1 :
無名武将@お腹せっぷく:
ルイスフロイスも「日本人は戦になると馬を下りて戦う」と書いている。
長篠で柵にむかって突撃して壊滅状態になったというのは実際信じられない。
そこまで馬鹿じゃなかったでしょ。機動力があるなら柵の無い方へ迂回しろってなる。
常識ですね
3 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 18:23:23
勝頼は既に退路を断たれた状態で、馬防柵まで作った織田の陣地(にわか作りの城)に突っ込むしか選択肢は無かった。
城攻めには、敵の3倍もの人員か必要とした時代。
織田・徳川連合の兵は3万居たのに対し、武田の兵は、わずか1万強。(城攻め9万必要。)
雨が降ったとしても、武田は壊滅していたと見るべきでしょう。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 01:19:15
5 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 01:24:55
何回も同じスレたててんじゃね―よ、おっさん
ヤマモトカンスケが生きてたら勝てたよ、きっと
7 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 01:27:15
5=勝頼
8 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 01:33:20
騎馬隊なんて相手ビビらすためだけの存在って言ってもいいし。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 15:45:40
10 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 16:27:08
カタワ
11 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 16:38:32
( ´;゚;ё;゚;)ブップカタワ
12 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 16:40:47
晴幸はただの優秀な伝令役
何回同じようなスレ立ったと思ってんだ。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 16:43:18
カタワをカタナで斬ったら・・・やっぱりカタワでした
カンスケは現代人なら障害認定何級かな
16 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 17:33:36
隻眼で足萎えだから結構ハイレベルな障害者だよね。
日本では体内に金属埋め込んだだけで障害者認定貰えるし。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 19:49:37
当時は騎乗用の馬がメルセデス並みの値段だったって聞いたんだけど、本当?
それだと金銭的にも馬は全員が乗れる代物じゃないよな。
>>1 簡単に迂回できるような場所に陣張るわけないじゃん。
>>17 嘘。
>ルイスフロイスも「日本人は戦になると馬を下りて戦う」と書いている。
これは、騎馬突撃を敢行するとき
敵の眼前からジャンプアタックするということらしい
よって、武田の騎馬隊は存在する。
騎兵と騎馬隊を混同するなよ、って話だ。
馬に乗った騎兵はいただろうが
騎兵のみで編成された騎馬隊は基本的にはないだろ、日本の中世には。
軍役自体が騎馬武者○騎、御徒武者×人、中間・小物△人っていう形態だったんだから。
集まってくるときはそんな感じだろうが、
それをそのまま並べて陣形にしたわけじゃないぞ。
馬がたくさんいれば騎馬武者○騎、騎馬足軽×人、中間・小物△騎になるじゃん
23 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 10:50:26
騎馬足軽?
中間・小者が馬に乗ってる?
勝手に新しい兵種を作るなよw
武田ヲタってほんと馬鹿だな
24 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 10:56:20
>>21 徒武者や中間・小者ってのは騎馬武者の家来なわけですが。
主人の鑓や弓矢をもったり、替えの鎧や草履を持ったりする中間・小者が
戦闘中は別の場所にいるわけないでしょ。
ていうか当時の合戦図屏風とか見たことないんじゃないか?
ちゃんと騎馬武者の側に徒侍や荷物を持った中間・小者が描かれてるわけだが。
騎馬隊説に固執する人たちはなんで史料を無視するんだろうね。
>>22 戦国時代の場合、馬に乗ってる、乗ってないってのは身分差によるものだから
馬に乗った足軽、とか中間・小者なんてあり得ません。
仮に乗ってたとしたら、それは足軽とか中間・小者とは呼ばない。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 11:50:33
日本に騎馬隊があるならわざわざ飛脚なんか使わずにすむわ
>>24 そんなこたない
同じ軍役衆身分でも身代によって馬上、足軽がいる
武士身分でも侍大将、足軽大将がいる
同じく、馬がたくさんいれば騎馬中間・騎馬小者がいてもおかしくないw
27 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:15:26
日本の戦国時代に強力な騎馬隊が存在してたなら、
文禄・慶長の役でなんで明の騎兵にあれだけ苦戦したのやら。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:17:21
足軽大将ってのは名前に「足軽」が付いてるけど
れっきとした侍なわけだが。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:20:46
>>27 そりゃ本物の「騎兵」である北方騎馬民族相手の戦闘で
鍛えられた明の騎兵と比べたらね・・・
ポニー同士の戦いでは武田が強かったってことだろ。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:21:44
ついに騎馬中間とか騎馬小者まで捏造しだしたかw
こりゃ日本人もあんまり韓国人のこと笑えないな
32 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:30:25
>>25 急ぎの時は馬使ったよ
江戸期にはちゃんと整備されてたし
33 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:33:03
足軽を束ねる大将だから足軽大将なんだよ
大将が足軽なわけではないw
>>30 当時は北方騎馬民族の馬も西洋の馬もポニーだから。
サラブレッドのような馬になっていくのは18世紀ぐらいから
>>27 強力ではない騎馬隊は存在してたということか?
>>31 馬がたくさんいればという仮定の話だ、ボケ
36 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:41:01
日清、日露、日中とも中国大陸で帝国陸軍の騎馬隊が活躍した
馬は全て日本から輸送したもので、多少馬体は大きくなったが基本的に和馬で
「日本軍は馬の様なものに乗っている」
「日本軍は大きなネズミに乗っている」
とか馬鹿にされたが
この馬でロシア軍の機関銃部隊に騎馬突撃かけて蹴散らしたりしている
だから不可能ではない
もっとも鎧は着てないけどw
37 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 12:47:19
ん?
日清戦争では日本の騎兵は貧弱な馬体の軍馬で散々苦労して、
戦後、秋山好古が躍起になって軍馬改良に努めた、という話があるが
あれは嘘なのかい?
日露戦争の時は、日清戦争の教訓が多少生かされて
改良された軍馬が投入されたはずだが。
日本史なんて創作ばっかだよな
39 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 15:12:42
どっちがだ?
甲陽軍鑑が基準史料のやつには言われる筋合いは無いわけだが。
と言いながら、赤備えは騎馬隊なんかじゃ無いんだーと言い張るだけで
具体的な否定材料を提示したこと1℃も内んだよな
41 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 15:27:40
お前は文盲か?
中世の軍役制から見たら騎兵のみで編成された部隊はあり得ない
ってことを逐一説明してるわけだが。
それに対して「騎馬中間」だの「騎馬足軽」だの聞いたこともないような
ものを持ち出してるのはどっちだか。
その騎馬足軽とやらの存在をお前らが実証するのが先だろ。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 15:30:56
騎馬足軽wwwwwww
馬鹿なだけならまだ許せるが、
ありもしないものを捏造するのはいかんな。
朝鮮人と一緒だぞ、それじゃ。
長篠合戦図屏風を見てみな。
騎馬武者に付き従って徒歩の中間がちゃんと描き込まれてるから。
ちなみに武田側の騎馬武者な。
もういいだろ。
そこまで夢を壊すようなことする必要があるのかよ。
大人気ないな。
>>41 その軍役制について、甲陽軍鑑で描かれた軍役負担の割当には
赤備えのところだけ、わざわざ「総騎馬」と書かれてるけどな。
>中世の軍役制から見たら騎兵のみで編成された部隊はあり得ない
>ってことを逐一説明してるわけだが。
なんの信憑性も無い41の仮設を聞いても無意味、無駄
45 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 16:08:51
>>37 改良馬はほんの一部だよ
それでも道産子レベルに達していたか分からないが
日露戦争でも民間から徴発した馬がほとんどだからね
20万頭近く徴発した
騎馬突撃なんかやっても日本の馬じゃろくに速度が出ずいい的だってHNKの再現実験で出てたよ
そもそも装備重すぎる
優れた馬を大量に持っていた中東でさえ胸当てと長槍装備でも「重装」騎兵だったのに、貧弱な日本馬にのって具足つけて敏捷に動けるはずもなし
敏捷じゃなくても人の速足より速ければいいと思うが
>>44 また軍鑑かw
馬鹿の一つ覚えだな。
それでその軍鑑には「騎馬足軽」や「騎馬中間」なるものの存在が
示されているのかね?
49 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 16:57:43
武田ヲタにとっては軍鑑は聖書やコーランに匹敵する神聖なる書物。
もちろん書かれてることはすべて真実であり、虚構は一切含まれない、
らしいw
甲陽軍鑑に書いてあるから、ってのは根拠としてはかなり弱いような・・・
司馬遼太郎の小説に書いてあるから史実って言ってるようなものじゃないかな。
>>48 千騎総騎馬の文面を足軽、雑兵てんこもりな風に解釈する
テメーの説を聞きたいな
>>50 司馬遼太郎の小説は小説だからなw 甲陽軍鑑は脚色があるにしろ記録だ。
しかも武田軍備えの記載に関しては、信憑性はかなり高いと御偉方が言ってるからね
根拠としてかなり強いよ
53 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/27(月) 17:12:54
>>52 お偉方って誰よ?
軍鑑が記録になるなら
絵本太閤記も記録になるわなw
平家物語とか太平記を史料として扱う人はいないだろ・・・
あれはあくまでも読み物だ。
当時の習慣とか風俗を知る上で参考にはなるけどな。
甲陽軍鑑も基本的にはその類の書物だよ。
そもそも書かれたのが江戸時代になってからだし。
軍鑑は、信長公記のない信長紀みたいなもん。
織田厨が沸いてるなー
馬がはやけりゃ飛脚じゃなくて飛馬がでてように。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 00:06:18
鉄砲三段撃ちも嘘っぱちだからなあ・・・
騎馬軍団もあやしいなあ・・・
>>24 戦闘するからには当然移動する。
雑用関連の従者が突撃の瞬間まで一緒に動くわけじゃないだろう。
中間以外にも戦闘を主任務とした徒武者を連れてきていれば、
それは抽出して密集させた方が確実に強い。
白痴じゃないんだから主人から多少離れたって味方同士連携するくらいできるだろ。
そうすれば騎兵は騎兵で自由に動ける。
いやもう結論ありきの暴論は…
61 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 05:14:52
騎馬隊説は甲陽軍艦がソースなのか
はいはい演義演義
甲陽軍艦を太平記と同列に扱うようなアホは放置
いやいや、軍鑑は太平記に毛が生えた程度の信用度だよ。
古文書なんかと同列に扱う奴のほうが頭がおかしい。
ソース自体が怪しい軍鑑なんぞより、北条氏の軍役帳のほうが
はるかに信用できるってだけことだ。
大体武田にはちゃんとした軍役帳自体がない。
当主が家臣の所領をきっちり把握できてたかどうかも怪しいもんだ。
ちゃんとした史料無しに「軍鑑に書いてあるから」で騎馬隊を論じるようでは根拠は薄い。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 09:53:45
要するに武田ヲタにとっては
甲陽軍鑑はコーランなんだろw
書いてあることは全部真実です。
著者も高坂弾正です。
江戸時代に書かれてるけどなw
>武田軍備えの記載に関しては、信憑性はかなり高い
>赤備え千騎総騎馬。と書かれている
という事実に対して
>古文書なんかと同列に扱う奴のほうが頭がおかしい
という苦しすぎる意味不明の反抗。そんな奴居ないのになw
>大体武田にはちゃんとした軍役帳自体がない。
>当主が家臣の所領をきっちり把握できてたかどうかも怪しいもんだ。
分限、軍役帳ありますよ、オマエが見たこと無いからって無い事にしないようにw
>ちゃんとした史料無しに「軍鑑に書いてあるから」で騎馬隊を論じるようでは根拠は薄い。
アホがどう思おうと勝手だが、軍鑑を史料としてはあまり用いない研究者でも
信玄公軍備えの記載に関しては、信憑性がかなり高いとされてるから。残念でした
66 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 17:30:09
結局ソースねーしwwwwww
67 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 17:37:17
>軍鑑を史料としてはあまり用いない研究者でも
>信玄公軍備えの記載に関しては、信憑性がかなり高いとされてるから。
だから誰ですか?その研究者の方は。
織田ヲタは三段撃ちの否定をあっさり受け入れたのに武田ヲタは騎馬軍団の否定
を受け入れないんですか?チョンですか?
69 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 18:28:22
もう結論でてるのにスレがたつのは興味があるんだな
騎馬軍団なんてないが武田は騎馬を有効活用した(後方かく乱移動、連絡など
)。
三段打ちは不可能。
設楽原の後半は上位将級の殉死希望(信玄死後殉死希望者を戦場で氏ねと説得した経緯あり)のバンザイ突撃。
設楽原の戦場跡地から死骸は少ない。馬の骨もほとんど出てない。
そりゃ馬の骨なんか出ないだろうよ。
戦争が終わったら、馬の皮をとるために全部掻っさらっていっただろうから。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 19:40:18
おまえ無駄に力持ちだな
おれなら皮だけはぐぞ
72 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 19:41:49
バンザイ突撃とか物語の影響受けすぎ。
内藤と山県は敵を押して深くまで攻め込んでいたために、味方の敗走に取り残されて戦死。
馬場はしんがりとして敵の追撃を防ぎながら戦死。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/02/28(火) 21:00:59
それも物語りだけどな
甲陽軍鑑が100%信用できないとしてもさ、
当時の人の目から見ても明らかに嘘だと思えるようなことは書いてあるはずがないんだよ。
狂人の日記帳ならいざ知らず、仮にも広く読まれた文章なんだから。
創作や間違いがあるとしても、それはあってもおかしくない範囲に限られる。
そうして考えた場合、長篠の戦いに相当量の馬匹が投入されたとしてもおかしくない、
当時の軍事的常識からしてありうることの範囲内であったことだけは言えるだろう。
このスレで問題になっているのは特定の合戦で何人の騎兵が参加したかの細かい議論ではないから、
それだけで十分と思われ。
さすがにバンザーイなんて突撃してないだろうが
「もうここまでだ。この戦で死んだらー」くらいの気持ちはあったかもね。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 16:49:08
>>74 うはwwww武田ツヨスでゴザルwwwwww
みてーに何でも信じて疑わないアホが昔からいたんだろ
はいはい火葬戦記火葬戦記
78 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 16:51:52
だって神君がウンコ漏らして逃げた相手だもの。
戦国最強にしとかなきゃマズイでしょ。
江戸時代だと。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 18:28:14
あのー。長篠の戦いでの騎馬突撃は「流言」といってるのが甲陽軍鑑なんだがwww
当時の目からみても、馬に向かない地形で騎馬突撃したβακα..._φ(゚∀゚ )=武田家はおかしいって考えあったんでしょ
信長ヲタはすぐ曲解しようとするな
小幡隊は騎馬隊⇒騎馬突撃したβακα..._φ(゚∀゚ )バンザイ突撃
バカすぎw
万歳突撃説こそ流言でしょ
自分達から死を望んだ、と勝ちにいってボロボロ討ち死にした、じゃ弁護の度合いが違うと思ってるんじゃね?w
重臣クラスなら、戦いたくないなら勝手に逃げればいい
これとは逆だが、信玄時代にも馬場信房が留守命じられても勝手に北条攻めに参陣したとかあるし
武田軍は本気で戦って負けたんだよ
でないと逆に空しすぎないか?
で、それが
小幡隊は騎馬隊⇒騎馬突撃したβακα..._φ(゚∀゚ )バンザイ突撃
の論点すり替えと何か関係あるのか?
つーか、小幡隊の話が出た途端話ずらして逃げだすなんて分かり易過ぎw
84 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 19:40:01
ん?永禄・天正期軍役状なんかの一次史料にゃ小幡隊だけ特別でした、なんてないぞ
例によって軍鑑「だけ」の部分
騎馬隊有りの学者すら相手にしない部分で何喜んでるの?(藁
「中世の馬の状態がどのようであったかを、NHKが「歴史への招待」のテレビ番組で実験していたが、それによると、実験馬として、鎌倉時代の馬と同じような体高130センチメートル、体重350キログラムの馬を使い、
鎧、冑、鞍の重量として45キログラムの砂袋と、体重50キログラムの人間の合計95キログラムを乗せて走らせた。
大学の馬術部員の話では、歩調が重く鈍くなり、駈歩をしていたのに、すぐ速歩に落ちてしまったという。
普通、駈歩は、分速約300メートルの速さであるが、実験馬は、分速150メートルに達していなかった。そして、乗馬してから十分で馬は大きく首を振り、
やっと走っているという状態で実験を終了している。たった十分問である。
よって、当時の合戦の実情が推測できよう。決してテレビや映画の時代物のように、勇壮に駆け続けるわけにはいかないのである。軍隊でも、
駈歩は約500メートルぐらいで、直ぐ速歩に速度を落としていた。今日、小柄な騎手を乗せた大形の競走馬でも、
全力疾走できるのは200〜300メートルといわれている(若野章『日本の競馬』)。そこで長距離レースでは、騎手はどこで力を出させるかに苦心し、レースの駆け引きをするのである。」
(『碧い目の見た日本の馬』坂内誠一)
>鎌倉時代の馬と同じような体高130センチメートル、体重350キログラムの馬
戦国時代にも同じような体格の馬を使ってたの?
この例の馬って相当小型な馬だよね。
いわゆるどさん子(ばん馬)の1/3、サラブレッド(平均体重500kg)と比べても一回り以上小さい。
こんなちっこい馬を使ってたら戦にならないと思うけど。
87 :
86:2006/03/01(水) 19:57:30
上の方のログを読んでみたら戦国時代でも変わらないみたいね。
ポニーよりマシって程度の馬じゃ小荷物を運ぶくらいしか使いようが無さそう。。。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 20:47:54
史料が残されていないから騎馬軍団は無かったとか、厨房揃いの三戦板らしくて微笑ましいな。
騎馬軍団の事は武田家の最重要機密事項。
関連文書は敵方に知られないように厳重に管理され、何かあれば真っ先に焼き捨てる。
後世に残されるはずがない。
そうだよ、小荷物といっても数十キロある重い荷物を運ぶのは
人間じゃ辛い、馬は物資輸送には欠かせないものなのだ。
国産馬に近いサイズの馬に乗って世界を征服しかけた民族が居るくらいだからサイズ論は無意味。
それよりも去勢しないことや気の荒さの方が問題。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/01(水) 21:43:02
武田家では軍事顧問としてモンゴル人を招いていたらしいよ
蒙古兵は装備かなり軽いじゃん
しかも戦法は集団戦かつ弓攻撃
何より、十戸長百戸長みたいにシステム化されていた
日本とは全然違う
>>88がよほどの厨房で武田厨なのは良くわかった。
軍の最高機密とか完璧厨房のセリフ、機密に出来る程度の騎馬の数なら全然恐くないのだが、
日本の国産馬は大柄の人が乗ったら足がとどきそうなぐらいに小さい馬
第一、他国同様に馬力がある馬なら田畑を耕すのに他国と同じように牛ではなく馬を使うだろうが。
たけだばきぐんだん
96 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 01:08:30
>>94 機密になってるから相手は対処出来ないんだろ。
塩尻峠の戦い、三増峠の戦い、三方が原の戦い、
突如現れた騎馬軍団の突撃に相手は為す術なく大敗を喫した。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 01:16:38
96 無名武将@お腹せっぷく New! 2006/03/02(木) 01:08:30
>>94 機密になってるから相手は対処出来ないんだろ。
塩尻峠の戦い、三増峠の戦い、三方が原の戦い、
突如現れた騎馬軍団の突撃に相手は為す術なく大敗を喫した。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 01:19:51
塩尻峠の戦い
信濃守護小笠原長時率いる3万の大軍を、武田騎馬軍団5千が奇襲して大勝した戦い。
川中島の戦い
騎馬軍団1万5千が、迂回して上杉の本陣後方を奇襲しようとしたが見破られ、
逆に武田本陣を上杉軍総勢3万に突かれた苦しい戦い。
しかし、武田騎馬軍団が素早く戻って上杉軍の横腹を突いた為に、上杉軍は総崩れとなって退却した。
三増峠の戦い
小田原城の包囲を解いて撤退する武田軍に襲い掛かる北条の精鋭5万、
しかし、迂回してきた武田騎馬軍団2万騎に散々に打ち破られて撤退した。
>騎馬軍団1万5千が、迂回して上杉の本陣後方を奇襲しようとしたが見破られ、
>逆に武田本陣を上杉軍総勢3万に突かれた苦しい戦い。
って、上杉軍の本陣は山(妻女山)だぞ。
逝ってみたらわかるが、馬じゃ登れん。
なにより一万以上の馬をどうやって隠すんだよ、そこを言ってるんだよ。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 01:49:50
忍法で隠すに決まってるだろ
こんなことも分からないなんてバカじゃねーのw
102 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 01:51:55
はいはい火葬戦記火葬戦記
よし、俺も大人だ、仮に忍法で隠すとしよう。
一万以上の馬がどこから集まる?
山国の日本で野生の馬を見つけられても数える程度しか集まらんだろう。
それと、機密ならどこから馬への軍費等がでる?
土地に餌やり、いくら金山があってもまにあわんだろう。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 02:01:13
それも忍法でどうにかするに決まってるだろうが
武田忍軍なめんじゃねーぞ
よしよし、上のヤツは忍法ですむとしよう。
なら兵はどうやって乗馬になれたんだ?
