そうそう軍略が天才っていうと
何故か魏延厨は万能って捕らえるんだよな
>>897 演技でも読んでて思ったはずだ。
「もっと孔明連れて行けよ」ってな。
何故連れていかれなかったのかを考えれば自ずと答えは分かる。
まあ孔明厨はそれすら考えられないアホばかりだが。
>>899 大軍・遠征・敗戦の三拍子が揃ってるのに
少ない被害・国是を果たすって最高の戦果をあげてるのに成功以外の何がある?
目的を果たすが成功か失敗かと問う最重要項目だとおもうけど?
905 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/05(月) 23:18:45
>>901 つまり孔明ヲタは、孔明の政治の才能は認めてないでFA?
906 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/05(月) 23:19:41
>>904 目的=中華統一。漢王朝の復興
果たせてねぇ〜www
906 :名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中 :2007/02/05(月) 23:19:41
>>904 目的=中華統一。漢王朝の復興
果たせてねぇ〜www
これは酷いwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アンチの連投になる多端に頭弱そうなレスが続くんだな
いきなりヲタとか決め付けるあたり、おめでたいんだろうけど
>>907 まあ北伐が成功だと言っている君とはどっこいどっこいだよ。
小説を信じる孔明厨
正史を信じる魏延厨
まあ魏延云々とは関係なく、
孔明の軍事に関する能力は正直微妙だと思うよ。
>>905 少なくとも俺は認めてねーぜ
真の一流ってのは時勢を見極められるやつのことだとおもってるからな、劉禅のように。
分裂期間を長引かせたせいで隋まで
914 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/05(月) 23:38:00
>>895 そんなカキコ観たことないけどどれのことよ?
>>914 脳内ソースだろ。
厨房にはよくある事さ。
>>913 蜀漢後主は時勢を見極めたわけじゃない。
どうしようもなくなって、相手に選択を迫られたわけだ。
最後まで戦うか、見捨てて逃亡するか、降伏するか、とね。
劉禅自身の構想からでた選択ではなく、これは受動的と言わねばならない。
よって、劉禅を過剰に持ち上げることはできない。
917 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/06(火) 12:02:23
>>916 たしか陳寿の師匠が降伏を勧めたんだろう。呉に下るくらいならいっそ魏に下れ扱い
は悪くないだろうと。それか南蛮に逃れて蜀を続けるという手段があった。
918 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/06(火) 12:12:27
阿斗は降伏して正解だったな。
楽しい思いも出来たしw
↑官がんの黄晧じゃなかった?
譙周
>>917 孔明というか蜀の対南蛮政策は現地のことは現地人に任せる、
中央政府の役人を置くと逆に反発され反乱を起こされる、じゃなかったっけ?
南蛮に亡命だとそれに触れるような気もするけど
実際はしっかり役人派遣してます。
そして、孔明が帰った後、しっかり反乱が起きてます。
なるへそ
>>901 肥三国志厨で魏延ヲタなどうしようもない野郎の見解で申し訳ないんだが。
俺は魏延が好きだが、諸葛亮の才能を認めていない訳じゃない。
政治(内政全般)の能力は恐ろしいものがあるし、
魏延が好きな人達は、既に孔明の政治能力・局地戦での戦闘能力は認めてる。
仮に認めていない人がいるとしても、俺は認めている。
だから、「軍略が天才」と言うと「内政(政治)も局地戦(武力)も更に軍略(統率・知力)も
あって完璧じゃないか!」と思えてしまう。
魏延が好きな人達って諸葛亮のことをかなり認めている気がする。
俺はお前らに比べて、全然知識もないから
お前らが見て「おかしい」と思うこともあるかもしれないし、まぁ笑って聞いてくれ。
とりあえず俺はこういう風に思った。長文ですまない。
魏延さんは局地戦の当代随一の勇将だと
諸葛亮厨の皆さんは理解しているわけだし
諸葛亮厨ががんばってるのは
軍事的才能が「無い」という反応に対してだと思うがな
あんだけ指揮官として敵味方から賛辞されているにも関わらず
魏延さんの作戦をマンセーする為に軍事的には無能扱い
あとな、諸葛亮派閥というのがあったとしても
普通に派閥の大物として魏延は所属してるから
>>924 さんをつけろよデコ助野郎!
>>925 魏延酸?オマエアホダロ?wwwwwwwwww
どうも
>>924の様な愛好家はともかく、
>>925のようなキチガイ魏延厨は
日本語すら不自由らしい
そりゃ他のスレじゃ相手にされないし、専用スレでオナニーするしかないわ
理非を弁えない畜生どものが
温厚な魏延さんだってしまいにゃキレるぞマジデ!
