありますし・・・。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 02:18
タラレバスレうぜええ
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/13(火) 17:02
朱然の墓どこで見つかってどうなった?
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 02:13
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 03:00
「ガォー!」スレは何処行ったのですか?
33 :
替歌入道:2001/03/14(水) 18:39
34 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/14(水) 19:40
>>33 向こう岸が見えない川なんだからさぁ。
それに、中原で精強を誇る騎馬隊が有効に使えない。
沼沢地も多いし。
あの蒙古が南宋を滅ぼすのに30年もかかったし、晋や宋が南へ逃げて
命脈を保ったのも長江の天嶮のおかげ。
気候、風土、戦の手法など一変するからね。
ちなみに、長江を北から南へ渡って南の国を始めて制したのは宋(北宋)
それまでは、四川の地を得てから、長江を東へと下っていって滅ぼすしかなかった。
35 :
33:2001/03/15(木) 00:40
>>34殿
>ちなみに、長江を北から南へ渡って南の国を始めて制したのは宋(北宋)
>それまでは、四川の地を得てから、長江を東へと下っていって滅ぼすしかなかった。
なるほど。
そう言われると得心がいきます。ありがとうございました!
>>33 呉は魏とわりと派手にドンパチやってたって話だよ。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 06:48
>24
ど、、どこにあるの?
山口にすんでるが名前すら聞いたことなし、、
38 :
37:2001/03/15(木) 06:50
ごめん、あげてしまった、、
39 :
というか:2001/03/15(木) 07:17
天下統一戦での本命は魏。
対抗が呉で曹操と孫権の対決がメインだろ。
劉備はほんと曹操とまともに対決していないじゃん!!
40 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 19:51
昔、国語の教科書に載っていたので
秋の夜長に読書(三国志)してたら孔明さんが死んじゃったよ
みたいな俳句だか短歌だかがあったと思うのですが、
しっている方、教えてくださいませ。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/15(木) 20:21
>26
まず魏が暴政だったとは思われません、、、最初黄巾賊が暴れていた頃、中原の人々は長江以南つまり呉のあたりに逃げてきます。孔明の家族もこの時、荊州に来ます。瑾がこの時に仕官していくんですけど。その後、中原が曹操の統一に近づいていくと人々は北へ帰り始めます。これが呉の人口不足の原因のひとつです。26が言ったように人々は平和を求めて移動します。また食糧不足の解決に曹操は流民を使います。民屯です。これもさまよった人々を助けるのに有効だったんです。土地を与えて高額の年貢を取る。これで流民は食べられるようになり曹操は年貢で食糧を確保。このように魏の政治は比較的良かったと思います。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/16(金) 09:43
age
43 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/16(金) 20:32
当時三国を争った中国って、だいたい現在の上海より上ですよね。
現在の香港周辺は何だったのだろう。
>>43 交州は豪族の士一族が権力を握ってました。
彼らは身の安泰のために形式的に孫権の配下になったけど、
一族の長である士燮が死んだ後、滅ぼされて正式に呉の支配下になりました。
南方の交易が盛んだったそうだけど、総合的にはかなり未発達というか、
中華とはかけ離れた地域だったんじゃないでしょうかね。
香港周辺は、たぶん近代までぱっとしない漁港だったと思う。
45 :
26:2001/03/17(土) 00:31
>>28 >>33 >>41 なるほど。
勉強になりました。
という事は、劉備は善人面して民の為とか
言ってるけど、実際はいたずらに血を流した
というわけになりますな。
(結果論だけど)
しかも、最終的に皇帝を名乗るんですよね?
という事は、地位や名誉をうまく使って
自分をかわいく見せ、最終的にいいとこ取り。
という人間ですか。。。
次から光栄の三国志、ちと劉備つかう気
うせてきたな。
ショク派だったけど、ちとこれが
ひっかかってたもんで。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/19(月) 14:12
>>まったくその通りですな
48 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/28(水) 15:30
なんで関羽は電波野郎になっちゃったの?
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/28(水) 16:28
同じ南蛮の武将ですが、
孟獲とボクロク大王は同一人物ですか?
51 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/28(水) 17:55
>>50 ちゃうよ。
孟獲は諸葛亮の南征で雍ガイや高定が滅ぼされても抵抗を続けたヤツ。
何回捕虜になってもこりずに諸葛亮に挑戦、「七縦七擒」の故事となった。
木鹿大王はその孟獲が援軍として頼ったヤツ。
八納洞の主とかで、元は孟獲のライバル。
象とか猛獣とか使ったキテレツな軍団で諸葛亮に挑んだ。
諸葛亮は火を吹き出すもっとキテレツなからくりでこれを撃破、木鹿大王は戦死した。
オーケー?
52 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/03/28(水) 22:51
ホーケー
馬良って何?
理解。
演義の「轅門射戟」の百五十歩って、何メートルぐらいですか?
56 :
列伝編者@三国志編:2001/04/02(月) 12:13
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/02(月) 23:32
58 :
55:2001/04/03(火) 02:53
59 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/04(水) 02:16
スケート選手のミッシェル・クワンって、関さんか?
60 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/04/04(水) 02:22
中国の一里って、何キロ?
61 :
院生:2001/04/04(水) 17:23
時代によって違う。
中型漢和辞典の巻末などに出てることがあるので、一読
あれ。でも、辞典によって違う(笑)。古代度量衡につ
いて、いろいろ議論があるため。
中国一里
なかくに かずさと (1877-1935)
大正・昭和にかけて大陸(当時の満州国)で活躍した陰陽師。
東京の完全破壊を企む魔人、加藤保憲の、東京の大地の霊脈<竜>を駆り立て、
怨霊を喚び醒ます計画に加担、大連で策動するも、誰にもその努力を認められず終わった。
今に至るまで彼の実在と行動を実証する史料は発見されていない。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 18:15
age
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 18:21
この人達の最後が知りたいんですけど。
張良 韓信 劉邦 (三国志じゃないけど)
キョウ維 孫権 劉禅 夏候惇 馬岱
知ってるのあったらお願いします。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 18:32
>>64 最後はみんな死んだと思う……。
違ったかな?
>>65 そりゃ死んだだろうな、生きてたらすげーよ(w
つか、笑わせんな!腹イテー(w
67 :
64:2001/05/17(木) 18:50
>>65 >違ったかな?
の間合いがうまい!
ってこっちもそういうつっこみしてる
場合じゃないですな。
わかってると思うけど死因です。
>>64 韓信については項羽と劉邦スレに書いてなかったっけ。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 23:01
姜維
キョウイ、字は白約、天水の人。
ショウエン、ヒイらの後を受けて蜀の軍権を握る。
263年秋、魏のトウガイ&ショウカイらの攻撃を受け、
剣閣で抵抗していたが、同年冬、後主リュウゼンは降服、
彼の命を受けてキョウイも降服した。
トウガイを更迭させたショウカイの野心に付け込んで蜀
再興の謀略を図るも失敗。
蜀滅亡の翌年正月、ショウカイへの反クーデターで成都
は混乱、ショウカイを唆したキョウイも乱戦で兵士に殺
害され、遺体は切り刻まれた。
合掌。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 23:02
孫権
ソンケン、字は仲謀。呉の大帝。
赤壁の戦いでシュウユを使わしてソウソウを破り、
夷陵の戦いでリクソンを用いてリュウビに勝利した。
晩年、生来の疑り深さがつのって様々な問題と混乱の種
を蒔きつつ273年夏、諸葛恪を太傅に任じて後事を託し、
病困じてその生を終える。
黙祷。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 23:02
劉禅
リュウゼン、字は公嗣。後主。
ショカツリョウ、ショウエン、ヒイらに全権を委任し、
数十年もの間、蜀を統治したが、宦官コウコウを寵愛し
て国を傾け、魏に攻め込まれ、降服。亡国の主となった。
洛陽でマターリと楽しく日々を過ごし、271年、洛陽でその
マターリ人生を閉じた。
マターリ。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 23:03
夏候惇
カコウトン、字は元譲、沛国の人。
ソウソウの股肱、魏の元勲の一人として魏王朝下、重き
をなす。カンウが襄陽を破りかけた時、寿春からソウソウ
に呼び戻され、一緒の車に乗ってマターリ過ごす。
ソウソウが死去し、息子ソウヒが魏王を嗣いで数カ月後、
ソウソウの後を追うように死去した。
白雉ナク。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/17(木) 23:04
馬岱
バタイ、字は不明、馬超の従弟。
平北将軍、陳倉侯となり、死去。三国志での記述はこれ
だけ。寧ろ西方に於て有名。
イスラエルに於てイエスの12弟子の一人となり、後に
四福音書の一つを手掛ける。
アーメン
74 :
李白:2001/05/17(木) 23:07
そのオチはわしの目をもってしても見え無かったわ
75 :
70:2001/05/18(金) 00:01
誤:273年夏
正:252年夏
76 :
64:2001/05/18(金) 11:14
>>69〜73
親切にどうもです。
よくわかりました。博学ですな。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/21(月) 14:35
ためになるスレだ。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/22(火) 10:08
ageとけ
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/22(火) 10:54
連環の計ってなんですか?
董卓-ちょうせん-呂布のアレだっていう人もいれば
赤壁のナニだっていうひともいるのでよくわからないのですが。
80 :
うっほ:2001/05/22(火) 12:07
ちょうせんを縛ってエヘエヘの計だ
兵法書『孫子』に見える「奇正の変はあげて窮むべからざるなり。奇正の相生ずること、循環の端なきがごとし、孰か能くこれを窮めん。」(勢編)から出たもので、本来は奇策が次々と繰り出されるありさま
82 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/22(火) 18:47
>>81 ありがとございます。
「三国志においては」どの事象を指すのでしょう?
>>79 演義においてはどっちも「連環の計」。
貂蝉のほうは、なにが「連環」なのかよくわからんのだが「呂布と董卓を
貂蝉という女性を間に挟んで混乱させる様のこと」とか「王允がこの計を
行うとき、貂蝉に連環(とよばれる装飾品)を渡したから」とかいう説あり。
赤壁のやつは船と船とを鉄の鎖で「連環」させて、延焼しやすくする計。
ちなみに「兵法三十六計」によると、「連環計」とは敵に足の引っ張り合いを
させる計略のことらしい。その意味では貂蝉の計のほうが合ってる?
84 :
82:2001/05/22(火) 20:14
両方がそうだったとは・・・
と言うか「桃園の誓い」のような固有名詞的事象ではなく
一般名詞に近いものだったのですね。
ありがとござーました。
郭淮って強いんですか?
86 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/22(火) 21:01
87 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/23(水) 20:03
横山三国志の後の歴史をしりたい。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/05/23(水) 20:54
陳舜臣の小説十八史略がいいですよ。
司馬一族の魏王朝簒奪が詳しく描かれています。
司馬炎は後宮一万人らしいです。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/06/06(水) 10:29
ひさびさに見つけて来てみたけど。なんか、閑散としてるね。
呂布は貂蝉の口に強引に手を突っ込むと両方に引っ張った。端整な貂蝉の顔が醜くゆがむ。
「うげええっ!!」
ひき潰されたケモノのような声を出し、貂蝉がうめいた。
頬をとめどなく涙が流れた。しかし、その涙も次々にぶちまけられる大便に覆い尽くされていく。
べちょおおぉっ!!
「うぶうううっ!?もがっ!ほげえええっ!!」
だが、呂布はそのまま貂蝉の顔を大きく肛門を開いた董卓の肉尻の間に押さえつけた。たちまち貂蝉の口の中に排泄器官から直送された生ぬるい泥便が大量に流し込まれる。
「おげええっ!げえぅうぇぇえっ!おもおっ!んごっ!んぐうっ!うぐっ!うぷぷっ!んぐううっ!んぐっ、んぐっ、んごおおぉっ、んぐぐううっ!!」
舌の上を走り抜け、喉の奥に直接ぶつかり、食道へ流れ落ちてくる腐食した下痢便。それは不味いなどというものを超越した不可解な味。少なくとも貂蝉の味覚はそれを判別することが出来なかった。
「おおおううっ!貂蝉がっ!おれの、おれのウンチ汁を飲んでらああぁっ!おおうっ!し、幸せだあっ!ウンコ飲めえっ!もっと、ゴクゴク飲めっ!!お腹いっぱいおれのウンコで、柔らかいウンコでたっぷり埋め尽くしてやるからよっ!噛めえっ!啜えぇっ!唾液で、胃液で、腸液でおれのウンコを溶かせぇっ!おおおうっ!いまっ!今貂蝉のお腹の中でいれのウンコが消化されてらあっ!貂蝉のウンコはおれのウンコで出来てるんだぁっ!!貂蝉のお口便器最高うぅっ!最高の生便器だぜえぇぇえっ!!」
プツン
貂蝉の中でキリキリと引き絞られていた一本の線が小さな音を立てて切れた。
(のんでる・・・あああぁぁ・・・なんだっけ、これ・・・ウンコ・・ウンコ・・ウンコって・・何だっけ・・・便器・・・あたし・・・そんな・・名前だっけ・・・ウンコか・・・これ・・・飲めばいいんだっけ・・・食べればいいの?ウンコ?ウンコ?なあんだ・・あたし、ウンコ食べてるんだ・・・)
ぐびっ!ごぼぼぉぉぉっ!ぐぶうっ!ごぶっ、ごぶっぐびっ!ごくんっ、ごくっ!ごくっ!ぐちゅ、ぬりゅううっ!ぢゅるぢゅるぢゅるううぅっ!!
大量に流れ出す大便は余すことなく貂蝉の口腔を犯しぬく。排泄物に犯されているのは口だけではない。鼻の奥まで流れ込んだ泥便は、鼻水と交じり合いながら貂蝉の鼻腔から絶え間なく流れ出し、頬を伝って首筋に伝い落ちていく。
「貂蝉。解かるか?そろそろ董卓が糞をひりだしながらイクぜ。貂蝉を自分の便器にしたことでかなり頭がヤラレちまってるみたいだからなぁ。ククク・・・ほおら、腹の中が汁便でいっぱいになるまで飲めよ。残したらその糞まみれの恰好のまま長安の街中に放り込んでやるからな。」
「うううううっ!ウンコでイクうっ!貂蝉の唇がウンチまみれの肛門をヌリュヌリュ舐めてらあっ、吸ってらああぁっ!おれのウンチジュースを貂蝉が、貂蝉が赤ちゃんみたいにチュウチュウ吸ってらああぁぁっ!貂蝉の変態っ!ヘンタイいいいィッ!うんこ出るぜぇっ!おれのウンコ、貂蝉の口便器に、ウンコ袋にぃぃっ!!貂蝉の変態便器いぃっ!!おはああああっ!ダメだあっ!生グソ便器にウンコこーもん、ビラビラのこーもんのお肉舐められていっちまうぅっ!いっちまうううっっ!!あひゃああははああああああっ!!」
びちゅぶうううっ!!ぶびっ!!ぷふうううーーーっ、ぶひっ!ぼぶっ、にゅるにゅるにゅるにゅる・・・・
「ぐ・・・・えぇぇ・・・・おごっ・・んぶっ・・ん・・んごっ・・・んごっ・・・おふっ・・・・」
グチョ・・ブチュ・・・ヂュル・ズビッ・ゴクン・・ゴクン・・・グチュゥ・・ニチャ・・ニチュウゥ・・・
貂蝉の耳には呂布の低い声も絶頂を迎えた董卓の嬌声も届いてはいなかった。聞こえるのはただ自分の口と鼻の中を暴れまわり、果てしなく喉の奥に流し込まれる大便の音だけだった。
【最後の挨拶】 (板が丁度半年を迎えるこの日に)
三国志戦国時代板も早いもので、本日で丁度、半年になりました。
思えば掲示板設置当日より「無名武将」を名乗り、
はたまたこの掲示板の名無しを作るスレで勝手ながら主導権を握り、
以後、折を見ては各地のスレにひょこひょこと顔を出させて頂きました。
(そう言えば、名無しを決めるスレで1日目から偽者が出ましたな)
この板では「回覧種人」は引退させて頂きますが、
ここで出会った皆さんとの交流が絶える事はないでしょうし、
特に個人的な縁を持てなかった方々のご活躍も以後は野望100で
こっそりと応援させて頂こうと思います。
まあ、匿名掲示板で一つ固定を捨てるだけなのに、
大層な挨拶をする必要もないのでしょうが、
丁度、本日がこの板の半年目にあたると言う事で御挨拶させて頂きました。
最後になりましたが、この板の益々のご清祥をお祈り申し上げます。
平成壱拾参年 七月参日 回覧種人(野望100)
[email protected]
93 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/07/12(木) 12:38
ゲームの三国志7なんですけど、
新規武将登録で、張良とか韓信って名前入れるととチャキーンって
音がして、すごく強い武将つくれますよねえ。
他に強い武将、後何つくれます?
項羽や劉邦だとつくれないし、誰か簡単にでいいので
教えてくだされ。
94 :
代県猟師:2001/07/12(木) 13:21
大サービスじゃ。
項籍(項羽の本名)、韓 信 、張 良 、蕭 何、范 増 、虞 美人 、孫 武
甄 夫人、芙蓉 姫
卑 弥呼 、聖徳 太子、源 義経、弁 慶 、宮本 武蔵 、木下 猿吉
呼延 灼、呉 用、李 逵、李 広、呂 尚 、成吉 思汗、姫 旦 、凌 振
羅 真人 、羅 貫中、安 道全
三國 無双、コー エー 、雑 兵
さて、狩りにでも行ってこよう。
95 :
93:2001/07/12(木) 13:29
>>94 おお!ありがとうございます!
しかし高祖こと劉邦がないとは。。。
確かに数値は別に高そうじゃないし、意味ないのかな。
とにかくどうもでした。
96 :
代県猟師:2001/07/12(木) 13:32
孫武はええぞ。頭良いし、武力は高い。
それと、義経は聖痕をデフォルトで持っておったな。
水軍も持っておる。
ロデムが欲しい!
ロプロスとポセイドンは要らない。
「ロデム、今日は上村 澄子ちゃんに変身しろ」
「はい、ご主人様」
「うん、いいぞ。こっちへ来い」
「はい。あ、何をなさいます」
「何って? ナニに決まっておろうが。ほうれほれ」
「あっ、いけません、あ・・・」
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/07/12(木) 22:51
99 :
無職:2001/07/13(金) 00:56
一番好きな武将は王平。なんかしぶい。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/07/13(金) 01:01
100番ゲット。
自治スレが出来たのでそっちも見てください。
お願いします。
バナーを本来の物から変えたのは俺だ!
妨害工作をしたのも俺だ!
今のバナーになったのも俺の功績!
審査当日、ツールで自動的に連続アクセスしまくって動画バナーをわざと重くしたのも俺。
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下手クソな絵でいきがってるからだ。
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103 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/07/19(木) 07:31
建安の七子 竹林の七賢 江夏の八俊
全部わかる人いる?
>>103 建安七子
王粲、孔融、陳琳、徐幹、阮[王禹]、応[王昜]、劉[木貞]
竹林七賢
ケイ康、阮籍、山トウ、向秀、阮咸、王戎、劉伶
江夏八俊
劉表、陳翔、范滂、孔イク、范康、檀敷、張倹、岑[日至]
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/07/19(木) 22:11
>>105 んにゃ、覚えられん。
でもこの程度なら、GoogleなりKensaku.orgなりでかければヒットするから
わかるにはわかる。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/05(日) 17:36
ちくま学芸文庫「正史三国志」以外に
正史三国志に関する書籍知ってればぜひ教えてもらえませんか?
資料系でもいいんで。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/07(火) 23:45
PS2版三國志7で「新武将」→「新勢力」でスタートした時
他に作成した「新武将」は何人まで配下に出来るんでしょう?
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/08(水) 00:26
110 :
院生:2001/08/08(水) 01:38
>107
中林史朗・渡邉義浩『三国志研究要覧』新人物往来社
あ、でも絶版(爆)。
史実では、赤壁ではほとんどシュウユの水軍による勝利らしいですがリュウビ軍はなにもやっていないのですか?
孔明の矢の話や東南風の話は演義の創作なのは知っているのですが、ソウソウがカンウに見のがされたのもやっぱ創作ですか?
112 :
:2001/08/10(金) 17:52
113 :
サム:2001/08/10(金) 17:58
どうして、法正が居たら劉備を止めれたの?