隠してばかりならろくろく触れないだろ。
106 :
信玄:2006/03/02(木) 02:17:59
107 :
氏康:2006/03/02(木) 02:23:50
>>106 忍軍って‥勝手にうちのネタをパクらないでくだされ
109 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 02:29:53
>>105 お前はまずハットリくんを見る必要があるな。
無知を相手にしても話にならない。
議論したいのであれば、藤子不二雄(A)先生の傑作である忍者ハットリくんを全話見てから出直して来い。
110 :
氏康:2006/03/02(木) 02:51:32
1575年(天正3)年、信長は、三河(愛知県東部)の長篠合戦で鉄砲を大量に用いた戦法で、騎馬隊を中心とする強敵武田勝頼の軍に大勝し・・・・
↑↑↑
(『詳説日本史』山川出版社より)
武田騎馬隊の存在は文部省も認めるところです
武田騎馬隊の存在を否定するのは一部の三戦厨の妄想です。皆さんも注意しましょう
騎馬軍団=忍者説 爆 誕
こっちは騎馬隊はあっても騎馬軍がないって言ってんだよ。
敵陣荒らし程度にしか使われない少数
114 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 13:56:55
戦国時代の馬はポニーちゃんサイズだから鎧着て乗ったら数メートル走っただけでへばったとゆう実験をどっかの局がしてたぞ。
トレーニングしてないんだろ
調教後のナリタブラリアンの走りを見たら
武田騎馬軍団もアリじゃないのかと思った今日この頃・・・・w
整地走らせるのに特化したサラブレッドの騎馬軍団なんてテラヨワスwで終りだろ…
障害競走もサラブレッドしかいないけどな
ナリタブラリアンって障害物レースにでてたっけ?
武田武者が馬面だったってだけだろ
121 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 16:22:25
>>117 日清・日露戦争で日本の騎兵は木曽馬などの在来馬で戦ったわけだが、
「脚力が弱い」
「スタミナが無い」
「走るスピードが遅い」
「無駄に気性が荒い」
こんな馬じゃ戦えませんって泣いてたそうだw
ポニーな上に不整地を走る体力もない在来馬ってほんと使えないな
あとどうでもいいけど「ナリタブライアン」な
122 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 16:26:17
日本古来の馬が「小さいけど丈夫」ってのが本当なら
秋山好古が必死になって欧州の馬を導入して軍馬改良を進めた理由がわからん。
>>121 確かに在来馬ってほんと使えないな、木曽馬は使えるがw
124 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 16:43:41
>>122 単純だよ。
日本古来の馬が実戦で使い物にならなかったからだろ。
日本軍では下馬戦闘が一番だったんだよな結局は
木曽馬とかばん馬みたいなバカでかい馬ってのは一体いつから日本にいるんだ?
まあばん馬は北海道在来だとしても戦国時代なんて誰もあそこには目もくれなかったんだからアレだろうけど
127 :
116:2006/03/02(木) 18:51:20
>>117-121 すまん俺が言ってたのはサラブレッドの「ナリタブライアン」じゃなくて
ポニーの「ナリタブラリアン」なんだがwマジですごいぞ!
最近の若い人は知らないかorz
つか、昔はどの馬も小さかったんじゃ
品種改良で大きくしたと思ってたが
授業じゃめんどくさいから戦国最強の武田騎馬軍団を織田の鉄砲隊が3段撃ちでやっつけたって教えてるって友人が言ってた
昔の馬って人間が走るより遅いと聞いたけどどうなの?
だから馬はあくまで大将が乗るだけだとも聞いたよ。
そもそも封建社会の階層型社会で
武将の部下の騎馬武者だけ切り離して
他の武将の部下と一緒に一つにするという発想がない。
所詮大名はいくつもの領主の集合体の長にしか過ぎない。
領主を守るための部下を切り離して一つにする発想ができない。
領主の部下が戦う前から他の領主の指揮下に入ることは
特に武田のような大名家には起こりえない。
織田ならいけそうだが〜
つーかこのまえまで騎馬隊のスレあっただろ?終わりにしろよ。
>>130 そんなことはない。
まあ10m程度の短距離で、何の装備も持ってない運動神経のいい人間と騎兵が勝負したら負けると思うが
(因みにそんな条件ではサラブレッドでも勝てない)。
>>132 バカじゃないんだからそのくらい発想できるだろ。
>>134 発想できても実行できない。
利害関係が絡む。賞罰関係がややこしくなる。編成が面倒。
そもそも武将の側近が違う武将を隊長とした編成部隊に配属されて
上司と違う場所でその隊長の何のために戦うのか?
部下が上司を守ろうと思うのは領土石高などの縛りがあるからな。
自分の上司が戦死して自分が違う部隊で戦っていたら…しかも戦勝したら…
戦後は殉死だよな。きっと
武将と部下のつながりを軽視しすぎ。
あんたはは重視しすぎだな。
幼稚園児に付き添う保護者かよ。
勝つために必要とあらば、危険をも甘んじて冒すのが戦だ。
>>136 戦国武士は家のために家単位で戦うんだぞ
それじゃ本末転倒だろ
家大事って言ったって、死にたくないなら戦なんか行かなきゃいい。
武士やってんのは危険を犯してでも利益を得たいからだろ。
部下を預けるのもリターンの見込めるリスクの一種だ。
それに配下がたくさんいたら、護衛は数人で十分だろうし。
>>138 無茶苦茶w
中学校の教科書から封建制度について勉強しなおして来い
無茶じゃないって。よく考えろ。
川を渡れといわれて、10m離れた橋まで回り道することすらできないような鶏がいるな。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 02:22:15
戦国時代っていうのは、これだけの土地を保証してやるからこれだけ軍役こなせ、と大名が指示して領主がそれに応じる形式
ぶっちゃけ大名に仕えてるわけではなく、直接の領主に仕えている
だから領主が別の大名に鞍替えすれば家臣も何のためらいも無くそっちについていく
そんな世の中でほいほい分離?どこの歴史ゲームだよw
だいたい、足軽は「家臣」とはまた別だろ。
>>142 そうは言っても軍勢全体が負けたら元も子もなくすぞ。
別行動を取ることで勝てるならあえてそうすることも理にかなってる。
>>144 いきなり実戦で普段やってない、しかも戦争参加意識に反する行動やったらそれこそ戦う前に瓦解する
釣り宣言マダー?
勝つためだから目的に反してない。
普段からやってるだろそのくらい。
上杉謙信なら、おおまかに軍勢分けて主従がバラバラになっても意に介さず戦わせたって逸話があるが
これも騎馬だけ集めて単一編制にしたわけでもねーしな
>>143 足軽って…騎馬に乗っていないのね。馬買って持ち続ける金なさそ〜
そもそも軍団って家臣の領地で農民を徴兵して作るものね
>>144「勝てるなら」という前提だな
話したことの無い武将と一緒に戦うわけね…
家単位の結びつきすらねー雑多な連中適当に集めても文字通りの烏合の衆じゃねーか
>>148 駆集められただけの足軽は指揮官が誰でも関係ないよな?
でそいつらを集めると、領主と家臣から成る比較的身分の高い、馬に乗った集団が残る。
幾許かの歩兵も勿論ついているだろうが、いざと言うときにはそれを残置して突撃することも可能だ。
これ、立派な騎馬隊だよな?
>>150 戦い方がわかってれば機能はする。
それに直接の主人が違っても見ず知らずの他人と言うことはないだろう。
目の前にいないだけで主人は同じ戦場にいるんだから動機付け上も問題なかろ。
>>151 だからどうしてそういう無茶な仮定をさらに重ねるんだよw
釣り宣言m(ry
まあソースはないから、
すべての武将が連れてきた家臣足軽中間全員と常に一体となって行動していたと言う
はっきりした逆の史料があれば引き下がるよ。
>>154 つ明智軍法
引き連れてきた兵士だけ突撃させたら罰する、と明記されてるが
お前らが言ってる「封建主義だからこうであるに違いない」というのは
根拠薄弱な先入観による決め付けでしかないと言いたかった。
少なくとも仮定としては別の想定も成り立つ。
>>155 それむしろ俺の説の論拠になるんじゃないの?
>>156 ( ゚Д゚)ハァ?
連れて来た兵と別れて行動したら駄目よってことが、なんでお前の珍説の論拠になるんだ?
確認するが、家単位でやってきた兵士がバラバラに運用できる説の香具師だよね?
バラバラじゃなくて、一旦ばらして別の部隊にまとめるって話。
根拠薄弱どころか、0なら仮定も想定もない
妄想乙で終りじゃんwww
終わってもいいけど、双方根拠なしってことだよね?
信長のように強大な権力と財力をもった大名でさえ
直轄軍の馬廻りを騎馬組・鉄砲組とユニット化するのが精々だったのに
どうやって領国中から軍役の家単位で集まってくる連中をそんな近代軍並に再編制できるんだよ
そんな作業やってたら戦う前に年が暮れないか?w
>>160 根拠が無いのはばらして別部隊にまとめる説だけでしょ
甲陽軍鑑を根拠にした騎馬隊有り説のほうがまだマシ。作り話っぽいし他の史料に見受けられないとはいえ、よってたつ物が無いわけではないんだから
まあしかし、全軍の数%が騎兵でも、まとめて使えば十分価値があるわけで、
騎馬隊を論ずるのに陪臣の騎馬武者を抽出してかき集める話をする必要もないわな。
伝令の母衣衆なら騎馬だけの編制と強弁できなくもない
徒歩つれて伝令してたら時間かかりすぎて意味ねーし
でも騎馬だけの単一編制部隊が槍先揃えて突撃、とかはありえねー
そもそも馬上の武士を優遇するのは、彼らが領主層で人を連れてくるからだしさ
千人もいれば突撃は十分あり得るんじゃないの。
使わないのは逆にもったいない。
馬上武者はまず連れて来た兵士を統制するのが第一
と、いより当時の動員体制じゃ他にやれない
それには疑問がある。
歩兵の戦列の中に騎兵が混じってると邪魔じゃないか?
より密集した敵の歩兵に殺されそうな気がする。
戦いやすいように戦ってるうちに自然と歩兵で密集したりしないんだろうか。
士分だけなら即席で雑多な部隊編成は可能。
(例:大阪陣の各浪人隊)
但し、やる気の無い動員足軽を無理に集団化したところで烏合の衆にしかならないだろうから
結局は各小領主と連れてきた従者でまとめた最小単位で功を競わせる方が都合が良いのだろう。
これだと信賞必罰も明確にしやすい。
>>166 大名家(ないし大身の有力家臣)直属の「戦う」騎馬武者がそれとは別にいたんじゃないの。
>>169 いたとして騎馬武者だけ突っ込ませてどうなるんだよ
過去レスにあるとおり、日本式装備だと馬は鈍い
そこへ鉄砲や弓や長柄で集中攻撃されたらアボンだろ
第一直轄ならまず主君守る任務があるし
まさか無防備で単独でいきなり突っ込ませたりはしないだろ。
つか大河ドラマとかの映像は忘れろ
戦国時代中盤以降は備(そなえ)単位で戦闘してたんだから
まるでローマの歩兵のようなかっちりした戦列組んでないし
独立した騎馬隊が常設されてたわけでもない
合戦屏風なんか見ると足軽がずらっと並んだりしてるが。
まあ確かに隙間もあるので、馬が走れなくて困ることはなさそうだけど。絵師の手抜きでなければ。
馬の本能からして人の群れに突撃なんて無理ですから
175 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 05:29:08
封建制だから無理
当時の考え方・軍隊の仕組みでは無理
これで終了だろ
後の時代のヤツが昔を振り返って
「こうした方がいい、こうした方が効率的」とか言ったり
今の感覚を持ち込んで
「きっと当時もそうだったに違いない」とか言ったり
滑稽だな
ちなみに
「こんな程度のこともわからない・やれないなんて昔の連中はバカだな」とか言うのは
コロンブスの卵
176 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 09:00:35
馬なんて早い話、私は偉いですよ、って証だろ。
>>135 1単位、数人〜数十人だから何の問題も無い
実際武田家には目付けだかなんだか名前は忘れたが
指揮権を持つ職があったしな。
>>168 格好つけてるくせに無知なんだなw
足軽はほぼ固定身分だから烏合の衆とはほど遠い
やる気の無い動員農民は一揆と書かれるんだよ。
>>175 封建制の教科書でも読んで出直せ
>>177 >>166にも書かれている通り武将+農民の軍隊はどう統制とるつもりだ?
武将とその側近程度の少ない人数で何人の歩兵の進退が怒号飛び交う戦場で統制可能なのか?
もっとも数人程度で突撃したら褒美ゲットの格好の的だわな
それ相応の身分の香具師だし
>>151 「いざと言うときにはそれを残置して突撃する」
どんな時に 放置して 騎馬隊編成 するんだww
なんか騎馬隊というより馬鹿隊が実在した、とか主張してる奴がいるなwww
分離だのなんだのは信野暮あたりでやってろ
181 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 21:23:24
シーン
182 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 21:57:10
183 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:09:36
説楽原での激闘
ttp://www2.ttcn.ne.jp/~history/collaborate/nagashino/07.htm 二番に正用軒、入替、かゝればのき、退ば引付、御下知のごとく鉄炮にて過半人数うたれては其時引入るなり。
三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。
関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
人数を備へ候身がくしをして、鉄炮にて待請けうたせられ候へば、過半打倒され無人になつて引退く。
四番に典厩一党黒武者にて懸り来り候。
かくのごとく、御敵入替へ侯へども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、
足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。
(『信長公記』)
184 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:10:10
普通に騎馬武者(指揮官)はいるだろw
だけど、指揮官が集まって突撃してきたら鴨葱だな
185 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:14:34
>>184 誰もそんな事は言ってねぇ
全て馬から降りて戦ったわけではない
フロイスが言うような
186 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:26:24
ルイスフロイスが言う
「日本人は戦になると馬を下りて戦う」
という部分
西日本の戦いを意識してるとも思われ(藤本正行)
武田、北条、上杉などの合戦形態を表現したものとも言えない。
187 :
_:2006/03/03(金) 22:49:34
馬に乗った武士は大抵母衣衆みたいに情報を素早く伝える仕事
をしていたってはなし
長篠の騎馬突撃は甲陽軍鑑じゃ否定してるし
遺構発掘でも馬の死骸なんてロクに出てないって話だけど?
189 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 23:15:05
伊達に騎馬隊は存在したの?
190 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 23:15:12
馬上での戦闘が行われた可能性も述べてるのが、多角的考察の藤本氏。
似てるようで素人の鈴木氏との違い。
『信長公記』に騎馬戦闘の表現があるのは
「関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。」
この部分だけ。
その点『信長公記』でも武田=騎馬というイメージは少ない。
河越夜戦では臨時に騎馬武者だけを集めて奇襲したって話はある
ただ、河越夜戦自体が北条氏の戦にしては軍忠状等の史料が無いことから、あの日本三大夜襲の一つに数えられる戦はなかったという説も有力
>>179 人数ごとに指揮官がいる、これは常識
つか、応仁の乱から一歩も進歩してないとしたら逆に驚き。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 16:13:21
馬→高い→立場がある奴が騎乗→指揮しなきゃ→死ぬのダメ→いい標的
→騎馬軍団編成出来ない
特級階権無視→武田は豪族連合→不満→謀反・離反
→改革出来ない
193が非常に無知なのだけはよく分かった
仕方ないのでマジレス
武田はかなり進んだ支配体制を敷いてる
197 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 17:50:43
ばかすぎるw
199 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 17:59:57
175
同意。まぁ妄想とか討論は人によっちゃ楽しいよな。けど実の処、当時の人しかわかりません
自分の思い込みに意外と根拠がなかったことを指摘されると、
言葉を失い、相手をバカ呼ばわりする以外にできなくなる。
何しろ先入観だから、相手が「当たり前」のことをわかってない愚かな奴に見えないわけだ。
でも説明できない。あるいは、仮定への依存が極度に強い説明しかできない。
>>178 動員された農民が固定身分?
半ば強制か金目当てで領主と足軽契約してるだけの農民がステータスでやってたとは初耳だな〜
最近の学研漫画日本の歴史にはそう書いてあるの?
>やる気の無い動員農民は一揆と書かれるんだよ。
小領主の動員に応じてるのに一揆扱いですか・・・
どこに書かれてるんだろう、これも漫画日本の歴史?
煽ってるくせに馬鹿なんだなw
>>184 整然と陣を構えた敵の戦列に真正面から突っ込む場面しか想像できないのか?
それは想像力が貧困過ぎる。
最低でも射撃戦などを経て対応能力が低下してる条件だろうし、
無用の危険を犯す気がなければすでに足軽同士で白兵戦している敵の横合いなどを狙うとか。
>>201-202 百姓身分が臨時で駆り出されるのが一揆
納税や賦役を軽減、免除され軍役を負うのが足軽等
分かった?
205 :
無名武将@お腹せっぷく :2006/03/04(土) 22:24:26
騎馬隊が無かったって事になると、
武田厨の存在意義が否定されちゃうんだよな。
騎馬隊の無い武田なんて、ただの田舎大名って事になるし…
>>204 全然回答になってないな。
農民が軍役負担に応じることと、兵士としてのステータスを得ることは別だろ。
大戦中に赤紙一枚で召集された百姓が「俺は帝国軍人だ」なんて言わないのと同じでな。
>百姓身分が臨時で駆り出されるのが一揆
???サッパリ分からん。
赤紙一枚で召集された百姓は一揆
駆り出されると一揆なのか、へぇ〜新しい視点だなぁ
210 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 23:21:58
当時はまだ士農工商が不明分だった時代だぞ
江戸時代とごっちゃになってないかね?
平時は農民戦時は戦闘員なんていうのは士分ですら当たり前だっんだがまだ
四国の一領具足なんかはその典型とされる
ID無いから誰が誰やらもう…w
>182
小幡はともかく、馬場以下は「突撃した」ってだけで、騎馬突撃したって意味じゃないだろ。
逆に言えば、小幡の馬上巧者云々のくだりは、騎馬武者集団の突撃が、珍しいからわざわざ記述した可能性もある。
小幡のような編成・戦術が一般的なら、小幡も馬場らと同列に記述されるだけだろう。
馬防柵相手に騎馬突撃したらそれこそ馬鹿じゃない?
むしろ馬で近づいたのは縄とかでひっかけて柵倒すためだったと思う
推測だけだが…
>>208 無知乙
>>210 当然そうだけど、戦の場合必ず動員されるのが足軽等で
居住地付近の戦で一時的に駆り出される農民は、当時の呼び名だと一揆。
足軽の練度が低かったとしても、集団戦ができなかったと決め付けたもんでもなかろう。
むしろ個人技がおろそかでも隊伍を維持することが重視されるべき。
勿論フリードリッヒの歩兵のような部隊機動はできないだろうが、
隊からはぐれずに槍を振り回す訓練とか色々あるんじゃないの。
>>215 そのウィキペディア間違ってる(というかすげー古い解釈)からw
一揆ってのは、大将のいない集団とか
>>217 じゃ、その新しい解釈とやらのソースは?
軍役衆以外の参陣は確かに珍しくなかったが、それと一揆は別
>>218 ソースも何も当時の日記とか手紙でそういう使い方をされてる。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 01:19:34
>>219 だからその日記や手紙がソースじゃん
嘘じゃないなら答えろよ
221 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 01:37:19
俺がしってる日記や手紙とは違うから
>>219=しったか
>>220-221 陰徳太平記、天正15年、秀吉の九州攻めの記述
判物証文写、天正3年、勝頼が駿府の商人に一揆役を免除した記録
横沢文書、天正元年、謙信より家臣宛てに敵の海路による略奪は近郷の住民
による一揆を結集して撃退しろとの指示
北条の分国法、敵の襲来に対して近郷の住民は20日間従軍するという規定
223 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 02:24:38
>>222 明らかに一連の主張と違うじゃねーかw
確認するが、「やる気の無い農民が一揆」と主張してるのと同一人物だよな?
一揆っつーのは元々心を一つにする、という意味
文書(唐傘連判状)なら毛利家だって初期〜中期は国人一揆だ
だけどどこをどう見てもやる気の無い農民が集まれば一揆、なんていう理論には…
やる気なければ同心しようもないじゃんか
>>222 はぁ?おまえ頭悪いな
「足軽等と違う、一時的な百姓の動員」の意味をできてないだろ?
>>224 文句があるなら中世の人間に言えよ。
226 :
信玄:2006/03/05(日) 03:53:20
朝鮮さいこ〜
変な否定論者がボコられてるw
228 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 13:06:40
>>227 どのあたりが?w
既に本題とは離れまくってるが…
じゃあ本題(>1)に戻るか。
少なくともフロイスの与太は信じられない。
密集騎馬隊かどうかはともかく、騎乗兵そのものは合戦屏風などでも頻繁に描かれている。
しばしば実際に白兵を交える形で。
馬防柵に騎兵が突入したかどうかは確かに疑問がある。
柵を倒すとかは歩兵の仕事だろうし。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 15:02:15
人力より馬力で柵倒した方が楽だと思うが・・・
231 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/05(日) 19:37:36
機動力と衝突力が売りの騎兵に柵壊しなんてやらせる訳ないじゃん
騎乗したお偉いさんが最前線で木と格闘かよw
精々、足軽の指揮するのに何人かいる程度だろ
力が足りなきゃ人数を増やせばいい。個体で強い必要はない。
倒してる間に攻撃される危険がある以上、コストが低いのを持ってくるのが常識。
それに馬は人間ほど器用じゃないし。
騎馬武者がお偉いさんじゃなく死んでもいい農民だったんだよ
これなら戦争前はもちろん戦争最中に楽に編成可能
農民の生活 朝 農耕 夜 乗馬訓練
馬は領主から支給される
当時馬は大した価値が無いから間単に補充可能
馬に乗って長い槍でつつき、接近戦をなくせば問題ない多分バランスも問題ない
所詮、騎馬隊なんて農民主体の脇役だから農民の首に意味は無い
任務も簡単な脇役任務。突撃が怖いと逃げ出さない。命令に忠実。
馬は人に驚かない。前足や後ろ足を突然上げたりしない。バランスは保つ。
居住している場所で戦争が起こると突然足軽から一揆に名称変更
>>205を百回読め
234 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/06(月) 00:08:30
そんな火病んなよ
>>232 現代でも塹壕攻撃には戦車が先頭切るだろ
戦車がもったいないから低コストの歩兵に行かせるなんて常識ではないな
それに馬の器用さなんて必要ないだろ
柵にただ体重かければいいだけなんだから
騎兵に装甲はありません。
少しばかり上等な鎧は着てるけど鉄砲には無効。
コストを気にして有効なものを戦場で使わんというのは無理がある
戦車の装甲が厚いといっても万能ではないし
RPGなどの対戦車兵器には無効
普通さ、柵を壊すなら木槌とかでぶったたくんじゃないの?
