曹操vs織田信長vsカエサルvsナポレオンvsフリードリヒ大王vsグスタフアドルフvsアレクサンドロス
1 :
無名武将@お腹せっぷく :
2008/12/15(月) 19:39:15 文武両道の英雄君主対決
スレタイが長いと読みづらい
スレタイ良く書き込めたなw 文武両道の英雄君主対決? じゃあ、ラオウかカイオウに1票。
曹操って英雄かなあ?
5 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 20:56:02
どうぞ 世界史上最高の天才にして英雄「織田信長」 果たして世界で彼に並ぶ人物はいるのでしょうか? 答え「いません」 カエサル=文字も国も持たない土人狩りをし、クーデターやっただけのハゲ雑魚 ナポレオン=戦に弱いヨーロッパの小戦上手にして自称天才(笑)、最後は大戦で惨敗した軍人としても2流のハゲ雑魚 政教分離、中央集権体制、楽市楽座、能力主義、鉄砲戦術、鉄甲船、騎兵奇襲、芸術的な内戦機動と徹底した集中戦略など、思想・政治・内政・軍事全てで傑出した天才信長公に比べると、あまりにも雑魚だということがよくわかりますね。
6 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 21:02:50
世界史上最高の天才にして英雄「池田大作」 果たして世界で彼に並ぶ人物はいるのでしょうか? 答え「いません」 カエサル=文字も国も持たない土人狩りをし、クーデターやっただけのハゲ雑魚 ナポレオン=戦に弱いヨーロッパの小戦上手にして自称天才(笑)、最後は大戦で惨敗した軍人としても2流のハゲ雑魚 人間革命、自公連立、創価学会、仏罰、財務、マチャミ、ガンジー・キング・イケダ展。思想・宗教・内政・全てで傑出した天才大作先生に比べると、あまりにも雑魚だということがよくわかりますね。
7 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 05:38:29
>>6 そういや中国からの留学生が大作讃えててドン引きした。
8 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/17(水) 17:07:33
信長=日本という小さな国の中ですら統一を出来なかった雑魚。部下の心を掴めていなかったため、最後は本能寺でアボーン
9 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/17(水) 19:45:53
暗殺されたカエサルの事か?
10 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/17(水) 21:13:24
曹操 病死 織田信長 暗殺 カエサル 暗殺 ナポレオン 島流しにされて孤独死 フリードリヒ大王 病死 グスタフアドルフ 戦死 アレクサンドロス 33歳で急逝
大陸とちっぽけな島国を同列に語るなよ 島国を統一した秀吉が大陸に挑んだらどうなったのか一回よく考えてみろ
秀吉は信長の偉業を文字通り猿真似しようとしただけのカスだからな。 信長が生きていたら半年で明を落として結果的には中国大陸を秀吉に任せていただろうに。 光秀もバカなことをしてくれたものだ。
秀吉本人がいったわけじゃねえし それでも100万の軍と呼号する明の首都落とせてたわけだからな
アンチ信長の捏造乙 信長は光秀に殺されてません
>>7 つまり創価主催の大三国志展は中国でも絶賛されるということか。
16 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/20(土) 10:10:48
全員そろって男好きのゲイばかりだという事実が面白い!
>>14 > アンチ信長の捏造乙
> 信長は光秀に殺されてません
馬鹿か、お前は。
ならば信長は安土城も鉄甲船も作ってないことになるが。
小学生レベルの屁理屈こねて得意げになるとは、さすが織田厨。
18 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/21(日) 01:22:54
秀満に追い詰められて自殺したということを言いたいだけじゃねえの
19 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/21(日) 10:16:22
貧しい靴屋の息子に生まれながら 世界の半分をも支配したスターリン帝こそが人類史上最強の英雄
20 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/21(日) 11:21:14
信長なんて董卓レベルだよ
>>19 世界のすべてを手中に収めたはずなのに
一般ピープルから靴をブン投げられたブッシュ帝ほどではあるまい。
22 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/21(日) 21:34:46
信長=全てで傑出した天才
>>22 「全て」と書いてるから、反例は一つで充分だろう。
戦術はココにあげられている中で最低。
朝倉攻めなんて誰がどう見ても、戦術は下手くその見本。
信長自身も己の戦術が下手くそなのを知っていたから、常に戦略でカバーしていた。
でも曹操は0から一番領土広げてるよな、アレクサンドロスだってフィリッポスいたし
言い方が悪いな土台があまり出来上がっていない状態からよく領土広げたよなってことだ
旗揚げしたての時に当時誰も何ともできなかった青州兵を降伏させたのはもっと評価されてもいい
ほんとうに100万いたのか疑わしいがな
29 :
無名武将@お腹せっぷく :2008/12/24(水) 13:53:18
カエサルは色気違い。
30 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/08(木) 15:52:11
ハゲサルってほんとしょぼいよな 歴史上最大の過大だよ。 啓蒙君主時代や絶対君主時代に生きてたら秒殺されるよコイツは。 清、秀吉、オスマンなど16世紀のオリエント王にも遠く及ばないね。
>>30 ああ、ショボイな。
ヒョロ長よりははるかに上だけど。
そもそも人選がアンバランス。 曹操なんて中国史上では中ランクの英雄。信長もだけどね。 ナポレオンやカエサルと比べるなら中国なら劉秀や李世民、朱元璋だろうし、日本なら天武か秀吉家康だろ。 曹操、信長のどこが彼らより優れていると?
33 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/08(木) 20:42:24
グスタフアドルフなんかよりアドルフヒトラーの方が優れた英雄だろ
>>32 お前みたいに最初から「大したことない」認定のスタンスがあるから
このテのスレは議論が盛り上がらないし廃れるんだぜ?
その類のレスは荒れるからスレ自体は進むかもしれないけどね
だから活性化してる時の治安は常に悪い
36 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/09(金) 01:23:06
信長とてんむでは天下への道筋が全然違うだろ。 英雄を業績だけで判断して(それも信長>てんむだと思うが) そのサクセスストーリーを見ないなら日本史板行け
37 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/09(金) 01:24:51
といっても秀吉家康は評価してるから単なるアンチか
わざわざ天武なんて出してきたあたり「俺って通だぜ」を気取りたい臭がぷんぷんと
>>32 な?
所詮そういうレスに返ってくるのはこういうレス>>36-
>>38 しかないよ
一刀両断は同じように斬られる
40 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 05:55:00
41 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 06:18:51
カエサル=ルキウス・ユリウス・カエサル ナポレオン=ナポレオン2世 グスタフアドルフ=グスタフ・アドルフ・フォン・ゴッター(ゴッター伯) アレクサンドロス=アレクサンドロス4世
別に通ぶってるんじゃなくて、日本史上、武力で天下を制覇した中では天武帝と家康がもっとも勢力が強かったと思ってるから。 サクセスストーリーにしても、天武のそれは決して信長にひけをとらないよ。 まあ曹操と信長の比較はいいんじゃない? カエサル以下が余分なだけ。信長厨のコンプレックス丸出しのラインナップだよ(失笑)
どう考えても曹操。 赤壁の戦いで動員した100万があれば他の軍など無に等しい。
ただしアレクサンドロスが近代ギリシャの国王なら別問題。 銃から大砲から全て次元が違う。
念のためだけど だからと言って俺は別に家康が信長より上だとは思ってないよ。 家康にしても天武にしても、イングランドのヘンリ7世にしてもそうだが、諸勢力が疲弊した後だから強大な勢力を誇れたんであって、 誰かが指摘してるように結果だけでなく過程も見れば、信長家康のどっちが上かなんてわかんないもんな。 ただカエサルやナポレオンあたりと並べるには信長より家康だと思うだけ。 それから俺はアンチ信長厨だがアンチ信長じゃないよ。寧ろ信長ファンだ。
曹操はあの時代では突出してるが、赤壁で統一をあきらめた粘りのなさ。 劉邦だったら考えられない。 国内を制覇できなかったという点では信長と同じだが、諦めちゃった点で信長より点を悪くせざるを得ない。
焦らなかった賢明さ、じゃないかな
48 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 12:56:55
>42 天武のサクセスストーリーの面白さなんぞ日本史中31位とかそんくらいだろ。
49 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 13:00:43
天武とかwww 厨臭え厨臭えww
>日本史中31位とかそんくらい 結構上位に位置付けつるじゃないか。 信長を讃えるのはいいけど、ろくに知らんのに他をおとしめるなよ。 歴代天皇の中で長編小説の主役はったのは天武、後白河、後醍醐くらいなんだが。 この三人の中では一番波瀾万丈な人物だよ。 他をおとしめなければ信長を讃えられないから、信長厨は嫌われるんだよ。
51 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 13:24:06
信長をけなされて必死になっている
>>49 の方が余程厨房臭い件
52 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 13:24:44
てんむすよりゴダイゴ好きってやつのが多いだろ。
やったことの凄さじゃ神武天皇が一番だろう。 神の世界からわざわざ降りてるなんて事をやらかしたのは他にいまい。
神武なんかいねえ
55 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 13:33:10
みんなが天武のことをよく知らないんじゃないんだ。 天武に興味あるのがお前くらいしかいないんだ。
>>55 悪いが俺も天武には興味はない。
厨房じゃあるまいし、好きだから、興味あるから高評価じゃないんだよ。
繰り返しになるが日本史上武力で天下を制覇した中では天武と家康が一番勢力をほこっていたと思ってるから。
個人的には天武や家康より信長の方が好きだよ。
つか餓鬼じゃないんだから
評価が低い=アンチ
評価が高い=厨房
なんて安直な判断はやめてくれ。
これだから信長厨は嫌いなんだ。
57 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 14:32:06
みんなが天武のことをよく知らないんじゃないんだ。
>>55 だけが知らないんだ。
つーか信長なんて天下統一すらできなかった二流じゃん
信長ファンの俺から言わせてもらうと、このラインナップはアンバランスで、信長が最下位になるから嫌だ。 信長は戦略はなかなかだが戦術はからきしだから、条件を揃えた直接対決になれば、この面々の誰にも勝てないだろうね。 だからラインナップに加えるなら日本からは秀吉がいい。 単純に戦術比べなら上杉がいいと思う。
60 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 14:44:31
信長厨ならはたからみてる人間には個人か複数かわからないが、 天武厨となると一人の粘着としか思えないから恥ずかしいだけだぞ。
>>60 だから「評価が高い=厨房」という安直な判断はやめてくれ。餓鬼か、ほんまに。
日本史全体を見渡して、権勢をほこったのは天武、道長、清盛、義時、義満、義教、秀吉、家康、綱吉、家斉などだが、
この中で武力で天下をとったのは天武、義時、秀吉、家康だけだろ。
他に加える人物がいたら加えてくれ。
俺は信長厨のような妄想を語ってはいないぜ。
>>61 お前がいくら主張してもアプローチの方法を変えない限りまわりはそう見てはくれないんだよ
>>32 で大した意見の説明もしないでズバっと斬っておきながらダラダラと弁明しようとするからなおさらそう見える
焦って餓鬼だの厨だのとわめくと余計に見苦しい
周りからまともに見られたいなら最初から「信長も評価は高いけど俺は天武天皇のほうがこうこうこういう点で〜」と筋道だって主張すればよかっただけの話だ
>>45 で自分で結果だけでなく過程も見れば〜といってるがお前の意見が結論ありきで理由もお前なりの考えも不明瞭じゃないか
加えて
>>42 や
>>56 のような態度をとってれば突っかかられて当然だ
63 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 15:21:34
>>61 > だから「評価が高い=厨房」という安直な判断はやめてくれ。
しかたないよ。
好き=評価が高い
嫌い=評価が低い
のが厨房の、厨房たる所以なんだから。
自分達がそうだから、世の中全てそうだと思ってる。まあこれも厨房の特徴だな。
64 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 15:25:19
な?
>>62 のように返されるだろ。
「お前が悪い」
こうなる。
あんたの言う通り、コイツら頭がガキだからむきになるなよ。
65 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 15:27:16
>>62 >まわりはそう見てはくれないんだよ
正確に言うと「まわり」じゃなくて「織田厨」だけどな。
66 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 15:48:29
いや、まがりなりにもメジャーな方々の話題の中にいきなり天武が でてきたら、信長厨じゃなくてもびっくりするぞ。 だいたい天武みたいな小豪族からのし上がったわけでも、 他国との侵略戦争に勝利したわけでもない奴は ある特定の趣旨に限定しないと比較できんだろ。 だからみんなびっくりするんだよ
織田厨の人は「信長は天武より下」と言われて、よっぽど嫌だったんでしょうねえ。 普段自分達がしていることを、される側になるとギャーギャー言うんだから。 まあ日本の歴史全体を見れば、織田信長なんて中の上程度の英雄ですよ。
>>64 人がわざわざただ「悪い」じゃなくどこがどう悪いのか細かく説明してやったのにそういう受け答えしかできないのか
そりゃあ何を言っても無駄だわな。
まともに話ができると思った俺が間違っていたわ。信長や天武なんていう以前の問題なのに
>>66 同意だな。
確かに壬申の乱は関ヶ原と同じように「天下分け目の戦い」(奇しくも場所も同じ)だが、
一般の知名度は低いだろうね。
別に
>>56 が通ぶってるとは思わないが、一般より歴史知識が豊富なんだろう。
皆があんた程詳しい訳じゃないんだ。だからびっくりするんだな。
壬申の乱って関ヶ原が戦場だったの?
73 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 16:22:40
>>69 誰と誰を同一視してるのか知らんが
> 人がわざわざただ「悪い」じゃなくどこがどう悪いのか細かく説明してやった
何? この上から態度。
織田厨てこんなんばかりだな。
74 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 16:24:18
同一人物断定は織田厨の常套手段の一つ。
75 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 16:27:17
自分が自演してるからって、他人にそれを当て嵌めるなよな。 これだから織田厨は。
織田厨織田厨と連呼しまくってる奴が自演だの言ってもな てゆーかせっかく天武天皇なんていう面白いところ出したんだからくだらない煽りばっか連投しないで天武天皇について語れよ
>>73 そりゃあお前みたいな無礼者に何で礼儀正しくせにゃならんの?
それに同一人物も何も言われた奴に言い返しただけだよ。どこかの誰かのように自演だのとは言ってないはずだけどねえ
78 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 16:32:28
信長厨っていう奴等は、ちゃんと日本史と世界史を把握してるのかと。 江戸時代初期の文化は、基本的に信長や秀吉が礎を築いた安土桃山文化の摸倣。 江戸時代中期頃までの武家がやってるような暮らしは 戦国時代の裕福な武将クラスなら既にやってる。 徳川幕府はどちからというとインフラ拡張や治水などの公共事業を推し進めた。 文明の発展というのは異文化との混ざり合いで起こると俺は考えるが 信長、秀吉の南蛮貿易でやったことで重要なのは、 ポルトガルやスペインの商船に対して、武力的優位を持って対等以上の貿易を為した結果 当時の西欧の文化を日本文化に優位な状態で吸収することができた という現実である事。 これが武力的に劣勢だとただの併合になってしまう。 この感覚が家康にどこまで理解できたのか俺には疑問だな。
そもそも比べる事に意味があるのか。
>>78 てゆーか信長厨とかって言ってるけど今誰も信長の話なんかしてないからね
誰かが悪口のようにやたら連呼しているだけで
何を持って織田厨だの信長厨だの言ってるのかさっきから謎だけど
お前のように突っ込んだ話をしていくことが趣旨だろうし、そっちの方が面白いだろう
批判されたからって織田厨織田厨意味もなく連呼するガキと煽り合いするよりは
とりあえず天武の話だな これだけ言うくらいだから彼はさぞ素晴らしい観点から天武天皇を解釈しているんだろう
仏教を基準に考えたら真逆だよね
83 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 16:54:10
店務の話しがしたいのか、厨認定について物申したいのかはっきりしろよ。
84 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 17:00:07
天武の場合戦闘キャリアが少なすぎて総合力で考えりゃ相当ランク低いぞ。 政治にしたってまだ原始人に近いレベルの古代人のやるこったし比較するのは難しい。
>>80 自分が知らない人物より下に置かれて怒りの連投してるのが織田厨だからだよ。
一人か複数かは知らんが。
普通はここまで過敏な反応はないんだが、織田厨にかかると信長は生半可なアイドル真っ青の持ち上げぶりだからな。
目標達成前に油断から自死してしまった人物を曹操と比べるとは片腹痛いわい。
天武って壬申の乱でしか活躍していない気がする。
87 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 17:10:53
信長は知れば知るほど天才だよな 他は知れば知るほど創作だがw
88 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 17:17:57
独創性については持ち上げられすぎ(少なくとも全ての行いにはヒントは存在した)だが。
89 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 17:19:31
まあ、軍事はともかく、 政治を漫画や小説みたいに その場の思いつきでポンポカやられても困るわけだが。
曹操と信長は問題外な気がするが。 カエサルはガリアを征服しエジプトの共同統治者になった。 ナポレオンは皇帝に即位しベネルスク諸国やイタリアを併合した。 フリードリヒ大王はポーランド分割に参加している。 グスタフアドルフはバルト帝国を築いている。 アレクサンドロスはペルシャとエジプトを併合している。 国内統一すら出来なかった曹操と信長は格段に雑魚。
91 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 17:31:46
国内統一については、 スタートラインの違いを無視する視点が小卒。 結局のところ、サクセスが違う奴らは限定つきでしか比較できない。
92 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 17:39:57
信長の初期は20万石前後でしょ、兵力はせいぜい5000前後 そっから800万石まで領土拡大してる、40倍拡大してるんだよ40倍w
>>88 政治に独創はない、というか全く新しい概念を持ち出した奴はたいていポカるというか
>>91 個人のスタートラインもそうだが環境という問題もあるよな
例えば曹操の時代は銅が採れずに貨幣鋳造すらままならなかったくらい中国が痩せてた時期だし
信長の時代はそもそも統一という概念自体ほとんど持ってる奴らがいなかった
このテのスレではそこらへんの事情考えないで結果論的に語るやつらが多すぎる
>>93 晋も短命だったしそのあとも300年位分裂期が続くからな。人口も落ちてるし。
そんな状況でよく漢代に成し得なかった異民族征伐を成功させたもんだ
95 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 17:53:24
40倍に増やしたって他国を併合している訳じゃないだろ。 結局ちっちゃいコップの中での出来事じゃん。
信長は元首にすらなってない。
>>92 ナポレオンは小国の貧乏貴族からスタートして、西ヨーロッパの過半を支配しましたが。
99 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 18:01:31
日本の戦国は戦争景気とゴールドラッシュで 人口自体は増え続け、民の士気も旺盛だったのと対象的だよな。 人気はあろうが、三国時代自体はそんなに華やかなもんじゃなかったろうな。
100 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 18:04:32
>>98 ナポレオンは信長や葬送のようには内戦にかかずらわってないだろ。
話しの主旨を理解しろ。
101 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 18:07:15
石高でいったら、ヒトラーやスターリンなんてヤバイだろ。 0石から3億石くらいいってるぞ
日本列島ってけっこうでかいんだぜ イングランドだってアイルランドを実効支配するのは 17世紀末期になってからだ
伸びまくっててワロタ
>>100 葬送じゃなくて曹操な。
故意かどうかとか知らんが人名くらいちゃんと書けよ。
ナポレオンだって内乱には関与してるよ。
彼の武勲を少しは調べろよ。
曹操だってほとんどゼロからのスタートだ。拡大率では信長を遥かに凌いでますな。
>>102 その前はフランス大陸の過半を支配してましたが。
そもそもフランス北部のノルマンディー公がブリテン島に攻め入ってノルマン朝を興してる。
>>106 うん、そうだね。
だから少なくともテューダー朝まではフランス→イングランド→スコットランド、ウェールズ、アイルランド
という認識だった。
紋章でも第一にフランス王、次いでイングランド王だもんな。
驚く事に百年戦争後もそうだったから、彼らにとってフランスがいかに重要だったかがわかる。
ただしノルマンコンクエストも凄いことだけどな。 後漢の帯方太守の公孫氏が兵士率いて日本を征服して日本王に即位するようなもんだし。 しかも分裂していたとは言えそれなりの王国がありまた統一される事もあったわけだからずっと厳しい。
>>104 曹操は高官とはいえ宦官の子で、劉表や袁紹のような軍閥の長でも、孫堅のような地方豪族でもなかった。
つまり軍事力ゼロからのスタート。そしてシナの七割を支配した。
拡大率は信長以上だな。
人脈と莫大な財力はあっただろ。 地元の名家でもあったわけだし。
>>110 だから?
軍事力ゼロからスタートでシナの七割支配し、拡大率は信長の比ではない事に変わりはないよね。
財力の点では信長も結構あっただろ、親父さんの代から。
>>112 なにが「そう」なのかわからん。
ナポレオンは小国の貧乏貴族だったし、カエサルはローマの名門(分家だけどね)だから、一くくりにされても困るんだが。
つか俺は曹操の拡大率は信長より上だと述べただけなんで、別にカエサルに言及してないからと突っ込まれるいわれはないんだが。
「信長より上」と書くと見当違いな事でもケチつけずにおれんのか?
信長も人間だから長所も短所もあるだろ。
それとも真面目に信長公は全てにおいてNo.1だと思ってるのかい?
>>113 馬鹿か、お前は。
> 「信長より上」と書くと見当違いな事でもケチつけずにおれんのか?
> それとも真面目に信長公は全てにおいてNo.1だと思ってるのかい?
当たり前だろ。コイツら大真面目で信じ込んでる。
だから織田厨、信長厨と忌み嫌われてんだよ。
115 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/10(土) 23:39:06
カエサルvsナポレオンvsフリードリヒ大王vsグスタフアドルフvsアレクサンドロス については殆ど騙られていないのな。
三戦板だから煽るほどの知識持った厨も少ないんだろ
>>108 同意だね。エリザベス現女王もウィリアム1世(ノルマン公ギヨーム)を「わ
が祖」と言っている。それほど誇りにしているんだね。
わが皇室の神武天皇と同じだ。もっともギヨームは神武より「素性」は確かだ
けれど(苦笑)。
*驚く人がいるかもしれないが、現代でも皇室は「神武天皇が祖」と公言し、
今上は125代であるとしている。
ノルマンディ公ギヨームも曹操や信長に引けを取らない英雄だな。
>>112 >>113 ユリウス家は名門とはいえ、やや斜陽の家でコンスル経験者が共和制を通じて
3人しかいない。それでもカエサルの父も属州総督経験者だから支配階級には
違いない。
ボナパルト家はコルシカの小貴族で、フランスにとっては征服した土地の地主
貴族といったところか。ナポレオンの感覚も第三身分に近く、だから革命も理
解できたし支持を得ることもできたし、反面「成り上がり者」と見られてもいた。
あげまん女のジョゼフィーヌを離婚してまでハプスブルクと繋がったのも、ナ
ポレオンのコンプレックスというよりは、そうまでしないと対等の相手に見て
もらえないというのもあったんだね。
周囲の王侯だけでなく部下の一部(タレーランやベルナドットなど)も心の中
ではナポレオンを馬鹿にしていたし、現に裏切りもした。
ナポレオンとカエサルの出自はこれだけ違うんだな。
118 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 00:09:26
>>115 >>116 結局vsと書いてはいるが、
「信長公が一番だ」
て言いたいだけなんだよな。だから曹操、信長とそれ以外のラインナップがアンバランスなんだよ。
世界の英雄、そうれも軍事的天才と呼ばれている人物を列挙しているだけ。
>>110 >>112 なんかそうだろ。
曹操>信長に対してわけわからんクレームつけている。
軍事でいうなら曹操はともかく、信長を入れるのは明らかに無理がある。
信長の戦績を見れば一目瞭然で、彼は万単位の大軍を使った戦術はど下手だ。
自分でもよくわかっているから、相手より常に大勢を率いたり、状況を利用したりしている。
要するに戦術でなく戦略で勝負しているのね。
他の面々はいずれも戦術も戦略も優れている。
なんで「国内統一」を抜きにしても信長は見劣りがするんだよなあ。
119 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 00:48:02
天武厨や葬送厨が指摘するほど信長マンセーな意見は少ない件
120 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 00:59:34
そういや結局天武のことはあんま語らず いなくなってしまったな…。
121 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 01:14:09
>>119 なぜ曹操を「葬送」などと書く?
名前から貶めてやろうという卑しい心根が丸見えじゃないか。
別の織田厨の場合、ハゲサル、ハゲレオンと書くしね。
こちらはそんなことしてないぜ。常に「信長」だろ。「ヒョロ長」とは書かないだろ。
普通の人はこうだよ。
なぜ「○○は信長より上」みたいなこと書いただけで「○○厨」と決め付ける?
自分達がそうだからだろ。信長が好きでたまらないから、評価が高く、他は屑。
もうね、これだけで「信長マンセー」が見え見栄なんですよ。
評価が高い=その人物のファン→○○厨
こんな発想、厨房しかしません。普通の人はね、歴史人物の好き嫌いと評価は別次元なんですよ。
そして「○○は信長より上」みたいなことを書くと、向きになって突っ込む。
見え見えですよ。
幡から見ると、明らかなんです、織田厨の書き込みは。
君らが思ってるより鼻に付くんですよ、「信長マンセー」の姿勢は。
直接言わなくても、その使用語句、その反応でわかるんですよ。
122 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 01:22:00
まあ横から言わせてもらえれば、「誰が一番か」てえのは「誰が好きか」の言い換えにすぎないことが多い。 だから「天武厨」「曹操厨」と判断されても仕方ない面もあるな。 ただ「天武が一番」「曹操が一番」とは少なくとも言い出した奴は書いてないと思うが。 ナポレオンvsカエサルを言うと、条件をそろえて直接対決すりゃカエサルが勝つわな。 いや、僕はなぽの方が好きだけどね。 ナポレオンは信長に似て、軍師または参謀というのを軽んじていたんだな。常に自分が一番で、 将兵は駒であればいいという姿勢があるね。出自を語った人もいるが、それも関係しているのか、 根底の部分で部下の将軍を信用していないんだな。自分と対等なものはいないと。 ところがカエサルは違う。人を信用しすぎたがゆえに、寛大でありすぎたがゆえに最後はああなったが、 戦場においてはそれはプラスだと思うよ。 ナポレオンは常に自分が全戦線を見なければ気が済まなかった。だから自分の身体能力が落ちた晩年は指示が末端 までいきわたらずに、思うように軍が動かせなかった。 カエサルは例えばラビエヌスのような副官に全幅の信頼を置いていた。彼は後にポンペイウスの元に走ったけどね。 ま、空想の話だから、人により様々だろうけどね。
「指揮官が軍の強さをあらわす全てである。 ガリアを征服したのはローマ軍ではなくカエサル、 そのローマを脅かしたのはカルタゴ軍ではなくハンニバル、 そしてインダス河まで遠征したのはマケドニア軍ではなくアレクサンドロスだからだ」 ナポレオンの名言。 戦術を体系的に学ぶと言う点では後世の人間ほど有利でしょう。この面子ではナポレオン。 彼はアレクサンドロスはじめフリードリヒ2世にいたるまで彼らの戦術をよく勉強してましたから、 曹操と信長以外の面子が相手なら、その手の内は知り尽くしてます。 ただ、紙上で知っているのと実際に対決するのでは大違いですけどね。それでも手の内を知っている というのは有利でしょう。 曹操、信長には苦戦するんじゃないでしょうか。エジプト遠征や対イギリス戦でわかるように、未知の相手には弱いから。 ナポレオンが一番苦手なのはゲリラ戦ですから、一向一揆や根来衆が相手なら負けるかもしれません。
125 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 01:52:42
>>121 2ちゃんねるでここまで誤変換に食いつくやつぁ見たことねぇ…。
被害妄想っつか言い掛かりっつか…。ちょっと鳥肌立った。
結論としては「あまり深く考えてない」
126 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 01:54:24
>>123 信長は軍師はおかんが、秀吉の中国攻めに対してはほとんど丸投げじゃねえか?
>>124 ああ、その言葉は一面の真理を付いてはいるが、もっと多弁にナポレオンの限界を語っているね。
「・・・・・・アレクサンドロスだからだ。
そして大陸軍(グラン・タルメ)の指揮官は私だからだ。」
というのが本音なのね。
ここからも僕が先に指摘した「部下の将を信用してない」ナポレオンの弱点が見える。
その点はハンニバルも同じだけどね。彼ら二人はその点が似ている。
だからナポレオンは常に前線にいなければならない。ナポレオンがいないグラン・タルメは強くない。
ローマ軍の強さは、ナポレオンの言っているのとは逆で、組織としての強さだよ。軍の組織というより、
国家としての組織といったほうがいいかもしれないが。
ハンニバル抜きのカルタゴは恐るるに足らずだが、ローマはカエサルの同時代で見ても、ポンペイウス、アグリッパなど
カエサルに匹敵する名指揮官が少なからずいる。それだけ層が厚い。
だからカエサルに、ていうかローマに軍配をあげるよ、僕は。
>>126 ああ、そうか。それを考えると信長はカエサルタイプだね。
秀吉に限らず、勝家、光秀、一益、長秀などに丸投げ。丸投げがすぎて光秀に背かれて自死。
最期もカエサルとちょっとだけ似ているな。
なんて書くと信長厨が激怒するかも。なにせかれらにとっては「ハゲサル」だからね。
多方面に軍を展開できるという点ではカエサルと、そして信長が強いかな。
アレクサンドロスとグスタフ・アドルフにそれぞれ一票。 他の人物は大なり小なり古今の戦術戦略を学んだ上での「天才」だけど、 彼らはお手本なしの天才だから。 共に絶頂期に死んでいるところも、「もし生きながらえていたら」を考えさせられて、楽しい。
130 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 02:40:45
そういう意味では、四大文明の中、はじめに豪族となった ウパーとかオロロンとかウホンテとかみたいな奴ら こそ最高の天才だな。
131 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 02:45:30
この中にティムールいれたらどうなる?
そういうことを言いたいんじゃないんだよ。 古代は兵数の多いものが勝つのが当たり前だった。ま、これは現代にも通じるけどね。 そういう中で、「戦術を編み出した個人」の嚆矢がアレクサンドロスなんだよね。 それに君のその論でいけばこのメンバーの中で2番目に新しいグスタフ・アドルフは当てはまらないよ。
133 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 02:49:41
つことはエジプトのファラオ「スコルピオン」王が最強ということでおk?
134 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 02:51:00
時代順だと アレクサンドロス カエサル 曹操 織田信長 グスタフアドルフ フリードリヒ大王 ナポレオン じゃね? フリードリヒはバルバロッサじゃなくてプロイセンのほうだろ?
135 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 02:57:41
ゴメン。ナポレオンを勘定に入れてなかった。 ナポレオンから見て、と考えてしまったのか。自分でも不明。 誠にすまない。
136 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 02:59:04
つかチンギス、カール、けんりゅうてい、ヒトラーあたりがいないのは? むしろグスタフとか必要か?
>>99 後漢末から魏晋南北朝は中国の低迷期だからな
曹操らが中原で戦ってた頃は人が人食ってた時期だし
よく戦争やってたもんだ
138 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:01:33
古代エジプトを出すと、きりが無いぞ。 トトメス3世とラムセス2世ははずせんな。 でも収拾がつかなくなるから、涙をのんではずすことにしよう。
エントリーが増えたのでひとまず整理。 新たに加わったのが ハンニバル、ティムール、チンギス、カール、乾隆帝、ヒトラー トトメス、ラムセス こんなとこかな。 戦術ではグーデリアンが最高だと俺は信ずるがな。
カエサルって実力ある将軍で政治力もあるけど 強国の内部から出世していった人で、ここに上がってるのとはちょっと毛色違うよな
ハンニバルは政治家か? 包囲もそうだが15年も敵国で活動したり軍事力は全般的に群を抜いてるが
142 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:08:59
カールって誰? カール・ゴッチ?
143 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:09:48
ナポさんもそんなもんだろ。
144 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:10:35
そうか、これは文武両道の政治家対決か。 じゃ、ハンニバルとグーデリアンは鳴きながらエントリーから外すよ。 ヒトラーを加えるならスターリンも入れてもいいんじゃないか?
>>142 それは「プロレスの神様」だろW
懐かしい人名でぼけるな。
「日没することなき帝国」君主、ハプスブルクのカール5世のことだよ。
147 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:16:31
グスタフアドルフは必要だろ
>>1 の文武両道を体言してる人物
グスタフアドルフはちゃんとスレタイに入ってるよ
カメハメハ大王は?
気を取り直して整理しなおし。時代順に トトメス、ラムセス、アレクサンドロス、曹操、チンギス、ティムール カール、信長、グスタフアドルフ、乾隆帝、フリードリヒ、ナポレオン ヒトラー こんなもんかな。 なんか日本だけ見劣りがするんだよね。信長じゃなくて秀吉の方がよくないか?
151 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:22:50
文武両道ならば剣術と和歌の達人であられた 今川うじざね公を外すなど考えられんだろ
足利義満にしろよ
153 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:25:04
つか曹操と信長はいらん。 見劣りとかじゃなくて畑違いということで 信者は納得してくれ
トトメスvsラムセスvsアレクサンドロスvs曹操vsチンギスvsティムールvs カールvs信長vsグスタフアドルフvs乾隆帝vsフリードリヒvsナポレオンvs カメハメハvsヒトラーか。 とりあえず在位期間(支配期間)の長さで比較すれば 1.ラムセス 2.乾隆帝 で明瞭だな。これを比較項目にしていいのかどうかは別だが。
155 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:27:38
ひっとらーはたくさんのひとを殺しました。 だからいちばんだとおもいます。
156 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:33:55
カメハメハ1世(Kamehameha I, 1758年? - 1819年) ハワイ島の首長であったカラニオプウの甥にあたる。叔父の死後、その長男のキワラオを倒し島内を掌握。イギリスから武器を購入し、マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服していった(武器だけじゃなくイギリスから軍事顧 問を雇い当時の西洋式の軍事訓練をカメハメハ1世の兵士に訓練させてその顧問も戦いに参加した)。政敵が火山の噴火や外敵などにより壊滅状態になったことも統一に幸いした。18世紀末までにはカウアイ島、ニイハウ島を除く 全地域を支配下におさめ、1810年にこの二島もカメハメハに服属して国家統一を成し遂げた。 カメハメハは優れた外交手腕で西洋諸国との友好関係を維持してハワイの独立を守り、伝統的なハワイの文化の保護と繁栄に貢献した。また彼が作ったママラホエと呼ばれる法律は、戦時における非戦闘員の人権を保護するもので あり、今日では世界中で受け入れられている先駆的なものであった。 ウィキをコピペしただけだが、すげえな、コイツ。エントリーにふさわしい。
157 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:36:07
カメハメハVS天武は?
天武はエントリーされてません。 最終的なメンバーは トトメスvsラムセスvsアレクサンドロスvsチンギスvsティムールvs カールvs グスタフアドルフvs乾隆帝vsフリードリヒvsナポレオンvsカメハメハvsヒトラー 葬送たるラインナップだなあ、おい。
すまん。 墓場へ送ってどうする。 ×葬送 ○錚々 でした。
>>153 いやあ、文武両道なら曹操は欠かせないでしょう
というか趣味人的だが
>>158 天武は軍事関係が落ちるからな
161 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:43:23
インドとか東南アジアから誰かいないかな?
