か2?
340 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/05/28(月) 21:30:42
五丈原では魏軍は陣地を固めるばかり交戦を避けていたから、
小競り合いはあっただろうけど、本格的な戦闘は起こってないでしょう。
五丈原の付け根の所の本陣に諸葛亮がいたとして、
前軍の魏延は遠くても渭水南岸だから、精々数kmの距離。
前部督の高翔辺りに指揮を任せ、魏延を一時的に諸葛亮の所に招く事もできたとは思う。
341 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/05/28(月) 23:15:34
魏延は軍の頂点に立つに値しないと思う。そう思ったから諸葛亮は楊儀に復命
しているんだと思う。馬タイと姜維がいれば魏延が攻撃してきてもうまく撤退
できると思っていたのかもしれない。諸葛亮は政治に関しては天才だと思うが、
ワンマン経営すぎて、武官も文官も育っていかなかったのだと思う。
342 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/05/28(月) 23:35:41
魏延がトップは確かにどうかと思うが楊儀だって似たりよったりだ
魏延のほうが地位は高いから、楊儀に任せるよりは正当性はある
いや、こいつらはどっちもだめだけどさ
王平などに比べると、馬岱も姜維も問題外じゃないか?
343 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/05/28(月) 23:50:49
ショウエン、費イが才能や人物で蜀漢の全権を担うに足りる人物で
馬タイとかは冗談でしょ
蜀漢も最期はキョウイ程度の将が大将軍なの?って感じでは
344 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/05/28(月) 23:52:27
普通に、蒋エン・費イが適任だと思うが
と書き込もうとしたら343に先を越されてた
糞スレ認定
)
(
,, ) )
゙ミ;;;;;,_ (
ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,,
i;i;i;i; '',',;^′..ヽ
゙ゞy、、;:..、) }
.¨.、,_,,、_,,r_,ノ′
/;:;":;.:;";i; '',',;;;_~;;;′.ヽ
゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._ 、}
".¨ー=v ''‐ .:v、,,、_,r_,ノ′
/;i;i; '',',;;;_~⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′..ヽ
゙{y、、;:...:,:.:.、;、;:.:,:.:. ._ .、) 、}
".¨ー=v ''‐ .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
/i;i; '',',;;;_~υ⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ
゙{y、、;:..ゞ.:,:.:.、;:.ミ.:,:.:. ._υ゚o,,'.、) 、}
ヾ,,..;::;;;::,;,::;):;:;:; .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
r '"  ̄ ̄ ' ヽ、
r'" ,, ,,,、''' '";'' ヽ
ノ ,r i ヽ
八戸のぶながを受け入れなさい! l' l l
.l -ー'',,,_ L i_j,ry-、 l
},,-_::j,,、_,、__,,r-' ";'/,'ヽl,i
,r,'-ーyj~ 、rッ',|!~ ::,;_;,;;r'};' |,l
r^i ヽ |`',j^ヽ、_`_jl ,;::::::;;, /'/{
| `',i `r-'i 、, ;;'',,: ';;r-'^}--、
r-、_,,,_ l ;;;l ヽヽ '":ヘ、;;;;;:: ,;;';, /`く/ \_
rt^`'.  ̄"ー' :;;l, i, ,_、--r、, ::;i;; i;''/ / / ` 、
`'r 、,"_`ー- r ,. L __ ヽ、- ,;j;;i ,r"/ / j'"-ー''" ヽ,
`ヽ、'' ` ' ヽ_ `ヽ | ̄ヽ'ー-, `7|~'rー'" / r'"〈,_ ヽ \
`ヽ,_`- | | j`__'rー-、,ヘ/_,l/__,/r-"-ー l |
 ̄"''ーt_,/ l
l /_, |
`ー rl
レ__
中英板から荒らし乙
荒らすな
13 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/05/30(水) 01:15:58
スレは違うが、すごい説得力だ。この概念にたどり着くまで、すくなくとも20年は費やしたなあ。
じゃあ、空気が読めないヤツは場の和を乱すからうざいと言って、叩くのは悪い事なんだね?
本当は、鋼鉄三国志は中国でも放送されるのだろうか?って書き込みたかったのに、つい、
読み入ってしまったよ。
ようは、曹操は結局のところ、第3の戦略を間違ったわけだよ。
あの時点で、鎮圧に失敗したのは致命的。
それが原因で、曹操は曹操たり得なかったわけだし。
___, - 、
/_____)
. | | / ヽ ||
|_| ┃ ┃ ||
(/ ⊂⊃ ヽ) /  ̄ ̄ ̄ \
! \_/ ! ( ( (ヽ ヽ
,\ _____ /、 | −、ヽ\ !
ゝ/  ̄ ̄ ̄ \ /. \/ ̄\/ .\ | ・ |─ |__ /
/ _____ヽ | | _┌l⊂⊃l | | ┌ - ′ ) /
| | / ─ 、−、! | | / ∋ |__| | | ヽ / ヽ <
|__|─ | ・| ・ | | /`, ──── 、 | | ` ─┐ h ̄
( ` ─ o−i ヽ / \ .ノ_ .j ̄ ̄ |
ヽ、 ┬─┬ノ / ̄ ./ ヽ- 、\ /  ̄ ヽ\
// /ヽ─| | ♯| / i | ..) ) \ i ./ |\\
| | / `i'lノ))┘/ , ─│ !-l⊂⊃l┐__ヽ__/\ / | | |
| | | ̄| / /| / ( (... .ヽ / |____|∈ __./ .| | |
|_|/ヽ、_/ ./ ` ─ /\ /ヽ  ̄ \-──| \|_|
| | |───/____i l=======l |_____ __\ |\ | |
|/ ヽ── |______\ l二|^|二二|^|二l 丿______ |_丿 \|
l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | | |. | | | | | | | |  ̄ ̄ ̄ l
| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄.| |────| |. | | | | | |.──────|
>>14 それは違う。
曹操には郭嘉がついているじゃないか。
あの選択は間違いとは言えない。
諸葛亮が蜀で何かを廃止したとか どっかの作家が言ってた気がするんだが
何を廃止したんだっけ?
>>17 史官。
ただし諸葛亮の生きていた時代までといわれているが。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/01(金) 00:11:57
その理由って推測出来ます?
20 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/01(金) 00:26:00
そんな記述見たこと無いな
>>17 諸葛亮はね、第4の選択を間違えた。
それが、剣閣の結末にいたる原因となったと言える。
まあ、私見なんだがね。
>>19 国史を記すだけでなく天文、祭祀、医、占い等を司る史官はある意味で
臣下の立場を超越した存在でもある。
その史官を廃止する事は、とりもなおさず国内の情報統制を敷くということ。
つまるところ、それらを一手に掌握することで自身の独裁性を高める狙いが
あったと思われ。
と書いてる自分もどこで聞いたか読んだか思い出せんのでもうしわけないが。
>>21 だが、それでは司馬懿の南征は考えられないわけで。
令狐氏も存在していないよ、今頃は。
>>23 うろ覚えだが
劉エン・劉璋政権が卜事を重視してた事も関係してたような
そういや劉備が占い師の張裕を言い掛かりつけて謀殺してたな
ハイハイ
やっぱり張氏勢力は滅ぼしておくべきだった。
すいません、黄皓の評価はどんなもんなんでしょう
こいつの具体的な悪事はまったく伝わってないので、有能か無能かがわかりません
国内が荒れていたのも北伐の影響が大きく、あまり参考にできませんし
皆さんのご意見を聞かせていただけませんか?