道具がなかったらぶら下がって引き倒すとか。
馬が静かに水平に押したって壊しにくいと思う。
騎馬が戦場で有効なんですか? 貴重な移動手段に柵倒しさせるんですか?
柵に前脚を乗り上げるようにして体重かければ簡単に倒れるだろう
寧ろその作業を大勢の人間にやらせる方が手間暇かかると思うがね
人間なら数が多いし、命令すればすぐ伝わる。
馬は柵を倒す訓練なんかしてないし下手すりゃ怪我をする。
たくさんいる足軽を使えば別にいくらでも代わりが効くのに
わざわざ使いづらい馬でやることもないだろ。
使い辛いか?寧ろ簡単だろ
しかも特殊な訓練なんか必要ないじゃん
ただチンチン状態で寄りかかればいいんだから
簡単かねえ。
まあ俺は馬乗ったことないからわからんが甚だ疑問。
いずれにしろ「騎兵でなければできない仕事」でもないのに
身分の高い騎兵がやるとは思えんね。
チンチン状態で寄りかかったら馬が怪我するじゃないか。
柵の向かいの敵兵さんが静観してくれたらいいね。
命令を理解できるのは武将であって馬ではない点に注意。
まぁ俺も見てきたわけじゃないから解からんけど
名のある騎乗の士が一番乗りを競い合ってる戦場なら
あり得るかなと思ってね
247 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/06(月) 08:47:00
>>237 佐官だけ集めて最前線に突入する様な間抜けな軍隊があるなら成り立つな
あと騎兵と足軽のコストだが、経済的なコストと人的コストの違いもわかんねーのか?
>>247 お前もしつこいな
動員された豪族や地侍も騎乗ってだけで佐官扱いなのか
こいつらは前線に居ながら督戦のみで戦わないのかよw
経済的なコストと人的コストの違いって言いたかっただけか?
戦車の開発生産維持に多額の国費を投じたので前線で使いませんなんてことがあるわけがない
寧ろ動員した豪族(騎馬1,従者10)の人的コストとやらを戦場で心配する理由がないだろ
こいつらも手柄たてる目的意識があるんだろうから可能な限りの有効手段は場合によって取ると思うがね
249 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/06(月) 14:59:45
無意味な例え話に無意味な例え話で返した俺が間違っていた。大げさに言いすぎたな
余所の指揮官を騎馬隊として編成させたら他の隊は誰が指揮するんだ?現代なら昇進させるなりして増やせばいいが、
基本的に指揮官は育成する物じゃなくて身分で決まっちまう時代に、「どうやって足軽の指揮官の穴埋めするんだ?」
少数の騎兵を編成する利点だけしか見てないみたいだが、指揮官が抜けて烏合の衆になる足軽隊は見ないふりか?
そもそも、何で権力構造や命令系統、社会構造そのものが違う現代軍を例えに出してきたのかが理解出来ない
そもそも、馬上=問答無用で指揮官というのが事実誤認
中間や小物が付くというのも必ずというワケでもない
一応このスレでは日本産の馬は小さいで決定してるんだよね。
なら小さい馬に乗って突撃なんか無理じゃん
三国志みたいに馬が大きく兵の装備が軽装ならいいだろうが、別に農民相手に戦うんじゃなくて鎧を着込んだ武士
小さい馬で突撃したところでそんな人を殺せるとは思えないのだが、まさに馬上の不利
存在しないの意見ばっかりだな。
肯定派の人がいたら意見してみて
253 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/06(月) 17:23:31
否定する方が楽なんだよな、肯定派は確たる証拠を出さなきゃならんから倍大変なんだよ。
UFO論みたいなもんだ
そりゃ事実と反することを主張するんだから大変だろうな
ポニーでも軽装の人間が乗るくらいならそこそこ速い。
数百騎単位での動員で突撃かましたら相手はビビる。 しかし、待ち構えられてたら絶好の的。 奇襲には使える。もしくは戦闘状態の敵部隊を横断するだけでも効果はでかい。
だが、モンゴルと違い生活に馬が密着してない日本で上記のような作戦を結構するには相当の訓練が必要。 もちろん馬は虚勢しないと無理。 出来たのであれば騎兵を用いることで有名な戦国武将がいるってことだよな。
日本でも相当な訓練期間は充分ある。
仮に五歳から訓練を始めたとして初陣までの10年ほどは訓練期間だ。
騎乗で集団戦闘の為の訓練を幼少時代からしてたのか?
乗馬だけの訓練じゃないぞ。 馬に乗れる身分、さらに幼少から特訓出来る身分はどれくらいいたんだろうね。
>>251 比較すれば小さいと言う話であって、
そこから「突撃できない」に飛躍するのはとんでもない短絡。
突撃できないじゃん。HNKとかの当時の再現実験で考えると
ランスチャージなんてできそうもない
できるって。子犬並みに小さいわけでもあるまいに。
NHKの実験と言うのは見てないが、どうせ軍事用の訓練なんかしてない馬だろ。
突撃ってのは一般に前進攻撃のことであって、
ランスチャージみたいな一撃に全力をかけるようなものが全てじゃない。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 12:49:41
それどこの一般的な突撃?
突撃:突進(一気に突き進むこと)して攻撃すること
263 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 12:58:18
厨はミスリードが好きだなw
264 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 14:47:57
モンゴルの騎馬民族の戦い方が参考になるんじゃないかな。
同じアジアの馬だから。
265 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 14:49:54
弓の性能が違いすぎる為却下
突進して馬の上から斬りつける戦いとか?
広い平原の馬と、山岳ばかりの日本の馬が同じなわけないだろ。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 15:27:53
同じ地球の馬だからどれもおなじだよ
269 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 15:38:32
その割にはシマウマ乗り回してるの見たことないけどな
270 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 15:50:50
>>269 良い事言った。
しかし何故シマウマには乗らないのかね、足腰が意外と弱いのか?
271 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 16:09:53
272 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 16:12:43
キリン騎兵最強
273 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 16:13:33
シマウマは目立つからじゃね?w
275 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 19:18:09
シマウマとか競馬馬じゃ足が折れちまう。
日本馬は足が太く頑丈。ポニーみたく華奢じゃない。
モンゴル馬も大きくない。
日本の馬は数が絶対的に少なかった、大事なお馬さんを敵陣に突っ込ませるなんて
勿体無いことできなかった。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/08(水) 09:14:31
近所でやぶさめ祭りあるんだけど、迫力あるよ。
278 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/08(水) 10:01:10
それは外国産の馬
シマウマは、見てると目がチカチカするから、逆に迷彩になるのではないだろうか?
でもシマウマ使うと戦の勝敗がつかないんじゃないか?
白黒のシマ模様だけにな!!!!
日本でジュースティングみたいなスポーツあったっけ。。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 08:40:50
ちょっと聞きたいんだが、もし本当に武田騎馬隊が存在しないのだとしたら、
これだけ世の中に武田騎馬隊のイメージが広まった理由は何?
すべて後世の創作なら、その元となった物と
なぜその創作者が武田=騎馬隊というイメージを創作したのか
その考察を教えてほしい
チャージ攻撃のジャンプでどうにかすると?無理だろ
>>282 簡単
武田の騎馬が強いと話が回れば織田がそれに勝った事が大きく世にでる。
それだけ
285 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 10:21:53
武田家が馬廻の規模や戦果を誇張して宣伝。
かつての三方が原の敗戦のいいわけのため、徳川幕府が誇張。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 10:36:47
>>282 以下の書籍を読めば全てが解決します。
鈴木眞哉『鉄砲隊と騎馬軍団-真説・長篠合戦-』(洋泉社、2003年)
287 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 15:24:12
>>284-285 それならなんでわざわざ騎馬隊なの?
別に最強の槍隊や足軽隊でもよかったでしょ
むしろ騎馬隊が当時の軍の構成からしてありえない、というなら
こっちのほうがリアリティあるはず
>最強の槍隊や足軽隊
それだと嘘にならない。要は徳川家が民衆に軍事的知識を広めない為に
1000年に一度あるかないかレベルの義径の奇襲や信長の桶狭間などを
さも戦をする上でのお手本のように間違った知識を広めていたから。
本当の戦争は始まる前に敵よりも数倍の兵を動員すればいいだけ。
そこにいたるまでの戦略こそがもっとも重要であとの細かい現場指揮官レベル
の戦術などは結果にすぎない。信長はそのことを熟知していたから以後は2度と
奇襲などはもちいず常に敵に倍する兵数を確保することに腐心した。
だから武田の騎馬隊もありえないことをさも本当のことのように広めることで
実際に軍事的権力を握っている専門化の武士階級意外が軍事に疎くなるように
洗脳していったってこと。徳川の泰平の世を守る為にね。これが民衆がちゃんとした
軍事的知識を持ってたら日本で市民革命なんてのが起きてたかもしれない。
たらればだけどね。
単純に足軽なんかより騎馬の方がカッコいいしな
え?徳川家が武田騎馬軍団を広めた?
そんな噂話の流布みたいな話が歴史資料にのってるの?
だとしたら武田騎馬軍団は完全に否定されるじゃん。
このスレ的には大発見じゃない?
民間の伝承レベルならありえそうだけど・・・徳川家直々かよ!
それより義経や桶狭間における騎馬集団戦法が完全に否定できないなら
武田騎馬軍だって完全に否定もできないんじゃないの?
あくまで当時の一般的な状況を考えたら、ありえないとは言えるけど
特殊な要因が絡めば、無きにしもあらずってことでしょ。
>>288 ところで
>義径の奇襲や信長の
義径ってだれ?何を変換するとそうなるの?
桶狭間奇襲説も、江戸時代の信長記が発端なんだよな
一級史料の信長公記と名前が似てるけど、まったくの別物でおおまかな流れ以外殆ど創作という
>>290 すまん、何言ってるのかさっぱり理解できない。
反論するならもっと論理的に、そしてまず日本語を勉強してくれ」・・・
288と290は長文の割にわけわからないんだが、わかわかんない文をわけわかんない文で
否定してるからもう日本語じゃないみたい。
別に勝ち方なんでどうでもいいじゃん、織田が勝った、それだけは確かなこと。
武田騎馬隊が駄馬を多用とした補給部隊の可能性はどうよ。
隊列を整えるための騎馬武者が居たから武田騎馬隊と呼ばれたとか。
>>296 いや、否定されてるのは「敵陣に突っ込む勇ましい最強の武田騎馬軍団」だから。
兵糧を運ぶお馬さんたちまで否定されてはいない
>>296 軍役に荷駄衆はいるけど
他家より騎馬比率が多かったという史料は無いよ
上の藤本氏などの集計によれば、上杉軍のほうが騎馬武者の比率が高いそうだし
300 :
信玄:2006/03/09(木) 21:55:14
李舜臣「300」
やっぱり長篠の合戦の影響かな。
柵と大量の鉄砲があるのに突っ込んで行ったらしい
→有力な騎馬隊があったので行けると踏んだに違いない
→武田には強力な騎馬隊があった
と言う発想で。
302 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 02:22:09
長篠で突撃せざるを得なかったのは、後方を酒井隊に防がれたからだろうな本当は
敵主力を排除せずに酒井隊にかかったら後ろを突かれて正面決戦するよりまずい事態になる
その体勢からただ退却したら、それこそ挟み撃ちと追撃受けて大打撃
あの状態になったら信長か信玄が主将でもあの手しかないよ
不利を悟ってさっさと逃げる決断には経験が必要だし、
家中の立場が不安定な勝頼としては弱気は見せづらいと言う事情があった。
敗北を覚悟できれば損害を押さえる手はあったと思う。
「あの手しかない」は言い過ぎかな。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 03:52:48
>>303 例えば?
一部を殿軍にして…実質見捨てて主力逃走とか
そういう別の危機を呼ぶような手以外何かありそう…?
ウマが小さければ、ラクダに乗ればいいじゃない
みんな知ってるから存在したんだ!は面白すぎる展開だな
>>302 信玄なら三増峠のように、信長なら長島のように逃げるな
勝頼君は無茶しいの負けず嫌いだから突っ込んだだけ。
>>302 信玄なら、そもそもそんな不利な状況に陥る前に引き上げる。
ま た 信 玄 信 者 か
だから挟み撃ちにあってる状態で、退路は鳳来寺方面の隘路のみ
逃げることすら困難な地勢じゃん
金ヶ崎や三増峠と全然違うじゃないか
それとも軍勢見捨てて一人で逃げろと?
いっとくが金ヶ崎の信長でさえ引き上げは主力軍と一緒だぞ
長篠城を落せなかったのが痛恨でしたな
312 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 20:47:28
>>299 武田、上杉、北条だと北条の騎馬比率が断トツで高いそう
武 田 忍 軍 サ イ キ ョ
314 :
信玄:2006/03/10(金) 21:45:53
朝鮮、まんせ〜
武田は、配下の忍びの者を「すっぱ」と呼んでたんだっけ?
字面は、秀破でいいのかな
仮に騎馬隊があっても日本の国土では騎馬の機動力を活かすのは不可能
よって衝力中心となるがそれなら歩騎混成突撃でも十分である
317 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 23:03:02
【騎馬率30%】元寇日本軍
【騎馬率20%】上総井田氏(北条)
【騎馬率10%】越後上杉氏
【騎馬率6%】安芸吉川氏(毛利)
>>310 信長は僅かな手勢のみで先行して脱出したのでは?
まあ無傷で逃げられるとは言ってない。
史実よりはマシな状況は作れるだろと。
>>318 難しいでしょう
当時、武田軍は軍隊の最大の敵「無敗病」にどう仕様もない程に罹患
していましたから、なにも考えずに逃げ出すのは先ず無理でしょう
>>310 「先頭に立った」のが正確
柴田勢なんかは、そのまま京都方面防備に投入されてるし
突撃しかないだろう
相手は信玄の代からの「逃げてばかりの徳川」と「そもそも後詰にすらこなかった信長」でしょ、武田軍将兵から見たら
>>310 金ヶ崎や三増峠とそれなりに似てるけど?
2人なら、長篠城への対処を考え出して処置した後
間道に手勢散らして(2人は当然調べてる)逃げ切るんじゃないかなあ
325 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 00:42:41
長篠城への処置ってどうやるんだ?
もう落城寸前の城じゃなくて
徳川軍最精鋭の東三河衆+信長馬廻りからの選抜部隊+鉄砲500丁の酒井隊が加わった戦力だぞ
少数の戦力分けてぶつける程度じゃ駆逐できんし
手間取れば織田徳川本軍に締め上げられてアボン
どうすんのさ?
同数の兵力をぶつければいいじゃない。
主力が秩序だって撤退する時間くらいは稼げるでしょ。
>>326 で、同数の兵力出したら唯でさえ数的劣位の織田徳川本軍と到底戦えませんが?
結局追撃くらって壊走でFAじゃん
つうか捨石にされる部隊はどうすんのよ?
宿老最初から捨て殺しにすれば大将としての信任終りじゃん
親族衆は史実では勝手に逃げた穴山・信豊指揮下だからそんな任務やると決まったらトンズラでしょ
そっちは少数の前衛で支えればいい。
相手は柵を捨てて前進攻撃をしなければならない。
これを否定するなら撤退戦というもの全てを否定することになるぞ。
損害は無論負うが戦いとしては成立するんだよ。
>>329 織田徳川本隊を少数の前衛だけで支えろと?
挟み撃ちに既にされてるって状況わかってていってるのか怪しいな…
329の「そっち」は327の「本軍」の方ね。
殿は確かに危険だが戦いようはある。
それともなにか、戦史上の全ての撤退戦を否定するつもりか?
>>331 …だからどうやって本隊の攻撃を少数で支えればいいんだよ
撤退戦の形にそもそも持ち込めないジャン
前後に敵がいるんだぞ
挟撃されている状況は確かに危機だ。
だから損害も多いだろう。
しかし、史実の通り何度も突撃した軍と、
ここで想定している序盤で不利を悟って撤退を決めた軍が、同じ強さということはありえない。
史実より傷が軽い状態で撤退を決断したのに損害が同じになるってどういう理屈よ。
>>333 撤退するってことは、備を解いて行軍して逃げるってことだぞ
後ろに最低500丁の鉄砲持った酒井隊
前に2万は確実に越えてやはり鉄砲多数装備の織田徳川本隊
長篠日記によると織田方にも6千の死傷者が出てるらしいが、それ以下の損害与えた挙句勝頼も逃げきれそうにないな
>>332 陣地から出て前進して攻撃態勢を取り直して本格的に攻撃するには時間がかかる。
それも軍の規模が大きいほどよけいにかかる。
だから、本腰を入れないと突破できないくらいの抵抗線を布いて、
敵の攻撃が本格化する直前に撤退すればいい。
勿論捉まるやつも少なくなく、犠牲は出るが理屈上はそういうこと。
信長公記によると、鳶の巣山から武田軍が前進して布陣したため
両陣の間は、わずかに二十町ほどだったそうだ
何やるにしても距離がねー
そもそも長篠合戦で先に仕掛けたのは織田徳川方
それに呼応して武田軍が攻撃を開始した
後は良く知られてる展開
後方奇襲→牽制して攻めさせる→包囲殲滅→追撃
この間、武田方が主導権を握れた場面が無い
これを信長が狙ってやってたとしたら鉄砲三段打ちなんか問題にならない恐ろしい作戦能力だ…
撤退戦には高い指揮能力が必要とされる。
一歩間違うと総崩れになるから。
史実の勝頼にはこれが若干足りなかったようだが、
早い段階で、軍全体にまだ余力がある状態ならかなり掌握は楽になる。
挟み撃ちにされた時点で
突撃して万が一の勝機を掴むか
総崩れになりながらこれも万が一の撤退成功に望みをかけるか
どっちにしろもう武田方に目はねーよ
信長公記には「武田軍が鳶ノ巣山固めてたら手がでなかったろうに」という意味のことが太田の感想として書かれているが
自分から陣を詰めた時点でアウト
341 :
信玄:2006/03/11(土) 01:19:46
朝鮮、まんせ〜
>>337 その言い方じゃまるで勝頼が攻撃を受けっぱなしで、
せっかく用意した陣地も全然関係ない戦いだったみたいじゃないか。
たしかに信長の方から仕掛けたのかもしれないが、
勝頼が開戦直後からずーっと撤退する隙を狙ってたのに織田徳川の攻撃が途切れなくて撤退できなかった、
ってわけじゃないだろ。
基本的に武田が攻撃して、そのたびに反撃で損害がたまるという展開だった。
武田が攻撃をやめれば織田側の攻撃が始まるだろうが、基本的には織田は待ちの戦術。
撤退しようと思えばもっと早くできた。
>>340 だから、負けと言う意味では「アウト」なのは認めてるんだよ。
誰がどうやっても史実より損害を軽くできない、ってのはおかしいと言ってるだけ。
>>342 別に映画の長篠のシーンみたいに信長軍は一方的に引き篭もってたわけじゃねーぞ
「足軽であしらい、人数出して突き崩し」と信長公記にある
第一、撤退をはじめたら信長軍と交戦してる前衛はどうなる?
見捨てられたと思って崩壊してやっぱり織田軍なだれ込みでアウトじゃん
それでも信玄なら…信玄ならなんとかしてくれる(AA略
>>344 信長の方からも積極的に攻撃を仕掛けてたのは知ってる。
でも、長篠の合戦の間、あれだけの時間間断なく攻撃し続けることは不可能だ。
さらにベースが待ちの戦術なんだから、撤退する隙が全くなかったとは考えにくい。
>見捨てられたと思って崩壊
統制が取れてない軍ではしばしば起きるし、史実も実際そのような感じだったみたいだが、
少なくとも度重なる攻撃で疲労した軍よりはまだ戦闘に疲れてない軍の方が統制は取りやすい。
勝頼でなく信玄や信長ならもっと…というのもあるし。
撤退戦というのはその崩壊を起こさせない戦いであって、決して不可能なことじゃない。
幸い長篠解囲軍はそれほどの大軍ではないし、食いついてくるまでに若干の時間がある。
対応は可能だろう。
>>346 こいつ完全に長篠合戦のことほとんどしらねーわ
信長公記どころか甲陽軍鑑ベースですらねー
>>347 そうか?
長篠合戦?の状況把握もできてるし、仮定の手段もまともなモノに思うけど
軍事知識も三戦板の人間としてはかなりある様に見えるし。
349 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 03:31:42
ねーよwwwどんな軍事知識だよ。撤退する「隙」って何よ?
壊走する前に逃げられれば、その方が被害は少ない筈だ!
って意味のない当たり前の事を主張してどうすんの?
>>306 その理論だと悪魔だとか宇宙人とかも居ることになっちまうもんなwww
350 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 03:32:29
>>348 自演乙
句読点の使い方ぐらい変えて自分マンセーしなよ( ´,_ゝ`)
そもそも壊走する前に逃げられる隙がないからこそ、史実では信玄三大拙戦の損害をまとめて喰らったと評されるほど打撃を受けたわけで
逃げるどころか足絡み済みだってことが理解できんのかね?