錚々たる顔ぶれの語源にもなった光武帝劉秀も是非。 秀は悪い意味で使ったらしいけどね、錚々。 一応文武両道。
>>161 誰か一人というならアクバル大帝でしょう
166 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 03:56:45
>>163 正しくは「鉄中の錚々」
鉄中の錚々の故事は後漢の光武帝が赤眉の乱(せきびのらん)を平定した際
に投降した賊軍の将達に投降を後悔しないかと問うた問答の中に現れる言葉
で、「鉄中の錚錚、傭中(ようちゅう)の佼佼(こうこう)」と使われまし
た。光武帝の問いに
「赤眉の乱などに荷担しましたが、今振り返って考えてみると何と馬鹿
なことをしてしまったのかと感じております。なんで投降したことを
後悔致しましょうか」
と答えた降将達に対して光武帝が下した評価がこの「鉄中の錚々」です。
鉄は金や銀などに比べると下等な金属と考えられていましたが、そうした鉄
の中にも、固くてよい音のするやや上等の部分もあるというのがこの言葉の
意味です。
目先のことにとらわれて乱に荷担したが、遅ればせながらもこうしてその非
に気がついて投降してきた君たちは、気付かない者たちに比べれば、まだま
しな方だという評価です。手放しの褒め言葉で無いことが分かります。
下等なものの中ではややましな方ということですから。
光武帝由来の故事成語やことわざは意外と多いよね。 糟糠の妻、柔よく剛を制す、隴を得て蜀を望む、井の中の蛙など 日本ではマイナーだけど、こうしてみると支那ではメジャーなんだな。
>>137 後漢末の永寿3年(西暦157年)、戸籍登録人口は前漢末に近い、56,486,856人にまで回復した。しかし、当時の中国の可耕地面積と農業技術
では、戸籍登録人口六千万という数字が一つの限界であった。一人あたりの食糧供給量が低下し、社会不安が広まった結果、中国史上屈指の規模の農民反
乱である黄巾の乱が起き(西暦184年)、いわゆる「三国志」の英雄豪傑が地方に群雄割拠する動乱期となり、後漢は滅亡した(西暦220年)。中国は魏
・呉・蜀の三国に分裂したが、それぞれの戸籍登録人口は蜀が940,000人(西暦263年)、魏が4,432,881(西暦263年)、呉が2,30
0,000人(西暦280年)に過ぎなかった。三国合計でも戸籍登録人口は一千万人に届かなかった訳である。ちなみに、この三国を統一した西晋(西暦
265−316年)の戸籍登録人口は16,163,863人(西暦280年)であった。
実人口の減少はこれほどではなかったと推定されるが、西暦3世紀が中国史上、空前絶後の人口崩壊期であったことは確実視されている。現に、中国の人
口崩壊に乗じて北方の遊牧民族が南進し、次の4世紀には「五胡十六国」時代(西暦304−439年)がはじまる。中国は、後漢の滅亡(西暦220年)か
ら隋の中国統一(西暦589年)まで、中国史上異例ともいえる長期に渡って分裂・混乱を繰り返し、統一王朝が現れなかった(途中、西晋が一時期中国を
統一したかに見えたが、その期間はわずか一世代にすぎない)。その最大の要因は3世紀の人口崩壊の痛手がなかなか回復しなかったためである。
ちなみに、隋の戸籍登録人口は46,019,956人(西暦609年)、唐の玄宗皇帝の天宝14年の戸籍登録人口は52,919,309人であり、
いずれも前漢末の数字に及ばない。中国の戸籍登録人口が前漢末の記録を追い抜くのは、実に北宋(西暦960−1127年)まで待たねばならない。
169 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 05:24:08
もうめんどくさいから信長の野望嵐世紀withパワーアップキットで決めたらどうだ? ちなみに俺が以前やったのでは結局自作の麻原しょうこうがナポレオン家とか潰して天下統一した。 乱世の勧誘はたしか最後相馬家あたりに仕えてた。
どんどん増えるラインナップをみると、曹操と信長は場違いだとの思いがますます強まるなあ。
>>170 同意。横綱のリスト中に小結が混ざっている感じ。
>>169 ナポレオン家じゃなくてボナパルト家な。
173 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 17:17:50
>>171 違うだろ。
横綱の中に前頭と幕下だ。どっちがどっちだかは皆わかると思う。
174 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 18:08:08
こうなりゃ麻原しょうこうVS天武の勝者が最強でいいよ。
とうとう話についていけなくなった織田厨が投げ出したかw だから世界史には手を出すなての。 性懲りもなくカエサルやナポレオンを引き合いに出しても、きみらの知識じゃ無理だっての。 わかった? ところで織田厨は投げ出したが、これからが本番だよな。 古今東西の文武両道君主対決。 カメハメハ大王などの功績がわかって、なかなか勉強になる。ここで終わるのはもったいない。
176 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 20:23:53
いや悪いが、本当にそういうつもりで書きこんだわけじゃないし、 このスレ自体昨日今日、ちらと覗いただけなんだが…。 どれほどの心の傷、絶望の悲しみ、漆黒の闇を 味わえばこれほどまでに信長を憎むことができるのだ…? 誰の子孫なのか、教えてくれぬか…?
177 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 20:50:41
本当に何かにとりつかれてるみたいだな。 若干戦慄を覚えた。
聖書の英雄ダビデ王も加えてくれ。 好色だが文武両道だよ
180 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 22:32:48
>>178 そのスレの信長厨すごいね。酷すぎ。
津山厨っていうのはどんなの?
>>179 ソロモン王は?と聞いてみる。
>>180 ソロモンは好色かつ贅沢で、頭のいい名君だけど、武勲はあるのかなあ。
ダビデを好色と書いたけど、考えたら好色でない英雄の方が珍しいやね。
トトメスvsラムセスvsアレクサンドロスvs曹操vsチンギスvsティムールvs
カールvs信長vsグスタフアドルフvs乾隆帝vsフリードリヒvsナポレオンvs
カメハメハvsヒトラー
そしてアクバルにダビデ、ソロモン
この中で好色じゃないのって誰だろ。
僕はヒトラーくらいしかわかんない。
>>180 津山厨の凄さはウィキペディア「越前松平」及び「津山松平」のノートを見て下さい。
183 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/11(日) 22:44:28
レームはホモでヒトラーはロリコンだったと聞いた覚えが…
エントリーされてないけど上杉謙信は生涯不犯ですね。 アベヒロシの謙信は髪型が変だから嫌。早く坊主にならないかな。
>>178 そのスレの織田厨はホントにムカつくけど、
このスレでは君の態度が一番始末が悪い
君のいう織田厨がとんでもない奴らだというのはわかったが君の罵詈雑言を見せつけられるこっちの身にもなってくれないか
>>173 辛口批評もいいが理由や自分の見解も述べたらどうだ?
もし印象論や結果論に終始しているならそれはよくないと上でも言われているが。
少なくとも今は「〜は〜と比べて大したことない」というマイナス的な流れじゃなく
「〜にはこんな面白いエピソードがある」というプラス的な、非常に理想的な流れだと思うんだがね
>>181 チンギスは好色だねえ
曹操も好色だが結構綺麗なエピソードも目立つな
ナポレオンはジョゼフィーヌ夫人とか女性関係は面白いけど好色とかとは違う気がする
エントリーされてるのか微妙だけど光武帝も好色とは言い難いかな? 皇后だった郭聖通と挙兵前から好きだった陰麗華以外とはほとんど子供残していない。
>>186 彼も決めてかかったことの非を認めているようだし、あんましぴりぴりするのもどうかと。
189 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 04:08:15
>>174 を織田厨だと思うって結構病気入ってる気がするが
190 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 04:27:14
思うだけならともかく わけわからんこと宣ってるからなww
191 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 04:52:24
誰彼かまわず噛み付きたくなる年頃ってあるだろ
女体に飢えてる年頃か
193 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 04:58:12
つか、冷静な信長スレならともかく、 宇宙最強の信長天才スレみたいな電波スレ みたいなとこに、よせばいいのにわざわざ単身切り込んどいて、 そいでもって信長厨に異常な憎悪燃やしてるってのも、 考えるとアレだな
194 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 05:52:06
特に理由もなくチョン高にわざわざ殴りこみに行っといて、 そこで殴り返されてますますチョン嫌いになって、 関係ないあちこちでチョン最低とわめいてるようなもんか。
195 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 05:52:28
特に直接的な理由もないのにチョン高にわざわざ殴りこみに行っといて、 そこで殴り返されてますますチョン嫌いになって、 関係ないあちこちでチョン最低とわめいてるようなもんか。
ちょとしつこくないかい? そろそろ本題に戻ろうや。 グスタフアドルフは好色ではない。 愛人が一人いたが、后が精神異常だったからしかたない。
>>186 君の上から目線も結構感じ悪いですよ。
他人の批評ばかりしてないで具体的に「面白いエピソード」を書いて下さいな。
僕は好色という一つの基準をあげましたよ。
ナポレオンが好色であるかないかは個人の受け取り方でしょうね。
セント・ヘレナでは部下の妻に手を出した。最後までこんな具合ですから。充分好色だと思いますよ。
好色が悪いとは思いませんが。いい、悪いとは別ですね。
エネルギッシュだと思います。
>>197 俺は別に「〜は〜に比べて大したことない」みたいなマイナスの見解は述べてないし
第一君の好色というテーマにそって意見を述べただろう
別に上から目線ではないし、そういう意見は排他的だから控えたほうがいいと言ってるだけだ
上から目線だと思うのは図星を突かれてムカついただけじゃないのかね?
>>198 僕は僕の感じたことを述べただけ。
君も排他的なところがあると感じたから書いた。それに噛み付くのはどうかな?
「どっちが上」的レスも「エピソード」的レスも書くのは自由でしょう?
それをあれこれ言うのなら当然僕くらいの突っ込みは覚悟しなきゃ。
それが嫌なら最初から人の姿勢を批判しないことです。
君も自分の姿勢を批評されて気を悪くしている。見当違いだと。ならば君の批評した人も同じかも知れないでしょう。
まして既に謝罪をしてるのだから、死者に鞭打つようなもの。
批評家はつねに自分も批評の対象になる。勿論僕もね。
まあこの書き込みも充分上からですがね。
批判は甘んじて受けますよ。
>>199 「上から」なんてのは書いた本人にそのつもりはないことが殆ど。あなたのレスは例外らしいが。
それよりこんな応酬は生産的ではない。
私から一つ。
文武両道というからにはやはり武勲ははずせないだろう。
各英雄の最高の武勲、他人に一つだけしか紹介できないとすれば何だろか。
ナポレオンはやはりアウステルリッツかな。
ヒトラーにはそんなのないんじゃないの? 信長がどうのこうのより彼の方が余程違和感ある。
>>199 そりゃそうだ。思うことがあるなら言えばいい。
ただ面白いエピソードかはしらないが、少なくとも君の話題に乗っかったのにそこに突っ込むのは明らかな「見当違い」ってやつだろう。理屈で考えて
別に俺に何をいってもそりゃ俺だってかまわんよ。俺もモラルは守る。
ただ、その上で言いたいことは言わせてもらう。少なくともあからさまに貶めるような論調や、罵詈雑言の類は空気を悪くするから控えたほうがいいといっただけだ
君がそれを「別にいいじゃん」と思うなら、まあ仕方ないけどね
その謝罪したのに云々も、別に間違ったことを悪いと言ってるわけじゃない
その織田厨とやらがこのスレにいないことがわかったのに、織田厨がああだとかいつまでも言ってるから気分が悪いといってるんだ。
そしてこのスレのレスを見ても、そう感じてるのは別に俺だけじゃないだろう。
>>200 そりゃそうだね。言われたからつい言い返したけど控えるとしようか
ヒトラーというか近代にはいるともうそういう意味での文武両道はいない気はするね
基本的に前線に立たないし
>>201 ごもっとも。君のが一本筋が通っている。
僕は論理的であろうとしながら「感じたまま書いた」時点で矛盾している。やはり僕には向いてないかも知れないな。
>>200 氏の指摘もあった事だし、
謝罪して退散します。
>>200 ヒトラーは第一次大戦での負傷を生涯誇りにして、勲章をぶら下げてました。
まあ他の英雄に比べて「武勲」と言えるかどうか。
204 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 18:04:45
信長は長篠設楽原の戦い。設楽原での鉄砲があーだこーだとかじゃなく、 それを含め、そこまで致る戦略の全て。 武田に大打撃を与えたことは彼の生涯で最高の武勲だろう。
>>203 いやいや。わかってくれたらいいのさ。
楽しく話そう。
ラムセスはやっぱ自分で戦場を走りまわって兵を統率したカデシュの戦いになるのかな
でも敵のスパイにまんまと騙されたわけだから武はともかく文はどうなんだ?
曹操は官渡になるのかなあ。自分で奇襲隊を率いたわけだし
個人の武勲というなら数十人を一人で斬り伏せたって言う記述のほうがそれっぽいけど、実際の程度は不明だよね
アレクサンドロスなら自ら大将を仕留めたグラニコス川の戦いを挙げます
206 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 20:43:02
中国の史書は胡散臭いところが多いからなあ 曹操の功績もだいぶ水増しされてるんじゃなかろうか
207 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 20:53:47
まあ公平に見て 信長(マジ天才)>曹操(中々小器用)>カエサル(それなりに軍事も政治もこなす)>ナポレオン(項羽みたいに暴れまわったが最後は敗戦)>アレクサンドロス(ファンタージレベル)
208 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 20:57:21
しかしアンチ信長厨は世界史板でことごとく信長厨に論破され逃げ出したけど 三戦板に逃げ出してたかw まぁちょうどいいレベルだろうねお似合いだ
209 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 21:05:05
さすがにアンチ信長厨の自演だわ
210 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 21:07:01
世界史上最高の天才にして英雄「織田信長」 果たして世界で彼に並ぶ人物はいるのでしょうか? 答え「いません」 カエサル=文字も国も持たない土人狩りをし、クーデターやっただけのハゲ雑魚 ナポレオン=戦に弱いヨーロッパの小戦上手にして自称天才(笑)、最後は大戦で惨敗した軍人としても2流のハゲ雑魚 政教分離、中央集権体制、楽市楽座、能力主義、鉄砲戦術、鉄甲船、騎兵奇襲、芸術的な内戦機動と徹底した集中戦略など、思想・政治・内政・軍事全てで傑出した天才信長公に比べると、あまりにも雑魚だということがよくわかりますね。
>>210 ツリにマジレスもなんだけど、
神を自称したのなら政教分離にはならないんじゃないの?
それに戦国時代の日本に騎兵なんて存在してなかったのに、どうして騎兵で奇襲できるの?
鉄砲隊vs武田騎馬軍団はフィクションだというのは戦国史の常識ですが。
>>206 まあ中国に限らず歴史書なんてのは大体そんなもんだよ
だから分析や考察が必要になってくるわけで
ただ例えば武勇伝ならもしハナから武勇に関する逸話が全くないのならそんな話は恐らく載らない。元ネタがないからね
だから「武勇に優れていたであろう」という目安にはなるわけだ。あとの細かい所は考察だね。
213 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/12(月) 22:14:53
丁寧言葉気持ち悪い
214 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 00:19:17
215 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 05:55:36
2ちゃんで丁寧言葉使うとバカにしてるような響きになるな。
支那の史書が「胡散臭い」のは酒池肉林とか人豚などの小説(ゴシップ、くだらない話)部分が有 名だからだろうね。しかし反面、崔杼弑君のエピソードに見られるように、史書を書く人間のプライドは高く、時の権力者に媚びることは少なかった。 依怙贔屓のないよう、次の王朝が纏めるという原則を貫いた。 時代の限界はあるから科学的ではない部分もあるし、ゴシップをまともに載せたりもしているけど、 信用できる部分も多いし、古来からの記録が途切れなく残っているので重宝がられているよ。 勿論学者たちは史書だけに頼ってなく、様々な検証をしている。 それから曹操は史書では決して評価は高くない。寧ろ評価が高くなったのは西洋的な史観が入った 現代になってからだと思うよ。
>>211 ツリじゃなくて彼らは本気で信じてますよ。
>>210 信長がしていない事まで業績に入れてるよ。
政教分離
寺社の既得権を保護している。その中には裁判権や徴税権も含まれている。
また戦勝を祈願させたり、停戦を命じるのに、天皇や宗教の権威を利用している。
こういうのは政教分離とは言わない。
日本が政教分離したのは戦後だよ。
中央集権体制
先に述べた宗教勢力だけでなく、支配下(保護下)の国人達の既得権も認めている。こういうのは中央集権とは言わない。
織田政権は行政システムが未熟だったから。
日本が中央集権体制だったのは古代律令制のとき(実態は中央集権とは言えなかったが)と、明治以降敗戦までの期間だけ。
騎兵奇襲
>>211 の指摘通り。
また楽市や能力主義、鉄砲戦略は確かに事実だが、「傑出した」というのは過大評価だろうね。
>>216 曹操の評価が低いのは注の曹瞞伝くらいなような。
その曹瞞伝でも称賛すべきところは称賛している様子。
同じく注の魏書は逆に他の魏の人物では見られないくらい美辞麗句が多すぎだし、
一部の敵を賊と呼ぶなど明らかに魏朝史観過ぎるし。
まあ、行き過ぎた意見双方をのせているのはある意味正しいだろうが。
>>218 失礼。おっしゃる通り。曹瞞伝だった。
曹瞞伝もそうだけど、時代が下るにつれ評判は悪くなるね、曹操。
官制の歴史を割り引くことは昔から行われていたと言えるかも。
晋は魏から禅譲を受けたから、曹操の評価が高いのはある意味当然か。
勿論曹操自身が有能でなければ、それは限定されてしまうのだけれど。
次の王朝が纏めるというのも、当然弊害もあって、煬帝なんか哀れだね。普通の亡国の君が希代の暴君にされてしまった。
220 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 15:01:24
>>217 現代でも外交に貢献してる天皇家を
宗教って……。
221 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 15:13:02
寺社の既得権益と戦力をを七割方廃除した実績の前で 「たかが」戦勝祈願したくらいでケチつけることが出来るのも凄い。 何れにしろ天皇の権威を利用するのを 政治戦略とみなさず神頼みとかそういう類いに 分類してる時点でどっか感覚変なんだろう。
>>220 それは政教分離した現代はそうでしょう。戦前までの天皇は宗教的な権威でもありましたよ。
現代でも祭祀としての役割を果たしてるけどね。
一度皇室のHPを覗いてごらん。
>>221 > 寺社の既得権益と戦力をを七割方廃除した実績の前で
悪い。俺は無学だからその七割てのはどこに書いてあるのか、ソースを教えてくれ。検証したい。
つか根本的にわかってないよ。
> 「たかが」戦勝祈願したくらいでケチつけることが出来るのも凄い。
> 何れにしろ天皇の権威を利用するのを
> 政治戦略とみなさず神頼みとかそういう類いに
> 分類してる時点でどっか感覚変なんだろう。
政略にせよ、一部にせよ宗教権威を利用している時点で政教分離と言わない。比率の問題じゃないんだな。
俺の書き込みをよく読んでくれ。政略ではない、なんて言ってないだろ。
俺は信長が無神論だったかどうかを問題にしてるんじゃないんだよ。信長を批判もしてない。ただ
彼は政教分離なんてしなかったし、目指してもなかった。
まず政教分離の定義を理解してから反論してくれ。
それと
>>211 が指摘した、神を称したら政教分離ではない、というのはいいのかい?
連投ゴメン。連投ついでにも一つ誤解を解いておきたい。 「ケチをつける」と言うが、俺にはそんなつもりは毛頭ない。 寧ろ天皇でもなんでも利用できるものは徹底的に利用する、頭を下げるというしたたかさは凄い。 彼は政略戦略の天才だ。 政教分離だという解釈を批判するのと 信長の政策を批判するのを一緒くたにしないで欲しい。
もともと本願寺にだって懐柔というか、静観するならその存在を認めますみたいな穏健な態度を取ろうとしてた 突っぱねられたから攻めただけで、別に政教分離をしようだとかそういう姿勢ではなかった筈
226 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 16:48:30
そりゃ現代の学問的な定義みたいのはなかっただろうが、 政治に関わるな、中間搾取をするな、必要以上の武装をしテロをおこすなというスタンスだったのは 明白なんだから、政教分離を目指していたといって何が悪いのだろうか。 少なくとも、「目指していなかった」と口にできるのが信じられん。 あなたの言うように、ヤクザみたいに、俺の邪魔さえしなけりゃ おまえが何しようと構わんと思ってたなら、 徹底的に懐柔政策をとるだろ。
227 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 16:53:01
つか、政教分離を目指してなかったとする推理に 興味があるから詳しく説明してほしい。 何をもってそう考えるのかという。
228 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 16:59:42
信長だけじゃなくて秀吉、家康のやったこと まで見れば、信長の方向性も政教分離だったなんて一目瞭然なんだけどな
229 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 17:07:20
もっと単純な問題として、当時の寺社勢力は暴力団同然の存在だったんだから。 政教分離という感覚は半分当たりで半分はずれって感じだろう。
つーか仏教勢力のことばっかり言ってるけどさ、 キリスト教を保護したことや自分をデウスのような存在に例えたことを考えたら 宗教勢力やその概念を利用しようとしてたと読み取れるんじゃないか
>>227 推理も何も実際信長が弾圧した宗教勢力は
ただ単に敵対した相手だっただけで
敵対してない宗教に関しては特にその既得権を侵したりしてない。
これでもって政教分離だなんて逆になんで言えるのかと。
単なる利害対立でしょ。
宗教権威に対する自己の権威の優越化を図ったというならそれは当時の多くの大名が
やったことだし。
>>228 信長の話なのに家康秀吉の話に広げられてもな。
そんなに家康秀吉の功績を横取りしたいのかと。
てか家康も秀吉も自ら神と称してるから政教分離どころか
神権政治みたいなところもあるんだけど。
>>229 もっと単純な話として当時、というか戦国時代以前から寺社は普通に領地をもって
いた存在だったんだけどな。大名や武家と同じで。
これがいきなり領地をもっちゃいけない存在みたいにいうのは錯誤もはなはだしいかと。
>>223 神を称しようが、神を信じていようが、それが具体的に政治に影響を与えなければ
それは政教分離に反しないのではなかろうか。
フランス大統領がキリスト教を信じていようがいまいが、キリスト教に対し
格別の便宜をはからなければ政教分離に反したとは言わないでしょう?
日本人は酷く宗教アレルギーみたいなものがあるから若干誤解しがちだけど。
>>220 國學院出の俺としては天皇陛下が宗教祭祀に関係ないとか言われると天地が
ひっくり返ったかと思ってしまうんだが。
>>226 単純な問題として寺社は戦国時代はるか以前から領土と既得権を
認められ、その領土における支配権も持っていた存在だ。
それを政治にかかわってはいけないだの、武装をするなだの、中間搾取をするなだの
いうのは武家に対してそれをいうくらいナンセンスな話なんだが。
信長は当初から政教分離みたいな事を目指していた形跡はないし、やったことといえば
金を要求して不信を買ったことぐらい。
比叡山を焼き打ちしたのは比叡山の領地を奪って敵対され、その後で味方すれば領地を返す、
でなければせめて中立を、と要求して拒否されたから。これは朝倉浅井の拠点にされたら困るという
戦略の問題であって政教分離とかいう問題ではない。
>>232 戦国時代の大名が神を称するのは別にただ名乗りたいだけでそうするわけじゃない。
そうすることによって自己の権威を高め、領国統治をしやすくするためだ。
実際神を称したのは信長だけではなく戦国時代に何人かいる。
そしてその神を祭る関係の宗派や神社は格別の便宜を図られた。
十分政治的な問題といえるのだは。
>>234 なら確かにむしろ神権政治といえるかもね。
236 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 19:58:29
政教分離を最初から目指してないとか、そういうのは政治と宗教の乖離が正しいとされる現在の感覚でのお話 信長が結局は政教分離を成功させ、それを受け継いだ秀吉・家康で完成された
>>236 だからやってないって。
ただ自分と利害で敵対した一部の宗教勢力と戦っただけ。
信長自身が神と称したり織田家の信仰する宗派を保護したりしてる。
既得権とかも認めてるし。
俺(
>>222-224 )や
>>225 >>231 >>234 >>237 の諸氏(同じ人かな?)が「政教分離ではない」と断言するのは
政教分離が意味のはっきり決まった、しまも極めて重要な政治及び歴史用語だから。意味が決まっている
以上、あてはまらないものは「違う」といわざるを得ない。
本来は皆さん各自で調べてもらいたいんだが、こんなところで出し惜しみしてもなんなので、山川の『政治
・経済用語集』から引用するよ。
(ちなみに山川から引用するけど、俺は高校生じゃないよ。『ジャングル黒べえ』をリアルタイムで見た、
おっさんです。仕事の関係上持っているだけ)
「政教分離 国家の非宗教化、宗教の私事化を確立することにより、個人の信教の自由を制度的に保障する
ことを一般に政教分離の原則という。この原則は、国が宗教活動を行うことを禁止し、国が宗教団体に特恵
的な扱いをすることを禁止する。」(25ページ)
読んでお分かりの通り。信長も秀吉も家康も「政教分離」をしていないよね。こんなことを当時やったら、
かえって人民を不安に陥れるだけでしょう。20世紀になってから西欧で確立した考え。「原則」だから国に
よって実態は様々で、日仏は徹底している。けれど英国は英国国教を国教としているから、原則通りとはい
かないかも。それでも「信教の自由」は認めているし、英国国教会を「特恵的な扱い」はしていない。
米国は州によっては政教分離していないところもある。ファンダメンタリストの強いところでは進化論を教
えるのを禁じたりもしている。
簡単に言えば政教分離は
1.宗教の政治、教育への干渉と
2.国家の宗教への干渉をなくし、
3.個人の信教の自由を保障する
の3つから成り立っている。
信長〜家康のやったことはあくまで宗教勢力の武力解除と俗権力への服従だけだ。
239 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 20:57:23
神と証したとか政教分離と関係ねーしw
連スレごめんね。続き こういう考えが確立するのは20世紀を待たないと無理で、だから 「信長が政教分離をした」 という評価は 「信長は数世紀も超越した天才」 という自国自讃史観につながる。こういう史観がいかにみっともないかは、戦前の皇国史観や 一部で報道されている韓国の歴史教科書、あるいは「ウリナラ起源」説を見ればわかると思う。 また政教分離の原則は現代民主政治の大切な原則だから、誤解しているのはあまりいいもので はないと思う。
>>239 関係あるだろ。
自分を神と称して崇めさせて権威を増大させ、
領国統治に利用するんだったら政教分離どころか神権政治だろ。
次に信長のやったことが政教分離につながるか、だけど、当時の世相をこれも違うと言い切れる。 確かに西欧諸国はローマ教皇と争い、屈服させることによって政教分離をなしたように見える。 だから「政教分離を目指した」という意見の人がいるのだと思う。 しかし先の1〜3で述べたように、それだけではない。信教の自由、これは宗教戦争やフランス革命 も絡んでくるのだけれど、教皇の権威失墜、宗教の権威失墜が不可欠なんだね。 信長という人は単なる暴君ではなく、世論というものを考慮した民政家でもあるから、宗教の権威を 剥奪するなんてことは考えもしなかったろう。故人の宗教観は別として。 (先述したけれど、信長が無神論者であったか、信心深かったかというのとは別次元の話)。 信長〜家康の宗教の武力解除は何をもたらしたかというと、明治維新後の廃仏毀釈と国家神道の確立 を容易にさせた、というのが限度だろうね。 最初に言ったけれども、日本の政教分離は敗戦後に始めて果たされた。 さて神を自称することはどうか。 これは一種の神権政治になるわけで、政教分離とは真逆だね。現にトルコはカリフ制が 廃されて初めて政教分離が果たされた。 中世〜近世の人々の宗教への依存は現代の我々の想像以上だよ。 合理的かつ科学的な教育を受けた現代人だって血液型診断や各種占いを信じる人が少なからず いるでしょう? ましてや合理的思考を学ばなかった昔の人の感情を無視して宗教の権威を剥奪 なんてできないよ。
最後に そう考えると日本ではやはり天皇の存在は無視できない。 徳川幕府は檀家制度で宗教を政治に利用した(これも政教分離に反するね)けれど、 天皇の権威を完全に奪うことはできなかった。官位大系、その大部分を奪ったけれど、 最終的には天皇の名での任官だ。 だから徳川義直(尾張家初代)や光圀(水戸家二代)のように 「我らの官位は天皇から賜ったもの。我らは公方の臣ではなく朝廷の臣」 という考えが出てきた。 日本が敗戦で政教分離を果たせたのは、天皇の権威が失墜したことが大きい。
244 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 21:32:21
天皇の上にマッカーサーがいたもんな。 あのツーショットはものすごいショックだったと死んだじいちゃんが言っとった。
245 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 21:43:55
宗教団体の狂信者カルト集団が力を持ったら、治世が危ない。 これは昔も今も変わらないと思う。
一向宗もその領国じゃ普通に統治してるんだけど。 てか武家が力持って乱れまくってるのが戦国時代なので 治世がどうとかいってもなあ。
ああ、念のため。 >信長〜家康のやったことはあくまで宗教勢力の武力解除と俗権力への服従だけだ 「だけだ」と書いているけれど、これは政教分離の定義を満たしていない、という意味で用いた言葉で、 「だから信長〜家康は大したこと無い」とはとらないでよ。 充分立派な業績だと思うよ、俺も。
248 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 22:31:27
政教分離の思想がなくとも、寺社の武力解除と既得権益の剥奪が どんだけ世の中の為になるかという想像は出来るし、 その為に戦うことも出来る。
俺は政教分離ではないということを論じているから、これ以上話を広げるつもりはない。 信長は政教分離を果たさなかったし、思考してもいなかったことを理解してくれれば充分だ。 そして政教分離などの各種政策をやっていないということが信長をけなすことではないという ことを理解してくれれば嬉しい。 俺は現実的なマキャベリスト、信長をすごいと思っている。 逆に中央集権だの政教分離だの現実を見ないで頭でっかちなことを目指していたなら、それは (中央政権だけだけど)後醍醐天皇と同じレベルになるからイヤだ。
ああ、ちなみに寺社の既得権は剥奪してないからね、信長は。 これも現実的なしたたかさだよ。
251 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/13(火) 23:15:44
つかスレタイの話題の流れになったときが一番詰まらないし、 脱線すればするほど伸びるから話しを広げるのもいいと思うぞ。
252 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/14(水) 01:30:47
信長の政教分離で以後公明党まで日本は宗教勢力による政治介入を防げたね
んなわけないだろ。 どうしてここまで盲信的なんだ。
>>252 公明党はグレーゾーンだと思う。
集票には利用しているが、今の所政策そのものに影響が及んだことがない。
監視されるべきではあるが。
言われてみればたしかに政策にはほとんど絡まないな ただ選挙活動のついでに布教活動もしてくるからやはりアレだとは思うが
256 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/14(水) 08:38:19
自分は政教分離というのは、宗教が政治に介入しない、させない事だと思っていた。 学校でも特に教えられた記憶もない。 だから「信長は政教分離を果たした」と聞いても疑問に思わなかった。 学校で教えてないから政教分離を知らない人がたくさんいるんだと思う。
そういえば宗教分離政策としては後周世宗こと柴栄がやった廃仏令の方が徹底的かね。 特定の宗派ではなく寺そのものを敵とみなし、国家の統制を強め、 寺が抱え込んでいた人口を解放し、寺の財を奪って政府財源に組み込み、 寺の銅製の仏像を溶かして硬貨とした。 また道教などとの癒着はなかった。
258 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/14(水) 14:59:52
>>254 公明党の発言権が強まったらわからんぞ。
やっぱり政教分離はきっちりしないと。
259 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/14(水) 23:46:35
信長って本能寺で殺されたことにして秀吉と入れ替わったんだよね そうすることで今までの恨みとか全部リセットすることができた 後には家康への入れ替わりまで成功させてる 完全に天才w
260 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/15(木) 10:45:19
その後坂本龍馬、吉田茂に転生もしている。 日本が危機に陥る度に我々を救ってくれた。 ちなみに小泉純一郎は信長の生まれ変わりではない。
じゃあ信長って信長になる前世は誰だったん?
262 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/15(木) 13:16:12
源三郎とか太郎丸とかどんべえとかめんのすけ、 その前はウポーとかピンパプとかメロッペとかヤ ーヤとかルッリ。 そのまえはスペースデブリだった。
263 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/16(金) 01:28:16
さ、しきりなおして文武両道君主のおすすめでもあげてかないか?
やっぱこれだけ名君がそろうなら名語録とか ナポレオンの 「運命の女神が振り向かなくても世界をその手にしてみせる」ってやつがかっこいい
265 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/16(金) 09:29:10
仕切り直すと延びなくなる。
266 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/17(土) 01:11:40
>>264 逆境になった途端「神よ見捨てないで(泣」
要するに勢いに乗ると実力の何倍も出せるが逆境になると弱いタイプ
267 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/17(土) 12:07:26
カメレオン・カタパルト
>>255 つ地域振興券(創価学会の資金集め)
つ公明党冬柴元国交省(いうまでもなく、土建権益)
つ公明党斎藤環境相の就任(温暖化詐欺による日本の弱体化)
つ君が代、日の丸否定工作活動
つ外国人国籍法改悪促進
つ自衛隊装備弱体化促進
つ外国人選挙権獲得活動
269 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/17(土) 20:37:52
1570年・・・古より稀代の英雄が戦国に甦った・・・
狼チンギスハーン率いる最強モンゴル騎馬軍団が上杉謙信、武田信玄に勝負を挑む
北条政子率いる鎌倉北条家が小田原北条家と睨み合い、謎の術士が呼び寄せた平将門が天草四郎と共に関八州を伺う
越前から朝倉を撃破し近畿を狙うは魏王・曹操、その野望を阻止せんと織田信長が立ちはだかる
呉の孫権は同じく甦った兄、孫策を旗頭に中国の毛利と交戦中
一方、薩摩に降り立った蜀の劉備は義兄弟、諸葛亮と共に旗揚げ、因縁深い呂布は大友・島津に味方した
四国は英雄・カエサルが聖少女ジャンヌダルクの力で長宗我部を飲み込もうとし
過去の威光が無くなった足利幕府の立て直しを計る為初代将軍・足利尊氏、三代将軍足利義満、そこに源義経、弁慶が訪れる
さらに京に現れた安倍晴明も関東の蘆屋道満の邪気を感知し脅威を伝える為幕府がある二条城に急いでいた
そしてこの戦乱を治める為、遂にあの男が立ち上がった・・・
PS2版 信長の野望withパワーアップキット
シークレットシナリオ「諸王の戦い」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5400182
270 :
初期配置にいない武将 :2009/01/17(土) 20:39:45
北条 時宗(ほうじょう ときむね)※元服前 政治79 統率72 知略70 野望80 義理70 7歳 出自:無し [槍隊] [騎馬] [改修] [外交] [奉仕] [収拾] 鎌倉幕府第8代執権。二度に渡る元の襲来を受けるが撃退に成功。 これを通じて幕府の西国支配を強化し、北条得宗家の専制体制を確立した。 呂布(りょふ)※イベントで島津or大友家に仕官 政治25 統率127 知略31 野望95 義理30 出自:無し [槍隊] [騎馬] [剣豪] [軍神] [槍衾] [突撃] 後漢の将。「人中の呂布、馬中の赤兎」と称された猛将。 裏切りを繰り返して大陸を暴れ回るが、自らも部下に裏切られあえない最期をとげた。 藤原 秀郷(ふじわら ひでさと)※上野の浪人 政治58 統率85 知略65 野望67 義理85 30歳 出自:無し [槍隊] [訓練] [剣豪] [守戦] [槍衾] 平安時代の武将。俵藤太ともいわれる。平将門を討伐した功で鎮守府将軍に任じられる。 大むかで退治など数多くの伝説に英雄として登場する。 安倍 晴明(あべ せいめい)※イベントで足利家に仕官 政治65 統率76 知略107 野望36 義理80 25歳 出自:忍者 [槍隊] [激励] [影] [混乱] [説得] 平安時代の陰陽師。時の権力者・藤原道長に仕え、天変地異などの凶兆現象を予見した。 古今無双の占術の使い手といわれ、数々の奇跡を起こしたという。 耶律 休哥(やりつ きゅうか)※武蔵の浪人 政治93 統率100 知略94 野望58 義理95 21歳 出自:無し [槍隊] [騎馬] [回復] [奉仕] [守戦] [突撃] 遼の将軍。用兵の迅速さから「電帥」とあだ名される。 二度に渡り北宋の大軍を撃破し活躍したが、自身は和平論者で、民政にも非常に意を用いた。
271 :
初期配置にいない武将 :2009/01/17(土) 20:41:12
チムールベック(ちむーるべっく)※岩代の浪人 政治63 統率134 知略109 野望100 義理50 22歳 出自:無し [槍隊] [騎馬] [回復] [鉄壁] [突撃] [混乱] チムール帝国創始者。チンギスハーンの子孫を称し、モンゴル帝国の再興を目指す。 西アジアを席巻したのち、明征服を企てるが、遠征途上で病死した。 ウィルウォレス(うぃるうぉれす)※駿河遠江の浪人 政治59 統率94 知略91 野望43 義理100 19歳 出自:切支丹 [槍隊] [回復] [激励] [守戦] [槍衾] スコットランドの英雄。イングランドの遠征軍をスターリングで撃破した。 のち捕らえられ死刑を宣告されたが、死の瞬間まで祖国の自由を訴えたという。 ドンファン(どんふぁん)※肥前の浪人 政治56 統率97 知略55 野望94 義理70 21歳 出自:切支丹 [槍隊] [騎馬] [訓練] [収拾] [激励] [突撃] スペイン王・フェリペ2世の弟。レパントの海戦では総司令官を務め、オスマン海軍を破った。 オランダとの戦いでも大勝したが、33歳の若さで急死した。 バドザッパイ(ばどざっぱい)※近江の浪人 政治68 統率76 知略80 野望97 義理60 21歳 出自:無し [槍隊] [商業] [登用] [引抜] [収拾] 3世紀に中東に栄えたパルミラの女王・ゼノビアのこと。 クレオパトラに勝るといわれた美貌を持ちローマ帝国と互角に戦うほど武勇・知略にも秀でていた。 源 義経(みなもと よしつね)※イベントで弁慶と共に足利家に仕官 政治46 統率109 知略62 野望78 義理75 19歳 出自:忍者 [槍隊] [騎馬] [収拾] [激励] [軍神] [突撃] 源頼朝の弟。平氏討伐で活躍し、鎌倉幕府の成立に貢献する。 武功を立てすぎたため、義経の台頭を恐れた頼朝に追討を受けて、逃亡先の奥州で自害した。
272 :
初期配置にいない武将 :2009/01/17(土) 20:42:23
武蔵坊 弁慶(むさしぼう べんけい)※イベントで義経と共に足利家に仕官 政治25 統率88 知略49 野望6 義理100 31歳 出自:旧仏教 [槍隊] [訓練] [守戦] [槍衾] 源義経の従者。武勇に優れていた。常に義経に付き従い、数々の危機から義経を救った。 奥州平泉で頼朝軍の追討から義経を守って戦死した。 アルタンハーン(あるたんはーん)※??? 政治61 統率94 知略73 野望88 義理75 64歳 出自:無し [槍隊] [騎馬] [訓練] [捕縛] [連射] [突撃] モンゴル系タタール部族の首長。度々明軍を破り、1550年には北京を包囲した。 青海・チベットにも領域を広げ、ラマ教をモンゴルに移入した。 張居正(ちょうきょせい)※??? 政治134 統率56 知略118 野望96 義理70 46歳 出自:無し [槍隊] [開墾] [外交] [検地] [治水] 明の政治家。万暦帝の首輔となり、内外の政治を独裁。 内政を革新し、新税制・一条鞭法を導入して財政を再建。その功より中国史上最高の政治家と称される。 戚継光(せきけいこう)※??? 政治73 統率105 知略87 野望62 義理90 36歳 出自:無し [槍隊] [騎馬] [訓練] [登用] [剣豪] [守戦] 明の将軍。倭寇の鎮圧で功を成す。その後、北に赴いてモンゴル軍を撃退する。 戦場を選ばない名将であり、軍事理論にも通じていて、兵法書を残している。 愛新覚羅奴児哈赤(あいしんぎょろぬるはち)※??? 政治87 統率104 知略94 野望98 義理75 12歳 出自:無し [槍隊] [騎馬] [訓練] [収拾] [捕縛] [突撃] 清の初代皇帝。女真族の統一を成し遂げ、その後、明に進出する。 連戦連勝したが、寧遠城で袁崇煥に敗れ、このときの傷がもとで病死した。
273 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/17(土) 22:45:11
274 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/17(土) 23:57:21
氏やん
イングランドがいないなあ。 ジャンヌを入れてあるなら、ブラックプリンス・エドワードとヘンリ五世、トールボットは外せないだろう。
つか狭い日本にひしめき合ってもなあ。 筒井康隆の『日本以外皆沈没』みたいだ。
277 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/20(火) 16:58:10
ひしめきあうなら東漢と唐と後周がいいな 真のイケメン皇帝をかけて戦国で戦ってもらう
278 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/20(火) 17:08:41
腐女子乙
ゲバラー
280 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/01/28(水) 19:35:11
アドルフ・ヒトラーと愉快な仲間達を入れろよ!