史料がないので推測で語るしかないよ。
_、_、_、、、、、 _______ ___._______________________
/○° ヽ ヽ:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 / / / 三|
/ 从人从........|:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三./ / /.====|
/ 从人从人从.人|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三 ./ / /.三三三|
| 〓〓〓 从人从人从..从:|三三三三三三三三三三三三三三三三三三./ / /.三三三三|
| -・=- .... 从人从人 从 .:|三三三三三三三三三三三三三三三三三/ / / 三三三三三|
/ `  ̄ ´ /∴∵从人从人从从.:|三三三三三三三三三三三三三三三三/ / / 三三三三三三|
/ / ∵ 从人从人从从 |三三三三三三三三三三三三三三三 / / / 三三三三三三三|
し_ゝ |∴∵..∵从人从人人从.:|________________/ / 三三三三三三三三|
|___、 |∴∵∴∵∴从人人从 .:|_________________,/..三三三三三三三三三|
| ̄ |∴∵∴∵∴人 /从 _|・______.・______.・______・______.・_______・|
ι |∴∵∴从人 !l_/ /⌒ヽ;;;;;;;//⌒ヽ;;;;i、-ヾ---o----,、ヾi;;;;;;i;;;;;;;;;;;;;;;;iヾ. /__//⌒ヽ.ヽ‐!;iー――'
! ̄= [二] = ̄~ !二二|」;i ($).i二tiii ($).i;;;;|三||三三三三三||三三三三三||三;;;;;;|ii ($).i;;;;|二二二l]
 ̄ ̄ ̄ゞ;三ノ ̄~ゞ;三ノ''ゞ_,ノ 'ゞ_,ノ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゞゞ;三ノ ̄ ̄ ̄  ̄ゞゞ,_ノ
やっぱり黄皓を評価するのは難しいですか
まあ、陳寿自身、宦官を嫌っているっぽくて評価を信用できませんしね
諸葛亮による情報統制がなければもう少し情報があったのでしょうが
具体的にどんな悪事を働いたのかは分からないけど、
晋書には黄皓のせいで蜀が滅んだという文言が二三あるね。
黄皓が台頭したのは諸葛亮死後のことなんで諸葛亮は関係ないすよ。
宦官は清流派の敵だからそうなったと決定。
そうですね、陳寿は基本的に宦官をぼろくそにけなしています
黄皓と組んで政治への影響力を確保した、費イの後継者とも言うべき陳祗もくず呼ばわりですし
黄皓は小悪党っぽいイメージですが、賄賂で処刑を逃れたり意外と危機回避能力は高いですね
でも後に司馬昭に謀殺されたんじゃないの? どっかでそんな話読んだ
それは演義だったと思う
>>29 国内が荒れていたのはなにも北伐による消耗だけではない。
ましてや姜維ひとりの責任でも、黄皓ひとりの問題でもない。
実力者でまともな見識をもっていた尚書令の陳祇が亡くなり、黄皓が台頭して
くるのはそれ以降。
そこから衛将軍・平尚書事の諸葛瞻と輔国大将軍・平尚書事の董厥に加えて、
尚書令の樊建が合わさって半ばグダグダの馴れ合い政治がおこなわれていた。
黄皓がおこなった事ではっきりとしている事では、諸葛瞻とともに北伐の推進者
である大将軍・録尚書事の姜維を更迭し、それに代えて閻宇を起用しようとして
いたこと。
この時代の蜀を訪れた呉の人物の言葉が呉書にあり、疲弊とともに朝廷にも
腐敗の兆候があらわれていたとある。
要するに滅亡間近の国ってのは、蜀に限らず原因は一人の責任ではないし、
様々な要因が噛み合わさっていくんだろう。
蜀が滅亡した原因を誰か一人に求めているわけではありません
あえて言うならば、運用している人物たちの力不足が要因となり、
国のシステムの不備が現れたのだと私は思っています
私は、蜀の末期が本当にグダグダの馴れ合い政治だったのか知りたかっただけです
姜維を更迭することは状況的に正しいでしょうし、意外とまともな政治が行われていた可能性もあるのではないかと
残念ながら、私は蜀の首脳陣がだめな人物であるという明確な証拠文献を知りません
陳寿の評を鵜呑みにできないことはご理解いただけると思います
なので、皆さんがどのように解釈するか、あるいは信頼性をあげる文献はないか知りたかったのですね
ぐだぐだ書きましたが、わかりやすく言うと
>この時代の蜀を訪れた呉の人物の言葉が呉書にあり、疲弊とともに朝廷にも
腐敗の兆候があらわれていたとある。
この部分がどんな書かれ方で、書いた人はどんな人で、どう解釈できるか知りたいです
おしえてちゃんで申し訳ないのですが、私は呉書を持っていないのでできれば解説していただけないかと
>>39 蜀に使いしたのは薛珝で、「主君は暗愚でその過ちを知らず、臣下は保身に努めているのみ」
という内容の報告を孫休に行った。
書かれているのは漢晋春秋で、編纂したのは東晋の桓温の側近である習鑿歯。
該当箇所の原文は、
孫休時,珝為五宮中郎将、遣至蜀求馬。及還、休問蜀政得失、
對曰:「主闇而不知其過、臣下容身以求免罪、入其朝不聞正言、經其野民皆菜色。
臣聞燕雀拠堂、子母相楽、自以為安也、突決棟焚、而燕雀怡然不知禍之将及、其是之謂乎!」
更に、諸葛瞻らが黄皓におもねって馴れ合い政治をやっていたと言うのは、
陳寿の書いた本文(諸葛亮伝付董厥伝)にもあるし、諸葛瞻伝の注釈にある干宝の言葉にも、
諸葛瞻が死に際して、「黄皓を斬っておけば良かった」、と己の行動を悔いていたとある。
それに、董允伝に付されている黄皓本人の伝にも、ケ艾が黄皓の邪悪さを聞き、
黄皓を殺そうとした記述があるし、黄皓を高く評価するなんてできないと思うがね。
まぁ、そういった記述も、「陳寿は宦官を嫌っていたらしいので信用できない」と無視すれば、
無理矢理評価する事もできるかもしれんけどね。
ありがとうございます。
いや、別に黄皓がいいやつなんてこれっぽっちも思っていませんけどね(笑
使っていたということは、何かしら有能なところがあったのかも、と疑問に思ったのです
実際の蜀末期の上層部がどのようになっていたか少しだけ見えてきました
あらためて、情報ありがとうございました
自分でも続けて調べてみようとは思いますが、有益そうな情報があるなら教えていただきたい他力本願な私(笑
そういえば、死ぬ間際で己の行動を悔いた言葉ってどうやって伝わったんでしょうね
どうにも陳寿の言葉を信用できない私がいます(笑
追記
やっぱり黄皓がどの程度の能力か割り出すのは無理でしょうかねぇ
>>41 黄皓は陳祗が権力を握る為にも必要な人物だっただろうし、
それによって陳祗が後宮を制して劉禅と深く繋がる事ができたんだから、
黄皓も宦官としては有能だと思うよ。性質は善良とは言えないだろうけどね。
陳祗がいる内はその手足となっていただけだから、黄皓台頭の一因に、
その後任となった諸葛瞻らの力量不足もあったのかもしれんね。
諸葛瞻の死ぬ間際の言葉は、緜竹決戦の生き残りが語った事かもしれんし、
完全に否定する事もできないと思うよ。
あと、これに関しては、干宝が言った事だから陳寿は関係ないよ。
うん、とりあえず私はずいぶん陳寿に偏見があることがわかりました
その点がわかったことだけを見ても、今回した質問は有益だったかも知れませんね(笑
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/03(日) 23:27:44
>41 傍らにいた誰かに漏らしたんでしょ。 三国志ってそういうの結構あるじゃない。
黄皓が何をしたかよりも、何をしたかったのかのが興味あるけどな。
蜀で保身したって たかが知れてるだろうに
>>45 たかが知れてなんかいないぞ。
やりすぎだ。
やりすぎだ。
やりすぎだ。
やりすぎだ。
やりすぎだ。
>>45 傍らにいた誰かに漏らした、というのはどの程度信用できるか、という話です
全部疑っては話になりませんけれど、具体的に起こった事柄ならともかく、
「ある人物がこう述べていた」という話は虚偽が混じっていても不思議はありません
…まあ、現代で真実か虚偽かを見分けるなんて無理でしょうけど
黄皓が何をしたかったのか、ですか
適度にうまい汁がすいたかったのでは?
性格的にはだめでも、意外と国政はまともかもしれません
国が滅んだら自分が得ている権力を失うことになるわけで、国が残っていないと困るわけです
周りには強力な外敵がいる状況で国を無茶苦茶にする利点などありません
それがわからないほどの馬鹿を使っていたなら、蜀の上層部は一般人より馬鹿なのでは、と疑いたくなります
>>46 氏ねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねねね
諸葛瞻はまだしも、董厥・樊建は評伝を拾い読みする限りはまともだったと思うが…。
ただ、国政のトップに立つほどの器ではなかったのだろうけどね。
そもそも、それは彼らの責任ではないでしょうよ。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/04(月) 12:23:33
関羽の下乳ほどじゃないよ
関羽のおっぱい衰退
┏┓┏┳┓
┏┛┗┻╋┛ \ i
┗┓┏┓┃ ── + ─
>>48 ┃┃┃┃ ┏┳┳┓ // | \
┗┛┗┛ ┗╋┛┃ / / |
┗━┛ / /
_
,. -┐ _ ,. へ _ノ
. , へ }、lノ─、! -‐弋_>'´
>'"´j. { { __ ,r'´ /
f´| `¨、. `Y リ / >一'´
. `弋_,ノ \ \. `V / /
`ヽ._`/`Y `l , '´
`>、 └.イ´
| !.` ´ !
|」 _,ノ
. | ',
l .|
',__r'
} {
j__〉
空気嫁。
┏┓┏┳┓
┏┛┗┻╋┛ \ i
┗┓┏┓┃ ── + ─
>>53 ┃┃┃┃ ┏┳┳┓ // | \
┗┛┗┛ ┗╋┛┃ / / |
┗━┛ / /
_
,. -┐ _ ,. へ _ノ
. , へ }、lノ─、! -‐弋_>'´
>'"´j. { { __ ,r'´ /
f´| `¨、. `Y リ / >一'´
. `弋_,ノ \ \. `V / /
`ヽ._`/`Y `l , '´
`>、 └.イ´
| !.` ´ !
|」 _,ノ
. | ',
l .|
',__r'
} {
j__〉
お前こそ空気嫁。
器用な奴だなw
>>49 >そもそも、それは彼らの責任ではないでしょうよ。
何を根拠にそういえるのか意味がわからない。
彼らの職掌と位階を僅かでもわかってればそんな意見はでてこないはずだが。
まあ、そうですね
彼らだけの責任ではありませんが、彼らに責任がないとはいえません
あえて誰かに責任を求めるならば、私は国を作った劉備か諸葛亮に求めたくなりますが
57 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/04(月) 21:07:35
関羽の下乳の責任
おっぱい
おっぱい
おっぱい
乳と言えば黄金甲
黄金甲ってどうかな?