突き放すまでは退却の選択肢すらないんだよ武田軍は
352 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 03:40:49
まんま空論だな
>>350 俺と348が、正しい句読点の使い方をしてるだけだよw
>>351 長篠城に軍勢が居るだけで、壊走する前に逃げる手段がなくなるとは凄いな
354 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 04:29:19
隙なんてない=逃げる手段がない
に脳内変換しちゃうのって凄いよね。
撤退に必要なのは隙じゃなくて理由だアホ
武 田 忍 軍 サ イ キ ョ
>>348までにこいつ
>>346に同意してたヤツなんて誰もいないのにいきなり登場w
こんなに分かりやすい自演は久々に見たなw
357 :
:2006/03/11(土) 06:50:34
みんな僕の味方妄想かよw
358 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 09:53:32
>>353 当時の資料から推察される情勢一つについてすら説明できず、兎に角逃げれば戦うより損害は少ないだろうの連呼だけじゃん
こんなんじゃ賛同されるわけもなく、カキコの癖も実にわかりやすい
自 演 乙 で す !www
359 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 10:06:24
なんか騎馬の話から撤退戦の話みたいになってんな。
長篠の戦死者は両軍共に大体一緒
ただ武田方の武将が数多く死んだため織田の圧勝というのがホントの話
361 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 12:40:42
>>360 ん?織田方の損害も総勢6千あったとされる長篠日記でさえ
武田軍損害は首取られた武者だけで7千、と大敗を伝えてるが
ソースは?
362 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 14:30:02
>>356 自演しました。ごめんなさい。
今では反省している。
圧勝だろうが辛勝だろうが織田の勝ちは確かなわけで、どうでもいい。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 15:07:51
でも武田の力はほとんど弱まらなかったよ
精神的ダメージ受けただけで
無敗を信じていた甲州兵の自信が打ち砕かれたから
まだ戦える国力は十分にあったが織田方に走る者が止まらずに崩壊した
戦術的なものより政治的勝ちだなあれは
なに自分の妄想を真実っぽく言ってんだ
途中まで読んだけど、そもそも騎馬突撃って効果あるのか疑問。
馬に乗れる身分の高い武将が敵陣に突っ込むわけでしょ。
それほどのリスクを払ってどれほどの代価があるわけよ?
馬が止まったら横からグサリだろうし。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/11(土) 19:58:40
信玄公の戦史に燦然たる軌跡。
○信玄 × ●謙信
永禄4年(1561年)、第四次川中島の合戦。
驟雨一電、乾坤の勝負を賭ける一箇の漢、毘沙門天の化身、軍神謙信。
双眸を光らせ、大鳳が起つが如き身の動きで、神の一撃を受ける信玄。
伝説に語られる対峙であった。
戦死者、越軍が3千強、甲軍が4千強という、戦国史にも稀な激闘の末、上杉軍は退却、武田軍が勝鬨を上げる。
以降、北信濃は武田家の有に帰す。
○信玄 × ●氏康
古今比類無き名将、早雲を超える器量を持つとまで云われた氏康。
しかし相模の獅子とまで謳われた彼も、甲斐の虎を相手に苦闘を強いられる。
1569年、武田軍は小田原城を包囲(第2次小田原攻城戦)。
後北条家存亡の危機であったが、相越同盟を結んでいた上杉軍の義援により、かろうじて難を逃れる。
1571年、氏康没。
遺言で氏政に信玄との和睦を命じた。
○信玄 × ●信長・家康連合軍
三方ヶ原の合戦で鎧袖一触。巨鯨が小魚を一撃するが如き勢いで破った。
神君家康の生涯唯一の負け戦であった。
しかし、嗚呼、無常にも、信玄は1573年(元亀4年)、陣中に没する。
神々の黄昏。荘重で深淵に悲哀を秘めた信玄の死であった。
武田軍の、馬に乗るような身分の侍(騎馬武者)の白兵戦錬度が高く、個々が強い。
↓
〜伝言ゲーム現象〜
↓
武田騎馬軍団は強い。
騎乗のまま敵歩兵と乱戦したって不利なだけだからな。
武田騎馬隊があったとしても
突撃後、味方歩兵の支援が無ければ当然、下馬戦闘だろう。
騎兵は移動後すぐ攻撃ができ(疲労してないため)、敵に囲まれる前に簡単に退けるのが強み。
さらに、突撃すれば馬の体力を利用して攻撃できるし、高所から攻撃できる利点もあるが、
重要なのは歩兵に対して一方的な移動力のアドバンテージを得ている点。
騎兵は戦列を死守したりしない。歩兵と同じように戦わせるイメージしかもてない人は今すぐ考えを改めるべし。
374 :
346:2006/03/12(日) 00:13:14
今日は議論に参加するのやめとくけど…
362は騙り、と一応言っとく。
>>348も俺じゃないけど、怪しげに見えるのは認めざるを得ない。
俺もゆうべ「自演乙」って書きそうになったくらいでw
375 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 00:55:19
それこそ騎馬武者一騎打ち全盛時代や
西洋の騎士の一騎打ちこそ戦争よ、な時代ならともかく
騎乗戦闘なんてあんまり価値ないでしょ
武士の装備は軽量化が進んだとはいえ、西洋の重装騎兵と比べても重いし
馬も弱いし
>>372 >敵に囲まれる前に簡単に退けるのが強み。
それってかすっていったり斬り抜けるってこと?
それとも引き返すってこと?
理論的に考えれば引き返すには馬の向きを反対にする必要があるから
隊列が多ければ多いほど敵の目の前にいる奴がドスンと
敵が逃走していれば話は別だが
ていうか馬って相手が長槍構えてるところに突っ込んでくれるものなのか?
378 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 02:10:43
気性が荒すぎる
日本馬
通常は攻撃によって歩兵の隊列は崩れてるから即座の反撃は難しい。
騎兵が、具足なしで裸で戦ってるならかすっただけでも有効打になるが、そういうわけじゃないし。
別に一騎でうじゃうじゃ歩兵のいるところに突っ込むわけでもないんだし。
馬首を巡らせただけでめちゃめちゃ反撃を食らうなんて、よほど攻撃で下手を打ったケースだけ。
380 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 02:16:58
それどころか崖から飛んだり川に飛び込んだり
近代戦では機関銃の弾幕の中突っ込んだ
馬は乗り手が上手ければ必ず従う
勿論足軽がきっちり密集隊形とっているところに
少数の騎兵で突っ込んだりはしてないとして、だけど。
戦国時代の主役はやはり足軽(槍・鉄砲)だし。
戦国期の軍馬の訓練度って近代に匹敵するって初耳だ
去勢すらなかったのに…
馬に乗ってたら攻撃しにくいと思う
384 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 04:47:23
(馬の体重+中の人の体重)×馬の速度+αで武器
が騎馬の攻撃ですが何か?
戦いずらいって、立ち止まって乱戦なんかする訳ねーだろ。
山ばっかりな日本で騎馬軍団なんか編成する訳ねーよ。何で日本で大砲が発達しなかったか考えろ。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 05:10:50
↑結局それなんだよな>山ばっかりな日本
毎度都合よく平原で戦闘できるわけでもないんだから、騎馬戦なんて無用の長物。
仮に強かったとしても、採算が合わないんじゃないか。
馬防柵なんかで備えられたら効果激減だし。
実際に乗馬やったことない人はわかんないかもしれないけど、
あれが全速力で突っ込んできたら、人間なんて吹っ飛ばされて終わりだよ
槍だってよっぽど正確に刺さないと、へし折れるだけだろう
有刺鉄線の金属フェンスだって突き抜けちゃうんだから
そんな馬が集団でやってきたら恐怖だし、立派な兵器になると思うよ
乗馬やってるだけならワカランかもしれないが、
集団で移動してる状態で落馬したときの恐怖は物凄いぞ
しかもよろい着て動きも鈍るし、バランスもとりにくい
388 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 10:21:28
>>386 槍をへし折って、金網もぶち破るって
その馬の皮膚は鉄ででも出来てんのか?
389 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 10:43:57
槍をへし折って金網ぶち破ったとしても馬も瀕死じゃないの?
槍折ったって刺さるもんは刺さるんだから。
390 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 11:00:18
だから体験乗馬の馬な外来種だっつの、あんなデカカったら山ばっかの日本で更に松やらなんやら小さい木の多い森の中に入れねーだろ。
鎧着た人間を乗せた日本馬で走るより全速力で走った方が速いんじゃないのか。
だいたいそこまでして馬で突っ込むメリットがわからん、有刺鉄線のフェンスなんて
戦国時代にないし、ていうか嘘だろ鉄線をぶち破るって。松風ですか?
392 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 12:32:27
>>386 武具で固めた成人男性を馬で跳ね飛ばしたことあるんですか?
スポーツ剣道初段の人間が真剣で人を斬った時の感想を述べるぐらいまぬけだな。
>>392 馬が動かなければ動けない。小回りがきかない。敏捷性がない。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 13:46:15
そりゃ普通に力士のぶちかましより強烈だしな
武具で固めた成人男性も吹き飛ぶよ。
つうか、大体馬の平均体重を400〜500キロと考えて
そして馬の平均の時速が110kmだ。
乗用車並みにあるわけだ。それでも武具で固めた成人男性が吹き飛ばないと
言うならば武具に身を纏めて高速道路でも行ってくれば?
396 :
時速110kmって・・・:2006/03/12(日) 13:52:35
(@д@;)スゲー
てか馬じゃねー。そんなの
110km/h!?
純粋に走ることだけに特化して交配されたサラブレッドで60km/hだぞ!?
なんていう馬なんだ、それは
398 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 13:57:25
馬は60kmだな
それでも十分に威力は期待できる
399 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 13:58:41
110って早いな
車いらね
>>398 ぶつかった馬のほうの被害を考えたことある?
401 :
走る速さはどれくらい?ってトリビア(ガセ):2006/03/12(日) 14:30:31
1位 新種の馬? 110km
2位 チーター 105km
3位 トムソンガセル 90km
4位 サラブレット 80km
ちなみにライオンは60km、象さんは40km
人間は35km程度、亀は2km
>>395 馬もただじゃすまないな
で、験したことあるわけ?
403 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 14:52:00
当時の馬なら30kmがせいぜいなんだろ
間違っても110qは無理だわな
404 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 15:09:26
110kmって化け物
これからは馬の時代か、ガソリン要らんしガスも出ないから地球に優しい
405 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 15:13:33
110kmはもう飽きた
406 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 15:20:49
じゃあ120kmで。
時速110キロなんて黒王号でも無理だろうwww
騎馬スレ名物の『乗馬したことある君』はただの引き篭もりだったことが判明
110キロを乗りこなす武田騎馬武者は確かに最強だな、そんな速度でぶつかったら
馬の顔面も砕けるだろうな
110キロってパーマンより速いじゃん、凄いな当時の馬は。
しかも体重も400〜500s?サラブレッド並だな。最強なわけだ
411 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 15:52:26
パーマンて何だ?
, -'/′
_, .-‐‐ー ̄‐──-─----, , -'´ /
_,-‐'゛ `丶、 / !
/, ---_ /`ヽ_ \ / !
r ィ ヽ-'‐‐、\ /´ ̄ ̄ヽ、 `\ィ \ \ / !
/ !`>'´ .| | /,/⌒ニノノ_メ \_∧ ヽ____ / ヽ
| ! / / i'´ / V | , -‐'´ ̄  ̄フ `ー─----‐
.! | | ─-、 / | .!, -、 ! | / , -‐- /´
! | ヽ  ̄`V イ |0 ! | | | / ! /
/ ヽ ヽ--‐' ノ | |_/ / / ! .l |
-‐' ` ー-‐' \ \ _,/ / | l /
` ー--、___ \__T ヽ. / ヽ \__ィ
ヽ、 、 ̄` ー- 、 | ヽ `ー--ア
\, ノ ̄'ー-r--` ー.! ヽ- 、______, -'゛
! / ./, -‐' ´ .! ノ , ‐'
! /│ |ニ─'´,ノ
ゝ_/ ヽ,l! ノ_,-r二-──‐‐─‐----____ ______--
/! / | /'''┬'─--__ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ ヽ , -‐l / ヽ ヽ ` ー 、
/ メ `く │ ヽ--‐- 、` ー- 、_
/ / \ , ‐' ./ `\_ 二ニ- 、______ ___
/ / ヽ / , /´ //丁 .! │  ̄  ̄ ´  ̄
/`ー-r' `ーア─‐' ´ / // ./ /
パーマン
413 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:08:44
110km/hってwwwwww
競馬でも1000mで大体1分位なのにwwwwww
414 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:12:41
アニメ?見たことないなー(´・ω・`)民放2つしかないし…
415 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:19:59
「体感速度」だろw
ジェットコースターと一緒
110キロは間違いってみんなもうわかってるだろ?
後から得意げになって叩いてもしょうがないじゃん。
それより当時の馬が本当にそんなパワフルなことが可能なのか、
もし本当なら、それが騎馬集団が存在できる理由の一つとなるのか
それを検証するためのスレでしょ
417 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:26:24
そんなパワフルなことっていわれても…
不可能
はい終わり
419 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:29:14
110kmは間違いだった。性格には210km
420 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:35:57
知ったか供乙
甲陽軍艦には113キロ出てたって書いてあるよ
>それより当時の馬が本当にそんなパワフルなことが可能なのか、
>もし本当なら、それが騎馬集団が存在できる理由の一つとなるのか
>それを検証するためのスレでしょ
いつからここはキチガイの妄想を検証するスレになったんだ???
422 :
386:2006/03/12(日) 16:37:05
馬は群れで走る習性があるよ
騎馬突撃があるとしたら、馬の集団でやった方が効果的なのはわかる
ただしその場合馬は興奮状態だから、コントロールができるとは思えないけど
>>416 得意げにはなってないよ
乗馬したことある君からかってるだけで
424 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:42:46
レス番入れてまで110キロ発言を放棄したいのか
425 :
医者:2006/03/12(日) 16:43:22
426 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 16:50:39
今度はレス番入れてまで何当たり前のこと主張してんだこいつ
そりゃ単騎で突っ込むわけねーだろ
427 :
386:2006/03/12(日) 16:50:58
>>416>>421 妄想じゃないっつうの
信じられないのはわかるけど、気になるなら競馬場でも行って
走ってる馬に槍で突撃してみれば?
それに自分は
>>395でもないし
騎馬隊を肯定してるわけでも否定してるわけでもない
客観的に事実を言ってるだけ
乗馬は昔からやってます
428 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:06:17
銃刀法違反で捕まるってw
429 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:17:59
騎馬民族は普通に騎馬突撃してるんじゃないか?
日本の駄馬(平均で110kmは出せる)と比較にはならんと思うが。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:21:25
ちょっと待て!?
110km発言を正しいと思ってるヤツがいるぞ
431 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:23:00
>>430 皮肉で言ってるんですが?
そんなことも分からないんですか?あんた相当頭が空っぽなんだろうね
頭空っぽの方が夢詰め込めるしいいとは思いますがw
432 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:26:49
皮肉?そういう意味だったのか?
あんた2ch見てないで、いっぺん国語の勉強してこいw
434 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:32:38
話題逸らしのめちゃぶつけが始まっちゃったよw
435 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:32:58
このスレで煽り合ってるのってずっと同じ奴じゃね?
本題にもどすか。
395 :無名武将@お腹せっぷく :2006/03/12(日) 13:46:15
そりゃ普通に力士のぶちかましより強烈だしな
武具で固めた成人男性も吹き飛ぶよ。
つうか、大体馬の平均体重を400〜500キロと考えて
そして馬の平均の時速が110kmだ。
乗用車並みにあるわけだ。それでも武具で固めた成人男性が吹き飛ばないと
言うならば武具に身を纏めて高速道路でも行ってくれば?
この辺から?(110kmは60kmに訂正で)
437 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:37:17
いあ普通に110kmは出るから
時速100キロ越えてたら、突撃どころか上の騎馬武者が振り落とされて死亡するだろう
それ以前にだせねーけど…
時速云々は関係なく、馬に跳ね飛ばされたら鎧つけてようが
つけてまいが、余裕で重症だと思うぞ。
どっちだ?
釣りかネタかわからん
441 :
440:2006/03/12(日) 17:42:08
馬の速度な>どっちだ
ただの間違いなら普通に訂正が入るはず
ネタか釣りか…
間違ってもマジだとは思いたくないが(w
>>436 現代の競走馬で60qなのに当時の馬が60q出るわけねーだろ
仮に60km/hだとしても十分に効果は期待できると思う。
騎馬突撃したら兵卒は威力を知っているから回避運動に走る→混乱
445 :
386:2006/03/12(日) 17:46:12
ちょっと日本在来馬を過少評価しすぎじゃないの?
和馬の中でも木曽馬は特に筋肉質で、力や重量ではサラブレッドに負けない
その鋼の肉体は、そちょっとくらい突っついた槍を跳ね返すよ
ずんぐりむっくりの和馬は、乗り降りも簡単で
取り回しがいいから山岳の多い日本の地形には非常に有用
平地でのスピードは期待できないけど、それ以外の地形では
想像以上の強さと機動性は期待できる
見た目はポニーみたいだけどね
槍が折れるから跳ね返すと表現が変わりますた
馬よりも遥かに軽い750ccくらいのバイクが時速50キロくらいで
突っ込んで来たとしてもだ、甲冑つけてるから安心だぜ!とは思えん。
槍を跳ね返すとか110km/h出るとか日本の馬は不思議がいっぱい
で、そのぶつかった馬はどうなるんだ?
450 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:56:15
痛がるんじゃないかな
馬がどうなるかわからんけど、突撃される方は充分怖いんじゃね?
453 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 17:59:05
>>451 それは訓練されてない馬だから信用できないんだってさ
>>453 なんだその変な理屈w
軍隊の軍馬のケースも併記されてるじゃんか
第一当時の馬の訓練レベルなんて…
訓練したからって爆発的に変わるとは思えない
馬は身分の象徴であり、戦場までの移動手段だろ
スレ立て主が定期的に燃料投下して伸ばそうとしてるだけなんだろ?
457 :
386:2006/03/12(日) 18:10:43
お前らみんなお馬ちゃんに踏み潰されろ
458 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 18:11:37
>>452 柵の中に引き篭もったら関係ないんじゃない?
ていうかバイクだって人をはねたらかなり凹むぞ。
馬も甲冑付けた人を蹴ったりしたら足の骨折れるんじゃないの
元来臆病な馬に戦争の手伝いをさせること自体間違ってる、は禁句?
ポニーが時速40キロで走ってくるより足軽が殺意を持って襲ってくる方が恐いぞ
462 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 18:19:49
>>459 386大先生のありがたい御言葉w
>和馬の中でも木曽馬は特に筋肉質で、力や重量ではサラブレッドに負けない
>その鋼の肉体は、そちょっとくらい突っついた槍を跳ね返すよ
>>459 それは思う。
馬につっこまれたら怖いけど、突っ込む馬だって無事じゃすまない。
なので、実際には突っ込まないけど、馬をずらーっと並べたりしたら、
コケオドシとしては有効かも。
なんか、清国が眠れる獅子って言われて恐れられてたけど、実際
戦ってみるとそうでもなかった。みたいな話を思い出す。
「武田騎馬軍」ってのも、そんな雰囲気の言葉だったのかな。
木曽馬なんてどんなに頑張ったって20km/hも出ねえだろw
ましてやフル装備の武士が乗ってたらどうなるかなんてわざわざ実験するまでもない
引っ込みが付かなくなっちゃったんだろうけど、386はそろそろ消えた方がいいぞw
>その鋼の肉体は、そちょっとくらい突っついた槍を跳ね返すよ
>その鋼の肉体は、そちょっとくらい突っついた槍を跳ね返すよ
>その鋼の肉体は、そちょっとくらい突っついた槍を跳ね返すよ
原哲夫のマンガの読みすぎでちょっとおかしくなっちゃったんだろうね、この子
>>465 いや、実際に木曾馬は余裕で20km/hでるよ。
人を乗せて。ただ、現代でかつフル装備ではないが。
20kmか、自転車くらいか
>>463で一応突っ込みが入ったけど、改めて訊く。
ここの面々での解釈は騎馬突撃を「馬による体当たり」としてるのか?
それだと時速110km/hが60km/hでも、馬の乗り手にきつくないか?
ぶっちゃけ、750ccバイクに甲冑つけて跨った奴が、人の群れに突っ込んだとする。
乗り手は無傷でいられると思うか?
間違いなく放り出されるぞ。
まあ時速が20km/hならまだマシって気もするが。
それでも、自転車と歩行者の衝突を考えるとちょっとねぇ……。
騎馬突撃って、例えば歩兵集団が相手なら、
「突っ込むまではその突進で相手をビビらせる」
「突っ込んだら歩兵の間をすり抜けつつ、速度を利用して左右に斬撃」
するもんだと思ってたんだが。
で、ついでに思った事も書く。
以下の文は俺の想像なので、ソースとか訊かれても困るw
当時の人間が、今の人間より少なくとも「大食らい」で「体力に勝る」のは事実っぽい。
とすれば、足軽(歩兵)の機動力ってのも俺等が想像するよりは高そうだよな。
ここで、多数率いたお馬さんに荷物を幾分か負担してもらえばどうなる?
人間の負担が減れば、その分機動力は更にアップしそうじゃないか?