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/10(金) 19:10
法正さんは蜀の人なので、自分の故郷を守るためなら、
王累のごとく逆さ吊になってても、命を賭して劉備を
説得するだろうから、という話らしい。
あれ
117 :
:2001/08/12(日) 19:21
ソウヒは暴君でろくな奴じゃないので評価できないと聞きましたが本当ですか?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/12(日) 20:26
孫権は暴君と言われていますが・・・
119 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/13(月) 19:45
>>79-84
三国志(正史)での連環の計は、曹操vs馬超の時にカクが馬超と韓遂の間を裂いた
計略の事をいうのが最適。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/13(月) 21:33
121 :
無名武将@下痢:2001/08/14(火) 02:58
>113-114
・・・「章武二年、大軍敗績、還住白帝。亮嘆曰、、法孝直若在・・・」の項ですね。
孔明の構想は東の孫権と協力して魏を討つことでしたから、この呉遠征にはなんらかの
諌言をしたはずです。あるいは、挙兵以来辛苦をともにしてきた義兄弟を殺され、
そして張飛を暗殺した張本人をかくまった呉に対し、国王としての立場を省みず出兵せんとする
劉備をこれ以上制止できなかったのでしょう。
敗戦時、孔明は成都にいてこの知らせを聞いたとされています。この記述を信用すれば、
劉備は蜀における軍事行動についてはすくなくとも法正を重用したと言うことでしょう。この前の漢中
侵攻の時も劉備は孔明でなく法正を連れていっています。
実際に元来読書人の孔明が軍事行動に長たるのは南蛮平定が最初ですから、
発言力は法正のほうが上だったかも知れません。
また法正は蜀漢建国の裏の立役者ですから、劉備の信頼も厚かったと正史に記述があります。
こんなところでしょうか?
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:02
馬超は殺されたのですか?
123 :
無名武将@下痢:2001/08/14(火) 03:09
222年、47歳にて天寿を全うしています。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:10
>>121 そうすると、新野にいたころの軍師は、誰になるのですか?
やはり徐庶ですか。
またホウトウが孔明より軍事才能があったから蜀に連れて行ったのですか?
125 :
無名武将@下痢:2001/08/14(火) 03:30
>124
孔明の職位は間違いなく「軍師中郎将」でしたが実際の孔明の活動の中心は
軍事の指揮というよりはむしろ外交交渉と内政の画策にありましたよね。
蜀への遠征については、軍事能力というよりは荊州(呉勢力)へのにらみという点で
ホウトウより孔明のネームバリューを利用したのでしょう。呉には当時ホウトウの名前を
知るものは魯粛くらいだったと記憶しています。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:34
>>125 で、実際では、いわゆる軍師はだれになるのですか?
(特に新野時代では)
127 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:41
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:45
>>127 でも、そうすると何故曹操は重用しなかったかな。
単に序庶のやる気の問題だけとは思えん。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:45
>>124 実際、専門家の話では
孔明は、政治
ホウトウは、謀略の方が秀でていたっていう説がある。
実際、孔明は政治的に色々発明してたしね。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:52
俺は吉川の三国志は読んだことないのだけど、そんないいの?
俺が読んだのは、徳間文庫の羅貫中作・立間祥介訳三国志演義というやつ。
人形劇三国志のキャラがカバーのやつなんだけど。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 03:52
>>128 劉備との付き合いから、戦わせるとためらうのでは?と、考えて政治にまわした
という説と、彼以上の軍略家が魏にはいたと、2つの説に分かれている
132 :
無名武将@下痢:2001/08/14(火) 04:03
>129 陳寿の評価では「経学と策謀にすぐれる」となります。
孔明に対する「臨機応変の軍略は不得手だったのでは」という評価は、
彼(陳寿)の立場的な問題からそう表記せざるをえなかったのでしょう。
>130 吉川三国志と横山三国志(マンガ)は原作が「三国志演義」です。
正史とは相当の違いがあるので、一緒くたにしてしまうと論点がずれますよ。
ちなみに立間祥介は井波律子と並ぶ三国志研究の権威です。
>>114 法正は司隷の人ですが・・・
>>125 ほう統は呉で友人も多く、人物鑑定で相当名高たかったですが・・・
134 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 04:08
>>132 その可能性もあるが、彼(孔明)はリスクの伴う闘いがあまりにも下手だった
あと、人間の扱いも。
俺個人は、ホウトウの方が謀略に優れていたからだと思うけどね。(蜀平定)
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 04:10
>>133 荊州と呉で有名だったらしいね。(ほうとう)
ほう徳公っていう荊州の名士の親戚だったらしいしね。
136 :
無名武将@下痢:2001/08/14(火) 04:18
>133
>ほう統は呉で友人も多く、人物鑑定で相当名高たかったですが・・・
その通りです。スイマセンでした。いいかげんな記憶で書いたらあかんわな。
>134
>彼(孔明)はリスクの伴う闘いがあまりにも下手だった。あと、人間の扱いも。
これには賛成ですね。人の扱い方、と言うよりは見る目がなかったというほうが、
より的をえていると思います。街亭の馬しょくとか。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 05:49
ちなみに、このスレではまだここまではいってないだろうけど、
正史をかじったばっかりの人の意見で、蜀では軍略は孔明ではなくて法正が
握っていたとか、荊州に関羽を配置したのは孔明のミスとかよく見るけど、
蜀は劉備のほぼ独裁で、法正や孔明にそれほどの権限はないです。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 05:54
>>128 徐庶は
・単家の出で何の後ろ盾もない。
・劉備の陣営にいたのでマークされた。
・魏は人材が豊富。
ここらが原因と考えられる。。けど、そのわりに結構出世してると思うが。
139 :
無名武将@お腹せっぷく :2001/08/14(火) 13:04
>137
そうやってすぐ知ったかぶりをする。
劉備の独裁といっても進言をしてるのは法正や孔明でしょうが。
臣下に権限があるなんて誰もいってないじゃないか。バカかおまえ
140 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 13:31
>>139 いや、結構いってるやつ多いとおれは思うが
ってか、正史をかじったばかりの奴どころか研究者や本をだしてるような奴らでもそんな主張してるぞ
馬氏五常、白眉秀逸 って有るんですけど、馬良と馬謖以外の3人ってどこでなにしてたんでしょう?
142 :
:2001/08/14(火) 13:40
何してたかは知らないけど馬5兄弟の字にはみんな常の文字が入ってんだよね
>>142 馬○伯常 馬○仲常 馬○叔常 馬良季常 馬謖幼常だったらしい。っていうのは聞いたこと有るんですけど・・上の3人の名前とか何してたかっていうのが分からないんです
144 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 14:36
字のつけかたには法則性があるから推測は出来るけど、
五常の上三人に関する記述があるって話は聞いたことはないね。
字法則
長男 伯
次男 仲
三男 叔
下から数えて2番目 季
末弟 幼
を付けることになっていたらしい。
司馬八達(司馬懿の兄弟)も同じ法則で字がついている。
司馬懿は仲達でしょ?
145 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 15:45
s
147 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 15:49
なんの本に書いてあったか忘れましたが、赤壁の戦いはなかったのではないか
と言う説を見たのですが。
理由は・・・・・・・・・
赤壁の戦い後、周喩に恩賞や加増がない。
曹操は赤壁の戦い後に周喩に降伏するよう書状を出している。
曹操軍は疫病で戦いどころではなかった。
だそうです、信憑性はどうなんでしょう?
148 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 16:13
さらに、その時代の地層から炭化層が出てない、という裏付けもあるそうな。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 16:29
>>147 もうちょっと詳しいところを知りたいな。
なんせ赤壁は史書を調べても実際にどんな戦闘が行われたかがちっともわからん。
150 :
147:2001/08/14(火) 17:02
寺尾善雄さん著作の「諸葛孔明の生涯」っていう本に書いてありました。
「赤壁の戦いにおいては曹操は敗れたのではなく、疫病が流行って戦いどこ
ろではなくなったので、軍艦が敵の手に渡るのを恐れて焼いた」と、言う説で
「周喩が火計で軍艦を焼き払って曹操軍を打ち破ったというのは後世の人が
誤り伝えた」だそうです。
理由は・・・・・・・・・・
@赤壁の戦いの後、周喩の地位が上がらず加封もされていない。
A孔明が書いた「後出師の表」の中で、過去に曹操のが喫した敗戦を数え上げているが
その中にあの大敗した赤壁の戦いが出ていなかった。
B『資治通鑑』には、赤壁の戦い1年後に、曹操が部下を呉に派遣して周喩に投稿する
ように説得した、との記載があった。
だそうです。
赤壁の戦いはやっぱり虚構なんでしょうかね?
151 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 17:18
三国志・呉書「周瑜魯粛伝」読めやヴォゲがあ!
そげなもん、手元にあったら質問せんわ!!
>>151
153 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 17:37
出師の表に出てないってのは気になるなぁ。
孔明の書き忘れとは思えないしなぁ。
後出師の表かぁ。。。これは後世の人が作ったものっぽいからなぁ
155 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 18:15
正史の『三国志』(西晋)の「周喩伝」の注の中に、
曹操が孫権に宛てた手紙で、赤壁について語り、当時、北方から
来た魏の軍の中に疫病がはやったため、自ら軍船を焼いて北方に
兵を引いた。
とあるそうです。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 18:25
>>155 「諸葛孔明の生涯」に書いてあるね。
それが赤壁の戦いフィクション説のとっかかりみたい。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/14(火) 18:44
うーん、それだと他のいろんな伝にかかれている内容はどう都合つけてるんだろう。
個人的には
赤壁で一戦し、疫病などで不利を悟った曹軍が烏林に引き、
そこを孫軍が火計をしかけ、曹軍は軍船を焼いて撤退。
(ついでにそれに劉備が追撃をしかけた。)
こんなところかな?
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 00:35
「正史」って正統な歴史書って意味だと思ってたんですが、
正確な歴史書って意味ですか?
160 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 02:13
>>159 王朝に認められた歴史書
国定教科書みたいなもの
161 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 02:56
>>158 やっぱりメインは烏林になるのかなあ?
他の伝を見てもあの戦いを「烏林」としてるのが
多いような。気のせい?
162 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 05:51
まぁ、赤壁は周喩が勝ったというより、曹操が自滅して追い討ちかけられたっていうのが、
もしかしたら本当の話なんじゃない。烏林がメインっぽいのも、やっぱり追撃戦がメイン?
163 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 08:22
呂布はモンゴル人なんだすか?
164 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 09:14
孔明の矢を3日間で集める作戦、何故敵は火矢を打たなかったんですか?
165 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 09:51
166 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 10:24
>>164 身も蓋もない言い方すると、作り話だから
167 :
:2001/08/15(水) 13:50
>>164 火矢の防止のためにあらかじめ船の帆を濡らしてたって話もあることはある
168 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 13:58
火矢じゃなかったとしても十万本は集められるの?
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 15:40
だいたいそんな大きな快速船はあの時代にないよ。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 15:51
>>163 出身民族に関しては不詳。
だが五原くんだりには、
漢民族はうようよ居なかったことだけは確かだろう。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 17:18
で、結局、赤壁の戦いは火攻めで勝利したの?
それとも曹操が火を放ったの?
173 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/15(水) 23:41
kakaてなんで評価低いていうか演技では曹操を
負かす時しか活躍の場面無いの?
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/16(木) 00:03
kakaという者は存じませぬ。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/16(木) 00:06
質問です、kakaという人物はどのようにして曹操を破ったのでしょうか?
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/16(木) 00:25
kakaって?
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/16(木) 00:28
>>171 少なくとも、兵士はともかく、赤壁での武将クラスの戦死者は皆無です。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/16(木) 01:21
賈華?
179 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/17(金) 02:21
程普は幽州出身なのになぜ孫堅(孫策・孫権)に仕えたの?
公孫サンか袁紹あたりに仕えそうな気もするのだが?
180 :
:2001/08/17(金) 03:03
KAKUかな?
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/17(金) 11:58
>>171 火攻め説と疫病説の二つがあって、疫病説がやや優勢という感じです。
黄蓋の提案で周ユが許可したという火攻め説より、当時あの地方で吸
血虫病が流行していたデータがあるので信憑性が高いみたいです。
>>175 賈クならわかるんですが…。
>>179 黄巾の乱前は、孫堅は下ヒ辺りの県丞を歴任したからちょっと北より
なんですけど、右北平群が田舎だから就職活動に向かないと思って上
京してきたんじゃないですか。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/20(月) 13:43
陳群てすごいはずなのに地味・・・
>>182 蕭何が地味なのと同じ
文官なんてそんなもん
魏はだいたい地味。
蒼天でさえ地味。
関羽とかの方が目立ってる。
185 :
下総国諜報員:2001/08/20(月) 20:59
歴史的大敗と言われる割には、
曹軍の死者に、あまり名のある武将が見当たらないのもおかしげですな。
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/21(火) 01:16
三國志[、4分で飽きた。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:2001/08/22(水) 03:09
既出だったらスマソ。
孫権って紫の髪に碧眼と言われてますが、
正史に書かれてるんでしょうか?
また、これが本当なら孫策も同じような風貌なのでしょうか?
っていうかどこの民族の血をひいてるんでしょう・・・。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/28 13:33 ID:d6V7CzAo
蒼天己死
黄天富立
歳在甲子
天下大吉
これって黄巾賊の旗に書いてある文字みたいなんですけど(字の間違いがあるかもしれないけど)
どういう意味なんでしょう?
189 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/28 16:23 ID:eiulEjzo
>>188 蒼天すでに死す。 (後漢の時代は終わった)
黄天まさに立つべし。(太平道が立ち上がるべきだ)
歳は甲子にあり、 (甲子の年は、)
天下大吉ならん。 (天下にとって大吉となるであろう)
こんな感じだったと思う。
190 :
188:01/08/30 07:46 ID:Gs5U2nms
>>189 なるほど!、わかりやすい説明ありがとうございます。
すごいなぁ。
191 :
答えてね:01/08/30 08:08 ID:lXQ0rvdA
演義は3割造作っていうが正史は何割造作なんじゃ!?
192 :
:01/08/31 03:19 ID:kiIHB6z2
三国演義って7割史実っていうね。チンジュの正史はどこまで正しいんだろーか?教えて。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/31 04:49 ID:XabOVZ4E
どこまで正しいかなんて誰にもわからないとおもうが。。。
まぁ、上奏文はそれなりに信頼性があるが、会話とかの台詞は
疑わしいって所かな。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:01/08/31 05:17 ID:8xvd9RqQ
正史とは、最初は紀伝体で書かれていた史書を指していたが、
宋代に、一つの王朝に一つの正史を決めたのです。
当時の王朝に正式に認められた史書という意味なのです。
正史=真実、という認識自体が誤りなのですよ。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/06 22:18
質問です。リプレイ系スレッドってどうなったの?
質問があります。劉禅のせいで蜀が滅んだみたいですけど黄?って人は
何をしたんですか?あと、趙雲と孫権はいつ死んだんですか?
197 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/14 22:40
>169
>黄?
しらん
>あと、趙雲と孫権はいつ死んだんですか?
貴様が生まれる約1750年ほど前だゴルァ!
もっと詳しく説明して!
199 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/15 15:02
>>198 君は許猪の様な人だね、気に入ったよ(w
「黄?」ってのは「黄皓」だよな?
黄皓とは劉禅に仕えた宦官。
劉禅に取り入って実権を握り国政を混乱させた。
有名なのは「黄皓の讒言」と言われるもので
黄皓は自分の子飼いであるエンウという武将に手柄を立てさせるために
劉禅に当時の指揮官であった姜維の讒言(簡単に言うと悪口ね)をした。
それによって8次北伐を始めたばかりだった姜維の指揮権は剥奪。
姜維は成都に帰還を命じられた。
だが実際にはケ艾にエンウが対抗できるわけもなく結局赴任できず。
姜維は身の危険を感じて成都を去った。
国を上げて魏と戦わなければならない時に
私欲のために国政を牛耳って指揮系統を大いに混乱させ、
さらには国の柱とも言える姜維の足を引っ張りまくった。
それによって姜維の心も離れ、蜀がバラバラになってしまったというわけだ。
まるでどっかの国のどっかの国会を見ているようではないか。(笑)
これが黄皓が滅亡の原因を作ったと言われる所以。
ちなみに趙雲と孫権が死んだのは正確には覚えてないが
230から240年代くらいだったと思う。
すまん、趙雲は229年、孫権は252年没だ。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 19:41
>199−200
こんなに詳しく説明してくれてほんとに
ありがとうございました。
馬超の配下だったはずのホウ徳がチョウロに仕えた
理由を教えて下さい!
聞いたところによるとあの後もう1回曹操と戦って負けて
馬超の奥さんと子供は殺されてたらしいけど・・・
203 :
無名武将@お腹せっぷく:01/09/30 18:19
その後、馬超一行は漢中の張魯の客となったような
そんで馬超が蜀に下るときには、彼は病気だったような
204 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 09:34
>>188 陰陽道でお馴染みの五行思想を思い出してもらいたい。
中国では王朝自体に五行のどれかが割り振られており
漢王朝が火にでありシンボルカラーが蒼だった。
その次の王朝は必然的に土の黄であり、
黄自体が太平道を現している訳ではない。
魏朝の元号が黄初、呉朝の元号が黄武なのはそのためだ。
このスローガンから見て取れるように、黄巾の乱は唯の宗教反乱や
農民反乱でなく明確な国家転覆の意図を持ったクーデターであった。
朝廷内部にも人脈を巡らせ、計画では本格的なクーデターに
なるはずだったが事前に露見、大規模な農民反乱の形になってしまった。
205 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 10:27
関羽死亡時点でセキトバって何歳だった?
30歳くらいか?
206 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 13:00
>>250 言うな。
ホントは関羽が乗ったのもあやしいらしいから
207 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 13:13
赤兎馬なぁ第一世代じゃなくて第2,第3世代と考える
が吉かな。馬の寿命はそんな長くないし、ましてや重武装で
立派な体格の関羽を乗せてへたらなわけないとおもうけど。
赤兎馬=汗血馬かな?大月氏あたりの産なら董卓が
手に入れててもおかしくはないね。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 18:30
蒼天・・後漢は木徳、木の色は蒼色。蒼い天即ち後漢王朝。
黄天・・木徳の次は土徳、土の色は黄色。黄天即ち次期王朝。
また、張角の太平道は黄老道(老子)。
甲子・・十干(甲乙丙丁・・)の始まりは甲。
十二支(子丑寅卯・・)の始まりは子。
周王朝も殷王朝を倒すにあたりこの年を選んだように、
60年に一度のめでたい始まりの日とされている。
訳すと・・後漢は死んだ、新しい時代を始めよう、
年は甲子だし、より良い天下になる。
(転じて・・太平道の天下は良い天下になる)
まちがっていたら、すまそ。
周王朝が選んだというか、後世の史家が甲子をあてはめた
のね。故意に。
ちなみに日本でも、神武即位は甲子、だとしたらしい。
あれ、甲子は、60年に一度の年じゃなくて、単に甲と子
で数を現した60個のうちでは、一番初めにあたるだけで、
年を現す甲子は60個のうち一番初めを現すので縁起が良
い。
文字が良いだけで、別に年を60で区切る風習はなかった
かな。う〜ん曖昧ですまそです。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/03 19:18
>>209 漢は火徳の王朝のはずだよ。
劉氏は帝堯陶唐氏の末裔を称してると思ったが。
木→火→土→金→水が五行相生
木→金→火→水→土が五行相克
じゃなかった?
>>213 そのページの表ちょっとわかりにくいですね。
相克は
木は土に勝つ、金は木に勝つ、火は金に、水は火に、土は水に
…土<木<金<火<水<土<木…
と進んでいきます。
もっとも相克の説を採用したのは始皇帝と漢の武帝だけで
以後は相生説をとっています。(手持ちの資料では相克説での漢は土徳)
漢紀に献帝の「火徳の暦数は既につき」との詔勅が載ってますし
魏略にも「漢は五行からいって火である」との記事があります。
蒼天は青空(平穏な時代)と考えた方が無難だと思います。
もっとも太平道が相克、相生とも違う独特の五行思想を持っていた可能性もありますが…
すまん。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/04 00:08
孔明の兄貴はどうやって呉に仕え、出世していったの?
血縁も地元の人間でもないのに?
>>214の212さん
んーと、木が土に勝つのですから、木の次は土ですよね。
なぜ212さんが逆にたどるように書くのかわかりません。
でも無難な説には賛成できます。
太平道も「黄天泰平」とのみ、もっぱら使ったようですし。
>>215 189さんの話題が続いてると思いますが。sageとこ。
北方三国志では何故、郭嘉が登場しないのですか?
>>218 <は矢印ではなく強弱の意味で使ってます。
木は土に勝つので、土の次が木。金は木に勝つので、木の次が金となります。
「五行は相勝つ、王者はその勝つをもって相承くるなり」が相克の説です。
相克の場合、歴代王朝に当てはめると
夏(木)→商(金)→周(火)→秦(水)→漢(土)の順です。
相克と相生では王朝の徳が異なります。
ちなみに王莽は「赤色の徳が衰え、黄色の徳が興った…」等の発言が王莽伝にあり
王莽も相生説をとっていたようです。
>>221の212さん
なるほど!
そういえば先に参考としたページにも、木は土の養分を
吸い取って・・みたいなことを書いてあったような(うろ
今となっては自分がなぜ木→土と、逆に解釈したのか謎です(恥
どーもありがとうです!