アンドレア・ドーリアも入れてあげて
曹操の指揮する国が、その時代の最強国家になるよ。 ただ…領土拡張欲はアレキサンダーや信長に劣る。 俺的には【曹操>信長≧その他】と思う。
政治的にも軍事的にも名君とはいえないが、後世世界に多大な影響を及ぼした人物として アメンホテプ4世をエントリしてください。
>>167 「かくしゃく」もな。
大修館書院の解説によると本来は光武帝の擬音語だとか。
あとは部下関連で「烏合の衆」。
楚漢と思われがちだが、実際は訳者が意訳しようとしてやらかしたらしい。
逆に「井蛙」の故事はもっと昔。
285 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/02/12(木) 06:53:00
>>167 追記。
向こうでもマイナー。
まず昔から宣伝文書に欠いたために学者以外にはマイナー。
昔は儒学者が中心に賞揚してくれたんだが、それがむしろ現代中国の学者に嫌われる要因になってる。
しかも後漢書みてもわかるが、彼は法家統治をしたことを第五倫などに責められてる。
故に儒学的には本来評価が低いのだが、太学の大々的設置や後漢の祖であったことなどで
儒家は贔屓の引き倒しをした。
結果史上では魏の曹氏以外の法家(中共含む)や法家好きの作家に嫌われるという素敵な状況。
魏書を見ればわかるが、魏の曹氏は揃って光武帝好きだったんだけどね。
また王莽の共産主義の嚆矢のような統治を改め、資本主義的統治をしたことが中共の逆鱗に触れ以下略。
豪族出身であったことも中共に批判され…
なにせ教科書で、図讖傾倒を批判した桓譚を左遷したのち、彼が道中73歳で没したことが、
光武帝によって殺されたことに変換されるくらいの嫌われぶり。
73は寿命だろ常考。
ヨーロッパ一の美人にヤンデレるほど愛されたグスタフアドルフが最強だな。 嫁対決では圧勝!
287 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/02(月) 06:11:50
>>276 その狭い日本の連中が世界を席巻したモンゴル帝国と帝政ロシアを倒してるからなw
288 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/08(日) 21:19:15
子供の数なら曹操の勝ち
確かに。 それを言えばベトナムもモンゴル帝国とアメリカを退けたな。 フィンランドもソ連を退けた。 ちなみに両国とも日本とほぼ同じ大きさなのも興味深い。
国家としてはちょうどいい大きさなのかもな
292 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/10(火) 22:32:26
ベトナムは占領されてんじゃん
>>292 太宗の晩年である1257年から、雲南を占領したモンゴル軍によるベトナム侵攻が開始された。このときは、モンゴ
ル軍の目的は南宋を南から攻撃することであり、太宗自身が軍を率いて出陣するとモンゴル軍は南宋方面へ去った。
第2代皇帝・聖宗および第3代皇帝・仁宗の時代に入ると、南宋を支配下に置いたモンゴルから服属要求を受け
ることとなるが、聖宗はこれを断固として拒否する。このため、1282年から1288年にかけて、モンゴル軍によ
る本格的な侵攻を受けることとなったが、名将・陳興道(チャン・フン・ダオ)らの活躍で、これらを全て撃退することに成功した。
>>293 フランスに占領されたってことだろ。
フィンランドもロシアに支配されてたしな。
もっとも俺がベトナムとフィンランドを持ち出したのは
「日本はモンゴル帝国やロシア帝国を倒した」
への反論と
日本以外にも大国を退けた国はある、
が言いたいだけだから
日本だってアメリカに占領されたしな。
他国に占領されたことの無い国なんてあんの?
メジャーなところでは米英かな。 ただし両国とも他所者が打ち立てた「征服国家」であるところが興味深い。
イギリスは一応分裂状態ではあったけどいくつかの国家はあった それをノルマン人が次々と征服してイングランド王国が成立した
アングロサクソン七王国も征服民の国。 もともとケルト系ブリトン人だが ローマ、デーン人、ノルマン人、ノルマン系フランス人と次々に征服があった。 日本も先史時代には民族移動の波が及んでたかも知れないけど イングランドほど大陸から近くないし、バイキングのような海洋民族がいなかったからね。
299 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/13(金) 14:43:56
オラニエ公ウィレムのイングランド上陸と王位継承は 実質征服に近いのではと言ってみる。
300 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/14(土) 05:09:38
イングランド人が凄いというより イングランドをこき使った〜人が凄い
301 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/14(土) 13:33:15
スレイマン大帝エントリーして良い?
302 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/30(月) 13:20:02
新末は三国時代よりレベルが低い 曹操>>>>>>>>>>>廃后、宦官重用で王朝滅亡の遠因を作った匹夫光武帝 荀ケ>>>>>>>>>>>常敗将軍ケ禹 張遼>>>>>>>>>>>>>>>>>>裏切り者ケ奉に殺されかける雑魚賈復 鍾会>>>>>>>>>>>延岑を勝手に処刑する野蛮人呉漢 張飛>>>>>>>>>>>>>>>>>>公孫述の刺客に暗殺される馬鹿岑彭 新末は三国時代よりレベルが低い
>>302 曹操は人心掌握を、その光武帝に倣ったんだが?
304 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/03/30(月) 18:42:55
スレタイの面子って、戦術面で秀でていたフリードリヒ大王やグスタフ・アドルフ、 戦略面で秀でていた曹操や織田信長、その両面で秀でていたナポレオン、 そして個人的武勇に優れていたアレクサンドロスと、有名なの揃えただけで人選がバラバラだな。
>>305 戦闘、戦術、戦略の違いがわからん人が多いからなあ
307 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/04/18(土) 13:21:34
サラディンは?
曹操は戦略じゃなくて戦術のほうが得意そうだが
309 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/04/18(土) 23:41:01
戦闘、戦術、戦略の違いなんてクラウゼビットとリデルハートの間でさえ食い違ってるが?
310 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/04/19(日) 15:22:15
チンギスハーンが最強でFA
騎兵の無いモンゴル軍など竹刀の無い剣道選手
>>307 サラディンよりバイバルスの方が優秀だと思う
>>90 中国を日本と同じ一国で扱うのはナニすぎるw
まあ戦争中に兵糧が尽きてもめいめい逃げ帰れば何とかなるような戦国日本も
統一できなかった信長が一番小物なのは確実。
1−100を最新と間違えた・・・
国を繁栄させるならば曹操でしょ
316 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/04/27(月) 00:39:43
サラディンは過大評価
317 :
きつね :2009/04/27(月) 01:12:25
信長は問題外として、曹操と他の面子較べるのおかしいだろw グスタフアドルフくらいなら勝負になるかもしれないけど 他は格が違いすぎる
320 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/07(木) 23:05:11
321 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/08(金) 22:45:06
うん。信長がいくさ上手とは笑止w 戦略、物資調達や経済戦略など近代戦の要素が生じない古代の戦いでは、 曹操はおろか、三国初期に死んでるだろ。それに、世界の豪傑達があろ うことか最大の股肱に寝首をかかれるなど、これはもう入り口でお断り。
最近の研究ではグスタヴ・アドルフの騎兵は下馬して戦っていたことが判ってきた。 あのような小さな馬でトコトコ突撃する姿を想像できるだろうか? ポニーサイズの馬は乗り物に過ぎないのだ。
323 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/08(金) 23:31:02
問題外信長 信長儲は未だに基地外が多いしどうしようもない ご本尊ともども焼け死んでしまえ
>>141 ハンニバルは敗戦後スフェス(最高指導者)としてカルタゴの改革を
行い、驚異的な復興を成し遂げたよ。その異常な復活ぶりがローマに脅威を
感じさせ、ハンニバル自身の命もカルタゴの寿命も縮めてしまうんだから
皮肉だがね。
政治家としてのハンニバルは見落とされがちだよね
326 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/15(金) 08:01:44
ハンニバル 敗軍之将、亡国之臣でぶっちぎりのナンバーワン
327 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/15(金) 10:52:20
ナポレオンて亡国の暴君だよな
は?
329 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/16(土) 15:25:29
馬鹿乙
だから何だよ(鼻くそホジホジ
331 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/17(日) 10:53:42
ゴミ>織田信成はガチ
332 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/17(日) 15:34:42
グスタフアドルフて目が悪くて戦死した人だろ? 過大評価されすぎだろ
333 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/19(火) 12:10:43
「ある民族の歴史の中で軍才がある人は大概数人しか出ない」 日本の軍人で軍才があるのは大村益次郎だけ。 戦術レベルでの優秀な指揮官なら他に数名いるが。
武田信玄>曹操
曹操と比べるならアンティゴノスあたりが適当。
336 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/19(火) 12:39:03
野津道貫>大村
目が悪くて戦死のどこがマイナス評価になるんだか
338 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/21(木) 12:55:58
最後がショボイからだろ
人物としての評価とは関係ないだろ ブライテンフェルト自体は勝利してるし カエサル、ナポレオン、フリードリ大王、アレクサンドロスに比肩するとはとても思えんが
340 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/29(金) 19:02:21
アレクサンダー=フィリッポス分を吸い上げまくりの病死して内乱で後継断絶のDQN カエサル=オクタビアヌス分を吸い上げまくりの暗殺された禿げ フリードリヒ=奇跡がなければ自殺(藁 ナポレオン=カルノーに感謝するべき島流し その四人は最後まで覇者として死に 後継に引き継いだ曹操以下でFA
341 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/29(金) 23:42:11
信長もは最下位だな
342 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/30(土) 00:25:21
東郷平八郎はどう?
343 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/30(土) 00:38:17
ただの一軍人だろ 政治に関わる機会がない
曹操>フリードリヒ>カエサル>グスタフアドルフ>アレクサンダー>ナポレオン>信長
カエサルがオクタヴィアヌス分吸い上げっておかしくないか?
346 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/31(日) 19:08:01
信長一番ショボイに同意
しょぼいって訳じゃないがこの中では一番下になるのも無理ない所 後継者が挽回してくれた訳でもないしね
348 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/05/31(日) 20:11:14
曹操かナポレオンの方がショボイ
信長が一番しょぼいに一票
比較する項目を明確にしなければ、単なる好き嫌いで語る輩が後を絶たない。 統治した範囲、戦勝、当時及び後世への影響、どれをとっても信長は最下位だろ。 この時代の日本ならエントリーすべきは秀吉か家康だろうな。 信長がしょぼくないと主張する人はその根拠を教えて。主観ではなく、ね。
351 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/01(月) 12:37:20
ショボイとは思わないが この中だと下位だろ
352 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/01(月) 13:35:15
曹操:官渡の戦い フリードリヒ:ロスバッハの戦い カエサル:ファルサロスの戦い グスタフアドルフ:ブライテンフェルトの戦い アレクサンダー:イッソスの戦い ナポレオン:アウステルリッツの戦い 信長:長篠の戦い
353 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/01(月) 13:39:41
>>352 アレクサンダー=カエサル=曹操=フリードリヒ=ナポレオン>グスタフアドルフ>信長
という感じ
354 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/01(月) 15:15:17
曹操がナポレオンより上か?
355 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/01(月) 15:54:50
戦略:曹操>ナポレオン 戦術:曹操≦ナポレオン 思想:曹操>ナポレオン 芸術:曹操>ナポレオン 歴史的影響:曹操<<<<<ナポレオン こんなもんでしょ
356 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/01(月) 15:57:31
さすが三戦板、まさかナポレオンと曹操が同格なんて本気で信じてる馬鹿に会えるとは・・・
357 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/01(月) 16:10:52
>>356 いや、官渡前後は曹操以上のことは誰にも出来ないだろ
トータルで見ればナポレオンの方が戦績では上というのは分かるよ
官渡前後における袁紹と曹操の戦力はほぼ同じか、または曹操の方が うわまわっていた、というのが最近の認識だが。
東に劉備、南に孫策、西に張繍、北に袁紹の状況で勝ったのは 戦力差関係なく偉業
ナポレオン>ブリュッヘル ナポレオン>ウェリントン ナポレオン<ウェリントン+ブリュッヘル
ナポレオン>シャルンホルスト ナポレオン<グナイゼナウ ナポレオン<シャルンホルスト+グナイゼナウ だろ?
ダヴー>ウェリントン+ブリュッヘル+シャルンホルスト+グナイゼナウ
364 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/02(火) 01:08:52
ナポレオンも最後が微妙だからな
365 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/02(火) 01:17:33
スペイン戦役でウェリントンにやりたい放題やられ ロシア遠征では自身の勢力基盤が壊滅 ライプツィヒでライバルに封殺され 部下に裏切られ強制終了 ワーテルローでは雨で勝てる勝負を落とす、 しかも接戦で勝利、という瞬間に敵の増援 口惜しすぎるな
>>359 まともにやり合えるのなんて袁紹だけじゃんw
ただ名前並べてそれらしく装飾するなよ
367 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/03(水) 16:44:40
まともにやりあえるかどうか以前に二正面作戦になってたら敗北必至 劉備の処置はともかく、他二つはラッキーでしかない そこそこの名前が四方に並ぶ時点で限りなく致命的
368 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/05(金) 00:58:08
なんでマホメットが入ってないんだよ 間違いなく最強クラスだろw
369 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/05(金) 01:15:35
織田曹操vs武田孫権
370 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/09(火) 02:25:04
ベルナドッテは過小評価
371 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/12(金) 06:48:26
ベルナドッテは子孫繁栄しすぎ ナポレオンの元帥で一番の勝ち組だよな
クラウゼウィッツが不憫です><
ハンニバルを入れてない時点で
>>1 はわかってないな。
ベルナドッテの子孫はスウェーデン王家だもんな
375 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/19(金) 11:29:07
カール=チャールズ=シャルル=カルロ=カルロス=カレル=カーロイ=カロル ミヒャエル=マイケル=ミシェル=ミケーレ=ミゲル=ミハイル アレクサンダー=アレキサンダー=アレクサンドル=アレッサンドロ=アレハンドロ=アレクサンデル=アレクサンドル
>>373 君主オンリーなんじゃね?
ベリサリウスもいないし
377 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/06/22(月) 09:31:00
じゃあカエサルはどうよ? スキピオが入ってないじゃん
王たらざるもの名を列ねること罷りならず
実際兵力が同じならスキピオよりもハンニバルが上だな
380 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/07/15(水) 18:42:04
なぜチンギス=ハーンが食い込んでこない!
381 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/07/22(水) 22:58:51
あと御厨太郎も加えてくれ
382 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/07/27(月) 12:58:00
御厨なんて_すぐる
383 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/07/27(月) 20:15:31
骸骨女
384 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/07/27(月) 20:16:21
まんこでオナホつくりたい
385 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/09/23(水) 11:41:54
過疎あげ
386 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/09/23(水) 18:53:00
誰も冬将軍に勝ってないな
388 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/10/10(土) 16:06:15
389 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/10/10(土) 21:29:26
信長のように戦争で必ず勝利する英雄と他の雑魚比べられてもな 信長>ナポレオン>カエサル>曹操>アレク これが妥当
金ヶ崎さん「………」
391 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/10/10(土) 23:06:00
信長負けてるし最後は部下に反逆されて死んでるじゃないか
392 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/10/11(日) 06:23:04
信長の勝率は六割くらい
A 曹操、フリードリヒ B カエサル、グスタフアドルフ C アレクサンダー D 信長 E ナポレオン 降伏する 相続が上手くいかない 捕虜になる 戦死する。暗殺される。 戦争で負ける 戦争で逃げる の順にかっこ悪い
カッコにとらわれて大局を見誤る方が余程ぶざまだと思うが。 いずれにせよ信長はこの中では小物
395 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/10/11(日) 08:30:53
獅子心王ことリチャード1世は?(イギリスの王・ジョン欠地王の兄)
相続はまあまあで、戦争では無敵、捕虜になり、戦死だからCくらい 信長よりは上だろう
397 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/10/11(日) 16:25:22
>>392 ぷっwそりゃ戦闘だろw
戦争は最終的にすべて勝利してるよ
>>394 カッコつけて敗者側を許して死んだのは馬鹿のカエサルですwww
戦争で上手くいっても政治で上手くいってなかったら維持出来ない 信長が部下に裏切られ続けたのは何故なんだろうか
>>397 つまりその理屈でいうと
72敗将軍だけど「戦争」には勝って数百年の大帝国を作った劉邦様>>>>>
>>>>(越えられない壁)>>>>>>家臣に殺されて次代にも引き継げなかった六天魔王
ですね、はい
>>397 > 戦争は最終的にすべて勝利してるよ
君の脳内ではな
402 :
無名武将@お腹せっぷく :2009/11/08(日) 05:46:42
モスクワ冬将軍に勝てる武将はいない
ギャッサム14世に勝てる奴がおるのか?
405 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/17(水) 15:32:32
曹操VS織田を考えて見ましょう 指揮をする能力が曹操が上 しかし織田には鉄砲があります。それに信長の使用している槍がかなり長いです 曹操軍の届かないところから刺せます。 それに槍や刀の切れ筋も日本のほうが優れている それに1300年の差もあって鎧も戦国の鎧のほうが丈夫です。 ちなみに曹操に鉄砲を持ってても信長の鎧は南蛮胴具足といって、鉄砲にも耐えます 結果は信長の勝ち カエサルもほぼ同じ結果になると思います では信長VSアレクサンドロス大王 アレクサンドロスには飛び具を防ぐ盾があります。なので鉄砲を使っても意味がありません。 たしかに弓矢とは違って玉の速さは目には見えません。しかしアレクサンドロスの盾は小さい隙間から槍は剣を突き出せます つまり鉄砲の攻撃を防ぎながら攻撃できるのです。 あともうひとつアレクサンドロスには投石器というものがあります 投石器は城の何十mもある石垣を壊してしまうほどの威力があります。 それなら大砲もそれと同じくらいの威力あり日本にもありますが実際信長が使った事など聞いた事もありませんし まだ信長が生きていた時代の大砲はそれほど強くはありません。 もちろんかなり硬い石垣も壊してしまうほどですから実際の戦いにもかなり織田軍はダメージを受ける筈です。 それにアレクサンドロスには大型騎馬があります。武田騎馬隊の木曽馬よりもはるかに大きい馬なのでいくら武田の騎馬隊でもアレクサンドロスの 大型騎馬との機動力は比べ物になりません。 なのでアレクサンドロスVS織田信長はアレクサンドロスの勝利です。 僕が思うにはアレクサンドロスよりもナポレオンのほうが強いと思いますので 曹操vs織田信長vsカエサルvsナポレオンvsフリードリヒ大王vsグスタフアドルフvsアレクサンドロス はナポレオンが一番強いと思います。
406 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/17(水) 20:28:53
まんこでオナホ作りたい
407 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 02:38:58
それぞれ時代が違いすぎて比べらんね。比べる意味もわかんね。 >405 の書いてる意味とかわけわかんねーし。武器で評価してどーすんだよ。 んなこといったらヒトラーなんてタイガー戦車でワッショーイでおわん じゃね? 比べるなら、 曹操vs織田信長vsカエサル の中で誰が一番エロかったか?ぐらいじゃね?
投石器は曹操も使ってたしね
409 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 07:38:23
>>405 言っておくけど投石器は人を負傷させるためのものじゃない
精密射撃はできない
だからアクサンドロスと信長が戦う場合信長が籠城しないかぎり投石器は役に立たない
それぞれ時代が違いすぎて比べらんね。比べる意味もわかんね。>だよな
時代が違いすぎる
アレクサンドロスとナポレオンってどれだけ時代が違うんだし
投石器だったら大阪の役で徳川方が使った「カルバリン大砲」だったような新型の大砲のほうが微妙に強いような気がする
の書いてる意味とかわけわかんねーし。武器で評価してどーすんだよ。>同感
戦国武将のが強い理由は武器がすぐれている事
だけど戦国武将が強い理由はまだある筈。
例えば鉄砲を使った戦術は世界でトップレベルですからね(日本は)
エロいか・・・・だれだろう
曹操とか信長という短気な人がエロいはずないからカエサルじゃない
410 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 07:48:40
まんこでオナホ作ろうぜ
411 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 10:14:50
アナ二ー大佐
>>409 >例えば鉄砲を使った戦術は世界でトップレベルですからね(日本は)
ネットや井沢の著書で時折見かけるけど、コレって根拠あるの?
なんか自己満足に過ぎないような…
まあ少なくとも信長は見るべき鉄砲戦術など使わなかったがね。
413 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 14:32:10
おいおい勘弁しろや 長篠すら知らねーサルの分際で書き込むなよ(笑) 一斉射撃はヨーロッパに先んじること一世紀なんだぜ 小学生からやり直せボケが(笑)
414 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 14:45:03
クマッタ蛆虫
415 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 14:50:21
トモミのはファーストキスが誓いのキスだったわけだからそれってアイドルの鑑でしょ あと奈保子だって健康なアラサーの子が非処女を認めたって全然変じゃない
416 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 15:02:10
うたばん 3月とくばん終了後に緊急記者会見 3月23日放送の『とくばん』生放送で重大発表することを公表しているが、 さらに放送終了後にはマスコミ各社に向けTBS社長、編成部長、司会の2人で 記者会見する模様だ。異例の記者会見を開くことに芸能関係者は高い関心を寄せ、 未だに公表されてない最後の改編発表になるのではないかと注目を集めている。
417 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 15:58:25
>>413 同感です
長篠も知らない奴が書き込むなって話ですよね
まあ少なくとも信長は見るべき鉄砲戦術など使わなかったがね。>あり得ない
鉄砲戦術を使わなかったのは上杉謙信です
あんな強力な武器を信長が使わないわけがない。
本当に強力な武器ですよ。例としては
朝鮮出兵で泗川の戦いという戦いがあります
あれは島津義弘vs董一元
で島津がたった兵力7000人に対し董一元は200000人です
しかし島津義弘は大量の鉄砲を使い見事勝ち抜いたのです
董一元側の死者は80000人ですよ
たった7000人で80000人殺したという事は鉄砲のおかげなのです。ほとんど
こんな強力な武器を信長が使わないわけがない
>>412 お前小学生からやり直せ
いまの小6で分かっていることが君は分かっていない
いや君らの方こそ読解力を養ってくれ。 「見るべきものがない」、を勝手に「使用しなかった」としているが。 それと教科書レベルの知識で威張られてもなあ。 長篠・設楽が原を俗説で語るのも勘弁な。
くだらねー煽り合いだな 先にキレた方がヘタレ
420 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 18:19:45
トモミのはファーストキスが誓いのキスだったわけだからそれってアイドルの鑑でしょ
421 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 18:28:30
ちゅっちゅしてほしい
422 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/19(金) 18:46:43
いや君らの方こそ読解力を養ってくれ。 「見るべきものがない」、を勝手に「使用しなかった」としているが。 それと教科書レベルの知識で威張られてもなあ。 長篠・設楽が原を俗説で語るのも勘弁な。
423 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/21(日) 19:40:02
可愛かずみだったかが自殺した頃、 六本木でよくベロンベロンに荒れてて、 「次は明菜だな」って言われてたもんだよ。
424 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/21(日) 20:00:19
425 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/22(月) 17:25:31
アナ二ーしてくる
426 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/22(月) 19:28:36
美智子さんは脚でいい?と言って、せまい車中で靴を脱ぎパンスト脚で触られた。暗いがパンツ丸見えで少し脚コキされた。気持ち良すぎる、出そうといったらやめられた。美智子さんが帰った後、美智子さんの家の前ですぐにヌいた。 美智子さんの店にいったらこの前送ってくれた後すぐ帰らなかったでしょ!何してたの?シコッてた?と言われた。だって、あんな事されたら…すいませんと言った。ちがうでしょ、ありがとうございますて言いなさい。二十歳の美智子さんに虜になった三十童貞の男でした。
427 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/03/22(月) 20:24:00
美智子皇后さまがそんなことするか!!
>>405 銃弾を防げる盾ってすげーな。
ゲームだと鋼の盾とかあるから誤解してるようだが、
盾は薄い木の板製で、表面に革を張って補強している。
斧なら一発で、剣でも数回殴られれば割れる。
弩なんかで射られたら余裕で貫通しちゃう。
ならば頑丈な盾を作れば良いじゃないかと思うだろうが、
それだと重すぎて役に立たない。
そういう理由で、騎士の時代にもなると盾は紋章を入れる小道具に成り下がった。
430 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/09/04(土) 19:04:10
431 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/09/04(土) 19:08:51
最近どころかもっと昔からラノベであったわ 孔明が日本軍に憑依したり司馬懿が米軍に乗り移ったり。みたいな 本場ですら蜀マンセーな「反三国志」みたいなのが相当前に出たりしてる
志茂田景樹の『大三国志』がデタラメ三国志の元祖
好きさなら 曹操 アッティラ 勝ちそうなのは チンギスハーン 次点でナポレオン
435 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/11/07(日) 19:45:09
オロチ最高
436 :
無名武将@お腹せっぷく :2010/11/07(日) 20:23:25
(´┌┐`)いまからキムヨンジャでオナ二ーしてくる
このなかでは信長が一番小者じゃ無いか? 軍の規模が違いすぎるよ 日本一国すら統一できなかった時点で負けてる
信長と比較するならチェーザレ・ボルジアだよね。
チェーザレと信長を比べようとすると 当時における日本とイタリアにおける「征服」の概念や手法が違いすぎて いまいち比べにくいけどな
信長は20万の兵を運用してるからな 他の小物には無理
最盛期でさえ、武田攻め程度の距離で5万程度の兵を動かすのに 兵糧欠乏を心配してるような信長公がなんですと?
>>440 の理屈なら
チェーザレは大量の大砲を装備した多国籍軍からなる数万の兵を運用し
ろくに軍事力もなかった教皇国を背景としながら、政体も国の規模も異なる様々な外国勢力を
手玉にとってイタリア中枢部を制圧してるからな
信長みたいな小物には無理、とも言える
チェーザレ公はマキャベリの著作で半永久的な世界的名声を獲得してるからなあ ローカルヒーローの域をでない信長じゃねえ
>>430 サイト見たけど三章以降見れなくなってた……(目次に読むためのリンクが消えている)
445 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/04/30(土) 12:03:35.94
チェザレは教皇のバックがなくなった途端にゴミと化して ナバラでのたれ死にしたんだから 織田信長の方が断トツに上 比較にすらならない 信長ならイタリア全土を統一し、 後にマキャベリをして「弱きイタリア」と慨嘆させることもない 文化的にも劣勢なフランスを蹂躙し、スペイン、オーストリアも征服しただろう ボルジア家は毒殺が有名だが、その手の立ち回りでは最上義光にすら負けるな
446 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/04/30(土) 16:52:32.00
>信長ならイタリア全土を統一し、 >後にマキャベリをして「弱きイタリア」と慨嘆させることもない >文化的にも劣勢なフランスを蹂躙し、スペイン、オーストリアも征服しただろう 日本すら統一できなかったのに何言ってんだか
どっちが上か、なんて無理だし無意味だが、 島国の日本より、諸外国の介入が頻繁なイタリアの方が統一難しいよな。
448 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/04/30(土) 17:30:20.38
イタリアの完全統一が達成されたのって 20世紀になってからだもんなあ・・・
449 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/04/30(土) 18:05:25.07
信長軍とアクバル大帝が率いるムガル帝国軍が激突したらどっちが勝つんだろう
広さとか兵力で単純比較するって、中学生なんですか
文化も状況も異なる国の人間同士に優劣つけてみても仕方ないしな
452 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/04/30(土) 19:05:29.55
モルトケ>>>>>越えられない壁>>>>>フリードリヒ大王 ガリバルディ>>>>>越えられない壁>>>>>チェーザレ 西郷隆盛>>>>>越えられない壁>>>>>織田信長
453 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/04/30(土) 19:17:16.21
つまらん
インド人にとっちゃこいつら戦争屋よりも、ガンジーの方がはるかに偉大だろうしね くだらん
チェーザレと信長の比較に何故インド人?
カレーが食べたくなったんだろ
こういうスレでよくあるのが日本も統一できなかった信長は大したことが無い ていう意見だけどさ、ヨーロッパ勢って強い人と戦ってたの? 信長のいた戦国時代は猛者だらけだけどアレクサンドロスもダレイオスは強かったらしいけど 他にどんな猛者いたの?ってなる カエサルやアレクサンドロスの時代に周辺が雑魚ばかりならいくら広大な土地侵略しても特別強いとは言えないし 日本も統一できなかったって言っても無敗の武田軍や上杉軍、鬼の島津や長曾我部っていう強敵揃いなら統一できなくても十分強いと思うんだが テレビに出てきた歴史研究家も当時の信長がヨーロッパと戦ったら数や武装が負けてても戦争慣れしてる 信長の連戦連勝って考察してるんだけどカエやフリ、アレクの時代のヨーロッパってそんなに激戦時代だったの? いくら大国相手でも平和ボケしてる連中にいくら勝っても100年以上戦争続けている猛者だらけの戦国日本で 勝利してきた信長よりも絶対的に強いとは言えないと思うんだけどヨーロッパ史詳しい人いたら説明求む
ならばその猛者ぞろいの日本を統一した秀吉の方が信長より上だろ
秀吉はほとんど信長がやった天下統一の総仕上げしただけだから、必ずしもそうとは言えない それに秀吉と信長じゃなくて信長とヨーロッパ勢を比べているから秀吉出されても困る 諸外国の介入が頻繁なイタリア統一のほうが難しいと言っても介入してくる国のレベルが分からない から頻繁に介入してくるだけじゃ情報不足 それともイタリア半島の周辺の国って戦争ばっかやってる超軍事大国の猛者揃いでそいつらいっつも イタリア半島に攻めて来てたの?
>>460 >秀吉はほとんど信長がやった天下統一の総仕上げしただけだから、必ずしもそうとは言えない
んなわけないでしょ
信長の作った政権なんて本能寺で崩壊してるし、秀吉は織田一門でもなんでもなく、
自力で後継者争いを勝ち抜いて旧織田領土統一し、そこから天下統一したんだから
全然織田政権とはべつもんでしょ
もともと信長の政権なんて天下政権には程遠い中身適当な畿内戦国大名領国政権で
後に秀吉が作る天下政権と比べて明らかに劣る
てか織田を支えた有力氏族や一門をどんどん迫害して天下取った秀吉なのに、何をかいわんや
イタリア情勢に関しては長くなるので次レスで書いてやろう
462 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/01(日) 21:17:46.16
>>460 へのレス続き
イタリア情勢に関してだが、
国のレベルがわからない、って少しは調べたほうがいいと思うが・・・
なんで分からないくせにそんなに偉そうなんだ?
とりあえずチェーザレ時代で言うならば、スペイン・フランス・神聖ローマは
当時における西欧最強国トップ3でイタリアに政治介入を頻繁にしてきた
フランスの介入は特に頻繁で、毎回のようにイタリアの国家群に政治介入を行って
領土拡大をもくろみ、一度なんか10万近い大軍でイタリアに侵攻してきて
イタリアの国家群を牛蒡抜きしてローマまで侵略してきた
これがチェーザレが動き始める契機となっている
フランス・スペインは南部イタリア・中部イタリアを舞台にして派手な戦争を繰り返していたし、
神聖ローマ帝国も同様で、この軍がローマまで陥落させ、永遠の都であったローマを廃墟にした「ローマの略奪」を行った
さらにはスルタンの一声で20万近い大軍をぽんぽん動員してくる超大国トルコが
隙あらばと介入の機会をうかがい、都市国家でありながら強力な海軍と先進技術と組織力を持つ商人国家であり
「アドリア海の女王」とうたわれた当時のチート国家ヴェネツイアが
外交と戦略を駆使してほとんど単独でこれを押しとどめている状況
有名なマキャべりはこの状況を嘆き、外国からの侵略や介入を跳ね返しイタリア統一を成し遂げられる英雄を渇望し、
それが世界的な名著「君主論」の内容となっている
小国家群が乱立し、周囲に超大国が複数いて、頻繁に介入してくるイタリア統一を成し遂げるには
これらの超大国たちの介入をどうにかしてパワーバランスによる均衡や外交手腕を駆使して抑えつつ、
その上で自身の勢力を抜け目無く手段を選ばずに維持し拡大していく、
マキャベリが言うところの「獅子の勇猛と狐の狡猾」を持った人間が求められ、
チェーザレは若いながらにそれらの点の能力に関してずば抜けており、
マキャベリがこれに光を見出した事は有名だな
結局チェーザレが本人にとってはなはだ不本意な形で退場を余儀なくされた後、
イタリア統一に関してはろくに考えるものもでず、周辺諸国の力が弱まった300年以上後にやっと達成された、って状況だな
こんなんでイタリア統一をちょろいなんて言うのは馬鹿しかいないだろ
>>457 なんか小学生みたいな質問だから、小学生みたいに教えるみたいに答えようか
「強い人と戦ってたぞ」
>信長のいた戦国時代は猛者だらけだけどアレクサンドロスもダレイオスは強かったらしいけど
>他にどんな猛者いたの?ってなる
なんつーか、この書き込みを見るだけでどういう神経してるんだ?って気持ちになる
ひょっとしてと思うが学校で歴史の授業の時間帯は居眠りしてました、な小学生か?
