呉総合スレ4

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1無名武将@お腹せっぷく
2勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/01/22(日) 22:00:53
スレ立て乙〜♪呉と新スレが大好きな私が来ましたよΥ
3無名武将@お腹せっぷく:2006/01/22(日) 22:06:12
カルロス呉ーン
4無名武将@お腹せっぷく:2006/01/24(火) 09:11:41
なんか悲惨なスレだな
5勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/01/24(火) 19:42:00
んっ!?伝統ある総合スレの続編じゃないの?違うなら以降は放置するけど。
6無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 08:50:42
ひゃ〜助けて〜きゃ〜しぬしぬ〜
7無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 09:16:29
>>5
何様だと
自ら良スレにする気がなければ去れ
8無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 10:32:24
まずは呉の軍港としての戦略的重要性について語ろうか
9無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 15:21:24
始まりは糞っぽいのは前スレも一緒だ気にするな
10勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2006/01/25(水) 21:33:44
関羽を攻める事で三国鼎立を弱めてしまったのは、最大の失敗。
両国の激突を後目に交州からさらに南下すれば、東南アジアを強力に掌握出来たのでは?
優秀な水軍を実戦でさらに進化拡充させ、海から神出鬼没の動きをみせる・・・・という厨発言。
11無名武将@お腹せっぷく:2006/01/25(水) 22:25:39
かなり誅発言だね

呉が蜀に攻め入って蜀を魏より先に征服する、って方がまだしも可能性ある
12無名武将@お腹せっぷく:2006/01/31(火) 10:27:52
さあ盛りあがってまいりました!
13無名武将@お腹せっぷく:2006/02/03(金) 21:44:14
虞翻の交州ネタは〜?
14無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 12:23:42
いかんともしがたいスレだな
15無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 13:35:42
魯粛の三国構想が崩れて呂蒙の荊州奪取になったということは呉が荊州を取りたい証拠。
君主自ら合肥に攻めたのは呉が徐州を欲した証拠。
孫権が1万の兵を預けて南方に人狩りに生かせたのは東南アジアが狩りの場くらいだという証拠。
16無名武将@お腹せっぷく:2006/02/07(火) 14:41:57
魯粛の構想は「蜀まで取ろう」だぞ
三国はあくまで経過措置でしかない
17無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 00:37:55
住人はどこにいったんだ
18無名武将@お腹せっぷく:2006/02/09(木) 01:32:15
この板から消えました
19無名武将@お腹せっぷく:2006/02/12(日) 13:05:41
捕手
20無名武将@お腹せっぷく:2006/02/12(日) 13:26:41
夫差について語ろう
21sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/12(日) 20:47:47
最近呉にも興味を持ち始めたんだけど、何故か好きになったのが
周瑜でも魯粛でも呂蒙でも陸遜でもなく張昭だったりする。

赤壁前の降伏論も名士としての立場上アリみたいだし、口喧しい
とこや子供っぽいとこなんかも好き。
上に挙げた四人も凄いけどさ。
22無名武将@お腹せっぷく:2006/02/12(日) 22:32:44
最初4人は軍人または都督だし張昭と比べるのはちょっと違うような
23sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/13(月) 00:53:00
>>22
そっか、張昭は政治家だしね。
現在進行系で呉を調べたり読んだりしてるんだけど、正史の魯粛なんてのも
素敵だね。横山ばっか読んでた頃に比べると大分と印象が変わった。

赤壁の徹底抗戦論とか、荊州を巡る対応とか、魯粛カッチョイイよ魯粛。
24無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 16:06:36
がおー(「・ω・)「
25無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 16:36:28
>>23
正史の張昭は孫権に放火されている。
26sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/13(月) 16:42:13
>>25
そのエピソードもどこかで見たような。確か言い合いからストかなんか
起こして、孫権がキレて門だったかに放火したんだっけ?

ごめん、もうちょっと勉強してから来た方が良かったかも。
27無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 16:46:45
周泰まじかっこよい
なぜか俺は殿様を護衛しちょる奴をかっこよく思う
28無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 16:51:17
>>26
そうそう。それでも出てこないから消火した、けどまだ出てこない。
そこで張昭の子が無理やり張昭を家から出して、城に行かせた。
その後孫権が謝って一件落着。
29無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 17:03:41
もう、気分はシ僕陽興
30sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/13(月) 17:12:55
>>27
横山では初期劉備並のイケメンだったなぁw
呉の武官なら凌統とか好きだよ。子供っぽくてかわいい。


>>28
でっかいガキ二人だねw
一番の大人は張昭の息子ってのがまた……。
親切に教えてくれてありがとう。


>>29
えっと、後期の丞相?
31無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 17:24:45
>>30
しかも言い合いの発端は孫権の狩り好きから。
張昭が大将なんだから控えなさいって言って孫権は止めると言った。
ところが次の日も孫権が狩りをした。ここから口論に。
そしてスト→放火→消火→城へ→和解 と
32無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 17:42:43
>>30
そう。
マニアックなのに伝が立ってる人。
33無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 17:47:37
呉に殉じて死んだような人なんだからもっと人気と知名度が合って良いのに。
34無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 18:20:29
>>31
それは別の話
公孫淵の時に放火騒動になったんだよ
35sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/13(月) 23:37:48
>>31
思春期のガキみたいだね孫権w
放火されるまでスト続けた張昭も張昭だけど、何故かほんわりする
エピソードだ。


>>32
その人、実は名前しか知らなかったり。後期の丞相って言うと
先に顧雍が浮かぶなぁ。


>>34
んん、わかんなくなってきたぜ。まさか二回も放火するわきゃないし。
暇ができたら調べてみるね。
36無名武将@お腹せっぷく:2006/02/13(月) 23:58:31
>>35
顧雍は二代目丞相だから初期

放火の件は>>34が書いてるように公孫淵の時です
この件は放火以前に拗ねて引き篭もってしまった張昭の家の門を
孫権が外から土で埋めそれを見た張昭が内側から土で埋めるという
意味不明なやり取りもあるんで必見ですよw
37sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/14(火) 01:31:59
>>36
あれ、顧雍より前の丞相だったんだ。なんだか影が薄いような……。



で、手元はナツメ社発『図解雑学三国志』より調べてみました。

曹魏に圧迫された遼東の公孫淵が呉を頼ったのが発端で、孫権は賛成するんだけど
張昭は奴は信頼できない、と反対。でも孫権は張昭の意見を無視して遼東に
使者を送り、怒った張昭は病気を理由にスト。
そこに逆ギレした孫権が張昭宅の門を外側塞いで『もう来るんじゃねー!!』と言うと
張昭は張昭で『おう誰が出るかよ!!』と内側から門を塞いで徹底抗戦の
構えを見せる。

ところが公孫淵が呉の使者を切ると『俺が間違ってたぜ!!』と孫権反省し
張昭宅へ。けども頑固な張昭、『いや俺病気だしぃ?』と突っぱね、
『謝ってんじゃねーかよこの!!』と再び逆ギレ、張昭宅の門に放火。
『こンのクソガキが……ッッ!!』張昭はこの件でますます門を固く閉ざすが、
そうこうする内に張昭の息子が孫権にビビッて『親父、もう止めようぜ外出ようぜ』と張昭を
外に引っ張りだし、孫権は張昭を自分の馬車に乗せて宮中に戻り、
張昭に深く謝罪、かくて一件落着……テケテン。


……ブッ飛んだ奴らだぜ。
38無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 02:02:12
>>37
張昭が呉の丞相に就いた事はない
初代は孫邵、二代目が顧雍
顧雍は口数の少ない人だったが何かを口にする時は大抵それが当るという人だった
ただ、あまりに口数が少なすぎて、酒の席では酒が不味くなると言われたりしている
それと家族とのコミュニケーションも少なかった人で、家族は人に言われるまで顧雍が大臣やってるとは知らなかったりする
39無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 10:08:24
>>37
『図解雑学三国志』は表紙を一見したところ子供だましの様だけど、実はけっこう
良書だったりするね。
いきなり史料を読むのに躊躇いのある人、これから史料を読むうえでの留意点
なんかを掴んでおきたい人には格好の書。
40無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 11:48:57
>>38
酒と言えばアレだね、周瑜と話しているとまるでお酒に酔ったように
いい気分になるって言ったのは誰だったっけ。程普?
家族にも話さないって、なんかある意味仕事人間だw


>>39
あー……そんな良書だったとは。いえね、地元の図書館で三国志関連の本を
ごそっと借りて来た時のやつみたい。ちゃんと返さなきゃ。
あの本、どうにも人物の表情がやる気なくてヤだけど、ちゃんと孫権と張昭の
やりとりも書いてるところを見ると良いのかも。

スレ違いになるけど図解雑学論語ってのも読んだよ。なんか、年上を敬えとか書いてあってサッパリ。
41無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 12:28:40
>年上を敬えとか書いてあってサッパリ