黄金甲は兵多すぎw
霧に覆われた夜空におぼろげに浮かぶ月。物寂しく、人の心を悲しみで乱すようだ。
だが、そんなことは張横と仲間たちの知ったことではなかった。
この連中は、今しも遠方への護送の仕事から戻ったばかりで、しかも酒を飲んでいる。多日に渡った緊張と疲労から解放され、
みんな一様にくつろいで浮かれた気分だった。
まさにこの時、張横たちは甘栗売りのおばあさんと出会ったのだ。
甘栗売りのおばあさんは、幽霊のように濃霧の中からいきなり現れた。
目に見えない大きな石に背中を押し潰されているかのように腰が曲がったおばあさんは、大きな竹の籠を持っていた。
「その籠の中身は何だい?」
誰かが尋ねた。みんな上機嫌だったので、何にだって鼻を突っ込みたい気分だった。
「香ばしくって熱々の甘栗が、一斤たったの十文だよ」
おばあさんは顔をしわくちゃにして笑った。
「五斤もらおうか。一人に一斤だ」
なるほど甘栗は熱々で、とても甘くて香ばしかった。だが、張横は一個しか食べなかった。元々栗はあまり好きではなかっ
たし、酒を飲んだ後なので、一個食べると胃がむかついて吐きたくなってしまったのだ。
だが、張横が吐く前に、仲間たちが一斉に地べたに倒れた。倒れるなり身体を引きつらせ、口から白い泡を噴いている。
白い泡はすぐに赤く染まった。血だ!
おばあさんは依然としてその場にいて男たちを見つめていたが、その顔に浮かんだ笑みは得体の知れない不気味なもの
色合いを帯びていた。
「甘栗に毒を入れやがったな!」
歯を食いしばっておばあさんに殴りかかろうとした張横だったが、すぐに全身から力が抜け、その足元に倒れ伏した。
おばあさんはくすくすと笑った。
「おやおや、何てふしだらな小僧だろうねえ。女の足を盗み見かい?」
張横は何とか頭をもたげると、呻くような声で言った。
「俺たちに一体何の恨みだ?」
「くっくっ、馬鹿な小僧だよ。お前らなんか会ったこともないのに、恨みなんぞあるものか」
張横は歯を食いしばった。
「だったら、なぜ俺たちを?」
「別に。ただ人が殺したかっただけだよ」
甘栗売りのおばあさんは淡々とそう言うと、現れた時と同じように濃霧の中に消えてしまった。
>>55 結果的に国を傾けてしまった為政者としての責任は否定しませんが、
そもそも器不足だった感のある彼らがトップに立たざるを得なかった状況までもが、
全て彼らの責任であるとは思えませんので。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/05(火) 12:51:45
甘栗はおいしいよ。
誤解なきように。
>>56 むしろそこまで黄皓を庇い立てする理由がわからない。
黄皓って呉で言ったら呂壱あたりか 魏だったら誰だ?
人格・能力ともにふたまわりくらい小物にした劉放・孫資
どうでもいいが史料を一々疑い出したら歴史なんてやってられないと思うんだ
取捨選択は必要だがまず疑いありきじゃどうしようもない
それだと「劉禅は三国一の君だった!」なんて事も言えちゃう訳で
黄皓が名臣だった、というくらいにないですね(笑
たぶん陳寿に対する偏見が原因です
本当に国を荒らすだけの人だったのか気になったんですね
もし自分たちが同じ立場だったらどうしたでしょう?
自分の足場を切り崩すような馬鹿な真似をしますか?
黄皓が其処まで馬鹿には見えなかったのですよ
非難しかされない人ですが、実際はどれくらいの能力の人か、気になりませんか?
庇い立てするつもりはありませんでしたし、尊敬できない人物であったとも思っております
そのあたりは、誤解されたくないのでここで述べておきます
┏┓┏┳┓
┏┛┗┻╋┛ \ i
┗┓┏┓┃ ── + ─
>>69 ┃┃┃┃ ┏┳┳┓ // | \
┗┛┗┛ ┗╋┛┃ / / |
┗━┛ / /
_
,. -┐ _ ,. へ _ノ
. , へ }、lノ─、! -‐弋_>'´
>'"´j. { { __ ,r'´ /
f´| `¨、. `Y リ / >一'´
. `弋_,ノ \ \. `V / /
`ヽ._`/`Y `l , '´
`>、 └.イ´
| !.` ´ !
|」 _,ノ
. | ',
l .|
',__r'
} {
j__〉
お前こそ空気嫁。
器用ですね
しかしどうしたものか
>>68 そもそも黄皓は、荒らした、という程の事はしていないだろう。
黄皓がやった、或いはやろうとした事として残っているのは、
・姜維と閻宇の交代の画策
・征蜀戦役に先立って行われた、姜維の上表の棄却
・羅憲の巴東への異動
の三つくらい。
最初のは為されなかったし、上表の棄却も滅亡の要因ではあるが、
国を荒らしたと言う表現には当たらない。
羅憲の異動は人事を専らにしてはいるが、結果論で言えば良かった事だし、
そういうのは陳祗とかもやってるしね。
悪事と言える悪事は、精々劉禅に取り入って私腹を肥やした程度じゃないのかねぇ。
姜維の上表を取り上げなかった事から、軍事に関する見識は皆無だと分かるが、
それ以外の事は分からないね。
姜維と閻宇の交代は、間違っているとも言い切れないが、正しいとも言い切れない。
その数年前なら交代も功を奏したろうが、258年以降の逼迫した状況では、
御し難くはあるが、能力においては飛び抜けている姜維の方が良かったかもしれない。
多分、確実なのは、人に取り入るのが上手かった、という事だけだろうね。
黄皓の存在が諸葛瞻らの馴れ合い政治を生んだ、と考えれば、
それも国家にとっては悪い事だろうけど。
>>68 スケールこそ黄皓の比ではないにせよ、趙高の例を考えなかった?
趙高は自身の地位と権力を守るための政争と謀略に長け、その能力を
十二分に発揮したけど、戦略的な視野と大局的な展望はあまりに乏しく、
結果として国そのものと最後には自身をも破滅させてるでしょ。
宦官ってのを、普通の枠に当てはめて考えること自体が誤りなのかもね。
趙高は考えませんでしたね
でも、黄皓との比較をする例として適しているかなぁ
ただ探していけばそんな困った人は確かにいますか
宦官という言葉に対する偏見が全体的に強い気もしましたが、
とはいえ、黄皓が「三国志に出てきた人物」でなかったら
劉禅に取り入って悪事を働いた馬鹿で済ませていた気もします(笑
陳寿の評価を素直に受け取るのが一番いいんでしょうかね?
うん?
宦官の影響で国政が乱れた例が多いから無条件に宦官=無能みたいに語っていませんか?
なんというか、黄皓は無能という前提で話が進んでいるように感じたので偏見と書きました
私の勘違いであったならば申し訳ありません。
答えになっているでしょうか?
>黄皓は無能という前提で話が進んでいるように感じたので
そもそもここがおかしい
(笑 ←悪いがイライラするからやめてくれ
>>77 いや、そもそもというかここがすべてです
私がコメントを書いているときにそのように感じたということです
改めて読み返してみると冷静なご意見が多く、これは私の勘違いだったかなと
それでごめんなさい、と書いたつもりでした
>(笑 ←悪いがイライラするからやめてくれ
ええ、わかりました
80 :
79:2007/06/06(水) 19:02:50
ああ、76ではとてもそうは読めませんね
改めてごめんなさい
受け答えの未熟さがありありとでており恥ずかしい限りです
揚州の方じゃね?
83 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 18:22:15
>82 ふぅん、そういう奴もいるんだ?