如何に当時のお馬さんがちっちゃいからって(また非力だからって)「走る人間と同行」位はできるでしょ。
多少荷物を持たされててもさ。
だから、俺は武田家の騎馬軍団ってのは
「荷役用の馬を通常より多く率い、山岳地帯を走り回るのに馴れた歩兵集団」
だと思ってる。まあ将校ぐらいは戦闘時以外騎乗しててもいいがね。
軍役帳をみても荷駄馬が多かったという記録はないよ
そもそも荷駄衆の比率自体他の大名とかわらんし
471 :
469:2006/03/12(日) 19:40:24
>>470 突っ込みd。
そうかー、じゃ俺の頭では
「軍役帳に報告するより多くの馬を自前で持っていった、イカス国人衆が多数いた」
と変換しておくよw
まあ、武田家の騎馬軍団って存在自体が色々突っ込まれる対象なんだし。
って、それ言ったら終わりか(・∀・)。
見てない間になにこれw110kmw
普通の電車に余裕で勝つようだw
槍を跳ね返すとかw
人はもちろん3頭ぐらい揃えれば車に圧勝しそうだなw
花の慶次?にでてくる松風もビックリ(*_*;
馬はタイヤで走ってるんじゃないんだ。
足で走ってるんだから大きく揺れるだろう。
その上で片手に武器、片手に手綱、甲冑装着、体を支えるのは鐙だけ
って状態で60キロとかで攻撃できるかい。
乗りこなすので精一杯だろ。
474 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/12(日) 23:38:58
60とかいってる馬鹿は氏ね。昔の馬が60km/hも出る訳ねーだろ
競馬 レコード でググって見ろ
産まれた時から万全のサポートを受けて走りに特化したサラブレットが、走りやすい場所を必死に走ってその速度だぞ
なにか?戦国時代の在来馬がサラブレット並で、合戦の前に農民でも駆り出して合戦予定地の石拾ったり、整地でもさせてたんか?
60km/hじゃ戦えないじゃんとか思う前に、先ずは当たり前のことから考えてみろ
一、馬の速さは110km/hで、その鋼の肉体は、そちょっとくらい突っついた槍を跳ね返すよ
一、現在の馬でも60km/h
一、当時の馬じゃ20km/h
この三通りしかいないわけだが。
当時の馬が60も出せるわけない、だせたとしても〜っていう譲歩した条件で話してるだろ。
じゃあ20でいいだろ、決定、以後20。
20だと人間の全力疾走より遅いわけだが
70kgを乗せて走ってるんだ、20でも凄いぞ、偉いぞ日本馬
それに徒歩の兵じゃ走った後は息が切れて戦闘力はかなり落ちるが、
馬は人間よりは長距離向きにできてるし、
実際武器を振るうのは上に乗ってる人間なので疲労を分散できるという利点もある。
479 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 00:24:05
20km/hだと100mを18秒のペースか
遅っwwwww
具足つけて槍持って、100mを18秒で走れるやつはなかなかいないと思うぞ。
指揮官は視界が高いほうがいいから馬上だろうな
実際に切り結ぶ時は突撃するんじゃなくて、馬を寄せあっての組討じゃないの?それこそ源平時代に逆戻りしたような
日本馬も、近代まで生き残った子孫が当時の馬と全く同じ体質・体格というわけじゃなく、
当時の馬の速度ははっきり言って不明だ。議論成り立つのか?
>>482 成り立つだろ
馬鹿みたいに違う可能性でもあるのか?
484 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 00:46:44
「昭和28年、東京大学人類学教室が鎌倉市材木座の遺跡を発掘した。この遺跡から元弘3年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めで戦没した人々556体とともに、128の馬骨、若干の牛や犬の骨が発見された。
林田重幸・小内忠平両氏は、脛骨・中手骨などから、材木座の馬の体高は109〜140センチ、平均129センチであると推定している。
この事実からも、鎌倉時代末期の馬は、現存する在来中型馬とほぼ同じ体型であったとみてよい。鎌倉時代における小さな馬は、現在の与那国馬やトカラ馬と同じだが、
大部分の馬は木曽馬・土産馬・蒙古馬などの大きさで、戦記物に出てくる四尺七寸(142センチ)にも及ぶ大きな馬は1頭もなかった。源義経など坂東武者たちは、足の短い馬にまたがり、合戦に参加したのである。」
(『日本の馬と牛』市川健夫)
まあ130cmあれば、普通に人が立ってるときよりは視点は高いな。
鬼武者ならぬポニー武者が源平・戦国の華だったわけやねw
487 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 01:00:13
まあポニー武者でも普通に突っ立てるよりは、強そうに見えるし威厳もある。
サラブレッドの体高(肩までの高さ)は160cmほどだという。
一回りないし二回り小さい感じだが、それでも130cmって言ったら結構でかいよ。
足が短いのであれば、速度は出にくい分パワーが有りそうだし。
他に比較対象がないからな
490 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 01:53:08
南部地方には大きめの馬が居たらしいぜよ。
150ぐらいの
130か、俺の甥っ子がそのくらいだな。でかいか?
イメージ的にあまり恐くない、むしろ勝てそうな気さえしてきた
492 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 02:30:23
騎乗位が強いって話だろ。
そりゃ、突き上げるように突撃すると強そうだが
どんなにハッスルしても、子宝は天からの授かりものだからな
>>493 いやわかってるけど日本全国が小さいわけではない事を言っておかないと後で変になるから。
495 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 02:53:10
どう変になるかを教えて欲しいわけだが
むしろそんな例外を出したほうが変になるんじゃないのか。
偏差値の低い高校でもたまに一人くらいは国立に行ったりする、だがそれがどうした
という話。
これからは例外的なこと言うなよ、テンプレに追加だ
次スレあるのかよ
眠い
歯磨いてから寝ろよ?
501 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 03:32:57
体高130cmて言うと結構大きいぞ
鞍乗せて跨がれば2mぐらいの視界だからな
馬の頭の高さが130cmなら可愛いもんだけどw
>馬の頭の高さが130cm
それ良いな。すごくかわいい。
乗るのに罪悪感感じてしまう。
首輪つけて散歩させるしかないな
504 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/13(月) 05:29:12
結局「甲陽軍艦」っていう偽書を聖典視して戦国の世を語ろうとする
から、どんどん電波になってゆくんだよね武田厨って…
時速110`で走る馬とか、槍で突いても大丈夫な馬とかさあ…
武田の本質って、戦国期において最後まで勢力を保っていた「おじゃる」
大名ってところじゃないのか。
頭の高さが130cmのポニーが20キロでトコトコ
走ってきた場合の敵側の心理状態を考えれば、
健気で可愛くてとても攻撃などできまい。
つまり、騎馬突撃とは萌え殺し攻撃なのだ。
まだ110キロなんて言ってるやついるのか
少しくらいレスを読め
釣りか
てか頭までの高さが130ぐらいだとやっぱ、大柄なヤツが鞍無しの裸馬に乗ったら足がとどきそうだよな。
>>508 さんざん既出
過去ログくらい読んでから書き込め
ロードオブザリングみたいに馬の大群で相手をひき殺したりはしなかったのか
馬が武将の急所を蹴っとばす
ていうか木曽馬はポニーよりさらにデフォルメしたような見た目だぞ
かわいいったらありゃしない
武田最強騎馬軍団による騎馬突撃じゃなくて
武田最強ポニー軍団によるポニー突撃ってところか
515 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 11:14:33
そうか!
信長が鉄砲と馬防柵使ったのは
接近戦になった場合、相手が可愛すぎて将兵達の攻撃が鈍ることを防ぐためだったんだね!
ポニー体系で、そもそも調教した軍馬の存在すらなく、馬の絶対数すら足りなかったのに
隊を組むなんて不可能だな
>ポニー体系で
ソースは?
>馬の絶対数すら足りなかったのに
ソースは?
そもそも騎馬「軍団」がいた!ってソースがでてないわけだが
>>517 山梨で発掘された馬骨から。
馬重は240〜260前後で体高は120〜130。
どー見てもポニー、ソースなら馬の博物館に
電話するなりすれば確実。
上杉家軍役帳や発掘された牧場等から、多くても
600頭前後と考えられてる。
それに当時の指揮系統、軍の構成から騎馬隊はありえない。
520 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/14(火) 19:59:34
発掘された馬骨の平均体高が125前後なのを無視した素晴らしい妄想だな
522 :
サラブレッド役立たず:2006/03/14(火) 21:23:17
シェトランド・ポニー
105センチ
蒙古馬
135センチ
源義経の青海波
142センチ
サラブレッド
160〜165センチ
蒙古馬 南部馬、木曽馬
135センチ 平均130センチ
大差ないな
524 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 12:41:16
日本在来馬のルーツの多くは蒙古馬と言われているからな
でも騎兵戦術が日本では発達しなかった(律令時代には唐にならった騎兵の制度があったが)
・文化風習(日本に限ったわけではなく、同一民族間の戦争は様式化するケースが多い)、自然環境の違い(平野が少ないので騎兵を疾駆させる戦術の必要性が薄かった)
・そもそもの馬の数の違い(一家族が何頭の馬を持っていた遊牧民と違い、日本では官製の牧が廃れてからは馬は領主以上が自弁)
・日本の騎兵は装備が重すぎるため、馬上では却って戦闘中機動や攻撃しにくい
・鉄砲のような強力な飛び道具の普及が速く(一般的な大名の軍でも十パーセント程度の装備率になった)、騎兵突撃をやると被害が大きすぎる
いろいろ駄目だった理由が考えられるが
525 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 14:36:17
てか騎馬を練兵する場所がねーじゃん。
平地は民の家や畑が有るし山は木が多い、どこで訓練するわけ?特に山国の武田勢は?
526 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 15:24:23
地下
全ての平地に家や畑が有り、山は木が多く馬の通る余地が無い
これぞ否定派の面目躍如たる書き込みですね!
528 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 15:27:05
では肯定派の意見を聞こうか。
え?平地に牧があったの?
新説ですね!!
従来言われてる牧は、丘陵にあり、柵と堀によって
馬が逃げないように囲みを作り、中に馬を放し飼いにして、
合戦時などに連れ出すという訓練も糞もないやり方なんだけど。
だいたいの目安だけど
モンゴル騎兵の装備重量はだいたい10キロ程度(軽騎兵)
鎖帷子主流だったころの騎士装備が15〜20キロ前後
日本の鎧は30ぐらいいく
重すぎるよ…
確かに馬産地って山がちな地域に多いね
532 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 19:18:11
馬で体高と言う場合、耳下までではなく(きこう)といわれる肩までの高さです。
あと、戦国時代に使われていたといわれる木曾馬は現在の改良種より小さく、荷駄には強くて90貫から120貫を運べたそうですが
早駆けには向かず(瞬発力がなく)すぐに止まってしまうそうです。
また戦国時代の日本ではハミや鞍はあってもその鞍にあぶみがついていません。
あぶみを付けないのは早駆けが目的ではなく移動用や荷駄が目的じゃないでしょうか。
>>531 そりゃ馬は森林に棲息する動物ですらかね
534 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 21:05:28
乗馬で鞭を持ちかえる時、馬の首に当たってしまうことがよくある。
乗馬して武器を振るおうと思っても馬の首があるため前方は無防備になる。
また両手の武器は使えない。片手は手綱を持たなければいけないから。
乗馬で戦うには弓か銃、切りつけるなら敵に横に来てもらわなければならない。
更に敵が槍を持っていたらこちらの攻撃は届かないし敵の攻撃は避けれない。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 22:05:40
536 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 22:10:48
観光協会のサイトが根拠になるとは春だから?
なんのソースもないよりは信憑性に足るな。
名のある武将の乗る名馬すら140ちょいか…
これで30キロ超の重装備した人間が乗るんだからたまらんだろうな、馬
539 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 22:21:40
ちなみに見つかった馬骨に140越えてるのはないけどね☆
骨だけで肉体が出来ていると
>>540さんが仰せです。
542 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 22:27:12
東北・関東産
選りすぐりの御馬たち
蒙古馬よりデカイ
骨だけで140以下だと判断されてると
>>241さんは言ってるようです
あ、平均体重250前後も骨だけなんですね(笑
現在の和種は明治に陸軍の品種改良によって大型化してこれなんだけど
>>524 >・鉄砲のような強力な飛び道具の普及が速く(一般的な大名の軍でも十パーセント程度の装備率になった)、
>騎兵突撃をやると被害が大きすぎる
まずこれはないでしょう。
だったら、日本よりもはるかに早く鉄砲が普及し、
防御構造物や密集した槍兵などと鉄砲の併用が盛んだったヨーロッパで、
普通に騎馬隊が存在したことが説明できない。
平野が少なくて・・・というのもあたらないと思う。
戦国時代で一般的だった数万程度の合戦ではその戦闘範囲は騎馬隊を用いた場合でも、
せいぜい5・6キロ四方程度。そのくらいの平野部なら日本にも普通にある。
結局日本で騎馬戦術が普及しなかったのは、
馬の絶対数が少なかったこと、対外的な戦争をほとんどしなかったからでしょう。
普通の農耕民族にとっては、馬に乗って戦闘をするという技術は必要不可欠なものではないから、
例えば、そういう技術を持ったものと対抗しなければならない等の、
何らかの必要性がなければそれが廃れていくのはごく自然なこと。
546 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 22:57:12
肯定派って一匹しか居ないんだけど
長文だと肯定してんのか否定してるのかよくわかんねーな
>>546 例外的に騎馬隊と呼べるような部隊もあったかも、という主旨なら議論にもなるけれど、
一般論としては戦国時代の日本に原則的に騎馬隊は存在しないなんていうのは常識だからね。
何しろ存在したという根拠が何もないわけだから。
まあ、存在しなかったという根拠がないから存在したのだ、
というようなことを言う人もいるかもしれないが・・・
ルイス・フロイスが馬を下りて戦うって言ってるんだろ、なんでルイス
を信じない?
550 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 23:38:10
騎馬隊が存在したなんて誰も言ってないよな
騎兵と徒歩の混成なんだから
551 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 23:41:41
二番に正用軒、入替、かゝればのき、退ば引付、御下知のごとく鉄炮にて過半人数うたれては其時引入るなり。
三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。
関東衆馬上の功者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
人数を備へ候身がくしをして、鉄炮にて待請けうたせられ候へば、過半打倒され無人になつて引退く。
四番に典厩一党黒武者にて懸り来り候。
かくのごとく、御敵入替へ侯へども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、
足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。
(『信長公記』)
552 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/15(水) 23:44:12
>>550 乗馬経験をアイデンティティにして持論を展開する彼だけは存在したと主張してるよ
牛になら乗ったことあるんだが乗るのは簡単なんだが結構不安定だぞ。
超スピードで走る馬から振り落とされないジョッキーの方々って凄いと思う、
鎧なんか付けてたら絶対無理だろ、ましてやその状態で戦闘なんて不可能だ
牛
牛かよ
>>554 あの〜、重い甲冑付けた古代人でも馬乗って戦闘してたんですけど?
ついでに牛は西日本、馬は東日本。
牛が西日本?そうなの?
騎兵の集団突撃が有用なのは、歩兵が横隊でしっかり陣形組む戦争文化が存在した場合のその対抗上でしょ
勿論狙いは陣形の脆い点だけど
でも、日本みたいに家単位でかなりアバウトに戦う文化だと、その対抗手段も生まれない(ましてコストがかかりすぎるなら)
山ばっかりの日本じゃな
>>557 大鎧や具足ほど古代は重くなかったでしょ、装備
>>558 陸奥・出羽、関東諸国、信濃、甲斐が主要馬産地
>>563 馬に乗り弓を射る程度なら、重量40キロ超の大鎧装備でもやるさ
でも鈍重で突撃なんて無理でそ
>>563 そんな重騎兵は一部で、しかも機動性に劣るってそのページに書いてあるんですが
当時の馬ってポニーなんだよね?
乗馬がおらず去勢もされてない駄馬ばかりですた
駄馬でも馬だからなぁ、足軽より断然速くて強いだろ
【質問】
奈良時代の甲冑がどんな風に平安時代の大鎧に変化したのか、
その過程が知りたいけど資料無いのかなあ?
【回答】
笹間先生の本によると
大鎧は「うちかけ式挂甲」から進化したと考えられている。
左脇が一続きになり、肩鎧から鳩尾板やせん壇の板、大袖等に変化していったと
推測されるらしいが、その過渡期の遺物も記録もないそうだ。
地方の武士の実戦経験から改良が重ねられ、
平安中期頃に大鎧の形式が完成されたと推測されている。
570 :
信玄:2006/03/17(金) 00:16:41
むっほう。韓国、強いのう。怒涛の如き破竹の勢い、六連勝じゃあ!
鬼神も避ける強さじゃあ!
人類有史以来、朝鮮は常に本番に強い民族であった。
大舞台になればなるほど益々力を発揮する朝鮮義民。
倭乱(朝鮮侵略)、第二次世界大戦、いずれも朝鮮の輝かしい勝利じゃあ!
W杯4位! トリノで金メダル6個!! そしてWBC六連勝!!!
最早韓国の敵はなく、己自身との戦いになるであろうて。
実力は他を懸絶する、孤高の義国、朝鮮。神の半島、その姿は清冽であり、余りにも美しい。
人間5〜60キロ、甲冑30キロ、合計90キロ近いものを乗せて全力疾走したら1キロも走れません
速度も木曽馬で計測した場合でも時速4〜50キロが精々
駆ける程度の速度で動くからこそ従者も付き従えて、槍持ちなどが存在出来たんですね
また釣りか…50キロってなんだ50って
574 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 14:39:57
厭くまで漏れの想像なんだが、「蹴散らす」という言葉が在るように
日本の騎馬による突撃とは、立ちはだかる敵兵を踏みつけ乗り越え強行前進していくものだったのではないだろうか。
だから闘争心のある去勢してない牡馬や荒馬が好まれたのではないか。
これだと敵兵の攻撃には騎乗の武者が対応して馬は踏み進む事に専念出来るため、人馬一体の攻撃力で足軽より
強力ということにもなるし、移動スピードからいっても従者たちが十分付いてこれる。
自重の3分の1に近いものを乗せ、速く走れると思ってるのか?
サラブレットじゃないんだぞ、勘違いすんな
むしろサラブレッドは重い物の運搬に向いていないが
荷物乗せて歩く運搬と鎧武者乗せて走る騎馬を混同するアホ?
578 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 15:12:02
毛散らすって、
不吉な言葉だよな。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 15:15:57
俺はこれいじょう毛散らされたら…('A`)
和種は運搬、駄載力に適性がある駄馬
人を乗せて走る事を目的に品種改良された温血馬、
サラブレットとは違うんだよ
運搬とは多くの荷物を積載し、どれだけ遠く
長時間運べるかであって、乗馬などに求められてる
機動力とは別なんだよ
力があってスタミナあっても、積載状態では速く走れないんだよ
582 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 17:01:19
自演臭くなってまいりますた!
583 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 17:02:47
>>575 サラブレットの細足じゃ日本の山野ですぐ骨折
食用逝き
和種の鈍足では80近いもの乗せたら5〜60/h
全速力で走れば、そりゃ足軽より速いが、平地の直線での
短距離走が目的じゃないしなw
走るから歩くに変わっとるやないけw
足軽も甲冑着てるから鈍足な件
足軽なんてまともな装備してないし
雑兵物語には紙で鎧作ったとかあるぐらい
つか時代劇や大河ドラマみたいな立派なのは
雑兵はもってないよ
上から支給されてもないしな
593 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 17:52:50
古墳時代の軍事革命
ttp://www.momoso.net/JAA2005.html 【古墳時代中期】
倭の馬匹生産は畿内王権主導で既に中期から積極的に開始されていたが、
騎兵編成には至らなかった。
倭軍の教義が重装弓兵による半島南部の陣地防御に主眼を置いていたから当然である。
王権中枢は騎兵の育成を怠っていたわけではなく、渡来人の力を得つつ、
騎馬兵力の中核となる馬匹生産集団の育成をとくに東国に重点を置いて開始していた。
【古墳時代後期】
倭軍は弓兵の重装甲化を一気に停止し、主要装備から鉄製甲冑と剣を廃止した。
次いで東国を中心に弓兵の騎兵化に着手した。
倭軍の教義が、中期までの陣地防御から、機動防御を主眼とする教義へと
変化した結果と見られる。
【古墳時代末期】
東国の私的軍事力(国造軍)を基盤とする倭の軍事体制が確立した。
東国の軍事的独立が倭王権への隷属を条件に一定程度保証され、
倭軍の主力として編成され、東国が成立した。
騎兵の充実はこの期の特徴で、馬具の標準化も進む。
倭は、高句麗・新羅・唐との戦争を通して三次にわたる軍事改革を押し進め、
東国国造軍をその主力とする独自の軍事制度を構築して軍事革命を実現し、
極東の軍事的緊張の時代を滅びることなく克服し、独立した国家を
建設することに成功した。
でも雑兵物語には足軽が鎧付けてる場面がよくあるし‥
雑兵はしらんが
595 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 18:08:33
徒歩の武士は鈍足
その鎧がどんなのか書いてあるんだろ?
雑兵物語に登場する人物が活躍した時代なら御貸し具足がある
当時の大名家の家紋入り足軽用桶側胴なんかも多数現存してるしな
それ以前は動員形態から類推してまちまちだったのだろうけど
598 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 19:24:29
サラブレッドの場合ギャロップで走れるのは1〜2ハロン
キャンターだとそんなにスピードはでないです。
それは競馬場でジョッキーがムチをいれるのがゴール板近くになってからだということからもわかるのではないでしょうか。
馬は重い荷を乗せて早く走ることはできないです。
あと、下り坂で走らせると高い確率で骨折します。
なのでヒヨドリ越えは和種でも無理なはず。
木曾馬や北海道和種などは瞬発力がないので突撃なんてできません。
唯一アラブ種はスピードと瞬発力を兼ね備えていているのですが戦国期に日本には存在しません。
足の太さが違う
↑
太かったら重い荷物背負って走れるとでもいうのだろうか?