「論語」や「礼記」のような四書五経の類に触れておく事は悪い事ではない。
「三国志」だけ読んでも当時の風習や価値観は分かり難い。
そのため現代的な観念で論じる様な過誤を犯している意見もあったりなかったり。
42sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/14(火) 12:35:03
>>42
に、苦手だけど読んでみます。返しちゃったんでもっかい借りて来るかな。
やっぱり色々な本や考え方を学ぶと柔軟な考え方ができるようになるし、
本当にありがとう。もっと話したいけどさすがにスレ違いになっちゃうし、現存するスレもないみたいだから
そう言うスレ立たないかなぁ。

このスレなら呉好きの人も多いだろうから、呉を知る上でこれは読んでおいた方が良い、
って本があれば是非教えてください。「呉・三国志」以外でw
43無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 14:45:18
44無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 15:50:31
正史以上に面白い呉の読み物は今のところない
45sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/14(火) 15:55:50
>>43
噂には聴いてたけどヒデェ叩かれっぷりだな……。
46無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 17:11:16
>>45
叩きまくってる様にみえて、実は半分は愛でできています。
47無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 17:27:23
>>37
叔父の公孫恭を脅迫したあたりからも信用はできないね。
ただ、遼東に友好勢力があれば魏との戦いが有利になるはず。
公孫淵に心変わりをさせない様な方法はないのかな?
48無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 17:29:08
>>47
公孫淵の性質そのものが強暴だから、孫権がどれだけ頑張っても無理だろう。
49無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 17:34:40
>>48
ならば魏をけしかけて公孫淵と潰し合いをさせるとか。
50無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 17:38:11
で、滅んだじゃん
51sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/14(火) 17:50:39
>>46
空気読むの苦手だから叩いてるようにしか……w

正攻法だけど、他勢力をけしかけておいてお互いの利害を説く、とか。
もちろんけしかけた事がバレたらダメだろうけど、幾ら公孫淵が凶暴でも
動かざるを得ないような。蜀とも連携して三方から攻め立てれば時代は変わったかもね。
52無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 17:56:19
>>51
無理だろうな。
数千里の距離を隔てて、互いの都合を考えた軍事作戦なんて立てようも無い。
あえていうなら、カン丘険の乱の時はかなり可能性が有ったと思う。
53無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 17:56:31
無理
54sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/14(火) 18:09:42
>>52
あ、そうか、通信がままならないんじゃあなぁ……。
毋丘倹だとか後期は疎いんだけど、なら諸葛誕の乱なんかはどうだろう?


でもそうなると、荊州と蜀を併呑して羌族と連携して曹魏を討つ
って案も現実みに欠けるような。
55無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 18:12:13
>>54
諸葛タンはカン丘険の乱を潰してたり、楽チン、文欽を殺したりしてるくせに忠義を叫んだり、やる事が無茶苦茶すぎる。
(一部の)部下の熱狂的な支持はあったようだけど、最終的には壊滅してるし。

タイミング、人徳、力量、人材、戦況から見ても、カン丘険の乱が一番、目が有ったと思う。
(まぁ、近くにケ艾が居たのだが)
56sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/14(火) 18:22:07
>>55
よく分からないけど、やっぱり既に基盤が固まって人材も三国一の魏を
討つのはちょっとやそっとじゃ難しい……かな。

なら、三国鼎立後に呉が天下を統一する機会ってのはあったんだろうか。
あるなら、それはどの辺りだったんだろう。
個人的にはやっぱり荊州でのイザコザがなければって思う。
それ以前にどうも呉は天下を統一する気が他の二国に比べて弱かった
気もするんだけど。
57無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 18:25:28
>>56
天下統一という事でいうなら、
孫権が関羽をやっつけたあたりで死ぬか合肥を諦めて親征をしない事が第一条件。
後は、陸遜や殷礼の戦略を採用すれば、孫権存命中の統一は無くとも、領土拡大は見込めたとおもうよ。
58無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 18:26:10
魏蜀に比べて豪族の発言力が強いからかも。
あと山越があったり人口減少で国力が低下したり。
59sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/14(火) 19:07:04
>>57
関羽を斬った時点で孫権が没するべきだと言うのはやっぱり劉備の
怒りを鎮めるため? 俺は劉備の呉侵攻は関羽のこともあるけど、荊州奪回って
意味合いもあると思うからわざわざ孫権を死なせる必要性もないと
思うんだけど……。

陸遜たちの献策内容が分からないから詳しい話はできないんだけど、
何らかの形ででも漢中→長安、荊州→許昌、呉→寿春の3ルートで攻めないと
魏を崩すのは難しくなるだろうから、荊州は絶対魏にだけは奪われるべきではない、かな?
60無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 19:30:54
>>59
その後延々と続く合肥への親征がウザかとです。
合肥への親征を諦めないなら、死んでもらったほうがマシなくらい。
61無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 20:45:42
孫権がどうなろうが呉は徐州側に進出したがるはずだぞ。
呉の名士でそこを故郷にする者も少なくないし、長江の向こう側に橋頭堡を築くのは中原進出の第一歩だから。
62無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 20:59:58
どうやっても無理だっての
徐州奪っても中原から特に進路を阻むものがあるわけでなし
呉は長江を越えて輸送せにゃならん
合シ肥は長江を盾に、後ろに兵站基地を多数抱えているから強いのであって
呉が出城のように持ってても意味がない
63無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 21:04:32
京口のような例もあるからなあ

まあ孫権ひとりの問題ではないとは思うがね
64無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 23:02:59
徐州を伺う限り天下統一の芽は無いぜ。
だから、せめて朱然・陸遜の足を引っ張る合肥攻めがなければ、少しは好転すると思うんだけどな。
65無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 23:13:51
攻めないで牽制に徹すればいいのにな…
66無名武将@お腹せっぷく:2006/02/14(火) 23:34:15
>>65
何で「仕掛けるように見せる」だけじゃなく「大軍集めて勝ちに行く」のかなぁ……理解できんねぇ
67無名武将@お腹せっぷく:2006/02/15(水) 00:57:07
そりゃ合肥が首都建業の真ん前にあるからだろ、まさに目の上のたん瘤

ちなみに武昌から建業に遷都したのは経済的理由らしい
68無名武将@お腹せっぷく:2006/02/15(水) 01:02:24
>>67
それでも、ちゃんと固めときゃ攻めてこないだろうに。
69無名武将@お腹せっぷく:2006/02/15(水) 01:05:53
>>67

対中原のために建業を都にしてる
7067:2006/02/15(水) 02:39:38
>>69
あれ、手元の本は経済的要因が決定的だと断定してるんでてっきり…

>>68
南郡あたりよりは攻めやすいと考えたんだろうか
71無名武将@お腹せっぷく:2006/02/15(水) 02:53:44
>>70
寿春は一度も落とせなかったけど、襄陽と江夏は落としてるからねぇ。
荊州方面のほうが蜀の援軍も期待できるだけ、はるかに薄かったと思うんだが。
72無名武将@お腹せっぷく:2006/02/15(水) 03:14:52
>>70
そもそも抹陵を建業に改名して中心都市にしたのは張紘の遺言からなのだが
建業の地勢は対北方の防衛拠点
昔から前線のすぐ側に都を置くのはよくやる話で長安とかもその一例
前線に近いと迅速な情報の入手とかが簡単だからな

武昌に拠点を置いたのは武昌が重要な銅産地だったから
元々は荊州の江夏郡から赤壁の居りに呉が占拠したものだったものなので慰撫のためにそこに拠点を移した
曹操が袁氏を滅ぼしてからは業βを拠点にしていたのと同じようなもんだ
そしてもう十分安定したら今度はまた、建業を拠点にしている
7367:2006/02/15(水) 03:18:15
そうなると、建業遷都は本の通り経済的要因と考えていいのかも
でなきゃわざわざ軍略的不利な場所に大移動した理由が説明つかん気が
うん、眠い頭で考えたらますますわかんなくなった
おやすみノシ
74無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 21:07:19
コーエーのゲームは敵がズルすることでバランスとってるからイヤだ
フェアな条件化で俺を超える戦術を使うAIができるのはいつの日か・・・
75無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 21:23:25
そんな日こねーよ。
76無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 22:50:54
劉纂とか張悌とか何植とか歩闡とかが活躍するゲーム出して欲しい
77無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 23:08:37
不可能では無い。
頑張れ…頑張れ…
78無名武将@お腹せっぷく:2006/02/16(木) 23:19:12
全武将プレイが出来れば可能でしょ
79sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/17(金) 13:54:23
>>72
張紘が遺言で地理的ななんたらを調べたら本拠は建業に置くのが
よろしいかと……とかって言ったからだったよね。