たまに同姓同名だったり字が同じだったりする人いるからなあ
.__,,,,,,、 ,、
[ | r‐―――――――'i、 厂 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`'、、
゙l l,,,,,,,,,--i、 .| | |______、 /
.r‐ー'''''''″ | 冖''''''',! l''''''''''''''''''′ ,l゙ ,l゙
│ ,,,,,,,---┘ | | ,/ ./
―¬''"゙゙l .| __,,,,,,、 ,!'''''''''''''''''′ "''''''''''''''''''''',! ,/` 丿
_,,,,,,,,,-7 ."'"゙゙゙` .| .| | / .く、
|~゛ _,,,,,,,│ ゚'''''''''''''''''| 广''''''''''''''''''″ _/ `'-、
|_,,,,,,,,,,---┐ .〔゙゙^ | | ,,/` ,/'-、 \
| | | |、 ,,,-'"` ,/ `i、 `ヽ
゙l .| │  ̄ ̄ ̄"] ヽ ._/` \ .,,/
│ ゙l `'-,,____,| .゙i、,,/` `ッ"
←ー'"
>>84、お前こそ
.__,,,,,,、 ,、
[ | r‐―――――――'i、 厂 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`'、、
゙l l,,,,,,,,,--i、 .| | |______、 /
.r‐ー'''''''″ | 冖''''''',! l''''''''''''''''''′ ,l゙ ,l゙
│ ,,,,,,,---┘ | | ,/ ./
―¬''"゙゙l .| __,,,,,,、 ,!'''''''''''''''''′ "''''''''''''''''''''',! ,/` 丿
_,,,,,,,,,-7 ."'"゙゙゙` .| .| | / .く、
|~゛ _,,,,,,,│ ゚'''''''''''''''''| 广''''''''''''''''''″ _/ `'-、
|_,,,,,,,,,,---┐ .〔゙゙^ | | ,,/` ,/'-、 \
| | | |、 ,,,-'"` ,/ `i、 `ヽ
゙l .| │  ̄ ̄ ̄"] ヽ ._/` \ .,,/
│ ゙l `'-,,____,| .゙i、,,/` `ッ"
←ー'"
魏延・李厳・姜維で序列をつけるとしたら、どうよ?
諸葛亮=法正>>>>>>>>>>>>>>>魏延=李厳=姜維
そういう不毛な燃料はイラン
87のでいいよ
あんまり反論も浮かばないし
おれも87にはあんまり違和感ない。
細かいこと言っても切りないし。
そもそも、どういう基準で序列をつければいいのか分からん。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/07(木) 23:50:23
「北伐成功したら九錫もらうね」って言った諸葛亮は帝位への野望を隠さない姦臣
蜀なら「欲しいならやるよw」って感じじゃねw
姜維>李厳>魏延
三人とも謀叛や失脚で滅亡したので同類。
姜維は蜀滅亡後の謀叛なので蜀将としては二人より上位。
魏延は蜀将として斬首され息子も処刑されたので李厳より下位。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/08(金) 22:12:41
楊奉や徐晃を劉備が引き入れていたらどうなったかな?
楊奉の騎兵隊だけでなく、誰か将軍も吸収していたなら
まんま曹操と張遼だったな
/⌒ ヽ
/ ^ ω ^ ヽ 魏延はいずれ復活汁!!!..........................その内な.............................
,ノ ヽ、_,,,
/´`''" '"´``Y'""``'j ヽ
{ ,ノ' i| ,. ,、 ,,|,,. 、_/´ ,-,,.;;l
'、 ヾ ,`''-‐‐'''" ̄_{ ,ノi,、;;;ノ
ヽ、, ,.- ,.,'/`''`,,_ ,,/
`''ゞ-‐'" `'ヽ、,,、,、,,r'
,ノ ヾ ,, ''";l
./ ;ヽ .
.l ヽ,, ,/ ;;;l
| ,ヽ,, / ;;;|
| ,' ;;;l l ;;'i, ;|
li / / l `'ヽ, 、;|
l jヾノ ,ノ ヽ l ,i|
l`'''" ヽ `l: `''"`i
.l ,. i,' } li '、 ;;' |
l ; j / _, -― ' ̄ ̄`ー‐-、_
,, .--、,,__,,-' ̄;;"`´ ;; __ __, -―- 、;; ̄`l
, '" ;; ,__ ;;' r ' ´;;; ヽ_ゝ_;;| lヽ, /
/l ;;, -‐Y´| l __ /`'| | | l l;| l ヽ l
/|;;;;ヽ/ .| | |.;;l_,-'l | V | |.l .| .| l i i | ;lヽ|
|;;;|;;;i | /|.| ''.|/ l |;;;| | | | ;| | | ;l l| i ;;;; l | l
あ
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/12(火) 05:36:22
もうちょっと黄皓の経歴とかについて詰めたいものだが、
何も資料とか無いのかな?
答えを知ってて問いかけた どうして私を捨てるのと
意地悪に うんこは小さく呟いて そっと顔を覗かせた
肛門の『さよなら』と動いた唇に 『ありがとう』と口づけて うんこは水辺へ捨てられた
冷たい水の飛沫さえ もう肛門には届かない
遠く見上げた肛門に 叶わぬ願いを押し殺し うんこは崩れて沈みゆく
うんこの流した涙は既に それと判別できなかった
肛門は別れ際の口づけを ためらいがちに拭いさり
ほのかな香りも温もりも 忘れる様にと言い聞かす
最初で最後の口づけの 跡を残した白い紙 それは水面へ舞い落ちた 朽ち果てたうんこを覆い隠す様に
肛門の不器用な優しさに包まれて うんこは静かに目を閉じた
そんな悲しい結末を ちんこは静かに見つめてた
ふぐりの影から人知れず うなだれながら見守った 溢れる気持ちを隠せずに 声を殺して泣いてた
ちんこがずっと秘めていた 募る想いは告げずとも 暖かな涙はうんこに届いてた
すぐに消えゆく温もりに うんこは気付かぬ振りをして これでいいのと微笑んだ
やがて扉は閉ざされて うんこを闇へと連れ去った
灼ける様に冷たく激しい濁流に その身は脆くも崩れさり
うんこは別れを呟いた 届かないと知りながら
肛門は振り返らずに立ち去った 二度と会えぬと知りながら
また一つ うんこが闇へと消え去った もう二度と光の届かぬ世界へと
100 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/17(日) 23:23:17
諸葛亮って同じく徐州出身の張昭や魯粛とは面識なかったの?
/´゙`ヽ、
/ ヽ
,/./ ,...., ;ii、
('/.i ( (,,) i::b
i' i `゙゙´ :「:::b
. | | .丿:::h
. 'i| i /´`ヽ,|::::::h
r' | `゙'- ノ⌒ヽ ハッハッハッハッハ
/´tl i 〈,´゙`ソ/´'' ヽ
i:i 丿i;:::ti| ( `ヽソ/::::::ゝ 'i
. ,i;i、 /´` `i;t:| i`'''ノ/::::λ::;;} |
i;;;;;;i | |ノ::ヽ,,ソノ::::::/´⌒ヾノ
,,..;;-|;;;;;;|-|,,,|-----;;::;;::::::;;;;/ 'λ
(..,,,,________,,..)::´/λ ノミi
| |__,| |____| |;;;;/ノ//)ノノ
|,,,,| | | |,,,.|
┌─‐「][] _,ィ ´ ̄`ヽ、
 ̄ ̄} | _ /:.ゝ-─‐<>
r─' ノ 「Y {´ ̄`ン':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:}{
 ̄ Lハj_, ィ'´⌒⌒ヽ、:.:.:.ィ、ハ
[[] 「} _/∠二ニニニ¬、_ハ:.:.:.ヽヽ',
rー'_ノ //´ 了~~~⌒~`ヽ.弋゙Tl:.:.:.:_j」 l
>>1糞スレたて
{ { { j} }士ぅ'´:.:_〉|
い、__ >、___ __, ィ人 ヽく_:./:.〉ゝ おーめでーとさ━━━━ん!!