225 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/04 09:34
勉強になるなあ。
手元の資料には後漢王朝はやっぱ火徳になってるから、
蒼は五行とは関係ないシンボルカラーなんでしょうかね?
226 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/04 20:47
とりあえず黄巾が後漢王朝を火徳と見なしていたのは間違いない。
前漢が木徳で、蒼天は劉氏の王朝全般を差し、
徳は前漢から後漢になった際木から火になったんではなかろうか。
新?無視。
227 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 16:44
蒼天航路スレはどこいった?
228 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 16:49
229 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 17:16
おにぎり万歳
230 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 17:31
楊儀も励まそうは何処いった?
>>220 すみません、郭嘉、途中から出てきますね。出番少なそうだけど。
>>226 その意見は却下。
後漢末期に「漢は火徳の王朝ゆえ、一度衰えても再び興る」と言う意見が流れたことが
あったんじゃなかったか?
王莽の新に対する解釈については楊彪が「王莽が簒奪して五行の運行は混乱した」と
言ってるのが見えるので当時の識者は「前漢」と「後漢」は同じ火徳だと考えてたのが
うかがえる。
233 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 07:49
どの部分がどう却下されたの?後漢末期が火徳なんでしょ。
234 :
くらすあてね:01/10/08 13:23
五行に突っ込むとロクなことはないんですが…
221で指摘されていますが、武帝は「漢土徳説」でした。
高祖・恵帝の頃には「漢水徳説」もあったようです。
それを、火徳の堯より禅譲を受けた土徳の舜の子孫である(らいい)王莽が、
簒奪の際にこれを再現すべく「漢火徳説」をお抱え学者の劉[音欠]に提唱させ、
それを示す予言を流布しまくり、光武帝が逆にそれを利用し即位して、
漢火徳を宣言、以降これが定説になった、という流れです。
だから漢の時代の儒教説では舜より堯の逸話が圧倒的に多く、
曹魏は舜の子孫を自称して禅譲に役立てた、なんて小ネタもあります。
火→土じゃ五行に合わない、と思われるでしょうが、どうも漢のころの五行は
木→火→土→金→水の順だったようです。時代によってまちまちなんですよ。
五行は本当、詳細書くと膨大な量になるうえ訳わからんのでここいらで勘弁をば。
蒼天はまんま「青空」のこと。出典は『詩経』です。で、
1,「蒼天」の語があるから「黄天」の対句が生じ、
2,なんで黄色なの、それは火徳の赤に勝つからだよ、
と1・2の理由は別物でしょう。五行の青色と混ぜて考えない方がよいのでは。
訂正。×(らいい)→○(らしい)
他にも穴があるなぁ。
「簒奪の際に」じゃなくて「簒奪に向けて」か。まだ哀帝期らしいし。
漢は堯の子孫、だから王莽は舜の子孫を自称したのだったかも。
どっちが先なのやら。
不慮の点は気がついても笑って済ませてやってください。
ついでに小ネタ。後漢二代の明帝は、生まれた時の風貌が
堯そっくりだった、とされてます。完全に後づけですなこりゃ。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 00:29
「呉・三国志」って面白いですか?
237 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/14 23:51
連ド(漢字が出ない。石弓ね)
って、本当に強かったのかな? ゲームには出てきたけど、実物は
どうだったんだろう。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/15 11:16
強かったってはなしだYO
239 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/15 13:40
史書では姜維が連弩で毒矢を発射したとあるね。
普通に威力があればわざわざ毒を塗る必要はないだろうから
連発は出来ても威力に問題があったのかもしれない。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/15 13:50
>>239 なるほど、毒ですかぁ。
確かに、そういう使い道もあるねぇ。
うーん、微妙なところだ。
他にも、名前は忘れたけど屋台みたいな車から何本も横一列に
一斉に発射するやつとかもあったと思うけれど、あそこまで行くと
アイデア倒れ……なのかな? それともやっぱり毒で? うーむ。
その発想自体は凄いとは思う。
242 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 00:53
確かに中国の弓は威力少なそう。連射に優れているのは事実とすれば
日本に導入されているはず。多分大鎧あたりを着込まれると貫通できない。
だが、たくさんの矢が飛んできたら、俺は真っ先に逃げるな
244 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 00:58
>241、239
今昔物語にこんな話があった。
中国のある村でトラが暴れていて手がつけられない。
日本の男が弓でトラを退治した。みんなは驚いた。
男はいった「中国は毒矢で殺そうと思うから、弱い矢を放ち
結局傷つけられず、射手が逆にやられる。日本は、毒を使わないから
その場での勝負をせざるを得ない」と。
故に中国の矢に威力が無いのは当時の常識だった。
245 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 12:58
>244
李広の話は知ってるかい?
今昔物語はあくまでも物語だから鵜呑みにするのは危険だけど、
もしそれが本当のことなら中国では毒を塗るのが常識なのかな?
とすれば威力に関係なく毒を塗った可能性もあるね……ううむ。
でも自分の知る限りでは三國志の中で毒矢の記述があるのはその場面だけだったような。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 14:29
諸葛亮の開発した弩の名前は「元戎」というらしい。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 17:47
某所で訊いたが見事に無視くらったので再び。
司馬懿の父、司馬防について、何か知ってる人がいたら教えてください。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/16 22:56
>>248 「…(司馬仲達の)出生地は河内郡温県孝敬里。父の司馬防は、
警視総監を務めた。仲達は、その二男である。…」
林田慎之助著「人間三国志・軍師の采配」
手元にあったチャライ本にはこれしか書いてなかった。
あとは、兄貴ともども賢くて、って感じだよ。
警視総監、意訳しすぎなのが悔しいので、もう少し、書架をあさってみますわ。
陳寿が書いた司馬朗伝の中に裴松之が註釈でいれた司馬彪「続漢書」序伝から。
司馬防、字を建公。質実、正直公正、寛いでいるときも威儀を崩さなかった。
平素「漢書」名臣列伝を愛好し、そらで朗誦できるところが数十万言。若くして州郡に仕え
洛陽の令、京兆尹を歴任したが老年のため転任、騎都尉を命じられた。
自分の生き方を守りながら村里で暮し、門を閉じじっとしていた。
子供たちは元服して成人となっていたが父(司馬防)の言い付けがなければ部屋に入らず
座れと言われなければ座らず、名指しで質問されなければ口を開こうとしなかった。
(このように)父と子の間は厳然としていた。
71歳、建安24年に亡くなった。
子供は8人、司馬朗が最も上、次男が晋の宣帝(司馬懿)。
>>247 それって数人で一台の機械を操作する、っていうやつかな?
>>249-250 ありがとう。司馬八達の親ってどんな人なのか気になってたんだ。
ついでと言っちゃ何だけど、諸葛豊についても教えていただければ幸い。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/18 16:14
>>252 いたなあ。
死んだのはおぼえてんだけど。
(そりゃそうだろうけど)
254 :
韓玄 ◆zF0PfGvA :01/10/18 16:28
韓玄「すまぬが諸葛亮の南征について詳しく教えてくれぬか?」
魏延「無知な我等ですがどうかご回答を。」
255 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 12:06
age
256 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 19:47
age
257 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 21:21
>>252 諸葛亮の親って諸葛豊だっけ?諸葛佳だっけ?
258 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 21:30
歴史にIFはご法度でしょうが、周瑜と陸遜が共存していた場合、
どちらが呉の重鎮になりえたでしょうか?
どちらも成ったとは思いますが、曹操にとっての荀文若や、劉備に
とっての諸葛亮・法正のように、孫権の片腕となるのを一人、といえば
どちらでしょう?
259 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 22:27
260 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 23:14
陸遜て本当に無名だったの?
261 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/19 23:58
>>260 呉の内部では、間違いなくキーパーソンの一人だ。
だが、陸遜は孫権に従ってから主に地方行政や不服従民の討伐などに
携わっていたから、魏や蜀にはその実力の程を知られていなかったのでは?
呉は豪族を束ねる形での政権だったから、
名士の出身である陸遜は呉内に限っては全くの無名であったとは考えにくいんだけど、
どうだろうか。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/20 15:41
どこかに蛇矛売ってる店ありませんかね?
264 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/20 15:43
>>261 >>262 ありがとうございます。
最近正史を読み始めましたが、陸遜だけは
諸葛亮と同じく、一人で一巻ですよね?ですから周瑜より陸遜のほうが
実力があったと思うのですが?
それと、何故孫権は周瑜の子孫をあまり大事にしなかったのかも
疑問です。子供はともかく、周瑜本人は赤壁で曹操を退けた功労者
ですよね?
265 :
>>264:01/10/20 15:44
赤壁の戦いは小規模な局地戦で曹操軍が
疫病で自滅しただけじゃなかった?
266 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/20 17:00
中国の皇帝がかぶる、頭の先から眼の前に数珠がのれんみたいに
垂れ下がってる帽子の名前ってなんていうんですか?
267 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/20 18:01
>>265 それは一説に過ぎないんじゃないの?
どっちにしたって周ユが赤壁の功労者であることは変わらんでしょ。
>>267 確かにね、だけど赤壁後特に恩賞がそれほど与えられなかったって
話だから大規模ではなかったと思うよ。
269 :
名無し募集中。。。 :01/10/20 18:56
メロン最高!
age
271 :
名武将@お腹せっぷく:01/10/20 20:50
メロン?
273 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 06:12
age
274 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 07:32
連弩は連射式の弩だったという説と
一斉に何本もの矢が飛び出る弩という説がある
メロンは美味しいよね!
276 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 12:27
孫権・・・・・
278 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 20:11
age
孫権萌え
280 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 22:26
ど素人ですいませんが質問します。
曹操、劉備、孫権、結局誰が勝ったんですか??
281 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/21 22:44
>>280 大外から回ってきた、司馬炎の勝利でした。
シバエン、最高だよ
age
司馬炎萌え〜
司馬炎は強いです
司馬炎マンセー
ドドッチッテクダサイイイ
シバイはアンパンが好きだった
よくネタが続くな
sibaiなえー
シバイ最強!あっは~~あぁぁぁぁん
親父を馬鹿にするなあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!
ああ、ネタすれになってるよ……
シバイ、ホモ説有り!!
つーか、後宮一万人って…。
一日一人だったら27年かかるぞ…。
1/1000でいいから俺にくれ…。
シバイは短小だったそうだ
>>298 では私を抱いてください。
私はこう見えても実は処女です。
今が熟されています、どうぞ。
おい!朝鮮!!
俺という男が居りながら
どこの馬の骨とも知らない男と
如何わしい行為をするとは
何事だ!!
ええぇいっ、切り捨ててくれるわ!!
SIBAIは引き篭もりジジイだ
303 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/02 11:50
よくわからんな
304 :
◆7HnS2deE :01/11/02 12:22
李明って誰?
305 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/02 13:23
漫画の三国志を読んだのですが、はまってしまいました。
他に何か読みたいのですが、いい物があれば教えてください。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/02 17:16
袁術の血統が密かに生き残っているって本当ですか?
↑わあおもしろいきみにはゆうもあのせんすがあるねーはははは は
>>307 特に面白いことは書けないけどとりあえず参加したかった、と。
目障りだからいないほうがいいね。
蛇矛のよみかたを教えてくれ
牙門将軍とか牙門旗とかの「牙門」てなんですか。
俺が思うには芝居に劣化ウラン弾を
ぶち込めば事が解決したと思うが。
>>313 しゃべる鶏のマンガでしたっけ。うちの辞書には「牙門」ないんすが、
>>311 「牙門」
牙旗(将軍旗)を立てている軍門、その門を守る者
>>305 漫画の三國志のもとになった
吉川英治の三國志をお勧めします。
日本人の三國志の根本がここにあります。
そこで興味を持たれたら、
ぜひ歴史書としての三國志、正史を。
ちくま学芸文庫で『正史 三國志』という名前で出版されているのが、
一番安価で、入手し易いと思います。
>>304 光栄のゲーム『三國志英傑伝』に出てきた猛獣使いですね。
残念ながらこのゲームのオリジナル人物で、他に登場する事はありません。
>>317 どうもありがとうございます。
探してみます。
ふと思ったんですが呂布ってなんで強いんだろう
鍛えまくってたのかな?
それと裏切りを繰り返したらしいけど
どういう環境で育ったんだろう?
呂布に詳しい方教えてください。
>>321 呂布はヘイ州の出身で、血筋、育った地域から言ってまあほとんど北方騎馬民族のようなものです。
ですからそのおかげで強かったようですし、
また忠、孝といった漢民族の持つ精神のようなものもまた弱かったのだと言われています。
ヘイ州は前漢の時代から何度も北方騎馬民族の襲撃を受け、
いつも時代の為政者が対処に苦労していた地域です。
ゲームの三國志で言うと晋陽のあたりですね。
魏の時代シナリオになっても、しばしば晋陽が空白地なのはそのためだと思います。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 05:10
晋陽って人口少なすぎ。
あそこで新君主でスタートしたらかなり困難。
そうなんだ。ずっと「じゃほこ」だとおもってた。
「じゃほこ」でも間違いとは言い切れないけどね。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 18:20
三国時代の山西は南匈奴が住んでたんじゃなかったっけ。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 18:24
>>310 グラディウスでミサイルの右のやつをとるときの音声を
耳をすましてよく聞いておくと発音も正確にわかる。
>>322 北方騎馬民族のことを少しだけですが
調べさせてもらって呂布のイメージ
が何となくですがわかってきました。
ありがとうございました。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:22
>>321 呂布がなんで強いのかって?
それは順序が逆で、呂布がものすごく強かったから
結果的に名前が残ったの。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:30
馬に乗るときは鐙がなかった。
トムソウヤは何故中原を支配しないの?
334 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 16:32
335 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 22:19
五反田のあたりには中原街道ってーのがあるな。そういえば。
昔、孔明がホモだという設定の小説を読んだこと
があるんだけど、誰か知らない?
著者は江なんとかだったと思う。
あざなって、どうして「子」の字がつくのが多いの?
子義とか子桓とか子愈とか。
338 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/07 01:36
ところで、ここにいる人の中に演義読んでない人っているの?
339 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/07 01:39
武将の「武力」って実際、戦にどのくらいの影響を与えるんですか?
>>340 でも、子脩、子桓、子建、の兄弟は?
(曹昴、曹丕、曹植ね)
342 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/07 23:12
子魚はかっこわるいな
344 :
無名武将@お腹せっぷく :01/11/08 01:14
劉備って戦ったことあるんですか?
強かったですか?
345 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 01:19
若い頃は、チンピラ集めてたいそう派手に名前を売っていたらしい。
ってキャラだからね。
そこそこの強さとクソ度胸はあったんじゃないかな?
あと、
雌雄一対の剣を使っていたってなってるから、二刀流だね。
器用なんじゃない?
劉備は結構強いよ。
ただ、曹操本人とか陸遜みたいなのが出張ってくると相手が悪すぎる。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 22:40
呂布や張飛など強いって言われてるけど、本当に個人的な武力があった
のでしょうか?
自分の統率していた軍が強かったっていうことなのでしょうか?
誰か教えてください。
実際軍団の中に切り込みに行ったら、背後からとか馬をまず倒すとか
いろいろな方法でやっつけられると思うのですが......
348 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 23:39
>347
一応関羽は顔良を不意打ちで殺したという噂。
349 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:03
リュウビがトウケンからの申し出を断りつづけたってあるけど
「義」のためってよりもなんかすげー怪しさを感じるんだけど、
実際はどうなんですか。
350 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:18
>>349 何度も頼まれて仕方なくってのが礼儀なんです。
曹丕も献帝からの禅譲を何度も拒んでるけど、それが礼儀だから
351 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:26
>347
張飛の長坂橋での話は史実。
個人的武勇もかなりのものではないでしょうか。
呂布に関しては、対張燕戦で騎兵を率いて自ら
すさまじい突撃を行ってみなさんをビックリさせました。
それなりにすごかったのではないかと。
352 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:27
一度は断るのが作法・儀式みたいな所があるから
文章になんの意味もないと思う。
「つまらないものですが」に意味がないのと同じじゃない。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:29
3回断ったあとに受けるのが、「お決まり」。
354 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 02:10
陶謙は本当は不良太守なんだよね。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 02:37
>>349にのっかるけど劉備はホントは欲しかったんですよね。マジで。
漢再興を目指すのに本拠地っていうか地盤は必要だし。でも礼儀で断る
としても、それは皆んな知ってるんだよね。「ああ、あれはポーズだよ」と。
そうすると、劉備って人徳の人というより、フツーの人っぽいね。
ていうか、そう思うおれがイカンのだろうか。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 07:48
名前についてなんですが。
劉備玄徳っていったら、「まちがってるYO!」っていわれたんです。
なんでってきいたら、
「あざなの部分はニックネームみたいなものだから全部つなげたら駄目だよ」と。
「松井ゴジラはOKだけど松井秀喜ゴジラって言わないだろ」と。
なんか無理矢理納得させられたっぽいんですが、これって正しいんですか。
時々「劉備玄徳」とかかいてある本見るんで半信半疑です!
357 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 10:07
>>356 『劉』は姓、『備』は名、『玄徳』は字(あざな)です。当時は主君と父親以外は名前では呼ばないのが一般的になっていて、それ以外の人達は字で呼び合っていました。
名前を呼ぶのは失礼に当たるので、字を呼んだそうでう。
ですからまあ仇敵同士なら失礼も何もないので
曹操が「劉備!」とか呼んだりはしたでしょうね。
359 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 20:32
目下から字で呼ぶのも不敬だったようですよ。
目上の人は役職などで呼ぶのが一般的らしいです。
360 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 21:27
ワンダフル-
たかき孔明
みんなは、何歳でオナニーを覚えましたか?
362 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/10 04:57
三国志時代のお風呂とかってあったんでしょうか?
あったらそれはどんな物だったのでしょうか??
厠とかも知りたいのですが、普通の漫画や小説には
そんな生活習慣(とでもいうのか)の表現がほとんどなくて、
どんな物だったのか解りません。
詳しい事がのっている本などありましたら
御教授下さいませ。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/10 05:26
この時代の馬は、現在のような馬と違ってポニーに近い馬だったとか聞いた事ある
んですが・・・・(汗)
実際どうなんでしょ?
後、これが気になったので教えてください。
306さんの質問の・・・
『袁術の血統が密かに生き残っているって本当ですか?』
たしか、北方三国志に袁術の娘が登場するのは知ってるんですが、正史だとどうな
んでしょうか?
三国志にみる生活習慣。〜ひにくのたん〜
厠に行くたび、衣服を代える(更衣)。
服を脱ぐから肉に気付く。
劉備泣く。
劉備はすごく強かった
オナニーは高校3年で覚えた
367 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/10 07:47
オナニーはする必要はなかったらしいです。
イキナリ本番だったそうですよ。
しかも手取り足取り指導されながらの本番
だったようです。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/10 09:16
オナニーは中1のとき、お母さんに教えてもらった。
クソたれる時は鼻の穴に棗を詰める、と聞いたんだがどうよ?
370 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/12 02:20
動物です
371 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/12 15:14
三国志をあまり知らないのですが
面白そうなので読んで見たい気がするのですが
沢山有りすぎてどれがいいのかわかりません
何かお勧めは有りますか?
372 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/12 15:29
>>371 漫画の『三国志』(横山光輝/60巻)が一番読みやすいYO
373 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/12 15:58
>>363 袁術の娘が孫権の后になっている。
その縁で袁術の子袁燿が呉の郎中に任命された。
子孫がいるとしたらこの袁燿関連だろう。
374 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/12 20:05
袁紹と袁術の詳しい血縁関係を教えてください
従兄弟だとか腹違いの兄弟で、袁紹は妾腹だった為馬鹿にされてたとか聞きましたが
よく判りません
375 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/13 01:02
最近馬超軍って何気に相当強いと思った次第。馬超・馬岱が武力的に強いのなら
馬鉄・馬休もそこそこ強いんじゃない?って思う。おつむが足らんだけで。
あの涼州騎馬軍団の将となってるわけだし。(身内やんかという突っ込みは無し)
377 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/13 12:49
馬騰の息子
長男 超
以下、休と鉄がいる。
岱は親戚筋。玩は…。他人かな?
OK?
>362殿 入浴は5日に1度、洗髪は3日に1度だったそうです。身体は布でこすり
髪や顔は米などのとぎ汁、衣服は灰汁で洗っていたそうです。
トイレに関しては野ぐそ等ではなく、きちんとトイレがあったそうです。
水洗式(人力)で、ちり紙は無く、木のへらをつかってお尻を拭いていた(痛そうです)
そして、トイレに行った後は必ず服を着替えていたそうで、
「更衣」と言うのはここからきているそうです。
379 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/13 21:11
赤壁で活躍した呉のコウガイはそのまま追撃しようとして張遼部隊に殺されたんですか?
380 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/13 22:05
>>379 矢を受けて長江にボシャン。
昔とった杵柄で岸まで泳いだとか、兵士に救い出されたとか
言われてるがとりあえず死んでない
381 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/14 00:09
>覇龍殿
おお、ありがとうございます!