「さん」ぐらいつけろや、低脳ども
だから日本語不自由て何だ不自由て。
辞書引いてこい。
930 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/06(火) 23:21:23
931 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 01:32:43
そもそも正史の諸葛亮が戦略家や機略家らしい面なんて皆無だけどな
正史だと秀才で真面目な官僚って感じ
天下三分の計=シュウユや魯粛なんか見ると、当時知識人の間じゃおそらく似たような事がでてただろうし
呉との同盟も野心家の魯粛の手駒として利用された面が強い
むしろ戦略家らしい面っていつ発揮したの?
どこの正史だよ
ちゃんと読め
933 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 01:41:56
>>932 正史のどこに諸葛亮が戦略家として優秀さを示す文がある?
>>931 よく考えてみろ
劉備は孫家と比べれば凄く小さい傭兵軍団に過ぎないのに
いつのまにか"対等"な同盟
赤壁でたいした働きも無いのに、分け前は折半
むしろ劉備の方が多く取ってる
それを元手に蜀攻略。
それも周瑜(孫家)も蜀制圧を狙っている間隙をついてだ
元手が殆どない状態から、ここまでの手腕は奇跡的な外交手腕(
正史にも奇策として絶賛されているが
君の正史には何も描かれていないんだろうな
>>934 赤壁後に超重要拠点江夏をしっかり奪われてますが?
937 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 02:03:45
>>934 それは呉側(魯粛)の事情をまったく無視した考え。
魯粛は間違いなく諸葛亮以上の大策士で、当時大半が降伏派ばかりの呉で曹操と開戦させるために、独断行動を起こして諸葛亮を手駒として使ったという方が正しい。
元々魯粛は呉が荊州や益州を直接占領するのではなく、劉備を使い占領させ曹操に対抗するってのが策だし。
事実孫権が帝位につくまで、ほとんど魯粛の考えた通りに三国時代は進む。
938 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 02:31:42
戦略と政略の違いを分かってない奴がいるな。
939 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 02:45:05
江夏は何時うばわれたの?
入蜀後の215年あたりのことだろか
呉と劉備が武力衝突に至って長沙とレイリョウが呂蒙に軍事制圧されたころ?
>>934 一応突っ込んどくとその辺の功績で諸葛亮の功績と史書に残されているのは
「孫権との同盟を主張し、使者として派遣された」ことだけですよ。
しかもそれもそれは魯粛も同時期に持ちかけた話でもあり、
以後貴方が言ってるようなことを諸葛亮が主導したというような記述は俺の知る限りないし、
むしろ
>>937も指摘してるけど呉側の魯粛の働きの方が頻繁に出てくる。
それと議論の場で他人を無駄に煽るのはあまりオススメできない。
>>939 気がついたら呉の物だった
赤壁終了後にいきなり孫権が乗り込んできて名前を武昌と改めた辺りが奪われた時期
943 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 04:24:16
なるほど
なかなか悪どい
>>937 逆だ逆、むしろ野心家の魯粛こそが手駒として扱われてる。
魯粛は当初は劉備と劉表の遺児2人がが手を結ぶならば同盟した方が良い、じゃなかったら征伐しろと言ってるんだよ、
対して諸葛亮は劉表が死去する前から呉とは同盟を結ぶべき相手で、
荊州を基盤として蜀を制圧しろと言ってる、しかも蜀から内応者が出るであろう事まで予見してね、
そして自ら赴いて孫権説得に一役買ってまでいる。
んで後の魯粛の戦略は当たってるとは言い難い、劉備に南郡を貸して荊州を手に入れるつもりが約束は守ってもらえてないからね
結果を見てみれば魯粛のやった事は諸葛亮が唱えた戦略通りの事が進む手助けをしただけ、蜀が圧倒的に利した結果に終わった。
それに魯粛が考えた戦略は言うほどには当たっていない、元々は天下二分論者であったしね。
対して諸葛亮が唱えた天下三分は途中までの達成度は空恐ろしい程の的中率を持ってる、
事実呉の裏切りが無ければ魏さえ危うかった所までは証明できたが、まあ諸葛亮も人だったという事か。
>>931 >天下三分の計=シュウユや魯粛なんか見ると、当時知識人の間じゃおそらく似たような事がでてただろうし