ィ ⌒ >'/ い 〉~~〉T~~T< ヽハ 〈_:.く
( _ イ `7 ハ⊥__j_i___〉 ,}イ 〈_/
( _) ハ__厶>ー‐一_7 /´
ゝ ___,ノ /ーY):::ノ ` ̄´厶.、/_
{::::::::/ /⌒ー'::::::}
 ̄´ {:::::::::;: ィ´
103 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 02:09:21
魯粛とは同盟のさいに会った
諸葛亮は徐州の北のはし、魯粛は徐州の南のはしの出身。
洛陽や長安に遊学してたら、同郷として付き合いが始まっただろうけど、
二人ともそれがないので面識をもつ機会がないよね。
赤壁のときは同州ということで親近感はあっただろうね。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/18(月) 04:51:13
この劉備は見たことあるな。なんだっけ。
.__,,,,,,、 ,、
[ | r‐―――――――'i、 厂 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`'、、
゙l l,,,,,,,,,--i、 .| | |______、 /
.r‐ー'''''''″ | 冖''''''',! l''''''''''''''''''′ ,l゙ ,l゙
│ ,,,,,,,---┘ | | ,/ ./
―¬''"゙゙l .| __,,,,,,、 ,!'''''''''''''''''′ "''''''''''''''''''''',! ,/` 丿
_,,,,,,,,,-7 ."'"゙゙゙` .| .| | / .く、
|~゛ _,,,,,,,│ ゚'''''''''''''''''| 广''''''''''''''''''″ _/ `'-、
|_,,,,,,,,,,---┐ .〔゙゙^ | | ,,/` ,/'-、 \
| | | |、 ,,,-'"` ,/ `i、 `ヽ
゙l .| │  ̄ ̄ ̄"] ヽ ._/` \ .,,/
│ ゙l `'-,,____,| .゙i、,,/` `ッ"
←ー'"
夢蜀【むしょく】
三国時代の蜀の後主、劉禅は後世に於いて無能な君主として描写されることが多い。
しかし、そうではないことを示す逸話をここに紹介する
魏に降伏した後、劉禅は蜀を懐かしむ素振りも示さず、酒宴に明け暮れる日々をすごしていた
かつて蜀の臣だった人々はこれを観て甚く悲しんだ
幼少の頃より劉禅の身の回りの世話をしていた宦官の邇杜という者が居た
邇杜は宦官にしては気性が激しく、正邪を弁えた人間だいう評判だったが
ある日、いつものように楽しそうに宮女の舞を見ていた劉禅を見かねた邇杜
「殿は蜀が恋しくないのですか」と言った
劉禅は聞こえない振りをした
すると邇杜は宮女を押しのけ、劉禅の目の前まで進み出て大声で怒鳴った
「あなたにとって蜀はなんなのですか!」
劉禅は目を逸らし、やはり何も答えなかった
ついに邇杜は劉禅の胸倉を掴み、涙をながして言うに
「あなたは毎日何もせず、踊りを見て酒を飲むばかり。一体何を考えてらっしゃるのか」
邇杜に向き直った劉禅の目には涙が浮かんでいた
そして彼は一言だけ、こう言ったという
「夢蜀。」と
「私は蜀の夢を見ない夜は一度たりとも無かった。」
劉禅の気持ちを察した邇杜は大いに恥じたという
この逸話はしかし劉禅が蜀を再興しようという野心があると思われる危険があったため、公には伝わっていない。
これ以降、日ごろ何もしていないが心の中に大志を抱くものを「夢蜀」と呼ぶようになった
最近では後半の意味が忘れられ、ただ単に何もしない人間をさすようになり、いまの「無職」になったという
『消された歴史・隠された真実』 李安庸
諸葛亮って撃剣やってなかったのかな
r '"  ̄ ̄ ' ヽ、
r'" ,, ,,,、''' '";'' ヽ
ノ ,r i ヽ
八戸のぶながを受け入れなさい! l' l l
.l -ー'',,,_ L i_j,ry-、 l
},,-_::j,,、_,、__,,r-' ";'/,'ヽl,i
,r,'-ーyj~ 、rッ',|!~ ::,;_;,;;r'};' |,l
r^i ヽ |`',j^ヽ、_`_jl ,;::::::;;, /'/{
| `',i `r-'i 、, ;;'',,: ';;r-'^}--、
r-、_,,,_ l ;;;l ヽヽ '":ヘ、;;;;;:: ,;;';, /`く/ \_
rt^`'.  ̄"ー' :;;l, i, ,_、--r、, ::;i;; i;''/ / / ` 、
`'r 、,"_`ー- r ,. L __ ヽ、- ,;j;;i ,r"/ / j'"-ー''" ヽ,
`ヽ、'' ` ' ヽ_ `ヽ | ̄ヽ'ー-, `7|~'rー'" / r'"〈,_ ヽ \
`ヽ,_`- | | j`__'rー-、,ヘ/_,l/__,/r-"-ー l |
 ̄"''ーt_,/ l
l /_, |
`ー rl
レ__
民明書房には無いので実在じゃないか?
115 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/22(金) 03:37:18
諸葛亮は詩作やらはやらなかったのかな?
頭のキレと詩作の才能は別のようだな。
司馬仲達も詩文のようなものを時代遅れの型で作ってたが、文学的には平均以下のうんこもいいところだった。古代中国は後世への名を
異常に気にするので、諸葛亮クラスだと確実に後世に作品が残る。
うかつなものは残さないのが賢明。
でもガチガチの武官が頭をひねりながらたまには慣れぬ事でもしてみようと作った習作を
その人物を嫌いな後世の人間がほれ見た事かと批判の材料にしているなら可哀想だと思うわ
>>115 諸葛亮関連で残ってる詩といえば梁父吟くらいだな
当時の流行歌だったらしいが諸葛亮作だという説もあるそうだ
>>117 いや別に司馬が嫌いという訳じゃないよ。詩文に優れても
暗君、素行不良、実務能力なしなんて多いし。詩作に才能があると過大
評価ぎみにはなるみたいだけど。実務能力があるのかどうか皆最後まで
結局わからなかったがその名声でそこそこ出世しましたみたいな記述とかw
司馬は、"詩文なんぞ所詮天下を語るに足らんわ"とかそういう武骨さを
感じるな。 司馬は曹操の能力は評価しても、畏敬とかはなく、
出自への侮り、嫌悪、価値観の違い 政治に情緒を持ち込む感覚
司馬の詩の印象からも曹操とは全く違う男なんだなと感じる。
>118 そういや出師表は詩文だと言えなくも無い気がする
>119 >詩文に優れても暗君
孫皓の事かー!
>詩文なんぞ所詮天下を語るに足らんわ
曹植もそんな事言っていたらしいな。
そんで逆に政治より詩作のが尊いとか言ってたのが曹丕とか。
r '"  ̄ ̄ ' ヽ、
r'" ,, ,,,、''' '";'' ヽ
ノ ,r i ヽ
八戸のぶながを受け入れなさい! l' l l
.l -ー'',,,_ L i_j,ry-、 l
},,-_::j,,、_,、__,,r-' ";'/,'ヽl,i
,r,'-ーyj~ 、rッ',|!~ ::,;_;,;;r'};' |,l
r^i ヽ |`',j^ヽ、_`_jl ,;::::::;;, /'/{
| `',i `r-'i 、, ;;'',,: ';;r-'^}--、
r-、_,,,_ l ;;;l ヽヽ '":ヘ、;;;;;:: ,;;';, /`く/ \_
rt^`'.  ̄"ー' :;;l, i, ,_、--r、, ::;i;; i;''/ / / ` 、
`'r 、,"_`ー- r ,. L __ ヽ、- ,;j;;i ,r"/ / j'"-ー''" ヽ,
`ヽ、'' ` ' ヽ_ `ヽ | ̄ヽ'ー-, `7|~'rー'" / r'"〈,_ ヽ \
`ヽ,_`- | | j`__'rー-、,ヘ/_,l/__,/r-"-ー l |
 ̄"''ーt_,/ l
l /_, |
`ー rl
レ__
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/26(火) 15:39:18
図書館で蜀書ばかりいっつも貸し出し中。
いい加減にしなさい
いっそのこと買ってしまえ。
ごめん、それ多分俺だ
福岡の学校だろ?
ピッコロニッコロってなんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ちょwwwwwおまwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
盛大な誤爆w
128 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/06/28(木) 17:34:58
まあ良スレ
131 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 01:11:19
廖化と張翼なら廖化のが軍才は上か
史書の記述だけだと、優劣をつけるには判断材料が少ないと思う。
演義の二人はよく知らんけど。
げっぷ
張翼は結構活躍してたような
135 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/07/11(水) 21:01:45
張翼はかつやくしているでしょ
廖化の軍功
・夷陵の戦いにおいて一軍を指揮する
・守善羌侯宕蕈の陣を攻撃、救援に来た王贇、游奕を、敵の分散に乗じて撃破。
・成重山において郭淮に包囲されるが、姜維によって救出される。
・白水でケ艾に対する牽制を任じられるが果たせず。
・魏の討蜀戦役において、姜維を救いに赴く。
陰平で合流した後、姜維らと共に剣閣に籠もり、鍾会の軍勢を防ぐ。
張翼の軍功
・ライ降都督として南中の鎮撫に当たり、劉冑の反乱に対処するが、
討伐しきらぬ内に召還される。
・魏の討蜀戦役において、董厥と共に関城の救援に当たるが間に合わず。
漢寿で姜維らと合流し、剣閣に籠もり鍾会の軍勢を防ぐ。
・姜維と不仲になったが、能力を認められていた為、常に従軍を要請された。
両者共通
・姜維の指揮のもと、徐質撃破、王経撃破などに尽力
廖化の方が功績は多いが、その分失敗も散見されるな。
どっちのが上なんだろ?
少なくとも官位は同等だった。
張翼が左車騎将軍、廖化が右車騎将軍。
姜維の時に別働隊として用いられた所を見ると、戦略的判断力に関しては、
張翼よりも廖化の方が姜維に評価されていたのかもしれない。
張翼の方は、五丈原の時に前軍都督となっており、
魏延らと共に前衛を任されているので、戦術手腕は評価されてるっぽい。
張翼の方が消極的だったから
多少は冷遇されていたかもな。
あの状況では消極論の方が正解かな?
まぁ、地盤という条件の差もあるけど。
>>140 張翼と姜維の仲がギクシャクしだしたのは、255年以降だからねぇ。
その頃には別働隊を用いる事がなくなってるし、消極的だったから、って事もないと思う。
張翼は慎重すぎる所があるから、別働隊を任せると、最初の命令に固執したりとかして、
柔軟な運用が出来ない、と踏んだのかもしれない。
結果を見ると、廖化も似たようなもんだけど。
董宗もそうだし
董宗?
>>141 張翼は野戦指揮官としての経験が単純に少ないんじゃないか?