入浴5日に一回なのですか…お風呂場とかあったのかな。
それとも蒼天航路で劉備がはいってたような(うろ覚え)
でかいたらいみたいなものなんでしょうか。
トイレ、木のへらは痛そうですね。
この前よんだ横山光輝の史記で、豚がトイレの中にいる
表現(というのか、豚はいるけど人は…?の話)
があったんですが、何故トイレに豚をかうんでしょうか…。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/14 00:10
汚物を喰わすんだろ
ウォシュレットみたいに、ケツ舐めさせてきれいにするんかとおもっちょった.
385 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 01:02
沖縄だったか日本の南島方面にも豚トイレってあったらしいね。
東アジアでは結構あるのかな?
386 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 15:26
なぜ于禁&[广龍]徳は関羽ごときに負けたんですか?
387 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 15:30
于禁が足引っ張ったからです
388 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 15:32
>387
正史でもそうなんですか?
389 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 19:59
于禁の陣が水没したから
390 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/18 22:04
思ったけど当時の水軍って木造の船ばっかだったんですか?
だったらいくらデカくても火矢で燃やされたらお終いでは?
赤壁の戦いは無駄にデカい船で攻めた曹操がアホだっただけでは?
演義っていうか横山三国志の話なんですがよろしいですか?
玉璽についてなんですが
1.孫堅が拾う→孫策が袁術に渡す→袁術滅亡後、曹操の手に
2.畑から発掘され張魯へ
3.漁師が発見して劉備へ
と3つくらい出たと思うんですが(2と3は同じものかも?)
あと、当然ながら献帝は持ってるはずですし。
どれが正統な本物の玉璽なんでしょうか?
横山的には3でしょ。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 14:11
3だYO
魯粛っていつの間に死んじゃったのかなぁ??
ってゆーかなんか活躍したっけ??
395 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 16:27
夏侯操ってどういう人物?
396 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 19:29
↑ダメ人間
397 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/21 21:52
すいません、長坂橋で有名な超雲が曹操軍百万に突っ込んでいったと言う話。
あんな事物理的に可能なんでしょうか?
どう考えても百万ってのは嘘
399 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 00:35
>>379 安全な所に着くまで曹操軍の雑兵とかに化けてたんじゃないの?
人命救助が第一目的だとしたら。
400 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 00:40
>397
五千で追いかけてきたんじゃないの?
だいたい100万の兵がいっぺんにこれるわけないし。
401 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 02:39
402 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 16:54
荊州で関羽を裏切って呉に下り、
後、送り返されて誅殺された
傅士仁って居たよね。
士仁は字っぽい気がするんだけど
名前って伝わってる?
>>402 一説に士仁の字は君義
傅士仁の傅が誤記であることは定説。
404 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 20:54
>>403 傅 士仁 君義
って二字名の可能性はないわけ?
三国志に出てくる名馬について教えて。
>>394 大活躍。
他の呉の軍師には、少なくとも劣っていません。
>>404 正史の記述では、関羽伝にのみ傅士仁との記述があるが
他人の伝では士仁として記述されている。
407 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 23:46
ギエンって蜀滅亡直前に裏切ったとどこかで読んだ気がするんですが
本当ですか?ギエン好きなのに…。
408 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/22 23:51
>>407 権力争いに負けて処刑された。
蜀のトップクラス武将を殺した理由が必要なので裏切ったとされただけかと
魯粛は
陸の魯粛、海の周瑜、と周瑜に並び賞された戦上手。
陸戦が得意でした。
「そ」って食べ物が漢字変換できないけど
どういう読み仮名だと変換できますか?
412 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/23 01:03
呂布って・・・・・・・・・男だよねぇ・・・・・?
413 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/23 14:48
でー結局魯粛っていつ死んだの??
415 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/23 17:14
そーそーって、嫌な奴なの?
416 :
無名武将@お腹せっぷく:01/11/23 17:39
>>414 曹爽は当初司馬懿を先輩として大事に扱ってきましたが、
自分の腰ぎんちゃくに煽てられて司馬懿を蔑ろにしてクーデターを食らいました。
久々にあげ
419 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 00:20
ゲームの合肥新城包囲戦って正史ではどっちが勝ったんですか?
420 :
◆Aha9Dou6 :01/12/04 01:22
1、馬良って「白眉」って言葉残ってるけど、何をした人?何で、馬氏の五常の中でも特に秀でてるって言われたのでしょう?
なんてーゆーかあ、碁を打ってたり、使いっぱしてた記憶しかないのですが。
2、陳寿のかいた、正史の「三国シ」って、三国「志」?三国「史」?どっちが正しいんでしょう
<m(__)m>教えてください
>419 それはわからんです・・・なんせ素人なもんで^^;
>420 1:馬良 字を季常と言いまして・・
襄陽郡宜城県の人。五人兄弟でして、
いずれも秀才の評判が高く中でも白い眉(眉毛の中に白い毛が混じっていただけだそうです)
を持った馬良が一番だともてはやされたそうでそこから
「馬氏の五常、白眉もっともよし」の言葉が出たと・・・。で、何をしたかと言いますと
「諸葛亮が呉の孫権あての文書を出すとき、それを起草したのが馬良で
それが見事なまでの名文で、孫権も感心した」や
「夷陵の戦いで敗走する劉備を逃がすため、足止めのために突撃、壮烈な戦死を遂げた」
等、その活躍は素晴らしかったそうです。
とにかく忠義の士であり、素晴らしい政治手腕も持っていたそうです。
諸葛亮殿も認めていたとか・・・。
ちなみに兄弟は実は私、バショク殿くらいしか存じ上げません^^;
2:志が正しいかと・・・。
私、素人でございますゆえ、クソレスをお許しくだされ。
詳しい方、補足・訂正をお願いいたします。
>421 :覇龍ドノ
丁寧なご返事いたみいるです。
そかそか (・ε・(. .(・ε・(. .)ウンウン、馬良のエピソード増えました。
どのように死んだかもわかってうれしいです。(いつの間に死んだんだろ?前フリが派手だから大活躍するはずなのに、って思ってた。
感謝です。
諸葛亮と馬良が義兄弟だったってのはホントかね?
!?( ̄□ ̄!?えっ!
初耳!ってか、馬良についていろいろ教えてくだされ!あの碁を打っていた場面だけで大ファンなのです。
吉川三国志では張合βっていっぱい出てくるのですが、
同姓同名の違う武将ですか?
ガイシュツですが
「肛門の会」って詳しく教えてください。
>>426 肛門に塊が発見されたので切除しようとしたのだが
教授の一人が保存療法を薦めるので放置していたら
悪性の塊はますます膨れあがって、ついに命を奪ってしまった。
>420
古来より天に二日無し、と申しまして天子が三人存在する三国時代は異常なのです。
そこで正統な歴史ではないということで「史」ではないのです。
陳寿のちょっとした工夫ですな。
正史にも馬良は諸葛亮のことを「尊兄」と呼んでいたとの記述があります。
此れに関し裴松之は「馬良はたぶん諸葛亮と義兄弟の契りを結んでいるか、あるいは共通の親類でもいるのだろう。
諸葛亮の方が年長なので、尊兄と呼んでいるのであろう」と注をつけています。
夷陵攻めの前に荊州南部の異民族を慰撫、帰順させて戦力を強化しました。
馬良馬謖以外の五常に関する記述は私の記憶する限りではありませんです。
ちなみに馬良が四男、馬謖が五男です。
此れは彼らの字からわかるもので、
長男は伯、次男は仲、三男は叔、四男は季、末弟は幼の文字を字に含めるのがしきたりでした。
ちなみに司馬懿は次男ですから仲達です。司馬懿の弟司馬孚は三男なので叔達です。司馬懿の兄司馬朗は長男なので伯達です。
もっと脇道にそれると司馬八達の残りは年長から馗・恂・進・通・敏で、
字は季達・顕達・恵達・雅達・幼達となっています。
>425
吉川氏が間違えて何度も死なせてしまったようです。
どのエピソードを見ても袁紹から寝返った張コウっぽいです。
長坂の場面だけ違うかもしれませんが……。
ちなみに4度死んでますな。
>419
呉は何回も合肥を攻めましたが常に大敗を避けようとして早々に兵を引いています。
孫権の腰抜けぶりがうかがえます。
まあ魏もじゅしゅこう(文字忘れました)を攻めてうまくいったためしがないのでおあいこですが。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 08:17
>>428 >古来より天に二日無し、と申しまして天子が三人存在する三国時代は異常なのです。
>そこで正統な歴史ではないということで「史」ではないのです。
>陳寿のちょっとした工夫ですな。
こらこら、どさくさにまぎれて適当なことをいってはいけないよ。
陳寿のは「史」ではないってことは確かだが。
>430殿
違うのですか?私も確か・・・ちらっとそうゆうふうに聞いたような^^;
ウソだったんかぁ・・・。
432 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 12:52
前にこの板でモナーAAの三国志を見た記憶があるんだけど、
誰か保存していませんか?
全部で10話位のストーリー仕立てになってるやつです。
数あるAAの中で唯一感動したんだけど、保存仕損ないました。
神様ウプお願いします。
433 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 12:56
>>430 他の中国の正史には、『漢書』や『五代史』のように、
書か、史という字が付けられるのが普通であり、『三国志』のように志が付くのは異例です。
(「書」とつく歴史書は儒教に於ける古代史の聖典『書經』を継承した歴史書だという意図で、
「史」が付く歴史書は中国正史の筆頭にして最高傑作とされる『史記』を継ぐという意図だといわれる)
『三国志』の志は「記録」という意味です。
しかし、記録という意味だけではなく、別の意図も含んでいるようです。
井波律子氏は、「陳寿がことさら「三国志」と題したのには、むろん理由がある。
実は、『正史三国志』には、オーソドックスな歴史書に必ず添えられている、天文・地理・制度などの記述が欠けている。
陳寿はこの点を配慮して、ひかえめに「記録」の意味をもつ「志」という表現を採用し、
「三国の記録」すなわち「三国志」という題をつけたのである」
(井波律子『三国志演義・水滸伝 男たちの世界 世界の文学107』(朝日新聞社)
だってさ
>428、433
ありがとうです。m(__)m
馬良は武将(軍師?)として活躍してたんですね。
「志」の件、納得しました。
435 :
おう!へい?:01/12/04 13:48
王平の評価って低くないですか?
横柄だったとか?
436 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 14:13
437 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 16:11
419
>429
ありがとうございます。
>>438 サンクスです。モナー板でしたか。
下のサイトも(・∀・)イイ!
440 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 19:48
そもそも「三国志」と名づけたのは陳寿じゃなくてもっと後々だと思うんだが。
↑魏、呉、蜀、三書六十五篇を著してを三国志と号したと晋書陳寿伝にある。
ただし、はじめはそれぞれ独立したものとして扱われ、
旧唐書経籍志では魏書を正史類、蜀書呉書を編年類に分類している。
ようやく一書となったのは宋代から…
442 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:58
兵糧ってどんな食べ物?
443 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:25
GBAの三国志って裏技無いの?
444 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:32
どなたか教えてください。
孫尚香って、実際のところ容姿の方はどうだったんでしょうか?
三国志トランプの挿し絵は結構美人に書いてありましたが。
あと、孫尚香は自殺したってなんかの本に書いてありましたが、
本当ならどうやって自殺したんでしょうか?
445 :
無名武将@お腹せっぷく :01/12/05 00:13
孫尚香って誰?
劉備の嫁?
446 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 00:15
447 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 00:26
イリョウの戦いで柳眉が行方知れずになったと聞いて長江に
飛び込んで自殺しました。
>>444
448 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 00:26
柳眉→劉備
449 :
無名武将@お腹せっぷく :01/12/05 00:29
>435
王平殿は最終的には鎮北将軍になられているので。そんなに評価は低く無いですよ。
諸葛先生にしても、知勇兼備の良将 だと評価していたらしいです。
確かに・・・現代はマイナーで知名度はちと低めですが・・・。
451 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 14:22
蜀が一番税金高かったのって本当ですか?
452 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 00:23
反三国志って面白いですか?
人物紹介、蜀以外の武将はみんな死んだ事しか書いてないわ、オリジナルキャラは出てくるわ、痛そうで萎え…
蜀が統一しただけで、魏も呉も平等に書かれているのならいいんですが。
453 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 00:25
↑あれは痛さを楽しむ本だよ
即レスありがとうございます。
そうですか、痛いのか…
痛さを楽しめるほど大人になってから読みます。
張翼の異常出世にもビックリだ
>452殿
かなりです(w)
諸葛先生の嫁さんが空飛んで南征するし、シバイさんは爆死するし、
張飛殿は良い子だし(w
でも、蜀好きな人は良いかも知れないです。
但し・・・完璧、別物の小説と思って読まないといけないかも・・・。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:26
458 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 15:40
>>452 正史も演義も馬鹿にしてる作者はいい度胸
「鮮卑」って今の朝鮮民族なのでしょうか?
「烏丸」とはどう違うのでしょう?
460 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 16:02
↑違います。朝鮮にはちゃんと高句麗などの政権が存在しました。
伝説では烏丸と同じ「東胡」の末裔とされています。
461 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 16:15
お日さまと長安、どっちが遠いかね?
>>442 457殿
それについてはわからないです。ごめんなさい。
>>459殿
鮮卑:北方の遊牧民族の一種。
トルコ系またはモンゴル系といわれ、後漢書では東胡の別種と書かれている。
言語・習俗は烏桓と同じである。
烏丸:わからないです^^;
しかし両方とも、漢王朝に対して幾度となく反乱を繰り返していたそうです・・・。
後は詳しい方お願いします。
>>461殿
場所にもよりますが、地球上からなら長安でしょう。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 17:17
きょういを主人公にした小説、また、三国志関連の小説ってどういうものが
あるのでしょうか?
465 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 18:41
>>464 柴田錬三郎の「英雄 生きるべきか死すべきか」では
諸葛亮の南蛮平定〜蜀滅亡までを書ききっているので、必然的に姜維の活躍の場面は多い。
諸葛亮の死後は姜維が主人公といっても過言ではないので一読をおすすめする。
あと、「孔明の聖像―姜維戦記―」という完全に姜維が主人公の小説もあるが
絶版しているので手に入りにくい。俺も数年間探しているのだが未だに読んだ事が無い…
あとは知らん。
>>461たん。
>>463 覇龍たん。
お日さまの沈むところは日本から見えますが、
長安は日本から見えません。
そんなわけで長安のほうが日本から遠いのです。
ちなみに武田騎馬軍団が赤いのは赤方偏移によるものです。
武田騎馬軍団は急速に我々から遠ざかっています。
昼飯のスパゲティナポリタンを眺めながら、積年の疑問を考えていた。それは「なぜ
ナポリタンは赤いのだろうか」という問いである。簡単に見えて、奥の深い問題だ。
「赤いから赤いのだ」などとトートロジーを並べて悦に入る浅薄な人間もいるが、
それは思考停止に他ならず、知性の敗北以外なにものでもない。「赤方偏移」という
現象がある。
宇宙空間において、地球から高速に遠ざかる天体ほどドップラー効果により、その
スペクトル線が赤色の方に遷移するという現象である。
つまり、本来のナポリタンが何色であろうとも、ナポリタンが我々から高速で遠ざかっ
ているとすれば、毒々しく赤く見えるはずなのだ。
目の前のナポリタンは高速で動いているか否か?それはナポリタンの反対側に回って
みることでわかる。運動の逆方向から観察することで、スペクトルは青方遷移し、 青く
見えるはずなのだ。逆に回ってみたところ、ナポリタンは赤かった。
よってこのナポリタンは高速移動をしていないと言える。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○
O
o
∧ ∧ |1匹300円|
⊂  ̄ ̄つ゚Д゚)つ|____|
| ̄ ̄ ̄ ̄| || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|____| || ∩_∩ <今なら逝きのいいギコが1匹300円だよ〜
G|___| \_________________
( ・∀・)∩
http://piza2.2ch.net/mona/kako/996/996823316.html
ちなみにプレートの動きのせいで中国は日本から遠ざかっている。
そのせいで日本から見て中国はアカく見える訳ですな。赤方偏移。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 22:26
>>461 >>466 この話の元ネタって洛陽じゃなかった?
世説新語だっけ?晋書だっけ?それとも三国志か?
>>444 死んでないです。自殺は演義の創作です。
孫尚香って名前は京劇(?自信ないです)上の創作名です。演義では孫仁ですが
これも孫権の庶弟、孫朗の別名をパクったもので本名は不明。
劉備が益州をとった後、呉に帰っています。おそらく呉蜀の仲が
険悪になったため返されたのでしょう。
その後は記載がありませんので一生を呉国で終えたと思われます。
>>469たん。
この話の元ネタは晋の明帝 司馬紹たんの幼き日の逸話。
明帝は司馬懿たんの孫の孫。
「長安と太陽は、どちらが遠いだろう」と問われて明帝は答えた。
「長安のほうが近い。なぜなら長安から人が訪ねてくることはあっても、
太陽から人が訪ねてきたという話は聞いたことがない。
よって、ここから長安のほうが近いと判断できる」と。
父の元帝は、その論理的な答えに感心した。
しかし、あくる日また、おなじ問いをだされた明帝は、
こんどは「太陽のほうが近い」と答えた。
父は「なぜ、このまえと違うことを言うのだ?」と言った。
それに対して明帝は
「太陽は、ここから目で見えますが、長安は見えないからです」と。
父は、さらに感心した。
この話は晋書なら帝紀第六、明帝の冒頭に、
世説新語なら夙惠第十二のとこに、どちらも、ほぼ同じ形で記されています。
日本の、なにかの説話集のなかにも、この話は入っていたような気もします。
もしかしたら、そのなかにおいて、この地名は洛陽であったかも、しれません。
けして安易に結論をだそうとしない司馬紹たんが、かわいいとおもいます。
しかし、もしナポリタンの反対側に回ってみた瞬間に、ナポリタンが
瞬時に今までと反対側の方向へ高速で遠ざかり始めたのだと考えれば、どうだろうか?
ナポリタンの反対側に回っても、相変わらずナポリタンは赤々と見える
はずである。
確かにナポリタンは赤い。
したがって、まだナポリタンが高速移動していないとは結論できない。
危ない、危ない。もう少しで安易な結論を出すところであった。
私は額に浮かんだ汗を拭った。
しかし、もしナポリタンが目の前から高速で遠ざかっているのだとすれば、
目の前のナポリタンは遠近法に従って、じょじょに小さく見えるはずである。
しかし、目の前のナポリタンはさっきから全く同じ大きさである。
このことから得られる結論は、やはりナポリタンは高速運動していないという
ことなのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○
O
o
∧ ∧ |1匹300円|
⊂  ̄ ̄つ゚Д゚)つ|____|
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( ・∀・)∩
472 :
:無名武将@お腹せっぷく :01/12/07 03:03
何で父親は同じ質問を2回したんだろ?
473 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/07 14:43
>472
2回目は家来を集めての宴席の場だったから、英明だってところを見せたかったんだろうね。
為になるage
郤正あげ
定期あげ
徐庶って本当にあんなに強いんですか?
>>478殿
まぁ・・・強かったのではないでしょうか?
撃剣の使い手だったそうですし・・・戦える軍師といったところでしょうか。
今年(もう終わるけど)から三国志の漫画読み始めてハマッってます
メディアファクトリーから出ている漫画を読んでいるので
まだ赤壁の戦いまでしか知らないんですけど、
つい真・三国無双2も買ってしまいました。
そのゲームの攻略本ではチョウセンはトウタクの死後、リョフの側室になってリョフが死ぬまで
その傍らにいた、みたいなことが書いてあったのですが、
漫画ではチョウセンはトウタクが死んだのを知って身投げした
(その後チョウセンの姿を見たものはいない)みたいな風に書いてあるので、
どっちかなーと疑問に思いました。
どちらが通説なんですか?知っている方いたら教えて下さい
>480
架空の人物だよ貂蝉は。
>481
ええ!そうなんですか?ショックです・・・
>>482 ネタかと思ったらマジだったのか…
安心しろモデルはいた
マジでした・・・
そのモデルはどんな最期だったといわれているんですか?
>>484 正史に「呂布は董卓の侍女と密通していたため内心不安だった」
とか書かれてるだけでどうなったかまでは??
演義・吉川(及び横山)・秘本・蒼天などで貂蝉の最後は異なるから
自分の好きなのを信じれば
>485
わかりました じゃあ漫画の信じよっと
ありがとうございましたー
貂蝉というのは
偉い人が冠につける飾りのこと。
転じて高貴な人物のことを指す言葉。
つまり。
劉備も曹操も孫権も貂蝉だったのです。
うはぁ
488 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 05:19
中国の年代を知りたいんだけど
殷・周・秦・漢・晋・隋・唐・宋・明・中国
でよかったっけ?