その地理的ななんたら、と言うのが詳しく分からないんだけど、
軍事的に防衛しやすく、商業・農業が繁栄しやすい土壌だから……とか?
教えてえろいひと。
80無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 19:21:52
呉書が明らかに未完成状態なのは陳寿のタイマンだな
81無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 19:28:01
韋昭が殺された影響が大きいのでは
82無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 19:30:54
>>81
それは韋昭の呉書が未完成な理由で、陳寿の三国志呉書が未完成状態な理由にはならないよ。
続きを自分で完成させない陳寿の怠慢。
83無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 19:34:58
陳寿責任重大w
84無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:02:05
呉側の史料がそれ以上手に入らなかったんじゃない?
85無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:04:51
>>84
征服後なのにか?
注に引かれている書のことを考えりゃ、資料不足ってのはちと違うと思うんだがな
86無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:11:40
直後には見つからないけど何十年かして出る史料ってのも結構多いもんだよ
87無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:15:52
自分で補おうとしなかったんだし、陳寿にとって呉はその程度の存在だったってことか
88無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:25:03
呉の資料をあさってしまうと、蜀よりも明らかに分厚くなるので避けたんだろうな。
89無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:34:37
元々厚いじゃん
それ以前に呉書が未完成ってのはどんな意味で未完成なのか俺わかってないんだが
どこが未完成?
90無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:39:12
初代丞相の孫ショウの伝が無かったり(韋昭が書かなかったにしても、陳寿が書かなくて良い理由にはならない)
末期の人物の伝が明らかに少ないことじゃないかな
91無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:43:16
それらの人物の情報を隠蔽したかったというのは・・・・考えすぎか。
92無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 20:51:52
陳寿は呉を正統とみなす韋昭の呉書をほとんど丸写しにしたという。
つまり陳寿は実は魏でも蜀でもなく、本心では呉を正統としたかったんだよ。
滅亡間近の時期の伝を書きたがらなかった理由もわかる。滅亡を記述するに忍びなかったんだな。
93無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 21:03:55
陳寿の執筆方針が、歴史の流れに関わっている物重視だったからでない?
孫ショウはどうでもいいし、後期の呉も歴史とは別のところでウネウネしてるだけでどうでもいい
と、考えたとかどうか
94無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 21:31:17
丸写し→呉を正統というのはどうかな。
それなら呉の栄光の記述は充実させるはず。
蜀を先主、後主したのと比べて君主への配慮が欠けてるし。
95無名武将@お腹せっぷく:2006/02/17(金) 23:37:39
陳寿にとって呉なんてそういう存在だったんだろ
96sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/18(土) 00:04:56
むしろ呉って三国では漢の正当から一番遠いような。
孫堅が漢への忠節を尽す形で動いたから、多少乱暴な考えだけどその息子が建てた国は
なれたとして属国と言うことになるのではないかと。


名分的に一番近いのは形だけでも禅譲を受けた魏なのかな。
劉備の血統なんてものもあやふやだし。
97無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 00:06:11
だからあくまで「内心」なんだよ。
おおっぴらにはできないさ、晋と並立した王朝なんだから。
ただ、心の内では呉の正統を認めてた。だから韋昭の呉書をインスパイアしたり、ところどころで即位前の孫権を皇帝扱いしたんだよ。
98無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 00:09:41
呉好きにとっては漢室の残り香でいまいちすっきりしない時代にあって
ろくな正統性もなく皇帝になったことがかっこいい
99無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 00:10:33
>>96
強かった所、勝った所(とその前身)が正統。それだけ。

呉だって孫権には天子の資格がある(ことにした)から即位したんだから、もし統一したら禅譲も血筋も無関係に呉が正統になる。
そんなもん。
100無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 00:37:44
偽者が本物になるためには、本物を抹消しなければならない。
それが放伐理論。
呉も蜀も出来なかった。
101無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 00:45:52
韋昭の呉書を殆ど丸写ししたのは単に呉に対する興味の薄さだろう、
魏や蜀程の熱意を持てなかったと・・・。
晋に仕え、故郷が蜀の陳寿には呉を記述する意義や意味は薄いのも仕方ない。
102無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 00:47:03
孫皓のついての評判の酷さは半端なかったようだしな・・・好感が持てんのも仕方が無いかもしれぬ。
103無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 17:06:47
孫皓が名君で逃げ出した元呉将が悪く言うだけとかは。
104無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 17:13:36
>>103
殺された臣と人民の数を思えば、流石に捏造というのはありえなさげデス。
105無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 18:02:23
流石に無理があるか。ただ晋からすれば敵なんだから呉の悪さを宣伝してもいいはず。
末期の情報が少ないのは極秘情報を知る関係者が少なかったからかな?
106無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 20:15:20
史官である陳寿自身の記述として、

司馬炎が孫皓を殺さなかったのは行き過ぎた徳の示しようであった。

とまで言ってるし、滅んだ後、候としての権限で丁奉の家族を流刑にしてるのが孫皓だからなぁ。
107無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 21:30:15
>>90
後期は暴虐政治家ラッシュ+派閥抗争ラッシュで人材が相当不足してたからじゃないかと思うんだが。
実際にカカクが史官の不足を訴えてるし。
108無名武将@お腹せっぷく:2006/02/18(土) 21:40:42
その暴虐政治家の伝をたくさん作るとか。
末期の呉はもう少し書いても良いのでは。
109無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 18:00:31
>>107
書くまでも無くいなかった…か。それも寂しいなぁ(苦笑
110無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 20:40:18
呉の丞相孫邵は、呉王の丞相で皇帝になってからの丞相ではないんだね。
それだけだけど。
111無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 22:24:22
末期を書いてないのも単に韋昭が呉書を完成させる前に孫皓に殺されたからだろう、
陳寿によほど呉への興味が無かったか、孫皓の時代なんて書くにも値さないと思ったのか・・・。
112無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 22:42:54
呉は嫌いだったので書く気はなかったが
韋昭の書いた素晴らしく誤魔化せないとも思ったので
書いてある分だけは記述した
113無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 22:47:54
呉が滅ぶまで書いてるジャン
114無名武将@お腹せっぷく:2006/02/19(日) 22:55:54
曹操も校事を置いて反対され、あとで校事の汚職が発覚する、ってことがあったのな。(高柔伝)
なんか、あの時代「校事」を置かないといかん何か理由があるんかな。同時に反対される理由も。
115無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 12:40:34
>>106
晋の侵攻に何の抵抗もしてないからな。
中身スカスカだったと思われる。
116 :2006/02/20(月) 12:58:38
>>112
>韋昭の書いた素晴らしく誤魔化せないとも思ったので
>書いてある分だけは記述した

皮肉か?
117無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 16:16:55
孫皓は聡明といわれていたんだがな。幼いころの話は問題ではないんだな。
話しはずれるけれども曹沖が生きていてもあまり活躍できなかったのかな。
118無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 18:10:16
即位前の孫皓の評判は、作り上げられた虚像だからな。
119無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 18:23:11
孫登なんかにも言えるが、幼少時や太子時代に優秀だからって皇帝として優秀とは限らないからな。
具体的には「実際に即位していないから皇帝としては優秀かどうかわからない」としか言えないよな。
幼少時や皇太子時代に優秀と言われても即位してからはヒドい有様なんて奴もいるわけで。
120無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 19:48:09
孫皓は結果的に失敗したが初期の政策は妥当なもので「聡明」との評判を裏付けているように思える。
民衆の慰撫のための詔を出し餓えた者に官庫を開き宮女を開放して妻のない者に見合わせてやる等々…

ただ当時の孫皓の置かれた状況が、
孫権の晩年以降名士・豪族層との対立と迎合を繰り返し安定性を欠き、政権の奪い合いが続き国力は疲弊し、
同盟国の蜀が滅び風雲急を告げた所で強権と妥協を使い分け国家の安定に努めた(俺的に)名君孫休が死亡してしまうなど
新皇帝にはあまりに難しすぎる局面を任されたと思う。

孫皓は君主権の強化を目指して段々と強権政治に傾倒していったのだろうが、
やり方があまりに急であり、それ以前から長年続いた混乱と対立で孫家の求心力は大きく減退していたこともあって
反発は大きく、それに対抗するためますます強硬な態度で臨むという悪循環に陥ってしまった。
これはむしろなまじ本人の頭の切れる君主の場合に起きやすい傾向だと思う。

121無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 20:16:13
中途半端にキレ者な人間だったから、諦めきれずに足掻きまくり。
足掻いて駄目だと分かったら癇癪を起こして自滅。

あれだな。 弱き者、汝の名は人間 って感じだ。
122無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 20:38:57
それの典型が煬帝だな
123無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 20:44:21
豪族に迎合しなかったら臣下なら姦賊、君主なら暴君と呼ばれる世界だからね
124無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 20:55:28
とはいえあのままでは孫家の影響力は弱く晋に対して座して死を待つのみ。
失敗したとはいえ孫皓はやはり聡明だったというべきかな。
125無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 20:56:51
魏も呉も蜀も絶対的な君主権なんて確立できてないし、いかにして協力を取り付けるかが重要。