郭睦、・晏、陳鳳、ケ輔、ケ凱、樊友、文布……
219年の呉の侵攻の際に撃ち破られたり、逃げ出したりした方々。
>>144 諸葛亮が死ぬまでは、どっちも似たり寄ったりだと思うけどね。
ただ、夷陵の激戦を経験して生き残ってる廖化の方が、もしかしたら上かもしれない。
単に記録がないだけで経験がないとは言いきれないような…。
廖化は荊州閥、張翼は益州人。ここになんかヒントがあるかもね。
>>147 そうは言っても、記録されてないものをあったとする事はできないからねぇ。
推測に拠るにしても、それの蓋然性が高くないと難しいしね。
李厳罷免の上表にある上官雝って姜維と一緒に降った上官子脩?
上官氏は漢の時代に移されて以降、隴西上邽にいたから、
姜維らが降る以前から蜀漢にいたとも思えないし、
上官子脩の子にしては、出世し過ぎているようにも思えるので、
同一人物かもしれない。
ただ同一人物としても、同時期に降った中では突出して評価された姜維に次ぐというのは、
出世し過ぎじゃないかと思うけど。
信憑性はともかく、新唐書の宰相世系の上官氏の所に、
上官勝なる人物が蜀の太尉となった事が記されているので、
上官雝(子脩?)は有能だったのかもしれない。
ただ、太尉にまでなったんだったら、確実に蜀書に記載されてると思うんだよね。
よく分からんね。
三公や九卿くらいになるとあんまり能力は関係なくなってくるよ。
たいていは家柄で決まる。あとは人望があるかないかかな。
能力あるやつは尚書あたりに進むね。
でも上官勝が太尉に上るというのは、その父だか祖父だか知らんが、
とにかくも蜀の政権に参画する事になった最初の上官氏が、
政権中枢に食い込むほど出世しないと無理だと思う。
上官氏は圧倒的な家柄というわけではなし。
だから、上官雝辺りが認められて出世する必要があるかと。
仮に太尉となったという新唐書宰相世系表の記述が本当だとすると、
当時蜀のトップだった姜維によって引き立てられた可能性はあるかもね。
恐らく同郷だったろうし。
姜維伝に姜維と一緒に降った梁緒、梁虔、尹賞がどこまで昇ったのかという記述はあるんだよね。
231年の時点で姜維と並ぶくらいに評価されていて、その血族が太尉にまで昇ってるのであれば、
上官子脩がどうなったかも梁緒らと一緒に記述されていてもよさそうなもんだけどね。
上官雝と上官子脩は関係ないのかなあ……
上官雝の方は、第一次北伐以前に蜀に入ったのかもしれないしね。
そもそも、太尉ほどの職に就いた人物の名が残ってないというのもおかしいが、
甘皇后伝の諸葛亮の上表に太尉の存在が見えるのに、その名すら挙がっておらず、
以後も太尉になった人物が記述に見えない事を考えると、さほど気にする事じゃないのかもしれない。
或いは、上官雝と上官子脩に関係はやはりなく、諸葛亮の上表にある太尉が上官勝で、
上官雝はその子だったりとかね。結局妄想にしかならんけど。
太尉に上ったっていう新唐書の記述を無視すれば、同一人物でもおかしくはないんだけどねぇ。
>>145 これしか記載がないからそれまでなにしてたかわかんないよね。
もしかしたら幽州からとか徐州からの古い臣かもしれないし。
>>156 ケ凱・文布は秭帰の豪族。
その他の面子も地元もしく北荊州の豪族や名士階級と思われる。
樊友って樊胄と同一人物じゃないかな?
159 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/14(火) 11:35:14
文布ね、、。もうちょっと情報ないかな。
廖化て本当に1人だったんかね?
実は2人いるとかじゃないと年表がすごいことになるんだが
いや、三人いた。
黒い三連星と恐れられていたようだ。
>>160 正史では荊州で前将軍関羽の主簿となったのが初出だから、219年以降の登場だし、
蜀が滅ぶ少し前に70過ぎだった事も書いてある。
演義においても初登場は関羽の五関突破のくだりで、黄巾の残党とは言え、
「少年」と表現されてるから、184年に黄巾の乱に参加した輩ではない事が窺える。
正史なら蜀滅亡時に70代だし、演義だろうと80を大きくは越えない。
「2人じゃないと不自然」なんて事はないと思うよ。
演技の80超えてなお前線で戦うのはあり得ないけどなw
>>163 正史でも蜀滅亡時には75歳前後で、成都から出陣して前線で戦ってるんですけど……?
80近くになっても荊南〜交州で戦い続けた呂岱みたいなのもいるからあり得なくはない
戦うといっても、無双みたいに一人で突っ込んで
暴れるわけじゃないしな。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/16(木) 12:43:17
年寄りが陣中に残って壮絶に戦死したって例は無くも無い。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/16(木) 15:32:47
戦国には92歳で戦死した奴もいるしな
俺は絶対に白ネギ派
青ネギは邪道だぜ
ていうか
>>160は年表作ってないだろ。
本当に作ってたら、そんなに無理ってほどでもないことは一目瞭然のはず。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/08/30(木) 22:21:04
あげよと思ったのにあがってないね。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/04(火) 06:47:09
上げとくか。
>>162 曹操が討伐した青州黄巾のメンバーだったとしても無理か?
177 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/15(土) 15:14:11
廖化は謎すぎるな…
また廖化で謎とか言う子が来たわけ?
>>176の言いたい事が分からん。無理って何がだ?
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/09/18(火) 11:53:35
演義だかで孫権にケ芝が儒者だと自負する場面があるそうですが
実際のケ芝は儒者だったのでしょうか?
>>178 書き込めないよう
どうしよう
どうしたらいいの?
>>182 大丈夫、大丈夫。呂布騎乗の赤兎馬にはね飛ばされるだけだから。
審配なら君の考える蜀最強の武将の名前でもここに書いとけ。
向寵
>>181 ケ芝は剛直で、士人、同僚とは上手くやっていけなかった。
ただ、伯約に対してだけはその才能を高く評価していたという。
ことさら倹約もしないが私財を貯めることもせず、妻子は飢えと寒さを免れなかった、ともある。
>>186 でも、部下からの信頼は絶大だったみたいね。
浣腸
倹約=私財を貯める
ではないだろ。
死罪を貯める
ウィキペディア見たら、『演義』の廖化は黄巾の乱から登場なんて書いてる。
登場しねーよ。どの版本だよ。
>>192 とりあえず「要出典」を入れといた。消しちゃってもいいかも知れんけど。
デア・リヒター最強
196 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/05(金) 11:40:25
蜀の人達で心休まる時のある人生を過ごせた人ってどれぐらいいるんだろう
取りあえず阿斗さんは安楽に過ごせたような
阿斗さんは家臣に傀儡にされようと国が滅びようと司馬昭に試されようと全く動じる事の無い、
人とは思えない規格外の大器が魅力。
そう言われると確かにすごく思えてくるな。
それで俺が思い出したのが昭和天皇なんだが、結構共通点があるかも知れん。
んじゃ、姜維が東条英機で、司馬昭がマッカーサーか。違和感ないな。
昭和天皇は単なる傀儡でもないだろ。
政府そのものが傀儡って感があるなぁ。
いや俺が思ったのはさ、劉禅って案外ぼんくらでもなかったんじゃないのってことなんだ。
昭和天皇って外人の目で遠くから見たらただのぼんくら君主にしか見えないはずなんだよ。
でもよく調べたらそんな単純な人ではなくて、一般人には想像もできないような複雑な思索をしていた方でしょ。
それと同じように、実は劉禅も俺らが思ってる以上に信念と哲学を持っていたかも知れない。
劉禅独白録とか黄皓メモとか出てこないかな。
そうかもしれないが
歴史=結果だからな
某ゲームほど能力低くはないだろうけどw
デア・リヒター最強
>>201 なるほど。
酒と女に溺れて政治を混乱させたのも、
早く降伏して長きに渡る愚劣な戦乱に終止符を打ち、
人民に平和と豊かさを享受させようとしたのか。
降伏はいかなる場合も苦渋の決断ってカイ越どんが言ってたよ
>>205 そうは言うがな、カイ越どん。
劉備は笑顔で呂布に降伏し、曹操の下に転がり込んだんだぜ。
207 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/09(火) 19:57:05
蜀においての宦官っていつ頃から任用されるようになったんだろ?