488、元と清が抜けてる
490 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 06:43
新、中華民国、中華人民共和国、台湾
491 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 08:50
台湾は中華民国だべさ
三国志っておもしろいよね。
493 :
無名武将@お腹せっぷく :01/12/15 10:35
新も抜けてる
494 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 20:37
あの、正史とかの区別がわからないんですけど
演義との違いってことですか?
495 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/15 23:37
マイナー武将の中でも張任が好きなんですが、
正史だと彼はどのような活躍ぶりなんでしょう?
劉備に降ってれば李厳より評価されたに違いない
と思うのは演義ヲタでしょうか?
張任はマイナーじゃないぞ!
マイナーとは冷包とかのことを言うんだ。
正史での評価は知らないからsage
>マイナーとは冷包とかのことを言うんだ。
ちと納得。
しかし演義で張任が劉章陣営の中でも特別扱いされてるのは、
やっぱ正史でもそれなりの活躍をしたということでしょうかね?
498 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/16 00:02
>>495 張任 蜀郡の人。代々貧しい家柄で若いときから大胆で勇敢、
しっかりした意志をもち、州の役所に勤めて従事となった。
劉備は彼が忠勇の士だと聞いたので降伏させようとしたが、
張任が「老臣は二主に仕えるようなことは絶対しない」と言ったので処刑した。
劉備は感嘆し、愛惜した。以上
>498
おお〜、ありがとう。
正史の評だと、真面目な人間だったとわかりますが、
武将として特に特筆すべき能力をもっていたわけでは
なさそうですね。
それとも、貧しい家から一軍の将になったんだから、
それなりの知勇は備えていたと考えるべきなんでしょうか。
500 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 02:05
500
501 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 02:07
字(あざな)ってなあに?
かこうとんげんじょうだったら、かこうが苗字でとんが名前なんでしょ?
あざなはげんじょうって?
502 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 02:28
>>501 通常、親からもらった名前
(この場合は惇)は、親族の目上の人、つまり親か親の兄弟(叔父さんたち)
親と君主しか呼んではいけない、とい信仰がありました。
「声に出して発すると、穢れてしまう」というような信仰です。
このために、同僚・近しい人たちは名前以外の「字」で呼び合います。
この場合、夏侯惇を「惇」と呼んでいいのは、彼の親とその兄弟、
そして君主の後漢皇帝などの目上の人たちです。
字のつけ方
字は元服(成人式みたいなものだね)したときに、自分でつけます。
ただし、名前と関連付けたり、兄弟の順番の意味をもたらしたりも
して、親族の中で自分の位置付けを明確にしようとした意味合いもあります。
名前と関連するもの
諸葛瑾 子瑜
周 瑜 公瑾
瑾瑜(jin yu)って語句もありました。「美しい宝玉」って意味でした。
兄弟の順序を示す
伯(孟)仲叔季顕恵雅幼の順
曹操孟徳=長男
司馬懿 仲達=次男
ってね。
参考↓(っていっても、俺が書いたもの)
http://salad.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1002424549/
伯(孟)仲叔季顕恵雅幼の順
幼=末っ子。
上のコピーは司馬八達。8人兄弟。
504 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 03:37
505 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 04:51
九男以降はどうするんだろ、字。
506 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 05:20
諸葛さんちの謹(字は違う。呉に仕えた人)くんと
亮くんは、名前(もしくはあざな)のこともあり、
実の兄弟ではないようだ。
諸葛家の叔父さんとの名前(もしくはあざな)の関係もあり、
兄の方は亮の家の実の子ではないようだ。
みたいなことを昔読んだのですが(うろ覚え)、そーなのですか?
507 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 08:05
中国では一族の系統上の同世代(イトコとかハトコとか)を全部ひっくるめて
兄弟という言い方をするようです。
そして、その関係の近い親類の「兄弟」は名に共通の漢字か偏が見られることが多いです。
諸葛家をみると
父 諸葛珪 兄弟 瑾・亮 とされています。
しかし、珪と瑾に王偏の共通が見られるようにこの二人は「兄弟」であると
思われます(親子で共通字はあまりない)。
つまり、珪と瑾が近い親類の「兄弟」であり、亮は遠い親類の「兄弟」であるか
珪の息子(とすると瑾は伯父か叔父になるが)ではないかという予測が立つわけです。
諸葛亮は素性に謎な部分があり、どこか表記に誤りがあったのではないか
といわれているようですね。
508 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 08:55
>>502 名と字の一文字を合わせると熟語になる武将て結構いるよね
魏延文長…延長 夏侯覇仲権…覇権 周泰幼平…泰平
孫権仲謀…権謀 王平子均…平均
507さんありがとうございます。
なるほど、当時の慣習にそぐわない部分があるのですね。
ふむふむ、亮くんは謎を持つ男ですか。
普通の武将なら「まぁ古代の乱世の話だし」と思うところですが、
諸葛亮+謎と聞くと、なぜか神秘的な感じが、、、。(w
510 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 10:24
>>508 そういったいわゆる熟語ではなくて
当時の教養であった古典などの一説や言葉からとることが多かったようです。
名と字を似たような意味にあわせるってのはあるよね。
512 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 11:53
>>488 おいっ
肝心な「魏・呉・蜀」が抜けてるぞ
513 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 12:57
>>507 真三国志とかいう本にもそんなこと書いてあったけど
DQN説じゃないだろうか?
当時はまだ兄弟で名前の一字を揃えたり偏を揃えるなんてあまり行われてなさそうだぞ。
当時の有名な兄弟で偏が同じヤツなんてごく一部、
いてもたくさんいる兄弟の一部が共通してるのがほとんど。
逆に親子で偏が共通している例もある。孫綽→孫[糸林]がそう。
514 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/17 15:24
為になるね
>>513 ずっと時代は下って。。。
思想家 康有為 のいとこ…有溥(弟)・有銘・有ハイ?
息子…同セン・同寛・同安・同偉・同修 など
孫の代(同の字がつくやつらの子供)
…保延・保誠・保敬・保材・保経・保根・保遠 など。。。
このように、古典思想に縛られた役人の家柄では、こういう風になる。
ちなみに、親父の代のいとこたちは、全員「達」の字がつく。(23人ね。)
時代が違うのでなんとも言えないけど、一概に「DQN」と言い切れないと思うよ。
この風習、水滸伝にも見られるので、1100年代には出来上がって
いたらしいんだけどね。もっと前だからな。
>>516 同世代で名前の一字揃える命名法が流行りだしたのは北宋以後、特に明清代。
理由は家譜を編集、増補する風潮が現れたため(同世代が同じ字で揃ってると整然として美しいから)
なにも古典思想に縛られていたわけではないよ(どっちかというと康有為は改革派だし)。
一番徹底していたのは清王室で例えば雍正帝の世代は一字目は「胤」二字目にはシメスヘンが使われるように決められてた
以後溥儀に至るまで一字目の字と二字目の偏は同世代同一のものが使われてる(なんなら調べてね)。
ちなみに三国志では叔父、甥で偏を共通する者はけっこういる。
曹植と曹楷(曹彰の子)・劉理と劉禅の子達・孫権と孫松(孫翊の子)
と、これだけても偏共通=同世代という法則が三国時代には当てはまらないことは明らかじゃないか?
了解。
すると、…
DQNはどこを指していってるの?
「真三国志」のこと?
>>518 「諸葛瑾と諸葛亮は兄弟じゃない」という主旨の文章が真三国志にあった筈なんだが
執筆者がどうしても思い出せないんで不鮮明な表現になったようだ。スマソ
520 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/18 01:26
真三国志?そんな本があるんだ、興味深いな。
作者とか出版社わかる?
>>519 うーん。。。
それはおれも聞いたことがある気がするな。
母違いって。。。
うろ覚え。。。
522 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 19:44
屯田制って具体的にはどんな制度ですか?
523 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/20 02:06
>522
民を募って耕作させること。これを民屯というらしい。自由意志による応募を原則とする。
耕作に従う条件は
「官の牛を借りたものは、官が収穫の六割を得、耕作者は四割を自分のものにする。
自分の牛を持つものは官と五分五分にわける。」
定期あげ
525 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 18:59
なして劉備はあんなに曹操にマークされたんでしょう?
結果的に蜀を打ち立てたとはいえ、
前半生見てると負け続けのヘタレにしか見えんのですが。
526 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/21 19:01
君と予だ!
527 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 00:27
簡擁伝に、一組の男女が淫らなことをする道具を持っているから捕縛しろ、
とか書いてあるけど、道具ってなんでしょうか。
関平って誰?
>525殿
恐らく、劉備の人徳等を恐れていたからでしょうか?
劉備殿は結構、やんちゃだったといいますし、義勇軍としても活躍していますしね
でも、実際のところはわかりません、ごめんなさいです。
>527殿
ごめんなさい、わかんないです。他に知ってる人いませんかね?
>528殿
出身地不明で演義によると河北。元は地元の名士、関定の次男だったが、
劉備の一行が宿泊した縁で、関羽の養子として迎えられる。
元の父親の「次男の平は武芸に秀でております」という言葉の通り、
闘将として充分の力量を持つ。また、激した父を制止し、
話を聞くよう薦めるなど、冷静さも持ち合わせていた。
父の関羽には及ばないが、名の有る敵将を討ち取るなど武功も多かったそうです。
正史では一行でかたつけられているようです^^;
あんまり物知りで無いのでこれくらいが限界です^^;
もっと詳しい方おられましたら補足お願いします。
530 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/22 13:46
>>527はカトママかと思ってた。
チムコとマムコでしょ?
「三国志きらめく群像」に「諸葛瑾と諸葛亮は兄弟じゃない」説があったな。
劉備は戦上手です。
曹操と陸遜以外にはほとんど負けていませんよ。
ヘタレじゃないです。
ただ、まあ軍略はなかった。
>528
正史では養子との記述はなし。
533 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 00:02
黄巾賊の時くらいしか勝ってないんじゃないの
534 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 23:27
>>527 詳しくないからわかんないけど、
「房中術」の道具かもね。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/25 19:31
警戒age
536 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/25 23:48
横山光輝アニメ三国志専用スレって今までにありました?なんか過去ログ倉庫が
準備中とかになってるんで。
537 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/25 23:54
劉備って本当に漢室の血筋なの?
↑そうだよ
539 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/26 00:02
↑ほんとぅ?
まああやしいところではあるね
孫堅が孫子の血筋だというのと一緒に
541 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/26 18:51
カクを褒めちぎって!
曹劉孫全て胡散臭いですね。
確たる証拠もないですし、乱世ですから
「自称」でいいのではないかと。
曹操は曹参の末裔じゃなくて
そのお付きの夏侯氏の末裔ですよ
>543
正史に、夏侯氏と曹氏は代々姻戚関係にあったとあるよ
>544
そうですよ。
曹操と夏侯惇とか親戚なんであそこまで取り立てられたんでしょうね。
ちなみに曹操の祖父は宦官なので子がいません。
そこで曹操の父曹嵩は養子なんですね。
どこから貰われたかというと、夏侯氏なわけで
>545
だから、代々姻戚関係にあるんだったら夏侯嵩のなかにも曹家の血が流れてるだろうが。
それはまったくそのとおりですよ
まあ系図上の話ってやつです
548 :
無名武将@お腹せっぷく:01/12/27 00:50
李粛が李広の子孫というのは本当ですか?
549 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/07 13:29
軍師郭図の実績を教えてください。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/07 14:34
昔ゲーセンにあった天地を食らう2ってゲームで
晏明と淳干導と夏候傑って武将がいるけど
知っている人いますか?もしいたら
能力やエピソード(KOEIの三国志?)などが見たい。
552 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/07 21:59
三国時代のものすご〜く詳しい地図ってどっかにないでしょうか。
書籍でもWebサイトでもいいでし。
>>550 確か、晏明は三國志3あたりで登場していたような。。。
現在、資料が手元にないので、経歴および能力はよく
わかりませんが。
おそらく、蜀の誰かにやられた武官クラスの武将と思われ。
554 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 00:16
一般に「呂布」ってどこにアクセントを付けて読むんですか?
555 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 00:25
どーたくの悪行プリを具体的にキボン♪
奪え犯せのエヴリデイ?
晏明は三尖刀の使い手だったような
>>551 絶版になってたんだ
今ここに持ってるよ
買って置いてよかった。
何か知りたい内容とかある?
557 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 12:17
馬良、馬謖には、まだ兄弟がたくさんいましたよね?
他の兄弟は何をやっていたのですか?
558 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 12:36
559 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 12:59
>>554 一般的には→↑
カッコつけて↑↓
だが基本的にはリョフというのは、
勝手な日本読みなので、好みなのである。
560 :
もちろんネタだが:02/01/08 13:05
>>557 後3人の事ですね。
馬鹿と馬並と馬面という人と
馬玩と馬延と馬元キ(字忘れた)
馬鉄と馬休と馬岱という人という人がいますが
どれが本物でしょう。
561 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 13:08
馬元義のことを言いたかったのかな
黄巾党
それを言うなら元横浜の駒田も馬一族じゃないかね
564 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 14:04
っていうか馬良、馬謖の兄弟じゃないじゃん!w
565 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/09 12:50
567 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 20:18
張飛の字って「エキトク」と「ヨクトク」のどっちが正しいの?
エキトク
益徳→正史
翼徳→演義
関羽との対象で演義では翼徳となったのかな。
対照
571 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 21:09
馬の五人って誰?
>>571 駒田
円楽
館ひろし
この3人が含まれていることは事実無根。
573 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 21:27
今、文庫版の北方三国志読んでるんだけど
赤壁って地名はあの戦いの後についたの?それ以前から既に赤壁だったの?
574 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 22:28
↑以前から赤壁だったと思われ
575 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 22:33
蜀のキョウイには子供は居たという
資料みたいなのは残っていないの?
577 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 22:36
正史に鍾会の謀叛が失敗したとき、妻子とも殺されたとあるよ。
ただ唐代の姜氏に姜維の末裔を名乗ってるのもいたみたい。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 23:15
馬なんでマジレスくれないの?
三国志初心者はおかど違いなのか……
580 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 23:17
>576踏んだ!助けて!!
581 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 23:21
>>577 まじ?
ちょっとそこらへんを詳しく語ってYO!
582 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/10 23:38
>581
唐の高宗?だったかの宰相、姜恪の族譜に姜維がでてくるってただそれだけ。
なにしろ五胡十六国のあとだから、信憑性は無いYO!
冗談だから大ジョブだ
585 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/11 00:30
>>582 なるほろー。
わかったYO!
サンクス!
586 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/11 02:12
>>571 >>579 馬の五人ってのは
「馬氏の五常、白眉最も良し」の馬家の五人兄弟のことかな。
そのうち史上で活躍したのが馬良(白眉)と馬ショクで、
馬良はイリョウの戦争で戦死、馬ショクは
「泣いて馬ショクを斬る」の諺で有名。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/11 02:19
上以外の3人が知りたいんじゃねーの?
俺もそうだし。
あれ、馬良と馬ショクって兄弟じゃなかったっけ?
あと、上の三人以外は、このスレで既出のこと以外
聞いたことないです。
上の二人以外ね・・・寝ます
590 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/11 02:37
>>336 江守備の「天の華・地の風」でないかい?
読んだ事無いけど知っているのは某四コマのため(藁)
……
>>336もよもや今頃レスが来るとは思ってなかっただろうな。
うがっ!江守じゃなくて江森だ!
……逝ってきます。
>>579 あのね、おそらくその質問はもう既出なのでマジレスが来ないんです。
初心者は大歓迎ですが、ログは読んでください。
ちなみに前回の回答以降私もいろいろ文献を当たりましたが、
やはり他の三人についての情報はありませんでした。
595 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/13 01:03
小沛ってどこにあったですか?
地図いくつか見たけど見当たりません。
596 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/13 01:28
司馬の八達を全員教えれ。
>596
それも以前に出てます
600 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/13 01:51
ギエンについてなんですけど、
蜀の末期にはとても活躍してましたよね。
なのに、どうして5虎大将軍に選ばれなかったのですか?
601 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/13 01:56
元寇の時、敵船にまで乗り込んで戦った人誰だっけ?
602 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/13 01:58
>600
孔明と仲が悪かったから。
>600
五虎大将軍は演義のオリジナル。
ですから史実でなれなかったのはまあ誰もなってないわけですから当然。
演義では羅貫中に気に入られなかったと言うか、
まあああいう話の流れ(魏延は離反)ですから
そういういい役どころは貰えなかったわけですな。
>>600 破滅した蜀将連中と同じ項に伝があるから。
小説の作品の中でだけで見れば選ばれなくて当然の感じだな。>魏延
606 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/13 22:55
今テレビで三国志のアニメの映画観てたら
関羽の娘のホウキが登場したんだけど(しかもすごい勢いで活躍してるんだけど)
実在したの?初めて知ってびっくり
どなたか教えてください。。
そのテレビとはチャンネルネコでは?
609 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/13 23:06
>>608 はい、ネコです
>>606 知らなかったです・・・
しかもリュウビとソン婦人結婚するところこの映画ではやってないし・・・
関羽の娘自体は存在したかもしれないけど
記録には残ってないね。
当時は女性の記録ってよっぽどのことじゃない限り記録されないから。
まして名前なんてまず残されない。(せいぜい関夫人って名字で書かれるくらい)
ホウキってのは初めて聞いたけど創作でしょう。
ちなみに孫尚香というのも創作の名前ですよ
京劇で付けられた名前だったかな
612 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/14 04:03
>>610,
>>611 ありがとうございます・・・
カンウの娘、今日の映画であまりにも活躍しすぎてました・・・
でも創作なんだ。。。
>>611 京劇だとだいたいが孫安になってたと思う。
孫尚香は戯曲の名前じゃないかな。
>>612 関羽の娘ってひょっとして孫権が息子の嫁に欲しがったやつ?
614 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/16 00:18
夷稜の戦いの直前,孫権は和解をしようとしたらしいですが
どんな条件だったんでしょうか?
615 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/18 09:46
趙雲は公孫賛が袁紹に城攻めされたとき一緒に籠城して戦ってたんですよね?
結局、落城して公孫賛はあぼーん。
で、どうして趙雲は生きてるわけ?
趙雲なら最後まで主君をまもるとおもうのですが?
616 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/18 13:13
横山スレどこいった?
617 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/18 14:00
>>616winだったらCtrl+fで検索できる。
やってみよう
>>615正史では、趙雲は篭城組には入っていないようです。
「趙雲別伝」には、兄の喪に服するため、
劉備より先に公孫サンのもとを去っているとあります。
演義では、公孫サンが人の諌めを聞かず、
「戦に破れて自ら火中に」
身を投じて死んだと趙雲が再会した劉備に述べているので、
篭城組には入っていたようですが、詳しい説明はありません。
演義の流れでは、趙雲の心は公孫サンの上になく、
先に公孫サンのもとを去っていた劉備こそ真の主君と思い定めていたようなので、
公孫サンとは命運を共にしなかった、ということなのだと解釈するのが順当かと。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/22 08:03
かなりガイシュツだと思うんだけど・・
孫堅、策、権といった孫一族の先祖がかの孫武、ピンといったいわゆる「孫子」だという話は
劉備が漢室の血を引いているというのと同じくらい眉唾だと思うんだけど、その辺どうなんだろう?
620 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/22 08:40
>>614 張飛を暗殺した2人、関羽を裏切ったびほー、しじんを差し出した。
てな感じだったと思う(演義)が、正史がどうなってるかは知らない。
621 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/22 11:10
しかし劉備はまったく許しませんでした。ってやつだすな。
馬氏五常は正史にも記載されてないというのが
現状らしいよ。(この板のどっかのスレで見た)
ガイシュツかもしれませんが、演義で張コウが死んだ時
司馬懿が「ああ、張雋義(ちょうしゅんぎ)が死んだのはわしのせいだ」って
言うんだけど、なんで儁乂(しゅんがい)→雋義なのでしょうか?
ヒントだけでも。
623 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/22 15:11
>>614 正史の先主伝にはただ「書を送って和を請うた」くらいのことしか
書いていないな。
624 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/22 20:14
孫権の眼が緑色というのを別のスレで見かけたのですが、本当ですか?
あれ、孫策だったかな・・・。
(白人とかってわけでなく、眼だけ遺伝の関係で色素が薄いということで)
625 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/22 21:11
角川の人名辞典・・・
諸葛亮>曹操>関羽>張魯=劉備=孫権=曹丕=曹植
周瑜=呂蒙=魯粛=0
626 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/23 13:20
>>624 あ…何故だろ、俺もその話聞いた事あるヨ。<孫権が緑色の瞳だか青い瞳だか
演技の話なのか実話なのか…なんだか興味深いな、孫家の血筋。
孫権の紫髯碧眼は演義のみの話です。
正史では「目に光りがあった」
またはエラが張って口が大きい、という記述にとどまっています。
628 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/23 15:30
申し訳ない、言葉不足でした。
陳寿の正史の中にはない、ということを言いたかったのです。
すみません
演義に書かれた孫権の碧眼は、何時ごろから言われ始めたんでしょうかね
演義の作者が引いたソースみたいなものはなかったんでしょうかね
>>629 ああ、正史の本文にはないが、裴松之が注釈に引いた
献帝春秋の中になら、書いてあるようだと書き込んだまでで、
別に、あなたの書き込みを正しにきたわけじゃないよ
こちらこそ、すまそ
三国志英傑伝の序盤で仲間になるキャラってどんなのがいますか?