ダレイオスのペルシア王国は当時における西洋的世界概念のほとんどを支配していた超大国だぞ?
学校の授業でもらった世界史資料集で地図確認もした事がないのか?
アレクサンドロスがやった事を日本の歴史で例えるなら(そもそも無理な気がするが)
薩摩・日向・大隅しか持ってない状態の島津が、
東北から島津以外の九州にいたる全てを支配している状態の秀吉に攻め込んで勝って滅亡させるくらいに
無茶苦茶な事なんだぞ?
ダレイオス以外にどんな猛者が・・・じゃなくて、
ダレイオスが強すぎて大きすぎて他に相手といえる相手がほぼいないんだよ
だって他の連中はみんなダレイオスに従ってるんだから
ま、ダレイオス滅ぼした後に戦ったインドのポールス大王とか、ギリシャ人傭兵将軍メムノンとか
いないわけじゃないけどな
>>457 宛の続き
それからカエサルにも謝っとけ
自軍の何十倍の人口のガリアを天才ウェルキンゲトリクスを破って征服し、
当時の紛れも無く軍事的天才と評価されていたポンペイウスとさしで戦って勝ち、
当時の地中海世界を統一したんだから
日本の大名知ってるだけで世界を雑魚扱いするなよ
他が雑魚なんじゃなくてお前が知らんだけなんだから
>テレビに出てきた歴史研究家も当時の信長がヨーロッパと戦ったら数や武装が負けてても戦争慣れしてる
>信長の連戦連勝って考察してるんだけど
その歴史研究家、って誰よ?てか視聴率命のテレビが「信長が戦ってもヨーロッパ勢には連戦連敗です」なんて
言わせるわけないだろ
別に当時の日本勢が戦って連戦連敗になるとは思わんが、信長なら連戦連勝ってのも同じくらいに馬鹿げた話だ
もともと信長は戦術での敗北は当時の有名大名で非常に多いほうだからな
それからヨーロッパは常時戦争状態だ
そもそも「平和なんて次の戦争への準備期間だよね」とか言ってるような連中だぞ?
島国の日本と違い、常時外国勢力がひしめきあってるヨーロッパにおいて、
「平和」なんていうのは軍事力と外交力のせめぎあいにおける均衡のもとでしか成立しない、
非常にもろいもんだ
だから戦争が起こって和平条約が結ばれて、つかの間の平和が出来て、その状態の中でさえ
外交力と軍事力のバランスを崩さないようにギリギリのせめぎあいを続け
結局またすぐに別の戦争が起こる、ってな感じ
平和ボケ、なんて状態にもしもヨーロッパの中のどれかの国がなれるようだったら、
それはむしろその国の指導層が超有能だった証になっちまうだろうよ
信長厨はヨーロッパにおける「征服」の手法や概念が 日本とはかなーり違う事も考慮しないから 日本最強他は雑魚、みたいな変な考えに陥るのだろう
ほとんど前の人たちが書いちゃってるけど、俺にも言わせて。 >秀吉はほとんど信長がやった天下統一の総仕上げしただけ これって前に誰かが書いてた 「広さとか兵力で単純比較」 なんだよね。 要するに信長の最晩年の領土の広さと動員可能兵力を見て、 「後は他の中規模大名を滅ぼすだけ。天下統一寸前じゃん」と。 しかしその内容は既に指摘されているとおり。武田遠征で五万の兵を出すのにも 「できるだけ沢山連れてきてね」 としか言えない。内政は丸なげ。 秀吉が受け継いだのは信長の軍事的成功の一部に過ぎず、 君の言う島津や長宗我部といった猛者、加えて柴田、徳川といった猛者も下している。 まして内政は秀吉が作り上げたもので、信長から受け継いだものなんてほとんどないよ。 その秀吉、補給においては信長より明らかに上の秀吉軍が海外遠征してどうなったかを 考えてくれ。 補給など考えず、どこでもドアで乗り込めば、朝鮮、明兵を恐れおののかせた日本兵だから、 強いとは思うけどね。 それと「歴史研究家」が必ずしも「歴史の専門家」とは限らないよ。
つづき なので内政面でまったく見るものがない信長をこのラインナップに加えるくらいなら、秀吉 にしてくれ、と。 ちなみに曹操も天下統一できなかった点では同じだが、彼は内政面でも後世に残る仕事をしたから、まあ いいけど、 曹操を出すくらいなら光武帝劉秀を出して欲しいなあ。これでは東洋勢が寂しい。 イタリア情勢について。 『ロミオとジュリエット』を読むことをお薦めする。
468 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/01(日) 23:30:38.35
カ・メハメハ1世もラインナップに加えてくれ!
469 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/01(日) 23:59:10.84
だが降臨ww 「前の人たち」って見え透いた自演乙ww 相変わらずの見てきたような嘘八百笑止千万 信長が大敵を滅ぼし、残りの敵にも相対的優位性を構築していなかったら、秀吉の天下など不可能 信長の内政面での功績? 政教分離、中央集権体制、楽市楽座、関所の撤廃、検地、能力主義 小学生でも知ってることばかりだが 小学生からやりなおせ >最盛期でさえ、武田攻め程度の距離で5万程度の兵を動かすのに >兵糧欠乏を心配してるような信長公がなんですと? ソースは? これ一発で撃沈。哀れな奴。 >内政は丸なげ 見てきたような嘘をつくな。 内政まるなげならどうして戦国一の治安を誇れるのか 説明してくれ。期待しないで待ってるよ。 当時日本が世界で一番鉄砲を保持してた事実も知らんのか 宣教師どもやマニラの南蛮人は日本兵が攻めてきたらどうなるか、戦々恐々 の報告書を本国に送っているんだがな この一事で戦国日本がイスパニアより強いのは自明の理 そのイスパニアに介入されて青息吐息のイタ公なぞ比べるだけでも失礼千万だ ガリアやイランなんぞの土人相手に勝利したくらいのハゲサルやアレックスなぞ物の数ではない
470 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/02(月) 00:02:49.96
>『ロミオとジュリエット』を読むことをお薦めする メロドラマなんかでどうしてイタリア情勢がわかるのか アンチなんてこんな奴ばかりか ちったあ歴史書嫁 マキャベリが「弱っちいヘタリアでくやちい」と書いてあるんだがな
471 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/02(月) 00:44:35.61
戦国末期の日本は一国一国が欧州の一国に匹敵するほど強かった。 国力も兵力も人材も装備も。おまけにどこも常に抜き差しならぬ臨戦態勢。 それを小国スタートから制し、盤石の体制を築いた信長はまさに魔王。 強国をさらに強国にしただけのハゲサルや、強国スタートの上にボコボコに負けて終わったハゲパルトなど 魔王にくらぶればただの凡人。 また、一見民草として生まれたハゲウスや、ハゲパルテのほうが 大名の嫡子である信長より不利にみえるがそうではない。 たしかに、スタートでは負けているが、彼らは強大国の生まれである。 20代でよい職に就けるそこそこの地位の家に生まれたアメリカ人と 小国の独裁者の息子とどちらがより世界征服に近いか? 庶民レベルで見れば、独裁者に利があるようだが アメリカ人が大統領になってしまえばその有利は話にならない。 ハゲ二人は結局強国で権力を得たから暴れられただけである。 信長も家督争いをしたが、TOPに立ってもまだ小国のままなのだ。 ハゲ二人がアテナ市民やナポリ国民として生まれていたのなら 歴史に名など刻まなかっただろう。曹操だって中原の洛陽の名家に生まれたからこその活躍だ。 そういう意味では禿吉もそうである。信長が尾張強国にしたから単価統一できたのだ。 秦だってマケドニアだって強かった。また敵対国は馬鹿ばっかりだった。 ハーンやフューラーだって周辺国が弱かったから勝てたに過ぎない。 強国にあたるとその侵攻がピタリと止まってしまったのが証拠だ。 ハンニバルは負けて終わってるので論外。 結局、弱きに生まれガチで強国をなぎ倒していった信長公の奇跡に適うものなど人類にはいない。
472 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/02(月) 00:57:22.48
テルシオこそ至高
473 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/02(月) 01:16:40.45
スペイン方陣なぞ信長公の三段撃ち(西洋に先立つこと数世紀)で簡単に撃破
>>461 〜
みんなの説明からカエサルやアレクサンドロス大王の凄さは分かったけどなんでそんな喧嘩口調?
誰もヨーロッパ勢の悪口言ってないのに何故カエサルに謝れ?
みんなして俺がヨーロッパをバカにしている信長ファンて思ってるようだけど根拠無く
信長批判してる人が多いからその根拠を聞いているだけ、それをヨーロッパ批判と受け取るのは大きな間違い
小学生の時〜〜とかただの誹謗中傷、荒らしはやめてくれ
だいいち俺の言っている事は間違ってないだろう、だってどれだけ広大な土地侵略しようと相手が雑魚なら楽勝なんだから
だからヨーロッパに詳しくない俺が詳しい人いるならカエやアレクが倒した相手ってどの程度の強敵だったのか解説求むってしてるのに
それをわざわざカエサルに謝れだの小学生みたいな質問だのと
ただの質問なんだから普通にヨーロッパの凄さをアピールすればそれで済む話だろうに
それと信長が連戦連勝っていうのは少し解説加える、信長が生きていて日本統一したあと世界と戦ったらっていう仮定の話だから
史実よりも強化された信長かもだけど信長時代は戦国時代末期で日本の軍事力が絶頂期で鉄砲も独自の改良を加えた物を
大量に持っていて外国は日本が攻めてきたらヤバイと恐れていた。
そして信長時代のヨーロッパ、特にイギリスやスペインを取りあげてたけどしばらく戦争してなかったらしい。
信長は大砲付きの鉄鋼船も持ってたし、信長は相手に勝てるよう装備を充実させる人だからヨーロッパと戦うなら鉄鋼船をさらに
建造して大量の鉄鋼船、大砲、鉄砲を駆使して戦国オールスター達と共にヨーロッパ勢を次々倒したはずって感じの説明だった。
ただし信長がヨーロッパ統一する前に寿命や病気で死ぬ可能性もあるから信長が世界の覇者になるかは分からないらしい。
(病気とかにならなければ信長はユーラシア大陸の覇者になってた可能性も十分あるとか、当時中国は内乱で国力低下していたのも原因の一つらしい)
>>464 「平和なんて次の戦争への準備期間だよね」
分からないならいんだけどこれ何に載ってたか覚えてたら教えてくれ
それともヨーロッパ史の常識で特に資料は指定できない?
475 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/02(月) 01:38:34.42
鉄甲船なんてなかったし、当時の日本の船では外海渡航は無理 多門院日記に「てつのふね」と書いてあるのを拡大解釈しただけ 第二次木津川は大船に大砲載せてアウトレンジで攻撃したと公記にある 前にも述べられてるけど、信長よりも大規模遠征がうまかった秀吉がどうなったかを 考えればわかるだろう 仮に鉄甲船があっても、重すぎてとても運用できない 16世紀の半ば、まさに信長の時代のイングランドはスコットランドやフランスと戦火を交えていたし 西武反乱やケット反乱もあった イスパニアは先に出てるようにイタリア干渉してるし(イタリア戦争) 世界に植民地広げて、最強国家だったよ どうやら件の「歴史研究家」は専門家ではないようだね(井沢か津本さんくさいな)
476 :
476 :2011/05/02(月) 01:40:34.28
「平和なんて次の戦争への準備期間だよね」 これは僕にもわからない。 アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』だと思うが。
>そして信長時代のヨーロッパ、特にイギリスやスペインを取りあげてたけどしばらく戦争してなかったらしい それ本当に歴史研究家か? 15〜16世紀のヨーロッパつったら宗教改革真っただ中で戦乱の真っただ中だぞ?
>>474 司馬遼太郎も書いているように、戦国時代後半の日本の鉄砲の製造・所有量は圧倒的に世界一だったそうです。
まあ、鉄砲が多ければ戦争に勝てるというものではありませんが。
海軍は分かりませんが、陸軍でいえば。
秀吉による朝鮮出兵での日本軍の強さを見るまでもなく(地理的な事情による補給は別問題)、
日本の軍事力は明をはるかに凌いでいました。
対ヨーロッパ諸国の場合ですが、やはり日本軍が最強だったといえるでしょう。
先ほども述べたように、日本の鉄砲の生産量・保有量は世界一でした。
日本にはほぼなくてヨーロッパでは使われていた大砲ですが、当時は炸裂弾ではないので、
野戦での戦況に影響が出ることはありえません。それになにより、
日本の兵士の個々は非常に高い戦闘力を持っていました。特に白兵戦や体力といった面でもかなり優位にありましたね。
関係ないかもしれませんが、日露戦争で明らかになったように、20世紀になった時点でさえも、
日本人全般とロシアをはじめとする欧米人では、軍の戦術面や個人的な戦闘力で日本が絶対優位にありました。
それに士官しか文字が読めなかった欧米と、室町時代には既に識字率がほぼ100%に近かった日本では
(最低でもひらがなは全国民が読めた)、戦術の理解度や個人としての行動力に雲泥の差がありました。
>>478 「農民兵は農閑期に出兵できない」などというウソや
「信長の方面軍制は・・・」などとのデタラメを言っている小説家が、
鉄砲数をもって「日本軍最強説」を唱えているわけで・・・・。
マックスウェーバーは「火力よりも規律が戦争を変えた」と述べています。16世紀や17世紀は火力よりも、規律の方が有効
だったのですよ。何故なら、昔の人は集団行動が苦手だったから。
実は、火力が、規律や愛国心を薙ぎ倒すようになったのは20世紀になってからなんですよ。
さらに、戦争には戦う理由があるわけで、相応しい理由が無ければ、みんな弱いし、ちゃんとした理由があれば強いんです。
17世紀末の明や朝鮮の兵に、戦う理由は乏しいので弱くて当たり前。(朝鮮の民は王朝に忠誠心を失っていた。)
戦国の日本軍がヨーロッパで戦ったとしましょう。日本国内の戦争のように、土地の取り合いだけなら、緒戦は、火力差で
勝てるでしょう。しかし、そのうち、教会領やら、信仰の自由とかの面で、結局はキリスト教とぶつかってしまう。
そうなりゃ、西洋軍の規律と士気の前に敗れるでしょう。
480 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/02(月) 02:27:14.24
三段撃ちや一銭斬りに象徴されるように、信長軍は規律のとれた集団ですよ。
大王フリードリヒ2世のこともたまには思い出してやってください。
482 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/02(月) 03:07:44.92
てっぽう使わなくても日本の武士は複合弓の名手だったからな 鎌倉武士にもヨーロッパ軍では太刀打ちできない 中世にイギリスのロングボウ隊が活躍したけが、あれですらただの弓で弓の使い手の数も少ない 機動力ある馬と弓の使い手揃いだったモンゴル軍が世界席巻するはずだね 複合弓の名手である鎌倉武士には一方的になかされたけど
禿サルが倒した相手は雑魚。 ウェルキントリクスは、それまでバラバラのガリア部族を蜂起させたから凄いってだけ。 ローマと比べ特別に軍事戦略戦術などで優れてた分けでない。 ポンペイウスも若い頃から軍功はあるが政治面はからっきしの半能。 軍功認められず元老院に手玉に取られ泣かされてた。 禿サルに負けたのも陣内の元老院に口うるさく言われそれすらも黙らせることできず猪突したから。 佐久間盛政を止められなかった柴田勝家以下ですね。
なぜ一身において聖賢、豪傑を兼ねた才物と言われる明太祖がいない!?
三戦板だからな。ゲーム脳が立てたスレだ。 劉秀がいないぐらいだから仕方ない。諦めろ
>>469 相変わらずの信長厨の一人認定は酷いな
>信長の内政面での功績?
>政教分離、中央集権体制、楽市楽座、関所の撤廃、検地、能力主義
全部後の世の虚像、もしくは一部地域でしか行ってないもの、もしくは追認
文字通り小学生レベルで知識がとまってんのな
所詮は信長厨なぞこの程度
信長公記の記述
戦国一の治安?毎回毎回適当統治であちこち反乱が起きたり
領内なのに宿泊拒否される信長がなんだって?
お前が上であげた信長の「実績」とやらを全部ちゃんと立証できるのか?
期待しないで待ってるぞ
相変わらず嘘と適当しかいえない無様な奴
>宣教師どもやマニラの南蛮人は日本兵が攻めてきたらどうなるか、戦々恐々
>の報告書を本国に送っているんだがな
>この一事で戦国日本がイスパニアより強いのは自明の理
そりゃ本国から遠く離れた居留地や植民地にわずかの兵力でいるだけだからな、そいつらは
これで近場で大軍を送れる日本を恐れなかったとしたらただの馬鹿
言ってみれば天正遣欧使節団や支倉常長一行がヨーロッパで軍に襲われたら
ひとたまりも無い、てくらいにナンセンスな妄言
所詮は信長厨だな
馬鹿が突き抜けてるのはさすが
>>474 だからお前は教えて君の癖して無意味に偉そうなんだよ
少しは調べるくらいしろよ
>史実よりも強化された信長かもだけど信長時代は戦国時代末期で日本の軍事力が絶頂期で鉄砲も独自の改良を加えた物を
>大量に持っていて外国は日本が攻めてきたらヤバイと恐れていた。
「外国」の植民地や居留地に住んでいる限られた連中な
地球の裏側に何万何十万もの兵力を送って維持するなんて、当時は世界帝国にも無理だから
近場の日本の動員力と比べれば非常に僅かな兵力しかもってないんだよ、そいつらは
言ってみれば外国にある海外居留地や日本人町の連中が、その国の軍に攻撃されたら滅亡だ、だから日本人弱い、
これと同じようなことをいってるのがわからんのか?
イギリスもスペインも派手に戦争してる
鉄鋼船なんか存在自体が虚像だし、大砲の運用なら西欧勢のが上
てかヨーロッパまで大軍を送り込む方法が信長にはないし、
送れたとしてせいぜい数百人
袋叩きにあって終了
世界の覇者なんてまず無理
ヨーロッパってなんでそんなに戦争ばっかしてんの? 平和は次の戦争の準備期間とかおかしすぎる それとも古代〜中世ヨーロッパって大義無くただ戦争しまくって領土増やすのが正義だったりしたの?
なんかみんなで好きな英雄を褒め称えて他の英雄を批判するの繰り返しに見えるんだが ここにいるのみんな歴史に詳しい歴史好きや偉人好きなら普通に議論しようや とりあえす戦争で大事な要素別に比較できないか? 当然全員全盛期の時でさ 装備、人数、指揮力、各勢力の長所短所などの+−とかさ、まあ他にも財力とかあるけど とりあえず装備だったら一番近代に近いナポレオン 人数なら中国の曹操が一番なのかな? 兵士一人一人の質に関してはスレッド荒れる原因になりそうだから悩みどころかな…… あと歴史って色んな説があるもんだけど不確かなのってどうするの? 通信機の無い時代に100万人動かすのは不可能でせいぜい2、30万人が限界 って説を採用するなら曹操の軍も最大2、30万になるし、信長の鉄鋼船も 存在しなかったっていう説があるから無しにしたら水上戦不利になる あとアレクサンドロスは戦場の前線で直接指揮してたらしいけどナポレオンとか 鉄砲持ってる相手と戦う時ってアレク軍不利じゃないか? 弓矢より速いし強いんだから総大将危険すぎるだろ? 最後に曹操って小説の三国志演義じゃなくて史実のほうの曹操って事でいんだよね? 有名な三国志は空想小説だからそっちと混同すると面倒
>>488 >それとも古代〜中世ヨーロッパって大義無くただ戦争しまくって領土増やすのが正義だったりしたの?
大義はそりゃあるさ
ただ人種も、国家体制も、文化も、言語も、宗教観も違う連中でひしめきあってる欧州じゃ
「大義」がそれこそ無数に存在するってだけの話でしかない
単一民族で価値観も大体似ている日本人で構成された日本史とは
ここら辺が肌合いの違いだな
>>471 地盤が豊かな尾張で
既に親父の代から尾張最強の勢力で
斉藤義竜には手も足もでず、信玄謙信には土下座し、朝倉浅井にも降伏宣言してるような
信長様がなんだって?
結局、強敵が都合いいときに病死したり、三好政権が崩壊して畿内に力の真空が
生まれていたり、という強運に助けられて信長は勢力の拡大に成功してる
>>478 >日本にはほぼなくてヨーロッパでは使われていた大砲ですが、
>当時は炸裂弾ではないので、野戦での戦況に影響が出ることはありえません。
英仏百年戦争は、長年にわたりロングボウ隊の英が優勢だったが、野戦に大砲を
投入した仏が最終的に勝利した。英のロングボウ隊は仏の砲兵隊に完敗した。
そうなんだよね ヘンリー5世が病に倒れてなくても英仏統合は無理だったと思う。
ロングボウ隊なんてのが中世に活躍してる時点でいかにヨーロッパが弱くて過大評価か分かるね 鎌倉武士にも劣ります
>>494 ロングボウ隊が活躍してたのは1300年代から1400年代
日本もこの当時はバリバリ弓矢使ってた時代
>>480 三段うちなんか無い
実際は信長軍も平気で略奪・焼き討ち・虐殺・人身売買・暴行などを行ってる
戦国モノは肯定派否定派がいるからこのスレッドでどっちを扱うか決めないと…… 信長の鉄鋼船 否定派 鉄鋼船の記述がある書物の作者が直接鉄鋼船を見たわけではないので信頼性が低い 鉄砲三段撃ち 戦場の地形を考えると三段撃ちが有効だったとは思えない、また、歩兵達を短時間でそこまで 調練できたとは思えない、合戦の間中撃ち続けるだけ火薬があったか疑問 ただ当然あくまで否定派の意見であって証拠があるわけじゃないから、ハッキリ嘘だって言い切るのも無理やりかな?
>>497 鉄鋼船は実際に現物を見た人間である宣教師、
内容を詳しく知りえたはずの信長公記の作者、
両方共に鉄貼りなんて書いてない
これは大きな証拠になるはず
三段撃ちに関しては同時代に証拠も記述もまるで無く
そもそも出典が江戸時代の講談だという時点で
十分虚構という証拠になるはず
てかそもそも「ある」とするほうが証拠出すべきなんじゃねえの
「ない」を証明するのは悪魔の証明だもんな 鉄甲船の議論はさんざなされているが、「あった」とする人たちの根拠は次の2点 でどちらも論破されている。 ・多聞院日記「てつの船也」 ・「鉄甲船がなかったら、どうして第二次木津川で勝てたんだ?」 まあ「カッパがいない」と言い切れないレベルで、「鉄を用いた船(鉄の装甲に限らず)はない」 とは言い切れないが。
501 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/04(水) 20:58:13.77
信長にカ・メハメハ1世くらいの知略があれば天下統一できた。
502 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/04(水) 21:17:06.68
イギリスにへーこらして土人を統一しただけの土人大王に信長公の万分の一の知略でも あれば、ハワイはアメリカに併合されなかったろう
鉄鋼船はNHKの歴史秘話ヒストリアでも特集が組まれたのに嘘なのか……
通信機の無い時代に100万人の人間動かすのは無理、せいぜい2、30万人 という記述を本屋で立ち読みしたんだけどそれはどうするの? 曹操軍最大戦力30万?
>>503 視聴率命で奇説珍説でも面白さ重視で採用するテレビ番組に
何を期待してらっしゃるの?
>>504 赤壁の時に周ユが大体こんなこと言ってるな
「曹操は80万の大軍とか言ってるけど、実際に率いてくる人数はそんなにいないって。
曹操直属の兵が15万くらい、降伏させた荊州の兵が7、8万くらい、こんなもんだろ。」って。
つーことは、当時の曹操軍ほどの大勢力で一度に一方面に出征出来る兵は15万くらいと言う事 と考えると、袁紹の官渡遠征軍10万と言う数字は、そんなに実数と乖離のある数字じゃないんだろうな 当時の場合だと、華北一帯をほぼ完全制覇して、ようやく十万の遠征軍を組めるということだ 全体兵力でどんなもんかは知らんけど つーか、考証なんてそっちのけで、強さ比べばっかりしてる最強厨の議論になんて意味が無いと思ふ今日この頃 だってこいつら、政治家じゃないの、基本は
508 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/05(木) 08:17:40.48
鉄鋼船はあったな技術的にも可能だった 否定派は天才信長の功績は否定するくせに カエサルだのアレクサンダー大王のような信憑性低いほとんどファンタジーレベルの功績は脳内で都合よく功績にするのなwww
鉄鋼船は実在したが、浮かぶの陣地ようなもので、毛利水軍の軍船や 西洋の帆船とはまったく異質のものだったとされる。 鉄鋼船は装甲が重すぎて浮かぶギリギリの状態だったので、遠隔地に 航海する事が不可能だったとされる。
>鉄鋼船は実在したが、浮かぶの陣地ようなもので、毛利水軍の軍船や >西洋の帆船とはまったく異質のものだったとされる それは井沢の説だね。 実際に乗船し、内部を見たオルガンチノが「王国の船に似たり」と報告しているから、 「まったく異質」なんてありえないんだ。 井沢はよく嘘をつく。エキセントリックな説をぶちあげ、自作を売るためにね。
訂正 鉄鋼船は実在したが、浮かぶの陣地ようなもので、毛利水軍の軍船や 西洋の帆船とは用途の異なるものだったとされる。
だったら実際に内部を見、武装まで報告しているオルガンチノが鉄の装甲について一言も 触れていないのはなぜ? つまりそんなものなかったってことだ。
>>489 >なんかみんなで好きな英雄を褒め称えて他の英雄を批判するの繰り返しに見えるんだが
正確には信長マンセーの方々が他の英雄を無根拠にこき下ろし、それに対するツッコミの繰り返し
カエサルもナポレオンも(なぜかこの二人が執拗に貶されているので)天才ですよ。
そして信長も天才。
信長が彼らより優れている点は、戦国という変化の激しい難しい時代にあって、
恐れることなく次々とイノベーションを実行したためです。
つまり、今でいう「構造改革」をいつも断行していました。
それは鉄砲の大量導入、新弾丸の開発、鉄甲船 件の開発など、兵器の革新を図った軍事的な面ばかりではありません。
兵農分離によって、専門軍隊を創設するなどの組織改革を行い、実力ある人を大胆に登用する人事政策、
楽市楽座などの経済政策にも、イノベーションは及びました。
カエサルも確かに内政面でイノベーションを行い、それを継承したアウグストゥスによりローマはさらに発展するのですが
軍政面ではマリウスの改革をそのまま継承したに過ぎません。
ナポレオンも政治、軍事ともに傑出した稀有の天才ですが、彼の率いた軍は革命によって生まれた国民軍であり、
かれのなした内政は革命の成果の定着であり、自ら打ち出したイノベーションとは言えません。
ビール業界もまさに戦国時代です。A、St、Spといった強い競合ばかりです。
こうした強い相手に、Kがいかにしてお客様の支持を獲得していくのか。
時代は違いますが、戦国時代の信長から学ぶ点は多いのです。
作家のS女史はカエサルばかりを持ち上げ、彼一人が帝国の礎を築いたとしていますが、 ローマ版「兵農分離」はマリウスによって、 属州統治に
作家のS女史はカエサルばかりを持ち上げ、彼一人が帝国の礎を築いたとしていますが、 ローマ版「兵農分離」はマリウスによって、 属州統治に子分を送り込む帝国のシステムはポンペイウスによって作られたものです。 マリウス、ポンペイウス、カエサルがローマ帝国の礎を築いたのです。
517 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/05(木) 13:59:27.99
アレクサンドロスなんかはガウガメラの戦いで数十万のペルシア軍を破ったとされてる 実質は5万程度と言われてる カエサルなんかは当時のガリアの成人人口考えると、ガリア戦記の兵員記述も信憑性に疑問がつく しかもガリアは長年の内乱でガタガタで、軍の大部分がロクな訓練も装備も無い素人だった そもそも数十万人分の武装を用意できるだけの財力があったとは思えない さらに普通に考えてカエサルは極悪人 ガリアを勝手に侵略し、80%を奴隷にするか殺すなんて人間の所業とは思えません もともとガリアは内部に親ローマ派があり上手く統率が取れてませんでした その上に共和政を廃止自分を独裁者として名乗り上げた ローマは、共和制社会の生き残りだったのをカエサルがルビコン渡河で滅び、以後は西欧で共和制再発見までの1000年、共和制を失った 実際に帝政は不要だったのだ 汚職、腐敗やら古代に共和政を大国で施行する事の困難さをあげて帝政の正当性をあげるが言い訳に過ぎない 汚職、腐敗は帝政になっても全く改善されなかったし、アメリカの政府はローマ元老院をモデルにしてるが近代的な通信システムがなくても大した腐敗もなく問題なく行動出来た カエサルが独裁者になったのは己の私欲からでしかない 要するに単なる借金で首が回らなくなった挙句自暴自棄の反乱だったのだ
518 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/05(木) 14:47:08.27
日本の歴史上、最も華やかだったのは戦国時代。応仁の乱の混沌から、キラ星のごとく英雄が生まれ、 戦国の大乱をくぐりぬけ、一つの国家に統一されていく。 戦略、戦術、陰謀、裏切り、大合戦、すべてが極東の島国とは思えないほど壮大だ。 同じイベントの繰り返しが多い三国志とは違い、物語にメリハリがある。 史上最長の叙事詩マハーバーラタのように長大で、ホメーロスの叙事詩のように面白い。 叙事詩のさまつな定義をさておけば、戦国大乱は、日本が生んだ最高の叙事詩かもしれない。 戦国時代、日本の半分を支配する王であった織田信長は、常時10万もの大軍を動員できた。 16世紀の世界で、これほどの常備軍を保有した王は少ない。 戦さがあろうがなかろうが、常時、兵を雇っておくのが常備軍である。 当然、雇用する側の負担は大きい。 そのため、現代の日本でさえ、3人に1人が非正規雇用だ。しかも、普通のお仕事で。 さらに、戦国時代には、1000丁を超える鉄砲が戦場で火を噴いたが、こんなハイテク物量戦は世界でも類を見ない。 日本が世界史に登場するのは、近代に入ってからである。だから、日本史はちっぽけなローカル史にすぎないと卑下するのは正しくない。 戦国時代は、スケールと内容において間違いなく、世界史に匹敵する。
>>514 なんつーか、
カエサルとナポレオン擁護に見せかけた信長信者の馬鹿擁護じゃん
>信長が彼らより優れている点は、戦国という変化の激しい難しい時代にあって、
>恐れることなく次々とイノベーションを実行したためです。
>つまり、今でいう「構造改革」をいつも断行していました。
いつやったんだよ
そんな事やってないから信長は二人に劣るって事でいいんだな
>それは鉄砲の大量導入、
やってる人たくさん
>新弾丸の開発、鉄甲船 件の開発など、兵器の革新を図った軍事的な面ばかりではありません。
誰がこんなことやったのよ?鉄鋼船なんて上でもぼこぼこだし、新弾丸なんて
よっぽど頭とんでる奴でもいわないだろ
>兵農分離によって、専門軍隊を創設するなどの組織改革を行い、
指示した形跡すらありません
>実力ある人を大胆に登用する人事政策、
当時じゃ普通
>楽市楽座などの経済政策にも、イノベーションは及びました。
ほとんど追認
こんなんでカエサルやナポレオンの政治業績に勝るなんていったら
笑い話にもなりゃしない
信長の内政なんて適当の極みで反乱オンパレード
>>517 >アレクサンドロスなんかはガウガメラの戦いで数十万のペルシア軍を破ったとされてる
>実質は5万程度と言われてる
誰がこんなこといったのよ?
デルブリックはカエサル当時のガリアは400万人の人口があったといってる
>ガリアを勝手に侵略し、80%を奴隷にするか殺すなんて人間の所業とは思えません
80パーセントって何がもとよ?
>以後は西欧で共和制再発見までの1000年、共和制を失った
イタリア都市国家の盛衰は無視ですかそうですか
>要するに単なる借金で首が回らなくなった挙句自暴自棄の反乱だったのだ
カエサルの借金はとっくに返された後の事
>>518 >戦国時代、日本の半分を支配する王であった織田信長は、常時10万もの大軍を動員できた。
その割りに近場に5万の兵を送るのにもおっかなびっくりだったけどなw
>さらに、戦国時代には、1000丁を超える鉄砲が戦場で火を噴いたが、こんなハイテク物量戦は世界でも類を見ない。
貴方にとってフス戦争やグスタフ・アドルフの火力戦は宇宙史であって世界史じゃないんですよねw
522 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/05(木) 19:46:25.96
信長の最大動員力は20万以上 紀州攻めで動員してるね 武田攻めは多方面作戦の内の一つでしかないからね
紀州攻めでも20万も動員してないよ てか仮にそうだとしたら、それで三千そこそこの雑賀勢に足止めされて和議とか悲しすぎるw
信長の鉄鋼船や三段撃ちとかの否定意見あるけどヨーロッパ勢には
どんな偉業に対してどんな否定意見あるの?
詳しい人いたら教えて
>>508 アレクサンドロスのファンタジーレベルの功績ってどんな感じ?
525 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/06(金) 02:24:15.03
アレクサンドロス、カエサル共に、自ら戦場で指揮を執り兵を運用する、戦術家として大活躍しています。 アレクサンドロスの活躍は、イッソス、ガウガメラを見れば分かります。両戦とも、とんでもない兵力差で勝利しています。 しかも、マケドニア軍とて、装備、連携が盤石ではない状態であり、それを操り、アレクサンドロスは大勝利を挙げます。 また、これら以外でも、様々な状況で、彼は快勝を重ねます。 カエサルも、ガリア戦役で大活躍しています。 常に、大兵力を誇るガリア軍に対し、敗北らしい敗北は無し。 アレシアの攻防戦では、4倍の数のガリア軍を撤退、降伏される驚異的結果を残しています。 ローマ軍がガリア軍よりも、絶対的に強い、などというルールもありません。 ガリアには、ウェルキンゲトリクスという名将もいましたが、それをもカエサルは破っています。 それまでのローマは、ガリアの平定に、度々失敗しています。カエサルが、初めてそれを成し遂げています。
ここヨーロッパ史詳しい人多いから質問なんだけど前に本屋で世界の悪女伝説 みたいな本で敵軍に息子を人質に取られて脅迫された女王が敵軍にスカートの 中見せて(ノーパン) 「子供なんかここからいくらでも産めるから殺したければ殺せ」 って叫んで敵軍はあまりの恐ろしさに士気低下して敵軍に勝利した女王の話あったんだけど その女王がどこの誰か知ってる人いませんか?
527 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/06(金) 19:05:16.23
皆さんタイムマシーンで見てきたかのように語るから、このスレは面白いね。 思うに自分が読んだ本によるとだろうが。 たとえば、曹操軍と信長軍が戦う設定でも、同じ兵数じゃなきゃ比較にならんよね。
同じ兵数ならテクノロジーの差がモノを言うんじゃねえの?
