蜀将討議スレッド8

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1無名武将@お腹せっぷく
蜀の人物の戦争における実力功績を討議するスレ。
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。

<前スレ>
蜀将討議スレッド7
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1090156694/

<過去スレ>
蜀でNO.1の名将は誰か?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085319730/
蜀将討議スレッド2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086111941/
蜀将討議スレッド3
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086376565/
蜀将討議スレッド4
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086984613/
蜀将討議スレッド5
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1088188865/
蜀将討議スレッド6
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089022105/

姉妹スレ及び暫定順位は>>2-5辺り
<姉妹スレ>
蜀で孔明に次ぐNO.2の参謀は誰か?2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085741405/
劉備は本当に英雄なのか?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083494337/
「関羽討伐について…」のまとめ二考
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1083844807/
魏の名将・良将を語るスレ 其の三
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1089982929/
呉の名将ベスト10を決めよう
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1085994293/
魏呉蜀黄巾以外の名将ベスト10を決めるスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1086309791/
■■■名将定義ランク 将才、名声、国への貢献度■■■
  1位 劉備
  2位 諸葛亮
  3位 関羽
  4位 魏延
  5位 姜維
  6位 張飛
  7位 王平
  8位 黄忠
  9位 張ギョク  
  10位 趙雲
ついに暫定順位でますた!!!!!!!
これ以上はループです。以後能力基準にうつりましょう。











趙雲が何をもって10位なのかいまいちわからん。
趙雲別伝の超人趙雲?
趙雲は趙雲ファンがいい人おおかったので(チョット気持ち悪かったが)
趙雲ファンに免じてお情けで10位にはいりました。
スレ建乙
おぉぉぉ
前スレで2ちゃん初1000ゲットしました!

そんな訳で,李厳あたりでも話します?
李厳か・・・・
能力だけ見れば・・
どうなんだろう???
李厳

劉表の信任   厚い
劉璋の信任   厚い
劉備の信任   厚い

馬秦 高勝が大軍で反乱   手持ちの兵だけで鎮圧
高定元           撃破

漢中の守り固めたり孔明の補給を管理したり渋い活躍

まあ有能ですな
李厳のマイナスポイントはやっぱり補給の失敗を嘘で誤魔化そうとした人格面か
それを考慮しないなら戦争も軍事行政もできる一級の人材といえそうだが
悔しいけど李厳は優秀
補給の失敗のごまかしはマイナスしなくていいと思うが
失敗したこと自体は能力的に見てマイナスだろ
まあでも難しい補給だからなあ
わざと失敗したのかな?

李厳「なんでこの俺がこんな地味な仕事しなきゃなんねんだっつーの
   あ?張コウ?あ?司馬イ?そんな雑魚どもなぎ倒してくれるわ
   あーあやってらんね。前線いきてーーー」
馬謖を前スレで叩いてた人がいたが、劉備は嫌っていたようだが
才能は飛び抜けていた。必要なのは経験だけ。
その点で孔明の人材起用は間違いではない。
なぜならここで馬謖を育てておけば、後にヒイと2人で政治と
軍部両方を任せるに足る人材を育成できたからだ。
もし成功していれば姜維によって職が滅びるのは防げただろうし、
その後弱体化した2国を統一する事もできたかも知れない。
劉備の評価が低いのは単に好みの問題ではないか?
孔明は才能を欲していた→次世代のために。
劉備は実務に優れ義の厚い人を欲していた→趙雲タイプ。
本質的に欲する人間のタイプが違う。
>>14
才能があったとしても、経歴などから見れば行政官としてのもの
軍事的には思い切り失敗した一事が残るのみ
とても軍事的才能があったとは思えないな馬謖
兵法暗記は得意そうだが。
馬謖こそ補給やらしとくべき
姜維は無理な外征と敗北で蜀の国力を低下させたが内乱鎮圧・王経撃破・剣閣堅守など、ある程度の実績がある
一方馬謖は軍令を煩雑にして山麓の守備施設を放棄し、王平からそれらを諌められても改善しようとしなかった
少なくとも馬謖>姜維はありえんと思うが
馬謖<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<姜維

圧殺だろ
言い出しっぺが謂って悪いが,馬謖はもういいから李厳について語らないのか?

ところで
>>17
 >王平からそれらを諌められても改善しようとしなかった
だから人格的なことは評価しないンじゃなかったのかと小一時間(rygki
>>19
戦場で忠告を聞かないのは人格じゃなくて判断力の問題だとも思うが
仮に王平の忠告を入れたとして、守りきれる可能性はどれくらいあったのかを議論する必要がある思うが
>>21
街亭の地形や、当時の馬謖と張コウの戦力差とかが分からないと、
その可能性を論じるのは難しくないか?
先鋒である張コウ2万 曹叡自らのあと詰め数万(4-5万ぐらいかなー) 
重要拠点である馬謖1万5000ぐらいとみた
2423:04/07/31 04:02
23の修正
     魏        蜀

先鋒 張コウ2万     街亭 馬謖1万5000ー2万 (重要拠点的に)
曹真3-5万      趙雲の囮 5000ー1万
長安 曹叡5-10万     孔明 祁山、天水の降兵含め3万-4万
2523:04/07/31 04:23
ちなみに街亭は孔明が最も守りに適してると判断した場所で
準備万端で迎え撃つ体制。
天然要塞とまではいわないが守りやすい土地。
普通に守れば張コウの先鋒は守りきれる場所(魏の圧倒的兵力での増援あればわからんが)
孔明はここを拠点として持久戦に持ち込む予定だったと思われる
その間に天水、祁山を整えて魏にあたる作戦だ
この時点で孔明は大幅な領土拡張に成功しており
街亭での決戦を乗り切れば北伐大成功ってところ。
防御拠点を構える敵を潰すには三倍の攻撃兵力がいる、という法則(?)にあてはめるとぎりぎりでその条件を満たせる唯一のチャンスが街亭だったわけで
蜀将がまず「担当は魏延か呉壱かどっちかだろう」と予想した理由もむべなるかな
当時の蜀軍最強の魏延か、劉ショウ時代からの千軍万馬の呉壱かを当てるべき戦況に指揮官としてはルーキーな武将を当てるのはねぇ・・・
目の前にいて、実際に能力テストができる人間や、信憑性のある能力テストの記録がある人間ならともかく
史書の記述や史書に無い伝承としての経歴でしか図る事のできない大昔の人間を
どうやって、実績や当時の評価から切り離して、純粋な能力だけの比較をするつもりなんだろう?

純粋な能力の比較なんて言い出す人間には、まずどうやって純粋な能力を測るかを示して欲しい。
そりゃね、現実には能力はあるが恵まれなかった人、そこそこの能力で運良く大きな実績を残した人
とかもいるし、三国時代にもいただろうとは思うが。
1700〜1800年も昔の人間の能力なんて実際には図れないって。

与えられた環境で実績を残した人間を、その任を全うする能力があったと評価し
与えられた環境で悪い実績を残した人間を、その任を全うするにあたり能力の不足があったと評価する。
それ以外にやりようがないと思うがな。

無理にやるなら、統率(兵の指揮)、軍政(大軍の管理能力)、軍略(戦略・作戦の構想能力)、武勇(個人の武量や胆力)
とかいう感じで幾つかの項目を挙げて5段階評価をするくらいしかないと思うな。
>>27
まぁ,全くの同意なんだが
それは前スレ最後でも謂われてたことで

ただ,分野別での評価って話にもならず
同じことをやるをンじゃ面白くないから
当時の人の評価等から推測した生きていれば残せたであろう実績を想定して
評価しようってはなしじゃないか

漏れはそう理解したが
まあいまさら馬謖を挙げて悪いが、俺はそれほど「失敗して当然」
だったとは思えないんだな。孔明の戦略と言うのは基本的に
リスクを排して%で言えば80%くらい勝率が無ければやらない
(自分の脳内でだが)のが彼流。
それは時として臆病にさえ見える。その彼が街亭を15000で
守らせると決めたのだから、普通に陣を張れば守れたんだろう。
(こういう読みは外した事がない)
しかし本当に馬謖はここまで実績が全くなかったのか?と疑問が残る。
ある程度実績もあって故に妙な自信があったのではないか?
まあその辺は書かれてないので妄想にすぎんが。
結果で論ずるなら0点だが、能力で言えば決して0点な訳はない。
仮にも孔明が後事を託そうとしたほどの才能を、正統に評価しなければ
いけない。
もっとも記述が無いので判断しかねるが。

つーわけで俺のオナニー論ですた。これにて馬謖は終了します。
ただ能力だけでみるなら、18のような事はない可能性の方が高いと
理解してもらいたい。自信が慢心になってしまっただけだと言う事。
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
そうだそうだ!!
なんで建国時に最大の失敗をしたドキュンが三位で、
亡国の時に唯一最後まで踏みとどまった忠武最大の功臣が五位じゃヴォケども
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
だからさぁ、もう厨丸出しのみえすいた煽りはいいって。

俺は1スレ目から姜維を擁護してきたけど、↑こういうのを見ると
悲しくなってくる。
>>33
嵐は姜維派がいなくなるまで続けると思うよ
無視が一番
多数の敗戦の記述、北伐の強行が蜀の滅亡をもたらしたというマイナスイメージ。
正直、姜維の場合、弁護するのが非常に難しい。
魏延のように正史を読んだ人の多くが再評価するわけじゃなく、
その多くに無能と判断されがちだしね。
3623:04/07/31 12:11
それはそうと馬蜀もうおわりかよ
昨日の夜中せっかく数字出してみたんだが・・・

あの戦いで一番凄いのは実は趙雲だったりしたのには驚いた
曹真の大軍を少ない兵力で釘付けにしてました。

>>27 まあそれはそうなんだが実績を考慮せず能力を推測するなんて誰もいってなくないか?
普通に史実にみる実績とそれに準じて他人の評価から考慮すればいいだけで、
その際早死にした将につき生前の実績からチョット想像力働かせてもし生きてたら的な
考察をしてみても面白いでしょ。
これによりガイテイで馬謖の勝率が五分以上になってました。
3723:04/07/31 12:15
なんか文章が前後しました。

それはそうと馬蜀もうおわりかよ
昨日の夜中せっかく数字出してみたんだが・・・
あの戦いで一番凄いのは実は趙雲だったりしたのには驚いた
曹真の大軍を少ない兵力で釘付けにしてました。
これによりガイテイで馬謖の勝率が五分以上になってました。

>>27 まあそれはそうなんだが実績を考慮せず能力を推測するなんて誰もいってなくないか?
普通に史実にみる実績とそれに準じて他人の評価から考慮すればいいだけで、
その際早死にした将につき生前の実績からチョット想像力働かせてもし生きてたら的な
考察をしてみても面白いでしょ。

というふうに>>36の文章はなるはずでした

姜維は当時から現在まで真っ二つだからな。
学者どもより数段歴史的知識の浅い漏れらが断定できるもんじゃねぇ。
3923:04/07/31 12:20
もう馬謖おわりかよ・・・・・
街亭については最重要にして最大の決戦を初陣の将に任せた
孔明に非があるとしかいいようがないな
孔明なら初陣でも出来たかもしれない。
自分と同じように兵法諳んじる馬謖にもできると判断したのかもしれない。
でも孔明ほど知識を実戦に昇華させることのできる人間はそうはいないということで
大抵の兵法読みは机上の論理のみの人間ということではなかろか
街亭に着任した馬謖ってさ、軍令を煩雑化させるなんていう、戦国時代に長平で
惨敗した、趙の趙括と同じ誤謬を犯してるんだよね。
才気ばしった人間の陥り易い現象、とでもいうんだろうか。
>>41
そうそうその軍令が「繁雑を極めた」ってところなんだが・・・
理由として

○高い知識により複雑な作戦を行おうとした。
○張コウに山に追い立てられ、あせってぐちゃぐちゃな軍令を出してしまった
○他の理由

実際どうなんだろうね
>>42
簡素すぎる軍令では自分の指揮が正確に伝わらないと思った に一票
逆にいえば各レベルの指揮官の判断力を信用できず全て自分の思うとおりにしたかったんじゃないかな
よかれと思ってるから諌められても変えなかったと
なるほど納得

王平の諫め聞かなかったのもそういう理由か。
こういうタイプの人間は経験積んでもずーと同じような気がするなあ
ともかく自分の才気を見せたい。
普通にやればうまくいくところをあえて自分オリジナルのやり方を見せたい。
それで失敗しちゃう。
現代ッコに多いタイプ。
レスがあってよかった
街亭での馬謖について言及してる人間はいても、その多くが山頂布陣に対してで、
ほとんどが軍令に関しては触れていないように思った。

実戦経験の皆無に近い将がいきなり軍令に触れても、これでは戦歴の豊富な
中堅層の将士からは顰蹙を買っただろうなと思う。
将兵の間に一体感がないのでは、いざ戦闘に際しても統制力を欠いているだろうし、
馬謖の敗因も実はこちらに拠る部分が大きかったかもと思う。

現場の苦労を知らない管理職が現場の指導者に容喙するといけない典例というか。
兵卒から信頼感のある将だと複雑な軍令も上手く伝わるんだろうな
つまりそれが統率力ってわけで統率力のある人間はそういう面で
作戦の幅が広がる。

現場サイドの人間というのは大抵の知識はあるが実践のない人間を拒否する。
ただしたまーに飛び抜けた知識を持つ人に対して無条件の畏敬の念を持つことがあって
それが孔明だったのではとよく思う。
孔明は南方平定から北伐まで経験少ないながらも上手く軍をまとめているのが
不思議でならないが多分こういう理由だったのではなかろか
よく、大卒の新入社員が研修で工場にいき、現場の人間に完全無視される
図があるがそんなところか。
ただし超一流大学で超一流の専門知識身につけた新人が現場研修いって
現場の人間に敬意を表されるという図もたまにみかけるなあ。
馬謖の山頂布陣そのものは悪くないとも思う。
兵法の定石からいえば、先に高所を扼すというのは正解ではある。
人間の心理では、低所から高所の敵勢を見上げると、実数以上の兵力と勘違い
しやすいというのもある。

ただし蜀軍は兵力で劣勢なうえ、目的は敵戦力の撃破ではなく拘束。
十分な戦力で街道を扼したうえで山頂と連繋をとれていれば……という事なのだけど、
物事の一面しか見ない人間の陥り易いミスかもね。
>>46
孔明がバショクと比較して飛びぬけた知識を持っていたとは思えないな。
当時は知識人が読む定番の本がかなり限定されているので、
当時の知識人が持っている知識というのはどっこいどっこいだろう。
2人の差は知識を活かすだけの知恵があったかどうかの差だと思われ。
>>49
馬謖は兵法書をたくさん読んでいた

孔明は兵法書をたくさん読んでいた
尚かつ変な補給車みたいなもの等劉備に見いだされる前からわけわからん
発明などたくさんしていた。
その開発のほとんどは軍務を円滑にするための工夫であり、
より実践を想定した知識だったと思う。
まあそれを知識の差というか知識を活かす知恵の差というかだけだと思うが
孔明の知識は兵法書による戦略論にとどまらず幅広いものだったように思う。

まあただしこれは孔明が夫人と共に変な発明にいそしんでいたことからの推測なんだけどね
孔明 実践を想定した知識
馬謖 書物としての知識
ってところかな
孔明は土木についてもある程度の知識があったんじゃないかな?
”土木”というのがどのあたりを指してるのか知らないけど、漢城と楽城を築いたのは
諸葛亮だな。
この時代の土木の知識は当然城を築くためのものであるが、
一方で城を破壊することにも使われた。
様々な攻城兵器の開発は土木の職人による開発が主体じゃなかろうか
これらの職人の地位はあまり高くなく、その技術に注目する知識人と呼ばれる人々は
それほどいなかった。華やかな戦略論を論ずる方が頭良さそうに思われた。
孔明はそういう気風関係なく土木ってものに向き合えてたんじゃなかろうかね
あ でもそのわりに陳倉攻略できてないな・・
時間が無かったってのもあるけどね
55無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 20:00
はじめはともかく,実績評価となって以降はネタで挙げた馬ショクに付いて漏れと同じ視点の人がいると知って嬉しいよ。
で,亮との差についてだが孔明のオカルトとも関係あるんじゃないかな。
あの時代だしそういう理解できない力を見せる者は畏怖されると思う。
勿論,演義が正史にない伝承を基にしたって前提だが。
襄陽記によれば、蔣琬も馬謖の事を知謀の士だと言ってるな。
その知謀が実践に即したものだったのかはともかく、頭は良かったんだろうな。
馬謖はそれこそ行政官か孔明の相談相手でもさせておけばいい意味で名を残せたかも
実戦指揮官なんぞやらせるから…
廖化、張翼についてでも話さないか
>>56
そういやそのショウエンは劉備に処罰されかけた人間(自業自得だが)
類と友を呼んだのかもしれない。
廖化ってあれだけ長く働いて劉備の腹心で大切にされながら
一度も目立つ戦功あげてない。
無能ではないかもだがよほど才能無かったんだろうな。
>>60
廖化も一度だけだが、具体的な戦功があるぞ。
238年に、廖化は守善羌侯の宕シンを攻撃し、
郭淮がこれを撃破しようとして、王イン・ユウエキを派遣、
廖化の陣取る山の東西から挟撃を行わせたが、逆に各個撃破されてる。

ただ軍事行動の規模も詳細も分からないんだが。
蔣琬の時代に姜維が何度か西方に侵入したが、これは恐らくその時の事だとは思う。
62変質社:04/07/31 21:55
ほお・・
へぇー
そういえば呉にいったん下ってからまわりだまして(しかも老母もつれて)
蜀へ大脱走したあたり結構イカしてるよね
廖化は山の上に陣取っても大丈夫なんだな・・
65変質社:04/07/31 22:06
ぽかりとか色々もっていってたからなハァハァ
>>65
おやつは何円までもってた?
67変質社:04/07/31 22:14
劉剣キタキタキターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
68変質社:04/07/31 22:15
泰山モオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
69変質社:04/07/31 22:17
劉剣たま(*´Д`*)
70無名武将@お腹せっぷく:04/07/31 22:33
俺劉備の生まれ変わりだけどなんか張飛オマケみたいよ
張 翼・伯恭
嫌いな物・生姜と繊維
廖化も姜維のことをよく思ってなかったようだな
というよりその才能は認めつつも
戦争しすぎだしトウ艾は姜維をさらに上回る
というようなことを言っていた。
張翼ってあんまり軍功は無いなぁ、
姜維に対する諫言を見たり、姜維が嫌いながらも随行させたから、有能ではある。
南蛮の劉チュウを討伐しに行った時も、南蛮の民衆の反感をかって、
劉チュウを打ち破ることが出来なかったし。
ただこの時に、張翼が築いた基礎があったから、馬忠が劉チュウを打ち破れたらしいから、
軍政家として有能だったのかな?
張翼も廖化も姜維を嫌ってはいても、中央の諸葛瞻や董厥と違い、
その失脚を図ろうとはしなかったからな。
北伐を強行する姜維の方針では駄目だと思いつつも、
姜維でなければ魏には対抗できないとも思ってたんだろうな。

蜀の人材層の薄さをよく表しているな。
俺が思うに蜀にもそれなりに隠れた武の人材(姜維並、もしくはそれ以上)はいたんじゃないかと思うよ
それが見いだされにくい文官至上な気風を孔明が作ってしまっていたんではないかと。
どうだろうな
武人が育つ環境に乏しいからね
成都は知識者が優遇されてた面あるとおもうが
漢中では武の人がたえず求められてたと思うよ
何も蜀にかぎらず三国時代でやや情勢が安定すると
戦争の経験を積む機会自体が限られてくるのは仕方ないんじゃないかな
>49
孔明の知識はバショクの比ではない(はずだ)。
彼が孫子の兵法をマスターしたのはわずか6歳の時とされている。
以後あらゆる分野の書物に勤しみ天文学にも明るい。
地層学を活かした作戦も度々立てているし、人心掌握にも長けている。
彼が伏竜と呼ばれたのはまだ若干24才の時。
>74
>北伐を強行する姜維の方針では駄目だと思いつつも、
>姜維でなければ魏には対抗できないとも思ってたんだろうな。

この二行のつながりがよくわからん。
失脚を図らない=姜維を認めてるってどんな脳内変換だよ
廖化が、劉備放浪時代を見、ともに蜀の成立を迎え、蜀の最盛期におもいっきし
思いをはせ、関羽の死に直面し、呉に一時的に降るもすぐ老母と共にに蜀に脱出し
白帝城で劉備に別れを告げ、孔明と共に打倒魏にその心を燃やし、姜維に期待しながらも
ついに蜀の落日を見ることとなったその気持ちを考えると
風鈴の音がやけに心にしみます。
1位と2位は不動?
それだけ長い期間、現役で頑張った廖化の軍事的力量が、もし五虎将軍に匹敵するくらいのものであったら…。
きっと歴史はもっと変わってただろうね…。

惜しらむは、関羽とホウトウだよな…。
あそこから蜀の流れは変わったと思う。
なぜあれだけ学に明るかった関羽が変な負けん気だして荊州だけで二国と渡りあおうだなんて思っちゃったんだろ。
ホウトウさえ蜀で生きて頑張ってくれてたら、亮タンや張飛以下の武将だって蜀に行かなくても済んだかもしれないのに。
>>81
> なぜあれだけ学に明るかった関羽が変な負けん気だして荊州だけで二国と渡りあおうだなんて思っちゃったんだろ。

左氏伝を諳んじていた関羽だが厳しいことを言えば「学びて思わざるは即ち罔し」ということだったんだろうな。
>>80
まあ実質蜀を作ったのはその二人だし
劉備と孔明は実力で見ても不動だろ。
人によっては劉備と孔明が入れ替わるってのはあるかもしれないが。
85無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 09:58
関羽の作戦は劉備の計画だろ。

ただ、関羽というのは特別な存在で、劉備とも上下関係と言うより盟友に近かったという
説もあるな。だから、いわば独立王国に近い権限を与えられていた。だから、孫権とも
外交で揉めたりした、と。
婚姻の件も、本来なら劉備に孫壇して決めることだろうが・・・・・。孫権の方も、何故劉備
に言わないのか。
>>85
攻略する側としては関羽を独立した勢力につるし上げた方がやりやすい
という面も多かったように思う

ただ関羽もそれを逆手にとって劉備・・・・関羽・孫権とか
時には孫権よりになるぐらいの巧みな外交を行えば蜀の韓信
たり得たのだがそういったバランス感覚は持ち合わせていなかった模様。 
>>81
五虎将軍....
関羽には軍師がいなかったのか・・・・・。

馬良ぐらいおくっとけば良かったと思うけど。夷陵であっさりアボーンよりまし。
潘濬
>>88
北方は?統(ホウトウ)が関羽の軍師になるはずだった、と書いてるね。
>>85
あれは呉の離間策なんじゃない?
荊州を狙っている呉が、関羽と劉備の仲を引き裂くための。
だから関羽も切れて、無礼な態度を取ったんじゃないかな?
劉備陣営は「謀臣」に恵まれてないなぁ
ホウ統・法正の二人ぐらいか(いずれも早々と戦死もしくは逝去)
93無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 12:30
それまで平和な益州でマターリしてたから、はかりごとなんて必要なかったんだろうな。
>>93
劉二牧伝を読んでればとてもそんなことは言えない。
>>88
関羽は劉備以外の指示は誰のものであろうと侮ると思われ。
馬鹿と鋏はなんとやら、ともいう
そんな馬鹿でもなかったんだろうけど
気難しさの性質さえ分かっていれば御することはできたんじゃなかろうか

ただ名士連中からすれば、出自さえよくわからない元塩の密売人程度に頭下げるのも御免だっただろう
あの時代は、関羽の武勇と「劉備をまず裏切らないだろう」という信頼感は何物にも替え難い貴重なものだったのかなぁ?
むしろ、ただ単に関羽以外の誰かを据えるのが無理があったというだけじゃないだろうか
ま、また関羽ネタなのか……!?
>>97
劉備は本拠地を離れ軍を率いる時は、しょっちゅう関羽に守備を任してるし、
重要拠点や別働隊も関羽に任せる事が多い。
かなり信頼されてたのは確かで、他にそんな人物がいなかったんだろうとも思うが。

信頼に関して言えば、徐州で劉備が曹操に敗北して逃走した時は関羽も放っておいて逃げてる、
そんで関羽は曹操の下で結構な待遇を受けてるにも関わらず、
落ち目の劉備の所に帰ってくる訳だから、その信頼は凄まじいものがあると思うよ。
廖化ももどってきますた!
>>99
荒れなきゃ別に関羽ネタでもかまわんと思うぞ
と、言ってると厨出現↓
関羽サイコー 他は糞
104関羽厨:04/08/01 15:29
どうもお久しぶりです
ていうかさ関羽の能力的評価ってどうなのよ?
なんか能力ランキングでは7位とかになってたけど
関羽派はそのへん納得できるのかな?
蜀末期の戦闘を見ると、中央軍の指揮官は老境(廖化等)か、実戦経験の無さそうな若手武将(諸葛セン・黄崇等)しかいないような気がする
107関羽厨:04/08/01 15:53
>>105
まあ能力のみの場合は若干おとなしくしてようかなあとおもってます。
しかし魏を震撼させる攻撃・・う、うわーなにをするんっっ・・・
張飛より上じゃないか、くらいで納得
>>105
能力ランキングとはなんぞや?
マジで過去ログぐらい読んだらどうだ?



能力ランク       定義ランク

一位 諸葛亮       1位 劉備
二位 劉備         2位 諸葛亮
三位 魏延         3位 関羽
四位 姜維         4位 魏延
五位 王平         5位 姜維
六位 張飛         6位 張飛
七位 関羽         7位 王平
八位 黄忠         8位 黄忠
九位 張ギョク       9位 張ギョク  
十位 趙雲         10位 趙雲

こいつが叩き台
能力だったら馬超の参入が十分考えられる
逆に功績とか抜きなので関羽とか黄忠あたりは落ち目かもしれない
>>110
初めて見た。
Partいくつくらいのログ?
前スレの800台後半くらいなんですけど?



