孔明に軍事の才能はない 2

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750無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 13:15:30
>739
違うだろ。
天下二分は実現できなかったが、
天下三分の計は実現できたという差だろ。
荊州を失陥しても三国鼎立の形は崩れてはいない。
孔明の戦略は成功している。
そこから先の未来図に関しては変わってしまったがな。

>746
チョウコウの構想は呉一国の安寧にしかならんだろ。
その後の魯粛案でいくかシュウユ案で行くかが
呉の天下統一の分かれ目だったんじゃまいか。
しかしシュウユ案は孔明によってつぶされた為
魯粛案で行くしかなくなったんだろ。
魯粛案でいくと孔明の天下三分の計を後押しする形になってしまった
というのが現実だろ。
呉は孔明の戦略に完全に飲み込まれている。
751無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 13:22:14
>>750
> 呉は孔明の戦略に完全に飲み込まれている。

どちらにとっても妥協の産物だよ……
752無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 13:33:18
>>750
張絋戦略がどんなもんだか全く調べないで語るのやめてくれ
753無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 14:20:32
孔明に戦略などないよ
天下三分の計なんて戦略でもなんでもないし
754無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 14:38:52
孔明厨は一日中レスつけているな。
おまえは24時間営業しているのか?
くだらん
755無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 14:40:51
なんて戦略の話になってんだ?
ここは孔明の軍事能力を語るスレだろ?
756無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 14:54:31
不利になると話題転換。
わかりやすいなw
757無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 14:57:16
>>756
例えば753とか754のことだなw
758無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 14:58:44
755がんばっとるのう 何時間このスレにへばりついているのかのう
マジキモい
759無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 15:24:47
>>753
それで話を通すなら天下二分の計なんて戦略でもなんでもなくなるけどな!
760無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:04:51
>>759
当たり前だろ
そんなの当時の知識人なら当たり前に考えてた事だろうし
761無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:07:53
天下二分&三分の計とは

当時志士たちに幕末の薩摩と長州が手を結べば
幕府を倒せると言われてたくらい当たり前な話
762無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:27:06
それで現実に手を結ばせたのが諸葛亮
「前からそう思ってた」とかの類とは
別格の識見となるな
763無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:28:34
>760&761
想像することと実際に実行するのでは意味がまったく違うだろw
実際に天下三分の計を実行して実現させたことに意味があるんだろ。
そういうのをコロンブスの卵ってんだ。
764無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:29:11
コロンブスの卵は例えが違うだろw
765無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:31:24
どう見ても三分になってないけどなw
766無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:32:34
江稜の奪取を規定路線とほざいていた奴が
どの面さげて>>763のようなことを平然といえるのかな
まじでこいつ恥ずかしくないのか
孔明とそれ以外で主張がころころ変わっていて
何こ生ゴミ野郎って感じ
767無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:37:17
>766
一体どのレスのこと言ってるか知らんが
俺はそんなこと言った覚えはない。
誰かのレスと勘違いしてるぞ。
ここはIDでねえんだから、想像で勝手に同じ人にするなよ?
768無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:39:09
魏に対抗する為呉と蜀が手を結ぶのは当たり前の話
これが戦略だの言ってるのは逝ってるやつのみ

孔明は内政手腕に長けた誠実な官僚と言うのが実像
権謀術数にも戦略戦術にも長けてない

内政手腕に長けた乃木希典みたいなもの
769無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 16:57:17
ちなみに俺のレスは
717、722、730、737、750、763、766な。
それ以外は違うぞ。

>768
お前は劉備は当時流浪の軍の長だったという事実は無視ですか?w
天下三分を実現できる位置に居たのは
魏、呉のほかに張魯や劉しょうも居るんですけどね?w
その流浪の軍の長が孔明を得たことで
赤壁という大きなチャンスを利用して
たったの13年後には蜀漢の皇帝ですよ。
誰が想像するんだよw
770無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:00:53
>>769
劉備側の立場から考えれば2分ではなく3分になるのは当たり前
荊・蜀取りが実現したのは別に孔明が凄かったって話でもないし
771無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:05:15
>>763
天下統一は不可能だけど三分の一(地図上)なら取れると、
劉備に教え発想転換させた点では確かにコロンブスの卵だw
772無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:13:15
>>770
凄くないのに若造が主席になるなんて
劉備見る目無いな
773無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:19:37
>>772
>>770は荊・蜀取りについてしか言ってないのになんでそうなるんだ
774無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:19:47
>>772
内政手腕評価してだろアホかw
775無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:22:33
凄い、凄くないを別にして才能だけで高官にはできないよ。
776無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:37:41
>>773
荊・蜀取りの功績で主席になったわけで
荊・蜀取りが凄くなかったのになんで主席?という疑問なんだが