そりゃ太いほうが骨格や肉で支えられる分が大きいだろ
馬に筋トレ施すならともかく、種としての能力に頼りきりの時代なんだから
種としての能力に頼りっきりだから、荷を背負って速く
走るような改良されてないんだが
重い馬体をひ弱な足で支える俊足サラブレッド
軽い馬体と細い足の観光牧場ポニー
太い足と猛き性格の武士乗馬
和種に乗馬は存在しない、全部駄馬
体高130、体重250、小柄で骨太、丈夫さが売りの鈍足駄馬
和種=駄馬とか言ってる奴は半島の工作員か
普通に乗馬だろ
歩兵主体の古代日本で騎兵が重視されたんだが?
↓ 次いで東国を中心に弓兵の騎兵化に着手した。
へぇー
>>608 東国郡司子弟(金持ち)→騎兵
東国一般人→歩兵
駄馬
頭や頸が高くなく、背と腰が短く真っすぐな力強い、
駄載力に優れた馬
乗馬
肩は適度に傾斜し、軽快で素早く、歩様は低くて伸びやか、
人を乗せる為に品種改良された馬
無知だから、すぐに半島認定w
でも組織的な騎兵(及び律令的軍隊)は平安でとっくに廃れちゃったんだよ
>>611 >組織的な騎兵(及び律令的軍隊)
それが東国郡司子弟の騎兵主体
その子孫とかが兵→武士になる
613 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 20:52:52
馬を戦闘用に用いる民族は馬装が発達している。
モンゴルや中国などではアブミや蹄鉄が古くから使われている。(2000年まえから)
しかし日本においてはアブミも蹄鉄も明治になってから。
もしも騎馬隊が日本でも必要であるのなら外国からいくらでも輸入できたにもかかわらず。
それは日本では騎馬隊が必要なかった、そもそもつくっても役立てようがなかったからでは。
和種=乗馬バカ消えたかな?
上杉軍役帳でも八千もの動員があるが、騎馬は550騎程度
馬の改良とか調教、去勢や蹄鉄なんか南蛮人からでも聞いただろうに、
なんで全くといっていいほど着手しなかったんだろ?
>>616 朝廷軍の騎兵が東国富豪層主体
新興勢力含む東国郡司子弟など
そして蝦夷征討
地方で社会不安(10世紀)→子孫が兵、武士へ。
地方で社会不安(10世紀)→子孫が兵、武士へ。
肝心なトコの説明皆無w
将門…笑うトコか?
>>620 >朝廷軍の騎兵が東国富豪層主体
>新興勢力含む東国郡司子弟など
>そして蝦夷征討
おいおい、討伐軍主力は坂上氏などの渡来系豪族だぞ
いつから西国筋からの移動者が東国の人間になった?
>>622から荘園を守る為に送られた家司なんかが武士
>>623 兵(つわもの)
>>624 主将が軍事貴族の坂上氏でも戦うのはは東国兵主体
例えば防人知ってる?
>>626 言う事が無茶苦茶
武装領主説でもなければ職能起源説でもない
独断の妄想だろそれ
つまり・・・
むかしむかし騎兵で組織してた軍隊がいて、その子孫たちが戦国時代の武士になったから騎馬隊が存在したと?
>>626 防人なんかそれこそ東国説の根拠にならんじゃん
あれは当時の朝廷支配が及んだ箇所から人を出させたもの
防人の歌なんかが有名だからといって、東国偏重の軍事だったという意味ではない
将門って高望王の孫で藤原忠平に従う良持の子で、
将門もそれ継承してるが…
>>629 俺にもそう読めるが、まさかそんな電波な事言わないだろうが…
釣り宣言とかして逃げるか、論点ずらしに必死かの
どちらかかと
急にいなくなったな
>>613 ホラ乙
まずシナの鐙の利用は南北朝からだし。ステップ式ものを入れれば西晋から
だが。
日本の鐙は最古のもので5世紀のものがあるし。
蹄鉄は日本は江戸期にはあったようだが、普及しなかった、明治期で概ね同意
シナは戦国期からだね
馬の最大産地で騎乗に長けた蝦夷に対抗するために
馬産地で馬に馴れた関東など東国兵が期待された。
蝦夷戦争の兵站基地としての東国。
それで蝦夷戦争の後、俘囚が移植されて争乱の種となる。
更に中央から下った王胤貴種含む富裕層も群盗化して
兇猾党をなし群盗山に満るといった状況になる。
坂東諸国富豪の輩。関東・甲斐・信濃が乱れる。
そこで蹴馬の党というのも出てくる。
この歴史の流れは将門の時代にもつながる。
防人は発生当初から東国兵主体だった説が有力視。
そんで騎馬隊とか一言も言ってんだけど??
そんで騎馬隊とか一言も言ってないんだけど??
つまりスレ違いの珍説を延々と述べてたってことかね?
ソースの一言で追っ払えばよかったかな
つまり・・・
昔々に騎兵隊を組織した人物の子孫が戦国時代に武士となって騎兵となったってことか
>>637 なにが珍説なんだい?
東国の無秩序状態から貴種の系譜を引く兵が生まれてくる。
つまり軍事貴族説なんだが。
>>638 騎兵隊ではない
>>639 あぁ、騎兵な
で、それが戦国時代の武田氏の騎馬隊が存在したということとどう結びつくんだ?
>>639 ならなおさらおかしいじゃないか
東国に源平のような天皇にまで源流を辿れる名流が根付いたのがいつだと思ってるんだよ
>中央から下った王胤貴種含む富裕層も群盗化して
>兇猾党をなし群盗山に満るといった状況になる。
?荘園領主や郡司が盗賊から守る為、また徴税の拒否を行なう為に
武装化したのが武士で、それを取り締まったのが
将門の祖父・高望王みたいな国司で、守や介に就任して群盗鎮圧してんだが。
いつから将門が群盗になったんだ?
>>642 領主制論でしょ、それ古いし
王胤貴種も在地豪族も鎮圧したりされる側にまわったり。
秀郷。
>>637 ソースならこのへん
武士の誕生坂東の兵どもの夢 関幸彦
武士の成長と院政 下向井龍彦
武士の成立 元木泰雄
>>611への反論からこの流れになっただけで
武田氏の騎馬隊なんて認めるかよ
>>641 貴種と現地勢力の子孫が発生期のいわゆる辺境軍事貴族
これらの子孫で都に進出したのが伊勢平氏や河内源氏など中央軍事貴族
関東に残ったのが上総氏とか有力在庁官人など有力武士
>>643 残念だけどそれだとすれ違いなんだ
それはおいといて
結局言いたいのは平安時代にはまだ組織的な騎兵があったってこと?
>>643 スレ違いの非主流説を延々と述べる目的は何?
荒らし?
>王胤貴種も在地豪族も鎮圧したりされる側に
>まわったり。秀郷。
おいおい、そんなの当たり前だろ
お前さんは武士の発祥の話してるんだろ?
将門の話は、王胤貴種が武士の統領的立場を確立する経緯であって、
武士や武士団の発祥ではない
お前さんは、群盗が武士化したとして、それで将門の名前挙げてるんだが
電波飛ばしてるわけじゃないし
日本史板の武田騎馬スレから覗いて見たらこの流れ。。。
職能論は都の武士発生論には欠かせないが地方武士発生の流れはつかめない。
領主制論の武士=武装開発領主というのは否定されてる。
ただ武士が在地領主である事は変らない。
>>644 承知よ
残念ながらこの流れになった
将門などは少数の騎兵部隊を率いて、これが戦局をほぼ決定したらしい。
ソースは将門研究の福田豊彦さん。
もちろん馬丁など付きの騎兵だが。これは古代兵から武士までずっとだけど。
>>646 武士発生論は一つの説で全てを説明できない647のように
でも
>>611の反論だけだったのに。。
この板人多いな
あれか?
何か誰かの本読んだら、すぐ鵜呑みにして受け売りする輩か?
否定されてねーし、それが騎馬にどうつながるかも意味わかんねー
じゃあ「組織的な騎兵」が廃れてないのを立証しろよ
>>649 領主制論の本も読んでるし、職能論関係のも数冊読んだ上でだよ
>それが騎馬にどうつながるかも意味わかんねー
そんな話してたら1000までいっちまうからしない
そもそも組織的な騎兵って運用面でなのか徴収?徴兵?する段階なのか?
なんだはったり野郎か
本読んでる、知ってる、で反論と言いつつ長くなるから説明出来ない
↑
ナニコレ?
>更に中央から下った王胤貴種含む富裕層も群盗化して
>兇猾党をなし群盗山に満るといった状況になる。
否定してるが?
将門や秀郷の名前だしても、彼らはあくまで群盗化してないし
説明にもなっとらん
例えば将門は私営田領主といわれてるけど、実際は馬牧の管理者としての意味合いが強い
武士団というのも武蔵や信濃のように馬牧と密接に関係してる。
秩父牧の秩父平氏、阿久原牧の児玉党、小野牧の横山党みたいな。
こういうのは領主制論と違う。
この時代は騎乗身分が武士といわれてるが、馬の生産地と武士というのは大きい。
>>655 三代実録
611:03/17(金) 20:45
でも組織的な騎兵(及び律令的軍隊)
は平安でとっくに廃れちゃったんだよ
↑に反論しただけ
「組織的な騎兵」が廃れてないのを証明してくれ
↓
「組織的な騎兵」は俺はいってない
何がしたいのか不明
>>654 例えば将門は私営田領主といわれてるけど、実際は馬牧の管理者としての意味合いが強い
武士団というのも武蔵や信濃のように馬牧と密接に関係してる。
秩父牧の秩父平氏、阿久原牧の児玉党、小野牧の横山党みたいな。
こういうのは領主制論と違う。
この時代は騎乗身分が武士といわれてるが、馬の生産地と武士というのは大きい。
>>655 三代実録
しゅうばの党
とりあえずここまで、つかれた
延喜式による勅旨牧の延長じゃん
アホか
>例えば将門は私営田領主といわれてるけど、
>実際は馬牧の管理者としての意味合いが強い
将門はね、良持死後に急遽京から下向して常羽御厩の官牧司を委託されてんの
群盗でなく中央からから派遣された形とってるわけ
後の争いは郡司・遺領分配問題における血縁との争いの延長にすぎないんだよ
馬に乗って敵陣に乗り込んだのは間違いない。
東国衆はそれを好んだのも間違いない。
ただしそれが騎乗の集団のみで構成されていた訳ではなく
供との混成で乗り込んでいたのも間違いない。
日本の騎馬武者は機動力でなく衝力を重視したものであろう
スレが伸びてると思ったらスレ違いの受け売り荒らしか
しかも勝手に有力説の一つが否定されたことになっとるしw
よいよい、よい流れじゃ
664 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 01:23:20
>>611の組織的な騎兵が平安で廃れた説の反証をしろって意味だろ
証明出来ないなら反論にすらならん。どっちもただの妄想
元々、日本の騎兵は渡来人が持ち込んだり、律令制度を真似た時に一緒に取り入れたものであって
軍事的必要から発生したものじゃないでしょ
蝦夷が通説どおり騎馬が得意で、後の刀に通じる馬上剣術の使い手達だったとしても、それを追い払った後はまったく必要性が消えたわけで
在地レベルの武士なら、大規模な騎兵隊を組織する必要もなければ資力もない
612:03/17(金) 20:52
>>611>組織的な騎兵(及び律令的軍隊)
それが東国郡司子弟の騎兵主体
その子孫とかが兵→武士になる
東国郡司は開発領主、いわゆる有力農民、蝦夷討伐の騎兵が土着したとは別
中央から派遣された国司の一族や貴族の家司が主
勅旨牧を任された官牧司も同様
つか墾田永年私財法以降に郡司が現われ、それが武装化してたのを
武士と呼ぶのに、混同してる
まだ受け売り君いるんだね。
電波だしまくって付け焼き刃の中途半端な知識で語るわ、
痛すぎ
>>665 併合が進んで戦が大規模になればどうだろう
めんどくさい。
武田騎馬隊が存在したっていう奴はさっさとその定義を言えよ。
こんな部隊で運用法や戦法はこんなだったって。
「馬に乗ってる武士の集団」みたいな
どうとでも逃げ道のある言い方じゃなくってさ。
>武田騎馬隊が存在したっていう奴はさっさとその定義を言えよ。
意味不明な日本語ですねw
小幡隊は1千騎全員が乗馬で雑兵無しという部隊。
それはいいけど、運用法や戦法を定義するってなんだよw
まあ偉大なる669が、足軽や雑兵や長柄や手明や鉄砲や弓や馬上等各々の
運用法や戦法を解説してくれるだろうから、定義方法を教えてもらうとしようかな。
671 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/18(土) 04:25:28
勿論ソースは軍艦wwwwwwwwww
否定の根拠は自分がそう思ってるからw
甲陽軍鑑
いずれも馬をば大将と 一備の中に七八のり
残りは皆馬を後に引かせ 下りたって…
馬から降りて戦ってるし、一つの部隊に一千頭って
江戸時代にも存在しないなw
>>659 馬牧と武士の関係。武蔵丹党、猪俣党、児玉党、上野児玉党あたり武士団の密集地。
馬牧と武士は東国のみの関係じゃない。河内坂戸牧=坂戸源氏。
>>660 「群盗満山」状況は9世紀中〜10世紀前後。将門より前。
反国衙勢力の問題児らを配下として組織したのも将門。藤原玄明。
>>662 有力説って何?
>>664 律令軍制崩壊後の国家的武力なら諸家兵士(都の武者)、諸国兵士(地方の兵=つわもの)
>>665 弓馬の戦闘はいりょうの生習『続日本後紀』。蝦夷も朝廷軍も弓騎兵。
俘囚の反乱、元慶の乱、前九年、後三年の役。
>>666 例えば物部広成は武蔵国造の一族で郡司だと言われてる。
736年、大野東人が動員した東国六国の騎兵は郡司、在地土豪級の子弟じゃないか。
牧の管理者が在地勢力の場合もある。有道氏。
その中央から派遣された国司やその子孫などが群盗化もする。「富豪の輩」。
武士の遠祖のなかには、国造の系譜を引く郡司系豪族の存在も。
中央貴種と在地豪族の末裔が秀郷、将門でもある。
>東国郡司は開発領主、いわゆる有力農民
それ古い、領主制論。
>>667 今来たんだが?
領主制論なら、対・中央貴族を想定して農民が武装して武士になるという
マルクス的理解が否定されてる。
とりあえずもちついて主張まとめたらどうなんだ
ああいえばこう逃げて、こういえばそうにげて、そういえば時間おいて人いないのを見計らって電波を発し
>>675 どうせ何書いても電波、電波だろ
あほらし
あと騎馬隊説は俺と関係ない
『武士の誕生』
・9世紀後半の坂東
相次ぐ俘囚の反乱、結合する群盗の蜂起の結果、無秩序状態。
俘囚群盗ともども反乱の主体であり時には鎮圧者。
貴族達は周辺の郡司クラスの豪族と婚姻関係を通じその勢力を拡大。
貴族達は血統証により地域に根を張る。
『武士の誕生』
自力救済が横行した東国→有力軍事貴族が高い政治力を有し相互に抗争。
・大武士団が多数ばんきょしていた東国
在地領主が次第に武装化する理解や国衙が武士を育成していく通説は立ち難い。
組織的騎兵が存在は平安には廃れたに反論
つまり平安には組織的騎兵がいたと主張
そのために色々すれ違いのことを長々と説明
そこで組織的騎兵ってその定義はナニ?との質問
この返答が組織的騎兵は俺の発言じゃない
定義づけも出来ないorしないで存在したと主張なさるのは十分電波です
>>677 >組織的騎兵が存在は平安には廃れたに反論
それ俺の本意じゃないけど、レス付けちまったから
そういわれると何も言い返せないや。
廃れたの部分に反応したんだが、入ってないし言い訳になるな、すまん。
ただ律令の軍団は50人を一隊として歩騎それぞれ別個で構成されるのが
建前だった(『武士の誕生』より)そうだが。
下のは京大、元木氏の
武士の成立
領主制論(在地豪族らが武装化する)的理解は
畿内西国にこそ当てはまるというのが元木氏。
ま、有力説云々はwikiでも見てもらうとして
律令制騎馬隊の流れが武士だって長々と言ってるわけでしょ?
でも律令騎馬隊と武士の違いは明白じゃんか
組織、戦闘様式、作法etc…
「鉄器は朝鮮から来たからその武器を使う侍はウリn(ry」ほど無茶苦茶じゃないが方向性はそっちやw
武士っつーのは別に騎馬戦闘に長けたから武士ってわけじゃないでしょ
そもそも武士が貴族と結びついたり、天皇家から出た家系を頭領に戴いたり、御恩と奉公の概念が成立したりしたが
これらは要するに自分達が所持する土地の権利を公に認めてもらうため(実力的には自衛だが)
土地を認めてくれる者を上にし、家族的に従う者達をその土地からの収入で養い武装して奉公することで保護に応える
そういうものがなければただの兵士
>>679 いや、そんな事は言ってないんだけどな。
律令時代の東国兵は朝廷から陸戦を期待されてたけど
蝦夷の騎兵と比べるとかなり弱かったろう。
東国の兵で言うなら9世紀中頃以降の自力救済の中で
成長していった理解だよ。
弓騎兵だったのは本当なんだが、南北朝以降の騎兵は打物騎兵となる。
戦国なら馬上槍とか、打物騎兵。下馬戦闘にしろそうでないにしろ騎兵だから。
半島をいうなら大和、河内、近江は漢人の本拠地だけどな。
関東も多いが。壬生氏とか。信濃は高句麗系。
でも兵(武士以前)の武力という点は東北から習った影響が大きいよ。
都の軍事官僚や衛府も含めて。
>>680 うん、惣領久下氏の支配下にあった私市党の小領主熊谷直実だと
一人前の武士と認められずに都で3年同僚に馬鹿にされた時代もあった。
有力武士なら国衙に進出して有力在庁官人。
河越氏は新日吉社に寄進して、後白河院の家人であり平家の家人であり
国衙在庁官人(留守所惣検校職)であり。義経の・・・。
編成的には連続性が絶たれているとしても、
技術的にはつながりはあるんじゃないの?
武士やり始めた人って、結局は軍役経験者でしょ?
武士をやり始めたのは開拓農民で軍役経験は関係ありません。
>>682 将門の時代は少数の騎兵隊(従類)と多数の歩兵隊(伴類)、中世の合戦形態と違うし
律令の名残を濃く受け継いでるんだろう。
将門らの戦闘は放火・略奪の焦土戦術でこれも中世と違う。
源平合戦期の戦闘は弓騎兵による包囲戦から突撃戦(一騎打ち、組討)の流れ。
弓射は狩猟で鍛錬。馳射=おむものいる→追物射。
>>683 3〜40年以上前の説でしょ
職能論は職能論で武士=暴力的ヤクザの左翼的。
アンチ薩摩の某先生も強烈職能論者。
そもそも律令制度下で官からの俸給が約束されていた律令兵士と
開墾地の自助・防衛から発展した武士では基盤自体が違うからな
連続性があっても例によってウリ起源よりはマシって程度じゃないの
律令兵について語るスレになりますた
>3〜40年以上前の説でしょ
だから何?
マジで思想的偏向で練られた学説だと思ってるわけ?
本気でそう思ってるのなら頭(´・ω・)カワイソス
領主制論が対中央とかバカだろ、自衛目的と書いてるんだが
つか古いだなんだしかいってないが、単に一研究者の説を
延々語ってるだけ
馬牧って、当時の馬牧は官営なのは書いた
在地領主に任されるのではなく、派遣された国司の子らが
継続して託され、そういう子弟は将門のように元服まで京で過ごし
官位得て帰国する形
つか自警目的から発生した武士の存在、群司は私財法以降の存在で、
律令騎兵とは時代が別ではないか
自分に相反する説は古いと否定、しかし防人東国人説という
もっとも古くて否定されたのを平気で主張
話にならんよ
要するに日本に無騎兵時代があったってこと?
具体的にはいつからいつまで?
下馬騎兵も騎兵のうち
ここで問題にしているのは、武田騎馬隊=戦国時代の騎馬隊の有無・実像
横道に逸れる話題も多いけどね
もはや騎馬隊がいたなんていってるのはいないぞ
受け売り君は
>弓騎兵だったのは本当なんだが、
>南北朝以降の騎兵は打物騎兵となる。
とか電波飛ばしてるが、承平の乱の頃には馬上戦闘用に湾曲さた刀が出てくるし、
鉄製の短甲から革・鉄板を糸でおどした大鎧に移行してる
律令時代の騎兵とは明らかに違う罠
>>674 >736年、大野東人が動員した東国六国の騎兵は郡司、
>在地土豪級の子弟じゃないか。
郡司とは749年に発した墾田永年私財法によって原野を開墾し出来た私有地の長、
所謂、開発領主を指すのは知ってる?
大野東人が動員した当時は開発領主なんて存在しない、郡司はいないのに
なんで郡司が存在してんの?
御厨と馬牧の違いも理解出来てないしさ
>>670 つまりお前の説は
「馬に乗ってる武士の集団」が騎馬隊な訳だな。
戦法知りません、運用法説明できません、
できたとしても否定されたら「いや、こんな可能性もある」
とコロコロ話変えて逃げる、と。
だから小幡隊が雑兵なしってどこの電波だよ
現存する上野衆軍役帳を否定するのか?
軍鑑なんか問題にならないほど信憑性ある史料を
>>670の言う「武田騎馬隊」とは小幡隊1000(雑兵無し)の事らしい。
>>689 騎馬隊が、というなら平安時代後期から明治時代まででしょう。
ただの騎兵つまり馬に乗って戦に臨む者というだけの意味なら、
それが全くなくなったということはないかと。
そもそも戦国時代に雑兵なしで合戦してた人いるのか?