マジで読んでないな
あれ、能力ランキングなんてあったっけ・・・。
定義ランクみたいなのがあったのは覚えてるけど
とにかく前スレ読んどけ
せいぜい200レス程度だ
この間ログ整理したんで残ってないんだ。
・・・いや、本当に。マジで残ってない。

その7後半の議論ってまるで覚えてない・・・。なんでだろ・・・。
■■名将定義ランク■■暫定      能力ランキング(単なるたたき台)
(将才、名声、国への貢献度) (実績から能力を考察)
1位 劉備 一位 諸葛亮
2位 諸葛亮                二位 劉備
3位 関羽                 三位 魏延
4位 魏延 四位 姜維
5位 姜維 五位 王平
6位 張飛 六位 張飛
7位 王平 七位 関羽
8位 黄忠 八位 黄忠
9位 張ギョク  九位 張ギョク 
10位 趙雲 十位 趙雲

新たな将の参入可能性アリ
                     (蜀への功績等関係ないので)

能力ランキングでは「こいつはこんな死に方したからマイナス」
         「こいつの行動は国に疲弊をもたらしたからマイナス」
         「こいつは人格がこうだからマイナス」
  等々くだらないマイナス要素合戦が少なくなると思われます。

  ただし李厳みたいな好きにはなれないが能力は高そうな将なども
  ちゃんと評価せねばならぬのはつらいところです。
117116:04/08/01 16:21
失敗しましたスルーで。
能力ランキングなら、
最大瞬間風速で、姜維も上位に上げてもいいと思う。
総合的な功績を含めた話ならマイナスが大きいけど、挙げた功績も大きいから、
能力ならかなりのものがあったんだと思う。
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
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姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
120やりなおし:04/08/01 16:33
■■名将定義ランク■■暫定        能力ランク
(将才、名声、国への貢献度)       (実績から能力を考察)
1位 劉備                 1位 孔明
2位 孔明                 2位 劉備
3位 関羽                 3位 魏延
4位 魏延                 4位 姜維
5位 姜維                 5位 王平
6位 張飛                 6位 張飛
7位 王平                 7位 関羽
8位 黄忠                 8位 黄忠
9位 張ギョク                9位 張ギョク
10位 趙雲                 10位 趙雲
                     
                     新たな将の参入可能性アリ 
                    (蜀への功績等関係ないので)

能力ランキングでは「こいつはこんな死に方したからマイナス」
         「こいつの行動は国に疲弊をもたらしたからマイナス」
         「こいつは人格がこうだからマイナス」
  等々くだらないマイナス要素合戦が少なくなると思われます。
  ただし李厳みたいな好きにはなれないが能力は高そうな将なども
  ちゃんと評価せねばならぬのはつらいところです
ていうか能力ランキングなんだけどまずはどの辺が新規参入する武将か
ピックアップして検討してみるのはどうだろうか?
まずは馬超とか・・・
グッジョブ

暫定ランク外から参入の可能性がある奴を適当に挙げていこう
俺が推したいのは
馬超・黄権・李厳・法正・ホウ統・潘濬
>>121>>122
ケコーン
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
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姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
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姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
姜維は関羽より上に決まったはずなのに歪曲する関羽厨は死ね!!!!!
法正 ホウ統 あたりは自分自身で兵を率いて交戦してないよな。
黄権は交戦自体ほとんどしてないし。献策はひかるけど。

潘濬は関羽の事務的な軍務担当だったような・・
彭ヨウが一位だと思います
>>125
呉書を読めば分かるが、潘濬の献策は光るものがある
異民族討伐でも戦績があるし5000で反乱だっけ?を打ち破ってもいる
「蜀将としての功績」で無くてもいいのなら羅憲も繰り上がりそうだが
>>127
あーそうなのか今手元にないもので・・・
もしよかったら戦績なんぞを・・
でも呉で人生全うしちゃった将はさすがに呉将扱いでは無かろうか?
羅憲は俺も考えてた
蜀に最後までいたし、陸抗との交戦もあるし、
他人からの能力評価もすこぶる高い。
全ての条件を満たしてると思う
戦功が蜀でのものといえなくても蜀将であるとは言えると思う
潘濬とか黄権は蜀があるにもかかわらず事情はどうあれ他国に移ってる
二人とも呉将っていうべきじゃないか?
132131:04/08/01 17:19
失礼
黄権は魏将
羅憲は呉が蜀滅亡を見て領土を奪取すべく送り込んだ歩協軍を撃破・さらにそれを後詰した陸抗軍を、孤立した中1年間支えた
さらに晋の朝廷に入った後は旧蜀出身の有能な人士を推挙したりという面もあり、有能という点では文句なしだと思うが
蜀漢に対してはやはり貢献したとは言いがたいな。黄皓によって左遷させられなかったら対魏戦で活躍していたかも、とは思うが所詮それはイフの世界だし
>>133
羅憲は蜀への貢献度はないものの蜀将といえるし
能力を見ようという趣旨的に
実績、評価どれをとってもまず問題ないように思う

あえていうなら攻勢に出たときの実績がない程度。
でもなんとなくだが攻勢に出ても有能な気がする。
>有能という点では文句なしだと思うが
>蜀漢に対してはやはり貢献したとは言いがたいな。
まさに能力ランキングにうってつけの人物ってわけか。
馬超、李厳、羅憲はほぼ確定じゃないかな
ホウトウは考察対象に入れるぐらいならいいのでは?
戦死した状況的に見ても兵は一応率いてないか?
事績が少ないとしてもその能力を探るのは面白そうではないか!
結局どこまで広げるかにもよるな
「一度でも劉備陣営にいた人物」なのか、
「最後まで(自分の人生の最後か、蜀の最後)いた人物」なのか、
「蜀でその才能を開花させた人物」なのか

個人的には最初のが幅広く議論できそうだからマジお勧め
>>138
そしたら陳グンとか(まあ将ではないけども)も入ってしまう
ある程度蜀スレ的に蜀将の範囲は決めた方がいいと思う。
俺は
「最後まで(自分の人生の最後か、蜀の最後)いた人物」
   にするべきだと思うがなあ。
「蜀でその才能を開花させた人物」
   にすると馬超がはいらなくなる。まあそれはそれでいいんだが。
しかし、最後まで蜀にいたってのも限定しすぎじゃないか?
黄権を入れないってのもアレだし
かといってフィーリングというか、周囲の大体の認識で決めるというのも微妙
細かく決めないとまた「こいつは蜀将じゃない」とかそういう煽りが出てくるから曖昧なのは避けたいところ
とりあえず能力評価してから考えればいいべ
>>139
蜀(劉備陣営)で活躍した期間が最も長いか、あるいは最後を全うしたあたりにしてはどうかと
人生の8割とか蜀で働いたのに捕まって晩年少しの期間他所にいただけで外されるのがいて
ほとんど陣営の外で活躍していたのに最後にちょっと蜀に席をおいただけで入るのがいると不味いだろ
潘濬

・三十にならない時、劉表に招かれ江夏郡の従事に。
・劉備がケイ州を治めるようになると、治中従事に。蜀入りの際は残ってケイ州で事務処理。
・呉の侵攻後、孫権によりホ軍中郎将に。
・五ケイの異民族の反乱の際、仮節を授けられて多くの軍を率い討伐。戦果は斬首・生け捕り合わせて数万という数にのぼったそうな。
・武陵の部従事であるハン[イ宙]が異民族に誘いをかけて蜀に帰属しようと反乱した際、一万の兵を要請されたが五千を率いて鎮圧(江表伝)

あとなんか色々諫めた。メンドクセから割愛。
しかし黄権を例え範囲内としても、交戦自体してないので入りずらくないかな?
入蜀の際も籠城というよりは降伏を拒否したってかんじだし、
イリョウも交戦する前に降伏してないか?
劉璋配下のときにも交戦したような記録ってあったかな?

蜀に一度でもいたということでもいいとすると他国に移ってからの活躍
の方が目立つような将を蜀将と呼ぶのに無理があるような気がするが。
肥の三国志で愛称が70程度の連中でいいと思うYO>>蜀将




とりあえず定義云々よりも評価が先だろうに
能力そのものを見るのが趣旨なんだから、「一度でも劉備陣営に属した」でいいんじゃないか?
貢献だとかそういうのは無視なんだし
蜀将といえないのを評価するのは蜀将って定義そのものからずれてないかな?
>>145
いやいや評価よりも定義が先だよ
あとでもめる
>>148
○○の能力を評価→そいつ蜀将じゃないよ→じゃあ順位から外そう


これでいいじゃん。
>>149
そのたんびにもめるよそのやり方だと
今までも定義先に決めないでもめてたからね
>>150
今までは評価の仕方の定義で揉めてきたんじゃないの?
>>151
いや蜀将の範囲の定義でも揉めてた、何度も何度も馬超が候補に挙がったりしてたからね

ていうか定義を先に決めるかですら揉めるのはばかばかしいよ
先にさっさと定義決めてしまおう
ケースバイケースでいいんじゃないだろうか。
馬超が蜀将から外された理由は何?
明確な定義のもとで外されたわけじゃないだろ?
>>153
馬超の場合は、「蜀の将軍としての働きでの功績が無い」という難点があったからだったはず
劉ショウを屈服させたのは西方軍閥のビックネームとしての威勢名声のお陰みたいだし
漢中戦では敗北しちゃったから
多分>>143さんが挙げた潘濬あたりが
「一度でも劉備陣営にいた人物」
という定義だと該当し
「最後まで(自分の人生の最後か、蜀の最後)いた人物」
という定義だと該当しない典型的な例になると思う。

潘濬の場合、賊の平定で実際に軍を率いて交戦し献策でひかる部分など含めると
将といえるとおもうが、その活躍は呉でのもの。
これを蜀将と呼ぶか否か。

おいおい定義決められるんなら決めた方がいいだろ
だったらもう馬超と同じでいいじゃん
蜀の将軍としての働きでの功績があるのはみんな蜀将
それで何か不都合ある?
馬超が蜀将からはずされた理由は蜀での貢献度が少ないからという理由
蜀よりそれ以前の活躍の方が多い。

名将においては国への貢献度が重視されることからはずされた。
一応定義はされてたが定義がしっかりしてなかったので、
何度も何度もはなしが蒸し返して揉めた。
定義はしっかりした方がいいだろ
定義するかどうかですら揉めてどうすんの(笑)
カク峻なんてどう?

入蜀の際劉備に付き従う。
劉備は劉ショウとの戦いの際に、カク峻を留め置き。
カク峻は、カ萌城を張魯から守り、
劉ショウの将の扶禁・向存が一万余を率いてカク峻を一年近くも包囲するも、
わずか数百で城を守り、精鋭を率いて攻撃し撃破、向存の首を切る。

40歳で死んだので、功績はこれだけだが、戦術能力は素晴らしいものがあると思う。
あらかじめ定義決めとくことには普通に同意ですよw
霍峻って籠城だけじゃなく不意を見て出撃してるんだよな
そこらへん将としての能力を見て取れる。
しかも相手の将討ち取っちゃってる。
霍峻はまあ順位はともかく入ってもいいと思われ。
霍峻の息子もいたな
地方を最後まで守ってて、劉禅の安全を確認してからようやく降伏したとか
やはり定義は明確に文章化できたほうがいいと思う
でなきゃまた足引っぱりが好きな人が「蜀将じゃない」とか煽るし
ケースバイケースだとまた荒れる元になりそうな予感がバリバリするんだが
霍弋だっけ、孔明の北伐とかにも従軍してるよな
霍峻ほど才を示すエピソードはなかったような
忠信ぶりはなかなかだが。
果ては元から蜀の将軍じゃない奴は評価から引くべきとかわけのわからん厨が湧いたりしてな
>>166
いやいやだから俺もそんな予感がバリバリするから
定義決めよう決めようといってるわけですよ
>>157でいいんじゃないの?定義
霍弋は晋に降ってからも南方統治のエキスパートとして活躍したみたいだね
交阯・日南・九真三郡を平定し、列侯にもなっている
172無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 20:02
霍峻の息子は名将ではないが忠臣としてなら。霍ヨクだっけ。羅憲みたいに
晋時代に戦争で活躍しとけば名将入りですよ。
173138:04/08/01 20:02
あとでモメないようにするには、すべて認める「一度でも劉備陣営にいた人物」が一番いいと思うんだがなぁ
>>167
霍弋は他にも、

・永昌太守を兼務し永昌郡のリョウ族の討伐
・そのあと建寧太守を兼務し、南郡の軍政を統括した

と中々の才能を持った人物だったみたい。
>>173
それだと陳登とかも入るのか?
しかしそれで途中で呉に行っちゃって呉での活躍が多い潘濬みたいなのを
蜀将としてみるのは抵抗があるなあ
呉将じゃないのと言う気がするが。

霍弋みたいに最後まで蜀にいてその後晋で活躍したとか言うなら蜀将って感じなんだが。

177138:04/08/01 20:07
>>175
たしかに蜀将とは違う気もするけど
定義を明文化して荒れないようにするのはこれがベストじゃないかと思うんだが
呉壱(呉懿)は?
なぜか正史に伝はないけど、諸葛亮や魏延の戦術的勝利に貢献し長年蜀を支えた宿将
『季漢輔臣賛』では『呉懿は気骨ある男で博愛の心を持ち、弱軍を率いて強敵にあたっても危機に陥ることがなかった』と評されているが
多分文献色々調べていくと
あ こいつ蜀にちょろっといたじゃん!
的な(陳グンみたいなケース)
のがどんどん出てくるような気がする。

よもや蜀将と呼べないのがわんさか。
180138:04/08/01 20:13
うーんじゃあ
・劉備陣営での功績が五割程度以上
とかどうだろうか
「最後まで(自分の人生の最後か、蜀の最後)いた人物」
という定義でも
明確に定義されて揉めないと思うよ
羅憲、霍峻、ともども条件クリアしてるし馬超も条件クリア。


それはそれで、「五割」の見方に個人差が出てきそう
質と量で比べ合って結局はイメージで語られそう
>>180
それだと余りはっきりしてないから
荒れると思うよ
呉懿は魏延と並び表される場面もあり武将としての能力はなかなかと思われ・・
>>181
黄権
186無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 20:16
それいいね!「人生の最後または蜀滅亡まで蜀にいた人物」これでいこう
>>180
五割っていう曖昧な基準は揉めること必至
おれもその最後までって条件が最も妥当に思う
(´・ω・`)そうねコレ揉めるね・・・・
>>138
それに
条件一・最後まで(自分の人生の最後か、蜀の最後)いた人物
条件二・条件一に該当しない人物について、人生の大半を蜀で生きた
とか入れればいい。
別に条件は一つにする必要はないし
黄権・陳登・徐庶ファン(?)さん達には寛恕を求めるということで…
陳登は劉備陣営に属していたというより群雄の一人という印象だな。
同意
そうしないとキョーイとかの最後が微妙。
キョーイはどう考えても蜀将だし

>>190の定義で全面的に賛成です。
194192:04/08/01 20:28
群雄という言い方は変だな。
劉備や曹操の陣営に絡みながらもやや独立系の人材という感じがする。
長生きしてれば曹操陣営の将になりそう。
傭兵だろう陳登は
で劉備も放浪時代は傭兵 
ソウハに似た感じか
時勢として群雄に従うも、心はあくまで漢の臣ですって感じだったのかも>陳登とか
条件一・自分の人生の最後か、蜀の最後まで劉備陣営にいた人物
条件二・条件一に該当しない人物について、人生の大半を劉備陣営で生きたor人生の功績の大半を劉備陣営で挙げた

これで穴がないように思えるけど、これでいい?
陳登は豪族だな
徐州がよければそれでよしって感じだし
もういっその事、蜀書にまとめて伝を載せられてる奴は皆蜀将とか?
>>198
それでいいよ。
その流れだと馬超は当然入ってくるがそれでいいの?
203無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 20:35
198でいいです。
>>202
能力のみなんだからいいだろ
>>198
同意です!

■■とかで飾って目立つように演出してください その定義。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■条件一・自分の人生の最後か、蜀の最後まで劉備陣営にいた人物■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■条件二・条件一に該当しない人物について、人生の大半を劉備陣営で生きたor人生の功績の大半を劉備陣営で挙げた■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

飾って目立つように演出してみました
(;´Д`)ウワァスゴク邪魔臭い
普通に、普通にな

〜このスレにおける該当武将の条件〜
■■条件一・自分の人生の最後か、蜀の最後まで劉備陣営にいた人物 ■■
■■条件二・条件一に該当しない人物について、人生の大半を劉備陣営で生きたor人生の功績の大半を劉備陣営で挙げた ■■
演出はかなり微妙だが
条件定義はよしと。

では候補だな
名将定義で挙げられた将+さっきあたりまで色々挙げられた将、
多分他にも候補に値するのはいると思うんだけど・・
いや、もちろん真面目にやったわけじゃなかったんだけど・・・orz
せっかくボケた206が哀れ







つまらんかったがな
とりあえず、霍峻、馬超、李厳、羅憲、あと黄権か?
と呉懿
潘濬は入らんのか・・・
>>212
だからそれだと黄権はいらんだろうって話w
人生の大半を蜀で過ごしてもいないし
蜀に骨を埋めてもいない
>>212
廖化と張翼も
閻宇がどうしても気になる…いくら人材不足といわれる蜀でもまったくの無能が右大将軍まで昇れるとは思えんのだが
蜀最後の戦いでも、魏の進攻を聞いて成都に呼び戻されているはずなのに、最後の予備を率いて防御に当たったのは諸葛瞻など若手かつ有力者の子弟武将で編制された部隊で…
一体何をしていたんだろう?晋に降ったという話もなさげだし
馬超が注目株
霍弋も入ると思うが
まあ南方平定ぶりをみても張ギョク以上の能力があるとは思えないけどね。
閻宇は事績が見つかれば面白いかもね。
馬謖はどうなんだろ
入るけど入れても意味がないような
ホウ統・法正はどうする?
作戦能力等だけ見れば十分に上位戦張れるぞ
呉班、李恢、ケ芝、高翔、輔匡、劉ヨウ、ケ方あたりも推薦しときたい。
馬超の、潼関敗戦後にも支持され再起出来る程の
異民族とのコネクションは凄いと思うけど、
どうやって作ったのかがサッパリわからん。
羌族だけなら混血って事での親近感もあるだろうけど
(氏+_)族とかはなんなんだ?
>>222
俺はホウトウに関しては入れてみても面白いと思う
戦死した状況から見ても戦の空気の中で死んでるので
兵を率いてたと言えると思う。
それにホウトウに関しては能力考察はかなり盛り上がると思われ。

法正は純粋な軍師というイメージが・・
226田豫:04/08/01 21:15
何であの時強く引き止めてくれなかったんですか・・・?
そしたら私・・・きっと・・・きっと・・・!
227馬超ヲタ:04/08/01 21:17
>>224
やつの威名は騎馬民族全体に鳴り響きまくり轟きぬいたとしかいいようがないな
228無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 21:18
霍弋は名将とは言えないかな。将軍パワーが未知数だから過小評価してしまう。
229無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 21:20
馬超はお家柄もあったんじゃないか?
馬家といえば馬援だっけ?その頃からの名門
231関羽:04/08/01 21:23
>>226
嫌がられても慕って追いかけていくべ…うわなにをするはなs(略
守りのスペシャリスト王平、漢中の後背地漢昌を守り度々戦功を立て王平に次ぐと称された句扶、曹爽の侵攻時に王平とともに漢中を守備した劉敏。
こうしてみてみると蜀にも結構人材がいたなあと思う。
一度でも劉備陣営にいた武将の中で最高の名将は
当然、曹操ということになる。
呉班・・・李異撃破、張合β撃破、水軍もいけます?、高位。
高翔・・・張合β撃破、木牛・流馬を敵にプレゼント。
輔匡・・・勇敢、南方を守りました。
ケ方・・・高潔な人柄。冷静、寡兵で敵を良く防ぎ、南蛮の土地を良く治めた。

なんというか・・・妄想力120%で頑張ってね☆・・・って感じだな。
能力考察は少ない事例からある程度の妄想働かせての考察も楽しいと思われ。
とはいえ実績から推測されるものが最大評価であるし、他人の評価はそれに準ずる
という原則はあるとおもう。
それ守って考察すればいい感じでいくんじゃなかろか
一度でも劉備陣営にいた武将の中で最高の名将は
当然、曹操ということになる。
一度でも劉備陣営にいた武将の中で最高の名将は
当然、曹操ということになる。
ん〜…例えば第四次北伐等の諸葛亮の指揮下で、一部隊を率いていただけの武将でも、「司馬イに勝った・張合βに勝った」っていえちゃうのかな?
一度でも劉備陣営にいた武将の中で最高の名将は
当然、曹操ということになる。
>>238
少なくとも建興9年の北伐において別働隊である王平らが張コウを退けた戦闘は勝利という言葉に充分値する。
曹操指揮下、陸遜指揮下の戦闘で功を上げた魏将や呉将の功績を無視できないのと同じこと。
241無名武将@お腹せっぷく:04/08/01 22:44
陳式はどうよ?
実は諸葛亮が軍部を主導していた時期に、趙雲・魏延と並んで別働遠征部隊の指揮を任された数少ない指揮官なんだけど
なんか演義とか陳寿の諸葛亮評からの邪推(?)とかでえらく評判は悪いんだがw
おまいらこれだけは言わせてくれ!
キョウイは・・・敵にとって「脅威」にはならん。以上
蜀の国家財政には脅威だったけどな
本日のまとめ

〜このスレにおける該当武将の条件〜
■■条件一・自分の人生の最後か、蜀の最後まで劉備陣営にいた人物 ■■
■■条件二・条件一に該当しない人物について、人生の大半を劉備陣営で生きたor人生の功績の大半を劉備陣営で挙げた ■■

(叩き台)
一位 諸葛亮
二位 劉備
三位 魏延
四位 姜維
五位 王平
六位 張飛
七位 関羽
八位 黄忠
九位 張ギョク 
十位 趙雲

ランクイン可能性武将のプール
霍峻、馬超、李厳、羅憲、呉懿、霍弋、廖化、張翼、ホウ統、呉班、李恢、ケ芝、高翔、輔匡、劉ヨウ、ケ方、句扶、劉敏、陳式
姜維の驚異の胸囲に、蜀の教育委員会(教委)は脅威を感じた
おまいら張飛(調子)に乗りすぎ
>>244
まとめ乙
そのプール見るとやはり馬超、ホウ統、あたりがはい上がってきそうだ。
でも結構こうみると充実してるなあ
句扶が入るなら陳到も候補に…
馬忠は?
陳到も馬忠もプールになら入るんじゃない?
プール要員ぽい気もするけど・・
馬忠は貢献部門でもそれなりだと思うが
南方経営は蜀にとっては戦略上も国家経済の面からも大事だし
その貢献部門(名将定義)では張ギョクが実質的な南方平定ぶり見してることから
はいらなかったな。馬忠でもよかったんだが。
そのへんは結構議論されてて張ギョクになった。
>>248
陳到の位置は、間違いなく趙雲の下だ。頑張って押し上げてくれ
>>253
正史には「次いだ」と記されているが
最終的には永安都督と征西将軍を兼ねるまで出世している
これは趙雲の最終位階より上じゃあないの?
名声が「次いだ」ということでしょ。
趙雲はとりあえず諡号もらってるし。
諡号は劉璋マジック
257無名武将@お腹せっぷく:04/08/02 12:43
諡号はウキンももらっとるぞ。
>>257
詞などという諡なら貰わん方がマシという気がする。
あんたがた…
人が人を信頼するのに能力だけってこたぁないでしょ?
流れぶった切って。

俺、演義しか読んでない蜀派だから魏延のイメージすごぶる悪いんだが。
正史ではどんな風に描かれてるの?具体的なエピソードも求む。
ぶった切り過ぎ。
自分で調べるか過去ログ読め。
なんでこんなにも夏は人任せの人が多いんだ
>>260
【正史】正史読者に質問スレッド【読破】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1087441251/
>>260
正史ではこんな風にかかれてる

http://www.chinakyl.com/rbbook/big5/25/shanguozhi/sgz40.html
>254
蜀の場合、はっきりしないが征四将軍より、鎮四将軍の方が上の可能性がある。
趙雲:征南→鎮東
張翼:征西大→鎮南大

特に鎮東将軍は正史で見る限り、趙雲しかなってない。
これは劉備が帝位・王位に就く前(さらに左将軍の前)の将軍位であり、もしかしたら、特別敬意を払われる位階かもしれない。
「先帝が上将の時の位階と同じ」ってのは名誉だろう。
左将軍に関しても、劉備と同格の群雄だった馬超、外戚の呉懿、荊州譜代の長老で、丞相格の向朗程度しか就任していない。
266無名武将@お腹せっぷく:04/08/02 21:48
黄崇は名将足りえた気がする。上司が優柔不断だったせいで…
>266
諸葛膽を弁護すると、トウ乂が突如、急峻な山間部を抜けて出現するとは想像もしてなかった。
それは剣閣の姜維以下、歴戦の諸将も同じだろう。
で、突然現れた敵軍に対して、おそらく黄崇の建策は正しかったのだろうけど、実戦経験がほとんど皆無の諸葛膽としては、
要害に進駐するまでの間に遭遇戦になるのを恐れたのでは?
諸葛膽が率いる部隊は恐らく成都防衛の最後の部隊であろうから、状況が錯綜する遭遇戦より、迎撃戦の方が多少なりとも状況をコントロールできる、と考えたんじゃないかな。
実戦経験が無い(あるいは少ない)場合、より堅実(であろうと思われる)な方法をとりがち。
268無名武将@お腹せっぷく:04/08/03 00:24
諸葛膽は衛将軍という高位だったが実戦経験がなかったのか…
養子の諸葛喬は養父諸葛亮の北伐の後方支援に従事して病死したのに
大事に育てられたのが仇になったのかな
当時実戦経験のある将ってどれくらいいたんだろうか?
魏が侵攻してきての籠城戦が初陣という将はとても多かったように思う。
周りが大事にしたんだろう
国家の元勲の子に何かあったら士気下がりまくり
しかし黄崇がおしいってのは同意
むおー廖化の夢見たw
諸葛膽は、いずれ丞相なり、大将軍なりになる立場だったろうから、おいそれと前線には出せないだろうな。
七光がデカイとは言え、後主以下の中央の人間からの期待は凄いものがある。
273無名武将@お腹せっぷく:04/08/03 10:19
蜀将の二代目は大成しないなあ
孔明関羽張飛趙雲とか、親父の足元にすら及ばない息子ばかり
274変質社:04/08/03 11:44
>>273
脳内補完でトウガイやカクワイを撃退したことにしています
ほとんど流浪の人生だったし
落ち着いて子を養育する環境に無かったのかもしれないね。
276野村2世:04/08/03 13:25
>273
そ・それは俺のこといってんのか・おお??
>>273
関羽の息子は、親父さんが最前線一個減らしてくれたおかげで
大役を果たす機会の半分を最初から持っていないような状況じゃないか?
張飛の息子も同様。
人材の質以前に、蜀は国が半分に減ったんだから大きな役も減っているのは考慮しないのか?
諸葛亮・姜維の北伐で若手士官が経験を積む機会はなかったんだろうか
「今武将の子弟はみな北伐で糧食の輸送に従事し…」という諸葛亮が兄に宛てた手紙ならあったようだが…
関羽と張飛の息子は活躍する前に死んでるからな
と、いうか大成する二代目のほうが珍しいだろう。
蜀の人間では無いけど、有名な親父より大成した有名どころは鍾会かな。
蜀で大成した二代目って霍弋位かな、これも親父も微妙、息子もそこそこと言った感じだが…。
孫策。親父より派手に領土広げて殺しm(略
董允はオヤジも辣腕だが、倅も大成したな。
関羽と張飛の子供たちってどうなんでしょう?
張飛の子孫張紹は文官で中央官庁の中堅どころの役職だった。
良くも悪くも書かれていない。可もなく不可もないか。
蜀降伏時に諸軍に戦闘停止の勅命を通達しに走り回った。
その後、劉禅と共に中原に行った。

たしかもう一人が綿竹で戦死したと思う。
実績はほとんど書かれていない。せいぜい並みの部隊長レベルといったところ。

関羽の子孫はホウトクの子ホウカイに親の敵として皆殺しされ血は絶えた。
こっちはそれ以外に関羽の領地を相続したぐらいしか書かれていない。
穀潰しみたいな感じ。
>>284
関羽の子供よりも張飛の子供のほうが良かったとは・・・。
そしたら、今でも彼の血筋がどこかに居るかもしれませんね。
>>284
張遵(綿竹で戦死)は張飛の孫
>関羽の子孫はホウトクの子ホウカイに親の敵として皆殺しされ血は絶えた。
いつごろの話?
張飛の男子は二人。
長男の張包は早死。親父より早かった。(演義では大活躍だが。)
次男の張紹は>>284は中堅と書いてあるが、時中・尚書僕射までなってるんで、中央政府で首相に次ぐくらいの地位。
長男の子、つまり張飛の孫は>>284の通りで尚書までなってる。これは閣僚級の地位。
張飛の一族は外戚ってのもあり、相当出世した。

関羽の子孫は関平は親父とともに死んだのは有名だが、養子なのか長男なのかは不明。
関興は諸葛亮の評価され、20歳で侍中・中監軍となって将来を嘱望されたが数年後に死亡。
関興の子、関統は劉禅の娘を娶り、虎賁中郎将にまでなって死亡。子供がなかったので、関興の庶子の関イが次ぐ。
おそらく、関統も早死だったんじゃないかな。
>>284の皆殺しは蜀漢滅亡時。
20歳ちょい過ぎで死んでるから実績は無いけど、関興は優秀だったんだろ。
親の七光りももちろんあるだろうけど、20歳で侍中になったとか、
諸葛亮に期待されてたとかわざわざ書かれてるくらいだから。
そこそこ優秀ってところだろうね
後は七光りもあってどうにかなるだろうし
諸葛亮に期待されているだけなら微妙だな…
馬ショク……
292無名武将@お腹せっぷく:04/08/03 23:08
>>291
諸葛亮の文官を見る目は確かだと思うよ。
蒋エンとか費イとか・・・
>>291
オレもそれ書こうと思った。

>>292
文官はね……。
馬謖の印象が強すぎるのは自覚してるんだが。
馬謖も文官としてなら優秀だったハズさ・・・。
そう思う演技の馬謖ファン。
内政官としてもいまいちだったと思われ。
>>295
そこまではどうかと
軍人としての大失敗なら正史から見て取れるが、行政官政治家としての失敗は無い
順調にそれなりの要職(首都の令とか)をこなしてたからそっちまで否定するのは…
孔明君が欲を出しちゃったのかな?
政治も軍事も何でもあれの万能宰相を育てるって
298無名武将@お腹せっぷく:04/08/04 14:56
初陣で要衝を与える孔明が悪い。
>>297
というより蜀が生き残るためにはそういう人材が絶対に必要だったってことじゃない?
蜀は立場上、北伐をやめる訳にはいかない。でも、北伐の繰り返しは国力を大きく低下させる。
国力の維持と北伐のバランスをうまく取るには、内政と軍事の双方に達者な人材じゃないと難しい。
例えば、内政に疎いキョウイは北伐に傾倒するあまり、国力をどんどん疲弊させてしまっている。
>>299
姜維は行政官としてなら優れた能力を持っていたと思うが。
みんな忘れてるのかもしれんが、姜維が諸葛亮に見出されたのは軍事の才能によってではないぞ。
何せ、比較された相手は馬良と李劭だし。
しかし、北伐に傾倒するあまり内務から目を背けてたのも事実
諸葛センとかが、連名で姜維の交代を求めるぐらい、北伐の皺寄せは国内にとって深刻だったと見るべきだろうなぁ
>>300
そのすぐ後の文で軍事能力を賞賛されてる。
「軍事にはなはだ敏達していて、度胸もあるうえ、兵士の気持ちを深く理解している」
って書いてある。
キョウイの場合、中央と疎遠だったってのもあるだろうな
>>303
それはそうだが、わざわざ文を分けたんだから、最初に見出されたのは軍事の才能ではなく、
優れた事務処理能力によってと見るべきじゃないか?
で、色々話したり、その行動を見て、実は軍事にも才能がある事が分かったと。