豪族に迎合しなかったら、というよりは儒教倫理に基づく諸政策・制度に逆らう行動をとったらと言った方が性格じゃない?
豪族だろうとこれに逆らえば無法者と呼ばれるよ。
126無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 20:57:57
>>124
自分で配置した人材を自分で駆逐しているのだから、果たしてそこまで評価できるかどうか。
127無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 20:58:41
決まって姦賊扱いされる校事が、官僚や軍の不正を暴こうとしていた件について
128無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 21:05:09
>>127
決まって姦賊扱いされちゃう校事は、恣意的に処罰を行い自己の権力の伸長を計りがちなのが制度の純粋な問題点。
君主の意向を受け官史や軍人の弾圧に使われる場合は必ず抵抗・反発を招き最終的に「尻尾切り」の憂き目に合うのは悲劇といえば悲劇。
君主としてその選択が成功がどうかは、結果しだいかな。
129無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 21:44:13
ハイハイ糞スレ
呉が一番天下に遠いから
魏と蜀を語ろうぜ
130無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 21:54:07
孫皓の場合はあの結果だからなあ・・・
強攻策に出ないと晋との国力差は開くばかり。
こうなったら一時降伏して司馬の勢力が弱まってから復活するとか?
131無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 22:04:15
>>130
降伏しちゃうと軍や政権を解体されちゃうからな。
国力を保ってとにかく耐えるのが一番ではあったのだよ。
(まぁ、蜀が滅亡してしまうと、国力差からどっちにしたって戦局は絶望的だったんだが)
132無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 22:13:48
孫亮が皇帝になった時、幼年じゃなくて青年だったらどうなってたなかな?
結構優秀で孫権から愛されてたんでしょ、孫亮
133無名武将@お腹せっぷく:2006/02/20(月) 22:15:10
そうするとそもそも継承順位が違ってた気がするw
134sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/21(火) 16:56:58
流れを読まずに質問、呉の人で正史と演義の差が激しい人物って誰がいるだろう?

俺はやっぱり魯粛だと思う。でも、何故か演義の魯粛も大好きw
135無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 17:15:42
演義と正史の格差だと

周瑜…何故かキングオブピエロ
太史慈…何故か生きて合肥まで活躍
呉夫人…何故か姉妹に分裂

あとは交州経営に活躍したけど対外戦に出番が無い所為で顔を見せるだけだった呂岱とか
136無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 17:22:28
孫堅も落差が激しいな。
演義のは、単なる猪武者な上に玉璽を我が物にしたりと野心バリバリだ。
正史のは、謀略家の一面も見せ、赤心についてはグレーゾーン。史家は忠烈の士と称揚してる。
137無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 17:41:48
>>134
吾粲
正史では立伝されているのに登場しない
138無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 18:26:43
正史の方が完璧超人な凌統
139無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 18:38:38
呉は格差ばっかりなんじゃ・・・

朱然とか関羽関係ひどいねぇ
140無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 18:58:36
丁奉・徐盛・甘寧・朱桓なんかは結構活躍してるな。

地味どころが割り食ってるのは蜀や魏も一緒。
141無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 19:01:39
呂蒙とか派手なのも割り食ってるけどな
142無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 19:13:38
甘寧の天下二分の計
143無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 19:18:24
>>141
関羽補正はやむなし。
正史関羽は割りと腹黒なのに、演義関羽はまさに正義のヒーローだからなw
144sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/21(火) 20:13:16
うわぁ……いっぱいいるなぁ、
>>135->>142
まとめてスマソ、吾粲に至っては名前すら知らないしorz 呂岱も
えらい長生きした人ってイメージしかない。交州を巡って活躍した
みたいな話は聞いたんだけど、交州の士燮自体が演義不出場だし。

孫堅が玉璽を手に入れなかったとするのは正史の注からだったっけ。

凌統も正史では演義と違って冷静な将って聴いたし、演義では呉の扱いが
他の二国に比べて悪いような気がする。
145無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 20:40:12
そらそうだ
強敵魏、主役蜀、ヤムチャ呉だもの
146無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 20:45:13
蜀に関係ない時の呉(魏と戦ってる時の呉)は結構持ち上げてもらえる。
諸葛亮とか関羽が絡むともう駄目。
147無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 20:52:44
>>144
凌統はまあ熱血漢だが扱いは悪くないよ
張遼と50合打ち合ってるしね

対蜀関係でいい活躍してんのは陸遜だな
第二の孔明って感じ
148無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 20:55:07
凌統
合肥では、孫権の危機に手勢三百を率い孫権を救い、手勢は全滅し自分も傷だらけで独り取り残されながら、鎧を着たまま泳いで船までたどり着いた。


演義でも蒼天航路でもありえないような話だけど、陳寿の三国志本文
149無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 21:20:09
孫権
150sleepknot ◆r4HwcKQwNE :2006/02/21(火) 21:26:00
>>147
あれ、そうでしたか。すごく礼儀正しい誠実な人柄だったらしいですね。
ゲームでは微妙な扱いですけど、張遼と対等に打ち合うならもっと
優遇してもいいのに。
演義の甘寧憎しってイメージが強いのかどうも猪武者みたいな感じでアレです。

陸遜も好きなんですけど、横山のふとっちょから無双のギャップやらでもう滅茶苦茶w
確か彼は丞相にもなったんですよね。

どうもイメージ的に若くてかわいいいわゆる『りっくん』が先行してますけど
私財を蓄えず、流罪の理由にだって筋を通していたり地味なところも好印象。
間違いなく呉を支えた名将だったと思います。


>>148
( ゚дメ)まじでか
151無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 21:40:39
>>150
朱治、呂範、歩隲、駱統は演義やひと昔まえのゲームでは文官系の人物だが、
史実では軍事にも秀でた能臣。

演義では無能なお使い役に過ぎない諸葛瑾も、史実では絶妙な諷諌が際立ち
軍事では庸器だが孫権即位に伴い大将軍に就く呉の重鎮。

演義では頭数程度の二線級扱いの将官に過ぎない陳武、董襲も、史実では自ら
矢石を冒して戦線で戦い鬼気迫る働き。

演義では早いうちから登場する丁奉は、史実では一世代後の人物。
演義ではひたすら名将の朱桓も、史実では人格的にはキチガイの面も。
演義では関興に無残に殺される潘璋も、史実では寡で衆に勝る働きをこなす名将。

演義では関羽を裏切った小物扱いっぽい潘濬も、史実では呉の副宰相格で
軍事でも功績を残した気骨ある名臣。

他に、演義で赤壁に先立った論戦で諸葛亮の舌先三寸に丸め込まれた連中も、
史実では各々個性的でそれなりに秀でた良臣。

思いついたあたりで、こんなところ。
152無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 21:51:50
>>151
その流れでいえば関羽の退路を断ったがために演義で夷陵に出てきた趙雲に一撃の元斬り殺された朱然も酷いな。
呂蒙に「私の後を継いで江陵を任せられる人物」との太鼓判を押され、
曹真、夏侯尚、張コウらの大軍から僅か五千の兵で半年城を守り抜いた名将なのに…
153無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 22:17:47
>>145
陳寿は蜀出身で魏の後身である晋に仕えたから呉と縁が無い。
禅譲をもって建国を裏づけした魏、漢王室の復興を掲げた蜀と違って、
帝位を称する大義名分が希薄。
154無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 22:34:24
演義の話ししてるんだから陳寿よりは羅貫中だろうし、
羅貫中も基本は平話を始めとした講談を纏める形で出したものと推察されるし個人の意向はあんま関係ないんでないかな。

明代、あるいはそれ以前から大衆は劉備が好きで曹操が嫌いで呉は今一薄かったと思われる。
155無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 22:41:26
司馬光…
156無名武将@お腹せっぷく:2006/02/21(火) 23:32:14
まぁ、現代と違って勧善懲悪気味な話じゃないとうけないし
呉はキャラ立てしにくいわな

だが、最後正義の蜀が滅びたところにこの作品の良さがある
157無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 00:36:25
>>154
正史みればわかるんだが、
陳寿は祖国である蜀漢を引き立てようと
涙ぐましい配慮をしている。

そう言った正史だったからこそ、後に蜀漢正統論が巻き起こり、
蜀が主役になる三国志演義が作られるベースになった。
もし魏や呉の人間が三国志を書いてたら、きっと演義なんかできなかっただろうな。
158無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 00:50:48
伍子胥&孫武は最強。
159無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 01:07:15
呉書は面白いのは面白いが、正統とみなすのには胡散臭すぎるからな。

偉大なる大皇帝閣下みたいな修飾語をみると、金正日を思い起こして仕方がねぇw

それを含めても呉書の魅力ではあるんだが、やっぱり悪役であってこそですよw
160無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 01:56:37
晋書華譚伝によると、広陵の人華譚の祖父華融は呉の左将軍・録尚書事だそうだが、そんな人いたっけ?
161無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 08:56:08
>>160
「呉書」では「孫リン伝」及び註の「文士伝」に僅かに登場する。
張温が選部尚書(選曹尚書?)に就くに及んで任用されたというから、おそらく
黄武の初め。
官は太子庶子。
「呉書」での極官は侍中・左将軍らしく、滕胤と呂拠が孫リンを打倒しようとした折に
滕胤に子ともども殺される。
162無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 09:06:48
二宮の変が無かったら、孫酷は意外と名君やってたかな?
163無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 09:16:49
>>161
ありがとう。そか、ちゃんといたんだな。
164無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 10:41:01
>>163
いや、俺も新しい発見をさせてもらった。
だいぶ前だけど「呉書」は読んだのに頭に残らなかったんだろうか…
165無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 15:27:41
>>157
例えば「蜀書があまりに薄かったので見劣りしないように魏・呉書を削った」説とか?
166無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 17:57:29
削ったとまではいえないと思うけどあまり書きたくはなかったと思う。
呉書を丸写しにしたのも新しく書く気がないということだろう。
167無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 19:47:17
>>165
蜀書をより充実させようとする努力は見られるけども、見劣りしない様に
他を削ったというのは邪推し過ぎと思う、蜀書も増やそうと思えば記述を増やせる箇所はあるけど、
それをしないで確かな部分のみの簡素な記述だからこそ三国志の評価は高い訳で、
それに魏書は三十冊もある時点で十五冊の蜀書が見劣りしない配慮なんて焼け石に水だし。