529 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/06(金) 20:03:04.78
全く同じ条件は不可能だが、例えば、兵馬一万、弓一万等条件を統一したら。 大砲や鉄砲はアレキサンダーやカエサル 、曹操には不利だから、無しで。
条件設定何も無いのが問題だな VSって何をどうやって比べるのか、本当に戦争やってどうなるかだったら 場所とか戦力とか互いの情報知ってるかとか設定しないと
531 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/06(金) 22:25:36.04
>>525 ファンタジー乙w
古代の記録では、ダレイオスの軍勢については100万人とするものもあれば、25万人程度とするものもある
近現代の多くの歴史家は、ダレイオスの軍勢は当時の軍の能力で効率的に補給を行える限度である5万人を超えなかったとしている
ウェルキンゲトリクスは別に名将でないし、軍隊組織でないガリアより実際の戦闘員兵はローマのが多かった可能性もある
>>526 カテリーナ・スフォルツァ
北イタリアのイーモラとフォルリの領主ジローラモの奥さんです。
533 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/06(金) 22:45:41.74
>>531 はて? 僕は「とんでもない兵力差」としか書いてませんけど?
一番少ない5万弱で見積もっても5倍近くの兵力差なんですがね。
ローマがたびたびガリアに敗れてたのも事実ですよ。
いったい「土人だから格下」なんて根拠にならないでしょ。
蛮族が勇猛なのは様の東西問わずで、ローマも中華帝国も
それに日本も手こずってますよ。
そこまで他を貶めないと信長さんを持ち上げられないんですかね。
なんかコンプレックス丸見えで可哀想になってきましたよ。
534 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/06(金) 23:12:51.02
ペルシア軍は数的には優勢だったが、質的にマケドニア軍に劣った マケドニア軍のファランクスは6メートルの長さの槍で武装していた ペルシア軍の歩兵は大半が訓練不足であり、装備でも劣った ダレイオスの重装歩兵はギリシア人傭兵と、近衛兵である1万人の不死隊だけ ギリシア人傭兵の槍は3メートルしかなく、不死隊の槍にいたっては2メートルしかなかった 土人は必死に強かったとカエサル美化の為必死に敵を美化する コンプレックスが丸見えで可哀想に見えてきましたよw
535 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/06(金) 23:15:15.96
カテリーナだったんだ、情報感謝、てかゲームにまで出てるのか
>>529 騎兵が発達しやすい大陸国家と騎兵が運用しにくい条件に合った日本政権では条件が違いすぎるから無理
日本でやれば日本軍の圧勝なんだろうけれど。「倭寇の歩兵剣術マジパネエ」って中国人言ってるし
でもホームでやれば勝つのなんて、どいつでも一緒だろ
>>531 >近現代の多くの歴史家は、ダレイオスの軍勢は当時の軍の能力で効率的に補給を行える限度である5万人を超えなかったとしている
だからこんな事はいってないだろうが
最小で10数万と言ってる学者は見た事はあるが、5万なんて初めてみたぞ
ウェルキンはガリアをまとめあげ、全土をゲリラ戦と焦土作戦の舞台とし、
戦術的にも一度は見事にカエサルを破ってみせてるから名将だろう
アレシア攻防でも見事な手腕を見せてるしな
539 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/07(土) 11:33:45.87
>>538 >>531 のは得意のお手軽ウィキの丸写し
中学生のレポートでもウィキの丸写しは通用しないのに。。。
540 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/07(土) 15:33:40.11
某国人と織田厨は似ている 「日本が発展したのは我が国のおかげ」 「秀吉家康が統一できたのは信長のおかげ」 「我が国は半万年の歴史を持つ世界一の国」 「信長は二十万の常備軍を持つ世界一の英雄」 「日本人はカス」 「カエサルナポレオンetc...はカス」 北の国の人とも似ている 「百戦百勝の鋼鉄の霊将万歳!」 「百戦百勝の信長公に敬礼!」
541 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/07(土) 22:18:56.66
チンギス・ハーンはこいつらよか一歩劣るな
>>540 ふむ
違いは信長はそこにある通り事実偉大過ぎる天才だが
某国人のは妄想捏造の違いか
まさに反信長厨そっくりなわけだ
違いがないっていわれてるのがわからんのか さすがに信長厨は妄想世界の住人だな
544 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/08(日) 12:38:33.18
「秀吉家康が統一できたのは信長のおかげ」 「信長は二十万の常備軍を持つ」 世界一とは思わんし、カエやナポをカスとは思ってないけど、 上二つは本当のことだろ
秀吉も家康も信長から禅譲されたわけでもないし、そもそも信長の政権の後継者一族だったわけでもない 秀吉は信長の一族や息子、有力家臣を次々に迫害して旧織田領を実力で併合し そこから全国に戦いを広げて天下を取った 家康にいたっては信長なんてもうとっくに過去の話でしかない状況で 自力で天下をとってる 二十万も持ってないし 常備軍ですらない 信長の兵制は当時から見てもむしろ旧態に近い、というかろくに手をつけてない粗雑なもの
546 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/08(日) 14:17:54.69
>二十万も持ってないし >常備軍ですらない >信長の兵制は当時から見てもむしろ旧態に近い、というかろくに手をつけてない粗雑なもの どうやらアンチ信長が天才と比べるとカエサルやアレクサンダーのしょぼさに愕然とし 事実を認められなくなった模様 コンプレックスで内容無く必死に否定するしかなくなったご様子
547 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/08(日) 16:52:27.81
現代の米陸軍でも53万(常備軍だから予備役は除く)なのに 16世紀で既に20万の常備軍を持っていたとは さすが天才信長公! で、その20万人のはどこどこにそれぞれ何人くらい配置されてたの?
さすがの余でも20万の兵団はないわ。
549 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/08(日) 21:37:36.37
現代の米陸軍と比べる意味が分からないw北なんて100万以上兵隊いるじゃないかwww 信長の兵が20万とされるのは石高から見て戦国の可能動員兵力の常識だから 信長は軍制に置いて方面軍を10個編成してる、それぞれ兵力の配置は数万規模くらいで常に必要に応じて動かす さらに信長軍が年中戦争に専念できたのは傭兵だから ちなみに信長が一戦場で投入した最大兵力は紀州での役14万の動員が最大と思われる
>>546 >>549 だから傭兵とかありえないから
信長以外も平気で年がら年中戦争してたからな
信長の兵が20万ってのもありえんな
石高から見ても最盛期ですら500万石から600万石いくかどうかの信長に
20万の兵なんて動かせんし、そもそも方面軍なんてものを
意識してたのかどうかも微妙
だって信長はろくに軍事制度に手をつけた形跡すらない、雑な体制だから
武田攻めに5万の兵を出すのでさえおっかなびっくりな有様
551 :
547 :2011/05/09(月) 00:08:47.44
皮肉が通じなかったようだね >現代の米陸軍と比べる意味が分からないw 現代の軍事大国ですらこの数字なのに、中世の日本の一部で20万ておかしくね? と言いたかっただけ >信長は軍制に置いて方面軍を10個編成してる、それぞれ兵力の配置は数万規模くらいで常に必要に応じて動かす 信長の「方面軍」なる言葉を広めた『信長軍の司令官―部将たちの出世競争』(中公新書)の谷口氏でも、その言葉はあくまで 例えであって、「軍団」「常備軍」なるものはないと言っているんだが。 で、その「方面軍」が10個? 「方面軍」制をとなえてる人でも信長の最晩年でも5くらいとしているよ? 傭兵や年中戦〜については上の人の書いてるとおりで、信長の軍勢も農兵が主体 >ちなみに信長が一戦場で投入した最大兵力は紀州での役14万の動員が最大と思われる 14万で攻めても失敗とは信長はやはり戦下手だな。 秀吉はもっと少ない数で成功しているけどな。
552 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 00:26:11.10
当時日本全国の石高は1800万石、大体日本全国で45万の兵を養える(実際はもっと多かった) 内信長は812万石を制してる(これだけで動員兵力は20万を超える) 他にも堺など商業都市や生野銀山などの主要鉱山を押さえてる 一方面作戦の紀州攻めでも14万近い兵を動員して、全体の可能動員兵力は20万前後いたと考えられる 関東北越区域限定の謙信すら北条攻めの際には10万の兵を動員してる 軍事面では城下に兵を迅速な機動を可能にし領地には行政技術者の代官を置き、軍事技術者と行政官を分けている その上に長槍や新装備の鉄砲を大量に揃え戦闘の主力にしている 天正に入ると方面軍を編成してる 武田方面・滝川一益・織田信忠軍団 本願寺方面・佐久間信盛軍団 北陸方面・柴田勝家軍団 近畿方面・明智光秀軍団 山陰・山陽方面・羽柴秀吉軍団 関東方面・滝川一益軍団 四国方面・織田信孝・丹羽長秀・蜂屋頼隆軍団 東海道の抑え・徳川家康 伊賀方面の抑え・織田信雄 紀伊方面の抑え・織田信張 武田や謙信は年中戦はできてない その為武田や上杉や関東は常に決着がつかなかった 上杉と武田の2度目の戦いではにらみ合いの長期戦に耐えられず、武田側は内部から次々苦情が出て結局上杉と武田は和議を結んでいる
>>552 >内信長は812万石を制してる
内訳は?徳川とか北条とか宇喜田とかの同盟大名を
無理やり範囲に組み込んでないか?
>一方面作戦の紀州攻めでも14万近い兵を動員して、全体の可能動員兵力は20万前後いたと考えられる
単なる法螺だと思うが・・・
それならオスマンも60万以上とかペルシア軍100万以上とか
世界史で言えばとんでもない数字がゴロゴロ出てくるんだけどな
>軍事面では城下に兵を迅速な機動を可能にし領地には行政技術者の代官を置き、軍事技術者と行政官を分けている
城下に兵をおくのは別に珍しくないし、それでも信長は他の大名と同じく大半の兵を
他の武将の領地から徴収される軍役衆に頼ってた事は書状から明らか
そんなのが方面軍でいいなら当時の大名は当たり前にやってる
武田も上杉も年中戦してる
出来なかったシーズンが無い
200日以上やった第2次川中島はおろか、信長の戦歴はほとんどこれ以下の対陣日数のものばかり
554 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 00:39:08.80
>>551 皮肉?まさに頓珍漢ですな
兵器や陸海空以下ハイテク戦争の近代軍と比べてるなんて
兵隊の数より近代兵器や兵站能力の維持費の負担の方が大幅にかかる
晩年に方面軍が減るのは当たり前だね方面の敵が消滅して行ってるんだから
紀州攻めをしたのは信長本人でなく信孝が総大将である
しかも信長が死んだから引き上げただけだ
ちなみにこの紀州攻めと同時に他方面では秀吉が大毛利と決戦中であり、勝家は上杉と交戦中
信長の動員力の凄さが良く分かる
>>554 >紀州攻めをしたのは信長本人でなく信孝が総大将である
はて?
織田信孝は四国方面遠征の総大将として
丹羽とか三好とかの連中と一緒に渡海準備してたはずでは?
それでその間に本能寺で軍勢離散してる
その信孝が本能寺の時期に紀州を攻めてるとはこれいかに?
>武田や謙信は年中戦はできてない 取りあえず武田の主な軍事行動1561年まで 1542年6月〜7月諏訪攻め 9月〜10月宮川合戦 1543年9月佐久攻め 1544年10〜11高遠藤沢攻め 1545年4〜6高遠藤沢攻め桔梗原に出陣 夏秋駿河出陣 1546年5月内山城攻め 1547年閏7月〜8月志賀城攻め 1548年2月上田原 1548年7月〜10月塩尻峠村井城 1549年7〜9諏訪出陣 1550年7〜10月小笠原追放砥石崩れ 1551年6月佐久出陣 7月〜9月佐久攻め刈谷原城攻め 10月〜11月平瀬城小岩岳城攻め 1552年7月〜8月小岩岳城攻め 1553年3月〜4月葛尾城攻め 7月〜9月村上追放第一次川中島 1554年8月下伊那攻め 1555年3月木曽攻め4月〜閏10月第二次川中島 1556年8月雨飾城攻め 1557年2月〜?葛山城内応北信濃攻め 4月〜8月第三次川中島 1561年3月西上野出兵 閏3月〜4月富士吉田出陣 5月〜6月北信濃越後出兵 8月〜9月第四次川中島 11月国峰倉賀野攻め 年中戦してるね
812万石つーのは太閤検地での計算だろ。 戦国期はよくてその6〜8割。
558 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 00:53:25.99
信孝が四国攻めに変わったのは信長が死ぬ年だ それまでは紀州征伐の大将をしている
続き上野関係は結構怪しいが 1562年2月飛騨攻め 9月〜10月西上野出兵 11月〜松山城攻め 1563年〜2月松山城攻め 2月安中松井田攻め? 8月〜10月倉賀野岩櫃攻め 12月〜閏12月倉賀野箕輪攻め金山攻め 1564年1月飛騨桜洞攻め 3月野尻城攻め 4月〜5月西上野攻め 7月山県による飛騨侵攻 8月〜10月第五次川中島 1565年1月上野沼田攻め 3月秋山による美濃対陣 5月〜6月倉賀野攻め 11月西上野嶽山城攻略 1566年3月〜4月西上野攻め 9月箕輪城攻め 1567年3月〜5月真田による白井城総社城攻め 10月惣社城攻略 1568年3月長沼城出陣 5月〜9月?北信濃出陣越後侵入 12月駿河攻め 1569年1月〜4月北条と対陣 6月武蔵出陣 6月〜7月伊豆駿河出陣 9月〜10月関東遠征 11月〜12月駿河出陣 1570年1月駿河出陣 5月沼津対陣 8月韮山興国寺攻め 12月〜興国寺深沢城攻め 1571年〜1月興国寺深沢城攻め 2月〜3月遠江攻め 4月〜5月三河攻め 1572年1月〜閏1月利根川対陣 8月飛騨攻め 10月〜西上戦三河遠江攻め 1572年〜4月西上戦三河遠江攻め 年中戦してるね
>>558 だからそれだったら君が
>>554 で言ってた、
>しかも信長が死んだから引き上げただけだ
って間違いじゃないか
561 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 00:57:32.08
>一方面作戦の紀州攻めでも14万近い兵を動員して、全体の可能動員兵力は20万前後いたと考えられる 単なる法螺だと思うが・・・ それならオスマンも60万以上とかペルシア軍100万以上とか 世界史で言えばとんでもない数字がゴロゴロ出てくるんだけどな ↑ そんなファンタジーと一緒にされてもwww 戦国期は大体100万石で2万5千の兵が定説である それなら桶狭間で100万石近くしかない今川義元は4万5千の兵を率いてたも通じるな
>>557 太閤検地でも812万石はいかないと思うぞ
徳川の約75万石、北条の200万石余、宇喜田の50万石余、を
自領土に組み込んでなんとか812万石近くになるかならないか、じゃないか
563 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 00:59:01.15
信孝は四国征伐に切り替わったが紀州攻めはそのまま続いてるんだが?
564 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:01:11.79
なんだ。武田も年中軍事活動行なってるじゃん。
>>561 オスマンもペルシアも人口と領土で言えばそれだけの兵を動員できても
おかしくないことになってしまうぞ
きみは石高比から言ってるが、それで言うなら信長の14万は無理になる
総合兵力を仮に20万とするなら、当時は武田・上杉・毛利などをはじめとして諸方面にも
兵を割いているはずなので、14万を軽くオーバーしてしまう
石高比から述べてるんだから、石高比以上とかいわないよね?
日本勢にだけそんな贔屓するならオスマンやペルシアもありになる
566 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:01:27.72
>>562 徳川や北条入れると1000万石超えるけど?
他残ってるのは九州、四国、中国、東北程度しか残ってない
>>566 だから北条や徳川や宇喜田いれなかったら800万石なんていかないって
九州・四国・中国・東北に加えてそれらの連中を除けば
関東や東海とかも省かれるんだから
570 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:05:55.38
石高は軍事や兵力を支える経済力でどれだけ余剰兵支えられるかだから 人口領土の広さと関係ないからwww いくら人口や領土広くても貧乏後進国じゃ無理
>>570 前近代社会で人口や領土の広さが基準にならないとはこれいかに?
戦国時代日本だって人口や領土の生産力からなる経済力からの算出だよ?
当時でも生産力豊かだった地方を押さえていたペルシアやオスマンなら
領土の広さや人口から言っても信長を軽く越えるだろうさ
君の理屈ならね
中世〜近代の中近東は世界屈指の先進地域ですけどね。
573 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:13:44.18
>>571 織田厨は世界史の時間寝てたんでしょ。
だから世界史の事項は夢物語=ファンタジー
574 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:13:47.28
九州・四国・中国・東北の石高合せても日本の半分の石高にもなら無いよw 中国が100万石ちょっと四国なんてせいぜい80万石くらいか? もっともそれでもナポレオンに先んじる事既に100年前以上に国民皆兵した長宗我部元親は4万近い兵を動員してるがw
するーしてるってことは 「武田や謙信は年中戦はできてない」 は嘘、あるいは無知ゆえの間違いと認めたわけだね。
576 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:18:10.22
戦国最強厨痛いな〜 「我が国は半万年の歴史を持つ世界一の国!!」 「戦国日本は数十万の兵を持つ世界最強の国!!!」 某国の方々とそっくりだ(笑)
577 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:18:26.59
>>571 軍隊を養えるのは財政の豊かさ=国力が条件ですが?
明なんて1億居たがまさに弱国だった
ナポレオンが初期に強かったのも国民皆兵にしたから王政に対して兵力と経済力で優位に立てたから
>>574 九州で三百万石くらいか?東北も300万石から400万石くらいある
中国は毛利が押さえていた地方が100万石そこらで
それ以外を含めればもっといくだろうし、四国はまあ80万石くらいか
(もっとも長宗我部は石高隠遁してたっぽいので実際は土佐20万石以上で100万石近く)
大体これで900万石くらい行きそう
関東も北条やその他の関東諸侯もいるし、300万石近くが浮きそう
どうみたって信長の石高は600万石程度
徳川を引けばもっと減る
579 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:20:04.37
>>576 さすが嘘捏造までして日本と同一化したい某国人にそっくり
>>577 だから当時で最も豊かな地方の一つだったってばよ
オスマンやペルシアがその領土にしていた領域はな
どんくらい凄いかというと、アレクサンダーが東方遠征開始時に捻出した全軍資金よりも
ペルシア王が一回の会戦に用意した軍資金が圧倒的に上で
アレクはそれを見て「これが王者の財というものか!」と驚嘆したと伝えられている
・・・信長じゃ相手にならなそうなんですが
581 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:24:28.60
明が弱国?!
武田でも織田でも年中戦してったって結論がでました。 これでまた一つ織田儲の嘘の皮がはがれまして、一安心です。 満足したんで落ちます。
583 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:27:16.38
>>580 ペルシア軍の規模古代の記録では、アレクサンドロスの兵はマケドニア、トラキアの同盟諸国、コリント同盟などから合計7千人の騎兵と4万人の歩兵を数えたとされる。
ダレイオスの軍勢については100万人とするものもあれば、25万人程度とするものもある。←アンチ信長がなぜか都合よく正史扱いするファンタジー
「近現代の多くの歴史家は、ダレイオスの軍勢は当時の軍の能力で効率的に補給を行える限度である5万人を超えなかったとしている。」
>>580 信長は世界有数の金持ちだが?
秀吉に至っては黄金まみれだし
>>583 >「近現代の多くの歴史家は、ダレイオスの軍勢は当時の軍の能力で効率的に補給を行える限度である5万人を超えなかったとしている。」
だから誰がこんなこと言ってるのよ?
最小でも10数万としてる学者はしってるけど、5万なんて見たことないわ
実際に戦闘展開で見てもペルシア軍がマケドニア軍より多数の兵を持ってなかったとしたら
おかしな事になる記述だしな
武田攻め程度に5万の兵で兵糧におっかなびっくりになるくらいのお金持ちですよね
てか秀吉ですら外国に送り込めた兵力が10数万って時点で、それより遥かに劣る信長の動員兵力も予想がつくだろうに
16世紀で金持ちつったらハプスブルク(スペイン帝国)だろ 黄金の国ジパングでも無理
586 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:42:10.34
秀吉が送り込んだのは西国大名の一部の兵だけ 秀吉貴下の総兵力は50万 もっとも秀吉自体は200万ちょいの石高の領土しか持っていないが 財政の豊かさで政権を支えてた
てか信長厨が頼みにしてるwikiのガウガメラの戦いの兵力紹介でも 歩兵、騎兵、あわせて最大限で20数万、と見積もり 「実際は総勢15万と考えられる」とか書いてある 文中にある「5万」っていうのはその前に「1」の数字を書き忘れただけじゃないのか? これなら俺が前に見た最小で10数万と見積もっていた学者の見解とも矛盾しない
>>586 東北から送られてえらいめに合わされた伊達をはじめとする東国大名達が泣いています
てかさらにwikiを読み込んでみると 「現代の歴史家の推定では彼の軍勢は約10万人であった。」とか書いてある 「実際は総勢15万ほどと考えられる」とも書いてあるし 明らかに5万以下ってのは否定されてるじゃないか 5の前に1を書き忘れただけっぽいな
590 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:48:07.26
スペインが金持ちってwww スペインの動員力なんて当時数万がやっとだろ 日本の一そこそこ強豪大名クラスの力 日本は戦国時代に戦争しまくって朝鮮征伐でも数十万規模の戦争して 関が原でも大会戦して大阪の陣でも大会戦して問題なかったのに
>>590 国外のイタリアや北アフリカに7万近い兵力を動員して派手に戦ってることもあるぞ、スペイン
信長厨の言葉を借りれば、それこそスペインは世界中に多方面に軍を割いてるしな
日本は朝鮮征伐で14万程度
592 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:51:57.87
>>589 ちゃんとさらに読めよw
近現代の多くの歴史家は、ダレイオスの軍勢は当時の軍の能力で効率的に補給を行える限度である5万人を超えなかったとしているが、10万人以上であった可能性もある。
10万人以上であった「可能性もある。」
10万人以上であった「可能性もある。」
10万人以上であった「可能性もある。」
10万人以上であった「可能性もある。」
10万人以上であった「可能性もある。」
単なる「可能性もあるな。」
>>592 だからその前の記述で「現代の歴史家の推定では彼の軍勢は約10万人であった」
とあり兵力紹介では「実際は15万程と考えられる」と書いてあり
最大限で「20数万」と見積もってる
5万なんてしてる歴史家って誰なんだよ
594 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:55:03.82
>>591 どのなんて戦いですか?w
しかも7万って秀吉よりも少ないねwww
595 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 01:58:00.62
>>593 近現代って最新の研究なwww
現代ってこれまで言われてきた含めてな
>>594 イタリア戦争
イタリア全土や北アフリカに展開した兵力を見ればそれくらいいくはず
新大陸や地球の裏側のアジアまで手を広げて兵を送り、さらに外国にそれだけの大軍を何年も置いて戦争できたなら
大したもんだろ
>スペインが金持ちってwww
本当に世界史知らないんだなあ。
世界最強! の戦国日本にはない海軍を持ち、アステカ、インカを滅ぼし
アメリカ原住民を搾取。莫大な金銀(そしてタバコや梅毒その他)を持ち帰ったよ。
>>597 「武田は年中戦は無理」と同じく嘘言って引っ込みつかなくなってますね>5万
俺もどんな学者名を出してくるか楽しみです。
599 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 02:03:45.02
>>596 パヴィアの戦い
戦力
歩兵 17,000
騎兵 6,500
大砲 53門
歩兵 19,000
騎兵 4,000
大砲 17門
しょっぱw
自分も気になってるんでウィキの英語版見てみた Some modern scholars[who?]suggest that Darius III's army was no larger than 50,000 because of the logistical difficulty of fielding more than 50,000 soldiers in battle at the time. However, it is possible that the Persian army could have numbered over 100,000 men. who?ってついてるw
602 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 02:12:30.09
>>598 当時の西洋人自体が
「我々ヨーロッパ人は互いに賢明に見えるが、日本人と比較すると、はなはだ野蛮。
私は毎日、日本人から教えられることを認めている。全世界中でこれほど天賦の才能を持つ国民はない。」と言ってるのに?
スペイン自体も
「日本侵略なんて到底無理だわ勝てるはずねー 手を出したらスペインが恥かくだけ」って言ってるのにw
スペイン艦とはタイで名も知れぬ日本傭兵部隊と武力衝突してスペイン艦は敗北してます
603 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 02:15:54.94
信長と比べると世界の英雄はどんどん小物性が暴かれ化けの皮はがれて来てる様だ
601のつづき で英語版の脚注から自分なりにたどってみたけど、 5万をとなえてたのはハンス・デルブリュックらしい。 ググればわかるが、最近の人ではない。 古典文献に示されている兵数は水増しだと主張した草分け。 ちなみに英語版ウィキの脚注だと20世紀以降の研究では最小10万〜 となってました。
しかしこうやって苦労して学者調べても、織田チューは自分たちの手柄にして さも自分たちが調べた/最初から知ってるってしちゃうんだろうな。
>>602 また別の外国人は「こいつら顔に傷があるのを誇りにしてて、直そうともしないからすげー醜い」
「男色文化とかやめてよね」とか言ってるんだけどな
そりゃー地球の裏側に植民地と交易路確保のために配置した兵力だけで
日本征服できると思う馬鹿はそれこそいないだろ
日本人海外居留民が外国でその政府軍と戦っても勝てないよね、っていうのと同じくらいに自明の話
>>605 それが連中のさもしい自尊心を守る自衛手段だから仕方ない
608 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 02:23:59.26
確かにペルシア25万だの捏造し さもしい自尊心を守る自衛手段に走るのはかの某国人に似てる
25万は実際に主張されてる数字なんだから仕方ない 信長厨の5万という数字は哀れにも粉みじんになってしまったようでよかったよかった
確かに李舜臣マンセーとアレクサンダーマンセーは構造がとてもよく似てる
>>610 信長マンセーはそれを突き抜けた基地外という事ですね、納得
ま、所詮ごくつぶしニートの暇人織田厨に出来る事なんてこの程度か 十分興ざめしたので明日に備えてそろそろ寝る
>>577 明を弱国とする根拠は?
遊牧民族相手に数十万の軍勢を繰り出しているのに。
デルブリュックは現代軍事史家の草分けのひとりである。 その研究手法は、古代史料への批判的な検討、人口学、経済学など周辺学問の利用による分析の深化、時代間の比較による軍事機構の進歩の追跡というものであった。 古代戦に関する彼の結論は、それまでの説を一新するものであった。 デルブリュックは、古代の軍に関する数字が各種の文献において大きく誇張されていること、そしてほとんどの文献の記述に反して、戦闘の勝者は通常敗者よりも兵力が大きかったことを示した。 また史上きわめて有名ないくつかの戦闘(マラトン、ガウガメラ、ザマなど)についてまったく新しい見解を述べた。 彼の説では、諸蛮族に対するローマ軍の優位性は規律や高度な戦術よりも、むしろ兵站上の支援にあったとしている。 つまりローマ軍は非常に大きな軍を戦場に送り維持することができたが、これが諸蛮族にはまねできなかったというのである。 同論だな さすが軍事史家でウキウキファンタジー世界の住人ではない
615 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 02:43:03.40
このスレ見て信長が一番凄いと分かりました カエサルやアレクサンドロスは誇張だったんですね
20世紀初頭の人だけどね。 確かに軍事史の巨人だ。 その後研究が進み、一番新しい説ではグリーンがとなえてる10万以上、 とこれまた英語版の脚注からだけど。 しかし同調しちゃっていいの? デルブリュックの論法だと ろくに兵站整えられなかった信長は「ハゲサル」の打ち破った「土人」並みになるけど?? それといい加減 「武田は年中戦してなかった」てのは間違いだと認めるよね??
617 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 02:49:00.80
このスレ見て信長が一番しょぼいとわかりました 井沢さんや津本さんの書いてたことは思い込みだったんですね
618 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 02:59:44.47
619 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 19:28:20.04
なんだアレクサンダーは4万で5マンのペルシア軍に勝ったのを風潮創作してただけか
信長厨に負け散っちゃった世界史オタワロス
622 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 21:36:21.31
とりあえずのまとめ 「武田は年中戦は出来ない」は信長厨の嘘です 「ガウガメラのペルシアは5万」をとなえた学者を信長厨は見つけられませんでした 「5万」ととなえたハンス・デルブリュックのは20世紀初頭の学者で 最近の研究では「10万〜15万」が通説です。 信長厨は自分たちでは何一つ調べられず、立証もしてません。
Civで全部CPUに任せてやってみると
624 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/09(月) 22:24:36.22
とりあえずのまとめ 「信長が20万の兵なんて無い」と言ったのはカエサンドロス厨の嘘です 「信長が常備兵を持ってない」と言ったのはカエサンドロス厨の嘘です 「信長が軍制に手をつけてない」と言ったのはカエサンドロス厨の嘘です ペルシア軍は実際は5万の兵だった また古代アレクサンドロスやローマ軍に関する数字が各種の文献において大きく誇張されて、ほとんどの文献の記述に反して、戦闘の勝者は通常敗者よりも兵力が大きかった カエサンドロス厨は都合の良い数字側だけ採用し、立証もしていません
>>619 ペルシャが5万しか兵を集められないのならば、それよりもはるかに
人口が少ないマケドニアが4万の兵を集める事は出来なかったはずだ。
マケドニアは北方にケルトやスキタイなど大敵を抱えていたので、
アンティパトロスの指揮下にかなりの兵が残り本国を守備していた。
ペルシャの15万から25万の兵力にたいして、マケドニア側は占領地の
リディアやフリギア等の兵も加えて10万以上だったのでは?
ガウガメラの場合、さらにエジプトやシリアからもマケドニアは動員
可能なので、ペルシャとマケドニア双方かなりの大軍だったのでは?
たしか、江戸時代の江戸で人口百万人規模だったんだろ? で、確かそれが当時の世界最高クラスの水準だったんだろ 戦国時代の戸籍人口が、江戸時代以上って事はあるまい その当時に、二十万人の常備軍なんて編成可能なのか? 自衛隊ですら、陸軍の定数十五万人程度なのに
しかし「軍事改革」を理由に信長あげしてた人が居たが、それグスタフ・アドルフとナポレオンを援護してるようなものでは?
(マウリッツ→)グスタフ・アドルフ→ナポレオンと近代に続く軍事革命が為されたわけで、近代軍への影響力は強い
それこそ近代日本&中国軍にとっての重要度は、グスタフ・アドルフ&ナポレオン>>>曹操>>信長だろう
(曹操は孫子の編者分を評価)
>>623 先生、面子が揃わないのでは?
CIV4だとアレクサンドロス&カエサル&フリードリヒ&ナポレオンが指導者、
グスタフ・アドルフ(そもそも文明が無い)と曹操(中国層厚すぎ)は大将軍、
信長はいない(まあ徳さんと56が居るし……)
CIV5だとアレクサンドロス&ナポレオン、そして信長が指導者
曹操は指導者レースで武則天に負ける始末
(まあCIV5はよく知らんので何とも言えんが)
628 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/10(火) 03:14:19.44
とりあえず曹操と信長がピーク時の自分の全軍で戦ったら、 確実に曹操が勝つよね。
>>626 全国の諸大名が参戦した応仁の乱や秀吉の対明戦争、関ヶ原、大阪の陣
などと比較すれば、信長軍だけで二十万人というのはたしかに多過ぎるな。
630 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/10(火) 19:56:10.64
ナポレオンがやったのは迅速な機動兵力火力の集中で信長のパクリだおね 信長のがそれに加え謀略外交を重視してる 応仁の乱はまだ御家人が主力だし 大阪の陣じゃ数十万石に過ぎない秀頼が10万の兵を養う豊臣の財力あったしね
>>630 「カウンターマーチは信長の三段撃ちのパクリ」みたいなノリだなオイ
632 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/11(水) 00:49:01.20
信長の戦い方って近代戦や孫子と変わらないんだよね 調略外交で相手を切り崩し味方を増やし、相手よりより多い戦力を整え、戦場で相手より多くの兵力を集中し、より優れた武器(火力重視)中心の戦法を取る、野戦でも野戦築城してよりまず強固な守りを作る 信長の偉大さはそれを中途半端な観念として知ってたわけでなく 徹底的に実践できたから曹操やナポレオンと違って戦争で負け無しなんだよね
>>627 正直、中国の史書は盛り杉っていうか、明らかに粉飾臭いのもあるし、アテにならん。
実際、光武帝は十三州掌握なんて言ってるが、実効支配じゃそれには程遠いだろ
ま、他も吟味は必要だろーけど
635 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 02:14:00.06
ダレイオスのが眉唾で5万だ! っていうなら 信長の14万も眉唾では? 自分に都合良く低い数字、高い数字をとっているだけのような。。。
>>635 日本は米によるカロリー確保のお陰でジャガイモによる人口爆発以前は
同時代の欧州よりも遥かに人口密度が高い
信長全盛期の勢力は600万石以上あるので
明智光秀と同じ効率で織田領から非戦闘員まで込みで後先考えず動員すれば
理論上の最大動員は18万程ということになるので全く眉唾じゃない
637 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 17:08:45.77
>>630 火力の集中運用の起源は信長ですってか?
>>632 若いころの負け戦や浅井長政の裏切りがノーカウントなら
モスクワで冬将軍に追い返されたりワーテルローで雨にやられた事も大目に見てやっていいんでないかい。
638 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 17:48:57.20
ジュウキェフスキ>>>>>越えられない壁>>>>>信長
正直ヨーロッパ好きと戦国好きの争いにしか見えないんで、とりあえず タイトルの人ほとんどヨーロッパだし信長どうこうじゃなくてヨーロッパだと 誰が強いの? アレクサンドロスとカエサルはどっちが強いのかようわからん あと時々曹操のことも思いだしてあげてください
信長と比べるなら曹操より柴栄の方がいいような…
641 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 22:05:11.33
強さ比較すんならほぼ同時代のものと並べないと参考にならんなぁ 織田信長で勝負させるなら九鬼義隆の鉄甲船団VSスペインの無敵艦隊とか
642 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 22:10:06.27
ポーランド騎兵VS武田ポニー隊(笑)
643 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 22:22:15.00
倭兵三十人で女真一人に敵すべからず
644 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 22:35:50.63
ヨーロッパなんてよわっちいからな フン族やイスラムに毎回ぼこられたフビライ以下だろ
>>639 アレクサンドロス
思いつくままに行動してそれがそのまま自然に勝利に繋がる変態
若すぎて粗が出る前に死んだので名君扱いだが後継者争いを見るに戦争の天才、治世の凡君
死体は蜂蜜漬けでエジプトへ
その軍事的成功を支えたのは「王の友」と呼ばれた同世代の優れた将軍達だが、同時にその将軍達が王国を分断した
カエサル
精密な作戦を立てず兎に角臨機応変
だがその下地は綿密な理論によって支えられている理論派
後代ではガリア戦記として知られるローマへの戦勝報告書では見てきたように嘘を書く名文家
根回しが下手でローマの反逆者に仕立て上げられる
ただひたすら勝利を積み重ねて政争の敗北を補ってあまりある実績で政敵を降して栄華を極めるが
結局持ち前の根回し下手を帳消しにすることは出来ず暗殺される
グスタフ・アドルフ
フリードリヒ大王
装備が良くて練度が高ければ勝つ、を地で行った人
シュレジエン戦争初期においては圧倒的に強いのだが
熟練兵を失った後はそれ以前のように物量を戦術でひっくり返すようなことは出来ず敗走を重ねる
シュレジエン戦争前期のオーストリア継承戦争においてハンガリー騎兵に輜重を強奪され
愛犬と秘書を同時に鹵獲されると秘書より先に愛犬を救い出すというお茶目な一面も
英雄を支えた配下の名将達 パルメニオン ラビエヌス トルステンソン ザイトリッツ ダヴー
647 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 22:52:20.37
アレクサンドロス⇒兵士と槍の長さが優れていただけ ローマ⇒秦のが強かった
648 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 22:57:37.89
ローマ帝国は東ローマ帝国がコンスタンティノープル陥落まで持ったけれど 秦は15年で滅亡したぞ
649 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 23:01:45.11
秦の名将って王翦と樗里疾ぐらいしか知らん
650 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 23:19:33.56
白起や蒙恬も居るよな
651 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 23:41:43.18
司馬錯や章邯も居るな
652 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/13(金) 23:54:51.17
章邯は…
>>648 秦は農業国
東ローマはボスポラス海峡を抑えて黒海、地中海、エーゲ海の制海権を強烈に持ってた
エジプト、シリア、アナトリアと徐々に領土を失っても強力な海軍が海を抑えて交易路だけは確保してた
だからこそヴェネチアに十字軍をぶつけられるハメに陥る
経済的繁栄を後ろ盾に領土的繁栄がなくても自立出来る国体だった貿易国家と
領土的繁栄なくして経済的繁栄のない農業国を一緒にしてはいかん
始皇帝の時代に南北に交易路を整備して商業に力を入れてるが
1000年貿易してたような連中と同じような貿易立国なんて1代や2代じゃ出来ない
秦が望んでも交易インフラが他にないから無理
655 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 00:10:30.49
東ローマ帝国を滅ぼしてラテン帝国を建国したエンリコ・ダンドロ
656 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 00:27:34.96
>エンリコ・ダンドロ 100歳目前の超高齢で盲目なのに行動力のある凄い爺さんだな 普通に聞いたら想像上の人物なのかと思ってしまう
657 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 00:45:52.98
結局信長を超える英傑は居ない分けだな
658 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 00:46:59.31
日本というちっぽけな島国ではな
659 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 00:50:01.99
倭兵三十人で女真一人に敵すべからず
660 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 01:21:50.26
>>658 ちっぽけ?