632 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/23 16:46
大将軍と大司馬ってどっちが↑なの?
>>627 やはりそうなのですか・・・っても、演技でだけの話なんですね。
>>628 む、紫の髭だったんですか、そりゃまたすごい。染めてたのかな。
634 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/01/23 19:39
>628
あっ、足が短いだとゴルァ。
>63
635 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/01/23 19:41
損夫人の損ショウコウって言う名前今の所見ないのですが本当にああいう名前なの?
>508
なりませんが何か?
損権厨房=損房
三国志5をやりたいのですが、
どうやってやるのかがわかりません。
三国志5hdiと三国志5起動FDIってのが入ってるんですが、
どのアプリで開けばいいの?
>>北方謙三(名前があってるか自身ないです)の三国志読んでる方に質問ですが。
北方謙三の三国志(8巻ぐらいまででてるやつです。)は買って読む価値ありますか?
俺自身は三国志かなり好きでした。(昔はいろんな三国志読んでました近頃はまったく読んでません)
ちなみにこの質問は他のスレにも書きこんでます(いろんな人の意見が聞きたくて、、)すんません。
639 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/23 21:36
何を以って価値があるとするかが明確でないと返事がでけへん
640 :
637のカイン:02/01/23 22:34
>>639さんえーたしかに価値って書いてますが、価値って書くと難しくなるんで、
個人的にオススメかどうかと、どんな雰囲気とか教えてもらえると嬉しいです。
636、anexだぜ。
642 :
漏れは面白いとオモタ:02/01/24 00:25
643 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/24 00:40
この時代の人たちはどんな髪型だったのですか?
おだんご?武将なんかだと兜かぶってるよね、兜の下はどうなってるんだろう。
髪の短い人っていたのでしょうか?
644 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/01/24 01:22
>636
hdi,fdiって何の拡張子?
>636
朕も読んでるぞ(今8巻)
>638
ACCSのクボタ君の所へ逝きましょう。
>>644 なりきりが楽しいのはわかりますが、
ここは質問スレなのでなるべく控えていただきたいかなぁと。
>損夫人の損ショウコウって言う名前今の所見ないのですが本当にああいう名前なの?
そのレスのすぐ上にて既出です。
646 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/24 03:39
この時代の美の基準てなんでしょうね。
数多く存在した美姫。男にも美周郎なんてアダナつけられた人居るし。
美髭公・・・の場合は「見事な髭だ」と誉めたのがもとだって聞いたけど・・
647 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/24 04:48
曹操=黄巾賊の首領みたいなもんだ。
648 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/24 04:57
何万やら何十万の大軍とかよく出てきますが、
実際はどのくらいの数だったんでしょうか。
649 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/24 05:06
「号す」と言った場合、実数はその半分くらいだったらしい。
俺は1割程度じゃないかと思うが。
日本の関ヶ原の合戦だって、天下分け目の戦いという割り
には、何十万人とかが集まって戦ったわけじゃないからねえ。
まあ禹域には人が多いからかねえ。
650 :
640のカイン:02/01/24 18:56
>>642さんとりあえず1巻買ってみます。北方の情報ありがとう。
652 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 23:52
孫策が死んだのは何歳の時だったんですか?
653 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 23:58
>>653 お答え有難う御座います。
26歳というと、これからって時ですよね。
655 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 02:35
板違いかも知れませんが「弓長(ゆみなが)」という苗字は
「張」という字を分解したものなんでしょうか?
656 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 02:42
まあ、そういうこともある
657 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 23:58
卯金刀age
658 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 00:29
吉川三国志を読んだ疑問ですが関羽には3人の息子がいるみたいですが
関興・関索ともう一人誰ですか?
あ・・・もしかして関平? 養子だけど・・・
そうです。
蛇足ながら正史では関平が養子という記述はありません。
吉川三国志や宮本武蔵はフィクション度が80%くらいって本当?
実は巌流島で武蔵は遅れなかったとか。
662 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 03:00
歴史通なら自分でお調べになっては如何ですか
>>661 宮本武蔵は三国志じゃなかろうからパス。
正史として残っている『三国志』にしても、
すべて事実ということはないだろうと思われます。
その上、吉川三国志は正史より演義に近いというのが通説であろうと思われ、
演義は正史と講談(のようなもの)を叩き台にまとめたフィクションでしょう。
よって吉川三国志は歴史小説寄りのエンターテインメントと思うが吉かと。
フィクション度を数値化するのは、自分にはできかねます。
664 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 16:49
曹叡は司馬懿の権勢を意識して、自らの力を誇示する為に
宮殿造りをしたという話は本当でしょうか?
ガイシュツだったらスマソ
>665
1500ccもある、あんたの脳をフルに使いなさい。
667 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 13:11
漏れら極悪非道のageブラザーズ!
今日もネタもないのにageてやるからな!
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧ age
(・∀・∩)(∩・∀・) age
(つ 丿 ( ⊂) age
( ヽノ ヽ/ ) age
し(_) (_)J
668 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 13:35
赤兎馬って最初呂布がのってるでしょ?
なんで関羽がのってるの?
呂布にもらうの?
三国無双しかやってないからわからんのよ…
669 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 13:42
曹操が呂布を殺して赤兎馬を手に入れ、関羽にくれたんですよ。
670 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 17:12
夏侯惇の活躍やエピソードを教えて!
教えて君でスマソ
671 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 17:25
目玉食いが有名。
672 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 17:43
劉備って太ってたの?
673 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 18:58
曹操って太学に通ってたんでしょうか?
674 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 20:55
>>670 敵に捕まって人質にとられて韓浩に敵もろとも攻撃されたりと
散々なことばっかで常に後方支援担当でした、清貧だったそうです。
675 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 21:26
正直、関羽の身長ってどれくらいなんですか?
676 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/31 21:51
関羽の妻はどんな人?
677 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:27
>>672 「髀肉之嘆」の故事は有名だね。
「機を伺っているつもりが、脾肉がこんなに肥えるほど長く滞在してしまった」と嘆いたという。
実際はどうなのかしらないけど、権力者ってなんか太った人なイメージがあるので結局劉備も曹操も孫権も太ってたんじゃないかなーと個人的に。
678 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:30
>>677 劉備の半生は、戦場に明け暮れていたので、その逆ではないかと。
つーか、お前ら・・・わざと質問してない?(藁
679 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:31
張飛益徳の字を「翼徳」と工房の頃まで勘違いしてた漏れ…
誰だ「翼徳」なんて吹き込んだ奴は
演技が翼徳
正史が益徳
682 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:57
一説では曹操は痩せ型だったとか。
ですね。
呂布が曹操に捕まったときに
「公、何ぞ痩せたる」
と曹操を揶揄した記録があります。
曹操は「天下国家のことを憂いているので痩せてるんだ」
みたいな感じでやり返したみたいですが。
684 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 12:37
曹操はチビだったとも聞いたが
685 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 12:47
呂布に「こいつのほうが信用できないぞ!」と言われた柳眉
686 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 15:07
>>674 そんなにショボイ武将だったんだ!
漏れは演義でしか知らんから相当いいイメージがあったのに!!!
じゃあ夏侯淵のが良将だったのかな?
>>686 民と一緒に農作業したりほとんど給料を受け取らず
足りなくなったらその都度申請してもらっている方。
戦は駄目です。
夏侯淵は強襲を得意とする名将、でも結局は黄忠軍に撃破されたしなあ。
689 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 15:50
夏侯淵・黄忠でふと思ったんだけど、
実際のところ、弓の名手No.1って誰なの?
690 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 16:01
>>686 貴様、後方支援をバカにしたな! 前線の部隊は我等の支援あって初めて
その能力を十全に生かしうるのだ!反省と謝罪を要求しる!!
・・・ってのはおいといて、槍働きが劣るからといって将軍として無能ってわけでは
ないぞ。呂布や関羽なんか、戦場では無敵だったのに、あっさり敗死して国運を
傾けてるやんけ。
呂布や関羽よりも典韋が強いと思う、正史であれだけ書かれてるなんて・・・
正史を見ると「将軍」としては夏侯淵の方が明かに有能ですね。
「典軍校尉の夏侯淵、三日で五百里、六日で一千里」と、
特に神速を謳われたようです。
ですから騎馬民族相手に大活躍していますね。
韓遂・馬超征伐で渭南で戦い、テイ(氏の字の下にアンダーバー)族を討伐、
安定で楊秋を降伏させ、長安に駐屯して梁興を斬り、
漢中に逃げていた馬超が祁山に出てくると、
「将、外に在れば、君命も受けざる所有り」で、曹操に報告する間もないと
自慢の神速で急遽姜叙らの救援に駆けつけ、馬超を撤退させます。
そうすると今度は韓遂討伐に討って出、
略陽に韓遂を追い詰めますが、城は堅固、兵は精強、援護する興国の羌族も手強いと見るや、
長駆して羌族の諸部族を攻撃し、韓遂軍を動揺させ、
救援に出た韓遂軍と野戦に持ち込みます。夏侯淵はこれを破り、
略陽・興国もそのまま陥落させて恐れをなしたテイ王は馬超のところへ逃げています。
これにより西涼方面の長くにわたる反乱は落ち着き、
テイ族や羌族は「夏侯淵を出すぞ」の曹操の言葉に脅えるようになるのでした。
>>687-691-693
情報サンクス。正史と演義ってやっぱ違うんだなと。
最後に「将」として曹操に信頼されてたのはどっちだろう?
つーか曹操が一番信頼していた将ってだれなんだろう。
イツマデモ教えて君でスマソ
ここはそういうスレだぜ。
夏侯惇が大軍を独自に率いて戦ったという記録は確かなかった気がしますからねえ、
やはり夏侯妙才の方が上だったのではないでしょうか。
と言いますか演義でもそんなに見せ場ありましたっけ?<夏侯惇
何か光栄三国志でだけ強いような気もしますね
697 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 06:30
演義だと、夏候惇は関羽が曹操のもとを離れるときに
最後に止めようとしなかったっけ?
そのとき関羽と戦って殺されなかったから
顔良よりは強いってみなされたんでは<コーエー
699 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 08:40
尹黙の魅力値が低い理由は何故でしょうか?
>>694 一番信頼されてたのは夏侯惇じゃなかったかな。
臣下としてではなく、友人として扱ったとか。不臣の礼と呼ばれる礼をもって。
夏侯惇って確かに戦の能力はそれほどではなかったかもしれんが、
人の上に立つ人間としてはかなり有能だったと思う。
堤防作るとき一緒になって働いたりとか、余分な財貨は配ってしまったりとか
さりげにいいエピソードを持ってる人だ。
>699
あまりゲームの能力値を真に受けない方が良いですよ。
三国志1では郭図の武力が90だったりしますし
三国志を1から学びたいんですが
何読めばいいんでしょうか
なんだかんだいって、ちくまの正史三国志が一番無難かと
705 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 15:39
>>703 三国志を全然知らない人がちくま正史を読むのは辛すぎです。
紀伝体だから事柄の繋がりが判りづらくてとてもじゃないが最初は無理。
小説(吉川版でも北方版でも安能版でも柴田版でも)を一通り読んで
大体の流れを知ってから正史に入った方がいいと思う。
あと小説は脚色が入っていることが多いから
全て史実だと考えて読まないことです。
706 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 20:36
>>702 あれは郭図とホウ徳の能力が入れ替わっちゃったバグらしいよ。
参考:三国志1の郭図 武力90、知力43
々 ホウ徳 武力44、知力87
大らかな時代だったな〜
707 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 21:04
「死せるコウメイ逝けるチュウタツを走らす」
ってどういう意味ですか?
708 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 22:03
最近この板を見始めて久しぶりに三国志のゲームやりたくなったんだけど。
今はなにが面白いの?お奨めはやっぱり8?
PS2持ってるんで8買ってみようかと思ってるんだけど。
>707(TEMJIN J/c)
死んだ孔明(諸葛亮)が遺言で自分の姿に似せた木の像を作らせていました。
孔明と戦いたくなくて引きこもっていた仲達(司馬懿)は孔明の死を聞き、
引きこもりから一転、討って出ます。
しかしそこで孔明の像が。
「ナヌー孔明生きてたのかYO! 計略か! 逃げろ!!」
と仲達は退却しました。
とまあ、こういうことです。
713 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 00:37
んで、その後日談として
百姓達がその「死せる孔明〜」の噂を囁きあってるのを聞いた仲達は苦い笑いを浮かべて
「生者を相手にするならともかく。いくら儂でも死人を相手には出来ぬわ」と漏らしたという。
…民間伝承だろうな、コレ。
↑晋書の「宣帝紀」に載ってるよ
晋書は確か300年も離れた唐代の編纂ですから民間伝承も平気で混じっている可能性はありますね。
716 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 00:39
そうそうってどういう家柄なんですか
>716
高祖の配下曹参の付き人、夏侯嬰の末裔です。
ちなみに曹操の祖父は宦官で、曹操の父曹嵩は夏侯家からの貰い子です。
718 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 00:57
曹操って150cm位だったらしいよ。身長。
…辻加護とおんなじ位か…
719 :
無名武将@お腹せっぷく :02/02/07 01:43
ウロ覚えでスマソだが、ある時、異民族の王がやってきた時、曹操は自分の身なりを気にして部下の中から威風堂々としてる人物を選んで曹操の影武者としてその王と対面させ、自分はその側にいる警護兵役をやってたそうだ。
そしてその王が帰路につく時に曹操の印象を聞かせたところ「確かに威風堂々としていて立派ですばらしいお方でした。しかし、その隣にいた人物こそ真の偉丈夫でしょう。」と。
それを聞いた曹操はその王を殺してしまったとか・・・。
なぜ殺してしまったかはわからんが、そういうエピソードがあったような記憶がある。
あと、歴史の中で優れた人物ってだいたい平均的に背丈の小さな人が多いような気がする。
ケ小平やナポレオンもそうだし。なぜだろ? コンプレックスが良い意味で作用したから!??
720 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 04:04
721 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 10:05
>>720 出展元、あんましよく覚えてない・・・。十八史略だっけか??
スマソ。わからん・・・。
722 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 13:34
あ、そうだった、それがあったんだ。
724 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 20:21
初心者向けのわかりやすいストーリー紹介してる
三国志サイトありませんか?
725 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 20:48
>>725 古い史書の内容に対して「事実か?」と聞かれてもちと困るだろうな。
書かれてたって事は事実だけど、書かれた内容が事実なのかはわからない。
単なる言い伝えや噂話の中で、作者が本当っぽいなって思ってることを盛り込んでる
場合が多いから。
727 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 21:12
否、世説新語のエピソードは後の創作がほとんど。
曹操がエンショウと花嫁を盗んだり叔父をだましたりといった
エピソードも創作。
728 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 22:27
「曹瞞伝」にも書かれているようだが<叔父を騙すエピソード
曹瞞伝も創作?
>>727-728 それ以前に、なんでこうもあっさり「創作」と言いきれるのか気になる。
証拠は?考証でもしたのか?
曹瞞伝て凄い曹操アンチだった気がする・・・
731 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 23:42
「世説新語のエピソードの多くはいい加減で信用するに足らない」
by三国志考証学
だいたい、正史にも注にも無いような話をおいそれと
信用する方がどうかしてる。
まあどの資料もまずは疑ってかかるべしです
チビだと思われてたことは間違いないだろ。
世説新語だってバレバレの嘘は書かないよ。
正史にも注にも曹操の容姿について触れた部分はないし
デカけりゃそう書くじゃん「容貌魁偉」とかって
734 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 00:48
でかくなけりゃチビなのか?
735 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 01:43
>>724 横山光輝の漫画「三国志」が一番わかり易いと思う。60巻ぐらいあるけどね。
小説なら吉川英治の「三国志」(講談社歴史時代文庫・全八巻)が個人的にはお勧め。
サイトで検索して見るのもいいけど(どちらかというと批評が多い)、やっぱ本でじっくり(電車の中とか)読んだほうが面白いと思うよ。
736 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 01:44
子供の頃は劉備や孔明が好き。大人になると曹操が好き。
以上、個人的意見。
子供の頃は孔明や張飛の圧倒的な強さが好き(小説とかの)。
大人になると劉備や曹操の欺瞞性が好き。
でも今は、判官贔屓でみる劉備や孔明が大好き!
738 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 04:40
>736
孫権は・・・
739 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 08:16
>>733 世説新語は「背が低い」じゃなくて
「容姿に自信が無い」ダヨ。
大体、世説新語は伝記とか史記じゃなくて
噂話とか言い伝えを集めたもんなんだからなんだから
嘘をつく捏造するとかいう物じゃない。
ま、日本昔話みてーなもんヨ。
740 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 14:16
741 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 17:37
>>719 この話で曹操の影武者になってたヤツって崔エンだったっけ?
742 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 17:39
激重だった
何で来れてるヤツがいるの
743 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 20:13
>>741 そう、崔エン。ちなみに切ったのは王じゃなくて唯の使者。
世説新語らしい、曹操に対して悪意を感じる話のような気もするが
見方を変えれば、見る人が見れば立派な武将に見えるってことかも。
744 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 00:05
既出かもしれませんが、ゲームの三国志[のアイテムで銅雀見つけた方、情報下さい。
745 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/13 10:48
この板(スレ)に来てる人すべてに質問なんですが[スーパー歌舞伎三国志1.2]見た人います?
もし見たことあるなら感想希望っす。さすがにいないかな、、、。
ちなみにこの質問は他のスレにも質問してます。すんまそん、。
746 :
745はカインです。:02/02/13 10:49
745はカインです、。
747 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/13 11:26
カインて誰?
748 :
756のカインです。:02/02/13 11:37
>>747さん。カインはニュース板アニメ板など放浪してる者です。たまに戦国板にもきます。三国志好きなんで
エヴァ板にもたまに行く者です。
曹操の乗っていた馬の名前って何て言うんですか?
りゅうびはてきろ、りょふはせきとばってのは聞い
た事があるんですが。教えてください。
750 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/14 16:27
>>749 爪黄飛電(そうこうひでん)
絶影(ぜつえい)
>>750 ありがとうございました。とても気になっていたので
スキーリしました。
752 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/14 21:19
七星宝刀でしたっけ?
あれって王允から曹操がとうたく暗殺するために借りた剣ですよね。
だけど暗殺し損ねてとうたくに献上したまでは分かるのですが、その後はどうなったのでしょう?
とうたくがりょふに殺された後、誰かがこの剣を使っていたのでしょうか?
三国志8で女房から貰って気になったモノで…
特にその後の記述はなかったと思います
754 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/16 22:09
三国志演義を読んでみたのですが全然面白くありません。
面白い読み方を教えてください。
劉虞って何者ですか?
757 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/16 22:53
>>756 字は伯安。幽州の牧。
皇室に連なる(劉備あたりと違ってかなり明確に血縁のある)劉氏一門の一人。
烏丸(烏桓)などの東方異民族を柔軟な慰撫策で治め、名声と人望に優れた。
董卓の擁する献帝に対抗するため袁紹らが彼を担ぎ上げて皇帝にしようとするも
劉虞自身が拒否したため実現しなかった。
烏丸に対する政策で強硬策を採る公孫サンと対立。次第に仲が険悪となる。
公孫サンが袁紹との界橋の戦いで大敗した際、彼を攻めるが逆に敗北。
公孫サンに捕らえられ殺された。
こんなもんで分かる?
759 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/16 23:15
徳間文庫、立間氏のは演技訳としては有名ですが
会員登録してある紀伊国屋オンラインでは入手不可です・・・
↑コピペ参照
で、コピペの下のほうにある「平凡社奇書シリーズ」のは「買い」でしょうか・・・?
1. 三国志演義(徳間文庫 ) 7
羅貫中 /立間祥介 /徳間書店 1983/11出版 317p 16cm NDC:923.5 \447(税別) 入手不可
--------------------------------------------------------------------------------
2. 三国志演義(徳間文庫 ) 8
羅貫中 /立間祥介 /徳間書店 1983/11出版 285p 16cm NDC:923.5 \427(税別) 入手不可
(中略ですがなにか?)
--------------------------------------------------------------------------------
8. 三国志演義(徳間文庫 ) 2
羅貫中 /立間祥介 /徳間書店 1983/08出版 318p 16cm NDC:923.5 \447(税別) 入手不可
--------------------------------------------------------------------------------
9. 三国志演義(奇書シリ−ズ ) 上
羅貫中 /立間祥介 /平凡社 1992/06出版 548p 23cm NDC:923.5 \2,427(税別)
--------------------------------------------------------------------------------
10. 三国志演義(奇書シリ−ズ ) 下
羅貫中 /立間祥介 /平凡社 1992/06出版 519p 23cm NDC:923.5 \2,427(税別)
>>757 ありがとう。よくわかりました。
身の振り方一つで歴史が変わっていたかもしれない程の人みたいですね。
なんだか諸葛亮だけやたら孔明孔明と
字で呼ばれることが多い気がするのですが
どうしてですか。
何故でしょうね?