>>166
呉書に関しては熱意の問題だけで、陳寿に意図があったとは思えない。
蜀有利に書きたければ呉の人間が書いた呉書を写さずに、自分で書く方が良い、
けどそれをしないで呉書を写しているのはそういう意図が無かったからだろう。
168無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 19:54:47
>>164
補足しとくよ。
見比べてみたら、なんか晋書と呉書(注文士伝)では華氏の系図が違う。
文士伝では華融の子供が華ショと華譚
晋書では華融の子が華ショ、華ショの子が華譚。

華ショと華譚の偏が共通しているあたり、呉書注文士伝が正しく、晋書の方はおそらく華氏の名乗っている系図から引き写したことによる誤りではないかと思う。
華譚は若くして父を失ったというから、華融の後妻か妾の産んだすえっ子というところか?
169無名武将@お腹せっぷく:2006/02/22(水) 20:32:04
まあぶっちゃけあの時代にあれだけの分量を書き起こすなんてムリムリムリムリカタツムリ
司馬遷や班固だって大部分は先行する書や資料を編集したものだし、しかも親子二代かかってる。
魏呉蜀とも、あまり大きくは原資料を改定するような作業は出来なかったはずで、劉備=先主のようなある意味単純な変換が精一杯だったんだろう。
170無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 02:08:00
華譚伝によると、
呉蜀を平定してから、晋は、「蜀は治めやすいが呉は反乱とか多くて治めにくい。なんで?」って言ってるのな。
呉は顧栄伝なんか見ても、隙あらば孫呉時代の夢もう一度、と思ってたフシがあるな。
171無名武将@お腹せっぷく:2006/02/23(木) 09:03:25
>>168
>文士伝では華融の子供が華ショと華譚
>晋書では華融の子が華ショ、華ショの子が華譚。
確たる自信がなくて言及を避けてたけど、母親が若いところをみてもそうかも。
172無名武将@お腹せっぷく:2006/02/25(土) 22:00:39
孫権て、荊州取った後は蜀を攻める気まんまんだったんだな
173無名武将@お腹せっぷく:2006/02/26(日) 17:09:24
陸遜伝なんだが、
淳于式の陸遜弾劾って誰も否定してないな。
つまり陸遜はそういうことをやってたんだろうな。

だからこそ彼らはキエンや呂壱のような奴を徹底排除したかったんだよな。
自分らがいろいろと不正をやってたから。

呂壱らを反対する諫言も、「功を以て過ちを覆う」みたいな言い方で、不正な事をしていたのは否定しないんだよな。
174無名武将@お腹せっぷく:2006/02/26(日) 18:53:57
主張がバラバラじゃないかな。
上段では陸遜は淳于式に弾劾されつつも排除どころか賞賛してるのに
その後で徹底排除したがってたとは?

陸遜や顧雍は徳治主義に近いから法を軽くみてる所はあるかもしれない。

呂壱に関しては無実の罪で罰していると批判してる香具師がいたと思う。
キ艶は分からないけど陸遜がの思想になじまない人物なのは確かだろうね。
ただ張温と仲がいいくらいだし陸遜と敵対していたわけではないと思う。
175無名武将@お腹せっぷく:2006/02/26(日) 19:07:16
淳于式との一対一の時と、宰相になってからとでは立場が違いますからな

中国において徳治とは豪族なんかへの迎合につながるのはガチ
176無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 00:37:41
>>173
淳于式の弾劾なんかはそもそも(俺の知る限りでは)陸遜伝でしか触れられていない些事なので「誰も否定してないから不正やってた」
かどうかはわからんのじゃないかな?民の軍への徴用を巡る政策問題だし、一個人の利益を図る不正も考えづらい。
あれは逸話の性格としては「讒言を受けてもあえてその人物を称揚する公平・正大さ」を示すものだと思う。
呉に同様の逸話として呂蒙が私兵の扱いで讒言を受けたが恨まずに推挙したとかもあるし、
諸葛謹・蒋欽らにも似たような話しがある。呂蒙をだれも庇わないから〜とは言い難いのではないだろうか。

キ艶と呂壱については置かれた状況や意味もまるで異なると思うのだが、
不正をやっていたからキ艶を恨むとするのはキ艶に対する理解にズレを感じる。

私見ではキ艶は張昭・顧雍らとの関係も深い生粋の名士張温に見出された名士の側面の強い官史で、
主に「人品」によって評価し、人物批評を好んで行ない、近しい人物を推挙して徒党を組むなど、
皇帝権力の強化の一環で見出された(という見方もできる)呂壱とは逆に、
露骨なまでのやり方が批判されたとはいえ名士・豪族側の人間で、
多分呂壱を肯定的に見た時の「名士の不正」の典型例に近いものではなかろうか。

キ艶、あるいは諸葛格と陸遜の関係は、同じ豪族・名士層として繋がりはあり、
儒教的思想の中で身を誤る恐れを感じた上の忠告で、つまり同じ名士社会の中でのやり取り。
一方呂壱と陸遜はかなりの激しさを持った対立関係であり、
それも呂壱らと名士社会全体らの対立の中の一部。

ちょっと話しが逸れてしまったが呂壱の不正摘発についても弾劾されたのは中央の顧雍らであり、
あれを「不正な事をしていたのは否定してない」と読んだとしても不正をしてたのは陸遜ではなく顧雍ということになる。
私見では名士側の主張を文字通り理解すれば「細かな問題に厳しく法を適用するのは望ましくない」という徳治思想であり、
秦に代表される法家思想をやや嫌う傾向にある儒家的な発想、
一歩踏み込んで考えてみると孫権の名士弾圧に対して名士社会が連携して行なう反発の根拠にとって付けた徳目であり理論武装、
という所じゃないかな。
177無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 16:13:36
呉で有力な政治家・将軍にしばしば似た話が出て来るということ自体、呉では有力者による脱法行為が日常茶飯事だったという証拠じゃないのか?
178無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 17:44:43
呉ではっつーかさ、それが古代のスタンダードだろう
でなきゃ「公正な法運用」で諸葛亮の評価が上がらない理由にならん
179無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 17:59:08
ピアス
180無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 18:19:05
まあ一つ言える事は孫堅と孫策が早くに逝ったから天を取れなかった。
だから蜀と魏を語ろぜ。
181無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 18:24:18
>>180
言えない
どっちが長生きしても天下は無理
182無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 18:37:33
いちいち語らずとも無理だろうね
183無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 18:50:00
孫堅がヘタに長生きしていたら、呉の国どころか独立すらしていなかったかもね
184無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 19:03:27
孫策とシュウユが長生きしてたなら?
ブッチャケ孫権では天下は無理だと思う
185無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 19:08:41
呉書読んで自分で考えろ
186無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 19:34:06
>>177
脱法行為が日常的に行なわれているならなんらかの記録にそれが残るだろうし、
残ってないならわからないと言う他ないな。

>>178
古代のスタンダードとは普通に言いすぎだと思うのだがどうか。
187無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 19:41:00
>>185自分では分からんと
188無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 20:09:36
ifなんて答えていたらきりがないから自分で考えろ
189無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 22:35:45
>>186
その記録が陸遜伝の淳于式などの例ではないのかね?
日常的すぎるものは意外にわからないままになるものだよ、マジで。
まして後ろ暗いことには違いないから表には出ないさ
現代でも政治家と○暴の関係とか、公式記録とかに出ないだろ
190無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 23:01:53
良い結果になるかは別として国の為、民衆の為を思って法をやぶるなんていう話はざらにある
呉でも日常茶飯事とまではいえないにしても脱法行為というのは大いにあるだろう
ただ現在とは違って法は絶対的なものではないし脱法=後ろ暗いことではない
陸遜に関しては私腹を肥やしているわけでもないし淳于式への対応を見ても後ろ暗い行為をしていたとはいえないと思う
191無名武将@お腹せっぷく:2006/03/02(木) 23:38:04
法は絶対だよ
少なくとも本来はね
中国に法家という思想があるのをご存じか?
為政者はその法が190のような理屈のもとに曲げられまくるのに代々悩まされてきたわけで
陸遜に限らず、豪族はもともとは反国家的な存在だから、それが国家の側に入り込んでもいきなり法を遵守なんてできないんだよね。
192無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 21:57:27
>>191
何を言っているんだ?中国は法治ではなく人治だぞ。
君主自らが法を超越した存在として法をないがしろにしまくった結果が
腐敗→反乱→革命の歴史。