日本は昔から世界の5大国だが?
白人コンプうぜーわマジ
グスタフ・アドルフ大王 フリードリヒ大王と同じく「装備が良くて練度が高ければ勝つ」を実践した人 ただし、グスタフ・アドルフの軍制改革はあくまでも「アンチ・テルシオ」という 対ハプスブルク家のための戦術の模索に過ぎず ポーランド騎兵を率いる名将コニェツポルスキにはフルボッコにされていることは見逃されやすい 自身の死因も流れ弾による戦死で将軍としての能力はあまり高くない その三兵戦術は結果ではなく、むしろその思想が賞賛されているものであり 本人の強さとは全く別のものとして切り離して考えるべき事象
663 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 06:38:36.15
みんな等しくすげーでいいじゃん そもそも時代が違うわ距離が離れまくってる人物比べてどーする?
664 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 07:55:28.17
ヨーロッパ厨は弱かったのに世界最高とか吹くからな 産業革命以前までぼっこだったじゃん
>>664 というのは勘違い
イスファハンは世界の半分とまで謳われたアッバース大帝の全盛期サファーヴィー帝国も
オランダ人の軍事顧問を雇用してオスマン帝国との軍組織の構築と強化に努めている
そのオスマン帝国はドイツの内乱が片付いた17世紀以降ハプスブルク家に押されっ放しで
18世紀の終わりにはハンガリー全土を失っている
産業革命は19世紀後半からのことなので産業革命以前も別に負けっぱなしではない
666 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 11:04:17.94
誰も欧州が世界最高なんて言ってないのにね。 ただ世界史レベルで見たら信長は大したことないと言ってるだけなのに。
>>660 昔からって、世界大戦後じゃん。
スレタイで一番新しいナポレオンよりずっと後。
ユスチニアヌスとスレイマンも仲間に加えて欲しい
マンシュタインとかバドリオも入れろ
ヨーロッパに詳しい人達に聞きたいけどなんで日本と中国以外の国って英雄というか強い人少ないの? 王様じゃなくて中世と古代で武勇に優れた戦士って日本なら 本多忠勝、立花宗茂、宮本武蔵に佐々木小次郎、弁慶、義経、新撰組の人達 中国なら呂布に張飛に関羽といった三国志の英雄がいるけど ヨーロッパの有名人て本人が戦わなかった王様ばかり 有名な戦士はダルタニャンやローラン、ペルセウスやヘラクレスみたいに小説か神話でみんな架空の人物 ジャンヌ・ダルクもただ旗持って指揮しただけで本人は戦わなかったらしいし 昔映画で「全ての手柄は王のモノになる」ってあったけど日本と中国以外の国って兵隊個人の武勇を残すって価値観無かったの? まさか日本と中国以外の国は全員雑兵で一騎当千の英傑はいないなんてことないよね? (まあレオニダス王は300の仲間と一緒にペルシア軍と戦ったらしいけど結局王様だし)
>>671 ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
シラノ・ド・ベルジュラック
>>671 ルキウス・ヴォレヌスとかティトゥス・プッロとか
678 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 18:30:52.13
信長が大した事ないねやれやれだぜ 同時代のヨーロッパの戦争なんて一国でも数万規模 世界最強の軍事大国の戦国時代で100戦し何十倍も領土拡大してるのに カエサルだのナポレオンなら桶狭間で死んでるだろwww
>>1 の通り「英雄君主」を書くんじゃないのか?
君主以外の名前がバンバン出始めてるぞ
680 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 19:12:09.65
jhgfhf
681 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 19:55:42.37
ベリサリウス
そういえばインドとか中東とか朝鮮半島でも一個人が強い武将の名前って 知らないな、インドならインド神話で英雄いるけど、朝鮮半島だったら リ・シュンシンがいるけどあれは本人戦ったわけでないか、以外と日本に 情報が入ってこないだけで現地だと有名戦士いっぱいいたりしてな
683 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 20:54:52.60
エル・シド(スペイン) ベルトラン・デュ・ゲクラン(フランス) テュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(フランス) フランシス・ドレーク(イギリス) ホレーショー・ネルソン(イギリス) タデウシュ・コシチュシュコ(ポーランド)
684 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 21:07:11.59
>>683 どれも個人武勇というより軍事指揮官だな。
義経も個人武勇より軍事指揮官だろう むしろ兄の頼朝の方が個人武勇は優れていたらしいぞ
だから君主スレじゃないのか? ってことでソビエスキ王
劉秀は個人武勇もすごい 昆陽の戦いでは、王莽の新軍百万──実数42万の大軍に3000人で突撃して中央突破、その大将である大司徒王尋を斬り、それに調子づけられた味方数万も参加し、ついに壊滅させた。 この後、河北で転戦していたときも常に陣頭指揮をしている。天性の将軍であり、馬に跨り敵を陥落させ向かうところすべて打ち破った名将とされる。 特に驚かされるのは、皇帝に即位してからの小長安の戦いや桃城の戦いで、10万以上の大軍、最強の突騎部隊、さらに呉漢、賈復、馬武、臧宮ら名高い猛将を率いているにもかかわらず、 なお自ら得物を奮って敵を切りふせて戦っている。 単に最前線で指揮するというだけならそうした勇武の君主もいなくはないが、実際に敵中に分け入って戦う皇帝など前代未聞、空前絶後である。 このとき同行していた外国の使者は驚愕し、本国に帰ると「その武勇は人間に敵対できるものではない(其勇非人之敵)」と報告したほどである。 また銅馬軍数十万を降伏させたとき、不穏な空気の中を鎧もつけずに巡回したり、外国の使者である馬援とは護衛も武装もなく二人きりで面会したりした。 お忍びの外出を好み、遠くまで狩猟に出かけて夜遅くに帰ったりとまったく命知らずである。 秀は無謀な人間ではないので、どんなときも自分の身を守れるだけの戦闘力を持っていたからとしか考えようがないのである。 (光武帝と建武二十八宿伝より) 『三国志』の英雄たちはみな光武帝の真似をすれば天下を取れると考えていた。 劉虞は光武帝に似ているという理由で皇帝に擁立されそうになったし、袁紹が河北から統一を目指したのは光武帝を真似たものだし、 曹操が敵の文書を読まずに焼き捨てたのも光武帝の真似である。 孫権は呂蒙に光武帝みたいに戦場でも本を読めといい、魯粛との関係を光武帝とケ禹の関係と比較したりした。 孫策はいつも光武帝とその家臣があの若さで戦場で活躍したことに憧れていた。 そもそも漢の復興を考える孔明が、次に戦場になるのが確実な南陽などに隠棲したのは、光武帝の故郷だからである。 さらに孔明と曹植は光武帝と家臣の論評を手紙でやりとりした。 そこでは光武帝の二十八将などの家臣が有能かどうかが議題になったが、光武帝が凄いということについては疑問の余地もなく一致していた。 『三国志』の研究者である満田剛氏は、袁紹、袁術、曹操、劉備、劉虞はみな光武帝を意識していたとしている。
ナレースワン大王
689 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/14(土) 23:58:08.05
文武両道ヘンリー五世 男女両道エドワード二世
690 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/15(日) 00:14:52.25
世界に冠たる男尊女卑の支那の聖神皇帝
691 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/15(日) 01:01:33.32
光武帝なんて小物 どさくさに紛れてカン帝国皇帝になったはいいが、最後は隣国に併合された
>>619 相変わらず都合のいい結論だけで終了にするとか馬鹿すぎだろ、信長厨
>>620 どう見ても信長厨がぼこぼこにされてるだけにしか見えんが
毎回毎回議論が冷めた頃に勝利宣言するとか信長厨はゴミすぎて笑えるww
>>624 実際にお前のいうような事は信長は一切やってないからな
違うというなら立証してみろ
どうせニートでごくつぶしの信長厨のお前には無理だろうがなww
>>624 ついでにお前の都合いいペルシア軍兵力妄想もあっさり否定されてるがいいのか?
>>625 マケドニア軍は占領したばっかの土地からすぐには動員できないだろ
>>630 信長とナポレオンの戦い方ってまるで別物なんだけどな、しらんだろ
てか豊臣家は秀吉生前から全国から集めてた黄金を使って
浪人を集めてたんだけどな
>>632 敗戦数十に及ぶ戦下手の信長がなんだって?
>>636 だからそんな事をいうんだったら
ペルシア軍が動員された地方は当時有数の富裕地域だった小アジアや中東地域
人口・経済力共に十分に大軍を養える地域
信長でそんないんちきが通じるなら
ペルシア軍は大軍動員可能、で終了だな
しかも、それを使ってさえ、当時は北陸・中国・武田方面、等等に兵力を割いてるので
14万なんて無理だし、それを千歩譲って可能としても、それで数千の雑賀程度下せないとかへぼすぎるw
まさに信長馬鹿の戯言
>>662 グスタフは将軍としての能力も高いぞ
旧教側の名将ティリーに完勝して戦死させたり、
最後に戦死した戦いでも戦闘自体はスウェーデン軍の勝利で終わってる
よく持ち出されるポーランド戦争でのコニェさんへの敗北だが
この当時のグスタフの戦術はまだ発展途上にあった事が指摘されてる
実際のグスタフは30年戦争への参加を決め、ドイツ傭兵達などを自軍に取り込んでいく過程で
当時の最新の軍事知識を吸収しつつ模索を進めていった事が明らかになっている
そしてその軍事思想が結実するのがブランデンベルク前後だったようだ
それまでは騎兵用の重層甲冑を発注していて、それがブランデンベルクの後で送り返しているように
旧来の軍事的常識から自己のスタイルを確立させる過程の段階にあったと見られてる
てかポーランド戦争におけるグスタフの戦闘規模がどれも小さくて、資料も少なくて
リデル・ハートとかは考証の対象にならないとか、いってるけどどうなんだろうな
>>641 鉄鋼船なんてないっつーに
>>678 信長だったらイッソスで敵大軍に背後取られた時点で
部下に裏切られて全滅だなw
それ以前に部下を放り出して逃げ出して
部下は皆殺しにあうかもしれんがw
ドゥルガー カーリー はインド神話だから実在の人間じゃないか、インドや中東北欧の武将無名過ぎ
マリク・カーフール バイラム・ハーン サム・マネクショー
ミール・カマルディン
ハーリド・イブン=アル=ワリード アムル・イブン=アル=アース サアド・イブン=アビー=ワッカース
ズィヤード・イブン=サーリフ
レンナート・トルステンソン マグヌス・ステンボック カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
>>675 >>676 俺のパソコンのせいかは分からないけど何故かリンク先が英語のウィキペディアで
しかも何故か日本語に変えられなくてそして直接バヤールとかキニジ・パールとか
打って調べても本人が出てこない、俺のパソコンは呪いでもかかっているのか……
アーサー王のモデルになったアルトリウスって確か軍人だったような
>>704 アルトリウスは指導者であり王
イングランドのブリテン人がサクソン人の攻勢に対して
結束して対抗した時の指導者がアルトリウスだったらしい
そしてそのブリテン連合軍の指揮を執り、ペイドン(パドンとする本もある)の丘(山と書く本もある)
でサクソン人と一大決戦を行って大勝利を収め、
サクソン人の侵略を30年ほど下火にさせた英雄指揮官の名前がアーサー
このアーサーとアルトリウスの関係については資料がなさ過ぎて不詳
ある人はアーサーとアルトリウスは同一人物だとし、
ある人はアルトリウスが王でアーサーはその配下の軍事指揮官だとする
後者が真実だとしたら、後世に王としての立場まで奪われたアルトリウスさんかわいそうw
ヨーロッパはそもそも戦が弱い 元寇も北条すら圧倒したがヨーロッパ連合はぼこぼこ 信長にたてつけるはずが無い 日本に勝った事がないんだよね
>日本に勝った事がないんだよね そりゃ地球の裏側だからな でもその言い方なら日本人もヨーロッパ侵攻してないよな
>>695 旧教の名将ティリーに勝ったのは完璧な対テルシオとして
グスタフ2世の三兵戦術が構築されてるから
そもそも元となったマウリッツの兵制そのものが
対テルシオシフトであったわけだから当然と言えば当然なんだが
会戦を志向してぶつかり合うことを前提に作った軍が
騎兵中心の少数精鋭によるゲリラ的な攻撃に対応し難いのもまた当然だが
それにしたってコニェツポルスキに対して防衛出来なさ過ぎて指揮官が重傷とかあまりにも酷いよ
グスタフ2世が戦死しても尚且つ勝利できたのは軍が優れていたから
それは「強い軍を作る能力の高さ」を示しているが「現場指揮官としての能力」としては全くダメ
国王グスタフ2世アドルフは確かに大王と呼ぶにふさわしかったかもしれないが
将軍グスタフ・アドルフは猪武者でしかないということだ
709 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/16(月) 01:16:11.49
>元寇も北条すら圧倒した ヒント:海
711 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/16(月) 01:42:31.47
元寇には関係ないと思うが
海は言い訳にならないってことだよ 元寇より何百年も前から日本海を越えて大陸へ攻め込んで且つ領土を分捕ってるのに それより航海・造船技術が向上してる13世紀に橋頭堡すらろくに確保できないような攻め方すんなってこった
713 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/16(月) 02:30:38.02
関係ないことはない 半島〜津島〜北九州間は古代から往来が盛んだってこと 海が防御に役立ったわけではない
そっか・・・そうだよな 海は言い訳にならないもんな 朝鮮遠征で海を越えて侵攻した結果、兵站に支障をきたして餓死者続出し 結局朝鮮南部も維持できずに退却した日本軍はなんて脆弱なんだ・・・ そしてその秀吉にも動員兵力や支配領域や統治機構で遥かに劣る信長なんて 比較にすらなるわけがない・・・orz 悲しいけど信長の敗北を宣言するよ・・・
>元寇より何百年も前から日本海を越えて大陸へ攻め込んで且つ領土を分捕ってる 皇国史観乙 >それより航海・造船技術が向上してる13世紀に橋頭堡すらろくに確保できないような攻め方すんなってこった ここではヨーロッパと日本の比較をしてるんであって、自続きの欧州と海を隔てた日本では同列に扱えない ということ。 確かに武士の奮闘も認める。元の攻め方もまずい。 だからといって条件のことなる欧州を日本と比較して「戦が弱い」とはこれいかに。 ちゃんと流れ読んでね。 過剰なウリナリズムはミットモナイですよ
716 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/16(月) 02:44:22.46
信長厨のカリスマ井沢センセは海が防御に役立ったことを認めてるんだが?
717 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/16(月) 02:46:24.10
>>712 >>713 の理屈に従えば秀吉、ひいては戦国〜安土桃山の日本は古代日本にも
劣るってことだな。
「世界最強」戦国日本が。
718 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/16(月) 02:50:31.45
「海が理由にならない」派の基準で考えると 古代日本>元を跳ね返し半島に攻め入る計画を立てたが断念した北条>秀吉>>>>>>>>>>信長
信長厨もアンチ信長も目障り。去れよ
信長厨はいらんがアンチ信長は別にかまわんだろ 当たり前の事をいってるだけなんだから
>>717 戦国日本の朝鮮戦役は秀吉死んだからやめたんだが
上陸時の水際で止められてるような作戦じゃなくてしっかり内地まで行ってるよ?
問題は秀吉の寿命が戦役より短かったってことだけ
ちゃんと問題の切り分けできないバカは黙れよ
>>722 えー?
内陸にへばりついて守り固めて引きこもってる状態なのに?
奥へ進みすぎて兵糧欠乏した前の戦争が身にしみていたんだろうけど、
あの状態から日本軍がどうするんだろう、って感じ
元は上陸戦して鎌倉武士に泣かされて撤退してるんだけどね
2度目の来襲は上陸すらも出来ず海に漂ってる間に全滅
>>723 兵糧欠乏しだしたからそれまでの調子乗って一気に突くやり方から
じわじわ拠点作って陣地広げる正攻法に切り替えただけだよ
現に日本が作った築城はまったく落とせなかった
朝鮮植民地化が利益になるかは別にして秀吉が死ななければジワジワ拠点広げて制圧して終わり
725 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/16(月) 22:40:12.13
>ちゃんと問題の切り分けできないバカ モンゴルが最強の陸軍は持っているが海軍をもってないのに、地続きで攻め込まれた欧州は弱いとか 日本は強い、海は理由にならない とほざく人たちのことですね、わかります。
726 :
718 :2011/05/16(月) 23:05:00.51
その「バカ」の理屈に乗っかって不等号付けただけなのにマジレスするバカ はどうなるんだい?
>>724 えー?
あれだけ期間あっても全然拠点広げずにへばりついてるだけなのに
それで北上して終了とか
明軍とかをなめすぎだよ
>>725 は?日本より海軍持ってるんだけど?
しかも上陸戦で負けて撤退してます
規模もヨーロッパ攻めた比でなく10万規模で当時最高方規模の大戦争だしね
>>727 戦いじゃ圧倒的に日本が勝利してます
拠点地を作り兵站の確保さえすれば楽勝です
ヨーロッパはそもそも戦が弱い 元寇も北条すら圧倒したがヨーロッパ連合はぼこぼこ 信長にたてつけるはずが無い 元が取ったイスラム中東地域すら取れず敗退の繰り返し 初めは東方から神の国がヨーロッパの敵であるイスラムを倒して助けたと大喜びしたほどだからな その後 は?お前らぶっ潰すからと言われヨーロッパ連合はぼろぼろに全滅
730 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/17(火) 00:03:31.33
>は?日本より海軍持ってるんだけど? あのさ、話の流れ、わかる? もしかしてわざとこじらせてる? それとも本当のバカ??
>>723 内陸にへばり付けるなら十分
侵攻作戦なんだから
>>725 モンゴル軍は水軍を南宋や朝鮮から接収してる
倒した相手の軍からノウハウと装備、人員を奪って侵略するのがモンゴルのスタイルだから
「自前じゃないから弱かった」という反論は不可
実際、陸軍も自前の騎兵のみより各地の軍を混ぜた構成の方が強かった
日本を攻めた将軍も無能じゃなくて、その後の内乱鎮圧で大活躍した出来る人だった
モンゴル軍はちゃんと海軍持ってんだよ
>>726 ネタにマジレスされたくなければネタだって笑ってないで真面目に話せよ
一歩引いてるから自分は大丈夫なんて線引きすんなバカ
>>728 >>731 えー?その割には秀吉死んで帰国した加藤清正が石田三成に対して
「俺たちは朝鮮で飢餓に苦しめられてきた。今は茶などより、腹一杯の米が欲しい!」
とか言ってる状態だけど
必死にへばりついてた、って感じでそんな余裕があるとは思えないけどなー
戦いでも圧倒的とは思えないけどなー
明軍も結構敢闘してるし、日本軍も明軍の武勇は認めてるよー
>>729 ヨーロッパぼこぼこにしたのはバトウ率いるモンゴル騎馬軍団ね
もともと広大な平野を使って神出鬼没で騎馬軍団を分散・集結させて敵を撃破するのが
モンゴル軍のドクトリン
海路使ってルートがほぼ固定されてて、騎馬軍団の神出鬼没な戦略機動が使えない、っていうのは
かなりのハンデ
別に日本軍が弱かったとはいわないけどね
ホームの利があったのは否めない事実
日本軍が侵攻してたら逆にやられてたと思うよ
>>732 加藤清正のポジトークと実情一緒にされてもな
補給には苦しんだが戦場における戦闘では差があった
中国側の史書ですら勝ち目無しって書かれるのなんて相当珍しいぞ
海による補給の難易度の差はあるにしたって
侵攻失敗の言い訳にはできない
あとヨーロッパをボコボコにしたのはバトゥ率いるモンゴル騎馬軍団では全くない
騎馬は中軸だが攻城兵器等も満載した編成で混成軍団だよ
ルーシやポーランド諸国を攻める時は城壁をぶっ壊す必要性があったのでね
さらに神出鬼没な戦略機動が使えないのも嘘
当時、鎌倉幕府は博多・瀬戸内の各地、さらには大阪、京都と侵攻路を全く絞れず
あちらこちらに分散して配備せざるを得なかったのでハンデとも言えない
ホームの有利不利はあったとしたってそれを失敗の言い訳には出来ないっての
>当時、鎌倉幕府は博多・瀬戸内の各地、さらには大阪、京都と侵攻路を全く絞れず >あちらこちらに分散して配備せざるを得なかったのでハンデとも言えない おいおい、ちゃんと絞ってるじゃん 航空機でもない限り九州を経ずして瀬戸内には行けず、 瀬戸内を通過しなけりゃ大坂に到達できないだろ。 日本地図で確認してくれ。 幕府はちゃんと敵の進出ルートを予測して配備したんだよ。
上陸地点を絞れなかったら、山陰〜南九州沿岸に兵を配備しただろうな
>>734-735 陸上もそれなりの人数通る場合は道路に合わせてるけど?
モンゴル軍の進路だって街道や大都市に合わせてる
お前らの主張ならそれも「絞れている」ということになるじゃねーか
こいつら999までヤルつもりだな。迷惑な話だ
>>736 さすがに上陸地点絞れない、は無理ありすぎ
当時の中国からの交易ルートから見ても
九州にいたるのは当たり前
海があるからってどっからでも行けるわけじゃないんだよ
なんだって幕府があの地点にだけ防塁を築いて戦力を集結させたのかを無視しすぎ
>>733 だから補給で苦しんでるじゃん
戦闘でいくら勝とうと餓死や凍死、戦病死が続出してる状態じゃ
いずれ撤退か自滅かを選ばされるだけだよ
失敗の言い訳に出来ないんだったら日本軍かわいそうすぎる・・・
だからそれ攻城の時の話じゃないか
野戦の時はモンゴル騎馬軍団の機動力がものをいったんだよ
リデル・ハートは著作の中でモンゴル軍団のヨーロッパ遠征における進軍と攻撃における速度を
遠征中の事例をもとに詳細に記しているが、その機動はまさに神出鬼没
ある地点で起こった戦闘中に、別方面で戦っていたモンゴル軍が背面から襲い掛かってきて
壊滅させられる、というような事例も普通にある状態で、明らかに当時の機動常識を超えている
この戦略的機動力が海からの侵略で封じられているのは明らかに
モンゴル軍のドクトリンからすると大きなハンデ
なんつーか、とにかく日本万歳で通したいのはわかったから
2chがなんかの書き込みをもとに語るのはやめてくれ
>>708 その旧教側の名将ティリー将軍に完勝したブライテンフェルトでは
明らかにグスタフの戦術の才がものをいってるよ
スウェーデン軍の同盟軍であったザクセン軍が敗走した後、
名将ティリーは自軍の重装部隊を斜めに移動させて
片翼包囲を行おうとしたところ、グスタフはそれに対して防御させつつ、
自ら右翼騎兵の大部分を率いてティリー軍の陣地の一角を突破して背後を遮断してる
そして鹵獲砲と自軍のもとの陣地からの包囲射撃を行わせ、自身はさらに迂回して左翼を攻撃、
これによって文字通りティリー軍は壊滅的打撃を受けてる
リデル・ハートはこの勝利の因をグスタフの鍛えた軍隊の強さにあるとしながらも、
グスタフ本人の判断の機敏さ、決定的反抗に移る瞬間をつかんだ機眼と反抗を徹底的にやりこんだ活動力を
「歴史に名を連ねるいかなる将帥にも劣らない」と賞賛してる
ポーランドでの戦闘はまだグスタフの戦術が発展途上にあった時のこと
実際にブライテンフェルトでは、ポーランド騎兵突撃にも劣らない重厚な連続突撃を受けているが
グスタフは見事に騎兵と歩兵を連動させて撃退してる
>>738 初回の侵攻ルートで大分絞れるようになっただけだ
初回は九州は九州で、他は他の御家人動員してる
機会を自分で捨てたモンゴル軍が悪い
>>739 何で野戦限定の話してんの?
モンゴル軍が欧州で暴れ回った話から野戦限定とか勝手にしてんな
あと「有利不利があった」じゃなくて「それを言い訳には出来ない」って言ってるだろ
有利不利はほぼ絶対どっちかどっちかなんだからそれを言い訳にするなってこと
過去には成功例もあるのだしそこから後の時代にも補給こそ失敗すれども
侵攻そのものは成功して苦しみながらも制圧してた実績もある
撤退理由は敗戦や補給その他ではなく命令者の死亡
これを攻勢限界とするならオゴデイ死亡時のモンゴル軍欧州撤退も攻勢限界扱いだぞ
「海があったから」は言い訳に出来ない
>>740 カラコールによる衝撃力のない突撃をするティリーの騎兵と
フッサールで構成された衝撃力の高い突撃をするポーランド騎兵を劣らないとか
いくらなんでも筆が滑りすぎだろ
カラコールなんだから連続突撃するに決まってるが重厚とは言い難い
騎兵突撃の衝撃力があまりにもでかいから対応策として作られたのがテルシオ
そのテルシオの機動力の無さを突いて鉄量と面の制圧力で勝負するのが
マウリッツ兵制とその発展形であるグスタフ戦術なわけで
鉄量を叩き付けられず面制圧が不可能な速度で動く相手に出会ったら苦戦して当然
問題はそこで指揮官本人が幾度も負傷するような負け方するグスタフは
現場指揮官としたら褒められたもんじゃない
この日本厨君はもう引っ込みがつかなくなってるなw ティリーの騎兵がカラコールしかしないと思ってるのかw しかも最初で衝撃力がないといいつつ、 衝撃力がでかいから、と言い出して矛盾してるのは仕様なのかw 鉄蹄によって新教軍を蹂躙せし、と恐れられた重装騎兵団が重厚じゃなくて 衝撃力もないとかww 笑い話にしても凄すぎるw なんか突っ込んでいけばどんどん珍回答を見せてくれそうだww
つかポーランド騎兵が面制圧不可能な速度で動くとか もう爆笑ものww マトリックスみたいに動くんかいw 資料の少ないポーランド戦役で、詳細が分かってる数少ない戦闘の一つである ヴァルホーフではグスタフは千の銃兵と一騎兵部隊、というわずかな兵力で 7千のポーランド軍を撃破してるんだけどなw 現場指揮官として褒められた人間じゃない人間に7倍近い兵力差を覆されるポーランド軍ww
>>743 そりゃただのtypoだ
自分でも読み返したら意味わからんことになってるので書き直すけど
衝撃力で言ったらフッサール>カラコール
カラコール騎兵による突撃がフッサール騎兵による突撃に劣らないと書いてあったのでおかしいと言うのだよ
ティリーの軍で騎兵を指揮してたパッペンハイムはカラコール騎兵の指揮官
当時のテルシオなどに苦しむから騎兵の流行もカラコールになっただけで
衝撃力の高さは当然ながら衝撃力は特攻してくるフッサールが優れてる
だからティリーの騎兵が劣らない突撃できたというのは嘘だ
>>744 当時のマスケット銃の性能考えて物言えよ
有効射程が100mくらいで10秒に1発も撃てない当時のマスケット銃では
一発外せばもう突撃食らう騎兵相手には分が悪い
あとヴァルホフの戦いの戦力内訳おかしい気がするのだが…
スウェーデン歩兵3000弱、騎兵2000強、大砲6門対
ポーランド兵科不明の2000人と大砲3門じゃないか?
>>741 いや初回の頃にはまだ南宋が生きてたし主敵はそっち
そもそも南宋と日本の連合を防ぐ為、って話もあるわな
木材を並べて置くだけで止まる騎兵突撃なんぞ 十六世紀の時点でものの役にも立たんよ。ザヴィシャなんて トルコとの戦争ではほとんど無防備のハンガリー王狙ったのに 逆に返り討ちにあってんじゃん。
後世に及ぼした影響の大きさだと アレクサンドロス、カエサル、フリードリヒ、ナポレオン だろうな。 なんか西欧ばかりだけど、これはスレタイのランナップが西欧に偏りすぎだから 仕方ない。 つか曹操、信長じゃねえ。さんざ言われてるけど、東洋だけ一段ランクが低いなあ。 もっと大物がたくさんいるのに。。。
やはり柴栄だな。
信長の影響力ってどう見ても絶大だろ
>>750 「信長の創った制度が世界の国家で受け継がれている」
「信長の創った制度が世界の軍で受け継がれている」
「信長の戦が世界の士官学校で教えられている」
とか聞いた事がないが、あんたが言うならそうなんだろうな
アレクサンドロス、カエサル、フリードリヒ、ナポレオン も聞いた事ないな これらが現在に影響与えてると言うなら中世終わらせた信長のが与えてるわな
アレクサンドロスは軍事的に後世の教科書となり、また文化的にはヘレニズム世界 を産み出す。これは現代欧米文化の基のひとつである。 ナポレオンの戦術はプロイセンをはじめ各国で研究され、近代軍制の基礎となる。 また政治的には市民軍、国民国家思想を欧州に広める結果となり、その後の近代世界 は欧州流の国民国家を目指すこととなる。 信長は コーエーのゲームを通じて大量の厨房を生み出した、かな。 まあ日本限定だけど、影響は大きいわな
>中世終わらせた信長 それ虚像だから。きついこと言えば、嘘。 信長の統治、軍制、どれも当時としては進歩的でもなんでもないからね。
755 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/20(金) 20:54:41.12
>アレクサンドロス、カエサル、フリードリヒ、ナポレオン も聞いた事ないな もしかして がっこうへ いってなかったのかな? ちゅうがっこうへ いけば しゃかいかの じゅぎょうで ならうよ。 にほんの しゅとは どこか わかるかい?
756 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/20(金) 20:56:42.10
とんきん
757 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/20(金) 22:12:07.99
信長は100年に渡る戦国時代天下布武で進め、軍事的には鉄砲を大量に運用した大規模な軍制にし、鋼鉄艦を作り出し、陸軍の戦史研究にもなり、歴史の教科書にも載り、商品経済を発達させ、文化的には安土桃山文化を広めゲームまで進出 また政教分離や能力主義や傭兵制度を確立し近代の政治体制を確立しさらに野蛮な西洋人が驚いたのは無神論だったところである まさに世界史上最高の天才だったのだ
758 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/20(金) 22:15:23.04
アレクサンドロス←歴史的に居ても居なくても特に影響なし カエサル←むしろ共和制破壊者 ナポレオン←信長の戦い方戦国の合理主義戦争のパクリしただけ
759 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/20(金) 22:47:59.78
>>757 >>758 もしかして がっこうの べんきょうは きらいだった?
まんがや げえむ てれびだけでは ほんとうの れきしは わからないよ。
まず ちゃんとした ほんを よんでね。
760 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/21(土) 09:29:55.82
えろとぴあ
質問なんだけど井沢が主張してるというか書いてること(信長や戦国時代)は嘘というか出鱈目なの?恥ずかしながら逆説の日本史から歴史に興味を持ったのだけど…
762 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/21(土) 13:52:25.61
>>753 信長はそれまで豊かな経済力を背景に群雄が割拠できてしまったが故に
中々まとまれなかった近畿経済圏を軍事力で一つにしたことが功績かな
その近畿経済圏の高い資本力を動員して豊臣秀吉の日本統一は成立したし
豊臣政権の作った統治を家康が乗っ取ることで江戸時代が到来した
江戸時代は近畿の経済力を関東の一大消費地と接続することで
徳川幕府は外との交易に頼ることなく日本を維持する資金を賄うことが出来たわけだから
信長による近畿圏統一の恩恵を最大限に受けたと言える
鎌倉幕府は関東と日本各地を点と線でつないだ支配体制
室町幕府は近畿経済圏そのもので全国を統治する支配体制
江戸幕府は近畿経済圏から資金を調達して関東から日本全土を面で抑える統治体制
一番強固なのが江戸幕府だったのは信長による近畿支配を後継政権が維持出来たお陰だとすれば
まあ本来のイメージからすると地味だけどかなり重要なことやってんだよね
でも三国志で言うと役割的には家康を曹操だとしたら曹騰の役なんだけどな
それをいうなら司馬炎を家康として曹操を信長と言う方が自然 まあ司馬炎は家康のような名君ではなかったが
>>763 >>764 だからなんでそんな都合のいい話になるんだっつーの
信長は本能寺であっさり崩壊して
その支配権はあっさりと瓦解してる
そんでその後で織田の一族でもなんでもない秀吉が
自力で織田の一族や有力氏族を撃破・迫害して畿内をまとめ
天下統一にいたらせた
なんでこれが無視されて信長の手柄になるんだ?
しかも信長は畿内の統治に関しては基本放任主義でろくに手をつけてない粗雑なもの
畿内の経済政策を大規模に行ったのは秀吉だ
関東と畿内を接続する政策を行ったのは徳川だ
なんでこれらを無視して信長の手柄になるんだ?無理ありすぎ
ぶっちゃけ信長の位置づけはそれまでに畿内で現れては消えていった三好細川といった
畿内地方政権の枠を出ていない
信長が崩壊した後に秀吉が出ないで群雄割拠が続いていれば、マジで三好の拡大版で終わりだった
それなのに秀吉の手柄ばかりか、家康の手柄までぱくって
江戸幕府の強固な支配体制における功績まで盗もうとするなんておこがましすぎだろ
>>745 できたっつーに
実際にティリー、てか旧教徒側の騎馬兵の突撃が余りに強力だから
グスタフもその対応策を色々練って「騎馬戦になったらサーベルで足を狙え」とかいってる
とか言ってるくらい
てか資料を見れば実際に騎馬突撃を何度も繰り返してるっつーの
それへの対策がグスタフによる密集銃陣だけどな
ブライテンフェルトでは敵軍の騎馬突撃に対して
銃兵を集めて立ち撃ち・屈み撃ち・座り撃ちを密集させてひたすら射撃させ
これが敵軍騎馬兵団の突撃にクリーンヒットして、騎馬兵団は撃退してる
フッサールをやたらと過大評価してるようだが、特攻なんかしたら
この密集銃撃くらっておしまい
んで、この密集銃撃が生み出されたのがブライテンフェルトの前後だったのは
グスタフが戦後に届いた騎兵用の重甲冑を全部送り返してる事で明らかになっているわけだ
ポーランド戦争のときではそこまでいってなかったわけだな
ヴァルホーフの兵力については俺はリデルハートの著作を参考にした
お前さんは?
>>741 だから中国の交易ルートからすりゃ九州にいたるのは自然だし
実際に第一回も普通に九州のあの地点に兵力が集結してるっつーの
最初から野戦の話がされてるだろ
モンゴル軍の戦略機動力の話してんだから
騎馬兵を使って神出鬼没に広いフィールドを駆け回って
意外なところから襲撃するのがモンゴル軍のドクトリンなのに
それが海路侵攻で使えないってのはハンデ以外の何者でもねえよ
>過去には成功例もあるのだしそこから後の時代にも補給こそ失敗すれども
>侵攻そのものは成功して苦しみながらも制圧してた実績もある
どんな事例だ?あげてみ
時間経過と共に餓死者・病死者・凍死者が続出してる状況で
逃亡者や降伏者まで出ているのに
最終的に撤退か自滅の判断を迫られる以外にどんな事が出来たっていうんだ?