何か黄皓だけが突然現れたって印象だ
209 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/09(火) 22:34:33
国家が全ての力を戦乱へふりしぼる、恐怖の狂気国家
八戸のぶながが蜀へ亡命したいそうです
211 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/11(木) 03:50:26
大望の為の偽りの降伏と保身の為の降伏じゃ悩む意味が違いすぐる
212 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/11(木) 18:01:11
姜維の最後っ屁の事か
213 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/11(木) 19:33:13
姜維たんLOVE
214 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/11(木) 23:54:22
>>212 あれは大望というよりも自己満足のような気がするが
やはり、蜀のライバルは魏しかあり得ないな
/⌒ヽ⌒ヽ
/ Y ヽ たくさんのしめじ
/⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ
/ Y ヽ ( __//. ヽ, , ) /⌒ヽ⌒ヽ
/ 八 ヽ | i し 八 .| / Y ヽ
( __//. ヽ, , ). |ノ ( .八 .〉 / 八 ヽ
| i し 八 .|. ( '~ヽ 八 |/⌒ヽ⌒ヽ__//. ヽ, , )/⌒ヽ⌒ヽ
|ノ ( .八 .〉. | / Y ヽ し 八 .|/ Y |
( '~ヽ 八 | /⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ ( .八 .〉 八 | /⌒ヽ⌒ヽ
| | ./ Y ヽ .( __//. ヽ, , )ヽ 八 |__//. ヽ, , )/ Y /
| |/ 八 ヽ .| i し 八 .| |し ノヘ // 八 /
/⌒ヽ⌒ヽ ( __//. ヽ, , ) |ノ ( .八 /⌒ヽ⌒ヽ |( ノヘ /( __//. ヽ, )
| Y ヽ | i し 八 .| ( '~ヽ 八/ Y ヽ | ノヘ // / /
| 八 ヽ |ノ ( .八 /⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ| / / /
( __//. ヽ, , ) .( '~ヽ 八/ Y ヽ ( __//. ヽ, , )| / / /
ヽ i し ゝヽ ヽ/⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ | i し 八 .| | / /
ヽ( ( ゝ / Y ヽ( __//. ヽ, , ) |ノ ( .八 .〉| / ./
\'~ヽ/ 八 ヽ .,|ヽ,ヽヽ,-|ヽ,ヽヽ ( '~ヽ 八 |//
ヽ( __//. ヽ, , ) /(\`")ノi (\`")ノ ヽi// /
ヾ\\ヾ ゝ "-" ゝ "-" ,,,,;;::'''''ヽ/
218 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/12(金) 13:33:44
姜維の将才ってどうなんですかね。
最高軍権所有者にしてはちょっとお粗末ではないかと
上司に恵まれている間は目覚しい活躍ができるが、
いざ自分が上司の立場になるとうまく運べなかった…て感じ?
役職が上になればなるほど、純粋な軍事だけでなく政治的配慮ってのが必要になってくるからねぇ…
例えば王経を破った後早々に引き上げて「我ら蜀軍の大勝だ!!」と内外に喧伝すれば、
外的には魏軍の面子は潰れ蜀軍の威は轟き、内的には姜維の立場が強化され意見を具申した張翼の面子も立った。
純軍事的効率だけを追い求めると結局は非効率的になることも多い。
そういった意味では一機構のトップとして欠けるところがあるのかもしれないが、
正攻法では土台無理な地力の差を考えるとそういったアプローチもありかな〜とも思う。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/12(金) 19:37:54
狭義の将領としては相当優秀でしょうね。もしかしたら、250年頃の将領としたらトップクラスかもしれない。
ただ、
>>220氏の言うとおりで、戦争は政治の延長、あるいは手段と言う常識的な見方からすると限界があるでしょう。
そういう観点からすれば評価は出来ない人物でしょう。
蜀という弱小地方政権ならなおさらね。
しかしそういった配慮を完璧にこなし、国を挙げて効率化をはかり、
リスクとリターンを天秤にかけつつ、最も分の良さそうな手段をとり続けた諸葛亮でさえ一歩も前進できなかったんだから、
チャンスと見れば細かい部分に目を瞑り、自身の最も得意とする決戦で一か八かってのは…
まさに亡国の将軍が考える過ちです、本当にありがとうございました。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/13(土) 13:04:54
郭淮やケ艾に負けた印象が強くて、単なる猪武者だとばかり思ってた。
すまぬ伯約
225 :
伯約:2007/10/14(日) 01:57:51
グリーンだお!
/⌒ヽ⌒ヽ
/ Y ヽ 蜀を支えた英雄たち
/⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ
/ Y ヽ ( __//. ヽ, , ) /⌒ヽ⌒ヽ
/ 八 ヽ | i し 八 .| / Y ヽ
( __//. ヽ, , ). |ノ ( .八 .〉 / 八 ヽ
| i し 八 .|. ( '~ヽ 八 |/⌒ヽ⌒ヽ__//. ヽ, , )/⌒ヽ⌒ヽ
|ノ ( .八 .〉. | / Y ヽ し 八 .|/ Y |
( '~ヽ 八 | /⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ ( .八 .〉 八 | /⌒ヽ⌒ヽ
| | ./ Y ヽ .( __//. ヽ, , )ヽ 八 |__//. ヽ, , )/ Y /
| |/ 八 ヽ .| i し 八 .| |し ノヘ // 八 /
/⌒ヽ⌒ヽ ( __//. ヽ, , ) |ノ ( .八 /⌒ヽ⌒ヽ |( ノヘ /( __//. ヽ, )
| Y ヽ | i し 八 .| ( '~ヽ 八/ Y ヽ | ノヘ // / /
| 八 ヽ |ノ ( .八 /⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ| / / /
( __//. ヽ, , ) .( '~ヽ 八/ Y ヽ ( __//. ヽ, , )| / / /
ヽ i し ゝヽ ヽ/⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ | i し 八 .| | / /
ヽ( ( ゝ / Y ヽ( __//. ヽ, , ) |ノ ( .八 .〉| / ./
\'~ヽ/ 八 ヽ .,|ヽ,ヽヽ,-|ヽ,ヽヽ ( '~ヽ 八 |//
ヽ( __//. ヽ, , ) /(\`")ノi (\`")ノ ヽi// /
ヾ\\ヾ ゝ "-" ゝ "-" ,,,,;;::'''''ヽ/
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/20(土) 02:37:10
あまり
229 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/24(水) 21:46:01
うほ
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/27(土) 13:14:11
費禕→董允→諸葛瞻と
どんどん内政トップがパワーダウン
部下が優秀だとトップはラクなはずなのですが
末期の蜀トップは大変だったのでしょうね
>>231 > 費禕→董允→諸葛瞻
何?その事実誤認もはなはだしい順番はw
合ってるよな?
>>233 合ってねえよ。
そもそも内政トップって何基準だ?
231の考える内政トップの基準は知らんが、
尚書省の上層に入った順番としては別におかしくないよ。
んじゃ232の考える正しい順番ってのは、どれ?
1.費イ→諸葛瞻→董允
2.董允→費イ→諸葛瞻
3.董允→諸葛瞻→費イ
4.諸葛瞻→費イ→董允
5.諸葛瞻→董允→費イ
あいだに誰それが入ってるとか誰それは内政トップじゃないとか言わんでね。
232は「順番」が誤認だと言うから、正しい順番を聞いてる。
事実誤認だと主張するなら、そもそも自分が事実を提示すべきなんじゃないの。
>>235 費禕より先に死に常に下位にあった董允が入ってる時点で順番も糞もなく、命題が成立しえない。
意味のない事を求められても困る。
強いて言えば費禕→姜維で、実質的に姜維と陳祗→諸葛瞻が並列と言ったところ。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/27(土) 18:56:11
後漢代の四川省に製鉄所、「蜀」建国の理由に迫る発見か
中国・四川省の古石山(こせきさん)遺跡で、愛媛大学東アジア古代鉄文化研究センターと
成都市文物考古研究所などの日中調査隊が、後漢代(1世紀ごろ)の製鉄遺跡を発見した。
中国の中心部である中原(ちゅうげん)以外で、漢代の製鉄跡が見つかったのは初めてで、
221年に劉備が、この地域に三国時代の「蜀(しょく)」を建国した理由を解明する上でも
重要な発見として注目される。同大で27日午後に報告される。
秦の始皇帝(在位・紀元前221〜210年)が現在の四川省に鉄生産の役所を置いたとの
記録があることから、調査隊は同省内で昨年から発掘調査を行ってきた。その結果、
今年6月に、成都市蒲江(ほこう)県の古石山遺跡から、高さ1・5メートル、幅最大1メートルの
レンガ造りの製鉄炉の跡が出土した。炉は4メートルほどの高さがあったと推定され、
日本では幕末から明治にかけての製鉄炉と同じ規模という。
調査に携わった村上恭通・愛媛大教授(考古学)は「諸葛孔明や劉備たちは
山間部の蜀に追い込まれたというよりも、鉄を得るために
積極的に入っていた可能性がある」と推測している。
(2007年10月27日14時32分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20071027i506.htm?from=main5 http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1193473859/l50
順番も糞もなく、って結局順番の問題じゃねえじゃんかよ。
命題が成り立たないから無意味な問いだってんなら、
そもそもそんな問いを招くような不用意な発言をしなきゃいいんだよ。
呂ガイの事もたまには思い出してあげて下さい…
240 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/10/28(日) 10:23:25
譙周の事もたまには思い出してあげて下さい…
楊戯の事もたまには思い出してあげて下さい…
尚書令となった呂乂は良いとして、譙周も楊戯も上の話とは関係ないだろ。
そもそもどう見ても費イの死後は官職上は姜維だが、実質では陳祗以外にありえないのは正史を読めば明白だと思われるが。
実質ってなんの?
実際の成都における力関係(決定権)じゃない?
>243
いやその認識は可笑しい
陳祗に諡号が送られたことをどう解釈する?
費イ没時の陳祗への評価は陳祗が死んで諡号された時の評価と同じではないだろう?