まあ、行政官としての能力なんてこのスレじゃ意味は無いが。
>>305
「馬良〜」また「中虎歩軍の5・6千を教練する必要がある〜軍事に〜」とも言った、と書いてあるから、
ただ前半は有名な人物との比較で褒め、後半はこれからやらせる事を言ったと思うんだが。
行政の仕事を任してない事から、馬良を挙げたのは有名で有能な名士を挙げただけでは?
>>303
つまり限定された軍事だけやらせとけ、と
文官というか軍政官としてじゃないの?
まぁ事務処理なら同じか
>>306
倉曹掾に任じて、軍の糧秣の管理をさせてると思うが。
>>309
うん、しかしそれは行政でなくて、それは軍政だね。
その役職も、成都の帰って直に中監軍・征西将軍に昇進させてるから、
実態があったかは、はなはだ怪しい。
姜維は実質的な漢中国王みたいなもんだから、中央も困っていたかと。

その点も関羽そっくりだな。つくづくこの二人ってよく似てるよ。
それぞれの厨は怒るだろうが。
実際に姜維と会ってる陳寿が、姜維の事を「文武両面の才を持ち」って言ってるんだし、
文の方の才もあったんだろう。
武の才しか無かったら、いくらなんでも録尚書事にはなれないと思うし。

武だけなら、都督かなんかにして軍事の統括だけさせれば十分でしょ。
孔明も、姜維があそこまで出世するとは思ってなかったのかもな。
姜維の将来を見据えるなら、漢中に留めて自分の手元に置いておくんじゃなく、
中央での人脈作りとかやらせた方が良かったと思うんだが。
>>312
俺は>303、306、310を書いたものだが、
姜維に文の方の才が無い、とは言ってないよ。
姜維は数万規模の軍隊を運用してた事や、漢中を取り仕切っていたから、
とてもじゃないが文の方の才もないとやっていけないと思ってる位。

ただ、
>姜維が諸葛亮に見出されたのは軍事の才能によってではないぞ
の部分に、姜維は軍事方面で使われていたから、それは無いんじゃない?
と言いたかっただけだから。
>>310
中監軍・征西将軍への昇進は、時期までは書かれて無いと思う。
「後遷中監軍征西将軍」とあるだけだから。
しばらくは倉曹掾をやってたんじゃないのか?
>>313
出世するとは思っていたんじゃないかな、自分が皇帝に引き合わせ、格別の処遇をしてるし。
諸葛亮の誤算は蔣琬が病死、費イは暗殺される、といった行政を担う人物の不慮の死だろうねぇ。
>>315
うーんどうだろう。
諸葛亮の、姜維には歩兵の教練をさせよう、発言や、
諸葛亮が死んだ時は護軍だったし、
そんなに長い事倉曹掾を勤めていたとは思えないが…。
地図を見て分かったが、段谷って上邽と武都の間にあるんだな。
とすると、あの戦いで姜維の企図した流れは、
魏の油断を突き再侵攻を行い、速攻で祁山を落として魏に動揺を与え、
そのまま進軍し上邽で胡済と合流、祁山陥落に加え、想定外の戦力を見せ付けることで更に揺さぶりを掛ける。
そしてあわてて対応する魏軍を撃破し、その武威で魏の雍州支配を瓦解させるってものか。

しかしながら、実際にはケ艾に作戦を看破され、祁山陥落を果たせず、やむなく南安へ。
しかしそこでもケ艾に勝利できず、東に向かって胡済と合流し、戦力増強を見せて
ケ艾を狼狽させる事に勝機を見出そうとした。
ところがいくら待っても胡済は現れない。
仕方なく上邽から武都へ撤退を図るも、ケ艾に捕捉され大敗を喫してしまったわけか。
319318:04/08/04 21:10
姜維の作戦計画自体は悪くないと思う。
ケ艾が語ってるように、例え姜維の再侵攻を読めたとしても、予測される侵攻ルートは複数あり、
場合によっては軍を四つに分ける必要もあったわけで。
その様な方法では祁山に向かう姜維を防げたかは分からない。

惜しむらくは、ケ艾が凄すぎた事だな。まさか祁山侵攻まで完全に読まれるとは。
320 無名武将@お腹せっぷく :04/08/04 21:14
段谷ってほとんど漢中といってもいい所なのに、ケ艾の方が良く知ってたというのも
凄いな。
ちょっと話題に乗り遅れてしまったが、キョウイの文武両道について。

武両道の“文”にしても色々な才能がある。例えば、
上からの命令をそつなくこなす官僚的な才能だって“文”だが、
国家全体の方針を決める内閣的な才能だって“文”だ。

キョウイは前者については多少は伺えるが、
後者の才能はプラスどころか大きなマイナスじゃないか?
確かに結果を見ればそっちのほうは駄目だったな。
323蜀将:04/08/04 21:40
こう考えると諸葛亮が見出した人材で功績を残した人は少ないですね。
ケ芝・馬忠・李恢などは劉備に抜擢されてそれなりに名を残しています。
諸葛格は指摘できて、なんで馬謖は指摘できんのか・・・
そうか?
というか見出した人材の数自体が少ない気もするけどな・・・。
326蜀将:04/08/04 21:53
それだけ蜀は人材不足だったんだな。
そもそも人材育成ってどうやってたんだ?
328蜀将:04/08/05 00:52
ふむ。基本的に最初は雑務をして、秀でた才能が有れば側近として能力を試し、
場合によっては地方に出て太守や刺史を歴任し中央に戻って高官に就かせたりするのでは?
おまえは大丈夫ですか

雑務は苦手だが高官としては秀でた者もいるだろう。
ところで関羽の北上は単に攻めて来た曹仁の撃退を目的とした受動的なものなんじゃねえの?
で勝勢には乗ったものの勝ちきれずあの結果に。

時期的には劉備が漢中をとった後の話なんで突如関羽が北上したみたいな捕らえられ方してるが、それ以前から曹仁が荊州討伐に来てる。
つまり関羽の北上は劉備の漢中奪取を受けてのものではなく(勿論影響は皆無ではないだろうけどね)むしろ曹仁の侵攻を受けての作戦行動に思えるのだけれど。
331蜀将:04/08/05 08:57
329さん。基本的といいましたよ。あなたが言いたいのは蜀の蒋エンみたいな
人たちでしょう。
>>72
ソースは?
ウスター
ツマンネ
>>332
漢晋春秋
流れを切るかもしれないけど、

>地図を見て分かったが、段谷って上ケイと武都の間にあるんだな

俺は>>318ひとりだけに対して言うわけじゃないけど、みんな、史料上の一片の
記述だけからじゃなく、しっかりと地図を見て戦争を論じてる?
「”誰それ”を撃ち破った」とか「”どこそこ”を攻略した」なんて記述だけで単純に
優劣を決めてるひと、いない?

余計な物言いかもしれないけど、時々、それらしきひとを見かけるんでつい……。
身辺雑務ということは秘書か書生みたいなもの。

その中で能力を見抜いていくわけ。
338318:04/08/05 16:37
>>336
自分は基本的に地図を見ながらやってるよ。
大体の要衝が何処にあって、何処とどの程度離れてるかとか、
どんなルートを通れば到達できるかってのも分かる範囲では理解してるつもり。
ただ、俺の持ってる地図に段谷が載ってなかったから、今までどの辺にあるか知らなかった。
上邽の周辺にあるのかなとは思ってたが。

地図見ながら色々考察していかないと、姜維の弁護なんてとてもじゃないができないし。
339蜀将:04/08/05 17:56
姜維が隴右の事を知り尽くしていたにもかかわらず、ケ艾が姜維の作戦を読みきっていたと言う事は、
ケ艾の方もそうとう研究していたということか。
地勢学の天才ですな
341蜀将:04/08/05 18:23
姜維は相手が強すぎたな。
話は変わるけど、当時の蜀の部将には漢中・隴右に詳しい人はいなかったのかな?
もし、国全体が北伐に意欲的だったら、姜維以外にも詳しい人がいてもおかしくないはずなんだが・・・
>>339
電車オタクの方が地元民よりもそこの路線に詳しいこともよくある話だ。
>>339
その地域の人間の基本的な性質や内情はともかく、情勢の推移なんてそれこそ水物。
地図オタクな上、農業に関する深い造詣、戦場の機微を読み取る事のできる洞察力、
成都奇襲を成功させる程の作戦遂行力。確かにケ艾は化け物だよな。

祁山は関中・涼州の境界を押さえる事のできる戦略上の要衝な上、ケ艾によれば豊富な麦がある。
慢性的な食糧不足に悩む蜀には絶好の地だな。
256年に姜維が侵攻しようとしたのも、孔明が何度も狙ったのもうなずける。
345蜀将:04/08/05 20:18
姜維が祁山を狙ってると知れば魏だって防備をする訳だから、何度も繰り返し同じところを攻撃してもだめだし、
かと言って、陽動してもケ艾に見破られるし・・・
しかも郭淮が姜族を懐柔した効果もあり、姜族の土地を通って涼州に抜けることもできないはず。
むむむ・・・
姜維の出陣のタイミングは大体が夏の7〜8月辺りなんだよな。
これは魏の農繁期と農閑期の境辺り、つまりは刈り入れ時だな。
この事からも、姜維が敵の食料を奪い取る事を念頭に入れてたのが分かる。

農業に精通しているケ艾にしてみれば、姜維の祁山侵攻は予測できて当然の事なのかもな。
馬超アニキが生きていれば・・・
馬岱は何をやってたんだ・・・牛金なんかにやられてる場合じゃないだろーが。
農繁期や農閑期では、田畑に作物が実っておらず、
食料を奪取するには敵の食糧貯蔵施設を襲わなければならない。
更に農閑期では、魏が牛を使った輸送も行えるようになる為、もっと不利になる。

兵站を犠牲にして機動力を確保している以上、姜維の出陣時期が限定されるのも仕方ないのか。

戦略的な選択の幅を狭めてでも戦術的な強さを得る事を選んでしまった姜維。
ニセクロさんの所にもあるが、この理由は費禕時代に強いられた寡兵での遠征にあるのかもな。
350蜀将:04/08/05 21:29
なんだか、蜀の武将について討議してるのにいつのまにかケ艾の事ばかりになってしまった。
姜維は自分が蜀で浮いていることを知っていたのだろうか?
身の危険を感じて沓中に留まるぐらいなら、張翼・寥化の意見を聞けよ。
ランキングはどうなった?
そういえば夏侯覇って蜀将でいいんだろうか?
個人的な印象としては姜維と夏侯覇は「混ぜるな危険」って感じだが
353蜀将:04/08/05 21:58
夏侯覇は政治的理由で亡命したんですよね。
彼が来たことにより魏の事情を知るものが居るという事で姜維の雍州侵攻に熱が入ったかも。
結果的には失敗したが・・・
あんまり業績が書かれてないんだよな・・・。
>>348
演義と違って正史の馬タイは馬超の副将として活躍してたという記録は見られない
部下が離散した魏延を殺したぐらいだからなぁ
将才は微妙だろう。それでも平北将軍にまで昇ってるが…
役に立ったかというと、そこは微妙な所だ。
結局、彼がもたらした有力な情報は、「鍾会は危険」ということだけだった。
魏の王族に連なる者が、蜀に亡命したのは大きかったと思うが
内部情報も手に入っただろうし
ただ、それを生かす国力の余裕も人もいなかったわけで
とは言うものの、事績不明の胡済は驃騎将軍、句扶は左将軍まで
上っているのに対し、馬岱は馬超の親族であるのに平北将軍・・・
すっごい微妙。やっぱ活躍はしてないんだろうな。
359蜀将:04/08/05 22:19
馬岱は陳倉侯という爵位を持ち、馬超の実質上の後継にもかかわらず、伝を立てられてないのは、
功績が少ないか、資料が少ないかだな。字を伝えられず死んだ年もわからず・・・
馬岱は魏延を切ったりもしてる。
結構謎な男馬岱。
そこにシビれるアコガれるぅ
姜維に足りないのは謎っぷりか
諸葛尚は?
蜀将のほとんどは謎だらけ
姜維に足りないのは
足りない物だらけだが・・とりあえず「勝利」だなw
相変らず雑魚オタが擁護してるが「無意味」だな。
所詮「負け犬」だし
「負け犬」なのは蜀という国そのものだろ
曹操がエンショウを併呑しきる前に劉備がもっと勢力を拡大させていれば何とかなったかもしれないけどね
魏と蜀では力の差あり杉
>>365に足りないのは「品性」かな
馬超の持ってる異民族へのコネクションは
馬岱には受け継がれなかったのかな?

そうすると、
馬超のコネ=名家である馬家のコネ
というわけではなく、馬超個人のツテになるわけで、
おぉー馬超スゲーじゃん!!!と自己完結出来る。

なので、個人能力ランキングにさっさと馬超を入れてやってくれ
馬家のコネクションがあったとしても、親馬超派などは馬超が曹操に撃破された際一掃されてる気がする
371無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 01:47
能力最強は趙雲だろ
・乱戦中、婦人と子供を守って戦える冷静さと武勇
・少数の手勢で曹操本隊とやりあえる智略と戦闘力
・曹真の軍勢を陽動誘引し、味方が崩れた後も冷静に撤退
・戦場以外でも諫言等、識見を見せる
小粒?別伝だから信憑性いまいち?だから何?
>371
同意。少なくとも彼に匹敵する将は蜀にはいない。
劉備や孔明は入れる方がおかしい。
趙雲好きなんだね
結局、個人の好みみたいだね。
>>371
張雲については陽動は結構凄い
黄忠漢升が一番好きだな。
>>375

名将曹真率いる魏軍本体を寡兵(1万くらい?)でくぎ付けにしたんだもんな。
相棒が名将ケ芝だったとはいえ、これは立派な戦歴だと思う。ま、地味っちゃー地味だがw
能力ランキングに移る前に妄想ランキングというのはどうだろか?
冬に桟道越えて出陣した記録ってある?
やっぱ、冬になると通行不能になるのか?
380蜀将:04/08/06 07:22
趙雲は博望で捕らえた夏侯蘭が旧知で、法律に明るいことを述べて軍正に推挙したが、
あらぬ疑いを避けるため夏侯蘭とは積極的に付き合わなかった。
身のこなし方がうまい人物といえる。
まあただ斜谷道だっけ?あそこは人一人通るのがやっとの地形らしいから
そこで曹真を迎え撃つ指示をした孔明の作戦が完璧というべき

ああいう場所だと五千VS三万でも実際戦うのは最前列の数人ってことになるから
大軍の意味がない場所 陽動にはもってこい 
べつに趙雲が超人ってことじゃないよ
>>381
じゃ隘路を抑えながら敗北した張衛とか張合βの立場は…
383蜀将:04/08/06 14:32
張衛と張合β、それぞれどういう経緯で敗北したか具体的に教えて。
384無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 14:48
リョウカとチョウヨクの小粒コンビが好きです。
385無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 14:50
小粒な理由を聞きたいのですが・・・
>>383
張衛は確か曹操と戦った時
張合βは巴西で張飛と戦った時
どちらも奇襲でやられてたはず。記憶違いだったらスンマソ
>>382
張コウの敗北が張飛との事を言ってると解釈して話を進めるけど、張飛の手勢は
一万の精鋭で、かつ宕渠・蒙頭・盪石の三方で対峙したという事は、兵力の分散
を強いられたという事だろうし、実際、山道は狭窄で前後の連携もとれなかったと
いう以上、ここでは兵力で張コウが劣勢下にあったか、張飛がより地の利を扼した
結果とも思う。
もともとこの時の張コウの目的は戦闘よりも移民を主眼に置いていたはずだから、
あきらかに戦闘目的の張飛よりも寡兵だったとは思うんだけど…。

張衛の場合は隘路ではなく、陽平関で曹軍を邀撃したんじゃないの?
388蜀将:04/08/06 15:09
386さん。どうもです。張衛の場合は自軍が五斗米道軍で調練もできてなさそうだし、
相手は中原の覇者曹操だからね。いくら要所を押さえていても士気の違い、兵力の差で押し切られてしまったのかな。
389381:04/08/06 15:12
>>382
簡単にいうと          張飛=飛
                張コウ=張
飛飛飛飛
飛張張張張張張張張張張張張
飛飛飛飛

こういう状態で張飛が待ち伏せしたので
この状態で張コウが勝つのはまずあり得ないということ

まあ張飛伝はおおげさでこりゃたまらんと張コウが逃げ出した
だけかもしれないけどね

趙雲は陽動が目的なのでだいぶ状況が違う。
ちなみに張衛はよくわからんです
390蜀将:04/08/06 15:16
奇襲は勝ちにいくもので、陽動は負けなければいい。でいいのかな?
曹真本隊を釘付けにして、敗戦後は軍をまとめて軍需物資も保全して撤退した趙雲の力量は認めていいのでは
392381:04/08/06 15:29
>>391
まあ任務を着実にこなした点は評価できるけど
単純に5千で3万抑え続けた超人ってのはちがうかなと。

3万といえども狭い道では展開できないから大軍の有利さが死んでいるので
そういう場所で迎え撃つ戦略を練った孔明にすごさがあるとおもう。
>>392
実施者より立案者を高く評価するならそうなるね
第一次北伐の基本路線は陽動で敵兵力を分散させて、西方に出て魏領を切断・蜀勢力を扶植することにあったみたいだから
>>392
孔明が凄いならバショクつかうなよ。
ただのえこひいきだろ・・
>>391
本隊の敗戦が原因で撤退したというのもあるけど、実際、趙雲の別隊も兵力差が
原因で敗れてる。

それに桟道を焼いて退いてるから、後退は平野部での戦闘よりは安全だったかも
しれない。

それと、>>381に訊きたいんだけど、趙雲が五千、曹真が三万、という数字は具体的な
記述に拠ってるものだった?
趙雲を陽動部隊司令にしたのはわかる
なんのかんの言って、蜀軍最古参で、(別伝の記述を信じるなら)漢中で曹操の親衛軍(?)とやりあうなど武名がそれなりに知られていてもおかしくない
多分、馬超死亡後名前だけで魏を注視させられる可能性があったのは彼ぐらいだろう
ただ、街亭の馬ショク起用については…単に自分の派閥の若手だから起用した、としか思えないなぁ…
397381:04/08/06 15:53
いや別に俺は孔明に特に思い入れがあるわけではないが
第一次北伐についていえば馬謖以外は孔明は完璧だったなあと思うだけでね
馬謖については孔明の人選は間違ってた。
孔明自身が軍人出身でないのでは武人についての評価があまり出来てないように思う
>>395
それと当時の具体的な兵力を割り出すのは難しいからおおまかな計算で出したよ
当時の蜀の動員可能兵数と魏の対蜀動員可能兵数を出してそこから割り振って
出したのが趙雲五千、曹真三万
趙雲は5千-1万ぐらいかな?
まあかなりアバウトだし正確な兵数は誰もわからないと思います
>>396
基本的に孔明マンセーのハイショウシがわざわざ漢晋春秋
の記事なんてのせて批判してるからね。
街亭の一件に関しては孔明に弁解の余地は無いな。
その他の人選に大ポカは見られないんだけどなぁ・・・。
400蜀将:04/08/06 16:46
蒋エン・費イの抜擢は最良ですね。費イの暗殺が無ければ国政も安定したと思われますが・・・
二人とも死んだ時の年齢はわからないわからないけど、50歳代なのかな?
401381:04/08/06 16:55
>>399
確かに大ポカはないけども有能な武官になりうる人間を見いだせてなかった
というのがある。まあ強いて言えば姜維ぐらいかな。まあ微妙なんだが・・

その理由に孔明は「良い子」が好きというのがあって
戦場に必要な、生命力があって、相手を騙すのが上手くて、喧嘩が強くて、
ってタイプの人間のもつ欠点、威張り散らすとか無教養とか、
そういう欠点をもつ人間を受け入れられないので
自然とこじんまりしたのばっか見いだしてたんじゃないかな。
まあ文官を見いだすなら孔明が好むようなタイプの方がいいのかもしれないけども。
小なりとはいえ国家になると軍制とか序列とかが固まってて、下っ端から叩き上げて将軍に…というのは難しくなるのかな
元はといえば劉備自身がいわゆる叩き上げなんだが…
>>402
それは違うぞ。トウガイだってたたき上げ。
仲達に農業関係のレポートを書いてみとめられ
出世したんだ。
蜀には魏の中正官人方のような身分登用制度自体が
なかったのが問題。
無かったのか記録されてないのかはよく分からんけどね・・・。
史官がいなかったんだっけ?
405蜀将:04/08/06 17:27
蜀は漢室再興を掲げているので制度のほとんどは後漢の制度のまま。
なので、本質的なところは後漢と同じ。だから宦官の台頭を抑える制度も無く、後漢の歴代皇帝の過ちを劉禅は繰り返してしまった。
また臣下もそれを正す事ができなかった。
蜀は立場上、必勝よりも不敗に重点を置かないといけないんで、
>>401が挙げるようなタイプの武官は怖くてとても重用できない。
むしろ姜維が「良い子」になりきれなかったことが蜀を疲弊させる
一因にもなっているぐらいだし。
>>403
それは叩き上げではなくて、横滑りでは…?
どうでもいいけど、やっぱ陳グンに逃げられたのは
本当に痛いよな。
法制とかについては孔明など足元にも及ばんからな。
ケ艾は尚書郎→参征西軍事・南安太守→討寇将軍という経歴
中央官庁の文官→地方の参謀・行政官→将軍職にという流れだから叩き上げといえるのかどうか…
どんでん岡田を歴史上の人物に譬えると

http://ex8.2ch.net/test/read.cgi/base/1091483977/l50
>>406
それは言える、『諸葛亮の後継者』的意識からなのかヤンチャな北伐はちと・・・
潜在能力的にはイイモン持ってた(かも?)
412蜀将:04/08/06 19:57
質問なんですが、王平や馬忠、ケ芝は叩き上げの将軍といえますか?
ちなみに全員劉備に認められてますが。
>>412
王平は別に劉備に認められてない気がする。
王平が頭角を現したのは、馬謖が失敗した後の事後処理を立派に果たし、
それを諸葛亮に賞賛されてからだから、叩き上げ半分、諸葛亮の抜擢半分くらいかな。
>396
趙雲ってそこまでのネームバリューあるの?
魏書とかに名前出た事も無かったと思うんだけど
馬忠も横滑りしたケース
ショウカ(?)太守→丞相参軍だから、叩き上げとはいえないような
>>414
実際に陽動にひっかかったんだから知られてたとみるべきじゃ?
諸葛亮の旗でも持たせた可能性も高いけど
趙雲の陽動は、孔明が北伐開始時に「斜谷を通ってピを奪取する!!」って宣伝してるからな。
>412
王平は劉備に属してから、10年ちかく詳細が不明だが漢中方面の一部隊長を務めてたようだ。
ほとんど文字も書けない、ってくらい出自が低いから点からも叩き上げ、ってのが似合う気がする。
馬忠は夷陵の役の際、諸県の援軍を率いて、劉備に謁見できるのだから、巴西郡では有力な家系の出自かもしれん。謁見の際、劉備に評価されてる。
ケ芝は元々、荊州出身で、劉備が即位する前に評価されてるし、その後も太守、中央政府の官僚を勤めてる点から、それなりのラインに乗ってたと思う。

まあ当時の蜀にネームバリューがありそうなヤツって居ないけどな。
諸葛亮自身もあんまり知られてなさそうだし。
許靖・馬良・劉巴
>420
北伐の頃は死んでんな、みんな。
諸葛亮も趙雲も知られてないってか。
423変質社:04/08/07 00:45
>>408
足元にもおよばんはいいすぎ
結構劉備は人材を積極的に登用しているよね。
1回面会しただけで、こいつは使えると判断したら、そのまま重要な仕事を任せる事だってある。
蜀を領有した後でもこの方針を貫いて、積極的に人材を発掘していたのは凄い。
とてもじゃないが、そんな暇あるとは思えないんだけどね。

問題なのは、魏はそれを制度にしたんだけど、蜀は劉備が個人的にやっていただけってとこなんだよなあ。
だから劉備が死んだ後は、その遺産が遺産を活用するだけになってしまった。
なんで劉備ってああも人を見る眼があるの?
人材登用もそうだけど、世渡りの巧みさにも関係してるのかな?
取捨選択を上手くしていかないと生き残れない人生だったからかな
劉備のアレは才能としか…
そんなとこが魅力
関・張の二猛将を最初から引き連れてるのも劉備の凄さか
もし劉備に曹操並の基盤とコネが最初からあったら歴史はどうなっていたか…
>>429
どうだろう?案外あっさりやられたかもしれないかも。
放浪の身だからに身についた物もあるだろうし、基盤を持つが故に身動きが取れないこともあるから。
劉備の良さはあの負けたら敗走を繰り返せた、身軽さでもあるから。
北から南へと敗走し続けた、あの移動距離は凄い。
まあifだからなんともいえんが・・
苦労人だったからこその能力もあるだろうな
苦労したからって誰でも身に付くものではないし
そこは劉備の才能で、しかもかなり凄い
最近劉備の評価も変わってきてるんだな 戦闘能力とかも
>>431

曹丕とか孫権なんかより全然戦上手だよな。
劉備と劉禅の本質的なところの違いは、
「苦労をしたか、苦労をしてないか」
というものに集約される気がするな。
ところで孔明が自分より上、と持ち上げた劉巴はどうなの?
事跡を見ると実戦指揮官としちゃ活動してないんだが
と、いうか劉備陣営の役に立ったためし自体無いような
劉禅、暗君っていうより凡君中の凡君って感じだよな。
最後の「蜀が懐かしいか」のエピソードは、やっぱり親父譲りの処世術だったんだろうか。
436434:04/08/07 03:41
軍人として、ね
437無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 08:47
「蜀が懐かしいか」のエピソードは劉禅の馬鹿さを世に広めた出来事だけど、
435さんの意見も無いことは無いね。でも、蜀滅亡時の一件を考えてもし劉禅が「蜀が懐かしい。帰りたいです。」なんて言っても、
謀反の罪とかを着せられて殺されはしないだろ。それか本当に暗愚だったら・・・
438無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 09:03
結局、素質としては劉備=劉禅であり、

 育ちが悪いのでハデ好きの遊び人となり、苦難の末に能力を高めた劉備

 育ちが好いのでお人よしのボンボンとなり、苦労することもなかったので能力的にも伸びなかった劉禅

なのだろう。
439無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 09:10
劉禅に必要なのは処世術だけでなく、君主としての器を民衆に理解してもらおうという努力だな。
ま、数々のマイナスエピソードを見ると、劉禅より、孫権の方が圧倒的に暗君に見えるけど、
評価は逆なんだよね。やはり闘わないと駄目なんだろうね。
あれで負けていたら、孫権は様々なエピソードと合わせてカス認定されていただろうに。
孫権は晩年以外は名君らしさを出してるから。
劉禅は暗君らしいエピソードはあんまりない。
>>440
孫権の場合は人材活用がうますぎるんだよな
劉禅とは比べられないだろう
443無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 10:55
劉禅が抜擢した人材や、気に入ってた臣下(宦官除く)はいるか。
>>443
陳祗を相当信頼して頼りにしてたらしい
席次はキョウイより下だったのに実権はより大きかった、と正史に明記されてるぐらい
封侯もされてるね
>>444
けど陳祗って、天子に媚びへつらい、とか言われて評価は低い気が…。