オゴタイの場合は明確に戦力を残した状態で死亡したから、その後に戦役続行の可能性が十分あったが
秀吉の場合は南部にへばりついてて北上の見込みは無く、民衆も味方につけられず安定した統治が出来ない以上、
遅かれ早かれ自滅か撤退を選ばされただけにしか見えんぞ
>>766 リデルハートとか勿体付けなくていいから素直にwikipedia見ればいいんじゃね?
グスタフ2世側が相手の倍以上なんだから勝って当たり前だと思うけど
ってか流れ弾食らって死ぬような奴はそもそも名将じゃねーよ、構想は認めるがね
矢の雨をすり抜けるアレクサンドロス3世のような奴を名将っていうんだ
>>767 それでも読みきれなくて山口とか、果ては京都にまで分散配備してたのが最初の元寇
交易ルートだけだって絞り切れる程甘くない
>>765 信長の築き上げた畿内支配はあっさり崩壊してるというが
秀吉は織田の枠内でまず権力確保から始めてる
吉法師を擁立して「自力」でというのは成立せんから
あくまでも信長の後釜に座ったんだよ
その後、それを元手に大成功したのは秀吉の凄さだが
信長の基盤なくしては成立しない
771 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/24(火) 21:29:56.38
>>769 >果ては京都にまで分散配備してた
いやだからそれは絞りきれなかったんじゃなくて
主上のおわします京だからだろ
何度も言うが、航空機でもない限りいきなり京まで来れる訳ないやん
君本当に日本地図頭に入ってないだろ。
772 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/24(火) 21:36:26.45
>>770 その理屈で言うなら信長も信秀の基盤なくしては成立しない
信秀も信定の基盤なくしては成立しない
と、どこまでも遡れるじゃん。
>>772 そりゃそうだ
信長は当然ながら信秀なくして存在できないよ?
当たり前のことだろ
ただ秀吉を語る上で、血縁でもないのに織田家の勢力基盤を引き継いでいるのだし
信長の畿内制覇なくして秀吉の日本制覇は無し
秀吉の統一日本の雛形なくして江戸時代もなし、これも当然だろ
あと書き込んでから気付いたけど信忠の子は吉法師じゃなくて三法師だったね
重要な間違いをしてしまったので訂正しておくわ
774 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/25(水) 08:04:57.11
だから信長は畿内制覇には失敗してると
まあそれぞれがそれぞれの最強軍を率いてきたらナポレオンの圧勝
装備が最新ってだけだな
777 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/29(日) 00:47:17.92
>>770 成立するだろ
本能寺の後の清洲会議で全員一致で決められたのは
織田の領土をゼロにする事で
秀信なんて本当にコロコロと秀吉の都合で切り替えられてるんだが
途中であっさり放逐されたしな
こんなんで織田の後釜とかあほらしすぎて話にならん
>>773 だから引き継いでねーだろ
織田の天下は本能寺で崩壊しており
一族や有力家臣達は独立勢力としての動きを見せた
それを秀吉は自分で撃破して統合した
その過程で秀吉は織田の有力氏族や一族をどれだけ迫害し、滅亡させたことか
こんなんで信長のおかげになるわけねーだろ
信長が作った基盤なんてものはあっさり崩壊してんだからな
>>768 勿体つけじゃなくて単なる資料だろ
誰が書いたかも原典資料もわからんものがあてになるかよ
お前がいってる兵力なんて根拠不明の怪しいもんだろうが
流れ弾くらって死ぬのが名将じゃないんだったら
襲撃で死んだ信長はゴミ以下だな
本能寺では射撃食らってるしな
>>769 実際に主力は九州に集結してるし、
鎌倉からの監督官も現地に言ってるぞ
てか京都に一気に直行できるわけねーだろうが
日本地図みればわかるだろうが
>>761 もともと井沢さんは小説家
面白いフィクションを書いて読者を楽しませるのがお仕事の人
井沢さん自身も自分の主張が歴史学界の研究とは違うと認めてるからこそ
「逆説の」とわざわざつけてるわけで
一回歴史学者さんが井沢さんがあまりにも歴史学者をぼろくそに叩いて自説ぶちあげるので
反論をまとめた本を出版していた事があったが、その中でも
「ぶっちゃけこんな事をしても我々歴史学者には何の得にもならないんですが、
あんまりにも井沢氏の言ってる事に間違いが多いので、しょうがなく本を出しました。」
みたいな事が言われてた。
普通の歴史学者にしてみれば小説家さんのぶちあげる珍説に一々相手してる暇ないし、
したって得になるわけじゃないから相手しない、ってのが実情なんだね
781 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/29(日) 14:39:23.82
「逆説」と銘打ってはいるものの、大半は巷で流布している俗説が多い。 信長関連での出鱈目は ・信長だけが農繁期農閑期関係なく出兵できるように兵農分離した →兵農分離、未分離に関係なく戦国大名は年中出兵している。 資料や史料を調べればすぐわかるのにね。 信長も他の大名も兵農分離はごく一部で、その割合は変わらない。 兵脳分離はむしろ身分固定、井沢氏のいう「失業対策」のためです。
782 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/29(日) 14:42:09.68
・信長だけが政教分離を目指した。 →信長の宗教対策は他の大名と変わりはない。 彼らのやっているのは宗教勢力を従属させることで、これは政教一致につながる。 宗教を自らの支配下におき、それを利用して統治することにつながるからね。 現に徳川の檀家制度はそうでしょ。 信長も自らを神としたと言うけど、これも政教分離とは真逆。 まあ政教一致は政教分離に至る場合があるけど、そうでない場合もあるから 井沢氏の言ってることは明らかに間違い。 ただこの間違いが広く流布していて(まあ井沢氏だけの責任ではないが) 政教分離を安易に「坊主は政治に口出すな」と考えている人がネット上ではままいるが、 これは明らかな誤解です。
>>779 瀬戸内使った海路でかなり迅速な移動が可能だぞ
お前こそ日本地図見ればわかるだろ、瀬戸内は近世まで
貿易航路があってそこを縄張りにする水軍がいたことは
この板にいるなら知ってて当然じゃないか?
水路は陸路に比べて圧倒的な物量を極めて短期間に輸送できる
元軍は対馬を襲ってから10日程かけて平戸辺りまでを攻略してる
さらに数日かけてようやく博多に登場
数年前から何度も国書に対してつっけんどんで
侵略がある程度事前からわかっており、且つお前の弁によると攻撃ルートは絞り込めてたわけで、
第一報から10日以上使って瀬戸内から軍運べない程にしか前準備してないとしたら
幕府の人は馬鹿なの死ぬの?
絞りきれないから分散配備せざるを得なかっただけじゃん
>>783 だからお前、無理ある論もいい加減にしろよ
京都という陸地ど真ん中の地帯に、どうやって当時の船の性能で
陸地伝いにいかないで進めるんだよ
お前の中の元軍の船は陸地伝いにいかなくても一瞬で京都襲撃できるくらいにすぐれものなのか?
どこのオーパーツだよ
>>783 君は
>>733 で主張している
>当時、鎌倉幕府は博多・瀬戸内の各地、さらには大阪、京都と侵攻路を全く絞れず
>あちらこちらに分散して配備せざるを得なかった
を繰り返しているだけだけど、早々に
>>734 で論破されてるじゃん。
博多→瀬戸内→大坂→京
これ侵攻ルートだよね。分散配備っていうけど、絞り込めてないからじゃなくて、
よそうされる侵攻ルートに沿って分散配備してるだろうが。
何度も何度も言われてるけどいきなり瀬戸内に敵が来る、
突然大坂に敵が来る、直接京に敵が侵攻して来るなんて不可能だろうが。
幕府は朝廷から国防を委任されたという建前だから
主上おわします都とそこへのルートへ兵を配備しなかったらそれこそ自らの
存在意義を否定してしまうことになる。
馬鹿なの死ぬの?ってそりゃお前さんに言いたいよ。
786 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/30(月) 20:40:31.95
どうもこの日本厨クンは「ルート」という言葉をわかってないようだな あるいは単にアラシてるだけか どちらにしろいい加減ウザイから消えてくれ
787 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/30(月) 21:17:02.36
ルート【route】 1 道。道路。また、きまった道筋。路線。「観光―」2 経路。手づる。「販売―」 るーとを しぼりこめないと いうことは、 どの みちすじを とおって くるか よそう できないと いう いみだよ。 きみは じぶんで はかたから きょうまでの みちすじを ひとつしか いってないだろ。 つまり しんこうるーとを しぼりこんでいる ことになるね。 みんなが いっている いみが わかったかい?
>>785 弘安の役では元軍の一部が九州経ずして山口方面から瀬戸内への侵入を試みてるよ
後続がなかったようで持続的な行動ではなかったがね
対馬を確保すれば島伝いに結構自由な機動が可能になってたわけだ
同じ関門海峡の向こうとこちらとは言え博多は瀬戸内への完全な門としては機能しない
幕府もその辺用心してそちらにも最初から配備したわけだ
海峡のどちら側の岸でも占領されたらダメな状況
瀬戸内への道は博多さえ防げばってもんじゃない
789 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/05/30(月) 21:59:15.06
>>788 悪い。
俺が言いたいのは件の彼が「侵攻ルートを絞り込めない」と言いながら
自分で博多〜瀬戸内〜大坂〜京という絞り込んでいる矛盾を指摘しただけで、
博多さえ防げば〜は俺の本意ではない。
それが絞り込めないから分散配備ってことだぞ 絞り込めたらどっか一箇所とその裏くらいでいいのにも関わらず 幕府は博多、山口と表と裏を抑えときながら別ルートを恐れて 瀬戸内から大阪京都までのルート上に分散配備してる 一応無茶すれば鹿児島経由で瀬戸内入ってくことも、 さらに四国南部を迂回して京都狙うことも出来る 一応元軍は南九州への経路にもなる長崎の島もいくつか占領してるわけだしな 元が日本の地理知ってるからこそ絞りきれなくなるわけだが 最初の元寇でどうも普通にしか来ないということ見切って 九州と山口に防塁を作らせてる
盛り上がってるとこ悪いけどタイトルにあるのに全然話題に上らない曹操って どんなもんなの? 100万だっけ? 人数いっぱいいるみたいだし数の利で屈強なアレクサンドロスのマケドニア軍や カエサルのローマ軍、それに銃や大砲で武装したナポレオンに勝てるかな? 三国時代の鎧や盾じゃ銃は防げなかったのだけは確かだと思うけど数で押せば 以外とイケちゃったりするのかな……
>>791 装備が人物と同時代の物だとするなら差がでかすぎ
アレクサンドロス大王、カエサルの古代組は曹操に対して惨敗がほぼ確定するし
(包囲戦術だのなんだのはその基本を支える金床が鉄槌の登場までもたない)
逆に近世近代の連中は装備が強すぎて今度は曹操が惨敗確定
一応銃器対非銃器の戦いはズールー戦争で実現してる
ズールー戦争初期は火器のほとんどないズールー族が
近代兵器を持った大英帝国に一矢報いているが
これは装備以前の問題でズールー軍2万に1500人が奇襲された上
全滅までに英軍死者の倍以上の損害をズールー軍が受けてるわけで
「イケる」かどうかはすっごく微妙だし奇襲じゃなかったら
40対1でも全く陣地を崩せないという悲しい結果に陥ってる
これを戦例として考えると、曹操は仮に100万いても、国民軍10万を率いるナポレオンどころか
数万規模のフリードリヒ大王にすら勝てないな
グスタフ大王は装備でこそ前出の近代の指導者二人に劣るが数万規模の軍を持ってるもんで
結果はそれ程変わるもんじゃない
まあ曹操の最大動員力って100万どころか20万前後だけど
数だけいてもやっぱし銃は強しか……
インカ帝国がどう滅んだのかを考えればそんなもんすぐわかる そもそも近代の先進国だとしても、百万もの軍勢を一方面で動かせば国が傾く
インカは銃器の威力ってより内乱に外国勢力が付込んだ例じゃね?
>>788 対馬からいくんだったら結局九州とその近辺から進むことになるだろうが
後続がなかったってそりゃ当たり前
当時の船の性能考えれば陸地づたいでなしに大軍を動かせるわけないだろ
結局散発的に移動できただけで主力侵攻は九州からになってる
>>790 だから結局元軍は普通に来てるし、幕府も侵攻ルート上に兵力配備して
防衛網を構築してるだろうに
結局主力は九州に集結してるしな
>>796 結局普通に来たけど、侵攻路は存在してた
幕府は元がそれらの侵攻路を利用するかしないか、最初はわからなかったので各地に分散配備した
あと「主力は九州」はただのガセだろ
九州の御家人が元寇の戦闘において主力になった、なら意味は通じるが
幕府の主力が九州に集結したわけじゃないよ
798 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/04(土) 02:46:04.05
後世への影響度を見れば アレクサンドロス、カエサル、劉秀、チンギスハーン、ナポレオン だろな。 イクナートン、仏陀、キリスト、ムハンマドを別にすれば。
>>791 装備を考えれば漢や魏は弩と弓騎兵があるからマケドニア軍やローマ軍には勝てるんじゃないかな
映画のスリーハンドレッドでギリシャのスパルタ軍がパンツ一丁にマントと兜だけ で戦ってたけどあれはスパルタだけ? 映画オリジナル? まさか古代ギリシャは半裸で戦争? でもヨーロッパの戦争絵画でほぼ全裸の男達 が剣と盾持って戦ってるの見た事あるな……
801 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/04(土) 11:49:14.46
802 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/04(土) 13:46:53.11
「God of War」と「300」のおかげで、スパルタ人=半裸筋肉という偏見が強固なものになってしまった。 古代ミケーネ人=お腹に顔という偏見を植えつけた永井豪先生レベルの罪深さと言えよう。
盾に槍、剣だけで戦うスパルタ人兵士達。 ああ、古代ギリシャ人は何をするのも裸という偏見ですかまたですか。 古代ギリシャの兵士は青銅もしくは皮の鎧兜に大盾、長槍に剣を装備した古代でもっとも重装備の兵士達でした。 あんな肉体剥き出しのパンツ一丁なわけがない。 こういうのがあるからいつぞやどこかで見かけた「古代ギリシャ人、ローマ人は何をするのも裸だったのは本当でしょうか」というようなアホな質問が出るんです。 おまけで言わせてもらえばテルモピュライで戦ったのはスパルタ人だけじゃない。 テスピアイ、テーバイの二国の戦士達も最期まで戦いました。 まあ、ここらへんはテルモピュライの主役はスパルタ人というのは納得なのでとやかく言いませんが。
804 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/04(土) 17:12:15.01
古代ペルシアはアフリカンがいたの?
805 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/05(日) 00:05:23.99
京都大学文学部史学科博士・金田 朗(かねだ あきら) 論文集 1.希代の革命家・織田信長 日本近代化への道 2.織田信長の巨大戦艦・鉄甲船が大海を渡る 3.世界初の政教分離・信長の比叡山焼き討ち 4.戦国最強武田騎馬軍団を破る鉄砲隊の「轟音」 5.織田信長の世界征服構想 南方進出からイスパニアと全面戦争へ 6.世界で初めて市場経済を重視した政治家と「楽市楽座」
論文集っていうか、 どっからどう見ても一般人の厨房を釣るための娯楽雑誌の目次にしか見えんが 小和田先生みたいにエンターテイメントで売りたいんだろうか
>>799 マケドニア軍は、スキタイやペルシャのサカ族騎兵隊を撃破しているから、
弓騎兵に対応出来たのでは?
808 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/05(日) 10:45:44.13
金田クン本人? 高柳サンのような嘘つきにだけはならないでくらさいね でも闇を嗅ぎ回りすぎると 生活に差し障るのでほどほどに ここは馬鹿ばかりだがここは基準にしてはいけないですよ
>>808 >ここは馬鹿ばかりだがここは基準にしてはいけないですよ
確かに信長厨は馬鹿ばかりだよな
信長厨とヨーロッパ厨の争いが絶えなく見えるんだけどさ とりあえず知識豊富な人は信長が外国勢の誰にどうやって勝てるのか解説して ヨーロッパ勢はどうして信長に勝てるのか解説していただけませんか? ○○はろくに○○も征服できなかったとか、○○の影響力なんてたいした事ない とかそんなの○○厨の妄想 じゃなくて 信長の最大兵力○○万で鉄砲○○丁だけどアレクorカエサルの軍勢○○万で いくら鉄砲あっても数違い過ぎるとか 曹操は20万の兵動員しても武装の関係で弓矢の射程距離的に織田軍と戦うと〜〜 ていうふうにお願いします
>>810 絶えなくじゃないだろ
信長厨の馬鹿妄想なんざとっくに粉みじんにぶっ壊されて終了してる
>信長の最大兵力○○万で鉄砲○○丁だけどアレクorカエサルの軍勢○○万で
>いくら鉄砲あっても数違い過ぎるとか
>曹操は20万の兵動員しても武装の関係で弓矢の射程距離的に織田軍と戦うと〜〜
まるで無意味な比較
同時代の西洋東洋の人間でさえ、どこでもドアで大軍を移動させられるわけじゃないんだから
「どっちも地球の裏側に征服に必要なだけの人数を送り込めません」で終了。
まして時代無視して比較するなら装備や技術の面から過去になればなるほど不利になる、で終了
ナポレオン最強で決定
でもそれじゃなぜナポレオンがアレクサンドロスやカエサル、グスタフ・アドルフにフリードリヒ大王を尊敬し
自らの理想として研鑽を深めていったのかがわからなくなる
その時代状況やその残した実績、史実において示した能力、などを吟味しないなら
比較など無意味
ま、その点でいえば信長がスレタイのメンツの中で最下位にきそうだけどな
勝負方法 野戦 場所 だだっ広い草原で遮蔽物は時々木が生えてる程度、互いに地図は持っている (みなさんの裁量で場所は好きに変えてください、ただし互いに地図は絶対持たせて欲しい) 気候 晴れた春の日、雨や熱中症の心配は無しで思う存分戦える。 配置 草原を東西に分けて自分の陣地での配置や馬妨柵とかの工作も自由 ただし最前列同士は300メートルの間隔が空いている。 前提 互いの情報は知らないとする、総大将が死ぬか負けを認めた時点で終了 状態 最大兵力最強武装の万全な状態 水と食料も十分に用意できる 開始 互いに戦闘準備が完全に整い切った状態で戦闘開始のドラと共に動き出す ○○ならルール破ってドラ鳴る前に動くとかは無し 兵数 武装 采配力 などから予想してください 兵士一人一人の質やヤル気などは明確な理由があれば考慮してよい 例:○○軍は総大将のカリスマ性に惹かれヤル気MAXだが○○軍は無理やり徴兵された 兵士で自分の命最優先で士気が低かった。 など というのはどうでしょう?
>>812 ナポレオンvs信長
広い草原の中に展開したナポレオン大陸軍60万以上が
多数の18世紀仕様の大砲で信長軍相手に砲撃開始
これによって混乱したor誘発されて突撃してきた信長軍5万を
散兵や密集方陣による銃撃で圧迫(ここまでがグスタフ・アドルフの延長)した後で
縦隊突撃の波状攻撃によって中央突破
さらにリズム的行進術の徹底的訓練によって(フリードリヒ大王の延長)
一分間120歩で機動できるナポレオン軍が側面・背後に回りこんで包囲攻撃し(アレクやカエサルを初めとする古代西洋的兵法の延長)
止めとして重装騎兵部隊が突撃して蹂躙し、敗走する信長軍を徹底的に追撃して壊滅(ナポレオンによる騎兵の徹底活用)
別に信長以外でもいいが、グスタフ以前の誰がやっても大体こんな感じで終わるはず
フリードリヒやグスタフをもってしても、ある程度持ちこたえ場合によっては善戦するかもしれないが
結局は負けるはず
ナポレオンは18世紀末までに蓄積された軍事的研鑽や時代的発展の集大成にいるんだから
それ以前の人物達が勝てるわけないでしょ
戦国&信長ファンの俺があえて言うけどこれ見る限りナポレオンが最強だと思う まず戦争ってのは未来ほど武装も兵法も優れているわけで、戦争経験の無い平和ボケ した軍ならともかくこのスレッドの英雄はいずれも大戦を勝ち抜く化物揃いだし 60万人の大軍勢を18世紀の大砲や銃で武装させたうえにナポレオンの実績見ても采配力も かなりのモノ、信長が戦争して勝てるとは思えん まあ逆に武田と戦った時点ですでに三千丁の鉄砲もってるんだから最盛期の信長なら 古代組には勝てると思いたいところだけどね 軍事力に関してはナポレオン優位ってのは賛成 そうなると曹操、信長、カエサル、アレクサンドロス達の軍事力が気になるね 20万(100万?)の軍勢持って三国最強曹操か 大量の銃火器を持つ戦国の魔王信長か 周辺国平らげてローマ帝国築いたカリスマ最強カエサルか ギリシャからインドまで征服した戦争の天才アレクサンドロスか 兵数、武装、士気、戦術、みんな違う長所で全員凄いね
>>814 >まあ逆に武田と戦った時点ですでに三千丁の鉄砲もってるんだから
長篠の時点で織田軍の鉄砲は確実には千丁程
三千は後世につくられた講談が元になってる数字
816 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/05(日) 16:55:51.07
互いの情報を知らないとするならハンニバルの戦象は信長や曹操にはかなりの ダメージを与えると思う。 しかし騎兵力では鐙登場前のハンニバル、曹操に対し、信長の方が有利なので ハンニバル得意の包囲殲滅にはもってけない。 よってハンニバルは曹操には勝つが、信長は取り逃がす。
この前アニメ へうげもの で、信長が象に乗って行進するシーンあったけど 実在の信長は象の存在知ってたのかな? 宣教師達から大陸の珍しいモノを沢山献上されたらしいけど……
象の軍団を当日いきなり目の当たりにした兵士って 敵前逃亡orそれでも戦う? 昔から象を兵器に使ってたインドはともかく初めて見る人は対処法知らなくて踏みつぶされるだろうな 象の対処法:体重が重いので足をケガさせると動けなくなる。 足に矢や投げ槍で攻撃しまくれば吉
819 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/05(日) 17:14:30.62
文献上、日本へ人為的に初渡来したのは応永15年6月22日(1408年7月15日)、 東南アジア方面からの南蛮船により、足利義持への献上品として現在の福井県小浜市に入港。 上京した後、朝鮮に贈られた記録がある。 また、それ以前から象という生き物の存在は知られていたらしく、 12世紀から13世紀に成立したと言われる鳥獣人物戯画の乙巻には、 長い鼻や太い足、牙など象の特徴をよく捉えた絵が描かれている。 しかし実際戦場で渡り合えるかどうかは別だと思う。
>>816 遊牧民騎兵や幼少時から訓練した騎兵なら
鐙なくてもそれと同等の戦闘力を発揮できるそうだ
ハンニバル軍最盛期のヌミディア騎兵は当時の地中海で最も騎馬に優れた民族出身なので
包囲殲滅に持ち込める可能性は高い
信長軍の騎馬は日本馬だから機動力では劣る
つまり異文化の戦いでは、一回こっきりの戦闘なら、古代でも中世に勝てる可能性があるということか。。。 そう考えるとこのラインナップでは曹操と信長は不利だなあ。
>>817 秀吉、家康はそうだが、信長の時は象は献上されていない。
ナポレオンの兵でも訓練に無いというか想定外過ぎる状況として 象に乗った軍団がドドドドドドと押し寄せてきたら兵士パニックで逃げ出し ナポレオンがいくら「進め!」とか「撃ち殺せ!」って言ってもダメかな? やっぱいくら銃持ってても巨大なモノへの恐怖心てあるだろうし みんなも銃持たされたからって時速40キロで突っ込んでくる象の群れに冷静に 銃を構えて射撃、なんてできる? てかハンニバルが動物と一緒にアルプス超えしたとき虎もいたらしいけど 肉食動物の虎に敵兵士襲わせたのかな?
>>823 まず銃の射程がナポレオン時代は長いので
それ以前の時代よりアウトレンジできる
ナポレオン時代はほぼ全員が銃兵なので
数千人単位でアウトレンジすればそれで象相手には決まるはず
それ以前に大砲でアウトレンジすれば終了だけどな
後はナポレオンは歴史オタクなので ローマ軍の対象兵相手の基本戦術をおそらく知っているはず 象が来たら散会してスペースを開け、そこに入ったところを一斉攻撃
>>823 虎なんていたの?
スペインに虎がいたとは聞かないが・・・
本で見る限りは象を40頭連れて行ったが
アルプス越えで一頭を除いてみんな死んでしまった、って感じか
ナポレオンはアレクサンドロス、ハンニバル、フリードリヒを尊敬してたし その戦術も研究してたからなあ。 いくらお互いの情報を知らないが条件でも、戦象の対策は事前に立てるだろう。 こういった点でも同じ文明での後世の方が有利なんだよね。 曹操信長はハンニバルより後だけど、ハンニバルやその戦法なんて知らないだろう。 逆に曹操信長にナポレオンの度肝を抜く秘密兵器があれば別だけどね。
僕も知らなかった。 地中海世界に虎なんていたの?
悪い、高校時代の世界史の先生が「象や馬、虎、牛、犬など大勢の動物と共に〜〜」
って解説してたからそのつもりだったけど今検索しても象37頭しか見当たらない、象以外は後世の創作なのかな?
戦国時代の銃の有効射程が100メートル(もっと飛ぶけど威力が弱くて殺しきれない)
これより遠くから攻撃された織田軍キツイな、信長の時代は大筒、大砲はあんまりなかったし
>>828 虎は分からないけど地中海ではバーバリーライオンていうのが見世物として流行ってた
全長3mのライオンより大きい全長4mの地上最大のライオンでタテガミが胸まで広がっている
トンデモなくカッコ良くて強そうなライオン、カエサルも捕まえたりしてたみたい。
ただ乱獲しすぎて現在は絶滅……残念
>>827 偵察を徹底すればハンニバルの包囲戦略は防げる
カルタゴ軍の武装は貧弱だから包囲戦術も防げる
カエサルとアレクサンドロスが
>>812 の条件で戦争したらどうなるだろう
>>830 防げるのだろうか
機動力でポケットされたらおしまいな気が
>>831 カエサルがポンペイウスに勝った戦術で勝つ
>>832 曹操や信長の時代は時代遅れな戦術だったと思うよ
実際
後漢>匈奴(フン族)>ゲルマン民族>ローマ帝国>カルタゴ
だったわけで
>>833 ゲルマン民族にローマが滅ぼされたのは
もう既にローマという国家体制自体が磨耗しきっていたからであって
(もう既にローマの拡大を支えた市民兵制度も堕落によって崩れており、
傭兵で対応していたが、その傭兵こそがゲルマンだった)
実際にルネサンスにローマ時代の兵法は見直され
以後の戦闘方式はそれとそっくりなパターンをなぞるようになる
すなわち、前列に歩兵をおいて敵に戦いを挑んで拘束し、
その間に騎兵が左右から回りこんで攻撃、という感じで
これはハンニバルが始めた戦闘パターンで
ローマ帝国が引き継いだもの
戦闘方式としては非常に有効なものだったはず
というか、そもそも信長の場合はこういった機動力重視の相手と戦った経験自体が無い
初見でやられたら対応できるか疑問
地形が日本みたいな山岳や川といったでこぼこした騎兵機動が使いにくい所ならともかく、
>>812 の地形だったらもう騎兵の独壇場だしなあ
ナポレオンが航空機のある現代の軍に勝てないのと同様で、仕方ない。 これが凡将ならミスをついて万に一つがあるかもしれないが、 全盛期のナポレオンではそれも難しい。
こうして見てみるとハンニバル、ナポレオンは戦術の天才だなあ。 それをローマやプロイセンなどに研究しつくされて、神通力が通用しなってしまうのが悲劇だね。
そもそも信長時代の火縄銃とナポレオン時代のマスケットでは 有効射程が倍以上違うから、戦闘じゃなくて一方的に射撃されて終了
>>837 ハンニバルは研究されて尚、スピキオ・アフリカヌス以外の誰も勝てなかった
そのスピキオもザマの決戦ではハンニバルに中央突破されそうになった
神通力は通用しなくなってるわけじゃなくて、ハンニバルという天才に
辛うじて対応できるスキピオという天才がいたからこその勝利だよ
>>830 偵察して分かるのは布陣くらいなもので、伏兵などしてないのだから
包囲殲滅という意図を察知できないと思う。
>>834 の人も言ってるように経験が無いからね。
それより設楽原のように野戦築城したら勝てるんじゃないかと。
841 :
840 :2011/06/06(月) 00:56:58.50
勝てるってのはあくまでもハンニバルに対しての話ね。 ナポレオン(近代)には無理。
ハンニバル=ナポレオン アフリカヌス=シャルンホルスト・グイゼナウ こんな感じ?
>>840 日本の戦国時代は職業化、専門家してる武士が集団で動けるもんだから
釣り野伏せや捨て奸のような戦術とか奇襲などの
高い練度と士気の必要な行動が同時代他国の比じゃ無いレベルで可能になってるので
逆に相手にそれをやられることもわかってる
また包囲殲滅は戦術レベルのみならず戦略レベルでも普通に行われてるため
「経験がない」というのは思い込みに過ぎない
例えば釣り野伏せって見事に包囲殲滅戦術のバリエーションの一つ
釣り野伏せは島津が多用したとされて有名だけど
東洋でも2000年以上前から使われてる古典的な戦術だし
武経七書どころか、正史が編纂されるごとに毎回誰か使ってるような戦術だよ
ハンニバルが革新的なのはそれを会戦単位で行うことなんだけど
重要な前提として双方が陣形組んで戦う状況で無いと使えない
戦国までの日本の軍は基本的に陣形組まないのでまず使用可能な前提条件に当てはまらないという
いや経験がないってのはまさにそこなんだよ。
機動力重視の相手と戦ったことがないし
会戦で包囲殲滅を目的とした陣形を組んで戦うってことがない。
ここでは
>>812 の提示した条件で考えているのでね。
だから陣形を見ただけでそれが理解できるのかと。
戦象も見ただけではその性質弱点までわからないから、不利なんじゃないかってね。
>>843 ドウクツライオンスゲー
ああでもバーバリーライオンが絶滅したのは野生種であって飼育下だと
フランスの動物園に50頭くらいいるらしい
ただしこれも本当に純血種か疑わしいらしいんだけどね、野生の捕まえても
ライオンとのハーフかもしれんし、でもカエサルの命令で出動した
ライオン捕獲班も苦労したろうに……
日本だと加藤清正が朝鮮の虎を火縄銃で退治した話あるけど銃の無い時代に
大型ネコ科動物とバトルする勇気は凄い
>>834 帝政は塩野がいうようにプラス面もあったけどアタナシウス派キリスト教以外の宗教を弾圧して周辺民族の離反が相次いだし帝国を東西に分けたことで戦力が分散した
>>845 戦場における包囲殲滅自体はその類型である釣り野伏せとかに代表される
偽退誘引が基本にあるから、後は騎兵が後ろに回り込む動きでバレるよ
ハンニバルの革新性は当時それを会戦規模で出来るように理論構築したところなんだけど
日本の戦国時代の基本は陣形は組まないでまず野戦築城してからスタート
簡易柵で陣地構築してそっから行動がデフォだから、まず前提が合わない
包囲殲滅戦術って双方が会戦を必ず志向するという地中海独自の戦争文化故のもの
関ヶ原のような野戦ですら、ちゃんと馬防柵と盾置いてからスタートという…
>>846 ドウクツライオンはバルカンのイリリアにいたとされるから、
ギリシャ人やローマ人にとっては身近な存在だっただろうね。
>>807 弓騎兵には対応できても弩の一斉射撃に対応するのは難しいと思う
一応日本人なんで信長さんの事を考えてみた 兵数が10万未満て時点で他の方々より不利 徴兵制じゃなくて職業軍人だから兵の質は高かったとは見れる 後は鉄砲たくさん持ってる 采配力はまあ群雄割拠の戦国時代価値進んでるだから悪くないだろうけど ナポやアレクやカエより優れていると断言できる実績は見当たらない 強みは兵の質と鉄砲か 戦国厨じゃなくて織田軍に限らず戦国武将は世界的に見て強いらしい 理由は武家の生まれの場合は幼い頃から武芸やってて、刀弓槍全部特訓、しかも武士が偉い超軍事大国で武士の誉れっていうか戦場で死ぬ事への 恐怖心の少なさやヤル気の面で他国より勝っていた、他国での兵士は多くが徴兵や金目当ての傭兵で一部の貴族や名家を覗いて基本的に地位が高く無く 戦争で国や主君の為に死に物狂いで戦うという人が少なかった。(カリスマ性絶大なカエとアレクの軍はどうかわからんが とか長々書いちゃったけど結局射程距離長いナポ、フリ、グスタの18世紀銃の一世射撃に織田軍壊滅ってのが妥当か となると織田軍が勝てる可能性あるのは曹操、カエサル、アレク、ハンニバル 数で劣る分をいかに銃と職業軍人でカバーするかが問題か
>>833 ローマは、ヒベルニアとカレドニアを除く全てのケルト人らを征服したが、
ケルト人と類似の戦術をとるゲルマン人を征服する事が出来なかった。
812的な想定ではローマ軍はゲルマン軍に容易に勝利するはずなのだが、
ローマがゲルマンとの戦いよりもパルティアやササン朝との戦いを方を
重視したので、ゲルマニアは征服を免れた。
>>851 日本刀というオーパーツの如き近接武器あるから
白兵戦になると信長軍のみならず戦国日本軍は古代人の軍は簡単に蹴散らすよ
こいつらが個人で殴り(切り)合ったら誰が勝つと思う?
曹操 信長 カエサル ナポレオン フリードリヒ グスタフ アレクサンドロス が個人として戦った場合? 戦いは身長や体格で決まるわけじゃないけど信長は170の長身でナポが160センチ代 アレクサンドロスが150センチくらいだったとは言われている。 信長は強かったと思う。 戦国時代の武将で武家の生まれだけあって剣術や槍術、弓矢は一般教養で加えて相撲や鷹狩もやりまくりの超肉体派大名 しかも兵士の武装は自分で試さないと気が済まない性格で新しい武器は全て自ら使ってその有用性を確かめて 本能寺でも信長自身が戦いまくったあげくに自刃、宣教師の記録でも筋肉質の体だった事が残されているらしい。
>>855 信長が170センチって何がもとだ?
カエサルが180センチ以上だったってのは記録にあるけどな
カエサルのほうが強いだろ
その程度の強さなら他の武将も同じくらいに鍛えてるだろ
>>851 釣り針大きすぎ
信長の兵が職業軍人なんてどこの漫画だっつーの
ろくに兵制に手もつけてない粗雑放任体制のこいつが
どっからどうやってここまで過大評価されるのか不思議だわ
つか戦争でも普通に敗戦多い
戦術的に見ればこのスレのラインナップで間違いなくしたから数えたほうが早い
アレクのマケドニア兵やカエサルのローマ兵の士気と規律は高いぞ
こいつらのほうが明らかに職業軍人兵
信長の兵は普通に半農半兵の軍役衆にすぎん
>>848 ばれないだろ
包囲殲滅の騎兵がどれだけ大規模な動きをすると思ってるんだ?
それって守りに回った場合だろ
関ヶ原で普通に東軍は平野を突撃して戦闘してるぞ
この状況になれば包囲殲滅は普通に通用する
つーか日本でも遮蔽物のない陣形を組んでの正攻法の野戦は
戦国時代でいくつも行われてるだろ
>>858 だだっぴろい平原ってことは数キロ先まで見通せるわけで
そんな場所で騎兵が散開して後背に回り込む動きを見せたら誰だって警戒する
アレは会戦中に部隊がぶつかり合うどさくさにまぎれて行うからバレないんであって
ハナから会戦を志向しない相手には通用しない
実際、ハンニバル戦争でもザマにおけるスピキオ以外はそうやってハンニバルをやり過ごしてた
遮蔽物のない陣形組んでの正攻法の野戦っていうけど
日本の場合はそういう時大抵、会戦じゃなくて遭遇戦だったり奇襲だったりするわけで
ハンニバル戦術の適用外だよ
>>856 他の武将じゃなくて、854さんがこいつら、って言っていたからこのスレッドのタイトルに
ある人達限定で考えた。信長より強い武将なんていくらでもいるだろうけど
タイトルの人達の中じゃ強いんじゃないか?