だからこそ、韓非は「君主も法に従わなくてはならない」と唱えたのだが。
しかし歴代の為政者は「俺が定めた法は、俺以外の全てが従え」と自分を法の
外に置こうとしてきたわけで。
193無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:23:17
>>191
法家という思想があるのはご存知だが、漢、後漢の流れを汲む三国においては法家ではなく儒家が幅を利かせてる時代じゃなかったけ?
あんまり詳しくないが漢の時代は「儒教一尊」と言われる程の時代で、官学でもある今文学の五教在寛に統治の根拠を求めてたような。
特に魏(特に曹操時代)において春秋左氏伝の「寛猛相濟」の一節を論拠にした法律重視政策に傾斜しつつあったことはあったが、
それも儒教の経典を基にした儒教解釈の内部の推移に留まるものだし、法令への傾倒は保守的な儒者の抵抗も根強く結局大きな変化は
見られなかったように思う。

古代中国において「法は絶対」、あるいは法家の思想が(ちょっと微妙だが)190のような儒家の思想に優先すると
一般に考えられていたとは寡聞にして知らなかったのだが、詳しく説明願いたい。
194無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:26:12
法家にとって法は絶対だが漢は法家思想の国とはいえないし
為政者が法家というわけでもないよ。
>>191自身が書いてるように正しい行いならば脱法しても構わないという理屈(思想)は
その善し悪しは別として存在したし為政者に赦されることもあった。
淳于式の事もそれにあたるのかもしれない?
195無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 22:41:00
多分ここの人は、
豪族が皇帝に直属すべき民を私的に囲い込む、皇帝にとっては憎むべき存在だという前提がわかってない。

皇帝が皇帝らしくあるためには、豪族は弾圧し解体しなければならないわけだ。

その一方であの時代(後漢もだが)は豪族が寄り集まって一つの勢力になったようなもので、豪族が政権を支えてた。

皇帝としてはデカい顔する豪族を抑えたい、一方で政権としては豪族が屋台骨だから豪族はぶっちゃけやりたい放題。
この二律背反が摩擦を生む。
徳治は豪族体制を肯定し、法治は否定する思想として使われてきたと言えるな
196無名武将@お腹せっぷく:2006/03/03(金) 23:01:57
>>195
皇帝が広大すぎる中国全土を直轄できるはずもなく、豪族が抱え込んでるのも宗族・一門連中と私的な奴隷(民以下)だし、
皇帝とって憎むべき云々という前提の根拠が今一わからない。

利用し、利用される関係だというのは間違いないし古代中国の政権を支えたのも確かだが、
ただそれで195が誰に向かって何を主張したいのかもわからない。
どのレスのどの部分を指して「わかってない」と言っているのやら。
197無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 05:54:21
だいたい豪族豪族と言う程、権力を濫用してた奴ってそんなにいなくないか?
張温、顧雍、陸遜、朱桓が四姓だよな。張温→失脚。顧雍→貧乏。陸遜→夷陵で大功あげつ出世。朱桓→中級武官。
198無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 09:17:30
呉の豪族の実体ってイマイチ掴めない。

あんまり土着豪族に力があるようには見えないけど、
一方で孫権は国論にがんじがらめにされてる風でもある。
199無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 12:36:12
>>198
現代日本の政治家に似ている気がする

ひとりひとりにはそれほど強い力はないから、ボロ出せばすぐに失脚するし、トップの言うことも聞く

しかし共通の利権を侵される時には一致団結して抵抗する
200無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 13:59:51
揚州土着の豪族間や名士間に限らず(これらは他国にもみえる)、呉の有力臣下一同は奇妙な程横の連帯感強いよ。

益州出身で名士とも言い難い甘寧でも周瑜や呂蒙は重用するように推挙したりとりなしてるし、
家も貧しく家格の高いわけでもなく学問を修めたわけでもない呂蒙を推挙したのは大名士張昭だし、
もちろん虞翻を始め重臣・名士が主君に疑われるようなことがあれば他の臣下がこぞって取り成そうとする。

呉の初期は求心力を主君と臣下の心情的結びつきで得ている傾向が強いせいかな?と思ったりする。
201無名武将@お腹せっぷく:2006/03/04(土) 14:59:46
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          \l__,./       i l.ヽ! |   .| ::::::::::::::l ヽ   `7ー.、‐'´ |\-、
  I
      I
202無名武将@お腹せっぷく:2006/03/06(月) 04:02:51
閻圃は漢中から魏に
しかしその息子の閻璞は呉に仕えている
何故だろ?
203無名武将@お腹せっぷく:2006/03/06(月) 16:54:18
204無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 15:09:31
張温はウスノロ
顧雍は根暗
朱桓はいけすかないマイペース野郎
205無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 17:44:33
板違い
町びびえすにでも池
206無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 18:33:02
呉は下らん!
寝倉共には魏を勧める
207無名武将@お腹せっぷく:2006/03/07(火) 20:40:29
208無名武将@お腹せっぷく:2006/03/08(水) 22:58:14
周瑜や魯粛をはじめ、赤壁の戦いで相手の戦力を冷静に見計らい、そして見事打ち破った呉の武将達はスゴイと思う。
だが、当時の民衆の気持ちを考えると、張昭らの言う通りに降伏した方がよかったのじゃないか。
孫権が曹操側につけばどう考えても劉備等の地方勢力に勝ち目が有るはずもなく、アッと言う間に天下統一だったわけだし。
三国鼎立よりもこっちの方が好ましいと思う。
209無名武将@お腹せっぷく:2006/03/08(水) 23:07:30
曹操が徐州のようなことをしない保証はない
荊州でも民もろとも劉備を攻撃しているし、冀州では降兵八万を穴埋め
当時の呉の民にとって幸せだったかどうか
210無名武将@お腹せっぷく:2006/03/08(水) 23:26:37
>>208
それは理想論というか、
確かにみんながその考え方になれば、人類の歴史に戦争というものは無かったろうが、
呉には呉の、劉備には劉備の正義というものがあるんだよ。
211208:2006/03/09(木) 01:17:58
>>209
そうかなぁ・・・?徐州の時みたいに私怨があったワケじゃないし、
曹操が呉の民に 荊州や冀州の時みたいな事をする必要性も感じられない。
まあ、曹操は必要とあらば躊躇無くそういうことを実行するような男だから、
呉の民がこの上ない危険に晒されるというのは間違いないという気もする。

>>210
そちらの言う通り孫権には孫権の正義があったんだと思う。
赤壁の戦いはその正義が曹操の掲げる正義とぶつかり合った結果とも言える。
そのぶつかり合いを避けろなんていうのは理想論に過ぎないというのも承知してる。
だが、赤壁の戦いの時呉の幕僚達は主戦論と降伏論の真っ二つに分かれていた、という点を見ると、
孫権側の正義が内側からへし折られ、劉備側の正義がそのあおりを受けて潰されるという展開も十分有り得たんじゃないか?
その結果大きな戦が無くなるといしたら、これは民にとって幸せな事なんじゃないか?
というような事を考えずにはいられないのですよ。
というか、実際に降伏派の人達の中には>>208で言ったようなことを考えている人もいたんじゃないかと思ったり。

まあ、もしそうなったとしたら孫権や劉備は非常に気の毒だし、またそうならないために周瑜や魯粛、諸葛亮たちが頑張ったんだよな。やっぱりこいつらスゴイや。
212無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 01:45:17
呉が踏ん張らなきゃ、その後の中国における南朝の発展が無くなるので
長期的視野から言えば呉が降伏なんて最悪極まりない選択
隋唐の頃にはすでに南>北の国力(これは今に至るまでだけど)。それが出来たのは呉が南方を開発したから
213無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:06:34
>>212
なるほど・・・後の時代の事を考えて無かったよ(´・ω・`)
そういや中原の方は後に異民族に乗っ取られるわけだから、
江南の地がしっかりしてなかったら漢民族の存続自体が危うかったんだよな。
気づかせてくれてありがとう。目先のことばっかり考えるのはよくないな。うん。
214無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:11:03
まーあれだ、
当時は誰も本気で民のことは考えてないさ

呉は、孫権と豪族たちにとって独立してさらに荊州に進出した方がオイシイと判断したから抵抗して荊州に進出(侵略)したんだし
215無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:14:53
今も南>北なのか
中国の富は北京に集まってるのかとおもてた
216無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:15:31
>>212
呉が踏ん張らないと曹操>曹丕で継承が行われたと過程した場合
魏の制度だと中国の五胡十六国に当る時代がかなり先延ばしになったわけで
その間にどうなるかだな

統一果たしてしまえば司馬氏の台頭なんかありえなかった訳だし
217無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:17:26
でも、三国の戦乱でアホみたいに人口が減ったから、後の時代に異民族に乗っとられたと考えることもできる
218無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:18:30
>>216
先延ばしかは怪しい
五胡を内地に引き入れたのは主に曹操だから
早く統一されてたらもっと早くもっとヒドいことになったかもしれん