戦国時代に限らず、明治以前に騎馬に従者がいなかった、
雑兵がいなかった事はない
従者が一人のみですら「一僕の者」として士分じゃ笑い者になったぐらい
千騎も雑兵なしって当時の武士の価値観からありえねー
だいたい馬の世話から武具の扱いその他まで全部武士が一人でやるってのも非現実的
>>688>>694 防人は東国出身者だけじゃない。
でも東国出身者が中心だった事は、『万葉集』防人歌の防人出身地が
東国10国であることなど・・・よくいわれる話だけど。
遠江、駿河、相模、武蔵、常陸、上総、下総、下野、上野、信濃。
>郡司とは749年に発した墾田永年私財法によって原野を開墾し出来た私有地の長、
>所謂、開発領主を指すのは知ってる?
あの、、、郡司は『日本書紀』にも名が見えるんだけど(当時は評造)?
郡司というのは国造の流れを引く伝統的豪族で大宝令制定時に置かれたとされてる。
国郡制
ttp://www.tabiken.com/history/doc/G/G164C100.HTM >御厨と馬牧の違いも理解出来てないしさ
10世紀の官牧経営は転換期で、牧長から牧司に管理者がかわり
牧司の私馬も同居して、牧司自体も世襲されていく。
(『東国の兵乱ともののふたち』)
将門は大結馬牧と長洲馬牧、2つの官牧の牧司を兼ねた。
>>704 だから何があほらしいんだよ
その論法でいえば、お前さんが信奉してる新説だってせめぎあう諸説の一つであほらしいじゃん
もうね、他者の説を貶めるとと、曖昧な返ししかできないなら消えろよスレ荒らし
御厨と馬牧の違いをやはり理解してない
馬牧:馬を放牧し産出・育成する場
御厨:馬を軍事使用目的で、調教・訓練する施設
馬牧は多数あるんだよ、しかし馬は伝馬制や開墾、輸送手段として用いられてんの
騎兵に転用するには訓練が必要で将門の軍が強かったのは
御厨の官牧司であったからなんだよ
馬牧あるから〜なんて理解出来てないのモロバレ
ネット知識か?
>ここでも読んでみて あほらしいが武士論研究は領主制論、
>職能論のせめぎあい的面がある。
>別に一人の学者が指摘してるわけじゃない。結構いわれてる。
あれれ?古いやら否定されてるやら書いてたマヌケは誰だっけ?
>郡司は『日本書紀』にも名が見えるんだけど(当時は評造)?
>郡司というのは国造の流れを引く伝統的豪族で大宝令制定時に
>置かれたとされてる。
やっぱネット知識で恥晒し
そこにも書いてあるだろ?正確には国郡制がいつ導入されたか詳しい時期は不明
評造=郡司とするなら、国司も評造になるがな
頼むから付け焼き刃でスレ荒らし止めろ
仲間欲しければ日本史板か矢風でも行って相手してもらえ
現代風に書き直すと
馬牧=牧場
御厨=厩舎ってところか
>>706 軍事貴族説を信奉してるわけじゃない。
つか、軍事貴族説では中小武士団発生の説明は出来ない。
武士論は各説を総合して考えるものだから。
メンドクサイから消えたいのは本音。
>>707 馬牧のことをネットでくぐって出てくりゃ苦労はないさw
馬牧と中世武士団の発生が密接なのはよく語られる。
勅旨牧々がと動く武士の揺藍となった(福田氏)。
>>709 ネットじゃない『日本の歴史03』、『律令国家の展開』などに出てるし。
通説言ったら電波扱い
やってらんね、じゃあ消えるわ
勝利宣言+逃亡のコンボキタコレ
結局ただの荒らしだったのかよ('A`)
>>710 そうそう、馬は多方面で使用されるし、騎兵・騎馬には操る為の訓練が、
乗る人間にも乗られる馬にも必要なのは当然なんだよね
ちなみに在地領主が御厨を任される事はない
将門のように中央に関わり持つ人間が任命される
まぁ軍事力に直接影響するから当然なんだけど
ようやく電波が消えたか。お(・∀・)め(・∀・)で(・∀・)と(・∀・)う!
電波だの厨だの言うのは余計なノイズ。控えた方がいいと思う。
言う事が二転三転するわ、論点ズレた話続けるわ、捨て台詞吐くわ
電波や厨と言われて当たり前
消えるとか言いつつ消えないからな、こーいうのは
別に消える必要もないだろ。
スレ違いのコピペ繰り返すような荒らしでもないし。
はいはい本人乙
「反論しただけ」
要点の曖昧な反論の繰り返し
主張がコロコロ変わる
スレの主旨にどう関わるのか?→説明出来ず
反論したいなら主張述べろ→俺の発言ではない
荒らし以外の何者でもありません
ありがとうございました
スレ違いの武士の起源論争はどうでもいいよ
戦国時代の騎兵の実情をその熱心さで考証してくれよ
電波や厨は自覚ないから電波であり厨なんだと再認識させられた。
ありがとう!!
>>619 他人宣言してお帰りください。
どうせ、自分の主張が通せない相手だから電波扱いしてるんだろ?
どうでもいいけど
>>689 上野衆軍役帳とやらの内容を聞こうかw
軍役:251
騎馬:22
長柄:122
弓:26
持鑓:32
鉄砲:21
甲持:2
小幡持:15
差物持:2
手明:9
(笹本正治・『武田信玄』より軍役14例総計)
戦闘員数:237
騎馬:23
(鈴木眞哉・『鉄砲隊と騎馬軍団』)
武田軍の軍役全体における比率でも騎馬はせいぜい10パーセント
千騎もの騎馬兵のみなんていう当時としては常識外れな編制があれば、上野衆の軍役に特筆されるはずだが…
>>729 でも比率や定法の軍役は掴めるじゃん
だいたい騎馬千騎のみ雑兵なしなんて、武士社会の構造からいって無理
まして小幡衆は信長の騎馬組のような直轄兵力ですらないじゃんか
長篠日記などによると、小幡勢は2千余の兵力で信長軍に攻め寄せたとある
千騎だけじゃ到底二倍の兵力は構成できんだろ
>>730 小幡家の知行高は大きいし、馬産地だから可能性は十分あり
雑兵なしのワケはないけど、他の先手衆と違い組子居ないから全員乗馬でも不思議無い。
>小幡衆は信長の騎馬組のような直轄兵力ですらないじゃん
軍役の定めは小幡とあまり関係無いし
別に御家人である必要もないでしょ。
騎馬だけなら誰が馬の世話したり、武器を戦場で運搬したり主の補助で戦ったりしたんだ?
それとも小幡衆だけが全員馬持ちの癖に下僕つけられない最下級武士?
んな無茶苦茶な
>>732 馬産地なんて他にもたくさんあるし
知行高もしかり
小幡「だけ」そこまで異常な理由は?
>>731>>734 長篠日記見てるけど、鉄砲三千挺とか書かれてるよ?w
小幡勢は山縣組とセットで五、六千ばかりとあるし
それに、小幡一党(小幡だけ党と表現されてる)〜太刀を馬より
柵を破らんとす(訳は正しいかどうか謎)ともある。
上野で一郡程度しか支配出来てない小幡だけで越後上杉の騎馬の二倍保持ですか。
つか馬産地だから可能性ありとかで軍役帳否定するとは…。
>>735 織田・徳川軍3万という通説が事実なら
騎馬と同様十パーセント前後の鉄砲装備率だった時代3千でも不思議はないが
信長公記なんかにあるのは「三」は加筆だろうけど千は動員外の地域からも差し出させて臨時の鉄砲奉行に組み込んだのも含めてでしょ
織田の鉄砲装備率は低いから、3千挺はありえない。無茶苦茶
>>736 残念ながら知識が不足しすぎです。
>織田の鉄砲装備率は低いから
釣り確定
鳶巣山砦攻撃部隊に対してだけで鉄砲500丁つけた鉄砲の装備率が低い?
そりゃ織田軍全体でみれば一般的な軍役で動員した層が殆どだから、例えば島津みたいに士分にも一丁持たせたところよりは低いけど
全体で低い、という話は聞かないぞ
なら軍役からみて騎馬率が低い武田家が一部隊とはいえ騎馬率百パーセントある、と信じるほうがアレじゃないか?w
鉄砲装備率はどうでもいい。
小幡の騎馬の話しようよ。
何せ雑兵なし、中間もなし、いたとしても全員騎上と新説唱えてるから。
>>740 動員兵力に対する装備率は屈指の低さらしいぞ
大友なんかはフロイスwに言わせれば、府中の町だけで三万挺だし。
>>742 googleでいいから中間を調べてから来いよ
>>744はググってたんだ、ご苦労さん。
で雑兵もいたかもしれないが騎上の説明はまだ?
中間も深く関わる問題だからさ。
>>743 なんだその動員力ってw
そりゃ最終的に四方に3万から4万を同時に派遣できた織田軍だもん
分母がでかけりゃ…
甲陽軍鑑なんて後世創作だろ殆ど
山本勘助が実在したことは他の史料でも証明された!とか一時期あったけど
あれもなんのことはない、「使番」の山本が確認されただけ
まして史料と相反する部分なんか根拠になるかよ
まともな学者は誰も相手にしていない
後世ってほど時代はずれてない。
日記とは違うけどね。
騎馬だけ1千も集めて当時の日本でどう運用したのかと
そもそも武士の規範や常識を無視してどうやって構成までこぎつけたのかと
なんでそれが実在するのなら軍鑑のみにあって他のまともな史料からは覗えないのかと
>>670説
・武田騎馬隊とは小幡隊1000騎(雑兵無し)の事。
・知行高が大きく馬産地なので上記編成もあり得た。あり得たんだからあったに決まってます。
・上野衆軍役帳なんて飾りですよ。軍艦以外のソースなんて認めません。
・身の回りの事も馬のお世話も自分一人でやってました。自立精神旺盛なんです。
・小幡は軍役の定めと関係無いし、なんとか運用したに決まってます。
・戦法?説明不要。戦国最強なんだから馬に乗ってれば勝てるんです。
部外者が通りすがりにカキコ。
このスレに限らず、ソースの信憑性ってのがよく叩きあいの材料にされてるようだが、
そもそも「信憑性の判断基準」自体が俺にはよく分からん。
学会で定説になってるから信憑性が高いのか?
多数決で「皆が認めてる」から説得力のある説なのか?
議論する時に拠り所が無いと困るのは分かるが、
どこでも「学界の定説が最強」ってのは何かつまらん気がするな。
所詮、資料の本当の信憑性なんて誰にも分かりゃしないんだし、
もっと「笑える珍説をもっともらしく展開する勇者」とか出てこないものかね。
その方がスレ的にも楽しい気がするんだが。
>>751 普通に歴史史料の部類を学んでから来い
多数決だからじゃない。例えば当時のリアルタイムでのことが直接かかれた軍忠状や軍役帳が、その後の時代に書かれた講談の類より信頼されるのはあたりまえ
日本の騎馬突撃とは上級武士が先頭に立って突撃する事により全軍の士気を向上させ
高い衝力を発揮する効果があるではないのだろう
それと甲陽軍鑑について一言
山本勘助やら高坂昌信やらが著者とあるが、普通に小幡景憲が著者だから
小幡は千騎率いたとする、あの小幡だから
つか侍千騎であって雑兵なしの騎馬のみ千騎と解釈する人間は居ない
足軽含めて、士分千人とするのが通常の解釈
>>753 つまり桶狭間(最後には下馬したけど)や天王寺で自身が先鋒にたち混じって突撃した信長の騎馬術こそ騎馬突撃?
おーいw
>>756 アレクサンドロス大王も同じことしてたな
少数で多数を相手するとなるとそれしかないかな?
>>755 いや、そこはよく勘違いされるところだけど
赤備えの小幡(上野の豪族)と、その小幡は系統が別(此方は遠江の出の系統)
759 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/19(日) 14:33:23
>>757 アレクサンドロスは大王自身が王子時代から騎兵隊の隊長兼ねてたから、敵が大軍のとき特別にやったわけではない
ヘロイタイ(マケドニア重騎兵)は「大王の友」といわれるとおりの親衛隊でもあるしな
世界史を持ち出すなよ
761 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/19(日) 14:37:46
だな。ここは信玄スレッドだ。
えっと。つまり織田信長こそ騎兵戦術の真髄を体得し
小規模な馬廻りとはいえ騎兵集中部隊を持っていたってことかい?
馬廻衆を勘違いしてないかぃ?
馬廻とは軍監、織田家の吏僚であって騎兵という意味じゃないよ
>>763 信長公記には信長馬廻りの騎馬組が騎馬武者だけで組になって馳せかける場面があるよ
馬揃えの話だから実戦でもこの通りだったという保証はないけど
信長に従って各地を転戦してた連中が練習で高度な集団騎乗を身に付けたとは考えづらいし
逆に馬揃えで出来たからといって、
実践でも出来たとは限らないってのは普通の考え方だと思うが・・・・
もし、実戦でのそうした騎馬の運用が全く描かれておらず、
馬揃えの場面だけで登場するなら、
むしろ、儀礼的な演習でしか行えなかったいうことだろう。
>>764 >信長公記には信長馬廻りの騎馬組が騎馬武者だけで
>組になって馳せかける場面があるよ
スマソ、見当たらないからどこら辺か教えてー
>>766 『信長公記』巻十四
ここには左義長で騎馬の集団を駆けさせる話もあるが
これは流石にお祭(?)みたいなものなので…
でも天王寺合戦の信長は騎馬隊率いて突撃したわけじゃなくて
駆け回って先手の足軽を指揮した、みたいな表現
しかもなぜか馬廻りは第三列(先手は佐久間・松永・細川勢)
>>767 ありがと
合戦中のことかと思い込んでて必死に探してました...orz
確かにこれだけではなんとも言えませんね
小規模でも騎馬のみでの突撃あったのかどうか、
書いてないからなかったとは、騎馬に槍持ち従者がいたのが当然で、
当たり前だから書かれてないという事例もあるから、
なんとも言えませんなー
突撃ねぇ・・・
そもそも突撃ってなにするつもりなのさ
一応古流馬術には「乗り入れ」「乗り崩し」という敵兵を攻撃するための馬の御し方がある
突撃=「乗り入れ」「乗り崩し」
ってことか?
773 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/19(日) 18:15:54
源平時代はもっと重い大鎧着て騎馬戦やってたんだから
不可能ではないと思うけどね
戦闘中に落馬して討ち取られたと言う話も出てくるし
ただ、西洋のような槍を揃えて騎馬突撃と言うのはありえないけど
源平の騎馬戦は槍を向け合っての突撃、みたいな騎士式のものじゃなくて
騎射あるいは飛びついての組み打ちでしょ
776 :
751:2006/03/19(日) 20:08:09
>>752 リアルタイムで「本当の」事を書いた、って誰が確認したんだ?
>>754 そりゃそうだ。俺が立てたスレじゃないしな。
それに俺自身には珍説唱えるほどのアタマはない。
ま、「人の意見を論破するのも楽しみの一つ」と思えば、会った事も無い他人の説を自分の説の根拠にするのも別に悪くないわな。
それが確実性が高い「とされてる」資料なら尚更か。
>>776 本当のことじゃないとわかる貴方は何者ですか?
778 :
751:2006/03/19(日) 20:32:09
>>777 こらこら、俺にだって本当かそうでないか分かるわけねぇよ。
俺が言いたいのは「真実は誰にも分からない」ってこった。
自分らが頼ってるものなんて、実は自分らが思うより確かじゃない、なんて良くある話じゃね?
ソース議論ほど無駄なことは無い。
だから現在の観点から決めればいい。
>>778 君がそう思うならそう思っておけばいいじゃない
でもあんまり人前でそういうこと言うべきじゃないぞ
もう少し大人になったら分るさ
>>773 一気に突き進んで「乗り入れ」「乗り崩し」すれば「突撃」なんだな?
782 :
751:2006/03/19(日) 21:20:17
>>779 >>780 おう。あんた等の言う通りだよな。
ま、横からやってきて色々悪かった。
とりあえず、この件に関してはもう黙っとくわ。忠告d。
……因みに、俺の年齢が四捨五入したら40だってのは内緒だw
四十近いのにその発言は厳しすぎるぞ
784 :
751:2006/03/19(日) 21:24:57
>>783 わはは、俺も自分でそう思うw
ま、これで751は消えるんで。じゃな。
785 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/19(日) 23:18:23
>>781 俺の解釈じゃなくて、さんせいd(ry
「乗り入れ」「乗り崩し」を攻撃(敵を攻めること)と定義するならそうなるな
でも古流の伝書って大抵他人を騙すためのものだぜ(敵を欺くため。本当のことは口伝を受けないと読み解けない)
騎馬突撃しなくてもする、とか書いてそうだが
詳しい人いる?
.__
|風|
|林|
|火|
|山|
_∧ .∧(oノヘ| ̄
(_・ |/(・ω・ )|\ 武田騎馬軍団参上!!かかれぇっ!
|\Ю ⊂)_|√ヽ
(  ̄ ~∪ )^)ノ
||` || ( | ( |
'~ ~ '~ '~
備単位で兵科分離していたからその括りで騎馬隊(供廻りあり)はいた。
>備単位で兵科分離していたからその括りで騎馬隊(供廻りあり)はいた。
ソース
790 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 02:15:32
分離したら備えじゃないしwww
791 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 02:19:41
朝鮮征伐では明の騎兵隊と対決したはずなんだよな
それってどんな結果になったのか…
騎馬のみの編成って言うのはどの資料にも皆無だよね
なんで武田が騎馬隊のイメージになったのだろうか
騎馬の割合が他より多かったのか、近代の創作により生まれたのか
>>793 信長記(信長公記にあらず)のせいでしょ
史実を基にしたフィクションで、勇猛だが旧式な騎馬隊と新兵器の鉄砲隊の構図とかが理屈にあうように感じて受けたから
それがずっと定着したんじゃないの?
機動力を生かした投槍
機動力を生かした投石
機動力を生かした投矢
機動力を生かした投網
機動力を生かした投縄
796 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 05:33:28
矢を投げても意味ないじゃん
つか馬の身になって考えてやれよ。馬鹿みたいに走らすなっての。疲れるだろ。
武田騎馬隊存在したよ派はもういなくなったかな?
>>789 備の中でという意味
例.川中島合戦図屏風(武田家)、岩付衆陣立(後北条家)
ちょwww絵ってwww
絵ってのは見て楽しむものだからたぶんに脚色されて当然だと思うんだ
>>801 軍鑑が信用できないっていうのはガチ
他に史料らしきものが乏しいから引用されている程度
小幡の創作が殆どだろ、大筋はともかく具体性は?な信長記みてーなもん
絵に書いてあるから存在するという論理が成り立つなら、
河童や龍や鬼は存在するんだな
おれの髪の毛も再びこの世に蘇らせるか
>>803 信用できないわけじゃなく、全面的に信用するのはマズ〜ってだけで
俺らみたいな一般人にはあまり関係無いだろ。
ま、>小幡の創作が殆どだろ とか思ってるから755なんて誤認するんだろうけど。
あと、信長記とは一緒にすんなよw
>>805 なむなむ‥ち〜ん‥
755は小幡の系図を誤認してただけで
侍千騎を騎馬武者のみと、トンデモ解釈はしてない
というか甲陽軍鑑の扱いが変わるものでもない
甲陽軍鑑が信憑性に欠けるのは言うまでもないし、
その上、トンデモ解釈して根拠にするのは春休みだから?
絵に書いてあるからも、なかなかトンデモだったな
>>807 官職が違うのに誤認しようがない、単に知らなかっただけ
>侍千騎を騎馬武者のみと、トンデモ解釈はしてない
侍千騎(惣騎馬)とあれば普通乗馬だろ〜(騎馬武者のみとは誰も言ってない)
↑侍とあるからには、雑兵、一揆の類は抜き)
>甲陽軍鑑が信憑性に欠けるのは言うまでもないし
807先生1人が仰られても説得力無いです。
小幡の創作がほとんどで、甲陽軍鑑だけでは全面的に信用出来ないのはガチ
甫庵信長記は思想的観点による評価により信憑性低いが
甲陽軍鑑よりは信憑性高い
つか小幡の創作でないなら、誰の創作?
>小幡隊は1千騎全員が乗馬で雑兵無しという部隊。
↓ >侍千騎(惣騎馬)とあれば普通乗馬だろ〜(騎馬武者のみとは誰も言ってない)
>↑侍とあるからには、雑兵、一揆の類は抜き)
乗馬してるのに騎馬と言わない侍ねw
馬に乗れるのは騎上と言われる士分でも上位の武士、
士分でも足軽もいれば雑兵もいる
全員が馬乗ってるなら騎上と書かれる
甲陽軍鑑が信用できる、小幡の創作ではない、
屏風にあるから備で兵科分離してたと一人で言う
>>808先生には、
侍千騎=騎上千騎になるようですがw
さすが軍役帳否定して甲陽軍鑑の方が信用できると仰るだけはありますね
甲陽軍鑑基準なら小幡の侍千騎<<<<小山田の投石部隊になるね。
投石部隊より弱い騎馬隊wwwwwwwwwww
甲陽軍鑑には「いずれも馬をば大将と、一備えの中に七八人のり、
残りは皆馬を後に引かせ、下りたって、槍をとって…」
とあるから、小幡勢は戦いになったら馬から下りて、
馬を自分で引きながら戦ったとなるんだね
こりゃ大変だ
>>809 まともに知りもせず、電波書き込みしてて下さいw
>>810 相手が全て俺だと思い込むのは被害妄想だからw
>馬に乗れるのは騎上と言われる士分でも上位の武士
一般的にはね。
>士分でも足軽もいれば雑兵もいる
居ない、居るわけがない。まあ、単語を知らないだけとは思うが
>侍千騎=騎上千騎になるようですがw
侍千騎(惣騎馬) そ う き ば ね、念の為ふりがなを
>さすが軍役帳否定して甲陽軍鑑の方が信用できると仰るだけはありますね
軍役帳なぞ見たことないな、持ってるなら見せてくれ、是非内容が知りたい。
>>812 だから投石部隊より弱いんでつよwwwwwwwww
侍千騎≠惣騎馬
軍役帳の内容
>>727-728 毎回消える宣言しては現われる、まともに単語も知らない電波乙w
>>813が被害妄想という言葉をいつも使い間違えてる件について
騎馬隊肯定の電波なレス
↓
叩かれる
↓
叩きに反応してレス
↓
叩かれる
↓
俺が書いたんじゃないと別人宣言
↓
叩かれる
↓
しばらくして電波レス
↓
以下繰り返し…
文体や行動パターンは同じなのに、いつも別人
ご苦労さまです
>>815-817 何言っても妄執にと付かれてるから無駄だろうけど、妄想はほどほどにw
>>815 >侍千騎≠惣騎馬
んなこた分かってる 「侍千騎 惣騎馬」 これなら解る?