信長170センチは複数の歴史番組で言われている。あとカエサル180は分かったけど
カエサル自身は武勇に優れていたの? 背が高いイコール強いじゃないし、
信長は長身かつ筋肉質で戦闘訓練もしていたから強いと主張した
(複数の格闘技経験者に聞きまくったところ全員が口をそろえて「デカイからって勝てるわけねーだろ」
であり、同じく体を鍛え技を持った者同士なら背が高い方が有利程度らしい、逆に素人の人達に
聞いたら全員口をそろえて「デカイやつが勝つに決まってるだろ」)
>>859 人間の視界を超人化しすぎだろ
見えないくらいの距離から大きく迂回して来るぞ、あれ
スキピオ以外の連中はやりすごしはしてたが、好き放題動かれまくりだったけどな
ハンニバル軍が好き放題略奪や食料や財貨を強奪しまくるんで
最初にその戦略をとったファビウスは人気失墜してカンネーの前に失脚してる
その後も16年近くにわたってハンニバルがイタリアで暴れまわれたのも
けっきょくはローマがハンニバルの跳梁跋扈を阻止できなかったからだな
日本戦国時代的価値観でいうと、そんな事してたらその大名は崩壊しそうだな
関ヶ原では普通に東軍が野戦突撃してるっつーに
大抵、じゃないだろ
普通におきてる事を否定されてもわけわかめ
>>861 野戦突撃してるのは前衛っつってんだろ
全軍突撃なんざしてねぇよ
>>862 いってねえだろ
普通に福島も黒田も加藤もその他の愉快な皆さんも野戦突撃してんだよ
実際に行われてることから目をそむけんなよ
ごめん言って無かった 最初に書いた文には突撃したのは前衛で、家康本体が予備になって追いかける形ってのを書いてたんだが 何度か書き直す内に消してたみたい
>>860 なんでお前はいきなり長身を主張しながら
それ以上出されたらそうなるわけ?
ま、それでもいいが、
とりあえずカエサルは若い頃から海賊相手に武勇伝を見せてるし、
乗馬にも長けたスポーツマンだったそうだな
そもそもあんだけ戦で暴れまわった人間が弱いはずないんだけどな
てか実戦戦績でいったらそれこそお前が身長でいきなり根拠無くはじいたアレクが最強になるわい
こいつは生涯最前線で戦って何度も戦力差を覆し、敵を自らの手で数多く討ち取った生粋の武勇人だぞ
個人戦績なら間違いなくこのスレのメンツで最強
>>864 ほれみろ、実際に多数が野戦突撃してるだろうが
>>866 だからそれは前衛だっつうの
後衛の家康が予備として後ろに鎮座してるからハンニバル戦術の要件は外してるよ
さらに中山道を抑える東軍予備部隊が居る
成立要件はそれらを全て別働隊が叩き潰さないとダメ
>>867 だから前衛どころじゃすまねえ人数だってんだよ
山岳地帯の真ん中だったらハンニバルは別の戦法を考えるだけだろうが
ハンニバルが包囲殲滅だけで勝ってきたと思ってるのか?
てかハンニバルが西軍の立場にいるんだったら
普通に史実の西軍配置を取るだけで包囲攻撃できるぞ
>>868 ハンニバルが西軍と同じ構成だったら小早川は裏切るわ、吉川は弁当食ってるわで負けだし
裏切りがわかって無ければ家康だってあんな必敗の布陣はしないだろ
稀代の名将とは言わないまでも歴戦の大大名だぞ
ハンニバルは包囲殲滅だけで勝って来たわけじゃないけど
今してるのは「包囲殲滅が成立するかどうか、日本の武将は対応できるかどうか」
答えは出来る
そもそも関ヶ原の布陣図が日本の戦国武将達は包囲殲滅する気満々な形だった
>>869 なんで構成まで同じになるんだよ
ハンニバルの軍が日本の大名とか阿呆か
いい加減妙に自分に都合のいい前提条件やめろや
出来ない
結局史実どおりの関ヶ原でも包囲攻撃は出来てしまう
そもそも平野での戦いで戦う話なのに
関ヶ原持ち出して
関ヶ原の地形でも包囲攻撃されるといわれたら
なぜかハンニバルの部下が日本人大名で裏切るとか
寝言もいい加減にしろよ
>>870 「史実通り」の関ヶ原では包囲攻撃できない
西軍右翼は実は東軍で、西軍別働隊は動かないんだから
一見出来そうだけど出来ない、それが関ヶ原
関ヶ原の例を出したのは「日本では野戦築城がデフォ」という話をしてるだけ
あれも遭遇戦にかなり近い形の野戦だけど三成も家康もしっかりと陣地構築してる
その例として提示した
んでハンニバル軍はそういう野戦築城からの投射兵器による攻撃には対応できない
というかそもそも古代地中海世界では大掛かりなものを除いて、
ロクな投射兵器や、強力な装備の散兵がいなかった
それ故に篭城か会戦かという二択が基本にあって、ハンニバルはその会戦において有効な手段を編み出した
だがそれは野戦築城からの強力な投射兵器を前提とした戦争をする人間には基本的に通用しない
>>871 だからお前の都合のいい設定で付き合っても
ハンニバルは普通に関ヶ原で布陣して戦えば包囲攻撃して勝てるんだよ
それをお前が負けを認めたくないから
無理やり条件も人種もばらばらな日本人大名の関ヶ原に摩り替えてるだけ
いい加減やめろ
古代地中海世界でも城を攻略する兵器は普通にあったけどな
てかローマの工兵たちの城攻め兵器をを知らんのか
通用するっての
結局守りを固めるならローマ軍よろしくスルーされて周辺地帯を略奪されまくり
跳梁跋扈させられて大名としての威信が失墜する
それで決戦を挑もうと陣地から打って出れば平野で機動戦力に後背をとられて撃破される
なんでかお前の設定ってハンニバル軍が陣地にこもってる日本勢に都合よく
突っ込んできてくれる、というご都合主義なもの
「戦略の父」と呼ばれるほどに敵を会戦に誘導する事に長けていたハンニバルは
ローマ相手にも巧妙に会戦に誘致して勝利してるのに、戦国勢の陣地に馬鹿正直に突っ込むわけないだろ
>>872 落ち着けよ
「大掛かりなものを除いては存在しない」ってようなこと書いたぞ
周辺地帯を略奪されるってことは戦場を日本に設定してるってことだからおかしいよ
陣地に篭ってるところにぶつからないってのはいいとして 陣地に篭ってると周辺を略奪されるので出なければならないってのは ハンニバルが敵地で戦ってるという前提で成立するわけだから都合のいい設定だから 双方にフェアな設定での戦闘とはならないわな 略奪が通用するなら、そこは対戦相手の国 土地柄の制約を双方がそれぞれの形で受ける 当然ながらアウェーな人は干上がって死ぬし 略奪に走るなら舞台が日本の場合「戦国期の農民」と戦うハメになる
みんな考察すごいなー
ところで古代にも凄い兵器あったと思うんだけど投擲砲だっけ?
ホラ、なんか凄く大きくてテコの原理みたいなのでデカイ石を遠くに投げて城壁壊すのあったじゃん
>>812 の条件だと会戦時は万全の状態でいんだからこの城壁も壊せる兵器そろえたら凄く強いんじゃないか?
カエ、アレク、曹操、ハンニのうち誰がどれくらい持っていたかとか投擲砲は命中率悪いから役に立たないとか
詳しい人いませんか?
>>873 >>874 じゃあどんな条件ならいいんだ?
どっちにしろ、ハンニバルは「戦略の父」と呼ばれるほどに
敵をおびき出して会戦に引っ張り込む事に長けた男だし
その事例も豊富だから
おびき出しの手には事かかんだろ
火薬を用いない攻城兵器は土木作業機械か梯子のお化けみたいなもんだから 会戦では基本的に役に立たない
戦略の父は盛り過ぎだなぁ。 イタリア入りしてから戦略目標全く達成できてないし、本拠は落ちる、 本国突かれて熟練兵を捨てて帰るとか、もうね。 戦略的には全くいいとこないよ。 敵をおびき出して会戦に引っ張り込めたの序盤だけ、 十数年のうち終盤何年かはむしろ自分が引き篭り。 第一、そんなに会戦に引き込むの上手かったら、カンネーの後に持久戦なんかとらず とっとと相手を誘引して会戦して殲滅できるんじゃないの?
>>879 配置の項目よく読めよ
天然の遮蔽物はないが自分で工作するのは自由だぞ
>>881 天然の遮蔽物抜きで築かれた野戦陣地なんて
前近代じゃろくに役にたたんぞ
長篠の野戦陣地が、というか戦国時代の野戦陣地が基本的に地形を利用して
野戦陣地作るものだったのまで知らんわけじゃなかろうな?
>>880 ハンニバルが果たせなかったのは政略のほうだな
会戦に持ち込むまでに有利な状況におびき寄せて決戦する、という手法は成功しまくり
そのスキピオの反撃が成功するまでに16年かかってるって事を無視すんなよ
こんだけ好き放題イタリアで暴れまわってるのを無視して最後だけ言われてもな
カンネーで完敗してからのローマは完全にハンニバルに会戦で勝つことを諦めたのに
何を言ってるのかと
てかそれによってハンニバルは好き放題動けることになって16年に及ぶ我慢大会が始まったわけだけどな
ローマでさえ度重なる敗北の後でこんな手法を用いざるを得なかったのに
戦国時代の機動兵力での包囲攻撃知らない、しかも戦下手の信長が
どうやってこれに対応するんだか疑問すぎ
>>884 設楽が原の方を言いたかったんじゃないかと思ふ
886 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/08(水) 00:16:53.53
なんかこうしてみると戦術ではハンニバルが最強ってことになるな。 でそのハンニバルが自分より上としたアレクサンドロスが スレタイのラインナップでは最強ってことでFA
ならんならん それぞれの時代、それぞれの環境に応じて各人の能力が発揮されてるだけで 誰が最強とかは基本的わからないってことしかわからない
>>883 それは相手が会戦を志向してる場合に自分に有利な地形におびき出してるだけ。
もし本当に思うままに相手をおびき出せるなら、カンネーの後即座にローマ行って、
ローマの残存兵力をとことんぶちのめせばいいのに、結局それは選択してない。
「ハンニバルは会戦におびき出す手管に長けている」と主張するならそれくらいやってからいいなよ。
スキピオによるスペイン攻略はハンニバルのイタリア侵入後10年後くらいの出来事だし、
その直前に弟とスペインからの援軍を皆殺しにされて南イタリアに引き篭り。
後半はかろうじてイタリア南端部にへばり付いてるだけで、特に戦略的なことは何も為していない。
会戦に強いことは確かだけど、本当にそれだけだった。
生涯100戦し戦争に全て勝利した信長に比べると他は小物過ぎるし能力的にも信長に比肩できず論外でしょ 関が原も石田方の方のが戦力でも上回り、戦術的な布陣でも包囲して家康方を上回ってたしね 家康が戦争前に調略で既に相手の戦略切り崩してたからあえて純軍事的には不利な決戦挑んだし 秀吉も家康も天才だけどその二人を勢力の配下に置いたのは更なる天才信長
>>883 大事な決戦で大敗してたら意味ないよw
信長が戦下手?信長はハンニバルやナポレオンの様に無能で決定的な敗北した事ないし
それ所か斉藤も今川も浅井も朝倉も本願寺も武田も最期は全て滅ぼしてる
ハンニバルが強かったのは騎兵力で上回ってたから
騎兵で上回られると通用せず無残に敗北
891 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/08(水) 20:45:30.94
>>889 おお! 同志よ!
ともに叫ぼうではないか!!
百戦百勝の鋼鉄の麗将金正日万歳!!!
曹操は早々に退場するだろう
ローマが強かったのは組織力と技術的に蛮族より優れてたからだよな 後で追いつかれた後はまったく勝てなくなった
ハンニバルとドンパチやってた頃、ローマ人こそが蛮族
明治に来たドイツのメッケルだかも 関が原での両軍の布陣を見て西軍の勝ちと断定し家康の勝利を信じなかったらしいな
メッケルは裏切り判明前の図見せたんだろ 裏切り判明後の図なら誰もが東軍勝利と断定出来るよ
実際の推移を聞いたメッケルは 「政略が働いていたなら東軍の勝ちは納得」 と言ったそうな。 『関ヶ原』(1981年TBSのドラマ)DVDに司馬遼太郎と森繁久彌、加藤剛の対談 が収められているが、そこで司馬さんがそう言っていた。
>>865 >>なんでお前はいきなり長身を主張しながら それ以上出されたらそうなるわけ?
855で戦いは身長で決まるわけじゃないけどって書いてるよ
860でも書いたけど身長の有利は互いに鍛えている事が条件、長身の文芸部員が小柄な空手部員に勝てないのと同じ
それでも鍛えた者同士での殴り合いなら身長高い方が有利なのは事実だから身長情報は提示したけど
誰も信長はデカイから強いとは主張していない、読めばわかるけど肉体派大名だから強いと書いている。
>>とりあえずカエサルは若い頃から海賊相手に武勇伝を見せてるし、乗馬にも長けたスポーツマンだったそうだな
うん、856がカエサルは身長180だから信長より強いって書いてるだろ?
もしもこうやってカエサルの武勇伝も一緒に載せてくれれば肉体派で体格にも恵まれたカエサル様つえー!
ってなったんだけど、856は身長だけで勝敗決めたから反論した
>>てか実戦戦績でいったらそれこそお前が身長でいきなり根拠無くはじいたアレクが最強になるわい
はじいてないよ、855では身長提示しただけだし855で戦いは身長で決まるわけじゃないと書いてる
ただ何度も書いたように鍛えた者同士でブン殴り合いすると身長によるリーチ差の有利は出るから一応情報として載せた
身長差を覆す圧倒的な実績があるならOK、実際ボクシングでも小柄な選手が大型選手倒す事もあるしね
関係無いが一部のスレッドで
「戦国時代の身長150程度の貧弱武将なんてそこらの現代人でも簡単に殴り殺せる」
とか書いているのを見ると失礼ながら笑える
899 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/18(土) 18:43:49.63
信長もカエサルも部下に殺されてる時点でタダの阿呆
是非も無し ブルータスよお前もか
織田信長は、いくつもの戦国群雄を倒して、天下統一に近づきました。 だから、信長を戦の天才と評する人がいますが、見方がすごく結果論的ですね。 最終的に勝ったから戦の天才だとは限りません。 最終的に負けても常に天才的なひらめきを発揮し続けた人はいくらでもいるのです。 ハンニバル、ナポレオン、ロバート・E・リー・・・などなど。 ナポレオンは、「余の40回の戦勝よりも・・・」という有名な言葉を残していますが、僕が主な戦いだけで数えてみたら、ナポレオンは38勝していました。(3敗) あながち誇張ではありません。 それに比べると信長は戦績は非常に悪いです。 一向一揆相手の合戦は負けばかりだし、雑賀鉄砲衆には手ひどくやられています。 何よりも、信長の合戦の戦勝は、相手に対して圧倒的な数の優勢を持って勝ったものばかりなのです。 カエサルのような芸術的とも言えるような戦術の冴えはほとんど見られません。 長篠合戦も、鉄砲ばかりが有名ですが、相手の3倍近い兵力だったことが忘れられています。 圧倒的な優勢でありながら、柵を巡らせた陣地防御で相手の消耗を待ち、最後は数で圧倒しただけだといってしまっていいと思います。 (鉄砲の三段撃ちなんていうのはフィクションだというのは最近ではほぼ常識のようになっています) もしも優勢な兵力がなかったら、この人はなにもできなかったでしょう。 唯一の例外は、桶狭間でしょうか。 姉川の合戦では、信長の戦術的能力の低さがはっきり出た戦いだと言っていいと思います。 姉川の川に沿って、第一隊から第六隊まで順に並べてなにをしようとしたのでしょう。 これは考え得るうちで、一番まずい布陣でしょう。 これではただ順に正面から当たっていくだけです。 結果、浅井軍の先鋒に、第5陣まで破られてしまいます。 織田軍は自軍の4分の1しかいない浅井軍に次々と陣を破られ、援軍の小勢の徳川軍のがんばりでやっと盛り返します。もしも徳川の援軍がなかったら、間違いなく信長は敗れていたでしょう。 朝倉氏を滅亡まで追い込んだ電撃的な追撃戦を高く評価し、信長を「天才」と称する人もいますが、あの追撃戦は、それほどほめられたものではないように思います。 補給、兵站の概念がまったく抜け落ちているのです。 「チャンスだ、それいけ」では、万単位の軍勢を動かす戦術としてはどうかな?と首をひねらざるを得ません。 結果としては最高でしたが、朝倉軍に、少し戦に明るい人がいたなら、信長軍を引きつけるだけ引きつけて、背後を断ち、逆に包囲殲滅することも可能だったように思われます。 信長は、千人程度の小規模な戦はともかく、万単位の軍がぶつかり合う本格的な合戦では、戦場の戦術的駆け引きは苦手だったようです。それはおそらく本人も十分感じていたと思います。 でも、ここで、少し信長を擁護しておきましょう。 戦術的には見るべきものがない信長ですが、常に敵より多い兵力を戦場に集中させた「戦略」の能力は間違いなく優れていたでしょう。 戦略家としては、戦国時代を通じて最も優れた人だったのではないでしょうか。 ですから、後期の織田軍のように、信長は安土で指令を出し、実際の戦場ではその羽柴、滝川等の部将が戦うというのは理想的な形だったのではないでしょうか。
ナポレオンは、 「余の40回の戦勝よりもナポレオン法典の方が価値があるものだ」 という有名な言葉を残していますが、彼は本当に40回も勝ったのでしょうか? 「ナポレオン戦略」(大場弥平・上田修一郎 著)を参考に調べてみると、ナポレオンが指揮を執った戦闘での勝利は、大きなもので38ありました。 40回という驚異的な数字もはあながち誇張とは言えないようです。 ちなみに彼の敗戦はアスペルン・エスリング(1809)ライプチヒ(1813)ワーテルロー(1815)の3回です。 38勝3敗といったらものすごい勝率です。(勝率9割2分6厘) これに肩を並べる歴史上の将軍といったらハンニバル、アレキサンダー大王、カエサルぐらいのものではないでしょうか。 ナポレオンは間違いなく軍事的な天才でした。 その天才ぶりがもっともよく発揮されているのは1805年キャンペーンではないかと思います。
903 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/20(月) 01:31:15.23
ロバート・E・リーって誰それ(笑)
904 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/20(月) 22:22:24.31
リー将軍を知らないのがいるのか・・・
>>902 歴史上の将軍というよりヨーロッパの歴史上の将軍だなw
例えば呉起は生涯無敗
906 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/06/21(火) 13:17:41.17
呉起は76戦64勝12引き分けという不敗の名将である。 ただし自己申告。
オイゲンとか出てこないのに欧州の名将とか言われても寂しい
リー将軍も呉起もオイゲンも君主ではないのでスレ違い
カエサルも君主ではないのだが
紀元前10世紀から15世紀までのユーラシア大陸レベルの名将 キュロス2世、孫武、孫ピン、呉起、エパメイノンダス、アレキサンダー大王、ハンニバル、大スピキオ 白起、王翦、項羽、韓信、冒頓単于、カエサル、劉秀、班超、曹操、アッティラ、ベリサリウス 李世民、李靖、クロヴィス1世、カール・マルテル、カール大帝、趙匡胤、ウィリアム1世、サラディン チンギスハン、バトゥ、朱元璋、徐達、朱棣、ティムール、メフメト2世 名将ぽい人物を並べただけだから細かいことは気にするなw
十字軍の英雄レーモン4世とゴドフロワ・ド・ブイヨン
●ディアドコイ アンティゴノス1世 ●古代インド チャンドラグプタ ●ローマ皇帝 アウレリアヌス ●イスラム三傑 ハーリド・イブン=アル=ワリード アムル・イブン=アル=アース サアド・イブン=アビー=ワッカース ●東ローマ皇帝 ニケフォロス2世フォカス ヨハネス1世ツィミスケス バシレイオス2世 ●ノルマン クヌート大王 ロベール・ギスカール ●イスラム王朝 ガズナ朝マフムード アルプ・アルスラーン ムハンマド・ゴーリー
出発点 織田、尾張60万石+経済都市貿易港あり 武田、甲斐20万国+金山 織田周辺 尾張60万石 美濃60万石 伊勢60万石姻戚関係ありで友好関係 武田は最大で100万石 今川は桶狭間の時点で50万 毛利は最大で120万国 上杉北条は80万国〜 つまり、織田家はベリーイージーモード
尾張は太閤検地でも江戸時代でも50万石程度。 尾張徳川家61万9500石ってのは美濃や木曽川沿い、近江の飛び地を合わせたもの。 ちなみに美濃で一番大きな所領を持ってたのは尾張徳川家。 それでも尾張は大国で信秀以来の金持ちであることは確かだけどね。 加えてラッキーなことに桶狭間で偶然義元を倒し、美濃攻めに専念できたこと。 尾張美濃を治めた時点でかなり天下に近づいたといえるね。
尾張織田氏の歴代名将 織田敏定 織田信秀 織田信長
東洋史(日本史も含めて)では戦術まで分かる戦いは殆どないですから。 いついつどこどこで誰と誰が戦い、だれだれが死んだ、そんな感じ。 政略や戦略などはわかるんですが。 別に東洋蔑視じゃないですよ。文化の違いだと。 ただここでは戦術面での比較をしてるので、絞ったまでです。
装備とか兵書によってある程度どんな戦術があったか、は推定できるけど どの戦いで何使ったかってほんっとうにわからんよね
>>910 衛青、霍去病、檀石槐、皇甫嵩、乙支文徳、李勣、蘇定方、ジェベ、スブタイも入れておけ
>>916 戦略を重視した東洋が落ちぶれて、戦術を重視した西洋が世界の覇者になったのが面白いな
古代末期から中世は東高西低だったから、あまり関係無さそうだけど
>>918 それが史書という形で残って無いだけだよ
史書に残ってないということは記述あるいは保存の興味の対象外だってことだから 結局同じことだよ
ちゃんと記述の対象ではあったんだけど 史書等、後世に残るものに記載されなかっただけ というかそうでないと報告できないし
記述の対象ってのは史書の記述の対象って事ね。文脈読んでね。 つか後世に残るものに記載されてないのに記述の対象だったてわかるの? 「報告できない」ってあるけど、その報告は残ってるの? 残ってるなら「残るものに記載されなかっただけ」と矛盾するよ? 残ってないなら記述の対象だったとわかるのはどうして?
>>922 註釈などで引用される詔勅とかで「これこれこういう戦いがあってどうこう動いて勝ちました」
程度の記述は出るし、後期の戦いになると結構細かい配置とかも出てくる
それにしたってちょっと情報は少ないけどな、そういう記録は実在してるわけだ
戦術なんてのは武器の進化で変わる
もっとも有効な武器を上手く使う戦い方ってだけで論ずるにも足らない
そもそも政略>戦略>戦術で覆せない
関が原を見ても政略の家康と戦略の光成の戦い
姉川の合戦も戦術の浅井朝倉に対し政略と戦略の信長の戦い
>>902 戦国時代じゃ10回勝っても11回目で負けたら終わり
武田なんて典型
ナポレオン程度の才覚なんて戦国じゃ普通レベル
つまり長期的な戦略眼のなかった信長はこのラインナップからはずした方がよい、ということですな。
信長は戦略の龍、戦術の蛇だよ
927 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/07/07(木) 22:41:55.86
李広利>>>>>中央アジアの遊牧民>>>>>アレクサンドロス
ナポレオンが戦国じゃ普通レベルって・・・ どこの厨房だよ?
スレ違いなんだろうけど、曹操ってなんちゃらいう酒の醸造法を発明したらしいのに、 なんで禁酒法もやってるの? 特権階級のみおkとか、禁酒法じゃなくて専売法だったとかそういうこと?
まず新種の酒を発明したのは曹操じゃなくて部下 Wikで間違って載ってるけど献上しただけ 禁酒するのは戦争中は贅沢品にお金かける余裕ないから 日本戦時中の贅沢は敵だみたいなのだね
お前が中学ん時あのいじめっこにいじめられて無かったら(≒いくさ)、今より豊かなコミュ力を形成しリア充として今を謳歌している、というifがある。 50人の集団があればトップが生まれる。その集団と別の50人の集団とが争い、結果一方のトップが敗れ、100人の集団になる。 つまり、人口の多い時代の英雄のほうが少ない時代の英雄よりも強い、と主張してみる。 逆に言えば社会が英雄の強さを産んでいる。
一理ある
姉川の合戦こそ信長の天才性を示す たかだか戦術レベルより上の戦略的勝利であった 浅井朝倉は篭城で決戦に応じず窮地に立った所を、わざと別拠点を攻め相手に戦術レベルでは不利な陣形でおびき出し 勝てると思わせ勝利した またナポレオンが強かったのは火力と兵力の優位性であった ナポレオン軍は国民軍のため大規模な兵力を際限なく動員できたが 周りの王制諸国は兵を使うたびに財政を消耗し大規模な戦力を活用できなかった 諸国が真似しだすと途端に勝てなくなった ハンニバルやローマと同じである ロシア遠征では60万の兵で攻め生き残れたのは数千という酷い有様 結局一つの戦い方の型しかできないためその型が敗れると途端に勝てなくなる その点信長はあらゆる手段戦略戦術を持ち局地戦の負けすら戦争の勝利に結び付けられる神の天才なのである
934 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/07/31(日) 17:31:47.79
ていうか、日本の戦争なんか規模が違いすぎるんだから、そんな大軍を統率できるとは思えん。 やっぱ、カエサルやな
>>935 ローマ以降だと近代に入るまでは日本の戦争なんか規模大きすぎて欧州と比較できない程大軍集まる罠
937 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/08/09(火) 20:51:22.35
歴史上の英雄の格をあらわす重要な指標として 支配面積(平方キロ)があるわけですが、信長しょぼいよ 分裂期支那に割拠する地方軍閥のそのまた下の一豪族の そのまた手下の一地主程度 チンギス(1260万) アレキサンダー(564万) ティムール(555万) キュロス(541万) アッチラ(375万) ナポレオン(186万) ピサロ(124万) ・ ・ ・ 信長(8万)
>>937 面積じゃなくて人口で計ればいいんじゃないの?
昔の都市国家と領土国家の中間みたいな連中まで面積でカウントしたらダメでしょ
大体、そんなもん大陸国家の方が広くなるに決まってんだろ 遊牧民と農耕民じゃ一人当たりの有する生活圏が全然違うし
子供の時のくすぐり体験
http://pele.bbspink.com/test/read.cgi/natuero/1147571623 ,.r''´ ; ヽ、
,ri' 、r-‐ー―'ー-、'ヽ、
r;: r'´ ヽ ヽ
(,;_ 、 l ::::i 'i、
r'´ i' _, _,.:_:::i il!
ヾ ,r -';! '''r,.,=,、" ::rrrテ; ::lr ))
! ;、 .:::;! `´' :::. ' .::i: ,i'
`-r,.ィ::i. :' _ :::;:. .::::!´
.l:i. .__`´__,::i:::::l
r-i. 、_,.: .::/
!:::;::! ::.、 .:::r,!
l::::::::ト __` 二..-',r'::::-、
l;::i' l:  ̄,.rt':::::::/ ` -、
,r' ´ ヽr'ヽr'i::::::::;!'´
ソレナンテ=エ=ロゲ[Sorenant et Roage]
(1599〜1664 フランス)
ってか時代考えてみろww じゃナポレオン
942 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/22(木) 23:52:51.97
グスタフ・アドルフVSフリードリヒ大王 (参考:『戦闘技術の歴史3 近世編』、ウィキペディア) ○兵数 ・グスタフ=アドルフ 19000(リュッツェン) 歩兵13000人、騎兵6000人、軽砲40門、重砲20門 ・フリードリヒ大王 22000(ロスバッハ) 内訳不明 ○布陣 グスタフ勢はリュッツェンの戦いと基本的に布陣とする。 中央にパイク兵5400人、マスケット銃兵3600人、全ての重砲と軽砲30門を配置。 両翼に騎兵隊を2500ずつ配置し、両翼合わせてマスケット銃兵1000人と軽砲10門配置。 残りのパイク兵1200、マスケット銃兵800、騎兵1000を予備軍として中央後方に配置。 グスタフ=アドルフは史実通り自軍右翼で士気を執る。 (各隊の兵数などは推測を含む) フリードリヒ大王勢は、内訳がわからないのと時代的ハンデを考えて 中央に歩兵と砲兵、両翼に騎兵、中央後方に司令部と予備軍を配置するスタンダードな布陣とする。 フリードリヒ大王は中央後方の司令部でで士気を執る。
943 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/22(木) 23:53:56.63
○経過 大砲の打ち合いから戦闘開始。おそらくは軽砲で勝るグスタフ勢が若干有利。 そのため、おそらくフリードリヒ大王は全軍を前進させる。 マスケット銃兵の射程に入ったところで、時代差による技術の向上とそもそもの マスケット銃兵の物量差で中央はフリードリヒ大王勢が優勢になる。 グスタフ勢は歩兵を前進させ、予備軍歩兵を中央に派遣する。 グスタフ勢は人員を多数失うが、パイクと銃剣のリーチ差などから互角まで持ち込む。 両翼の騎兵戦では騎兵の数は劣るもののマスケット銃兵と皮革砲の影響でグスタフ勢が優勢。 特にグスタフ=アドルフが直接率いる右翼では士気の違いからフリードリヒ大王勢は敗色濃厚。 ここで、フリードリヒ大王勢予備軍の一部が自軍左翼の援護に向かう。 フリードリヒ大王は斜行を試み、それによって予備軍と中央の一部が自軍右翼に結集。 これによって一気にグスタフ勢左翼が敗色濃厚。 グスタフ=アドルフは予備軍騎兵を向かわせ、自らも護衛と共に自ら左翼へ向かう。 グスタフ=アドルフ不在と援軍の登場によってフリードリヒ大王勢左翼は互角まで持ち直す。 グスタフ=アドルフは左翼に到着するも多勢に無勢で負傷もしくは死亡し、グスタフ=アドルフ戦線離脱。 これにより、指揮系統を失ったグスタフ勢は左翼から破られる。その後はグスタフ勢が殲滅されて終わり どうにかしてグスタフ=アドルフ勝たせたかったけどやはり厳しかった
テクノロジーの差はでかいよ
945 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/23(金) 21:40:25.82
>おそらくは軽砲で勝る この「おそらく」から間違いだわ。 プロイセン軍は大隊砲まで持ってるんだから スウェーデン軍に圧勝。
946 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/23(金) 21:44:23.72
ポン酢が車でさらわれて、汚いオジサンにズボズボされますように 糞コテが男に犯されるのを望んでしまうほど、不快なのです 気持ちいいなんて思わないだろ? キモい爺に無理矢理されて
947 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/24(土) 10:39:53.31
rf爪从从Yx ≫ミミV/Y彡彡く ミ三三ミY彡三辷彡' ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧ -=三≧ {圭}≦三ニ=- <うぬが持つ画像、ククク、是非もなし > `'=彡{圭}≪ミく <ZIPを出さぬ、抗うは…無価値 > ,≫ッ爪川「「T:rz_ , ∨∨∨| ./∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨ 》'////:l | | | | | | |「》r', , |/ 》'{ { { { { { } } }////////r' / ミ人乂乂乂ノノ≫rr《////》,/ . \ヾミ三{ (三>`^´(三シ 《///》‐┐ ,イ,イ{ . ヾミ三{ -‐- 、:. , - 、'《//ハ 》'⌒7///彡 ヾミ《. ィヌニ>,:' : ィヌゝ:'《//'} ,《777///二辷彡 . __`ヘ ‐ '" ,. ヽ` ニ゜ 〈V//《////《二二辷彡 ≪二二二ミ、/// (r:、 ,、〉 ///》三辷彡《二二二二辷彡 _≫二二二ミ、 ,r'トェェイ、 ゙i, /二二辷彡=ニニニニ三辷彡 ≪二二二二二ミ `'ヾェェシ"、二二二≫≠===≪三辷彡 ____厂厂厂 ̄厂厂{{込、^笊´/二二沙'′' `≪辷彡 / ./ / / / 《三 》l川l《二沙'′' ,. ´ ̄ ̄ ̄ \ . / ./ / / / /.》三二二彡'′' / \ { { { { ./ /  ̄ ̄/ / / ),
948 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/24(土) 10:40:30.44
寄生してたポンコツタレントは紳助のおかげでタレント生命が伸びたし 人気も出たんだから迷惑なんて言えないだろう。持ちつ持たれつだから 特別感謝することもないが、文句を言える立場でもないな。
949 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/29(木) 20:44:43.62
>>945 大隊砲があるから何なんだよ
せめて数値とか規模とか、それを参考にしてる
ロスバッハに当てはめられるかとかちゃんとソースとか出して批判しろ
951 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/09/30(金) 15:56:40.54
952 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/10/09(日) 19:46:55.12
>>950 いや、大隊砲の存在を示す明確な資料出せってことだよ
それとロスバッハの戦いでそれが実際に使われたこと
一次資料出せとは言ってないんだから、考察を否定する以上
何かしら出すのは当然だろ
>>952 ちゃんとした考察するなら時代を超えた対戦などありえないってことで議論終了だろ
もし17世紀に18世紀の装備持った軍団がいたら補給の問題を考慮しなければ
まあまず何やっても大抵勝つし、18世紀に17世紀の軍隊がいたらボッコボコだわ
時代の流行や敵として想定してる敵とその戦術が違うんだから比べるだけ無意味
954 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/10/09(日) 22:37:25.08
>>954 ソース云々と言って考察だ、なんだってやるテーマじゃないってことだよ
ただ居酒屋でクダ巻いてるレベルのどーでもいい話に考察だ、ソースだって言ってる方がバカだろ
956 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/10/10(月) 07:21:03.94
ちゃんとした考察するなら時代を超えた対戦などありえないってことで議論終了だろ もし17世紀に18世紀の装備持った軍団がいたら補給の問題を考慮しなければ まあまず何やっても大抵勝つし、18世紀に17世紀の軍隊がいたらボッコボコだわ 時代の流行や敵として想定してる敵とその戦術が違うんだから比べるだけ無意味
957 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/10/15(土) 14:36:19.44
あと300ぐらい早ければコピペになったやもしれぬ
「
「
「
」
「
「
」
1000 :
無名武将@お腹せっぷく :2011/12/11(日) 17:54:14.01
この板には信長公の偉大さを理解できる人間はいなかった、ってことで。
>>1-999 =カス
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread 立 新 / ,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、 ,r';;r" _ノ と 何
て し L_ /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ ,';;/ ) 申 と
ね い //;;/´ `' 、;;;;;;;;,,l;;' /ヽ す 1000
ば ス /.,';/ ヽ;;;;,l;L_ .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;i か を
い レ l |;|┌--‐フ ┌----、、 |;ヾr''‐ヽ, ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;く !! 超
か ッ i |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;l rO:、; ´ ィ○ヽ 'i;;;;;厶, え
ん ド l _|. <,,O,> 〉 <,,O,,> |;;;;;| `'''"/ `'''''"´ !;;;;;;;;ヽ た
の を ._ゝ'|. / 、 |; ,' / 、 |;;;;;;;;;;;;;レ、⌒Y⌒ヽ
う 「 | | ( ) .ソ l ,:' _ ヽ .|;;;;;;;//-'ノ
ヽヽ | _,ニ ニ,,,,,_ ', ゞ,' '"'` '" i;;;;;i, `' /
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄ `| ,、ィ-‐''__'''‐-`,、 '' .', i、-----.、 `''"i`'''l
人_,、ノL_,iノ! . ', :i゙''''''''''`l' ` _人__人ノ_ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\ ,' ト、,
/ ヽ L__」 「 で 書 Lヽ ヽ〈 i| Vi゙、
ハ ワ {. ヽ. -、、、、 ' ノ き き 了. ゙, ,ヽ===-'゙ ,' , // ヽ
ハ ハ ヽ. ハ ) ん 込 | ',.' ,  ̄ , ' ノ //三国志・戦国板
ハ ハ > /|ヽヽ、___,,,,、 'く み > ヽ.  ̄´ / ,、 ' /
http://yuzuru.2ch.net/warhis/