まあイフでしかないからなんとでも言えるか
219無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:34:25
呉は無能ばかり!
蜀が揚州を納めてれば天下統一だ!
理想として蜀は揚州と交州、呉は益州と刑州。
これで糞孫権が裏切らず頑張れば天下統一
220無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:43:37
はいはい良かったね
221無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:48:05
>>216
残念ながら司馬氏の台頭は時間の問題です
曹氏政権における法家的厳罰思考にたいして、権力者層である士大夫層には徳治政治を望む気運があった
その受け皿となったのが、名族・司馬氏な訳で
司馬師、昭、炎の政治というのは士大夫に凄く受けが良かったんです(三国志だと知られてないけど)
その支持があったからこそ曹氏から禅譲を受ける事が出来た。曹氏が劉氏から禅譲を受けたのと同様に
ただし、司馬炎は終盤に於いて独裁者的側面を見せ始め、声望の高かった司馬攸を憤死させしめ、彼の支持者を悉く左遷や刑に処した
それでも皇帝のイスを叩いて「この席がもったいのうございます」なんて言った奴を黙殺してるから、司馬政権っていうのは寛容が基本路線だった
同時に、そういった徳のある者こそが政治に参加すべし=名族・士大夫政権な訳で、生まれながらの貴族である彼等は政治に意欲なく、竹林の七賢に代表されるように享楽的だった(コレは南朝の梁まで続く気風)
西晋末の混乱は、為政者の政治意欲の無さが台頭する五胡に対して無関心であったことと(石勒に対して当時の大尉であった王衍の言葉が当時の貴族がどんなものであったかを示している)
政治から遠ざけられた寒門が皇族と外戚の争いに付け込むことで権勢を狙った内乱という二つの悪条件の結果、五胡の侵入が起こったいわば必然
IFを語るなら、曹丕が長生きであったならば多少は変わるかもしれない
でも、五胡が中国に入ったこともヤッパリ長期的に見て中国の活性化に繋がった事件だろう
222無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 02:49:11
アホなこと書くのはいいが、蜀ヲタのふりをするのはやめていただきたい。
223無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 03:05:40
>>221
司馬氏の台頭は統一出来てないときに、防衛戦で大活躍したからなんで
統一されちまえば師、昭、炎の政治なんて連中はそもそも政務に関われないんだよ
224無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 03:34:38
内容ちゃんと読んでるか?
司馬氏が台頭しなくても、別の名族が台頭するだけ
それに司馬懿は曹丕のお気に入りで、内政にも関わってる曹魏政権における大物
防衛で活躍しなくても師、昭、炎はそれなりの地位は貰える
そして燕征伐の事、まるっきり無視?
225無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 04:11:00
>>224
読んでる
まず、別の名族なんて話を後付けすんな
次に、司馬懿は曹丕のお気に入りだが、曹丕在世中ではそれ程高官ではない
対呉対蜀で活躍してなきゃ燕征伐のお鉢が回ってくる以前に中央政界でソコソコ活躍して終わり
元々、司馬懿は政治能力でのし上った人物でなく、武の道でのし上った人間なのはご理解いただけるかね
曹爽には政治的に負けて、腕力に物を言わせたクーデターで引っ繰り返してる事がそのいい証拠

曹魏の身内に厳しく、臣下に甘くってのは統一さえ済んでしまえば
手柄を挙げ難い平時では臣下の台頭がなく、皇帝集権が可能ないい方策なんだよ
まあ、小帝が続くと外戚、宦官などが台頭する後漢末と同じ轍を踏むがね
226無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 07:18:19
>>215
今でも 南>北 では?
北京よりも上海、香港などの方が経済力あるぞ。
227無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 08:11:07
>>219呉に頑張れは無駄。
呉は鳥丸見たいな物だから、やはり蜀が北伐をせんとな。
まあ呉は劣化した毛利かな
228無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 08:42:10
さいですなwww
呉の奴らは自分達の事しか考えてないからなwww
229無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 08:43:11
>>225
別に後付してない。ちゃんと“受け皿”と書いてる。ニュアンスとして名族であればいいと言うのが伝わってなかった見たいだが
司馬懿に関しては、九品官法制定に関わった人物であり、これは政権掌握後だが州大中正によって政権の貴族層形成の温床をつくったのだが?
曹丕死後に於いて陳群、曹真、曹休らとともに曹叡の補佐を任じられてるのを全く無視してる
そして曹魏に皇族疎遠政策は別に批判もしてないのに何故に擁護してるのか?
大体、臣下に甘い時点で中央集権化はやってきません。しかし、中央集権化を目指すならいち早く恩倖政治の時代がくるだけに過ぎない
これも結局は寒門と貴族との争いになるわけだから、西晋の二の轍を踏むことになるだろうけど
230無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 08:58:38
蜀と魏の素晴らしい戦いを見たかった
231無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 09:06:52
そろそろ巣に帰ったら?
232無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 09:25:19
そうはい神崎!
呉オタの寝倉共に蜀と魏を教えてるのだ!
良いか…呉の命運は孫策と周楡が死んだ時点で尽きていた。
孫権見たいな文官見たいな野郎には天下は無理。
やはり天下を取れるのは魏で有る。
面白いのは蜀で有る
233無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 10:02:57
>>232
正直中国の歴史の中で南側が天下を獲ったことってほとんど無い。
南側は豊かで不毛な北側の領地を得たところで得るものが無いから軍事に熱が上がらんのだろうな。
234無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 10:11:29
235無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 10:51:43
まぁ、明だけだわな>南朝が天下を取った
236無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 11:44:04
>>229
は?
俺は「司馬氏の台頭はない」と書いた所にお前が名族だったからって付け足しただけだろうが
237無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 12:15:39
曹魏はいわば
「諸侯王(曹操直系)疎遠政策」
それ以外の皇族である曹氏は政治や軍事にかなり優遇してるぞ
誤解なきよう
238無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 14:11:42
>>232同意
それに呉が早く滅んでたら、乱世は早く終わってたしな。
頑張るのは蜀と魏だけて良い。
それなら蜀も早く滅ぶからな。
239無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 14:24:12
>>238

>>212以降のレスをもう一度読み直してこい。
240無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 14:26:05
>>238
自分のカキコに同意して楽しいか?
241無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 14:33:31
>>239中国経済何て関係無いだろwww呉のせいで中国が調子に乗れる程発展したんだからな。
>>240寝言は寝てから言えよwww
242無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 15:19:13
いや蜀が要らんだろ?天下2分なら呉が天下を狙えたかも知れんよ
243無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 17:08:12
まあまあ、脳味噌腐ってて文字も読めない豚を相手にしたらいかんよ。
244無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 17:18:11
別にいいよ。保守してくれてると思えば。
245無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 17:36:41
ジョセイって何歳で死んだっけ?
246無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 19:04:49
糞スレ上げ
247無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 19:27:12
>>209
>冀州では降兵八万を穴埋め
初耳です
248無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 19:40:46
>>247
袁紹伝か太祖紀の官渡の戦いの記述に有った気がする。うろおぼえだけど。
裴松之がこの記述をもとに「曹操軍の兵力はもっと多かった筈だ」と言ってた覚えがある。
249無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 20:25:56
このスレは正史?演技?
250無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 21:38:52
太祖紀
251無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 22:13:37
>>249
どっちでも良いんじゃね?「呉」としか限定してないし。

ただ、
「サんごクムソゥのシュゥユヵッコeョネ!(≧V≦)」
って奴等はお断りな雰囲気に見える。
252無名武将@お腹せっぷく:2006/03/09(木) 22:19:03
あとは、このところ自分に賛同レスしてる変な意見とか
253無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 01:43:49
>>251なら演技しか知らんから演技で逝くぞ。
>>252自演してる厨の事か?
254無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 01:48:52
>>247
袁紹伝注
官渡戦で袁紹に置いていかれた兵を曹操は「偽降」として穴埋めした
項羽が新安でやったことと似たようなものか
255無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 01:56:44
このスレ見たら、勉強するきが沸いてきたよ。
d。
256無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 03:16:22
伏兵か
257無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 08:53:33
自分の事をさも他人事の様にほざける>>253って別の意味で凄いな
258無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 10:32:19
>>253
残念、完全正史スレだからお帰りください。
259無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 10:40:17
↑正史なら正史と書き込んでくれ
260無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 11:56:12
別に正史限定スレというわけではないが、呉の魅力を語る以上正史中心になるのは仕方ない。
261無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 11:57:57
呉・三国志を語ればいいじゃん
262無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 12:45:27
263無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 14:40:14
>>245
年齢不詳。
なにせ生没年不明だから。
264無名武将@お腹せっぷく:2006/03/10(金) 19:49:03
>>263
生没年不明だが、巷では228年死亡説が多いな。
265無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 12:23:28
孫権陵あげ
266無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 13:14:58
呉は合肥を攻めこんだ。