258年時点の評価を253年時点に溯らせて陳祗と姜維の力関係に適用するのは不味いだろ
途中で送信してしまった
陳祗が尚書令に就任したのは呂乂の後、恐らく251年夏費イが成都に戻って大赦したころだろう
費イの死が253年正月だから陳祗は尚書令として1年半しか務めて無い
それを考えた上で陳祗と姜維の力関係を見てみないといかんだろ
250 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/17(土) 14:40:46
ちょっと流れに逆らいますが
郭淮に対抗できていた人材って どれ位いますか?
諸葛亮ぐらいじゃないの。
郭淮に対抗って…郭淮が魏軍率いて蜀に侵攻した事ってあるっけや?
>>252 あるよ。
郭淮の対蜀将
・219年、劉備の漢中平定戦において病気療養中であったが、敗戦の軍をまとめて劉備のそれ以上の侵攻を食い止めた。。
・228年、諸葛亮の第一次北伐において列柳城の高翔を撃破。
・229年、陳式の陰平・武都平定戦においてそれを阻止しようとしたが、諸葛亮の牽制で軍を引き返す。
・230年、陽谿で費曜と共に蜀将魏延と会戦するが撃ち破られる。
・231年、上邽で費曜と共に諸葛亮を迎え撃つが撃ち破られた。
・238年、廖化が守善羌侯宕蕈の陣営を攻撃してきた際、将を派遣して防ごうとしたが郭淮の策が拙く撃ち破られた。
・240年、隴西に軍を進めた姜維を防ぐ。
・244年、曹爽の征蜀に先鋒として参加したが、形勢不利と判断し撤退した。
・247年、姜維の侵攻を防ぐ。
・248年、同上。
・249年、同上。
・253年、同上。
252の条件に当てはまるのは、244年だけだね。
廖化>姜維 になるのか
>>253 thx。廖化って何気に歴戦の勇将だのぅ。
>>255 勝敗だけで、それも、戦略レベルも戦術レベルも分けないままで考えても、あまり意味は無いよ。
曹爽の軍を防いだのは王平か
魏延、王平はよく戦ってるよね
張コウ、カクワイと比較してもそんなに差はないと思う
蜀には王平、魏延の業を継ぐものがなかったが、
魏は張コウ、カクワイ程の勇士を四方に並べる事ができた。嗚呼。
田豫に見限られなければなぁ
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/19(月) 01:14:55
陳群も確保できていればな。子はかの陳泰だし
柳隠、張巍、羅憲らは局地戦限定かな
>>261 自分の地盤から離れてまで普通は付いてこない。
麋竺が異常なだけ。
蜀の満田牽郭は王平・馬忠・トウ芝かな
あのタイミングで存在していなきゃいけなかったトウ芝はともかく、
張巍が名家の生まれで、馬忠がもう少し生まれるの遅かったらなぁ
廖化や張翼も健闘しただろう。
何かジジイばっかだな
将が皆老衰してしまった…
>>265 高官に爺が多いのはある意味当たり前。
名前の残ってる中では漢城の蔣斌、江州の羅憲、庲降の霍弋なんかはそれなりに若いんじゃない?
戦死した傅僉は父傅肜が死んだ時に何歳だったかわからないが50前後?
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/20(火) 06:15:02
>267
蔣斌なんかは、親父の生年が180年代前半〜半ばとして210前後かな。
とすれば50代前半〜半ばくらいか。階級もたかいからそんなもんかも。
霍弋もそんなもんだろうね。父親は217年頃に40代で死んでるし。
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/20(火) 13:50:48
右大将軍の閻宇だって50代半ばだぞ(推測)。
>陳群も確保できていればな。子はかの陳泰だし
陳泰の母は荀ケの娘なんだが、仮に劉備に付き従い続けたとして
同様の通婚関係を築いて陳泰が生まれると言い切れるのか?
ゲームじゃないだろうに
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/20(火) 16:08:07
同じ人物が生まれようが育成環境が違えば別の人格になるのが当たり前
でも、三戦では血筋が絶対で、人格も能力も環境には左右されないというチョンみたいな思考が一般的です
周瑜の息子(´・ω・`)
>>261 あれは別に見限られたわけじゃないだろ、
親孝行は向こうじゃ、もっとも大切とされる行為のひとつ。
理由があれば親が子供を殺すのは可だが、
その逆はいかなる理由があっても不可ってのが大陸の価値観、。
向こうじゃ姥捨て山ってのは理解できない最低の思考であるが、
貴人、恩人に自分の子、殺して出すのは、美談になっていた時期もある。
俺は上は理解できるし、仕方ないと思うが(子供や若者が死ぬより、年寄りが死んだほうがいいしな)
下はさっぱり理解できん、
陳羣も地元の名士だしなあ。
地元離れてまで付いてこないだろう。
それが例え劉備じゃなくても。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/20(火) 22:11:29
>270 つまりは曹操の元へ行かなければ魏に陳泰が産まれていないので助かりますよね。
いえそれだけで戦局が激変はしないでしょうが
魏に陳羣が居なかったら…か。
陳羣が東西の曹掾を統括していなかったら、
曹丕は果たして史実どおりに円滑な形で魏王の位を継承できたかなぁ。
陳グンがいないのは大きいぞ。
劉備は彼の言うことを素直に聞いて、ビ竺を篭絡した人徳ビームで拉致っとけば、
魏の制度設計にまで大きな違いが出てくる。
将軍の一人二人なんてどうでもいい。
陳グン、田ヨ、ジュンイクを引きとめ
呂布の命乞いを聞き届け高順、張遼、陳宮もゲット
徐庶は去らず
ホウトウ、法正は早死にしない
張任、文ペイは降伏
馬超にホウ徳が同行
このくらいうまくいけば人材面は十分 内紛確実だが
籠るのが蜀なら結果は変わらない。
>>278 劉備存命の間なら、上手く収めるとおもうけどね。
まあ、劉備が死んだら、反乱おこりまくり、
人格的にもアレな人材ばかりなので、家臣と対立しそうだ。
>>279 これだけの面子なら、速やかに刑州をのっとれるだろ。
荊州人士と上手く渡りを付けられる人間が荊州を納められるかどうか、が全てだなぁ。
それでも漢中取った後の展望は全く分からんが。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/11/22(木) 17:03:13
>>273 経験も能力もある人材を確保しておく方が大事だという理屈はわかります。
若造を使えるようにするには、手間がかかるしね。
馬超や姜維は肉親を見捨てたと罵られていて
逆に徐庶は親元へ向かい王異は実子を犠牲にした。
どうもこのあたりは史家の恣意的なものを感じなくもないな。
>>281 そのあたりは、のっとり屋劉備の仕事っすよ、
劉巴以外は、人徳ビームで篭絡っす。
ヤクザの親分みたいな人間で、あまり人の話聞かないのに、
なぜか人に好かれる変わり者だから大丈夫っす。
まあ益州とるために、離れたらやばいことになりそうだけど。
関羽じゃ修められん。
劉封がもし処刑されずに生き続けたら面白いなあ。
元々勇将だったし、将器もあった。
だから若くして死ななかったら、魏蜀との攻防に活躍しまくってたんじゃなかろうか。
>>278
呂布がいる時点で終わっとるw
後はまあなんとかまとめられそうだが
こんだけいれば荊州と漢中、益州に贅沢に人材配置できるなあ
むしろお家騒動の元になってただけだろ。
>>285 贅沢に人材配置するだけじゃどうにもならん。
それすらできず、関羽一人荊州置いて大失敗するよりましじゃね?
まあifだしな
ifにしても荀ケを引き止めるってのは何時の話なんだ?
ズイ寧ってどういう人なの?
>>288 関羽一人だけ荊州に置いてって……
お前、何を言ってるんだ?
ちなみに孔明を荊州に留めておいたとして、だ。
諸葛兄弟が呉蜀で粛清される可能性って0なんじゃろうか?
孫権と劉備は信頼していたみたいだが、臣の中からは内通を疑われてたみたいだよな。
決定的な証拠もなく迂闊な事言えば、劉備親子の機嫌損ねて首が飛ぶだけ
そっちか。
どっちにしても寥立とホウヨウは消えそうだな。
孫権は性格悪いくせに何故か驢馬は好きなので、こっちもないな
晩年で耄碌してると分からないが
驢馬さんは君主の逆鱗に触れずに上手く説得できる稀有な論客でもあるしな。
組織の潤滑油ですよ。
>>292 兵法にも通じているマルチな人だけど、
基本的に事務屋だから、益州落としたら、そっちに移るでしょ、
ホウトウが健在でもさ。
劉備の下で国家の骨組みを作らなければならない。
その場合最前線になる刑州にはホウトウが移るかもしれん。
彼は呉にも知己が多いし、上手くやるかもしれん。
さて、そうすると今度は諸葛亮とホウ統が上手くやってけるか…だな。
>>288 荊州の中心で関羽が「誰もいないよ」と寂しがる
301 :
無名武将@お腹せっぷく:
新バイオレンスジャックの新蜀軍については語っても良いですか?