劉禅は暗愚は暗愚だったんだろう、ただし暴虐とか猜疑心が強いとかじゃなくて、
素直というか、まさにボンボンの二代目と言った類の暗愚。
白糸とはよく言ったもんだと思う。
446無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 14:04
という事は劉禅は自分と気が合う者を信頼したということか。
後漢歴代皇帝の教訓をまったく生かしてないな。
シュウショウはどうだろう?
劉禅に降伏を勧めたことで、評判はよくないが。
キョウイの北伐に対する批判とか見ても、少なくとも劉禅本人と
蜀にたいする忠誠心は本物だろ。漢の臣下としては失格かもしれないが。
生粋の蜀人の名士として、もう蜀漢の歴史的役割は終わったと判断して
成都を戦火にまきこむより、劉禅に天寿をまっとうさせようとしたんだろ。
ただの学官で実権が何もなくキョウイも黄皓も抑えられなかったのが
残念だが。
まあ良くも悪くも学者ってイメージだなぁ
昨夜から魏スレは大荒れ
最近の蜀スレは平和だねぇ……
>>449
個人的には平和よりも、ちょっと位荒れてる方が、
議論も弾んで良いんだけどなぁ…、まあそうなったら平和が恋しくなるんだろうけどw
魏スレは沈静化しそうだぞ
劉禅は暗愚ではなく凡愚。

ただし、お気に入りの黄皓と姜維が対立してても
姜維を誅さなかったし(普通なら姜維はアボーンもしくは解雇)、
シュウショウの発言(無礼討ちされても文句は言えない)でシュウショウに激怒したわけでもない。

諸葛亮が没後は丞相には誰も就任させず、黄皓には才能が無いと明言し人物評もワリとまとも。
生まれつきの才覚は案外高いのかもな。

(なぜか、劉禅の事を悪く言う気が起きないのは私だけ?)
>>452
根っこが優しいんじゃないかな、誰も傷つけたくないとか。
蜀に人材が少なかったというよりも、
人材抜擢能力のある奴が少なかったのが致命的。
(劉備の死後特に)

中途半端な役職の人間だと、自分が抜かれる事を恐れるので
人材登用に励む訳がない。
だからこそトップがしっかりしなきゃいけないのだが、
劉禅だからね。
結局そこにたどりついてしまう。
負けた国だから人材がいても分からないってのもあるよ。
後は単純に蜀が小国だからとかさ。
指揮官の世代交代が円滑に進んでいないからな蜀は
老齢の張翼・リョウ化が最後まで一線を離れられない反面、実戦経験がそれまで認められない諸葛センやら文官の職しかもたない連中やらが綿竹に出ざるを得ない
これだとちょっと
>445
陳祗に関しての正史の記述は少し矛盾してるようなトコがある。
上に媚びへつらい、宦官につながり・・・云々、って部分を見ると黄皓と手を結んで政治を行ったと見えるんだが、
黄皓が異常な権力を握った、って記述があるのは陳祗の死去直後の258年から。
それ以前の黄皓の官位は普通の宦官そのもの。
陳祗の生前、黄皓は権力をほしいままには出来なかった。
と言うか、陳祗が黄皓を抑え、上手に使ってたんだろう。
蜀漢の場合、宦官(黄皓)の弊害はほとんど無いに等しかったんだが。
黄皓関係は陳寿の私怨(?)みたいなものが交じってるからな
あれ、誰だっけ。
蜀の滅亡んときに家族で自害した劉禅の息子?
あれってどうよ、もし劉禅から彼に皇帝が代わるまで蜀が続いていたら、まだ見込みあったと思うかね?
>458
他のスレにも書いたんだが、陳寿は後漢末からの清流派の系譜に連なる人物だから、宦官は唾棄すべきもの。
少しばっかり政治に手を染めただけでも言語道断、って感じじゃないのかな。
本来、陳祗は清流派の大物・許靖の後継なんだから、陳寿以上な対応でも不思議じゃないんだが。
陳祗は政治的にリアリストだったのかもな。使えるものは使うと。
そう言う政治スタイルだと、陳祗に対する陳寿の評価はより一層厳しくなるだろうな。
>>459
特に業績があるわけでもないのでなんともいえないが・・・。
蜀が滅びた原因は別に劉禅一人にあるわけではない以上、
そこそこの人間は主君になっても大勢は変わらなかったと思う。
>459
自殺したのは劉ジンって言ったかな、確か。
彼は五男なんで、帝位には就かん。
長兄の劉センってのが皇太子。
劉センは姜維と一緒に死んでんだよなぁ・・・。
劉センに代替わりしたら、より一層戦争で国力下げまくりかもしれん。
でも国王が協力的なら国を挙げての北伐になるし、万が一の大勝利もありえた気がする。
劉禅は充分協力的だったぞ?
成都には十万の兵がいたんでしょ?そいつらが北伐に加われば、もっとやれたんじゃない?
いや…、いくらなんでも本拠地空にはしないだろう…。
まぁ、6万くらい寄越してくれそうだけどな。訓練度や士気はどうだったのやら。
兵が居ても兵站が続かないという問題もあるが・・・。
>>465
いや、蜀全土で10万強だったはず(兵籍に載っているいわゆる帯甲将兵)>降伏時で
>>457
いや、政治が乱れていた事は確かだと思う、かなり大赦が頻繁に行われてるからね。
それに黄皓の弊害は呪術を信用して、姜維の敵に備えてくれ、という警告を握りつぶしたりしてるから、
無いわけではないだろう、ケ艾も黄皓を処分しようとした位だし。
470無名武将@お腹せっぷく:04/08/07 21:29
蜀滅亡後の黄皓はどうなったのかな。劉禅に仕え続けたのか。
演技だと賄賂ばらまく→助からず殺される
地味なところで孫乾なんかどうでしょう。
劉備の流浪時代から頑張ってる人だと思うんですが。
しかし、横山三国志でスマンが、この人明らかに戦に出てたよね。
文官も戦に出ることってあったんですか?
>>472
文官でも戦に出ます
そもそも武官文官というくくり自体が誤認をはらみ易い
>>472
孫乾は外交の人。袁紹や劉表の所に使者として赴いてる。
あとは麋竺に次いで簡雍と同等の礼遇を受けた、位の記述しかない。
徐州から劉備にずっと付き従ってるわりには記述が凄く少ない。
なんたって漏れの持ってるちくまの本では補足を合わしても、11行しかない。
他の武将も蜀入り以前の記述がほとんど無いに等しいよね。
放浪してたから記録を残すどころじゃなかったのかな。
それで、陳寿がその頃のことを書こうにも史料が無くて書けなかったと。
476無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 03:18
>>469
大赦は北伐による死者、逃亡兵があまりにも多いため軍の確保が難しいので
行われてたのが主な理由。
黄皓の政策的な失点というより北伐が起因のやむを得ない政策と見るべき。
>469
概ね>476が代弁してくれてるんだが、あと一つだけ。
呪術で姜維への援軍が送れた、云々ってのは、黄皓が呪術をもとに援軍の必要は無い、って進言しただけで、実際にその進言が取り上げられたかは不明だよ。
>>476
いや、俺が言ってるのは黄皓だけでなく、陳祗の含めての話。
大赦の乱発自体は姜維が大敗する以前から行われてるよ、もっと言うと費イの生前から。

234・238年・243年・246年・249年・251年・254年・256年(←ここで姜維が大敗)・257年・258年・261年・263年

ちょっと大赦が行われた年を書いてみたが、238年から243年までは結構空いてるのに、
その三年後に再び大赦が行われてる、そして246年あたりから大赦が増えだしている。
この246年はショウエンが死んだ年で、魏略では劉禅が国事をみることになった、と書かれてるけど、
この年は董インが死んで、陳祗が侍中になって黄皓と助け合うようになる年でもある。
正史では費イが政務一切を取り仕切っていた、と書いてるけど、それが非常に疑問。
費イは248年から漢中に駐屯して、251年の帰ってきた時、都に宰相の位がなくなってる、
とか言って再び漢中に帰っちゃうんだよね、で、この251年は呂乂が死んで、
陳祗が侍中守尚書令・鎮東将軍になった年でもある、おそらく朝廷での実権が
費イ<陳祗になっていたんじゃないかな?

243年は諸葛膽が騎都尉を拝命した年で、その翌年からかなり出世している。
功無き者を無闇に出世させてる事から、243年から政治腐敗は始まっていた、と言えるかもしれない。

>>477
取り上げられたかどうかは不明だが、結果として援軍は遅れてる。
権力を持った人間の進言だから、やはり影響があったのでは?
それは悪い方に見立てた推測だよね。
政治腐敗云々よりも
漢中に軍権が、成都に政権が分離したままだっていうのが問題だったと思う
姜維が北伐を連年続けたこと・解任の動きを屯田を名目に回避したことなど、軍隊主力は国家の統制を離れはじめていた節がある
漢中と成都の政権分離は諸葛亮がまいた種なんだが。
偉大な丞相の負の遺産が、後継者達を苦しめられることと
なったのは皮肉ですな。
482無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 05:00
意味なくage
>478
俺も費イの国政運営に関しては疑問に思う点が多いよ。
陳祗の抜擢は費イが行ったんだしな。大赦が多いのもそう。
まぁ、234は諸葛亮の死、238は改元、ってのがあり、仕方ないだろうけど。
費イは後主が太子時代からの臣下なんで、信任の厚さから、慢心があったのかな、と。

諸葛膽に関しては、内親王を娶ってるし、大功臣の跡継ぎだし、そんだけ期待されてたと見るけどね。


>>481
まあ東晋みたいに軍閥化しなかっただけでも良しとしよう。
485無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 11:04
姜維の要請による張翼・リョウ化軍北上が遅延したのって、漢中に成都の貴重な軍事力を吸収されることを恐れたからかなやっぱり
魏の襲来を口実に軍事力を武将が一極集中で確保して、国を壟断するというのは成都政権にとってはある意味魏の侵攻より実現性の高い悪夢
その後はエンウを慌てて対呉方面から呼び戻したり、実戦経験のない諸葛センに2万程度を与えるぐらいしか余力が無かったわけだし
486無名武将@お腹せっぷく:04/08/09 16:36
漢中と成都で権力が分断されたのは諸葛亮が北伐の前線基地として南鄭に丞相府を置いたもあるが、
費イの時代成都ににいる雲気を見て吉凶を占う占師が都に宰相の気がなくなったと述べたので、北方の漢寿に出て駐屯した。
というのが『費い伝』に記載されてる。まあいちよう知識して覚えてくれれば。
張梯はかっこいいけど、諸葛センはへたれ
諸葛セン、実戦経験ないのにいきなり成都防衛の最終兵力持って送り出されて
しかも幕僚はほとんどが文官(黄崇は判断力がきちんとあったようだが)
同情の余地はあると思うが
それに最後は降伏せず息子共々蜀に殉じている
実戦経験無いのに、一度はケ忠と師サンは撃退してるしな。
成都の目前まで敵が来てるんだから、死ぬか降伏するかの2択だ
本来ならその前に手を打つべきなのに、宦官と一緒に何をやってるんだか
>>490
あの場合は仕方ない面があると思うが
蜀軍主力と対峙しているはずのトウガイが、いきなり隘路を突破して出現するとは普通予想できない
姜維でさえ読めなかった事を、戦に慣れてない成都の連中に予測できるわけがない。
更に、一度は撃退されたのに、そこで将兵を叱咤し、あくまで作戦を遂行しようという
ケ艾の異常なまでの意志力を考えれば、諸葛瞻はあれでもよくやった方だろう。

まあ、落ち度があったのも否定はできないが。
トウガイの奇襲は、ショウ会という性格はともかく決断力にすぐれた将帥により実施できた
一方魏延の奇襲は、慎重派の諸葛亮に駄目出しされた
魏延かわi(ry
魏延のはダメ出しされても仕方ないだろ。
もっとマクロな視点でさ、姜維が北伐続けてるときに止めセルなり、協力するなりするとか
ケ艾が来た時点でもう滅亡は免れない訳だから、もう国はどうでも良くて、
あとは自分の生き様が後世にどう伝わるかだけだな
また姜維の話で恐縮だが。
剣閣放棄から降伏までの流れを見ても、姜維の軍の機動力がよく分かるな。

諸葛瞻の敗死から姜維が鍾会に降伏するまで、その期間はおよそ1ヶ月だが、
その間に諸葛瞻敗死を察知し、剣閣から直線距離で150km程離れた広漢郡シ県に到達、
そこで劉禅の降伏命令を受け取り、更にシ県から直線で100km程の所にある涪へ向かい
そこで降伏したわけだからな。

実際、諸葛瞻が要害を固めて粘ってれば、姜維が剣閣守備隊の一部を割いて諸葛瞻のもとに
急行する事もできたかもしれん。
剣閣ほどの要害なら、姜維がいなくとも廖化や張翼で、諸葛瞻を救援する間守りきる事はできたように思えるし。
>>494
トウガイの作戦、無茶度ではギエンの長安作戦と同じぐらいのレベルだぞ。
俺たちは結果を知ってるからつい甘くみてしまいがちだけど。
トウガイが成功したのは、
魏延の策のほうで言えば長安に夏侯ボウしか居なかった、って状況だったからだよな。
姜維が成都のほうまで来れないだろうって予測もあったろうけど。
・守備隊長馬邈の降伏
・諸葛センの不備
・劉禅があっさり降伏

トウガイが成功できたのは上記の3つがあったからこそで、
蜀国内が既に結構ガタガタだったのが大きい。
作戦立案時の推定成功率の低さや不確定要素の多さにおいて、
「成都急襲作戦≒長安急襲作戦」ってことでファイナルアンサー?
地勢学に優れたトウガイだからこそ不可能を可能にしたと言える作戦だな
唐突だが趙雲って魏の曹操における韓浩みたいな存在っぽいな。
屯田制のような正史に残る政策の提言こそしてないけど。
>496
わかったから。機動力があろうが負けたら一緒。
姜維は「負け将軍」に変わりはない。
下手でも勝つ将軍の方がエライし、蜀の国力考えたら
奴は戦下手すぎ。
なんか定期的に姜維アンチが来るな
キョウイマンセーな輩が常駐しているのもなんだがな
まあまあみんな仲良く!!
蜀バンザーイ!!



>>503の言ってることは間違ってはいない。姜維の弱みはまさにそこにある。
でも残念ながら国への貢献度で決めるランキングは前スレで終わってるんだ。
今決めているのは貢献度はいっさい省いたうえでの才能ランキング。
>>496の書きこみはスレの流れに沿ったもの。>>503はお呼びじゃないな。
しかし、諸葛亮の作ったいくつかの器具の中で、牛車は再現できないんだってね。
連ドとかいろいろ苦労した人なんだね。
馬奄たたえよ
蒲元も
呉はこういう発明家というか技術家みたいのいない?
>>511
その質問は呉スレでするべきなような・・
占い師ならいるけどなぁ
514変質社:04/08/11 23:16
魏延は張遼や曹仁とやっても負けないと思うなあ

はい妄想です


>>514
うっさい!ぼけ!
515無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 16:59
能力でいえば
魏延>姜維はもう確定?
>>515
いやぁ,どうだろう。
姜維は謀殺とかもできるけど,魏延は実直なのが取り柄だからな。
諸葛亮陣没に立ち会えず最前線に居たうえに,ヨウギ+ヒイという知謀の士とやりあったって点を除いても,知謀の面では評価出来ないのではないかな。

軍事的な才だけならともかく,能力だけでの評価では,総合的に判断して姜維の方が上かも。
>>516
謀殺って…智謀の士とやりあったってどこの話?
魏延…諸葛亮死後の政争で謀反人として殺されるまで不敗。文句はいっても役割に忠実
姜維…外の敵には勝率が悪くしかも大敗を繰り返し、罷免を強引に回避するなど身勝手。政治についても理解が薄く国力衰退国内の反感を買う
>>518
不敗っていってもそんなに場数こなしてる訳でも、奇跡的な大勝利を収めてる訳でもないし、
基本的に諸葛亮の指揮下でに活躍だからなぁ。
本人の最後も謀殺された、というよりは自滅してる感がある。

最大瞬間風速を取れば姜維が上、マイナスを含めたトータルなら魏延が上、
って感じじゃないかな。
魏延は大勝利はあるぞ。
奇跡的というほどではないが
王双が斬られた
王双が斬られた
・・・う〜んバタッ
>>520
費謡・郭ワイを陽ケイで打ち破ったやつかな?
大いに打ち破ったらしいけど郭ワイ伝には載ってないし、
ちょっとインパクトが薄いかな、と思う。
523無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 19:11
>>517
謀殺はヨウギを陥れた件。
知謀は文中に書いてある。
姜維は五丈原撤退の立役者でもあるしな。
少なくとも知謀の点では姜維のが上じゃないか?
>>523
ヨウギは自滅だろ。
姜維の智謀って魏延が大過なく抑え、王平が防衛した漢中に思い切り隙を作るような献策でレベルは知れてるよね
>>525
ヨウギって普通に考えたら楊儀じゃなくて楊戯だろ。
自分に諂わない相手を、誣告で免官させるキョウイ…
それはマイナスポイントだろ普通w
ああ、そっちか・・・。
しかしあれは智謀っていうよりも政治力じゃないのか。
>>528
自分に諂わない相手(しかもかなり格下)を免官すらさせれなかったのが魏延
人物評価や武将としての評価ならともかく,能力のみ評価ならマイナスポイントだろ
やっぱキョーイの政治というか国内方面は駄目駄目だな。
いや、まあそこまで酷いってこともないけど・・・。

純軍事的に考えるとなぁ・・・。
大敗してるけど大勝もしてるんだよな。
戦略自体もそう悪いものでもないし。
>>530
能力じゃねぇだろそれは
地位を利用しただけじゃん。悪党かそうでないか。それだけ
(まぁ魏延も剣つきつけたりと大人気無い事には代わりないが)
>>531
大勝は王経戦ぐらいで、あとは大敗か成果なし
戦略だって失敗している
蜀末期の防衛戦では魏侵攻を予測したり、包囲されかかったのをかわす・敵と対峙しながら素早く軍を撤収させるなど見所はあるが
それは元はといえば自分の北伐のツケを防衛システム変更に回した結果
>悪党かそうでないか
政敵を排除するのが悪ですか?と。


でも楊戯の件は能力評価には関係ないだろう。
>>533
戦略は失敗ってよりも阻止されたって感じだけどな。
>>534
楊戯が姜維の政敵?
政敵というか、自分の思い通りにならない相手。
大将軍とあろうものが一校尉の態度が気に食わないからって…
いや、すまん。確かに褒められた行いじゃあないけど
いきなりそこから「悪党」とか言うもんだから、姜維厨としては思わずカッとなってしまっただけです。
しかしながら、自分を嫌ってる人間が出世してしまえば今度は自分が危うくなるからな。
更にあれは段谷の直後で、中央でも姜維を疎み始めていたし。
歴史の隙間からうめき声が聞こえてくる。
    _  ∩
  ( ゚∀゚)彡 おっぱい!おっぱい!
  (  ⊂彡
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   し ⌒J
つまり端的に言うと
魏延は......
 >尊敬に価するがそれだけでは覇業をなすに十分とはいえん
姜維は......
 >光には影が従う
って感じだろ
結局、新たに能力基準で円満にいったのは羅憲ぐらい?
カクシュンとかはすぐ話題が終わったような
趙雲・魏延はそれぞれ疑念は出るものの好評
姜維・李厳はどうしてもマイナスが出るっぽい
>>519
>本人の最後も謀殺された、というよりは
>自滅してる感がある。

費イに命令を握り潰された上に,中央に虚偽の報告をされて謀反の疑いを掛けられて敗死するのが自滅か?
魏延は自滅というより、陥れられた感じだね。
むしろ自滅は楊儀…。
姜維と魏延だと役職も状況もだいぶ違うからなぁ。
政治的な話を持ち出されても評価に困る。
>>545
元々諸葛亮の撤退命令に背いて北伐の続行を主張したから、
遺言通りに放っておいて帰っただけ。
費イの命令握りつぶしは諸葛亮の遺言に重きを置いただけで別に不当な行動ではない。
魏延はその後の行動が問題、怒って先回りして吊橋を焼き落して退路を塞ぐ、
こんな事すれば、叛逆した、と訴えられても仕方ない思うが?
虚偽の報告どころか撤退している軍にとっては死活問題になりかねん事だよ。

楊儀に軍権握られて焦ったせいかもしれんが、明らかに自分の首を絞めてる。
魏延の死は、陥れられ+自滅ってことだろ。
つ〜か,軍師を抜きにして,軍師を見殺しにする遺言残す諸葛亮が一番悪いけどな。

まぁ,諸葛亮の遺言に関しては魏略ではまったく別のことを言ってるし,
生きて都に帰った楊儀・費イ・姜維の言でしかないから,本当のところどうなんだが判らんが。
魏延はいかにも直情型だなぁ
軍務では冷静でも、それ以外だと地が容易く出る
直情+誇り高いか・・・。
合わない人間とはとことん合わないな。
劉備とかは気に入ったみたいだけど。
>>548
>費イの命令握りつぶしは諸葛亮の遺言に重きを置いただけで
>別に不当な行動ではない。

おいおい。
魏延に賛成して一緒に残留軍の陣容まで練って命令文まで書いておいて,
手のひらを返して置いてけぼりにするのが不当じゃ無いのか?

楊儀の叛逆が明白である以上、何をするか判らない軍隊の行動を阻止するのは当然だろ。
楊儀は軍を指揮する権限ないんだから、それが勝手に軍動かしてたら止めなくてどうするよ。下手したら成都を攻める可能性だってあるンだぞ。
あの段階じゃあ
>楊儀の叛逆が明白
と言い切れる状況ではなかった。(少なくとも成都からは)
だからこそ魏延も楊儀も互いに相手を反逆とする上奏をしたわけだしね。

結局、魏延は政争に敗れて殺されたってことだ。
ただし魏延自身はただの軍人なのに、相手が文官の楊儀、そんな分の悪すぎる勝負だったんだろう。
>>553
>魏延に賛成して一緒に残留軍の陣容まで練って命令文まで書いておいて,
>手のひらを返して置いてけぼりにするのが不当じゃ無いのか?

魏延の所から帰るための方便に過ぎんからね、まさか
「貴方の命令は聞けません、私は撤退しまんすんで、じゃあ」
とか言って帰れる訳無いだろうし。

>楊儀は軍を指揮する権限ないんだから

楊儀は諸葛亮の遺言で撤退の指揮を託されてるので、
撤退する権限も大義も手に入れてる。
魏延から見ればそんなモノは存在せんかもしれんけどね。

魏延が素直に殿軍を務めていれば、何事も無く撤退出来たんだろう。
>554
>少なくとも成都からは

そのとおり。
だからこそ、それが判っている現地の最高責任者である魏延が止めなければいけない。
成都じゃ帰還兵だと思って防備しないだろうから、非常に危険だと判断するのが当然。

あの時点では、諸葛亮没後の現地の最高責任者の命令を聞かずに、自侭に軍を動かした者=叛逆者なわけで、それを止めなくて将軍の責は果たせないだろ。

>魏延自身はただの軍人なのに、相手が文官の楊儀、
>そんな分の悪すぎる勝負だったんだろう。

それは魏延も思っていたと思う。
負けるとは思ってなかったろう。
最大の誤算は、成都で魏延の報告よりも同じ文官同士で楊儀を信じたってことだろうな。
>>555
>楊儀は諸葛亮の遺言で撤退の指揮を託されてるので、
>撤退する権限も大義も手に入れてる。

それが本当なら、諸葛亮は何故に文書なりなんなりで、それを残さなかったンだろうな。
堅物軍人で命令に叛いたことがない魏延が、諸葛亮の最後の正式な命令を無視するとは思えないが。

なんにせよ、命令系統は諸葛亮没後でも魏延>楊儀&費イなのだから、魏延の命令無視する理由にはならん。
>>557

>それが本当なら、諸葛亮は何故に文書なりなんなりで、それを残さなかったンだろうな。

文章化されてないかどうかは不明。正史はめったに、誰々の命令を文章に記した、なんか書いてないからね。
ただ、諸将はその諸葛亮の遺言を盾にした楊儀に従って撤退してるけどね。

>堅物軍人で命令に叛いたことがない魏延が、諸葛亮の最後の正式な命令を無視するとは思えないが

命令に叛いた事は無いが、命令に不服を持っていたいた魏延が、死んだ人間の遺言を無視する可能性は大いにある。
っていうか実際に叛いてるけどね。

>命令系統は諸葛亮没後でも魏延>楊儀&費イなのだから、魏延の命令無視する理由にはならん

命令系統は諸葛亮の遺言>魏延で、楊儀&費イは諸葛亮の、魏延が命令に叛いたら放っておいて帰っていい、
という命令を実行しただけ、楊儀&費イから見れば命令に叛いたのは魏延だろうね。

君は楊儀の軍が成都を攻撃する可能性があったとか言ってるが、実際そんなことしたか?してないだろ。
そんな事信じて魏延が行動したとすれば、魏延はあるはずもない反乱を信じて楊儀を攻撃したただの馬鹿だぞ。
魏略だと、思いっきり魏延かわいそうな内容なんだよな
楊儀の被害妄想から謀反の噂を流され孤立させられて攻撃を受け討ち死にし…
 >命令系統は諸葛亮の遺言>魏延

ツッコミどころか!そんなわけないだろ!

 >君は楊儀の軍が成都を攻撃する可能性があったとか言ってるが、
 >実際そんなことしたか?してないだろ。

楊儀が免官される時の言動を考えたら、やろうとしたと魏延に思われてもしかたのない人物だったのではないか?
それに、そういうことをやろうとした人物が後年いる訳だし(攻撃目標の国は違うけど)、
そういう自体を想定して行動するのが莫迦ではあるまい。
むしろ危機管理能力に優れていると考えられると思うが。
史書を鵜呑みにするなら魏延に非があるんだがな。
ここらへんは微妙だからなぁ・・・。
叛乱にしてはやり方が陳腐すぎる。
魏略だと、「諸葛亮は病気になった時、自分が死んだら魏延に代行させろ」と言い残したとある
もしこちらが事実なら前提がまったくひっくり返るんだよな
563無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 22:59
>>559
ふと思ったが。
正史蜀書の諸葛亮の死の話は,ギエン伝によると,立ち会ったヨウギ・ヒイ・キョウイが伝えたってことだろ。
魏略は魏に伝わった話だから、信じるに値しないとハイショウシは書いているが,魏に伝えたのはあのときに蜀に帰れなかった者だと思われる。
つまりは,ギエン軍の者なんじゃないのか?
そうだとしたら,少なくとも魏延軍に伝わってた話は,魏略の内容にに近いのではないだろうか。

まぁ,このへんの史書をどう読むかが,歴史研究の楽しいところだが。
>>561
正史を読んでも魏延に非があるとは思えないが。
楊儀伝と併せて読むと、費イが自分の軍内での地位を高めるために、魏延と楊儀を謀殺したようにすら思える。
費イの最後から考えても、もしかしたら結構悪人だったンじゃないのかな。
>>560
>ツッコミどころか!そんなわけないだろ!

なんで?一国の丞相の遺言を魏延の命令より重きを置くのは当然と思うが?

>楊儀が免官される時の言動を考えたら、やろうとしたと魏延に思われてもしかたのない人物だったのではないか?