同じ二字姓の司馬懿も仲達仲達って呼ばれますね。
その辺が関係有るんでしょうかね。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 02:37
孔明のことを何でも知ってるYO!みたいな人が孔明孔明と字で呼ぶと勝手に推測してみる。
764 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 02:44
伏皇后は本当にたたき殺されたんですか?
孔明の方が速く打てるってだけの理由で孔明って言ってるよ。
766 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 08:52
>>761 孔明だけじゃないよ。
有名な覇王項「羽」や郭「沫若」、蒋「介石」なんかも字です。
自分の言いやすいように言えばいいんじゃない?
767 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/18 10:28
北方謙三の三国志は傑作
よーしパパも孔明って呼んじゃうぞー
ありがとうございました。
戟と槍の明確な違いを教えてください。
項羽は項「籍」が本来の名前ですね。
ゲイ布(文字出てこないや)は本名は英布というそうですね
(ゲイは刺青の意味、ゲイ布は罪で刺青を入れられていた)
>769
戟はまず柄の延長上に刃があり、さらにその刃の途中から枝という刃が出ています。
枝が先端の方向にカーブするのが伝統的なもので、
枝が垂直に、L字型に刃がある形のものが新式です。
新式は先端の向きが違うため相手の傷口が複雑になりダメージが大きくなります。
またL字型の穂先は防御をする際にも有利です。穂先は40〜70cmほど。
三國志の中ではしばしば双戟という文字が見られますが、
これは2つの戟を使ったものか枝を二本持つ戟のことか個々の区別はちょっとつかないそうです。
長くなったのでレス分割します。
>769
「槍(ソウ)」という文字には両端を尖らせた木という意味があり、
「墨子」の「備城門編」(敵の攻城への備えを記してある)にも、
城壁防御用に「槍二十枚」と記述があるように、
槍は歩兵の持つ武器ではなく、敵の突入を防ぐための障害物であるといえます。
歩兵が持って戦う長物として今の日本の槍の認識に一番近いのは
矛(ボウ)であるといえます。これの形状については槍のようなものを想像して頂いて結構です。
矛は戟と同じくこの時代の歩兵の主力であり、騎兵も利用しました。
長い矛を持った歩兵の密集陣は騎兵に対し有効で、対騎兵用の4メートルを超える矛を
特に槊(サク)と呼びます。
このような長物(長兵と呼ばれます)は突き刺すという動作は斬るのよりも速いため、
これは利点でしたが半面抜けなくなる、折れるという弱点がありました。
これをカバーするため典韋は濮陽の戦いで十余本の戟を持って戦ったといいます
772 :
カインです。:02/02/19 20:49
質問なんですが、、、三国志8ではソウヒョウの最低にどのくらい近いですか?
もしかしてそこそこ良かったりします?
>772
どのくらいと仰られましても答えようが
答えかたを指定してください
774 :
カインです。:02/02/19 22:36
>>773さん。すんませんえーたとえば最低の能力(数値)が3個あるとか、特技?特殊能力?がまったくないとかです。
775 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 22:39
曹豹 69 36 28 28 乱撃(初)・奇襲(弐) 挑発
776 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 22:52
意味わからん
777 :
カインです。:02/02/19 23:06
>>775さんありがとう。あーできれば知力がイクツ統率がイクツとかいってもらえれば嬉しいです。
曹豹は2が凄かっただけであとはたいしたことないですよ。
西涼の旗本八旗と同じかやや低い程度で
ごめん。忘れてたよ。
武力69 知力36 政治28 魅力28
戦術 乱撃(初)・奇襲(弐) 特技 挑発
780 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 23:17
北条早雲とともに関東に下向した御由緒家の
北条滅亡期頃のそれぞれの家の扱いについて聞きたいです。
松井田城の大道寺家以外で重要な役割与えられた家はないですか?
>780
スレッドタイトルを3回復唱してください
ガチョーーン!
質問・雑談スレというのが有りますのでそちらで聞いてみてください。
784 :
カインです。:02/02/19 23:53
>>778さんありがとう。俺自身三国志は4ぐらいまでしかやってなくて。
>>779さんありがとう。たしかに2のソウヒョウはひどかったようですね、ウル覚えですが、、、
8でひどいのは劉禅とか黄皓とか。
やはり国を傾かせるくらいの活躍(?)をしないとそれなりの能力値はもらえません(w
786 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/20 00:37
赤兎馬(呂布)の走りについて。
一日に千里を超えると言いますが、当時の一里は現在の何キロぐらいなのでしょうか?
演技の猛カク婦人(触優でしたっけ?)彼女の赤兎馬との違いはなんなのでしょう?
もしかして同じ馬ですか?
ええと当時の一里は400mだったかと……
自信が無いのでもう少し文献をあたってみます。
また、祝融婦人の赤兎馬は別物です。
788 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/20 11:00
>>785 国を傾かせるんだったらやっぱ謀略コマンドが欲しく…
789 :
カインです。:02/02/20 14:52
>>785さん情報ありがとう。ところで黄皓←って誰でしたっけ?以前は三国志よく読んでたんですが、、、。
それと三国志7はPS(1)に移植されましたよね。三国志8はPS(1)に移植される可能性はありますか?もし情報を持ってる方がいたら返事もらえると嬉しいです。
もしPS(1)で三国志8がでたら買おうかなーと思って、、、。
790 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/20 15:14
>>789 黄皓は蜀の宦官として皇帝・劉禅に近侍。
姜維が北伐に当たっている最中。劉禅を誑かして私腹を肥やし、
政治を混乱させた。
蜀が滅びた時、敵国人に殺害される。
>>789 ウィンドウズ持っているのなら、パソコン版のPK買うほうがよい。
>>786 秦・漢代の一里は、一般的におよそ430mです。
>>786 中国特有の誇張表現ともとれる
千里で単に長距離の意味
千里駒ですが、何か?
過去ログ読んでないのでもしあったらごめんなさい。
横山センセの『三国志面白ゼミナール』P146に
「当時、武官より文官のほうが地位が高かった。」ってあるのですが
これは本当なんですか?その本でしかそういう話を聞いた
ことが無いのでよくわかりません。
796 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 00:46
>>795 北伐を指揮していたのは武官・それとも文官?
中国はあの時期に既にシビリアンコントロールを完成させていたのですね。
凄いですよねえ。
三国時代当時どころか、ほぼ永遠に、武官より文官の方が地位が上です。
というか、武官=使い捨て要員です。
799 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 00:50
蜀の武官第二位は孫乾
800 :
カインです。:02/02/21 16:06
>>790さんありがとう。その人いたようなきがします。忘れてて、、、。
>>791さんありがとう。パソコン版のPK(パーフェクトキット?)の方がオススメなんですね。
パワーアップキット
あとパワーアップキットだけでは動かないので本体と一緒に買うべし。
まあ本体+パワーアップキットのセットがあると思いますが。
>798様
レスありがとうございました。よく考えたら三国時代は
名士の時代でしたから文官が上なのは当たり前ですね(汗)。
武官=使い捨て…ううむ、そういわれてしまうと、そうですね。
しかし文官と武官のはっきりした区別の方法を知らぬ私…
クンフーが足りませぬゆえ、修行に行ってきます。
>799様
孫乾お好きなんですか?自分はカナーリ好きです。
孫乾は使い捨てじゃないッスよね?(泣)
804 :
三国志初心者:02/02/22 07:45
友達からじゅうじょうじとかいう名前を聞いたんですけど
ただいまはまってる北方三国志に今のところでてきません
どなたか詳しい詳細と漢字を教えてください
805 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 08:38
十常侍というのは、後漢末に徒党を組んで専権した宦官十人の総称のこと。
張譲・趙忠・封ショ・段珪・曹節・侯覧・蹇碩・程曠・夏ツ・郭勝の十人。
806 :
カインです。:02/02/22 11:50
>>239さんありがとう。本体+パワーアップキットのセットがあるんですね。
>>801さんありがとう。あーでも高いんですよね、、1万5千円くらいですか?買えないわけじゃないですが痛いです。それで、、
807 :
806のカインです。:02/02/22 12:07
それで三国志7(PS1の中古)4900円を買おうどうか迷ってます。
ヤッパリPC版三国志8のほうがいいですかねー?
どなたか7も8もやられかた助言をいただけると嬉しいです。
いきなり質問してあれなんですが239さんは7も8やられたんですか?
808 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 13:50
1万5千もしないよ。1万2千くらい。
8は短気な人には向かない。
私は7も8も、と言うか1から8まで全部やりましたよ。
8は7の改良版と言うか、改悪版と言うか、
マイナーチェンジなので両方買う必要はないとはっきり言えます。
ただ7と8どっちが好きかというとこれは結構意見が分かれるようで。
私は8の方が好きなんですけど。
あと三國志やるならPSよりはPCでやったほうがいいと思いますよ。
7と8を両方PS2版のみをやったわたしは人生損してますか?
(楽しめた。8は7の改”良”とおもふ)
811 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/24 21:04
個人的に、8はPS2でパワーアップキット出るまで買うの控えようかなと思ってたり…出るのかな?
出ないだろ。7は出なかったし。
813 :
806のカインです。:02/02/26 21:19
>>808さん情報ありがとう
>>809(239さん)さん情報ありがとう
>>810さん情報ありがとう
PC版でちょっと気になることがあるんですよねー個人的なことなんですが、、、。
以前私の友達から借りたパソコンゲームソフト(こみっ●パーティー、A●R)が動かなかったんですよ、
それで私のパソコン(バイオのs600)半分壊れてんじゃないかと思って、
PC版三国志8買うのが怖くて、、、。(三国志と関係なくてすんまそん)
814 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 21:21
__ | 太
/ \ 東三国 野 関 千 子
─┼───┼─┐ | 江 目 林 橋 守 大
─┼───┼─┘ 新大阪 都―内―高―大―今―口―日
\__/ | 島 代 殿 宮 市
大阪市交通局 西中島南方 天神橋筋六┘
地下鉄路線図 | | | 蒲 今 鶴
中津 東 扇町 生 福 横 見 門
| 梅 | ┌四―鶴―堤―緑―真
野田阪神 西梅田 梅田 田―南森町――┐京橋 見 地 南
| | | | | |
玉川 肥後橋 天満橋 北浜 天満橋 └大阪ビジネスパーク
| | | | | | 長
┌―九条―阿波座―― 本 町 ―堺筋本町――谷町四―森ノ宮..―緑―深―高―田
弁天町 | 西 | | | 松 | | 橋 江 井
┌―朝潮橋―┘ 西長堀―大―┼――心斎橋―長堀橋―屋―谷町六―玉造 橋 田
大阪港 | | 橋 四ツ橋......| | 町 | 新
大阪ドーム前..| | | | | 鶴 今 深
千代崎 桜川―― なんば........――日本橋―谷町九―橋―里―江―小路
| | | | | |
大正 └―大国町 恵美須町 四天王寺前夕陽ヶ丘 北巽
| | | | |
花園町└―動物園前―天王寺┐ 南巽
| | |│
岸里 天下茶屋 阿倍野┼文の里┐
815 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 21:58
三国志か戦国のシュミレーション買いたいんだけどなにが良いの?
ハードはPS2で
太守と牧と刺史
どの順番でえらいんでしょう?
817 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 14:26
>>816 後漢後期までは
太守(二千石)は郡を担当し郡の兵権と行政権を両方とも握る。
刺史(六百石)は州全体が担当で州の太守たちを監察する役割だが、兵権なし。
よって太守>刺史
しかし反乱の続発で州全体に兵権を行使出来る存在が必要になり、
188年、劉焉の建議で刺史に代わり兵権を持つ牧(二千石)を益州、幽州、冀州に設置。
以後、他の州でも次第に刺史に変わって牧が設置される。
牧は格こそ太守と同等だが、州全体を支配出来るため太守の上となる。
結果後漢末期は
牧>太守
なお魏は後に再び牧を廃して刺史を置くが、
各州の都督が刺史を兼任することも多く、実際には刺史の権限が拡大。
蜀・呉は牧と刺史を併置。
よって三国期は
牧(蜀・呉)>=刺史>太守
こんなもんかな。
818 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 14:29
819 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 16:45
>>817 魏にも牧はいますよ。
揚州牧=曹休 冀州牧=孫礼
腸線って処女だったの?
>>819 ご指摘ありがとう。
確認したが確かに曹休や孫礼は牧になってるね。
どっかで魏は牧を廃したと聞いたんだが・・。
鵜呑みにせず確認すべきということか。
822 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 00:33
関索について。
史書には存在しない演技作成の武将だと言う認識でしたが、
花関索伝と言う本があると言う事を聞きました。
しかし、内容についてはまるでわかりません、何方かご教授ください。
823 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 00:53
桃園で義を結んだときにそれぞれの家族に心をひかれないように殺しに行きました。
張飛は関羽の妻が妊娠していたので見逃してあげました。
その後生まれたこの子は、七歳の時に迷子になり、索員外朗にひきとられました。
九歳の時、花岳先生の弟子となり、文武の才を身につけました。
そして十八歳の時、出身があきらかになったので、三家の姓をとって、花関索と名乗るようになったのです。
その後、彼は母と一緒に西川の父に会いに行きました。
関索母子は関羽と会うことができ、ついに一家団欒することができました。
曹操が落鳳坡で劉備を宴会に招き、殺そうとしました。
このとき随行していた関索は曹操の武将を斬って劉備を守りました。
そのあと関索は諸葛亮の指図のもと、曹操を攻撃して落鳳坡を占拠し、荊州を奪いました。
劉備は西川に軍を進めましたが、敵に包囲されてしまいます。
そこで関索が打って出て包囲を解き、敵将二人を降し一人を斬殺しました。
成都につくと、関索は守備軍元帥の周倉をひっとらえました。
劉備が成都を手に入れた、一年後、関羽と張飛は荊州とロウ中に行き、王となりました。
しばらくして劉備は劉封に命じて関羽の様子を見に行かせましたが、
そのとき劉封と関索とが喧嘩になったことから、関索は雲南に、劉封は陰山に左遷されてしまいます。
のち、劉封は関羽を見殺しにして劉備に救いを求める書信を送ってきました。
荊州が失われると、劉備は劉封を殺し、呉追討の兵をあげますが、
派遣すべき将がいないため関索を呼び戻します。
そして関索は父を見殺しにした仇をうちました。
その後、劉備は関羽と張飛のことおもって病死し、
関索も怒りと病とで死んでしまいました。
以上、本片手に書いてみました。
828 :
826ではないけれど:02/02/28 03:00
>>827 「花関索伝」のストーリーは大体その通りだよ。
ただ、麋竺が麋芳と一緒に裏切ったり
呂蒙と一緒に関索に陸遜が殺されちゃったり
劉備の死とともに諸葛亮が修行に出ちゃって劉備陣営が消滅したりと
まあ歴史を完全に無視した話になっているんで
『花関索伝』は「三国志の登場人物(+オリジナル人物)を用いて書かれた全く別の話」
として捉えるべき。
演義に出てくる関索の履歴もこの通りかと聞かれれば違うと言わざるを得ないよね。
829 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 05:23
花関索伝は、明代に書かれた小説だったはずだよ。
つまり、創作。828さんも言ってるけど創作。
あと
>>820、チョウセンは演技で生まれたフィクションキャラだったと思う。
ぐあっ。「創作」の単語が一つ多い…
別に創作ということを強調したいわけぢゃなかったんだ…スマソ。
「字」(あざな)について質問なんですが、これは具体的にはどういう意味があったのでしょうか?
また、字の無い武将はいるのでしょうか?
833 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 14:00
>>831 個々人の字の意味については832が挙げてくれたものを読めば大体分かる。
ただ、もしかして831の聞きたいことって
「字って何のためにあるの?」ってことか?
834 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 19:28
名(諱)の代り。<字
835 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 21:42
曹操孟徳、劉備玄徳等々三国志の有名人の名前の中国語よみってどうなのか
教えてくださりませー。
>817,819
遅くなりましたがありがとうございました。
838 :
楊雄 ◆zA1iYang :02/03/02 02:01
>>834の補足
当時、中国では音声による穢れという信仰がありました。
文字にしてあらわすのはOK。でも、声に出すと穢れる、という信仰のようです。
ですから、目上の人(親・君主など)が諱を呼ぶのはかまわないが、
対等かそれ以下の人(同僚・友人・部下)などは、その相手の名前を、
つまりはその人そのものを穢したり害をもたらすことを避けるために
字で呼び合ったと考えられています。
諸葛亮孔明(諸葛-亮-孔明)ですが、「亮」と呼べるのは、親・兄、君主
(劉備と劉禅)、そして面識の無い敵国人。我々2ちゃんねらも、敵国人
ではないけれども、
「面識が無い」
という意味では、「諸葛亮」と呼んではいけないとは必ずしもいえない
と思います。しかし、既出の「孔明」だけっていうのも、入力・変換が楽なのは
確かですし、「諸葛亮孔明」という文章の登場人物をあらわす方法としては、
間違っているとも言えませんね。
839 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 14:56
>>838 音声による穢れ…それは知らなかったです。面白い信仰ですね。
蒼天航路や三国無双では字を親しい人間への呼称として(?)
使っているよう(例:夏候惇の曹操を「孟徳」、劉備の張飛を「益徳」)ですが
あれは何故でしょうかね。
840 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 16:06
>>839 字が伝わってない武将の方が多いからじゃない?
本来なら当時は姓+字(例えば劉玄徳)
もしくは姓+官職(例えば劉左将軍)で呼んでいたはずだけれど、
官職は変化するものだし、三国志に登場する人物は名は分かっていても
字が分からない人物が大半だから姓+字では全員を表現しきれない。
それで一般的に三国志作品では姓+名で人物名を表記することにしているけれど、
作品によっては親密な関係にある人間同士は特別な呼び方で呼ばせたい。
それで作家や製作者たちは字を呼び捨てにさせることで
親密な関係を表すことにしたんだろう。
字の本来のあり方とは真逆だけど。
名を直接呼べない以上、実際には親しくなくても字で呼んだはずだし。
(親しくなければ字に敬称をつけて、
親しければ字を呼び捨てという差は有ったんだろうけど)
まあここまで字を引っ張っといてなんだが、
当時一番一般的な呼び方なのは恐らく「姓+官職」だと思う。
841 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 16:15
微妙に話がかみあってなくないか?
>>841 州牧や州刺史の場合は任地の州名で呼ぶのが普通だろ
>>841 まあ、そうなんだが普通は劉豫州と言うでしょう。
>>842 ・・微妙にズレてる気もするな。自分で言うのもなんだが(w。
要は「なぜ蒼天航路や三国無双では字を親しい人間への呼称として使っているの?」
という838の問いかけに対して「恐らくは作品上の都合。」と言いたかった訳なんだが。
あ、841には843がすでに言ってくれてるな。スマソ。
846 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 16:37
筑摩の訳注によると
「目上の者が(下の者を)字で呼ぶことは、特別の敬意を示す行為」
とあるから劉備→益徳はあったろうけど
夏侯惇→孟徳はどうだったんだろうね?
847 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 16:38
孔明没後の三国志に詳しい書籍ってありますか?
848 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 16:46
>847
もちろん正史『三国志』が一番詳しいと思うんだが。
,-‐''''""''''ヽ、
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/:::::::::::::ヽ、lヽo | /,/─ /ヘl /
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/ / / /'''"''ヽ、 ヽ \──--,,,,,,
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,,,-‐‐/ ''ヽ _,,,,,/ / \‐''" \ \ | / |
/ ヽ ヽ / ,-─'''"~ ゙''ヽ 、 "'''' ゙゙'''/)
850 :
楊雄 ◆zA1iYang :02/03/02 23:33
>>846 蒼天航路の中の設定に限らず、曹家と夏侯家は縁戚関係でした。
曹操の字、孟徳の「孟」の字には、「長男」だけでなく、「一族の族長の長男」
という意味合いがありまず。わかりやすく言えば、「本家のボンボン」です。
この「本家のボンボン」と取り巻きの親族の年の近いものが集まって悪さを
していた、というのが通説です。(花嫁をかっさらう、とか)
そのころからのお付き合いのものが幾つになっても「孟徳!」とか呼び合っている、
という主従を越えた間柄の表現と思われます。
851 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 23:36
ということは馬超もボンボンですね
俺なら花嫁じゃなくて幼女さらうね
854 :
楊雄 ◆zA1iYang :02/03/02 23:54
>>851 その通り。漢の功臣馬援の直系子孫です。
(後漢でしたっけ?)