大体周瑜と魯粛の天下二分・三分と諸葛亮の天下三分はかなり違う。
諸葛亮の天下三分の発案は劉表生存時にも関わらず劉備に荊州を基盤とし、呉と同盟して、
蜀を取り(その際に内応者が出るであろう事も予言」して、天下の変事を待って荊州と益州から二面作戦をするべし。
とまで述べている。
魯粛は劉表生存時は天下二分論者であった、それも北方は多忙であるからその内に黄祖を滅ぼし、劉表を征伐して
長江を北限として割拠してから帝王を称せというもので、現実は劉表さえ打ち破れずに終わってる。
その後劉表が死ぬと劉表の2子と劉備が手を結んでいるならば、という限定付きでの同盟を提言しており、
これも曹操に先手を打たれるという形で失敗しており、その後に具体的な天下三分を述べた事は無い。
しかもこれも天下三分というよりは劉備・劉表の2子との同盟を結んで曹操と防ぐという戦略で、
そもそも天下三分などというものではない、天下二分は甘寧案とほぼ同じ。
周瑜は天下二分を唱えたのはずっと遅く、劉備は京へと会見に来た時。
これは劉備を監禁し、蜀を制圧して馬超と同盟し蜀方面は固守、自身が戻ってから孫権と
襄陽より攻めあがろうという諸葛亮案とも魯粛案とも全く別物の策。
馬超離反を予見したのだとすればいい戦略眼してるけど、劉備を監禁するという南部四郡に割拠する
劉備勢力の反発が予想出きる状態で、天然の要塞である蜀への力攻めを行えるかという実に際どい問題が存在するのが難点。
946 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 06:32:16
天下三分は当時珍しい策でもないでしょ、漢楚時代からあったし
それから呉が開戦を行ったのは別に孔明云々じゃないし
そうゆう事言ったら諸葛亮はどうやって荊州を得るか、
荊州を維持するか、呉と同盟をするかがないんだよねえ。
>>946 漢楚時代の場合は三分の一の勢力持ってたから独立したら鼎立できるぞって話で
勢力無しの状態から勢力を得る戦略じゃないよ。
勉強したら良い大学に入れる事なら昔から知られている事だけど
知っているから良い大学に入れるわけじゃない
「知っている」を戦略とか言われても困る
>>941 「孫権との同盟を主張し、使者として派遣され、困難な任務を成功させた」
同盟への描写まで細かく書かれているのに無視するなや
魯肅の言い分通り歴史が進んだ事ばかり主張するが
逆を言えば漢中王になるまで諸葛亮の言い分通り歴史が進んだ事は
無視するのはなんで?
赤壁での発言力
5:張昭等(天下の為にも降伏ですよ)
4:周瑜等(俺等で勝てる、徹底抗戦だ(゚Д゚ )ゴルァ!!)
1:魯肅(劉備と同盟して徹底抗戦ですよ)
↓(諸葛亮投入)
1:張昭等(天下の為にも降伏ですよ…アレ劉備?)
4:周瑜等(俺等で勝てる、徹底抗戦だ(゚Д゚ )ゴルァ!!…アレ劉備?)
5:魯肅・諸葛亮(劉備と同盟して徹底抗戦ですよ)
魯肅の手駒諸葛亮凄いですねw
というより、発言力の少ない魯肅と諸葛亮の戦略の合致で利用しあったが正しいのであって
どっちが一方的に利用したという話では無いと思うのだが
より得をしたかといえば劉備勢力ではあるがね
諸葛亮の動きがほとんど見えないからでしょ
魯粛の天下二分も諸葛亮の天下三分も初期段階で失敗してるけど
魯粛はその後に天下三分を主導してるから
どうしても諸葛亮とは印象が変わってくると思う
952 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 08:07:52
孔明が何かしてとか正史にないからな〜演技じゃ大活躍だが
天下三分の計=おそらく当時の知識人の一般の意見で語られてたこと
呉の開戦決意=孫権の利害的理由、呉の軍事外交実力者周ユと魯粛の独走
孔明って何やったの?
953 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 08:10:54
孔明が戦略家らしいとこなんて見せたことないやん
955 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 08:37:23
>>951 両方とも曹操の南下を受けて修正を余儀なくされたな。
孔明は未練がましく「劉j攻めて荊州取ろうぜ」と言っている。
諸葛亮もまだまだ青かったんだな。
劉備が遠回りしなきゃなぁ
957 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 09:26:54
むしろあんだけしょぼい劉備勢力が国持てたのがすごい
運だけじゃない気がするが…
孔明より劉備のほうがすごいんじゃね?