そりゃ撤退を果たして、叛乱(したとされた)魏延を討って功績を挙げたと思っていれば、
待っていたのは実権の無い官職だったからね、あの時点では愚痴が出ても仕方ない。

>そういう自体を想定して行動するのが莫迦ではあるまい

それが正しかったらね、結果として撤退した軍は成都を攻撃しなかった。
君が言ってる様な実際無かった事を元に行動し、友軍を攻撃して自分が死んだらただの馬鹿以外の何者でもない。

>>561
本人に叛乱してるつもりは無かった様だからね、
単に楊儀の下風に立つのが嫌で、楊儀を取り除こうとしただけだろうね、
ただそのやり方があまりに拙かった。
これは北伐続行派・魏延と、北伐反対派の政争の結果臭いな
姜維も後年北伐をやっているが、この時点では反対派もしくは別ルートからの進攻でないと駄目、と考えていたのかも
>>564
おいおい費イの最後は魏の降伏者に刺殺されたんだぞ、
それがどうなったら“費イは結構悪人だったんじゃないのか”になるんだ?
元々費イは魏延と楊儀の争いの仲裁に入ったり、落ちぶれた楊儀の愚痴を聞いたりしてやった男だぞ、
陥れるならもっと早い段階で陥れるだろ。
>>565
結果としてなかったのならそれに越したことはない。
そうならないように事前に対策を取るのが危機管理。
それを起る訳ねェじゃん、馬鹿じゃないの,と言うのはおかしい。
人は予言者じゃないんだから、起る可能性を摘むのが正しい訳だ。

 >一国の丞相の遺言を魏延の命令より重きを置くのは当然と思うが?
「私情をもって法を曲げてはいけない」ってのは諸葛亮自信の言葉だが?
軍内において指揮官の命に従うのは当然の話で、最高指揮官が死ねば次官が次ぐのは軍法に習ったことだろ。
少なくとも軍人たる魏延に落ち度はない。
文官だった費イや楊儀には関係ないことかも知れないけどね。
>>567
費イの話は余談というか、ただの感想なんだが、一応レス。

 >元々費イは魏延と楊儀の争いの仲裁に入ったり
その割に、魏延を陥れるのに、魏延の意見に賛成です、って演技してまで力入れてる訳だが。

 >落ちぶれた楊儀の愚痴を聞いたり
その割に、口を滑らして>>565言うところの愚痴を言ったらチクっている訳だが。

 >陥れるならもっと早い段階で陥れるだろ。
時期を見はからってたんじゃないの?
というか、あの時点では費イも後軍師で、楊儀が就いた中軍師の下な訳だが。
費イも左遷されてたんじゃないの?
しかし仮に魏延に正当性があったとしても、魏延直轄軍以外は将兵ともに楊儀を支持している
成都側の人間ですらそう
これは、諸葛亮の手により肥大した軍部の権限を削ごうという狙いがあったのかもしれない
厭戦気分も、主将の病没で蔓延しはじめていただろうし
このスレもギエンやヨウギみたいに足の引っ張り合いですね
>>568
間違った推測を元に実際に行動して、それで失敗する奴は馬鹿だと言ってる。
何かの事態に備える事は悪いことではないが、それにも限度はある。

例えば俺が通行人を、「あいつは犯罪を犯すだろう」なんていう推測で通行人を殴り倒せば、
それを危機管理といえるか?ただの馬鹿だろ。
それと同じく、撤退する軍を「あいつ等は成都に攻め込むだろう」とか言って攻撃したとすれば、そんな奴は馬鹿。
危機管理の枠を逸脱してる、そもそも魏延がそう考えたという根拠が知りたい。

>「私情をもって法を曲げてはいけない」ってのは諸葛亮自信の言葉だが
>軍内において指揮官の命に従うのは当然の話で、最高指揮官が死ねば次官が次ぐのは軍法に習ったことだろ。

そんな事は諸葛亮に言ってくれ、正史では諸葛亮は魏延に指揮権を移譲せず、
楊儀に撤退の指揮を取らせた、だから楊儀の命令を諸将も聞いた。
君の考えと諸葛亮の考えが違うだけ。
諸葛亮没時の官位軍職は、楊儀は長史・綏軍将軍だったけ?
長史っていうのは副官?
魏延は使持節・前軍師・征西大将軍だったかな
>>572
なにもしていない通行人を罰するのは異常だが、包丁を握り締めて小学校に向かっている男がいれば止めるのが危機管理。(つ〜か,危機管理以前だが)
指揮官の命令無視して指揮権のない輩が軍を掌握して動かしたら、止めるのが指揮官の責務。(本来は指揮権のない者が軍を掌握しないようにするのが責務だが、魏延が最高責任者になった時点では間に合わなかったから次善の手だが)
つ〜か、普通に考えたらクーデターだろ。軍閥政治にたいする文官の。

 >そんな事は諸葛亮に言ってくれ
だから「少なくとも軍人たる魏延に落ち度はない。」って書いたじゃん。
落ち度が有るのは諸葛亮。
まぁ、本当に諸葛亮の落ち度かどうかは、>>559-563を観ると議論の余地が有るようだけど。
>>573
丞相長史は丞相府の事務長官。
蜀全体としては、綏軍将軍(雑号将軍?)だから下級将軍。

魏延は仮節じゃないかな。
丞相府の内部では前軍師。中軍師の下の筈だけど、中軍師がいないようなので丞相軍の副官。
蜀全体としては征西大将軍だから三公のすぐ下の地位。
>>569

>その割に、魏延を陥れるのに、魏延の意見に賛成です、って演技してまで力入れてる訳だが。

そりゃ真面目に「貴方の命令は聞けません」とか言って無事に帰れる訳ないから、
自衛のためには仕方ない事だと思うけど。

>その割に、口を滑らして>>565言うところの愚痴を言ったらチクっている訳だが。

もう実権の無い奴を陥れたって意味無いだろ、あくまで職務に忠実だっただけ。

>費イも左遷されてたんじゃないの?

元々出世ルートに乗ってる男だからね、後軍師の仕事は無かった訳ではないようだし。
それに直に尚書令になってるから、流石に楊儀一人を陥れた所で回ってくる役職ではないから、
左遷されていた訳じゃないと思うが。
>>574

>指揮官の命令無視して指揮権のない輩が軍を掌握して動かしたら、止めるのが指揮官の責務

それは魏延の言い分に過ぎない、楊儀&費イからすれば丞相の遺言を受けての行動だから、
指揮権は存在するし大義もある、それに本当に指揮権が無いなら諸将は撤退命令に従わないって。

>普通に考えたらクーデターだろ。軍閥政治にたいする文官

文官クーデター?この文官・武官の区別の付かない時代に?
ただの政争にしか見えんが。
>>577
 >それに本当に指揮権が無いなら諸将は撤退命令に従わないって。

従わせるために、魏延の命令を握りつぶしたんでしょ?
本当に指揮権が有るなら、命令を握り潰す必要なんてないだろうに。

 >指揮権は存在するし大義もある
それについては>>574でも書いたが疑義があるようなので、保留。
識者の意見を聞いてみたいところ。

で、結局>>572で言ってたとおり、諸葛亮が悪いのであって魏延は悪くないってことでいいのか?
魏延は魏延で諸葛亮の言葉どおりに行動しているだけな訳だが。
つ〜か、前スレでも書いたが、
もし諸葛亮が劉禅には苦言はするけど、自分は勝手やっていいンだと思ってたとしたら、
諸葛亮の出師の表の精神から外れないで行動してた魏延が哀れだな。

正直、諸葛亮好きなので、最後の遺言は諸葛亮の言葉ではないと信じたいところなのだが。
>>577
武官文官の区別なしっていうか
中央の高官と漢中の軍人の争いだよな、普通に
つ〜か、魏延と姜維の能力比較の筈が、いつのまにやら魏延談義になっている。
私が書きこむとど〜もそっちの方向に行っちゃうみたいですね。
申し訳も無い。

元議論に戻りましょう。

人格や実績は抜きにして能力だけで比較するなら、知謀の才(政治の才との意見もありましたが、私は謀略と考えている)もあることから姜維を推します。
なんだかんだ言って、特段の派閥も保たずに中央から軍隊を引っ張ってくる才能は相当なものと思うし。
魏延は獲得したばかりの最前線地域を10年近く問題を起こさないという内政の才はあったとは思うけど、中央とガチンコでやり合うような才はなかったと思うし。
軍事的能力だけなら魏延を推すケド、能力の総合評価なら姜維と思うですよ。
なあ、ちょっと質問していい?
魏延は前軍師なんだから孔明は遺言を魏延に残すのがスジだったんじゃないの?
たかが綏軍将軍がたまたま孔明の最期に立ち会えたからって「丞相の遺言」を
連呼するのっておかしいと思うんだけど。そんな大任を与えるなら魏延の上の地位を
与えときゃ何の問題もなかったんじゃないの? 逆に言えば、大任を任せられないような
香具師に遺言の遂行を任せりゃ、そりゃ、大任についてるほうは、秦の始皇帝の超コウの
ように楊儀たちが遺言を自分の都合のよいように書き換えたんじゃないかって疑うよな。
>>582
魏略なんかはまさにそれ
魏延が諸葛亮の後継となるよう、諸葛亮自身が明言していたのに、楊儀側が謀略を使って…というもの
しかし明確な反証がない限り、正史の信憑性を一概に否定はできないし
話を元に戻しましょうと言っといて、すぐにで悪いが。

>>582
漏れもそう思う。
だから先にも書いたが文書で、楊儀を丞相府の中軍師とし、北伐軍の撤退を命ずる、みたいなものを魏延に送れば話は済んだと思うデスよ。
それなら中央の官位は関係なく丞相府ないの人事だから諸葛亮の好きにできたのに。
まぁ、諸葛亮本軍だけの話で、魏延の部隊は征西大将軍の軍だから残るかもしれないけど、それなら諸葛亮の遺言の通りだから問題ないだろうし。
魏延伝の諸葛亮陣没の箇所は、普通に読むと疑義しか生じない。
>>578
>従わせるために、魏延の命令を握りつぶしたんでしょ?
>本当に指揮権が有るなら、命令を握り潰す必要なんてないだろうに。

指揮権が無かったらそれ以前に撤退命令さえ発布できないと言ってるんだが、
それにその後の魏延の行動を見ても、誰も魏延に付く将が居ない事から、
諸葛亮の遺言>魏延の指揮権、と諸将は見ていたと思うが?

それに一応諸将に命令を告示してから、費イは、楊儀を説得する、と言って帰ったようだから、
命令自体は諸将に届いていたのではないかな。

魏延が悪くない、って訳では無いと思う。蜀の記述を基に話すなら、
魏延が命令に逆らったのは事実だし、軍の退路を塞ぐなどいった行為に出たのも事実。
諸葛亮の命令が、私情から出たものか、丞相として撤退する軍の指揮を執るに相応しいとして楊儀を選んだのか、
それはまた議論が必要な部分だろうしね。
楊儀は諸葛亮の元で事務やら兵糧計算やら、イメージどおりの文官といえる仕事程度しかしていない
にもかかわらず兵法では困難とされている撤退の指導を任せられるというのはどうも…
やはり楊儀以外の王平・キョウイあたりも一緒に遺言を付託されたと見るべきかな
>>582
はっきり言えば、諸葛亮の撤退命令に魏延が従うか?、という問題でもあるから、
素直に魏延に指揮権を委譲すれば問題無い、という類の話ではないからね。
スジを通せば良いというものでは無い話。
>>586
漢晋春秋の記述によれば、実際に撤退の指揮を執ったのは姜維だからな。
ただ、一度楊儀を経由して命令してるから、指揮権自体は楊儀にあったみたいだが。
589587:04/08/13 01:09
>>582
追記すれば、
費イの死後、順当に姜維が軍権を握った訳だが、結果は御覧の通り。
スジを通せば国家にとって有益になる訳では無いことも間々ある。

それに楊儀は撤退自体はしっかり果たしてるから、諸葛亮はこいつ等で問題無し、
と判断したんじゃないかな?
その楊儀も成都に帰還した後は、諸葛亮の意思でバッチリ左遷されてるけど。
これもまたスジを通せば良いという訳では無い話だね。
正史「魏延伝」によれば、諸葛亮が病にかかってから撤退方針が立てられ、魏延は殿軍を勤める手筈だったと書かれている
もしこれが事実なら撤退は既定方針で、諸葛亮没後いきなり「直属の連中は遺体を守って帰れ。残りの軍はオレが率いて戦う」なんてやったらそりゃ同僚から総スカン喰らう罠
例えば魏延がその場で直ぐ蜀軍全体を掌握し魏と戦えるという
魏延の諸将への統率力に疑問があり、且つ死に瀕して直接魏延に伝えるのが困難
という状況であったなら。
後継は魏延だが、一旦退却しろっていう遺命を残しておいてもおかしくないんじゃない?
孔明には従うつもりでも魏延に素直に従えないという将が数割位いるなら撤退以外ないだろう。

魏延も退却してから従わない将を掌握して再起に賭けるのが、孔明型堅実路線の用兵として正しいだろう。
魏延の掌握できる少数だけで魏を破る確率はあまりにも低いし。兵を生かして返すのが大事なら
魏延の好きなように戦えとはいえないはず。

遺命を託されたヨウギが暴走した可能性もあるが、実際魏延の意見にみんな従わなかった以上は、魏延
を司令官にしての北伐続行は不可能だから、孔明の指示としては撤退が正しかったとして良いんじゃない?

ある意味魏延は敵は見えても自分を見るに不足があったんじゃないかな?
劉備なり孔明なりが魏延を見てバランスを取ってれば常勝だったとしても・・・
>>585
命令が届いてなければ、だれも魏延に従うわけがない。

 >それに一応諸将に命令を告示してから
そう読めなくもないのは確かに。
だが、連名で書かれた命令なので、魏延をあざむいて去った費イが撤回すれば済む話。
そもそも、この時点で楊儀が命令に叛く可能性があるから費イは説得に行くと言っている訳で、費イが握り潰す可能性を魏延は考えていたってことだろうに。


 >誰も魏延に付く将が居ない事から
魏延軍には魏延しか将がいないわけではないのだが。
対陣している以上、魏延に従った将もいた訳だ。
その時点で「諸葛亮の遺言>魏延の指揮権、と諸将は見ていた」という仮説は成り立たない。
まぁ、一部の将はそう思っていた、という仮説なら成り立つが、それを知る文章はないな。

 >魏延が命令に逆らったのは事実
諸葛亮の遺命に逆らったのは事実だが、指揮官が変われば戦略も変わるのは当然だろ。
問題はない。

 >軍の退路を塞ぐなどいった行為に出たのも事実
先にも書いたが、指揮官以外の者が軍を動かせば止めるのが指揮官の責務だ。
止めなければ問題だろう。

 >それにその後の魏延の行動を見ても
どこの部分の話?
>>590
正史魏延伝の「病に倒れた諸葛亮は、密かに長史楊儀、司馬費イ、護軍姜維等を呼び、自分の死後の撤退を指示した」って奴か?

思い切り「密かに」と書かれていると思うが。
つまり、この席にいた者しか知らない話だ。
丞相府の次官がいない席で規定方針を決める方がどうかしているだろ。
演技の神がかり的知謀だったら
魏延あぼんもヨウギあぼんも全て諸葛亮の狙いどおりだったってことで落ち着くんだが
そしてキョウイあぼんも計算通り
>>594
もしそうなら漢中から兵権を中央に委譲させつつ国家の害悪(「諸葛亮の主観」という俺の主観)を二人潰すっていう最高の方法だな
いや、俺が言ったうスジっていうのは軍内での命令体系のことなんだけど。
乱暴に言っちゃえば、撤退派の人間の誰かを(抑えとして)魏延より上の位に
しとけばこんな面倒なことにはなんなかったんじゃないのってこと。
序列からいえば、孔明が亡きあと全軍を率いるのは当然、魏延なわけで、
当時の魏延の地位が、彼に野心と口実を与えてしまったんじゃないかと。
>>589
 >楊儀も成都に帰還した後は、諸葛亮の意思でバッチリ左遷されてるけど。

左遷は政争起こしたからだろ。
そうでなければ、責任重大な役にはつかなくとも、実務が無いような窓際席にはいかないだろ。
諸葛亮は楊儀の実務能力を高く評価していたんだから。
>>593
その「密かに」は、主将が病気なんてことを全軍及び敵軍に知られないための当然の処置じゃないの?
少なくとも楊儀一人の独断とかいう線はその伝からは読み取れなくなるが
>>599
ならその席に魏延を呼んでいないことが不自然ではないか?
当の魏延が一番の問題といっている席なんだから。

大事な将兵ごと前線に置き去りにしろ、という命令を下すくらいなら、呼び寄せて魏延だけでも暗殺くらいしそうだが。
まぁ、そんなことしたら魏延配下の将兵が黙っていなさそうだが。
>>598
真実はどうあれ、命令違反の魏延を討ったのは功績だろうし、本人もそう思っていたようだ(楊儀伝)
しかし直後に蜀の全権を担ったのは楊儀の後輩格だったショウエン
楊儀は実権無しの中軍師。このあたりは諸葛亮の生前の評もしくは遺言が働いていたかもしれない
>>592

>魏延をあざむいて去った費イが撤回すれば済む話。
魏延に指揮権が存在するなら、費イが単独で撤回すれば諸将は疑うだろ、
それとも諸将はそんなにお人好し連中なのか?

>魏延軍には魏延しか将がいないわけではないのだが。対陣している以上、魏延に従った将もいた訳だ
その魏延軍は王平の一喝であっさり四散してる、
オマケに魏延の非を知っていたので、とある。
それに他の主だった将は魏延の味方に付いていない、あくまで魏延配下の兵だけ。

>諸葛亮の遺命に逆らったのは事実だが、指揮官が変われば戦略も変わるのは当然だろ。問題はない。
それを諸将を妥当だと受け止めればね、周りはそう問題ないと思わなかった様だけど。

>指揮官以外の者が軍を動かせば止めるのが指揮官の責務だ。止めなければ問題だろう。
魏延が自分を司令官と見てるというだけの話だね。
問題は諸将はその行動をどう見たのか、これを見て誰かが魏延に付いたのか?という話だよ。

>それにその後の魏延の行動を見ても
吊橋を焼いて成都に急行し、皇帝に楊儀が叛逆したと上奏した、一連の行動。
この魏延の行動を見れば、楊儀と対立してるのは明らかであり、魏延が正当な指揮権を持っている、
と諸将が考えたなら、諸将は楊儀こそを謀反人として、魏延に付いただろうね。
上に書いてるように費イが魏延の布告を取り消しているならなおさらにね。
>>600
魏延は殿軍の位置=敵陣と対峙している間は最前線
実戦指揮官が持ち場を早々離れるわけにいかないだろう。丞相府直下のみの連中と違って
>>598
諸葛亮は楊儀の性格を問題視して、後継者をショウエンに定めた、と書いている。
少なくとも政争を起したから実権のない閑職に廻したと匂わす記述は無いけど?

実務が無いような窓際席に行ったのは、官位・年齢ともにショウエンを上回っていたため、
まさか実務を担当してるショウエンの下に置いとく訳にもいかないだろう。
仕方ない措置ってやつだろうね。
>>601
少なくとも楊儀が魏延を討ったことを功績と思いこんでいたのは確かに。
でも劉禅伝を読むかぎり、中央では当初はともかく成都に戻った時点では、功どころかただの政争で負けただけの魏延の三族皆殺しにしちゃったよ、って感じで大問題だったんじゃないか。

>>602
確かに費イが一人で撤回すれば疑うだろうね。
でも、そのその書を書いたのは費イな訳で、費イが魏延と連名で撤回すればいいだけのこと。

王平の一喝の件だが、「延士衆知曲在延 莫為用命 軍皆散」だから「魏延の配下に魏延が悪いと知れわたり、魏延の命令に従わずに逃げ去った」だろ。
初めから知っていたではなく、一喝で知った、だから王平の流言に惑わされただけのことだ。

 >周りはそう問題ないと思わなかった様だけど。
だから妥当だと思ったから魏延軍は対陣できている訳だ。
ところが中央がショウエンに軍を渡して楊儀支持をしていると判ったら、魏延を信じてついてきていた配下も魏延に騙されたと思った可能性はあるな。
まぁ、魏に伝わった風聞の無いようからすると、負けそうだから逃げただけで、魏延が悪いと信じていたとは思えないが。

 >魏延が正当な指揮権を持っている、
 >と諸将が考えたなら
だから対陣出来たと言っている。
少なくともその時点では、楊儀の言を信じるものと、魏延の言を信じるものがいたってことだろ。
結局、最後は中央が魏延の謀反と判断したことで決着しただけのはなし。
軍人の魏延と文官の楊儀の政治力の差が出ただけだろ。
>>603
それこそ費イなりを派遣すべきじゃないか?
順位からすれば魏延>楊儀>費イなのだから。
まぁ、費イがいないと楊儀が可哀想だが。
位は低いが呉壱や王平を派遣して後退させるのも手だ。

なんにせよ、そんな大事な話を次官を交えずに決めること自体おかしいと思わないのが不思議だが。
>604
 >仕方ない措置ってやつだろうね。
じゃあ、ショウエン存命中は飼い殺しですか?
>>606
まぁ、呉壱に関してはそもそも魏延軍にいた可能性もあるので派遣は無理かもしれないけど。
どっちにしろ、魏延軍には魏延しかいない訳じゃないんだし、魏延が離れたらいきなり崩壊することはないと思うが。
>>605
>費イが魏延と連名で撤回すればいいだけのこと。
君は公式文書がそんなに簡単に作れると思ってるのか?
しかも魏延は費イが出て直に追いかけ、人をやって諸軍の様子を調べてる。
とてもではないが公式文章を偽造して、発布してる暇などないが?

>延士衆知曲在延
これは「魏延の非を知っていた」と読むんじゃないのか?
まあどっちにせよ一喝(流言でも)で四散する軍隊が魏延を正しいと思っていたかは疑問だが。

>魏延軍は対陣できている
対陣?一喝で四散する配下の兵を率いて対陣出来ていたから、魏延は諸将の信を得ていたのか?
その配下には名のある将などは全く散見されないが、それも諸将の信を得ていたと?
無理がある、常時日頃から諸将の同意を得られなかった男だぞ、魏延は。
>>607
まあ飼い殺しか、もしくはショウエンの官位が楊儀を上回れば実務に復帰できたかもしれんが、
楊儀がそれを善しとするか、
政府がいままで飼い殺しにしていた男をもう一回実務で使う気になるか(恨まれてる事位わかるだろうね)
とか色々問題も推測できるし、やっぱり飼い殺しだろうね。
>>606
まさか魏延が命令に従わない時は、魏延を置いてかえる計画もあるのに、
魏延を交えて話をする訳にはいかんでしょ。
元々強行派で、諸葛亮の戦略に不満タラタラの魏延に、
慎重派の諸葛亮が自分の死後に兵を撤退の指揮を執らせる気がないみたいだし。
本当に撤退してくれるかどうかかなり疑問だしね。(現実はする気無かったようだが)

諸葛亮にしてみれば、楊儀に従って撤退するなら、ショウエンにも従うだろうから善し。
従わないなら、仕方ない。って心積もりだったんじゃないかな?
楊儀はどっちにしろ、サヨウナラーだけど。
>>609
 >これは「魏延の非を知っていた」と読むんじゃないのか?
違うでしょ。
前後の文からも過去形であるとは読み取れないと思うが。

 >一喝(流言でも)で四散する軍隊が魏延を正しいと思っていたかは疑問だが。
そもそも同じ蜀軍で戦っているんだから、浮き足立っているのは当然。
まして、前線にいるんだから。
戦場で一番恐いのは流言蜚語で、浮き足立っている軍で一部でも恐怖に取り憑かれれば、全軍敗走もありえるだろ。
別に不思議とは思わんが。

 >その配下には名のある将などは全く散見されないが
誰も将がいなかったと考える方がおかしいだろ。
常識的に考えて、先陣を受け持っていて、名のある将が誰もいないと考える方がおかしくないか?
そもそも魏延の配下に誰がいたかも書かれてない。
王平と馬岱以外の将がどちらに付いたかすら判らないからな。

 >常時日頃から諸将の同意を得られなかった男だぞ
何の話し?
「平日諸将素不同」についてか?
同意を得られないって、これは周囲の反応ではなく「諸将と同じ考えをせず」っていう自動詞だろ。

もしかしたらちくまの誤訳を信じているのか?

そんな訳で、そろそろ寝るが、水掛け論だねぇ。
今度はそれぞれ相手の論を検討した方が良くないか。
とりあえず、貴兄の楊儀擁護論を週末使って検討してきます。
>>612
なぬ、ちくまは誤訳してるのか、中国語に堪能でない漏れとしてはそれは非常につらいな…。
俺はこれから徹夜、漏れも一回考えを練り直すか…。
てかなんで楊儀側が魏延を置いて帰ったのかね。
あれか。おもちゃを買ってと駄々をこねる子供をお店に置いて帰る様なものか。
要するに諸葛亮が悪いってこった。
一位陥落だな。
諸葛亮が悪いのは同意だけど、一位陥落はまた別の問題かと。

軍律を重んじる諸葛亮自身が上官を差し置いて下の連中に遺言の遂行を任せたのが悪い。
魏延が信用できないならば、あそこまで魏延を出世させたのが悪い。
魏延は好戦派だけど長安急襲計画を却下された一件を見ても、私案よりも上官の命令に
従う分別があったことが分かる。正統な手続きを経てれば魏延も諸葛亮の遺言には逆らおうと
しなかったんじゃないか。
617無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 11:50
単に間諜を警戒して、陣を隔てた通信さえ憚ってたんじゃないの?>病死後
蜀軍は魏軍をそれまで挑発しまくってて、相手からいつ攻撃があってもおかしくなかった(そしてそれを待ち伏せで逆撃するのが蜀軍必勝パターン。その場合常に実戦を担当していたのが魏延)
それでようやくヒイが魏延に一切を伝えにいったら例の「お前らは帰れ。残りはオレが率いて…」発言
元々楊儀を中心とするグループは臨時の司令部だから、魏延を到底抑えられる自信がなく(楊儀は私的な感情もあっただろう)放置して撤退することにした
こんなところかねぇ
魏延に軍権を委譲しても、撤退せずに北伐を続行すると懸念したからじゃないの?

そして、魏延では司馬懿率いる魏軍に勝てはしないだろう……と。
大敗でもして損害を大きくするよりは、魏延を最後に残した方が魏延も撤退せざるを
えないだろうと思ったか、仮に魏延が単独で戦っても戦死するか引責に処せる…とか。

だとしたら諸葛亮、少し陰険かもしれないけど。
こうなると劉禅がボンクラなのも影響してくるな。
>>616
>正統な手続きを経てれば魏延も諸葛亮の遺言には逆らおうと
>しなかったんじゃないか。
望み薄だと思うな、諸葛亮の撤退命令に「一人の死で天下を〜」とか「幕府付きの役人は遺体をかついで〜」
とかの発言を見るに、撤退する気は無かっただろうね。
第五次北伐は、蜀軍は10万の兵士を用意した
これはおそらく当時の蜀にとっては限界までやった根こそぎ動員
もし無茶な決戦やって壊滅したら蜀は一朝で壊滅しちゃうからな
622無名武将@お腹せっぷく:04/08/13 18:35
魏延を討った武将・馬岱の戦歴は、牛金に負けた一事があるだけ…
兵士を失えば猛将もこの程度の相手に討たれるのか…
>621
孔明の北伐は1回毎に国力を回復して行っているし、
手痛い敗北は殆ど皆無。だからこそ短期に何度も行えた。
仮に10万出してもせいぜい5000程度の犠牲出すかどうかでしょ。
>>623
それは孔明だから成し得た事。
魏延が北伐を敢行したら、姜維の場合と同様の結果を招いていたと思う。
あと蜀にとっては5000の犠牲でも大損害だろう。
>>620
演義の魏延のイメージだとそうだよね。
>>623 >>624
参考までに計算してみたが、
蜀末期の兵士数が102000人口940000、これは無茶な動員であるが、これを基に計算すると、
5000を補充すれば、それを補うために人口を約48000人増やす必要がある。
しかも2年連続で出兵し、合計して10000を失えば(この時点で軍の一割を失ってる訳だから凄い損害)
人口を約93000人、人口の約一割を増やさねば損失を補填できない。
10万の軍で、5000の損害は普通は許容範囲内だけど、連年の出兵ではまた話も違ってくる。

イリョウで大敗した軍を建て直し、連年の出兵で国力を疲弊させなかった諸葛亮の政治手腕がいかに凄まじいか分る。
諸葛亮の北伐で劉璋の遺産を食いつぶしたって、演義だっけ?
>>627
劉璋の?
それは初耳なんだけど…
>672
正史にも演義にもないよ?
>>629
>672もまだないなw
10万自体誇張だな。
蜀の人口は最大でも100万人。
現在の日本で1300万人の兵隊を組織して戦争を
させることを考えたらどれほどの無理があるかわかるな。
せいぜい半分だろ。
>>631
社会を成り立たせるのに最低限必要な産業人口が今とは比較にならないから、
現代を引き合いに出すのはおかしいな。
まあ1/10が兵士ってのは多すぎると思うけど。
予備兵合わせて4,5万くらい?
だが蜀降伏時の戸籍には、帯甲将兵10万とされている
内向き資料で誇張をやる理由は思いつかんし
敗戦前の軍事国家って感じだよな
諸葛亮時代はまだ国力がマシだと仮定しても…
戸籍上が94万くらいなわけで、奴婢・流浪民なんかは登録されてないん
じゃないかな。あと、いくら戦乱の時代とはいえ、後漢から比べて人口
減りすぎ。漢王朝と比べて人民掌握力は三国とも落ちていて、戸籍に乗
らない人口がかなりあったんじゃないかと歴史読本かなんかで読んだ。

蛮族から編入された兵士やその家族は戸籍登録されてたのかな?
帯甲将兵10万にはどの辺の身分まで含まれていたのだろう?日本でいう
足軽・小者レベルはカウントされてたのかどうか。
>>635
けど奴婢・流浪民がいるとしても、それは豪族が囲い込みしてる分だろうから、
国家としての蜀にはあんまり関係の無い話で、徴兵・徴収が出来るのはあくまで
戸籍に載ってる人口94万の戸数28万だけじゃないかな?
国家として囲い込んでる分は戸籍に登録されるだろうし。

降伏する数年前から毎年の様に大赦をばんばん出してるから、
国家としての破綻はかなり深刻なものだったんだろうねぇ。
戸数2.8につきに1人の割合での徴兵、もう無茶苦茶。
>>636
635です。レスありがd。
そうか、豪族の囲い込みね、なるほど。そうなると、いかに豪族を
統制できていたかも大事だよね。

>戸数2.8につきに1人の割合での徴兵、もう無茶苦茶。

いくら今より大家族だったろうとはいえ、ゆとり無いよねえ。
後漢書の郡国志では益州は724万人となっているそうじゃ
>>638
すごい…
でも、その頃すでに中国の人口が1億人近くいたとすると、妥当な数だよね。
やっぱ後漢〜三国は戦乱のどさくさに紛れて、みんな逃げちゃってたんだろうね。



どこかの馬鹿が「大発見!三国時代は人口の8割が死んだ大戦乱だった!」というレポートだして
去年そいつだけ単位がもらえなかったって話を教授が1回目の授業でしてたな。
641無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 00:15
魏の調査と、晋の調査じゃ人口は五倍ぐらい違う
やっぱり流民化していたり貴族の私物化していた人間が大勢いたんだろうか
三国志の時代は深刻な食糧不足の時代だから、結構死んだ人も多いだろうねぇ、
他にも疫病とか、豪族に囲い込まれた人も結構いたと思うけど、
人口がかなり減った時代には違いないだろうね。
この時代の軍隊は、屯田である程度生産力を持っていたんじゃないのかな?
曹操が大規模な軍屯をやって躍進の原動力の一つにしたが、蜀でもやっていたんじゃ
諸葛亮は北伐先で積極的に屯田してるみたいだし
姜維伝もそれらしい記述があるし(もっともこれは罷免からの逃亡の口実だが)
だから全人口比一割の徴兵が可能だったんじゃないかな
夏候覇はどう。あまり評価されてないみたいだけど。
645無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 16:53
>>644
・魏将時代、曹爽の蜀攻撃の先鋒を務めるも蜀軍の防御を崩せず撤退
・蜀亡命後、姜維に従い王経を撃破する
蜀では厚遇されて、車騎将軍まで昇った。死亡年・死亡原因ともに不明
魏の王族の亡命者、という点以外は特筆するところがないから…
>>645
あとは皇后の伯父(叔父?)くらいか。
>>645

・魏将時代に郭淮に従って、姜維・廖化を撃退

も加えてあげてくれ。
何れにせよ、夏侯覇はTop10に名を連ねる事ができるほどの器ではないだろうな。
ゴイとかはどうなんだろう?
呉懿も具体的な事跡に乏しいからなあ。
呉懿は5位くらいだな
651 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/08/18 00:11
呉懿は5位くらいだな
652 無名武将@お腹せっぷく sage New! 04/08/18 00:22
651 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/08/18 00:11
呉懿は5位くらいだな
652 無名武将@お腹せっぷく sage New! 04/08/18 00:22
651 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/08/18 00:11
呉懿は5位くらいだな
呉懿っていつも君主の親戚になるんだよな
呉懿なんかは結構活躍してそうな感じはするんだが、そうか、資料がないのか。
ケ芝なんかはすごいんじゃないか、もうでてるかな。
孫権が手紙を送って鄭重に贈物をした程の人だし。
魏延か呉懿か?と言われたぐらいなんだから呉懿も相当に優秀なんだろうが・・・
>>魏延か呉懿か?