ミス
267無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 16:27:46
陸遜て………かわいいよな。
あんな顔して火攻めとかするSっぽさが好き
実物も可愛かったと願いたい
268無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 22:10:06
>>267
横山光輝版を見て失望するなよ。
269無名武将@お腹せっぷく:2006/03/16(木) 22:13:44
相手にしない
270無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 00:54:00
>>268
横山ならまだマシ
園田版見たら>>267は気絶するだろう
271無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 02:12:18
蒼天陸遜はイケメンだがイマイチ陰が薄い…やっぱ阿蒙
272無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 09:29:34
>>270
コレだっけ?
          川
        ミミ川川ツ
       ミミ:::::::::::::::::彡彡
      ミミ::::::::::::::::::::::::::彡彡
    ミミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡彡
 ミミミミミ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡彡彡彡彡彡彡
ミミミミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡
 ミミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡
  ミミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彡
   ミ;;;;| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ、;;;彡彡彡
    i`| (,;;;;;,,,,  ,,;;;;;;;;;,,,  )  Y^ヽ彡
    ヽ! "ゝ・イ⌒"ゝ・-イ      d /
     i´  ,;(´__);,,        Y
    l   ;;,;;;;;;;;;;;;;;,;;;        |
   ,ィ<ヘ ,,,;;;`ー―‐'";;;;;;,,,,,      ノ>\_
  イ^ゝ ゝ、_,,,,;;;;;;,,,,,______,イ/ /  ``ヽ、_
         "'''''''""
273無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 09:33:18
やぱ陸遜はピザでないと感じ出ないな
274無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 11:54:56
呉ってハッキリ言えば邪魔な存在だよな。
呉さえ居なければ早い事統一出来たのに。
まあ総ては暗愚の孫権のせい
曹操に文官として従えたら良いのに
275無名武将@お腹せっぷく:2006/03/17(金) 18:24:20
劉邦ってハッキリ言えば邪魔な存在だよな。
劉邦さえ居なければ早い事統一出来たのに。
まあ総ては暗愚の胡亥のせい
項王に臣下として従えたら良いのに
       ( ̄!ー─--、
        〉 /\__/ヽ`i
 .       /  〉     ||
       |: /__   __|_
      (^Y ━` i´━'|  
       ヽ_,   __ 」__  |
       /'ヽ ┠─┨/
      /\.,,ヽ┃ ̄┃、
         .   ̄ ̄
277無名武将@お腹せっぷく:2006/03/29(水) 12:17:21
あげ
278無名武将:2006/03/29(水) 14:26:05
age
279無名武将@お腹せっぷく:2006/03/29(水) 19:35:09
朱治に助けられた事があるから、朱治が好き☆
280無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 01:19:01
呉の建国の功臣であり孫権政権初期の中心人物である張昭と周瑜。
対比されることも多いこの二人だが皆はこの2人をどう捉えてる?
281無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 01:49:25
ジジイと美形
282無名武将@お腹せっぷく:2006/03/32(土) 21:01:30
求心的アクションリーダーと政権のカウンターウェイト

反目するかのようでいて、どちらも重要なポスト
283無名武将@お腹せっぷく:2006/04/02(日) 21:37:38
「弁亡論」によれば、
「孫権政権下にあって
世間に広く名の知られた立派な人物を招いて礼遇したが、その中の第一人者が張昭であり、
優れた才能を持つもの達を広く集めて配下に納めたが、この中での中心人物が周瑜だった。

この2人が共に俊敏にして非凡、博識且つ聡明であったため、
この2人と性質や志向を同じくする人々が集まってきて江東に多くの優れた人物が排出された」としている。

識者名士の代表であり、百官の取りまとめ役が張昭であり、
俊英勇士の筆頭であり、軍事・外交の責任者が周瑜なんじゃなかろうか。

孫策死後すべての事務を長史の張昭と中護軍の周瑜が取り仕切り、
まだ不安定な孫権政権にあってこの2人が率先して孫権の心を寄せ盛り立てたとある。

出身地で見ると、孫呉政権は主に北方からの移入者と元もとの揚州出身者によって占められるが、
徐州出身で北来名士でも最も名の知られた人物が張昭、
揚州出身で二代に渡って後漢最高位の大尉を排出した有数の名家出身者が周瑜。
あまり出自の良くない孫家にとって、この2人の求心力は大きい。
284無名武将@お腹せっぷく:2006/04/07(金) 20:35:33
張昭って孫策時代には割と兵を率いて大将やってたりするが
孫権時代になるとパッタリやんでるんだよな。(まぁ、大した戦果も挙げてませんが)
他にもこの過渡期で恩愛をほどこした豪族の代替わりも激しい。

やはり孫権は孫策時代の功臣、ひいては地元の連中にのさばられるのがいやだったのだろうか。
285無名武将@お腹せっぷく:2006/04/07(金) 21:54:49
孫権の代には黄巾賊残党の討伐、合肥の別働隊、豫章の南城攻略にはそれなりに率いていたけど、
逆に孫策時代には大将とかやってる記憶がない…どんなのあったっけ?
286無名武将@お腹せっぷく:2006/04/08(土) 08:03:36
>>285
確認。逆だった。孫策時代は特に何もしてないんだね。
287無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 15:43:26
孫権、好きなんだけど初めて入る人からすると掴み所のない人物かな。
外交では顕著だし、配下に対しても周泰を労う事があると思えば、張昭の家に放火することもある。
赤壁の戦い(便宜上これで)で勝ったのに劉備に荊州先にとられてたり。
かと思えば魏と同盟結び関羽を打ち破ったり。
非常に人間的で、理想の君主かもしれない。
彼は五十年に渡って呉を治めるわけだが、決して最初から「理想の孫権」であったとは思えない。

彼が君主となるにあたって張昭と周瑜の補佐は不可欠であった。
周瑜は当時、軍人として極めて優れたが若死した。
これは惜しいことだ。もしかして孫権が理想の君主だったのか否か、考えたくなる。
張昭は赤壁の戦いで降伏論を出したとはいえその後漢の権威に屈しても、
反旗を翻すことはなかった。
この両名は数多き忠臣の中でも孫権が尤も頼りにし、敬った忠臣だと思う。
であるから孫権も名君に昇華することが出来たのではあるまいか。
288無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 17:17:34
周瑜と言えば名士でありながら率先して孫家に忠誠を誓った、ってエピソードが好きだな。
遺言もどっかのスレで見たけど、顔ではなく生き方が美しい美丈夫だと思った。


張昭って北方から来たんだっけ? もしかしたら張絋と混同してるかも知れね。
289無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 18:08:57
>>288
孫邵、張昭、張紘、歩シツ、呂岱などの人物は徐州出身。
290無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 18:34:23
陶謙が徐州で暴政を強いてたから、あの辺の人材が全部南に流れてきた。
291無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 22:14:13
そういや、徐州大虐殺を逃れた呉の人材って居ないよな。
292無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 22:15:47
>>291
諸葛瑾は?
293無名武将@お腹せっぷく:2006/04/14(金) 23:09:41
>>290
陶謙の暴政を逃れてきたはずの張紘が陶謙を悼んでるとはこれいかに
294無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 00:32:38
>>293
董卓の死を蔡ヨウが悼んでるのと似たケース
295無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 00:45:24
>>289
dクス。二張は有名だけど呂岱は意外だったかも。
296無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 03:06:25
>>293
張昭じゃなかったっけ?
張紘も?
297無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 12:26:55
>>291
賢い人間は曹操が攻め込む前の陶謙の暴政の時点で逃れてるから
298無名武将@お腹せっぷく:2006/04/15(土) 17:47:41
>>292
諸葛謹はさ。曹操が攻めてくるので一帯が戦場になるってんで逃げたんだよね。
徐州大逆殺の噂を聞いてどうこうじゃないんだなこれが。
299無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 18:40:05
諸葛謹ってだれだよ
300無名武将@お腹せっぷく:2006/04/16(日) 20:51:30
驢馬
301無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 00:30:27
諸葛亮の兄貴
302無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 00:32:34
ぶっちゃけ呉はイラネ
居ても居なくても良い存在だ
スグに裏切ったり同盟したりする恥を知らん国だ。
あんな奴らは英雄ではない
303無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 00:41:06
諸葛謹じゃなく諸葛瑾ね。
304無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 01:41:42
>スグに裏切ったり同盟したりする恥を知らん国だ。

ツッコミどころ満載の嫌呉厨の定番の台詞
305無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 13:37:53
きっと劉備嫌いなんだよ。ほっとけ。
306無名武将@お腹せっぷく:2006/04/17(月) 23:00:10
呉がなければ荊州で劉備は曹操により滅亡
呉と魏が戦っている間に同族を攻撃するのが劉備
呉が魏に攻められても援軍を送らない呉の同盟国の劉備
魏を打倒することを誓い皇帝になった劉備が最初にしたのは呉征伐
307無名武将@お腹せっぷく:2006/04/20(木) 12:06:49
スルーしようぜ。ただ蜀好きがみんな、こんなアホだとは思わないでほしいがな。
308無名武将@お腹せっぷく
思う方がおかしいというか、蜀好きを装った釣り師(だと自分では思ってるただのバカ)の可能性が極めて高い。