958 :
951:2007/02/07(水) 09:32:38
>>954 >>950の結論は同意だが
魯粛・諸葛亮が赤壁前にそんな発言力があったとは思えん。
流れとしては
張昭等(天下の為にも降伏ですよ)
魯肅・諸葛亮(劉備と同盟して徹底抗戦ですよ、つーか周瑜呼べよ)
↓(周瑜投入)
張昭等(天下の為にも降伏ですよ)
魯肅・諸葛亮(劉備と同盟して徹底抗戦ですよ)
周瑜(俺等で勝てる、徹底抗戦だ(゚Д゚ )ゴルァ!!劉備?いてもいんじゃね?)
だと思う。
>>951 諸葛亮の動きは赤壁の際に使者として赴いて同盟締結に一役買ってる。
魯粛は天下三分主導してるというよりはさせられてる感じだ、
土地の賃借も劉備側からの申し出を受けただけで、
赤壁後は具体的な戦略を述べた事は無く、諸葛亮の思い描いた天下三分のとおりに進んでる。
劉備勢力は初期段階の失敗を挽回してるしね、まあ弱小な上に劉備が荊州を恩義ゆえに取らないんだから
仕方ない遠回りだったと思うが。
960 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 10:16:01
>>959 劉備が荊州を取らなかったのは恩義が大だが、
取ったとしても混乱している中で曹操とやっても勝ち目は無いだろう。
て言うかそもそも天下三分の計って何が凄いんだ?
要は始皇帝が中央集権制を敷く前の状態にするって案だろ?
今の台湾みたいな感じだろ
中華は一つじゃないよ我々も独立国家ですよって
なんでそんなこと勿体振って話して劉備はショック受けるんだ?
そんな演義の三顧の礼は無理が有りすぎる
962 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 11:12:43
>>961 そうでもしないと、孔明の活躍の場が皆無だから。
>>961 曹操に勝てない上に孫権にも勝てないことを再認識させられたから?
964 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 11:26:28
>>961 演技の孔明を美化するためにさも孔明だけの卓識のように書いてるだけ
当時当然どうやって曹操に対抗するかぐらいいろいろ議論されてたろ
965 :
名無し@取扱い地域・時代、自治で議論中:2007/02/07(水) 11:33:44
結論は
魏延さんこそ名将で孔明はただの臆病者ということですな
>>960 荊州の豪族(蔡帽やカイエツ)の支持を得られる可能性が無かったから。劉表にしても豪族に担がれてたわけで、その食客の
劉備が彼らの支持得るのは難しい。だから広陵に逃げようとした。劉備は結構現実的なやつ。
後の荊州奪回の呉の討伐だって、政権内に荊州派が多数いることや天下三分の計の実行のためにはかの地は絶対必要だったから。
これには孔明もあまり強く反対してない。
>>661 考えるだけならだれでもできるわな。
「俺も天下分け合いてーなー」て。
それを、実際に実現させるのは困難がともなう。
まして、それを一郡もろくに支配してない劉表の居候にやらせようという。
そして、なんやかんやでそれを現実に成し遂げた。
それが凄いんじゃない。
パソコンの前で妄想し、文句だけ言ってるのとは違うんだよ。
益州を取るまで孫権を利用した感じがあるけど
そのあとはなにもできず後手後手に回ったからねえ。
>>964 そうですよね
演義の諸葛亮を美化する為に
陳寿が正史に書いたねつ造ですよね
970 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 12:54:30
結論は劉備はえらかったってことでFA?
捏造と言うよりちゃんと隆中対を議論しないと。
>>969 なぜ古代の歴史書がはるか後代になって出来上がった文学作品のために捏造できるんだ?
陳寿は未来人か?
その時代にいないんだから何を言っても無駄
しかも読んだ三国志によって観点がちがうはず、
こうなったら君たちの議論なんて意味をなさない。
きっとあれはドラマと一緒。作り話。
>>949 同盟への描写も詳しく〜というけど、
諸葛亮伝を読むとまるで「諸葛亮が説得に成功して同盟が結ばれた」みたいな書き方だが、
実際に呉が「曹操と雌雄を決する」と結論付けたのは後の会議の周瑜の開戦論だったはず。
同じく劉備に孫権への同盟を促したのは諸葛亮伝だと諸葛亮になってるが、魯粛伝だと魯粛だったり…
上でも話題になったけど、この時の諸葛亮の行動を奇策として絶賛してるのはそもそも彼を賛美する文中の誇大表現の一部で、
実際に同盟締結への寄与でいけばそこまで重要な役割は果たしてないと思うが。
例えば諸葛亮の交渉以前は孫権は降る気だったかというとそうでも無さそうだし、
呉の国論を動かしたかといえば依然降伏一色だったわけで。
なんで魯粛だけ?については、魯粛には京城会見を初め三分状態を主導的に作り出してることが実際に記述に残されてるからで、
諸葛亮にはそれがないから(基本的に新しい領土の運営についてしか書かれてないわけで)。
もっと後年、呉の陸遜時代とかなら諸葛亮の優れた外交手腕がはっきり見て取れるけどね。
だから「その辺の」と限定して挙げてみた。
>>950 張昭が5、周瑜が4とするなら魯粛らの発言力はほぼ0だったろうね、実際群臣の前では発言さえできないような状況だった。
というか順番でいけば張昭ら降伏派が圧倒的に多数だったけど孫権自身は戦いたい、そこに周瑜登場だったと思ったんだけど…
諸葛亮は周瑜より後に来たと主張してるわけですか?