官職や身分でそう言われている、つまり立場として
魏延と呉懿が同格に近い、ということなんじゃないの?
魏延か呉懿か?というのは第一次北伐で重要戦域の街亭を任されるのはどちらかだろう、という諸将の予測ででたもの
結果は違ったけど
>>658-660
つまりは少なくとも一般的には要衝の守備に就くべき能力を持つ者として呉懿は認められていたってこと?
178 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/08/01 20:09
呉壱(呉懿)は?
なぜか正史に伝はないけど、諸葛亮や魏延の戦術的勝利に貢献し長年蜀を支えた宿将
『季漢輔臣賛』では『呉懿は気骨ある男で博愛の心を持ち、弱軍を率いて強敵にあたっても危機に陥ることがなかった』と評されているが
>>662

諸葛亮(魏延)死後は、漢中都督もやってるしな。
優秀だったのは間違いないだろね。
伝はないけど・・・・・史官置けよ。蜀。
664無名武将@お腹せっぷく:04/08/19 21:11
呉壱は優秀
665変質社:04/08/19 21:29
史官おけよな諸葛亮プンプン!周倉が演義ででてこないじゃんか!メジャーになれねーよ
唐突におかしいのが涌いてきたね
>>657
将としての事跡はほとんど無いから除外じゃない?
・趙雲と第一次北伐の陽動軍を率いたこと(これはトウシ伝にはない。別伝が根拠)
・フ陵の反乱を鎮圧したこと
これぐらい
668無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 04:58
呂凱age
で、羅憲はどう評する?

統率力は高いとは思うんだが・・・
670無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 21:30
羅憲は蜀末期最高の人材だと思うな
宦官に嫌われたせいで左遷されたのが実に惜しい…
>>670
しかし、羅憲が左遷されたからこそ呉の火事場泥棒を阻止できたってのもあると思う。
羅憲が左遷された(と、思われてる)人事なんだが、256年頃に呉の要請で巴東(永安)の兵力を増加した事に伴うものだよ。
巴東(永安)都督は対呉交渉の責任者も兼ねる。閻宇がそうなんだが、羅憲も成都にいた際、対呉交渉に携わってたので、巴東に派遣されたのだろう。
実質的な責任者としてね。実際、巴東都督の次席だから、けっして低い地位じゃないし、職務も重要。
呉の要請に伴う人事で通常より重いものだろう。羅憲が評価されての人事と言う部分もかなりある。

羅憲が実戦指揮官として力を発揮したのは蜀崩壊後の対呉戦でしょ?
それまでは劉禅の側近(舎人)を勤める文官・学者系のコース
皇帝の傍から軍部に左遷されたってことかな
左遷かどうかは知らんが、中央に残ってたら
羅憲が活躍する機会はなかっただろうな。
羅憲は軍事での事績から考えれば晋の人間とした方が妥当じゃない?
わざわざ蜀人として候補者に挙げるのは苦しい気がする。
>670
羅憲が派遣されたのは256年頃。まぁ、確かに蜀滅亡まで数年だが、黄皓が権力を握る以前なんで、この辺については陳寿の反宦官意識が強すぎな記述なのかも。
それに、当事は文武の棲み分けは無いよ。
羅憲は巴東の太守として地方行政にも行う傍ら、巴東領軍として都督の補佐、巴東の軍政も携わり、なおかつ対呉交渉の実務責任者。
>>675
確かに羅憲の記述に残ってる活躍は細かく言えば蜀滅亡後なのだが、歩協や陸坑の侵攻を防いだ件に関しては羅憲の心意気を勝手に汲み取って蜀将として遇したい。
蜀に忠義を示して防いだ訳ではないと思うがな
679無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 04:32
杜瓊ってどういう人なんだ?
「呉は蜀を助けるべきなのに、火事場泥棒してやがる!なめんじゃねぇぞ!」って理由で大軍相手に戦闘開始だからなぁ
蜀への忠義なのか呉への嫌悪なのか、はたまた一個の武将としての意地なのか…>羅憲
>>680
大軍相手だからこそ、道義に欠ける相手の非を(必要であれば大袈裟に)鳴らす事は
戦いに挑む将としての資質でもある。
羅憲に具体的な作戦や勝算があるとすれば、これはもう優れた才幹。

別に個人的感情が優先しての事ではないと思うよ。
憤慨して僥倖に期待しただけでの開戦なら二流どまりだね。
682無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 14:56
>>679
図讖術(占い?)の研究者
太常まで出世したが、世間のことに関わったりはあんまりしなかったらしい
武将ではないよ
(同名の別人がいたっけ?)
杜瓊(とけい)だよな?
魏延と陳式が命令無視したとき張ギョクと組んで部隊率いてた・・・演義での話だったかな?
それしか記憶に無い。

杜瓊 字:伯瑜
蜀郡成都の人。
簡単に言うと学者。>682氏の内容の通り。
色々な事象から、魏晋王朝の天下統一を予知。
ちなみに諸葛亮が死去した際、丞相・武郷侯の印綬をおくる使者の役目を果たした。
685無名武将@お腹せっぷく:04/08/25 01:48
>>215
ひっくり返すようだが、黄権は蜀将でいいんじゃないの?
確かに劉備に仕えた期間は短いが、それならなぜ魏書ではなく蜀書で扱うのか?
更に東晋の袁宏の「三国名臣序賛」でも黄権・諸葛亮・蒋琬・龐統が蜀臣として挙げられている。
少なくても晋代においては黄権は魏の客将扱いであくまで本籍は蜀だと見られていたのでは?
黄権は魏では出世したが、あちらでは将としての戦功を上げたりしたわけじゃないし
>>685
べつに語るぶんにはいいんじゃないの?
688無名武将@お腹せっぷく:04/08/27 12:31
>>686
確か鎮南将軍って名目だけだろう。
魏が蜀の軍民に対して「こっちにくればいい待遇を与えますよ」というプロパガンダ。
確か呉から亡命して厚遇を受けていた連中も呉の滅亡とともに待遇を格下げられた筈。
すれ違いだが、
そこで羅憲が頑張らず、
呉が鐘会の乱あたりに乗じて益州取ってれば・・・

晋の統一は相当遅れたか、無かったかも知れないな
羅憲に育てられた孫の羅尚の記述みるに
やっぱ国の為というより、
呉のやり方が気に入らねぇ!っていう気骨だけで戦ったんだろーな
691黄崇は、黄権の息子:04/09/03 13:09
最初の登場は、ケ艾が益州に侵入してきた時。諸葛亮の遺児、諸葛瞻に従って出陣したのが最初。綿竹関で作戦会議を
 開いた時に、近隣の要害の地を押さえて包囲網を作り、平地に進撃してくる前に潰すという策を進言したが却下される。
 何度も強く献策したが結局は破棄されてしまう。そして自らも死を覚悟して涙を流した。そして、乱戦の中で兵士を指揮
 して防戦に努めるが力尽き、剣を取って突撃、戦死。
692無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 13:16
張紹
・漢滅亡の際に、魏(実質的には晋)の降服の使者となり、段取りを果した。
以後、旧漢皇帝の劉禅と共に洛陽に侍従して、爵位を賜った。彼は子沢山で(名などは不詳)、子孫は繁栄した。以降、今日の中国で張飛の子孫と称するものは張紹の系統と見ていい。
・張飛の第二子。父や兄の張苞と違い文官タイプ。兄が父より先立ったので、後継者となる。妹二人が相次いで漢の劉禅の皇后に立てられたために、外戚となり劉禅にも敬愛されて尚書僕謝までに累進した。
693無名武将@お腹せっぷく:04/09/03 13:20
張遵
・正妻は劉禅の姪。
滅亡の際に、降服論と唱える叔父と対決し、魏(実質的には晋)を迎え撃つべく、諸葛瞻(孔明の子)の副将となり、綿竹郡で魏の?ケ艾との激戦の末に捕虜となり処刑された。享年55くらい。
・漢滅亡の際に、降服論と唱える叔父の張紹と対立
それよりなぜ趙雲が10位なのか分からん
どうして??
それは低いということなのか、高いということなのか
696無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 19:41
1位諸葛亮
2位張飛
3位関羽
4位姜維趙
5位趙雲
6位劉備
7位黄忠
8位魏延
9位王平  
10位張ギョク
697無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 19:49
最新版

1位諸葛亮
2位張飛
3位関羽
4位姜維
5位趙雲
6位馬超
7位劉備
8位黄忠
9位魏延  
10位劉禅

で、上2つのゴミは何?
売れ残った厨房です
700無名武将@お腹せっぷく:04/09/06 20:37
自演乙
輔匡、両胡済、ケ方あたりについてでも語らないか?
浪漫回路暴走させて、妄想たっぷりで。
胡済って二人いたか?
705無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 23:10
何かまったりムードなので、以下のように定義してみて、
イケテない蜀将を挙げてみましょう!!
とりあえず、黄皓に1票。

  <イケテる将>
    劉備、諸葛亮、関羽、魏延、姜維、
    張飛、王平、黄忠、張ギョク、趙雲

  <イケテない蜀将>
    候補募集中・・・
水差すようで悪いけどさ、
黄皓って将じゃないじゃん。
707無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 00:58
キョウイはイケてないなあ。ショク滅亡のA級戦犯やん。
>>707
まぁ,荒れるからやめようよ
定義もないわけだし,なんとなくイケてる感じでいいじゃん
なんとなくイケテない感じの将って誰かな

雷同?
  <イケテない蜀将>
    姜維、王平、

  <イケテる将>
    馬忠、孫乾
それまで圧倒的にイケテた関将軍、魏に対抗する最初で最後の千載一遇の機会を
その破滅的な外交感覚で台無しにしてしまい、一機にイケテない将に。
バショクなんてメじゃないぜ。
関将軍は蜀で一番イケてる
中原を震動させたのなんて関将軍以外いないぜ!
劉兄者や諸葛先生だってやってないぜ!
イケてる蜀将
程畿・・・死に様がカッコよすぎる。
廖化・・・僕らのスーパースターすぎる。
白寿・・・名前がおめでたすぎる。
盛勃・・・ビッグマグナムすぎる、PTAが怒りすぎる。
関羽・・・ヒゲの中に塩を入れて密売するなんてカッコよすぎる。
陳到・・・存在自体渋すぎる。
句扶・・・謎過ぎる。
呉蘭・・・ホワイトドールのパイロットすぎる。
孫狼・・・名前がカッコよすぎる。

結論、蜀将は皆イケてる、多分。
>呉蘭・・・ホワイトドールのパイロットすぎる。
ちょっと待てw
正直黄皓は有能だと思うが
715無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 12:58
蒋琬は?
スレが動いたと思ったら、一気に糞スレ化させてくれるやつが涌いてくるんだよな。
717無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 14:30:07
>>716
omaewohittounina
718無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 16:57:17
>>714
有能というか、やり手だな。
国家的に見れば害でしかないし。
719705:04/09/10 20:20:59
))706
 確かに、将ではないですね。
 思いつきで書いたので、すみません。

))707
 荒らすつもりはないですが、姜維はイケテる部類ですよ。
 だって、暫定BEST10に入ってるわえkですから・・・

 ちなみに、気づいてるかもしれませんが、イケテる将は、
 BEST10の将を羅列しただけですので、深い意味はありません。

))716
 すみません。ここまでレベルが下がると思ってなかったもので・・・
 あまりにも、スレが動かないから、ちょっと波を起こしてみただけなのに・・・
720無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 20:37:12
なんでもいいから、変なアンカーは使ってくれるな……
721無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 20:49:23
最近孔明と張良のどちらが上なのか気になって仕方ない・・・
722無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 22:10:39
陳平>張良>>>諸葛亮
723無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 22:12:12
孔明と比べるなら蕭何だろう。陳寿評もそうだし
724無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 01:32:02
))720
俺は気に入ったよ、コレ
725無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 01:35:56
>>724
アンカーとして機能してないから困る。
726無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 08:44:55
思い切って書いて見る。知能レベル比較では
孔明>張良=韓信=ショウカ>>>>>>>>>>以下略
だな。
727無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 15:34:41
比べられるもんでもないけどね
728無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 17:23:58
状況や境遇が違いすぎるしな。
蜀に漢ぐらいの国力があれば、
諸葛亮ももっと大きな功績を上げられただろうに。
729無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 19:16:23
それ以前に曹操が項羽みたいなやつで、政治もロクに出来ない癖に我儘で目上(皇帝)殺す程度の馬鹿だったら半ば魏が自壊してただろうな
730無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 20:23:47
それらのことを差し引けば、
三国時代の人たちも、
なかなかなものだったんじゃないだろうかって思いたくなるな。
731無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 00:15:55
>>728
漢の場合は、同じ時代に張良、韓信、ショウカの三人が同時にいたから
それぞれ役割を分担できいて、うまくいった

蜀の場合は、孔明一人に全てがかかっていたわけだから、
国力というよりも、人材面でやっぱりダメだと思ふ。

国力=人材面も含むのであれば、そのとおりだと思うが・・・
732無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 00:39:59
警視庁HPに打ち込まれた田代砲w
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/news/1094659162/509


508 名前: 番組の途中ですが名無しです [sage] 投稿日: 04/09/12 00:14:41 ID:pWDsHqbD
↓鯖の再起動回数が確実にアップしてるぞ。
確かにダメージは与えているから、攻撃の手を緩めるな。

509 名前: 番組の途中ですが名無しです 投稿日: 04/09/12 00:16:01 ID:GEGYFoJa
しまった。
間違えて警視庁HPに田代砲撃ち込んじまった。。。
謝罪メール送れば逮捕はないよな?
733無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 03:54:08
そう、劉邦は3人がいてそれぞれがサポートしてくれたから項羽に勝てた。
孔明はそれを独りでしなければならないのだからツライ。
734無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 04:03:13
部将として孟エンはどうだ
735無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 05:10:00
百年単位で続いた統一王朝の功臣と
たかだか三十年の王朝の宰相を比べるのは
なんかおごましい気がする
張良や劉基と同列はなぁ…
楚材ならギリゆるせるが…
劉穆之や王猛、高ケイ、文天祥、林則徐とかならまぁ、妥当
736無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 05:15:52
>>735
文天祥は、能力がいまいちわかりかねるからなぁ。死に様はカッコいいが。
737無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 07:26:26
>>735
そういう言い方も所詮は主観
738無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 08:29:07
>>735
明の劉基なら軍師だけど、宰相にはならなかったよ。

本題、では当時の人が「晋の諸葛孔明」と擬えた王導は?
739無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 08:42:09
>>735
百年単位で続いた統一王朝の功臣と

張良のおかげで百年単位で漢が続いたのではなくて
劉邦の後の、文帝や景帝の治世が良かったからなのでは?
なんでも建国した人が偉大だったからと言ってしまうと、
中興の祖と呼ばれている人たちが立場ないと思うのですが。
確かに一地方政権と統一王朝を比べるのはちょっと厳しい
感じはしますが、時代背景もあるから一概にはいえないのでは?
740無名武将@お腹せっぷく:04/09/12 10:44:48
結果ってのも重要な要素だと思う
逆に結果を重視しないで個人の業績でみたら
諸葛亮は周りに人材が居なかったぶん、相対的にやることが増えて有利になるし
741無名武将@お腹せっぷく:04/09/13 22:55:45
統一王朝の人物と比較すると、曹操ですら一地方政権の主、ってだけになるからな。
一概には言えないと思うよ。
742無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 12:24:28
統一王朝の人物と比べると実際、曹操も十分見劣りする事実
ただ、曹操はプラスαの多いのも事実
カエサルみたいな奴というのは言いえて妙であって、評価が難しいのが曹操
743無名武将@お腹せっぷく:04/09/14 19:38:31
なんでもいいや、魅力的な人物ならそれで
744無名武将@お腹せっぷく:04/09/16 23:21:54
蜀から話がそれている。
745無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 03:07:08
関羽はすごいが、三国志って脚色部も入ってるからな・・・
ガチの島津義弘には及ばない。
746無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 05:39:13
俺たちが知ってる関羽って、ほとんど演技の脚色なんでしょ?
華雄を討ち取ったのが作り話なのは常識だし。
青竜刀も当時はなかったらしいし、春秋左氏伝をそらんじたっていうのもウソらしい。
747無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 06:27:03
断片的な伝をストーリー仕立てにするんだから、
そりゃ脚色だらけになるわな。
桃園の誓いだって脚色なんだし、
今更そんな脚色脚色言わなくてもみんな分ってるって。
748無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 09:07:49
最近この手のスレに変なヤツが湧いてるな・・・。
749無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 09:13:49
>>746
最後は別に嘘じゃないと思うけど?
750無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 09:29:43
実際の関羽の実力って、どんなもんだったんだろうね。
本当に荊州を任せられるだけの実力があったんだろうか。
曹操が恐れるほどの実力者だったのか?

当時はまだ容貌が本人の評価に対してかなりの割合を占めていた時代だから、もしかしたら、赤顔とヒゲだけで評価されていたのか!?
751無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 10:34:19
>曹操が恐れるほどの実力者だったのか?


つうか曹操の評価で関羽の名声が確定したんだろ?時代の天才が無能なヤシを認めないよ。
しかも敵なのに口説いて大事にしまくり。部下が嫉妬するのもわかっててそれだもんな。
752無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 10:44:12
襄陽と樊城を攻囲した際における、(後代も含めた)魏の認識と評価をみれば、
それなりに評価されていたのはわかる。

・郭嘉・程cの万夫不当評(おそらく顔良の件に起因しているものと思われ)
・蜀唯一の名将
・于禁の救援軍の水没による影響

特に下のふたつは「魏書」でもそこここで散見できる。
といっても冷静にみれば、後方への配慮の欠如と兵站の認識不足、それに
攻勢限界を考慮していないであろう多分に勢いにまかせた侵攻、からみても
関羽ってのは、威名が先行しすぎて実質を伴わない名将ってとこ。
753無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 11:09:18
関羽の誤算は、呉に陸遜っていう、ほとんど無名の
スゲー奴がいたということだけだと思う。
そしてそいつに、荊州をとられたというわけ。

呂蒙がいたころは、それなりの警戒をいていたんだから。

もちろん、関羽の傲慢な性格には、問題があるとは思うが。

それにしても、蜀には無名で相手を油断させれて、
スゲー奴っておらんね・・・。


754無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 11:30:06
蜀どころか歴史上そんなヤツはそうそうは居ない
755無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 11:39:52
>>754の知っている歴史ってどの程度なんだろうな……
756無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 11:44:07
だったら例を挙げてみろよ
757無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 11:56:07
>>756
熱くなるなよ…
758無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 12:10:10
必死な奴がいるなw

だれだって時と所を得なかったらただの人なんだよ。曹操だって奴隷の子だったらどうしようも
なかっただろうし。

劉邦なんてただのごろつき、ネイ将軍は靴屋、ちなみに名将サッキも靴屋w

だから、その程度のやしなんてどこにでも転がってるってこった。いちいち人に例を挙げて貰う
より、自分で勉強汁
759無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 12:24:05
趙雲
760無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 12:31:16
>>758
意味不明。何処にでも転がってるなら例を挙げてみろ、と。

別に「無名で相手を油断させれるヤツ」が凄いとかは思ってない。
まさに>>758の言うように
有能だけど当時は無名のやつが活躍の場を与えられ、
しかも己が無名であることを逆手にとって成功したってだけの話。
で、そんなやつはそうそうは居ないんだから、蜀に居ないのはある意味当たり前。
761無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 12:38:36
つまりは、抜擢された時にどれだけの結果を残せるかということ。

陸遜なんかは、そういう意味では結果を残して名将の仲間入りをした。

でも、馬ショクは言いつけさえ守れば結果を残せるような所に抜擢され、
結果を残せなかったから、ダメだこりゃという感じかね。


762無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 12:39:34
正直、その程度で警戒を解いて背後を突かれたんじゃ名将とは言いがたい。
名将ってのはもっと隙の無いもんじゃないか?
油断して奇襲食らって負けたあげく、恥ずかしくて隠ぺい工作図った張政のような『名将』もいるが。
763無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 12:42:29
>>762
その辺が、関羽の欠点である傲慢な性格が出てるとこだと思う。

「呉は、俺の武勇にビビって荊州攻略はあきらめたから、
 無名武将を配置したんだな」 みたいな感じに・・・
764無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 12:49:11
>>763
歳のせいもあるのかもね、傲慢さは。
765無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 13:05:20
陸村ってそんな無名ではない筈……
766無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 13:06:15
関羽が呉による荊州攻略を徐晃戦前に知っていたら、
後方を分裂される訳(自分で対呉の兵力を無くしてる)だから
徐晃とは戦わず、荊州に帰るべきだし、
徐晃戦後に知ったら実力で徐晃に負けたことになる。
徐晃戦中に知ったなら、例え事実でも敵の混乱情報に
踊らされた訳でしょ。
767無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 13:09:19
>>765
俺はそんな名の村は知らないぞ
768無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 13:55:19
>>765
まぁ名門の出である以上無名ではないが、
その当時の呂蒙の将としての名声を考えるなら将として無名といっていいくらいだろう。
実際呂蒙死後もすぐに抜擢できるような地位になかったし

ただ、だからこそ読みが甘いんだよね。不自然だとか思わなかったんだろうか?
769無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 14:27:31
>>768
というよりも外交の機微がわからないうえ、対応が傲慢な人間に足元がみえてるわけ
ないもの。
往々にして自信過剰な人間に危険に鈍感だし、関羽は破滅型かも。

ほんと、呉との折衝をみてると、関羽なんて滅んで当然としか思えないんだよな。
同情する気にもなれない。
770無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 15:29:41
関羽には益州を治めてもらって、劉備・諸葛亮が荊州を治める。
実際問題このほうがうまくいったかもしれんね。(外交面で)

南蛮との関係がうまくいかん可能性もあるが・・・
あと、姜維・王平等が蜀にこなくなるし・・・

それでも、蜀に力がある状態(益州・荊州が両方ある)のまま、
呉との関係がうまくいけば、やはり魏に勝てたかも・・・


。。
772無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 16:23:08
もう少し呉も後先考えたら良かったのに
蜀が益州だけになって弱体するじゃん
曹槽が蜀は弱体したので相手にならんわって認識したら今度は呉に攻めいるとおもうんだけどな〜
ってそんなことはない?
773無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 16:48:05
>>772
関羽が徐晃に負けた時点で、呉の荊州取りは正しいんじゃないかな。
774無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 17:20:04
>>772
結局蜀健在中、呉は安泰だった。
呉の判断は間違っては居ない。
775無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:02:31
流れをぶった切って悪いが、何で李厳は補給部隊になったんだろ?