855 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 23:56
>>851 馬家はかつて皇后出した家柄とは言っても馬騰はきこりまで落ちぶれていた訳だし、
馬騰の軍閥は元々韓遂の尻馬に乗った反乱勢力だからねぇ。
懐柔のために官位を贈られているとは言え名家でも権勢のある家でもないから
馬超は一族の総領であるには違いないにしても「ボンボン」と言えるかどうか・・・。
きこり!!?
>>854 そう、後漢(正史のちくま和訳には間違って前漢と書いてあるけど)の伏波将軍馬援。
「矍鑠」(かくしゃく)という言葉の生みの親でもある。
>>856 そう、きこり。
馬騰は生計を立てるため木を切り出して町まで運び、売っていたという
『典略』の記事を正史馬超伝の注に裴松之が引いてる。
859 :
楊雄 ◆zA1iYang :02/03/03 01:15
>>855 これは、「一族の族長の長男」を「本家のボンボン」と曲解してしまった
私のミスのようです。失礼しました。
それはそうと、貴重なお話をありがとうございます。
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ⌒ ⌒ \
/\ |
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(6-------◯⌒つ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| _||||||||| | < カツオや〜
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.。.*:.。.
. .。.*。.*:.。
・*:.。 波平はいつでもみんなの心の中にいるぞ・・・ 。.:*・゜
。.*:. .。.*:.。. .。.:*・゜
゚・*:.。. .。.:*・゜
NHKの人形劇三国志って
ビデオかDVDになってます?
あ〜なんか、あ〜ゆ〜昔の人形劇番組が
猛烈に見たくなったよ。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/04 04:13
漏れは何故か厨房の頃に観たアニメ三国志がまた観たくなって来てる。猛烈に(藁
863 :
岩瀬 yuji:02/03/04 06:47
わかるよ
花
>861さんへ
人形劇三国志DVDありましたよー!
私が見たのは5巻までですけど、あるのは確かです。
1個¥4800だったかな?間違ってたら訂正お願いします(汗)。
865 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/05 14:27
>>861,864
ビデオはたしか昔出てましたね。
DVDはデジタルニューマスターで今年の1月から毎月発売です。
1月に1〜2巻,2月に3〜5巻が出ました。3月22日に6〜8巻が出ます。
以下毎月3巻ずつ発売。全17巻。各4,800円。
詳しくは発売元のアミューズピクチャーズのWebサイトに載ってます。
ファミコン版三国志のシナリオ1で諸葛亮は何年に何国に出てくるんでしょうか
マジっすか!!
早速、全巻大人買いッス!
先月、休日出勤、残業100時間オーバーで
ちょっと小金持ちなんで
・・・あ、多分、今月もか。欝だ・・・。
868 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/09 02:32
質問スレなのに下がり過ぎ
age。
869 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/09 23:27
だよね。週末age
質問です。
地理に異常に詳しいかったのはトウガイでしょうか?
ショウカイの方でしょうか?
どなたか教えてください。
「コーエー以外の三国志ゲームを語るスレ」を作りたい気がするがどうか。
もしガイシュツなら誘導よろ
まだ残ってるかは分からないが、レゲー板にあった。ナムコの三国志(FC)とか
カプコンの天地を喰らうとかの話をしてた。
876 :
楊雄 ◆zA1iYang :02/03/11 01:10
877 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/14 16:58
age
878 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/14 22:47
三国時代の「尺」は、今で言うと何センチにあたるのですか?
それと、有名な武将の身長も何尺(何センチ)くらいあったのか知りたいです。
曹操は小さかったらしいですし、諸葛亮はその逆とか。
あと、どちらにしても昔の日本人の平均身長よりは皆高かったような
気がするんですが、これは食べているもの(肉?)が違ったからと考えても
良さそうですか?当時はどんなもの食べてたんでしょう。
ご講義おながいします
>>879 聞く前にまず検索すべきでしたね。ごめんなさい。
で、調べてまいりました。
尺 後漢→23.04cm 魏→24.12cm
【魏】
程c 八尺三寸 191.232cm(200.196cm)
許チョ 八尺余 184.32cm(192.96cm)
【蜀】
劉備 七尺五寸 172.8cm(180.9cm)
諸葛亮 八尺 184.32cm(192.96cm)
趙雲 八尺 184.32cm(192.96cm)
【呉】
太史慈 七尺七寸 177.408cm(185.724cm)
陳武 七尺七寸 177.408cm(185.724cm)
董襲 八尺 184.32cm(192.96cm)
諸葛恪 七尺六寸 175.104cm(183.312cm)
【後漢】
劉表 八尺以上 184.32cm以上(192.96cm以上)
馬騰 八尺以上 184.32cm以上(192.96cm以上)
身長はカッコ書きしている方が魏の尺で計算したものですが、
実際は後漢の尺と魏の尺 どちらで計算すべきなのかは判らず仕舞いでした。
仕舞い→終い 鬱
今度同じような質問が来たら
>>880見ろ(゚Д゚)ゴルァ
って書くのさ〜サンクス。
しかし、貴族でいいもの食ってるだろうが、
でかいな。。予想外。。。
∧ ∧ ∧ ∧
(*゚ー゚) (,,゚Д゚) ⊂⌒~⊃。Д。)⊃
〜|∪∪ ̄∪∪ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| またーり逝こうかage |
| |
|____________|
ヽ(´ー`)ノ
( へ)
く
884 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/16 01:44
∧ ∧ < ミスったage
(,,・Д・) \_____________
〜(___ノ
885 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/16 02:09
「利家とまつ」って、視聴率どれくらい?
>>885 スレタイトルをもう一度よく読みましょう
887 :
楊雄 ◆zA1iYang :02/03/16 23:09
888 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/17 02:12
足軽の日給はいくらですか。
>>888 現代の月給取りの給料が千差万別なように、
足軽も状況により千差万別であります。
890 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/17 05:36
昔から疑問なのは、
兀突骨って今でいうとどこの国の人なのか。
身長が3メートル近くあるっていうし、さらにウロコまで生えてたっていうし。
人間なのか?コイツ。。
前にTVか何かでやってた、野人伝説とかゆー
そっちの類の生き物なんじゃねーのかと。
…でも何気に登場人物の中で一番好きだったりもする。
891 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/17 05:42
兀突骨って正史に無い人物でしょ?
従って民衆の南方に対する恐れの気持ちが生んだ架空の国の人だと思われます。
木牛流馬ってロボですか?
質問スレでネタはやめれ
いや、マジで質問したんだけど。
吉川しか読んだ事無いんで。
895 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 16:28
三国志では曹軍100万とかよく出てくるが、実際はどのくらい?
これは嘘だろと思うんですが。
誰か詳しい人教えてください。
だいたい中国は過大表現が多すぎる。
南O大虐殺とか・・・。
896 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 16:46
白髪三千条とも言うしね
897 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 16:50
>>895 赤壁の戦い
曹操15万
孫権5万
劉備数千
898 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 16:52
官渡の戦いは
袁紹二十万、曹操三万?
899 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 16:57
曹操軍5万(だったかな?)で黄巾族百万を打ち破ったって言うのは絶対嘘でしょ
900!
902 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/19 17:18
>>899 軍事専門家は揃って「5倍以上の敵を自力で倒すことは絶対不可能」という。
曹操、凄い幸運児だな。官渡なんか曹操軍が強かったから勝てたんじゃなくて
袁紹が間抜けだったから負けただけの戦(信長vs義元の桶狭間と同じ)
だったのがこの数の差を見るだけで一目瞭然。
>>902 単純に兵の頭数だけで比較しちゃいかんけどね。奇襲や各個撃破でコツコツと
兵力差を埋め、敵の士気を挫いていった曹操は非凡だと思うぞ。
906 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/20 12:08
これから三国志読み始めたいと思うんだけど
やっぱり最初は無難に漫画から入っていったほうが良い?
なんかいろいろ検索してみたらいきなり小説読んでも
よくわからないから、まずマンガでイメージつけたほうがいい
って書いてあったんですけど・・
吉川英治の小説辺りなら平気だろ
吉川は文体が古いから、まるっきり知識がない状態では
読んでいくだけで大変だと思うが。古本屋で横山三国志
1,2冊読んどいたら?
だからといって、マンガは脚色が多いし、ビジュアルがいい加減だからなぁ。
冗談抜きで、子供用三国志新書の、『青い鳥文庫 三国志 上・中・下』がオススメだ。
あのシリーズは、どれも上手く妙訳してある。
子供向けだからといって馬鹿にせず、注目したい逸品だ。
読み仮名も振ってあって便利だしね。
脚色を言えば三国志演義自体脚色が多いし
初めは横山三国志で良いと思うぞ
吉川本も最近のは字が大きくなったし、巻末に用語集がついてる
みたいですから大丈夫でしょう。
どうしても心配なら、武将ファイル等と照らし合わせるというのも
手ではないでしょうか?…面倒かなぁ?
真三国無双2やってて思ったんですけど例えばソウソウとかいるじゃないですか
ソウソウとかも実際に戦場に出て戦ってたんですか?
言うたら戦ってナインじゃないですか?
そんなんいくら強くても10人ぐらいに囲まれたらそりゃ殺されるやろ
実際はそんなん剣で切られたら一発で即死でしょ・・・
913 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/20 23:45
初めの頃は陣頭で戦ってたと思うよ。
偉くなってからはともかく、小勢力のときはむしろ陣頭で戦わざるを
得なかったんじゃないかな。でないと、部下がついてこない。
もちろんボディーガードで周りを固めて馬にも乗って、一般兵なんかより
安全は期してたんだろうけど。
そうか・・
916 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/21 23:07
だまって
志茂田カゲキの「孔明の艦隊」
読むべし!!!
イッちゃうよ!!!
>916
>イッちゃうよ!!!
確かに脳みそが逝っちゃうな
918 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/22 10:54
おお!志茂田キライなヒトいるんだ、同志よ!
やつの書いたものは、読めません!
三国志立ち読みして憤死しそうになった・・・。
知識のない奴が書くなヴォケ!
嫌いな奴の方が多いと思うが、少なくともこの板では。
920 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/23 17:46
921 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/25 06:20
age
922 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/25 06:34
光栄のシリーズではどれが一番いいの?
923 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/25 21:38
924 :
922にあらず:02/03/26 21:32
PSで出来るゲームでは?
横レススマソ
925 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/26 21:54
なんで922じゃないのにPSだって解るんだ。
ゲームというところまでは何となくわかるが
自分は922ではないが、個人的に質問。
927 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/29 03:17
エクセルとかで三国志に出てくる武将詳細を自分なりに作りたいんだけど
IMEで出てこない漢字([音欠]とか)を表示する方法ってないですか?
WIN板とかで訊こうかなとも思ったけど誰かお願いします、
928 :
くだらなくてすまぬ:02/03/30 04:57
刺史ってなに?
太守とは違うのかな
929 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/30 06:17
刺史は州の長官
太守は郡の長官
県令は県の長官
ほとんどの群雄は刺史か太守
光栄っていつからコーエーになったんですか?
931 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/30 19:52
このコピペはいつ頃からあるのですか?
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
昨日、近所の曹操が攻めて来たんです。曹操。
そしたらなんか青州兵がめちゃくちゃいっぱいで住民虐殺しまくってるんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、報仇雪恨、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、父親殺された如きで普段来てない徐州に攻めて来てんじゃねーよ、ボケが。
山賊が襲ったんだよ、黄巾の残党。
なんか義兄弟連れとかもいるし。兄弟三人で援軍か。おめでてーな。
よーし飢民率いて曹操追っ払っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、正規兵四千やるから小沛に駐屯してこいと。
戦ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
戦場で対陣した相手といつ戦闘が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。侠は、すっこんでろ。
で、やっと曹操が引き上げたかと思ったら、張バクが呂布と結託してエン州で反乱起こしてるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、反乱なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、反乱、だ。
お前は本当に曹操に反乱したいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、陳宮に騙されただけちゃうんかと。
徐州牧の俺から言わせてもらえば今、州牧の間での最新流行はやっぱり、
劉備に徐州を譲る、これだね。
玄徳殿でなければこの徐州を安定させることはできない。これが通の頼み方。
劉備ってのは物凄く度量が大きい。そんかわり政治力が少なめ。これ。
で、それに関羽と張飛っていう万夫不当の武人。これ最強。
しかしこれを頼むと次から呂布にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、曹操にでも降伏してなさいってこった。
>>931 こんな過去ログ拾ってきた。本当なら昨年4月だな。
5 名前: たしか 投稿日: 01/12/04 01:29 ID:cEb807Np
元は、個人の日記サイトだよ。そこからのコピペ。
6 名前: 投稿日: 01/12/04 01:32 ID:PnPVwIPH
数日前に制作者の日記紹介スレ立ってたじゃん。
7 名前: ここ 投稿日: 01/12/04 01:37 ID:g9Jqzc2p
ttp://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=69964&log=200104 9 名前: 最初の反応はこんなだった 投稿日: 01/12/04 03:41 ID:LG/TCnj0
619 名前: やめられない名無しさん 投稿日: 2001/04/09(月) 11:52
昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
(カキコの都合上、割愛させていただきます。
まあお前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった。
620 名前: やめられない名無しさん 投稿日: 2001/04/09(月) 12:13
>>619 頑張って書いたんだろうけど、全然オモロナイ。
621 名前: やめられない名無しさん 投稿日: 2001/04/09(月) 12:14
>619
時々はずしちゃって寒い奴っているよね。
933 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/01 19:46
おい!
お前らのお勧めのコーエー三国志(シミュレーション)は何ですか?
PS,PS2,PC問わずです。教えてください。
最近、興味が出てきたので、初心者向けなヤツを。
三国志曹操伝
935 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/01 20:03
936 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/01 20:31
三国志読んでみようと思うのですが、お勧めの本があったら教えていただきたいのですが
秘本三国志
939 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/01 23:16
三国志のゲームやってみようと
思っているんですが、初心者向けのもの教えてください。
940 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/01 23:20
頼むから10レス前ぐらいまでは読んでくれ最低でも
942 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/06 18:09
週末age
943 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/06 18:15
祝融は本当に『だちょう婦人』(横山風)と罵声を浴びせられたのですか?
944 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/11 00:01
このスレで質問してもいいのかわかりませんが、お願いします。
「自分の三国・戦国グッズを自慢しよう」という感じのスレが欲しいのですが、
今まで似たようなスレはありましたか?
それとそのスレに使えそうなアプロダはありますか?
私はスレ立てしたこと無いのでもし他にも誰かあったらいいな、と思う人がいたら立ててもらえませんか?
自分で立てろと言うならせめてアプロダだけでもお願いします。
>>944 似たような、例えば本限定とかだったらあったけど、
グッズがぬいぐるみその他いわゆるグッズを指すのなら
見たこと無い。建ててみたら?
アプロダは絵描き系住人に相談するか、なんでもありのとこ使うか。
建てて欲しいときは、タイトルや1の文面、名前やメアドも書くと
自分の希望通りのが建ちますよ
>>945 ありがとうございます
自分で建てようと思うので相談してみようと思います
そろそろ次スレだが、戦国みたいに雑談質問スレに統合するのか?
正直、統合した者としては、失敗だった気がする。
それとも三戦質問スレッドとか建てて、質問を統合するか?
単に次スレ立てるか?
948 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/13 21:44
ここは、このままで次スレ立てようぜ。
無理に統合する必要ないと思われ。
949 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/13 22:58
次スレ誰か立てて。
950 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/13 23:01
滅んだ後の呉の皇帝(孫権?)、
滅んだ後の魏の皇帝、
また魏が滅んだ後の蜀皇帝の末裔はどういう最期を迎えたの?
曹操が仲達をあまり重用しなかったのは仲達の能力を曹操が恐れていたのか
それとも仲達に野心ありということを見抜いた曹操がわざと使わなかったのか
どっちなんでしょう?
それと魏延は孔明には嫌われていましたが劉備には気に入られて評価されていた
のは何故ですか?
>>951 仲達について言ってること同じでは?(w
魏延が城を明け渡すのを助けてくれたから劉備は評価してたんだと思う。
ただ、孔明と会ったとき、いきなり「反骨の相あり」なんて言われたから、
そのあとひねくれて孔明と仲が悪くなったんだと思う。
「我が天下にそむくとも、天下が我にそむくことは許さん」曹操
ってセリフ、どの本で読めるんですか?この板で見てかっこいいナーと思ったんですが。
そりゃあ恩着せた人の家臣に、いきなり「こいつは駄目ですね」
とか言われたら怒るよなw よく従ったねぇ 魏延えらい!
955 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 00:09
仲達←なんて読むんですか?ネタじゃないです
司馬懿仲達しばいちゅうたつ
>956
ありがとう!そうか司馬イの事だったんだ。
無双しかやってないんで、無双スレで仲達って書かれてるのみて
誰か分かんなかった。マジ感謝。
>>953 正史にも載ってるくらいだから、いろいろ見かけると思う
われ人に負くとも 人のわれに負くことならかしめ
我負人、母人負我
くわしくは三国志属性の人に聞いてくれーおれ戦国属性
959 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 00:21
三国志8の説明書の表紙の絵で誰だか分からない人が・・・
誰だか教えてくれ〜(無知ですまん)
張飛 白馬に乗ってる奴 黄忠 関羽
美女 黒馬に乗ってるマッチョ
マッチョと戦ってる奴 孔明?
961 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 00:30
>>960
そうそれです!
一番上の白馬に乗ってる奴が馬超でいいんですよね?
>958
正史にも載ってんの?うわー曹操に惚れそうダヨ!
>>961 いやマッチョと戦っているやつが馬超だと思う。
もしかして全員を聞いてたの?
画像小さくてよくわからん。ゲームしないし。スマス
>>959 張飛 趙雲 黄忠 関羽
美女 馬超 許チョ 孔明
趙雲って「白馬に乗ってた」って決まってんですか?
何かどこでも白馬のような(と、いうか若くないか?)
966 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 00:42
>>954 サンキューです!
許チョかなり男前な気がしますねw
美女は謎のままですね〜
>>953 ちょっとくずれてるけど横山三国志にもある
俺もこの言葉好きで暗唱できるように覚えたなぁ
今ではうろ覚えだけど
「俺の言う事は正しい 俺の成す事も正しい
俺が天に背こうと、天が俺に背く事は許さん」
横山では「天」って言ってたような・・・
訂正954→964
あと963にお礼言うの忘れてましたスマソ!
>>952 北方三国志では生理的に合わないって言ってたぞ(w
>967
ああじゃあ天なのかも。
どっかのスレで見ただけなんで、自分が書いたのはうろ覚えです。
大体どこら辺の話か覚えてたら教えて頂けませんか?
意味は天下の人でいいのではないかな?
われ人に負くとも 人のわれに負くことならかしめ
我負人、母人負我
自分は天下の人に背こうとも、天下の人を自分に背かせはせぬ!
>>965 日本では白馬に乗った王子様イメージだからこれでいいのだ
中国蜀では老将イメージらしいがね
>>970 いやいや、俺もうろ覚えだし横山だけ天って言ってたのかもしれない
どの辺かというと董卓か暗殺失敗から逃げている途中で呂伯車(名前、漢字うろ覚え)を殺した後、陳Qと話しをしている時だけど・・・
何巻かって事?
>>971 ま、そういう事ですけどね
>972
アリガトウ!感謝!
>971もどうもです。
974 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 01:05
白馬に乗った王子様イメージってどこでついたんだろう・・・・
いや、かっこいいとは思うけどさ。人物として。
>>970 倉庫行って見てみたら簡単に見つかった
訂正:呂拍車→呂伯奢 4巻
陳Q「しかし罪なき者を殺すは人道に反しますぞ」
曹操 「いや」
「おれのいうことは正しい おれのなすことも正しい
おれは天下にそむこうとも 天下の人間がおれにそむくことはゆるさん」
陳Q「な なんという男だ」
976 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 01:07
>陳Q「な なんという男だ」
今疲れてるんだけど、何か一気に疲れがトンだよ。ワロタ
久々に読み返してみようかな。
>>965 ひょっとすると、公孫鑚の白馬義従からの繋がりかもしれん。趙雲はもともと
公孫鑚の配下だったから、あの部隊にいたのかも。
白馬陣を公孫サンが率いてたのをエン紹が破って、
それを脇に布陣してた部下になって間もない趙雲が助けたと
979 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/14 23:50
蜀の劉禅は降伏八年後に洛陽で死亡
呉の孫晧は帰命侯の爵位を受け四年後に死亡
魏の元帝は陳留王としてギョウに移され
劉禅も孫晧も曹奐も、ついでに劉協もみんな最期は平穏にすごしましたな。
めでたしめでたし。
どうせもうすぐ終わりのスレだしあげとくか。
その後も歴史上に劉姓は多いけど、蜀の劉禅の子孫と名乗る者は見あたらん。
探しようが足りんのか、あのボンクラの子孫と名乗りたくないのか分からんが。
>>950 貴様、余が治める呉がそんな簡単に滅びるわけがないだろーが
アホなのは余の孫の孫晧のアホだ
質問スレでネタは勘弁な