はいはい、なんでお前分かるの?
いないだろその時代に。結局洗脳されている。
仮にそうであるならばなんの三国志に影響を受けたのか記せ。
2000年も前の出来事に対して今更語るのはナンセンス。
それよりも世界に目を向けろ。
今何が起きているのか??もっと感じろ。
今はオスマンだぞ。
976 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 13:44:36
孔明の能力はこんなとこ
統率 A
内政 A
外交 B
軍事 C
魅力 C
977 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 13:48:50
劉備の能力こんなところ
統率 A
内政 B
外交 B
軍事 B
魅力 A
978 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 13:49:40
やはり総合力では劉備の方が孔明より優れてたと思う
なんで分かるの?
ゲームの影響だろ?
本当に凄い人って名前出てこなかったりすると思うよ
きっとその時代の人しか知らない事。
それが一番大事だともうよ
980 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 13:55:53
>>979 ゲームなら孔明の方が劉備より能力高いのが常
正史でみるとやはり劉備の方が総合的にうわまってる
ゲームの話はどうでもいい
史実のみ重みを持つ。
劉備玄徳は詐欺師である。
なぜならば蜀をのっとったからである。
以上、どっちが優秀かは本当に会ってみないと分からない。
>>980 曹操と最後の陸遜で負けた以外は大概、勝ってるな劉備は。袁紹も劉備の
将軍としての能力に期待したからこそ受け入れたし、劉表も実戦経験を買われて客将になった感じがある。孫
権との同盟の決め手も曹操軍を知ってる、河北の戦い方に慣れてるというところが重視された
のかと。
>>982では問う
何の三国志を見てそう思ったんだ?
横山光輝か?
それとも吉川?それとも変なのか?
そこを明確にしなければ論点がずれているではないか?
どうなんだ?正直に言ってみなさい。
984 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:15:22
>>982 劉備が騎兵の指揮にも通じていたことも案外大きなウェイトがあったと思う
あの当時騎兵を指揮出来る将は貴重な存在だったはず
文醜と共に袁紹の騎兵を率いたのは劉備だったし
985 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:18:14
>>981 薦めたのは法正だがな。
確かに本当にあっても優劣なんてわかりづらい、
ましてや昔々の大昔の事だから余計にね。
周りが孔明が優秀だといってもこればかりは計りかねるよね。
>>981 君はバカだね。
会わなくてもわかるよwwwwwww
987 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:23:39
法正の能力
統率 C
内政 B
外交 A
軍事 B
魅力 C
シカトしだしやがったな、ゲーム族め
ま良い。見てろよ。
俺の方が頭がいいって言うのを証明してあげる。
というか君たちゲームの三国志しか知らないんだね。
ふむふむ
989 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:27:01
>>987 魅力はDでいいなw
過去の恨みを忘れない嫌な香具師だからw
>>982 袁術、呂布、高順・張遼、曹仁、賊徒らにも敗れたりしてるわけで、
曹操・陸遜抜いても「大概勝ってる」というより「勝ったり負けたり」と言うべきかと。
=劉備が有能ではないと言いたいわけではないけど、一応。
991 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:32:23
>>989 いや恩には恩で返してるから必ずしも最悪とはいえない
香具師←きもい
ちなみにやしもきもい
994 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:36:03
魏延の能力
統率 B
内政 B
外交 C
軍事 A
魅力 B
995 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:37:12
次スレ頼む
そういうやつが作れば早いだろ
何でも人のせいにするんじゃない。
997 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:38:09
よし、立ててみるよ。
998 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:42:24
よろしく
1000 :
無名武将@お腹せっぷく:2007/02/07(水) 14:46:47