どこかの防衛または、北伐に従事しているほうが、
よっぽど役に立ったと思うが・・・。



776無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:25:21
諸葛亮の人事って、ときたまフシギなことをやるよな。
李厳に補給部隊をやらせる。
馬ショクにいきなり初陣で先鋒をやらせる。
魏延をあきらかに軽視しすぎ。

思うに、文官タイプの人間を重用する傾向があったんじゃなかろうか。
弁舌がたったり、人格が大人しかったり。
趙雲は、呉への報復を諌めたという行動がなければ、もっと諸葛亮に軽く扱われていただろうなと思う。
777無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:30:38
>>776
同感。

だから、張飛の息子なのに、張紹は文官の道を選んだのかもね。
武官の道を選んでいたほうが、張飛の血を引いているんだから、
よっぽど活躍できたと思う。
少し、話が飛躍しすぎかもしれんが・・・。
778無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:38:13
諸葛亮はいわゆる野戦の将軍ではなく、
自分のような「戦を指揮できる文官」を育てようとしていたんじゃないだろうか。
「誰が率いてもそこそこ強い」兵を作ろうとしていたようにも見えるし。

馬ショクに関しては、命令違反をせずに街道を抑えていれば
いちおうは魏軍を抑えられるだろうと踏んだんだろう。日頃の才気も買ったんだろうが。
779無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 18:53:52
孔明の戦争っていうのは、攻撃に見えるが実は防衛というもの。
魏を倒して漢室再興なんてあくまで蜀という国が存在するための大義名分に過ぎない。
群雄割拠の時代のようなイケイケ派(死語)の武将は必要じゃなかったんだよ。
魏延なんか最後のイケイケ派。長安を奇襲しましょうなんて言っちゃう奴。
孔明が重用するはずないよ。
780無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:00:01
でも戦う意思を見せないことには、防衛することも難しくなると思う。
実戦で学ぶことのほうが多いだろうから。

劉禅なんて、諸葛亮に全てお任せで、自分で動こうとする気が
さらさらなかったから、戦い方もしらない坊ちゃんに育ったんだと。

いっそのこと、漢中等の前線につれていけば、国全体として
うまくいったかもね。
781無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:18:45
>>780
とりあえずお前は世間の劉禅評を百回読み直せ
782無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:30:04
つまり孔明が魏延を疎んじた理由は、魏延が孔明の戦略をわかっていなかったから。
2ちゃん風に言えば、空気嫁ってこと。
783無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:34:04
>>781
出すぎたことしてすみませんでした。
ROMに戻って、もう少し勉強しなおします。

劉禅について、ご教授いただけるとうれしいのですが・・・。
784無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:35:04
孔明は人事に関しては少し度量が狭いからな。
魏延に限らず本当に自分の手足になるようなやつしか使わないし。
785無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:41:26
だってもう攻める時代じゃないんだもん。
守りの時代なわけ、孔明が権力を握った頃ってのは。
張飛みたいな鼻息の荒い奴が、功名を得るために暴走したりしたら困るでしょ。
蜀将ってのはね、みんなフリをしていなくてはならなかった。
いつかは天下を統一して漢室を再興するんだぞーってフリ。
そのフリができてないどころか、「よっしゃー、ガンガン戦いましょうや丞相!
俺も頑張ってガンガン殺りますから!」ってやる気満々だったのが魏延。
786無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 19:44:43
守りに入ったら蜀は潰れるだろ。
蜀が勝つためには一か八か魏に攻め入るしかないんじゃないの?
787無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 20:01:20
いや、やはり孔明は守りが主眼だったと思う。野戦将軍のように、戦術的勝利をもって一気に
長安まで落とすのは、一時的には可能でも、結局馬超のような形にしかならない。国としての
体制を維持しながらバランスも配慮していくのは、本質的には最も重要だとしても、戦場での
機微や戦機というものがどうしてもぬるくなってしまう。

まあ仮に壮年期の曹操でも難しい大事業であったことは前提だけどな。それこそ韓信でも呼
んで来ない限り無理なプロジェクトだったと思う。
788無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 20:02:25
>>783
>>781の意図は良く分からんが
>劉禅なんて、諸葛亮に全てお任せで、自分で動こうとする気が
>さらさらなかったから、戦い方もしらない坊ちゃんに育ったんだと。
ここが気に障ったのかね。
劉禅を擁護するなら、
全てを諸葛亮に任せたのは親父の遺言ではあるし
諸葛亮を信頼していた、というのもある。
実際、諸葛亮死後も劉禅は諸葛亮路線を維持しようとしたし。
劉禅一人が変わるだけで大勢が覆るはずも無し。

>>785
天水、南群を奪ったり(結局手放してるけど)陰平、武都を奪ったり・・・。
諸葛亮はそれなりに本気で魏と戦ってるように見えるよ。
789無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 20:03:39
魏延の策を取らなかったのは
その策があんまりにも無謀だからじゃないのか?
790無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:26:11
>>788
諸葛亮の外征は俗に言うところの攻勢防禦に主眼をおいてると思うけどね。
軍事行動をおこすにしても、まずは蜀が一朝一夕に滅ばないような地歩を固める
ことに重点をおいてる様にも思う。
南征や、漢城・楽城を築いたり、武都を攻略したり、ってのはその現れ。

北伐にしても、まずは雍州を蚕食して魏の侵攻から本土を防衛する為の
恒久的な基盤を築きたかったように思う。
だから魏延のような積極策を掲げる人間とは温度差があるんじゃないかと。

もちろん、本気であったとは思うよ。
791無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:30:20
雍州(あわよくば涼州)は確保したかったんだろうな。
益州一つじゃバランスが悪い。
792無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 21:47:00
>雍州(あわよくば涼州)は確保したかったんだろうな。

それはキョウイの策。孔明もそれでは意味がないと知りつつも、第一次であそこまでうまくいくとは思ってなかっただろうから、
現実的にはその線もありかなと自分では考えていただろうな。まあ本線は関中全域の制圧だったけど。
793無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 22:59:49
いや、俺も孔明は涼州狙いだと思ったんだけど。
荊州から魏を攻めるルートは関羽の失策で使えないわけだし、巴蜀だけだと、どうしても国力がジリ貧。
これは魏のみならず、呉と比べてもジリ貧乏で、孔明としては、せめて呉と互角程度の国力まで持っていきたかったんじゃないだろうか。
そうでないと、結局は北伐も、呉にキャスティングボードを握られてしまうし。
慎重な孔明は、涼州を確保することで、国土の拡張→国力増大を狙っていたのではないかと。
794無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 23:19:17
でもやっぱり慎重なんだよな
そういう性癖だったのかもしれんけど・・・

なんか諸葛亮は新しい「組織」を作ろうとしていた節があるんじゃないかと
機械的で一つの意志の元、思った通りに動く軍でも目指してたのか
戦場で偶発的な因子をとにかく嫌ってるような
こういう所からも諸葛亮の慎重確実を好む性格が見えるような
795無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 23:30:55
よくよく考えると、諸葛亮亡き後の後継ぎは、
ショウエン、ヒイなので、北伐は自分以外では達成できないことを、
諸葛亮自身がわかっていたんだと思う。
本気で北伐を成功させたいのであれば、姜維や魏延を選んでいたはず。

ショウエン、ヒイに国力を充実させ、その後、後継ぐであろう姜維に期待する。
そこまで諸葛亮が考えていたなら、ホントすごい奴ですね、諸葛亮。

ま、実際はそれでも無理だったばかりか、蜀は滅んだわけで・・・。
そう考えるとやはり、諸葛亮は自分が死んだら、蜀は現状維持が
限度だということを悟っていたということになる・・・

独り言でした。


796772:04/09/19 00:45:09
ごめんごめん
荊州を取りたいのは分かるんだけど
取ったところで、魏は領土減る訳じゃないので魏は損をしないよね?
関羽が漕仁宇禁を苦しめて浮き足立っているときに魏の領土を取った方がよかったんじゃないのかな?
って思った訳ですよ
結局2位と三位の領土の争いなのだから
これって間違ってる?
797無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 00:48:08
その後を継ぐ姜維ってのは費イが暗殺された結果論だからあり得ない。
798無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 01:17:14
>>796
魏を攻めると言っても、当時は夏侯惇が数万の軍勢を率いて居巣にいたわけだから、
いくら関羽が曹仁を拘束し、于禁を壊滅させたとは言え、そうそう成功するとも思えない。
だったら確実に荊州を奪っておいた方が良い、という判断じゃないか?
799無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 01:18:07
>>795
むしろ目指してたのは文官(というか士大夫にそういう区別は無意味だが、そっち系の人達)を中心にした政治形態じゃなかろうか
今で言うシビリアン・コントロールに近いのかも
それならアクの強い魏延を嫌ったってのも納得できるんだが

でも魏延を結構重用してるんだよな・・・諸葛亮
800無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 01:40:48
>>799
思想というか戦略の意見は合わなくても、
やっぱり魏延は実力者だしな。
他の人材では務まらないことも多かったんだろう。
801無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 01:50:51
>>796
所詮あの状態で蜀と呉が共同で魏を攻撃したとしても
魏を駆逐できる確率は言うほど高くはない。
関羽が戦術レベルで徐晃には勝てなかったことから考えても、
共同で攻め上がっても「攻めれば必ず成功する」レベルのものではない。

逆に油断した関羽の背後を攻撃して荊州を取る作戦は
呉が10年間近くも掛けて練り上げたたもので、
成功率はそれより遥かに高い。その上、呉の勢力維持にとっても
大きくプラスになるし、何しろ国内世論にも沿う戦略だ。

博打な魏攻撃よりも確実性のある荊州取りの方を選んだのは
呉にとっては至極妥当な判断でしょう。
蜀としては呉が自国に都合よく協力してくれるなど甘い考えを
持たず、呉の利害関係や動きをよく予想した上で、呉には頼らない戦略か、
もしくは戦略・外交的努力で絶対に呉が裏切らないような確証を得た上で
初めて攻勢に出る戦略を取るのがベターだったかな。難しいだろうけど。
802無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 01:55:43
関羽はどうもなぁ
軍事に限定すればそこそこ以上は確実に行けるっぽいんだが
政治や部下掌握には疎すぎて
誰かの下ならいいんだが
803無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 03:15:40
曹操ならもっと上手く使ったかな。
でも蜀には他に荊州を任せられるような人材が…
ホウトウが生きてれば孔明も荊州に集中できたろうになあ。
804無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 06:07:53
>>803
法正が早死にしてなければ・・・
徐庶が魏にいってなければ・・・

いい人材がいるにはいたが、運がないね蜀・・・
805無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 07:51:36
>関羽が戦術レベルで徐晃には勝てなかったことから考えても、

まあ伸びきった戦線と疲弊した兵士達では誰が出ても厳しかっただろうがな。
806無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 09:42:33
>>805
>まあ伸びきった戦線と疲弊した兵士達では誰が出ても厳しかっただろうがな。
こんな兵力で戦うから関羽は駄目だし食らうんでないのか?
807無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 09:52:24
大洪水の中、襄陽という難攻不落の要害を長時間包囲するのは簡単ではないと思うが?

おまいもそのときの兵士だったらそんな言葉は吐けなかっただろうがな。
808無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 10:13:28
>>807
>>806が言いたいのは引き際が肝心てことじゃね?
809無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 16:13:16
>>807
勝兵は先ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む。
ゆえに関羽は名将ではありません。
810無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 20:42:12
結局さ、関羽の魏攻めってさ、本人はどこまでやるつもりだったんだろうね。
長安を征服するまでか?
単にちょっと攻めてみてビビらせてお終い?
そこらへんがちょっとわからんな。

そもそも動くべきじゃあなかったんじゃないか?
811無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 21:28:32
関羽の独断じゃないから
812無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 23:02:28
>>810
長安というか、洛陽をとるまででしょうね。
蜀からの北上で、長安を取る予定のはずだから・・・、きっと。
813無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 23:44:07
>>811
じゃあ劉備や孔明達首脳陣は無能ということになるな
814無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 07:29:12
甘かったのは事実。荊州と言っても全域の3分の1弱の支配地域だから、要害の襄陽を落として
曹操軍の主力と激突し、一方で虎視眈々の呉への備えもするのは明らかに兵力や兵站不足。

そこに「これが勝負時」とばかり、疲弊していたにしても援軍を繰り出すべきだったし、その時間的
余裕は十分あったはず。

関羽の死が結果的に蜀の未来を失わせることになったが、劉備は本当に首脳部自身のミスとして
反省と総括があったのかどうか疑わしい。残念ながら最後は結局夜盗の親方として終わってしまった。
815無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 11:22:36
劉備入蜀から、漢中争奪戦と一連の戦闘が続いていた蜀に、当時、どれだけの国力があったろうか。
816無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 12:15:44
>>797
しかも政治の実権は陳祗が持っていたわけだから、
諸葛亮→蒋琬→費禕→陳祗が実際のところじゃないの?
817無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 13:09:20
ところで、世界史板を見ていたら「ひょっとしたら、劉備の母は簡(耿)氏出身だったのでは?」という書き込みがあったがどう思う?
818無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 13:12:13
それだけじゃなんともいえない。
理由というか、そう考える根拠とかも書いてくれないと。
819無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 13:39:51
>>818
簡雍に寛容だからじゃないの?
ただ本当に劉備の母が簡(耿)氏出身だったら簡雍伝にその旨の記述があるべきだと思うけどな。
820無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 13:42:34
ごめん、駄洒落と思ったよ。ワラタw
821無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 15:00:44
>>795 >>797 >>816
このあたりを読んでいると、諸葛亮以外に、北伐が無理なことは
諸葛亮自身気づいていたということですね。

荒らす気はないですが、やはり姜維が蜀を滅ぼしたということか・・・
822無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 16:21:36
気付いていたというより、そう信じていたってことでしょう。
だから、自分の死後は北伐しない(できない)ような後継を選んだってわけで。

姜維に才能があったかどうかは別問題として、失敗の遠因は諸葛亮にあったとは思う。
823無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 20:53:48
>822
蒋エンは北伐を計画していると思うんですが。
それと諸葛亮の責任て何ですか?

彼の死後、徐々に生前レベルの国家運営が難しくなり
挙国一致の北伐を敢行する力を喪失したのが正解だろう。
そこへ姜維が軍事力(だけ)を掌握し、出兵に失敗して滅亡。
824無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 22:39:18
皆、随分上からものいってるなw 見方変えてスレ見るとほんと面白いぞ
825無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 23:06:43
そういや、不細工で冷遇されたヤシも居たな・・・('A`)
アレは史実なのか・・・
826無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 00:07:40
>>824
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんやってとこですかなw
まあ、分からんからこそ余計に熱くなるってもんで、
穿った見方せずに純粋に議論を楽しめばよろしかろ。 
827無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 17:45:58
前々から疑問だったんだけど、
ちくま訳しか知らないんだけど、趙雲別伝で
>益州が平定された後、成都の中の建物と城外の園囿・桑田を
>諸将に分けようという意見が当時なされた
っていう記述があるんだけど、
せっかく、劉璋が降服してくれた形で入城した成都で、
そんな真似しようって意見が飛び交う事自体あり得るのかな?

趙雲の一声で劉備はすぐさま従って取り止めたという風に書かれてるけど
劉備一行がいかに益州人士の反感を買わないように気をつかってるかは、
入蜀後の人事からも見てとれる気がするだけに、
劉備含め諸将の意見が「住宅も田畑も没収しちゃおうぜ!」っていう
流れになる事に疑問を感じます。
つまる所、劉備も他の将もそんなにバカじゃ無いだろう?!って思うんですが…

趙雲別伝自体の信憑性云々は抜きにして、
この事象に関して、あり得るかどうかの意見をお聞かせ願いてぇです。
828無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 21:52:48
>827
成都の園囿・桑田を諸将に分け与えよう、と言う意見が一部にあり、劉備自身はそう言った意見もあるが、趙雲はどうだ?って感じで聞いたんじゃないかな。
劉備自身は益州の統治上、当然反対だったろうけど、益州平定で功績を揚げた成り上がり連中を抑えるには有力武官である趙雲の意見を取り上げる事で、それを抑えたんじゃないかな。
829無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 23:24:14
ある意味一芝居うったようなものか?

趙雲が有力武官だとも思えないけど、
益州平定で功績を揚げていて、
文官寄りの人間では無く、張飛のように身内でも無いって所では
適任だったのかもな。
830無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 23:31:25
益州平定で功績をあげた連中が報酬を欲しがってたってのはあるだろうな。

で、、劉備やある程度の見識ある諸将はこぞって反対してるのを、
趙雲一人が反対した風に記述されてるだけな気がする。
夷陵の出兵を趙雲が諌めた話みたいに。
831無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 20:42:40
>>825
張松ですか?
ホウ統ですか?

ま、どっちもか・・・
832無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 22:00:22
今も昔もロンパってる人は
あまりいい印象持たれないってことさ。
833無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 21:41:39
黄皓って正史で死んだ既述が無いんだけど、まさか執筆時に生きていたってことは無いのかな?
834無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 21:45:08
>>833
宦官だから、男性ホルモンのバランスが崩れるし、性欲も失われ・・・
長生きはできんな。
835833:04/09/29 22:12:24
>>834
数年前の朝日新聞の訃報欄に「最後の宦官」が無くなったという記事を見たよ。
94歳くらいだったような気がする。

しかし、蜀の不思議なことなんだけど、何で劉禅は廃帝にならんかったのだろ?
836無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:14:28
>>835
それこそ、陳寿のお陰(?)ですよ!
837無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:17:10
劉禅は廃帝になるほど(臣下にも民衆にも)悪いことをしてないしな。
838833:04/09/29 22:19:39
>>836
何ゆえそこで作者のお蔭なん?

そう考えると、あながち劉禅は悪い人じゃないようにも思えるのう・・・。
でも、廃帝になって劉理か劉永がなったほうが蜀にとって良かったのかどうか・・・。
というか、クーデターを起こす配下も気力もなかったってこと?
839無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:24:03
>>838
劉禅の人柄は太平の世に向いてるな。
ただ、乱世を君主として乗り切るのは無理だったのか
840無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:30:34
三代目辺りに向いてるかね
841無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:31:34
>>838=833

どうして彼はそこまでして劉禅を辞めさせたいんだろう・・・
842833:04/09/29 22:35:15
>>841
辞めさせたいというよりか、魏呉に廃帝の例があったのに、どうして蜀だけ無かったのかと疑問に思ったのです。
そういや、蜀って字そのものは「毛の無い芋虫」という意味らしいですね
843無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:44:47
魏も呉も、廃帝になるときには必ず皇帝以外に強い力を持つ
権力者がいて、邪魔な皇帝を廃して自分に有利な皇族を新たに
即位させてる。

蜀には皇帝を凌駕する権力者がいなかったか、
もしくは劉禅が権力者にとって都合のよい皇帝だったか、
のどちらかだろう(もしくは両方かな)。
844無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 22:47:16
人畜無害の皇帝ってイメージだ>劉禅
845無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 09:26:12
治世の名君、乱世のカス、って感じぃ。
846無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 20:41:12
名君ではないと思う
847無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 21:49:41
ぶっちゃけ治世の名君ってそんなもんじゃないだろうか
実務家ならともかく、皇帝にはそんなに才覚はいらんだろ。

あくまで治世な
848無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 00:13:22
そうそう
治世なら諸葛亮は王安石とか、そんくらいの活躍を出来て
禅も「彼を信任した名君」として名を残せたよ
849無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 01:02:45
自分で悪政を敷いたわけでもないし、
有能な臣下をちゃんと信任して使ってたしな。
850無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 23:22:40
ゲキセイに感謝しる
851無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 04:10:48
下がり過ぎage

最近以前の熱気が懐かしくなる
852無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 14:54:07
熱くなれる議題を封印していけば、いずれはそうなる。
853無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 15:03:22
正直あの話題がでるまでROMってます。
854無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 00:33:06
関羽のせい 半分蜀 死んだ
蜀 どうしようもない
姜維 頑張った でも 一人だけ 支えきれなかった ・・・

姜維のこと思うたび 
わたしの胸 痛む 目には涙うかぶ

だめな人のせい 蜀 半分にならなければ
魏を追い詰めた大国 蜀で
姜維は自分の能力 最大限
覇業の完成を できたはずなのに・・・
855無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 02:59:39
>>854
日本語をちゃんと話せるようになってから来ような
856無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 07:18:19
>>855
コピペにマジレスカコワルイ
857無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 09:10:20
PC買い換えたからNGワード設定が消えてやがる。
久しぶりに>>854のコピペを見てしまった。
858無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 17:41:38
正直、「姜維がんばったのにかわいそう」は好きだった。
ただ、流れ的に堂々と好きだとは言えなかったあの頃。
859無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 14:49:20
てかそのコピペで『蜀が半分に〜』とあるが、
いわゆる『半分』になんなかったら、姜維はそもそも蜀漢にいないと思われ。
860無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 19:35:30
コピペ出現当時になされたツッコミですな。
861無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 19:57:28
>>838
退位して劉璿に皇位を継がせた方が良かったと思う。
862無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 00:15:55
>>861
根拠は?
863無名武将@お腹せっぷく:04/10/15 11:34:31
>>861
シアヌークかよ!
でも、蒋琬が死んだ頃には劉璿は成人しているからな…劉禅が隠居して「太上皇」を名乗るのもありだったかも。
864859:04/10/16 09:58:48
>860
あらま、ゴメン。


流れを切って悪いんだけど、張嶷が
「名君に会えた、死んでも悔いは無い。」
って劉禅のことを言ったのをどう思う?
865無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 12:15:33
劉禅は名君ですが何か?
866無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 12:55:36
>>864
後世の客観的な目でみれば、劉禅の治世は、諸葛亮にはじまる国相に国政を
預けていた間には過失はなく、親政を始めて後もさほど秕政を布いたわけでも、
人事に極端な偏りをみせたわけでもない。

自己主張に乏しい事や劉備の後嗣としての物足りなさ、降伏後のふるまいなどを
含めてみれば名君とはいい難いけど、それでも暗君や暴君の類じゃない。

はっきりいえば劉禅よりもはるかに酷い君主なんてごまんといる。

張嶷の言行は多少は大仰にも感じるけど、君主に対する臣下の言動としては
とりわけ珍しいものでもないし、誤った評価でもない。
蜀と魏の力の差を鑑みれば、身の程を弁えていた君主といえなくもないよ。
867無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 15:05:12
>>866
親政始めてから恩赦を乱発しているが、これは中国の政治学ではあまりよろしくないこととされている。
暗君ではないだろうが、優しすぎてよほどのことがない限り厳しく出れない人だったのだと思う。
868無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 15:13:18
>>867
ごめん、やっぱり恩赦の件でつっこまれたね。回避してしまってすまない……
869無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 18:36:46
大赦はそんだけ世情が不安定だったんだろ
劉禅の性格とは関係ないと思う
870無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 19:28:25
降伏してからのあの発言や振る舞いも、
元蜀の臣下に二心はないってことを信じさせるというか、
自分にその気は全くないよってアピールで、
警戒されて粛正されることを防ぐための言動じゃないかと、
良く受け取ることも出来るけどな。姜維が反乱起こした後だしさ。
871無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 19:29:58
>>869
恩赦は最も安易な人気取りの手段。厳格な政治家ならあまりやらない。
本人の性格はともかく、ゆるゆるな政治姿勢だったんだろうな。
872無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 19:34:19
>>870
40年も宮廷政治の渦中にいたら、言葉遣いに慎重になるのも当然だと思う。
生き残るためにあえて道化を演じたとするのもありだと思うが、
「窮屈な皇帝生活から抜け出せてすっきりした」という本心だったかも知れん。
873無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 19:54:46
大赦は孔明との差別化とかなんかな
874無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 21:00:09
単に人資源不足対策じゃないか >大赦
875無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 22:42:07
人口94万のくせに兵士10万、官吏4万も抱えてる国だからな。
そりゃ犯罪者牢屋にぶち込んでる余裕なんて無いよな。
876859:04/10/18 09:37:58
>>867
大赦って、↑で言ってるように姜維か陳祗か費禕が兵士調達のためにやったんじゃないかな?
劉禅は許可しただろうけど、本人の能力とはあまり関係ないかも。
まあ、擁護派の俺でも「史上最大の名君!」なんて言わないし。(冗談だけど)
『ちょっと名君』ぐらいかな、俺の評価としては。
治世ならもしかしたら漢の文帝ぐらいになれたかも。

>優しすぎてよほどのことがない限り厳しく出れない人だったのだと思う。
この一文は同意。
宦官の黄皓に対しても「才能の無い小物だからいいじゃん。」って感じで許してたし。
郤正にも「もっと早く見出してればなぁ。」って言ったりしてるから、結構人を見る目もあったんじゃないかな。
877無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 09:41:30
>>876
そう言われるとやっぱ血は争えない・・・
878無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 15:03:06
黄皓関連の記述はどこまで信用していいのか分からんからなぁ
879無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 03:25:41
>>878
後漢の十常侍のように自派でポストを取り捲ったり、
民衆を苦しめて私腹を肥やしたりしたエピソードはないので、
せいぜい「少々根性の曲がった君主の側近」以上でも以下でもなかったと思う。
880859:04/10/19 09:55:39
追加します。

あの劉禅がぶち切れた一例。
李バクが諸葛亮の死後、
「あいつが死んでよかったですね陛下。なんせいつも帝位狙ってましたからね。」
なんて事を、かつて諸葛亮に命を助けられたにも関わらず、厚顔無恥にもほざいた時。

劉禅激怒して、即刻李バクを処刑。
(ちなみに李バクは馬謖を弁護して諸葛亮の激怒をも買っている。)
この一事は後世の評価が高いですね。
881無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 13:08:23
劉琰の件もあるよ。
882無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 13:36:07
でも基本的にアレだよな
劉禅は根っからのアホなんじゃないかと
善政善政って言ってるけど、要するに何もしてないわけだし
有能な配下の言うことにただ頷いてるだけ、孔明召還もあったし
883無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 13:37:33
孔明召還って何?
884無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 13:55:44
>>883
気にするな。
君主自身が有能でなければ名君ではないと思っているんじゃないかな>>882は。

>孔明召還

は、「演義」じゃないの? というか横山しか演義ものは知らないけど。
885無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 14:39:31
>>881
劉エンは大した功績も無く、政務も実戦もしなかったくせに、
古株ということだけで車騎将軍の地位に就き、
贅沢極まりない生活を続けてきた男だから、
先帝以来の不良債権として、夫人の件を口実に片付けられたような気がする。
886無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 17:11:47
>有能な配下の言うことにただ頷いてるだけ
これがどれだけ成しがたいことか>>882には判らないとみえる
887無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 17:18:44
「有能な配下」ってのを見極めないといけないしな。
まぁその点は劉禅に問題は特にはなかったと思う
888無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 17:37:15
>>886
無能な配下の言うことにうんうんとうなずいてる君主、
自分は頭が良いと思い込んで有能な配下の言うことをスルーする君主は腐るほどいるもんな。
有能な配下の言うことを聞けるのも君主の度量ですよ。
889無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 21:41:42
有能な配下を見極めた、と言うより、尊敬する諸葛亮が指名した人物だから信頼した、って部分が大きいと思う。
蔣琬→費禕は諸葛亮の遺言だし、費禕急死後に陳祇が影響力を増大したのも、元々は費禕が陳祇を引き立ててたからだからね。
陳祇については賛否両論だろうけど、存命中は黄皓を上手く使って国政を運営してたとも言える。
890無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 22:21:01
でも巫女はねーだろー
891無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 22:29:46
巫女ってなに?
892無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 02:58:55
張嶷を尊んでいたとか言う話は
張嶷は諸葛亮とはあまり関係無いと思うが
893無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 12:48:02
>>890
倭では卑弥呼の統治下の時代だしなあ。
当時の感覚を現在のでは語れないだろう。
894無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 20:38:20
今では考えられないほど迷信深い時代だったわけだし
895無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 20:42:28
迷信深いっていうよりも、
そういうものがある意味学問の一つだったんだから…

というか問題はそういうものを信じていたかどうかではなくて、
そういうものを信じて政治的なミスを犯したかどうかだ。
896無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 21:05:09
学問っていったら今でもあるし
もっと深い、普遍的な常識だったんだと思う>迷信
897無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 02:29:46
>>895
>そういうものを信じて政治的なミスを犯したかどうかだ。
そのようなミスは特に無いだろ
898無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 02:35:29
まあ劉禅は演義補正で蜀滅亡の原因にされてるだけだしな。
899無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 09:48:21
劉禅にそこまで目立つミスは無いしな
せいぜい大赦が多いのが気になるところか。
900無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 19:15:33
>>899
それを言ったら、倭国の後身の某律令国家の大赦濫発・死刑廃止の徹底振りには蜀も呆れ返ることだろうよ。
901無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 19:19:56
いつ大赦が行われたんだい?
902無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 22:11:58
ときに美人収集命令はスルーか?
漏れは劉禅が自分の意志でやったことはロクでもない事が多いと思うが・・・
ただ名君とは云えないが、暗君ではないのには同意だな。
903無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 22:35:02
美人収集命令って皇帝としては普通だと思ったんだけど・・・
904無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 22:41:03
>>903
それで臣下に峻拒されるのは、名君がやることか?ってこと
905無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 23:29:51
>>904
40年も皇帝やってリャ、ポカの一度や二度はあるだろ?
劉禅はおとなしいほうだ。
906無名武将@お腹せっぷく:04/10/21 23:55:59
玄宗皇帝の前にはどんな皇帝もかわいいもんよ
名君も暗君極めた男だからな
907無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 00:45:34
プラスは全くないが、大きなマイナスもなし
物語の人物としてはどうにも
908無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 01:01:26
だから蜀滅亡の責任を押し付けられた、と。
909無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 16:23:50
いや、それは言い過ぎだろう
あくまで、大きなマイナスがないだけで、やっぱり準乱世の状況では駄目な君主だろ
せめて魏の君主だったら良かったんだろうけど
910無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 20:15:37
のほほーんとしてる間に簒奪されちゃいそうなので、それも駄目かと
911無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 22:09:34
>>905
少々のポカや佞臣を用いても、あくまで名君か。
それじゃ暴君以外は何もせんだけでみんな名君になっちまうな
歴史上の大半は名君に治められた時代ですた、とw
912無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 22:16:54
>>911
少々のポカの実例を挙げてください
佞臣の実例を挙げてください
913無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 22:23:52
佞臣っていったって、歴代の名君と呼ばれた皇帝が問題のない名臣の代名詞みたいな奴ばっか用いていたかと言われれば違うし
失敗のない奴だっていない
914無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:05:34
やっぱ加点法か
915無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:06:35
君主と臣下じゃ、もとめられる資質も器も別物なんだけど、君主自身が
万能でなければ名君ではないと思ってる人もいるみたい。

君主は、たとえ自身が凡庸でも、臣下の優劣や、言の良否と採取を
十分に見極められるだけの耳目があれば名君なんだけどね。

三国時代の君主に限定してみるから無能に思えるのかもしれないけど。
916無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:12:08
名君というのはポカをしてもそんなのは問題にならないくらいの功績を
挙げた者に与えられる称号であって良い事も悪い事も殆ど無い香具師に与えられるものじゃない。
というか亡国の皇帝が名君だなんて正気とは思えん。
一般的に思われているほどの暗君でないのは確かだが、明か暗かでいったら暗だろ。

>>912
佞臣=黄皓
ポカ=黄皓を重用して国を滅ぼした
911じゃないけどこれじゃ駄目なのか?
917無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:18:27
>>916
「明」か「暗」のみで評価するのは極端もいいところ。
別に名君ではないけど、暗君というほど酷いわけでもない。

謚号が数多くあるように、君主の評価は様々だよ。
918無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:24:29
国が衰退するなか、策をうった様子もないしなー
部下に任せたにしても部下もあれだ
結局は駄目じゃん
919無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:34:34
>>917
だからそういってんじゃん。漏れは劉禅は普通に名君じゃないだろっていってんの。
それをどっかの粘着が否定してるだけ
920911:04/10/22 23:43:15
>>912
正史くらいは読んでから来て下さい。

>>913
世評で名君とされてる人物が佞臣を重用した実例を上げて下さい。

>>915
劉禅に
「臣下の優劣や、言の良否と採取を十分に見極められるだけの耳目があった」
とする実例を上げて下さい。

ってこと。ヨロシコ
921無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:56:03
>>917
>明か暗かでいったら暗だろ。
は明君よりは暗君に近いだろってこと。分かり難かったなら謝るよ。

ただ、国を継いで国を失うっていうのは充分、暗君の範疇だと思うが。
922無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:57:15
>>920
質問を質問で返すのは、知識の無い人がよく使う初歩のハッタリですな。
君が正史を読んでるなら、君自身が発した問いすべてに余裕で答えられると思いますが。
923無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 23:58:39
前漢の二代目(たしか文帝)みたいなもんじゃない?
924911:04/10/22 23:59:37
>>922
下らん煽りはいいから実例上げて反論しな?
925911:04/10/23 00:05:02
チョト熱くなったかも。スマソ。
ただ漏れは広範な一般論だけで具体例を挙げないで反論する姿勢がどうか、と思ったのよ。
926永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 00:06:07
>>920
>世評で名君とされてる人物が佞臣を重用した実例を上げて下さい。
三国時代限定にすると、曹操が用いた孔桂、曹丕が用いた呉質、孫権が用いた呂壱、王表、
孫休が用いた張布がいますね。

>>915
諸葛亮とその後継者の言うことは良く聞いたし、李バクや劉エンのような有害な人物を切り捨てています。
それなりに人を見る明はあったのではないでしょうか?
927無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 00:11:13
>>926
人を見極める能力があれば、宦官の弊害も理解していただろうに。

李厳の場合は本当は死罪にあたいする罪だが、益州豪族の反発を避けて、
流罪にしたわけだが。李厳は益州の有力者としての自負が多き過ぎたな。
928916:04/10/23 00:17:23
漏れの>>912への解答が間違いなのかどうか教えてくれyp
929911:04/10/23 00:32:28
>>926
まず誠意ある回答に感謝。

孔桂は国政に関与するほど重用されてないと思うが?
呉質は嫌なヤツではあるが国事を誤らせたわけではないだろ。
呂壱については同意。で重要な質問だが曹丕・孫権・孫休は名君で評価が定まってるのか?
それに孫権の場合は晩年は失策が多いが、功績もそれ以上に多いと思うがどうか?