>軍役帳の内容
>>727-728 え〜っと‥コレは小幡家の軍役帳だったか?w
いきなり軍役帳の数字部分だけ貼られても、上州衆の誰々の軍役割当かさっぱり分からない。
人数からみて、上州衆全体の軍役帳ではないしね
>「侍千騎 惣騎馬」 これなら解る?
全然解らない
甲陽軍鑑の記述
「小幡上総介、手前五百騎、是は侍千騎持候故」
どこから惣騎馬出てきたの?
>人数からみて、上州衆全体の軍役帳ではないしね
武田に従う上野衆、小幡氏の軍役ですが?
軍鑑とは全く違いますね
>>818 >>812は無視か
小幡が千騎で全員騎上なら、合戦時には自分で馬引きながら
槍持ちもいないから、刀だけで戦ったで異論ないんだな?
>>819 甲陽軍鑑には「惣騎馬」とある
まあ、オマエさんの引用したインターネッツ資料には
参考部分の巻が違うから載ってないけどw
>武田に従う上野衆、小幡氏の軍役ですが?
意味が分からん‥
上州衆全体なのか、小幡氏なのか、直轄の御家人衆とか軍役衆なのか
ただ頭の人数を書いたのか、総人数なのか
>>821 >甲陽軍鑑には「惣騎馬」とある
>まあ、オマエさんの引用したインターネッツ資料には
>参考部分の巻が違うから載ってないけどw
へぇ、そうなんだ
こっちは戦国史料叢書の「甲陽軍鑑 中」のコピーなんだけど
現代訳のは多々あるが、口語訳はこれなはずなんだけどなー
ちなみに君のは、どこのを参考箇所にしたのかな?
具体的に言ってもらえれば、見つけられるけどね
ちなみに
>>812は甲陽軍鑑末書、戦国史料叢書の「甲陽軍鑑 下」にある、
軍法・陣立の一文だよw
>>821 >小幡氏なのか、直轄の御家人衆とか軍役衆なのか
>ただ頭の人数を書いたのか、総人数なのか
軍役帳は多々あるが、これは軍役帳の見方を知らない人間の質問にしか見えない
小幡氏のと書いてるんだけど…
つか上野衆にしては少ないという「少ない」の判断基準が謎
>>822 >へぇ、そうなんだ
>こっちは戦国史料叢書の「甲陽軍鑑 中」のコピーなんだけど
それは無いw
俺が元にしたのも、人物往来社の甲陽軍鑑 上だからね
>ちなみに君のは、どこのを参考箇所にしたのかな?
帰らないと分からないけど、巻の10〜17の間にはあるはずだよ
まあ、頑張って探してくれ。
>>823 軍役「帳」は普通、家中でまとまって書かれないか?
>軍役帳は多々あるが、これは軍役帳の見方を知らない人間の質問にしか見えない
>小幡氏のと書いてるんだけど…
小幡氏は分かったけど、下の名前は?
あと、文書の名前とかも知りたい
>>822-823 あと、もう自宅(親元)へ逃げ帰るから、夜中まで返答できないんでよろしくw
軍役帳あたるのなら戦国遺文だろ
戦国遺文なら完璧?
流石に高くて買う気が起きないけど‥
>人物往来社の甲陽軍鑑 上だからね
>巻の10〜17の間にはあるはずだよ
人物往来社出版の戦国史料叢書「甲陽軍鑑 中」なんだけど
つか戦国史料叢書の甲陽軍鑑末書は全九巻と信玄全集末書の
口訳語で、巻の10〜17の意味が解らない
まあ、一応甲陽軍鑑上で探しては見るが…
なんかネタっぽいなぁ
ネタでしょ
そんな重大な部分が本当にあるのなら、最近盛んな騎馬関係研究で見逃すはずが無い
柴辻氏さえ言及していないからねぇ…
平山氏も指摘してないというか触れてもいない…
騎馬だけの部隊が本当にあったのなら
なんでそれは小幡だけのもので、後世にも伝わらず断絶しちゃってるの?
っていう疑問もあるな
異質な戦術を取るのなら、当然そういう必然性があるはず
馬の特産地だから騎馬武者が多いなんてネタみたいな構図ではありえない
833 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 18:04:29
834 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 19:39:16
>>670、
>>824説
・武田騎馬隊とは小幡隊1000騎(雑兵無し)の事。
・知行高が大きく馬産地なので上記編成もあり得た。あり得たんだからあったに決まってます。
・上野衆軍役帳なんて飾りですよ。軍鑑以外のソースなんて認めません。
・身の回りの事も馬のお世話も自分一人でやってました。自立精神旺盛なんです。
・小幡は軍役の定めと関係無いし、なんとか運用したに決まってます。
・戦法?説明不要。戦国最強なんだから馬に乗ってれば勝てるんです。
・被害妄想激しいな、おまいら。
完全素人なんで詳しいことはわからんけど
日本独特の湾刀って馬上で使用するためにわざわざあんな形状になったとか聞いた。
戦国時代はなかったとしてもっと昔(湾刀が出てきたころ)はあったんじゃね?
>>835 馬上戦闘自体を否定する奴はいないと思う
本題は騎馬隊だから
>>802 う〜ん、あれを脚色といわれてもな〜
馬が後陣に並んでるだけだぞ
岩付衆陣立は?
>>838 文章に残ってるなら・・・いかんなんでもありになってしまう。
>>837 ググってもわからん。どんな史料よ?>岩付衆
842 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 22:13:25
岩付衆ってことは他国衆だろ
他の北条氏直下の軍隊と比べて突飛な編制なんてできるもんかね?
臨時に騎馬武者集めてっていうケースの話なのかな?
843 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 22:23:50
今日寝る前でも風呂に入ってるときでもいいから、一言こう、つぶやいてほしい。
…武田のエロ隊
約束だそ!
>>793 伊達には騎馬鉄砲隊が存在したから騎馬のみの部隊は在ると主張する厨ちゃんが居た
848 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 22:41:41
騎馬軍団というか、一つのグループに騎馬も足軽も居たわけだから、
騎馬だけの軍団というのは有り得ない。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 22:53:20
単純に集団の中の馬上のヤシが際立って強かった→武田の騎馬が強い→武田騎馬軍団最強
って伝言ゲームになったんだろ
普通に山道を踏破するためだと思うがな。>騎馬
852 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/20(月) 23:26:50
で、何人の人が
>>843を実行してくれたんだ?
信じてくれないかも知れないが、唱えると明日から幸せになれるんだよ。
だまされたと思ってやってみ?言うのは、ただなんだからさ。
>>853 妄想はほどほどにw
>>829 確認したけど、新人物往来社の甲陽軍鑑上 巻17で間違いない
(赤備え千騎惣騎馬)とある
もう見つけてると思うがw あと
>>825もよろしくね
>>829 あ〜巻じゃなく甲陽軍鑑上 品17だったw
>>856 手間掛けさせてごめんなさい。
んで、惣騎馬の部分はちゃんと見つけた?
探して見つからなきゃ、速攻報告に来てるだろ
いや、探して見つからなかったら必死で探して疲れて寝る
図書館いって来たけどんな部分ねーぞ
やっぱり捏造だろ
歴史群像の最新刊「信長秀吉家康」に騎馬隊はあったかも説が出てた
でも小幡衆だけ騎馬のみの大軍団だった、なんて寝言は載ってないな
騎馬隊はいたよ。
僕たちの夢の中に。
サンタクロースと一緒。
おまえら正直にいえ。
昨日「武田のエロ隊」とちゃんと唱えたか?
心でつぶやくだけじゃダメだ。口に出していえよ。
物理的にも経済的にも騎馬兵士のみで構成された軍団なんか
戦闘で役に立つとは思えんのだが。
代わりの武具も全部積むのかと。
2時間以上ぶっ通しで走れる馬がいるのかと。
つか遠距離から矢嵐+近距離で槍衾で死ぬし。
>>865 かるく走るぐらいならそれなりに走れると思う
モンゴルなんか何十キロはしる競馬があったと思うし
背中に結構な重量負ってる事考慮しても一時間ぐらいはいけるんじゃないか?
それにずっと走り続けるわけでもないだろうし
>>865 世界史では普通に大活躍していますけど?
鉄砲や大砲の使用が一般的になったナポレオン戦争時代ですらね。
騎馬隊が必要で活躍するかは、兵器より戦術による気がする
歩兵が横隊組んで頑強だが鈍重な陣形組む戦術に対して、結節点を突破ないし迂回して側面や背面から襲い掛かるっていうのが古今からの騎馬隊の運用法
でも日本みたいに備単位で歩騎弓銃が混在するユニットで戦うのなら、どうみても不適格
だいたい活躍した時代でさえ、騎馬隊単独の行動は自殺行為同然だったんだし
869 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/21(火) 12:25:13
>>867 は?
ナポレオン時代だろうが古代だろうが、騎馬兵だけの部隊なんて活躍してませんが
従卒や馬の世話係、補助兵などの支援が無い部隊があったのなら実例を挙げてくれ
>>869 あのさ、世話係まで含めて「部隊」と言ってるの?
普通部隊といったら実際に戦闘を行う集団のことではないのかい?
で、戦闘単位としての部隊なら、
騎兵だけのものなんてごく普通に存在する。
というか、それが一般的な意味での「騎馬隊」、
必ず従卒や補助兵がいるようでは、
騎馬隊の持ち味である迅速な機動が出来ないではないか。
これは新機軸ですよ
そりゃあ、もし仮にその全てが騎兵のみの軍などといえば、
騎馬民族の軍でもない限りありえないが、
一個の軍の中で騎兵のみで編成された部隊を作り運用するなどというのは、
古今東西ごく当たり前のこと。
騎兵のみの部隊というだけでそれががありえないなどと言うのは、
あまりにも見識が低い。
世界史上は当たり前の存在である騎馬隊が、
戦国時代の日本でははっきりと確認できない、
だからこそ、実際には存在したのか?していなかったのか?
という議論になるのだと思うが。
>>870 いや、「騎馬だけでその他のものは一切いない小幡衆」を主張してる奴がいたからの流れだろ
>>874 じゃあ具体例を挙げてくれ
支援要員一切なしの騎馬隊の実例を
>>873 世界史上の話だから。
戦国時代の日本に騎馬隊があったかどうかについては、
個人的には疑わしいと思いますよ。
ただ、騎兵のみで編成され戦闘を行う部隊という意味での、
騎馬隊一般については、世界史の中では古代から近代まで活躍している。
弓矢と槍衾程度で無効になるようなものではありませんよということ。
>>877 無効になるじゃん
ナポレオン時代を例に挙げるのなら、ワーテルローで歩兵の加勢待たずに突っ込んだネーの騎馬軍団はどうなった?
それに当時の戦での死因とか傷の原因は矢傷が一番多かったみたいだし
地味だけど強いぞ、矢
騎兵は破壊力が大きい反面、創設と維持に手間と費用が相当かかる
防御も弱いから、敵に損害を与えるかわりにこちらも多大な犠牲なんてザラ
古代のローマ関連の戦争を見ると、騎兵は騎兵を相手にして歩兵は歩兵を相手に、がセオリーやね
>>876 支援要員てどういうものを言っているわけ?
歩兵隊や弓兵隊の支援なしで戦う騎馬のみの軍なら、
前述の通り騎馬民族の軍でもない限りありえないが、
一つの部隊の中に歩兵が混ざって騎兵を支援しているという意味なら、
むしろそんなものを騎馬隊とは言いませんよ。それは歩騎混合部隊です。
今度は騎馬隊の定義で話が噛みあってないね
騎馬の性質を考えるのなら、突撃なんかせずに軽装で遠距離から弓や投げ槍で攻撃する軽騎兵スタイルが有効でお得かもしれん
モンゴル騎兵なんかはこの典型だし
>>878 それは、騎兵部隊と歩兵部隊の連携の失敗例でしょう。
騎兵は騎兵だけで部隊を編成し、
歩兵は歩兵隊を作って相互に支援をするのが戦術のセオリー。
その前提として騎兵のみの部隊は普通に存在するのですよ。
結局、歩騎混成ってことはかわらないんじゃんか
分散配置か集中配置かの違いでしょ
両極端だなぁ。
1万騎を超える大騎馬軍団もいなければ、
全くいないってのもありえない。
>>885 全然違う。
部隊単位で騎兵のみ歩兵のみでなければ、それぞれも持ち味を生かせない。
騎馬隊は騎馬隊歩兵隊は歩兵隊、弓兵隊(或いは砲兵隊)は弓兵隊で編成し、
相互に利点と欠点を補完して戦うのがいわゆるオーダーミックス戦法。
一つの部隊の中に歩兵と騎兵が混在しているようでは、
中途半端になるだけで高度な戦術は行えない。
ちょっと待った。問題になっているのは、「騎馬だけ千騎というのが事実か否か?」だろう
普通に考えれば従者や世話係がいない騎兵はありえない(騎兵その人が全て戦闘の傍ら世話も雑用もやれるのはそれこそ騎馬民族ぐらいなもの)
スレじゃねぇや、板だ
一つの軍の中に騎兵だけの部隊があるのは普通のことだが、
自身が地方領主で本来独自で軍を編成する小幡氏の部隊が、
丸ごと全て騎馬のみなどということはちょっとありえない。
ということでよいのではないか?
確かに、もし武田軍の中に騎兵のみの「騎馬隊」といえるような部隊が存在するとするなら、
各豪族の部隊の中から、騎兵のみ抽出して編成したというならともかく、
ある特定の豪族の部隊のみ騎兵だけだというのはいかにも不自然だ。
>>888 まあ、戦国時代の日本で、特定の豪族の率いる部隊だけ、
騎馬のみで編成されているなんて普通はありえないとは私も思いますよ。
騎兵って機動力で横っ腹を付いたり包囲する為のものでしょ。
格好いいけど主力じゃない。大将が馬に乗ってるのはカッコつけ。
それこそオーダーミックス軍隊の主力はあくまでも歩兵だしな
どの部隊が主力とかはっきり言えず、
全ての部隊の能力を引き出すからこそオーダーミックスなのですよ。
>>895 んなアホな
比率が高く、陣形を組むことで戦隊のバックボーンにも主攻にもなるのが歩兵じゃんか
そもそも歩騎の比率を同数にできるだけの大国が歴史上いくつあったと
そりゃ勝利への貢献という意味では決め手はいろいろだろうが。
騎兵で勝てるなら日本中で大騎兵戦がおきるんじゃね?w
>>896 数だけで言えば歩兵がもっとも多いのは当然だけど、
そこに欠かせぬ要素として騎兵と砲兵を加えたのが、オーダーミックス。
どれも主要な要素なのです。
モンゴルのジンギスカン
フランスのナポレオン一世
プロシャのフレデリック大王
プロシャの参謀総長モルトケ
源義経と織田信長
某小説で有名になった、プロシア軍軍事教官の「騎兵を本当に利用できた天才戦略家」の顔ぶれ
桶狭間の信長が入ってるって事は戦闘自体は下馬でもかまねーのかな
>>898 オーダーミックスと後世分類される陣形は大砲成立以前のはるか古代から成立していますが…
騎兵も歩兵も投射兵科もともに重要な要素で、
どれだけが主力とは言えないからこそオーダーミックス。
だからこそ、アレクサンダーのマケドニア軍はオーダーミックスといわれるが、
騎兵もいたが主力はあくまで歩兵であった古代ローマ軍や、
歩兵もいたが騎馬突撃が偏重された中世ヨーロッパの軍は、
どちらも歩兵・騎兵・投射兵をそろえていたのに、
一般的にはオーダーミックス軍とは言われないと。
>>899 それ小説じゃあ秋山だか誰だかが説明した、
一方的な桶狭間の戦いの様子をそのまま採用した結果でしょう。
いかにも騎馬隊が活躍したように説明すればそうなってしまいますよ。
オーダーミックス戦法の講義はどうでもいいが、
とりあえず、戦国時代の日本で、
小幡隊だけが騎兵のみの部隊を率いていたというのは不自然だ、
という意見に異論のあるものは、
少なくとも今このスレにはいないということでいいか?
だったら、少なくともこのスレで話すネタじゃあないわな、
ここから武田の騎馬隊に話がつながるならともかく。
前回の律令兵云々というやつといい、すれ違い多すぎるぞ
知識ひけらかしたい奴が湧くといつも荒れる
史板逝け
>>905 無知は信玄スレで上洛オナニーでもやってろ
このスレは学術スレだ
だから甲陽軍鑑でもあるだろ?
騎上は備えでも7〜8騎、残りは馬から降りて戦うと
去勢をしていない馬を操りながら戦うのは相当な技量必要なんだよ
>>906 信玄上洛スレは日本史板にあったそれよりはるかに高いレベルだぞ
三戦だからという一点で以ってひとくくりにするのイクナイ
スレ違いの、しかも間違いを何箇所も指摘されるようなボロ知識晒してりゃ他所逝け呼ばわりもやむなしだろ
911 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/21(火) 16:58:16
武田騎馬隊が存在したとするならどんな部隊だったのか。
それをはっきりさせないうちは世界史や律令からの類推で語る奴が出てくるのも仕方ないかと。
誰が率いてた?
誰と戦った?
運用法は?
武装は?
戦法は?
といった事をちゃんと語れないと。
>>834はまあネタだが。
>>912 一つの備に鉄砲隊、弓隊、鑓隊、徒武者隊、騎馬武者隊がいるという
師団構成なんでしょ、単純に
期待の星
>>854が活躍してくれないと
無難な結論に落ち着いてつまらないんだけどな。
915 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/21(火) 23:20:45
鉄砲足軽だけを動員外から差し出させ(書状が現存)、それを鉄砲奉行の配下において鉄砲単一編制をつくり、射撃させた(信長公記)例ならあるんだよね
なら騎馬のほうでも、特殊な状況下では臨時に集めて叩きつけるっていうケースがあってもおかしくないと思うけど
…でも関ヶ原の井伊の島津追撃の時ですら、騎馬には少数とはいえ徒歩が付随してたからな…
鉄砲奉行の騎馬版が存在したなら・・・。
騎馬突撃だけじゃね。
「ハンマーと金床」じゃないけど、騎馬軍団だから強いつってもあんま意味無い。
騎馬突撃inJapanって何?
という疑問もはっきりしてないし。
日本の武者の装備が重すぎるという制約がある限り、突撃といっても助走だけで馬がバテそうだ
いまこのスレに残っている方々の大半は
お供廻りつけずに騎馬のみで編成された集団で
通常運用するなんて離れ業は戦国時代には考えられないってことで
まとまっているように見えました。
921 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/22(水) 12:59:29
スレの前半で威勢の良かった赤備え総騎馬厨も死亡が確認されました。
>>920 甲陽軍鑑品17の「赤備千騎惣騎馬」は見つけた?
920は永遠に見えないかもしれないけどw
>>922 その部分は、例えば長篠の「奸臣・長坂」(本当は留守番してて重臣を蔑ろにした話なんて無い。勝頼書状で明白)みたいなネタじゃないって補強史料はあるのかね?
惣騎馬を騎馬だけの単一編制って訳すのが間違いじゃねーの?
実際は馬持ち上級武士(小幡衆なら国人層か?)がそれだけいましたって落ちだとか
>>923 無いのだよ、ただ、わざわざ特別扱いする理由も無い
>>924 実は、多少なり、そう解釈するべきかな〜と疑念を抱いてたりするw
でも「赤備え総騎馬」があったら格好いいから、多分いたかなと
926 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/22(水) 13:56:17
格好いいからいたってwwwww
真っ赤な具足の1千のポニー騎馬武者がかっこいいか?wwwww
928 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/22(水) 14:05:24
>>922 まだ生きてたのかw
軍鑑の記述だけでは信憑性が低いと何度言ったら
929 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/22(水) 14:15:23
>>928 >軍鑑の記述だけでは信憑性が低いと何度言ったら
否定はできないということだな
931 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/22(水) 16:06:23
>>930 先ずは信用に足る史料であることを証明してください。
だから否定できる
軍役帳で
>>930フェイズ・・・
コマンド
┏━━━━━┓
┃→にげる ┃
┃ さけぶ ┃
┃ ごまかす ┃
┃ きれる ┃
┗━━━━━┛
>>932 軍役帳の中身は?
当然、氏名と所領が載っているはずだけどw
936 :
無名武将@お腹せっぷく:2006/03/23(木) 15:32:24
937 :
無名武将@お腹せっぷく:
武田領における軍役は、だいたい知行高一四貫について一人
約四百貫文の知行で乗馬三人ほか鉄砲・持槍・長柄・弓・持小旗の六種で合計二八人の軍役
どこをどう見ても騎馬だけの軍役を課す、なんてケース載ってませんが…
(参考・柴辻俊六「武田信玄」)