>>774
「内政」って単語、ほんと光栄だなお前
777無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:38:17
というか荊・蜀取りが諸葛亮が一番輝いていた時代
778無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:38:42
>>775
魏延さん嘗めんな!
779無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:40:05
華北・中原を全て押さえられたらこっちも長江ラインは押さえないと防衛もままならないのは識者の一致した意見だろう。
当時揚州一帯を既に治めていた呉には、@、自分で全て押さえる A、荊州(+益州)を押さえてる勢力と組む
という大まかにわけて二つの選択肢があり、当然前者の方が良いけどその分難易度も高いので、
1を目指しつつ2で妥協する感じで使い分けてきた。

(ちなみに劉璋・劉表共に曹操に対抗しようなんてガラじゃないんで、魯粛が劉備見つけてくるまでは例え無理でも@の一択だった)

一方劉備はこの時まだ領地すらないわけで、問題外の存在。
ただ、唯一の強みは既に荊州の内部に入り込んでいたので、上手くすれば荊州を手に入れ舞台に上がれるかもしれないこと。
だからこそ諸葛亮は劉表死亡・曹操侵攻時に「このまま取ってしまえ」って言ったんだと思う。

荊州さえあれば孫権と同盟し(必須)、その後蜀を狙う・あるいはこちらとも結ぶという展望も開けてくるけど、
このままじゃ交渉の舞台にすら立てない(普通に考えたら呉は劉jと交渉し、駄目なら分割を狙うぐらいしかない)
諸葛亮からしたら殆ど唯一の選択肢蹴られて、もう一体どうすんだって時にまさか向こうから声かけてきた。

(隆中対を既に聞いていたはずの劉備が驚喜し、諸葛亮が魯粛が来るまで進言しなかったのは、まさかこの状態で交渉対象になるとは
当人達も思わなかったからだろう。下手すれば諸葛亮は逃げる気かと疑われる)

魯粛が向こうから話しを持ってきた以上、これは乗るしかないわけで、夏口まで逃げた後満を持して「私が行って交渉してきます」となる。
諸葛亮は非常に理論的な判断をし続けたと思うけど、稀代の奇策というのは陳寿の褒め殺しだろう。

あと、こっちから見ると魯粛が凄い的な書き方になっちゃったけど、こいつも相当行き当たりばったり出たとこ勝負です。
780無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:49:40
>>119
名詞の裏サイズに文を要約しろよ
3行以上の長文は読まない主義なんだ
781無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:55:45
>>779
@、自分で全て押さえる
A、荊州(+益州)を押さえてる勢力と組む
は、良いとして、発言力は@が10だとしたらAは1、2だぞ?
他にも降伏を唱えている人の発言力は10以上だ

いかな魯粛が寵臣とはいえ、軍部にも政府にも影響力は皆無
これの交渉が纏まる、それも同等の同盟で
ってのは奇策として十分だと思うが
782無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 17:58:54
>>780
三分までの過程を通し、
諸葛亮は至極妥当な判断をし続けたわけだが、
陳寿の賛辞は言いすぎw

↑こんなんでどうよ?
783無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 18:02:06
孔明の壮大なオナニーに付き合わされた蜀の連中も大変だなwwwwwwwwww
784無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 18:06:34
>>781
赤壁目前になると@以前に降伏派が圧倒的多勢になっちゃってるから、
軍部にも政府にも影響力絶大な人間である周瑜と組めたのが魯粛の幸運。

赤壁以後は魯粛自身の発言力が増してきたんじゃね?
785無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 18:14:08
>>784
その周瑜と方針が違うにも関わらず同盟案が通ったのは
諸葛亮のプレゼンテーション手腕が大きい
これは正史にも相当数ページが割かれて書かれているし、
絶賛の対象でもあるわけだから
誰でも出来たというものでは無いな
786無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 18:27:13
>>772
>凄くないのに若造が主席になるなんて
>劉備見る目無いな

何の主席か知らないが、
孔明の地位って皆が思っている程高くないよ。
787無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 18:36:57
孔明の壮大なオナニーwww
788無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 18:42:37
>>785
周瑜と魯粛の方針が分かれるのは赤壁後、具体的に言うと劉備が京城に来た時じゃね?
もしこれが劉備側の交渉力の手柄だとするなら、それは劉備になっちゃうんだよね。(諸葛亮はこの時着いてきてもいないし、むしろ行くなと言った)