李バクの処刑は感情の発露で、その政治姿勢や能力を問うてのことではないと思うが?
あと劉エンのほうは別に佞臣じゃあないだろ。
これをプラスに考えても黄皓の重用と亡国のマイナスを覆して名君という評価は無理っぽいと思うぞ。
930無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 00:38:02
孫権は結局呂壱を処刑してるんだから劉禅とは比べ物に並んだろ
931永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 00:39:31
>>926
黄皓が権力の中枢に入る以前、尚書令陳祗とショウ周は北伐の弊害に付いて話し合い、
その議論を「仇国論」にまとめました。北伐での消耗がひどく、蜀は既に滅亡の予兆が出ていました。
また、当時は黄皓一人が国政を握っていたわけでなく、衛将軍諸葛瞻と輔国大将軍董厥もまた
平尚書事として国政を握り、尚書令樊建とともに馴れ合い政治を行い、
特に諸葛瞻は黄皓とともに主戦派の大将軍・録尚書事姜維と対抗していました。

北伐での消耗と、国内世論の不統一、硬直化した官僚組織の中から台頭してきた政府首脳の無責任さなどが
複雑に絡み合った結果が蜀の亡国であり、単純に劉禅と黄皓の資質に帰せる問題ではありません。
932永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 00:50:28
>>929
>孔桂は国政に関与するほど重用されてないと思うが?
>呉質は嫌なヤツではあるが国事を誤らせたわけではないだろ。
おっしゃるとおりです。名君が佞臣を重用した実例としてあげさせていただいただけです。

>で重要な質問だが曹丕・孫権・孫休は名君で評価が定まってるのか?
>曹丕
曹操があんな遺言を残さなければならなかったほど、
安定していなかった魏を安定に導いた守成の名君であると思っています。
軍事的には無能でしたが、基盤固めでは良く頑張ったと思います。
陳寿の評価も名君として讃えつつ、「古の名君に並ぶにはあと一歩足りなかった」と評しています。

>孫権
後継者選定問題でミソを付けましたし、失点の多い人ですが、
それでもプラスの方がずっと大きい人だと思います。

>孫休
孫権死去以来混乱の続いていた政局をひとまず安定させたことを考えると、
呉の君主の中では孫権に次ぐ名君と言って良いのでは?

>李バクの処刑は感情の発露で、その政治姿勢や能力を問うてのことではないと思うが?
あの発言は李バクの政治姿勢そのものだと思いますが…。

>あと劉エンのほうは別に佞臣じゃあないだろ。
積極的な悪さを働くわけではありませんが、位階は高く、贅沢三昧。
それでいて職務に忠実なわけでなく、政務も軍務も出来ず、トラブルメーカー。
国家にとって、この人物が車騎将軍という国政に関与し得る地位にあることは十分有害であったと思います。
933913:04/10/23 00:51:44
漢の景帝>俗に「文・景の治」と呼ばれ、漢の安定期を支えた漢の景帝であるが、
       チョウ錯という皇太子時代からの寵臣を重用しすぎて呉楚七国の乱を起こす
       チョウ錯は有能な官吏であったが、皇帝の寵愛を頼みにしすぎたきらいがあり、
       又、彼の邁進する中央集権政策が各国の王を刺激させ、乱の原因となる。
       乱の気勢を削ぐため、皇帝の命によって死刑に処される
前秦の天王>五胡十六国の北部において最大勢力を誇った前秦の始祖・符堅であるが、
         彼が「我が諸葛孔明」と寵愛した王猛は、確かに有能であったが、
         彼の軍事基盤となる氏族の反感を多くかった。又、肥水の戦いに置いて、
         百万の大軍を擁しながら、先鋒を任せた降将朱序の裏切りにあい、八万の東晋に惨敗
         そのまま前秦滅亡のきっかけをつくる。
北魏の太武帝>五胡十六国の後の南北朝時代、北魏を名実共に北方の覇者とした皇帝
          漢化政策を熱心に推し進めた他、仏教弾圧でも有名
          この仏教弾圧こそが、太武帝の側近、崔浩がけしかけたものである。
隋の文帝>三国から始まった長い中国の分裂期を纏め、唐に続く中国の安定期を作った隋の文帝は
       二人の名臣に支えられて天下を取ったが、その内の一人、楊素は驕慢な性格であり、
       後の隋、二代目皇帝煬帝が兄を押しのけ帝位に就く策謀に一役かった人物である


一応、隋代までにこのくらい。武帝のようにプラスマイナスが激しい皇帝は除外(孫権もこのタイプ)
言っておくが、俺が言ったのは「名君が登用した人物が必ずしも品性良好で、誰からも愛されるタイプではない」ということで
「名君が佞臣を登用した」とはいっていない。
劉禅が名君とも言ってない
それに黄皓はさほど問題を起こしていない。せいぜい羅憲を中央から遠ざけたぐらいだが、呉との外交官として羅憲を巴に移動させるのは必要人事

934無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 00:57:19
>>931
>北伐での消耗と、国内世論の不統一、硬直化した官僚組織の中から台頭してきた政府首脳の無責任さなどが
結局この状況を招いたのは劉禅てことだろ?名君どころか立派な暗君じゃないですか。
935929:04/10/23 00:58:14
いってることには概ね同意だが、北伐の許可を与えてたのは劉禅という点を無視してるぞ。
さらに魏の侵攻が始まったときに国境の救援要請を無視した点も言及していない。
漏れは別に黄皓一人が国政を握っていたと主張した覚えは全然なく、
これらの一派を重用してる点で鑑識眼と君主としての器にマイナス点だろうということ。
さらにいえば諸葛瞻は姜維に対抗しただけで黄皓とつるんでたわけではない。
上のような書き方をすると、そう読めてしまうが意図してのことだろうか?

以上のような点からいっても劉禅の亡国に対する責任は重大だと思うし、
漏れはそれを覆して名君という評価が出来るか?と問うているんだが、どうか。
936永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 01:01:57
>>933
チョウ錯を例にあげてよいなら、文帝期のケ通の方がもっとやばい人物かと思われます。
彼自身は悪党でもなんでもないのですが、賜り物が度を越えており、
なんと通貨の鋳造権まで賜っています。
小人がこんなものまで貰ってしまったら、本人に悪意はなくても国家には有害でしょう。
937無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 01:09:16
諸賢の議論、堪能させていただいたが
やはり、後主伝陳寿評の一節「素糸無常、唯所染之」の喩えは絶妙と感じた
938929:04/10/23 01:11:19
>>932
漏れは
>世評で名君とされてる人物が佞臣を重用した実例
の回答だと思ったから孔桂・呉質に疑問を呈した。
>で重要な質問だが曹丕・孫権・孫休は名君で評価が定まってるのか?
孫権は間違い。スマソ。曹丕・孫休は世評で名君と定まってるか?という点が問題。
曹丕は三国限定ならともかく、陳寿の評価が正鵠と思う。
>あの発言は李バクの政治姿勢そのものだと思いますが…。
漏れが云いたいのは劉禅がそういう判断の元に処分したかということ。
>劉エン
伝を読めば劉禅も酷いと思うぞ。それに贅沢やったのは劉禅も同じ。
黄皓は良くて劉エンが悪かった理由が不明だと思うが。
939永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 01:11:37
>>934
>結局この状況を招いたのは劉禅てことだろ?名君どころか立派な暗君じゃないですか。
北伐は建国以来の国是。董厥や樊建のような人物が政府首脳になれたのは、
諸葛亮以来の荊州閥偏重人事が大きな原因となっています。
国内世論の不統一も、それらの延長上にあるものです。
劉禅がそれらに対して無力であったことは事実ですが、彼は何もできなかっただけで
直接滅亡の原因になったわけでもなく、積極的に臣下や民衆を害したわけでもないので、
「名君でも暗君でもないだろうけど、乱世には不向きだったね」と言うのが妥当な線かと思われます。

>>935
名君という評価は出来ませんね。結局諸葛亮以来の負の遺産をどうにも出来なかったという点において、
亡国の責任は免れませんが、積極的に臣下や民衆を害さなかったことから、
名君ではなくとも、暗君とも呼びがたく思うのです。
中国史を眺めれば、治世・乱世を問わず、積極的に臣下や民衆を害した君主は数多くおりますので。
940永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 01:18:23
>>938
>漏れが云いたいのは劉禅がそういう判断の元に処分したかということ。
史書には「大いに怒った」とありますが、怒りどころも君主の度量のうちでしょう?

>伝を読めば劉禅も酷いと思うぞ。それに贅沢やったのは劉禅も同じ。
伝を読む限り、何としても劉エンを消したくて無理やりこじつけたような気がします。
あと、劉禅は奢侈で国を傾けたわけでも無いし、親政もしています。
劉エンの場合は仕事もしないのに、奢侈をしているから良くないのです。

>黄皓は良くて劉エンが悪かった理由が不明だと思うが。
黄皓を重用したのが良いことだったとは思いませんが、
劉エンが高い地位にあるのも別の意味で良いことだとは思いません。
941929:04/10/23 01:19:22
>>939
>名君ではなくとも、暗君とも呼びがたく思うのです。
なんだ、論議しあってたのに結論は同じだったのか。
漏れも劉禅は一個人としては善良だし、単なる暗君とは思わない。まあ凡庸だったというだけか。
漏れは>>911から一貫して「劉禅=名君」説を否定してただけなんだよな。
もしかして>>912>>915に乗せられたか?
942929:04/10/23 01:26:01
>劉禅がそれらに対して無力であったことは事実ですが、彼は何もできなかっただけで
>直接滅亡の原因
救援要請の無視も失点には入らないの?

>伝を読めば劉禅も酷いと思うぞ。それに贅沢やったのは劉禅も同じ。
伝を読む限り、何としても劉エンを消したくて無理やりこじつけたような気がします。
あと、劉禅は奢侈で国を傾けたわけでも無いし、親政もしています。
劉エンの場合は仕事もしないのに、奢侈をしているから良くないのです。

言いたいことはよく判るんだが、劉エンだって国費を使い込んで奢侈で国を傾けてはないよな?
なのに処刑されなきゃならなかったのか?第一処刑の理由は佞臣だからじゃないだろ?

>黄皓は良くて劉エンが悪かった理由が不明だと思うが。
黄皓を重用したのが良いことだったとは思いませんが、
劉エンが高い地位にあるのも別の意味で良いことだとは思いません。

同意だが漏れが言いたいのは、本当に人物眼が優れてて処分をしたんなら、
両方とも処分するものじゃないか?という疑問な。
943無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 01:30:55
>>913
王猛は佞臣じゃないだろ。
楊素の伝も全部読んだか?とても佞臣とは云えないぞ
944永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 01:46:11
>>942
あれは立派な失点だと思います。ただ、あの戦役を乗り切ったところで蜀の亡国は避けられなかったとも思います。

>言いたいことはよく判るんだが、劉エンだって国費を使い込んで奢侈で国を傾けてはないよな?
働きが無いのに奢侈というのは、目障りだった理由の一つということで。

>なのに処刑されなきゃならなかったのか?第一処刑の理由は佞臣だからじゃないだろ?
予州時代の劉備に仕え、峻厳な諸葛亮の時代に生き抜くどころか栄達し、
保身に長じていると思われる劉エンを消すには、
ムチャなこじつけで処刑するしか無かったのかなあ、と思います。

>同意だが漏れが言いたいのは、本当に人物眼が優れてて処分をしたんなら、
>両方とも処分するものじゃないか?という疑問な。
人物眼はある程度優れていたが、もしかしたら晩年に曇ったのかもしれませんね。
あるいは宰相クラスにロクな人物がおらず、誰を信用して良いか分からない状況で、
信頼していた陳祗との取次ぎ役をしていた黄皓がまだマシに見えたのかもしれません。
蜀滅亡後にゲキ正を登用するのが遅かったことを嘆いたエピソードなどもありますので、
完全に曇っていたわけでは無いと思いますが。
945942:04/10/23 01:52:49
>>944
概ね同意。
なんかスレタイと違う話題を延延続けすぎた気がするので、この辺で手打ちと行きましょう。
長々とお相手感謝する。
946913:04/10/23 01:58:40
>>943
だからぁ、俺は佞臣とは言ってないって
名君と呼ばれた君主が信頼した家臣にはアクの強い、少々問題の人物もいたって言ってるんだよ
947無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 02:01:44
諸葛亮だって
ある意味あくの強いというか、偏りのある人間だとも言えるしね
948無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 02:10:14
皇帝に必要な能力って、人事を円滑にする能力かもな
唐や宋は派閥争いで国力傾けたし
劉禅も、もう少し積極的に北伐派とその反対派との間を取り持てばよかったんだろうけど
ちょっと人が良すぎて、強気に出れない感じなんだよなぁ
949無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 02:13:19
西洋だが
ピョートル大帝みたいに創業者的な後継者もいるわけで・・・
まぁ中国にそれは似合わないかな
950無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 02:51:03
>>939
>劉禅がそれらに対して無力であったことは事実ですが、彼は何もできなかっただけで
言葉の定義の問題だね。漏れはこういうのが暗君だと思ってた。

>直接滅亡の原因になったわけでもなく、積極的に臣下や民衆を害したわけでもないので、
ちなみにこういうのは暴君だと思ってた。特に後半。
951無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 03:17:44
>>947
ある意味じゃなくても
選り好みの激しい人間だったっしょ。
952無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 03:30:36
それでもみんなから好かれてた武候
953無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 09:34:52
その辺が偉大な点か。恐れかつ愛されるって結構すごいよな。
954無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 11:22:04
>>933
王猛が死んだ後だろう、肥水の戦い。
そこまで王猛のせいって…それじゃ今川義元が桶狭間で負けたのは太原雪斎のせいなのか?
955無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 12:22:23
>>933は列伝未読の知ったかな罠w
それに釣られる954も・・・
956無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 17:05:44
朱序のせいで肥水に負けたと書いてるじゃん
957無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 20:41:27
朱序が降ったのは王猛が死んだ後だぞ
>>933は何がいいたいのか全く意味不明だ
958無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 21:36:28
そろそろ次スレよろ
959無名武将@お腹せっぷく:04/10/23 23:40:35
だから、符堅の部下として王猛と朱序を出してんの
>又、肥水の戦いに置いて、
  百万の大軍を擁しながら、先鋒を任せた降将朱序の裏切りにあい、八万の東晋に惨敗   
  そのまま前秦滅亡のきっかけをつくる。
この部分の主語は王猛ではなく、符堅
960無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 08:41:49
朱序については分かったが
王猛についてはさっぱり分からん。
王猛はどっちかといえば符堅の氏族冷遇に対して注意を促してなかったか?
961無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 14:43:25
でも、氏族からは嫌われていた
ある意味、嫌われ役に徹していたのかも知れない
ところで、もっとう「蜀将」の話ではないんだが……次スレどうする?
962無名武将@お腹せっぷく:04/10/24 21:28:45
>>960
既に論旨が破綻してるのは明白だろ。人の間違いをいつまでも追及するなよ。
ということで次スレヨロ
963加藤邦迦 ◆B5eyX7Nn8Y :04/10/25 01:28:08
しかし、蜀の官僚制度って謎が多いなあ・・・。
後漢のように、三公や丞相制みたいな形としてハッキリしないし。
時系列で三公や車騎、驃騎将軍等を時系列で見たいものですが・・・
964無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 16:07:01
丞相は孔明が死んだ後、設置されなかった筈。
蒋琬以後はいくつかの要職を兼務する形で丞相の職掌を行っていたはず。
965無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 21:44:56
丞相・・・・諸葛亮のみ(221〜234)行丞相・・・向朗のみ(238?〜247)
大司馬・・・蔣琬のみ(239〜246)
大将軍・・・蔣琬(235〜239)費禕(243〜253)姜維(256・258〜263) 右大将軍・・・閻宇(256?〜263)
車騎将軍・・張飛(221〜221)劉淡(230〜234)呉懿(234〜237)ケ芝(243〜251)夏侯覇(253?〜?) 左右車騎将軍・・張翼、廖化(258〜263)
驃騎将軍・・馬超(221〜222)李厳(230〜231)呉班(234〜?)  右驃騎将軍・・・胡済(258?〜263)
衛将軍・・・姜維(247〜256)諸葛贍(258?〜263)
前後左右将軍・・・(劉備即位前219〜221)関羽(219)黄忠(219〜220)馬超・張飛(219〜221)
前将軍・・・(即位後)李厳(226〜230)袁リン(230〜234)ケ芝(234〜243)胡済(244?〜249?)
後将軍・・・( 〃 )劉淡(226〜230)呉班(230〜34)張表(249?〜?)姜維(256〜257)
左将軍・・・( 〃 )呉懿(230〜234)向朗(234?〜247)句扶(?)郭循(?〜253?)
右将軍・・・( 〃 )高翔(230〜234)
966965:04/10/25 21:46:50
>965
訂正:諸葛贍→(261〜263)
967無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 21:59:28
録尚書事・・・諸葛亮(221〜234)蔣琬(235〜242?)費禕(242〜253)姜維(242〜?)
平尚書事・・・諸葛贍・董蕨(261〜263)
尚書令・・・・法正(219〜220:劉備即位前)劉巴(220〜222)李厳(222〜226)陳震(226〜234)蔣琬(234〜235)費禕(235〜242)董允(242〜246)呂ガイ(246〜251)陳祇(251〜258)董蕨(258〜261)ハン建(261〜263)
尚書僕謝・・・李福(233〜238)ヨウチュウ(238〜242)董蕨(242〜258)
968無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 23:13:35
蒋エンの計画はブラフ。

それで国論や戦力の維持、跳ね上がりのガス抜きを図った。流石である。

勿論キョウイの派兵は局地的戦略としては有効だが、それで北伐を云々するのは不可能だし、
漢水下りも、奇策にしても余りにも無理がありすぎる。

要するに全てはポーズだったということ。

まあ蒋エンなら、関羽・張飛クラスの司令官や聡明な軍師が複数いる、魏の内紛が大きくなっ
ている、呉と共同作戦を取れるなど、戦機が十分に熟していれば、北伐も考えたとは思うが。
969無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 23:52:20
関羽・張飛クラスの司令官や聡明な軍師??
970無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 00:17:45
>>969
まて、関羽〜は司令官クラスまでで、
聡明な軍師まではかかっていないだろ。

もちろん、司令官としては何とも・・・だが<関張

ふたりとも有能な幕僚の進言を入れられるかどうかだな
971無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 00:22:26
野戦司令官としては有能だろ。もちろん魏延やキョウ維もいたが、やや小粒なのと、ネームバリューがない。
要は存在自体が戦略となりうるような武人ということが言いたかった。
972無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 00:42:46
漢水下りで問題なのは、退路が川を遡る道しかなく、作戦失敗時に撤退が困難だという事くらいだと思うが。
当時の魏が、漢水を下っての急襲に対して考えが及んで無なかったなら
魏興・上庸郡の攻略も決して無理ではなかったのではないだろうか?
魏の荊州方面軍は、呉に対する備えもあるから積極的には動けないだろうし。

孟達が秭帰から北上し、漢中から劉封が漢水を下って魏興・上庸・新城郡を攻めた時は攻略できたしね。
あの辺りを押さえられれば荊州侵攻の橋頭堡を築いた事にもなると思うし。

あと、漢水下りが中止になった後の涼州侵攻計画は、蔣琬ではなく姜維の意見を中心に纏められたものだと思う。

蔣琬自身は東方侵攻に一縷の望みを見出していたが、群臣の反対や持病の悪化で断念。
仕方なく姜維の主張していた涼州侵攻計画を代替案として纏め上げた、と自分は見ているが。
973無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 00:59:58
>>967
姜維の録尚書事就任は、衛将軍就任と同時期の247年だと思いますよ。
974無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 01:29:43
>>967
馬忠も平尚書事になっとるよ
975無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 01:36:59
馬忠の場合は、興勢の役での費禕の漢中出征に伴い、臨時で就任してたんじゃなかったっけ?
976加藤邦迦 ◆B5eyX7Nn8Y :04/10/26 02:26:21
>>965さん
書いていただいてありがとうございました。
977965:04/10/26 07:11:49
>973,974
その通りですね、指摘ありがとう。

追加ですが、右将軍・・・諸葛亮(228〜229) 輔匡(234〜?)
      後将軍・・・・・・・宗預 (251?〜256?) 劉ヨウ(234?〜?)

私見ですが、夏侯覇も蜀漢に降伏した際、魏の時と同様に右将軍になったかもしれないと考えます。

>976
どういたしまして。
978無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 12:33:53
>>972
蒋琬案は
@自分が荊州人だからという心理的なもの
A荊州は魏と呉が二分している状態なのでそこで戦争を起こせば、嫌でも呉は立たざるを得ないという発想
では?

蒋琬は楊儀ら他の有力候補を差し置いて孔明の後継者に指名された事から、「北伐の成功」が孔明への最大の恩返しと考えていた。
だが、同時に孔明と比べて自分に才能が劣るという自覚もあったので慎重かつ万全な体制で北伐を行おうとした。
その産物が漢水下りだと思う。
979無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 16:20:37
>>978
漢水下りは慎重とは逆方向のベクトルを持ってると思うが?
980無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 17:32:57
>929
というか「名君」と言ってる人は1人もいないと思うのだが?
皇帝なんて実際普通でもいいわけよ。
例えば企業で言えば社長は2タイプある。
大企業の社長=万能である必要無し。人材登用は極めて重要
中小企業の社長=唯我独尊。スーパーマン。オールラウンド。
求められる資質が違う。
ただ中小の国なのに大企業資質だったのが致命的。
981無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 21:52:37
>>980
終った話題を蒸し返す前にもう一回レス読み返して来いハゲ
982無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 22:03:30
蔣琬の漢中出征は、遼東の公孫氏の叛乱と、それに伴う呉の魏に対する積極的な姿勢、魏帝の病状などからだろう。
呉が荊州北部を永続的に確保出来るようであれば、蜀漢も上庸地方を確保していく事も出来る。
魏が襄陽一帯を保持している状況で上庸方面に手を出せば、強力な反撃をくらうのは確実で、上陽奪取どころか遠征軍壊滅なんて事もありうる。
238年の段階で蜀漢が積極的に攻勢に出る事はなく、あくまでも呉の攻勢が成功するのであれば、それに乗じる、と言う程度だろう。
蔣琬伝の後主の詔勅も「呉と連携し・・云々」とあるのはその証左だろう。
呉と直接連携するには漢水が地理的(距離的)に容易なことから、選ばれただけだろう。
しかし、蜀漢朝廷は「川下り」と言う作戦に対する、夷陵の役のトラウマから反対論が多数に上ったものと思われる。
その上、蔣琬は任官以来、後方支援業務がほとんどで前線勤務は全くない。蔣琬の軍事手腕に対する疑問も多かった事だろう。
蜀漢内における軍事の巨頭である劉備、諸葛亮が成功していない以上、明らかにその両者より劣る(と思われる)蔣琬の作戦行動を支持できないのはある意味当然かもしれない。
983無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 22:05:24
誰か次スレ立てないの〜?
984無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 23:48:52
985踏んだ人ヨロシコ
985無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 01:17:23
当時の荊州諸軍事は夏侯儒で、駐屯地は恐らく宛。
宛から上庸まで直線距離にして250kmだから、行軍距離は300kmは優に越えるだろう。
そうなると早くても上庸到達に2週間は掛かるな。
蜀の方は山間部の急流を下っていくから時間は掛からないだろう。
その時間差を利用してどこまでできるかが問題だな。

夏侯儒の実力がどの程度かは分からないが、配下には王昶もいたしな。
甘く見る事は出来ないだろう。

では、次スレ立ててきます。
986無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 02:46:16
次スレ

蜀将討議スレッド9
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1098807561/
987永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/27 04:44:25
>>985
夏侯儒は曹操時代からの軍歴を誇るベテラン軍人です。
征南将軍だった時に呉の朱然に包囲された樊城を救援に行きましたが、
兵力が少なかったので一ヶ月あまり示威行動だけして、
中央からの援軍が到着すると、一緒になって包囲を打ち破りました。
援軍が来るまで戦わなかったせいで臆病者と評されて解任されましたが、
手持ちの兵力に乏しくて、相手の指揮官は名将朱然。
勝てる見込みが無いのに攻勢に出るのは、愚将のすることです。

夏侯儒の軍事能力を示すエピソードはこれだけですが、
少なくとも常識的な判断のできる将であったと思われます。
戦争を指揮した経験の乏しい蔣琬が相手をするには厳しかったのではないでしょうか?
988無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 18:23:45
漢水下りにしても北伐にしても、総大将は蔣琬が務めるのだろうが指揮を執るのは姜維か王平になるんじゃないかな?
五丈原からの撤退でも、漢晋春秋の記録を信じるなら、実際に撤退の指揮を執ったのは楊儀ではなく姜維みたいだし。
989無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 20:25:38
王平は漢中の守りで外せないかも知れない
すると、姜維、句扶、張翼、リョ化か……
姜維の機動力が生かせるかな?句扶の実体が分かるかな?
990無名武将@お腹せっぷく:04/10/28 21:13:13
姜維は蔣琬の軍事顧問のような役割を担ってたと思う。
北伐の計画立案にも大きく関与してたようだし、
蔣琬が大司馬になるとすぐさまその司馬に任じられたしね。

そう考えると、漢水下りも姜維指揮のもと行われるように思える。
991無名武将@お腹せっぷく
漢水の急流を下るのは非常な難事

しかも、上庸は第一次北征に齟齬を来した曰く付きの土地であり、一時的に占領しても、かつてと同じように
司馬一族が出てきたらそれまで。

少なくとも参謀達は間違いなくそれを意識しただろう。そしてそのときに、果たして漢水を遡上して撤退が可能
か、更に漢中まで追撃は無いのか?昭烈皇帝の敗北の時は、白帝城以西は追撃困難だったが・・・・・。

せいぜい山賊が留守に気勢を上げる程度の事で乏しい蜀の国力を失わせるにはやはり余りにも労多くして益
少なすぎる作戦だと思われる。