赤壁時に国を割る議論になったのは「戦うのか、それとも降伏するのか」、劉備ど同盟するしないが話題になったのは諸葛亮と孫権の直接会談の時くらいで、
呉の群臣は誰も触れない(決戦か降伏かに比べたら)遥かに些細な問題。一応、決戦派への追い風にはなってると思うけど…

なんで京城の時に魯粛案が通ったのかについては、色々考えられるけど、
赤壁の勝利を受けて魯粛や孫権自体の求心力が増してるとか、呉書見聞の解釈に倣って「実は周瑜にも魯粛の折衷案でいった」とも取れる。

ちなみに「正史にも相当数ページが割かれて書かれているし、絶賛の対象でもあるわけだから」諸葛亮のプレゼンテーション手腕が大きいってことだと思うけど、
実際問題赤壁時でもそこまで大々的に書かれてるわけでもない気がするが…
789無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 23:00:12
孔明は劉備陣営じゃ競争相手ゼロだったから。
徐庶は曹操のところに行っちゃうし
ホウ統はまだ出仕してないし
法正に至ってはまだ劉樟の臣下。
790無名武将@お腹せっぷく:2007/02/22(木) 23:02:57
周喩は自分の案にすべてを賭けるのを嫌ったんじゃないの。
周喩案を実行に移せるのは本当に周喩だけなんだから、
周喩になにかあれば即座に挫折するわけで。
魯粛案はその予備。
791無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 02:04:45
>>788
諸葛亮が行くなっていうのは初耳、何処にあったっけ?
んで諸葛亮伝にはちゃんと赤壁時の孫権との会談の内容が書かれてるし、
使者として来ていたことは多くの伝に記述が見られるけど。
792無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 02:50:43
>>791
ホウ統伝裴注『江表伝』
788が言ってるのは赤壁後の劉備が荊州牧につくかつかないかあたりの話
791が言ってる赤壁時の諸葛亮と孫権の会談とは時期が違う
793無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 04:03:02
なるほどそんなところにあったのか、ありがとう。
んで俺が気になったのは
>実際問題赤壁時でもそこまで大々的に書かれてるわけでもない気がするが…
この部分ね、諸葛亮の使者の話は結構記述されてるから。
794無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 07:26:02
赤壁開戦の功労者の記述は歴史記述の根本に違反していると裴松之から非難されるぐらい
各所が自身の功績だけを大々的に扱ってるから
あまり記述の大小は目安にはならんと思うよ
もし、諸葛亮の意見で孫権が開戦の意思を固めたとするなら
魯粛のトイレでの功績はどうなるの?って問題があるし
また、諸葛亮伝をとるにしろ魯粛伝をとるにしろ
最後に群臣を黙らせたのは周瑜の抗戦意見だから
周瑜がいなければ開戦ができなかったことを考慮すれば
あまり諸葛亮の外交力をここで評価しすぎるのは難しいと思うな

孫権を開戦に向けさせたのは魯粛(or諸葛亮)の功績
群臣を説得したのは周瑜の功績

ぐらいじゃ駄目?
795無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 07:47:00
あげ
796無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 08:31:52
>>788

孫権の家柄を考えたら降伏しても出世の見込みが無いからだろう。魯粛が
「私はそこそこの家柄だから降伏しても出世はできるが、アンタは家柄低いから無理だよ」
といったのが決定的だったのでは?

あの当時は王莽の例から極端に家柄が重視される時代になってたみたいだし。劉備が中山靖王の後裔と
いうのもその時代背景があるからだろう。曹操後の曹魏にあっという間に司馬氏が台頭したのも
797無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 09:08:29
しかし今までの話からはプレゼン能力があるくらいで、
孔明に軍事の才能があるとは見受けられないな。
798無名武将@お腹せっぷく:2007/02/23(金) 09:17:08
>>797

軍事というより同盟締結が主眼でしたからな。軍事は劉備自身がするでしょ。
劉備は自分が軍事だけでなく参謀みたいなこともしないといけなかったのが面倒だから
孔明とかを欲していたかと
799無名武将@お腹せっぷく
>>797
軍事の才能ってどの範囲を想定して言ってるんだ?
ただ単に「北伐が成功しなかった=軍事の才能がなかった」と短絡的に言ってるに過ぎないんじゃないか?